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霊道(心の眼)を開く真の方法♪徳積みの原理♪徳によって祈りが叶うシステムのお話♪他人の目はなくても、天の目があることを知っておいたほうがいい♪正しい思いをもって調和した生き方をすると心の次元が上がります♪正真正銘の本物の天使の生まれ変わり井出章彦さん♪後光を出す秘訣は感謝と報恩♪父や母の愛の行為に感謝♪後光を出す秘訣は感謝と報恩 父母の愛に感謝して恩返しする大切さを説く素敵なお話♪反省する事によって魂を光り輝かせるお話♪高橋信次師♪霊能力者・呪詛・念の驚愕の裏事情♪行者の末路は哀れ♪四国霊能者の裏世界話♪

心の眼Ⅱ  四国の霊能者の世界
から引用させていただきました   

  

 地球最高級に濃厚な内容な日本の霊能力者の裏事情を詳細に教えて下さる、日本最高級☆超良質☆精神世界サイトをご紹介させて頂きます 

 有名な「人を呪わば穴二つ」という言葉がありますが、これは後に【掘れ】が抜けている言葉でありまして、要約すると、人を呪うのなら、相手と自分の分の墓穴を掘っておきなさいよ、という意味合いで御座います。

 人を呪うということは、実質的に自分を呪っているのと同じですから、たとえその時に呪いが成功したとしても、「行者の末路は哀れ」と言い伝えられている通り、死後は、その呪い殺した相手(多数の場合はその多数)から壮絶な仕返しをあの世でされてしまいます。

 魔の呪詛を使った行者は死後も、何十年、何百年も、真っ暗な世界でその償いをするハメになるそうですから、余計な霊術・超能力を求めたりせず、

平安で幸せな毎日を大神様、守護の神霊等々に感謝して、知花敏彦師や上江洲義秀先生、もしくは高橋信次師の神理をお手本にして、正しい神理を実践する人生を送る人が、真の意味での人生の勝者でありましょう。

 呪いを受けない簡単な秘訣は、全てを許し全てを愛する慈悲と愛の神我の想い、笑顔と感謝、人を責めない、愛と調和、の善想念の維持を日々実践していくことでしょうか。

 その境地まで到達できれば、もう呪いなんてホコリほど気にする必要はありませんよ♪…ちなみに私はもう大丈夫です(笑)

 もう一つ、高橋信次師のお弟子さんでもあられる、井出章彦さんは、心の窓(霊道)が開いており、大天使の方や高橋信次師とも普通に交流出来る素晴らしい偉大なる能力と、高潔なお人柄の持ち主の方であられます。

 元々、天上界の天使の方で、今回の地球のアセンションのために、使命を持って地球に肉体を持って生まれてきたという方ですから、正真正銘の本物の天使ですね。過去世が大物すぎてちょっと恐れ多い気分になります(笑)

 内容は大変素晴らしいのに、Amazon様での中古本が大変お安いので、ぜひお求めになって魂の覚醒のお役にご活用して下さいね。他では得られない内容も豊富ありましたし。私はしっかり同じ本を2冊買っちゃいました(笑)
 





四国の霊能者の世界から一部引用ですが・・・♬


はじめに

私の住んでいる四国には民間祈祷師(シャーマン)が大勢います。彼らは霊能を持った呪術師もいて、占い、まじない、加持祈祷などの儀礼的行為を行って相談者のさまざまな悩み事や現世利益的な願い事の支援を行う人々です。

神道系、仏教系、陰陽道系など宗教的背景はさまざまですが、昔ながらの呪術的、密教的伝統に根ざした儀礼を行い、降神、憑依などのトランス状態になって託宣をしたり、神霊や仏との交信を通じて相談者の環境の変容を試みたり、心身の「癒し」を試みるわけです。

人類学や民俗学の分野ではこうしたシャーマニズムをテーマに書かれた文献をたくさん見つけることができます。「癒し」の社会・文化的な規定性を検討する上で、こうした文献は有益な知識をわれわれに提供してくれます。

しかし、人類学者や民俗学者はあくまでもシャーマニズムの社会的な役割に焦点を当てて研究しているわけであり、シャーマンたちが霊術を駆使して本当に「癒し」を行っているのか、その真偽の程にまでは言及することは少ないといえます。

もちろん、彼らはフィールド・ワークの手法を採用し、シャーマンとそのコミュニティに一定期間とどまって生活をともにしながら「生の資料」を集めるわけですが、そうした参与的観察の中で手にしたデータをすべて公表しているわけではないでしょうし、これを論文や本にまとめる過程でふるい落としてしまうデータもあります。

それに加えて、研究の対象となっているシャーマンたちがどこまで実態をあるがままに見せてくれるか、語ってくれるかという問題もあるでしょう。

 シャーマンたちから見れば、学者はあくまでも部外者であり、建前的なことを語っておくのが無難な相手であるわけです。それに学者の頭では理解できない世界も繰り広げられていますし。

幸いなことに、私は四国に住むようになってから呪術師たちと接触する機会に恵まれ、彼らの生きざま、仕事ぶりについて詳細を知ることができるようになりました。

 私自身、密教や土着の宗教的習俗に関心を持っていましたので、同時にこうした儀礼について彼らに指導を請い、精神修養法として実践的知識を得ることもできました。

 そういうプロセスの中で、四国の「呪術師業界」(以下業界と略記する)の実態について次第に認識が深まっていったわけです。今では私も「業界人」の一員です。

このページでは、これまでに私が見聞した業界の裏話を差し支えのない範囲で語ってみようと思います。なお、個人名や団体名は一切公表することができませんし、連絡先に関する問い合わせにも応じることはできないことを、最初にお断りしておきます。

さて、祈祷師の間で日常茶飯的に「サイキック・ウォーズ」が繰り広げられているのは、この業界では公然の秘密のようなものです。簡単にいえば「念」のくれ合い、飛ばし合いです。

動機は色々ですが、1.団体間の勢力抗争、2.個人的な恨み・嫉妬、3.顧客からの依頼などが主です。何せ物的証拠が残らないやり方を使うので、市井の人にとっては理解を超えてしまう世界でもあります。

祈祷師の看板をあげている人には少なからず体を壊す、病床に伏せり、生死の境をさまようような経験をもっている人がいます。

1つには相談者たちの持ち込む邪気、邪念に長年被曝し続けることで肉体が変調を来しやすくなる。それ以上にえげつないのが同業者に呪詛をかけられて命を狙われる、という類の戦いです。

超心理学では生体PKという概念があります。これは生物の細胞を活性化したり、生体機能を回復させたりする「建設的な念力」という研究がもっぱらなのですが、現実的には呪殺という破壊的な生体PKの使い方の方が多いように思えてなりません。

 その昔、旧ソ連でニーナ・クラギーナという超能力者がカエルの心臓を念力で止める実験を行ったことはありますが。

ターゲットにした相手をサイキックな方法で攻撃するには、いろいろな手段がありますが、常套手段としては現象として病気の症状を起こさせ、体力を消耗させて、あわよくば死に至らしめる、というのがあります。

もちろん、念を飛ばす方と受ける側に歴然たる「力の差」がある場合には、一気に衰弱させ死に至らしめることになります。
 
 しかし、もし相手がこの攻撃に持ちこたえたならば、送った念が倍返しで戻ってきて、逆に加害者の生命が危うくなるというのもこの種の現象の特徴です。「やるかやられるか」の世界なのです。

出る杭は打たれるのが日本の社会の特質、いじめの構造なのですが、将来自分よりも「ランク」が上がり、自分の仕事上の脅威になると思うや否や、この業界の人間は相手を潰しにかかります。それで命を落としたり、再起不能になったり、というのが祈祷師・霊能者の世界ではないでしょうか。

このように述べるのも、アストラル次元(微細意識次元)の上位-下位問題にかかわる私の疑問に根ざしています。

 超能力や霊能力を操作できるようになるということは、必ずしも意識進化とは別次元の問題かもしれません。逆に意識の進化した人間はこういう力を愛他的な方向に利用することができるのかもしれません。

彼らの「暗闘」を知るにつれて、世間以上にドロドロしたものを感じざるを得ません。「必殺仕事人」のような世界です。シャーマンとは癒すだけじゃなくて、滅ぼす者でもあるという認識を私はもっています。

