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- 2019.07.06 Sat
知花敏彦先生の記事・総まとめ♪第2回目♪ 真の超能力♪自分は全体という神と一体である♪という境地に達した時に宇宙力が顕現します♪真の超能力が目覚める秘訣♪一切のものと調和♪純粋なる愛♪愛は天と地の架け橋♪謙虚な心の極意♪全ては神の御業♪母の愛は神の愛♪全て感謝の念で生皆さん方を最高の神に到達する神理♪無我の境地とは何か♪神の意志を受け継ぐ・波長を合わす秘訣♪私達の根源は愛♪その愛は何かというと神です♪知花敏彦さん直伝♪神の癒しが行われる祈り♪創造主なる神に全託するのが秘訣♪如何なる病気からも解放♪メンタルヘルス・健康・悟りに活用♪ピラミッドパワーとは中性パワー♪愛のエネルギーを意味する♪神は宇宙の愛の法則♪健康に活用♪酸素はエネルギーであり光です♪人間は水素と酸素だと言っても過言ではありません♪感覚治療を可能にする究極奥義♪神意識・普遍意識になる方法も♪心の波動が良ければバイ菌も無力に♪愛の波動は光のドームのオーラが出てバイ菌が入れなくなります♪解脱・昇天したら永遠の喜びが始まる♪知花先生は土星から来た方♪世を清めるのは自分を清めることで、この世を祝福する者です♪あなたの努力は全体の努力に♪朗報♪老化現象を防ぐ方法♪高血圧と心臓負担とは一つで同じもの♪健康・波動上昇・老化防止に活用♪
覚者☆知花敏彦先生の記事をまとめてみました。 皆様の悟り☆覚醒のお役に立てて頂ければ幸いで御座います。 この記事は、第4回目になります♪ |
人生の最高目的とは何か
自分が何者なのかを知る
皆さんは人生の目的とは何かを、お考えになった事がありますでしょうか。なぜ自分は生きているのか、人生とは何なのかをまず知らなければなりません。
それには自分とは一体全体何なのかを知るべきなのです。自分を知ることによって、すべてが何なのかを知る事が出来るのです。
自分が何なのかを知らなければ、自分の人生の目的も解りません。そうなると、迷いの人生を歩む事になってしまいます。
自分が何者なのか、何なのかを知ることが、実は最高の悟りなのです。あなたはなぜ生きているのでしょうか。現にあなたは生きており、あなただけではなく、すべてのものが生きています。
それは私たちが生命によって生かされているからであり、知らないのは迷いであり、無智といいます。
その生命はあなた個人の小さな生命なのでしょうか。それとも宇宙大の生命なのでしょうか。個別の生命があるのでしょうか。それとも宇宙生命そのもの、一つの生命があるのみでしょうか。
この宇宙万象万物は、創造主が創られたものです。その創造主は万象万物を創り、そして御自身を万象万物の内に留ておられるのです。創造主はすべてのものの親であり、唯一の宇宙生命そのものなのです。
この創造主である宇宙生命を、我々は神と呼んでいるのです。私達が生きているのは、唯一不二の神の生命のみが生きているのであり、すべての生きものは神の生命の内に留まっているから生きているのです。
この宇宙にあるのは、宇宙生命が全てであり、あなた個人という独自の生命は存在していないのです。
あなたの内に生きているのは、神の生命のみなのです。
すべてのものの創り主である宇宙の創造主がすべてのものの親であり、一つの生命の内に生きとし生けるものが存在し、人間も、金魚も、花も同一の生命を宿しているのです。
創られたものの内に神の生命が宿っているのです。
ですから自分を知るということは、自分の肉体を創ったのは神の生命であり、自分の本源本質は神そのもの、宇宙生命そのものである、すなわち自分は神そのものであり、この宇宙に実在するものは神あるのみ、宇宙生命あるのみということを知ることになります。
すべては宇宙生命、神であって、それ以外に何も存在しないことを知ることが最高の悟りなのです。
神とは何か、自分とは何か、私達はたくさんの宗教の教えにより、色々な神があると考え、様々な概念を植え付けられています。
2500年前に釈迦は「宇宙即我」と説かれました。2000年前にナザレのイエスは愛を説かれ、自ら十字架にかけられた後に、三日目に復活され蘇られました。
そして人々に、死がないことを身をもって示されました。私達は釈迦とイエスの説かれたことの原点を、正しく理解する必要があります。
釈迦は悟られて、「不滅の仏陀」になられたのです。
イエスは「キリスト」になられたのです。
仏陀とは東洋の言葉で永遠の生命、宇宙生命のことを意味し、キリストとは西洋の言霊で宇宙生命、無限生命そのものの意味なのです。
つまり仏陀とキリストは同じ意味の事を言っており、その表現が違うだけなのです。お二人とも人間の本質は肉体という姿・形にあるのではなく、永遠の生命が人間の本質であると説かれたのです。
仏陀とキリストは永遠の生命のことですから、これは固有名詞ではありません。永遠の生命に目覚めた人は、すべて仏陀でありキリストなのです。
本書ではイエスの説かれた内容を、皆さん方とともに、原点に立ち戻って考えて見ていきたいと思います。
釈迦とイエスが説いたことは
私達は、この世で死ぬものは何もないことを知らねばなりません。生命は始めも終わりもない、永遠不滅の存在なのです。肉体に終わりがあるのではないのです。その姿・形に終わりがあるのであって、肉体は別のものに変換されてゆくのです。
生きているから毎日変化してゆきます。肉体の死は、肉体が原子と電子に帰ってゆくことです。原子と電子は永遠不滅の存在で、死はないのです。
死んだ肉体が永遠に残るなら、死はあることになりますが、死体は三日後には変化してゆきます。そして朽ち果ててゆきますが、それは肉体が物質から、その物質を構成している本源要素である原子と電子に戻ってゆくだけなのです。
葬式を荼毘(だび)と言いますが、インドでは火葬の意味です。荼毘は火で焼いて急激な変化をとげさせる事になります。目に見えていた形が、目に見えないものに変化しただけです。肉体は水蒸気や気体に変化したのですが、質料やエネルギーはなくならずに残っているのです。
肉体が固体から気体に変化しただけなのです。その肉体は生命の宿る衣装ですか、肉体から生命が離れた状態が肉体の死であって、生命は永遠ですから、生命という魂は死ぬことはないのです。
釈迦は、生命が脱ぎ捨てた肉体という死体には何の価値もありませんから、「死体は火で焼いて、その灰はガンジス川に流しなさい」と言われたのです。
私、知花の心は、固体が気体になっただけで、死ぬことは無いと知っていますから、私の心は平安で平和、宇宙大そのものなのです。
人間には七十兆の細胞があると言われていますが、その一つ一つの細胞は全体の代表なのです。
人間は宇宙全体の一つの細胞にすぎないのです。その一つが宇宙を代表しているのです。全体は宇宙生命そのものなのです。今あなたは、宇宙生命という神の内にいるのです。あなたが肉体を去ってから、神の国にはいるのではないのです。
多くの人は自分のいる場所を知らないのです。現代の宗教は、肉体が死んでから、み国に帰ると教えています。
このことをイエスは、「盲の者が盲を導く」と言っているのです。人間が言っているところの死とは、一つの形の変換にしか過ぎないのです。
宗教家は死があると思っていますが、その姿・形に死があるだけで、その生命、魂には死は存在しないのです。その生命は宇宙生命で、無限生命ですから、そのことを悟ると、あなたとわたしの区別はなく、全一体、唯一の生命があるのみなのです。
これは神を象徴したものです。本源は一つとして我れは一にして多なるもの。生命、光は一つなのですが、その表現である姿・形は違って、無数にあります。
神が万象万物に宿っている現象を表現したものが千手観音像なのです。
千本の手は、生命が様々な姿・形に宿っている様を現しているのです。
人間には無限の表現があります。しかし、人間は神から分離して、自ら個別の存在があると誤解するようになってしまっったのです。このことをイエスは、放蕩息子と言ったのです。
人は神と一体であり、神そのものなのですが、人間はそのことを理解していませんから、自分は人間なりと思っています。その人間が神と人間の関係を理解したレベルでしか、人間を表現出来ないのです。
人間は自ら自分の存在を理解していないのです。人間が神を創ったのではなく、神が人間を創ったのです。人間が神を創ったとすれば、空想の産物にすぎません。
悟りのない者は、救われることはないのです。自分がなぜ生きて、この肉体は誰が創ったかも解らない。自分が生かされていることも解らない。
この人は迷い人です。迷いの内には、安らぎ、平安がありません。自分は地獄に行きはしないか、病にかかりはしないか、死にはしないかと不安と恐怖の内にいます。
それは自分が勝手に生命、神から分離したことで、人間の無智がこの迷いを創ったのです。自分の理解力を高め、自分の意識を高揚させることが一番大切です。
あなたは今、即天にいるのです。天とは、あなたが初めからいた所なのです。悟りとは理解力のことです。釈迦とイエスの説く言葉をよく理解して下さい。
あなたが働いているのではなく、神があなたの内で働いていることを認めるだけで良いのです。神を認めると、神が創造し、語り、働いてくれるのです。
このことを皆さん方に気づいてもらうために、イエスも釈迦も、そして私もノックしているだけなのです。
イエスは「天より下るパンを食せよ」と言われているではありませんか。
天の神があなたの内に働いていることを認めることだけが大切なのです。外側に救いや、エネルギーを求めるものではないのです。
内から生かされている存在なのです。
このことを釈迦は「四六時中内観せよ」「外を意識するな、内を観よ」と言われているのです。
イエスは「私はあなたの内に永遠にあなたとともにおるもの」と言われたのです。イエスが「汝の見るものをすべて受け継がん」と言われたのは、あなたが外を観れば偽ものを受け継ぎ、内を観れば神を受け継ぐからです。
これがキリストであり、神であり、生命であり、み魂であり、愛なのです。我が内なる生命は、神は、外にいるのではなく、内に在るのです。
「私を受け入れる者は、神そのものをすべて彼、彼女に受け継がれるだろう」、これが「無限の富を受け入れる」ことなのです。
I am' 私は、 I am God であり、我れは神なりなのです。
この悟りを得るために何万回も生まれ変わる必要などないのです。
今、即生まれ変わる事が出来るのです。それは、今の今しかないのです。
まさに、「過去に生きず、未来に生きず」なのです。
釈迦は「我即宇宙」「今即天」と言われたのです。
「仏性汝の内におわず」と言われたのです。すべてのものは、一からスタートしています。二からは始まらないのです。
一つは全体であり、帰るべき所へたどり着いたら、一に帰ったことになり、これが神へ到達した事になるのです。
これが昇天であり、成仏なのです。
人生の最高目的とは、天という原点に帰ることにあります。
そのことを釈迦とイエスは色々な言葉を尽くして説かれたのです。
釈迦は「宇宙即我」と言った
宇宙生命があるのみであり、すべてが宇宙生命に基づいて生存していますので、あなた自身が宇宙生命そのものなのです。だから釈迦は「宇宙即我」と言われたのです。
宇宙即我というのは、自分自身が宇宙生命であり、宇宙霊そのものであることを示されたのです。
皆さんが大生命そのもの、大霊そのものになっった時、あなた方の我がなくなります。そして何が残るのかと言うと、大我、大きい我、あるいは全我、すべては我、これが皆さんの実体です。
真の自己です。
その他にあなたはありません。大生命なくして、あなたはありません。小さなあなたではなく、大きいあなたしかないのです。
小我、低我、自我は存在せず、神我一元、キリスト一元です。
神一元です。
神が全ての創り主であり、すべての生命です。
あなた方は誰によって創られ、誰によって存在し、今生きているのでしょうか。
あなたと神とは、一度だって別離したことはありません。今、すでにみなさんは宇宙生命の内に留まり、宇宙生命はみなさんの内に留まっているのです。
「汝いずこにおるぞや」と私がいつも言うのはその意味です。
皆さんは今から神の内に入るのでしょうか。
今、即そうです。初めから神だったのです。
お経をあげたり、賛美歌を歌わないと神になれないのでしょうか。ある特定の修行をしないと神にはなれないのでしょうか。
初めから神だったのであり、今から神になるのではないのです。何の宗教がなくても神なのです。
ただ神ではないと思っていることが、誤っている状態です。
あなたは初めから光の存在であり、今からなるのではないことを自分で追求して下さい。自己を追求して、追求することが、神を追求している姿なのです。
そして自己確立が出来てきます。そこには何のコントロールするものもありません。本来あなたの迷いが、偽物の概念が、真実の自分を曇らせているだけです。
例えば、曇っていても、太陽自身は曇ることがありません。あなたがたは、今日は曇りだから太陽はないとは思いませんね。太陽は天気の日も、曇っている日も、同じように輝いています。
あなたがたの神我の光が、自分が迷っているから、その光がないと思ったら大間違いです。信仰、神の光は燦然と永遠に輝き通しであることを忘れないで下さい。
あなたがたの概念から開放することを、奴隷解放といいます。あなたがたの罪、穢れ、自我の束縛、自我の奴隷になっていることから開放することを、モーゼの奴隷解放と言うのです。
奴隷解放に来た羊飼いの声を聞くか、それとも疑って、あなたはそのまま闇に生きるか。自我に生きる者は闇の従者で、光を嫌います。
自我は光を嫌い、闇は光を嫌います。あなたが闇を愛する者なら、自我で生きて下さい。光に目覚めた者なら、光について下さい。
私、知花は聖書の成就をするために出てきた者です。
今あなたがたがは、何をすべきか、もうこの世の三次元的な時間はあなたを待ちません。永遠の流れですから、その時間があなたがの悟りを待つということはありません。
努力するか、世の波に飲み込まれて、無智の人生で終わってしまうか。皆さんは、今一番何が大切であるかということの選択に迫られています。
この世的物欲、肉欲をむさぼることが大切か、真理の達成が大切か、それは皆さんの自由意志ですから、私は強制しません。
どうか、自己実現という本当の自分を見出す日が早く来るように努力していただきたいのです。
それを神我顕現、キリストの再来と言います。地上天国とも言います。
「天のなせるが如く、この地にもならせ賜え」という祈りの成就でもあります。
神のみ心があなたがたを通じて、この地に行われることを切望しています。「宇宙即大生命」という真の自己に、皆さんが到達して、受け入れて頂きたいものです。それを受け入れることによって、皆さん方に救いがあるのです。
偽物は神を拒み、父(創造主)を拒むものです。
イエスが「私を拒む者は、私を遣わしている父を拒む者である」と聖書が示していることをよく考えて下さい。
宇宙生命を拒む者は、その生命、キリスト、父を拒む者となります。
生命に生きるか、肉に生きるか、この2つのいずれかの選択しかないのです。我れ即宇宙生命に生きていただきたいと思います。
「悟りとは神の愛を受け、神の愛を現す能力」です
ある、有名な言葉に次のようなものがあります。
『悟りとは神の愛を受け、神の愛を現す能力である』と。
まず最初には、皆さん方は愛そのものであることが大切です。
『神への霊拝』とは、神そのものになる、愛そのものであることが肝心です。実感することであって、それ以上に必要はありませんという意味です。
あなたが悟ったなら、愛そのものです。そうなりますと愛そのものとは、光そのものですから、あなたの全細胞から光が放流・放射されます。
そうなりますと、あなたが電車に乗っていても清めて歩いていることになります。光を放射していますから、電車の中も明るくなります。
その電車はエネルギーに満たされます。光はエネルギーですから、エネルギーに満たされます。これを無言の奉仕というのです。ものをいう必要がありません。何かをする必要もありません。
肉体は愛を外に顕現する媒体であり道具です
愛の光を放射するならば、その人の行くところは全部愛が放射されますので、皆が喜ぶわけです。電車に乗っても光が放射されますし、飛行機で旅をしている時も、どこに行っても光を置いていきますので、
皆から「また、是非来て下さい、今お待ちしています」と言われるわけです。
皆さんがどこかに行ったら「お待ちしています」と言うと思いますか。
「もう来ないで下さい」と言われるかもしれません。
それは人間意識の肉体を持って行ったとするならば、口先だけは「どうぞまたいらっしゃい」と言われるかもしれませんが、本心はもう二度と来てほしくないと思うかもしれません。
私達は姿・形ではなく内なる愛を外に顕現する媒体であり道具ですから、思う存分に使わねばなりません。
『内なる愛を外なる肉を通して外に顕現する、神我顕現の為の目的』であって、そのために肉体は存在しています。その内なる愛を受けて、放射体とならねばなりません。
この愛を受け入れた時、その人間は光体となりまます。本当に光となります。これは光の世界で、光の放射体となるのです。
これを皆さん方はオーラとか、後光というのです。愛に満たされることと、光に満たされることとは同じ意味です。
では、「私は人間です」とか、「私は肉体です」といって愛が出ますか、光が出ますか。出ません。それは光エネルギーといって、光を放射することとは同じことです。
人間はなぜ愛か 神の意志について
神の意志というのは「愛」の事です。
本来、私たちは神の愛を受け継ぐものですが、なかなかその愛というものを受け継いでおりません。神の意志とは何かと問われた時「愛だ」と答えればいいのです。神の愛です。そして愛は光です。
本来は私達も光ですが、その本性である意志である愛を自らが曇らせているのです。愛に反するものは闇です。怒りとか、憎しみとか、そしりとか、嫉妬というのは闇で、その本性である光を曇らせているのです。
常に光の中にいるならば、神の意志の中にいるならば、私たちは愛でなくてはならないのですが、愛に反するものの中に生きることによって、悩み、苦しみ、そして病気というものを造っているのです。
それは本性ではありません。神の意志に反することを行っているからです。それは罪、汚れです。あるいは業(ごう)というわけです。
ですから、私達が常に神と共にいたいのなら、神の意志を行わなければならないのです。神の御心の如く生きなくてはならないのです。
神の御心とはすべてを愛することです。この世に存在するものは愛しかないのです。その愛に反するものを私たちは行っているのです。それは神に逆らっている状態、自分の本性を曇らせている状態です。だから、神に近づくということは、その愛を通してしか神に近づくことは出来ないのです。
皆さん方はよく「天上界に帰りたい」とか、「成仏したい」とかいいますが、天上界に還るのも、成仏するのも、愛を通さずして、神の意志を通さずして、何者も御国に入ることは出来ないのです。
常に私達が愛に満たされる。朝起きて愛に始まり、そして一日を愛で過ごし、その一日が愛で終わる日常生活であったなら、あなたは光の中の住者となるのです。
悩みも苦しみもないのです。そこは光そのものであり、自分の本性であると同時に神の意志を行っているからです。
イエス様はこう言われたのです。「我が御心を行う者は、我が御国に入るであろう」と。これが『神の意志、明らかなる愛の御心』です。
これに相反するのは私達の悩み苦しみです。人間は愛でなければならないのです。
私達の根源は愛であるからです。その愛は何かというと神であるからです。
神の御国に入るには、愛を通さずにして何者も御国に入れないのです。
なぜ、そんなにまで愛が実行できないのでしょうか。
以前私は非常に疑問を持ったことがありました。〈なぜ人を憎んだり、謗(そし)ったり、裁いたり、中傷したり、色々なものがあるのだろうか〉と。
自分の正体が、自分の実態が何であるか分からなかったからです。自分が何処から出てきた者で、何処に還るべきかを知らないから、人々が色々な妬みや、謗りや、怒りや、そういうものを行っているのです。
自分は何から誕生して何に還るべきか、何処から出てきて何処に還るべきか。ということを知っていたならば、自分の本性、実態を知ったわけですから、自分の根源は愛であった。自分は神の意志そのものを受け継ぐ者であった。と、そのことが分かってくるのです。
そして、その神の意志を受け継ぐ者が、神の息子となって神の娘となるのです。神の跡継ぎ者となるのです。
その時皆さん方は「神のものは私のもの、私のものは神のもの」といえるような状態となるのです。
今の私、この知花の心の状態がそうなのです。
「神のものは私のもの、私のものは神のもの」と、実感としてそう想っているのです。
そして、神の意志というものは愛であった。この世で何者も憎んではならない。憎むということは神への反逆であり、神から遠ざかることであり、罪であり、汚れであり、それが苦しみの原因であることを私は知っているからです。
常に皆さん方の心の中に本当に愛が満たされているならば、皆さん方も神の意志を受け継ぐ者となるのです。
神の意志を受け継ぎたいのなら、愛に反するものを想わないこと、語らないことです。皆さん方が人を裁くことは神は決してお喜びにはなられない。人を怒ることもお喜びにはなられない。しかし、その神の望まれないものを私達は平気で行っているのです。神が一番お望みになっていることは愛し合うことです。
お互いにこの世に存在するのはみんな神の子であり、神の創造物であるのです。
神がお造りになったのです。造り主は神であるのです。その造られた全ての物は、神ご自身がお造りになりましたので、神の意志はこの世に現れている一人びとりを、ありとあらゆる生きとし生けるものを、万象万物を愛してくださっているのです。
そうであるならば私達も万象万物を愛さなくてはならない。これが神の意志です。
そして私達が万象万物を愛し、人々を愛し、分かち合うことが、神の意志を受け継ぐものとなるのです。
それ以外、この愛を通さずにして、何人も御国に入ることは出来ないのです。それなのに、今までは偽りの指導者によって騙されてきたのです。
「主よ、主よ」と主の名を唱えれば天上界行きだとか、お経を何万回あげれば極楽行きだとか、神の御国に入れると言われてきたのです。しかし、彼等は現実的には愛し合ってもいない。同胞愛をなしてはいないのです。
神は善人にも悪人にも、平等に愛を注いで下さっているのです。その神の愛は無差別の愛です。無所得の愛です。
ですから、神の御国に入るには、神のような愛でなくてはならないのです。本当に自分という我を忘れて、愛だけに満たされるという状態になることです。
皆さん方は、まず今日一日、明日からでもよろしいから愛だけに満たして下さい。そうすれば、あなたにどんなことが起きるのでしょうか。
あなたのこころにこれっぽっちも憎しみがない。怒りがない。嫉妬がない。本当に何処を見ても愛おしく全てに愛を満たしている。それは人間だけではなく動物、植物、鉱物全てにです。
そうなっているとき、もう皆さん方は神に波長が合っているのです。
神に波長を合わすということは、すべてが愛でなければならないのです。
神の愛に満たされているとき、私たちは光明人間になるのです。だから、イエス様は愛に満たされているとき「我は世の光なり」といわれたのです。
光明人間。すなわち世の光です。愛は光です。愛に満たされている時は光明人間です。曇りがないのです。だから愛は光なり。光は愛であるということが分かるのです。
皆さん方は本来光です。皆さん方一人びとりはみんな光なのですが、その光に相反することを、愛に相反することを行うことによってその光を曇らせているのです。
憎しみの多い人は真っ黒くしているのです。怒りの多い人は真っ黒くしているのです。憎しみも、怒りも闇ですから、自分の本性である光を曇らせているのです。これは自らが曇らせているのです。
