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聖者サイババの瞑想♪「光明瞑想」「光の瞑想」「ソー・ハム瞑想」真の瞑想とは、唯一の想念、唯一のゴールとしての神と融合すること♪宇宙指導者♫知花敏彦さんが語る♬サイババ物質化現象の真実とは♪とらわれない「神」神の本質とは…無形・無色の本質、原因の原因が神です。 見えないものこそが命をまとった本質♪「神」は「宇宙の愛の法則(愛と調和)」♪呪い返しの極意は「笑顔」・悪い念をいれないようにするコツは明るく笑うこと♪



【因果応報】人生の為になるおまけ情報で~す♪
料理の下手な母を馬鹿にし続けてた祖母が料理の仕方を忘れた結果http://uwakitaiken.com/archives/1073217585.html

【因果応報】同僚は音に対して神経質。裏の家の住民が声が大きくてうるさいと愚痴っていて、その家の奥さんに細かい嫌がらせを続けていたらしい。

【因果応報】関連の記事♪
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聖者サイババの瞑想の極意秘話
総まとめ記事をご紹介♪

 今回は、「聖者サイババ」の総まとめ記事になります。サイババ先生は天上界から派遣された12人のキリストのお一人であられます。河合勝先生によりますと、上江洲義秀先生もキリストのお一人との事です。

 知花敏彦先生は、天上界から派遣された12人のリーダーなのだそうです。本当にすごい方なのですね、知花先生って。
 1999年のノストラダムスの大予言を回避したのも、知花先生のご尽力があったからとの事です。

 知花先生がフリーエネルギー装置を作ったのも一つの要因だったとか…、その辺りは複雑に絡み合っていますので、適当なことは言えませんが…、ちなみに、知花先生以外のフリーエネルギー研究者の方は、悲しいかな刺客に○されてしまったそうです。

 知花先生だけが、刺客に、「この人にはかなわない」といって何とか助かったとの事です。
大げさじゃなく、この現在、地球が存続できているのも「知花先生のお陰」と言っても過言ではありませんね。あまり知られていませんが、こういう事実もあると…心の片隅にでも置いて頂ければ幸いであります。

 エネルギー利権の人たちが、フリーエネルギー装置を研究しようとする人達に対して、すぐに命を狙いに来るのがあるみたいです。
 
 仮に、地球存続の条件である「フリーエネルギー装置」が開発できないまま世紀末を迎えていたら、また違った未来になっていた可能性があります。知花先生様様ですね、本当に、感謝感謝です。

 小渕総理が、知花先生の提言を受けて、いいですね~ってなって、「フリーエネルギー研究」に予算をつけたら、すぐに皆様もご存知のように、急死されてしまったというのもあります。

 誰かのブログで書いてました。決して私の意見ではありませんからね^^;、どうか、私に刺客を送らないで下さい(笑)。

 別に、知花先生のせいというわけではなくて、フリーエネルギーに予算をつけられると困る団体が脅しでやったという事なのでしょう。予算をつけるのも命がけという…(汗)。

 世の中には裏事情が色々ありますから…、ですが現在では、このフリーエネルギーに対する圧力はかなり弱まっているらしいです。確か…中丸薫さんとかが言ってました(笑)

 コズミックディスクロージャーでも、確かスミスさんでしたっけ…、宇宙人の検視官みたいな方が、もうとっくに技術的にはフリーエネルギー装置も可能だけど、圧力があって、少しずつしかテクノロジーを開示できない・・・みたいなお話もあったように記憶しております。

 物質を複製する機械(ディプリケーター)というものはもうとっくにあるそうでして、ディプリケーターを使ったエピソードもいくつかご拝見致しました。もうテクノロジー的には、ドラえもんのような事が普通に出来ちゃうみたいですね。

 フリーエネルギー装置から発せられる「独自の波動」を、利権団体が監視しているみたいで、地球中のどこにいてもその波動を完璧に検知出来るのだそうです。

 お話によりますと、フリーエネルギーからは必ずその「波動」が出るらしくて…その波動の所に、すぐにUFO等が確認に来るとか…そんな感じらしいです。

 エネルギー関連の既得権益の人たちがすぐ刺客を送ってくるので、知花先生クラスの人以外は、命の危険にさらされてしまうために、開発をやめたりするしかないのが現状だそうです。

 
 貨幣経済がネックになっているみたいです。貨幣経済をやめてお互いが分かち合い共有し合うすべて」は「みんなの物という「全体意識」、

すべて」は「みんなの物」、すべて」は「神の物」というように、「全体意識」へ人類の意識を変容していくという地道な方法でしか社会を変えられないのかもしれませんね。

 少しでも早く早くフリーエネルギー装置が開発されて、地球の環境保全が進むことを切に願います。

 最後に話は変わりますが、今回のサイババ先生の瞑想法は、基本的に知花先生の「神我に目覚める瞑想」と同じ…と言って差し支えないぐらいに似ております。

 知花先生のまとめ記事をご観覧頂いて、対比してみるのもアリかもしれませんね。
皆様の魂の覚醒のお役に立てます事をご祈念申し上げ、お話の締めとさせて頂きます。


覚者・知花先生が語る
聖者サイババの物質化現象の真実

問 サイババさんたちが行っている物質化現象について、もっと詳しくお伺いしたいのですが

知花 それは正しい現象です。物は全ての原子と電子の集合体です。我々の肉体も原子と電子の集合体であって、全て宇宙には原子と電子が遍満しているわけです。

 ですから、気体も液体も個体も皆、原子と電子となります。その原子と電子が集合すると物質という形を表す、それを分解すると非物質となります。

 そうしますと、この宇宙には原子と電子が遍満していますから、それを、その分子と電子を結合させましてあるイメージと、ある振動を起こしますと、物質化現象が起こるわけです。ですから、物質と非物質とはイコールと同じものであるであるといえます。

 色と空は同じものですから、色にも原子と電子があって、空にも原子と電子が満ち満ちています。ですから、ある一定の元素転換と言って、その原子と電子の結合する振動を起こせばそういう物質化現象が行われるわけです。

 物を非物質化する事も可能です。物の振動、原子と電子の振動を波動を低めると固体化しますし、波動を高めると非物質化するわけですから、振動のバイブレーションが高いか低いかだけです。

 ですから、物質世界は波動の低い状態をいいまして、空という場合は波動の高い状態をいいます。ですから、空は高次元、色は低次元となります。低次元とは低バイブレーションのことです。

 高次元とは高バイブレーションのことです。バイブレーションを上げると非物質化。下げると物質化になります。

問 低次元にするか、高次元にするかも、人間の意識によってコントロールすることは出来るのですか。

知花 出来ます。意識を低めるか、高めるか。意識が高まると空になるし、意識が低くなると、色になります。

問 具体的な高め方はどうするのでしょうか。

知花  あなたが固定概念という意識を捨てて、自分は1個の個体だというようなことではなくて、心を空にすること。その空とは高バイブレーションとい意味ですから、空にしますと、そのバイブレーションは高まりまして、

事実上、自分の肉体が気化されまして、霊化されまして、霊というのと気体は同一ですから、霊化された肉体は気化された肉体ですから、肉眼では見えなくなります。

 すなわち非物質となります。それはそらの意識であり、すなわち意識の意識であって、自分が空であるという、空に一心を集中することによって、そのバイブレーションを上げることは可能です。ですから、意識の高い状態であるか、低い状態であるかです。