現代においても、奈良・平安時代と同じく呪術(日本古来のもの、その他仏教系、西洋系など)の伝統は脈々と息づいています。

 専属祈祷師を養成している団体も存在します。その団体では「殺られるまえに殺れ」という教えを説いています。ついでに言うと「裏切り者は消せ」というのもこの業界の常識です。

四国は特別な場所なのかもしれません。人口の割に祈祷師(霊媒含む)が多いので過当競争なのかもしれません。
 
 東京や大阪で仕事ができなくなった霊能者が四国で荒稼ぎをしたり、逆に四国で看板を出したりすると「潰される」ために東京や大阪まで出稼ぎに行っている業界人もいます。

 いずれにしても、「闇の世界」の出来事ですから、表沙汰になることはまずありません。こうしたサバイバル・ゲームに勝ち残った者がこの世界の有力者になっていくわけです。

また、この業界では相談に来た相手を故意に病気にさせるというのは常套手段です。それでお祓い(浄霊)に来ると、また別の症状を一定の潜伏期間をおいておこさせる。これで信者をつなぎ止めていくわけです。まるで麻薬の売人みたいですけど・・・。

最近はわりと気軽に霊的な修行の世界に入る人もいると聞いていますが、修行ごっこならいざ知らず、本格的にサイキックな修行の世界に入ろうと思うなら大きなリスクを背負っていることを自覚してほしいと思います。しかも、自己責任です。

命を投げ出して責任をとらなければならない事態も起こり得ます。誰も助けてくれませんし、誰かにすがろうと思っても、「大いなる計らい」によって一切の支援を断ち切られてしまうことだってあります。

適切な指導者に師事して適切な指導を受けることは、一般の学校教育と通じるところもありますが、その師匠の霊的レベルを超えた圧倒的な意志が介入し始めると、師匠でさえも手助けできなくなってしまう状況に追い込まれることもあります。


「ブラック霊能者」たちの末路

 「呪い専門の霊能者」の末路は哀れです。人を恨み,世間を憎んで生きることで,何を手にすることができるでしょうか?

 闇に生まれ,闇に生き,闇の中で葬られてしまうことで我が人生に悔いなしと「いまわの際」に胸を張って言えるでしょうか?しがらみや恩や義理があることはよくわかります。

でも,それによって失うものの方が手にする利益の何倍も大きいことに気づいてください。光を念じ,神仏の領域に接近し,自らの手で意識の解放をめざそうではありませんか?

では本題に入りましょう。私が見聞している限りで言えば,霊能者たちの多くは何らかの組織に所属しています。

 霊能者ハンターと呼ばれる人々が,各種の噂や情報を聞きつけてフリーの霊能者にアプローチをかけ,自らの所属する組織のメンバーとなるように勧誘するのです。

莫大な利益と生活の保障を約束する代わりに,一度契約を交わすと,自分の意志とは無関係にさまざまな「仕事」をこなさなくてはなりません。

 ノルマが課せられ,他者の利益というよりも,上層部からの指示を受けて呪詛などの手を汚す仕事をこなさなければなりません。

「念」を使い,「気」を使い,下位アストラル次元の「意識エネルギー」を駆使しながら,相手の心身にダメージを与える「任務」は過酷そのものです。

このうち,「念」を使うやり方がもっとも容易で,かつ呪詛をかける側の消耗度がもっとも激しいものです。ただし,人をねたんだり,憎んだりするのが一種の習慣的性格になっているような人物なら素人でも「念飛ばし」は可能です。

 相手の顔を思い浮かべながら一心不乱に感情を喚起させ続けると,誰でも「念」を飛ばすことはできるのです。情念を伴った意識エネルギー。

これがいわゆる「生霊」と呼ばれているものの正体だと私は考えています。一般の人間も自分で気がつかないうちに行っていることもあります。

プロの場合は,それに秘術とされるテクニックを加えて利用しますのでより効果的に念を飛ばすことができますが,「人を呪わば穴二つ」とも言うように相手が術を解くことに成功した場合,自分自身にも戻ってきて急激に消耗をきたすリスクも抱えています。

さらにレベルの高い霊能者は,無駄な「念」を使わずにより効率的な意識エネルギーの使い方を知っているため,より長期にわたって安定した呪力を発揮することが可能となります。

 こちら側の情報を相手に察知されることなく,相手からの反撃に備えて結界も張っているので,まず倒れることはありません。

このような域に達する人物は,生まれつきの霊媒体質で,若いときから呪術に関する専門的な教育を受けており,かつ実技を徹底的にたたき込まれている必要があります。

組織によっては子飼いの「専属祈祷師候補生」を養成しており,それぞれの霊媒体質の特質によって得意とする霊力を極限まで引き出す「英才教育」を行っているところもあるくらいです。まるで「虎の穴」のような霊媒道場が存在するのです。

若いときには体力に任せていれば,いくらでもそういう仕事を請けることができるのですが,人間業ですからいずれ限界がやってきます。年を取って精神をやんだり,体調を崩す拝み屋がほとんどです。

この業界にいる人間は臓器の1つや2つくらいカット&ペーストをするのが「勲章」のようなものであり,一人前になるプロセスにおいて遅かれ早かれ通過する試練の1つです。一般の人々に比べてみても,老化が早い段階から始まるような印象を持っています。

いずれにしても,組織から見れば彼ら専属祈祷師は「使い捨て」の部品にすぎません。金属疲労をきたした部品はいずれ廃棄処分になります。

 物質的経済的には申し分ない環境を約束されますが,年老いてから後悔と懺悔の日々になることが多いようです。

ところで,霊能者が所属する組織と言っても,実に様々なものがあります。上位下達の徹底した締め付けの厳しい組織もありますし,自由に活動させてくれる緩やかなつながりの組織もあります。

それに,フリーの拝み屋と言っても自分の師匠(指導者)が必ずついています。彼らの師弟関係は擬似的親子関係であり,「親」の言うことには絶対に服従の世界でもあります。

特に霊能者の看板をあげる人の場合,その「親」あるいは「親」の母胎となっている組織から占い,まじない,祈祷,教師などの「資格」や「免許」を発行してもらっています。

この資格があるのとないのとでは業界からの評価や対社会的評価も雲泥の差がつきます。四国では特に資格の有無にはうるさいです。

また,誰が「親」なのか,どこの組織で修行を行ったのかという点についても相談者はよく心得ていて,「この組織の出身の人なら信用できるだろう」といった品定めをしてから,仕事の依頼に入るわけです。

 たとえば「祈祷」の資格があれば,祈祷師として相談者の身体に触れる宗教儀礼的行為も許されます。しかし,祈祷の資格がないと身体的接触は法に触れる可能性もあると聞いています。

無資格だと「セクハラ」などの理由でトラブルになるケースも存在します。ただし通常の相談行為なら祈祷の資格がなくてもオーケーです。

いずれにしても,少なくとも四国では大っぴらに活動をする上で資格をまず取っておくことが必要不可欠です。

もちろん,闇で無資格の非公然霊能者は四国にはわんさかいるわけで,そういう人の中にはインチキな「有象無象」もいますが,営利目的ではなくボランティアでやっている人も大勢いて,よく当たると近所で評判の人もいます。

一般に四国の霊能者のサイキック覚醒度は高く,テクノロジーに長けた人物がいっぱいいます。すでに述べた「念」のくれ合い,飛ばし合いについてもきわめて高度で,芸術的な域に到達している人物もいます。

それを破壊的な方向に使用してしまうのが大問題なのですが。反面,良性の念を飛ばして「癒し」に利用できる人がいるのも確かです。
また,変則的認知(超感覚的知覚;透視,テレパシー,予知)についても名人芸を披露できる人もいます。

この点は相談者たちも目が肥えていて,少しでも曖昧であやふやな「霊視」をするとクレームを付けてきます。確かめようのない託宣を告げても,顧客たちは納得しません。

確実に結果を出すことが要求されているわけで,顧客たちの高い水準のニーズに応えていくことのできる拝み屋は評判が評判を呼んで繁盛しています。

逆に一度インチキの評判が立ってしまうと,もうこの業界では仕事ができなくなってしまいます。一気に噂が拡がり,信者や顧客が一斉に離れ,やがて廃業に追い込まれていくのです。四国の霊能者のレベルの高さはこうした目の肥えた顧客たちとの関係の中でもまれながら,培われているわけです。


