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正真正銘の本物のイエス様が語る 性エネルギー・結婚の正しい解釈秘話をご紹介♪イエス様ご本人が語る結婚・性エネルギーの真の意味合い♪歪められていない真実の教え♪全キリスト教徒必見♪自分が神であると自覚する人が真の伝道者♪

新山上の垂訓 助安由吉 から引用させて頂きました♪



正真正銘の本物のイエス様が語る
性エネルギー・結婚の正しい解釈秘話をご紹介

 今回は、あの世界一有名な「イエス・キリスト」、すなわちイエス様ご本人が直々にご講釈をして下さっている、素敵なお話をご紹介させて頂きます。

 怪しいチャネラーが交信したのではなく、天上界から派遣された12人のキリストのお一人であられる「助安由吉さん」という方が、明想中に、光一元の意識状態の中で、イエス様から受けたメッセージという形になります。

 天上界から派遣された12人の中には、知花敏彦先生や、上江洲義秀先生もおられます。
 な~るほどぉ♪そういった一番信頼できる系統の方なのね♡♪…という認識をして頂ければ幸いであります。

 私自身、こちらの内容から本物ならではの高貴な波動を観じまして、100%信頼できる情報と言って差し支えないでしょう…と判断させて頂きました。

 それでどうしても、この最高に素晴らしい内容を、人類の皆様にお披露目したいと…そう思った次第なのです。

 前に記事にした「性エネルギーという贈り物」の記事と完全にリンクしており、その内容の正しさを裏付ける内容となっております。

 私の性エネルギーに対する新解釈が、全くもって正しいと分かり、大変感激・大歓喜しております。
「イエス様の真実の性解釈」は私の結論と全く同じものでしたので。

 今回のお話は、知花先生や上江洲先生をご存知の霊性の高い方々でしたら、何の違和感もなくすんなりとハートにストンと落ちて、深い真理の理解にして頂けると確信しております。

 これからも、こちらのご著書をチマチマと書き出してゆくつもりでおりますので、乞うご期待下さいませ。
 この本の内容があまりにも良すぎて、ブログのネタにはしばらく困らなそうです(笑)

 最後に、私を神の道具としてお使い下さる、偉大なる心から愛する「創造主・父なる神」に心から感謝申し上げます。

 神の御使いとしてお使い頂ける最高の栄誉に対しても、感謝の気持を忘れず、日々、神様を愛し…神様に感謝する気持ちを永続的に持ち続けられる…そんな自分でいられるよう、日々精進し続けます。

 いつもブログをご観覧して下さる、偉大なる「光の求道者」の皆様にも心から感謝申し上げます。皆様が見て下さるからこそ、気持ちも高揚して続ける事が出来るからです。本当に有り難いことです♪感謝♪感謝です♪



愛は天と地の架け橋Ⅰ⇐リンク先でイエス様のご講話が見れます♪

初めにイエス様の内容を軽くまとめてみました♪

世間から離れての修行は、逃避の修行で間違い

●「思っただけでも淫乱なり」と言ったのは誤り。真実は全く逆
性を持った人で異性に興味を示さないことなど、全く不可能

●教会の「異性を感じるものはすべて罪」は誤り

性を閉ざしての修行は、かえって悪い方向に進んでしまう

●性を無理に抑える事は、魂の修行としては失敗に終わります

●性は抑える事は、出来るものではありません

●愛情表現(性行為等)を制限する方が大きな問題であり
●それを薦める人々はもっての外・とんでもない事・間違い

●生の交わり(性行為)も罪な事ではありません
●もちろん一人での性行為も罪な事ではありません

●男女の両性の調和、これこそが地球人類の調和
●性を抑えれば抑える程、頭をもたげてくる

●ひとり一人の内にこそ神がおられます
自分が神であると自覚する人が本物の伝道者



結婚について (イエス・インマヌエルより)

 この地球という天体においては、魂の修行が生きる目的であります。俗世間から離れての修行は逃避の修行になり、大きな成果を上げることが出来ません。

 私の時代は大変な時代でしたので、私と12人の仲間は妻帯をせずに真理の電動に力を入れてきました。

 しかし、あれから二千年も経とうとしています。状況は全く変わってしまいます。伝道者は必要ですが、教会堂中心の聖職者は全く必要がありません。

 いない方が地上人類の平和に寄与する事が出来ます。それと神父と言われる人、修道女と言われる人の結婚をすすめます。

 現在のように性を閉ざしてのものは、本当の修行にもならず、かえって悪い方向に進んでしまうからです。人間の本能の中でも、食欲についで大きなものです。

 これを抑える事は、出来るものではありません。もしこれを抑えたとすると、魂の修行から言いますと、アンバランスのものになります。

 本来円満な修行でなければならないのに、いびつな円になり魂の修行としては失敗に終わります。

 世の中には男性と女性しかいません。この2つの性のバランスを欠いているものは、全て失敗の人生となります。

 性を抑えれば抑える程、頭をもたげてくるのものです。また教会では異性を感じるものはすべて罪であるとしています。

 また私が思っただけでも淫乱なり」と言ったとされていますが、真実は全く逆です。

性を持った人で異性に興味を示さないことなど、全く不可能です。

 男女の両性の調和、これこそが地球人類の調和になります。神父さんが妻帯し、修道女が結婚して良き伴侶と共に仲良く生きてこそ、素晴らしき魂の修行が出来るのです。

 一日も早くこのような日が来ることを、私は願っています。結婚は悪いことではなく、生の交わりも罪な事ではありません。

 地上に肉体を持ったなら、(愛情表現は)当然の成り行きなのです。
(愛情表現を)制限する方が大きな問題であり、それを薦める人々はもっての外という事になります。

 神に仕える神父というのも、全く不思議なものです。神に仕えると言っても外には神はいません。

 ひとり一人の内にこそ神がおられます。そうしますと、ひとり一人が神父であって特別な人は必要ではなくなります。

 だから神父も修道女も必要がないのであります。必要なのは、自分が神の子であり、自分が神であると自覚する人であります。

 この様な方は、教会や指導者と言われる人から、言われなくても自分の内側からの導きで自然に動きます。

 これが本物の伝道者であり、神の子としての生き方なのであります。

(1991・12・15・11時20分、アルベル山にて)