聖者サイババの瞑想

”瞑想” とは何かについて、サイババは次のように語っている

『真の瞑想とは、唯一の想念、唯一のゴールとしての神と融合することだ。神のみ、神のみだ。「神を想い」、「神を呼吸」し、「神を愛する」のだ。』

 ここでいう真の瞑想とは、普通にいう瞑想の訓練のことを言っているのではなく、瞑想によって究極的に得られる状態のことを言っている。しかし、その状態に達するには、人はまず集中と瞑想という段階を経なければならない。

「感覚と欲望が抜け落ちた時、神だけが残る。それが集中である」

 近代インドの代表的な聖者であるラーマクリシュナ・パラマハンサは、猿神ハマヌーンを瞑想した時、尻尾のようなものが出来たと言われる。自然で、強力な集中とは、そうしたものだとサイババは言う。

 「集中と瞑想の中間に、この二つを仕切る様に、黙想がある。集中、黙想、そして瞑想だ。
 人が、「私が瞑想している」と思っている限り、それは心の働きであり、瞑想ではない、自分が瞑想していることを知っている限り、それは瞑想ではない。

 神と一体になったとき、人はどんな形にもとらわれず、神と融合する。その過程で、心は自然に停止する」

「瞑想の際、まっすぐ座ることは重要な事だ。体が直立していれば、生命の力はそれをまっすぐ昇ってきて、心は深く集中することが可能となる。

ちょうど避雷針が落雷を誘うように、まっすぐな体は導体となる。そして神聖な力が体という神殿に入り、人を成就に導くのだ」

 瞑想のために座ったなら、まず、どうするのか。

 サイババは、より進んだ人のために、もう一つの瞑想を指導している。そしてこちらのほうがサイババの教えた瞑想法として、一般に知られている。

 「瞑想の方法としては、様々な教師が様々な方法を紹介しているだろう。だが私は、最も普遍的で、最も効果的な方法を教えてよう。これはまさに、霊性修行の基本となるものである」

 瞑想には、幾千の方法があると言われる。様々な教師が、様々な方法を教える。その中には、教える相手によって巧みに方法を変えなければならないものも多い。
 
 サイババは、こうした時代にあって、神の化身は最も、”普遍的”な瞑想を教えるのだと語る。

 それは、「光明瞑想」あるいは「光の瞑想」と呼ばれている。

 サイババは元々、瞑想のためにどのような神の姿、神の名を用いても構わないと言っている。
 サイババはさらに、相対的な物事の中では、光が、神そのものに最も近い象徴だと語る。

 そして、光は、最高の浄化者だという。光を想うことで、心と体は浄められる。こうして、光の瞑想が、神に近づく最も速やかな方法として勧められている。
 
 「何故光か? 砂は、皆がとればなくなってしまうだろう。水瓶から皆が水を汲めばなくなってしまう。
 だが、一本のろうそくから千人の人が炎を取っても、無くなることはない」

 この「光の瞑想」では、文字通り光を想うのであるが、最初は目の前に置いたロウソクの炎の姿を見つめると良い。その方法を、サイババに次のように語る。

「ランプやロウソクに人を灯し、その炎をまっすぐ見つめなさい。
目を閉じた後で、その光を額から頭部に導きなさい。この光により、貴方は浄められる。
光を、心臓に下ろしなさい。

 貴方のハートは蓮の花であり、光が近づくにつれ、その花弁が一枚、また一枚と開いていく、あらゆる想念が浄められ、悪い感情は追い出される。

 いま、ハートに暗闇の留まる場所はなくなった。
 光はより大きく、より輝きを増して、体の他の部分を移動する。
 光が手に移ると、もうその手で悪いことは出来なくなる。
 光が足に移ると、その足は愛の道具となる。

 光を、舌にもっていきなさい。その舌は、正しいことだけ語る。
 光を目に移しなさい。目は、善い物だけをみる。
 光を耳に移しなさい。耳は、善いことだけを聞く。それらは、明るい、純粋な感覚のみを受け入れるようになる。

 光は再び頭部に戻り、頭が光で充たされる。悪い想念は逃げ出してしまう。
 光はますます輝きを増し、外に向かう。両親、親戚、友人、あなたの愛する者達が、愛の光で充たされる。
 そして、敵は動物、植物、ありとあらゆる生きもの、全世界が、光で充たされる。

 形あるものの全ての中に、自分の中にあったその同じ光がある。
 あなたは光の中にある。光はあなたの中にある。あなたは光なのだ」

 「こうしてもはや、人はその体に限定されず、宇宙全体に広がる。自我を超えて、自分の光が宇宙の光であることを觀ること、それが解脱に他ならない」

 サイババはまた、瞑想の間に、特定の神や姿や聖者の姿を思い浮かべることは、差し支えないと言っている。 

「しばらくその状態を楽しみ、そして光をハートに戻し、ずっとそこに保ちながら日常を送るようにしなさい。自分の好きな形ある神を抱いてもよい」

「瞑想のために座ったら、まず神を讃える詩歌を唱えなさい。それにより、散漫になりがちな想念を一つにするのだ」

 そして、サイババは神の御名を唱え、その神の姿を心に想うという瞑想法を教えている。

「次に、神の御名を唱えながら、その神の御姿を心に描きなさい。心が御名から離れるようなら神の御姿に心を戻し、御姿から心が離れるようなら御名に心を戻しなさい。
 こうして、あなたは容易に、自分の心を従えることが出来るようになる。

 あなたの想像した神の御姿は、ハートに訴える情緒的な姿に変容し、記憶に残るだろう。そして、神はその姿をとって、あなたの願いを叶えるだろう」

 この修養法は、ジャバ・サヒタ・ディヤーナと呼ばれる。その際の神の御名、神の御姿は、何を選んでも構わない。サイババは、自らの信仰に応じてどんな名や姿を選んでも、それは結局、唯一の神を礼拝したことになるのだと言っている。そして、初心者に最適の方法として、あらゆる人にこの方法を勧めている。

「表現する言葉は違っていても、全ては同じ神の御名を讃えているのだ。それを唱え、繰り返し想起しなさい。誰にとっても、ジャバ、瞑想、スマラナほど実り多く、普遍的で神性な霊性修行は他にない」

「瞑想の際、心をあちこち彷徨わせてはならない。心は静かで、安定していなければならない。過去の出来事、怒り、憎しみの記憶、悲しい思い出などに邪魔されないように。例えそうした想念が起こっても、相手にしてはならない。」

「どんなごたごたに巻き込まれようとも、神の御名に依りかかるならば、そこから開放される。それどころか、御名と御姿により、いつも神を思い出すことが出来るようになる。それについては疑いの余地がない。」


「数日の内に、あなたはこの方法に慣れ、集中することの歓びを味わうようになるだろう。この瞑想を十分か十五分または慣れてきたらもう少し楽しみ、歓びを味わいなさい。それによって、神への熱烈な信仰を高めることが出来る。」

