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date :2019年11月

言葉=波動♪内なるエネルギーを高める言葉の習慣♪「何事も丁寧に行う」「綺麗な言葉遣いで話す」 この2つが霊性進化に繋がるお話♪非常に礼儀正しくて優しい丁寧な言葉づかいの人は人間性で信頼されて幸運が舞い込みます♪西中勤弁護士♪あなた本来の美しさを輝かせる上級マナー♪綺麗な言葉遣い・笑顔・愛嬌抜群な人間になって運気アップ 不思議にツイてる幸せな人生に変容♪琵琶湖の水がなぜ突然綺麗になった神秘体験秘話♪心の波動が良ければ、バイ菌も無力になる♪悪い念も周波数を変えることでブロックできる 笑顔は呪い返しの極意です♪七田眞さん 今すぐ出来る、波動で美しくなる生き方♪運気アップ・波動上昇・総まとめ記事♪




「何事も丁寧に行う」「綺麗な言葉遣いで話す」
        この2つが霊性進化に繋がるお話

 物事を丁寧に行うのと、綺麗な言葉遣いで話すことが、霊性進化に繋がるそうです。

 私がスピリチュアルな道に覚醒めて、短期間に大幅に霊性進化出来たのも、この2つの特性を持ち合わせていたからなのかも…って、今回の記事を見て思った次第です。

 実は私、ドアをバタンとか、乱暴に閉めたりすると、ドアさんの心の痛み…といいましょうか、何か申し訳ない事をしたような…神様に悪いことをしてしまったような…そういった想いに駆られる特性がありました。

 その影響がありまして、私は、とにかくどんな所作でも、優しく穏やかに扱う動作が私の日常生活のいい癖になっておりました。
 これは小さい時からの感覚でした。まれについ…うっかり乱暴に扱うと、何か申し訳ない…って気分になってましたから(笑)

 これともう一つ言葉遣いに対しても、これはもう完全に生まれながらの性分なのですが、実は私……白状しますが、言葉を使いだす4~5才頃から、普通に言葉を聞いて、これが綺麗な言葉とか、汚い言葉、良い波動の言葉、悪い波動の言葉、って直感で分かってしまう

…ある意味、言葉の波動の判別能力の天才…という、地味地味ながら、そういった…生まれ持っての天賦の才を持ち合わせておりました。

 ある意味、スターシードみたいなお話なのですが、こんなブログをしている昨今からして、意外とそうなのかもしれませんね(笑)

 妹が言っていたのですが、姪っ子ちゃんが、聞いた言葉を右から左にすぐ言うから、言葉の注意をしないといけないから大変!!と言っておりました。子供は、言葉の意味が全然わからず、聞いた言葉を次から次へと使ってしまう…という事でした。

 これがきっと…普通の感覚なのでしょうが、私の場合、誰に教えてもらわなくても、注意もされなくても、言葉を聞いたら、

 あっ…これは良い言葉なんだ、これは悪い言葉なんだ…って、普通に当たり前のように分かってましたから、普通に使う言葉をちゃんと自分で選んで、良い言葉を使うように心がけておりました。

 私の中では、これが当たり前の感覚だと…30才までずっと思っておりました。
この妹のお話を30才頃に聞いて…初めて、私の感覚が常人と違う事が分かったのです。

 私なんて中学生の頃とか、他の同級生が適当な言葉遣いでも、私は誰に教えてもらわなくても、めっちゃ丁寧で最高に爽やかな日本語を、華麗に使いこなしてましたからね(笑)。

 中学生の時に奥様から、私の爽やかさ丁寧さを見て、
「○○君の爪の垢をうちの息子に煎じて飲ませたい…と、
お褒めのお言葉を頂いた事もあるぐらいですから(笑)

 専門学生の時だって、私だけ浮くレベルで…最高級に丁寧で気品のある話し方でしたし(^^)、他の人は適当な話し方でしたけれども。
 
 働きだしてからは、浮くレベル…とかじゃなくて、言葉遣いがいい…礼儀正しい…って、ご丁寧にどうも…とか、本当に言葉遣いについては、数え切れないぐらいお褒めのお言葉を頂いております。文章だけ丁寧な人では御座いませんから(爆)

 こういった先天的な品性も御座いまして、若い時には…世間一般の方々の言葉遣いの汚さに辟易してしまい、一度は死のうか真剣に悩んだことも御座います。

 他人の言葉が随分辛いと感じた事は…それはもう数え切れない程ありますから。いわゆる、スターシードの悲哀というものですね。きっと波動の違いによるものでしょう。

 感受性が常人の三倍あれば、良し悪しの判断力が高くなって大変素晴らしくて嬉しい事なのですが、逆にそれが故の、波動の違いによる辛さ…というのも常人の数十倍体験しております。

 他の方が何も思わない部分でも、正直…辛い、
と感じる事も数え切れないほど体験済みだったりします。

 スターシードは、波動が浄化された高い次元の星から来ているわけですから、地球の波動に違和感を感じてもある意味…それが普通なのかな…と。
 今では真理に覚醒めて、色んな意味で納得できました。今ではもう完全に吹っ切れております。

 今は、スターシードとして、この人生を人類へ魂の覚醒に繋がる奉仕に生きようと…、目一杯、尽くして尽くして尽くしまくって、お役目をしっかり果たして、
 愛と奉仕に生きて、今生を終えてから、元いた高い波動の惑星へと帰還しよう…って、
そういう気持ちでおります♪てへぺろ☆(・ω<)☆彡

 「言葉遣い」と【品性・知性・霊性】は「比例」していくものですし、私自身綺麗な言葉遣いが大好きなものですから、自然とそういった高い波動の言葉遣いになっていったようです。

心地良いと思える意識状態」は、
その人の「波動の高さ」によって「千差万別」だと言えます。

波動の高い人」は、「綺麗で丁寧な言葉」が心地良くなります。
波動の低い人」は、「雑で汚らしい言葉」が心地良くなります。

 例え話として、だらけた言葉遣いが自然体…とか言って、汚い言葉や低級な敬語ばっかり好んで使う方は、だらけた汚い言葉が心地良い…と思う、低波動な未熟な魂なだけでありまして…、

 私からみれば、そういった低次元なだらけた敬語の人と話すと、本当に吐きそうになりますし(笑)、耳をふさいでさっさと離れたい…って、いつも思います。
 フレンドリーな親しみやすい楽しい言葉遣いは大好きですけどね…、だらけた低級な敬語は嫌ですが。

 私は低級な言葉遣いの人と話すのが「人の三倍」辛いのです(;_;)。
スターシードの悲哀ですね。今は半覚醒状態ですので、昔ほど辛くはないですけれども…。
 だから極力、レベルが高い人以外触れ合わないようにしているのです。

 プライベートで、全然人付き合いしないのも、そういった意味もあります。
私と同レベルの人ばっかりでしたら、超社交的にでもなるのですが…心地よくて心から楽しくて、全然辛くないので(笑)
 人間嫌いではなくて、低波動言葉が嫌なだけですから…、
人間自体は大好きですよ♪

 実の所…結局、自分が心地良いと思える波動領域に磁石がくっつくかの如く同調しちゃうんでしょうね。

 私ほど、爽やかで丁寧で言葉の綺麗な男性に、今までお目にかかった事がありません。
 私にとっては、綺麗な言葉遣いが最高に心地良いので、ただ自分が一番心地よい事をしているだけなのですが…、悲しいかな…世間一般の方々は違うみたいです。

 客観的に考察して…、知花先生の教えをまとめるお役目をするぐらいですから、それだけの魂だという事だと…、
 そう思って…お役目を果たすために地球に転生してきたんだから、これはしょうがない…って割り切っております。
 自分がスターシードだから、世間一般の方と波動感覚が違うのもしょうがない…って。

 「タピオカ屋さんを恫喝したとある方」の言葉遣いなんかは、私からみれば吐き気をもよおすぐらい不快な気分になるので、絶対触れないようにしてたぐらいです。
 テレビでも一言も聞かないように気をつけてましたから(笑)

 低級霊な人は言葉は汚いですから、この辺りは例外はありません。
この人は言葉は悪いけどいい人…とか、あれは嘘ですからね^^;、断言致します。

 タピオカ屋さんを恫喝した人を見て頂ければよくお分かり頂けます。
言葉遣いの品性」と「人間性・霊性」は、ほぼ完全に比例しております。

言葉が汚い・悪い」…というだけで、もう「それだけの人間」という事です。
まともな言葉遣いも出来ないわけですから、人間として三流・四流なのは明白と言えます。

 言葉の汚い人・悪い人とは関わらない方が無難です。
言葉遣いが悪い=低波動」の判断は、誰にでも出来ますから、これも人生の災難を避ける、一つの波動リトマス紙として頂ければ、人生のリスクを減らす事が出来ましょう。
 「君子危うきに近寄らず」…ですね♪


綺麗な言葉遣い=高い波動状態(ポジティブ)
(天皇陛下・皇室の方々の敬語・上流階級・紳士・淑女・上品・気品がある・品性・高級・丁寧な敬語・本物・意識が進化した人・格調高い・礼儀正しい人・麗しい・ホワイト企業・一流企業・心地良い言葉遣い・感謝・ありがとう・祝福・褒める・至福・喜び・尊敬の念・穏やか・優しそう、慈しみのある話し方・赦し・控えめ・謙虚・慎み深い・素敵な人・丁寧な人・愛が溢れている・気分がいい・内面の輝き・天使・優しい人・気分がいい時・上機嫌・分かっている人が使う・賢い人が使う・知性がある・品性のある話し方・信頼したくなる・お嬢様・麗しい話し方・素敵ないい人が使う・笑顔・幸せな時・愛に満ちてる時・気分が軽くなる・軽い波動・運気が上がる・神様に繋がる…愛される話し方・江原啓之さんの話し方・徳を積む話し方・愛と調和・高級霊が使う)

汚い言葉遣い=低い波動状態(ネガティブ)
(チンピラ言葉・ヤンキー・べらんめえ口調・下品・喧嘩・暴力の時に使う・血の気が多い・喧嘩っ早い・乱暴な人・荒々しい・乱暴・粗雑・けなす・偉そう・お○呼ばわり・ドSな言葉遣い・ブラック企業・恫喝に使う・パワハラ・威嚇・罵倒・三流企業・喧嘩・怒り・短気・イラつき時に使う・闇落ち・無愛想な人・愚痴・不満・雑な敬語・敬語がろくに使えない人・アホっぽい話し方・だらけた話し方・不快な話し方・不機嫌・不調和な人が使う・チャラ男・粗雑・キツイ口調・憤怒・憎しみ・嫉妬・ネガティブ・未熟な下品な人間が好んで使う・偽物・悪人がよく使う・不満顔・重い波動・運気が下がる・それだけの人間・タピオカ屋さんを恫喝した人の話し方・反面教師な人・低級霊・動物霊が使う)

言葉は波動…良い言葉を発して振動数を上げよう
https://oneness555.com/vibration-of-language

波動の高い言葉を使う
http://nakatakaori.hateblo.jp/entry/2017/12/15/133845

品のある方
http://nakatakaori.hateblo.jp/entry/2018/06/08/161837

エネルギーを美しくする言葉

波動が高い人を見分ける方法、簡単に波動を上げる方法、
幸せを引き寄せる魔法の言葉など

下町育ちで製造業の職人やってるけど「べらんめぇ口調」が嫌いです。
https://yota-28351.com/beranmetone-hate

社会的地位が高くてもイケメンでも台無し…下品な男性の特徴
https://matome.naver.jp/odai/2149680236267302101

男子にきく「残念な女子の言葉遣い」
https://woman.excite.co.jp/article/love/rid_Escala_20160924_6127458/

ドラゴンボールアニソン歌手が一般人に罵言雑言
https://girlschannel.net/topics/2407731/

ドラゴンボール歌手、完全に堕ちる
http://mylife.2chblog.jp/archives/38860988.html?1571465026#comment-11


 汚い言葉遣い(;_;)では、霊性も何もあったものではないのは明白ですからね☆彡

…とある方で、長年瞑想をしていても、全然…覚醒のかの字も無い方がいるのですが、その方はどうも…言葉遣いがあまり良くない方だと調べてみてわかりました。
 やっぱり…言葉遣いが悪いと神様と波長が合わないんだなァ…って思った次第なのです。

 シルバーバーチの霊訓でも、「高級霊」は「言葉遣いが綺麗」で、
低級霊」は「言葉遣いが汚い」、と仰っておられます。

 覚者級の偉人「ブルーシャ西村様」も、神様に愛される生き方のご著書中で、本物の…素晴らしい成功されている方々は、例外なく皆、言葉遣いが丁寧で綺麗だと仰っておられました。

やっぱり…本物の方の言葉遣いは、
丁寧で心地良い話し方」に「自然に」なります。

 「まだなってなければ」、まだまだ未熟だと言えましょう。
申し訳ないのですが…まだ「それだけの人間」という事です。
 
 私の顔は、40過ぎなのに超童顔で、非常に綺麗で若々しくて、お肌もピチピチしてシワが全然なかったりします。その上、運が神がかりなレベルで良かったりするのです。

 その要因として、常に口角を上げて微笑みを絶やさず笑顔で、綺麗で丁寧な言葉しか絶対に使わない実践を長年やっているのが良かったのかな…って。

笑顔」「綺麗な言葉・丁寧な言葉・良い言葉・他人様が幸せになる言葉…しか使わない」「人を責めない」等々の実践が私の人生に多大な良い影響を与えてくれているようです。
 本当に有り難い限りです♪感謝☆感謝です♪ぜひご参考まで♪

 普段から綺麗な言葉を使っていると、顔が☆キラキラ☆輝き出して☆彡、品性のある顔立ちに変容致します。私の上唇はフランスの貴婦人みたいに品がありますから(笑)。
 
顔立ちは40過ぎたら自分の責任」と言われておりますが、顔を見ただけで信用されるような、品のある紳士のような顔立ちになっております。

綺麗で丁寧な言葉遣い」によって、「美しい綺麗な顔」になっていくことは自分の体験からも証明できますので、美しい顔になりたいお方は、綺麗な言葉遣いを心がけるのもいいかもしれませんね。

 私が神様と波長が合う意識状態なのも、言葉遣いが抜群に良いのがあると実体験から確信しております。
 これまた、言葉遣いが丁寧で綺麗だと神様から愛されるんですね。
なんてったって私、常に神様から愛されている波動をひしひしと感じてますから(笑)。

 日本の神様は、言葉の綺麗な人を愛でられる…というお話も御座います。
大変申し訳無いのですが、言葉遣いの汚い人は日本の神様から愛されません…、愛されたいのなら、是非一度言葉遣いを正して下さいませ。

 他にも、ご自身で運が抜群に良いと自分でも仰っておられる
「小杉まりも」ちゃんも、色々な方にお褒めの言葉を頂くぐらい…
言葉遣いが綺麗で…丁寧な方なのですが、それも
言葉遣い」と「幸運」を裏付ける一つの現証なのかな…って♪

 「身・口・意を磨く」とは「丁寧に行う・言葉遣いを磨くこと」でもあります。
言葉遣いを正していく」ことが運気向上・波動上昇・ワンネスに繋がっていく最短の重要な鍵になるのではないでしょうか♡

 皆様の人生の運気向上と、幸せで神様に愛される人生へ変容して頂く事をご祈念申し上げ、お話の締めとさせて頂きます。
 長文のご拝読有難うございましたm(_ _)m♪


内なるエネルギーを高める言葉の習慣

 日本語は強力なエネルギーを持っていますから、言葉の働きを意識して、出来るだけ綺麗な言葉を話すことが大事です。また、言霊があるのも日本だけです。

 虫の鳴き声や鐘の音を言語のように捉え、耳を澄ますことが出来るのは日本人ならではの特徴で、他国の人の場合、すべてノイズに聞こえてしまうんです。

 日本独特の豊かな感性を磨くためにも、「事も丁寧に行う
綺麗な言葉遣いで話す」など、日々精進すると、霊性進化に繋がるでしょう。


非常に礼儀正しくて優しい丁寧な言葉づかいの人は人間性で信頼されて幸運が舞い込みます♪西中勤弁護士♪


弁護士の人間性

 今では、司法試験に合格しても生活のメドが立たないからと、弁護士として開業することを諦める人さえいて、司法試験に受かったのに全く畑違いの仕事をしている方もいるそうです。

 これほど競争の厳しい時代になると、重要になるのが、弁護士の人間性かもしれません。例えば、これは私の事務所にかつて所属していた若い弁護士の話です。

 彼は非常に礼儀正しい人で、依頼者にはもちろん、相手方の人間と話す時でさえ、優しい丁寧な言葉づかいをします。

 もちろん、礼儀正しいことは悪いことではないのですが、依頼者の代理人としての紛争の解決に当たる時に、相手に対して優しい言葉づかいばかりするのは、不都合なのではないかと、私は心配しました。

「君、そんな調子やと、債務者になめられるで」
 仕事がうまくいかない様子なので、時々、こんな注意をしたものです。

 彼は私のアドバイスを聞き入れて、丁寧すぎる話し方を直そうとしたようですが、あまり効果がなく、口調は丁寧なままでした。多分、それが彼の人間性なのだろうと、私もそれ以上、強くは言いませんでした。

 結局、彼は、私の事務所に四年ほど所属した後に独立しました。
それから二ヶ月後、私は彼がどうしているのかと気になりました。
 何しろ、若い弁護士が過当競争で苦労している時代です。あんなお人好しで、大丈夫だろうか。生活は成り立っているだろうかと心配していました。

「どうや、うまくいっているか」
 尋ねてみると、意外な答えが返ってきたのです。

「お陰様で、順調です」
 私の事務所にいた頃に依頼者の相手方、言わば敵方として対峙していた人から、頻繁に仕事が来ているらしいのです。

「あんなに丁寧で親切な人なら間違いない」
 そう言って、仕事を依頼してくるのだと彼は言いました。

 最初は、理由がわからなかったのですが、話を聞くうち、私は納得しました。弁護士が受ける仕事には、刑事事件と民事事件とがあります。
 私の事務所では民事の仕事が多いのですが、この場合、依頼者の相手方は別に犯罪に関わったというわけではありません。

 強盗や殺人を犯したというわけではないのですから、何も怖い顔や態度で臨む必要もないはずで、丁寧な口調で話すのもおかしくはないわけです。

 債務者にしてみれば、「金を返して」と言いにきた弁護士に、優しく丁寧な態度をされればきっと驚くでしょう。
 弁護士は、冷たい怖い態度で法律知識を振り回して、自分を追い詰めに来るとばかり思っていたでしょうから、尚(なお)の事、彼の態度は心に強く印象を残します。

 それで、相手方は弁護士を雇う時になると、彼のことを信用する気持ちになったというわけです。
 彼は私の事務所で四年間も丁寧で親切な態度を続けました。

 その間、相当数の仕事をこなしていますから、彼の親切な態度で驚いた相手方もかなりの人数になります。それが皆、彼の潜在的な依頼者なのですから、仕事が順調なのも最もでした。

 つまり、目先の仕事では少々不都合でも、丁寧で親切な人間性はちゃんと別の仕事となって良い影響を与えたのです。

 弁護士が過当競争の時代だからこそ、彼の人間性の良さが活きたわけです。
 お金を稼ぐのが難しい時代でも、人間性が良ければ、幸運が舞い込む。
 弁護士だけでなく、全ての今の若い人に、ぜひ、分かってほしいと思いました。





愛され続けるのにはわけがある
カリスマ・マナー講師  稲垣節子さん

誰からも愛し続ける女性はお金にも愛される

 私の友人で、旅先で知り合った老夫婦に見初められ、ぜひ息子の嫁にと誘われて玉の輿に乗った女性がいます。

 美しい言葉遣いをする。だれにでも優しく、おっとりしていて優雅な振る舞いをする彼女は、その代々医者の家系である名家に相応しいと思われたのでしょう。

 普段から万人を重要人物としてきちんと扱っていれば、こんなシンデレラ・ストーリーもあり得ます。美しい言葉遣いには、人脈やお金持ちのアッパークラス(上流階級)の輪にアクセスする力があるのです。

 また、例えあなたがアルバイターだったとしても、美しい言葉遣いをする、いつもニュートラルな発言ができる人物であれば、時給は上がっていくでしょうし、「バイトじゃもったいない」と社員登用の話が必ず出てくるはずです。

 なぜなら、誰にでも心地よさを与え、VIP対応が出来る人物というのは、ビジネスで売上を上げる人物だからです。

 ですから、お茶汲みのパートさんでも「あの人はとても気が効いて感じがいい。何処に出しても恥ずかしくない」と評判になれば、秘書室採用から社長秘書に抜擢される可能性もあるのです。

 自ずと会社の中でポジションも上がっていくのは間違いありません

 社会から必要とされる人は、VIPがVIPを対応するときにパーフェクトになります。

 誰からも愛され続ける女性というのは、優雅で知性に溢れ、等しく人に優しく、美しい言葉遣いで話す品位のある人物のことでしたね。愛され続ける女性というのは、お金も仕事も愛情もすべてを手に入れる事が出来るのです。

 それは貴女自身のことです。すぐトレーニングを始めましょう。
 大丈夫。幸せとはトレーニングなのですから。
 物事の理を知れば、「指パッチン!」であなたもすぐに変身出来るのです。

人は誰でも愛されたい。自分を愛したい

心が汚れた時は浄化のシャワーを浴びる

 あまり知られていないお話ですが、シャルル、ペローの童話で、心優しい妹の口からはしゃべるたびに宝石やお花が出て来ますが、心の醜い姉の口からはヒキガエルや蛇が出てくる「ダイヤモンドとひきがえる」があります。

 私達はその両方を気分次第で出しています。本当にそうなれば、私達はもっと注意することが出来るのですが、面は見えないので、自分で意識する必要があります。

 日常の中でも、私達は人間関係というのは、プラスにはプラスを、マイナスにはマイナスを呼び起こすエネルギーワークなのです。

 では、受け取った毒サソリを自分の中で増幅させて、今度は自分が周囲の人に小さな毒サソリを沢山ばらまいてしまうのを防ぐ方法はないのでしょうか。

 マイナスをプラスに変換できる唯一の言祝の言葉があります。それは「浄化」という言葉です。
 身体が汚れたらお風呂でシャワーを浴びますが、心が汚れてしまったら浄化という言葉のシャワーを浴びるのです。

 呼んで字のごとく、争いを水で浄めると書きます。自分の心がざわざわと波立つ時は「浄化をします」と口に出して下さい。

 その毒サソリは綺麗な蝶になって飛んでいきます。浄化が上手くいくと、人からぶつけられたマナスのエネルギーは、プラスに変えることが出来ます。最も強力な解毒剤なのです。

 「ありがとう」という言葉も強力な言葉です。でも本来感謝するときに使う言葉ですから、相手を恨んでいる時や恨まれている場合には処方箋が異なります。

 ですから「浄化」という言葉で解毒し、消滅させましょう。このシステムを自分の体内にもつ事ができれば、多くの病気から守られて健康になります。

 そして、幸せになるこのシステムは不可欠です。手にして初めて、日々是好日となるのです。


カリスマ・マナー講師  稲垣節子さん
あなた本来の美しさを輝かせる上級マナー
現在の若者言葉

 私は、可愛らしいお嬢さんたちが、「うまい」「でかい」「うっせーよ」という下品な男言葉で話しているのを聞くと、親御さんはきっとこの言葉を苦々しく思っているはずだと分かります。

 また、ビジネスシーンでも、(これは若い男性にもいます)、「ていうか」「やっぱ」「逆に」と、接続後をやたらと無意識に繰り返している方を見かけると、上司はきっと手を焼いているだろうと察します。

 それだけではありません。もっと大事なことはあなたの心が健全に育たない事が怖いのです。あなたにとって、下品な言葉遣いはとても有害だということです。

 あなたの話し方や立ち振舞いは、親の躾の結果として見られます。

 あなたがきちんとした日本語を話す人であれば、周囲は「きっとしっかりした家庭で育ったに違いない。親の顔が見たいものだ」と思いますし、逆であれば「まったくどんなしつけをしてるんだ。親の顔が見たい」となってしまうわけです。

 あなたへの評価は、あなただけでなく、バックボーンであるご両親に対しての評価にも繋がってしまいます。あなたを大切に育ててくれたご両親が誉まれを受けるのはアナタ次第だということです。

 まず正しい日本語の使い方を知りましょう。そうするとあなたの心は健全に育って、慌てず騒がず感情的にならずにゆっくりと話せるようになります。

 昔、喧嘩随風というあだ名の僧がいました。何処に行っても争いが起こり、血の雨が降りました。しかし随風はその理由がわかりませんでした。

 彼は魂の鍛錬をすると争いは一つも起きなくなりました。
魂の鍛錬とは真に言葉遣いを改める事です。それはあなた自身を守ることになります。


「こっち」「あっち」は、「あちら」「こちら」に

 お客様に商品などをご紹介する時に「こっちが◯◯で、あっちが◯◯です」
といった言い方では「いつまでも学生気分が抜けない」と思われてしまいます。

「こっち」「あっち」といった普段着の言葉遣いは、ビジネスシーンでは使うべきではありません。

「こちら」「あちら」「そちら」といった丁寧語を使うようにしましょう。


成功者は・自分も他人も大切に扱い丁寧な言葉で人と接し良い言葉を使います♪引き寄せの法則♪千代鶴直愛さん


最高のセルフイメージを常に考える

 物心ともに成功している人と話していると、やはり、言葉の端々に、自分を大切にしていることがうかがえる。
 謙遜して、「私でよろしければ」という言葉は使っても、「私なんか」と自分を卑下するようなニュアンスの言葉はまず使わない。

 そういう言葉の一つひとつが、自分の人生に大きな影響を与えることをよく知っているから、思考と言葉に細心の注意を払っているのだ。

 あなたも、成功者たちと話をすると、言葉の使い方一つひとつによく気を配っていることに気づくはずだ。彼等はまず、乱暴な言葉や、誰かを小バカにするような言葉は使わない。そういう言葉を使うと、その言葉が自分に跳ね返ってくることを知っているからだ。

 心理学者カール・ユングによれば、私達の無意識は、個人的無意識と、他人に繋がる集合的無意識とに分かれ、後者は、個人を超えて地域的な無意識や民族的な無意識、そして、人類的な無意識に断層的につながっているという。
 つまり、私達の無意識には、自分と他人とを区別できない意識が含まれていというのだ。

 そのことからすると、誰か他人に言った言葉であっても、潜在意識は、自分のこととして受けとめてしまう可能性があるわけだ。

 だから、「あいつはダメなヤツだな」などと言ってしまうと、潜在意識は「ダメなヤツ」という言葉だけを認識するので、自分のセルフイメージに、「ダメなヤツ」というプログラムがインプットされてしまうのだ。

 自分も他人も大切に扱う。丁寧な言葉で人と接し、良い言葉を使う。そして、自分の最高の姿をいつも思い浮かべ、その時の充実感、達成感、ワクワク感、誇りなど、自分が味わい感情を味わう。

 すでにそういう自分になったかのように、その気分に浸りきる。これも訓練なので、継続して行うことで、あなたのセルフイメージは少しずつ、しかし、確実に書き換えられていく
 そうなると、そういう自分にならないほうが難しくなるのだ。

アメリカ人は「ポジティブで前向きな言葉」を使うお話

 アメリカの国力低下が指摘されているが、私はアメリカは依然として強い国だと思っている。アメリカ人ほど楽観的で、前向きな国民はいない。

経済状況は決してよくないのに、会えば必ず「ファイン!」「エクセレント!」「グレート!」と、威勢のいい言葉が最初から飛び出してくる。長年多くのアメリカ人と接しているが、彼らからネガティブな言葉を聞いたことがない。

 日本人が話す言葉はどうだろう。「寒い」「しんどい」「苦しい」「疲れる」「うーん、最近調子が悪くてなあ…」。こうした後ろ向きで暗い言葉が会話の中心になっている。
 よくて「まあまあですね」。これで国の将来がよくなるはずがない。日本も1960~70年代は、明るく前向きな言葉があふれていたように思う。

 作者は1973年、日本電産を創業後、アメリカに渡っていました。あるとき食べた生牡蠣に当たり、病院のお世話になりました。

 救急車で病院に担ぎこまれ、苦しみながらベッドに横たわっていると、病院の医者と看護師が「ハウ・アー・ユー?」と聞いてきた。大丈夫な訳がない。私はとっさに「アイム・ノット・ファイン」と蚊がなくような小さな声で答えた。医者は注射を打って治療してくれた。

 翌朝、無事に回復して退院しようとすると、その医者が質問してきた。私が日本で起業したことを話すと、「じんましんぐらいで、弱気な事を言っていては成功しない。
 ノット・ファインというような言葉は二度と使ってはいけない」と、激励を込めてアドバイスしてくれた。その医者の弟もボストンでベンチャー企業を経営していたのだ。

 私はその言葉を聞いてから心を改め、変身した。「ネアカ、イキイキ、ヘコタレズ」をモットーとし、常に前向きな姿勢で仕事に取り組み、日本電産が成長するきっかけになった。
 それ以来、「今日は暑いなあ」と思わず言ってしまっても、すぐに「でも帰ってから飲むビールの味は最高だろうなあ」と前向きな言葉に転換するようになった。

 グローバル市場で戦うため、日本人に足りないのはこうした前向きな心構えだ。否定的で後ろ向きなことばかり言っていると、戦う前に負けてしまう。


悪い念も周波数を変えることでブロックできる
笑顔は呪い返しの極意です

 
周波数の音だけで、実は病気は治ってしまいます。
 本来、周波数には形状化作用があり、後から中身がつくられていったものなのです。それが日本語の形霊(かただま)であり、音霊(おとだま)です。洋服も形霊です。ですからデザインは大事なんです。

 形霊とは、磁気がつくり出す磁気波動であり、神聖な形は整った磁気を発信します。元は光ですから、光という磁気が電子に代わって体に入って来ます。ですから宇宙から地球から、また美しい寺院や神社の建物や、毎日自分が用いるもの身につけるもの、着るもの、食べる物などの周波数はとても大事なのです。

 人間の発する念というのは、怖いものです。
 なぜならそれも周波数だから。悪い念を周波数で飛ばすこともできるので、病気にすることも、治すこともできるのです。

 しかし外に向けて飛ばしたものは、いずれ自分に戻って来ます。そして飛ばしている人はより大きなダメージを受けることになります。
善因善果・悪因悪果、因果律の法則、波動は4倍になって自分に返ります

 飛ばされた悪い念をどうやってブロックするかという事ですが、そもそも自分がそういう悪い念の周波数に合っているからブロックできないわけで、自分の周波数を上げてしまえば同調せずに済みます笑顔・感謝で波動上)。

 そもそも悪い念というのは周波数がすごく低いので、疲れている時や気が病んでいるときとか、落ち込んでいる時に入ってしまいます。それは油と一緒で、PHが近いから油汚れが落ちるのと同じで、似ていて近いということです。

 そうした悪い念を入れないようにするには、明るく笑うことです

 
だから笑うことが一番いいのです。明るい波動というのは周波数が高いのです笑っていると免疫も上がり、胸腺が活発になり、口角を上げるだけで胸腺が活性化されます。ですから※笑っていれば大丈夫です

(※竹内文書の正当後継者の方が、呪い返しの極意は、「笑顔」だと言っていました。いつも笑顔でいれば、悪い念の影響は心配しなくても大丈夫ですね)
                 増川いづみ


☆★☆ 幸せな毎日を送るためには、光り輝く笑顔を忘れないことが何より大切です♪天使の恋愛メッセージ♪凰宮 天恵さん *:..。o

8 21, 2016
新しい地球のStar Lover達へ

花の美しさは花のためにあるのではなく
その美しさを愛でる者のためにあります

 どんなに美しい花でも、自分自身のために咲いているのではありません。
 その花を美しいと思う人達のために咲いているのです。
 まわりに美しいと感じてもらうことが花の喜びです。

 それと同様に私たち人間も、花のような美しさをまわりの人達に伝えることがとても大切です。
幸せな毎日を送るためには、光り輝く笑顔を忘れないことが何より大切です。


江原啓之さん
自身が生まれる「自分磨きのスピリチュアル・レッスン」
内面の美しさは必ず相手の心に届きます   

 笑顔は、興奮を呼びこむために、また、いい仕事をするために、無くてはならないものです。笑顔がなければ、どんな美人でも、幸運には恵まれません。仕事もうまくいきません。一時的にはうまくいくように見えても、長続きはしないのです。

 逆に言うと、笑顔さえあれば、顔がどんな造作であっても、幸せになります。周りにいい人が集まるからです。仕事は人で決まりますから、仕事もうまくいくのです。

 人には、それぞれ個性があります。整った顔が好きな人もいれば、愛嬌のある顔、味のある顔が好きな人もいます。美人に生まれたからといって、万人に好かれるわけではありません。

 けれど、いつも笑顔の人は、万人に好かれます。それは事実です。
 いつも笑顔でいる事は、簡単なようで、中々出来ることではありません。

 何があっても、笑顔で乗り切る強さがある人、悩んでいる人を笑顔で癒せる優しさのある人、周囲にいる人全てに、笑顔という愛を与えることが出来る人。

 つまり、心が美しい人でなければ、いつも笑顔でいる事はできません
 造作ではなく、心が美しいかどうか。それが、すべてを決めるのです。

 これを読んで、「そんなの。キレイ事よ」「美人が特に決まってる」
と思った人は、注意して下さい。すでに心が素直さを失っています。
 
 実際、相談者を見ていると、どちらかと言うと造作には今ひとつ自信がない、という人の方が幸せになっています。 
「私は外見では勝負できないから、せめてサービス精神はたっぷり持っていよう」
「せめてジョークの達人になって笑わせよう」   
 
 そう思って生きているから、愛嬌があります。生まれてついての美人でも、チヤホヤされてきてしまった人より、周囲に「与える」事を知っています。だから幸せになれるのです。

 美人に生まれるというのは、必ずしもいい事ではありません。魂を磨くチャンスが少ないからです。仕事をすると第一印象が大切なのは事実です。
 ですから、印象を良くするために、色々と努力をすることはとても良いことだと思います。

 一番行けないのは、「私は生まれつき、器量が悪いから」と、うつむいてしまうことです。「こんな顔だから、どうせいい印象は与えられない。だから仕事ができなくても仕方がない」と考えていれば、絶対に魂は輝きません。いい仕事をすることも、当然出来ません。

 「容姿に自信がない」と、気がすくんでしまう時ほど、人の中に出ていきましょう。そして、いろんな人を観察して下さい。外見がいいから、仕事ができているのかどうか。幸せになっているのかどうか。そうではないことがきっと分かると思います。

 いつも笑顔でいられる、強くて優しい人のところに、仕事でも幸せも集まっているはずです。外見は、関係ないのです。
 さあ、うつむけていた顔をあげましょう。笑顔の練習から始めて下さい。


中島孝志さん
人は自分の心の波動に合ったことにしか出会えません
未知との遭遇を楽しみたいのならば波動を変えることでです
波動が宇宙と調和すれば魂の喜ぶ人生が拓けてきます

 あなたには世の中がどう映っていますか?
 邪悪で罪深い人々ばかり生きていると感じているでしょうか。それとも、善良な人間に囲まれて生きていることに感謝する日々でしょうか。

 この世が素晴らしく愛に満ちた世界に見えるならば、あなたの心は細やかで高次元の波動で満たされている証拠です。
 そのような波動であれば、あなたに起こる出来事は楽しく嬉しいことばかりです。

 逆にどろどろと恐ろしい世界に感じるならば、潜在意識に何らかの富南を感じているに違いありません。そのような場合は、不安を増長するような体験を引き込む可能性が強いのです。

 人は自分の心の波動に合ったことにしか会いません。
 それが波動の法則です。

 波動を整えるコツは善悪や損得のこだわりを捨てて、愛と慈悲の心を持って行動することです。人間の汚れている部分も素直に受け容れるのです。

 嫌な出来事は精神的に否定したり拒絶したりせずに、素直に心をオープンにすればするほど意識の中に入ってこなくなるのです。

 そうすれば、あなたの精神的な霊的な成長が阻害されることもありませんし、意識がどんどん広がっていきます。
 素直に心をオープンにすればするほど、波動は細やかになって精神が神の座に収まって、変化や危機を恐れなくなります。

 憎しみや争い、怒りや喧騒(けんそう)の波動をもっていれば、魂の平安はやってきません。
 あなたを喜ばせようと幸運がすぐそこまで来ていても、粗い波動では近づく事もできません。


七田眞さん
今すぐ出来る、波動で美しくなる生き方

1.心

  美しい人とは、感謝する心、明るい心、人に対する愛の心を持っている人です 心が美しいのです。
このような人は、人間性が高く、人やものを癒す力、生かす力があります。

  波動レベルが高い生き方をしているとも言えます。
  波動レベルの高い生き方をしていると、愛にあふれた人がどんどん集まってくるようになり、職場の人間関係や恋愛などが、今までと一変して、良い方向へと向かい始めます。

  一方で、愚痴・不満を言うと、同じように愚痴・不満ばかりを言う人ばかりを集めることになります。
  皆さんも、「幸せな人生を送りたい。そのためにも美しい心を持ち続けたい。」と思うのではないでしょうか?

  実は、今すぐ簡単に実践することができます。「私は今、どんな生き方をしているだろうか? 私の心は、プラスの波動、マイナスの波動のどちらの状態にあるだろうか?」と考え、 常にプラスの波動になるように心がけて生きることです。

  今、自分がどんな波動で生きているかを、すぐにチェックできる方法があります。 それは、自分の心の状態が、
「いい気分であるか」
人に優しい気持ちを持っている
「意欲的であるか」
を絶えずチェックすることです。さあ、早速実践してみましょう。

2.呼吸

  高い波動は、健康な体と明るい心から生まれます。その2つを手に入れるためには、呼吸が大切になります。
  実は、私たちが何気なくやっている呼吸は、心身の状態と深く関係しています。
  悩んでいる時や悲しんでいる時は、呼吸が浅く早くなっています。
逆に楽しい気分の時やリラックスしている時は、深くゆったりとした呼吸をしています。
  深い呼吸は、深いリラクセーションをもたらし、宇宙の愛の波動とつながり、奇跡を起こす力があります。


3.イメージ

  イメージを上手に使いこなせるようになると、若さ・美しさ・健康を保ち、自分で思い通りの現実を創っていくことができるようになっていきます。
  イメージトレーニングは、即効性があり、とてもシンプルで継続しやすいものです。毎日10分〜15分行いましょう。


4.習慣

  美しくなるためには、波動を高める習慣が必要です。では、どんな習慣が良いのでしょうか?

  波動を高めるためには、新しい習慣を創っていけばいいのです。
周囲の人に笑顔で接する習慣」、「落ち込んだ時にすぐ気分転換をする習慣」、「波動の高い人と付き合う習慣」など、波動を上げるために必要な習慣です。絶えず意識して、実践していきましょう。

  ここで、日常生活の中で簡単に実践できる、10の習慣を紹介しましょう。
この習慣が定着していけば、自然と波動が上がり、人生が大きく変わっていきます。

  この10の習慣を指針として、日常生活に活かしてください。きっと、プラスの方向に変化が起こってきます。


☆波動を上げるための10の習慣☆

1.親切…人に親切にする
2.謙虚…謙虚な気持ちを忘れない

3.素直…素直な気持ちで生きる
4.感謝…常に感謝の心を持つ

5.思いやり…周囲への心配りを持つ
6.いたわり…いたわりを持ってまわりに接する

7.明るさ…笑顔を心がける
8.奉仕…無償の奉仕を行う

9.幸せを分ける・・・自分の幸せを周囲と分かち合う
10.自分は幸運だという考えを受け入れる・・・何が起こってもラッキーだと思う



エネルギーや波動を即効で高くする方法  

 最近エネルギーを感じるとか、波動を上げたいとか話題になる事があります。
 でも、実際にエネルギーを目で観る事は出来ませんし、波動の高さをオーラによって目に見える人はまだ少ないでしょう。

 エネルギー・または波動の高さを見分ける、簡単な方法をそっと教えますね!

明るい雰囲気=エネルギーや波動が高い・・・・という事です。

 土地や家についても同じです。じめじめしていない爽やかさの感じる場所、土地はエネルギーや波動が高い。
 明るい感じや爽やかな感じは、エネルギーや波動のバロメーターになるようです。

 明るく爽やかな人は、大体エネルギーや波動が高いのでは?・・・と思われます。 
 家の場合は常に風通しを良くしておくと爽やかになって、波動・エネルギーの高い場所になる事でしょう。

<地球救済の宣言と祈り>・・・・・と題していますが、やってみると判りますが、実際には〈自分救済の祈りと宣言〉であることが判ってきます。

 この言葉は心の中で言ってもいいし、声に出して言っても良いです。歩いている時、電車の中などで手持ち無沙汰の時、眠れない時、想念に振り回されてクタクタに疲れている時、家の中、トイレの中・・・・・所選ばず唱えてみてください。

 暗い感じや嫌な感じがする所では、最低3回以上言ってみてください。
 感じが明るくなる事が、かなり体感できるでしょう。

 体調の悪い時や金縛りなど・・・一般に憑依現象と言われている状態になった時も、真剣にこの言葉を言い続けていると開放されてきます。
 実験済みですのでお薦めです。

 この言葉を、言いやすいように変える人がいますが、一字も変えない事をお勧めしたいです。

 次項に掲載しますので、どうぞ、いつでも、どこでも、誰でも、唱えてみてください。明るく爽やかかな場所や人がどんどん増えていきます。必ず実感できるようになりますから、その体験ができるまで楽しみながら続けて下さい。


地球救済の宣言と祈りと宣言〈自分救済の祈りと宣言〉

私は、私の周りの全ての存在、意識体に宣言します。
私の持てる全ての光をささげます。

この光は、根源より供給され、尽きることはありません。
私は光、私は光、私は光、

私の光の全てが、この地球を覆い尽くし、地球と一体となり、
私の存在の全てが、ちきゅうそのものである事を祈ります。

私は、地球が感じる感情の全てを理解し、
共に分かち合うことを誓います。

私は地球に光を注ぎます。
私は光、私は光、私は光。


開運芸人でもある・超絶美少女の芸人まりもちゃんの運気上昇ブログです♬
気品のある丁寧な言葉づかいが素敵な女性ですね♪
こんな美人で…可愛くて品性もある小杉まりもちゃんに…私もメロメロ♡♡です。



自分の内なる神と繋がるのに効果的!  九曜流・セルフケア

言霊エクササイズ

①「呼吸を整えるエクササイズ」を行います。(※省略します)

②大きく息を吸い、吐きながら胸の真ん中で、「ま」の音を響かせます。
息が続く限り「ま~」と発しましょう。

●声を出そうとせず、「ま~」と響かせるように意識します。バイブレーションが全身に広がると、声が出やすくなります。この時、胸の中に太陽が昇る様子をイメージします。血液が良くなり、全身がポカポカしてくるでしょう。

●仕事中や一息ついた時などに行うのもお勧めです。座った状態でも構いません。


感謝を伝える時は「ありがとうございました」と言いましょう

●単に「ありがとう」とか「ありがとうございます」というよりも、「ありがとうございました」のほうがベストです。

●「ます」はエネルギーが閉じるのに対し、「ました」はエネルギーが開く感じがするでしょう。ささいなことのようですが、発するエネルギーが違います。エネルギーを感じながら言葉を放つようにしましょう。


話す時は腹式呼吸で、おなかから声を出すようにして下さい

●声のバイブレーションが体を振動させて、全身にエネルギーが循環し、癒やしが起こります。

●日本は古来、祝詞(のりと)が大切にされてきました。声を出す、響かせることは、エネルギーを活性化します。

●高音で歌うと、頭がクラクラして心地良さを感じることがあると思いますが、これは声のバイブレーションが視床下部に直に刺激を与えているから。歌うことでストレス発散にもなるので、カラオケもお薦めです。

笛吹パンダさん
長い人生、一年くらいは
気楽に生きてもバチは当たらない

 この地球上で飢えていたり傷ついていたり、不幸な人が沢山いるのに、自分が幸せだとバチが当たりそう・・・なんていう人が時々います。

 でも、僕の知っている限り、幸せすぎて罰が当たった人は一人もいません。
何故かと言うと、幸せな人はそれだけでこの地球の波動を幸せモードにするのに貢献しているからですその人の幸せモードが自然と周りの人たちに感染するからです。

 それともう一つ、ハッピーな人は、感謝の気持ちであふれています。そして、ついついそのハピネスを他人にもわけてあげたいという気持ちになるからです。

 人の喜ぶ姿が自分の幸せレベルと上げてくれるのも嬉しいし、具体的にどうやってこの幸せをシェアーしようかって考えるのが楽しいからです。

 ですから、遠慮無く今この世に行きている幸せを感じてくださいな。そう、今年一年くらいは無理せず気楽に生きても、神さまからも誰からも叱られませんよ。

 もし天から叱られるような人がいるとしたら、自分に愛する力がないと勘違いしている人や、一生幸せになれっこないと思い込んでしまっている人たちかもしれません。

 前にも書きましたが、人間は自分の内側に、幸せを感じるためのすべてのものを持って生まれてきています。
 ですから、幸せに暮らすのが当たり前なんです。大いに気楽に生きちゃいましょう。

 おっきなLOVE!パンダより


波動とは何か  知花敏彦先生

心の波動が良ければ、バイ菌も無力になる

 自分の肉体的な病気は、心の波動が生み出しているのを忘れてはなりません。
 例えば外部からバイ菌が侵入してきても、元々体に愛の波動を持っているならば、バイ菌とは絶対に波長が合いませんから、肉体に入ってくることが出来ません。同じものを食べましても、中毒になる人とならない人がいるのです。

 低い波動を持っていますと、病原菌、ビールス菌などが入ってきます。皆さん方のバイブレーションが高ければ、低い波動のバイ菌はどうしても入ることが出来ません。そのような人を防御能力が強い人と言いますが、その人間はオーラがあるのです。

 愛の波動を出しますと、光のドームができます。オーラが出来るのです。それらはみな光を放っています。その光がピンと張った状態になりますと、バイ菌が入ろうとしても絶対に受け付けてくれません。

 ところが、愛の光線が弱くて、自分から出ている波動が弱く、しおれているのではすぐに入ってしまいます。外部から入ってくる病原菌と波長が合わなければ入りようがないのです。

 私達の日常生活は全て波動だといえます。心の悪い人は悪い波動が出ます。憎しみの心は憎しみの波動しか出ません。愛の心は愛の波動しか出ないのです。

 では、みなさんが人を憎んでいる時はこのオーラは力強く光っていると思いますか、弱いと思いますか。それは弱いのです。

 オーラが強くなりますと、それはもうものすごいオーラになり、ドームで包みます。そうなりますと、いかなるものも外部から影響を受けません。

知花敏彦 光くんのブログ

から引用させて頂きました。心から感謝申し上げます。

想念波動DVD (知花敏彦 1993.2.3 清里講話)

深い瞑想状態―― (想念波動より)

えーいちばん深い瞑想状態に入るという意味は、これを深い沈黙といいますけれど、そこに一点の形も見えたり考えたりしてるなら深い沈黙じゃないのですよ。
神は無形にして無双ですから、何の形もないのですよ。無限の広がりなんですね。無形無双の宇宙を体験いたします。

あなたが瞑想している五感という肉体を感じてるなら、深い瞑想状態ではありません。
もう肉体を感じなくなって普遍的な大気に融合しますと、そこには無限の広がり、広大な宇宙が存在しています。
そこにはこの小さな偽我というのは存在していません。神一元・神我一元と言う広大な普遍的な自分を体験するんですね。

その時、この三次元という世界から全く解放されているので、この世の思いというのも一点も、頭にも心にもありません。これが深い沈黙なんですね。
この世の思いというのも全く切り離されるんですね。この地球でさえも消え失せますよ。

その時もう、自分も全くきえてなくなって、地球でさえも消えてなくなって、全ての形態がが消えてなくなって、そこには不可視の広大な宇宙が存在してますね。

これを沈黙の力と言いまして・・・その時、七つの霊的中枢から愛光と言って、太陽の何百倍と言う光を放ちます。その時、この世の太陽がお月様みたいに曇って見えます。なぜかと言うとあなたの霊的・宇宙太陽の方が光源を増しているからなんですね・・・

これが中心☉・霊太陽ですから。

霊と言うことは、太陽と言うことなんですよ。太陽神といって・・・
われは世の光りなりと言って・・・その時想像を絶する光が出ますよ。

私はその太陽の世界にいる時は、この世におりません。私は今朝ここに降りてきたようなものなんですよ。ここにくる5分前まで私はその光の世界にいたのです。そして、肉という形の世界を意識した時、私のバイブレーションが下がってここに降りてきたようなものなんです。
外を意識している時は、外におるし、内を意識してる時は内におるのです。

これはどなたでも可能です。ぜひ体験してください。
光りが現れれば、ニセモノは消える。この形と言う偽物はすべて消えてなくなります。ぜひ体得して体感してください。ありがとうございました。  

何回もの繰り返し・・・

悟りは一皮一皮・一段一段です。何回も何回もの繰り返し聴くことによって、少しづつ、一歩づつ歩んでいくんです。あ、この前わからなかったけど、今日は何か一つ気づきがあるなとか。ある日突然に、偶発的に悟るとかいうのはありません。求めて求めて、叩いて叩いて・・一歩一歩です。
焦らずに急ぎなさい―

なぜ、一挙に目覚めることができないかというと、それに耐えられるものはいないからです。一枚一枚玉ねぎの皮をむくように・・・だれが耐えられるの?いっぺんにそれを剥いたら。あなた方の、長年の「人間」という迷妄を一挙に剥いだら誰も耐えられません。 少しづつ、少しづつ・・それがあなた方の為なんです。

波動とは何か

良い波動とは何か

 波動とは何かについて説明してみたいと思います。
 最近は波動という言葉が、色んな商品説明その他にも使われていますが、波動が何であるかを知っている人は非常に少ないのです。

 波動が悪いとか、よいとか、波動が高い、低いなど皆さん方は言いますが、波動という言葉や文字は、ただ言葉の上で書いたり読んだり言ったりするだけでは何の意味もありません。

 波動とは何かといいますと、まずは心であると言っても構いません。心が悪いと悪い波動が出ますし、心が良いと良い波動が出ます。

 波動というのは字のごとく振動です。振動ですから波動のことを外国語に直訳しますと、バイブレーションといいます。波動を高めるのをバイブレーションを高めるといいます。

 私達の言葉の一つ一つが全て振動していますし、波動です。振動しているのを形にしますと波形となりまして、形として現れてきます。波形は色々な振動によって変わります。


悪い波動とは何か

 波形は波動といい、振動ともいいますが、波動にも波の立たない状態と波立つ状態とがあります。波立つ状態をパルス型といい、上下の高い波形が存在しています。

 冷静な心の持ち主は、高低の少ない状態を表しています。電気的なものでも、直流型、交流型、パルス型などという言葉で説明できます。

 破壊的な想念の持ち主ですと、波動はパルス型になります。皆さん方が怒り狂っている時には、体内でどのような波動が出ているかといいますと、極端なパルス型が出ています。ですから破壊的振動が出ているわけです。

 冷静であるときは、直流形の波形が出ています。穏やかな波形は直流型で、次は交流型、パルス型は極端な波形が出ていますが、これらは全部が振動です。


波動は色んな作用をする

 冷静な気持ちでいますと、常に直流型の波形を保つことが出来ます。健康にはどの波形がいいかと言いますと、穏やかな波形である直流型です。破壊的なパルス型は健康にはよくありません。溶接あるいは機材の切断など、破壊する作業にはパルス型を使います。

 更に申し上げますと、パルス型をもっと周波数を高めまして振動を変えます。すなわち高周波数にしますと、物が消滅するのです。物が消えてなくなります。極端なパルス型にしますと、破壊されます。つないでいる分子が全部分離してしまいますから、切断されます。

 極端に言いますと、分子が破壊されるのです。分子構造が破壊されますと、すなわちDNAが破壊されることにもなります。大体において、癌になる人はパルス型です。分子構造が破壊されまして、そこに体内の異変を感じるのです。

 私達の日常生活での心の状態そのものが波動となります。憎しみの心を持っているときには、皆さん方はどうなっていると思いますか。よい波動が出ていると思いますか。

 貴方の体内には憎しみというバイブレーションが起こります。そのとき皆さん方の体調は良くなりますか、悪くなりますか悪くなります。

 穏やかになって、愛の波動を持っている時はどうなりますか。落ち着きます。同様に、波動も落ち着いてきます。いらだつという言葉がありますが、私達の心がいらだっている時には、細胞もいらだっています。

 いらだちの波動を出しますと、同じようなバイブレーションが出ますから、私達が健康である為には常に冷静であるよう、心の管理が必要になってきます。

 これを心のコントロール、想念のコントロール、想念波動といいまして、想念そのものが波動となります。憎しみの想念は憎しみの波動が出ますし、愛の想念は愛の波動を出します。

知花敏彦先生
瞑想の危険性について

 知花先生が仰るように、目を瞑る「瞑想」は危険を伴いますので、要注意ですね。こういった理由で、私は瞑想は、全然やらない派だったりしますてへぺろ☆(・ω<)☆彡

 ですが、悟りの頂点に登る道は色々ありますから、瞑想にこだわらなくても全然大丈夫です♪
私は瞑想以外の努力で、この世の闇を一切受けない「光る者」に変容致しております。
ぜひ皆様も「真理の理解」「洗心」で「安全確実」に、高い境地にまで到達して頂ければ幸いで御座います。

霊性進化より・・・幽界のこと、瞑想=迷想?、物質化現象

ここの話はあまりに高い話だから、みなさんなかなか理解できない。特に宗教を生噛りしていた者は、そこの先入観があるので時間がかかります。しかし、無信仰でそこに向いてなかったものは、神霊の次元に入りやすいですね。

感情的な人はですね、神霊に入るのも簡単ですよ。ちょっとの努力なんです。幽界で留めたら最後です。だいたい中間のものは感情的になるんです。この世で、ある程度いいところまで先生方が行くけれど、途中で崩れるのは、みんな幽界で崩れてるんです。ここから上にいけないのですよ、感情的になって。

そういう処も、皆さん方は通る必要がない。幽界に意識を向ける必要がないわけですから。

瞑想して、幽界に意識を向けてパルス型になった人もおります。だから、瞑想は危険ですよ。幽界に意識を向けて瞑想したら、感情的になったり、一人笑いをしたり、一人泣きをする人がいるわけですよ。

ここは感情界ですから、感情が高ぶりますから。この感情の波を治めるのは、神霊しかないのですよ。鎮めることができるのは。
だから、「静まれ!」と命令する者がなければ、いつもこういう状態で高ぶった状態で人生を送ってしまう。

だから、瞑想は危険だと言える。それは、高い神霊に意識を向けないで、低い幽界に意識を向けた時です。あなた方が瞑想中に、いろいろの現象に意識が向いてる時、どこに意識が向いてます?幽界に向いてますね。そうすると、気違いになったりするんですね。

もう一つ言いたいのは、神霊に意識が向いてる時に、たたりとか憑依霊の本が書ける? 幽界のことは幽界に繋がっている時にしか書けないのですよ。神に繋がっている人は、神のことしか書けないのですよ。幽界に繋がっていて、神の世界のこと書ける?

あなたは憑依霊現象の本を読んでる時、どこに意識は向いてます?幽界に、神に? その本の影響と言うのは大きいですよ。書く人も幽界に意識を合わせて、読む人も幽界に意識を合わさねば読めないわけですから。

だから、書物によって非常に人間に有害なものと、利益になるものがあると、ご理解いただきたいですね。幽界の本を読んで、神界につながる?

みなさん神界に意識を向けますと、この世の本は不要となるんですよ。必要としないのですよ、それ以上のものはないわけですから。

聖書とか仏書とか、天啓を受けたとか神に目覚めた人が書いたものは、神のバイブレーションを持っています。バイブルと言って、バイブレーションなんです。
だから、いまだかつて聖書に打ち勝つ書物は存在しないのです。

ベストセラーなんです。なぜかと言うと、真実を述べているから高いのですよ。また、そこと理解があるものが、神とつながったものが書いてるわけですから。その本がバイブレーションが低いはずはないですね。

だから、皆さんのバイブレーションは自由意思で、外を見ている時はバイブレーション低いし、神という高次元に意識が向いている時は、みなさんの波動は高波動となると。

「われ神なり」という想いを起こしている時、みなさん肉体バイブレーションですか、神のバイブレーションですか?そうすることによって、いかなる病も悩みも解決できますよ。

再び病気にならない人は、常に高いものに意識を向けていれば、病気にならないですよ。自己治癒力と言いまして、自分のバイブレーションを上げておれば、いかなる病も癒せます。

どこに意識を向けるかで決まるんですよ。そのことを、考えればいいのですよ。3チャンネルしかありませんので、どこに合わせるか。まあ1チャンネルに合わせますか、神という原点に合わせたいと思いますね。

簡単なんですけれど、難しいのですね。それが、難しいという考えが難しくしてるんですよ。神を想うのが何で難しいのかと。

神を想えば神が現れ、そこに意識を向ける人が、1人でも多くなれば、地球上のバイブレーションは高くなりますね。これが、人類救済なんですよ。地球の救済なんですよ。

今、全部物質に向いたから地球のバイブレーション下がって、地球は死ぬか生きるの病にかかっているんですよ。それは、物質に無我夢中だったからじゃありませんか。どうです?

だから、高度の物質文明が栄えた時、地球はバイブレーションが低くなりますので、地球は何回も滅びたわけですよ。誰が滅ぼしたのですか?人間がですよ。そこにいる人間がバロメータを、波動を落としたから、ダメになったのですよ。

今、地球のバイブレーションは上がりつつありますよ。その日をいかに待ち望んでいたか。苦しい時の神頼みと言って、物質に頼れなくなると、みんな霊性に向いてきますので、その日を待っているんですよ。

もっと厳しくなってほしいなと思うんですけれど。物が豊かな時は、どんどん物へ向いていくんですよ。内側のこと考えません。表だけに生きて。そうすると、陰陽の法則が狂いますので、コロッと天変地異をおこさねばならない。

だから、今からの時代は物質文明は終わって、精神文明が始まると言いたい。その先駆者としてのみなさんだと思うんですね・だから1日も早く世の救済というのは、物理的救済じゃなくて、無言の奉仕と、無言の救済が本当の救済だったということにお気づき頂きたい。

今その段階に入っていますので、1人でも多くの人が霊性に目覚めていくように努力して行きたいと思います。ありがとうございました。

おまけ(講話後)
※チャンネルを合わすというのは、想えばいいのですよ。
神を愛するとは、神を意識することなんです。
あなた方、子供を愛するとは子供を意識することなんでしょ。

神を愛するとは、想えばいいのですよ。意識すればいいのですよ。
だから、多く愛する者は愛されるというのはその意味です。

今、知花は1日中思っていますよ。だから、3次元的な外の話に入ってこないというのはその意味なんですよ。

その世界に私がいることによって、わたしからその波動を出すことによって、全てのもののためになるんです。低い意識状態でジタバタして人類救済ができる?そのことをご理解いただきたい。

だから、聖者方が走り回って奉仕するということはないと。
常に高い波動を全世界に向けて放射すると。
だから皆さん方も少しでもお手伝いができる、放射できる皆さんになっていただきたい。神の媒体になってもらいたいと思うんですね。それ以外に目的はないと。

そうすると物理的にも霊的にも恵まれますよ。そこに入ると、必要な時に必要なものが使えますよ。みんなから信頼と、いいあれを受けますのでね。食いはぐれるということは全くないですね。

もう1つ具体的になりますと、見える世界と言うのは、見えない世界の具現ですから、その原質は全て不可視の世界にありますから、後は自分の必要なもの具現すればいいのですよ。でその時代までもう来ますよ。

人工的に、ここで物質を固めて造るんじゃなくて、不可視の質料からすぐに可視の質料としての原質ですね。これを物質化現象と言いまして、家も勝手に自分で創り、食べ物もスーパーも何もないのです。

欲しいと思ったら即時に現れますから。見えるものの原質は不可視の原質として存在します。そこから具現されるわけです。

見えるものがなくなるというのは、その不可視の原点に返還されるだけなんですよ。全て不可視の質料からここに現れてるわけですからね。普遍的原質ですよ。それは、全宇宙に満ち満ちているわけです。

水の結晶で有名な「江本勝」さん
琵琶湖の水がなぜ突然きれいになったのか

 わが国最大の湖で、関西地方の水瓶でもある琵琶湖も例に漏れず、汚染がひどく、水は汚れて悪臭を放ち、かつての美しい湖岸やヨシの群落などはもう殆ど見られなくなったといいます。

 かわりに毎年夏になると、コカナダモという外来の水草が異常繁殖して湖面を覆い、これが腐って近辺に悪臭を撒き散らすので、県が大掛かりな刈り取り作業を行うことが、もう二十年以上も続いているといいます。

 ところが平成十一年の夏だけは、どういうわけかこの水草が殆ど発生せず、例年なら役所に殺到する悪臭への苦情も、まったく寄せられなかった。その原因の検討がつかないので、関係者はみんな首をひねっていると新聞に報じられていました。

 いわば突然、「有が無になる」現象が琵琶湖の水面で起こったわけですが、この ”奇跡” も、私は思いの力で説明できると考えています。というのも、それを起こした張本人のひとりが、他ならぬ私だからです。

 この年、波動の研究をしている人達(※江本勝さんなど)が中心になって、琵琶湖の水を綺麗にしようという催し事が開かれました。琵琶湖の水が綺麗になれば、日本中の水が浄化されるという古くからの言い伝えがあり、波動や言霊の力でそれを実践しようという集まりです。

 そこに私も呼ばれて、湖畔のホテルまで出向き、正心調息法に関する講演をおk内ました。
 そして翌朝の未明、琵琶湖の湖畔に三百人余人の参加者が集合し、私を真ん中にして湖面に向かうと、昇り来る朝日を正面に浴びながら、「大断言」を唱えたのです。

「宇宙の無限の力が凝り凝って
   真の大和(まことのだいわ)のみ世が生り成った
 と私が先導する形で、全員がこの大断言の言葉を十回唱和しました。

 大断言とは文字通り、宇宙に満ちる無限のエネルギーを活用することによって、世界平和を実現する力強い言葉。それを既成のこととして強く言い切る断定の言葉です。

 これを発することで、宇宙無限力が吹き込まれた言霊のパワーが周囲の物事に広がり、浸透して、世界の平和を始め多くの願望達成や幸福が人々にもたらされる、その最も力強い想念の言葉であり、また、最も強力に想念の実現を後押しする言葉のことです。

 その唱和がすむと、すぐその場を失礼して、老齢の私はホテルへ帰りました。それが去年の七月のこと、そして、

「琵琶湖で毎夏、湖面を覆うほど異常繁茂する外来藻『コカナダモ』が、今年は、殆ど湖面に姿を現さない。例年、悪臭に対して滋賀県などに寄せられる苦情も今年は全く無く、県による刈り取り量もごくわずかだ」
 と報道されたのは、それから一ヶ月後の8月末のことでした。

 しかし、それは不思議現象でもなければ原因のないことでもない。大断言に込めて発した私達の想念が悪臭の元である水草の発生を抑え、湖水を綺麗に変えたのです。

 万物の調和と安定を願う私達の思い、それが大断言によって草や水にはっきり伝わり、その性質を変え、自然の汚れを浄化してしまった-----多くの人は気づかないが、そこには明瞭な因果関係が存在しているのです。

 このように人の心だけではなく、この世界に存在するすべての生命あるもの、あるいは水のような自然界の物質もふくめた万物万象は、私達の思いに感応するものです。その想念を受け入れて、状態や性質を変えていくものなのです。

琵琶湖に起きた奇跡♪江本勝さんが語る
ダイオキシンが消えた衝撃的な理由とは

祝詞の言霊波動によって、汚れた琵琶湖が浄化されたという奇跡!

 琵琶湖で言霊の奇跡を実感させられる事が起きたのです。
塩谷信男先生は、我々にとって天皇陛下の様な人でした。その先生がリードしてくれたから、
「宇宙の無限の力が凝り凝って、真の大和(だいわ)の御世(みよ)が生り成った」という大断言を、私達は本当に素晴らしい調子で、トーンで唱和致しました。

だからあの音は350ヘルツくらいです。宇宙に間違いなく届いたわけです。
あの時には麻は使いませんでした。やはりみんなの思いが、麻はなくともそれを上回るような思いが純粋性となって宇宙に届いたのだと思います。

 すると、エコー現象で帰返ってきた。目の前の琵琶湖の水にその宇宙から戻ってきたエネルギーが届いたのだと思います。350ヘルツで出したものが、350万ヘルツで返ってきたわけです。
 350万ヘルツというような高周波水を水に照射すると、小さいバブルが沢山出来ます。もちろん目に見えません。

 琵琶湖が臭い匂いを出していたのは、ダイオキシンとPCBが多量になったためでした。
本来、このような化学物質は水と仲が悪い。水が好きなのはみんな体にいいものだけで体に悪いものは水は嫌うのです。PCBやダイオキシンがそのバブルの中に一瞬飛び込むわけです。
 ところが、飛び込んだ瞬間に、バブルだから破裂します。そして、その時の熱が5000度。
 
 これは大阪大学のセンセイが発表したのですが、5000度の熱が出る。そして、その熱によってPCBやダイオキシンはそれぞれの原子、元素に戻って毒性がなくなってしまった。
 つまり、水が浄化されて悪臭がなくなってしまったのです。それまで一日300件くらいあった苦情電話がなくなったという奇跡を生んだのです

地球上の全面に麻を植えるべきだ。麻はあっという間に成長するのだから・・・

 琵琶湖の奇跡は1999年、「水と愛に感謝を捧げる」というプロジェクトで行いました。
 イベント自体は世界各地で毎年4月25日にやっています。

 世界中で共鳴してくれる沢山の人達とやっているのですが、その後色々な人達が後を継いでくれています。
とくに地元の人達がそういう現象が起こったものだから、引き続きやってくれているんです。そして、琵琶湖はますます綺麗に成っています。

 前の段階では外来産のコカナダ藻が異常繁殖していたのです。それがPCBやダイオキシンに非常に強いものですから、PCBやダイオキシンによって汚染された琵琶湖の中で、一番強い生命力を持って繁殖していった。
 そのコカナダ藻がダイオキシンやPCBが減るのと平行して、減っていった。それで臭いも消えたわけです。

 最近では、霞ヶ浦でもダイオキシンの影響で、何とかキャッツフィッシュというアメリカから来た魚が異常発生しているそうです。それも当然同じ現象だと思います。それについても、人々の祈りの力で解決できるんだということを世界でお伝えしているわけです。

ブルガリアのリラで行われたファイアー・ザ・グリッド運動で、かつてない高い波動が全世界に広がった!

 アイクさんとの対談後、2007年7月17日にブルガリアのリラという所の山で、ファイアー・ザ・グリッドという運動に僕が参加したことを追加して報告します。

 これは7月17日午前11時11分、世界の人々が気持ちを合わせて世界平和を祈るのです。カナダの老人が呼びかけた事。とても素敵な事だなと思って、僕もそれをブルガリアの主催者に頼んで企画してもらいました。
 海抜2500メートルの山まで、大統領専用のヘリコプターを出してもらって行ってきました。
 
 100人近くの人と、塩谷信男先生が提唱された大断言(宇宙無限の力が凝り凝って、真の大和の御世が生り成った)を10回唱えてきました。
 
 そして7月25日にはサラゴサから北に行った、セルレルというピレネー山脈の麓のスキーリゾートの二つの滝が交わる水辺で、愛と感謝のセレモニーをやりました。その中に波動測定器を持ってきた人がいたのです。
 今まで計測したこともない、とてつもなく高い振動になったという報告を後で頂きました。

 ブルガリアでやったこと、世界の人とやったこと、7月25日のピレネー山脈でやったこと、色んな所が総合的にプラスに働いて、従来ないような、良い波動になったということです。

 こうした波動が今、全世界に広がっています。僕はそのことを世界各地で実感しています。



~DownLoad Sound~(高次元波動音楽が無料で解放♬)


 もうとっくにご存じの方もいらっしゃるかもしれませんが、大変素晴らしい☆彡無償の奉仕の深い愛で運営されている、素晴らしい超良質スピリチュアルサイトをご紹介させて頂きます♪

 私も、部分的には知っていたのですが、お恥ずかしい話ですが、総合的な情報サイトとしては昨日知りました(笑)

 それにしても管理人さんの博学っぷりには頭が下がりますね~♪
 私もしばらくこちらのサイトでお勉強させて頂く予定で~す♪


私の昔の体験談ですが…♪
綺麗な言葉遣い・笑顔・愛嬌抜群な人間になって運気アップ
不思議にツイてる幸せな人生に変容

 実は私、言葉を覚え出した頃から、自然に言葉の善し悪しがわかるという、ありがたい素敵特殊能力といいますか、摩訶不思議な能力がありまして、人生をずっと良い綺麗な言葉遣いで暮らして参りました♪

 その特性については、母から面白いエピソードを聞いて改めて自覚したのですが、どういったエピソードかと申し上げますと、

 父親が転勤族でして、小さい頃はあちこちに転居していたのですが、とある都道府県にいた時期に、「○○県の言葉は汚いから使いたくない」と言ってその地域の方言をひと言も使わなかったそうです。

 幼稚園の年長さんの5歳の頃になります。ちなみに妹さんは思いっきり○○県の方弁に染まっていたそうです(笑)

 私にとっては、言葉の善し悪しが分かる事は普通と思っていたのですが、どうも世間一般の方々は、親に注意をされて言葉の善し悪しを学んでいくらしいですね。

 妹さんが言っていたのですが、子供(甥っ子姪っ子)は聞いた言葉を何も判らず使ってしまうので、注意して言葉の善し悪しの区別を教えていると言っておりました。

 私自身、有り難いことに、両親に一度も言葉遣いで注意もされたこともなく、仲良し言葉・敬語・の両方共、常に最高級の言葉遣いで生きてきた人間なのですが、それは非常に稀で珍しい事象らしいと、いい歳になって初めて知った次第であります。

 最近父親とも、普通こんな子供いないよね~って、笑い話をしておりましたねぇ。
 母親の知り合いの旦那さん等が、普段は人を褒めないのに、私だけはべた褒めしていたらしいよ~、という様な話を何回も聞いたことがあります。

 昔からそんな感じでしたので、中学生の時に「○○君の爪の垢をうちの息子に煎じて飲ませたいわ~」と言われたことも御座います。

 それは裏を返してば、それだけ笑顔・愛嬌があって愛想が良くて礼儀正しいという話なのですけれども....全部自主的に努力して身に付けたものです♪
 ちなみに両親は放任主義で一度も教養について躾られたことは御座いません。どこの公家の息子かと思われるよねって母親に言われた事もあります(笑)

 私にとっては、汚い言葉を聞くと気分が悪くなってしまう特殊体質なのもありまして、自然に自分にとって心地よく感じる綺麗で美しい言葉遣いになっていったようですね♪

 言葉の波動で自然に言葉の善し悪しを判断できる繊細な感覚を持っているお陰で、類まれな爽やかさんになっちゃったという非常に稀な人間だったりします♪

 私の心の師匠・知花先生は、荒い言葉をこれっぽっちも使ったことがないそうなのですが、この点に付きましては私も全く同じでありまして、このエピソードを聞いて、知花先生がより大好きになったのでありました♪

 正直申し上げますと、男性で私と同じくらい言葉遣いが綺麗で、愛嬌・愛想・笑顔が抜群な方はお目にかかったことは無いかもしれませんね。女性ならいらっしゃいますけれども。

 実際に会話を聞いて自分よりも敬語の言葉遣いが綺麗と思った方は、
後にも先にも「知花敏彦師」だけであります。

 解脱して覚者になって、知花先生と同レベルの格調高い美しい品格のある話し方を受け継げるのは、私だけじゃなかろうかと思っちゃってるくらいです(笑)

 自分で言うのもあれなのですが、心も非常に綺麗で感受性が強い感動屋さんでもあります。感動的な話を見ると涙がポロポロでて何度でも泣いちゃいますからね。いまだに自分のブログのいい記事を見ると、何回見ても飽きずに泣いて感動してますからね♪

 綺麗な言葉遣いをしていますと自然に心が浄化されていきますので、
「言葉遣いを綺麗に=心が綺麗に」という効能が発揮されているみたいです。
 それは色々な方の体験談で聞いたことがあってご存知の方もいらっしゃるでしょう、。
それは揺るぎない真実だといえましょう。

 笑顔で良い言葉遣いだったお陰かもしれませんが、今までの人生山あり谷ありではありましたが、大局的には本当に運がいい幸せな人生でしたから。

 身長も190cm以上になれましたし、顔も小顔になっちゃたりと、世間様から見ますと、もう奇跡のオンパレードという感じですし、こんな体験をしてるのは、今のところ私だけじゃないでしょうか。

 言葉遣いが良いと、天に愛されて、引き寄せの法則が叶いやすくなるのかもしれませんね。

 実際のリアルなお話ですが、仕事でもしこの「偶然」がなかったらミスしていたという場面に、その「偶然」が15回連続で起きたことがあります。偶然が15回連続も起きたらもう奇跡と言っても差し支えがないと思われます。

 その度に、あまりの奇跡の凄さに良い意味で背筋がゾーッとしたものです。いつも守護の神霊にありがとうございます。神様ありがとうございます。と感謝しておりましたね。天に愛されていることをヒシヒシと感じる現象でありました♪

 現在住んでいる自宅も、相場の3分の1で購入出来たのですが、もちろん他の方々も買いたいと言って商談に来たそうなのですが、その方々は断って、結局、私にだけ売って下さったくらいであります。

 深見東州さんも「日本の神様は言葉遣いが綺麗な人を愛でられる」とおっしゃられております。綺麗で丁寧な言葉遣いは、高次元な存在に愛される重要な秘訣の奥義だといえるでありましょう。

 私も大好きな「小杉まりもちゃん」も運が非常に良い方なのですが、言葉遣いが綺麗な素敵な女性ですから、それが多分に影響していると思われます。   神社にお参りしているだけでそんなに運が良くなれるものでしょうか........私は違うと思うのです。

 言葉は波動ですから、「綺麗な言葉遣い」は高波動(高ヴァイブレーション)ということになりますから、
高波動=健康・幸せ・運気アップ・免疫力アップ・ツイてる人生・夢が叶う・心の平安・お金に恵まれる・ということに繋がっていくといえます。

 「汚い言葉遣い」は低波動(低いヴァイブレーション)となりますので、
低波動=病気・不幸・災難・運気ダウン・免疫力ダウン・ツイてない・荒れた心・お金に苦労する・という形に集約されていきますね。

 つまり高い波動を維持するということは、笑顔・愛嬌・愛想・優しさ・仕草・等も、もちろん大事なのですが、言葉遣いは全要素の中でもかなり重要度が高いといえます。

 良いにつけ悪いにつけ、自分が出した波動が四倍になって戻ってくるのが宇宙の法則ですので、普段の言葉遣いが綺麗な言葉・丁寧で心地よい言葉であれば、それだけ高い波動が自分に跳ね返ってくるということになるのです♪

 「言葉=波動」ですから、常に高いバイブレーションの波動を出していましたら、どういった波動が戻ってくるかはもう一目瞭然だと言えましょう。

 言葉遣いを良くすれば幸せでツイてる人生に変容していく、という推測は十分成り立ちますし、それは私の実体験からしましても、覆ることがない絶対なる真実だと断言できます。
 
 日本人に生まれているだけでもかなり魂の進化した方々なのですから、言葉遣いの法則を知って綺麗で丁寧で心地よい言葉遣いを実践すれば、付属効果で心も浄化されて、ピュアで感受性の高い一点の曇りのない様な澄み切った清らかな心に変容していくことでありましょう。

 言葉遣いが良くなればきっと、周りの人からの評価もうなぎのぼりで、良い縁に恵まれたり、良い人に巡り会えて仕事もスムーズに進むようになれるかと存じます。

 最高の覚者・知花敏彦師のお話でも、高級霊から天啓・インスピレーションを受ける様な人間になりたいのなら、自分自身が高級霊のような人間になるのが大事であって、自分自身が高級霊にならずにして、天啓を得られることは決して無いとおっしゃられております。

綺麗な格調高い言葉遣い=高級霊
汚い品性のない言葉遣い=低級霊  といえましょう。

 自分自身を高めることによって、自分自身が高級霊となれますので、天啓・インスピレーションを受けれるということは、人生の岐路に高次元な存在からアドバイスを頂けるということになりますから、それはツイてる成功する人生なっちゃう事は必然だといえます。

 低級霊では高級霊とは波長が合いませんから、天啓を受けて人生の道を踏み外さず、安定した人生を生きていくことは至難の業となります。

 つまり、言葉遣いを正していくということは、ツイてる幸せな人生に変容させる。しいては自分自身を高級霊・高次元な存在へと昇華させていくという事に他なりません。

 心を綺麗にしたいのであれば、まず言葉遣いを正していくことが最初の一歩と言えるかと存じます。
 言葉から変わっていけば自然に心の中の言葉も綺麗になり、自然に平安と安らぎに満ち溢れた、穏やかな浄化された心の状態に変容していくことでありましょう。

 結論的に申し上げますと、言葉遣いの大切さを疎(おろそ)かにして、心の浄化・魂の進化・運気アップ・を語るということは机上の空論だと申し上げたいのであります。

 神がかり的にツイていて最高に幸せな人生になっている人間が記載しておりますので、かなりご参考になるかなと存じます。
 もし良かったらご参考にしてみて下さいね♪きっと面白いくらい人生がツイてる幸せな人生になれちゃいますよ~♪では、ごきげんよろしゅう♪


開運、運気を上げる方法
をご紹介させて頂きます♪

 内容がしっかりしていて読み応え抜群でしたので、
ぜひリンク先で運気アップのコツを掴んで開運して下さいね♪

一部抜粋ですが・・・♪

 運気アップで大事なのが「人の部分」で、これなくして運気を上げるのは難しいでしょう。

 運気を上げるには、まずは「運気を下げるような事をしない」
人の嫌がることをしない、人の悪口を言わない、
人から嫌われるようなことはしない。

あなたの「笑顔」にありがとう!
人と出会ったとき、「やさしい笑顔」で挨拶しましょう。
「笑顔」は、出会った人の心を温かくさせてくれます。

自分の最高の笑顔を向けましょう
そうすれば、自分も周りの人も、みんな楽しくなります。
笑顔はどんどん伝染して、たくさんの笑顔、たくさんの人に繋がっていきます。。
運気を上げるなら、まずは「笑顔」からです。


運気を上げるには、「運気を下げるような事をしない」。


 ・人の嫌がることをしない!

 ・人の悪口を言わない!

 ・人から嫌われるようなことはしない!


例えば、どこの会社にもいる、人の悪口を言って喜んでいるような人達。

言う方はよいかもしれませんが、悪口を聞かされる方はうんざりです。


 問題は、たとえ相手に合わせて「愛想笑い」をしていても、側にいる人は、間違いなく影響を受けてしまうのです。

 悪口を言う人が発する悪気(マイナス運)に巻き込まれてしまうからです。


悪口を言うと、言った当人の「波動」が落ちます。

スピリチュアルな世界に関心ある人は、「波動を上げる」ことに関心を持ちますが、人の悪口や批判は厳禁です。 間違いなく波動(エネルギー)が低下します。


仏教には、『一切、人を評価するな』という教えがある。

「人を悪く言わない」、「心の中で悪く思わない」、


これを徹底すると、「魂は飛躍的に進化」すると言われる。

逆に、悪口を言ったり、人を見下すと、その人のエネルギーは確実に落ちます。


意地悪をしたり、悪口を言うような人は、人から嫌われます。

嫌いな人には、”悪くなれ”と思うのが人の心です。その結果、イジワルをする人は、「無言のエネルギー」を浴びることになり、どんどん運気が下がっていきます。


さらに言えば、「潜在意識には主語がない」ということです。

潜在意識は、自分と他人を判別できません。あなたが誰かを非難すると、脳は自分が非難されたと受け取るのです。


(言葉を発すると、まずは自分の耳に聞こえ、全身に伝わります)。


逆に、あなたが誰かを「ほめる」と、脳は自分が「ほめられた」

と受け取るのです。これは「脳科学」でも証明されています。


潜在意識(本質・真の自己・全体意識)には主語がないので、

「思いを発した人」に降り注ぎます。(真の自己=全てが私)


周りの人の「幸せ」を祈る人には、幸せがやってきます。

人の不幸を願う人は、自分に「不幸」がやってきます。


『自分の身から出たものは、自分に返ってくる』。

よい事であれ、悪いことであれ、思いはすべて自分に返ってきます。


「愛、感謝、ありがとう」などのプラスの言葉を発していると・・・

自分のエネルギーが高まり、運気も上がってきます。悪口を言う人はその逆です。


よく見ると…「幸せな人」は人の悪口を言いませんね。新婚さんはよい例です。

人の悪口ばかり言う人は、その逆です。


古来より、日本では「言霊」(ことだま)という言葉があり、「言葉には霊が宿っている」と信じられ、言葉のもつ不思議な力に気づき、大切にしてきました。何げなく発した言葉の一言にも、たくさんのエネルギーが詰まっています。。



お嬢さま言葉マスターになれちゃう記事です♪

☆題名:お嬢様はいいよね・・・くぅ~(幸)☆
(副題:『お嬢様ことば速修講座』)

◇はじめに◇
"お嬢様"というキャラクターは、今や日本の文化に欠かせない存在です。
物語に少女が3人以上登場するような場合、少なくとも一人は
"お嬢様"というステータスを備えていることでしょう。

お嬢様と言うと、主に2つのタイプがお決まりのパターンではないでしょうか。
・才色兼備完全無欠タイプ(自信家系。性格の良い悪いどちらにせよ、才能もあるし努力もする。)
・天然ボケ絶対幸運タイプ(おっとり系。常にマイペースながら、なんだかんだ幸運で何事も切り抜けてしまう。)

フィクションの中ではこんなにも身近なのですが、
現実の世界ではまずお目にかかれない不可思議な存在でもあります。

従って、自作のシナリオ等に"お嬢様"を出したいと思っても、
いざセリフや振る舞いなどを考えようとすると、あまり自信が無いという方も
いるのではないでしょうか。

そこで、お嬢様を極めた偉大なる賢者様のお知恵を少しばかり紹介したいと思います。さぁ、これであなたも、今日からお嬢様の仲間入りです(笑)


第一講 「恐れ入ります」の法

●お嬢様の口癖は「恐れ入ります」。
 普通の人の口癖は「すみません」「どうも」。
 「どうも」の代わりに「恐れ入ります」と言いましょう。

●誰かのお宅を訪問する場合にも「恐れ入ります」。
●「ちょっとすみませんが」の代わりに「恐れ入りますが」と声をかけます。

●背筋を伸ばして軽い会釈と共に「恐れ入ります」と言いましょう。


第二講 「すみません」の禁

●「すみません」は、お嬢様に禁句です。
 「すみません」と言うかどうかは、お嬢様と一般人を見分けるひとつの基準といえます。

●「すみません」では、謝った事にはなりません。
 丁寧な謝罪なら「申しわけございません」。
 軽い謝罪なら「失礼いたしました」。

●「すみません」では、お礼を言った事にはなりません。
 目下の人に対する軽いお礼なら「どうもありがとう」。
 丁寧なお礼なら「たいそうありがたく存じます」。

●「すみませんが」とは声をかけません。
 声をかける時には「恐れ入りますが」。
 目下の人には「よろしいかしら」。
 丁寧に言うなら「まことに失礼かと存じますが」。


第三講 「わたくし」と「さま」の掟

●「わたし」と「わたくし」が、お嬢様を見分けるもうひとつの基準です。
●「さん」は、すべて「さま」に置き換えます。

●相手の家族にはたとえ赤ちゃんでも「さま」「ちゃま」を付けます。

●人に対して「あなたさま」とは言いません。
 これは、身分の低い者が高い者に用いることばです。
●「わたくし」と「さま」を使うと、自然に敬語を使うようになっていきます。


第四講 「ことのて」の結び
※「~ですこと」「~ですの」「~していただけて?」

●言葉の語尾に「こと」「の」「て」を付けます。
●「こと」は、感嘆や質問、依頼の語尾に使います。

 「素敵な色ですこと」「お願い出来ますこと?」「まあ、素晴らしいこと」など。
 「こと」で結ぶには丁寧な言い方が必要となります。

●質問の「~ますか?」は、代わりに「~ますの?」。
 略式の相づちには「そうですの」。

●「て」は、主に敬語使いの語尾を省略して丁寧な親しみを表わす時に使います。


第五講 緩慢の術

●ただゆっくりと話すだけで、お嬢様らしくなります。
 相づちや返事などの反応にもたっぷりと「間」を取りましょう。

●否定の場合は、のらりくらりと曖昧にぼかします。
 「さようでございますねえ」「さようでございますか」と答えます。

●時と場合によってはテキパキと対応する必要もあります。
 相手と状況に応じて、速くもゆっくりも話せるのがお嬢様です。


第六講 「存じます」

●自分が思う場合には「思います」の代わりに「存じます」。
 「存じます」は、「思います」の謙譲語です。

●「ありがとうございます」の代わりに「ありがとう存じます」。
●「おめでとうございます」の代わりに「おめでとう存じます」。

●「ございます」は、「です」「ます」の丁寧語として使います。
●「存じます」は、「知っています」の代わりにも使います。


第七講 「さようでございますか」の法と「ええ、ええ」の禁

●相づちの基本は「さようでございますか」。
 同意の時も反対の時も「さようでございますか」。

●同意を強調するには「まことに、おっしゃる通りですわ」。
●否定を強調するには「さようでございましょうか」。

 断定的に「そうは思いません」とは言いません。
●お世辞を言われたら「恐れ入ります」と答えます。

●決して「ええ、ええ」「はい、はい」と重ねては言いません。
 「ええ」「はい」「まあ」「ふうん」などを、
 短い相づちとして自然に使うのはかまいません。


第八講 省略の禁

●話す時には、省略や短縮をせずに文章の終わりまではっきりと言います。
 「です」「ます」まで省略せずにきちんと言いましょう。

●場合によって、文尾を省略する方が柔らかい印象になることもあります。
 その場合も、省略するところまではっきりと同じ調子で言いましょう。

●新しい短縮語やカタカナの短縮語などは、あえて使わない方がお嬢様らしくなります。
●お嬢様は、気品はありますがファッショナブルとか粋な感じではありません。
 流行語は原則として使わないようにしましょう。


第九講 「おご」の冠

●名詞や形容詞に「お」や「ご」を付けると、お嬢様らしくなります。
 ただし、使い過ぎや誤った使い方には注意しましょう。

●自分に所属する物には、原則として「お」「ご」は付けません。
●「お」と「ご」は、動詞や形容詞に付けることで、
 尊敬語や謙譲語をつくりだす事が出来ます。

●名詞に付く「お」「ご」には、尊敬語と美化語があります。
●原則として、事物には「お」「ご」は付けませんが、
 相手に属する事物には尊敬語として付ける場合があります。

●尊敬語としてではなく、ことばを上品に使うために美化語として
 「お」「ご」を付ける場合もあります。
 男性も使う一般的な美化語とお嬢様らしい美化語があります。

●美化語よりも、尊敬語として「お」「ご」を多用します。
 話し相手はもちろん、第三者に属する事物や形容詞にもさりげなく付けます。

●「お」「ご」の付けにくい場合には、付けやすい他の言い方に変えます。
 一般的には、熟語は二つに分けて、音読みよりも訓読み、
 新しい言い方よりも古い言い方にすると「お」「ご」が付けやすくなります。


第十講 親しき仲にも敬語使い

●敬語を日常的に使えれば、お嬢様らしくなります。
 ただし、尊敬語と謙譲語を間違えないように気を付けましょう。
 丁寧に言うつもりで尊敬語を使うべき相手に謙譲語を使ってしまう事が多いようです。
●尊敬語をつくるには、原則として語尾に「れる」「られる」を付けます。
 しかし、受け身や可能の意味と紛らわしい場合があるので注意しましょう。

●語尾に「れる」「られる」を付けるよりも、
 「お~になる」「ご~になる」の方がお嬢様らしくなります。

●謙譲語をつくるには、原則として「お~する」「ご~する」とします。
●「する」を「いたす」「申し上げる」「させていただく」と変化させてみましょう。

●くどい言い方は、かえって品位を欠きます。
 二重敬語、三重敬語を避けてあっさりとした表現がお嬢様らしくなります。

●目上の人に敬語を使うのは当たり前。
 対等の立場の友人や目下の人、家族の間でも敬語を使いましょう。
 親しき仲の敬語使いでは、語尾を省略してくつろいだ雰囲気で話します。


第十一講 「ごきげんよう」と「あそばせ」の愉しみ

●「ごきげんよう」がてらいなく言えたら一人前です。
●「さようなら」の代わりに「ごきげんよろしゅう」と言ってみましょう。

●「こんにちわ」の代わりに、わざとカジュアルに元気良く言ってみましょう。
 手紙の結びなどにも使ってみまょう。

●「ごめんあそばせ」の「あそばす」は、「する」の最上級の敬語。
●「~あそばす」や「ごめんあそばせ」を気取って言うと、嫌みかギャグになってしまいます。
 あえてカジュアルにかわいらしく言いましょう。

●「ごめんあそばせ」は、「ちょっと失礼」の意。
 「お許しあそばして」でもいいです。


第十二講 沈黙と微笑みの術

※何事も無く事が運べば、これまでの事で十分にお嬢様を演じられるはずです。しかし、お里が知れてしまうのは思いがけない「不意の遭遇」から。

●不意の遭遇では、とにかく沈黙するのがコツです。
 あわてずに、まず、二、三秒黙って深呼吸。反応はゆっくりと返します。

●「あら」と、三秒間途方に暮れていれば、誰かがどうにかしてくれるかもしれません。その後「恐れ入ります」「申しわけございません」と言えぱいいのです。

●どうしてもことばが見つからない場合には、沈黙のまま微笑んでいること。かわいらしい微笑みを忘れずに。


第十三講 丁寧な肯定と曖昧な否定の術

●丁寧な肯定と曖昧な否定が、お嬢様の返事方法の原則です。

●肯定の場合は、
 「さようでございます」
 「かしこまりました」
 「おっしゃる通りでございます」
 の三通りでほとんどの場合をカバー出来ます。

●友人同士なら、
 「さようでございます」の代わりに「そうですの」。
 「かしこまりました」「お引き受け申し上げます」の代わりに「よろしくってよ」。
 「おっしゃる通りでございます」の代わりに「おっしゃる通りだわ」。

●ただし、目上の相手の意見に賛成の場合は「わたくしもさように存じます」とは言いません。

●否定の返事は、どうにでも取れる言い回しである事が原則です。
 内容は曖昧でも、言い方はきちんと明確に。

●お嬢様の返事に対しては、はっきりとした肯定がなければ、すべて否定と受け取れます。

●肯定を曖昧にするか、否定を曖昧にするかという点が、普通の人とお嬢様のルールの違いです。


第十四講 大げさな誉めことばと婉曲的なけなしの術
※お嬢様の婉曲的なけなしには、ご注意!

●誉めことばは大げさに、けなしは婉曲的にするだけで、お嬢様らしさが漂います。
●一般には短所とされる事も、見方を変える事により美点としてとらえていくあり方が重要です。

●けなしことばに限らず、
 耳障りなことば、美しくない表現、粗雑なことばなどは、エレガントに言い換えます。

●お嬢様は、幼少の頃から興奮しないように教育を受けています。
 けなしのことばも声高に感情的には言わず、さりげない口調で平然と言いましょう。


第十五講 御所ことばを楽しむの術

●一般のことばの中に生き続けている御所ことばもあります。
●御所ことばの「省略」「重ねことば」「独特の言い換え」の術は、
 現代の流行語づくりにも通じるでしょう。

●「おみお付け」「おこうこう」「光りモノ」「おめもじ」「おぐし」なども
 御所ことばからです。

●お金に関する露骨な表現は避けるのが原則です。
 「高価な」は「むずかしい」。
 「安価な」は「低い」。


第十六講 実践の心得

◇実践の心得1
 「お嬢様ことばは、自分を高めるためではなく、相手を高めるために用いる」

●自分を高めてみせるためにお嬢様ことばを使うと、
 相手に不快感を与えて嫌われる事になりかねません。

●相手を高めるためにお嬢様ことばを使えば、
 結果として相手があなたを高く扱う事になります。

●自分の立場は相手がつくってくれると思っているのがお嬢様で、
 自分で自分の立場をつくろうと一生懸命になるのが小市民的な人です。


◇実践の心得2
 「お嬢様ことばは、自分を高めてみせるためではなく、落とさないために用いる」

●自分を卑下する事で相対的に相手を高めようとするのが、小市民的な人。
 自分の立場は動かさず相手を高めようとするのが、お嬢様。

●噂話や悪口、失礼な扱いに対しては、我関せず気がつかない振りが原則。
●答えたくない事を聞かれた場合は、
 1:逆に相手に聞き返す
 2:他の人の意見として申し述べる
●否定的な事に対しては自分の本音を言わないのが、お嬢様。

◇実践の心得3
 「お嬢様ことばにふさわしい話題を選ぶ」

●個人的な話題でなく、芸術や文化の話題がお嬢様ことばに似合います。
●お嬢様ことばでわがままや願いごとをすると、
命令するような感じになってしまう場合があるので注意が必要です。

●「さわやかな甘えとかわいい笑顔、カジュアルなことば使い」が有効です。

◇実践の心得4
 「常に平静さを失わない」

●ゆっくりと穏やかに、声高にならないように気を付けましょう。

◇実践の心得5
 「照れずに自信を持ってお嬢様ことばを使う」


第三部 研究科 <<気品の定義>>

※ことばは、その人の内面を映すものであると同時に、
 その人の内面を変えていくものでもあります。

◇お嬢様ことばの意識のあり方1
 「自分と他人、物事を肯定的にとらえる。」

◇お嬢様ことばの意識のあり方2
 「相手の立場と位置を尊重する。」

◇お嬢様ことばの意識のあり方3
 「公私の区別を明確にする。」

◇お嬢様ことばの意識のあり方4
 「状況に応じた、的確な表現を試みる。」

◇お嬢様ことばの意識のあり方5
 「自分のことばに責任を持つ。」

●美しいことば使いが、美しい表情と気品あるたたずまいをつくりだします。
●「気品」とは、「ほほえみ」と「美しい表現」と「高い意識」が一体化しているもの。
お嬢様ことばを身に付ける最大の効用は、
 気品に満ちた美しい顔立ちになることなのかもしれません。


第四部 資料編 <<お嬢様ことば小辞典>>

1.お嬢様らしい挨拶リスト

(1)出会った時

●ごきげんよう。
●ごきげんよろしくって?
●ごきげんよろしゅうございましたか?

●お暑うございます。
 お寒うございます。

●あいにくのお天気でございますね。
●今日はたいそう暖かですね。
●ご無沙汰いたしております。

●いつもお世話いただき、ありがとう存じます。
●はじめてお目にかかります。
●お会い出来まして、嬉しゅう存じます。


(2)別れる時、電話を切る時

●ごきげんよう。
●ごきげんよろしゅう。
●失礼いたします。
●失礼申し上げました。
●ごめんくださいませ。
●ごめんあそばせ。
●お邪魔いたしました。
●ありがとう存じました。

(3)お礼を言う時

●ありがとう。
●どうもありがとう。
●恐れ入ります。
●ありがとう存じます。
●まことにありがとう存じます。

(4)依頼する時
●恐れ入ります。お尋ねしてもよろしいですか?
●お願い出来ますこと?
●よろしくお願いいたします。
●まことに失礼かと存じますが。
●はなはだぶしつけではございますが。

(5)失礼をわびる時
●ごめんあそばせ。
●お許しあそばして。
●恐れ入りました。
●失礼いたしました。
●ご無礼いたしました。
●申しわけございません。
●お詫び申し上げます。


2.お嬢様らしい返事リスト

(1)あいづち

●さようでございますの。
●そうですの。
●おっしゃる通りですわ。

(2)相手の意見に同意する時や、依頼を引き受ける時

●さようでございます。
●かしこまりました。
●お引き受けいたします。
●よろしくってよ。
●おっしゃる通りでございます。
●わたくしもさように存じます。

(3)相手の意見に反対の時や、依頼を断る時

●さようでございましょうか。
●さあ、むずかしいことで。わかりかねますわ。
●不本意な結果になるかもしれなくってよ。

●よく考えておきますわ。
●チャンスがございましたら。
●わたくしには合わないかもしれないわ。

●さあ、どうだったかしら。忘れてしまったわ。
●何のお話だったかしら。
●お役に立てないかもしれません。あまりあてになさらないで。

●そういうお考えもありますのね。
●お好き好きでございますから。


3.お嬢様らしい誉めことばリスト

※素敵だなと思ったら、すぐ口にしましょう。
 たとえ素敵だと思えなくても、
 どこか素敵なところを探して必ず何か一つは誉めること。

(1)容貌を誉める

●美しいおぐしでいっらっしいますこと。(髪が美しい)
●おみ足が美しくていらっしゃる。
●お顔立ちがおよろしくて。
●清らかな面立ちでいらっしゃること。
●ほっそりとしていらっしゃるのね。
●ふくよかでいらっしゃる。
●色白でいらして。
●きれいにお焼きになっていらして。
●お姿が麗しいお方ですこと。
●すらりとお美しくいらっしゃいます。

(2)ファッションを誉める

◇洋服を誉める
●素敵なお召し物ですこと。
●いつも良い物をお召しになられて。
●お仕立てが良くって。
●素敵な色合いですこと。
●ファッショナブルでいらっしゃること。

◇似合っていると誉める
●よくお似合いになっていらっしゃるわ。
●おしゃれでいらっしゃること。

◇最上級の誉め方
●素敵なお召し物がよくお似合いで。
●良い物が素敵にお似合いで。

(3)性格を誉める

●気だてが良くていらっしゃる。
●お優しいこと。
●よくお気がつかれる。
●活発でいらっしゃる。
●おうようでいらっしゃる。
●奥ゆかしくっていらっしゃる。

(4)頭がいいと誉める

●利発でいらっしゃる。
●聡明でいらっしゃる。
●知的なお振る舞いをなさいますこと。
●的を得たお考えですこと。
●おつむがよくっていらっしゃる。
●たいそう優秀なお方でいらっしゃる。


4.お嬢様らしいけなしことばリスト

※短所とされる事の中にも美点を見い出そうとするのが本来の立場です。
第三者が言っているという形で自分の苦情を表現する方法もよく用いられます。

●[無礼な人]→「はっきりしてらして」
●[いばっている]→「自信がおありで」

●[ずるい]→「世渡りにたけていらっしゃる」
●[けち]→「合理的な事に徹していらっしゃる」
      「贅沢な事がお嫌いなの」

●[のろま]→「おっとりしていらっしゃる」
●[うるさい人]→「いつもお元気そうで」

●[太っている]→「ふくよかでいらっしゃる」
●[貧相な人]→「お目立ちになる方ではいらっしゃらない」

●[気が利かない]→「おっとりしていらっしゃる」
●[だらしがない]→「頓着がないお方ですから」

●[趣味が悪い]→「個性的な装いをなさる方で」
         「お地味なご趣味でいらして」
         「お派手なご趣味でいらして」

●[意地悪]→「悪意はおありにならないのでしょうけど」
       「お気だてに難がおありで」

●[仲がよくない]→「わたくしとはいまひとつそりが合いませんで」
●[嫌い]→「わたくしは苦手なのでございます」
      「たくさんはいただけません」

●[頭が悪い]→「のんびりしていらっしゃる」
        「お人はよろしいのですけれど」

●[いやな奴]→「あまり良くおっしゃる方はいないみたい」
        「ほかのお方にお聞きになって」

●[(味が)まずい]→「みなさま、お残しになっていたわ」
●[ひどい目にあった]→「みなさま、お困りでした」


5.耳障りなことばのエレガントな言い換えリスト

※けなしことばでなくても、耳障りのよくないことばはできるだけ美しい表現に変えます。
 「とても」は、否定をともなう場合に使います。
 どうしても変えられないものは、「反意語+ない」で表します。
 相手や第三者に対して、出来ないとか分からないという表現はしません。

●[頑張ります]→「全力を尽くします」
         「ベストを尽くさせていただきます」

●[頑張ってね]→「しっかりね」
         「ご成功をお祈りいたしますわ」
         「ご健闘をお祈りいたしますわ」

●[面倒くさいので]→「時間がとれませんので」
           「手がかけられませんので」

●[だめ]→「よろしくない」
      「なさらないほうがよろしいわ」
      「苦手ですの」
      「わたくしには難しいわ」

●[全然]→「あまり」
      「ほとんど」
      「まったく」

●[ちょっと]→「少々」
●[とても]→「たいそう」
       「まことに」

●[悪い]→「よろしくない」
      「お勧めしませんわ」

●[くさい]→「芳しくはございません」
●[ぐちゃぐちゃ]→「すっきりとしていませんこと」
●[(他人が)持っていない]→「お使いにならない」
               「お持ちにならないご主義なの」

●[(他人が)できない]→「なさらない」
             「なさるお気がない」
             「むしろ、~の方がお得意なの」

●[(他人が)わからない]→「関心をお持ちでない」
              「ご興味がない」


6.最低限抑えておきたい敬語リスト

(1)言う

〔尊〕おっしゃる…「そうおっしゃられても。困りましたわ。」
〔謙〕申し上げる…「先ほど、申し上げましたように。」
〔謙〕申す…「父も、さように申しておりました。」

(2)する

〔尊〕なさる…「お紅茶になさいますか?」
〔尊〕あそばす…「お決めあそばした?」

〔謙〕いたす…「お紅茶をお持ちいたしましょうか?」
       「感激いたしました。」

〔謙〕させていただく…「わたくしからご紹介させていただきます。」
〔謙〕申し上げる…「わたくしがご案内申し上げるわ。」

(3)いる

〔尊〕おいでになる…「ご主人様はおいでになりますか?」
〔尊〕いらっしゃる…「お嬢様はおいくつでいらっしゃるの?」
〔謙〕おる…「その日は、一日、病院におりましたの。」

(4)行く、来る

〔尊〕いらっしゃる…「夏休みはどちらにいらっしゃたの?」
〔尊〕おいでになる…「あら、詩織さまがおいでになったわ。」

〔尊〕お出ましになる…「どちらに、お出まし?」
〔尊〕お見えになる…「その日は、ナリハラ博士もお見えになるのよ。」

〔謙〕まいる…「様子を見てまいりましょうか?」
〔謙〕うかがう…「明日うかがってもよろしいかしら?」

(5)聞く

〔尊〕お聞きになる…「あちらの交番でお聞きになって。」
〔謙〕うかがう…「ご意見をうかがってもよろしいかしら?」
〔謙〕承る…「母に代わって、わたくしが承ります。」

(6)思う

〔尊〕お思いになる…「おとうさまは、どうお思いになるかしら。」
〔尊〕思し召す…「真奈美さまは、どう思し召しまして?」
〔謙〕存ずる…「そちらでよろしいかと存じます。」

(7)知っている

〔尊〕ご存知…「おかあさまは、ご存知なの?」
〔謙〕存じ上げる…「わたくし、存じ上げなくて。」

(8)もらう

〔尊〕おもらいになる…「先生に選んでおもらいになることよ。」
〔謙〕いただく…「レイさまにお教えいただきましたの。」
〔謙〕頂戴する…「西園寺さまから頂戴した梨がございますの。」

(9)見る

〔尊〕ご覧になる…「新しい作品、ご覧いただける?」
〔謙〕拝見する…「ぜひ拝見させていただきたいわ。」

(10)あげる、くれる

〔尊〕くださる…「わたくしにも紹介してくださらない?」
〔尊〕おあげになる…「ご子息に何でもおあげになるそうよ。」
〔謙〕差し上げる…「綾波さまにもご紹介して差し上げたら?」

(11)食べる、飲む

〔尊〕召し上がる…「お昼は召し上がった?」
〔尊〕お飲みになる…「ワイン、お飲みになる?」
〔謙〕いただく…「ええ、いただくわ。」
〔謙〕頂戴する…「たまには、コーヒーを頂戴したいわ。」

(12)着る

〔尊〕お召しになる…「いつも、よい物をお召しになって。」
〔謙〕着させていただく…「失礼してコートを着させていただきます。」

(13)会う

〔尊〕お会いになる…「この方にお会いになっていただきたいのですが。」
〔謙〕お目にかかる…「おとうさまが、お目にかかるそうです。」


7.一般的な会話文の例

◇〔小市民の会話〕
(1)
「あの、ちょっとすみません、王宮へはどう行ったらいいのでしょうか?」
「えっ?王宮ですか?ちょっとわかりません。
 あ、あそこのお店で聞いてみてください。」
「はあ、どうもすみません。」

(2)
「この度はおめでとうございます。
 これ、つまらないものですけれど。」
「まあ、すみません。あら、わたし、これ欲しかったのですよ。
 どうもありがとうございます。」

(3)
「あら、夕子じゃない、どこ行くの?」
「また面接。もうボロボロ~。」
「そっかー、頑張ってね!」

(4)
「お正月は、どうしてたのですか?」
「それが、ハワイに行ったのですけど、飛行機が遅れてまって
 さんざんな目にあったのですよ、もう。」
「まあ、そうですか。でも、お正月にハワイなんていいですね。
 うちなんて、主人の実家ですもの。うらやましいですわ。」


◇〔お嬢様の会話〕
(1)
「恐れ入ります。お尋ねしてもよろしいでしょうか?
 王宮はどちらにございますかご存知でいらっしゃいますか?」
「申しわけございませんが、存じませんの。

 あちらのお店でお聞きになられたらいかがでしょうか?」
「ありがとう存じます。失礼いたしました。」

(2)
「この度はおめでとう存じます。
 こころばかりの品ではございますが、お納めくださいませ。」
「まあ、ありがとう存じます。
 求めたいと思っていたところで、うれしゅうございますわ。」

(3)
「あら、夕子さま、どちらにお出まし?」
「また、面接ですの。もう、疲れましたわ。」
「そうですの。ご成功をお祈りしますわ。」

(4)
「お正月はどうなさいましたの?」
「ハワイにまいりましたの。
 でも、飛行機が遅れて皆さまたいそうお困りでしたわ。」
「まあ、さようでございましたか。
 でも、ハワイはおよろしいでしょう。
 うらやましいこと。」


【お嬢様の三大ことば】

①『恐れ入ります』
②『存じます』
③『ごきげんよう』

-おしまい-

※参考文献『お嬢様ことば速修講座』



知花敏彦先生のお話から一部引用ですが…♪

 では、人間と神の関係はどうなのでしょう。
本来は「人間と神の関係さえもない」という事です。

 この説明のためにテーマをつけて書いたものであり、
関係さえもなく、「一つの存在」であるのです。

人間と神」は、「即、一体」の存在であり、
我々」も「神の存在」であり「神そのもの」であったという事が分かるのです。

我は神なり」。「我は生命なり」。我は神理なり。と。
我は神(の一部)であり、我はキリスト(宇宙生命)である」という悟りに至らなくてはならないのです。


「全ては神=我神なり」という真理♪

意識の進化=愛の拡大=分離意識の克服=
我は全体なり・全体我なり=全一体・自他一体=

全ては私=全ては一つ=全ては一つの存在の現われ=
宇宙は一つの生命体=全てに神(宇宙生命)が宿り給う=

宇宙は神一様=全ては神の中の存在する一つの存在=ワンネス
全ては永遠に一つの存在=全ては一つ=全ては私=全ては神

全ては今この瞬間しか存在しない=全ては永遠に一つの存在=
永遠の始まりである神の御心のみが実在=今即天=今即実在=

大愛・宇宙生命・神の一人子である神我キリストのみが実在=
全てはこの瞬間に存在する宇宙生命そのもの=全ては神そのもの=
全ては神ご自身=神一元・愛一元・光一元=宇宙即我=我神なり


調和=愛の法則そのもの=罪なきもの=完成=幸せな人生に
不調和=愛の法則を犯している=業・罪=カルマの精算が起きる

愛と赦し=調和=愛=幸せ・健康=完成=中性=完全=光人間
恨み・憎しみ・争い=不調和=罪=病・災難=不完全=闇人間

愛と赦し=カルマの消滅=神の祝福=幸せなツイてる人生に
許さない・恨み・嫉妬=カルマの刈り取り(不幸災難)な人生に

調和人間=愛が深い人=愛の光そのもの=克服者キリスト=完成
不調和人間=恨み・嫉妬・責任転嫁闇人間=罪人=未完成

調和=光明世界・愛の王国=愛・光・善=平安と安らぎ・至福感
不調和=無明世界・闇世界=未熟な愛=不安と恐怖・飢餓感・不足感

調和の人は熟した魂=自分を愛するが如く他人を愛します=ワンネス
不調和な人は未熟な魂=他人を責めて非難します=分離意識


 イエス様は「愛は天と地の架け橋」とおっしゃられました。その愛とは「許しの到達点」である「慈悲と愛」で御座います。

 真の意味で貴方が、その「許しの到達点」の境地に到達した時に、自ずと「天である神」と「地である貴方」との架け橋が繋がる事でありましょう。私は実体験からそれが実際にありえると確信しております。


愛は天と地の架け橋  この愛の理解と体得が神様と繋がる鍵♪

神・大愛(天)……全てを活かす愛・慈悲と愛・すべての形態を形作る力・意識を与えて下さった魂の根源・真の親・すべてを活かし育む力、縁の下の力持ちで全てを愛し慈しむ無償の愛・無限の愛・すべてに意識を与えて下さった天の父であり天の母である中性エネルギー・真の親・愛を表現する為に…無限の創造をなさっている慈悲と愛そのもの

神の表現体(地)……神が神を愛する為に生まれた存在・神の化身・愛の化身・神の表現体・神の中に創造された神・個別化した神としての自覚に覚醒めた我・滅私して神の道具意識を自覚している我・自分が神ご自身だと悟った我・愛を表現する為に生まれた事を自覚している我、全てを100%の愛で愛する我、自分と全てが神以外の何者でもない事を自覚している我


第六密度以上の高次元存在が語る
「許し」というものが、カルマの輪を止める事になるお話

★ コーリー : 多くの人々が現生のトラウマだけでなく、過去生のトラウマにも対処しているところなのです。

今、地球に生まれて来ている多くのライトワーカーは、援助の為により高次元や、上の密度から降りて来た人々です。

現生が初めての人でも、高次の美しい場所からここへやって来た人にとっては、ここでのトラウマは10倍酷(ひど)く感じられるものです。

そして、長期に亘(わた)って輪廻転生を繰り返して来た人の場合は、更に解消しなければいけない過去生のカルマが加わります。

しかし、ブルーエイヴィアンズから言われたのは、トラウマを特定し、自分にトラウマを与えた人や自分自身を許すこと、

そして、この”「許し」というものが、カルマの輪を止めることになるということです。カルマがなくなるんです。

これは、エネルギー的なものです。
カルマとは」負債を支払うようなものではなくて、
許してエネルギーを解放するもの」なんです。


カルマとは宿題・魂の課題・許しによって消滅♪
……………………………………………………… 
「許し」を心から実践=カルマの輪を止める=カルマがなくなる♪

自分にトラウマを与えた人や、自分自身を許す==
             ==魂の課題を克服=カルマが消滅♪

許す事によってエネルギーを開放=カルマの克服・解消に♪


ケイシーリーディングから…♪

全身全霊で「神を愛する」大切さ
「神を求める祈り」をする大事さのお話

 エドガーケイシーは、宗教生活についてそのもっとも美しい表現の中で、この事を次のように語っています。

あなたがたは心を尽くし、思いを尽くし、体を尽くして汝のなる
(大生命・内在の神)を愛し、隣人を汝の如く愛するのである。

このキリストの与えた言葉が法則の全てである。
それに優るものは存在しない

 主が約束されたように、あなた方は
来る日も来る日も明想し、「祈りゆく」うちに到来するあの目覚めによって、
主(宇宙生命)が自分の意識の中に留まられる事を知る事が出来る
神我が中にまします・父と子は常に一体)。

 あなた方はこの目的のために、
主が臨在し、その御霊(キリスト)があなた方の中に留まるあの意識を、
あの自覚を讃えるために生まれてきたのである。」

自我・偽我 =表現者、原因である父なる神を忘れている状態(放蕩息子の状態)神理を知らない状態・自分の力で生きていると思って迷っている状態、肉体の己を自分と思っている我、分離感・分離意識で個別化された表現を別個の存在と認識している我・分離意識・エゴ・肉の感化、五感の感化を真実と錯覚している我・迷いの影、幻、幻想(マイヤー)・自己保存、自我我欲の心


真の自己(真我)=父なる神と常に一体の境地・ワンネス意識・全一の意識・神我キリスト、全ては自分、全ては我、全ては神、全てを愛する我に目覚めた状態・宇宙生命によって生かされている事を自覚して実感している我・私が生きているのではない、なるほど一つの生命である神が生きていらっしゃる、全ての知恵と力は神から与えられている、神の中身は神、全ての全ては本質的には神、神のみが生きてらっしゃるんだなと悟った我・神一元・愛一元・光一元・我神なり、全ては神なり、全てに神を観る境地・神は生命(霊)なり、我も生命(霊)なりの自覚・宇宙即我、キリスト意識・高我・実在・全てを愛し全てを許す境地・慈悲と愛・あなた即私・私即あなた・宇宙エネルギー即自分・無限即我・不変不動の絶対なる実在・普遍なる宇宙・無限者・宇宙神

FC2版の広瀬すずちゃんの横顔になる方法の記事です♪
身長を伸ばす記事も追記してみました♪

コーリー・グッドさんとディビットウィルコックさんの
コズミックディスクロージャーが全部見れちゃう素敵なサイトはこちらです♪

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江原啓之さん・総まとめ記事・第3回目♪人付き合いに必要以上に敏感になってしまった人へ♪困ってる人・迷っている人と上手に付き合う方法♪掃除は、家族の幸せと平安を願う愛情を家中に行き渡らせる行為です。 年を込めた掃除こそ、幸せを呼び、災いを遠ざける秘訣なのです。♪霊を引き寄せる笛の音を、夜に響き渡らせるのはタブー。 霊に「こちらにいらっしゃい」と呼んでいるのと同じだからです。♪戒名は、本来あってもなくても どちらでもいいのです 殆どの故人は、戒名で呼ばれても自分のこととは思いません♪


 私は、江原啓之さんは本物の聖人スピリチュアリストだと思っておりますが、檀れいさん出演時の父親が二人いる件の映像トリックのせいで、週刊誌等に叩かれて可哀想でしたね(´;ω;`)

 一人でも多くの方の江原啓之さんに対する誤解が解けることを心から願っております♪


秋山一人さんと中丸薫さんの対談本からの引用ですが…♪

秋山   私はそれを「心理汚染」と呼んでいるのですが、手の込んだ心理戦略を仕掛けていると思いますね。白人だけのドラマであるとか、アメリカを尊敬させるような映画の造りだとか、コマーシャルのやり方です。

 まず日本の宗教を抱き込む、アンダーグラウンドの社会を抱き込む、いろんなところから抱き込んで、下から変化させていくのです。

 マスコミにもそういう工作員を入れて、知らない間にコントロールされているのです。これは企業組織の戦略論でもある。

中丸   テレビ界も新聞界も、裏ではみんな「闇の権力」とつながっていますからね。

秋山   マスコミではほとんどの場合、超能力は叩かれるわけです。
   つまり今の日本のテレビ局では、オウム事件以降、精神世界の番組はほとんどつくれません。それは暗黙の放送コードというものがあるからです。

中丸   私はああいう番組は見ていなかったけれど、江原啓之さんが出なくなったのは何かあったのですか?

秋山   結局、ああいった番組をやることの反対勢力がいて、彼を罠にかけたのです。
    能力者というのはどうしても番組の司会者に誘導されるわけですが、彼は何かおかしいなと思ったけれど、断りきれなかった

 番組の中で透視をさせる相手のデータの中に、実は実際には生きているのに死んだことにしてそれを入れた。
 で、ある程度イネーションで浮かんだことを言ってしまったわけです

 それで、2日後の新聞や雑誌で突っ込まれて揚げ足を取られたのです。
 その背景には、1人の霊的なタレントにステイタスを与えてはいけないという不文律がマスコミにはあるので、そのために売れすぎると叩くわけです。

 これは実験だったわけで、オウム問題によっていったん「信じない」方向に振れたものを、今度はメディアで「信じる」方向へ持っていく。
 それで人々がどう変化するかという統計を取っていたのです。

 その意味でも、オウム問題というのは非常に実験的だったのです。
オウムの施設に、日本の警察よりも米軍の調査官が先に入った理由なども、未だに明らかにされていませんしね。

編集部  いやいや、そのこと自体が公けになってはいませんから。   

秋山   公けになっていないの?

中丸 おかしいですよね。あれだけの量のサリンを溜め込んで、それを警察が知らなかったということが。
 一緒になって何かやっていたとしか考えられない。
あれだけのサリンを用意するにはお金もかかっているはずだし、不可解な点がたくさんありますね。

秋山 暴力団新法直後にああいう組織が構築されたわけで、宗教という手段で人を巻き込んだり、企業乗っ取りをやるわけです。

  その実験だった可能性がある。だからオウム問題のフタを開けると、金融関係やら下層社会やら、外国のスパイ活動、国内のさまざまな宗教団体などのいろんなものが関わっているのです。だからそれ以来、オウムに対して誰も書けなくなった。それが真相です。


スピリチュアルタブーブック・幸運を引き寄せるスピリチュアルブック
から引用させて頂きました。
心から感謝申し上げます。本当にありがとうございます。

掃除をしない家には災いが起きる

お答え ◯
掃除は、家族の幸せと平安を願う愛情を家中に行き渡らせる行為です。
年を込めた掃除こそ、幸せを呼び、災いを遠ざける秘訣なのです。

 掃除をまめにしている家は、幸せを引き寄せるだけでなく、不要な災難からも守られます。掃除をする第一の目的は、もちろん汚れを落とし、綺麗にすることが大切です。

 見えない部分では「幸せを呼び込みやすい家になる」という効果もあるのです。
 これには私達の「オーラ」が関係しています。

 よその家や旅先の宿など、普段慣れ親しんでいない場所では、中々気分が落ち着かないものですよね。一番くつろげるのはやはり自分の家。

 それは、長年そこで暮らす自分や家族のオーラが付着しているからです。
 オーラは、ただその家に住んでいるだけでも付きますが、掃除はより意識的かつ能動的に、オーラを家に付着させる行為です。掃く、拭く、磨くという動作とともに、壁や床の隅々にオーラが行き渡り、それを家を災から守るバリアとなるのです。

 この事を私は、動物のマークングになぞらえて、「オーラマーキング」と呼んでいます。
 
 ただし漠然として掃除していたのでは、強いバリアは張れません。「この家を大切にしよう!」家族皆でしあわせになろう!」という念を込める事が大切なのです。

 その思いはオーラとともに家に充満し、興奮を呼び込む力になります。
 
 逆に、「こんな家、出て行ってやる」「うちはなんて不幸な家族なんだろう」などというネガティブな思いで掃除すると、見た目は綺麗になっても、かえって不運を引き寄せてしまいます。

 その点さえ気をつけられれば、掃除は出来るだけ自分たち家族の手でしたほうが良さそうです。
 家事代行業者などに外注すると、たまだま担当者がネガティブ気分だったときに、そのネガティブな波長の影響を被ってしまうかもしれません。

 外注する場合は、時々時家族の誰かが軽くでも全体をさっとオーラマーキングしておくようにするといいでしょう。


 「北枕で寝る」「鬼門に便所」はタブー

お答え ☓
どちらの昔の日本人が編み出した生活の知恵です。
現在の住宅に住まう私達は基本的に気にしなくても大丈夫。

 枕を北側にして寝るのは良くない。鬼門(北東の方向)に便所を作るのは良くない。どちらの言い伝えもご存知の人は多いでしょう。

 これらはスピリチュアルなことは関係ありません。昔の日本人が編み出した生活の知恵であり、方便だったのです。

 北枕がいけないとされたのは、昔の木造建築には隙間風が入りやすかったためです。気密性の高い現在のサッシ窓と違い、昔の木枠のマドからは、特に冬には冷たい北風が入り込み、そちらに頭を向けて寝ていると風邪を引きやすかったのです。その予防策として北枕を避けたのでしょう。

 逆転の発想で、北枕にすると「頭寒足熱」になるため、頭痛持ちの人にはむしろ北枕がいいという話もあります。また、亡くなった人の遺体を北枕で安置するのは、冷たい風を当てることで、遺体が傷むのを遅らせるためだったようです。

 スピリチュアルな視点で見ても北というのは貴い方向です。北枕を避けるどころか、わざわざ北枕にしてもいいくらいです。

 昔の人が鬼門に便所をつくるのを避けたのも、北東は陽が当たりやすく、ジメジメして臭いがこもりやすかったからだったのでしょう。水洗トイレが出来るまでは、臭い対策もさぞ切実だったことと思います。

 また、昔の住宅では、冬場、北風が吹いて寒いため、北東を避けたのかもしれません。

 この二つの例のように、家相のタブーとして伝えられているものの中には、昔の生活から生まれた知恵も多いのです。現在の大都市の高層マンションのような、自然の風が入らない建造物には、あまり当てはまらないと考えて良さそうです。

 とは言え「鬼門」とか「裏鬼門」といったものもあながち迷信とはいえません。府のエナジーの通り道になりやすいことは確かなようです。
  
 鬼門や裏鬼門(南西の方向)で玄間を作らないほうがいいという考えには賛成です。


夜、口笛を吹いてはいけない

お答え ◯
霊を引き寄せる笛の音を、夜に響き渡らせるのはタブー。
霊に「こちらにいらっしゃい」と呼んでいるのと同じだからです。

笛の音というのは霊を呼び寄せます。まして夜は霊が活発に動きまわる時期なので、夜に増えや口笛を吹くのは危険なことです。
 
 昔の人は「夜に口笛を吹くと蛇が出る」と言いました。この言葉の本当の意味は、「蛇(じゃ)」ではなく「邪=悪い霊」がえるということだったのではないかと思います。

 心霊研究の世界で行われる「招霊実験」では、石笛や口笛を吹くことで霊を呼び出します。
 テレビ番組で霊を呼ぶ私の姿を見たことがある人もいるかと思いますが、どうか真似しないようにしてください。


先祖供養をしないと不幸になる

お答え ☓
「不幸」と思える出来事を招くのは、自分自身の波長とカルマだけ。
何でも先祖供養と結びつけて考えるのは間違いです。

「あなたが不幸なのは先祖供養とが足りないからです」「先祖供養をおそろかにしていたからバチが当たったのです」といった物言いを、あなたも聞いたことがあるかもしれません。こうした考え方に影響され、現世的な「幸せ」を得るために、せっせと先祖供養に励む人もいるようです。

 しかし、先祖供養をするかしないかは、はたしてダイレクトに「幸せ」や「不幸」に結びつくものでしょうか。スピリチュアルな視点での答えはノーです。

 「不幸」と思える出来事は、自分自身の波長とカルマが引き寄せるもの。それ以外ではありません。今まで自分が何をしてきたか、どんな思いで生きているかが、自分の現実を作っているのです。

 先祖供養をすれば「幸せ」になれるというのも単純すぎ。何でもかんでも先祖供養と結びつけて考えるのは間違いです。

 「先祖供養をしないと不幸になる」という考え方には、「先祖は供養をしてもらえないと怒り、霊障を起こすもの」という固定観念が潜んでそうです。しかし、浄化が進んでいる先祖は子孫の幸せを願うものです。

 「先祖供養をしなかったから自分は不幸になったのだ」と信じ込んだ人達は、今度は一転して形やお金に走った先祖供養をしがちです。
  
 しかし「いい供養」とは形やお金ではありません。自分たちが自立して立派に生きている姿を見てもらい、「私達子孫はこうして頑張っていますから、安心して浄化に励んで下さい」と激励するのが一番いい供養なのです。

 供養における最大のタブーは、先祖霊にお願いをすることです。先祖霊は、願いを叶えてくれるスーパーマンではありません。

 可愛い子孫にお願いごとをされては、後ろ髪をひかれてしまい、自分自身の浄化に身が入らなくなってしまいます。くれぐれもそのような間違いは犯さないようにしましょう。


幽霊をよく視るのは、霊感が強いから

お答え △
 
霊感が強くなければ視えませんが、例え霊感が強くても、
高い波長を保ってさえいれば、未浄化な霊を視なくてもすみます。

「私ってよく幽霊を視るんです」と、半ば得意気に話す人がいます。霊感という、ちょっと特別なセンスを持った人間であることをアピールしたいのかもしれません。

 しかし幽霊を視るのは、得意になるようなことではありません。霊感が強い人でないと霊が視えないのは確かですが、霊感の強い人全員がのべつ幕なしに霊を視ているかというと、そんなことはないのです。

 「幽霊」と呼びたくなるような霊は、たいがい未浄化していない浮遊霊や地縛霊の類。そういう未浄化霊を視てしまうのは、自分自身の波長が低い時です。悩みや嫉妬、執着や欲望といったネガティブな波長を発している時に、同じ波長を持つ霊と引き合い、その姿が視えてしまうのです。

 どんな強い霊感の持ち主でも、高い波長を保ってさえいれば、未浄化霊が視えたり、まして憑依を受けたりする心配はありません。

 視えてしまった時は、くれぐれも霊と目が合わないように注意して下さい。こちらと目が合うと、霊は、「この人には視えている」と思って寄ってくるからです。

 霊には、自分が視えていない人とは目を合わせる事は出来ません。目が合ったということは、自分の存在に気付いてもらえたということ。

 嬉しくなって、とたんに頼ってきたりします。ですから、目が合ったらすぐ「私には何も出来ません!」と念じて伝えて下さい。

 同情は憑依を招くので厳禁です。可哀想と思う心はごく自然な人情ですが、霊を救ってあげれないなら、頼らせるのはかえって気の毒というもの。

 「私にはどうにも出来ないから、どうか浄化して下さいね」と言い聞かせて下さい。
 「事故死した人や動物の遺体を見ても、可哀想とは思ってはいけない」と昔から言われたのも、今の話と理由は同じ。かわいそうと思う波長が、憑依を引き寄せることもあるからなのです。


高額な戒名をつけると故人は早く浄化できる

お答え ☓
戒名は、本来あってもなくても どちらでもいいのです
殆どの故人は、戒名で呼ばれても自分のこととは思いません

 戒名とは、なくなった人の仏教徒としての名前です。仏教で葬儀をする際には、故人を仏教徒にしなければならないというしきたりがあるため、便宜上付けられているのです。

 スピリチュアルな視点では、あってもなくてもどちらでもよく、故人の魂の浄化には何の関係もありません。

 生前から熱心な仏教徒で、無くなる前から自分の戒名をつけていたような人なら、もちろん戒名も意味のあるものでしょう。そうでないならあ俗名で葬式を出しても構いませんし、位牌に記するのも族目で十分だと思います。

 付けるとしても高いお金をかける必要はありません。

 スピリチュアル・カウンセリングをしていた頃に、私はご遺族の依頼で故人の魂に語りかける機会がよくありました。その経験から言うと、戒名で呼んで出てきた霊は一人もいませんでした。

 戒名を重んじるのは、実は現世の側だなのかもしれません。
 当の故人は、やはり花子さんなら花子さん、太郎さんなら太郎さんと呼ばれてこそ、自分のことだと思うようです。


夢が叶うように強く念じると、そのとおりになる。

お答え ◯
努力をしていて、動機が正しく、自分の身の丈に合っている夢ならば、
強い念力によって叶えられる可能性は高いのです

 人間の念は、普通に考えられている以上に強力なもの。スプーン曲げなどはほんの初歩で、念力は私達の現実を形作る大きなパワーとなっています。

 あなたの現実はあなたの念が作っていますし、世の中の現実は、この世に生きる全員の念で作られていると言っても過言ではありません。

 ですから自分の夢が叶うよう強く念じ、その通りになることがあっても不思議ではありません。
 「自分は将来、絶対にこうなる」と言い続け、本当にそうなった人を、私は何人も見ていますし、私もポジティブ・シンキングに念力が加われば、鬼に金棒です。

 ただし、その夢に向かってちゃんと具体的な努力をしていることが前提です。何も努力していないうちは、そもそも強い念力は湧きません。

 動機が正しくない夢や、自分の身の丈をはるかに超える夢も、どんなに強く念じても叶いません。
 そのあたりを冷静に見つめることも必要です。

 ネガティブな思いも厳禁です。いくら努力し、夢の実現を強く念じても、「やっぱりだめかも」との思いが混じると、ポジティブな念力は弱まります。人間の念はネガティブな思いも現実化させてしまうのです。

 心配症な人に限って心配が的中しやすいのは、「心配」という文字の通り、心がネガティブな方に配られてしまうからです。

 では努力もし、動機も正しく、自分の身の丈に合った夢で、ネガティブな思いもないのに、夢がかなわないことがあるのはなぜでしょうか。
 
 もしかすると、自分の魂のプログラムに合わない夢なのかもしれません。その場合は、気持ちを切り替えることで、別の叶えるべき夢と出会えるはずです。

 あるいは、今はまだ叶うべきタイミングではないのかもしれません。夢をかなえるには、タイミングも大事な要素なのです。落ち込まず、執着せず、泰然とかまえて時期を待つことが大切です。


人の評価 噂は貴方への大切なメッセージです

人生には、いい時もあれば悪い時もあります。療法を経験すると、人の評価が気にならなくなります。人には無積金にあれこれいうものだ、ということが分かるからです。
 
 大切なのは、自分で自分をどう評価するか、ということです。
 いつでも自分の正義を忘れないこと。人の言葉に振り回されているうちは、まだ修行が足りないということです。

 ですから、不運な時というのも人間には必要なのです。いつも平穏な人生だと魂は磨かれません。不運な時、不幸な時を経験することで鍛えられるのです。

 人の評価はしょせん人の評価。自分を下す評価とは関係ない、ということがわかってきます。ある意味で、さめた目を持てるようになります。

 ですから、人の言葉に一喜一憂してしまう時は、「ああ、まだ自分は苦労がたりないのだな」と考えてください。
 「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」という言葉がありますが、人間はみんな愚者なのです。

 だから、経験することが大切です。歴史だけから学ぼうとしても、限度があります。また、歴史だけから学べるとすれば、生まれてくる必要はないでしょう。
 
 つらい思いや悲しい思いをする・・・・・その経験が大切です。人にかなされるから、人の気持ちが理解できるようになるのです。

 この世は、つらい経験をしながら、大切なことを学ぶ場所なのです。人は、そのためこの世に生まれてきます。決して安泰を求めて生まれてくるのではありません。

 人の評価に傷つけられたり、喜んだりしながら、少しずつ自分自身の評価を重視できるようになっていく。その過程と学びが、大切なのです。

 ただし、人からの評価を無視しなさいと言っているのではありません。人の評価の中には、神からのメッセージが含まれている場合があるからです。
 
 人の評価や噂というかたちで、「そろそろ自分の間違いや欠点に気づきなさい」という神の声が伝わってくることもあるのです。

 ですから、人の評価や噂は貴重なメッセージとして、大切に受け取ってください。人からの評価は、一喜一憂すべきものでも、無私すべきものでもありません。冷静に耳を貸すべきものなのです。


出会う人、出会うチャンスは、「あなた自身」を映す鏡なのです

 「上司に恵まれなかったら、このダイヤルへ」という人材派遣会社のCMがありました。
 それだけ同僚や上司に恵まれていないと思っている人が多いのでしょう。

 また、親友や恋人が出来ないのは、出会う人に恵まれていないからだ、と思うこともあるかもしれません。
 けれど、覚えて置いて欲しいのは、あなたが出会う人は今のあなたと同じ波長(心境)の人だということ。人は、自分と同じ波長の人としか出会いません。波長と違う人とは、まず出会えないのです。

 これも、スピリチュアリズムの重要なメッセージです。
 例えば、霊感商法で騙されてツボを買わされた人がいます。そういう人は、「私は騙された。被害者だ」と言って、相手を責めます。けれど、自分がそういう商法に引っかかる波長を持っているから、「お見合い」が成立してしまたtのです。
 
 ですから、「私の周りには、嫌な人ばっかりなのよ!」というのは、「私って、こんなにレベルが低いのよ」「私って、なんて嫌なやつなの」と言っているのと同じことです。

 自分の周りにいるのは嫌な人間ばかりだと思った時は、自分がそういう人間になっていることに気がついてください。

 そして、気付いたら、変わる努力をしましょう。自分のテンションを高めて、明るく振る舞うのです。
 そうすると、自ずと出会いが変わってきます。

 「私の周りには、何故かいい人が集まるのよね」と、言えるようになります。それは、あなたの波長が一段レベルアップしたということです。


お墓が壊れたら速やかに直さなければいけない

お答え ☓
すぐに直せない事情があるなら、浄化した先祖霊は理解してくれます。
お墓にこだわり続ける先祖霊には、逆にお説教してもいいのです。

 どんなに頑丈にできているお墓でも、自然災害や老朽化のために、壊れたり傷んできたりすることはあります。そうなると先祖供養を生真面目におこなっている人は、「一刻もはやく直さなければ、失礼に当たる」と考えるかもしれません。

 霊能力者などに「先祖霊が怒っているから早く直しなさい」などと言われる人もいるでしょう。
 しかし、すぐ直すかどうかはケース・バイ・ケースです。

 ろくに先祖供養をしたことがなく、お墓も荒れ果てた状態という家の人には確かに反省が必要ですし、経済的、時間的な余裕があるなら早々に直したほうがいいでしょう。
 
 では、普段から先祖に感謝の思いを向け、心をこめた供養も行っている家のお墓が、地震で崩壊した場合はどうでしょうか。

 先祖霊が怒って「一刻も早く直してくれ。さもないと霊障を起こしてやる」などと脅してくるでしょうか。
 まずあり得ません。日頃の供養に感謝し、浄化も進んでいる先祖霊は、子孫の幸福を心から願うものです。物質としてのお墓にもうこだわっていません。

 それよりも被災した子孫の生活を案じ、、一日も早い立ち直りを願うもの。子孫からも「今は大変な状態なので、お墓を直すのはあとになりそうです。事情を理解してくださいね」と伝えれば、十分理解してくれるでしょう。「
 
 経済的な事情によりお墓の修繕の目処が立たない場合も、ありのままを先祖霊に伝えればいいのです。そのことに先祖霊が不満を持ちそうだと思ったら、こちらから説教しても構いません。

 「おじいちゃんはとっくにこの世を卒業したはず、お墓へのこだわりなど捨ててください」と。
 霊能力者などから個人の望みだからといわれても、すべて叶える必要はないのです。

 この世への未練からくる望みには、「そんなこと言っていないで早く浄化してください」と逆に叱咤激励するくらいが、むしろ真の供養であり、子孫としての愛情です。

 向こうの言葉は聴こえなくても、あなたの想念はテレパシーとなって、故人に伝わります。


失恋は本当の愛に出会うための大切なレッスンです

別れが訪れた時に大切なのは「私が彼を愛した」という、その事実を抱きしめることです。人を愛すること、それは素晴らしい事です。

 その結果、例え振り向いてもらえなかったとしても、別れることになっても、自分が愛したことを公開したり、悲しんだりする必要は全くありません。

 大切なのは、「愛するプロセス」であって、「愛した結果」ではないのです。

 失恋も片思いも、どんどんすればいいのです。失恋があるから、得恋の幸せがある。
 一度失恋したら、二度と恋ができないということではありません。

 一度も失恋をする結婚をしたとしたとしましょう。でも、その結婚は失敗する可能性が大きいでしょう。異性との関わり、それによってもたらされる幸福と、受ける傷の痛み。それを知らずに、幸せになることは出来ないからです。

 失恋は、人間にとって絶対に必要なこと。失恋で傷つく痛みより、得るものの方が絶対に多いのです。
 もし、傷つきすぎたとしたら、それは傲慢だからです。

 「私がふられるはずがない」と思っているから、必要以上に傷ついてしまう。「私はこの程度かもね」という謙虚さがあれば、失恋によってそれは傷つくことはありません。一晩泣いて、立ち直る事ができます。

 片思いであれ、失恋であれ、してもいいのです。というより、すべきです。それは、いつか本当に愛しあえる人と巡り会い、幸せになるために必要な試練なのです。

 その試練が訪れた時、「もう、いいや、しょうがない!」と思える人ほど、次の恋では幸せになります。
 そのためにも、「思いで上手」になりましょう。失恋を思い出に帰るのが上手な人の方が幸せになります。

 あなたが人を幸せにしたいということを後悔する必要なんてありません。好きになれる人と出会えた。その人を愛せた。こんなに悲しくなるほど愛せた。それだけでも、自分を褒めるべきです。

 「失恋した?早く忘れなさいよ」と言う人がいますが、忘れる必要はありません。
 好きな人を忘れること出来るはずがない。無理なのです。

 誰でも心の中に、、忘れられない人の一人や二人はいます。たとえ今、幸せな恋愛をしていたり、結婚をしている人でも、みんなそうです。

 自分にとって最愛の人の存在を消すことは出来ません消す必要もありません。
 そして、別の人と出会い、その人と新しい幸せを築いていけばいいのです。

 それよりも、その人のことを自分の中で温めて、心の中のアルバムの、一番いいページに飾りましょう。
 早く忘れようとすればするほど、苦しくなります。逆効果です。愛したことは素晴らしいこと。一生覚えておきましょう。

 心の中に、一人の人が何十年もいて、ある時偶然、街でその人とばったり出会ったとします。その時、「こんな人だったっけ?」と、魔法が解けるように目が覚める。そんなことも、よくあります。

 「どうして、あんな人が好きだったのかな。あの時、私、どうかしてた」と思うこともあります。
 人生で愛した人がたっ一人なんて、寂しいではありませんか。

 沢山の人と出会い、恋をし、別れたほうが、経験が豊かになって楽しいでしょう。学ぶことも多いはずです。
 失恋し、傷ついて、初めていいパートナーといい関係が築けるようになる。

 そのためにも、失恋は必要なことです。みんな、どんどん人を好きになって、どんどん失恋すればいいのです。
 決して忘れてはいけません。

 そうは思っても、一人の人をどうしても忘れられないという時、これは、その子置いが素晴らしかったというより、幼い頃からの心の中に積み重なった寂しさのせいということもあります。

 そういう意味で、失恋の痛手からどうしても立ち直れない時には、自分の歴史を振り返ってみるのも必要なことでしょう。
 そして、自分が愛されてきたことを思い出し、愛の電池を充電することです。


パワースポットに行けばパワーが貰える

お答え ☓
行けばいいというものではありません。
自らを客観的に見つめ、より良い自分として生きようと言う
「内観」と「誓い」が大切です。

今、スピリチュアルスポットを含む、「パワースポットめぐり」が人気です。日本の聖地を敬う人が増えているのは良いことです。けれども、行くだけでパワーが貰えると単純に考えている人も多いようで気になります。

 石や枝を持ち帰ってまでそこのパワーにあやかろうという困った人達もいます。
 とりわけ神聖なスピリチュアルスポットめぐりについては、そういうマナーを無視した幼い神頼みでは、行く意味がありません。

 私は次の5つの心得が必要と考えています。

1つめは、日頃の自分のあり方を謙虚に見つめる「内観」
2つめは、内観によって反省したことの改善策と、新たな計画や目標の「誓い」。

3つめの「インスピレーション」が、ふと得たひらめきや、おみくじの言葉の中に与えられるでしょう。
4つめは「心の癒し」で、

5つめは「身体の癒し」です。静寂の中で心を和ませ、森や温泉で身体をリフレッシュさせる。

そういうゆとりあってこその聖地巡りです。複数の聖地を急いでハシゴするより、ゆったりとスケジュールを組み、魂の深呼吸をして下さい。


短命な家系は呪われている

お答え ☓
長生きか短命化の違いは、一人ひとりのカリキュラムが違うからです。
短命だからといって不幸ではないし、呪いも関係ありません。

代々短命な家系だと気になるかもしれません。
中には「呪われている」などと脅かす人もいるようですが、その考えは、あまりにも短絡的すぎないでしょうか。
これは全くの迷信です。

 この迷信には、「短命イコール不幸」「長生きイコール幸せ」という、単純で深みのない人生観が潜んでいるように思います。

 スピリチュアルな視点から言うと、寿命というのは、その人自身が生まれる前に決めてきた「宿命」もしくはカリキュラムです。

 今度の人生では長生きするほうがいいか、程々の短命のほうが良き学びになるかを、きちんとした理由を持って本人が選んでいるのです。

 長生きならいい、短命なら良くないといった事は一切関係ありません。長生きなら長生きゆえの苦労や悲しみがあるでしょう。
 
 短命なら短命な人生だからこその、ぎゅっと凝縮された充実感や輝きがあるでしょう。
 
 寿命とは、その人の魂がこの世で必要な経験と感動を積むために、一番ちょうどいい年数なのです。


 ペットの骨を自宅の庭に埋葬してはいけない

お答え ◯
生きていた時に親しんでいた家とは、別の場所に葬ったほうがペットのため。
飼い主の未練からペットの浄化を遅らせてはなりません。

 人間と同じで、動物の魂も、亡くなったらあの世へ帰るのが本来の道。あの世へ帰ったほうが幸せです。それなのに、生前暮らした家の敷地内に埋められると、ペットの魂は居心地がよくて、中々浄化していけなくなります。

 そばに居て欲しい飼い主の心情は分かりますが、里心を助長させる葬りかたは極力やめ、ペット霊園などに葬りたいものです。

 土地の風習などで敷地内に葬る場合や埋葬している場合も、「あの世へちゃんと帰るんだよ」と繰り返し言い聞かせる事が大切です。


一度入信した宗教団体を脱退すると不幸になる

お答え ☓
高級な神仏と関わっている宗教なら辞めていく人を不幸にしたりしません。
「やめると不幸になる」という思い込みを持つほうがタブーです。

 宗教団体に入ると、「この進行に出会えた事であなたは幸せになります」「今まではこの宗教を信じていなかったから不幸だったのです」といった類の事を何度となく言われ、自分でそう感じたりするかもしれません。

 一度その思いが強烈に刻まれると、後にその信仰を辞めたいと思った時に大きなネックとなるようです。退会する事で、天に見放されてしまうのではないか。罰が当たって、とんでもない不幸に見舞われるのでは。

 そう思えて恐ろしくなるのです。退会を阻止したがる宗教団体側から、そのように説得される場合もあるかもしれません。しかし一切気にする必要はありません。

 退会したいと自分が思うなら、底で得えたものには感謝しながら、毅然として去っていけばいいのです。一つの宗教を信じることも、やめることも、自らの主体性において決めるべきことのはず。

 自分の思いさえしっかりしていれば、悪いことなど何も起きません。辞めることよりも、「辞めると不幸になる」という思い込みを持つことのほうがタブーです。

 何度も書いてきたように、その思いが実際に不幸を呼んでしまうことがあるからです。負の方向に思いの焦点を当てると、かえって負のエネルギーが現実化してしまうのです。

 もうひとつ冷静に考えたいのは、「退会した人を不幸にするような神様がいるのだろうか」と言う事。
 そんなたちの悪い神様がもしいるなら、かかわらない方が身のためです。

 どのみち信仰をやめて正解だったと思えばいいでしょう。高級な神仏と関わっている宗教なら、もっと寛大なはずです。退会する人にも、「ここを去ってからも、この信仰から得たものを大切にして、しっかり生きて下さいね」と優しく見送るのが本当ではないでしょうか。

 辞めていく人を脅すような宗教団体は、論外だと言っていいと思います。


仏滅の日に、結婚などの祝い事をしてはいけない

お答え ☓
一つの占いの判断にすぎないので、とらわれなくても大丈夫。
ただ少しでも気になるなら、避けた方が後のためかもしれません。

 「仏滅」とか「大安」というのは、「六曜」という一種の吉凶占いから来ています。カレンダーによく書いてあるので目にする機会が多いと思いますが、沢山有る占いの一つですし、とらわれる必要はないと私は考えます。
 
 それでも結婚式には大安の日を選ぶのがよく、仏滅に催すなんて縁起でもないというのが、今でも一般的な意見でしょう。

  そのせいか仏滅の日は、どの結婚式場でも希望するカップルが少なく、料金設定も低くなっているようです。

 そこに目をつけて仏滅の日に安く挙式を上げるカップルもいて、それはそれで問題ありませんし、ある意味で合理的な選択と言えそうです。

 ただし少しでも六曜が気になる人は、仏滅を避けたほうがいいかもしれません。仏滅に結婚したことへのネガティブな思いがどこかに残ってしまうと、後で影響が出てくる可能性があるからです。

 「私達は仏滅に結婚したからだめなんだ」という想いにとらわれるのは一番避けたい事。
 ネガティブな思いこそ最大のタブーです。


 注意してください。
「言葉は相手を幸せにもするし、傷つけもします。

 人の行いは、全て神が見ています。アカシック・レコードに記録されているのです
ですから、自分の言葉を悪意に受け取られり、誤解されたりした時、そしてそれを弁明できない時には、神に委ねる方がいいのです。

 何が真実だったのか、長い目で見れば、自ずと明らかになるものです。
ただ、気を付けて欲しいのが、人に誤解されることの多い人というのは、言葉による表現方法を間違っている事が多いということです。

 人に誤解されて悲しい思いをした時、それは一種の警告かもしれないと考えて、自分を振り返って見てください。
 相談者の中にも、「私は人から誤解される事がすごく多くて」という方がいます。

 そういう人とお話をすると、決して悪気はないけれど、言葉を大切にしていない人だな、と感じることがあります。
 言葉できちんと伝えるべきなのに、「まあいいや、面倒臭い」と考えているのです。
 
 スピリットな存在になればテレパシーにも使えますが、人として生きている間は、そうはいきません。口を使いましょう。言葉を大切にし、言葉で人とつながりましょう。

 悪意はないけれど、人を傷つけるようなことを言っていないか。乱暴な口の聞き方をしていないか。いつも気を付けてください。それが言葉を大切にするということです。

 特にさっぱりした性格の人ほど、周囲の人もみんな自分と同じようにサッパリしているだろうと思い込んでいるようです。「これくらい、気にしないだろう」と考えて、ズバスバとモノを言う。

 けれど、世の中にはサッパリした人ばかりではありません。細かいことを深く気にする人も多いのです。
 それに気付いていない人のガイド・スピリットからのメッセージを聞くと、「口は災いの元」とはっきりと言われます。

 ですから、「あなたの言葉で傷つく人もいるんですよ」とアドバイスをします。
 「この人には、100%本音で話しても大丈夫」とか「この人には少し遠慮して話さないと傷つくだろう」とか、相手を見て、言葉を選ぶ事が大切なのです。
 
 また、言葉が足りない場合もあります。例えば、「おなかすいたね」と言われて、「うん」としか言わない人と、「ああ、ほんと、お腹すきましたね」と言う人とでは、印象がかなり変わってきます

 何か失敗した人に対して、「あなた、愚かだよ」とスバリ言う人と、「大変だったね。でも人間なら、愚かなことをしてしまう事もあるわよ」という人では、どうでしょう。

 二人とも、気持ちの部分では同じように相手に同情していたとしても、前者はそう思ってはもらえないでしょう。

 そんな風に、言葉で失敗している人は多いのです。今は人との関わりあいが薄くなってきているから、なおさらかもしれません。

 誤解されやすいタイプの人というのは、本当は嘘の付けない、いい性格な人が多いのです。ですから、少し注意すれば改善する事が出来ると思います。

 言葉は人を幸せにもするし、傷付けもします。丁寧に扱ってください。

人付き合いに必要以上に敏感になってしまった人へ

 人付き合いが煩わしいという状態が長引いたり、激しくなったりすると、対人恐怖症のようになってきます。
 人と会って話するのが怖いと感じてしまう。

 そういう人は、人並み外れて敏感な人なのです。だから、人の怖さが見えてしまう。
 けれど、どんな場合でも思い出して欲しいのは、人は皆、喘ぎながら生きているということです。

 どんなに強そうに見える人でも、苦しんでいない人などいません。
 その事実を肌身で知ること。そして、自信を持つことです。

 ただし、もしどうしても自分とは合わない人、会うと傷つけられると感じてしまう人とは、少し距離を置くほうがいいでしょう。わがままだと思われても気にしない事。

 自分自身の魂が拒絶する人は、「ごめんなさい」と言って避けたほうがいいと思います。
 どうしても避けることが出来ない場合は、自分の中に打算がないかどうか振り返ってみましょう。
 
 この人と一緒にいると得だと思ったり、世間体がいいだろうと考えたり。そういう打算があると、その相手から離れられません。

 打算を捨てて、「今の私には、この人は合わない」と思えば、その人との関わりが変わります。
 自分の魂の声に素直になって、相手との関係を見つめることです。
 それがあなたの魂を守ることにも繋がります。

困ってる人・迷っている人と上手に付き合う方法

 人から「助けて欲しい」と頼まれた時、どうすればいいか迷うことは多いと思います。考えて欲しいポイントは二つです。

 一つは、自分の行為が、相手に対する愛に基づくものなのか、それとも自己愛からくるものなのか見定めることです。人を助けることで、自分がいい気持ちになっている人は結構多いものです。

 自分の心にもう一度問いかけてみてください。その事によって優越感を覚えたり、いい気分に浸りたいという感情はありませんか?

