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- 2020.01.26 Sun
全人類必見 カルマの克服法のお話♪カルマの断ち切り方…序章♪光の存在が語る・物質界に生きる知恵♪金銭への対処の仕方・正しい解釈♪悲惨な境遇に生まれるのはなぜか?魂を向上させる道♪人を赦す心が愛の心♪「愛と赦し」これこそが完成を高める秘訣♪
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全人類必見
カルマの克服法のお話♪
カルマの克服法の記事を作ったのですが、山盛りてんこ盛りに詰め込みすぎた関係で、随分長くなってしまいました^^;
それで、記事を2回シリーズに分けてご紹介させて頂く流れになりました。ちなみに次の記事はもう完成済みです。
カルマ関連の記事をまとめたのと、自分の最新の理解の記事で構成されております。
第二回目はこちら♪
「生と死の彼方に」からの引用ですが…♪
光の存在が語る・物質界に生きる知恵
物質の否定は物質への執着につながる
私 物質主義や唯物論的な考え方は否定すべきなのでしょうか。現象界に肉体をまとって生きている人間が物質を否定することは難しいと思われますが、どうすればいいのでしょうか。
光の存在 物質を否定せよ、と言っているのではありません。物質を否定するのではなく、物質に囚われたり執着したりすることから脱することが大切なのです。
在ることを否定するという事は、実はその対象にとらわれている事を意味します。例えば、あなたがある品物を欲しいとしましょう。
しかし、経済的にそれを手に入れることは不可能であることがわかった場合は、どうでしょうか。
その品物の事を考えるのはやめよう、もう忘れてしまおうと思えば思うほど、その品物の事が頭から離れず、日がたつにつれて、ますますその品物が欲しくなるのではないでしょうか。
また、人前で話すことに慣れていない場合、手が震えないようにしよう。言葉につまらないようにしようとすればするほど、逆に自分の手や喋り方に注意が集中して、手が震えたり、声がうわずったりしてしどろもどろになってしまうのではないでしょうか。
このように何かを否定しようとすることは逆に、否定しようとすることに執着してしまう結果になるのです。
何かを否定しようと努めれば努めるほど、それにとらわれ、欲望は膨らみ、ますます身動きが取れなくなってしまいます。
このことは、愛欲の深みにはまって抜けられなくなったり、金銭への執着や欲望にがんじがらめになってしまう場合にも当てはまります。否定しようとすればするほど、その対象に自由を奪われ、自分を見失ってしまうのです。
ですから、大切なのは物質を否定するのではなく、物質を超越することによって物質への執着を絶ち、物質に所有されるのではなく、物質を意のままに所有する自由を手に入れることなのです。
金銭への対処の仕方
私 物質への対処の仕方、中でも金銭に対してどのように対処すればよいのか教えていただけないでしょうか。
光の存在 精神主義者に見られるように、金銭を否定して清貧を重視する、という考え方は勧められるものではありません。
先程も言いましたように、何かを否定するという事は、実はそれにとらわれてしまう事になりますから、金銭を卑しいものであり、否定すべきものであると思えば思うほど、金銭に対する執着心は高まっていくのです。
清貧ということをことさら尊いものとして崇めるような考え方には、やはり無理があります。物質界に住んでいながら物質を手に入れるためには欠かせない金銭を否定するのは、不自然な事なのです。
清貧の内に生きることを重視する人々を実際に見てみますと、世の敗残者、社会からの逃避者として、やむなく貧窮生活に陥り、
そうした自己正当化をするために貧窮生活を清貧と言い換えて、自ら臨んで清貧を実践しているのだと言い張る者が少なくありません。
つまり、やせ我慢であり、自己欺瞞であり、他者をも騙している場合が殆どなのです。
金銭を軽蔑したり否定したりする人が、経済的に恵まれないのは当然のことと言えます。
自分が抱いた想念や感情は他者ばかりでなく物質にも働いて自分に戻ってきますから、金銭を軽視し否定する人は金銭からも見放されるのです。
そうした人ほど逃げていこうとする金銭に内心未練タラタラで、金銭への執着心はいやましに増すのです。
金銭への執着を持ちながら清貧を唱えている姿は、無様なものだと言えるでしょう。
金銭に対しては適度の理解を示すことも必要なことです。金銭を所有する事は、それが正当なものである限り、生活を円滑にし、人生を楽しい物にしてくれる有用な手段となります。
決して金銭を否定したり軽蔑したりするべきではないのです。貧窮状態で生活する事は、よほど精神力の強い人か霊性の高い人でない限り、苦悩に充ちたものとなります。
そして、金銭の欠乏からくる重圧のために心が醜く歪んでしまう場合もあるのです。
悲惨な境遇に生まれるのはなぜか
貧窮が人間を堕落させる例(Hさんの話)
例えば次のような女性がいます。
Hは貧しい農家で七人兄弟の兄弟姉妹の末っ子に生まれました。彼女は最初から両親に望まれて生まれてきた子供ではありません。余計者として両親から疎んじられていました。
彼女は幼い頃から家事や農業の仕事を手伝わされ、時には肩に食い込むような重い荷物を背負って、十キロ近い道を歩かされた事もありました。
