人が神を受け入れた時、人格神となる
肉に生きている人間は、
その肉体を地面から引きずってあるかねばなりません。
あなた方は、今、地に這う者となっています。
それは、物質への執着です。物欲です。
物欲がそうさせるのです。
あなた方が、
本当に、この肉体という物を光に変換しますと、
お返ししますと「献身的」といいまして、
その肉体を大霊に捧げる。神に委ねる。全託する。
そうしますと、神の光が与えられるのです。
あなたが、
神を受け入れるという事は、光を受け入れるという事なのです。
これが、神の臨済感ですから。
これが、光の臨済感ですから。
神は無限なる光ですから。
神は無限なる力ですから。
神は無限なる叡智ですから。
神は全知全能ですから。
大霊は大神様ですから。
あなたが本当に、自分自身にその大霊を受け入れた時、
「あなたを通じて神が現れ給う」という事になるのです。
ですから、
「人が神を受け入れた時、人は神となる」という事なのです。
そうした時、
その人は何になるかといいますと、
「人の形を取った神」即ち「人格神」となるわけです。
神の御業を、
その人は自由自在に行なうことが出来ます。意味はおわかりですか。
イエス・キリストは、
普遍世界から、色々の物を具現して奇跡を起こされました。
何故かと言うと、この世の物というものは、みんな
「不可視の普遍的質料」と「普遍的エネルギー」から取り出されて、
生み出されているわけです。
あなたが「普遍的質料」となり、
「普遍的エネルギー」になった、「霊」になったとすると、
「神そのもの」ですから、貴方の意識でいくらでも普遍的空間から、
物をこの世に具現する力を得る事が出来るのです。おわかり頂けますか。
この世に、形として現れている物は、
みんな普遍的なものから出て来ているわけです。
そこから出て来ているものを、
不可視の世界に変換する事も、取り出す事も、自由に出来るという事です。
これはあくまでも、
あなたが「肉」を「大霊に捧げて」、
大霊があなたを通じて働くようになった時の事です。
霊を拒む事は、今の自分をなくしたくないから
霊を受け入れる、受け入れないは誰次第ですか。
受け入れたほうがいいのですか。受け入れないほうがいいのですか。
受け入れたほうがいいのに、あなた方は霊を拒むのです。
なぜかといいますと、
霊を受け入れるとあなた自身がなくなるからです。
そこに何が残るかといいうと、
「神一元」という、「神のみの存在」になってしまうからです。
あなたは、今の自己を失いたくないのです。
自己放棄といいまして、それは自分がなくなる事。
自分がなくなると、
そこに何が残るかといいますと、神のみなのです。
これを「神一元」「光一元」といいますけれども、
それは無明のあなたがなくなって、光のあなたにしかならないから、
あなたは今の自分に執着しているのです。
今の自分を、
自分、自分として、大切にしている限りにおいては、
皆さん方は、神を受け入れる事は不可能だろうと、
光を受け入れる事は不可能だろうという事になります。
釈迦は「無我」の境地を悟られまして、
自分がなくなって、自分がなくなったら何が実在するかというと、
「神のみが実在」するのです。
人間がいなくなって、「神のみが実在」していくわけです。
それを「神の化身」といいまして、
「人間」というものが「神に変換」するわけです。
「変容」ですから……。「変貌」ですから……。
そうしますと、光そのもの、力そのもの、智慧そのものになりますから、
今までのあなたは存在しなくなるわけです。
あなた方は、今の自己に満足しています。
これを「自己満足」といいます。
今の自分を気に入っていますか。
今の肉体あなたを大いに気に入っていますか。
今のあなたにお気に入りなら駄目です。
執着しなければならないからです。
この肉体を、造り主である霊に返納する
「神に献身」といいまして、この「肉体」を「霊に捧げる」のです。
これを何といっているかといいますと「献身」といっています。
この肉体を、作り主である霊にお返しをするのです。
そうしますと、
「霊はこの肉体を通じて表れ給う」となるわけです。
これを、「神への全託」といいます。「返納」ともいいます。
本当に、そういう事が皆さん方に出来ますと、
神は皆さんを通じて現れ始めるのです。
そうして、初めて皆さん方は、
真に智慧あるものとなり、力あるものとなり、光あるものとなるのです。
あなたという「自我」がある限り、
「この肉体は、私だ……。私のものだ……。」と思い込んでいる限り、
絶対に、それは不可能だという事です。
「我」があるわけですから。
「私が…」「私が…」と、あなたに思いがある限り不可能です。
この肉体を神にお返ししたら、
皆さんは「無私」「無我」になるのです。
自分がなくなる・・・・・。すると何が残りますか。神が残るのです。
自分がなくなって、神のみが実在するようになるのです。
その時、初めて皆さん方は「神の化身」となるのです。
そうなりますと、
あなたはどこにいたって、もう安全なのです。
自動車事故には絶対に合わない。
飛行機事故には絶対に合わない。
爆弾が落ちても絶対に災害を受ける事はない。
なぜかといいますと、
災は闇ですから、災いがこの光の中に入る事が出来ると思いますか。
この世の影響を受けると思いますか。
あなたが、光そのものになりますと、
闇の影響を受けないものになるのです。
その時、皆さん方は、
「この世の手の届かぬ所に止め置かれた」というこ事で、
「光そのもの」になりましたなら、闇の影響を受けないのです。
今のあなた方の災いは、光の災いですか、闇の災いだと思いますか。
どんな爆弾をその人の上に落としても、災いを受ける事はありません。
この意味はおわかりでしょうか。
光の中に、闇は入れません。
それを「安泰」といい、「安全」というのです。
愛とは、この肉体と霊との調和を意味する
あなた方が、どこに行こうが無言の奉仕が出来ます。
エネルギーの放流放射ですから、例え、電車に乗ったとしても、
あなたの行く所全部、光エネルギーに出来るのです。
これを「至福」といいます。
人々に至福を与えることが出来るのです。
「命を与えよ」その生命は光です。
「一番大事なものを与えなさい」 一番大事なものとは、
命は光ですから、「光(真理)を与える」のです。
そういう奉仕の出来る人間になりますと、皆さんは真の奉仕者となるわけです。
だから、あなた方の自我での奉仕というものは、
これはインスタントの奉仕にしかなりません。偽りなのです。
真の善ではなく,偽善なのです。
「愛」という意味はなにかといいますと、
「肉体と霊との調和」の事を意味しています。
この肉体が、大霊を受け入れた人は「愛の人」です。
この肉体が霊を拒んでいる人は、
闇の人、不調和の人となります。不調和から光は出ません。
「私は、不調和じゃない。調和です」といいながらも皆さんは無明です。
あなたがの考えている
愛とは調和というものは、あなたの作り物なのです。
これを「盲愛」としか言わないのです。
愛というものは、その肉体と霊との調和のことを意味しているのです。
霊は天。肉体は地。天・地のバランスです。
天は光明。地は無明。天・地一体です。
その、無明と光明が一つになれば、そこには闇は消えます。
そうなりますと、あなたは「光一元」となります。
光一元というものは、あなたが
その物質的・質料的なものと、霊的なものを一体にならしめた時、
「肉体と大霊との一体(父なる神と私は常に一体の境地)」
ができた人は愛の人ですけれども、
肉体と物質と霊とは別だと考えている人は、不調和な人です。
その不調和の人は、光の人ですか、闇の人ですか、闇の人なのです。
ですから、世の中を彷徨(さまよ)わなければなりません。
だから、一寸先があなたには分かりません。
あなたには一寸先も見えません。
一時間後に、どういう事が起こるかも分かりません。
未来が読み取れません。
今、ここでお話を聞いて、帰りがけにどいういう事が起こるか。
家に帰ってどういう事が起こるか分かりません。
未来を見通す力、すべてを見通す力が、
この大霊と肉体を一体ならしめた時、あなた方に出来るわけです。
すべてを見通す力とはその意味なのです。
その人は、もう躓く事はありません。
霊肉一体となっていますので、もう死ぬことはありません。
霊肉のバランスを一体化ならしめない限り、あなたは死ぬものとなります。
あなたは死なないためには、愛でなくてはならないのです。
不調和で、死なないものになるのですか。
肉体から、霊が離れて行きます。
しかし、霊と肉が一つに融合してしまえば、
もう離れる事がありませんので、死ぬ事はないのです。
それが永遠に生きるもの「死の克服」というものなのです。
霊を無視する事は、光を否定し闇を望む事と同じ
「私は人間だ。肉体だ」という無明のままで、
霊を全く無視して生きていく人間は、死ぬものとなります。
そして、死んだ暁は、
光を否定していましたので、
闇の世界を彷徨わなければなりません。
これを普通は「闇地獄」といっているのです。
これはもう想像を絶する闇です。
これっぽっちの先も見えません。真っ暗闇です。
この世の暗闇とは全く違うものです。
そこで泣き叫びます。
その状態を、知花はいつも見ているのです。
肉意識(分離・不調和)のままで去った人間は、
光を拒んだわけですから……。
否定したわけですから……。
闇を望んだわけですから……。
この世の物質思考というものは、光思考ですか。闇思考ですか。
物質主義とは闇主義なのです。
物質が全てだと思っているのは、闇が全てだと思っていますので、
闇地獄とは、こういう人間の行く所なのです。
光(全一体)は霊(無限の生命)ですから、
その霊を受け入れた者はこの肉を去ったとしても、
光を受け入れていますので、全く躓くことはないのです。
すべてが見えます。
ですから皆さん方が、
本当に、こういう時代が今ここに到来している事を、知らねばなりません。
「光あるうちに歩め」とは、その意味なのです。
その意味は何かといいますと、
「あなたの肉体に霊が宿っている時に歩め」
「(生きている時に真理を)理解しなさい」という意味です。
その意味をおわかり頂けますか。
幽界から霊界に帰るという事は、容易な事ではありません。
「幽界にいても、悟って幽界に帰る人が一杯いるでしょう」
という人がおりますけれども、
「生きている時に天に住まぬ者は、死んでも天に住まぬ」
という事なのです。
その意味は何かといいますと、
あなた方は普段意識していなくても、
霊と肉が必ず一体となって、肉体というものは存在しています。
死というものは、その肉体からの霊の分離ですから、
一時的に大変な体験をせねばなりません。
分離したら死ぬわけですから、
能動原理が質料から離れる事によって死を招くわけです。
「死ぬ者は再び生まれかわる」といいまして、
輪廻を繰り返さなければなりません。
そして、また、地上界の新しい再出発。
「光があるうちに歩む」という状態で、
再度、この地上界に生まれてくるのです。
この事を、皆さんは「輪廻転生」と言っているわけです。
しかし皆さん方は、
この輪廻を克服するには、どうすればいいのでしょうか。
それは「霊肉一体」しかないのです。
皆さんの何名がそれを可能にするか。実りあるものにするか。
これは、誰次第ですか。
この無明のままで、肉体のままで、
地位、名誉、財産を持っていた所で価値がありますか。
最後は、真っ暗な一寸先の見えない所で、
もがき叫ぶ一人にしかならないのです。
豪邸に住み、金持ちの奥さんで、あるいは、社長で終わったとしても、
その者は「無知の人生」といいました,
必ず、闇の世界で泣き叫ばなくてはなりません。
その意味お分かりですか。
それを、お分かり頂きたいと思います。
ですから、
「光あるうちに歩め」という事は、
その「質料と肉体が一体である」という事は、
今(生きている時に悟る)しかないのです。
永遠に光るものとなって、霊太陽となる
あなたが自覚して、
その大霊、無限光、普遍光をはっきりと、今受け入れますと、
その闇の原子が光の原子に変貌しますので、
変性、変容で、これをイルミネーションというわけです。
皆さんが、霊肉一体のバランスが取れていなければ、
イルミネーションを受ける事は可能だとお思いですか。
それは不可能です。
ですから、肉我で生きている人間から、
オーラが差すと言う事は全くありません。
ほんの少々ですが、ほんのりと出ている人がいる事は事実です。
しかし、その無限光が、大霊そのものが自分の中にあるという事は、
ほんのりではないのです。
夜道を歩きましても、電灯なんかいりません。
あなたの細胞から放つ光が、全部周囲を明るくしています。
これを「オーラ」といいます。「後光」といいます。
ですから、夜はないのです。我々には、本来夜はないのです。
太陽は、夜になったら眠っているのですか。
太陽というものは、全く、光を失うという事はありません。
あなた方も、永遠に光るものとなって、初めて太陽となります。
これを「霊太陽」といいますけれども、
「霊」というものは「太陽」なのです。
ですから、「霊」の事を「太陽神」ともいいます。
「太陽エネルギー」というのと、
「霊エネルギー」というのと同じなのです。
その霊太陽は、宇宙に幾つあるかと申しますと、一つしかありません。
その霊太陽は、皆さん一人一人の中で、輝いているわけです。
ちょうど、その三次元の太陽でも、光って輝いているものは、
同じ太陽からの光線で輝いているのです。
「あなた方」も、「宇宙の霊体陽」でもって、
「全ての万象万物」にも「同じ光」として輝いているわけです。
その霊太陽には、方向性というものがないのです。
今の物質的な太陽にも、方向性がないのと同じです。
あなた方は、太陽が沈んだり昇ったりする
と思っていますならば、とんでもない間違いです。
太陽は上がったり沈んだりしていますが、
一定の場所で輝いているのです。
昇り日だ、落ち日だ。と皆さんはいいますが、
昇り日も、落ち日もないのです。
あなた方の霊太陽も、昇り日も落ち日もないのです。
だから、方向性というものがないのです。
東から上がる、西に沈む、と言う事はないのです。
どこにいても同じ状態で、
あなたのハート(胸)の中で輝いています。
ですから皆さん方は
その霊太陽を、はっきり自分に受ける事が出来ました時は、
皆さんの細胞一粒一粒は霊光で輝きます。
それはあくまでも、霊肉一体をならしめる事が先決です。
この「肉体」というものは、
「大霊の器」にしか過ぎないと。
肉が我でなく、「大霊が我」であるという、
「霊的自覚」を持つ事なのです。
肉的なあなたが、あなたですか。
肉が生きているのですか。
大霊が生きているのですか。
それは大霊のみが生きているのです。
皆さんの中に宿っている霊は、
個人的霊ですか。普遍的霊ですか。
それは普遍的霊なのです。
なぜかといいますと、
宇宙には、唯一、不二の大霊、神霊しかいないのです。
その霊があなたから抜けたとしますと、あなたは生きていないのです。
だから、山の霊、海の霊、水の霊、動物霊、人間霊、
みんな霊です。霊がなかったとしますと、
鉱物も、植物も、動物も、人間も、皆存在しないのです。
霊がなかったら、生きていないのです。
あなたから霊が抜けたら、あなたは生きているのですか。
この肉体は器ですから、霊が抜けても残っています。
その霊を抜けた体の事を、皆さんは「死体」と言っているのです。
だから、人間という、この肉体という器は、
霊の働く場であり、霊の働く焦点にしか過ぎないのです。
霊が着けている衣装にしか過ぎないのです。
あなた方は、
その衣装である肉があなたなのか、
大霊そのものがあなたなのか。どちらが本物ですか。
肉のあなたの事を「真我」というのですか。
大霊のあなたの事を「真我」というのですか。どちらが本物ですか。
この肉があなたですか。大霊そのものがあなたですか。
大霊そのものが、あなたなのです。
これを「覚醒者」といいます。「霊的自覚」といいます。
「我は霊なり」と言わねばならないのです。
しかし、
あなた方は「我は霊なり」とは言わない。
「我は肉なり、我は人間なり」と生きています。
魂の光輝 (イルミネーション)
光るものになるためには、霊でなくてはならない
「我は霊なり」というのと、
「我は光なり」というのは同じ事なのです。