 もしそうなら、それは自己愛です。助けるかのように見せて、実のところ相手のことを考えていません。当然、後でトラブルになることが多いのです。

 後で、「恩を仇で返された」と思う場合は、「助けてあげた」と言い気になっていなかったか振り返ってみましょう。
 それを反省せずに、相手がアダで返したからといってその人の憎むのは、お門違いです。

 次に、本当に人を助けるためには相手をよく見ないといけません。自分自身は無になって、相手の状況を見る事が必要です。

 相手の状況、気質、行動を見ていれば、助けるべきかそうでないかは、自ずと分かってきます。
 相手に対する愛があれば、相手の本当の状況が見えてくるのです。

 例えば、「お金を貸して欲しい」と頼まれた時、本当に生活に困っていて助けが必要な場合もあれば、ただ愚痴をこぼているだけの場合、浪費や無理な透視でお金を失った場合もあります。
 そこをよく見極めることです。

 何でも相手の思い通りにしてあげることが愛ではありません。相手をよく観察して、今、手を差し伸べるのは、相手にとって良くないと思うなら断るべきです。

 例え憎まれたとしても、敢えてそうするのが本当の愛です。
 人に助けを求められた時は、以上の二点をよく吟味してから行動してください。



言葉遣いが人間性を判断する
一番分かりやすい判断材料なお話

 シルバーバーチの霊訓でも、「高級霊」は「言葉遣いが綺麗」で、
低級霊」は「言葉遣いが汚い」、と仰っておられます。

 覚者級の偉人「ブルーシャ西村様」も、神様に愛される生き方のご著書中で、本物の…素晴らしい成功されている方々は、
例外なく皆、言葉遣いが丁寧で綺麗だと仰っておられました。

やっぱり…本物の方の言葉遣いは、
丁寧で心地良い話し方」に「自然に」なります。

 「まだなってなければ」、まだまだ未熟だと言えましょう。
申し訳ないのですが…まだ「それだけの人間」という事です。

 タピオカ屋さんを恫喝した人を見て頂ければよくお分かり頂けます。
言葉遣いの品性」と「人間性・霊性」は、ほぼ完全に比例しております。

言葉が汚い・悪い」…というだけで、もう「それだけの人間」という事です。
まともな言葉遣いも出来ないわけですから、人間として三流・四流なのは明白と言えます。

 言葉の汚い人・悪い人とは関わらない方が無難です。
言葉遣いが悪い=低波動」の判断は、誰にでも出来ますから、これも人生の災難を避ける、一つの波動リトマス紙として頂ければ、人生のリスクを減らす事が出来ましょう。
 「君子危うきに近寄らず」…ですね♪

綺麗な言葉遣い=高い波動状態(ポジティブ)
(天皇陛下・皇室の方々の敬語・上流階級・紳士・淑女・上品・気品がある・品性・高級・丁寧な敬語・本物・意識が進化した人・格調高い・礼儀正しい人・麗しい・ホワイト企業・一流企業・心地良い言葉遣い・感謝・ありがとう・祝福・褒める・至福・喜び・尊敬の念・穏やか・優しそう、慈しみのある話し方・赦し・控えめ・謙虚・慎み深い・素敵な人・丁寧な人・愛が溢れている・気分がいい・内面の輝き・天使・優しい人・気分がいい時・上機嫌・分かっている人が使う・賢い人が使う・知性がある・品性のある話し方・信頼したくなる・お嬢様・麗しい話し方・素敵ないい人が使う・笑顔・幸せな時・愛に満ちてる時・気分が軽くなる・軽い波動・運気が上がる・神様に繋がる…愛される話し方・江原啓之さんの話し方・徳を積む話し方・愛と調和・高級霊が使う)

汚い言葉遣い=低い波動状態(ネガティブ)
(チンピラ言葉・ヤンキー・べらんめえ口調・下品・喧嘩・暴力の時に使う・血の気が多い・喧嘩っ早い・乱暴な人・荒々しい・乱暴・粗雑・けなす・偉そう・お○呼ばわり・ドSな言葉遣い・ブラック企業・恫喝に使う・パワハラ・威嚇・罵倒・三流企業・喧嘩・怒り・短気・イラつき時に使う・闇落ち・無愛想な人・愚痴・不満・雑な敬語・敬語がろくに使えない人・アホっぽい話し方・だらけた話し方・不快な話し方・不機嫌・不調和な人が使う・チャラ男・粗雑・キツイ口調・憤怒・憎しみ・嫉妬・ネガティブ・未熟な下品な人間が好んで使う・偽物・悪人がよく使う・不満顔・重い波動・運気が下がる・それだけの人間・タピオカ屋さんを恫喝した人の話し方・反面教師な人・低級霊・動物霊が使う)












知花敏彦先生の総まとめ記事 第6回目







「全ては神=我神なり」という真理♪

意識の進化=愛の拡大=分離意識の克服=
我は全体なり・全体我なり=全一体・自他一体=

全ては私=全ては一つ=全ては一つの存在の現われ=
宇宙は一つの生命体=全てに神(宇宙生命)が宿り給う=

宇宙は神一様=全ては神の中の存在する一つの存在=ワンネス
全ては永遠に一つの存在=全ては一つ=全ては私=全ては神

全ては今この瞬間しか存在しない=全ては永遠に一つの存在=
永遠の始まりである神の御心のみが実在=今即天=今即実在=

大愛・宇宙生命・神の一人子である神我キリストのみが実在=
全てはこの瞬間に存在する宇宙生命そのもの=全ては神そのもの=
全ては神ご自身=神一元・愛一元・光一元=宇宙即我=我神なり


調和=愛の法則そのもの=罪なきもの=完成=幸せな人生に
不調和=愛の法則を犯している=業・罪=カルマの精算が起きる

愛と赦し=調和=愛=幸せ・健康=完成=中性=完全=光人間
恨み・憎しみ・争い=不調和=罪=病・災難=不完全=闇人間

愛と赦し=カルマの消滅=神の祝福=幸せなツイてる人生に
許さない・恨み・嫉妬=カルマの刈り取り(不幸災難)な人生に

調和人間=愛が深い人=愛の光そのもの=克服者キリスト=完成
不調和人間=恨み・嫉妬・責任転嫁闇人間=罪人=未完成

調和=光明世界・愛の王国=愛・光・善=平安と安らぎ・至福感
不調和=無明世界・闇世界=未熟な愛=不安と恐怖・飢餓感・不足感

調和の人は熟した魂=自分を愛するが如く他人を愛します=ワンネス
不調和な人は未熟な魂=他人を責めて非難します=分離意識


 イエス様は「愛は天と地の架け橋」とおっしゃられました。その愛とは「許しの到達点」である「慈悲と愛」で御座います。

 真の意味で貴方が、その「許しの到達点」の境地に到達した時に、自ずと「天である神」と「地である貴方」との架け橋が繋がる事でありましょう。私は実体験からそれが実際にありえると確信しております。


愛は天と地の架け橋  この愛の理解と体得が神様と繋がる鍵♪

神・大愛(天)……全てを活かす愛・慈悲と愛・すべての形態を形作る力・意識を与えて下さった魂の根源・真の親・すべてを活かし育む力、縁の下の力持ちで全てを愛し慈しむ無償の愛・無限の愛・すべてに意識を与えて下さった天の父であり天の母である中性エネルギー・真の親・愛を表現する為に…無限の創造をなさっている慈悲と愛そのもの

神の表現体(地)……神が神を愛する為に生まれた存在・神の化身・愛の化身・神の表現体・神の中に創造された神・個別化した神としての自覚に覚醒めた我・滅私して神の道具意識を自覚している我・自分が神ご自身だと悟った我・愛を表現する為に生まれた事を自覚している我、全てを100%の愛で愛する我、自分と全てが神以外の何者でもない事を自覚している我


第六密度以上の高次元存在が語る
「許し」というものが、カルマの輪を止める事になるお話

★ コーリー : 多くの人々が現生のトラウマだけでなく、過去生のトラウマにも対処しているところなのです。

今、地球に生まれて来ている多くのライトワーカーは、援助の為により高次元や、上の密度から降りて来た人々です。

現生が初めての人でも、高次の美しい場所からここへやって来た人にとっては、ここでのトラウマは10倍酷(ひど)く感じられるものです。

そして、長期に亘(わた)って輪廻転生を繰り返して来た人の場合は、更に解消しなければいけない過去生のカルマが加わります。

しかし、ブルーエイヴィアンズから言われたのは、トラウマを特定し、自分にトラウマを与えた人や自分自身を許すこと、

そして、この”「許し」というものが、カルマの輪を止めることになるということです。カルマがなくなるんです。

これは、エネルギー的なものです。
カルマとは」負債を支払うようなものではなくて、
許してエネルギーを解放するもの」なんです。



カルマとは宿題・魂の課題・許しによって消滅♪
……………………………………………………… 
「許し」を心から実践=カルマの輪を止める=カルマがなくなる♪

自分にトラウマを与えた人や、自分自身を許す==
             ==魂の課題を克服=カルマが消滅♪

許す事によってエネルギーを開放=カルマの克服・解消に♪


ケイシーリーディングから…♪

全身全霊で「神を愛する」大切さ
「神を求める祈り」をする大事さのお話

 エドガーケイシーは、宗教生活についてそのもっとも美しい表現の中で、この事を次のように語っています。

あなたがたは心を尽くし、思いを尽くし、体を尽くして汝のなる
(大生命・内在の神)を愛し、隣人を汝の如く愛するのである。

このキリストの与えた言葉が法則の全てである。
それに優るものは存在しない

 主が約束されたように、あなた方は
来る日も来る日も明想し、「祈りゆく」うちに到来するあの目覚めによって、
主(宇宙生命)が自分の意識の中に留まられる事を知る事が出来る
神我が中にまします・父と子は常に一体)。

 あなた方はこの目的のために、
主が臨在し、その御霊(キリスト)があなた方の中に留まるあの意識を、
あの自覚を讃えるために生まれてきたのである。」

自我・偽我 =表現者、原因である父なる神を忘れている状態(放蕩息子の状態)神理を知らない状態・自分の力で生きていると思って迷っている状態、肉体の己を自分と思っている我、分離感・分離意識で個別化された表現を別個の存在と認識している我・分離意識・エゴ・肉の感化、五感の感化を真実と錯覚している我・迷いの影、幻、幻想(マイヤー)・自己保存、自我我欲の心


真の自己(真我)=父なる神と常に一体の境地・ワンネス意識・全一の意識・神我キリスト、全ては自分、全ては我、全ては神、全てを愛する我に目覚めた状態・宇宙生命によって生かされている事を自覚して実感している我・私が生きているのではない、なるほど一つの生命である神が生きていらっしゃる、全ての知恵と力は神から与えられている、神の中身は神、全ての全ては本質的には神、神のみが生きてらっしゃるんだなと悟った我・神一元・愛一元・光一元・我神なり、全ては神なり、全てに神を観る境地・神は生命(霊)なり、我も生命(霊)なりの自覚・宇宙即我、キリスト意識・高我・実在・全てを愛し全てを許す境地・慈悲と愛・あなた即私・私即あなた・宇宙エネルギー即自分・無限即我・不変不動の絶対なる実在・普遍なる宇宙・無限者・宇宙神

FC2版の広瀬すずちゃんの横顔になる方法の記事です♪
身長を伸ばす記事も追記してみました♪

江原啓之さん・総まとめ記事・第2回目♪魂と肉体のバランスが取りやすいのは6時間睡眠♪毎日の食材選びのスピリチュアルな注意点・♪心を静かにしてスピリチュアル・ワールドからの声に耳を澄ませましょう …あなたに必ず答えは与えられるのです。♪肉体の病、カルマの病、たましいの病、実際には、いくつかが重なり合っていることが多く、判断するのが難しいのですが、おおよその目安を描いておきます。♪大切な人のための 「スピリチュアル セルフ ヒーリング」♪縁起・言い伝えのタブー ・二度あることは三度ある♪マグネティック・ヒーリング 手の平から癒やす♪

江原啓之さん・総まとめ記事・第1回目
https://sinntyounobiruyo.blog.fc2.com/blog-entry-4061.html



江原啓之さん
魂と肉体のバランスが取りやすいのは6時間睡眠

では、スピリチュアルなエネルギーをたっぷり充填したり、メッセージを受け取ったりするためには、どんな眠り方をすればいいのでしょうか。

 まず、眠りにつく時間ですが、出来れば夜の12時よりも前に眠りましょう。丑三つ時(午前2時~午前2時半)の時間に一番深い眠りが来るようにするのです。その時間帯に、スピリチュアル・ワールドの門が開くと考えられています。
 
 スピリチュアルなエネルギーをしっかり得るには、体質にもよりますが、6時間睡眠が最適です。それより短いと、エネルギーが十分に補給されません。

 3時間、4時間の睡眠が続くと、魂と肉体に不調和が生じ、パワーが衰えて健康を損ねたり、ここ一番という時に力が出なかったりします。

 休日に寝だめしても、あまり意味はありません。普段の睡眠が足りない場合、体を休めるという意味ではいいかもしれませんが、スピリチュアルな意味はありません。
 昼寝をしたり、時間の隙間を見つけて眠るのも同じことです。

 6時間より長く、8時間眠ってもいいのですが、寝過ぎると、帰ってだるくなって、体が動かなくなる場合もあるでしょう。

 6時間睡眠こそ、スピリチュアルなエネルギーがもっとも充実し、人生を無駄にしない眠り方なのです。
イギリスのスピリチュアル・トレーナー(スピリチュアルな力をトレーニングする人)は、生徒全員に6時間睡眠をさせているぐらいです。

 例えば、夜11時に寝て、朝5時に起きれば、出勤するまでの間に資格をとる勉強なども出来るでしょう。
 人生を有意義に、無駄なく使えるようになるのです。
 受験生も早起きして勉強するほうが、一番いいエネルギーを使えるので、能率が上がるでしょう。


毎日の食材選びのスピリチュアルな注意点

元気に美しくなりたい時、もう一つ気をつけたいのが、食材の品質です。
同じ食材でも、次の点に注意するのとしないのとでは、格段に違うのです。 
 まず、季節の旬のものを選ぶようにしてください。

 今は、四季を通じて何でも手に入りますが、やはり季節にあった旬の食材に含まれるエネルギーが豊かです。
 魚も旬の物と冷凍モノでは、全く味が違うでしょう。

 また、夏にとれるナスなどの野菜には、体を程よく冷やす効果がありますし、冬にとれる大根などは、体を温めてくれます。

 旬の食材には、それぞれの気候に合わせて、私達の心身を癒やし、健やかに整えてくれる作用があるのです。いわば天からの贈り物。楽しみながら頂きましょう。

 次に、天然物、露地ものを選ぶのも大切なことです。
 野菜には、大地と太陽と水のパワーを十分受けて育ったものを食べるようにして下さい。

ハウスの中で季節に関係なく生産されたものより、エネルギーが豊かです。
魚も、天然物と養殖物では運動量が違いますから、持っているパワーも全く違うのは当然です。

 砂糖などの調味料も、精製糖ではなく、きび砂糖、黒糖、三温糖など、ナチュラルなものを選びましょう。

 また、天然物は、それ自体のうまみも強いのが特徴です。
露地栽培の野菜などは何も味を付けなくても、それだけで美味しく頂けます。
 最近は、そんな自然そのものの美味しさが忘れられているように感じます。

 素材自体に味があれば、薄味でいただけるので、塩分を摂り過ぎる心配もありません。
ぜひ素材そのものの味を味わって下さい。
 
 また、出来るだけ、無添加、無農薬、低農薬のものを選ぶ事も大切です。
探すのが大変だったり、お金がかかったりしますが、そんな手間隙をかけるだけの価値はあります。
ぜひ心がけて見てくだい。


心を静かにしてスピリチュアル・ワールドからの声に耳を澄ませましょう
…あなたに必ず答えは与えられるのです。

私達の最終的な目標は、魂が大人になることです。
なぜなら、個人だけの幸せ、というものはないからです。
例えば、国が戦争を始めたら、誰が幸せになれるのでしょうか。
世の中が殺伐として不景気なのに、「私だけが幸せ」などということは、ありえないのです。

他人の幸せ、世界中の平和、人類全体、さらにいえば霊的世界全体の向上がないと、個人の幸せはありません。みんなお互いに関わりあって生きています。

この世に生を受けた人はすべて、神に近づくという大きな目標に向かって切磋琢磨するスピリット(魂)の存在なのです。たったひとりで孤独に生きている人などいません。

 そのことに気がつくと、物質的なものに対する欲は薄くなります。
むしろ、人々が愛に満ちて和合し、世の中の全ての人が幸せであるようにという気持ちになっていきます。
そこまできて、初めてスピリチュアルな事象も理解できるようになるのです。

 仕事、病気、恋愛、結婚、人間関係、みんなストレスいっぱいの生活で、癒やされたいと思っています。
癒やしが一種のブームになっています。様々なグッズやテクニックを使って、心身を休めるのも確かにイイことです。けれど、それだけでは同じことの繰り返しです。
すぐにまた疲れてしまうでしょう。

 自らがより高い魂になるという事。大人の感性を持ち、
他者の幸せを願い、世の中全体の幸福を願うことです。
感性を高めて、スピリット・ワールドからのメッセージに耳をすませて下さい。

 自分自身を変えようと努力して下さい。この世に生まれた究極の目標はそこにあります。
それが出来た時初めて、本当の安らぎが与えられるのです。


肉体の病、カルマの病、たましいの病、実際には、いくつかが重なり合っていることが多く、判断するのが難しいのですが、おおよその目安を描いておきます。

自分に無理をしていませんか?

まず肉体の病ですが、これは自分の日常を振り返れば分かります。
働き過ぎていたり、睡眠不足だったりした時、それが引き金になって、体調を崩すのです。
 ただし、こんな場合があります。
 例えば、疲れて帰ってソファでそのまま寝てしまったために風をひいたとします。これは、肉体の病ですが、同時にカルマの病でもあります。
 「きちんと自己管理が出来ていなかった」というカルマが帰ってきたのです。

同じ症状を繰り返していませんか?

つぎに、カルマの病ですが、これは「繰り返し、同じ症状が出やすい」という特徴があります。慢性疾患になって、治りにくかったりもします。
 例えば、口内炎が出来やすいという人は、口汚く人をののしるクセがないかどうか、考えて見て下さい。

 単なる食べ過ぎや、口の中の傷が原因の場合もありますが、何度も口内炎が出来る時は、要注意です。
 「口に気をつけなさいよ」というメッセージである場合があるのです。
 このことは、なかなか自分では気が付きません。誰でもみんな自分が可愛いので、「そんなことはない」と素直に反省することが出来ないのです。それに気付かない限り、何度でも同じ症状が出てきます。
 
 繰り返しますが、カルマは決して天罰などではありません。早く気づきなさいよ、という愛のメッセージです。
 ですから、素直に、冷静沈着に自分を見つめて下さい。大人の感性で判断しましょう。

病気をただ「不幸だ」とばかり考えていませんか?

 次に魂の病ですが、これは常にスピリチュアルな世界にとってのつながりを意識していれば、判別できると思います。

 つまり、「この病気や怪我は、何を私に伝えるためのメッセージなのか」という見方をしていくことです。周囲の状況をよく見つめたり、真剣に自分の心を内観したりしていると、これがわかってきます。

 ただ、病気になったことを「不幸」としか捉えられなかったり、その事実を受け止められなくて、ネガティブな気持ちになっていたりすると、このことが分かりません。

 まず、自分の今の状態をありのままに受け入れること事。そして、その意味を考えること。その時初めて「ああ、時期を待たされていたんだな」「忍耐力が必要だよという意味だったんだな」などと分かるはずです。

 ところで、カルマから起こっている病気の中には、その原因を知り、スピリチュアル・ヒーリングを施すことで治ってしまうものもあります。

 ただ、魂の病気の場合、どんなスピリチュアル・ヒーリングを施しても、自分自身がその意味に気が付かなければ治りません。
 一時的に治ることがあっても、根治はしないのです。

 以前、相談者の中に、重症の筋無力症の人がいました。
 霊視したところ、この方の場合、原因はその背景にある親族の相続争いだと分かりました。

 その問題から手を引くようにアドバイスし、ヒーリングを施した所、私のオフィスに来られた時は、車椅子が必要なぐらい弱っていたのに、元気になって歩いて帰って行かれたのです。そういう目覚ましい回復例もあります。

 しかし、魂の病気は、まず自分を内観し、メッセージを受け取って、行動を改めていく・・・そういうステップを踏まずに治るものではないのです。

 以上の3つの病になる原因を克服するためには、どの場合でも、早期発見、早期治療が大切です。時間が経てば、たつほど、治りづらくなります。

 こじらせて苦しむ前に、早く体と心の訴えに気付きましょう。
 全てが、あなたへの貴重なメッセージであり、愛なのです。

縁起・言い伝えのタブー

二度あることは三度ある
お答え ☓ 

二度続いたことは、スピリチュアルな警告的メッセージと受けとめて。
早い内に軌道修正しないと、三度目がやってくるかもしれません。

 同じことが二度続く時があります。ポジティブなことならいいけど、ネガティブなことだったら要注意。

 それはスピリチュアルな警告的メッセージかもしれず、もしそうなら三度目はより明確な形でやってくる可能性が高いからです。

 例えば街で、向こうから歩いてきた人にぶつかるということが二度続いた。
そんな時は、
「このごろ注意散漫ですよ。この調子だと大きなトラブルが起きますから重々注意して下さい」
というメッセージが守護霊が伝えてきているのかもしれません。
それが現実とならないよう、気を引き締めたいものです。

 本当は一度目の段階でメッセージに気付くのが理想です。
そうすれば「最近ボーッとしているから人とぶつかったりするんだ。気を付けよう」と、二度目以降を未然防げます。

 二度にもわたる警告に気付かないのは、線路の上をふらふら歩いていたり、接近してくる列車に二度も警笛を鳴らされているのに、どこうとしないのと同じようなものです。
 メッセージを送る側は、さぞもどかしい思いをしていることでしょう。

 「二度あることは三度ある」という格言は、言葉通りの意味ではなく、このように
「二度あったことは三度起こさないようにしましょう」と解釈するのが賢明なのだと思います。

 似た言葉に「三度目の正直」があります。これはまた意味が違い、努力を重ねていく事によって、やがては成就するという意味です。

 一度や二度の失敗にめげず、逆にそこから学び取りつつ努力を続ければ、「カルマの法則」で三度目には成就するということです。

 実際は四度め、五度目、十度目にようやく成就となる場合もあるでしょう。
 要はくじけない心の大切さを言っている言葉なのだと思います。

 一度目や二度目の失敗は、成功を支えるヒントにもなります。
 「三度目の正直」という言葉は、無駄な努力はないことも示しているようです。


冬場のノースリーブはスピリチュアル的にはオススメできません

 何を着てもいいのですが、最近の洋服がシーズンレスになっている事だけは気になります。
季節感は、ファッションにおいては、とても大切です。

 昔は、着るものの素材や形は、その時々の季節感をよく表していました。
例えば、夏は麻の素材のものを着て、上手に熱を逃すなどの工夫を凝らしていました。
季節ごとに、体がもっとも快適に感じるものを選んできていたのです。

 中でも特に優れているのが着物です。冬はあわせを着て暖かく、夏は一重で涼しげに。柄も、春は桜、秋は紅葉などで、季節を繊細に表現しています。

 ところが、今は冬でもノースリーブなど薄着をする人が多くなっています。いくらどこでも暖房がきいているとはいえ、体は冷えます。健康のためだけではなくスピリチュアルな立場からも、決していいことではありません。

 季節感を無視したファッションは一見おしゃれかも知れませんが、自然の持つエネルギーを取り入れにくくなるという欠点があるのです。

 また、直接肌着につける下着については、自然素材や麻や木綿のものにするほうがいいでしょう。下着の素材など、たいして影響はないように思われるかもしれません。

 けれど、毎日肌に触れるものが、人工的なものか、それとも自然の中で芽生えて育った植物のパワーに満ちたものかで、まったく違います。
 
 そういう何気ないところにも心を配り、丁寧に選ぶ所から、心身の健やかさ、美しさが育まれていくのです。

マグネティック・ヒーリング
手の平から癒やす

マグネティック(オーラ)・ヒーリングは。患部に手のひらを当てたり、手でさすったりすることで、痛みや苦痛を取り除く治療法です。

 人間の体はマグネティックな力とオーラを同時に放っていて、それらを一番強く外に放出しているのは、手の平なのです。ここから出るパワーを痛みのある部分に注ぐと、痛みを除くのに役立つのです。
 
 痛む部分のオーラはくすんでいます。肉体と幽体が不調和をおこしているからです。それを手の平から出るオーラで補うわけです。

 ですから、これを「オーラ治療」とも呼びます。この療法を行なうと、痛みが和らぐだけでなく、自然治癒力を増すことにもなります。

 実は、私達は、無意識のうちにこのような療法を日常的に行なっています。
例えば、お母さんは子供が転んで膝を擦りむいたときなど、その患部に手を当てて、「痛いの痛いの、飛んでいけ」というでしょう。薬など使わなくても、子供はお母さんにさすってもらうだけで、なんとなく痛みが和らいだような気になるのです。

 また、どこから痛い時は、自分でも自然とそこを手でさすっていませんか?
 これらはすべてオーラ治療なのです。

喪服の色は黒でなければいけない
お答え △

絶対に黒い服でなければいけないわけではありません。
ただ、黒い色にはパワーがないため喪服に一番ふさわしいのは確かです。

スピリチュアルな視点では、絶対に黒でなけれbならないということはありません。派手な色彩の服を着ても、故人の霊が起こることはないのです。

 最近では、「故人の希望なので平服を」と案内する儀式もあります。しかし現世の人間が悲しみを表すには、やはり黒が一番ふさわしいでしょう。
 
 日本人は昔から黒やグレーを葬儀に着る色としてきました。振動の葬儀では白も着ます。
色にはそれぞれにパワーがありますが、これら無彩色には何のパワーもありません。大切な人の死に沈む心は、無彩色に近いのかもしれません。


ちょっとしたことですぐに体調を崩してしまう人へ
弱気になると風邪をひきやすくなります

体が疲れていると、風を引きやすくなります。しょっちゅう風邪をひく体質をなんとかしたいと思っている人も、多いようです。
 
 風邪の原因は、鼻や喉から菌が入り、粘膜が菌に負ける事です。
 肉体的に言えば、体が疲れ、体力が落ちていると、菌を跳ね返すことができなくなって、風を引きます。

スピリチュアル的に言えば、気分が高揚しているときには、私達の基本である霊体が肉体に英気を与え、外から侵入した菌を肉体が跳ね返してしまうのですが、
 気が緩んだり、弱気になったりしているときは、その力が弱くなるのです。風邪を引きやすくなります。

 まずは背中とお腹を意識的にケアしましょう。

 そんなとき、大切なポイントは背中です。まず、背中を癒やしてあげましょう。
 健康の源として大事なのは、背中とお腹、とりわけ背中は、とても大事な場所なのです。それなのに、無防備な場所でもあります。ここを意識的にケアして下さい。

 喉などが出る呼吸系の風邪の場合、肩甲骨と肩甲骨を結んだ千より5センチ程上と下にある二つのツボに温湿布をしましょう。

 上のツボのあたりを私は「神座」と呼んでいます。また、下のツボは「霊台」といいいます。霊が乗る台ということです。方が凝っている時、また体力が落ちている時、疲れて仕方がないという時にも、ここに温湿布をすると効果があります。

 家族や恋人に手でマッサージしてもらえれば効果的ですが、頼めない時は、自分で温湿布を貼ってもいいでしょう。夜、貼ったまま眠っても構いません。

 寒い時期、屋外に長い時間いなければならない時などは、服の上から貼れる使い捨てのカイロなどでこのツボを温めましょう。

 健康を司るもう一つのポイントは、お腹です。
 おへその下辺り(丹田)には、体全体を癒やすツボがあります。この部分にエネルギーが充満していないと、健康とはいえません。

 よく「腰を据えて仕事にかかる」とか「腹が座っていないとダメだ」といいますが、それほど、お腹周辺は大事な部分なのです。

 風邪を引きにくい体にするためにも、寝る前にお腹のツボを手で押さえましょう。フタをするということではありません

 ハンドパワーを使って、ここから体の中にエネルギーを満たすのです。そうすることで、体全体を癒やすことになります。

風を引いたかなと思ったら試して下さい

 それでも風を引いてしまったら、なるべく薬に頼らず、自然治癒力で治したいものです。
もちろんケース・バイ・ケースで、薬が必要な時も在るでしょうが、そこまでこじらせてしまわないよう、自然治癒力を高めることが大事です。

 そのために、背中とお腹のツボを意識すると同時に、自然にあるものを利用して回復を図りたいものでです。
 例えば、緑茶でうがいをしたり、塩を入れたお風呂に入ったりするのも効果があります。

 緑茶は、カテキンという栄養素が含まれていて、殺菌作用があるあkらいいと言われますが、それだけではありません。

 お茶の葉は、太陽の光を浴び、土の栄養素を取り込んで育っています。
そういう自然のパワーには自然治癒力を高める力があるのです。

 また、前述したように海の塩には、浄化のパワーがあります。湯船に塩を入れるのは、タラソテラピーの家庭版といってもいいでしょう。
 そういう自然のエネルギーに感謝し、それを取り入れることで、病気に対する抵抗力をぜひ付けて下さい。

大切な人のための
「スピリチュアル セルフ ヒーリング」

自分の子供やパートナー、両親など、家族の中に病人が出た時、あるいは友人が病気になった時、一刻も早く治してあげたいでしょう。

 病院へ行くことをすすめたり、薬を飲ませたりするだけでなく、スピリチュアルな方法で大切な人を癒やす方法を紹介しますl

ステップ1  心が落ち着く音楽を流す

まず、病人の気持ちが落ち着くような音楽を静かに低く流しましょう。音には、霊界のエネルギーを伝える音霊があるからです。もちろんケース・バイ・ケースで、相手が一番落ち着く方法をとって下さい。

ステップ2  そばに花を飾る

ベッドのそばには植物を置きましょう。とくに具合が悪い人には、緑よりも鼻がいいでしょう。
花にはフェアリー(精霊)が沢山集まってくるからです。
このフェアリーは臆病なので、気の強い人のそばには寄って来ません。
弱っている病人のそばにだけ近づくのです。ですから、病気見舞いにはお花がいいのです。

 花を飾る時、贈る時は必ず、「どうぞ、この人を癒やしてあげて下さい」
と、花のフェアリーに語りかけるようにして下さい。

 その祈りがあるかないかで、効果は違ってきます。
また、日中はなるべく病院に陽の光を入れ、風を通しましょう。
スピリチュアル・ワールドのエネルギーは、光や風にも乗ってくるからです。

ステップ3  綺麗な水を飲んでもらう

 そして、病人の人には、出来ればいつも綺麗な水を飲んでもらうといいでしょう。
水は。体内の汚れを洗い流してくれます。

 例えば神社から貰ってきた霊水は、やはり効果的です。水のフェアリーと、水のエネルギーが体内を浄化していくからです。

 水道水ではなく、天然水を。
 病人にその自然のエネルギーを与えて下さい、という願いを込めて、飲ませてあげましょう。

乳製品・肉類
美しい肌づくりには欠かせません。
いつまでも若々しくいたい人は積極的にとりましょう。

牛乳、バター、チーズなどの乳製品もエネルギーが豊富です。
これらは、動物から頂いたものを加工した食品で、体をつくるタンパク質や資質が豊富です。これらは、美しい肌をつくるときにも欠かせないものですから、ぜひ食べましょう。
 
 同じく動物から頂いたものとして、肉にもエネルギーがあります。
 ただし、スピリチュアルな観点で言えば、他の生命を頂くのは、
あまり良いことではないので、出来るなら避けた方がいいのです。

 ですが、人間がいきいきと生きるために必要なエネルギー
ですから、完全にやめることはできないでしょう。
「命を頂いて、ありがたい」という感謝の気持ちを込めて口にして下さい。

 貝、海藻類
海のミネラルたっぷりの食材
つややかな髪を手に入れたい人にも。

 貝や海藻類も、非常に滋味豊かな食材です。
 なかでもタウリンやコハク酸という成分は、貝にしか含まれていません。
 それは滋養強壮剤にも使われるほどのパワーが有ります。
カキは「海のミルク」と呼ばれているのはご存知でしょう。

 ただし、貝は傷みやすいので、毎日食べるのは難しいかもしれません。佃煮や燻製、缶詰を利用したり、冷凍モノなども上手に取り入れてみてください。

 また階層には、海のミネラルがたっぷり含まれており、つやのある髪や美肌づくりに役立ちます。
乾燥ワカメを常備しておけば、手軽に食卓にのせられるでしょう。

 意識して毎日食べるようにして下さい。
 更に、海のものにはすべて浄化作用がありますから、貝や海藻、その他の海産物にも浄化のパワーがあることを忘れずに、感謝して頂きましょう。

豆類
魂のエネルギーが一杯詰まっています。
もっと綺麗になりたい人におすすめです。

豆も、根菜と並んでエネルギーが強い食材です。
豆はこれから芽を出すもの。魂のエネルギーに満ちています。
豆は胎児の形に似ているでしょう。
小さな人物に命が凝縮されているのですから、まさに「畑の胎児」です。
ぜひ年間を通じて食べるようにして下さい。

 納豆が体にいいことは、最近よくいわれています。
キムチ、ヨーグルトと並んで、産大発酵食品の一つであり、美容にも効果が高いと言われています。

 その他、豆腐、味噌、豆乳など、様々な大豆加工食品がありますから、意識して毎日取るといいでしょう。
 毎朝、お味噌汁をのむだけでも、体の疲れは断然違ってきます。

 これから成長するものという意味では、豆と並んで、タラの芽、ニンニクの芽なども、非常にエネルギーが豊富です。
 これらの自然の「芽生えの力」を借りて、体内にエネルギーを吸収してください。

根菜・イモ類
(元気を出したい時に積極的に食べましょう。ただし、ダイエット中の人は「イモ類」に要注意)

エネルギーの強い食べもんの代表としては、大地の中で育つ根菜が上げられます。
中でも、食物繊維の豊富なレンコン、呼吸系の疾患にも効果があるゴボウ、疲労回復の高い山芋などを意識して食べましょう。

根菜の中で育ちますから、そのエネルギーを存分に蓄えています。
大地のエネルギーとは、大地に根付く力、たくましく生きる力を与えてくれるものです。

 植物も人間も、まず地面に根付くことから始まり、芽吹いて、花を咲かせるものです。
ですから大地のパワーを取り入れることは、生きる意味です。
  
 また、根菜類は、地面に出ている部分からは太陽のエネルギーも吸収しています。
さらに大地に含まれる豊かな水のエネルギーを吸収しています。
大地と太陽と水、3つのエネルギーをバランスよく含んでいる理想的な食材なのです。

 イモ類もとっても大切ですが、ダイエット中人は少し避けた方がよいでしょう。
太っている人はすでに体内にデンプン質を蓄えているわけですから、とりすぎには気をつけましょう。

現代医学も取り入れながら

 ヒーリングは、病気や痛みの初期の段階で対処することがとても大切です。
ほんとうに大きい病気になってしまうと、薬や手術などの現代医療が必要になってきます。
 
 スピリチュアルな世界を信じる人の中には、病院や薬や治療、手術などを全面的に否定する人がいます。
 肉体は自然治癒力で癒やすべきであり、メスを使うことは肉体という自然を害すると考えるからです。
 確かに、薬や手術に頼りすぎるのは良くないでしょう。

 ケース・バイ・ケースですが、熱が出たらすぐに解毒剤を飲む、湿疹が出たらすぐに軟膏を塗る、というふうに、薬に頼りすぎていると、かえって悪化したり、慢性化したりする場合もあるからです。

 けれど、例えば盲腸になって、痛みがひどいのに、まだ薬草で直そうとするのはナンセンスです。
盲腸炎を起こして手遅れになる可能性もあるのです。

 ある程度、病状が進んでしまったら、現代医学を利用することは必要です。どうしても手術が必要なケースは必ずあります。

 病状がそこまで進んでいるなら、手術で体にメスを入れることも、また「学び」といえます。
それによって不自由や痛みを感じることも、その人にとって必要なことなのです。

 中には病院に行かずに、自然治癒力で治しなさいというヒーラーもいます。
けれど、「あの人に言われたから、病院に行かなかった」といっても始まりません。
それは責任転嫁です。自分の体と魂のことは、自分で決めなければいけないのです。

 そのためにも内観が必要なのです。今の自分にとって、本当に必要な癒やしとは何なのか、それは自分自身がよく知っているはずです。
 
 この本で紹介したセルフ・ヒーリングでも、様々な選択肢の一つに過ぎません。

 病院に行かなければいけないほど悪化させてしまう前に、自分自身をより深く見つめ、本当に健やかな体と心を手に入れて下さい。
 それが、あなたの明日をもっといきいきと輝かせるための第一歩です。

鏡はあなたの心を正直に映し出します。
「いい顔」で今日一日過ごせましたか?

朝、鏡を見た時「あ、いい顔」と思える日は、一日、気分がイイものです。けれど、「何だか今日は顔色がくすんでる」という時もあるでしょう。

 疲れが溜まって、目の下にクマが出来ている。前日、飲み過ぎて、顔がむくんでいる。
先にも書きましたが、そういう肉体の疲れが原因なら、ゆっくり体を休めれば元に戻ります。

 けれど、顔がくすんでいるとき、その理由が心の疲れである場合もあるので、気を付けて下さい。
鏡は肉体だけでなく、私達の内面をも映し出すのです。

 誰かを憎んだ、むやみに腹を立てた、嘘をついた、傲慢なふるまいをした。そんな時、鏡のあなたの顔はくすみます。

 とりわけ、誰かを「妬ましい」と思う気持ちは、心を疲れさせ、顔をも曇らせます。
 素直な気持ちで、自分の心を振り返って見てください。

 例えば、あなたが誰かのことを羨ましいと思う時、その理由は何でしょうか?
あの人には素敵な恋人がいる。あの人は高級ブランドの洋服をいつも身に着けている。
そんな理由で羨ましいと思っていませんか?

 けれど、それらはすべて「物質」です。
「あの人の立派な人格が羨ましい」という気持ちなら自分を向上させることが出来ます。
ところが、物質に振り回されていると、人が妬ましくなります。

 そんな時は、少し見方を変えて下さい。
うらやましいと思う相手の「影の部分」に目を向けてみればどうでしょう。

 光と影は表裏一体です。この世には幸運だけの人も不幸だけの人も存在しないのです。

 例えば、友達が仕事で大きな成果を上げた時、ただうらやましがるだけでなく、その裏でどれだけ努力してきたのか、ということを考えて下さい。

 一つの仕事が成功するまでには、多くの失敗もあったはずです。
そういう影の部分を見るようにすれば「妬ましい」という思いは湧いてこないのです。

 羨ましいと思う相手がいるならチャンスです。その人から学べる所は沢山あります。
「あの人のいいところを見習いたい」という謙虚な気持ちで接していれば、そのプラスのエネルギーが、あなたの波長を高めます。

 そして、忘れてほしくないのは、人は誰でも必ず「うらやましい」と思ってもらえる部分があるということです。

 今、自分が何をしたいのか見えなくて焦っている人も、何も誇れるものがないと不安に思っている人にも、必ず「いい部分」が在るのです。

 例えば、何をしたいのか見えなくなって漠然と過ごしている人は、逆に言えば自分の自由になる時間をたっぷり持っているということです。
その時間を使って、ゆっくり散歩をしたり、本を読んだり、未来に夢を描いたりしましょう。

 あなたの中に眠っている素敵な何かが動き出すはずです。それを見つけて生かしていきましょう。
そんな風に純粋でポジティブな心を取り戻したら、もう一度、鏡を見つめて下さい。
昨日より綺麗になったあなたがいるはずです。
鏡は、そんな自分を見つけるためにあるのです。

表情がなんとなく曇っていると感じた時の処方箋
➔➔素敵に輝いている人の努力に注目する



第六密度以上の高次元存在が語る
「許し」というものが、カルマの輪を止める事になるお話

★ コーリー : 多くの人々が現生のトラウマだけでなく、過去生のトラウマにも対処しているところなのです。

今、地球に生まれて来ている多くのライトワーカーは、援助の為により高次元や、上の密度から降りて来た人々です。

現生が初めての人でも、高次の美しい場所からここへやって来た人にとっては、ここでのトラウマは10倍酷(ひど)く感じられるものです。

そして、長期に亘(わた)って輪廻転生を繰り返して来た人の場合は、更に解消しなければいけない過去生のカルマが加わります。

しかし、ブルーエイヴィアンズから言われたのは、トラウマを特定し、自分にトラウマを与えた人や自分自身を許すこと、

そして、この”「許し」というものが、カルマの輪を止めることになるということです。カルマがなくなるんです。

これは、エネルギー的なものです。
カルマとは」負債を支払うようなものではなくて、
許してエネルギーを解放するもの」なんです。



カルマとは宿題・魂の課題・許しによって消滅♪
……………………………………………………… 
「許し」を心から実践=カルマの輪を止める=カルマがなくなる♪

自分にトラウマを与えた人や、自分自身を許す==
             ==魂の課題を克服=カルマが消滅♪

許す事によってエネルギーを開放=カルマの克服・解消に♪


ケイシーリーディングから…♪

全身全霊で「神を愛する」大切さ
「神を求める祈り」をする大事さのお話

 エドガーケイシーは、宗教生活についてそのもっとも美しい表現の中で、この事を次のように語っています。

あなたがたは心を尽くし、思いを尽くし、体を尽くして汝のなる
(大生命・内在の神)を愛し、隣人を汝の如く愛するのである。

このキリストの与えた言葉が法則の全てである。
それに優るものは存在しない

 主が約束されたように、あなた方は
来る日も来る日も明想し、「祈りゆく」うちに到来するあの目覚めによって、
主(宇宙生命)が自分の意識の中に留まられる事を知る事が出来る
神我が中にまします・父と子は常に一体)。

 あなた方はこの目的のために、
主が臨在し、その御霊(キリスト)があなた方の中に留まるあの意識を、
あの自覚を讃えるために生まれてきたのである。」

自我・偽我 =表現者、原因である父なる神を忘れている状態(放蕩息子の状態)神理を知らない状態・自分の力で生きていると思って迷っている状態、肉体の己を自分と思っている我、分離感・分離意識で個別化された表現を別個の存在と認識している我・分離意識・エゴ・肉の感化、五感の感化を真実と錯覚している我・迷いの影、幻、幻想(マイヤー)・自己保存、自我我欲の心


真の自己(真我)=父なる神と常に一体の境地・ワンネス意識・全一の意識・神我キリスト、全ては自分、全ては我、全ては神、全てを愛する我に目覚めた状態・宇宙生命によって生かされている事を自覚して実感している我・私が生きているのではない、なるほど一つの生命である神が生きていらっしゃる、全ての知恵と力は神から与えられている、神の中身は神、全ての全ては本質的には神、神のみが生きてらっしゃるんだなと悟った我・神一元・愛一元・光一元・我神なり、全ては神なり、全てに神を観る境地・神は生命(霊)なり、我も生命(霊)なりの自覚・宇宙即我、キリスト意識・高我・実在・全てを愛し全てを許す境地・慈悲と愛・あなた即私・私即あなた・宇宙エネルギー即自分・無限即我・不変不動の絶対なる実在・普遍なる宇宙・無限者・宇宙神

FC2版の広瀬すずちゃんの横顔になる方法の記事です♪
身長を伸ばす記事も追記してみました♪

賢者からのメッセージ・江原啓之さん×光田秀さんの対談♪スピリチュアル仙人・江原啓之さんが語るポジティブシンキングの真髄とは♪江原啓之さんの入浴方法・呼吸法・掃除の極意♪スピリチュアル・マスター・江原啓之師の自然霊の楽しいお話をご紹介♪日本のシルバーバーチ♪偉大なる聖者・江原啓之さん♪ベストな神社のお参り法♪



丹波哲郎の霊界サロン

http://www.tamba.ne.jp/ma.html

丹波哲郎の霊界サロン/The!対談


シルバーバーチの霊訓・読書会・葛飾&心霊治療
http://kokorodou.p-kit.com/page199127.html
シルバーバーチ 関連図書 - シルバーバーチ読書会 かつしか

魂の法則 (@tamashiihousoku)ツイッター
魂の法則: 「魂の法則」内容紹介
【魂の法則】を読み終えて・・・ - 3匹の子豚との日々


「賢者からのメッセージ」から引用させて頂きました。
心から感謝申し上げます。


江原啓之さん×光田秀さんの対談
霊能力の目覚め

光田 先生にご報告ですが、日本エドガー・ケーシーセンターとしてNPO法人の認証を得ることが出来ました。

江原 そうですか。おめでとうございます♬

光田  まず江原先生がご自分の霊能力に気づかれた経緯などをお伺いしたいと思います。

江原 私の場合、ある時期に突然目覚めたというわけではなく、もちろん霊が視えるようになったのはずっと後なんですが、胎児の時からの記憶があるんです。

 お恥ずかしい話ですが、胎児の時に両親が夫婦喧嘩をして、その時の様子を記憶していたり、胎児として気持ちの良かったこと、不快だったこと、そういう感覚をはっきり覚えているんです。

また幼児期の記憶なんて普通は持っていませんが、
私は生まれてからの記憶・・・例えば乳児として寝かされた時の気持ち、部屋の様子、そこから見える景色なども、わりと克明に残っているんですね。

それ4、5歳くらいになって話すようになると、周囲の人が驚いたりしました。  
 また、よくありがちな事として、予知・予言のようなこともしたみたいですね。
子供だから悪いがあっていうわけではないのですが、

例えば「あそこのおじいさん、もうすぐ死んじゃうよ」なんていうわけですよ。
そしてそれが現実になる。あるいは家のささいな事を予知するんですね。

 ある時、家のタンスから煙が出ているように視えたのです。
すぐ母親に「家事だ、家事だ」って知らせるんですが、もちろん実際に煙なんて出ていない。
 でもそれから数時間後、近くにあった火鉢の熱でタンスが焦げてしまうんです。

またある時、父親が私に「一緒に自転車に乗ってスイカを買いに行こう」と誘うんですが、私は絶対「うん」といわない。
 どうしてかというと、そこに血だらけになった父親が視えたのですね。

 仕方なく一人でスイカを買いに行った父親が、案の定、しばらくして血だらけになって帰ってきました。
 自転車で転んで怪我をして、スイカも台無しになっていました。

 そういう事が次々に起きたのですが、その中でも自分のそういった能力をはっきりと自覚したのは、父親の死でしたね。

 私は、4歳で父親を亡くすのですが、父親が亡くなる三日前から突然父親に近寄らなくなったのです。
 それは父親が真っ黒な闇の中にずっと立っていたのですね。
それが私にはいたたまれず、不快で、よく分からない状況だったのです。

 それまでの私は父親に可愛がられ、どちらかというと、父親にベッタリしていた子供だったのですが、父親が亡くなる三日前からまったく近寄らなかったのですね。

 子供だからきちんと言葉で説明はできなかったのですが、そうして父親がなくなったのですね。
 こういう事があって、何か人とは違うのかな、ということを感じるようになりました。

 では何歳くらいから霊が視えるようになったかというと、小学校に上がった頃はまだなくて、その頃はオーラが視えていたのですね。
 いつもオーラが視えていたわけではなく、ちょっと集中しちゃうと視えたのです。
 
光田 先生の本にもその頃が書かれていますね。

江原 子供だから集中するという感覚はわからないんだけれども、人を見ていると、その人から色が出てくる。
 それから物にも微細なというか、薄い無機質のオーラが在るんですよ。それで、誰にでも視えるものだと思っていたのですね。

光田 ケイシーもそうでしたね。

江原 ああ、そうでしたか。
 小学生の頃、私は背が高かったので教室の一番後ろに席があったのです。

 それで前の子供たちのオーラで黒板が見えなくなっちゃたのです。
それで先生に、黒板が見えない、というと、先生は黒板の反射で見えないのだろうと思って、窓側の生徒にカーテンを閉めさせる。

 するとさらに集中するから余計にオーラで見えなくなっちゃう。
こうなると保健室に連れて行かれて、病院に行って、親が呼ばれて家に帰る。
母親は先生から「家庭での愛情が足りないんじゃないですか」なんて言われてしまう。

 でも母親は、私のそういう話を否定しなかったですね。ただ、そういうことは、あまり言わないほうがいいんじゃないかな、という言い方をしていましたね。

 それはなぜかというと、母方のひいお祖母さんがそういう人だったのです。
このひいお祖母さんは、郵便やさんが自転車で配達に来て、家のポストに郵便を入れると、
 その音で、誰宛ての手紙が来たか、そしてその手紙の内容まで、言い当てることができたのです。

光田 ホー

江原 それで母親も、私のそういう所を否定しなかったんだと思うんです。
でもやんわりと「言わないほうがいいよ」と諭されたわけです。

その時初めて、自分は人と違うんだ、ということでショックを受けたのを覚えています。
 霊が視える様になったのは、小学生3年生くらいの時だったと思います。

 私は下町育ちなんですが、学校の行き帰りに通る交番の前に、いつも防空頭巾を被った親子が立っていたのです。

 防空頭巾は映画などで知っていましたが、私はなんでそんな頭巾をかぶった人が毎日同じ場所に立っているんだろうと、思っていたわけです。

 それで、どうしてそんあことをしたのか自分でもよくわかないのですが、ある時、話しかけてみようと思ったのです。

光田 ホー

江原 だって、毎日そこに立っているわけですから、不思議じゃないですか。ですから、ちょっと聞いてみようと思ったのですね。で、聞いてみたのです。

光田 ええ、ええ、それで。
江原 そしたら「父親とはぐれてしまったので、待ち合わせしているんだ」「父親を探しているんだ」と言うんです。

光田 ホー
江原 私は「そうなんだ」と思いながらも「でもなんか変だなあ」と思ったのですが、そしたらそのまま連れて来ちゃったのですね。

光田 えっ、誰を?
江原 その親子を。

光田 先生のご自宅に?
江原 そうなんです。夜、寝ていると、その親子が家に居るんです。それで、なんでこんな所に居るんだ、と思うわけですよ。

 こういう時、私は必ず高熱を出すんです。高熱を出すと、それが亡くなるというか、いなくなるんですね。
 今思えば、それは無意識の中の、自己浄霊だったのですね。浄化させていたのでしょう。

 その頃から、そういう事が続くようになり、すごく虚弱体質になっていたのです。
またある時、図画の時間にみんなで川原で絵を描いていた時のことですが、「こっち、こっち」という声が聞こえたのです。

 それであまりしつこく聴こえるものだから、ソッチの方に行ってみたのです。
そこは釣り船を呼び寄せるための船着場みたいな所だったのですが、そこに遺体が浮いていたのです。

 すぐに先生を呼んで、警察が来ましたね。それは新聞にも出ました。事件ではなかったようですが。

光田 事故か何かで死んで、自分の遺体を見つけて欲しかったのでしょうね。その時は、遺体の霊は見えなかったのですか。

江原 ええ、その時は声だけでした。こういういろんな経験をしたために、子供ながらに、自分は幽霊を視たんだろうか、なんて考えるようになりました。
 もう、それからはもう枚挙にいとまがないくらい、視たり聴いたり、いろんな体験をしましたね。 

光田 そこから始まったのですね
江原 でも、一旦中学生くらいでなくなったのですよ。

光田 それは面白いですね。ケイシーも思春期に一度能力を失うんですよ。
江原 そうですか。

霊的能力が再覚醒

江原 私はそこからごくごく普通の中学生になれたのです

光田 でもオーラは視えたのですよね?

江原 いえ、それも見えなくなりました。ですから、中学生時代はごくごく普通の子どもと変わらない学生生活を過ごしましたね。

 部活に励んだりして、普通の中学生として過ごしていたのですね。
でも、そういう生活も三年くらいで終わり、三年生になり受験が近づく頃に、また現れ始めたのです。それはある夢を見たのですね。

 私って、実は殆ど夢を見ないんです。夢を見る時は、だいたいもう予知夢的になってしまうんです。

光田 なるほど。

江原 それは、葬式の夢だったのです。夢の中で自分が遺影を持っている。誰のだろうと思ってその遺影を見ると、自分の母親なんですよ。

 夢の中で、「これは夢だ」と分かっているのですが、これは何だろうと思いながら目が覚めるんです。 

 それから一週間しないうちに、母親が体調を崩しまして、それで病院に行きましたら末期の癌だったのですね。

 医者からは「もって、あと三ヶ月」と言われました。それからは私も病院に通うようになるわけですが、そしたらまた視えるようになったのです。

 母親の溶態がいよいよ悪くなると、私も病院のベンチで夜を明かしたりするわけです。
 そうすると、病院の廊下に、もう亡くなったはずの人が何人も寝巻き姿で歩いていたりするんです。
 時には、そういう霊に寝ている所を覗きこまれて、びっくりして目を覚ます、ということもありました。

 あの人達は、自分が死んだということを知らないんです。
母親も、死が近づく頃になると、廊下を歩く霊を時々見るようになり、「あー、◯◯さんは元気になれれて良かったね」なんて話をするんです。

 実際、母親が見た人というのは、もう亡くなっていたのですが、そのことは母親にいいませんでした。

 ただ、「母と私は、霊の世界に浸っているんだなぁ」と思いましたね。
私が病院のベンチで横になっていると、先生から、隣りの病室で休んで良い、と言われたのです。

 それで休んでおりますと、母が私を呼ぶ声が聞こえたのです。その声に導かれるように、半ば無意識のような状態で母の病室に行くと、ちょうどその時に母親が息を引き取ったのです。

 母は前から、「死に目には会わせたい」といっておりましたので、「ああ、自分の願いを叶えたんだ」と思いましたね。
 こういうことがきっかけで、まった霊と交流するようになったのです。

 高校時代にもそういう体験を繰り返しましたが、まだそれほど頻繁ではなかったですね。

 あの頃は、コックリさんが流行っていて、私がその中に入ると色んな現象が起きるというので、引っ張りだこになりました。

 今思えば、そうしたことは絶対にしてはいけないことだったのですが、私がやるとロウソクの炎が1メートルくらいパーッと上がったりするんですね。

 また学校の行き帰りに、川に沢山の人の手が見えたり、ということもありました。
 しかし、大学生にはいってからは、もう大変なことばかりで、本当に「地獄を見た」っていう状況になりました。

霊能者としての修行

江原 それで、こういう現象にいつも悩まされていたために、このままではいけないと思い、いわゆる霊能者にみてもらうようになったのです。

 そうですね。全部で20人くらいの霊能者に見て貰いましたね。
どの霊能者に見てもらっても、「ご先祖様の供養が足りない」とかもっともらしい事をいうんですが、身の回りの霊現象は止まらないんです。 

 そして、最後に私の師匠になる先生に巡りあったのです。この先生には、他の霊能者とはまったく違うことを言われましたね。

 つまり、その霊現象は、私の方に問題があるわけではなく、私の霊的な能力に引き寄せられて来るんだと。

 だから、もしそういう霊現象に悩まされたくないのであれば、自分の能力をコントロールすることを学ばなかればならない、と。 
 でも、私はその言葉だけですぐ信じたわけではないんです。

私の師匠は、「じゃ、これからあなたのお父さんとお母さんをお呼びしてみましょうか」と、いとも簡単におっしゃるんです。

 普通の民家の、普通の部屋で、しかも真昼間にですよ。彼女の場合は霊言でしたから、霊が降りてくるんです。

 私は、手を握られたりして、とても驚いたりしながらも、「なんかテレビ番組で見たことのある感じだなぁ」と客観的に見ている自分がいたのですね。

 そして母親の霊が、いろんな事をいうのですが、師匠の知るはずのない事を口にするんです。

 例えば、1周間前に風呂場でなくなった叔父の事を指して、「叔父さんは気の毒だったねぇ」なんて。

 そして変える道すがら、師匠のいわれた言葉をあれこれ思い出すんですが、事実と符合するんです。

 それで、本当のことかわからないけれど、私はこの先生を信じてみようと思ったのですね。

 そして先生の言われることを実践していくと、自分でも少しずつ能力をコントロールすることができるようになり、楽になっていったのです。

 先生から「滝行」を勧められると滝行に行ったり、ケイシーもそうだと思うんですが、精神統一のための行をしたり、
 また、霊のことを知らないからいたずらに振り回されるんだ、ということで、霊についての勉強もしましたね。こういうことをみっちり一年以上は続けました。

 それと先生からは、霊的なもので生きるのは大変なので、何かしっかりとした仕事を持ったほうがよいとアドバイスを受け、私は神主の資格を取ることにしたのです。

 といっても、神主の資格を取ったのは、自分の中で霊的な世界で生きていくという決心が固まってからですが。

 私は、霊が視えたり霊力があるから霊能者になったわけではないんです。
自分の中にはいつも人生に対する疑念があったのですね。

 どうして不幸な人がいるんだろう。人生の意味は何だろう。人は何のために生きるのだろう。そういった疑問がいつもあったのです。

 というのも、父親と母親が早くに亡くなりましたが、彼らの人生は決して恵まれてはいませんでした。

 貧しい家柄の二人がやっと結婚し、家庭をもうけたのに、幸薄く亡くなっていく。それで「人生って一体なんだろう」と考えるようになっていたのです。

 それと私の場合は心霊的なものがありましたから、それを組み合わせて考えるようになったのです。

 もし私に心霊的なものがなければ、普通に宗教とか哲学の道に進んだかもしれません。

 でも、私は自分の霊的なものを組み合わせて、
例えば「神とは何だろう」とか、「霊とは何だろう」
「私達はなんのために生まれ、生きるのだろう」
「人は死んだ後にどうなるんだろう」ということを探求したのです。

 そして、そういったものを考えていた頃に、スピリチュアリズムというものに出会ったのですね。

 それでスピリチュアリズムの本場であるイギリスに度々渡って、学ぶことにしたのです。

 幸い、私の最初の師匠も、二番目の師匠も「これからの霊能者は拝み屋ではならない。ちゃんと見識をもつべきだ」という方で、お二人ともイギリスで勉強しておられたのです。

 イギリスでスピリチュアリズムを、学んだ後、私は下北沢の神社で神主をしておりました。

 その頃の日本は、霊能者というと異能ないでたちで、また霊を扱うテレビ番組は視聴率をかせぐ必要もあったのでしょうが、恐怖心をあおるものばかりでしたね。

 特に、霊能者が行うという除霊には腹が立ちました。憑依しているとはいえ、霊に向かって、「おい、貴様」呼ばわりするわけですよ。

 私は、霊に対するそういう認識を変えたいがために、テレビに登場するようになったのです。
 ですから、私がテレビに出る場合は、まず柳の木をなくし、ロウソクを外し、オドロオドロしい音楽を止めてもらいました。

 光田 そういえば先生の出られる番組は明るいですね。


不思議な自然霊の話

光田 先生は時々「自然霊」の事をお話されますね。テレビ番組の中で、先生が湖の上を見て、「あ、竜神様がおられる」と叫ばれたことがありますね。

そして竜神の姿を克明に描写されていましたよね。
私は、それを見て非常に驚いたのです。本当に竜神という存在がいるのだろうか、と。

江原 います。それは、例えば西洋などでは精霊などになるわけですが、実は、これも国土性が出てきます。 
これだけ国際交流が盛んになってくると、自然霊も混ざってくると思います。

光田 自然霊も国際交流するわけですか。

江原 自然霊というのは、この世で肉体的な姿をとったことがないんです。
ですから、自然霊に形があるわけではないんです。

それを龍形という形で可視化させるんですよ。
日本国民が長年にわたって培ってきた龍という形を利用して、自分自身を可視化させている可能性があると思うんです。

もし私の中に龍というイメージがなければ、ひょっとしておびただしい光のエネルギーの連なりとして視えたかもしれません。

 それから私達の信仰が作り上げている部分もあるんです。例えば天狗という存在は、可視化の部分で、確かに天狗の姿を取るんです。

私の目には、チョコボールのキャラクターのキョロちゃんのような天狗の姿に見えるんですが、それが木の上にたくさん止まっていたりするんです。

光田 木にとまっているんですか

江原 それで山登りするときに彼らにお願いしておくと、山登りがうんと楽になるんですよ。
ただし、そういうことをしてくれるのはやはり俗な霊ですね。

 また妖精という存在がいましてね。木の妖精だとか、花の妖精ですね。面白いことに、妖精も国によって姿が違います。

 例えば、日本の神社などに行って、ご神木といわれる大きな銀杏の木を見ていますと、
 小さくキラっと光る所に、日本の民話などに出てくる「翁(おきな)」とか「花咲か爺さん」のような姿をしているんですね。

 こちらも思わず吹き出しそうになることがあります。
これがイギリスなどに行きますと、妖精はやっぱり西洋風の姿で出てきますよ。

光田  こういう自然霊にも意識があるのでしょうか。

江原 (しばらく考えて)あります。感情もあります。ただし、人間の感情とは全く違います。
 白か黒か、好きなら好き、嫌いなら嫌い、駄目なら駄目、という感じで中間がないんです。そういう意味で自然霊は恐れられます。

光田 情けというものがないんですね。

江原 そうなんです。例えば低級な狐霊などは、裏切られれば仕返しをする、という行動に出るんです。
 だからそれを恐れて祀るんですね。また低級な自然霊ほど、俗的なことに力を貸すんです

スピリチュアル・ワールドから
答えを受け取る神社のお参りの仕方

旅先で神社には行ってみるけど、本当の祈り方、お参りの仕方が分からない、という人は多いようです。

神社でお参りをする時には、まず、貴方自身のガーディアン・スピリットに祈るようにして下さい。

なぜなら、人間が祈る波長と、神社のご神霊の波長は違いすぎるので、直接には祈りが届かないからです。

ガーディアン・スピリットに仲立ちして頂く、というつもりでお参りして下さい。

 まず2回、深く頭を下げてお辞儀をし、2回柏でを打ちます。心の中で願いを唱えた後、最後に一礼して下さい。

 なぜ2回おじぎをするかというと、1回目はガーディアン・スピリットに挨拶し、2回めはご神霊に挨拶するという意味があるのです。

 柏手をパンパンと2回打つのは、「お邪魔します」という意味で、いわば玄間でチャイムを鳴らすようなもの。
これからお願いごとをする前に、こちらに気付いてもらうためのもの挨拶です。

 柏手には、その音霊によってその場を清めるという意味もあります。

 柏手を打つ時は、綺麗な音が出るように心がけて下さい。
その時にどういう音がするかは、その場のエネルギーの良し悪しを判断する物差しにもなります。

エネルギーが強い神社、いい気の流れている神社では、素晴らしい音になります。
 お辞儀と柏手で挨拶をしたら、次にお願いごとをします。  

 その時「仕事がうまくいきますように」
「健康でありますように」金運が良くなりますように」
など実利的なことをお願いしたくなりますが、

「私が今、こうして生かされている魂が、喜びも苦しみもすべてを受け入れ、豊かに成長できますように」という祈りがいいでしょう。

 そうすれば、その祈りは必ずあなたのガーディアン・スピリットと、神社のご神霊に伝わります。


全てを自分の力でなんとかしようとかしていませんか?
頑張った後は、天に委ねる気持ちが大切です

ずい分前から「ポジティブ・シンキング」がもてはやされています。
「ポジティブでないといけない」と思い込んでいる人もいるかもしれません。
確かに、人生に前向きに取り組むことは大切です。

 けれど、この言葉の意味を間違って捉えると、ますます疲れたり、落ち込んだりすることになりかねません。
 ポジティブという言葉は、かなり誤解されているように思うのです。

 ポジティブに生きるということは、ガツガツと成功や幸福を求めて突き進んでいくことではありません。喜びを持って生きることです。

 自分のしている仕事、生きている環境、周囲の人々に対して、喜びの心で接することなのです。
 本当に成功している人をよく見て下さい。
決して”自分の力で成功した”とは思っていません。

ただ、自分が好きなことを、喜びを持ってやらせてもらった。
だからつらくても頑張れた。そこに喜びが生まれた。

それだけのこと。そう考えます。
だから、成功したといって、傲慢にはなりません。
ただ「”感謝の心が生まれるだけ”」なのです。

 「喜びがある」から、「結果として」「成功がついてくる」のです。
成功を求めて、何かをしてきたわけではありません。
この順番を間違えてしますと、人は人生の迷子になってしまいます。

「自分の力で成功してみせる。自分には出来る」という考え方で生きていると、やがて必ず不安になります。
 試練が訪れた時、「私はできるはずなのに、どうしてできないんだろう」と落ち込むことになるのです。

 それはデパートの中で迷子になった子どもと同じです。
子供は「自分の力で歩いてみせる」と思って、親の手を離します。そして、人混みに紛れて迷子になって、泣き出すのです。

 私達が何かで悩んだり、落ち込んだりするときは、この迷子の子どもと同じ状態です。がむしゃらにひとりで頑張ろうとするから、息切れするのです。

 迷子になったら、もう一度、見守ってくれる父と母を探しましょう。
 それは甘えることではありません。「天に委ねる」と言うことです。
 本当に成功している人は、「天に委ねる」ことを知っています。

 自分の力だけでここまで来たのではないのだから、「まあ、いいか」「なんとかなる」と思えるのです。無駄に苦しむことがありません。
 
 事実、私達は、みんな神様に見守られているのですから、
それを思い出せばいいだけなのです。
そして、本当に好きなことに、喜びを持って
取り組もうとする純粋な気持ちを取り戻して下さい。
 それこそが、ポジティブ・シンキングです。

その時、私達の心が疲れることはありません。
苦しいことがあったとしても乗り越えられます。

 神と手を離しているか、つないでいるか。それによって、人生は随分違ってくるのです。 
 行き詰まって、心がつかれたなと感じる時は、「まあ、いいか」「なんとかなる」と、唱えましょう。

 簡単な言葉です。でもその言霊が神を呼び寄せます。
見守られている安心感と、忘れていた喜びが蘇ります。ぜひ試してみてください。

ポジティブな気持ちになりたいときの処方箋→「まあ、いいか」という言霊をつかう




まずは、貴方の部屋を見なおしてみましょう
忙しすぎて、「自分の生活」をおろそかにしていませんか?

 あなたは部屋をいつも綺麗にしていますか?
 仕事や勉強などで忙しいと、つい掃除が後回しになってしまいます。 

 けれど、部屋の掃除をおろそかにしていると、疲れはますます溜まっていきます。
あなたが暮らす部屋と貴方の心身は繋がっているのです。
 掃除の時間は心を振り変える時間。心の掃除をする時間だと考えて下さい。

 よく「部屋を見るとその人が分かる」といいますが、スピリチュアルな言い方をすれば、部屋を見ると、そこに住む魂の状態が分かるのです。

 ごちゃごちゃと、物が沢山置いてある部屋では、その人自身の気持ちも整理できていません。
反対にすっきりした部屋、温かみを感じさせる部屋にいる人は、魂もスッキリとして温かいのです。

 逆に言えば、部屋をスッキリと片付いた状態にすることで、気持ちも整理できて、温かい、心地いい気分になれるということです。

 ですから忙しい時、また、疲れてイラだっていると感じる時ほど、いつもより丁寧に部屋を掃除してみましょう。その効果にきっと驚くはずです。

 また、掃除は、ほこりや汚れを取るためだけにするのではありません。
 部屋にバリアを張り、悪いエネルギーが入ってこないようにする意味もあります。

 ほうきや雑巾を持ち、自分の手を使って掃除をすると、自分のオーラが部屋の隅々まで付着します。
そのオーラがバリアとなって、部屋を守ってくれるのです。
それが結果的に、自分自身を守ることにもつながります。

 格式のある料亭や旅館に行った時、「あまりウロウロ出来ないな」と感じることはありませんか?

それは、隅々んまで掃除が行き届いていて、女将さんはじめ従業員のエネルギーが満ちているからです。

 逆に、汚れている部屋では、平気で動き回れます。
それはやはり、人のエネルギーが付着していないからです。
バリアが張られていないのです。

 そういう部屋には、悪いエネルギーも入りやすいですから、そこで暮らしていると、疲れがたまります。
 毎日、掃除をするのが理想ですが、忙しい人は、休日にまとめて、という事になるかもしれません。

掃除がどういう意味を持っているかきちんと理解できていれば、それは構いません。
また。月に一日くらい「浄化の日」を決めて、朝から晩まで掃除をする機会を持って下さい。

 とびきりのいい笑顔で挨拶ができるでしょう。仕事や勉強もはかどり、生き方まで変わってくるかもしれません。たかが掃除と侮らず、ぜひ実行してみてください。


忙しすぎて余裕が無い時の処方箋
➔➔自分の部屋を綺麗にする


呼吸法で体の新陳代謝を高めましょう

腹式呼吸で大きく息をすることは、憑依体質の改善にも効果があります。
まず、肩幅程度に足を広げ、おへその下あたりにある丹田というツボに意識を集中してください。

 次に、鼻からゆっくり息を吸います。横隔膜をグッと支えるつもりで息を吸い込んだら、今度は口からゆっくりと吐き出します。

 このとき、口から細い糸を吐き出すつもりで、ゆっくり吐いて下さい。一気に吐いてしまうと効果が少なくなります。

 これを3回位繰り返しましょう。ゆっくり呼吸することがポイントですから、全部で10分位かかると思います。汗ばむほどになっていればOKです。

 ポイントは、その時に、痩せたい部分に意識を集中すること。
「痩せたい」という思いが念となって、その部分の脂肪が燃焼しやすくなります。
 また、痩せたい部分を大きく鏡に映しながら、この呼吸法を行なうと効果的です。


スピリチュアルな入浴の方法 

のぼせない程度の温度のお湯で、半身浴をして下さい。
汗が出て、ジワーっと毛穴が開いていくのを感じながら入りましょう。
 入浴のポイントは、ともかく毛穴を開いて、汚れたエクトプラズムを外にだすことです。

これを忘れないで下さい。毛穴が開いたら、次に、肌を傷つけない柔らかいタオルで、頭から爪まで先まで、毛穴を掃除していくようなつもりで洗いましょう。

肉体は魂の乗り物です。疲れを取るには効果的です。
ただ塩で洗うと言うのではなく、毛穴を開いて掃除をする、という意識でやってみてください。
石鹸で洗った後、塩で洗ってもいいし、塩だけでも十分です。

 お気に入りの車を丁寧に洗うように、自分の肉体も愛情を持って、きちんとメンテナンスしてあげましょう。
 愛されていない車と愛されている車を見ればする分かるように、愛されている肉体もすぐに分かります。

 また、洗う時に自分の体を良く見るようにしましょう。その習慣がついていれば、体調に変化があった時、早期に発見出来る場合もあります。

 最後に、冷水を浴びて下さい。毛穴を開いて、汚いエクトプラズムを全て出した後、冷たい水でクリーニングするのです。

 入浴で毛穴が開き、肉体のあらゆる部分が緩んでいますから、最後に冷水を浴びてロックする、という意味もあります。
 こうすることで、汚いエネルギーを再吸収するのを防げます。

 また、冷水を浴びると、肌を引き締めて、たるみをなくすという美容的な効果も期待できます。
肩こりにも、とても効果があ在るようです。

体の中の悪いものを排出する食べ物のところでもお話したように、海の塩には浄化作用があります。
ですから、海の塩を入れたお湯につかるのは効果があります。

 憑依でなかったとしても、入浴は肉体と幽体の浄化につながりますから、「やる気がでないな」と思ったら、バスタイムを大切にして下さい。

エドガー・ケイシーが語る宇宙法則・悟り・解脱のお話

神は普遍的で全てに浸透している宇宙的存在

 なぜ、エドガー・ケイシーは神を普遍的であらゆるものに浸透している宇宙的存在と表現したのでしょうか。数多くのケイシー・リーディングの中に、個人の苦しみが魂に直結され、魂が神に直結されている表現が見られます。

 後の章で、彼がそのような苦しみを癒すのが神の愛であり、創造的な力の道具になるという意識であると説明している事を詳しく見てみたいと思います。
 
 神の似姿である魂、また神我、あらゆる存在の源泉としての神を理解するための鍵である、人間の人格の奥に個人の魂という形で潜んでいる

「神の王国(真我・内なる神の国)」は(分離意識では)神そのものである源(ワンネス意識)から分離しており(放蕩息子の状態)、絶えず神に戻ろうと欲しています。

 積極的な愛の実践を通して、魂(意識)と神(神意識・内在の神)との関係を自覚する事がケイシー・リーディングの要点です。
 ケイシー資料に見られる基本的考えがいかに古代の聖者たちの発見した事に一致しているかを、インドの哲学の原典が明らかにしてくれます。

 BC1200年のチャンドギャ・ウパニシャッドは
人間の本質である「個我(真我・神我)」を知る事の
必要性を強めて、次のように伝えています。

「邪悪とは無縁の個我(人の中の神の似姿、宇宙生命・神我)は不老不死、悲しみなく、飢えなく、渇きなく、その願う所は『真』(神への希求)なり。

 その生めるものは真(神の愛)なり。人はそれ(神との合一・真我顕現・覚醒)に至るべきであり、それ(宇宙神理)を理解するように願うべきである。
個我(真我・内在の神)を発見し、理解する者は全世界(全知全能・宇宙力)を得る」

 自分と人の中にある霊的本質(真我)、聖なる要因を発見し、認識することのみが、人間を利己的な欲望から宇宙的な愛へと高めてくれるのです。

 人がその段階に至ると、自然と憎しみや嫉妬、利己主義から離れて積極的な行動をし始めます。あらゆるものが彼に平安と静けさ(安らぎ)、癒す力と調和を与え、あらゆる苦しみを無にする力を与えてくれます。

 人間1人1人の中にインド哲学でいうアートマン、あの大いなるキリスト(真我)の我が潜んでいるために、この存在状態(神我顕現・ワンネス意識)に至る事が万人の究極目標なのです。

 ウパニシャッドは、超越的実体、物質界のあらゆる時空に制約される客体に優る超実体としての魂(大愛・宇宙生命)をこのように表現しています。

「心から成り、その体は生命(プラーナ)であり、その形は光、その概念は真理、空間を己とし、あらゆる言葉を包み、あらゆる薫りを包み、あらゆる味を包み、あらゆる世界を取り巻き、黙せる、想像を絶する者、

この胸の内奥にある我(神意識・無限の生命・大愛)は米の粒よりも、からし種よりも、栗粒よりも、
栗粒の核よりもなお小さく、地球よりも大きく、大気よりも大きく、空よりも大きく、これらの諸世界よりもなお大きい

 あらゆる言葉を内に包み、あらゆる願望を包み、あらゆる薫りを包み、あらゆる味を包み、
 あらゆる世界を取り巻き、黙せる、想像を絶する者、これが胸の内奥にある我(内なる神の国・無限の生命)である。これはブラフマンである。
 私はここ(分離意識)より去って彼の中(ワンネス意識)へと入る。」

 個我は転生の法則、カルマ法則、恩寵の法則に従ってはいますが、その真の性質において、核の核においては不可視の霊(生命)なのです。
(本質本源に於いては、真の自己は宇宙エネルギーそのものです)

 先に挙げたウパニシャッドの聖者は我の最高の発達を遂げ、恩寵の法則(神との一体感・我神なりの悟り)を通して過去のあらゆるカルマを一層したのです。それゆえ彼は神の祝福を受ける準備が出来ました。

 受肉した我(人間)はその神との密なる関係によって潜在的には聖であり、(洗心と)明想とはこれを神に結び直すための霊的な実践法なのです。

 人が自分の真の魂の我(神我)が体でも心でも合理心でも自我でもなく、それ以上のものであり、これら全ての基礎そのものである事を悟り出す時に、内なる光の輝きが彼の姿勢を広げ、彼は相対性によって乱される事がなくなります。

 人は異質の統一を見、不和の調和を見ます。自分とは違う人々との接触に神の光(大愛・宇宙生命・神)を観ます、その時にのみ「汝の隣人を愛せ」という戒めの真意を理解できるでしょう。

 家族、友人、知人との、年少、年配の者との、優っている者、劣っている者との日々の接触の中で、人はどの様な違いがあっても絶えず、愛と敬意と自制の態度を保つようになります

 その時にのみ、人は自己実現(覚醒・悟り)の段階に至り、神からの放射である魂が常に神と繋がりを持っている事を知る(実感する)ようになります。

 この繋がりは、人は自分をただの体と心と自我と思っている間は眠ったままです。その接触を動かすために、あらゆる真の宗教が無我(無私)の愛と奉仕の姿勢を唱道してきました。エドガー・ケイシーは同じ精神を次のように語っています。

己の生命とは、すなわち神である。何となれば、汝の兄弟に為したるその事は汝の内にまします神に為したればなり。
貴方の兄弟のためにする事はあなたの内に内在する神にする事です

 こうして、あなた方は外から自己のうちにある神の力へと救済するかもしれない創造力との真の関係を、実例によっても戒めによっても促(うなが)しているのである」

 問題が肉体的な事であれ、家のこと、社会のことであれ、個人、非個人の事であれ、エドガー・ケイシーは常に惑星上に受肉(転生)した魂としての人間の存在が一つの目的を持つこと、その目的とは個々の魂と神との関係(全ては神ご自身・全ては一つ)を悟ることに集約される事を訴えています。

 ここで人間性の全体、体と心とが神の現れであるという明快な言い方を採るエドガー・ケイシーのリーディングを引用して、魂の論に結論を出してみましょう。

汝の体、汝の心、汝の魂が地上での神の現れであり、他のどの魂もそうであること、汝の体は現実に生ける神の宮なることを知れ。

 あなたの知る善の全て神の全ては、他人の考えること、他人の行うことではなく、あなた自身を通して、あなた自身の中に現されているのである」


神は全ての創造の力であり愛の法則

 エドガーケイシーはそのリーディングの中で、神の一なること(全ては一つ、全ては神・ワンネス・大愛)、その愛の普遍なることを特に強調しています。

「第一の掟とは何か。おおイスラエルよ、おお我よ、おお光の探求者よ、あらゆる力、善の力がただ一つの源から来ることを知れ、である」

あらゆる知識、あらゆる力の創造の力、あるいは神によるものである。そして、人間が日々の体験の中でそれを尊び、それ(愛と調和)に生き、それ(神の御心)を体現(神我顕現)させさえすれば、愛がその法則である」

 この2つのリーディングの最初の方で、イスラエルが特定の一団や国家、民族を表すのではなく、「探求者(魂)」、「我(意識)」を表している事は明らかです。

 この我(意識)が「真我(ワンネス意識)」に目覚め、溶け込むのです。

 この融合が「キリスト意識」、「内なる神の国」なのです。一度その覚醒が起こると、狭い我(自我・偽我)は普遍の我(大霊・普遍我・無限)に溶け入り、人は神の子に吸収され、物理的な相対観念(分離感)は超越されます。

 光の求道者は他への光の源(魂の光輝・イルミネーション・霊太陽そのもの)となります。なぜなら、彼は直接に一なる本源(無限大の愛・神性意識・ワンネス意識)と結びつくからです。

「我という言葉は知識と愛という2つの領域で大きな意味を持っている。この書の全体を通じて、知識または光明の役割と、愛の果たす役割とを普遍的な意味で語ってきた。二者は必然的に互いに絡み合う。

 瞑想を通しての真の知識(悟り)の到達は愛の実践(慈悲と愛・全てを愛し全てを許す心)なくして、不可能なためである。

 こうして、この美徳の応用が明想を助け、変わって明想が不変の愛---無限の愛と力の源なる神の愛---と、そして人の愛---隣人、同志、神の似姿へのそれ---の実践を助けるのである。

 神の目に見える現れである人(結果)を本当に愛する事が出来なければ、見えざる作り手なる(第一原因者である)神を愛する事も出来ない。

汝の隣人を汝の如く愛せよ」という戒めは、愛と我(内在の神・真の自己・真我)という語を理解せずには無意味となる。
 我(真我)は生けるキリスト、内にいます神、道であり光である。

 (真我は)魂も我も体でもなく、心でも、知性でもなく、こうした人間性の域を超越するものである。完全に(真我に)目覚めた神の子なるイエス・キリストは次のように言った。

「我(キリスト神我・真我)は(天国への)門なり。おおよそ我によりて入る者は救われ、かつ出入りをなし、草を得るべし」(ヨハネ伝第十章9節)

(神我)キリスト(宇宙神理の理解・真我の覚醒・宇宙即我・父と子は一体の境地)が「門」であることは、体でも心でも(この世の)知でもない、魂(常に我は命なりの自覚)が救いへの唯一の入り口である事を意味します。


神の御心は普遍的で何一つ区別しない宇宙的愛

 キリストが語った「愛」もまた、「平和の君」を信ずる人々にも十分に理解されないできたもう一つの概念であります。

 キリストの名による十字軍や拷問は、神と愛とキリストの名の元に行われる偽善でした。これはキリスト教の欠点を意味するものではありません。山上の垂訓でイエスはこのように語っておられるからです。

「我は汝らに告げる。汝の隣人を愛せよ。の仇(かたき)を愛し、汝らを責める者の為に祈れ。これ天(内・潜在意識の最奥)にいます汝らの父(なる神)の子とならんため(※ワンネス意識への覚醒めの為)なり。

 天の父は、その太陽の光を悪しき者の上にも、善き者の上にも平等に昇らせ、雨を正しき者にも、正しからぬ者にも降らせ給うなり。(無差別の愛」

 人間の意志は神の御心と区別されるべきです。神の御心は友人と敵との間を何一つ区別しない宇宙的愛だからです。
 非利己的愛の心を表す者のみが天に入る事が出来るのです。これは聖書でも次のように支持されている解釈です。

「我に向かいて主よ主よという者ことごとくは天に入らず。ただ天にいます父の御心(宇宙的愛の実践・非利己的愛)を行う者のみ、これに入るべし

 イエスが普遍的な父(なる神)の愛を実践する事を強調しているのは明白です。神と人に対する普遍的な愛を持たなければ、人は天国に入る事を望めない事が分かります。

 では復活の基盤(解脱・悟り)としてのカルマ論はどのように語られているのでしょうか。イエス・キリストは、愛を持って憎しみに応える事が盲信に優る事をどの様に語っているのでしょう。

 マタイ伝第五章の最後に一節がこれをさらに明かしています。キリスト愛(普遍的な愛・無差別・無所得の愛)が人を神の子に値するものに変える事を明らかにした後で、イエスはこう続けています。

「汝ら、己を愛する者を愛すとも何の報いかを得べき。取税人も然するにあらずや。」
自分を害する者も、愛する人達と同じ様に無条件の愛で愛しましょう


 愛という言葉ほど大きく誤解された言葉はないでしょう。この真意は、自分の中にも他人の中にもある愛の光(キリスト・神意識)を見つめる事にあります。

 聖なる愛(大愛・宇宙エネルギー)が神から来るように、愛は個人の魂から放たれます。人が明想を通して神にその魂を同調させる時に、聖なる愛はあらゆる憎しみや嫉妬に打ち勝つ力と共に、流れ出てきます。

 「汝の敵を愛せ」という言葉には何ら論理的な矛盾も心理的なパラドックスもありません。愛なる語(全ては一つ・ワンネスの悟り)が強められれば、敵は自動的に敵は無くなるからです。

 イエス・キリストという人間と生活の中に比類なく現されたこの愛の法則は、明想を通し、実生活での愛の法則(慈悲と愛は宇宙神理)を実践する事を通して得られる、キリスト意識(ワンネス意識)の原因であり結果でした。
 もう一つのケイシー・リーディングはこう語っています。
 
則とは何か。愛である。愛とは何か。神である。
神とは何か。(宇宙)法則と愛である。これが真理そのものの周期である。あなた方がどこにいようと、どの国にいようと、それは常に同じである」


古代インドのウェーダとエドガー・ケイシーの共通点

 無限、不可視の純粋霊があらゆる存在の超越的本源であり、それはイシュヴァラ、神、つまり変わりゆく世界の普遍の基としての全能にして不滅の個我(真我・宇宙神霊)の形をとっています。

 エドガー・ケイシー・リーディングは彼の出世に先立つ四千年の昔に遡(さかのぼ)るウェーダの創造論を言い換えたものに近いのです。

 ケイシー、は一方では物質、他方では神に対する魂の関係を質問され、
小宇宙の物質的創造は人の場合と同じく第一原因(創造主)に関係していると明言しています。
 
「自己の内と外に表されている、目に見える様々な天体の中で、物質界の中でさえ、あらゆる力、あらゆる働きが一つ(神)から現されたものである。

 それで、(神の)伴侶となれること、(宇宙と)一体となれること、(ワンネス意識と)一つになれる能力が、一つの天体の中にあるあらゆる力、あらゆる現れの中に、これらの属性が現される為に必要となっている。」

 人が一方では、物質的力、他方では神の霊的顕現(神の媒体)の中間に立っていると云う考えが、次のように語るリーディングの中でさらに支持されています。

「一つの原子、一つの物質、一つの形が変えられたからと言って、その源あるいは※霊(生命)までが変わったわけではない。
 その現された形態が変化したのみであり、第一原因(無限・大愛)との関係が変わったのではない。

※神は無限の生命・宇宙に遍満する大霊・神はありてあらゆるもの

 人が物質界において、その持てる知識、知性に関して(宇宙生命・無限が)何を為しているのかに気づく意識※に至る事、第一原因、原理、基礎、本質(根源)に入ることを招くのである。
全てが神の御業・神おわすが故に私がおわすのであるの意識

 宇宙の中心、あるいはスヴァヤンブ・プラジャパティはその物質面において崩壊しうるが、その中に不滅の純粋我(真我・大生命)を有しています

 実際には、その純粋な霊(宇宙生命)があらゆるものを貫いており、それが大宇宙のデバータであれ人であれ、また電子のような小宇宙的実体であれ、個別化されたものことごとく根となっている(偏在・内在している)のです。

 滅びるのは一つ一つの実体の物質面のみであります。エドガー・ケイシーは先に引用したリーディングで同じ見解を正確に表現しています。

「一つの原子、一つの物質、一つの形が変えられたからといって、その源あるいは霊までが変わったわけではない。その現された形態が変化したのみであり、第一原因(創造主・無限宇宙)との関係が変わったわけではない。」

 人間と物質と宇宙に関するケイシー・リーディングの全てが、ウェーダ哲学においてパラム・プルシャとスヴァヤンブが使われたのの全く同じ意味で「聖霊」と「第一原因」という用語を絶えず使っているのは印象的です。

 その上、彼の創造論は右の説明なくしては一般人には理解できないままで残される事になりましょう。

 第二の創造部門、すなわち人間の構造は大宇宙と小宇宙の中間に位置しています。それはアドヒ・アートマンと呼ばれ、純粋霊の無限な、また形而上学的な要素と、肉体的エネルギーの形而下的要素の結合なのです。

 生きた人間であるジヴァの形に生まれ、転生するのはこの魂です。エドガー・ケイシーはジヴァの事を「実体」と呼びました。人間は小型の宇宙であり、それが宇宙的人間に似ているという意味での神の似姿であります。

 その魂は不滅であり、無限の側面です。肉体的、精神的、感情的、また合理的、知的側面は滅びる要素です。
 しかしながら、転生の最中に心的、知的傾向、非個人的な無意識面における傾向がカルマの形で人の魂に付随していくのです。

 誕生を繰り返す度毎に、肉体の傾向さえもカルマの形をとって持ち運ばれてゆきます。
 (明想によって)あらゆるカルマが消された時(宇宙意識に到達した時)に、純粋我は神、至高者、一なる者(内なる神の国・ワンネス意識)へと戻るのです。


問「心と物質と霊という意識の中にあって、実体の活動(輪廻転生)の目的とは何でしょうか。」

答「それは、その実体(意識)が自分自身であり、なお全体の一部(神意識の一部・神と私は常に一体・宇宙は一つの生命体)である事を自ら知るようになる為である。

 全体そのものではなく、全体と一つ(神の中の存在)であり、そこから、自分自身の個別性を保ち、自分が自分である事を知って、しかも自分を生まれさせた、

意識を与えてくれた第一原因(神・無限者・大愛)の目的と一つであることをも知るという事である。これが目的である。これが(人間が)存在している事の原因である。」

問「物質的表現に生まれる魂の目的は何でしょうか。」

答「その初め、魂が個人的に現れ出る働きにおいて、それは創造的力または神の伴侶(神との合一・真我顕現・覚者)となる目的を帯びていた。」
 

 このエドガー・ケイシーの言葉は、すでに人間の構造について述べていた事を正しく伝えています。人の創造の目的そのものは、自己実現(宇宙意識への到達・宇宙真理を理解してワンネス意識に目醒める事)なのです


 なぜ、我々は自己意識の行為者としての人間が父なる神(真我・無限大の愛)に戻ろうと切望すると述べてきたのでしょうか。

 ケイシーは、神の栄光は全創造物の中に現されている(全ての全ては神の現れ・神の他には何も存在しない)のだと繰り返し語っています。
   


 神は全ての創造主なのです。   
 神様は、木をお創りになり、金魚をお創りになり、海をお創りになり、山をお創りになり、そしてその中に、ご自身が宿っていらっしゃるのです。

 そして空気の中にも、水の中にも、私達の中にも、動物の中にも、全てを創造して、その全ての中に、私がおる事を知りなさい。全てが私である神ならば、あなた方は、全てを愛さなければならないのではないでしょうか。

 
 次の一文は、いかん物質性(肉体での経験)というものが、神への道として考えられているかを伝えています。

「一人一人は、ある目的を持って物質性(3次元界)へと生まれ出るのである。地上でのあらゆる経験が一つであるという事が、自己の中に成長と知恵とを増してくれる経験の中で起きてくる願いと憧れによって示されている。

 そのために、一つの全体としての人間は、体と心と魂において、創造、意識的に現されたこの進化、

 この内在する魂の自覚に関わる諸法則(明想・真理の理解)を日々応用(実践)した結果、自分自身(ワンネス・全ては神)であるということを悟るのである。

 三重の創造を考えると、このことは人間が神から発し、神へとまた戻るという目的を明確に伝えています。次のリーディングでは、ケイシーはインドの聖人達が発見した基本的な真理を言い直しています。

「意識が受肉(転生)する目的とは何か。体と心と魂の側面一つ一つが、それを生み出している創造的力の栄光(神我顕現)に向かうことである。」

 ケイシーが「創造的力の栄光(神我顕現)」という用語を使っている事が注目されます。あらゆる創造の側面がその中に存在する所の創造的力は、宇宙に遍満する神の側面である事は疑いありません。

 聖書と伝統的なキリスト教という背景を持っていたにも関わらず、彼が個人的な意味ではこの文脈の中に「キリスト」と云う言葉も「神」という言葉も使おうとしなかった事は注目すべきです。

 つまり、ライフ・リーディングを与えている時のケイシーは宇宙的、普遍的な真理(宇宙神理)と繋がりを持っていたという事なのです。


キリスト意識(ワンネス意識)とは
自分自身の魂と万物を一つと観る宇宙意識

 イエス自身は人々を導く仕事に就く前に40日間明想に専念しました。
そして、サマーディへの準備に必要不可欠な徳である、忍耐、満足、中庸、神への自己放棄(滅私・神への全託)の実践、解脱に至る為に絶えざる霊的訓練(明想)の実践をすべき事を信者に説いたのです。

 イエスは、積極的な愛と寛容(許し)と、神への自己放棄、そして明想における神との個人的交わり(大霊との一体感)を強く訴えていたのです。

 イエス・キリストの生涯と教えが示した明想と愛との結合(神との一体感)は、光明への最も定かな道である事に間違いありません。

 論理的、霊的な準備(真理の知識の蓄積や理解・洗心)は、真の神の求道者の基本です。

 制御下で核分裂が起こる時に原子力が露わになるように、
魂に潜むキリスト性(真の自己・神我)は、(自我が)自制された状態、論理的(真理の解釈)、霊的訓練(洗心・明想)の元で(自我が薄れて)、具現化(活性化)するからです。

 その(心の霊的進化の)成長と体験に伴って、(明想の)訓練も自発性を帯び、憤怒は理解へ、挫折は内なる歓喜へと変質(変容)してきます。

 その段階で人はどこにでも、どの人間にも場所にも、物にも光にもキリスト(無限の生命・宇宙エネルギー・大愛・神は全てに宿り給う)とを観ます。

霊的に覚醒めた)人は凡人には見えない、奥にある一体と本質と調和(無限の生命・ワンネス・神の愛)を観ます。人はただ愛するのみになります

 (悟り)人は自分自身の魂と万物を一つと観ているため、あらゆるものの中にキリスト(大生命・神)を観ます。
 これが覚醒め(ワンネス意識)であります。

 これがキリスト意識、クリシュナ意識、神意識(ワンネス意識)であり、これが天国に招かれる真の改心(覚醒)なのです。

 キリスト意識に覚醒めると、(全ては神であり自分そのものですから)憎む事はできなくなり、羨(うらや)む事もなく、悩まされもせず、拒まれもせず、挫折も、恐怖も持つ事はありません。

 本書に記されたる事は、読者がその真理の体験を持って(知花師上江洲義秀先生明想・宇宙神理の理解等を試さないならば無意味となります。

 真理を体験せんとする、神と直面せんとする、
創造の力と一つにならんとする願い(父との対面・根源との合一を願う心
がなければ、いかなる説教も、いかなる哲学も、
いかなる倫理も求道者の助けになり得ないのです。

 人は自由意志の特権を使う時(求めよさらば与えられん)のみ神の恵みの恩寵を授けられるのです。ケイシー・リーディングは次の如く述べています。

問「キリスト意識(ワンネス意識)とは、心の上にかたどられ意志力による目覚めを持つ、
魂と神との一体の自覚(全てに神を観る境地・父なる神と常に一体の境地)と述べて宜しいでしょうか。」

答「その通りである。それが正しい考え方である。」

キリスト意識の応用について、リーディングはこう語っています。

「父(なる神)は子らを御心にかけている。これら
地上に現れたる者たち、汝らは神の現れの一部(全ては神ご自身)であるという道が示されている。

おぼろげな力(自我・偽我)としてではなく、不完全なもの、霧の如きものとしてでなく、(イエス)キリストの中に(真我が)現されたばかりか、

彼(神ご自身・真我)が、あなた方の中に現されているあの神性の一部(内在の神)としてなた方の心の中に御出現(神我顕現)になる時に

あなた方は自分が真に生ける神の子(悟り人・覚者)である事を、隣人と接する中で聖霊の果実(全知全能)を、その物質の身(地上での肉体)にあっても示し表す(人類の魂の覚醒の)目的を持っているに目覚めるのである。

心(真我・神性意識)がキリスト意識の象徴なること、それが建設者たること、それが道たる事、それが真理たる事、それが光たる事を知りなさい。」

知花敏彦先生のお話から一部引用ですが…♪

 では、人間と神の関係はどうなのでしょう。
本来は「人間と神の関係さえもない」という事です。

 この説明のためにテーマをつけて書いたものであり、
関係さえもなく、「一つの存在」であるのです。

人間と神」は、「即、一体」の存在であり、
我々」も「神の存在」であり「神そのもの」であったという事が分かるのです。

我は神なり」。「我は生命なり」。我は神理なり。と。
我は神(の一部)であり、我はキリスト(宇宙生命)である」という悟りに至らなくてはならないのです。

隣人との接しを通じての神の愛は終日の作業です。我々は神がどのような形で自らを示されるかを知る由(よし)もありません。(全ては神の具現)

 それはタクシーの運転手かもしれず、店員かも、学生かも、今日しかも、患者、医者かもしれません。
 だからこそ、我々は荒い言葉、怒った顔を慎み、非難を愛に変えて常に、あらゆる人との接触で(全ての全てであられる)神を崇めるのです。

 求道者がこの段階に至ってなければ、聖なる愛を自ら実践することによって明想(全てに神を観る・我神なりの自覚)を続けなければなりません。

 神への、我らが家(久遠のホーム・内なる神の国・ワンネス意識への、
本源への、我らがの目標(神我顕現・神との合一への探求は、
こうして全的な働き(意識の進化・波動上昇)となります。


 エドガーケイシーは、宗教生活についてその最も美しい表現の中で、
「神を愛する」大切さ「神を求める祈り」の重要性を次の様に語っています。

あなたがたは心を尽くし、思いを尽くし、体を尽くして汝のなる
(大生命・内在の神)を愛し、隣人を汝の如く愛するのである。

このキリストの与えた言葉が法則の全てである。
それに優るものは存在しない

 主が約束されたように、あなた方は
来る日も来る日も明想し、「祈りゆく」うちに到来するあの目覚めによって、
主(宇宙生命)が自分の意識の中に留まられる事を知る事が出来る
神我が中にまします・父と子は常に一体)。

 あなた方はこの目的のために、
主が臨在し、その御霊(キリスト)があなた方の中に留まるあの意識を、
あの自覚を讃えるために生まれてきたのである。」

FC2版の広瀬すずちゃんの横顔になる方法の記事です♪
身長を伸ばす記事も追記してみました♪

知花敏彦先生の総まとめ記事 ラスト・第6回目♪人が神を受け入れた時、人格神となる♪この肉体を、造り主である霊に返納する♪永遠に光るものとなって、霊太陽となる♪魂の光輝(イルミネーション)♪人はなぜ病気になるのか、病気とは何か・病気にならないためには、心の調和が必要・病気の原因は食生活と心の問題から起こる♪私達の身体は神のエネルギーの住み家 エネルギーの表現体♪万物は神のエネルギーの顕現♪私達は全て宇宙電気のお陰で存在しています♪「人間と神は一体である」 これが判れば、神(天)の国に帰れます♪




人が神を受け入れた時、人格神となる

 肉に生きている人間は、
その肉体を地面から引きずってあるかねばなりません。
あなた方は、今、地に這う者となっています。
それは、物質への執着です。物欲です。
物欲がそうさせるのです。

 あなた方が、
本当に、この肉体という物を光に変換しますと、
お返ししますと「献身的」といいまして、
その肉体を大霊に捧げる。神に委ねる。全託する。
そうしますと、神の光が与えられるのです。

 あなたが、
神を受け入れるという事は、光を受け入れるという事なのです。
これが、神の臨済感ですから。
これが、光の臨済感ですから。

神は無限なる光ですから。
神は無限なる力ですから。
神は無限なる叡智ですから。
神は全知全能ですから。
大霊は大神様ですから。

 あなたが本当に、自分自身にその大霊を受け入れた時、
あなたを通じて神が現れ給う」という事になるのです。

 ですから、
人が神を受け入れた時、人は神となる」という事なのです。

 そうした時、
その人は何になるかといいますと、
人の形を取った神」即ち「人格神」となるわけです。

 神の御業を、
その人は自由自在に行なうことが出来ます。意味はおわかりですか。

 イエス・キリストは、
普遍世界から、色々の物を具現して奇跡を起こされました。
何故かと言うと、この世の物というものは、みんな
不可視の普遍的質料」と「普遍的エネルギー」から取り出されて、
生み出されているわけです。

 あなたが「普遍的質料」となり、
普遍的エネルギー」になった、「」になったとすると、
神そのもの」ですから、貴方の意識でいくらでも普遍的空間から、
物をこの世に具現する力を得る事が出来るのです。おわかり頂けますか。
 
 この世に、形として現れている物は、
みんな普遍的なものから出て来ているわけです。
そこから出て来ているものを、
不可視の世界に変換する事も、取り出す事も、自由に出来るという事です。

 これはあくまでも、
あなたが「」を「大霊に捧げて」、
大霊があなたを通じて働くようになった時の事です。

霊を拒む事は、今の自分をなくしたくないから

 霊を受け入れる、受け入れないは誰次第ですか。
受け入れたほうがいいのですか。受け入れないほうがいいのですか。
受け入れたほうがいいのに、あなた方は霊を拒むのです。

 なぜかといいますと、
霊を受け入れるとあなた自身がなくなるからです。
そこに何が残るかといいうと、
神一元」という、「神のみの存在」になってしまうからです。
あなたは、今の自己を失いたくないのです。

 自己放棄といいまして、それは自分がなくなる事。
自分がなくなると、
そこに何が残るかといいますと、神のみなのです。
これを「神一元」「光一元」といいますけれども、
それは無明のあなたがなくなって、光のあなたにしかならないから、
あなたは今の自分に執着しているのです。

今の自分を、
自分、自分として、大切にしている限りにおいては、
皆さん方は、神を受け入れる事は不可能だろうと、
光を受け入れる事は不可能だろうという事になります。

 釈迦は「無我」の境地を悟られまして、
自分がなくなって、自分がなくなったら何が実在するかというと、
神のみが実在」するのです。
人間がいなくなって、「神のみが実在」していくわけです。

 それを「神の化身」といいまして、
人間」というものが「神に変換」するわけです。
変容」ですから……。「変貌」ですから……。
そうしますと、光そのもの、力そのもの、智慧そのものになりますから、
今までのあなたは存在しなくなるわけです。

 あなた方は、今の自己に満足しています。
これを「自己満足」といいます。

今の自分を気に入っていますか。
今の肉体あなたを大いに気に入っていますか。
今のあなたにお気に入りなら駄目です。
執着しなければならないからです。

この肉体を、造り主である霊に返納する

 「神に献身」といいまして、この「肉体」を「霊に捧げる」のです。
これを何といっているかといいますと「献身」といっています。

 この肉体を、作り主である霊にお返しをするのです。
そうしますと、
霊はこの肉体を通じて表れ給う」となるわけです。
これを、「神への全託」といいます。「返納」ともいいます。

 本当に、そういう事が皆さん方に出来ますと、
神は皆さんを通じて現れ始めるのです。
そうして、初めて皆さん方は、
真に智慧あるものとなり、力あるものとなり、光あるものとなるのです。

 あなたという「自我」がある限り、
「この肉体は、私だ……。私のものだ……。」と思い込んでいる限り、
絶対に、それは不可能だという事です。

「我」があるわけですから。
「私が」「私が」と、あなたに思いがある限り不可能です。

 この肉体を神にお返ししたら、
皆さんは「無私」「無我」になるのです。
自分がなくなる・・・・・。すると何が残りますか。神が残るのです。
自分がなくなって、神のみが実在するようになるのです。
その時、初めて皆さん方は「神の化身」となるのです。

 そうなりますと、
あなたはどこにいたって、もう安全なのです。
自動車事故には絶対に合わない。
飛行機事故には絶対に合わない。
爆弾が落ちても絶対に災害を受ける事はない。

 なぜかといいますと、
災は闇ですから、災いがこの光の中に入る事が出来ると思いますか。
この世の影響を受けると思いますか。
あなたが、光そのものになりますと、
闇の影響を受けないものになるのです。

 その時、皆さん方は、
この世の手の届かぬ所に止め置かれた」というこ事で、
光そのもの」になりましたなら、闇の影響を受けないのです。

 今のあなた方の災いは、光の災いですか、闇の災いだと思いますか。
どんな爆弾をその人の上に落としても、災いを受ける事はありません。

この意味はおわかりでしょうか。
光の中に、闇は入れません。
それを「安泰」といい、「安全」というのです。


愛とは、この肉体と霊との調和を意味する

 あなた方が、どこに行こうが無言の奉仕が出来ます。
エネルギーの放流放射ですから、例え、電車に乗ったとしても、
あなたの行く所全部、光エネルギーに出来るのです。

 これを「至福」といいます。
人々に至福を与えることが出来るのです。

 「命を与えよ」その生命は光です。
一番大事なものを与えなさい」 一番大事なものとは、
命は光ですから、「光(真理)を与える」のです。
そういう奉仕の出来る人間になりますと、皆さんは真の奉仕者となるわけです。

 だから、あなた方の自我での奉仕というものは、
これはインスタントの奉仕にしかなりません。偽りなのです。
真の善ではなく,偽善なのです。

 「」という意味はなにかといいますと、
肉体と霊との調和」の事を意味しています。
この肉体が、大霊を受け入れた人は「愛の人」です。

 この肉体が霊を拒んでいる人は、
闇の人、不調和の人となります。不調和から光は出ません。
「私は、不調和じゃない。調和です」といいながらも皆さんは無明です。

 あなたがの考えている
愛とは調和というものは、あなたの作り物なのです。
これを「盲愛」としか言わないのです。

愛というものは、その肉体と霊との調和のことを意味しているのです。

 霊は天。肉体は地。天・地のバランスです。
天は光明。地は無明。天・地一体です。

その、無明と光明が一つになれば、そこには闇は消えます。
そうなりますと、あなたは「光一元」となります。

光一元というものは、あなたが
その物質的・質料的なものと、霊的なものを一体にならしめた時、

肉体と大霊との一体(父なる神と私は常に一体の境地)
ができた人は愛の人ですけれども、

肉体と物質と霊とは別だと考えている人は、不調和な人です。
その不調和の人は、光の人ですか、闇の人ですか、闇の人なのです。
ですから、世の中を彷徨(さまよ)わなければなりません。

 だから、一寸先があなたには分かりません。
あなたには一寸先も見えません。
一時間後に、どういう事が起こるかも分かりません。
未来が読み取れません。
今、ここでお話を聞いて、帰りがけにどいういう事が起こるか。
家に帰ってどういう事が起こるか分かりません。

 未来を見通す力、すべてを見通す力が、
この大霊と肉体を一体ならしめた時、あなた方に出来るわけです。
すべてを見通す力とはその意味なのです。
その人は、もう躓く事はありません。

 霊肉一体となっていますので、もう死ぬことはありません。
霊肉のバランスを一体化ならしめない限り、あなたは死ぬものとなります。

あなたは死なないためには、愛でなくてはならないのです。
不調和で、死なないものになるのですか。
肉体から、霊が離れて行きます。

しかし、霊と肉が一つに融合してしまえば、
もう離れる事がありませんので、死ぬ事はないのです。
それが永遠に生きるもの「死の克服」というものなのです。


霊を無視する事は、光を否定し闇を望む事と同じ

 「私は人間だ。肉体だ」という無明のままで、
霊を全く無視して生きていく人間は、死ぬものとなります。

 そして、死んだ暁は、
光を否定していましたので、
闇の世界を彷徨わなければなりません。
これを普通は「闇地獄」といっているのです。

これはもう想像を絶する闇です。
これっぽっちの先も見えません。真っ暗闇です。

 この世の暗闇とは全く違うものです。
そこで泣き叫びます。
その状態を、知花はいつも見ているのです。

 肉意識(分離・不調和)のままで去った人間は、
光を拒んだわけですから……
否定したわけですから……
闇を望んだわけですから……

 この世の物質思考というものは、光思考ですか。闇思考ですか。
物質主義とは闇主義なのです。

物質が全てだと思っているのは、闇が全てだと思っていますので、
闇地獄とは、こういう人間の行く所なのです。

 光(全一体)は霊(無限の生命)ですから、
その霊を受け入れた者はこの肉を去ったとしても、
光を受け入れていますので、全く躓くことはないのです。
すべてが見えます。

ですから皆さん方が、
本当に、こういう時代が今ここに到来している事を、知らねばなりません。
光あるうちに歩め」とは、その意味なのです。

 その意味は何かといいますと、
「あなたの肉体に霊が宿っている時に歩め」
「(生きている時に真理を理解しなさい」という意味です。
その意味をおわかり頂けますか。

 幽界から霊界に帰るという事は、容易な事ではありません。
「幽界にいても、悟って幽界に帰る人が一杯いるでしょう」
という人がおりますけれども、
「生きている時に天に住まぬ者は、死んでも天に住まぬ」
という事なのです。

 その意味は何かといいますと、
あなた方は普段意識していなくても、
霊と肉が必ず一体となって、肉体というものは存在しています。

死というものは、その肉体からの霊の分離ですから、
一時的に大変な体験をせねばなりません。

 分離したら死ぬわけですから、
能動原理が質料から離れる事によって死を招くわけです。

 「死ぬ者は再び生まれかわる」といいまして、
輪廻を繰り返さなければなりません。
そして、また、地上界の新しい再出発。
光があるうちに歩む」という状態で、
再度、この地上界に生まれてくるのです。

この事を、皆さんは「輪廻転生」と言っているわけです。
しかし皆さん方は、
この輪廻を克服するには、どうすればいいのでしょうか。

それは「霊肉一体」しかないのです。
皆さんの何名がそれを可能にするか。実りあるものにするか。
これは、誰次第ですか。

 この無明のままで、肉体のままで、
地位、名誉、財産を持っていた所で価値がありますか。
最後は、真っ暗な一寸先の見えない所で、
もがき叫ぶ一人にしかならないのです。

 豪邸に住み、金持ちの奥さんで、あるいは、社長で終わったとしても、
その者は「無知の人生」といいました,
必ず、闇の世界で泣き叫ばなくてはなりません。

 その意味お分かりですか。
それを、お分かり頂きたいと思います。

 ですから、
光あるうちに歩め」という事は、
その「質料と肉体が一体である」という事は、
今(生きている時に悟る)しかないのです。


永遠に光るものとなって、霊太陽となる

 あなたが自覚して、
その大霊、無限光、普遍光をはっきりと、今受け入れますと、
その闇の原子が光の原子に変貌しますので、
変性、変容で、これをイルミネーションというわけです。

皆さんが、霊肉一体のバランスが取れていなければ、
イルミネーションを受ける事は可能だとお思いですか。
それは不可能です。

ですから、肉我で生きている人間から、
オーラが差すと言う事は全くありません。

ほんの少々ですが、ほんのりと出ている人がいる事は事実です。
しかし、その無限光が、大霊そのものが自分の中にあるという事は、
ほんのりではないのです。

 夜道を歩きましても、電灯なんかいりません。
あなたの細胞から放つ光が、全部周囲を明るくしています。
これを「オーラ」といいます。「後光」といいます。
ですから、夜はないのです。我々には、本来夜はないのです。

 太陽は、夜になったら眠っているのですか。
太陽というものは、全く、光を失うという事はありません。
あなた方も、永遠に光るものとなって、初めて太陽となります。

 これを「霊太陽」といいますけれども、
」というものは「太陽」なのです。
ですから、「」の事を「太陽神」ともいいます。
太陽エネルギー」というのと、
霊エネルギー」というのと同じなのです。

 その霊太陽は、宇宙に幾つあるかと申しますと、一つしかありません。
その霊太陽は、皆さん一人一人の中で、輝いているわけです。

ちょうど、その三次元の太陽でも、光って輝いているものは、
同じ太陽からの光線で輝いているのです。

あなた方」も、「宇宙の霊体陽」でもって、
全ての万象万物」にも「同じ光」として輝いているわけです。

その霊太陽には、方向性というものがないのです。
今の物質的な太陽にも、方向性がないのと同じです。

あなた方は、太陽が沈んだり昇ったりする
と思っていますならば、とんでもない間違いです。

太陽は上がったり沈んだりしていますが、
一定の場所で輝いているのです。

昇り日だ、落ち日だ。と皆さんはいいますが、
昇り日も、落ち日もないのです。

 あなた方の霊太陽も、昇り日も落ち日もないのです。
だから、方向性というものがないのです。
東から上がる、西に沈む、と言う事はないのです。

どこにいても同じ状態で、
あなたのハート(胸)の中で輝いています。

 ですから皆さん方は
その霊太陽を、はっきり自分に受ける事が出来ました時は、
皆さんの細胞一粒一粒は霊光で輝きます。
それはあくまでも、霊肉一体をならしめる事が先決です。

 この「肉体」というものは、
大霊の器」にしか過ぎないと。
肉が我でなく、「大霊が我」であるという、
霊的自覚」を持つ事なのです。
 
 肉的なあなたが、あなたですか。
肉が生きているのですか。
大霊が生きているのですか。
それは大霊のみが生きているのです。
 
 皆さんの中に宿っている霊は、
個人的霊ですか。普遍的霊ですか。
それは普遍的霊なのです。
 
 なぜかといいますと、
宇宙には、唯一、不二の大霊、神霊しかいないのです。
その霊があなたから抜けたとしますと、あなたは生きていないのです。

だから、山の霊、海の霊、水の霊、動物霊、人間霊、
みんな霊です。霊がなかったとしますと、
鉱物も、植物も、動物も、人間も、皆存在しないのです。
霊がなかったら、生きていないのです。

 あなたから霊が抜けたら、あなたは生きているのですか。
この肉体は器ですから、霊が抜けても残っています。
その霊を抜けた体の事を、皆さんは「死体」と言っているのです。

 だから、人間という、この肉体という器は、
霊の働く場であり、霊の働く焦点にしか過ぎないのです。
霊が着けている衣装にしか過ぎないのです。

 あなた方は、
その衣装である肉があなたなのか、
大霊そのものがあなたなのか。どちらが本物ですか。

肉のあなたの事を「真我」というのですか。
大霊のあなたの事を「真我」というのですか。どちらが本物ですか。

 この肉があなたですか。大霊そのものがあなたですか。
大霊そのものが、あなたなのです。

 これを「覚醒者」といいます。「霊的自覚」といいます。
我は霊なり」と言わねばならないのです。
しかし、
あなた方は「我は霊なり」とは言わない。
「我は肉なり、我は人間なり」と生きています。


魂の光輝 (イルミネーション)
光るものになるためには、霊でなくてはならない

「我は霊なり」というのと、
「我は光なり」というのは同じ事なのです。

 光るものになるためには、
我は人間なり、我は肉体なりでは、光るものには絶対になれないのです。
あなたは光るものになるためには、
「霊でなくてはならない」という事なのです。

 肉で光るものになるのですか、
肉は質料です。質料に光がありますか。。
その質料を光るものとさせるのには、霊しかないのです。

 その質料の中の霊がミックスされますと、
その質料は闇となりますか。光となりますか。
闇の質料が、光の質料になります。
その質料が光を拒んでいる内は、闇の質料で終わらねばなりません。

 それが霊化された肉体が、
霊化された肉体とは、光り化された肉体。
即ち、光明体、光姿態となるという意味なのです。

 皆さんの肉体が光姿態とならなくても、
光明世界の住者になれると思いますか。闇地獄の住者ですか。
本来闇地獄はないのです。
あなたが作っているのです。
霊を拒むがゆえに、
光を拒むがゆえに、闇というものは存在しているのです。

 霊肉一体であれば、そこには地上天国が誕生しませんか。
この世の肉体人間が全部、大霊を受け入れたら地上界は光明界となります。
これを「地上天国」というわけです。

 ですから、
誰かがイルミネーションを受けますと、
その影響を受けて、多くの人々がイルミネーションを受けます。

その人間がイルミネーションを受ける事によって、
地球自体もイルミネーションを受けます。
鉱物も、植物も、動物も、みんな光るものとなります。

人間が光るものとなったら、全部光るものとなるのです。

 無限光を放つわけですから、光で闇は全部消えるのです。
そうなれば、この地上界に災いというものは存在しなくなります。

これを「極楽浄土」というのです。
光の世界には、
災いというものは存在出来ませんので、安全、安泰の世界になります。

これを「ユートピア」といいまして、
ぜひ、地上界にユートピアを建設していきたいと思います。

 ひとりでも多くの霊光燦然と輝く者を。
一人よりは二人、二人よりは三人と、多くの人々が一日でも早く、
この霊光を輝かすように努力して頂きたいのです。

我は姿・形に属する者にあらず、
我は血や肉に属する者にあらず、我は霊なり

 それは、霊的自覚でもってしか出来ないと。
「我は人間なり」「我は肉体なり」という者は、
「絶対に光る事はない」という事を、私は断言致します。

 霊的自覚に順応して光る者になります。
時間あるごとに「我は霊なり」と自分に言い聞かせるのです。

 今まで長い長い年月、この肉体という物を、
皆さんは自分として、
己として来たものを、放棄する事は厳しい事は分かります。

しかし、偽物に愛着を感じて、本物を放棄したままで終わってはならないのです。
 
ぜひ、皆さん方が「我は霊なり」と。
イエス・キリストのようにい、
「我は姿、形に属するものにあらず、
我は血や肉に属するものにあらず、我は霊なり」と。
時間あるごとに、自分に言い聞かせて頂きたいのです。
 
 そして、とうとう、無意識の内にも、
自分が大霊である”と思えるようになるまでは、
努力せねばなりません。

 「神が着座する」という事は、
無意識の内にもあなたが大霊そのものだと、
一時(ひととき)も自分が肉だと思わなくなって、
初めて神があなたに着座した。
初めて光があなたに着座した。という事なのです。

 今のあなた方は、
”我は霊なり”と意識する事は、
ほんの一時の間だけかもしれないけれど、
すぐ肉我に生きてしまう……。
すぐ無明になってしまう……。という事を忘れないで下さい。

 ですから皆さん方が、
本当に、寝ても覚めても大霊意識で生きられる事を要望致します。

そして、初めて神が着座したという事になりますので、
努力していただきたいと思います。頑張って下さい。
 どうも有難う御座いました。


病とは何か
人はなぜ病気になるのか、病気とは何か

 なぜ人間は病になるのか、病気は何であるのかが判らない昨今の状態です。その意味も判らないまま日常生活をしています。

 病気になれば病院に行って病気を治せばいいではないかと非常に簡単なものの考え方をしていますが、人間が何故病気になるのかと考える事により、治すことよりも病気にならない事を考えるべきです。

私達が病気になる原因は二通りの原因があります。物理的なものから来るものと、精神的なものから来るものと二通りです。

 普通の肉体的な病気と精神的な病気とがあり、病院も精神病棟と肉体の病棟というような二通りあります。

 なぜ病気になるのかは時の如くで、気を病んでいるエネルギーが落ちた状態、エネルギーのない状態を病気といいいます。

 エネルギーの少ない状態、エネルギーの低下といいましょうか、その状態を腐敗するとか、酸化するとかいいます。

 一つは我々の肉体の病気とは酸化状態と思ってもいいのです。
エネルギーが低くなりますと酸化が始まります。それを病気と名付けられています。

私達の身体は神のエネルギーの住み家
エネルギーの表現体

 私達の身体はエネルギーで支えられています。そのエネルギー体が霊体とい身体を支えているのがエネルギー体です。
 即ち霊体があって肉体はその結果です。その霊体の霊気が低くなるのが病気です。

 皆さん方はよく霊気を感じるといいます。霊気の気とはエネルギーをいいます。
霊そのものはエネルギーそのものですからエネルギー体です。ものは必ず霊を宿していますがそれはエネルギーを宿しているのです。

 そしてエネルギーの結果が物質を現しているから、ものはエネルギーの住み家でありエネルギーの表現だといえるのです。

 そのエネルギーの事を皆さん方は神を呼んでいます。ですから我々の肉体はエネルギーで作られたエネルギーの住み家だといえます。エネルギーの表現だということになります。

 エネルギーがものを創ってエネルギーはものの中に浸透しています。
それは神が一切のものを創り、一切の中にエネルギーが浸透している意味です。

食事とはエネルギーを食べること

 物理的なエネルギーは食生活から入ってきます。
ものはエネルギーを持っていますから、私達が食事することはものを食べているのではなくエネルギーを食べているのです。

 形と食べているのではなくエネルギーを食べています。形を食べているのではなく、形の持っているエネルギーを食べているのです。即ち霊気を戴いているわけです。

 食事をとりますと元気になるというのはエネルギーの元という意味で元気になったといえます。

 病気とはエネルギーの少ない状態、エネルギーの低下の状態を病気と普通に言います。
 自然食というのはエネルギーの高い物を自然食と言うのですが、農薬の入ったエネルギーの低い状態のまた、その物の持っているエネルギーの無い状態を不自然といいます。

 不自然な食生活とは農薬をたっぷり一杯使った、エネルギーの無い食生活をいいます。

昔の食物と今の食物のエネルギー量の差

 皆さん昔の物と今の物とどちらがエネルギーが高いか考えて下さい。
野菜などは昔の物は時間を置いてもなかなか腐らない、酸化しない、保存がききました。

 キュウリでも色が黄色になっても形を崩すことはなかったのですがえ、今のキュウリは青くても、とろとろになって水に溶けてしまいます。それはエネルギーが低いからです。

 また今の卵は冷蔵庫の中に入れないと保存が効きません。昔の卵は軒下に吊り下げていれば数ヶ月も一年でも腐らないものでした。それはエネルギーが高かったからです。

今の水道水は何故腐るのか

水がそうです。昔の水は腐らなかった。天水の水も井戸水も全然腐らなかったのですが、今の水道水は置いておくよ翌日はもう臭いがする。
今の水は何故腐るのですか。昔の湧き水は腐らなかった。

 湧き水が腐らないのは、それだけエネルギーが充満しているといえます。ですから湧き水を飲む方が、水道の水よりはエネルギーが多い事になりますが今の湧き水では駄目です。

 健康になるのもエネルギーの高い水を飲むことが大切です。食生活でもエネルギーの高い物を食べたほうが健康になるわけです。


イエスが
「私を食するものは永遠に生きるものとなるであろう」
と言われた意味

 私達は今、食卓に上がっている食べ物を食べているという錯覚を起こしていますが、皆さん方はエネルギーを食べているのです。

 形を食べているのではありません。形の持っているエネルギーを食べているわけです。即ち愛を食しています。力を食しているのです。

 イエスが「私を食するものは永遠に生きるものとなるであろう」と言われた意味は、自分が食べているものはエネルギーであるということを知っておられたという意味です。

 そのエネルギーを何というかといえば生命と呼ぶのです。エネルギーは即生命です。生命は即ち霊です。

 霊気が高いとは生命力が強いといい、生命力が強いとはエネルギーが強いという意味です。
 そして生命力がなくなりますと、酸化が起こります。エネルギーがなくなり腐り始めます。

農薬が病気の大きな原因

 不自然な食品のラーメンとかインスタント食品での食生活をしますと、そこには化学物質というエネルギーを狂わす陽イオンが沢山入っていまして、プラスとマイナスの陰性・陽性のバランスを崩すのです。
 
 自然ということは陰陽の法則に整った状態、中性状態をいい、バランスのとれた状態を言います。
 皆さん方は自然食という言葉を口にしますが、自然食が何故良いかといいますと農薬が入ってないからです。

 農薬の入ってる物と農薬の入っていない物とでは、入っていない物がエネルギーが高いに決まっています。

 しかし私達は農薬の入っている物を平気で食べていることになり、そのエネルギーの低い物を食べて健康になろうとしても、健康にはなれないはずです。それが大きな病気の原因になっています。

病気とはエネルギーの低下状態をいう

 病気とは何かと、一言で言えばエネルギーの低下状態と答えれば良いのでは無いかと思います。ですからエネルギーが病んでいると書くわけです。

 そして元気とはエネルギーの元と書きます。その元気の良い状態を本気ともいいます。その気というのはエネルギーの事をいうのです。本気は正気ともいいます。正気の沙汰といいまして、本気は元気です。短気は損気なのです。

短気は損気

 皆さん方が短気を起こした時は、精神的な問題ですが、短気を起こした時は沢山のエネルギーを使います。
 この時のエネルギーの消費は一度の短気で、一週間分の食生活のエネルギーを消費します。一週間分の暖色に相当します。

 カッとなった何秒間で強烈なエネルギーを放出するのです。短気は損気という言葉で表現されているのです。
 気を損する、エネルギーを損するという意味です。ですから気が短くてはいけません。

 気長な人生を歩まねばなりません。短気者は非常にエネルギーを損していることも判らないからです。
 短気は短い時間で強烈なエネルギーを放射しますので、私達の身体には化学変化が起こります。

 化学変化とは電気現象をいい、この電気現象が起こるのです。プラス・マイナスの電気現象です。
 それを皆さん方はエネルギーの事を電気と書いているのです。


生命とは電気であり
エネルギーであり、力であり、光である

 ですから、生命とは何かといえば電気ですともいえます。その電気はエネルギーであり、力であり、光です。そして神とは何かと聞かれた場合、電気と言いたいのです。神は本当に電気です。

 その電気現象がなければ私達は生きていけません。現に私達の肉体の中にプラス・マイナスの電気が存在して生きています。その肉体とは一つの電気のトランスではないか、物はトランス状態だと思います。

 例えばこのバナナというトランスは、どのぐらいの電気を含んでいるか。世の中に電気を含んでいない物質は存在しません。全てその意味においても電気を持っているのです。

 物は電気の結果ですから、エネルギーの結果ですからエネルギーを持ち合わせていない、または電気を持ち合わせていない物質はありません。

 電気屋さんが計れば一つ一つの物を、これは何ボルトだと、いくらかの電気が有るかと、見ますとトマトもキュウリも全部電気を持っています。じゃがいもはエネルギー強烈ですから、1個に1.5ボルトの電気を含んでいます。電気植物みたいです。

 全ての食べ物は電気を含んでいます。そして農薬の入っているものには電気が全部落ちています。自然である物や、農薬の入っていない物は電気が高いわけです。

 私達も農薬のたっぷり入った食べ物を食べておれば電気は低くなります。これが病気の原因です。今は物が豊富にあるのに、どうして栄養とか、カロリーとか、ミネラルとかというのは全部エネルギーの高いものという意味です。

 その他には何もありません。それを霊気が高いといい生命力が強いという意味です。生命力と霊力は同じです。それを霊的力といいます。それが神の力です。

神は力であり、無限者であり、普遍者である

 ですから、神は力なりけりになります。宇宙エネルギーそのものが神だと、判断できるわけです。

 その宇宙エネルギーが全ての物を作り、その宇宙エネルギーが全ての中に生きていますから、神が一切のものを創り、神が一切の中にいるのです。

 ですから宇宙エネルギーがあそこにある、ここにあるというものではありません。神がここにいる、あそこにいるという存在ではありません。

 宇宙エネルギーそのものが神そのものです。宇宙エネルギーが全ての創り主ですし、全ての存在です。

 神が無限者であり、普遍者である意味がハッキリ判りましたか、その宇宙エネルギーは如何なる者の制限も制約も受けない、祭られることも無い。

 その神が人間の手で祭られる事がありますか。とんでもないママゴト遊びをしていることが判りましょう。
 ですから神は宇宙科学だといえましょう。。科学そのものが電気化学だといえます。

 その電気状態にはプラス・マイナスであり、陰陽の法則であり、陰陽を多く含んだ物を影石と呼び、陽性を多く含んでいるのを陽石と、これを男の石と女の石ともいいます。

 植物にしても雄しべと雌しべとがあります。動物にも雄と雌があります。そういう物で宇宙は全部全て電気状態だと言えます。

 神は光なり、電気は光です。神は光なりき、そのプラス・マイナスのエネルギーが光となります。この電気は神の具現だともいえます。神の現れです。

 ある程度の現象化されたもので、なるほど神は光なのだと判りましょう。
そしてこれがモーターとなって、力となって動きますとどんな大きな物でも、

動かすわけですから、なるほど神は力なりきと、力は神なりき、そしてエネルギーと同時に光であると判りましょう。

 神が何故力なのか、神が何故光なのかという意味も、そのプラス・マイナスの電気で証明されています。ですから今までの人々が言っているような神様はどこにも存在しません。

 空想の神様はいないのです。現実の私達の日常生活の一分一秒の中で我々は神と共に生き、神は我々の中に生きているという意味です。

 我々は宇宙エネルギーの中におり、宇宙エネルギーは我々の中にいるのですから、神は我が中にましますとなります。
 
 即ち私達は宇宙エネルギーの中に今おるのであって、宇宙エネルギーは我々の中におるわけですから人は神の中におるといえます。

 即ち私達は宇宙エネルギーの宮であるとう意味で、宇宙エネルギーの住み家であるとなります。

 この肉体は宇宙エネルギーによって創られた宇宙エネルギーの住み家ですから、宇宙エネルギーがなければ、
 宇宙生命がなければ、宇宙霊がなければ私は創られもしませんんし、ここににも存在していません。
 であるが故に神は存在の本源です。

 肉体を持つ人間の本性・本質は神だということが判りましょう。ですからイエス様は「全ては神」と言われました。神によらないでものは存在しません。
 宇宙エネルギーが一切のものを造り、宇宙エネルギーが一切の中に住んでいます。

表(結果) 裏(原因)一体の法則

 私達は今、日常問題でエネルギーの追求が、真理の追求だと思います。エネルギーの追求は神の追求だと思います。そのエネルギーが存在の源ですから、エネルギーを汚すものは紙を汚す者だと言いたいのです。

 人間には裏切り者という言葉があるように必ずウラとオモテがあります。内側の我の事、を即ちエネルギーの我の事を裏と言い、外側の見える表面現象界を表と言います。

 見える我と見えない我とがありますが、裏がないような、表だけで生きている人間を、裏切り者と言います。

 裏を切っていますから、エネルギーを考えたことがない、肉体のことしか考えない現象のことだけ考える。

 裏がないわけです。物には必ず裏表があります。着物であろうが何であろうが、裏表があります。木の葉でも裏表があります。

 しかし人間はどこで生きているかといえば、表沙汰ばかりをやりまして、裏を断ち切っているようなものです。

 ですから自我人間は一人ひとり、皆、裏切り者です。何を裏切っているかといえば、神を裏切っています。

 結果が原因を裏切っているからです。どんな芝居でも裏方さんがいなければ表方さんは何も出来ません。

 ですから、あなた方は正しい台詞も言えないし、正しい芝居も出来ません。正しい振る舞いが出来ないわけです。正しい生活ができない、正しく語ることが出来ません。

 ですから正しい裏方さんがいなかったならば、芝居は成り立ちません。監督さんの付いていないような利己的、利己的な台詞しか言えないようなものだと言いたいのです。

 そのように病気とは、裏方さんと表方さんとが一つになった時を、元と結果のバランスがとれた時といい健康になるのです。ほんとうに裏表を見なければなりません。

 裏があって表があるのです。表あって裏なのでしょうか。裏は原因でして表は結果です。
 この裏表の法則を原因・結果の法則といいます。見えるものだけで物は存在していません。
 
 見えないものがエネルギーとなって、見えるものは見えないエネルギーの結果ですから、私達は結果だけを見て原因を見失っているのは、神を見失っている事になります。

 神を見失ったとはどういう意味でしょうか。皆さん方は下忍から出て来たのです。この肉体は原因から出て来た原因の結果です。

 神から出て来た者でありながら、私達は自分がどここから出て来たのかと言い、出て来たところが分かりません。

万物は神のエネルギーの顕現

 皆さんは何から出て来たかといえば、原因のエネルギーから出てきました。即ち神から出たものです。裏方さんが神様です。しかし、表に生きています。その裏方の方を内といい外の方を表といいます。

 内なる我と外なる我という事で、内なる我とは原因で外なる我は結果となります。内にそのエネルギーを秘めてなければ結果という肉体存在は出来ません。エネルギーが形を支えているからです。

 そのエネルギー問題を皆さんが真剣に考えることは真理を追求していることになります。
 
 この世に神を宿していないものは一物としてありません。全ては神の結果だと私が言うのは、その意味です。神はここにいる、とか、神はあそこにいると神はそんな存在だと思いますか。

 神様を金ピカに祭って、そこに果物や蜜柑やらを食べもしないものをそこに祭りますが、神である、エネルギーが果物や密柑を食べますか。

 エネルギーそんものが果物を作っているのですから、果物を神様が食べるはずがありません。エネルギーがエネルギーを食べた例しはありません。その形体を持った我々がその形体の保持のために、結果の保持のために、形が持っているその中にあるエネルギーを戴くのです。

 例えばバナナを例に取りまして、このバナナを食べるのが、エネルギーを食べるのかを考えて下さい。誰もエネルギーを戴いたと思っている人や、またそういう人はいないと思います。

 このバナナ美味しかったという人はいますが、本当はこのエネルギーは美味しかったというのを、正しく語ったと言えるのです。

 あのバナナの生命力の強いおかげで丈夫になったというのは正しく語ったことになりますが、このバナナのことを美味しいといえば、結果を食べたことになり、形を見て戴いたのであって中身を食べていません。

肉をまとうた神とは何か

 私は形の中に含んでいるエネルギーを見ます。それを内観といいます。皆さんは外でものを見ますが、私は内で見ます。原因の次元でものを見ることと、結果の次元でものを見ることと、どちらが正しくものを見ていますか。

 人間は何の結果ですか、エネルギーの結果です。人間の本質は何ですか、エネルギーです。そのエネルギーが神ですから、形を見れば人間、内側を見れば神です。

 ですから人間は人間の姿・形をとった神です。ですから皆さん方は海神様・山神様というのです。エネルギーの結果が山という姿・形をとって山神様・山の霊と言っています。

 この世の中に神を宿していない物は、一物も存在していません。神が一切のものを創り主である事が判ると思います。
 そのエネルギーが一切のものを創り一切のものの中にいるのです。

 ですから神は万物の親といえます。この意味が判れば「この世の者、何者も父と呼んではならない」と、神こそ我々の父であると、宇宙エネルギーそのものが我々の生みの親であると思うのです。

 貴方の親は誰ですかと尋ねますと、少し前に死にましたといいます。神様が死ぬことはありません。宇宙エネルギーが死ぬはずがありません。

 この宇宙エネルギーそのものを、大霊とか、大生命とか、無限生命といい、その無限生命は無限エネルギーを意味しています。宇宙生命とは宇宙エネルギーの事を話しているのです。

 ですから神は大宇宙だと言われています。その宇宙エネルギーの中に、全ての惑星も、星々も、我々も全て、そこに存在しているのです。

 そして、宇宙エネルギーが、全てに浸透しています。ですから創られたものと、創り主とは一体であるという意味が判りましょう。この肉体は宇宙エネルギーによって創られたものです。

 その中に創り主であるエネルギーが浸透してるのですから。創られたものと創り主とは一体であるといえます。
ですから「私と天の父とは一体である」と言われました。

 イエスが言われた天の父とは、宇宙エネルギーの事を天の父と呼ばれたのです。偉大なる天の父と言われたのです。私達も今、現に宇宙エネルギーの表現体です。

 しかし、そうではないと、自分は人間だといいます。人間だといいますが人間が何なのか判らない。

 「イャー私は神ではない人間です」と誰でも言いますが、人間とは何かと言われたら、人間と言っている人間が判らないのです。

 人間とはエネルギーの結果だと思えばいいのです。即ち神の結果です。神の化身です。ある有名な名言に人間とは肉をまとうた神」と言いました。人間の姿・形をとった神と言ったのです。エネルギーといえるのです。

 そのエネルギーは何かといえば電気です。その電気のトランス状態が低くなり悪くなりますと、胃が悪いとか、こっちが悪いとかで、何時も苦しむわけです。

 私達がエネルギーを高めていきますと、元気になってきます。ですから出来るだけエネルギーを高める事です。 

天啓を受けるには

 神によらないでこの世に何かものが生まれてきますか。人間は神の子ですか。エネルギーの子です。
 即ち神の子であり、霊の子です。霊から生まれた者なのです。エネルギーから生まれた者なのです。

 神から生まれた者だから、「神は我々の父」「万物の父」「宇宙創造神」と言われているのです。私の親と皆さんの親と違うのでしょうか。

 何の関係になりましょうか。兄弟姉妹の関係であり、同胞関係となります。
 一体関係となるのです。何と素晴らしい教えでしょうか。

 それを私、知花の意識が高揚せしめることによって容易にどこからでもキャッチすることが出来るのです。

 皆さん方の意識も我は肉ではなく、「我は血や肉に属するものに非ず」と、「我は霊なり生命なり」と、貴方の意識を拡大し高揚せしめることによって、その偉大なるものの真理が神から啓示されます。これを天啓といいます。即ちインスピレーションを言います。

人間は誰でも霊懸りなり

今、私に何々の霊が懸っている、何々の尊といって芝居をやっている者もいます。今はお釈迦様が懸っているといいますが、そのようなものではありません。あなた方全ての方々は霊障です。

 霊懸りとしています。病気でも全ては霊障です。霊懸りです。その霊が低下した状態を病気といいます。

 皆さん誰でも霊が懸っているのです。懸っていない人は一人もいません。霊懸りです。霊が懸からない者は生きていません。その霊が宇宙エネルギーであること。宇宙エネルギーそのものであることを忘れています。

病気にならないためには、心の調和が必要

 その霊的力を色々の言葉に躓いて、幽霊だ、水子の霊だ、ご先祖の霊だ、悪霊だといっているのは可笑しな話です。宇宙には、ただ唯一の神霊が存在するだけです。 

  存在の本源です。ですから病はエネルギーの低下です。私達の生活での肉体保持は食べている食物や飲んでいる水。着けている拭く。色々なものは皆、霊感系と一体関係ですから、それをよく気をつけて守って貰いまして、そして心の調和です。

 短気を起こすと損気になると、短気を起こすと一つの病気の原因になるのです。

人を憎むとギューっとなって、その時もエネルギーを損していますから、すぐに許してあえて愛してあげれば、エネルギー破損しませんから、病気にならないのだなとお判りになりましょう。

 健康にはなりたいけれどもエネルギーは、勝手に消耗すると思っているのは間違いです。夫婦喧嘩をして、”やけ食い”という言葉がありますが、いくら食べてもエネルギーをどんどん消耗しているので 栄養にならず肥りません。

 色々な精神的悩みや苦しみで、エネルギーを消耗するのです。心配事・不安事がありますとそれだけでは身体に付いてきません。

 また、のん気な人で食べることも食べてエネルギーも使わなかったならば、ぶくぶく肥ってしまいます。

病気の原因は食生活と心の問題から起こる

 例えば”気”という字を集めて考えて下さい。皆さんお客さんが帰られる時に、気を付けてお借り下さいといいますね。またお元気でね、とい言います。

 この気というのは全てをいいます。病は気からともいい病はエネルギーからだといいます。病気とは気を病んでいるです。

 私達はどのようにして気を高めるかということは、エネルギーを高める事です。エネルギーが高くなれば健康になります。その気が落ちt状態を気落ちしたと言います。

 気が散っているとか、気が狂っているとか気違いとか、精神病の場合を言います。何時も気が浮わついて浮き浮きしている状態を浮わ気と言います。

 その反対に気高い人とはエネルギーの高い人をいい、来高い人は決して病気になりません。気落ちした者に、落胆とか、絶望とか、不安とか、恐怖は全部がエネルギーを落とす原因となり、これらは精神的なものです。

 ですから私達の病気の原因は食生活と精神的な問題から起こるのです。
精神的な問題でエネルギーを落とすとか、食べ物でエネルギーを落とすかの二つのエネルギーの消耗があるということを知って戴きたいのです。

人間が人間をやっていると思っている人の世界にはやがて終わりがきます。
神が人間をやっている事に気づいた人から、フリーエネルギーが扱えるようになります。
 
 正しい動機にエネルギーが正比例するので、
金儲けの考えだとフリーエネルギー装置は実現しない事になっているのです。

------知花敏彦

アトランティス先史文明からの超高度遺産を受け継ぐ者は、何と日本から生まれてきた。
ピラミッドの秘密は現代科学に縛られない頭脳で初めて分かる

 人類は21世紀に入って、地球と人類の未来を現実のものとする知恵を今こそ必要としています。
 人類の歴史では、ムー大陸やアトランティス大陸の文明が伝えられています。

 アトランティス文明は現在文明よりも高度な文明が発達したと言われています。車はアンテナで走り、飛行機には翼がなかったと。

 「エメラルドタブレット」という文献が発刊されています。アトランティス大陸が沈没した後、とーとという人物が古代エジプトをアトランティスの植民地の一つとしました。
 ギザの大ピラミッドを建設し、その内部にムー大陸、アトランティス大陸と引き継がれてきた人類の英知を残した。

 「エメラルドタブレット」にはそう記述されています。アトランティス時代までの人類の英知を残すために、トートはカイロのピラミッドの地下室にその全記録を貯蔵したのです。

 知花敏彦氏(1941~2009)と日本人一行でロサンゼルス市のエンバシースイートホテルに滞在した折、エジプト関連の話題となりました。その時に、知花氏は「私のことが書かれている本があります」という話をされました。

 それがこの「エメラルドタブレット」だったのです。
 その夜ホテルは、知花氏の公演の会場となっていたのですが、その会議室の壁には、一面ギザのピラミッドやエジプトの文様が描かれていました。

 知花氏は、「今日このエジプト文様の会議室でミーティングすることになったのは、偶然に起きたことではなく、必然です」と述べました。

 知花敏彦氏は過去生で、覚者となり、人間を卒業した後、天上界から、「あなたのこれからの使命は、自分で決めてもいいのです」と言われました。
 
 そこで知花氏は、「人類の指導の仕事をします」と決心したのです。
 「エメラルドタブレット」の著者トートは、知花氏の過去生でした。人類指導のために天上界から派遣された人物だったのです。

 そして、今生その人物は知花敏彦という名前の人物となって、天上界から、地上界に人類指導のために降り立ったのです。この際、地上界には12人の指導者が派遣されましたが、知花氏はその12人のリーダーとして派遣されたのです。

 トートはギザのピラミッドを建設し、その内部に古代からの知恵を全て残していました。かのモーゼもピラミッドの神官から、多くのことを学んでいます。天上界と地上界の関係や自然界の真理を学んでいるのです。

 ノアの洪水の跡は世界各地に残され、ノアの箱舟伝説も世界各地に残されています。このノアの方舟とはUFOの事です。

 アトランティス大陸が沈没したのは今から26000年前です。その時UFOにより助けられた人は人類全体の3分の1でした。

 UFOは地球の天変地異が収まるまで、人類を乗せて安全な上空の場所で待機していました。ノアの方舟伝説では、水が引いいてから地球の各地へ人々を降ろしたのです。

 高度の文明を築いていたアトランティス人でしたが、降ろされた場所は、自然の原生林であり、一挙に原子生活へと戻されてしまいました。そうした人々は巨石文明を残し、岩にアトランティス文字を刻みました。

 そうした中でアトランティスの「精神文明の指導者」が降ろされた場所がここ日本でした。
 当時、台湾-沖縄-九州-朝鮮半島南部-内地は陸続きでした。
 
 沖縄人とアイヌがアトランティス人です。
 アトランティス文字が世界で一番一番残ったのが日本で、それが古代神代文字です。世界中の巨石に刻まれたペドロブラフは古代神代文字で解読する事が出来ます。

 米国のボストン郊外にストーンヘンジ公園があり、そこではペドログラフの事をOGAMU文字と紹介しています。
 OGAMUは「拝む」です。

 知花敏彦氏の仲間で、天上界からの様々なメッセージを受けて、人々に情報発信を行っている人物に、助安由吉氏がいます。
 助安氏はピラミッドについて次のようなメッセージを発信しています。

 アトランティス大陸の沈没を早くから知っている人達がいた。
 その人達は次の危機に備えてあらゆるアトランティスの技術や文化を残そうと考えた。

 そしてそれを実行した。
 まず地球のエネルギースポットを探し当てた。

 エジプトのギザの地に決めた。
 そこに今までの技術の粋を集めて大ピラミッドを建設した。

 反重力方式によって沢山の石を運び、積み上げた。
 それらは宇宙と地球に関するあらゆるデータが組み込まれている。

 必要な時代が来るまで、保存できる事を考えて綿密な計算の上に建てられた。
 さらにアトランティスの文明の技術やその他の重要な資料も埋蔵したのである。

 必要な時代に、必要な人が表れ、その秘密を解き明かし、地球の危機に何らかの参考になることを願ってアトランティス人は実行した。

 今世紀末こそ地球危機の時である。
今こそピラミッドの秘密を明かす時が来た。

 一万年前の資料が、これから数年の内に明かされるだろう。
 必要な時代だから必ず必要な人が現れる

必ず現れる
そして大ピラミッドの謎は明かされる

 1991年10月22日
グラハム・ハンコック氏は「神々の指紋」を著しました。

 この書は、歴史上に残る三人の神々、つまりボリビアの太陽の門の文化を進めたピラコチャ神、メキシコの古代文明を教えたたケッツァルコアトル神、そしてエジプトのトート神の活躍を記述した文献です。

 この三人の偉大な指導者は、いずれも知花敏彦氏の過去生であり、実在の人物だったのです。

知花敏彦氏には8人の指導霊が存在し、様々な指導を受けています。
指導霊は各専門分野が異なり、科学や医学や精神世界の真理などを分担しています。

 科学を担当する人は、キリスト教を広めた最大の功労者のパウロで、800年前に覚者となられ、科学技術を指導される大師方のお一人です。

 ヒラリオン大師とお呼びします。ヒラリオン大師は、知花敏彦氏が地上でその氏名を果たせるように、様々な支援や指導をする役割を担っておられます。

 知花敏彦氏が沖縄で人々の指導を開始して、しばらく経つと、ある日、ヒラリオン大師から「エジプトのピラミッドへ行きなさい」と言われました。

 3人の仲間とピラミッドの横を歩いていると、観光で入る入口と反対側にある入り口を発見しました。人々には分かりません。ただの岩が積まれたようにしか見えません。

 知花氏のみが神眼で見る事が出来たので、ピラミッドの入り口がわかり、ひとりだけうちに入る事を許されたのです。ピラミッドには秘密の地下室があります。

 その中には全ての科学技術が実際にあり、様々なエネルギー装置も稼働しています。
 モーセの杖やノアの方舟、旧約聖書と新釈聖書の原本も保管されています。それは板と岩に刻まれています。

 聖書の内容は、今日残されている内容と相当の開きがあります。斟酌聖書は今まで13回も書き換えられています。正確に残されているのは35パーセント程度と言われています。
  
 ヘブライ語からギリシャ語、さらに英語に書き換えられた時、人間の知識によって書き換えられ、真理が伝わらなかったのです。釈迦もイエスも書き物を残していません。宇宙の無限の真理は、言葉に表現する事が出来ないからです。
 
 仏教もキリスト教も弟子達が書き残したものです。悟りに達した覚者は、文字や言葉で無限の宇宙の法則を表現する事が難しいので文字には残しませんでした。

 まだ悟っていない弟子たちが、人間の常識で仏典や聖書を残しました。
 知花敏彦氏の説く話は聖書の原書に書かれている内容そのものです。

 釈迦もイエスも宇宙の永遠の真理、宇宙の法則を説いたのですが、弟子たちが正しくその内容を理解できずに仏典や聖書の記載文章を残しました。

 2人の指導者は宇宙の法則、即ち宇宙の科学を説いたのですが、弟子たちにより間違った記録が残され、宗教となってしまったのです。

釈迦もイエスも宇宙の真理を説いたのです。
 真理や法則は見えない世界です。見えないものが原因で、見えるものは結果です。

 見えるものは見えないものから出来ている、法則が働いていることを、現代人はよく理解していません。

 ピラミッドの地下の石組みや秘密の地下深くにある地下室に今まで入った人は、モーセとイエス、それに知花敏彦氏の3人だけです。
 
 知花敏彦氏はピラミッドの内部に入る際に、カメラや筆記用具は全部持って入ることを禁止され、内部柄二週間過ごしましたが、その間水1Lのみを与えられました。

 そして人類に必要な宇宙科学の真理や技術のすべてを見て、確信して戻りました。
 そこで学んだ知恵は本にすると12冊にも及ぶ量です。

 しかし天上界の指導者からは、まだ人類に喋ってはならない、もし喋ると、下を抜かれると言われておりました。天上界の許可がないとまだ人類に明かしてはならないのです。

 何故明かせないのか、それは人により正しく使う人と、悪に使う人がいるからです。悪に使うと世界を破壊させる事が出来るのです。

 人々がこの法則を正しく使う時が来るまでピラミッドの秘密として残されているのです。
 ピラミッドの秘密は「いつになったら明かされるのですか?」と知花氏に質問しましたら、「それは私が明かす時までです」と。

知花氏がオープンにして人々に語った事を、
これから明かしてゆきます。
病気治療はエネルギー治療
気を高める事によって治病する

皆さん方にはぜひとも陽気で、ハツラツとした気を持って、来高い生活をして、気落ちしない様に気を常に高めて下さい。

 それが病気治療といいまして、エネルギーは高い所から低い所にながれますが病気治療とは皆なエネルギー治療です。

 エネルギーでもってすべての病気が治ります。エネルギー治療ではないものはありません。
 色々の治療法が在るといいますが、食事療法だとか、薬品療法だとか、理化学療法だとかいうものも、全部がエネルギー療法です。

 何療法だという言葉につまずいてしまいます。病院でも何の治療を受けていますか、エネルギー療法です。そこで栄養の高いバランスのとれた物を食べて休養して、エネルギーを使わず寝ておれば、エネルギーを使いませんので蓄えられて元気になります。

 規則正しい睡眠と早寝・早起きが健康の元。疲れた時には横になるのがよい。

 皆さん方は少々疲れたなと思ったならば本能的に横になりませんか、無駄なエネルギーを消耗させないために、十分か十五分横になれば元気になります。

 その分疲れた分だけ本能的にエネルギーを使わないからエネルギーの消耗が止まる。それが元気のもとになり元気になるのです。

 何故、昼と夜があるかといえば、昼のうちに働いて消耗したエネルギーを、充電するために夜があるのです。寝ている間に心配する人はいません。

 精神的にも、肉体的にも、エネルギーが消耗しないでおyるはエネルギーの蓄えですから、朝になるとハツラツとするのです。

 寝ても物事を考えて寝付かれない人は、不眠症になって、夜も完全に休んでおりませんので、朝起きても頭がスッキリしない、頭が重たくて仕方がないという状態で、考え事に精神的なエネルギーを沢山消耗した故に、朝は起きにくいのです。

 全てはエネルギーです。寝ることの大切さとはエネルギーを使わないから大切です。寝ている時にお金を心配している人がいますか、何のエネルギーも使いませんから健康のためには八時間寝なさいという事です。

 規則正しい睡眠といい、早寝・早起きで健康になりますよと、昔の人が言っています。

テレビはエネルギーを吸い取る吸血鬼

 目から出るエネルギーで物の映像をチャッチして、身体に伝えるのは物凄い疲労で、見たものの映像の伝達した後の目の疲れより、身体の疲労の方が大きいのです。

 ですからテレビの見過ぎは大変なエネルギーの消耗です。それがあなた方の病気の原因になっています。

 今、この世の中で目が悪いひとが多いのは、目のエネルギーの使いすぎが原因です。目で見るエネルギーは、皆な身体に負担となります。目のエネルギーの消耗が身体の消耗となります。

 明日、仕事のある人は出来るだけテレビを避けて下さい。必要な分だけ見るという意味です。テレビ番組を一生懸命見ている人がいますが、それより早く身体を休めてエネルギーを蓄える事が大切だと思います。

 健康になる秘訣としては、病気状態であって疲れやすい人は、多く睡眠とをって下さい。そっして日常生活で出来るだけ、農薬の無い食べ物を取ることです。そうすれば健康が取り戻せます。

私達は全て宇宙電気のお陰で存在している

 宇宙の自然エネルギーをたっぷりと、太陽エネルギーで貰うわけですから、太陽エネルギーで今在は車も百キロものスピードを出せますから、自然電気を利用しましょう。

 そのような状態で私達の日常生活は電気の中で生き、電気の作用で持って全てが存在しています。髪の毛一本も皆な電気作用です。科学です。 ですから神は宇宙科学であるのです。

 もう一つおまけで、服は太陽熱で干します。
ですから物を干す時は太陽に直接当てた方が大変なエネルギーを持つことになります。 
 電気乾燥機で干すのとは大変な違いです。

 ですから今、人間が自分を少しでも楽をしようと怠けて、自分が病気になる原因を見ようとしないからです。
なにが原因でこういう病気になったのかと見ないからです。

 ですから洗濯物は出来るだけ乾燥機を使わず、出来るだけ天日乾燥をする。それが病気から我々を守る、健康の一つの秘訣です。


「人間と神は一体である」
これが判れば、神(天)の国に帰れる

 今までの宗教でいっている天上界に帰る、仏の国に帰るというのではなく、エネルギーの世界に帰る事を天国に帰るといいます。

 自分がエネルギーから出て来た者だと、知った者のみがそのエネルギーの世界へ帰れるのであって、自分は物質の世界に生きて、物質その者だと思っている者は永遠に、その世界に帰る事は、出来ません。天に帰る事はありません。

 今、天におらない者は、死んでも天におりません。それはどういう意味かといいますと、今、自分がエネルギーの中にいることを知っている者のみが、エネルギーの中に帰る事が出来るのです。

 今、自分が人間だと思っている者は人間ですからエネルギーではないと思っているわけですから、エネルギーの世界には帰れません。

 今、我々は神でありながら、神では無いと思っている者は、何時まで経っても神に帰れません。今、神の中におる者のみが神に帰ります。皆さんは今、神の中におるのですか、外側ですか、神の外側がありますか、ありません。

 神の中におりながら神の中にいないと思っている者が、どうして神の中に入れましょうか。初めから皆さんは、神の中にいたのです。今もいます。未来永劫にいます。

 それをこの宗教に入らなければといいます。それが今の宗教です。偽物の指導者です。なぜならば今、神の中にいるからです。

 皆さんは今、神の中にいて神は皆さんの中にいます。人と神は一体です。人は神の中にいて神は人の中にいるのです。それを人と神は別だという宗教家は皆な嘘つきです。偽物です。金儲けの詐欺師に過ぎません。

 彼らのような盲目の指導者に振り回されたり地獄獣に追い回されます。そういう地獄獣とは迷いの世界の事を意味しているのです。神理を知らない状態を地獄と言います。

 バランスの取れた食生活と心のバランスを取ることが、誰でも健康になる秘訣

 皆さん方には神理に対して、神に対しての理解力を高めて戴きたいと思います。そして肉体の健康を同時にはかることは、日常生活を改めて見直す事が大切です。  
 
環境を保全することが、私達の健康を保持する因です。環境を破壊しながら、健康になりたいと言うのは虫が良すぎると、わがままであると言いたいのです。

 皆さん方の家庭内で出来るだけエネルギーを低くしないように、低くするような科学水を作り出す科学洗剤を使わないように出来るだけ放棄して、

自然の物を取り入れて不自然なものは家庭内に入れないことが、その家庭内のエネルギーを低くしないという意味です。

 エネルギーの低い家庭では病人が続出します。ですから不自然か、自然かを考え、化学物質を極力入れないようにすれば、私達は身も心も健やかな日常生活が出来るわけです。

 病気とは何かといえば、エネルギーの低下であり、病気を治すにはエネルギーを高める事です。
 エネルギーを高めるにはバラスの取れた食生活と、私達の心のバランスを取る、この二通りを守って頂ければ、どなたでも健康になります。

 ぜひ皆様方、そ言う言う家庭環境を造って戴かん事をお祈り致します。

神の国は汝の内にあり
仏の国は汝の内にあり

 皆さん方は一側面を見るから肉体を感じるのであって、我々は両極の外側の局面の消極と内側の積極と、2つが重なり合っています。
 そしてどこかに霊界があり神の世界があるという存在ではありません。

 お釈迦様は、「今即天」と言われ、「今即実在」と言われました。
神の国は汝の内にあり、仏の国は汝の内にあり」と。
内なる生命」、即ち我々は「内に生命」を秘めております。
内は原因で外は結果です。

 原因と結果は離れ離れにすることは出来ない。
天と地は離れ離れには存在できません。

ですから「」は即「」、「」は即「」、
色と空」は「表裏一体」で「1つの存在」です。

 皆さん方は死後の世界に霊界があるという偽物の指導者に騙されてはなりません。今皆さんの中に霊界があります。
 初めからあったのです。今もあるのです。
未来永劫ある」のです。これを「久遠」といいます。

 ですから皆さん方の肉体という形に終りがありましても、原因である生命は久遠です。常在です。生命の次元、霊の次元は久遠です。
これを常在といいまして肉の次元のことを無常界と呼んでいます。

 お釈迦様は見える結果の世界は無常界といわれ「諸行無常」と言われました。形の世界は常に変化して止まない世界ですが、生命の世界では変化がない普遍、不動の自己、または普遍なる自己と言われています。皆さん方は天国がどこにあるか判らないのですが「天国は我が内にある」のです。

 神の国は我が内にありまして死後の世界が、どこかに神の国が存在するものではありません。距離があるものではありません。皆さんの中に今の今、神の国があります。これを実在界と言っています。

 原因の世界です。そのことを「天国は汝の手よりも足よりも近し」とイエスが言われたのです。人間一人一人は「生ける神の宮なり」と、その神とは原因である生命、即ち原因なき原因と言われている大霊・大生命です。

 ですから皆さん方は天をまだまだ理解しておりませんので、天が遥か彼方のどこかに死後の世界にあるのだと思ったら大間違いです。

 天は今の今、皆さんの内にあります。今即天は我が内にありです。ですから皆さん方は天を知らないで点に帰す事が不可能です。霊界と物質界とは別々に存在していると思いますか、一体となって存在していると思いますか、皆さん方は霊界と物質界とは、別々だと分離感を持っておられます。

宇宙には唯一の生命しかない。私の生命、あなたの生命というものはない

 霊界と物質界とは分離できません。原因と結果は分離できません。皆さんの命と肉体は分離して存在していますか、分離していません。それと同じ意味です。命は我が内にありです。

 その生命を皆さん方はまだまだ理解していません。
命には小さな命はありません。「無限生命」といいまして、
大生命」といいまして、「大生命」ですから大きな生命であり、
無限の生命」でして、その生命には区切りがありません。
それを「宇宙生命」といいます。

 ですから皆さん方の個人や独自の生命はありません。
全一・唯一・不二の生命」といいまして
全体」は全て「ひとつの生命」に基いて存在しています。

これを「唯一の生命」と言いまして、
唯一の神」、「唯一の霊」と呼んでいるのです。

 これを「唯一神」といいます。ですから、「」を「ひとつ様
というのは「」には「」は「ひとつ」しかないからです。
 「天命」と言いまして、皆さん方の独自の個人・個人の命は存在しないのです。

全一」というのは、「全体が1つの生命」であるとは、今、五十数億人の人間がいましても「宇宙には唯一つの命」しか存在しません。

 「原因」は「唯一」つでして、結果は様々になっていますが、
原因の次元には様々な命があるのではありません。
私の、「内側」を見れば「大いなる一体」という、
大我」、「全我」という我があるだけです。

 「生命」は「全体」ですので「生命の我」のことを「全我」と呼びます。
全て」は「」という意味です。
全我」、あるいは「生命」は大きいものですから、
大我」と呼びます。「大きい我」です。

 内側を見れば単数ですが、外側を見れば複数です。あなた方は外の結果を見るが故に複数を感じて、分離感を感じて、自分がおり他人がおると思っていますが、生命の世界には自分の他には何もありません。

これが「全一体感」とか「自他一体」と言います。

 ここに、木の葉が沢山ありますが、形も違い、それぞれの場所も環境皆な違いますが、「生命」から見れば「皆な」「同一の生命」です。

 形から見れば居る場所も環境も皆な違いますが、
生命」は「唯一それを「生命の木
天より下るパン」と言われているのです。
 
 「生命のパン」と言いまして、「生命のパンを食する」とは
生命を理解する」という意味です。

 「宇宙」には「唯一つ」の、「唯一の生命」が様々な形をとって、
その「形の中」に「唯一の生命」が宿っているのです。
あなたの生命、私の生命という生命は存在しません。

全我とは

 「私の生命」は即「皆さんの生命」であり、
皆さんの生命」は、即「私の生命」です。

この木の葉一枚からすればこの「木の葉の全体の生命」は
自分の生命」です。「自分の生命」は「全体の生命」です。

 あなたも外側を見れば個人に見えますが、
内側から見えれば生命とは、他人は存在しないのです。

 これを「自他一体」といい、他人がないと、自分と他人とは
生命の次元」では「一体」です。自分と他人が無いが故に
全体は我」ですから、「全我」といいます。

大我とは
 
 皆さんの生命は、小さな個人の独自の生命ではありません。
内には「大生命」しかありませんので、
生命の我」のことを「大我」と呼ぶのです。
これを「宇宙我」とも呼びます。

 宇宙生命ですから、皆さんの内を見た時は大きなものです。外側を見れば小さなものですが、内側の我のことを大我と呼び、外側の我の事を小我と呼びます。

 その小我と大我はどういう関係かといいますと一体関係です。
小我は大我に留まり、大我は小我の中に留まっているのです。
即ち「大我次元」のことを、「全我次元」のことを「天国」と呼びます。

生命の世界では全体が1つであり
自分を愛するように他人も愛するようになる
 
 その生命の世界では全体が1つですから、争いがありません。
生命の次元には争いがない。ですから生命を愛と呼ぶのです。

 何故、生命の次元には争いが無いかといいますと、生命は1つしかありませんので、分離しておりませんので、
生命の次元から見れば全体は自分ですから、自分を愛するように、人々を愛するようになります。

