- No
- 4021
- Date
- 2019.11.15 Fri
母親のヒーリング中に 「聖霊」が体に降臨した神秘体験話♪あなたは「純粋な目覚めた意識」であり「一なる自己しか存在しない」「すべての根源であり、本質である一つのもの(全てが神・全て私)」があるだけなのです♪「一なるものの法則」はただ、すべてのものはひとつであり、すべての存在はひとつであると言っているだけ♪自分自身を発見するために自分を捨てる♪ラーが語る「ゆがみ」とは「分離意識・不調和・ネガティブな意識」「ゆがみ」を克服する方法は「許し」♪静寂(全一体・自他一体・全てを愛する我・静かな心・無限の赦し・愛と調和・神への連続的感謝の意識状態)♪内なる空間と宇宙空間(アウタースペース)♪バーソロミューさん・ラー文書・ラムサさん・バシャールさん・ドンカバチョ様♪
母親のヒーリング中に
「聖霊」が体に降臨した神秘体験話
最近体験した一生忘れられない…神秘体験をご紹介しちゃいます。
3日ほど前の話なのですが、母親が椅子に座ってパソコンで私のブログで見てくれていた時に、せっかくだから…と、後ろから母親にヒーリングをする事にしたのです。
それで、まずヒーリングの前に、ヒーリングに必要な一連の流れの正しいお祈りを神に捧げました。
●今からヒーリングを致します、愛する父なる神よ、神様、どうか私に愛の光をお与え下さい。
●大天使エルランティ(七大天使の総称)の皆様、今からヒーリングを致します。どうか私に神の光をお与え下さい。
(※河合勝先生によりますと、ヒーリングは必ず七大天使を通して行われるとの事で、ヒーリング前に、エルランティの皆様にお祈りすると良いそうです)
●神様、私を神の道具としてお使い下さい。全ては神の御業でございます。神様、私を通して偉大なる神の御業が顕現なさる事に感謝致します。
と、このような祈りを真摯で敬虔な想いで神に捧げたのでした。
それから母親の腎臓あたりに、両手を少し離して、ヒーリングを始めたのですが、そうしますと…私の身体に、パァーッと聖霊が下ったような感覚に包まれまして、体中がプルプルっと震えるような高振動な光悦感に満たされました。
今まで一度も体験したことのない至福のエクスタシーな光悦感でした。ものすごい高い振動数だと言う感覚で、プルプルプルプル~って感覚でした(笑)。
体が扇風機の羽になったようといいましょうか…、聖霊や神の偉大なる光は、最高に高い振動数ですから、きっとそういう感じなんだろうなぁ…って。
ヒーリングを始めた瞬間から、もう祈りが神様に通じた…まさにその通りできっと通じたのでしょう。体中が、もうここまであらかさまでいいの…っていう程に、…ダイレクトに分かるぐらいに、私の体が聖霊に満ち満ちている状態に変容したのです。
その様な感覚が五秒ほど続きました。その後、背中が最高にポカポカして体中が神の愛の光りに包まれた様な状態に移行したのです。
それから母親の全身が、白い白光で 包まれるイメージの「光明思念治療法」も織り交ぜつつ、最高のヒーリングになるように努めました。
今まで生きてきた中でも、最高の体験でした。神様が私を神の道具として信頼して下さったからこそ、こういった体験が許されたのだと理解できました。
私の祈りを神が聞き届けて下さった…神様が私を信頼して、聖霊を下して下さった事に涙が出るぐらい感激致しました。
そして、私を通して偉大なる神の御業が顕現して下さった事に対して、神に心から感謝致しました。
神様、偉大なる神の光を与えて下さってありがとうございます…と。
その後は、母親の全身が白い白光で包まれるイメージで、光明思念治療法も織り交ぜつつ…母親の健康と幸せを祈りながら、ヒーリングしておりました。
常に100%の愛で、全知識フルスロットル・総合的大活用フルパワーで何でもありなのが私のヒーリングなのです(笑)
そのときのヒーリングは、今までで一番…手が暖かくなって、手から猛烈に神の光が出ているのが実感出来ましたし、母親も温かいよ~って言ってくれました。
今回の体験を通して一番大事だと感じたのは、神に信頼される意識状態にまで自分を高めあげる事です。
ここ最近の感覚でも、ここまで真理の理解も深まって、神の道具意識としての自覚にも覚醒めて、自分のフィーリングでも、もうそろそろ…神様からしましても信頼して下さる次元に、意識が成長出来たのではないだろうか…とは感じでおりました。
そういった手応えはあったのですが、自分を磨きに磨き上げて、神の器としてふさわしい、真の意味で「神の顕現の器」として、
神に認められる…信頼される魂になれた時に、神様からいくらでも神の道具として使ってあげよう…となるのではないかな…と、そんな気が致しました。
それからは、背中が今までよりも、幾分ずっとポカポカしておりまして、心も体も絶好調だったりします。
気のせいかもしれませんが、この世界が美しく観えている気がするのです。波動が上がると、この三次元世界がキラキラして視えるという真仙明さんのお話もございます。
ヒーリングで聖霊が下って、色んな意味でまたワンランク魂の次元がアップしたのかもしれませんね。この神秘体験を与えてくださった偉大なる神に心から感謝致します。
後でこの体験について、じっくり考えてみたのですが、神様が私の意識状態をじっくりと観察して、この者なら…もう聖霊が下ったと感じるぐらいの…、
「神に選ばれし者」だと思っても不思議じゃないぐらいの…、光悦感を感じる神秘体験をしたとしても、増長マンや慢心に陥らず、
神への深い愛と連続的感謝の意識状態でいられる、神の媒体(道具)として、思う存分使うに値する人間だと…そう認めて頂いたのかな…って思った次第です。
お恥ずかしい話なのですが、昔に神秘体験のオンパレードをした事がありまして…、この時は、幾分か自分が「選ばれし者」だと勘違いしてしまい、気持ちが浮かれてしまって軽く天狗になってしまった事も御座います。
一つの失敗な経験でしたが…それはそれとして、今回の神秘体験に通ずる、一つの伏線だったのかな…と、神の壮大な計画の一部だったのかな…と。
一度天狗になってしまった経験により、その対比(コントラスト)が今回の貴重な経験をより一層、価値のあるものにしてくれた気がするのです。
今回の体験に対して、自分でも不思議なほどに謙虚でいられる事に対して、ただひたすら…「神様ありがとうございます」しかありません、はい、本当に。
ここまで神様や守護の神霊が導いて下さったお陰…これが真実ですから。究極レベルになりますと、「神への感謝」しかなくなります。
今回の体験を通じて、自身の意識が進化し、「神を愛する想い」が、「神を恋い焦がれるような深い愛」へと変容した著しい魂の成長を再確認でき嬉しい思いになりました。
それに何よりも、神様への「神への深い愛」が神に届いて、神様が私を包み込むような愛で「聖霊が降臨する」という形でお答えてくださった事が、本当に嬉しくて嬉しくてしょうがなかったのです。
まさか…ただのヒーリングのつもりが、ここまでの異次元の神秘体験になっちゃうとは(笑)。
今でもたまに、あの究極の光悦感に包まれたい…って、ちょっと懐かしく思う時があります(遠い目)。それぐらいのエクスタシーな光悦感でしたから。
もう一生忘れられない…っていう位の神秘体験…と言っても差し支えない体験でしたねぇ…・:*:・(*´∀`*)ウットリ・:*:・☆彡☆彡♪
それから、今なんかは結構寒いのに、背中がホッカイロでも付けているかの如く…ぽっかぽかですからぁ…(*´∀`)アハ♪神様ありがとうございます♪
本当に全身全霊で…神様を愛せば、神様が愛でお返しして下さる…という一つの事例なのかもしれませんね。どんどん神様を愛しましょう。
神様に対する「深い愛」や「感謝」なくして、いくら行法をしたところで空念仏だと思うのです。全身全霊で神を愛する事こそが、神への道の一番大事な事柄であり、神に愛されるコツではないかな…と。
愛するものは愛されます…という事は、神様を愛したらどうなりましょうか?…わかりますね、そう!!…神様に愛されるという結果になります、答えはシンプルでした。
五井先生は、神様ありがとうございます…だけで悟りを開かれたとも仰っておられました。神への深い愛と感謝で御座います。
私は五井先生から、「全身全霊で神を求める祈り」と、「神様ありがとうございます」、「恋い焦がれる程に神様を愛する大切さ」を学ばせて頂きました。
色々な覚者方から、良い部分を学ばせて頂いております。聖者方、覚者方に心から感謝申し上げます。今の私の覚醒があるのは、偉大なる方々のお陰で御座います。
今回の神秘体験が、皆様のヒーラーへの目覚めや、また、すでにヒーラーの方々に対してもヒーリングのいいヒントにして頂ければ、私としましても至上の喜びで御座います。
皆様、長文のご拝読有難うございました。ですが…実はこれが序章だったりします(笑)。今回は長いですよ~、まだまだ続きまぁ~す♪
2019.11.14 Thursday00:07
から引用させて頂きました。心から感謝申し上げます。
あなたの心の奥深くに気高く生き生きと存在するのは、”内なる神”です。確かにそれはそこにあり、静寂を通して触れることができます。
多くの人にとって静寂とは瞑想を意味します。長時間の長い瞑想は「”大いなる源”」への最短距離と言えますが、誰にでもできるわけではありません。なので誰にでもできることについてお話しましょう。
.