途中で疲れて休んだりしようものなら、母親から容赦なく折檻を受けるのです。冬の寒い日にも十分な服も着せてもらえず、手はあかぎれでいつも血が滲んでいるのでした。
母と子供達は朝から晩まで働くのですが、一向に暮らしは楽になりません。というのも、父親が仕事嫌いな上に博打好きの大酒飲みで、なけなしの金をすぐに使ってしまうからです。
金を無造作に懐へ入れて外出しようとするのを涙ながらに止める母を父親は力まかせに足蹴にし、母が失神するまで暴力を振るうことも度々ありました。食べる物もなく、寒さの中で子供達は震えながら泣いているのでした。
義務教育が終わるとすぐに、Hは集団就職で都会に出ました。
~抜粋します~
単調な製品を作る仕事につく。
↓
一年過ぎた頃、彼女は一人の青年に会いました。初めて優しくしてくれる男性でした。その男と交際して数カ月後、彼女は自分が妊娠している事に気づいたのです。悩んだ挙句、子供を堕ろす事にしました。
その後、男性は彼女を疎んじるようになったのです。彼女Hが男にすがろうとすればするほど男は冷たい態度を摂り、やがて暴力を振るうようになりました。
男の言うままに金を出し、せっかくためた貯金も底をついてしまいまいた。それからも男の言うままに金を与え、サラ金から借金し、それはかなりの額になってしまったのです。
男はある日、彼女を暴力団員風の男に会わせました。その男は彼女を売春婦として買い取ったのです。売春婦になることを拒むと、ひどい暴力が振るわれ、彼女の片耳は鼓膜が破れて耳が聴こえなくなりました。
来る日も来る日も彼女は薄暗い部屋で客を取らされ、十分な食事を与えられる事もなかったため、とうとう体を壊してしまいました。しかし、病気の体でも客を取らされ続けたのです。
一人の客が同情し見受け金を払って救い出して、愛人として囲われる。
男との間に2人の子供が出来、幸せな日々がしばらく続きました。
しかし、ある日突然男は彼女の前から姿を消したのです。貯金も底をつき、とうとうまた売春婦として働き出したのです。
数ヶ月が過ぎた頃、昔のサラ金の取り立て屋が居場所を見つけ、(姿を消した男性の)借金の返済を迫りました。その額はとうてい彼女の支払えるものではありませんでした。
取り立て屋は毎日執拗に彼女を責め、暴力を振るいました。彼女はどうする事も出来ずに自殺を考えていると、取り立て屋が彼女に話を持ちかけてきました。
その話というのは、臓器提供用に闇ルートを通して子供を提供するというものでした。2人の子供を差し出せば借金はすべて返済できます。
彼女は、自分を捨てた男に対する復讐心も手伝って、殆ど毎日子供を折檻していました。子供達は生傷が絶えず、栄養失調のためにやせ衰え、いつもおどおどした青白い顔をしていました。彼女は躊躇する事なく、2人の子供を臓器移植のシンジケートに売る事にしたのです。
Hはこれまで誰からも本当に愛されたことがなく、世の中の辛酸をなめて貧窮の中で暮らしてきました。彼女は人を本当に愛することも信じる事もできず、世のすべてを憎悪し、運命を呪い、自分が存在する事さえも呪いました。
彼女はあまりにも厳しい現実に破れ、その心からは暖かさや思いやり、優しさというような人間らしい思いが、すべて枯れ果ててしまったのです。
この例からもわかるように、貧窮は決して清貧などといって尊ばれるものではないのです。
霊性が高く、現世への執着から開放された極小数の(意識の進化した)者を除いて、大多数の人々にとって、貧困はつらく苦しいもので、魂をも醜く歪めてしまうのです。
…………………………………………………………………………
私 それにしても悲惨な境遇ですね。どうしてHさんは、このような境遇に生まれてこなければならなかったのでしょう。
光の存在 どのような境遇であろうとも、それは本人の自由意志によって選ばれたのです。守護霊や指導霊、そして高級霊の意見や忠告を参考にし、自分の霊魂の向上に最善と思われる境遇を選んで、人はこの世に生まれるのです。
人生とは修業の場ですから、厳しく苦悩に満ちているのは誰にとっても同じなのです。一見幸せそうに見える人にも必ず辛いことや悩みはあります。
そうした試練や苦難を通して初めて知性や感性が磨かれ、霊的に成長していくことが出来るのです。
一見救いようがないほど悲惨な境遇に生まれてくる人もいますが、それは過去世のカルマの報いである場合も考えられます。蒔いた種は刈り取らねばならないのです。
先ほど話したHさんは、過去世で裕福な家庭に生を受けた事がありました。
彼女はあまりに大事に育てられたので、わがまま勝手な性格になり、贅沢にふけり、貧しい者を蔑むようになったのです。
ある日二人の幼児を連れた女乞食が彼女のところへ物乞いに来た事がありました。
人の痛みが分からない彼女は門番に命じて、女乞食と幼児をひどい目に合わせたのです。そしてその傷が元で女乞食と幼児は死んでしまいました。
その女乞食が今世のHの父親となって転生し、彼女に辛い思いをさせたのです。
カルマの影響
自分がなしたこと、思ったこと、感じたことの全ては何らかの結果を生み出し、その影響は輪廻転生を繰り返す中で、消えることなく続いていきます。
かつて冷酷で残忍な行為をした者はいつかは同じく無残な仕打ちを受けることになります。カルマの影響からは逃げることは決して出来ないのです。
誰かにひどい目にあわされて、その相手を憎悪し怨恨を抱き続けるならば、生まれ変わりを経るうちに憎い相手に復讐する事も出来るでしょう。