光の瞑想

 「こうしてもはや、人はその体に限定されず、宇宙全体に広がる。自我を超えて、自分の光が宇宙の光であることを觀ること、それが解脱に他ならない」

 サイババはまた、瞑想の際に、特定の神の姿や聖者の姿を思い浮かべることは、差し支えないと言っている。

 「しばらくその状態を楽しみ、そして光をハートに戻し、ずっとそこに保ちながら日常を送るようにしなさい。クリシュナ、ラーマ、イエス、サイババなど、自分の好きな形ある神を抱いても良い。
 自分で選んだ神の御姿はどこへ行っても炎の中心に据え、いつも共にいるようにしなさい」

 かつてヴィヴェーカーナンダ(近代インドの代表的な聖者)は、瞑想中にはいつも自分の体が意識できなかったという。瞑想とは、単に光を想うことでなく、体を忘れ、自分は自分ではないことを直接体験することである。

 もし、瞑想者が自分自身を意識したままで、自分は瞑想していると思っているようなら、彼はまだ瞑想の段階ではなく、集中の初歩の段階にいあることになる。

 瞑想が深まれば、瞑想の段階は自ずと訪れる。それは五感を完全に超えたものであり、瞑想者、瞑想の対象、瞑想の過程の三者は一体となる。取りも直さず、それが神に他ならない。

 「変わりうるものは皆抜け落ちて、タト・トヴァム・アスィ(汝はそれ『大霊』なり)だけが存在する」
 「私の」は脱落する。もはや「私の」ではないのだ」

 サイババはこの光の瞑想を、人に直接解脱に導く確実な方法だと言っている。そして、他の方法を人々が好むのは、感覚的な歓びや、肉体的な効果のためだと言う。しかし、人の瞑想を強制的に変えさせようとはしない。

 「それを心配してはならない。程なくして、人は光の瞑想の卓越性に気付くようになるだろう。強制してはいけない。時間を与えてやりなさい」

 「この瞑想を、最初は毎日数分行いなさい。そして、自分の感じる至福の程度に応じて、徐々に時間を延ばしていきなさい」


 サイババの勧めるもう一つの瞑想は、いわゆる「ソー・ハム瞑想」である。
 ソー・ハムとは、「彼である(ソー)私は(ハム)」という意味であり、彼とは”神に他ならない。
 この普遍的なマントラは、誰にでも適合する強力なマントラである。
 
 「一息ごとに、あなたは証言している。「ソー・ハム」 即ち「私は、神だ」と。
 あなただけではない。あらゆる存在がそうである。

(神は全ての全てありとあらゆるもの・全ては神ご自身・全ては大霊・全ては無限宇宙という神の体の中に存在する存在・全てが神に観えた時…1つ目が開かれます)

 あなたが自分の呼吸を見つめ、この究極の真理を瞑想することで、「私」と「神」は徐々に融合していき、もはや二つではなくなる。そしてソー・ハムは、原始音オームへと変容するのだ。

 ヴェーダは語る。このオームこそが普遍の創造主の象徴であり、あらゆる仮象の世界の背後にある唯一の真実なのだと」

 ここで”オーム”のことを、サイババはPrimal Sound(原始音、または根本音)と表現している。
 そこには、その昔、創造主ブラフマンが、この音を用いて今回の宇宙を創世したという意味が込められている。

 サイババは、ソー・ハム(私は神)という究極の真理を瞑想することにより、現実に私と神とは一つとなり、音自体も原初の音へと変容するのだと説く。

 このマントラは、前半(ソー)を息を吸いながら、後半(ハム)を息を吹きながら、心の中で想う。というよりも、呼吸に意識を向けることにより、この音を”感じる”のである。呼吸自体が、ソー・ハム(私は神)と語る。
 
 それにより、心は内側に向かい、このマントラの持つ意味とエネルギーは瞑想者の奥深くまで浸透する。
 サイババは、この瞑想法を、進んだ求道者向けの方法と位置づけている。ただし、実際には、光の瞑想の前の数分間をこの瞑想に費やす場合が多い。

 「この瞑想は、純粋な霊性修行であり、求道者にとっての最後の一歩といえる。だが、その前には多くの準備段階があり、それぞれに多大な労力と忍耐とが必要とされる。

 例えば、私は神の御名の一つをいつも想い、神の栄光の数え切れない属性のうち、一つの人格化(神を実現したキリストなど)を念頭に置くことを勧めている。

 そうすることで愛は広がり、憎しみや妬みは取り除かれる。そして、自分の内に神を觀るのと同じように、他人の内にも神を觀ることになる。こうして人は、愛の化身となり、平安と歓びの化身となるのだ」

 サイババはまた、瞑想にまつわるいくつかの生理的な事実についても説明している。その一つは、アートマン(真我)は、体の中に特定の座をもつのかどうかということである。

「アートマンは偏在するが、瞑想で座る際には、へそのうえ10インチ、胸の中心が生命の座だと思って良い。ここでいう一インチとは、親指の第一関節の幅のことだ」

 西洋人は、しばしば、「クンダリーニ瞑想」に関心を示す。サイババは、それについても言及している。

 「私の言う瞑想法が王道であり、簡単な道だ。なぜ、他の方法にかかずらうのか。瞑想の実効を上げるためには、急がず、安心して続けることが大事なのだ。
 
 規則的に実践することで、人は静寂を得、瞑想状態は自ずとやってくる。成功が約束されているのに、他のことを考えるのは、弱さの現れだ」

 一日の内、いつ瞑想するのがよいのだろうか。

 「早朝がベストである。心が平静で、責任という重圧がない」

 「早朝、三時から六時の間はブラフマ・ムフルータ(ブラフマンの時間)と言われ、感覚が静かで、日常の喧騒にさらされていない。
 
 また、今日は汝に瞑想し、明日は何時に瞑想する、というように時間帯を変えるべきではない。瞑想はm,朝と夕、三分ずつで十分である。一日中すると、数年後には、魅力を失ってしまう」

 サイババは、霊的修行というものは、意欲的に行われるべきだと語る。そのためには、神の御名を唱えたり、ある時は、霊的な人々と交わるというふうに、変化を持たせることも必要である。それによって、日々の霊性修行が楽しくなるというのである。

 「夜明け前の静かな時間、つまり三時から五時の間が最適だ。あるいは四時に起きても良いだろう。

 瞑想のためには、まず第一に眠気を去らなければならない。これは大切なことだ。また、時間を守るために、目覚めし時計を四時にセットするようにしてもいいだろう。

それでも眠気が続くようなら、冷たい水で沐浴すれば良い。体を洗うことよりも、眠気を去ることが目的だ。
 こうして、瞑想の道を厳格に歩むならば、神の恩寵を速やかに得ることが出来るだろう」

  さて、人が精神性に目覚め、瞑想を始めたいという際に、陥りやすい過ちが二通りあると言われている。

 一つは、「忙しくて瞑想をする時間がないのですが」という質問に代表される、この質問は、世界中のヨーガ教師のみならず、サイババもしばしば受けるようである。それに対するサイババの答えは、実に単純明快である。

 「そんなことはない。人は常に、おしゃべりをしたり映画を観たりという時間は充分に持っている」

 もう一つは、ひとたび瞑想の重要性を認識したら最後、突然、極端な長時間をそれに費やしたくなる、というものである。彼らの多くは、ヒマラヤの洞窟や森にこもって腰布一枚で瞑想に励んだ聖者たちの英雄的姿をイメージしているようである。

 しかし、サイババは、そのような態度もまた、あまり評価しない。急激な長時間の瞑想は、人間の神経系統に決して良い影響ばかりを与えないし、それは、実際、社会と家庭に生きるべき普通の我々使命とは違うのである。