光るものになるためには、
我は人間なり、我は肉体なりでは、光るものには絶対になれないのです。
あなたは光るものになるためには、
「霊でなくてはならない」という事なのです。
肉で光るものになるのですか、
肉は質料です。質料に光がありますか。。
その質料を光るものとさせるのには、霊しかないのです。
その質料の中の霊がミックスされますと、
その質料は闇となりますか。光となりますか。
闇の質料が、光の質料になります。
その質料が光を拒んでいる内は、闇の質料で終わらねばなりません。
それが霊化された肉体が、
霊化された肉体とは、光り化された肉体。
即ち、光明体、光姿態となるという意味なのです。
皆さんの肉体が光姿態とならなくても、
光明世界の住者になれると思いますか。闇地獄の住者ですか。
本来闇地獄はないのです。
あなたが作っているのです。
霊を拒むがゆえに、
光を拒むがゆえに、闇というものは存在しているのです。
霊肉一体であれば、そこには地上天国が誕生しませんか。
この世の肉体人間が全部、大霊を受け入れたら地上界は光明界となります。
これを「地上天国」というわけです。
ですから、
誰かがイルミネーションを受けますと、
その影響を受けて、多くの人々がイルミネーションを受けます。
その人間がイルミネーションを受ける事によって、
地球自体もイルミネーションを受けます。
鉱物も、植物も、動物も、みんな光るものとなります。
人間が光るものとなったら、全部光るものとなるのです。
無限光を放つわけですから、光で闇は全部消えるのです。
そうなれば、この地上界に災いというものは存在しなくなります。
これを「極楽浄土」というのです。
光の世界には、
災いというものは存在出来ませんので、安全、安泰の世界になります。
これを「ユートピア」といいまして、
ぜひ、地上界にユートピアを建設していきたいと思います。
ひとりでも多くの霊光燦然と輝く者を。
一人よりは二人、二人よりは三人と、多くの人々が一日でも早く、
この霊光を輝かすように努力して頂きたいのです。
我は姿・形に属する者にあらず、
我は血や肉に属する者にあらず、我は霊なり
それは、霊的自覚でもってしか出来ないと。
「我は人間なり」「我は肉体なり」という者は、
「絶対に光る事はない」という事を、私は断言致します。
霊的自覚に順応して光る者になります。
時間あるごとに「我は霊なり」と自分に言い聞かせるのです。
今まで長い長い年月、この肉体という物を、
皆さんは自分として、
己として来たものを、放棄する事は厳しい事は分かります。
しかし、偽物に愛着を感じて、本物を放棄したままで終わってはならないのです。
ぜひ、皆さん方が「我は霊なり」と。
イエス・キリストのようにい、
「我は姿、形に属するものにあらず、
我は血や肉に属するものにあらず、我は霊なり」と。
時間あるごとに、自分に言い聞かせて頂きたいのです。
そして、とうとう、無意識の内にも、
”自分が大霊である”と思えるようになるまでは、
努力せねばなりません。
「神が着座する」という事は、
無意識の内にもあなたが大霊そのものだと、
一時(ひととき)も自分が肉だと思わなくなって、
初めて神があなたに着座した。
初めて光があなたに着座した。という事なのです。
今のあなた方は、
”我は霊なり”と意識する事は、
ほんの一時の間だけかもしれないけれど、
すぐ肉我に生きてしまう……。
すぐ無明になってしまう……。という事を忘れないで下さい。
ですから皆さん方が、
本当に、寝ても覚めても大霊意識で生きられる事を要望致します。
そして、初めて神が着座したという事になりますので、
努力していただきたいと思います。頑張って下さい。
どうも有難う御座いました。
病とは何か
人はなぜ病気になるのか、病気とは何か
なぜ人間は病になるのか、病気は何であるのかが判らない昨今の状態です。その意味も判らないまま日常生活をしています。
病気になれば病院に行って病気を治せばいいではないかと非常に簡単なものの考え方をしていますが、人間が何故病気になるのかと考える事により、治すことよりも病気にならない事を考えるべきです。
私達が病気になる原因は二通りの原因があります。物理的なものから来るものと、精神的なものから来るものと二通りです。
普通の肉体的な病気と精神的な病気とがあり、病院も精神病棟と肉体の病棟というような二通りあります。
なぜ病気になるのかは時の如くで、気を病んでいるエネルギーが落ちた状態、エネルギーのない状態を病気といいいます。
エネルギーの少ない状態、エネルギーの低下といいましょうか、その状態を腐敗するとか、酸化するとかいいます。
一つは我々の肉体の病気とは酸化状態と思ってもいいのです。
エネルギーが低くなりますと酸化が始まります。それを病気と名付けられています。
私達の身体は神のエネルギーの住み家
エネルギーの表現体
私達の身体はエネルギーで支えられています。そのエネルギー体が霊体とい身体を支えているのがエネルギー体です。
即ち霊体があって肉体はその結果です。その霊体の霊気が低くなるのが病気です。
皆さん方はよく霊気を感じるといいます。霊気の気とはエネルギーをいいます。
霊そのものはエネルギーそのものですからエネルギー体です。ものは必ず霊を宿していますがそれはエネルギーを宿しているのです。
そしてエネルギーの結果が物質を現しているから、ものはエネルギーの住み家でありエネルギーの表現だといえるのです。
そのエネルギーの事を皆さん方は神を呼んでいます。ですから我々の肉体はエネルギーで作られたエネルギーの住み家だといえます。エネルギーの表現だということになります。
エネルギーがものを創ってエネルギーはものの中に浸透しています。
それは神が一切のものを創り、一切の中にエネルギーが浸透している意味です。
食事とはエネルギーを食べること
物理的なエネルギーは食生活から入ってきます。
ものはエネルギーを持っていますから、私達が食事することはものを食べているのではなくエネルギーを食べているのです。
形と食べているのではなくエネルギーを食べています。形を食べているのではなく、形の持っているエネルギーを食べているのです。即ち霊気を戴いているわけです。
食事をとりますと元気になるというのはエネルギーの元という意味で元気になったといえます。
病気とはエネルギーの少ない状態、エネルギーの低下の状態を病気と普通に言います。
自然食というのはエネルギーの高い物を自然食と言うのですが、農薬の入ったエネルギーの低い状態のまた、その物の持っているエネルギーの無い状態を不自然といいます。
不自然な食生活とは農薬をたっぷり一杯使った、エネルギーの無い食生活をいいます。
昔の食物と今の食物のエネルギー量の差
皆さん昔の物と今の物とどちらがエネルギーが高いか考えて下さい。
野菜などは昔の物は時間を置いてもなかなか腐らない、酸化しない、保存がききました。
キュウリでも色が黄色になっても形を崩すことはなかったのですがえ、今のキュウリは青くても、とろとろになって水に溶けてしまいます。それはエネルギーが低いからです。
また今の卵は冷蔵庫の中に入れないと保存が効きません。昔の卵は軒下に吊り下げていれば数ヶ月も一年でも腐らないものでした。それはエネルギーが高かったからです。
今の水道水は何故腐るのか
水がそうです。昔の水は腐らなかった。天水の水も井戸水も全然腐らなかったのですが、今の水道水は置いておくよ翌日はもう臭いがする。
今の水は何故腐るのですか。昔の湧き水は腐らなかった。
湧き水が腐らないのは、それだけエネルギーが充満しているといえます。ですから湧き水を飲む方が、水道の水よりはエネルギーが多い事になりますが今の湧き水では駄目です。
健康になるのもエネルギーの高い水を飲むことが大切です。食生活でもエネルギーの高い物を食べたほうが健康になるわけです。
イエスが
「私を食するものは永遠に生きるものとなるであろう」
と言われた意味
私達は今、食卓に上がっている食べ物を食べているという錯覚を起こしていますが、皆さん方はエネルギーを食べているのです。
形を食べているのではありません。形の持っているエネルギーを食べているわけです。即ち愛を食しています。力を食しているのです。
イエスが「私を食するものは永遠に生きるものとなるであろう」と言われた意味は、自分が食べているものはエネルギーであるということを知っておられたという意味です。
そのエネルギーを何というかといえば生命と呼ぶのです。エネルギーは即生命です。生命は即ち霊です。
霊気が高いとは生命力が強いといい、生命力が強いとはエネルギーが強いという意味です。
そして生命力がなくなりますと、酸化が起こります。エネルギーがなくなり腐り始めます。
農薬が病気の大きな原因
不自然な食品のラーメンとかインスタント食品での食生活をしますと、そこには化学物質というエネルギーを狂わす陽イオンが沢山入っていまして、プラスとマイナスの陰性・陽性のバランスを崩すのです。
自然ということは陰陽の法則に整った状態、中性状態をいい、バランスのとれた状態を言います。
皆さん方は自然食という言葉を口にしますが、自然食が何故良いかといいますと農薬が入ってないからです。
農薬の入ってる物と農薬の入っていない物とでは、入っていない物がエネルギーが高いに決まっています。
しかし私達は農薬の入っている物を平気で食べていることになり、そのエネルギーの低い物を食べて健康になろうとしても、健康にはなれないはずです。それが大きな病気の原因になっています。
病気とはエネルギーの低下状態をいう
病気とは何かと、一言で言えばエネルギーの低下状態と答えれば良いのでは無いかと思います。ですからエネルギーが病んでいると書くわけです。
そして元気とはエネルギーの元と書きます。その元気の良い状態を本気ともいいます。その気というのはエネルギーの事をいうのです。本気は正気ともいいます。正気の沙汰といいまして、本気は元気です。短気は損気なのです。
短気は損気
皆さん方が短気を起こした時は、精神的な問題ですが、短気を起こした時は沢山のエネルギーを使います。
この時のエネルギーの消費は一度の短気で、一週間分の食生活のエネルギーを消費します。一週間分の暖色に相当します。
カッとなった何秒間で強烈なエネルギーを放出するのです。短気は損気という言葉で表現されているのです。
気を損する、エネルギーを損するという意味です。ですから気が短くてはいけません。
気長な人生を歩まねばなりません。短気者は非常にエネルギーを損していることも判らないからです。
短気は短い時間で強烈なエネルギーを放射しますので、私達の身体には化学変化が起こります。
化学変化とは電気現象をいい、この電気現象が起こるのです。プラス・マイナスの電気現象です。
それを皆さん方はエネルギーの事を電気と書いているのです。
生命とは電気であり
エネルギーであり、力であり、光である
ですから、生命とは何かといえば電気ですともいえます。その電気はエネルギーであり、力であり、光です。そして神とは何かと聞かれた場合、電気と言いたいのです。神は本当に電気です。
その電気現象がなければ私達は生きていけません。現に私達の肉体の中にプラス・マイナスの電気が存在して生きています。その肉体とは一つの電気のトランスではないか、物はトランス状態だと思います。
例えばこのバナナというトランスは、どのぐらいの電気を含んでいるか。世の中に電気を含んでいない物質は存在しません。全てその意味においても電気を持っているのです。
物は電気の結果ですから、エネルギーの結果ですからエネルギーを持ち合わせていない、または電気を持ち合わせていない物質はありません。
電気屋さんが計れば一つ一つの物を、これは何ボルトだと、いくらかの電気が有るかと、見ますとトマトもキュウリも全部電気を持っています。じゃがいもはエネルギー強烈ですから、1個に1.5ボルトの電気を含んでいます。電気植物みたいです。
全ての食べ物は電気を含んでいます。そして農薬の入っているものには電気が全部落ちています。自然である物や、農薬の入っていない物は電気が高いわけです。
私達も農薬のたっぷり入った食べ物を食べておれば電気は低くなります。これが病気の原因です。今は物が豊富にあるのに、どうして栄養とか、カロリーとか、ミネラルとかというのは全部エネルギーの高いものという意味です。
その他には何もありません。それを霊気が高いといい生命力が強いという意味です。生命力と霊力は同じです。それを霊的力といいます。それが神の力です。
神は力であり、無限者であり、普遍者である
ですから、神は力なりけりになります。宇宙エネルギーそのものが神だと、判断できるわけです。
その宇宙エネルギーが全ての物を作り、その宇宙エネルギーが全ての中に生きていますから、神が一切のものを創り、神が一切の中にいるのです。
ですから宇宙エネルギーがあそこにある、ここにあるというものではありません。神がここにいる、あそこにいるという存在ではありません。
宇宙エネルギーそのものが神そのものです。宇宙エネルギーが全ての創り主ですし、全ての存在です。
神が無限者であり、普遍者である意味がハッキリ判りましたか、その宇宙エネルギーは如何なる者の制限も制約も受けない、祭られることも無い。
その神が人間の手で祭られる事がありますか。とんでもないママゴト遊びをしていることが判りましょう。
ですから神は宇宙科学だといえましょう。。科学そのものが電気化学だといえます。
その電気状態にはプラス・マイナスであり、陰陽の法則であり、陰陽を多く含んだ物を影石と呼び、陽性を多く含んでいるのを陽石と、これを男の石と女の石ともいいます。
植物にしても雄しべと雌しべとがあります。動物にも雄と雌があります。そういう物で宇宙は全部全て電気状態だと言えます。
神は光なり、電気は光です。神は光なりき、そのプラス・マイナスのエネルギーが光となります。この電気は神の具現だともいえます。神の現れです。
ある程度の現象化されたもので、なるほど神は光なのだと判りましょう。
そしてこれがモーターとなって、力となって動きますとどんな大きな物でも、
動かすわけですから、なるほど神は力なりきと、力は神なりき、そしてエネルギーと同時に光であると判りましょう。
神が何故力なのか、神が何故光なのかという意味も、そのプラス・マイナスの電気で証明されています。ですから今までの人々が言っているような神様はどこにも存在しません。
空想の神様はいないのです。現実の私達の日常生活の一分一秒の中で我々は神と共に生き、神は我々の中に生きているという意味です。
我々は宇宙エネルギーの中におり、宇宙エネルギーは我々の中にいるのですから、神は我が中にましますとなります。
即ち私達は宇宙エネルギーの中に今おるのであって、宇宙エネルギーは我々の中におるわけですから人は神の中におるといえます。
即ち私達は宇宙エネルギーの宮であるとう意味で、宇宙エネルギーの住み家であるとなります。
この肉体は宇宙エネルギーによって創られた宇宙エネルギーの住み家ですから、宇宙エネルギーがなければ、
宇宙生命がなければ、宇宙霊がなければ私は創られもしませんんし、ここににも存在していません。
であるが故に神は存在の本源です。
肉体を持つ人間の本性・本質は神だということが判りましょう。ですからイエス様は「全ては神」と言われました。神によらないでものは存在しません。
宇宙エネルギーが一切のものを造り、宇宙エネルギーが一切の中に住んでいます。
表(結果) 裏(原因)一体の法則
私達は今、日常問題でエネルギーの追求が、真理の追求だと思います。エネルギーの追求は神の追求だと思います。そのエネルギーが存在の源ですから、エネルギーを汚すものは紙を汚す者だと言いたいのです。
人間には裏切り者という言葉があるように必ずウラとオモテがあります。内側の我の事、を即ちエネルギーの我の事を裏と言い、外側の見える表面現象界を表と言います。
見える我と見えない我とがありますが、裏がないような、表だけで生きている人間を、裏切り者と言います。
裏を切っていますから、エネルギーを考えたことがない、肉体のことしか考えない現象のことだけ考える。
裏がないわけです。物には必ず裏表があります。着物であろうが何であろうが、裏表があります。木の葉でも裏表があります。
しかし人間はどこで生きているかといえば、表沙汰ばかりをやりまして、裏を断ち切っているようなものです。
