ありがとうございます。心から感謝申し上げます♪感謝☆感謝☆
「感謝」が「瞑想」よりも上かもしれないお話
今回は、ずっと前からご紹介したいと思っていた、
「引き寄せの法則エイブラハム香港在住」様の、
「感謝」は「瞑想」よりもいい気分?の記事をご紹介しちゃいます♪
少し前、あの「引き寄せの法則」で有名なエイブラハムさんや、セント・ジャーメインさんのチャネリングで、私の望んでいた情報に出会うことが出来ました。
セント・ジャーメインさんによりますと、
●「神と繋がっている状態」というのは、「絶え間ない感謝の流れ」
●全てのことに対しての感謝
●全ての瞬間に、ありがとう、ありがとう、ありがとう
●私達のエネルギーは感謝の波動にある
また、エイブラハムさんによりますと、
「瞑想よりもっと上の状態がある。
もっといい気分の状態がある。
それは感謝の状態だ。」
との事です。
「感謝のエネルギー」は、宇宙の根源から発せられる究極のエネルギーに最も近い性質のエネルギーですから、「心を鎮めてすべての思考を止める」瞑想よりも、上の意識状態なのも道理だと納得出来ますね。
私達のエネルギーが「感謝のエネルギー」だったなんて…、前なら華麗にスルーしていた所でしたが、上記の真仙明さんのお話を知ってしまったら、もう納得せざるを得ませんね。きっと真実なのでしょう。
私の魂が短期間で、ここまでブレイクスルーして大きく飛躍出来たのも、「神へ深い愛・感謝」の徹底的な実践があったからこそなのだと、改めて思った次第です。
「感謝」で神様と繋がっていたわけですから、「神との一体感」による光のシャワーで、常時魂の油注ぎが行われてたとも考えられます。
一種の明想状態だったのかもしれませんね。
まさか…瞑想していないつもりが、知らぬ間に瞑想していたとは(笑)
正しかったのですねぇ…真理の理解を、ある意味極めたとも言える私のたどり着いた結論が…。
自分のフィーリングを信じ抜いてよかったぁ♪
こんな身近に、究極の答えがあったなんて…、まさに「灯台下暗し」とはこの事だと言えましょう。
難解すぎる教えはいらなかったんや~…っていう♪
「絶え間ない感謝の流れ」という事は「連続的感謝の意識状態」とも言えるわけです。
「全ての瞬間」に「有難う・有難う・有難う」、
「全てが神」である「今この瞬間の全て」に「感謝」ですね。
もしかすると、一瞬一瞬を「神への感謝・深い愛」でいられるように努力する事が、最高に価値のある「行法」かもしれませんね。
「神を喜ばせるために生きている」という御言葉にも大変感激いたしました。少し涙がこぼれました。
アセンデッドマスター(覚者)の方々は、ある意味、神への親孝行に生きていらっしゃるんでしょうね。
愛する父なる神への深い愛が、「神を喜ばせるために生きている」という、敬虔で慎み深い麗しい意識状態にならしめて(促して)いるのでしょうね。
私自身、基本的に「神様への親孝行」をしたいと思って生きていますから(笑)、
またまた、アセンデッドマスター(覚者)と同じ方向性の考え方だったと気づけて大変勇気づけられました。
結構…私の導き出した真理の結論って、当たり度高めみたいです♪
「行」といえば、山にこもって瞑想とか、呼吸法、クリアヨガとかクンダリニー・ヨーガとか…難しい修行のイメージですが、
そんな難行苦行よりも、全人類が昔から知っていた「感謝」が、神へ到達する最高の「行」だったなんて……これは衝撃の内容でした。
これはもう、全人類にとっての福音と言っても過言ではありませんね。お金もかからず誰でも、すぐに実践できちゃうわけですから…もうこれは、やるっきゃないかも♪
私自身「瞑想」はやっても、あまり意識が高まるとか、そういった変化を余り感じなかったので、どうしてもやる気がわかなくなって続かなくなった経緯があるのです。
ところが「感謝」は、「神様有難うございます」と想う時に、神様と繋がった様な意識状態…といいますか、本当に至福の幸せな歓喜な心地良い気分になりますし、
心が愛に満ち溢れた様な至福感に包まれますので…、いわゆる一種の「如実に分かる変化」ですね。
そういった「如実にわかる変化」「確実に実感できる変化」「意識状態の高揚」が分かる「感謝の実践」の方が、私にとって、ダイナミックで魅力的な修行のように思えたのです。
私の考え方が「論理的で時間を大事にする合理的な考え方」なのもあって、どうしても「瞑想」は、すぐに眠ってしまったり、何も考えないだけで、
得るものが少なかったりと、時間効率的に無駄が多すぎる修行だと、実際にやってみて思った部分が御座いました。
そういった経緯で、現在「瞑想」はほとんど実践しておりません。高橋信次先生や、関英男博士も、瞑想は危険を伴う修行だから…と、オススメになられなかったのも重々承知しております。
エイブラハムさんも推薦の「感謝」、この機会に徹底的に実践してみるのはいかがでしょうか?