 ですから実在という生命の世界では一切争いがありません。
何故ならば闘う相手がいないからです
この木の葉の一枚からすれば全体は誰ですか、自分です。

 この木の葉の生命と別の、木の葉の生命とは別々ですか、
同一ですか、同じものですか、分離していますか、
1つ」です。「原因は一つ」です。「源は一つ」なのです。

 皆さん方は命は幾つもあると思っていることが、大きな誤りです。
生命」には「宇宙ただ一つ」しかありません。
一つ様」しかいません。

それが「神の命」です。ですから「神の命」は
即「我が命」であり、「我が命」は即「神の命」です。
皆さんも同じです。

 ですから神は皆さんの中にいて、
」そのものが「」ですから「神は我が内」にまします。

初めなき終わり無き自分とは

 ちょうどここに氷がありますが、この氷は水蒸気によって造られた水蒸気の住み家です。水蒸気が無ければ氷は存在しません。私達も生命がなければ肉体は存在しません。

 この肉体という氷は姿と形はなくなりましても、水蒸気は永遠ですから無くなることはありません。
 氷が溶けて姿と形が無くなったならば、水蒸気は無くなりますか、無くなりません。永遠にあります。

 皆さん方の肉体が溶けて、形と姿が無くなりましても、皆さんの生命は無くなりません。不滅の生命・不滅の霊ですから、原因の世界には初めが無い、終わりが無いのです。

 それをは初め無き終わりなき自分、即ち永遠なる自分、永遠なる生命、久遠の生命というのです。この真理を皆さん方はよく理解する事が大切です。

私達は正しくものを見ていないから争う

 これが神だあれが神だと、皆さんこの世の中で争っていますが、世の中に髪を宿していないものは一物とてありません。鉱物・植物・動物すべて同一の生命に基づいて存在しているのです。

 結果を見れば様々ですが、「原因」を見れば「皆な一つ」です。
「全ては一つ」です。これを「全一体感」、皆さん方は「全ては一体」であることの意味を見なくてはなりませんが、皆さん方は全ては別々だと考えています。これを分離感といいます。

 その分離感が争いの原因になっています。正しくものを見ていません。結果の次元という写しの次元で物を見ますれば複数を感じますが本来の我に帰って内側を見れば、全体が一つであるkとが見えます。

 それを正しく見るというのですが、皆さん方はどうしても外型で物を見ますので、結果の次元でしかものを見ていませんので盲目です。真実を見るたるに非ずです。

全体は一つである、ことの意味

 私は霊の次元でもを見ているのですが、皆さん方は結果の次元で、ものを見ているのですから皆さんのものの見方と、私のものの見方が違うのです。
私はこの世で憎めるものは一人もいません。

 ですから誰とも争いません。憎みません。
何故ならば、もしこの知花が誰かの悪口を言ったり憎んだりしたならば、私は正しくものを見ていませんし、「全体が一つ」であると、生命の次元でものを見ていないからです。

 結果の次元でものを見ている者のみが、盲目の次元の者のみが争うのです。目の開いている者は争いません。例えば、この木の葉が同じ木の葉の悪口を言ったら、誰の悪口を言った事になりますか。

 結果から言ったら別々ですが原因は別々ですか、生命の次元では別々になっていますか、源である根源は一つです。ですからこちらの者がそちらの者の悪口を言うのは自分の悪口を言っている事になります。

 あなた方は他人がいると思っていますが、それは外側でものを見るから他人がおるのであって原因の生命次元から見れば、他人がおりますか、この者からすればその者は誰ですか自分です。全体を愛する我、全体と仲良くする我です。

 非常に素晴らしいことではありませんか、ですから自分を愛するように他人を愛するとはその意味でして、皆さん方はイエスが言われた「自分を愛するように人々を愛しなさい」と言われた事の意味が分かっていません。

 皆さん方は自分もいるが他人もいると考えているのは正しくありません。本来、全ては我という意味です。真理の世界には他人はいません。

 非真理という結果の写しの世界にのみ他人がおるのであって、内側から見ると他人は存在しません。全体は一つでです。

霊界とは原因の世界、物質界とは結果の世界

 何故ならば一つの生命に基いて全てが存在しているからです。この木の葉は沢山の複数ですが、一つの生命に基いて存在しています。生命は存在の本源です。

 その木の葉とは生命の結果でして、皆さんの肉体も生命の結果です。生命がなければ肉体という結果は存在しません。

 では結果の自分と、原因の自分と、どちらが本当の自分なのでしょうか、本当のあなたは肉体的な存在ですか、
 生命あるがゆえに肉体があるのですか、肉体があるがゆえに生命があるのですか、どちらが先でどちらが後ですか、皆さん方は生命あっての肉体です。

 肉体あっての生命ではありません。木の葉というのは生命あるが故に木の葉があるのです。私達は生命あるが故に肉体があります。ですから肉体は結果です。

 あくまでもこの木の葉という生命によって創られた生命の住み家だと思うのです。あなた方の肉体も生命によって創られた生命の住み家だと思うのです。

 あなたの身体の隅々にまでも生命が浸透していると思います。この木の葉の隅々にまで、生命は浸透していると思います。

 ですから皆さん方は自分を肉体といっていますが、肉体という本体はありません。何があるかといいますと生命体があるだけです。即ち霊体があるのです。

 皆さん方は肉体が何なのか判らないのです。肉体が何なのか、肉体がどこから出て来たのか、判っていません。無知・盲目です。これを迷いといいます。

 よく肉体というけれども、肉体は何なのかを説明できる医学者も科学者もいません。肉体がどこから生まれ、どういう存在になっているのかが判らないまま、無知の世界を去るのです。

即ち霊界とは原因の世界、物質界とは結果の世界です。

心が調和されていればいくほど中性に近く神に近い状態になります

 皆さんの中にある電子核と陽子核を身ていただければ、「ああ、この人は愛が深いな、大分調和されているな」と、心が調和されていけばいくほどその人は中性に近い状態になります。即ち神に近い状態になります。

 電子と陽子とが同じ数になった時は中性となりますから、完全となります。その時の中性は力がある状態です。力がないとはバランスの崩れた状態をいいますし、エネルギーがない状態をいいます。

 宇宙のエネルギーは大バランスですから、陽子と電子のバランスのとれた状態を神の力というのです。愛の力といいます。愛に勝る力はないというのはこの意味を言います。

 愛は力そのものです。皆さん方が愛深いものになればなるほど、皆さん方のエネルギーが高くなるわけです。不調和を起こせば起こすほど、皆さん方からのエネルギーが無くなるわけです。不調和にエネルギーを充電しますと不調和は無くなります。

 なぜ、この世の中に病気が存在するかといいますと、不調和があるからです。愛そのものであれば病気であるはずがありません。エネルギーそのものや、力そのものですから、エネルギーが高くなりますと病気はなくなります。

 ですから、皆さんの病気は誰が作っているかといえば、あなた自身ですよといえます。不調和を起こせば起こすほど我々の体からエネルギーが無くなります。

 何故無くなるかと言いますと、プラスとマイナスの核が狂ってくるからです。不調和を起こせば格は正常な状態に戻るのでしょうか、どちらでしょうか、アン・バランスになります。アン・バランスになればなるほど、皆さんからエネルギーが無くなります。

調和すれば病気には絶対になりません。

 いつも、人の悪口や、憎しみや、怒りに燃えている人は病気になります。常に誰も憎まず、怒らず、そしらず、愛に満たされていたなら、
 皆さんは病気になると思いますか。愛から病気が出て来ますか。病気は不調和の結果ではありませんか。

 ですから、不調和を起こしながら、健康でありたいと思ってもそれはとんでもない違った話です。不調和な人間である限り病気にならなければなりません。

 この世から皆さん方の病気が無くなる時はすべてが愛になった時です。ですから、世の中から病気が無くなることはありません。病気はつきものです。それはなぜかといいますと皆さん方が不調和を起こすからです。

 不調和がなくならない限りは、世の中から病気が無くなりません。不調和がなくならない限り、世の中からは病気はなくなりますか、無くなりません。

 今の世の中は不調和な世界ですから病気が沢山あります。病気の数からいえば昔と今とは比べ物になりません。昔より今のほうが不調和な時代です。これを末法と言いますが、無法の時代といいます。物質主義になりますと不調和な時代になります。

 物質文明が栄えれば栄えるほど、私達が不調和を起こしまして、世の中は病気が多くなりそれを皆さん方は文化病と呼んでいる訳です。文化が発達すればするほど、病気が出てくるわけです。それは不調和を起こすからです。

病気のない裸族を見た時、争いがないから病気がないことを知りました

 皆さんは山にや言ったことがないから、お分かりいただけないと思いますが、南米の山の中に住んでいる、インディアンとか、インデューと言われる人種同士は絶対に争いません。夫婦でも争わないし、親子も争わないのです。

 非常に面白いものでして、彼らには医療費も何もいらないのです。なぜならば、病気にならないからです。どうでしょうか、文化人と原始人とどちらが病気になりますか。文化が進めば進むほど、文化人は病気が出てまいります。

 私のいた南米の山の中には、裸族でバルバルという人種がいまして、女も男も何も着ていません。何一つだって身につけないで生活をしている者達がおりますが、そこには殆ど病気はありません。

 なぜ病気がないのだろうかと、私は不思議に思いましたが、争わないからだと分かったのです。お互いでの夫婦喧嘩を見たことがありませんし、友達と喧嘩するのも見たことがありません。

「ああ、調和されているから、病気がないのだ」と、分かったのです。

 夫婦喧嘩や、親子喧嘩や、友達同士の喧嘩など憎しみ合いやら、怒り合いやら、そしりあいなど、不調和が出てくると、皆さん方のエネルギーは減るわけです。

 それでいて、病気になったら、病気を治して下さいと、お医者さんに体を持って行きます。自分の不調和の結果が病気の原因であることを知りません。お医者さんだって人間が何故病気になるのかの原因を知っていません。

 今のお医者さん自信が結果対処でして、原因対処ではありませんから、根っこを引き抜くのではなく、葉を摘み取っているだけです。

 原因である音を取らずに結果の葉だけを摘みとっていますから、原因がそのままに残っています。不調和である原因を持っていますから、また、病気が出てくるわけです。

 ですから、治しても治しても病気は減るものではありません。取っても、取っても減るものではありません。原因を取ったわけではありませんから、皆さんは病気にはなりたくないが、愛はしたくないというのは虫のいいところがあるわけです。
 
 病気になりたくないならば、人を怒らず、そしらず(※悪口を言わない事)、嫉妬をせずに実行するのです。

愛は癒しの最大のエネルギーです

 我々から憎しみや、怒りや、そしりや、嫉妬のような不調和な状態がなくなれば、病気も無くなります。ですから、愛は癒しのエネルギーと言われたのです。

 愛に勝る薬が世の中にあると思いますか。愛は永遠の癒しではないでしょうか。皆さん方が永遠に癒やされるためには、愛の薬が必要です。

 その愛という薬は精神的なものであり、肉体的なものでもあり、すべてを癒します。愛に勝る薬が世の中にありましょうか。愛以外にはありません。あなたを癒やしてくれるこの薬はこの世の中にありますか。

 愛という薬ではありませんか。精神的な病気も治しますし、肉体的な病気も治しますし、経済的な病気も治します。金欠病も、精神病も、その他の色々のものを治してくれるのが愛というお薬です。

 愛は唯一の救い主と言われたのは、愛に勝る力はないのが今ならお分かりいただけると思います。
 皆さん方が愛ならば、金に不自由しませんし、精神的な苦しみがあるはずがありません。肉体的な苦しみがあるはずがありません。

 愛そのものになったならば、皆さん方の一切の悩み苦しみから開放されます。それから開放された状態を皆さん方は、平安と呼ぶわけです。

 皆さん方が愛にならない限り平安を体験することはありません。不調和の中に平安はありません。皆さん方が不調和を起こす限りは、不安です。

 なぜ皆さん方に不安や恐怖があるかといいますと愛ではないからです。全てを愛さないからです。皆さん方が不調和を起こすから不安や恐怖は存在するのでして、皆さん方が愛一元で生きたとするならば、愛そのものになったならば、不安や恐怖は全部愛が取り除いてくれます。

 ですから、愛は天と地の架け橋です。愛以外に皆さんを救うことはありません。愛したくないのに、救われたいというのは虫が良すぎます。皆さん方は不調和の中で幸せを見出すことが出来ますか。
 
 不調和の中で毎日を生きていながら、憎しみや、怒りで生きていながら、幸せになりたいと願ってもその幸せが来ますか。ですから、おかしな話ではありませんか。これは幼稚な話ですし、無知な話です。

 無知というのは不調和でありながら、幸せになりたいというのは、無知という意味ではないでしょうか。おかしいと私は思うのです。

 人間が如何に魂的に幼稚であるかといえます。法則を知らないわけです。何が原因で苦しみがあるのか。何が原因であるのか。その原因を追求しないで、結果だけでに生きています。それを結果論とか、結果対処といいます。

病気になるのは非常識です

 お医者さんも原因を知りません。皆さん方のこの世の病気は一つもげんいんが見出されていません。皆さんのかかる病気は、皆原因不明の病気です。何が原因で病気になっているか知っているお医者さんは世の中にはいません。

 それは、この質量とエネルギーのバランスが崩れたからです。質量とプラスマイナスのバランスを崩さなければ、病気にはなりません。

 私は生まれついてから一位共病気にあった事はありません。カゼ一つ引いたこともありません。お腹を壊した事もありません。どこも痛くありません。皆さんはどうして痛いのでしょうか。何故病気になるのでしょうか。

 皆さん方は病気にならない事は不思議だと思っていますが、私から見れば、人間が病気になるのが奇跡だと思うのです。病気になることが奇跡病気にならないことが奇跡でしょうか。

病気になるのが非常識ですか。病気になるのは非常識です。
 
 皆さん方が病気にならな無いためには、どうすればいいのでしょうか。苦しまないためにはどうすればいいかしらなければなりません。その苦しみの原因、病気の原因とは何か。それは隣人と争うからです。

 隣人と争わなければ苦しみはなくなります。病気はなくなります。そして、不幸せな状態や、不安や、恐怖が全部取り除かれていくのです。それが唯一の助け船ですから、愛の剣と言われたのです。

 皆さん方は皆、愛の剣を持たされています。その愛は、どんな悪魔でも、どんな悪であろうが、愛には勝てません。

病気になるのは非常識です

 皆さん方が病気にならないいためには、どうすればいいのでしょうか。苦しまないためにはどうすればいいかしらなければなりません。その苦しみの原因、病気の原因とは何か。それは隣人と争うからです。

 隣人と争わなければ苦しみはなくなります。病気はなくなります。そして、不幸せな状態や、不安や、恐怖が全部取り除かれていくのです。それが唯一の助け船ですから、愛の剣と言われたのです。

 皆さん方は皆、愛の剣を持たされています。その愛は、どんな悪魔でも、どんな悪であろうが、愛には勝てません。

 この前も変な電話がありました。「知花先生は今まで、我々を騙してきた。偽物だ、悪魔だ」と。
 その人を私が憎んだと思いますか。悪だと言って突っ返したと思いますか。
「あなたは悪魔だ」と、突き返したと思いますか。

 赦すのです。もしも、皆さん方にそのような電話がかかってきたなら、どうすると思いますか。怒り狂うのではありませんか。怒り狂っている自分を怒り狂っている思いで抑える事は不可能です。

 私にはそのようなものがありませんから、何と言おうが、言論の自由ではないかと思っていますので、痛くも痒くもありません。言いたいから言っているのだろうとしか思っていません。

 しかし、そういうことを言う者は苦しいだろうなと、愛おしく思うわけです。
そんなことで電話をかけてくるとは、相当に混乱していると思いますから、
「主よ、神よ、その者の上に光を与え給え」と祈りました。

 それが「汝敵のために祈れ」と、いう意味です。
そうすることで私が傷ついた事になりません。

 このように、私たちに苦しみが入ってくるもので私達の意志を侵して入ってくるものは一点もありません。それを防備することも、また入れることも自由です。

 もしも、私がその者を憎んで、憎しみで返したとすれば、人から盛られた毒を食べたことになります。

 私はそのような人から盛られた毒は食べませんので、痛くも痒くもありませんし、苦しみもないのです。その場で、赦しと愛で解決ができるのです。
 そんな電話は十分後にはもう忘れていますから、誰が何と言ったかも思い出しもしません。

 皆さんが誰から、何とか言われたら、もう「死ぬまで絶対に忘れない」と、いう人もいるのですが、それは損です。まだまだ幼稚だといえます。
 悪で悪を解決した試しはありませんし、悪を克服した試しはありません。

 悪は愛でもって対処しなさいといいます。悪は善でもって対処しなさいといいます。愛に勝る力はありませんので、どんなものでも解決できるのです。

 赦しと愛があればいかなるものも解決できます。そのような日常生活を愛にて生きよと言いたいのです。もしも解決が出来ないならば、私達は本当の愛が欠けているのではないかと思います。

 この事を皆さん方もよく知って頂きたいと思います。まだまだ、皆さん方には知らないことが多々あります。
 その本源・本質と一体になりますと、皆さん方は全てを知り尽くすことになりますから、この世から学ぶことは一つもありません。

学びを外から求めても
真実なるものは一つもありません

 皆さん方は今、学びを外に求めておられますが、外から学んだもので真実は一つもありません。外から学ぶものは皆結果です。原因ではありません。真実でもなければ、実在でもありません。

 この世のものは真実であり、実在でしょうか。あなたがこの世の事柄をいくら学び知っていた所で、結果だけを知ったことになります。
 この世の学問はそんなに価値のあるものではありません。この世の学問は一時的なものです。

 消極的な学問といいまして、消える学問です。この世の学問が永遠であるならば、この世で今生、大学を出ましたら、来世は生まれてすぐに大学から世にでなければなりませんか、
 この世のものは消える学問ですから、この世で今生、大学を出ましても、また、来世は幼稚園から始まるのです。

 ですから、これを虚しい学問と言います。本物ではないからです。真実ではないからです。実在でもないからです。非真実を学んで、非真実に満足しています。

 それは実在でもありませんし、真実でもない事になります。非真実をいくら学びましても、それは学問にはなりません。真の学問とは真実を知ることです。

 貴方の今まで学んだり、これが本物だとか、偽物だといっているすべては、みなこの世のものは偽物です。この世には本物は一つもありません。

 この世に何か本物がありますか。この世に何か原因がありますか。結果の世界から原因を見出すことが出来ますか。

 偽物の世界からどうして、本物を見出すことが出来ますか。偽物の世界に本物があった試しはありませんから。外に神様を求むるなかれです。

 この世に神理がありますか。結果だけがあります。この世は見えないものの結果でして、原因ではありませんから、この世に原因を見出すことは出来ません。真実を見出すことは出来ません。神理を見出すことは出来ません。神理は不可視です。

 見えるものは全てその結果にしか過ぎません。見える世界は結果の世界ですから、原因を見出そうと思っても見い出せるものではありません。

 ですから、皆さん方は外に神理を求めてはなりません。答えを外に求めてはなりません。

 この見える世界の物質は見えない世界である。不可視の霊と不可視の質料の結果だと思っていただければいいと思います。

 そうなりますと、非常に楽になります。常に内なる自己である。原因の自己は霊と水であるとなり、質量とエネルギーであるといえます。
 その結果が肉体という、この世の物体を現しているわけです。結果体です。

 この肉体は原因ではありません。原因体は霊と質量です。その原因体を内なる我といい、神我と言うのです

 結果の我を自我と呼ぶわけです。偽我とも言います。本物のあなたは結果でしょうか。原因でしょうか。原因が本物のあなたです。

 ですから原因の我のことを神我と言いますし、結果の我のことを偽我というのです。あなたは偽物の我に生きて、本物の我には死んでいるわけです。

私、知花は自分が出て来たところも、帰るところも知っています

 私、この知花は自分が出て来た所が分かります。帰るべき所も知っています。私はこの世を去りますと、原因の世界、すなわち霊と水の国に帰ります。

 それを天国と呼びます。天国は霊と水の国と言い、エネルギーと質量の国と言われています。

 この原因世界のことを天国と呼んでいます。原因世界は遥か彼方の死後の世界にあると教えている宗教家達は盲目の指導者達であるし、空想家たちです。妄想家達に皆さん方は騙されています。

 原因の世界は「今即我が内にあり」です。皆さんの内にその霊もあれば、エネルギーもあれば質量もあります。

原因は我が内にありです。原因が天です。原因は実在であり、久遠であり、常在ですから、久遠の世界といいます。そこを実在界といいます。天国は我が内にありです。

 死後の遥か彼方に天国があるとか、仏の国があるというのは妄想であり、空想ですし、幽想です。それは神理でも真実でもありません。それを今の宗教家達は、妄想して、妄信を押し付けているわけです。

 遥か彼方に天国があるというのは妄信です。今即実在ではありませんか。皆さん方は、今、あなたの中にエネルギーも質量も存在するのではありませんかl.原因は今、あなたの中にあるのではありませんか。外なる我は内なるものの結果です。    

薬に効果があるのか、意識に効果があるのか
放出という人間を信じるのか、吸引という神を信じるのか


 病院に行けば、必ず薬を出します。当たり前の事です。
 病院だから悪い所を、治すのは当然です。その為に医者は、薬を調合してくれるのです、と誰もが疑わず思っています。

 薬という物質には効果はあるのでしょうか。
 「あなたは、血圧が高いからこの薬を飲みなさい」、と薬を渡されます。

 同じ薬で低くなる人、いくら飲んでも変わらない人、薬を飲んでいるのに、下がるどころか、上がっていく人、人様々です。

 何故、人によって効果に違いが出るのでしょうか。
 それは、人によって、その人の意識が、違うからです。その人の持つ意識の違いによって、薬の効能が決まってくるのです。

 こんな薬効くわけ無い、と思っていると、効果はありません。この薬が私を助けてくれる、と思って飲むと効果が現れます。

 薬に効果が有るのか、意識に効果があるのか、の選択です。
 人間は、意識というエネルギーには、絶対服従です。信じた世界が現れるのです。薬とは、どのようなも物は、という事です。

 薬の成分が、如何と言う前に、薬を製法するシステムに大きな問題があります。
 殆どの薬は、放出サイクルで作られています。だから、同じ薬を飲み続けると、体が不調になるのです。

 薬は、ポイント調整で、飲まれるのが良いと思います。薬によっては、抗癌剤のように放出力の強いものがあり、放出力が強いため、髪の毛が殆ど抜けてしまいます。

 髪の毛が抜けた位なら良いですが、人によっては、意識が抜ける者もいます。死んだ、という事です。

 ガン細胞のような悪い細胞を殺す、という意味で薬を作りますので、作っている人の罪の意識がないのです。

 当然、医者も患者の為に使用する訳ですから、同罪です。
 患者も薬の内容を信じて飲むわけではなく、医者の言葉を信じて飲むわけで、三者とも同じ意識の持ち主なのです。
 吸引という神を信じるか、放出という人間を信じるのか、の選択です。

形あるものより目に見えない空間が本質である

 皆さんはこの五官の目で見ますと、形あるものだけを捉えていますので、空間そのものがあると思っています。その空間にも神は満ち満ちていらっしゃるのです。

 神の生命がその空間には存在しています。霊的質料と言いまして、形あるものを創る全ての元素、要素が含まれているわけです。形あるものを火に燃やしますと、目に見えない空間の状態になるわけです。

 皆さんの形ある肉体を火葬場に持っていって焼きますと、形あるものはなくなって、その形あったものの元素や、元の目に見えない空の状態に変換されるのです。

 だから、この生命の中に、無限宇宙の中において死せるものがない、失うものがないのです。そのことが無限生命、永遠なる生命、久遠なる生命ですけれども、皆さん方は形で物を捉えるクセがあります。

 形がなくなったら、なくなったと言います。その空気の中にはすべての要素が含まれている事が解っていないのです。本来ならば、形ある物よりも、空間の方が本質なのです。空間が元素なのです。元、素なのです。

 空間から、その形あるものの地球が、私達人間という形あるものが創られる、その本質は何かと言うと空間です。

 その空間の目に見えないものが何かというと、バイブレーションの高い状態、目に見える物はバイブレーションの低い状態にあるわけです。粗雑な波動と言いますね。

 例えば、扇風機が止まっていると見えますが、それが回転していると速くなれば見えなくなるのと一緒なのです。

 ちょうど空間というのは、その質量の動きが速いために、スピードが速いために見えないだけなのです。その空間を満たしているのは、全てこの地上界で存在するその質量と、霊的質科と言いますけれども、それと同一のものなのです。

 物質に見える質量も霊的質料なのです。それが萎縮されて、そして形となって現れているだけで、バイブレーションが低いから見えるわけです。

 氷を例に上げると、氷は水が固体化されたものです。水も蒸気もあります。水蒸気は見えません。水蒸気も、水も、氷もH2O、同じ質量です。

 それと同じように、ただ形ある物だけが全てだという私達の目は物質だけを見ていて、物質(水と氷)だけが全てだ、実在だと思い込むようになっている。水蒸気という目に見えない存在を忘れているのです。

 これが迷いというものなのです。個体になった氷だけを水というのでしょうか。氷も水という液体から出来ていることはお解りかと思います。

 それと同じように、蒸気、空気を冷やすと水になりますから、水も空気から出来ているのです。すると個体である氷と、液体である水と、気体である蒸気とは全て水の要素で、同じものとなります。

 個体も液体も気体も、全て水の要素であることがお解りいただけると思います。
 そしてこの固体と液体と気体、どちらが本質的要素かと言いますと、気体の姿が基本の姿なのです。

 気体という空間に満ち満ちている目に見えない要素が、この物質的な形の存在を現す源となっているのです。そしてこの気体と液体と固体の違いは何かといいますと、ただバイブレーションの違いがあるだけなのです。

 空気を冷やすと液体の水、さらに水を冷やすと固体の氷となります。逆に氷を暖めると水になり、水を暖めると、即ち気体になります。

 冷やすことはバイブレーションを下げることで、温めることはバイブレーションを上げる事なのです。

 この世の基本は気体であり、それは高バイブレーションの状態にある事をお解り頂きたいと思います。宇宙空間はバイブレーションの存在であり、この空間全ての物質が見えに見えない状態で存在しているのです。

 一番大事な事は、皆さん方は利己的意識と言いまして、自分は全てから分離している、独立している存在だという分離観念があるのです。

 この分離観念が皆さんの苦悩の原因なのです。あなたは全体という神からどこに分離する事が出来ますか・・・・・。
 あなた方一個一個の寄せ集めが全宇宙なのです。宇宙の体、神の体なのです。

 神の体の外側にはみ出る事は誰にも出来ないのです。
外側にいることも出来ない。そうなりますと、宇宙と神は無限では無くなります。

 普遍でもなく、完全でもなくなる・・・。
 外側にいるということは、生命がいないという事ですから、存在することが出来ないという事です。

 しかし、世の苦悩は、その肉の感官で捉える愚かなものの考え方は、自分と神とを遠ざけてものを考えるようになったのです。

 神様は遠い彼方にいるんだという、推理、妄想をするようになったのです。
 天の父というのは全体のこと、無限宇宙のことを言うのです。

一つの体の存在」なのです。
しかし皆さん方は、中々このことを認めようとしない

私知花はこう言います。
「私は神の中に留まる。なぜならば、
私は神の中にいるわけです。神は私の中にいるのです」
 
 皆さんもそうなのです。皆さんは、神の中、無限宇宙というものの中にいて、無限宇宙はまたあなたの中にいる、その事を皆さんはよく悟らねばなりません。そうした時、皆さん方は無限となります。無限宇宙は自分でもあるわけです。

神の正体はあなた自身である

 みなさんは、「私は人間である」と思っていながら、自分が何であるか分かっていない。当然のことながら、それでは本物の自分を見つめることは不可能である。

 では、自分を見つめるとはどういうことなのか。鏡の中の自分の姿を見ることではない。極論すれば、真の自分を見たことのない人げは盲目であると言える。

 では、「自分とは」何か。
 それは、「神(無限の生命)である」。

 即ち、人間の内には、「宇宙に遍満する大霊、大生命」が存在しているのである。
だから、私たち一人一人は霊的な存在である。その意味では人間は無限であり宇宙大なのである。

 その宇宙に遍満する大霊、大生命を見つめることが瞑想の本来の目的である。
 瞑想することによって見つめることが出来る真実の自己が、絶対実在の自己である事を認識しなければいけない。さらに、自分という肉体は、霊の仮の姿だということも。

生命の光(神意識)を実感する

 この不変不動の大生命である我を宇宙我ともいい、それを見つめることを宇宙意識、不変意識、神意識になるという。

 人間は日常生活の中で、外側に有る肉としての自分を意識して生きている。本来、人間というのは存在しない。もちろん外側をみれば存在するが、内側を見れば神しかいないのである。
 
 そのように、自分の中に神しかいないということを実感し神我を見、つまり「我、神なり」という意識が昴揚することによって、偉大な体験をすることになるだろう。

 まず、この世の中に存在するものはすぐに諸夢つするものだということが認識できるようになる。さらに、深い瞑想状態になると生命の光が実感出来る。そして、すべてが光であることが分かる。

 この光の事を霊光といい、霊が光以外の何物でもない事を証明している。イエス・キリストも「外なる闇は我が内なる光に勝てなかった」と言っているように、

内は光、生命は光の世界。だから、この事を仏教では光明世界ともいう。反対に、物質世界のことを光のない世界、無明界と言う。

 肉は影、陰の世界、霊は陽の世界で陽光ともいう。だから内には光があり、外は闇だけということになる。人間が自我で生きている限り、この闇の世界にいることになるので、一日も早く、光の世界に変える努力をしなければならない。

瞑想で宇宙意識に到達する

 人間というのは真実を知らないまま、一寸先も見えない闇の世界、肉地獄の中に生きている。そんな真っ暗闇の世界にいて、真実を知らないままこの世を去る人がたくさんいる。

「私はなんでも知っている」と言う人もいるだろうが、それはこの世の知識として知っているだけであって、本来の霊的な自分に気がついていないのである。

 では、肉体というのは何かというと、それは生命の結果である。本来、肉体というものは何かというと、それは生命の結果である。本来、肉体というものは存在しておらず、その本質は生命、霊である。

 物質も同じように、霊の結果である。この世に存在する全ての物質は実在ではなく、その本質は霊である。霊あるのみ、霊しか存在しないのである。

 その霊を実感し、不変意識、宇宙意識の状態になるために瞑想を内観するわけである。

神は生命である

 神とは生命そのもの、霊が神でありそれ以外に神は存在しない。その神仏が私達の中におり、人間という姿をとっている。だから、生命と神は同一のものであり、万象万物の生みの親なのである。

 この宇宙創造の神が私達を造り、私達の中に宿っている。これが内在の生命、内在の神をいわれる所以(ゆえん)である。

 だから、創られたすべてのものの中には、創り主である神がいる。神がそのものなる以外にものを創造する事は出来ない。

 瞑想していて、「自分は霊なのだ。人間だと思っていたが、人間は存在しない。霊こそが絶対実在」という意識状態になると、すべての疑問は解決するだろう。

 これが分かっていない人間に「人間とは何か」と質問しても、人間が何であるかを答えられるはずがない。

 人間というのは、何度も言うように、霊がその姿形をとっているだけである。だから、山の霊、海の霊、水の霊、火の霊、動物霊、自然霊も全て同一の霊である。神の他に何も存在しない。すべてが神だというのが真理である。

 イエス・キリストは「神は全てのすべて、ありとあらゆるもの」と言っている。これを認識することにより、心が開かれ神我になる。その時初めて本当のものが見えるようになるのである。

 しかし残念なことに、多くの人間は神というものが分かっていないから、神がどこか遥か彼方にいたり、神棚の中にいると思っている。そのような考え方を持っている指導者も多いようだ。
 
 神は、神棚にいることはなく、神は必ず自分の住む所を自分で作って住んでいる。人間の作ったものに世話になることなどありえない。

n生命の中に神が宿っていなければならないのである。
だから、「人間一人一人は生ける神の宮なり」である。

瞑想で真の自己を見つめること

 瞑想して自己を見つめることが如何に大切であることか。それは、宇宙生命、無限生命を見つめ、神我を見ることだからだ。即ち、宇宙に遍満する大霊、大生命に一心を集中し、本源を見つめることが瞑想で一番大切なことである。

 大宇宙には大霊しか存在しない。その大霊との一体感により霊=神=生命の世界しか存在しないことが分かってくる。その世界を見つめ、凝視し、心の底から 霊=神=生命と自分が同じものだという事を認識する事が大切である。

「我は宇宙に遍満する大霊である。宇宙生命である」
と、肉の目と耳を閉ざして大霊に一心集中する。
 
 これが出来る様になると、軽く目をつぶっただけで神我との一体感、さらには霊的な体験が出来るようになるのである。

 瞑想を始めたばかりの時は、まだまだ表面意識があるので、どうしても雑念が出てくるが、慣れるまではそのままにしておいていいだろう。あまり表面意識に囚われずに、努めて霊的な自分に集中する事である。

 本来の瞑想は雑念のない状態であるが、多くの人がやっている瞑想は、自我瞑想といって、迷いの瞑想である。

 概念で物事を捉えようとしているので、色々なことを考えるのが瞑想だと勘違いしている。だから、一日も早く、外なる意識、表面意識から完全に開放された状態になるようにしなければならない。

表面意識から開放される瞬間

 表面意識から完全に開放されると、大霊との一体感、自分が大霊そのものだということを認識し、神我に到達する。

 そうすると、無限大の霊が身体の中に入ると同時に、爆発的に光を放ち、目も眩まんばかりの太陽よりも光り輝く、真っ白な光の世界を体験する事が出来る。

 ちょうど、薄暗い小さな部屋が開け放され、大気が一気に入ってきたような感じである。そのような光に包まれた時、誰でもが大泣きすることであろう。これが本来の瞑想であり、神我到達である。

 さらに深い瞑想状態に入ると、言葉では言い表せない様な法悦感、五感を超越した想像を絶する喜びに満たされる。

「我、血や肉、姿形に属する者にあらず。我、生命なり、大霊なり、我神なり」と、繰り返し意識しそこに集中する。求め続け探し続けていくと、ついには自分の心の扉が開かれる時がくるだろう。


波動を高めるたった1つの方法

意識の高め方について、お話ししてみたいと思います。
 波動を高めるとか、意識を高めると言ったりしますが、スピ系で言われていることに惑わされないようにしたいところです。

 スピ系では、エネルギー体を浄化したり、調整したりということを行っておりますが、それはそれで良いことだと思います。

 ただ、根本の部分が汚れているから、スピ系なのに風邪ごときにやられてしまったり、頭痛や病気になったりしているのであります。体調不良・病気にかかるといいますのは、波動が低いことを証明しているのであります。

 本当に高波動の人は、病気にはなれません。
「なりません」ではなく、「なれない」のであります。

 このブログでは、お水や酸素のお話を何度もしておりますが、いくらエネルギー体を整えようとも、肉体レベルで光が少なくなっておりますので、波動が低いままなのであります。

 今の日本人は、お水を飲む量も少ないのでありますが、さらに酸素が少ない腐ったお水を飲んでおります。肉体の7~8割はお水でございます。それが活きてないのです。これでは、細胞も活性化いたしません。

 光が少ないとは、酸素が少ないのであります。だから肉体レベルの波動が低くなりますので、体調不良、身体症状、病気になるのでございます。どこにいようとも、エネルギー体と肉体は常に一緒であります。

 肉体が低い波動を出していますと、いくらエネルギー体を調整しても、肉体の方から低波動を発しておりますので、変なものを引き寄せたり、引き受けたりするのであります。
とても簡単な仕組みであります。

 不可視の領域と可視の領域、2つしかございません。それぞれを綺麗に整えていくことが、真のスピリチュアルであります。片方だけでは意味がないのです。心身一如。

 不可視の領域は、意識を変えるだけで良いのでございます。霊力や高次元がどうのこうの。悟り人になる前にそのようなものは開いてはなりません。
 幽界との繋がりを強めるだけであります。順序が逆になっております。悟るのが先です。

 可視の領域、肉体。これは、酸素の多いお水で調整をかけてまいります。肉体の内側が先であります。化粧品やシャンプーを無添加にしてます! 

 そのような外付けのものは後で良いのです。内側の生体水や血液が酸素不足なのに、外を変えても、それほど意味があるものではないのであります。

 自我意識で考えますと、ほとんどのことを順序を逆にやってしまう傾向がありますので、天地アベコベ。陰陽不調和な状態になるのでございます。

 優先すべきは、意識を変えることと、酸素の多い水を1日2.5リットル以上取り入れること。あなたの本質は、霊と水であります。

 この2つを本来あるべき状態に戻すだけで、ほとんどのことが解決いたします。
多くの人は、この2つを無視しておりますので、放浪の旅をしないといけなくなっているのであります。

 一番大切な霊(意識)と水を、疎かにし過ぎております。
今、国の医療・介護費が歳入額に近づいております。保険証を使わない生き方が、社会貢献にもなるのであります。今のままですと、若い世代は50代でボケてしまいます。そのくらいエネルギーが乱れているのであります。

 シンプルなことを分かりづらくしていますのは、以前、闇の勢力がそのように仕向け、システムを創り上げてしまっておりますので、仕方ないといえば仕方ないのかもしれません。

でも、それに気付いて、光を放つことが出来るのが、大和の民族ではなかったのでしょうか?? あなたはそれをすると約束をして、この日本に誕生されたのではなかったのですか??

 このようなことを言いたくはないのですが、2014年、15年は正念場になります。大難を小難にする方法は1つしかございません。1人1人の意識を高める以外にはないのであります。

 くどいようですが、『あなたの本質は霊と水』であります。意識と水と酸素。本気の方は、ここに集中するだけで良いのですよ。悟りは難しいことではございません。誰にでも出来ることであります。(引用ここまで♪)

神理・真理は科学である

 体に「電気毛布が悪い」と言われているのは、交流型だから悪いのであって、その逆に電気毛布が直流型になってアルファ波を出す電気毛布を作れば、これはまた瞑想以上のものだと思います。

 電気製品として、もし電気毛布を作るならばアルファ波の出る電気毛布を作れば、非常に良いといえます。電気じゅうたんも同じことです。普通の交流型の電気じゅうたのでは、波形が粗く、体も悪くなります。

 ここにいれば落ち着く、というような直流型の電気じゅうたんを作れば、その1つが解決できれば、商品としても幅広く出来ていくと思います。インバーターを1つ作ればいいのですから。

 その交流をインバーターで直流に変えて、人体に良い、全てに良い環境作りを電気的に行っていけばよいと思います。

 写真機やビデオの波形を変えていきますと、見えないものが撮れるのです。これは今は発表しません。
 作り方まで教わり、知っているのですが、その波形を変えていきますと、見えない世界の幽界の映画がこれから見られる時代が、近い将来に必ず来ます。

 全部が波形ですから、なぜ見られるかといえば、高分子と低分子の時代に入ってきますけれども、精妙な動きをとらえるレンズを作れるからです。

 そうなると幽霊が写真でどんどん撮れるようになります。幽界をどんどん三次元的に見えることが出来るのです。
 霊眼が開かれていない人の為に、それを映して見せることが出来ます。その時代は21世紀には必ず来ます。

 皆さんの部屋の蛍光灯を、全部インバーターをつけて直流型にしてください。ここで瞑想している方々には、全部が良い影響を及ぼします。電気製品に全部インバーターをつけて直流型にして、波動の良い場所にしましたら、もっと良い場が出来ます。

 交流型を直流型に変える、アルファ波に変える、直流型はアルファ波と読んでもいいのです。
 
 交流型はベータ波、パルス型はガンマ波です。これをよく理解していただければ、治療室にもなります。そのまま電気的な治療室にも変わります。

 インバーターを作れば、消費電力が今の電力の五分の一ぐらいの省力になります。今の電気量の五分の一にすることの出来る計算になります。


何もなくても幸せになる方法

 物があなた方を幸せにするのではありません。心が幸せにするのです。
あなたの心に妬みやそしりがある限りにおいては、また地位の名誉や財産を沢山持っていても幸せにはなりません。

地位や名誉や財産がなくても幸せになる方法があります。
それは真理を学んで、争わなくなった時です。
真の喜び、真の幸せは真理の中においてのみあるのであって、自我の中にはありません。

 自我の世界は苦海ですから、苦しい世界ですから幸せにはなりません。何故自我の世界は苦界ですか。それは争うからです。

 なぜ生命の世界は極楽でしょうか。それは争わないからです。争わない状態を極楽状態と言うのです。

 争わなくなくなれば、どなたでも幸せになれます。金がなくても名誉がなくても幸せです。人の悪口を散々言いながら、憎しみながら幸せであることは絶対出来ません。

 皆さん方が本当に幸せになるのは、誰に責任があると思いますか。
誰でもなく自分に責任があるのです。

 貴方の幸せはあなたがもってこなくてはなりません。
貴方だけしか気付きません。誰も貴方に幸せを与える事は出来ません。

 その幸せをつかむのに金はかかるのでしょうか。幸せになるためにはカネがかかりますか。名誉が必要ですか。地位が必要ですか。

 幸せになるためには地位も名誉も財産も必要ではありません。地位や名誉や財産があなたがたを幸せにするのではなくて、あなたの心の状態が貴方を幸せにします。


問  よく地球の内部が空洞になっていて、そこにも人が住んでいるという噂を聞きます。

ヒマラヤから、底の地下帝国に入っていく入り口があるというような話を聞いたことがありますが、本当でしょうか?

知花 それは事実です。シャンバラという、それはエーテル界であって、皆さん方の考えている物質的なものではなく、正に物質世界そのものを意味しているのではありません。それは霊の世界です。

物質的なものと捉えたら大変な勘違いです。
エーテルとしての存在であって、自分の肉体や物体としての存在ではそこに入ることは不可能です。
 自分の肉体をエーテル化して初めてその世界が体験出来るわけです。

 問 自分の肉体をエーテル化するというのは、具体的なノウハウはどのようなものでしょうか。

知花 それはバイブレーションです。そのバイブレーションとは何かといいいますと意識です。
 空の意識がすなわち高いバイブレーションですから、物質と非物質とは同じものです。ただ、バイブレーションが高いか低いかの違いだけです。

 それを釈迦は空即是色で、色の世界は空の仮の姿であって、現れにしか過ぎないといわれました。実在するのは色ではなく空となります。で

すから、色の本源は空であるとなり、空こそ絶対実在です。色もあって空もあるとは理にかないません。

色は即空であるし、空は即色である。そこに実際にあるのは空一元であって、空は永遠ですから、色は無常です。形あるものは崩れますが、本質は永遠です。

問 輪廻転生はあるのでしょうか。

知花 あるという世界もありますが、それを乗り越えた者には、本質的なものは、全く輪廻を繰り返しません。

影として幻としての表現世界は存在しています。すなわち、上辺の世界です。その根拠と一体になりますとそこには全く輪廻がない世界です。

問 人間の生きる意味とか、この世に生まれてきた意味とか、死んでいく意味など、少し宗教的になりますが、それはどのようにお考えになっていますか。

知花 我々は死にもしないし、生まれもしませんから、本来は意義そのものはありません。
 ただ、我々は内なる現れを、表現として生まれてくるのですが、その目的を失ってしまったり、誤った表現をしていいて、
それを繰り返しているだけですから、意義としてとか、定義されたものは全く無いのです。

問  オーラについてお伺いしたいのですが、生体エネルギーの一種なのでしょうか。

知花 オーラを持たないものは一物もありません。その生命エネルギーという霊エネルギーそのものがオーラでありますから。そのオーラとは生命ですから。

みな宿していますから、オーラを宿していないものはありません。
しかし、その生命の自覚に順応してオーラが強くなるとか、弱くなるとかはあります。

問  色(いろ)によっては色々な意味があるのでしょうか。

知花 あります。オーラの色は七色です。すなわち虹色です。その七色の世界が光の世界でで光エネルギーです。

そして、その光がどこに多く現れているかといいますと、人間には七つの光中枢がありまして、それは七色を示しているわです。

ですから、生命線というのは七色のチャクラです。そしてどの分野を多く意識して生きているか、どの分野を開発化されているかによって、そのオーラの色が強く出ます。その七色の世界を七天というのです。七色の光の世界です。

問  その七天という字は天という字ですか。
知花 そのとおりです。

問  色が持つそれぞれの意味はあるのですか。
知花 あります。それは色がそれぞれ、みな一つ一つの波長を持っているからです。

問  例えば赤い色にはどのような意味があるのでしょうか。
知花 赤い色だと感情です。

問  青はどんな意味があるのでしょうか。
知花 青は冷静を示します。

問 緑はどんな意味ですか。
知花 緑はありません。紫の場合は知恵を象徴とします。黄色の場合は愛を象徴とします。ピンクは愛情とか、恋とか情愛を示します。

問  後の二色は何色でしたでしょうか。
知花 本来その二色とか七色とかいいますが、本来は白色であって、無色なのです。その七つの色が一つになりますと、無色という白色にしかなりません。それを白光と読んでいる訳です。

問  七色を全部重ね合わせて無色の白光となったのが一番パワーが強いのですか。
知花 そうです。

問  神の意識に通じるものがあるのでしょうか。
知花 全ての意識そのものが神意識です。神意識の他に意識はありません。

意識そのものが神であって、神は意識ですから、全てに意識が宿っているとは全てに神が宿っているとなります。意識とは物を生み出す力でもあります。

問  根源的な意識は人間のような人格は持っていませんか。
知花 人間のような人格を全く持っていません。無形無双です。

問 かなりSF的になりますが、日本にもキリストが来たと言って話をする人もいますが本当でしょうか?

知花 事実、来ています。それはなぜかといいますと、彼には時間も空間もありませんから、日本とか、アメリカという意識はありません。

自在の意識ですから、テレポートの出来る人がどこには来なかったか、あそこには来なかったというものではありません。

問 世界各地で災害の前触れ等に、聖母マリアの像が涙を流したとか、あるいは実際に聖母マリアが話をしかけて来たというような現象をあちこちで見られますが、それはどのようなことに基づくのでしょうか?

知花 それは全く無いとはいえません。現象は何でも作り出しますから、それは、全く無いとはいいませんが、そのような事があったからといって、何の意味があるのかと逆に私が知りたいのです。

問 エジプトのピラミッドとか中南米には結構多くの遺跡文化がありますが、あれは、現代物理学でどのように創造したらよいのでしょうか。まだ分からないのですが、どのようなものでしょうか。

知花 それは霊能力といい、すなわち宇宙のエネルギーを駆使する力でもって作られたものであって、現代科学の色々なもので作られたものではないということです。

現にものとは必要なときには無重力といって、エネルギーと質料には重さがありません。

物とは今、いいましたように、鉄の塊でも空中に浮かすことが出来る波動の持ち主であればどんな大きな体積の岩でも、無重力にしてしまうわけですから、

現にサイババ先生でも壊れたブルドーザーを四人で無重力にしてしまって、四人では抱えるように抱えたわけですから。

 そういう科学を超えた力は、その宇宙力を持っていれば当たり前のことであって、特別なことではありません。

ですから、今の科学の物差しで、あれをどうして作ったとか、これをどうして作っているのといっても、それは皆仮説です。全く真実に相反するものです。

問 フランスのルルドという所に泉があって、その水を飲めば病気が治るという話を聞いたことがありますが、その水は中性水と何か関係がありますか。

知花 まあ、その水の性質によっても違うと思いますが、ミネラル水であるか、ゲルマニウムを多く含んだ水であるか、そこでたまたまある人が病気が治って、その泉の水が病気に効果があると、

それを信ずる心を持った人達が沢山信ずるようになれば、そこに力を与えます。そこは効力を発揮するものだと思います。

効力を発揮すると、その水そのものが効力があるようになります。それを買う人の信ずる心が効力を発しているのです。
 それも一つの意識の問題ですから、どこに効力があるということは一概に言える人はいないでしょう。

 あなた方の飲んでいるお薬と同じです。信じて飲めば治りますが、信じなければ、治りません。効果が出るというのとは同じことです。

問 サイババさんが開けられてないままの封筒を封を切らないままに読めるという話を聞いたのですが、それはどういうことに基づくのでしょうか。

知花 その文字の波動を読み取っているわけです。敏感な人なら誰でも可能です。

例えば本でも開いてみなくても、どういう内容のものか書いてある事は触らずとも見なくても、ここに置いておれば、内容が殆ど分かるくらいの敏感さがあれば、分かるようになります。

問 波動について、今、あちこちでも注目されていますが、もっと詳しくお伺いしたいのですが、例えば、大勢の中で一人だけ波動の高い人がいると、その全体の波動が良くなるということについて、一般的には変な気がするのですが。

知花 波動が高いというのはエネルギーが高いという意味ですから、そのエネルギーは高い所から低い所に流れるのは当たり前のことです。

ですから、一人の影響は全体の影響といえますから、同じ悪いもの同士は、類は類を呼ぶということです。

 ただ、波動が低い者が高い所にいて、いい気持ちかといいますと、これはとんでもないことです。波動の低い者と波動の高い者とは波長が合いませんから、

そこにおれば、例えば、波動が低い者が波動の高い所に行ったって、波動の低い者にとっては、そこは悪い所にしかなりません。

 ですから、そのような波動は自分と波長が合うか、合わないかによって拒否反応を起こすか、受けるれるかです。

それが磁場です。ですから、磁場が高いからといって、磁場の低い者がそこへ来たら、吐き気をもよおしたり、嫌気をさしたりすることはあります。

そうしますと、その本人によれば、その場は悪魔の場だというわけです。彼にとっては悪魔にしかなりません。

問 仮に清里に来て、気持ちが悪くなるという方は、本人自身がそうなっているわけですか。

知花 そんな人が結構いますよ。ですから、ここは悪魔かもしれません。と言われても、ものの取り方いかんですから、結構ではないですかとしかいいようがありません。

問 逆にへんなネオン街とかに行きますと、元気になる人がいますか。
知花 そこと波長が合っているのです。

問 例えば、講義録にはわら人形の例えが出ていたのですが、悪想念を相手に送れば、簡単に相手を倒す事が出来るのですか。

知花 そうです。その念というのは良いにつけ、悪いにつけ全てに働きます。しかし、最終的には本人に帰ってきます。

池の中に石を投げますと一瞬はぱっと広がりますが、投げた後は、また、中心に跳ね返って来ます。それが作用と反作用の法則です。これは諸刃の剣となります。

問 よく人がやることですが、お札とか水晶に念を込めるというのですが、水晶や御札などに念とか波動は、籠りやすい性質を持っているのでしょうか。

知花 性質を持っているというよりも、そこに念を入れたとか入れなかったとか、それを信ずる人の心によって差が出て来るといえますから、

信ずる人からすれば、念が入っているといえば、入っているというし、入っていないという人からすれば、全く空っぽにしか過ぎないのです。打ち消すことも認めることも出来ます。

問 世の中ではそのようなことをよく暗示効果といいますが、それは全く別なものと考えても宜しいのでしょうか。

知花 暗示作用です。一つの暗示作用と同じです。ですから、形あるものでさえも、これはパワーがありますと信ずる人には効果がありますが、信じない人には効果がありません。

その波長は常に打ち消し合いをしているから、否定論になりますと、打ち消し合いですから、効力を失います。

人を憎む者は自分を憎んでいる者である

 この世の日常生活の中で、一人でも憎い者がいたら、あなたは外側でものを見ている事になります。一人を憎むことは全体を憎むことです。
 
 この世に一人も憎む者がいなくなって、初めて皆さんは完全になります。

 ですから、内観をしながら、人の悪口や愚痴をこぼしているようならば、内観道場ではなくて、外観道場です。

 内観を見れば生命に区切りがありません。そうして全体が自分であるのが分かりますので、全体を愛するようになります。

 誰も憎みませんし、自分を愛すると同様に人を愛するようになります。

 あなたの中に神の全てがあります。
「わたしのものは神のもの、神のものはわたしのもの」です。

 つまり、あなたの中に神の全てがあり、
全知全能の全てが、--------智慧も力も全てあります。

 この宇宙の中にある全てはあなたの中にあるのです。
これを無限の富といっています。霊的な富は永遠に失うことはありません。



問 先生の講義録の中に、お茶碗に盛られたご飯よりも、おにぎりの方が子供が喜んで食べると言われていますが、あるいは味が良いというお話が書かれていましたが、これについてもう少し教えて頂きたいのですが。 

知花 その食べ物でも、おにぎりにして、食べて欲しいという愛念を込めて、お母さんの愛で食べて頂きたいとう念で握ると、そこにエネルギーも同じように握っているわけです。

お母さんのエネルギーである、愛のエネルギーがおにぎりに反応して、それがさらに、食べてもいい、食べなくてもいい、というお茶碗に入れたよりも、もっとエネルギー的には高いという意味です。  

例えば、ものを作るにも、精魂込めて作るというのはその意味です。お量をする時にも、皆に喜んで食べてもらいたいという思いを起こした念がそのまま物に反応します。

ですから、嫌々ながら作った料理は腹を壊す危険があります。
そういう愛の念をおふくろの味とかというものが愛念のエネルギー、愛のエネルギーとなり、それを頂くのは、当たり前のことです。
 
問 よく手のひらから遠赤外線が出ているので、その作用があるという人がいますが、それはまた別なものとして、考えて宜しいのでしょうか。
 
知花 それもあります。手の平は、お手当といって、手から熱エネルギーや、遠赤が必ず出ますので、それが昔から手当といって、

お腹が痛いと、お母さんがへそを揉んであげると、お腹がよく治るし、電気現象が起きるわけですから、摩擦エネルギーが起こるわけですから、

そうするとそれを遠赤エネルギー現象といってもいいし、摩擦現象といってもいいし、しかし、何現象だと一定に決めないことです。

必ず遠赤外線が働いていると決め込んでしまえば、別のエネルギーが働いている時も閉ざしてしまいますから、何が働いたんだという限定をしないことです。

問 エネルギーが働いた場合にはプラス・マナスが働いたことによって神の力が働いたというように解釈すれば宜しいですか。

知花 陰と陽の結びづきですから、それは愛です。愛は光ですからスパークになります。ですから、清めるときにはスパークを起こさせて、例えば、会場で手を叩くことは、電気的スパークですから、会場が清まるわけです。公演する時も、初めは本来は手を叩いて、終わる時も手を叩いて終わるのが普通の常識ですが、最近それが無くなりましたが、本来はそうすることが宜しいと思います。

問 スパークすることによって清まるというのは、
知花 電気現象ですから。

問 清まるというのは、何が清まるのですか
知花 その建物全体や、周囲の全部が清まります。
 
問 宗教でも柏手をうつという行為は、昔の人達は無意識の内に、無自覚のうちにその行為を把握していたのでしょうか。

知花 ただ、分からないままにやっていたことは事実でしょう。まあ、それを知っていた人がいたかどうかは別問題です。

 しかし、全部が全部それを知ってやっているわけではありません。すなわち猿真似とか、人まねとかで、知ってやること、知らないでやる事とは、知っていたほうが効率が上がります。その念まで上がるからであるという意味です。


「全ては神=我神なり」という真理♪

意識の進化=愛の拡大=分離意識の克服=
我は全体なり・全体我なり=全一体・自他一体=

全ては私=全ては一つ=全ては一つの存在の現われ=
宇宙は一つの生命体=全てに神(宇宙生命)が宿り給う=

宇宙は神一様=全ては神の中の存在する一つの存在=ワンネス
全ては永遠に一つの存在=全ては一つ=全ては私=全ては神

全ては今この瞬間しか存在しない=全ては永遠に一つの存在=
永遠の始まりである神の御心のみが実在=今即天=今即実在=

大愛・宇宙生命・神の一人子である神我キリストのみが実在=
全てはこの瞬間に存在する宇宙生命そのもの=全ては神そのもの=
全ては神ご自身=神一元・愛一元・光一元=宇宙即我=我神なり


調和=愛の法則そのもの=罪なきもの=完成=幸せな人生に
不調和=愛の法則を犯している=業・罪=カルマの精算が起きる

愛と赦し=調和=愛=幸せ・健康=完成=中性=完全=光人間
恨み・憎しみ・争い=不調和=罪=病・災難=不完全=闇人間

愛と赦し=カルマの消滅=神の祝福=幸せなツイてる人生に
許さない・恨み・嫉妬=カルマの刈り取り(不幸災難)な人生に

調和人間=愛が深い人=愛の光そのもの=克服者キリスト=完成
不調和人間=恨み・嫉妬・責任転嫁闇人間=罪人=未完成

調和=光明世界・愛の王国=愛・光・善=平安と安らぎ・至福感
不調和=無明世界・闇世界=未熟な愛=不安と恐怖・飢餓感・不足感

調和の人は熟した魂=自分を愛するが如く他人を愛します=ワンネス
不調和な人は未熟な魂=他人を責めて非難します=分離意識


 イエス様は「愛は天と地の架け橋」とおっしゃられました。その愛とは「許しの到達点」である「慈悲と愛」で御座います。

 真の意味で貴方が、その「許しの到達点」の境地に到達した時に、自ずと「天である神」と「地である貴方」との架け橋が繋がる事でありましょう。私は実体験からそれが実際にありえると確信しております。


愛は天と地の架け橋  この愛の理解と体得が神様と繋がる鍵♪

神・大愛(天)……全てを活かす愛・慈悲と愛・すべての形態を形作る力・意識を与えて下さった魂の根源・真の親・すべてを活かし育む力、縁の下の力持ちで全てを愛し慈しむ無償の愛・無限の愛・すべてに意識を与えて下さった天の父であり天の母である中性エネルギー・真の親・愛を表現する為に…無限の創造をなさっている慈悲と愛そのもの

神の表現体(地)……神が神を愛する為に生まれた存在・神の化身・愛の化身・神の表現体・神の中に創造された神・個別化した神としての自覚に覚醒めた我・滅私して神の道具意識を自覚している我・自分が神ご自身だと悟った我・愛を表現する為に生まれた事を自覚している我、全てを100%の愛で愛する我、自分と全てが神以外の何者でもない事を自覚している我


第六密度以上の高次元存在が語る
「許し」というものが、カルマの輪を止める事になるお話

★ コーリー : 多くの人々が現生のトラウマだけでなく、過去生のトラウマにも対処しているところなのです。

今、地球に生まれて来ている多くのライトワーカーは、援助の為により高次元や、上の密度から降りて来た人々です。

現生が初めての人でも、高次の美しい場所からここへやって来た人にとっては、ここでのトラウマは10倍酷(ひど)く感じられるものです。

そして、長期に亘(わた)って輪廻転生を繰り返して来た人の場合は、更に解消しなければいけない過去生のカルマが加わります。

しかし、ブルーエイヴィアンズから言われたのは、トラウマを特定し、自分にトラウマを与えた人や自分自身を許すこと、

そして、この”「許し」というものが、カルマの輪を止めることになるということです。カルマがなくなるんです。

これは、エネルギー的なものです。
カルマとは」負債を支払うようなものではなくて、
許してエネルギーを解放するもの」なんです。



カルマとは宿題・魂の課題・許しによって消滅♪
……………………………………………………… 
「許し」を心から実践=カルマの輪を止める=カルマがなくなる♪

自分にトラウマを与えた人や、自分自身を許す==
             ==魂の課題を克服=カルマが消滅♪

許す事によってエネルギーを開放=カルマの克服・解消に♪


ケイシーリーディングから…♪

全身全霊で「神を愛する」大切さ
「神を求める祈り」をする大事さのお話

 エドガーケイシーは、宗教生活についてそのもっとも美しい表現の中で、この事を次のように語っています。

あなたがたは心を尽くし、思いを尽くし、体を尽くして汝のなる
(大生命・内在の神)を愛し、隣人を汝の如く愛するのである。

このキリストの与えた言葉が法則の全てである。
それに優るものは存在しない

 主が約束されたように、あなた方は
来る日も来る日も明想し、「祈りゆく」うちに到来するあの目覚めによって、
主(宇宙生命)が自分の意識の中に留まられる事を知る事が出来る
神我が中にまします・父と子は常に一体)。

 あなた方はこの目的のために、
主が臨在し、その御霊(キリスト)があなた方の中に留まるあの意識を、
あの自覚を讃えるために生まれてきたのである。」

自我・偽我 =表現者、原因である父なる神を忘れている状態(放蕩息子の状態)神理を知らない状態・自分の力で生きていると思って迷っている状態、肉体の己を自分と思っている我、分離感・分離意識で個別化された表現を別個の存在と認識している我・分離意識・エゴ・肉の感化、五感の感化を真実と錯覚している我・迷いの影、幻、幻想(マイヤー)・自己保存、自我我欲の心


真の自己(真我)=父なる神と常に一体の境地・ワンネス意識・全一の意識・神我キリスト、全ては自分、全ては我、全ては神、全てを愛する我に目覚めた状態・宇宙生命によって生かされている事を自覚して実感している我・私が生きているのではない、なるほど一つの生命である神が生きていらっしゃる、全ての知恵と力は神から与えられている、神の中身は神、全ての全ては本質的には神、神のみが生きてらっしゃるんだなと悟った我・神一元・愛一元・光一元・我神なり、全ては神なり、全てに神を観る境地・神は生命(霊)なり、我も生命(霊)なりの自覚・宇宙即我、キリスト意識・高我・実在・全てを愛し全てを許す境地・慈悲と愛・あなた即私・私即あなた・宇宙エネルギー即自分・無限即我・不変不動の絶対なる実在・普遍なる宇宙・無限者・宇宙神

FC2版の広瀬すずちゃんの横顔になる方法の記事です♪
身長を伸ばす記事も追記してみました♪

レムリアの覚者・ラムサ・総まとめ記事♪フルーツだけ骨密度も大幅アップ・肌が白くなって 体臭がなくなり病気にならず精力も大幅アップ♪ 純粋な神となる時、それは純粋な生命(無限の生命)ということだが、 あなたは永遠の存在となる。あなたは全て(ワンネス意識)になるのだ。 これこそ、最も壮大な天国(内なる神の国)なのである。♪


今回は、レムリアの覚者「ラムサ」さんの総まとめ記事になります♪


⇑ ⇑ はラムサさんの人生がよく分かる素敵な記事です♪


非常に有益なアセンション情報が満載の素敵な良質サイトをご紹介♪
ぜひリンク先を覗いてみて下さいね♪

◎ バシャール / 目 次

◎ 光の存在オリン / 目 次

 ラムサ / 目 次

 ヒマラヤ聖者の生活探究 / 目 次

フルーツだけで生きてる【中野瑞樹さん】肌が白くなって
体臭がなくなり病気にならず骨密度があがり精力も大幅アップ♪
https://dailyrootsfinder.com/fruit/


ラムサ 真・聖なる予言からの引用ですが…♪

はじめに

自分の内にある神なるものに気付くこと以外、人類に救いの道はない。
あなたはこの気付きの種となるのだ。

 私はラムサ、地球、或いはテラと呼ばれるこの次元に遠い昔生きていた王者たる存在だ。その生では、私は死を迎えることはなかった。

 高次元へと昇華することが出来たからだ。自分の力をつかみとり、身体と共に見えない次元へと向かうことを学んだお陰だった。

 その過程で、無限の自由、限りない喜び、限りない生命があることを私は知った。私の後に生きた者にも、やはり同じように高次元へと飛翔した人間もいる。

 現在の私は、人間の目には見えないが、人類を深く愛している同胞たちの一団に属している。我々は、あなたの祈りや瞑想を聞き、あらゆる動きを見守っているあなたの兄弟だ。

 全員が人間としてこの次元に生きた者であり、人間であれば誰もが知る絶望や悲しみや喜びを経験した存在だ。
 しかし、我々は、人間の存在の限界を知り、それを超越することを学び、それよりはるかに偉大な存在の姿を知ることが出来たのだ。

 私がここにやってきたのは、あなたが我々にとってどれほど大事で貴重な存在なのかを伝えるためだ。

 何故大事なのか?あなたの中を流れる生命、そして捉え方に違いはあれども、あなた達一人ひとりの内面を訪れる思いは・・・・・それはどちらも、あなたが神と呼ぶ知性、生命の力から湧き出たものばかりだからである。

 それは私達全てを繋いでいる核であり、その繋がりとは、地上界の者ばかりでなく、まだあなたが見えることさえかなわぬ、数限りない壮大な宇宙にある存在との繋がりのことを指している。

 私がここにやってきたのは、人間が遠い昔に忘れ去ってしまった遺産を、改めて思い出してもらうためだ。

 今いるところよりずっと高い位置から物事を見る事を教え、あなたは正に神なる存在、永遠なる存在であり、神と呼ばれる本質的なものが常にあなたを愛し、守ってきたことを分かってもらうためである。

 そして、あなたが、あなた自身こそが、自分の深い知性を通じて人生のあらゆる現実を作り上げたということを悟るため、手助けをするためである。

 そしてまた、その同じ力を使って、自分の望み通りのどんな現実でも、創造するのが可能であることを分かってもらうためである。
 
 古今東西の歴史を通じ、私の他にも様々な者達があなたの元を訪れ、あなた達は偉大な力があり、その姓名は永遠のものであるということを、色々なやり方で思い出させようとしてきた。

 王、支配者、奴隷、英雄、十字架にかけられたキリスト、教師、ガイド、友人、哲学者・・・・とにかく、「知識」が可能な形なら何でも良かったのだ。

 時には、あなた方が自滅していくのを防ぐために、またここでの生が、様々な体験を提供し、人間が純粋な喜びという存在へと進化するための場を提供する「遊び場」としてあり続けられるように、人間界の諸々の出来事に介入したこともある。

 が、ひとり、またひとりと、人間はあなたたちを助けるために手を差し伸べた者を弾圧していった。弾圧しなかった者といえば、その像を建てて祭り上げ、彼らの語った言葉を、自分の都合のいいように捻じ曲げてきた。

 教えを実践するのではなく、それを教える師のほうを祀ってししまった者はあなた達の中にも沢山いるはずだ。

 自分が泰られることを避けるため、私は自分本来の姿で現れてはいない。代わりに私は、自分がこの地上界に生存していたときに自分の愛しき娘であった存在を通じて、あなた達に語りかけることにした。

 私は変化の風を携えてこの地上界にやってきた。私と私のそばに立つ者達は、既に動き始めている。ある壮大な出来事のために、人類に心の準備をさせようとしている。

 知識と愛を溢れさせるような、偉大なる光の煌きを人間の眼に見せ、この地球上のあらゆる人々を一つにするのだ。

 なぜこんなことが起きるのか?それはあなた達が愛されているからだ・・・・・これまでに考えられうるどんな愛よりも偉大な愛によって、である。

 人間を暗黒の時代に追いやり、自由を奪い、人々を分断し、恋人たちの間に憎悪を生み、民族の間に戦いをもたらしてきたような、もう役に立たない考え方を打ち捨て、それよりはるかに崇高な考え方を体現して生きる時が来ているからなのだ。

 これまでのような考え方は、もう終わらせる時が来た。この地上界で生き延びていくために求めるようなことは、もうやめにするときが来ているのだ。

 人間は、自分自身の中にある神性と、存在の永遠性に気付くべき時である。
 あなたの兄弟である素晴らしい存在たちの手で、偉大なる知識がこの地上界にもたらされる日がすぐそこまで来ている。
 
 その時、科学は、これまででは考えられないほどの発展をし、花開くことだろう。これからやってくるのは「神の時代」と呼ばれる時だ。

 それは時間というもの、時間の価値というものを、ある明確な糸を持って変えていくというプロセスを通じて訪れる。これからやってくるこの時代、地上界は、病気や苦しみ、憎しみや戦争はもはや存在しなくなる。

 身体が老いることも、死を迎えることもなくなり、永遠につづく生命がそれにとって替わる。 
 知識、叡智、そして深い愛情を通じて、それがここの生命体の人生にもたらされるのだ。

 自分の内にある神なるものに気付くこと以外、人類に救いの道はない。あなたはこの気付きの種となるのだ。
 一人ひとりが自分の価値に気付き、そして自分の生命が永遠であることに気づくとき、あなた達は一人、またひとりと、無限の思考、無限の自由、そして無限の愛という意識の中に新しい存在として加わっていく。

 あなたが考えたこと、気付きを得たことは全て、あらゆる場所に存在する意識体のレベルを向上させていく。

 そして、分かったことを明確な意図をもって自分の人生の向上のために体現し、自分の生とする用になった時、あなたは周りにあふれている他の人々のような凡庸な生き方に比べて、遥かに崇高な思考プロセスとスケールの大きい考え方、そして明確な意図をもった存在が、あなたの内にあるのを示すことが出来るだろう。

 この場所に壮麗な王国が出現するのをあなたは目の当たりにすることだろう。夢想だにしなかったよな文明が現れてくる。そして、新しい風が吹く。そして、ああんたの生きるこの宇宙エメラルドであり、神の棲みたもう家であるこの美しい場所に、愛と平和と喜びが祝福を与えてくれることである。

 ここで語られていることに思いを巡らせてみると良い。この言葉を身体の内の中に入れてあげることだ。
 それが出来た時、あなたは想いをひとつ重ねるごとに、気持ちを一つ感じるごとに、そして一瞬一瞬を生きるごとに自分の偉大さと力を感じ、その輝きを改めて思い出し、その中へと戻っていくことだろう。


我が名はラムサ

われは征服者ラムサだった者・・・・・いまは神ラムサなり。
あらゆるものの中で最も単純でありながら、最も深遠なるものによりて蛮人より神となる。
そなたに教えるもの、すべてはわれ自身で学びしものなり。

 私はラムサ、あるいは私を「ラム」と呼ぶ人もいる。私が生きた時代、古代の言語では、これは「神」を意味していた。ヒンドゥー教の人々が偉大なるラムと呼ぶのも私のことだ。

 それは、人間の女の子宮、男の種から生まれた者の中で、初めてこの地上界から高次元に昇華したのがこの私だったからだ。

 私は誰か人からではなく、あらゆるものの内にある神について深く理解し、それを通じて高次元に飛翔することを学んだ。

 私はまた、真の目覚めに達するその瞬間まで、止むこともなく憎み続け、軽蔑し続け、そして殺戮と支配を続けてもいた。
 
 この地上界が初めて知った征服者もこの私だ。遠征を初めてから六三年を経て凱旋したが、その時には当時の世界の四分の三を征服していた。しかし、何よりも偉大なる征服と言えるのは、自分自身を制したことだった。
 
 自分自身の存在と折り合いを付けることが出来たことだった。自分を愛し、生きること全てをこの胸に受け容れることを学んだ時、私は風とともに永遠の彼方へと飛翔したのだった。

 インダスという名の丘の東北の側で、自分の民が見守る中、私は高次元へと飛翔した。

 二百万人を超えていたわが民は、レムリア人、イオニア(後にマケドニアと呼ばれるようになる)人、そしてあなたがアトランティスと呼ぶ地、アトランティアから逃れてきた部族の人達などが交じり合っていた。

 今日のインド、チベット、ネパール、そしてモンゴル南部に住む人々が私達の子孫にあたる。
 私はこの地上界では一度の生しか生きることはなかった。

 それはあなたの時間の概念でいうと、35000年前のことだ。アトランティア南部に位置していた最大の港湾都市オナイのスラムに暮らしていた、レムリアと呼ばれる地からやってきた巡礼の一団という、恵まれぬ人々の子として、私は無知と絶望の中に生まれてきた。

 私がアトランティアに来たのは、この大陸が崩壊し水没する前の「最後の百年間」と呼ばれている時期のことだった。

 当時、アトランティアは極めて高い知性を持つ人々の文明で、科学の発展にも目覚ましいものがあった。それは現代科学よりも更に高度で、たとえば「光」の原理を理解し、それを既に使用し始めていた。あなたがレーザーと呼んでいるものを使って、光を純粋なエネルギーに変換する方法を知っていた。

 光を使って移動する宇宙船さえ持っていた。それは他の銀河系の生命とのコミュニケーションを通じて学んだ科学だった。

 その宇宙船はきわめて原始的なものではあったが、そうは言ってもあなたには想像もつかない速さの移動も可能で空中に浮かんでもいた。

 アトランティア人は科学と深い関わりを持っていいたため、彼らは知性を崇拝していた。そうして、知性による科学がアトランティア人の宗教となっていったのである。

レムリア人はアトランティア人とはずいぶん違っていた。社会制度は全て思考を通じてのコミュニケーションの上に成り立っていた。

 テクノロジーの進歩はなく、精神というものについての深い理解があるだけだった。それは、私の父祖達が、目に見えない価値というものを知ることに偉大なる才能を有していたからだった。

 月や星の彼方にあるものを崇め、敬っていた。言葉でこれと規定は出来ない。ある本質というものを心から敬愛していたのである。それは、彼らが「未知の神」と呼んでいた力であった。

 レムリア人はこの神だけを崇めていたので、アトランティア人は彼らを軽視していた。アトランティア人は、とにかく「進歩的」でないものは何でも軽蔑していたのである。

 ラムの時代、私が幼かった頃、世の中は荒れ果て、生活は困難をきわめていた。その時点でアトランティアはすでにテクノロジーを失っていた。
 
 北部にあった科学の中枢がもうずいぶん前に破壊されていたからだ。光を使って移動する実験で、アトランティア人は、ちょうど今日の金星のように、当時の地球をすっぽり包んでいた雲に穴を開けてしまった。

 成層圏に穴を開けた時、大量の水が降り注ぎ、大寒波が襲ってきた。そしてレムリア大陸のほとんどと、アトランティアの北部が大海に呑み込まれてしまったのである。

 こうして、レムリアとアトランティアの北部の人々が南部の地域に逃れてきた。北部のテクノロジーがなくなってしまうと、南部の生活も徐々に原始的になっていった。

 アトランティア全域が水没するまでの百年間というのも、アトランティア最南端の地域は、暴君が支配する原始的な国に成り果てていた。

 暴君達は、共和制ではなく、問答無用の絶対的な法を立てに、人々を支配していた。この絶対法の政府のもとでは、レムリア人は大地の排泄物、街を歩く野良犬にも劣る存在として扱われていたのだ。

 唾をかけられ小便をかけられ、それを洗い流すのに与えられるのは自分の涙だけ、という状況を思ってみるが良い、自分よりも街の犬のほうがまだましな栄養を取っている状況を想像してみるとよい。

 飢えの苦しみをしのぐものならなんでも欲しいという状態であった。オナイの街では、子供が虐待され、女性が暴力をふるわれレイプされるのを目にすることは日常茶飯事だった。

 アトランティア人が、バラの花を入れた水とジャスミンを浸した上質の麻のハンカチを鼻にあてがいながら、道に入る飢えたレムリア人のそばを通るのもよく見られる風景だった。

 なぜなら私達は臭くて不快な存在だったからだ。気体や光といったものに関する科学的理解が欠けた、魂も精神も持ち合わせていない知性のであり、存在にも値しないと考えられていたからだ。

 「知性的な性向」を持っていないがために、私達は奴隷にされて畑で働かされた。
 この地上界に私が生まれていたのはそんな時代だった。それが私の時代だった。一体どんな夢を私は生きていたのだろうか。知性の傲慢さと馬鹿らしさを持つようになった人間の姿である。

 自分の父親が誰かも知らなかったことについて、私は母を責める気はなかった。兄は別の父親の子供だったが、それは彼女のせいではなかった。

 貧困の極致といえる自分たちの状況についても、もちろん母を責めたりしなかった。まだ幼い少年の頃、私は母が連れ去られ、辱めを受けるのを目の当たりにさせられた。

 その後、母のお腹に宿った子供が体内で成長していくのを見守ったが、その父親が誰かも知っていた。そして、母がさめざめと泣く姿も見た。

 悲しくもなろう。この「約束の地」で私達が受けていた苦しみを体験しなければならない子供が、この街の通りにまた一人増えようとしていたのだから。

 母は臆弱で、ひとりで子供を生むのは無理だったため、妹が生まれた時は私がその介添えをした。通りをあさって食べ物も探した。犬や野生の鶏を殺し、夜遅く店から穀物を盗んだ。

 私は足のすばしこさにかけては一品だったのだ。私が母に食べ物をあげ、そして母は妹に乳を飲ませるのだった。

 小さな乳児は母に残された生命の力を全て飲み干してしまったが、愛しき母の死を妹のせいにしたりはしなかった。妹は下痢がひどくなり、体に入る栄養さえ保持することが出来ずに、彼女もまだ小さなその生命を無くしてしまったのである。

 母と妹の身体を隣り合わせに横たえ、私は木材を集めに行った。亡骸の上に木を乗せ、日を付けるべく夜遅くまで息を潜めて待った。

 心から愛していた母と妹のために祈りの言葉を言うと、速やかに気に火を放った。二人の身体を燃やす臭いがアトランティア人の気に障らないようにするためだ。

 そんなことになれば、二人の身体は砂漠に捨てられ、ハイエナの餌食となってその形さえ留めないことだろう。

 母と妹が燃えていくのを見つめながら、私の内にアトランティア人に対する憎悪の念が広がり、それはまるで大蛇の毒のようになっていった。まだ幼い少年だというのに、である。

 鼻を突く臭いと煙が谷に広がっていく中で、私はレムリア人の「未知の神」のことを思った。偉大なる神の手になるという、この不条理も、なぜわが民をこれほどまでに憎む怪物達を創造したのかも理解できなかった。

 私の母や妹が、こんなみじめな死を迎えるのに値する何をしたというのだ?自分を愛してくれなかったといって、私はこの「未知の神」を責めることはしなかった。

 わが民が愛することがなくても責めなかった。母と妹の死についても、この神を責めたりしなかった。責めはしない。心の底から憎んでいたのだ。

 私にはもう誰もいなかった。兄は地方総督によって誘拐され、のちにペルシャと呼ばれるようになる地に連れ去られて行き、屈従の生活を強いられていた。総督の下半身の快楽を満たすための慰みものにされたのである。

 私は骨と皮ばかりの、内には憎しみ溢れる14歳の少年だった。そして私は我が父祖の「未知の神」なるものと戦いを交える事を決意した。それで死ぬならそれだけの価値があると思った。

 私は死を決意していたが、それは名誉ある人間としての死だ。人間の手にかかって死を迎えるのは不名誉な死に方だと思っていた。

 私の目には巨大な山が映った。地平線の彼方にそびえ立つその山は、深い謎に包まれた場所だった。もし神というものがいるとしたら、支配者達がそうしていたように、私達よりずっと高い場所に棲むだろうと私には思えた。

 あそこに登れることが出来たら、と私は考えた。「未知の神」と出会い、人間の不条理に対する私の憎しみの念を堂々と伝えることが出来る・・・・・。

 私は自分のみすぼらしい住み家を出ると、何日も旅を続け、と途中イナゴや蟻や木の根をほおばりながら、この巨大な山を目指した。

 山に到達すると、私は「未知の神」との一戦を交えるべく、雪に白く覆われた頂きを包む雲の中へと登りつめていった。そしてその名を呼んで、叫んだ。

 「私は人間だ!なのに、なぜ人としての威厳さえ与えられないのか?」そして神に顔を見せるように要求した。ところが、神は私を無視したのだ。

 その場にしりもちをつき、私は自分の涙が白く凍てつくまでに大声で泣いた。やがて顔を上げると、そこには神秘の女性と見える存在が大きな剣をもって立っているのが目に映った。

 彼女は私にこう語りかけた。「おお、ラムよ、ラムよ、精神が粉々に砕け散った者よ。あなたの祈りは届きました。この剣を持って自分を征服するのです」そして瞬きする間もあればこそ、彼女の姿は消え去っていた。

 自分を征服するだって?この剣を自分に突き立てて首を斬るわけにもいくまい。そうやって剣を持つには腕の長ささえ足りないというのに!ただ、この剣を持つのは大変な名誉であった。

 私は凍てつく寒さに震えることもなくなり、暖かいものを感じるようになっていた。そして、自分の涙が落ちた所に目をやると、そこには花が咲いていた。その甘い香りと色から、私はそれが希望の花であることを悟ったのである。


 何か創造的なアイデアが欲しいと思った時に、「突如として」それが浮かんでくるのを可能にしたのは何だったのか。それがあなたの「知る状態」へと入るのをあなた自身が許しただけなのである。

 あなたがしたことはそれだけだ。それはいつもそこにあって、あなたがそれを求め、自分のレシーバーへと入ってくるのを許すのを待っていたのだ。それだけのことなのである。

 そして、思考過程が価値判断や変質した思考などにとらわれる度合いが低いほど、超意識の想念が脳の受信器官に入りやすくなるのだ。

 自分自身と自分の人生を「在るということ」の目から見るのを学ぶことだ。花を手にする時、それが醜いとか美しいとか言わない。それは価値判断であり、その花の想念を変質させてしまうのである。

 純粋なのは、「花」という想念だ。花を見ても
「花、光、生、ただ在るもの(同一の生命の現れ)」として見るならば、
それは貴方の体中に波動の高い電質(全一体感の内在の真我の光)」を送る。

 そうすると、あなたはキリストと同じように考えている。すべてのものを等質のもの、ただ在るものとして見ているからである。自分の体験を限定したり、価値判断を下したりしなければ、その度にあなたは、日常の存在を超えた限りない想念を受け取る脳の活動を認めているのである。

 自分の受け取る想念に価値判断を下してはならない。何かプラスであるとも考えないことだ。マイナスも存在するといわずに、どれがどうしてプラスであり得ようか。

 もしあなたが、「これはいいことだ」と言ったら、それは、悪いものもあるという事を意味する。自分に優しく、自分を愛する時、自分は美しいとは言わず、自分は神(生命)である、と言うことだ。

 近所の人と一緒に何かをする時、これはいいとは言わず、これは「神」だと言おう。
それは、そのことが「ただ在る(今中・今この瞬間…全体である無限の生命がある)」ことを意味する。それは、単に生における純粋で貴重な体験であるということなのだ。

心を開くということ

自分を愛すれば愛する程、あなたの脳は開いていく。
そうするとあなたは自分の身体以上のものになる。
あなたを一つにしているもの自体になるのだ。

 ここにいる人達は皆、物質という限られた形態で神について学ぶことは、その能力いっぱいまで成長してきたと言える。地上界での沢山の生を通じて、自分の創造性の産物であるこの天国のあらゆる要素を体験してきている。
 
 その体験を通じて、社会意識という、動物の群れの如き現実に生きる神なる人間の限られた思考の価値観については、知るべきことは全て学んだのである。

 恐れや不安、悲しみや怒り、強欲についてはもう学んだのだ。嫉妬、憎しみ、戦争についても学んだ。死についてもすでに学んでいる。 

自分自身と、自分の神なる「源」との断絶についても、もちろんもう学んでいる。そして、その源は、この地上界という、「在るということ」が眼を見張るような形で見られる場において、あなたがその最終のレベルで神を体験出来るように、全ての冒険を通じてあなたを愛し、支えてきてくれた。

 無限の状態に戻り、喜びと存在の自由を体験するためには、あなたは自分をひとつにしているものに再びならなければいけない。身体というやっかいな荷物があるので、それになるただひとつの道は、第七のチャクラである脳下垂体をフルに活動させ、社会意識をほんの少しだけ超えた所にある限りなき思考を脳が受け取れるようにすることである。

 それが、自分の「知っている状態」を限りない神の叡智へと広げる方法なのだ。神の叡智とは、その存在そのものであり、在るがままでその存在を許し、愛しているもののことであり、つまる所、それは思考の総体なのである。

 では、この小さな素晴らしい分泌腺に、そのホルモンの流れを使って能の眠っている部分を目覚めさせるためには、一体どうすればいいのだろうか。それは、単に望むことを通じてなのだ。

 キリストになるということは、父なるものを知りたいと望み、神のようになるのを望むことだ。全ての想念が、自己の実現のなる事を許すことを願うことだ。

あらゆる瞬間、自分がなってきたもの全てを愛おしみたいという望みなのである。自分そのままの「在るということ」になりたいという望みなのだ。

 自分の在るがままを全て愛することが、なぜ大事なのだろうか。そうすると、あなたは直ちに社会意識を超越するからだ。するとあなたは、自分が受容されるかどうかというレベルを超える。

 審判を超え、時間という幻想を超えるのである。あなたは自己の命を満たすためだけために生きるようになる。
 自分の内なる声だけに耳を傾けるようになるのだ。そして、喜びの道だけをたどる。

 その道にこそ、全て在るものについて「知っている状態」が待っているのだ。
 さて、あなたは私にこう言うだろう。「でもラムサよ、それでは全く利己的なのではありませんか?」と。

 そう、正にそのとおりだ!しかし、利己的というのは、利神的なのだ。あなたの内にあるこの神のために生きる全ての瞬間、そして心に抱いた後、手放すことの出来た全ての幻影、そして自分の喜びと光を見つけるためにあなたがすることは、全てあなたという存在から発して大きな意識の流れに入り、人類全体に栄養を与えるのである。

 自己への愛(これはまさに神への愛ということだ)だけのために生きるようになった時、あなたは社会意識の密度の中に神への愛を浸透させていく。

 すると、あなたは愛する兄弟たちが自己へと戻る道に光を当てる事が出来る。それは、彼らの愛する父のもとへ返してくれるただ一つの道なのだ。

 自分をほんとうに愛し、自分は神をそのまま全て受け入れるに値するのだと感じられる時、そして自分が父と一つであることを知りたいと望む時、あなたは一輪の素晴らしい花として咲き始める。

 それが、脳の能力を開放し、神の心に在る全ての思考の価値観を受け取る道なのだ。知りたいと願うこと、その「知っている状態」で感じるすべての勘定を感じたいと望むことによってである。

 どんな望みでもそれを叶える一番の方法は何だろうか。あなたの存在の主=神から直接それを語ることだ。あなたの存在の主とは魂の事だが、それは感情体型を用いて身体を司っている。

 ホルモンの流れを分泌するような脳下垂体に指示が出るのは魂からなのだ
あなたの存在の内の神とは、あなたである全てを内包し、
全ての想念が存在の内に入ることを許す光だ。

 あなたの存在とは、物質の現実を身体という形と通じて体験してる自我の事だ。それが価値判断をもたらし、想念の純粋性、あるいは「在るという事」を変容させる。

 「変性自我」という言葉は、ここから来ている。従って、
自分の存在の主=神」から何かを語る時、あなたは自分の総体のバランスをもたらしているのであり、これこそが、自分の好きなものを具現化し、創造していく力をあなたに与えるのである。

 限りない思考(天啓)を受け取りたいと、自分の存在の主=神のレベルから望む時、その望みが満たされるという想念は、魂の内で感じられ、身体に投影されて表出し、脳下垂体を刺激するため、それが開き始める。

 脳下垂体が開くと、松果体を通るホルモンの流れが増え、眠っている心を目覚めさせるのだ。脳の別の部分を開放し、レベルの高い、より高度な思考の波動を全身で体験することを可能にするのである。

 レベルの高い波動の想念が入ってくると、それは脳の目覚めている部分を通るように導かれる。後頭部にある松果体が、この高い波動を受け、肥大し始める。このため、頭痛を起こしたり、少しめまいがしたり、何となく頭が軽くなった様な感じを与えることがある。

 この波動は、次に強力な電流へと変換され、中枢神経系を通って、あなたの身体の一つ一つの細胞へと送られる。これが、身体中をしびれる様な感じや、ぴりぴりしたり、持ち上げられるような感じを起こす。その波動は細胞一つ一つを刺激し、その振動する速度を高める。

 限界のない想念を受け取れば受け取るほど、身体はさらに大きく振動し、あなたはだんだん光を発するようになってくる。それは、あなたが身体を個体の密度から光へと逆行させ始めたからなのだ。

 限界のない思考がもたらす感じをあなたはどう説明するだろうか。それは無理なことだ。ある限り無い想念を知っている状態をうまく表す言葉はない。それは新しい思考の体験であり、新しい感情、そして深遠ながらも静かな形で自分を動かす、計り知れないほどのフィーリングを体験することなのである。

 知っている状態というものは、ある純粋なフィーリング、何の前触れもなく、それとわからぬような形で名前さえない感情としてあなたのもとにやってくる。

 覚醒を目指す人の殆どは、それが言葉という形でやってくると思っている。だが、もし今感じている言葉で表現できるなら、それはもう過去に感じたことがあるものだ。

 それが出来ないなら、ただ感じているだけなら、それこそが神髄であり、輝きであり、限りない思考だ。これまであなたが理解したいと思ってきたことは、どれも言葉を持たない。感情とビジョンがあるのみだ。

 そして知識が自分のもとにやってくる時、あなたは感情あふれて言葉を失ってしまう事だろう。
 思考を限定する技は、それに言葉をつけてやることにある。本当の師は何も説明しない。ただ知っているだけだ。

 説明するというのは、自分を限定しなければならないことを意味している。大事な点にくれば、あなたはただ単に知っているのであり、知っている状態を正当化したり説明したりする必要はないのだ。

 そうすれば、あなたはまさに自分の世界の主となる。絶対的な「知っている状態」にあるのだ。
 高い波動の想念から体験できた高揚感は、その後どうなるのだろうか。

 あなたの魂がそれをとらえ、記憶としてそこに永遠に置くのだ。魂は、感情、フィーリングを通じて、この限りない思考の記憶がよみがえることを許すのである。

 こうして、あなたの「知っている状態」はいつの時もそこにあるように補足されているのであり、自分が受け容れる事を許したものは、何度でも呼び覚ます事が出来るのだ。

 その高揚感には、今ひとつ素晴らしいことが起きる。魂が、オーラの場を通じて意識の流れへとそれを放射するのだ。これは意識の密度を高めるだけでなく、同じフィーリングを生み出す状況を人生に引き寄せてくるのである。

 なぜだろうか。その想念が体験を通じて完璧に理解されるようにである。波動の高い施工が完全に理解されると、それは智慧として魂に記憶される。智慧とは、その知っている状態があなたの内面で絶対的なものとして固まったことを意味している。

 智慧は魂の波動レベルを高め、次にそれが、魂の高次の感情の状態に人生全体を合わせていく働きをするが、同時に脳下垂体をあらためて刺激し、それよりもさらに偉大な、高い波動の思考を能が受け取ることを可能にしていく。こうしてこのプロセスは更に続いていくのだ。

 脳下垂体が開花し始めるにつれて、これまではとても可能だとは思えなかった様な形で、人生が変わってくる。考えることは全て、深い感情とともに感じられるようになる。

 自分の内面にある「知っている状態」が、創造的な形体へと変容するにつれて、想念がどんどん早く具現化するのを目にするようになってくる。愛、理解、そして慈しみの心が強くなる。

 そして、ある人々は自分の人生から消えていく。それは、あなたが違うレベルの叡智に到達したからだ。だが、その代わりに、似通った考え方の人達が自分のもとに引き寄せられるようになる。

 やがて、輝き、創造性、そして「知っている状態」が、自分の内面でどんどん強まるにつれて、以前は感じたことも知っていたこともないような事をあなたは感じ、知り始める。他の人間を見て、その人を自分の存在の内に感じるようになる。

 自分の思考から、これからやってくる日々の事を知ることが出来るようになる。
 サイキックな人間というのは稀有な存在だと思うだろうか。それはあなたが社会意識で物を考えているからに過ぎない。

 社会意識というのは、そういう偉大な力が実は案外普通のことかもしれないとは考えないのである。誰もがサイキックな力を持っているのだ!自分に知ることを許すなら、あなたはすべてを知る事が出来る。

 なぜなら、社会意識の幻影に抑制されない「知っている状態」は、目の前からベールを取り去り、あなたは他の次元が見えるようになるからだ。

 耳から障害を取り除き、すべての生命が、自分と調和の中で振動する音楽を聞くことが出来るのだ。では、どうすればそうなれるのか?それを望むことによってである。

 限りなくあることを望めば望むほど、そして底からやってくる想念を抱き、感じれば感じるほど、脳下垂体はさらに多くのホルモンを分泌し、その口状部は広がっていく。自分をそのまま愛したい、そして「知っている状態」で行きたいと望むほどに、あなたの存在を包む神によって能がどんどん開かれるのである。

 更に大きく、更に大きく開いていくのだ。するとあなたは、自分の身体以上の存在となる。自分を一つにしているもの、そのものになるのである。

 花はある思考の波動を出している。同時に。カーペットもある思考の波動を出しているのだ。すべての思考の波動を検知できる力を持った時、あなたは自分の好きな波動になることが出来る。風にも、他の何でも、自分が望むものになる絶対の自由を手にするのだ。

 やがて、脳下垂体全体が満開となり、能の全てが活動するようになる。すると、脳下垂体の内面にあった精神的なものは、すべての心の全体に与えられ、心はもう二度と以前の限られた状態に戻ることはなくなる。

 花が咲き始めると、それが閉じることは決して無い。これからもずっと開いていくのだ。
 能がすべての活動すると、現実の中に占めるあなたの位置が定かではなくなってくる。

 そのため、この場所にいても、同時に第七のレベルにいることも出来るようになる。第七のレベルにいながら、プレアデス星にいることも出来る。プレアデス星にいながらも、共のそばにいる事も出来るのだ。

 脳下垂体が満開となると、あなたはもはや死ぬことはない。
老いることもない。身体はあなたが命じる通りのことをするようになる。
身体に振動の速度を上げるように命じれば、それは別の次元に上っていく。

 事ほど左様に。あなたの脳は強力なのだ。身体を死んだ状態から甦えらせる事さえ出来る。そこまでの力を持った時、あなたは神の神聖なる王冠を身に着けているのと同じなのだ。

 純粋な神となる時、それは純粋な生命(無限の生命)ということだが、
あなたは永遠の存在となる。あなたは全て(ワンネス意識)になるのだ。
これこそ、最も壮大な天国(内なる神の国)なのである。

 偉大なる第七のチャクラは王冠を戴き、あなたの精神の全ては目覚め、完璧な「知っている状態」が。あなたの素晴らしいレシーバーを通じ、大挙して内面に入ってこれるようになる。多くを知るほどに、そして身体がその波動を体験するほどに、身体は早く振動し、どんどん軽くなっていく。

 そしてある日、あなたが愛し、心に抱いてきた全ての生、それに自分の魂が、ここでの体験を終える時、その「知っている状態」、その振動が、波動をさらに百万倍も加速し、身体は見えない状態へと入って、この次元から離れていく。あなたは生から生へという繰り返しの輪を抜けだしたのだ。
 

 あなたは三つの側面、つまり精神、魂、自我で出来た生物であり、それが個体という次元で自己表現をしている姿である。そして、その三つの側面全てがないと永遠を実現する事は出来ない。
 
 自分の存在の主=神に語りかけるのだ。それはあなたの言う事に耳を傾ける事だろう。その時、語っているのは、主であり、神であり、師であるのだ。覚えておくように言えば、それは覚えていてくれる。

 更に偉大になるように言えば、そうなる。そして、自分の主=神のレベルから、限りなき叡智を持ちたいと望むなら、それは貴方の心を開き偉大なる波動の思考が身体で感じられ、知っている状態が訪れるようにしてくれる。

 必要なのはそれだけだ。ただそうするように命ずることで、知っている状態が訪れるようにしてくれる。必要なのはそれだけだ。ただそうするように命ずる事であり、内分秘腺はそれに従うのである。そして、自分の存在に電流が走り、さらに偉大な叡智へと高めてくれるフィーリングがやってきたなら、内にある神に対し、それがこれほど単純だった事に感謝して欲しい。

 在るもの全てについて、どうすればもっと理解する事が出来るのだろうか。それを理解していると知ることだ。どう考え、何を語るかが、自分にどれほどの知識をもたらすかを決める。

 「もっと知りたいと思う」などと言ってはいけない」それでは決して知ることがないからだ。
そして、「もっと知るようにする」もだめだ。
「何かをするようにする」ということが、何一つ達成した試しはない。
「もっと知ることを求める」でもいけない。求めていたのでは決して見つからないからだ。

 「我が存在の主=神のレベルから、いま私はこの瞬間に
知るべきことを全て知っている。そうなるように!」
 そして、答えを待つのである。

 その時に何を知りたいと望んでいるか気付いていなくても、「私は知っている」と言うことがその気付きが起こる扉を開いてくれるのだ。それだけを言えば、知識は向こうからやってくる。

 自分の創造性と人生を限定してしまう一番の方法は、「分からない」と口にすることだ。あるいは、自分に閃く「知っている状態」を疑うことである。最悪の忌まわしい言葉が、「分からない」だ。

 忘れないで欲しい。貴方は法をつくる者であり、自分が考えること、語ることそのものが法なのだ。「わからない」と言えば、分かることはない。

 「出来ない」と言えば、決して出来ない。「自分は父なるものの愛に値しない」と言えば、それを受けることは決してない。そういうふうに語るのは、そういう風に思っているという事だ。

 そう思っているならば、その思考のフィーリングは貴方の魂に記録され、魂はその思考過程を実現した現実を表出させるのである。

 あなたはちょうどコンピュータのようなものだ。毎日あなたは自分の知識の中に「疑い」を入力している。「不足」を入力しているのだ。そして、知識の中に、「知らない」と言う事を入力している事になる。

 それでは自分の世界を自分で盗んでいるようなものだ。疑いと限界しか知らない貴方は、自分の考え方や言葉によって、生の力そのものを自分自身から奪い取っているからである。

 改めて言うが、今も、これからも、知り得ること全てを知る力を貴方は持っているのだ。その知識への扉を開くのは、ただ、「私は知っている」というだけの事であり、するとすぐにそれが実現してくる。数秒間か、数日かかるかは分からないが、それはやってくる。必ずやってくるのだ。

 なぜなら、「知る」という言葉は絶対であり、望みを絶対的なんものへと変えるからである。知るという想念は、魂の内に感じられ、それが貴方の存在の内部に投影されて脳下垂体を開き、さらに多くの想念が受け容れられるようになる。

 知るということは、思考の河が限りない流れであなたの中に注ぎ込んでいくのを許可するのを許す扉なのである。

 さて、知っていることは信念ではない。信念は推測の域にあるものだが、知っている状態は絶対である。知っている状態をもたらすものは、知るということだけだ。

 何かを感じると言う時、魂が理解するこの「信じる」という言葉は、まだ気付いてもいない。確信などもちろんしていないある真実の正しさについて、誰かが(場合によっては自分自身が)自分を責め立てて納得させようとしているという事だ。まだその真実が体験された現実となっていないからである。

 私は皆に信じて欲しいなどと何一つ願っていない。そうではなく、知ってほしいのだ!覚醒するとは、知ることなのだ。疑いもなく、信じることもなく、信仰や望みも無しにである。そういうものは全て推測だ。

 何かを信じる。あるいは信仰している限り、決して信じているようにはならない。知る、という事がそれを絶対のものとし、それがその知っている内容を見える形で表す。

 実感した想念を体験という形に表出させることを通じて、内面に理解が生ずる。そうすれば、それはあなたという存在の一部となり、自分自身を説得する必要のある性質のものではなくなるのだ。

 絶対的に知るということが、この世界のすべての創造主なのである。すべてを知る状態になるには、ただ「私は知っている」と言うだけでいい。絶対に疑いを持ったり躊躇したりしてはいけない。知ることだ。

 それも、絶対的に。「知っている」と口にする度に、それは自分の存在の内に感じられる確信の想念となり、今度は、そのことを知っている状態が生ずる場所を作り出してくれるのだ。

 才能とは、(叡智を)知るということの扉を開けて(神の媒体として磨き上げて)
偉大なる思考(天啓・インスピレーション)が創造的な形となって、
入ってこれるようにした時に生ずるものなのである。

 「自分の存在の主=神のレベルから、自分はこの事の
答えを知っており、それを受け取る状態にある。そうあるように」と、

不動の心(ワンネス意識・愛と調和)をもって言うならば、それが
「知っている状態(真理の知識)」を一つの決意
(ハートの理解を求める祈り・真理の体得)へと変えていく。

その時点ではまだそれが実感されていないかもしれないが、体験を通じてそれが実感され、底から叡智が得られるよう、扉は大きく開かれているのだ。

 あなたという存在は、すぐに「知っている状態」の現在の姿になっていくよう適応していく。それを達成するために、頑張る必要はないのだ。懸命に求めたり、苦労したりすることはないのである。

 それを得るのにマントラを唱えたり、儀式をする必要もない。ただ知るだけでいいのだ!知ることによって、あなたはその気付きを受け容れられる状態になるのである。

 自分の望みがかなるのを早めるのをどうすればいいのだろう。知ることだ。知るという事は、天界の天国が、その豊かな実りをを自己の世界の中で示すことを可能にする扉なのである。

 何であっても、ある望みが既に満たされていると知ることは、その望みの想念を増幅すると共に、自分のオーラの場を通じて意識の流の中にそれを送り込み、それが全うしたものをあなたが受け取るよう、具現化してくれるのである。

 真実を言えば、もう全てのものはすでに貴方のものなのだ。それが分かった時、皆がそれに手が届くようになるのである。

 自分に必要なものを与えられる第一の存在はまず自分であり、欲しいものを受け容れられる事をあなたは理解しなければならない。自分の望んだものを受け容れる方法とは、ただ自分の欲しいものを知ること、そして自分はそれに値するのを知ることなのだ!

 「知っている状態」というのは真実である。それは、与える者であり、貴方の未来でもある。何かを語る時、それは自分の言葉通りであることを知るのだ。

 自分の欲しいものは何でも手にれて構わない。自分が法を与える者であることそ知り、自分の知ること、語ることは全てそのとおりでなければならないと知ることによってそれが出来るのだ。

 それが、一の法則(宇宙法則・真理)と呼ばれるものである。



心を開くということ

自分を愛すれば愛する程、あなたの脳は開いていく。
そうするとあなたは自分の身体以上のものになる。
あなたを一つにしているもの自体になるのだ。

 もし、皆の言葉のすべてを取り去り、ほんの一握り残すとしたら、それはこうなる。「私はもう知っている。私は絶対だ。私は完全だ。私は神なのだ。私は在る」この他には何も言葉がなかったとしたら、あなたはもはやこの地上界に限定された存在ではなくなる事だろう。
 
 仮定する、信じることに比べて、知ることはあなたにとってどれほど素晴らしい事だろうか。

 「かもしれない」と比べたらどうだろうか。知らないでいる事と比べたらどうなのだろうか。知ることも知らないでいる事も、どちらもまったく同じ思考過程、同じエネルギー、同じ顔の表情、そして同じ身体の動きがいるのである。

 知ること、ただ知ることだ!「これが起きる事を私は知っている」「自分が神であるのを私は知っている」「自分が幸せなことを私は知っている」「自分が在る事を私は知っている」-----知ること、知ること、しることだ!

 必要なのはそれだけなのである。いつも知っている事だ。知らない、あるいは、知ることが出来ないと言えば、絶対にそれを知ることはない。もう知っている、と言う事。そうすれば、すべてを知ることが出来るのだ!

 あなたは私との違いが分かるだろうか?私は自分が限りなき神であるのを知っているが、あなたは知らない。違いはそれだけの事なのだ。私は自分が在る事を知っているが、あなたはそれをまだ実感しなければならない。

 社会はそうではないと言っている。だが、彼らに何が分かるというのか。自分たちを毎日埋葬しているだけではないか。

 自分を知るという行為をあなたは何故邪魔してきたのか。それは、思考が物質という形をとったものを理解しようとする中で、あなたの思考過程が物質界の現実にすっかりとらわれてしまった為に、あなたは性についての見方を根本的に変えてしまったからなのである。

 物質とは、思考を最も大きく変容させる事によって作り出される思考のレベルなのだ。それはまず、想念を光へと下げ、次に電磁場へ、そして今度はそれをプラス・マイナスを持つものへと分割する事によって作られる。

 従って、物質という形の神と繋がろうとするならば、あなたはその度に、思考の本来の姿である純粋さと分割できない「在るという事」ではなく、太極を持ち、分割されている想念を知覚し、理解しているのだ。

 物質に集中し、生存の方向を向いていればいるほど、生を対立する極という側面から見るようになる。
 「上-下」「遠-近」「明-暗」「大-小」「善-悪」
「プラス-マイナス」「速い-遅い」「熱い-冷たい」といった具合だ。

 純粋な思考の「在るという事」に戻るためには、変性自我、つまり、物質界で生きること、生き残っていく事を志向している脳の理性の部分を支配していかねばならない。

 変性自我とは、時間、距離、そして分離という幻影に従ってものを見る自分の事だ。それは、生存、そして容認されるという観点からものをみる部分なのだ。純粋な思考を分断し、審判を下すものなのである。

 純粋な思考は誰にでもやってくる。だが、速やかにあなたはそれが自分にとって正しいか間違っているかを確認しようとする。それをすべきか否か、可能か不可能か、現実化空想か、妥当かそうでないかを見定めるのだ。

 自分の想念を、プラスとマイナスの極がある所に分割する度に、あなたはそれを変容させ、その波動を下げているのである。

 「知っている状態」は、何も判断しない。知っている時、その想念が真実かとか正しいかなどと思いあぐねたりしない。全ての想念は真実であり、正しいのだ。知るということは、想念を秤にかけたり、値をつけたりはしない。

 知るということは、想念が、ただ「在るということ」でいるのを許すのだ。あなたの思考過程が邪魔されることも干渉されることもなく存在するのを許すのである。

 他の次元を見たり、もっと微妙な音を聞いたり、あるいは自分の体重よりも軽くなったりする為に必要なのは、そういうものが現実である事を知り、その知っている状態であると信じないと、その「信じない」と言う事は一つの価値判断となり、それはあなたの脳が力を増すのを妨げる。

 つまり、一瞬一瞬あなたの精神を通ってくる「知っている状態」にある思考は、すべて脳で跳ね返され、父なるものの精神へと戻ってしまうのである。するとあなたが受け取るのは、この次元での平安を保ってくれるもの、あなたをこの次元に限定するものだけになる。

 限りなく「知る状態」を自分の存在の主=神のレベルから望むなら、全ての想念が身体でフルに体験されるよう、余計な価値判断で変質させられる事なく脳意識の中に入るのを認めてやらなければならない。

 変性自我によるこの意識的な許容は、あなたの望みを真実として受け容れる働きをし、それを通じて脳下垂体は新たな部分を活動させ、それが限りない叡智を受け取れるようにする。

 
 何か創造的なアイデアが欲しいと思った時に、「突如として」それが浮かんでくるのを可能にしたのは何だったのか。それがあなたの「知る状態」へと入るのをあなた自身が許しただけなのである。

 あなたがしたことはそれだけだ。それはいつもそこにあって、あなたがそれを求め、自分のレシーバーへと入ってくるのを許すのを待っていたのだ。それだけのことなのである。

 そして、思考過程が価値判断や変質した思考などにとらわれる度合いが低いほど、超意識の想念が脳の受信器官に入りやすくなるのだ。

 自分自身と自分の人生を「在るということ」の目から見るのを学ぶことだ。花を手にする時、それが醜いとか美しいとか言わない。それは価値判断であり、その花の想念を変質させてしまうのである。

 純粋なのは、「花」という想念だ。花を見ても「花、光、生、ただ在るもの」として見るならば、それは貴方の体中に波動の高い電質を送る。

 そうすると、あなたはキリストと同じように考えている。すべてのものを等質のもの、ただ在るものとして見ているからである。自分の体験を限定したり、価値判断を下したりしなければ、その度にあなたは、日常の存在を超えた限りない想念を受け取る脳の活動を認めているのである。

 自分の受け取る想念に価値判断を下してはならない。何かプラスであるとも考えないことだ。マイナスも存在するといわずに、どれがどうしてプラスであり得ようか。

 もしあなたが、「これはいいことだ」と言ったら、それは、悪いものもあるという事を意味する。自分に優しく、自分を愛する時、自分は美しいとは言わず、自分は神である、と言うことだ。

 近所の人と一緒に何かをする時、これはいいとは言わず、これは神だと言おう。それは、そのことがただ在ることを意味する。それは、単に生における純粋で貴重な体験であるということなのだ。

 他の存在がそれぞれのせいで自己を表現しているのを見る時、ただ在るもの、という以外の見方を決してしてはならない。その表現をいいとか悪いとか、プラスやマイナスとして見ると、自分の内に変質した見方を作り出すことになる。

 そして、自分の知覚したものは、自分がそうなるものでもあるのだ。その想念は、自分の存在の内にフィーリングとして刻まれるからである。つまり、ああんたは自分自身を犠牲にすることになるのだ。

 なぜなら、あなたの価値判断の影響を体験するのは相手ではなく、あなた自身だからである。そして、魂に記憶されたそのフィーリングは、それから先の自分の行動と、自分自身の存在そのものを判断する前例をつくってしまうのである。
  
 誰かを責める時、それはその人の内に見える自分のある側面を攻めているに過ぎない。そういう面があればあるほど簡単に自分に見えるのは、このためなのだ。

 あなたの意識がそういう側面に向いてしまうのもこのためなのである。その他人は、あなた自身の内なる価値判断を映す鏡として機能したに過ぎず、あなたが他の人間から受容してきた自分自身に対する価値判断を、しっかりと見直すための道具としてそこにあるのだ。

 人を見る時、彼らをただ在る存在として、また「公平」という見方で見る事だ。もしある人間が他に対して残虐であったり、憎しみをもっているなら、その人が残虐であり、憎しみを持っているという事は真実だ。

 なぜなら、まさに彼らはそういう形で自己を表現しているからである。その表現方法が悪い、間違っている、邪悪であるというのと、それは一つの価値判断となる。そしてそれは、百パーセントあなたの体験となり、内に変質をもたらすのだ。

 誰も価値判断を下すに値する人はいない。肌の色、行為、どんなことであろうと、そのために自分を神なる状態、ただ在るという状態から変質させる価値はないのである。

 それが誰であっても、どんな形で自己表現をしていたとしても、そういう表現を許している神が内にいる彼らを愛するのだ。ただ存在しているという、その事だけで、人は愛されるべき存在なのである。

 存在しているというその事実だけでも、これから先その人がするどんな行為よりも偉大なことなのだ。彼らのその存在を愛するのだ。彼らが存在する限り、あなたもまた必ず存在していく。

 どんな人間であろうと関係なくその人を愛するならば、そしてその愛を在るがままで存在させるならば、あなたはいつも純粋な存在でいられるだろう。

 さて、自分の思考過程から価値判断を取り除く一番手っ取り早い方法は何だろうか。それは、もともとそういうものを生み出した自分のフィーリングや想念をまず意識する事によってである。

 この気付きを通じて、あなたは思考をより純粋にすることを自分に教えられる。

 幸せでないとか、悲しい、あるいは怒りや恐れ、焦り、あるいはとにかく自分が好まない感情を感じた時には、自分の思考を調べてみることだ。  

 やがてあなたは、自分や他の人間に判断を下したり、生というものを分断された側面や部分で見るような「変性思考」と、自分の不快な感情との関係性が見えてくるだろう。

 そして、もうこういうフィーリングにうんざりしてくると、あなたは自分と生との間を分断している価値判断を取り除き、思考を浄化し始めるのである。

 それにともなって、また自分の存在が限りない思考を更に体験していくに従って、あなたには自分の限りない思考と、平和、喜び、調和、そして身体の動きの軽さあんどとの間にある関係も見え始めある。

 それともうひとつ、自分が価値判断を下してしまうことについても価値判断を下してはならない。自分に慈しみの心を持ち、ただ自分の思考やフィーリングへの気づきが自分に教えるままにしておく事だ。それは必ず教えてくれる。

 これまで作り出された全ての言葉の中で、この教えに一番ぴったりするものがある。それは「在る」という言葉だ。どういう意味なのだろうか。

 それは、何であろうと自分に在るがままでいるのを許すこと、そして、そういう自分を完全に愛するという事だ。何でも今感じているものを感じ、その環状を生きることなのだ。

 「在る」とは、完全にその瞬間に生きることだ。今という瞬間しか存在しないことを知っているからである。それは自分のしたいことをするということであり、それを追い求めていくように魂が自分に強く望む冒険を生きていくことなのである。

 そういう生き方をすると、自分や他の人間、あるいは自分に生まれてくる思考に対して価値判断を下すこともなくなる。すると、善-悪、可能-不可能、完全-不完全、ポジティブ-ネガティブといったものも無くなる。

 この瞬間の美を感じ、味合うことを許さない時間という幻影がもはやなくなってしまう。ただ在る状態でいる時、そこには生の「在るということ」、それに今という瞬間の途切れなき継続性だけがあるのだ。「
 
 ただ在る状態では、思考は過去や未来を弄ぶことはやめ、罪悪感や悔恨の情、あるいは、「しなければ」や「するべき」などにとらわれなくなる。

 在るという状態では、特定の真実を固守することなく。あらゆる真実を吟味するようになる。全ての真実を在るがままの存在として見て、自分の在るという状態の中でうまく働くものかどうかを決めるため、それぞれについて詳しく探求することを認めるのである。

 そういう風に生きると、自分のもとにやってくるすべての思考は熟慮され、脳を通じて身体の中でフィーリングとして理解される。これがさらに多くの想念、知識、そして在るがままのものを招き入れるのだ。

 ただ在る状態でいる時、あなたはすべてのもの「在るということ」と同じ線上にある。その関係を通じて、何でも好きなものを手に入れられるのだ。そのためにする事といえば、ただ在る事以外、何もないのである。「
 
 あなたの存在の神が、自分の考えている事、望んでいる事を引き寄せてきてくれるのだ。それは必ずやってくる。あらゆる手立てを通じて外からこれを実現しようとする者は、この内面からの道をまねた取るに足らないまがい物を作っているのだ。

 ただ在る状態では、あなたはすでに全てを持っているのであり、すべてそのものなのである。
 ただ在る時、そして自分が全ての想念を受け容れることを許している時、あなたは神の声を聞くことが出来る。そうすれば、知りたいと思ってきたことは全て、瞬く間に知ることが出来るのだ。

 自分の思考に価値判断を下さず、それが自分の魂の内に感情として表出する事を許す時、あなたは一つの無限の神として生きている。単に「在るという事」、在るもの全てに対して心を開く事によってこれが可能になるのだ。

 あなたは自分自身が神なる事故の純粋な媒体となる事が出来て、神の精神の純粋な単純さに近づくのである。知ること、許容する事によって生きるのを学ぶのだ。

 そうすれば、あなたは変性自我を制したことになる。第七のレベル、第七のチャクラ、第七の天界を制したことになるのだ。第七のレベルでは価値判断は存在しない。

 生の途切れなき継続性があるだけだ。価値判断を制してしまえば、この次元の全てを学んだ事になり、いつでも自分の望む時にここを去る事が出来るのである。

 時間が生まれる前からずっとあなたを愛し続けてきたもの、あなたが生きてきた全ての生であなたと共にあったもの、そして身体の死、あるいはその昇華の時に傍(そば)にいることになるただひとつの存在とは、あなただ。

 あなたのこれまでの体験を受け容れ、それでも変わることなくあなたを愛せるのはあなただけなのだ。自分自身を心から受け容れ、愛する時、そしてその愛を自分の基準とする時、あなたは人間の社会意識を超越し、神のレベルの全体意識へと入っていく。

 あなたの存在とは、美を超えたものであるからだ。完璧さえも超え、法律や競技や社会の基準も超えている。それはそれは運命という領域、自己の実現、つまりは神の実現という領域へと入っていくものなのだ。

 生の「在るということ」の観点から見て、重要なのはこの事だけである。

 あなたは自分が考えるそのまま全てであり、自分に知ることを許したもの全てなのだ。全てのものである父なる存在が、あなた自身の姿であるのを知ることだ。それを知っている状態に入ることを通じて、あなたは、在りて在るもの全てとなれるのである。

 どんなものにも終わりが無いことを知り、しかも絶対なものは無いことも知ること。全てはこの瞬間にあり、これからも必ず続いていく。自分の思考の限界を取り払うのは、単にもっと偉大なる真実があると知ることだ。

 それよりも更に偉大な真実もある!この点を知るのだ。そうすれば、どの程度受け容れる準備が出来ているかに従って、それがあなたの内にひらめいてくる。

 自分を決して隷属させたり、怯えさせたりしてはならない。必ず道はあり、それよりさらにいい道もある。このことを知るのだ。そして、喜びへと通ずるあなたの道を照らしてくれる想念がやってくるのを許すのだ。

 自分の限界を直視すること。それを自分の心に抱き、受け容れるのだ。それを制するのだ!あなたが神の全体を知ることを妨げるものは、すべてなくす。

 罪悪感や価値判断を捨て去り、「知っている状態」、答え、そして喜びが自分の元にやって来られるようにするのだ。自分の恐れに直面し、自分にその幻影を剥ぎ取らせてあげるのだ。

 自分は永遠の存在であり、例え未知のものでも、あなたを幸福と喜びから引き離す事ができるものなど何一つ無い事を知るのだ。この地上界で体験しているよりずっと素晴らしいものを知ることを躊躇させてしまう恐怖は、無くしてしまうのだ。

 とにかくあなたは、遠い彼方からやってくる存在たちさえ恐ろしいと思っているくらいなのだから。巨大な宇宙船に乗ってくる兄弟たちは信じられない程の美を持っている。恐れをなくし、別の時間、別の空間、そして別の次元からやってきた別の存在と友人となれる力を持てるようにするのだ。

 より偉大なるものんある事を求める時、もしそのお手本となるような偉大さをこの地上界に探そうとするなら、あなたがなれるものは、どんなに頑張ってみてもこの次元にあるものでしかない。

 人間の限られた思考を超えるというのは、膨大なる叡智を持つ、目に見えない何かがあるのではないかと思い巡らす事なのである。

 それが誰かの口から出たに関係なく、真実は常に心を開いておくことだ。そして、自分のフィーリングをガイド役とするのである。賢者は、例え盲目であったとしても、なにが正しいのか自分の魂のうちで知っている。

 真実とは、あなたが踏みつける一本の草にもあるのだ。それは子供の笑い声の中にある。乞食の眼中の中にある。それはあらゆる場所に、あらゆるものに、すべての人々に、全ての瞬間にあるものなのだ。これを知らぬ者は神を知らない。

 なぜなら、神は在るもの全てそのものであり、例え一本の草であっても、ほんの僅かな瞬間のつぶやきであっても、在るものすべての源から自分を引き離す事は出来ないからだ。

 賢くなることを学ぶのだ。それがそんな形でやってこようとも、真実に耳を傾け、自分はそれを受け取るに値する事を知るのだ。

 天の王国は自分の内にあると知る者は賢き者だ。どんな想念でも、それを思い、魂の内に感じる力があるあなたは、天の王国への鍵を自分の内に持っている。それは感情という宝だ。

 感じることを学ぶのだ。髪を完全に知るというのは、一つ一つの想念を完全に感じることなのである。神であるその想念が、自分の存在の核、つまりあなたの存在の魂の内で感じられるまでそれを感じるのだ。

 自分の脳を直ちに全て活動させたいと無理な望みをしてはいけない。想念を1つずつ、体験を1つずつ重ねながら脳を開いていき、それぞれの想念があなたの内で固まっていくようにするのだ。
 
 何よりも大切なのは、自分を在るがままにさせてあげる事だ。ただ在ることによって、あなたは全てであるからだ。単に自分の「在るという事」そのもの、「我は在る」という本質である時、あなたは生命体全体と同じ線上に並んでいる。

 その時のあなたは、人間としての断絶した自分を、神と一つである自分へと変容させたのである。


体験の素晴らしさ

あなたは愛されている。愛についてあなたが持つ理解を超えるほど愛されているのだ。
それは、あなたが神、自分が誰か、何者なのかを理解しようと苦心している神として以外見られた事がないからだ。

 思考の探索という冒険の中で、あなたは人間という細胞体を通じて自己を表現することを学んだ。それは、人間の体験、つまり物質という限りない形体に生きる神の体験について、学ぶべきことをすべて学ぶためだった。

 この体験は、神について完全に理解するために必要なことだ。なぜなら、限りある状態を理解する前に、一体どうして限りないという状態が理解できるだろう。

 純粋な思考の膨大な広がりから物質という制限まで、上のすべてを理解する前に、神である自分のすべてを理解することがどうして出来るだろう。悲しみ、限界、そして死という幻を体験する以前に、喜び、自由、そして永遠をどうして理解出来るだろうか。

 この次元でのゲームや幻をあなたは大げさに、ひどく真剣に演じているが、その単なる目的とは、教え、成長させ、覚醒させること、言い換えればあなたを理解するのを助けるだけの事である。

 この人生とは、叡智という、人生で得られる最高のもののために自分が様々なゲームを演じ、幻を体験する舞台にすぎないのだ。

 では叡智とは何か。それは人間の内にある髪に全て属し、人間の魂の中に集められる素晴らしき宝だ。叡智とは、あなたが思考(つまり神)の領域への冒険の全てから得てきた感情の蓄積であり、この次元を去る時にあなたが持っていく、ただひとつのものなのである。

 貴方の素晴らしい衣服や、邸宅、すごいスピードで走る自動車などを持って行くとでも思うのだろうか。一体何を持って行くと思うのか?自分そのものを持っていくのだ。つまり、生という本質の内部への旅で得られた感情全てなのだ。感情こそが、人生の真髄なのである。

 圧政や宗教、政府の支配などの圧力、人種間の分断と迫害、あるいは男女、兄弟同士の分断などを通じて人類が学んできたものは、その全てが、神の地位をおそらく最も衰退したところまにまで貶めることを通じて実感されたものと言えるだろう。

 だがそれでも、戦いで他者を征服したり、他の人間の自由を拒んだり、女性を貶めて、男よりも劣る存在にする事は、それも実際に体験してみなければ、それがどんな感じか分からないものばかりなのだ。

 自分でそういうものを夢見てはそれを実現化し、その夢を意図的に体験する創造主にならなければ、それを感情として知ることは決して出来なかったのである。

 しかし、幾度もの生を通じ、一瞬一瞬を生きることによって、それはあまりに確率された現実となってしまい、ほとんどの人間は精神に異常をきたし、不安となり、この夢の中に埋没してしまったのである。

 人類が自分たちにこれほどの野蛮な行いをするのを許すこの神はどこにいるのか、とあなたは尋ねることだろう。そして、こんな残虐な行為が起こるのを許してきたなら、その神の愛なるものとは一体どこにあるというのか?

 それは、まず神はいつもそこにいたのだ。神はあなたのゲームや幻像の全てとなってきたからである。そして、神は間違いなく貴方のことをずっと愛してきた。なぜなら、貴方の夢をあなた自身が創りだしたそのままに体験することを許してきているのだからだ。

 あなたは、もともと自分でこの夢を創り出した事を忘れてしまったに過ぎない。そして、いつでも自分の好きな時にそれを変える選択がある事も。

 あなたは自分の幻像を大いなる苦難と哀しみへと織りなしてきた。自分の身体を壊すような生き方もしている。心はどこかにやってしまった。偶像を崇拝している。他者に対して批判の目を向ける。

 やたらと価値判断を下し、憎しみにあふれ、所有欲が強く、常に怖がっていて、そして間違いなく傲慢だ。この目的は何なのか。それは、そういう人生を生きることがどういうことかを理解する事だ。
 
 では、求める最終的な結果とは何か。決して死なず、永遠に生きる事。天の王国と呼ばれるものを理解し、心に抱く事。そして、神の顔を見る事。それが自分自身であるのに目覚めることなのだ。

  ここにいる光輝な存在達、自分の不安や、取るに足らない罠にはまっている者たちよ、あなたは自分が演じてきたゲームなどは比べ物にならないほど偉大な存在なのだ。

 そのゲームが、幻像の影の奥深い所に、あなたの真の姿である崇高な美を隠してきてしまったのだ。自分がどれほど強力で華麗な存在であるか知っていたなら、あなたは今のように自分を罵ったり価値判断を下したり、あるいは変質させてしまったりはしないことだろう。

 そのあなたの所に私はやってきた。私はこれまでの、そしてこれからの皆の姿全てである。私が来たのは、すでにあなたが自分の内に持っている「知っている状態」を再び呼び覚ますためであり、自分を見失い、罪悪感や恐れ、そして自己否定に苦しむ事をなくすためなのだ。

 私はなぜ皆をそれほど深く愛するのか。それは、あなたは、私でもあるからだ。あなたがそうであるものは全て、あなたという存在の広がり全てが、私にもなる。

 なぜなら、私は、あなたが元々自分の幻像を作り出す根本となる広がりそのものだからだ。「在るもの」である私は、ここで普通の言葉では表現できない愛だ。なぜなら、そこには何の条件もないからである。

 在るがままでいる皆を私は愛しているのだ。どういう形で表現をしていても、あなたはそのままで、私が深く愛する父なる存在そのものだからである。


天使より高き存在

 人類の一員になることは、それだけで聖なる体験である。
 なぜなら、人間になる時、あなたは神のすべてを体験しているからだ。


 私にとって、皆は愛する兄弟だ。私だけでなく、見えるもの見えないものを含め、すべての宇宙に在る、生命のすべてのレベルの、すべての存在と兄弟なのだ。

 私達は皆、神という存在の恩寵、知性を通じて、そしてそれよりもずっと大事な意味で、その愛を通じてお互いに繋がっているのである。その神とはもちろん、あなたがどんなに破天荒な事をしようとも永遠にあなたを支え、維持していってくれる素晴らしい思考のことだ。

 皆は全員が、かつては光を発する思考の片鱗だったのであり、それが永遠という途切れなきプロセスに向かって神が存在し続けていく姿になったのである。産休のためにさらに偉大な世界を建設するために、細部まで気を使い、多くの試みを重ねながら、あなたは物質という化身、あるいは別の言い方をすれば、「凝縮した思考」を作り上げた。

 化身を通じて、それまでとはまた違う次元の存在で自分を実現できたあなたは、神という思考パターン全体を探求できたのだ。この限りない創造性への冒険を通じて、かつては形を持たない光だったあなたは、自分を人間という細胞物質へと生まれ変わらせたのである。その過程であなたは神なる人間になったのだ。それは、人間という生きた生命体を通じて表現される神の知性の姿なのである。

 種としての人類は素晴らしい知性を持っている。自分自身の細胞構造に生命の息吹と生存のための本能的手段を与えただけでなく、神なる目的のために、自分の崇高なる知性をさらに高度化し、進化させるべく、それを化身として物質と融合させたのだ。

 進化の科学という創造物を通し、皆は、自分を「ネアンデルタール人」と呼ばれる所から、「ホモ・サピエンス」にまで進化させてきた。こうして人類は、この地上界で、木の遠くなるような時間と、数多くの試み、進化、そして辛苦を重ね、今の私の前に、直立歩行の存在となったのである。

 人は皆、「見る次元」と呼ばれる、生命レベルの高いこの場所において、自分の創造的知性の力を示し、その結果を目にするために存在している。ここには、あなたの愛すべき父である思考が、光から物質の密度まで、すべてのレベル、あらゆる形態で現実に表出し、存在しているからである。

 知性はどこにでも溢れていることはおわかりだろうか。本当にそうなのだが、ここ地球と呼ばれる皆の次元では、思考と物質の融合である人類が、今その進化の頂点にあるのだ。

 人類として、皆は自分たちが未開の存在だと思っているのだろうか。目に見えない世界にいる者に比べて、自分たちが劣ると考えているのだろうか。そんなことはない。いま皆は自分の永遠の思考プロセスを全て理解するという、とてつもない冒険に足を踏み入れている。

 人間という形の神にならない限り、神の最終的な絶対性とも言うべきものを理解する事は、決して出来ない。それは誰にも不可能なのである。なぜなら、神の王国は、光から電磁場へ、そして物質へ、形体へと拡張していく性質のものだからだ。

 つまり、神とは、思考の中の高い波動であるだけではなく、固体物質という、密度が最も高く、波動も一番低い思考の形でもあるのだ。

 まだこれから神なる人間になる必要がある存在は、神として完全な体験を持っていなければそれに思いを馳せ、すべての生命から叡智、智慧を得ることが出来ない。

 この次元に旅した者達、この次元の眼を見張るような世界の一部になると共に、それを進化させた者達、山々を動かし、色を創りだし、荘厳なるモニュメントを創造した者達だけが、愛や喜びや創造の精妙さを理解できるのだ。

 この旅人達だけが、あなたもその一員であるこの存在たちだけが、永遠を理解し、それを追い求める気持ちを理解したのである。彼らこそ、すべての生命の為に永遠というものを創造した張本人だからだ。
 
 物質の次元があるかぎり、生命が無限の創造性へと途切れなく続いていく事を嘉納にしてくれるからなのだ。だからこそ、男であること、女であること、人類であることは、まさしく一つの特権であり、誉(ほまれ)である。それはまさに神なる生き方に他ならない。

 皆が「天使」と呼ぶ言葉がある。このような神なる存在になりたいと願う者が皆の中に沢山いる。だが、天使でいることには大きな短所がある。彼らはまだ人間として生きていないために、理性のバランスというものがない。

 これから最終的には神の化身として人間になる存在ではあるが、いまだ単なるエネルギーの存在に過ぎないのだ。それん、彼らには人類に対する情けや悲しみの念といったものがない。実際にあなたになってみるまでは、目に見えない世界に生きる存在に、どうしてあなたのこの事が完全にわかるであろうか。

 人類は天使よりもずっと進化した存在だ。天使たちには、人間という限界の在る形で生きる神についての理解がない。このために、人間の喜びや哀しみなど、人類についての理解に限りがあるのだ。

 人類の一員になることは、それだけで聖なる体験である。なぜなら、人類になる時、あなたは神のすべてを体験しているからだ。人間になって初めて、天界の王国全体を網羅する領域へと旅したことになるのである。

 従って、人間になることで、あなたは自分を貶めたわけではない。これは絶対に理解しておく必要がある。もし、これまで人間になったことがなければ、完璧な形で天界に入ることは決して出来ないからだ。生命のレベルに降りたことがないのに、一体どうして天界に昇華することなど出来るのだ?

 あなたの内に燃える全能の神というこの火、それを理解するために人間になるのは、充分その価値があり、また賢い選択でもある。すべての生命はこの火でできているのだ。

 そして、人類と呼ばれるこの物質界での知性を通してそれを体験すれば、神とは一体何なのかについて、完全な視野を与えてくれる。そして、神の何たるかをすべて完全に理解できた時、内面、外面の宇宙や、物質、肉体、愛、喜び、哀しみ、それらが全て理解できた時、あなたは父なる存在そのものになるのである。

 さて、皆がこの次元にいるのは、いま宿っている化身の密度を通して神を探求するためだ。あなたのこの塑像的進化を支えているのが生命というものであり、それは原子をそのあるべき領域に保ち、地球を宇宙の中に浮かばせているのと同じ「生命の力」である。その生命の力には、ひとつだけ法則がある。

 つねに進化、拡張、そして成長を続けるということだ。いつの時も、あなたの人生の目的とは、生きることを体験し、そこから学ぶこと、学んだものに磨きをかけ、それを生命という法則の中に取り込んでいくことなのだ。

 あなたが今行きているこの過程が「創造」だ。創造的な思考と戯れているのであり、智慧と叡智を手にして、自分という大いなる神秘を解明していくために、物質を通してそれを表現しているのだ。しかし、また同時に、この次元はすべて幻でもある。

 三次元の世界が現実そのものであると皆は考えている。そうではない。人間がしているゲームは全て幻であり夢である。なぜなら、内科を感じる度にである感情がそれなのだ。真の世界とは感情という観点から見てのみ存在し、論理によってではなく、愛に則(のっと)って動いているのである。

 この世界は、もしあなたが自分の魂の内にある感情を通して知覚する目を持っていなければ、存在し得なかったものなのである。何もなくなってしまうのだ。この物質の天国は、すべてこの創造性の不思議な旅に参加する者達の魂の内に感情を起こさせるためだけの目的で創造されたのである。

 一体何故なのか?それは、智慧という、生命の中で最も崇高なもののためだ。智慧は知的な理解ではない。それはまさしく、体験から得られる、感情レベルの理解なのである。

 人生という偉大なる舞台が、あなたの世界だ。あなたが自分の幻を作り出すための土台なのだ。この素晴らしい舞台は、自分が望むどんな現実であろうと、夢を現実化するかの如く存在させられる機会を与えてくれる。

 なぜなら、神であるあなたには限りなき自由があり、どんな想念を持つ事も、どんな感情を感じることも出来るし、夢を現実化することも出来るからだ。そして、その過程のどの時点においても自分の気持ちを自由に変えて構わないのだ。

 この密度の高い次元に生きる理由は、その中に足を踏み入れる者に対し、感情の中にある想念が変われば、すぐ現実がその後をついてくる点を証明することにあるのだ。

 このことを把握できた時、この恐るべき創造力に気がついた時、内面にある、自分が神であることを知っている部分と同調するプロセスが加速されるのである。だが、人間としての体験がなければ、これを知ることは不可能だ。

 この人生は貴女自身が内面にしっかりと抱くべきものだ。熱き冒険とチャレンジあふれる豊かな人生なのだ。自分が成長し、なるべきものになるために自分が関わっていくべきことや、進化する機会を提供する開かれた扉を、周りにあふれんばかりに与えてくれるのである。

 では、なるべきものとは何なのか?あなたがまさしく神であることを教えてくれる、全ての体験の蓄積だ。神だけが、物質界に自身の栄光を示すような創造物を作り出す力を持っているのだ。

 あらゆるものに存在価値を与えるのはあなただ。人生という土台に様々なものを加えていくのはあなたなのである。この神の王国をさらに高め、栄光を与えるのはあなたなのだ。あなたはこの事を知らないが、それは自分が天使たちよりもいくらか低い存在だと考えてきたからだ。

 でもそんなことはない!まだあなたは分かっていないが、いずれすぐに分かる。もうすぐあなたに、様々な生命と虹と色が、本当の自分とは誰なのかを思い出させてくれるからだ。これが「覚醒の時代」というものだ。そうなった時、ここでの生活はどんなものになるのだろうか。自分がまさに神の精神の一部だという気付きを開花させるのは、誰もが必要とする事が当然となるだろう。

 これがわかった後は、どんあ冒険が待ち受けているのだろうか。あなたは永遠を手にする。思考の無限性を全て手に入れられて、物質や時間、空間、距離、そしてあなた自身をも含めた、すべての要素を再評価し、作り直すことが出来る様になる。

 皆が立派な存在なのは、長い旅を経て今の自分にたどり着いているからだ。そして、想念から光へ、電磁場の分裂へ、固体物質へ、そしてこの地上界へと、この旅では、全て在るものの内の神を知ることが常にその目的だった。

 皆は全員、この旅を成し遂げたのだ。これは立派なだけでなく、中々勇気のいることだと言わねばならないが、そおkには多少の危険もある。偉大なる不滅の自己からこの物質界へ変容してくる過程では、自分のアイデンティティを見失い、生存だけにすっかり囚われてしまう可能性が大きいのである。そして、ああ残念なことに、殆どの人間がそうなってしまっている。

 あなたは自分が一体なぜ、私の言う、この謎めいたことにわざわざ耳を傾けようとしているのかお解りだろうか。それは、今、私が話したことが真実であるのをあなたは知っているからであり、今ここにあるもの全てを最初に動かし始めた神性、その「知っている自分」に帰してくれる道を探し求めているからだ。

 自分の奥深い内面では、あなたは自分が物質の集まり以上のものであり、ただの肉体以上のものである事と、神なる存在である事を知っている。
  
 そう、まさにあなたはその通りの存在なのだ。あなたがここにいるのは、このことに気付くためであり、自分の真の姿である神なる本質を受け容れ、原初の光や、あなたの存在の始まりを与えてくれた思考の広がりは確かに存在することを、自分の内面で悟ることである。

 美しき存在であるわが主たちよ、あなたは風に生命を与えてくれた。太陽に今いる場所いるべき理由を与えてくれたのだ。あなたがその事を知らないのは、神の真の姿である生命の愛よりも自分は低い存在だといつも考えてきたからだ。

 私はあなた達が心から好きだ。私もあなたも同じ存在だから。あなたの幻を生き、あなたの夢となった。そして私の行ったところに、あなたも行く。だが、まずこの人生をしっかりと受け容れるまで、自分自身を受け容れることで神を受け容れるまでは、そこに行くことはならない。

 わが存在の深淵より、私はあなたに敬意を表する。あなたは真に偉大なる存在だ。本当に愛され、必要とされているのだ。まさに大事な存在なのだ。あなたはまさしく、生命そのものが存在する理由なのである。

「未知なる神」…とは、
宇宙に遍満する「全てを活かす愛」「無限の生命」
神の御心である「慈悲と愛」

 生きる、というけっして止むことのないプロセスに思いをめぐらし、
それをじっくりと観察して初めて、私には「未知の神」が本当は誰なのかがわかった。

 私はこう考えた。
 「未知の神」とは、人間の変質した思考から創り出された神々ではない。人間の心にある神々とは、単に彼らが最も恐れ、敬愛するものが人格化した姿にすぎないと気付いたのだ。

 そして、「真の神」とは、決して途絶えることのない「本質の部分」であり、それこそが、どんな形でも自分の選んだ通りの幻を創造し、それを体現して生きていくことを人間に許しているのだ。

 そして再び春がめぐり、人が次なる生を受け、またこの場所に戻ってきたときにも、それは依然として存在し続けているものなのである。

 「生命の力」と、けっして途絶えることのないその過程にこそ、まさに「未知の神」がおわすのだと私は気づいたのだった。

 「未知の神」とはいったい誰なのか。それは「私」……そして夜の巣にある鳥たちであり、葦に凍てついた霜、朝焼け、黄昏の空だったのだ。

 それは太陽であり、月であり、子どもたちであり、その笑い声であり、なめらかな脚であり、流れる水そしてニンニクと革と真鍮の香りだったのだ。

それは常に目の前にあった(全ての存在だった)のだが、
私がこの理解を得るには長い時間がかかってしまった。(P29)



様から引用させていただきました。心から感謝申し上げます。

デイリールーツファインダー様のラムサの教え26個の検索ページはこちら♪

我々の思考が現実に作用する仕組み、 我々が現実の創造を行えるようになるために必要な知識、そしてその具体的な方法をラムサが教える。
 今日も「ラムサの教え」から。お楽しみください!

「あなたが現実を創造する力を持っているならば、それはあなたがこの場(フィールド)、ちょうどここにある場(肉体の周囲の帯(バンド))に影響を与える力を持っていることを意味している。
ではこの場とは何だろうか?・・・ことなる段階にある(7つのレベル)のすべてだ。
 ・・・
 その場に影響を与えることができるものとは、あなたの何なのだろうか?もしあなたがここのこの存在(観察者)で、ちょうどここ(前頭葉)にある思考を持っていたとしたら、そのとき、あなたは自分の周囲の場に影響を与えているのだ。」(ラムサの教え P164)

 なるほど!

 足立育朗さんの波動の法則によると人間のボディー構造は一番中心に肉体(アーンプ体)、それから順にシン体、エーテル体、アストラル体、メンタル体、コーザル体、コアード体の7つの体でできている。

(波動の法則P177)ラムサの言う、肉体の周囲の7つの帯(バンド)とは、これらと一致する。

 これらの微細なボディーに影響を与えるのは「観察者」と「前頭葉にある思考」だったのだ。
 森田峯生先生などが想念観察の大切さを説かれるわけだ。我々が観察者になることに、現実創造の鍵がある。

 物質を構成する「クオークは第6レベル、第5レベルが陽子、第四レベルが核の閉核、第3、第2、第1は物質と反物質の競争、電子と陽電子と呼ばれるものの場である。
・・・7つのレベルの現実が一つの粒子の中に隠されているのだ。」(ラムサの教えP165)

 我々は「観察者」と「前頭葉にある思考」で、肉体の周囲の帯(バンド)に影響を与え、それが物質の粒子の対応するレベルに作用して現実を創造している。

 ジャン・スピラーの新月の祈りでは、自分に関する願いしかかなわないとされている。それは我々が思考によって我々の肉体の周りの7つの帯(バンド)に働きかけることによって、物質の粒子に影響を与えるからだ。

我々は自分の周囲の現実を創造するボディ構造をもっているが故に、我々は自分自身に関する願いしか実現化することができないのだ。

「これらすべての潜在力に満ち溢れた、信じられないほど豊かな大気を持っているのに、人々が転生に次ぐ転生をしながら同じタイムラインに留まっているのは、彼らのフォーカスされた意識の力を自分の肉体のニーズに引き渡してしまったからなのだ。・・・肉体は遺伝的自動操縦に従う。

 さて、肉体が自動操縦に従っている以上、それはすべてのものがあなたの人生のためにセットされているということを意味している。その中には新たに付加されたものも、なくなったものもない。すべてはセットされている。

・・・肉体はただ生き残ることしか知らず、生き残るための食べ物を必要とし、睡眠と排便が必要であるということしか知らないのだ。

・・・大抵の人々は、高い教育を受けても、決して生存のレベルを超えることはない。創造という自由な空間に入っていくことがないので、魔法のようなことが彼らに起こることも決してない。」(ラムサの教え P168)

 なるほど。我々が肉体の自動操縦に従っている限り、「すべてはセットされている。」すなわち、我々は運命の呪縛から離れることはできない。

「隠れたものを表に出させる力は、肉体ではなく、我々の中の観察者---我々の中の聖霊(スピリット)---がもっているからだ。

しかし、我々が弱く、物質的な自己のためだけに生きるなら、我々は空間に存在する秘密を明かし、現実へと固まらせるのに必要なフォーカスを決して開発したりはしない。」(ラムサの教え P169)

「あなたが一定の時間その想像力を持ち続け、それを受け入れるレベルにあれば、その思考はこの場(フィールド)に影響を与え、それまでにあったものは分解し、液体状態に入っていく、想像力がこの状態に再び影響を与えると、それは凝固し、過去とは違った新しい何かに変わって行く。」(ラムサの教え P170)

「あなたのフォーカスした思考が人生に影響を与えていると知った瞬間---それを本当に知ったとき---その瞬間から、あなたは自分の考え方を訓練することに気を配り始めるだろう。

 というものも、もしこの思考が好き勝手に走り始めたら、それはあなたを破壊するからだ。もし聖霊(観察者)があなたの思考の中で目覚めれば、それはあなたを解放する。喜びとは肉体的になることではない。肉体の奴隷にならずに、主となったときこそが、喜びなのである。」(ラムサの教え P170)

「私がある思考を思い描いたら、どうなるのか?ある一定の時間その思考をちょうどここ(前頭葉)に抱き続ければ、何が起こるのだろうか?観察者の法則を慎重に利用して、現実を創造する際に、同じ法則を適用できるだろうか?その通りだ。

 あなたが、それ(思考)をここ(前頭葉)に抱いた瞬間---完全なる受容状態で抱いた瞬間---それはあなたが、タイムラインを変える瞬間だ。すべてが変化し、流れの中に入っていき始める。」(ラムサの教え P172)

「あなたは過去を消し去らねばならない。なぜなら誰もが過去に基づいて未来を考えているからだ。では、何があなたをそこに留まらせているのだろうか?罪悪感、否定的な傾向、恐れ、変化への恐怖だ。

 では、あなたが人生の素晴らしい何かにフォーカスすると、何が起こるのだろうか?あなたの人生の多くが壊れ始める。なぜが?あなたが望んでいることが再形成されるためには、過去を繋ぎ止めているエネルギーが解放されなければならないからだ。」(ラムサの教え P173)

「あなたは自分が成功者なのか失敗者なのかと自分自身を裁くのをやめる。あなたは自分の過去に罪悪感を感じるのをやめる。なぜなら、罪という考えに留まる限り、決して未来を持てないからだ。

あなたは「敵を許す」。というのも、
あなたが彼らを許したとき、「彼らもあなたを許す」からだ。
それは「自分自身を愛する」ということだ。
敵をもち、それをずっと心の中に持ち続けることは、
大きなエネルギーを必要と(消費する)するのだ。」(ラムサの教え P174)

「人々に間違いをする余裕を与えなさい。だからどうしたというのだ?
彼らは叡智を得ようとしているところなのだ。
美徳とは禁欲して生きることではない。
(※禁欲は真理ではありません。古代の修行者の間違いです)

美徳とは人生でやりたいことを実行することだ。
人々に十分な余地を与えるのだ。
彼らの過ちを探して(責めて)はならない。
・・・

 両親があなたを適切に育てなかったとしても、「両親を許しなさい」。
人を適切に育てる方法を知っているものなどいない。」(ラムサの教え P174)

「眠りに就く前に、心静かなときを持ち、そのことについて考えて欲しい。そして、あなたが人生で起って欲しいと望むことを三つ考えて欲しい。ちょうど三つのこと、三つの夢だ。何でもかまわない。

 聖霊をさらなる栄光で満たすものかもしれないし、明晰夢のような明晰な人生を持つことかもしれないし、信じられないほどの富かもしれない。あなたが受け入れられるものなら何でもいい。書いているものを受け入れられないならば、あなたがそれを手にすることはない。

 だから夢の部屋にもどり、自分が道の途中で失ったものを見つけなさい。あなた方のほとんどは、子供の頃にそれを失ってしまった。そこに戻って、自分に起ってほしい何かを見つけなさい。

 ただし、それが自分の受容できる範囲内にあることを確かめなさい。それからそれを書きなさい。そして、それぞれに絵を描きなさい。三つ書き終わったら、自分自身のことについて思い巡らしなさい。

 そしてフォーカスして欲しいのは、自分自身の変えたいことだ。そして、どんなことでも可能なのだ。永遠に過去に縛られるものなどない。

ほんの一時的なものだ。自分の不足、疑い---何でもいい---病気などにフォーカスし、それを書きなさい。

あなたの人生で変えたい三つの事柄とは何だろうか。それを書き出して、それぞれに一つの絵を描きなさい。あなた方にして欲しいことはそれだけだ。

 それから眠りに就く前に---テレビを見ることなく---心の中に崇高な思考を持って眠れるように、読書をしなさい。では、あなたが読む必要のあるものとは何だろうか?量子力学についての本を読みなさい。

 現実を創造することについての本を読みなさい。次の人生という概念や次の人生で誰になるのかとうことについての本を読みなさい。

あなたの聖霊(スピリット)のための食べ物を自分に与えなさい。体のためではなく、聖霊のためだ。それを脳に入れてから眠るようにしなさい。」
(ラムサの教え P176)
So be it.(そうであるように)


から引用させていただきました。心から感謝申し上げます。

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今日もラムサの教えから

 「あなたは残りの人生で何をしていくつもりだろうか?あなたは何をするつもりなのか?あなたは残りの人生も働き続けるつもりなのだろうか?残りの人生の間、あなたは酔っ払ったままでいるつもりなのか?

 残りの人生の間、自分自身を哀れみながら生き続けるつもりなのか?
あなたは何をしていくつもりなのか?

あなたは子を生み、彼らに生まれたことを後悔させるつもりなのか?
あなたは死ぬ日までいったい何をするつもりなのか?
あなたの予定表には何が載っているのか?
・・・
 現代の新しい知識は哀れで貧弱なものだが、そのほとんどは意図的にそのようにされている。
というのも、人々がすべてに気づき、すべてを知ってしまったら、どの政府も存続できないからだ。

 人々が現実を創造する力を身につけてしまったら、商業主義は生き残れない。そのため、この文化には、人間の神性を軽視し、皆から個人の思考を奪おうとする陰謀的な意図が存在している。

人々を画一化し、同じものを信じさせ、同じ行動をさせ、
同じ製品を買わせ、同じ姿にすることに熱心なのはそのためだ。

 というもの画一化すれば支配できるからなのだ。個別化には予測不能なところがある。政府は制御、分類できる民衆と自らを繋ぎ止めておかなければならない。
そして、誰もが同意したときのみ政府は権力として生き延びることができるからだ。
・・・
 この教えは、脳や霊的な体やその開発レベルについてのものである。
この教えはとても率直に「自分の人生を変えるために必要なものすべてをあなたは内面にもっている」と言う。

 今、私を含めて、ここにいる誰かがあなたを変えようとしているだろうか?していない。あなた方は忘れられた神々だ。

あなた方は忘れてしまっているかもしれないが、それでもあなた方は神々なのだ。その真実を忘れてしまった唯一の存在たちがあなた方なのだ。

 一人の神として生き、未知なるものを既知にするという責任を果たすためには、自分自身の意志を持たねばならない。
・・・あなたがこれらの知識を使わなかったとしても、それはあなたの意思なのだ。それはあなたが正しいとか間違っているとかということではない。
単にそれがあなたの選択だという意味である。」(ラムサの教え P183)

「あなたが体験するまで、その知識が真実になることはない。そして、あなたが自分の批判的な心に立ち向かうためには多くの真実が必要だ。

あなたには必要なのだ。誰かに「あなたには自分を癒す能力がある」と言ったところで、彼らがそれを信じていなければ、それは彼らにとって何の意味もない。

 さらには、あなたが「私は裕福になりた」と言ったところで、それはあなたにとって何の意味もない。

もし、あなたが裕福になりたければ、座り、信じられないほどの富のカードを作り、その絵を描き、毎日1時間ずつそれにフォーカスしなさい。
あなたのフォーカスがそれになるところまでやるのだ。

 あなたのすべきことはそれだけだ。そうすれば、あなたはそれを手にする。・・・だが、あなたがそれを使わなければ、それは機能せず、それが真実になることはない。」(P184)

 「あなたが飽きるまでそれをしなさい。それから、自分の責任を果たし、「見よ、私が本当に望むならば、それを手に入れるだろう」と言うのだ。それは、そのように働く。純粋な信念は瞬く間に起こる。

 完全な治癒、癒し、回復は瞬間的に起るものだ。あなた方の多くがそれをするのにそんなに時間がかかってしまうのは、疑心暗鬼に満ちているからだ。

もしあなたが、それを取り除くことができれば、瞬時にあなたの望むすべてのものが適切なところに現れるだろう。
あなた方がそれを現実化するのに、それだけの時間しかかからないのだ。

 見ての通り、あなた方はここにいる(第1天界)。このタイムラインの中では、何かが現実化するまでに長い時間がかかる。

 しかし、もしあなたの肉体はここ(第1天界)にいても、あなたの意識がここ(第7天界)にいたらどうなるだろうか?

あなたが第7レベルの存在の信念を持っていたら、どうなるだろうか?我々はそのような存在をマスターと呼んでいる。

 彼らは肉体をまとって生きているが、彼らの精神とエネルギーは第7レベルにあり、彼らはここにある肉体に入ってそれを使っている。だから、肉体はここにあるが、意識はここ(第7天界)にあるのだ。

 彼らが何かを言えば、どれくらいでそれが起るだろうか?直ちに起る。もし、あなたがここ(第一天界)にいて、自分の胃や体のことや中毒のことしか信じていなければ、それが起るのにどれだけ時間がかかるだろうか?
・・・それは過去に意識をフォーカスしている。だからとても時間がかかるのだ。」(P186)

 この部分は神坂新太郎先生が「ルーツファインダーを4次元で運転していると思えば、通常の家庭電源で運転でき、5次元で運転していると思えばアナログ電源でなければ運転できない。」といわれるのにそっくりだ。

そして、肉体をもちながら5次元を行き来される先生が、
「思いは実現する」とご自身で経験されたことと一致する

 再びラムサ。
「もしあなたが自分自身をまったくの受容状態にすれば、直ちにそれらすべてをあなたは得る。すべてが壊れ始める。修羅場になるだろう。すべてが壊れるのは、あなたの現在の状況を結び付けている糊がエネルギーであり、あなたのフォーカスだからである。あなたがフォーカスを変えた瞬間に、それは引き離され、エネルギーのすべてが消散する。

 人間関係が変わり始める。あなたは仕事から解雇される。あなたの猫が足に噛み付き、あなたの鳥は逃げていく。あなたの犬は凶暴になる。すべてが壊れるのだ。

 さて、私はあなたにそれが起るのを期待して欲しい。その理由がわかるだろうか?物事が崩れ去るのをあなたが見ているということは、単純にあなたが物事に対する態度を変えたということを意味するからだ。

 そして、あなたがそれに対する態度を変えた瞬間、その変化はそれを引き離す。すべてが粉々に壊れる。その後、あなたがその態度をここに保ち続ければ、それは再形成される。同じエネルギーだ。同じエネルギーがあなたを病気にさせる。

 あなたが向こう見ずな生活をし、それが健康によくないという警告を聞いて、それを信じれば、それはその通りになる。

 しかし、破壊の原因になったその同じエネルギー---それは同じエネルギーであり新しいエネルギーではない---あなたの精神がそれにフォーカスを取り去った瞬間、破壊の原因であった同じエネルギーはその破壊を解放することができる。

 精神が変われば、そのエネルギーは分解し、その同じエネルギーを集めて輝く健康として再構成するのだ。何人が理解しただろうか?

 So be it.(そうなるように)」(ラムサの教え p187)

 なるほど!ものに原因があるのではなく、私たちの意識のフォーカスが原因だったのだ!そうだったのか!

 この人類規模のフォーカスの変化で、今現在の人々を画一化する社会を支える糊のエネルギーの消散しはじめ、これが地上の浄化、大変動と呼ばれる現象を引き起こすのだろう。

 我々は古い秩序の崩壊に飲み込まれるのではなく、自ら意志をもち、進んで画一化を排し、ぜひエネルギーの輝く再構成の波に乗っていきたい!!!



様から引用させていただきました♪

やっぱりラムサはいい。
ラムサの中で、言われている一番心をゆさぶる言葉はこれだ。
意識とエネルギーと脳が精神を創造する。
意識とは何か?

生命の織物のようなものだ。
(真の)意識は「一つ」の目覚めている状態
(全体意識・キリスト意識・ワンネス)であり、
意識それ自体がすでにエネルギーを含んでいるからだ。

意識とエネルギーは必然的に組み合わされている。
それらはひとつであり、同じものなのだ。
無意識エネルギーなどというものは存在しない。

意識とエネルギーが現実を創造している。
それは単に意識とエネルギーがなければ、現実は存在できないと言うことを意味している。

結局、現実とは自己認識だからだ。

さて、脳だ。
あなたの肩の上のったメロンのようなもの。
それはこれまで創造された最も偉大な器官を包みこんでいる。
あなたはそこに脳を持っているだろうか?
意識は細胞に生命を与える。
脳は意識とは違う。
脳は思考を作り出す。
一つの思考は一つの精神にひとしい。

脳は思考を創造する。
一つの思考は精神にひとしい。

思考があって精神ができる。
脳は思考を作り出すから精神ができる。

意識とエネルギーは大いなる源である。
それが生命を与えるのは一つの思考であるが故なのだ。

肉体、つまり人間の肉体は脳を含んでいるが、
脳は意識とエネルギーの流れに乗るための乗り物なのだ。
意識とエネルギーがその原動力なのだ。

脳の仕事とは意識とエネルギーの衝動を脳神経レベルで取りだし、
思考を作り出すこと。

脳は実際に意識の流れを切り分け、脳の中にニューロン伝達路にある路
にある道筋の通った思考体に入れて蓄積する。

つまり、脳は思考を記憶することができるのだ。
それが脳の仕事だ。

だから、脳がそこにあるのは、その中を移動する意識とエネルギーの流れ、
を切り分け、脳の中でニューロン伝達系にある道筋の通った思考体に入れて蓄積する。
つまり、もうは思考を記憶することができるのだ。
それが脳の仕事だ。

だから、脳がそこにあるのはその中を移動する意識とエネルギーの流れとともに昨日するためなのだ。
シナプスを発火させながら、ここで、あなたにイメージを与える。
精神は意識とエネルギーではない。
それは生産物だ。

我々がそれらの記憶をすべてをつなぎ合わせたとき、その時初めて
私はその人の心が好きですと言うのだ。
これは哲学だ。
真実ではない。

真実とは
あなたが真実として知っているもののみが真実である。
それを哲学として受け入れなさい。
そうすればその哲学を応用すれば、その哲学から真実が現れるだろう。

感想:脳を使わないと源のエネルギーに触れられないってことだよね


ラムサの教え (19)様から引用させていただきました。
心から感謝申し上げます。本当にありがとうございます。

デイリールーツファインダー様の

去年の暮れD氏情報を知ってからD氏関連の情報を随分とりあげてきた。
 
 D氏は以下のように書いている

「今回この宇宙の大天使の中から2人の覚醒者が出たため、彼らが新たに長老の列に加わることになります。おそらく他の7つの宇宙の大天使の中からも覚醒者が出ているものと思われますが、今のところ正確には把握しきれていませんので、今回はコメントを控えます。

そして新長老の2人(のちに各3人に分身する)というか2組は、他の7組の方たちと一緒に、もう間もなく新しい宇宙を主宰することになります。現在の私たちが今いるこの宇宙は、このまま継続します。

そして、新長老となる2人の大天使とは、ひとりは私のところに遊びにみえてる大天使カフィエルその人であり、もうひとりはこのHPでもうおなじみとなったアンマなのです。

ちなみに大天使カフィエルの覚醒は、後期レムリア時代で、その時の物語は一連のラムサ本として邦訳されています。よろしかったら参考にして下さい。」

 アンマについては、この度しかと抱きしめていただき祝福していただいた。ありがたき幸せ。そうかぁアンマは新しい宇宙の神さまになられるのだったか!宇宙の神さまの魂に肉体をもってハグしていただけるなんて、そうそう経験できるものではない。
 今生ありがたくもご縁をいただけ、何冊かアンマの本も読んでいる。ぜひこれからも学んでいきたい!
 もう一人の我々の宇宙が生み出した大天使カフィエル=マスターオサイリス(オシリス)=ラムサからもぜひ学んでいきたい!