本来、人間は光そのものです。霊体というものは光体です。光姿体です。
私達の魂というものは光そのものです。神の意志そのままなのです。
神の意志を引き継いで、私達はこの世に存在しているのです。
これを真の我「神我」といっているのです。
無我の境地とは何か
人を苦しめていることは自分を苦しめているようなものなんです。
この細胞がこの細胞を苦しめれば自分を苦しめておりますね。
それと同じようなものなんです。
それを皆さん方は一体観念という、
一体、全一体が神理でございます。
分離は非真実、迷いそのものなんです。
あなた方が神理の中に生きて、神理を知っていたならば、
誰を憎みましょう。誰も憎まないはずですよ。
そこには愛しかないはずです。
ね、ひとつの存在ですから、対立するものがないはずですから、
迷いの中にこそ、対立はあるんですよ。
今まで個人と思っていた自分がなくなって、全我という一体感。
あ~あ、な~るほど、
一つの宇宙生命の中に、みんな一つの体の中にいるんだな、
一つの生命をみんな宿しているんだな。
そして同一の神々のみ中にいらっしゃるんだな。
という事が分かれば、そしたら、あなたは誰をけなしましょうか。
そこにはもう調和と愛しかしか無いと思います。
であるがゆえに神は愛なんです。
私達はまだ、悟りという神理の中の境地に入っておりません。
無我の境地というものは、今まで迷っていた自分がなくなって、
全我という全一体感の中に神の中に入ることが、無我の境地でございます。
そこには無限なる自分、全体なる自分しか無い。今まで個人だと思っていた自分はなくなっています。
迷っていた自分がなくなって、
悟りの自分、全一体なる大いなる無限なる自分しか残らない。
それが、無我の境地でございます。
そういった時、みなさんがどのようなことが起こるといいますと、
あなたが個人、分離でいる間は、迷い苦しまなくちゃならない。
分離でいる間は、迷いなんです、苦悩なんです。
自分の無知で自分を傷つけます、
しかし、悟りという境地、無我の境地に到達したならば、
傷つけるものがありませんから、傷つくことがないのです。
人を苦しめませんので、苦しむことがないのです。
そこにはもう平安と安らぎしか無いのです、
これが神の境地なんです。光悦感といいます。
あなた方が一番この世に生きてる間に、その一番克服しなくちゃならないことは、分離感で御座います。
どこにも分離はございません。分離というのは皆さん方の無智の中に、迷いの中にのみ存在致します。これは実在ではありません。非実在なんです。
勝手に人間が分離してはないけれども、
分離して勝手に争っているだけ、勝手に対立しているだけなんです。
どこにも分離はありません。
それがなくなって対立するものがなくなれば、あなた方は苦しむでしょうか。
悲しむでしょうか。恐怖するでしょうか。
今日の話は、皆さん方を最高の神に到達する神理でございます。
それをあなた方は観念でとらえて、自力でとらえては何にもなりません。
あなた方が意識的にその全一体感になることを無我の境地というので御座います。
意識的にその全一体感に自分が到達。
そして皆さん方が、その無限と一体であることによって、皆さん方は無限の智恵と力と愛をあなたのものとすることが出来ます。
なぜなら、あなたは今、分離している間は、一滴の海水のようなものなんです。
一滴の海水を海から持ってくると、使い道がない、無力、ね、何の価値もないけれども、その一滴の海水を全体に大海に返してみて下さい。
その一滴の海水も全一体となったから、全体の知恵と力をその一滴の海水を、我がものとすることが出来る。
あなた方の今、分離の中に、対立の中に、いくら神の知恵と力をあなたが得ようと思っても、得ることはありません。
ね、無限宇宙とあなたが一体となって、全一体、どこにも分離のない状態、宇宙即我という境地にあなたは無限宇宙の中に今いますよね、皆さんがね。
そうすると、無限宇宙があなたでなくてなんでしょうか。
あなたから無限宇宙から分離することが出来ますか。
あなたそのものなんです。だから、あなたは無限者なんです。
その自分が、無限の中に留まり、無限者があなたの中に留まり、あなたは無限者と一体となる。そのことの境地に到達した時、あなた方は無限の知恵と力と愛をあなたのものとする事が出来る。
あなたを通して無限を表現することが出来る。
これが釈迦の偉大な力、宇宙力、天と地を支配する力を得た秘訣。
イエスが天にある言葉を語られた秘訣、彼を通して無限の知恵と力が、言葉を通して現れたのでございます。
おまけです





一つのものの中に生きているからです。
心は一つの心、神の心の中で生きているからです。
人を苦しめていることは自分を苦しめているのと一緒。
一体ですから、神から見れば1個の細胞体です。分離はございません。
悟りとは何かというと、全一体。全ては一つの体ということを悟る。
無限宇宙からすれば全一体なる大いなる自分。全一体が真理。そこには愛しか無い。
そこには愛と調和しか無い。
迷いの中にしか対立はない。
輪廻転生とは不成仏を繰り返している者たちをいいます
皆さん方が輪廻転生をなぜ繰り返すかご存知でしょうか。あなたが無限に帰らないからであって、無限に帰らない限りは不成仏として輪廻転生せねばなりません。
あなたが無限に帰るまでに、個人としてならば何万回もこの地上界に生まれ変わらねばなりません。
個人意識を克服しないかぎりは、個人という社会に何回でも生まれ変わるのです。では、皆さん方が過去世において、無限に帰っていたら、現在この世に生まれていますか。
では、今生も帰りませんか。今生も帰らなかったら、また来世がありますよといえます。人間だと、肉体だと思ったままこの世を去りますと、再び肉の世界に生まれなければなりません。
完全に肉体もなく、個人でもない、人間でもなく無限だと思えば、その無限という天国に帰った暁には、個人として再びこの地に舞い戻ることはありません。
イエス・キリストは輪廻転生を否定されました。
イエス・キリストは輪廻転生を頭ごなしに否定されました。
『汝、再び生まれてはならない』という名言を言われました。ですから、あまり輪廻転生のことを説き過ぎますと、これは神理ではなくなります。
迷った人が輪廻を繰り返すのであって、解脱している人は繰り返しません。これを輪廻の克服といいます。
『輪廻の克服をするためには自我を克服せねばなりません』。個人意識を克服せねばなりません。あなた方のいう自我とは個人のことを言うのであって、神我は無限をいいます。
神我の我に帰るとは、無限の我に帰るという意味です。それ故に、まだ皆さん方が個人という思い、即ち自我があるならば、それは神が創った自分ではなく、自らが作ったとなります。これを自我といいます。
そして、神我は神なる我(われ)と書きまして、神我(しんが)といいます。
自我という個人は皆さんが作ります。これを自らが作った獄壁といいます。ですから、皆さん方はあまり、過去世にとらわれてはなりません。
「私は誰の生まれ変わりだ」とか、「あなたは誰の生まれ変わりですか」と話すのではありません。
『皆さんは神の生まれ変わり』であり、『神の化身』です。
宇宙に愛は1つしかありません
人間は実在していないから、全く存在していない事を知らねばなりません。実在しているのは愛であって、これを大愛、または愛とも言いますし、神ともいっているものです。
それを神は愛なりといいます。なぜ神は愛なのかといいますと、エネルギーと質量のバランスを大調和といいまして、このエネルギーと質量の調和でもって人間が創り出されているからです。
あなたは人間ではありません。人間とは何かといいますと、愛の仮の姿です。即ちエネルギーと質量の仮の姿です。
ですから、形という世界は仮相の世界といいます。影の世界です。エネルギーと質量が様々な形を写し出しています。エネルギーと質量のバランスがなくて物が存在すると思いますか。存在しません。
大愛が人を創り、大愛が人の中に必ず宿っているといえます。人の中に愛は宿っていますか、宿っていませんか。あなたは人間ですか、愛ですか。愛です。
ではどこに人間がいますか、あなたはその愛の仮の姿を見て、それに人間という名前を付けているだけです。あなたの本性は愛です。この世に愛を宿さないものは一物もありません。
そして、この愛は宇宙にいくつあるといいますと、1つしかありません。これは無限大の愛であり、限りなき愛です。この愛には初めがないし、終わりもありません。空間がありません。時間がありません。永遠です。
あなたの形は崩れても、愛は崩れません。愛は永遠になくなる事はありません。これが『不老不死の原理』です。あるいは健康になる秘訣です。
しかし、皆さん方はまだまだ、自分の姿・形が何であるかや、自分の本性を見ていません。この大愛を皆さん方は神性といいます。
そして、エネルギーと質量のバランスの事を意味します。そこで、神のことを中性というわけです。中性と神性は同じでありますし、愛というのも同じです。
では、あなたは人間でしょうか、大愛でしょうか、愛はいくつありますか。愛には所得がありません。私の愛とか、誰彼の愛という愛は存在していません。
自分が霊覚者であるか肉覚者であるかで、天と地の差がでます
自分が霊であることに目覚めた人のことを霊覚者といいます。肉覚者ではありません。あくまでも『我は霊なり』と言わねばなりません。
肉には一点の知恵も、一点の力もありません。この肉体は霊の動く場であり、働く道具、媒体にしかすぎません。これを霊媒ともいいますが、霊媒体質は霊のエネルギーを受けやすい人のことを言います。
エネルギーを受けやすい体質のことであり、この知花は生まれながらの霊媒体質でした。小さい時から自分が霊であることを私は知っていたのです。
なぜかというと、身内の者が亡くなった時に、もう一人の霊的彼がいる事を、観ていたからです。その霊は、この知花を観ていましたから分かっていました。
肉体は霊が着る衣装にしかすぎないことを、7歳の頃から全部分かっていたのです。ですから、生まれながらの霊媒体質なのです。
自分が霊であって肉体ではないことも生まれながらに知っていましが。皆さん方がまだ肉体を吾として見るなら、皆さん方は盲人です。
霊眼が開かれているのではありません。真の自己は霊的我ですから、吾は霊なりと言わねばなりません。
吾は肉体ではないと、自分は人間でもなく、個人でもなく、大霊そのものだと言わねばなりません。皆さんは宇宙霊です。
唯一の大霊が全てに宿っているのです。すべての形体は大霊の中に存在して、大霊は全てに宿っています。このことを今、ここでご理解いただきたいのです。
克服者というのは何を克服したのでしょうか
死ぬ間際の人間は影が薄くなります。影が薄くなったといいます。それは影が薄いということで光に近づいたのです。霊に近づいたことを意味しています。
その光とは何でしょうか。霊です。霊界は霊光ですから光明世界のことを意味しています。
我々の霊体とは光体という意味です。皆さん方は我は霊なりという霊的自覚に順応して、皆さんの闇の肉は光体へと、霊体へと変容を遂げます。
これをイルミネーションといいます。それは闇の肉に霊的な我が打ち勝った時で、『外なる闇は我が内なる光には勝てなかった』となります。
これが克服者という意味です。自我の克服とは闇の克服です。
神我は光です。神我と自我の戦いを光と闇との戦いといい、霊と肉との戦いといいます。
無限世界から觀ますとすべてが丸見えです
私、知花は無限の我から、実在の我から、非実在の仮相の世界をいつも眺めているわけです。
あの人はどうしているのだろうかと、この人はどうしているのだろうかと、無限から觀るのですから、上の世界から下を見下ろしているわけですから、実相世界から仮相を見下ろすわけですから、丸見えです。
それは面白いものです。面白いと言いますと御幣があるかもしれませんが、例えば、その神我という無限の世界から、形という世界をも下ろすことが出来ますから、すべてが丸見えです。誰が何をしているか、見えると思いますか、見えないとおもますか。
なぜ、皆さんには見えないのでしょうか。私の悪口を言っているのも、何もかもが丸見えです。隠れて話していても、私には隠れるものは1つもありません。
神我に隠し通せるものが1つでもありましょうか。ありません。このやすらぎの郷で、こんな話を聞きながらでも、私の悪口をいう人はいっぱいいますが、「あの知花先生は何とかかんとかといって」という人たちは私は分かっていないと思いますか。残念ながら分かります。
どこに隠れていてもどこにいても分かります。なぜならばあなたと私は本質に繋がっているからです。本質的には1つですから、家族ぐるみで知花の悪口を言ったって、全部が筒抜けです。
仮相の世界にいる限りは分かりませんが、この本質という全一体の世界にいるならば、全一体ではありませんか。あなたは私であり、私はあなたですから。全一体の世界ですからわからないはずがありません。
そんなところを皆さん方も知るためにはどうすればいいかといいますと、この実相に生きることです。実相においてはすべては1つですから、全ては一つになります。
あなたは宇宙そのもの
無限宇宙そのものが、一つなる神の御神体です。
そして、私たちは無限宇宙の中の1個、即ち、一つなる神の一部です。
あなた方の肉体には、約70兆余りの生命体が存在しています。
その生命体とは、神という生命が、1個1個に個別化されている細胞のことを言います。
その1個1個が総計されたものが、あなた方の肉体です。
だから、あなた方の肉体は神の御神体であって、そのあなたという細胞1個1個1個が、宇宙全体を構成する役割を果たしているのです。
あなた方は神と一体、即ち、神と一つの体であって、決して、2つの体というものはなく、無限宇宙という神の御神体一つしか存在しないのです。
だから、あなた方は、今の今、神と一体であって、神の中に生きているということです。
そのことを、イエス様は「私は常に宇宙なる神と一体である」と、
お釈迦様は「宇宙即我」即ち「宇宙は私である」と言われたのです。
そのように、あなた方という個別化された1個の存在も、イエス様や、お釈迦様と同じように、宇宙なる神の中に存在しているのです。
宇宙は無限であって、そこに、あなた方を含む1個1個が存在し、その全ての1個1個が全体を構成している。即ち、無限宇宙全体という、神なる一体を構成しているのです。
だから、神とあなた方は一体、即ち、同じ一つの体である、即ち、あなた方は無限宇宙という、神の御神体を構成しているということです。
人間というもの。それは細胞70兆あまりを総計したものを言います。細胞の寄り集まりと言って、その70兆余りの細胞、その1個1個の全に、神という生命が、意識が宿っているのです。
その細胞の総決という、人間一人びとりの分霊を総決したものが、分生命を総決したものが『宇宙という神』なのです。
ですから、あなた方は、今、そのままにして神の存在です。
あなたは神の一部です。全体の一部です。無限宇宙の一部を構成しているのです。
言い換えれば、『あなたという1個の存在があって、無限宇宙が構成されている』ということになるのです。
無限宇宙の中で、あなたの1個では、何も成し得ることは出来ません。
1個というものには何の力もないからです。それは、あなたの肉体の一個の細胞には、何の力もないことと同じです。
その全細胞が一つとなる---。
あなたという肉体の中の、70兆余りの細胞が総決されることによって、大きな力となって、働く力となるのです。
その小さな寄り集まりがなければ、あなた方という肉体は動けないはずです。一体であるが故に、小さな細胞という神の力の寄り集まりが、あなた方という肉体を通して、大きな神の力となって現れるのです。
だから、神と人は一体であると、一つの体の存在であるというのです。そのことを、イエス様は「わたしは神と一体であることによって、私は神の力を成し得るのである」と言われたのです。
その神の力とは、宇宙全体の力のことです。
あなた方の一人びとり、全て生きとし生けるものの、寄せ集めた、総決した力が、神の力です。
その力を全部集めることを「全力」と言います。
それは、全ての力ということです。その全ての総決したものを神の力、即ち「宇宙力」というのです。
そのことを、イエス様は知っておられました。
だから、イエス様は「わたし自らは無である」と言われたのです。
あなたがたも「1個の個人としては無であるが、自分は全体という神と一体である」と、その『一つ』という悟りの境地に入った時に、あなた方は宇宙力を得る、その宇宙力を、我がものとすることが出来るのです。
イエス様は「信仰が深くなれば山をも動かす事が出来る」と言われました。そのように全力を尽くせば、無限宇宙の力が働けば、山も動くのは当たり前のことです。
あなた方も、その同じ力を得ることが出来ることを、ここで知らねばなりません。
あなた方の1個1個の生命が、総決されたものを『大生命』というのです。それらの、全ての生きとし生けるものの総決された生命が、無限宇宙なる大生命を存在させているのです。
普遍を認知するとは何か
もう理解できる日が近いですね。この絶対なるものを皆さんが受け入れなければなりません。普遍こそ絶対実在です。
皆さん方は自分が普遍であって、何ものでもないのだとはっきりと直知し、認知した時に普遍的な知恵と力が現れます。すなわち叡智・仏知が現れるのです。これは精霊が下ったという意味です。即ち神の臨在観です。
神我が内にましますという意味は、神の臨在観です。自分自身の内に神を受け入れるということは、自分自身の内に神がおらねばなりません。この肉体をお作りになったものも神であり、この肉の内に生きているも神です。
素直に受け入れ、この肉体の作り主である神にお返しする、全託するのですが、そうしますと、全部を神に委ねましたので、そこには不安や恐怖はもうありません。
あなた方になぜ、不安や恐怖があるのかといいますと、自分というものがあるからです。自分がない人間に不安と恐怖の自分はありません。そこには平安があるのみです。
イエス様は「神が平安であるが如く、そなた達も平安であれ」と言われました。神は不安ですか。平安ですか。平安です。安らぎです。ですから、皆さんの神我は安らぎです。自分があるかぎり不安です。
「私のもとに来るものは安泰である」の意味
私達がまだまだ自分に不安や恐怖があるのならば、肉を自分だと思い込んでいるのだと、自分に言い聞かせたらよかろうと思います。
イエス様は「私のもとに来るものは安泰である」と言われました。安全であると言われたわけです。そこには何の不安も恐怖もありません。極楽です。楽な局面です。肉の自分を意識する、このところは難儀な側面です。
ですから、難儀する必要はありません。楽そのものです。ここに入ったら気楽そのものです。そうなりますと、毎日が本当に楽しい、嬉しいという平安、平気にならなければなりません。今なら平気という意味が分かりますね。平気は極楽です。
ですから、あなたは平気で生きることです。あなたは人の目を、人の口を気にするから平気でおれないのです。気にするから苦しむのです。
気にしなかったら苦しみはありません。平気です。
心の勇者とは何か
平気でおれるのは極楽です。平安です。平気でおれるようにしないといけません。これが気楽でもあるし、極楽でもあるのです。ですから、我々は極楽に住むのも地獄に住むのも自分次第です。誰でもありません。
ですから、あなたを今まで苦しめていた自分に打ち勝つ事が大切であると思います。そのためには自分がないことを知っていなければなりません。
分かりますか。自分はありません。大霊こそが、神こそが絶対実在であって、神が全てを作って、全てに神が宿っているわけですから、神の他には絶対に何もないわけです。
それがはっきり理解できて、それを受け入れることが出来たならば、皆さん方はもう平安です。
そうした時に皆さんはもう真の勇者であり、真の克服者になるわけです。その克服とは自分に打ち勝つことです。
あなたは幸せや健康であるためには、あなた自身に打ち勝たなければなりません。自分に負けている限り、私達は、この世の苦しみから開放されることはありません。
真の自己とは普遍的な大霊です。外側の自分は偽物の我ではありませんか。神我が偽我に打ち勝つことを勝利といいます。
今まではあなた方は偽我の味方になっていました。本物の方には力を貸さないでいたのではありませんか。
ですから、今からはそうではなく、本物の自分を認める事によって、外なるものが内なるものを認める事によって、「外なるものが内なるものとなる」となります。
小さなものが大きなものを認めた時、小さなものは大きなものとなります。個人的なものが普遍的なものを認めた時、個人は普遍となるという意味です。個人は実在していません。
みなさんも、外側で見ると個人ですが、内側には個人はありません。
生命には個人生命や、個人的霊や、個人的神はありません。
そこは全体者があるだけです。全我なる普遍なる、宇宙我なる我があるだけです。
ですから、偽我に打ち勝つためには、本物を持ってこなければなりません。あなた方は偽物で偽物を負かそうとしていますから、絶対に負かすことは出来ません。
即ち、自我で自我をなくそうとしてもなくなりません。
自我をなくすことは、神我を持ってこれば良いのです。
神我が現れたら、自我はなくなります。
「洗礼」といいますが、この字は聖書の間違いです
この字を普通には、皆さん方は洗礼といっていますが、今の聖書は間違っています。この「洗礼」という文字を使っていますが、「洗礼」ではありません。これは☓(バツ)です。これは「霊」だと言わねばなりません。
光のシャワーを浴びることを『洗霊』といいます。「せんれい」とは、お礼の「礼」だと思いますか。『霊』だと思いますか、霊で闇を洗い清めることを洗霊というのです。
その時は、この霊という光で肉体という闇を洗い清めた時に、この者は霊体となります。すなわち光体となります。
その霊体のことを皆さん方は「霊服」といいます。この霊を聖書では「礼」と書いているのです。「霊服」というのを、お礼の「礼」と書いて礼服と書いているのです。これは間違いです。誤字となっています。
この霊服が正しいと思いますか。光の服装を着る光子体となることです。お礼の礼ではありません。これを聖書にはお礼の礼を書いています。
洗礼の礼もこの文字を書いていますが、どちらが正しいと思いますか。お礼の礼ですか。洗霊でしょうか。この霊でしょうか。光のシャワーを浴びるという意味です。
あなた方は、我は霊なりと、我は血や肉・姿・形に属する者に非ずと、どのように洗霊を受けるかといいますと、霊的自覚によります。我は霊なりといった時に、皆さんは、『我は霊なり』というのと同じことです。
その時に、内なる霊に油を注いでいますので、『我は霊なり』『我は霊なり』というたびに油を注いでいますので、その火である、霊的な火が燃えます。これを油注ぎというのです。これを『瞑想』といいます。
『我は霊なりという瞑想をしなければなりません』。
瞑想をしている人は内なる霊に油を注いで、意識しますので、霊的なものを意識すればするほど、それに油を注ぎますので、どんどん内なる火が燃え盛って、とうとう闇の肉が光体となるのです。
これを洗霊といいます。光体になったときに、闇はすべて消えます。
では、光体になった時には、霊的自覚がなくても、この闇である無明である肉体が、光になりますか。これを霊性の進化とも言いまして、五分間でもいいから霊性でありなさい、というのはその意味です。霊性は光です。
我は肉なり、我は光なり。我は霊なりとは我は光なりということで、我は肉なりというのは我は闇なりということになります。
この肉という闇の中に光の自分を閉じ込める状態を闇地獄といいます。闇地獄です。
皆さん方はこの霊がすべての一切の知恵であり、一切の力であるのに、肉にあまりにも執着しすぎて、とらわれ過ぎました。ですから、この闇の中に蒔かれた光の種に飛びさだなければなりません。
人間は初めから愛そのものです