ですから自我人間は一人ひとり、皆、裏切り者です。何を裏切っているかといえば、神を裏切っています。
結果が原因を裏切っているからです。どんな芝居でも裏方さんがいなければ表方さんは何も出来ません。
ですから、あなた方は正しい台詞も言えないし、正しい芝居も出来ません。正しい振る舞いが出来ないわけです。正しい生活ができない、正しく語ることが出来ません。
ですから正しい裏方さんがいなかったならば、芝居は成り立ちません。監督さんの付いていないような利己的、利己的な台詞しか言えないようなものだと言いたいのです。
そのように病気とは、裏方さんと表方さんとが一つになった時を、元と結果のバランスがとれた時といい健康になるのです。ほんとうに裏表を見なければなりません。
裏があって表があるのです。表あって裏なのでしょうか。裏は原因でして表は結果です。
この裏表の法則を原因・結果の法則といいます。見えるものだけで物は存在していません。
見えないものがエネルギーとなって、見えるものは見えないエネルギーの結果ですから、私達は結果だけを見て原因を見失っているのは、神を見失っている事になります。
神を見失ったとはどういう意味でしょうか。皆さん方は下忍から出て来たのです。この肉体は原因から出て来た原因の結果です。
神から出て来た者でありながら、私達は自分がどここから出て来たのかと言い、出て来たところが分かりません。
万物は神のエネルギーの顕現
皆さんは何から出て来たかといえば、原因のエネルギーから出てきました。即ち神から出たものです。裏方さんが神様です。しかし、表に生きています。その裏方の方を内といい外の方を表といいます。
内なる我と外なる我という事で、内なる我とは原因で外なる我は結果となります。内にそのエネルギーを秘めてなければ結果という肉体存在は出来ません。エネルギーが形を支えているからです。
そのエネルギー問題を皆さんが真剣に考えることは真理を追求していることになります。
この世に神を宿していないものは一物としてありません。全ては神の結果だと私が言うのは、その意味です。神はここにいる、とか、神はあそこにいると神はそんな存在だと思いますか。
神様を金ピカに祭って、そこに果物や蜜柑やらを食べもしないものをそこに祭りますが、神である、エネルギーが果物や密柑を食べますか。
エネルギーそんものが果物を作っているのですから、果物を神様が食べるはずがありません。エネルギーがエネルギーを食べた例しはありません。その形体を持った我々がその形体の保持のために、結果の保持のために、形が持っているその中にあるエネルギーを戴くのです。
例えばバナナを例に取りまして、このバナナを食べるのが、エネルギーを食べるのかを考えて下さい。誰もエネルギーを戴いたと思っている人や、またそういう人はいないと思います。
このバナナ美味しかったという人はいますが、本当はこのエネルギーは美味しかったというのを、正しく語ったと言えるのです。
あのバナナの生命力の強いおかげで丈夫になったというのは正しく語ったことになりますが、このバナナのことを美味しいといえば、結果を食べたことになり、形を見て戴いたのであって中身を食べていません。
肉をまとうた神とは何か
私は形の中に含んでいるエネルギーを見ます。それを内観といいます。皆さんは外でものを見ますが、私は内で見ます。原因の次元でものを見ることと、結果の次元でものを見ることと、どちらが正しくものを見ていますか。
人間は何の結果ですか、エネルギーの結果です。人間の本質は何ですか、エネルギーです。そのエネルギーが神ですから、形を見れば人間、内側を見れば神です。
ですから人間は人間の姿・形をとった神です。ですから皆さん方は海神様・山神様というのです。エネルギーの結果が山という姿・形をとって山神様・山の霊と言っています。
この世の中に神を宿していない物は、一物も存在していません。神が一切のものを創り主である事が判ると思います。
そのエネルギーが一切のものを創り一切のものの中にいるのです。
ですから神は万物の親といえます。この意味が判れば「この世の者、何者も父と呼んではならない」と、神こそ我々の父であると、宇宙エネルギーそのものが我々の生みの親であると思うのです。
貴方の親は誰ですかと尋ねますと、少し前に死にましたといいます。神様が死ぬことはありません。宇宙エネルギーが死ぬはずがありません。
この宇宙エネルギーそのものを、大霊とか、大生命とか、無限生命といい、その無限生命は無限エネルギーを意味しています。宇宙生命とは宇宙エネルギーの事を話しているのです。
ですから神は大宇宙だと言われています。その宇宙エネルギーの中に、全ての惑星も、星々も、我々も全て、そこに存在しているのです。
そして、宇宙エネルギーが、全てに浸透しています。ですから創られたものと、創り主とは一体であるという意味が判りましょう。この肉体は宇宙エネルギーによって創られたものです。
その中に創り主であるエネルギーが浸透してるのですから。創られたものと創り主とは一体であるといえます。
ですから「私と天の父とは一体である」と言われました。
イエスが言われた天の父とは、宇宙エネルギーの事を天の父と呼ばれたのです。偉大なる天の父と言われたのです。私達も今、現に宇宙エネルギーの表現体です。
しかし、そうではないと、自分は人間だといいます。人間だといいますが人間が何なのか判らない。
「イャー私は神ではない人間です」と誰でも言いますが、人間とは何かと言われたら、人間と言っている人間が判らないのです。
人間とはエネルギーの結果だと思えばいいのです。即ち神の結果です。神の化身です。ある有名な名言に人間とは肉をまとうた神」と言いました。人間の姿・形をとった神と言ったのです。エネルギーといえるのです。
そのエネルギーは何かといえば電気です。その電気のトランス状態が低くなり悪くなりますと、胃が悪いとか、こっちが悪いとかで、何時も苦しむわけです。
私達がエネルギーを高めていきますと、元気になってきます。ですから出来るだけエネルギーを高める事です。
天啓を受けるには
神によらないでこの世に何かものが生まれてきますか。人間は神の子ですか。エネルギーの子です。
即ち神の子であり、霊の子です。霊から生まれた者なのです。エネルギーから生まれた者なのです。
神から生まれた者だから、「神は我々の父」「万物の父」「宇宙創造神」と言われているのです。私の親と皆さんの親と違うのでしょうか。
何の関係になりましょうか。兄弟姉妹の関係であり、同胞関係となります。
一体関係となるのです。何と素晴らしい教えでしょうか。
それを私、知花の意識が高揚せしめることによって容易にどこからでもキャッチすることが出来るのです。
皆さん方の意識も我は肉ではなく、「我は血や肉に属するものに非ず」と、「我は霊なり生命なり」と、貴方の意識を拡大し高揚せしめることによって、その偉大なるものの真理が神から啓示されます。これを天啓といいます。即ちインスピレーションを言います。
人間は誰でも霊懸りなり
今、私に何々の霊が懸っている、何々の尊といって芝居をやっている者もいます。今はお釈迦様が懸っているといいますが、そのようなものではありません。あなた方全ての方々は霊障です。
霊懸りとしています。病気でも全ては霊障です。霊懸りです。その霊が低下した状態を病気といいます。
皆さん誰でも霊が懸っているのです。懸っていない人は一人もいません。霊懸りです。霊が懸からない者は生きていません。その霊が宇宙エネルギーであること。宇宙エネルギーそのものであることを忘れています。
病気にならないためには、心の調和が必要
その霊的力を色々の言葉に躓いて、幽霊だ、水子の霊だ、ご先祖の霊だ、悪霊だといっているのは可笑しな話です。宇宙には、ただ唯一の神霊が存在するだけです。
存在の本源です。ですから病はエネルギーの低下です。私達の生活での肉体保持は食べている食物や飲んでいる水。着けている拭く。色々なものは皆、霊感系と一体関係ですから、それをよく気をつけて守って貰いまして、そして心の調和です。
短気を起こすと損気になると、短気を起こすと一つの病気の原因になるのです。
人を憎むとギューっとなって、その時もエネルギーを損していますから、すぐに許してあえて愛してあげれば、エネルギー破損しませんから、病気にならないのだなとお判りになりましょう。
健康にはなりたいけれどもエネルギーは、勝手に消耗すると思っているのは間違いです。夫婦喧嘩をして、”やけ食い”という言葉がありますが、いくら食べてもエネルギーをどんどん消耗しているので 栄養にならず肥りません。
色々な精神的悩みや苦しみで、エネルギーを消耗するのです。心配事・不安事がありますとそれだけでは身体に付いてきません。
また、のん気な人で食べることも食べてエネルギーも使わなかったならば、ぶくぶく肥ってしまいます。
病気の原因は食生活と心の問題から起こる
例えば”気”という字を集めて考えて下さい。皆さんお客さんが帰られる時に、気を付けてお借り下さいといいますね。またお元気でね、とい言います。
この気というのは全てをいいます。病は気からともいい病はエネルギーからだといいます。病気とは気を病んでいるです。
私達はどのようにして気を高めるかということは、エネルギーを高める事です。エネルギーが高くなれば健康になります。その気が落ちt状態を気落ちしたと言います。
気が散っているとか、気が狂っているとか気違いとか、精神病の場合を言います。何時も気が浮わついて浮き浮きしている状態を浮わ気と言います。
その反対に気高い人とはエネルギーの高い人をいい、来高い人は決して病気になりません。気落ちした者に、落胆とか、絶望とか、不安とか、恐怖は全部がエネルギーを落とす原因となり、これらは精神的なものです。
ですから私達の病気の原因は食生活と精神的な問題から起こるのです。
精神的な問題でエネルギーを落とすとか、食べ物でエネルギーを落とすかの二つのエネルギーの消耗があるということを知って戴きたいのです。
人間が人間をやっていると思っている人の世界にはやがて終わりがきます。
神が人間をやっている事に気づいた人から、フリーエネルギーが扱えるようになります。
正しい動機にエネルギーが正比例するので、
金儲けの考えだとフリーエネルギー装置は実現しない事になっているのです。
------知花敏彦
アトランティス先史文明からの超高度遺産を受け継ぐ者は、何と日本から生まれてきた。
ピラミッドの秘密は現代科学に縛られない頭脳で初めて分かる
人類は21世紀に入って、地球と人類の未来を現実のものとする知恵を今こそ必要としています。
人類の歴史では、ムー大陸やアトランティス大陸の文明が伝えられています。
アトランティス文明は現在文明よりも高度な文明が発達したと言われています。車はアンテナで走り、飛行機には翼がなかったと。
「エメラルドタブレット」という文献が発刊されています。アトランティス大陸が沈没した後、とーとという人物が古代エジプトをアトランティスの植民地の一つとしました。
ギザの大ピラミッドを建設し、その内部にムー大陸、アトランティス大陸と引き継がれてきた人類の英知を残した。
「エメラルドタブレット」にはそう記述されています。アトランティス時代までの人類の英知を残すために、トートはカイロのピラミッドの地下室にその全記録を貯蔵したのです。
知花敏彦氏(1941~2009)と日本人一行でロサンゼルス市のエンバシースイートホテルに滞在した折、エジプト関連の話題となりました。その時に、知花氏は「私のことが書かれている本があります」という話をされました。
それがこの「エメラルドタブレット」だったのです。
その夜ホテルは、知花氏の公演の会場となっていたのですが、その会議室の壁には、一面ギザのピラミッドやエジプトの文様が描かれていました。
知花氏は、「今日このエジプト文様の会議室でミーティングすることになったのは、偶然に起きたことではなく、必然です」と述べました。
知花敏彦氏は過去生で、覚者となり、人間を卒業した後、天上界から、「あなたのこれからの使命は、自分で決めてもいいのです」と言われました。
そこで知花氏は、「人類の指導の仕事をします」と決心したのです。
「エメラルドタブレット」の著者トートは、知花氏の過去生でした。人類指導のために天上界から派遣された人物だったのです。
そして、今生その人物は知花敏彦という名前の人物となって、天上界から、地上界に人類指導のために降り立ったのです。この際、地上界には12人の指導者が派遣されましたが、知花氏はその12人のリーダーとして派遣されたのです。
トートはギザのピラミッドを建設し、その内部に古代からの知恵を全て残していました。かのモーゼもピラミッドの神官から、多くのことを学んでいます。天上界と地上界の関係や自然界の真理を学んでいるのです。
ノアの洪水の跡は世界各地に残され、ノアの箱舟伝説も世界各地に残されています。このノアの方舟とはUFOの事です。
アトランティス大陸が沈没したのは今から26000年前です。その時UFOにより助けられた人は人類全体の3分の1でした。
UFOは地球の天変地異が収まるまで、人類を乗せて安全な上空の場所で待機していました。ノアの方舟伝説では、水が引いいてから地球の各地へ人々を降ろしたのです。
高度の文明を築いていたアトランティス人でしたが、降ろされた場所は、自然の原生林であり、一挙に原子生活へと戻されてしまいました。そうした人々は巨石文明を残し、岩にアトランティス文字を刻みました。
そうした中でアトランティスの「精神文明の指導者」が降ろされた場所がここ日本でした。
当時、台湾-沖縄-九州-朝鮮半島南部-内地は陸続きでした。
沖縄人とアイヌがアトランティス人です。
アトランティス文字が世界で一番一番残ったのが日本で、それが古代神代文字です。世界中の巨石に刻まれたペドロブラフは古代神代文字で解読する事が出来ます。
米国のボストン郊外にストーンヘンジ公園があり、そこではペドログラフの事をOGAMU文字と紹介しています。
OGAMUは「拝む」です。
知花敏彦氏の仲間で、天上界からの様々なメッセージを受けて、人々に情報発信を行っている人物に、助安由吉氏がいます。
助安氏はピラミッドについて次のようなメッセージを発信しています。
アトランティス大陸の沈没を早くから知っている人達がいた。
その人達は次の危機に備えてあらゆるアトランティスの技術や文化を残そうと考えた。
そしてそれを実行した。
まず地球のエネルギースポットを探し当てた。
エジプトのギザの地に決めた。
そこに今までの技術の粋を集めて大ピラミッドを建設した。
反重力方式によって沢山の石を運び、積み上げた。
それらは宇宙と地球に関するあらゆるデータが組み込まれている。
必要な時代が来るまで、保存できる事を考えて綿密な計算の上に建てられた。
さらにアトランティスの文明の技術やその他の重要な資料も埋蔵したのである。
必要な時代に、必要な人が表れ、その秘密を解き明かし、地球の危機に何らかの参考になることを願ってアトランティス人は実行した。
今世紀末こそ地球危機の時である。
今こそピラミッドの秘密を明かす時が来た。
一万年前の資料が、これから数年の内に明かされるだろう。
必要な時代だから必ず必要な人が現れる
必ず現れる
そして大ピラミッドの謎は明かされる
1991年10月22日
グラハム・ハンコック氏は「神々の指紋」を著しました。
この書は、歴史上に残る三人の神々、つまりボリビアの太陽の門の文化を進めたピラコチャ神、メキシコの古代文明を教えたたケッツァルコアトル神、そしてエジプトのトート神の活躍を記述した文献です。
この三人の偉大な指導者は、いずれも知花敏彦氏の過去生であり、実在の人物だったのです。
知花敏彦氏には8人の指導霊が存在し、様々な指導を受けています。
指導霊は各専門分野が異なり、科学や医学や精神世界の真理などを分担しています。
科学を担当する人は、キリスト教を広めた最大の功労者のパウロで、800年前に覚者となられ、科学技術を指導される大師方のお一人です。
ヒラリオン大師とお呼びします。ヒラリオン大師は、知花敏彦氏が地上でその氏名を果たせるように、様々な支援や指導をする役割を担っておられます。
知花敏彦氏が沖縄で人々の指導を開始して、しばらく経つと、ある日、ヒラリオン大師から「エジプトのピラミッドへ行きなさい」と言われました。