「感謝のエネルギー」は、宇宙の根源から発せられる究極のエネルギーに最も近い性質のエネルギーだそうですから、感謝の実践によって、根源の至福な境地を体感出来ちゃうかも知れませんよ♪
いつか「感謝の記事」としてご紹介する予定でしたが、ちょっと前に、真仙明さんの「想念と意志の書」で感謝の偉大さを更に認識するに至りましたので、これも一つの「シンクロニシティ」なのかな…って、今が記事を作るチャ~ンスっていう(笑)。
有り難い事に私はよく、こういった必要な時期に必要な情報を与えられるという不思議な出来事が、今まで数え切れないぐらいあるのです。神様を真摯に求める祈りをしているからかもしれませんね。
神を求める想いは最高に尊いものですから、神様や天上界の方々も、魂の進化に通ずる愛のご支援して下さるのでしょうね。有り難い限りですね。
「瞑想」よりも「真理の理解」
が有益な修行だと思うに至ったお話
「瞑想」よりも「真理の理解」が有益な修行だと思うに至った、お話してみたいと思います。
高橋信次先生や、関英男博士のお二人は「瞑想」よりも、心を磨いたり、生き方を悔い改める「洗心」や「八正道」を説かれました。
瞑想については正直始めから、目をつぶって何も考えない…なんてやって意味があるのかな…って思っていた部分もありました。
知花先生が勧めるので実際やってみましたが、思っていた通り、やはりそんなもんかなぁ…っていうのが正直な気持ちでした。それで止めてしまったのです。
そんな事をする時間があるのなら、徹底的に真理を理解して、その理解に基づいて、どんどん内省し、自分を悔い改めして、心を磨き上げる時間を取る方が遥かに有益なんじゃないの…って。私は、そちらを徹底的に磨き抜く道を選んだのですね。
それで、徹底的に「洗心」を極める努力もしました。自分で納得できるレベルで完成するのに半年かかりました。今では、一番最後の難関「イライラしない」もほぼ0といって差し支えない意識状態を、常時維持していられます。
自分の心の動きを徹底的に観察して、そのイライラの大元の一番初めの部分がなぜ起きるのか…を分析して、そのイライラの時の意識がどういった時なのか、
また、その時の意識がネガティブ気味だったら、そういったネガティブな意識にならないように気をつける等々、分析者としての本分を発揮して、自分の心を完全に制御できる様に務めました。
バーソロミューさんがいう所の「想念分析」ですね。自分がイライラした「その時の心の状態」が、感情の乱れを引き起こしたという分析、その時の間違った考え方を改めていく(悔い改め)…そういった地道な努力で「洗心」を習得するに至りました。
「その時の心の状態」が何かしら、身勝手ではなかったか…、自己保存になっていなかったか…、人を責める思いがなかったか等々、客観的に分析して、二度とその時の心の状態を起こさないようにする…そういった内省の積み重ねになります。
前にも書きましたが、ネガティブが一瞬でも、出そうになったら
「サタン(ネガティブな想い・偽我)を退(しりぞ)け~」と一括する方法はかなり効能がありました。
そりゃあ、お釈迦様やイエス様・知花先生もなされた方法ですから、間違いなく効果はありますよね(笑)
その後は、「我愛なり」「我神なり」と…自分が愛そのものであると…、自分が意識したものにものになるのが宇宙の法則ですから、自分が「完全な愛」だと意識するのですね。そうしますと、自分の意識が「完全な愛」に近づいてまいります。
つまり、イライラした想いも、その「我愛なり」のマントラによる神の恩寵や、自分の向けた意識に向かっていく、「神との一体感」「内なる光」によってスーッと消えてゆきます。
私の流れはいつもこんな感じです。現在でも、心の乱れを治すのはこの方法だったりします。私はいつもこれで上手くいっております。
イライラしそうになる時は、「神への感謝」が足りない時だと、即座反省する様に心がけるといいでしょう。
心が「神への愛・感謝」で満たされている時は、決して心が乱れたり、心が不調和になったりする事はありませんから。
私は、一種の物差しとして、心のバロメーターの判断の基準にしております。
現在の脳天が常に天を繋がっているような感覚…、インスピレーションが絶え間なく、必要な時に安定して入ってくるような感覚になったのも、「洗心」習得のお陰だと認識しております。
