きっかけ
婿養子に入ってすぐの、23~24歳ころです。 実家から持たされた持参金で外国製の大きなトラクターを買い、さらに雑草か生い茂っていた土地を買いました。その土地で、新たにトウモロコシを作ることにしたのです。 わたしの憧れはテレビで見た広大なアメリカ農場でした。地平線まで続くような広々とした畑を作ってみたいと思ったのです。
そんな畑を作るには、ちょっとやそっとのトラクターでは面白くありません。アメリカからカタログを取り寄せて、150万円もする45馬力のトラクターを購入しました。半分趣味の世界ですが、さすがは大規模農地を耕せるトラクターです。みるみるうちに荒れた土地を立派な耕作地に変えていきました。
栽培を始めたのは農薬をパンパン散布していたころです。りんごも順調にとれていましたし、始めてすぐの年からトウモロコシも順調に育っていきました。
憧れていた見渡す限り一面の農作物、デキも良好で、すべてが順風満帆でした。
しかし、トウモロコシが収穫できるくらい大きく育つと、動物による被害が頻発するようになりました。なんの動物かはわかりませんが、きれいに実をつけたトウモロコシをどんどん食うやつが現れたのです。
これはたまりません。山にはクマやカモシカが出ることは聞いて知っていましたが、もしかしたら、近くで飼われている犬が散歩の途中で食べているのかもしれませんし、想像もつかないような動物が夜ごと畑に現れているのかもしれません。どんな動物の仕業かわからないことには手の打ちようがないと思いました。
「ヨッシャ、ちゃんと犯人を見つけよう」 もし本当にクマがかかったらどうしょうかと思いましたが、とりあえずトラバサミを仕掛けて様子を見ることにしました。
翌日に畑に行くと、罠に動物が掛かっていました。予想していた種類ではなく、タヌキでした。よく見ると子供のタヌキ。
付近にタヌキが出るという話は聞いたことがなく、大変驚きました。想定外の結果でしたが、動かぬ証拠です。
捕まえてはみたものの、殺す気はありません。トラバサミにかかった子ダヌキを逃がしてやろうとしましたが、おびえているのか、罠を外すために近づくと歯を剥いて、「シャー!」と威嚇するのです。
小さなタヌキですが、このままではおちおち外すこともできません。可哀想でしたが、足で顔を踏んづけて、動かないようにして触ることにしました。 仕掛けが外れて自由になった瞬間、飛んで逃げるだろうと思われた子ダヌキでしたが、どういうわけか逃げないでそのまま留まっていました。
すると、母ダヌキと思われる大きなタヌキが警戒しながら現れて、怪我をした子ダヌキの足を、その場で舐めはじめたのです。 しばらくのあいだ、親子は動こうとしませんでした。 タヌキからしたら、人間は憎き敵です。恐怖を感じる相手でもあるでしょう。
わたしが怒って、母子もろとも叩いて懲らしめてやろうと思えば、余裕で届くような距離なのです。さっさと逃げるのが普通です。 しかし、母親はその様子を、見せつけるかのように続けました。 延々と子ダヌキの足を舐めている母ダヌキを見なから、なにかすごく悪いことをしてしまったという、申し訳ない気持ちになっていました。
自然を利用している農家にとって、そこに生きる動物と雑草は、仲間でも同志でもなく敵です。自然を人為的に操ろうとしている人間にしてみれば邪魔者です。
そのことに疑問を持ったことはなく、深く考えたこともありませんでしたが、このとき初めて、人間側の一方的な論理であることに気がついたのです。
わたしがトウモロコシを栽培したのは、元々タヌキの住処で、平和に暮らしていた場所だったかもしれません。そうだとすれば、タヌキのほうが被害者になります。
「土地は買った人のものになる」ということなど、タヌキはまったく与り知らぬことです。「畑にタヌキが入ってきて被害を受けた」というわたしのほうが間違っているではありませんか。 だからといって、荒らされつづけるのは困りますので、タヌキと共生する道を選ぶことにしました。