私の「性エネルギー」に対する結論のお話ですが…♪


人類のお悩み「性欲・情欲」の正しい理解
性エネルギーという贈り物の正しい解釈のお話

 真理の追求者の方々の、特に男性の方の一つのお悩みとして、情欲、いわゆる性エネルギーの問題があげられます。私自身も、どう扱えばいいのか、試行錯誤したり、悩んだ時期もございます。

 ですが私も、このバーソロミューさんの「性エネルギーという贈り物」を50回ぐらい拝聴して、完全にそのお悩みも解消する事が出来ました。

 私の結論は「性エネルギーは、尊い素晴らしいポジティブエネルギー」というものであります。

 単に、その使い方が問題なだけであって、その「性エネルギー」自体には何の罪もありませんし、ネガティブな要素など微塵もないという事は、自分の実体験の色々な気付きからも確信しております。

 魂の法則でも、「性関係を自制すれば神に近づいたりより純血になれる」とイエスが公言した事は一度もない。と論破されておりますし、また、「進歩した魂にとっては、親密な愛の表現方法だ」とも仰っておられます。

 という意味でも、「性エネルギー」自体は何の問題もなく、高次元な宇宙人さん達でも、普通に清らかに「性関係」を行使されているという事でしょう。

 要するに、その「使い方・想念の在り方」が大事なのであって、「性欲・情欲」自体には、なんのネガティブな要素はない…というのが私の結論であります。

 覚者・知花敏彦先生も、情欲は、プラスがマイナスを求める働きであって、神我一体の境地になれば、「+と-」が完全に中庸のバランスになって、自然と情欲がなくなるんだから、

「+と-」のバランスが出来ないうちに、無理して禁欲をして、精液を(ためて)ぶちまける事はしなくていい…みたいなお話があったように記憶しております。
(詳細な部分が違ったらごめんなさい)

 覚者・上江洲義秀先生も、「あの人は美しい、綺麗」は、別にいいけど、「あの女性と寝たい」とかは良くないと仰っておられました。まさにその通りでありまして、大事なのは、その「想念の在り方」であり、「性エネルギーの使用方法」だと思うのです。

 私も、その想念の在り方で、色々体験・経験したのですが、その中で学ばせて頂いたのが、その美しいと想う相手の女性に対して、何かをしたいとか、不倫でもしようかとか、

実際に影響を与えて、迷惑をかけるアクションを起こそうとする想いは、いわゆる「カルマの上塗り」的な感覚になるという事です。

 これは、守護の神霊の方々の叱咤(汗)や、そういう想いになった時に、自分の周りの波動が曇った感覚に陥ってしまった体験から、ほぼ間違いないと認識した次第です。

 お恥ずかしい話ですが、人間は多少の間違いをおかしながら、成長していくものですから、それはそれで、申し訳ないと反省しつつも、それは魂の成長の一つの過程として、前向きに捉えて、いい経験をさせてもらえたなぁ…と、そんな感じで捉えております。

 誰だって、「情欲・性欲・性エネルギー」は持っておりますが、それを一人で行使する時も、美しい愛に満ち溢れた境地で使えば、それは何の問題もないどころか、

その行為が、心が清らかになる「美しい愛情行為」になって、疲労もあまり感じず、心も清々しい生きてる喜びに満ち溢れた爽快感だけが残る…そういう高い愛の表現方法に変わってまいります。
 これは実体験から観じた事柄であります。疲労感が殆どない感じになります。

 心を磨けば磨くほど、「性エネルギー」の行使が、喜びと爽快感だけが残る、幸せの局地のような、神様が望まれている、美しい清らかな「愛の表現方法」として完成していく様であります。

 私は、「性エネルギー」を使用することを、「罪」「カルマ」「ネガティブな行為」と受け取る事は間違いであり、その考え方自体が、神様に対する間違った考え方だと認識しております。

 もし「性エネルギー・性欲」というものが、「罪」なのだったら、この宇宙全体のあらゆる生物が罪の行為から生まれたものであり、愛の行為自体が罪であり、

虫さんから動物さんまで、全ての存在が、「罪」というものを背負っている、という、もう創造主に対して、失礼極まりない考え方になると思うからです。

 どうして創造主である神が、「愛情表現」「性エネルギー」自体を、「罪」とみなしましょうか。そんなおかしな話はありません。あくまでも使い方が問題なのですね。

 性エネルギーを「本能」といって、まるで「愛情表現」自体を良くない行いのように、語る方もおられます。

 大変申し訳ないのですが、「宇宙の法則である神」がお創りになられた、偉大な繁殖システムの何がいけないのでしょうか。

 その「本能」で生きてる動植物たちの何が問題なのでしょうか。「本能」が「間違った行い」や「罪」とでも言いたいのでしょうか。非常に疑問です。

 私はその動植物たちの「愛の行為」を「愛おしい」としか思いませんし、「本能」で生きている動植物たちを、「神の愛の具現」で「尊い存在」と認識しております。
「本能」だから間違いとか罪とか、などホコリ程も思いません。

 神様が創造された偉大なシステムを否定して何が真理なのでしょうか(笑)、と私は言いたいのです。

 「性エネルギー」自体は、「完全なる神の愛」であり、「神の愛の贈り物」、「ポジティブエネルギー」そのものではないでしょうか。

 もし霊性進化と「性欲を悪者にする思考」をセットにする教えが、仮に真理ならば、人類が真理に目覚めた瞬間に、人類が愛情行為をしなくなり、人類が滅亡してしまいます。

「魂の法則」で語られている通り、こんなおかしな話はありません。ですから、これは真理ではありません。

 全智全能の創造主であられる神が、ネガティブなエネルギーなどをお創りになるなど、もちろんありませんから、情欲・性欲自体は、「ポジティブエネルギーで聖なるもの」です。

 例えば、包丁を使っている職人さんがいるとします。「包丁・刃物」自体には何の罪もありませんよね。
 ですが、使い方次第で、最高の芸術作品にもなり、最高の芸術性のあるお料理にもなります。それはポジティブエネルギーとして使われたという解釈になります。

 その一方で、使い方を誤れば、人を殺めたり、傷つけたりしてしまう事もあります。それはネガティブなエネルギーとして使われたという解釈になります。
 
 その様に「性エネルギー」自体は何の罪もありませんし、その元の本来の状態は、「神からの祝福のプレゼント」であり、ポジティブエネルギーそのものだとも言えましょう。
 バーソロミューさんはその様に仰っておられました。