3人の仲間とピラミッドの横を歩いていると、観光で入る入口と反対側にある入り口を発見しました。人々には分かりません。ただの岩が積まれたようにしか見えません。
知花氏のみが神眼で見る事が出来たので、ピラミッドの入り口がわかり、ひとりだけうちに入る事を許されたのです。ピラミッドには秘密の地下室があります。
その中には全ての科学技術が実際にあり、様々なエネルギー装置も稼働しています。
モーセの杖やノアの方舟、旧約聖書と新釈聖書の原本も保管されています。それは板と岩に刻まれています。
聖書の内容は、今日残されている内容と相当の開きがあります。斟酌聖書は今まで13回も書き換えられています。正確に残されているのは35パーセント程度と言われています。
ヘブライ語からギリシャ語、さらに英語に書き換えられた時、人間の知識によって書き換えられ、真理が伝わらなかったのです。釈迦もイエスも書き物を残していません。宇宙の無限の真理は、言葉に表現する事が出来ないからです。
仏教もキリスト教も弟子達が書き残したものです。悟りに達した覚者は、文字や言葉で無限の宇宙の法則を表現する事が難しいので文字には残しませんでした。
まだ悟っていない弟子たちが、人間の常識で仏典や聖書を残しました。
知花敏彦氏の説く話は聖書の原書に書かれている内容そのものです。
釈迦もイエスも宇宙の永遠の真理、宇宙の法則を説いたのですが、弟子たちが正しくその内容を理解できずに仏典や聖書の記載文章を残しました。
2人の指導者は宇宙の法則、即ち宇宙の科学を説いたのですが、弟子たちにより間違った記録が残され、宗教となってしまったのです。
釈迦もイエスも宇宙の真理を説いたのです。
真理や法則は見えない世界です。見えないものが原因で、見えるものは結果です。
見えるものは見えないものから出来ている、法則が働いていることを、現代人はよく理解していません。
ピラミッドの地下の石組みや秘密の地下深くにある地下室に今まで入った人は、モーセとイエス、それに知花敏彦氏の3人だけです。
知花敏彦氏はピラミッドの内部に入る際に、カメラや筆記用具は全部持って入ることを禁止され、内部柄二週間過ごしましたが、その間水1Lのみを与えられました。
そして人類に必要な宇宙科学の真理や技術のすべてを見て、確信して戻りました。
そこで学んだ知恵は本にすると12冊にも及ぶ量です。
しかし天上界の指導者からは、まだ人類に喋ってはならない、もし喋ると、下を抜かれると言われておりました。天上界の許可がないとまだ人類に明かしてはならないのです。
何故明かせないのか、それは人により正しく使う人と、悪に使う人がいるからです。悪に使うと世界を破壊させる事が出来るのです。
人々がこの法則を正しく使う時が来るまでピラミッドの秘密として残されているのです。
ピラミッドの秘密は「いつになったら明かされるのですか?」と知花氏に質問しましたら、「それは私が明かす時までです」と。
知花氏がオープンにして人々に語った事を、
これから明かしてゆきます。
病気治療はエネルギー治療
気を高める事によって治病する
皆さん方にはぜひとも陽気で、ハツラツとした気を持って、来高い生活をして、気落ちしない様に気を常に高めて下さい。
それが病気治療といいまして、エネルギーは高い所から低い所にながれますが病気治療とは皆なエネルギー治療です。
エネルギーでもってすべての病気が治ります。エネルギー治療ではないものはありません。
色々の治療法が在るといいますが、食事療法だとか、薬品療法だとか、理化学療法だとかいうものも、全部がエネルギー療法です。
何療法だという言葉につまずいてしまいます。病院でも何の治療を受けていますか、エネルギー療法です。そこで栄養の高いバランスのとれた物を食べて休養して、エネルギーを使わず寝ておれば、エネルギーを使いませんので蓄えられて元気になります。
規則正しい睡眠と早寝・早起きが健康の元。疲れた時には横になるのがよい。
皆さん方は少々疲れたなと思ったならば本能的に横になりませんか、無駄なエネルギーを消耗させないために、十分か十五分横になれば元気になります。
その分疲れた分だけ本能的にエネルギーを使わないからエネルギーの消耗が止まる。それが元気のもとになり元気になるのです。
何故、昼と夜があるかといえば、昼のうちに働いて消耗したエネルギーを、充電するために夜があるのです。寝ている間に心配する人はいません。
精神的にも、肉体的にも、エネルギーが消耗しないでおyるはエネルギーの蓄えですから、朝になるとハツラツとするのです。
寝ても物事を考えて寝付かれない人は、不眠症になって、夜も完全に休んでおりませんので、朝起きても頭がスッキリしない、頭が重たくて仕方がないという状態で、考え事に精神的なエネルギーを沢山消耗した故に、朝は起きにくいのです。
全てはエネルギーです。寝ることの大切さとはエネルギーを使わないから大切です。寝ている時にお金を心配している人がいますか、何のエネルギーも使いませんから健康のためには八時間寝なさいという事です。
規則正しい睡眠といい、早寝・早起きで健康になりますよと、昔の人が言っています。
テレビはエネルギーを吸い取る吸血鬼
目から出るエネルギーで物の映像をチャッチして、身体に伝えるのは物凄い疲労で、見たものの映像の伝達した後の目の疲れより、身体の疲労の方が大きいのです。
ですからテレビの見過ぎは大変なエネルギーの消耗です。それがあなた方の病気の原因になっています。
今、この世の中で目が悪いひとが多いのは、目のエネルギーの使いすぎが原因です。目で見るエネルギーは、皆な身体に負担となります。目のエネルギーの消耗が身体の消耗となります。
明日、仕事のある人は出来るだけテレビを避けて下さい。必要な分だけ見るという意味です。テレビ番組を一生懸命見ている人がいますが、それより早く身体を休めてエネルギーを蓄える事が大切だと思います。
健康になる秘訣としては、病気状態であって疲れやすい人は、多く睡眠とをって下さい。そっして日常生活で出来るだけ、農薬の無い食べ物を取ることです。そうすれば健康が取り戻せます。
私達は全て宇宙電気のお陰で存在している
宇宙の自然エネルギーをたっぷりと、太陽エネルギーで貰うわけですから、太陽エネルギーで今在は車も百キロものスピードを出せますから、自然電気を利用しましょう。
そのような状態で私達の日常生活は電気の中で生き、電気の作用で持って全てが存在しています。髪の毛一本も皆な電気作用です。科学です。 ですから神は宇宙科学であるのです。
もう一つおまけで、服は太陽熱で干します。
ですから物を干す時は太陽に直接当てた方が大変なエネルギーを持つことになります。
電気乾燥機で干すのとは大変な違いです。
ですから今、人間が自分を少しでも楽をしようと怠けて、自分が病気になる原因を見ようとしないからです。
なにが原因でこういう病気になったのかと見ないからです。
ですから洗濯物は出来るだけ乾燥機を使わず、出来るだけ天日乾燥をする。それが病気から我々を守る、健康の一つの秘訣です。
「人間と神は一体である」
これが判れば、神(天)の国に帰れる
今までの宗教でいっている天上界に帰る、仏の国に帰るというのではなく、エネルギーの世界に帰る事を天国に帰るといいます。
自分がエネルギーから出て来た者だと、知った者のみがそのエネルギーの世界へ帰れるのであって、自分は物質の世界に生きて、物質その者だと思っている者は永遠に、その世界に帰る事は、出来ません。天に帰る事はありません。
今、天におらない者は、死んでも天におりません。それはどういう意味かといいますと、今、自分がエネルギーの中にいることを知っている者のみが、エネルギーの中に帰る事が出来るのです。
今、自分が人間だと思っている者は人間ですからエネルギーではないと思っているわけですから、エネルギーの世界には帰れません。
今、我々は神でありながら、神では無いと思っている者は、何時まで経っても神に帰れません。今、神の中におる者のみが神に帰ります。皆さんは今、神の中におるのですか、外側ですか、神の外側がありますか、ありません。
神の中におりながら神の中にいないと思っている者が、どうして神の中に入れましょうか。初めから皆さんは、神の中にいたのです。今もいます。未来永劫にいます。
それをこの宗教に入らなければといいます。それが今の宗教です。偽物の指導者です。なぜならば今、神の中にいるからです。
皆さんは今、神の中にいて神は皆さんの中にいます。人と神は一体です。人は神の中にいて神は人の中にいるのです。それを人と神は別だという宗教家は皆な嘘つきです。偽物です。金儲けの詐欺師に過ぎません。
彼らのような盲目の指導者に振り回されたり地獄獣に追い回されます。そういう地獄獣とは迷いの世界の事を意味しているのです。神理を知らない状態を地獄と言います。
バランスの取れた食生活と心のバランスを取ることが、誰でも健康になる秘訣
皆さん方には神理に対して、神に対しての理解力を高めて戴きたいと思います。そして肉体の健康を同時にはかることは、日常生活を改めて見直す事が大切です。
環境を保全することが、私達の健康を保持する因です。環境を破壊しながら、健康になりたいと言うのは虫が良すぎると、わがままであると言いたいのです。
皆さん方の家庭内で出来るだけエネルギーを低くしないように、低くするような科学水を作り出す科学洗剤を使わないように出来るだけ放棄して、
自然の物を取り入れて不自然なものは家庭内に入れないことが、その家庭内のエネルギーを低くしないという意味です。
エネルギーの低い家庭では病人が続出します。ですから不自然か、自然かを考え、化学物質を極力入れないようにすれば、私達は身も心も健やかな日常生活が出来るわけです。
病気とは何かといえば、エネルギーの低下であり、病気を治すにはエネルギーを高める事です。
エネルギーを高めるにはバラスの取れた食生活と、私達の心のバランスを取る、この二通りを守って頂ければ、どなたでも健康になります。
ぜひ皆様方、そ言う言う家庭環境を造って戴かん事をお祈り致します。
神の国は汝の内にあり
仏の国は汝の内にあり
皆さん方は一側面を見るから肉体を感じるのであって、我々は両極の外側の局面の消極と内側の積極と、2つが重なり合っています。
そしてどこかに霊界があり神の世界があるという存在ではありません。
お釈迦様は、「今即天」と言われ、「今即実在」と言われました。
「神の国は汝の内にあり、仏の国は汝の内にあり」と。
「内なる生命」、即ち我々は「内に生命」を秘めております。
内は原因で外は結果です。
原因と結果は離れ離れにすることは出来ない。
天と地は離れ離れには存在できません。
ですから「色」は即「空」、「空」は即「空」、
「色と空」は「表裏一体」で「1つの存在」です。
皆さん方は死後の世界に霊界があるという偽物の指導者に騙されてはなりません。今皆さんの中に霊界があります。
初めからあったのです。今もあるのです。
「未来永劫ある」のです。これを「久遠」といいます。
ですから皆さん方の肉体という形に終りがありましても、原因である生命は久遠です。常在です。生命の次元、霊の次元は久遠です。
これを常在といいまして肉の次元のことを無常界と呼んでいます。
お釈迦様は見える結果の世界は無常界といわれ「諸行無常」と言われました。形の世界は常に変化して止まない世界ですが、生命の世界では変化がない普遍、不動の自己、または普遍なる自己と言われています。皆さん方は天国がどこにあるか判らないのですが「天国は我が内にある」のです。
神の国は我が内にありまして死後の世界が、どこかに神の国が存在するものではありません。距離があるものではありません。皆さんの中に今の今、神の国があります。これを実在界と言っています。
原因の世界です。そのことを「天国は汝の手よりも足よりも近し」とイエスが言われたのです。人間一人一人は「生ける神の宮なり」と、その神とは原因である生命、即ち原因なき原因と言われている大霊・大生命です。
ですから皆さん方は天をまだまだ理解しておりませんので、天が遥か彼方のどこかに死後の世界にあるのだと思ったら大間違いです。
天は今の今、皆さんの内にあります。今即天は我が内にありです。ですから皆さん方は天を知らないで点に帰す事が不可能です。霊界と物質界とは別々に存在していると思いますか、一体となって存在していると思いますか、皆さん方は霊界と物質界とは、別々だと分離感を持っておられます。
宇宙には唯一の生命しかない。私の生命、あなたの生命というものはない
霊界と物質界とは分離できません。原因と結果は分離できません。皆さんの命と肉体は分離して存在していますか、分離していません。それと同じ意味です。命は我が内にありです。
その生命を皆さん方はまだまだ理解していません。
命には小さな命はありません。「無限生命」といいまして、
「大生命」といいまして、「大生命」ですから大きな生命であり、
「無限の生命」でして、その生命には区切りがありません。
それを「宇宙生命」といいます。
ですから皆さん方の個人や独自の生命はありません。
「全一・唯一・不二の生命」といいまして
「全体」は全て「ひとつの生命」に基いて存在しています。
これを「唯一の生命」と言いまして、
「唯一の神」、「唯一の霊」と呼んでいるのです。
これを「唯一神」といいます。ですから、「神」を「ひとつ様」
というのは「天」には「命」は「ひとつ」しかないからです。
「天命」と言いまして、皆さん方の独自の個人・個人の命は存在しないのです。
「全一」というのは、「全体が1つの生命」であるとは、今、五十数億人の人間がいましても「宇宙には唯一つの命」しか存在しません。
「原因」は「唯一」つでして、結果は様々になっていますが、
原因の次元には様々な命があるのではありません。
私の、「内側」を見れば「大いなる一体」という、
「大我」、「全我」という我があるだけです。
「生命」は「全体」ですので「生命の我」のことを「全我」と呼びます。
「全て」は「我」という意味です。
「全我」、あるいは「生命」は大きいものですから、
「大我」と呼びます。「大きい我」です。
内側を見れば単数ですが、外側を見れば複数です。あなた方は外の結果を見るが故に複数を感じて、分離感を感じて、自分がおり他人がおると思っていますが、生命の世界には自分の他には何もありません。
これが「全一体感」とか「自他一体」と言います。
ここに、木の葉が沢山ありますが、形も違い、それぞれの場所も環境皆な違いますが、「生命」から見れば「皆な」「同一の生命」です。
形から見れば居る場所も環境も皆な違いますが、
「生命」は「唯一」それを「生命の木」
「天より下るパン」と言われているのです。
「生命のパン」と言いまして、「生命のパンを食する」とは
「生命を理解する」という意味です。
「宇宙」には「唯一つ」の、「唯一の生命」が様々な形をとって、
その「形の中」に「唯一の生命」が宿っているのです。
あなたの生命、私の生命という生命は存在しません。
全我とは
「私の生命」は即「皆さんの生命」であり、
「皆さんの生命」は、即「私の生命」です。
この木の葉一枚からすればこの「木の葉の全体の生命」は
「自分の生命」です。「自分の生命」は「全体の生命」です。
あなたも外側を見れば個人に見えますが、
内側から見えれば生命とは、他人は存在しないのです。
これを「自他一体」といい、他人がないと、自分と他人とは
「生命の次元」では「一体」です。自分と他人が無いが故に
「全体は我」ですから、「全我」といいます。
大我とは
皆さんの生命は、小さな個人の独自の生命ではありません。
内には「大生命」しかありませんので、
「生命の我」のことを「大我」と呼ぶのです。
これを「宇宙我」とも呼びます。
宇宙生命ですから、皆さんの内を見た時は大きなものです。外側を見れば小さなものですが、内側の我のことを大我と呼び、外側の我の事を小我と呼びます。
その小我と大我はどういう関係かといいますと一体関係です。
小我は大我に留まり、大我は小我の中に留まっているのです。
即ち「大我次元」のことを、「全我次元」のことを「天国」と呼びます。
生命の世界では全体が1つであり
自分を愛するように他人も愛するようになる
その生命の世界では全体が1つですから、争いがありません。
生命の次元には争いがない。ですから生命を愛と呼ぶのです。