 しがたって、朝・夕の神聖な時間以外の昼間は、サイババはまさに仕事をすることを勧めている。
 
 「日中、瞑想することは難しい。周りに人がいて、仕事がある。無理に瞑想しようとすると、仕事もうまく行かなくなってしまう」

・・・・・かつてサイババの近くに、毎日長時間瞑想して過ごす、熱心な信者がいた。しかし彼は、自分が瞑想している時間に他の者が立ち働いてうるさくするのを、常々面白く無いと思っていた。

 一方、日頃、アシュラムで皆の食事を作る奉仕活動を行っていたある信者は、ゆっくり座って瞑想することがあまりなかった。しかし、彼は、いつも心楽しく人の食事を作り、他の信者がそれを美味しいといって食べてくれるのを無常の歓びとしていた。

 ある日、”瞑想者”が例によって癇癪を起こしながら瞑想しているのを見たサイババは、彼に言った。
 「あなたは、毎日長い間瞑想していると思っているが、そうやっていらいらし、心を惑わせて、一体何の役に立っているのだ」

 そうして、コックを引き合いに出して言った。
 彼を見なさい。毎日周りの人々への奉仕にいそしんでいる。彼が座って瞑想する時間は少ない。日々の活動自体が瞑想となっている」・・・・・

 結局、瞑想とは、座って難しい呪文を唱えることではない。どのような姿勢で人生を生きるかが、より本質的なのである。こおろが最も深いレベルに向かおうとする時、座っているかどかは別に、彼の生活はそれ自体が瞑想となる。

 今世紀の聖者として、有名なラマナ・マハルシは、単純に「私は誰か」と問いかける瞑想を説いた。サイババは、それについてこう語っている。

 「ラマナ・マハルシのこの問いかけは、それだけでは十分ではない。瞑想も行わなければ。同じ場所、同じ時間を使って、瞑想だけの修養をするようにしなさい。

 そうすれば、必ず目に見える進歩がある。旅行に出て家にいない時でも、どこにいても、心は慣れ親しんだ場所に戻り、瞑想する事が出来る。

 真理を、外に探し求める必要はない。
真理(大生命・内なる神の国)は、いつでもどこにもある。人は、真理を(外に)探すのではなく、それを(全てに神を観る・父なる神と常に一体の意識で)生きるべきなのだ
  
 更にサイババは、あらゆる道の中でも”愛”が全てに勝ることを常に強調する。

 「どの道もゴールは同じだ。道によって方法が多少違うのだ。
 光の瞑想は、真の瞑想である。光は無形で永遠、そして神聖だ。安全で確実な道なのだ

 最初に、我々はどの瞑想を行なうか、どの霊性修行を実践するかを注意深く考えなければならない

 誰がグルなのか。何がゴールなのか。そうして初めて、成就(じょうじゅ)に至るための十分な自信が得られる。そうしたらそこに留まり、進みなさい。
 
 我らのゴールは、肉体的、あるいは感情的なものではなく、霊的なものである。
 そして愛(慈悲と愛・愛と調和)は全てに勝る。愛(無限の赦し・ワンネス意識)は、神への王道なのだ。神は愛なのだから


とらわれない「神」  上江洲義秀先生のご光話

問 神の本質とは何でしょうか。

上江洲義秀先生のお答え

 無形・無色の本質、原因の原因が神です。
 見えないものこそが命をまとった本質です。

 私達の肉体に愛を与えているのが「命」であり、命こそが力、全知全能の神です。神は私達の中にあるのです。

 神は五元要素で私達を生かしています。「地」がなければ家も建たず、
「水」がなければ育ちもしません。「火」はエネルギーを与え、
「風」は波動を整え、「空」は呼吸につながります。

 これは、書物からではなく、私が明想を通して神を味わっているからこそ自身を持って言えるのです。

 原因が全ての本質であり、全ての本質は命です
 迷いとは、原因を見ることなく、結果という存在に気を取られ、それに振り回されて右往左往する姿のことです。

 原因と結果、見えるものと見えないものは一体です。
 相手を強く非難していたものは自分自身の影なのです。


覚者・知花敏彦先生による
「神」は「宇宙の愛の法則(愛と調和)」というお話

 陰陽のバランスを神というのですから、今までの宗教家の説く神はどこにも存在していないといえます。

「われわれの神」の宗教家は唱えますが、元来「われわれの神」はありません。全体の神があるだけです。(神一元・全ては神ご自身・神の他には何も存在しない)

陰陽の法則は全てに存在しているのですから、神は至る所に存在しています。
(神は宇宙に遍満する大霊・大生命・宇宙生命)

 どんな微細な一粒子も陰陽の法則(愛と調和)に基いて存在しています。これを「宇宙法則」といいます。神は宇宙の愛の法則でもあります。
 宇宙には愛の法則が絶対に実在しています。陰と陽の愛の法則(愛と調和)によって、全ての万世万物が生かされていることをよく理解して頂きたいと思います。

 陰と陽の法則を宿していない人間がいるのでしょうか?偶然この世に出てきた人間がおりましょうか。エネルギーという、プラスとマイナスの質量で、陰と陽で私達の肉体形体は存在しています。

 そのバランスで存在しています。バランスが崩れると病気になります。バランスが破壊されれば死に至ります。

 ですから、病気は不調の結果となるのです。何の不調和の結果と言いますと、陰と陽の不調和です。陰陽の法則を犯さないことです。

 罪なき者は中性(愛と調和)でなければなりません

みなさんがたの肉体の一つと考えてみると、エネルギーと質量との調和で肉体は調和しています生命エネルギーと質量のバランスを崩さなければ、どなたでも健康でいる事が出来ます。

ケイシーリーディングから……♪

則とは何か。愛である。愛とは何か。神である。
神とは何か。(宇宙)法則と愛である。これが真理そのものの周期である。あなた方がどこにいようと、どの国にいようと、それは常に同じである」


『パパラギ』 立風書房 刊、エーリッヒ・ショイルマン 著
エーリッヒ・ショイルマン 注―――

私たちの所有概念に対するツイアビの軽蔑的な言葉は、サモアの原住民が、完全な共有財産制のもとで生活しているという事実を知った人になら、十分理解できるにちがいない。
そこには事実、我々が使う意味での「私の」「あなたの」という概念はない。
私のどの旅行の時も、原住民は当然の事として、私に宿を、寝むしろを、食事を、そして全ての物を私と分け合ってくれた。

そして私はよく、酋長の最初のあいさつとして次のような言葉を受けた。
「私の物は、あなたの物。」

盗むという概念も、島民のあいだには縁遠いものである。

すべて」は「みんなの物」であり、
すべて」は「神の物」である。

ケイシーリーディングから…♪

全身全霊で「神を愛する」大切さ
「神を求める祈り」をする大事さのお話

 エドガーケイシーは、宗教生活についてそのもっとも美しい表現の中で、この事を次のように語っています。

あなたがたは心を尽くし、思いを尽くし、体を尽くして汝のなる
(大生命・内在の神)を愛し、隣人を汝の如く愛するのである。

このキリストの与えた言葉が法則の全てである。
それに優るものは存在しない

 主が約束されたように、あなた方は
来る日も来る日も明想し、「祈りゆく」うちに到来するあの目覚めによって、
主(宇宙生命)が自分の意識の中に留まられる事を知る事が出来る
神我が中にまします・父と子は常に一体)。