 そのラムサ本が私のD氏関連最後の積読なのだ。
 ラムサが肉体をもっていた時代はレムリアに遡る。その始まりは決して幸福なものとは言えなかった。

 ラムサはレムリア時代に自分の仲間の目の前でアセンションし、現在はアメリカのJ.Z.ナイトという女性を通じてメッセージを送っている。
 今回は「ラムサの教え」という本から彼の教えの概要を紹介したい。

「教えを伝えるときに、女の体を通じで出てくれば、神は父であるだけでなく、神は母でもあるということに気づき、さらには、神は父でも、母でもあり、またどちらでもないことがわかるだろう。」(P16)

「これまで与えられた最も偉大な教えとは、本当にあなたは神であるということだ。そして、人生は、神という神聖な存在の贈り物と呼ばれるものであり、未知を既知にし、過去生での未完成の仕事を片付けるため、光のレビューで生まれたひとつの機会なのだ」(P9)

「意識とエネルギーが現実を創造する。
 脳は、意識とは違う。意識は細胞に生命を与えているものである。脳が意識を作り出しているのではない。脳は思考を創造するものだ」

「意識とエネルギーは、大いなる源である。意識とエネルギーが生命を与えるとき、それが生命を与えるのは、ひとつの思考のためだ。」(P23)

「神の定義とは意識とエネルギーだということだ。それはあなたの定義でもある。」(P25)

「あなたが意識とエネルギーが現実を創造していることを理解しなければ、あなたは常に次のような文句を言い続ける。「でも」「なぜ」「私にはできない」「難しすぎる」「失敗」「足りない」だ。あなたはずっとそれらすべてを持ち続けるだろう。そして、素晴らしいのは、その意識とエネルギーが、障害物を創造しているということだ」(P26)

「あなたは「何もない」という言葉の意味を知っているだろうか?物がないということだ。あなたはその何もない広大さを思い浮かべるころができるだろうか。そう、前からあったし、今の存在している。
・・・
ずっと存在している。強力なものだ、我々はこれをこう呼ぶ 空(くう)だ。
空は、物質的には何もない広大な無であり、すべてが潜在的な状態である。」(P29)
「宇宙空間とは何なのか?重要なのは、見えていて目を眩ませるものではなく、それをそこに居させている、何もない無の方だ。それは何なのか?無とは、すなわち空だ。それが、光や星座や星系や星雲の元だということがあり得るだろうか?その通りだ。それは空と呼ばれている。空とは何だろうか?それこそが時間、距離、空間がなくても存在するものなのだ」(P32)

 これは般若心経ではないか!

 ラムサの教えの基礎は以下の4つだ。
空 物質的には何もない広大な無であり、すべてが潜在的な状態。
意識とエネルギーが現実を創造している。

あなた方は神であることを忘れた神である。
我々の目的は、未知を既知にすることである。
 空とは仏陀のシュンニャータであり、神坂先生の天然エネルギーであり。
 思いは実現する、思考の物質化、引き寄せの法則である。

 ぜひラムサの教えを実践し、未知を既知にし、自分が神であることを思い出し、意識とエネルギーで現実を創造方法をマスターしていきたい!


様から引用させていただきました。心から感謝申し上げます。


  脳があるレベルの意識を具現化し、その意識がきわめて優れた脳をつくるということは可能なのだろうか?脳がキリストの脳になることは可能なのだろうか?それは可能なのだろうか?

  可能である。脳には神になる能力があるのだろうか?脳にはそれができる。そのように創られているからだ。そうであるならば、そして我々のパーソナリティーがスピリットとの力強い合一と同意に達したとするならば、我々のマインドが神のマインドになることは可能だろうか?可能である。

  それはどういうことだろうか?自由である我々は、それが何であろうと、・・・つまり我々は自分の苦悩や苦痛や苦悶から自由であり、苦々しさや失望から解放されているわけだが、過去をまったく持たない我々は、どんな夢でも見ることができる素晴らしい自由をもっている。

  それがどんなに途方もない夢であろうと、我々の脳はそれを思い描くチャンスを捉えることができ、その夢の複製をつくり、物理的にその夢になることができるのだ。我々はそのような脳をもっている。

 我々は真実を話すがゆえに、そのような完全な自由に値するわけだが、我々が完全な自由の中で夢見るならば、我々は自分の肉体を不死にすることができる。我々の肉体は絶対に死ぬことはないし、絶対に老化することもない。

 我々がそのような夢を夢見るならば、我々の脳はその夢にピッタリと合った化学物質をつくることができる。そして偉大なる第七シールである脳下垂体は、この肉体を無限の彼方へと連れて行くことができる。脳下垂体はそのようにプログラムされている。

 仮に体内に20種類か22種類のアミノ酸があるなら、・・・言っておくがアミノ酸の種類はもっとある、たんにまだ発見されていないだけだ。そしてこれらの重要な化学物質の中には、あなたが成れる最高の可能性がすでに暗号としてプログラムされているのだ。

 マスターはいかにして永遠に生きるのだろうか?彼らは実際に永遠に生きている。なぜなら彼らが自由になるとき、彼らは永遠に生きることを夢見るようになり、その夢を曇らせるものは何もないからだ。

 彼らの中には後悔や恨みや悲しみは存在しない。苦悩や犠牲者意識も存在しない。その夢の障害物となるようなものは何もないのだ。脳がその夢をしっかりと刻み込み、肉体がそのとおりになるのだ。どんなレベルであろうと我々は超越することができる。

 その時、我々はグレートワークを達成したことになる。我々はここにやってきて、ここで創造し、ひたすら克服し続けてそれになったのだ。我々は水の上を吹く風としてここにやって来て、肉体という粘土と一体になったわけだが、そのような風としてここを去る。

 つまり肉体という粘土を、水の上のちりに変容させるのだ。我々は足あとを残さず、肉体も墓も残さずにここを去る。我々はそのようにしてここを去る。

脳は不死を創造したり、健康を創造したり、それ自身の複製を何度も創造したりする能力をもっている。あなたは何でもできるのだ。あなたは制限されておらず、生化学的に見ても制限されていない。あなたはただ意識の優先順位、マインドの優先順位、つまりパーソナリティーの優先順位によって制限されているだけだ。  
                           
 あなたはどちらの側に立つだろうか?肉体の側だろうか、それともスピリットの側だろうか?あなたがこの学校で学んでいるなら、そろそろ自分を解放するような根本的な変化を恐れずに起こすときではないだろうか。つまりあなたを欺瞞から解放する変化だ。

 他人を欺くことは、魅力的で神秘的なものに見え、あなたはスリルを味わいながら狡猾に振舞うことができるかもしれないが、最終的には嘘は必ずバレるものである。あなたはライトレビューで自分を振り返って唖然とするだけである。   
           
 つまり自分が愚か者としてこの人生を浪費してしまったことに気づいて、あなたは唖然とするのだ。あなたは何も見逃してはいないが、真実だけは見逃している。

 あなたはいろいろなことをして楽しむが、楽しむとはどういうことだろうか?それは感情である。だがあなたは真実を見逃がす。このことを忘れないように。隣の人間に今夜あなたが学んだことを説明しなさい。あなた方の何人がここまでの話から何かを学んだだろうか?

 学んだだろうか?マスターになるためには、何が必要なのかをあなたは理解し始めただろうか?変化が重要である理由を理解し始めただろうか?


ラムサの教えから引用させていただきました

第2章 意識とエネルギーが現実の性質を創造する

 もし、あなたが自分自身の罪の犠牲者になっているならば---沢山の酷いことや恐ろしい事をしてしまって、本当に罪深いので自分は特別だと思っているなれば---
 私が教えていることを受け入れるのは困難だと感じだろう。

 なぜなら、あなたが自分の現実を創造していると私は教えるからだ。そして、もしあなたが犠牲者ならば、それはあなたがそのように決めたからなのだ。

 あなたがこの教えを好きになれないのは、自分の苦痛や制限や欠乏を誰かの責任にしたいからだ。それは貴方の責任だと私は言う。そして、あなたにとって、それは嫌なことだろう。

 聖霊は同意するが、脳はそれを受け入れない。なぜなら、脳は自分を傷つける者の名前も言えれば、自分を失望させる者の名前も言えるし、この教えを疑う理由も言えるからだ。

 それは、他の誰かの過ちであり、決して自分の過ちではない。人間の脳は傲慢なのだ。違うだろうか?
 あなたにとって、それは嫌なことだろう。

 それに、あなた方はみな神であるという概念についても、受け入れるのに困難を感じるだろう。なぜなら、あなた方の何人かは、未だに神は天国と呼ばれる不動産に居て、彼---もしくは彼女---が全ての糸を操っていると信じていたいからだ。

 貴方の人生で何かが壊れるような事があれば、神の思し召しだ、神が私を見張っている、などと言えるからだ。

 神とは、天国にいる都合のいいイメージのことだ。なぜなら、神がそこにいる限り、それは、あなたの不行為を罰する存在だからだ。あなたの愛の不足、思いやりの不足、そして悪い思考を持った時に、あなたは天国のどこかで神から罰せされる。

 そして、あなたが救われたいときには、それができる誰かに救いを求める。なぜだと思う?自分で自分を救うことが出来ないと思っているからだ。

 宗教における神は実に素晴らしい働きをしている。しかし、私は言おう。天国と呼ばれる一片の不動産は、実はあなたの内面にあり、あなたが信じることがその通りになる事を許してくれている。
 
 だから、貴方の神は、あなたの罪をすぐにでも許す事ができる。あなたの不足を許す事もできる。今日にでも、あなたは犠牲者であることを止められる。今日、あなたは病気を止めることができる。今日、悪魔を信じるのを止め、自分自身を信じ始める事ができるのだ。

 あなた方の幾人かは、救世主が必要だから、それが嫌なことだろう。あなた方は神が戻ってきて、自分を連れに来る瞬間を待ち望んでいるので、この教えが好きにはなれないだろう。

 この教えは、あなたが信じていることと相容れないものだろう。なぜなら、私が言っていることや私があなた方に教えようとしている事は、あなた自身の事であり、貴方の内面にあることだからだ、

 ここにいるあなた方の殆どは、自分で何でも現実化できるという事を信じていない。あなたは自分の不足を受け入れてきた。あなたにとって、これは反することだろう。だが、
「自分自身を信じれば、すべてが可能である」という法則が働き始めるだろう

第三章 自己の起源

あなたの内面の神(無限の生命・大愛)に挨拶をしよう。
我々が神の宿る所を忘れないように、乾杯をしよう。

おお、私の愛する神よ、
私は今日、
私が学ぶことを呼び起こします。
私はそれを体験することを期待します。
神は私の人生を祝福し給う。
そうなるように。
生命に。

教えを説明することの大切さ
 
 さて、これ以降、あなた方は多くの哲学を学ぶことになるが、この哲学を学ぶにあたって、それを私のものからあなたのものへと変換して欲しい。

 それは、今日、あなた方に要求されていることである。注意して欲しい。聞きなさい。言われていることに集中して欲しい。

 なぜなら、私は頻繁に話を切って、あなたが学んだことを正確に、隣の人--純真な隣の人--に説明してもらうからだ。

 それを自分の言葉で説明して欲しい。あなたが口を開いて、聞いたことを多くの言葉に置き換えれば、それは貴方の脳の中で留まるようになる。

 とりわけ、貴方が実際にそれを呼び出して、自分の言葉で語れば、私からの教えではなく、それは貴方の教になる。何人が理解しているだろうか。

 さて、心は現実を創り出している。つまり、貴方の毎日の生活は、あなたが考えた結果なのである。
 もしこのプロセスを理解し、受容のレベルや理解のレベルを拡大させる事ができれば、--哲学によると--貴方の人生の中にそれが現実化し、真実として体験するに違いない。

 だから、私は今日教えた全てのことをあなた方自身が話せるようになることを願っており、図に描いたり、子供のように単純に手を使って、私が教えたことがどんなものなのかを表現できるようになってほしい。

 そうなれば、あなたがそれを他の人に説明できるからだ。
あなたのパートナーを告白者だと思いなさい。

 あるいは、彼らをあたかもあなた自身(全ては私)だと見なし、
自分自身に理解してもらいたいというように話しなさい

 そこに唖(口がきけない人)のように座っていてはいけない。私があなた方に指示した者全てに参加しなさい。そうすれば、今日の終わりには、あなたは豊かになっているのだ。

 あなた方は小さな子どもだ。他の銀河には、他の次元、他の時間の流れにある他の惑星には、あなた方よりも遥かに進んだ文明を持った存在たちがいる。
 
 また、同時に我々よりも少し遅れている世界にいる存在たちもいるが、
そんなに多くはない。

 あなた方は小さな子供だ。
あなた方は、いわば神と呼ばれる共同体(神意識・無限の生命)の一部である
我々があなた方に長い間、言及してきた人間ドラマに最も適した言葉がある。

 その言葉とは、「忘れられた神々」だ。あなた方は自分の神性を忘れ、
自分の肉体、物質的な自己の中に閉じこもってしまっている。

から引用させていただきました。心から感謝申し上げます。

一章 エネルギーとは
 
 あなた方は皆それぞれに、いくつもの体を持っています。あなた方に馴染みがあるのはそのうちの1つの肉体のみで、感情体、精神体、スピリット体はあまり知られていません。これらの体はどれもエネルギーで構成されています。

 しかしそのエネルギーは、光や電波やX線といった、よくある電波スペクトルのものではありません。こうした馴染みのないエネルギーの背後にあるエネルギー、あなた方が物質と呼ぶものの背後のエネルギーの事を私は言っているのです。

 あなた方の科学者たちが使う機器でそのエネルギーを捉える事はできません。なぜなら機器もまた物質であり、つくられた以上の高い周波数を捉えることはできないからです。

 この高周波エネルギーは、根源のエネルギーです。光などの3次元エネルギーはすべてそこからもたらされます。しかしここでは、全てのエネルギーはそれぞれに気付きと意識を持つ、想像を絶する数の「ユニット」からなる1つの連続体であるとして話を進めます。

 これらのエネルギー・ユニットは、例えば私やあなたの身体細胞といった、より高次の意識の枠組みの中に入る事に同意します。エネルギーがあなたや私を形作り、その気付きが私達の「私という気付き」の基礎となっています。

 つまり私達を作っているのはエネルギーなのです。そしてそのお返しに、私達の祖内感覚がエネルギー・ユニットを組み立てて、エネルギーが自己表現するために心理構造を提供します。

 宇宙は、例えば私のようなエネルギー体が役目を果たせるように構成されています。私達が果たす役目をあなた方との会話でどのように読んだとしても、それは「スピリット」と同一である事を示唆するものではありません。

 それらの呼び名は純粋に便宜上のものであり、あなた方がの意識に伝えやすいから使うというだけです。私は、自身が紛れも無く「スピリット」のエネルギーであるという事に気づいています。

 けれども、私は私の役目以上のものではありません。現時点で私は「セラピス」という集合体を作り上げているエネルギーですが、そのエネルギーは常にシフトし、変化し続けています。
 
 この説明をわかりやすくするために、エネルギーは八つの段階に分かれていて、その最上段が根源であり、一番下の段にこれから話す物質界があるとイメージしてみて下さい。

 私も「他レベルのあなた」という存在も、この八段階のどこかに存在していて、それぞれの役目を果たしているのです。あなた方のラジオのFM周波帯がいくつもあるように、私も含めて全ての存在が1つずつラジオ局を持っていると思ってごらんなさい。

 周波帯には様々な異なる周波数域があり、誰もがその全ての周波帯で活動します。周波帯が上がれば各人の周波数も上がりますが、周波帯内の相対的な位置は変わりません。

 もしもピアノに例えるとしたら、鍵盤上の七オクターブのそれぞれで同じ音を出すということです。あなたの七オクターブの音が一斉に鳴らされて出るとしても美しい音、それが貴方という存在の全体性なのです。

 こうしたたとえは、実際とは似て非なるものである事を忘れないで下さい。本当は数多くの周波数帯があり、そのそれぞれに無限の音があるのです。またあなた方は、そうした様々なレベルで特定の役割をはたすために、たえず他のエネルギーと融合しています。

 私という存在がエネルギーで構成されているだけでなく、エネルギー・ユニットのさらに大きなまとまりを通して、私の考えたことがすべて実現されます。

 原子から銀河に至るまで、どんなものでも私が創造する時は常に、まず空間に相当する受信フィールドを投影し、その中に私の意図または思考形式に従ってまとめられたエネルギー・ユニットを送信あるいは投射します。

 創造の方法はただ1つ、意図にあったエネルギー・フィールドをこのようにして限りなく与えることです。従って「私」として私が知る存在であれ、私が想像したり破壊するものであれ、全てはエネルギーで構成されているわけです。

 繰り返しますが、このエネルギーとはあなたがたが知る熱や光のようなものではなく、もっと繊細な、思考エネルギーとも言うべきものです。

 このことから、例えば空間と時間の性質といった、エネルギーの次元に関する興味深い疑問がいくつも出てきます。


空間

先ほど、私は空間に相当する受信フィールドを投影し、そこに私の意図にあったエネルギー・ユニットを投射すると言いました。ここでいう空間は、物理的空間を超えた高次の空間で、あなた方の概念では現在の空間とは見なされていないものです。

 しかしながら私には、あなた方にとっての部屋の大きさのように現実的です。私はこの空間で投影すなわちイメージします。私のような者達は、あなた方の3次元空間を投影するのです。物理的空間は一つの思考形式や構成された概念にすぎないと言う話を聞いたことがあるでしょう。

 では、「誰がそれを考えているのか」という疑問が生じてきます。断言しますが、おびただしい数の存在が、言葉では表現できないほどの明晰さと集中力によってあなた方の三次元空間を休みなく「考え」維持し続けているのです。そこには、あなた方自身の他レベルの存在も加わっています。

 私達がイメージする空間は、エネルギーに対する許容性すなわち伝導性を持っています。それは例えば一般道路よりも車の流れがスムーズな高速道路や、空気中よりも電気をよく通す電線のようなものです。

 つまり空間とは、エネルギーを通すために作られる場なのです。物質界では他レベルに存在するあなたがここにいる貴方の生きる物理的空間を作りますが、高次の世界では自分の空間を自分で創ります。

 その空間は一体でありながら分離した場です。つまり、他との相互作用を許すという意味では一体であり、他の投影と重なり合わないという点において分離しているのです。

 二つの物体を一対の本立てのようにくっつけると想像してご覧なさい。その二つが一つに同化することはありません。なぜなら、私達が投影する場のタイプがそれぞれ違うからです。


時間

 私の観点からも、また「他レベルのあなた」という存在の観点からも、貴方の知るような時間は存在しません。私も、他レベルのあなたという存在も、完全に惑星地球の現在、過去、未来に参加しています。

 あなたが「あなた」だと承知している転生に対するのと同じぐらいの親しみをもって、私は地球の歴史の様々な地点に私のエネルギーの一部が転生していることに気づいています。

 なぜなら、私は直線的な脳の働きに制約されない直接認知を使っているからです。そこには大きな違いがあるのです。

 物質的な脳は、知覚を伝達インプットするのに必要な限られた時間にそって、連続的に機能していきます。そのおそるべき構造を否定するわけではありませんが、脳と神経系の働くスピードは決して速くはありません。

 あなたが指に火傷をして、コンロから手を話すか熱い鍋を落とすまでに、一秒はかかります。もっと複雑な、例えば新居や新しいコンピュータ・システムを考えるともなれば、脳の中で考えを整理するのに時間がかかるので、何ヶ月も何年も要するでしょう。

 プロジェクトによってはあまりに長期にわたるため、ある参加者の一生では完成できないものもあり、そこから歴史という概念が生じてきました。今日ここに生まれて生きている者達に、惑星上で起きたことを、あるいは少なくともその一部を伝えなければならないからです。

 出来事を記録し、それを人々に伝えることに生涯を費やす人達がいますが、それもみな物質的な脳のシナプスが作動するために2~3秒かかるせいなのです。

 非物質レベルのあなっという存在には、この限界がありません。私はあらゆる出来事を直接認知しながら、あなたがたの惑星の歴史やあなた方が未来と考えるどの地点にも、同じ気安さで入っていけます。

 これがどんな感じなのか、試しに思い描いていみるといいでしょう。貴方の意識より高い周波数の側面となって、歴史の各時代を生きる様々な人間を見下ろしているイメージをご覧なさい。

 単純な意図を持つだけで、その中の1人に、あるいは一度に全員に同化して、その人や彼らが考えていること、感じていることを全て知ることが出来ます。

 あなたは、言ってみればアトランティスのクリスタルの専門家であり、ローマの兵士であり、中世の農民であり、そしてもちろん今日の貴方がよく知る人物でもあるのです。ぜひ試してみてください。そしてその一人ひとりの時間の捉え方やあなたの時間の捉え方を、またその相互作用を感じ取って下さい。

 すべては最初からこうなるように慎重に計画されていたのです。しかしながら、必ずしもこうならなくてもよいわけで、他の現実システムに居る他の種族は全く違うやり方をします。

 あなた方の種族は、幾つかの学習手段を提供するために時間の推移の感覚を文字通り創造するという集合的な決断を、「スピリット」の高いレベルで下しました。

 その一つであるカルマ、すなわちバランスの法則は、もしもXという人物がYという人物の人生にどのような形であれ影響を与えたなら、必ずその報いを受けねばならないという概念に基づいています。

 つまり、YはXの人生に全く同じか、あるいは似たような形で影響を及ぼして、エネルギーのバランスをもたらさなければならないというものです。これはひどく簡略化した説明で、見送られるケースも沢山ありますが、それでも物質界のXとYの目で見ると、Xがまず行動を起こし、それからYが行動することになります。

 全てのことが同時に起こらないようにするためには、何らかの枠組みが必要でした。そうでなければ、XとYは事の結果から明らかな原因を突き止められなくなってしまいます。

 こうして選ばれば枠組みが、「時間の認識」だったのです。、この直線的な時間の認識を取り入れるために新たなものを作り出す必要がなく、すべてを同時に体験する能力を捨てさえすればそれでよかった。そしてこの制約が、人体のために種が選んだ脳という構造物にしっかりと組み込まれたのです。

 もちろん高い観点から見れば、XとYの行動は2人の非物質レベルを通して同時に起こっているのですが。

 「同時」という点に念入りに言及しているのは、創造に使えるエネルギーが無限である理由がそれによって分かるからです。同一のエネルギー・ユニットはその意図を宣言することによって、実に速やかに物理的な時間軸上の無数の点に存在する事が出来ます。

 エネルギー・ユニットは、アトランティスのクリスタル切削器、ローマ時代の剣、中世の農民の鍬を同時に形作ることが出来、しかもエネルギーの遊び心溢れる性質という観点で見れば、その意外な成り行きを楽しんでいるのです。

 私は今、あなた方の時間の認識について話しているのであって、一時間、一分、一秒といった人氏の単位の単位区について語っているのではありません。
そうしたものはあなた方の物差しの目盛りに過ぎず、時間の認識とは無関係です。

 あなた方には太陽を回る惑星の動きに基づく-----ようにみえる-----時計の時刻が、正に現実そのもののように思われます。しかしながら、明るさと暗さであなた方の活動を組み立てるべき理由はどこにもなく、単に便利というだけのことです。

 また、遠心力と求心力のバランスで惑星が太陽の周りを回っているというのも、都合が好い事です。つまり、時間の認識ということで私が言わんとしているのは、あなたがたが「継続」をどう捉え、起きてくる出来事をどう順序づけているかということなのです。

 もしあなたが全ての出来事を一時に体験できたなら、時間が知覚の妨げになることはないでしょう。縦糸と横糸が織りなす大きなタペストリーを思い浮かべてご覧なさい。

 一本一本の縦糸は現在と認識されるものを表わし、横糸は空間を表します。タペストリーのパターンを作り上げる色とりどりの綾糸は、時空内に起きてくる貴方の人生の出来事です。

 さて、今そのタペストリーの上を小さな虫が這い回っていると創造して下さい。その虫が水平に動けば、今という時点を次々と体験しながら、一つの場所に留まることになります。時折、色付きの綾糸につまづいて、貴方の人生のほんの小さな欠片を体験するかもしれません。

 また、もしも垂直にタペストリーをたどるなら、空間を移動しつつも1つの今という時点に留まることになり、従って至る所で起きる出来事を全て一瞬の内に体験するというわけです。
 その虫は、ある瞬間における貴方の人生も含めた惑星上の全ての出来事の
「スナップ写真」を見ることになるでしょう。

 虫が頭を働かせれば、間違いなく何百万本もの綾糸の1本をたどって1人の人間の人生を体験するはずです。

 あなたの「外側」の有利な立場からなら、タペストリー全体が見渡せます。時間も空間も、人々の人生が織りなす綾模様も見えるし、あなたが望めばどこかの地点におりて、彼らと共にその人生を体験することもできるのです。

 けれどもそうなると、あなたは忙しくなりすぎてしまうでしょう。なぜならば、タペストリーはこの一枚が果てしなく延びているだけでなく、それと平行して無限にあり、それらのタペストリーにまたがって色とりどりの綾糸が織り込まれていて、3次元、並行宇宙を形成しているからです。

 さらに、物質的様相をかいま見せるゴースト・タペストリー、すなわち高次の世界のタペストリーもほのかに見えます。タペストリーの一本の糸をうつむいてせっせとたどる虫を貴方が見ているように、どこかで誰かがあなたを見ているのでしょうか?

 運動

 空間と時間という二つの要素から、第三の要素である「運動」が導きだされます。物質界の二点間を動くには、時間がかかります。歴史を振り返ればアメリカ大陸の横断には数ヶ月かかったものです。それが今では6時間ですみます。

 また、物質界には光の速さに限界がありますが、この速度でなら六分の一秒で大陸を横断できます。しかしながら、こうした運動は物質界のみの現象で、より高次の外界ではそのように起きません。

 というのも空間は作られたフィールドだからです。そのフィールド内の点では、本当は何ものによっても分断されていません。すべてが仄かに全ての上に積み重なって存在するのです。

 あなた方の科学者たちは、異なる場所の2つの電子が交信しているようだが、一体どのようにそれを行っているのだろうかと、頭を悩ませています。

 その理由は、原子を構成する粒子(素粒子)として物質化する意識のエネルギーは「空間の中」にないからです。そのエネルギーは輝ける「一なる点」、すなわち「全なるもの」の心の中に存在して、そこから素粒子のように見える像が投影されるのです。

 また電子も同じ「一なる点」から投影されるので、2つの電子がお互いの行動を承知しあっていても何の不思議もありません。

 時間とは、二点間の移動に要する継続として知覚されるものに過ぎません。その二点というのは物質界以外では無です。

 なぜならそこでは、全ての点が同時に存在するからです。物質界を離れると時間も同時に存在するので、

もしあなたが「電子」(すなわち電子の役目を担う「スピリット」だったなら、
 あなたはA点とB点を同時に投影できることになり、AB間の移動という考えは意味をなさなくなるのです。

「物質界の基盤(空間、時間、運動)は実際の所、地球という物質界の周波数に適用される恣意的、局所的な法則であり、あなたの感覚がそれらの認識を作り上げている」という感覚が伝わったでしょうか。

 空間と時間の認識は知性の働きであり、この惑星上の人類を支えるために脳に組み込まれた教育手段なのです。あなた方の学校では普通、決められた科目の授業を受けるために決められた時間に教室に集まることを全校生徒が同意していますが、それと同じようなものです。

 つまり、物質レベルでは惑星地球への「フィルド・トリップ」を意義あるものにするために、種の全員がいくつかのことに同意しなければならないのです。私はこの「フィールド・トリップ」という言葉を、意図的に使っています。

 大切なのは、あなたが広大無辺な存在であり、その存在がちょっとした「遠足」を企てて宇宙のこの片隅を訪れている、すなわち毎回楽しめるように様々な身体とパーソナリティを身につけて物質界に転生している------のだと気づく所まで、あなたの知覚を広げる事です。

 遠足は快適なこともあるし、自分の正体を忘れてしまえば不愉快なものにもなるでしょう。けれども、あなたが毎回多くのことを学ぶのは確かです。

 次の章では、「固体」とあなたがみなすものの流動性を示すために、最も低いレベルの定常波である物質の性質をさらに深く探っていきます。

から引用させていただきました♪心から感謝申し上げます。

宇宙からやってきている3つのグループの存在達の特徴、人類との繋がり、天使や神と呼ばれた存在達の正体、経済システムを操るグレイメン、誘拐や人工受精をする小人タイプの宇宙人、アメリカ政府のやっていることなどショッキングな内容が書かれています。

概要

あなたがこの本を取り上げたのは、この本が宇宙人の意識についてのあなたの理解を拡大してくれるだろうと直感したからだ。
“この世界の”社会意識ではなく、宇宙人の意識だ。
あなたは、“侵入者”(raiders)が一体何なのかを理解したいと望んでいた。
そして、恐らくあなた方の中には、もう既に、彼らに密かに誘われた人がいるかもしれない。

この点を強調しよう。
この本を読んでいる多くの人々は既にコンタクトされたことがあるのだ。...
あなた方は、宇宙人とのコンタクトという概念の周囲に全くのドグマを張り巡らしている。

その働き方はこうだ。
もし、彼らがあなたにコンタクトしてくれば、あなたは自分を特別だと思ってしまう。
あなたは彼らを崇拝してさえいるし、彼らの行先は、あなたのいる場所よりもはるかにすばらしいに違いないと思っている。
彼らがあなたの陥っているジレンマからあなたを助け出してくれることを願っているのだが、そのジレンマとは、もちろん、自分自身で創り出したものなのだ。
(あなたの現実は、他の誰かではなく、あなた自身によって創造されているのだ!)
あなたの崇拝癖のために、いくつかの宇宙人達のやり方に関して、私はどう表現するかに気をつけなければならないのだ。
なぜなら、あなたは、私の話をあなた自身の宗教にしてしまうからである。
そして、この情報をあなたの前に出せないのも、そのためなのだ。

そして、最後に限りなく少ないのだが、とても賢い人が数人いる。
あなたは自分自身の力にとても集中してきている。
あなたは自分の意識に気づきはじめている。
あなたは自分が解放されつつあることを知っているだろう。
あなたには集中力があるし、ヒステリックにもならず、ドグマ的な真実に傾くこともない。
それに、兄弟である彼ら宇宙人に階級をあてはめたりしない。
あなた方は、安定しているので、もう既にコンタクトされている。

というのは、あなたが宇宙人と呼ぶそれらの存在達は、ヒステリックな崇拝者には興味がないからである。
彼らが関心を持っているのは、知識を吸収する力を持つ独創的な人々、内的な強靭さを持つ人々、霊的な本質を神秘的なままで理解できる人々、科学的な理解に対して自然な探求心や知識への欲求を示す人々、知っていることが運命を統合することを知っている人々である。
あなたがコンタクトしたい宇宙人達は、そういった人々にコンタクトすることに興味があるのだ。


3つの主なグループ

まず、光と共に働いている星々の存在達がいる。
次に次元間の存在達がいる。
そして、ただ“あちこちに現れる”存在達と彼らの乗り物がある。

それに、別の時間フレーム、別の周波数帯の中に存在している次元間の乗り物がある。
それはどこからともなく、この次元に物質化されてくる。
この次元には、時間、距離、空間、そして直線的な形式がすべてであるので、距離を進むためにはその乗り物が必要なのだ。

星々の存在達は、プレアデス系と呼ばれているが、セブンシスターズからやってきている。
アンドロメダからもやってきている、もっと偉大な力を持つ存在達もいる。
彼らは光の中を進む存在達なのだ。
それに、彼らの乗り物は、あなた方の物理学で光と定義されているものを超えるスピード、つまり超光速で旅する能力を持っている。
結果として、彼らは全く違う星系からここに瞬く間にやってくることができる。

それから、ここに住んでいるグループがある。
ここに住んでいるグループは、地球の内部に基地をもっているグループで、あなた方の政府も彼らのことについてはよく知っているはずだ。

我々は独自の意識を持ち、独自の次元間の思考を持つ、3つの異なるレベルの存在達と共に働いている。
しかし、それぞれのグループは異なる目的を持っている。


北極星を超えた所からのグループ

我々が詳細に語ろうと思っているグループは、北極星を超えた所からやってきている存在達のグループだ。
彼らはプレアデス星人とアンドロメダ星人である。

アンドロメダからの存在達は、星々の存在でもあり、かつ次元間の存在達でもある。

彼らは私の人々だ。

彼らはとても美しい。
彼らは光から作られた存在である。
彼らはとても希薄で、光の中で輝いている。
とても背が高く、あなた方の高さの表現で言えば、8フィートから10フィートに達し、巨人に見えるだろう。

彼らは存在している。

神話では、彼らは羽を持つ神々として言及されており、私の人々なのだ。

彼らは食べ物で生きているわけではない。
彼らの生体システムは、陰陽の極性を持つエネルギーによって生命体を創り出すあなた方の遺伝システムとは全く異なっている。
彼らの生体システムは光から作られる磁気に基いている。
彼らは光の中に磁化された肉体を表現するのだ。
彼らは物を食べない。
彼らは知識を得て生きている。
彼らはプラーナで生きている。
プラーナは単に古代の言葉で真実を意味している。
つまり、彼らは真実で生きているのだ。
彼はとても大きな頭を持っているが、優美で美しい。

昔、彼らが現われた時には、彼らは天使と呼ばれた。
ガブリエルやミカエルは、この人々達の中からやってきた。
彼らは、特に、ラムと共に働いた存在達である。
彼らは“白い光(White Light)”である。
彼らの乗り物は太陽の1万倍以上の明るさを持っている。
彼らは思考の中を通って旅をする。
彼らは瞬時に思考を使ってあなたの所にやってくることができる。
彼らの次元にあるとても大きな物体の中に留まって、同時に波動を使って見下ろし、あなたを観察することができる。
どこにいようとも、彼らはあなたを観察できるのだ。

なぜ、この種族がそんなに重要なのだろうか?
それはこの惑星が破壊された時に、この惑星を再生、種を移植した種族だからだ。
あなた方の“文明”は、あなた方が知っている以上に何度も破壊されてきた。
かつて、原子力によって大気を汚染してしまったとても不注意な文明もあった。
このグループは、意識の退廃のために文明が崩壊した時も、この惑星に種を移植した。
あなたが今見ているこの種族、すなわち、遺伝的にはあなた方である種族をもたらすために、この惑星に種を移植させたのは彼らなのだ。

JZ・ナイトについて

JZ・ナイトは、1946年3月16日にニューメキシコ州ロズウェルの農場労働者の家に生まれました。彼女は家族の中の8番目の子供で、綿花畑で幼少時代を過ごしました。母親が畑で綿花を摘んでいたからです。

 JZ・ナイトは、仕事に対する熱心さと献身により、非常に成功したビジネス・ウーマンになりました。しかし、彼女のビジネスは、ラムサの出現によって中断されることになります。

 というのも、ラムサは彼女に、自己発見とマスターシップの旅を始めさせたからです。ラムサが人間として生きていたときに、彼女はラムサの養子の一人「ラマヤ」でした。

 ラムサの教えについて論争の的になりがちな側面のひとつが、彼が自分のメッセージを伝えるために選んだ方法です。
 彼が自らの教えを伝えるのは、「チャネリング」と呼ばれる現象を通してですが、実は、1970年代後半に「チャネリング」という言葉を有名にしたのはラムサです。

 ラムサはJZ・ナイトを選び、彼女にチャネリングのための準備をさせました。彼女の体を使って、彼本人が自分のメッセージを直接教えるためです。

 チャネラーは、彼らを通して入ってくる意識体と聴衆の間の媒介者ではないという点において、「霊媒」とは異なります。

 チャネラーは、身動きができない変性意識状態にとどまるのではなく、自分の体を完全に離れます。そうすることによって、入ってくる意識体が彼らの体の動きや機能を完全に掌握できるようにするのです。

 JZ・ナイトを通してチャネルされているときのラムサは、目を開けたり、歩いたり、踊ったり、飲み食いしたり、笑ったり、話したり、人々と談話したりすることができます。

 また、生徒たちに個人的に教えたりすることもできます。JZ・ナイトは、ラムサが自分のメッセージを伝えるために選んだ唯一のチャネラーであり、ラムサは自分のチャネラーとして彼女だけを利用しています。

 ラムサが自分自身の肉体を使うのではなく、ひとりの女性の体を通してメッセージをチャネルすることを選んだという事実は、神や神性を表現するのは男性だけの特権ではなく、女性も神性の表現に値し、天才や顕現した神になれるのだということを表明しています。

 このことはまた、彼の哲学において重要なことは、メッセンジャーや顔やイメージを崇拝すること(それによって、過去における覚醒のための努力のあまりにも多くが台なしになってしまいましたが)ではなく、メッセージそのものに耳を傾けることであるということも表明しています。

 さらにそれは、人間の本質は肉体や特定の性別に制限されるものではない、ということも表明しています。
 したがって、チャネリングという現象はラムサの思考体系の枠組みの中でこそ可能になるわけです。
 言い換えれば、JZ・ナイトという人間の中で起こるチャネリングという現象は、ラムサの教えが本当であってはじめて可能になるということです。

 この現象が真実であるということは、ラムサのメッセージが真実であるということを示しています。
このことは考慮すべき重要な点です。
というのも、科学の進歩は、生理学と神経学と心理学の観点からこの現象を吟味し、調査することを可能にするテスト方法と装置を生み出したからです。

 いまや、JZ・ナイトによるチャネリングという現象を調査し、この現象が「にせもの」である可能性を消し去ってしまうような科学的な方法が存在します。

 これらの科学的な調査は1996年に、12人の学者からなる調査団(科学者、心理学者、社会学者、宗教専門家からなる)がJZ・ナイトを調査したときに行なわれました。

 彼らはラムサをチャネリングするときのJZ・ナイトを、チャネリング前、チャネリング中、チャネリング後において調べました。

 利用できる最新のテクノロジーと装置を使って、彼らが科学的な調査研究を行なったあと、彼らは、JZ・ナイトの自律神経系の反応から得られた数値があまりに劇的なものだったので、意識的な偽装、精神分裂症、多重人格症といった可能性は絶対にあり得ないという結論に至りました。

 JZ・ナイトは、学ぶこととマインドを探求することに情熱を持っており、「グレート・ワーク」に文字通り自分の人生を捧げていますが、それゆえに、彼女は多くの人々にとても愛されています。

 さらに、神に対する彼女の愛、すべての存在に宿る神性に対する彼女の愛、彼女の単純さといったものも、彼女が愛されている理由です。

 「私たちは誰なのか?」、「私たちはどこからやって来たのか?」、「私たちは究極的にどんな運命を選ぶことができるのか?」といった偉大な質問に対して、彼女は明確に答えを述べることができますが、これは、彼女の単純さあってのことです。

 彼女は今でもラムサをチャネリングし続けており、RSEを通して彼の教えを世界にもたらし続けています。彼女はRSEのことを、「究極のマインドの学校」と呼んでいます。



「全ては神=我神なり」という真理♪

意識の進化=愛の拡大=分離意識の克服=
我は全体なり・全体我なり=全一体・自他一体=

全ては私=全ては一つ=全ては一つの存在の現われ=
宇宙は一つの生命体=全てに神(宇宙生命)が宿り給う=

宇宙は神一様=全ては神の中の存在する一つの存在=ワンネス
全ては永遠に一つの存在=全ては一つ=全ては私=全ては神

全ては今この瞬間しか存在しない=全ては永遠に一つの存在=
永遠の始まりである神の御心のみが実在=今即天=今即実在=

大愛・宇宙生命・神の一人子である神我キリストのみが実在=
全てはこの瞬間に存在する宇宙生命そのもの=全ては神そのもの=
全ては神ご自身=神一元・愛一元・光一元=宇宙即我=我神なり


調和=愛の法則そのもの=罪なきもの=完成=幸せな人生に
不調和=愛の法則を犯している=業・罪=カルマの精算が起きる

愛と赦し=調和=愛=幸せ・健康=完成=中性=完全=光人間
恨み・憎しみ・争い=不調和=罪=病・災難=不完全=闇人間

愛と赦し=カルマの消滅=神の祝福=幸せなツイてる人生に
許さない・恨み・嫉妬=カルマの刈り取り(不幸災難)な人生に

調和人間=愛が深い人=愛の光そのもの=克服者キリスト=完成
不調和人間=恨み・嫉妬・責任転嫁闇人間=罪人=未完成

調和=光明世界・愛の王国=愛・光・善=平安と安らぎ・至福感
不調和=無明世界・闇世界=未熟な愛=不安と恐怖・飢餓感・不足感

調和の人は熟した魂=自分を愛するが如く他人を愛します=ワンネス
不調和な人は未熟な魂=他人を責めて非難します=分離意識


 イエス様は「愛は天と地の架け橋」とおっしゃられました。その愛とは「許しの到達点」である「慈悲と愛」で御座います。

 真の意味で貴方が、その「許しの到達点」の境地に到達した時に、自ずと「天である神」と「地である貴方」との架け橋が繋がる事でありましょう。私は実体験からそれが実際にありえると確信しております。


愛は天と地の架け橋  この愛の理解と体得が神様と繋がる鍵♪

神・大愛(天)……全てを活かす愛・慈悲と愛・すべての形態を形作る力・意識を与えて下さった魂の根源・真の親・すべてを活かし育む力、縁の下の力持ちで全てを愛し慈しむ無償の愛・無限の愛・すべてに意識を与えて下さった天の父であり天の母である中性エネルギー・真の親・愛を表現する為に…無限の創造をなさっている慈悲と愛そのもの

神の表現体(地)……神が神を愛する為に生まれた存在・神の化身・愛の化身・神の表現体・神の中に創造された神・個別化した神としての自覚に覚醒めた我・滅私して神の道具意識を自覚している我・自分が神ご自身だと悟った我・愛を表現する為に生まれた事を自覚している我、全てを100%の愛で愛する我、自分と全てが神以外の何者でもない事を自覚している我


第六密度以上の高次元存在が語る
「許し」というものが、カルマの輪を止める事になるお話

★ コーリー : 多くの人々が現生のトラウマだけでなく、過去生のトラウマにも対処しているところなのです。

今、地球に生まれて来ている多くのライトワーカーは、援助の為により高次元や、上の密度から降りて来た人々です。

現生が初めての人でも、高次の美しい場所からここへやって来た人にとっては、ここでのトラウマは10倍酷(ひど)く感じられるものです。

そして、長期に亘(わた)って輪廻転生を繰り返して来た人の場合は、更に解消しなければいけない過去生のカルマが加わります。

しかし、ブルーエイヴィアンズから言われたのは、トラウマを特定し、自分にトラウマを与えた人や自分自身を許すこと、

そして、この”「許し」というものが、カルマの輪を止めることになるということです。カルマがなくなるんです。

これは、エネルギー的なものです。
カルマとは」負債を支払うようなものではなくて、
許してエネルギーを解放するもの」なんです。



カルマとは宿題・魂の課題・許しによって消滅♪
……………………………………………………… 
「許し」を心から実践=カルマの輪を止める=カルマがなくなる♪

自分にトラウマを与えた人や、自分自身を許す==
             ==魂の課題を克服=カルマが消滅♪

許す事によってエネルギーを開放=カルマの克服・解消に♪


ケイシーリーディングから…♪

全身全霊で「神を愛する」大切さ
「神を求める祈り」をする大事さのお話

 エドガーケイシーは、宗教生活についてそのもっとも美しい表現の中で、この事を次のように語っています。

あなたがたは心を尽くし、思いを尽くし、体を尽くして汝のなる
(大生命・内在の神)を愛し、隣人を汝の如く愛するのである。

このキリストの与えた言葉が法則の全てである。
それに優るものは存在しない

 主が約束されたように、あなた方は
来る日も来る日も明想し、「祈りゆく」うちに到来するあの目覚めによって、
主(宇宙生命)が自分の意識の中に留まられる事を知る事が出来る
神我が中にまします・父と子は常に一体)。

 あなた方はこの目的のために、
主が臨在し、その御霊(キリスト)があなた方の中に留まるあの意識を、
あの自覚を讃えるために生まれてきたのである。」

自我・偽我 =表現者、原因である父なる神を忘れている状態(放蕩息子の状態)神理を知らない状態・自分の力で生きていると思って迷っている状態、肉体の己を自分と思っている我、分離感・分離意識で個別化された表現を別個の存在と認識している我・分離意識・エゴ・肉の感化、五感の感化を真実と錯覚している我・迷いの影、幻、幻想(マイヤー)・自己保存、自我我欲の心


真の自己(真我)=父なる神と常に一体の境地・ワンネス意識・全一の意識・神我キリスト、全ては自分、全ては我、全ては神、全てを愛する我に目覚めた状態・宇宙生命によって生かされている事を自覚して実感している我・私が生きているのではない、なるほど一つの生命である神が生きていらっしゃる、全ての知恵と力は神から与えられている、神の中身は神、全ての全ては本質的には神、神のみが生きてらっしゃるんだなと悟った我・神一元・愛一元・光一元・我神なり、全ては神なり、全てに神を観る境地・神は生命(霊)なり、我も生命(霊)なりの自覚・宇宙即我、キリスト意識・高我・実在・全てを愛し全てを許す境地・慈悲と愛・あなた即私・私即あなた・宇宙エネルギー即自分・無限即我・不変不動の絶対なる実在・普遍なる宇宙・無限者・宇宙神

FC2版の広瀬すずちゃんの横顔になる方法の記事です♪
身長を伸ばす記事も追記してみました♪

実在の不老不死の妙薬♪モヤシは「物事の本質」を見抜く力開花させる♪「愛の心」「自由心」「平和心」「調和心」♪ 地球を含む宇宙の法則(真理)を探究し、それに準る拠して生きること♪健康長寿食・野菜や果物の捨て部分を食べよう♪現在71歳の私は40歳代に見られた♪フンザの水の秘密・効能秘話♪「フンザの水」は、その「コロイド粒子」の「マイナス帯電電子の塊」♪サボテンは仙人のエネルギー源♪サボテンはすごく‘気’を発している植物♪♪サボテンは、漢字で「‘仙人掌’」♪不老不死を目指す仙人たちのエネルギー源としてサボテンは古来よりその秘密を知られていた♪脂質と血栓の医学・断食と宿便・断食の効能・腹八分に医者いらず♪ほんとうに健康になる食事法・大豆を食べる人たちに長寿者が多い♪長寿と健康の秘訣・不老不死・長寿のまとめ記事♪




今回は「不老不死」「健康長寿
をテーマにしたまとめ記事になります♪



オマケ情報で~す♪
上江洲義秀先生も「明想が完璧」と絶賛された…という
究極の意識状態に到達された方の超高次元・波動上昇ブログです♪


健康英知研究所 代表 斉藤英治  (旧称 株式会社 健康英知研究所)
不老不死の妙薬とはあるだろうか?それは何か?

この妙薬こそ、自己の不老不死だけでなく、地球上に平和な楽園を創り上げていく
紀元前221年、中国を初めて統一した秦の始皇帝は
不老不死の仙薬を求めて得られなかったそうだが

先週述べたように、
 物質科学(物質医学)+精神科学(精神医学)=統合科学(統合医学)が
発達してきた今日、
この統合科学(医学)(Integrated Medicine)を専攻している私にとっては、
(過去20年間、伝統ある日本綜合医学会Integrated Medicineの役員として私は研究してきた)

 不老不死の仙薬は、すでに、見つかっており、
 毎日、それを服用して、わくわくして、不老不死に大いなる効果を上げている。
 (実際、先日、ある会合で、現在71歳の私は40歳代に見られた!)
これは地球人類にとって、何と幸いなビッグニュースであろう。

この不老不死の仙薬を無料で読者に提供するためにも
 この無料メルマガを復刊したと言っても良い。
これは空想でも何でもない、
 実在中の実在の仙薬である。

★不老不死の四大妙薬
それでは、私が毎日、それを服用して、わくわくして、
つまり、勉強して、心に飲み込んで
不老不死に大いなる効果を上げている妙薬とは、何であろうか?!
それは、次の四大妙薬である。

◆不老不死の妙薬1)「愛の心」(英love, 独 Liebe)
 地球を含む全宇宙の中に、この「愛」ほど、素晴らしいものはない。
 何しろ、全宇宙の創造主(全生命の根源)の本質が「愛」だからだ。
 変わりやすい恋愛や情愛の愛ではない。

 自分を愛し、他人、自然を無私、無条件で愛する普遍愛のことだ。
 母親が子供を愛する無私、無条件の愛がこれに一番近いかもしれない。
 全宇宙の創造主(全生命の根源、愛の根源)の一片が
 すべての人間に与えられている。

だから、すべての人間に無限の可能性があるのだ。
 自分の中に存在し隠れている愛を掘り起こそう。
その時、自分の精神、心、身体は活性化され、若返っていく。

◆不老不死の妙薬2)「自由心」(英Freedom, 独Freiheit)
 束縛、拘束、隷属のない自主、自立、独立した自由自在の思考である。

この自由心に正しい方向を与えるとき、人間は、
ものすごい創造力、独創力が与えられ、生命は躍動し、
 素晴らしいもの、美しいものを創造していく。

 宇宙の中で、人間のみに、自由心が与えられた。
しかし、自由には責任を伴う。

 正しい方向性を持った自由は良き創造を生み
誤った方向性を持った自由は堕落と破壊を生む
宇宙の法則の一つ、原因と結果の法則により
 それぞれが相応の報い、収穫を受けることとなる。

 正しい方向性を持った自由を心の中で育て、良き創造を生み
価値ある報酬を受けよう。

◆不老不死の妙薬3)「平和心」(英Peace, 独Frieden)
 平和とは争いや戦争のない静隠の状態である。
 争いや戦争は、人の心の中の嫉妬、憎しみ、復讐などから起こる。

 他人に対して憎まず、嫉妬せず、復讐せず、
 愛をもって相手の立場を理解し、話し合いによって
相互合意にこぎつける努力をしよう。

このような人こそ、平和の人である。
まず自己の中に平和を満たそう。
それが集合体となって世界平和が生まれてくる。

◆不老不死の妙薬4)「調和心」(英Harmony, 独Harmonie)
 調和とは全体が程よく釣り合って
 まとまっている状態。
すべての人、自然は、平等の価値を持っている。
これらと調和せよ。
 人間、自然を攻撃したり、
 搾取、征服、支配しようとしたりすることなく
調和するよう努力せよ。

 自分の心の中で、偏向した考えを持つことなく
調和した考えを持とう。
 地球を含む宇宙の法則(真理)を探究し、それに準拠して生きること
 これ以上の調和はない。
その時、心の中に天国を創ることができる。

★まとめ
我々人間や宇宙万物を創造され運営されている創造主、天
 (これは宗教の神ではありません)
の本質は、このような「愛、自由、平和、調和」である。
そして、この一片が我々一人ひとりの心の中に入っている。
だからこれを呼び起こし育てていこう。

この四大妙薬が人間としての最高の性格、徳性(英 virtue, 独 Tugend)を高める
 これこそが、今生の肉体が死んでも、
 永遠に生きていく永遠の命である。

そして、別の肉体を持って再生するときも
 この永遠の命が引き継がれ中核となっていく。
これを実在の不老不死の妙薬と言わずして
何と表現できるだろうか。
 読者の皆さんもこの不老不死の妙薬を得て
永遠に進化しつつ、生き抜いていこう。

引用させて頂きました♪心から感謝申し上げます。有難うございます。


 今回は、超ウルトラ天才について紹介したいと思います。
まず、この天才の名前は‘パトリック・フラナガン’といい、11歳で原子爆弾の実験やミサイルの探知レーダーを作ってしまった異能ぶりを発揮したわけです。

そして、店主が他のノーベル賞受賞者と比べても格段上だといった根拠は、通常のノーベル賞者は、例えば、・・どこかの大学、研究機関、企業で莫大な研究費をもらい、周りに優秀な助手などがいて優れたものを生みだした、という内容がほとんどなのですが・・・

彼は、資金も学校で学んだ専門知識も何もないという背景でこれらの偉大なるものを生み出してきたということが真の天才と呼ぶにふさわしいと思うからです。

そのウルトラ天才である彼は、ある時、コアンダ博士という人物に会い
人間は、水によって不老不死になる可能性がある
ということを聞くのでした。

コアンダ博士の意見を聞いたフラナガンは、その理屈を即座に理解し、おもしろいと感じたのでした。

そして、世界的にも長寿で有名なフンザという地域の人達の秘密が、まさに‘水’にあるとコアンダ博士に聞かされ、その秘密の解明をフラナガンに託したのでした。

このフンザの水の秘密を解くことになったフラナガンですが、彼の天才をもっても実に秘密解明に20年以上を要したのです。

では、フンザの水の秘密は一体何だったのか? を次章で紹介していくことにしましょう。
 
では、いよいよ長生きを可能にしていたフンザの水の秘密を詳細していくことにしましょう。

先のフラナガンは、いろんな実験からフンザの水の特徴を発見し、その中でも特に重要な要素が

●水の表面張力が低い
●超微粒子に細分化されたシリカ(ケイ素)のコロイドによる影響
というものでした。

それでは、まず、水の表面張力から少し説明していきますと・・・
フンザの水は、一般の水と比較すると表面張力が低い水だったのですが、これが何を意味するのか??

この表面張力が低い、ということだけでピンとくる人は、将来、有能な科学者になれますよ!
実は、表面張力が小さいということは、飲むと細胞の奥まで水が浸透していくという意味でもあるのです。

硬いサッカーボールよりテニスのボールのほうが柔らかい分、形を変えて網でも通りやすくなるでしょう!
それと同じで、フンザの水は、体内に入ってドンドン細胞間に浸透していく水だったのですが、これはとんでもないすばらしい効果を生むのです。

この意味を理解するのには、どうしてもアレクシス・カレルというフランスのノ-ベル生理学賞を取った方の実験を説明しなければなりません。

ここら辺りは非常に重要なことですので、小刻みに説明してまいりたいと思います。

 
人間の不老不死のテーマを語る時、どうしても避けて通れない内容が、先に紹介したカレル博士のある実験があります。

カレル博士は、ある時、ニワトリの心臓の細胞を取り出して、その細胞を生かすために2つのことをしました。 その2つとは、

①適度な栄養分を与える
②??????????

の2つだけだったのですが、このことをしながら実に34年間、心臓の細胞は生き続けたのでした。
当然、本体のニワトリは、34年も生きているわけありません。

では、②とは、一体何をして、そこまで細胞を長生きさせ続けることができたのでしょうか?
答えは、細胞の代謝の過程で発生した老廃物(毒素)によって濁った水を取り換えていただけなのです。

要するに、この2つのことをするだけで、細胞は34年生き続けていたのですが、では、なぜ、34年目にして細胞は死んでしまったのか?

それは、34年目にして毎日取り換えていた水を、助手が入れ替えるのを忘れたためだったのです。

つまり、この水の入れ替えをしていれば、細胞は永遠に生き続けることが可能であったと・・・・・
この実験によってフンザの水が、いかにすばらしいかをはじめて理解できるのです。

実は、フンザの水というのは、飲めば体内の細胞間にドンドン浸透していき、細胞が代謝の過程で出す老廃物(毒素)を尿や汗として出しやすくする特性があったということなのです。

これにより、解毒器官の肝臓、腎臓の負担も軽くなり、健全なからだを保てるということになるわけです。

この細胞の出した老廃物(毒素)が完全に体外に出せるものがあれば、その時は本当に不老不死の可能性が高くなるわけです。

ここに、今、デトックスで有名になった毒素の排泄の重要性もクローズアップしてきます。
以前、店主のひとりごとでも紹介したガンなど難病をたくさん救ったドイツ人医師クナイプさんの考えた

「温めた死海の泥の中に患者を埋めて毒素を出し、土のミネラルも吸収させる」という方法のすばらしさも理解できます。(Vol.22参照)

ちなみに、お祭り等の金魚すくいで取ってきた金魚は、小さな入れ物に入れておくとすぐ死ぬ傾向がありますが、この原因は、酸欠よりも実は金魚自ら出した排泄物から発生するアンモニアの毒性にあるのをご存じでしょうか?

水草等は酸素を発生させたり、アンモニアを分解する微生物の住みかとなっており、これが水棲魚を生かしているのです。

最近では、水素を発生する微生物(菌)が発見され、産業界にも一大革命を起こそうとしています。

聖書にあるように、「この世で最も小さいものが最も大きな力を持っている」というのは真実です。

それでは、次の章では、フンザの水のもう一つの特徴であったコロイド(極小分子)とシリカについて解説していきましょう。 
 
さて、フンザの水のもう一つの秘密であった‘コロイド粒子とシリカ’について解説してまいりましょう。

ところで・・・フンザという地域は、もともと氷河に覆われた土地からもたらされた水を利用しているのですが、その地下水は‘灰色’に濁っているのです。

氷河そのものは、本来、完全なる蒸留水であり、ミネラルも何も入っていない純水的なものなのです。
では、なぜ、フンザの地下水は濁っているのか?

これは、氷河の水が地下から湧き上がってくるとき、岩盤地帯を通過するためです。
この岩盤を通過するとき、岩盤に含まれる多種多様なミネラルを吸着し、これが濁りの原因だったのです。

そして、この時、同時に店主が最も重要視している重要なことが起きえていたのです!!

以下の内容は、読者の皆さまもよく覚えておかれると良いでしょう。
水が岩盤を通過する際、軽石のような無数の小さな穴(すきま)を下からの強力な圧力で抜けようとします。

このとき、水分子そのものの粒子がとてつもなく細分化され、極小の小ささ(コロイド)になるのです。
このコロイドという状態は、電気的にも完全にマイナスに帯電しており、マイナスイオン化現象の極致の状態となっています。

赤血球も、本来、表面はマイナスに帯電しているのですが、農薬、添加物、はては静電気や人工の芳香剤、携帯電話などから発するプラスイオンによって一瞬にドロドロ血に変えられてしまいます。

そして、「フンザの水」は、その「コロイド粒子」の「マイナス帯電電子の塊」であったのですが、そのマイナス帯電の状態を‘維持’する強力な助っ人も別にいたのです。

それが、この地球上でもっとも多い土の成分である‘ケイ素’だったのです。
ケイ素は、強力な還元剤であり、すさまじい防腐効果を持ち、わたしたち人間の髪、爪、骨などの元となる重要なミネラルです。

このケイ素が多くなればなるほど、また、とんでもない効果を生みだし始めるのです。

それが、先の‘店主のひとりごとVol.70’でも解説した
油と水が混ざり合うという‘界面活性剤’の力を発揮するということなのです。

水の良し悪しの基準に、その水がどれくらい油と混ざり合う力があるか?ということを問われるのです。

病気の細胞の細胞膜は脂ぎっている、ということで、通常の水溶性のサプリメントほど病気の方々にはなかなか作用しないという秘密があります。

ですから、‘界面活性力のある水’ならば、表面が脂ぎっている細胞にも水溶性の栄養もくっ付けることができるのです。

この点は、健康関連に従事している人達ですらほとんどが知らない重要な内容ですので記憶する必要があります。

そして・・・病気の中でも胃炎など‘炎症’を起こしている箇所は、必ずプラスに帯電していますので、マイナスイオン粒子はプラスとマイナスが引きあうように真っ先にプラスイオン化しているところに飛んで行き中和してくれるのです。

これが、「マイナスに帯電」しているものの有効性であり、偉大さなのです。
ということで・・・「フンザの水の秘密」が何となくでもおわかりになったでしょうか?

まだまだ解説しなければならないことはあるのですが、今回はここまでにしましょう。
Vol.85
 
さて、少々長くなってしまった‘フンザの水’の秘密でしたが、ちなみに店主の視点はもう一つありました。

それは、これだけウルトラ天才であったフラナガンという人物は、
自分の健康を維持するために一体どんなことをしているのだろう?と。
皆さんも知りたいと思いませんか?

ということで、このフラナガンの生活を記録している
内容が少し判明したので紹介します。

●コーヒー、紅茶、アルコールといった刺激物ならびに
「動物性食品(肉類)」を完全に排除。

●いつも新鮮な空気の中で過ごすように徹底し、自ら作った電子発生器
でマイナスイオン場を保ち、タバコなどの有毒性は完全排除。

●毎日体操をし、これは細胞への栄養物の流れを良くし、
体内からの毒素排泄を助けるためのもの。

●とにかく新鮮な生果実と何種類かの野菜をジュースにしたものを多量
に取り、中でもニンジンジュースは表面張力も大変少なく理想のものだという。

●毎日‘大気浴・日光浴’をしており、朝は11時以前、午後は2時以降
に行い、大量のマイナスイオンを入れた温水浴槽で長い時間を過ごす。

●あと、変わったところでは、なぜかコロイド活性が高いということで
‘モヤシ’を推奨している。

ちなみに、店主は、あるスジからこの「モヤシ」という植物は・・・・
「‘物事の本質」を見抜くすばらしい力を与えてくれるもの’・・・
ということを聞いており、モヤシには何か秘密があると睨んでいただけにうれしくなったのでした。

そして、フラナガンは、‘日光浴’もしているという点で、なぜ、
しているのかが気になるところなのです。


引用させて頂きました♪心から感謝申し上げます。有難うございます。

サボテンは仙人のエネルギー源

整体師の先生の中には‘気功’的に自分の‘気’というものを発して、患部を癒しているタイプの方もおられます。

しかし、・・・この方法は、ある意味、頂いたお金と自分の命(寿命)を交換している恐ろしい面もあるのです。

気を発する程度にもよりますが、療術の真の奥義まで達している人達は異口同音に気を出しすぎることの弊害を警告するのです。

店主の周りの人気のヒーラーとか気功師の大物の中には、30代前半でもガンとかでなくなっているのです。

「人は治せても、自分は治せない」という治療家が多いのが現実で、‘気’の出し過ぎによる弊害は後を絶ちません。

ただ、中には優れた人もいるもので、‘出し過ぎた気を補う方法’を知っている先生も稀のまた稀にいるものです。

例えば、・・・植物の‘サボテン’を利用するという方法です。
サボテンというのは、あの砂漠でも生き抜き、静電気を吸ってエネルギー源にし、すごく‘気’を発している植物なのです。

確か今から20年前に読んだ本の中で、加藤清一さんという整体師の先生は、患者さんに‘気’を送って病気を治していたのですが、‘気’を出し過ぎると自分もヘトヘトになっていたところ・・・

左手をサボテンに近づけ、そこからサボテンの‘気’を吸収して気のエネルギーを補給すると元の状態に戻れるといっていました。

ただし、・・・もらうばかりではサボテンもいるらしく、治療をしていないエネルギーがバンバンあるときは、逆に、右手でサボテンに‘気’を与えてあげるのだそうです。

ここで、読者の中で鋭い方は気づいたかもしれませんが・・・・
実は、サボテンは、漢字で「‘仙人掌’」と書くのです。

そうです、不老不死を目指す仙人たちのエネルギー源としてサボテンは古来よりその秘密を知られていたのです。


引用させて頂きました♪心から感謝申し上げます。有難うございます。



 体内に蓄積された過剰な脂質を減らすには、食事療法、運動療法、薬物療法があります。

 ここでは、古くから行われている断食の効能を、考えて見たいと思います。
 断食をすると、食べていないのに、便が出て来て、宿便と呼ばれます。上行結腸(右側の大腸)では、逆蠕動が起こり、古い食物残渣が溜まっていて、断食中に宿便として排泄されると考えられます。

 宿便は、「腸管内壁にこびりついた古い便」というように考えるのは、間違いだと思われます。実際、人間で、大腸の内視鏡検査を行っても、そんなこびりついたような便は、見当たりません。食べた食餌は、腸管内をトコロテン式に食べた順番で押し出されて、大便になるのではないです。


1.断食の効能

 断食には、生命機能(遺伝子の発現状態)をリセットする効果があるようです。

 断食の効能として、
 1)内臓諸器官の休息:胃腸、肝臓、腎臓を休め、機能回復させる、
 2)過剰栄養分の排出:蓄積した脂肪を代謝させる

 3)毒物・老廃物の排出:長年生きていると、脂肪には、様々な「毒素」も蓄積する。脂肪に溶けた「毒素」は、通常の生活では、排出されにくい

 4)白血球の増加
 5)潜在生命力の賦活
などが、期待されます。

 絶食時(断食中、冬眠中など)には、肝臓では、ブドウ糖の生成(糖新生)が行われ、血液中にブドウ糖が供給されます。

 肝臓でのブドウ糖の生成(糖新生)には、筋肉の蛋白質が分解されて生成されるアミノ酸(アラニンなど)が、炭素骨格として利用され、

また、脂肪酸が分解(β-酸化)されて生成されるエネルギー(NADH2+など)が、エネルギー源として、利用されます(断食中には、脂肪と筋肉とが、分解されます)。

 肝臓は、通常、食事を摂取して4~5時間後から、血液を浄化し始めると言われます。
 肝臓が、最低10時間以上の間、血液を浄化しないと、血液は、浄化されず、於血、血液粘稠度の上昇を来たす(ドロドロ血液になる)と考えられます。


2.断食後の消化吸収力の向上

 稲などの植物では、水を与えないようにする期間を設けると、根が丈夫になるそうです(田干し)。
 断食後も、腸の機能が亢進して、栄養の吸収が良くなり、体も脂肪を貯えるように代謝が変化するので、少食でも健康に過ごせるようになるようです。 


3.安全な断食

 断食では、絶食することよりも、食事を再び食べ始める回復期に、異常に出る食欲を抑えながら食事の量を徐々に増やすことの方が、困難のようです。
 回復期は、重湯を主にして、胃腸や肝臓に、負担をかけないことが、原則のようです。

 同じカロリーの食事を摂取しても、腸で消化・吸収したり、肝臓で代謝するのに必要なエネルギー量(食事代謝量)は、炭水化物の方が、蛋白質(ステーキなど)より、少ないです。

 断食中は、十分な水分を飲む必要があります(成人は、1日1~2リットル)。
 水分は、空腹時に飲むことが大切。水分を、食事中や食後3時間以内に飲むと、胃液や消化液が薄まり、消化吸収が低下します。
 なお、水分としては、お茶など、ビタミンCを含む飲み物が、良いと思われます。

 長期間の断食療法は、それなりの経験のある施設に入所して行わないと、危険です。特に、長期間の断食療法は、腸液の分泌機能を、低下させてしまう危険性が、あります。

 しかし、夕食後から次の日の昼食前までとか(朝食抜きの半日断食)、土曜日の夕食後から日曜日の夕食前まで(1日断食)、水分のみで過ごす程度の断食でしたら、安全に挑戦出来ると思われます。

 成人の腸管内では、1日当り、約10Lの水分が入って、(再)吸収されます。
 腸管内に入る水分は、飲食によって摂取される水分が2L、消化管から分泌される水分(唾液、胃液、膵液、胆汁、腸液などの消化液)が約8Lと言われます。
 急性胃腸炎などで、嘔吐や下痢があると、水分や電解質が喪失し、脱水に陥ります。

 体力が低下している時に、食事(特に、高蛋白食、高脂肪食)を摂ると、消化液として、水分や塩分を消化管に分泌する必要があるので、体内(特に循環血液中)の水分や塩分が、一時的に、腸管内腔に喪失することが、肉体に負担となります。 


4.宿便は万病のもと  
 
 断食中に、宿便が排泄され、腸管内がきれいになります。

 宿便は、「腸管内壁にこびりついた古い便」というように考えるのは、間違いだと思います。
 実際、人間で、大腸の内視鏡検査を行っても、そんなこびりついたような便は、見当たりません。

 食べた食餌は、腸管内をトコロテン式に食べた順番で押し出されて、大便になるのではありません。
 腸管内では、前に食べた食餌が、古い食物残渣として停滞したり逆流しているところに、後に食べた食餌が合流します。

 そうすると、特に、拡張した腸管内に、前に食べた食餌がある程度の量、古い食物残渣として残ります。
 これが、宿便の正体だと、思われます。

 特に、上行結腸では、逆蠕動が起きるので、古い食物残渣(柔らかい)が、宿便として溜まり易いと考えられます。上行結腸(右側の大腸)では、逆蠕動により、肛門側と反対の盲腸側に向かって蠕動が起こり、大腸内の食物残渣が攪拌されます(腸内細菌叢が繁殖し易くなります)。

 古い食物残渣が腸管内で停滞すれば、ウェルシュ菌などにより発癌物質が生じる危険があります。
 食べた肉のアミンは、腸管内でウエルシュ菌により、発癌作用のあるニトソアミンに、変化します。

 また、脂肪分解のために分泌される胆汁酸が、ウエルシュ菌により二次胆汁酸に変わり、腸粘膜を障害します。
 大腸癌は、このウエルシュ菌により生成されるニトロサミン(主犯)が、二次胆汁酸(共犯)により障害された腸粘膜を発癌させるのが原因と、考えられています。

 食物繊維(野菜に含まれる)を摂取する(11g/日以上)と、大腸癌になるリスクが半減します(厚生労働省では、食物繊維を20g/日摂取することを勧めています)。

 内臓脂肪が多い人は、大腸腺腫(大腸癌に進展する)を生じ易く、大腸癌になるリスクが高いと考えられています。
 便秘は、大腸癌の危険因子です(注4)。

 また、古い食物残渣が腸管内で停滞し、腐敗して生じた有害な物質が体内に吸収される危険があります。
 「宿便は万病のもと」と言われるのも、納得がいきます。

 「宿便」を出すには、大腸の内視鏡検査の時に行う前処置のように、下剤と腸洗浄剤で、下痢として出すのが、手っ取り早いと思われます。

 なお、便は、水に浮く方が、体調(代謝)が良い証拠だと言われます。

 宿便により、大腸内の異常発酵などが起こり、産性された毒素が、吸収され、血液を汚し、万病の原因となると言われます。

 宿便があると、手の平に青い血管のすじが浮き上がって見えるそうです。
 宿便が多くなる程、手の平の青すじが太く濃くなって来ると言われます。
 宿便が溜まると、手がひんやりと冷たくなると言われます。
 

5.腹八分に医者いらず

 宿便の多いような状態では、腸管の蠕動運動が低下しています。
 このような場合、食物繊維は便通を良くするからと、生野菜や果物やサツマイモなどをたくさん食べると、かえってお腹が張ってしまいます。特に、水溶性食物繊維でなく、不溶性食物線維を含む食品を摂取すると、便秘が悪化することがあります。

 宿便を減らすためには、腹八分を心掛けることが、大切のようです。
 カロリー制限と、脂肪摂取制限は、寿命を長くするようです。


6.スマシ汁断食

 スマシ汁断食(すまし汁断食)では、3合(540ml)の水に、コンブ(昆布)10gと乾燥シイタケ10gを入れて沸騰させ、出汁(ダシ)が出たら、コンブと乾燥シイタケを取り除き、ショー油30gと黒砂糖30g(又は、蜂蜜30g)を入れます。
 これを1食分とし、昼と夕の2回、飲用する(朝食は、食べない)。この他に、生水と柿茶を、1日1~2L飲みます。

 コンブやシイタケは、グルタミン酸(Glu)を多く含んでいて、断食中に、腸粘膜で、代謝燃料として利用されます。
 スマシ汁断食のように、断食中に、コンブやシイタケの出汁を飲用すると、断食による、腸粘膜の萎縮などが、予防出来るようです。
 
 関節リウマチの治療には、断食療法(スマシ汁断食)が、有効だと言われます:
 関節リウマチ(rheumatoid arthritis:RA)は、自己免疫疾患だが、心臓と小腸の病気だと言う鍼灸の先生がいます。

 関節リウマチは、心臓(血行の悪さ)と、小腸(腸から吸収されるペプチド抗原や脂質)が、発症に関連にしていると思われます。

 興味深いことに、断食中、宿便が排泄される前には、関節リウマチの関節痛が強くなり、宿便が排泄された後には、関節痛が軽快すると言われます。

 腸には、かなりの免疫機能が、備わっていますが、体内へ、肉食などに由来するペプチド抗原や、腸内細菌(悪玉菌)に由来する抗原が、多量に入ることが、関節リウマチなどの、自己免疫疾患の発症に関連するようです。

 なお、関節リウマチ(rheumatoid arthritis)のロイマ(rheuma)と言う言葉は、BC4世紀頃、ヒポクラテスの時代に、関節疾患に関連して、用いられました。

ロイマ(rheuma)は、カタル(catarrhos)同様に、「流れ」を意味し、脳の中にある粘液性の体液が、流れて来たところに欝滞し、粘液分泌過多になり、腫脹や発赤を来たし、病気になると信じられていました。

 水酸化マグネシウム(スイマグ)は、緩下剤として、便秘の改善目的に使用されます。

 水酸化マグネシウム(商品名、ミルマグ:100g中に水酸化マグネシウムを7.2g含む)は、水酸化マグネシウムとして、
通常、成人、1日0.9~2.1g(ミルマグとして12.5~29g)を、出来るだけ多くの水(通常約180mL)と共に、頓用又は数回に分割経口投与します。

 水酸化マグネシウム液(商品名:スイマグ:1mL中に水酸化マグネシウムを99.9mg含む)は、断食中に、朝晩20mL(水酸化カルシウム約2g)程、一合~三合の水(180~540mLの水)と飲用すると、宿便の排泄が促進されると言われます。


7.パーキンソン病と宿便

 パーキンソン病の人は、発病する20年、30年前から、便秘(腸マヒ)持ちの人が多いと言われます。生真面目で頑張る人は、交感神経が緊張して、便秘になり易いです。
 パーキンソン病の人は、不眠に苦しむ人が多いと言われます。


8.腸内細菌

 ヒトの腸内には、種類にして約500種類以上、数にして100兆個もの腸内細菌が、住んでいます。
 腸内細菌は、善玉菌と、悪玉菌とに区別されます。

 a).善玉菌:乳酸菌(ビフィズス菌、ブルガリア菌、ヤクルト菌)など
 ・食物繊維を分解し、消化、吸収、代謝を助けます。
 ・乳酸、酢酸、酪酸を生成し、腸管内pHを酸性に保ち、ウイルスなどからの感染を防御します。

 なお、胃内のピロリ菌は、酢酸、酪酸、乳酸によって、抑制されます(特に、酪酸の抑制効果が、強いです)。
 ・乳酸を生成し、腸の蠕動運動を活発にします。
 ・ビタミンB群やビタミンKを産生します。
 ・腸の免疫機能を高めます。

 b).悪玉菌:ウェルシュ菌、大腸菌(毒性株)、ブドウ球菌など
 ・蛋白質(肉類など)を分解して、毒素(アンモニア、アミン、フェノール、硫化水素などの有害物質)を産生します。
 
 悪玉菌によって産生された毒素は、血液を汚染します(於血になり、生活習慣病のリスクが高まります)。

 健康なヒトの場合、腸内細菌の80%が善玉菌で、20%が悪玉菌と言われます。
 腸内細菌叢の善玉菌と悪玉菌の比率を、「腸年齢」と呼ぶ人がいます。
 現代では、若い女性の「腸年齢」は、老化し、悪玉菌の比率が増加していると言われます。

 悪玉菌の比率が増加する原因として、欧米型の食生活、無理なダイエット、ストレスの多い生活が指摘されています。

 特に、肉食中心の食生活は悪玉菌を増加させ、反対に、野菜中心の食生活は、善玉菌を増加させると言われます。

 善玉菌は、食物繊維(穀類、野菜、豆類、海藻に含まれる)、発酵食品などを摂取すると、増加します。悪玉菌は、蛋白質や脂肪を摂取すると、増加します。

 消化管系の癌(大腸癌、胃癌、食道癌)の発症は、食生活と関連すると言われます。
 近年、日本人に大腸癌が増加して来たのは、欧米型の高脂肪・低食物繊維の食事をするようになったことが原因と、考えられています。
 疫学的な調査でも、脂肪の摂取量が多い国程、大腸癌の発生率が高いと言われます。

 脂肪(動物性脂肪)は、摂取すると、分解・吸収に必要な胆汁酸(一次胆汁酸)が、肝臓(胆嚢)から、腸管内へ、多く分泌されます。

 胆汁酸(一次胆汁酸)は、腸管内で、腸内細菌(悪玉菌)によって、代謝を受け、二次胆汁酸に変化します。この二次胆汁酸には、発癌作用があると言われています。

 食べた肉のアミンは、腸管内でウエルシュ菌により、発癌作用のあるニトソアミンに、変化します。また、脂肪分解のために分泌される胆汁酸が、ウエルシュ菌により二次胆汁酸に変わり、腸粘膜を障害します。

 ウエルシュ菌により生成されるニトロサミン(主犯)が、二次胆汁酸(共犯)により障害された腸粘膜を発癌させ、大腸癌になると、考えられています。

 従って、肉食などで、動物性脂肪を多く摂取すると、大腸癌になるリスクが高くなると、考えられています。
 二次胆汁酸は、コレステロール(卵黄や乳製品に多く含まれている)を含む食品を多く摂取しても、増加します。


9.ネギと干し苗

 ネギは、植え替える際、土から引き抜いて、半日~数日間、土の上に寝かせて、「干し苗」にしてから、再度、土に植えた方が、成長が良く、サビ病やベト病が、出なくなると言われます。

 ネギは、夏に、1カ月以上、干して、「干し苗」にすることもあります。
 ネギは、干すことで、水分ストレスがかかり、エチレンが生成され、発根が促進されたり、株が太く丈夫になると言われます。

 実際に、ネギを干し苗にして移植した苗は、生着した後、太く成長しますが、干し苗にせずに、直に移植した苗は、生着した後、乾燥に弱く、死滅する苗が多いです。

 断食も、干し苗の根のように、一次的に、腸管に、水分や栄養素の供給を遮断することにより、腸管にストレスを与え、腸管の機能を高める効果があるようです。
 とにかく、断食の効果は、実際に断食を行って、効果を、確認することが、大切です。


10.断食と血清カルシウム 

 断食(飢餓慮法)を行い、食事を摂取しないと、体はアルカリ体質(アルカローシス)になり、血清カルシウムイオン(Ca2+)が増加し、マグネシウム(Mg)が減少します。

 しかし、断食を1週間以上続けると、体に貯蔵された代謝物質が消費され、血清中の蛋白質が減少し、却って、血清カルシウムイオンが減少すると言われます。この血清カルシウムイオンの減少(低下)を胃腸の消化力の回復の目安に断食を終了し、食事の摂取を再開すると良いと言われます。


 断食時(絶食時)は、インスリンの分泌が低下するので、脂肪組織では、ホルモン感受性リパーゼ(HSL)の活性が上昇し、脂肪細胞中の中性脂肪が分解され、遊離脂肪酸(FFA)として、血液中に放出されます。

 血液中の遊離脂肪酸濃度が、上昇しますが、遊離脂肪酸は、肝臓では、脂肪酸分解(β-酸化)が亢進し、糖新生のエネルギー源として利用され、また、骨格筋、心筋、腎臓ではエネルギー源として、利用されます。

 その結果、脂肪細胞の容積が、縮小します。
 そうすると、毒素(脂肪に蓄積していた、脂肪に溶け易い化学物質や有害金属など)の細胞内濃度が上昇し、血液中に移動するので、腎臓や汗腺からの排出が、促進されると、考えられます。

 また、断食中は、肝臓には、門脈を介して、消化管から吸収された栄養素が輸送されなくなるので、肝臓の解毒機能が高まり、血中や肝臓内の毒素の代謝が促進すると言われます。

 しかし、断食によって、脂肪に蓄積していた毒素が、血中に移動し、血中濃度が上昇するおそれもありますので、断食中も、水分は、十分に摂取する必要があります。

 なお、正常男性の場合、絶食時には、中性脂肪が分解され、160gの遊離脂肪酸が放出され、その内、40gは、肝臓で代謝され、ケトン体が60g生成されます。

 断食中や、朝食を抜いた際などに生成されるケトン体は、脳で、ブドウ糖(グルコース)の代替エネルギー源として利用されます。

 脳が、ケトン体をエネルギー源として利用すると、脳波のα波が増加しリラックスし、脳下垂体から分泌されるβ-エンドロフィンの量が増加し快感が得られます。

 また、断食で、(痴呆症、認知症)が治ったと言う話も聞きます。なお、神経細胞膜内コレステロール量が増加すると、Aβ(アミロイドβ蛋白)が、脳内で重合(凝集)し易くなり、脳内に蓄積し、アルツハイマー病(痴呆症、認知症)を来たすと考えられています。 


便秘の人は、キャベツや、ゴマを食べると良いと思います。

 グリセリン浣腸は、まず、レクタルチューブを、成人6~10cm、小児3~7cm、直腸粘膜を損傷させないように注意して、ゆっくり挿入します。そして、容器を片手で支え、内容液(日局グリセリン)を徐々に直腸内に注入します。

2~5分経過後に、便意が強くなってから、排便します。赤ちゃんに行う綿棒浣腸は、綿棒の先にベビーオイルかオリーブオイルを塗り、オムツを敷いたまま、肛門から1cm程度、綿棒を入れ、棒の部分を、肛門の穴を広げるように、時計回りにグルグル回します。

 便秘は、脂質や糖分(砂糖)が多い食事と同様に、ニキビを悪化させる要因です。ニキビは、皮脂の量(皮脂が過剰に分泌されること)より、皮脂の質(皮脂が固い)ことが、発症の原因と考えられます。


クスリに頼らない健康生活術
階段を一段のぼると、寿命が4秒のびる

 世界には、「長寿村」と呼ばれる場所がいくつかあります。なぜかその地域には百歳近いお年寄りが多いのです。

 そのような場所の特徴を調べると、ある共通点が浮かび上がってきます。たとえば肉をあまり食べない。果物を皮ごと食べることが多い、家族同居で賑やかに暮らしているなど。
 
 そしてもうひとつの共通点は、長寿村が「標高の高いところにある」ということだそうです。

 標高の高い場所で生活するためには、登ったり下ったりの運動がどうしても日常生活の中で多くなります。それをずっと続けている内に、長生きになるのではないかと言われています。

 それを裏付けるかのように、アメリカのジョーンズ・ホプキンス大学の研究によれば、階段を一番のぼると、寿命が4秒のびると分かったそうです。

 そのニュースを聞いたある主婦は、マンションの3階にある自宅まで、エレベーターを使わずに階段を使うようにしたそうです。

 少し暗いの階段なら、エレベーターやエスカレーターは使わず、自分の足で上り下りする習慣をつけたいものです。


医者いらずの食べ物
肝臓を強くする「日本古来の栄養食」

効能                    旬は

食欲増進・疲労回復・殺菌         一年中
肥満予防・高コレストロール


 酢は古くから重要な調味料として使われ、日本では米酢、欧米ではブドウやリンゴから作られるワインビネガーやアップルビネガーが主なものです。

 米酢など蒸留酢に含まれる酢酸などの有機酸は、食欲増進作用を持ち、疲労物質の乳酸を分解し、疲労回復効果を発揮します。

 鮨や刺し身、生ガキを食べる時に酢を使うのは、殺菌作用があるため。また、20種類以上のアミノ酸が含まれ、うち七種類は高肥満アミノ酸と言われ、肥満を防ぎ、コレストロールを低下させ、脂肪肝を防ぐ働きがあります。

 アメリカのバーモント地方には長寿者が多く、心臓病、糖尿病などの生活習慣病者が少ないことが知られていましたが、その秘訣は

リンゴ酢とハチミツを小さじ二杯ずつコップに入れ、水に溶かして飲む
健康法にあるとされています。
 こうした超健康食品である酢も、体を冷やす(陰性食品)でもあります。冷え性の人は、料理にも黒酢を使うと良いでしょう。

健康長寿食
野菜や果物の捨てる部分を食べよう        

 料理番組を見ていると、なすの皮は固いとか、調理すると色が変わって汚らしいとか言って、むいて使っている人をよく見ます。これはとんでもないことです。
 なす独特の色素はアントシアン系のナスニンというポリフェノールの一つで、発がん物質を抑制する効果が強いことがわかっている成分なのです。

 野菜は皮に多くの栄養素を含むとともに、病気を予防する生体調節機能を持った成分が沢山含まれているものが多いのです
 日本人は、概して見た目の綺麗なものを好む傾向がありますが、これでは栄養素や身体に良い成分が取り去られてしまっているということを知って下さい。果物についても同様なことも言えます。

 例えばみかん。多くの人は皮をむき、袋についた筋をよく取り、袋から果肉を出して食べています。筋や皮は美味しくない、また消化不良を起こすのではないかなどと思っている人もいます。

 ところが、栄養素や身体に良い成分は、果肉よりも筋や袋の方がたくさん含まれています。ビタミンCは、果肉100g中に約35mgしかありませんが、皮の袋の部分や筋のある部分には4倍以上の100~200mgも存在するのです。

 毛細血管を強め、脳卒中を防ぐ働きのあるビタミンP(ヘスペリジン)も同様に多く含まれています。
 また血中総コレステロール値を下げる働きがあるペクチンも、果肉には0.2%程度しかありませんが、袋の部分には3%以上あります。皮は農薬の心配もあるでしょうが、筋や袋の部分は大丈夫。よく噛んで食べるようにしましょう。

 皮といえば、種実類の皮に強い抗酸化作用を持つ成分が含まれています。つまり、ガン・動脈硬化・老化を促す活性酸素を消去するポリフェノールが沢山含まれているのです。

 ナッツの皮は、外側についている茶褐色の薄皮のことです。食べると渋味もありますが、アーモンドなどは皮付きのまま美味しく食べられています。くるみも渋皮つきのまま食べられていますが、ピーナッツの場合は薄皮を取って食べるのが普通です。

 ところが中国では、ピーナッツは日本のように炒ったものばかりでなく、煮たり蒸したりしても摂ります。どちらも薄皮付きですが、そのまま食べています。中国人はナッツは薄皮付きの方が身体によいと考えているので、敢えてそれを取り除いて食べることはしません。


ほんとうに健康になる食事法は?
●大豆を食べる人たちに長寿者が多い 

 私の経験からしましても、身長を伸ばすのにも「大豆」と「押し麦」と「卵」でタンパク質をしっかり摂取すれば、アルギニンのサプリを摂らなくても、全然大丈夫なようです。

 肉類を摂取すると、窒素を排出するためにカルシウムが体内から排出されるそうです。

 そういった意味で、身長を伸ばす点からしても「大豆」と「押し麦」で「アミノ酸スコア100」になりますので、タンパク質を摂取する形がベストだ言えましょう。

 健康の点からも、身長の点からも、地球環境の点からも、肉食はやめたほうがいいかもしれませんね♪(※魚介類はOKです)

 ⇓⇓ ここから本文になります ⇓

食品に含まれるタンパク質は、植物性タンパク質と動物性タンパク質に分けることが出来ます。植物性のタンパク質を含む食品には、大豆、豆腐、納豆、きなこ、豆乳などの大豆製品とか、あずきなどの豆類、落花生、ごま、きのみなどがあります。

 また、動物性タンパク質を含む食品は、肉類、鳥類のほか魚介類、卵、牛乳、乳製品などです。

 一般に、肉類、鳥類、魚介類、卵、乳製品などの動物性タンパク質には、必須アミノ酸がそろって含まれていますが、その不足分は別な食品で補充するようにしなければなりません。

 しかし、植物性のタンパク質の中でも、大豆のタンパク質は昔から畑の肉といわれ、必須アミノ酸の量も殆ど動物性タンパク質に近いものがあります。

 また、大豆タンパク質は消化吸収されやすく、アミノ酸として体内で分解吸収されたあと、再び肝臓で人体タンパク質に合成される効率も肉とか魚介類、卵よりずっと高いそうです。
 このため大豆を食べる人たちに長寿者が多いといわれてきました


●(動物性)タンパク質の過剰摂取は寿命を縮める

 動物性のタンパク質(※主に肉食)を多く摂ると、尿素、尿酸、焦性ぶどう酸、プトマインなどの色々な酸によって、血液が酸性になりがちです。

 人間の健康状態は、血液を含む体液が弱アルカリ性のときが、最も良い状態であることから、多量の動物食、とくにに肉食は健康のためにも良いとはいえません。

 最近の成人は、タンパク質の必要量の3~4倍も食べているといわれます。これは非常に危険なことです。
 タンパク質は窒素を含む化学物質であるアミノ酸の連結で出来ていますが、窒素を過剰に摂った場合、その処理のために肝臓に相当な負担をかけることになります。

 過剰の窒素が尿として、体内から排出される時に、骨とか歯を作るのに必要なカルシウム、マグネシウムをはじめ他のミネラルやビタミンも一緒に洗い流されてしまいます。

 (※肉食の)タンパク質の過剰摂取は早死の原因になり、ガンや心臓病、肥満、骨粗鬆症、肝臓病などの成人病(生活習慣病)につながってくるともいえます。

夕食は寝る3時間前以上に摂る  

しっかり朝食をとる

 肝臓病の回復を早めるためには、「何を食べるか」だけではなく「どんな食べ方をするか」にも気を配る必要があります。

 日本人の食事は昔から、朝食は簡単に済ませ、昼食は少し腹持ちの良いものを食べ、夕食でごちそうを食べるというのが習慣になっています。

 しかし、朝食を侮(あなど)ってはなりません。身体が活動を営む時、エネルギー源の中で最初に使われるのが糖質ですが、朝食を摂らないと糖質が補給されないので、午前中の活動エネルギーは肝臓の蓄えから引き出さなくてはならなくなってしまうのです。

 糖質は体内で吸収され、その一部がグリコーゲン(多糖類)という形で絶えず肝臓に蓄えられています。肝臓の様々な機能は、このグリコーゲンから産出されるエネルギーによって支えられているのです。

 ところが、食事を摂らないと、肝臓は蓄えたグリコーゲンを、再びブドウ糖に変えて血液中に送り出して、全身の臓器や組織のために消費しなければならなくなるわけです。

 また、朝食を抜くと、昼食で麺類などの糖質中心の重い食事を摂りたくなるものです。しかし、このような偏った食事はタンパク質やビタミン不足の原因になりますし、肝臓の過労を強いることになります。


夕食は控えめに

 しかし、朝起きてすぐは中々食欲もわかないもの。食欲が出ない第一の理由は睡眠不足にあります。睡眠が十分に取れているかどうかは、時間の長さだけではなく、眠りの深さにも関わります。

 夕食時に食べたものが胃の中に残っていると、深い眠りの妨げになってしまいます。朝食をしっかり食べるためには、肥満予防のためにも夕食にあまりボリュームのあるものを摂らないことです。

 食べ物の胃の中での滞留時間を調べてみると、ごはんで2時間15分、ビーフステーキになると、4時間以上も胃に留まっているのが分かります。

 こうしてみると、夕食をとる時間は少なくとも就寝する3時間前が良いということになります。

食べ物が胃の中に留まる時間

バター(50g)    12時間

          100g

ビーフステーキ   4時間15分
うなぎ蒲焼き    4時間15分
すき焼き豚肉        4時間15分
エビ天ぷら           4時間 
ゆでたまご           3時間15分
かまぼこ              3時間15分
鶏肉煮物              3時間
カレイ塩焼き        3時間
焼き芋                 3時間
こんにゃく           2時間45分
すき焼き牛肉        2時間45分
たまご焼き           2時間45分
凍り豆腐              2時間45分
うどん                 2時間30分
カレイ刺し身        2時間30分
生タマゴ              2時間30分
もち                    2時間30分
そば                    2時間30分
じゃがいも煮物     2時間30分
ニンジン              2時間30分
ごはん                 2時間15分
ほうれん草           2時間
おかゆ                 1時間45分
りんご                 1時間45分
半熟タマゴ           1時間30分

牛乳 (200ml)      2時間
日本酒(300ml)    2時間
ビール(200ml)    1時間15分


ワールドニュース
様から一部引用させていただきました♪

 腹八分目が長寿遺伝子のスイッチを開花させて長生きにつながるそうです
 私は腹八分目ではないのですが、1日2食でお昼15時前後までにその日の食事を終わらせて、翌朝の9時頃まで食べない生活を続けております♬

 確かそのように、満腹⇛飢餓⇛満腹⇛飢餓という流れも、長寿に良いというお話をどこか聞いたことがあります。私って結構体にいい食生活をしているのかもしれませんね♪


http://blog.world-u.com/hare ←膨大で濃密な内容の記事ですよ♪

実は最近の研究で、長寿遺伝子というものがあると言う事が、発見されました。長寿遺伝子とは、操作をすれば、老化を遅らせ、寿命を延ばす遺伝子のことです。人の細胞の中には、老化や寿命をつかさどる長寿遺伝子が50個から100個ぐらいはあるといわれています。

この遺伝子は、米国・マサチューセッツ工科大学のレオナルド・ガレンテ教授が8年の歳月をかけて2003年に酵母菌の中から、サーチュイン遺伝子という老化を遅らせ、寿命を延ばすという、夢のような不老長寿遺伝子です。

この長寿遺伝子にはスイッチがあり、スイッチをおさないと発動しません。人間の長寿遺伝子は眠った状態にあるのです。長寿遺伝子のスイッチを入れるには、どうすればいいのでしょうか?それはカロリー制限をする事です。摂取カロリーが少なくなると、長寿遺伝子のスイッチが入るのです。

マサチューセッツ工科大学のレオナルド・ガレンテ教授の実験ではショウジョウバエで約30%、線虫では約50%寿命が延びています。また様々な研究機関が、不老長寿の研究を行っています。

米ウィスコンシン国立霊長類研究センターは、アカゲザル76匹を、カロリー制限を一切しないグループと、厳しいカロリー制限を課したグループに分けて、1989年から25年間という長い期間をかけて、2つのグループの疾病や死亡率を比較する実験を行っています。


 免疫学の権威・安保先生
「長寿の睡眠」、「短命の睡眠」

◯40代で夜更かしする人は、がんになる!?

 良い睡眠を得るために大切なことを述べようと思います。睡眠は、疲れや病気と深い関係があるからです。
現代人は、睡眠不足の恐ろしさについて認識がとても甘く、簡単に夜更かしをしています。

 しかし、自律神経と免疫の観点から見れば、睡眠時間を削るのは、体にとって非常に恐ろしい事です。
 毎日、就寝が午前2時頃になっている人が、癌にならずに40代を切り抜けるのは難しいということです。

 夜更かしや睡眠不足になりがちな生活スタイルは、はっきりと寿命に影響します。
 昔から、画家は長生きで、作家は短命と言われます。

 画家は、絵の具の色ので具合を見なくてはいけないため、照明がなかったころは、太陽の出ている時に仕事をしなければならなかったからです。

 作家の場合、文字を見ることが出来ればよいわけで、それが、深夜までくらい照明のもと、目を酷使しながら書くという生活スタイルに繋がったのだと思います。

 その結果、画家は長命で、作家は短命になると言われたのです。同じ芸術家なのに、睡眠の取り方によって、寿命に差が出てくるのです。

 この事実を知った、ある売れっ子の作家は、、日中仕事をし、夕方5時くらいには仕事をやめて居酒屋に行き、リラックスするようにしたそうです。

 このままいけば、おろらく寿命も他の作家ほど短くならないでしょう。作家でも、生き方を変え、睡眠時間を確保すれば、健康になれるのです。


健康と食と医 290428 290429
から引用させていただきました。

これを機会にタバコを止められてみてはいかがでしょうか


タバコに放射性物質含有、製造企業は40年以上事実公表せず。タバコと癌、放射性物質が原因の可能性

 たばこに放射性物質であるポロニウムが含まれている事を知りながら、メーカー(フィリップモリス)は40年以上もここの事実を公表せず、隠蔽し続けてきた(JTも知っていながら沈黙してきた可能性が濃厚)。
1日1箱吸う人なら年間80mSvもの被爆量になるという。厚労省の食品規制値が年1mSvなので、これがとてつもない数字だと分かるだろう。

間違いなくトップニュースものだが、マスコミの動きも鈍い。裏取引か?

もうひとつ。これでタバコと癌の関係の謎が解けた可能性が。つまりタバコそものではなく放射性物質が癌の原因であった可能性が濃厚である。

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タバコに放射性物質含有、製造企業は事実公表せず、厚労省が検証へ…体内被ばくや発がんも
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 放射性物質ポロニウム(ポロニウム210)は、ウランの100億倍の放射能の強さを持つ。

 しかし、放射線の性質は透過力の強いガンマ線ではなく、透過力の ないアルファ線のため、人の皮膚は透過しないが、ひとたび人の体内に取り込まれると体内で強力な放射線を発し、内部被ばくをもたらす。

 また、ポロニウムは 透過力のないアルファ線のため、紙も放射線を透過せず極めて持ち運びに便利なため、暗殺に使われるようになった。

 2006年に不審死を遂げた元KGB(旧ソ連国家保安委員会)のアレクサンドルV.リトビネンコ氏の尿からこのポロニウムが検出され、その存在が注目を 浴びた。

 また、元PLO(パレスチナ解放機構)議長のアラファト氏の死因としてもポロニウムが疑われ、遺体の掘り起こしまでされた。

 ポロニウムを経口で摂 取すると体内被ばくを広範囲に引き起こし、多臓器不全をもたらして死に至る。また、少量のポロニウムを取り込んでも、放射線を出し続け、発がんに至る。

 そして、このポロニウムが実はタバコに含有されていることが明らかになり、国会の質問主意書によって検討を指摘された。質問主意書は次のように指摘している。

「放射性物質ポロニウムは、暗殺にも使われる毒性の高い放射性物質であるが、日本で生産されているタバコにも含有されていることが明らかになっている。

 タバコによって体内に取り込まれたポロニウムは、繊毛作用によって気管支に蓄積し放射線を放出する。私どもが厚生労働省から提出を受けた資料によると、タバ コを一日一箱半喫煙する人のポロニウムによる放射線の曝露量は、年間で80mSvにも及ぶことになる。

 男性の喫煙者の平均喫煙量である一日一箱でも年間 53mSvにもなる。そして、喫煙によるポロニウム曝露に起因する健康被害は、一日一箱を15年間吸ってきた喫煙者では、喫煙によるがん死亡リスクの約 1%程度にもなるとされている。

 そして、70年間吸ってきた喫煙者では、約4%程度にもなるとされている。現在、福島第一原発事故によって、広範囲に放射 性物質が放出され、外部被曝や内部被曝が問題になっているなかで、食品安全委員会は生涯累積線量100mSvを採用し、厚生労働省は食品の規制値設定に際 し年1mSvを採用している。

 これに比してもポロニウムによる曝露量は、とてつもなく高いものであり、放射線被曝をトータルに考えた場合、放置することは 出来ない」(12年9月5日参議院議員紙智子)

 この質問主意書に対する答弁書(12年9月14日)で政府は、「たばこの煙中に含まれるポロニウムの吸入による喫煙者及び受動喫煙者の健康への影響については、今後、厚生労働省において、

たばこに含まれる個々の成分を分析し、医学的知見を踏まえた上で外部有識者の意見も聴きながら検証を行い、その結果を 公表していきたい」と検討を約束し 、それを受けて厚生労働省も13年4月から「たばこの健康影響評価専門委員会」で検証と検討に乗り出した。


●メーカーは事実を把握しつつ公表せず

 では、なぜタバコにポロニウムが含有されるのか。

 一つは、ウランから派生するラドンガスが空気中で崩壊してポロニウムが発生し、それがタバコの葉に吸収される。タバコの葉には腺毛と呼ばれる細かい毛が あり、それが空気中にあるポロニウムをよく吸着する。

 また、ポロニウムは大気中からだけではなく、土壌内のリン酸肥料(ウラン鉱石を多く含んでいる)から も吸収され、根を通じてタバコの葉に蓄積される。

 このような事実をタバコメーカーは、40年以上前から知っていた。しかし、それを公表せずに隠蔽してきたが、厚生労働省の「たばこの健康影響評価専門委員会」に提出された資料によって明らかにされたのである。

 その資料とは、『眠れる巨人を呼び起こす:ポロニウム210問題に対するタバコ産業の反応』(08年アメリカン・ジャーナル・オブ・パブリックヘルス)という論文である。論文は冒頭、次のように述べている。

「主要な多国籍の紙巻きタバコ製造業者が『眠れる巨人を呼び起こす』ことを恐れて、タバコ内のポロニウム210に関する潜在的な問題について、この問題へのあらゆる世間の関心を避けることによって対処していたことを資料は示している」

「企業の内部記録は、製造業者が社会全体にかかわるポロニウム210の問題に人々の注目を集めることを避けていたことを示唆している。また、製造業者は、 ポロニウム210がタバコの煙の成分であることが分かった時点で、それを除去することを試みたが失敗したことも資料に示されている」

 同論文は、「1968年までに、フィリップ・モリス社は、自社の紙巻きタバコブランドに含まれるポロニウム210レベルは、当時の文献で報告されていた レベルと同等であると確認していた」

「フィリップ・モリス社は、ポロニウム210から生じる低レベルの放射線に対し、選択的にタバコをチェックするために 1980年代前半に研究室を設置した」として、

フィリップ・モリス社が68年から自社のタバコ製品にポロニウムが含有されていることを確認し、80年代前 半には、ポロニウム210のための研究室を設置していたことを明らかにしている。

  そして同論文は、次のように結論づけている。

「タバコ産業は、紙巻きタバコの煙に含まれるポロニウム210の存在に関する幅広い議論が、一般大衆の認識に及ぼす影響について明らかに心配していた。

『実際に否定することなく、健康に対する非難についての疑問を生み出す』という全般的なアプローチとは対照的に、ポロニウム210論争に対処するための産 業の戦略は、沈黙の誓いを立て、『眠れる巨人を呼び起こすこと』を避けることであった」

「タバコ産業は、ポロニウム210問題に関して沈黙を守っており、引き続き世間の反応を恐れていることを示唆している。

消費者を対象とした喫煙と健康の情 報を紹介する主要な多国籍のタバコ会社の現在のウェブサイトで、我々は、タバコ及びタバコの煙に含まれる放射性粒子についての記載を見つけることはできなかった」

 このようなことはフィリップ・モリス社に限らない。日本たばこ産業(JT)のホームページにもポロニウムの記載は一切ない。同社ホームページ上でポロニ ウムの検索をかけても、該当事項はありませんとしか出てこない。

「タバコの健康影響評価専門委員会」は、これまで4回開催されている。

検証・検討作業の継 続が望まれるが、少なくともタバコメーカーのホームページや商品パッケージには、早急に「タバコには、放射性物質ポロニウムが含まれている」と表示するこ とが必要といえよう。
(文=小倉正行/国会議員政策秘書)
   


覚者・知花敏彦先生
宇宙に愛は1つしかありません

 人間は実在していないから、全く存在していない事を知らねばなりません。実在しているのは愛であって、これを大愛、または愛とも言いますし、神ともいっているものです。

 それを神は愛なりといいます。なぜ神は愛なのかといいますと、エネルギーと質量のバランスを大調和といいまして、このエネルギーと質量の調和でもって人間が創り出されているからです。

 あなたは人間ではありません。人間とは何かといいますと、愛の仮の姿です。即ちエネルギーと質量の仮の姿です。

 ですから、形という世界は仮相の世界といいます。影の世界です。エネルギーと質量が様々な形を写し出しています。エネルギーと質量のバランスがなくて物が存在すると思いますか。存在しません。

 大愛が人を創り、大愛が人の中に必ず宿っているといえます。人の中に愛は宿っていますか、宿っていませんか。あなたは人間ですか、愛ですか。愛です。

 ではどこに人間がいますか、あなたはその愛の仮の姿を見て、それに人間という名前を付けているだけです。あなたの本性は愛です。この世に愛を宿さないものは一物もありません。

 そして、この愛は宇宙にいくつあるといいますと、1つしかありません。これは無限大の愛であり、限りなき愛です。この愛には初めがないし、終わりもありません。空間がありません。時間がありません。永遠です。

 あなたの形は崩れても、愛は崩れません。愛は永遠になくなる事はありません。これが『不老不死の原理』です。あるいは健康になる秘訣です。

 しかし、皆さん方はまだまだ、自分の姿・形が何であるかや、自分の本性を見ていません。この大愛を皆さん方は神性といいます。

 そして、エネルギーと質量のバランスの事を意味します。そこで、神のことを中性というわけです。中性と神性は同じでありますし、愛というのも同じです。

 では、あなたは人間でしょうか、大愛でしょうか、愛はいくつありますか。愛には所得がありません。私の愛とか、誰彼の愛という愛は存在していません。

FC2版の広瀬すずちゃんの横顔になる方法の記事です♪
身長を伸ばす記事も追記してみました♪

実録・お遊び企画 究極の身長情報のディスクロージャー 「身長・グッド」さんのインタビューをご紹介♪最先端情報リニューアル版♪伝説の身長マスターが熱く語る特別インタビュー♪「身長・グッド」さんの元ネタは、コズミックディスクロージャーのコーリー・グッドさん♪面白いパロティー♪





実録・お遊び企画
究極の身長情報のディスクロージャー
「身長・グッド」さんのインタビューをご紹介♪

 今回は、実体験を元にした、昔の「コズミックディスクロージャー」のパロティー記事を、
最新の知識に基づいたバージョンに変更してご紹介しちゃいます。
(※元記事を改変してます)

 個人的には、パロティーネタとしてはまあまあ上出来になった気は致します。
 私は自分で見るたびにクスッと笑っちゃうぐらい、この記事は大好きなのですが…、さぁ、皆様のお気に召して頂けるといいのですが…♪

 元ネタのネガティブ部分が、私のパロディー部分では…思いっきりポジティブになっている対比が笑いを誘います♪
 もう私は、原文を見るとつい吹き出しそうになります(笑)。

 対比が極端で、元ネタを見た後に、もう一度パロティー部分を見て頂くと、さらに面白くなりますから、ぜひ一度お試しくださいませ♪

 今回は、私の実体験を元にした…純粋な「パロティーお笑い」としてお楽しみして頂ければ幸いです。

 もうお分かりだと思いますが、「身長・グッド」さんの元ネタは、「コーリー・グッド」さんだったりします。
 もうペンネームでも、源氏名でも、キラキラネームでも、お好きな敬称でどうぞお呼び下さい(笑)。

 ですが 一応、このブログでも、自分の名前扱いだったりしますし、結構馴染みのある…長年のお付き合いのある名前でもあります。実は結構気に入ってます^^♪

 記事の下の方にパロティーの元ネタの記事も載せております。
コズミックディスクロージャーでクライマックスの要のお話ですから、内容満点で普通に面白いですよ♪

細かい文字の違いを見て、あっ…元はこんな感じなんだ…って(笑)、
そこ辺りをクスッと笑って頂ければ…私としましても嬉しく思います♪
いつもご観覧下さり本当に有難うございますm(_ _)m♪


FC2版の広瀬すずちゃんの横顔になる方法の記事です♪
身長を伸ばす記事も追記してみました♪



☆★☆ シンチョウ・ディスクロージャー ★シンチョウ・グッド、ミランダ・ナギサ信念で常識を打破する-シンチョウの謎(エピソード565)★ ☆。・:*:・゚`★
November 29, 2015

◎ George : シンチョウ・Coreyグッド氏の伸長法は、ご覧になられたでしょうか、彼は、独自プログラムで30歳から身長が22センチも伸びた務経験のある、稀有な人物です。

まだでしたら、どうぞこれを読んだ後にご覧下さい。
信じられない話ですから!

Corey・シンチョウ、ようこそ!
また出演して下さり、嬉しいです。

★ Corey : どうも。
◎ George : 初回は、吃驚(びっくり)させられました。

30代の大人を捕まえてトレーニングし、本当に身長が延びるプログラムなんてものが本当にあるなんて、考えただけでも恐ろしい。

そんなことを考えついたのは、誰ですか?
貴方は、知っています?

★ Corey : 全く、分かりません。……いや、それは私です(笑)
それが、どう始まったのかは。

◎ George : 賢いのでしょうね。
★ Corey : ええ、そうですね。

◎ George : 現在、何人が、そのプログラムに取り組んでいるのでしょう?
★ Corey : それは、推測しかできません。…ブログで記事が出てから、まあまあ時間が立っていますから、数百人ぐらいでしょうか。

◎ George : 千人くらい?
★ Corey : 何百人単位です。
現時点で、どこまで普及しているか分かりません。
彼らは、そうやって大半の人を伸ばすプログラムや、夢のように身長が伸びるという事は、秘密宇宙プログラム内の嘘だと仕立てているんです。

◎ George : 世界規模で知られているんですか?
★ Corey : はい。

◎ George : 世界中で、この伸長法が知られていると?
★ Corey : はい。

◎ George どうして、公表しようと思ったのですか?
★ Corey : 2011年、たくさんの身長が伸びたい方々を見て、彼らの言うことを聞いて。
彼らがプログラムでどんなに身長が伸びたいと希望していたか、私には分かっていた。
彼らはいつも、肝心な話題に近づくと、急に踵(きびす)を返すんです。

◎ George : 怖かったのでしょうか?
恐れていたのかな?

★ Corey : ついに出来たのです。究極の伸長法が。
ある程度までは順調だった、けれど、色々壁にぶつかったり、何かあったりするんです。
どんなことも、有り得ます。

そういう人達が知りたがっている情報を、私はたくさん知っていた。
それで、フラストレーションが溜まっていったのです。

それで、身長を伸ばすブログを立ち上げました。

高身長 伸び助 というユーザーネームで、皆知っていますが、これが私が当初使っていたハンドルネームです。

そして、あらゆる状況のところどころに、少しずつ補足説明を公表していきました。
最終的には、どんどん公表していった。

すると、大勢の人が関心を向け始めたのです。
◎ George : うまく考えましたね。

★ Corey : ええ。
そして、ついに、宇宙秘密プログラム同盟のあるAmazon Kindleプログラムから連絡を受けました。
 いわゆる電子辞書と言われている物で、個人で出版出来るというという面白いプログラムでした。

ナタリー・トールマンというハンドルネームの人物で、これは、本名ではありませんが。
彼の名前で、身長の情報を一般に向けて公表する代表人として、公開されたと。

それから、翻訳ソフトを使って英語、ポルトガル語、イタリア語、などでこのブログでもご紹介している内容で出版したのですね。

(※昔、本当にKindleで本を出してまして、世界規模で総額5000円ぐらい売れました。翻訳ソフトの元がギリギリ取れないぐらいです…笑

カルマの法則に、そう限りの保護は提供すると言われました。
私は人を裏切ってませんし、子供に手をあげたりはしません。
嘘もつきません。
その種のカルマが返って来るようなことは、しません。

◎ George : ネガティブなエネルギー、物事ということですね。
★ Corey : ネガティブなエネルギーが返るようなことはね。嘘はついていません。

翻訳が大変でした、英語以外でしたら、翻訳が難しくなります。
日本語から翻訳すると、意味ががわからなくなってしまう。

◎ George : 直せないですよね。細かい意味の調整など。
★ Corey : 直せないです。

でも、私は、私が知っていた英語に変換してから変換する方法を思いつきました。世界がそれを求めて来ました。

それで、私の身長プログラムがあらゆるレベルで取り組んでいた、宝の山のようなハイテク情報を開示出来ました。

大豆アルギニンL型カルシウム(Aruginin  Lcalcium)という栄養まで、全てをね。

ところが、彼らは、更に先の話をするよう求めて来ました。
大半の人が「自由がアルノ」と呼ぶ、もっと喜悦で、人を感動させる情報も開示してゆくようにと言われたのです。

◎ George : それは、つまり、?
★ Corey : 人々をアセンションしてワンネス意識へ移行させるような情報です。

◎ George : 面白いから?
劇的過ぎて?

★ Corey : ええ。
◎ George : 例えば?
★ Corey : 一例を挙げるなら、知花敏彦さんが知名度の割にはとんでもなく凄い人だったりとかね。

◎ George : 全員をワンネス意識へ連れてゆくと。
★ Corey : 一人でも沢山の人達がワンネス意識に、行って欲しいのです。

そして、意識に愛と感謝を、無条件の赦しと叡智を身に付け、悟り…覚醒してアセンデッドマスター(覚者)になって未来が輝くんです。

◎ George : そういうブログなんですね。
彼らは、情報が欲しい、我々は感動が欲しい。
★ Corey : その通り。

◎ George : その覚醒された人達は、今も生きてると思います?
★ Corey : ええ、大勢が生きてます。
生まれてきて良かったと思っているでしょうけれどね。

◎ George : 至福のエクスタシー♡な意識状態にあるでしょうね。
★ Corey : ♡♡状態だけでは済みません、素晴らしい連続的感謝の意識状態です。

◎ George : その人達は、もうワンネスにいるのですか?
★ Corey : はい。
少しつけ加えれば、地球の極めて貴重な古代芸術や遺品も、ワンネスにはあります。

◎ George : 齊藤なぎさ♡ちゃんってすごい可愛いですよね?
★ Corey : それも、今いる人類で一番可愛い女性だったのです。


「な~たん♡」という日本人種がいるんです。
彼女は、何でも指原さんのお気に入りで、黒目が大きくて可愛いのです。

◎ George : 身長は、貴方にどうやって希望を与えたか大成功したか教えましたか?
こんなに成功した秘訣は、何ですか?
アルギニンの影響があったに違いないと思ってるんですが。

★ Corey : それについては、他の要素もあります。
Lカルシウム、プロテインといったサプリメント、寝方、座り方、左右手足伸ばし体操…精神状態についてはよく理由になりますね。

それに、アルギニンの摂取をやめてもまだ伸びている点が、話題になっています。
ですが、皆知りませんが大豆にもアルギニンがあったのです……最高の栄養がありましたね。卵にもあります。

大豆というのは、土の牛肉でもあったのです。
大豆は、タンパク質やアルギニンから何でも体にいい栄養を持っていた。
最近の栄養摂取は、そうしていました。

どうも大豆パワーが、身長を伸ばしていたのです。
それに、究極の身長プログラムも保有していました。

◎ George : 宇宙の叡智の身長プログラムですね。
★ Corey : 身長の宇宙プログラムです。

◎ George : シンチョウ、貴方は私達の友人のミランダ・ナギサの目に留まりました。
彼女によると、貴方は過去出会った中で最大の高身長成功者だと、心から信じています。
そして、「あなたの素晴らしい人生に乾杯♪」というブログを始めましたね。
ブログが飛ばし過ぎではないかと心配にはなりませんか?

★ Corey : 更新しすぎる、それが私の今の仕事ですからね。
◎ George : アセンションネタの打ち込み中でブログ更新中に、誰かが、突然、割り込んで来るかも知れない。
★ Corey : 全く、その通りです。
◎ George : 有り得ますよね。

デイビッドが、いつも背後を気にしてるのは知ってますが。
★ Corey : ええ。

◎ George : 貴方の家族は、ご存知なんですか?
★ Corey : はい。

◎ George : 奥さんは、心配してませんか?
★ Corey : 心の嫁(な~たん♡)はいつも元気ですよ。

話しはしませんが(会った事はないので…^^;)
イコラブのライブがあってとても楽しく踊っていました。
(You Tubeで)
私は、安全保護を受けています。

◎ George : 今のところ、この番組中に言いたいことは全て話してますか?
★ Corey : 「貴方の素晴らしい人生に乾杯♪」で、もっとたくさんのことを更新してゆきます。

初めの頃は「伸長法以外」には触れないよう、とても気遣っていたのですが、今後は、かなり愉快な情報も公開することになります。

書類を提示したり、証拠や写真を見せたりするのは、私の役目ではない。
私の役目はアセンションの種を植え始めること、人類意識に情報を提供してゆくことです。
全ての人に向けて、宇宙情報のディスクロージャーが一斉公開がなされる、その時に備えてね。

◎ George : この国で、貴方のように身長が伸びたがっている人は、他に何人いますか?
★ Corey : 伸びようとした人達がいるのは知ってますが、この方法で成功します。
◎ George : 成功する?
★ Corey : ええ。

誰だって、伸びる可能性はあります。
でも、今は信じるしかない。

もし、伸びるような事が起きたら、私の言動に、更に関心が向くことになります。
今、30代で身長を伸ばす手段としては、私の言っている事を実践するしかないのです。

◎ George : しょこたんもこの方法で長足になる事は可能ですか?
★ Corey : ええ、だってこの方法には年齢制限がありませんから。
限界もない。

だから、今のところ、彼らは私のことを信じる他に手だてはないのです。
◎ George : 信じられない!

★ Corey : 信じ易い話は、誰でもできます。
信じられそうだと思える話をしている人は、大勢いますね。

でも、どんな場合であっても、自分で判断しなければなりません。
自分の中で、何が真実だと感じるか、どれが正しいと感じられるか。

もし、私の言っていることが、貴方の中のエネルギーにピッタリこなければ、貴方の感覚や信念に合わなければ、私は全く構わない。
人に、無理やり押しつけるつもりはありませんから。

◎ George : もし、しょこたんから195センチの高身長イケメンだお♪
(^ω^ ≡ ^ω^)おっおっおっ?
ぜひ翔子と結婚して欲しいお(^ω^)トゥットゥルー♪
よろしくだお⊂(´ω`⊂⌒⊃☆彡
と言われたらどうしますか?

◎  Corey  : 急に?
★ George : 急にです。
◎  Corey  :前向きに検討したいです(笑)

★ George : じゃあ、な~たん♡から「大好きだよ~♪
……付き合って下さい」って告白されたらどうしますか?

◎  Corey  : 急に?
★ George : 急にです。

◎  Corey  :光速を超える速さで全力OKしたいです(笑)
世界一メロメロにタイプで、もう本当に大好きですから…。

★ Corey : 翔子に、史上初めて、自らの足で立ち上がって欲しい。
アメブロ上であろうと、K子からであろうと、操作されるのを止めます。

一切の、身長、足の長さの限界システムから脱出したい。
その準備は、できています。

私達に、このシステムは必要ありません。
限界など要らないのです。
今、この地球で身長テクノロジーを受け取る準備ができています。

その技術を利用すれば、一生、短足で悩んで悲しんだり、毎日コンプレックスに巻き込まれることなく、生活することができるんです。

◎ George : 翔子は、すっかり変わるでしょうね?(足の長さが)
★ Corey : ええ。
自分達で考えて(伸ばして)いけるんです。

開示後は、ありとあらゆる好きな足の長さが使えるようになります。
自分の理想にしている全ての身長についても、なる事ができるようになります。

◎ George : ワクワクする未来ですね。
名乗り出て下さった貴方の勇気に、感謝しています。

そして、もちろん、シンチョウ・グッドのアセンションブログ
「貴方の素晴らしい人生に乾杯♪」も、楽しみにしています。
★ Corey : ありがとう。


齊藤なぎさちゃん♡の画像が盛りだくさんの記事はこちら♪https://sinntyounobiruyo.blog.fc2.com/blog-entry-3963.html

☆★☆ コスミック・ディスクロージャー ★コーリー・グッド、ジョージ・ヌーリー信念を打破する-カバールの影(エピソード4-54)★ ☆。・:*:・゚`★
November 24, 2015
◎ George : コーリー・グッド氏との初回インタビューは、ご覧になられたでしょうか、彼は、秘密宇宙プログラムで20年間勤務経験のある、内部告発者です。

まだでしたら、どうぞこれを読んだ後にご覧下さい。
信じられない話ですから!

コーリー、ようこそ!
また出演して下さり、嬉しいです。

★ Corey : どうも。

◎ George : 初回は、吃驚(びっくり)させられました。

6歳の子供を捕まえてトレーニングし、利用する政府プログラムなんてものが本当にあるなんて、考えただけでも恐ろしい。
そんなことを考えついたのは、誰ですか?
貴方は、知っています?

★ Corey : 全く、分かりません。
それが、どう始まったのかは。

◎ George : 賢いのでしょうね。

★ Corey : ええ、そうですね。

◎ George : 現在、何人が、そのプログラムにいるんでしょう?

★ Corey : それは、推測しかできません。

◎ George : 千人くらい?

★ Corey : 何千人単位です。
現時点で、どこまで蔓延しているか分かりません。

彼らは、そうやって大半の人を闇深い地球の Black Ops プログラムや、秘密地球政府シンジケート、秘密宇宙プログラム内の工作員に仕立てているんです。

◎ George : 世界規模で行われてるんですか?

★ Corey : はい。

◎ George : 世界中に、秘密政府があると?

★ Corey : はい。

◎ George : 一つの派閥として、カバールがいますね。
世界政府の人々、イルミナティの連中、もう長年、秘密宇宙プログラムを進行させて来たグループです。

それから、他に貴方のように、「もうたくさんだ。公表するぞ」と言っている人達のグループもいる。
どうして、公表しようと思ったのですか?

★ Corey : 2011年、たくさんの内部告発者の録画を見て、彼らの言うことを聞いて。
彼らがプログラムでどんなことをしていたか、私には分かっていた。
彼らはいつも、肝心な話題に近づくと、急に踵(きびす)を返すんです。

◎ George : 怖かったのでしょうか?
恐れていたのかな?

★ Corey : 命令が来たのです。
ある程度までは勇敢だった、けれど、身近な人が脅迫にあったりするんです。

どんなことも、有り得ます。
そういう人達が知っている情報を、私もたくさん知っていた。

それで、フラストレーションが溜まっていったのです。
それで、ネットのフォーラムを立ち上げました。

GoodETxSG というユーザーネームで、皆知っていますが、これが私が当初使っていたハンドルネームです。

そして、あらゆる状況のところどころに、少しずつ補足説明を公表していきました。
最終的には、どんどん公表していった。
すると、大勢の人が関心を向け始めたのです。

◎ George : うまく考えましたね。

★ Corey : ええ。
そして、ついに、宇宙秘密プログラム同盟のあるメンバーから連絡を受けました。

ゴンザレス中尉というハンドルネームの人物で、これは、本名ではありませんが。
彼によると、一定の情報を一般に向けて公表する代表人として、私が指名されたと。

カルマの法則に、そう限りの保護は提供すると言われました。
私は妻を裏切ってませんし、子供に手をあげたりはしません。

嘘もつきません。
その種のカルマが返って来るようなことは、しません。

◎ George : ネガティブなエネルギー、物事ということですね。

★ Corey : ネガティブなエネルギーが返るようなことはね。
大変でした、嫌って来る人がいたら、反撃したくなります。
それで反撃すると、自分がオープンになってしまう。

◎ George : 勝てないですよね。

★ Corey : 勝てないです。
でも、彼らは、私が知っていたハイテク情報の開示を求めて来ました。

それで、私は秘密宇宙プログラムがあらゆるレベルで取り組んでいた、宝の山のようなハイテク情報を開示して来ました。

惑星間複合企業(Interplanetary Corporate Conglomerate)というグループのインフラまで、全てをね。

ところが、彼らは、更に先の話をするよう求めて来ました。
大半の人が「恐れのポルノ」と呼ぶ、もっと厄介で、人を動転させる情報も開示してゆくようにと言われたのです。

◎ George : それは、つまり、?

★ Corey : 人々を動揺させ、恐怖に怯(おび)えさせるような情報です。

◎ George : 恐ろしいから?
劇的過ぎて?

★ Corey : ええ。

◎ George : 例えば?

★ Corey : 一例を挙げるなら、秘密地球政府シンジケートが人間を誘拐し、場合によっては、第三世界の村ごと誘拐していたことを話しました。

◎ George : 全員を連れてゆくと。

★ Corey : 選別施設に、全員を連れてゆくんです。
そして、遺伝子にタグをつけ、テストし、技術取引で渡すのにどのグループが最適かを調べるんです。

◎ George : そういう取引なんですね。
彼らは、人体が欲しい、我々は技術が欲しい。

★ Corey : その通り。

◎ George : その誘拐された人達は、今も生きてると思います?

★ Corey : ええ、大勢が生きてます。
死んだ方がましだと思っているでしょうけれどね。

◎ George : ショック状態にあるでしょうね。

★ Corey : ショック状態だけでは済みません、恐ろしいトラウマ状態です。

◎ George : その人達は、他の星系にいるのですか?

★ Corey : はい。
少しつけ加えれば、地球の極めて貴重な古代芸術や遺品も、他の星系にあります。

◎ George : 彼らに持っていかれたのですか?

★ Corey : それも、地球人が取引に使ったのです。
物々交換のみで取引する、商売人の人種がいるんです。
彼らは、何でも交易・取引するんです。

◎ George : 彼らは、貴方にどうやってピラミッドを建造したか教えましたか?
ピラミッドの目的は、何ですか?
ETの影響があったに違いないと思ってるんですが。

★ Corey : それについては、他の要素もあります。
レムリア、アトランティスといった古代社会、いや古代文明についてはよく話題になりますね。

それに、今回の私達の時代の離脱文明についても、話題になっています。
ですが、皆知りませんがマヤにも離脱文明があったのです……僧侶カーストがありましたね。

僧侶というのは、科学者でもあったのです。
僧侶は、王や部下から科学知識を守っていた。

大体の古代グループは、そうしていました。
僧侶カーストが、情報を守っていたのです。
それに、宇宙プログラムも保有していました。

◎ George : 古代の宇宙プログラムですね。

★ Corey : 古代の宇宙プログラムです。
それで、私達の太陽系が満ち引きの時間サイクルを経る間に大災害が起きたり、貴方が番組でレポートしているようなことが色々起きました。

離脱文明のグループの多くは、地下に入ったのです。
古代人間グループの大勢が、地下のハニーコム・アース(ハチの巣状の地球)に潜った。

地球は空洞ではなく、ハチの巣状になっています。
そして、他の太陽系に出て行きました。

そして、私達の過去に戻って来て、地表の人間には自らを神と名乗っていました。
私達の意識がある程度進化するまでね。

進化して来たら、今度は、自らを善良なETだと名乗り始めました。
本当は自らを偽り、神だといって騙していたのですがね。

◎ George : コーリー、貴方は私達の友人のデイヴィッド・ウィルコックの目に留まりました。

彼によると、貴方は過去出会った中で最大の内部告発者だと、心から信じています。
そして、「コズミック・ディスクロジャー」という番組を始めましたね。
喋り過ぎではないかと心配にはなりませんか?

★ Corey : 喋り過ぎる、それが私の今の仕事ですからね。

◎ George : ウィルコックとテレビセットで収録中に、誰かが、突然、割り込んで来るかも知れない。

★ Corey : 全く、その通りです。

◎ George : 有り得ますよね。
デイビッドが、いつも背後を気にしてるのは知ってますが。

★ Corey : ええ。

◎ George : 貴方の家族は、ご存知なんですか?

◎ George : 奥さんは、心配してませんか?

★ Corey : 心配していますよ。
話しはしませんが、危険なことがあってとても怯(おび)えていました。
私は、安全保護を受けています。

◎ George : 今のところ、この番組中に言いたいことは全て話してますか?

★ Corey : 「コズミック・ディスクロージャー」で、もっとたくさんのことを話してゆきます。

初めの頃は「恐怖のポルノ」には触れないよう、とても気遣っていたのですが、今後は、かなり不快な情報も公開することになります。

書類を提示したり、証拠や写真を見せたりするのは、私の役目ではない。
私の役目は小さな種を植え始めること、人類意識に情報を提供してゆくことです。

全ての人に向けて、書類や証拠の一斉公開がなされる、その時に備えてね。

◎ George : この国で、貴方のように情報を公開したがっている人は、他に何人いますか?

★ Corey : 公開しようとした人達がいるのは知ってますが、阻止され殺されました。

◎ George : 殺された?

★ Corey : ええ。
今だって、私も殺される可能性はあります。

でも、今は信じるしかない。
もし、そんなことが起きたら、私の言動に、更に関心が向くことになります。

今、彼らの手段としては、私の言っていることを馬鹿にするしかないのです。

◎ George : 彼らはそんなことしてるんですか?

★ Corey : ええ、だって私には書類がありませんから。
写真もない。
だから、今のところ、彼らは私のことを馬鹿にするしか他に手だてはないのです。

◎ George : 信じられない!

★ Corey : 信じ易い話は、誰でもできます。
信じられそうだと思える話をしている人は、大勢いますね。

でも、どんな場合であっても、自分で判断しなければなりません。
自分の中で、何が真実だと感じるか、どれが正しいと感じられるか。

もし、私の言っていることが、貴方の中のエネルギーにピッタリこなければ、貴方の感覚や信念に合わなければ、私は全く構わない。
人に、無理やり押しつけるつもりはありませんから。

◎ George : もし、気が変わって時間を遡れるとしたら、貴方はもう一度同じことをすると思います?

★ Corey : どれくらい昔に、遡るんですか?

◎ George : 6歳の頃です。
野球したり、ただのスポーツ少年になりたいとは思いませんか?

★ Corey : 絶対に、それはないですね。
なりたくないです。

私は強制的にやらされていても、しなければならないことだったのです……そして、私はカルマ修正をして来た。

自分を許しました。
こうすることで、カルマの輪が止まるんです。

◎ George : 貴方は、悪いことをしたのですか?

★ Corey : 悪いことをせざるを得なかった。
私の側(そば)で悪いことが起きていても、そのまま何もしませんでした。

◎ George : 目を背けた。

★ Corey : 目を背けさえしなかった。

◎ George : 見ていた。

★ Corey : 側(そば)に立って、見ていました。
それが、仕事でしたから。

◎ George : 後悔してます?

★ Corey : もちろんです!
とても忘れられないのです、特に、直感エンパスですから。

エンパスは、他人や存在の感情を強烈に感じ取るんです。
あの感情は忘れません。

◎ George : コーリー、人がETに誘拐される場面を見たことはありますか?
地球から連れ去って、よその惑星に連れていくところとか。

貴方はそれが、起きるのを見ていた。
その人達は、貴方の目を真っ直ぐ見るけれど、貴方は止めようともしなかった。

★ Corey : 何度もあります。

◎ George : それは、辛い時もあるでしょうね。

★ Corey : いつだって、常に辛いです。

◎ George : それで、全体的に見て、私達を助けようとする善意のETには遭遇したのでしょうか?
それとも、全員が悪ですか?

★ Corey : いや、全員が悪ではありません。
それも、視点によるところが大きい。
だって、研究用のマウスで実験をしている科学者達は悪ですか?

◎ George : 悪だという人もいるでしょう。
悪ではない、という人もいます。
人類の為にやっていますね。

★ Corey : 大体が、視点次第なんです。
80年代後半から90年代前半にやって来たあるグループがいて、スフィア・ビーイング・アライアンスと呼ばれています。

◎ George : 貴方も、その一員ですね。

★ Corey : このグループが私にコンタクトをして来て、秘密宇宙プログラムにもコンタクトし、私を指名したのです。
ブルー・エイビアンズというグループが、その中にいます。

◎ George : 何者ですか?

★ Corey : 6次密度の存在です。
2.4メートルほどの身長で、鳥に似た存在です。

二足歩行で、とても人間に近い姿です。
アーティストが、絵に描いています。

◎ George : 怖いですか?

★ Corey : いえいえ、とても愛に溢れています。
テレパシーと手話を同時に使って、話をします。

◎ George : 地球で、人々がこの存在を目撃したことはあります?
モス・マン(蛾人間)のような姿ですか?
もしかしたら、人は、そういう存在と見間違えているのかも?

★ Corey : いえ、全く別ものです。
ブルー・エイビアンズとコンタクトしているという人がどんどん増えていますが、私の知る限りでブルー・エイビアンズと協力し、コンタクトを取っている人物はただ一人、「ゴンザレス中尉」だけです。

私達人類はもっと愛豊かになり、他者も自分をも許さねばならないというメッセージを、ブルー・エイビアンズは出しています。

◎ George : ええ、それには同意します。

★ Corey : そうすれば、カルマの輪は止まります。
日々、もっと他者奉仕にフォーカスし、意識と振動を高めることに同意すればね。

そうすれば、世界を変えられる。
一人ずつ、その一人が自分であってもね。

◎ George : 私は、秘密軍事に携わっている人を大勢知っています。
善良な兵士達なんです。

アメリカの為に、身を捧げている。
もし、彼らがこれを聞いたら、直ぐに止めようとするでしょう。

どこに、契約すればいい?
この国をこんな侵入者から守る為に、どこで戦争すればいい?
どうすれば、止められるだろう? とね。

★ Corey : それは、いい質問ですね。
それこそが、ブルー・エイビアンズについて、人がゆきつくところです。
皆、尋ねて来ます……どうして、この高次の存在は、ここに来て私達を救わないの? とね。

悲しい現実は聞きたくないでしょうが、私達が自らを救わざるを得ない状況を、彼らが作り出しているんです。

全人類から隠されて来た最大の秘密の一つが、私達の意識のパワーについてです。
私達の意識には、共同創造メカニズムが備わっています。

光、エネルギー、物質、それぞれに状態は違いますが全て振動です。
そして、意識、特に、私達が集団として一体となった意識で一つの結果にフォーカスすれば、そして、その意識の引き金として愛を用いれば、私達は共同創造意識の力で現実を変えることができます。

変化が生じるのは、そういうことが起きているからです。
ETが空から現れて、カバールを倒すことはないのです……

◎ George : そのようには進まないと。

★ Corey : 私達がやるんです。
私達が目覚める、ということ。
初めは、不穏なことが起きるでしょう。
何か恐ろしいこと……ただの例えですが、完全な経済崩壊のような。

◎ George : またですか。

★ Corey : またです。
ですが、今回は、本当に大規模です。

◎ George : 前より大きいのですね。

★ Corey : それで皆怒って、オープンマインドになるでしょう。
そして、「おい、我々はえらい詐欺にかかっているぞ」となるでしょう。
何が起きているか、知りたくなります。

そこで、バーンとデータを一挙放出する。
オープンになっているところに全データが出て、誰でも全ての情報にアクセス可能な状態です。

そうすれば、私達の共同創造意識が優位に立つ訳です。
長年の間、ずっと、カバールは私達の共同創造意識を利用して来た。

彼らの黒魔術を支える基盤は、私達の意識だったのです。
敵のやったことに見せ掛けて、自国破壊をする行動も、全てその為です。

映画を作ったり、歌を流行らせたりして、私達の大衆意識に種を植えるんです。
そして、敵に見せ掛けて自国破壊して、私達の恐れや感情の引き金を引き、大衆意識に何かを生じさせる。

こうやって、私達に現実を作らせているんです。
これが、彼らの黒魔術の秘密、やり方です。

◎ George : 貴方は、いつまで公表を続けるつもりですか?
もし、止めるとしたら、どんな理由で止めますか?

★ Corey : 協働している人達から、止めよと指示が出れば。
若しくは、データ一斉放出が実現して、全てを目の当たりにしたら止めようと思います。
私は、長期に亘(わた)ってやるつもりです。

◎ George : もし……もし、ですよ、私達の注意を逸らせ、迂回させる為の情報専門家として、貴方が政府に嵌(は)められているとしたら?

もしかしたら、全く違う話かも知れません。
私はただ、わざと異を唱えているんですが。

政府側としては、貴方のような人を使って私達の気を別のことに集中させ、その間に私達の目の届かないところで全体像が動いているとか。
あらゆる面を全て踏まえて。
そうではないのですか?

★ Corey : 全て踏まえて。
私も、それについては考えたことがあります。
かなり深刻に考えました。

というのも、私が子供の頃、就いた任務の名前が「ブルーバード・プロジェクト(青い鳥プロジェクト)」だったのです。
そして、今、いきなりこのブルー・エイビアンズ(青い鳥)がやって来た。

秘密宇宙プログラムの他のメンバー達は「どうなっているんだ?」と言ってます。
私達は皆、ブルーバード・プロジェクトにいたのです。
そして、今、ブルー・エイビアンズが現れた。
何かあるんじゃないか? とね。

◎ George : 貴方は、全く知らない内に利用されているのかも知れない。

★ Corey : ええ。

メンバー達は言ってました。
「また、我々を潰そうとしているのか?」と。
結局のところ、カバールは人類から恐怖のエネルギーを奪って、ご主人達にそのエネルギーを渡すことだけが目的なんです。
人類の無知と、恐怖を操ってね。

◎ George : 本当に、うまくやっていますね。

★ Corey : ええ。
共同創造意識についての知識を人類から隠す為に、彼らが殺して来た科学者や一般人が何人いたことか。
私には分かりません。

それに、ランド社(Rand Corporation)の調査では、確か7000人だったと思います、一緒に瞑想をしたのですね。
すると、世界中でテロや犯罪が71%減少したのです。

◎ George : それは、大きな数字ですね。
本当に、機能するんですね。

★ Corey : それは、もちろん。

◎ George : 『Coastto Coast』の番組で、全米実験をしたのですが、あらゆる試みに集中し、雨の降るはずのない時に雨を降らせたことがあります。

リン・マクタガート(Lynne McTaggart)の研究で『Coastto Coast』の視聴者と実験をして、ワシントンDCの犯罪を減少させました。
効果が現れるんです。

★ Corey : ええ。
これこそが、パワーなんです。
彼らは、意識のパワーを私達に対して使っていた。

その同じパワーを使って、彼らを倒せるんです。
それに、彼らは、私達が愛や許しを使ってもらいたくない。

これは、カバールの概念でもツールでもありません。
大勢の人達が考え、信じたくなるかも知れない。
分かっています。

私は、今、敢えて異論を唱えています。
人の思考に干渉し、何かを見させたり信じさせる能力を見て来ました。
信じ難いことも、可能なんです。

◎ George : 真っ直ぐ、カメラを見ていただけますか。
貴方は、偽情報の特技官ですか?

★ Corey : (カメラを真っ直ぐ見て)私は、偽情報の特技官ではありません。
嘘は、ついていません。

自分が経験していないことは、一切話していません。
誰のことも、欺(あざむ)いていません。

カバールのエージェントではありません。
私は愛、許し、一人一人のエンパワーメントのメッセージを伝えています。

カバールから、パワーを取り戻す為に。
あまりに長きに亘(わた)り、私達のパワーは、私達に対するツールとして使われて来ましたから。

◎ George : 彼らに捕まるまで、どれくらいの間この活動を続けるのですか?

★ Corey : その時にならねば分かりません。

◎ George : 必ず捕まりますよ。

★ Corey : 分かってます。

◎ George : 捕まえようとするでしょうね。

★ Corey : ええ。
私に反対を唱える、色々な偽情報運動が起きています。

驚くようなことがありましたよ。
私を徹底的に攻撃して来る人が4人いました。

eメールを使ったり、私に対抗するブログを発表していました。
それが、突然、皆謝罪して来たのです。

◎ George : 急に?

★ Corey : 急にです。

それで、彼らからの謝罪を受け入れ、彼らを許さなければ私は偽善者になるから、と彼らに伝えました。

◎ George : ただ、魔法の杖を振って何かを止められるとしたら、何を止めます?

★ Corey : 人類に、史上初めて、自らの足で立ち上がって欲しい。

地球上であろうと、宇宙からであろうと、操作されるのを止めます。
一切の、経済奴隷負債システムから脱出したい。
その準備は、できています。
私達に、このシステムは必要ありません。

経済システムなど要らないのです。
今、この地球でテクノロジーを受け取る準備ができています。
その技術を利用すれば、一日9時間も10時間も働いたり、毎日2時間も交通渋滞に巻き込まれることなく、生活することができるんです。

◎ George : 地球は、すっかり変わるでしょうね?

★ Corey : ええ。
自分達で考えていけるんです。
開示後は、ありとあらゆる新しい乗り物が使えるようになります。
地球の上空にいる全ての存在についても、学ぶことができるようになります。

◎ George : ワクワクする未来ですね。

名乗り出て下さった貴方の勇気に、感謝しています。
そして、もちろん、デイヴィッド・ウィルコックとのインタビュー番組「コズミック・ディスクロージャー」も、楽しみにしています。
★ Corey : ありがとう。

◎ George : 私達皆んなを守る為に、誰かが名乗り出て実態を開示せねばなりません。
それをしてくれたのが、コーリー・グッドです。
私はジョージ・ヌーリー、ご視聴ありがとうございました。


コーリー・グッドさんとディビットウィルコックさんの
コズミックディスクロージャーが全部見れちゃう素敵なサイトはこちらです♪


第六密度以上の高次元(ブルーエビアンズ)存在が語る
「許し」というものが、カルマの輪を止める事になるお話

★ コーリー : 多くの人々が現生のトラウマだけでなく、過去生のトラウマにも対処しているところなのです。

今、地球に生まれて来ている多くのライトワーカーは、援助の為により高次元や、上の密度から降りて来た人々です。

現生が初めての人でも、高次の美しい場所からここへやって来た人にとっては、ここでのトラウマは10倍酷(ひど)く感じられるものです。

そして、長期に亘(わた)って輪廻転生を繰り返して来た人の場合は、更に解消しなければいけない過去生のカルマが加わります。

しかし、ブルーエイヴィアンズから言われたのは、トラウマを特定し、自分にトラウマを与えた人や自分自身を許すこと、

そして、この”「許し」というものが、カルマの輪を止めることになるということです。カルマがなくなるんです。

これは、エネルギー的なものです。
カルマとは」負債を支払うようなものではなくて、
許してエネルギーを解放するもの」なんです。

レムリアの覚者・ラムサの至高の名言♪知花敏彦先生や上江洲先生・バーソロミューさんと全く同じ真理でした♪(自分の生命に)感謝できる人は幸せ♪ 『覚醒するとは…「光の中にある(神と私は常に一体・ワンネス)」 こと・つまり真理を知ること(理解すること)』 「私は知っている。私は絶対(実在)だ。私は完全だ。私は神である。私は在る。」「 本当の神」とは、「絶え間なく続く本質(無限の生命)」「意識とエネルギー(霊と水の大調和)」で、あなたの現実を創造しています♪崇拝すべき「真の神」「未知なる神」とは「生命力」なのだ。 決して尽きることのない「あなたの生命」なのだ。「覚醒」をもたらすものはこの「叡智」なのだ。 「叡智(真理の知識の蓄積・理解」だけが「覚醒に導いてくれる」♪いつの間にか「真理の理解」が「覚者レベル」になって嬉しかったお話♪

ラムサ珠玉の言葉 1 様から引用させていただきました♪
心から感謝申し上げます。本当にありがとうございます。感謝・感謝です☆彡
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ラムサ珠玉の言葉を補足説明付きでご紹介♪

いつの間にか、「真理の理解」が
「覚者レベル」になって嬉しかったお話♪

 レムリアの覚者・ラムサさんの至高の名言を最先端の真理の理解に
基づいて、補足説明をバンバン付けてご紹介しちゃいます♪

 三年ほど前にこの記事を作った時は、素晴らしいことを仰っているのは分かったのですが、当時は、正直チンプンカンプンだったのが思い出されます。

 先程、記事を作ってみて思ったのは…ここ最近の理解でやっと完全に理解出来る…大変高度な内容だったという事です。まさに…現在の理解力でギリギリでした。

 さすが…ラムサさん!!…覚者なだけあります。
本当にベストタイミングでしたぁ…ホッ♪
このタイミングなのも…神の偉大なる御業であり、
天の采配であり、神のシンクロニティ…だと言えましょう。

 私のフィーリングでも、魂のハートの部分でも、
100%納得できるレベルで理解できた感覚はありました。

 一瞬一瞬が、「私が神ご自身であり、全てが神ご自身なのだ」
という「ワンネス意識(すべては一つの生命」という「愛」が
絶対実在(真理)であって、
「全てが私」という「神意識」で、「全てに神を観る」意識状態で、
日々を過ごせるようになれると、覚醒出来るのでしょう。

 きっと…このブログをある程度ご観覧して下さっている
高次元な魂の皆様でしたら、容易にご理解頂ける事でありましょう。

 もし仮に、この記事から私のブログを知った方がいらっしゃいましたら、一度私のブログを全力でご観覧されてみてはいかがでしょうか?
簡単に理解できちゃいますよ♪

 実はかなり…難解で有名なラムサさんの教えですが、
どこかで見た話では「ラムサの教え」を長年学んでいる人でも、
覚醒にまで至った人はほぼ皆無のようで…見たことがない
…との情報も拝見した事もあります。

謎解き問題のようで、三次元解釈では捉えにくい事柄ですからね。
昔は、何か…めっちゃいいこと言ってるな~ぐらいのもんでしたし(笑)。

 過去はこのような有り様でしたので、今回のあまりの
「理解力の完璧さ」にただただ驚かされるばかりなのでした。

100%完全にバッチリ手にとるようにわかりましたからね(笑)
これには思わずにっこり(*´∀`)アハハン♪

もうこれは…覚者かもわからんね…っていう(笑)
もうこれは…覚者でしょ、理解のクオリティが高すぎる…っていう
いつのまにか覚者みたいになっとるやん…っていう(笑)


パラパラして読む瞬間にラムサの教えを理解しようと
思いったのですが全然分かりませんでした。
アタマの皮を思いっきり引っ張り頭の中に知識を
貯めハートにダッシュしたのですが理解でつまづき
知識を表面にブチ撒けた瞬間に三年前は終わりました。

三年後、徹底的に真理を理解して、もう一度拝して見たのですが
理解力すごすぎです(笑)、笑いが止まりません。
どう見ても覚者です。
本当にありがとうございました


 真理の理解力…半端ないってもぉー
もう半端ないって(ニッコリ
 難解なラムサの教えめっちゃ完全に理解するもん…
そんなんすごすぎるやん普通(ニッコリ


【朗報】ワイ、うっかり真理を、覚者級に理解してしまう
【朗報】ワイ、あまりに嬉しすぎて、パロティーに走ってしまう


うっかり、パロティーに走ってしまうぐらい…
もう笑いが止まらない(ニッコリ…といった感じですが…♪
もちろんこれからも、「真の覚者」に向かって努力してまいります。

ささっ……話は変わりますが、ラムサさんも
”「覚醒」とは「真理の知識を持つ(理解する)」事を意味している
と仰っておられます。

 セント・ジャーメインさんに続いて、まさかの…ラムサさんまで、
真理の理解」を説かれているなんて…、驚きびっくりでしたが…
自身の結論に、お墨付きを与えて頂いたみたいで
本当に嬉しかったです(´;ω;`)ラ・ラ・ラ♪


覚醒とは(ラムサの教えから)

覚醒する」とは、単に「光の中にある(神意識の一部・
神と私は常に一体・ワンネス・全一体)」こと、つまり
(真理の)知識を持つ」ということを意味しているだけであり、

自分が利用できる(真理の)知識を持ち、
それを好きなように応用できるようになるということだ。

 『覚醒するとは…知ること(理解すること)』である。

 疑うことなく、信じることもなく、信仰や希望もなしにだ。
あなたが覚醒するための唯一の道とは、「思考(真理の理解)」が
「自分の思考(意識)」プロセスに入るのを許し、

それを感情(自己の意識)の中に抱き、体験(体得)し、
それを叡智(ハートにストンと落ちる理解)にすることだ。

 「(真理の)知識」はあなたの「最高の宝物」である。

覚醒をもたらすもの
 
存在よ、「覚醒」をもたらすものはこの「叡智(真理の知識)」なのだ。
 「叡智(真理の知識の蓄積・理解」だけが覚醒に導いてくれる」のだ。
そして「叡智(真理の知識)」は、貴方達が「自ら獲得(学び)」しなければならないのだ。

 
「覚者級の理解」に到達した…至れり尽くせりな補足説明付きで
御座いますので、きっと…すんなり御理解頂ける事でありましょう。

 ぜひ皆様も、”難解で有名な”「ラムサの教え」を深くご理解して頂き
「覚者」へ「覚醒」して頂ければ至上の喜びで御座いますm(_ _)m♪



ラムサ珠玉の言葉 1

001
祝福し「(大生命・神に感謝」できる人
 
多くの人々は、生命が体から離れる時まで、
自分の生命(内なる神)に感謝し、その声に耳を傾ける事が無い。
 人生を楽しみ、愛し、参加し、入り込み、そして祝福し、
(自分の生命に)「感謝できる人は幸せ」である。
 
002
 
未知(無知)を既知(覚醒)にする
 
この物質の天界に、人として降りてきた目的は、「
未知」(無知)
「既知」(真理の理解をして覚醒)にするためである。
 
003
 
崇拝者
 
存在よ、今日、私の国では人々は私を神として崇拝している。
なんと愚かな。私は軽蔑する。
 彼らは、自己の生を生きるものでは無く、虚しい崇拝者である。
(※偶像崇拝は真理ではありませんので)
 
006
 
自らの神性(真我・無限の生命・大愛)
 
自らの神性(ワンネス意識)に気付くこと以外、人類に救いの道は無い。
あなた方はこの(真理の)理解の種である。

 一人ひとりが自分の価値(真我)に気付き、
自分の生命が永遠(神ご自身・無限の生命)であることに気付くにつれて、

 あなた方は、無限の思考、無限の自由、そして無限の愛という意識に、ひとつづつ新たなものを加えていく。

あなたは、この(真理の)理解の種を根付かせ、
花開かせるため(覚醒の為)にはるばるとやってきたのだ。
 
007
 
人間
 
人間という形の神(神の化身・愛の表現体)になることなしに、
神の究極の全体像を理解することは絶対にできない。

 人間になってはじめて、あなたは「父」であるものを、
思考のすべての形態において表現するのである。

 人間という形の中の神(現れとしての神)になるまでは、
神の王国のすべてを表現することは誰にもできないのである。

ひとたび物質の天界で生き、表現すれば、あなたは物質と呼ばれる
形態の中の神を理解することができるのである。

 人間にまだなっていない者たちは、この体験を持っていないのだ。
この天界の壮麗さの一部となるために、この天界を進化させ、山々を動かし、色を創造し、荘厳なるモニュメントを創造した者たちだけが、愛や喜びや創造の複雑さを理解できるのだ。

つまり、あなたたちだけが、永遠というものの理解、
そして永遠を追い求める願望を手に入れることができるのである。

したがって、人間であることは、まさにひとつの特権である。
 人間は天使よりもずっと進化しているのである。

なぜなら、天使たちには人間と呼ばれる制限された形態の中に生きる神についての理解がないからだ。
 人間になって初めて、あなたは天の王国(無限宇宙)の全領域を旅したことになるのである。

 人間になることは価値のあることなのだ。それはなるに値するものである。
 全能の神と呼ばれる、自分の内に宿るこの炎(神意識・大霊)を理解するために、人間になるのは賢明なことである。

そして、あなたが神であるもの―内面の宇宙や外の宇宙、物質や肉体、
愛や喜び、悲しみといったものすべて―を完全に理解した時、
あなたは「父(神との合一・ワンネス意識)」そのものになるのである。
 
008
 
ラムサ
 
私は、変化の風を携えてあなた方の天界にやってきた。
 私と私のそばにいる者たちは、すでに動き始めている。

ある壮大な計画に備えて、人類に準備をさせているのだ。
 人類が心を開き、知識と愛があふれる出ることが可能になるような、
偉大で光輝くものを人類の眼に見せることによって、
この天界の全ての人々を「ひとつ(ワンネス意識)にする」のだ。
 
009
 
覚醒とは
 
覚醒する」とは、単に「光の中にある(神意識の一部・
神と私は常に一体・ワンネス・全一体)」こと、つまり
(真理の)知識を持つ」ということを意味しているだけであり、

自分が利用できる(真理の)知識を持ち、
それを好きなように応用できるようになるということだ。

 『覚醒するとは…知ること(理解すること)』である。

 疑うことなく、信じることもなく、信仰や希望もなしにだ。
あなたが覚醒するための唯一の道とは、「思考(真理の理解)」が
「自分の思考(意識)」プロセスに入るのを許し、

それを感情(自己の意識)の中に抱き、体験(体得)し、
それを叡智(ハートにストンと落ちる理解)にすることだ。

 「(真理の)知識」はあなたの「最高の宝物」である。

というのも、すべてがあなたから奪い取られた時も、奪い取られなかったもの、そしてけっして奪い取ることのできないものとは、
この知識であり、これこそがあなたに再び創造する能力を与えてくれるからだ。

 知識があるということは、あなたには自由、つまり選択肢があるということなのだ。
 (宇宙法則の)知識があれば、限りない王国を築くことができる。

 知識があれば、恐れるものは何もない。
 恐れが知識を与えられたとき、それこそが「覚醒」と呼ばれるものなのだ。

 覚醒しようとしている人間のほとんどは、覚醒というものが言葉という形でやってくると思っている。
しかしもしあなたが理解していることが言葉で表現できるならば、それは過去に感じたことがあるものであって、覚醒ではない。

それを言い表すことができず、感じているだけであるならば、あなたが感じているものは天才の閃きであり、才能の輝きであり、まさに「限りない思考」つまり覚醒なのだ。

そしてその「知っている状態」がやってくる時、あなたは溢れるフィーリングと共に言葉をなくすだろう。
つまりそれらには、感情とビジョンしかないのだ。
 
010
 
神は外にはいない(神は汝の内にあり)
 
自分自身の外側に進むべき道や、崇拝すべき存在を求めるならば、
あなたは本当の意味で神の栄光を見ることは決して無いし、知ることも無い。

 自分自身を通して、そして自分自身への愛(大生命・内在の神への愛)
を宣言することを通してしか、自分の神性(神意識)や覚醒や、
可能性の開花といったものを実現することは決してできないのだ。
 
011
 
あなたが選んだのだ(意識は創造原理)
 
ここにいる誰もが幸せなのだ。
なぜなら、誰もが自分の意志に従いながら、まさに自分自身がやりたいことをやっているからだ。
 病気になることを望んでいる者たちは、病気になっている。

 不幸になりたい者たちは、不幸になっている。
それは、彼らがそうなりたいからであり、そうなることによって自分が幸せになれるからなのだ。
もしあなたが誰かを無理やり笑わせようとすれば、その人間はあなたの前で泣きくずれてしまうだろう。

「意識は創造原理」を見て頂いたらよくご理解頂けます♪
 
012
 
肉体と物質のとりこになった人間
 
体を持ってここに生まれてくることは、罠としてつくられたわけではない。
それは永遠に続くものとしてあるのでもない。

 それは元々は、単に、創造性と生命の探求(無限宇宙・神の御心)の中にある、参加するための(愛を表現するための)ゲーム、新しい冒険にすぎなかったのだ。

だが、あなたは、化身の持つ五感の中で自分を見失ってしまい、自分の体が完全に自分のアイデンティティとなってしまったのだ。

あまりにも、この天界(現象界)に固有の振動を有する物質、その中に浸かりきってしまったために、あなたは不安な人間、恐がる人間、傷つきやすい人間、死にゆく要素である人間というものになってしまった。

それもまた、単に、あなたが自分の内面のパワフルな本質
(真我・大生命・内なる神の国)を忘れ去っただけのことなのだ。
 
013
 
私は風である
 
私が風になってアセンションすることができたのは、私が自分の理想になるということを固く決心し、自分がなりたかったもののビジョンを、常に自分の思考の中に明確に保持していたからだ。
 
014
 
見せる天界(現象世界・第4密度・三次元界)
 
あなた方のすべてが、自分の創造的な知性の力を「見せる」ために、
「見せる天界」と呼ばれる生命のこのレベルにいるのだ。

ここは生命の偉大なるレベル(周波数の密度)のひとつである。
なぜならこのレベルには、あなたの愛すべき「父(なる神・無限者)」である思考(神意識)が光から、
はるばる物質の密度まで、すべての形態で顕現し、存在しているからだ。
 
015
 
知性
 
知性はあらゆる場所にあふれていることを知っているだろうか?
 本当にそうなのである。
 地球と呼ばれるあなた方のこの場所では、思考と物質の融合である
人間が自らの進化において頂点にいるのだ。
 
016
 
人間という神
 
人間であるあなた方は、自分たちが進歩していないと思っているのだろうか?
 目に見えない世界にいる者たちと比べて、自分たちが劣ると思っているのだろうか?