まず最初に、内なる静寂(ワンネス意識)を体験するには何かを変えなければならない、という考えを捨ててください。
静寂とは、肉体の動きや自分の周りにあるエネルギーの動きを、すべて止めることだとあなたは考えているかもしれません。
ですがエネルギー(大生命)は常にあなたの周りを動いているものなので、それを止めるのは不可能なことです。
.
あなたの魂、全体性(真我)は、あなたの存在(意識)の中にある静けさへの道を知っています。ですから具体的にどうするかを、あなたが知る必要はありません。
ただ、そうしたい(根源との合一を願う心)と思わなければなりません。
神に「心を鎮めて下さい」という祈りを心の中で自分に与えなくてはなりません。
.
まず最初に息を止めるようなものです。目を閉じ、息を止め、自分の中の静けさ(神との一体感・宇宙との一体感)を感じてください。
その後は、今までやっていたことをそのままやり続けてください。
.
あなたは「純粋な目覚めた意識(神ご自身・神意識の一部)」です。
「私とは意識」であり、「意識はすべて」であり、
「全てを超えている宇宙の要素」です。
(※すべての意識は、神の意識です。全ては神から生まれしものであり、全ての全てが神の現れであり、未来永劫「神」以外のものは存在いたしません)
それ以外の定義は全部ウソです。
でもそうだとすると、「”大いなる愛”」はどこにあるのでしょうか?
私が「愛」という言葉をあまり使わないのは、人間の意識の中ではその言葉が、あまりに手垢がついたつまらないものになっているからです。
ケイシーリーディングから…♪
愛という言葉ほど大きく誤解された言葉はないでしょう。この真意は、自分の中にも他人の中にもある愛の光(無限の生命・真我)を見つめる事にあります。
(全てに神を観る意識=愛=全てが神だと意識している状態=愛=全一体=愛=ワンネス意識=全ては一つ=愛=永遠に一つの神意識=覚醒=愛=自分が神意識の一部と悟った我=愛=大愛・絶対実在=無限の生命=愛=神と私は常に一体の境地=愛=覚醒)
人は自分の心と頭が、”大いなる愛の光”で満たされていることに未だ気づいていません。
その”大いなる愛の光(無限の生命)”こそが、
「純粋な目覚めた意識(神ご自身・神意識・真の自己)」なのです。
「覚醒」と「愛」は同じものです。「愛」とは「覚醒の感覚(神と私は常に一体の境地)」なのです。
.
”聖なる愛(無限宇宙・宇宙神)”というものが存在しており、
自分がその「聖なる愛(神の一部・永遠に一つの神意識)」なのだということを信じようと決心してください。
知花敏彦先生のお話から一部引用ですが…♪
では、人間と神の関係はどうなのでしょう。
本来は「人間と神の関係さえもない」という事です。
この説明のためにテーマをつけて書いたものであり、
関係さえもなく、「一つの存在」であるのです。
「人間と神」は、「即、一体」の存在であり、
「我々」も「神の存在」であり「神そのもの」であったという事が分かるのです。
「我は神なり」。「我は生命なり」。我は神理なり。と。
「我は神(の一部)であり、我はキリスト(宇宙生命)である」という悟りに至らなくてはならないのです。
そうすると、それを(自分が神の一部だと)心から感じられるようになるために、日常生活の絶え間ないざわめきを静めたいと思うようになります。
.
あなたは「”大いなる愛(神)”」そのものであり、
「”大いなる慈しみ(慈悲と愛)”」そのものです。
内なるこれらの「愛と慈しみ(神・無限大の愛)」に触れる(感謝する)ことができると、素晴らしく高揚した気分が生まれ、心と体と精神を満たしてくれます。
.
日常生活の中でこの静寂を実践していくと、それまでになかった経験をするようになるでしょう。
自分の内側に何かが本当に存在しており、静寂さを通してそれを感じられるようにと願うならば、それは叶うのだということを理解するとそれが起こり始めます。
静寂を実践する時には、その反応が起きるのを期待しながら待ってください。「期待しながら」待つことを忘れないでください。
.
一生懸命(神との合一を願う)祈り、神がそれに応える準備を始めたところで、その人が立ち去ってしまうということがよく起きます。
自分とは何なのか、その「本質(根源の愛)を知りたい」という願いに対する反応は瞬間的に得られます。
ですがそれを感じられることを期待していなくてはなりません。
.
自分が何なのかを知りたければ、「自分が純粋な目覚めた意識(神そのもの)」であり、どんな二極性にも囚われず、他人も自分も批判せず、
どんな制約も持たない存在(神)であることを、体と心で感じたいと思うのであれば、「心を静めよ」という命令を(我か神なりの神性意識で)自分に与えることです。
あなたの内なる「”大いなる完全性(無限大の愛・愛の光)”」は、
心の底からの願いが何であるかを正確に理解しています。
ですから期待感を持って静寂(愛と調和・慈悲と愛)の中に身を置く時、自分の本当の姿(真我・ワンネス意識)を体験できます。
.
これはすでにお伝えしましたが、ここで再び繰り返します。あなたの内なる”大いなる完全性(宇宙法則)”、つまりあなたの魂はただ一つの目的を持っています。
それは神から分離した意識である人間に、
「一なる自己しか存在しない」ことを自分に教えることです。
それは「すべての根源であり、本質である一つのもの(宇宙は神という一つの生命・神そのもの)」があるだけなのです。
.
あなたの人生に起きることはすべて、たとえそれがいかに酷いことであっても、破局や惨めさの極みであったとしても、そうなるように導かれて来たのです。
(全て善し・すべては完全・全てに感謝で対処)
その理由は、あなた(の意識)が自分の内側(全一体)へ向かい、自分本来の本質を示してくれる静寂の次元(愛の王国・内なる神の国)に深く沈潜することを、自ら選ぶようになるにはどうすればよいか…、
それを一番よく知っているあなたの内なる「”大いなる完全性(宇宙法則・愛の法則・無限者)”」が、そのように仕向けたのです。
(※全てが大いなる気付きへ繋がる神の偉大なるご計画・完璧な宇宙法則の現れ…ですから、全てに対して神様ありがとうございます…で対応するのがベスト♪)
.
聖なる静寂(ワンネス意識)から自己を切り離してしまい、今ではもう心を静めてもただの騒々しいおしゃべりしか聞こえて来ないことに気づいた時、人間は深い悲しみと孤独を感じました。
そして心のどこかで、どのような犠牲を払おうとも、内なる”大いなる源”のあの静寂(ワンネス意識)をもう一度感じたいと望みました。
.
あなた方の悲しみや苦しみが役に立つのは、悲しんだり苦しんだりしている時に、人は神を求めるからです。(悩み苦しみは魂の促進剤)
他のことはすべて忘れても構わないので、次のことだけを覚えておいてください。
あなたに苦しみが訪れるのは、あなたの裁くエゴの心が生み出した矛盾した人間像(偽我)を捨てて、人間の本来の姿(神意識・大生命)を深く感じ、それを意識の中心に置くようにと促すためです。
.
悲しみや苦しみのない静寂(全てに神を観る意識・愛と調和)に生きることを意識的に選択するならば、もはや悲しみや苦しみを必要とはしなくなるでしょう。
それに代わり、温かくて優しい意志(慈悲と愛)を通して「内なる神(真我)」を見つけることもできます。
もう苦痛から逃げる必要はありません。自分に喜びや美しいもの、素晴らしいものを与えるかどうかは、あなたが自分で選ぶことです。
.
地球は二極性持つ惑星であり、そのゆえに苦痛を通して「内なる神」を見つけることができるのであれば、喜びを通して「内なる神」を見つける道もあるはずです。
.
バーソロミューのメッセージ
ドン・カバチョ様から引用させて頂きました♪
心から感謝申し上げます。本当にありがとうございます♪
与えるものが受け取るもの
バシャールさんは仰います。
「宇宙」にはただ「ひとつの法則」があるだけです。それは、
『あなたが与えるものが、あなたが受け取るものである』という法則です」と。
このサイトを閲覧するような奇特な人の中には、
「与えるものが受け取るもの」という言葉をその字面(じづら)通り解釈する人はいないとは存じますが、この意味深長(しんちょう)な謎(?)の言葉を私なりに解釈しますと・・・
『あなたが与える態度が、あなたが受け取る態度である』
と言っています。
「態度」とは、「行為・言葉・表情」です。
(意識・想念の状態と身口意の総合)
「態度」の裏付けは「情緒」です。
つまり、
『あなたが受け取った情緒を、あなたは再び受け取る』
と言うことです。
「情緒」を生み出した源泉は「観念」です。
ということは
『あなたは、あなたがしがみついている観念が生み出した宇宙で生きるしかない』
ことになります。
これは極めて真っ当な物言いですね。
※自分を人間(分離意識の観念)と思うか、自分を神(全一体の観念)と想うかによって、この表現世界で顕現できる力(フォース)が変わってくるとも言えましょう
観念・情緒・態度の無条件反応
1.本来は無垢・中立な「出来事」を「観念」フィルターという色眼鏡がとらえる
2.「観念」に付随する思念が出来事を判断し思考を経て「感情・情緒」を現出させる
3.「感情・情緒」が「態度」として表明・フィードバックされ「観念」を裏付ける
もし、あなたの生きる宇宙があなたを閉じ込める不幸・地獄と感じるのなら、無条件反応の過程としての「態度」を天国のものに意図して変えることで、あなたは天国に生きることになります。
宇宙にはただひとつの法則があるだけです。それは、
「あなたが与えるものが、あなたが受け取るものである」という法則です。
これこそが豊かさです。
豊かさの本質はこの法則にあります。
私たちはなんて豊かなのでしょう。
すでに私たちはこの上もなく豊かなのでした。
―――――
ラムサは仰(おっしゃ)います。
――私の教えは真実ではない。信じてはいけない。
あなただけが真実である
何故なら、真実とは、”あなたの主観が「表現」する現実”なのだから。
(この現象世界は、貴方の意識が投影投射した「映画のフィルム」のようなものであり、自身の意識が変われば、この映画の世界も意識通りに変わってゆきます)
――私とは、自分の運命を創造し、人々を偉大な理解へと導いたユニークで、力強く、素晴らしい「表現」であった。
私は理解した。私は私をそう理解したのだ。
――この物質の天界は、「見せる天界」、「表現する天界」とも呼ばれる。
何を「見せ」、何を「表現」するのか?
