同時にあなた方は「霊」であり、つまり「光の実在」でもあります。
「スピリット(意識)」であり、「光」であるということは、
あなた方は「神の火花(神意識・宇宙意識)」でもあります。
あなた方は本来、「存在の大本なる神」から生まれ、
愛されて存在させられるに至った神のスパーク・光です。
つまり「あなた方の本質」は「神」であり、「神の火花」なのです。
その神の火花・スパークが肉体の中で生きようとしているのが、あなた方一人ひとりであり、それぞれがユニークに設計された、「個性豊かな火花」なのです。
あなたは自分というユニークな火花を持って肉体に住むことにしました。
それは胎内に懐妊したとき、あるいは誕生のとき、また肉体が誕生して数年後にそうすることもあり、こうして肉体に神の火花としてのあなたがかぶさり、自分を表現するための媒体として肉体を持つようになりました。
肉体に住むようになったあなたはそこへ自分を移し変え、肉体と一体となり、必ずしも肉体を乗っ取ったわけではないのですが、肉体を通して表現し、体験を通して生きるようになりました。
「あなたの本質」は「神」であり、
「神の火花(神の化身・表現者としての神)」です。
もしあなたが自分以外のところに自分の力のよりどころ、頼るべき何らかの神を置くとき、あなたは自らの「内なる神の火花(内在の神)」を外在化させたのです。
それがどのような理由でそうすることになったかに関わりなく、あなたの人格がこうした神や仏、救い主を外在化するようになると、いわゆるサブパーソナリティ(隠れた意識)というものがつくられます。
それは潜在意識とも呼ばれることがありますが、私たちはそう呼んでおり、そうした一つの人格があることを強調するためです。
あなた方の地球ではみんながしていることですが、あなたは自分が神であることを信じなくなった瞬間に、自分の内なる神の火花を外在化したのです。
つまり何らかの神や仏や救い主を信じたり、拝んだりするようになった瞬間に、あなたは神であることをやめたのです。多くの人々は自分の外に何らかの唯一の神や仏や救い主を崇拝し、奉仕し、仕えるような宗教や哲学の下に生まれ、あるいは選択しました。
そして実際にそうした信仰体系だけであっても、すでに自分の内なる神の火花を外に置くとき、もはや神は自分という生物的存在にではなく、別のところに存在すると言っているのです。
こうしてあなた方は小さい時分から、自分は実は神であるということを放棄するのです。こうした本来の自分を放棄して生きる生き方のもう一つの方法は、責任を持たないということで行なわれます。
つまり、自分の人生は(偶然の賜物なので)自分の責任の及ぶところではないと信じることにより、(外側のどこかに存在する神から一方的に与えられる運命を受け取るだけの)、肉体の知的感覚だけで生きようとすることです。
本来の内なる神の火花を完全に外在化することはできませんが、あなた方はその「ふり」をします。
このようにしてあなたの肉体は神を宿しながらも、神は外に存在するもので、自分は別個に存在しているふりをする生物体となります。
こうしてあなたという生物体は、一連の状況と行動、反応、ニューロンの神経伝達によって単独で動くようになり、そうした情緒的状況が生み出す神経伝達と、単なる行動の塊りであるだけの生物的なサブパーソナリティ(副次的人格)を生み出します。
そのパーソナリティの形態は、あなたの生物的反応と「神の本質」とをかけ合わせたものから作られます。
ほとんどの人は一つだけでなく、複数のサブパーソナリティを持ってそれを作動させています。
そして実は、こうしたいくつもの「仲介者」がいるために、あなたは分裂し、生物体としての本来のあるべき神としてのパワーを機能させることができません。
ですからこうした複数の「仲介者」をうまくこなし、あるいは取り込み、変容させることによって生物体としての機能をフルに始動させ、
「本来の姿」である「神として機能(神我顕現・神との合一)」
…ができるように学ばなくてはなりません。