 ですから「性エネルギー」を使うこと自体が悪いという事は決してないのですね。
私はもう、その「性エネルギー」について、全てのお悩みが解決しておりまして、

バランスの取れた中庸の思考で、神様から与えられた素晴らしい「性エネルギーという贈り物」を、神様に感謝の気持ちを持って、ありがたく使用させて頂いております。

 もう「性エネルギー」に対する罪悪感など微塵もありません(笑)。性欲を抑制する事と、悟りとは、何の関係もないことを熟知して深く理解しているからです。

 ここ辺りは、賛否両論があるとは思いますが、それは無意識のうちに、キリスト教的な禁欲的な価値観である、間違った古い考え方に支配されている方が多いからだと推測されます。

 日本人は本来、性に開放的な民族でしたし、正しい最先端の解釈で捉えれば、私の結論が正しいとご理解して頂けると確信しております。

 あの有名な、「小林健さん」も、高い精神性と素晴らしい超能力をお持ちの方ですが、普通に奥様と愛の行為を堪能されていると、ご著書で伺ったことありますし、韓国随一の霊能者でもあられる、安東民先生も、普通に奥様と「愛の行為」をされているとの記載がありました。

 もし「性エネルギーの行使」と「超能力」が反比例するものでしたら、そのお二人の超能力は、消えてなくなってしまうのではないでしょうか。ですが、実際には何の影響もない事は明らかです。

 そういう意味でも、「性エネルギーを行使する」事と、「魂の成長の影響」は、何の影響もないと結論付ける事が出来ると思うのです。

 身口意を正したり、洗心したり、真理を深く理解したり、愛を高めて高い霊性に磨き上げる事が大事なのであって、「性エネルギー」を抑制する事は特に意味はないという事ですね。

 また、アミ小さな宇宙人でも、性行為はもっと自然で自由なものだと書いていた記憶があります。高度に進化した宇宙人でも、性行為は、「親密な愛情行為」だという訳です。

 私自身、性エネルギーについて悩んで、性欲を抑制しすぎて、自分を縛る事で、うつ状態になりかけた事も御座います。
 そういった経験を経て、抑制すればいいもんじゃないんだなぁ‥って学びましたし、色々試行錯誤の繰り返しで、この究極の結論にまで到達する事が出来ました。

 ただ、誤解しないように付け加えますと、「性エネルギーを行使する」とは言っても、今日はあの人と、明日は別の女性と…みたいな、そういうモラルハザードな事は絶対にしてはいけません。
 二人でするというのは、カルマ的にはあまりお気軽にするのは止めておくべきでありましょう。

 あくまでも、「一人で」中庸のバランスの取れる範囲で、程々に「性エネルギー」を、心の中の妄想中でも、好きな人の幸せを願い、心から愛してる、という感じで、美しい愛の…愛おしさを感じながらする…のが問題がない、という事で御座います。

 その「一人で」「性エネルギーを行使する」時に、清らかな愛おしさを感じる愛で、愛おしい愛で行使する時は、その「性エネルギー」というものは、

それはそれは、何とも言えない「最高のエクスタシー」と感じまして、それがある意味「神の祝福」なのかしら…と、いう風に感じた事も御座います。

 その「性エネルギーに対しての罪悪感」というものを払拭して、真の意味で「性エネルギー」というものを理解できた時に、貴方も、その神の祝福としての「性エネルギー」を縦横無尽に発揮出来るようになり、

 優雅に綺羅びやかに、スマートに、清らかに爽やかに、一瞬一瞬を喜びに満ち溢れた、生きている喜びの実感の最高のエクスタシーとして、疲労感もなく、愛で満たされた至福の境地として、「性エネルギー」は「神の祝福」なんだなぁ…って、観じて頂けるでありましょう。

最後に、分かりやすく簡易比較で表してみますと、


性エネルギー自体は神の贈り物 愛のエネルギー 正解 ○
性エネルギー・情欲・性欲自体がネガティブなもの 間違い ☓

高次元な宇宙人も普通に愛情表現をしています 正解 ○
性欲を自制しないと高次元な宇宙人になれない 間違い ☓

進歩した魂にとっては、性関係は親愛な表現方法 正解 ○
性関係を否定しないと進歩した魂になれない 間違い ☓

愛情表現をしながらでも普通に高い次元に行けます 正解 ○
愛情表現自体を否定するという人類が滅亡する教え 間違い ☓

性欲自体は神からの贈り物で神の愛 正解 ○
性欲自体が罪であり存在してはいけない 間違い ☓

動植物が神の本質である愛を自由自在に表現している 正解○
動植物を本能で生きている下等生物だと見下す 間違い ☓

愛情表現は美しい愛で正しく使えば、それは神の祝福 正解○
性欲自体全部が本能で罪だから、全て克服するべき 間違い ☓

 
「魂の法則」から、性が罪深く、性関係を慎む者がその他よりも純血で高潔だと信じるのは誤りだ、からの引用ですが……


※性が罪深く、性関係を慎む者がその他よりも清潔で高潔だと信じるのは誤りだ、とも言われましたよね。

 その通りだ。司祭であろうと僧侶や修道士であろうと、宗教家に貞潔を誓わせたその様な概念を、どこから引き出して来たのか知りたいものだ。

※イエスが示してた手本によるものだと思いますが。

 君たちはイエスに性関係がなかったと断言できるほど、イエスの私生活を知らないではないか!
 性関係を自制すれば神に近づいたりより純潔になれるなどと、イエスが公言した事は一度もない

 例え本当であっても、全人類が生涯にわたって性関係を控える決意をしたら、120年以内に地球から人間の命は途絶えてしまうであろう!

「生めよ増やせよ」という事と矛盾してしまう、と思わんかね?もし君たちが、性関係以外の増殖法を知っているとしたら、お教え願いたいものだ。過去の時代には、試験管で受精させるなど不可能だったのだよ!