その日以降、粒が欠けて売り物にならないトウモロコシを畑の横に積み上げ、タヌキたちに提供しはじめました。
置いた次の日は、綺麗さっぱりなくなっていました。その場で食べてもよさそうなものですが、食べかすはまったく残っていませんでしたから、どこかに運んで食べたのでしょう。
これを収穫のたびに行ったのですが、結果は毎回同じで、結構な量の不良品トウモロコシを積み上げておいても、ごっそりなくなっていました。
「下手をすれば餌付けになってしまうなぁ」 タヌキが増えて被害が大きくなることを恐れましたが、逆に最初にトウモロコシを提供した日から、被害はまったくなくなったのです。
提供されたものにだけ手をつけ、収穫前の瑞々しいトウモロコシには一切触れませんでした。もうトラバサミが仕掛けてあるわけでもないのにです。 気持ちが伝わっているとしか思えない出来事です。 トウモロコシを栽培していた3年間ずっと交流は続き、動物による被害は全然ありませんでした。
最初にトラバサミに子ダヌキがかかったとき、現場にいたのはわたしだけでしたが、1時間か2時間経ってから、洗濯を済ませた女房がやってきました。
「トラバサミに、なんかかかった?」 女房に訊かれましたが、こう答えました。 「いや、なんもかかってなかった」
女房はわたしの性格を知っていますから、薄々気づいていたようです。あとで顛末を知って、 「本当はお父さんが逃がしてやったんだろうって思ってた」 といっていました。
タヌキがどう思っていたのかはわかりませんが、「あなたたちが住む場所を奪ってごめん。これをあげるから、もう荒らさないでくれよ」という気持ちでトウモロコシを積んでおいたら、被害がパッタリとやんだのは事実です。
この出来事は、ほかの農家と同じように農薬を使い、人間側の都合だけを全面に押し出して作物を栽培していたわたしに、大きな変化をもたらすきっかけになりました。
木に話す
いまでも畑に行くと必ず木に一本一本話しかけます。 「元気にしてたか?」 「よく頑張ってるなあ、ありがとう」 「ちょっと病気してますね。いまから外科手術をしてあげますから」
自宅からいちばん遠い畑は車で40分のところにあり、近いところ15分くらい、あとのふたつは20分くらいのところにあります。作業によってはひとつの畑にかかりっきりになることもあります。そういうときは残りの畑へ行き、
「いまこういう作業をしているから、ちょっとしかいられないけど頑張ってちょうだいよ」 と挨拶だけして、また作業している畑に戻ります。
講演や農業指導で長い出張が入り、数日間どうしても畑に行けないときは出かける前に事情を説明して、
「しばらく来れないけど、頑張ってね」 と伝えます。
出張先から女房に電話をして、木の様子を教えてもらうことも度々です。わたしが電話で、 「元気にしてるか?」 と聞いたら女房のことではなく、女房が畑に行って見てきたりんごの木のこと。実を言うと女房や子供に対しては、わざわざ電話をしてそういう言葉を使ったことがありません。
その辺は女房も心得ていて、 「りんごの木のことだけど」 と前置きしなくても、 「心配しなくても大丈夫だよ」 と返事をしてくれます。
長年連れ添って苦労を共にした夫婦。わかってくれているでしょう。 だから、安心して出かけていられるわけです。逆にいうと、そうしないと出かけることもできません。
りんごの木も、わたしにとっては家族のようなものです。そしてわたしたちは、ともに大変な時期を乗り越えて、頑張って生きてきた仲間なのです。
よその人から見たら、「りんごに話しかけたって、言葉がわかるわけでもないのに」と思うかもしれません。
でも、りんごの木はきっと理解してくれていると思っています。人間の言葉というのは、肥料にも農薬にもなるのです。
かつてわたしが話しかけなかった木が、一本も残らず枯れてしまったことは紛れもない事実なのですから。 これはりんごの木に限ったことではないと思います。 すべてのものに言葉の力は有効だと思うのです。有機物に限らず、車や機械だってそういう一面を持っていると思います。