呪詛にあった方の壮絶な体験記ブログです

ヘミシンクと瞑想と旅行のブログです(神秘体験話が盛り沢山♪)

呪詛を打つ事について                  会社の者に逆恨みによる呪詛を打たれました。横領を告発したのです。横領した金で高級腕時計をいくつも購入して自慢してました。会社や人をだましても 何も思はないのだろうか。                        続き⇛⇛呪詛をまた打たれ⇛⇛呪詛を打つ者の救助

⇛⇛呪詛について シリーズ1~13まで(呪詛を実際に体験した壮絶なお話)


井出章彦さんのご著書「心の眼Ⅱ」からの引用ですが・・・♬


心の章 ~霊道

 心の眼を開くとは・・・
霊道を開く、という言葉があります。これは心の窓を開く、とも言い換えられます。心には表面意識と潜在意識があります。この間にあるのが、想念体と言われているものです。
 
 この想念体に穴があきますと、潜在意識からの智恵が表面意識の方に湧き出てきますので、その結果、過去世(前世、自分が生きていた当時の場所)の言葉を話せたり、未来の出来事を予知したり、人の心が分かったり、人の過去世までも視えてしまう、などと言った霊能力が身に付くと言われています。

 仏教用語にあるような、読心術(テレパシー)、透視能力(クレアボヤンス)、千里眼などと称されているものだと言えましょう。

 私自身の場合で言いますと、霊道が開いた、とはニュアンスは違います。それは自らの過去世が分かっただとか、自分の智恵によって事象の意味が分かった、ということとはまた違ってきています。

 私自身のは、天使から教えていただいている、という形になります。
学校の宿題に問えるとしたならば、霊道を開いている人の場合だと、数学なら今までに勉強してきた方程式などを思い出し、色々と駆使しながらその問題を説く、と言えましょう。

 私の場合はと言いますと、隣の家庭教師の先生が座っていて、どの参考書の何ページに例題があるから、それに照らし合わせて問題を説くと良いよ、と教わっているようなものでしょう。

 但し、私自身に金銭欲だとか名誉欲などの邪(よこしま)な気持ち、想いが生じますと、このような感覚(能力)は失われてしまいます。このことにつきましては、霊能力の場合と同じです。

 今現在ですが、私と同じように大天使からの指導を、はっきりとした声で、あるいはまたインスピレーション(感覚)として受けられている人数というのは、日本に三千人から五千人くらいだそうです。

 アセンション(次元上昇)ということもあって、いつの時代と比較しても、とても多いとのことです。この数字は、これからも増えていく可能性はあるとのことです。

 アセンションは今世関わっている人に対しては、ミカエル様が指導をなさっています。ですからそのような人に対しての通信は、ミカエル様からのものである可能性があります。

 私自身一時、霊道を開いた状態にあったことがありました。
当時は何も気がついてはいませんでしたが、アセンションへの指導の一環として、天上界の作用により霊道が開いていた時期が、平成七年の1月から平成十年11月までの約四年ありました。

 私の場合は、妻の雅子と共に、アセンションの一大プロジェクトに大きく関与していたために、特に霊道を開くことは必要であったらしいのです。

 当時、私も雅子も崖っぷちギリギリの所で、アセンションの役目を担っているという状態でした。まさに、命懸けであったという表現が大袈裟ではなく出来る程にです。

 そのため、本来私は人に厳しいタイプではありませんので、このような時には、指導霊を担当して下さっているルカ様(七大天使であるウリエル)が厳しさを、そして優しさの面においては、ミカエル様が、私の霊道を通して発揮していました。

 そして私は、ダビデ、孔子、司馬遷、諸葛孔明、吉備真備、ミケランジェロ、新井白石、勝海舟などとして地上界に出ていた時、そして今現在もですが、私に厳しさを必要としている時には、ルカ様(ウリエル)が指導なさって下さるようです。

 霊道が開いていた時、常にではありませんがその時々において、「自分は何の努力もしないで相手を憎んだり恨んだりする」様な低次元な人が、私に敢えて入ったりあるいは、ただの一度だけですが、お釈迦様が私に入ったことがあったとのことです。

 当時、私は何も感じてはいませんでした。妻の雅子が当時を振り返り、この様に申しています。「あの頃の章彦さんは、言うこととか態度がたびたび変わっていましたよ」と。

 尚、これまでの事情が分かったのは、今原稿を書いている平成12年5月のことです。そして当然ながら、これは天使により教えて頂いた事柄です。

 このような事柄、出来事を振り返りますと、天上界からの指導の一環であったこととは言いましても、霊道が開くと大変であろう、とそのように感じられます。

 天上界からの指導を抜きにして考えた場合ですと、よほど自分の心をしっかりと持ち、そして正しくしていないと、自分が自分でなくなったりしてしまいます。俗に言うところの「憑依」です。

 私の以前知っていたある人は霊道が開いていました。過去世の言葉を語り、遠く離れた人の心の状態を知り、自分自身のあるいは人の未来を、そして過去(前世をも)を知り、眼に見えない世界の現象を感じ取ることの出来る能力~霊能力を持っていました。

 ところが金銭欲を始めとして、いくつかの欲が生じてしまいました。そのために一人、二人とその人の元から離れて行きました。彼女はそれでも自らを振り返ろうとはしません。

 私が彼女から離れてしばらくして、天使長であるミカエル様が、彼女の霊道を閉じることをしました。このままでは人に迷惑をかける、というのが主な理由です。

 彼女の場合は自我が強く、欲というものが強く生じており、他の人のことを中傷したり、非難するということも多々ありました。これでは霊道を閉ざされてしまっても仕方のないことです。つまり、本物ではなくなる、ということを意味します。

 大天使ミカエルは今世、アセンションの仕事に直に関わっており、天上界と地上界とを繋ぐ仕事を扱っている関係上、人の霊道のコントロールに携(たずさ)わっているとのことです。

 そのためミカエル様は彼女の霊道を閉じました。彼女が霊道を開いていることは、アセンションにとっての役に立たないばかりではなく、他の人にも、他の事柄にもマイナスの因となってしまう、ということからです。

 彼女は実は七次元の菩薩界から出てきている光の天使です。ところが全てを人のせいにしてしまい、自らを振り返ることは一切していないために、心の段階は7次元から4次元へと一気に落ちてしまっていました。

 今は「前はこんなはずではなかったのに…」と、自らを振り返ることをすることもあるため、心の段階の方も五次元(の下の段階)にまで、戻ってきたとのことです。

 霊道が開いた場合、今まで以上により自分自身に厳しくする必要があるということです。霊道に関してこの事柄をここまでミカエル様に尋ね、教えられたものとして、この場に記させていただきました。

 霊能力というものに憧れる人もいることと思いますが、自分の心が余程しっかりとしていませんと、上級霊ならばとにかく、地獄霊だとか動物霊などの低級霊にあなた自身、乗っ取られてしまい、心を蝕まれてしまうことも、なきにしもあらずです。

 ですから、むやみやたらにおかしな方向へ修行に心を向ける事は逆効果となりますので、十分に注意しなければなりません。それはあなた自身のためであるからです。

 また別にある本では、「天上界において天使と出会って様々な教えを受け、そして自らも天上界の様子を見て真実を知った」と記した内容のものが実は、高橋信次先生の本からそのままのものでした。

 この著者はそれでセミナーなどを行ない、生計を立てているといいます。(この著者のことをミカエル様に確かめた所、信者集めが80%で、本の内容については創作である、とのことでした)

 もしあなたの近くに霊現象の行える人がいた場合、まずその人を観察して下さい。その人の日常の言動だとか、生活の様子、人柄などを第三者の眼で見て下さい信じるのはそれからでも遅くはないのですから。

 むやみやたらに信じてしまって、そしてそれで1番損するのは、他ならぬあなた自身なのですから。
 

井出章彦さんの過去記事からの引用ですが・・・♬


祈り  (徳によって祈りが叶う原理)

 誰もが皆、お祈りをしたことがあると思います。それは心の中であったり、神社の前であったり、お寺の中であったり、あるいは夜寝る前の布団の中であったりしたかもしれません。

 そして多分皆さんは、神様が、天使が、ご先祖様が守ってくれる、導いてくれる、願い事を叶えてくれるとのことで、祈られているのではないかと思います。以下、心の眼の観点から感じたままに記していきます。