 あなた方はこの目的のために、
主が臨在し、その御霊(キリスト)があなた方の中に留まるあの意識を、
あの自覚を讃えるために生まれてきたのである。」

どこを見るかどこを思うか「汝の見るものを受け継がん」

 皆さん方は。
今、一日に何回、神霊に意識を向ける事をやっているのでしょうか。
それは、皆さんご自身が一番良く分かっていると思います。

そうすると、
この調子で満たされるのだろうか。
満たされないのだろうか。
誰が一番良く知っていますか。
それは自分が知っているはずです。

殆どの時間を、
物質という世界に合わせている
物質というチャンネルに合わせている。
そこにチャンネルを合わせていて、霊性は満たされますか。
それは、決して満たされることはありません。

「汝の見るものを受け継がん」とは、その意味を表しています。
物質を見れば物質を受け継ぎ、神霊を見れば神を神霊を受け継ぎます。

どこを見るかです。
どこを意識するかです。
それで、霊性の進化は決まります。
皆さん方は「祟の話」とか「幽霊の話」とかは、する必要はないのです。

世の中には、
幽霊だ、祟だ、何々だというものを弄んでいるグループがあります。
神霊に意識を向けているグループもあります。ということです。

ですから、
私が、幽霊の話、祟の話をしないのは、
あなた方を、幽界に意識を向けさせないためです。
幽界に向けさせたら、
あなた方はどうなるかと。
そこの影響を受けて、全部、憑霊現象を受けてしまいます。

その憑霊現象を弄んでいる宗教が沢山あります。
蛇の霊が祟っているとか、何かの霊が祟っているというのは、
チャンネルはどこに向いているのですか。

神界にですか、幽界にですか。
そういう連中は、どこに意識を向けていますか。
幽界に向いているわけです。
そこの影響を受けていろいろな現象が現れるわけです。
また、面白いことに、その現象を望んでいる人もいるのです。

蛇が憑いているといえば、
身体をクネクネさせながら這いずるひともいるし、
狐が憑いているといえば、
コンコン、ピョンピョンと泣きながら跳びはねる人もいるし、
それを弄んでいるのです。
まあ、結構に楽しんでいるからいいとは思いますが、
そこの幽界に意識が向いたら、
その皆さん方は、
昇天、成仏するのだろうか。しないんだろうか。
それは、幽界止まりです。

ですから、
あなた方が、幽界が見えないことが幸いだと、
私がいうのはその意味です。

幽界の次元の見える人は、
神界にいる事は、全く不可能です。
幽霊が見えたら、
もうそこが神界だと思い込んでいますから、
絶対に神霊という神の世界には昇れません。

残念ですが、
今の世の中の段階は幽界の話をするまでです。
幽界の話しかしないのです。
坊さんも幽界の話です。
なぜか、水子の祟りだとか、水子供養だとかで金儲けをするわけですから。

坊さんは仏の話をしていますか。
坊さんは何の話をしていますか。

あなたが、
何を祟っている、これが祟っているという、
そんなグループに入ったらもう最後です。
それは祟の世界ですから、
神の世界であるはずがないのです。

ご存知ですか。
祟の世界は、神の世界というのですか。
祟の世界は、神の世界ではありません。

神は何も祟りませんので。
災もしませんので完全です。
完全の世界です。

だから、完全なものになるためには、
完全なものを見て。完全なるものを意識せねばならないのです。
不完全なものを見て、癒る事があるのでしょうか。
完全性を見て、完全性を意識せねばなりません。

完全なものを見て、完全のみ意識しなさい。
そうする事によって、完全になりますよという事です。
不完全を見て、不完全を意識して、完全になる人は一人もいないのです。
「あなたは見るものを受け継ぐ」
「あなたは思うものを受け継ぐ」というわけですから、
「想念は実現の母」ですから、
この意識の向け方を間違えますと、大変なことになるということです。


神霊に意識を向けた時、その人は神霊の波動を出す

あなた方が、神界に意識を向けた時、
その人が神霊に意識を向けている時、神霊の波動を出すのです。
チャンネルを合わすわけですから、波動が合うのです。

神に意識を向けけている時は、神の波動です。
幽界に意識を向けている時は、幽界の波動です。

チャンネルですから、波形ですから、そうなるのです。

物質に意識を向けている時は、低い波動を持っているのです。
波動が高いか低いかは、これで決まるのです。

波動というものはバイブレーションですから、
バイブレーションを高くするには、どこに意識を向ければ高くなると思いますか。
それは、意識を上に向けなければなりません。

上に意識を向けた時、
神界は「真理」そのものですから、
神界は「真実」そのものですから、
神界は「完全」そのものですから、
完全なものに意識を向けた時、完全なる波動を出すわけです。

皆さん方が、宇宙意識になりますと宇宙波動です。
皆さん方が、神意識になりますと神の波動です。

低い所に意識を向けていて波動が高まりますか。
それは、高まらないのです。
そのバイブレーションの高め方は、どこに意識を向けているかで決まるのです。
外側に意識を向けていて、
あなたのバイブレーションが高いはずがありません。

物質のことだけ一所懸命考えている時、
あなたのバイブレーションは高いのでしょうか。低いのでしょうか。
バイブレーションが高まったら、低いものの影響を受けると思いますか。
高いものが低いものの影響を受けるのでしょうか。

その事を、
「私はこの世の手の届かぬ所に留め置かれた」といいます。
波動の高い所に留め置かれますと、
この世の影響を受けないわけですから、「安泰」です。「安全」です。
これを「平安」というのです。

まだまだ皆さん方は、
自分の意識を、
幽界に向けたり、物質界に向けたり、
これを(動搖心)というのです。


私は色々な体験を乗り越えて、今は神界にある

皆さん方の中で、
過去の私を知っている人はご存知だと思いますが、
私は幽界を通過したのです
沖縄にいた当時は、幽界を弄んでいたのです。

その時は非常に感情的だったのです。
憑依霊を弄んでいましたので感情的だったのです。
昨日までは神様みたいだなと思ったら、
今日は悪魔みたいになったりするのです。
非常に感情的だったのです。
それを通過してその事が分かって、
神意識を向けることによって、
幽界の影響を全く受けないものになったのです。

その体験は、
私には必要であったのです。
幽界という世界も知っておかねばならないし、
物質世界も知っておかねばならないのです。

この物質世界で、
私はうんと貧乏したことがあるのです。

もう・・・・・、とことんこれ以上に、
この世の中にこんな貧乏があるかと思う位のものなのです。
それは、南米にいて、家内と結婚した当時のことです。
お皿が一つ、スプーンが一つで二人が食事をしていたのです。
お湯を沸かす、煮物をするにも空缶です。
ヤカンもお鍋もお釜も空缶です。

その空缶に針金を詰んでご飯も炊いていたのです。
それで、毛布は二人で二枚。
子供が生まれて三人で二枚。被って寝るものがない。
住む家はあるにはあるけど、窓にはガラスが入っていない。
冬の寒い空が、こちらの窓からあちらの窓へ直通。