わたしが使っている中国製の重いパソコンは、4年間まったくトラブルがありません。つねに持ち歩いて酷使しているのですが、 「いつもありがとう、あなたが必要だから壊れないでくれよ」 と話しかけているからでしょう。
よい言葉をかければ、よい木霊(こだま)が返ってくるのです。
最近は小さくて性能のいいパソコンが4~5万円で買えるようになりました。次はそちらを買おうかなという思いが頭をよぎるのですが、
2台は必要ありませんので、いま使っているのが動いてくれているあいだは、「ありがとう、頑張ってな」といいつづけるつもりです。
癌と仲良く
同い年の知り合いか癌になりました。気がついたときには末期で、国立がんセンターに行ったのですが、「もう手の施しようがない」といわれてしまいました。
最初は直腸癌だったのが肺に転移し、それも進行している……。そのときでも煙草が好きで吸いつづけていたような人です。からだはボロボロで、「余命1年」といわれました。
わたしがそのことを知らされたとき、九州にいる実のお兄さんは葬式の準備に動いていました。本人も「もう1年も、もたないくらいにダメだ……」と諦めていました。
「ダメだと思ったら負けなんだ」と諭しました。 そして、言葉療法を提案したのです。
治療をして排除しようとするから、癌はしゃかりきになって進行するのかもしれません。自分の癌に向かって、「ボクのからだが完全にダメになったら、あなたたち癌細胞も生きていけないんだよ」
とよくいい聞かせてみればいいのではないかと思ったのです。
ヘタな化学療法を行なうより、手術ができないほど進行してしまったなら、「共生してさぁ、末永く共に生きていこうよ」と仲良くなったほうがいいに違いないと思ったのです。 彼は癌に毎日のように話しかけ、すごく元気になりました。余命1年と宣告された直後は死人のように生気がなかったのですが、見た目にも元気を取り戻し、3年経ったいまもまだピンピンしています。
わたしは無農薬栽培を通じて、「活かして生きていく」ということを自然から教えてもらいました。人間は人間同士だけで生きているのではなく、虫や微生物や土と共生しているのです
もちろん、病人に関していえば、早期に発見した病巣は化学療法で治すことも大事でしょう。しかし、もう手の施しようがないくらいに広がってしまったのなら、「共に生きよう」と語りかけることも有効だと思うのです。
そういう実感があって、言葉の力を信じています。 いまは人も言葉も殺伐としすぎている世の中です。経済の発展=心の崩壊といいますが、言葉の崩壊でもあると思います。
だからこそ、すべての人や物に愛のある言葉をかけるということは、とても大切なことだと思うのです。
個人主義が強すぎるいまの人間社会は、それを忘れているのではないでしょうか。
金属にも魂
たまたま車の修理に行って、出会った整備工の話です。 車の修理というのは床屋さんや美容院と一緒で、一度そこの工場に行くと、次からも同じところへ行くものではないでしょうか。
自分のうちから通いやすいところであったり、なにかが気に入ったりして一度行くと、妙にご縁ができます。 そんな調子で入った修理工場でしたが、何度となく通うようになり、その整備工と毎度顔を合わせるようになりました。
だいぶご年配の様子でした。年寄ってきたことも関係あるのでしょう、仕事に慣れすぎて緊張感かなくなってしまったのかもしれません。
とにかく仕事が乱雑なのです。一応修理して動くようにはできるのですが、彼が直すと必ずといっていいほど、また壊れてしまいます。
わざとやっているわけではありませんし、人柄は決して悪くありません。仕事仲間には慕われているくらいでしたか、あまりにも信じられないようなミスをするので、ちょっと問題になっていました。 具体的には、4つあるタイヤのボルトを全部締めたつもりかひとつ忘れていたり、エンジンを組み立てたなかにスパナを忘れたり……。危なくて仕方かありません。