しかし、復讐をしたとしても、今度はいつかはその相手に復讐されてひどい目にあわされる事になるのです。
憎悪に対して憎悪で報いては、いつまで経ってもその悪循環を断ち切る事は出来ません。
悲惨で不幸な生は限りなく続いていくのです。その悪の輪廻(カルマ)を断ち切る事が出来るのは、思いやりと慈悲の心、そして、寛容なのです。
(すべてを愛しすべてを許す心)
憎い相手を許し、相手の立場を思いやる事が出来た時初めて、、不幸で悲惨な輪廻から開放され、霊魂は向上していくのです。
人を卑しんだり、軽蔑する想いはカルマ(業)となり、その想いを改めない限り、自分が軽蔑されるような待遇で生まれてくるようです。
覚者・知花先生の教えから抜粋ですが……♪
聖書の中にも書いてあります。
「生まれながらの盲というものは、それは彼の罪であるのか、お父さんお母さんの罪であるのか」という事が問われているのです。
これについては、例えば生まれながらの盲というものは、過去に於(おい)て人の目を潰した、人の目に傷付けて盲にした、そうすると
〈もしあなたが盲になったらどういう気持か〉という事を試練として、今、生まれながらに盲にされてしまいます。
これは「カルマ」です。自分の犯した罪です。そういうものの状態を皆さん方は知りませんから自分の泣き言を言うのです。
そして、その生まれながらの盲の子を生んでくれたお父さんお母さんは、どういうカルマを持っているかといいますと、過去に於て人様の盲を罵って、その子を生んだ父親や母親の気持ちが分からず、
「あなたは罪深い人だ。こんな盲の子なんかを生んであなたは業の深い人だ」と言って罵った人なのです。
罵ったとすると〈そういう立場に立ったらあなたはどういう気持か〉という事で、そういう子供のカルマを背負って、自分の家庭にその様な子供が生まれて来るのです。
これは旧約聖書にも書いてある「目には目を、歯には歯を」という事です。必ず自分の蒔いた種は実ります。(因果律の法則)
この前も顎を飛ばされたという交通事故がありました。それも偶然に顎の事故を起こしたのではないのです。これもカルマなのです。
過去に於て人の顎を棒や何かで叩き割ったとか、そういう罪を持っている時、今度は自分が叩き割られる立場に当たります。何故かと言いますと、人に与えた罪は必ず誰かを通じて自分に跳ね返って来るからです。
先ほど話したHさんも、この世に生を受ける中間世で、かつて自分がひどい仕打ちをした女乞食の生まれ変わりである人物を自分の父親として選んだことに、意味があったのです。
彼女は憎悪と復讐の輪廻を断ち切りカルマを解消しようとしたのですが、現実世界の試練の厳しさのために思いやりや慈悲の心をなくし、憎悪と怨恨のカルマをさらに積み重ねてしまったのです。
彼女は来世でも悲惨で厳しい境遇に生まれてくるでしょう。自分が自覚し、人生の課題を達成して悟りを得るまで、輪廻のカルマは続いていくのです。
何度も言うようですが、どんな境遇に生まれてこようとも、その責任は自分にあり、魂を向上させるか堕落させるかという事も、その人の由意志にかかっているのです。
【因果の法則】
この因果の法則は、普通に思われているよりも、ずっと複雑なのよ。だから、前世で人を殺したら、今世で人に殺される、というほど単純なものではないの。
もしそうなら、神の法則は 『目には目を歯に歯を』 という野蛮な法と変わらないでしょう。
そうではなくて、
大切なことは、人を愛すること、許すこと、人のためになることをすることなのよ。
そうすることで、かつてのカルマは解消されて、魂は成長をとげることができるのよ」(p.132)
唯一、「愛と赦し」によってのみ、悪因縁は差し替え解消が可能である。
因果の法則に基づく輪廻転生は、愛へと連なる人間の内的な学び、覚醒、向上のためにある。お金で済んでしまうのなら輪廻転生の意味がない。
許してあげればよいのです。
それは、この世の束縛(カルマ)から開放される秘儀なのです。
一番大事なのは、愛の実践です。愛し合う事です。全てを許し合う事です。
許し合えたらあなたは、許されるのです。
自分の罪を許して貰いたかったら、人々の罪を許しなさい。
全ての人の罪を、許してあげなさい。そうすれば、
あなたは全てから、許されます。私、神から許されます。
天上界のリーダー・覚者・
知花敏彦先生が語るカルマの断ち切り方
愛はすべての原点です
全ての原点は愛です。原点に帰るためには不調和では原点に帰れません。「神の国は愛の王国」といいます。「愛の王国は光明世界」です。
今の自分は熟成が高いか、感性が高いか、それとも低いかを誰が一番知っていますか。自分の完成は誰が高めるのでしょうか。自分以外にはいません。
完成を高めると人はよく言いますが、その完成が何であるかを知っている人は非常に少ないのです。不調和の人は未完成であり、調和の人は完成です。不調和の世界を闇の世界といいます。そして調和の世界は光明世界といいます。
では、この地上界は愛の世界ですか。不調和の世界ですか。今は不調和だらけの人間しかおりませんので、闇地獄というわけです。
愛の世界は光明世界です。ですから皆さんの原点は愛ですから、その原点である本性を現せばいいのです。
みな愛を宿しているのではありませんか。その大愛が全てを創り、大愛が全てに宿っているわけですから、愛がなければ具現できないはずです。エネルギーと質料が不調和でしたら、物は存在出来るのでしょうか。
霊は光なり