人間は努力して愛になるのでしょうか。生まれながらにして大愛でしょうか。元々、私達は大愛ですし、今も大愛です。未来永劫に大愛です。
愛の他には絶対に何もありません。ですから、愛に勝る力はありません。愛は。全存在の本源にして本質です。愛がなかったとしますと、皆さん方は存在できません。これを神性とも言いますし、仏性ともいうわけです。
では、神性や仏性は愛とは違うものでしょうか、同じものです。それを中性といいすなわち愛です。これを全き愛といいまして大愛というのです。
大愛の他には何もないのに、あなた方は形という世界に完全に目隠しされて、実在しないもので、実在を見失わされているのだと言えます。この形あるものを実在だと見てはなりませんし、人間を実在だと見てはならないのです。
自分の事を神だと觀るか、人として見るか。神だと観ている人のことを神眼の開かれた人といいます。人間だと見ている人のことを盲目といいます。
あるいは無知というのです。
無知な人は自分を神だとは觀ませんし、思いませんし、語りません。偽物に生きて、本物には死んでいます。ですから、人間のことを偽我というのです。
愛には時間もないし、空間もないし、距離もないし、無限しかありません。全き愛の世界には時空間が存在しません。愛の存在しないところはありません。
形あるものだけが愛ではなく色も空も皆愛です。では、色と空は違うものでしょうか、同じものでしょうか。同じものです。
愛は空ですし、そして色も愛となります。ですから、愛即人、人即愛となるわけです。それは大愛ですし、宇宙には小さなものは存在しません。
無限一元であるといえます。無限の他には何もありません。あなたは個人的でしょうか。無限でしょうか。無限大の愛が人を創り、無限大の愛が人の中に宿っているわけです。では、この宇宙に小さな愛があるのでしょうか。
皆さん方の考えている、肉我で考えている愛を盲愛といいます。真の愛は無所得です。無差別です。無所得の愛であり。無差別の愛です。
ですから、善人にも、悪人にも平等に神の愛は注がれています。
愛の世界に善悪があるのでしょうか。ありません。
すべてが愛ですし、愛そのものです。その迷妄から皆さん、解き放たれなければなりません。人間だという先入観や、人間という固定概念を捨てなければなりません。
愛は馴染みのないものだと思っていますが、もう、あなた方は人間に馴染んでしまっています。
人間だと見ることに慣れてしまって、自分を愛だと見ることに慣れていません。偽物を見て、本物を見失っているのです。即ち自分を見失っています。
『私は愛以外に何も知りません』と答えなければなりません
形をとっているものも愛で、形をとってないものも愛です。ですから、色と空は同じものといえます。この愛は見えるものではありません。
この見えるものと見えないものとは違うものでしょうか。同じものでしょうか。色も空もすべてが愛です。これを愛一元といいますし、神一元ともいいます。愛の他には絶対に何もありません。
あなたから愛を抜いたら、何も残りません。人間もいません。あなたが愛以外に何かを知っているなら、あなたは迷っていますし、あなたが愛以外に何かが見えるのならば、あなたは盲目です。
愛以外に何も見てはならないし、愛以外に何も知ってもならないのです。
愛も不調和もありますよ、というのは嘘です。私は愛以外に何も知りませんという人にならなければなりません。
ですから、愛を知るのが悟りとなります。不調和とは迷いとなります。ですから、悟っているか、迷っているかは簡単に分かります。
悟っているなら、必ず愛になります。その愛は限りなき愛ですし、久遠常在の愛となります。これは永遠なる愛です。
また、人間は形という世界に目が眩んでしまって、自分の実態や本質が愛であることを忘れていただけです。
自分が大愛であることを見ない人は自分を見失った人といいます。愛の自分と人間の自分とどちらでしょうか。愛の自分です。
ですから、人間のことを偽我としかいわないのです。偽我というのは偽物の我です。大愛は真我ですから、真の自己となります。愛は真我ですが、愛に生きるべきでしょうか。人間として生きるべきでしょうか。
正しく生きるには、愛としていきなければなりません。正しく思うとは自分は人だと思うべきでしょうか。愛だと思うべきでしょうか。愛に生きるべきです。
しかし、皆さん方はどうしても、形というものに執念や執着を燃やしています。ですから、形という世界を、非実在界としかいいません。
愛は実在界といいます。この実在界は愛の王国です。これを天といいます。大愛と大天とは同じものです。
ですから、『天は汝の内にあり』です。
大愛は大神様ですから、『神は汝の内にあり』となります。
これを内在の神とか、愛とかと言っているわけです。
皆さん方はいつになったら、この偽物から開放されるのでしょうか。あなたが人間だと自分を見ている限りは、絶対に神を見ることは不可能です。ですから、己を観たときに神を観ます
この大愛と大神様とは同じものです。大調和でもいいのです。ですから、神眼を開くというのは本物と偽物の識別をしなければなりません。
大愛を見ている人は神眼が開けた人です。私は人間ですと見ている人を盲目の者というのです。
自分を生涯、人間だと生きる人は、盲目の人生です。
ですから、いかに皆さん方は正しく思っていないかといえます。大愛が実在なのに、人間だと思っている人がいかに多いかということです。
見えるもの、見えざるもの、すべてが愛です
お釈迦様の八正道というのは悟りの物差しです。正しく見ることが出来なければ、正しく思うことも、語ることも、生きることも、生活することも出来ません。
八正道とは愛の王国と言いまして、それは天国のことです。愛の王国と天国とは同じものですから、『天は汝の内にあり』となります。
『神は汝の内にあり』となります。この世で朝の露一滴でも、神の愛を表しています。
見えるもの、見えざるもの、すべてが愛です。愛の他には絶対に何もありません。愛のみが実在です。
大愛がすべての形体を創り、大愛がすべての形体に宿っていますので、そうなりますと見えるもの、見えざるものすべてが愛です。
これが色即是空・空即是色といいます。色即大愛です。大愛即色になっています。
これを全き愛といいます。全き愛と、全き神とは同じものです。
全き愛とはすべては愛だという意味です。
愛なくして物が存在することはありません。愛そのものが創造の原理ですし、物を表す原理です。まだまだ、皆さん方は正しく物を見てはいません。人間がおるというのは本当でしょうか。
人間とは何かと問われた時に、何と答えるべきでしょうか。大愛だと答えなければなりません。
ですから、己を観た時に、神を観るのです。己を知った時神を知るのです。
無知とは自分を知らないという意味です。自分を見失っているという意味です。あなた方の一番の最大の敵は肉体という形です。
偽物が本物を目隠しするわけです。その形に人間という名前をつけて、それで目隠ししているわけです。
自分は人間ではないと、自分は愛であるといえる人はもう神眼が開かれています。自分に私はあなたが見えますといえるならば、愛のキリスト、慈悲の仏陀となるわけです。愛そのものとなります。
何が本物で、何が偽物でしょうか
本物と偽物の識別をしてみたいと思います。私達は偽物に目隠しされて、なかなか本物を見分ける事が出来ません。それゆえに偽物の生涯で終わってしまいます。実際にあるものと実際にないものとの識別が出来ないからです。
実際にないものをあるものだと見て生涯を終わります。これを盲目の人生といいますが、識別が出来ないままで世を去る人が多いのです。
ですから、まずは自分とは何であるか、本物の自分とは何であろうかを識別してみたいと思います。
私達は今、誰でも自分の事を人間だと見ていますし、人間だと思っています。
人間は実在しませんよといっても、「今、現にあるではないか」と、普通の人はいいますが、人間がいると思っている人は全くの盲目です、無知でもあります。人間は全く存在していません。
人間は霊と水でしかありません
まず、人間とは何であるかを考えるべきです。人間の実態は霊と水でしかありません。霊と水なくして、人間は存在しません。
では、実在しているのは人なのか、それとも霊と水なのかとなりますが、人間は実際にあるのでしょうか。人間と、そして霊と水とは違うものでしょうか。
これを大愛といいます。愛しかありません。湖の霊と水との調和を大調和といい、大愛ともいっています。人間とは人間の形をとった愛です。
愛は実在していますが、人は実在していません。人間から霊と水を差し引いたら何も残りません。すべては愛です。
ですから、愛の他に何も見てはいけません。あなたが人間がいるといえば、もう既に嘘をついたことになります
大愛が人を創り、大愛が人の中に宿っているなら、これは人でしょうか。大愛でしょうか。人間の実態は愛となります。
皆さんは、まだまだ妄信的ですから、自分とか、私とか、人間とか、肉体とかというようにものを見ます。
自分を人間だと見ている人のことを、盲目というのです。自分は愛だと見ている人は目明きといいます。すなわち神眼が開かれているわけです。
神は愛なり、我も愛なりです。愛が形をとったら、愛以外のものになるのでしょうか。見えるもの、見えざるものすべてが愛であり、この世に現れているものすべてが愛です。
ですから、すべてに愛を見よとなり、そしてすべてに愛を感じなさいといえます。
皆さん方はどうして自分を人間と見るのでしょうか。形としてものを見るからです。本質を見れば愛ですが、形を見ると人となります。これを外観といいます。
本質を見ることを内観といいます。本質を見るべきでしょうか。形を見るべきでしょうか。本質を見るべきです。肉体はもうどこにもいません。人間は全く存在していません。
生命をキリストといいます
迷っている人とは肉や血を己として生きている者です。真のあなたは血や肉でしょうか、それとも生命でしょうか。
『我、生命なり』と、我は血や肉ではないのだといえる己として、はっきりと生命の自覚ができた時に、皆さん方は一切の悩みや、苦しみから開放されるのです。
自我で生きている限りは、自我は罪であり、病であり、死です。
神我は罪を知らず、病を知りません。生命である神我こそが唯一の救い主であって、唯一の道であるといえます。
ですから、『キリスト』を受け入れよと、キリストを受け入れない者は、生命を受け入れない者です。その者に救いはありましょうか。
生命キリストが唯一の救い主であることを知らなければなりません。キリストとは今のキリスト教のいってるキリストのことを意味しているのではありません。
あなた方の『真我のことをキリスト』と私は呼ばせて頂きます。あなた方の『生命のことをキリスト』と呼ばせて頂きます。
生命こそが唯一のキリストではないでしょうか。唯一の神ではないでしょうか。唯一の神理ではないでしょうか。その他に神や神理があった試しはありません。
生命は非神理でしょうか。神理そのものでしょうか。生命を知ることが神理を知ることです。生命を知ることが神を知ることです。それが己を知ることとなります。
あなたは生命であるから『我は神理なり』とあなた方はいつか言うであろうと、『我、神なり』というであろうと、『我、生命なり』と言うたらよかろうと。そのように真のあなたであることに目覚めていただきたいのです。
私たちの心臓の鼓動や動悸が神のバイブレーションです
我々は神から直接に、ご加護を頂いているのでしょうか。それとも間接でしょうか。直接にご加護を頂いています。
あなたの中に神はおられるのであって、神棚の中から間接的に頂くのではありません。今、あなたを管理している神がおらなければ、即、あなたの肉体はストップします。
あなたの心臓の鼓動の一つ一つが神の鼓動ですし、宇宙のバイブレーションですし、神の息です。
我々の中で息をしているのは誰ですか、あなたですか、それとも神ですか、神があなたの中で息しているのであって、あなたが息しているのではありません。息は宇宙には一つしかありません。
そして、命は一つしかないのに、命が3つも4つもあるはずがありません。我々の心臓の動悸も全ての動悸も同じ動悸でその一つ一つが宇宙のバイブレーションです。それが神との一体観です。
そうした時に皆さん方のバイブレーションは宇宙の神のバイブレーションと同じ周波数を放射します。そうすることによって、皆さん方に変性変容が起こります。
変性変容とは神との一体観です。
自分の心臓の動悸そのものが神の心臓の動悸です。
(神の)鼓動であることを自覚することによって、私たちのこの肉体の粗雑なバイブレーションが宇宙のバイブレーションと一体となって、
一秒間に一兆八千億という精妙な鼓動を体験いたします。
憑依現象が起きるわけ
憑依現象を受けている人に対して、「この者から出て行け」とその霊を叱りつけますと、「どうしてですか。この者が私を呼んだのに」といいます。必ずそんな風に言います。
「この者がと友達になりたいといったから私は来たのであって、勝手にこの者の中に私がいるのではない」といいます。憑依現象を受けている一つの現象です。
「どうして私をこの者から出すのか。私はこの者と波長が合うのだ」と言います。
ですから、いつでもいかなるときも憎んだり怒ったりしている人の場合は、そういう憎しみや怒りの幽霊の霊がその人を支配します。
彼らが我々をどういう風に支配する事が出来るかと言いますと、私達の肉体は低分子ですから彼らは我々よりは少し精妙な分子を持っています。
粗雑な分子の中に精妙な分子が入り込む事ができます。彼らのものよりも、この肉体が精妙体を持っていますと、粗雑なものは精妙なものには絶対入れませんから、憑依霊は入れません憑依現象も起こりません。
心の清い人は、体が精妙体になりますから、悪い粗雑な霊を真に受けることはありません。そのような憑依は絶対にありません。
ですから、低分子状態の場合は入ります。彼ら憑依霊はコンクリートのようなものを抜けるのは簡単です。このコンクリートの分子より、彼らの肉体分子をいうのは幽体分子が細かいのですから、抜けるのは簡単なことです。
しかしながら、このコンクリートが彼らの幽体よりも精妙であれば、絶対に入れません。
ですから、私達の心の状態が悪いと、憑依霊を受けやすくなるから要注意です。
憑霊現象と神懸かりは違う
何を言っているのか分からないような気の狂っているような事をべちゃくちゃしゃべりながら、あたかも神懸かりと思っている人もいます。
神懸かりだと思っているのです。しかし本当の神懸かりというのは、この無限大と繋がることです。この人とこちらの人が繋がることが神懸かりではありません。
個人的意識と個人的意識のぶつかり合いは憑依霊です。そして、必ず死んだ人間だけが憑依するのではありません。生霊と言いまして、生きた人間同士の念の力で災を及ぼしています。
「死霊だけがあなたにかかってくるのではありません。念の力とは意識ですから、生霊も死霊も同じことです。そのことをよく注意していなければなりません。
皆さん方は神という言葉を聞いたら、即無限大と考えて下さい。今私に紫式部がかかっていますとか、日蓮がかかっていますとか、そういうのは神懸かりですか。憑依霊ですか。それは憑依霊です。
普遍意識が支配しているのではなくて、個人意識が支配しているのですから、絶対者である神がその人の意識を支配しているときのみが神懸かりです。
世を清めるのは自分を清めることで、この世を祝福する者です
今の世の中の混乱を乗り切るためには、一人ひとりが高い波動にならないかぎり、混乱期は収まりません。
今の悪い波動に負けるか、善い波動が勝つか、皆さん方が人類を救済し、地球を救済したいならば、今までのような妬みや、怒りや、そしりや、嫉妬という悪い波動を出していてはなりません。この世の中で貢献できません。
世の中を清める為には、あなた方一人ひとりの清めが必要です。あなたが清まらないで世の中を清める事が出来るのでしょうか。あなたが清まることは全体が清まることです。
例えば、今この木に多くの葉がありますが、その木の葉が清まりますと、この木の全体に幸をもたらします。これを祝福と言います。
『世を祝福する者となりなさい』というのです。
世を祝福するためにはあなたが祝福されたものでなくてはなりません。あなたが汚れていて、世を祝福することが出来るのでしょうか。汚れた者が世を清くする事は出来ません。世を清めるためには、自分を清めねばなりません。
なぜかといいますと、世は自分であるからです。全体は我であるからです。全体が我であるならばそれは全一体観であり、その全体が一つであることが分かったならば、あなたの努力は全体の努力になります。今のみなさんがこの意識状態でいきますと、世は救われます。
生きながらにして他人を守護できる
生きながらにして人を守護することが出来るという意味を、一つ申し上げましょう。
例えば、この知花が誰かさんを「かわいそうだな、救ってあげたいな」と思った瞬間、私は誰かさんのところにいるのです。ですから、意識したあなた方は自分が意識した所にいるのであるということです。
この知花が誰かさんを意識したときには、私は誰かさんの中におります。繋がっているのです。そこで誰かさんを指導することが出来るのです。これが守護霊、守護神というものです。
必ず死んでから出ないと人を守護出来ないと限定的に考えないでください。あなたは意識的にテレパシーを送ればいいのです。
人間はなぜ愛か
私は皆さん方に道を示します。
道は示されますが、歩むのは皆さん方一人びとりです。
あなた方が歩まなくてはならないのです。あなた方が実行しなくてはならないのです。
イエス様も「我は道を示す者である」と言われているのです。
皆さん方が本当に真剣に取り組んでいただいて、真の道が示されたならば、それを実行し日常生活に生かして行くことです。
これが如何に大切であるか、ということが言えるのです。
私たちは決して死ぬ存在ではありません。
なぜ死なないかという理由はご存知だと思います。神のみが生きていて、この大宇宙、大生命というものが一つの生命の存在、その中に私達が個別化されたものとして存在し、それは分離の存在でもなく、差別の存在でもなく、
離れた存在でもなく、私たちは今、神と一体であり、神の生命を宿しており、そして神の御霊そのもの、あなたの本質は御霊そのものであって、迷いの人間の存在ではないことをよく知ることです。
今、もし皆さん方が父の御声が聞こえるならば、父はきっとこう申されるでしょう。
『あなたが自分のことを「私」といっているのは、あなたは個別化したわたしのことを「私」といっているのです。
わたしとあなたは「わたしという一つのもの」です。だからあなたとわたしとは一体なのです』と。
そして『わたしは地上にいるあなたの母の中で、あなたをわたしに似せて造りその中にわたしがいるのです。そのわたしをあなた方は「私」といっているのです』と。
神は自ら肉体というお宮をお造りになり、自らがそこに住み給うておられるのです。そのことを「人間は生きた神の宮なり、仏の宮なり」と、「神を外に求むるなかれ」と、「神は汝の手や足より近きにあり」と、イエス様も、お釈迦様もそのことをお説きになられたのです。
しかし、この世の人間はそのお二人を遠い彼方に祭り上げて、偽の指導をするようになってしまいました。
「神は遠い彼方におられるのだ。神に賛美しなくては救われない。仏にお経をあげなくては救われない」というように、宗教は神仏を人間から遠ざけてしまったのです。分離させてしまったのです。
そのために人間は混乱してしまったのです。宗教によって人間は迷わされてしまったのです。宗教の指導者達は真面目にやっている方もいて、彼等は真面目にやっているつもりでしょうが、間違った神を教えてしまったのです。間違った指導をしてしまったのです。
そのことをイエス様は二千年前にとうに知っておられました。
イエス様は「盲の者が盲の者を導く」と聖書に予言しておられるのです。
「あなた方はわたしの言葉に躓くであろう」と聖書に訴えておられるのです。
イエス様の言葉の意味が理解できなかったために、その言葉に躓いてしまい、イエス様を神の一人子として遠い彼方に祭り上げて拝むようになったのです。
それは偶像崇拝です。現象我と言って現象を拝んでいる偶像なのです。決して皆さん方は偶像してはなりません。
イエス様もいっておられますように、皆さん方ご自身の中に
「汝の主は、汝の神として、生命として、汝らの中に生きているその神が存在しているのである」ということをよくよく理解して頂くことです。
そして、その神に皆さん方は委ね全託することです。
神がお造りになったその神秘の宮を、私達の小智が何を食い、何を飲み、何をしなくてはならないという詮索をなぜ加えるのでしょうか。
そこからは〈何々が必要だ、何を食べなさい、何を飲みなさい〉と皆さん方にお伝えされており、それをいただければよいのです。
しかし、今の世の中は色々な物が商売としてエゴで出回り、「あれを飲まなくてはならない」とか「これを食べなくてはならない」とか、みんな自我という魔の働きの中に没入しています。
私はいつもこう祈ります。
「我が中にまします神よ。我が知り給うのはあなた(神)だけです。あなたが私のその全神経を、その全肉体細胞を、その肉体頭脳を、全てを支配し給わんことを。そして我を健康であらせ給え」と。
そうしたとき、サーッと胸元が暖かくなり全身にエネルギーの満ち満ちて来るのを体験します。そうしたとき、即、そう想った瞬間に全ての癒しが行われています。もう何の心配もありません。
皆さん方は病気がどうしたら治るのか、こうしたら治るのかと、我々の小智でいくらもがいてももがき切れるものではありません。それは我々が肉体を造ったのではないからです。
科学が造ったものでもなく、お母さんが造ったものでもなく、造り主は全て神であられることを知らなくてはならないのです。神が唯一の創造主であられることを、唯一無二の生ける実在であられることを、皆さん方は知らなくてはならないのです。
その創造主なる神に全託することです。
そうしたとき皆さん方は神に素直ですので、謙虚ですので、神はあなたの中に即働いて下さいます。それが皆さん方への神の癒しといわれているものです。
その神の癒しというものを本当に悟っていただければ、如何なる病気も開放されることをわたしは信じています。
それをその人が信ずるか信じないか、神に素直になれるかなれないか、謙虚な気持ちになれるかなれないかということです。何故なら、私達の肉体で働いておられるのは、働き手である神であられるからです。
あなたが林檎を頂いて、その林檎を血に換え、肉に換え、細胞に換え、あるいは骨に換えて、そのエネルギーを分析しているのはあなたでしょうか。
あなたがいただく林檎をすべての要素に分解し、その位置に位置づけて下さっている偉大な智恵と力は、私達の内在心にあるのですが、それが皆さん方の中に四六時中働いていることを忘れてはなりません。
その偉大なる智恵の御方があなたの中におられるのに、その神を皆さん方は忘れているのではないでしょうか。神はあなたの手や足より近きところのご自身の中におられ、あなたを愛し、今まで生かし尽くし、働かせ、活動させて下さっているのです。
そのことをイエス様は「神の国は汝の内にあり。外に求むるなかれ」と、はっきり断言しておられるのです。
お釈迦様は「自灯明法灯明を汝の師にしなさい」といわれたのです。
決して「お経を上げて外に救いを求めなさい」といわれたのではありません。
そして「汝の内に仏はおわれる。その仏こそが汝自身であり偉大なる救い主である」といわれたにも係わらず、今の宗教は仏像を作り、お寺を作り、お経を上げることが救われる道であると錯覚しています。
不動明王になるには
神は絶対善そのものである
私達が不動心になるということは、不動明王になるということです。日本人は大変、不動明王が好きです。人間は、善悪の心で揺れ動いています。悪の心というものは、人間が創り出したもので、本来は存在しないものです。
神というのは絶対善そのものなのです。人間は、本心と偽心とがあると思っていますが、人間には本心があるのみなのです。