どんなに囲っても隙間風がビュウビュウ入ってくる。
その時の寒さは外の水が凍るくらいの寒さで、
空缶に入れてあった水が凍っていた位でしたから、
相当に温度が下がっていたと思います。

そういう中で、
ちょうど、長男が生まれた年でしたから、
子供は寒さから守らなければなりませんので、
子供を毛布にまいてくるので、
私達は焚火をして、
その焚火を囲んで夜を過ごした事があるのです。

そして、
ある時は大金持ちです。
こんなに金が儲かっていいのだろうかと思う位の体験をしたのです。

でも、どちらも面白なくなかった・・・・・。
貧乏も面白くなかったし、金持ちも面白くなかったのです。
それをみんな体験して通ってきたのです。

そして、
沖縄に帰ってからの事。
この霊的なものになりますと、
幽界に引っ掛かり幽界に弄ばれたのです。
幽界の祟りだとか、憑霊を外すのだとか、
そういうものを何年もやってきたのです。

沖縄の民(ユタ)という、
本土なら巫女というその世界に入って行きまして、
地域的拝みも一所懸命やりました。
そういうものも通ってきたのです。
その時、
私は感情的だったのです。
幽界にいる時は感情的だったのです。

しかし、
そこを乗り越えて、
今は神界にあるという事を。

これは霊性進化の一つの体験なのだと、
私は思うのです。
今は、全く感情というものは出てこないです。
カッとなって怒るとか、
極端に何か悲しいとかいう事は全く無いのです。

それが、平安というものだなと、
安らぎというものだなとはっきり言えるのです。
寂しいとか、苦しいとかそういうものが無いわけですから。
いつも喜びに満たされる自分というものを、
今、私は体験しているのです。

それは、
どうしてかといいますと、
神霊の方に意識を向けて瞑想したからです。
瞑想とは、
その神霊に意識を向ける事が瞑想です。
それ以外に瞑想がありますでしょうか。

ですから、
内観せよというのは、
その神霊を見つめて、
神霊に一心を集中する事によって、
その神の波動を受ける事が出来るのです。
皆さんも同じことをすれば、
同じ事が起こりますよという事です。
私が体験しているからはっきりいえるわけです。

今、神霊の道は開いている、あえて幽界を通ることはない

あえて幽界の影響は、皆さんに受けさせたくないのです。
水子の祟りだとか・・・・・、動物霊の祟りだとか・・・・・。
私が話さないのは、これは不要だという事です。

神霊への道は開いていますので、
あなた方は幽界を通らなければならないという意味は無いと思います。
私は、幽界に意識を向けたから影響を受けたのであって、
それを受けないで、
即時に神霊に向ければいいわけですから。

幽界に向けるひつようがありますか。
ここで感情的になって、
必ず、苦しまなければならないという必要がありますか。

その幽界を弄んでいるグループが、世の中に多くいるという事です。
そこからでもいろいろな現象が起こります。
この我々の三次元からすれば、相当次元が高いわけですから。
その影響は確かに面白いほど、現象として現れますよ。

しかし、あなた方は、その現象を望んではならないのです。
本当の神霊という原点に、意識を向けるようにせねばならないという事です。
それが本当の意味の、霊性の進化だと私は思います。

途中の幽界に意識を向けてはならないのです。
幽界に意識を向けるべきですか。
神霊に意識を向けるべきですか。
高い影響を受けるためには、高い所に意識を向けなければならないのです。
そうしますと、
高い周波数を頂けますので、皆さんのバイブレーションが上がるという事です。

幽界は欲望であり、神界は無欲である

今の宗教団体は幽界と繋がっています。
幽界と繋がっているグループは、
もう言わなくても宗教団体を見れば分かります。
この連中は幽界と繋がっているグループだな・・・・・と。
この連中は神界と繋がったグループだな・・・・・と。
少し注意して見ればそれがよく分かります。

しかし、
幽界と繋がったグループは流行ります。
人集めをして金儲けをしようとするならば、
幽界と繋がった方がうんと徳です。
欲に絡んで多額な金儲けが出来るのです。

それに比べ、
神界のグループは全く金儲けにならないのです。
金儲けにならないようになっているのです。
神界は無欲になるからです。
神界に来ますと、
神霊ですから無欲なのです。

幽界は欲望です。
個人意識がありますから、
所有欲がありますから欲望です。
幽界にいるものは、人間の金儲けの話をします。
それを教えます。
どうしたら金儲けが出来るかと、その事を教えます。

神霊は教えると思いますか。
神界では金儲けの話をすると思いますか。
無欲だからしないのです。
金儲けにならないのです。
しかし、
永遠の富を得る事が出来るのです。

これを得た時、
皆さんは、神の跡取り息子・娘になるのです。
永遠の富を得るのです。
久遠の富を得るのです。
無限の富を得るのです。


七色の光が一つに調和して、白光となる

皆さんには、少し分かりにくいかと思いますが、
白光に輝く方々を「白色同胞団」といいまして、
その「七天」におられる方々は白色同胞団です。

その七つの光が、
一つに調和された時「白光」となるのです。
そこを「白光界」といいます。
その白色に輝いた天使たちを「白色同胞団」といっているのです。

実際に、
神界と意識が結ばれた時、その世界に行き来できるのです。
その方々と面と向かって対話が出来るわけです。

そこまで波動が上がりますと、
その方々と同じ波動になりますから、姿・形として見ることも可能なのです。

それらの方々は姿を持っておられますし、
姿を消す事も現すことも自由自在です。
波動をうんと高められますと見えなくなりますし、
波動を低めますと見えるようになるのです。

それで我々は、そういう方々を見るためには、
神界の次元の波長を持っていなければならないのです。
周波数を持っていなければならないのです。

神界の周波数は約三十万サイクル位です。
言葉的にははっきりいえませんが、
何十万サイクルであるという事は、数字的には現す事が出来ます。

幽界はどの位のサイクルで動いているか。
本当は現すことが出来るのです。

周波数ですから現す事が出来るのです。
ですから、
「宇宙は科学である」という事が認識できるのです。

その周波数を電気的に作る事も出来ます。
しかし、電気的にそういうサイクルを作りますと者が消滅するのです。
何十万サイクルの周波数を出すコイルを用いて、
そういう装置を物に当てて放射しますと、
バイブレーションが上がってしまいますから物が消えるのです。
バイブレーションを上げるために機械的に上げようと思う事は、
そのサイクルも作れない事はないのです。

しかし、
うっかり間違えると全部破壊してしまいます。
本質的なものは破壊できませんが。

形あるものは破壊してしまいます。
もう現れない・・・・・。
視界から消えてなくなって、再び現れて来なかったら困ります。

本来は、
自分が意識的に消すことが出来、現す事が出来る事を、
それは皆さんの自由意思で行われなければならないと思うのです。
それをコントロール出来るような人間になるまで、
冷静を高めていかねばならないのです。

波動を高めることは、永遠の救いである

皆さん方の、
バイブレーションを上げるも下げるも、あなたの自由意思にあるのです。
外という低い所を見ている時は、バイブレーションは低いのです。

神という高次元に意識が向いている時、
皆さんの波動は、神の波動となります
神意識をしている時は、神の波動です。

あなた方が、「我は、神なり」という思いを起こしている時、
その時のバイブレーションは。神のバイブレーションです。

そうすることによって、
いかなる「病い」も「悩み」も解決できます。
常に、この高い状態に意識を向けていれば、
バイブレーションが高いわけですから、
この者は再び病気になる事はないのです。
これは「永遠の救い」です。