私達の肉体は水です。それを動かす力は霊的力です。肉体自らは無ですし、生きてはいません。
皆さん方は肉体を救おうとしますが、肉体は救えるものではありません。本来は「霊を救う」のですが、その魂も迷うものではありません。
皆さん方は魂に対しての理解力が非常に乏しいのです。魂は一切の力であり、一切の光です。一切の光というのは、霊光といいます。
「魂は光輝」といいますが、魂は闇ですか、光ですか、光です。これを内なる光といいますが、「内なる光とは霊光」をいいます。
皆さん方の肉体は受動体ですが、光である霊を受け入れたら、皆さんの受け身である肉体は闇となりますか、無明体となりますか。光体となります。
皆さんの肉体が光である光子体になったら災いは入りますか。入れませんか。
災いは闇ですか、光ですか、闇ですか。
「皆さんが愛そのもの」になったら、「愛という光」の世界に闇は入れません。
光という世界に闇が入り込めるはずがありません。類は類を呼ぶといいまして、闇は闇を呼びますし、光は光を呼びます。
光を呼び入れるためにはあなたが光でなければなりません。闇人間は色々の災いをどんどん引き付けます。光はどんどん良いことを引き付けます。
不調和は闇人間です
この世は未完成の世界です。あなたが完成して、今ここに存在していると思いますか。未完成だから生まれ変わってきたのですか。
未完成だから生まれてきました。未熟だから生まれてきたのです。
それを未熟の魂といいます。「未熟の魂とは不調和の人間」です。
「熟した魂とは愛の人」です。「愛の人とは光の人間」です。
この世には「光人間」と、「闇人間」がいるといえます。
「不調和だらけの人間は闇人間」です。
「愛の深い人は光人間」です。
光るものとなるか、闇となるかは、あなたの日常生活で決まります。毎日が不調和だらけの者や、誰かと喧嘩をしなければ気の済まない人もいます。
ですから、だれとも争わない絶対なる愛は絶対調和ですから、我々が愛しか知らない人間になったとしか、調和しか知らない人間になった時に、皆さん方は完成となります。完成です。
不調和で完成が出来ますか、出来ません。ですから、あなたの周囲のあなたの気に入らない人や嫌な人がいても、その人を憎むべきではありません。
罵ったり、けなしたり、非難したり、批判すべきですか。それは得をしますか。人を憎んだり、そしったりすることによって、あなたは得をしますか。損をしますか。損をします。なぜでしょうか。それはあなたが闇になるからです。
不調和な者は本人が気付くまで放っておくことです
あなたの周囲に嫌がらせをする人がいても、それにとらわれなければ良いのです。放っておけばよいのです。あなたがその人に愛を求めることが出来ますか、出来ませんか。その人をあなたが変えさせることが出来ますか、出来ません。
人の悪口を言って、人を良くしようとする人がいますが、それは良くなりません。そのことに本人が気付くまでは絶対に良くなりません。
そのことを責め立てたら、悪は増幅するだけです。一つでも責めたとするならば、余計に怒り狂います。怒り狂ったら闇は少なくなりますか、それとも増幅しますか。増幅するだけです。ですから放っておけばよいのです。
皆さん方が自分の周囲を明るくするためには、皆さん方が明るくすればよいのです。「人を変えよう」ではありません。
自分を変えようではありませんか。自分を変える事以外は周囲を変える方法はありません。特に夫婦間の問題はそのようです。
旦那さんが悪いから私はこうなのだと、奥様が悪いから私はこうしてるといいますが、誰かに責任転嫁をした方が楽だと思って、そんなことをしているのです。
「あの人のせいで私はこうなっている」とかいって、「責任転嫁をする自己保存の心」がいかに多いかといえます。会社においても同じ事です。
会社でお互いに責め合った時、そのことは無くなりますか。闇や闇で消すことが出来ません。悪は悪で打ち消すことが出来ないことを知らなければなりません。
不調和の世界を悪の世界といいます。調和を善といいます。ですから、この世の悪を克服するとは、この世の不調和を克服するとい意味です。
「悪に打ち勝つ」とは「不調和に打ち勝つ」という意味です。
私達の存在価値は愛です
この世を克服するための価値であり目的です
「我はこの世の無知と闇とを克服したものである」と、イエス様が言われました。
なぜ克服出来たのでしょうか。愛の他はないと思います。愛でもって克服出来ないものが世の中に存在するのでしょうか。
この世の悪はあなたの愛でもって克服されんがためにあります。
あなたがこの世の悪を「あなたの愛でもって克服した」時に、あなたは「克服者キリスト」になりませんか。
我は「この世の悪に打ち勝った者」だといえませんか。
その時皆さん方は完成です。では、今の自分が完成に近いか、それとも完成が遠いかを誰が一番知っていますか。自分が一番知っています。不調和か調和かの意味も分かります。
不調和の人や、妬みっぽい人や、怒りっぽい人や、そしりっぽい人や、嫉妬深い人間は完成に近いのでしょうか。未完成ですか。未完成ではありませんか。熟成が低いわけですし完成が低いのです。
毎日の生活の中で人を赦すことや
責めないことが不調和の克服となります。
皆さん方が今、学ぶことによって、どんどん完成が高まったのではありませんか。今までの性格がころっと変わった人が大勢いるのではないですか。今までは人を赦さなかったのが、今では赦せるようになった人が大勢いるのではありませんか。