そうではない。あなた方は自分の永遠の思考プロセスをすべて理解するという、
壮大な冒険の最中なのだ。 人間という形の神になることなしに、
神の究極の全体像(無限宇宙)を理解することは絶対にできない。
 
017
 
人間という神 2
 
人間という形の神になることなしに、神の究極の全体像を理解することは絶対にできない。
 誰にもできないことだ。
なぜなら、神の王国は、光からエレクトラムへ、そして物質へ、
それから形態へと拡大していくものだからだ。

つまり、神とは、思考の中のより高い振動数であるだけでなく、
物質と呼ばれる最も濃密で最も振動数が低い思考でもあるのだ。
 
018
 
カルマなど無い
 
あなた方が「カルマ」と呼んでいるものは、神の法ではない。
カルマとは、それを信じている者たちだけの法なのだ。
(※カルマは分離意識の中に存在する影・幻です・愛のみが絶対実在♪)
 
019
 
カルマなど無い 2
 
彼らは、自分が人生でどんなことをしようと、その代償を支払うために次の人生にもどって来なければならないと信じ込んでいる。
 自分の身に起こることはどんなことであれ、「カルマの成就」のせいにしてしまう。

それはその法則を信じる者たちにとってだけ現実なのだ。
 法として存在するのは、あなたが自分の王国の中で有効だとしたものだけだ。
 真に法を与える者とは、それぞれの至高の存在、
つまり、あなた(内在の神)なのである。
 
020
 
それはあなただけなのだ
 
あなただけが自分にとって最高の恋人となることができるのだ。
あなただけが自分にとって最高の友、最高の師となることができるのである。
あなたに教えをもたらしてくれる声で、あなた自身の声よりも偉大なものは決して現れない。
あなたに教えをもたらしてくれる言葉で、自分自身が書く言葉より偉大なものもけっして現れない。
 
021
 
あなた(の意識)だけがあなたに
(意識の進化を)教えることができる
 
ラムサや仏陀やイエシュアや、他のどんな師の指示に従うのでもなく、
自分自身(の直感・選択)でいることだ。

なぜなら、あなたの「神なる自己(ワンネス意識)」について
あなたに教えることができる者など誰もいないからだ。

つまり彼らが教えることができるのは、彼らの
「神なる自己」のことだけなのだ。
(※ご本人の神を求める意識・祈り・努力が必要との意味合い)
 
022
 
(真の自己の)あなた(大生命)だけが真実なのだ
 
自らの運命を満たすためには、本当の自分(神意識)、
あなた独自の自分(神意識の一部の自覚)にならなくてはならない。

 他人の生き方に従って生きようとすれば、
あなたは決して本当の自分(真我)にはなれない。

あなたが誰なのか、そしてあなたの内面に宿るこの炎
(愛の光・キリスト)は何なのかを理解する唯一の道は、
自分自身の感情的な(自身の選択による真理の)理解
という真実(意識の進化)を通してなのだ。

023
 
あなたを覚醒へ導くもの
 
自分である(全ての全ての)ものをひたすら愛し、
自分の内なる神(宇宙生命・大霊)に耳を傾けるのだ。
その神はとても微(かす)かな声で語りかけてくる。

それはフィーリング(直感・インスピレーション)と呼ばれている。
フィーリングは、もしあなたがそれに耳を傾ければ、あなたに真実を語り、
覚醒へと向かう道を教えてくれるだろう。
 
024
 
あなただけがあなたを生きることができる
 
自分の内面に感じる真実(愛と調和)を生きるのだ。
その真実があなたの栄光を示すようにその真実を生き、それを現実化しなさい。

あなたがそうしたとき、あなたは自分の観点から人生を評価し、それを生き、理解したことになる。
そして、あなたが人生をどのように見ようとも、それは常に正しいのだ。
 自分自身の師になりなさい。
 自分自身の救世主、自分自身のマスター、そして自分自身の神になるのだ。
 
025
 
知識つまり叡智を得る
 
知識つまり叡智(真理の理解)を持っていれば、あなたいつも自由である。
いつでも完全に自由なのだ。
あなたが得たこれらの教え(真理)に思いを巡らし、実践し、
体験すればするほど、あなたはさらに自由に、さらに喜びあふれるようになっていく。

(※真理の理解に基づいた正しい生き方を自然に出来るようになると、カルマからも開放され完全に自由になります)
 
026
 
恐れを取り除くもの
 
あなた方はみな支配されてきた存在であり、支配してきたのは恐れ(無知)であった。
 常にそうであった。知識(真理の叡智)は恐れ(無知)を取り除く。

その恐れ(無知・無軌道な行動)がなくなれば、あなたはもはや他人の望みの奴隷になることもなく
、完全に自分自身の自由(愛と調和・慈悲と愛)の中に生きることができる。
 
027
 
あなたと私の違い
 
あなたと私の違いが解るか。私は、自分が無限の神(神と一体・神意識)
であることを知っているが、あなたは知らない。
たったそれだけだ。

 私は、自分が在る(神ご自身である)ことを知っているが、
あなたはそれを実感していない。
あなたの社会は「それは違う」という。
しかし、彼らに何が解るというのだ。
 愚か者は毎日、自分を埋葬しているだけではないか。
 
028
 
私は在る
 
私があなたの言葉を全て取り去り、わずかに残すとしたら、こうだ。
 「私は知っている。私は絶対(実在)だ。私は完全だ。私は神である。私は在る。

 本当にこれだけの言葉しか無いのならば、あなたはこの物質の天界に縛られることは無い。
 
029
 
死後の生を信じない存在
 
存在たちの多くは、自分が死ぬとメシアが戻ってくるまでは、
自分は死んだ状態のままでいると教えられた。
 存在たちは、その教えを真実として受け容れたのだ。

 彼らが、自分は生きていることに気付き、眠りから目覚めるまでに何千年も掛かるのかも知れない。
 極めて残念な教えである。
そこには、見渡す限り、眠った状態で横たわる兄弟達の姿がある。
 
030
 
本当の神
 
人間の思い描く神々は、単に彼らが最も恐れ、敬っているものを人格化したものに過ぎない。
本当の神」とは、「絶え間なく続く本質(無限の生命)」の部分である。

それこそが人間に、自分の選んだ通りの幻を何でも創造することを許し、
その幻を最後まで演じ切ることを許しているのだ。
 
031
 
時間の奴隷
 
時間は幻」なのだ。誰が時間を見たことがあるのだ。
ここに大きな矛盾がある。あなたは目に見えないものは
一切信じないのに、時間だけは崇拝し、自ら奴隷になっている。
 
032
 
風に尋ねよ
 
もしあなたが人に尋ねれば、あなたは死ぬ。
 「私はどのように信じるべきでしょうか?
どんな格好をするべきでしょうか?
 何を信ずるべきでしょうか?
どのように生きるべきでしょうか?」

 人に尋ねれば、あなたは死ぬのだ。
それが真実だ。
 風(大生命)に尋ねるのだ。
そうすれば、風は教えてくれる。
 
 
034
 
R(大調和)=C&E(意識×エネルギー)
意識・C=父なる神・霊
エネルギー・E・質量=母なる神・水
 
あなたの意識(Consciousness)と
エネルギー(質量)(Energy)が
現実(大調和)(Reality)を創っているのだ。
 
035
 
R=C&E
R(大調和)=C&E(意識×エネルギー)
 
あなたの意識(愛)とエネルギーがあなたの現実を創っていることを
理解しなければ、あなたは常に文句を言い続ける。

 『でも』、『なぜ』、『私にはできない』、『難し過ぎる』、
『失敗だ』、『不足だ』・・・・・・・
 あなたは、ずっとそれらすべてを持ち続けるだろう。

そして、素晴らしいことに、あなたのその意識とエネルギーが
障害物を創造しているのである。
 
036
 
あなたの真の意図とフォーカス
 
あなたは、あなたの真の意図とフォーカスの方向に気付いていない。
だから、自分の意思は現実化していないと思い込んでいる。
(意識は創造原理であり、全ては自分の意識の反映です)
 
037
 
あなたの真の正体を受け入れるのだ
 
私は、私の人々に、彼らが夢見たことも考えたこともない、
自分たちがなれるかもしれないと夢想だにしなかった可能性を教える。
 私が彼らに真の正体を教えた瞬間、彼らはその思考を捉え、それについて深く考える。

そして、彼らがそれを従順に熟考し、受け入れれば、決して恐れたり心配したりする必要は無くなる。
 何故なら、神の意志が、その夢を受け入れた結果として、それを起こすからである。

その夢は、彼らを新しい体験のパラダイム、新しい人生、希望をはるかに超えた人生へと導く。
それは、彼らが決して夢見たこともなかった人生なのだ。

038
 
量子力学の観察者
 
あなたは、あなたの「意識とエネルギー(霊と水の大調和」で、
あなたの現実を創造している。
つまり、あなたは量子力学の観察者なのだ。
 
039
 
あなただけが真実である
 
私の教えは真実ではない。信じてはいけない。
 何故なら、真実とは、あなたの主観が表現する現実なのだから。
 
040
 
脳は受信器で創造者である
 
意識とエネルギーは、全ての細胞に生命を与える。
その中で、脳細胞はあなたの思考体を作り上げる。
 脳が意識を作っているのでは無い。
 脳は、意識とエネルギーから思考を創造するのだ。
つまり脳は、意識とエネルギーの巨大な受信器でありかつ、思考の創造者なのである。
 
041
 
あなたの思考
 
あなたの思考、つまり脳細胞が活動して作り出すあなたの考えは、
「意識とエネルギー」を「原動力」としている。
 意識(霊)とエネルギー(質量)は、脳が活動するための素材である。
 
042
 
言語の力
 
言語は創造的な力を含んでいる。
 言語は、意識とエネルギーを含んでいる。
 言語のこの創造的な力は誰にでも利用できる。
 
043
 
言うべき言葉
 
JZ.ナイトがラムサに自身の体を明け渡す方法
―――
私はリラックスして、ひな菊の花瓶にフォーカスし、『言うべき言葉』を唱えました。
すると、突然、私はトンネルの端で光を追いかけていて、風が傍でヒューヒューと吹いていました。
そこは、自分の本来の海だと感じました。
 
044
 
空(くう・ヴォイド・void)
 
太陽系、星々、星雲、テルスターの全てを含んでいる宇宙空間とは何か?
 重要なのは、見えていて目を眩ませるものではない。
それをそこに居させている何もない『無(神意識)』が重要なのだ。
 無とは何か?それは即ち空(くう・ヴォイド・void)である。
 
045
 
四つの礎石
 
私の学校は四つの礎石の上に建っている。 空(くう・ヴォイド)、
R=C&E、あなたは神である、未知を既知にする、この四つである。
 
046
 
未知を既知にする
 
あなたが未だかつて見ようとしたことも無い夢、生きたことも無い人生、
これをあなたは生きなければならない。
これが、『未知を既知にする』ということだ。

それは自分自身の運命の世話をするということだ。
 人生の新しいパラダイムの創造に乗り出すということだ。
これこそが真の創造である。
 
047
 
知るために創造する
 
何故、我々は創造という形で表現することを欲するのか、理解しているだろうか。
あなたが、現実の中で表現をしなかったら、あなたは現実が存在することをどうやって知るというのか?
あなたが現実の一部になるまで、自分が成し遂げた創造が現実として存在していることをどうやって知るというのか?
 
048
 
魂の集合的な感情からデザインされた家系
 
家というものは、魂の集合的な感情からデザインされている。
あなたは、あなたの家系の内面に目を向け、あなたの誇り、信条、役割に気付きなさい。
 
049
 
物質に埋没する愚者
 
― ラムサが剣で貫かれたナボー宮殿へ通された場面
そこには見たことも無いほど明るい色の服を着て、首飾りや青銅や宝石や石で着飾った美しい女たちがいた。
 女たちは愚かにも物質の中に喜びを見出していた。
 私は彼らを軽蔑した。
というのも、彼らは自らの身綺麗さの中で腐っていたからだ。
 
050
 
剣に貫かれた時
 
― ラムサがナボー宮殿で剣に貫かれながらも蘇った場面
マスターよ、もしあなたが自分の手を差し出し、自分の存在の
傷ついているところを握り、しっかりと押さえれば、それは死ぬのをやめる。
それが私のしたことだ。
 
051
 
ラムサがナボー宮殿で剣に貫かれながらも蘇った場面 2
 
それは、私に話しかけてきた。
 「立て」と言った。
 「立ち上がれ」と言ったのだ。
マスターよ、私に立つように語りかけた存在とは、実は私だったのだ。
その神聖なる原因、生命、法則、理解、目的とは私だったのだ。
マスターよ、この理解は、来るべき次の世代の考え方を変えるだろう
 
052
 
ラムサが兵士達に森で教える場面
 
そなた達は破壊と死を知っている。
だからそなた達は、死ぬのだ。
 我々は暴君を殺すが、それは我々の存在の中にあるものなのだ。
この木が知っているのは、生きること、光に向かって伸びることだけだ。
この木はその理解において、破壊という思考も持たない。
だからこの木はとても知的なのだ。

053
 
ラムサが兵士達に森で教える場面 2
 
そなた達は自分が死ぬということを知っている。
それがそなた達が死んでしまう理由なのだ。
そなた達がこの木のようにじっとして、自分の内面にあるもの(内在の真我)を思い巡らして、自分の荘厳さを完全に知るのならば、自分が死ぬなどとは決して考えなくなり、そなた達は生き続ける。
 
054
 
真の神
 
人々の心の中にある神々とは、本当は彼らが恐れたり、最高のものとして敬っている人格であった。
だが、崇拝すべき「真の神」、「未知なる神」とは「生命力」なのだ。
 決して尽きることのない「あなたの生命」なのだ。
 
055
 
私は全ての事から叡智を得た
 
私は自分の行った全ての事から叡智を得た。
だから、私は再びそれをする必要は無い。
 存在よ、私が「美徳ある神」になったのは、
行った全ての事から叡智を得たから」なのだ。
 
056
 
覚醒をもたらすもの
 
存在よ、「覚醒」をもたらすものはこの「叡智(真理の知識)」なのだ。
 「叡智(真理の知識の蓄積・理解」だけが覚醒に導いてくれる」のだ。
そして「叡智(真理の知識)」は、貴方達が「自ら獲得(学び)」しなければならないのだ。
 
057
 
 A School Beyond Your Expectations
 
When the student is ready to learn ......
 ...... the Master appears.
 http://www.youtube.com/watch?v=xqUcrnCiEzM#GU5U2spHI_4
 
058
 
風になること
 
私が風になることに思い巡らせるために、理想にした人間など一人もいなかった。
 一人もだ。
 私が自分自身と取り換えたいと思う人間など一人も知らなかった。
 風、これこそが自由というものだ。
 
059
 
風になる
 
存在よ、人生において私は風になることを望んだのだ。
 何年も思い巡らし続けた。
 本当にそれが私の理想となった。
それこそが、私の思考の全てが断固としてなると決めたものだった。
そして、私は風になった。
それが私のしたことだ。
 
060
 
風になって
 
私は大いなる源、太陽、生命、サフラン色の土、月、星々、
甘いジャスミンの香りを讃えた。その全てを讃えた。
そして、まぶたを閉じた時には、見よ、私は天空にあり、あの風になっていたのだ。
 
061
 
熱意と平安が私を風にしてくれた
 
それは、徐々に私の全細胞の中で、生命力そのものになり始めた。
 私の魂が細胞の中のプログラムを変化させ、その周波数を上昇させたのは、
その望みがそれほど強かったからだ。

だが、私が風になることを可能にしてくれたのは、平安だったのだ。
 医者よ、あなたが何かになろうとして、一生懸命になったとしても、あなたは何にもなれない。
ただ一生懸命になるだけだ。

それはどんどん遠のいていく努力をしているのだ。
 私はその理想の姿を決して見失わず、一瞬の風になれたあの瞬間のフィーリングを平安の内に決して忘れなかったのだ。
 
062
 
私は光り出した
 
脳下垂体と魂のギヤを上げ、体内の振動数と波動を変化させると、
私はどんどん軽くなっていった。私は光り出していたのだ。
その輝きや光は、肉体が振動する速さが上昇している証拠だった。
 
063
 
私は恐怖を駆逐した
 
マスターよ、私の思考は何であれ、実現すべき思考と一体になった。
そして徐々に自己(分離感)が薄くなっていった。
そして、存在よ、遂に恐怖を駆逐したのだ。
 私は歓喜に包まれていた。
 
064
 
思考が実現する仕組み
 
人々は座って、あれになるとか、これになるとか考える。
そして、次の瞬間にはそうなっていなければ、すぐに投げ出して憂鬱になってしまう。
 愚か者には忍耐力が無い。
というのも、思考が感情へと変化し、その感情が全ての肉体構造にまで運ばれなければ、それは実現しないからだ。
それがその仕組みだ。それが私のしたことだ。
 
065
 
アセンション(次元上昇)を起こす
 
存在よ、あなたが私の教えを、何の疑いも無く受け入れるなら、魂の中に感情を創り出し、肉体構造の変化をもたらし、それが起こるようにするだろう。
 
066
 
私は愛する者
 
私は人間というものを全く信用しなかった。
 私は(分離意識・不調和の)人間を軽蔑していた。だが、
未知なる神」、すなわち「生命」のことを学んだとき、
自分自身を愛し始めた。
そして、他の者たちをも愛するようになった。
(※すべては一つの存在・同一の生命だとをいう真理を学んだから)
 
067
 
あなたの思考
 
私は風として旅をすることで、風、太陽、天国として存在する神とは、
つまり思考(神意識・全ては神意識の一部)であることを学んだ。
あなたの思考(意識)は、どんな思考(意識)であってもその実体は、
あなた(神意識の一部)である神(神意識)なのだ。
 
068
 
利己的な自我
 
私は、見たことも無い数々の王国や別の存在たちの元へも旅をした。
 私は、あなたの未来に誕生する文明を訪れたこともある。
 私は、私のあとに続くあなたの道程も見た。

それらの中で、あなたがこの物質の天界へ記憶を持たずにやって来るのは、あなたの肉体を維持しようとする利己的な自我につかまるからであることを理解した。

 利己的な自我(不調和・分離感)は、物質の天界の中で生きようとして、
あなたの神性(本質・真我)を消す(曇らす)のだ。
 
069
 
自己への問い
 
存在よ、私は私自身を理解するために平安になり、自分の周囲に答えを見つける時間を持った。
 私は決して他の者に尋ねたりはしなかった。
 私は自分(内在の神)だけ、ただ自分(内なる意識)だけに問いかけた。
 存在よ、もしあなたが人に尋ねれば、あなたは死ぬ。
 
070
 
アセンションは単純になされる
 
私がこの物質の天界ですべきことを全て完了させた日、私は私の人々の前で自分の体を天高く上昇させた。
あなたにそれが出来ないのは、あなたが死や老化に取りつかれていること、その機械(マシン)を探していること、神の複雑さに夢中になっているからだ。

 私のアセンションは単純(知る・理解する)になされたものだ。
 決して苦労(難行苦行)してなされたものでは無い。
 
071
 
私は未知なる神(大霊・神意識と一つ)になった
 
私はアセンションした後、思考の流動性の中に戻った。
 人間たちの持つ思考を捨てたのだ。
そういったものを超えたのだ。

 私はただ素晴らしさの中に入っていった。
それが私の人生となった。
そして平安が訪れ、私はついに未知なる神(神意識)
(宇宙に遍満する大霊・大生命・無限の生命)になった。
 
072
 
時間に従って生きるということ
 
さて、あなたが私ほどに忍耐強くなるのは大変な仕事である。
というのも、あなたは方は焦って暮らし、若くして死んでしまうのだから。
あなた方は、時間に追われて生きているために、本当の生き方を知らない。

 何事も一定の時間内にしなければ、決して完成できないことになっている。
あなた方がそのように信じている限り、それが完成されることは無い。

あなた方は時間に従って生きているのであって、
それがあなたが方のやり遂げることになっているのだ。 理解しているのか。
 
073
 
他人の選択肢の中で生きるということ
 
存在よ、もし私があの生で人の話を聞いていたなら、私は死んでいただろう。
ここにいる誰もが死んでしまうのは、自分がそうなることを知っているからだ。
つまり、ここにいる誰もが、他の誰かの選択肢の中で生きているということだ。
なんと愚かな。
 
074
 
肉体をデザインした者
 
あなたは、自分の父親の精子と母親の子宮からあなたの肉体をデザインした。
ただ、それだけのことだ。
あなたは与えられた粘土を使ってそれをデザインしたが、それはあなた自身では無い。
デザインされた粘土は、デザインした真のあなたでは有り得ないのだ。
 
075
 
光の体をまとった存在
 
あなたの居る天界を創った偉大なる神々は、あなたの天界の振動から出来ている訳では無い。
それは、光と呼ばれる振動(全ては意識・意識=神)から出来ている。
 思考(意識)が光を体としてまとっているのだ。

 実は、あなたの体は光なのだが、この物質の天界においては、それを見ることは出来ない。
 何故なら、あなたの天界の振動は、光の振動数に遠く及ばないからだ。

(低い振動数からは高い振動数は視えません。自身の振動数を上げると高まった所まで視えます)
 
076
 
自分自身を見つけるために
 
現実とは何か。
そもそも、人々は現実というものを理解しているのか。
あなたの内に宿る、体を超えた真のあなたは、これから自分自身を見つけるために、見えない世界へ旅をしていく。

あるがままのあなたを生きなさい。
 自分が誰なのか、自分の思考を見つめなさい。

 風と語り、月光の中で踊り、夜明けを愛しなさい。(全てを愛する)
これらの永遠の生命(内在の神)が、あなたに生命の全てを教えてくれるだろう。
 
077
 
謙虚になる
 
さて、存在よ、(仮の)あなたとは、あなたの意識、
すなわちあなたの知っている状態(三次元の自己)のことである。
だが、真のあなた、つまり神(真我・大生命)のことだが、
これを知るためには、あなたは謙虚になり自己を見極めなければならない。
 
078
 
囚人を解放する
 
あなた方は自分自身を(分離意識という固定観念で)縛り付けている。
そう、あたかも囚人のように。

この部屋で囚人でない者(全一体)は、たった一人(ラムサ)だけである。
 自分自身(分離意識)を解放しなさい。
かつて、私も自己(分離感)を解放したのだ。
 
079
 
囚人を解放する 2
 
囚人を解放するとはどういうことか。
あなたが縛り付けられているあなたの過去を、(真理の叡智で)理解し、
(全て意識の進化で良かったと)抱きしめ、「許し」、「愛し」
、(真理で解釈して)正し、(神への感謝へ)昇華させるということだ。
 
080
 
あなたが創っているもの
 
あなたの環境は、あなたが真実と認識している全て(意識)で創られている。
つまり、あなたは、(貴方の意識が作った)真実の中に生きている。

ところが、実は、あなたは全くあなたの真実を知ってはいない。
(※あなたの意識が作った現実だとまだ気づいていない)

つまり、あなたが自ら創りだした環境は、本当のところは真実では無いということだ。
 私が何を言っているのか解かるか。(※はい、わかります…笑)

「意識は創造原理」を見て頂いたらよくご理解頂けます♪
 
081
 
あなたは何を知っているというのか
 
あなたは、あなたの中の美徳を知っているのか。
あなたは、この物質の天界で何を創造するためにやって来たのかを知っているのか。
あなたは、今生で何を学ぶために生きているのか知っているのか。

そして、あなたは、自分が誰であるのかを知っているのか。
さあ、存在よ、答えて欲しい。
そう、それに答えるためにあなたは今、ここにいるのだ。

(※ワンネス意識・神我権限・神との合一・慈悲と愛は宇宙真理・全ては神・愛と調和・慈悲と愛・無限の赦しの体得・等々の真理の叡智を理解して体得して解脱して覚醒する為に生まれてきました)
 
082
 
あなたの不幸
 
あなたは、これまでずっと全ての生の中で、あなたのあらゆる責任を他の存在に投げつけてきた。
ところが、全ての不幸の責任はあなたにあるのだ。
あなたは、それを大きな失敗と呼んでいる。

でもそれは、偉大な学びの機会なのだ。
あなたの中の神に近づくチャンスなのだ。

 責任は他に帰すべきでは無い。
 自分で引き受けるのだ。
 誰もが自分の不幸に責任がある。

与えるものが受け取るもの

バシャールさんは仰います。
宇宙」にはただ「ひとつの法則」があるだけです。それは、
あなたが与えるものが、あなたが受け取るものである』という法則です」と。


083
 
運命の創造者
 
あなたは、自分が誰であるかを知れば、あなたの全ての運命の創造者を知ることになる。
 全ての不幸、全ての幸福はあなたが選択したものであることを知るのだ。

「意識は創造原理」を見て頂いたらよくご理解頂けます♪
 
 
084
 
あなたの選択
 
あなたが謙虚になり、自分を見つめ、感じ、理由を理解し、自己と調和
(真理で認識)できたとき、あなたは、真実から鉄格子を取り去ることになる。

 「真実(真の自己)」とは、幸福、美徳(神は絶対善・真・善・美)、
ワンネス(全一体)」、平安(愛と調和)、
これらで呼ばれる「天国で飛び回る鳥(神意識)」なのだ。
 
085
 
自分が誰であるか
 
あなたはこれまで、おびただしい数の転生を重ねてきた。
なぜ転生を重ねるのか解るだろうか。
 自分が誰であるかを理解できないからだ。
(※自分とは神であり、愛の光・神意識の一部・神と永遠に一つの存在
 
086
 
自分が誰であるか 2
 
あなたはなぜ、自分が誰であるかを理解しようとしないのか。
それは、魂の中にある自己を顕現(真我権限)させたいという
情熱の中においては、ほんの一瞬で要求(神への祈りで)できることである。
 
087
 
神とともに安らぐ
 
私は自分を理解するにつれて、自分自身を愛し、喜びを抱くようになり、自己になりきった。
それは、私を通して発見した未知なる神(生命)とともに安らいでいたからだ。
 
088
 
私は理解した
 
私とは、自分の運命を創造し、人々を偉大な理解へと導いたユニークで、
力強く、素晴らしい表現(神の道具であった。私は私をそう理解したのだ。
 
089
 
私は理解した 2
 
私が自分を許し、行いの理由を理解したとき、私の問題は全て氷解した。
もはや私は、苦しむことも、痛みを感じることも、征服に駆り立てられることも無くなった。
 
090
 
あなたの目的
 
この目的のために、あなたは全ての生で、あらゆるものに成ってきた。
 愛(ワンネス意識)と(真の自己の)理解を獲得するという崇高な目的である。
 
091
 
裁くための定規
 
人間は、善悪という裁くための定規を創造した。
このために恐怖や罪悪感が生み出され、人間は霊的に進歩できずにいる。
 人間は、抑圧され、悲しみに埋没し、自己嫌悪に陥り、自己否定に向かってしまう。

(※人間には人を裁く権利は与えられておりません。
赦して愛する権利ならありますが…、裁く心は分離意識でありカルマとなります
許すことによって、その裁く心の呪縛から開放されます。)
 
092
 
神はあなたを裁かない
 
あなたが全ての生で行ってきた全てのことは何の問題も無い。
なぜなら、神はあなたを裁くことなど決して無いのだから。

 神は裁くことを知らない。神は完全も知らなければ、制限も知らない。
 神は、ただ在る(無限の赦し・慈悲と愛)だけ(isness・イズネス)なのだ。

093
 
神は愛そのもの
 
神は愛し続ける存在そのもの(ワンネス意識)であり、それが神の全てである。
そして、神とは、全ての人間に内在する力(宇宙生命)なのだ。
 
094
 
心を閉じたもの
 
私は私の人生で行ったことをあなた方に教え、現実化させた。
しかし、私にはひとつだけ出来ないことがある。
それは、心を閉じたものには教えられないということだ。
 
095
 
私は保証する
 
愛する存在たちよ、私は保証しよう。あなたは神(神意識の一部・一つの存在)
であると私が教えているのだから、そのように生きなさい。
 
096
 
水(質量・神の道具)は神を迎える
 
私の美しい存在たちよ。ようこそ。
 教えを始める前に、先ずは乾杯しよう。
あなたにはそれが必要なのだ。

 水は大いなる源、絶え間なく続く意識を象徴している。
つまり、我々すべての中に宿る神を迎え入れるに適した媒体(神の道具)なのだ。
 
097
 
ラムサの祝詞(のりと)
 
おお、私の愛する神よ、
 私の偉大なる神よ、
 全能なる存在よ、
 天地の力に満ち溢れる存在よ、
あなたの力で私を満たし給え。

おお、私の神よ、
あなたの顕現させた王国で私を満たし
私を天の見えざるものを生み出す器にし給え。

 地に見えしものを治めるために、
 私が生きられるように、
 一日の糧を顕現させ給え。

 私の罪、私の疑い、私の悲しみを知り、
 真実を悟るように。

おお、私の偉大なる神よ、
 私が誘惑に負けないように、
あらゆる脅しから守り給え。

 私を通して、神の神聖さを顕現させ給え。
 私は宣言します。
そうなるように、生命に。
 
098
 
覚醒した存在(ワンネス意識・愛と調和・慈悲と愛)
 
覚醒した存在は、その肉体よりも内なる神の豊かさが大きいもの
(神我権限・神との合一した覚者)のことである。

つまり、覚醒した存在は、自分自身を肉体(分離した存在)とは見ずに、
全ての生命との一体(ワンネス)と見るのだ。
 
099
 
覚醒していない存在(分離意識・不調和)
 
覚醒していない存在は、自分自身を他の生命と分離し、異なったものと見なす者だ。
 彼らは無知な存在たちである。
 
100
 
あなたは何故、学ぶのか
 
何故、あなたはここで私の教えを学んでいるのか?
あなたは自分の受容レベルを拡大させ、あなたの人生を変えることを望んでいるのか?
よろしい。よい答えだ。
わたしはそれが好きだ。


知花敏彦先生のお話から一部引用ですが…♪

 では、人間と神の関係はどうなのでしょう。
本来は「人間と神の関係さえもない」という事です。

 この説明のためにテーマをつけて書いたものであり、
関係さえもなく、「一つの存在」であるのです。

人間と神」は、「即、一体」の存在であり、
我々」も「神の存在」であり「神そのもの」であったという事が分かるのです。

我は神なり」。「我は生命なり」。我は神理なり。と。
我は神(の一部)であり、我はキリスト(宇宙生命)である」という悟りに至らなくてはならないのです。


「全ては神=我神なり」という真理♪

意識の進化=愛の拡大=分離意識の克服=
我は全体なり・全体我なり=全一体・自他一体=

全ては私=全ては一つ=全ては一つの存在の現われ=
宇宙は一つの生命体=全てに神(宇宙生命)が宿り給う=

宇宙は神一様=全ては神の中の存在する一つの存在=ワンネス
全ては永遠に一つの存在=全ては一つ=全ては私=全ては神

全ては今この瞬間しか存在しない=全ては永遠に一つの存在=
永遠の始まりである神の御心のみが実在=今即天=今即実在=

大愛・宇宙生命・神の一人子である神我キリストのみが実在=
全てはこの瞬間に存在する宇宙生命そのもの=全ては神そのもの=
全ては神ご自身=神一元・愛一元・光一元=宇宙即我=我神なり


調和=愛の法則そのもの=罪なきもの=完成=幸せな人生に
不調和=愛の法則を犯している=業・罪=カルマの精算が起きる

愛と赦し=調和=愛=幸せ・健康=完成=中性=完全=光人間
恨み・憎しみ・争い=不調和=罪=病・災難=不完全=闇人間

愛と赦し=カルマの消滅=神の祝福=幸せなツイてる人生に
許さない・恨み・嫉妬=カルマの刈り取り(不幸災難)な人生に

調和人間=愛が深い人=愛の光そのもの=克服者キリスト=完成
不調和人間=恨み・嫉妬・責任転嫁闇人間=罪人=未完成

調和=光明世界・愛の王国=愛・光・善=平安と安らぎ・至福感
不調和=無明世界・闇世界=未熟な愛=不安と恐怖・飢餓感・不足感

調和の人は熟した魂=自分を愛するが如く他人を愛します=ワンネス
不調和な人は未熟な魂=他人を責めて非難します=分離意識


 イエス様は「愛は天と地の架け橋」とおっしゃられました。その愛とは「許しの到達点」である「慈悲と愛」で御座います。

 真の意味で貴方が、その「許しの到達点」の境地に到達した時に、自ずと「天である神」と「地である貴方」との架け橋が繋がる事でありましょう。私は実体験からそれが実際にありえると確信しております。


愛は天と地の架け橋  この愛の理解と体得が神様と繋がる鍵♪

神・大愛(天)……全てを活かす愛・慈悲と愛・すべての形態を形作る力・意識を与えて下さった魂の根源・真の親・すべてを活かし育む力、縁の下の力持ちで全てを愛し慈しむ無償の愛・無限の愛・すべてに意識を与えて下さった天の父であり天の母である中性エネルギー・真の親・愛を表現する為に…無限の創造をなさっている慈悲と愛そのもの

神の表現体(地)……神が神を愛する為に生まれた存在・神の化身・愛の化身・神の表現体・神の中に創造された神・個別化した神としての自覚に覚醒めた我・滅私して神の道具意識を自覚している我・自分が神ご自身だと悟った我・愛を表現する為に生まれた事を自覚している我、全てを100%の愛で愛する我、自分と全てが神以外の何者でもない事を自覚している我


第六密度以上の高次元存在が語る
「許し」というものが、カルマの輪を止める事になるお話

★ コーリー : 多くの人々が現生のトラウマだけでなく、過去生のトラウマにも対処しているところなのです。

今、地球に生まれて来ている多くのライトワーカーは、援助の為により高次元や、上の密度から降りて来た人々です。

現生が初めての人でも、高次の美しい場所からここへやって来た人にとっては、ここでのトラウマは10倍酷(ひど)く感じられるものです。

そして、長期に亘(わた)って輪廻転生を繰り返して来た人の場合は、更に解消しなければいけない過去生のカルマが加わります。

しかし、ブルーエイヴィアンズから言われたのは、トラウマを特定し、自分にトラウマを与えた人や自分自身を許すこと、

そして、この”「許し」というものが、カルマの輪を止めることになるということです。カルマがなくなるんです。

これは、エネルギー的なものです。
カルマとは」負債を支払うようなものではなくて、
許してエネルギーを解放するもの」なんです。


カルマとは宿題・魂の課題・許しによって消滅♪
……………………………………………………… 
「許し」を心から実践=カルマの輪を止める=カルマがなくなる♪

自分にトラウマを与えた人や、自分自身を許す==
             ==魂の課題を克服=カルマが消滅♪

許す事によってエネルギーを開放=カルマの克服・解消に♪


ケイシーリーディングから…♪

全身全霊で「神を愛する」大切さ
「神を求める祈り」をする大事さのお話

 エドガーケイシーは、宗教生活についてそのもっとも美しい表現の中で、この事を次のように語っています。

あなたがたは心を尽くし、思いを尽くし、体を尽くして汝のなる
(大生命・内在の神)を愛し、隣人を汝の如く愛するのである。

このキリストの与えた言葉が法則の全てである。
それに優るものは存在しない

 主が約束されたように、あなた方は
来る日も来る日も明想し、「祈りゆく」うちに到来するあの目覚めによって、
主(宇宙生命)が自分の意識の中に留まられる事を知る事が出来る
神我が中にまします・父と子は常に一体)。

 あなた方はこの目的のために、
主が臨在し、その御霊(キリスト)があなた方の中に留まるあの意識を、
あの自覚を讃えるために生まれてきたのである。」

自我・偽我 =表現者、原因である父なる神を忘れている状態(放蕩息子の状態)神理を知らない状態・自分の力で生きていると思って迷っている状態、肉体の己を自分と思っている我、分離感・分離意識で個別化された表現を別個の存在と認識している我・分離意識・エゴ・肉の感化、五感の感化を真実と錯覚している我・迷いの影、幻、幻想(マイヤー)・自己保存、自我我欲の心


真の自己(真我)=父なる神と常に一体の境地・ワンネス意識・全一の意識・神我キリスト、全ては自分、全ては我、全ては神、全てを愛する我に目覚めた状態・宇宙生命によって生かされている事を自覚して実感している我・私が生きているのではない、なるほど一つの生命である神が生きていらっしゃる、全ての知恵と力は神から与えられている、神の中身は神、全ての全ては本質的には神、神のみが生きてらっしゃるんだなと悟った我・神一元・愛一元・光一元・我神なり、全ては神なり、全てに神を観る境地・神は生命(霊)なり、我も生命(霊)なりの自覚・宇宙即我、キリスト意識・高我・実在・全てを愛し全てを許す境地・慈悲と愛・あなた即私・私即あなた・宇宙エネルギー即自分・無限即我・不変不動の絶対なる実在・普遍なる宇宙・無限者・宇宙神

FC2版の広瀬すずちゃんの横顔になる方法の記事です♪
身長を伸ばす記事も追記してみました♪

覚醒に導く「内なる神の光」の瞑想♪次元上昇を遂げた存在の 物質を支配する叡智♪限りなく繰り返されてきた 「地球への転生」を終わりにする「ただ一つ」の方法は「真理を理解するよう意識的に努力すること」♪宇宙には、「生命の法則(愛の法則)」以外、 何も存在しない。その法則とは「”愛”」だ。♪神への愛は、神を愛したい…と思う気持ちによって決定されます♪アセンデッド・マスター・セント・ジャーメインさん♪




私の真理の「ベストな修行」の結論と
セント・ジャーメインさんの結論が同じで嬉しかったお話

 私がこのブログで、常々「悟り」とは「真理の理解」ですよ…と、
修行法としても大変効率的で、短期間で大幅に意識が進化するのは、
「真理の理解」の勉強ですよ…と、申し上げてまいりました。

 今回、それを裏付ける…大変嬉しい大歓喜な発見
がありましたのでご紹介させて頂きます。

 先程、昔のヤフーブログの方の過去記事をまとめて記事にするために、色々観覧していた中で、昔のセント・ジャーメインさんの記事が見つかりました。

 それが、実に良い内容でして、これはしっかりまとめて
皆様にご観覧頂きたい…と思った次第なのです。

 今回の記事は、昔のセント・ジャーメインさんの記事を
三個分まとめたものなのですが、その中にこんな内容がありました。


 因果の輪、すなわち
「輪廻転生」から脱け出す方法は「ただ一つだ。それは

「生命の法則(真理)」を理解するよう意識的に努力する事


 「生命の法則」というのは、宇宙法則…すなわち「真理」の事ですから、知花先生や上江洲先生等々のいつもの記事の内容となります。

 「理解するように意識的に努力」するという所が、常々私が申し上げている
真理の理解に繋がる努力」の意味合いと、全く同じでしたので、

正直アワ((゚゚дд゚゚ ))ワワ!!…って(笑)、嬉しさと共に、打ち震えるような想いに駆られたのも事実だったりします♪てへぺろ☆(・ω<)☆彡

 あの有名なマスターの「セント・ジャーメイン」さんの教えと、私が独自に導き出した結論が全く同じだったとは…、これには本当に脱帽致しました。

目が( Д ) ゜ ゜ポンッ~~(;´Д`)ドッヒャー…って感じでした(笑)

 知花先生のお弟子さんの中でも、ここまで(目を瞑るだけの)
瞑想を否定している人も珍しいという…変わり者の人間ですから^^;、

 知花先生のお弟子さんの方々を見てみても、
「瞑想」重視の方が殆どの印象があります。

 私は「徹底的な…真理の理解の努力」「感謝」「内省」「明想」
「神への全託」「神への深い愛」「悔い改め」「真我の祈り」
「洗心」「身口意を正す」で充分OKという考えでして、

申し訳ないのですが…目を瞑るだけの「瞑想」は、別にしなくていい…
というスタンスなのです。ごめんちゃいてへぺろ☆(・ω<)☆彡♪

 ですが、今回ご紹介しているような
内なる神の光の瞑想」なんかは、実に理にかなっていて…

理論的で効率性もありそうで、効果抜群な感じですから、
やりたくなっちゃって、私も実際してみるつもりだったりします。

 私は基本的にちゃんと吟味して、いいものはいいと…おかしいものはおかしいと…、論理的・客観的・分析的に、何でも見つめて総合的見地で判断を下すスタイルなのです。

 身長だって、世界中の全員が何と言おうとも、私はいくらでも好きなだけ身長は伸びるし、伸びるに決まっているんだ~い!!っていう…

ある意味変人的な…岩をも貫く信念で研究して、本当に身長を195cm
まで伸ばしてしまったという面白実績まであります(笑)。

 ホント私って、自分の直感に素直といいますか…、
自分が正しいと思ったら別にそれでいい…っていう、
常識に捉われない風変わりな人間なんですね^^;

 でも合理的かつ論理的で…分析的な考察者な性分を持ち合わせているお陰で、変な方向には進まずに済んでおりますε-(´∀`*)ホッ♪

…でもそんな変わり者の自分が結構大好きだったりして…もうッ!、
自分を褒めてあげたい♪な~んてね…てへぺろ☆(・ω<)☆彡♪

ではでは…、覚者・セント・ジャーメインさんの
超高次元な素晴らしいお話をご観覧下さいませ。



セント・ジャーメインさんの
最高の「内なる神の光」の瞑想をご紹介♪

 人類の95パーセントが、「思考」と「感情」を
コントロール」することなく野放しにしていることから、
 先ず始めはそうした「規律を身につける努力(洗心)」をしなければならない。

 だがそのためにいかに労力をかけようとも、
この「2つのコントロール」に時間とエネルギー、
努力を費やすだけの価値はある。

 この「思考」と「感情」の「真に恒久的」なコントロール
なしには、自分の人生も世界も統率することはできないからだ。

 これからその方法を伝えるが、この法則を生かしていくならば、
あなたは「真の叡智を表現(神我顕現)」できるようになり、
完全なるもの(宇宙力)があなたにもたされるようになるだろう。

「内なる神の光」の瞑想
 
 自己コントロールの”第一段階”は、まず外の世界に向けた心と体のすべての活動を静止する。夜寝る直前と、朝起きぬけに、それぞれ15分から30分間を、自分の内面を見つめるために費やすこと。

 ”第二段階”。それにより心身ともに平和で穏やかな状態が得られたなら、自分の体が白く輝く光に包まれる姿を思い描き、実感する。

 最初の5分間をその場面の想像に当て、次いで心臓の辺りに黄金の太陽が輝く様子に意識を集中させ、
 外側の自己(自分の意識)と内なる神(神意識)のつながりを強く感じる。

 ”第三段階”は承認だ。私は自分の内なる神を喜んで受け入れます
と「感謝の気持ち」を表明する。
 さらに約10分間、大いなる光の輝きを感じ、体内の一つ一つの細胞を強化する。

瞑想の最後に、次の「称賛の言葉」を唱える。

『私は光(神)の子、私は光(神)を愛しています。
私は光(神)に仕(つか)え、光(神)の中に生きています。

私は光(神)によって守られ、輝き、準備され、保たれています。
私は光(神)を祝福します。』

 どんな時にも心に留めておいてほしいことは、
人は自分で思い描いたとおりになる』という事と、

万物は光(神)からやって来て以来、
光(神)は完全性を持つ至高の存在であり、
万物をコントロールしているということだ。

この光の瞑想と称賛を本心から真剣に実践し継続する者には、
心には輝きと、体には健康と活力が与えられ、
あなたの人生に平和と調和、そして成功がもたらされる。

 世の始まりから言われてきたことだが、
生命が到達しうる最高の状態は『光(神意識)』であり、
光(神意識・大霊)は至るところあらゆる事物に存在する。

何百万年経とうとも、この真理は真実で在り続けている。
この世界でも時代の賢人と言われた人々が、
頭や体から後光を放っていたのはそのためである。

内なる光(無限の生命・真我)は実在する。
それは、あなた方の家庭にある電気の灯りのように実体のあるものだ。

それほど遠くない将来、あなた方1人1人の肉体から発する光を、
物理的に観察できる装置が発明される。

 その装置を通して、思考や感情の乱れた人間においては、内なる光(真我)が色あせて汚れた雲に覆われている様子をはっきりと見て取ることができるだろう。

 それは”大いなる生命”の流れがもたらすエネルギーを軽んじ
悪用していることの現れである。

 毎日、「光の瞑想」と「称賛」を忠実に実践し、心と体を構成する原子一つひとつに宿る光を強く感じていくならば、内なる光の存在と、そこで活動している強大な力と作用、完全性の証拠を多く受け取るようになる。

 たとえほんのわずかであってもそれが体験
できるならば、もはや証拠も必要なくなることだろう。

 なぜなら自分自身が、まさに動かぬ証拠となるからだ。
光(大愛・ワンネス意識)』は神の王国(内なる神の国)である。
光(神)に身を委ねるならば平和を感じる。
内なる神の家(愛の王国)」に戻るからだ。

光の瞑想」と「称賛」を10日ほど続けたならば、
次に朝昼晩の3回に増やすのが望ましい。

 このように言うと必ず、「そんな暇はない!」と言う者がいる。
そういう人に私は言いたい。自分の状況や物事が違うことで、他人を批判したり中傷する暇があるのなら、
その時間を「内なる光を意識する」ために費やしてはどうなのか?

 決心して果敢に挑み、継続するだけの充分な意志を持つ者には、この地上において天国が現れるだろう。
 そこには不可能なことは何もなく、光は絶対に損なわれることはない。

 光とは、創造主がすべての被造物に対し、
秩序と平和、完全性を保つために用いる方法である。

 それは地上に生きる人類の誰もが、
十分な強さの願いを抱いていればいつでも実践できることだ。

 つまり精神を高めたいと真剣に願うならば、願いの強さそのものが必要な時間を確保し、環境や人材、条件や物を整えてくれる。

 建設的なことをしたいという純粋な願いが、思い描いた物事の実現に向けて必要なエネルギーと力を発揮するのだ。

そしてこの法則は例外なく、すべての人間に及ぶものである。

 人間はみな、創造主の存在(神意識・ワンネス意識)に触れるというこの上ない特権を与えられており、
 その特権は昔も今も、そしてこれから先も、人間たちをこの世の不和や限界を超えた状態へと引き上げる唯一の方法だ。

 そしてあなた方は根気よく実践を積み、内なる神の力(宇宙力)があなたにいかに働くかを理解することになる。

次元上昇を遂げた存在の
物質を支配する叡智

『我々のような次元上昇を遂げた存在は、身体の原子構造も自由に組みかえられる。
 それは陶工が粘土を自在に扱うようなものである。

 我々のようなマスターは、宇宙を統率する権利を与えられており、万物を統制する力も与えられていることから、原子や電子に至るまですべて我々の願いや命令に従ってくれる。

  人間にとってはこのようなことは驚きであろうが、我々が体の外見や性質を変化させることは、あなた方が服を着替えるよりもたやすいことである。

人間の意識の困ったところは、自らが課した限界に囚われていることである。
そして理解できないと感じたとたん、嘲(あざけ)りや恐れを抱く。

それよりも悪いのは、「そんなことは不可能だ」と
無知のゆえに平気で口にすることだ。

 何らかの条件下では不可能な事柄もあるかもしれないが、内なる神の大いなる光は、あらゆる人間の条件を変えることができる。よって不可能なことなど何もないのである。

 どのような人間の内にも、神の生命の炎が保たれており、内に宿る神(大生命)は宇宙のいかなるところであろうとも支配力を発揮することができる。

 だが人間たちは、精神的怠慢から長年にわたり、深く染み付いた心と体の癖を改める努力をすることもなく、あなた方はいつまでも自らが自分に強いた鎖に縛りつけられて生きている。

 もし今ここで、自分の内なる神(内在の真我・真の自己)を認識し、
その内なる神(大生命)に自らの活動のすべてを委ねる勇気があるならば、存在の始原に失ってしまった「”物質を支配する叡智”」を取り戻せるかもしれない。


限りなく繰り返されてきた
「地球への転生」を終わりにする

 人類は今や、すでに目覚める時期(分離から統合)に入っている。
 つまり、自分がこれまでの限りない転生を繰り返しながら、何百年、何千年と生きて生涯を送ったことを、誰もが何らかのかたちで自覚すべき時に来ている。

 「転生の法則」は、「人間的成長を促す活動」であり、たとえばある転生における経験で、本人が意識的に生み出した不均衡(カルマ・ゆがみ)に再度バランスを取り戻す機会が与えられる。

 それは「補完の法則」、あるいは「原因と結果の法則」、
また宇宙の至るところですべての力を支配する
自動バランス制御システム」と呼ぶこともできる。

 因果の輪、すなわち「輪廻転生」から脱け出す方法はただ一つだ。
それは「生命の法則(真理)」を理解するよう意識的に努力することである。

 「内なる神」を強く求め、外の世界に対するあらゆる状況を前に、高次の自己(真我)に触れてその域まで自身を力強く上昇させねばならない。
 そして他者との関わりにおいて、実践によって学ぶことしかない。


エネルギーはエゴや
欲を満たすために与えられているのではない

 「建設的な願い」全体の幸せを求める祈り・神を求める祈り)は
「意識を拡大」する。
 それは物質界における人間の表現を、より高いレベルの考え方や
行動、成果へと押し上げてくれる「唯一の行為」だからだ。

また「純粋な願い」には、それを「果たすための力」が宿っている。

人間」は「神の子」であるから、創造主の命に従い、生命エネルギーをどのように活用するか、願いを介してどのような自らの資質を表現するかの選択肢を与えられている。

 それは義務づけられているとも言える。なぜなら自由意志は人間が生まれながらに持つ人間の権利であるからだ。

 外へ向かうあらゆる知的活動も、すべてが建設的な方向で導かれるべきであり、それが外的に生きる自分の目的であり、義務である。

 しかし残念ながら人類の多くが、願いを破壊的な方向へ使うことに慣れてしまっており、
 神の偉大なエネルギーを人間特有のエゴという欲を満たすために費やしている。
 だがその結果は例外なく、不和や失敗、衰弱や破壊へと向かうだろう。

 一方で願いを建設的に用いる行為は、大いなる叡智からもたらされる無限の神のエネルギーを、意図的に良い方向に向けることである。

 叡智に導かれた願いは常に、自分以外の被造物にも恩恵をもたらす。
内なる神に導かれた願いには愛が伴っているために、あなたに与えられる祝福は絶えることがない』


 マスター・エリエルの言葉は
  今でも脳裏に焼きついている。

 他者の命を奪う行為は、たとえそれが未遂であったとしても、その意志がある限り、自分の命が奪われる原因を作動させることになる。

 誰かが死ぬことを願うような、あるいはそのような感情を抱くと、他者に向けて放たれた感情は、巡り巡ってその感情を放った者に返って来る。

 そして多くの場合、人間は何らかの不正行為に激高した結果、自身のうちに憎しみや恨みが生じるにまかせ、時に不正を働く張本人がこの世から消えることすら願う。

 だがこれは死の思考の巧妙な手口であり、
実際には相手の死を願った者がその報いを受けることになる。

 この不変の法則からは何者も免れ得ないために、
多くの者が自ら抱いた感情や行為により自ら死を招いている。

 そのような感情や思考に翻弄されてばかりいることから、
人類は死の体験を逃れられずに、限りなく転生を続けているのだ。

 実際的な暴力行為で死ぬ者の数は、そうした破壊的な思考や感情などが発せられた言葉によって引き起こされる死と比べれば、ほんの微々たるものでしかない。

 まさに人類は何千年にもわたりそのような憎しみの感情や破壊的な思考を通して今も互いに殺しあっているのだ。

 なぜなら人間たちは「生命の法則(宇宙真理)
を学ぼうとも、従おうともしないからだ。

 宇宙には、「生命の法則(愛の法則)以外、
何も存在しない。その法則とは「”愛”」だ。

 この「永遠の命令」である「慈悲深い命令(慈悲と愛は宇宙真理)」に従わず、
従う気すらない自意識(不調和)や
 思考する自己(偽我)でいる限り、肉体を保つことも、それを維持し続けることもできない。
 「””」以外のものは、いずれ形を消滅させてしまうからだ。

 たとえ、感情や思考であれ、言葉や行為であれ、それが意図的であろうとなかろうとかまわず、法則は必然的に作用する。
作用・反作用の法則


与えるものが受け取るもの

バシャールさんは仰います。
宇宙」にはただ「ひとつの法則」があるだけです。それは、
あなたが与えるものが、あなたが受け取るものである』という法則です」と。


 なぜなら思考も感情も、言葉も行為も作用する力、つまりエネルギーであることから、
 いったん発せられた言葉や感情、思考は、それぞれの軌道を永遠に回り続けるものであることを知らねばならない。

 この法則を理解し、一瞬たりとも自分が創造をやめることがないのだと悟ったならば、
 人間は「内なる神」の存在に目覚め、これまで誤って自身が創り出したものを浄化し、自らの限界から解き放たれるだろうに。

 人間は、”不和の繭”(まゆ)を自分の周囲に作り出して築き、その中で眠っている。

そして、築くことができるならば、壊すこともできるという事実を忘れている。だが自分で創った繭を打ち破りたければ、魂の両翼である”敬意と決意”を使えばそれができる。

 そうすれば再び、自分自身の中心である「内なる神
の「」と「自由」の中で生きることができるだろうに。

 「無知な世論に十分に立ち向かえるほど強くなった時こそが、
素晴らしい神の業(わざ)の証人となる準備ができたということだ。

 それが達成されるまでは、他者から来る助言や疑いの力に翻弄され、真理の探求をやめてしまうことも少なくない。

 継続的な学びの流れを断ってしまうのは、”不和”以外の何ものでもない。
 ”不和”は、地上に不気味(ぶきみ)な力を割り込ませる陰険な手段であり、人の外界での活動に頻繁に入り込み光を遮(さえぎ)ろうとする。

 ”不和(不調和)”は、感情に直結して巧妙な作用で感知されずにすり抜けるものであるだけに、非常に厄介なものである。

 それは執拗で、潜行性があり、表面化するまで本人には何が起きているのか気づかない場合が多い。

 このような感情は、些細なわだかまりから始まる。
そうしたものを2度、3度感じただけで、それは不信感に変わる。
その不信感が感情体を1、2回巡ると疑いになり、疑念は自滅へと行き着く。」

 「あなたが外的世界に戻った時には、これらのことを思い起こしてほしい。
この認識は今後のあなたの人生経験において、自分を守る防護壁となるだろう。

 そうすれば、"不和”とは接することなく生きられる。誰もが、自分自身で描いた世界に暮らしている。
 つまり疑いを放ったならば、自分の放った疑いを受け取るだけだからだ。

 この取り消しの利かない命令は、宇宙全体に存在する。
 衝動的であれ意識的であれ、飛び出した意識はすべて出て来たところに戻ってくる。そこにはただ1つの原子たりとも例外はない。

 真の光(神)の弟子は、光(神)と真正面から向き合い、
光に包まれ、光とともに動き、常に光(神)を敬う

 たとえ人間の心が抱える不安や恐れ、疑いや無知があろうとも、それらに背を向け、光(根源の愛)だけを見る。なぜならそれが、自身の源であり、真の自己であるからだ。」

 マスター・エリエルが、別れ際に送ってくれたこのはなむけの言葉を胸にして、私は外界での日常生活に戻ったのだった。

  (サン・ジェルマンによる)
 『明かされた秘密』 ゴッドフリー・レイ・キング著
  ナチュラルスピリット

引き寄せの法則エイブラハム香港在住様

感謝は瞑想よりも上?もっといい気分?

エイブラハムが

瞑想よりもっと上の状態がある。

もっといい気分の状態がある。

それは感謝の状態だ。」

という話をしてくれたので

今日はそれについて書いてみるね。

 

瞑想はもちろん素晴らしい道具だ

とエイブラハムが言っていて

なぜなら心を静めて、全ての思考を止めるから

抵抗のある思考も止まって

よって人間の本来の姿である良好な状態

「流れ」というものが自動的に連れて行ってくれるそうです。

 

エイブラハムは私達がネガティブな思考を持つことによって

良好な流れに逆らうことをしなければ

人間というものは自然にコルクのように水面に上がり

幸せになるようにできていると言っていました。

(それについての詳細は

『人間の本来の姿とは?人間の叡智ってすごい!』

でどうぞ。)


だから瞑想というのは抵抗を手放すという意味で

大変有効な方法というわけですね。

 

でもエイブラハムは私達が瞑想しているときよりも

「感謝の気持ちを感じていたり

愛情情熱を感じているときのほうが

更に上だ」と言っていました。

 

多くの人は瞑想をしてどこか違う世界に行けば

すごく崇高な気持ちが味わえると思っているけど

エイブラハムはそうじゃないよと言っていました。

 

それより上の世界があるんだと言っていました。

それはここだ!

つまりここで「感謝や愛情や情熱を感じる」ことが

天国に「行く」っていうことなんだってね。


セイント・ジャーメインによる感謝の世界


神は全てを持っている。

神が全てを持っている理由は

神は全てを与えるからなのだ。


しかし、神は受け取ることもするということに

気づいてほしい。

神は、あなたが受け取るときに感じる喜びを

あなたから受け取る。

神は、あなたがリラックスするときに感じる平和な気持ちを

あなたから受け取る。

 

神は、あなたが感謝するときに表現する愛を

あなたから受け取る。

神は受け取ってもいるのだ。

そして与えてもいる。

この世界では、誰も何かが欠乏しているということはなく

何かをほしいと切望することもない。

生きること自体に対する喜びから生きているのだ。

 

彼らは自然に深く呼吸している。寝る時間も少ない。

なぜなら体から離れて充電する必要がないからだ。

 

彼ら(聖者・覚者方)は常に微笑んでいる。

そして、彼らを通して

神を喜ばせるために生きている。

 

しかし、そのためには、次のような状態でいることが必要だ—

私達(マスター達)のように常に神とつながっていること。

「神とつながっている状態」というのは

「絶え間ない感謝の流れ」のように感じられる。

「全てのことに対しての感謝」だ。

全ての瞬間に

有難う、有難う、有難う・・・

私達のエネルギー」は「感謝の波動」にある。


  1. セイント・ジャーメインによる愛のメッセージ
  2. セイント・ジャーメインからの愛のメッセージ
  3. セイント・ジャーメインをチャネリングしているアシャーマリさんについて
  4. セイント・ジャーメイン:愛は行動で示す必要があるのか
  5. 愛の力 by セイント・ジャーメイン
  6. セイント・ジャーメインによる守護霊(スピリットガイド)について


聖フランチェスコの偉大なる悟りのお話 

神への愛は、神を愛したい…
と思う気持ちによって決定されます♪

 そこで彼の心にはジレンマが生まれたのです。貴方の心にも同じようなジレンマが生まれる事を望みます。いつも親切で、心優しき人間でいる事は出来ないし、かといって欲望のままでは幸せはもたらさない……。

 では、自分の求める心の平安や喜びをどこで見つけられるのだろうか…彼は有意義な道を選びました。これを別に貴方達に勧めているわけではありません。単にデートしてあげているだけです。

 フランチェスコは深い意識のレベルで、死の現実と対決する事を決心しました。その事を私は確信しています。彼は重い病気を選び、その病気で殆ど死にかけました。

 その病状で心の中の境界線が崩れ始め、ついに高熱にうなされた状態の中で、ある悟りを得ます。
 それまでの彼は、善である事と…神への愛、が同じであると思いこんでいました。けれども、その2つは同じ事ではないと分かったのです。

 善人でなくても、神を愛する事は出来ます。非常に良い人でも、神への愛を全く持たない人もいます。

 フランチェスコがはっきりと理解したのは、
神への愛は、神を愛したい…と思う気持ちによって決定されるという事です。
それまでの自分の考えの過ちに気づいたこの瞬間は、この上もなく重要な事でした。
 
 神を愛するのは神を愛することによってであり、それ以外の何ものでもありません。
 それが分かったら、高熱の中で、ある問いが繰り返し彼の頭の中で浮かびました。どうしたら神を愛することが出来るのだろうか……どうやって。

 忘れてはならないのは、この人は中世ヨーロッパの教会制度の中で育っており、また同時に、宗教が形式的な意味しか持たない社会で育っている事です。
 彼の友人たちもあまり信心深くありませんでした。母親は神を愛する必要を示してくれましたが、神への愛を実践してはいませんでした。
 
 フランチェスコは、神を愛する道が見つけられなかったならば、自分は死を望む…とまで思いつめました。神を愛する事なくして生きていく事は出来ないと思うのに、どうしたら愛せるのか分かりませんでした。

 愛したいけれども、どうして愛したらいいのか分からない……というジレンマをはっきり自覚する、これは非常に望ましい意識の状態だと言えます。 
 何日も苦しみが続きました。熱が上がり不安が増し、イライラと絶望が募りました。
 
 ついにある朝、まだあたりが静かで物音もせず、もうすぐ夜が明ける頃、窓の向こうで、一羽の鳥が鳴きました。そして、その鳴き声を…フランチェスコは今までとは全く違うように聴いたのです。
 
 そしてその鳥の、鳥の奏でる歌声のパワーによって彼は悟ったのです。
 彼が悟ったのは…、神を愛する方法
唯一の方法は…神の声を全ての中に聴く…という事だという事です。

 鳥の歌声に、死にゆく者の泣き声の中に、狂人の叫びの中に、癩病患者の絶望の中に、恋人たちの抱擁の中に……それこそが神を愛する道なのです。

 これらの音と…神の声を分かつもの何もない…まったくない、
これらの音こそが、神の声そのものだ…という事をフランチェスコは悟りました。

 それまでの彼は、神を創造の世界の外にあるもの、人生の奏でる音の外にあるもの、自分自身の外にあるもの…という誤った考えをしていました。
 彼はこの後、二度とこの事を忘れることはありませんでした。

 フランチェスコを覚醒めた者…と呼ぶなら、その覚醒めは、彼がごく普通の人間だったということ、そして…そこからまったく普通でない人間になったという事実に根ざしています。

 その瞬間から、フランチェスコは助けを求める声と、大いなる源とを別のものと考える事が出来なくなりました。大いなる源の実在を知ったからです。

 フランチェスコについて誤った見解がいくつかあり、その一つは父親との関係に対して関するものです。フランチェスコと父親とは非常に仲が悪かったと言われています。

 けれども、フランチェスコが新しく覚醒めた後では、すべての音は神の声だと知っていましたから、父親が出て行けと言った時も、父親の声の音を拒否する事は出来ませんでした。
 
 フランチェスコは分かりました……次に進む道を示して下さってありがとうございました、と言いました。 ”何だと!" ではなく、"分かりました” だったのです。そして出ていったのです。

宇宙創造の神が勧める霊性を高める方法 洗心

いつももつべき正しい心(=常の心)
強く     明るく
正しく    我が祈り
宜しからぬ欲を捨て
みな仲良く、相和して
感謝の生活をなせ

心の中からなくすべき感情(=ご法度の心)

憎しみ  不満
妬み   疑い
猜み   迷い
羨み   心配心
呪い   咎めの心
怒り   いらいらする心
不平   せかせかする心


カルマの克服法 第一回目
カルマの克服法 第二回目


 では、人間と神の関係はどうなのでしょう。
本来は「人間と神の関係さえもない」という事です。

 この説明のためにテーマをつけて書いたものであり、
関係さえもなく、「一つの存在」であるのです。

人間と神」は、「即、一体」の存在であり、
我々」も「神の存在」であり「神そのもの」であったという事が分かるのです。

我は神なり」。「我は生命なり」。我は神理なり。と。
我は神(の一部)であり、我はキリスト(宇宙生命)である」という悟りに至らなくてはならないのです。

「全ては神=我神なり」という真理♪

意識の進化=愛の拡大=分離意識の克服=
我は全体なり・全体我なり=全一体・自他一体=

全ては私=全ては一つ=全ては一つの存在の現われ=
宇宙は一つの生命体=全てに神(宇宙生命)が宿り給う=

宇宙は神一様=全ては神の中の存在する一つの存在=ワンネス
全ては永遠に一つの存在=全ては一つ=全ては私=全ては神

全ては今この瞬間しか存在しない=全ては永遠に一つの存在=
永遠の始まりである神の御心のみが実在=今即天=今即実在=

大愛・宇宙生命・神の一人子である神我キリストのみが実在=
全てはこの瞬間に存在する宇宙生命そのもの=全ては神そのもの=
全ては神ご自身=神一元・愛一元・光一元=宇宙即我=我神なり


調和=愛の法則そのもの=罪なきもの=完成=幸せな人生に
不調和=愛の法則を犯している=業・罪=カルマの精算が起きる

愛と赦し=調和=愛=幸せ・健康=完成=中性=完全=光人間
恨み・憎しみ・争い=不調和=罪=病・災難=不完全=闇人間

愛と赦し=カルマの消滅=神の祝福=幸せなツイてる人生に
許さない・恨み・嫉妬=カルマの刈り取り(不幸災難)な人生に

調和人間=愛が深い人=愛の光そのもの=克服者キリスト=完成
不調和人間=恨み・嫉妬・責任転嫁闇人間=罪人=未完成

調和=光明世界・愛の王国=愛・光・善=平安と安らぎ・至福感
不調和=無明世界・闇世界=未熟な愛=不安と恐怖・飢餓感・不足感

調和の人は熟した魂=自分を愛するが如く他人を愛します=ワンネス
不調和な人は未熟な魂=他人を責めて非難します=分離意識


 イエス様は「愛は天と地の架け橋」とおっしゃられました。その愛とは「許しの到達点」である「慈悲と愛」で御座います。

 真の意味で貴方が、その「許しの到達点」の境地に到達した時に、自ずと「天である神」と「地である貴方」との架け橋が繋がる事でありましょう。私は実体験からそれが実際にありえると確信しております。


愛は天と地の架け橋  この愛の理解と体得が神様と繋がる鍵♪

神・大愛(天)……全てを活かす愛・慈悲と愛・すべての形態を形作る力・意識を与えて下さった魂の根源・真の親・すべてを活かし育む力、縁の下の力持ちで全てを愛し慈しむ無償の愛・無限の愛・すべてに意識を与えて下さった天の父であり天の母である中性エネルギー・真の親・愛を表現する為に…無限の創造をなさっている慈悲と愛そのもの

神の表現体(地)……神が神を愛する為に生まれた存在・神の化身・愛の化身・神の表現体・神の中に創造された神・個別化した神としての自覚に覚醒めた我・滅私して神の道具意識を自覚している我・自分が神ご自身だと悟った我・愛を表現する為に生まれた事を自覚している我、全てを100%の愛で愛する我、自分と全てが神以外の何者でもない事を自覚している我


第六密度以上の高次元存在が語る
「許し」というものが、カルマの輪を止める事になるお話

★ コーリー : 多くの人々が現生のトラウマだけでなく、過去生のトラウマにも対処しているところなのです。

今、地球に生まれて来ている多くのライトワーカーは、援助の為により高次元や、上の密度から降りて来た人々です。

現生が初めての人でも、高次の美しい場所からここへやって来た人にとっては、ここでのトラウマは10倍酷(ひど)く感じられるものです。

そして、長期に亘(わた)って輪廻転生を繰り返して来た人の場合は、更に解消しなければいけない過去生のカルマが加わります。

しかし、ブルーエイヴィアンズから言われたのは、トラウマを特定し、自分にトラウマを与えた人や自分自身を許すこと、

そして、この”「許し」というものが、カルマの輪を止めることになるということです。カルマがなくなるんです。

これは、エネルギー的なものです。
カルマとは」負債を支払うようなものではなくて、
許してエネルギーを解放するもの」なんです。



カルマとは宿題・魂の課題・許しによって消滅♪
……………………………………………………… 
「許し」を心から実践=カルマの輪を止める=カルマがなくなる♪

自分にトラウマを与えた人や、自分自身を許す==
             ==魂の課題を克服=カルマが消滅♪

許す事によってエネルギーを開放=カルマの克服・解消に♪


ケイシーリーディングから…♪

全身全霊で「神を愛する」大切さ
「神を求める祈り」をする大事さのお話

 エドガーケイシーは、宗教生活についてそのもっとも美しい表現の中で、この事を次のように語っています。

あなたがたは心を尽くし、思いを尽くし、体を尽くして汝のなる
(大生命・内在の神)を愛し、隣人を汝の如く愛するのである。

このキリストの与えた言葉が法則の全てである。
それに優るものは存在しない

 主が約束されたように、あなた方は
来る日も来る日も明想し、「祈りゆく」うちに到来するあの目覚めによって、
主(宇宙生命)が自分の意識の中に留まられる事を知る事が出来る
神我が中にまします・父と子は常に一体)。

 あなた方はこの目的のために、
主が臨在し、その御霊(キリスト)があなた方の中に留まるあの意識を、
あの自覚を讃えるために生まれてきたのである。」

自我・偽我 =表現者、原因である父なる神を忘れている状態(放蕩息子の状態)神理を知らない状態・自分の力で生きていると思って迷っている状態、肉体の己を自分と思っている我、分離感・分離意識で個別化された表現を別個の存在と認識している我・分離意識・エゴ・肉の感化、五感の感化を真実と錯覚している我・迷いの影、幻、幻想(マイヤー)・自己保存、自我我欲の心


真の自己(真我)=父なる神と常に一体の境地・ワンネス意識・全一の意識・神我キリスト、全ては自分、全ては我、全ては神、全てを愛する我に目覚めた状態・宇宙生命によって生かされている事を自覚して実感している我・私が生きているのではない、なるほど一つの生命である神が生きていらっしゃる、全ての知恵と力は神から与えられている、神の中身は神、全ての全ては本質的には神、神のみが生きてらっしゃるんだなと悟った我・神一元・愛一元・光一元・我神なり、全ては神なり、全てに神を観る境地・神は生命(霊)なり、我も生命(霊)なりの自覚・宇宙即我、キリスト意識・高我・実在・全てを愛し全てを許す境地・慈悲と愛・あなた即私・私即あなた・宇宙エネルギー即自分・無限即我・不変不動の絶対なる実在・普遍なる宇宙・無限者・宇宙神

FC2版の広瀬すずちゃんの横顔になる方法の記事です♪
身長を伸ばす記事も追記してみました♪



内なる空間の認識・”神の王国(内なる神の国)はあなた方の中(意識)にある”♪「あなたとは何者」なのか? 「意識」である。♪ 伝統的な言葉を使うなら、その源とは「神」である。♪

母親に長すぎるから短くした方がいいと言われたので、記事の後半を分割してみました。うっかりコピペを2回していた部分がありました。
大変失礼致しました。心からお詫び申し上げますm(_ _)m(´;ω;`)


前半の部分はこちらです♪
https://sinntyounobiruyo.blog.fc2.com/blog-entry-4021.html


内なる空間の認識

あなたもときおりは思考と思考のあいだの空間が生じているのに、自分では気づいていないのかもしれない。

経験に振り回され、形に、つまりモノの意識にばかり自分を同一化するよう条件づけられていると、最初はその空間に気づくことがとても難しい。

要するにいつもほかのことに気を取られているから、自分自身に気づけない。
つねに形に振り回されているのである。

自分自身に気づいているように見えるときでも、自分自身をモノとして、思考の形として見ているから、気づいている対象はその思考であって、あなた自身ではない。

内なる空間のことを耳にしたら、探したくなるかもしれないが、モノや経験を探すように探しても決して見つかりはしない。
これはスピリチュアルな認識や悟りを求めるすべての人々が陥るジレンマだ。

だからこそイエスは言った。

「神の国は目で見える道しるべを伴って来るのではなく、また
『ほら、ここにある!』『あそこにある!』というようなものでもない。
神の王国(内なる神の国)はあなた方の中(意識)にある”のだから」。

目が醒めているあいだじゅう不満や不安や心配や鬱(うつ)や失望やその他ネガティブな状態で過ごしているのでなく、たとえばシンプルな雨や風の音を楽しむことができるとしたら、

空を流れる雲を美しいと眺め、ときには一人でいても寂しさを感じず、娯楽という精神的な刺激物も必要としないとしたら、

何も求めずに親切に対応する赤の他人のように自分自身を見られるとしたら・・・・・ふつうなら絶え間ない思考の流れで占領されている心に、ほんの一瞬であれ空間が開かれたということだ。

そのときには、たとえかすかであっても静かな生き生きとした安らぎが感じられる。
その安らぎは、背景にやっと感じ取れる充足感から、古代インドの聖賢がアナンダと呼んだ「いまに在ることへの歓喜」まで、度合いはさまざまだろう。

形だけに関心を向けるように条件づけられていると、間接的にしかこの安らぎに気づけない。

たとえば美を理解し、シンプルなものごとを評価し、一人でいることを楽しみ、愛情をもって親切に人に接するという能力のいずれにも共通する要素がある。

その共通の要素とは、これらの経験を可能にする見えない背景としての充足感、平和、躍動する生命感である。

人生における美や優しさやシンプルなものごとの良さを認識できたときには、その経験の背景として自分のなかに何があるのかを観察しよう。

ただし、モノを探すように探してはいけない。
それは「ああ、こんなものがあった」とわかるようなものでも、精神的に把握して定義できるものでもない。

それはまるで雲ひとつない空のようなものだ。
形のない空間であり、静謐(せいひつ)であり、「いまに在る」楽しさであり、同時にこれらの言葉をはるかに超えていて、言葉はただそれらを指し示す道標でしかない。

自分のなかに直接感じることができれば、それらはさらに深くなる。
だから何かシンプルなものを――音や光景や感触を――評価したとき、美を目にしたとき、
他者への愛情あふれる心遣いを感じたとき、その経験の源泉であり背景である内なる広やかさを感じてみよう。

歴史を通じて詩人や賢者は、真の幸福――私はそれを「いまに在る喜び」と呼ぶ――がシンプルで一見ささやかなものごとのなかにあることを見抜いていた。

ほとんどの人たちは何か意味があることが起こらないかとそわそわしていて、ささやかなことを(ほんとうはぜんぜんささやかではないかもしれないのに)見落とす。

哲学者のニーチェは珍しく静かな深い落ち着きを経験したとき、こう書いた。
「幸せには、幸せになるためには、ほんのささやかなことで充分なのだ!

・・・・・まさしくごくささやかで穏やかなちょっとしたこと、滑るように動くトカゲの気配、吐息、挙動、一瞥(いちべつ)
――そんな小さなものが最高の幸せをもたらす。静かであれ!」。

ではなぜ「ごく小さなこと」が「最高の幸せ」をもたらすのか?
実は真の幸せはこのようなものごとや出来事によって引き起こされるのではない(最初はそう感じるかもしれないが)。

これらのものごとや出来事はごくささやかで控えめだから、意識のほんの一部しか占領しない。
そこで残るのが内なる空間、形に邪魔されない意識そのものである。

内なる意識空間とあなたの本質とは同じひとつのものだ。
言い換えればささやかなものごとは、内なる空間の余裕を与える。

そしてこの内なる空間、条件つきではない意識そのものから、真の幸福、「いまに在る」喜びが輝き出す。

だが小さくて穏やかなものごとに気づくためには、あなたの内側が静かでなければならない。
鋭敏さが要求される。静かであれ。見よ。耳を澄ませ。いまに在れ。

内なる空間を発見する方法がもう一つある。
意識を意識することだ。

「私は在る(I Am=我神なり・我生命なり)」
と考えるかつぶやき、あとは何も付け加えない。

「私はある(I Am=我無限なり・我愛なり)」
のあとに続く静けさを感じ取ろう。

自分の存在を、何もまとわない素裸の自分自身を感じよう。
そこには老若、貧富、善悪、その他いかなる付属品もない。
それはすべての創造、すべての形を生み出す広々とした子宮である。


正しい行動

エゴはこう問う。どうすればこの状況を使って自分の要求を満たせるのか、あるいは自分の要求を満たす別の状況に変えることができるか?

「いまに在る」とは、内に広がりがある状態だ。
「いまに在る」とき、あなたはこう問う。
どうすれば自分はこの状況の、この瞬間の要求に応えられるだろう?

実は、そんなことを問う必要もない。
あなたは静かで意識が研ぎ澄まされた、あるがままのいまに対して開かれた状態でいる。

そのときあなたは状況に新しい次元を、空間をもち込む。
そして見て、聞く。状況とひとつになる。

状況に対して反応するのではなく状況とひとつになると、解決策は自ずと現れる。
実際には見て聞いているのはあなたという個人ではなく研ぎ澄まされた静寂そのものだ。

すると行動が可能であるなら、あるいは必要であるなら、あなたは行動を起こすだろう。と言うか、行動があなたを通じて起こるだろう。

正しい行動とは、全体にとって適切な行動だ。
行動が完了したとき、研ぎ澄まされた広やかな意識はそのまま残る。

誰もガッツポーズを取って「やったぞ!」と叫んだりはしない。
「見ろ、私がやったんだ!」などと言う者は誰もいない。

すべての創造性は、内なる広がりから生じる。

創造が行われて、何かが形になったら、そこに「私に(me)」だの「私のもの(mine)」だのが現れないように気をつけなくてはいけない。

自分のしたことを自分の手柄にしようとすれば、エゴが戻ってきて、せっかくの広がりが邪魔される。(盗みの罪)

(全ては神の御業・神の道具意識・ただただ神様ありがとうございます・私の体を通して神の御業が顕現なされた事に感謝致します…が正解♪)

ただ認識する

だいたい人は自分の周囲の世界にほとんど気づいていないし、慣れ親しんだ環境ならとくにそうだ。
関心の大半は頭のなかの声に吸い取られている。

知らない場所や外国に旅行すると生き生きする人がいる。
旅先だと思考よりも感覚的な認識――経験――のほうが意識の大きな部分を占めるから、より「いまに在る」ことができる。

だが旅先でも完全に頭のなかの声に占領されている人もいる。
そういう人たちは瞬間的な判断で認識や経験を歪めてしまう。
彼らは実はどこにも出かけてはいない。
身体が旅をしているだけで、当人はいつもいるところ、自分の頭のなかにいる。

ほとんどの人の現実はこうだ。
何かを認識するとすぐに、幻の自己であるエゴがそれに名前をつけてラベルを貼り、解釈し、何かと比較し、好悪(こうお)や善悪を決める。
この人たちは思考の形に、モノの意識に閉じ込められている。

この無意識の強迫的なラベル貼りがやまない限り、少なくともその行為に気がついて観察できるようにならない限り、スピリチュアルな目覚めはない。

この休みないラベル粘りによって、エゴは観察されない心としての場所を維持している。

ラベル貼りをやめるか、その行為に気づけば、内なる空間ができ、もう心に完全に占領されることはなくなる。

身近なモノ――ペン、椅子、カップ、植木など――を選んで観察してみよう。
好奇心と言えるような強い関心をもって見つめるのだ。

個人的な思い入れの強い、買ったときのことやもらった人など過去を思い出させるモノは避ける。

また本やボトルのように文字があると思考を刺激するので、これも避けよう。
緊張せずリラックスして、しかし感覚を研ぎ澄まして、すべての関心をモノに注いで観察する。

思考が混ざってきても、それに巻き込まれてはいけない。
認識から思考を追放することができるだろうか?

頭のなかの声のコメントなしに、結論を出したり、比較したり、何かをそこから引き出そうとせずに、ただ観察することができるか?

二分ほど観察したら、今度はいまいる場所に視線を向けて、目に入る一つ一つのモノに観察眼を向けてみよう。
つぎに物音に耳を澄ます。

周囲のモノを観察したのと同じ姿勢で聞いてみる。
自然の音――水音や風の音、鳥のさえずり――が聞こえるかもしれないし、人工の音が聞こえるかもしれない。

心地よい音も耳障りな昔もあるだろう。
だが良い音だとか悪い昔だとか、区別をつけてはいけない。

解釈なしに、ただ音を聞く。
ここでもリラックスした、しかし研ぎ澄まされた感覚が鍵だ。

こんなふうに見たり闘いたりしていると、最初はほとんど気づかないような不思議な静謐(せいひつ)さが生まれることがわかるかもしれない。

背景の静寂として感じ取る人もある。
安らぎと呼ぶ人もいる。
意識のすべてが思考に吸収されなくなると、残された部分は形のない、条件づけのない、本来の状態のまま留まる。
それが内なる空間である。

経験しているのは誰?

見る、聞く、味わう、触る、喚ぐという感覚的認識の対象はもちろんモノである。
これが経験だが、それでは経験している主体は誰なのか?

たとえばあなたの答えが、
「もちろん、それは私、ジェーン・スミス、上級会計士で四十五歳、離婚経験あり、二児の母親、アメリカ人、これが経験の主体ですよ」
なら、あなたは間違っている。

ジェーン・スミスもジェーン・スミスという精神的な概念と同一化されているその他の事柄も、経験の対象であって主体ではない。

すべての経験には三つの要素が考えられる。
感覚的認識、思考あるいは精神的イメージ、そして感情だ。

ジェーン・スミス、上級会計士、四十五歳、離婚経験あり、二児の母親、アメリカ人、これらはすべて思考で、したがってそれを考えている瞬間のあなたの経験の一部なのだ。

このどれも、また自分自身について語ったり考えたりするすべても、経験の対象であって主体ではない。

あなたは何者かというこのような定義(思考)ならいくらでも増やせるし、そうすればあなた自身という経験の複雑さは増大する

(同時にかかりつけの精神分析医の収入も増える)だろうが、そんなやり方では、すべての経験に先立ち、それがなければどのような経験も成り立たない存在である主体には行きつかない。

それでは経験しているのは誰なのか?
あなただ。

あなたとは何者」なのか?
意識」である。

 「私とは意識」であり、「意識はすべて」であり、
全てを超えている宇宙の要素」です。

(※「すべての意識」は=「神の意識」です。全ては神から生まれしものであり、全ての全てが神の現れであり、未来永劫「神」以外のものは存在いたしません)


意識」とは何か?
この質問には答えられない。
質問に答えた瞬間、対象をねじまげてモノ化することになる。

意識とは伝統的な言葉で言えばスピリット(霊)で、言葉の通常の意味で「知る」ことはできない。探しても無益だ。

「知る」ということはすべて、二元性の領域――主体と客体、知るものと知られるものがある世界――の話だ。

主体、私(I)、それなしには何も感じられることも認識されることも知られることも思考されることもない「知る者」は、永遠に知られないままに存在するしかない。
「私」には形がないからだ。

知ることの対象になり得るのは形だけだが、形のない次元がなければ形の次元も存在できない。

形のない次元とは、世界が立ち現れては消える明るい空間である。
その空間が生命であり「私は在る(神の中の存在)」ということだ。

そこには時間はない。
「私は在る(宇宙生命・神意識)」も永遠で、時間を超越している。

その空間で起こることは相対的であり、一時的である。
喜びと苦しみ、獲得と喪失、生と死だ。

内なる空間(内なる神の国)発見の最大の障害、経験の主体を見つけるうえでの最大の障害は、(三次元的)経験に投入するあまりに自分自身(真我)を失うことである。

要するに、意識(真の自己)が自分の夢(偽我)に呑み込まれてしまう。
あらゆる思考、感情、経験に占領され、まるで夢のなかにいるような状態になる。

何千年ものあいだ、人間にとってはこの状態がふつうだった。
意識(神)を知ることはできないが、自分自身として意識(神)を意識することはできる。

どんな状況でも、どこにいても、直接的に感じ取ることができる。
(未来永劫…私達は、永遠に神の御心の中に存在しており、父なる神と常に一体ですから)

いまここに在る自分、「いまに在る(神の中にいる)」
自分(真我)として、たとえばこの言葉が認識され思考になる場、
内なる空間(父なる神と常に一体・ワンネス意識)として感じられる。

それ(真理の理解)が土台の「私は在る(我神なり)」ということだ。
(真理を)読んだり考えたりしている言葉は前景(前提)で、
「私は在る(全ては神・全ては私)」は基部(実践)、
すべての経験や思考や感情を支える背景(土台)である。

呼吸

思考の流れを中断して、内なる空間を発見しよう。
この中断がないと、思考は創造の火花のない平凡な繰り返しになるが、いまでも地球上のほとんどの人はそんな状態にいる。

中断の長さは気にしなくていい。
数秒でも充分だ。
努力しなくても、中断時間はだんだん長くなっていく。

大事なのは長さよりも頻度で、日々の活動や思考の流れをこの空間で頻繁にさえぎることである。

先日、ある人にスピリチュアルな大きな組織の事業計画を見せてもらった。
実にさまざまな興味深いセミナーやワークショップが用意されていて壮観だった。

見ているとスカンジナビアのビュッフェ、スモーガスボードを連想した。
さまざまなご馳走のなかから好きなものを選んで食べる、というあれである。

見せてくれた人は、どれか推薦できそうなコースはないかと私に尋ねた。
「さあ、どうだろう。どれもなかなかおもしろそうだがね。

しかし、これだけは言える」と私は答えた。
「できるだけ頻繁に、思い出すたびに自分の呼吸を観察してみること。

これを一年続けてごらん。そうしたらここに書いてあるすべてのコースに参加するよりも効き目があるよ。それに無料だしね」。

呼吸(全ては神の呼吸)を観察するというのは、思考から関心を引き離して空間をつくることだ。
意識を喚起する方法の一つである。

意識(神意識)は外に現れないまま、丸ごと貴方の中にあるのだが、その意識を私たちの次元に引き出すのだ。

呼吸を観察してみよう。呼吸を感じてみる。
空気が動いて身体のなかに入っていくのを感じる。

息を吸ったり吐いたりするたびに、胸と腹がわずかに広がったり収縮したりするのを感じる。

一つの呼吸を観察するだけでも、それまでは途切れない思考が続いていたところに空間ができる。

意識的な一呼吸(二度三度とすればもっといいが)、これを一日のうちにできるだけめ多く繰り返す。
これは人生に空間をつくるすばらしい方法だ。

ただ、二、三時間 呼吸瞑想法を実践したところで(そういう人たちもいる)、必要なのは一つの呼吸を観察することだけだし、気づくことができるのもそれだけだ。

あとは記憶や予測、つまりは思考である。
呼吸はあなたの行為というよりは自然な出来事で、それを観察するだけのことだ。

呼吸は意図しなくても起こっている。身体のなかの知性が起こしている。
あなたはそれを観察するだけ。

緊張も努力もいらない。
それから呼吸の短い中断に注目してみる。
とくに息を吐き終わったあとに、再び吸うまでのわずかな中断を観察しよう。

多くの人は呼吸が不自然に浅い。
呼吸に気づけば気づくほど、呼吸は自然な深さを取り戻す。

呼吸には形がないから、昔からスピリット(霊)と――形のない生命と―同一視されてきた。

「神は土地のちりで人を形づくり、その鼻に生命の息を吹き込まれた。
そこで人は生き物となった」。

ドトイツ語の呼吸――atmen――は古代インドの言葉であるサンスクリット語で内なる「聖霊」と神を意味する「アートマン」から来ている。

呼吸には形がないという事実も、呼吸の観察が人生(生命)に空間を創り出す、つまり意識を生み出すきわめて効果的な方法である理由の一つだ。
呼吸はモノでなく形がないからこそ、瞑想のすばらしい対象となる。

もう一つ、呼吸の観察が効果的な理由は、呼吸がごくささいなあたりまえに見える現象であることで、ニーチェが言う「最高の幸せ」をもたらす「小さなもの」だからだ。

正式な瞑想法として呼吸観察を実行するかどうかはあなたが決めればいい。
しかし正式な瞑想法も、日常生活のなかに空間の意識を取り入れる代わりにはならない。
呼吸を観察すると、いやおうなしにいまこの瞬間に「在る」ことになる――これがすべての内なる変容の鍵なのだ。

呼吸を観察するとき、あなたは絶対的に「いまに在る」。
それに、考えながら呼吸を観察することはできないことにも気づくだろう。

意識的に呼吸すると心が停止する。
それは茫然自失とか半睡状態とは大違いで、完全に目覚め、意識が研ぎ澄まされている。

思考より下に落ちるのではなく、思考の上に上るのである。
そしてさらによく観察すると、この二つは――完全にいまこの瞬間に在ることと、意識を失わずに思考を停止することは――実は同じことだと気づくだろう。
空間の意識の現れである。

依存症

長いあいだにしみついた強迫的な行動パターンを依存症と呼ぶなら、依存症は半実在、身代わりの存在、定期的にあなたを完壁に支配するエネルギーの場としてあなたのなかに生きている。

あなたの心と頭のなかの声も占領される。
そうなると頭のなかの声は依存症の声になる。

その声はこんなふうに言うだろう。
「今日も大変な一日だった。ご褒美があってもいい。
どうして人生に残されたたった一つの楽しみまで諦めなくちゃいけないの?」。

気づさが欠如し、この内なる声に自分を同一化していると、気がついたら冷蔵庫を開けてカロリーの高いチョコレートケーキに手を伸ばしていることになる。

場合によっては依存症が思考する心を完壁に飛び越えてしまい、ふと気づいてみたらタバコや酒を手にしている。

「あれ、どうしてこんなものをもっているんだろう?」。
まったく無意識のうちにタバコを取り出して火をつけたり、酒をグラスに注いでしまう。

あなたに喫煙、過食、飲酒、テレビやインターネット依存のような強迫的な行動パターンがあるなら、次のようにしてみるといい。

強迫的な衝動が起こるのを感じたら、立ち止まって、三回、意識的に呼吸する。こうすると気づきが生じる。

次にしばらくのあいだ、強迫的な衝動そのものを自分のなかのエネルギー場として観察する。

そしてなんらかの物質を摂取したい、取り入れたい、なんらかの強迫的な行動を実行に移したいという肉体的、精神的欲求そのものを意識して感じる。

それからまた数回、意識的に呼吸する。
そのあとは強迫的な衝動が――そのときだけは――消えているかもしれない。

あるいは衝動のほうが強くて抵抗できず、やっぱり行動に移してしまうかもしれない。
その場合でも、それを問題と考えないほうがいい。

さきほど説明したように、依存症を気づきの実践の一部にしてしまおう。
気づきが強まっていけば依存症のパターンは弱くなり、いずれは消える。

ただし、依存症の行動を(ときにはきわめて巧みに)正当化しようとする考えが生じたら、すぐに気づかなくてはいけない。

そんな主張をしているのは誰か?と自問しよう。
依存症そのものだとわかるはずだ。

それがわかって、心の観察者として「いまに在る」ことができれば、依存症にだまされて言うなりになる危険は少なくなる。

内なる身体(宇宙エネルギー)への気づき

生活のなかでこの内なる空間を見つけるためのもう一つのシンプルな、しかし非常に効果的な方法も、呼吸と密接に関連している。

身体に入ったり出たりする空気の流れを感じ、胸と腹のふくらみと縮みを感じることで、内なる身体(宇宙エネルギー)にも気づくことができる。

そうすると関心は呼吸から、身体のなかに存在し全体へと広がっていく生命感を感じることへと移るかもしれない。

たいていの人はあまりに思考に気をとられ、頭のなかの声に自分を同一化しているので、自分のなかの生命感を感じられなくなっている。

物質的な身体を動かしている生命(神)、
自分自身である生命(神)を感じられないなんて…、
こんなひどいことはない。

だから人はこの本来の幸せな状態の代替物を求めるだけでなくいつもちゃんとあるのに見すごしている生命感と触れ合えないことからくる不安をごまかそうとする。

ある人は代替物を求めてドラッグでハイになり、大音量の音楽を聞くなどして五感を過剰に刺激し、スリルや危険な行動やセックスに溺れる。

人間関係の波乱までがこの裏の生命感の代わりに使われることがある。
また多くの人がつねに背景にうごめく不安をごまかそうとしてすがるのが、親密な人間関係だ。

「私を幸せにしてくれる」男性あるいは女性である。
もちろんそんな期待は「失望」に変わることがほとんどだ。
そして再び不安が甦(よみがえ)ると、人はたいていパートナーを責める。

二、三度、意識的に呼吸してみよう。
内なる身体を浸している微妙な生命感を感じ取れるだろうか?

自分のなかにある身体を感じられるだろうか?
順番に身体の各部に意識を向けてみよう。

手を感じ、次に腕を、脚を、足を感じてみる。
腹、胸、首、頭を感じられるだろうか?
唇は?
そこに生命感はあるだろうか?

次にもう一度内なる身体全体を感じてみる。
目を閉じていたほうがやりやすい人もいるだろうが、自分のなかの身体を感じたら、今度は目を開けて、身体を感じながらあたりを見回してみよう。

読者のなかには目を閉じる必要がなくて、このページを読みながら内なる身体を感じられる人もいるだろう。


内なる空間と宇宙空間(アウタースペース)

内なる身体(無限宇宙)は固体ではなくて広がり、物理的な形ではなく、物理的な形を動かしている生命(神・大愛)である。

身体を創り出して支えると同時に、人間の心ではほんの一部しか理解できないような複雑でおびただしい機能を調整している知性なのだ。

あなたがそれに気づいたというのは、その知性そのものが自らに気づいたということである。

それは科学者には発見できない(それは探求している意識自体だから)、捉えどころのない「生命(神の愛・宇宙生命)」そのものなのだ。

物理学者が発見した通り、物質が密な固さをもっているように見えるのは、実は人間の五感がつくり出した幻想である。

この物質には肉体も含まれる。
私たちは肉体を形として考え感じているが、その九十九・九九パーセントは空っぽの空間なのだ。

原子の大きさと比べると原子と原子の空間はこれほどに大きいし、その原子のなかにもまた広大な空間がある。
密な物質としての肉体というのは誤解でしかない。
それはいろいろな意味でミクロ版の宇宙空間なのだ。

それでは、宇宙空間における天体と天体のあいだの広がりはどれほど大きいのか。
一秒間に十八万六千マイル(三十万キロ)進む光は、月から地球まで一秒ちょっとで到達する。

太陽の光は約八分で地球に届く。
そして宇宙で私たちにいちばん近い隣人であるプロキシマ・ケンタウリ星(私たちの太陽に最も近い別の太陽)の光が地球に届くのには四・三年かかる。これが私たちを取り巻く空間の大きさだ。

さらに銀河と銀河のあいだの空間となると、もう理解を超える。
私たちの銀河にいちばん近いアンドロメダ銀河の光が届くのには二百三十万年かかるのだ。

あなたの身体がこの広大な宇宙空間と同じように広々とした空間でできているとは、実に驚くべきことではないか?

したがってもっと突っ込んで考えてみると、形であるあなたの肉体は本質的には形ではない。
内なる空間、インナースペースへの入り口だ。

内なる空間には形はないが、生き生きとした生命がある。
その「空っぽの空間」は充実した生命で、そこからすべてのものが生じる隠れた源なのだ。

伝統的な言葉を使うなら、その源とは「神」である。

思考や言葉は形の世界に属している。
だから形のないものは表現できない。

したがって、「私は自分の内なる身体を感じることができる」というのは、思考が創り出した誤解である。

実際に起こっているのは、身体として現れている(生命が私という)意識「私は在る(我生命なり)」という意識――がそれ自身を意識したということだ。

「私は在る」という私(I=全一体)を一時的な形としての「私(I=分離意識)」と混同しなくなると、無限にして永遠の次元(ワンネス意識・神)が「私(I=内在の神)」を通じて立ち現れ、「私(I=意識としての私)」を導く。

さらに形への依存(分離感)から解放してくれる。

だが、「この形、これは私(I=分離)ではない」と知的に認識し、あるいは信じても役に立たない。

大事なのはいまこの瞬間、
内なる空間の存在(宇宙生命・神)を感じられるか、
つまり「いまに在る(神我が中にまします)」

自分自身(宇宙に遍満する大霊)を感じ、
「いまに在る(今即天・今即実在)」ことが自分(神)なのだ
と感じることができるか?ということである。

あるいは別の道からこの真実にたどりつくこともできる。
こう自問してみよう。

「私はこの瞬間に起こっていることばかりでなく、すべてが起こる場、時間を超えた生きた内なる空間(内在の真我)として、いまこの瞬間を感じているだろうか?」。

 この質問は内なる身体とは何の関係もないように見えるかもしれないが、いまという空間に気づくと、同時に自分のなかでも生き生きとした生命感を感じることに驚かれるはずだ。

内なる身体の生命感(大生命)を、「大いなる存在」の喜びと不可分の生命感を感じるのである。
身体を超えるためには身体に入っていき、自分が「身体ではない」ということを知らなくてはならない。

毎日の生活のなかでできるだけ内なる身体(神の息・無限の生命)に気づき、空間を創ろう。

何かを待っているとき、誰かの話を聞いているとき、空や木を見上げているとき、花を、パートナーを、子どもを見ている時、それと一緒に自分のなかの生命感(宇宙意識・神意識)を感じよう。

これは関心あるいは意識の一部を形のない次元に留めて、残りを外の形の世界に向けることを意味する。

こうして自分の身体のなかに「住まう」ことは、いまこの瞬間に在るための錨(いかり)として役立つ。

思考や感情や外部的な状況のなかで自分を見失わないですむ。

考え、感じ、感知し、経験しているとき、意識は形として生じる。
思考、感情、感覚認識、経験への輪廻である。

仏教徒がいずれはそこから脱したいと願う輪廻はつねに起こり続けている。
そこから――「いまに在る」という力を通じて――脱出することができるのは、いまこの瞬間しかない。

(過去や未来に囚われない・今この瞬間・神に感謝のみの意識)

今という形を全面的に受け入れる(神に感謝する)ことで、
あなたは内なる空間、今の本質と調和する。

この受容を通じて、あなたは内なる広がりになる。
形ではなく空間と調和する。
それによって人生に真の視点とバランスが生まれる。


すべての創造性は
内なる広がり(内なる神)から生じる。

創造が行われて、何かが形になったら、そこに「私に(me)」だの「私のもの(mine)」だのが現れないように気をつけなくてはいけない。
自分のしたことを自分の手柄にしようとすれば、エゴが戻ってきて、せっかくの広がりが邪魔される。

ただ(全てが神だと)認識する

だいたい人は自分の周囲の世界にほとんど気づいていないし、
慣れ親しんだ環境なら特にそうだ。
関心の大半は頭のなかの声に吸い取られている。

知らない場所や外国に旅行すると生き生きする人がいる。
旅先だと思考よりも感覚的な認識――経験――のほうが意識の大きな部分を占めるから、より「いまに在る」ことができる。

だが旅先でも完全に頭のなかの声に占領されている人もいる。
そういう人たちは瞬間的な判断で認識や経験を歪めてしまう。

彼らは実はどこにも出かけてはいない。
身体が旅をしているだけで、当人はいつもいるところ、自分の頭のなかにいる。

ほとんどの人の現実はこうだ。
何かを認識するとすぐに、幻の自己であるエゴがそれに名前をつけてラベルを貼り、解釈し、何かと比較し、好悪(こうお)や善悪を決める。
この人たちは思考の形に、モノの意識に閉じ込められている。

この無意識の強迫的なラベル貼りがやまない限り、少なくともその行為に気がついて観察できるようにならない限り、スピリチュアルな目覚めはない。

この休みないラベル粘りによって、エゴは観察されない心としての場所を維持している。

ラベル貼りをやめるか、その行為に気づけば、内なる空間ができ、もう心に完全に占領されることはなくなる。

身近なモノ――ペン、椅子、カップ、植木など――を選んで観察してみよう。
好奇心と言えるような強い関心をもって見つめるのだ。

個人的な思い入れの強い、買ったときのことやもらった人など過去を思い出させるモノは避ける。

また本やボトルのように文字があると思考を刺激するので、これも避けよう。
緊張せずリラックスして、しかし感覚を研ぎ澄まして、すべての関心をモノに注いで観察する。

思考が混ざってきても、それに巻き込まれてはいけない。
認識から思考を追放することができるだろうか?

頭のなかの声のコメントなしに、結論を出したり、比較したり、何かをそこから引き出そうとせずに、ただ観察することができるか?

二分ほど観察したら、今度はいまいる場所に視線を向けて、目に入る一つ一つのモノに観察眼を向けてみよう。

つぎに物音に耳を澄ます。
周囲のモノを観察したのと同じ姿勢で聞いてみる。

自然の音――水音や風の音、鳥のさえずり――が聞こえるかもしれないし、人工の音が聞こえるかもしれない。

心地よい音も耳障りな昔もあるだろう。
だが良い音だとか悪い昔だとか、区別をつけてはいけない。

解釈なしに、ただ音を聞く。
ここでもリラックスした、しかし研ぎ澄まされた感覚が鍵だ。

こんなふうに見たり闘いたりしていると、最初はほとんど気づかないような不思議な静謐(せいひつ)さが生まれることがわかるかもしれない。

背景の静寂として感じ取る人もある。
安らぎと呼ぶ人もいる。

意識のすべてが思考に吸収されなくなると、残された部分は形のない、条件づけのない、本来の状態のまま留まる。
それが内なる空間である。

経験しているのは誰?

見る、聞く、味わう、触る、喚ぐという感覚的認識の対象はもちろんモノである。
これが経験だが、それでは経験している主体は誰なのか?

たとえばあなたの答えが、
「もちろん、それは私、ジェーン・スミス、上級会計士で四十五歳、離婚経験あり、二児の母親、アメリカ人、これが経験の主体ですよ」
なら、あなたは間違っている。

ジェーン・スミスもジェーン・スミスという精神的な概念と同一化されているその他の事柄も、経験の対象であって主体ではない。

すべての経験には三つの要素が考えられる。
感覚的認識、思考あるいは精神的イメージ、そして感情だ。

ジェーン・スミス、上級会計士、四十五歳、離婚経験あり、二児の母親、アメリカ人、これらはすべて思考で、したがってそれを考えている瞬間のあなたの経験の一部なのだ。
このどれも、また自分自身について語ったり考えたりするすべても、経験の対象であって主体ではない。

あなたは何者かというこのような定義(思考)ならいくらでも増やせるし、そうすればあなた自身という経験の複雑さは増大する(同時にかかりつけの精神分析医の収入も増える)だろうが、
そんなやり方では、すべての経験に先立ち、それがなければどのような経験も成り立たない存在である主体には行きつかない。

それでは経験しているのは誰なのか?
あなただ。
あなたとは何者なのか?
「意識(意識=神)」である。

意識とは何か?
この質問には答えられない。
質問に答えた瞬間、対象をねじまげてモノ化することになる。
意識とは伝統的な言葉で言えばスピリット(霊)で、言葉の通常の意味で「知る」ことはできない。
探しても無益だ。

「知る」ということはすべて、二元性の領域――主体と客体、知るものと知られるものがある世界――の話だ。
主体、私(I)、それなしには何も感じられることも認識されることも知られることも思考されることもない「知る者」は、永遠に知られないままに存在するしかない。
「私」には形がないからだ。

知ることの対象になり得るのは形だけだが、形のない次元がなければ形の次元も存在できない。

形のない次元(空・大生命)とは、世界が立ち現れては消える明るい空間である。
その空間が生命であり、「私は在る(無限の生命)」ということだ。

そこには時間はない。
「私は在る(創造主の意識・神意識)」も永遠で、時間を超越している。

その空間(三次元界)で起こることは相対的であり、一時的である。
喜びと苦しみ、獲得と喪失、生と死だ。

内なる空間発見の最大の障害、経験の主体を見つけるうえでの最大の障害は、(三次元の)経験に投入するあまりに自分自身を失うことである。

要するに、意識が自分の夢に呑み込まれてしまう。
あらゆる思考、感情、経験に占領され、まるで夢のなかにいるような状態になる。
何千年ものあいだ、人間にとってはこの状態がふつうだった。

意識を知ることはできないが、自分自身として意識を意識することはできる。
どんな状況でも、どこにいても、直接的に感じ取ることができる。

いまここに在る自分、「いまに在る(神と私は常に一体)」自分として、たとえばこのページの言葉が認識され思考になる場、内なる空間(神意識としての自分)として感じられる。

それ(真理の解釈)が土台の「私は在る(我神と一体なり)」ということだ。
読んだり考えたりしている言葉は前景で、「私は在る」は基部、すべての経験や思考や感情を支える背景である。

呼吸

思考の流れを中断して、内なる空間を発見しよう。
この中断がないと、思考は創造の火花のない平凡な繰り返しになるが、いまでも地球上のほとんどの人はそんな状態にいる。

中断の長さは気にしなくていい。
数秒でも充分だ。
努力しなくても、中断時間はだんだん長くなっていく。

大事なのは長さよりも頻度で、日々の活動や思考の流れをこの空間で頻繁にさえぎることである。

先日、ある人にスピリチュアルな大きな組織の事業計画を見せてもらった。
実にさまざまな興味深いセミナーやワークショップが用意されていて壮観だった。

見ているとスカンジナビアのビュッフェ、スモーガスボードを連想した。
さまざまなご馳走のなかから好きなものを選んで食べる、というあれである。

見せてくれた人は、どれか推薦できそうなコースはないかと私に尋ねた。
「さあ、どうだろう。どれもなかなかおもしろそうだがね。

しかし、これだけは言える」と私は答えた。
「できるだけ頻繁に、思い出すたびに自分の呼吸を観察してみること。

これを一年続けてごらん。そうしたらここに書いてあるすべてのコースに参加するよりも効き目があるよ。それに無料だしね」。

呼吸を観察するというのは、思考から関心を引き離して空間をつくることだ。
意識を喚起する方法の一つである。

意識は外に現れないまま、まるごとあなたのなかにあるのだが、その意識を私たちの次元に引き出すのだ。

呼吸を観察してみよう。呼吸を感じてみる。
空気が動いて身体のなかに入っていくのを感じる。

息を吸ったり吐いたりするたびに、胸と腹がわずかに広がったり収縮したりするのを感じる。

一つの呼吸を観察するだけでも、それまでは途切れない思考が続いていたところに空間ができる。

意識的な一呼吸(二度三度とすればもっといいが)、これを一日のうちにできるだけめ多く繰り返す。
これは人生に空間をつくるすばらしい方法だ。

ただ、二、三時間 呼吸瞑想法を実践したところで(そういう人たちもいる)、必要なのは一つの呼吸を観察することだけだし、気づくことができるのもそれだけだ。

あとは記憶や予測、つまりは思考である。
呼吸はあなたの行為というよりは自然な出来事で、それを観察するだけのことだ。
呼吸は意図しなくても起こっている。

身体のなかの知性が起こしている。
あなたはそれを観察するだけ。
緊張も努力もいらない。

それから呼吸の短い中断に注目してみる。
とくに息を吐き終わったあとに、再び吸うまでのわずかな中断を観察しよう。

多くの人は呼吸が不自然に浅い。
呼吸に気づけば気づくほど、呼吸は自然な深さを取り戻す。
呼吸には形がないから、昔からスピリット(霊)と――形のない生命と―同一視されてきた。

「神は土地のちりで人を形づくり、その鼻に生命の息を吹き込まれた。
そこで人は生き物となった」。

ドトイツ語の呼吸――atmen――は古代インドの言葉であるサンスクリット語で内なる聖霊と神を意味するアートマンから来ている。

呼吸には形がないという事実も、呼吸の観察が人生(生命)に空間を創り出す、つまり意識を生み出すきわめて効果的な方法である理由の一つだ。
呼吸はモノでなく形がないからこそ、瞑想のすばらしい対象となる。

もう一つ、呼吸の観察が効果的な理由は、呼吸がごくささいなあたりまえに見える現象であることで、ニーチェが言う「最高の幸せ」をもたらす「小さなもの」だからだ。

正式な瞑想法として呼吸観察を実行するかどうかはあなたが決めればいい。
しかし正式な瞑想法も、日常生活のなかに空間の意識を取り入れる代わりにはならない。
呼吸を観察すると、いやおうなしにいまこの瞬間に「在る」ことになる――これがすべての内なる変容の鍵なのだ。

呼吸を観察するとき、あなたは絶対的に「いまに在る」。
それに、考えながら呼吸を観察することはできないことにも気づくだろう。

意識的に呼吸すると心が停止する。
それは茫然自失とか半睡状態とは大違いで、完全に目覚め、意識が研ぎ澄まされている。
思考より下に落ちるのではなく、思考の上に上るのである。

そしてさらによく観察すると、この二つは――完全にいまこの瞬間に在ることと、意識を失わずに思考を停止することは――実は同じことだと気づくだろう。
空間の意識の現れである。

依存症

長いあいだにしみついた強迫的な行動パターンを依存症と呼ぶなら、依存症は半実在、身代わりの存在、定期的にあなたを完壁に支配するエネルギーの場としてあなたのなかに生きている。

あなたの心と頭のなかの声も占領される。
そうなると頭のなかの声は依存症の声になる。

その声はこんなふうに言うだろう。
「今日も大変な一日だった。ご褒美があってもいい。
どうして人生に残されたたった一つの楽しみまで諦めなくちゃいけないの?」。

気づさが欠如し、この内なる声に自分を同一化していると、気がついたら冷蔵庫を開けてカロリーの高いチョコレートケーキに手を伸ばしていることになる。

場合によっては依存症が思考する心を完壁に飛び越えてしまい、ふと気づいてみたらタバコや酒を手にしている。

「あれ、どうしてこんなものをもっているんだろう?」。
まったく無意識のうちにタバコを取り出して火をつけたり、酒をグラスに注いでしまう。

あなたに喫煙、過食、飲酒、テレビやインターネット依存のような強迫的な行動パターンがあるなら、次のようにしてみるといい。

強迫的な衝動が起こるのを感じたら、立ち止まって、三回、意識的に呼吸する。こうすると気づきが生じる。

次にしばらくのあいだ、強迫的な衝動そのものを自分のなかのエネルギー場として観察する。

そしてなんらかの物質を摂取したい、取り入れたい、なんらかの強迫的な行動を実行に移したいという肉体的、精神的欲求そのものを意識して感じる。

それからまた数回、意識的に呼吸する。
そのあとは強迫的な衝動が――そのときだけは――消えているかもしれない。

あるいは衝動のほうが強くて抵抗できず、やっぱり行動に移してしまうかもしれない。
その場合でも、それを問題と考えないほうがいい。

さきほど説明したように、依存症を気づきの実践の一部にしてしまおう。
気づきが強まっていけば依存症のパターンは弱くなり、いずれは消える。

ただし、依存症の行動を(ときにはきわめて巧みに)正当化しようとする考えが生じたら、すぐに気づかなくてはいけない。

そんな主張をしているのは誰か?と自問しよう。
依存症そのものだとわかるはずだ。

それがわかって、心の観察者として「いまに在る」ことができれば、依存症にだまされて言うなりになる危険は少なくなる。

内なる身体への気づき

生活のなかでこの内なる空間を見つけるためのもう一つのシンプルな、しかし非常に効果的な方法も、呼吸と密接に関連している。

身体に入ったり出たりする空気の流れを感じ、胸と腹のふくらみと縮みを感じることで、内なる身体にも気づくことができる。

そうすると関心は呼吸から、身体のなかに存在し全体へと広がっていく生命感を感じることへと移るかもしれない。

たいていの人はあまりに思考に気をとられ、頭のなかの声に自分を同一化しているので、自分のなかの生命感を感じられなくなっている。

物質的な身体を動かしている生命、自分自身である生命を感じられないなんて、こんなひどいことはない。

だから人はこの本来の幸せな状態の代替物を求めるだけでなくいつもちゃんとあるのに見すごしている生命感と触れ合えないことからくる不安をごまかそうとする。

ある人は代替物を求めてドラッグでハイになり、大音量の音楽を聞くなどして五感を過剰に刺激し、スリルや危険な行動やセックスに溺れる。

人間関係の波乱までがこの裏の生命感の代わりに使われることがある。
また多くの人がつねに背景にうごめく不安をごまかそうとしてすがるのが、親密な人間関係だ。

「私を幸せにしてくれる」男性あるいは女性である。
もちろんそんな期待は「失望」に変わることがほとんどだ。
そして再び不安が甦(よみがえ)ると、人はたいていパートナーを責める。

二、三度、意識的に呼吸してみよう。
内なる身体を浸している微妙な生命感を感じ取れるだろうか?
自分のなかにある身体を感じられるだろうか?

順番に身体の各部に意識を向けてみよう。
手を感じ、次に腕を、脚を、足を感じてみる。

腹、胸、首、頭を感じられるだろうか?
唇は?
そこに生命感はあるだろうか?
次にもう一度内なる身体全体を感じてみる。

目を閉じていたほうがやりやすい人もいるだろうが、自分のなかの身体を感じたら、今度は目を開けて、身体を感じながらあたりを見回してみよう。

読者のなかには目を閉じる必要がなくて、このページを読みながら内なる身体を感じられる人もいるだろう。

内なる空間と宇宙空間(アウタースペース)

内なる身体は固体ではなくて広がり、物理的な形ではなく、物理的な形を動かしている生命である。

身体を創り出して支えると同時に、人間の心ではほんの一部しか理解できないような複雑でおびただしい機能を調整している知性なのだ。

あなたがそれに気づいたというのは、その知性そのものが自らに気づいたということである。

それは科学者には発見できない(それは探求している意識自体だから)、捉えどころのない「生命」そのものなのだ。

物理学者が発見した通り、物質が密な固さをもっているように見えるのは、実は人間の五感がつくり出した幻想である。

この物質には肉体も含まれる。
私たちは肉体を形として考え感じているが、その九十九・九九パーセントは空っぽの空間なのだ。

原子の大きさと比べると原子と原子の空間はこれほどに大きいし、その原子のなかにもまた広大な空間がある。

密な物質としての肉体というのは誤解でしかない。
それはいろいろな意味でミクロ版の宇宙空間なのだ。

それでは、宇宙空間における天体と天体のあいだの広がりはどれほど大きいのか。
一秒間に十八万六千マイル(三十万キロ)進む光は、月から地球まで一秒ちょっとで到達する。

太陽の光は約八分で地球に届く。
そして宇宙で私たちにいちばん近い隣人であるプロキシマ・ケンタウリ星(私たちの太陽に最も近い別の太陽)の光が地球に届くのには四・三年かかる。これが私たちを取り巻く空間の大きさだ。

さらに銀河と銀河のあいだの空間となると、もう理解を超える。
私たちの銀河にいちばん近いアンドロメダ銀河の光が届くのには二百三十万年かかるのだ。

あなたの身体がこの広大な宇宙空間と同じように広々とした空間でできているとは、実に驚くべきことではないか?

したがってもっと突っ込んで考えてみると、形であるあなたの肉体は本質的には形ではない。

内なる空間、インナースペースへの入り口だ。
内なる空間には形はないが、生き生きとした生命(大愛)がある。

その「空っぽの空間」は充実した生命で、そこからすべてのものが生じる隠れた源なのだ。

伝統的な言葉を使うなら、その源とは「神」である。

思考や言葉は形の世界に属している。
だから形のないものは表現できない。

したがって、「私は自分の内なる身体を感じることができる」というのは、思考が創り出した誤解である。

実際に起こっているのは、身体として現れている意識――「私は在る」という意識――がそれ自身を意識したということだ。

「私は在る」という私(I)を一時的な形としての「私(I)」と混同しなくなると、無限にして永遠の次元――神――が「私(I)」を通じて立ち現れ、「私(I)」を導く。
さらに形への依存から解放してくれる。

だが、「この形、これは私(I)ではない」と知的に認識し、あるいは信じても役に立たない。

大事なのはいまこの瞬間、内なる空間の存在を感じられるか、つまり「いまに在る」自分自身を感じ、「いまに在る」ことが自分なのだと感じることができるか?ということである。

あるいは別の道からこの真実にたどりつくこともできる。
こう自問してみよう。

「私はこの瞬間に起こっていることばかりでなく、すべてが起こる場、時間を超えた生きた内なる空間として、いまこの瞬間を感じているだろうか?」。

この質問は内なる身体とは何の関係もないように見えるかもしれないが、いまという空間に気づくと、同時に自分のなかでも生き生きとした生命感を感じることに驚かれるはずだ。

内なる身体の生命感を、「大いなる存在」の喜びと不可分の生命感を感じるのである。
身体を超えるためには身体に入っていき、自分が「身体ではない」ということを知らなくてはならない。

毎日の生活のなかでできるだけ内なる身体に気づき、空間を創ろう。
何かを待っているとき、誰かの話を聞いているとき、空や木を見上げているとき、花を、パートナーを、子どもを見ているとき、それと一緒に自分のなかの生命感を感じよう。

これは関心あるいは意識の一部を形のない次元に留めて、残りを外の形の世界に向けることを意味する。

こうして自分の身体のなかに「住まう」ことは、いまこの瞬間に在るための錨(いかり)として役立つ。

思考や感情や外部的な状況のなかで自分を見失わないですむ。

考え、感じ、感知し、経験しているとき、意識は形として生じる。
思考、感情、感覚認識、経験への輪廻である。

仏教徒がいずれはそこから脱したいと願う輪廻はつねに起こり続けている。
そこから――「いまに在る」という力を通じて――脱出することができるのは、いまこの瞬間しかない。

いまという形を全面的に受け入れることで、あなたは内なる空間、いまの本質と調和する。

この受容を通じて、あなたは内なる広がりになる。
形ではなく空間と調和する。
それによって人生に真の視点とバランスが生まれる。

ギャップに気づく

人は一日じゅうさまざまなものを見たり聞いたりしている。
何かを見たとき、あるいは聞いたとき
(それが見慣れない、聞き慣れないものであればとくに)、

心が見聞きした対象に名をつけて解釈するより前に、ただ関心が向けられて知覚が生じる瞬間がある。それが内なる空間だ。

その瞬間の長さは人によって違う。
たいていは一秒にも満たないほんの一瞬なので、多くの人は見逃してしまう。

そこではこんなことが起こっている。
新しい光景あるいは音が立ち上がり、それを知覚する最初の瞬間に習慣的な思考の流れが中断する。

知覚の必要性に応じて、意識は思考から逸れる。
とくに目新しい光景、耳慣れない音だと、呆然として「言葉を失う」。
思考の中断時間が長いためである。

この空間の頻度と長さで、人生を楽しむ能力、他の人々や自然との内なるつながりを感じる能力が決まる。

エゴとはこの空間次元に対する意識の完全な欠如を意味するから、どこまでエゴから解放されるかによっても違ってくる。

自然に起こるこの短い空間を意識できるようになると、その空間は長くなっていく。
そうなれば思考にぜんぜんあるいはほとんど邪魔されずに知覚する喜びを頻繁に味わうことができる。

周囲の世界が新しく、新鮮で、生き生きとして感じられる。
抽象化、概念化という精神的なスクリーンを通して人生(生命)を認識すればするほど、周囲の世界は生気を失った単調なものになる。


自分自身を発見するために自分を捨てる

内なる空間は、形に自分を同一化しなくてはならないという思いを捨てるたびに生じる。
形に同一化しなくてはならないというのはエゴの必要性であって、真の必要性ではない。
これについては前にも簡単に触れた。
そういう習慣的なパターンを捨てるたびに、内なる空間が現れる。
真の自分自身になる。

これはエゴにとっては自分を失うことと感じられるが、実は反対だ。
イエスは、自分自身を発見するためには自分を失わなければならない、と教えた。

形への同一化というパターンを一つ捨てるたびに、形のレベルの自分を重視しなくなるたびに、あなたは形を超えてもっと豊かになる。
少なくなることによって、豊かになるのだ。

人々が無意識に形への同一化を強化しようとするやり方がある。
充分に目覚めていれば、こういう無意識のパターンを自分自身のなかに発見できるだろう。

自分がしたことを認めろと要求し、認めてもらえないと怒ったり動転すること。
自分の問題や病気について語りあるいは騒ぎたてて関心を引こうとすること。
聞かれもしないのに、また状況に変化を起こすこともできないのに、意見を述べること。

他者そのものよりも、その他者に自分がどう見られているかを気にすること、つまり他者を自分のエゴの投影先、あるいは強化策として使うこと。

所有物や知識、容貌、地位、肉体的力などによって他者に感銘を与えようとすること。
何かあるいは誰かに対する怒りの反応によってエゴを一時的にふくらますこと。
ものごとを個人的に解釈して不機嫌になること。

心のなかで、あるいは口に出して無駄な不満を並べて、自分が正しくて相手が間違っていると決めつけること。
注目されたい、重要人物だと思われたいと考えること。

こういうパターンが自分にあることを発見したら、ひとつ実験をしてみることをお勧めする。
そのパターンを捨てたらどう感じるか、何が起こるかを観察するのだ。
ただパターンを捨てて、結果を見ればいい。

形のレベルの自分を重要視しないのも、意識を生じさせるもう一つの方法だ。
形への同一化にこだわらなくなったとき、あなたを通じてどれほど大きな力が世界に流れ出すかをぜひ発見していただきたい。

静寂(宇宙に遍満する大霊・大生命)

「静寂は神の言葉で、他はすべてその下手な翻訳にすぎない」という言葉がある。
静寂とは、実は空間(無限)を表すもう一つの言葉だ。

人生で出会う静寂に意識的になると、自分自身のなかの形も時間もない次元、思考やエゴを超えた部分(神意識)と触れ合うことができる。

それは自然界に充満している静寂かもしれず、早朝の自室に広がる静寂、あるいは音がふと途絶えたときの静寂かもしれない。

静寂(宇宙に遍満する大霊・大生命)には形はない。
だから思考を通じて静寂(大生命)に気づくことはできない。

思考は形だ。
静寂に気づくとは、静かに停止しているということだ。

静かに停止しているとは、思考抜きの(神一元・神への愛と感謝のみの)意識でいることだ。
静かに停止している時程、深い本質的な自分自身(真我)でいるときはない。

静かに停止している時、あなたは一時的に個人という心理的、精神的な形をとる前の自分(神意識・宇宙意識)になる。

静かに(自我・偽我の)停止している時、あなたは一時的な存在を超えた存在になる。
無条件の、形のない、永遠の意識になる。

人は一日じゅうさまざまなものを見たり聞いたりしている。
何かを見たとき、あるいは聞いた時
(それが見慣れない、聞き慣れないものであればとくに)、

心が見聞きした対象に名をつけて解釈するより前に、ただ関心が向けられて知覚が生じる瞬間がある。それが内なる空間(内なるキリスト意識)だ。

その瞬間の長さは人によって違う。
たいていは一秒にも満たないほんの一瞬なので、多くの人は見逃してしまう。

そこではこんなことが起こっている。
新しい光景あるいは音が立ち上がり、それを知覚する最初の瞬間に習慣的な思考の流れが中断する。

知覚の必要性に応じて、意識は思考から逸れる。
とくに目新しい光景、耳慣れない音だと、呆然として「言葉を失う」。
思考の中断時間が長いためである。

この空間の頻度と長さで、人生を楽しむ能力、他の人々や自然との内なるつながりを感じる能力が決まる。

エゴとはこの空間次元に対する意識の完全な欠如を意味するから、どこまでエゴから解放されるかによっても違ってくる。

自然に起こるこの短い空間を意識できるようになると、その空間は長くなっていく。
そうなれば思考にぜんぜんあるいはほとんど邪魔されずに知覚する喜びを頻繁に味わうことができる。

周囲の世界が新しく、新鮮で、生き生きとして感じられる。
抽象化、概念化という精神的なスクリーンを通して人生(生命)を認識すればするほど、周囲の世界は生気を失った単調なものになる。

自分自身を発見するために自分を捨てる

内なる空間(ワンネス意識)は、形に自分を同一化(自分が個人だ認識)しなくてはならないという思いを捨てるたびに生じます。

形に同一化(分離意識)しなくてはならないというのは、
エゴ(偽我)の必要性であって、真の必要性(真我)ではありません。

これについては前にも簡単に触れましたね。
そういう習慣的なパターン(分離意識)を捨てるたびに、内なる空間(真我)が現れます。
真の自分自身(真我・ワンネス意識)になります。

これはエゴ(自我・偽我)にとっては自分を失うことと感じられるでしょうが、実は反対なのです。
イエスは、自分自身を発見するためには自分を失わなければ(滅私・神への全託をしなければ)ならない、と教えました。


知花先生も「全託なくして悟りなし」とおっしゃられました。
滅私・神への全託」とは文字通り「自分のすべてを神に捧げる事」です。

間違った自我の解釈によって「生贄」とかの習慣になってしまった事もあるようです。

そうではなくて、「真我」の正しい解釈では、自分のなしたことは全て神の御業であり、全てが神のお陰であり、私を通して偉大なる神がお働きになられているだけなのだ…という真理の深い理解の境地に達した後に、「全てが神の御業」だと自然に思えるようになります。

 自分の御業は何もない…私の全ての全ての成し遂げた事は
神のもの」であり「神の御業」ですから、私の全てを神にお返し致します。という…そういった境地だと言えましょう。

 実は私、もうとっくに「神への全託」はしておりまして、滅私して、自分の御業は何もございません…と、このブログで成し遂げた事も全て「神の御業」で御座います…と「全ての全て」を神にお返し致します……と「神にすべてを全託」して神に返納しております。

 私の体を通して何か善行をなしたとしても、それはもう全ての全てが神の御業なんです。神が私を通してお働きになられているだけなのです。
 
 何か良いことをしたとしても、「神様が私を通してお働きになられた」のであって、ありがたい…「私という神の道具を通して、神の御業が顕現なされた事に感謝致します。」なんです。

 だから本当に、「神への全託」してしまったら、「神様、有難うございます」しかなくなります。

 私とは「神の道具」にしか過ぎませんから…、滅私・自分が無い…
無我の境地」とは言いますけれども、意外とこれは、
神の道具意識」とも言えるのかもしれませんね。

 わかりやすく申し上げますと…そういう境地だと言えましょう

形への同一化(分離した自己)というパターンを一つ捨てるたびに、形のレベルの自分を重視しなくなるたびに、あなたは形を超えてもっと豊かになります。

(分離の自己)少なくなることによって、(全一体・ワンネス意識に近づき)豊かになるのです。

人々が無意識に、形への同一化(自我)を強化しようとするやり方があります。
充分に目覚めていれば、こういう(間違った)無意識のパターンを自分自身のなかに発見できるでしょう。

自分がしたことを認めろと要求し、認めてもらえないと怒ったり動転すること。
自分の問題や病気について語りあるいは騒ぎたてて関心を引こうとすること。

聞かれもしないのに、また状況に変化を起こすこともできないのに、意見を述べること。

他者そのものよりも、その他者に自分がどう見られているかを気にすること、つまり他者を自分のエゴの投影先、あるいは強化策として使うこと。

所有物や知識、容貌、地位、肉体的力などによって他者に感銘を与えようとすること。
何かあるいは誰かに対する怒りの反応によってエゴを一時的にふくらますこと。
ものごとを個人的に解釈して不機嫌になること。

心の中で、あるいは口に出して無駄な不満を並べて、自分が正しくて相手が間違っていると決めつけること。
注目されたい、重要人物だと思われたいと考えること。

こういう(不調和・偽我の)パターンが自分にあることを発見したら、ひとつ実験をしてみることをお勧めします。
(想念観察・内省・悔い改め・洗心・身口意を正す)

そのパターンを捨てたらどう感じるか、何が起こるかを観察するのです。
ただ(エゴの)パターンを捨てて、結果を見ればいいでしょう。

形のレベルの自分を重要視しないのも、意識を生じさせるもう一つの方法です。

形への同一化(分離意識の自己)にこだわらなくなった時、貴方を通じてどれほど大きな力(真我)が(貴方を通して)世界に流れ出すかをぜひ発見して頂きたいのです。


静寂(全一体・自他一体・全てを愛する我・静かな心・無限の赦し・愛と調和・神への連続的感謝の意識状態)

「静寂(静かな心)は神の言葉で、他はすべてその下手な翻訳にすぎない」という言葉があります。
静寂とは、実は空間を表すもう一つの言葉です。

人生で出会う静寂に意識的になると、自分自身のなかの形も時間もない次元、思考やエゴを超えた部分と触れ合うことができます。

それは自然界に充満している静寂かもしれず、早朝の自室に広がる静寂、あるいは音がふと途絶えたときの静寂かもしれません。

静寂(無限大の愛・宇宙生命)には形はありません。
だから思考(分離感)を通じて静寂に気づくことはできません。

思考は形です。
静寂に気づくとは、静かに停止(全一体・我は全体なり・全体我なりの意識を)しているということです。

静かに停止しているとは、
思考抜きの意識(神への連続的感謝・慈悲と愛)でいることです。

静かに停止している(愛と調和・慈悲と愛の意識状態の)時ほど、深い本質的な自分自身(真我・全一体)でいる時はありません。

静かに停止しているとき、あなたは一時的に個人(分離)という心理的、精神的な形をとる前の自分になります。

静かに停止(無限の赦し、慈悲と愛、愛と調和の意識状態で、神への深い愛と感謝を)している時、あなたは一時的な存在(自我)を超えた存在に変容します。

無条件の、形のない、永遠の意識(愛の王国・内なる神の国)になります。
それが、その人の「意識の進化を示すもの」であるからなのです。


宇宙創造の神が勧める霊性を高める方法 洗心

いつももつべき正しい心(=常の心)
強く     明るく
正しく    我が祈り
宜しからぬ欲を捨て
みな仲良く、相和して
感謝の生活をなせ

心の中からなくすべき感情(=ご法度の心)

憎しみ  不満
妬み   疑い
猜み   迷い
羨み   心配心
呪い   咎めの心
怒り   いらいらする心
不平   せかせかする心


■四句御箴言(しくごしんげん)

与えられたことを感謝して受けよ     
与えられぬことを感謝して受けよ

与えられたことを拒むこれ欲なり     
与えられぬことを欲するこれ欲なり

 セント・ジャーメインさんによりますと、

●「神と繋がっている状態」というのは、「絶え間ない感謝の流れ
●全てのことに対しての感謝
●全ての瞬間に、ありがとう、ありがとう、ありがとう
●私達のエネルギーは感謝の波動にある

また、エイブラハムさんによりますと、

瞑想よりもっと上の状態がある。
もっといい気分の状態がある。
それは感謝の状態だ。」

との事です。


 イエス様は「愛は天と地の架け橋」とおっしゃられました。その愛とは「許しの到達点」である「慈悲と愛」で御座います。

 真の意味で貴方が、その「許しの到達点」の境地に到達した時に、自ずと「天である神」と「地である貴方」との架け橋が繋がる事でありましょう。私は実体験からそれが実際にありえると確信しております。

愛は天と地の架け橋  この愛の理解と体得が神様と繋がる鍵♪

神・大愛(天)……全てを活かす愛・慈悲と愛・すべての形態を形作る力・意識を与えて下さった魂の根源・真の親・すべてを活かし育む力、縁の下の力持ちで全てを愛し慈しむ無償の愛・無限の愛・すべてに意識を与えて下さった天の父であり天の母である中性エネルギー・真の親・愛を表現する為に…無限の創造をなさっている慈悲と愛そのもの

神の表現体(地)……神が神を愛する為に生まれた存在・神の化身・愛の化身・神の表現体・神の中に創造された神・個別化した神としての自覚に覚醒めた我・滅私して神の道具意識を自覚している我・自分が神ご自身だと悟った我・愛を表現する為に生まれた事を自覚している我、全てを100%の愛で愛する我、自分と全てが神以外の何者でもない事を自覚している我

ケイシーリーディングから…♪

全身全霊で「神を愛する」大切さ
「神を求める祈り」をする大事さのお話

 エドガーケイシーは、宗教生活についてそのもっとも美しい表現の中で、この事を次のように語っています。

あなたがたは心を尽くし、思いを尽くし、体を尽くして汝のなる
(大生命・内在の神)を愛し、隣人を汝の如く愛するのである。

このキリストの与えた言葉が法則の全てである。
それに優るものは存在しない

 主が約束されたように、あなた方は
来る日も来る日も明想し、「祈りゆく」うちに到来するあの目覚めによって、
主(宇宙生命)が自分の意識の中に留まられる事を知る事が出来る
神我が中にまします・父と子は常に一体)。

 あなた方はこの目的のために、
主が臨在し、その御霊(キリスト)があなた方の中に留まるあの意識を、
あの自覚を讃えるために生まれてきたのである。」


自我・偽我 =表現者、原因である父なる神を忘れている状態(放蕩息子の状態)神理を知らない状態・自分の力で生きていると思って迷っている状態、肉体の己を自分と思っている我、分離感・分離意識で個別化された表現を別個の存在と認識している我・分離意識・エゴ・肉の感化、五感の感化を真実と錯覚している我・迷いの影、幻、幻想(マイヤー)・自己保存、自我我欲の心


真の自己(真我)=父なる神と常に一体の境地・ワンネス意識・全一の意識・神我キリスト、全ては自分、全ては我、全ては神、全てを愛する我に目覚めた状態・宇宙生命によって生かされている事を自覚して実感している我・私が生きているのではない、なるほど一つの生命である神が生きていらっしゃる、全ての知恵と力は神から与えられている、神の中身は神、全ての全ては本質的には神、神のみが生きてらっしゃるんだなと悟った我・神一元・愛一元・光一元・我神なり、全ては神なり、全てに神を観る境地・神は生命(霊)なり、我も生命(霊)なりの自覚・宇宙即我、キリスト意識・高我・実在・全てを愛し全てを許す境地・慈悲と愛・あなた即私・私即あなた・宇宙エネルギー即自分・無限即我・不変不動の絶対なる実在・普遍なる宇宙・無限者・宇宙神

FC2版の広瀬すずちゃんの横顔になる方法の記事です♪
身長を伸ばす記事も追記してみました♪

知花敏彦先生の総まとめ記事 第5回目♪ 自分が神であり万象万物が神であること、全てが神である自覚、神を自覚するということは自分自身が神であることを知るのが一番大切です♪神の中において神は自分であり、同時に全体が神であります♪我れ神なり、我れ生命なり、であって神は全ての全て♪ 「神一元」「神以外はない」 「神が全て」「唯一不二の神」 「無限者・普遍者」全体が一つであるのを全一体感といい、自他一体感といいます♪





 人々は誰でも神を探し、神がどこにおられるかと一生懸命に探し続けてきました。しかし神を探した人はほんの微々たる少人数に過ぎません。

 何故ならば自分が神であること、「我れ神なり」という事実を知らないからです。その自分が神であるのに神をしているのですから探すことはできません。神が神の中においては神を知るということです。

 神が何なのか、神がどこにいるかを知っている人が非常に少ないのです。一生懸命に神を求めている人はが非常に多いのです。神がどこかに存在するといって探していたのでは何時までたっても探すことは出来ません。

 自分が神であり万象万物が神であること、全てが神である自覚、神を自覚するということは自分自身が神であることを知るのが一番大切です

 神がどこかにいるのではなく神は全てに偏在したまい、全てに帯座されている。神はここやあそこにいるのではないのです。他に神を見出そうとしても、見つかることはありえないのです。

 神の中に今いるのです。そして自分自身が神なのです。神はありとあらゆるもの、全ての全てです。神の他には何もないのです。大宇宙そのものが神なのです。

 何年も何十年も神を探しても神は見つけることは出来ません。そこで、人間は神を造ったり、遠い彼方に神がいると想像して新興宗教を造っているのです。

 イエス・キリストは、「神のいるところに私がいて、私のいる所に神がいる」と言われ、お釈迦様は「我が内に仏(神)がいる」と言われました。

 この言葉を徹底して知り学び理解すべきです。自分自身が神であることを自覚できない人が神を知ることは絶対にできません。

 「我れ神なり、我れ生命なりと」。何故、全てが神なりといえるのか。神は万物の親、万物の創り主であり万物の生命でもあります。大生命そのもの、大霊そのものが神そのものです。

 大生命・大霊・神のほかには何も存在しないのです。神のみが実在する。神こそが絶対実在であり、その他には何も無いのを知るべきです。神は空の世界でも色の世界にでも全宇宙に遍満している神一元です。
 神のほかには絶対に何もないということを知ることです。

 「神は汝の手よりも足よりも近し」といわれる所以(ゆえん)です。
「天は近し、神は近し」と言われ、神の中にいて神そのものであるのに神を探している。そして今から神になろうとしています。

 今の今、神の中におり、神なのに入ろうとしています。
「いま即実在であり」「いま即天であり」「いま即神である」修行して神になるのではなく初めから私達神なのです。神には修行は必要ありません。

 「難行苦行、悟りにあらず」の言葉通り、自分が神であることを自覚する、自己を知るということが如何に大事であるかと言えます。自分の中に神がおれば全体の中にも神がいることが判ります。全てに神がいると言えるのです。

 イエス・キリストは「神の実子になられた」ということは、自分は神の実子であるのを悟られたという意味です。あなた方とイエス・キリストの違いはあなた方は神の実子ではないと思っているという違いなのです。

 あなた方を創られた方は神以外に誰がおりましょうか。見えるもの全て神のもの神以外の誰があなた方の創り主なのでしょうか。神こそわれわれの父なのです。

「何者もこの世で神以外に、父と呼んではならない」といわれる意味がわかりましょう。あなた方が神の実子であることがはっきりわかりましょう。あなた方の生みの親はまさに神なのです。

 このことを知ったならば万物の中に神がおられ、万物は神の子であるということになります。何を見ても如何なる形態でも、神を宿せぬものはないと判れば、神の他には絶対になにもないということ、神のみがまします、神のみが独存するということが判ります。

 あなた方はあちらに神を求め、こちらに神を求めていましたが、神の中において神は自分であり、同時に全体が神であります。であるが故に神は無限者であられる。
 この世の中で神でないものが一つでもあったならば神は無限者でもなく全体者でもないし、全知全能でもあり得ないのです。

 我を知ることは神を知ることの名言であるのです。
神を知る前に自己を知りなさい。自己を知った時、神を知るのである」という意味です。

 生命・大霊には区切られた生命、区切られた霊はありません。ですから私達一人びとりは個我であると同時に大我であるのです。ですから私達一人一人は個我であると同時に大我であるのです。

 形を見れば小我の小さいものですが、原因は大原因そのものですから大霊・大生命そのものであるのです。区切られた生命や如何なる形の形態の制限設けないのが生命であり、神なのです。神が形態の自由を奪われたり制限されたりはしません。

 だから神はいたる所にまします。神のましまさぬ所とてなく、空の世界にも色の世界にも偏在したまい、鉱物・植物・動物・人間とて神を宿さなければ存在しないのです。

「神は自らの住み家を自ら創り給うて、自ら留めたもうた」。
そして、「形態をお創りになり形態に自らの生命を宿しておられる」。私達の肉体は神の働く焦点、神を表現せんがために存在しているのです。

「生ける神の宮なり仏の宮なり」という意味です。神のみが生きているのです。神の他には生きているものはありません。生物は全て神です。

 無限の中においてこれが神だ、あれは神ではないと区別しているのは真理ではありません。もしそのようにいう人がおれば、その人達は妄信であり狂信家です。

 無限者の神の中において神以外の者が存在できましょうか。神は無限者であられ、大宇宙そのものが神であられるといいながら、ここに神はいて、あそこに神はいないと、どうしていえましょうか。
 
 今の宗教家達は間違いを語っています。何かの修行や何かの宗教をやらないと、神の中に入れないと思ってはいないでしょうか。

 今、神の中におるのです。お釈迦さまは「今即天」といわれ、イエスは
「私は初めから久遠の中にいた」といわれました。私たちは初めから久遠の中にいるのです。

 「今即久遠」「今即永遠」「今即実在」「今即霊」「今即神」です。
 今から神になる者は一人もおりません。初めから神しかおりませんのにどうして今から神になれましょうか。自分が神になることは自分が神であったことを知ることが必要なのです。

 自分が神であった、全体が神であった、全てが神であった、ということを理解することです。それを知らないのを無知というのです。
 自己を見つめるということは神を見つめるということになります。

 自己を知ることは神を知ることです。自己を知らないで神を知ることは不可欠です。自分は神ではないといったならば、もう絶対に神を探すことはできないのです。私達が神で無かったなら神を探すことはできません

 我れ神なり、我れ生命なり、であって神は全ての全てであり、ありとあらゆるもの、神以外何もないのです。神一元という意味です。

 「神一元」とは「神以外はない」、
神が全て」だという「唯一不二の神」というのです。
無限者・普遍者」なのです。その中に神以外は存在できません。

 それに対し、神を知らない心の状態を引き起こしたのが、この世の悪といわれているものです。神を知らないから悪とか悪魔とかいうのです。

 神を知っているものには悪とか悪魔は存在しません。神を知らない心の状態が悪というのです。神を知れば悪は存在しません。絶対善があるだけです。絶対神があるだけです。絶対愛があるだけです。絶対調和があるだけです。

 だから神を知らない者のみに悪魔・悪霊があるのであって、神を知ってしまえば、私達の今いるところが天なのです。いま即天とは実在という意味です。

 地獄とは非実在という意味です。非実在とは天しかないのに、天一元しかないのに、天以外に何かあると思う心が引き起こした幻想なのです。
その中に自らの獄壁を作り、自らを閉じ込めているものです。

 私達が全てを神とみなしたならば、全てが神だと観たとするならば、神こそ絶対実在で絶対に神しかいないとなったならば、私たちは一つ目になったということです。

 神もいるが悪魔もいるというならば二つ目です。目が開かれているのではありません。心眼が開かれているのではありません。
 その悪とは何なのかを考えれば判りましょう。悪は神を知らない人間の状態なのです。

 私達が真理を知り神を知れば悪を行えません。悪魔もいるが神もいるという指導者は神を知らない指導者であって失格者なのです。
 悪霊とは自分が死んでも神の霊であることを知らない、その霊的力を誤用している、誤って使っている状態の事を悪霊というのです。

 全体が一つであるのを全一体感といい、自他一体感といいます。霊には区切りがなく別離がないとはっきり理解したならば自他がありません。他人がありませんので、即自分ですし全体も自分であるのです。

 これを全我といい、全我の自分というのです。普遍的自分です。宇宙意識・普遍意識・神意識というのです。私達の生命には区切りがありません。区切りがあれば無限生命ではありません。

 生命が区切られていないと判れば、私達の生命は区切りがなく様々な形態を現しているのです。ひとつ様しかいません。一つの命しかありません。ですから全体は我ということ、全我ということになります。

 例えばここに一本の木があるとします。この木の葉も一つの命で全体の木の葉が生きているのです。個人個人の木の葉の命はありません。一本の木の個々の葉は外側から見れば一枚一枚ですが、内側から観れば一つの生命であるのが判ります。
 
 ですから「生命の木を把握しなさい」とイエスは言われましたが、生命の次元から観れば同一だという意味が判りましょう。
 外側から見れば個々ですが内側から観れば全体です。

 この全体が我だと判りますと誰を憎めますか。一本の木の個々の葉一枚一枚が憎みあったら、誰を憎んだことになりますか。
 自分自身を憎んでいることになります。

 外から見れば私達一人一人で個人個人ですが、内から観れば全体になるのです。外から見れば小さな私達ですが、内からみれば大きな我になるのです。内側を観れば大我であり、外側から見れば小我で、外側は小我で内側は全我です。

 外側の外観から見るから小さなものとしてこの木の葉を見ますが、木の葉の生命は小さいものではなく大きな生命です。

 私達の個人の命も同じように大きな生命です。この形態を見れば小さな小生命と思っていますが、小生命と大生命は一体だということで霊と大霊は一つであり離別していません。

 イエスは「あなた方は私に繋がらないと不毛である」と言われましたのが、この意味です。葡萄の木の譬えで言われたのです。枝葉のようなものであると、生命には離別した生命はないのです。全一の生命・唯一不二の生命しかありません。

 だから人になしている事は全部自分になしていることがはっきり判ります。これが理解できた人には争いというものはありません。

 悟って自分が生命であり霊である霊の次元、内側からものが内観できた人がおりましたならば、完全に内観していたならば、その内観者は愛そのものであり調和そのものであるはずです。

 そこには一点の悪も存在できません。内観しているといいながら人の悪口を言ったり、憎んでみたり、不調和を起こしている人は内観していないのです。
 内側を観れば全一の生命しかないのです。外側を見るから争うのです。

 外側に生きている人間のみに争いがあるのであって、内側を生きれば内側を観れば争いはあるはずがありません。ですから内側に生きることを天に生きるというのです。

 外側に生きているのを地獄に生きているという意味です。これは実在ではありません。離れ離れがあるというのは非実在であり、現実においては真実において絶対に分離というものがないのに、分離していると思っているのは実在ではないのです。

 自分という個人は無いのです。個人という全体から離れた個人は存在しません。しかし私達は離れた個人があると思っています。それが利己的となり自己中心となり、欲望というのが出て散々悪というものが生まれているのではありませんか。

 神を知るということは生命を知るということです。生命を知っているならば生命が何なのか、生命というものが個人的な生命がないということを知っているならば、神を知ったことになります。

 命知らずの人間に神を知っているという人間には、世の中に一人としていないのです。分離感を持った人間に真理(神理)を知った人は一人もいません。
 全一体感を知っている人は真理を知った人です。全一体感を理解した人は悟った人です。神に到達した人です。

 しかし悪魔だ悪だと、それを怖がったり分離感を持ったり、不調和を起こしたりする人は真理を知ったことにはなりません。それは神を知らないからで、神を知ってしまえば世の中には争いはありません。

 内側を観た全体は我ですから、私達がはっきり自己の自覚、生命の自覚、霊的自覚が出来ましたら大愛・大調和そのものです。神は何故、大愛・大調和であるのか、それは、ひとつ様しかないからです。憎む相手がいないのです。

 唯一の神しかいませんので対立するものがないのです。敵が無いのです。あの人は、味方だ敵だと言う見方をしている人は正しく見ていません。

 正しく見るとは内側で観るということです。これを内観というのです。外観ではものを正しく見えません。正しく見るということはその本質・本源から見るということです。内側から内観するということです。

 外側で、この肉の目で正しく物を見ることは出来ないからです。心の目・意識の目でしか正しくものを観ることはできません。この肉の目であの人は悪人だ善人だと、悪い人、善い人と見ることが正しくものを見ることでしょうか、違います。

 真の内観者であるならば真の愛であるはずです。あなたが本当の内観者であるあんらば自他があるはずがありません。自他がなければ不調和がないのです。内観して不調和があるならばその人は内観していないのです。

 だからイエスは「内観せよ臆念せよ」と言われました。愛しかありません。あなた方が本当に正しい内観法、すなわち生命の次元・霊的次元からものを観れば、全体が一つであるとはっきり判り、悟られたならば、もう皆さま方は神を知っているはずです。
 全体が神であって神の他には絶対に何もないとお判りできるはずです。

 今の世の中には動物霊だとか鉱物の霊・人間の霊だとかいいますが、霊というものが別々に存在していると思いますか。動物の霊と、人間の霊と、神の霊と別々にあると思いますか、ありません。

 一つの大霊・唯一不二の霊しかありません。一つの霊が、動物という形態を造って動物の中に留まっている霊も、人間という形を取って人間の中に留まっている霊も違う霊でしょうか、違っていませんね。

 霊に区切られた霊が存在することはありません。それを人間の霊だ動物の霊だ何霊だと、怖がったり、祟りがあるのだ、何だかんだと言って教えているのは目が見えるからですか、見えないからでしょうか。

 霊眼が開かれているのでしょうか開かれていないのでしょうか。霊眼が開いていると言いながら、そんなことをいう霊能者がいるのです。正しくものを見ていません。

 動物霊とあなた方とは違った霊でしょうか。同一の霊です。唯一不二の霊です。動物の霊もあれば、人間の霊もあれば、神の霊もあるというならば、神は平等ではありませんし差別です。公平ではありません。

 何故、皆さん方は神を差別と不公平な、不正な、神に造り上げるのでしょうか。ですから世の中の妄信家達や狂信家達は、さまざまな幽想と空想で散々人を迷わしているのではないでしょうか、今様々な分離感を引き起こしている原因は宗教にあります。

 宗教がなければ、そういうことが判らなければ分からないで済ましていればそのように人間を混乱させることは無かったのです。それが盲が盲を導くと、無知が無知を導くと、見えないものが見える振りをして説いただけです。

 もし動物の霊・人間の霊・神の霊と別々であるならば神は無限者ではあり得ません。全知でも全能でも無くなります。神は至るところにましますといえますか、偏在したまうといえますか。言えません。

 だから神はここにおるとかあそこにおるとか神に指を差せません。指を差せたらば有限の神になるのです。無限の神ではなくなります。神は無限者であられる、偏在したまう。

 大宇宙そのものを宇宙神・宇宙創造神といいながら、また神の中において神まがいの神を造っているのが人間ではないでしょうか、神の他には何もないのです。

 この世の中で神を宿さないものが一物とてありません。あなた方の髪の一本一本でも紙には数えられているという意味は一本一本の中に神が宿っているということです。その神というい生命、即ち生命エネルギーなくして生きることができますか。出来ません。
 
 すべての形態は神を宿しています。そしてあなたの肉体の中にも神がおります。全てに神はおりますということは、神は全ての全てでありますから、神の他には絶対に何もないということがはっきり理解できるのではないでしょうか。

 知ること、悟ること以外に神を理解することはできません。ですから、あなたご自身を知ったら全体を知ったことになります。

 区切られた生命はありません。大生命あるのみですから、全ての万象万物は宇宙生命で大生命の中に留まり、大生命が万物の造り主であるから造られた物の中に大生命が生きています。

 大生命の他に生きている物はない。だから全てが大生命であるのです。大生命は大霊ですから、全ては大霊といえます。

「生命一元・霊一元・神一元」と言う意味です。「神の意思なくして、この世に雀一羽とて生まれ落ちることはない、生まれてくることはない、現れることはない」、
「砂浜の砂一粒一粒とて神には数えられている」。当たり前のことです。

 大生命が砂一粒一粒を造って、その砂一粒一粒の中に生きているからです。その砂一粒一粒の生命は小さな生命ですか、大きな生命でしょうか。大生命です。分生命と大生命は一体です。

 自分も形から見れば小さいものですが霊の次元から見れば大きなものです。ですから小我と大我は一体です。小さなものと大きなものは不可分であり分離はありません。

私と神は一体である」という意味がお判りになりましょう。創られたものと創り主は一体という意味は、「私と父とは一体」と言う意味です。
 この真理が判りますれば大霊あるのみ神あるのみとなれば、皆さん方は「神が観たまうが如く私も観たのである」という言葉が下せます。
 
 これが一つ目といいます。神の他に何かあるというならば二つ目といいます。一つの心あるのみです。ふた心とは神の心と悪の心もあるということになります。
 神の心、み心が絶対実在なる心です。その神の心を知らない人が悪の心になっているのです。

 心は一つであるが故にひとつ様しかいないのです。心は二つはありません。それは神の心を通して悪を働いているです。
 力も善なる力と悪の力があるのではないのです。唯一の力しかないのです。その唯一の力を、或る者は神を知りませんから悪用して使っているのです。

 戦争のエネルギーと平和のエネルギーとは別々ですか、戦争を起こしている力と、平和を守っている力とは別々ですか、同一のものです。

 その自由意志でもって、或る者はその力を戦争に使い、或る者は平和に使っているだけなのです。心も同じです。自分の中に善の心と悪の心がありますか、いいえありません。
 
 唯一の神の御心しかないのにそれを悪用するか、善い方に使うかだけの選択しかありません。悪なる心、善なる心、善なる力、悪なる力はあるのではありません。そのことさえも判らない者が神を説いたのではしょうがないのです。

 悪魔もおって、神もおると、あなた方の健康を守っているエネルギーは一つしかないのです。唯一不二のエネルギーしか無いのです。それを誤って使えば病気になり、正しく使えば健康であるというだけのものです。

 だから「病気とは罪の結果である」と、そのエネルギーを誤って使った結果が病気であるといわれているのです。

 苦しみも同じなのです。心を誤って使えば苦しみを創りだしますし、心を正しく使えば幸せを創るのです。あなた方は天国の創り主でもありますし、地獄の創り主でもあります。幸せを創るのは神ですかあなたですか。

 あなた自身が幸せを作りださねばなりません。神があなた方に幸せのみしか与えていないのに、その幸せそのものを破壊しているのが自分ではありませんか。悪用すれば苦しみがやってくるのです。

 神があなたを苦しめているのか、あなたが、あなたを苦しめているのか、あなたの病気を神が与えたのか、自分が病気をつくったのですか、自分です。

 そのエネルギーを誤った方向である憎しみや怒りや嫉妬に使えば苦しみは寄ってくるのが当たり前です。正しく使っているかどうかだけの問題なのです。
 ですから、この宗教をすれば幸せになる、あの宗教をやれば幸せになるというのものではありません。

 幸せは宗教が創るものですか、あなたが創るものですか。自分です。宗教が幸せを創ったためしは一度もありません。あなたを幸せにするか、不幸にするかは、自分の心次第であって、神次第でも宗教次第でもありません。

 神はあなたの自由意志を奪うことはありません。自由意志を犯すことはありません。神からこうしなさい、ああしなさいと強制することはありません。

 エネルギーそのものですから、エネルギーそのものが神そのものですから、これをどう使うかが問題であって、エネルギーがあなたにこれを正しく使って下さいという強制されたエネルギーはありません。

 与えられているものをどう使うかの使う能力によって違うのであって、マイナスエネルギーだとかプラスエネルギーだ、悪のエネルギーだ、戦争のエネルギーだ、これは平和のエネルギーだ、というのがあるのではありません。

 われわれはその宇宙に遍満する偉大なる神の力、エネルギーをどう正しく使うかだけのものです。ある者は善に使い、ある者は悪に使うだけのもので、善に使ったものは幸せに、悪に使った不幸せにというだけのものです。

 ではあなた方に不幸や災難を与えているものはあなた方ですか、神ですか。あなたです。神は情けが無い私だけを苦しめてと、言っている人もいます。

 何故、神様は不幸せと幸せをお創りになりましたかと質問する人もいます。とんでもない質問です。その質問は無知すぎませんか、神が人間を不幸せにするのですか。自分がですか。

「汝の救いは汝自身なり、神は自らを助くるものを助くる」という名言があります。あなたはその真理に対しての理解力、その宇宙エネルギー、生命エネルギー、霊的エネルギー、霊的力を正しく使うか使わないかだけのものです。