「とても彼には大事な仕事はさせられない」。暗黙の了解のようになっていました。 見兼ねたわたしは、なにかアドバイスできることはないかと仕事ぶりをチェックしていると、気づいたことがありました。
だいたいそういうミスを犯す人というのは、仕事のパートナーである道具に愛着がないものですが、やはりそうでした。とても乱暴に扱っていて、だから整備しおわった車につけたままにしてしまうのです。
彼が使っている工具は、勤めている会社が買ってくれています。プロが使う工具は、見た目は同じようでも、100円ショップや街の小売店で売っているものとは全然違います。
スパナひとつとっても、材質が全然違い、値段もまったく違います。そんな高い道具なのに、「べつになくしたところでまた工場が買ってくれるから問題ない」と思っているのです。
思っている自覚はないかもしれまぜんが、無自覚でそう思っているのです。 わたしはいいました。 「あんたの道具にはみんな魂があるんだよ。心あるんだよ」
彼はそのときスパナを手にしていましたが、 「そのスパナにだって心があるんだ。口いわない工具だと思って使ってるから、あんたの仕事には魂がこもらないんだ」
実際、彼がスパナで締めても、なぜか緩むことが多いのです。どんな力で締めあげても、なぜか緩むのです。
これは力の問題や技術の問題ではないと思います。そこでこう提案してみました。
「スパナじゃなくて、自分の手で締めている気持ちになってやったらいいんじゃないの?」
実際はスパナで締めていても、それを単なる道具とは思わず、自分の手を使って締めている感覚を持ってもらえば、きっと魂がこもると考えたのです。
最初はポカンと聞いていましたが、いっていることの本質がだんだんとわかってきたようで、「うんうん」と素直に聞いてくれました。
仕事がいい加減なばかりに、もし走行中にタイヤが脱輪したら大事故につながります。 「あんたのやった修理を信頼してみんな走っているんだよ。命を預かってると思って、やってくれなくちゃ」
整備工の仕事の本質は、車の修理といった断片ではありません。 そういう意識の高さと、責任感を持ってほしかったのです。
気持ちが伝わったのか、仕事ぶりが見違えるように変わりました。 変化はまず工具の置き忘れがなくなったことに現れました。道具をとても大切に、丁寧に扱うようになったのです。
やった仕事を必ず点検するようにもなりました。「見直し」というのは、忙しさや慣れで飛ばしてしまうことが多いのですが、彼は必ず見直して、自分の欠点を補うようになったのです。
聞けば、もともとは腕のいい整備士だったそうです。しかし、人間はどこかひとつ心に穴があくと、道を外れてしまうことがあるものです。
一度外れると、どんどん悪化してしまいます。そういう状態だったのでしょうか、道具を大切にする心を取り戻してからは、すっかり腕のいい整備士に戻りました。 人間がすごいのは、「思い」や「気持ち」の持ちようで、いくらでも物事を変化させられることです。
心の眼が開くのです。その力は、だれにでも、いつでも発揮できます。 わたしは作物の気持ちを理解しようとしました。 赤ちゃんの泣き声、ただそれだけですべてを理解する母親のような気持ちで接すれば、きっと素晴らしい作物になってくれるはず。
もしも自分がりんごだったら、野菜だったら、稲だったらどうしてもらいたいか、それを考えるのが百姓として当たり前のことだと思いました。 自分が実践していることを彼に話したわけですが、これはすべてに通じる話だと思います。
本来、農薬や肥料、除草剤はいらなかった
私が提唱する農業は、農薬や肥料、除草剤をまったく使わない栽培法です。 つまり、自然の生態をそのまま活かし、また利用する栽培で、農薬や肥料、除草剤を使わずに土の力を引き出す農法です。