 ます、祈りは、徳の数によって成就されるということです。えっ、何のこと?、と思われることでしょうね。きっと。ここで、預金のことを思い浮かべてみてください。

 原理としては同じですから、把握しやすいと思いますので。
あなたが新車を欲しくても、それだけのお金がなければ購入する事は出来ません。(物を買うには)お金という貯えがこの場合、必要です
 
 では徳とはどういうものなのでしょうか。そして徳を積むとは一体どういうことなのでしょうか。人に親切にするとか、街に落ちているゴミを拾うという行為も、徳として換算されて、積まれていきます。

 たとえそこに貴方のその行為を見ている人が誰もいなくても、あるいはあなたの親切を相手の人が気づかないとしても、です

 私は時々、遠隔ヒーリングを行うことがあります。相手には「気を送ったよ」とか、「今からヒーリングをするからね」とかを、特に伝えたりはせず行う場合が殆どですが、心の眼で私自身の徳の数を教えてもらうと、それは増えていたのですね。「情は人のためにあらず」という言葉の意味は実は、このように自分のためとなっているのだ。ということなのです。

 拝めば救われる、という以前に、自分自身の今までに行ってきた善の行為によって、自分自身が助けられる、救われる、という事柄は実際にあり、それは事実なのであるということを、皆さん方には是非知っておいていただきたいと思うのです。

 今の日本人における徳の数の平均はいくつでしょうか。百を満点とした場合、その平均値というものは実は二十です。ちょっと少ないなあ、と感じられたのではありませんか。

 ではなぜ少ない数なのでしょうか。それは、自分本位の考え方で生きている人が多いことをそのまま顕しています。

 それだけ自分だけ良ければいいんだ、という考え方に基いて生きている人が多いということを顕しているのですね。ですが、面白いことに、そのような人というのは徳が少ないから、逆に幸せな人生は送りにくいのですけれども。


心の曇り、そして罰

怒り、愚痴、不平不満、謗(そし)り、誹謗、足ることを知らぬ欲望などが心の曇りです。そしてこれらは心の曇りとなります。そしてこれらは心の毒と称します。これらは、心に射してくる神からの光を遮ってしまいます。

 心に曇りが出来ますと、神からは光が当たらなくなり、すると数奇な人生を送る、言い換えると、正道から外れてします方向に、進んで行ってしまいます。(謗り=悪口を言うこと)

 ここで、日常生活の中でありがちな事柄を、怒り、愚痴、不平不満などが心に生じている例として、考えて挙げました。
 「自分から人が離れていった場合、離れていった人の方を悪い、と決めつけたり、周囲に言い触らしたりする」というケースです。

 このような、人が自分から離れていってしまった、という出来事に対して、自分自身を振り返ることはしないで、あれこれと理由をつけて自分自身を納得させることは、自分の非を認めたくはない、認めない人に多いでしょう。

 相手に怒り、愚痴、不平不満などの感情をぶつけるのではなくて、まず自分自身を振り返ることなのです。

 自分自身を振り返るということは、自分の心の状態・在り方が、出来事を作り出しているのですから、そのようになってしまった原因は、他人ではなくて自分自身にある、ということに気がつくことなのです。

 例えですが、もしあなたが、全てを人のせいにするようなタイプの人から、何かを言われたり、誇張されていわれたり、あるいはまた、無いことまでもをもひわれたとしても、誰に対しても言い返したり、事実を説明したり、証明したりすることは必要ありません。

 まずそのような事を言っている人というのは、天上界にある(閻魔帳)につけられてしまうのだそうです。

 加えて、そのような人から何を言われたとしても、「ここで言い返したり騒いでみても、周囲の人達を巻き添えにしたり、事が大きくなるから、ならば黙っていよう」としている人には、大きな徳が積まれるのだそうです。

 預金で言うと普通預金ではなく、定額預金に該当する程の大きな徳になるとのことです。

 自分自身を省みることをせず、他人のせいにしたりする人、このような人は心の段階が残念なことに、ガクンと落ちてしまっています。これはすべての人々にあてはまる事柄です。

 高橋信次先生からの、私がいつも胸の中に入れている最も好きな言葉を次に紹介します。
「己れに厳しく、人には寛容な態度を決して忘れてはならない。柔和な心は神の心であり、法の心であるのである」


私は井出章彦さんから徳を積む大切さを学びました


正しい思いをもって
調和した生き方をすると心の次元が上がる

 心の次元をレベルアップさせていくのを邪魔するのが、「心の曇り」です。心の曇りはエゴ、自我、自己保存などによって生まれます。
 私はこれを、「スモッグ」と呼んでいます。
 
 神からの光や天上界の天使からの光を受けるためには、自分の心が綺麗に磨かれていなければなりません。
 曇っているとひらめきを得られないのです。この状態は、窓ガラスが曇っていて外から光の量が十分に中に入ってこないのと同じです。

 心にスモッグがある人に守護霊や、指導霊、あるいは天使が メッセージを送っても、スモッグが邪魔をしてメッセージは受け取れません。心に差し込む高次元からの光が心の中まで入ってくるのを遮ってしまうからです。

 今の地球はスモッグが大気のように広がり、地上を覆っています。この地上に在る心を光で満たすには、怒り、恨み、妬み、憎しみ、愚痴、足ることを忘れ去った欲望、増上慢などの不調和な想念をなくし、

 愛の思いや努力、責任。博愛、勇気、向上、進歩など、善の調和ある想念を心に抱くことです。そうすることによって、スモッグは消え、心に光を受け取ることが出来ます。

 なぜ、心にスモッグが出来てしまうのかというと、先に述べたように人間は自分たちの心10パーセントしか知らずに生きているからです。三次元では10パーセントしか把握できないのです。

 心の次元が上がるということは、今より心が広く大きく豊かになることでもあります。
 天からの光が多く心にはいれば、過去生の事も、この世に生まれてきた役割も、宇宙真理も、人によっては分かったりします

 現世の人間は四次元より上を覗くことが出来ません。過去生がわからないのはもちろん、一寸先のことすら分かりません。そうした厳しい状況の中で、私達は魂を磨くため修行をしているのです。

 欲望=エゴに振り回されることなく、正しい心のあり方を知り、感謝の念とともに法に叶うかなう心で実践に移せば、心の次元は上がっていきます。

 思いと行いが正しければ、天は必ず私達に大きな力をくれます。不調和で邪な霊に支配されることもありません。

 素直な心、不調和のない綺麗な心で、正法にかなった生き方をしていると、天の指導や善導を受けやすくなります。

 逆に愚痴や怒り、自己保存などで心が揺れていると、心にスモッグが出来て、天の光が届かなくなります。そういった状態は様々な不幸な現象を呼び寄せますし、心の次元も下がってしまいます。
  
 毎日の生活が調和していると、誰にでもガイドが力を貸します。ガイドは日々、指導、善導を行いますから、人生が「ツク」方向に向かうようになります。生活の中の小さな部分から法にかなった思い、行動をすることにより、心の次元が上がっていくのです。


他人の目はなくても
天の目があることを知っておいたほうがいい

 大事なのは徳を積むことです。徳というのは、良い行為をすることです。相手が人間であるかどうかに関わらず、動植物や地球に対しても良い行為をしていくことです。
 
 お金がある人は寄付をする、お金はなくても物がある人は物を渡す、物がない人は知識を渡す、知識がない人は労力で渡すなどでいいのです。

 例えば目の前に体の具合が悪い人がいたら、お金のある人は治療費を出してあげる。
お金のない人は腕のいい医師、あるいは病院を教えてあげる。

 知識も何もない人は痛い所をさすってあげる・・・・・など、自分の置かれた境遇によって、出来る限りのことを出来る範囲ですればいいのです。
 
 人助けまでいかなくても、ゴミを拾ったり、優しい言葉をかけてあげてあげたり、簡単なことでいいのです。

しかしそのとき、「誰かが見ているからやる」などという気持ちが少しでもあると、徳は半減してしまいます。

 半減どころか、ゼロに近くなってしまう場合もあります。見返りを期待することなく、心から滲み出てくる善なる行為が”徳”なのです。
 
 そういう行為が自然に出来るように、自分の魂をレベルアップしていくことです。道にゴミが落ちていたり、自分の心の垢を一つ取り除く気持ちで拾ってゴミ箱に捨てればいいのです。これは、簡単な習慣付けでもあります。