※あなたのお話から、性関係はいつも増殖のためでなければならないと理解するべきでしょうか。

 もちろん違う。もうそれについては十分話しただろうに。進歩した魂にとっては、性関係は親愛な表現方法だ

 それと全く異なるのは、性欲を満たすために、あらゆる手段を用いて自由意志が侵害される場合だ。

 特に女性や子供と言った最も弱い者が性商売(売春や小児童性犯罪の事だ)に従事させられたり、君たちの世界ではよくあることだが、
実際には愛してもいないのに愛していると言ったりして、セックスのために、あらゆる方法で人を操り嘘を付く場合だ。

 イエスはこのような事を全て、告発したのだ。その時代には女性は、性も含めた全ての面において、奴隷に毛が生えた程度に見なされ、実質的には何の権利も持っていなかったのだよ。

 男どもは、誰にも文句を言われずに好き放題で、女性は、男性の権力の乱用を、宗教の加護にすがって耐えねばならなかった。
 たとえば、離婚され、他に生き延びる手段がないために、売春を強いられた。

 イエスは女性の権利を守るために、大いに闘った。女性を性奴隷と見なすことを止めさせ、彼女たちを咎める者を叱咤し、その惨めな状況は男性のせいなのだと分からせようとした。
 しかし、教会がそれら全てを、性を卑しむ詭弁にすり替えてしまったのだ。

 
 後は、この記事の下の方にある「性エネルギーという贈り物」をご拝読して頂ければ、もう完璧に理解して頂けるでありましょう。
 もうこれから貴方も「性エネルギーという贈り物」を正しく喜びを持って、ご活用していけるはずです。

 真理の追求者の皆様の「性エネルギー」に対するお悩みの解消に役立てて頂ければ、私にとって至上の喜びであります。


セックスについて

この世の中に
男と女がいる限り
セックスという行為がある
これは善でも悪でもなく
自然現象としてある

人間の五官は
人間が作ったり
人間が削ったり
人間が勝手にすることはできない

セックス行為も
大きなウエイトを占める五官の中の
触覚である
この触覚に対して
偏見を持つ人が多い

また過去からの習慣で
あるいは言い伝えで
罪意識を持つ人が多い

これは大きな間違いである
セックスは大いなる神が
子孫の繁栄と
相互の愛の増進のために
与えられた大切なものである

視覚が悪でないように
聴覚が悪でないように
臭覚が悪でないように
味覚が悪でないように
触覚もまた悪ではない

ところが触覚の代表的なセックスのみが
悪としてとらへ
陰でコソコソというのは
大きな間違いである

人間はどんな人でも
セックスを超越して生きることはできない

このエネルギーが
活動エネルギーの根本だからである
抑えることができるが
それは抑圧されて
ストレスがたまるばかりである

人間が人間らしく生きるには
この抑圧があってはならない
性は明るくとらえ
自由にとらえ
自然現象としてとらえなければならない

異性を見てセックスを感じたならば
罪だということはない
このように言うと世の中に
罪人ばかりになってしまう

思うことはエネルギーとなり
その人の環境を作るのであるから
この思い方は人生にとってマイナスとなる

セックスに対して規制してはならない
規制すればするほど
マイナス現象がはたらき
折角与えられた人生が
取り返しがつかなくなる

規制を取り除き
明るく自由な振る舞いができる時
人間の本性が自然に現われて
不調和な状態に陥らない
マイナスの想念を持つから
悪い現象として起きるだけである

セックスは罪な行為ではなく
大いなる神が与え給うた
喜びごとなのである

男性の陽と
女性の陰が共に合体した時
喜びが倍加する

これがセックスの本質なのである
ただし愛される調和が
その背景にあることが条件としてある
性とは聖であり
神聖なる神の行為のことである


セックスは大切

人間生活において
セックスはとても大切なものである
これ抜きの生活は
魂の修行とはいえず
修行の落第生となる

この地上に肉体を持った以上
特別な人はいない
イエスもブッタもモーセも
特別な人ではなく
魂の修行の成果を上げた人なのだ

修行を専門にやっている
聖者と言われている人は
セックスを堕落と考え
世俗的な楽しみと考え
セックス抜きの修行法を考えたりする

これは全くナンセンスだ
全ての人類もその人達と同じように
魂の修行者だ
大いなる神はこの地上に
特別な人など作りはしない
これからも作ることはない

すべての人類は
魂の修行者としてこの地上に生まれている
その人達がセックスを堕落と考え
セックス抜きに生活したならば
どうなるだろうか
子孫はその時点でストップしてしまう

そして何より
セックスとは大いなる神が
人間に与えて下さった大切なものだ
セックスとは性エネルギーを活性化させ
あらゆるものを作り出していく力の源泉なのだ

陽である男性と
陰である女性の愛の表現でもあり
さらにそれを拡大していくためのものでもある

理想としては「ゼロのセックス」があり
これを目標にしていくことが大切だ
セックスに罪悪感は禁物
セックスは喜びごとなのだ
それを情欲とか堕落とか
誘惑とか世俗的な楽しみであるとか
否定的にとらえるものではない

かといって他に迷惑を及ぼすようなセックスは
当然不調和をきたすため
真のセックスとはなり得ない
男女の本当の愛が結び合うものであれば
セックスほどすばらしいものもまたない
神が人間に与えて下さった
愛の極地がセックスである

魂の修行者であるわれわれは
修行を専門にやっているセックス堕落論に
決して耳を傾けてはならない

もし耳を傾けて
そのような考え方を持ってしまうと
これからの魂の修行に大きな重しとなり
成果の上がらない修行となってしまう

その人達の修業はその人達の修業にすぎない
セックスを堕落だと考えたり
セックスを否定したり
セックスを罪悪視するならば
大いなる神に対して否定しているわけで
神などいないと言っているのと同じなのだ
それで神を求めて修行しているのだから
とても変な感じがする

しかしその人達を非難すべきものでもない
その人達はセックスを抜いての修行中なのだ
修行は自由でなければならない
それなりの学びがある
修行は今生限りではなく
これから永遠に転生を繰り返して
学び続けていくものである

われわれ魂の修行者としては
真実を見極めながら
自分の修行に必要なものだけを取り入れて
不必要なものは取り入れない
此のようにしていくことが大切だ
何より選択する力が必要なのだ


 
この宇宙は慈愛に満ちた世界だということを忘れないでください。
宇宙はあなたの味方です。

自分の不調和に満ちた世界にとどまらず、宇宙の調和とともに生きることを決心した人には大宇宙のあらゆるエネルギーがその人を助けるために集まってきます。
宇宙は、あなたが孤独な殻に閉じこもっていることを望んではいません。
宇宙は、あなたが創造のパートナーとなることを望んでいます。
                                                    バーソロミュー