私が目指しているのは、よく渇いた土で、ぽろぽろと手からこぼれ落ちるような自然そのものの土です。栄養豊かで、微生物がたくさん住む自然の土を作ることであり、それが自然栽培の原点です。
簡単に言うと、私の栽培する自然栽培農法の根幹は次のようなものです。 ① まず大豆を植えなさい。 ② 次に、野菜などの作物を育てなさい。 ③ そして、雑草を育てなさい。 ④ その結果、雑草は邪魔者ではなく、土を造る基礎になるのです。
現代農業は、「土を作る」という基本的な大きな作業をして来なかったのです。 だから「山の土を再現する」、「土を作る」ということが、自然栽培の基本になります。
かつて昭和天皇は土と雑草の働きを熱心に研究されており、「雑草という草はない」という有名な言葉を残されました。これは推測ですが、自然の土壌生態を考えておられたのではないでしょうか。
つまり、雑草があるからよい土が醸成されて、草木が育つのだということです。雑草という脇役がいるから、野菜などの主役が目立つわけです。
転載元: 書いとかないと忘れちゃうから「読書記録」
「奇跡のリンゴ」に関することは多くの著作で言及されているから、木村さんの体験の概要は知っていたけれど、ご自身の著作はやはり真に迫って来る。瞬く間に読んでしまった。2009年8月初版。
【「まえがき」に書かれていること】
人生も、いま見えている部分、隠れている部分、このふたつが1対2の割合で存在するのではないでしょうか。 本書は、人がいま認識している現実、その2倍はあるはずの認識できていない真実、それを読者とともに考察するために、誤解されるのを覚悟のうえで書いたものであります。(p.10)
第1章は、「不思議の始まり」という見出しになっていて、著者が高校生だった頃の不思議な体験のことなどが書かれているけれど、人生が見えている部分だけで成り立っているなんて到底考えられないチャンちゃんにとっては、不思議でもなんでもないことばかり。
【タヌキとの共生。そして宇宙人との遭遇】 リンゴの無農薬栽培をはじめる前、農地を造成してトウモロコシの栽培をしていた頃の話。トウモロコシがタヌキに食い荒らされるという事態が生じていた。
タヌキがどう思っていたのかはわかりませんが、「あなたたちが住む場所を奪ってごめん。これをあげるから、もう荒らさないでくれよ」という気持ちでトウモロコシを積んでおいたら、被害がパタリと止んだのは事実です。 この出来事は、他の農家と同じように農薬を使い、人間側の都合だけを前面に押し出して作物を栽培していたわたしに、大きな変化をもたらすきっかけになりました。(p.42)
このような経験をした翌年、UFOを頻繁に見るようになったことが書かれている。
私にとってUFOは、「信じるか、信じないか」という存在ではありません。「絶対にいる」としか言いようがないのです。それは女房もわかっています。 そもそも津軽は神秘的な土地柄で、日本最古の文字と言われる『津軽草文字=つがるくさもじ』、幻の中世都市である『十三湊=とさみなと』、奇書とされる『東日流三郡誌=つがるそとさんぐんし』など、興味の尽きない地域なのです。(p.45)
やや横道にそれてしまうけれど、津軽地方を拠点としていたアラハバキに関しては、下記のリンクに。 《参照》 『いよいよ「超霊的パワー」が世界を解放します』 田村珠芳 (徳間書店) 《前編》 【アラハバキ族】
【言霊】
無農薬・無肥料栽培を始めてから、畑の状態はどんどん悪くなっていました。いろいろ試してきた病虫害対策として散布する食品も尽き、失敗続きで34歳を迎えたわたしは万策尽き果て完全に行き詰まっていましたが、「言葉にはものすごい力がある」ということに気づきました、 それはリンゴの木が教えてくれました。(p.78)
衰えてグラグラになりかけていたリンゴの木たちに祈るような気持ちで話しかけていたのだという。
「こんなにしてしまってごめんなさい」 「花を咲かせなくても、実をつけなくてもいいから、どうか枯れないで耐えてください」 木に優しく触れて、労わるように、ぬくもりが伝わるようにしながら、「どうにか頑張ってくれ」という正直な気持ちが通じるように語りかけました。(p.78-79)