井出章彦さんの心のお師匠さん
お釈迦様の生まれ変わり「高橋信次先生」が語る

感謝と報恩のお話   成年との問答    高橋信次師の記事♪

 T大学の四年生は、こんな質問をしました。

「私は、自分で望んで生まれてきたとは信じられない。両親が勝手に生んだのではないか。生んだ以上は育てるのが当然だ。

 現在のような社会の体制下の中で、人間の平和はあり得ないし、権力者に感謝した所で良くなるはずもないではないか。

 私達が月謝を払っているから当然教えているのであって、給料をもらっている以上、教える義務もあるだろう。

 また勉強、試験、試験と追いまくられていれば気分もイライラしてくる。といって学校を卒業しなくては、就職の時に問題になるし、

 誰だって良い生活はしたいだろう。学校さえ出ていれば、働いて地位を築いて行く事も出来るし生活も楽になるはずだ。

 この中で弱い者は敗れ、強い者が生き残るのは自然の法則ではないか。私は、感謝とか報恩とかいう言葉は、好きではないが答えて下さい」

 何だか、国会において野党の議員が文部大臣をつるし上げている様な質問ですね。これが大学生の質問かと思うと、私には哀れに思えたのでした。 

 彼が、心損失の代表のように思えたからです。彼は、私(高橋信次師 )の著書も観ていないし、講演も初めて聞いた者であります。

 この時の公演は、現在仏教徒古代仏教の相違について、一時間半話をしたものですが、質問はその後の事でした。私は聞いてみました。

「君は生きているという事に疑問を持ちますか」
「それは、自然だから疑問はないなあ」

「自然とは何ですか」
「自然は、自然だよ。別に意味はないよ」

「意味がないという事は」
「意味がないから無いと言っているんだ」

 話になりません。常に反撥する事に生きがいを感じているのでしょう。しかし、彼の心の中で、どうにでもなれというような捨て鉢になって、大きく感情が膨らんでいるのがよく見えます。

「なるほどね、君は自然という意味もあまり解っていないようだね。原因があるから結果が生まれるのでしょう。自然という原因があるから、結果として生きている事に疑問がないのだろうか。

 疑問がないという事は、先程の質問と大分違っているが、君は、理屈にはならないことを簡単に口走っているが、もっと筋を通して人と語る事が大事ではないか」 

学生「・・・・・・・・・」

「君は、親が勝手に生んだのだ、望んで生まれてのではないと言ったが、どのくらいの知識を持ってその様な事を言うのかね。

君の考えているのは、眼に見える世界だけなのだ。君を今日まで育ててくれた両親がいるから大学へも行けるのではないか。それを当然だと思っているのかな」

「それは当然だなあ」
「では、もし君の両親が君を生みっ放しにして、死んでしまったとしよう。それでも君は、今のような境遇にいられると思うか。

 両親も身内もなくて君は孤児になる。世の中にはこの様な人は一杯いるのだ。君だったらどうするね」

「それは、他人が何とか見てくれるだろうね。しかし今のような境遇になれるかどうかは想像は出来ないなあ」

「それなら、今の境遇は恵まれているという事になるだろう。
大学へ行けない青年も多いのだよ。君が、何不自由なく、学校に行けるという事は幸福だと言わねばなるまい」

「それはそうだよ」
ようやく、頑(かたく)なな屁理屈屋も同調したようです。

「幸福だという事は、両親の愛情によるし、経済的にも恵まれているからだろう。両親が病気とか貧乏としていたら君はどうする」
「僕は働いてでも学校へ行くし、親の面倒も見るだろうな」

「君は恵まれすぎているから、親の愛情が解らないのだ。苦しい両親を見ていたら、働いて両親を助けていただろう。それは、君が両親に愛情を持っているからだ。

親に対する感謝の心があるではないか。その感謝に見合う事をするのが報恩であり、親孝行というものだ」
学生「・・・・・・・・・・」

 まだ反撥心が消えていません。すきがあれば攻撃しようという様な心構えのようです。
「君は、両親の思っている事が解るか。また両親は、君の思っている事が解るか」
「それは解らないなあ・・・」

「なぜ解らないのか」
「考えている事が解ったら大変だ。親子であってもこれは別だよ・・・」

「親子であっても別だと言ったね、その通りだ。肉体を両親から戴いたはずだし、君の魂意識は別だからねえ・・・」

「魂なんていうものは、ないよ。そんな非科学的なものは論外だ」
(学生は)勝ち誇った気持ちになったらしいです。

「君は、悲しい時や感激したときなどどのような気持ちになるか」
「人間だから感情というものがあるだろう。だから泣く事もあるさ」

「その時は、涙が先に出てくるの?」
「胸からこみ上げてきて涙が出てくるよ」

「そうだろうな……君のことだから、先に涙が出て来ると思ったよ。胸にこみ上げて来るものは一体何だろうな、解るかね?」
「それは感情だろうな」

「その感情が心の現れだよ。心の中の一領域の作用というものだ。君は、思う事や考える所はどこからだと思う?」
「それは頭だよ。頭脳だよ」

「君は、眠っている時には、なぜ悲しい事も辛い事も嬉しい事も解らないの?耳の穴もちゃんとあいているのに、そばで悲しい問題が起こったり、話しかけられたり、匂いを嗅がされても、大きな刺激を与えない限り解らないのはどういう訳かね」

「眠ってしまえば、誰だってわからないよ、そんな事は愚問だ…」
一寸風向きが変わってきたようです。愚問だと言っています。

「君は解らない事は愚問だと言うが、非常に非科学的だね……。君は、舟に乗った事があるかね」
「夏はよく海で乗るなあ……」

「その舟に船頭さんが乗っていなかったら、目的地に着けるか」
「それは着けないよ。船頭がいなければ、舟は吹いているだけだなあ……」

「君も眠っている時は、自分の意志もなく、肉体舟は自由に動かないだろう。船頭さんである君自身が眼覚めて、初めて眠る前の喜びや悲しみや苦しみが蘇ってくるだろう。

この時の船頭さんを君の魂と言うんだよ。また、人はよく意識がなくなったというだろう。それはその意識の事だ」

「なるほどなあ……肉体以外で船頭さんがいるという事か、それが魂なのか」彼は遂(つい)に否定出来なくなってしまいました。

 頭が全てを記録しているのならば、眠っていても私達の五体は完全ですが、実は催眠中は記憶などはないものなのです。
「やはり船頭さんが記憶しているのだなあ……そう考える以外にはないなあ……」

 私は、最後にこう言いました。
「君が生かされているという事は、大自然の太陽を始めとして、万物万生があるため、肉体舟を保存する事が出来るのだ。太陽がなかったら、生きられるだろうか。しかも太陽は私達全てに平等に熱光りを与えているだろう。

 これこそ、慈悲であり愛であるという事だ。私達は、この慈悲と愛に対して、ただありがとうという感謝だけで良いのだろうか。
感謝だけでは一方通行である。そこで、報恩としての行為が必要だ。

 この行為は、太陽にするのではなく、人々のため、より良い幸福のために尽くすことが大事ではないだろうか。両親は、無償で育ててくれた。これも両親の慈悲であり、愛のはずだ。

これに対する感謝はやはり報いねばならないだろう。食物も私達のため一命を投げ出してくれる。だから私達の血や骨になるのである。感謝する心は、大事に無駄にしないようにする事が報恩の行為といえるだろう」

 学生は、初めて頭を下げたのでした。
「解りました。私は感謝の心が足りませんでした。学校の先生に対しても教えるのが当然だと思っていました心を入れ替えて頑張ります。無礼な質問ばかりしてすみませんでした。本当にありがとう」

 彼に、遂に本当の心(神我)が芽生えたのです。この時、彼の心の曇りは晴れ、※頭に薄い後光が出始めたのです。
(※ご自分の後光の光量の強さに応じた世界が、死後に行く世界になるそうです。感謝の心は天国に行く大きな秘訣といえましょう

 自らの間違いを認め、これはいけないと心に反省をしたのですね。この様に、私達の心の在り方が苦楽を造り出している事を知ったなら、毎日中道心と行いで過ごす事を忘れてはならないでしょう。

 学校の教育は、人間の教養を高め、正しい人間らしい立派な人格を造る為にあるのではないでしょうか。そして、より良い社会人として、社会人類の豊かな心と繁栄のため尽くさなくてはなりません。その時に、自らの心も磨かれてゆくのであります。