偽我という自分が勝手に創り出した個人意識と、本当の我である真我が一つになると、偽心があるはずがないのです。
人間は善悪の木を食べています。善い心もあって、悪い心もあると考えているからです。「心を一つにしなさい」ということは、悪い心をなくして、善い心だけにして、一心集中、絶対善の心で生きるということです。
そうすると不動心となり、これが本心、良心と言っているものなのです。
善なる心のみ、本心のみがあるのであって、悪いことをすると良心が咎めるのです。
悪い心があると思っている人は、時計の振り子のように善悪に心が揺れます。憎しみ、怒り、嫉妬のような悪い心を持ってはいけないのです。
不動心は不動明王のことです。闇がない光一元の状態を、明王と言い、それが不動不変の状態にあることを意味します。悪いことをしている時は闇です。人間の心は善悪に揺れますから、晴れたり、曇ったりしています。
太陽は曇ったことがないのです。心に本来曇りはないのです。これを清き心と言います。心清きと言い、「心清き者は幸なれ」。その人は不動心であり、光明であるからです。
人の悪口を言う時の人の心は曇っています。心のスモッグがかかっていますから、明るくないのです。
スモッグを創る、創らないは、自分の心次第です。
一心集中、絶対善の心にすることです。これが日常生活に必要なことです。善なる心だけにしなさいという意味なのです。
どんな迫害を受けても、罵られても、心を平穏にして、憎んでも、そしってもならない、怒ってもならない。怒り狂っている時、皆さんの心は曇っています。
誰かに命令されているのではない。悪しき心で、大欠損をして、平気でいるのです。心よりお金を大切にしているから、お金のために心を売り飛ばすことが多いのです。心はお金では買えないものです。お金を一万円貸して、その人が返さないと、怒り狂う人がいます。
私は人にお金を騙されても、怒ることはしません。人から馬鹿だと言われましたが、お金で怒る人は不動明王になれないのです。
人を憎んでいる時、嫌な気持ちのはずです。自分の心が曇りますから損です。不動心、絶対善の心でいたいものです。
お寺にある、剣を持ち、怒りの炎を燃やす不動明王の姿ではないはずです。本来は仏の姿で、怒りの姿に造り間違えているのです。
愛光が燦然とする姿です。顔に現れているのは心です。心の状態を映し出すのが顔、怒りは怖い顔です。嬉しい、楽しい時、ニコニコと仏の顔となります。
心清き者は幸いなり
心が安らいでいる時は、自ずと緊張感がとけて、肉体がリラックスします。心が緊張していると、肉体はリラックスしません。
悪の心がない状態となると、肉体はリラックスするのです。精神統一はリラックス状態で平安の心です。そのためには、人に何を言われても平気でいなければならない。
外なるものの影響を受けないで、常に清い心。安らぐ心でいられることが不動心です。不動心なら心の修行が終わった状態です。
心がいくつあるかを知るべきです。み心、真心しかありません。これが神の心で、実在の心なのです。偽我は、偽りの心となり、上辺の心です。これは実在していません。
あなたが、個人意識で、勝手に創り出したものにすぎません。肉を己として生きる限り、偽心です。心を一つにすると悪の心は生まれてこないのです。
心のことを心霊(または神霊)と言います。大霊は寛大な心、神の心です。心は光で、闇ではありません。心の光を霊光と言います。これを曇らしてはなりません。
イエスは「心清き者よ幸いなり、その者は神の国を見るであろう」と言われているのは、この意味です。
善悪の心に、揺れ動いている所に、神が映るでしょうか。波打っている水面には、お月さまは綺麗に映りません。鏡のように揺れ動かないものに神は映るのです。
今のあなた方の心では、とうてい神は映らないのです。
神を見るためには、平坦な心でなければなりません。
これを静寂な心と言います。
悪霊は自らが創る
外側からの誘惑がサタンの誘惑なのです。サタンは悪、悪の誘惑に負ける。本来サタンという悪はないのです。悪がないと解れば、サタンの誘惑に負けることはないのです。悪が来ても、あなたの光をもって打ち消す。あなたが光そのものであったら、誘惑は入って来ません。
その時あなたは、この世の悪に打ち勝った者となる、誘惑に打ち勝った者となるのです。サタンとは自我意識のことです。
悪い心と悪霊は同じもの。良い心を善霊と言います。神霊ですから、悟った人は善霊となります。
この悟った人には悪霊はありません。悪霊は本来実在しないからです。善悪の木の実を食べている人のみに悪霊があり、その影響を受けるのです。
悪霊は幻、1つ目になっていない人にのみあるもので、絶対実在は神しかありません。アダムとイブの初めに戻り、善悪の木の実を食べていることと同じです。
この時以来、人間はまだ、善悪の木の実を食べ、善悪があるのだと信じ込んでいるのです。心の悪い人のことを善霊と言わずに、悪霊と言います。皆さんは、悪霊が怖い、悪霊に取りつかれていると言います。
あなたが誰かを憎んでいるときには、悪霊に取りつかれている状態、悪い心に取りつかれています。
では、憑依霊は誰が受けるのでしょうか。誰がもって来るのでしょうか。その悪い心に支配された状態を憑依霊と言うし、悪霊に支配されていると言います。
良い心に支配されている時は、神懸かりです。世の中は、悪霊の意味が解っていないのです。その心の悪い状態を悪霊と言うのです。本来はないのですが、その本人が悪を望んで創るわけですから、悪霊が存在することになります。
創らなければよいのです。あなたの悪、憎しみは、あなたが創るからあるのであって、創らなければ、ないのです。悪を創らない人間に、悪は存在出来ないのです。
では、あなたを善人にするも、悪人にするも誰次第でしょか。あなた次第です。誰かがあなたを良い人、善霊に、あるいは悪霊にできるのでしょうか。
あなた自身以外に誰も出来ないのです。だから、良い人間になるも、悪人になるも、他の本題ではなく、自力本願、その人の自由意志、自由選択なのです。
絶対善にあなたがなれば、あなたは絶対善になるのです。それが不動心、善霊です。もう憎しみを感じない、怒りを憶えない、嫉妬しない、悪がない人間にならねばなりません。
そうなる、そうならないは、皆さんの日常生活次第です。
どこかに篭って座ることでしょうか。皆さんの日常生活が、信仰そのものなのです。精神統一は、日常生活の内で行わなくてはならないのです。
今日一日愛の1日であった。
絶対善の一日だった。
誰の悪口も言わなかった。
誰も憎まなった。
これは1日、精神統一をしたことになります。調和の1日だった、愛の1日、調和の1日だった。そこに何の悪もなかった。それの積み重ねです。
みなさんんは不動心になって初めて、不動明王という光輝くものとなるのです。多くの人を憎み、多くのトラブルを起こす人は、病気になりやすいのです。
病気は愛から来るのではなく、不調和から来るものなのです。憎しみや、怒りやそしりが病気の原因になっています。
あなたが絶対善となり、光となったら、世の中に病という闇は存在しないのです。闇から病(やまい)や、悩み(なやみ)は来ます。
天国に住むも、地獄に住むも、あなた次第です。絶対善の心が、神の心、み心です。その悪の心は、あなたの自由意志で創ったものであり、本来は実在していません。
だから、実在する絶対善の心で生きてこそ、私たちは不動心となり、不動明王となります。それは、毎日の日常生活が修業の場であるということです。誰もあなたの心を変えてくれる人はいません。
あなたが、自分の心を善に使うか、悪に使うかは、あなた次第です。あなた方は各々、神の心を持たされているのです。世の中には、神の心を悪い方向に使う人もいます。
その心はエネルギー、力ですから、宇宙にはエネルギーは一つしかありません。神聖エネルギーです。
ある人はこのエネルギーを悪に使い、ある人は善に使うだけなのです。エネルギーには善悪はないのです。
戦争と平和のエネルギーの区別はないのです。その人が戦争に使うか、平和に使うかだけなのです。エネルギーには、善いエネルギー、悪いエネルギー、マイナスのエネルギーもあって、プラスのエネルギーもあるのではないのです。
神聖エネルギーしかないのです。愛のエネルギーしかないのです。これを人間の自由意志で、悪に使うか、善に使うか、建設に使うか、破壊に使うかだけなのです。
皆さんの病気のエネルギーと健康のエネルギーは別々のものではなく、同じエネルギーなのです。その本人が病気という破壊的な方向にエネルギーを使っただけです。
日々、心を正しく使うこと
宇宙にはエネルギーは一つしかないのです。病気に使うか、健康に使うかは、その人間の自由意志です。自由選択です。
病気にするも健康にするも、その使い方次第。正しく使えば健康、誤って使えば病気になります。
宇宙には、たった一つの無限大の神聖エネルギーしかないのです。このエネルギーを、皆さんの心次第で使い方を決めているのです。
悪い心となっている時は、悪いエネルギーに転じており、善い心で正しく使えば、健康になります。
心を正しく使う日常生活を歩まねばなりません。皆さんは今日まで、平気で人の悪口を言い、憎しみを持ってきたと思います。それは得したのでしょうか。損したのでしょうか。
よく考えて下さい。人を憎んで、得をする人はいません。人の悪口を言って得することはなく、損するだけです。みなさんと私が、日常生活であまり会って話をしないのは、皆さんは三次元的、五感的外側の話しかしないので、私にとっては、気に入らないのです。
みなさんは、実在の話をしないで、この仮相界の話しかしませんから、私には気に入らないのです。
消えてゆく仮相の話に対して、聞く耳を持っていません。話を聞いても得にならないのです。気に入らないから黙っていたほうがよい。
これを沈黙というのです。
三次元的なうわさ話、どこどこで誰々さんはね・・・、とかの話は損しているのです。あなた方はせっかく食べたエネルギーを、こんなものに消費せねばならないのですか・・・。
あなた方は、そういう無駄なものにエネルギーを浪費するから、腹も減るのです。おしゃべりしなかったら、腹も減らないのです。意味のないおしゃべりをして、無駄なエネルギーを浪費するから病気になるのです。
不動心になると、もっともっと、ひもじさを感じなくなります。みなさんが不動明王になるためには、絶対善という、今日も1日善の1日であると、決め込んでかかって下さい。
悪いものに負けるものか、サタンの誘惑に負けるものかという強い決意をして下さい。人の悪口を言う時は、あなたはサタンの誘惑に負けている時です。
それは許しと愛で打ち勝たねばなりません。許すことによって勝つことになります。喧嘩は両成敗が当たり前です。両方罪を犯します。両方損をするのです。
両方悪いから、両方を裁かねばなりません。双方とも自己主張しているだけです。これは、自己保存の心と言って、一番汚い心です。曇りです。
私はこう思う、私はこう見るという自我意識でものを見たり、考えたりしている時は、そこには善は存在しません。
常に真の我れ、絶対善の心からものを見なくてはなりません。
いい顔であるためには、いい心でなければなりません。
顔は心の映しですから、心以上のものを映すことは出来ないのです。
良い心は良いものを映します。
悪い心は悪いものを映します。
良いものを映し出すか、悪いものを映し出すか、それはあなたの心次第です。
良い心は、神のみを映し出して見るだろうということです。そうすると、この世は波立たなくなります。これが静寂な心と言って、そこに映ったものは、綺麗に見えます。
波の荒い時は、月は綺麗に映らないのですが、心が不動になって、善悪の心に揺れなかったら、そこに映ったものは、綺麗に見えます。
善悪の心というのは、善悪の木の実とも言います。
人間が善悪の心に揺れているということを、動揺といいます。
みなさんは、善悪に支配されていて、絶対善になっていないのです。
神は中心です。その中心から振り子が会って、善と悪があると思い込んでいます。
本心、中心は動かないのです。本心のことを中心といいます。中心は揺れることはありません。中心は狂いません。
人間の自我の心で見ると、振り子のように揺れますが、神の心である中心から見ると、絶対に動きません。不動心です。
不動心になると、不動前なるのは当たり前です。不動明王ということは、光一元、、曇ることがない状態です。
太陽はまったく曇りません。本心、良心は曇ったことがないのです。
誰でも不動明王になれる
みなさんは、善悪に支配されていて、絶対善になっていないのです。
神は中心です。その中心から振り子があって、善と悪があると思い込んでいます。
本心、中心は動かないのです。本心のことを中心といいます。中心は揺れることはありません。中心は狂いません。
人間の自我の心で見ると、振り子のように揺れますが、神の心である中心から見ると、絶対に動きません。不動心です。
不動心になると、不動前なるのは当たり前です。不動明王ということは、光一元、、曇ることがない状態です。
太陽はまったく曇りません。本心、良心は曇ったことがないのです。
あなたがスモッグを造っているのです。あなたは太陽を見ないで、曇った部分を見るから曇っているのです。
ちょうとこの世も同じで、太陽は燦然と、曇りの日も、雨の日も輝き続けています。
あなたは、そのスモッグを見ているだけで、太陽そのものになれば、燦然と輝く自分を見ることが可能です。
神のこと、霊のことを霊太陽と言って、霊は太陽なのです。これが宇宙の中心太陽なのです。この霊太陽が全世界、全宇宙を照らしているわけです。太陽はなぜ光り輝き続けているのかと言いますと、放出するからです。
太陽がケチって光を出し続けなかったら、その光は曇ってなくなります。与えるから、与えられるのです。循環の法則を守っているのです。
放出しなかったら、太陽は光を得ることはないのです。出すこと、入れることは、循環の法則、バランスを守っているから、太陽は光っているのです。
あなたも世の太陽となるには、与えきりなさい。
「与えよ、さらば与えられん」の意味は何かと言いますと
「空」は光の粒子ですから、その光を放射することによって、常に空(くう)の光の粒子と入れ替わり、私たちはこの世の太陽となります。
太陽は与えきりですから、次から次に出しても、その光は減ることがない、それは霊太陽から光を与えられるからです。
皆さん方も、世の太陽となるためには、多くの人々に宇宙エネルギー、神聖エネルギーを放流、放射してゆくことが大切です。
得ようとする者は失うということは、その意味です。あなた方は出すことは嫌いで、得よう得ようとしています。
「命を得ようとする者は光を失い、光を放つ者は命を得る」という意味です。
与える者は、その与えた人が輝くのです。もらおう、もらおうとする人は、自分が光でないと思っているからです。
与えて光るのか、もらって光るのか、もらおうとすることは破滅です。
与えることは得ることです。
これは循環の法則ですから、与えて、与えてゆきなさいということです。
水車も水の流れをせき止めないで、流れに任せているから、力が出るのです。
あなた方も、この肉体という意味を、神の媒体となって、与え切ってゆけば、その偉大なる力、偉大なる輝きを出してくると思います。
「先生、エネルギーを下さい」と言う人は、感心しません。
あなたは、乞食になりたいのか、与える者になりたいのか、どちらでしょうか。欲しい、欲しいは乞食です。貧乏です。金持ちは与えます。
与える者になりなさい。与えるものは、物ではないのです。
あなたの善意なる心です。エネルギーです。
私には、何も与えるものはありませんと言いますが、エネルギーはあるはずです。
あなたが善意な心になれば、光そのものを放射します。その光を世の人々に注ぎ続けることです。
このことが、イエスの言われた、「我れは世の光なり」ということです。
太陽は与え続けているがゆえに、みなさんは太陽が照り続けると、カンカン照りで熱いと文句を言いますが、曇ると曇っていると文句を言います。
しかし太陽は一切文句は言いません。太陽はいくら文句を言われ続けても、光を与え続けています。あなたがたも、この世の人間同士も同じことだと思います。与えられても、文句を言う人もいっぱいいます。
この知花の話を聞いて、知花に敵対する人も多いのですから。
人から盛られた毒は食べてはいけません。夫婦でも毒の盛合いをしています。サタンの誘惑です。憎しみ、怒り、嫉妬とかと行います。親子でも、夫婦でも、お互いの毒を食べないことです。
サタンの誘惑に負けるということは、人から盛られた毒を食べてしまい、あなたも怒ることです。
悪の心は、あなたが勝手に創らない限り、存在していないのです。この世にあるのは、実在しているのは、絶対善のみなのです。悪の心は人のものです。悪という心は、神というその本心を知らない人にのみあるのです。
心を一つにしなさい、ということは、善なる心のみにしなさいという意味です。心が一つになったら、みなさんには不幸というものはなくなります。
不幸になったり、幸せになったりするのは、善悪の心で生きるからです。
善なる心であるなら、毎日が幸せです。神は幸せそのものです。本当は、不幸な人間を、神は創り出していないのですが,あなたの自由意志でもって、あなたが自分を不幸にしているだけなのです。
誰があなたが自分を不幸にしているでしょうか。
他人ではなく、自分です。
ですから、最大の敵は、自分です。その善悪の自分に徹底して打ち勝つことが大切かと思います。誰もあなたを苦しめていないのです。
あなたの心があなたを苦しめているのです。自分との闘いということに、気づいてほしいと思います。
平気で人を憎む自分、悪口を言う自分に打ち勝って克って下さい。悪の心を自分に住みつかせてはなりません。清い心とするためには、憎しみの心、怒りの心、嫉妬の心をあなたの心から追い払わなければなりません。
これがキリストの帯でムチを造り、神殿を汚す者を追い払ったという象徴的なものです。あなたの心が神殿そのものなのです。
「心を神のみに与えなさい」ということです。
あなたの心を、善悪の住処にするのですか。清き心にして下さい。神のみの住処にしなさい。これが「心を一つにしなさい」という意味なのです。
一時でも、サタンをあなたの心に住まわせてはならないのです。あなたは、あなたの造ったムチで、心のサタンを追い払わねばなりません。
そのまま平気で、怒りの心、嫉妬の心を住まわせてはならないということです。私知花も、心に住み着くサタンを、ムチで追い払おうと努力している一人です。
たまにはサタンが心に入ります。そのサタンが心に入りこんだ時、みなさんはサタンにやられてしまいます。悪に取り憑かれていることになります。それを憑依霊とも言います。みなさんはよくやられています。
あなたが誰かの悪口を言っている時は、神懸かりではなく、憑依霊を受けているのです。それは自分で呼び込んでいるのです。その憑依霊を追い払う時、必ず憑依霊は、この者が私を呼んだのであると言います。
あの人を憎みたいと、憎しみの心をもったわけですから、憑依霊を招待した事になりますから、入ります。心を一つにしなさいということは、善悪の心で生きることではなく、絶対善の心を統一してゆくことです。
これが精神集中、一心集中です。
善なる心のみにしなさいということです。
それが出来たら、あなたは不動明王になっていることになります。
波動とは何か
心の波動が良ければ、バイ菌も無力になる
自分の肉体的な病気は、心の波動が生み出しているのを忘れてはなりません。
例えば外部からバイ菌が侵入してきても、元々体に愛の波動を持っているならば、バイ菌とは絶対に波長が合いませんから、肉体に入ってくることが出来ません。同じものを食べましても、中毒になる人とならない人がいるのです。
低い波動を持っていますと、病原菌、ビールス菌などが入ってきます。皆さん方のバイブレーションが高ければ、低い波動のバイ菌はどうしても入ることが出来ません。そのような人を防御能力が強い人と言いますが、その人間はオーラがあるのです。
愛の波動を出しますと、光のドームができます。オーラが出来るのです。それらはみな光を放っています。その光がピンと張った状態になりますと、バイ菌が入ろうとしても絶対に受け付けてくれません。
ところが、愛の光線が弱くて、自分から出ている波動が弱く、しおれているのではすぐに入ってしまいます。外部から入ってくる病原菌と波長が合わなければ入りようがないのです。
私達の日常生活は全て波動だといえます。心の悪い人は悪い波動が出ます。憎しみの心は憎しみの波動しか出ません。愛の心は愛の波動しか出ないのです。
では、みなさんが人を憎んでいる時はこのオーラは力強く光っていると思いますか、弱いと思いますか。それは弱いのです。
オーラが強くなりますと、それはもうものすごいオーラになり、ドームで包みます。そうなりますと、いかなるものも外部から影響を受けません。
真実を知った時『自分を愛するが如く人々を愛します』
争いはなくなります
あなた方はまだ、外側で物を考えがちです。外観でものを考えがちです。真実を見ようとしないからです。この世で本当のことを、真実を知ってしまえば、争いません。『自分を愛するが如く人々を愛します』し、調和します。
あなた方が真実を知らない間は争いはこの世から無くなることはありません。非真実の中に生きている者のみに争いがあります。
神理を知らない盲人や、無知の人のみに争いはあるのであって、真実を知っている人間に争いはありません。
真実を知ってもなおかつ争うのでしょうか。誰かの悪口を言うのでしょうか。言えないはずです。誰かを憎むのでしょうか。憎めないはずです。嫉妬は出来ないはずです。
この真実について、皆さん方は正しく見ることから初めて下さい。外側の結果で、あなたはこれをみかんだと見ているなら、あなたは正しくものを見ていません。
ミカンは外側からみればミカンです。内側から観れば神です。全てに神が宿っています。
あなた方は人間だと見ているなら、正しくものを見てるのでしょうか。一人一人の中に神を見なければなりません。
内側を観れば神ではありませんか。内観すれば神ではありませんか。外側を観れば結果ですから、人間となるのです。
しかし、その原因である神と結果である人間とは一体ではありませんか。一体です。人と神とは一体であり、人は神の中におり、神は人の中に留まりたもう。
正しく見るとは内側で心を開いて
ものを觀ることが正しく見るという意味です
原因と結果は一つです。原因と結果が分離して存在できますか。原因のない所に結果が存在できますか。原因が一切の結果を生むのです。ですから、神は第一原因者だといえるわけです。
神を観なさい。なぜ結果だけを見るのでしょうか。あなたの肉の目は結果だけしか見えません。真実は見えません。心の目を開きなさい。
今日こそ開きなさい。真実を觀るようにしなさい。正しく見なさい。あなた方は今、正しくものを見てません。内側でものを觀ることが正しく見ることです。真実を觀ることが正しく見ることです。
外を見れば非真実です。内側で心を開いてものを観なさい。私に心を開きなさいというのはこの意味です。
あなた方の心の扉は閉ざされています。それ故に外側でものを見ています。内側を観れば全てが神であることを知ります。
全てに神を観るであろう、『神が観たまうが如く、私は観たのである』という言葉を体験するであろう。
真実を知らない者がどうして神理が語れましょうか
私、知花からみれば、皆さんの中に神が観えます。あなた方は全て人間だ、動物だ、鉱物だと見ていますが。
私は全てのものに神を觀ます。それが内観です。正しくものを見るという意味です。真実を見るという意味です。
真実が観えなければ、真実を語ることは不可能です。皆さん方は非真実を見て、非真実を語って生きています。
それは全て偽りです。偽りの自分が、結果の自分が、真実を知らない者がどうして真実を語り得ましょうかと言いたいのです。
真実を知っている者のみが真実を語ることが出来ます。真実が何であるか分からないで、真実をどうして語れましょうかということです。すなわち神理を知らぬ者がどうして神理を語れましょうかと言いたいのです。