「あなたという神(神の顕現・表現者としての神)」だ
ラムサの仰る「表現」とは「態度」のことです。
「態度の表明」のことを、ラムサは「表現」と言っているのです。
――悩みなどとは無縁の腹ぺこの子供のように食事をしなさい。
あなたが飲み込む一口ごとに、幸せでありなさい。
態度がすべてだ。
――既にあなたは、至福の天界で自己を神として成就させた。
あなたという精霊(意識・魂)は、既に、
「自分が神(と常に一体)」であることを知っている。
それなのに、あなたは何故、再び、この物質の天界で自己を神として表現することを選択したのだろうか?
それは、この濃密な物質の天界(第4密度・三次元界)
でしか真の体験として完了させることが出来ないからだ。
この「物質の天界」はまた、
「表現する天界」と呼ばれる所以(ゆえん)である。
――あなたの正体が露(あら)わになる―本性で生きる
―至福の天界において大切なことは、何だろうか?
それは、この物質の天界で成功と言われるもの―どれだけ金を稼いだか、どれだけ有名だったか、あるいは清貧だったか、華美であったかなどとは全く関係が無い。
そのようなものを、至福の天界でひけらかす者など誰もいない。注目する者すらいない。
至福の天界で大切なことは、あなたが、この物質の天界―表現する天界―で、自己をどう定義してそれをどう表現したか(魂の成長・意識の進化をしたか)ということだけである。
(愛と調和・無限の赦し・慈悲と愛・身口意を正した愛の生き方・真理の理解)
――我々が霊性のパラダイム(宇宙法則)に則って生きるには、生(人生)を霊的な意味(霊性進化的思考)において扱わなければならない。
それは、この天界(現象世界)がまるで…至福の天界であるかの如くに生きていくことを意味する。
嫉妬、羨(うらや)み、怒り、争いといった態度を持たずに
(愛と調和・無限の赦し・慈悲と愛・神の御心そのもので)生きるのだ。
欲深く、自己中心的で、自己の境界線を固持し、生きるために生き、ずる賢く、人を操作し、利用し、虐待し、偽善者を装うという様な、(カルマで)自分を閉じ込めてしまう生から抜けるのである。
我々は、この表現する天界でそれを、肉体に入ったまま行うことに意義がある。
ラー文書(セッション6)
難解であるとの声が聞かれる「ラー文書」ですが、この通信に頻出する「ゆがみ」という言葉をどう理解すれば良いのか解らない方が多いのではないかと存じます。
訳者(紫上はとる)は、『「ゆがみ」とは、「一なるものの法則」(の波動)から外れたもの、状態、あるいは歪曲された事実や現象を意味しているのではないかと思います。
したがって「ゆがみ」には私たちからみてネガティブでないものもあります。』と歯切れ悪く言葉を濁されていますが・・・
「ゆがみ」とは、モアレ(干渉縞、かんしょうじま)のことです。
三次元物質宇宙において人間(にんげん、にげん、二元)の五感(視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚)は、関係性(コントラスト、差分、干渉、モアレ、うなり)を捉えることしか出来ません。
※補足説明
私の解釈では、「ゆがみ」は、「分離意識・不調和・ネガティブな意識」と捉えます。
つまり…「ゆがみ」をなくすとは、「カルマの輪」を止める事に他ならないのです。
第六密度以上の高次元存在が語る
「許し」というものが、カルマの輪を止める事になるお話
★ コーリー : 多くの人々が現生のトラウマだけでなく、過去生のトラウマにも対処しているところなのです。
今、地球に生まれて来ている多くのライトワーカーは、援助の為により高次元や、上の密度から降りて来た人々です。
現生が初めての人でも、高次の美しい場所からここへやって来た人にとっては、ここでのトラウマは10倍酷(ひど)く感じられるものです。
そして、長期に亘(わた)って輪廻転生を繰り返して来た人の場合は、更に解消しなければいけない過去生のカルマ『ゆがみ』が加わります。
しかし、ブルーエイヴィアンズから言われたのは、トラウマを特定し、自分にトラウマを与えた人や自分自身を許すこと、
そして、この”「許し」というものが、カルマの輪(ゆがみ)を止めることになる”ということです。カルマ(ゆがみ)がなくなるんです。
これは、エネルギー的なものです。
「カルマ(ゆがみ)とは」負債を支払うようなものではなくて、
「許してエネルギーを解放するもの」なんです。
カルマとは宿題・魂の課題・許しによって消滅♪
………………………………………………………
「許し」を心から実践=カルマの輪を止める=カルマがなくなる♪
自分にトラウマを与えた人や、自分自身を許す==
==魂の課題を克服=カルマが消滅♪
許す事によってエネルギーを開放=カルマの克服・解消に♪
「モアレ」はWikipediaによりますと・・・
干渉縞ともいい、規則正しい繰り返し模様を複数重ね合わせた時に、それらの周期(波長)のずれにより視覚的に発生する縞模様のことである。
また、規則正しい模様を、デジタル写真などのビットマップ画像にした場合も、画像の画素解像度と模様の周波数のずれが原因で同様の縞模様が発生するがこれもモアレと呼ぶ。
また印刷でも網点(あみてん)という点の集まりに画像を変換するので同様の現象が発生する。
モアレそのものも周期(波長)を持ち、この周期は元になる模様の周期(波長)の組み合わせで決まる。物理学的にいうと、モアレとは二つの空間周波数のうなり現象といえる。様々な形態で発生するため、モアレにもいろいろなものがある。
「干渉」はWikipediaによりますと・・・
波における干渉とは、複数の波の重ね合わせによって新しい波形ができることである。互いにコヒーレントな(相関性が高い)波のとき干渉が顕著に現れる。
このような波は、同じ波源から出た波や、同じもしくは近い周波数を持つ波である。波の重ね合わせの原理とは、ある点に生じた波の振幅が、その点に影響するすべての波の振幅の和と一致することである。
同じ点で波の山と山または谷と谷が干渉すると振幅の絶対値は大きくなり、山と谷が干渉すると振幅の絶対値は小さくなる。2つの波が重なりあうとき、形成される波形は周波数(または波長)と振幅、そして位相関係に依存する。
私達はモアレ(干渉縞)という「存在の固有波長」と「私の固有波長」が織りなす影を捉えているのです。
そして「私」が捉えるその影は、「感情・情緒」として感得されます。
つまりは、「全ての感情・情緒」は「私」の「固有波長」が生み出しているのです。
そこを了解して読んで戴くと、「ラー文書」の理解は深まるかと存じます。
―――――――――――
Q:私はこのへんで、あなたがたの背景についてもう少しお話しいただくのによい時期ではないかと考えています。もしできればで良いのですが、地球に関わった以前に、あなたがたがどこから来たのかについて聞かせていただければと。
R:私はラー。私は私自身がその一部であるところの社会的記憶複合体とともにおり、あなたがたの太陽系とこの媒体が呼ぶであろう場所にある別の惑星から、外に向かう旅に出た者たちのひとりです。
私たちはあなたがたが金星と呼ぶ惑星の影響下にあり、あなたがたの時間の尺度を踏まえて言えば一人類分の周期だけ年上になります。
六次元にいたときの私たちの物理的実在は、あなたがたが金色の存在と呼ぶであろう在りかたをしていました。
私たちは背が高くいくぶん華奢(きゃしゃ)でした。あなたがたが外皮と呼ぶところの、私たちの物質的な身体複合体を覆うそれは金の光沢を放っていたのです。
私たちはその形態をもってあなたがた人類を訪れることに決めました。
当時の人類は、あなたがたが身体的的外見と呼ぶであろう点で、私たちとはまるで異なっていました。
そのため私たちは民衆に上手く溶け込むことができず、彼ら自身とは明らかに別の存在でした。
あなたがたの「他の自己たち」とは別の存在であることで賞讃を浴びるという、偽善者的立場に置かれてしまっていたことを私たちは思い知らされることになります。
それゆえに、私たちの滞留期聞は比較的短いものになったのです。
これは私たちが、あなたがたが関心を示されていたところの建造物(大ピラミッド)を建てた時代のことです。
Q:金星から地球にはどうやって旅してこられたのですか。