私、知花の目の前でそんな話を聞く時がありますが、どうしてなんで赦し合いが出来ないのだろうと、悲しくなりますし、嫌になります。
なぜ闇を増幅するのだろう、なぜお互いに赦しあって仲良く出来ないのだろう。それが愛であるためには赦しが先決です。その赦しを先行せねばなりません。
人を裁くことによって良くなると思ったら、それは大間違いです。人を裁いて良くなった例はありません。
人から欠点をいわれて良い気持ちになる人はいません。では、その欠点をつつかないことが重要ではありませんか。人の欠点を探りだして、あの人はここが悪いとか、あそこが悪いとかいえば本人は喜びますか、怒りますか、怒り狂います。
「愛」であるためには
「赦し」を先行する以外は何もありません
「赦せる人」になることです。「愛」であるためには「赦しが先決」です。私は悪人になってもいいから、人をせめて良くするのだという人がおりますが、良くなりますか。人を責め立てて良くなりますか。良くなりません。
その人を批判し、批判したら、その人は良くなりますか、悪くなりますか、悪くなる一方です。
周囲を良くするためには、「あなた自身が良くなればいい」のです。あなたが良くなれば「あなたは世の光」となります。
「世を照らす光」になります。あなたの日常生活が「赦しと愛」であるならば「世の光」となります。「光そのもの」です。これを今日から実行してみたらどうでしょうか。
魂を向上させる人を赦す心が愛の心です
人を赦す心、愛する心、これこそ皆さん方の完成を高める秘訣ではありませんか。
自分は完成の高い者か低い者かと誰が知っていますか。そして、完成を低めるも高めるも誰次第ですか。自分です。
健康になるも、病気になるも、誰次第ですか、自分次第です。
ですから、自己治癒力とは愛のエネルギーでもって、神性エネルギーでもって、我々は、この世の無知と闇と悪を克服していくために努めねばなりません。
この清里の「安らぎの郷」が不調和の溜まり場だったら、この場所は闇の溜まり場になります。不調和の人が集まったら、ここは光になりますか。闇になりますか。
そして慈悲深い人が集まったらどうなりますか。光となります。これが正に磁場清めではありませんか。あなたが愛そのもの、光そのものになったら、あなたの行く所は全部が磁場を清めています。
愛の無い人が磁場清めが出来ますか。出来ませんか。真っ黒いものが真っ黒いものを消すことは出来ますか闇を被ったら磁場清めが出来ますか。
神官だといって何か白い服を着て、そんなもので家が清まりますか。土地が清まりますか。清まりません。その者が不調和であれば何の意味もありません。
愛は自力本願です
「神は愛」ですから、愛の人でなくてはなりません。「すべての原点は愛」ですから、天に帰るとは不調和の皆さん方が愛の皆さん方に帰ることです。神我は不調和ですか、愛ですか、大愛です。
それには「愛そのものになる」わけです。「真理の実践とは愛の実践」です。
不調和は神性でしょうか、非神理でしょうか。不調和は非神理です。愛の原理とか、愛の法則しかありませんから、あなたが不調和の時は愛の法則を犯しています。
では、「不調和とは罪」ですか、それとも罪ではないのでしょうか。
罪人とは「不調和の人を罪人」というわけです。愛の人を罪人というのでしょうか、どちらですか。
あなたが不調和を起こしている時は愛の法則を犯していませんか。能動と受動の法則を犯していませんか。犯しています。罪人・罪人といいますが不調和の人を罪人といいます。
ですから、「病とは罪の結果である」といえるわけです。罪を多く犯せば犯すほど病に掛かります。苦しみます。愛になればなるほど、健康になり、幸せになります。
「愛ある人は健康で幸せ」です。
あなた以外にあなたを救える者はいません。他力本願ではありません。自力本願です。完成を高めるのは愛を高める以外にはないと思います。
時々、私の目の前で争いごとを見る場合があります。
争っている人は大人ですか。子供ですか。まだまだ未熟だなと、争っているのを見れば子供の争いを見るような目で見ることが出来るのではないでしょうか。大人になっても争うのでしょうか。
子供は喧嘩します。それは未熟な者であるからです。大人が争っているのを見ますと、まだ未熟であるかと残念です。
そのような場面が私の目の前でも見受けられます。それをやっている人は、また、それなりに気付いて頂かなければなりません。
皆さん方は本当に自分から後光や、光や、力が出るためには不調和ではなく、調和の人になるように気付かねばなりません。
調和=愛の法則そのもの=罪なきもの=完成=幸せな人生に
不調和=愛の法則を犯している=業・罪=カルマの精算が起きる
愛と赦し=調和=愛=幸せ・健康=完成=中性=完全=光人間
恨み・憎しみ・争い=不調和=罪=病・災難=不完全=闇人間
愛と赦し=カルマの消滅=神の祝福=幸せなツイてる人生に
許さない・恨み・嫉妬=カルマの刈り取り(不幸災難)な人生に
調和人間=愛が深い人=愛の光そのもの=克服者キリスト=完成
不調和人間=恨み・嫉妬・責任転嫁=闇人間=罪人=未完成
調和=光明世界・愛の王国=愛・光・善=平安と安らぎ・至福感
不調和=無明世界・闇世界=未熟な愛=不安と恐怖・飢餓感・不足感
調和の人は熟した魂=自分を愛するがごとく他人を愛します=全一体
不調和な人は未熟な魂=他人を責めて非難します=分離意識
完全とは『美』をいいますがなぜでしょうか