こんな風に、800本余りある木に時間をかけて話しかけていたという。ところが、捨てたはずの虚栄心が残っていて、隣の畑や道路との境界線にある木には話かけるのをためらってしまった。すると、
話しかけなかった、隣との境界線や道路沿いにある1列82本は、畑を縁取るようにことごとく枯れてしまったのです。(p.80)
人間でも、動物でも、樹木でも、植物でも、機械でも器具でも工具でも同じである。 言霊は、波動だから、すべてに浸透する。 愛念の波動が途絶えると、衰えるし枯れるし壊れるのである。
作業によってはひとつの畑にかかりっきりになることもあります。そういうときは残りの畑へ行き、 「いまこういう作業をしているから、ちょっとしかいられないけど、頑張ってちょうだいよ」 と挨拶だけして、また作業している畑に戻ります。(p.116)
講演や農業指導でしばらくいない時も、リンゴの木に「しばらく来れないけど、頑張ってね」って話しかけているという。
人間がすごいのは、「思い」や「気持ち」の持ちようで、いくらでも物事を変化させられることです。心の眼が開くのです。その力は、だれにでも、いつでも発揮できます。 わたしは作物の気持ちを理解しようとしました。(p.123)
【奇跡のリンゴを可能にしたもの】 木村さんが無農薬・無肥料でリンゴ栽培を可能にしたヒントは、自殺しようとして紛れ込んだ山中で見た野生のリンゴの木の周辺の土壌の様子だった。それは「多くの微生物が共生できるフカフカの土壌状態」である。
しかし、そのような生物学的状態が整いさえすれば、リンゴが豊かに実を結ぶというのではない。それでは野生のリンゴの木ほどにしか実をつけないはずである。
野生のリンゴの木と、木村さんの畑のリンゴの木の違いは、それを育てる人の愛念の有無なのであり、これこそがイヤシロチの最大因子なのである。 自然農法は、農薬散布や施肥によって創出された人工農法よりは遥かにマシなイヤシロチ化農法だけれど、それを更にイヤシロチ化するのは、人間の想念(愛念)なのである。木村さんは愛念を言霊に乗せて、常にリンゴの木に送り続けていた。
【「時間がない」】 世間から「まともな人間ではない」と看做され、精神的にも経済的にもどん底状態だった頃、木村さんは二人組の宇宙人に出会っていた。その直後に木村さんが見た内容は、下記リンク著作など、いろんな著作に引用されている。 《参照》 『龍蛇族直系の日本人よ!』 浅川嘉富 (ヒカルランド) 《後編》 【木村秋則さんの体験】
「意外に早く終末を迎えるんだなぁ」と驚かざるを得ない数字でした。 それも含めて大事なことは、ソクラテスから「口外してはいけない」と、龍と同じように固く口止めされました。いまだに女房にもいっていません。もし命が脅かされる事態に陥ろうとも、口は割らないと思います。 重要なことは、なにより「時間がない」という事実です。(p.91)
【吊し上げ】
なかでも忘れられないのは、仙台で行われた肥料農薬工業会が主催したシンポジウムでのことです。・・・中略・・・。 いかに農薬や肥料が安全であるかを語る場で、「日本の農産物は世界に類を見ないほど安全である」というタイトルがついていました。 わたしとはまるで関係ない場所ですが、そこに招待されたのです。(p.133) 「わたし、この方の畑を視察に行ってきました。やはり大きな間違いがありました」 もちろん、私の許可を取っているわけではありません。間違いもなにも、わたしのやり方を知らない人がわたしの畑を見ても、なにひとつ理解できるわけがありません。 結局、発言する機会はなく、後ろ指を指されに行っただけでした。 吊し上げに遭うために一張羅を着て仙台に行ったのです。 無農薬・無肥料でりんご栽培を成功させたわたしは、農薬推進の立場にいる人たちからすれば敵でしかなかったのです。(p.135-136)