R:私はラー。私たちは思考を使ったのです。
Q:その当時の人間のなかから、誰かを金星に連れて行くことは可能でしたか。人は金星で生き長らえることはできたでしょうか。金星の環境は人が暮らすのに適していましたか。
R:私はラー。金星の第三密度の環境は、あなたがた人類の生物形態が生存するのには適していません。
しかし、金星の五次元と六次元の環境は、成長/学び/教えに非常に貢献します。
Q:あなたがたはどうやって金星から移動されたのですか。地上を歩くのに次元を変える必要があったのでしょうか。
R:私はラー。風のエクササイズを思い出してください。「無の状態(無限の生命・宇宙意識)」に溶け込むことは、
すなわち「ひとつであること(全一体)」に溶け込むことです。
なぜなら「無の状態(何もない状態……真実は”全ては無限の生命”です)」は存在しないものだからです。
私たちはいずれの光粒子やゆがんだ光粒子にも存在する知的無限(無限・大愛)を、思考を使って六次元から操作することができます。
私たちはそうやって、三次元で見ることのできる、自分たちの六次元の心/身体/霊複合体の複製(レプリカ)で自分たちを覆うことができたのです。
私たちはそうした実験の実施を、地球を見まもる「評議会」から許可されていたのです。
Q:その「評議会」はどこにあるのですか。
R:私はラー。この「評議会」は、土星のオクターブ、または第八番目の密度、すなわち八次元にあります。あなたがたが三次元の言葉で「土星の環」として理解されている領域に位置しています。
Q:私たちの太陽系には、あなたがたが地球で見つけたような人のいる惑星がほかにもありますか。
R:私はラー。現在の空間/時間の情報をお望みですか、それとも連続休としての空間/時間の情報をお望みですか。
Q:両方お願いします。
R:私はラー。あなたがたのいう過去のある時間/空聞において、三次元の存在である人々が、あなたがたの太陽系にあった惑星に住んでいたことがあります。
この惑星はさまざまな名前で呼ばれてきていますが、あなたがた人類がもっとも頻繁に用いている震動性音声複合体は「マルデック」です。
ところが、マルデックの人々は自分たちの住む惑星を破壊してしまい、そのため自分たちの居場所を見つけることを余儀なくされました。
彼らの心/身体/霊が「一なるものの法則」にかかわるゆがみを減じるために必要なレッスンと、彼らの生存に適した環境を提供できた場所は、彼らの時間/空間的現在において、あなたがたの太陽系ではここ地球の第三密度をおいて他にはありませんでした。
Q:彼らはどうやって地球に来たのですか。
R:私はラー。彼らは収穫(刈り入れ、ハーベスト)のプロセスをとおり、輪廻転生のプロセスを経て、あなたがたの第三密度のより高次な天体からこの密度にやって来たのです。
Q:それはどれくらい昔に起きたことですか。
R:私はラー。この媒体との交信が困難になっています。彼女のトランスをもっと深める必要があります。
それはあなたがたの歳月でいう約50万年前に起きた出来事です。
Q:地球の人類は、それでは全員がもともとマルデックから来たことになりますか。
R:私はラー。これは新しい系列の質問ですから、それ自体独立した場所が必要です。崩壊前のマルデツクは、あなたがたにはその名前で知られていますが、それ以外の複数の名前でも知られていたことはすでにお話ししました。
その天体から、収穫されたかたちであなたがたの惑星へと輪廻転生してやって来た人たちは、その多くが地球上よりむしろ地表の内側に転生しています。
地球に住む人々には、多くのさまざまなグループが含まれているのです。
なかには、ほかの二次元や周期を巡った三次元の天体から収穫されて転生して来た人々などがいます。
あなたがたは起源においても背景においても異なっており、ひとつの人類という人種ではないのです。
あなたがたが「分かち合っている体験」は、この時間/空間連続体において比類なきものであると言えます。
Q:そうした人々の地球への移動と収穫という行為において、「一なるものの法則」はどのような役目を果たしていたのでしょうか。それを伺うちょうどよい機会だと思うのですが。
R:私はラー。「一なるものの法則」はただ、すべてのものはひとつ(
同一の命)であり、すべての存在はひとつ(神意識・神ご自身)であると言っているだけです。
(※ラーさんは知花先生や上江洲義秀先生・バーソロミューさん等のお話と全く同じ宇宙法則(真理)を説かれているのですね。
ある程度予測はついてましたが…このお話で確信が持てました)
この法の叡智や実践に共鳴するような特定の姿勢や思考形態の存在はあります。
体験のひとつの周期の終了(次元上昇・地球の輪廻の卒業)が間近で、
そうした思考や行動の叡智のゆがみの(修正を正した)段階を身をもって示している人たちがいるとしましょう。
(すべては一つを悟った人、無限の赦し・慈悲と愛の体得・真理の理解・身口意を正して全一体の境地に到達した人・地球での学びが必要ないレベルにまで到達した人)
すると彼らは自分たちの選択によって、彼らの心/身体/霊複合体がもっとも「居心地のよい振動性ゆがみ」(波動が高い高次元な星)へと区分けされることになります。
このプロセスは、「養成する側の存在たち(地球の保護者・天上界の方々)」によって観察され見守られています。
そうした存在たちというのは、彼ら自身のゆがみにおいて「一なるものの法則」に非常に近いところにいます。
(全一体・宇宙意識に到達した覚者・聖者方・アセンデッド・マスター)
ケイシーリーディングからですが…♪
問題が肉体的な事であれ、家のこと、社会のことであれ、個人、非個人の事であれ、エドガー・ケイシーは常に惑星上に受肉(転生)した魂としての人間の存在が一つの目的を持つこと、
その目的とは個々の魂と神との関係(全ては神ご自身・全ては一つ)
「一なるものの法則」を悟ることに集約される事を訴えています。
ここで人間性の全体、体と心とが神の現れであるという明快な言い方を採るエドガー・ケイシーのリーディングを引用して、魂の論に結論を出してみましょう。
「汝の体、汝の心、汝の魂が地上での神の現れであり、他のどの魂もそうであること、汝の体は現実に生ける神の宮なることを知れ。
あなたの知る善の全て、神の全ては、他人の考えること、他人の行うことではなく、あなた自身を通して、あなた自身の中に現されているのである」
問「心と物質と霊という意識の中にあって、実体の活動(輪廻転生)の目的とは何でしょうか。」
答「それは、その実体(意識)が自分自身であり、なお全体の一部(神意識の一部・神と私は常に一体・宇宙は一つの生命体)である事を自ら知るようになる為である。
全体そのものではなく、全体と一つ(神の中の存在)であり、そこから、自分自身の個別性を保ち、自分が自分である事を知って、しかも自分を生まれさせた、
意識を与えてくれた第一原因(神・無限者・大愛)の目的と一つであることをも知るという事である。これが目的である。これが(人間が)存在している事の原因である。」
問「物質的表現に生まれる魂の目的は何でしょうか。」
答「その初め、魂が個人的に現れ出る働きにおいて、それは創造的力または神の伴侶(神との合一・真我顕現・覚者)となる目的を帯びていた。」
ケイシーリーディングここまで♪
しかしそれにもかかわらず、彼らは活躍の「目覚ましい奉仕の道※」を依然として遇進しているのです。(※知花先生や上江洲義秀先生の事ですね)
幻影は光で創られています。あるいはより的確に、それでいて理解しにくい言いかたをすれば光/愛で創られています。
これは集中度において程度がまちまちです。
収穫された存在一人ひとりの霊的複合体は、光線にそって進みます。
そしてその光が眩しすぎるほどになるところまで行き、そうなった時点で移動を止めます。
そのとき、なかにはかろうじて第三密度にたどりついたような存在もいれば、第三密度の光/愛のゆがみの震動性複合体の終わりにきわめて近い存在もいるでしょう。
それでも、この集中した光/愛のオクターヴの住人になった存在たちは、その後、大きい方の周期(以下、大周期)を体験していきます。