何故、生命の次元には争いが無いかといいますと、生命は1つしかありませんので、分離しておりませんので、
生命の次元から見れば全体は自分ですから、自分を愛するように、人々を愛するようになります。
ですから実在という生命の世界では一切争いがありません。
何故ならば闘う相手がいないからです。
この木の葉の一枚からすれば全体は誰ですか、自分です。
この木の葉の生命と別の、木の葉の生命とは別々ですか、
同一ですか、同じものですか、分離していますか、
「1つ」です。「原因は一つ」です。「源は一つ」なのです。
皆さん方は命は幾つもあると思っていることが、大きな誤りです。
「生命」には「宇宙ただ一つ」しかありません。
「一つ様」しかいません。
それが「神の命」です。ですから「神の命」は
即「我が命」であり、「我が命」は即「神の命」です。
皆さんも同じです。
ですから神は皆さんの中にいて、
「命」そのものが「神」ですから「神は我が内」にまします。
初めなき終わり無き自分とは
ちょうどここに氷がありますが、この氷は水蒸気によって造られた水蒸気の住み家です。水蒸気が無ければ氷は存在しません。私達も生命がなければ肉体は存在しません。
この肉体という氷は姿と形はなくなりましても、水蒸気は永遠ですから無くなることはありません。
氷が溶けて姿と形が無くなったならば、水蒸気は無くなりますか、無くなりません。永遠にあります。
皆さん方の肉体が溶けて、形と姿が無くなりましても、皆さんの生命は無くなりません。不滅の生命・不滅の霊ですから、原因の世界には初めが無い、終わりが無いのです。
それをは初め無き終わりなき自分、即ち永遠なる自分、永遠なる生命、久遠の生命というのです。この真理を皆さん方はよく理解する事が大切です。
私達は正しくものを見ていないから争う
これが神だあれが神だと、皆さんこの世の中で争っていますが、世の中に髪を宿していないものは一物とてありません。鉱物・植物・動物すべて同一の生命に基づいて存在しているのです。
結果を見れば様々ですが、「原因」を見れば「皆な一つ」です。
「全ては一つ」です。これを「全一体感」、皆さん方は「全ては一体」であることの意味を見なくてはなりませんが、皆さん方は全ては別々だと考えています。これを分離感といいます。
その分離感が争いの原因になっています。正しくものを見ていません。結果の次元という写しの次元で物を見ますれば複数を感じますが本来の我に帰って内側を見れば、全体が一つであるkとが見えます。
それを正しく見るというのですが、皆さん方はどうしても外型で物を見ますので、結果の次元でしかものを見ていませんので盲目です。真実を見るたるに非ずです。
全体は一つである、ことの意味
私は霊の次元でもを見ているのですが、皆さん方は結果の次元で、ものを見ているのですから皆さんのものの見方と、私のものの見方が違うのです。
私はこの世で憎めるものは一人もいません。
ですから誰とも争いません。憎みません。
何故ならば、もしこの知花が誰かの悪口を言ったり憎んだりしたならば、私は正しくものを見ていませんし、「全体が一つ」であると、生命の次元でものを見ていないからです。
結果の次元でものを見ている者のみが、盲目の次元の者のみが争うのです。目の開いている者は争いません。例えば、この木の葉が同じ木の葉の悪口を言ったら、誰の悪口を言った事になりますか。
結果から言ったら別々ですが原因は別々ですか、生命の次元では別々になっていますか、源である根源は一つです。ですからこちらの者がそちらの者の悪口を言うのは自分の悪口を言っている事になります。
あなた方は他人がいると思っていますが、それは外側でものを見るから他人がおるのであって原因の生命次元から見れば、他人がおりますか、この者からすればその者は誰ですか自分です。全体を愛する我、全体と仲良くする我です。
非常に素晴らしいことではありませんか、ですから自分を愛するように他人を愛するとはその意味でして、皆さん方はイエスが言われた「自分を愛するように人々を愛しなさい」と言われた事の意味が分かっていません。
皆さん方は自分もいるが他人もいると考えているのは正しくありません。本来、全ては我という意味です。真理の世界には他人はいません。
非真理という結果の写しの世界にのみ他人がおるのであって、内側から見ると他人は存在しません。全体は一つでです。
霊界とは原因の世界、物質界とは結果の世界
何故ならば一つの生命に基いて全てが存在しているからです。この木の葉は沢山の複数ですが、一つの生命に基いて存在しています。生命は存在の本源です。
その木の葉とは生命の結果でして、皆さんの肉体も生命の結果です。生命がなければ肉体という結果は存在しません。
では結果の自分と、原因の自分と、どちらが本当の自分なのでしょうか、本当のあなたは肉体的な存在ですか、
生命あるがゆえに肉体があるのですか、肉体があるがゆえに生命があるのですか、どちらが先でどちらが後ですか、皆さん方は生命あっての肉体です。
肉体あっての生命ではありません。木の葉というのは生命あるが故に木の葉があるのです。私達は生命あるが故に肉体があります。ですから肉体は結果です。
あくまでもこの木の葉という生命によって創られた生命の住み家だと思うのです。あなた方の肉体も生命によって創られた生命の住み家だと思うのです。
あなたの身体の隅々にまでも生命が浸透していると思います。この木の葉の隅々にまで、生命は浸透していると思います。
ですから皆さん方は自分を肉体といっていますが、肉体という本体はありません。何があるかといいますと生命体があるだけです。即ち霊体があるのです。
皆さん方は肉体が何なのか判らないのです。肉体が何なのか、肉体がどこから出て来たのか、判っていません。無知・盲目です。これを迷いといいます。
よく肉体というけれども、肉体は何なのかを説明できる医学者も科学者もいません。肉体がどこから生まれ、どういう存在になっているのかが判らないまま、無知の世界を去るのです。
即ち霊界とは原因の世界、物質界とは結果の世界です。
心が調和されていればいくほど中性に近く神に近い状態になります
皆さんの中にある電子核と陽子核を身ていただければ、「ああ、この人は愛が深いな、大分調和されているな」と、心が調和されていけばいくほどその人は中性に近い状態になります。即ち神に近い状態になります。
電子と陽子とが同じ数になった時は中性となりますから、完全となります。その時の中性は力がある状態です。力がないとはバランスの崩れた状態をいいますし、エネルギーがない状態をいいます。
宇宙のエネルギーは大バランスですから、陽子と電子のバランスのとれた状態を神の力というのです。愛の力といいます。愛に勝る力はないというのはこの意味を言います。
愛は力そのものです。皆さん方が愛深いものになればなるほど、皆さん方のエネルギーが高くなるわけです。不調和を起こせば起こすほど、皆さん方からのエネルギーが無くなるわけです。不調和にエネルギーを充電しますと不調和は無くなります。
なぜ、この世の中に病気が存在するかといいますと、不調和があるからです。愛そのものであれば病気であるはずがありません。エネルギーそのものや、力そのものですから、エネルギーが高くなりますと病気はなくなります。
ですから、皆さんの病気は誰が作っているかといえば、あなた自身ですよといえます。不調和を起こせば起こすほど我々の体からエネルギーが無くなります。
何故無くなるかと言いますと、プラスとマイナスの核が狂ってくるからです。不調和を起こせば格は正常な状態に戻るのでしょうか、どちらでしょうか、アン・バランスになります。アン・バランスになればなるほど、皆さんからエネルギーが無くなります。
調和すれば病気には絶対になりません。
いつも、人の悪口や、憎しみや、怒りに燃えている人は病気になります。常に誰も憎まず、怒らず、そしらず、愛に満たされていたなら、
皆さんは病気になると思いますか。愛から病気が出て来ますか。病気は不調和の結果ではありませんか。
ですから、不調和を起こしながら、健康でありたいと思ってもそれはとんでもない違った話です。不調和な人間である限り病気にならなければなりません。
この世から皆さん方の病気が無くなる時はすべてが愛になった時です。ですから、世の中から病気が無くなることはありません。病気はつきものです。それはなぜかといいますと皆さん方が不調和を起こすからです。
不調和がなくならない限りは、世の中から病気が無くなりません。不調和がなくならない限り、世の中からは病気はなくなりますか、無くなりません。
今の世の中は不調和な世界ですから病気が沢山あります。病気の数からいえば昔と今とは比べ物になりません。昔より今のほうが不調和な時代です。これを末法と言いますが、無法の時代といいます。物質主義になりますと不調和な時代になります。
物質文明が栄えれば栄えるほど、私達が不調和を起こしまして、世の中は病気が多くなりそれを皆さん方は文化病と呼んでいる訳です。文化が発達すればするほど、病気が出てくるわけです。それは不調和を起こすからです。
病気のない裸族を見た時、争いがないから病気がないことを知りました
皆さんは山にや言ったことがないから、お分かりいただけないと思いますが、南米の山の中に住んでいる、インディアンとか、インデューと言われる人種同士は絶対に争いません。夫婦でも争わないし、親子も争わないのです。
非常に面白いものでして、彼らには医療費も何もいらないのです。なぜならば、病気にならないからです。どうでしょうか、文化人と原始人とどちらが病気になりますか。文化が進めば進むほど、文化人は病気が出てまいります。
私のいた南米の山の中には、裸族でバルバルという人種がいまして、女も男も何も着ていません。何一つだって身につけないで生活をしている者達がおりますが、そこには殆ど病気はありません。
なぜ病気がないのだろうかと、私は不思議に思いましたが、争わないからだと分かったのです。お互いでの夫婦喧嘩を見たことがありませんし、友達と喧嘩するのも見たことがありません。
「ああ、調和されているから、病気がないのだ」と、分かったのです。
夫婦喧嘩や、親子喧嘩や、友達同士の喧嘩など憎しみ合いやら、怒り合いやら、そしりあいなど、不調和が出てくると、皆さん方のエネルギーは減るわけです。
それでいて、病気になったら、病気を治して下さいと、お医者さんに体を持って行きます。自分の不調和の結果が病気の原因であることを知りません。お医者さんだって人間が何故病気になるのかの原因を知っていません。
今のお医者さん自信が結果対処でして、原因対処ではありませんから、根っこを引き抜くのではなく、葉を摘み取っているだけです。
原因である音を取らずに結果の葉だけを摘みとっていますから、原因がそのままに残っています。不調和である原因を持っていますから、また、病気が出てくるわけです。
ですから、治しても治しても病気は減るものではありません。取っても、取っても減るものではありません。原因を取ったわけではありませんから、皆さんは病気にはなりたくないが、愛はしたくないというのは虫のいいところがあるわけです。
病気になりたくないならば、人を怒らず、そしらず(※悪口を言わない事)、嫉妬をせずに実行するのです。
愛は癒しの最大のエネルギーです
我々から憎しみや、怒りや、そしりや、嫉妬のような不調和な状態がなくなれば、病気も無くなります。ですから、愛は癒しのエネルギーと言われたのです。
愛に勝る薬が世の中にあると思いますか。愛は永遠の癒しではないでしょうか。皆さん方が永遠に癒やされるためには、愛の薬が必要です。
その愛という薬は精神的なものであり、肉体的なものでもあり、すべてを癒します。愛に勝る薬が世の中にありましょうか。愛以外にはありません。あなたを癒やしてくれるこの薬はこの世の中にありますか。
愛という薬ではありませんか。精神的な病気も治しますし、肉体的な病気も治しますし、経済的な病気も治します。金欠病も、精神病も、その他の色々のものを治してくれるのが愛というお薬です。
愛は唯一の救い主と言われたのは、愛に勝る力はないのが今ならお分かりいただけると思います。
皆さん方が愛ならば、金に不自由しませんし、精神的な苦しみがあるはずがありません。肉体的な苦しみがあるはずがありません。
愛そのものになったならば、皆さん方の一切の悩み苦しみから開放されます。それから開放された状態を皆さん方は、平安と呼ぶわけです。
皆さん方が愛にならない限り平安を体験することはありません。不調和の中に平安はありません。皆さん方が不調和を起こす限りは、不安です。
なぜ皆さん方に不安や恐怖があるかといいますと愛ではないからです。全てを愛さないからです。皆さん方が不調和を起こすから不安や恐怖は存在するのでして、皆さん方が愛一元で生きたとするならば、愛そのものになったならば、不安や恐怖は全部愛が取り除いてくれます。
ですから、愛は天と地の架け橋です。愛以外に皆さんを救うことはありません。愛したくないのに、救われたいというのは虫が良すぎます。皆さん方は不調和の中で幸せを見出すことが出来ますか。
不調和の中で毎日を生きていながら、憎しみや、怒りで生きていながら、幸せになりたいと願ってもその幸せが来ますか。ですから、おかしな話ではありませんか。これは幼稚な話ですし、無知な話です。
無知というのは不調和でありながら、幸せになりたいというのは、無知という意味ではないでしょうか。おかしいと私は思うのです。
人間が如何に魂的に幼稚であるかといえます。法則を知らないわけです。何が原因で苦しみがあるのか。何が原因であるのか。その原因を追求しないで、結果だけでに生きています。それを結果論とか、結果対処といいます。
病気になるのは非常識です
お医者さんも原因を知りません。皆さん方のこの世の病気は一つもげんいんが見出されていません。皆さんのかかる病気は、皆原因不明の病気です。何が原因で病気になっているか知っているお医者さんは世の中にはいません。
それは、この質量とエネルギーのバランスが崩れたからです。質量とプラスマイナスのバランスを崩さなければ、病気にはなりません。
私は生まれついてから一位共病気にあった事はありません。カゼ一つ引いたこともありません。お腹を壊した事もありません。どこも痛くありません。皆さんはどうして痛いのでしょうか。何故病気になるのでしょうか。
皆さん方は病気にならない事は不思議だと思っていますが、私から見れば、人間が病気になるのが奇跡だと思うのです。病気になることが奇跡病気にならないことが奇跡でしょうか。
病気になるのが非常識ですか。病気になるのは非常識です。
皆さん方が病気にならな無いためには、どうすればいいのでしょうか。苦しまないためにはどうすればいいかしらなければなりません。その苦しみの原因、病気の原因とは何か。それは隣人と争うからです。
隣人と争わなければ苦しみはなくなります。病気はなくなります。そして、不幸せな状態や、不安や、恐怖が全部取り除かれていくのです。それが唯一の助け船ですから、愛の剣と言われたのです。
皆さん方は皆、愛の剣を持たされています。その愛は、どんな悪魔でも、どんな悪であろうが、愛には勝てません。
病気になるのは非常識です
皆さん方が病気にならないいためには、どうすればいいのでしょうか。苦しまないためにはどうすればいいかしらなければなりません。その苦しみの原因、病気の原因とは何か。それは隣人と争うからです。
隣人と争わなければ苦しみはなくなります。病気はなくなります。そして、不幸せな状態や、不安や、恐怖が全部取り除かれていくのです。それが唯一の助け船ですから、愛の剣と言われたのです。
皆さん方は皆、愛の剣を持たされています。その愛は、どんな悪魔でも、どんな悪であろうが、愛には勝てません。
この前も変な電話がありました。「知花先生は今まで、我々を騙してきた。偽物だ、悪魔だ」と。
その人を私が憎んだと思いますか。悪だと言って突っ返したと思いますか。
「あなたは悪魔だ」と、突き返したと思いますか。
赦すのです。もしも、皆さん方にそのような電話がかかってきたなら、どうすると思いますか。怒り狂うのではありませんか。怒り狂っている自分を怒り狂っている思いで抑える事は不可能です。
私にはそのようなものがありませんから、何と言おうが、言論の自由ではないかと思っていますので、痛くも痒くもありません。言いたいから言っているのだろうとしか思っていません。