波動(バイブレーション)を落としますと、病気になります。
波動(バイブレーション)を高めますと、治るということです。

病気になりたくないひとは、
低いものを意識するのですか。
高いものを意識するのですか。
それは、高いものを意識すべきです。

そういう意味において、
皆さんの病気の「自己治癒力」といいまして、
自分たちのバイブレーションを上げておれば、
いかなる病気も自分で癒せます。とという事です。

これをするには、
何も時間が掛かるものではありません。
そこに、一週間でも意識を集中してみてください。
身体が軽くなるのを、誰でも体験すると思います。

時間あるごとに、
神の世界に意識を向けたとすると、
そうすれば、そこからの影響を受けますから、
それをよくご理解しただけたらいいと思います。


竹内文書の正当後継者の方がいっていたのですが、
呪い返しの極意は、「笑顔」だそうです♪いつも「笑顔」でいれば、悪い念の影響は心配しなくても大丈夫ですね

すべてのものを形づくっている周波数


 周波数が高くなると、(模様が)非常に細かくなっていきます。
 と言うことは私たちの意識が高くなると周波数が上がり、きめ細かな波動になるので、粒子体から波動体に変わるのです。

 古代の単核虫や三葉虫などは意外に周波数が高いので驚いたのですが、たとえば亀の甲羅は1021~2041 Hzがつくる文様を持っているのです。1000ヘルツというとすごく高いのです。

 三葉虫はなんと、7010~9438 Hzなどで、もうめちゃくちゃ高いのです。
 私たちがふだん聞いている音は大体、800から2000ヘルツぐらいなのですが、三葉虫などはこんな高い音を吸収していたのです。

 最初、私は生命は本来すごく低くて、25~50ヘルツぐらいではないかと思っていました。ところが、太古からいる生命の模様が持つ周波数が意外に高いのです。おそらく宇宙から隕石に含まれて飛来したのではないでしょうか。

 意識が高くなるにつれて周波数が上がるので、本来、古代の生命体は意識が高かったということなのです。
単細胞のように見えて、実は周波数が高い。そういうことを知ることで、私たちは実は本来の状態に戻ろうとしている、そういうことがわかってくるのです。

 周波数がどんどん高くなっていくと、模様が複雑になります。
 単純な花びらから複雑な花へと、たとえば日本の大輪の菊のような花は海外にはあまりありません。そういうものは2000ヘルツくらいあります。

 動物たちの模様は1300から1700ヘルツが多いです。ヒマワリの花の中心の種を形づくっているのも同じ原理です。でもこれは星で、宇宙の星、チャクラ型とか車輪型の星で、全部星の形や軌道を反映した相似形になっているのです。

 最近になって、星々だけでなく地球の中心の模様を写し出すことができるようになりました。中心は流動体で周波数によって四角に写し出されたりします。

 ですからものの形状というのは、要するに周波数によってどうにでもなる。今、スイスとドイツの人の実験によって、周波数が形の源だったことがますますわかってきています。
 その機械を通してさらに詳細な新しい形が生まれていますが、今どんどん誕生している星の形とそっくりなものもあります。

 ハッブル(宇宙望遠鏡)が高性能になったので、より遠くまで撮影できるようになって、超新星の誕生の瞬間が写せるのです。

 ネビュラ(星雲)もそうですが、周波数をとると、とてつもなくすごい周波数のものと反対に低いものがある。人間の耳にはもちろん聴こえない周波数ですが、その周波数を人間の可聴域に変換したときに、形が星とそっくりになるのです。

 周波数は型を持っている。
 つまり私たちの肉体の内臓もそれぞれ固有の周波数を持っていて、それぞれが独自に働きながら、調和を保って一つの生命を支えているわけです。

 ですから歪みをつくり出す人間の意識や、音の周波数の歪みが調整されるならば、病気など簡単に治ってしまうわけです。病気というのは周波数の歪みから生じたものだからです。(松浦優之博士の電子波動照射機AWGもこの原理だと思われる)

 私がいつも言っていることは、すべてが周波数だということです
 神様とか宇宙人とか、何でもいいのです。いずれにしろ人間がそれぞれの違いに名前をつけたもので、独自の周波数が形をとったものです。
 どう見えるかはその人によるし、どんな名前があろうとそんなに重要なことではありません。

 つまり、
すべてがサイエンス、科学なわけです。
 科学というのは本当に言霊(ことだま)であり、神の学問です。私は今お見せした本のビデオ版を全部持っていますが、すごく綺麗です。

 9000ヘルツや1万ヘルツなどになるとビリビリきますが、これこそ本当に宇宙の周波数だと思います。すべてのものを創り出し、生成してきた周波数はこういうものだと思います。

 非常に高い周波数だからこそ、低いものを生成でき、いろいろな物を生み出すことができたのです。生み出せるからどんなふうにでも分化できるわけです。

悪い念も周波数を変えることでブロックできる

 
周波数の音だけで、実は病気は治ってしまいます。
 本来、周波数には形状化作用があり、後から中身がつくられていったものなのです。それが日本語の形霊(かただま)であり、音霊(おとだま)です。洋服も形霊です。ですからデザインは大事なんです。

 形霊とは、磁気がつくり出す磁気波動であり、神聖な形は整った磁気を発信します。元は光ですから、光という磁気が電子に代わって体に入って来ます。
 ですから宇宙から地球から、また美しい寺院や神社の建物や、毎日自分が用いるもの身につけるもの、着るもの、食べる物などの周波数はとても大事なのです。

 人間の発する念というのは、怖いものです。
 なぜならそれも周波数だから。悪い念を周波数で飛ばすこともできるので、病気にすることも、治すこともできるのです。

 しかし外に向けて飛ばしたものは、いずれ自分に戻って来ます。そして飛ばしている人はより大きなダメージを受けることになります。

 飛ばされた悪い念をどうやってブロックするかということですが、そもそも自分がそういう悪い念の周波数に合っているからブロックできないわけで、自分の周波数を上げてしまえば同調せずに済みます

 そもそも悪い念というのは周波数がすごく低いので、疲れている時や気が病んでいるときとか、落ち込んでいる時に入ってしまいます。それは油と一緒で、PHが近いから油汚れが落ちるのと同じで、似ていて近いということです。

 そうした悪い念を入れないようにするには、明るく笑うことです

 
だから笑うことが一番いいのです。明るい波動というのは周波数が高いのです。笑っていると免疫も上がり、胸腺が活発になり、口角を上げるだけで胸腺が活性化されます。ですから笑っていれば大丈夫です。
     増川いづみ
『ここはアセンション真っ只中』 ヒカルランド
さとううさぶろう/増川いづみ/はせくらみゆき/稲垣説子/千賀一生/滝沢泰平/T-Soul抜粋



「全ては神=我神なり」という真理♪

意識の進化=愛の拡大=分離意識の克服=
我は全体なり・全体我なり=全一体・自他一体=

全ては私=全ては一つ=全ては一つの存在の現われ=
宇宙は一つの生命体=全てに神(宇宙生命)が宿り給う=

宇宙は神一様=全ては神の中の存在する一つの存在=ワンネス
全ては永遠に一つの存在=全ては一つ=全ては私=全ては神

全ては今この瞬間しか存在しない=全ては永遠に一つの存在=
永遠の始まりである神の御心のみが実在=今即天=今即実在=

大愛・宇宙生命・神の一人子である神我キリストのみが実在=
全てはこの瞬間に存在する宇宙生命そのもの=全ては神そのもの=
全ては神ご自身=神一元・愛一元・光一元=宇宙即我=我神なり