当の本人を呼んでおきながら、発言させずに、露骨な吊し上げをするというのは、極限的に悪質である。 いつの時代でも、どのような分野でもあり得ることだろうけれど、大きな組織が個人を吊し上げるというのは、極めつきのチョー最低である。
各地で講演をしたり農業指導をしたり、いろんな人が私の畑を見学に来る中で、なんとあの肥料農業工業会もやってきて、 「その節は大変失礼をしました」 と謝ってくれたのです。 正直いってこれまでで一番嬉しい謝罪でした。 (p.139-140)
「だったら、許してやってもいいだろう」とは思わない。世間において、著者の評価が高まる一方の中で、肥料農業工業会は自分らの旗色が悪いことを思って謝罪しただけだろう。
既得権を維持するため、カネのためにはどのようなことでも平気でする腐りきった人間組織というのは、巷にテンコモリ存在している。著者とは正反対な生き方をする連中である。こういう連中が、破局へと向かう地球の運命変更を阻んでいるのである。
【有機栽培の是非】 農林水産省の公益法人である大日本農会からの依頼でしたスピーチの内容。
農水省を批判するような話も入れました。日本は世界でも突出した農薬依存農法をとっており、そういった農薬漬け、肥料漬けの農業を見直す時期にあること、JAが認証している有機栽培した米や野菜はとても腐りやすいこと(逆に自然栽培は腐りにくいこと)、また農業による環境汚染について、そしてかねてから疑問に思っていた『特定農薬』についても触れました。(p.142)
有機栽培した米と、自然栽培した米の腐敗実験写真が掲載されているのだけれど、有機栽培の米の写真を見て「ドヒャ!」という感じである。「有機栽培=健康によい」というのは、事実無根の思い込みなのか? と思ってしまった。それともJAが認証している有機肥料だけがどん底の偽物だということか。 『特定農薬』の中には食酢や重曹も入っているのだという。つまり、農薬でないものまで指定して、有効な農法を封印しているのである。つまりその目的は、露骨な肥料業界の利権維持なのである。
【宇宙人との再遭遇】
再びふたり組の宇宙人がやってきました。(p.154)
で、知らぬ間にUFOの中に入っていて、そこで教えてもらったこと。
「地球で発見されている元素は120くらいですが、実際に使われているのは30くらいでしょう。しかし我々は256ある元素をすべて使っているのです」 「地球人は頭が悪い」といわんばかりの話でしたが、彼らが乗っているUFOと同じものを造る技術がないのは間違いありません。 反論する気も起きず、黙って聞いていると、彼らは元素のほかにも、時間の感覚が全く違うことを教えてくれました。 「地球の時間で1000年かけないと移動できない距離も、我々は『そこに行く』と思った瞬間に移動できます」 こうもいっていました。 「我々は時間と時間のなかをあるいて移動しているのです」 わたしは高校生の時に見た、足を上げたまま固まったオヤジさんを思い浮かべました。(p.159)
元素の数が256あることは、記憶しておいた方がいい。 アセンション系の著作に馴染んでいる人々にとって、移動に関することや時間に関することは、十分理解済みのはず。 《参照》 『戻ってきたアミ』 エンリケ・バリオス (徳間書店) 【 “移動する” ではなく “位置する” 】 この既述に継いで、宇宙人との遭遇体験が決して幻想などではないことを理解してもらうために、宇宙人たちは、その後に、この時の体験の裏打ちをするような事象を用意して著者に再体験させていたことが記述されている。
<了>
転載元: 書いとかないと忘れちゃうから「読書記録」
知花敏彦先生の総まとめ記事 第1回目
知花敏彦先生の総まとめ記事 第2回目
FC2版の広瀬すずちゃんの横顔になる方法の記事です♪ 身長を伸ばす記事も追記してみました♪
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