皆さん方も神理を知らないで神理を語る事が出来ますか。神理が何であるか分からない者が神理を説く事が出来ますか。
神理は空想の産物ですか、それとも真実ですか。いかに神理を空想して、幽想しているか、推測しているかといえるのです。
陰陽の法則
神がすべてを愛したように、わたしたちも全てを愛そう
多くを愛する者は多く愛されます。愛は出せば出すほど多くなるものです。あなたは無限なる愛を持っていながら、どうしてけちくさいことをしますか。なぜこの無限大の愛をあなたがたは表現しないのですかと言いたいのです。
愛は使ったら減っていくのですか。多くなりますか。どちらですか。
「多く愛する者は多く愛される」という原理があります。多く与えるものは多く得ます。与えない者は得る事が出来ません。
あなた方の愛の範囲は狭すぎます。夫婦愛、親子愛などの範囲内で終わってしまうのです。それも大切ですけれども、こんな小さな存在でとめてもいいのでしょうか。私たちは無限の愛ですから、無限の愛を表現しましょう。
夫婦だけ、親子だけを愛しなさいと限っているのは、愛に限界があるのだとみなしている事になります。愛には限界がありません。無限大の愛ですから、無限大の愛を放出しましょう。そうしますと、私たちは無限大の愛を得ます。
あなたがすべてを愛することが出来なくても、全ての愛をあなたが得ることができますか。
有限的な個人的な小さな愛しか表現できない人間に、無限大の愛を得ることは可能でしょうか。多く愛するほうが多く愛される。これは当たり前の法則です。
自分は愛を少ししか出さないのに、出すものより多く得るのですか。夫婦だけが仲良くしていればよい。親子だけが仲良くしていればよい。
こんな汚い小さな愛は存在しません。
神が全てを愛したように、私たちも全てを愛して初めて神の愛といえるのです。本当の神の愛をよく理解して下さい。
多くを愛するものは多くの人から愛されます。愛を得るためには、愛するしかないのです。自分はいっこうに誰も愛さないのに、誰かから愛されたいと思いますか。
あなたが多くの人から好かれる人間になるためには、どうすればよいのですか。多くの人を好きになればよいのです。嫌いな人がいなければ、嫌いな人もいなくなります。
ですから多くの人々を私たちは愛していきたいと思います。愛の法則そのものが、陰陽の法則そのものではありませんか。その法則を守った時に、皆さん方は光となります。
完全とは『美』をいいますがなぜでしょうか
あなたから不調和が無くなれば完成です。完成した時に皆さん方は祝福を受けます。未完成では神の祝福は受けられません。皆さん方が家を建築するのに未完成なのに祝宴を上げますか。完成祝いが出来ますか。出来ないはずです。
では、あなたは今、神の祝福を受けてる者ですか、神の祝福を受けていない者ですか。それは調和だからですか。不調和だからでしょうか。
あなたは不調和を美しいといますか、醜いといいますか。
不調和を、「これは不完全だ、美しいなあ」と言う人がいますか。
完全になってはじめて皆さん方は、『美』という言葉が出るはずです。
ですから、皆さん方が自分を美しくするも、醜くするも自分次第です。
全ては愛しか無いと思います。愛の他はありません。なぜかといえば宇宙には愛しか無いからです。愛のみが絶対実在となります。
では、皆さん方の考えている不調和は実在するものでしょうか。実在しないものです。不調和とはなんでしょうか。実際にあるものでしょうか。無いものです。
実在しているものは愛だけです。どこに不調和があるのでしょうか。どこから不調和が探せますか。無いはずです。
ですから、皆さん方はその不調和を認めてはなりません。不調和は認めるべきですか。認めるべきではありません。認めるとその不調和にあなたが力を与えることになります。善悪の心とはその意味です。
善なる心があるだけであって、悪なる心は本来ありません。
絶対善があるだけです。絶対愛があるだけです。
善の心もあって、悪の心もあるというのは本当でしょうか、嘘でしょうか。悪なる心は実在するのでしょうか、実在しません。それは幻想であり、幻想です。悪とはすなわち幻です。実在しているのは愛の光だけです。
悪を認める者のみ悪があり、悪を認める心が悪に力を与えます
あなたが本来知っているのは「神の愛のみです」。そのようにいえる皆さん方にならなければなりません。
善悪を認めるが故に善悪の世界になってしまいました。絶対善しか認めない者にどうして悪が生まれてきましょうかといえます。
善も認め、悪も認めたから、善悪の世界として、今この地上界が存在しているのではありませんか。善もあって、悪もあるのでしょうか。実在する悪はありません。絶対善があるのみです。絶対愛があるだけだと思います。
その他の悪はあなた方の妄想にしか過ぎません。迷想にしか過ぎません。それらは信ずる心がそれらを生み出しただけですし、悪を認める心が悪に力を与えたわけです。
悪が熟してきますと善になります
皆さん方は絶対なる愛でこの世の悪を克服していかねばなりません。愛こそ実在である境地です。絶対愛の境地です。ですから、皆さん方は悪を見たとするならば、まだまだ愛に目覚めていない状態です。
この世の悪とは何かといいますと、まだ熟していない愛だと見て下さい。どのようにしてこの世の悪を見ることが出来るかと言いますと、
熟成の低い善だと、まだまだ熟していない者たちだと見て結構です。
悪が熟してきますと何になりますか。善になります。
ですから、悪が多いのはまだまだ未熟だと言えます。
不調和が多いとはまだ未熟だといえるわけです。不調和の人間の事を未熟の魂といい、そして調和の人を熟した魂といいます。
愛はすべての原点です
全ての原点は愛です。原点に帰るためには不調和では原点に帰れません。「神の国は愛の王国」といいます。「愛の王国は光明世界」です。
今の自分は熟成が高いか、感性が高いか、それとも低いかを誰が一番知っていますか。自分の完成は誰が高めるのでしょうか。自分以外にはいません。
完成を高めると人はよく言いますが、その完成が何であるかを知っている人は非常に少ないのです。不調和の人は未完成であり、調和の人は完成です。不調和の世界を闇の世界といいます。そして調和の世界は光明世界といいます。
では、この地上界は愛の世界ですか。不調和の世界ですか。今は不調和だらけの人間しかおりませんので、闇地獄というわけです。
愛の世界は光明世界です。ですから皆さんの原点は愛ですから、その原点である本性を現せばいいのです。
みな愛を宿しているのではありませんか。その大愛が全てを創り、大愛が全てに宿っているわけですから、愛がなければ具現できないはずです。エネルギーと質料が不調和でしたら、物は存在出来るのでしょうか。
霊は光なり
私達の肉体は水です。それを動かす力は霊的力です。肉体自らは無ですし、生きてはいません。
皆さん方は肉体を救おうとしますが、肉体は救えるものではありません。本来は「霊を救う」のですが、その魂も迷うものではありません。
皆さん方は魂に対しての理解力が非常に乏しいのです。魂は一切の力であり、一切の光です。一切の光というのは、霊光といいます。
魂 は光輝といいますが、魂は闇ですか、光ですか、光です。これを内なる光といいますが、内なる光とは霊光をいいます。
皆さん方の肉体は受動体ですが、光である霊を受け入れたら、皆さんの受け身である肉体は闇となりますか、無明体となりますか。光体となります。
皆さんの肉体が光である光子体になったら災いは入りますか。入れませんか。災いは闇ですか、光ですか、闇ですが皆さんが愛そのものになったら、愛という光の世界に闇は入れません。
光という世界に闇が入り込めるはずがありません。類は類を呼ぶといいまして、闇は闇を呼びますし、光は光を呼びます。
光を呼び入れるためにはあなたが光でなければなりません。闇人間は色々の災いをどんどん引き付けます。光はどんどん良いことを引き付けます。
不調和は闇人間です
この世は未完成の世界です。あなたが完成して、今ここに存在していると思いますか。未完成だから生まれ変わってきたのですか。
未完成だから生まれてきました。未熟だから生まれてきたのです。それを未熟の魂といいます。未熟の魂とは不調和の人間です。熟した魂とは愛の人です。愛の人とは光の人間です。
この世には光人間と、闇人間がいるといえます。不調和だらけの人間は闇人間です。愛の深い人は光人間です。
光るものとなるか、闇となるかは、あなたの日常生活で決まります。毎日が不調和だらけの者や、誰かと喧嘩をしなければ気の済まない人もいます。
ですから、だれとも争わない絶対なる愛は絶対調和ですから、我々が愛しか知らない人間になったとしか、調和しか知らない人間になった時に、皆さん方は完成となります。完成です。
不調和で完成が出来ますか、出来ません。ですから、あなたの周囲のあなたの気に入らない人や嫌な人がいても、その人を憎むべきではありません。
罵ったり、けなしたり、非難したり、批判すべきですか。それは得をしますか。人を憎んだり、そしったりすることによって、あなたは得をしますか。損をしますか。損をします。なぜでしょうか。それはあなたが闇になるからです。
不調和な者は本人が気付くまで放っておくことです
あなたの周囲に嫌がらせをする人がいても、それにとらわれなければ良いのです。放っておけばよいのです。あなたがその人に愛を求めることが出来ますか、出来ませんか。その人をあなたが変えさせることが出来ますか、出来ません。
人の悪口を言って、人を良くしようとする人がいますが、それは良くなりません。そのことに本人が気付くまでは絶対に良くなりません。
そのことを責め立てたら、悪は増幅するだけです。一つでも責めたとするならば、余計に怒り狂います。怒り狂ったら闇は少なくなりますか、それとも増幅しますか。増幅するだけです。ですから放っておけばよいのです。
皆さん方が自分の周囲を明るくするためには、皆さん方が明るくすればよいのです。「人を変えよう」ではありません。
自分を変えようではありませんか。自分を変える事以外は周囲を変える方法はありません。特に夫婦間の問題はそのようです。
旦那さんが悪いから私はこうなのだと、奥様が悪いから私はこうしてるといいますが、誰かに責任転嫁をした方が楽だと思って、そんなことをしているのです。
「あの人のせいで私はこうなっている」とかいって、責任転嫁をする自己保存の心がいかに多いかといえます。会社においても同じ事です。
会社でお互いに責め合った時、そのことは無くなりますか。闇や闇で消すことが出来ません。悪は悪で打ち消すことが出来ないことを知らなければなりません。
不調和の世界を悪の世界といいます。調和を善といいます。ですから、この世の悪を克服するとは、この世の不調和を克服するとい意味です。悪に打ち勝つとは不調和に打ち勝つという意味です。
私達の存在価値は愛です
この世を克服するための価値であり目的です
「我はこの世の無知と闇とを克服したものである」と、イエス様が言われました。なぜ克服出来たのでしょうか。愛の他はないと思います。愛でもって克服出来ないものが世の中に存在するのでしょうか。
この世の悪はあなたの愛でもって克服されんがためにあります。あなたがこの世の悪をあなたの愛でもって克服した時に、あなたは克服者キリストになりませんか。我はこの世の悪に打ち勝った者だといえませんか。
その時皆さん方は完成です。では、今の自分が完成に近いか、それとも完成が遠いかを誰が一番知っていますか。自分が一番知っています。不調和か調和かの意味も分かります。
不 調和の人や、妬みっぽい人や、怒りっぽい人や、そしりっぽい人や、嫉妬深い人間は完成に近いのでしょうか。未完成ですか。未完成ではありませんか。熟成が低いわけですし完成が低いのです。
毎日の生活の中で人を赦すことや
責めないことが不調和の克服となります。
皆さん方が今、学ぶことによって、どんどん完成が高まったのではありませんか。今までの性格がころっと変わった人が大勢いるのではないですか。今までは人を赦さなかったのが、今では赦せるようになった人が大勢いるのではありませんか。
私、知花の目の前でそんな話を聞く時がありますが、どうしてなんで赦し合いが出来ないのだろうと、悲しくなりますし、嫌になります。
なぜ闇を増幅するのだろう、なぜお互いに赦しあって仲良く出来ないのだろう。それが愛であるためには赦しが先決です。その赦しを先行せねばなりません。
人を裁くことによって良くなると思ったら、それは大間違いです。人を裁いて良くなった例はありません。
人から欠点をいわれて良い気持ちになる人はいません。では、その欠点をつつかないことが重要ではありませんか。人の欠点を探りだして、あの人はここが悪いとか、あそこが悪いとかいえば本人は喜びますか、怒りますか、怒り狂います。
愛であるためには赦しを先行する以外は何もありません
赦せる人になることです。愛であるためには赦しが先決です。「私は悪人になってもいいから、人をせめて良くするのだ」という人がおりますが、良くなりますか。人を責め立てて良くなりますか。良くなりません。
その人を批判し、批判したら、その人は良くなりますか、悪くなりますか、悪くなる一方です。
周囲を良くするためには、あなた自身が良くなればいいのです。あなたが良くなればあなたは世の光となります。
世を照らす光になります。あなたの日常生活が赦しと愛であるならば世の光となります。光そのものです。これを今日から実行してみたらどうでしょうか。
愛に勝る薬はこの世にはありません
完成を高めるとは愛を高めることだといえます。今日の一日をだれとも争わず、憎むこともなく、怒ることもなく、嫉妬をすることなく、一日一日を愛にて生きることが感性を高めることです。それを愛の一日といいます。
それが病気治療の秘訣ですし、健康の秘訣です。これに勝るお薬がありましょうか。皆さん方に無銭でもらえるお薬を頂こうとしないで、お金のかかるお薬で健康を保持していこうとする人が如何に多いかといえます。
私、知花がなぜ病気にならないか。その理由はどこにあるのでしょう。風邪も引かない。病気にもならない理由はどこにあるのですか。愛であるからです。
私は小さい時から人を憎むことが嫌いでした。「あなたに感情がありますか」といわれたこともあります。それは一回だけではありません。人から罵られても、けなされても、けろっとしていることが出来る私でした。
小さい時から性格的には「言いたいから言うのでしょう」としかいいませんでした。言いたいから言うのだと。それを赦せる自分だから病気にならなかったと思います。これは悪い性格ですか、良い性格ですか、人を赦せるとは悪い性格ですか、良い性格です。
徳を積むとは愛を積み重ねた者をいいます
自分の悪口を言われて、すぐに怒り狂う人は性格的には良いのでしょうか。悪いのでしょうか。悪いのです。
怒り狂ったら誰が損するのでしょうか。自分です。怒り狂って得する人はいますか。世の中に人の悪口をいって得する人がいるのでしょうか。
あなたは人の悪口をいっている時には、損をしているのです。得してるのではありません。損するものは捨てなければなりません。
徳を積むとは愛を積むことです。徳を積むとは愛を積み重ねることです。愛を積み重ねた人を徳を積んだ人といいます。徳の深い人とは愛の深い人をいいます。
あなたが愛であれば、人の欠点までも消すことが出来ます。周囲の闇があなたの光で、打ち消されてしまうわけです。
世の中を明るくするためには、世の中が愛でなければなりません。世の中が健康であるためには世の中が愛でなくてはならないといえます。
50年前と私今とでは、病気の数知れず多く出ています。50年前と今とでは想像を絶するほどに病人が多く流行っています。
今は25兆円が医療費に払われています。膨大なる金額です。毎年、毎年、恐ろしいお金ではありませんか。25兆円という金額は、国の予算は一年に70兆円であるのに、その金額の約三割が治療費に当てられています。
そのお金は何の結果でしょうか、愛の結果でしょうか、それとも不調和の結果でしょうか。世の中の医療費が多くなればなるほど不調和になっているとみても、嘘ではありません。今、現にそうではありませんか。
人を赦す心が愛の心です
人を赦す心、愛する心、これこそ皆さん方の完成を高める秘訣ではありませんか。自分は完成の高い者か低い者かと誰が知っていますか。そして、完成を低めるも高めるも誰次第ですか。自分です。
健康になるも、病気になるも、誰次第ですか、自分次第です。ですから、自己治癒力とは愛のエネルギーでもって、神性エネルギーでもって、我々は、「この世の無知と闇と悪を克服していくために努めねばなりません」。
この清里の「安らぎの郷」が不調和の溜まり場だったら、この場所は闇の溜まり場になります。不調和の人が集まったら、ここは光になりますか。闇になりますか。
そして慈悲深い人が集まったらどうなりますか。光となります。これが正に磁場清めではありませんか。あなたが愛そのもの、光そのものになったら、あなたの行く所は全部が磁場を清めています。
愛の無い人が磁場清めが出来ますか。出来ませんか。真っ黒いものが真っ黒いものを消すことは出来ますか闇を被ったら磁場清めが出来ますか。
神官だといって何か白い服を着て、そんなもので家が清まりますか。土地が清まりますか。清まりません。その者が不調和であれば何の意味もありません。
愛は自力本願です
神は愛ですから、愛の人でなくてはなりません。すべての原点は愛ですから、天に帰るとは不調和の皆さん方が愛の皆さん方に帰ることです。神我は不調和ですか、愛ですか、大愛です。
それには愛そのものになるわけです。真理の実践とは愛の実践です。不調和は神性でしょうか、非神理でしょうか。不調和は非神理です。愛の原理とか、愛の法則しかありませんから、あなたが不調和の時は愛の法則を犯しています。
では、不調和とは罪ですか、それとも罪ではないのでしょうか。罪人とは不調和の人を罪人というわけです。愛の人を罪人というのでしょうか、どちらですか。
あなたが不調和を起こしている時は愛の法則を犯していませんか。能動と受動の法則を犯していませんか。犯しています。罪人・罪人といいますが不調和の人を罪人といいます。
ですから、「病とは罪の結果である」といえるわけです。罪を多く犯せば犯すほど病に掛かります。苦しみます。愛になればなるほど、、健康になり、幸せになります。愛ある人は健康で幸せです。
あなた以外にあなたを救える者はいません。他力本願ではありません。自力本願です。完成を高めるのは愛を高める以外にはないと思います。
時々、私の目の前で争いごとを見る場合があります。
争っている人は大人ですか。子供ですか。まだまだ未熟だなと、争っているのを見れば子供の争いを見るような目で見ることが出来るのではないでしょうか。大人になっても争うのでしょうか。
子供は喧嘩します。それは未熟な者であるからです。大人が争っているのを見ますと、まだ未熟であるかと残念です。
そのような場面が私の目の前でも見受けられます。それをやっている人は、また、それなりに気付いて頂かなければなりません。
皆さん方は本当に自分から後光や、光や、力が出るためには不調和ではなく、調和の人になるように気付かねばなりません。
神理・真理は科学である
体に「電気毛布が悪い」と言われているのは、交流型だから悪いのであって、その逆に電気毛布が直流型になってアルファ波を出す電気毛布を作れば、これはまた瞑想以上のものだと思います。
電気製品として、もし電気毛布を作るならばアルファ波の出る電気毛布を作れば、非常に良いといえます。電気じゅうたんも同じことです。普通の交流型の電気じゅうたのでは、波形が粗く、体も悪くなります。
ここにいれば落ち着く、というような直流型の電気じゅうたんを作れば、その1つが解決できれば、商品としても幅広く出来ていくと思います。インバーターを1つ作ればいいのですから。
その交流をインバーターで直流に変えて、人体に良い、全てに良い環境作りを電気的に行っていけばよいと思います。
写真機やビデオの波形を変えていきますと、見えないものが撮れるのです。これは今は発表しません。作り方まで教わり、知っているのですが、その波形を変えていきますと、見えない世界の幽界の映画がこれから見られる時代が、近い将来に必ず来ます。
全部が波形ですから、なぜ見られるかといえば、高分子と低分子の時代に入ってきますけれども、精妙な動きをとらえるレンズを作れるからです。
そうなると幽霊が写真でどんどん撮れるようになります。幽界をどんどん三次元的に見えることが出来るのです。霊眼が開かれていない人の為に、それを映して見せることが出来ます。その時代は21世紀には必ず来ます。
皆さんの部屋の蛍光灯を、全部インバーターをつけて直流型にしてください。ここで瞑想している方々には、全部が良い影響を及ぼします。電気製品に全部インバーターをつけて直流型にして、波動の良い場所にしましたら、もっと良い場が出来ます。
交流型を直流型に変える、アルファ波に変える、直流型はアルファ波と読んでもいいのです。
交流型はベータ波、パルス型はガンマ波です。これをよく理解していただければ、治療室にもなります。そのまま電気的な治療室にも変わります。
インバーターを作れば、消費電力が今の電力の五分の一ぐらいの省力になります。今の電気量の五分の一にすることの出来る計算になります。
何もなくても幸せになる方法
物があなた方を幸せにするのではありません。心が幸せにするのです。あなたの心に妬みやそしりがある限りにおいては、また地位の名誉や財産を沢山持っていても幸せにはなりません。
地位や名誉や財産がなくても幸せになる方法があります。
それは真理を学んで、争わなくなった時です。真の喜び、真の幸せは真理の中においてのみあるのであって、自我の中にはありません。
自我の世界は苦海ですから、苦しい世界ですから幸せにはなりません。何故自我の世界は苦界ですか。それは争うからです。
なぜ生命の世界は極楽でしょうか。それは争わないからです。争わない状態を極楽状態と言うのです。
争わなくなくなれば、どなたでも幸せになれます。金がなくても名誉がなくても幸せです。人の悪口を散々言いながら、憎しみながら幸せであることは絶対出来ません。
皆さん方が本当に幸せになるのは、誰に責任があると思いますか。
誰でもなく自分に責任があるのです。
貴方の幸せはあなたがもってこなくてはなりません。
貴方だけしか気付きません。誰も貴方に幸せを与える事は出来ません。
その幸せをつかむのに金はかかるのでしょうか。幸せになるためにはカネがかかりますか。名誉が必要ですか。地位が必要ですか。
幸せになるためには地位も名誉も財産も必要ではありません。地位や名誉や財産があなたがたを幸せにするのではなくて、あなたの心の状態が貴方を幸せにします。
問 気功師自身が人を治療しながら、体を病んでいくケースを、今までたびたび取材を通して見聞きしていたのですが、それは自分の意識や、使い方が間違っているからですか?
知花 そうです。フリーエネルギーとか、宇宙エネルギーが実在だと知らないで、エネルギーを有限化した物の捉え方をしているからだといえます。
彼らは植物からエネルギーを吸収して人に与えるとか、外部から吸収して与えるような、物の制約したエネルギーの使いからですから、それがエネルギーを使い果たした時、彼らは早死にするだろうと思います。
この宇宙エネルギーと一体になっておれば、エネルギーを使えば使うほど、その治療する方は元気になります。疲れることがありません。
意識に問題があります。個人意識では彼らがそれを使おうとするから、気功師は非常に危険だといえます。
問 霊能者や宗教家の場合も全くそれと同じ事が言えるわけですか。
知花 そうです。全く同じようなことです。
問 よく地球の内部が空洞になっていて、そこにも人が住んでいるという噂を聞きます。
ヒマラヤから、底の地下帝国に入っていく入り口があるというような話を聞いたことがありますが、本当でしょうか?