そして彼らは大周期のあいだに、それぞれに備わったゆがみ(カルマバランス)を見い出すための機会を得、見い出せたことから、そうしたゆがみ(カルマ)を減らしうる機会を獲得することになるのです。
Q:そうした周期は、私たちの歳月でいうと、どのくらいの長さなのですか。
R:私はラー。大周期というのは、あなたがたの歳月で言う二万五千年くらいです。同様な性質を帯びた周期が三つ(二万五千年×3)続くあいだに進化を遂げた人たちは、それらの大周期の終わりに収穫される可能性があります。
この期間の長さはあなたがたの歳月でいうおよそ七万五千年から七万六千年になります。
進化の度合いに関わらず、全員が収穫されることになります。
というのも、この期間のあいだに惑星自体がその次元の有効な部分を通過してきており、その惑星密度においては、低い波動の存在にとって成長の役に立たなくなるためです。
Q:周期的に見た進歩という点で、現在の地球はどのあたりにいるのでしょうか。
R:私はラー。この天体は現時点で、四次元「的」波動のなかにあります。
地球の意識のなかにはめこまれた「社会の記憶複合体」のせいで、地球を構成している物質は非常に混乱しています。地球がさし招かれている波動への移行は容易ではありません。
そのため、ある種の不都合がもたらされることになります。
Q:この不都合というのは(1981年1月24日から)数年内に差し迫っているのでしょうか。
R:私はラー。この不都合あるいは不調和な振動性複合体は、あなたがたのいう過去の数年前にすでに始まっています。
そして今後も衰えることなく、あなたがたの歳月でいう約30年余りは続くことでしょう。
Q:この30年間を過ぎると、地球は四次元の惑星になるということですね。私のこの推察は正しいでしようか。
R:私はラー。はい、正しいです。
Q:地球の現在の人口のおおむね何パーセントが四次元の地球で暮らすことになるのか教えていただけますか。
R:私はラー。収穫はまだ起きておりませんから、概算は無意味であると思われます。
Q:あなたがたが私たち地球人に、あなたがたの情報にアクセスできるようにしてくださっているのは、私たちが今この移行の時期
にあるという事実と関係がありますか。
R:私はラー。私たちはあなたがた地球人とともに地上で暮らしたことがあり、そのことを記憶しています。そして目にしてきた多くの悲しみを思い出します。
私たちは、心/身体/霊複合体のなかにゆがみの適切な特性(パラメータ)を持つ媒体を捜してきました。
そして、あなたがたの歳月の数年のあいだ、私たちのこの情報を最小限のゆがみと、最大限の奉仕願望をもって受け入れようという複数の心/身体/霊複合体の支援と理解を求めて来ました。
ご質問の答えですが、手短に言えば、「はい、関係があります」。
しかし、私たちが記憶において、あなたがたに感謝していることを知って欲しかったのです。
Q:現在報告されているUFOのなかには金星以外の惑星から来たものもあるのでしょうか。そうした情報はお持ちですか。
R:私はラー。私は「無限なる創造主に奉仕する惑星連合」から来たメンバーのひとりです。
この「惑星連合」には、約53の文明があり、それらが約500の惑星意識複合体を構成しています。
また、この「惑星連合」には、あなたがたの第三次元を越えた次元にすでに達した「地球からの存在」たちも含まれていますし、あなたがたの太陽系の惑星レベルの存在たちや、ほかの銀河の惑星レベルの存在たちもいます。
そして、この「惑星連合」は、メンバーたちは一様ではありませんが、「一なるものの法則」に則った奉仕を行なうところで団結の為された正真正銘の「連合」であると言えます。
Q:そのなかに現在、宇宙船で地球に来ている存在はいますか。過去の三十年間のあいだではどうでしょう。
R:私はラー。この情報が重要でないことははっきりと述べておく必要があります。
あなたがたにそのことを理解していただければ、無難なかたちで提供しうると思います。
私たちがここに来ている目的は「一なるものの法則」を表現するためですが、そのお望みの話題についてもお話ししましょう。
あなたがたの三次元空間/時間のゆがみに出現することを望む惑星レベルの存在は、あなたがたの前に姿を現わすまえに、あなたがたが隔離状況と呼ぶであろう状況を突破する許可を要請する必要があります。
そして、姿を現わす理由や目的が判断の対象となり、その申し出は受理されるか、あるいは却下されます。
あなたがたの空にはいつでも多くて十五人ほどの「連合」の存在がいます。
それ以外の存在に関しても、「思考をつうじての交信」が可能です。
目下、あなたがたの密度では、七人の存在が、乗り物をつかって活動しています。
彼らの目的はきわめてシンプルで、それは地球の存在たちに無限性に気づいてもらうことなのです。
無限性は、神秘的で未知なるものとして示されるのが、そうした情報をもたない人々にとっては、もっとも効果的であることが多いからです。
パーソナリティのプリズム
人は個としても集合としても、些事にも大事にも、常に豊かさを求めて生きて来たし、今後も生きていくのでしょうね。
さて、人が求めて止まない「豊かさ」とは何でしょうか?
相対的かつ多様な関係性の「優」の側――高、正、真、勝、得、上、ポジティブ、好、美、広、多・・・の側――に立つことが、社会通念上の豊かさです。
しかし、この関係性はそもそも、社会(人間)が画一的に枠組んだ多様な属性に乗っかるコントラスト・差分でしかありません。
社会(人間)が画一的に枠組んだ多様な属性を「観念」と申します。
その観念は100%、社会(人間)の恣意性に拠るものです。
人は明に暗に、多かれ少なかれ、このチンケな観念の些末(さまつ)なコントラストの「優」側に自己同一化を図りながら生きているという訳です。
あるいは、生きるとは、他者と同意した観念において「優」側への自己同一化の企てと言っても良いかと。
「優」側への自己同一化――これが、人が求めて止まない「豊かさ」の正体です。
現代日本では、「豊かさ」の代名詞は「お金」です。
「健康」もかなり志向性が高いかと。「容姿」、「家族」、「友人」、「知力」、「体力」、「武力」、「面白さ」・・・人それぞれで「豊かさ」を計る属性の重みは違うでしょうが、相対的な関係性の「優」側に立たなければならない=豊かにならなければならない、というベクトル志向の構図は同じです。
そして、社会はこの「『獲得した』、『認知された』豊かさ」の中だけに「幸福」があると信じ込ませます。
幸福は犠牲を払って=努力をして、掴み取らなければならない、
他人に幸福そうだと思わせるフリをしなければならない・・・・
現代社会の本質は、観念が生みだす二元の相対関係というシーソー、そのアップダウンゲームだったのです。
さて、人は「出来事」を判断し思考して感情を湧き立たせます。
判断・思考・感情をここでは「思念」と呼ぶことにします。
フツフツと途切れることなく湧き立つ「思念」――その「思念」を生起させているものは・・・・
「観念」です。
「観念」が「思念」を産み出しているのです。
歓び、哀しみ、楽しみ、絶望、恐れ、怒り、希望、憧れ、赦し、嫉妬、後悔、恥、痛み、恨み、孤独、諦め、感謝、誉れ・・・・
「出来事」に対する私たちの「思念」は「観念」フィルターを通して顕現されます。
ということは、ステキな「思念」を体現するには、ステキな「思念」を生起させる「観念」を通せば良いことになります。
「出来事」そのものに意味など有りません。
(意味を探すとしたなら、自身の「観念」の方でしょう。)
「出来事」を解釈するフィルター(観念)を変えれば、「思念」が変わります。
「観念」とは世界観・宇宙観です。
私たちのモノの見方である「視点・視座」を乗っけているモノの「見え方」、それが「観念」です。
私たちは意図を持って「視点・視座」の立ち位置・角度を変える――つまり「見方を変える」ことは出来ます。
しかし「観念」は意図を持ってして変えることは極めて困難です。
「観念」は、モノゴコロが付くまでに親によって植え付けられ、心身と一体化してしまったイロメガネです。
私たちにとって、自己とほとんど一体化してしまっているイロメガネの存在には、気付くことすら難しい・・・
では、私たちは結局は湧き出でるワンパの「思念」を描き代えることは出来ないのでしょうか?