性の問題をきちんととらえるためには、過去に戻って考える必要があります。
ご存じのように、性にまつわる問題というのは何も現代に限ったことではなく、昔からいろいろあったことで、それは不可思議なものであり、人々をとまどわせるものです。

これをもっと広い見地から見るために、人間の性の持つ役割というものを考えてみたいと思います。

性行動に関する「ルール」を私がここで述べようなどというのではありません。性行動のルールを作るのはあなたの責任です。

それは、どういう社会的法律のもとで暮らすかを決めるのが、あなたの責任であるのと同じです。

では、過去にさかのぼってみましょう。魂がこの地球にやってきて、肉体を身につけ、これから何をすべきかを決定した時代に戻ります。

そのとき、人間たちは「パワー」を与えられました。
このときに与えられたパワーは七つのテャクラと関係したエネルギーでした。

現代の人は、エネルギーというものを、規則正しい法則にしたがって動くものだと思っていますが、ここでいうエネルギーは、人々の「存在」のなかをたえまなく動いているパワーであり、それは特定の目的を持つものでした。
目的のひとつは考えることであり、もうひとつは感じることでした。

私がいう性エネルギーも、こうしたエネルギーの一種でした。
性エネルギーやパワーは、人間ひとりひとりが自分の意思で決めて使うようにと、与えられたのです。

はじめの頃は、性エネルギーはほかのエネルギーと分離してはいませんでした。
人を狩猟にかり立てる衝動と性衝動とのあいだに、たいしてちがいはありませんでした。その頃は、それぞれのエネルギーのあいだには、はっきりした区別がなかったのです。

はるかな過去世において、すべての人間の体のなかでエネルギーがスムーズに流れていた頃、それぞれの人間は、自分がどんな人間なのか、どんな人間になりたいのかということにもとづいて、人生におけるさまざまの選択をしていました。

あなたが地球界に転生してきたのは、今回がはじめてではないということをここで理解しておいてください。

あなた方は、この地球界にずっと長いあいだ、何回も転生してきています。
ですから、過去世からの性癖のようなものが各人のなかにあらかじめあって、それが、その人のありよう、意識などににじみでてきます。

このような過去からの性癖がひとりひとりの性に対する態度に影響し、その人となりの一部となります。

あなた方が何度も転生して、時間と空間のなかを移動するにつれ、性エネルギーは自己表現のひとつの方法となり、人は自分の意思にもとづいてそれを使いました。

ほかのエネルギーと同じように、性エネルギーも、ひとりひとりが自分に対してだけ責任を持つものとしであったのです。

性エネルギーは、「その人らしさ」の一部であり、ひとりひとりがしっかり意識すべきものとしてあったのです。
自分らしい感じ方、自分らしい行動をするためのものでした。

あなたは、自分の考え方しだいで人生が調和に満ちたものになったり、逆に不調和そのものになったりするということ、そしてその自分の考え方というのは、自分の責任であるということを経験から理解するようになりました。

それと同じように、自分の性エネルギーをどう使うかというのもあなたの責任なのです。

けれども、現代では、誰もそうした責任を認めようとはしません。
人はすべての行動に対するルールを作り、個人としての責任をとろうとはしません。

何をすべきかは法律や社会のおきてに決めてもらう、そうすれば自分の責任は関われないと思っています。

こういうやり方はうまくいっているでしょうか。
「暗黒の時代」の昔に決められた性道徳は人々に喜びを与えているでしょうか。(あなた方はまだそういう古い性道徳のなかで生きでいるのでしょう?)

もう、そろそろ自分自身の性に目覚めるときです。
他人のモノサシに左右されず、自分にとって、男であること、女であることはどういうことかを表現することです。

いつも生き生きして、元気いっぱいで、優しい気持ちに満ちて、クリエイティブでダイナミック、そして明るくエキサイティング・・・自分をそんな人間だと感じさせるようなことをしてください。
そうすることがあなたの責任なのです。

社会のおきてにしたがって行動しようとすると、自分の欲望との板ばさみになります。
神が、人間の性行動のすべてを、関心を持ってじっと見ていると信じている人も多いようですが、実のところ神はそんなことには全く関心がありません

セックスは人間ひとりひとりの問題です。
神はそんなことにちっともかまってはいないし、他人もそんなことに関心をはらうべきではないのです。

神が関心を持っていることはただひとつ――人間がどれほど真理に目覚めているか、その人の生きる力や愛情、他人への思いやりがどんなものか、ということです。

社会のおきてにしたがって生きてきて、その結果、怒ったり、恨んだり、人を批判したり、ネガティブになっているとしたら、神と調和しているとはとても言えません。

性や性行動の話になるといつも決まって同じ質問が出ます。
みんなが自分の好き勝手な性行動をとったら、世の中はメチャクチャになるのではないか、というものです。

規則をすべて取り除いたら、いったい、どうなるのだろうか、という質問も出てきます。

これに対する答えが、私と地球の人々との考え方のちがうところです。
人間から社会的な規則を取り去ったら、人々は自分自身の心のおきてを見いだし、もっと人間的で自然で、優しく親切になる、と私はかたく信じています。

私は人間を信じていますが、人間は自分たちを信じていません。
人間は、まるで自分たちは檻に入れられた動物だ、とでも思っているようです。

社会のおきてという檻がなくなれば、自分たちは性欲に狂った野獣のようになると信じているのでしょうね。そんなことにはなりません。
安心してください。

人間は「大いなる創造物」の一部であり、
その気になれば、何が一番よいかを知る能力をそなえています

しかし、自分自身の内に指針を求めるのではなく、社会のおきてに判断を求めると、問題の本質が不明確になります。

自分自身のなかにあるおきては完全に予測できるものです。
私は、人間を支配する「大宇宙の法則(真理)」を知っているので、そう断言できるのです。

人間が人間を創りだしたのではないということは、もうわかっていますね。
人間は(神に)創造されたものです。

あなたは、この「あなた」というすばらしきものを与えられたのです。
あなたのなかには「大宇宙の法則」が働いており、これはあなたが自分で創りだしたものではありません。

この「(宇宙)法則」は例外も全くなく、完全に信頼できるものです。
人間が作ったどんな法律よりも信頼できます。

自分の(裡なる)「存在(神我)」そのものを心から信頼しようと決心すると、他人への深い思いやり、人の心を理解する能力、調和、勇気、知恵など、これまで自分が求めていたものが、すぺて自分のなかにすでにあることがわかるようになります。