これこそが「自分という本来の神」を「内在化」させることであり、あなたという神を歓迎することで、
それはいわば新たなる家、城としての肉体に自らを城主として迎え入れ、肉体を自分の王国とすることによってのみ果たし得ることなのです。
ですからあなたが自分自身を嫌い、肉体を嫌い、そのゆえに問題を抱え、そうした自分の部分を受け入れることなく切り捨てていくたびに、当然、そうした凱旋(がいせん)の道のりは遠のいていきます。
文字通りそれは、自分の部分を外へ外へと、どんどん遠くへ追いやっていくのです。
誰でも、自分に対して何らかの審判をくだし、決め付けをし、批判するとき、より強固なサブパーソナリティを作り出していきます。
自分が自らの好きではない何らかの部分を追い出し、締め出すとき、あなたは本来の神の本質である火花をどんどん遠くへ追いやっているのです。
誰でも自分の嫌いな陰の部分を持っています。同時にとても素敵なのに、気にも留めないような部分もあります。他人と比較して何か変だと思っていたり、自分では受け入れられないものを批判します。
それが何であれ、あなたが自分の現実から好きではないものを拒否するとき、それは外在化され、それがフィードバックとなっていき、そうやってあなたはそこに新たな神を作るのです。
たとえば、あなたの内には膨大な怒りがあるとします。
しかし怒りっぽいのは問題だと考え、社会的にも受け入れられにくいものなので、何とか抑圧するようになります。
その結果あなたは、怒りはよくない、怒るのはよくない、敵意を持ってはいけない、暴力はいけない、それらはまずいことでいけないことだと思います。そしてそれらを抑圧し、否認するようになります。
しかし否認するものは何であれ外在化するようになり、そして同時にそれは、あなた自身から遠くへ追いやっているあなた自身なのです。
すると怒った自己は神の火花と同じところに押しやられるので、怒りの性格を自分自身の神の火花に与えてあなたは怒りの神となります。そしてあなたは、「神は怒っている」と捉えるようになるのです。
そうなると、こうしたサブパーソナリティがあなたの人生を動かすようになります。
それはあなた自身の怒りであり、神の本質を否認することで作り出されたサブパーソナリティですが、それはあなた自身でもあります。
それは無条件であるために、何であれあなたではないものでもすべてを丸ごと受け入れ、生命を与えます。
さてこうして、とても怒ったサブパーソナリティがあなたに備わりました。
抑圧や否認に陥るときは必ず、否認という行為自体があなたが否認しているものに生命を与え、あなたの外在神へと押しやることになります。それを抑圧しようとすると、受け入れて手放すよりもはるかにもっと多くの問題が起きるのはそのためです。
否認して外在化されたとしても…
すべての部分には神の火花の生命があります。
つまり抑圧されるものは必ず跳ね返ってくるわけで、
それはいつか必ず表面化し、直面しなければならないのです。
これは自分の進化においては避けられないことなのです。
あなたが何かに対して恐れを抱いているとします。
しかしその恐れがどこから生じているかに向き合うことなく、普段そうした感情を無視し「怖れてなんかいない」、あるいは「そんな部分は見たくないし、考えたくない」と思います。
そうするとあなたはそうしたサブパーソナリティを持つことになります。
それがあなたの人生を支配するようになるという意味は、あなたがその恐れの原因に向き合って手放すまで、その恐れは繰り返しあなたの人生に立ち現れてくるのです。
あなた方の社会や文化には、受け入れにくい、あるいはふさわしくないという理由だけで多くのことがらが抑圧されており、隠すように教えられていることがたくさん存在します。
それはさまざまな行為だけでなく、人々の性格にまで適用されています。
しかし抑圧され、否定・否認しようとするものはどんなことでも、外在化された神に付け加えられ、いつか必ず向き合わねばならないパーソナリティの部分となっていきます。
いつもビクビクして、怖くて仕方がないという人がいますが、そのゆえに彼らは実は怖れる人、怒りの人であり、おそらく人生のどこかで怖れや怒りを否定してきたと思われます。
自分の一部を否定すれば、それは外在化されます。
すると機能しないサブパーソナリティが形成され、今度はそれを通して人生を見るようになるので怖くて仕方がなくなるのです。
しかし自己覚醒の道を、本来の自分の持つ力というエンパワーメントの道を歩み始めると、こうした人は「怒っている自分」に気づくでしょう。
エンパワメントとは、自分本来が持つ神の力を取り戻すことですが、すでに手放してしまっているものをどうやって取り戻せるのでしょうか。
しかし実は手放したのではなく、自分は神ではないからと、外在化したさまざまな神を作り出して脇に置いただけなのです。
しかしそうしたサブパーソナリティは実に緊密に、あなたの肉体と霊とに重なっているので、あなたが否定し見たくないものを迂回することをよく心得ています。
あなたは自分が神であることを恐れたので、神の本質を外在化させたのです。

霊は肉体に宿りますが、閉じ込められているわけではありません。
「あなた」という「神の火花(神の表現体・神の化身)」は、肉体ができる前に存在している、体が朽ちても存在する霊なのです。それは自由自在に望むところどこにでもいける神の本質です。
あなたという霊は肉体に宿り、それを通してすべてを体験したいと決心したので肉体に入ったのに、あなたはそうした自分のすべてを受け入れようとはしません。
自分という本質(真我・無限大の愛・神なる自己)を全面的に受け入れようとはせず、否認した部分は外へと追いやり外在化したままです。
その結果、肉体全体が反応して、分裂してサブパーソナリティができるのです。
あなたは、「それなら簡単だ。本来の神であればいいし、本来の自分になって何も外在化させなければいいんだ」と言うでしょう。
ただ理解してほしいことは、あなたをコントロールしているものはすべてそれぞれが、あなたのサブパーソナリティを通してあなたのコントロールをしているという事実です。
つまりあなた方はみな、実はたくさんの神を崇拝しているのです。そうして分散化させ外在化している神を、あなたは今引き戻そうというわけです。

あなた方の多くが幼児期から、(キリスト教的・仏教的な)唯一神を信仰する宗教や哲学的な信念を教えられてきました。
それによって神や仏を(自分の外側にあるものとして)外在化させたことから、いわゆるサブパーソナリティ(隠れた意識)が作られました。
そして外在化された人々みんなの神や仏は混ぜ合わされて、(外側に存在する)一つの神となっています。この惑星の大多数の人々が、いかなる宗教や信念にかかわらず一つの神を信じています。
この神というものの人々の持つ信念という集合意識こそが、私たちが言うところのゲシュタルト、いわば一つの世界、一つの大きな枠組みとなってあなた方にかぶさっているのです。