ただ誤解を招かないように付け加えますと、知花先生は「瞑想」を説かれましたが、私は別にそれを否定してる訳では御座いません。私には合っていなかった…というだけの話です。
私は知花先生が説かれるもう一つの道、「真理の理解こそが悟り」というもう一つの道を選んだだけですから、別に知花先生を否定してるわけではありませんからね。(笑)
くれぐれも誤解なさらないように…^^;
上江洲義秀先生がご光話で説かれるように、
日々の生活の中で、全てをいたわり、思いやり、「愛」生きている時が、明想という事を知ってもらいたい。
山や洞窟にこもって、目を閉じて、座しているだけが明想ではない。日々の生活の中で、我々は、明想でなければなりません。
目を閉じている時だけ「愛」。目を開ければ、即「偽我」に戻っていくならば、何の明想でもありません。
24時間、四六時中、全てを思いやり、全てをいたわり、「愛」生きている時、「明想」といいます。
で、我々が時間のある限り、目を閉じて座る事は、
「我々の本質は、全てを許し、愛すること(慈悲と愛)が我々の実態なんだ」と、それを実感するためです。
だから皆さんも、時間が許される限りは、この肉体・心・感情・五感、あるいは理性というものを閉めて、閉める事を通じて、全ての本質は本質なり、全ての本質は命なり。
そこをしっかり見つめてみて下さい。我すでに愛なり。我すでに命なり。我すでに真理なり。しっかりその内観を見つめてみて下さい。
上記の通り、私にとって「瞑想」とは「明想状態」の事なのです。
これは真理を理解する事によって、到達できた境地であります。
もし仮に、プライベートの時間を、ず~っと目を瞑る「瞑想」ばっかりしていたら、何の真理の理解も進まず、現在の高い意識状態に到達することは出来なかったでしょう。
こんなふうに言ったら申し訳ないのですが、目を瞑ったって、何の真理の理解も進みませんから…、目一杯、真理を勉強する方が、時間の使い方としては賢くて効率的だと、実体験からある程度断言できます。
現代人は忙しいですし…のんびり目を瞑っている時間はもったいなさすぎますから。
実際私が「許し」の大切さに気づいたのも、徹底的に真理の勉強をしたからであって、仮に「行」が毎日「瞑想」ばっかりでしたら、何の気づきも得られなかったでしょう。
現実の目の前の、「魂の課題」に対して、「許し・慈悲と愛」で対処できるかを、試されるかという経験を「慈悲と愛」で乗り越えた時に、魂の内なる光が、更に輝きを増した経験を何度かさせて頂きました。
真理を深く理解していますから、考える幅も常人の数十倍の「真理の思考」が出来ますし、一回一回の体験でも、大きく飛躍できるように感じました。
そういう体験からしても、「真理を徹底的に理解する」事は、人生の一体験から学ぶ分量が大幅アップする、大変効率的で有能な修行法ではないでしょうか。
真理の理解が浅いと、目の前の困難に対してどう対処していいか分かりませんし、「許し」を実践するための「気持ちの整理」にまで、意識が昇華出来ない状態が多々出てまいります。
魂の課題を克服出来ない事例が増えてしまうのです。辛い体験が起きても、カルマが消えない…なんて、悲しくなりますよね。克服してこそのカルマの消滅ですから…。
そういう意味でも、「真理を深く理解する事」こそが、一体験、一体験を、完全な「許し・慈悲と愛」で対処し、魂の課題を克服し、それによってカルマを消滅させて、神様からよく頑張ったね…って言って頂けるようになる一番の近道だと思うのです。
「徹底的な真理の理解の努力」こそが、完全なる「神の具現者」「愛の体現者」としての「真の自己(神我顕現)」を確立することが出来る近道だと言えましょう。
本質の次元では時間は存在しないですし、「無限の今」しか実在しませんが、我々の肉体には「この世時間」の制限がありますから、どうしてもある程度は「時間の効率性」というものを考える必要があります。
私はその辺りを、シビアに吟味して考える人間ですから、実際の体験からしても、どうしても「瞑想」は、時間の過ごし方としては薄すぎると判断するに至りました。
私にとっての「瞑想」…真の意味では「明想」ですが、
一瞬一瞬が、「愛と調和」の「慈悲と愛」の意識状態である事、
自分と全ての全てが「神ご自身」であり「我神なり」の自覚であり、