人間の本来の性質、人間存在の本質は「大いなる源」の一部であり、それから創られました。
そうでなければ、人間が創られたときの「原材料」はいったいどこから来たと思いますか。

創造のその瞬間、人間は(神から)素晴らしい贈り物を与えられました。
なかでも重要な贈り物が、男性女性という性別、セクシュアリティだったのです。

外の世界と関わろうとするときに、人はどうも混乱してしまうようです。
人は自分のなかのある種の感覚や感情を何とか他人の感情と調和させようと努力します。

また、人はそれぞれ性に関して異なる意見を持っています。
みんなちがうのですから当然です。

自分の性を理解しようとするときに、頭でわかろうとはしないでください。
人が性のパワーから何かを学ぶことができるのは、それが体のなかで動いているときです。

性エネルギーそのものは、ほかのどんなエネルギーとも同じように純粋です。たとえば、倒錯的行為について考えるとします。

すると、パワーが増加します。ここで、ただちに頭が働きだして「善」か「悪」かの判断を下してしまいます。

性というものを自分はどんな目的に使っているか考えてみてください。
他人を自分の思いのままにするために、性的パワーを使う人もいます。
セックスがとても「上手」になって、人をコントロールする目的にそれを使ったりします。

他人を罰するために性的パワーを使う人もいます。
とても「下手」になってそれで人をコントロールしたりします。
性的パワーを全く使わない人もいます。

何らかのパワーを手にすると人は自問します。
「このパワーをどう使おうか。誰と一緒に使おうか。
自分の人生にどう役立てようか」と考えます。

自分の性というものは見ることはできませんが、自分のなかにあるパワーとして感じることができます。

そこで、、同じような質問を自分にする必要があります。
「私は自分の性を何のために使いたいのか」
これは個人的な問題ですからひとりひとりが自分の心の奥深く、
自分の「あり方」そのものに問いかける質問です。

誰も性欲に狂った動物になったりはしませんから、こういう質問をすることを怖れないでください。

性について真剣に深く考えていくと、性エネルギーは肉体というものの偉大な味方だということがわかります。
もちろん「味方」はいわゆる霊界にもいて助けてくれますが、ここで話しているのは物質界にいる味方のことです。

性が人間の味方だというのは、自分らしく自然に生きることを通して、自分というものをよりいっそう知る機会を与えてくれるからです。
自分のなかの性を素直に見つめ、それについて考えるのは、非常に勇気がいることです。

年齢に関わらず、どんな人であろうと、性に対してゆがんだとらえ方をしていたり、自分の性欲を不快に思ったり、そのことで悩んだりしている人は、性こそが自分にとって解決すべき「未処理」の分野なのだ、ということに気づいてください。

現在、自分の人生に性を表現する相手がいない人は、自分でそうしたくないと決めたからです。
自分の人間観、人生観にしたがって性欲が表現されていれば、かならずその人に合う相手が見つかります。

醜いからとか、太っているからとか、年をとっているからとか、何らかの理由をつけて自分の性エネルギーを使っていない人は、自分のそういう考え方を外界に投射しているためにそうした現実を経験するのです。

性を全く無視して生きれば、面倒が起こらないと思いこんでいる人もいますが、そういう人は性の問題に何度も直面するはめになります。

性に心を悩まさなくてもいいようにと、手術までする人がいますが、性エネルギーは手術後も残っていて、自分の体のなかを動きまわっているのを発見することになります。

性エネルギーは肉体の一部なのですから、捨て去ることはできません。
性欲は肉体が持つ欲望のなかでも最強のもののひとつだからこそ、常に人間の味方になることができるのです。

現世でこの問題を解決するか、来世でするか、いつかはこの問題に直面しなければなりません。

性エネルギーという神からのすばらしい贈り物をどう使うのか、自分のなかではっきりさせることです。
そうすると、人生に変化が起きてきます。

今までとちがう経験をたくさんするようになります。
今までなかったものがその人の人生のなかに現れたり、今まであったものがなくなったりします。

大切なことは、自分に問いかけ、それに答えることです。
「この驚くべきパワーを自分は何のために使いたいのだろうか?」と。

いずれにせよちょっと乱暴ですが、神は性エネルギーを通して何を人間に望んでいたのか、ということを私が推理してみたいと思います。

たとえ話をしましょう。
ここにティーンエイジャーがいて、車を買うことになりました。
あこがれのポルシェです。

さて、いざ車のキーを渡すときになって、
親は「これはたいへんだ」とこわくなります。

強大なパワーは非常に危険なことに使われる可能性があるし、ティーンエイジャーの息子、または娘がまだ未熟な子供だということが、頭にひらめきます。

これと同じように、神が性エネルギーを人間に与えたときも、
「これはたいへんだ」という思いがありました。

神が望んだのはこのパワーが、深い意識をもって有益な目的に使われることでした。
そのひとつは、人間の喜びのためでした。
性の喜びとすばらしさ、そのもののためです。

もうひとつは、パワーというものがあるということ、それが存在し、動き、創造し、何かの形となり、ダイナミックで変化していくものである、ということを人間に教えるためでした。

人間の思考力のほかに、これほどの力を持ったパワーがほかにあるでしょうか。

そして最後に、この贈り物にはもっと高い目的もありました。
それは感謝の心です。肉体の喜びに対する感謝であり、命を実感できることに対する感謝、肉体以上のものになれることに対する感謝の心です。

性エネルギーが外からおとずれ、体を満たし、感動を与えると、人は喜びを感じ、生きていることを実感し、感覚のすばらしさを味わいます。

そういう経験をしたあとでは、今度はそのパワーが反対方向に流れることも可能なことを、理解できるのではないでしょうか。

ちょっと説明しましょう。
性エネルギーは外から自分のほうへやってくるもの、または、自分の内部からわきでてくるものだ、と人は感じています。

神が望んだのは、性エネルギーの流れは反対方向に行くこともできるのだということを知って、人間がそのエネルギーとともに、発生源である「大いなる源」へとさかのぼってくることでした。