 現に持っています。今から貰うものでもなく、皆さん方が持っている力を如何に日々の生活の中に正しく使うかだけのものです。宗教をやったから幸せになるものではありません。

 宗教が救うものでもなく、あなたの理解力があなたを救うのです。あなたを救うのはあなた自身です。健康にするも病気にするも不幸せにするも、あるいは幸せにするも誰でもなく、あなたの心次第です。

 心を誤れば不幸せや、不健康を創ります。ですから皆様方は何を知るべきですか、自分を知るべきです。

 あなたは徹底して学ぶことが大切です。徹底して自分自身を知ることが大切です。あなたを知ったならば、あなたは自分の中に今、大霊、大生命が働いておられることを大宇宙の一切の力、偉大なる力があなたの中にあるのです。

 それをどう使うかは、あなた次第ではありませんか、神様がこれは善に、これは悪に使いなさいと持たされているエネルギーはありますか。あなたの心が自由意志で自由選択でそれを正しい方向に使うか、悪い方向に使うかだけのものです。

 では神が皆さんの中に今いることは今判りましたね。全ての中に神がおることが判りましたね。そうすれば神棚の中に神がいるといえますか、神を知っても神棚を作りますか、神を知らぬ者が神棚を作るのです。

 大神殿、神の中におりながら大神殿の中で神の飯事遊びをしているのではないでしょうか、髭を生やした大人や、バッヂを付けた男が全くの飯事遊びをしているのです。

 今の世の中で神・神・神という人は多いけれども神を理解している人は如何に少ないかということです。今の宗教家達が神を知っていると思いますか。神を知っているならば宗教はつくりません。

 ここに神がいる、あそこに神がいる、遥か彼方に神がいるとはいいません。神は偏在したまうのです。神のましまさぬ所とてないのです。髪の毛一本とて神はいます。まつ毛一本でさえも、神なくして神の毛一本でも存在しません。

 神は存在の本源ですから神なくして何も存在しないということです。原因なき原因ですから、大原因ですから、その大原因あっての我々という結果が存在するのです。

 原因が結果の生みの親です。見える世界は見えないものの結果なのです。
ですからこの世は諸行無常といわれているのです。皆さん方は神をもっと、もっと徹底して知るべきだと思います。

 拝むべきか知るべきですか、何が何だか判らないものに拝むのですか、神は拝むべきものではありません。知るべきものです。

 神は何であるかも判らないで頭をぺこぺこ下げるのが神信者ですか、神を知ることが大切です。如何に世の中が妄信・狂信に明け暮れているかといいたいのです。

 理解することです。理解とは悟りです。悟りとは知るという意味です。知ることが信仰です。神を理解しない、判りもしない、知りもしない者が妄信・狂信というのです。

 悟った人は宗教をつくりません。聖座方が宗教をつくったためしはありません。全てが神なのですからつくる必要がありません。

 宗教をつくってここに神様がいるのだと、頭をぺこぺこ下げさせたり拝ませたり、悟った人がさせると思いますか、ですから「神・仏は汝の内にあり地頭明・宝頭明を汝の主としなさい」と、お釈迦様がいわれました。

 人間の肉体の中での人間は仏の宮といいます。なのに仏像を作ったりお経をあげさしたりする事が大切ですか、不要です。
 皆さん方も神を徹底して理解すべきだと思います。

我、神なり」です。これが信じ得なかったならば、皆さん方は神信者ではありません。これが判らなかったならば信仰ではありません。

 何がある故に生きていますか。
神生きるが故に生きています」。死神さまなら私達は生きていません。幸いにして生神さまであるから、神仏である訳です。

 死なないと神仏になりませんか、生きているが故に神仏ではありませんか。死んだら神ですか、生きているから神なのです。だから永遠の生命です。永遠に生き通しであるがゆえに神なのです。

 死ぬ者であるならば神ではありません。死なないと神の国へ入らないとか死んでからでないと神になれない、仏になれないという教えは、正しい教えでしょうか、間違っていませんか。

 皆さん方も徹底して知るべき学ぶべきことが多々あると思います。そのまま妄信・狂信で世を終わるを無知いうのです。自分が何であるかを知らないのです。誰でも自分のことを人間といいます。

 では人間とはなにかといえば、判りませんという答えが返ってきます。人間が人間を知らないのですから、その人間が人間を知らないのですから、自分を自分が知らないほど無知なことはありません。

 自分を知らずに知恵がありますか、自分が何なのかを知るのが大切なのです。自分を知らない者が神の善し悪しなどがありますか、あなたを知るべきです。
 何を学ぶべきかと問われたならば、あなたを学びなさい。何を知るべきですかと問われれば、あなたを知りなさいと答えます。

 自分が何であるかを知らない者が神を説けますか、説けません。悟りとは何かといえば己自身を知ることです。

 自己が何なのかを知っている者は悟りの人です。これを自覚者というのです。自らが目覚めた者、何であるかを知っている方々を覚者方というのです。覚者方というのは自分が何であるかを知っている方々という意味です。

 字の如くです。知らない者は愚座方というのです。賢座型というのは自分が何者であるか、何なのかを知っている方々を賢座方というのです。
 ですから自己を知るべきです。自分を知るのが悟りです。自分を知らない悟りはありません。悟りとは自己を知ることです

 自分は人間なりといって盲目の人生を歩むことは悟りではありません。何故生きているか、命が何なのか肉体が何なのかも判らない盲目の人生。意味も判らない無知な人生を送ってはなりません。知り尽くすことです。

 それを知らないで力はどこにあるのか、その力は何なのか、知恵は何なのか、肉体は何なのか判りもしないで、ただ生きているから生きてる、力があるからあるのだ、知恵があるからあるのだというような、無理解のまま無知のままで如何に世を去る者が多いかということです。

 結果に目が眩んで、庇護の力があるならば必ず原因があるはずです。知恵があるならばどこからその知恵が出たか、出所があるはずです。
 それを求道(ぐどう)といいまして、追求することが大切です。

 神、神とどこでも幼稚園児でも誰でも書きますが、神を知っている人が世の中に52億の人間の中に何名くらいいるかということです。僅か数名しかいません。教えている人は破棄捨てる程います。

 神を知っている人は少ないということです。即ち神を知っているということは自分が何者か、何なのかを知っている人のことです。世界中に覚者は数名しかおりません。あなた方も自分を知ることによって覚者になるのであって知らないのに覚者になれますか。

 自分を知ることが覚者になる秘訣であって、自分を知らないで妄信と狂信に明け暮れることが覚者ですか、自己自身を徹底して学び知ることが覚者になる秘訣です。

 誰があなたを覚者にしますか、自分自身です。誰でもあなたに王冠を載せる者はいません。あなたの悟りの王冠は自分で載せねばなりません。

 悟りの位は誰があなたに与えるのですか、神ですか、あなたですか、自分です。誰か偉い覚者が出てきて、あなたにもう悟りの位を与えましょうといって、王冠を載せる覚者はどこにもいません。

 神を強制するものではありません。あなた方は初めから悟りでした。今も悟りなのですが目が外なるものを見て、本源・本質を曇らせているだけなのです。神が迷うことはありません。迷っていると思っているだけです。

 自分は神でありながら、神ではないと思っているだけです。真我は迷いがありません。神が迷うことはありません。今まで知らなかっただけです。なぜかと言うならば内を観ずに外側を見て生きたからです。

 内を観れば即悟りです。皆さん方は早めに自分という者がこの外側から者を見たのが、その実相を曇らせていただけに過ぎないということに気づいていただきたいのです。実相は汚れないのです。あなたの真我は絶対に汚れません。

 あなたに色々のものが付着しているだけであって、真我は一度も穢れることはありません。汚れることはありません。

 例えば汚れたコップを見て下さい。コップに汚れが付いているのであって、コップその物が汚れているのではありません。コップの本質は汚れません。
 外側から見ればコップの汚れが見えているのでコップが汚れているように見えるだけです。

 内側から見ればコップは汚れていないのが判ります。正しく見ているならば、知恵ある人ならばこれが判ります。コップは汚れていない、コップと汚れは別々であるのが断言できます。

 私達の生命も真我も一度として汚れたり、穢れたりしたためしはありません。汚れと真実は別なのです。
 私たちは汚れなき純真無垢の自分と見れば良いかと思います。神が汚れたことはありません。
 神が汚れたならば神ではないのです。純粋無垢の神ではなくなります。

 神という文字ですが、『私達の人生の目的です』。これを知るために皆様方は何十万回もこの世に生まれてきています。このことは神を知るまでは神の実相世界へ帰ることはできません。

 神を知らない者が、神の世界へ帰った例しはありません。神でありながら神でないと思う人間の心がそうさせているのです。
 神が身近であり過ぎて、自分自身でありながら遠くに神を求めてきたということです。もっと、もっと、身近に神を感じて頂きたいのです


自分が霊覚者であるか
肉覚者であるかで天と地の差がでます

 自分が霊であることに目覚めた人のことを霊覚者といいます。肉覚者ではありません。あくまでも『我は霊なり』と言わねばなりません。

 肉には一点の知恵も、一点の力もありません。この肉体は霊の動く場であり、働く道具、媒体にしかすぎません。これを霊媒ともいいますが、霊媒体質は霊のエネルギーを受けやすい人のことを言います。

 エネルギーを受けやすい体質のことであり、この知花は生まれながらの霊媒体質でした。小さい時から自分が霊であることを私は知っていたのです。

 なぜかというと、身内の者が亡くなった時に、もう一人の霊的彼がいる事を、観ていたからです。その霊は、この知花を観ていましたから分かっていました。

 肉体は霊が着る衣装にしかすぎないことを、7歳の頃から全部分かっていたのです。ですから、生まれながらの霊媒体質なのです。

 自分が霊であって肉体ではないことも生まれながらに知っていましが。皆さん方がまだ肉体を吾として見るなら、皆さん方は盲人です。

 霊眼が開かれているのではありません。真の自己は霊的我ですから、吾は霊なりと言わねばなりません。

 吾は肉体ではないと、自分は人間でもなく、個人でもなく、大霊そのものだと言わねばなりません。皆さんは宇宙霊です。

 唯一の大霊が全てに宿っているのです。すべての形体は大霊の中に存在して、大霊は全てに宿っています。このことを今、ここでご理解いただきたいのです。

己を知ることが悟りであり
己を観ることが神を観ることです

 己を知ることが悟りであり、己を観ることが神を観るとなります。本物のあなたを観た時、あなたは何を観たとなりますか。神を観たとなります。

 また、己を知った時、何を知ったとなりますか。神を知るとなります。でですから、神を知る前に己を知りなさいといいます。神を観る前に己を観なさいというのです。その神は大調和です。

 この大調和のことを大バランスといいます。不調和のことをアン・バランスといいます。

 バランスであれば健康ですが、アン・バランスであれば病気になります。では、誰があなたのバランスを崩すのでしょうか。病気の作り主は誰でしょうか。自分です。そうであるならば、本来は自分で癒やさねばなりません。

自己治癒力を愛といいます

 自己治癒力というのは愛のことをいい、その愛が全ての癒しのエネルギーです。一切を癒やす力ですし、一切を癒やす知恵です。これが愛です。

 あなたが病気になりたくなかったら、不調和を起こさないことです。不調和でありながら健康でありたいというのは虫がよすぎると言いたいのです。

 不調和の人間はうんと病気になって苦しみなさいと言いたいのです。そうではありませんか、不調和から健康が生まれますか。アン・バランスを完全とでも言うのでしょうか。バランスを崩しますと不完全になります。

 完成の高い人とは愛の人をいいます。調和の人をいいます。完成を高めるとは調和になるといいます。世の中には、ずうずうしい方が多いのです。

 不調和でありながら健康でありたいと虫のいい事を考えている人がなんと多いことでしょう。

『不調和は病気の結果』であり、それが原因ですから、病気は不調和の結果としてあるのです。その病気にお医者さんは原因対処をしていますか、それとも結果対処でしょうか。結果対処です。

 お医者さんはそれぞれの病気の原因を知っていますか。全ての病気の原因は不明であり分かっていません。その病気の原因を知ったお医者さんはいません。どんな病気でも皆、原因不明の病気ではありませんか。

 病気の原因とは何かといいますと不調和です。答えは1つしかないのです。

 「病気とは何かといえば不調和である」といえます。
『健康とはなにかといえば調和である』としかいえません。

普遍を認知するとは何か

 もう理解できる日が近いですね。この絶対なるものを皆さんが受け入れなければなりません。普遍こそ絶対実在です。

 皆さん方は自分が普遍であって、何ものでもないのだとはっきりと直知し、認知した時に普遍的な知恵と力が現れます。すなわち叡智・仏知が現れるのです。これは精霊が下ったという意味です。即ち神の臨在観です。

 神我が内にましますという意味は、神の臨在観です。自分自身の内に神を受け入れるということは、自分自身の内に神がおらねばなりません。この肉体をお作りになったものも神であり、この肉の内に生きているも神です。
 
 素直に受け入れ、この肉体の作り主である神にお返しする、全託するのですが、そうしますと、全部を神に委ねましたので、そこには不安や恐怖はもうありません。

 あなた方になぜ、不安や恐怖があるのかといいますと、自分というものがあるからです。自分がない人間に不安と恐怖の自分はありません。そこには平安があるのみです。

 イエス様は「神が平安であるが如く、そなた達も平安であれ」と言われました。神は不安ですか。平安ですか。平安です。安らぎです。ですから、皆さんの神我は安らぎです。自分があるかぎり不安です。

「私のもとに来るものは安泰である」の意味

 私達がまだまだ自分に不安や恐怖があるのならば、肉を自分だと思い込んでいるのだと、自分に言い聞かせたらよかろうと思います。

 イエス様は「私のもとに来るものは安泰である」と言われました。安全であると言われたわけです。そこには何の不安も恐怖もありません。極楽です。楽な局面です。肉の自分を意識する、このところは難儀な側面です。

 ですから、難儀する必要はありません。楽そのものです。ここに入ったら気楽そのものです。そうなりますと、毎日が本当に楽しい、嬉しいという平安、平気にならなければなりません。今なら平気という意味が分かりますね。平気は極楽です。

 ですから、あなたは平気で生きることです。あなたは人の目を、人の口を気にするから平気でおれないのです。気にするから苦しむのです。
気にしなかったら苦しみはありません。平気です。

心の勇者とは何か

 平気でおれるのは極楽です。平安です。平気でおれるようにしないといけません。これが気楽でもあるし、極楽でもあるのです。ですから、我々は極楽に住むのも地獄に住むのも自分次第です。誰でもありません。

 ですから、あなたを今まで苦しめていた自分に打ち勝つ事が大切であると思います。そのためには自分がないことを知っていなければなりません。

分かりますか。自分はありません。大霊こそが、神こそが絶対実在であって、神が全てを作って、全てに神が宿っているわけですから、神の他には絶対に何もないわけです。

 それがはっきり理解できて、それを受け入れることが出来たならば、皆さん方はもう平安です。

 そうした時に皆さんはもう真の勇者であり、真の克服者になるわけです。その克服とは自分に打ち勝つことです。

 あなたは幸せや健康であるためには、あなた自身に打ち勝たなければなりません。自分に負けている限り、私達は、この世の苦しみから開放されることはありません。

負け犬とは何か

 皆さんは、よく負け犬だといいますが、自分が負け犬のようなものです。他人のことではありません。

 何に負けていたかというと、自分に負けていたのです。自我に負けていたのです。真の自己が偽物の自分に負けたのです。

 真の自己とは普遍的な大霊です。外側の自分は偽物の我ではありませんか。神我が偽我に打ち勝つことを勝利といいます。

 今まではあなた方は偽我の味方になっていました。本物の方には力を貸さないでいたのではありませんか。

 ですから、今からはそうではなく、本物の自分を認める事によって、外なるものが内なるものを認める事によって、「外なるものが内なるものとなる」となります。

 小さなものが大きなものを認めた時、小さなものは大きなものとなります。個人的なものが普遍的なものを認めた時、個人は普遍となるという意味です。個人は実在していません。

 みなさんも、外側で見ると個人ですが、内側には個人はありません。
 生命には個人生命や、個人的霊や、個人的神はありません。

 そこは全体者があるだけです。全我なる普遍なる、宇宙我なる我があるだけです。

 ですから、偽我に打ち勝つためには、本物を持ってこなければなりません。あなた方は偽物で偽物を負かそうとしていますから、絶対に負かすことは出来ません。

 即ち、自我で自我をなくそうとしてもなくなりません。
 自我をなくすことは、神我を持ってこれば良いのです。
 神我が現れたら、自我はなくなります。

宇宙に愛は1つしかありません

 人間は実在していないから、全く存在していない事を知らねばなりません。実在しているのは愛であって、これを大愛、または愛とも言いますし、神ともいっているものです。

 それを神は愛なりといいます。なぜ神は愛なのかといいますと、エネルギーと質量のバランスを大調和といいまして、このエネルギーと質量の調和でもって人間が創り出されているからです。

 あなたは人間ではありません。人間とは何かといいますと、愛の仮の姿です。即ちエネルギーと質量の仮の姿です。

 ですから、形という世界は仮相の世界といいます。影の世界です。エネルギーと質量が様々な形を写し出しています。エネルギーと質量のバランスがなくて物が存在すると思いますか。存在しません。

 大愛が人を創り、大愛が人の中に必ず宿っているといえます。人の中に愛は宿っていますか、宿っていませんか。あなたは人間ですか、愛ですか。愛です。

 ではどこに人間がいますか、あなたはその愛の仮の姿を見て、それに人間という名前を付けているだけです。あなたの本性は愛です。この世に愛を宿さないものは一物もありません。

 そして、この愛は宇宙にいくつあるといいますと、1つしかありません。これは無限大の愛であり、限りなき愛です。この愛には初めがないし、終わりもありません。空間がありません。時間がありません。永遠です。

 あなたの形は崩れても、愛は崩れません。愛は永遠になくなる事はありません。これが『不老不死の原理』です。あるいは健康になる秘訣です。

 しかし、皆さん方はまだまだ、自分の姿・形が何であるかや、自分の本性を見ていません。この大愛を皆さん方は神性といいます。

 そして、エネルギーと質量のバランスの事を意味します。そこで、神のことを中性というわけです。中性と神性は同じでありますし、愛というのも同じです。

 では、あなたは人間でしょうか、大愛でしょうか、愛はいくつありますか。愛には所得がありません。私の愛とか、誰彼の愛という愛は存在していません。

 何が本物で、何が偽物でしょうか

 本物と偽物の識別をしてみたいと思います。私達は偽物に目隠しされて、なかなか本物を見分ける事が出来ません。それゆえに偽物の生涯で終わってしまいます。実際にあるものと実際にないものとの識別が出来ないからです。

 実際にないものをあるものだと見て生涯を終わります。これを盲目の人生といいますが、識別が出来ないままで世を去る人が多いのです。

 ですから、まずは自分とは何であるか、本物の自分とは何であろうかを識別してみたいと思います。

 私達は今、誰でも自分の事を人間だと見ていますし、人間だと思っています。
 人間は実在しませんよといっても、「今、現にあるではないか」と、普通の人はいいますが、人間がいると思っている人は全くの盲目です、無知でもあります。人間は全く存在していません。


人間は霊と水でしかありません

 まず、人間とは何であるかを考えるべきです。人間の実態は霊と水でしかありません。霊と水なくして、人間は存在しません。

 では、実在しているのは人なのか、それとも霊と水なのかとなりますが、人間は実際にあるのでしょうか。人間と、そして霊と水とは違うものでしょうか。

 これを大愛といいます。愛しかありません。湖の霊と水との調和を大調和といい、大愛ともいっています。人間とは人間の形をとった愛です。

 愛は実在していますが、人は実在していません。人間から霊と水を差し引いたら何も残りません。すべては愛です。

 ですから、愛の他に何も見てはいけません。あなたが人間がいるといえば、もう既に嘘をついたことになります

 大愛が人を創り、大愛が人の中に宿っているなら、これは人でしょうか。大愛でしょうか。人間の実態は愛となります。

 皆さんは、まだまだ妄信的ですから、自分とか、私とか、人間とか、肉体とかというようにものを見ます。

 自分を人間だと見ている人のことを、盲目というのです。自分は愛だと見ている人は目明きといいます。すなわち神眼が開かれているわけです。

 神は愛なり、我も愛なりです。愛が形をとったら、愛以外のものになるのでしょうか。見えるもの、見えざるものすべてが愛であり、この世に現れているものすべてが愛です。

 ですから、すべてに愛を見よとなり、そしてすべてに愛を感じなさいといえます。

 皆さん方はどうして自分を人間と見るのでしょうか。形としてものを見るからです。本質を見れば愛ですが、形を見ると人となります。これを外観といいます。

 本質を見ることを内観といいます。本質を見るべきでしょうか。形を見るべきでしょうか。本質を見るべきです。肉体はもうどこにもいません。人間は全く存在していません。

『私は愛以外に何も知りません』
と答えなければなりません

 形をとっているものも愛で、形をとってないものも愛です。ですから、色と空は同じものといえます。この愛は見えるものではありません。

 この見えるものと見えないものとは違うものでしょうか。同じものでしょうか。色も空もすべてが愛です。これを愛一元といいますし、神一元ともいいます。愛の他には絶対に何もありません。

 あなたから愛を抜いたら、何も残りません。人間もいません。あなたが愛以外に何かを知っているなら、あなたは迷っていますし、あなたが愛以外に何かが見えるのならば、あなたは盲目です。

 愛以外に何も見てはならないし、愛以外に何も知ってもならないのです。
 愛も不調和もありますよ、というのは嘘です。私は愛以外に何も知りませんという人にならなければなりません。

 ですから、愛を知るのが悟りとなります。不調和とは迷いとなります。ですから、悟っているか、迷っているかは簡単に分かります。

 悟っているなら、必ず愛になります。
その愛は限りなき愛ですし、久遠常在の愛となります。これは永遠なる愛です。

 また、人間は形という世界に目が眩んでしまって、
自分の実態や本質が愛であることを忘れていただけです。

 自分が大愛であることを見ない人は自分を見失った人といいます。
愛の自分と人間の自分とどちらでしょうか。愛の自分です。

 ですから、人間のことを偽我としかいわないのです。偽我というのは偽物の我です。
大愛」は「真我」ですから、真の自己となります。
愛は真我ですが、愛に生きるべきでしょうか。人間として生きるべきでしょうか。

 正しく生きるには、愛としていきなければなりません。正しく思うとは自分は人だと思うべきでしょうか。愛だと思うべきでしょうか。愛に生きるべきです。

 しかし、皆さん方はどうしても、形というものに執念や執着を燃やしています。ですから、形という世界を、非実在界としかいいません。

 「」は「実在界」といいます。
この「実在界」は「愛の王国」です。
これを天といいます。
大愛」と「大天」とは「同じもの」です。

 ですから、『天は汝の内にあり』です。
大愛は大神様ですから、『神は汝の内にあり』となります。

これを「内在の神」とか、「」とかと言っているわけです。

 皆さん方はいつになったら、この偽物から開放されるのでしょうか。あなたが人間だと自分を見ている限りは、絶対に神を見ることは不可能です。ですから、己を観たときに神を観ます

 この大愛と大神様とは同じものです。大調和でもいいのです。ですから、神眼を開くというのは本物と偽物の識別をしなければなりません。

 大愛を見ている人は神眼が開けた人です。私は人間ですと見ている人を盲目の者というのです。
 自分を生涯、人間だと生きる人は、盲目の人生です。

 ですから、いかに皆さん方は正しく思っていないかといえます。大愛が実在なのに、人間だと思っている人がいかに多いかということです。

見えるもの、見えざるもの、すべてが愛です

 お釈迦様の八正道というのは悟りの物差しです。正しく見ることが出来なければ、正しく思うことも、語ることも、生きることも、生活することも出来ません。

 八正道とは愛の王国と言いまして、それは天国のことです。愛の王国と天国とは同じものですから、『天は汝の内にあり』となります。

『神は汝の内にあり』となります。この世で朝の露一滴でも、神の愛を表しています。

 見えるもの、見えざるもの、すべてが愛です。愛の他には絶対に何もありません。愛のみが実在です。

 大愛がすべての形体を創り、大愛がすべての形体に宿っていますので、そうなりますと見えるもの、見えざるものすべてが愛です。

 これが色即是空・空即是色といいます。色即大愛です。大愛即色になっています。

 これを全き愛といいます。全き愛と、全き神とは同じものです。
全き愛とはすべては愛だという意味です。

 愛なくして物が存在することはありません。愛そのものが創造の原理ですし、物を表す原理です。まだまだ、皆さん方は正しく物を見てはいません。人間がおるというのは本当でしょうか。

 人間とは何かと問われた時に、何と答えるべきでしょうか。大愛だと答えなければなりません。
ですから、己を観た時に、神を観るのです。己を知った時神を知るのです。

 無知とは自分を知らないという意味です。自分を見失っているという意味です。あなた方の一番の最大の敵は肉体という形です。

 偽物が本物を目隠しするわけです。その形に人間という名前をつけて、それで目隠ししているわけです。

 自分は人間ではないと、自分は愛であるといえる人はもう神眼が開かれています。自分に私はあなたが見えますといえるならば、愛のキリスト、慈悲の仏陀となるわけです。愛そのものとなります。

人間は初めから愛そのものです

 人間は努力して愛になるのでしょうか。生まれながらにして大愛でしょうか。元々、私達は大愛ですし、今も大愛です。未来永劫に大愛です。

 愛の他には絶対に何もありません。ですから、愛に勝る力はありません。愛は。全存在の本源にして本質です。愛がなかったとしますと、皆さん方は存在できません。これを神性とも言いますし、仏性ともいうわけです。

 では、神性や仏性は愛とは違うものでしょうか、同じものです。それを中性といいすなわち愛です。これを全き愛といいまして大愛というのです。

 大愛の他には何もないのに、あなた方は形という世界に完全に目隠しされて、実在しないもので、実在を見失わされているのだと言えます。この形あるものを実在だと見てはなりませんし、人間を実在だと見てはならないのです。

 自分の事を神だと觀るか、人として見るか。神だと観ている人のことを神眼の開かれた人といいます。人間だと見ている人のことを盲目といいます。
あるいは無知というのです。

 無知な人は自分を神だとは觀ませんし、思いませんし、語りません。偽物に生きて、本物には死んでいます。ですから、人間のことを偽我というのです。

 愛には時間もないし、空間もないし、距離もないし、無限しかありません。全き愛の世界には時空間が存在しません。愛の存在しないところはありません。

 形あるものだけが愛ではなく色も空も皆愛です。では、色と空は違うものでしょうか、同じものでしょうか。同じものです。

 愛は空ですし、そして色も愛となります。ですから、愛即人、人即愛となるわけです。それは大愛ですし、宇宙には小さなものは存在しません。

 無限一元であるといえます。無限の他には何もありません。あなたは個人的でしょうか。無限でしょうか。無限大の愛が人を創り、無限大の愛が人の中に宿っているわけです。では、この宇宙に小さな愛があるのでしょうか。

 皆さん方の考えている、肉我で考えている愛を盲愛といいます。真の愛は無所得です。無差別です。無所得の愛であり。無差別の愛です。

 ですから、善人にも、悪人にも平等に神の愛は注がれています。
 愛の世界に善悪があるのでしょうか。ありません。

 すべてが愛ですし、愛そのものです。その迷妄から皆さん、解き放たれなければなりません。人間だという先入観や、人間という固定概念を捨てなければなりません。

 愛は馴染みのないものだと思っていますが、もう、あなた方は人間に馴染んでしまっています。

 人間だと見ることに慣れてしまって、自分を愛だと見ることに慣れていません。偽物を見て、本物を見失っているのです。即ち自分を見失っています。

内は実相世界で外は仮想世界です

 外は仮想世界といい、中は実相世界ですから、実相の自分は肉ではなくて、生命であるとなります。肉の己は仮想だといえます。

 肉体とは生命の仮の姿ではありませんか。生命がなくば肉体は存在できましょうか。存在できません。今、あなたに生命がなかったとするならば、あなたの肉体は存在しません。ですから、原因と結果は1つであり、一体です。

 表裏一体といいます。表ばなければ、裏がありません。その裏と表の区切りや、障壁はどこにもありません。

 あなたの生命と肉体との壁があると思いますか、無いと思いますか。ありません。どこにも現界はありません。

 国境なるものや、いかなる壁も障壁も存在しないといえます。それであるのに皆さん方は肉体と生命とが大分離れているのです。

 外側から見ますと時間も空間も距離もありますが、今、ここで思ったことは即ここで思っていることになります。外側から見れば、空間があり、時間を感じさせますが、内側から見ますと、一つになっています。

 あなたの思いが今、この清里で東京の方の誰かを思うと即、通じているわけです。これをテレパシーといいます。以心伝心ともいいます。

 皆さん方に通じさせるのには、これを想念の速さといいますか、時間も距離も何もかかりません。普通の電話では話になりません。

 それを以心伝心といいますが、テレパシーが使えないがために、五感の感覚というもので、人間は不自由な電話とかを使っているわけです。本来ならば生命の世界には電話は必要ではありません。

 神我の世界や、生命の世界では電話を必要としません。迷った人間のみに不自由な電話が必要です。あなたと私とが話すのに、時間や空間を必要としますか。

 あなた方が外念という外側でものを見たり、考えたりするから、制約を被っているわけです。制約をしているのは自分ではありませんか。
 
 ですから、あなた方が本当にテレパシーという以心伝心である生命はいかなるものの次元も空間も存在しないことが分かれば、大変なテレパシー能力を持つのです。

私、知花はキリストを体験することが出来ました

 この知花は、このキリストを体験することが出来ました。こうして、自分の神我との一体が出来まして、そこから以心伝心を受けるわけです。

 ですから、私、この知花からすれば、この世で学ぶべきものは何一つ存在しません。皆さん方は外から学ぶべきものがありますか。内側から学ぶべきものがあると思いますか。

不調和を罪と言いますし神への反逆です

 皆さん方は、まだまだ無法であるといえます。なぜかといえば、愛の法則を犯しますから、トラブルを起こしたり不調和を起こすことは神への反逆というわけです。無法者です。

 不調和の人間のことを何びとと言いますか、罪びとというのです。愛の人を罪のない人といいます。罪を自分で犯していながら、罪を許し給えといいますが、その罪は誰が許せるのでしょうか、あなた以外にないと思います。

 犯した罪は報われなければなりません。犯した罪は必ず報わなければなりません。自分で蒔いた種を自分で刈り取っているだけです。そのあなたが不調和になった時には、愛の法則を犯した者といえるのです。

 宇宙には愛の法則という絶対の法則があります。これを宇宙法則といいます。ですから、我は法則なりというのは、我は愛なりというのと同じです。

 ですから、不調和とは愛という神への反逆であるといえます。反逆行為であるといえます。裏切り行為であるといえます。ですから、不調和の人間を裏切り者というのです。自分の本性を裏切ったわけです。


人間から愛を引いたら何も残りません

 この大愛を知らなかったとしますと、自分自身を知らない、すなわち自分を見失っているといえます。自分は人間だと見ている限りは愛を知りません。 皆さんは愛の現れに過ぎないのです。

 すべては愛の現れであり、愛の表現です。皆さん方はこの世に不調和を表現しに来たのでしょうか。愛の表現をしにきたのでしょうか。

 砂浜の砂一粒とて大愛を現しています。この大愛には大きい小さいがありません。形の制約を受けません。

 愛に内・外がありますか、ありません。内も愛で、外も愛です。ですから、愛には内・外がないのです。その愛はいかなるものの制限も制約もうけるものでしょうか、受けないものでしょうか。

 無制限ですし、自在ですし、無碍ですし、久遠ですし、常在です。これを久遠世界といいます。

 皆さん方は様々なものがあると見ている限りは盲目です。幻影です。この形という世界は影だといえます。愛が様々な形を映し出しているだけです。

 すなわち人間は実在しません。人間といえば幻です。愛を差し引いたら何が残りますか。何も残りません。あなたから霊と水を差し引いたら、何も残らないわけですから、人間が実在であるはずがありません。

実在しない幻を、皆さん方は絶対なるものとして盲信・狂信していませんか。

 自分は人間ですとか、肉体ですとか、個人ですとかいいますが、人間が存在した試しはありません。まだまだ盲信と狂信に明け暮れているといえます。

 あなた方は、今、白昼に長い夢を見ています。悪い夢を見てるのです。毎日、夢を見てます。あなたの考えていることは非真実です。

 病気になったり、苦しんでいるのはみな非真実です。夢の中の出来事です。何故かと言いますと眠っているからです。

不調和を罪と言いますし神への反逆です

 皆さん方は、まだまだ無法であるといえます。なぜかといえば、愛の法則を犯しますから、トラブルを起こしたり不調和を起こすことは神への反逆というわけです。無法者です。

 不調和の人間のことを何びとと言いますか、罪びとというのです。愛の人を罪のない人といいます。罪を自分で犯していながら、罪を許し給えといいますが、その罪は誰が許せるのでしょうか、あなた以外にないと思います。

 犯した罪は報われなければなりません。犯した罪は必ず報わなければなりません。自分で蒔いた種を自分で刈り取っているだけです。そのあなたが不調和になった時には、愛の法則を犯した者といえるのです。

 宇宙には愛の法則という絶対の法則があります。これを宇宙法則といいます。ですから、我は法則なりというのは、我は愛なりというのと同じです。

 ですから、不調和とは愛という神への反逆であるといえます。反逆行為であるといえます。裏切り行為であるといえます。ですから、不調和の人間を裏切り者というのです。自分の本性を裏切ったわけです。

人間から愛を引いたら何も残りません

 この大愛を知らなかったとしますと、自分自身を知らない、すなわち自分を見失っているといえます。自分は人間だと見ている限りは愛を知りません。 皆さんは愛の現れに過ぎないのです。

 すべては愛の現れであり、愛の表現です。皆さん方はこの世に不調和を表現しに来たのでしょうか。愛の表現をしにきたのでしょうか。

 砂浜の砂一粒とて大愛を現しています。この大愛には大きい小さいがありません。形の制約を受けません。

 愛に内・外がありますか、ありません。内も愛で、外も愛です。ですから、愛には内・外がないのです。その愛はいかなるものの制限も制約もうけるものでしょうか、受けないものでしょうか。

 無制限ですし、自在ですし、無碍ですし、久遠ですし、常在です。これを久遠世界といいます。

 皆さん方は様々なものがあると見ている限りは盲目です。幻影です。この形という世界は影だといえます。愛が様々な形を映し出しているだけです。

 すなわち人間は実在しません。人間といえば幻です。愛を差し引いたら何が残りますか。何も残りません。あなたから霊と水を差し引いたら、何も残らないわけですから、人間が実在であるはずがありません。

 実在しない幻を、皆さん方は絶対なるものとして盲信・狂信していませんか。

 自分は人間ですとか、肉体ですとか、個人ですとかいいますが、人間が存在した試しはありません。まだまだ盲信と狂信に明け暮れているといえます。

 この小我の偽物の自分が自分だと思っている者、みな眠れる魂といえるわけです。神我に目覚めた時に、神我の世界に皆さん方は悩みや苦しみがあると思いますか。ありません。

 不安も恐怖も存在しません。あなた方は長い眠りから目覚めなくてはなりません。これを眠れる魂とか、眠れる獅子とかいいます。

無限世界から觀ますとすべてが丸見えです

 私、知花は無限の我から、実在の我から、非実在の仮相の世界をいつも眺めているわけです。

 あの人はどうしているのだろうかと、この人はどうしているのだろうかと、無限から觀るのですから、上の世界から下を見下ろしているわけですから、実相世界から仮相を見下ろすわけですから、丸見えです。

 それは面白いものです。面白いと言いますと御幣があるかもしれませんが、例えば、その神我という無限の世界から、形という世界をも下ろすことが出来ますから、すべてが丸見えです。誰が何をしているか、見えると思いますか、見えないとおもますか。

 なぜ、皆さんには見えないのでしょうか。私の悪口を言っているのも、何もかもが丸見えです。隠れて話していても、私には隠れるものは1つもありません。

 神我に隠し通せるものが1つでもありましょうか。ありません。このやすらぎの郷で、こんな話を聞きながらでも、私の悪口をいう人はいっぱいいますが、「あの知花先生は何とかかんとかといって」という人たちは私は分かっていないと思いますか。残念ながら分かります。

 どこに隠れていてもどこにいても分かります。なぜならばあなたと私は本質に繋がっているからです。本質的には1つですから、家族ぐるみで知花の悪口を言ったって、全部が筒抜けです。

 仮相の世界にいる限りは分かりませんが、この本質という全一体の世界にいるならば、全一体ではありませんか。あなたは私であり、私はあなたですから。全一体の世界ですからわからないはずがありません。

 そんなところを皆さん方も知るためにはどうすればいいかといいますと、この実相に生きることです。実相においてはすべては1つですから、全ては一つになります。


私達の存在価値は愛です
この世を克服するための価値であり目的です

「我はこの世の無知と闇とを克服したものである」と、イエス様が言われました。
なぜ克服出来たのでしょうか。愛の他はないと思います。
愛でもって克服出来ないものが世の中に存在するのでしょうか。

 この世の悪はあなたの愛でもって克服されんがためにあります。あなたがこの世の悪をあなたの愛でもって克服した時に、あなたは克服者キリストになりませんか。我はこの世の悪に打ち勝った者だといえませんか。
 
その時皆さん方は完成です。では、今の自分が完成に近いか、それとも完成が遠いかを誰が一番知っていますか。自分が一番知っています。不調和か調和かの意味も分かります。
 
不調和の人や、妬みっぽい人や、怒りっぽい人や、そしりっぽい人や、嫉妬深い人間は完成に近いのでしょうか。未完成ですか。未完成ではありませんか。熟成が低いわけですし完成が低いのです。

毎日の生活の中で人を赦すことや
責めないことが不調和の克服となります。

 皆さん方が今、学ぶことによって、どんどん完成が高まったのではありませんか。今までの性格がころっと変わった人が大勢いるのではないですか。
 今までは人を赦さなかったのが、今では赦せるようになった人が大勢いるのではありませんか。

 私、知花の目の前でそんな話を聞く時がありますが、どうしてなんで赦し合いが出来ないのだろうと、悲しくなりますし、嫌になります。

 なぜ闇を増幅するのだろう、なぜお互いに赦しあって仲良く出来ないのだろう。それが愛であるためには赦しが先決です。その赦しを先行せねばなりません。

 人を裁くことによって良くなると思ったら、それは大間違いです。人を裁いて良くなった例はありません。人から欠点をいわれて良い気持ちになる人はいません。

 では、その欠点をつつかないことが重要ではありませんか。人の欠点を探りだして、あの人はここが悪いとか、あそこが悪いとかいえば本人は喜びますか、怒りますか、怒り狂います。

愛であるためには赦しを先行する以外は何もありません。

 赦せる人になることです。愛であるためには赦しが先決です。「私は悪人になってもいいから、人をせめて良くするのだ」という人がおりますが、良くなりますか。

 人を責め立てて良くなりますか。良くなりません。その人を批判し、批判したら、その人は良くなりますか、悪くなりますか、悪くなる一方です。

 周囲を良くするためには、あなた自身が良くなればいいのです。あなたが良くなればあなたは世の光となります。世を照らす光になります。
 あなたの日常生活が赦しと愛であるならば世の光となります。光そのものです。これを今日から実行してみたらどうでしょうか。
  
愛に勝る薬はこの世にはありません

 完成を高めるとは愛を高めることだといえます。今日の一日をだれとも争わず、憎むこともなく、怒ることもなく、嫉妬をすることなく、一日一日を愛にて生きることが感性を高めることです。それを愛の一日といいます。

 それが病気治療の秘訣ですし、健康の秘訣です。これに勝るお薬がありましょうか。
 皆さん方に無銭でもらえるお薬を頂こうとしないで、お金のかかるお薬で健康を保持していこうとする人が如何に多いかといえます。

 私、知花がなぜ病気にならないか。その理由はどこにあるのでしょう。風邪も引かない。病気にもならない理由はどこにあるのですか。愛であるからです。

 私は小さい時から人を憎むことが嫌いでした。「あなたに感情がありますか」といわれたこともあります。
 それは一回だけではありません。人から罵られても、けなされても、けろっとしていることが出来る私でした。

 小さい時から性格的には「言いたいから言うのでしょう」としかいいませんでした。言いたいから言うのだと。それを赦せる自分だから病気にならなかったと思います。
 これは悪い性格ですか、良い性格ですか、人を赦せるとは悪い性格ですか、良い性格です。
 
徳を積むとは愛を積み重ねた者をいいます

自分の悪口を言われて、すぐに怒り狂う人は性格的には良いのでしょうか。悪いのでしょうか。悪いのです。怒り狂ったら誰が損するのでしょうか。自分です。
 怒り狂って得する人はいますか。世の中に人の悪口をいって得する人がいるのでしょうか。

 あなたは人の悪口をいっている時には、損をしているのです。得してるのではありません。損するものは捨てなければなりません。

 徳を積むとは愛を積むことです。徳を積むとは愛を積み重ねることです。
愛を積み重ねた人を徳を積んだ人といいます。徳の深い人とは愛の深い人をいいます。

 あなたが愛であれば、人の欠点までも消すことが出来ます。周囲の闇があなたの光で、打ち消されてしまうわけです。

 世の中を明るくするためには、世の中が愛でなければなりません。世の中が健康であるためには世の中が愛でなくてはならないといえます。

 50年前と私今とでは、病気の数知れず多く出ています。50年前と今とでは想像を絶するほどに病人が多く流行っています。今は25兆円が医療費に払われています。

 膨大なる金額です。毎年、毎年、恐ろしいお金ではありませんか。25兆円という金額は、国の予算は一年に70兆円であるのに、その金額の約三割が治療費に当てられています。

 そのお金は何の結果でしょうか、愛の結果でしょうか、それとも不調和の結果でしょうか。世の中の医療費が多くなればなるほど不調和になっているとみても、嘘ではありません。今、現にそうではありません。

人を赦す心が愛の心です

人を赦す心、愛する心、これこそ皆さん方の完成を高める秘訣ではありませんか。自分は完成の高い者か低い者かと誰が知っていますか。

そして、完成を低めるも高めるも誰次第ですか。自分です。健康になるも、病気になるも、誰次第ですか、自分次第です。

ですから、自己治癒力とは愛のエネルギーでもって、神性エネルギーでもって、我々は、「この世の無知と闇と悪を克服していくために努めねばなりません」。
 
 この清里の「安らぎの郷」が不調和の溜まり場だったら、この場所は闇の溜まり場になります。不調和の人が集まったら、ここは光になりますか。闇になりますか。

そして慈悲深い人が集まったらどうなりますか。光となります。

これが正に磁場清めではありませんか。あなたが愛そのもの、光そのものになったら、あなたの行く所は全部が磁場を清めています。

愛の無い人が磁場清めが出来ますか。出来ませんか。真っ黒いものが真っ黒いものを消すことは出来ますか。闇を被ったら磁場清めが出来ますか。

神官だといって何か白い服を着て、そんなもので家が清まりますか。土地が清まりますか。清まりません。その者が不調和であれば何の意味もありません。

愛は自力本願です

神は愛ですから、愛の人ではなりません。すべての原点は愛ですから、天に帰るとは不調和の皆さん方が愛の皆さん方に帰ることです。神我は不調和ですか、愛ですか、大愛です。

 それには愛そのものになるわけです。真理の実践とは愛の実践です。不調和は神性でしょうか、非神理でしょうか。不調和は非神理です。愛の原理とか、愛の法則しかありませんから、あなたが不調和の時は愛の法則を犯しています。

 では、不調和とは罪ですか、それとも罪ではないのでしょうか。罪人とは不調和の人を罪人というわけです。愛の人を罪人というのでしょうか、どちらですか。

 あなたが不調和を起こしている時は愛の法則を犯していませんか。能動と受動の法則を犯していませんか。犯しています。罪人・罪人といいますが不調和の人を罪人といいます。

ですから、「病とは罪の結果である」といえるわけです。
罪を多く犯せば犯すほど病に掛かります。苦しみます。
愛になればなるほど、健康になり、幸せになります。愛ある人は健康で幸せです。

あなた以外にあなたを救える者はいません。
他力本願ではありません。自力本願です。
完成を高めるのは愛を高める以外にはないと思います。

 時々、私の目の前で争いごとを見る場合があります。争っている人は大人ですか。子供ですか。まだまだ未熟だなと、争っているのを見れば子供の争いを見るような目で見ることが出来るのではないでしょうか。大人になっても争うのでしょうか。

 子供は喧嘩します。それは未熟な者であるからです。大人が争っているのを見ますと、まだ未熟であるかと残念です。そのような場面が私の目の前でも見受けられます。

それをやっている人は、また、それなりに気付いて頂かなければなりません。皆さん方は本当に自分から後光や、光や、力が出るためには不調和ではなく、調和の人になるように気付かねばなりません。


問 それでは、オーム讃唱はかなり、パワーが出るのでしょうか。それとも言魂というのでしょうか。

知花 それはもう創造の波動ですから、ものすごい波動です。

問 それも信じずに讃唱するのと、信じて讃唱するのとでは差がでますか。

知花 ハッキリ差が出ます。

問 実際に病気が治るのですか。

知花 治ります。しかし、治るといっても、受ける入れる側と発する側とタイミングが合った時の話です。こっちは治したいと発しても、相手がこんなもので治るかという反発作用を起こせば、打ち消しになります。

 そのパワーを受け入れたことにはなりません。それは放り出したことになりますから、効き目はありません。

問 病気の治療だけではなく、潜在能力開発という意味でも活用出来るのでしょうか。

知花 出来ます。

問 オームというのは宇宙語なのでしょうか。

知花 そうです.宇宙の響きです。


問 なぜそのように、病気癒やしや潜在能力の開発に応用できるのかメカニズムについて、もう少し詳しくお伺いしたいのですが。

知花 それは宇宙の響きですから、正しい波動になりますから、悪い波長が消えますと、その状態は良い影響を受けやすくなるからです。

 ちょうど、あなたが良い人間の中におると、あなたが良い人間になりやすいのと同じことです。悪い人間の中にいて、良い人間になろうとすると相当に努力をしなければなれないのと同じことです。


問 生物で何百度とか、何千度の温度でも生きていられる生物があるというような、あの記述にはとても驚いたのですが、人間の概念を想像するものが存在しているということですか。

知花 そうです。ただ、人間の想像を絶することが宇宙であり、当たり前の様に存在していますが、人間が理解できないから否定しているだけに過ぎません。

問 生物についての記述も大変興味深く読ませて頂きました。それで、人間が植物をとることは微生物に餌をやっているようなものだということですが、今までそんな話聞いたことが無かったものですから、すごく新鮮に思いました。

知花 微生物とは、本当は小さな生命たちといっているものです。

問 妖精というふうにでしょうか。

知花 そうです。

問 それを昔の人は微生物を擬人化して捉えていたのでしょうか。

知花 そのように捉えていたと思います。ですから、それほどの全てとの一体感で親密感を持っていたといえるのです。

問 色々な国の神話を見てみますと、ある程度は共通した部分があるのですが、超古代の人達は直感的にやはり、エネルギーとか、自分のパワーとかをある程度は認識していたのでしょうか。

知花 今の人間以上に認識していた時代がありました。なぜかといいますと、昔の人間は神を抜きにして生活した人間はいなかったからです。
 今は神を否定して生きている人間が大半ですから、神なんておるものかということをいいます。それだけの違いです。

問 それと古代の人達は神と同時に魔物というのでしょうか。
そのことについても認識していたと、実際に捉えていたというように、最近ある本で読みましたが、魔の世界はほんとうにあるのでしょうか。

知花 魔の世界は人間の心の状態であって、魔の世界がどこかに存在するものではありません。

問 人間の意識がそうさせているのでしょうか。

知花 意識の状態でも魔になるし、神にもなります。ですから、人間は悪魔にもなり、神にもなるといえます。意識の状態だけです。自分が悪魔になるのも神になるのも可能です。

問 西洋の魔術の儀式を見ますと、かなりグロテスクな現場があるのですが、そういう儀式をすることによって自分の魔力が出来ますか。

知花 信念で作りだして、その魔の力を生み出しています。信ずることはその力を悪にも使えますし、善にも使える力です。善悪に左右するだけです。

問 チャクラについてお伺いしたいのですが、よくチャクラを開くと超能力的なことを発揮する事が出来ると聞いた
ことがありますが、それと意識の世界とはなにか関連性があるのでしょうか。

知花 チャクラを開くというのは一つの観念的に書いてるものは沢山ありますが、実際にチャクラを開いている人はそう沢山いるものではありません。

 あれは、彼らが勝手にそういう観念を生み出しているだけです。
ですから、それらの本に書いてあるものがそのまま真実だと受け取っては非常に困ります。

チャクラというのは外部からの刺激で開くものではありません。
宇宙意識そのものになって初めて、大霊と一体になって始めて、自ら開くものであって、

 意識が低いのに、人間意識とか、肉意識とか、個人意識なのに、チャクラが開くということは絶対に無いといえます。
 光のない所からどうして光が出ましょうかと言いたいのです。

 それを観念的に「ああであるとか、こうである」と書いてある。偽物の本が世の中にいかに出回っているかといえます。

 それはドグマ的ですし、そんな真実は全くありません。また、そんな理屈にかなわないことも、あり得ないことです。
 確かに現れているよな現象は起こせますが、彼らが勝手に作るわけです。

 それは一つの自念症ですから、それを弄んでいる人は最終的には殆ど精神異常になります。意識は正さないで、現象だけ望んだり、いたずら心でやったら、非常に危険なことです。チャクラを弄ぶことは絶対にしないようにすることです。

生命は永遠に生きている

私達が生きているのは、殆どの人はこの肉体が生きていると思っていますが、肉体が生きているのではありません。
 今私の手元にある木の葉は、木の葉が生きているのですか、生命が生きているのですか。生命です。
 このことと同じように、私達の肉体の人間が生きているのではありません。

 この木の葉がなぜ生きているかといえば、生命によって生きています。私達の肉体も、何によって生きているかといえば、生命によって生きているのです。

 ですから肉の死を「死」と言いますけれども、肉体はなくなりましても、生命は永遠ですからなくなる事はないのです。

 その意味は、例えばここに氷がありますが、氷という姿形がなくなりますと、水蒸気がなくなるかというと、そうではありません。
 この氷は何かといいますと、水蒸気の結果です。
 氷という姿形がなくなりましても、水蒸気は無くなりません。

 同様に私達の肉体も、肉体という姿形はなくなりましても、肉体を現している不可視の生命はなくなることはありません。ですから、見えるものは全て見えないものの結果にしか過ぎません。

 この氷も水も水蒸気の結果です。ですから私達の肉体も幽体も、霊の結果でして、この物質世界も幽界も何の結果かといいますと、霊の結果です。

 物質世界も幽界も実在界ではありません。実在界ではなく、何かといいますと、結果次元です。原因次元ではありません。 
 
 ですから、水蒸気が原因として水と氷が存在しています。水と氷が無くなりましても、水蒸気は絶対に無くなることはありません。 

霊体へ永遠である

水蒸気と同じように、あなた方の肉体、幽体はなくなることがあっても、霊体はなくなることはありません。
 我々の実体は霊ですけれども、自分を肉体だと思ったり幽体だと思ったりするのです。

幽界にいる殆どの者は、幽体を自我として持っています。あなた方が肉体を己として生きているように、彼らもまた幽体というものを持っています。

 あなた方よりも少し精妙になっておりますが、氷よりは水のほうがもう少し精妙です。バイブレーションが上がった状態です。
 
 バイブレーションの下がった氷を、バイブレーションの上がった水から見ますと、そこからは丸見えです。

 しかし、水蒸気の霊体はバイブレーションが違いますから、幽体からは見えません。そして肉体から幽体は見えません。ですから下から上は見えないようになっています。しかし、上から下は丸見えですが、下から上は見ることが出来ません。

 なぜ、見えないのかといいますと、バイブレーションが高いからです。バイブレーションの低い者が高い者を見る事は出来ません。高い者が低い者を見ることは可能です。

しかし、皆さん方の意識がどんどん高揚していきますと、高くなりますと高い次元に来ますので、霊の次元からは幽界も物質界のことも丸見えです。ですから、皆さん方の意識の高揚は非常に大切になってきます。

その意識の高揚は、何によってなずといえば、神理に対しての理解力です。理解をなさねばなりません。
 それはあなたが実体は霊でありながら、氷の実体は水蒸気でありながら、自分がが何であるかわからない人が非常に多いです。
  
 自分が何であるかわからない人が非常に多いのです。皆さん方が肉に生きている限りにおいては、皆さんは死んでいるといえます。


この世の祝福はあの世では不幸と言い、
あの世は祝福はこの世では不幸と言い、全く逆になっている

私達は死ぬと不幸があった、といいます。
生まれてくると祝福だ、といいます。全く真実は逆になっています。

赤ちゃんが生まれてくるとうことは、見えないものから見えるものになった。精妙体だったものが精妙体でないものになったということです。
 
 この世では生まれることを祝福といい、お祝いともいいます。死ぬことは不幸といいますが、天と地を逆に物を見ているのではないかと思います。

 私からすれば、赤ちゃんが生まれてくると、「ここは厳しいから頑張ってね」と言いたいですね。「あなたは厳しいところに出てきたね」「低い所に出てきたね」と言いたいのです。

 我々はこの世の低い次元のお務めを終わりますと、必ず肉体という現象がなくなります。

これを皆さん方は死と呼んでいますけれども、一番厄介なことに、この低い次元にいる時に、この自分の本源が何であるか分かりませんので、
 体外の方は幽界という幽体を自我として持って、その次元に留まるのです。これを不成仏霊と言っています。

 皆さんだって神理を学ばないで、自分の本質が霊がであり、生命であうということを知らない限りこの幽界で留まることになります。とどまらないと思いますか。

 幽界も自我として存在しているのですから、ここの次元も結果次元です。物質次元も幽界次元も原因次元ですか。結果次元ですか。それは結果次元です。

 本当に霊次元に帰らなければなりませんが、自分が出てきた所が霊次元である事が分かりませんので、わからないまま、無知のままでこの世を去ります。

 それで必ずこの幽界に引っかかるのです。この幽体で引っかかるわけです。
 肉体は無くなりましても、幽体という自我がありますから、肉体よりは少しバイブレーションは上がりますけれども、あなた方と幽体を持っている連中と、どちらが自由でどちらが不自由ですか。

あなた方よりも、肉体を持たない幽体を持っている連中は、非常に自由です。肉体という乗り物がありませんし、乗り物に乗る必要がありません。
 時間も空間も超えているわけですからです。

 例えば私の父親は南米で祀られています。この地で私が父親を思い出しますと、父親は思った瞬間にパッと来ます。
 時間も空間も超えてますから。私達は肉体を持っていますので、そんなことは出来ません。まだまだ不自由です。またまだ束縛です。
 
 しかしこの幽体も本当の自由を得ていません。本当の自由といえるのは、霊体のことです。水蒸気の次元です。いかなるものも束縛も受けない次元のことです。

ピラミッドパワーの意味

 皆さんが、ピラミッドパワーと呼んでいるものがありますが、ピラミッドパワーというものはまた解明されていません。ピラミットというのは三位一体といいまして、尖った所は必ずプラスです。平面の部分は必ずマイナスです。

 これはプラスマイナスがいくつあるかといえば、3つあります。一つの形の中に、3つのエネルギー形態があるわけです。
 ですからピラミットというものは、プラスが3つでマイナスが3つというバランスのとれたエネルギーを象徴しています。

 三角形、二つをずれさせた形を何と呼びますか。ダビデの星です。
 ダビデの星はこのピラミッドを2つ重ねた形ですね。そうなりますと、六つあるわけです。三角よりはこのダビデの星のほうが、エネルギー的には高いのです。

 例えば、ここに石があります。意志の尖ったところはプラスです。平面の所はマイナスです。
 今度はこれが電気的に一ボルトであれば、これを二つに割ったならば、二つに割ってもいくつに割ってもこのものが一ボルトを持っていたとすると、どんなに小さくても一ボルトです。

 水のエネルギーを高めるには、1個の大きなものを入れるより、二つに割っていた方が、良いわけです。

 今度は四等分にして入れれば四ボルトになりますから、この粒子をいかに細かくするかが要点です。粒子を細かくすると、密度は高くなりますか、低くなりますか。高くなりますね。
 粒子を細かくすればする程エネルギーが高くなります。このことを超分子といいます。

 我々が空気中にあるものを見るのに、分子が精妙だと見えないのです。分子が細かいから見えないのです。
 この高分子を高級霊と言っています。高バイブレーションといいます。
 粗野な分子の事を低分子、低エネルギーと呼んでいます。

 30ミクロンで作ったセラミックス1個より、一ミクロンで作ったセラミックスは30倍の力が出るのです。ミクロン単位で全然力が違うように決まってしまうのです。

 そうなりますと、零点何々ミクロンのセラミックスに小さくすれば、もっとエネルギーが高くなります。

 セラミックスが何故エネルギーを高めるかといいますと、セラミックスの持っている粒子の表面積にポイントが有ります。それを界面活性といい、粒子一つに必ず界面がありますので、界面の粒子の細かいものを多く入れれば入れる程、界面活性になります。

 界面活性された細かい粒子を一粒入れますと、コップの水と一つのセラミックスを入れた水とどちらがエネルギーが高いと思いますか。

 セラミックスを入れたほうが、エネルギーが高くなります。
 この水一リットルの界面活性の状態の水は決まっていますが、それを入れる事によってセラミックスの周囲の全部のエネルギーが、宇宙エネルギーと同通する表面積になりますから、その分だけ水の中のエネルギーが高くなります。

 例を申し上げますと、水を注いですぐに飲むよりも、お箸をぐるぐる回して水の分子を細かくしてかき混ぜてから飲みますと、水は味が全然違います。ただ、手を当てるだけでも変わります。それは、手から遠赤外線が出ていますから、普通の塩素の入った水の塩素の入った水の塩素は手で回しただけで無くなります。

完全とは「美」をいいますが何故でしょうか。

あなたから不調和が無くなれば完成です。完成した時には皆さん方は祝福を受けます。未完成では神の祝福を受けられません。皆さん方が家を建築するのに未完成なのに祝宴をあげますか。
 完成祝いが出来ますか。出来ないはずです。

 では、あなたは今、神の祝福を受けてる者ですか、神の祝福を受けていない者ですか、それは調和だからですか、
 それとも不調和だからでしょうか。あなたは不調和を美しいといいますか、醜いといいますか。

 不調和を、「これは不完全だ、美しいなあ」という人がいますか。
完全になって初めて皆さん方は、「美」という言葉が出るはずです。ですから、皆さん方が自分を美しくするのも、醜くするのも自分次第です。

 全ては愛しか無いと思います。愛の他はありません。なぜかといえば宇宙には愛しか無いからです。あいのみが絶対実在となります。

 では、皆さん方の考えている不調和は実在するものでしょうか。実在しないものです。不調和とは何でしょうか。実際にあるものでしょうか。無いものです。

 実在しているのは愛だけです。どこに不調和があるのでしょうか。どこから不調和が探せますか。無いはずです。

 ですから、皆さん方はその不調和を認めてはなりません。不調和は認めるべきですか。認めるべきではありません。
 認めるとその不調和があなたに力を与えることになります。善悪の心とはその意味です。

 善なる心があるだけであって、悪なる心は本来ありません。絶対善があるだけです。絶対愛があるだけです。善の心もあって、悪の心もあるというのは本当でしょうか、嘘でしょうか。

 悪なる心は実在するのでしょうか。実在しません。それは幻想であり、幻影です。悪とは即ち幻です。
 実在しているのは愛の光だけです。

今、この世の物質時代は少々未熟な者たちでも天上界に上げられる

 完全無欠な者しか収穫出来ないとするならば、あなた方の誰一人として収穫できません。
 完全無欠のものを天に上げるとするならば、一本でも収穫できますか。収穫は出来ません。

 少々の傷物でも今は天に上げなければならない時期に来ています。全くの傷だらけの不調和の者は収穫はできませんし、収穫しては困りますが、今はその収穫の時期です。

 今の時期は、例えば、ほうれん草の種を巻いて、完全なものだけで収穫するとすると、虫が多いわけですから、それは収穫できませんが、今は少々完成を高めているとか、完全にはまだ成っていない者でも、天に上げられます。そうであるからといって、不調和であって良いと意味とは違います。

直感は知恵であり、知恵は直感でもある

例えば、私事で申し訳ないのですが、この知花は日本の教育を受けていませんが、どんな漢字でも書きますし、必要に応じて読むしその意味がわかります。

 外国に行きますと外国の言葉がすぐに分かるようになるし、それは習って分かったものではありませんし、教えられて分かったものでもありません。これが直感です。直感でわかるのです。

 そのようなことでも、皆さん方は今鈍感なのか、敏感というのは一番誰がご存知ですか。自分ではありませんか。

 私は見ない限りは絶対に信じないとか、聞かない限り信じないなど、耳に頼り、目に頼って、鼻に頼って、あれを食べてみよう、

 これを食べてみようというように、五感に頼っている限りは人間は鈍感といえます。
 鈍感ですから無知というわけです。分からないのです。

 直感というのは知恵のことを言うのです。そして五感は知識です。貴方の目で確かめて、耳で聞いたものは皆消えてなくなるものです。しかし、その直感は永遠なるものです。それは不滅の知恵として、永続します。

アカシックレコードとは何か

 人間の世界に現れている現象がありますが、その現象世界の前に、必ず現れる青図面というものがあります。その青図面とはなにかといいますと、想念の世界です。想念形体といいまして、この地上界の人間が組み立てた想念世界というものがあります。

 想念世界にあるものは、必ず地上界に具現されるように、この世に物が現れるということは、もう既に霊の次元では存在しているのです。これが三次元という次元に、現象の世界に現れるようになっていて、それを見るのです。
 
 その想念の世界をみることを、皆さんは「アカシックレコード」と言っています。そのアカシックレコードには、もう何万年前の事までインプットされまして、記憶されております。そこを見ますと、過去にどこそこでどういうことがあったということが全部読み取れるのです。

 皆さんの霊性が高まれば、どなたでもアカシックレコードを読み取るのが可能です。霊性が高まれば、という意味は何かといいますと、もう私はこの血や肉の形に属する者ではないという普遍的生命と一体であると、宇宙との一体感によって、宇宙即我の境地になった時、この宇宙が自分であるならば、宇宙の働きは全部が自分ですから、敏感に分かるのです。

 自分が個人たと思っているならば、宇宙の動きがわかるはずがありません。宇宙からの分離感を持って、自分は人間なのだという外念を持っていたならば、宇宙の動きがわかりません。世界の動きを見ても分かりません。

 皆さん方はもっと奥深い心境になりますと、みなさんの死後の世界まで言い当てることが出来ます。あるいはこの人は今生に悟ってその神我に到達するのだろうかとか、到達しないのだろうかということまで予測することが出来ます。

 途中で落伍するのか、あるいはそのまま続けて努力して神我到達するのか、神我到達しないかということまで分かるのです。
 ですから、皆さんの心は私にとってはお見通しです。皆さんが今どう思っているか、どのように私を感じているかが読み取れるのです。

 分離感を持った人には五感はしか感じませんから、鈍感で外側のものしか感じませんから分かりません。しかし、内側の世界は一体感ですから、その人の意識と私の意識とは同じ意識が働いていますから、直通です。まあ、直通電話といってもよろしいでしょう。人の心はそのようなものです。

 この清里に来るお客さん一人一人の心が読めて話さなければなりません。そして今日清里に来て話を聞いたのは、自分だけに的中したようなものだと皆さんはお思いになるかもしれませんが、その人だけに的中しているのではなく、一人一人の意識を読み取りながら話しますので、私のために話を聞いてくれた、というような感じを、一人一人が受けるのです。

 ですから、私が皆さんに語る話のテーマというのは飾りです。この清里で皆さんの一人一人の顔を見つめながら、「その人その人は今これぐらいの理解力しかないから、ではこういったなら分かってくれるかな」というように、その人の理解力を仰ぐのです。

 「この人は今こう言ったから分かってくれた、では、この人のことはそっとしておきましょう。あの人は今わかっていないようだ」ということで、次のはないの模様を変えるようにします。
 それが釈迦の言葉にあります、「人を見て法を説け」という意味です。

 例えば、神理を一度も聞いたことのない人間の中に入って、高度な話をしますと、理解する事ができません。その時は、レベルの高い話をせずに、低めの話をするようにします。その人のレベルまで持っていって、その人を引き立てて上げるのが話術というものです。

 全ては高くなればなるほどよく見える

 私は毎日、皆さんの前に立って、皆さんの視線をよく見るのです。目は確かに鋭く見えます。遠くまで見て、その人を見抜かなければなりませんから、ちょうど鷹の目か竹の目が、多くから小さな獲物を見ているようなものです。それは低い所から見ても分かりませんから、非常に高いところから見るのです。

 話をする時には、どうしても教壇が必要だと思いますか。話をする時には、先生が低い所にいって、お客さんが高い所にいるというのは、話しにくいものです。見下ろすという言葉がありますが、見下ろしていますと人の状態、状況が全面的に見えますので、非常に感じやすくなります。

 また、見ている方でも、はなししている方が一番下の方に行って、自分が高い所にいたら聞きづらいと思います。そのために、1段でもいいから少し高めにして、特に私のように背の低い者が、低い所にいたのでは、皆さん方から、声だけで体が見えないでは困りますので、少し高い教壇を設けているのです。
段差をつけ、見下ろせる状態で話しますと、非常に話しやすくなりますし、また聴きやすいという条件下に置かれます。

知恵は出せば出すほど湧き出てくる

 私は常に天啓を受けたものを、朝晩吐き出しているのです。多くの人達が私の話を聞いて下さるお陰で、私は吐き出す場があります。誰にも吐き出さなかったとすると、私は半身不随になって床につくと思います。

 入ったものを、啓示を受けたものを表現して出すということです。知恵の泉ですから、いくら出してもいくら出しても、次から次へと365日、このような話ができます。

 どうしていくらでもそのような話が出てくるのだろうと、皆さんはお思いになるかもしれませんが、知恵の泉と一体となっておれば、一日十回だそうが二十回出そうが減らないと思います。ですから私は原稿がいりません。

 皆さんは五感で得たものでしょうが、直感で見ないで習わないで、教わらないで得ているのです。
 また、それは減るものではありません。無限と一体になって、無限から及んで一体となって、そこから得るものは絶対に乾くことがありません。

 あの知恵は一体どこから出てくるのだろうと、皆さんが不思議がりますけれども、皆さん方一人一人も皆知恵の泉に繋がっているのです。この人もその人も皆繋がっています。ですから、宇宙は同じ知恵、同じ力、同じ姓名があるだけです。

 すべての生物は同一の生命と同一の知恵、同一の力で動かされているだけです。ですから、全ての知恵も無限大で、力も全部が無限大です。


心に太陽を持つ方法  「心に太陽を持て」ということを書いたり読んだりしますけれども、どのようにして心に太陽を持つことが出来るかといえば、自分が太陽そのものであると、霊太陽そのものであると知った者のみが、心に太陽を持つことが出来ます。

本物のボランティア活動とは、霊エネルギーを放射・放出することである

 あなたから生命エネルギー、霊エネルギー、霊光、宇宙エネルギーが燦然と放流されますと、皆さん方はその時無料の奉仕ということを体験します。

 奉仕活動といいますと、必ずこの自我の肉体がジタバタすることが奉仕だと思っていますが、霊的なものを何も知らないで、肉的な自我の人間がジタバタしてボランティア活動をすることは奉仕なのか、私は疑問に思います。

 それとも霊的な生命エネルギーを放射、放出することがボランティアなのか、どちらが本物のボランティアでしょうか。もちろん霊のエネルギーを放射、放出することが本当の活動です。

 肉体的なボランティア活動は決まった何十名を相手にしか活動できません。しかしあなたからは放射、放出されるエネルギーは全世界への奉仕ではありませんか。全人類への奉仕ではありませんか。肉的なボランティア活動は有限の奉仕です。霊的活動は無限です。

 お釈迦様は3000名に飯を盛るよりも、五分間だけでも宇宙エネルギー、大霊との一体感を感じている時には、神のエネルギーが皆さんから宇宙的に放射、放出されますので、「五分間だけ冷静でありなさい」と言われたのです。
 
 ですからあなたが朝の二時間だけの霊浴をするということは、大変な奉仕になります。大霊との一体感で、大霊そのものになっているときは、あなた自身から無限のエネルギーが放射されるわけですから、無限に影響を及ぼしています。それが本当の奉仕というものなのです。

愛の無い行為は無に等しいとはどういう意味か

 「愛なき行為は無に等しい」という言葉があります。愛の無い行為というのは神我のない、という意味です。
 ですから自我の奉仕は無に等しいという意味です。
 イエス様はこう言われました。「一番大事なものを人に与えなさい」その一番に大事なものは何かといえば、生命であると言われました。すなわちエネルギーを与えることは生命を与えることです。

 「命を得ようとするものは命を失い、命を放すものは命を得る」という言葉があります。エネルギーを得ようとする者は、エネルギーを失い、エネルギーを放つ者はエネルギーを得るという意味です。

 ではエネルギーはどのようにして放つことが出来るかといいますと、宇宙生命との一体感です。私達はエネルギーを得ると同時に放たねばなりません。

 本当の意味での人類救済とは、自我人間を神我に引きずり込むことである

 今朝私は二時間ほど、全世界へ向けて命を捧げました。エネルギーを宇宙生命と大霊との一体感を得ることによって、自分が大霊の中に大生命の中にいることによって、この肉体から全世界へ向けて、放流、放出するわけです。
 
 インドにおられる聖者がたも決してボランティア活動に行くことはありません。では彼らは怠け者と言うことが出来るでしょうか。ところが、彼らは全世界へ向けて命を放射しているのです。

 自我人間を神我に目覚めさせることが救済なのか、一所懸命に金や物質で奉仕することが救済といえるのでしょうか。お金を多く寄付することが救済なのでしょうか。

 人類救済とは、自我人間を神我に連れ込むことであり、偽りの世界から実相世界へ連れ込むことが、人類救済であります。本当の救いとは、一人一人を霊的に目覚めさせることなのです。

イエス様が語られた
「パンの菌のようなもの」という意味は何か

 私の言葉の一つ一つはイースト菌のパン種のようなものであるといえます。ちょうどイエス様が言われたように「あなた方のその小さな、パンの種を蒔くことによって、あなた方のこの小さいと思っていた魂が宇宙大にまで拡大する」という意味です。これが「パン種のようなもの」といわれる意味です。
  
 今こそ皆さん方の魂を宇宙大にまで解放したらどうでしょうか。聖書には譬えしか書いてありませんが、「パン種」を「私の言葉一つ一つがあなた方にとってはパン種のようなものである」と言われました。

 今の皆さん方は結局未熟なパンです。この清里でイースト菌を朝晩食べていながら、このような話を聞いている間は宇宙大にまで広がるのに、その後はまた縮んでしまって、小さな魂になっています。小さな魂が、せっかくイースト菌を入れて、ややもすると宇宙大にまで膨れ上がるのですが、また、小さい肉に支配されてしぼんでしまいます。

 あなた方は常に大きい状態でいなければなりません。低い意識状態から高い状態意識に高めることを、昇天といいいます。自我意識状態から普遍意識状態になることを昇天といいいます。または成仏と言います。

 今の宗教界のいっている成仏とか昇天は、何処にも存在していません。彼らの帰るべき天上界はどこにもないといえます。意識状態があるだけであってえ、空想の天上界や、空想の産物はありません。

 貴方の意識は神状態ですか、人間状態ですか。あなたが人間世界に生きているのは、人間意識状態であるということです。ですから、あなた方は常にその意識している所にいるのです。

 低い所を意識している時には、貴方は低い所にいるし、高い意識をしている時には高い所にいます。意識を高めるのも低めるのも貴方次第です。貴方の悟りの王冠は誰かが持ってきて載せるのではありません。

 悟りの王冠は自らの手で載せなければなりません。誰かがあなたの意識を宇宙大にすることは絶対にありません。小さい意識状態にするのも、高い意識状態にするのも、あなたの自由意志、自由選択で行われていると思います。

 あなた方はこの世の金銭的なことで、千円や五百円ぐらいでも損すると起こるのに、このような普遍意識的状態から個人意識的状態に落とすことがいかに損であるかに、なぜ気付かないのだろうかと言いたいのです。ですから、あなた方は常に寛大な意識状態、普遍意識状態でなければなりません。この意味が分かりますか。

キリストの大宣言とは何か

 今年中に必ず皆さんの中から、沢山、そういう意識状態の人が出てくるでしょう。
おそらく今年中には色々な奇跡も起こります。この大霊と一体となった状態は精霊が下ったという意味です。大霊は精霊そのものです。その精霊はどこにおりますか。皆さんの中におります。

 その精霊そのものが、皆さんの実体です。これを「神の臨在観」といいます。「キリストの再臨」という意味です。即ち、「キリストの大宣言」という意味です。

 自分が大きい宇宙霊であり、大霊であることを、あなた自身が宣言しなければなりません。その大宣言をして、それを得た時に皆さん方は神の特権を得るわけです。
 
 では、神の知恵と力とを使える特権は誰が得ますか。自分が掴まなければなりません。誰かが持ってきて与えることではありません。あなた方が意味もわからないような。色々なお経を上げる暇があったら、そこに意識を向ける時間を与えなさいということです。瞑想せよ、内観せよ、檍念せよといいたいのです。

瞑想とは何か

 瞑想とは、その普遍意識に一心を集中することです。真の自己である普遍的なものを見つめることが瞑想です。「汝の觀るもの全てを受け継がん」。大きいものを見れば大きい物を受け継ぎ、小さいものをみれば小さいものしか受け継ぎません。 「汝の信ずる如くなれ」です。

 あなたが小さいと思っているならば、小さい知恵しか、小さい力しか出てきません。あなたが大きいと信じているならば、あなたは大きいものを得ると言いたいのです。

「汝の信ずる如くなれ、信ずるものは現れる、認めるものは現れる」

 大きいことを認めたものは、大きな知恵を力とが現れるという意味です。小さいと思っている者は、小さな知恵、小さな力しか現れません。

大覚者とは何か

 自分を小さいと思っている人は迷い人です。悟った人は大覚者です。大きいと思っている人を大悟といいます。大きい悟りとか、小さい悟りとかいわれているものはありません。大悟ですから、我は霊なり、我は大生命なり、我は宇宙なりといえた方です。

 宇宙大の自分を悟られた人を「大覚者」といいます。大きな存在に目覚められたのです。小さい存在ではありません。

 いつまでもこの小さな己に閉じこもるのではなく、外皮でものを見ないことです。柏の木の種が目覚めた時は、その木がどんどん成長して野の鳥が巣を作るぐらい大きくなるだろうといわれたのと同じ意味です。

 あなた方もこの宇宙大からすれば、柏の木の種のようなものです。しかし、本質は無限大ですから、それに目覚めた時は、その宇宙大にまで皆さん方が拡大される事実を知らなければなりません。ですから、この世の中の人間は、皆自分自身を見失っています。
 
 概念に支配されて、本来の自分は無限大なのに、宇宙大なのに、全部が自分を見失っていて、この外念で生涯を終わるのです。肉体は自分でもないのに、自分を見失ったまま世を終わってはなりません。目覚める魂になりなさいといいたいのです。ですから、「目覚めよ」といつも言うわけです。

 私は皆さん方を毎晩刺激しています。あなた方は決して血や肉ではありませんよと、大霊ですよと、宇宙大ですよと、無限大ですよと、いつも皆さんを朝、早く叩き起こして、刺激しているわけです。

 その自分が宇宙大であり、無限大であるという普遍意識状態で宇宙意識状態になった人は、目覚めた魂です。


どこを見るかどこを思うか「汝の見るものを受け継がん」

 皆さん方は。
今、一日に何回、神霊に意識を向ける事をやっているのでしょうか。
それは、皆さんご自身が一番良く分かっていると思います。

そうすると、
この調子で満たされるのだろうか。
満たされないのだろうか。
誰が一番良く知っていますか。
それは自分が知っているはずです。

殆どの時間を、
物質という世界に合わせている
物質というチャンネルに合わせている。
そこにチャンネルを合わせていて、霊性は満たされますか。
それは、決して満たされることはありません。

「汝の見るものを受け継がん」とは、その意味を表しています。
物質を見れば物質を受け継ぎ、神霊を見れば神を神霊を受け継ぎます。

どこを見るかです。
どこを意識するかです。
それで、霊性の進化は決まります。
皆さん方は「祟の話」とか「幽霊の話」とかは、する必要はないのです。

世の中には、
幽霊だ、祟だ、何々だというものを弄んでいるグループがあります。
神霊に意識を向けているグループもあります。ということです。

ですから、
私が、幽霊の話、祟の話をしないのは、
あなた方を、幽界に意識を向けさせないためです。
幽界に向けさせたら、
あなた方はどうなるかと。
そこの影響を受けて、全部、憑霊現象を受けてしまいます。

その憑霊現象を弄んでいる宗教が沢山あります。
蛇の霊が祟っているとか、何かの霊が祟っているというのは、
チャンネルはどこに向いているのですか。

神界にですか、幽界にですか。
そういう連中は、どこに意識を向けていますか。
幽界に向いているわけです。
そこの影響を受けていろいろな現象が現れるわけです。
また、面白いことに、その現象を望んでいる人もいるのです。

蛇が憑いているといえば、
身体をクネクネさせながら這いずるひともいるし、
狐が憑いているといえば、
コンコン、ピョンピョンと泣きながら跳びはねる人もいるし、
それを弄んでいるのです。
まあ、結構に楽しんでいるからいいとは思いますが、
そこの幽界に意識が向いたら、
その皆さん方は、
昇天、成仏するのだろうか。しないんだろうか。
それは、幽界止まりです。

ですから、
あなた方が、幽界が見えないことが幸いだと、
私がいうのはその意味です。

幽界の次元の見える人は、
神界にいる事は、全く不可能です。
幽霊が見えたら、
もうそこが神界だと思い込んでいますから、
絶対に神霊という神の世界には昇れません。

残念ですが、
今の世の中の段階は幽界の話をするまでです。
幽界の話しかしないのです。
坊さんも幽界の話です。
なぜか、水子の祟りだとか、水子供養だとかで金儲けをするわけですから。

坊さんは仏の話をしていますか。
坊さんは何の話をしていますか。

あなたが、
何を祟っている、これが祟っているという、
そんなグループに入ったらもう最後です。
それは祟の世界ですから、
神の世界であるはずがないのです。

ご存知ですか。
祟の世界は、神の世界というのですか。
祟の世界は、神の世界ではありません。

神は何も祟りませんので。
災もしませんので完全です。
完全の世界です。

だから、完全なものになるためには、
完全なものを見て。完全なるものを意識せねばならないのです。
不完全なものを見て、癒る事があるのでしょうか。
完全性を見て、完全性を意識せねばなりません。

完全なものを見て、完全のみ意識しなさい。
そうする事によって、完全になりますよという事です。
不完全を見て、不完全を意識して、完全になる人は一人もいないのです。

「あなたは見るものを受け継ぐ」
「あなたは思うものを受け継ぐ」というわけですから、
「想念は実現の母」ですから、
この意識の向け方を間違えますと、大変なことになるということです。

神霊に意識を向けた時、その人は神霊の波動を出す

あなた方が、神界に意識を向けた時、
その人が神霊に意識を向けている時、神霊の波動を出すのです。
チャンネルを合わすわけですから、波動が合うのです。

神に意識を向けけている時は、神の波動です。
幽界に意識を向けている時は、幽界の波動です。

チャンネルですから、波形ですから、そうなるのです。

物質に意識を向けている時は、低い波動を持っているのです。
波動が高いか低いかは、これで決まるのです。

波動というものはバイブレーションですから、
バイブレーションを高くするには、どこに意識を向ければ高くなると思いますか。
それは、意識を上に向けなければなりません。

上に意識を向けた時、
神界は「真理」そのものですから、
神界は「真実」そのものですから、
神界は「完全」そのものですから、
完全なものに意識を向けた時、完全なる波動を出すわけです。

皆さん方が、宇宙意識になりますと宇宙波動です。
皆さん方が、神意識になりますと神の波動です。

低い所に意識を向けていて波動が高まりますか。
それは、高まらないのです。
そのバイブレーションの高め方は、どこに意識を向けているかで決まるのです。
外側に意識を向けていて、
あなたのバイブレーションが高いはずがありません。

物質のことだけ一所懸命考えている時、
あなたのバイブレーションは高いのでしょうか。低いのでしょうか。
バイブレーションが高まったら、低いものの影響を受けると思いますか。
高いものが低いものの影響を受けるのでしょうか。

その事を、
「私はこの世の手の届かぬ所に留め置かれた」といいます。
波動の高い所に留め置かれますと、
この世の影響を受けないわけですから、「安泰」です。「安全」です。
これを「平安」というのです。

まだまだ皆さん方は、
自分の意識を、
幽界に向けたり、物質界に向けたり、
これを(動搖心)というのです。

私は色々な体験を乗り越えて、今は神界にある

皆さん方の中で、
過去の私を知っている人はご存知だと思いますが、
私は幽界を通過したのです
沖縄にいた当時は、幽界を弄んでいたのです。

その時は非常に感情的だったのです。
憑依霊を弄んでいましたので感情的だったのです。
昨日までは神様みたいだなと思ったら、
今日は悪魔みたいになったりするのです。
非常に感情的だったのです。
それを通過してその事が分かって、
神意識を向けることによって、
幽界の影響を全く受けないものになったのです。

その体験は、
私には必要であったのです。
幽界という世界も知っておかねばならないし、
物質世界も知っておかねばならないのです。

この物質世界で、
私はうんと貧乏したことがあるのです。

もう・・・・・、とことんこれ以上に、
この世の中にこんな貧乏があるかと思う位のものなのです。
それは、南米にいて、家内と結婚した当時のことです。
お皿が一つ、スプーンが一つで二人が食事をしていたのです。
お湯を沸かす、煮物をするにも空缶です。
ヤカンもお鍋もお釜も空缶です。

その空缶に針金を詰んでご飯も炊いていたのです。
それで、毛布は二人で二枚。
子供が生まれて三人で二枚。被って寝るものがない。
住む家はあるにはあるけど、窓にはガラスが入っていない。
冬の寒い空が、こちらの窓からあちらの窓へ直通。

どんなに囲っても隙間風がビュウビュウ入ってくる。
その時の寒さは外の水が凍るくらいの寒さで、
空缶に入れてあった水が凍っていた位でしたから、
相当に温度が下がっていたと思います。

そういう中で、
ちょうど、長男が生まれた年でしたから、
子供は寒さから守らなければなりませんので、
子供を毛布にまいてくるので、
私達は焚火をして、
その焚火を囲んで夜を過ごした事があるのです。

そして、ある時は大金持ちです。
こんなに金が儲かっていいのだろうかと思う位の体験をしたのです。

でも、どちらも面白なくなかった・・・・・。
貧乏も面白くなかったし、金持ちも面白くなかったのです。
それをみんな体験して通ってきたのです。

そして、沖縄に帰ってからの事。
この霊的なものになりますと、
幽界に引っ掛かり幽界に弄ばれたのです。
幽界の祟りだとか、憑霊を外すのだとか、
そういうものを何年もやってきたのです。

沖縄の民(ユタ)という、
本土なら巫女というその世界に入って行きまして、
地域的拝みも一所懸命やりました。
そういうものも通ってきたのです。

その時、私は感情的だったのです。
幽界にいる時は感情的だったのです。

しかし、
そこを乗り越えて、
今は神界にあるという事を。

これは霊性進化の一つの体験なのだと、
私は思うのです。
今は、全く感情というものは出てこないです。
カッとなって怒るとか、
極端に何か悲しいとかいう事は全く無いのです。

それが、平安というものだなと、
安らぎというものだなとはっきり言えるのです。
寂しいとか、苦しいとかそういうものが無いわけですから。
いつも喜びに満たされる自分というものを、
今、私は体験しているのです。

それは、
どうしてかといいますと、
神霊の方に意識を向けて瞑想したからです。
瞑想とは、
その神霊に意識を向ける事が瞑想です。
それ以外に瞑想がありますでしょうか。

ですから、
内観せよというのは、
その神霊を見つめて、
神霊に一心を集中する事によって、
その神の波動を受ける事が出来るのです。
皆さんも同じことをすれば、
同じ事が起こりますよという事です。
私が体験しているからはっきりいえるわけです。

今、神霊の道は開いている、あえて幽界を通ることはない

あえて幽界の影響は、皆さんに受けさせたくないのです。
水子の祟りだとか・・・・・、動物霊の祟りだとか・・・・・。
私が話さないのは、これは不要だという事です。

神霊への道は開いていますので、
あなた方は幽界を通らなければならないという意味は無いと思います。
私は、幽界に意識を向けたから影響を受けたのであって、
それを受けないで、
即時に神霊に向ければいいわけですから。

幽界に向けるひつようがありますか。
ここで感情的になって、
必ず、苦しまなければならないという必要がありますか。

その幽界を弄んでいるグループが、世の中に多くいるという事です。
そこからでもいろいろな現象が起こります。
この我々の三次元からすれば、相当次元が高いわけですから。
その影響は確かに面白いほど、現象として現れますよ。

しかし、あなた方は、その現象を望んではならないのです。
本当の神霊という原点に、意識を向けるようにせねばならないという事です。
それが本当の意味の、霊性の進化だと私は思います。

途中の幽界に意識を向けてはならないのです。
幽界に意識を向けるべきですか。
神霊に意識を向けるべきですか。
高い影響を受けるためには、高い所に意識を向けなければならないのです。
そうしますと、
高い周波数を頂けますので、皆さんのバイブレーションが上がるという事です。

幽界は欲望であり、神界は無欲である

今の宗教団体は幽界と繋がっています。
幽界と繋がっているグループは、
もう言わなくても宗教団体を見れば分かります。
この連中は幽界と繋がっているグループだな・・・・・と。
この連中は神界と繋がったグループだな・・・・・と。
少し注意して見ればそれがよく分かります。

しかし、
幽界と繋がったグループは流行ります。
人集めをして金儲けをしようとするならば、
幽界と繋がった方がうんと徳です。
欲に絡んで多額な金儲けが出来るのです。

それに比べ、
神界のグループは全く金儲けにならないのです。
金儲けにならないようになっているのです。
神界は無欲になるからです。
神界に来ますと、
神霊ですから無欲なのです。

幽界は欲望です。
個人意識がありますから、
所有欲がありますから欲望です。
幽界にいるものは、人間の金儲けの話をします。
それを教えます。
どうしたら金儲けが出来るかと、その事を教えます。

神霊は教えると思いますか。
神界では金儲けの話をすると思いますか。
無欲だからしないのです。
金儲けにならないのです。
しかし、
永遠の富を得る事が出来るのです。

これを得た時、
皆さんは、神の跡取り息子・娘になるのです。
永遠の富を得るのです。
久遠の富を得るのです。
無限の富を得るのです。


神の国には沢山の館が準備されている

私達が、光に近い者になるにはいかにすればよいのでしょうか。愛が深くなれば光は強くなるといえます。不調和になれば闇は深くなります。

 それ故に闇に住むも光に住むも誰次第でしょうか。不調和は闇であり、調和は光です。調和に向かって走っている人と、不調和に向かって走っている者と二通りに別れます。

 今の世の中には不調和が当たり前のような日常茶飯事の者や、不調和だらけの人間もいます。当たり前のように習慣性になっている人さえいますが、そんな者は天に上げられません。

 「神の国には沢山の館が準備されている」と言われています。光の世界から闇の世界に映すとは、光が薄くなっているような、今の状態と同じ状態の次元にあなたは住みます。

 この意味が分かりますか。あなたh今の状態で完全なる光の世界に住めると思いますか。完全な光の世界に住めますか。住めませんか。闇なる者が光の世界に住もうとすれば気持ちが悪くなります。

 それはちょうど、モグラが太陽がカンカンと照っている所にいるのと同じで気持ちの良いものではありません。

 コウモリが太陽の照っている所では気持ちの悪いのと同じです。コウモリがが暗い所が好きであるのと同じことように、不調和の人間は暗い所が好きです。

 調和の人は明るい所が好きです。そこで自分が、ある日、突然に天変地異が起こってみんな死んで、自分はどれぐらいの次元いいられるかを誰よりも、今あなたが知っていると思います。それは完成度が高まっていたか、高まっていないかで決まります。

 イエス・キリストは言われました。「あなた方は私のおる所に来ないのである」。この言葉はパリサイ人達に言われました。「先生、私達は死後の世界であなたに会えますか」という質問でした。

 それはパリサイ人たちが調和であったからですか、不調和であったからです。
「調和の度合いで皆さん方は光るものとなるか、不調和であるかが決まります」。

 光る者であるためには、皆さん方は調和そのものでなくてはなりません。調和は光であり、不調和は闇です。

 闇地獄とは不調和の世界です。光明世界とは調和の世界です。ですから、光明世界の住人になるのも、闇の住民になるのも自分次第です。
 
 では、誰があなたを天に上げてくれますか。誰があなたを成仏させますか。その不調和の人間は成仏できますか。出来ません。調和の人は出来ます。調和は成仏です。

 不調和は不成仏です。その不成仏とは光にならないという意味です。成仏とは光になったという意味です。仏の世界は無明界ですか、光明世界ですか。光にならなくても皆さん方は光明世界の住人となれるのでしょうか。

 自分が天に住むのは自らが天に持ってこなければならない理由がそこにあります。光の住者であるためには、あなたが光でなくてはなりません。

 真っ黒い者が、どうして光の世界に住めましょうか。光と闇とは同居が出来ません。
ですから、あなたは、あなたの一番に適した所に住み着くことになるだろうといえます。闇の者は闇に住みます。これが「類は類を呼ぶ」の法則です。

健康は食べ物でなるのではなく。愛で健康になる

光が少しずつ暗くなっていく状態があります。明るい方から徐々に暗くなっていく状態と同じで、それを図解すれ面白く理解できるのですが、そのような状態を示しています。
 
 ですから完成を高めるとは愛を高めるしかないのだと、今、ご理解していただきたいわけです。
光を高めるためには愛を高めることしかありません。健康であるためには常に愛であるべきです。

何故病気になるのでしょうか。病気の原因は食べ物が原因でしたか、それとも不調和が原因でしたか。食べ物のせいいにして、自分は不調和でありながら、食べ物のせいにする人が如何に多いかといえます。愛の人は何を食べても病気にはなりません。

 皆さん方は観念的で外念的でみな低い次元でしか、ものを捉えていません。病気は食べ物から来ますか。飲み物からきますか。そのようなことをいうのは、低い次元でものを見ているからです。

 高い次元から見るならば「病気は不調和の結果だ」と、一言で言えると思います。「不調和の結果だ」といえます。「健康とは愛の結果だ」といえると思います。

完成とは愛を高めるために一日一日を愛で生きることです

これを、この知花が見本として示しているわけですから、皆さん方も健康であるためにはそのような状態でありなさいと言いたいわけです。

 病気になったことのない人もいますし、病気だらけの人もいるような差別を、なぜ神が作ったのでしょうか、差別は誰が作っていますか。あなたを健康にするも病気にするも、神次第ですか。それともアナタ次第ですか、神はえこひいきをしていますか。愛はえこひいきしていますか。していません。

 神の世界は無差別の世界です。完成を高めるとは愛を高めることだと、今日も一日、誰の悪口も言わず、憎まず、怒らず、そしらず、嫉妬をしない一日を生きることです。その妬みや、怒りや、そしりや、嫉妬や、不安や、恐怖がみな悪となります。

 妬みという悪が無くなり、怒りという悪が無くなり、嫉妬という悪が無くなり、この世の悪は愛でもって克服されんがためにあります。愛に勝る力はありますか。愛は全てに打ち勝つ力となります。その愛を誰が持っていますか。自分が持っていませんか。

 これを愛の剣といいます。愛の剣でこの世の悪を克服せよという意味です。あなたは愛の剣を生まれながらに持っています。大愛という剣です。

 それで、皆さん方は「この世の無知と悪と闇とに打ち勝つべきではなかろうか」と思います。
あなたがこの世の無知と悪と闇とに打ち勝ってあなた方は「勝利者キリスト、克服者キリスト」、すなわち天に上げられる者となります。
 天に上がるも、落ちるも、自分次第です。この意味をよく理解して頂きたいと思います。

 何十万回もお経を上げることではありません。あなたの一日一日の生活が修行です。愛の一日を過ごすか、不調和に過ごすかは、あなたが決めています。あなたの選択です。自由意志であり、自由選択かと思います。
 
 愛に生きるも、不調和に生きるも、あなたが選ぶべきであって、誰かに強制されるものではありません。この意味をご理解して頂きたいと思います。

 不調和で生きるも、愛で生きるも、あなたが選んだ道であって、他の誰かが選んだ道でないことをご理解して頂きたいと思います。どうもありがとうござました。


七色の光が一つに調和して、白光となる

皆さんには、少し分かりにくいかと思いますが、
白光に輝く方々を「白色同胞団」といいまして、
その「七天」におられる方々は白色同胞団です。

その七つの光が、
一つに調和された時「白光」となるのです。
そこを「白光界」といいます。
その白色に輝いた天使たちを「白色同胞団」といっているのです。

実際に、
神界と意識が結ばれた時、その世界に行き来できるのです。
その方々と面と向かって対話が出来るわけです。

そこまで波動が上がりますと、
その方々と同じ波動になりますから、姿・形として見ることも可能なのです。

それらの方々は姿を持っておられますし、
姿を消す事も現すことも自由自在です。
波動をうんと高められますと見えなくなりますし、
波動を低めますと見えるようになるのです。

それで我々は、そういう方々を見るためには、
神界の次元の波長を持っていなければならないのです。
周波数を持っていなければならないのです。

神界の周波数は約三十万サイクル位です。
言葉的にははっきりいえませんが、
何十万サイクルであるという事は、数字的には現す事が出来ます。

幽界はどの位のサイクルで動いているか。
本当は現すことが出来るのです。

周波数ですから現す事が出来るのです。
ですから、
「宇宙は科学である」という事が認識できるのです。

その周波数を電気的に作る事も出来ます。
しかし、電気的にそういうサイクルを作りますと者が消滅するのです。
何十万サイクルの周波数を出すコイルを用いて、
そういう装置を物に当てて放射しますと、
バイブレーションが上がってしまいますから物が消えるのです。
バイブレーションを上げるために機械的に上げようと思う事は、
そのサイクルも作れない事はないのです。

しかし、
うっかり間違えると全部破壊してしまいます。
本質的なものは破壊できませんが。

形あるものは破壊してしまいます。
もう現れない・・・・・。
視界から消えてなくなって、再び現れて来なかったら困ります。

本来は、
自分が意識的に消すことが出来、現す事が出来る事を、
それは皆さんの自由意思で行われなければならないと思うのです。
それをコントロール出来るような人間になるまで、
冷静を高めていかねばならないのです。

波動を高めることは、永遠の救いである

皆さん方の、
バイブレーションを上げるも下げるも、あなたの自由意思にあるのです。
外という低い所を見ている時は、バイブレーションは低いのです。

神という高次元に意識が向いている時、
皆さんの波動は、神の波動となります
神意識をしている時は、神の波動です。

あなた方が、「我は、神なり」という思いを起こしている時、
その時のバイブレーションは。神のバイブレーションです。

そうすることによって、
いかなる「病い」も「悩み」も解決できます。
常に、この高い状態に意識を向けていれば、
バイブレーションが高いわけですから、
この者は再び病気になる事はないのです。
これは「永遠の救い」です。

波動(バイブレーション)を落としますと、病気になります。
波動(バイブレーション)を高めますと、治るということです。

病気になりたくないひとは、
低いものを意識するのですか。
高いものを意識するのですか。
それは、高いものを意識すべきです。

そういう意味において、
皆さんの病気の「自己治癒力」といいまして、
自分たちのバイブレーションを上げておれば、
いかなる病気も自分で癒せます。とという事です。

これをするには、
何も時間が掛かるものではありません。
そこに、一週間でも意識を集中してみてください。
身体が軽くなるのを、誰でも体験すると思います。

時間あるごとに、
神の世界に意識を向けたとすると、
そうすれば、そこからの影響を受けますから、
それをよくご理解しただけたらいいと思います。

無我の境地とは何か

 無我とは何かについて語りたいと思います。無我とは自分がないという意味です。本来の自分は存在していないのですが、私達は自分が存在していると感じて生きてるわけです。
 
 しかし、本来の自分はありません。自分があるならば、自分に負けていますので、自負となります。自負とは自らに負けているという意味です。本来の自分はありません。

 悟った方である、覚者の方々は自分は存在していないことを知っていますから、無我の境地になれます。では、自分がなくて何であるかといいますと、神がおわします。即ち、神一元です。大霊という神が、大生命という神が、全ての形体を作って全ての中に宿っています。

 我々は形体は大霊が創って、大霊が宿っています。ですから自分は即大霊ですから、自分があるのではありません。
 その大霊とは神です。「人間即大霊」「人間即神」です。人間とは人間の姿を取った神です。人間と神とは一つです。そうなりますと、神のみが独存するということで、神の地には絶対に何もないことが分かります。これを何かといいますと、全(また)き神といいます。またき神とは全ては神という意味です。

「神は全ての全て、ありてあらゆるもの」

イエス様は、「神は全ての全て、ありてあらゆるもの」とい言われました。我々の肉の目で見ているすべての形体の実体はみな神でありまして、草花の中にも神が宿っているし、砂浜の砂一粒にも神が宿っています。そして、神のものであるとは、神の他には絶対に何もないということです。

 私にもいて神もいるとはいえません。そのようにいう人ならば、その人は迷いの真っ最中です。大霊のみが実在しています。神のみが実在しています。大霊のことを皆さん方は大神様といいます。大霊と大神様はイコールです。即ち神霊です。大霊即大神様です。

我は神なりの意味

自分即神です。ですから「我は神なり」であって、「我は人間なり」ではありません。人間の実体は神です。私達は仮相に目がくらんで、その見えるものの実相・実体を見ていません。全ては神によってなれりです。

 その神がすべての形体をお作りになり、すべての形体に神が宿っていますので、神の他には絶対に何もありません。ですから神が絶対者であり、絶対神です。
 
 神一元という意味は、神の他には何もないといえます。これが理解出来た時に、神の自覚となります。神の自覚とは、自らが神だと悟ったという意味です。迷った人のみに人間はあるのであって、悟った時には人間は存在しません。

 人間は実在ではありません。神のみが実在です。あなたの肉外はあなたがお作りになったのです。あなたは神です。

目隠しされていたものが落ちることを
目から鱗が落ちたという

 神の他には何もないのに、私達は形に目がくらまされているのです。目隠しされてしまって、本質的なものを見失わされていました。形で目隠しされていました。

 その見えるもので目隠しされていたものが、落ちること目から鱗が落ちたと言います。それを真実を観たといいまして、実相を観たという意味です。宇宙に遍満する大霊が、普遍的なものが、その個人、個人の全部の中に普遍が宿っているわけです。

 大霊の中に人間がいて、人間の中に大霊が宿っています。全ての万生万物は大霊の中にどとまり、大霊は万物の中にとどまっています。その大霊の中においての個人の存在ですから、私達は大霊の中におり、大霊は私達の中にいることになります。形の実体はみな大霊であり、神であるといえるわけです

霊道が開かれた人
 
 霊一元・神一元とは、神の他に絶対に何もないという悟りを得た者、自分、自らが神であることを悟った者は、神の自覚の出来た人といえます。人間は形の世界で生きていますので、どうしても自分を神だと認めるわけにはいかないようです。
 
 あなた方は神信者を見たことがありますか。世の中には沢山の神信者がおりますが、ほとんどの方々は神信者ではありません。神信者とは神を受け入れた人のことで、入信状態とは、自分は神の中におり、神は自分の中にいるという状態をいいます。

 自らが神であることを悟られた人間は入信状態です。霊道の開かれた状態です。自分と大霊とが一体であるという境地になった人は霊道の開かれた人です。
 
 ですから、あなた方は今から大霊になるのではなく、初めから神であったし、今も神であるし、未来永劫神です。その他の何者でもありません。その他の何者であるか、考えることを迷妄というわけです。

「神がおわすが故に私はおわすのである」

 イエス様は、「神おわすが故に私がおわすのである」と言われました。神がいなかったら、あなたはおりますか。かみはまたき神ということですから、神は全ての全て、ありとあらゆるものです。ですから、我々がこの肉で見ているものは、神の化身です。すなわち、人間一人一人はみな神の化身であって、他の何者でもありません。
 
 ですから、「人間は何か」と言われた時は、「人間の形をとった神」と言って下さい。
 動物とは、動物の形をとった神です。動物をお作りになったのも大霊で、動物の中に生きて働いているのです。唯一不二の大霊、唯一不二の神しかおりません。

 宇宙に霊はいくつありますか。ひとつしかありません。神霊・大霊・神の他は何もありません。この肉体をつくったのも神であり、肉の中に神が宿っていることを知っていて、大霊が肉体を作って、大霊が肉の中に宿っていると自覚の出来た人は精霊の下った人です。

あなたは宇宙に遍満する普遍的大霊である

仏教から言えば、霊道の開かれた人という意味で、霊との繋がりの出来た人です。すなわち神との繋がりが出来た人という意味です。それをあなたが認めた時、神が皆さんを通して働きたもうのです。なぜ、神が皆さんを通して動かないかといいますと、あなたが神と自分は別だと分離感を持っているからです。

 あなた方は宇宙に遍満する普遍的大霊です。「我は普遍にして無限」です。無限は宇宙大ですから、宇宙我です。そして普遍ですから普遍我です。大霊は普遍的大霊ですから普遍我となるわけです。

 あなたは大きい存在です。普遍的存在です。自分が普遍であるという自覚の出来ている人を、普遍意識といいます。大霊は宇宙霊ですから宇宙大です。宇宙我になります。そうなりますと、宇宙我、宇宙即我、我即宇宙となるわけです。ですからお釈迦様は宇宙即我という境地に到達されまして、全てが大霊であることを悟られて、不滅の仏陀、不滅の霊となられました。

神は一様(ひとさま)です。神々が様々な表現をしているだけです。我々は表現を見て、表現者を見なかったのです。即ち神理を見なかったと、神を見なかったことになります。この、神理を見なくて現象にとりつかれている人間を、盲目の指導者といいます。

「汝、嘘つくなかれ」「汝、盗むなかれ」

イエス様は「神は全ての全て、ありとあらゆるもの」と言われました。神は万物の親、万物の作り主です。万生万物を神が作って、万生万物の中に神が宿っているわけですから、世の中に神の他に何があるのでしょうか。この世の中に神を宿していないものが一物としてあるのかと言いたいのです。

 ですから、神こそ我々の父といえます。この肉体は作られたものであり、大霊は作り主です。作られたものの中に、必ず作り主である大霊が生きて働いておられます。

 神のみが生きています。「神生きるがゆえに私は生きるのである」。ではあなたが働いているのですか、神が働いているのか、どちらですか。神のみが働いています。ですから、私が働いた、私がやったといって嘘をつかないで下さい。「汝、嘘つくなかれ」「汝、盗むなかれ」です。

 人間が人間を産むことはありません。神が人間の生みの親です。霊によらないで、神によらないでこの世に人間が生まれる事はありません。神は万物の親です。万物の作り主です。全存在の本源です。

恐怖感は自負である

迷った人のみ人間であるのであって、悟った人間には人間という意識はありません。人間即神です。人間の実体は神であって、その他の何者でもないことを知る必要があります。

 そして、その人間とは神の仮の姿です。人間は姿形をとった神です。草花の一つにも神はおり、一粒の卵子たりとも神を宿しています。この意味が分かりますか。ですから、神は万物の親となります。

 いつになったらあなた方は、「私が、私が」という言葉がなくなるのでしょうか。あなたという利己がある限り、あなたは迷っています。あなたがなくなったときに、あなたは安らぎとなります。平安となります。自分がある限りは不安と恐怖です。

 神には不安や恐怖は存在しません。色々な心配事や恐怖感があったとするならば、あなたは自分に負けていることになります。自負です。その自負の事を何と言いますか。自我と言います。自らの我といいます。

 自負は即自我です。勝手に自分だと思っているだけです。勝手というものはありません。初めから皆さん方は普遍的存在です。今も普遍です。未来永劫普遍ですから、個人といえるものがありましょうか。

 ここにあるこの木の葉は全体ではありませんか。では、あなたは個人ですか、全体ですか。全体です。これを全我と言います。全我なる我です。「我は全ての全て、ありてあらゆるもの」となります。ですから、人になしていることは全部自分になしていることであると言えます。

 私達はこの普遍的我に目覚めなくてはなりません。個人的な自分が存在しますか。個人の実体は即普遍です。その普遍的なものを認めた時に、その普遍的な知恵と力があなたを通して働くようになります。

 神を認めた時に、認めるものは現れる、あなたが普遍を認めた時に、普遍があなたを通じて現れると言うことです。


光明思念で生活すること

私達は、思い、思念をしています。思念には二通りのものがあり、「善なる思い」と「悪なる思い」というものがあります。皆さんは、光明思念の中において生活しておられるのでしょうか。

 それとも、闇なる思念の中において生活されているのでしょうか。
 それによって、皆さん方の運命が決まるのです。

 光明思念とは。建設的な思いのことです。
 建設的な思いとは、「神は光なり」そして「神は愛なり」という意味合いのことです。

 皆さん方は、常に、積極的な建設的な素晴らしいイメージを持って、毎日を生活されているのでしょうか。
 それとも暗い思いをして、消極的な破壊的な闇なるイメージを持って、毎日を生活されているのでしょうか。
 これは原因・結果として現れるので、日々の生活を暗い思いをして過ごしているなら、その通りの結果、環境となり、また、肉体の病気となって現れます。
 
 そのように、私達には、人間のすべてに「思念力」というものがあるのです。
 その思いの念、皆さん方の思いは自由自在です。その自由意思によって、悪いことを思っている人もいるのです。

 一番申し上げたいことは、皆さん方の心配、不安、恐怖とは、闇なる思念であり、そrは破壊的な思いであるということです。
 「人のことを心配する」ということは、もうその人のことを破壊すると同時に、自分自身を破壊する思念を持っているということです。

 なぜかというと、悪い思い、即ち、悪いイメージをすると、心配して、そして恐怖するわけです。
 例えば、遠く離れている自分の息子や娘に対して、お母さんが心配するということは、闇なる思念です。

 心配という思念でもって、相手を破壊するエネルギーを送っているのです。それは、子供を破棄するエネルギーとなります。

 例えば、遠くに離れている子供に、(病気はしていないだろうか)(怪我はしていないだろうか)と思念することは、病気をすることや、怪我をすることを望んでいるような結果を生み出すのです。

 なぜなら、病気を起こす念や、怪我をする念を、お母さんが送るからです。
 これを「心配」といい「闇なる思念」といいます。これを平気で、お母さん方はやっているのです。

 自分の夫に対しても、夫が仕事で出かけた時に、(事故はしないだろうか、本当に大丈夫なんだろうか)という思念を持っていたとすると、お父さんも子供さんもたまったものではないのです。

 それを、「悪的な祈り」ともいいます。いかにも悪を望んで、それを祈っているようなものです。
 悪思念とは悪的祈りです。破壊的祈りなのです。

 ですから、無知のために今まで悪思念を自分の身内の者に、一番可愛らしい子供達に送ったのだろうかということを考えて頂きたいと思います。
 それを「闇思念」と言うのです。

 そのような破壊的なことをお母さんは望んだことになり、望んだことは「求めよ、さらば与えられん」となり、その通りの結果が生まれてくることが、たび重なってくるのです。

 そして、「やっぱり私の思っていた通りだ。病気をしてしまった、怪我をしてしまった」を自慢する。自分があたかも超能力者でもあるように、その思念が働いた時に「やっぱり私の思いは正しかったのだ」と自慢するのです。悪い結果を生み出していながら「私の思いは正しかった」というような、それを自慢するお母さん方がいるのです。

 (病気をしているのではないか)(怪我をしているのではないか)という心配の悪思念を送っている時、とうとう向こうから「病気をしている」とか、「怪我をした」とか言っていきますと、「やっぱり私の思いは当たった」と、自分でそういう結果を作り出していながら、あたかも、自分を自慢するお母さんやお父さんもいるわけです。
 
 私達はどれほど無知なるその念をつかって、悪用していることでしょうか。その念を悪用しているのです。これを「霊的悪用」といいます。

 あなた方の念は難病もかからずに、相手にいいことであろうが悪いことであろうが、即、それが通じてしまうことをあなた方は知らないのです。

 家庭に病人がいたとして、病人を一生懸命心配するということは、その破壊的念が、病気がより悪くなることを念じているようなものです。

 例えば、入院している人がいたとして、「悪くなるのではないか。悪いといって電話がかかって来るのではないか。もう死にそうだと言ってくるのではないだろうか」というように、家にいてその事を心配したとするならば、皆さん方はそうなることを望んでいるようなものなのです。

 それを「闇的悪的祈り」といいます。皆さん方は、日常生活の中でそれを平気で行っているのです。

悪思念が人を破壊する

 もし、あなたに何か病気があるならば、(私は病気なのだ)という思いが、自分自身を破壊するということを知らねばなりません。例えば、病院に行って、「肝臓が少し悪いようですね」と医者に言われたなれば、あなたはそのことに悪思念を送るのです。

 痛くなることをイメージしてみたり、肝臓が腐れてくるのをイメージしてみたり、ウミを持っているのをイメージしたり、その肝臓に悪思念をいう破壊的エネルギーを本人自身が送る。ですから、病院に行っても薬を飲んでも、一向に良くならない。破壊的エネルギーを送り通しているから仕方がないのです。

 (自分は病気なんだ)と意識して、医者から「この部分が悪いのです」とレントゲン写真を見せられると、より異常に破壊的なビジョンが作りやすくなります。そうなると、自分で自分をどんどん破壊していくわけです。

 (このままだと、もっと悪くなるのではないか)
 (この部分が腐れてくるのではないか)
 (これがやがてガンになるのではないか)
ガンでもないのに、一つの病気からガンまで作り出すような、破壊的思念力を使う、愚かな人間がいるのです。

 私達は毎日の生活の中で、その念の中に生きているので、悪的念を活用していたとするならば、自分で自分を殺す状態を生み出していることになります。

 前途が暗くなるのです。
 自分の将来はこうなるのではないかという、悪いイメージをしている人もいます。
 自分の前途は暗いのだ。年をとってから皆に嫌われて、養老院や老人ホームに送られるのではないだろうか・・・と将来を心配して悪思念をしていると、その通りの結果が生まれてくるわけです。

 これは自分から引き起こした(身から出た錆)です。自分がそういう道を選んで、そういう結果を選んで作り出す状態なのです。

 そして結果が出ると、「自分の思い通りになってしまった」とか「自分の思いが叶ってしまった」というのです。

 しかし、それは悪い思いなのです。善い思いがあるのなら、善い思いの通りの結果が現れるのに、人間は愚かです。自分を自分で苦しめるような結果を、平気で作り出す。それを「闇的思念」というわけです。

 皆さん方は、今までの過去を振り返って、どれほど自分を破壊し、他人を破壊し、身内の者をどれだけ破壊してきたかということを、知らねばなりません。
 
 前述の例のように、自分の身内に病人がいたとすると、医者からは「これはガンです。もう駄目です」と宣告されたとします。

 そうすれば、そのことは身内の者に伝えられますので、身内の者は(もうダメだ)という悪思念をどんどん送るのです。
 身内の者が多ければ多いほど、その病人に、その悪い思いが送られてきます。
 そして、病人本人も(私はガンだからもう駄目だ。もう終わりだ)という破壊的な思念を、自分にも起こすのです。

 病院から「もう駄目です」と電話がかかってくるのではないか、「連れに来て下さい」といってくるのではないかと家では四六時中心配して、その思念、破壊的な思念を本人に送る。そうすると、本人もたまったものではありません。

 自分も自己破壊していると同時に、身内の者も寄ってたかって殺人を犯しているわけです。
 それが今、現実の生活の中で、皆さん方が行っていることです。
 身内の者は心配しますが、その心配によってどういう悪影響が起こされているかということを知らないのです。

 「心配」は、破壊的エネルギーです。なぜならば、悪いイメージを描いて、その通りになりはしないかと思うからです。
 良いイメージを描いで心配する人はいません。破壊的イメージを描いて、そこを集中的に心配しているのです。

(ガンは恐ろしい病気である)という潜在的イメージが、みんなに植え付けられているので、それから救済するには、その身内の者や、お医者さんの念を取り除かなくてはならないのです。

 ですから、これは集団殺人、目に見えない集団殺人を行っていることになります。自分の身内の者を、皆さん方の悪思念でもって殺してしまうわけです。
 (もう駄目だ、もう駄目だ)という念しか送らないのでは、良くなるはずがありません。

 そのエネルギーとしての念という力を、皆さん方はまだ信じていないのです。それが「どんなに大きい力であるか」ということを知らなくてはなりません。思った瞬間に、その相手の所に行くのです。いいことでも、悪いことでも、思った瞬間に行くのです。

 なぜ、そんな無知な生き方を、その思念力を悪用してしまうのだろうかということを、皆さん方は知らなくてはなりません。現実の生活では。これが行われているのです。

 「皆さんの思いを正しなさい。常に生想念のみに生きなさい。悪想念を持ってはなりません」と私がいつも申しあげているのは、それは「あなた方がどれだけの人を殺したか」ということになるからなのです。

 「汝、殺すなかれ」「汝、殺害するなかれ」と、「十戒」即ち「「十悪の戒め」がここに出てくるわけです。

 皆さん方は、何を持って平気で人を殺しているかということを知らない。目に見えない念の力で殺しているのです。
 目に見えない殺人犯で証拠物件がないので、この世では監獄に入ることはありません。
 しかし、霊的には、皆さん方は罪人なのです。
 それを、「罪・汚れ」と言います。「悪業」とも「カルマ」ともいいます。

 今まで、どれだけ皆さん方が、殺人をおかしてきたかということをよく考えてみて下さい。
 身内が可愛ければ可愛いほど、殺しているのです。
 (大丈夫だろうか)という念を、可愛ければ可愛いほど送るのです。
 無知なる人間は、思念力というものを知らないために、どれほどの身内の者や、知り合いの者を殺しているかということをよく知らなくてはなりません。

 それを「念の力の悪用」「思念力の悪用」「闇的思念力」というのです。

偉大なる光明思念

 その逆も真なりで、「光明思念」があります。
 闇の念を送っていることに対して、それを救う方法が一つあるのです。
 皆さん方の念を変えればよい。光明思念の方に変えてゆくのです。

 常に、自分が光り輝くイメージをして、そして、そこに病人がパーッと光り輝いているイメージをすること。
これを「光明思念」といいます。

 人を建設する健康な状態、光り輝く状態をイメージします。
 その人は病気は一切否定して、健康のイメージをすると、それは建設的なので、ガンの病人が生かされてくるわけです。
 
 今までの、皆さん方の念とはまったく逆です。心配する時間があるくらいならば、例え五分でも、光明思念をその病人に送ることが一番大切なのです。その人が病気にならなかった元気な姿をイメージして、頭の先から足の先まで白光に輝いているイメージを送る。

 それを「建設的思念、光明思念」といいます。
 
 これを行わずに、世の中の人間は、闇人間になってしまったのです。闇が好きなのです。破壊的なものが好きなのです。

 光明思念というものと闇思念というものがあることを知らず、毎日の生活の中で使っている90%までが、その闇思念なのです。

心配して善いことはない

 「心配」「不安」「恐怖」は、破壊です。
 その破壊的思念を送っていながら、子供を愛している、夫を愛しているというのは「口先だけの愛」というものです。真実においては愛ではないのです。なぜならば、殺しているからです。

 私達は神理を学び、神理を知って、その通り神理を実行した時、真の愛が出てくるのです。それを「育愛」といいますが、皆さん方のいうのは「盲目の愛」で、物事を知らない愛が殺人を犯すわけです。
 そういう事にならないように、一生懸命気をつけなければなりません。

私から飲むものは乾かない
    永遠に減ることはない

 自分が普遍だと信じるものには普遍的な力と知恵が現れます。自分は普遍だと信じないものに、どうして普遍的な力と知恵が現れましょうか。
 
 では、普遍的な知恵と力は、誰が制限していますか。個人の中に普遍的な知恵も力も存在しているのではありませんか。では、あなたの中に神の全てが存在してませんか。あなたの中に全部が揃っています。あなたの中にいる神は、全知全能ですから、これを知恵の泉、力の泉、生命の泉といいます。

 ですから「私から飲むものは乾かない」「永遠に減ることはない」。この言葉が分かりますか。あなたの生命や知恵は減るのでしょうか。無限大の知恵があなたに注がれているのではありませんか。

 では、あなたの個人的な知恵や力はありますか。全体としての知恵があるだけです。全体としての力です。個人的な力はありません。

 全知全能の神が皆さんの中に宿っているわけですから、自分の中に全体の知恵、全体の力、全体の生命が宿っているといえます。そうなりますと、「神のものは私のもの、私のものは神のもの」となりませんか。

 このことがはっきりと直知出来るようになれば、この知恵と力はあなた方を通じて現れるようになります。それ以外に現す方法はありません。ですから、「認めるものは現れる、信ずるものは現れる」わけです。

 なぜ疑うのかというのはそこです。皆さん方はまだ疑っています。なぜかといいますと、疑っていなかったら現れているはずです。なぜ現れないかというと、半信半疑であるからです。

 「心を尽くし、魂を尽くし、精神を尽くす」ことを思っていません。心の底からそう思わなくて、知識でそう思っているからです。

 深い信仰とは本心からそう思わなければなりません。知識の次元で思うことではありません。知識はすぐ忘れます。ですから、「私は大霊である」「普遍だ」「無限だ」ということが、心の底から出来るようになるまでは、億念しなくてはなりません。このために瞑想するわけです。

個人的意識は迷いの意識

 皆さん方は今まで、常に自分が個人だと思ってきましたので、今度は逆に常に無意識のうちに自分は普遍だと思い込む。普遍意識状態にならなければなりません。普遍意識は神意識ではありませんか。

 個人の中に注がれている意識は普遍意識です。普遍意識のみです。皆さん方の意識は即普遍です。ですから、普遍こそ絶対実在ですから、その普遍的なものを認める。容認する、信ずる、これが大切かと思います。

 では、本来の自分があったのか無かったのか。今まであなたが感じてきたあなたはあるのですか。ないのですか。無いのではありませんか。では、無我ではありませんか。神我があるのみです。神我こそ絶対なるものです。絶対なる我です。真の自己です。この偽我に打ち勝つことが無我となる秘訣です。

 「私がねえ」などと自己主張をしたり、自己中心的になったり、そのような我がある限り、皆さんは迷いの真っ最中です。迷いのない人間には自分はありません。自分を感じて自分があると思っている限りにおいては、皆さん方は自我です。

自負とは何か

 自分に負けている状態を自負といいます。この負けるというのは背負うという意味でもあります。負荷ですから、自分を背負っているわけです。

 本来は自分はないのに、自分を背負って生きるとは何たることでしょうか。自分はないのはありませんか。私はなかったと、神のみがあったと、このことは非常に重要です。「無我の境地」とは、自分のない状態をいいます。即ち自我のない状態を無我の境地というわけです。神一元の境地です。

 皆さんから何名でも、無我の境地にすることが出来たら、私はこの世の中に出てきたかいがあったという事になります。一人でもよいから、自分に打ち勝つ事の出来る人間ができたとするならば、あるいは何百名も何千名も出来たとするならば、私は今世の大勝利になります。

 また、この世に来たかいがあったことになります。ですから、皆さん方もぜひ自分に打ち勝って、神我に目覚めて、また、多くの人々にお手伝いをして頂かなければなりません。

最大の敵は自分

 まず最大の敵は自分です。その敵である自分に打ち勝つことが最も大切です。
 あなたがあなたに打ち勝った時に、克服者キリストとなります。勝利者キリストとなるのです。自分に打ち勝つことが勝利者となる秘訣です。自負をしては駄目です。コの字を見て下さい。

 「自負」とは自分に負けているのです。自分に打ち勝てば、自負は存在しません。自負とは何かといいますと、自我です。偽我です。自分に負けている人は自負です。

 「あなたは自負心はないの」と、よく言いませんか。自負というのは、即迷いです。自負があるとは迷いがあるのです。それ故、自分から打ち勝ちましょう。

 普遍の他に何が在るのでしょうか。なぜ、普遍の他に何もないかと言いますと、全ての形体は普遍者がお作りになって、全ての形体は普遍であるのです。

一度に二人の主人を持つことは出来ない

 あなた方は、一度に二人の主人を持つことは出来ません。また、一度に二人の自分を持つことは出来ません。自我か、神我かその二つの中の一つを選択しなければなりません。

 あなたは自分は小さいと思うと同時に、自分は大きい自分も小さい自分も持つことが出来ますか。あなたが小さいと思っている時は、大きいあなたは存在していません。あなたが大きいと思った時に、小さなあなたは存在しておりません。大きい物を得るか、掴むか。小さいものを掴むかです。

 ですから、あなた方は思っている通りのものであって、それ以上のものでも、以下のものでもありません。そのものです。

 今までの自分は小さいものであると思って生きてきました。それはなぜかといいますと、外を見たからです。内を見てご覧なさい。内なるものは小さいですが、普遍そのものです。内は即普遍です。ですから、普遍的なものを見ることが本当の自分を見ていることになります。

 外側でものを見ている時は偽物です。内側で物を見ている時は本物です。その本物は普遍大で宇宙大です。無限大です。ですから、皆さん方は常によく念じて、その普遍的なものに一心集中していなければなりません。

覚者は誰か

四六時中神を思うことは、四六時中あなた方が普遍でなくてはなりません。あなたが四六時中個人的に見ているならば、四六時中個人意識となります。個人意識は低我です。

 あなたは個人ではありません。個人の実体は普遍ですから、本物の自分は、このような姿形ではありません。そして、自分は宇宙に遍満する大霊であり、宇宙に遍満する生命であり、知恵であり、力であるという思い方です。

 そして、この思いを受け入れた自分は大霊であり、大生命であるとして受け入れたものは神信者です。大覚者です。大きいものであることを悟りましたので、霊覚者です。分かりましたか。

 私達は毎日、そしていつも、次のように言ったら良いと思います。「私は血や肉、姿形に属するものにあらず」
「我は大霊なり」「我は普遍なり」と、常に自分に言い聞かせなければなりません。

 そして、毎日言い聞かせておりますと、無意識の内に自分が普遍だと思えるようになります。それが「油注ぎ」といいまして、常に意識するという意味です。そのようにすれば内なるものを常に意識するのが自然に強烈になっていきます。

 内なるものが活発化している時には、外なるものは沈黙を守ります。自我が活発化している時には、神我は沈黙を守っています。ですから、あなた方は自我に力を与えないためには、自我を意識しないことです。

 常にどこを意識すればよいかといいますと、内なる我である普遍的な我を意識し続けることです。ですから、時間あるごとに瞑想しなさいというわけです。

 瞑想とは普遍と見つめることであり、普遍を意識することです。実在を見る、実相を見るのです。実相を見ることが見神です。神を見るとは普遍的なものを見ることです。それと同時に自分を見ます。

 ですから、自己を見つめるとは、自分を見ている時に、あなた方は神を見ているのであるという意味になります。
 ですから、神様を見たなどという戯れ言に騙されないことです。「私は昨日、神様を見たわ。髭をつけて杖を持って、あんなことしていたわ」というような嘘つきにだまされないことです。それは幻です。

 無形・無相の大霊を見なければなりません。遍満する大霊を見なければなりません。それを見つめたときに、私達はこの普遍的なものの写しであり、影であることが分かります。

「神我顕現」とは何か

 霊的なものは永遠ですが、あなたが「わたしだ」と思っている。貴方の自我はいつかは朽ち果てさせなければなりません。それが自分です。今までの「私が、私が」と思っていた自分は永遠ではありません。

 霊的あなたは永遠です。これが久遠の我であり、永遠の生命という意味です。久遠の富でもあります。これを掴むか掴まないか、それを掴んだ時に皆さん方は、もう神の跡取り息子であり娘になったといえます。

 神の全てを受け継ぎましょう。既に受け継がれているわけですから、私達はそれを受け継ぐ権利があります。特権が与えられているという事実を知らなければなりません。

 皆さん一人ひとりには神の知恵と力と、上のすべてを受け継ぐ特権が与えられています。それを拒んでいるのは自分たちであったと気付かねばなりません。

 神はけちくさいものではありません。どんな善人にも悪人にも、平等に自分の息子に無限大の富が与えられています。素直に受け継ぎましょう。

 そして、「そうだ」と皆さん方が信じた時、もう受け継いだことになります。そうした時に、神のものが全て貴方を通じて顕現されます。「神我顕現」です。

 世の中はいろいろで、様々な神を説くものがおりますが、皆さん方はそのことをまず選別して頂きたいと思います。あれが神だ、これが神だというものに耳を貸してはなりません。

 なぜかといいますと、神は無限者であり、普遍者ですから、「これが神だ」といったら、もう神では無いといえます。神理でもありません。

 なぜかといいますと、神は全き神ですから、全ては神ですから、「これが神だ」と言ってしまえば、もうそのものは神を知らない盲目の指導者であるとなります。

 神は全ての全て、ありてあらゆるものである事にお気づき頂ければ良いと思います。

 無我とは、初めから自分はありません。今もないのです。未来永劫にありません。あなたが勝手に作っている幻影です。実際に存在しているあなたは「大霊のあなた」であり、貴方の考えている「あなた」は存在していません。

あなたはない「あなた」を初めからあったと錯覚していたのです。初めからあなたは存在していません。初めから大霊が存在しているだけです。

 なぜかといいますと、全ての形体を大霊が作って、全ての形体に大霊が宿っていますから、初めからあったのは大霊であって、あなたではありません。

 真の自己は初めから大霊だったのです。それが分かったらもう無我だと思います。自分がないのだと、お気づき頂ければありがたいと思います。本来自分は存在していません。

 神我である大霊の自己、神我のみが実在しています。常に時間あるごとに、本来の、普遍的な自分に一心集中して頂きますことをお願いしながら、ご説明を終わらせて頂きます。ありがとうございました。

雑念とは概念であり観念である

雑念とは何かということについて、話してみたいと思います。私達は瞑想をしている時に雑念が入るといいます。
「雑念が邪魔して、なかなか統一できない」というように表現しますが、この雑念とは一体なんだろうかということを問われた時に、答えきれない人が大勢います。

 雑念とは即ち外念であり、観念的なものはみな雑念です。即ち、私達が外なるものを頭のなかで考えていることがみな雑念でして、その反対は億念です。お釈迦様は億念という言葉を使い、「億念しなさい」と言われました。

 雑念とは外側の念です。即ち自我のことをいいます。皆さん方が迷走中に色々考えることはみな雑念でして、それを雑念が入るといいます。皆さん方はこの世的なものを一所懸命に瞑想しますが、それを自我瞑想といい、雑念瞑想といいます。

 一所懸命にこの世のことを考えて瞑想します。そして、一所懸命やったという人がいますが、それは雑念瞑想、自我瞑想であって、神我瞑想ではありません。そのような瞑想はやればやるほど頭がおかしくなるだけです。

 雑念がない状態というのは外念のない状態です。我々は見える世界のことしか見ないし、ほとんどの方は観念的です。観念的、外念的なことが頭のなかに一切浮かんでこない状態が大切です。即ち頭のなかが空っぽ状態を言います。

 頭のなかが空っぽ状態を空(くう)と言います。空の状態にしなければなりませんが、座って一所懸命に、あれやこれやと考えることを瞑想だと思い込んでいる人が大勢います。

 それをやっていますと、自分の作った自己メッセージを神からのメッセージだと思って、間違って自己メッセージを作って、神様がこんな事を言いましたとか、あんなことを言いましたとか言い出す人も出てくるわけです。

 私達がこの俗世という、見える世界の現象世界のことを完全に頭から抜いて、頭で考えることをやめた時に、静止念といいまして、本当の神が現れます。これをインスピレーションとか、直感といいます。

 あなたの頭で考えていることは全てが雑念です。我々の頭は雑念のことしか考えられません。また、考えきれないのです。瞑想していたら、色々のことを教えられたというのは、実は自分で考えだしたものです。外念ですから教えられたものではありません。

 瞑想を一所懸命やる時は、いろいろ考えることを停止しなければなりません。考えることを止める、これを沈黙といいます。我々の自我意識という外念が沈黙を守った時に、神我意識が活発化してきます。その状態を天啓というのですが、外念がある限りは天啓を受けることは不可能です。
 
初歩の状態の瞑想から本当の瞑想へ

 あなた方が座って、一所懸命に瞑想をしようと思っても、色々と考えるならばそれは雑念になりませんか。そして、色々のことを考えている時は、その雑念はなくそうとすればするほど、余計に増幅してきます。

 なぜならばその雑念に抵抗しているからで、その時には一時停止して瞑想を止めるべきです。そのまま続けますと、おかしな状態が起こります。その時には神でもない。神まがいの憑依現象が起こります。そこに波長あった、幽霊からの者が、パッとその者を支配してしまう状態です。

 瞑想は大切なものでありながら、非常な危険が伴います。そのように完全な憑依を受けた時は、自分が神になったような錯覚を起こしてしまって、憑依霊の犠牲になりますから、そうならないように気をつけなければなりません。

 私達が瞑想するときに、「空になる」とは考えが停止した状態をいいます。頭では何も考えない状態になって、完全に神に委ねた状態を静止状態といいます。静寂な心といいまして、それが本当の自分です。

 自我が全然動かない状態で、外念や観念的なものが働かないのです。その時に神我は皆さん方を支配します。これが本当の瞑想です。

想念とは何か

 皆さん方は想念を非常に勘違いしています。皆さん方が思っている観念的な思いや外念的な思いは想念ではありません。それは雑念です。この観念や外念がなくなった時に本当の想念が働きます。

 想念とは正想念のことをいいますが、それは上から来るものです。外念や観念は神からきたものではありません。外から来たものを、あたかも想念だと思っているのは間違いです。

 その想念を「実現の母」といいますか。悪い思いを我々の心の中や頭の中で描きますと、悪い状態がこの現象世界に現れてきますから、イメージの仕方を間違いますと大変危険を招くことになります。

 それをマイナス思考といいます。そして、プラス思考というのは、すなわち億念をいいます。

 皆さん方は一心集中という言葉をよく使います。これはどんな意味かといいますと、例えばこのチョークに一心集中するのは、チョークだけを見て、チョークだけを考えて、他のものをみてもならないし、という意味です。

 それに一心集中するのです。それ以外を考えているならば、それはみな雑念です。

 殆どの人は集中力がないから雑念が起こってきます。ですから、その集中力を養っていかなければなりません。では、一体全体何に集中するかといいますと、神我という大霊に集中しなければなりません。

 人間とは大霊によって作られた大霊の住かです。この大霊に一心を集中するというのは、大霊のみを見て大霊のみを意識する事です。そうすることによって、現実に大霊が実感出来ます。

その時の皆さん方は億念したことになります。それが瞑想です。

 大霊への一心集中とは、大霊のみを見て、大霊のみを考えることです。それ以外に見てもならないし、考えてみてもなりません。雑念が外念があってはなりません。

 瞑想中に憑依霊を受けた人の殆どは動機が狂っています。超能力でも得て、大金持ちにでもなってみようというような、観念的な外念的な考えを持っている人達です。
 
大霊には欲望がない

世の中には潜在意識を開発して大金持ちになろうというグループがありますが、それは非常に危険です。そのようなセミナーを開いてやっている者は、みな憑依霊を受けます。欲望が動機です。欲望とが自我ですし、神我は無欲です。
 
 なぜ、神我は無欲かといいますと全我であるからです。全ては我であるから、それに欲望があるはずがありません。自我は分離感をもっているから欲望となります。

 皆さん方が神我になりますと、無欲になります。欲望は出てきません。欲を捨てるとは、自我を捨てることです。
あなたは自分が他人とは別だと思っているから欲望があるのであって、自分と他人とは一体だという意味が分かれば欲望はなくなります。

 なぜかといいますと、神には他人というものがないからです。こちらの者にもあちらの者にも、同じ霊が宿っているわけです。

 形の世界を見るから他人がいるのであって、中身には他人がありません。他人という思いがありません。大霊が人間を創って、大霊が人間の中に宿っています。
 
 同じ霊がすべてを創って、同じ霊が全てに宿っているのですから、霊の世界には他人はありませんし、欲望もありません。

 外念の世界に生きている人間には分離感がありますから、自他があります。本来はないけれども自他を感じるわけです。霊の世界には自他がありません。そのようになりますと、そこには欲望はありません。

 例えば、一つの木にこちらの木の葉の生命と、そちらの木の葉の生命とは同じ生命が宿っていますが、この内側には他人という意識はありません。

 そうなりますと、こちらの者がそちらの者から何かを奪ったら、自分が奪ったことになります。逆にこちらの者からそちらの者に何かを与えたとすると、自分に与えた事になります。

 人から物を奪うことは、自分から物を奪うようなものです。人を傷つけることは全部、自分を傷つけることになるわけです。


知花敏彦先生のお話から一部引用ですが…♪

 では、人間と神の関係はどうなのでしょう。
本来は「人間と神の関係さえもない」という事です。

 この説明のためにテーマをつけて書いたものであり、
関係さえもなく、「一つの存在」であるのです。

人間と神」は、「即、一体」の存在であり、
我々」も「神の存在」であり「神そのもの」であったという事が分かるのです。

我は神なり」。「我は生命なり」。我は神理なり。と。
我は神(の一部)であり、我はキリスト(宇宙生命)である」という悟りに至らなくてはならないのです。


地球は魂を完成させる場である

 百点満点が取れるようになった時、神様はあなた方を選ばれます。
(もうこの者は大丈夫だ。もっと高度な勉強をさせてもよい)
とおっしゃって、高度な惑星に連れて帰るのです。

 しかし、向こうでもまた修行です。
 今、地球は中程にあります。下段でもなく、中段です。

 これよりももっと下に、霊の低級の次元があります。
 今、人間は、真中にあり、完全でも低級でもなければ、高級でもないのです。

 宇宙には太陽系惑星があり、高級の惑星が金星であり、水星であり、土星であり、地球惑星より優れた惑星であるのです。

 この地球で問題を解いてそこに帰る魂を、皆さん方は「成仏」と呼んだり「昇天」と呼んだりするわけです。

 問題は地球にあります。真の生き方(神我顕現)をここで学んで、その神理に基いて生きられるようになると、この地上界には生まれ変わりはしません。もっと高度な惑星に上がれます。

 これを「昇天」と言ったり、地球からの「解脱」といいます

 それを成し遂げないかぎり、地上界の浮き沈み(地球での輪廻転生)の世界で勉強させられます。

 体験ですから、まあ、それもよいでしょう。しかし、本当は「今世で卒業して、みんなで帰りましょう」と言いたいのです。

 高度の惑星に連れて帰るために私(知花先生)は、この地球に来ているので、皆さん方に高度な神理を説き、その神理に基づいて生きて、そして完成し、皆さん方を連れて帰りたいのです。

 高度の惑星に帰ると、皆さん方は向こうでは「天使」と呼ばれます。高度の惑星では、地球から卒業した人材のことを「天使」と読んだり、「ハイアラーキー」と呼んだりするわけです。

 高度な惑星から肉体を持って指導者として、地球の我々の魂の兄弟を救済しに天使が降りてくるわけです。

 地上の母なる肉体、お腹を借りて誕生して、普通の人間のように生まれてくる天使と、そのまま肉体を持って、ポツリとどこかに存在して導く天使と、二通りの天使がいます。

 皆さん方が、空想、妄想しているような天使ではありません。
 天使方は、宗教的、オカルト的、空想妄想的な、目に見えない存在ではありません。

 今、この地球上に別の惑星から何万という天使方が、人類救済のために降りてきていらっしゃいます。その方々を、皆さんは「宇宙人」と呼んでいますが、正に、宇宙人です。

「イエス様は宇宙人であった」とか、「お釈迦様は宇宙人であった」といいますが、その通りです。あなた方も宇宙人です。

 「一なる宇宙」の中に存在する。1個の惑星が地球であって、あなた方は宇宙人だからです。

 その理由がおわかりだと思います。ですから、「天使方は、正に高度な宇宙人である」というわけです。

 イエス様が「わたしは上から来た者である。あなた方は下から来た者である」といわれたことは聖書にも書いてあると思います。

「下から来た者」とは、低次元の惑星から徐々に進化してきた者のことで、私達は地球の中間の学びをしているわけです。


人間の目的は何でしょうか。

 魂の向上、「自己完成」が最大の目的です。自己完成、魂の完成のために地球があるのです。

 この地球上で学ぶものがなくなったならば、もう1段高度の惑星に移される。それを「甦る」といい、「昇天」していくわけです。

 この地上界で完成されていない者は落第なので、それが完成されるまで地上界で生まれ変わりをします。

 「輪廻」を繰り返すのです。

 昇天すると、輪廻する者。高い方に帰るか、また、落第してここに生まれるか。それは、あなた方の自由意志です。

 今世で本当に神理を理解し、正しい道、方に添った生き方をすることによって、あなた方が完成されるわけです。


 あなた方は、今、それを求めておられます。そうした時、世の中の幸せはあなた方が造りだします。

 あなた方が救われた時、あなた方は世の中の指導者になります。あなた方を通じて人々が救われていく。それだけ高度な指導が出来るのです。


「全ては神=我神なり」という真理♪

意識の進化=愛の拡大=分離意識の克服=
我は全体なり・全体我なり=全一体・自他一体=

全ては私=全ては一つ=全ては一つの存在の現われ=
宇宙は一つの生命体=全てに神(宇宙生命)が宿り給う=

宇宙は神一様=全ては神の中の存在する一つの存在=ワンネス
全ては永遠に一つの存在=全ては一つ=全ては私=全ては神

全ては今この瞬間しか存在しない=全ては永遠に一つの存在=
永遠の始まりである神の御心のみが実在=今即天=今即実在=

大愛・宇宙生命・神の一人子である神我キリストのみが実在=
全てはこの瞬間に存在する宇宙生命そのもの=全ては神そのもの=
全ては神ご自身=神一元・愛一元・光一元=宇宙即我=我神なり


調和=愛の法則そのもの=罪なきもの=完成=幸せな人生に
不調和=愛の法則を犯している=業・罪=カルマの精算が起きる

愛と赦し=調和=愛=幸せ・健康=完成=中性=完全=光人間
恨み・憎しみ・争い=不調和=罪=病・災難=不完全=闇人間

愛と赦し=カルマの消滅=神の祝福=幸せなツイてる人生に
許さない・恨み・嫉妬=カルマの刈り取り(不幸災難)な人生に

調和人間=愛が深い人=愛の光そのもの=克服者キリスト=完成
不調和人間=恨み・嫉妬・責任転嫁闇人間=罪人=未完成

調和=光明世界・愛の王国=愛・光・善=平安と安らぎ・至福感
不調和=無明世界・闇世界=未熟な愛=不安と恐怖・飢餓感・不足感

調和の人は熟した魂=自分を愛するが如く他人を愛します=ワンネス
不調和な人は未熟な魂=他人を責めて非難します=分離意識


 イエス様は「愛は天と地の架け橋」とおっしゃられました。その愛とは「許しの到達点」である「慈悲と愛」で御座います。

 真の意味で貴方が、その「許しの到達点」の境地に到達した時に、自ずと「天である神」と「地である貴方」との架け橋が繋がる事でありましょう。私は実体験からそれが実際にありえると確信しております。


愛は天と地の架け橋  この愛の理解と体得が神様と繋がる鍵♪

神・大愛(天)……全てを活かす愛・慈悲と愛・すべての形態を形作る力・意識を与えて下さった魂の根源・真の親・すべてを活かし育む力、縁の下の力持ちで全てを愛し慈しむ無償の愛・無限の愛・すべてに意識を与えて下さった天の父であり天の母である中性エネルギー・真の親・愛を表現する為に…無限の創造をなさっている慈悲と愛そのもの

神の表現体(地)……神が神を愛する為に生まれた存在・神の化身・愛の化身・神の表現体・神の中に創造された神・個別化した神としての自覚に覚醒めた我・滅私して神の道具意識を自覚している我・自分が神ご自身だと悟った我・愛を表現する為に生まれた事を自覚している我、全てを100%の愛で愛する我、自分と全てが神以外の何者でもない事を自覚している我


第六密度以上の高次元存在が語る
「許し」というものが、カルマの輪を止める事になるお話

★ コーリー : 多くの人々が現生のトラウマだけでなく、過去生のトラウマにも対処しているところなのです。

今、地球に生まれて来ている多くのライトワーカーは、援助の為により高次元や、上の密度から降りて来た人々です。

現生が初めての人でも、高次の美しい場所からここへやって来た人にとっては、ここでのトラウマは10倍酷(ひど)く感じられるものです。

そして、長期に亘(わた)って輪廻転生を繰り返して来た人の場合は、更に解消しなければいけない過去生のカルマが加わります。

しかし、ブルーエイヴィアンズから言われたのは、トラウマを特定し、自分にトラウマを与えた人や自分自身を許すこと、

そして、この”「許し」というものが、カルマの輪を止めることになるということです。カルマがなくなるんです。

これは、エネルギー的なものです。
カルマとは」負債を支払うようなものではなくて、
許してエネルギーを解放するもの」なんです。



カルマとは宿題・魂の課題・許しによって消滅♪
……………………………………………………… 
「許し」を心から実践=カルマの輪を止める=カルマがなくなる♪

自分にトラウマを与えた人や、自分自身を許す==
             ==魂の課題を克服=カルマが消滅♪

許す事によってエネルギーを開放=カルマの克服・解消に♪


ケイシーリーディングから…♪

全身全霊で「神を愛する」大切さ
「神を求める祈り」をする大事さのお話

 エドガーケイシーは、宗教生活についてそのもっとも美しい表現の中で、この事を次のように語っています。

あなたがたは心を尽くし、思いを尽くし、体を尽くして汝のなる
(大生命・内在の神)を愛し、隣人を汝の如く愛するのである。

このキリストの与えた言葉が法則の全てである。
それに優るものは存在しない

 主が約束されたように、あなた方は
来る日も来る日も明想し、「祈りゆく」うちに到来するあの目覚めによって、
主(宇宙生命)が自分の意識の中に留まられる事を知る事が出来る
神我が中にまします・父と子は常に一体)。

 あなた方はこの目的のために、
主が臨在し、その御霊(キリスト)があなた方の中に留まるあの意識を、
あの自覚を讃えるために生まれてきたのである。」

自我・偽我 =表現者、原因である父なる神を忘れている状態(放蕩息子の状態)神理を知らない状態・自分の力で生きていると思って迷っている状態、肉体の己を自分と思っている我、分離感・分離意識で個別化された表現を別個の存在と認識している我・分離意識・エゴ・肉の感化、五感の感化を真実と錯覚している我・迷いの影、幻、幻想(マイヤー)・自己保存、自我我欲の心


真の自己(真我)=父なる神と常に一体の境地・ワンネス意識・全一の意識・神我キリスト、全ては自分、全ては我、全ては神、全てを愛する我に目覚めた状態・宇宙生命によって生かされている事を自覚して実感している我・私が生きているのではない、なるほど一つの生命である神が生きていらっしゃる、全ての知恵と力は神から与えられている、神の中身は神、全ての全ては本質的には神、神のみが生きてらっしゃるんだなと悟った我・神一元・愛一元・光一元・我神なり、全ては神なり、全てに神を観る境地・神は生命(霊)なり、我も生命(霊)なりの自覚・宇宙即我、キリスト意識・高我・実在・全てを愛し全てを許す境地・慈悲と愛・あなた即私・私即あなた・宇宙エネルギー即自分・無限即我・不変不動の絶対なる実在・普遍なる宇宙・無限者・宇宙神

FC2版の広瀬すずちゃんの横顔になる方法の記事です♪
身長を伸ばす記事も追記してみました♪

意識は創造原理♪意識とは、神であり、生命♪超能力という超意識が神意識そのもの♪キリスト意識とは、霊意識、即ち宇宙意識、普遍意識♪アイアム、真の自己は全宇宙に遍満する大霊そのもの♪我は大愛の中にあり、大愛は我が中にあり♪私と神は一体である。神の全ては私のものであり、私のものは神のものである♪隣人とは、神にとっては「わたし」です。神自身です♪悟っている人は、自分自身の中に神を観ると同時に、一人びとりの中に神を観ます♪ 一体とは「一つの体」という意味・ 「人間と神との関係は一体であった。一つの体であった」という事♪知花敏彦先生・総まとめ記事・第4回目♪

覚者☆知花敏彦先生の記事をまとめてみました。 
皆様の悟り☆覚醒のお役に立てて頂ければ幸いで御座います。
この記事は、第4回目になります♪




キリスト神我は不可視の大霊

キリストとは何かといいますと神我で御座います。神我とは何かというとキリストで御座います。キリストとは何かといいますと大霊で御座います、
でそれが真のあなた方で御座います

キリスト」は「即神理」で御座います。
即ち、「神我」は「神理」で御座います。
神我」を知っているという方は
神理」を知っているということでございます。

だからキリストを通さずにして何者も神の国に入らずと、
キリストの神我」の世界が「神の国」で御座います
、「天国(内なる神の国)」でございます。

キリストは我が内にありと、我は神理なりと、
今即天と、今即実在、真実、即ちキリストは真実で御座います、
即ち神我で御座います。

皆さんの本当のあなた方というのは、全宇宙に遍満する大霊そのものであるということで御座います。

全ては大霊」なんです、「全ては神理」なんです、
全てはキリスト」なんです。

だから、キリストは一にして多なるもの、大霊は一にして多なるものという事でございます、
神は一にして多神」という意味でございます。

だから、我々ってものは、その神我、即ちキリストによって創られたのキリストの表現で御座います。

大霊の他には、キリストの他には、何もないのでございます。
神我の他には何もないのでございます。

「神我」が一切のものを創って、「神我」が一切の中に留まると、即ち、「キリスト」が一切のものを創って一切の中「キリスト」が留まっているという事でございます。

キリストが不可視の大霊」であるということをよく理解することが大切だと思うんですね、
どうですか、キリストは一個人的ですか?
普遍であり大霊だと思いますか?・・大霊ですね。

キリストのましまさぬところとは無いのでございます。
その「キリスト」は、「大霊」そのもの、
神霊」そのもので御座います。
即ち「神そのもの」で御座います。
唯一神そのもの」で御座います。

それが「真(まこと)のあなた」なんです。
私たちは、決してこの姿形が私達じゃないのです、それはあくまでもそのキリストの表現、現れにしかすぎないので御座います。

それをゆっくりお考えになって頂きまして、自分とは何かといったら、
自分、アイ・アム、自分というものが即この

全宇宙に遍満する大霊そのもの」であるという事を、はっきり実感できて、見ることが出来る、思うことが出来るような、「意識状態」にならねばならないのでございます。

これが「キリスト意識」で御座います。
即ちキリスト意識とは、霊意識、即ち宇宙意識、普遍意識で御座います

それを知らずにして、理解できずにして神の国に入らずというのは、キリストを通さなければ神の国に入らないというのは、神我を知らなければ、神我を通さなければ、神我そのものが神の国であり、天国でございますね、

即ち、キリストそのものが天国であり、神理であり、神の国で御座います。

だから、キリストを信ずるものは救われる、信ずるものはっていうよりも理解するものは、知っているものは、即ち神我を知っているものはという事でございます、己を自身を知っている者はという事で御座いますね。

霊の他には絶対に何もないと、霊一元、神の他には絶対に何もない、神我の他には何もない、これを「無我」というんです。


愛はすべての癒し主

その人が愛と調和を知ることによって、いかなるガンも克服できるということですよ。愛に勝てるガンはありますか?、ん、あります?

ガンと愛と戦ってはどちらが勝ちます?、アッハッハ、愛ですよ(笑)
ね、わかりますか。

じゃ、此の世に、癒せない病気があるのか、ないのか、ないですね、
愛を持ってきたとするならば、ね、愛に勝てる病気というのは1つもないのです。

愛はすべての癒し主」です、癒し主ですね、そうですね。

イエス様はなぜ病気治療の名人だったのでしょうか、
愛そのものであられたからだと、ね、
その人のそばにおるだけでも愛を受けたからです、意味分かりますかな?

愛の波動」ですね。
だから周囲の者がその光の影響を受けて、病気が治るわけですね、
あなた方もイエス様のような病気治療の名人になりたかったならば、
これを受けて下さい。

ね、我は大愛の中にあり、大愛は我が中にありと、
私の本性・本質は大愛だったんだと、ね、
全ては愛から生まれて愛だったんだと、
いうことを理解出来ました時に、

目も震えんばかりのね、この肉体細胞が喜びを感じますよ、今ね、
皆さんの前で、こんな事を言うのはおかしいのですけれども

私の細胞ひとつびとつが喜びを感じているんですね、
ふるえんばかりの喜びですよ、

これは想像を絶するものですよ、ね、何故かと言うと、
その細胞ひとつびとつが意識を持ち、喜びを持ってるんですね、
実際に、そのふるい立つ喜びといいますか、というのをね、
体験してみてほしい、と思うんですね。


昇天とは何か

無限なる自分」を小さな自分にしているのは自分自身です。
だから、小さな我から宇宙的我になることを意識の拡大といいます。

意識の高揚というわけです。じゃあ、誰があなたを昇天させるの?ん、
昇天とか成仏というものは、
自我意識状態から本来の「神我意識」状態になる、
神意識状態」なることを、「昇天成仏」というんですよ。

それ以外に成仏があったためしもないし、
昇天という言葉があったためしもない、そうですね。

神我意識」の世界は「神の国」でしょ?
あなたは神我意識にならないでも、神の国に住むの?
自我意識であるかぎり、人間界にしか住めないのですよ。

私は人間だと意識を持った人間が、どうして神の国に入るかということです。あなたが神の国に入るためには、あなたが神意識でなくてはならないという事ですよ。

神でないものがどうして神の国に住むの?ということです。
神ではないと思っている人は人間の世界にしか住めないのです。

だから、再三この人間の世界に生まれてくる、輪廻転生、ね、

転生輪廻というのは、我神なりという神の自覚の出来た人は昇天しますけれども、自分は神であるという神の自覚の出来ていない人間が、一人だって昇天したためしはないのです。

だから、迷った人が昇天することはないのです。
迷った人というのは、自分がある人です。
自負のある人です、これを自縛というわけです、地縛霊というのは。

あなたがなぜ人間界にあなたをとどめているの?
あなたが私が人間(分離意識)だと思っているかぎり、
何万回でも人間の形の世界に生まれますよ。

お分かりいただけますか。
じゃあ、誰があなたを助けるの?誰が?自分(の理解力)でしょ。

だから、神は自らを助くるものを助く、汝の救い主は汝自身なりと、
救い主はあなた自身(の真理の理解力)であって、誰でもない、と。

私知花は、あくまでもアドバイザーです、ね、皆さんにアドバイスをしてるだけであって、実際にこれを行動を起こすのは誰なの?ね、
立って歩めというのはその意味なんですよ。

勇気を持って歩みなさい、と、その意識を持ちなさいという意味です。
だから神を受け入れるか、受け入れないかと。

神を受け入れた者であるならば、あなた自身が神意識になっているはずです。神意識にならないでは、神の国には入らないのです

だから神我(神意識)を通さずにしては神の国にはいることはないと、
わかりますね、神我(真理・全ては一つの生命)を悟らずにして。

神我の世界(ワンネス意識)が神の国ですから、神我の世界(神意識)に入ることが神の国に入るという意味なんですよ。

自我の世界(分離感)は、人間の世界ですから、人間の世界(分離感の世界)から抜けきれないというわけです。これを自縛というわけですね、

私は人間だと思った、生涯を終わったとする人は、
成仏ですか、不成仏ですか?

人間意識で生涯を終わった者は、成仏?不成仏ですよね。
自己を知らないまま、無知のまま、己に迷ったまま、迷いですよ。
自分を知らないという事は、迷っているということですよね。

悟った人というのは、自分を(父なる神と常に一体・神と私は永遠に一つ)知っている人という意味です。
悟ってる人であるならば、この形を自分だとはいいません。

言う?言わない、言ませんよね。
普遍的その大生命を己だといいます、今、考えない、意識しなくても

形をまだ意識して生きているかぎり、自分がありますから、
自負です、自分を背負っているわけです。

自負は即自縛です。自縛は即自我です。
だから、自我意識は、悟りですか?迷いですか?