 学問によって広い知識を持つと共に、豊かな心を持つ事です。虚栄心やエリート意識は、人生において良い結果をもたらすものではありません。

実るほど頭を垂れる稲穂かな」ですね。謙虚な心で、自分の欠点を修正する為には、己に厳しく、人々に対しては寛容な心を持つ事が大事なのです。

 常に自らの心と行為を反省し、包容力があり、そして智慧があり、勇気があり実行力のある人々、こうした人々こそ、本当に立派な人格者といえるのです。

 先に質問した学生は、社会は弱肉強食であり、それが当然だという考えを持っていました。こうした考え方は、万物の霊長である神の子が取るべき道ではないのです。

 人間には、足る事を忘れ、欲望の尽きることを知らない人々もいます。むしろ動物以下の人間もいるでしょう。その動物達も万物の霊長に近づくための修行過程なのです。

 人間は、この地上階の万物万世を調和したユートピアを造る事が使命なのです。弱い者達に、愛の手を差し伸べて、共存共栄の社会を完成しなくてはならないという事であります。



お釈迦様の生まれ変わり「高橋信次先生」が語る

後光を出す秘訣は感謝と報恩
父母の愛に感謝して恩返しする大切さを説く素敵なお話


 年が進むにしたがって、ものに感謝する心が失われてきます。すべてが当たり前に動いており、感謝や、感動の心は湧いてこなくなります。

 しかし、ものに感謝できない心は、もともと、どの辺りから生じてきたのでしょう。誰しも子供の時代がありました。

 子供のときは両親から可愛がられます。両親は子供のいうことなら大抵のことは聴いてくれます。近頃は過保護となり、親は子供のこととなると夢中になってしまうようです。

 両親は大抵のことはいうことをきいてくれる。わがままを通してくれる。
ということから、子供の心は生長するにしたがい、次第に、ものに感謝する心を失ってゆきます。

 学業を終え、社会に出ても、仕事をするから給料をもらうのは当然だ、課長は係長より余計に給料を取っているから、それだけ働くのは当然だ、ということになってゆきます。

 こうして感謝の心は一向に芽生えてこない訳ですが、その元をたどると、子供の頃のわがままが、大人になっても続いているからです。これでは感謝の心がよみがえってきません。

 この地球上は、お互いに、助けたり、補い合うことによって成り立っているのですから、感謝の心というものは、人間にとって非常に大事なものになるのです。感謝は謙虚な心をつくり、やがて、愛の心をも育てるものです。

 正法の出発、そして終点は、ものに感謝することにあります。すべてが当たり前で、当然、という見方をしていては、「正しくものを見る」ことにはなりません。

 大事なことは感謝です感謝が基礎にないと、ものの見方は偏見を伴ってくるでしょう。

 このほか、親子の問題、夫婦の問題、社会生活の問題、いろいろその例題は尽きませんが、正しい見方というものは、具体的には現れている様々な事柄を深く掘り下げ、物事を正しく認識することから生まれてきます。

 公平な見方は、そうした認識から生まれ、正しい見解に至るわけです。
この地上界に事象(現れている様々な出来事)は、全て、人の想念、心の動きから生じており、現れの姿はそれの結果なのです。

 ですから、ものごとの原因は、人の心にあるのであって、現れているさまざまな現象は、原因ではなく結果なのです。従って、結果だけをとらえ、あれこれ判断すると、間違いの元となります。

 まず、現れている結果を見たならば、その原因について、掘り下げてゆくことが「正見」のポイントです。

 正見の目的は、物事の正確な判断であり、そうして、それにもとづく正しい見解を持つことです。


以上を要約すると、
 一、まず感謝の心を持つこと。  
   一、事象の一切の原因は人の想念、心にあって、現れの世界は結果である。
 一、既成観念を白紙にもどし、物事の真実を知るようにする

 一、正見の反対は邪見になります。常に第三者の立場に立って自我の思いを捨て、正しく見る努力をするということになります。


愛の原点  父母への反省と感謝

それでは皆さん、静かに呼吸を整えてください。
今から、私たちをこの世に送り出して下さった両親の事を静かに考えてみたいと思います。

あなた方は今、生きています。肉体があります。呼吸しています。
今、ここに自分というものがあることを誰も否定できません。なぜあなた方が今、ここにあるのでしょうか。

ご承知のように物事には、すべて原因と結果があります。
私たちの魂もこれから外れることが出来ないから、今ここにある訳です。
人間には転生輪廻があります。

何十回・何百回生まれ変わったか知れません。その繰り返しを重ねて、今ここにあなた方があります。それは丁度、数限りなく繰り返した輪廻という法の中にあります。

その法の端にいる今のあなたをこの世に送り出して下さったのは、他ならぬご両親です。ご両親を縁として、今のあなたがあります。

お父さんがいなければ、あなたは今ここに居ることはありませんでした。お母さんが居なければ、あなたは生まれることはありませんでした。

あなたの肉体は、ご両親によって与えられました。しかもビタ一文払うことなしに、この肉体を頂きました。ただで頂いたばかりでなく、ただで育てて頂きました。

全てが与えられたものばかりでした。よぅく考えてみて下さい。あなたはただで肉体を与えられ、ただで育てて頂いたのです。

今、もし仮に、あなたのご両親がその肉体を返して欲しいと言われたら、あなたはどうするでしょう。……… あなたは拒むことは出来ないはずです。

そうではありませんか。あなたの体は、すべてご両親から与えられたものだからです。自分のものは、何一つありはしないのです。

皆さんの中には様々な事情があって、ご両親に対して良からぬ想い出や感情を、お持ちの方がいらっしゃるかもしれません。しかし、それは狭い心に基づいた偏見だと申し上げましょう。

今ここにあなたがいる。そのために、両親がどれほど心を砕き、身を挺し、その結果としてあなた方が存在しているかを振り返って頂きたいと思うのです。

遠く昔に遡って見ましょう。……… 
今、あなたがお母さんのお腹の胎内(なか)にいる自分を想像してみて下さい。お母さんのお腹の胎内(なか)は暖かです。

ゆったりしています。何の不安もありません。
そのようにして十月十日(とつきとおか)の間、あなたはお母さんの体に守られて、ゆっくり育っていきました。

お母さんは大変でした。ある時はつわりで吐きそうになり、何日も苦しみました。体は重くなり、動くのさえ大儀になってきました。トイレに行くのも苦しいほどです。

肩で息をしました。でもその体でおむつを縫ったものです。夏の暑い日には、かんかん照りの日差しの中を、お腹を突き出してあえぎながら、毎日市場へ買い物にいったものです。お母さんも、たまには映画を見たいと思ったこともあったでしょう。

けれども人ごみの中へ出かけては、お腹の子に悪いと控えたのでした。胎教に悪いからと読みたい本を控えたこともありました。

いつも考えるのは、お腹の子のことばかりでした。丈夫な子が生まれるように、そればかり念じておりました。時には赤ん坊は、お腹の中で手足を動かしあばれました。「ああ、丈夫に育っている」とそれが何よりの喜びでした。

みなさん、よぉく考えてください。お腹の胎内(なか)にいた、僅か十月十日(とつきとおか)の間でさえお母さんは、これだけの犠牲をあなたに注がれたのです。

やがて出産の時が来ました。お母さんの陣痛は大変なものでした。骨の節々まで痛み、身体中から脂汗を流しながら痛みに耐えたのでした。 

この子が無事に生まれてさえくれればそれでいい。ただ、それでいいと、必死になって陣痛と戦ったのです。
命をかけてあなたをこの世に送り出そうとされたのです。

お父さんもそうでした。出産が近づくともう欲は言わない、ただ赤ん坊の手足の指が五本づつ揃っていれば、母と子が無事であれば、もうそれ以上何もいりませんと、ひたすら祈り続けました。

ひたすら祈りながら産室の前を歩き回ったものでした。それがあなたのお父さんの姿でした。あなたがこの世に生を受けるまでに、すでにご両親はこれだけの愛と犠牲を払われているのです。