エネルギーは両方向に流れます。
人間がエネルギーとともにさかのぼることができれば、エネルギーの根源である、「大いなる源」と合流できるわけです。

「大いなる源」と合流するには多くの方法があり、とくに、これと決まった正しいやり方というものはありません。

あなた方が、正しいやり方をしなければならないと思いこんでいるから、むずかしくなるのです。

あなた方はこれまで「読むべき」本をすべて読み、師につき、「正しい」道を歩んできました。

ところが、「大いなる源」へ戻っていく道を少しでもかいま見た人は、ここで壁にぶつかります。その理由はその人の思いこみにあります。

自分には「大いなる源」へ戻っていくだけの資格がないとか、そうするには何らかの犠牲をはらわなければならないなどと、信じているからです。

したがって、セックスの一瞬一瞬を通して、性エネルギーが教えようとしているレッスンにちっとも注意をはらいません。

セックスのただなかにありながら、それを感じようとしないので、意識が体験から離れてしまいます。

このように気が散るのには、いろいろな原因があります。
まず第一に罪悪感があります。
こんなことをしていてはいけないとか、神が見ているのではないかとか、師が見ているのではないか、と思ったりします。

こんなことを考えているので、セックスをなかば無意識的に行い、性の不思議な魅力も、性エネルギーの動きも感じることができません。

性エネルギーは人間の味方なのです。
けれども、どんなに力強い味方も、心ここにあらずの状態にいる人や、耳を傾けようとしない人を助けることはできません。

意識を集中させ、セックスの初めから終わりまですべてに注意をはらい、自分の反応や感情を見つめ、エネルギーがどんな動きをしているか、性エネルギーが自分をどのように解き放ってくれているか、

どこのところでエネルギーがとどこおっているか、その滞(とどこお)りをどうするか――このようなことに注意をはらう必要があります。

意識がそこになければ、人はそこにはいないわけで、何も学ぶことはできません。性生活が満足なものでない場合、パートナーの数を増やせばいい、と思っている人がたくさんいます。

それでもまだ体力があまっていると、自分がまだ満足していないだけでなく、パートナーの数が増えたぶん、自分に文句を言う相手も増えたわけで、悩みの種を増やしてしまったことに気づきます。

なかには、自分の問題は現在のパートナーが悪いのであって、もっと官能的な相手を見つければ、満足が得られると思っている人もいます。
そうして、ちがうパートナーを見つけてみても、まだ不満です。

性エネルギーから満足を得られるのは、それがすべてのレベルで賢明に使われたときだけです。そうでない限り、満足は得られません。
性エネルギーは、この喜びのレベルまで来たらストップする、などというようには創られていないからです。

では、もっと深い経験をするにはどうしたらいいのでしょうか。
瞑想をしている人は、自分の体のなかを流れ動くエネルギーをはっきりと感じ、そういうエネルギーは自分の肉体を超えたところから来ていることを知ります。

性エネルギーにも同じような働きがあって、あなたをより広大な意識へと誘う「引き金」となります。

自分がすべてのレベルで学び成長していく手段としてセックスを利用したければ、自分の内部やまわりで何が起こっているかに耳を傾け、注意をはらわなければなりません。静かにして意識をとぎすますのです。

性エネルギーの動きに気づき、それを感じ、動くさまを知るようにならなければなりません。生殖器部分は宇宙のパワーであるクンダリニーの発火点に非常に近いことも、観察していくとわかります。

意識を完全にとぎすましていると、パワーを急増させ、背骨の基部にあるチャクラから天項のチャクラまでエネルギーをかけのぼらせて、途中のチャクラにすべて点火する能力が自分のなかにあることがわかります。

性エネルギーのすばらしさを感じない人は、そう感じないように、頭のなかで何かがスイッチを切っているからです。
このエネルギーは一方向に流れるだけではない、ということを思いだしてください。

エネルギーの筒の一方の端と、もう一方の端を分離するわけにはいきません。それらはつながっているのです。

性は神から人間への贈り物です。
神からの贈り物はすべて、ひとつの目的を持って与えられました。
将来、神のもとへ、「大いなる源」へ戻っていくために使われるようにです。

ティーンエイジャーは、車や金をもちだして、好き勝手なことをするかもしれませんが、いつかはその車を使って家に帰ってくることを親は望んでいます。

神も同じ気持ちです。神は、人間が神のもとを離れ、ティーンエイジャーのように好きなことをして、遊びまわるままにさせています。
しかし、人間もいつかは寂しくなって「家」に帰りたくなるだろう、と神は期待しています。

どの転生の人生でどんなふうに性エネルギーを使うかは、あなたの自由です。けれども、性エネルギーは、それを使って「家(神の御国)」に帰るようにと、神から与えられたものであることを忘れないでください。


何か質問がありますか。

質問:「クンダリニー」のパワーは非常に危険で、それを得るには師につくべきだと思っていました。ちがうのでしょうか。

長時間の瞑想や禁欲生活、プラーナヤーマ(ヨガの呼吸法)などの精神的修行をしてこのクンダリニーのパワーを「獲得」し、自分の意思通りにそのパワーを使おうというのでしたら、確かに師につくべきでしょう。

私が人間として転生したときの経験から言いますと、私には師もいませんでしたし、私がしようとしていることを理解できる人も全くいませんでした。
私にあったものといえば、エネルギーの動き、それだけでした。

私が確信をもって言えるのは、エネルギーの動きというのは完全に信頼できるものだということです。

エネルギーはそれ独自のやり方で動き、独自のペースですすむのであって、私の能力以上のスピードですすんだり、能力以上のところへ私を連れていくこともありませんでした。

すべてがうまく行きました。エネルギーが動くままにまかせて、エネルギーにしたがうようにすると、エネルギーはそれ独自の道を開いてくれます。

まるで奥山にわきでた小さなせせらぎが軽やかに山を流れ下りるかのようです。けれども、ダムの門を開けて、いっせいに水を放流すると、水の勢いが激しくて危険です。ですから、自然にマイペースでやってください。

何をするにも師が必要だなどと思いこまないでください。
あなた自身が教師なのです。パワーはあなたの内部にあって、人はそれぞれがパワー制御装置のようなものを持っています。

エネルギーが動くにしたがって、道も開けてきます。
私の言うことをうのみにはしないでください。
もちろん、ほかの人の言うこともうのみにしないでください。
自分自身の内なる声に耳を傾けてください。