判断・思考・感情を、私は「思念」と呼びました。
その「思念」の最終形態は「情緒」です。
「感情」の奥に潜むフィーリングが「情緒」です。
実はこの潜んでいるフィーリングにも深さがあって、私たちの意識が感得できる「情緒」の程度には、個人によってかなりのバラツキがあります。
湧き上がった「感情」・「情緒」を私たちは「態度」として表明します。
「態度」とは、行為・言葉・表情です。
この表明された「態度」(行為・言葉・表情)が、「観念」にフィードバックされ、その「観念」を強化します。
まとめますと、
1.「観念」フィルターというイロメガネが出来事をとらえる
2.「観念」に付随する思念が出来事を判断し、思考を経て「感情・情緒」を現出させる
3.感情・情緒が「態度」として表明・フィードバックされ、「観念」を強化する
というサイクルを造っています。
と言うことは、3 の過程で「態度」を
ステキな思念を生起させる「観念」用のものに代えれば、
ステキな「感情・情緒」を体験でき、
更にその「観念」を成長させることが出来ることになります。
さて、あなたの採る「態度」は、二元の相対関係のシーソーゲームにおける「優」の側のものでしょうか?(ヤレヤレ・・・・)
昔の人がこう言いました。
「わが身から出るものはいずれ我が身に戻り来る」、と。
お金に執着することなく、喜んで働きましょう。
かつて一度も傷ついたことがないかのごとく、人を愛しましょう。
誰もみていないかのごとく自由に踊りましょう。
誰も聞いていないかのごとくのびやかに歌いましょう。
あたかも「ここが地上の天国であるかのように」生きていきましょう。
(世界がもし100人の村だったら)
悩みなどとは無縁の腹ぺこの子供のようになって食事をしてほしい。
あなたが飲み込む一口ごとに、幸せ(愛と調和)でありなさい。
「態度(想念・意識状態と身口意)がすべて」だ。
(ラムサ)
「感謝」は「根源との合一」「ワンネス意識」に通じる最短の近道です♪
ワンネス意識と分離意識
私達には、「ワンネス意識」と「分離意識」の2つが同居しています。
ワンネス意識は愛、感謝、喜びや平安などの真我(聖なる存在)の意識です。
分離意識は偽我(マインド)の事であり、インナーチャイルドとも言われています。私達人間は宇宙の創造主である大いなるものから作られているため、「本質はワンネス意識から成り立っている」のです。
分離意識とは、対立意識です。具体的には「人と自分は違う」「なんで私だけがこんなんだろう?」と人と比べてしまう意識であり、偽我(マインド)によって不安や恐れが生じ、心を動揺させる原因となる意識です。
真我(内在の神)の応援と
ワンネス意識がもたらす効果
私達が真我(宇宙生命)の応援を得られるようになった時は、愛や感謝が増え、人間関係が良くなり、自分の周りにいる色々な存在との結びつきを感じられるようになります。
周りの人との関係が良くなれば、自分自身との関係も改善していきます。
また、真我(内なるキリスト意識)の存在を常に感じ、生きとし生けるすべての存在といる自分を感じられるようになります。
(全一体感・自他一体感・宇宙意識)
さらに聖なる存在と共に生きる自分を感じられる様になっていきます。このようなワンネス意識状態になると、身体は癒され、心と身体の意識が調和され、心の中の様々なパーソナリティが調和して働いていきます。
私達は常に自分のプラス的な傾向性を持ったパーソナリティと、マイナス的な傾向生を持ったパーソナリティの両方が、同居しています。
私達が真我(神我キリスト)の応援を得られるようになれば、偽我(マインド)が静かな状態でいて、必要なときのみ働いてくれるようになり、プラス的な傾向性を持ったパーソナリティの働きが前面に出るので、心の平安が生まれます。
心の平安が生まれると様々なホルモンと酵素が互いに正しく活動し、細胞が正しく機能するようになるので、身体の自然治癒能力が高まります。
これは医学の世界でも証明されている事ですが、感謝がある時や笑ったりしている時は免疫力が上がります。一瞬だけでなく常にそういう状態であれば身体も良くなるのは当然でしょう。
ワンネス状態へ持っていくために必要なマントラ
私達の意識をワンネス状態に持っていくための必要なステップとしては、まずは、人間関係を整える事です。そのため、心の浄化(サムスカラーシュディ)が必要です。
これを行う事でトラウマを解消し、マイナスのエネルギーを開放していくことが出来、人間関係を調整することが出来るのです。
もうひとつ大切なことはマントラを唱え、自分自身が、真我(聖なる存在)の本質である「愛」や「喜び」である事を宣言する事です。
自分の存在を決定しているのは自分の意識です。
「あなたはどういう存在ですか?」と問われた時に「私は愛です」
「私は、存在、意識、至福です」など、自分で自分の存在の本質を宣言する事で、意識を変える事が出来るのです。
マントラは、ヒマラヤのヨギなど、悟りを開いた多くの聖者が長年続けている方法です。マントラは聖なる音、宇宙に反響して鳴り響く音です。
「私とは意識」であり、「意識はすべて」であり、
「全てを超えている宇宙の要素」です。
(※すべての意識は、神の意識です。全ては神から生まれしものであり、全ての全てが神の現れであり、未来永劫「神」以外のものは存在いたしません)
ですから「私は○○だ」と意識が発言する事はとても重要なのです。
「私はダメだと宣言すれば、それが宇宙にこだまして本当にダメになってしまいます。
「私は愛だ。至福だ。感謝、喜びだ」と宣言すれば、それが宇宙にこだまして自分に戻り、自分がそのような存在である事を感じられるようになっていくのです。
私達には自由意志が与えられています。自由意志は、宇宙が強制をする事が出来ません。「私はダメだ」と自分で思っていたら、そういう人は自分で自分を駄目にしているのです。
自分で「自分の存在を愛や喜び、感謝だと宣言」をすれば、誰がなんと言おうと関係なくそのとおりに実現していくものなのです。
人の気持ちの表現の中で「感謝」が最高のものであり
「意識の進化度」を示すバロメーターです
その人が偉大かどうかは、その人に「感謝の気持があるかどうか」で見分ける事が出来るでしょう。悲しいことに、これが欠けている人が多いのです。
感謝をしないと(魂・意識の)成長が滞ります。よく考えれみれば、どんな生き物であっても、それが受け取るものはすべて、この地球から来ている事がよく分かるでしょう。
生まれたばかりの赤ん坊は、滋養を与えてくれる「母に感謝」すべきです。それから保護を与えてくれる「父に感謝」すべきなのです。
学校に通うようになると、智慧や知識を授けてくれる「教師に感謝」すべきです。そして、その知識が先人の経験によって培われてきたものである事に感謝をすべきでしょう。
「植物・動物・森羅万象への感謝」も忘れるべきではありません。
こうした恵みの存在に気づき、それに「心から感謝」をするならば、この世界は惜しみのないものであるということと、暮らしの一瞬一瞬が「神の恵み」によって導かれている事がわかるようになるでしょう。
従って、「人の気持ちの表現」の中でも「感謝が最高のもの」になるのです。
それが、その人の「意識の進化を示すもの」であるからなのです。
宇宙は「感謝の心に満ちた人」
に対して願いを叶えてくれます
「感謝」とは、すべての感情の本源(根源のエネルギー)です。※
これは、人間の意識の中に存在する感情の中で「一番崇高な表現」です。
(※「感謝のエネルギー」は、宇宙の根源から発せられる
「究極のエネルギー」に最も近い性質のエネルギーだそうです)
宇宙は本来、感謝心に満ちた人に対し、願いを叶え、
要求を満たす様に出来ています。
ビジョンを持ち、そのビジョンを実現させる事が出来るのは、
「感謝の心を持つ人」です。
「感謝心のある人」の脳と神経系統の配線状態はその様に
なっているのです。そういった人は人間関係において愛を発見し、
またより高い意識(真我・宇宙意識・神)との大きな繋がりに気づきます。
---アンマ・バガヴァン
「感謝」が「瞑想」よりも上かもしれないお話
今回は、ずっと前からご紹介したいと思っていた、
「引き寄せの法則エイブラハム香港在住」様の、
「感謝」は「瞑想」よりもいい気分?の記事をご紹介しちゃいます♪
少し前、あの「引き寄せの法則」で有名なエイブラハムさんや、セント・ジャーメインさんのチャネリングで、私の望んでいた情報に出会うことが出来ました。
セント・ジャーメインさんによりますと、
●「神と繋がっている状態」というのは、「絶え間ない感謝の流れ」
●全てのことに対しての感謝
●全ての瞬間に、ありがとう、ありがとう、ありがとう
●私達のエネルギーは感謝の波動にある
また、エイブラハムさんによりますと、
「瞑想よりもっと上の状態がある。
もっといい気分の状態がある。
それは感謝の状態だ。」
との事です。
「感謝のエネルギー」は、宇宙の根源から発せられる究極のエネルギーに最も近い性質のエネルギーですから、「心を鎮めてすべての思考を止める」瞑想よりも、上の意識状態なのも道理だと納得出来ますね。
私達のエネルギーが「感謝のエネルギー」だったなんて…、前なら華麗にスルーしていた所でしたが、上記の真仙明さんのお話を知ってしまったら、もう納得せざるを得ませんね。きっと真実なのでしょう。
私の魂が短期間で、ここまでブレイクスルーして大きく飛躍出来たのも、「神へ深い愛・感謝」の徹底的な実践があったからこそなのだと、改めて思った次第です。
「感謝」で神様と繋がっていたわけですから、「神との一体感」による光のシャワーで、常時魂の油注ぎが行われてたとも考えられます。
一種の明想状態だったのかもしれませんね。
まさか…瞑想していないつもりが、知らぬ間に瞑想していたとは(笑)
正しかったのですねぇ…真理の理解を、ある意味極めたとも言える私のたどり着いた結論が…。
自分のフィーリングを信じ抜いてよかったぁ♪