しかし、そういうことを言う者は苦しいだろうなと、愛おしく思うわけです。
そんなことで電話をかけてくるとは、相当に混乱していると思いますから、
「主よ、神よ、その者の上に光を与え給え」と祈りました。
それが「汝敵のために祈れ」と、いう意味です。
そうすることで私が傷ついた事になりません。
このように、私たちに苦しみが入ってくるもので私達の意志を侵して入ってくるものは一点もありません。それを防備することも、また入れることも自由です。
もしも、私がその者を憎んで、憎しみで返したとすれば、人から盛られた毒を食べたことになります。
私はそのような人から盛られた毒は食べませんので、痛くも痒くもありませんし、苦しみもないのです。その場で、赦しと愛で解決ができるのです。
そんな電話は十分後にはもう忘れていますから、誰が何と言ったかも思い出しもしません。
皆さんが誰から、何とか言われたら、もう「死ぬまで絶対に忘れない」と、いう人もいるのですが、それは損です。まだまだ幼稚だといえます。
悪で悪を解決した試しはありませんし、悪を克服した試しはありません。
悪は愛でもって対処しなさいといいます。悪は善でもって対処しなさいといいます。愛に勝る力はありませんので、どんなものでも解決できるのです。
赦しと愛があればいかなるものも解決できます。そのような日常生活を愛にて生きよと言いたいのです。もしも解決が出来ないならば、私達は本当の愛が欠けているのではないかと思います。
この事を皆さん方もよく知って頂きたいと思います。まだまだ、皆さん方には知らないことが多々あります。
その本源・本質と一体になりますと、皆さん方は全てを知り尽くすことになりますから、この世から学ぶことは一つもありません。
学びを外から求めても
真実なるものは一つもありません
皆さん方は今、学びを外に求めておられますが、外から学んだもので真実は一つもありません。外から学ぶものは皆結果です。原因ではありません。真実でもなければ、実在でもありません。
この世のものは真実であり、実在でしょうか。あなたがこの世の事柄をいくら学び知っていた所で、結果だけを知ったことになります。
この世の学問はそんなに価値のあるものではありません。この世の学問は一時的なものです。
消極的な学問といいまして、消える学問です。この世の学問が永遠であるならば、この世で今生、大学を出ましたら、来世は生まれてすぐに大学から世にでなければなりませんか、
この世のものは消える学問ですから、この世で今生、大学を出ましても、また、来世は幼稚園から始まるのです。
ですから、これを虚しい学問と言います。本物ではないからです。真実ではないからです。実在でもないからです。非真実を学んで、非真実に満足しています。
それは実在でもありませんし、真実でもない事になります。非真実をいくら学びましても、それは学問にはなりません。真の学問とは真実を知ることです。
貴方の今まで学んだり、これが本物だとか、偽物だといっているすべては、みなこの世のものは偽物です。この世には本物は一つもありません。
この世に何か本物がありますか。この世に何か原因がありますか。結果の世界から原因を見出すことが出来ますか。
偽物の世界からどうして、本物を見出すことが出来ますか。偽物の世界に本物があった試しはありませんから。外に神様を求むるなかれです。
この世に神理がありますか。結果だけがあります。この世は見えないものの結果でして、原因ではありませんから、この世に原因を見出すことは出来ません。真実を見出すことは出来ません。神理を見出すことは出来ません。神理は不可視です。
見えるものは全てその結果にしか過ぎません。見える世界は結果の世界ですから、原因を見出そうと思っても見い出せるものではありません。
ですから、皆さん方は外に神理を求めてはなりません。答えを外に求めてはなりません。
この見える世界の物質は見えない世界である。不可視の霊と不可視の質料の結果だと思っていただければいいと思います。
そうなりますと、非常に楽になります。常に内なる自己である。原因の自己は霊と水であるとなり、質量とエネルギーであるといえます。
その結果が肉体という、この世の物体を現しているわけです。結果体です。
この肉体は原因ではありません。原因体は霊と質量です。その原因体を内なる我といい、神我と言うのです。
結果の我を自我と呼ぶわけです。偽我とも言います。本物のあなたは結果でしょうか。原因でしょうか。原因が本物のあなたです。
ですから原因の我のことを神我と言いますし、結果の我のことを偽我というのです。あなたは偽物の我に生きて、本物の我には死んでいるわけです。
私、知花は自分が出て来たところも、帰るところも知っています
私、この知花は自分が出て来た所が分かります。帰るべき所も知っています。私はこの世を去りますと、原因の世界、すなわち霊と水の国に帰ります。
それを天国と呼びます。天国は霊と水の国と言い、エネルギーと質量の国と言われています。
この原因世界のことを天国と呼んでいます。原因世界は遥か彼方の死後の世界にあると教えている宗教家達は盲目の指導者達であるし、空想家たちです。妄想家達に皆さん方は騙されています。
原因の世界は「今即我が内にあり」です。皆さんの内にその霊もあれば、エネルギーもあれば質量もあります。
原因は我が内にありです。原因が天です。原因は実在であり、久遠であり、常在ですから、久遠の世界といいます。そこを実在界といいます。天国は我が内にありです。
死後の遥か彼方に天国があるとか、仏の国があるというのは妄想であり、空想ですし、幽想です。それは神理でも真実でもありません。それを今の宗教家達は、妄想して、妄信を押し付けているわけです。
遥か彼方に天国があるというのは妄信です。今即実在ではありませんか。皆さん方は、今、あなたの中にエネルギーも質量も存在するのではありませんかl.原因は今、あなたの中にあるのではありませんか。外なる我は内なるものの結果です。
薬に効果があるのか、意識に効果があるのか
放出という人間を信じるのか、吸引という神を信じるのか
薬
病院に行けば、必ず薬を出します。当たり前の事です。
病院だから悪い所を、治すのは当然です。その為に医者は、薬を調合してくれるのです、と誰もが疑わず思っています。
薬という物質には効果はあるのでしょうか。
「あなたは、血圧が高いからこの薬を飲みなさい」、と薬を渡されます。
同じ薬で低くなる人、いくら飲んでも変わらない人、薬を飲んでいるのに、下がるどころか、上がっていく人、人様々です。
何故、人によって効果に違いが出るのでしょうか。
それは、人によって、その人の意識が、違うからです。その人の持つ意識の違いによって、薬の効能が決まってくるのです。
こんな薬効くわけ無い、と思っていると、効果はありません。この薬が私を助けてくれる、と思って飲むと効果が現れます。
薬に効果が有るのか、意識に効果があるのか、の選択です。
人間は、意識というエネルギーには、絶対服従です。信じた世界が現れるのです。薬とは、どのようなも物は、という事です。
薬の成分が、如何と言う前に、薬を製法するシステムに大きな問題があります。
殆どの薬は、放出サイクルで作られています。だから、同じ薬を飲み続けると、体が不調になるのです。
薬は、ポイント調整で、飲まれるのが良いと思います。薬によっては、抗癌剤のように放出力の強いものがあり、放出力が強いため、髪の毛が殆ど抜けてしまいます。
髪の毛が抜けた位なら良いですが、人によっては、意識が抜ける者もいます。死んだ、という事です。
ガン細胞のような悪い細胞を殺す、という意味で薬を作りますので、作っている人の罪の意識がないのです。
当然、医者も患者の為に使用する訳ですから、同罪です。
患者も薬の内容を信じて飲むわけではなく、医者の言葉を信じて飲むわけで、三者とも同じ意識の持ち主なのです。
吸引という神を信じるか、放出という人間を信じるのか、の選択です。
形あるものより目に見えない空間が本質である
皆さんはこの五官の目で見ますと、形あるものだけを捉えていますので、空間そのものがあると思っています。その空間にも神は満ち満ちていらっしゃるのです。
神の生命がその空間には存在しています。霊的質料と言いまして、形あるものを創る全ての元素、要素が含まれているわけです。形あるものを火に燃やしますと、目に見えない空間の状態になるわけです。
皆さんの形ある肉体を火葬場に持っていって焼きますと、形あるものはなくなって、その形あったものの元素や、元の目に見えない空の状態に変換されるのです。
だから、この生命の中に、無限宇宙の中において死せるものがない、失うものがないのです。そのことが無限生命、永遠なる生命、久遠なる生命ですけれども、皆さん方は形で物を捉えるクセがあります。
形がなくなったら、なくなったと言います。その空気の中にはすべての要素が含まれている事が解っていないのです。本来ならば、形ある物よりも、空間の方が本質なのです。空間が元素なのです。元、素なのです。
空間から、その形あるものの地球が、私達人間という形あるものが創られる、その本質は何かと言うと空間です。
その空間の目に見えないものが何かというと、バイブレーションの高い状態、目に見える物はバイブレーションの低い状態にあるわけです。粗雑な波動と言いますね。
例えば、扇風機が止まっていると見えますが、それが回転していると速くなれば見えなくなるのと一緒なのです。
ちょうど空間というのは、その質量の動きが速いために、スピードが速いために見えないだけなのです。その空間を満たしているのは、全てこの地上界で存在するその質量と、霊的質科と言いますけれども、それと同一のものなのです。
物質に見える質量も霊的質料なのです。それが萎縮されて、そして形となって現れているだけで、バイブレーションが低いから見えるわけです。
氷を例に上げると、氷は水が固体化されたものです。水も蒸気もあります。水蒸気は見えません。水蒸気も、水も、氷もH2O、同じ質量です。
それと同じように、ただ形ある物だけが全てだという私達の目は物質だけを見ていて、物質(水と氷)だけが全てだ、実在だと思い込むようになっている。水蒸気という目に見えない存在を忘れているのです。
これが迷いというものなのです。個体になった氷だけを水というのでしょうか。氷も水という液体から出来ていることはお解りかと思います。
それと同じように、蒸気、空気を冷やすと水になりますから、水も空気から出来ているのです。すると個体である氷と、液体である水と、気体である蒸気とは全て水の要素で、同じものとなります。
個体も液体も気体も、全て水の要素であることがお解りいただけると思います。
そしてこの固体と液体と気体、どちらが本質的要素かと言いますと、気体の姿が基本の姿なのです。
気体という空間に満ち満ちている目に見えない要素が、この物質的な形の存在を現す源となっているのです。そしてこの気体と液体と固体の違いは何かといいますと、ただバイブレーションの違いがあるだけなのです。
空気を冷やすと液体の水、さらに水を冷やすと固体の氷となります。逆に氷を暖めると水になり、水を暖めると、即ち気体になります。
冷やすことはバイブレーションを下げることで、温めることはバイブレーションを上げる事なのです。
この世の基本は気体であり、それは高バイブレーションの状態にある事をお解り頂きたいと思います。宇宙空間はバイブレーションの存在であり、この空間全ての物質が見えに見えない状態で存在しているのです。
一番大事な事は、皆さん方は利己的意識と言いまして、自分は全てから分離している、独立している存在だという分離観念があるのです。
この分離観念が皆さんの苦悩の原因なのです。あなたは全体という神からどこに分離する事が出来ますか・・・・・。
あなた方一個一個の寄せ集めが全宇宙なのです。宇宙の体、神の体なのです。
神の体の外側にはみ出る事は誰にも出来ないのです。
外側にいることも出来ない。そうなりますと、宇宙と神は無限では無くなります。
普遍でもなく、完全でもなくなる・・・。
外側にいるということは、生命がいないという事ですから、存在することが出来ないという事です。
しかし、世の苦悩は、その肉の感官で捉える愚かなものの考え方は、自分と神とを遠ざけてものを考えるようになったのです。
神様は遠い彼方にいるんだという、推理、妄想をするようになったのです。
天の父というのは全体のこと、無限宇宙のことを言うのです。
「一つの体の存在」なのです。
しかし皆さん方は、中々このことを認めようとしない
私知花はこう言います。
「私は神の中に留まる。なぜならば、
私は神の中にいるわけです。神は私の中にいるのです」
皆さんもそうなのです。皆さんは、神の中、無限宇宙というものの中にいて、無限宇宙はまたあなたの中にいる、その事を皆さんはよく悟らねばなりません。そうした時、皆さん方は無限となります。無限宇宙は自分でもあるわけです。
神の正体はあなた自身である
みなさんは、「私は人間である」と思っていながら、自分が何であるか分かっていない。当然のことながら、それでは本物の自分を見つめることは不可能である。
では、自分を見つめるとはどういうことなのか。鏡の中の自分の姿を見ることではない。極論すれば、真の自分を見たことのない人げは盲目であると言える。
では、「自分とは」何か。
それは、「神(無限の生命)である」。
即ち、人間の内には、「宇宙に遍満する大霊、大生命」が存在しているのである。
だから、私たち一人一人は霊的な存在である。その意味では人間は無限であり宇宙大なのである。
その宇宙に遍満する大霊、大生命を見つめることが瞑想の本来の目的である。
瞑想することによって見つめることが出来る真実の自己が、絶対実在の自己である事を認識しなければいけない。さらに、自分という肉体は、霊の仮の姿だということも。
生命の光(神意識)を実感する
この不変不動の大生命である我を宇宙我ともいい、それを見つめることを宇宙意識、不変意識、神意識になるという。
人間は日常生活の中で、外側に有る肉としての自分を意識して生きている。本来、人間というのは存在しない。もちろん外側をみれば存在するが、内側を見れば神しかいないのである。
そのように、自分の中に神しかいないということを実感し神我を見、つまり「我、神なり」という意識が昴揚することによって、偉大な体験をすることになるだろう。
まず、この世の中に存在するものはすぐに諸夢つするものだということが認識できるようになる。さらに、深い瞑想状態になると生命の光が実感出来る。そして、すべてが光であることが分かる。
この光の事を霊光といい、霊が光以外の何物でもない事を証明している。イエス・キリストも「外なる闇は我が内なる光に勝てなかった」と言っているように、
内は光、生命は光の世界。だから、この事を仏教では光明世界ともいう。反対に、物質世界のことを光のない世界、無明界と言う。
肉は影、陰の世界、霊は陽の世界で陽光ともいう。だから内には光があり、外は闇だけということになる。人間が自我で生きている限り、この闇の世界にいることになるので、一日も早く、光の世界に変える努力をしなければならない。
瞑想で宇宙意識に到達する
人間というのは真実を知らないまま、一寸先も見えない闇の世界、肉地獄の中に生きている。そんな真っ暗闇の世界にいて、真実を知らないままこの世を去る人がたくさんいる。
「私はなんでも知っている」と言う人もいるだろうが、それはこの世の知識として知っているだけであって、本来の霊的な自分に気がついていないのである。
では、肉体というのは何かというと、それは生命の結果である。本来、肉体というものは何かというと、それは生命の結果である。本来、肉体というものは存在しておらず、その本質は生命、霊である。
物質も同じように、霊の結果である。この世に存在する全ての物質は実在ではなく、その本質は霊である。霊あるのみ、霊しか存在しないのである。
その霊を実感し、不変意識、宇宙意識の状態になるために瞑想を内観するわけである。
神は生命である
神とは生命そのもの、霊が神でありそれ以外に神は存在しない。その神仏が私達の中におり、人間という姿をとっている。だから、生命と神は同一のものであり、万象万物の生みの親なのである。
この宇宙創造の神が私達を造り、私達の中に宿っている。これが内在の生命、内在の神をいわれる所以(ゆえん)である。