あなたから不調和が無くなれば完成です。完成した時に皆さん方は祝福を受けます。未完成では神の祝福は受けられません。皆さん方が家を建築するのに未完成なのに祝宴を上げますか。完成祝いが出来ますか。出来ないはずです。
では、あなたは今、神の祝福を受けてる者ですか、神の祝福を受けていない者ですか。それは調和だからですか。不調和だからでしょうか。
あなたは不調和を美しいといますか、醜いといいますか。
不調和を、「これは不完全だ、美しいなあ」と言う人がいますか。
完全になってはじめて皆さん方は、『美』という言葉が出るはずです。
ですから、皆さん方が自分を美しくするも、醜くするも自分次第です。
全ては愛しか無いと思います。愛の他はありません。なぜかといえば宇宙には愛しか無いからです。愛のみが絶対実在となります。
では、皆さん方の考えている不調和は実在するものでしょうか。実在しないものです。不調和とはなんでしょうか。実際にあるものでしょうか。無いものです。
実在しているものは愛だけです。どこに不調和があるのでしょうか。どこから不調和が探せますか。無いはずです。
ですから、皆さん方はその不調和を認めてはなりません。不調和は認めるべきですか。認めるべきではありません。認めるとその不調和にあなたが力を与えることになります。善悪の心とはその意味です。
善なる心があるだけであって、悪なる心は本来ありません。
「絶対善があるだけ」です。「絶対愛があるだけ」です。
善の心もあって、悪の心もあるというのは本当でしょうか、嘘でしょうか。悪なる心は実在するのでしょうか、実在しません。
それは幻想であり、幻想です。悪とはすなわち幻です。
「実在しているのは愛の光だけ」です。
悪を認める者のみ悪があり、悪を認める心が悪に力を与えます
あなたが本来知っているのは「神の愛のみです」。そのようにいえる皆さん方にならなければなりません。
善悪を認めるが故に善悪の世界になってしまいました。絶対善しか認めない者にどうして悪が生まれてきましょうかといえます。
善も認め、悪も認めたから、善悪の世界として、今この地上界が存在しているのではありませんか。善もあって、悪もあるのでしょうか。
実在する悪はありません。絶対善があるのみです。絶対愛があるだけだと思います。
その他の悪はあなた方の妄想にしか過ぎません。迷想にしか過ぎません。それらは信ずる心がそれらを生み出しただけですし、悪を認める心が悪に力を与えたわけです。
悪が熟してきますと善になります
皆さん方は絶対なる愛でこの世の悪を克服していかねばなりません。愛こそ実在である境地です。絶対愛の境地です。ですから、皆さん方は悪を見たとするならば、まだまだ愛に目覚めていない状態です。
「この世の悪とは何かといいますと、まだ熟していない愛」だと見て下さい。
どのようにしてこの世の悪を見ることが出来るかと言いますと、
熟成の低い善だと、まだまだ熟していない者たちだと見て結構です。
悪が熟してきますと何になりますか。善になります。
ですから、悪が多いのはまだまだ未熟だと言えます。
不調和が多いとはまだ未熟だといえるわけです。不調和の人間の事を未熟の魂といい、そして「調和の人を熟した魂」といいます。
真実(全一体・全ては神)を知った時
『自分を愛するが如く人々を愛します』争いはなくなります
あなた方はまだ、外側で物を考えがちです。外観でものを考えがちです。真実を見ようとしないからです。この世で本当のことを、真実を知ってしまえば、争いません。
『自分を愛するが如く人々を愛します』し、調和します。
あなた方が真実を知らない間は争いはこの世から無くなることはありません。非真実の中に生きている者のみに争いがあります。
神理を知らない盲人や、無知の人のみに争いはあるのであって、真実を知っている人間に争いはありません。
真実を知ってもなおかつ争うのでしょうか。誰かの悪口を言うのでしょうか。言えないはずです。誰かを憎むのでしょうか。憎めないはずです。嫉妬は出来ないはずです。
この真実について、皆さん方は正しく見ることから初めて下さい。外側の結果で、あなたはこれをみかんだと見ているなら、あなたは正しくものを見ていません。
ミカンは外側からみればミカンです。
内側から観れば神です。全てに神が宿っています。
あなた方は人間だと見ているなら、正しくものを見てるのでしょうか。
「一人一人の中に神」を見なければなりません。
「内側を観れば神」ではありませんか。「内観すれば神」ではありませんか。
外側を観れば結果ですから、人間となるのです。
しかし、その「原因である神」と「結果である人間」とは「一体」ではありませんか。一体です。
「人と神とは一体」であり、「人は神の中」におり、「神は人の中」に留まりたもう。
正しく見るとは内側で心を開いて
ものを觀ることが正しく見るという意味です
「原因と結果は一つ」です。原因と結果が分離して存在できますか。原因のない所に結果が存在できますか。
原因が一切の結果を生むのです。ですから、神は第一原因者だといえるわけです。
神を観なさい。なぜ結果だけを見るのでしょうか。あなたの肉の目は結果だけしか見えません。真実は見えません。心の目を開きなさい。
今日こそ開きなさい。真実を觀る(全てに神を観る)ようにしなさい。正しく見なさい。
あなた方は今、正しくものを見てません。内側でものを觀ることが正しく見ることです。真実を觀ることが正しく見ることです。
外を見れば非真実です。内側で心を開いてものを観なさい。私に心を開きなさいというのはこの意味です。