少しやってみると、自分も性エネルギーについて知っていることがある、ということがわかります。性や性エネルギーから、自分が切り離されていると感じる必要はありません。

セックスによる結びつきの目的は、すべてのレベルで人をはぐくみ、育てることにあります。

セックスへの理解を深めたいと思っているパートナーがいる人は、自分をはぐくみ、育てるものはどこから来るのかを知るために、次のようなことを実行してみてください。

欲しいと思う人はタントラ・ヨガの本を手に入れてもいいでしょう。
けれども、べつになくてもかまいません。

自分にとってセックスとは何かということについて、自分自身の本を書くつもりになってください。そのために自分が実験場となり、実験体となるのです。

では、あなたがパーティに出席しているとします。
誰かがあなたに近づいてきて、その結果、あなたは自分のなかで性欲がわき起こってくるのを感じます。

修行をしている人は、「性エネルギーを経験することは有益だろうか」と、ただちに自問します。

一番下のレベルにいる人にとっては、答えははっきりしています。快楽です。そこでそのための行動をとるか、またはとらないことを選びます。

もう少し高いレベルにいる人は(私は、この「レベル」という言い方をまるで信じません。でも、皆さんは大好きでしょう?)、

「ちょっと考えなくては。今このエネルギーを行動に移すと、私の人生に混乱が起きるだろう。それだけの価値があるかどうか」と考えます。

それだけの価値があると思えば行動に移し、ないと思えば行動しないでください。そして、いずれを選ぶにしても、自分の行動の責任をとる覚悟をしてください。

最も高いレベルにいる人は
「このような状況でこの人と性の表現をすることは、私にとって、神を理解するのに最もふさわしいかどうか」と自問します

これらの行動の結果、人は知りたくなかったことを知ることになります。
どんな場合も似たもの同士が互いを引き寄せますから、低いレベルにしかいない人が、自分より高いレベルの人に魅力を感じるということは、まず起こりません。

低いレベルの人にとって、自分より高いレベルの人は自然さに欠けるように見えるからです。その次のレベルは「かたく結ぼれているカップル」のレベルです。

彼らは必ずしも高い意識をめざすことを第一義にしているわけではなく、相手という人間とかたく結ぼれているのです。

一番高いレベルの人たちは、自分の人生のあらゆる出来事や経験を「神のもとへ帰る」覚醒のために使おうとします。


質問:性エネルギーはどのように動かせばいいのですか。

自分の体のなかのどの部分で性エネルギーを感じているか、まず見つけてください。
そして、その感覚とともにいることによって、その感覚をとぎすまします。
自分の想念が現実を創造するということを、あなたは理解しているのですから、意識的に自分の体のなかでエネルギーを上昇させようと決心するのです。
すると、エネルギーが上にあがりはじめます。
ほとんどの人は、人間の体には七つのチャクラがあると信じていますが、実際にはもっとあります。
体のいたるところにチャクラがあります。

エネルギーを動かしはじめると、これらのチャクラがまわりのチャクラのスイッチを入れていきます。
これは神経間のシナプス(ある神経の軸索とほかの神経の樹枝状突起との接触部分)の動きであり、非常に速いスピードで起こります。

いったん、始まったら、もうコントロールすることはできません。
あなたがするべきことは、エネルギーを感じ、エネルギーそのものと、それを上昇させたいという自分の願望に意識を集中することです。
そしてエネルギーが動くにまかせます。

エネルギーは、自分の意識が向いている体の部分に移動します。
まず、一番下のチャクラから始めて、順番に上のチャクラへと意識を集中させていきます。こうすると、エネルギーが天頂のクラウン・チャクラを通りぬけます。やってみてください。

性エネルギーは神から与えられた贈り物のなかでも、最高のもののひとつだということを忘れないでください。この贈り物には何のルールもついてきませんでした。ルールを作ったのは人間です。

自分が話す内容の質や自分の行動の質や人生に起きるあらゆることの質が、ひとりひとりの責任であるのと同じく、性行動の質もひとりひとりの責任です。あなたが決めることです。

「まちがった」こととか、「正しい」ことというのはありません。
あなたがどれを選ぶか、ただそれだけのことです。


質問:性に関する社会的ルールは、人間が「神のもとに帰る」のを怖れているから作られたのでしょうか。

性に関する社会的ルールを作ったのは、自分が性の表現を自由にできないと感じた人たちです。現代の人々のことを言っているのではなく、古代の聖職者たちのことをさしています。

彼らは、自分たちは一般の人とはちがうと思い、自分たちはセックスをすべきではないと決めました。
このおきてを作ると、ただちにそれをほかの人々にも強要しました。
それ以後、性は多くの社会的制限を課せられるものとなりました。

セックスを通じて多くの人々が完全なる悟りを開いたにも関わらず、このおきては守りつづけられてきました。聖職者たちは、自分たちのやり方で達成された悟り以外は本物でないと信じたのです。

ちょうど、医者が、西洋医学の治療法以外で治った病気に対し、当初の診断がまちがっていたにちがいないと信じるのと同じです。

古くからつづいている宗教のやり方にしたがっていれば、そこで起きた「悟り」の経験も信じてもらえます。あなたが守っている規則を作ったのは、神だなどと誤解しないでください。神は人間に何も強制しません

ここではっきり申し上げますが、あなた方の人生で起こっていることの大半は、いわば実験です。人生は、創造しつづけるダイナミックなアクションです。

神が、やるべきことをすべて示して、人間はただそれを実行するだけだったら、人生にどんな意味があるというのでしょうか。

人生は、不可思議に満ち満ちた、すばらしい創造の過程であり、
あなたもその創造の一部です。

あなたが考えたり、言ったり、したりすることはすべて、この創造的行為を構成する要素です。したがって、「あやまち」などというものは存在しませんし、「悪い」ことも存在しません。すべては「生きること」なのです。

はい、では説教はこれくらいで終わりにしましょう。
みなさん、今日はどうもありがとう。

FC2版の広瀬すずちゃんの横顔になる方法の記事です♪
身長を伸ばす記事も追記してみました♪
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プロフィール

斉藤なぎさちゃんが大好き♪

Author:斉藤なぎさちゃんが大好き♪
 
 高身長になる方法・広瀬すずちゃんの横顔になる方法・小顔になる方法・悟りを開く方法・健康になる秘訣・宇宙の真理…など世のため人の為に役立つ情報を書いております。
 貴方の素晴らしい人生のお役に立てますように♪

 30歳を過ぎてから努力で22cm身長を伸ばして195cmになっちゃいました♪
 それと…小顔になる努力で、全頭高が大谷翔平さん級の20.5cmなりまして……純日本人ながら、リアル9.5等身を達成することが出来ました♪

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