思い出してください。こうしてあなたはこの世に生まれました。「おぎゃー」と呱々の声を上げた時も、両親の喜びはどんなに大きかったか

その声を聞いて母親は自分までが、初めてこの世に生まれたように喜びました。お父さんもまた、安堵の胸を撫で下ろし、涙さえ浮かべたのでした。

そして手を取り合って二人で喜び合ったものでした。それからは一切がお母さんの手によって育ちました。
 母の懐を寝床として、母のひざを遊び場として、母のお乳が唯一の食べ物として育ててくれました。母の手でなければ夜も昼も明け暮れません。

母の手がなければおむつはそのままです。夜中にむづかり、泣き出して母親を起こします。両親は昼間の疲れもいとわず、二人で飛び起きてあなたの世話をして下さいました

あなたがヨチヨチ歩きを始めると、両親の気遣いは大変なものでした。
お母さんは台所で水仕事をしていても、あるいはちょっとした買い物に出かけていても、気がかりでならないのです。

泣き声が聞こえてくると、縁側からでも落ちたのではないかと息せき切って走ってかけつけました。それがたとえ、空泣きであっても急いで抱き上げておっぱいを含ませました。

痛いほど乳房を噛まれても、母は吾が子があどけなくおっぱいを吸い、にっこり笑う笑顔を見さえすれば、母親は一切の苦しみを忘れるのです。それがあなたのお母さんでした。

赤ん坊のあなたは何もわかりません。父親が注意していなければ、ストーブの火が身体を焼くことを知りません。母親がいなければ、刃物が指を切ることを知らないのです。

両親がいなければ、毒で命を落とすことも知らず、何でも飲み込んでしまうのです。どれほどの心づかいや、目配りが赤ん坊のあなたに必要だったか、あなたはお分かりでしょうか。

熱を出して、お医者さんを呼びに走ったこともあるはずでした。夜も寝ずに、心配で胸をいっぱいにして看病してくださったのはご両親です。

大病をした子供に私の命に代えてもこの子を救ってくださいと、お百度参りをしてくださったのは、あなたのお母さんでなくて誰だったのでしょう。

ご両親がいなければ、あなたは、今ここに居なかったはずです。
自分一人で育ってきたと当然のような顔を出来るはずはありません。

両親がよその家にお客に招かれておいしいご馳走がでたときに、ああこのお菓子の一つでもあなたに食べさせてあげたいなぁと思うので多少格好が悪くても、わざと食べ残したものを紙に包んで持って帰ったこともあり、あなたはそれを喜んで食べた。

ご両親は自分が食べなくても、子供が喜んで食べるその姿を見てひもじい思いは消し飛んでしまいます。戦争直後は、ひどい食糧難でした。

その時に、子供にだけはひもじい思いをさせたくないと、自分は食べずに、自分の分まであなたに食べさせて下さったのは、お母さんでした。

お母さんはお釜の底や、しゃもじに残った一粒一粒のお米を食べて、さも充分食べているような素振りをしていたのです。それ程の愛を注いで下さったのがお母さんの外に誰があるでしょう。

……… やがてあなたは成長しました。学校に行くようになりました。洋服を整え、学用品を買い、世間並みの恥ずかしくない用意を整えて下さったのは誰でしょうか。毎日、ハンカチからチリ紙まで気を配って下さったのは誰でしょうか。

「車に気をつけなさいよ」・「道草をくわないで」毎日そう言って送り出して下さるのは誰でしたか。お母さんの心は愛で一杯です。
たとえお金をもらっていても、これだけの愛の行為が、誰に出来るでしょうか。

あなたが成長するにつれ、しだいに大きな洋服がいります。靴がいります。あなたのお父さんが、汗水たらして働いて得た収入があってこそ、必要なものが整えられていったのです。俗に男が家を外に出れば、七人の敵が居ると言われます。

会社に勤めたり、また独力で商売を営み、それにはどれ程の汗と涙が流されているのでしょう。上役の厳しい命令にも耐え、辛いことも忍んで父親は家族のために収入を得てきました。本当に苦労の連続です。

あなたはその苦労を知りませんでした。欲しい物が買えるお金が家にあるのは当然のように思っていたのです。いやお金の事なんか、全然考えもしなかったでしょう。

しかし実際は、限られた収入の中からやりくり算段して母親は、子供たちに必要なものを買い与えていたのです。

自分は流行りの着物を着なくても、あるいは、化粧品は、百円の安いクリームで我慢して、あなたに恥ずかしくない服装を用意したのです。

……… 冬がやってくればあの子はセーターがいるだろう、この子は手袋がいるだろうと心をくだいて、あなたの事ばかり考え配慮して下さったのはお母さんです。

思い出してください。何年も前の古ぼけたオーバーのままで、町を歩いていたお母さんの後姿。その後姿にあなたへの一杯の優しい愛が、母の心が溢れていたことを、いま知ってください。

こうした多くの両親の犠牲と愛によって、あなたは、いま、ここにある訳ですが、それに気付いたことがあるでしょうか。

正法(しょうほう)は愛に始まって、愛に終わるものです。」

愛の献身によって、人は生かされ生きています。

その愛は、両親の身を削るような犠牲の中に育み、今のあなたがあるのです。幼い時を反省し、父や母の愛の行為に感謝されたでしょうか

たとえされたとしても、両親の愛の心に対して、両親の愛の大きさ広さに見合う心は、容易に得られない事を知る事でしょう。現にあなたは、ご両親の心を痛め、苦しめることを、何度繰り返した事でしょうか。……… 

食事がうまくないと言って箸を投げ出し、口も聞かなかったことがなかったでしょうか。苦しい家計のやりくりの中から作った食事に、このおかずは嫌い、このおつゆは辛い、そう言っていささかの感謝もなく、心を不満で一杯にした事もあったでしょう。

犬猫でさえ、文句を言わずに食べるのに。あなたは好き勝手なことを言いました。洋服の柄が気に入らないと言ってぶつぶつ文句を言った事もあります。

親の愛が満ち溢れているその洋服を怒って、身につけて泣きわめき、我を通そうとしたこともあったでしょう。お母さんが忘れたと言って怒鳴った事もあると思います。

忙しい上に心配事の多いお母さんが、一度か二度忘れた事を、罵り(ののしり)返す権利が、いったいあなたのどこにあったと言うのでしょうか。
怒鳴っているあなたは、鬼です。己の事しか心にないエゴイスト、それがあなたではないですか。

受験勉強でお腹が空いただろうと、
一緒に夜遅くまで起きていて夜食を作って下さったお母さん。……… 

「しっかりやっているか」とのぞきに来て肩を叩いてくれたお父さん。努力が実って入学試験に合格したとき、お赤飯を炊いて顔中を涙でくしゃくしゃにして、喜んでくださったお母さん。

あなたが社会に出た時もそうでした。入社試験に受かって、これで一人前になったと励まして下さったお父さん。お祝いの料理を作り、お酒を買ってきて前途を祝って下さったお母さん。

どれ程の大きな愛が、生まれてから現在までのあなたに、注がれ続けてきた事か。あなたは、その愛の重さを感じ取る事が出来ますか。

あなたの身体は、両親の、父と母の愛が、一つ一つ集まって出来ているのです。
あなたの身体は、単なる肉体ではない事を知ってください。

そうした大きな愛を受けながら一人前になってしまうと、両親をなおざりにしがちになるのが人間です。まして結婚しますと両親の事を忘れてしまい、自分の家庭だけが心の関心事になってしまうのです。

「去る者は、日々にうとし」もはや、あなたは自分の妻や子供達だけで自分の世界を作ってしまい、両親の事は遠くへ押しやってしまいます。

故郷を離れ都会に出てきてしまうと、その繋がりはいよいよ薄くなり、親の年が幾つであるのかも忘れてしまい……… 

ご両親の年が幾つかを、正確に覚えていらっしゃる方がこの中に何人いますか。… お父さんは還暦じゃないかな… 七十七のお祝いの年じゃないかな、といつも心掛けている方が何人いるでしょう。

両親と言うものは、歳を取り仕事が衰えてくると頼りにするのは子供だけです。ですから、電話を掛けたり手紙を出してあげれば、両親が喜ぶことは、あなたは百も承知のはずです。

それでいて、滅多に電話も掛けなければ、葉書一枚書くのもおっくうがって、一日延ばしにしてしまうのはどう言うことでしょう。

でも、ご両親は、あなたを恨みません。愚痴もこぼしません。それどころか、夫婦仲は上手く行っているだろうか。… 病気はしていないだろうか。…会社ではうまくやっているだろうか。… 孫達は風邪をひいていないだろうか。… 