だから、創られたすべてのものの中には、創り主である神がいる。神がそのものなる以外にものを創造する事は出来ない。
瞑想していて、「自分は霊なのだ。人間だと思っていたが、人間は存在しない。霊こそが絶対実在」という意識状態になると、すべての疑問は解決するだろう。
これが分かっていない人間に「人間とは何か」と質問しても、人間が何であるかを答えられるはずがない。
人間というのは、何度も言うように、霊がその姿形をとっているだけである。だから、山の霊、海の霊、水の霊、火の霊、動物霊、自然霊も全て同一の霊である。神の他に何も存在しない。すべてが神だというのが真理である。
イエス・キリストは「神は全てのすべて、ありとあらゆるもの」と言っている。これを認識することにより、心が開かれ神我になる。その時初めて本当のものが見えるようになるのである。
しかし残念なことに、多くの人間は神というものが分かっていないから、神がどこか遥か彼方にいたり、神棚の中にいると思っている。そのような考え方を持っている指導者も多いようだ。
神は、神棚にいることはなく、神は必ず自分の住む所を自分で作って住んでいる。人間の作ったものに世話になることなどありえない。
n生命の中に神が宿っていなければならないのである。
だから、「人間一人一人は生ける神の宮なり」である。
瞑想で真の自己を見つめること
瞑想して自己を見つめることが如何に大切であることか。それは、宇宙生命、無限生命を見つめ、神我を見ることだからだ。即ち、宇宙に遍満する大霊、大生命に一心を集中し、本源を見つめることが瞑想で一番大切なことである。
大宇宙には大霊しか存在しない。その大霊との一体感により霊=神=生命の世界しか存在しないことが分かってくる。その世界を見つめ、凝視し、心の底から 霊=神=生命と自分が同じものだという事を認識する事が大切である。
「我は宇宙に遍満する大霊である。宇宙生命である」
と、肉の目と耳を閉ざして大霊に一心集中する。
これが出来る様になると、軽く目をつぶっただけで神我との一体感、さらには霊的な体験が出来るようになるのである。
瞑想を始めたばかりの時は、まだまだ表面意識があるので、どうしても雑念が出てくるが、慣れるまではそのままにしておいていいだろう。あまり表面意識に囚われずに、努めて霊的な自分に集中する事である。
本来の瞑想は雑念のない状態であるが、多くの人がやっている瞑想は、自我瞑想といって、迷いの瞑想である。
概念で物事を捉えようとしているので、色々なことを考えるのが瞑想だと勘違いしている。だから、一日も早く、外なる意識、表面意識から完全に開放された状態になるようにしなければならない。
表面意識から開放される瞬間
表面意識から完全に開放されると、大霊との一体感、自分が大霊そのものだということを認識し、神我に到達する。
そうすると、無限大の霊が身体の中に入ると同時に、爆発的に光を放ち、目も眩まんばかりの太陽よりも光り輝く、真っ白な光の世界を体験する事が出来る。
ちょうど、薄暗い小さな部屋が開け放され、大気が一気に入ってきたような感じである。そのような光に包まれた時、誰でもが大泣きすることであろう。これが本来の瞑想であり、神我到達である。
さらに深い瞑想状態に入ると、言葉では言い表せない様な法悦感、五感を超越した想像を絶する喜びに満たされる。
「我、血や肉、姿形に属する者にあらず。我、生命なり、大霊なり、我神なり」と、繰り返し意識しそこに集中する。求め続け探し続けていくと、ついには自分の心の扉が開かれる時がくるだろう。
波動を高めるたった1つの方法
意識の高め方について、お話ししてみたいと思います。
波動を高めるとか、意識を高めると言ったりしますが、スピ系で言われていることに惑わされないようにしたいところです。
スピ系では、エネルギー体を浄化したり、調整したりということを行っておりますが、それはそれで良いことだと思います。
ただ、根本の部分が汚れているから、スピ系なのに風邪ごときにやられてしまったり、頭痛や病気になったりしているのであります。体調不良・病気にかかるといいますのは、波動が低いことを証明しているのであります。
本当に高波動の人は、病気にはなれません。
「なりません」ではなく、「なれない」のであります。
このブログでは、お水や酸素のお話を何度もしておりますが、いくらエネルギー体を整えようとも、肉体レベルで光が少なくなっておりますので、波動が低いままなのであります。
今の日本人は、お水を飲む量も少ないのでありますが、さらに酸素が少ない腐ったお水を飲んでおります。肉体の7~8割はお水でございます。それが活きてないのです。これでは、細胞も活性化いたしません。
光が少ないとは、酸素が少ないのであります。だから肉体レベルの波動が低くなりますので、体調不良、身体症状、病気になるのでございます。どこにいようとも、エネルギー体と肉体は常に一緒であります。
肉体が低い波動を出していますと、いくらエネルギー体を調整しても、肉体の方から低波動を発しておりますので、変なものを引き寄せたり、引き受けたりするのであります。
とても簡単な仕組みであります。
不可視の領域と可視の領域、2つしかございません。それぞれを綺麗に整えていくことが、真のスピリチュアルであります。片方だけでは意味がないのです。心身一如。
不可視の領域は、意識を変えるだけで良いのでございます。霊力や高次元がどうのこうの。悟り人になる前にそのようなものは開いてはなりません。
幽界との繋がりを強めるだけであります。順序が逆になっております。悟るのが先です。
可視の領域、肉体。これは、酸素の多いお水で調整をかけてまいります。肉体の内側が先であります。化粧品やシャンプーを無添加にしてます!
そのような外付けのものは後で良いのです。内側の生体水や血液が酸素不足なのに、外を変えても、それほど意味があるものではないのであります。
自我意識で考えますと、ほとんどのことを順序を逆にやってしまう傾向がありますので、天地アベコベ。陰陽不調和な状態になるのでございます。
優先すべきは、意識を変えることと、酸素の多い水を1日2.5リットル以上取り入れること。あなたの本質は、霊と水であります。
この2つを本来あるべき状態に戻すだけで、ほとんどのことが解決いたします。
多くの人は、この2つを無視しておりますので、放浪の旅をしないといけなくなっているのであります。
一番大切な霊(意識)と水を、疎かにし過ぎております。
今、国の医療・介護費が歳入額に近づいております。保険証を使わない生き方が、社会貢献にもなるのであります。今のままですと、若い世代は50代でボケてしまいます。そのくらいエネルギーが乱れているのであります。
シンプルなことを分かりづらくしていますのは、以前、闇の勢力がそのように仕向け、システムを創り上げてしまっておりますので、仕方ないといえば仕方ないのかもしれません。
でも、それに気付いて、光を放つことが出来るのが、大和の民族ではなかったのでしょうか?? あなたはそれをすると約束をして、この日本に誕生されたのではなかったのですか??
このようなことを言いたくはないのですが、2014年、15年は正念場になります。大難を小難にする方法は1つしかございません。1人1人の意識を高める以外にはないのであります。
くどいようですが、『あなたの本質は霊と水』であります。意識と水と酸素。本気の方は、ここに集中するだけで良いのですよ。悟りは難しいことではございません。誰にでも出来ることであります。(引用ここまで♪)
神理・真理は科学である
体に「電気毛布が悪い」と言われているのは、交流型だから悪いのであって、その逆に電気毛布が直流型になってアルファ波を出す電気毛布を作れば、これはまた瞑想以上のものだと思います。
電気製品として、もし電気毛布を作るならばアルファ波の出る電気毛布を作れば、非常に良いといえます。電気じゅうたんも同じことです。普通の交流型の電気じゅうたのでは、波形が粗く、体も悪くなります。
ここにいれば落ち着く、というような直流型の電気じゅうたんを作れば、その1つが解決できれば、商品としても幅広く出来ていくと思います。インバーターを1つ作ればいいのですから。
その交流をインバーターで直流に変えて、人体に良い、全てに良い環境作りを電気的に行っていけばよいと思います。
写真機やビデオの波形を変えていきますと、見えないものが撮れるのです。これは今は発表しません。
作り方まで教わり、知っているのですが、その波形を変えていきますと、見えない世界の幽界の映画がこれから見られる時代が、近い将来に必ず来ます。
全部が波形ですから、なぜ見られるかといえば、高分子と低分子の時代に入ってきますけれども、精妙な動きをとらえるレンズを作れるからです。
そうなると幽霊が写真でどんどん撮れるようになります。幽界をどんどん三次元的に見えることが出来るのです。
霊眼が開かれていない人の為に、それを映して見せることが出来ます。その時代は21世紀には必ず来ます。
皆さんの部屋の蛍光灯を、全部インバーターをつけて直流型にしてください。ここで瞑想している方々には、全部が良い影響を及ぼします。電気製品に全部インバーターをつけて直流型にして、波動の良い場所にしましたら、もっと良い場が出来ます。
交流型を直流型に変える、アルファ波に変える、直流型はアルファ波と読んでもいいのです。
交流型はベータ波、パルス型はガンマ波です。これをよく理解していただければ、治療室にもなります。そのまま電気的な治療室にも変わります。
インバーターを作れば、消費電力が今の電力の五分の一ぐらいの省力になります。今の電気量の五分の一にすることの出来る計算になります。
何もなくても幸せになる方法
物があなた方を幸せにするのではありません。心が幸せにするのです。
あなたの心に妬みやそしりがある限りにおいては、また地位の名誉や財産を沢山持っていても幸せにはなりません。
地位や名誉や財産がなくても幸せになる方法があります。
それは真理を学んで、争わなくなった時です。
真の喜び、真の幸せは真理の中においてのみあるのであって、自我の中にはありません。
自我の世界は苦海ですから、苦しい世界ですから幸せにはなりません。何故自我の世界は苦界ですか。それは争うからです。
なぜ生命の世界は極楽でしょうか。それは争わないからです。争わない状態を極楽状態と言うのです。
争わなくなくなれば、どなたでも幸せになれます。金がなくても名誉がなくても幸せです。人の悪口を散々言いながら、憎しみながら幸せであることは絶対出来ません。
皆さん方が本当に幸せになるのは、誰に責任があると思いますか。
誰でもなく自分に責任があるのです。
貴方の幸せはあなたがもってこなくてはなりません。
貴方だけしか気付きません。誰も貴方に幸せを与える事は出来ません。
その幸せをつかむのに金はかかるのでしょうか。幸せになるためにはカネがかかりますか。名誉が必要ですか。地位が必要ですか。
幸せになるためには地位も名誉も財産も必要ではありません。地位や名誉や財産があなたがたを幸せにするのではなくて、あなたの心の状態が貴方を幸せにします。
問 よく地球の内部が空洞になっていて、そこにも人が住んでいるという噂を聞きます。
ヒマラヤから、底の地下帝国に入っていく入り口があるというような話を聞いたことがありますが、本当でしょうか?
知花 それは事実です。シャンバラという、それはエーテル界であって、皆さん方の考えている物質的なものではなく、正に物質世界そのものを意味しているのではありません。それは霊の世界です。
物質的なものと捉えたら大変な勘違いです。
エーテルとしての存在であって、自分の肉体や物体としての存在ではそこに入ることは不可能です。
自分の肉体をエーテル化して初めてその世界が体験出来るわけです。
問 自分の肉体をエーテル化するというのは、具体的なノウハウはどのようなものでしょうか。
知花 それはバイブレーションです。そのバイブレーションとは何かといいいますと意識です。
空の意識がすなわち高いバイブレーションですから、物質と非物質とは同じものです。ただ、バイブレーションが高いか低いかの違いだけです。
それを釈迦は空即是色で、色の世界は空の仮の姿であって、現れにしか過ぎないといわれました。実在するのは色ではなく空となります。で
すから、色の本源は空であるとなり、空こそ絶対実在です。色もあって空もあるとは理にかないません。
色は即空であるし、空は即色である。そこに実際にあるのは空一元であって、空は永遠ですから、色は無常です。形あるものは崩れますが、本質は永遠です。
問 輪廻転生はあるのでしょうか。
知花 あるという世界もありますが、それを乗り越えた者には、本質的なものは、全く輪廻を繰り返しません。
影として幻としての表現世界は存在しています。すなわち、上辺の世界です。その根拠と一体になりますとそこには全く輪廻がない世界です。
問 人間の生きる意味とか、この世に生まれてきた意味とか、死んでいく意味など、少し宗教的になりますが、それはどのようにお考えになっていますか。
知花 我々は死にもしないし、生まれもしませんから、本来は意義そのものはありません。
ただ、我々は内なる現れを、表現として生まれてくるのですが、その目的を失ってしまったり、誤った表現をしていいて、
それを繰り返しているだけですから、意義としてとか、定義されたものは全く無いのです。
問 オーラについてお伺いしたいのですが、生体エネルギーの一種なのでしょうか。
知花 オーラを持たないものは一物もありません。その生命エネルギーという霊エネルギーそのものがオーラでありますから。そのオーラとは生命ですから。
みな宿していますから、オーラを宿していないものはありません。
しかし、その生命の自覚に順応してオーラが強くなるとか、弱くなるとかはあります。
問 色(いろ)によっては色々な意味があるのでしょうか。
知花 あります。オーラの色は七色です。すなわち虹色です。その七色の世界が光の世界でで光エネルギーです。
そして、その光がどこに多く現れているかといいますと、人間には七つの光中枢がありまして、それは七色を示しているわです。
ですから、生命線というのは七色のチャクラです。そしてどの分野を多く意識して生きているか、どの分野を開発化されているかによって、そのオーラの色が強く出ます。その七色の世界を七天というのです。七色の光の世界です。
問 その七天という字は天という字ですか。
知花 そのとおりです。
問 色が持つそれぞれの意味はあるのですか。
知花 あります。それは色がそれぞれ、みな一つ一つの波長を持っているからです。
問 例えば赤い色にはどのような意味があるのでしょうか。
知花 赤い色だと感情です。
問 青はどんな意味があるのでしょうか。
知花 青は冷静を示します。
問 緑はどんな意味ですか。
知花 緑はありません。紫の場合は知恵を象徴とします。黄色の場合は愛を象徴とします。ピンクは愛情とか、恋とか情愛を示します。
問 後の二色は何色でしたでしょうか。
知花 本来その二色とか七色とかいいますが、本来は白色であって、無色なのです。その七つの色が一つになりますと、無色という白色にしかなりません。それを白光と読んでいる訳です。
問 七色を全部重ね合わせて無色の白光となったのが一番パワーが強いのですか。
知花 そうです。
問 神の意識に通じるものがあるのでしょうか。
知花 全ての意識そのものが神意識です。神意識の他に意識はありません。
意識そのものが神であって、神は意識ですから、全てに意識が宿っているとは全てに神が宿っているとなります。意識とは物を生み出す力でもあります。
問 根源的な意識は人間のような人格は持っていませんか。
知花 人間のような人格を全く持っていません。無形無双です。
問 かなりSF的になりますが、日本にもキリストが来たと言って話をする人もいますが本当でしょうか?
知花 事実、来ています。それはなぜかといいますと、彼には時間も空間もありませんから、日本とか、アメリカという意識はありません。
自在の意識ですから、テレポートの出来る人がどこには来なかったか、あそこには来なかったというものではありません。
問 世界各地で災害の前触れ等に、聖母マリアの像が涙を流したとか、あるいは実際に聖母マリアが話をしかけて来たというような現象をあちこちで見られますが、それはどのようなことに基づくのでしょうか?