一瞬一瞬を「神への深い愛と感謝」の意識状態でいる事、
そういった深い真理の理解に基づいた「聖なる愛の実践」が、私の「瞑想」で御座います。
ですから、何も目を瞑るのが必要ではなくて、神(宇宙法則・愛の法則・真理)を理解して、その神(愛の法則)に基づいた正しい「愛の生き方」を完全にこの現象世界で顕現する事こそが、「神我顕現」であり、「神との一体感」ではないかな…と、その様に認識しております。
徹底的に自分を磨いて、常時「洗心」の「常の心」を維持できていれば、何もわざわざ瞑想をして、心を鎮める必要は無いわけです。
常に鎮まっているわけですから(笑)。
すぐ心がざわついてしまう人は必要かもしれませんけれども…。
修行としてはその上の、一瞬一瞬を「神への深い愛」で満たしたい…「神への感謝の想い」を常に持っていたい…という次元に到達していますから、私の感覚では、目を瞑る「瞑想」はそんなに必要がないのですね。
幸いにして私の心は、ほぼ全くと言っていい程ざわつきませんから、特に瞑想をして心を落ち着ける必要はないのです。心の乱れを「行」でサポートする必要がないのですね。
心がすぐ乱れる人は、「呼吸法」や「瞑想」、あるいは「ヨガ」等の「行法」で乱れを鎮める必要がある様に思いますが、
私個人の意見としましては、自分で「洗心」を習得して、完全に「身口意」を正せる人は、「行法」は特に必要ないのではないかなと…そんな認識で御座います。
例え話ですが、私が100時間学んで得た霊的知識を、このブログで上手いこと5時間で皆様(神ご自身)が習得できたら、その浮いた95時間で皆様がもっと飛躍できますから、私(神ご自身)は非常に喜びます。貴方の幸せは私の幸せだからです。
愛と奉仕に生きる事、それが最も価値がある行為であり、その中でも人類の魂の覚醒に役立つことが一番価値のある奉仕ではないでしょうか。
それこそが創造主(神様)が最も喜んで下さる事だと確信しております。
だからこそ、このブログをやっているんですけどね(笑)
このブログは、「真理の三倍濃縮」のようなブログだと自負しております。
真理の究極のまとめを、もう一回まとめましたぁ~♪みたいな濃ゆさだったりしますから(笑)。
であるが故に、このブログを5時間見て頂くだけで、軽く普通の本を読むより5倍ぐらい急速に真理の理解が進んでしまうという、何ともお得感満点な…無料で見られる情報としては、地球最上級の内容となっております。
何回も繰り返し観覧することにより、真理の理解が進んでまいります。イエス様も、真理は繰り返し学ぶことによって理解できると説かれております。ご参考にどうぞ♪
一人でも多くの方々が、短期間で、大幅に魂が覚醒し、運気も向上して、幸せで至福感に包まれた最高の人生になれます事をご祈念申し上げ、お話の締めとさせて頂きます。
ご観覧して頂き誠に有難うございましたm(_ _)m♪
エイブラハムが
「瞑想よりもっと上の状態がある。
もっといい気分の状態がある。
それは感謝の状態だ。」
という話をしてくれたので
今日はそれについて書いてみるね。
瞑想はもちろん素晴らしい道具だ
とエイブラハムが言っていて
なぜなら心を静めて、全ての思考を止めるから
抵抗のある思考も止まって
よって人間の本来の姿である良好な状態に
「流れ」というものが自動的に連れて行ってくれるそうです。
エイブラハムは私達がネガティブな思考を持つことによって
良好な流れに逆らうことをしなければ
人間というものは自然にコルクのように水面に上がり
幸せになるようにできていると言っていました。
(それについての詳細は
『人間の本来の姿とは?人間の叡智ってすごい!』
でどうぞ。)
だから瞑想というのは
抵抗を手放すという意味で
大変有効な方法というわけですね。
でもエイブラハムは私達が瞑想しているときよりも
「感謝の気持ちを感じていたり
愛情や情熱を感じているときのほうが
更に上だ」と言っていました。
多くの人は瞑想をしてどこか違う世界に行けば
すごく崇高な気持ちが味わえると思っているけど
エイブラハムはそうじゃないよと言っていました。
それより上の世界があるんだと言っていました。
それはここだ!
つまりここで「感謝や愛情や情熱を感じる」ことが
天国に「行く」っていうことなんだってね。