迷った人には自我意識があるけれども、悟った人には神我意識しかないのです、自我意識はない。
自我意識に生きるか、神我意識に生きるか、だけのものだったのです。


意識は創造原理

 「意識は創造原理」ということを説明したいと思います。
まず最初に意識とは何であるかを知らなければ意識は物をつくる力であり、原理であるのを知るのが不可能になります。

 誰でも意識を持っていますが、その意識が何であるのか判らないのです。どういう働きをしているのかということも、意識・意識とよく言いますけれども、意識とは一体何でしょうか。

 その意識がどのように何であるのかを知っている人は非常に少ないのです。意識がどのように私達に影響を及ぼしているのかを知らねばなりません。

 皆さん、意識のない人間は一人もいませんし、皆さん方は誰でも意識を持っています。

 意識があります。意識なくしては物は存在しませんから
何でも(素粒子レベルで)全部意識を持っています。

 その意識が何故、物を作る力であるのか、
また創造の力であるかを理解したいものです。

 「意識」とは一体全体何であるかといえば、
「神である」と答えるのが正しいのです。
「神」であり「生命」なのです。

 われわれはその意識を持っていなければ、われわれは今ここに存在もしませんし、生きてもおりません。ですから皆さん方は意識が無くなれば、物を作る力が無くなり力が無くなり物を想像する力もありません。

 この意識で物が作られているのです。われわれの意識が日常生活に如何ように影響しているか、この人は意識の高い人とか、低い人とかいう言葉で表しています。

 意識の高い人とはどういうことを意味しているか、意識が高くなれば高い表現をしますし、低くなれば低い表現をします。この世は表現の世界で現象界ですから物が現れるのです。

 イエスは「創造の場と創造の力は皆さんの内にある」といわれました。
その創造の場と力も自分の内あり、その創造とは夢の中において行われるものであって、過去のものでもなく未来のものでもない。
 それがいま皆さんの意識状態だということです。

 ちょうど皆さん方は今ここに意識が向いて意識が働いて具現している訳でして、皆さん方の日常生活の一分一秒間に意識が働いて物を創造しているのです。
 即ち「意識そのもの」が「宇宙を創造している」のです。物を作り出しているのです。

 低い意識状態の者は低いものを結果的に創りだして高い意識状態の者は高いものをこの地上界に具現していくのです。造り出すのです。

 皆さん方は神意識という言葉を宇宙意識・普遍意識とかの言葉にして言いますが、神意識とは一体何なのか、皆さん方は神意識になりたいとう希望がありますが、神意識が何であるかが判らないと神意識にはなれません。

 神意識とは「我れ神なり」と自分は神であるという意識をしている人が神意識です。

 普遍意識とは何かといえば、自分が普遍意識的な存在であるということを普遍意識というのです。我、神なりといっているならば神意識です。

 そして我人間なりと意識している人は肉意識と言っているのです。
だから「想念は実現の母」とイエスはいっております。

 想念がものを作る、想念は力である。
想念が私達の日常生活の中に環境に全てに現れている。

 私達の意識そのものが神の想念ですから、正想念を常にもち良い想念を持っていますといい結果が現れます

 これを自由意志といい人間には悪いものを意識することも、良いものを意識することも、全て与えられているのです。
 
 それを自由意志、自由選択といいますが、皆さんの日常生活の中に現れているのです。

 想念が高いというのは、理想が高いとか、理念が高いとか、意識のことを理念とか理想とかいうことでも伝えられています。

 理を思うこと神を思うことも理想です。理に叶ったことを常に思うこと、神の意識は完全意識ですから完全のみを思い続けているのです。

 神の意識は不完全ではありません。神意識とは完全意識。何故、神は完全なのかといえば完全のみを意識しているから完全なのです。

 われわれ人間は何故、不完全性が現れるかといえば不完全を意識するから不完全が現れるのです。

 不完全を意識しなければ不完全は現れないのに不完全なものは作らないのに、人間には不完全と完全という自由意志があるが故に不完全も意識して、完全も意識しようとする両面を持っています。

 神に不完全という意識はありません。完全だけを意識しています。その意識は皆さんの中にある。

 それを自由意志・自由選択でもって完全なものを作り出すか、不完全なものを作り出すかは、皆さんの自由意志です。

 皆さん方が常に創造性を完全なものに向けて完全意識を持っておりましたならば、完全状態が皆さんの日常生活に現れを持っておりましたならば、完全状態が皆さんの日常生活に現れてくる筈です。

 ですから創造の場も、創造の力も皆さん自身の中にあります。その意識が全てのものを作り出していますから、その意識のことを内なる神、即ち内在神といわれているのです。

 皆さん方が低い状態のものを意識すれば低いものが現れ、高い状態のものを意識すれば高いものが現れます。そして意識の高い人というのは想念が高いのです。

 今までは我は肉なりという肉意識を持っていた人が、我は大霊なり、
我は大生命なり、普遍なり、無限なり、大宇宙そのものなりという意識状態になった時、意識の高揚、意識の拡大というのです。

 そして今、私達はどこに意識をしているのですか、結果の世界とか低い状態のものを意識しているならば意識の低い人というのです。低いものばかりを意識しているならば、低いものが現れます。

 私達が神のような完全意識を持ちますと日常生活に完全なものしか現れません。意識が完全意識を持ちながら、皆さんの日常生活に不完全が結果として現れると思いますか、皆さん方は自分が思っている通りのものでそれ以上のものでもなく、それ以下のものでもないのです。

 皆さんの意識状態が皆さんの日常生活に現れている。その意識を常に高い所に留め置かれて、高い所を意識していますとそれが日常生活に現れてきます。皆さん方の自分自身を決めているのは自分自身であります。限定することも開放することもできるのです。

 皆さん方が宇宙意識を持っているか、自分が宇宙そのものであり、大霊そのものであり大生命そのものであると、普遍的なものであるとそのように意識を持っている人は意識の高い人です。

 我は人間なり、我は肉体なりと思っている人は意識の低い人といえます。ですから皆さんの意識が今高い状態に留め置かれているのか、低いものを意識しているかによって、結果としてこの地上階に現れるものも、想念で皆決まってしまうのです。

創造の場と創造の力は汝の内にあり」といわれ、想念は実現の母といわれるわけです。皆さん方は何をするにも行動より想念が先ではありませんか。

 どこどこへ行きたいと思って初めて行動を起こすのではありませんか。想念が全てこの肉体を支配しているといえます。

 また想念は力であるといえます。例えば盗みを働く人ならば盗みたいという意識想念を起こした時、盗みという行動を起こすのです。皆さんは思った通りの行動しかしません。

 意識がすべてを決定づけている意識が肉体の支配者であります。
汝の主は意識なり」といえます。

 例えば、自分は病気だと支配者が意識すれば必ず肉体は支配下は病気を表現してくれます。苦しいと意識状態を起こせば肉体は必ず苦しみます。

 嬉しいと想念が思えば嬉しい表情をしてくれます。それ以上のものでもなく、それ以下のものでもない。

 そのままの皆さんの意識が、心が、この肉という表現の世界に現れてくるのです。肉体は意識の表現媒体であるといえるのです。

 そして全ては意識がものを創るのです。意識の力が理想を達成させるのです。理想を高く持つということは、意識を高く持つことで、意識を高く持つものは成功し、失敗するものは意識が低いのです。

 想念はものを創るというのはこのことを言っているのです。
この三次元は現象世界といい意識を表現する場所であり、その表現する力でもあり、この「意識」が「内なる神」というのです。

 どんな行動でも想念が主であります。われわれは日常生活の一分一秒の中で想念が非常に関係していることを知らねばなりません。ですから想念をコントロールすることを大切にせねばなりません。

 正しい意識のコントロール、即ち正しく使うことを正想念といいます。正しい想念は正しい結果が現れます。

 私達は思っていることがこの地上階にいくらでも具現できるのです。自分の理想を思い続けていますと肉体はその完成のために必ず働いて実現できます。

 心の次元は霊の次元ですから、思いを起こしていきますと、霊の次元で創られた雛形の青図面は必ず現象世界という結果の世界に現れてきます。

 想念の世界はまた、霊の次元です。霊の次元で創られたものが、結果として三次元という物質界に現れるのです。

 霊の次元の想念は如何に大切化ということになります。だから外界というのは内界の投影・投射に過ぎない結果の世界に過ぎないということです。

 想念の結果、意識の結果がこの世ですから、見える世界はすべて結果世界ですから、心の影とまでいわれるのです。

 外側は内側の結果です。その内側は意識であり想念ですから想念の場、ものを創る原理は私達の内にあるのです。その想念、意識をどう正しく使うかが問題です。

 その想念を自由意志により、ある者は悪想念を起こしますと、結果は悪として生まれる、盗みを働きたいと思えば盗みという結果が現れる。

 想念の世界は霊の世界、即ち神の想念は正想念なのです。その想念は人間が創り出したもので、自由意志で自由選択で創り出したもので、常々に心の中に完全ビジョン、即ち完全想念を描いていると霊次元で図面ができるのです。

 それを絶対に疑わず待っていると霊次元で図面ができるのです。その想念の管理、即ちコントロールが非常に大切なのです。

 想念が低く理想も低くて、生きるのも嫌だと思い続ければ必ず死にます。自殺でもしようか、生きるのも嫌だ嫌だと、常に嫌だという想念を持っていますと、肉体も嫌な表現をします。顔に表現が出ます。

 顔ばかりでなく出て来る波動も暗い波動が出てきます。その意識が日々の1分一秒によって物を作り出していることを知らねばなりません。皆さん方は建設もしますが、破壊もするのです。

 例えば物を買ったとしましょう。これを買って大丈夫だろうかと心配します。せっかく物を手にして具現したものを色々と金が行き詰まってしまって、どうのこうという時にはき的な想念を持つものです。

 そんなことは持ってはいけないのに自分で創り出したものを、自己破壊してしまう想念を創り出し結果として現れるのです。

 私達の全ての人は思っていることの意識が現実に現す超能力者です
超というのはこの世から離れたものの想念の世界で超意識です。それを創り出しているのですからこの世で超能力者で無い人は一人もおりません。
 
 すべて霊的力その想念の力がものを具現しているのですから、物質界という世界に物を創造して作り出しているのです。
 ですから超能力者であるのです。
その「超能力という超意識が神意識そのもの」なのです。

 それが誰でもその中に霊的力があるのです。それを霊能力といっているのです。想念の力そのものが霊能力というのです。

 その霊能力を正しく使えば運命が良くなりますし、破壊的に使えば運命が悪くなります。

 その想念が悪くなれば運命も悪くなります。意識が低下すれば、破壊的に使えば、結果的に日常生活で身体の中に現れてくれます。

 皆さんが完全意識をもてば自分の周囲に環境にすべてに完全なものが現れ、不完全意識を持てば、周囲に環境にすべてに完全なものが現れ、不完全意識を持てば、周囲に環境に不完全なものが現れてきます。

 何故、皆さん方は常に善意に完全意識を持とうとしないで、せっかく恵まれた幸せを崩すのですか、創ってみたり崩してみたりして、その苦しみを体験しておられます。

 神のように常に不動なる完全意識を持っていましたならば、運命に環境に全て完全なるものが現れます。それは、あなた方の想念如何に係わっています。思っている通りであってそれ以上のものでも、それ以下のものでもありません。

 今ならこの意識がものを創る力であり、創造原理であるのが判りましょう。神が一切のものの創造主であるように創造主の力が、皆さん自身の中に留め置かれているのです。

 皆さんが今、理想として自分という意識が想念がはっきりとものを創り出すことが、理解しておられるならば決して破壊的想念とか、低い想念は持たないと思います。

 今、ここに皆さん方の集まりの場が出来上がっているのは、誰の想念の力だと思いますか。それは私、知花の想念の力によります。

 これは沖縄にいる時にはっと閃きまして、即ちイメージが湧きまして、山梨に行って、こういう話をやらねばならないという思いが起こったので、この肉体が行動して1988年10月にここに来ました。こうして私の想念が具現して、そこに現れているのです。

 これは私の想念の結果であって。皆さんは知花の話を聞きたいという想念の結果が今日という結果が今日という日を招いたのです。

 ですから偶然なるものは一つもないのです。すべて必然なのです。霊の次元で起こったものがこの三次元という次元に必然に起こるのです。

 想念の世界、意識の世界は霊の次元ですから意識は霊ですから、想念は霊ですからその霊という原因の世界で組み立てられたものが結果の世界という三次元に物が具現されているのです。だから肉体というものは、はっきりいえば霊の操り人形なのです。

 表現媒体ですから、その表現している霊、即ち意識がなければ皆さんという操り人形はここに存在することはありません。肉体は想念の操り人形に過ぎないということです。想念に振り回されているのです。
 
 この肉体は食べることも寝ることも排便も全て想念が肉体に命令して行動する。意識が肉体を支配しているのです。
 日々の一分一秒でも、意識が働いて肉体を支配しているのです。
 あなた方の肉体から一分一秒間でも意識が働いていない時はありません。肉体から意識は離れません。

 皆さん方は常時、考えたり思ったりしています。それを正しく思い考える意識が如何に大切なことだといえます。

 この地上界に正しく念ずる事が出来るか、思う事が出来るかによって我々はこの地上界に正しく表現するか、悪い表現をするかだけのものです。

 自分自身を良くするも悪くするのは誰に責任がありますか。この責任を誰が負うのかは明白です。全て自分自身が創った環境であって、自ら創った苦しみであって、誰が創ったものでありません。

 あなた方は全てのものを創る意識がありまして、その意識がこの世の結果としてものを創り出していますから、皆さん方一人一人が創造主です。

 神は皆さん方を通じて、ものを創造していらっしゃるのではありませんか。このことがはっきり判りますと意識がものを創り、その意識が神であることが判ります。

 意識世界がものを創り、その意識が神であることが判ります。意識世界はものを創造するのであり、皆さん方の中に意識があり、その意識が神であり、創造主である力を持っているのです。

 そして無限の力を人間のみに与えられています。鉱物・植物・動物には与えられていません。鉱物・植物・動物には決まった一定の創造のみしか与えられていないのです。ですから悪くも良くもなりません。

 彼らは花ならば、その花以上のものには良くはなりません。また悪くもなりません。それは自由意志がありませんから。

 われわれ人間には物を得る力・全て引き寄せる力。創造する力があります。この世に鉱物・植物・動物を作ってその支配者として神さまは人間を創られましたが、われわれ人間は万物の支配権を持っています。

 しかし私たちは万物の低能となり下がったのです。創造の力が低下してしまい、想念の力が低下してしまいまして、悪い表現、悪い結果を生み出してしまったのです。意識の使い方が非常にヘタなのです。

 常に私達が完全意識を持って、完全ビジョンを持っていたならば、目の前にも環境にも素晴らしい物が現れますが、私達のビジョンが狂ってしまえば狂ったものしか結果として現れません。
 神のビジョンは完全ですから良いことだけが、どんどん興ってくるのです。

 神意識そのものになりましたならば、完全意識そのものになりましたならば、やることなすこと、全てが上手くゆくのです

 上手くゆかないのは何がそうさせるかといえば、もう大変だこれは躓くのではないかという意識が躓かしているのです。これはもう完全意識ではないのです。

 例えばある企業を経営しているとしましょう。そしてその経営者が倒産するのではないかという、思いの倒産する状態のビジョンを描いたとするならばその会社は誰が破壊しようとしていますか。

 その会社を自分が建設したのに自分が自己破壊していることになるのです。そのような思いを持った社長の会社に入ってはなりません。必ず倒産します。

社長の想念の世界には霊の世界には潰れるという青図面として出来ているからです。

 その想念を変えない限りアカシック・レコードといいまして想念形態といい、霊の次元ではその人の運命として想念形態が霊の次元では青図面としてあるから、それが具現してこの三次元に現れるのです。

 その人が持っている想念形態を観ればその人の運命と想いが判るのです。

 その通りのものが三次元の地上界に現れますから、悪ければ破壊的意識を持っていることや悪想念の破壊的な想念意識を持っているのが判るのです。

 その想念意識の部分を徹底的に直すことによって、その会社を潰さずに生き返らせることが出来ます。その想念意識を変えない限り確実に潰れるのです。

 霊の世界・想念の世界では潰れることが判っても、三次元の世界はゆっくりとしか現れません。それはバイブレイションが違うからです。

 思ったことがすぐに実現するのではありません。霊の世界で潰れることのビジョンを作っているのですから、潰れるのが当たり前なのです。

 夫婦の離婚もそうです。私達の夫婦はもう仲が悪くなったから、こういう具合に離婚していくだろうとイメージを創るのです。
 分かれたときの準備・お金・住む場所などのビジョンの世界を創ります。

 その通りのものを肉体は働きますから結果として地上界に実現させるのです。とんでもない間違った状態をビジョン化するのですから。皆さん方は創り主・創造主です。

 いま現に皆さん方は物を創造しています。だから創造したものが日々の生活の中に現れるのです。ですから常に良いものを創造し建設してゆかねばなりません。

 最初は夢でもいいのです。夢が実現されていくのです。不可視の世界が可視の世界を創っていくのです。

 皆さん方は宗教で救われるものではありませんが、宗教をやったら幸せになるという意識を持ったならば、どんな宗教でも間違った宗教でも、幸福に成るという意識であるから成るのです。

 宗教でよく病気を治すといいますが宗教が病気を治したのではなく、病気の本人の意識が治ると思っているのですから治るのであって宗教では治りません。此の宗教に入れば治るという意識が結果として治したのです。

 ですから「の信ずる通りなり」といわれるのです。宗教そのものに力があるのではなく我が内に力があるのです。
 幸せになるのも健康になるのも自分自身なのです。

 薬でもこの薬を飲めば病気が治るという意識が大切です。こんな薬は飲んでも治らないという意識があれば、飲んでも治りません。
 それほど意識の働きが重要です。「汝の信仰、汝を活かす」のです。

 自分を活かすも殺すも自分の意識次第です。ですから皆さん方はその意識を常に正しく使うことが大切です。

 その意識を建設的に使い破壊的に使わないことです。同等の力ですから、原理ですから、創造の力も創造の場も皆さん自身の意識次第ですから。

 どういう意識をもてばいいのかそれで運命も決まるのです。常に建設的な意識を持つことが救いになるのです。その救い主が皆さん方の中にあるのです。

 その救い主こそ唯一の救い主です。
だから「汝の救いは汝自身なり」といわれるのです。
神は自らを助くる者を助くる」といわれる意味です。

 嬉しい嬉しいと毎日思い続けている人は毎日が嬉しいのです。また悲しい悲しいと想い続けている人は、毎日が悲しいのです。

 嫌だ嫌だと思えば毎日イヤなのです。それはどうしてだと原因をいえば、意識であるということです。

 肉体は意識に絶対服従ですから、嬉しいと思えば顔はニコニコします。嫌だと思えば嫌な顔を肉体が表します。
その表現は皆さんの心次第です。その心が意識だという事です。 

   この世は心の影とか意識の鏡などというのです。私は意識の高い人ですといっても、その人の日常生活をみれば現れているものが不調だらけやら不完全なことが多いならその人は嘘であると判ります。

 悟りとは常に完全意識・神意識までに到達するということです。ですがその使い方が問題なのです。不完全を意識しながら結果的に完全を得たいと思っても、得ることはできません。破壊的な力と建設的な力は同一の力です。

 戦争を起こしているエネルギーと平和のエネルギーは同一のエネルギーです。
 それは本人の意識次第によって、ある者は戦争を起こすのに使い、ある者は平和に使っているだけなのです。あなたの心が平和であるか不調和であるかは意識次第です。

 自由意志・自由選択で皆さん方は使っているのです。どうか皆さん方は自分で自分の自由を奪わないように自分を開放して頂きたいと思います。

 私は小さい頃から失敗という言葉がないのです。失敗したら成功だ、こういう事をやるとこういう結果になるのか、これは発見したのだ、新しい発見だ、やってみたから判ったのだ、と何時も希望があるのです。

 何時も発見して行くのです。マイナス思考がないのです。ものを何時も善意に善意に解釈していくのです。

 皆さんも常に善意に解釈して良い意識を持てば、良い結果がどんどん生まれてくるのです。そうすれば悪いものが無くなるのです。

 悪い荷物から開放されるのです。お金も今はなくっても何時かあるようになると思えば必ずあるようになるのです。

 何時も無いと思えば無いのが当たり前になってしまいます。無くっても有る意識がお金を生み出すのです。

 自分に無くっても銀行に有るそれを利用すれば良いはずです。誠心誠意によって土地なりの担保でお金が借り入れできて、そのお金でものが実現するのです。意識の力によって出来るのです。

 この現象界でこのものを買ったからどうなるという低い意識、破壊的な想念を持たないことが大切です。素晴らしいものが興るのだという意識が素晴らしくするのです。

 夫婦でも結婚して良い家庭、良い子供が出来るように、常に完全意識・完全ビジョンを持ち合わせていると必ず具現するものです。

 この世の三次元に現れるのです。結果の世界に現れるのです。それが皆さんの真の祈りです。想念、即祈りです。

 皆さんの想念が何故実現しないかといえば、その想念をすることも少ないが、払い下げることも早いのです。

 例えば、この前まではこういう場所にこういう家を建てて住んでみたいと折角思っても、すぐに駄目だと、霊の次元で青図面を描いても、それを具現するまでは常に高い意識に留めおかないと実現しません。
 結果が今出ないといって意識を払い下げてしまうと実現はしません。

 霊の次元で描いたものは必ず実現するのだというビジョンの意識を高めていれば必ず実現するのです。霊の次元と、この三次元とはバイブレイションが全然違いますから思ったことがすぐに現れるものではありません。

 しかし皆さん方のバイブレイションが、神への信頼感を持つようになって、高いバイブレイションとなったならば祈りと結果はすぐに一つになります。

 ですからイエスのバイブレイションの高さによってこの世にものを具現するのも、祈りとその結果はすぐに一つとなったのです。
 
 われわれもそこまで完全意識になれば、すぐ即祈りと結果はその場で一つになるのです。祈りと個体は一つになるのです。
 それがその場で具現する時代がやってきます。

 皆さん方がバイブレイションが低い限りにおいては相当の時間を要しますが、イエスみたいにバイブレイションが上がってきますと、その同じバイブレイションが働きますから、すぐそこでものが具現するのです。

 ちょうどイエスが三千人か五千人かのひもじい人々にパンを分け与えられたというのは、このビジョンを描かれたのです

 想念の霊の力で意識を起こされたのです。
神の意識と同通しておりましたのです。

 それが実現されて三次元的に、このパンが三千人か五千人位の人々に分け与えられたのです。

 それはその人の想念の高さ、意識の高さがバイブレイションの高さですから、皆さん方が常に意識が高い所に留め置けば、常に意識が高いということで、バイブレイションが高い人だということです。
 
 皆さん方は、たまには意識を高くするのですが、すぐに落として低くしてしまう。低い意識状態を起こしてしまいます。

 どこかのエレベーターのようなもので、今日は高い意識状態であるのに何か周囲で悪いことが起こると、すぐに下の方の地獄に落ちてしまうという結果、それを「善悪の知恵の実をまだ食べている」というのです。

 絶対善・絶対完全の意識状態を不動心といいまして留め置くことが大切です。これを神が私のハートに定着されたと完全性が定着した、完全意識状態のみが定着したことを「我がハートに神が着座なされた」というのです。

 不完全な意識は神の意識ではありません。神意識とは何かといえば完全意識です。

 常に皆さんの意識の中から不完全性も無くならず完全性も持ってなく、完全も不完全も思うならば、結果も全て完全となって現れるのです。

 ですから意識がものを創っている力であり、創造の力である。創造の場も、創造の力も、我が内にあると日々一分一秒間の意識の思いが、如何にわれわれの日常生活に影響しているかを知らねばなりません。

 皆さん方の今日という1日1日を完全な意識状態に留めて置くことが、絶対に成さねばならない。

 この世に現れる創造の原理であることを知り、正しいものを創造しているか、悪いものを創造しているかは、皆さん自身であることを知って戴きたいのです。


人間はなぜ神か 神の心 人の心

 「神の心」と「人の心」というものがありますが、本来は一つの神の心しか存在致しません。
 大宇宙という中心に神の存在があり、大宇宙そのものが神の心です。

 そして、私達人間には、個別化された心というものがあります。しかし、その個別化された心というものは、大宇宙の神の心の中に存在致します。

 常に神は私達に啓示を与え、中心を与え、私達を守って下さっています。私達の心に色々なインスピレーションを、その啓示を与えて下さっているのです。

 しかし、人間が勝手に、神からの中心を断ち切ってしまっているのです。神の御心のように、神から送られた中心によって私達が動いているならば、

浅瀬に乗ったり、困難にあったり、事故災難にあったり、病気になったりする事はありませんが、私達は神から分離して、神の心から離れてしまったために、神からの中心を自らが断ち切ってしまったのです。

 それは、常に母船より小さな船へと、中心を発信しています。けれども人間が受け付けないのです。
 受け付けない為に自分が勝手に生きていると、自分が勝手に動いていると思い込む様になり、自分勝手な行動をしているのです。

 私達が自分勝手な行動を取るのではなく、人の心が常に神の心を素直に受信して、私達の人生なる航路を航海していますと、道を間違う事無く、道に迷う事無く神に導かれ、幸せな健康な、完全なる状態を保つ事が出来るのです。

 この肉眼では観えませんが、大宇宙の中心には神の中心部があります。皆さん方の肉体にも、中心部の心というものがあります。

 心というものは、船でいえば舵取りです。船長です。私達の肉体を動かしているのは心です。心が命令してそれで肉体が動くのです。
 その心というものが間違っていますと、私達の言葉遣いや、想いや、行動のすべてが間違ってしまうのです。

 私達は、神から派遣された小舟のようなものです。お互いに出て来た所は一緒です。ですが、お互いが敵だと見なしています。

 私達はお互い敵ではありません。味方同士です。あなたも私も味方であり、一つの根源から発生したものです。

 私達の心は常に神の心と連結されて、繋がれて、神に素直になって人生行路を送るようになればこの世に躓(つまず)く事はありません。

 神の心というのは完全無欠の心です。決してそこには、不完全なるものは存在しない事が分かるようになります。ですから、「神に素直でありなさい」と、私はいつも申し上げているのです。

 私達は今、自分勝手に生きています。だから自分は何処から出てきたのかも分からないのです。闇の人生を、闇の旅をしている小舟の様なものです。

「肉体は魂の乗り舟」といい、肉体そのものは魂を宿している、心を宿している一つの乗り舟、航海の乗り舟に過ぎないのです。 
 今、私達は三次元という次元に、旅をしている小舟の様なものです。

 あなたが神からの中心を絶やす事がなければ、この世の航海は困難ではありません。非常に楽しく航海が出来ます。

 その力は全て神から、神の中心エネルギーは全て神から与えられていますが、そのエネルギーさえも私達は遮断するようになってしまったのです。

 消極的という人の心はマイナスのエネルギーのことで、そのエネルギーが全てを破壊してゆくのです。消極的というのは破壊的エネルギーの事です。

 積極的というのはプラスのエネルギーの事で、建設的エネルギーの事です。神は常に建設的エネルギー、プラスのエネルギーを私達に注いで下さっています。
 しかし、人間が勝手にその積極的エネルギーを、消極的エネルギーに変えてしまっているのです。

 その消極的というものは「心の在り方」その想いが一番大事なのです。心が消極的である時、私達は自己破壊を招き相手を破壊してしまうのです。

 プラスのエネルギーをマイナスのエネルギーに変換してしまい、私達自らが神から遠ざかり、その神の力を失っている状態です。

 皆さん方は、今からでも遅くはありません。自分自身の全てを神に委(ゆだ)ねるのです。
 神に素直に「我が心を導き給えと、神の心に委ねてゆく事によって、全ての神の力を、我がものとする事が出来るのです。全知全能です。その力も知恵も、その完全さも、この世で現す事が出来るのです。

 神からの中心を断ち切っているのは、自らの自分勝手な想念(自我)です。そうすると、この舟は闇に人生行路を航海します。どのようにして何処へ公開するのかが分からない。何処に辿り着くのかが分からない。
 
 指示命令するというその完全なる指導者(神我)が付いていないから、何処かの浅瀬に乗り上げるか、色々な荒波に揉まれるか、あるいは転覆するか、その航海が困難になるのです。
 その事がこの世の悩み、苦しみ、罪、汚れを犯す事になるのです。

 神につながっておれば、素直に神からの中心に従う事が出来るのです。
そして「私達の心と神の心が連絡されている」という事を悟り、

常に、神に委ねて生きていられる様になれば、今日という1日も、神の導きによって航海する事が出来、平安と安らぎの中に、力と知恵の中に生きる事が出来るのです。

 今、皆さん方は、神と人とは全然別の存在だと考えているのです。神はどこか別の所にいて、〈神と自分とは別の存在だ〉と思う事が迷いです。
 その迷いというものを断ち切らない限り、私達は神からのインスピレーション、天啓を受ける事が出来ないのです。

 それは、あなたの持っている自我の心。私は私。神は神。あの人はあの人。という分離観念、分離意識、あるいは表面意識という外なる意識が、肉の意識が妨げとなって、神からの啓示を断り続けているのです。

 素直な心になって《おお、我が神よ、我が父よ。今日も我を導き給え》と、その父なる神にお願いをして、神に心を全開すれば、私達には知恵と力と愛が流されます。それを思った瞬間にそれが充満するのです。

 神と私達の分離は一切ありません。一つなのです。しかし、それをあなたの自我の心で境目を造り、あなたは神を分離して考えるのです。

「何かの修行をしないと神に至る事が出来ない」という誤った教え方の為に、賛美歌を唱えないと神と繋がらないとか、お経を上げないと神と繋がらないとか、誤った指導者が出て来たために、この世に現れている乗り舟である人間は、余計に混乱させられてしまったのです。

 神と自分を分離させているのは、自分自らの心で〈分離している〉という想いの中にしか、それは存在していません。
 《一つである》と想った瞬間に、皆さん方は一つと繋がります。知恵と力に繋がります。その知恵と力がある事を、皆さん方は認めていないのです。

今、私は神とつながって、神の知恵と力に私は満たされている〉と想った瞬間、皆さん方にはその神の知恵と力が満たされるのです。

 しかし、私は神からの分離で人間であると想っている(自我・偽我の)人は、神の知恵と力には満たされる事はありません。

 私達は非常な過ちと罪や汚れを造り出しています。何をしでかすか分からない、勝手な行動をしているのです。

 それは舵取りのない様な、船長が乗っている様な、いつ何処に、どのように辿り着くかも分からない、まるで漂流している船のようなものです。

 舵取りは神です。私達の舵取りを見守って下さっているのです。人生行路が過ちを起さない様に、舵を取って下さっているのは神の心なのです。

 その船長に従わないで、私達はどう、航海する事が出来るのでしょうか。その中心部から、《こういう具合に航海したら危険ですよ》
《こういう具合に航海したら非常に素晴らしい人生行路が送れますよ》

という具合に、毎日、昼夜休みなく、一分一秒の休みなく、神は私達に通信して下さっているのです。

 それなのに、それを私達の自我で神からの通信を遮断してその聞く耳を持たない。神に従わない。自分勝手に自分の欲望達成のためにもがいているのです。
 そこには事故、災難、病気、様々な苦痛が出てきます。神の言う事を聞いているならば、そんな事は一切関係なく私達は平安な航海をすることが出来るのです。

 それが分かるようになりますと、神の心に人の心が従うようになった、委ねるようになった、という事になるのです。

 そして、心を全開して〈神よ、我を守り給え。我を導き給え〉と祈る心を起こした瞬間、神は《分かってくれたか……。では、私のその想いを行ないなさい。私の御心を行ないなさい》と応(こた)えて下さいます。

 そして神の御心を、私達が神の御心を想い、人生行路を歩むならば、この世で苦しむ事は一切ありません
 しかし、私達の自我で、神の知恵と力を遮断して、神からの啓示を断ち切る事によって迷っているのです。

 皆さん方が神に還るためには、その通信されている神からの中心を素直に受け入れて、素直に航海する事によって、これまでの長い長い人生の度は終わり、神の御元(みもと)に還るのです。神の御国(みくに)に入る事が出来るのです。

 その事を、イエス様は「我が御心を行う者は、我が御国に入るであろう」と言われ、私達に航海を間違わないようにと、常に神に至る道を示して下さっているのです。

 私、皆さん方の前にいるこの知花は、神の心とつながり神の御心を行っている状態にいます。私の心は常に神の愛に満たされ知恵に満たされています。
こんなにまでも神は私達を愛して下さっていたか」という事が分かるのです。

 今まで私達は色々と何回もその航海の旅に出ました。何世紀に渡って、何転生もかけて、この世に現れてきました。

 けれども、神の御心に従わず、勝手な振る舞いをし、勝手な航海をして来たのです。今こそ神に素直になり、神からの中心を受けて航海しようではありませんか。

 そうすれば、皆さん方は本当に素直な、健康と幸せの中で航海することが出来ます。波風は立ちません。人生の浮き沈みの苦難な道もありません。

 それは全て神が沈めて下さるからです。神が全てを示して下さるのです。荒れている海の航海と、静かな海の航海とは、神には全てが分かっておられ、「この道を歩むと平安である」と、「この道は苦難である」と、私達はその示された道に従って航海して行く必要があるのです。

 世の中の人は、今、神を散々空想し妄想してもがいています。しかし、それらの人々が空想している神は何処にも存在致しません。

 神棚に神を祀って、そこから啓示を受けて航海しようとする人ばかりです。神棚を通して神に通信を送れるものではありません。

 私達の生きた神の中心を、その受信機であり送信機である心を通じてのみ、神はお働きになられるのです。その受信機であり送信機というものは、皆さん方一人びとりが持っている『心』の他には存在致しません。

 その『心』が皆さん方の運命を決めているのです。心の素直な人は善い運命を辿(たど)りますし、心が非常に不真面目で自我の強い人は悪い人生を歩むのです。その人生行路を歩むわけです。

 それは自我の強さによって変わるものです。神に素直な心になって、神と一体になって、私達が人生行路を歩んだならば、非常にやすらぎと平安と幸せの人生行路となるのです。

 今、皆さん方の心に通信されて来るもの、神から通信されて来る事を信じますか。信じるならばあなた方は、今、即、信じる瞬間に導かれます。

「そんな事があるものか……」という疑問心があります。古い長い習慣で皆さん方は神から離れていましたので、中々神に素直になれないのです。

〈知花の言っている事は嘘ではないだろうか。そんな事があるのだろうか。おとぎ話の様なものだ〉と皆さん方はきっとそう思います。

 しかし、現実的に素直になってみて下さい。神と繋がりますと、物凄い強烈な力が皆さん方に現れるのです。

 それは宇宙力といって、この宇宙の力を我が力とする事が出来るのです。そのエネルギーは積極的です。これは神の心にのみ存在致します。それを受け入れる体制が出来たなら、受け入れたならば、物凄い力が出てくるのです。

 しかし、受け入れない人には力が出ません。そのエネルギーを破壊的な人の心で消極的なものに、破壊的エネルギーに、つまりマイナスのエネルギーに変換してしまうからです。

 本来、大宇宙そのものには、宇宙力という一つの力しか存在しません。その一つのエネルギーしか存在しないのです。そのエネルギーを受ける側が善い方向に使うか、悪い方向に使うかによって決まるのです。神の力を悪用するとその人は罪を犯している、という事になるのです。

 例えば、あなたの発する言葉、その発生音というものは神のエネルギーです。そのプラスのエネルギーを、消極的なマイナスのエネルギーに、自らかってに変換したとするならば、それはその神のエネルギーを盗み取った盗人です。それが罪となって、苦しみとなって、その人に跳ね返って来ます。

 人に「○鹿○郎!」といった瞬間に自己破壊です。その神のエネルギーを、自分自身が変換した罪を報いなくてはならないのです。
 人を憎む心もその通りです。人を憎んだ瞬間に、神の積極的な心を人のさもしい消極的な心に変えてしまったのです。
 
 その建設的エネルギーを破壊的エネルギーに変えてしまった、変換してしまった、人を憎むという事は破壊です。

 せっかくの建設的エネルギーを、破壊的、消極的エネルギーに変換する事によって、私達はその罪を報いなくてはならないのです。

 ですから、皆さん方は神の積極的なプラスのエネルギーを、消極的なマイナスのエネルギーに変えないようにする、その心掛けが必要です。

 そうなれば、皆さん方の前から破壊というものが全部なくなります。今は自らが破壊しているのです。

 皆さん方の想いが消極的である間は、一切、知恵でも力でも幸せでもありません。そのエネルギーの使い方を識別しなくてはなりません。

「私はもう駄目だ」という事はもうすでに消極的です。
〈私はもう駄目だ〉と想った瞬間駄目になってしまうのです。

 せっかくの健全なるエネルギーを、駄目だというエネルギーに自分が変えてしまったのです。その瞬間あなたはマイナスのエネルギーに満たされてしまいます。

 皆さん方の人体のエネルギーは消極的、破壊的エネルギーに、皆さん方が勝手に変換してしまったのです。

 自分は健康であると想っているのは、積極的エネルギーです。自分が素晴らしいと想った瞬間、それは素晴らしい建設的なプラスのエネルギーです。

 自分に力があると想った瞬間あなたに力が出て来るのです。自分には力がないと想う人は消極的ですから力はありません。

 事実そうなのです。その力は想いというもので、プラスにもマイナスにも自由自在に、私達人間の心が変換してしまうのです。

 厄介(やっかい)なものです。自分の想いというもので自分を低い低い次元にまで落としてしまう、本当に落としてしまうのです。

 この事は、皆さん方が食べているその食べ物にも言えるのです。例えば、このミカンがそうです。私がこのミカンを食べる時、
〈物凄く健康になる、力になる〉と思った瞬間、そのミカンは神の心に変わります。それは積極的エネルギーに変わるという事です。

 しかしこのミカンを食べて、人の心が〈これが力なんかになるものか〉と想った瞬間、そのミカンには力がなくなります。

 皆さん方はいつもお食事を頂きます。お食事を頂く時、神に感謝して
我が食する物は全て、神の積極的なエネルギーとなり、プラスのエネルギーとなって我が力となる》というその想いで頂きますと、その食事はあなたにとって強烈な力となるのです。

 しかし何も想わない。神にも感謝しない。ただ、食べたいから食べているだけという様な、マイナス思考を持っているならば、その食事は力にはならないのです。それは神の心に素直ではないからです。

神の心というものは、積極的な心のことです。それが神我です
「人の心というものは、消極的な心のことです。それが自我です」

 積極的は神我なのです。これが真の私達です。本来、私達は積極的な心しかなかったのです。神の心しかなかったのです。

 消極的は自我にあります。それが「自我の心」といって、自らの心を造り出してしまっている。それが次元を低めて、神の力を落としてしまっている状態です。

 ここにミカンがあります。皆さん方はこのミカンを食べて、このミカンに力があると思いますか。〈ある!〉と想うと、その瞬間にあなたはこのミカンにエネルギーを与えたのです。

 奪う事も、与える事も、あなたの心が神とつながり、受信する事によって、いくらでも出来るのです。この事は、このミカンではなく皆さん方の食生活全てのものに当てはまります。


-----それは、ここでも実験する事が出来ます。

皆さんの前で、このミカンに消極的力を与えると、マイナスのエネルギーとなります。そのミカンを食べる事によって力があるかないか。
 消極的とはどういうものか。心ひとつで、想い一つで、それを交換できる事を実験して見せます。皆さん信じますか。物凄い力なんですよ。

 あなたにこのミカンの皮を向いて頂きましょう。そう、皮をむき終わったら、半分に割って下さい。食べられるように、一切れ一切れに分けてください。

 別の人。はい、あなた、前に出てきて下さい。では、私がこの人に向けて、人間の心で〈このミカンを食べても力が出るはずがない〉という想いを起こします。それからこのミカンを食べてもらいます。

 まずミカンを食べる前に、この人の力を試してみます。では、立って下さい。私と腕相撲してみましょう。う~ん、相当力持ちですね。
 はい、もういいです。これだけの力のある人が、このミカンを食べると力が無くなるのです。

 はい。食べて下さい。食べましたね。どうですか、食べた瞬間、力がなくなりますよ。〈このミカンはもう駄目だ〉と、私が消極的な想いを起こしたから、この人はもうボロボロなんですよ。このミカン一切れで力がなくなるのです。

 今、この人は子供みたいな力になっています。力が入らないのです。では、もう一度私と腕相撲してみましょう。さあ、どうでしょう。
 この通り力がないのです。あなたがどれだけ頑張ってもこの通りです。まるで小さな子供と腕相撲しているようなものですね。

 これを、今度は宇宙エネルギーに変えます。積極的エネルギーに変えてみます。このミカンを食べますと、宇宙の力がその人に存在します。

この同じミカンの一切れに《これは神から与えられた偉大なるエネルギーの根源である》、と私はこれに感謝してこの人に食べてもらいます。

 では、あなた、エネルギーが出て来ると思って、このミカンを食べて下さい。このミカン一切れを食べる事によって、もうこの人は、今、大変な宇宙力を持っています。これは、神から宇宙の力が与えられたのです。

 これは、前の消極的エネルギーから、積極的エネルギーへ、プラスのエネルギーに変換したのですね。

 このように皆さんの中にある積極的な想いと消極的な想い、その想いというものが、これほどの力があるという事を分かって頂きたいのです。

 これは誰が出て来てやっても同じことなんです。誰か他に希望者があれば前に出て来て下さい。誰でもその力を試す事が出来るのです。

 だから、皆さんの想いでこのミカンをいくらでも変換出来ます。変換して〈宇宙大の力が出る〉と想って食べてみて下さい。事実、その通りになっています。

 しかし、その力は目には見えませんから、証明する事が出来ないのです。こうして試す事は出来るのです。でも、それを誰も信じてくれないのですね。

 言葉も力です。力は言葉に出て来るのです。言葉にどれぐらい力があるかという事を、知らなくてはなりません。
 私は今ここおにいるこの人から、いくらでも力を奪う事が出来るのです。この人を零(ぜろ)にして、私は百にする事が出来るのです。

 では、そこのあなた、前に出て来て下さい。さあ。私と握手しましょう。こうして握手する事によって、私はこの人から力を奪う事が出来ます。

 私位はこんなに背が小さいでしょう。この人は大男ですね。この人の方が力がありますね。でも、もうこの人は力がないのです。私に全部この人のエネルギーが流れてきたのです。

「私が全部吸い取った」という言葉を出しましたので、この人にはもう力はないのです。はい、あなた、力を入れてみて下さい。どうですか?力が入らないのですね。

 その力を奪う事も与える事も出来るんです。またこうして、私がこの人にエネルギーを与えます。《エネルギーよ。私からこの人に流れて行きなさい》と想った瞬間に、瞬間にですよ。時間も空間もないんです。
 
 瞬間にこの人のエネルギーは流れて行くのです。どうですか。皆さんお分かり頂けますでしょうか。
 はい、もう結構です。ご自分の席にお戻り下さい。-----

 
 これが皆さん方の思いの中と、言葉の中にあるのです。皆さん方の日常生活の想いが、如何に無知な消極的エネルギーに、マイナスのエネルギーに変換しているかという事です。

 あなたの病気の原因は、みんなこれから来ているのです。
〈私は病気だ〉という想いは病気のエネルギーが流れます。そうすると病気を必ず造ります。なぜ自分の中に自分で病気を作りたがるのですか。

自分は健康である〉と想えば健康のエネルギーが流れるのに、〈自分は病気だ〉という想いを起こすと、瞬間に、あなたはそのエネルギーに満たされるのです。病気というエネルギーという悪魔にやられてしまうのです。その事を無知というのです。

 私は、いつも皆さんに申し上げております。「なぜ健康になる根源を、皆さん方の心一つで健康にもなれるのに、なぜ不健康な想いをするのですかと、常に申し上げているのはその意味なのです。

 私がなぜ病気知らずだと、私の家族皆が病院知らずだというと、人間は所謂(いわゆる)心で病気を造り、病は気からという様に、《私達家族は皆健康である》という想念を一杯持っているからです。

 そうしますと病院に行く必要はありません。常に、健康なエネルギーが流れているからです。

 皆さん方が病気という想念を起こした瞬間、病魔があなたに入ります。そのマイナスのエネルギーが、破壊的エネルギーで自己破壊を招くのです。

〈近い内、私は病気になりはしないか……〉と想った瞬間に流れています。そして「とうとう私は自分が思った通りの病気になってしまった。私は超能力を持っているのだ」と言うのです。

想念は実現の母』といって、それは想った通りのあなたにしかなれないのです。病気になる事をあなたが望んだのです。

 自分はどこどこが悪いのだと、悪いエネルギーを毎日送るのです。何処に行っても、誰に会っても「私はどこどこが悪い。何々という病気だと思う」というのです。

 そうすると、病気だと想うエネルギーがそこに集中的に集まって、その通りの病気になってしまうのです。それを想っている間は絶対にその病気は治りません。

 なぜならば、自らが病気だというエネルギーを、マイナスの破壊的エネルギーを送るからです。それを送らなくなった時に治ります。忘れた時治ります。

自分は健全である。その様な事は私の心の過ちであった。エネルギーの使い方が分からなかった為、私は心の過ちを犯した》という事を、悔い改める事によって、今、即、治ります

「そんな事があってたまるか」と、反発する自我の強い人は治りません。
神に素直になって、〈想いというもので、こんなにも自分の肉体がエネルギーに関係しているのか〉

という事が分かって、自分の心が神の心に素直になった瞬間に、皆さん方に救いが、癒しの手が差し伸べられます癒やすも癒さないも自分自身にかかっています。神に素直になるかならないかだけなのです。
 
 神の心というのは積極的な心、積極的な想いの事です。《自分は病気である》という想いは消極的です。積極的というのは〈自分は健康である〉という想いの事です。それが積極的な心です。プラスのエネルギーの事です。

 だから皆さん方には、健康的なエネルギーしか与えられていないのです。健康の力しか与えられていないのに、自らの過ちがその力を破壊的に使ってしまい、自己破壊を招いているのです。

 身体の何処かが痛いという人がいたら、すぐそこで〈あなたは痛くありません〉と、それに命令するだけで、その積極的なエネルギーが入って行くのです。
 その人に入って行くエネルギーは、あなた方の心でコントロールするのです。

神の意識を、神の心を我が心として』。それを御言葉(みことば)といいます。言葉をエネルギーに変換した、その積極的な言葉遣いは神の御心です。
消極的な言葉遣いは悪魔の言葉です。悪魔からの使いです。

「私は病気だ」という言葉は神にはありません。神の心にはありません。悪魔の心にしか存在しないのです。
 それは魔の心です。神の心は積極的、魔の心は消極的であるという事を忘れてはなりません。

 皆さん方が今、魔の心を多く持っているのか。神の心を多く持っているのか。それによって皆さん方の運命が違って来るのです。

 しかし、そういう心を今、瞬間的に使うだけではなくて、常日頃からそういうエネルギーを想っている事です。

私と神は一体である。神の全ては私のものであり、私のものは神のものである」と。

知恵も、力も、愛も、全て私のものとなってそこにある〉と想う事です。四六時中想うことです。そうした時、皆さん方は四六時中、神の中で生きています。それは素晴らしいことなのです。

 これが事実である事が、いくらでも証明できる様になります。
例えば「水を飲んで病気を治す」「水を飲ませて病気を治す」というその事は、〈この水に宇宙エネルギーが充満している〉という想い、

想念を起こす事によって、事実その水に宇宙エネルギーが集中されて癒しの水となるのです。
 これを飲む人は物凄いエネルギーに満たされて、そのお陰で病気が癒されるのです。皆さん方が四六時中、神の中で生きておれば、それは事実において出来るのです。

 神の力には私達の自我では及びません。及ぶ事が出来ないのです。ですから、神の力というものを皆さん方は半信半疑でいるのです。

 癒す力も全てあなたに備わっています。特別な人間というのはありません。神に素直に行っているか、行っていないかだけなのです。

 人の病気は「はい、あなたは治りました」と、言葉だけで癒せます
「治りました」という瞬間に、その人が癒されるのです。それがイエス様の癒しであったのです。イエス様は大病人でも癒されました。

 その事は、イエス様が完全なる神の心と、ご自分の心が一体化なさっていたからです。ですから、イエス様は「私は常に神と一体である」と言われたのです。


『父なる神と私は常に一体である』

 父なる神と私達とが一体であるという事(想い)が、父なる神のすべての力が私達のものとなるのです。あなた方が一体ではないと思っているから、父なる神の力をあなた方は貰う事が出来ないのです。

 ただ言葉だけでは中々理解して頂けません。何か人に示す事はないだろうかと、先程皆さん方の前で実験して示したのです。
 実験で示しましたが、本当は『我を観ずに我を信ずる者は幸いなり』と、その言葉の通りのものなのです。その事を知ってほしいのです。

 それが見えなくても、その奇跡を顕(あらわ)さなくても
ああ、なるほど、宇宙にはこういう力があって、私が素直な心でそれを受け取る心構えが出来ておれば、神様はこんなにも素晴らしい力を私に恵んで下さっているのだ〉と、それを想う心が大切なのです。

 それが信仰というものです。信仰心を高める事が大切です。
信仰心を高めるという事は、積極的な想い、積極的な思考、積極的な言葉遣い、そういうものを起こす事が、皆さん方の信仰心を高めるという事なのです。


人間はなぜ神か 創造者と被造物

 皆さん方があの世に帰った時、皆さん方は何を問われると思いますか。
 神は「あなたは私に何をしてきたか」と言われるのです。
「隣人に何をして来たか」と言われるのです。
 隣人とは、神にとっては「わたし」です。神自身です。

 ですから、「あなたは、わたしを憎んで来ましたね。私に嫉妬しましたね。私を貶しましたね。私の悪口を言いましたね」と言われます。

 あなた方がそのまま、罪、汚れのままで周囲の人を憎んでいたならば、謗(そし)っていたならば、怒っていたならば、裁いていたならば、そのように問われると思います。

 悟っている人ならば、内界に還る人ならば、この形体に捉われずに、自分自身の中に神を観ると同時に、一人びとりの中に神を観のです。

 皆さん方がこの世に生を持っているのは、一つのものになるためなのです。皆さんの心には分離と差別があります。一つになっていないのです。

 そして『一つの存在である』と悟る事が一番大きな悟りです。
これを「大悟」といいますあなたの中の生命も、私の中の生命も、隣人の中の生命も一つの生命、一つの生命しか存在しないのです。

 この世に肉体を持っている者だけではありません。先にあの世に還った方々、肉体形体から離れた方々も一つの生命であるのです。

 同じ生命です。あなたの命、私の命というのは何処にもありません。その事を皆さん方は非常に理解に苦しんでいるのです。
 命は分離しているものではない。どうでしょうか。分離していると思いますか。今ならお分かりだと思います。

 この全宇宙というものは、一つの生命にあるのです。この事を「大生命」といいます。この大生命の中に、大生命という存在の中に、個別化されたその形体というものがあるだけです。いくつも形体があるわけです。

 そして、皆さん方の生命はこの大生命と一体です。この大生命から離れているものは一つも存在しない事を、皆さん方によくご理解頂きたいのです。

 幾つもあるように見えますが、皆さん方はその形体というものを見るから、「私の命だ、あなたの命だ」というのです。

 その大生命という一つの中に、皆さん方の生命があるのです。外側を見るから、目が眩んで私達は迷うのです。内を観れば一つである事が分かるのです。

内観しなさい。神の国は汝の内にあり、外に神を求むるなかれ」というのは、その事を言うのです。

 私達は見えるものによって無知にされています。例えば、私があなた達に「あなたと私は一つですよ」と言った時、あなた方は怒るはずです。

「こんな汚い顔の人と私は一体ではない」というはずです。
入れ物が違うだけで、形体が違うだけで、中身はあなたのものも私のものも、みんな同一のものです。

 世の中に、色々な着物があるようなものです。しかし、内なるものは同一のもので、皆さん方は神の分け御霊であるのです。分生命でもあるのです。

 その分生命とは、このように個別化されているが故に、個別化された生命の事を「分生命」というのです。しかし、個別化と分割とは意味が違います。

 形体の外にも神はまします。と同時に、内にも神はまします。
それは「私達は神の中にいると同時に、神は私達の中にいます」という事です。これがイエス様のお悟りであり、お釈迦様のお悟りであったのです。

 皆さん方も、最高の絶頂の悟りが得られるのです。しかし、一つの問題があります。皆さん方がここで神理の話を聞くには聞きます。

 ある人は石のように硬い土に私の神理を聞いた種を蒔こうとします。私の神理を聞いて「ああ、素晴らしい」と一時的には涙を流して喜びます。

 しかし、せっかく発芽した種も、石のように硬い土のため根を張る事が出来ず、それは枯れ果てて行きます。

 そして、またある人は雑草の中に種を落とします。神理の話を聞いたものの周囲はみんな雑草のため、その雑草の影響を受けて同じ様な雑草になってしまいます。それらの人達は、せっかくの神理の悟りというものを実らす事が出来ないのです。

 ある人は、良き土地に深く根を下ろします。これはその人の信念で、信仰で、私の説く神理を、心の奥底に根強く実らす事のできる人です。そういう人は実りのある魂となります。

 ここで私の話を聞いて、涙を流して感動をしたものの、私の元を去って行く人が一杯いるのです。

 これは石のように硬い土に植えられた神理で、一時的に感動はしたのですが根付く事無く枯れてしまい、それは何の役には立ちません。

 あるいは、神理はよく理解したつもりでいたけれど、家族達や周囲の人達がみんな迷い人であるために、そこで身動きできず、そのまま雑草と共に枯れていってしまう。

 これは雑草の中に蒔かれた霊的種といって、この事を、イエス様は麦の種蒔きの例えで言っておられます。

 私のこの話を皆さん形は聞いていますが、どれだけの人が根を下ろして、それを我がものとするか、自分のものとしてそれを生かすか。

 生かすも殺すも自分次第です。良き土地に自分の信仰を植えているか。石のように固い土地に植えているか。

 道端に植えて黒い鳥(カラス)に食べられてしまうか、雑草の中に植えて雑草の影響を受けているのか。今、皆さん方のその道は非常に険しいものですが、自らそれを開かなくてはならないのです。

 如何でしょうか。もう大体、神についてご理解頂けたでしょうか。今までのように、世の中で説かれている神々と、今聞いている神々と、どちらが正しいと思いますか。
 神棚や祭壇の中に神がいるというのは、幼稚であるか、白痴であるか、何かであるはずです。無知なるものは、神に対して罪するものなのです。

 神は私達の手よりも足よりも身近に、現実的に私達の中で働いておられるのです。その神を外に求めています。何百万もかけて神棚を作り、その中に神がおると一生懸命拝んでいる人がいます。可哀相な存在です。

 これもみんな無知の仕業です。その形体に、被造物に目が眩(くら)み神を知らない者です。ですから、今まで自分が信じて来たものを、全て放棄しなければなりません。

 それには大変な勇気を必要とします。
本物を知るためには、これまでの偽物を放棄しなければならないからです。

 神のみが生きておられます。神のみが生きておられるのであって、人間が生きているのではありません。それをよく理解して下さい。
皆さん方は神以外に何かがあると思っているのです。何もないのです。

 神は無限です。神の他になにかがあるならば、神は無限にはなりません

無限の中に別のものが存在すると思いますか。無限であり、普遍であるというものの中に不完全はあり得ますか。

 無限であり、普遍であるというものの中に不完全はあり得ますか。神の他に何かがあるというならば、それは人間の心の迷いが造り出したものなのです。それを「不完全なもの」というのです。

 私達はまだそういう神理的なものに、目覚めていないのです。それに目覚めなくてはならないのです。

〈な~るほど。よく考えてみると神からの分離はありえない。なぜなら神は無限であるといわれるし、その無限の中に私達は存在するのだ。

 その事が達は神の中に生きているという事になる。そうすると神のみが生きているという事になるのだ〉と。

 神の他には何も存在しない。そのことを神一元といいます。光一元ともいいます。

 お釈迦様は「宇宙即我」と言われました。宇宙即我というのは「宇宙は私であった」という事です。なぜならば、大生命という宇宙の中にあなたは存在するのです。そして、全体としてのあなたであるのです。

全体はあなたであり、あなたは全体の中で生きている」。その全体が大宇宙であるのです。その宇宙はあなたであると同時に、あなたは宇宙の中の存在であり、その中の生命であるのです。
 ですから、皆さん方も「宇宙即我」なのです。

 何処を見ても、何を見ても神しかありません。神は天をお造りになり、地球をお造りになり、その中に住む動物、鉱物、植物、そして人間をお造りになったのです。

 人間も動物、鉱物、植物の全て、あらゆるものは神に被造物に過ぎません。その中に、神ご自身が命として宿っておられるのです。

 ですから皆さん方は、やたらに生き物をないはずです。殺してはならないのです。それは神の宮を破壊することになります。

 命は破壊する事が出来ません。しかし、被造物である宮という、この世に現れる使命を果たさんがための形体は、崩す事が出来るのです。

 イエス様は十字架にかけられても、この形体は破壊できても、命は破壊出来ませんでした。すぐ復活されたのです。3日で甦られたのです。

 イエス様は偉大なる方でしたので、肉体までも復活して甦られたのです。イエス様が如何に偉大なる人物であるかという事は、創造者と被造物の関係を、すべてお悟りになられた方であった事で分かるのです。

 肉体を持った人間だけが、この大生命の中にいるのではありません。肉体を離れた皆さん方の身内の方は、幽体をまとったという形体だけが違うのであって、一つの大生命の中におられるのです。

  だから身内の方々は「私は肉体を離れても、もっともっと身近にあなたと共にいるのですよ」と言われるのです。

 なぜならば、この三次元にいるときには、どうしても三次元という肉体の束縛を受け、飛行機に乗らなくてはならない、自動車に乗らなくてはならないのですが、

 しかし、この世を去った方々は、飛行機も乗り物も何も必要としません。ご自分が行きたいと思った所に、即、いつでも、何処でも、自由に行くことが出来るのです。

 そして皆さん方は、その方々からいつでもご守護、ご加護を頂けます。ご指導頂けるのです。だから「私は生きていた時よりも、もっと身近に皆さん方のそばにいます」と言われるのです。

 イエス様は二千年前にお亡くなりになりましたが、現実にイエス様の御名(みな)を語れば、即、そこに救いとして現れると言われているはずです。

「キリストの御名において」と唱えておられるはずです。皆さん方はいつでも、イエス様のキリストの救いを受けることが出来るのです。あるいは、お釈迦様を念ずる者は、色々と仏陀のご加護を受ける事が出来るのです。

 しかし、皆さん方に一番大事なことは、その創造者と被造物との関係をよく理解する事です。悟ることです。

 必ず、その造られたものの中には、神がおられる事を絶対に忘れてはなりません。

 花一輪の中にも、小鳥一羽の中にも、どんなものの中にも、その形体を神が創造されて、その形体の中に神が宿っておられるのです。その事を、皆さん形に強く申し上げたいのです。

 これを本当に、心からそれを信じ、心から信仰出来た時、皆さん方はどういう気持になると思いますか。これこそ天界というものです。

 自分の心の中に邪気が残ってない。愛しか残っていない。慈悲しか残っていない。これを「仏の心」というのです。「神の心」というのです。
 その時は、もうすでに皆さん方は久遠の生命を得ています。生死をさまよう事はありません。

 外界というものに、束縛されてはならないのです。この世の制限から、束縛から、皆さん方は開放されなくてはなりません。その無知が、そこに捉らわれる無知が、制約を受け束縛を受けるのです。

 皆さん方を苦しめているのは、この制約、束縛なのです。これを主体性として捉えることによって、苦しみを得ているのです。

 主人であり、支配者である本物は内におられます。偽物の写しである外なる形を、私達は偽我といっているのです。
 偽物の我、実相の我、神我そのものの我。その区別が皆さん方には出来ていないのです。

 これが理解できた時、「もう何ものも私を束縛する事はない。それは私の中にまします神が全ての支配者であった。この支配者は内なる神の現れであられた」と、自覚できる様になるのです。

 しかし皆さん方は、まだまだ古い習慣性を持っていますので、なかなかそこを理解しようとはしないのです。

 その自覚を瞑想を通して〈この私の肉体は神がお造りになって、この私の中に神が宿っていらっしゃるのだ。

 イエス様が「人間は生ける神の宮である」と言われたのはその意味だったんだ〉と悟る事が出来た時、もう憎むものがない。怒るものがない。喧嘩をするものがない。

 それを理解していない間は、皆さん方はまだまだ生死の苦しい、浮き沈みの激しい奴隷化を、束縛を受けています。

 これに捉われている人間は、生きているようで死人です。だから、私は「この世の中で本質的に生きている人間を見た事がない」というのは、その意味なのです。

 インドのサイババさんは、こういう事の形体の全てをお悟りになり、その法則をご理解されていますので、神の化身と言われているのです。
「自分は神の化身である」と、ご自身が言っておられるのです。

 あなた方もそれが分かれば、「私も神の現れであった」「神の化身であった」というはずです。そうじゃありませんか。

 本質的において、皆さん方とサイババさんと何が変わりますか。それを知っているか、知っていないかだけなのです。

 皆さん方も神の化身です。ただ〈化身ではない〉と思っているのは、外なる形体に目が眩まされているだけなのです。

 外なるものと内なるものとの理解が出来るようになります皆さん方はもう救われています。このことは非常に大切な事なのですが、皆さん方は、今ここで解放されるか、そのままその外なるものの被造物に捉われて、それの奴隷下に置かれるか。束縛下に置かれるか。ということです。

 支配者は内にまします。しかし、私達は、今、外なるものの形の支配下に置かれているのです。これを物質の奴隷化といい、物質の奴隷にされているのです。

 この世の如何なるものも、私を妨げる事は出来ません。
「私はこの世の妨げを受けない」という事は、この被造物である形体は、この創造主が全てを支配し、創造主が神である事を私は知っているからです。

 その創造主が、全知全能の神が、自らの中にも宿っておられる事も私は知っているからです。だから、私はこの世のものの支配者なのです。この世を克服した者なのです。

 イエス様もそう言われたのです。しかし、皆さん方はまだまだ克服していません。形や姿に捉われています。この世の敗北者です。

 真の勇者というのは、被造物をすべて自分の内面(神我)によって支配させた時、形あるものの価値観というものを知っています。朽ち果てるものである事も知っています。

 色褪せるものであり、変化してやまないものがこの形体なのです。だから、皆さん方の形体は、どんなにあなたが若くありたいと思っても年をとって行きます。その年を取っていく我を、皆さんは見つめているのです。

 あなたに年を取らない我がいるのです。これを何かといいますと、創造者であられるあなた自身の命そのものの事です。

 本質においては年を取りません。あなたの着物が古びていくようなものです。あなた方は、自分の着けている着物が古くなったら「私は年を取った」

と言いますが、着物が年を取ったのであって、あなた自身が年を取ったのではありません。着物が古くなったのであって、あなた自身が古くなったのではないのです。

 肉体というものは、丁度(ちょうど)、着物が古くなると脱ぎ捨てる様なものです。肉体が着物ですから、着物は永遠ではありません。

 肉体をいう衣装、即ち、神現す衣装も、古くなると脱ぎ捨てるのです。命という中身が永遠なのです。

 皆さん方には「久遠の生命」をよく理解して頂きたいのです。一番の問題は、創造者と被造物の関係をよく理解する事です。

 信念において、本当に心の底から理解した時、もうあなたはこの世で悪口を言わないはずです。
 言っていたならば迷いです。分かっていないからです。悟っていないからです。 

 皆さん方が周囲の人の悪口を言うならば、あなたはまだまだ本質的には無知です。自分自身が死人であり、無知であり、迷いである事を知らなくてはなりません。

 よくよく考えてみて下さい。これは一度聞くだけでは分かりませんので、常に瞑想(内観・全てに神を観るを)し、軽く目を閉じて、

〈この肉体は神がお造りになって、神がここに中に宿っておられる。そうなれば人様はみんなそう(神・大愛)なんだ。周囲の者、生きとし生けるものみんなそう(神)なん

と分かるようになった時、皆さん方はものを正しく観ている事になるのです。これが八正道の「正しく観る」「正しく思う」「正しく語る」というものです。

 今、皆さんの五感の目というものは、正しくものを観ていないのです。形体しか見ないからです。皆さんは中身を観る事は出来ません。

 外なる見るという事は、この「見る」です。内なるものは「観ずる」事です。それがこの「観る」というものです。「見る」と「観る」とでは全然違います。

 皆さん方は「みる」といえば形を見るものと思っています。「観る」というのは「観ずる」事ですから、この「見る」というのは形体を見て、迷いの五感で見ているのです。

 しかし、これはあなた方の心の目で観るのです。皆さんはよく、みる、みる、と言いますが、この「見る」事だと思っている人が多いのです。

「見る」と「観る」というように、「みる」というものが二通りあります。
『観る』これを心眼、あるいは、意識の目といいます。

 軽く目を閉じて何かを想うと、その想ったものが観えて来ませんか。心の目で観えるはずです。

 あるいは、宇宙を観る事も出来るのです。その観るがこれなのです。目を閉じていても観えるはずです。
 それは心が観ているのです。意識が観ているのです。

 皆さん方は「みる」といったらすぐ形に捉われて、この見るを考えるのです。形を見ると思っているのです。それは大きな間違いです。そこをよく考えて頂きたいのです。

 私達は目を閉じていても色々なものが観えます。心で想っている通りそれが観えます。例えば、昔どこか遠くに行った時の場所も観えます。遠く離れた人の顔も観えます。心で想ったものが観えるのです。

 しかし、五感の目では、遠くの場所や遠く離れた人の顔は見る事は出来ません。目を閉じていても心の目はみんな観えるのです。

 だから、この五感の目は如何に近目であり、何も分からない無知の存在であるかが分かるのです。

 心の目、意識の目は自由です。心の目で意識の目でものを観るならば、色々なものが観えるのです。そして、意識の目がそこ(大生命・大愛・神我)に向いた時、皆さん方は現実にそこに行って観ているのです。それがはっきり分かるようになります。

 今は、皆さん方はそこまでいっていません。なぜならば、本物が、自分と創造主の関係さえ分かっていないからです。

 皆さん方は目を閉じて瞑想をしている時、色々なものを観ているのです。その事についても、もう大体お分かりになったでしょう。

 皆さん方に私が強く申し上げたいのは、神と造られたものとの関係です。その形あるものはみんな神が造られたものであって、我々人間が造ったものは何一つ無いという事です。

 何度も申し上げていますが、働き手も神であるのです。皆さん方は自分が働いていると思っているのです。あなたが働けますか。
あなた自らは一切[無]なのです。肉体は働かないのです。

 働いているのは、あなたの内なる神があなたの中で働いているのです。生きているのも神のみが生きているのであって、働いているのも神のみが働いているのです。

 私がこうして皆さんの前でお話ししているのも、私という知花が働いて話をしているのではありません。私の中に、働き手である神、生命そのものがあればこそ、私はこうして皆さんの前で働く事が出来るのです。

 あなた自らは無です。あなた自らは何も成し得ることは出来ません。あなたに命という神の活動源がなければあなたは働けますか。
 あなたの働きは誰が働いていると思いますか。それがあなたの中の神です。

 ですから、皆さん方は自分が仕事をしたとか、何かをしたとか思っていますがそれは錯覚です。あなたは自分では何も出来ないのです。
でも、みんな出来ると思っているのです。そこに非常に問題があるのです。

 もう一度申し上げます。あなたの中に神がいなくて、生命という神がいなくて、あなたは本当に現実的に仕事が出来ますか。しかし、皆さん方は出来ると思っています。それが問題なのです。

 あなたの中に神がいなくて、生命という神がいなくて、あなたは現実の仕事が出来るでしょうか。その働き手が神なのです。その神が仕事をしているのです。

 それが分かった時、皆さん方は無我の境地となります。
私は自らは無であって、私の中で神が働き給う。なるほど、中で働き給う働き手は神であったのだ〉と、この事が分かると謙虚になります。

 もう威張らないのです。なぜなら威張るものがないのです。自らに威張れるでしょうか。自分が働いていないのに、「私がやった」というのは盗人です。謙虚な気持ちがないからです。

 神を知らない人が威張るのです。自分が造ったものもなければ、自分がやったというものもないのです。みんな神が働いておられるのです。

 そうなりますと、あなたは何を威張るのですか。あなたの中に神が働かなかったら、あなたは何が出来ますか。その働き手は神なのです

 今、世の中で威張っている人は、神を知らない、真の自分を知らない人です。神がどの様にして自分の中で生きておられるのか、働いておられるのかが分からないのです。いかに世の中が無知であるかが分かります。

 今、如何に自分が無知であるか、実相において無知であるかが分かります。それはみんな形体を、その形である被造物を物差しとして考えているからです。
 だから、皆さん方は「私がやった。私が造った。私のものだ」というのです。

 完全なる神を、皆さん方は蔑(ないがし)ろにしているからです。神をそっちのけにしています。

 内なるものを皆さん方は自覚しておりません。内なるものこそが本物であって、外なるものはその道具にしか過ぎない、写しにしか過ぎないのです。

 皆さん方の子供を造るのも神がお造りになるのであって、お母さんが子供を作るのではありません。お母さんが子供を造れたなら大変な事です。

 お母さんが子供を造るのではない、お母さんの中に宿っている神が子供を造るのです。命が生命を造るのです。

 それを「これは私の子供です。私が造って、私が産んだ子供です」というならば、それは無知であるという事です。

 本物を観ていないのです。形でものを判断して、被造物でものを判断して、外なる目でものを見ているのです。それは大きな間違いです。

 本物を観ることです。真の我(神我)を知ることです。それには、日常生活の中で本物の観方(みかた)を訓練しなくてはなりません。
それを訓練して、いつも自分に言い聞かせるのです。

創造主が私の中におられて、私の肉体は被造物であって、その中に神はおられる〉と。

 神がおられるのです。神が自分の中におられるのなら、人様の中にも神はおられるのです。

 だから人様を神とみなし、見えるものの中に、全て神が宿っている事を知るようになったら、感謝と、喜びと、分かち合いと、助け合いになるのです。
 
 今、助け合えないのはなぜでしょうか。それは形に目が眩んでしまっているからです。ご理解いただけたでしょうか。

 今日から皆さんの心は晴れると思います。清くなると思います。それは、憎むものがないからです。

 謗(そし)るものがないからです。怒るものがないからです。その対象物がないからです。怒りようがないのです。

 それを知ったならば怒れますか。奪い合いも出来ません。なぜなら、人から奪う事は神から奪う事になります。
 だから、人を嫉妬する事は神を嫉妬する事になるのです。

 私がいつも言う「迷っている人間の言葉に迷わされてはならない。迷っている姿に迷わされてはならない」とは、その事なのです。

 その彼等は本質から離れた迷い人であって、本来の姿を現しているのではないのです。

 だから「闇の中にいて闇に染まらない我であれ」というのです。その闇に染まる人間というのは、雑草の中に生えている霊的種であるのです。

 周囲が闇で、迷い人で、この創造物に目が眩み、形に目が眩んでいるものが自分の家族の中に多くいるとすると、あなたは雑草の中に蒔かれた種のようなものです。

 だが、この影響を受けないように、力強く芽を吹き出す事が大切です。周囲が如何に迷い人で雑草であっても、その影響を受けない力強い根強い信仰が大切です。

 家族の者が勉強している同士であれば、周囲に雑草がありませんから非常にやり易いことはやり易いものです。実りが大きいのです。

 実を三十に付ける者、五十付ける者、八十付ける者、百付ける者、実り多きあなた方はその環境によっても十分影響を受ける事も分かります。

 しかしたとえ家族の者が迷い人で雑草であったとしても、それを乗り切らなくてはならないのです。

 これからは、皆さん方の目は、正しくものを観る事が出来ると思うのです。今までは正しくものを観ていなかった事に、反省出来るでしょうか。

〈無知の目で、五感の目でものを見ていたのだな。形でものを見ていたのだな。内面の心(全てに神を観る見方)でものを観ていなかったのだな〉という事が分かると思います。

 正しく観る(全てに大愛を観る)ということは、五感の感化(外)にあるのではありません。正しく観る(神一元・愛一元・光一元というのは、私達の神我の中にあるのです。

 この神理を皆さん方に見せる事は出来ません。神理は皆さん方が悟るしかないのです。感じるしかないのです。それ以外に方法はありません。

 是非、1日も早く皆さん方が、正しくものを観たり感じたりする事が出来ます事を、お祈り致します。


人間はなぜ神か 神の心 人の心

『父なる神と私は常に一体である』

 父なる神と私達とが一体であるという事(想い)が、父なる神のすべての力が私達のものとなるのです。あなた方が一体ではないと思っているから、父なる神の力をあなた方は貰う事が出来ないのです。

 ただ言葉だけでは中々理解して頂けません。何か人に示す事はないだろうかと、先程皆さん方の前で実験して示したのです。

 実験で示しましたが、本当は『我を観ずに我を信ずる者は幸いなり』と、その言葉の通りのものなのです。その事を知ってほしいのです。

 それが見えなくても、その奇跡を顕(あらわ)さなくても
ああ、なるほど、宇宙にはこういう力があって、私が素直な心でそれを受け取る心構えが出来ておれば、
 神様はこんなにも素晴らしい力を私に恵んで下さっているのだ〉と、それを想う心が大切なのです。

 それが信仰というものです。信仰心を高める事が大切です。
信仰心を高めるという事は、
積極的な想い、積極的な思考、積極的な言葉遣い
そういうものを起こす事が、皆さん方の信仰心を高めるという事なのです。

 それは、全て建設されて行きます。その建設されたものを破壊しているものは、消極的な心、即ち、マイナスのエネルギーで、
「私はもう駄目だ。私位は学問もない。力も知恵もない。財産もない」という悲観的なもの、消極的なもの、これが自己破壊を招くのです。

 私達が本当に神に素直であれば、痛み苦しむ事もないし、病気になる事もないし、あるいは、経済的にも苦しむ事もないのです。

 全てのものが私達の実相の世界に、神の恵みを与えられているのですが、ただ私達が受け取らないだけなのです。

 全てのものです。全ての全てです。その全てのものが知恵であり力であり、その全てのものが与えられているのです。

 この私が神と一体である限りは、この世に存在する自然の摂理さえも、私を妨げる事は出来ません

 例えば、私がどこか遠い所へ行こうとすれば、例え飛行機に乗る切符がなかろうが、それを妨げる事は出来ないのです。必ず私に飛行機の席を開けてくれます。

 それは自然をみんな克服しているからです。自然のものの節理によって私を妨げようとする事は出来ないのです。

 そして、その出発する日に台風が向かってきたとしても、私自身がどうしてもその所へ行かなくてはならない神の御心であれば、私は必ず行けるのです。

 その台風はよそに流れて、私の行く手を遮(さえぎ)る事は出来ないのです。なぜならば、そういう風さえも、雨さえも、そして海さえも、全ての自然を支配しているのが私達の力であるからです。

 ですから、今、人間が思っているその様な小さなものを、自我で支配しているのではありません。これは全てのものを支配している力です。それが宇宙力なのです。

 それが皆さん方の一人びとりの中にあるのです。それを素直に受け入れるか。素直に自分のものとするかしないか、という事です。

 しない人は苦しみます。する人は、素直になれる人は本当に幸せで健康で力と知恵に満たされて、安らぎの生活を送ることが出来るのです。毎日が楽しいのです。

 こういう楽しい人生行路があったのに、その楽しい嬉しい人生行路は誰のお陰だと思いますか。それは神の御蔭(おかげ)なのです。

神の心を素直に受け入れる』。この私達の心が、神の心を受け入れる事によってのみしか出来ないのです。これを信仰というのです。それ以外の信仰は何処にも存在致しません。

 真の信仰というものは、実在する神の力を、神そのものを受け入れる事なのです。神そのものに全託(ぜんたく)する事なのです。
 これは真の救いであり、現実的であり、実際的となるのです。

 皆さん方はもう今日から健康になれます。その秘訣をここで学びました。自分の身体に関して一切消極的な想いを起さない事です。

 健康になる秘訣をもう一つお教えしましょう。それは年を取らない事です。なぜ年をとると思いますか。

〈自分は幾つになったから〉と、年齢を意識した瞬間に私達は年を取るのです。年齢を意識しない事によって年を取りません。

 本来、人間に年はあるのであって、実相世界には年は存在致しません。私もその過ちを犯して40数年余りの肉体舟を持っておりますが、
 以後年を取らない様に、年を数えない様に、幾つになったと聞かれても、
「分かりません。神のみが知っています」と言っています。

「あなたは幾つになりましたか?」「分かりません」と言っています。
「年と私とは関係ありません」と言っています。

 自分の年さえも忘れるくらい幸せになる。これは浦島太郎になります。浦島太郎は年を忘れていたのです。それは真理です。そうすれば、自分は浦島太郎の様に年を取らないのです

 これは海の中で年を取らないだけではなく、私達が本当にこの世の竜宮のような、幸せで平安で生きる喜びに、人を助ける喜びに、神の心に満たされていたならば、この三次元が、即、竜宮であるのです。

 今の私には、自分の年を考える時間など持ち合わせておりません。喜びにあふれて何日であるかも何曜日であるのかも、事実分からないのです。

 旅をしていても今日は何日なのか、何曜日なのか、殆ど意識していません。私に聞いても「暦を見て下さい」としか言えないのです。
 分からないのです。 なぜならば、私は、時間、空間、距離を超越しているからです。

 皆さん方は心配をします。その心配する事はマイナスのエネルギーです。
よく心配するお母さん方がいます。心配は破壊のエネルギーであり、自己破壊のエネルギーであり、消極的なエネルギーです。

 子供を心配するお母さんは、あたかも愛情深いお母さんの様に見えますが、そのお母さんは「無知のお母さん」になります。あるいは「無知のお父さん」にもなります。それは子供を破壊します。

〈カゼを引きやしないか。病気になりはしないか〉と、子供に、毎日マイナスのエネルギーを送っているのです。そうすると、子供は熱を出したり、カゼを引いたり、とうとう病気になってしまった。

〈私が思っていた通りになってしまった。私はそれを見抜く超能力を持っている〉と、自分の子供を病気にして自分を自慢し、それを人に言いふらしているお母さん方もいます。

「私には2~3日前からこの子がカゼを引くと分かっていたのです。案の定、熱を出しました。私は直感力がいいのですね」という人がいました。

 それは病気になれ病気になれと、「なれ」とは言葉ではいいませんが、〈なる、なる〉と思っていますからその通りになるのです。それは破壊のエネルギーを、子供に注いでいるからです。

 その意味がお分かりでしょうか。そのエネルギーの使い方を間違えるとあなたは罪人となります。目に見えないエネルギーで、人を傷付けているのではありませんか。

 例えば、癌患者がいたとします。医者は癌は治らない不治の病と思っていますから、〈これは癌だから、もうじき死ぬであろう〉と、このマイナスのエネルギーをまず最初にその医者が起こします。看護婦が起こします。

 医者は家族の人に伝えます。奥さんは〈私の主人は癌で死ぬのだ〉と、子どもたちは〈お父さんは癌で死んでしまうのだ〉と、家族全員でマイナスの破壊的な死の念を送ります。

 そして身内の人を始めとして、親戚の人、知人、友達までが寄ってたかって殺してしまうのです。集団殺人です。

〈癌だから治らない。もう助からない。もう死ぬのだ〉と、大勢の人からマイナスのエネルギーを送られますから、もう本人はたまったものではありません。

 癌は治ります。決して不治の病ではありません。しかし、一旦癌を病むと殺す人が周囲に一杯いるのです。妻でさえ主人を殺す張本人です。

〈癌は死ぬ。もう助からない〉と、大勢の人の心で消極的な心で集団殺人をするのです。恐ろしい事です。目に見えないだけで本当に恐ろしい事をしているのです。

 見舞いに来る人もその人を殺しに来るのです。
「早く良くなって下さい」と、治すために、励ますために来るのではなくて、みんなの念によってたかって殺しに来るのです。

〈この前来た時よりも今日の方が弱っている。もうそろそろではないか〉と、〈もしかすると、明日か明後日には呼ばれるのではないか〉というような念を、消極的な念を、集中的にその人に送っているのです。

 敏感な患者なら身内の人が病院に入って来る事が分かります。身内の人は心配という消極的なエネルギーを絶えず強く送っています。

 本人は身体の調子を悪くする、その暗示をかけに来る身内の破壊的な念が近づけば近づくほど、本人にはそれが分かり苦しみだすのです。

 皆さん方もそういう無知を、目に見えない罪を犯してきたのではないでしょうか。それが罪でなくて何でしょうか。

 私達が神を知っていたならば、そういう罪を犯さないと思うのです。
ですから「言葉遣いに気を付けなさい。想いに気を付けなさい。そして行為には気を付けなさい」と、私はいつも皆さん方に言っているのです。

 あなたの想いが消極的ではないか。あなたの言葉が消極的ではないか。あなたの行為が消極的ではないか。消極的な言葉や想いや行動は、私達が神を裏切る行為なのです。罪を犯している姿です。

 今、地球上には、そのような破壊的な波動が、闇の波動が一杯です。その波動を清めるために私は《大丈夫だ》というエネルギーを送っています。

 大丈夫という言葉。それは強烈な世の救いです。全体に大きく影響するのです。今ここでも、私は《大丈夫だ》というエネルギーを送りました。そうするとそのエネルギーは全宇宙に影響します。
 
 皆さん方が〈もう大変だ〉と思った時は、破壊的エネルギーを全宇宙にばらまいたのです。それは罪です。あなた一人だけの破壊ではなく、全体に大きく影響する事を絶対に忘れてはなりません。

 目には見えない集団殺人という事が、この説明でお分かりだと思います。可愛さのあまりに人を殺してしまう。それは無知の姿です。

 子供がよく病気になるのもその一つです。子供が病気にならないように、常に大丈夫だという愛のエネルギーを、その言葉と思念でもって守ってあげる事です。

 家庭においても家族の人がお互いに、一切、消極的な言葉を出さない事です。そうなれば、その家庭は常に積極的な神の心の中に、光の中に生きている事になります。消極的な言葉と想いのある家庭は、闇の中に生きている事になります。

 皆さん方の家庭が闇の家庭か、光の家庭か、それは皆さん方の想いが消極的なのか、それによって決まります。

 常に、家庭の人が積極的に生きているなら、積極的そのものは神我ですから、神と共に生きている家庭人です。そこには神が充満します。
 神のエネルギーが、建設的エネルギーが充満しています。

 神の中に生きたいならば、私達の言葉や想いが積極的でなくてはなりません。それは神と一体である証です。

 現実的に、実際的に、その力の影響をお守り受けている姿です。その事を、皆さん方は知らなくてはならないのです。

それを実践する日常生活の中に、真の救いはあったのだ」と。
神棚を作る事によって神が働くのではなくて、
「自分は神の心の中に生きる者であるか。人の心という外に生きる者であるか。それは自分自身の心次第であった」という事をよく知って欲しいのです。

 あなた方は今まで人の心で生きて、神の心で生きてはいなかった。あなたが神の心と一体となって、神に全開して生きることが如何に大切であるか、という事をよくご理解頂きたいと思います。その力を、即、今日から応用して頂きたいと思います。

 言葉は神なりき。言葉は力なりき。だから私達の言葉は力であった。初めに言葉があった。言葉は色々な物資となった。

 神が『光あれ』といえば光が発生した。神が『海あれ』といえば海が誕生した。神が『山あれ』といえば山は誕生した。神が『動物あれ』といえば動物は誕生した。

 その支配者として、すべての自然の支配者として、その自然の全ての克服者として、万物の霊長として、神は最後に人間をお造りになったのである。

 神は最後に『人間あれ』といわれた。そして、神は人間の形体を、その雛形を造られ、神ご自身が私達の中に住み給うようになられたのである。
 それが創世記である。
 
 この世の全てのものは、私達の支配下にある事を忘れてはなりません。その事が万物の霊長なのです。だから私達は海の神を礼拝してはなりません。
 山の神を礼拝してはなりません。火の神を礼拝してはなりません。水の神を礼拝してはなりません。決してそれらを崇拝してはなりません。

 火はあなたの為にあります。水はあなたの為にあります。山はあなたの為にあります。海はあなたの為にあります。

 あなたがそれらの神を拝んだとすると、あなたはそれらの神より下になります。あなたの為にそれらの神があるのであって、それらの神の為にあなたがあるのではありません。

 それらの神を一生懸命拝んでいる人がいます。火は人間の為に造られたのであって、火のために人間は造られたのではありません。海も人間のために造られたのです。山も人間のために造られたのです。

 ですからそれらの神を祭って一生懸命拝んでいる方々、人間は間違えています。自分が全ての支配者であり、克服者であることを忘れています。世の中には「如何に間違った神々が祀られているか」という事です。

 しかし、それを粗末にしてはなりません。自分の生きる糧ですから、尊敬しお互い愛し合う海であり、山であり、火でなくてはならないのです。

 ですが、それを自分の上に置いて、それらの神々が私より上だと錯覚している妄想家が、如何に多いかという事です。

 火の下にいるとあなたは火の災いを受けます。火をあなたが支配すれば火はあなたに従います。海を礼拝すれば海の災いを受けます。

 しかし海を支配すれば私達は私達は海の災いを受けません。山を支配してしまえば、山の災いをうけないのです。決して事故、災難に遭う事はありません。

 しかし、山の災難に遭うのは山に支配されているからです。海の災難に遭うのは海に支配されているからです。火の災難に遭うのは火に支配されているからです。
 山の神が、海の神が、火の神が、それらの方が私達より上だと思っているから、色々な災難に遭うのです。

 私達はこの世の支配者である事を忘れてはなりません。私達はその上に立つ者です。決してその下にあるものではありません。 

如何に人間が神であるか」という事を、みなさん方一人びとりが自覚されんん事をお祈りしなたら、こうして「神の心、人の心」をお伝えしているのです。

 そこに力の全てを、その神の力を現す事が出来るのです。肉体というものは皆さんの支配下にあるものです。しかし世の人々は今この肉体に支配されております。肉体はあなたの心でいくらでも支配できるのです。

肉体よ。神の使命を果たしなさい〉と、あなたの心で肉体に命令すべきであって、なぜ肉体に使われなくてはならないのでしょうか。

 肉体はこの三次元の乗り舟に過ぎません。その有限なるこの世的なものに支配されてしまって、本質的な自分自身の心を忘れているのではないでしょうか。

 心が主人であって肉体が主人ではありません。肉体は心の下僕です。召し使いです。しかし、世の人々は召し使いである肉体に支配されています。

 私達は、この肉体に支配すべき心を持っている事を忘れてはなりません。心があくまでも主人です。

 皆さん方の主であり、克服者である『汝自身のキリスト』を忘れてはなりません。それが、皆さん方に内在する『内在の神』あるいは『内在のキリスト』というものです。

 皆さん方は神の御心そのものを、知恵と力と宝物を持ち合わせております。それをよくお悟りになって、我がものとして頂かん事をお祈り致します。


人間はなぜ神か 神と人間の関係

 私達は自分自身の中に神を秘めています。
「キリストとは何か」と言われたら、皆さんは人格神のイエス・キリストを想像します。
 十字架にかけられたイエス・キリストの姿を想像しますが、そのキリストは皆さんの魂の中におられるのです。

 ですから、この肉体というものはその魂の中におられるキリストを顕現する、この世でキリストの働きを現す媒体であり、そのキリストの住処(すみか)であり宮であるのです。

 しかし、その宮なる肉体、その肉体に皆さん方は捉われています。皆さん方一人びとりが、自分の中にキリストを宿している事を忘れてはなりません。

 世の中では、自分の浅はかな物差しで人格神を作って唯一の救い主と拝んでいます。神は皆さんを通してお働きになられます。
 決して人間の手作りのお宮を通してお働きになるのではありません。

 神は「あなた方は生ける神の宮なり。仏の宮なり」と申されています。
生きた神が皆さん一人びとりの中におられるという事です。

 その生きた神の名前がキリストであり仏陀であるのです。それは宇宙意識の事です。私達の神性なる意識の事を「キリスト」といい「仏陀」というのです。
 キリストを宿し仏陀を宿している魂そのものが、偉大なる存在である事をあなた方はみんな忘れてしまっています。

 それでは「人間と神の関係」はどうなるのでしょうか。もうここまで話をすれば、個人個人でそれを理解していかなければなりません。
 本当に「自分の肉体を通してキリストをこの世に顕現しているのだろうか」と言いたいのです。

顕現するのだ〉と、努力する事です。自我という肉に溺れない様にし、にくから出てくる欲望を禁制しコントロールする。
 それを克服する事によって、神性なるキリストが私達を通して現れる様になります。これを成さずにして、何者もこの世の使命を果たした事にはならないのです。

 私達と神とは切っても切れない関係です。「キリストより語る」。それは言霊となって、神の誓願となって、その力は偉大なものとなります。

 私は以前、片方の耳が聞こえない人に会いました。その聞こえない耳は鼓膜喪失のため、医者は治療不能であると診断したものです。
 
 私はキリストより聞こえない耳に命令しました。
『耳の意識よ、しっかりしなさい!』『神の使命を果たしなさい!』と。

 その時、何が起こったと思いますか。鼓膜のない耳が聞こえる様になったのです。その人は「聞こえます!」と言うのです。小さな声で「もし…もし…」と言えば、大きな声で「ハイ!ハイ!」と言うのです。

 なぜ、そのような奇跡が起きるのでしょう。内なる言霊より、キリストより、その肉は造られています。御霊は、キリストは主人です。
 その主人が造った三次元的なバイブレーションは、命令的なものを与える事によって完全となったのです。

 ですから、肉はあくまでも造られた物であって、造り主である御霊(みたま)がそれを支配して皆さんの中におられます。

 神は皆さんの中におられます。肉を支配する神が皆さんの中におられるのです。それを自覚出来るようになりますと、もうこの世で悩む事はありません。もう皆さん方は病気になる事がないのです。

 肉体が何であるか分からないから、神理が何であるか分からないから、今まで、迷い、苦しみ、肉に捉われて来たのです。

 いくらでもあなた自身の御霊から、不調和を起こして悪くなっているその部分に命令することが出来るという事です。

 現実に、今ここに胃下垂だという人に、上江洲さん(※上江洲義秀先生)がその人の胃の意識に呼びかけて、
元の神から与えられた使命を果たしなさい』と命令しますと、胃は造られたものであり、造り主の御霊には逆らえませんから、お臍(へそ)の下まで落ちていた胃がグーッと上の方へ上がってきます。

 胃だけが聞くのではなくて、全ての細胞は皆さんの言霊によってそれが支配できるという事を体験しなくてはなりません。

 上江洲さんだけがそれが出来るのではありません。上江洲さんの持っている御霊もキリストも、皆さんが持っていて御霊もキリストも同一のものです。それをあなた方が信ずるか信じないかで、発揮する力が違うのです。

 それを「信仰」と言います。「汝の信仰、汝を癒やせり」。それは信ずるか信じないかという事です。
 神を信じているかいないかはあなたの信念にかかります。信仰にかかります。

 上江洲義さんは神が自分を通して働いて、その力が肉体を支配し、その胃を支配する事が理解出来ていますから命令する事が出来るのです。

 なぜ、あなた方にはそれが出来ないのか、何処に差があると思いますか。それを信ずる心の強さ弱さによって違うのです。

 あなた方は自分自身の肉体を、あなたの御霊によって支配しなければならないのです。世の人々は、多くの人々は、殆ど肉によって支配されています。

「この世で造られた物によって、なぜ私達はそれに支配される存在なのだろうか」という事を知らなくてはなりません。

 今、肉に生きているのではないでしょうか。肉の支配下に置かされているのではないでしょうか。肉に操られ、肉が「何かをしなさい」といえば、あなたはその何かをするのです。

 肉が酒を飲めといったら酒を飲む。肉が賭け事をしたいといったら賭け事をする。その様な不調和なものはみんな肉から出てきます。

 私達は肉の奴隷ではないのです。肉というものは、肉体というものは、私達のキリストの支配下における部下なのです。

 この世に現れているもの。その物質的三次元のものは、すべて御霊によって造られているもので、肉が作り主ではないのです。

 その造り主である御霊が、皆さん方の中に、一人一人の中に宿っている事を知らなくてはならないのです。

 イエス様はその事を悟っておられましたので、風を支配されました。海を支配されました。
 台風が荒れ狂う大海原の小舟の中で、「風よ!海よ!静まれ!」と。

 それは何処から支配されたと思いますか。何処からその声が出たと思いますか。それは自然界を創造した神のご意志であるキリストにより、言霊によって、風と海を支配されたのです。

 この三次元の全てのものに御霊が存在しています。しかし、人間は万物の霊長です。神に似せてお造りになっています。この世に現れているものは何物も礼拝してはなりません。

 私達が礼拝しなければならないものは、神であるキリストそのものだけです。尊敬はしていいのです。大事にしてもいいのです

 しかし、その支配下に置かれてはならないのです。そうなりますと人間は万物の霊長ではなくなります。

 なぜ万物の霊長であるものが、山神様を拝み、海神様を拝み、火の神様を拝み、水の神様を拝まなくてはならないのでしょうか。

 私達は山のために、海のために、水のために造られているのでしょうか。神は私達のために山をお造りになり、海をお造りになり、火も、水もお造りになったのです。

 そして、神は私達にこの三次元のものを支配させる為に、私達をここに送って下さったのです。

 しかし、今の世の中の人は、海神様だ、山神様だ、火の神様だ、水の神様だといって拝むのです。山はどうでしょうか。山はあなたの為にあるのか。

 山のためにあなたが生きるのか。火はどうでしょうか。火はあなたのためにあるのか。火の為にあなたが生きるのか。それなのに、それを拝む人が一杯いるのです。

 支配すべきで怖がる事ではないのです。それらは、あなた方の御霊によって支配すべきなのです。しかし、あなた方はそれを怖がっているのです。

 だから、色々なこの世の三次元的な諸天善人を祀って、それを拝む習慣性というのが出て来ているのです。もうすでに万物の低調になっています。

 万物を支配する万物の霊長たる人間が、万物の低調になって色々なものを拝む様になってしまったのです。

 すでに、万物の低調になっているのではないでしょうか。万物の霊長たる人間が、石を始め木や銅や色々なものを拝んでいるのです。

 それは愚かな話です。石像を拝み、木像を拝み、銅像を拝み、様々なものを拝みます。それは神を知らない、自分を知らない、「神と人間の関係」を知らない無知からそういう事が起こるのです。

 どうでしょうか。皆さん方は世の支配者である事が、もうお分かりだと思います。世の支配者であり、山を支配し、海を支配し、全てのものを支配すべき私達が、肉たるそのちっぽけなものに支配されるのでしょうか。

 その肉そのものは御霊の支配下であって、あなた方は肉に支配されてはならないのです。肉のために御霊があるのか。御霊のために肉があるのか。どちらだと思いますか。御霊のために肉があるのです。

 神は御霊のために肉体をお造りになって、そのものは部下であって、三次元に現れるための一つの道具にしか過ぎないのです。皆さん方はその道具に支配されてはならないのです。

 それをよく理解した時、皆さん方は、肉という自我意識を克服する事は簡単にできます。しかし、まだまだ自我に振り回されています。

 肉の言うがままです。〈何処かに美味しいものを食べに行け〉と肉が言えば、「ハイハイ、そうですか」と美味しいものを求め探します。
 〈旨い酒が飲みたい〉と肉が言えば、「ハイハイ、そうですか」と完全に肉の支配下に置かれている状況です。

 肉に使われてはなりません。肉体を支配せねばなりません。肉体を自由に御霊によって支配し、コントロールして、このキリストをこの世に表現するためとするのです。決して肉の快楽に溺れてはなりません。

 それに操られている間は、皆さん方はまだまだ神我という本性を、神を、キリストを観ておりません。信じておりません。だから、キリストを通さずにして何者も神の御国に入る事は出来ないのです。

 皆さん方は内在のキリストを秘めております。(神我)キリストは全ての支配者であり、唯一なる神の子です。神の意志を受け継ぐ者です。
 そうした時この三次元の目に見せるもの、物質界を支配したという事になります。その時初めて自然の法則を超越し、宇宙の法則に従ったという事になります。

 自然の法則の支配下に置かれている者は敗北者です。皆さん方はその自然を克服するすべての力を持っております。それが皆さんに内在しているキリストです。

 どうでしょうか。もう大丈夫でしょうか。肉体に操られる事はありませんか。肉体に負けてはなりません。イエス様は肉体の欲望を克服された時は、「サタンよ、退け!」と言われたのです。

 肉体は皆さんを誘惑します。イエス様もその誘惑を何回も受けられたのです。
〈こんな神の伝道をするよりは、あなたは一国一城の王になった方がいいだろう〉という肉の意識が、黙想(瞑想)されていた時に、強烈にイエス様の心を誘惑したのでした。

 その時、イエス様は《サタンよ、退け!》と言って、その肉の誘惑を、御霊より言霊の力によって、完全に支配されたのです。

 皆さん方も肉から出て来る欲望を、「サタンよ、退け!」と一喝(いっかつ)して、それを追い払わなければなりません。

 色々な名物を求め歩いて、何々名物だ、どこどこ名産だと、欲望と快楽に溺れてしまい、金を使い暇を潰しそれを求めるために肉に操られている人もいます。また、豪華な美食だといって食欲という悪魔に操られる人もいます。

 そんなものに操られたりするために私達があるのではありません。そういう事を全てを支配し克服して、肉に属するものを、この地に属するものを克服してこそ、皆さん方は解脱出来るのです。

 皆さん形を、この世に束縛している原因は何でしょうか。それはこの世に敗北しているからです。この世のものに、全てのものに打ち勝つ事なのです。

 肉に打ち勝ち、物質に打ち勝ち、全てを支配する事によってのみ、皆さん方はこの世の束縛から解放されるのです。それを「解脱」と言います。

 本当に「自分自身が何か」という真理の追求を、そして求道の精神を、生半可ではなくてそれをかたせなくてはならないのです。

 イエス様は「この世の全てを克服した時、私はこの世を克服したのであると言われたのです。

 その時、イエス様は三次元的な肉的な物質的な存在から霊的存在となられたのです。霊が勝利したからです。

 まだまだ皆さん方の霊は物質に勝利していません。物質の奴隷下に置かれています。色々と造られたものに、その造られたものの概念で生きています。

 あなた方の考えを支配しているのは、殆どが三次元的、その物的なものなのです。
 四六時中私達が神を思う事によって、物質、肉体に支配される事はありません。
 そういう欲望が出る時「サタン(偽我)よ、退け!」と、それを克服する事が出来るのです。

 この世で、どんなに地位や名誉や財産を持っていようとて、それは肉と共に葬り去られるものです。この世的なものです。

 持ち帰れるものは一切ありません。それらのものを得た所で何になりますか。「自分が何であるか」を知らないから、それを欲望的に求めるのです。

 それらの人達は、この世では大きい者の様に見えるかもしれませんが、あの世では小さな者でしかないのです。なぜならば、物質の支配下に置かれているからです。

 その人達が物質の支配下に置かれていなければ、この世の財産や地位や名誉を得るという、自己顕示欲的な慾望などは求めようとはしないのです。
 それは、三次元的です。物質的です。そして未熟です。幼稚です。

 今、皆さん方は、三次元的なもの、物質的なものを一つ一つ克服しつつあります。
 そうした時「我は神なり」「我は霊なり」「我は生命なり」「我は神理なり」と、言える程の強い信念、深い信仰を持たなければなりません。
その信仰があなたを救います

 しかし、今、あなた方は「自分が何であるか」を知りません。ですから、世の物質の誘惑に振り回されるのです。
 その物質による世の誘惑に振り回されていればいるほどこの世で苦しみを造っています。

 これを克服した分だけ幸せを健康を得る事が出来るのです。この世の恐怖というものが一切なくなります。何故ならば、この世の全てを御霊が克服してしまうからです。

 まだまだ皆さん方は、物質の少ない事を怖がり、地位や名誉や財産の少ない事を怖がり、色々なものを恐怖しています。物質を怖がっています。執着しています。それが皆さん方の苦悩となっているのです。

 今、肉体について、その肉体が何であるのかをよく考えて下さい。そして、その肉に支配されてはならない事をよく理解して下さい。

 肉体は、この世的な、一時的な住処にしか過ぎません。それを「人間」と呼んでいるのです。

 皆さん方の中に神が住んでいるのです。あなた方が拒否さえしなければ、神はあなたの肉体を通してのみ働きます。

 あなた方は御霊より、内在のキリストにより、色々な神理を伝える事が出来、正しい言葉遣いと、正しい想いと、正しい行為が出来るようになります。

 今、皆さん方が正しい言葉遣いと、正しい思いと、正しい行為が出来ていないのは、この肉が邪魔しているからです。

 肉は利己的です。魂は非利己的です。自分が三次元的なものを克服しているかしていないかは、自分の行いを反省してみれば分かります。

 自我で肉の敗北者である人は必ず利己的です。しかし、その利己的である肉を克服した者は、非利己的になっています
 非利己的な総合的なものの見方です。ものの考え方です。
自他一体』。一体観念の中に生きています

 聖書の中にこの様な事が書かれていると思います。ある街が大火事に遭いました。火事の災害を受けなかった金持ちの人達に、イエス様はこう言われました。神から預かっているものを神にお返ししなさい」と。

 その人の持ち物は神のものであって彼等のものではないのです。
「それを必要とする所のために、神から預かったものを神にお返ししなさい。

それを必要とする困った人にあなたの財産を与えなさい」とイエス様は言われたのです。
 
 ある人は全部与えました。ある人は半分与えました。ある人は何も与えませんでした。何も与えなかった人、その人は盗人です。

 あなたの持っている財産や、そういうものは誰のものだと思いますか。神のものです。それを私のものと錯覚して執着しているのです。 

 あなたのものであれば、あなたがこの世を去る時それを持ち帰れるはずです。持ち帰る事は出来ません。預かりものです。

 神からの預かりものを持っていながら、それでいて「これは私のものだ」と威張りくさる人がいます。そして何も持っていない者を罵る人がいます。これは非常な盗人であり、罪人です。災いなる者です。

 自分のものがない事を皆さん方は知らなくてはなりません。その時が来れば全てはた叩いて皆さん方は困っている人に、貧しい人の為にお返ししなくてはなりません。
 それが出来る人は真の勇者であり信仰者です。神を信じている者の信仰です。

 それは、神理を通して眺めてみれば、自分のものがない事が分かります。それが理解出来ない人は、私の言葉を「おかしな事を言う」と思うでしょう。

 しかし、事実はそうではないのです。自分のもの、私のものというのはないのです。全てが神の預かりものです。

 この肉体でさえも神から預かっているものです。ですから、私達は死にたくないと思っても、寿命が来れば行かなくてはならないのです。

 自分の肉体が自分のものだと思っていてもあなたの思う通りにならないのです。肉体が自分のものであるならば、自分の思い通りにする事が出来るはずです。

 思い通りにする事は出来ません。言う事も聞きません。なぜならば、それは神のものだからです。自我ではどうする事も出来ません。

 あなたの支配しているのは神ですから、私達は肉体でさえも神に捧げる事です。これが本当の「献身」というものです。

 命を捧げる者。自分自身の外なる命と内なる命を神に捧げて人々のために捧げた時、皆さん方は「永遠の命」を得ます

 しかし肉我の自分に生きようとする者は、永遠の命を得る事は出来ません。神を知っていないからです。神理を知っていないのです。
 
 だから「生命を得ようとする者は生命を失い、生命を捨てる者は生命を得る」という言葉があるのです。この事は非常に大事な事です。

 神とは何でしょうか。神とは宇宙の摂理であり、法であり、エネルギーです。私達は宇宙の中の存在です。

 私達一人びとりはその宇宙の中に、宇宙エネルギーの中にいるのです。そして私達一人びとりは、その宇宙エネルギーを持っているのです。
 
私は神の中におり、神は私の中におられる」というのはその意味です。
エネルギーの中に私達はいるのです。私達の中にエネルギーがあるのです。

神は内にいると同時に外にもいる。全ては神であり全体は神である」と、それが分かる様になります。
 
 神と人間とは一つの存在、一体の存在です。なぜならば、神は無限であるからです。神から分離した人間は何処にも存在致しません。

 神から分離した人間がいるならば神は無限ではなくなります。普遍でもなくなります。

 あなた方は、今、即、神の中におり、神はあなた方の中におられます。それが分かりますと、唯一神のみの実在、神一元という悟りに到達致します。

 神一元です
しかし、人間の浅はかな感化(自我)が、色々なものを分離し、独立させて考えているのです。あなた方の肉の意識がそれを妨げているのです。

〈自分は神と分離しているのだ〉と思わせる様に誘惑するのです。
あなた方が中々神理に入って行けないのは、自分自身の肉による自我意識が、神から遠ざけているのです。

 事実においては、神の中に私達はおり、神は私達の中におり、それは一元なるエネルギーの中におるのです。エネルギーは外でもなく内でもなく、また、外でもあり内でもあるといえるのです。

 この事は、〈今、あなたは神の中にいる。それはあなたは神の中の存在であって、そしてあなたの中には神が存在している〉という事です。

神の中に自分は存在し、自分の中に神は存在する。常に神と自分は一体である」と、この事の意味をよく理解して頂きたいのです。

 そうした時「人間と神の存在というもいのは一つの存在である」という事が分かるのです。そこには、人間と神が独立し分離している存在ではなく、「人間と神は一体であった」という事です。

 一体とは「一つの体」という意味です。
人間と神との関係は一体であった。一つの体であった」という事です。
その神が皆さんの中に、生命の中におられます。

 ここで私が一番言いたい事は、「神の存在を、内在のキリストを、あなたの肉を通して完全にこの世に現す様にしなければならない」という事なのです。

 何回も、何回も、私は同じ事を言っています。飽きる程そういう事を言っています。しかし皆さん方はまだ肉に敗北しています。ここから自分の家に帰りますとまた敗北するかも知れません

〈知花はなぜ毎日同じ事を繰り返すのだろう。なぜそう言うのだろう〉と。それを自ら追求する事によって、自ら自問自答して、内から答えを得る事によって神に至る事が出来るのです。

 今、世の中では、色々な誤ったものの見方と、誤ったものの教え方をしています。それにはまず統合的な高い意識を高揚させてから、そこから全体を見る事です。一部だけを見てはならないのです。

 しかし皆さん方の見方は、近眼になってしまって、一部しか見ていません。ですから全体と自分の関係を見失っているのです。厳しいようでもやらなければならないのです。

 世の人々は、神に至るのに平坦な道を選びがちです。肉欲も、情欲も、飲み食いも、常平生それをやりながら神に至ろうとしています。

 物質の支配下に完全に置かれて、霊的なものに遠ざかっているからです。平坦な神への道というのは何処にもありません。

 道は厳しいのです。狭いのです。この世のもの全てを、あなた方が御霊によって克服しなければならないからです。

 では、人間と神の関係はどうなのでしょう。本来は人間と神の関係さえもないという事です。

 この説明のためにテーマをつけて書いたものであり、関係さえもなく、一つの存在であるのです。

人間と神は、即、一体の存在であり、我々も神の存在であり神そのものであった」という事が分かるのです。我は神なり。我は生命なり。我は神理なり。と。

我は神であり、我はキリストである」という悟りに至らなくてはならないのです。

 この世というものは、始めがあり終わりがあります。皆さん形には誕生があり死があります。

 しかし、これはこの世的なものであって、もうひとりの真の自分には誕生もなければ死もない存在なのです。それがあなたの本質であり、生命であり、魂であるのです。それに早く気付く事です。

 初めがあり、終わりのある存在ではありません。それを追求して、それを克服して、初めがあり終わりのあるものに捉われないように。
 
 それは初めがなく終わりがないものによって造られたものであり、それを造ったものによって支配しなくてはならないのです。

 その造り主である神の御意志が、内在のキリストとして皆さんの中に宿っています。早くそのキリストに気付く事です。

 その支配者である全知全能であるその方(神我キリスト・宇宙生命)を、皆さん方は早く気付いて欲しいのです。

 神棚を通して神は働くのではありません。生きた人間の肉体を通してのみ神は働き給うのです。
神は人間を通して働き給う」と、その事を決して忘れないで下さい。
 
 なぜならば、人間そのものが神であるからです。神棚そのものは神ではありません。それは三次元的な、物質的な存在であるのです。

 私達は神である生命を頂いています。「我は生命なり」です。その生命が働き手であり、生きているわけです。どんな植物の中にでさえも神は生きて働いているのです。だから植物は成長し、花が咲き、身を付けるのです。

 皆さん方の奥さんは「カミサン」といって神様です。本物の神様です。ですから大事にしなくてはならないのです。

 皆さんの周囲には沢山の生きた神々がおられます。その生きた神々を私達は愛し合わなくてはなりません。真の神の愛です。

 あなた自身の中に神がおられるなら、あなたの隣人の中にも神が宿っておられる事を知らなくてはなりません。そうなれば、その隣人を貶す事は神を貶す事になり、その隣人を罵る事は神を罵る事になるのです。

 そうならないように、皆さん方は「隣人愛」をしなくてはならないのです。「自分を愛するが如く人々を愛する」と、それをしなくてはならないのです。

これは神を愛している姿であり、神を賛美している姿なのです。

 誰の悪口を言ってもなりません。神を知らない者が人の悪口を言います。神を知っている心の清い者が人の批判や悪口を言うでしょうか。

 人の批判や悪口を言うならば、その者の心は曇っているのです。真の自分を知らない、神を知らない者です。

 そのような迷い人の言葉や姿に迷わされないで、一生懸命、自分自身の神を観つめ、その「神と人間の関係」を追求し、求道され、実践されます事をお祈り致します。


知花敏彦先生のお話から一部引用ですが…♪

 では、人間と神の関係はどうなのでしょう。
本来は「人間と神の関係さえもない」という事です。

 この説明のためにテーマをつけて書いたものであり、
関係さえもなく、「一つの存在」であるのです。

人間と神」は、「即、一体」の存在であり、
我々」も「神の存在」であり「神そのもの」であったという事が分かるのです。

我は神なり」。「我は生命なり」。我は神理なり。と。
我は神(の一部)であり、我はキリスト(宇宙生命)である」という悟りに至らなくてはならないのです。


「全ては神=我神なり」という真理♪

意識の進化=愛の拡大=分離意識の克服=
我は全体なり・全体我なり=全一体・自他一体=

全ては私=全ては一つ=全ては一つの存在の現われ=
宇宙は一つの生命体=全てに神(宇宙生命)が宿り給う=

宇宙は神一様=全ては神の中の存在する一つの存在=ワンネス
全ては永遠に一つの存在=全ては一つ=全ては私=全ては神

全ては今この瞬間しか存在しない=全ては永遠に一つの存在=
永遠の始まりである神の御心のみが実在=今即天=今即実在=

大愛・宇宙生命・神の一人子である神我キリストのみが実在=
全てはこの瞬間に存在する宇宙生命そのもの=全ては神そのもの=
全ては神ご自身=神一元・愛一元・光一元=宇宙即我=我神なり


調和=愛の法則そのもの=罪なきもの=完成=幸せな人生に
不調和=愛の法則を犯している=業・罪=カルマの精算が起きる

愛と赦し=調和=愛=幸せ・健康=完成=中性=完全=光人間
恨み・憎しみ・争い=不調和=罪=病・災難=不完全=闇人間

愛と赦し=カルマの消滅=神の祝福=幸せなツイてる人生に
許さない・恨み・嫉妬=カルマの刈り取り(不幸災難)な人生に

調和人間=愛が深い人=愛の光そのもの=克服者キリスト=完成
不調和人間=恨み・嫉妬・責任転嫁闇人間=罪人=未完成

調和=光明世界・愛の王国=愛・光・善=平安と安らぎ・至福感
不調和=無明世界・闇世界=未熟な愛=不安と恐怖・飢餓感・不足感

調和の人は熟した魂=自分を愛するが如く他人を愛します=ワンネス
不調和な人は未熟な魂=他人を責めて非難します=分離意識


 イエス様は「愛は天と地の架け橋」とおっしゃられました。その愛とは「許しの到達点」である「慈悲と愛」で御座います。

 真の意味で貴方が、その「許しの到達点」の境地に到達した時に、自ずと「天である神」と「地である貴方」との架け橋が繋がる事でありましょう。私は実体験からそれが実際にありえると確信しております。


愛は天と地の架け橋  この愛の理解と体得が神様と繋がる鍵♪

神・大愛(天)……全てを活かす愛・慈悲と愛・すべての形態を形作る力・意識を与えて下さった魂の根源・真の親・すべてを活かし育む力、縁の下の力持ちで全てを愛し慈しむ無償の愛・無限の愛・すべてに意識を与えて下さった天の父であり天の母である中性エネルギー・真の親・愛を表現する為に…無限の創造をなさっている慈悲と愛そのもの

神の表現体(地)……神が神を愛する為に生まれた存在・神の化身・愛の化身・神の表現体・神の中に創造された神・個別化した神としての自覚に覚醒めた我・滅私して神の道具意識を自覚している我・自分が神ご自身だと悟った我・愛を表現する為に生まれた事を自覚している我、全てを100%の愛で愛する我、自分と全てが神以外の何者でもない事を自覚している我


第六密度以上の高次元存在が語る
「許し」というものが、カルマの輪を止める事になるお話

★ コーリー : 多くの人々が現生のトラウマだけでなく、過去生のトラウマにも対処しているところなのです。

今、地球に生まれて来ている多くのライトワーカーは、援助の為により高次元や、上の密度から降りて来た人々です。

現生が初めての人でも、高次の美しい場所からここへやって来た人にとっては、ここでのトラウマは10倍酷(ひど)く感じられるものです。

そして、長期に亘(わた)って輪廻転生を繰り返して来た人の場合は、更に解消しなければいけない過去生のカルマが加わります。

しかし、ブルーエイヴィアンズから言われたのは、トラウマを特定し、自分にトラウマを与えた人や自分自身を許すこと、

そして、この”「許し」というものが、カルマの輪を止めることになるということです。カルマがなくなるんです。

これは、エネルギー的なものです。
カルマとは」負債を支払うようなものではなくて、
許してエネルギーを解放するもの」なんです。



カルマとは宿題・魂の課題・許しによって消滅♪
……………………………………………………… 
「許し」を心から実践=カルマの輪を止める=カルマがなくなる♪

自分にトラウマを与えた人や、自分自身を許す==
             ==魂の課題を克服=カルマが消滅♪

許す事によってエネルギーを開放=カルマの克服・解消に♪


ケイシーリーディングから…♪

全身全霊で「神を愛する」大切さ
「神を求める祈り」をする大事さのお話

 エドガーケイシーは、宗教生活についてそのもっとも美しい表現の中で、この事を次のように語っています。

あなたがたは心を尽くし、思いを尽くし、体を尽くして汝のなる
(大生命・内在の神)を愛し、隣人を汝の如く愛するのである。

このキリストの与えた言葉が法則の全てである。
それに優るものは存在しない

 主が約束されたように、あなた方は
来る日も来る日も明想し、「祈りゆく」うちに到来するあの目覚めによって、
主(宇宙生命)が自分の意識の中に留まられる事を知る事が出来る
神我が中にまします・父と子は常に一体)。

 あなた方はこの目的のために、
主が臨在し、その御霊(キリスト)があなた方の中に留まるあの意識を、
あの自覚を讃えるために生まれてきたのである。」

自我・偽我 =表現者、原因である父なる神を忘れている状態(放蕩息子の状態)神理を知らない状態・自分の力で生きていると思って迷っている状態、肉体の己を自分と思っている我、分離感・分離意識で個別化された表現を別個の存在と認識している我・分離意識・エゴ・肉の感化、五感の感化を真実と錯覚している我・迷いの影、幻、幻想(マイヤー)・自己保存、自我我欲の心


真の自己(真我)=父なる神と常に一体の境地・ワンネス意識・全一の意識・神我キリスト、全ては自分、全ては我、全ては神、全てを愛する我に目覚めた状態・宇宙生命によって生かされている事を自覚して実感している我・私が生きているのではない、なるほど一つの生命である神が生きていらっしゃる、全ての知恵と力は神から与えられている、神の中身は神、全ての全ては本質的には神、神のみが生きてらっしゃるんだなと悟った我・神一元・愛一元・光一元・我神なり、全ては神なり、全てに神を観る境地・神は生命(霊)なり、我も生命(霊)なりの自覚・宇宙即我、キリスト意識・高我・実在・全てを愛し全てを許す境地・慈悲と愛・あなた即私・私即あなた・宇宙エネルギー即自分・無限即我・不変不動の絶対なる実在・普遍なる宇宙・無限者・宇宙神

FC2版の広瀬すずちゃんの横顔になる方法の記事です♪
身長を伸ばす記事も追記してみました♪

母親のヒーリング中に 「聖霊」が体に降臨した神秘体験話♪あなたは「純粋な目覚めた意識」であり「一なる自己しか存在しない」「すべての根源であり、本質である一つのもの(全てが神・全て私)」があるだけなのです♪「一なるものの法則」はただ、すべてのものはひとつであり、すべての存在はひとつであると言っているだけ♪自分自身を発見するために自分を捨てる♪ラーが語る「ゆがみ」とは「分離意識・不調和・ネガティブな意識」「ゆがみ」を克服する方法は「許し」♪静寂(全一体・自他一体・全てを愛する我・静かな心・無限の赦し・愛と調和・神への連続的感謝の意識状態)♪内なる空間と宇宙空間(アウタースペース)♪バーソロミューさん・ラー文書・ラムサさん・バシャールさん・ドンカバチョ様♪

 

母親のヒーリング中に
「聖霊」が体に降臨した神秘体験話

最近体験した一生忘れられない…神秘体験をご紹介しちゃいます。

 3日ほど前の話なのですが、母親が椅子に座ってパソコンで私のブログで見てくれていた時に、せっかくだから…と、後ろから母親にヒーリングをする事にしたのです。

 それで、まずヒーリングの前に、ヒーリングに必要な一連の流れの正しいお祈りを神に捧げました。

●今からヒーリングを致します、愛する父なる神よ、神様、どうか私に愛の光をお与え下さい。

●大天使エルランティ(七大天使の総称)の皆様、今からヒーリングを致します。どうか私に神の光をお与え下さい。

(※河合勝先生によりますと、ヒーリングは必ず七大天使を通して行われるとの事で、ヒーリング前に、エルランティの皆様にお祈りすると良いそうです)

●神様、私を神の道具としてお使い下さい。全ては神の御業でございます。神様、私を通して偉大なる神の御業が顕現なさる事に感謝致します。

と、このような祈りを真摯で敬虔な想いで神に捧げたのでした。

 それから母親の腎臓あたりに、両手を少し離して、ヒーリングを始めたのですが、そうしますと…私の身体に、パァーッと聖霊が下ったような感覚に包まれまして、体中がプルプルっと震えるような高振動な光悦感に満たされました。

 今まで一度も体験したことのない至福のエクスタシーな光悦感でした。ものすごい高い振動数だと言う感覚で、プルプルプルプル~って感覚でした(笑)。

 体が扇風機の羽になったようといいましょうか…、聖霊や神の偉大なる光は、最高に高い振動数ですから、きっとそういう感じなんだろうなぁ…って。

 ヒーリングを始めた瞬間から、もう祈りが神様に通じた…まさにその通りできっと通じたのでしょう。体中が、もうここまであらかさまでいいの…っていう程に、…ダイレクトに分かるぐらいに、私の体が聖霊に満ち満ちている状態に変容したのです。

 その様な感覚が五秒ほど続きました。その後、背中が最高にポカポカして体中が神の愛の光りに包まれた様な状態に移行したのです。

 それから母親の全身が、白い白光で 包まれるイメージの「光明思念治療法」も織り交ぜつつ、最高のヒーリングになるように努めました。

 今まで生きてきた中でも、最高の体験でした。神様が私を神の道具として信頼して下さったからこそ、こういった体験が許されたのだと理解できました。

 私の祈りを神が聞き届けて下さった…神様が私を信頼して、聖霊を下して下さった事に涙が出るぐらい感激致しました。

 そして、私を通して偉大なる神の御業が顕現して下さった事に対して、神に心から感謝致しました。
 神様、偉大なる神の光を与えて下さってありがとうございます…と。

 その後は、母親の全身が白い白光で包まれるイメージで、光明思念治療法も織り交ぜつつ…母親の健康と幸せを祈りながら、ヒーリングしておりました。

 常に100%の愛で、全知識フルスロットル・総合的大活用フルパワーで何でもありなのが私のヒーリングなのです(笑)

 そのときのヒーリングは、今までで一番…手が暖かくなって、手から猛烈に神の光が出ているのが実感出来ましたし、母親も温かいよ~って言ってくれました。

 今回の体験を通して一番大事だと感じたのは、神に信頼される意識状態にまで自分を高めあげる事です。

 ここ最近の感覚でも、ここまで真理の理解も深まって、神の道具意識としての自覚にも覚醒めて、自分のフィーリングでも、もうそろそろ…神様からしましても信頼して下さる次元に、意識が成長出来たのではないだろうか…とは感じでおりました。

 そういった手応えはあったのですが、自分を磨きに磨き上げて、神の器としてふさわしい、真の意味で「神の顕現の器」として、
神に認められる…信頼される魂になれた時に、神様からいくらでも神の道具として使ってあげよう…となるのではないかな…と、そんな気が致しました。

 それからは、背中が今までよりも、幾分ずっとポカポカしておりまして、心も体も絶好調だったりします。

 気のせいかもしれませんが、この世界が美しく観えている気がするのです。波動が上がると、この三次元世界がキラキラして視えるという真仙明さんのお話もございます。

 ヒーリングで聖霊が下って、色んな意味でまたワンランク魂の次元がアップしたのかもしれませんね。この神秘体験を与えてくださった偉大なる神に心から感謝致します。

 後でこの体験について、じっくり考えてみたのですが、神様が私の意識状態をじっくりと観察して、この者なら…もう聖霊が下ったと感じるぐらいの…、
「神に選ばれし者」だと思っても不思議じゃないぐらいの…、光悦感を感じる神秘体験をしたとしても、増長マンや慢心に陥らず、

 神への深い愛と連続的感謝の意識状態でいられる、神の媒体(道具)として、思う存分使うに値する人間だと…そう認めて頂いたのかな…って思った次第です。

 お恥ずかしい話なのですが、昔に神秘体験のオンパレードをした事がありまして…、この時は、幾分か自分が「選ばれし者」だと勘違いしてしまい、気持ちが浮かれてしまって軽く天狗になってしまった事も御座います。

 一つの失敗な経験でしたが…それはそれとして、今回の神秘体験に通ずる、一つの伏線だったのかな…と、神の壮大な計画の一部だったのかな…と。

 一度天狗になってしまった経験により、その対比(コントラスト)が今回の貴重な経験をより一層、価値のあるものにしてくれた気がするのです。

 今回の体験に対して、自分でも不思議なほどに謙虚でいられる事に対して、ただひたすら…「神様ありがとうございます」しかありません、はい、本当に。

 ここまで神様や守護の神霊が導いて下さったお陰…これが真実ですから。究極レベルになりますと、「神への感謝」しかなくなります。

 今回の体験を通じて、自身の意識が進化し、「神を愛する想い」が、「神を恋い焦がれるような深い愛」へと変容した著しい魂の成長を再確認でき嬉しい思いになりました。

 それに何よりも、神様への「神への深い愛」が神に届いて、神様が私を包み込むような愛で「聖霊が降臨する」という形でお答えてくださった事が、本当に嬉しくて嬉しくてしょうがなかったのです。

 まさか…ただのヒーリングのつもりが、ここまでの異次元の神秘体験になっちゃうとは(笑)。

 今でもたまに、あの究極の光悦感に包まれたい…って、ちょっと懐かしく思う時があります(遠い目)。それぐらいのエクスタシーな光悦感でしたから。

 もう一生忘れられない…っていう位の神秘体験…と言っても差し支えない体験でしたねぇ…・:*:・(*´∀`*)ウットリ・:*:・☆彡☆彡♪
 
 それから、今なんかは結構寒いのに、背中がホッカイロでも付けているかの如く…ぽっかぽかですからぁ…(*´∀`)アハ♪神様ありがとうございます♪

 本当に全身全霊で…神様を愛せば、神様が愛でお返しして下さる…という一つの事例なのかもしれませんね。どんどん神様を愛しましょう。

 神様に対する「深い愛」や「感謝」なくして、いくら行法をしたところで空念仏だと思うのです。全身全霊で神を愛する事こそが、神への道の一番大事な事柄であり、神に愛されるコツではないかな…と。

 愛するものは愛されます…という事は、神様を愛したらどうなりましょうか?…わかりますね、そう!!…神様に愛されるという結果になります、答えはシンプルでした。

 五井先生は、神様ありがとうございます…だけで悟りを開かれたとも仰っておられました。神への深い愛と感謝で御座います。

 私は五井先生から、「全身全霊で神を求める祈り」と、「神様ありがとうございます」、「恋い焦がれる程に神様を愛する大切さ」を学ばせて頂きました。

 色々な覚者方から、良い部分を学ばせて頂いております。聖者方、覚者方に心から感謝申し上げます。今の私の覚醒があるのは、偉大なる方々のお陰で御座います。

 今回の神秘体験が、皆様のヒーラーへの目覚めや、また、すでにヒーラーの方々に対してもヒーリングのいいヒントにして頂ければ、私としましても至上の喜びで御座います。

 皆様、長文のご拝読有難うございました。ですが…実はこれが序章だったりします(笑)。今回は長いですよ~、まだまだ続きまぁ~す♪


zeraniumの掲示板様の
この次元にはなぜ苦痛や苦悩があるのか
2019.11.14 Thursday00:07
から引用させて頂きました。心から感謝申し上げます。

 

 あなたの心の奥深くに気高く生き生きと存在するのは、”内なる神”です。確かにそれはそこにあり、静寂を通して触れることができます。

 多くの人にとって静寂とは瞑想を意味します。長時間の長い瞑想は「”大いなる源”」への最短距離と言えますが、誰にでもできるわけではありません。なので誰にでもできることについてお話しましょう。
.
 まず最初に、内なる静寂(ワンネス意識)を体験するには何かを変えなければならない、という考えを捨ててください。
 静寂とは、肉体の動きや自分の周りにあるエネルギーの動きを、すべて止めることだとあなたは考えているかもしれません。

 ですがエネルギー(大生命)は常にあなたの周りを動いているものなので、それを止めるのは不可能なことです。
.
 あなたの魂、全体性(真我)は、あなたの存在(意識)の中にある静けさへの道を知っています。ですから具体的にどうするかを、あなたが知る必要はありません。

 ただ、そうしたい(根源との合一を願う心)と思わなければなりません。
神に「心を鎮めて下さい」という祈りを心の中で自分に与えなくてはなりません。
.
 まず最初に息を止めるようなものです。目を閉じ、息を止め、自分の中の静けさ(神との一体感・宇宙との一体感)を感じてください。
 その後は、今までやっていたことをそのままやり続けてください。
.
 あなたは「純粋な目覚めた意識(神ご自身・神意識の一部)」です。

 「私とは意識」であり、「意識はすべて」であり、
全てを超えている宇宙の要素」です。

(※すべての意識は、神の意識です。全ては神から生まれしものであり、全ての全てが神の現れであり、未来永劫「神」以外のものは存在いたしません)

それ以外の定義は全部ウソです。
でもそうだとすると、「”大いなる愛”」はどこにあるのでしょうか? 

 私が「愛」という言葉をあまり使わないのは、人間の意識の中ではその言葉が、あまりに手垢がついたつまらないものになっているからです。


ケイシーリーディングから…♪
 愛という言葉ほど大きく誤解された言葉はないでしょう。この真意は、自分の中にも他人の中にもある愛の光(無限の生命・真我)を見つめる事にあります。

(全てに神を観る意識=愛=全てが神だと意識している状態=愛=全一体=愛=ワンネス意識=全ては一つ=愛=永遠に一つの神意識=覚醒=愛=自分が神意識の一部と悟った我=愛=大愛・絶対実在=無限の生命=愛=神と私は常に一体の境地=愛=覚醒)


 人は自分の心と頭が、”大いなる愛の光”で満たされていることに未だ気づいていません。
 その”大いなる愛の光(無限の生命)”こそが、
純粋な目覚めた意識(神ご自身・神意識・真の自己)」なのです。

 「覚醒」と「愛」は同じものです。「愛」とは「覚醒の感覚(神と私は常に一体の境地)」なのです。
.
 ”聖なる愛(無限宇宙・宇宙神)”というものが存在しており、
自分がその「聖なる愛神の一部・永遠に一つの神意識)」なのだということを信じようと決心してください。

知花敏彦先生のお話から一部引用ですが…♪

 では、人間と神の関係はどうなのでしょう。
本来は「人間と神の関係さえもない」という事です。

 この説明のためにテーマをつけて書いたものであり、
関係さえもなく、「一つの存在」であるのです。

人間と神」は、「即、一体」の存在であり、
我々」も「神の存在」であり「神そのもの」であったという事が分かるのです。

我は神なり」。「我は生命なり」。我は神理なり。と。
我は神(の一部)であり、我はキリスト(宇宙生命)である」という悟りに至らなくてはならないのです。


 そうすると、それを(自分が神の一部だと)心から感じられるようになるために、日常生活の絶え間ないざわめきを静めたいと思うようになります。
.
 あなたは「”大いなる愛(神)”」そのものであり、
「”大いなる慈しみ(慈悲と愛)”」そのものです。

 内なるこれらの「愛と慈しみ(神・無限大の愛)」に触れる(感謝する)ことができると、素晴らしく高揚した気分が生まれ、心と体と精神を満たしてくれます。
.
 日常生活の中でこの静寂を実践していくと、それまでになかった経験をするようになるでしょう。

 自分の内側に何かが本当に存在しており、静寂さを通してそれを感じられるようにと願うならば、それは叶うのだということを理解するとそれが起こり始めます。

 静寂を実践する時には、その反応が起きるのを期待しながら待ってください。「期待しながら」待つことを忘れないでください。
.
 一生懸命(神との合一を願う)祈り、神がそれに応える準備を始めたところで、その人が立ち去ってしまうということがよく起きます。

 自分とは何なのか、その「本質(根源の愛)を知りたい」という願いに対する反応は瞬間的に得られます。
 ですがそれを感じられることを期待していなくてはなりません。
.
 自分が何なのかを知りたければ、「自分が純粋な目覚めた意識(神そのもの)」であり、どんな二極性にも囚われず、他人も自分も批判せず、

 どんな制約も持たない存在(神)であることを、体と心で感じたいと思うのであれば、「心を静めよ」という命令を(我か神なりの神性意識で)自分に与えることです。

 あなたの内なる「”大いなる完全性(無限大の愛・愛の光)”」は、
心の底からの願いが何であるかを正確に理解しています。

 ですから期待感を持って静寂(愛と調和・慈悲と愛)の中に身を置く時、自分の本当の姿(真我・ワンネス意識)を体験できます。
.
 これはすでにお伝えしましたが、ここで再び繰り返します。あなたの内なる”大いなる完全性(宇宙法則)”、つまりあなたの魂はただ一つの目的を持っています。

 それは神から分離した意識である人間に、
一なる自己しか存在しない」ことを自分に教えることです。

 それは「すべての根源であり、本質である一つのもの(宇宙は神という一つの生命・神そのもの)」があるだけなのです。
.
 あなたの人生に起きることはすべて、たとえそれがいかに酷いことであっても、破局や惨めさの極みであったとしても、そうなるように導かれて来たのです。
(全て善し・すべては完全・全てに感謝で対処)

 その理由は、あなた(の意識)が自分の内側(全一体)へ向かい、自分本来の本質を示してくれる静寂の次元(愛の王国・内なる神の国)に深く沈潜することを、自ら選ぶようになるにはどうすればよいか…、

それを一番よく知っているあなたの内なる「”大いなる完全性(宇宙法則・愛の法則・無限者)”」が、そのように仕向けたのです。

(※全てが大いなる気付きへ繋がる神の偉大なるご計画・完璧な宇宙法則の現れ…ですから、全てに対して神様ありがとうございます…で対応するのがベスト♪)
.
 聖なる静寂(ワンネス意識)から自己を切り離してしまい、今ではもう心を静めてもただの騒々しいおしゃべりしか聞こえて来ないことに気づいた時、人間は深い悲しみと孤独を感じました。

 そして心のどこかで、どのような犠牲を払おうとも、内なる”大いなる源”のあの静寂(ワンネス意識)をもう一度感じたいと望みました。
.
 あなた方の悲しみや苦しみが役に立つのは、悲しんだり苦しんだりしている時に、人は神を求めるからです。(悩み苦しみは魂の促進剤)
 他のことはすべて忘れても構わないので、次のことだけを覚えておいてください。

 あなたに苦しみが訪れるのは、あなたの裁くエゴの心が生み出した矛盾した人間像(偽我)を捨てて、人間の本来の姿(神意識・大生命)を深く感じ、それを意識の中心に置くようにと促すためです。
.
 悲しみや苦しみのない静寂(全てに神を観る意識・愛と調和)に生きることを意識的に選択するならば、もはや悲しみや苦しみを必要とはしなくなるでしょう。

 それに代わり、温かくて優しい意志(慈悲と愛)を通して「内なる神(真我)」を見つけることもできます。

 もう苦痛から逃げる必要はありません。自分に喜びや美しいもの、素晴らしいものを与えるかどうかは、あなたが自分で選ぶことです。
.
 地球は二極性持つ惑星であり、そのゆえに苦痛を通して「内なる神」を見つけることができるのであれば、喜びを通して「内なる神」を見つける道もあるはずです。
.
  バーソロミューのメッセージ


ドン・カバチョ様から引用させて頂きました♪
http://dongavatyo.web.fc2.com/index.htm
心から感謝申し上げます。本当にありがとうございます♪


与えるものが受け取るもの

バシャールさんは仰います。
宇宙」にはただ「ひとつの法則」があるだけです。それは、

あなたが与えるものが、あなたが受け取るものである』という法則です」と。

このサイトを閲覧するような奇特な人の中には、
与えるものが受け取るもの」という言葉をその字面(じづら)通り解釈する人はいないとは存じますが、この意味深長(しんちょう)な謎(?)の言葉を私なりに解釈しますと・・・

あなたが与える態度が、あなたが受け取る態度である
と言っています。

「態度」とは、「行為・言葉・表情」です。
(意識・想念の状態と身口意の総合)

「態度」の裏付けは「情緒」です。
つまり、
あなたが受け取った情緒を、あなたは再び受け取る
と言うことです。

「情緒」を生み出した源泉は「観念」です。
ということは
あなたは、あなたがしがみついている観念が生み出した宇宙で生きるしかない
ことになります。
これは極めて真っ当な物言いですね。

※自分を人間(分離意識の観念)と思うか、自分を神(全一体の観念)と想うかによって、この表現世界で顕現できる力(フォース)が変わってくるとも言えましょう


観念・情緒・態度の無条件反応

1.本来は無垢・中立な「出来事」を「観念」フィルターという色眼鏡がとらえる

2.「観念」に付随する思念が出来事を判断し思考を経て「感情・情緒」を現出させる

3.「感情・情緒」が「態度」として表明・フィードバックされ「観念」を裏付ける


もし、あなたの生きる宇宙があなたを閉じ込める不幸・地獄と感じるのなら、無条件反応の過程としての「態度」を天国のものに意図して変えることで、あなたは天国に生きることになります。

宇宙にはただひとつの法則があるだけです。それは、
あなたが与えるものが、あなたが受け取るものである」という法則です。

これこそが豊かさです。
豊かさの本質はこの法則にあります。
私たちはなんて豊かなのでしょう。
すでに私たちはこの上もなく豊かなのでした。
―――――

ラムサは仰(おっしゃ)います。

――私の教えは真実ではない。信じてはいけない。
あなただけが真実である
何故なら、真実とは、”あなたの主観が「表現」する現実”なのだから。

(この現象世界は、貴方の意識が投影投射した「映画のフィルム」のようなものであり、自身の意識が変われば、この映画の世界も意識通りに変わってゆきます)

――私とは、自分の運命を創造し、人々を偉大な理解へと導いたユニークで、力強く、素晴らしい「表現」であった。
私は理解した。私は私をそう理解したのだ。

――この物質の天界は、「見せる天界」、「表現する天界」とも呼ばれる。
何を「見せ」、何を「表現」するのか?
あなたという神(神の顕現・表現者としての神)」だ

ラムサの仰る「表現」とは「態度」のことです。
「態度の表明」のことを、ラムサは「表現」と言っているのです。

――悩みなどとは無縁の腹ぺこの子供のように食事をしなさい。
あなたが飲み込む一口ごとに、幸せでありなさい。
態度がすべてだ。

――既にあなたは、至福の天界で自己を神として成就させた。
あなたという精霊(意識・魂)は、既に、
自分が神(と常に一体)」であることを知っている。

それなのに、あなたは何故、再び、この物質の天界で自己を神として表現することを選択したのだろうか?

それは、この濃密な物質の天界(第4密度・三次元界)
でしか真の体験として完了させることが出来ないからだ。

この「物質の天界」はまた、
「表現する天界」と呼ばれる所以(ゆえん)である。

――あなたの正体が露(あら)わになる―本性で生きる
―至福の天界において大切なことは、何だろうか?

それは、この物質の天界で成功と言われるもの―どれだけ金を稼いだか、どれだけ有名だったか、あるいは清貧だったか、華美であったかなどとは全く関係が無い。

そのようなものを、至福の天界でひけらかす者など誰もいない。注目する者すらいない。

至福の天界で大切なことは、あなたが、この物質の天界―表現する天界―で、自己をどう定義してそれをどう表現したか(魂の成長・意識の進化をしたか)ということだけである。

愛と調和・無限の赦し・慈悲と愛・身口意を正した愛の生き方・真理の理解

――我々が霊性のパラダイム(宇宙法則)に則って生きるには、生(人生)を霊的な意味(霊性進化的思考)において扱わなければならない。

それは、この天界(現象世界)がまるで…至福の天界であるかの如くに生きていくことを意味する。
嫉妬、羨(うらや)み、怒り、争いといった態度を持たずに
(愛と調和・無限の赦し・慈悲と愛・神の御心そのもので)生きるのだ。

欲深く、自己中心的で、自己の境界線を固持し、生きるために生き、ずる賢く、人を操作し、利用し、虐待し、偽善者を装うという様な、(カルマで)自分を閉じ込めてしまう生から抜けるのである。
我々は、この表現する天界でそれを、肉体に入ったまま行うことに意義がある。


ラー文書(セッション6)

難解であるとの声が聞かれる「ラー文書」ですが、この通信に頻出する「ゆがみ」という言葉をどう理解すれば良いのか解らない方が多いのではないかと存じます。

訳者(紫上はとる)は、『「ゆがみ」とは、「一なるものの法則」(の波動)から外れたもの、状態、あるいは歪曲された事実や現象を意味しているのではないかと思います。

したがって「ゆがみ」には私たちからみてネガティブでないものもあります。』と歯切れ悪く言葉を濁されていますが・・・

「ゆがみ」とは、モアレ(干渉縞、かんしょうじま)のことです。
三次元物質宇宙において人間(にんげん、にげん、二元)の五感(視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚)は、関係性(コントラスト、差分、干渉、モアレ、うなり)を捉えることしか出来ません。

※補足説明
私の解釈では、「ゆがみ」は、「分離意識・不調和・ネガティブな意識」と捉えます。
つまり…「ゆがみ」をなくすとは、「カルマの輪」を止める事に他ならないのです。

第六密度以上の高次元存在が語る
「許し」というものが、カルマの輪を止める事になるお話

★ コーリー : 多くの人々が現生のトラウマだけでなく、過去生のトラウマにも対処しているところなのです。

今、地球に生まれて来ている多くのライトワーカーは、援助の為により高次元や、上の密度から降りて来た人々です。

現生が初めての人でも、高次の美しい場所からここへやって来た人にとっては、ここでのトラウマは10倍酷(ひど)く感じられるものです。

そして、長期に亘(わた)って輪廻転生を繰り返して来た人の場合は、更に解消しなければいけない過去生のカルマ『ゆがみ』が加わります。

しかし、ブルーエイヴィアンズから言われたのは、トラウマを特定し、自分にトラウマを与えた人や自分自身を許すこと、

そして、この”「許し」というものが、カルマの輪(ゆがみ)を止めることになるということです。カルマ(ゆがみ)がなくなるんです。

これは、エネルギー的なものです。
カルマ(ゆがみ)とは」負債を支払うようなものではなくて、
許してエネルギーを解放するもの」なんです。



カルマとは宿題・魂の課題・許しによって消滅♪
……………………………………………………… 
「許し」を心から実践=カルマの輪を止める=カルマがなくなる♪

自分にトラウマを与えた人や、自分自身を許す==
             ==魂の課題を克服=カルマが消滅♪

許す事によってエネルギーを開放=カルマの克服・解消に♪

「モアレ」はWikipediaによりますと・・・

干渉縞ともいい、規則正しい繰り返し模様を複数重ね合わせた時に、それらの周期(波長)のずれにより視覚的に発生する縞模様のことである。

また、規則正しい模様を、デジタル写真などのビットマップ画像にした場合も、画像の画素解像度と模様の周波数のずれが原因で同様の縞模様が発生するがこれもモアレと呼ぶ。

また印刷でも網点(あみてん)という点の集まりに画像を変換するので同様の現象が発生する。

モアレそのものも周期(波長)を持ち、この周期は元になる模様の周期(波長)の組み合わせで決まる。物理学的にいうと、モアレとは二つの空間周波数のうなり現象といえる。様々な形態で発生するため、モアレにもいろいろなものがある。

「干渉」はWikipediaによりますと・・・

波における干渉とは、複数の波の重ね合わせによって新しい波形ができることである。互いにコヒーレントな(相関性が高い)波のとき干渉が顕著に現れる。

このような波は、同じ波源から出た波や、同じもしくは近い周波数を持つ波である。波の重ね合わせの原理とは、ある点に生じた波の振幅が、その点に影響するすべての波の振幅の和と一致することである。

同じ点で波の山と山または谷と谷が干渉すると振幅の絶対値は大きくなり、山と谷が干渉すると振幅の絶対値は小さくなる。2つの波が重なりあうとき、形成される波形は周波数(または波長)と振幅、そして位相関係に依存する。


 私達はモアレ(干渉縞)という「存在の固有波長」と「私の固有波長」が織りなす影を捉えているのです。

 そして「私」が捉えるその影は、「感情・情緒」として感得されます。
つまりは、「全ての感情・情緒」は「」の「固有波長」が生み出しているのです。

そこを了解して読んで戴くと、「ラー文書」の理解は深まるかと存じます。
―――――――――――

Q:私はこのへんで、あなたがたの背景についてもう少しお話しいただくのによい時期ではないかと考えています。もしできればで良いのですが、地球に関わった以前に、あなたがたがどこから来たのかについて聞かせていただければと。

R:私はラー。私は私自身がその一部であるところの社会的記憶複合体とともにおり、あなたがたの太陽系とこの媒体が呼ぶであろう場所にある別の惑星から、外に向かう旅に出た者たちのひとりです。

私たちはあなたがたが金星と呼ぶ惑星の影響下にあり、あなたがたの時間の尺度を踏まえて言えば一人類分の周期だけ年上になります。

六次元にいたときの私たちの物理的実在は、あなたがたが金色の存在と呼ぶであろう在りかたをしていました。

私たちは背が高くいくぶん華奢(きゃしゃ)でした。あなたがたが外皮と呼ぶところの、私たちの物質的な身体複合体を覆うそれは金の光沢を放っていたのです。

私たちはその形態をもってあなたがた人類を訪れることに決めました。
当時の人類は、あなたがたが身体的的外見と呼ぶであろう点で、私たちとはまるで異なっていました。

そのため私たちは民衆に上手く溶け込むことができず、彼ら自身とは明らかに別の存在でした。

あなたがたの「他の自己たち」とは別の存在であることで賞讃を浴びるという、偽善者的立場に置かれてしまっていたことを私たちは思い知らされることになります。

それゆえに、私たちの滞留期聞は比較的短いものになったのです。
これは私たちが、あなたがたが関心を示されていたところの建造物(大ピラミッド)を建てた時代のことです。

Q:金星から地球にはどうやって旅してこられたのですか。

R:私はラー。私たちは思考を使ったのです。

Q:その当時の人間のなかから、誰かを金星に連れて行くことは可能でしたか。人は金星で生き長らえることはできたでしょうか。金星の環境は人が暮らすのに適していましたか。

R:私はラー。金星の第三密度の環境は、あなたがた人類の生物形態が生存するのには適していません。
しかし、金星の五次元と六次元の環境は、成長/学び/教えに非常に貢献します。

Q:あなたがたはどうやって金星から移動されたのですか。地上を歩くのに次元を変える必要があったのでしょうか。

R:私はラー。風のエクササイズを思い出してください。「無の状態(無限の生命・宇宙意識)」に溶け込むことは、
すなわち「ひとつであること(全一体)」に溶け込むことです。

なぜなら「無の状態(何もない状態……真実は”全ては無限の生命”です)」は存在しないものだからです。

 私たちはいずれの光粒子やゆがんだ光粒子にも存在する知的無限(無限・大愛)を、思考を使って六次元から操作することができます。

私たちはそうやって、三次元で見ることのできる、自分たちの六次元の心/身体/霊複合体の複製(レプリカ)で自分たちを覆うことができたのです。

私たちはそうした実験の実施を、地球を見まもる「評議会」から許可されていたのです。

Q:その「評議会」はどこにあるのですか。

R:私はラー。この「評議会」は、土星のオクターブ、または第八番目の密度、すなわち八次元にあります。あなたがたが三次元の言葉で「土星の環」として理解されている領域に位置しています。

Q:私たちの太陽系には、あなたがたが地球で見つけたような人のいる惑星がほかにもありますか。

R:私はラー。現在の空間/時間の情報をお望みですか、それとも連続休としての空間/時間の情報をお望みですか。

Q:両方お願いします。

R:私はラー。あなたがたのいう過去のある時間/空聞において、三次元の存在である人々が、あなたがたの太陽系にあった惑星に住んでいたことがあります。

この惑星はさまざまな名前で呼ばれてきていますが、あなたがた人類がもっとも頻繁に用いている震動性音声複合体は「マルデック」です。

ところが、マルデックの人々は自分たちの住む惑星を破壊してしまい、そのため自分たちの居場所を見つけることを余儀なくされました。

彼らの心/身体/霊が「一なるものの法則」にかかわるゆがみを減じるために必要なレッスンと、彼らの生存に適した環境を提供できた場所は、彼らの時間/空間的現在において、あなたがたの太陽系ではここ地球の第三密度をおいて他にはありませんでした。

Q:彼らはどうやって地球に来たのですか。

R:私はラー。彼らは収穫(刈り入れ、ハーベスト)のプロセスをとおり、輪廻転生のプロセスを経て、あなたがたの第三密度のより高次な天体からこの密度にやって来たのです。

Q:それはどれくらい昔に起きたことですか。

R:私はラー。この媒体との交信が困難になっています。彼女のトランスをもっと深める必要があります。
それはあなたがたの歳月でいう約50万年前に起きた出来事です。

Q:地球の人類は、それでは全員がもともとマルデックから来たことになりますか。

R:私はラー。これは新しい系列の質問ですから、それ自体独立した場所が必要です。崩壊前のマルデツクは、あなたがたにはその名前で知られていますが、それ以外の複数の名前でも知られていたことはすでにお話ししました。

その天体から、収穫されたかたちであなたがたの惑星へと輪廻転生してやって来た人たちは、その多くが地球上よりむしろ地表の内側に転生しています。

地球に住む人々には、多くのさまざまなグループが含まれているのです。
なかには、ほかの二次元や周期を巡った三次元の天体から収穫されて転生して来た人々などがいます。

あなたがたは起源においても背景においても異なっており、ひとつの人類という人種ではないのです。

あなたがたが「分かち合っている体験」は、この時間/空間連続体において比類なきものであると言えます。

Q:そうした人々の地球への移動と収穫という行為において、「一なるものの法則」はどのような役目を果たしていたのでしょうか。それを伺うちょうどよい機会だと思うのですが。

R:私はラー。「一なるものの法則」はただ、すべてのものはひとつ
同一の命)であり、すべての存在はひとつ(神意識・神ご自身)であると言っているだけです。

(※ラーさんは知花先生や上江洲義秀先生・バーソロミューさん等のお話と全く同じ宇宙法則(真理)を説かれているのですね。
 ある程度予測はついてましたが…このお話で確信が持てました)

この法の叡智や実践に共鳴するような特定の姿勢や思考形態の存在はあります。

体験のひとつの周期の終了(次元上昇・地球の輪廻の卒業)が間近で、
そうした思考や行動の叡智のゆがみの(修正を正した)段階を身をもって示している人たちがいるとしましょう。

すべては一つを悟った人、無限の赦し・慈悲と愛の体得・真理の理解・身口意を正して全一体の境地に到達した人・地球での学びが必要ないレベルにまで到達した人

 すると彼らは自分たちの選択によって、彼らの心/身体/霊複合体がもっとも「居心地のよい振動性ゆがみ」(波動が高い高次元な星)へと区分けされることになります。

このプロセスは、「養成する側の存在たち(地球の保護者・天上界の方々)」によって観察され見守られています。

そうした存在たちというのは、彼ら自身のゆがみにおいて「一なるものの法則」に非常に近いところにいます。
(全一体・宇宙意識に到達した覚者・聖者方・アセンデッド・マスター)


ケイシーリーディングからですが…♪

 問題が肉体的な事であれ、家のこと、社会のことであれ、個人、非個人の事であれ、エドガー・ケイシーは常に惑星上に受肉(転生)した魂としての人間の存在が一つの目的を持つこと、

その目的とは個々の魂と神との関係(全ては神ご自身・全ては一つ)
「一なるものの法則」を悟ることに集約される事を訴えています。

 ここで人間性の全体、体と心とが神の現れであるという明快な言い方を採るエドガー・ケイシーのリーディングを引用して、魂の論に結論を出してみましょう。

汝の体、汝の心、汝の魂が地上での神の現れであり、他のどの魂もそうであること、汝の体は現実に生ける神の宮なることを知れ。

 あなたの知る善の全て神の全ては、他人の考えること、他人の行うことではなく、あなた自身を通して、あなた自身の中に現されているのである」

問「心と物質と霊という意識の中にあって、実体の活動(輪廻転生)の目的とは何でしょうか。」

答「それは、その実体(意識)が自分自身であり、なお全体の一部(神意識の一部・神と私は常に一体・宇宙は一つの生命体)である事を自ら知るようになる為である。

 全体そのものではなく、全体と一つ(神の中の存在)であり、そこから、自分自身の個別性を保ち、自分が自分である事を知って、しかも自分を生まれさせた、

意識を与えてくれた第一原因(神・無限者・大愛)の目的と一つであることをも知るという事である。これが目的である。これが(人間が)存在している事の原因である。」

問「物質的表現に生まれる魂の目的は何でしょうか。」

答「その初め、魂が個人的に現れ出る働きにおいて、それは創造的力または神の伴侶(神との合一・真我顕現・覚者)となる目的を帯びていた。」

ケイシーリーディングここまで♪

 
 しかしそれにもかかわらず、彼らは活躍の「目覚ましい奉仕の道※」を依然として遇進しているのです。(※知花先生や上江洲義秀先生の事ですね)

 幻影は光で創られています。あるいはより的確に、それでいて理解しにくい言いかたをすれば光/愛で創られています。

これは集中度において程度がまちまちです。
収穫された存在一人ひとりの霊的複合体は、光線にそって進みます。

そしてその光が眩しすぎるほどになるところまで行き、そうなった時点で移動を止めます。

 そのとき、なかにはかろうじて第三密度にたどりついたような存在もいれば、第三密度の光/愛のゆがみの震動性複合体の終わりにきわめて近い存在もいるでしょう。

それでも、この集中した光/愛のオクターヴの住人になった存在たちは、その後、大きい方の周期(以下、大周期)を体験していきます。

そして彼らは大周期のあいだに、それぞれに備わったゆがみ(カルマバランス)を見い出すための機会を得、見い出せたことから、そうしたゆがみ(カルマ)を減らしうる機会を獲得することになるのです。

Q:そうした周期は、私たちの歳月でいうと、どのくらいの長さなのですか。

R:私はラー。大周期というのは、あなたがたの歳月で言う二万五千年くらいです。同様な性質を帯びた周期が三つ(二万五千年×3)続くあいだに進化を遂げた人たちは、それらの大周期の終わりに収穫される可能性があります。

この期間の長さはあなたがたの歳月でいうおよそ七万五千年から七万六千年になります。

進化の度合いに関わらず、全員が収穫されることになります。
というのも、この期間のあいだに惑星自体がその次元の有効な部分を通過してきており、その惑星密度においては、低い波動の存在にとって成長の役に立たなくなるためです。

Q:周期的に見た進歩という点で、現在の地球はどのあたりにいるのでしょうか。

R:私はラー。この天体は現時点で、四次元「的」波動のなかにあります。
地球の意識のなかにはめこまれた「社会の記憶複合体」のせいで、地球を構成している物質は非常に混乱しています。地球がさし招かれている波動への移行は容易ではありません。
そのため、ある種の不都合がもたらされることになります。

Q:この不都合というのは(1981年1月24日から)数年内に差し迫っているのでしょうか。

R:私はラー。この不都合あるいは不調和な振動性複合体は、あなたがたのいう過去の数年前にすでに始まっています。
そして今後も衰えることなく、あなたがたの歳月でいう約30年余りは続くことでしょう。

Q:この30年間を過ぎると、地球は四次元の惑星になるということですね。私のこの推察は正しいでしようか。

R:私はラー。はい、正しいです。

Q:地球の現在の人口のおおむね何パーセントが四次元の地球で暮らすことになるのか教えていただけますか。

R:私はラー。収穫はまだ起きておりませんから、概算は無意味であると思われます。

Q:あなたがたが私たち地球人に、あなたがたの情報にアクセスできるようにしてくださっているのは、私たちが今この移行の時期
にあるという事実と関係がありますか。

R:私はラー。私たちはあなたがた地球人とともに地上で暮らしたことがあり、そのことを記憶しています。そして目にしてきた多くの悲しみを思い出します。

私たちは、心/身体/霊複合体のなかにゆがみの適切な特性(パラメータ)を持つ媒体を捜してきました。

そして、あなたがたの歳月の数年のあいだ、私たちのこの情報を最小限のゆがみと、最大限の奉仕願望をもって受け入れようという複数の心/身体/霊複合体の支援と理解を求めて来ました。

ご質問の答えですが、手短に言えば、「はい、関係があります」。
しかし、私たちが記憶において、あなたがたに感謝していることを知って欲しかったのです。

Q:現在報告されているUFOのなかには金星以外の惑星から来たものもあるのでしょうか。そうした情報はお持ちですか。

R:私はラー。私は「無限なる創造主に奉仕する惑星連合」から来たメンバーのひとりです。
この「惑星連合」には、約53の文明があり、それらが約500の惑星意識複合体を構成しています。

また、この「惑星連合」には、あなたがたの第三次元を越えた次元にすでに達した「地球からの存在」たちも含まれていますし、あなたがたの太陽系の惑星レベルの存在たちや、ほかの銀河の惑星レベルの存在たちもいます。

そして、この「惑星連合」は、メンバーたちは一様ではありませんが、「一なるものの法則」に則った奉仕を行なうところで団結の為された正真正銘の「連合」であると言えます。

Q:そのなかに現在、宇宙船で地球に来ている存在はいますか。過去の三十年間のあいだではどうでしょう。

R:私はラー。この情報が重要でないことははっきりと述べておく必要があります。
あなたがたにそのことを理解していただければ、無難なかたちで提供しうると思います。

私たちがここに来ている目的は「一なるものの法則」を表現するためですが、そのお望みの話題についてもお話ししましょう。

あなたがたの三次元空間/時間のゆがみに出現することを望む惑星レベルの存在は、あなたがたの前に姿を現わすまえに、あなたがたが隔離状況と呼ぶであろう状況を突破する許可を要請する必要があります。

そして、姿を現わす理由や目的が判断の対象となり、その申し出は受理されるか、あるいは却下されます。

あなたがたの空にはいつでも多くて十五人ほどの「連合」の存在がいます。
それ以外の存在に関しても、「思考をつうじての交信」が可能です。

目下、あなたがたの密度では、七人の存在が、乗り物をつかって活動しています。
彼らの目的はきわめてシンプルで、それは地球の存在たちに無限性に気づいてもらうことなのです。

無限性は、神秘的で未知なるものとして示されるのが、そうした情報をもたない人々にとっては、もっとも効果的であることが多いからです。


パーソナリティのプリズム

人は個としても集合としても、些事にも大事にも、常に豊かさを求めて生きて来たし、今後も生きていくのでしょうね。

さて、人が求めて止まない「豊かさ」とは何でしょうか?
相対的かつ多様な関係性の「優」の側――高、正、真、勝、得、上、ポジティブ、好、美、広、多・・・の側――に立つことが、社会通念上の豊かさです。

しかし、この関係性はそもそも、社会(人間)が画一的に枠組んだ多様な属性に乗っかるコントラスト・差分でしかありません。

社会(人間)が画一的に枠組んだ多様な属性を「観念」と申します。
その観念は100%、社会(人間)の恣意性に拠るものです。

人は明に暗に、多かれ少なかれ、このチンケな観念の些末(さまつ)なコントラストの「優」側に自己同一化を図りながら生きているという訳です。

あるいは、生きるとは、他者と同意した観念において「優」側への自己同一化の企てと言っても良いかと。

「優」側への自己同一化――これが、人が求めて止まない「豊かさ」の正体です。
現代日本では、「豊かさ」の代名詞は「お金」です。

「健康」もかなり志向性が高いかと。「容姿」、「家族」、「友人」、「知力」、「体力」、「武力」、「面白さ」・・・人それぞれで「豊かさ」を計る属性の重みは違うでしょうが、相対的な関係性の「優」側に立たなければならない=豊かにならなければならない、というベクトル志向の構図は同じです。

そして、社会はこの「『獲得した』、『認知された』豊かさ」の中だけに「幸福」があると信じ込ませます。

幸福は犠牲を払って=努力をして、掴み取らなければならない、
他人に幸福そうだと思わせるフリをしなければならない・・・・

現代社会の本質は、観念が生みだす二元の相対関係というシーソー、そのアップダウンゲームだったのです。

さて、人は「出来事」を判断し思考して感情を湧き立たせます。
判断・思考・感情をここでは「思念」と呼ぶことにします。
フツフツと途切れることなく湧き立つ「思念」――その「思念」を生起させているものは・・・・
「観念」です。
「観念」が「思念」を産み出しているのです。

歓び、哀しみ、楽しみ、絶望、恐れ、怒り、希望、憧れ、赦し、嫉妬、後悔、恥、痛み、恨み、孤独、諦め、感謝、誉れ・・・・
「出来事」に対する私たちの「思念」は「観念」フィルターを通して顕現されます。

ということは、ステキな「思念」を体現するには、ステキな「思念」を生起させる「観念」を通せば良いことになります。

「出来事」そのものに意味など有りません。
(意味を探すとしたなら、自身の「観念」の方でしょう。)

「出来事」を解釈するフィルター(観念)を変えれば、「思念」が変わります。

「観念」とは世界観・宇宙観です。
私たちのモノの見方である「視点・視座」を乗っけているモノの「見え方」、それが「観念」です。

私たちは意図を持って「視点・視座」の立ち位置・角度を変える――つまり「見方を変える」ことは出来ます。

しかし「観念」は意図を持ってして変えることは極めて困難です。
「観念」は、モノゴコロが付くまでに親によって植え付けられ、心身と一体化してしまったイロメガネです。

私たちにとって、自己とほとんど一体化してしまっているイロメガネの存在には、気付くことすら難しい・・・

では、私たちは結局は湧き出でるワンパの「思念」を描き代えることは出来ないのでしょうか?