知花 それは事実です。シャンバラという、それはエーテル界であって、皆さん方の考えている物質的なものではなく、正に物質世界そのものを意味しているのではありません。それは霊の世界です。
物質的なものと捉えたら大変な勘違いです。エーテルとしての存在であって、自分の肉体や物体としての存在ではそこに入ることは不可能です。
自分の肉体をエーテル化して初めてその世界が体験出来るわけです。
問 自分の肉体をエーテル化するというのは、具体的なノウハウはどのようなものでしょうか。
知花 それはバイブレーションです。そのバイブレーションとは何かといいいますと意識です。
空の意識がすなわち高いバイブレーションですから、物質と非物質とは同じものです。ただ、バイブレーションが高いか低いかの違いだけです。
それを釈迦は空即是色で、色の世界は空の仮の姿であって、現れにしか過ぎないといわれました。実在するのは色ではなく空となります。で
すから、色の本源は空であるとなり、空こそ絶対実在です。色もあって空もあるとは理にかないません。
色は即空であるし、空は即色である。そこに実際にあるのは空一元であって、空は永遠ですから、色は無常です。形あるものは崩れますが、本質は永遠です。
問 輪廻転生はあるのでしょうか。
知花 あるという世界もありますが、それを乗り越えた者には、本質的なものは、全く輪廻を繰り返しません。
影として幻としての表現世界は存在しています。すなわち、上辺の世界です。その根拠と一体になりますとそこには全く輪廻がない世界です。
問 人間の生きる意味とか、この世に生まれてきた意味とか、死んでいく意味など、少し宗教的になりますが、それはどのようにお考えになっていますか。
知花 我々は死にもしないし、生まれもしませんから、本来は意義そのものはありません。ただ、我々は内なる現れを、表現として生まれてくるのですが、その目的を失ってしまったり、誤った表現をしていいて、それを繰り返しているだけですから、意義としてとか、定義されたものは全く無いのです。
問 オーラについてお伺いしたいのですが、生体エネルギーの一種なのでしょうか。
知花 オーラを持たないものは一物もありません。その生命エネルギーという霊エネルギーそのものがオーラでありますから。そのオーラとは生命ですから。みな宿していますから、オーラを宿していないものはありません。
しかし、その生命の自覚に順応してオーラが強くなるとか、弱くなるとかはあります。
問 色(いろ)によっては色々な意味があるのでしょうか。
知花 あります。オーラの色は七色です。すなわち虹色です。その七色の世界が光の世界でで光エネルギーです。
そして、その光がどこに多く現れているかといいますと、人間には七つの光中枢がありまして、それは七色を示しているわです。
ですから、生命線というのは七色のチャクラです。そしてどの分野を多く意識して生きているか、どの分野を開発化されているかによって、そのオーラの色が強く出ます。その七色の世界を七天というのです。七色の光の世界です。
問 その七天という字は天という字ですか。
知花 そのとおりです。
問 色が持つそれぞれの意味はあるのですか。
知花 あります。それは色がそれぞれ、みな一つ一つの波長を持っているからです。
問 例えば赤い色にはどのような意味があるのでしょうか。
知花 赤い色だと感情です。
問 青はどんな意味があるのでしょうか。
知花 青は冷静を示します。
問 緑はどんな意味ですか。
知花 緑はありません。紫の場合は知恵を象徴とします。黄色の場合は愛を象徴とします。ピンクは愛情とか、恋とか情愛を示します。
問 後の二色は何色でしたでしょうか。
知花 本来その二色とか七色とかいいますが、本来は白色であって、無色なのです。その七つの色が一つになりますと、無色という白色にしかなりません。それを白光と読んでいる訳です。
問 七色を全部重ね合わせて無色の白光となったのが一番パワーが強いのですか。
知花 そうです。
問 神の意識に通じるものがあるのでしょうか。
知花 全ての意識そのものが神意識です。神意識の他に意識はありません。
意識そのものが神であって、神は意識ですから、全てに意識が宿っているとは全てに神が宿っているとなります。意識とは物を生み出す力でもあります。
問 根源的な意識は人間のような人格は持っていませんか。
知花 人間のような人格を全く持っていません。無形無双です。
問 かなりSF的になりますが、日本にもキリストが来たと言って話をする人もいますが本当でしょうか?
知花 事実、来ています。それはなぜかといいますと、彼には時間も空間もありませんから、日本とか、アメリカという意識はありません。
自在の意識ですから、テレポートの出来る人がどこには来なかったか、あそこには来なかったというものではありません。
問 世界各地で災害の前触れ等に、聖母マリアの像が涙を流したとか、あるいは実際に聖母マリアが話をしかけて来たというような現象をあちこちで見られますが、それはどのようなことに基づくのでしょうか?
知花 それは全く無いとはいえません。現象は何でも作り出しますから、それは、全く無いとはいいませんが、そのような事があったからといって、何の意味があるのかと逆に私が知りたいのです。
問 エジプトのピラミッドとか中南米には結構多くの遺跡文化がありますが、あれは、現代物理学でどのように創造したらよいのでしょうか。まだ分からないのですが、どのようなものでしょうか。
知花 それは霊能力といい、すなわち宇宙のエネルギーを駆使する力でもって作られたものであって、現代科学の色々なもので作られたものではないということです。
現にものとは必要なときには無重力といって、エネルギーと質料には重さがありません。
物とは今、いいましたように、鉄の塊でも空中に浮かすことが出来る波動の持ち主であればどんな大きな体積の岩でも、無重力にしてしまうわけですから、現にサイババ先生でも壊れたブルドーザーを四人で無重力にしてしまって、四人では抱えるように抱えたわけですから。
そういう科学を超えた力は、その宇宙力を持っていれば当たり前のことであって、特別なことではありません。
ですから、今の科学の物差しで、あれをどうして作ったとか、これをどうして作っているのといっても、それは皆仮説です。全く真実に相反するものです。
問 フランスのルルドという所に泉があって、その水を飲めば病気が治るという話を聞いたことがありますが、その水は中性水と何か関係がありますか。
知花 まあ、その水の性質によっても違うと思いますが、ミネラル水であるか、ゲルマニウムを多く含んだ水であるか、そこでたまたまある人が病気が治って、その泉の水が病気に効果があると、
それを信ずる心を持った人達が沢山信ずるようになれば、そこに力を与えます。そこは効力を発揮するものだと思います。
効力を発揮すると、その水そのものが効力があるようになります。それを買う人の信ずる心が効力を発しているのです。それも一つの意識の問題ですから、どこに効力があるということは一概に言える人はいないでしょう。
あなた方の飲んでいるお薬と同じです。信じて飲めば治りますが、信じなければ、治りません。
効果が出るというのとは同じことです。
問 サイババさんが開けられてないままの封筒を封を切らないままに読めるという話を聞いたのですが、それはどういうことに基づくのでしょうか。
知花 その文字の波動を読み取っているわけです。敏感な人なら誰でも可能です。
例えば本でも開いてみなくても、どういう内容のものか書いてある事は触らずとも見なくても、ここに置いておれば、内容が殆ど分かるくらいの敏感さがあれば、分かるようになります。
問 波動について、今、あちこちでも注目されていますが、もっと詳しくお伺いしたいのですが、例えば、大勢の中で一人だけ波動の高い人がいると、その全体の波動が良くなるということについて、一般的には変な気がするのですが。
知花 波動が高いというのはエネルギーが高いという意味ですから、そのエネルギーは高い所から低い所に流れるのは当たり前のことです。ですから、一人の影響は全体の影響といえますから、同じ悪いもの同士は、類は類を呼ぶということです。
ただ、波動が低い者が高い所にいて、いい気持ちかといいますと、これはとんでもないことです。波動の低い者と波動の高い者とは波長が合いませんから、そこにおれば、例えば、波動が低い者が波動の高い所に行ったって、波動の低い者にとっては、そこは悪い所にしかなりません。
ですから、そのような波動は自分と波長が合うか、合わないかによって拒否反応を起こすか、受けるれるかです。
それが磁場です。ですから、磁場が高いからといって、磁場の低い者がそこへ来たら、吐き気をもよおしたり、嫌気をさしたりすることはあります。
そうしますと、その本人によれば、その場は悪魔の場だというわけです。彼にとっては悪魔にしかなりません。
問 仮に清里に来て、気持ちが悪くなるという方は、本人自身がそうなっているわけですか。
知花 そんな人が結構いますよ。ですから、ここは悪魔かもしれません。と言われても、ものの取り方いかんですから、結構ではないですかとしかいいようがありません。
問 逆にへんなネオン街とかに行きますと、元気になる人がいますか。
知花 そこと波長が合っているのです。
問 例えば、講義録にはわら人形の例えが出ていたのですが、悪想念を相手に送れば、簡単に相手を倒す事が出来るのですか。
知花 そうです。その念というのは良いにつけ、悪いにつけ全てに働きます。しかし、最終的には本人に帰ってきます。
池の中に石を投げますと一瞬はぱっと広がりますが、投げた後は、また、中心に跳ね返って来ます。それが作用と反作用の法則です。これは諸刃の剣となります。
問 よく人がやることですが、お札とか水晶に念を込めるというのですが、水晶や御札などに念とか波動は、籠りやすい性質を持っているのでしょうか。
知花 性質を持っているというよりも、そこに念を入れたとか入れなかったとか、それを信ずる人の心によって差が出て来るといえますから、
信ずる人からすれば、念が入っているといえば、入っているというし、入っていないという人からすれば、全く空っぽにしか過ぎないのです。打ち消すことも認めることも出来ます。
問 世の中ではそのようなことをよく暗示効果といいますが、それは全く別なものと考えても宜しいのでしょうか。
知花 暗示作用です。一つの暗示作用と同じです。ですから、形あるものでさえも、これはパワーがありますと信ずる人には効果がありますが、信じない人には効果がありません。
その波長は常に打ち消し合いをしているから、否定論になりますと、打ち消し合いですから、効力を失います。
人を憎む者は自分を憎んでいる者である
この世の日常生活の中で、一人でも憎い者がいたら、あなたは外側でものを見ている事になります。一人を憎むことは全体を憎むことです。
この世に一人も憎む者がいなくなって、初めて皆さんは完全になります。
ですから、内観をしながら、人の悪口や愚痴をこぼしているようならば、内観道場ではなくて、外観道場です。
内観を見れば生命に区切りがありません。そうして全体が自分であるのが分かりますので、全体を愛するようになります。
誰も憎みませんし、自分を愛すると同様に人を愛するようになります。
あなたの中に神の全てがあります。
「わたしのものは神のもの、神のものはわたしのもの」です。
つまり、あなたの中に神の全てがあり、
全知全能の全てが、--------智慧も力も全てあります。
この宇宙の中にある全てはあなたの中にあるのです。
これを無限の富といっています。霊的な富は永遠に失うことはありません。
ガン発生のメカニズム
食べ物はみな波動を持っています。野菜には野菜の波動が、肉には肉の波動があります。そして四つ足の動物になれば感情がありますので、人が叩こうとすると怒り狂います。
殺されようとするなら恐怖を持ちます。その恐怖感は確かにその肉にインプットされますから、それらの波動の粗い物を食べますと、食べた人はその影響を受けます。
しかし、我々はそれを超越していれば、そのような波動は問題ではありません。
あなたが愛の波動を持っていれば、そのような波動は受けませんから、それを食べてみても影響はありません。悪い波動は愛で打ち消しますから、その悪い波動は存在しなくなります。波動の打ち消し合いです。
これは電気的にも科学的にしても可能です。あるいは漢方薬でも可能となります。
そして、ガンという細胞を打ち消すのも、一つの周波数を持ってくれば消えるわけです。この、一番よい周波数はなんだと思いますか。
それは愛の波動です。
ガンの波動は憎しみの波動です。では、それを打ち消すには何を持ってくれば良いと思いますか。愛です。愛の波動を持ってきますと、ガンの波動は打ち消されます。
ガンの細胞は「憎しみの波動」です。「嫌だ」というような思いの塊が、肉体のどこかにその波動を摂取するわけです。
その憎しみが燃えていけばいくほど、ガンは人体破壊というように拡大されていきます。肉体破壊まで追い込むわけですから、
そんな人間に心構えを教えないで、これを食べたらガンが治るとか、これを飲んだらがんが治るといっただけではインスタントの方法論です。
ガンという闇は、愛という光を持ってくれば癒える
ガンは光ですか、闇ですか。ガンが闇ならば、光を持ってくれば、愛を持ってくれば消えます。そうすればお医者さんに行く必要もないし、金を払う必要もありません。
皆さん方がみな持っているのですから、愛に勝る力はありません。愛が全ての解毒剤です。
皆さん方が本当に愛という真理や、原理を知ってしまえば、病気になるとか、病気にならないとか、そんな心配事は必要ありません。
波動とは何か
遠隔治療はどうすれば可能になるか
例えばこの知花が、地球の裏の誰かを愛したとしますと、即その効果が現れます。そこは時空間が存在していませんから、隠れていようが地球の裏側であろうが問題はありません。
これを治療に使いますのを、普通には遠隔治療などといいます。光を送って下さいと念を送って下さいなどといいますが、時間はかかりません。
ですから私は電話で「先生、よろしくお願いします。今、誰それが奇特ですから」などと受けることがあります。その時に「ああ、そうですか」と思った瞬間、わたしは電話を切りまして、自分の意識を送るわけです。
その時の私は普遍意識を送るのです。みなさんが自我意識状態で
「ああ、そうですか。では意識を送ります」と言ったところで、何もなりません。
その時はどうしても皆さん方は、普遍意識にならなければならないはずです。普遍意識こそが時空間を超えた意識ですから、自我意識は独立した、分離した意識になっていますから届きません。
彼と自分とは別々だと思っている限りは届きません。そのような意識状態は絶対に届かないのです。個人意識や自我意識では遠隔治療は不可能です。
遠隔治療をするにはどうすればいいかといいますと、一体感になるのです。全一体感という宇宙との一体感になって、時空間を超えた意識状態になってこそ出来るのです。皆さん方もその能力を持ち合わせているのです。
ただ、現していないだけです。使わないだけです。皆さん方が本当に普遍意識状態になりますと、時空間を超えて色々な力を発揮できるのです。
世の中の人々やここにくるお客さんは、病気を治したいと思って来るのですが、病気を治しても、病気を作る人ならば病気は減りません。自分の心の波動が悪いから、また病気を作るのです。
病気は薬が治すのではなく、本人の信じる心が治す
薬に人を治す力はありません。薬はただの媒体にすぎません。薬を飲めば病気が治ると信じる心が癒しになるのです。何々の病気にはこの薬がよく効くのですという、信じる心がなければ、薬の効能はゼロとなります。
薬を飲むならば、信じて飲みなさいといいます。信じなければ自らの念を送り、自らの力を薬に与えますので、あたかも効果があるように皆さん方を癒します。
薬を信じる心が一番に大切ですから、「私はこの薬を絶対に信じない」という人ならば、何の効果も出てきません。ですからいわしの頭も信じれば神になると言いますが、信じれば神となります。
波動とは何か
良い波動とは何か
波動とは何かについて説明してみたいと思います。
最近は波動という言葉が、色んな商品説明その他にも使われていますが、波動が何であるかを知っている人は非常に少ないのです。
波動が悪いとか、よいとか、波動が高い、低いなど皆さん方は言いますが、波動という言葉や文字は、ただ言葉の上で書いたり読んだり言ったりするだけでは何の意味もありません。
波動とは何かといいますと、まずは心であると言っても構いません。心が悪いと悪い波動が出ますし、心が良いと良い波動が出ます。
波動というのは字のごとく振動です。振動ですから波動のことを外国語に直訳しますと、バイブレーションといいます。波動を高めるのをバイブレーションを高めるといいます。
私達の言葉の一つ一つが全て振動していますし、波動です。振動しているのを形にしますと波形となりまして、形として現れてきます。波形は色々な振動によって変わります。
悪い波動とは何か
波形は波動といい、振動ともいいますが、波動にも波の立たない状態と波立つ状態とがあります。波立つ状態をパルス型といい、上下の高い波形が存在しています。
冷静な心の持ち主は、高低の少ない状態を表しています。電気的なものでも、直流型、交流型、パルス型などという言葉で説明できます。
破壊的な想念の持ち主ですと、波動はパルス型になります。皆さん方が怒り狂っている時には、体内でどのような波動が出ているかといいますと、極端なパルス型が出ています。ですから破壊的振動が出ているわけです。
冷静であるときは、直流形の波形が出ています。穏やかな波形は直流型で、次は交流型、パルス型は極端な波形が出ていますが、これらは全部が振動です。
波動は色んな作用をする
冷静な気持ちでいますと、常に直流型の波形を保つことが出来ます。健康にはどの波形がいいかと言いますと、穏やかな波形である直流型です。破壊的なパルス型は健康にはよくありません。溶接あるいは機材の切断など、破壊する作業にはパルス型を使います。
更に申し上げますと、パルス型をもっと周波数を高めまして振動を変えます。すなわち高周波数にしますと、物が消滅するのです。物が消えてなくなります。極端なパルス型にしますと、破壊されます。つないでいる分子が全部分離してしまいますから、切断されます。
極端に言いますと、分子が破壊されるのです。分子構造が破壊されますと、すなわちDNAが破壊されることにもなります。大体において、癌になる人はパルス型です。分子構造が破壊されまして、そこに体内の異変を感じるのです。
私達の日常生活での心の状態そのものが波動となります。憎しみの心を持っているときには、皆さん方はどうなっていると思いますか。よい波動が出ていると思いますか。
貴方の体内には憎しみというバイブレーションが起こります。そのとき皆さん方の体調は良くなりますか、悪くなりますか悪くなります。
穏やかになって、愛の波動を持っている時はどうなりますか。落ち着きます。同様に、波動も落ち着いてきます。いらだつという言葉がありますが、私達の心がいらだっている時には、細胞もいらだっています。
いらだちの波動を出しますと、同じようなバイブレーションが出ますから、私達が健康である為には常に冷静であるよう、心の管理が必要になってきます。
これを心のコントロール、想念のコントロール、想念波動といいまして、想念そのものが波動となります。憎しみの想念は憎しみの波動が出ますし、愛の想念は愛の波動を出します。
不調和を罪と言いますし神への反逆です
皆さん方は、まだまだ無法であるといえます。なぜかといえば、愛の法則を犯しますから、トラブルを起こしたり不調和を起こすことは神への反逆というわけです。無法者です。
不調和の人間のことを何びとと言いますか、罪びとというのです。愛の人を罪のない人といいます。罪を自分で犯していながら、罪を許し給えといいますが、その罪は誰が許せるのでしょうか、あなた以外にないと思います。
犯した罪は報われなければなりません。犯した罪は必ず報わなければなりません。自分で蒔いた種を自分で刈り取っているだけです。そのあなたが不調和になった時には、愛の法則を犯した者といえるのです。
宇宙には愛の法則という絶対の法則があります。これを宇宙法則といいます。ですから、我は法則なりというのは、我は愛なりというのと同じです。
ですから、不調和とは愛という神への反逆であるといえます。反逆行為であるといえます。裏切り行為であるといえます。ですから、不調和の人間を裏切り者というのです。自分の本性を裏切ったわけです。
人間から愛を引いたら何も残りません
この大愛を知らなかったとしますと、自分自身を知らない、すなわち自分を見失っているといえます。自分は人間だと見ている限りは愛を知りません。 皆さんは愛の現れに過ぎないのです。
すべては愛の現れであり、愛の表現です。皆さん方はこの世に不調和を表現しに来たのでしょうか。愛の表現をしにきたのでしょうか。
砂浜の砂一粒とて大愛を現しています。この大愛には大きい小さいがありません。形の制約を受けません。
愛に内・外がありますか、ありません。内も愛で、外も愛です。ですから、愛には内・外がないのです。その愛はいかなるものの制限も制約もうけるものでしょうか、受けないものでしょうか。
無制限ですし、自在ですし、無碍ですし、久遠ですし、常在です。これを久遠世界といいます。
皆さん方は様々なものがあると見ている限りは盲目です。幻影です。この形という世界は影だといえます。愛が様々な形を映し出しているだけです。
すなわち人間は実在しません。人間といえば幻です。愛を差し引いたら何が残りますか。何も残りません。あなたから霊と水を差し引いたら、何も残らないわけですから、人間が実在であるはずがありません。
実在しない幻を、皆さん方は絶対なるものとして盲信・狂信していませんか。
自分は人間ですとか、肉体ですとか、個人ですとかいいますが、人間が存在した試しはありません。まだまだ盲信と狂信に明け暮れているといえます。
己を知ることが悟りであり、己を観ることが神を観ることです
己を知ることが悟りであり、己を観ることが神を観るとなります。本物のあなたを観た時、あなたは何を観たとなりますか。神を観たとなります。
また、己を知った時、何を知ったとなりますか。神を知るとなります。でですから、神を知る前に己を知りなさいといいます。神を観る前に己を観なさいというのです。その神は大調和です。
この大調和のことを大バランスといいます。不調和のことをアン・バランスといいます。
バランスであれば健康ですが、アン・バランスであれば病気になります。では、誰があなたのバランスを崩すのでしょうか。病気の作り主は誰でしょうか。自分です。そうであるならば、本来は自分で癒やさねばなりません。
自己治癒力を愛といいます
自己治癒力というのは愛のことをいい、その愛が全ての癒しのエネルギーです。一切を癒やす力ですし、一切を癒やす知恵です。これが愛です。
あなたが病気になりたくなかったら、不調和を起こさないことです。不調和でありながら健康でありたいというのは虫がよすぎると言いたいのです。
不調和の人間はうんと病気になって苦しみなさいと言いたいのです。そうではありませんか、不調和から健康が生まれますか。アン・バランスを完全とでも言うのでしょうか。バランスを崩しますと不完全になります。
完成の高い人とは愛の人をいいます。調和の人をいいます。完成を高めるとは調和になるといいます。世の中には、ずうずうしい方が多いのです。
不調和でありながら健康でありたいと虫のいい事を考えている人がなんと多いことでしょう。
『不調和は病気の結果』であり、それが原因ですから、病気は不調和の結果としてあるのです。その病気にお医者さんは原因対処をしていますか、それとも結果対処でしょうか。結果対処です。
お医者さんはそれぞれの病気の原因を知っていますか。全ての病気の原因は不明であり分かっていません。その病気の原因を知ったお医者さんはいません。どんな病気でも皆、原因不明の病気ではありませんか。
病気の原因とは何かといいますと不調和です。答えは1つしかないのです。
「病気とは何かといえば不調和である」といえます。
『健康とはなにかといえば調和である』としかいえません。
問 それでは、オーム讃唱はかなり、パワーが出るのでしょうか。それとも言魂というのでしょうか。
知花 それはもう創造の波動ですから、ものすごい波動です。
問 それも信じずに讃唱するのと、信じて讃唱するのとでは差がでますか。
知花 ハッキリ差が出ます。