調和=愛の法則そのもの=罪なきもの=完成=幸せな人生に
不調和=愛の法則を犯している=業・罪=カルマの精算が起きる

愛と赦し=調和=愛=幸せ・健康=完成=中性=完全=光人間
恨み・憎しみ・争い=不調和=罪=病・災難=不完全=闇人間

愛と赦し=カルマの消滅=神の祝福=幸せなツイてる人生に
許さない・恨み・嫉妬=カルマの刈り取り(不幸災難)な人生に

調和人間=愛が深い人=愛の光そのもの=克服者キリスト=完成
不調和人間=恨み・嫉妬・責任転嫁闇人間=罪人=未完成

調和=光明世界・愛の王国=愛・光・善=平安と安らぎ・至福感
不調和=無明世界・闇世界=未熟な愛=不安と恐怖・飢餓感・不足感

調和の人は熟した魂=自分を愛するが如く他人を愛します=ワンネス
不調和な人は未熟な魂=他人を責めて非難します=分離意識


 イエス様は「愛は天と地の架け橋」とおっしゃられました。その愛とは「許しの到達点」である「慈悲と愛」で御座います。

 真の意味で貴方が、その「許しの到達点」の境地に到達した時に、自ずと「天である神」と「地である貴方」との架け橋が繋がる事でありましょう。私は実体験からそれが実際にありえると確信しております。


愛は天と地の架け橋  この愛の理解と体得が神様と繋がる鍵♪

神・大愛(天)……全てを活かす愛・慈悲と愛・すべての形態を形作る力・意識を与えて下さった魂の根源・真の親・すべてを活かし育む力、縁の下の力持ちで全てを愛し慈しむ無償の愛・無限の愛・すべてに意識を与えて下さった天の父であり天の母である中性エネルギー・真の親・愛を表現する為に…無限の創造をなさっている慈悲と愛そのもの

神の表現体(地)……神が神を愛する為に生まれた存在・神の化身・愛の化身・神の表現体・神の中に創造された神・個別化した神としての自覚に覚醒めた我・滅私して神の道具意識を自覚している我・自分が神ご自身だと悟った我・愛を表現する為に生まれた事を自覚している我、全てを100%の愛で愛する我、自分と全てが神以外の何者でもない事を自覚している我


第六密度以上の高次元存在が語る
「許し」というものが、カルマの輪を止める事になるお話

★ コーリー : 多くの人々が現生のトラウマだけでなく、過去生のトラウマにも対処しているところなのです。

今、地球に生まれて来ている多くのライトワーカーは、援助の為により高次元や、上の密度から降りて来た人々です。

現生が初めての人でも、高次の美しい場所からここへやって来た人にとっては、ここでのトラウマは10倍酷(ひど)く感じられるものです。

そして、長期に亘(わた)って輪廻転生を繰り返して来た人の場合は、更に解消しなければいけない過去生のカルマが加わります。

しかし、ブルーエイヴィアンズから言われたのは、トラウマを特定し、自分にトラウマを与えた人や自分自身を許すこと、

そして、この”「許し」というものが、カルマの輪を止めることになるということです。カルマがなくなるんです。

これは、エネルギー的なものです。
カルマとは」負債を支払うようなものではなくて、
許してエネルギーを解放するもの」なんです。



カルマとは宿題・魂の課題・許しによって消滅♪
……………………………………………………… 
「許し」を心から実践=カルマの輪を止める=カルマがなくなる♪

自分にトラウマを与えた人や、自分自身を許す==
             ==魂の課題を克服=カルマが消滅♪

許す事によってエネルギーを開放=カルマの克服・解消に♪


ケイシーリーディングから…♪

全身全霊で「神を愛する」大切さ
「神を求める祈り」をする大事さのお話

 エドガーケイシーは、宗教生活についてそのもっとも美しい表現の中で、この事を次のように語っています。

あなたがたは心を尽くし、思いを尽くし、体を尽くして汝のなる
(大生命・内在の神)を愛し、隣人を汝の如く愛するのである。

このキリストの与えた言葉が法則の全てである。
それに優るものは存在しない

 主が約束されたように、あなた方は
来る日も来る日も明想し、「祈りゆく」うちに到来するあの目覚めによって、
主(宇宙生命)が自分の意識の中に留まられる事を知る事が出来る
神我が中にまします・父と子は常に一体)。

 あなた方はこの目的のために、
主が臨在し、その御霊(キリスト)があなた方の中に留まるあの意識を、
あの自覚を讃えるために生まれてきたのである。」

自我・偽我 =表現者、原因である父なる神を忘れている状態(放蕩息子の状態)神理を知らない状態・自分の力で生きていると思って迷っている状態、肉体の己を自分と思っている我、分離感・分離意識で個別化された表現を別個の存在と認識している我・分離意識・エゴ・肉の感化、五感の感化を真実と錯覚している我・迷いの影、幻、幻想(マイヤー)・自己保存、自我我欲の心


真の自己(真我)=父なる神と常に一体の境地・ワンネス意識・全一の意識・神我キリスト、全ては自分、全ては我、全ては神、全てを愛する我に目覚めた状態・宇宙生命によって生かされている事を自覚して実感している我・私が生きているのではない、なるほど一つの生命である神が生きていらっしゃる、全ての知恵と力は神から与えられている、神の中身は神、全ての全ては本質的には神、神のみが生きてらっしゃるんだなと悟った我・神一元・愛一元・光一元・我神なり、全ては神なり、全てに神を観る境地・神は生命(霊)なり、我も生命(霊)なりの自覚・宇宙即我、キリスト意識・高我・実在・全てを愛し全てを許す境地・慈悲と愛・あなた即私・私即あなた・宇宙エネルギー即自分・無限即我・不変不動の絶対なる実在・普遍なる宇宙・無限者・宇宙神

人類の夜明①~⑥⇐はこちらです♪


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上江洲義秀先生も「明想が完璧」と絶賛された…という
究極の意識状態に到達された方の超高次元・波動上昇ブログです♪

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プロフィール

斉藤なぎさちゃんが大好き♪

Author:斉藤なぎさちゃんが大好き♪
 
 高身長になる方法・広瀬すずちゃんの横顔になる方法・小顔になる方法・悟りを開く方法・健康になる秘訣・宇宙の真理…など世のため人の為に役立つ情報を書いております。
 貴方の素晴らしい人生のお役に立てますように♪

 30歳を過ぎてから努力で22cm身長を伸ばして195cmになっちゃいました♪
 それと…小顔になる努力で、全頭高が大谷翔平さん級の20.5cmなりまして……純日本人ながら、リアル9.5等身を達成することが出来ました♪

 そのノウハウを全て無償で公開しておりますので、もし良かったら皆様も、小顔・高身長の翔平スタイルになって幸せで喜びに満ち溢れた人生を満喫して下さいね♪ 


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「大豆から納豆を作る記事をテンコ盛り盛り…盛沢山な記事」はこちらになります♪
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