あなた方の心の扉は閉ざされています。それ故に外側でものを見ています。
「内側を観れば全てが神である」ことを知ります。
「全てに神を観る」であろう、『神が観たまうが如く、私は観たのである』という言葉を体験するであろう。
真実を知らない者がどうして神理が語れましょうか
私、知花からみれば、皆さんの中に神が観えます。あなた方は全て人間だ、動物だ、鉱物だと見ていますが。
私は「全てのものに神」を觀ます。それが「内観」です。正しくものを見るという意味です。真実を見るという意味です。
真実が観えなければ、真実を語ることは不可能です。皆さん方は非真実を見て、非真実を語って生きています。
それは全て偽りです。偽りの自分が、結果の自分が、真実を知らない者がどうして真実を語り得ましょうかと言いたいのです。
真実を知っている者のみが真実を語ることが出来ます。真実が何であるか分からないで、真実をどうして語れましょうかということです。
すなわち神理を知らぬ者がどうして神理を語れましょうかと言いたいのです。
皆さん方も神理を知らないで神理を語る事が出来ますか。神理が何であるか分からない者が神理を説く事が出来ますか。
神理は空想の産物ですか、それとも真実ですか。いかに神理を空想して、幽想しているか、推測しているかといえるのです。
私たちの心臓の鼓動や動悸が神のバイブレーションです
我々は神から直接に、ご加護を頂いているのでしょうか。それとも間接でしょうか。直接にご加護を頂いています。
「あなたの中に神はおられる」のであって、神棚の中から間接的に頂くのではありません。今、あなたを管理している神がおらなければ、即、あなたの肉体はストップします。
あなたの心臓の鼓動の一つ一つが神の鼓動ですし、宇宙のバイブレーションですし、神の息です。
我々の中で息をしているのは誰ですか、あなたですか、それとも神ですか、神があなたの中で息しているのであって、あなたが息しているのではありません。
「息は宇宙には一つ」しかありません。
そして、命は一つしかないのに、命が3つも4つもあるはずがありません。我々の心臓の動悸も全ての動悸も同じ動悸でその一つ一つが宇宙のバイブレーションです。それが神との一体観です。
そうした時に皆さん方のバイブレーションは宇宙の神のバイブレーションと同じ周波数を放射します。そうすることによって、皆さん方に変性変容が起こります。
「変性変容とは神との一体観」です。
「自分の心臓の動悸そのものが神の心臓の動悸」です。
(神の)鼓動であることを自覚することによって、私たちのこの肉体の粗雑なバイブレーションが宇宙のバイブレーションと一体となって、
一秒間に一兆八千億という精妙な鼓動を体験いたします。
生命をキリストといいます
迷っている人とは肉や血を己として生きている者です。真のあなたは血や肉でしょうか、それとも生命でしょうか。
『我、生命なり』と、我は血や肉ではないのだといえる己として、はっきりと生命の自覚ができた時に、皆さん方は一切の悩みや、苦しみから開放されるのです。
自我(分離意識)で生きている限りは、自我は罪であり、病であり、死です。
神我は罪を知らず、病を知りません。生命である神我こそが唯一の救い主であって、唯一の道であるといえます。
ですから、『キリスト』を受け入れよと、キリストを受け入れない者は、生命を受け入れない者です。その者に救いはありましょうか。
生命キリストが唯一の救い主であることを知らなければなりません。キリストとは今のキリスト教のいってるキリストのことを意味しているのではありません。
あなた方の『真我のことをキリスト』と私は呼ばせて頂きます。あなた方の『生命のことをキリスト』と呼ばせて頂きます。
生命こそが唯一のキリストではないでしょうか。唯一の神ではないでしょうか。唯一の神理ではないでしょうか。その他に神や神理があった試しはありません。
生命は非神理でしょうか。神理そのものでしょうか。生命を知ることが神理を知ることです。生命を知ることが神を知ることです。それが己を知ることとなります。
あなたは生命であるから『我は神理なり』とあなた方はいつか言うであろうと、『我、神なり』というであろうと、『我、生命なり』と言うたらよかろうと。
そのように真のあなた(真我)であることに目覚めていただきたいのです。
「全ては神=我神なり」という真理♪
意識の進化=愛の拡大=分離意識の克服=
我は全体なり・全体我なり=全一体・自他一体=
全ては私=全ては一つ=全ては一つの存在の現われ=
宇宙は一つの生命体=全てに神(宇宙生命)が宿り給う=
宇宙は神一様=全ては神の中の存在する一つの存在=ワンネス
全ては永遠に一つの存在=全ては一つ=全ては私=全ては神
全ては今この瞬間しか存在しない=全ては永遠に一つの存在=
永遠の始まりである神の御心のみが実在=今即天=今即実在=
大愛・宇宙生命・神の一人子である神我キリストのみが実在=
全てはこの瞬間に存在する宇宙生命そのもの=全ては神そのもの=
全ては神ご自身=神一元・愛一元・光一元=宇宙即我=我神なり
調和=愛の法則そのもの=罪なきもの=完成=幸せな人生に
不調和=愛の法則を犯している=業・罪=カルマの精算が起きる
愛と赦し=調和=愛=幸せ・健康=完成=中性=完全=光人間
恨み・憎しみ・争い=不調和=罪=病・災難=不完全=闇人間
愛と赦し=カルマの消滅=神の祝福=幸せなツイてる人生に