こんな身近に、究極の答えがあったなんて…、まさに「灯台下暗し」とはこの事だと言えましょう。
難解すぎる教えはいらなかったんや~…っていう♪
「絶え間ない感謝の流れ」という事は「連続的感謝の意識状態」とも言えるわけです。
「全ての瞬間」に「有難う・有難う・有難う」、
「全てが神」である「今この瞬間の全て」に「感謝」ですね。
もしかすると、一瞬一瞬を「神への感謝・深い愛」でいられるように努力する事が、最高に価値のある「行法」かもしれませんね。
有難うの言葉とツキとの関係
問、「ありがとう」という言葉を使っていると、ツキが巡ってくるという本が最近評判になっているようですが、こうした現象は実際に起こるのでしょうか。
本山博先生のお答え
これは非常に大事なことです。「ありがとう」という言葉は、人に感謝をして、その人と一つになる意味を持っています。
感謝の言葉は、その人がいてくれたお蔭で、本当に自分が助かったときに自然に出てくるものですから、自分を守るよりも、自分を捨ててその人と一つになった気持ちがないと、その言葉は出てきません。
つまり、自己(自我の)否定が起きている状態なのです。
自己否定をして自分と相手が一つ(全一体感・キリスト意識)になれるような時は、神様の力が入りやすくなります。
こうなると、ツキが出てきます。
感謝も出来ないような人間は、極端に言えば、猿とあまり変わりありません。ただし、謙虚なだけでもダメです。善人は、案外自我を強く持っていて、硬いから素直に感謝できません。
「ありがとう」と言えるのは、自分とは違う相手を受け入れることが出来るからなのです。
「全ては神=我神なり」という真理♪
意識の進化=愛の拡大=分離意識の克服=
我は全体なり・全体我なり=全一体・自他一体=
全ては私=全ては一つ=全ては一つの存在の現われ=
宇宙は一つの生命体=全てに神(宇宙生命)が宿り給う=
宇宙は神一様=全ては神の中の存在する一つの存在=ワンネス
全ては永遠に一つの存在=全ては一つ=全ては私=全ては神
全ては今この瞬間しか存在しない=全ては永遠に一つの存在=
永遠の始まりである神の御心のみが実在=今即天=今即実在=
大愛・宇宙生命・神の一人子である神我キリストのみが実在=
全てはこの瞬間に存在する宇宙生命そのもの=全ては神そのもの=
全ては神ご自身=神一元・愛一元・光一元=宇宙即我=我神なり
調和=愛の法則そのもの=罪なきもの=完成=幸せな人生に
不調和=愛の法則を犯している=業・罪=カルマの精算が起きる
愛と赦し=調和=愛=幸せ・健康=完成=中性=完全=光人間
恨み・憎しみ・争い=不調和=罪=病・災難=不完全=闇人間
愛と赦し=カルマの消滅=神の祝福=幸せなツイてる人生に
許さない・恨み・嫉妬=カルマの刈り取り(不幸災難)な人生に
調和人間=愛が深い人=愛の光そのもの=克服者キリスト=完成
不調和人間=恨み・嫉妬・責任転嫁=闇人間=罪人=未完成
調和=光明世界・愛の王国=愛・光・善=平安と安らぎ・至福感
不調和=無明世界・闇世界=未熟な愛=不安と恐怖・飢餓感・不足感
調和の人は熟した魂=自分を愛するが如く他人を愛します=ワンネス
不調和な人は未熟な魂=他人を責めて非難します=分離意識
イエス様は「愛は天と地の架け橋」とおっしゃられました。その愛とは「許しの到達点」である「慈悲と愛」で御座います。
真の意味で貴方が、その「許しの到達点」の境地に到達した時に、自ずと「天である神」と「地である貴方」との架け橋が繋がる事でありましょう。私は実体験からそれが実際にありえると確信しております。
愛は天と地の架け橋 この愛の理解と体得が神様と繋がる鍵♪
神・大愛(天)……全てを活かす愛・慈悲と愛・すべての形態を形作る力・意識を与えて下さった魂の根源・真の親・すべてを活かし育む力、縁の下の力持ちで全てを愛し慈しむ無償の愛・無限の愛・すべてに意識を与えて下さった天の父であり天の母である中性エネルギー・真の親・愛を表現する為に…無限の創造をなさっている慈悲と愛そのもの
神の表現体(地)……神が神を愛する為に生まれた存在・神の化身・愛の化身・神の表現体・神の中に創造された神・個別化した神としての自覚に覚醒めた我・滅私して神の道具意識を自覚している我・自分が神ご自身だと悟った我・愛を表現する為に生まれた事を自覚している我、全てを100%の愛で愛する我、自分と全てが神以外の何者でもない事を自覚している我
世界一の大覚者・超能力者・上江洲義秀先生による
神癒の真言(マントラ)
人はこの世に生を受け、時には悩み苦しみ、病を背負い立ち止まります。その時、ここに記された真言(マントラ)に触れることで悩み苦しみから脱し、癒やされるようにとの思いで綴(つづ)りました。
多忙な方、急を要する方はこの節を繰り返しお読みくださり、癒やされてゆく事を願うものです。
我 神なり。我 命なり。我 愛なり。我 光なり。
我 神なり。
真理という名の絶対法則である神は全てのものの中に生き続けます。神我一体の境地の中で霊魂体の一致がなされれば、天の実相の光が降り注ぎ、その身は黄金に輝き、内なる神性が花開いて本質を顕現させるのです。
その時、知恵の泉が開かれて、全てを天使の囁(ささや)きと聞けば、神が命として無限の力を携(たずさ)えて生きているのを悟るのです。
我 命なり
命は久遠常在永遠不滅。宇宙で失われるものは何一つとしてなく、ただ変化しているのみ。可視と不可視は表裏一体(色即是空)。
見えないもの(宇宙に遍満する大霊・大生命)こそが命をまとった本質。
一命一体、自他一体、全一体こそが不変の真理。無限の知恵、愛、光は内在する命そのものであり、全てを活かし、一瞬たりとも休まず、途切れる事はありません。命を養い、命を変えうるのは命自身、久遠の光に照らされて我神と共に歩む時、神こそ命と知るのです。
我 愛なり
愛は命、そして力。愛は生かし、結び、支え、守り癒やすもの。愛する事は愛されるよりも尊く、真実の愛は見返りを求めません。
カルマは神の愛。人は縁により出会い、※その全てを赦し、愛すことによって焼き尽くされて灰になるのです。
創造主様からのメッセージ♪から一部引用ですが……♬
一番大事なのは、愛の実践です。愛し合う事です。全てを許し合う事です。
許して下さい。許し合えたらあなたは、許されるのです。
あなたが許さなければ、あなたも許されません。
まず、自分の罪を許して貰いたかったら、人々の罪を許しなさい。
そしたら、自ずから、あなたの罪は許されます。あなたは、人の罪を裁きながら、あなたの罪だけを免れたいと思うのを止めなさい。
あなたが人を裁かず、怒らず、謗らず、嫉妬をしなかったら、あなたは誰からも、怒りも、裁きも受けません。全ての人の罪を、許してあげなさい。
そうすれば、あなたは全てから、許されます。私、神から許されます。
罪を犯す者を、愛しなさい。そうすれば、私もあなたを愛します。
人を愛さない者は、私も愛しません。
神から愛されたいのなら、どうか、世の隣人、全ての者を、愛さなければなりません。その愛の実践が、真の信仰、神に至る道であるという事を知りなさい。
自らを愛する事なくして全てを愛せず。久遠の愛の中にあって我愛なりと生きる時、そこには恐れも災いもなく、無限の至福の中、喜びが尽きる事はありません。
我 光なり。
光に満ちた全一体の調和の中にいて人は病むことはありません。苦は幻と知れば苦は消え去るもの。
現象は真我権限のためにあり、その中にこそ己を磨く宝があり、全ての責任は己自身にありと心に定め、身口意を正し、我神なりと命を輝かし、全てを愛し尽くした時、人は己の中に神を見、この世を照らす光となるのです。
人は、無形無相では知りえない真理と調和を学ぶため、肉体をまとってこの世に生まれてきました。今を生きる事は永遠の中に生きる事、一瞬の閃光の中に悟りへの真理があります。
病は苦から、苦は欲、無知、恐れから生じるもの。肉体船を操るのは心。行いも思いから生じ、心を正す事なくして何も変わらず。久遠常在永遠不滅の真理への気づきにより時空の扉が開かれて過去未来が変わり、病さえも消え去るのです。
無限の根源に不可能はなく、思いは権限の母。正しき思いは無限に飛び立つ美しき天使となって自らを癒しに癒し、無限向上を目指してゆくのです。
エドガー・ケイシーは常に惑星上に受肉(転生)した魂としての人間の存在が一つの目的を持つこと、その目的とは個々の魂と神との関係(全ては神ご自身・全ては一つ)を悟ることに集約される事を訴えています。
ケイシーは、神の栄光は全創造物の中に現されている(全ての全ては神の現れ・神の他には何も存在しない)のだと繰り返し語っています。
「人間性の全体、体と心とが神の現れ」であるという明快な言い方を採るエドガー・ケイシーのリーディングを引用して、魂の論に結論を出してみましょう。
「汝の体、汝の心、汝の魂が地上での神の現れであり、他のどの魂もそうであること、汝の体は現実に生ける神の宮なることを知れ。
あなたの知る善の全て、神の全ては、他人の考えること、他人の行うことではなく、あなた自身を通して、あなた自身の中に現されているのである」
イエス様の名言♪
「我は汝らに告げる。汝の隣人を愛せよ。汝の仇(かたき)を愛し、汝らを責める者の為に祈れ。これ天(内・潜在意識の最奥)にいます汝らの父(キリスト)の子とならんため(※神我キリストへの覚醒めの為)なり。
人は異質の統一を見、不和の調和を見ます。自分とは違う人々との接触に神の光(大愛・宇宙生命・神)を観ます、その時にのみ「汝の隣人を愛せ」という戒めの真意を理解できるでしょう。
問「キリスト意識とは、心の上にかたどられ意志力による目覚めを持つ、
魂と神との一体の自覚(無限・宇宙との一体感)と述べて宜しいでしょうか。」
答「その通りである。それが正しい考え方である。」
(キリスト意識に覚醒めた)人は凡人には見えない、奥にある一体と本質と調和
(宇宙生命・神我キリスト)を観ます。人はただ愛するのみになります。
キリスト意識に覚醒めると、(全ては神であり自分そのものですから)憎む事はできなくなり、羨(うらや)む事もなく、悩まされもせず、拒まれもせず、挫折も、恐怖も持つ事はありません。