知花 それは全く無いとはいえません。現象は何でも作り出しますから、それは、全く無いとはいいませんが、そのような事があったからといって、何の意味があるのかと逆に私が知りたいのです。
問 エジプトのピラミッドとか中南米には結構多くの遺跡文化がありますが、あれは、現代物理学でどのように創造したらよいのでしょうか。まだ分からないのですが、どのようなものでしょうか。
知花 それは霊能力といい、すなわち宇宙のエネルギーを駆使する力でもって作られたものであって、現代科学の色々なもので作られたものではないということです。
現にものとは必要なときには無重力といって、エネルギーと質料には重さがありません。
物とは今、いいましたように、鉄の塊でも空中に浮かすことが出来る波動の持ち主であればどんな大きな体積の岩でも、無重力にしてしまうわけですから、
現にサイババ先生でも壊れたブルドーザーを四人で無重力にしてしまって、四人では抱えるように抱えたわけですから。
そういう科学を超えた力は、その宇宙力を持っていれば当たり前のことであって、特別なことではありません。
ですから、今の科学の物差しで、あれをどうして作ったとか、これをどうして作っているのといっても、それは皆仮説です。全く真実に相反するものです。
問 フランスのルルドという所に泉があって、その水を飲めば病気が治るという話を聞いたことがありますが、その水は中性水と何か関係がありますか。
知花 まあ、その水の性質によっても違うと思いますが、ミネラル水であるか、ゲルマニウムを多く含んだ水であるか、そこでたまたまある人が病気が治って、その泉の水が病気に効果があると、
それを信ずる心を持った人達が沢山信ずるようになれば、そこに力を与えます。そこは効力を発揮するものだと思います。
効力を発揮すると、その水そのものが効力があるようになります。それを買う人の信ずる心が効力を発しているのです。
それも一つの意識の問題ですから、どこに効力があるということは一概に言える人はいないでしょう。
あなた方の飲んでいるお薬と同じです。信じて飲めば治りますが、信じなければ、治りません。効果が出るというのとは同じことです。
問 サイババさんが開けられてないままの封筒を封を切らないままに読めるという話を聞いたのですが、それはどういうことに基づくのでしょうか。
知花 その文字の波動を読み取っているわけです。敏感な人なら誰でも可能です。
例えば本でも開いてみなくても、どういう内容のものか書いてある事は触らずとも見なくても、ここに置いておれば、内容が殆ど分かるくらいの敏感さがあれば、分かるようになります。
問 波動について、今、あちこちでも注目されていますが、もっと詳しくお伺いしたいのですが、例えば、大勢の中で一人だけ波動の高い人がいると、その全体の波動が良くなるということについて、一般的には変な気がするのですが。
知花 波動が高いというのはエネルギーが高いという意味ですから、そのエネルギーは高い所から低い所に流れるのは当たり前のことです。
ですから、一人の影響は全体の影響といえますから、同じ悪いもの同士は、類は類を呼ぶということです。
ただ、波動が低い者が高い所にいて、いい気持ちかといいますと、これはとんでもないことです。波動の低い者と波動の高い者とは波長が合いませんから、
そこにおれば、例えば、波動が低い者が波動の高い所に行ったって、波動の低い者にとっては、そこは悪い所にしかなりません。
ですから、そのような波動は自分と波長が合うか、合わないかによって拒否反応を起こすか、受けるれるかです。
それが磁場です。ですから、磁場が高いからといって、磁場の低い者がそこへ来たら、吐き気をもよおしたり、嫌気をさしたりすることはあります。
そうしますと、その本人によれば、その場は悪魔の場だというわけです。彼にとっては悪魔にしかなりません。
問 仮に清里に来て、気持ちが悪くなるという方は、本人自身がそうなっているわけですか。
知花 そんな人が結構いますよ。ですから、ここは悪魔かもしれません。と言われても、ものの取り方いかんですから、結構ではないですかとしかいいようがありません。
問 逆にへんなネオン街とかに行きますと、元気になる人がいますか。
知花 そこと波長が合っているのです。
問 例えば、講義録にはわら人形の例えが出ていたのですが、悪想念を相手に送れば、簡単に相手を倒す事が出来るのですか。
知花 そうです。その念というのは良いにつけ、悪いにつけ全てに働きます。しかし、最終的には本人に帰ってきます。
池の中に石を投げますと一瞬はぱっと広がりますが、投げた後は、また、中心に跳ね返って来ます。それが作用と反作用の法則です。これは諸刃の剣となります。
問 よく人がやることですが、お札とか水晶に念を込めるというのですが、水晶や御札などに念とか波動は、籠りやすい性質を持っているのでしょうか。
知花 性質を持っているというよりも、そこに念を入れたとか入れなかったとか、それを信ずる人の心によって差が出て来るといえますから、
信ずる人からすれば、念が入っているといえば、入っているというし、入っていないという人からすれば、全く空っぽにしか過ぎないのです。打ち消すことも認めることも出来ます。
問 世の中ではそのようなことをよく暗示効果といいますが、それは全く別なものと考えても宜しいのでしょうか。
知花 暗示作用です。一つの暗示作用と同じです。ですから、形あるものでさえも、これはパワーがありますと信ずる人には効果がありますが、信じない人には効果がありません。
その波長は常に打ち消し合いをしているから、否定論になりますと、打ち消し合いですから、効力を失います。
人を憎む者は自分を憎んでいる者である
この世の日常生活の中で、一人でも憎い者がいたら、あなたは外側でものを見ている事になります。一人を憎むことは全体を憎むことです。
この世に一人も憎む者がいなくなって、初めて皆さんは完全になります。
ですから、内観をしながら、人の悪口や愚痴をこぼしているようならば、内観道場ではなくて、外観道場です。
内観を見れば生命に区切りがありません。そうして全体が自分であるのが分かりますので、全体を愛するようになります。
誰も憎みませんし、自分を愛すると同様に人を愛するようになります。
あなたの中に神の全てがあります。
「わたしのものは神のもの、神のものはわたしのもの」です。
つまり、あなたの中に神の全てがあり、
全知全能の全てが、--------智慧も力も全てあります。
この宇宙の中にある全てはあなたの中にあるのです。
これを無限の富といっています。霊的な富は永遠に失うことはありません。
問 先生の講義録の中に、お茶碗に盛られたご飯よりも、おにぎりの方が子供が喜んで食べると言われていますが、あるいは味が良いというお話が書かれていましたが、これについてもう少し教えて頂きたいのですが。
知花 その食べ物でも、おにぎりにして、食べて欲しいという愛念を込めて、お母さんの愛で食べて頂きたいとう念で握ると、そこにエネルギーも同じように握っているわけです。
お母さんのエネルギーである、愛のエネルギーがおにぎりに反応して、それがさらに、食べてもいい、食べなくてもいい、というお茶碗に入れたよりも、もっとエネルギー的には高いという意味です。
例えば、ものを作るにも、精魂込めて作るというのはその意味です。お量をする時にも、皆に喜んで食べてもらいたいという思いを起こした念がそのまま物に反応します。
ですから、嫌々ながら作った料理は腹を壊す危険があります。
そういう愛の念をおふくろの味とかというものが愛念のエネルギー、愛のエネルギーとなり、それを頂くのは、当たり前のことです。
問 よく手のひらから遠赤外線が出ているので、その作用があるという人がいますが、それはまた別なものとして、考えて宜しいのでしょうか。
知花 それもあります。手の平は、お手当といって、手から熱エネルギーや、遠赤が必ず出ますので、それが昔から手当といって、
お腹が痛いと、お母さんがへそを揉んであげると、お腹がよく治るし、電気現象が起きるわけですから、摩擦エネルギーが起こるわけですから、
そうするとそれを遠赤エネルギー現象といってもいいし、摩擦現象といってもいいし、しかし、何現象だと一定に決めないことです。
必ず遠赤外線が働いていると決め込んでしまえば、別のエネルギーが働いている時も閉ざしてしまいますから、何が働いたんだという限定をしないことです。
問 エネルギーが働いた場合にはプラス・マナスが働いたことによって神の力が働いたというように解釈すれば宜しいですか。
知花 陰と陽の結びづきですから、それは愛です。愛は光ですからスパークになります。ですから、清めるときにはスパークを起こさせて、例えば、会場で手を叩くことは、電気的スパークですから、会場が清まるわけです。公演する時も、初めは本来は手を叩いて、終わる時も手を叩いて終わるのが普通の常識ですが、最近それが無くなりましたが、本来はそうすることが宜しいと思います。
問 スパークすることによって清まるというのは、
知花 電気現象ですから。
問 清まるというのは、何が清まるのですか
知花 その建物全体や、周囲の全部が清まります。
問 宗教でも柏手をうつという行為は、昔の人達は無意識の内に、無自覚のうちにその行為を把握していたのでしょうか。
知花 ただ、分からないままにやっていたことは事実でしょう。まあ、それを知っていた人がいたかどうかは別問題です。
しかし、全部が全部それを知ってやっているわけではありません。すなわち猿真似とか、人まねとかで、知ってやること、知らないでやる事とは、知っていたほうが効率が上がります。その念まで上がるからであるという意味です。
「全ては神=我神なり」という真理♪
意識の進化=愛の拡大=分離意識の克服=
我は全体なり・全体我なり=全一体・自他一体=
全ては私=全ては一つ=全ては一つの存在の現われ=
宇宙は一つの生命体=全てに神(宇宙生命)が宿り給う=
宇宙は神一様=全ては神の中の存在する一つの存在=ワンネス
全ては永遠に一つの存在=全ては一つ=全ては私=全ては神
全ては今この瞬間しか存在しない=全ては永遠に一つの存在=
永遠の始まりである神の御心のみが実在=今即天=今即実在=
大愛・宇宙生命・神の一人子である神我キリストのみが実在=
全てはこの瞬間に存在する宇宙生命そのもの=全ては神そのもの=
全ては神ご自身=神一元・愛一元・光一元=宇宙即我=我神なり
調和=愛の法則そのもの=罪なきもの=完成=幸せな人生に
不調和=愛の法則を犯している=業・罪=カルマの精算が起きる
愛と赦し=調和=愛=幸せ・健康=完成=中性=完全=光人間
恨み・憎しみ・争い=不調和=罪=病・災難=不完全=闇人間
愛と赦し=カルマの消滅=神の祝福=幸せなツイてる人生に
許さない・恨み・嫉妬=カルマの刈り取り(不幸災難)な人生に
調和人間=愛が深い人=愛の光そのもの=克服者キリスト=完成
不調和人間=恨み・嫉妬・責任転嫁=闇人間=罪人=未完成
調和=光明世界・愛の王国=愛・光・善=平安と安らぎ・至福感
不調和=無明世界・闇世界=未熟な愛=不安と恐怖・飢餓感・不足感
調和の人は熟した魂=自分を愛するが如く他人を愛します=ワンネス
不調和な人は未熟な魂=他人を責めて非難します=分離意識
イエス様は「愛は天と地の架け橋」とおっしゃられました。その愛とは「許しの到達点」である「慈悲と愛」で御座います。
真の意味で貴方が、その「許しの到達点」の境地に到達した時に、自ずと「天である神」と「地である貴方」との架け橋が繋がる事でありましょう。私は実体験からそれが実際にありえると確信しております。
愛は天と地の架け橋 この愛の理解と体得が神様と繋がる鍵♪
神・大愛(天)……全てを活かす愛・慈悲と愛・すべての形態を形作る力・意識を与えて下さった魂の根源・真の親・すべてを活かし育む力、縁の下の力持ちで全てを愛し慈しむ無償の愛・無限の愛・すべてに意識を与えて下さった天の父であり天の母である中性エネルギー・真の親・愛を表現する為に…無限の創造をなさっている慈悲と愛そのもの
神の表現体(地)……神が神を愛する為に生まれた存在・神の化身・愛の化身・神の表現体・神の中に創造された神・個別化した神としての自覚に覚醒めた我・滅私して神の道具意識を自覚している我・自分が神ご自身だと悟った我・愛を表現する為に生まれた事を自覚している我、全てを100%の愛で愛する我、自分と全てが神以外の何者でもない事を自覚している我
第六密度以上の高次元存在が語る
「許し」というものが、カルマの輪を止める事になるお話
★ コーリー : 多くの人々が現生のトラウマだけでなく、過去生のトラウマにも対処しているところなのです。
今、地球に生まれて来ている多くのライトワーカーは、援助の為により高次元や、上の密度から降りて来た人々です。
現生が初めての人でも、高次の美しい場所からここへやって来た人にとっては、ここでのトラウマは10倍酷(ひど)く感じられるものです。
そして、長期に亘(わた)って輪廻転生を繰り返して来た人の場合は、更に解消しなければいけない過去生のカルマが加わります。
しかし、ブルーエイヴィアンズから言われたのは、トラウマを特定し、自分にトラウマを与えた人や自分自身を許すこと、
そして、この”「許し」というものが、カルマの輪を止めることになる”ということです。カルマがなくなるんです。
これは、エネルギー的なものです。
「カルマとは」負債を支払うようなものではなくて、
「許してエネルギーを解放するもの」なんです。
カルマとは宿題・魂の課題・許しによって消滅♪
………………………………………………………
「許し」を心から実践=カルマの輪を止める=カルマがなくなる♪
自分にトラウマを与えた人や、自分自身を許す==
==魂の課題を克服=カルマが消滅♪
許す事によってエネルギーを開放=カルマの克服・解消に♪
ケイシーリーディングから…♪
全身全霊で「神を愛する」大切さ
「神を求める祈り」をする大事さのお話
エドガーケイシーは、宗教生活についてそのもっとも美しい表現の中で、この事を次のように語っています。
「あなたがたは心を尽くし、思いを尽くし、体を尽くして汝の神なる主
(大生命・内在の神)を愛し、隣人を汝の如く愛するのである。
このキリストの与えた言葉が法則の全てである。
それに優るものは存在しない。
主が約束されたように、あなた方は
来る日も来る日も明想し、「祈りゆく」うちに到来するあの目覚めによって、
主(宇宙生命)が自分の意識の中に留まられる事を知る事が出来る
(神我が中にまします・父と子は常に一体)。
あなた方はこの目的のために、
主が臨在し、その御霊(キリスト)があなた方の中に留まるあの意識を、
あの自覚を讃えるために生まれてきたのである。」
●自我・偽我 =表現者、原因である父なる神を忘れている状態(放蕩息子の状態)神理を知らない状態・自分の力で生きていると思って迷っている状態、肉体の己を自分と思っている我、分離感・分離意識で個別化された表現を別個の存在と認識している我・分離意識・エゴ・肉の感化、五感の感化を真実と錯覚している我・迷いの影、幻、幻想(マイヤー)・自己保存、自我我欲の心
●真の自己(真我)=父なる神と常に一体の境地・ワンネス意識・全一の意識・神我キリスト、全ては自分、全ては我、全ては神、全てを愛する我に目覚めた状態・宇宙生命によって生かされている事を自覚して実感している我・私が生きているのではない、なるほど一つの生命である神が生きていらっしゃる、全ての知恵と力は神から与えられている、神の中身は神、全ての全ては本質的には神、神のみが生きてらっしゃるんだなと悟った我・神一元・愛一元・光一元・我神なり、全ては神なり、全てに神を観る境地・神は生命(霊)なり、我も生命(霊)なりの自覚・宇宙即我、キリスト意識・高我・実在・全てを愛し全てを許す境地・慈悲と愛・あなた即私・私即あなた・宇宙エネルギー即自分・無限即我・不変不動の絶対なる実在・普遍なる宇宙・無限者・宇宙神
知花敏彦先生の総まとめ記事 第1回目
知花敏彦先生の総まとめ記事 第2回目
FC2版の広瀬すずちゃんの横顔になる方法の記事です♪
身長を伸ばす記事も追記してみました♪