許さない・恨み・嫉妬=カルマの刈り取り(不幸災難)な人生に
調和人間=愛が深い人=愛の光そのもの=克服者キリスト=完成
不調和人間=恨み・嫉妬・責任転嫁=闇人間=罪人=未完成
調和=光明世界・愛の王国=愛・光・善=平安と安らぎ・至福感
不調和=無明世界・闇世界=未熟な愛=不安と恐怖・飢餓感・不足感
調和の人は熟した魂=自分を愛するが如く他人を愛します=ワンネス
不調和な人は未熟な魂=他人を責めて非難します=分離意識
イエス様は「愛は天と地の架け橋」とおっしゃられました。その愛とは「許しの到達点」である「慈悲と愛」で御座います。
真の意味で貴方が、その「許しの到達点」の境地に到達した時に、自ずと「天である神」と「地である貴方」との架け橋が繋がる事でありましょう。私は実体験からそれが実際にありえると確信しております。
愛は天と地の架け橋 この愛の理解と体得が神様と繋がる鍵♪
神・大愛(天)……全てを活かす愛・慈悲と愛・すべての形態を形作る力・意識を与えて下さった魂の根源・真の親・すべてを活かし育む力、縁の下の力持ちで全てを愛し慈しむ無償の愛・無限の愛・すべてに意識を与えて下さった天の父であり天の母である中性エネルギー・真の親・愛を表現する為に…無限の創造をなさっている慈悲と愛そのもの
神の表現体(地)……神が神を愛する為に生まれた存在・神の化身・愛の化身・神の表現体・神の中に創造された神・個別化した神としての自覚に覚醒めた我・滅私して神の道具意識を自覚している我・自分が神ご自身だと悟った我・愛を表現する為に生まれた事を自覚している我、全てを100%の愛で愛する我、自分と全てが神以外の何者でもない事を自覚している我
第六密度以上の高次元存在が語る
「許し」というものが、カルマの輪を止める事になるお話
★ コーリー : 多くの人々が現生のトラウマだけでなく、過去生のトラウマにも対処しているところなのです。
今、地球に生まれて来ている多くのライトワーカーは、援助の為により高次元や、上の密度から降りて来た人々です。
現生が初めての人でも、高次の美しい場所からここへやって来た人にとっては、ここでのトラウマは10倍酷(ひど)く感じられるものです。
そして、長期に亘(わた)って輪廻転生を繰り返して来た人の場合は、更に解消しなければいけない過去生のカルマが加わります。
しかし、ブルーエイヴィアンズから言われたのは、トラウマを特定し、自分にトラウマを与えた人や自分自身を許すこと、
そして、この”「許し」というものが、カルマの輪を止めることになる”ということです。カルマがなくなるんです。
これは、エネルギー的なものです。
「カルマとは」負債を支払うようなものではなくて、
「許してエネルギーを解放するもの」なんです。
カルマとは宿題・魂の課題・許しによって消滅♪
………………………………………………………
「許し」を心から実践=カルマの輪を止める=カルマがなくなる♪
自分にトラウマを与えた人や、自分自身を許す==
==魂の課題を克服=カルマが消滅♪
許す事によってエネルギーを開放=カルマの克服・解消に♪
ケイシーリーディングから…♪
全身全霊で「神を愛する」大切さ
「神を求める祈り」をする大事さのお話
エドガーケイシーは、宗教生活についてそのもっとも美しい表現の中で、この事を次のように語っています。
「あなたがたは心を尽くし、思いを尽くし、体を尽くして汝の神なる主
(大生命・内在の神)を愛し、隣人を汝の如く愛するのである。
このキリストの与えた言葉が法則の全てである。
それに優るものは存在しない。
主が約束されたように、あなた方は
来る日も来る日も明想し、「祈りゆく」うちに到来するあの目覚めによって、
主(宇宙生命)が自分の意識の中に留まられる事を知る事が出来る
(神我が中にまします・父と子は常に一体)。
あなた方はこの目的のために、
主が臨在し、その御霊(キリスト)があなた方の中に留まるあの意識を、
あの自覚を讃えるために生まれてきたのである。」
●自我・偽我 =表現者、原因である父なる神を忘れている状態(放蕩息子の状態)神理を知らない状態・自分の力で生きていると思って迷っている状態、肉体の己を自分と思っている我、分離感・分離意識で個別化された表現を別個の存在と認識している我・分離意識・エゴ・肉の感化、五感の感化を真実と錯覚している我・迷いの影、幻、幻想(マイヤー)・自己保存、自我我欲の心
●真の自己(真我)=父なる神と常に一体の境地・ワンネス意識・全一の意識・神我キリスト、全ては自分、全ては我、全ては神、全てを愛する我に目覚めた状態・宇宙生命によって生かされている事を自覚して実感している我・私が生きているのではない、なるほど一つの生命である神が生きていらっしゃる、全ての知恵と力は神から与えられている、神の中身は神、全ての全ては本質的には神、神のみが生きてらっしゃるんだなと悟った我・神一元・愛一元・光一元・我神なり、全ては神なり、全てに神を観る境地・神は生命(霊)なり、我も生命(霊)なりの自覚・宇宙即我、キリスト意識・高我・実在・全てを愛し全てを許す境地・慈悲と愛・あなた即私・私即あなた・宇宙エネルギー即自分・無限即我・不変不動の絶対なる実在・普遍なる宇宙・無限者・宇宙神
FC2版の広瀬すずちゃんの横顔になる方法の記事です♪
身長を伸ばす記事も追記してみました♪
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