(悟り)人は自分自身の魂と万物を一つと観ているため、あらゆるものの中にキリスト(神我)を観ます。これが覚醒めであります。
これがキリスト意識、クリシュナ意識、神意識であり、これが天国に招かれる真の改心なのです。
愛という言葉ほど大きく誤解された言葉はないでしょう。この真意は、
自分の中にも他人の中にもある愛の光(キリスト・真我)を見つめる事にあります。
聖なる愛(大愛・宇宙エネルギー)が神から来るように、愛は個人の魂から放たれます。
人が明想を通して神にその魂を同調させる時に、
聖なる愛はあらゆる憎しみや嫉妬に打ち勝つ力と共に、流れ出てきます。
「汝の敵を愛せ」という言葉には何ら論理的な矛盾も心理的なパラドックスもありません。愛なる語(全ては一つの悟り)が強められれば、敵は自動的に敵は無くなるからです。
ケイシー・リーディングから……♬
「己の生命とは、すなわち神である。何となれば、汝の兄弟に為したるその事は汝の内にまします神に為したればなり。」
(貴方の兄弟のためにする事はあなたの内に内在する神にする事です)
隣人との接しを通じての神の愛は終日の作業です。我々は神がどのような形で自らを示されるかを知る由(よし)もありません。(全ては神の具現)
それはタクシーの運転手かもしれず、店員かも、学生かも、今日しかも、患者、医者かもしれません。
だからこそ、我々は荒い言葉、怒った顔を慎み、非難を愛に変えて、常に、あらゆる人との接触で(全ての全てであられる)神を崇めるのです。
求道者がこの段階に至ってなければ、聖なる愛を自ら実践することによって明想(全てに神を観る・我神なりの自覚)を続けなければなりません。
神への、我らが家(久遠のホーム)への、本源への、我らがの目標(神我顕現・神との合一)への探求は、こうして全的な働きとなります。
エドガーケイシーは、宗教生活についてそのもっとも美しい表現の中で、この事を次のように語っています。
「あなたがたは心を尽くし、思いを尽くし、体を尽くして汝の神なる主
(大生命・内在の神)を愛し、隣人を汝の如く愛するのである。
このキリストの与えた言葉が法則の全てである。
それに優るものは存在しない。
主が約束されたように、あなた方は
来る日も来る日も明想し、祈りゆくうちに到来するあの目覚めによって、主(宇宙生命・大愛)が自分の意識の中に留まられる事を知る事が出来る
(神我が中にまします・父と子は常に一体)。
あなた方はこの目的のために、
主が臨在し、その御霊(キリスト)があなた方の中に留まる
あの意識をあの自覚を讃えるために生まれてきたのである。」
覚者・上江洲義秀先生・至高の名言
全ての全てのあってあるものの中に、神が我として実在している事を
(理解して実感して、全てに神を観る状態を)「悟り」といいます。
目に映し見ている、すべてのすべてのあってあるもののに「愛を見」「愛を感じ」「愛そのもの」で対処できる己であって、そこに悟りがあること。
・人の気分を害する事はしない・悪口は絶対に言わない♪
1.眼施(げんせ) やさしい眼差(まなざ)しで人に接する
「目は口ほどにものを言う」といいますように、相手の目を見ると、その思いはある程度わかります。相手を思いやる心で見つめると自然にやさしい眼差しとなり、人は安心します。自らの目を通して相手に心が伝わって、相手も自分の気持ちを理解して、お互いが打ち解けることができることでしょう。
2.和顔悦色施(わげんえつじきせ) にこやかな顔で接する
眼施と同様、顔はその人の気持ちを表します。ステキな笑顔、和やかな笑顔を見ると幸せな気持ちになります。そして周りにも笑顔が広がります。人生では腹の立つこともたくさんありますが、暮らしの中ではいつもニコニコ、なごやかで穏やかな笑顔を絶やさぬよう心がけたいものです。また、メールの顔文字も一工夫してみてはいかがでしょうか。
3.言辞施(ごんじせ) やさしい言葉で接する
言葉は人と人との関係を円滑にするコミュニケーションの大事な方法です。私たちは言葉一つで相手を喜ばせたり、逆に悲しませたりする場合があります。相手を思いやるやさしい言葉で接していきましょう。「こんにちは」「ありがとう」「おつかれさま」「お世話になります」など、何事にもあいさつや感謝の言葉がお互いの理解を深める第一歩です。
4.身施(しんせ) 自分の身体でできることを奉仕する
重い荷物を持ってあげる、困っている人を助ける、お年寄りや体の不自由な方をお手伝いするというような身体でできる奉仕です。どんなによいことと思っても、それが実行できなければ意味をなしません。よいことを思いついたら実行し、自ら進んで他のために尽くしましょう。その結果、相手に喜んでいただくと同時に、自己の心も高められるのです。
5.心施(しんせ) 他のために心をくばる
心の持ち方で物事の見方が変わってしまうように、心はとても繊細なもので、自分の心が言葉遣いや態度に映し出されます。自分だけがよければいいというのではなく、心底からともに喜び、ともに悲しむことができ、他の痛みや苦しみを自らのものとして感じ取れれば言うことはありません。慈悲の心、思いやりの心から自然とやさしい顔や眼差しにも表れてくることでしょう。
6.床座施(しょうざせ) 席や場所を譲る
「どうぞ」の一言で、電車や会場でお年寄りや身体に障害を持っている方に席を譲ることです。座席だけでなく、全てのものを分かち合い、譲り合う心が大切であるという意味が含まれています。何事も独り占めはいけません。少なくとも電車やバスのシルバーシートは本来の意義に従って利用しましょう。場合によっては自分の地位を譲って後のことを託すという意味も含まれるでしょう。
宇宙創造の神が勧める霊性を高める方法 洗心
いつももつべき正しい心(=常の心)
強く 明るく
正しく 我が祈り
宜しからぬ欲を捨て
みな仲良く、相和して
感謝の生活をなせ
心の中からなくすべき感情(=ご法度の心)
憎しみ 不満
妬み 疑い
猜み 迷い
羨み 心配心
呪い 咎めの心
怒り いらいらする心
不平 せかせかする心
セント・ジャーメインさんによりますと、
●「神と繋がっている状態」というのは、「絶え間ない感謝の流れ」
●全てのことに対しての感謝
●全ての瞬間に、ありがとう、ありがとう、ありがとう
●私達のエネルギーは感謝の波動にある
また、エイブラハムさんによりますと、
「瞑想よりもっと上の状態がある。
もっといい気分の状態がある。
それは感謝の状態だ。」
との事です。
イエス様は「愛は天と地の架け橋」とおっしゃられました。その愛とは「許しの到達点」である「慈悲と愛」で御座います。
真の意味で貴方が、その「許しの到達点」の境地に到達した時に、自ずと「天である神」と「地である貴方」との架け橋が繋がる事でありましょう。私は実体験からそれが実際にありえると確信しております。
愛は天と地の架け橋 この愛の理解と体得が神様と繋がる鍵♪
神・大愛(天)……全てを活かす愛・慈悲と愛・すべての形態を形作る力・意識を与えて下さった魂の根源・真の親・すべてを活かし育む力、縁の下の力持ちで全てを愛し慈しむ無償の愛・無限の愛・すべてに意識を与えて下さった天の父であり天の母である中性エネルギー・真の親・愛を表現する為に…無限の創造をなさっている慈悲と愛そのもの
神の表現体(地)……神が神を愛する為に生まれた存在・神の化身・愛の化身・神の表現体・神の中に創造された神・個別化した神としての自覚に覚醒めた我・滅私して神の道具意識を自覚している我・自分が神ご自身だと悟った我・愛を表現する為に生まれた事を自覚している我、全てを100%の愛で愛する我、自分と全てが神以外の何者でもない事を自覚している我
ケイシーリーディングから…♪
全身全霊で「神を愛する」大切さ
「神を求める祈り」をする大事さのお話
エドガーケイシーは、宗教生活についてそのもっとも美しい表現の中で、この事を次のように語っています。
「あなたがたは心を尽くし、思いを尽くし、体を尽くして汝の神なる主
(大生命・内在の神)を愛し、隣人を汝の如く愛するのである。
このキリストの与えた言葉が法則の全てである。
それに優るものは存在しない。
主が約束されたように、あなた方は
来る日も来る日も明想し、「祈りゆく」うちに到来するあの目覚めによって、
主(宇宙生命)が自分の意識の中に留まられる事を知る事が出来る
(神我が中にまします・父と子は常に一体)。
あなた方はこの目的のために、
主が臨在し、その御霊(キリスト)があなた方の中に留まるあの意識を、
あの自覚を讃えるために生まれてきたのである。」
●自我・偽我 =表現者、原因である父なる神を忘れている状態(放蕩息子の状態)神理を知らない状態・自分の力で生きていると思って迷っている状態、肉体の己を自分と思っている我、分離感・分離意識で個別化された表現を別個の存在と認識している我・分離意識・エゴ・肉の感化、五感の感化を真実と錯覚している我・迷いの影、幻、幻想(マイヤー)・自己保存、自我我欲の心
●真の自己(真我)=父なる神と常に一体の境地・ワンネス意識・全一の意識・神我キリスト、全ては自分、全ては我、全ては神、全てを愛する我に目覚めた状態・宇宙生命によって生かされている事を自覚して実感している我・私が生きているのではない、なるほど一つの生命である神が生きていらっしゃる、全ての知恵と力は神から与えられている、神の中身は神、全ての全ては本質的には神、神のみが生きてらっしゃるんだなと悟った我・神一元・愛一元・光一元・我神なり、全ては神なり、全てに神を観る境地・神は生命(霊)なり、我も生命(霊)なりの自覚・宇宙即我、キリスト意識・高我・実在・全てを愛し全てを許す境地・慈悲と愛・あなた即私・私即あなた・宇宙エネルギー即自分・無限即我・不変不動の絶対なる実在・普遍なる宇宙・無限者・宇宙神
FC2版の広瀬すずちゃんの横顔になる方法の記事です♪
身長を伸ばす記事も追記してみました♪
スポンサーサイト