ご両親の愛の思いは尽きる事がありません。幾ら歳を取っても、親不孝であった子であればある程、気掛かりなのが親心です。

そうした両親が連れ合いに先立たれると淋しさは一段とつのります。丁度、独りぼっちで旅先の旅館で泊まっているようなものです。

話し合える人もなく、淋しさをまぎらわせる物は何もありません。独りぼっちの親も、頼みとする子供夫婦が、そして、孫が訪れる事もありません。

皆と笑いささめく楽しみもなく、夜は冷たい布団の中で身を横たえるのです。眠れない布団の中で思う事は、子供達と一緒に暮らした昔のことです。

その淋しさを、あなたは想像できるでしょうか。淋しくとも文句一つ言いません。その心の内を、あなたは思いやった事があるでしょうか。

夜中に目が覚めて、子供達夫婦はどうしているかを考えるのです。そのような母の心、父の心を思いやる時が、あなたにこれまで、何回あったでしょう。

たとえ同じ家庭に同居していても、夫婦が親をそっちのけで、ひそひそと楽しく語り合う事ばかりが中心で、独りぼっちの父や母と語り合う機会がどんなに少ないことでしょう。それがどんなに、父や母の心を傷つけていると思いますか。…

けれどお父さんやお母さんは恨みません。あの子は優しい子だった。… いろいろ忙しくて大変なんだ。… この頃は余り話も出来ないけれど、あの子は悪意がある訳じゃない。そう思って、自分をなぐさめるのです。

我が子が悪いとは、露程にも思いません。たまにちょっとした事があって、遠慮がちにお母さんがあなたに何か言えば、「そんな事じゃお母さん困るよ」と文句を言ったのは、あなたではないでしょうか。

いつも妻の肩を持って、「お母さんはそれだから」「お父さんはそれだから」、と逆に両親を責める事はなかったでしょうか。

そのようなあなたであれば、あなたの奥さんやご主人、あるいは子供達も、あなたのご両親に対して心よからぬ感情を持つでしょう。
ひどい時には「人間老いぼれて行き永らえるよりは、早く死んだ方がいいよ」と、鬼のような言葉を吐く人もいます。

そのような言葉を聞いた時に父母の悲しみはどれほどのものでしょうか。お腹を痛め、ひたすら育ててきた子に、裏切られる親の悲しみはどんなものでしょうか。

それ程の言葉でなくとも、それに類した親の心を刺す言葉を、あなたは口にした事はないでしょうか。

両親にこんな思いを抱かせる人があったならば、もはやその人の心は地獄の心、畜生の心、の心です。如何なる守護霊、指導霊も手をつけかねて、見守る以外ありません。

考えて下さい。今は年老いてしわだらけのお母さんの顔は、あなたを産み落とした頃は、花のように美しい顔でした。

あなたを育てていく苦労が深いしわを、その顔に一本一本と刻み、顔・かたちはすっかり消沈してしまったのです

じっ~と、あなたの心を見つめてください。
今、あなたがたの心の中に父母に対する本当の思いがあるはずです。お父さん、お母さん本当にすみませんでした。
そういう思いがよみがえっているはずです。

その思いこそが本来あなたが持っている愛の心、善の心です

その心をしっかり知ってください。さあ、その心を持ってあなた方は、
ご両親に感謝し、感謝する思いをご両親に愛の行為を返していって下さい

おいしい物があったら持って帰って「お父さん、お母さん、これ美味しいよ」とすすめて下さい。どんなに喜ばれる事でしょう。

その時また、愛の言葉が返ってくるでしょう。「私はいいよ。孫にあげようよ」… そのご両親の心をしっかりと胸に刻み込んで下さい。

ご両親が病気になったら、あなたが自分で看病しましょう。そして愛の言葉を掛けてください。便を取ってください。寝入っている時は、寝息を伺ってください。

これは皆かつて、ご両親があなたにして下さった事なのです。
それがあなたには出来ないはずはありません。

その時、あなたは初めてご両親の愛の深さを体験する事が出来るのです
初めて親の心と同じ心に成ることが出来るのです。

このように親に孝養を尽くす時、ご両親はあなたという子を得た喜びに胸を震わせるでしょう。良い子を持ったという、嬉しさで一杯になるでしょう。

その時、親と子の間に愛の交流が始まるでしょう。
その時ご両親の煩悩は菩提と替るでしょう。

中には頑(かたく)なな心を持ったお父さん、お母さんがいらっしゃるかも知れません。しかしそれは、長い苦しい人生の間に、あなた方を育てる苦しみのために、止むなく作り出した心の癖でもあるでしょう。

そうしたご両親でも、あなたの愛の行為の積み重ねによってご両親の内なる心(神我)は、広く人間性に目覚めてゆくでしょう
ご両親がそのように成られた時、本当の親孝行が成就されるでしょう。

なぜならご両親も修行のため、人間として、この世に出てこられたからです。人間が親子の縁を持って生まれたのも、豊な人間性を養うために、お互いを磨き合う目的を持って縁を結んだからです。

愛の行為を通して意識(魂・心の次元)を高め合ってこそ、本当の親孝行が完成するのです

あなた方の中には、既にご両親が他界された方がいらっしゃるでしょう。そういう方は、普通の形の地上界での親孝行は出来ません。

しかし父母に対して、今自分達がここにある事を感謝し、このように育てて下さった恩を感謝し、至らなかった不幸を詫び、自分自身を善なる者につくり変へ、暖かい調和ある家庭を作り上げて行くことが素晴らしい親孝行と言えましょう。そして、その姿を見て両親は天上界から喜んでいらっしゃるでしょう。

今、皆さんは生まれてから今まで、ご両親があなたに注がれた愛というものを振り返って来られました。そして、ご両親への数々の誤ったあなたの行いと行為に気がつきました。

その誤った自分中心の価値観を身につけて来た過程を、これからも毎日の生活で正していって頂きたいと思います。それは両親の愛の心に相応(ふさわ)しい、それに立ち戻ると言う事です。

その心で今から生きてまいりましょう。お父さんやお母さんに、その心で接して頂きましょう。その心とは愛の心です。思いやりの心です。

愛多ければ、成すこと多し」 もう一度申し上げます。 
愛多ければ、成すこと多し


宇宙創造の神がすすめる霊性を高める方法 天の理=洗心

いつももつべき正しい心(=常の心)
強く     明るく
正しく    我が祈り
宜しからぬ欲を捨て
みな仲良く、相和して
感謝の生活をなせ

心の中からなくすべき感情(=ご法度の心)

憎しみ  不満
妬み   疑い
猜み   迷い
羨み   心配心
呪い   咎めの心
怒り   いらいらする心
不平   せかせかする心


■四句御箴言(しくごしんげん)

与えられたことを感謝して受けよ
与えられぬことを感謝して受けよ

与えられたことを拒むこれ欲なり
与えられぬことを欲するこれ欲なり


知花敏彦先生の総まとめ記事 第1回目

知花敏彦先生の総まとめ記事 第2回目

FC2版の広瀬すずちゃんの横顔になる方法の記事です♪
身長を伸ばす記事も追記してみました♪
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プロフィール

斉藤なぎさちゃんが大好き♪

Author:斉藤なぎさちゃんが大好き♪
 
 高身長になる方法・広瀬すずちゃんの横顔になる方法・小顔になる方法・悟りを開く方法・健康になる秘訣・宇宙の真理…など世のため人の為に役立つ情報を書いております。
 貴方の素晴らしい人生のお役に立てますように♪

 30歳を過ぎてから努力で22cm身長を伸ばして195cmになっちゃいました♪
 それと…小顔になる努力で、全頭高が大谷翔平さん級の20.5cmなりまして……純日本人ながら、リアル9.5等身を達成することが出来ました♪

 そのノウハウを全て無償で公開しておりますので、もし良かったら皆様も、小顔・高身長の翔平スタイルになって幸せで喜びに満ち溢れた人生を満喫して下さいね♪ 


 スピリチュアルと精神世界・悟り追求者の為になる、宇宙神理(真理)が学び放題な良質な情報を豊富にご用意しております。

 悟りの追求者の方々へ何かしらお役に立てましたならば光栄の極みでございます。修行中の創造主であられる貴方の素晴らしい人生に乾杯♪

FC2版「広瀬すずちゃんの横顔の秘密の記事」はこちらになります♪
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