問 実際に病気が治るのですか。
知花 治ります。しかし、治るといっても、受ける入れる側と発する側とタイミングが合った時の話です。こっちは治したいと発しても、相手がこんなもので治るかという反発作用を起こせば、打ち消しになります。そのパワーを受け入れたことにはなりません。それは放り出したことになりますから、効き目はありません。
問 病気の治療だけではなく、潜在能力開発という意味でも活用出来るのでしょうか。
知花 出来ます。
問 オームというのは宇宙語なのでしょうか。
知花 そうです.宇宙の響きです。
問 なぜそのように、病気癒やしや潜在能力の開発に応用できるのかメカニズムについて、もう少し詳しくお伺いしたいのですが。
知花 それは宇宙の響きですから、正しい波動になりますから、悪い波長が消えますと、その状態は良い影響を受けやすくなるからです。
ちょうど、あなたが良い人間の中におると、あなたが良い人間になりやすいのと同じことです。悪い人間の中にいて、良い人間になろうとすると相当に努力をしなければなれないのと同じことです。
問 生物で何百度とか、何千度の温度でも生きていられる生物があるというような、あの記述にはとても驚いたのですが、人間の概念を想像するものが存在しているということですか。
知花 そうです。ただ、人間の想像を絶することが宇宙であり、当たり前の様に存在していますが、人間が理解できないから否定しているだけに過ぎません。
問 生物についての記述も大変興味深く読ませて頂きました。それで、人間が植物をとることは微生物に餌をやっているようなものだということですが、今までそんな話聞いたことが無かったものですから、すごく新鮮に思いました。
知花 微生物とは、本当は小さな生命たちといっているものです。
問 妖精というふうにでしょうか。
知花 そうです。
問 それを昔の人は微生物を擬人化して捉えていたのでしょうか。
知花 そのように捉えていたと思います。ですから、それほどの全てとの一体感で親密感を持っていたといえるのです。
問 色々な国の神話を見てみますと、ある程度は共通した部分があるのですが、超古代の人達は直感的にやはり、エネルギーとか、自分のパワーとかをある程度は認識していたのでしょうか。
知花 今の人間以上に認識していた時代がありました。なぜかといいますと、昔の人間は神を抜きにして生活した人間はいなかったからです。今は神を否定して生きている人間が大半ですから、神なんておるものかということをいいます。それだけの違いです。
問 それと古代の人達は神と同時に魔物というのでしょうか。そのことについても認識していたと、実際に捉えていたというように、最近ある本で読みましたが、魔の世界はほんとうにあるのでしょうか。
知花 魔の世界は人間の心の状態であって、魔の世界がどこかに存在するものではありません。
問 人間の意識がそうさせているのでしょうか。
知花 意識の状態でも魔になるし、神にもなります。ですから、人間は悪魔にもなり、神にもなるといえます。意識の状態だけです。自分が悪魔になるのも神になるのも可能です。
問 西洋の魔術の儀式を見ますと、かなりグロテスクな現場があるのですが、そういう儀式をすることによって自分の魔力が出来ますか。
知花 信念で作りだして、その魔の力を生み出しています。信ずることはその力を悪にも使えますし、善にも使える力です。善悪に左右するだけです。
問 チャクラについてお伺いしたいのですが、よくチャクラを開くと超能力的なことを発揮する事が出来ると聞いた
ことがありますが、それと意識の世界とはなにか関連性があるのでしょうか。
知花 チャクラを開くというのは一つの観念的に書いてるものは沢山ありますが、実際にチャクラを開いている人はそう沢山いるものではありません。
あれは、彼らが勝手にそういう観念を生み出しているだけです。ですから、それらの本に書いてあるものがそのまま真実だと受け取っては非常に困ります。
チャクラというのは外部からの刺激で開くものではありません。宇宙意識そのものになって初めて、大霊と一体になって始めて、自ら開くものであって、
意識が低いのに、人間意識とか、肉意識とか、個人意識なのに、チャクラが開くということは絶対に無いといえます。
光のない所からどうして光が出ましょうかと言いたいのです。
それを観念的に「ああであるとか、こうである」と書いてある。偽物の本が世の中にいかに出回っているかといえます。それはドグマ的ですし、そんな真実は全くありません。
また、そんな理屈にかなわないことも、あり得ないことです。確かに現れているよな現象は起こせますが、彼らが勝手に作るわけです。
それは一つの自念症ですから、それを弄んでいる人は最終的には殆ど精神異常になります。意識は正さないで、現象だけ望んだり、いたずら心でやったら、非常に危険なことです。チャクラを弄ぶことは絶対にしないようにすることです。
愛は天と地の架け橋Ⅱ愛は天と地の架け橋Ⅲから引用させて頂きました♪ 私がヒーリング能力が開花したのも、純粋な人類愛の想いで、 神様に「どうか世のため人のために役立つ能力をお与え下さい」と真摯にお祈りしていたからかもしれません・ このお話以上に、真の超能力についての真実を語ってくださっているお話はこの地球上に存在しないと言っても過言ではないかも♬ 無条件の愛と許し、一切との愛と調和を体得して、自我を捨てて神我に目覚めて、人類への奉仕に生きるという決意を持った人になれば、神我顕現して、神様から神の御力を授けて頂けるかもしれませんね♪そんな気が致します。 愛は天と地の架け橋Ⅱ どうか、あなた方は、愛も無いのに神の知恵を得たい、神の力を得たい、と言うような愚かな考えは捨てなさい。 あなたが愛になって、初めて一切のものと調和して、 初めてあなたがたは私の知恵と力とを授かるものであることを知りなさい。 誰かと不調和を起こしながら、私は神の知恵を得たい、カを得たい、 と思いましても、それは得られるものではありません。 私の知恵と力を得たいなら、あくまでも、皆さん方が愛でなくてはならないのです。 一切のものと調和されていなくてはならないのです。 私が全ての被造物を創って、その被造物を愛しているが如く、 皆さん方も私の愛を実感して、全てのものを愛するものになつて、 初めて皆さん方は天上、地上の全ての知恵とカを我がものとすることが出来るのです。 私に波長を合わせなさい。常に私をあなたの中に留めなさい。 この知花は言っています。 何十年間もこの知花は同じことを祈って参りました。 「貴神の言葉は、我が言葉と成らせ給え」 「貴神の思いは、我が思いと成らせ給え」 「貴神の行動は、我が行動と成らせ給え」 何十年も、何十年も、それが成就するまで、祈り続けたのです。 あなた方も、そのような神の願いが叶えられる迄、 コップを手から下ろしてはなりません。 これが充たされる迄、神を信じて待ちなさい直今結果が出ないからと言って、あなたが如何に欲張りであるか、私は知っています。 ここで僅か学んだから、今すぐ神の知恵と力と愛が私の許にあるんだ。そして、それが成就出来なかったら焦りが出て私を疑う。 そして嫌になる。 「神様は嘘付きだ。私がこんなに信じても、私には何も現してくれない」 と云って又不信感を抱く何不調和の心を起こす。 そのような者が大半です。 私は、そのような不調和と波長が合うものではありません。 一切の焦りを捨てなさい。 あなたの「我」ではどうすることも出来ないのです。 私が波長が含う者のみ。 あなたに原因があるのであって、 私に原因があるのじゃない回私は常に与えているものなのです但唯、 受け取り方に原因があるのであって、与える方に原因があるのじゃないのです。 皆さん方は、神を罵ってはなりません。神をけなしてはなりません。 あなた方の受け入れる能力に原因があるのであって、 与える方に原因があるのじゃありません。 常に与えられているのじゃないでしょうか。唯、受け入れる能力が自分に無いのにも拘わらず、「私はこんなに神を信じて来たのに、 私には何も下さらない竈何もやって下さらない」 と言うような泣き言は止めなさい。そのような自分の利益の為に、欲望達成の為に、私があるのでは無いのです。 私は純粋なる愛そのものであるからです。 全ては愛するものであるから、私に似ることが大切です。 私に似る事が出来なければ、 どうして私のものをあなたに授ける事が出来ましようか。 一向に私に似る事も出来ないのに、 神の私のものを一切合切を受け継ぎたいと云うような欲望は止めなさい。 あなたは私のものを得る秘訣は、先ず私に似ることなのです。 私のみこころ(御心)をこの世に顕す事なのです。 顕(あらわ)さなければ、どうして私のものを、 あなたに与えることが出来ましよう。 あなた方は、先ず、寝ても覚めても常に私を意識し、 私の愛を四六時中あなた方のハートに掲げなさい。 そして世に示しなさい。 それがあなた方の唯一の私に至る道なのです。 愛のない者は、私に至ることはありません。 私との伴が、懸け橋が、出来ているものでもありません。 世の偽善者のような真似事を止めなさい。 あなた方は、真実なる私の真の信者と成りなさい竈真の信者とは、私の愛を行う者のみです。 あなた方は偽者でしょうか。 口先だけで神を信じ、神を愛すると云う者にならないように、 私の愛を現実にこの肉と魂を通じて現す者と成りなさい。 この世の見本となりなさい。 そうした時、私はあなたが祈らずとも、 私のものは全てあなた方に与えられるものなのです。 あなた方はまだ、私の実態を理解しておりません。 この知花を通して学びなさい。 その受け取り方を知花は知ったからです。 だから、皆さん方が今の自分の考えている愚かさを捨てなさい。 一切の先入観を捨てなさい。 今迄、神、神と聞かされたその神の話を全て捨てなさい。 私は真実なるものです。 現実的なものです。 実際的なものです。 活動的です。 私が遥か遠い雲の彼方におるのだと云う指導者から離れなさい。 私は今即あなたの中に、あなたは即私の中に居ることを知りなさい。 そのことによって、あなた方は私を知るように成るでしょう。 それを常に意識しなさい。 私と「父」とは一体である。 私は一度だって、「父」から離れたことがない。 我々は「父」の中におり、「父」は我が中におる。 全一体となって、そこにおることを知りなさい。 決して、この世の盲の指導者のように、 雲の遠い彼方に私がおるという事を聞いてはなりません。 偽りです。 彼等は、我を観たことも、感じたことも無いのに、 人に偽りを伝えているだけです。 私はここにおります。あなたの中におります。 私はここに見よ、あそこに見よ、と云う如くにいるのでは無くて、 至る所におるものであることを知りなさい。 私は、その無限空間に満ち満ちている、偉大なる「生命」である事を知りなさい。 宇宙を支配している「大霊」であることを知りなさい。 宇宙を支配している「愛」であることを知りなさい。 あなた方は、如何なる神も信じてはなりません。 今世の中には、様々な神々を人間の無智で創って、 私から、彼あなた方の兄弟・姉妹を遠ざけているのではないでしょうか。 その遠ざけられている兄弟の救済の為にも、 あなた方が、その世の光となって愛の私の見本を示す事です。 それが世の救済です。 今のままでは、兄弟・姉妹は邪悪なる盲目の信奉者によって、食い潰されてしまいます。 どうか皆さん方は、真の我、真の神を実践体験し、 その見本を皆さん方ここで造って貰いたいのです。 どうか皆さん方が、偽者と戦い、 そして、それを皆さん方が本物を示す以外に無いのです。 口先だけでもう納得の行く時代ではありません。 行為で示しなさい。 その行為で示して、初めて皆さん方は世の信頼を受け、 そして、本物と偽者との識別の出来る状態をこの地上界で作らねばならないのです。 どうか皆さん方がその一役を買って戴き、 自分事で悩み言を云うのでは無くて、人様の奉仕に全身を投入し、私に捧げなさい。 そして初めて、皆さん方は世に見本を示す私の良き娘となり、 息子となるでありましよう。 その為にのみ、皆さんは創られました。 今使命を思い出して下さい。 から引用させて頂きました。心から感謝申し上げます。 しかし、無信仰でそこに向いてなかったものは、神霊の次元に入りやすいですね。 感情的な人はですね、神霊に入るのも簡単ですよ。ちょっとの努力なんです。幽界で留めたら最後です。だいたい中間のものは感情的になるんです。 この世で、ある程度いいところまで先生方が行くけれど、途中で崩れるのは、みんな幽界で崩れてるんです。ここから上にいけないのですよ、感情的になって。 そういう処も、皆さん方は通る必要がない。幽界に意識を向ける必要がないわけですから。 瞑想して、幽界に意識を向けてパルス型になった人もおります。だから、瞑想は危険ですよ。幽界に意識を向けて瞑想したら、感情的になったり、一人笑いをしたり、一人泣きをする人がいるわけですよ。 ここは感情界ですから、感情が高ぶりますから。この感情の波を治めるのは、神霊しかないのですよ。鎮めることができるのは。 だから、「静まれ!」と命令する者がなければ、いつもこういう状態で高ぶった状態で人生を送ってしまう。 だから、瞑想は危険だと言える。それは、高い神霊に意識を向けないで、低い幽界に意識を向けた時です。あなた方が瞑想中に、いろいろの現象に意識が向いてる時、どこに意識が向いてます?幽界に向いてますね。そうすると、気違いになったりするんですね。 もう一つ言いたいのは、神霊に意識が向いてる時に、たたりとか憑依霊の本が書ける? 幽界のことは幽界に繋がっている時にしか書けないのですよ。 神に繋がっている人は、神のことしか書けないのですよ。幽界に繋がっていて、神の世界のこと書ける? あなたは憑依霊現象の本を読んでる時、どこに意識は向いてます?幽界に、神に? その本の影響と言うのは大きいですよ。 書く人も幽界に意識を合わせて、読む人も幽界に意識を合わさねば読めないわけですから。 だから、書物によって非常に人間に有害なものと、利益になるものがあると、ご理解いただきたいですね。幽界の本を読んで、神界につながる? みなさん神界に意識を向けますと、この世の本は不要となるんですよ。必要としないのですよ、それ以上のものはないわけですから。 聖書とか仏書とか、天啓を受けたとか神に目覚めた人が書いたものは、神のバイブレーションを持っています。バイブルと言って、バイブレーションなんです。だから、いまだかつて聖書に打ち勝つ書物は存在しないのです。 ベストセラーなんです。なぜかと言うと、真実を述べているから高いのですよ。また、そこと理解があるものが、神とつながったものが書いてるわけですから。その本がバイブレーションが低いはずはないですね。 だから、皆さんのバイブレーションは自由意思で、外を見ている時はバイブレーション低いし、神という高次元に意識が向いている時は、みなさんの波動は高波動となると。 「われ神なり」という想いを起こしている時、みなさん肉体バイブレーションですか、神のバイブレーションですか?そうすることによって、いかなる病も悩みも解決できますよ。 再び病気にならない人は、常に高いものに意識を向けていれば、病気にならないですよ。自己治癒力と言いまして、自分のバイブレーションを上げておれば、いかなる病も癒せます。 どこに意識を向けるかで決まるんですよ。そのことを、考えればいいのですよ。3チャンネルしかありませんので、どこに合わせるか。まあ1チャンネルに合わせますか、神という原点に合わせたいと思いますね。 簡単なんですけれど、難しいのですね。それが、難しいという考えが難しくしてるんですよ。神を想うのが何で難しいのかと。 神を想えば神が現れ、そこに意識を向ける人が、1人でも多くなれば、地球上のバイブレーションは高くなりますね。これが、人類救済なんですよ。地球の救済なんですよ。 今、全部物質に向いたから地球のバイブレーション下がって、地球は死ぬか生きるの病にかかっているんですよ。それは、物質に無我夢中だったからじゃありませんか。どうです? だから、高度の物質文明が栄えた時、地球はバイブレーションが低くなりますので、地球は何回も滅びたわけですよ。誰が滅ぼしたのですか?人間がですよ。そこにいる人間がバロメータを、波動を落としたから、ダメになったのですよ。 今、地球のバイブレーションは上がりつつありますよ。その日をいかに待ち望んでいたか。苦しい時の神頼みと言って、物質に頼れなくなると、みんな霊性に向いてきますので、その日を待っているんですよ。 もっと厳しくなってほしいなと思うんですけれど。物が豊かな時は、どんどん物へ向いていくんですよ。内側のこと考えません。表だけに生きて。そうすると、陰陽の法則が狂いますので、コロッと天変地異をおこさねばならない。 だから、今からの時代は物質文明は終わって、精神文明が始まると言いたい。その先駆者としてのみなさんだと思うんですね・だから1日も早く世の救済というのは、物理的救済じゃなくて、無言の奉仕と、無言の救済が本当の救済だったということにお気づき頂きたい。 今その段階に入っていますので、1人でも多くの人が霊性に目覚めていくように努力して行きたいと思います。ありがとうございました。 おまけ(講話後) ※チャンネルを合わすというのは、想えばいいのですよ。 神を愛するとは、神を意識することなんです。 あなた方、子供を愛するとは子供を意識することなんでしょ。 神を愛するとは、想えばいいのですよ。意識すればいいのですよ。 だから、多く愛する者は愛されるというのはその意味です。 今、知花は1日中思っていますよ。だから、3次元的な外の話に入ってこないというのはその意味なんですよ。 その世界に私がいることによって、わたしからその波動を出すことによって、全てのもののためになるんです。低い意識状態でジタバタして人類救済ができる?そのことをご理解いただきたい。 だから、聖者方が走り回って奉仕するということはないと。 常に高い波動を全世界に向けて放射すると。 だから皆さん方も少しでもお手伝いができる、放射できる皆さんになっていただきたい。神の媒体になってもらいたいと思うんですね。それ以外に目的はないと。 そうすると物理的にも霊的にも恵まれますよ。そこに入ると、必要な時に必要なものが使えますよ。みんなから信頼と、いいあれを受けますのでね。食いはぐれるということは全くないですね。 もう1つ具体的になりますと、見える世界と言うのは、見えない世界の具現ですから、その原質は全て不可視の世界にありますから、後は自分の必要なもの具現すればいいのですよ。でその時代までもう来ますよ。 人工的に、ここで物質を固めて造るんじゃなくて、不可視の質料からすぐに可視の質料としての原質ですね。これを物質化現象と言いまして、家も勝手に自分で創り、食べ物もスーパーも何もないのです。 欲しいと思ったら即時に現れますから。見えるものの原質は不可視の原質として存在します。そこから具現されるわけです。 見えるものがなくなるというのは、その不可視の原点に返還されるだけなんですよ。全て不可視の質料からここに現れてるわけですからね。普遍的原質ですよ。それは、全宇宙に満ち満ちているわけです。
人間の皆さん、こんにちは。 私達、気の元素であるシルフ(Sylph)が、今日、皆さんにお話しをしに来ました。 人間の耳に私達の声を届けることができて、光栄に思います。 私達は、皆さんが気がつかなくても、いつも皆さんを通り過ぎて来ました。 耳元で囁きかけることも、よくあります。 中には、私達の声聞いたことのある人もいますが、残念なことに、何を聞いたのか理解できる人はほとんどいませんでした。 この何千年もの間に私達が言って来たことは、私達は皆さんの呼吸を空で感じるということです。 悲しみの息を吐く時には、私達も悲しくなり心配します。 ビクビクしたり、怒ったりする時は、その感情を感じて、楽にして上げたいと思います。 素晴らしくも幸せの息をする時は、私達も喜びを感じて、一緒に喜びを感じたくなります。 しかし、私達の命の周波数は違うので、私達にできることは、皆さんの呼吸する時の思いや意図を表わすことです。 皆さんの歌で燃え、皆さんの涙で萎(しお)れます。 呼吸する時、考える時、笑顔になる時、悲しむ都度、皆さんのエッセンスが空中に解き放たれるのを知っていますか? 元素としての私達は、皆さんの呼吸に合わせて創造しなければなりません。 私達は、哺乳類に酸素を、植物に光を供給するので、私達シルフは、生きとし生けるものにとって決して欠くことはできません。 友人の植物は、私達のしていることをよく知っており、私達の動きに合わせて体を揺すってくれます。 動物達は、私達の存在を認めており知っています。 人間は、私達を妖精とか菌、ウイルスなどと呼んで来ました。 私達を打ちのめして来た人がいる一方、特に子供のように私達と遊びたい人達もいます。 私達については、色々なことが書かれています。 それを見て、とても嬉しくなります。 しかし、私達がマザー・ガイアの大気を綺麗にし、いつでも周波数を上げることで役に立っていることを知る人はほとんどいません。 私達には、大都市の空気は本当に耐えがたいので、人気(ひとけ)のない所で働くのが好きです。 私達の多くが、実際に大気汚染で追われて来たので、都市部については交替で働いています。 かつては、人間が私達を尊重して、綺麗な空気にしておこうとしていた時代がありました。 しかし、それから、そういうことをしなくなりました。 その時、それが、私達の過(あやま)ちなのか、それとも、人間自らの私利私欲で、我を忘れた結果なのだろうかと思っていました。 私達の求めることは、単純です。 空気にもっと多くの愛の呼吸が広がって、汚染した空が変わる手助けをして欲しいのです。 一時、機械によって私達の電離層が酷く破壊され、崩れた時がありました。 私達の上司である精霊は、人間はそのようなことを止めつつあると言いますが、そうであれば嬉しい限りです。 私達の友人の多くが、そのような恐ろしい機械によって失われました。 私達シルフは、実際のところどんな機械もあまり気にしていませんが、人間がもっと機械の音を静かにして、空を埋め尽くす巨大な母船のようにクリーンにしておくことができないものかと思っています。 宇宙船の存在達は、私達を見ることができ、コミュニケーションもできます。 宇宙船にいる存在は、もっとよくなるので、もう少し辛抱して下さいと言って来ました。 多くの人が、実際にガイアの美しい場所を守ろうとしています。 それで、空は綺麗になり、植物や動物達の調和した思いで一杯になります。 その時に、私達は、ガイアの大気を最高の状態にする計画を進めることができます。 私達の好きなところは、海や森です。 水や木々が、彼らの命の素を私達に提供してくれるので、そこにいるとゆったりできます。 ただ、公平を期して、私達の空を見上げて、その透明さや美しさに感謝をしている人達もいるということを言っておきたいと思います。 その人達の感謝の気持ちを感じる時は、私達のエネルギーは生き返り仕事を続けられます。 そういう人達は、私達の友人です。 私達のしていることを知っており、たくさん手助けしてくれます。 汚染されるのをコントルールすることはできないかも知れませんが、その人達は、私達に無条件の愛とバイオレットフレームを送ることはできます。 私達は、そういうことに本当に感謝します。 人間にはこちらが見えなくても、私達には、皆さんがはっきり見えます。 また、直ぐに皆さんの意図を感じることもでき、“沈黙しながらも、知っている”もの達と、皆さんを知ることができます。 私達はどこにでも存在し、情報が空全体に反響するので、感知することができます。 私達は、ガイアの様々な生命達から、多くの思いや考えを吸収します。 ガイアにいる存在は、思考するのです! 動物も、考えます。 鳥も、考えます。 植物も、考えます。 動物も植物も、それぞれが感じ、振動しながら考えるのです。 人間以外は、波動で考えます。 ほとんどの人間は、その波動を読むことはできませんが、私達シルフは直ぐ分かります。 空にある思考パターンで、鳥が渡って行くことや、動物が水辺を探したり、お互いを探すことも分かります。 空にある思考パターンが天候にも影響します。 人間には、それが空の波動に影響することは分かりません。 しかし、子供達の多くは感じることができます。 残念なことに、大人になると、その力を忘れてしまいます。 原始、または古代社会では、もっとよく陸を歩き、海を渡れるように天候を判断し、「今の全体」から情報を得る為に、このパターンを読むことは極めて当たり前のことでした。 空の話すことを聞くと、たくさんのことが学べます。 また、私達を呼んでくれれば、エネルギーパターンを読み解くお手伝いをします。 しかし、空にあるケムトレイルによって、かつてのように読むことができません。 この白い筋は自然にできたものではないと、人間に分かってもらおうとして来ました。 事実、その筋状のものは、人間や植物、動物、私達シルフにとって有害な化学物質なのです。 空を傷つけたい人間がいますか? 私達に話しかけられる人は、その問題を食い止めようとしていると言いますが、私達よりも“破壊的な物質”をコントロールできません。 幸い、新しくて、非常に高い波動が空に進入しています。 私達にはそのパターンが分かり、その中で休むことが好きです。 それは、愛と喜びが溢れているのです。 宇宙船にいる友人や上司達は、段々この新しい光の周波数が大気に広がって行くと言っています。 それにはワクワクし、それで変化に備えようと思います。 不満を言うつもりはありませんが、高い空で生きようと思います。 高い空とは、新しい光のある空です。 何千年もこの光を待ちに待って来て、そうなることを熱く望んでいます。 新しい空を見ることができる人も、いるかも知れません。 その時は、私達がいることが分かるでしょう。 私達を見ることができたら、どんなに素晴らしいかと思います。 でも、私達には、とても理解できない人間がいます。 その一方で、親友である人達もいます。 その人達は私達に語りかけ、私達の話すことに耳を傾けます。 そのような人達が、これから直ぐに増えていくと思いますか? 本当に、そう願っています。 そうすれば、私達は手助けができます。 怯(おび)えた人間というのは、自分達の機械から手当り次第に空に廃棄物を捨てて植物を窒息させ、鳥や動物達、昆虫達を病気に陥れます。 私達の手助けをしたい人がいれば、心から感謝します。 頻繁(ひんぱん)に私達の空を見上げて、「ありがとう、シルフ。素晴らしいことをしていますね。愛と感謝の気持ちを送ります」と言って下さい。 嫌なケムトレイルを綺麗にする手助けができれば大変結構ですが、皆さんの考えることや感情が空に抜けて、私達を助けるということも忘れないで下さい。 だから、無条件の愛とバイオレットフレームを送ってくれませんか。 私達の為に、そのことを覚えていて下さい。 アセンション研究所から引用させて頂きました。 心から感謝申し上げます。有難うございます。 全ては神 何ぜ5 をご紹介させていただきます♪ 五井先生のご著書ではその点について、言及はなかったように記憶しておりますので以外と知らなかったのかもしれませんね♪ あの聖書で有名な『洗礼者ヨハネ』が、五井先生でついに解脱したという悠久で壮大な輪廻転生ストーリーがまた明らかになりましたね♪ 知花敏彦さんのお話の奥深さは、他のスピリチュアル話と比べて飛び抜けていると思います♪ 本当に素晴らしい内容ですからぜひ一読してみてね~♬ 一部抜粋ですが・・・全文はリンク先で見てちょ~♪ 外なるものが内なるものを認めた時、外なるものは内なるもののようになる。即ち『人格神』となるわけです。人格神とは何かと言うと、人間の姿・形をとった神となるという意味なんです。それを、皆さん方が為さねばならない。 だから、理解力が必要なだけであって、その野菜を食べないと悟れないよとかね、神になれないよと言うのは、これは真実ではない。 その為に、バプテスマのヨハネは禁欲主義者だった。ね、肉を食っちゃいけない、牛乳を飲んじゃいけない。何を食っちゃいけない、非常な禁欲主義者。女をまとってはいけない、 ということに非常に禁欲主義で、非常に知識的に優れた方だったのですね、 バプテスマのヨハネは。 で、禁欲者の禁欲、禁欲で、本当の、禁欲してる者も、しない者もそのままにして神であるという真実を悟らなかった。だから、彼は再び生まれたのです
神は宇宙の愛の法則である 陰陽のバランスを神というのですから、今までの宗教家の説く神はどこにも存在していないといえます。 「われわれの神」の宗教家は唱えますが、元来「われわれの神」はありません。全体の神があるだけです。陰陽の法則は全てに存在しているのですから、神は至る所に存在しています。 どんな微細な一粒子も陰陽の法則に基いて存在しています。これを「宇宙法則」といいます。神は宇宙の愛の法則でもあります。 宇宙には愛の法則が絶対に実在しています。陰と陽の愛の法則によって、全ての万世万物が生かされていることをよく理解して頂きたいと思います。 陰と陽の法則を宿していない人間がいるのでしょうか?偶然この世に出てきた人間がおりましょうか。エネルギーという、プラスとマイナスの質量で、陰と陽で私達の肉体形体は存在しています。 そのバランスで存在しています。バランスが崩れると病気になります。バランスが破壊されれば死に至ります。 ですから、病気は不調の結果となるのです。何の不調和の結果と言いますと、陰と陽の不調和です。陰陽の法則を犯さないことです。 罪なき者は中性でなければなりません。みなさんがたの肉体の一つと考えてみると、エネルギーと質量との調和で肉体は調和しています。生命エネルギーと質量のバランスを崩さなければ、どなたでも健康でいる事が出来ます。 真のピラミッドパワーはすべての病気を癒す 世の中にはなぜ病気があるか、人間はなぜ死ぬかと追求する人はいません。病名は数多く存在していますが、何が原因で人間が病気になるかわからないのです。 病気の原因は、不調和が病気の原因ではないでしょうか。では、健康であるためには何が必要ですか?調和と合いが必要です。愛は全ての癒し主といえます。癒しのエネルギーといわれているわけです。 今まで不調和な生活をしていた人は、心を改めなければなりません。不調和な人が、調和を取り戻すと、どなたでもエネルギーが上昇します。 これが私の言いたいピラミッドパワーです。 ピラミッドパワーとは中性パワー、愛のエネルギーを意味するものです。 ピラミッドパワーは物を腐らせない ピラミッドの中に物を入れると腐らないのはなぜでしょうか。それは、中性であるため腐らないのです。不調和だから物が腐るのです。 酸化によって物は腐ります。それと同じく、腸の内部が酸化状態になりますと、お腹が痛くなりますし、ガスが溜まって大変なことになります。 皆さん方は今まで自分のエゴでさんざん色んな不調和を起こしてきたと思います。不調和である限り、病気がなくなることはありません。 この世が不調和になればなるほど、沢山の病気が出てきます。世の中が調和されればされるほど、病気がなくなるのです。 今の状態のままでいますと、いくらおおぜい医者を養成しても間に合いません。医者も根本的に人の病気を治しているのではありません。 結果対処療法と言いまして、原因がわからないから結果だけを取り除けばよいという考えで治療しているのです。この方法では中々埒が明きません。 医者が結果を取り除いても、病気になる原因が残っているので、また新しい病気が出てきます。病気の根を摘み取っていないのですから、次から次へと病気は芽を吹き出してきます。 これではお金の無駄遣いというものです。お金の無駄遣いをしないためにも、まず心を調和させなければなりません。 心が原因で病気になったことを知らなければなりません。心のバランスが崩れると、肉体もまたバランスを崩すわけです。これが病気の原因であると知るべきです。 全知全能の智恵「コスモ細胞」 宇宙にはエネルギーが一つだけ、 それが無限大に存在しているのです。 宇宙生命は宇宙に一つしかないのです。 すべての万象万物は唯一の宇宙生命によって生かされているのです。 心は宇宙に一つしかないのです。 人間が勝手に自分は宇宙生命ではないと 分離感を持っているだけなのです。 創造主が唯一神であり、人間の命は創造主の命なのです。 人は初めから神であり、今も神、未来永劫に神なのです。 こんな簡単なことを現代人は理解していないのです。 誰もが全知全能の智恵「コスモ細胞」を持って生まれます。 創造主はその人が父親に選んだ人の精子の一つに、コスモ細胞を植え付けるのです。 コスモ細胞は創造主の全知全能の智恵を完全遺伝子として持つ細胞です。 コスモ細胞は心臓に位置します。 出産のプロセスは、初めに創造主の分身、全知全能のコスモ細胞ありきです。 次に退治に宿る赤ちゃんの個別魂があります。 そしてコスモ細胞と魂と肉体の複合体が人間となるのです。 創造主の分身コスモ細胞は創造主そのものです。 自分の心臓の後にあるコスモ細胞が無限の宇宙生命そのもの、 これが神というもの、神を我として生きることが悟りなのです。 想念波動DVD (知花敏彦 1993.2.3 清里講話)深い瞑想状態―― (想念波動より) えーいちばん深い瞑想状態に入るという意味は、これを深い沈黙といいますけれど、そこに一点の形も見えたり考えたりしてるなら深い沈黙じゃないのですよ。 神は無形にして無双ですから、何の形もないのですよ。無限の広がりなんですね。無形無双の宇宙を体験いたします。 あなたが瞑想している五感という肉体を感じてるなら、深い瞑想状態ではありません。 もう肉体を感じなくなって普遍的な大気に融合しますと、そこには無限の広がり、広大な宇宙が存在しています。 そこにはこの小さな偽我というのは存在していません。神一元・神我一元と言う広大な普遍的な自分を体験するんですね。 その時、この三次元という世界から全く解放されているので、この世の思いというのも一点も、頭にも心にもありません。これが深い沈黙なんですね。 この世の思いというのも全く切り離されるんですね。この地球でさえも消え失せますよ。 その時もう、自分も全くきえてなくなって、地球でさえも消えてなくなって、全ての形態がが消えてなくなって、そこには不可視の広大な宇宙が存在してますね。 これを沈黙の力と言いまして・・・その時、七つの霊的中枢から愛光と言って、太陽の何百倍と言う光を放ちます。 その時、この世の太陽がお月様みたいに曇って見えます。なぜかと言うとあなたの霊的・宇宙太陽の方が光源を増しているからなんですね・・・ これが中心☉・霊太陽ですから。 霊と言うことは、太陽と言うことなんですよ。太陽神といって・・・ われは世の光りなりと言って・・・その時想像を絶する光が出ますよ。 私はその太陽の世界にいる時は、この世におりません。私は今朝ここに降りてきたようなものなんですよ。ここにくる5分前まで私はその光の世界にいたのです。 そして、肉という形の世界を意識した時、私のバイブレーションが下がってここに降りてきたようなものなんです。 外を意識している時は、外におるし、内を意識してる時は内におるのです。 これはどなたでも可能です。ぜひ体験してください。 光りが現れれば、ニセモノは消える。この形と言う偽物はすべて消えてなくなります。ぜひ体得して体感してください。ありがとうございました。 覚者・知花先生による 水の非常に為になるお話 宇宙に遍満している生命、即ち、電気はその水を通して現れるのです。 「若い人は瑞々しい」といいますが、その電気が溌剌として生きていますから瑞々しいのです。特に、子供の身体には水が80%以上ありますから、子供は電気そのもの、エネルギーそのものです。 子供は電気人間です。 「子供は光の子」というのはその意味なのです。 故に、水はできるだけ良い水を多く飲むことです。 人間の1日の水の消費量は2.5Lです。 その、2.5Lはどうしても必要なのです。 しかし、2.5Lの水を飲めという意味ではありません。 あなた方から出る、大小便、汗、息からでる水分を含めて、1日にこれだけの水があなたの体内から放出されるのです。 放出されていますから、それだけを補わなければならないのです。 その補うという事は、あなた方の食事から補わなくてはなりません。だが、食べ物に関するものだけで、2.5Lを補っているかという事が問題です。しかし、それを補っていなければ、毎日毎日、水分が少しずつ体内からなくなっていくのです。 これが、老化現象を起こしている原因であるのです。 あなた方が、生まれた時から最後まで、2.5Lの水を欠かすことなく補っているならば、老化現象を起こすことはありません。 水を取ってきますと、夜、小便が近くなるから嫌だと言って、水を飲むのを控えます。そうすれば、余計に水分がなくなって老化現象を早めるのです。 その水が、細胞の合間を洗い、血液を洗い、 血管の中を洗い、腸の中を洗います。 細胞の中を洗った水は、汗として出てきます。 血管の中を洗った水は、小便として出てきます。 腸の中を洗った水は、大便として出てきます。 小便が濁っている時は、小便の量が少ないのです。 水が少ないということです。 多くの水で、血液、血管を洗えば、小便は濁る事はありません。 それ故に検尿すれば病気がわかります。血液が汚れているか、汚れていないかすぐ分かるのです。 あなた方の体内の、 それらの浄化作用を起こしているのが、それが水なのです。 細胞と細胞の合間を洗い清め、血液と血管を洗い清め、小腸と大腸を洗い清め、水が浄化作用を行っているのです。 〈あなた方の水分が欠乏しているか、欠乏していないか〉 それを知るのには、朝起きた時の小便を見れば分かります。 透明で綺麗な小便ならば、水分が満ち足りています。 茶色く濁っているならば、水分が欠如しているのです。 水分が少ない人の小便は、必ず濁るのです。 このの濁り方が濃くなると、膀胱炎となり小便は出なくなります。 濁った小便をいつも流していますと、膀胱腺という非常に細い腺に胆石が溜まるのです。 それは、水が少ないからその現象を起こすのです。 水を多く飲んでいれば、膀胱炎を起こす事はないのです。 〈あなた方の血液が綺麗であるか、綺麗でないか〉 血液が弱アルカリ性であるか、酸性であるかという事は、水をあまり飲まない人は黒い血液となり、酸性血液となるのです。 水が嫌いであまり飲まない人は、血液が濁って高血圧となるのです。 そうなりますと、心臓に負担が掛かってくるのです。 血液の濃度が濃くなっているがゆえに、物凄い力で押さないと流れないために、高血圧となるのです。 高血圧と心臓負担とは、一つで同じものです。 それは、水をあまり飲まないから、それが原因となっているのです。 それに合わせて、水の質が良くないことが、その原因にもつながっているのです。 悪い水で体内を洗浄したとしても、それはいいはずがありません。 良い水で体内を洗浄すれば、健康は保たれるのです。 故に「水が大切だ」と、私がいつもあなた方にいうのはその意味なのです。 おまけ情報ですが・・・♬ の記事から引用させていただきました エイブラハムやセント・ジャーメインの良質チャネリング情報が満載なのでぜひリンク先を見てね~♪ 一部引用ですが・・・♪ 「大量の水を飲みなさい。 あなたの体の全ての細胞は ほとんどが水でできていて 水を飲むことは 体のエネルギー伝達に影響を与えるから 全ての細胞に有益に働く。 水を飲めば飲むほど エネルギーがもっと容易に 流れるようになる!」 バシャールは水を飲まないと、新しいステージへと 急速に移行しているこの時代を生きている私達は この変革の時代の高いエネルギーによって 燃え尽きてしまうと言っていました。 ある女性はアトピー性皮膚炎がとてもひどかったけれども ある日から毎回水を飲む前に 「肌をきれいにしてくれて有難うございます。」と 水に対して言ったそうです。 水だけではなくて お茶やコーヒーやお味噌汁など 何でも水分を摂る前にはそう言ったそうです。 そうしたら数カ月後に 皮膚の表面にかさぶたがいっぱいできてきて 最後にそのかさぶたが全部とれて すっかりきれいな皮膚になったそうです。 小林正観さんはその話を聞いて、自分もやってみようと思い 毎回水分を摂る前に 「若返らせてくれて有難うございます。」 と言ったそうです。 そうしたら50歳過ぎのときに半分白髪頭だったのが なんと!1ヶ月で真っ黒になったそうです。 これってすごいよね! これはいいことを聞きました 私も早速、毎回水分を摂る前に、 「波動を上げてくれて有難うございます」と言いながら飲んでま~す♪ ………………………………… スピリチュアルな視点から見た☆地球人に最適なベジタリアンレベルのお話 肉とお魚の違いについて少しお役に立てそうなお話をしちゃいます♪ 実は高次元な宇宙人の方々も、魚はたくさん食べているそうでありまして、お魚や魚介類は全然食べてもよいのでは・・・と私は思うのです。 プレアデス星人も、水星人も、金星人も、魚は食べてますし、地球人がお肉を摂るような感じで食べているとUFO研究の第一人者である久保田八郎さんの本でも書いておりました。 しかも、あまり過激な菜食家はオーラが逆に弱くなったりするそうですから、魚介類を摂取するベジタリアンくらいが、一番、健康的にも、オーラの輝き的にも妥当なところではないでしょうか。 地球人より遥かに波動が高い高次元な宇宙人も魚を食べているのに、地球人が無理をして魚まで我慢するというようなマゾな事をしなくても(笑) ・・・なんて思っちゃったりしたものです♬ 魚は痛覚というものがないそうでして、死ぬ時もマイナスの感情をもたないそうですから、動物のように波動が下がるということもないそうですし、きっと食べても問題ないでしょう♪ 結構ベジタリアンの基準として、肉と魚を一緒くたにする方がいらっしゃいますが、それは厳密に言いましてかなり違うものでありまして、肉は動物の死ぬ時の苦しみの波動がありますが、お魚はマイナスの波動は特に無いそうです。 ですので、魚を食べると特に波動が下がるということもありませんから、クジラのような大型魚は除いて、鮭やサバなどの小型のお魚に関しては潔く、楽しく、全く気にする必要もなく、食べて頂いて問題無いといえます。 私なんて、肉を食べないようになってから、逆にお魚は今まで生きてきた以上によく食べるようになりましたからね♬ ここ最近、母親が作ってくれたイカのゲゾ、エビ、しめじ、ツナ缶、などのダシの取れたカレーがあまりにも美味で、シーフードカレーってここまで美味しく出来るんだ~♬と感動して食して頂いたりもしました♪ ベジタリアンの基準についてのご参考になれば幸いです♪ 「全ては神=我神なり」という真理♪ 意識の進化=愛の拡大=分離意識の克服= 我は全体なり・全体我なり=全一体・自他一体= 全ては私=全ては一つ=全ては一つの存在の現われ= 宇宙は一つの生命体=全てに神(宇宙生命)が宿り給う= 宇宙は神一様=全ては神の中の存在する一つの存在=ワンネス 全ては永遠に一つの存在=全ては一つ=全ては私=全ては神 全ては今この瞬間しか存在しない=全ては永遠に一つの存在= 永遠の始まりである神の御心のみが実在=今即天=今即実在= 大愛・宇宙生命・神の一人子である神我キリストのみが実在= 全てはこの瞬間に存在する宇宙生命そのもの=全ては神そのもの= 全ては神ご自身=神一元・愛一元・光一元=宇宙即我=我神なり 調和=愛の法則そのもの=罪なきもの=完成=幸せな人生に 不調和=愛の法則を犯している=業・罪=カルマの精算が起きる 愛と赦し=調和=愛=幸せ・健康=完成=中性=完全=光人間 恨み・憎しみ・争い=不調和=罪=病・災難=不完全=闇人間 愛と赦し=カルマの消滅=神の祝福=幸せなツイてる人生に 許さない・恨み・嫉妬=カルマの刈り取り(不幸災難)な人生に 調和人間=愛が深い人=愛の光そのもの=克服者キリスト=完成 不調和人間=恨み・嫉妬・責任転嫁=闇人間=罪人=未完成 調和=光明世界・愛の王国=愛・光・善=平安と安らぎ・至福感 不調和=無明世界・闇世界=未熟な愛=不安と恐怖・飢餓感・不足感 調和の人は熟した魂=自分を愛するが如く他人を愛します=ワンネス 不調和な人は未熟な魂=他人を責めて非難します=分離意識 イエス様は「愛は天と地の架け橋」とおっしゃられました。その愛とは「許しの到達点」である「慈悲と愛」で御座います。 真の意味で貴方が、その「許しの到達点」の境地に到達した時に、自ずと「天である神」と「地である貴方」との架け橋が繋がる事でありましょう。私は実体験からそれが実際にありえると確信しております。 愛は天と地の架け橋 この愛の理解と体得が神様と繋がる鍵♪ 神・大愛(天)……全てを活かす愛・慈悲と愛・すべての形態を形作る力・意識を与えて下さった魂の根源・真の親・すべてを活かし育む力、縁の下の力持ちで全てを愛し慈しむ無償の愛・無限の愛・すべてに意識を与えて下さった天の父であり天の母である中性エネルギー・真の親・愛を表現する為に…無限の創造をなさっている慈悲と愛そのもの 神の表現体(地)……神が神を愛する為に生まれた存在・神の化身・愛の化身・神の表現体・神の中に創造された神・個別化した神としての自覚に覚醒めた我・滅私して神の道具意識を自覚している我・自分が神ご自身だと悟った我・愛を表現する為に生まれた事を自覚している我、全てを100%の愛で愛する我、自分と全てが神以外の何者でもない事を自覚している我 第六密度以上の高次元存在が語る 「許し」というものが、カルマの輪を止める事になるお話 ★ コーリー : 多くの人々が現生のトラウマだけでなく、過去生のトラウマにも対処しているところなのです。 今、地球に生まれて来ている多くのライトワーカーは、援助の為により高次元や、上の密度から降りて来た人々です。 現生が初めての人でも、高次の美しい場所からここへやって来た人にとっては、ここでのトラウマは10倍酷(ひど)く感じられるものです。 そして、長期に亘(わた)って輪廻転生を繰り返して来た人の場合は、更に解消しなければいけない過去生のカルマが加わります。 しかし、ブルーエイヴィアンズから言われたのは、トラウマを特定し、自分にトラウマを与えた人や自分自身を許すこと、 そして、この”「許し」というものが、カルマの輪を止めることになる”ということです。カルマがなくなるんです。 これは、エネルギー的なものです。 「カルマとは」負債を支払うようなものではなくて、 「許してエネルギーを解放するもの」なんです。 カルマとは宿題・魂の課題・許しによって消滅♪ ……………………………………………………… 「許し」を心から実践=カルマの輪を止める=カルマがなくなる♪ 自分にトラウマを与えた人や、自分自身を許す== ==魂の課題を克服=カルマが消滅♪ 許す事によってエネルギーを開放=カルマの克服・解消に♪ ケイシーリーディングから…♪ 全身全霊で「神を愛する」大切さ 「神を求める祈り」をする大事さのお話 エドガーケイシーは、宗教生活についてそのもっとも美しい表現の中で、この事を次のように語っています。 「あなたがたは心を尽くし、思いを尽くし、体を尽くして汝の神なる主 (大生命・内在の神)を愛し、隣人を汝の如く愛するのである。 このキリストの与えた言葉が法則の全てである。 それに優るものは存在しない。 主が約束されたように、あなた方は 来る日も来る日も明想し、「祈りゆく」うちに到来するあの目覚めによって、 主(宇宙生命)が自分の意識の中に留まられる事を知る事が出来る (神我が中にまします・父と子は常に一体)。 あなた方はこの目的のために、 主が臨在し、その御霊(キリスト)があなた方の中に留まるあの意識を、 あの自覚を讃えるために生まれてきたのである。」 ●自我・偽我 =表現者、原因である父なる神を忘れている状態(放蕩息子の状態)神理を知らない状態・自分の力で生きていると思って迷っている状態、肉体の己を自分と思っている我、分離感・分離意識で個別化された表現を別個の存在と認識している我・分離意識・エゴ・肉の感化、五感の感化を真実と錯覚している我・迷いの影、幻、幻想(マイヤー)・自己保存、自我我欲の心 ●真の自己(真我)=父なる神と常に一体の境地・ワンネス意識・全一の意識・神我キリスト、全ては自分、全ては我、全ては神、全てを愛する我に目覚めた状態・宇宙生命によって生かされている事を自覚して実感している我・私が生きているのではない、なるほど一つの生命である神が生きていらっしゃる、全ての知恵と力は神から与えられている、神の中身は神、全ての全ては本質的には神、神のみが生きてらっしゃるんだなと悟った我・神一元・愛一元・光一元・我神なり、全ては神なり、全てに神を観る境地・神は生命(霊)なり、我も生命(霊)なりの自覚・宇宙即我、キリスト意識・高我・実在・全てを愛し全てを許す境地・慈悲と愛・あなた即私・私即あなた・宇宙エネルギー即自分・無限即我・不変不動の絶対なる実在・普遍なる宇宙・無限者・宇宙神 FC2版の広瀬すずちゃんの横顔になる方法の記事です♪ 身長を伸ばす記事も追記してみました♪ |
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