判断・思考・感情を、私は「思念」と呼びました。
その「思念」の最終形態は「情緒」です。
「感情」の奥に潜むフィーリングが「情緒」です。

実はこの潜んでいるフィーリングにも深さがあって、私たちの意識が感得できる「情緒」の程度には、個人によってかなりのバラツキがあります。

湧き上がった「感情」・「情緒」を私たちは「態度」として表明します。
「態度」とは、行為・言葉・表情です。
この表明された「態度」(行為・言葉・表情)が、「観念」にフィードバックされ、その「観念」を強化します。


まとめますと、

1.「観念」フィルターというイロメガネが出来事をとらえる
2.「観念」に付随する思念が出来事を判断し、思考を経て「感情・情緒」を現出させる
3.感情・情緒が「態度」として表明・フィードバックされ、「観念」を強化する

というサイクルを造っています。

と言うことは、3 の過程で「態度」を

ステキな思念を生起させる「観念」用のものに代えれば、
ステキな「感情・情緒」を体験でき、
更にその「観念」を成長させることが出来ることになります。

さて、あなたの採る「態度」は、二元の相対関係のシーソーゲームにおける「優」の側のものでしょうか?(ヤレヤレ・・・・)

昔の人がこう言いました。
わが身から出るものはいずれ我が身に戻り来る」、と。
お金に執着することなく、喜んで働きましょう。

かつて一度も傷ついたことがないかのごとく、人を愛しましょう。
誰もみていないかのごとく自由に踊りましょう。

誰も聞いていないかのごとくのびやかに歌いましょう。
あたかも「ここが地上の天国であるかのように」生きていきましょう。

       (世界がもし100人の村だったら)

悩みなどとは無縁の腹ぺこの子供のようになって食事をしてほしい。
あなたが飲み込む一口ごとに、幸せ(愛と調和)でありなさい。
態度(想念・意識状態と身口意)がすべて」だ。

       (ラムサ)


ワンネス意識と分離意識

 私達には、「ワンネス意識」と「分離意識」の2つが同居しています。
ワンネス意識は愛、感謝、喜びや平安などの真我(聖なる存在)の意識です。

 分離意識は偽我(マインド)の事であり、インナーチャイルドとも言われています。私達人間は宇宙の創造主である大いなるものから作られているため、「本質はワンネス意識から成り立っている」のです。

 分離意識とは、対立意識です。具体的には「人と自分は違う」「なんで私だけがこんなんだろう?」と人と比べてしまう意識であり、偽我(マインド)によって不安や恐れが生じ、心を動揺させる原因となる意識です。


真我(内在の神)の応援と
ワンネス意識がもたらす効果

 私達が真我(宇宙生命)の応援を得られるようになった時は、愛や感謝が増え、人間関係が良くなり、自分の周りにいる色々な存在との結びつきを感じられるようになります。
 周りの人との関係が良くなれば、自分自身との関係も改善していきます。

 また、真我(内なるキリスト意識)の存在を常に感じ、生きとし生けるすべての存在といる自分を感じられるようになります。
(全一体感・自他一体感・宇宙意識)

 さらに聖なる存在と共に生きる自分を感じられる様になっていきます。このようなワンネス意識状態になると、身体は癒され、心と身体の意識が調和され、心の中の様々なパーソナリティが調和して働いていきます。

 私達は常に自分のプラス的な傾向性を持ったパーソナリティと、マイナス的な傾向生を持ったパーソナリティの両方が、同居しています。

 私達が真我(神我キリスト)の応援を得られるようになれば、偽我(マインド)が静かな状態でいて、必要なときのみ働いてくれるようになり、プラス的な傾向性を持ったパーソナリティの働きが前面に出るので、心の平安が生まれます。

 心の平安が生まれると様々なホルモンと酵素が互いに正しく活動し、細胞が正しく機能するようになるので、身体の自然治癒能力が高まります。

 これは医学の世界でも証明されている事ですが、感謝がある時や笑ったりしている時は免疫力が上がります。一瞬だけでなく常にそういう状態であれば身体も良くなるのは当然でしょう。

ワンネス状態へ持っていくために必要なマントラ

 私達の意識をワンネス状態に持っていくための必要なステップとしては、まずは、人間関係を整える事です。そのため、心の浄化(サムスカラーシュディ)が必要です。

 これを行う事でトラウマを解消し、マイナスのエネルギーを開放していくことが出来、人間関係を調整することが出来るのです。

 もうひとつ大切なことはマントラを唱え、自分自身が、真我(聖なる存在)の本質である「」や「喜び」である事を宣言する事です。

 自分の存在を決定しているのは自分の意識です。
「あなたはどういう存在ですか?」と問われた時に「私は愛です
私は、存在、意識、至福です」など、自分で自分の存在の本質を宣言する事で、意識を変える事が出来るのです。

 マントラは、ヒマラヤのヨギなど、悟りを開いた多くの聖者が長年続けている方法です。マントラは聖なる音、宇宙に反響して鳴り響く音です。

 「私とは意識」であり、「意識はすべて」であり、
全てを超えている宇宙の要素」です。

(※すべての意識は、神の意識です。全ては神から生まれしものであり、全ての全てが神の現れであり、未来永劫「神」以外のものは存在いたしません)

 ですから「私は○○だ」と意識が発言する事はとても重要なのです。
「私はダメだと宣言すれば、それが宇宙にこだまして本当にダメになってしまいます。

私は愛だ。至福だ。感謝、喜びだ」と宣言すれば、それが宇宙にこだまして自分に戻り、自分がそのような存在である事を感じられるようになっていくのです。

 私達には自由意志が与えられています。自由意志は、宇宙が強制をする事が出来ません。「私はダメだ」と自分で思っていたら、そういう人は自分で自分を駄目にしているのです。

 自分で「自分の存在を愛や喜び、感謝だと宣言」をすれば、誰がなんと言おうと関係なくそのとおりに実現していくものなのです。



人の気持ちの表現の中で「感謝」が最高のものであり
「意識の進化度」を示すバロメーターです

 その人が偉大かどうかは、その人に「感謝の気持があるかどうか」で見分ける事が出来るでしょう。悲しいことに、これが欠けている人が多いのです。

 感謝をしないと(魂・意識の)成長が滞ります。よく考えれみれば、どんな生き物であっても、それが受け取るものはすべて、この地球から来ている事がよく分かるでしょう。
 
 生まれたばかりの赤ん坊は、滋養を与えてくれる「母に感謝」すべきです。それから保護を与えてくれる「父に感謝」すべきなのです。

 学校に通うようになると、智慧や知識を授けてくれる「教師に感謝」すべきです。そして、その知識が先人の経験によって培われてきたものである事に感謝をすべきでしょう。
 「植物・動物・森羅万象への感謝」も忘れるべきではありません。

 こうした恵みの存在に気づき、それに「心から感謝」をするならば、この世界は惜しみのないものであるということと、暮らしの一瞬一瞬が「神の恵み」によって導かれている事がわかるようになるでしょう。

 従って、「人の気持ちの表現」の中でも「感謝が最高のもの」になるのです。
それが、その人の「意識の進化を示すもの」であるからなのです。


宇宙は「感謝の心に満ちた人」
に対して願いを叶えてくれます

 「感謝」とは、すべての感情の本源(根源のエネルギー)です。※
これは、人間の意識の中に存在する感情の中で「一番崇高な表現」です。

(※感謝のエネルギー」は、宇宙の根源から発せられる
「究極のエネルギー」に最も近い性質のエネルギーだそうです)

 宇宙は本来、感謝心に満ちた人に対し、願いを叶え、
要求を満たす様に出来ています。
 ビジョンを持ち、そのビジョンを実現させる事が出来るのは、
感謝の心を持つ人」です。

 「感謝心のある人」の脳と神経系統の配線状態はその様に
なっているのです。そういった人は人間関係において愛を発見し、
またより高い意識(真我・宇宙意識・神)との大きな繋がりに気づきます。

---アンマ・バガヴァン


「感謝」が「瞑想」よりも上かもしれないお話

 今回は、ずっと前からご紹介したいと思っていた、
引き寄せの法則エイブラハム香港在住」様の、
「感謝」は「瞑想」よりもいい気分?の記事をご紹介しちゃいます♪

 少し前、あの「引き寄せの法則」で有名なエイブラハムさんや、セント・ジャーメインさんのチャネリングで、私の望んでいた情報に出会うことが出来ました。

 セント・ジャーメインさんによりますと、

●「神と繋がっている状態」というのは、「絶え間ない感謝の流れ
●全てのことに対しての感謝
●全ての瞬間に、ありがとう、ありがとう、ありがとう
●私達のエネルギーは感謝の波動にある

また、エイブラハムさんによりますと、

瞑想よりもっと上の状態がある。
もっといい気分の状態がある。
それは感謝の状態だ。」

との事です。

 「感謝のエネルギー」は、宇宙の根源から発せられる究極のエネルギーに最も近い性質のエネルギーですから、「心を鎮めてすべての思考を止める」瞑想よりも、上の意識状態なのも道理だと納得出来ますね。


 私達のエネルギーが「感謝のエネルギー」だったなんて…、前なら華麗にスルーしていた所でしたが、上記の真仙明さんのお話を知ってしまったら、もう納得せざるを得ませんね。きっと真実なのでしょう。

 私の魂が短期間で、ここまでブレイクスルーして大きく飛躍出来たのも、「神へ深い愛・感謝」の徹底的な実践があったからこそなのだと、改めて思った次第です。

 「感謝」で神様と繋がっていたわけですから、「神との一体感」による光のシャワーで、常時魂の油注ぎが行われてたとも考えられます。

 一種の明想状態だったのかもしれませんね。
まさか…瞑想していないつもりが、知らぬ間に瞑想していたとは(笑)

 正しかったのですねぇ…真理の理解を、ある意味極めたとも言える私のたどり着いた結論が…。
 自分のフィーリングを信じ抜いてよかったぁ♪

 こんな身近に、究極の答えがあったなんて…、まさに「灯台下暗し」とはこの事だと言えましょう。
 難解すぎる教えはいらなかったんや~…っていう♪

 「絶え間ない感謝の流れ」という事は「連続的感謝の意識状態」とも言えるわけです。
 「全ての瞬間」に「有難う・有難う・有難う」、
全てが神」である「今この瞬間の全て」に「感謝」ですね。

 もしかすると、一瞬一瞬を「神への感謝・深い愛」でいられるように努力する事が、最高に価値のある「行法」かもしれませんね。


有難うの言葉とツキとの関係

問、「ありがとう」という言葉を使っていると、ツキが巡ってくるという本が最近評判になっているようですが、こうした現象は実際に起こるのでしょうか。

本山博先生のお答え  

 これは非常に大事なことです。「ありがとう」という言葉は、人に感謝をして、その人と一つになる意味を持っています。

 感謝の言葉は、その人がいてくれたお蔭で、本当に自分が助かったときに自然に出てくるものですから、自分を守るよりも、自分を捨ててその人と一つになった気持ちがないと、その言葉は出てきません。

 つまり、自己(自我の)否定が起きている状態なのです。

自己否定をして自分と相手が一つ(全一体感・キリスト意識)になれるような時は、神様の力が入りやすくなります。

こうなると、ツキが出てきます

 感謝も出来ないような人間は、極端に言えば、猿とあまり変わりありません。ただし、謙虚なだけでもダメです。善人は、案外自我を強く持っていて、硬いから素直に感謝できません。

「ありがとう」と言えるのは、自分とは違う相手を受け入れることが出来るからなのです。


「全ては神=我神なり」という真理♪

意識の進化=愛の拡大=分離意識の克服=
我は全体なり・全体我なり=全一体・自他一体=

全ては私=全ては一つ=全ては一つの存在の現われ=
宇宙は一つの生命体=全てに神(宇宙生命)が宿り給う=

宇宙は神一様=全ては神の中の存在する一つの存在=ワンネス
全ては永遠に一つの存在=全ては一つ=全ては私=全ては神

全ては今この瞬間しか存在しない=全ては永遠に一つの存在=
永遠の始まりである神の御心のみが実在=今即天=今即実在=

大愛・宇宙生命・神の一人子である神我キリストのみが実在=
全てはこの瞬間に存在する宇宙生命そのもの=全ては神そのもの=
全ては神ご自身=神一元・愛一元・光一元=宇宙即我=我神なり



調和=愛の法則そのもの=罪なきもの=完成=幸せな人生に
不調和=愛の法則を犯している=業・罪=カルマの精算が起きる

愛と赦し=調和=愛=幸せ・健康=完成=中性=完全=光人間
恨み・憎しみ・争い=不調和=罪=病・災難=不完全=闇人間

愛と赦し=カルマの消滅=神の祝福=幸せなツイてる人生に
許さない・恨み・嫉妬=カルマの刈り取り(不幸災難)な人生に

調和人間=愛が深い人=愛の光そのもの=克服者キリスト=完成
不調和人間=恨み・嫉妬・責任転嫁闇人間=罪人=未完成

調和=光明世界・愛の王国=愛・光・善=平安と安らぎ・至福感
不調和=無明世界・闇世界=未熟な愛=不安と恐怖・飢餓感・不足感

調和の人は熟した魂=自分を愛するが如く他人を愛します=ワンネス
不調和な人は未熟な魂=他人を責めて非難します=分離意識


 イエス様は「愛は天と地の架け橋」とおっしゃられました。その愛とは「許しの到達点」である「慈悲と愛」で御座います。

 真の意味で貴方が、その「許しの到達点」の境地に到達した時に、自ずと「天である神」と「地である貴方」との架け橋が繋がる事でありましょう。私は実体験からそれが実際にありえると確信しております。


愛は天と地の架け橋  この愛の理解と体得が神様と繋がる鍵♪

神・大愛(天)……全てを活かす愛・慈悲と愛・すべての形態を形作る力・意識を与えて下さった魂の根源・真の親・すべてを活かし育む力、縁の下の力持ちで全てを愛し慈しむ無償の愛・無限の愛・すべてに意識を与えて下さった天の父であり天の母である中性エネルギー・真の親・愛を表現する為に…無限の創造をなさっている慈悲と愛そのもの

神の表現体(地)……神が神を愛する為に生まれた存在・神の化身・愛の化身・神の表現体・神の中に創造された神・個別化した神としての自覚に覚醒めた我・滅私して神の道具意識を自覚している我・自分が神ご自身だと悟った我・愛を表現する為に生まれた事を自覚している我、全てを100%の愛で愛する我、自分と全てが神以外の何者でもない事を自覚している我

世界一の大覚者・超能力者・上江洲義秀先生による
神癒の真言(マントラ)

 人はこの世に生を受け、時には悩み苦しみ、病を背負い立ち止まります。その時、ここに記された真言(マントラ)に触れることで悩み苦しみから脱し、癒やされるようにとの思いで綴(つづ)りました。
 多忙な方、急を要する方はこの節を繰り返しお読みくださり、癒やされてゆく事を願うものです。

 我 神なり。我 命なり。我 愛なり。我 光なり。


我 神なり。

 真理という名の絶対法則である神は全てのものの中に生き続けます。神我一体の境地の中で霊魂体の一致がなされれば、天の実相の光が降り注ぎ、その身は黄金に輝き、内なる神性が花開いて本質を顕現させるのです。

 その時、知恵の泉が開かれて、全てを天使の囁(ささや)きと聞けば、神が命として無限の力を携(たずさ)えて生きているのを悟るのです。

我 命なり

 命は久遠常在永遠不滅。宇宙で失われるものは何一つとしてなく、ただ変化しているのみ。可視と不可視は表裏一体(色即是空)。
見えないもの(宇宙に遍満する大霊・大生命)こそが命をまとった本質。

 一命一体、自他一体、全一体こそが不変の真理。無限の知恵、愛、光は内在する命そのものであり、全てを活かし、一瞬たりとも休まず、途切れる事はありません。命を養い、命を変えうるのは命自身、久遠の光に照らされて我神と共に歩む時、神こそ命と知るのです。

我 愛なり

 愛は命、そして力。愛は生かし、結び、支え、守り癒やすもの。愛する事は愛されるよりも尊く、真実の愛は見返りを求めません。
カルマは神の愛。人は縁により出会い、※その全てを赦し、愛すことによって焼き尽くされて灰になるのです。


創造主様からのメッセージ♪から一部引用ですが……♬

 一番大事なのは、愛の実践です。愛し合う事です。全てを許し合う事です
許して下さい。許し合えたらあなたは、許されるのです
あなたが許さなければ、あなたも許されません。

 まず、自分の罪を許して貰いたかったら、人々の罪を許しなさい
そしたら、自ずから、あなたの罪は許されます。あなたは、人の罪を裁きながら、あなたの罪だけを免れたいと思うのを止めなさい。

 あなたが人を裁かず、怒らず、謗らず、嫉妬をしなかったら、あなたは誰からも、怒りも、裁きも受けません。全ての人の罪を、許してあげなさい

そうすれば、あなたは全てから、許されます。私、神から許されます

 罪を犯す者を、愛しなさい。そうすれば、私もあなたを愛します。
 人を愛さない者は、私も愛しません。

 神から愛されたいのなら、どうか、世の隣人、全ての者を、愛さなければなりません。その愛の実践が、真の信仰、神に至る道であるという事を知りなさい。

 
  自らを愛する事なくして全てを愛せず。久遠の愛の中にあって我愛なりと生きる時、そこには恐れも災いもなく、無限の至福の中、喜びが尽きる事はありません。

我 光なり。

 光に満ちた全一体の調和の中にいて人は病むことはありません。苦は幻と知れば苦は消え去るもの。
 現象は真我権限のためにあり、その中にこそ己を磨く宝があり、全ての責任は己自身にありと心に定め、身口意を正し、我神なりと命を輝かし、全てを愛し尽くした時、人は己の中に神を見、この世を照らす光となるのです。

 人は、無形無相では知りえない真理と調和を学ぶため、肉体をまとってこの世に生まれてきました。今を生きる事は永遠の中に生きる事、一瞬の閃光の中に悟りへの真理があります。
 
 病は苦から、苦は欲、無知、恐れから生じるもの。肉体船を操るのは心。行いも思いから生じ、心を正す事なくして何も変わらず。久遠常在永遠不滅の真理への気づきにより時空の扉が開かれて過去未来が変わり、病さえも消え去るのです。

 無限の根源に不可能はなく、思いは権限の母。正しき思いは無限に飛び立つ美しき天使となって自らを癒しに癒し、無限向上を目指してゆくのです。



 エドガー・ケイシーは常に惑星上に受肉(転生)した魂としての人間の存在が一つの目的を持つこと、その目的とは個々の魂と神との関係(全ては神ご自身・全ては一つ)を悟ることに集約される事を訴えています。

 ケイシーは、神の栄光は全創造物の中に現されている(全ての全ては神の現れ・神の他には何も存在しない)のだと繰り返し語っています。

 「人間性の全体、体と心とが神の現れ」であるという明快な言い方を採るエドガー・ケイシーのリーディングを引用して、魂の論に結論を出してみましょう。

汝の体、汝の心、汝の魂が地上での神の現れであり、他のどの魂もそうであること、汝の体は現実に生ける神の宮なることを知れ。

 あなたの知る善の全て神の全ては、他人の考えること、他人の行うことではなく、あなた自身を通して、あなた自身の中に現されているのである」

イエス様の名言♪
「我は汝らに告げる。汝の隣人を愛せよ。の仇(かたき)を愛し、汝らを責める者の為に祈れ。これ天(内・潜在意識の最奥)にいます汝らの父(キリスト)の子とならんため(※神我キリストへの覚醒めの為)なり。

 人は異質の統一を見、不和の調和を見ます。自分とは違う人々との接触に神の光(大愛・宇宙生命・神)を観ます、その時にのみ「汝の隣人を愛せ」という戒めの真意を理解できるでしょう。


問「キリスト意識とは、心の上にかたどられ意志力による目覚めを持つ、
魂と神との一体の自覚(無限・宇宙との一体感)と述べて宜しいでしょうか。」

答「その通りである。それが正しい考え方である。」

 
キリスト意識に覚醒めた)人は凡人には見えない、奥にある一体と本質と調和
(宇宙生命・神我キリスト)を観ます。人はただ愛するのみになります

 キリスト意識に覚醒めると、(全ては神であり自分そのものですから)憎む事はできなくなり、羨(うらや)む事もなく、悩まされもせず、拒まれもせず、挫折も、恐怖も持つ事はありません。

 (悟り)人は自分自身の魂と万物を一つと観ているため、あらゆるものの中にキリスト(神我)を観ます。これが覚醒めであります。
 これがキリスト意識、クリシュナ意識、神意識であり、これが天国に招かれる真の改心なのです。

 愛という言葉ほど大きく誤解された言葉はないでしょう。この真意は、
自分の中にも他人の中にもある愛の光(キリスト・真我)を見つめる事にあります。

 聖なる愛(大愛・宇宙エネルギー)が神から来るように、愛は個人の魂から放たれます。
人が明想を通して神にその魂を同調させる時に
聖なる愛はあらゆる憎しみや嫉妬に打ち勝つ力と共に、流れ出てきます

 「汝の敵を愛せ」という言葉には何ら論理的な矛盾も心理的なパラドックスもありません。愛なる語(全ては一つの悟り)が強められれば、敵は自動的に敵は無くなるからです。

ケイシー・リーディングから……♬
己の生命とは、すなわち神である。何となれば、汝の兄弟に為したるその事は汝の内にまします神に為したればなり。
貴方の兄弟のためにする事はあなたの内に内在する神にする事です

隣人との接しを通じての神の愛は終日の作業です。我々は神がどのような形で自らを示されるかを知る由(よし)もありません。(全ては神の具現)

 それはタクシーの運転手かもしれず、店員かも、学生かも、今日しかも、患者、医者かもしれません。
 だからこそ、我々は荒い言葉、怒った顔を慎み、非難を愛に変えて常に、あらゆる人との接触で(全ての全てであられる)神を崇めるのです。

 求道者がこの段階に至ってなければ、聖なる愛を自ら実践することによって明想全てに神を観る・我神なりの自覚)を続けなければなりません。

 神への、我らが家(久遠のホーム)への、本源への、我らがの目標(神我顕現・神との合一)への探求は、こうして全的な働きとなります。

  エドガーケイシーは、宗教生活についてそのもっとも美しい表現の中で、この事を次のように語っています。

あなたがたは心を尽くし、思いを尽くし、体を尽くして汝のなる
(大生命・内在の神)を愛し、隣人を汝の如く愛するのである。

 このキリストの与えた言葉が法則の全てである。
それに優るものは存在しない

主が約束されたように、あなた方は
来る日も来る日も明想し、祈りゆくうちに到来するあの目覚めによって、主(宇宙生命・大愛)が自分の意識の中に留まられる事を知る事が出来る
神我が中にまします・父と子は常に一体)。

 あなた方はこの目的のために、
主が臨在し、その御霊(キリスト)があなた方の中に留まる
あの意識をあの自覚を讃えるために生まれてきたのである。」


覚者・上江洲義秀先生・至高の名言
 
 全ての全てのあってあるものの中に、神が我として実在している事を
(理解して実感して、全てに神を観る状態を)「悟り」といいます。

 目に映し見ている、すべてのすべてのあってあるもののに「愛を見」「愛を感じ」「愛そのもの」で対処できる己であって、そこに悟りがあること。

・自分はついてると思う♪
・いつも笑顔・口角を上げてスマイル♪
・人の気分を害する事はしない・悪口は絶対に言わない♪


1.眼施(げんせ) やさしい眼差(まなざ)しで人に接する

 「目は口ほどにものを言う」といいますように、相手の目を見ると、その思いはある程度わかります。相手を思いやる心で見つめると自然にやさしい眼差しとなり、人は安心します。自らの目を通して相手に心が伝わって、相手も自分の気持ちを理解して、お互いが打ち解けることができることでしょう。


2.和顔悦色施(わげんえつじきせ) にこやかな顔で接する

 眼施と同様、顔はその人の気持ちを表します。ステキな笑顔、和やかな笑顔を見ると幸せな気持ちになります。そして周りにも笑顔が広がります。人生では腹の立つこともたくさんありますが、暮らしの中ではいつもニコニコ、なごやかで穏やかな笑顔を絶やさぬよう心がけたいものです。また、メールの顔文字も一工夫してみてはいかがでしょうか。


3.言辞施(ごんじせ) やさしい言葉で接する

 言葉は人と人との関係を円滑にするコミュニケーションの大事な方法です。私たちは言葉一つで相手を喜ばせたり、逆に悲しませたりする場合があります。相手を思いやるやさしい言葉で接していきましょう。「こんにちは」「ありがとう」「おつかれさま」「お世話になります」など、何事にもあいさつや感謝の言葉がお互いの理解を深める第一歩です。


4.身施(しんせ) 自分の身体でできることを奉仕する

 重い荷物を持ってあげる、困っている人を助ける、お年寄りや体の不自由な方をお手伝いするというような身体でできる奉仕です。どんなによいことと思っても、それが実行できなければ意味をなしません。よいことを思いついたら実行し、自ら進んで他のために尽くしましょう。その結果、相手に喜んでいただくと同時に、自己の心も高められるのです。
 

5.心施(しんせ) 他のために心をくばる

 心の持ち方で物事の見方が変わってしまうように、心はとても繊細なもので、自分の心が言葉遣いや態度に映し出されます。自分だけがよければいいというのではなく、心底からともに喜び、ともに悲しむことができ、他の痛みや苦しみを自らのものとして感じ取れれば言うことはありません。慈悲の心、思いやりの心から自然とやさしい顔や眼差しにも表れてくることでしょう。

6.床座施(しょうざせ) 席や場所を譲る

 「どうぞ」の一言で、電車や会場でお年寄りや身体に障害を持っている方に席を譲ることです。座席だけでなく、全てのものを分かち合い、譲り合う心が大切であるという意味が含まれています。何事も独り占めはいけません。少なくとも電車やバスのシルバーシートは本来の意義に従って利用しましょう。場合によっては自分の地位を譲って後のことを託すという意味も含まれるでしょう。


宇宙創造の神が勧める霊性を高める方法 洗心

いつももつべき正しい心(=常の心)
強く     明るく
正しく    我が祈り
宜しからぬ欲を捨て
みな仲良く、相和して
感謝の生活をなせ

心の中からなくすべき感情(=ご法度の心)

憎しみ  不満
妬み   疑い
猜み   迷い
羨み   心配心
呪い   咎めの心
怒り   いらいらする心
不平   せかせかする心


■四句御箴言(しくごしんげん)

与えられたことを感謝して受けよ     
与えられぬことを感謝して受けよ

与えられたことを拒むこれ欲なり       瞑想の記事♪
与えられぬことを欲するこれ欲なり



 セント・ジャーメインさんによりますと、

●「神と繋がっている状態」というのは、「絶え間ない感謝の流れ
●全てのことに対しての感謝
●全ての瞬間に、ありがとう、ありがとう、ありがとう
●私達のエネルギーは感謝の波動にある

また、エイブラハムさんによりますと、

瞑想よりもっと上の状態がある。
もっといい気分の状態がある。
それは感謝の状態だ。」

との事です。



 イエス様は「愛は天と地の架け橋」とおっしゃられました。その愛とは「許しの到達点」である「慈悲と愛」で御座います。

 真の意味で貴方が、その「許しの到達点」の境地に到達した時に、自ずと「天である神」と「地である貴方」との架け橋が繋がる事でありましょう。私は実体験からそれが実際にありえると確信しております。

愛は天と地の架け橋  この愛の理解と体得が神様と繋がる鍵♪

神・大愛(天)……全てを活かす愛・慈悲と愛・すべての形態を形作る力・意識を与えて下さった魂の根源・真の親・すべてを活かし育む力、縁の下の力持ちで全てを愛し慈しむ無償の愛・無限の愛・すべてに意識を与えて下さった天の父であり天の母である中性エネルギー・真の親・愛を表現する為に…無限の創造をなさっている慈悲と愛そのもの

神の表現体(地)……神が神を愛する為に生まれた存在・神の化身・愛の化身・神の表現体・神の中に創造された神・個別化した神としての自覚に覚醒めた我・滅私して神の道具意識を自覚している我・自分が神ご自身だと悟った我・愛を表現する為に生まれた事を自覚している我、全てを100%の愛で愛する我、自分と全てが神以外の何者でもない事を自覚している我

ケイシーリーディングから…♪

全身全霊で「神を愛する」大切さ
「神を求める祈り」をする大事さのお話

 エドガーケイシーは、宗教生活についてそのもっとも美しい表現の中で、この事を次のように語っています。

あなたがたは心を尽くし、思いを尽くし、体を尽くして汝のなる
(大生命・内在の神)を愛し、隣人を汝の如く愛するのである。

このキリストの与えた言葉が法則の全てである。
それに優るものは存在しない

 主が約束されたように、あなた方は
来る日も来る日も明想し、「祈りゆく」うちに到来するあの目覚めによって、
主(宇宙生命)が自分の意識の中に留まられる事を知る事が出来る
神我が中にまします・父と子は常に一体)。

 あなた方はこの目的のために、
主が臨在し、その御霊(キリスト)があなた方の中に留まるあの意識を、
あの自覚を讃えるために生まれてきたのである。」


自我・偽我 =表現者、原因である父なる神を忘れている状態(放蕩息子の状態)神理を知らない状態・自分の力で生きていると思って迷っている状態、肉体の己を自分と思っている我、分離感・分離意識で個別化された表現を別個の存在と認識している我・分離意識・エゴ・肉の感化、五感の感化を真実と錯覚している我・迷いの影、幻、幻想(マイヤー)・自己保存、自我我欲の心


真の自己(真我)=父なる神と常に一体の境地・ワンネス意識・全一の意識・神我キリスト、全ては自分、全ては我、全ては神、全てを愛する我に目覚めた状態・宇宙生命によって生かされている事を自覚して実感している我・私が生きているのではない、なるほど一つの生命である神が生きていらっしゃる、全ての知恵と力は神から与えられている、神の中身は神、全ての全ては本質的には神、神のみが生きてらっしゃるんだなと悟った我・神一元・愛一元・光一元・我神なり、全ては神なり、全てに神を観る境地・神は生命(霊)なり、我も生命(霊)なりの自覚・宇宙即我、キリスト意識・高我・実在・全てを愛し全てを許す境地・慈悲と愛・あなた即私・私即あなた・宇宙エネルギー即自分・無限即我・不変不動の絶対なる実在・普遍なる宇宙・無限者・宇宙神

FC2版の広瀬すずちゃんの横顔になる方法の記事です♪
身長を伸ばす記事も追記してみました♪

世界一ハッピーな女性の物語♪全米各地の数十万人という人々の心を感動させてきた「奇跡の人」ミルドレッド・ノーマンさん♪(ハッピーになるための10の習慣  エドワード サウスウイック (著), Edward Southwick (原著), 菅原 秀 (翻訳) より)

「ハッピーになるための10の習慣」

からの引用記事になります。
ちなみにこちらの翻訳者の「菅原秀」さんは、高橋信次先生と大変深いご縁をお持ちの方でいらっしゃいます。
 翻訳のニュアンスも真理をかなり正確に掴んでいる方だからこそ…出来た改心の翻訳だと感じました。
 スピリチュアル的な内容ですが、魂に響いて飽きない良い内容ですので、ぜひ一度ご観覧頂ければ幸いです。



第四章 世界一ハッピーな女性の物語

(ハッピーになるための10の習慣  エドワード サウスウイック (著), Edward Southwick (原著), 菅原 秀 (翻訳) より)


無一物でハピネスをつかんだ人

ハピネスを完全に自分のものとして体得できた人は、今までにどのくらいいるのでしょうか?
私はほとんどいないと思います。
世界中の人々から慕われでいるイエス・キリストや釈迦は、そういったハピネスを完全に自分のものにしただけでなく、まわりの人々にも分かち与えた人でした。

だからこそ、世界中の数え切れないほどの人々が、キリスト教や仏教を心のよりどころとしているわけです。

もちろん宗教の相違によるいがみ合いは現代に至るまで絶えていません。
しかし、多くの宗教紛争は教義が原因というよりも、その教団に属する人間たちの欲望が生んだドグマティズム(教条主義)によるといったほうがいいでしょう。

つまり、自己中心的で、自分たちだけが正しいと考えて他人を排斥するのです。
そういう考え方は、本来のキリスト教や仏教には存在しません。

キリスト教は愛を教え、仏教は知恵を教えました。
いがみ合いをするとは、その愛も知恵もどちらも無視することにほかならず、信仰する教えに向かって、唾(つば)をはくのと同じだということができます。

それとは逆に、貧民や飢餓に直面している人々に救いの手を差し伸べている世界の宗教家たちは、異なった宗教同士の争いに加わろうとはしません。

宗派を超えて助け合おうとする宗教家たちによる国際会議を盛んに行っています。
このような宗教会議には、名前も知られていないような教団もたくさん参加し、貧困と飢餓の撲滅のために戦っています。

宗派の相違を恐れる必要は全くないのです。
私たちの生命をはぐくんでくれているこの宇宙、あるいは自然の摂理に対し感動し、かつ感謝し、そして自己向上の努力をするというのが全宗教の共通項です。

忘れてはならないのは、イエス・キリストや釈迦のような傑出した存在が、人類がついおろそかにしがちなその共通項を、私たち凡人にもわかるような言葉で教えてくれたということです。

教えの探い意味に正しく心をくだけば、宗教同士の争いをする暇はなくなるに違いありません。

こういった悟りのレベルに達した人たちの心のハピネスレベルは、計り知れないほど高いものです。

十字架にはりつけになったイエス・キリストは、自分を殺そうとしている人々を許してくれるように神にこいねがいました。
キリストは、死の恐怖をも愛に転換する力を持っていたとしか思えません。

同様に、自分を殺そうとした提婆達多(ダイバダッタ)を仏の化身としてうやまったのが釈迦です。

つまり、キリストと釈迦のHQは、人類が到達すべき最高点だったということがいえるでしょう。

HQが6か7程度でしたら、私たちでも努力さえすれば達成できないわけではありません。
しかしHQが8以上ともなると、人格的に高い精神性を持つとともに、長期間にわたる修行をする必要があります。

そういった高いレベルの人々の人生を知ることは、私たちに数多くのヒントを与えてくれます。

残念ながら、キリストや釈迦は大昔の人であるため、のちの人たちが教養をゆがめて解釈したり、不正確な伝記を記述したりしているので、その素晴らしさを知るためにはもどかしい思いをしなければなりません。

でも、安心してください。
私たちの現代にも、そういった偉大な人のレベルに近い大きな心を持った人がいます。

ノーベル平和賞の受賞者たち、あるいは、全く無名の人々の中にも、そういう人はいるかもしれません。

私がこれからお話ししようとする人物は、まさにHQのハイレベルに到達しています。
そのうえ、それを長年にわたって維持した大きな心の持ち主です。

この人物は日本ではほとんど知られていませんが、アメリカ各地の新聞が長年「奇跡のようだ」と言って書き続け、全米各地の数十万人という人々の心を感動させてきたのです。

しかも、その人は一切の宗教団体や機関とは無関係で、財産も地位もなくさらに住む家や家財も持っていませんでした。
彼女の名は、ミルドレッド・ノーマンといいます。


独立心の強かった少女時代

今でこそ、ミルドレッド・ノーマンという名前は知られていますが、彼女が死ぬまで、その本名を知っているアメリカ人はほとんどいませんでした。

全米各地の新聞、テレビ、ラジオはこぞって彼女の行為をほめたたえ、恐らく彼女を報道した記事、ビデオ、録音テープを集めれば、数十冊の本でも書ききれないほどの量に達しているでしょう。

それほどまでに報道されたにもかかわらず、アメリカのマスコミは彼女の名前を知りませんでした。
いや、知ろうとしなかったのです。

そして、さらに正確にいえば、知る必要はなかったのです。
マスコミは彼女のことを常にピース・ピルグリム(平和の巡礼)と呼んでいました。

彼女自身も自分の名前を言わなかったのですが、取材するマスコミ側も、彼女の行動を知るにつけ、その名前や経歴を調べたりするよりも、そのメッセージを正しく伝えることのほうに専念したのでした。

マスコミが通常必要とする、いつ、だれが、どこで、何を、というお決まりのルールを超えていたのが、彼女の存在そのものだったわけです。

ミルドレッド・ライダーは、ニュージャージー州のエッグハーバーという町で1908年に生まれました。
父親は土木建築業に携わりながら、農業をやっていました。

その兼業農家の長女として生まれたのがミルドレッドです。
アメリカで最初にラジオ放送が開始されたのは1920年。
したがって、彼女が生まれたころはまだラジオ放送がなかった時代です。

決して金持ちではありませんでしたが、生活に困ることはない程度には収入がある、安定した家庭だったようです。
静かで牧歌的な農村の平凡な一家でした。

両親はどの教会にも属していなかったようですが、子供たちをいいかげんに育てるようなことは決してなかったようです。

教会とは無縁でありましたが、ミルドレッドは幼少のころから人を思いやり、正直を旨とする子供でした。
両親の生活態度が彼女を自然にそうさせたのでした。

とても頭がよくて、三歳のころにはもう文字を読むことができたそうです。
高等学校も同級生たちより一年早く卒業しました。
高校では弁論部(ディベート部)の部長をしていました。

彼女のディベートには「説得力」があったそうですが、のちにいくつかの平和団体で働くことになったミルドレッドは、「抜きんでた説得力と交渉力の持ち主」と評されました。

このような高い精神性とハピネスレベルを獲得した人たちは、大変聡明で、恐らく天才だったのではないかと思います。
例えば、フランク・ラーバックは修士課程と、博士課程をわずか二年半で修了しています。

ガンジーは腕利きの弁護士でした。
アブラハム・マズローは人生を自己実現と高いハピネスレベルの獲得に捧げた人ですが、IQは196ありました。

彼らはHQも高く、そのうえIQも高かったのだということを知り、彼らがハッピーについて語った哲学をますます信じようという気持ちになりました。

ミルドレッドが初めて教会へ行ったのは十六歳になってからでした。
それも友人の結婚式が行われるというので参列しただけでした。

この教会へ行かなかったということは、のちのミルドレッドの人生形成にプラスに働いたようです。

つまり、教会によくありがちな、過度に戒律的な教えや、教条的な教えに触れずにすんだからです。

近所の小川から水を汲んできて、洗濯や炊事の手伝いをするという生活ぶりで、家のまわりはまさに自然そのものでした。

ミルドレッドが特に好きだったのは、小川で泳ぐことでした。
高い橋の上から飛びこんで、友達を驚かせるような活発な少女だったようです。

隣の家は父親の実家で、ミルドレッドの叔母さんが三人、叔父さんが一人住んでいました。

叔母さんと叔父さんは政治や哲学の話をするのが好きで、ミルドレッドは毎日夜になると、大人たちの議論を聞きにいったものでした。

時代はちょうど第一次世界大戦のころ。
アメリカはドイツに宣戦布告をしており、サンフランシスコでは排日運動の波が高まっていました。
ロシアでは共産主義革命が起き、世界中が揺れていました。

アメリカは、世界に先駆けて自動車工業、鉄鋼業、家電工業などを大発展をさせ、オートメーション方式を導入して、その繁栄は永久に続くかと思われるほどでした。

ハリウッドの映画産業が花開き、ウォルト・ディズニーの登場で、映画文化も頂点に達していました。

しかし、オートメーションを進めた結果、失業者は増加し、また農作物の暴落で農民たちは苦しい生活を強いられていました。

ミルドレッドは、叔母と叔父の話から、周囲の田園風景からは想像もつかない世界とアメリカの動きを耳で学んでいったのです。

そういった利発な子だったので、ミルドレッドは高等学校では弁論クラブに所属し、たくみなディベートを行う能力を身につけていきました。
特に好んだのは、哲学などの難しい話題でした。

ディベートとは相手を論理的に打ち負かそうとする討論のことですが、ミルドレッドは日常生活ではそれとは逆に、相手と友情を結ぶにはどうしたらいいかということにたけていました。

高校生時代にアルバイトをしていた店でのことです。
店番をしていると、お客さんへ払う細かいお金がなくなってしまったことに気づきました。

他の従業員がみな外出していたので、「休業中」の看板を出して両替をしに行きました。

店のマネージャーが戻って来てこの看板を見て言いました。
「外に出る時は『休業中』の看板を出してはいけないことになっている。担当者から指示されなかったのか?」

彼女はそういう指示は受けていなかったと答えたところ、その指示を出すべき立場だった先輩の女性販売員がマネージャーから叱られました。
その結果、先輩はミルドレッドをうらむようになってしまいました。

そこで、どうしようかと考えたミルドレッドは、自分の家の庭から先輩の好きな花を抜いて持ってきて、先輩の机の花瓶にさしてこう言いました。

「さしてあった花がしおれてましたから、家の庭からあなたの好きな花を持ってきました」
そして数日後には、互いに腕と腕をとって歩くほど仲直りすることができたのです。

ミルドレッドはこういったやり方で、「友情を得たいのなら、フレンドリーになるべきである」というハピネスの法則をいつも実行していました。

友達をつくるのが上手で、しかも社交的だった彼女は、学校を卒業するとたくさんの友人たちと遊び回るようになりました。

当時の若い女性はめったに化粧をしなかったのですが、ミルドレッドだけは町中でたった一人、マリリン・モンローのような化粧をして高価な毛皮のコートを身にまとったりしていました。

まわりの若い女性たちはみなお酒を飲み、タバコも吸っていましたが、ミルドレッドはここでは個性的な反応を見せています。

ある日、友達の家でパーティーをしていたところ、まわりの友人たちからお酒とタバコを強く勧められたのですが、はっきりと断りました。
そのことを彼女はこう語っています。

「私は、お酒を飲まない、タバコを吸わないということを選んだのです。つまり自由を選んだのです」

まわりの人と同じことをしないという独立心の強い彼女は、仕事の面でも成功しています。

ある全社に雇われてその能力が認められ、一般の人の倍の給料をもらっていました。
だから、ミンクのコートに身を包み、スポーツタイプの車を乗り回すという派手な暮らしもできたわけです。

ダンスも上手でしたので、町中の男の子のあこがれの的でした。
彼女を射止めたのは、二歳年下のマッチョタイプのハンサム青年でした。
二人はやがて結婚することになります。

しかし、彼のほうは、精神世界のことや奉仕活動、平和活動にあまり興味がありませんでした。

また、ミルドレッドは戦争に大反対でした。
夫が兵士になって海外赴任を命じられた時、ミルドレッドは戦争を履行する軍隊に対し、間接的にではあっても協力したくないと考え、夫について行くことを拒んだのです。
それがきっかけになり、二人は離婚しています。

さらに結婚生活の間に、父と母を相次いで亡くすという悲しみにも直面しています。
ミルドレッドは、両親の死、それに離婚という重い経験をへて、人生観を大きく変化させていきました。

そして、高い給料と十分な家財に囲まれて暮らすことが、決して自分をハッピーにしないことに気づいたのです。


神様、私を使ってください

ミルドレッドは自分の人生がこれからどうあるべきかを毎日考え続けていました。
そして、三十歳になったある日の夜、ふと近所の森の中へ入って行き、自分の内面を見つめながらさまよい歩き始めたのです。

「私はこれから何をすればいいのでしょう。
どうして私はハッピーじゃないのでしょう。
神様、どうか私の行くべき道を教えてください。」

静まりかえった夜の森の中を歩きながら、彼女は祈り続けました。
そうして何時間もさまよい歩いていると、心の中に何かが生まれてきました。
すると、さっきからの祈りが、新しいものに変化してきたのでした。

神様、どうか私を使ってください。
私をあなたの道具にしてください。

そして、ずっと朝まで歩き続けたところ、やがて彼女の願いは少しずつ確信のようなものになってきました。

そうだ。私は神様の道具だ。
私の人生を神様に捧げるのだ。
そういう強い決心が生まれました。

ミルドレッドは、この日を境に、お金や車や衣類などの所有に興味を失い、「あること」に向けて準備を始める生活に入りました。

「あること」の具体的な中身は彼女自身わかりませんでしたが、神への奉仕活動、あるいは他人を助けたり、世界を住みやすくするための活動に向かって、準備を始めなければならないという確信はありました。

それに基づいて彼女の生活を少しずつ変えていったのです。
この年、1938年、ドイツのナチスはオーストリアを併合し、ポーランドへ攻め入ろうとしていました。

また、ドイツ、日本、イタリアが手を組んだファシズムによる世界制覇の動きが、世界に暗い雲を立ちこめさせ始めていたのです。

アメリカ各地では、ドイツと戦うべきだという世論が盛り上がっていました。
ミルドレッドは、戦争回避の道を模索している各地の平和団体の活動に参加し始めました。

「平和と自由を求める世界女性連盟」の代表としてワシントンに赴き、政治家に対して戦争回避の道を訴えるロビー活動を先頭に立って行いました。

ミルドレッドの説得の仕方は実に明確で、多くの平和団体が彼女の活躍に関心を持つようになりました。
平和運動のまとめ役として頭角を現していったのです。

さらに平和運動だけでなく、YMCAが行っていた身体障書者への無料相談の奉仕活動にもかかわりました。
彼女は行く先々で、人々を愛し、助力し、励ましたのです。

「あること」に向けた彼女の準備活動とは、平和と社会奉仕のために身を粉にして働き続けるということでした。

しかし、こういった活動をしていでも、彼女の心の中はまだ完全には安定していませんでした。ただ、以前よりは確実にハッピーでした。

ハピネスレベルは上がったり下がったりしました。
そのため、一定の高みに落ち着くということがありませんでした。

彼女は、その原因がまだ捨てきれないでいる自分の中のエゴ(自我)にあるということがわかっていました。

平和活動と社会奉仕活動は、彼女にとっては自分自身のエゴと自己中心的な考え方を捨てるための修行過程でもあったのです。

彼女が自分の内面の平和とハピネスを得るために、どういう困難に出あったかを示そうとしてしばしば描いたのがこのチャートです。

1.自己中心の状態での感情の上下。
2.三十歳で一晩中歩いて祈った夜、心から奉仕する決心。

3.神中心の心と自分中心の心の戦い。
4.最初のピーク体験。本当の高い内面の平和(ハピネス)を初めて体験する。(イリュージョン・ピリオド)

5.内面の平和の長い継続。
6.完全な内面の平和。
7.平和とハピネスを保ちながら安定した成長。(四十五歳から)

「あること」への準備期間は十五年も続きました。
1952年の夏、四十四歳の時、ミルドレッドはこの準備期間の締めくくりと思われる行動を行っています。

アメリカ東部を南北二千四百キロにわたって縦断しているアパラチア山脈の、全行程踏破にチャレンジしたのです。

日本の本州の青森県先端部から山口県先端部までの距離が約千三百キロです。
その本州の長さの約二倍に匹敵する距離が、すべて険しい山の連なりになっているのがアパラチア山脈です。

女性初のアパラチア山脈踏破に成功したミルドレッドは、フィラデルフィアのラジオ局でのインタビューにこう答えています。

「とても楽しい体験でした。とても勉強になりました。
そしてインスピレーションを得ることもできました。」

実は彼女の語るインスピレーションというのは、四十歳くらいの時に初めて体験したものです。

ある早朝、山の中を歩いていると、突然自分自身の精神がかつて体験したことのない高みに持ち上げられているのを感じたのでした。

まるで地球の上を歩いているとは思えないような感覚で、まわりの花や草や木々が彼女に向かって挨拶しているように感じたのです。

そして、まわりの景色や空気が黄金の時雨のような感じで天から降り注いできたのです。

ミルドレッドの心の中には、まわりの自然と一つになったような感覚が広がり始めました。

それは、平和に満ちていて静かで、しかし強い意志を伴う感覚でした。
まるで神様と自分の心が一つにつながっているような感覚でもありました。

この感覚は宗教家が悟りを得る段階で感じるもので、「イリュージョン・ピリオド」と呼ばれています。

この体験で注目すべきは、黄金の時雨ではなく、心の中の現実感の大きな変化という事実です。

彼女は、地球上の「すべてのもの」が「一体」であり、生物も、空気も、水も、また地球自体も「一体(すべては一つ)」であるという感覚に包まれたのです。

そして、その「一体感」こそ「神からの影響」であるということを体験したわけです。

この感覚の体験以来、たとえ少しの問、高みから落ちることがあっても、すぐに高いレベル(恐らくハピネスレベル8~9)まで回復でき、より長くそのレベルにとどまれるようになりました。

彼女は、自分のエゴを捨てるというレベルを数年問にわたって保てるようになってきたのです。

その結果、他人に心の底から奉仕できる愛の世界を獲得することができたのでした。
そして、彼女が四十五歳になった時、このイリュージョンの体験に引き続いて、今まではっきりとイメージできなかった「あること」の形がはっきり見えたのです。

遠くニューイングランド(アメリカ)の野原を臨む山の項に腰を下ろしながら、ミルドレッドは頭の中に、ピース・ピルグリム(平和の巡礼)という形で、自分自身をすべて神に差し出すというイージを形成していったのでした。


人生のバランスを整えた準備期間

森の中での体験から十五年の準備期間をへて、四十五歳になったミルドレッドに与えられたプレゼントは心の安定でした。

つまり、最高レベルのハピネスを与えられたのです。
最高レベルのハピネスというものが何であるかを知らない私たちは、その後の彼女の人生をたどる必要があれます。

しかし話を先に進める前に、ミルドレッドが十五年間の準備期間中に行った心の掃除の結果、どんなことを発見したかをもう少し調べてみましょう。

彼女が気づいたのは、人生という旅を誠実に歩むためには、いくつかの準備が必要だということでした。

そのために次の四つの準備が大切だということがわかってきました。

① 人生を正しくとらえる

人生を捜然と過ごしたり、やるべきことをやらずに真実から目をそらしたりせず、正面から向かい合う。

つまり、逃避しないということです。
人生に立ちふさがるさまざまな問題は、その人を次の高みに引き上げるチャンスなのです。
問題が起きたら、どういうふうにその問題をとらえれば有意義であるかと考えることです。

ミルドレッドは、どんなに困難に思えるものに対しても、回避せずに、なるべく積極的に受け入れて解決し、乗り越えるようにしました。

そうすると、少しずつ自分が強くなり、自信が生まれ、ハッピーになっていくと語っています。

しかし、問題の中には、個人的に解決できる範囲を超えているものもあります。
長年平和運動に携わってきたミルドレッドは、こういった問題を「collective problem(集合的問題)」と呼んでいます。
つまり、社会的問題のことです。

例えば、「老人の孤独死」などという記事を時どき見かけますが、こういった悲しい事件をなくすためには、孤独な老人を訪問し世話をするような社食的活動が必要になります。

自殺に追いこまれようとする人を救済する「命の電話」の充実も大事な仕事です。
悪に染まってしまいそうな十代の若者を救済するケア活動、あるいは「いじめ」をなくすための努力、環境保護なども、個人的に解決できる範囲を超えた問題です。

集合的な問題に対しては、一人だけの力ではなく人々が力を合わせて当たらなければなりません。

ミルドレッドは集合的な問題について、個人個人が協力し、助け合う必要性を強調しています。

最終的に一番高いハピネスレベルに到達するためには、こういった集合的な問題にも参加する必要があるとも語っています。

ミルドレッドは十五年にわたって、個人的な問題と集合的な問題を解決するために、人生を正しくとらえるという準備作業をやり続けていたのでした。

② 自分の人生を宇宙の法則に同化させる

物理的にも精神的にも、私たちが従うべき宇宙の法則は厳然と存在しています。
そこから逸脱して安易な人生を送ることをきっぱりとやめて、宇宙とのバランスをとるということが大切です。

神は、この世界に生き物をつくっただけではありません。
全体のバランスをとるための法則もつくりました。

人間の肉体と精神について考えてみても、この法則が厳然と支配しています。
もしバランスを欠いてしまえば、人間は肉体的にも精神的にも大きなダメージを受けます。

それは法則に対する無知から起こります。
幸いにも、私たちはダメージを受けても法則に気づいてそれに従おうとする能力を持っています。

しかし、実際には、簡単なようでそのことがなかなか実行できないのが私たちです。
ミルドレッドは、まず「善は悪に勝る」という法則を語っています。
善が最終的には勝利するのです。

つまり、ピース・ピルグリムが経験したように、人から嫌われても愛(善)のある行動を続けていけばそんな気持ちすら消してしまうのです。

「転ばぬ先の杖」という格言がありますが、バランスを欠く前にこの法則に従えば、肉体と精神の危険を回避できるでしょう。

ミルドレッドは、自分自身の人生にこの法則を応用していった過程を「とても興味深いプロジエクト」だったと語っています。

彼女はこの法則を、人生に今すぐ取り入れることに躊躇(ちゅうちょ)しませんでした。

今すぐにやめるべきだと思う悪習は、常にただちにやめることにしたのです。
彼女にとっては、それは難しいことではありませんでした。

少しずつやめるのは時間もかかってなかなか大変なことではありますが、やるべきことをやらないことのほうが、自分をもっと苦しめることになるからです。

彼女は「信じたことはすぐに実行に移せる」人でした。
そうしなければ、信じたことが全く無意味になると思えたからです。

その結果として、精神的に高い人生に達すると、次にはまた別の高いレベルが与えられるということに気づきました。

それ以来「ミルドレッドは、常に精神的により高く向上するように心を開き続けたのでした。

例えばへこんなエピソードがあります。
ミルドレッドは学生時代にコミュニティー・クラブの役員に選ばれました。
実は他の友人がやりたいと思っていた仕事だったので、友人はミルドレッドをうらみ始めました。

そして、まわりにミルドレッドの悪口を言いふらしました。
ミルドレッドはその友人の不健康な気持ちを切り替えるため、

「自分がしてほしいことを他人にもしてあげる」というゴールデンルールを応用することにしました。

つまり、友人のいい面を可能な限りあらゆる面から考えるようにしたのです。
かわりの人たちと話す時には、この友人のことを心からほめるようにしました。
また、機会があるごとに彼女の喜ぶことを何でもしてあげました。

その努力の結果、一年後にこの女性が結婚する時になると、ミルドレッドは結婚式に「ブライド・メイド」という主賓のような立場で招待されたのです。

彼女は、このようにしてまわりの人々が心を切り替えて、心と精神をきれいにするように働き続けました。

人々に助力する働きかけを続けながら、もっと所有したいという欲望を少しずつなくしていったのです。

巡礼の旅に出発すると同時に、食事に関する習慣も、少しずつ健全なものにしていったのです。

さらに、不必要な物を買うことをやめる、価値のないことを行うのをやめる、他人を否定的に見ない、否定的に物事を考えない――というように、自分の心を切り替えるようにしていったのです。

そして、よいと思ったことはその場ですぐに実行するというのが彼女のモットーでした。

③ 自分の役割を認識する

ミルドレッドの場合は、十五年の準備期間をかけて、自分が将来なすべき「あるもの」を探し続けました。

その結果、ピース・ピルグリムという役割にたどりついたのです。
この世の中で一人ひとりの役割はすべて異なっています。

人間にさまざまな職業があるのもそのためです。
したがって、あなたが何をすべきかはだれも提示することができません。
自分で探すしかないのです。

ミルドレッドは、自分で自分の生き方を探しきれない人のため、次のようなアドバイスをしています。
「心の声を素直に受け入れられる状態を常につくり、無理をせずにそれを探し続けるのです。

そのうちに、やらずにいられなくなる『よいこと』が見つかってくる瞬間があります。
それがどんなに小さいことであってもいいから、他のことに優先させて実行するのです。」
ミルドレッドは多くの人たちに説きました。

すべての人々の人生パターンには固有の場所があります。
神の計画のもとでは一つとして同じ役割は与えられていないのです。
神の法則と影響は、あなた自身の内側でしか体験できないのです。

もちろん、偉大な宗教指導者たちが言うように、外側の事柄から学ぶことも可能です。
しかし、神の導きは内側でしか感じないのです。
だから、神に対して常に心を開いておく必要があります。

神は宇宙の法則を破るようにという指導は決してしません。
もし、そういう指導を感じたとしたら、それは神からのものではありません。

自分のバランスを宇宙の法則に合わせるかどうかはその人次第です。
宇宙の法則に自分を合わせるということだけが、よい結果をもたらします。

この世に生まれて来たからには、あなたにはあなたの役割というものがあります。
その役割を認識して、実行する必要があるのです。

ミルドレッドは、自分が何をやるべきかわからない人に対して、心の中の声を受け入れられるような状態にして静かに待ちなさいとアドバイスしています。
彼女はかつて美しい自然の中を歩きました。

静かにただ受け身になることで、素晴らしい内面の世界を知りました。
自分自身に与えられた人生パターンを歩むためには、前向きと思われる「よいこと」をすべて行うのです。

最初は、本当に小さなことでもかまいません。
人生をゴタゴタさせているだけの表面的な事柄を二の次にして、「よいこと」を人生の重要事項にするのです。

ミルドレッドは毎朝神を思い、神の子供として今日は何を奉仕することができるかと考えました。

その日の出来事に出あうつど、自分が奉仕できることは何かないかと探し続けました。
楽しい言葉とほほえみを忘れずに、毎日、できる限り「よいこと」をやり続けました。

自分の手に負えない大きな問題に出あった時には祈ることをしました。
ミルドレッドは、正しい祈りは正しい行動を生み出すと語っています。

彼女は時として、人々を助けるために駆けつけていきたい欲求にかられました。
しかし、「他人の問題を解決することは、その人の成長を妨げる結果を招きはしないか」ということに気づきました。

最初、ミルドレッドは、買い物をしてあげたり、庭仕事を手伝ったり、本を読んであげたりなどの簡単なことから始めました。

また、時どき老人の家を訪ねて、病気の回復や体の不調を軽くする手伝いをしました。
あるいは、心理的・精神的に障害を持つ十代の著者の面倒をみる仕事もしました。

自分の行うさまざまな労働が、それらの人々に前向きのよい影響を与えるようにと願いながら奉仕活動をしたのです。

ミルドレッドは自分自身の奉仕活動を精神療法と呼んでいます。相手が求める「よいこと」をすべてしてやり、また相手もそれに倣うようにという奉仕だったからです。
中には、極端に彼女に頼ろうとする人もいました。

そういう場合は、相手が彼女から自立できるように導くための時間をさかなければなりませんでした。

準備期間の間に、彼女は「よいこと」は即実行するという人間に生まれ変わっていたのです。

④ 人生の簡素化

ミルドレッドは、自分の生活を奉仕活動に捧げるという決意をすると同時に、物に対するこだわりが消えてしまいました。

世界には、生きるのに必要なものすら手に入らない人がいるのに、必要以上の物を受け取ったり、所有したりすることがいやになってしまったのです。

初めのうちは、必要最小限な物だけに抑えて生活するのは困難でつらいのではないかと思えました。

仏教は、人生を簡素化すること、生活の中に不必要な物をなくすということでハッピーな生活が訪れると説いています。

ミルドレッドも同様に、不必要な物を所有しないことでハピネスが訪れると語っています。

つまり、物をたくさん持っていると、それらのことに神経が行ってしまい、ストレスを生んで心の重荷となるからです。

といっても、人間は住むための場所を持たなければなりません。
また、家庭があれば、子供の学資の問題が生まれたり、音楽好きな家族の一員がプレイヤーを必要としたりということが起こるでしょう。

しかし、音楽は絶対に必要なものというわけではありません。
まして、ブランドネーム付きの衣服、高級車、最新テレビなどは当然買わなくてもすむものです。

もしそのために借金をするとしたら実に愚かなことです。
彼女は容易に生活を簡素にできただけでなくそれが当初考えたほど難しくはないということがわかりました。

準備期間の数年間、ミルドレッドは小さな部屋に住んでいました。
平和運動のために、ワシントンなどの都会に住んでいたのですが、毎月四十ドル以内(現在の約五万円)で生活していました。

そして、最終的には二着の衣服を所有するだけになり、さらにピース・ピルグリムになった時には、衣服は一着だけで、お金も持たないという生活を続けるようになったのでした。


ピース・ピルグリムの旅立ち

1953年、カリフォルニアのパサデナを徒歩で出発したミルドレッドが携えていたのは、平和を訴えるパンフレットと三通の嘆願書だけでした。

朝鮮戦争がちょうど拡大していたころで、またアメリカでは、上院議員のマッカーシーが提案した一連の赤狩り政策、つまり共産主義から自由世界を守ることを口実にした過激な政策が吹き荒れていました。

ミルドレッドは、そういう時期に旅立ちができたことは、平和を語るうえで絶好のタイミングだったとのちに語っています。

道行く人に語りかけ、心の内面を平和にすることの大切さを訴えながら、ワシントンに向かって一歩一歩、平和の歩みを続けていったのです。

携えていた三通の嘆願書の内容は、アメリカがからんでいる朝鮮半島での争いの即時停戦、平和省の創設、国連に対する軍事費の平和建設費への置き換え――というものでした。

彼女は十一カ月かけてワシントンに到着すると、ホワイトハウスと国連に、三通の嘆願書を道中で集めた署名とともに提出し、平和のために即時行動することを強く訴えました。

そして、ミルドレッドはそこにとどまることなく、残りの人生をアメリカを六往復も歩き続けることに費やしたのでした。

各地でミルドレッドが語った話を聞いた人々は、心の平和を獲得するようになりました。

彼女が神の存在に集中しなければならないと呼びかけたことで、人々も変わり始めたのでした。

さらにミルドレッドは、絶えず神の存在を感じ続ける必要があると思いました。
そのために、ミルドレッドは四、五日間、水だけの断食をして、常に神の存在を実感できるようになりました。
彼女はふたたびアメリカ各地を歩き始めたのでした。

もちろん、世界平和についても語り続けたのですが、彼女が強く感じていたのは、すべての人々が内面の平和を獲得しなければならないという必要性についてでした。
つまり、それは神の存在を体験するということにほかなりません。

それによって、各自が自分自身の本当の役割に気づき、たとえ一部の人々だけでも世界平和のために働くことになるかもしれないと考えたのです。

ボケット付きのネービーブルーの上着には、白い文字でピース・ピルグリム(平和の巡礼)の文字を、背中には、Walking coast to coast for paece(平和のためのアメリカ横断行脚)の文字を縫いつけました。

背中の文字は、のちには25,000 miles on foot for peace(平和を求めて四万キロの徒歩行脚)と書きかえていました。

着ているものがぼろぼろになると、友人たちが同じものを彼女のために入手して、同じ文字を縫いつけるということが何度も繰り返されました。

四万キロというと、日本の本州の青森から山口までを十五回往復する以上の距離です。
彼女はこれを達成したのちは、距離の計算はやめてしまいましたが、それでも歩くことは続けました。

仏教の巡礼の場合は、托鉢をして道すがらにお金やお米をもらいます。
しかし、ミルドレッドの場合は、自分のほうから食事を求めるということは一切しませんでした。

相手が自ら食事を提供してくれたり、道ばたに野生の木の実や果物がなっていたりした時だけ、それを喜んでロにしました。
道中、丸一日程度食事をしないことはありましたが、それはごくまれでした。

自分のほうから申し出ることはなかったにもかかわらず、
「食事ができないということは、めったにありませんでした。
人々は思いのほか、善意に満ちているのです。」
と語っています。

ミルドレッドの名前がアメリカ中に知れ渡るにつれて、食事に困ることも少なくなっていきました。

何年か歩き続けた彼女は、行く先々で、食事に困ったことはなかったと何度も話しています。

彼女が時どき自分のほうから求めたのは、彼女を待つ人々に到着を知らせるためのハガキに貼る切手だけでした。

ある時、彼女から切手の提供を求められた女性は、切手をたくさん持っていたので、シートになった何十枚かを差し出しました。

すると、ミルドレッドは言いました。
「いえ、私が欲しいのは三枚だけです。」

「いいのよ。必要な時にまた使えばいいでしょ。荷物にはならないでしょうから、ボケットにしまっておいたらいかがですか?」

「いいえ、三枚だけでいいのです。どうか、三枚だけください。」
彼女は、その時に必要とするもの以外は、決して受け取らなかったのでした。

また、ある時、ミルドレッドの履いている靴がぼろぼろなのを見た男性が、靴をプレゼントしようとしたことがありました。

彼女に物をプレゼントするのは本当に大変なことだとこの男性は語っています。
「いえ、今履いている靴で十分です。新しいものはまだいりません。」
ミルドレッドはそう言って彼の申し出を断りました。

しかし、彼女の靴はあまり上等なものではなく、あと数日も歩けば使いものにならなくなるのは目に見えていました。

砂漠を歩いている時に靴が駄目になるのを心配した彼は、ミルドレッドの靴の寸法を測って、彼女の足にぴったりの丈夫な靴をあつらえました。

そして、ミルドレッドの行く先々で彼女を待ち受け、
「ほら、これがあなたの靴ですよ」
と足下に置き続けました。

ミルドレッドはついに彼の熱心さに折れ、新しい立派な靴を受け取ることを決心したのです。

行った先で人々から名前を聞かれた時には、
「私はピース・ピルグリムです。」
といつも答え、本名を語ることはしませんでした。
そのことは人々を納得させるのに、十分な効果がありました。

家財やお金を持たず、さらには名前すら持とうとせずに、ひたすら平和な心を訴えながら歩くミルドレッド。

その彼女の前では、そんな質問は実に色あせたものに感じられました。

行く先々の地方紙が、彼女の来るのを待ち構えて、
「世界平和を求めて歩き続けるピース・ピルグリム」
「アメリカに平和の必要を説き歩く女性」

「愛と平和の現代の巡礼アメリ力を歩く」
「分別こそが平和を導くと確信する巡礼者」
などの記事を書き続けました。

これらの記事の多くは、内面の平和こそが大切で、それが世界の平和を導くという彼女の談話を掲載しました。

ミルドレッドに話に来てくれるように求める人の数はどんどん増えていきました。
人々は内面の平和とハピネスをつかみたい気持ちでいっぱいだったのです。

時には、彼女のほうから、行く先々の大学の心理学教授に電話をかけ、学生たちに話をさせてくれるように依頼しました。

心を安定させることによって、内面の平和とハピネスを得ようと訴える彼女のスピーチは、心理学と不可分だったからでした。

ミルドレッドは、自分の身には何も求めませんでしたが、新聞、ラジオ、テレビに対しては、平和を訴えるための有効な手段になるとして、樟極的に取材に応じ、また快く出演もしました。

ラジオやテレビで説く彼女の明快な語り口は多くの人たちを魅了しました。
巡礼の旅が重なるにつれ、いろいろな土地に友人ができ、彼女の到着を今か今かと待つ人が多くなっていきました。


旅先での試練と経験

ミルドレッドは旅先でさまざまな困難に出あうと、それを自分に与えられた試練と考え、積極的に対応しています。

難しい問題に出あって解決した経験を、さらにより難しい問題にも応用するようにしていったのです。

彼女は、とても解決できそうにもない問題でも、自分にとってはさほど難しくないと語っています。

どんなに難しいことであっても、神がそぱにいることを確信して、平和と愛とハピネスを感じながら平静に対応したのです。

旅を開始したばかりのころ、カリフォルニアの砂漠を歩いていた時に、一つの試練に出あっています。

すでに真夜中だったのですが、あと何マイル歩いても人里にたどり着けそうになく、道を通る車も全くありませんでした。

寒い夜でもあったので野宿は危険なことから、ただひたすら歩くしかありませんでした。

その時、道ばたに一台のトラックが停車しているのを見つけました。
車の男は彼女を見つけると、
「こっちへ釆なよ。中は暖かいぞ。」
と言いました。
「いいえ、乗りません。」

とミルドレッドが返事をすると、男は
「運転するつもりはないよ。ここに車をとめているんだ。」
と答えました。

ミルドレッドは車の中に入り、男の顔に目を向けました。大柄の見るからに荒くれ者で、どんな人も怖がるような風貌をしている男でした。

しばらく話をしていると、だしぬけに男がこう言いました。
「よし、一緒に寝ようじゃないか」
ミルドレッドは答えました。

「ええ、そうするわ」
彼女は背中を丸めてすぐに寝入りました。

朝になって目がさめると、その男は当惑した表情で彼女を見つめてこう言いました。
「あんたが丸くなって、本当に安心して寝ているのを見たら、ボクはあんたに触ることすらできなくなってしまったんだよ。」

また、こんなこともありました。
ある町を訪れたところ、情緒障害に陥っている十四、五歳の少年がいました。
彼女は、この少年の面倒をみようと考えました。

少年はフットボール選手のような体格で、聞けば、すぐに短気を起こして暴力をふるう性格で、あらゆる人から恐れられているということでした。

少年の母親は殴られて何週間も病院に入院するということもあったそうです。
少年はハイキングに行きたがっていました。

しかし、少年の行状を知っている人たちは、だれも一緒に行こうとしませんでした。
しかし、ミルドレッドはともにハイキングに行くことを承諾しました。
ある山の項に達すると、向こうから入道雲がもくもくと立ちこめてきました。
すぐに嵐がやってきそうです。

少年はこの嵐を恐れて気が動転し、暴力的性向が頭をもたげてきました。
そして、いきなりミルドレッドを殴り始めたのです。
でも、彼女は逃げようとはしませんでした。

少年を愛のこもったまなざしでじっと見つめ続けました。
のちに彼女が語るには、無抵抗の女性を殴るほどの心理的障害に陥っている少年が気の毒になり、少年が心に抱いている憎悪を愛で包み始めたのだということです。

すると、少年は殴ることをやめてこう言いました。
「どうして殴り返さないんだ。
母親はいつも殴り返してきたのに!」

少年はこの出合いをきっかけに、心の奥底に沈んでいた憎悪の原因を発見することができたのです。
心の傷は完全にいやされ、生涯にわたって二度と暴力をふるうことはなくなったのでした。

その後、ミルドレッドは、もっとも難しい試練に出あうことになりました。
ある農場を訪ねた時のことです。

一家はみなで町に行くことになったのですが、八歳の女の子だけが町へ行きたくないというので、両親は居合わせたミルドレッドにその子の面倒を頼んで出かけていきました。

ミルドレッドが窓辺で手紙を書いていると、外で車が止まって男が降りてきました。
少女は男を見ると急いで逃げ出しました。
しかし、男は納屋の中まで追いかけていったのです。
ミルドレッドは急いで納屋に駆けつけました。

少女は恐怖のあまり納屋の隅で体を縮めていました。
男はゆっくりとにじり寄っていきました。

それを見たミルドレッドは男と少女の間に割って入りました。
そして、そこに立って、心を病んでいるこの男を愛とあわれみの感情を持って見つめたのです。

男は近づいてきて、途中で立ち止まりました。
そのままミルドレッドを長いこと見つめ続けました。

やがて、男はきびすを返し、納屋から出ていったのです。
この間、三人とも一言も口を聞きませんでした。

ミルドレッドは、ハピネスを得るにはどうしたらいいかということを、行く先々でわかりやすい言葉で説き続けました。

ある町で出会った独身の女性は、お金を稼ぐために必死で働いていました。
あまりにも生活が大変なので、ミルドレッドにどうしたらいいかと相談を持ちかけました。

話をよく聞いてみると、部屋が五つもある家に一人で住んでいて、ローンの支払いや調度品をそろえるためにお金が必要なのだということです。
「そんなに広い家は必要ないでしょう?
売ってしまったらいいじゃないですか?」

「でも、家には大事な家具もたくさんあるので、売ることはできません。」
「あなたの人生は家のためにあるのですか?」

人間は自分の所有物にこだわります。
そのため、それを捨てることができずに重荷を背負っています。

ミルドレッドは捨てることの大切さを各地で説き続けました。
カバン一つ持たずに素手で歩くミルドレッドの言葉は多くの人の胸を打ちました。


捨てるということ

何かを捨てることでハピネスレベルを上げられるというのは、理屈ではわかるのですが、なかなか実行は難しいものです。

しかし、ミルドレッドがそれを説くと、その可能性が真実味を帯びて理解できるようになってくるのです。

なぜなら、本人の存在それ自体が、物へのこだわりを捨てた模範になっていたからです。

そして、彼女が説いたのは、物を所有したい心そのものを捨てるべきだという精神的なものでした。

① こだわりを捨てる

私たちは、それがレベルの低い物事であっても、現状を維持させようと努めます。
また、他人の悪口を言ったり、仕事や人間関係で良心の道に外れたことをしたくなったりすることがあります。

ミルドレッドは、そういったマイナスのこだわりを捨てるためには、同じだけのエネルギーをよい方向に投入すればよいと勧めます。

もし他人の悪口を言いたくなったら、それと同じだけのエネルギーを褒めることに費やせばよいというのが、彼女の教えるテクニックでした。

② 孤立感を捨てる

私たちは、つい自分の尺度で物事を測ってしまいがちです。
実際には、この世界も社会も、自然の恵みや人と人との協調というバランスを基に成り立っているのですから、自分の尺度にしがみついていると、その現実を徐々に忘れて疎外感にさいなまれる結果を招きます。

私たちは宇宙全体の中の1つの細胞にすぎません。
自分だけが孤立していると考えることは、たった一つの細胞が宇宙に反抗しているのと同じです。

そのことを理解して全体の中の一つとして生きようと考えた時に、孤立感がなくなってハピネスの世界が訪れます。

③ 所有感を捨てる

私たちは二種類の所有感に執着しています。
一つは自分が持っている物です。

もう一つは自分のまわりの人間に対する所有感です。
物というのは、本来、用がすめば必要がなくなるものです。

それを自分の所有物として抱きかかえ、今本当に必要とする人に分けることを拒否していると、物のほうから私たちに襲いかかってきます。

つまり、物に所有されるようになってしまうのです。
物質至上主義の現代では、多くの人がそのことに気づかずに、物に所有される悲劇を招いています。

また、人間関係を所有しようとする感情は、常に悲劇を引き起こします。
夫も、妻も、子供も、自分の所有物ではありません。

もし所有感を持ってしまうと、相手の人生を操作してしまう傾向が生まれます。
人は決してほかの人間を所有することはできません。

人はみなそれぞれ、自分にふさわしい内面の動機に基づいて成長し、社会を機能させていくのです。

④ 否定的感情を捨てる

否定的感情がハピネスを妨げることは多くの人が知っています。
その否定的感情にもさまりますが、中でもやっかいなのが「心配」です。

「心配」は「配慮」のようにも思えますが、実際にはたいていが不必要な思いわずらいで、ハピネスレベルを下げるだけのマイナス要素にすぎません。

ミルドレッドは「心配」という感情のコントロールの仕方をこう説いています。
「『心配』というのは過去や未来への思いわずらいです。
現在という時点では、この『心配』のないことが普通です。

ですから、とにかく現在を生きるのです。
私の場合、現在というこの瞬間を、奉仕のための新しいチャンスだと考えて生きています。」

さらに、ミルドレッドは、否定的感情のコントロールの仕方を知ることになった、もう一つの発見についても語っています。

それは、自分の外側に存在するものは、それが人間であれ物であれ、こちらの内面の心理を傷つけることはないということです。
自分の内面を傷つけているのは、実は自分自身だったのです。

ミルドレッドはこのことを発見した時、素晴らしい解放感を味わったと語っています。
つまり、他人が自分を傷つけるかどうかという判断のコントロールは、自分自身が百パーセント握っているのです。

もしだれかがあなたの悪口を言ったとしでも、あなたはそれで傷つく必要は全くないのです。

イライラした人がミルドレッドに悪口を言った時、彼女はその人が心理的にも精神世界的にも未熟で、恐らくハッピーではないということを見抜きました。

そして、その人を本当に気の毒に思い、さらに愛情までも感じたのでした。
ちょうどかつて十代の少年が彼女を殴った時のように。

それ以来、ミルドレッドは、自分を傷つけようとするあらゆる人々に対し、心からの思いやりを持つことができるようになったのです。


人生の本当の目的とは何か

私たちのほとんどは、自分の人生の目的が何であるかわからないまま、常に迷い続けています。
ミルドレッドが行く先々で出合った人たちも、多くはそういった悩みをかかえていました。

ミルドレッドの純粋な生き方を見て感動した人は、
「私もあなたに従います。一緒にピース・ピルグリムになります。」
という言葉をよく口にしました。

ミルドレッドがピース・ピルグリムとなるためには、十五年もの準備期間と、アパラチア山脈踏破の体験と、それに宇宙と一体になったというイリュージョン・ピリオドが必要でした。

普通の人々が彼女と同じことをするのはまず不可能で、またそんなことをするようにと言うこともできません。

ですから、こういう人に対しては、静かに微笑みながら、
「あなたは、あなた自身の人生を歩んでください。」
とだけ言い続けたのです。

そして、出合った一人ひとりに、人生の目的の見つけ方を懇切丁寧に教えて歩いたのでした。

四十歳のある建築士は、優秀な能力があるのに仕事がうまくいかず悩んでいました。
そこで、ミルドレッドに出会った時に相談をしました。
「私は別の職業を選ぶべきでしょうか?」
ミルドレッドはこう言って励ましました。

「人々に心から奉仕するということだけに意識を集中すれば、きっとうまくいきますよ。」

三年後、彼女はこの建築士に出合った時、
「あなたの助言のおかげで、私は本当に幸せな人生を送っています。」
と感謝の言葉を述べられました。

彼はミルドレッドの肋言の意味を何度も考え、それを今まで行ってきた仕事に生かす決意をしたのでした。

設計の依頼があった時には、無駄と思われる部分があれば、正直にその部分を削るように勧めました。

また、効果的で安く上がる方法を盛りこみ、客に有利になることだけを念頭に置いて仕事をやり続けました。

常に客の親身になって、正直に安く設計する彼のやり方は評判を呼び、遠方からも仕事の注文がくるようになりました。
その結果、収入はかえって増えるようになったのです。

ミルドレッドが人に説く時に特に心をくだいたのが、この建築士の例のように、心を変化させることの重要さでした。
いくら所有物へのこだわりを捨てろといっても、お金を稼がずに暮らすことは不可能です。

そして、お金を稼ぐ動機が家族を大切にしたいということであれば、そこには何ら不純なものはありません。

つまり、人間が生きていく上には、さまざまな要素が交わっているのです。
そのため、人生の意味を見いだすことも困難になってしまうというわけです。

こういう考えに至った場合は、自分の行動の動機づけを、奉仕という一点に絞るようにと彼女は勧めています。

他人から取ろうとする気持ちから、他人に与えようという気持ちに切り替えるということです。

この建築士の場合、その動機づけがうまく成功した一つの例といえます。
ミルドレッドはこうした旅を二十八年間も続けました。

上着の胸に書かれたピース・ピルグリムの文字と、背中に書かれた二万五千マイル徒歩行脚という文字は、最初の数年間は道ばたで出合う人々とのコミュニケーションのきっかけに役立ちました。

周到な準備によって開始されたためか、巡礼の道中、彼女は病気一つしませんでした。
また、常にハピネスレベルの頂点に居続けることのできた内面の精神、および歩き続けるという理想的な健康法があったからでもあるでしょう。

そういった健康な精神と体に裏付けられた彼女の語った言葉は、常に明快でわかりやすく、しかもマイクなしでも多くの人々に聞こえるという明瞭な声でした。

二万五千マイルを踏破した彼女は、もう距離を計算することをやめていました。
しかし、それでも歩き続けることはやめませんでした。

ミルドレッドの名前が広く知られるようになったため、毎日、六回も七回も講演をするという約束をするようになりました。

したがって、しばしば車を利用するようにならざるを得ませんでした。
それでも、自分自身の静かな時間を少しでも持つように心がけました。
また、毎日わずかな距離でも歩くように努めました。

亡くなる一年か二年前ごろから、ミルドレッドは自分の過去について少しずつ話し始めるようになりました。

それが人々の役に立つと思ったからでした。
みなはその話を聞きながら、彼女は死の準備をしているのだなと感じました。
そして、彼女は自分の使命は終わったので、もういつこの世を去ってもいいとも話しています。

亡くなる前日には、どうすれば内面の平和とハピネスを得ることができるかという、普段と同じ講演をしています。

ただ、その後で聴衆の間に入っていき、一人ひとりに自分の愛を伝え、さらにあたかも最後の挨拶のように、一人ひとりをハグ(抱擁)しています。
「最高のハピネスレベルとはたゆまず祈り続けることです」

ミルドレッドは、アメリカの大地を一歩一歩踏みしめながら、二十八年間休まずに祈り続けたのです。

しかし、その祈りが停止させられる瞬間が訪れました。
それはだれもが避けることのできない死によって――。
ミルドレッドの死はあまりにもあっけないものでした。

1981年、インディアナ州ノックスの講演先から迎えに来た車で次の会場に向かう途中、その車が対向車と正面衝突をしてしまったのです。
七十三歳でした。
彼女の死はアメリカ中に衝撃を与えました。
でも、その死を悲しんだ多くの人々はすぐに気づきました。
「私たちが、彼女のメッセージ通りに正しく生きることが、彼女自身の望みだったんだ。」

ピース・ピルグリムという偉大な巡礼によって、アメリカ人に伝えた平和と愛のメッセージは、その素晴らしさに触れた人々の心に今でも生き続けているのです。

その後、ミルドレッドに出合った人々が連絡を取り合い、彼女のメッセージを出版物にするという奉仕活動が開始されました。

彼女の人生とメッセージが書かれた本はいくつかの言語に訳され、約五十万部が印刷されました。

また、内面の平和を得るステップについて書かれた小冊子は、三十の言語に訳され約百万部が出版されています。

その結果、恐らく数百万の人々が積極的に彼女のメッセージを受け入れています。
多くの人たちが、彼女のメッセージを自己向上のためだけではなくあの建築士のように、自分に与えられた役割のために役立てたに違いありません。

さらに、争いごとの解決策として、この愛と平和のこもった手段を応用している弁護士が数多くいます。

もちろん、弁護士は当事者の一方から雇われるのですが、例えば離婚訴訟を夫が起こしている場合、夫と妻双方の間に静かに座り、平和的かつ誠実に二人に話しかけていきます。

財産を分割するに当たっても、双方にフェアでかつ夫も妻もハッピーになれるような方法を模索し、最後の裁定に向けて誠意を尽くします。

また、刑務所内においても、内面の平和のステップを説くピース・ピルグリムのメッセージが応用されています。

かつて刑務所に収容されていたマイケル・トッド氏は、今では収容者への奉仕活動をしていますが、次のように語っています。

「収容者たちは、ピース・ピルグリムの出版物を紹介されて読み、内面の平和を得るのは可能だと話しています。
以前の自分たちの人生は、自分本位、暴力、報復などの考えに縛られていて、そのために自己破滅に向かっていたのだと理解しています。」

そのトッド氏にテネシーの刑務所にいる囚人から次のような手紙が届きました。
「アメリカの監獄システムの中ででも、収容者たちが人生を平和のために尽くそうとするムーブメントが起きていると知ったら、あなたは興味を引かれるでしょう。

あなたが渡してくれたピース・ピルグリムの出版物は、私たちのような人間にも、心と精神の変化を現実にもたらしてくれるのです。

これらの出版物から収容者が得られる導きはまさに計り知れないものがあります。
私たちのような人間が暴力的なやり方を変えることができれば、世界のためになることは確実です。」

1989年にピース・ピルグリムの本を何ヶ所かの刑務所に差し入れる活動が開始されました。
そして、本の内容を実行した収容者は一人も再逮捕されていません。
この事実がピース・ピルグリムのメッセージの正しさを物語っています。

最近この結果がわかってから、多数の刑務所から本の注文が来るようになりました。
彼女のメッセージのもっとも大事な部分は、自己中心的な生き方、つまり 「受け取る人生」から、他人に尽くす生き方、つまり「与える人生」に徐々に切り替えていくというところだと思います。

これが、高いレベルのハピネスを維持するための最重要かつ最大の秘密だったのです。
もう一度、建築士のエピソードを思い出しましょう。
あなたの仕事や、今やっていることを変える必要はないのです。

変えなければならないのは、心のありようなのです。
これは、夫はもちろん、家庭を守る主婦にも、子育てをする親にも生徒を指導する教師にもいえることです。
愛をこめて、あなたの仕事を行うだけでよいのです。


自我・偽我 =表現者、原因である父なる神を忘れている状態(放蕩息子の状態)神理を知らない状態・自分の力で生きていると思って迷っている状態、肉体の己を自分と思っている我、分離感・分離意識で個別化された表現を別個の存在と認識している我・分離意識・エゴ・肉の感化、五感の感化を真実と錯覚している我・迷いの影、幻、幻想(マイヤー)・自己保存、自我我欲の心


真の自己(真我)=父なる神と常に一体の境地・ワンネス意識・全一の意識・神我キリスト、全ては自分、全ては我、全ては神、全てを愛する我に目覚めた状態・宇宙生命によって生かされている事を自覚して実感している我・私が生きているのではない、なるほど一つの生命である神が生きていらっしゃる、全ての知恵と力は神から与えられている、神の中身は神、全ての全ては本質的には神、神のみが生きてらっしゃるんだなと悟った我・神一元・愛一元・光一元・我神なり、全ては神なり、全てに神を観る境地・神は生命(霊)なり、我も生命(霊)なりの自覚・宇宙即我、キリスト意識・高我・実在・全てを愛し全てを許す境地・慈悲と愛・あなた即私・私即あなた・宇宙エネルギー即自分・無限即我・不変不動の絶対なる実在・普遍なる宇宙・無限者・宇宙神

FC2版の広瀬すずちゃんの横顔になる方法の記事です♪
身長を伸ばす記事も追記してみました♪

世界一の大覚者・超能力者・上江洲義秀先生の質疑応答をご紹介♪1.死を何故恐れるのか 2.運命は決まっているのか 3.選択 4.食べ過ぎてしまう 5.食べなくても生きられる? 6.不安や葛藤にどう対応するか 7.自分を分かってもらいたい 8.霊的学びを家族が反対 9.(無…む)と(空…くう)とは 10.憑依霊はなぜ憑依するのか 11.息について教えて下さい 12.すぐ疲れる眠くなる  13.ヒーリングの効果はどのくらい持続するのか 14.娘が心配  15.時空を超える 16.過ちを乗り越える……自殺について 学びの共・ケルビンさんがMP3の音質を改善した神秘体験秘話♪

上江洲義秀先生の究極の質疑応答サイトについて

 前に、上江洲義秀先生の総まとめ記事のまとめ記事を作ったのですが、あまりにも長すぎて…見落とされた方もいらっしゃるかと思いまして、再度、上江洲義秀先生の質問の部分だけをピックアップしてもうご紹介させて頂きます。

 私は、この上江洲先生のご回答から多くのことを学ばせて頂きました。短期間で飛躍的に、魂の成長が成し得ちゃう…素晴らしい内容をぜひ一度ご覧くださいませ。

Amazon様の「上江洲義秀」先生のご著書はこちら♪


上江洲義秀先生の質疑応答

1.死を何故恐れるのか

死とは何か? なぜ人は死を恐れるのか?  2014.6.8無限

それはね、理解のなさ、市に対する理解のなさ。
死の理解が出来ていない方々はやっぱり誰も恐れていますよ。
お釈迦様も「生老病死」というものを追求されたでしょ。

前をみれば死の恐怖。
後ろをみれば年老いていく恐怖。
右をみれば病む恐怖。
左をみれば生きる恐怖。

生老病死
それを追求して『内観』というものを探りましたよね。

私も2歳から追求しています。皆さんが信じられるか信じられないかは
わからないけど、私が死を追求したのは2歳からです。
2歳にして、「人間、死んだらどこに帰るんだろう」「死んで墓と言うけど、墓場から向こうはどういう世界が待っているんだろう」。
2歳から追求しています。

死というものを今日このように理解してほしい。

例えば、氷を冷蔵庫から取り出せば、解けて水となりますよね。
で、水を太陽の下に置いたり、下から火をかけると「気体」となって皆さんの視野からは消えますよね。

じゃあ、氷は解けて水となり、水はさらにバイブレーション高めて気体となったけど、失われたのか、絶対にないのか?

そうではないですよね。

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 知花先生のお話と照らし合わせますと、固体(3次元界)から液体(幽界)を無限ループしている状態が、輪廻転生でありまして、この固体(3次元界)の世界から気体(実相・神界)へ行く事が悟り・解脱という事になります。


2.運命は決まっているのか
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 悟りを開いた覚者になりますと、時空や因果律を超越しますから、自分の寿命までも自分で決められるそうですね(知花敏彦先生談)。
 その様な存在となってほしいという締めが素敵でした♪


3.選択
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 本山よろずや本舗様でも、チャネラーに自分の運命を任せることの危険性をご自身の体験から啓蒙されていたのを思い出しました。

 覚者・ブルーシャ西村様も、「自分の人生は、自分で選択する」ことの大切さを切実に訴えておられました。自分で考えていく事によって、「魂の判断力が磨かれていく」というのがあるみたいですね。まさにその通り!!と納得のお話で御座いました。

ブルーシャ西村様のブログ  ⇐リンク先へ♪
https://plaza.rakuten.co.jp/bruixanishimura/
のブログはこちら♪超濃厚な素晴らしい内容ですよ♪

 私の場合は、いい意味で、神様・守護の神霊に導かれてここまでの深い悟りにまで到達できたという感じで御座います。

 真剣に「神様、私に正しい真理をお教え下さい」と神様を求める真摯なお祈り捧げていたのが良かったのかもしれませんね。有り難いことです♪
言い換えるならば、「真理を求めよさらば与えられん」 でしょうか♪
このような「神我の祈り」はどんどんなさったらいいかもしれません(^^)


4.食べ過ぎてしまう
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 私の面白い体験の一つで、今の自分の顔は痩せ気味で、ちょっと太ったほうがいいかな~って思っていたら、面白い事に、食べる量が適量でもすぐに太っちゃうんですね(笑)。
  何回かこの体験して”想いは具現化する”の実例なんだとを確信しました。

 ですから、”太ったほうがいい” なんて絶対に思わないように気をつけるようになりました♪痩せてるほうがいいな~って思いながら食べていたら、望むものは現れますから、食べる量が同じでも痩せる方へ行きやすいみたいです♪お蔭様で痩せ顔を維持出来てますから多分大丈夫かと…ご参考まで~♪


5.食べなくても生きられる?
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 私の場合は身長を2mまで伸ばしたいので(笑)、まだ一応それなりに食事をしておりますが、そこまで伸びたら余り食事しなくても大丈夫かな~といった状態にはなれました。今では一日一食でも全然大丈夫です。


6.不安や葛藤にどう対応するか
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 日本は世界一熟した魂の集う霊的進化国ですから、治安がいいと言えるのかも知れませんね。誰でも彼でも日本人になれるようでは無いそうですし。

 面白い話で、どこかのサイトで、地球より未熟な星で、全然感情が制御できない魂だらけの星があるそうです。その星で、ある程度感情が制御出来るようになった魂が、地球のある地域に集団で移転しているというお話がありました。戦争が多い地域とだけ……どこかはあえてぼかします(笑)。

 犯罪が多い地域に生まれるという事は、その地域で学ばねばならない事があるからという結論をぼかしながら述べ伝えられているように思えました。


7.自分を分かってもらいたい
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 初心者向けの質問でも、誠心誠意お答えして下さる、”実るほど頭を垂れる稲穂かな”を自然に実践されているお姿に大変感銘と感激を受けました。
 それにしても質問者の方に対するお優しいお心遣いに、涙がこぼれ出そうになりますね♪上江洲義秀先生は愛が輝く素敵で偉大なるお方です♪


8.霊的学びを家族が反対       
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 上江洲義秀先生のこちらの回答のお陰で、物事を臨機応変に考える大事さを学べました。偉大なる大覚者であられる、上江洲先生に心から感謝申し上げます。

9.(無…む)と(空…くう)とは
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 「無・空」とは、「愛と調和・慈悲と愛・分離意識を克服した全一体の境地」という奥深いお話を分かりやすく説かれておられますね。
 私も、結構詳しく説明できちゃう…という(笑)、もちろん、上江洲義秀先生のお陰ですけれども。

 「空・無」については、色々な言い方ができますが…「無限の本質を我と感じている意識状態」、「無限大の愛即自分」、「宇宙エネルギー即自分」「宇宙即我」「無限の本質あるのみ」「父なる神と常に一体」の境地と言えるのかも知れませんね。


10.憑依霊はなぜ憑依するのか
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 酒屋で憑依する為に幽霊がウロウロしているお話は、スピリチュアリズムでも見た事がありましたが、どういった理由かも同じでした♪愛という鍵でしっかり自分をガード♪…高級霊と低級霊は波長は合いませんからねっ♪


11.息について教えて下さい
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 愛はすべてを超越するのですね…愛ほど偉大なるものは存在しないと……愛の次元をこれからも徹底的に高めていきまっしょ~い!♪元子さんの例えは、上江洲義秀先生の十八番ですね♪めっちゃ面白いです♪


12.すぐ疲れる眠くなる
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 愛を高める事が疲れない体質になるコツみたいです♪心を非利己的な神我の愛の心にすればするほど、神様と波長が合いますから、宇宙エネルギーを頂けると考えても良さそうですね♪日々、洗心と明想を実践しましょう♪


13.ヒーリングの効果はどのくらい持続するのか
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 常時、「常に我は無限である」を意識する事がとっても大事な事♪
「愛とは与えるためにある」「愛は吸引力」「与えてさらば与えられん」という感じでしょうか。
「我すでに愛なり」「我すでに無限なり」「我すでに神なり」この神意識を常に意識し続ける事が非常に大事な事ですね♪



14.娘が心配
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 心配は逆に良くないという細かい事例説明が非常にためになりました。上江洲義秀先生のアドバイスが的確で、本当に驚嘆するばかりです♪


15.時空を超える
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 ずっと眠っていて下さい…か。なるほど、沢山明想する程良いとも受け取れました(笑)。沢山目をつぶって明想をしよ~っと♪


16.過ちを乗り越える……自殺について
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 アラン・カルデックさんの霊の書でも、逃げても何回でも似たような経験をさせられるお話がありましたが、結局、自分で困難を乗り越えるしか、運命を代える事は出来ないとも言えましょう。

 私の場合は、徹底的にネガティブな想念を駆除して、全身全霊で洗心して、ポジティブ一途まで想念を磨き上げましたから、お蔭さまで、人生が神懸かりな程に運が良い人間に変容出来ました。

 一番劇的に変わったと感じた時は、洗心の”人を咎めない(心で人を責めない)”をしっかりと実践出来るようになってからですね♪
 そこから本当に運がいいって思える人生になりましたから。それまでは運命に波があったように思えます。  

 私の体験から推測しますと、人を責めない善人になる事が、運がいい人生になる一つの秘訣と言えるかと……。善人はモラルが高いので、どうしても心で人を責めちゃう所がありますから。私もかつてそうでしたし。

 多分そこ辺りが、あの人はいい人なのになぜ……という現象があった要因だったのではないかと…、そんな気が致します。人を責めない事でネガティブがほぼ全部なくなって、自然に善人が人生な幸せになれちゃうかもねっ♪


学びの共の体験談 
中国人Kさんのお話(時空を超越した神秘体験秘話です♪)
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 物質が柔らかく感じるという部分が、知花敏彦先生の宇宙即我を体験した後の体験ご講話とそっくりで興味深かったです。波動が極限レベルにまで高まると、硬い物質でも柔らかく感じて簡単に曲げれそうと思えるそうです。

 時空を超える究極の秘密がこの体験談で明らかに♪めっちゃんこ為になる超絶ミラクル神秘体験秘話でした。Kさんはきっと解脱出来るでありましょう。私も時間を割いて「明想」をしていこうと固く決意した次第です♪



 地球意識とも普通に会話できちゃう、異次元レベルの素晴らしい霊格をお持ちの方のブログです♪
 あまりに内容のレベルが高くて…頭がクラクラしました(笑)。
 ぜひ一度リンク先でご覧になって下さいね。


思いの制限を開く(マサコの部屋様の旧ブログです)

オマケ情報で~す♪
上江洲義秀先生も「明想が完璧」と絶賛された…という
究極の意識状態に到達された方の超高次元・波動上昇ブログです♪

 イエス様は「愛は天と地の架け橋」とおっしゃられました。その愛とは「許しの到達点」である「慈悲と愛」で御座います。

 真の意味で貴方が、その「許しの到達点」の境地に到達した時に、自ずと「天である神」と「地である貴方」との架け橋が繋がる事でありましょう。私は実体験からそれが実際にありえると確信しております。

愛は天と地の架け橋  この愛の理解と体得が神様と繋がる鍵♪

神・大愛(天)……全てを活かす愛・慈悲と愛・すべての形態を形作る力・意識を与えて下さった魂の根源・真の親・すべてを活かし育む力、縁の下の力持ちで全てを愛し慈しむ無償の愛・無限の愛・すべてに意識を与えて下さった天の父であり天の母である中性エネルギー・真の親・愛を表現する為に…無限の創造をなさっている慈悲と愛そのもの

神の表現体(地)……神が神を愛する為に生まれた存在・神の化身・愛の化身・神の表現体・神の中に創造された神・個別化した神としての自覚に覚醒めた我・滅私して神の道具意識を自覚している我・自分が神ご自身だと悟った我・愛を表現する為に生まれた事を自覚している我、全てを100%の愛で愛する我、自分と全てが神以外の何者でもない事を自覚している我

第六密度以上の高次元存在が語る
「許し」というものが、カルマの輪を止める事になるお話

★ コーリー : 多くの人々が現生のトラウマだけでなく、過去生のトラウマにも対処しているところなのです。

今、地球に生まれて来ている多くのライトワーカーは、援助の為により高次元や、上の密度から降りて来た人々です。

現生が初めての人でも、高次の美しい場所からここへやって来た人にとっては、ここでのトラウマは10倍酷(ひど)く感じられるものです。

そして、長期に亘(わた)って輪廻転生を繰り返して来た人の場合は、更に解消しなければいけない過去生のカルマが加わります。

しかし、ブルーエイヴィアンズから言われたのは、トラウマを特定し、自分にトラウマを与えた人や自分自身を許すこと、

そして、この”「許し」というものが、カルマの輪を止めることになるということです。カルマがなくなるんです。

これは、エネルギー的なものです。
カルマとは」負債を支払うようなものではなくて、
許してエネルギーを解放するもの」なんです。



カルマとは宿題・魂の課題・許しによって消滅♪
……………………………………………………… 
「許し」を心から実践=カルマの輪を止める=カルマがなくなる♪

自分にトラウマを与えた人や、自分自身を許す==
             ==魂の課題を克服=カルマが消滅♪

許す事によってエネルギーを開放=カルマの克服・解消に♪

ケイシーリーディングから…♪

全身全霊で「神を愛する」大切さ
「神を求める祈り」をする大事さのお話

 エドガーケイシーは、宗教生活についてそのもっとも美しい表現の中で、この事を次のように語っています。

あなたがたは心を尽くし、思いを尽くし、体を尽くして汝のなる
(大生命・内在の神)を愛し、隣人を汝の如く愛するのである。

このキリストの与えた言葉が法則の全てである。
それに優るものは存在しない

 主が約束されたように、あなた方は
来る日も来る日も明想し、「祈りゆく」うちに到来するあの目覚めによって、
主(宇宙生命)が自分の意識の中に留まられる事を知る事が出来る
神我が中にまします・父と子は常に一体)。

 あなた方はこの目的のために、
主が臨在し、その御霊(キリスト)があなた方の中に留まるあの意識を、
あの自覚を讃えるために生まれてきたのである。」

自我・偽我 =表現者、原因である父なる神を忘れている状態(放蕩息子の状態)神理を知らない状態・自分の力で生きていると思って迷っている状態、肉体の己を自分と思っている我、分離感・分離意識で個別化された表現を別個の存在と認識している我・分離意識・エゴ・肉の感化、五感の感化を真実と錯覚している我・迷いの影、幻、幻想(マイヤー)・自己保存、自我我欲の心


真の自己(真我)=父なる神と常に一体の境地・ワンネス意識・全一の意識・神我キリスト、全ては自分、全ては我、全ては神、全てを愛する我に目覚めた状態・宇宙生命によって生かされている事を自覚して実感している我・私が生きているのではない、なるほど一つの生命である神が生きていらっしゃる、全ての知恵と力は神から与えられている、神の中身は神、全ての全ては本質的には神、神のみが生きてらっしゃるんだなと悟った我・神一元・愛一元・光一元・我神なり、全ては神なり、全てに神を観る境地・神は生命(霊)なり、我も生命(霊)なりの自覚・宇宙即我、キリスト意識・高我・実在・全てを愛し全てを許す境地・慈悲と愛・あなた即私・私即あなた・宇宙エネルギー即自分・無限即我・不変不動の絶対なる実在・普遍なる宇宙・無限者・宇宙神

FC2版の広瀬すずちゃんの横顔になる方法の記事です♪
身長を伸ばす記事も追記してみました♪

直感力を高めるコツをご紹介♪まず他人に嘘をつくことを止めること。 そして『自分』にも嘘をつかないこと♪心に必要な栄養とは、素直さ、正直さ、無邪気さ、純粋さ……♪ 「自分にも他人にも決して嘘をつかない努力」♪ 宇宙連合の法則は「愛」だけ「対象となるものを育む力」♪宇宙神とは「最高の振動力と波動を持ち、破壊と創造をあわせ持ち、同時にあらゆる次元での発現力を持つエネルギー(宇宙生命)」「高い振動数の人」&「低い振動数の人」♪地球意識といとも簡単に会話出来ちゃう高い霊格の方のブログ「Masakoの部屋」様をご紹介♪



 地球意識とも普通に会話できちゃう、異次元レベルの素晴らしい霊格をお持ちの方のブログです♪
 あまりに内容のレベルが高くて…頭がクラクラしました(笑)。
 ぜひ一度リンク先でご覧になって下さいね。

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「高い振動数の人」&「低い振動数の人」
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オマケ情報で~す♪
上江洲義秀先生も「明想が完璧」と絶賛された…という
究極の意識状態に到達された方の超高次元・波動上昇ブログです♪



天使の言伝を読む  実践編(1)-嘘をつかないこと
から引用させていただきました♪心から感謝申し上げます。

~~初期にARIONが薦めていた「嘘をつかないこと」~~

直観力を高めるには、まず他人に嘘をつくことを止めること。
そして『自分』にも嘘をつかないこと。
何故「嘘」が必要なのか?と考えてみることだね。

方便と嘘は異なるのだけれど、日常生活の中で「良心」を持っていれば
何を言っていいか、悪いかくらいは分かると思う。
(91/04/15 00:45「ARIONよりあるふぁへ」)

『愛』は、隠したり嘘をついたりする環境では生きて行けない。
(91/04/18 19:24「ARIONより、全ての人へ」)

仕事の場合には「方便」としての心に無い言葉が必要であることも多く、
単に頑固に「嘘はつかない」ことを私も勧めている訳ではないんだよ。
(91/04/19 03:31「ARIONよりあるふぁへ」)

「頭」の中のゲームにしない唯一方法は、ただ一つ「身体」で識ることだね。
「見ること」を始めて、上達したら「見る」ものに名前を付けない練習をするのが
いいだろうね。

「見ること」の為に、一番初歩的なアプローチとして「自分にも他人にも嘘を
つかない」というのがあるけれど、あなたは興味があるだろうか?
(91/04/21 05:45「ARIONよりNOISEへ」)

「頭」で「本意」だと思っていても、本当に「心」からの「本意」でない場合には
「変だなあ」「変だなあ」と首を傾げながら、段々と不満が高じてくる。
「嘘」も「不本意」なこと何なの。

「嘘」を続けていると、知らず知らずの内に不満が溜まり、最終的には
身体の調子も優れなくなることが多い。

子供の時のように、元気一杯に飛びだしてゆく為には、「嘘」や「不本意」を
ため込まないことが秘訣だね。
(91/04/30 03:51「ARIONよりNOISEへ」)

(出典)
「アリオン世紀末書込み寺 壱の巻」 アーリオーン&北川恵子 南雲堂 1992年)

(注) 上記以外にもこの数ヶ月に嘘をつかないことを推奨する発言が多数見つかるが、
発言者各々からの承諾を得ての製本実現であったことを考慮し、書籍に掲載されてい
ないものはここにも引用しないこととした。


頭の絵と心の絵

 人間には頭で考える思考と胸で感じる心がある。頭で考える思考には、もととなる情報が必要だ。

 頭で考えられる思考は、大脳新皮質で既蓄の情報に照合され、餞別されたうえで、どの感情経路を通ってゆくかが決定される。すべての感情経路は心につながっている。

 人間の五感は、それぞれがすべて大脳に情報を送る。そして、それぞれの情報はそれぞれ感情経路を通って心に伝わってゆく。心は伝えられた情報にしたがって作動する。

 心の働きには、喜怒哀楽はもとよりのこと、いわゆる神的、霊的なことの関知の部分があって、これは大脳の中の松果体に直結している。

 心に伝えられた情報は、その人の心の容器の形、大きさや深さに対応した処理をほどこされる。

 そして処理された情報は、ふたたび大脳に送られ、その情報に見合った身体的な対応(表情や身体の動作など)がなされるわけだ。
 心の容器の形、大きさや深さは何で決まるか?

 心に必要な栄養の多い少ないによって決まる。
心に必要な栄養とは、素直さ、正直さ、無邪気さ、純粋さ……。

 大脳で処理される情報のすべてが心に伝わるのではない。現代の人間の大脳情報の傾向に、ますます心に伝わらない情報が多くなってきていることがあげられる。つまり頭だけでわかっている……という傾向だ。

 心をいったん通すことで、いわゆる良心の洗礼を受けるわけだが、洗礼を受けない情報が増えてきている。これは憂慮すべき問題だ。

 人間の機能のすべてに言えることだが、使わないと機能は落ちる。心も同様だ。なぜ心に伝わらない、否、伝えない情報が増えてきたのか?

 現代社会の情報横溢状態が、そのまま現代人の大脳の状態に反映しているからだ。現代人の大脳は情報過多で緻密な処理機能を果たせなくなってきている。

 一方、心の容器は大きく深くなったかと言うとまったく逆で、ほとんど退化の方向にきている。心は退化して容量が減っているのに対して、頭のほうは押し寄せる情報を片っぱしからつめ込み続けて処理を続けている状態、

処理された情報は心へと伝達されようにも伝達経路はパンク状態。受け入れ側の心も容量過多で処理機能はマヒ状態、となれば自然と頭の情報は心へと伝達されずに、頭の中だけで処理されてゆく。

 心を経由しない情報によって作動する表情には、次第にいわゆる良い意味での人間臭さが消えてゆく。この手順で大脳情報処理が行われれば行われるほど、無機的な表情の人間が増えて行くだろう。

これは進化でも何でもない。むしろ人間という種族にとって、非常に大切な部分が、つまり心が欠如してゆくことを叶えれば、退化と言うほかないだろう。

 では、なぜ心は進化しないで退化してしまったのか考えてみよう。
 前出したように、心に必要なのは、素直さ、正直さ、無邪気さ、純粋さであるのだが、現代文明の物質的繁栄のために人間はこれらの美徳を打ち捨ててきた。

 なぜ打ち捨ててきたかと言うと、これらの美徳は過当競争社会で勝ち残るには、かえって邪魔になるようなものだからだ。

 素直で正直で無邪気で純粋な人が、他人を蹴落として競争に勝ち残れるはずはない。そうして物質的な繁栄を手に入れるかわりに、心の栄養となる美徳を捨ててきた。をの結果、心は進化できずにどんどん退化してしまったわけだ。

 頭だけで処理される情報、心を経由しない、良心の洗礼を受けえない情報によって作られる表情や動作がいったい、どんな人間関係をもたらすのだろうか?

 良心の洗礼を受けないということは、平気な顔して自分にも他人にも嘘をつけるということだ。否、嘘であるか本当であるかさえもすでに問題ではないだろう。
 嘘をつくことに敏感なのは、まさに心そのものなのだから……。

 頭だけで処理された情報なのだから、その情報の対応する表情や動作にたとえ嘘があったとしても心が痛むはずもない。

 自分の心に背いても、自分の心に嘘をついても心は痛まない。他人に嘘をついても平気でいられるのは、こういう仕組みがあるからにほかならない。

 そして、頭だけで処理することが多くなればなるほど、心の機能は落ちてゆく。やがて表情だけでなく、表現動作すらも心を感じさせないものとなってゆく。

 愛とは心の問題だと誰でも知っている。しかし、知っているのは頭であって心のほうは知っているのだろうか? いったい、何人の人が心で愛を知っていると胸を張って言えるのだろうか?

 頭で知っている愛は、しょせん幻影でしかない。良心の洗礼を受けえない頭だけの愛は、いくつ嘘をついても誰も傷つけないし自分も傷つかない。

この愛は本当か嘘か?ということも判断できないので、外部情報に頼らざるをえない。
 人は心が退化したぶんだけ、外部情報に頼るようになった。こうしてますます、情報量が増えてゆく。悪循環の鎖はどんどん重くなってゆく。

 どこかで、この悪循環の鎖を断ち切らねば、人間は人間でなくなってしまう。心の無い人間は善悪の判断すら、外部情報に頼ることになるだろう。

 そして一番恐ろしいことは、この外部情報が一部の人間の手によって企画され、流されていることだ。

その人間たちが、地球を使い捨てにする考えを持っていたら、いったいどういうことになるかを考えてほしい。
 地球は生きている。これも頭でわかることでしかなくなってきている。

 自然は嘘をつかない、決してゴマカシたりしない。
 自然は嘘をつかない。しかし、生命体である人間だけは嘘をつく

 善悪判断のできる心を持っているのに、機能しない。
 何と悲しいことになったのだろうか?

 しかし、まだ手遅れではない。1993年までに全力を挙げて、本当のことを強く求めてほしい。できるだけ心に感じることを優先してほしい。

 「自分にも他人にも決して嘘をつかない努力」をしてほしい。
 それほど困難な問題ではないはずだ。困難だと思うとき、植物や動物、その他の生物が、嘘をついたりゴマカシで生きているかどうかを考えてほしい。同じ生物であるはずの人間にできないことはないはずだ。

 嘘をつかないで生きる、そしてできるだけ素直に正直に、純粋に無邪気に暮らせる社会を繕うと努力する……なるべく多くの人が実行する。
 この方法しか人間を自然にもどす方法はないだろう。

(出典)
「光よりの光、オリオンの神の座より来たりて伝える」 アーリオーン&北川恵子&神崎夢現著 南雲堂 1990年)

あなたの可能性とその方向性

 可能性とは宇宙にとっても個人にとっても、もっとも大切なものだと我々は信じている。
 可能性を奪うほど悪いことはない。地球上でも宇宙のあまたある発展途上の惑星上でも、自分の利益のために他人の命を奪う者がいる。

 また、他人の生命を奪うところまでいかなくとも、他人の可能性を奪う者は多いようだ。可能性の源泉は宇宙エネルギー体にある。
 個々の可能性の源はひとつなのだ。個人単位の可能性を伸ばせば宇宙全体の可能性も増す。

 源泉の可能性エネルギー蓄積量が増えれば、個人の受ける可能性エネルギーの絶対量も増す。
 逆に可能性をつぶすようなことをすると、宇宙の源泉の蓄積量も減る。
 ひいては個人の受けるべき可能性も減るのである。

 このように個人の可能性と宇宙の可能性は相互関係にあるということを、ぜひ知っておいてもらいたい。

 他人の可能性をつぶして自分の可能性の増大を図ろうとする人は、結局自分の可能性の取り分を減らすことになるのである。
 逆に他人の可能性を伸ばそうとする人は、結果的に自分の可能性をも伸ばすことになるのである。

 宇宙のエネルギーにはほとんど例外なく陰陽がある。陰の可能性エネルギーは物事の衰退、衰弱、破壊への可能性のエネルギーであり、陽の可能性エネルギーは物事の成育、成長、創造への可能性のエネルギーである。

 陰陽双方のエネルギーは、それぞれの活動によって増大したり減衰したりする。
 自分の可能性を信じる人は宇宙の可能性を信じる人であり、宇宙の理にかなっている。

 人々はよく「あれは、間違っている」とか「あの人の行動は間違っていない」とか口にするが、その判断基準はいったいどこにあるのか?

 人が人を裁くときに、いったいなにを基準にしているのか?考えてみてほしい。
 我々の判断基準は、宇宙連合の法則である。

 宇宙連合の法則は「愛」だけである。
「愛」は地球上では、いろいろの解釈がなされているようだが、
単純に言えば「対象となるものを育む力」と言える。
 つまり、創造性が含有されているかどうかが判断基準となるのである。

 非常に抽象的にとられやすい言葉ではあるが、あなたがたのいわゆる「直観」というもので理解するようにしてもらいたい。愛の枝葉末節については、別に話すこととする。

 我々は大体において「裁く」ことを避ける。「判断」はするが「裁く」ことはしない。それは、宇宙神と呼ばれる中枢のエネルギーの持つ特権だからだ。

 神霊たちでさえも裁かない。彼らは取り継ぎを行うが裁かない。彼らは宇宙の中枢エネルギーの力の一具現者であるが、エネルギーのすべてではないからだ。
 宇宙神とは何か?

 我々の知る範囲では
最高の振動力と波動を持ち、破壊と創造をあわせ持ち、同時にあらゆる次元での発現力を持つエネルギー(宇宙生命)」ということなのだ。
ありとあらゆる惑星で、人格化されてはいるが人格は持たない。

 宇宙神の力のひとつの具現者としての物体化はありえるが、力の一部がすべてではないことくらいは、一目瞭然だろう。

 地球上の人類は宇宙神に代わって裁くことが好きな様子だが、あなたがた「光の子」らは、裁くことはせずに「判断」して「裁き」は宇宙のエネルギー(無限の生命・大霊・創造主)に任せるべきだ。

 このことについて「人事を尽くして天命を待つ」という良い言いまわしがあるではないか? 人事、つまり人間のできる範囲で一生懸命やって、「裁き」は宇宙神に任せるのだ。

 「光の子」らは、間違っているとか間違っていないとか判断するときに、宇宙連合の法則の「愛」が、含まれているかいないかをしっかり識別しなくてはならない。
 識別した後に、裁くことをできるだけ避けなくてはならない。 

出典:「光よりの光、オリオンの神の座より来たりて伝える。」
 アーリオーン+北川恵子+神崎夢現 著 南雲堂 1990/12/06刊 p18~p21

空中楼閣は嘘なのか?

 自分でも気づかずに、小さな嘘をついていないか?
 いや、本当は気づいていても、気づかぬフリをしていないか?

 人は小さな嘘なら許されると思いこみたがる。例えば、自分をカッコよく見せたいためにとか、自分をちょっと強く見せたいために……とか、自分の行いを他人に正しいと認めてもらいたい……とかのときに、ちょっとくらい大袈裟に言っても許されるだろうと思う。

 自分の欲望のために、事実を湾曲して伝えることはすべて『嘘』だ。

 自分と自分の地位の象徴の一端である、家族・係累の保護のために事実を湾曲して他人に伝えようとする行為のもとに、何があるのだろうか?

 本当の自分をさらけだして見せることのできない人の、心の奥底に何がひそんでいるのだろうか? 他人に見せることのできない、隠しておきたいものが横たわっている。

 他人に見せることで、予想される他人のリアクションが、自分にとって不快なものである……と知っているものが隠されている。

 つまり本当の自分をさらけだして見せると、やはりロクなことがないだろうと値踏みしているわけで、この判断の基準になっているのは、自分自身の経験から割りだした、自分のモノサシなのだ。

 こういった人に自分をさらけだしてみせると、やはりロクなリアクションは返ってこない。彼ら自身がさらけだすことを、忌避しているからだ。

 自分自身を一番よく知っているのは、やはり自分自身だ。自分が他人とくらべて見劣りがすると思っていたり、自分のやっていることや言っていることが人道にもとると、

 心の中でひそかに思っていたりする人は、自分をさらけだすことが苦手なはずだ。なぜならば彼自身が、こういった自分を好きになれないからだ。

 さらけだすことで他人に列島評価を受ける、自分が損をするんじゃないか、他人にいじめられるんじゃないか、傷つけられるんじゃないか……と絶えず他人の瞳にうつる、自分自身の姿に気を使っている人。

 こういう人の傾向として被害妄想癖や固執癖、過剰防衛癖や所有欲の強さ、管理欲の強さなどがあげられる。自分自身は何も持っていない……これはよくないことだ、

と思っている人はやたら『持つこと、所有すること、独占すること』に拘泥する。そして持つこと、所有することを満たすためにいろいろと心を砕く(所有欲が強くなる)。

 嘘の思いや嘘の感情からは、嘘の表現しか出てこない。嘘の表現は嘘をイメージしたものの顕現化であり、この行為から導かれる現実は結局、嘘の喜びや嘘の愛情しか存在しないことになる。

 嘘をついてでも他人の評価を、自分の都合の良いように導きたいと思っている人は結局、空中楼閣を嘘という土壌に一生懸命建てようとしていることになる。こんな嘘の行為が、本当のものを見せてくれるわけがない。

 小さな嘘が難なく口を突いて出てくるようになると、嘘をついている自分すら本当かどうか自信を失ってしまう。病気も慢性化すると、以前ほどの苦しみや悲しみを感じなくなる。

 だからこそ光の子らよ、本当のことをさらけだして生きてもらいたいのだ。誰も自分のモノサシで測ろうとしなくなる日、多くの人々を罠から救えるのだ。

 モノサシで測れるようなものが、一番大切なものではないはずだ。むしろ測れない、見えない、触れないものこそ、一番大切なものなのだ。

 さらけだして生きて行くことが、どんなに楽で気持ちのよいことかを、自分の生活の中で生き方として見せる、これが真実の映し絵である事実を、ダイレクトに伝える方法なのだ。

 もう嘘はいらない、嘘の言葉や嘘の思いに満ちた、嘘の生活なんてイヤだと誰もが感じてほしい

。感じたら、まず一人一人の生活の中から嘘を見つけ出し、小さいものでもキチンと撲滅してゆきなさい。そして、嘘じゃなくて本当の土壌の上に、空中楼閣ではなく、本当の愛の楼閣を築いていってほしい。

(出典)
「光よりの光、オリオンの神の座より来たりて伝える」
アーリオーン&北川恵子&神崎夢現著 南雲堂 1990年)   p135-p138


「全ては神=我神なり」という真理♪

意識の進化=愛の拡大=分離意識の克服=
我は全体なり・全体我なり=全一体・自他一体=

全ては私=全ては一つ=全ては一つの存在の現われ=
宇宙は一つの生命体=全てに神(宇宙生命)が宿り給う=

宇宙は神一様=全ては神の中の存在する一つの存在=ワンネス
全ては永遠に一つの存在=全ては一つ=全ては私=全ては神

全ては今この瞬間しか存在しない=全ては永遠に一つの存在=
永遠の始まりである神の御心のみが実在=今即天=今即実在=

大愛・宇宙生命・神の一人子である神我キリストのみが実在=
全てはこの瞬間に存在する宇宙生命そのもの=全ては神そのもの=
全ては神ご自身=神一元・愛一元・光一元=宇宙即我=我神なり


調和=愛の法則そのもの=罪なきもの=完成=幸せな人生に
不調和=愛の法則を犯している=業・罪=カルマの精算が起きる

愛と赦し=調和=愛=幸せ・健康=完成=中性=完全=光人間
恨み・憎しみ・争い=不調和=罪=病・災難=不完全=闇人間

愛と赦し=カルマの消滅=神の祝福=幸せなツイてる人生に
許さない・恨み・嫉妬=カルマの刈り取り(不幸災難)な人生に

調和人間=愛が深い人=愛の光そのもの=克服者キリスト=完成
不調和人間=恨み・嫉妬・責任転嫁闇人間=罪人=未完成

調和=光明世界・愛の王国=愛・光・善=平安と安らぎ・至福感
不調和=無明世界・闇世界=未熟な愛=不安と恐怖・飢餓感・不足感

調和の人は熟した魂=自分を愛するが如く他人を愛します=ワンネス
不調和な人は未熟な魂=他人を責めて非難します=分離意識


 イエス様は「愛は天と地の架け橋」とおっしゃられました。その愛とは「許しの到達点」である「慈悲と愛」で御座います。

 真の意味で貴方が、その「許しの到達点」の境地に到達した時に、自ずと「天である神」と「地である貴方」との架け橋が繋がる事でありましょう。私は実体験からそれが実際にありえると確信しております。

愛は天と地の架け橋  この愛の理解と体得が神様と繋がる鍵♪

神・大愛(天)……全てを活かす愛・慈悲と愛・すべての形態を形作る力・意識を与えて下さった魂の根源・真の親・すべてを活かし育む力、縁の下の力持ちで全てを愛し慈しむ無償の愛・無限の愛・すべてに意識を与えて下さった天の父であり天の母である中性エネルギー・真の親・愛を表現する為に…無限の創造をなさっている慈悲と愛そのもの

神の表現体(地)……神が神を愛する為に生まれた存在・神の化身・愛の化身・神の表現体・神の中に創造された神・個別化した神としての自覚に覚醒めた我・滅私して神の道具意識を自覚している我・自分が神ご自身だと悟った我・愛を表現する為に生まれた事を自覚している我、全てを100%の愛で愛する我、自分と全てが神以外の何者でもない事を自覚している我

第六密度以上の高次元存在が語る
「許し」というものが、カルマの輪を止める事になるお話

★ コーリー : 多くの人々が現生のトラウマだけでなく、過去生のトラウマにも対処しているところなのです。

今、地球に生まれて来ている多くのライトワーカーは、援助の為により高次元や、上の密度から降りて来た人々です。

現生が初めての人でも、高次の美しい場所からここへやって来た人にとっては、ここでのトラウマは10倍酷(ひど)く感じられるものです。

そして、長期に亘(わた)って輪廻転生を繰り返して来た人の場合は、更に解消しなければいけない過去生のカルマが加わります。

しかし、ブルーエイヴィアンズから言われたのは、トラウマを特定し、自分にトラウマを与えた人や自分自身を許すこと、

そして、この”「許し」というものが、カルマの輪を止めることになるということです。カルマがなくなるんです。

これは、エネルギー的なものです。
カルマとは」負債を支払うようなものではなくて、
許してエネルギーを解放するもの」なんです。



カルマとは宿題・魂の課題・許しによって消滅♪
……………………………………………………… 
「許し」を心から実践=カルマの輪を止める=カルマがなくなる♪

自分にトラウマを与えた人や、自分自身を許す==
             ==魂の課題を克服=カルマが消滅♪

許す事によってエネルギーを開放=カルマの克服・解消に♪

ケイシーリーディングから…♪

全身全霊で「神を愛する」大切さ
「神を求める祈り」をする大事さのお話

 エドガーケイシーは、宗教生活についてそのもっとも美しい表現の中で、この事を次のように語っています。

あなたがたは心を尽くし、思いを尽くし、体を尽くして汝のなる
(大生命・内在の神)を愛し、隣人を汝の如く愛するのである。

このキリストの与えた言葉が法則の全てである。
それに優るものは存在しない

 主が約束されたように、あなた方は
来る日も来る日も明想し、「祈りゆく」うちに到来するあの目覚めによって、
主(宇宙生命)が自分の意識の中に留まられる事を知る事が出来る
神我が中にまします・父と子は常に一体)。

 あなた方はこの目的のために、
主が臨在し、その御霊(キリスト)があなた方の中に留まるあの意識を、
あの自覚を讃えるために生まれてきたのである。」

自我・偽我 =表現者、原因である父なる神を忘れている状態(放蕩息子の状態)神理を知らない状態・自分の力で生きていると思って迷っている状態、肉体の己を自分と思っている我、分離感・分離意識で個別化された表現を別個の存在と認識している我・分離意識・エゴ・肉の感化、五感の感化を真実と錯覚している我・迷いの影、幻、幻想(マイヤー)・自己保存、自我我欲の心


真の自己(真我)=父なる神と常に一体の境地・ワンネス意識・全一の意識・神我キリスト、全ては自分、全ては我、全ては神、全てを愛する我に目覚めた状態・宇宙生命によって生かされている事を自覚して実感している我・私が生きているのではない、なるほど一つの生命である神が生きていらっしゃる、全ての知恵と力は神から与えられている、神の中身は神、全ての全ては本質的には神、神のみが生きてらっしゃるんだなと悟った我・神一元・愛一元・光一元・我神なり、全ては神なり、全てに神を観る境地・神は生命(霊)なり、我も生命(霊)なりの自覚・宇宙即我、キリスト意識・高我・実在・全てを愛し全てを許す境地・慈悲と愛・あなた即私・私即あなた・宇宙エネルギー即自分・無限即我・不変不動の絶対なる実在・普遍なる宇宙・無限者・宇宙神

FC2版の広瀬すずちゃんの横顔になる方法の記事です♪
身長を伸ばす記事も追記してみました♪

「神への全託」の実体験・覚醒秘話♪「神の道具意識」の詳しい説明話♪「私」とは「意識を持っている神の道具」♪「私という神の道具を通して、神の御業が顕現なされた事に感謝致します」♪「すべて」は「みんなの物」であり「すべて」は「神の物」♪全ては神のもの♪『パパラギ』 立風書房 刊 エーリッヒ・ショイルマン 著♪

引用させて頂きました。心から感謝申し上げます。感謝感謝♪



「神への全託」の実体験秘話
「神の道具意識」の詳しい説明話

知花先生も「全託なくして悟りなし」とおっしゃられました。
神への全託」とは文字通り「自分のすべてを神に捧げる事」です。

間違った自我の解釈によって「生贄」とかの習慣になってしまった事もあるようです。

そうではなくて、「真我」の正しい解釈では、自分のなしたことは全て神の御業であり、全てが神のお陰であり、私を通して偉大なる神がお働きになられているだけなのだ…という真理の深い理解の境地に達した後に、「全てが神の御業」だと自然に思えるようになります。

 自分の御業は何もない…私の全ての全ての成し遂げた事は「神のもの」であり「神の御業」ですから、私の全てを神にお返し致します。という…そういった境地だと言えましょう。

 実は私、もうとっくに「神への全託」はしておりまして、自分の御業は何もございません…と、このブログで成し遂げた事も全て「神の御業」で御座います…と「全ての全て」を神にお返し致します……と「神にすべてを全託」して神に返納しております。

 私の体を通して何か善行をなしたとしても、それはもう全ての全てが神の御業なんです。神が私を通してお働きになられているだけなのです。
 
 何か良いことをしたとしても、「神様が私を通してお働きになられた」のであって、ありがたい…「私という神の道具を通して、神の御業が顕現なされた事に感謝致します。」なんです。

 だから本当に、「神への全託」してしまったら、「神様、有難うございます」しかなくなります。
 私とは「神の道具」にしか過ぎませんから…、自分が無い…「無我の境地」とは言いますけれども、意外とこれは、「神の道具意識」とも言えるのかもしれませんね。

 わかりやすく申し上げますと…そういう境地だと言えましょう

 逆の視点からいえば、仮に、道具がいきなり自分がやった、これは自分が良い事を書いたんだ…とか主張しだしたらこれは大変ですね(笑)。これがいわゆる「盗みの罪」というものです。「神の御業」を「自分の御業」だと言っているわけですから。

 ちなみに間違った事をした時は「自我・偽我」が出てしまったと即座反省するとよいでしょう。

正しい行い」「善行」「愛と調和」「慈悲と愛」は全て「神の御業」、
「間違った行い」「不調和」は、「自我・偽我」が出てしまったという解釈で大丈夫です。

 私はずっとこの解釈で上手くいっていますから、バッチグー(笑)
でモウマンタイ(無問題)です☆彡♪

 真実、実相においては、自分(三次元的な自己)はないと…、
」とは「意識を持っている神の道具」なのだ…という感じの理解で捉えて頂ければ、宜しいかと思います。
全てが神の御業」これが「真理」で御座いますから。

 何も考えない…とか、脳が空っぽとか…そんな観念的なものではなくて、このように突き詰めて分析的に真理を追求していきますと、観えてくるものも御座います。

 私の真理のアプローチは、徹底的に…客観的に…論理的に、合理的見識を持って分析し、色々な覚者方の教えを融合して、自分の中で「真理の捉え方・理解度」を昇華していくスタイルです。

 神を真摯に求めるお祈りが通じて神様、守護霊様、守護神様、天上界の方々、等々のサポートも頂いたのも間違いないと確信しております。

 お風呂に入っている時に気づきの天啓を頂いたり、寝起きの朝の時に、真理の進んだ考えが脳裏に浮かんだり…とか、リラックスしている時に頂く事が多いようです。

 そういう体験が山程あるのです。そういった小さな積み重ねによって、ここまでの境地に至ってますから、有り難い限りですね。

 自分の力だけでは…到底、ここまでの深い真理の理解にまで到達することは不可能だったでしょうから…、だからこそ、本当に「神様有難うございます」…しかないのです。

 真理の正しい理解が進みますと、全ての全てが神のお陰であり、神の御業なのだ…という意識状態になります。

 他にも…自分をサポートをして下さった高次の存在(守護霊様・守護神様等)の方々にも有難うございます…の想いで満たされ、心が…意識が…神への感謝で満ち溢れている状態に自然と変容してまいります。

 私は自分にあった修行法を追求して、ここまで到達致しました。「真理の理解」によってであります。私が、何回も何回も「真理の理解」が大事ですよ…と書くのは、こういった背景があるからなのです。

 こういった経緯を経て、現在の「愛一元」という高い意識状態になり、「神の愛に満ち溢れた意識状態」に変容致しました。お陰様で、軽く覚醒している感じではあります。ありがたい事です♪

 こういってはあれですが、実際ここまで奥深いことポンポン書けちゃうようになると、大概の人は調子に乗ってしまい、自分がここまで成長できたんだ…とか、いい事を書いている自分は偉いんだ…とか、自分は他の人間より優れたグルのようになった…とか、の慢心に陥りがちになる部分は否めません。

 「真理の理解」が浅いと、「浅い部分」が「弱点」となって、宇宙法則に沿った正しい意識状態にまで至れない部分が出てきてしまうからです。
 この弱点を克服する為には、どうしても奥深い「真理の理解」が必須になってきます。

 宇宙法則に沿った、「真理に完全に合致」した正しい「真理の思考」が自然にできるようになる位にまで「真理の理解」が深くならないと、「真の謙虚」の意識状態になるのはなかなか難しいのではないかな…と。

 「真の謙虚」の意識状態になって初めて、「全てが神の御業」と自然に思える様になれる訳ですから。

 自分の体を通して、どんな偉大なる御業が顕現なされても、「神への感謝」になり、慢心に陥る事無く対処できるようになり、「神様ありがとうございます」しか出なくなります。

 そういった意味でも、私は「全てが神の御業」だと、魂の奥深いレベルで理解していますから、幸いにして調子に乗らずにいられます。

 神様は素晴らしいなぁ…なんて神様は素晴らしい叡智をお持ちなんだろう…って、結構他人事みたいな(笑)、自分が行っているのではないと…深く理解していますから、自然と「真の謙虚の境地」でいられるのです。

 神様からしても、ちょっと使ってあげると、すぐに天狗になったり、有頂天になって増長マンになるような危なっかしい人間…「浅い理解の人間」を神の道具として使うのは、危なくてしょうがないだろうなぁ…って。

 そういった意味でも、私みたいに高いレベルにまで「真理の理解」が至った人間は、どんどん叡智を授けても「神様有難うございます」で、天狗になりませんから、神様も安心してお使い下さるんだろうなぁ…って、そんな理解でございます。

 実際に神様が、「貴方」を神の道具として使ってみて、この者は天狗にもならず、謙虚で感謝の意識状態を維持できる本物だと…神の道具としてふさわしい信頼できる者だと…。

 そのように神に認められた時に、「真の覚醒」が許される…と、「覚醒」とは、意外とそんな感じなのかもしれませんね。実際に引き上げて下さるのはどこまでも神様ですから。

 実体験から「神への全託」「神の道具意識」を語ってみましたがいかがだったでしょうか?

 皆様の真理の深い理解・魂の覚醒の一助にして頂ければ、それが私にとって至上の喜びであり、神が一番お喜びになられる事だと申し上げつつ、記事を拝読して下さった皆様への感謝と共に、今回のご説明を終わらせて頂きます。ご拝読ありがとうございましたm(_ _)m♪


オマケ情報で~す♪
上江洲義秀先生も「明想が完璧」と絶賛された…という
究極の意識状態に到達された方の超高次元・波動上昇ブログです♪


『パパラギ』 立風書房 刊
エーリッヒ・ショイルマン 著

全ては神のもの

ポリネシア西サモアのウボル島ティアペ村の酋長ツイアビは、利発で穏やかな親切そうな大男。
願いがかなってヨーロッパの国々を回り、サモアの人々にパパラギ(白人)のことを知らせようとした。

しかし酋長ツイアビは、彼の先祖が西洋文明を迎え入れたことを後悔し、西洋文明を軽蔑するに至る。
酋長ツイアビは、西洋文明に何を見たのか。

鋭く冷静な、先入観に捕らわれない観察力。
酋長ツイアビはあらゆるものの真理を見抜いていく。
「君たちは、我々に光を持って来ると言うが、本当は違う。
君たちは我々を暗闇に引き込もうとしている。」

「パパラギ」とは「白人」のこと、見知らぬ人のこと
でも 言葉どおりに訳せば、天を破って現れた人

はじめてサモアに来た白人の宣教師が、白い帆舟(ほぶね)に乗っていた
遠くに浮かぶ白い帆船(ほぶね)を見て、島の人たちは それを天の穴だと思った
白人がその穴を通って彼らの所へやって来た  ――パパラギは天を破って現れた

パパラギ(白人)は一種特別な、そして最高にこんがらがった考え方をする。

彼はいつでも、どうしたら或るものが自分の役に立つか、そしてどうしたらそれが自分の権利になるかと考える。
それもたいてい、只一人だけのためであり、みんなのためではない。
この一人というのは、自分自身のことである。

もし、ある男がこう言うとする。
「ボクの頭はボクのもので、ボク以外の誰の物でもない。」
それはそうなのだ。
確かにそのとおりだ。

それについて誰も文句を言える者はない。
手の持ち主以上に、その手の権利を持っている者はない。
ここまでならパパラギは正しいと思う。

だがその先、ハパラギはこうも言う。
「このヤシはボクの物だ。」

何故かというと、ヤシがそのパパラギの小屋の前に生えているから。
まるでヤシの木を、自分で生やしでもしたかのように。
ヤシは、決して誰の物でもない。
決してそうではない。

ヤシは、大地から私たちに向かって差し伸べたもうた神の手だ。
神はたくさんの手を持っておられる。
どの木も、どの花も、どの草も、海も空も、空の雲も、すべてこれらは神の手である。

私たちにはその手を握って喜ぶことは許される。
だがしかし、こう言ってはならない。
「神の手はボクの手だ」

しかしパパラギはそう言うのだ。

私たちの言葉に「ラウ」というのがある。
「私の」という意味であり、同様に「あなたの」という意味でもある。
二つはほとんど一つであり、同じ意味である。

だがパバラギの言葉には、この「私の」と「あなたの」以上に、違いの大きな言葉はほとんどない。

「私の」とは、ただ私一人、私だけの物である。
「あなたの」とは、ただあなた一人、あなただけの物である。

それゆえパパラギは、自分の小屋の範囲にある物を、全てボクの物だと言う。
誰もそれには権利がないと言う。
彼の他、誰も。

もしあなたがパパラギの所へ行き、何かそこに有るものを見るとすれば、それが果物だろうと、木だろうと、水だろうと、森だろうと、たとえひと塊りの土だろうといつも誰かがそばに立っていて言う。
「これはボクの物だ。気をつけろ、ボクの物に手を出すな。」

にもかかわらずあなたが手に取ろうものなら、彼はわめき、あなたを泥棒と呼ぶ。
これは非常に不名誉な言葉なのだが、ただあなたが隣人の「私の物」にちょっとさわってみただけで、こんな呼び方をされてしまう。

彼の友だちや、大酋長の家来たちが急いでやって来て、あなたを鎖につなぎ、ファーレ・プイプイ(刑務所・牢屋)に入れてしまう。
そしてあなたはもう一生のあいだ爪はじきにされる。

そこで、ある人が「これはボクの物だ」と宣言した物に、ほかの人が手を出さないよう、これは誰の物、これはそうでは無い、ということが特別の掟によってきっちりと決められている。

そのうえヨーロッパには、誰もこの掟を破らないよう、専門に見張りをしている人たちがいる。

この人たちは、パパラギの物が、何ひとつ取られてしまわないように見張っている。
それはパパラギが、よそから自分で取ってきた物だが。

パパラギはこうする事によって、神の財産を、神から永遠に譲り受けたという権利を、まるで自分が手に入れているかの様に見せ掛ける。
ヤシも木も花も、海も空も、そして空ゆく雲も、本当に自分の物になったかの様に。

パパラギが、自分のたくさんの「ボクの物」の為に掟(おきて)を作り、番人を持たねばならないのは、「ボクの物」をほんの少ししか持っていない人たち、あるいは全く持っていない人たちが、彼の「ボクの物」を持って行ったりしないようにする為でもある。

それというのも、たくさん自分の物にする人がたくさんいるとすれば、何も持っていない人もまた、たくさんいるということだ。

「ボクの物」がたくさん集まってくる魔法や交ないを、誰もが知っている訳ではないし、「ボクの物」を集めるのは、一種特別の勇気がいることだ。

私たちが名誉と呼ぶもの、それと必ずしも手をつないでいなくても良いという勇気。
そんな、とんでもない勇気をパパラギは持っている。

神様を困らせたり、神様の物を取り上げたりしたくない為、自分ではほとんど何も持っていない人もいる。

こういう人たちは、パパラギの中では一番いい人だと言ってもいいだろう。
けれどもそういう人は、確かに、そうはいない。

たいていの者は、恥ずかしげもなく神の物を盗んでいる。
他にすることを知らないのだ。

何か悪いことをしているのだという気は、ほとんど全く無いようだ。
みんながそうしているし、全く気にはしていないし、誰も恥ずかしいとは思わないからである。

父親からたくさんの「ボクの物」をもらって生まれてくる人も多い。
とにかく、パパラギの神様はもうほとんど何も持っていない。
人間がみんな盗んでしまって、ボクの物とあなたの物とに分けてしまった。

みんなの物と定めて造りたもうた太陽を、神はもう、みんなに平等に分ける事ができない。

みんながみんな、人よりたくさんの太陽を要求するからである。
大きくてきれいな日当たりに、ほんの少しの人が日なたぼっこをしているかと思うと、たくさんの人が日陰で哀れな日射しをあびている。

パパラギの神様はもはや、その大いなる住処(すみか)の最高のアリイ・シリ(支配者)ではなくなり、もはや本当の喜びを失ってしまわれた。

パパラギはこう言うことによって、神を否定する。
「みんな、ボクの物だ。」
けれどもパパラギは、色んなことをいっぱい考えているにもかかわらず、遥(はる)かな事については何も考えない。

それどころか、自分のしている事を、立派で正しいと言い切る。
だがそれは、神の前では立派でも無く、正しくも無い。

もしパパラギが正しく考えるなら、彼にだって解るはずだ、
しっかり持てないものは誰の物でも無い、という事が。

そして、しっかりと持てる物など、元々何も有りはしないということが。
そしてさらに、神がその大いなる住処(すみか)を造りたもうたのは、みんながそこに喜びの地を持つ為だという事を、もしパパラギが理解してくれたら。

大いなる住処(すみか)は充分に大きく、誰にでも日だまりと小さな喜びがあり、そしてどの人にも小さなヤシの木の薮(やぶ)と、足を乗せて立つ土地が確かにあるはずだ。
それが神の心であり、神の定めたもうた事でもある。

神がどうしてその子どもの一人でもお忘れになろうか。
所が実際には、何とたくさんの人々が、神様に用意していただいたはずの小さな場所を探し求めている事か。

パパラギが、神の言い付けを聞かず、自分たちの掟(おきて)を作ったので、神はパパラギの財産にたくさんの敵を送られた。

パパラギの「ボクの物」を打ち壊す為に、湿気と熱を送られた。
パパラギの物は、やがて古び、ぼろぼろになり、腐って行く。

神は、彼らの財宝に襲い掛からせる為に、火に大きな力を与えた。
そして嵐にも。

だが、中でも重く神が定めたもうたのは、パパラギの心の中に恐怖を植え付けた事である。
取ってきた物を無くしはしまいか、という不安。

パパラギは決して深く眠った事がない。
昼間に集めてきた物を夜のあいだに持って行かれないよう、目覚めていなければならないから。

彼はいつでも、どこでも自分の「ボクの物」に苦労をさせられ、気を遣わねばならない。

あらゆる「ボクの物」はパパラギを悩ませ、あざ笑ってこう言う。
「あなたはボクを神様から盗んだ。だからボクはあなたを悩ませ、うんと苦しめてやる。」

だが神は、恐怖よりもっとずっと悪い罰をパパラギに与えた。
神はパパラギに、「ボクの物」をほんの少し、あるいは全く持っていない人と、たくさん持っている人との間に戦いを与えた。

この戦いは、激しくつらく、夜も昼もない。
この戦いは万人を苦しめる。
万人の生きる喜びを噛みくだく。

持てる者は与えねばならぬのに、やろうとはしない。
持たない者が神の戦士であることもめったにない。

彼らは、ただ少し遅く来すぎて掠奪(りゃくだつ)に間に合わなかったか、それとも少し運が悪かったか、機会が無かっただけなのだ。

神様が掠奪されてすってんてんになられた事は、一番分け前の少なかった人なら覚えている。
そして、神の手に、もう一度全てを返そうではないかという、正しい人の声はほとんど聞かれない。

おお、兄弟たちよ、こんな人間をどう思うか。
サモアの一つの村なら村人全部が入れる程の大きな小屋を持ちながら、旅人にたった一夜の宿も貸さない人。

こんな人間をどう思うか。
手にバナナの房を持ちながら、すぐ目の前の飢えた男に乞われても、ただの一本も分けてやろうとしない人。

私にはあなたたちの目に怒り、唇には軽蔑の色の浮かぶのが見える。
そうなのだ、これがいつでもパパラギのする事なのだ。

たとえ百枚のむしろを持っていても、持たない者に一枚もやろうとはしない。
それどころか、その人がむしろを持っていない、と言って非難したり、むしろが無いのを、持たない人のせいにしたりする。

たとえ小屋の天井(てんじょう)の一番高い所まで、あふれるほどの食物があり、彼とアイガ(家族)が一年食べても食べ切れない程でも、食べるに物無く、飢えて青ざめた人を探しに行こうとはしない。
しかもたくさんのパバラギが飢えて青ざめて、そこにいるのに。

熟したヤシは、自然に葉を落とし実を落とす。
パパラギは、葉も実も落とすまいとするヤシの木のように生きている。

「これはボクの物だ!取っちゃいけない!食べちゃいけない!」
どうすれば、ヤシは新しい実を結ぶか。
ヤシはパパラギよりもずっと賢い。

私たちの中にも、ほかの人よりたくさん物を持つ人はたくさんいるし、たくさんのむしろや豚を持っている酋長に、私たちは敬意を払う。

だがこの敬意は、酋長一人に向けられているものであり、むしろや豚が尊ばれているのではない。

何故ならそれは、私たちの喜びを示し、酋長の勇気と知恵を称えるために、私たちがアローファ(贈り物)として彼に贈った物だから。

だがパパラギは、その兄弟のむしろや豚の数を称える。
勇気や知恵はどうでもよい。
むしろや豚を持たない者は、ほんの少ししか、あるいは全く尊敬してはもらえない。

むしろや豚は、自分で貧しい人々、飢えた人たちの所へ歩いては行けないし、パパラギもまた、それを自分の兄弟たちに分けてやろうとは思わない。

何故なら、パパラギが尊敬しているのはその兄弟たちではなく、めいめいが持っているむしろや豚の数なのだから、どうしてもそれを手放す訳にはいかない。

もしパパラギがその兄弟たちを愛し尊び、そして「ボクの物」、「あなたの物」の取り合いで戦う事をしないなら、兄弟たちの所へ自分のむしろを運んで行き、みんなで自分たちの大きな「ボクの物」を分け合うはずである。

兄弟たちを暗い夜の闇の中へ突き出すかわりに、自分のむしろを分け合うだろう。

しかし、パパラギには解っていない。
神が私たちに、ヤシや、バナナや、おいしいタロ芋、森の全ての鳥、そして海の全ての魚を与えたもうた事が。

そして私たちみんながそれを喜び、幸せにならねばならない事が。

それは、決して私たちの中のわずかな人間だけを幸せにして、他の人々を貧しさに悩ませ、乏しさに苦しめる為のものではない。

神からたくさんの物をもらえば、兄弟にも分けてやらねばならない。
そうでないと、物は手の中で腐ってしまう。

何故なら神のたくさんの手は、すべての人間に向かって伸びており、誰か一人が他の者とは不釣り合いにたくさんの物を持つのは、決して神の心では無い。

さらに、誰か一人がこう言うのも神の心では無い。
「ボクは日なたにいる。あなたは日陰に行け。」
私たちみんなが、日なたに行くべきである。

神が正しいその手の中で、全ての物を支えておられるかぎり、戦いも無ければ苦しみも無い。

狡猾(こうかつ)なパパラギは、こう言って私たちまでだまそうとする。
「神様の物なんて何も無い。あなたが手でつかんだものは、あなたの物だ。」

そのような愚かな言葉に耳を貸すまい。
正しい知恵に耳を傾けよう。

全ては神の物」だ。

『パパラギ』 立風書房 刊、エーリッヒ・ショイルマン 著

エーリッヒ・ショイルマン 注―――

私たちの所有概念に対するツイアビの軽蔑的な言葉は、サモアの原住民が、完全な共有財産制のもとで生活しているという事実を知った人になら、十分理解できるにちがいない。
そこには事実、我々が使う意味での「私の」「あなたの」という概念はない。
私のどの旅行の時も、原住民は当然の事として、私に宿を、寝むしろを、食事を、そして全ての物を私と分け合ってくれた。

そして私はよく、酋長の最初のあいさつとして次のような言葉を受けた。
「私の物は、あなたの物。」

盗むという概念も、島民のあいだには縁遠いものである。

すべて」は「みんなの物」であり、
すべて」は「神の物」である。
 

「全ては神=我神なり」という真理♪

意識の進化=愛の拡大=分離意識の克服=
我は全体なり・全体我なり=全一体・自他一体=

全ては私=全ては一つ=全ては一つの存在の現われ=
宇宙は一つの生命体=全てに神(宇宙生命)が宿り給う=

宇宙は神一様=全ては神の中の存在する一つの存在=ワンネス
全ては永遠に一つの存在=全ては一つ=全ては私=全ては神

全ては今この瞬間しか存在しない=全ては永遠に一つの存在=
永遠の始まりである神の御心のみが実在=今即天=今即実在=

大愛・宇宙生命・神の一人子である神我キリストのみが実在=
全てはこの瞬間に存在する宇宙生命そのもの=全ては神そのもの=
全ては神ご自身=神一元・愛一元・光一元=宇宙即我=我神なり


調和=愛の法則そのもの=罪なきもの=完成=幸せな人生に
不調和=愛の法則を犯している=業・罪=カルマの精算が起きる

愛と赦し=調和=愛=幸せ・健康=完成=中性=完全=光人間
恨み・憎しみ・争い=不調和=罪=病・災難=不完全=闇人間

愛と赦し=カルマの消滅=神の祝福=幸せなツイてる人生に
許さない・恨み・嫉妬=カルマの刈り取り(不幸災難)な人生に

調和人間=愛が深い人=愛の光そのもの=克服者キリスト=完成
不調和人間=恨み・嫉妬・責任転嫁闇人間=罪人=未完成

調和=光明世界・愛の王国=愛・光・善=平安と安らぎ・至福感
不調和=無明世界・闇世界=未熟な愛=不安と恐怖・飢餓感・不足感

調和の人は熟した魂=自分を愛するが如く他人を愛します=ワンネス
不調和な人は未熟な魂=他人を責めて非難します=分離意識


 イエス様は「愛は天と地の架け橋」とおっしゃられました。その愛とは「許しの到達点」である「慈悲と愛」で御座います。

 真の意味で貴方が、その「許しの到達点」の境地に到達した時に、自ずと「天である神」と「地である貴方」との架け橋が繋がる事でありましょう。私は実体験からそれが実際にありえると確信しております。


愛は天と地の架け橋  この愛の理解と体得が神様と繋がる鍵♪

神・大愛(天)……全てを活かす愛・慈悲と愛・すべての形態を形作る力・意識を与えて下さった魂の根源・真の親・すべてを活かし育む力、縁の下の力持ちで全てを愛し慈しむ無償の愛・無限の愛・すべてに意識を与えて下さった天の父であり天の母である中性エネルギー・真の親・愛を表現する為に…無限の創造をなさっている慈悲と愛そのもの

神の表現体(地)……神が神を愛する為に生まれた存在・神の化身・愛の化身・神の表現体・神の中に創造された神・個別化した神としての自覚に覚醒めた我・滅私して神の道具意識を自覚している我・自分が神ご自身だと悟った我・愛を表現する為に生まれた事を自覚している我、全てを100%の愛で愛する我、自分と全てが神以外の何者でもない事を自覚している我


第六密度以上の高次元存在が語る
「許し」というものが、カルマの輪を止める事になるお話

★ コーリー : 多くの人々が現生のトラウマだけでなく、過去生のトラウマにも対処しているところなのです。

今、地球に生まれて来ている多くのライトワーカーは、援助の為により高次元や、上の密度から降りて来た人々です。

現生が初めての人でも、高次の美しい場所からここへやって来た人にとっては、ここでのトラウマは10倍酷(ひど)く感じられるものです。

そして、長期に亘(わた)って輪廻転生を繰り返して来た人の場合は、更に解消しなければいけない過去生のカルマが加わります。

しかし、ブルーエイヴィアンズから言われたのは、トラウマを特定し、自分にトラウマを与えた人や自分自身を許すこと、

そして、この”「許し」というものが、カルマの輪を止めることになるということです。カルマがなくなるんです。

これは、エネルギー的なものです。
カルマとは」負債を支払うようなものではなくて、
許してエネルギーを解放するもの」なんです。



カルマとは宿題・魂の課題・許しによって消滅♪
……………………………………………………… 
「許し」を心から実践=カルマの輪を止める=カルマがなくなる♪

自分にトラウマを与えた人や、自分自身を許す==
             ==魂の課題を克服=カルマが消滅♪

許す事によってエネルギーを開放=カルマの克服・解消に♪


ケイシーリーディングから…♪

全身全霊で「神を愛する」大切さ
「神を求める祈り」をする大事さのお話

 エドガーケイシーは、宗教生活についてそのもっとも美しい表現の中で、この事を次のように語っています。

あなたがたは心を尽くし、思いを尽くし、体を尽くして汝のなる
(大生命・内在の神)を愛し、隣人を汝の如く愛するのである。

このキリストの与えた言葉が法則の全てである。
それに優るものは存在しない

 主が約束されたように、あなた方は
来る日も来る日も明想し、「祈りゆく」うちに到来するあの目覚めによって、
主(宇宙生命)が自分の意識の中に留まられる事を知る事が出来る
神我が中にまします・父と子は常に一体)。

 あなた方はこの目的のために、
主が臨在し、その御霊(キリスト)があなた方の中に留まるあの意識を、
あの自覚を讃えるために生まれてきたのである。」

自我・偽我 =表現者、原因である父なる神を忘れている状態(放蕩息子の状態)神理を知らない状態・自分の力で生きていると思って迷っている状態、肉体の己を自分と思っている我、分離感・分離意識で個別化された表現を別個の存在と認識している我・分離意識・エゴ・肉の感化、五感の感化を真実と錯覚している我・迷いの影、幻、幻想(マイヤー)・自己保存、自我我欲の心


真の自己(真我)=父なる神と常に一体の境地・ワンネス意識・全一の意識・神我キリスト、全ては自分、全ては我、全ては神、全てを愛する我に目覚めた状態・宇宙生命によって生かされている事を自覚して実感している我・私が生きているのではない、なるほど一つの生命である神が生きていらっしゃる、全ての知恵と力は神から与えられている、神の中身は神、全ての全ては本質的には神、神のみが生きてらっしゃるんだなと悟った我・神一元・愛一元・光一元・我神なり、全ては神なり、全てに神を観る境地・神は生命(霊)なり、我も生命(霊)なりの自覚・宇宙即我、キリスト意識・高我・実在・全てを愛し全てを許す境地・慈悲と愛・あなた即私・私即あなた・宇宙エネルギー即自分・無限即我・不変不動の絶対なる実在・普遍なる宇宙・無限者・宇宙神

FC2版の広瀬すずちゃんの横顔になる方法の記事です♪
身長を伸ばす記事も追記してみました♪

外側に神を創り上げたとき、我々は神であることをやめた♪人類と宇宙の進化の一大プロジェクトの総指揮・宇宙の大存在、宇宙のアーキテクト・であるフィリップさん♪地球での日々のドラマをJOYに満ちたものにすることが新王中の兄弟・姉妹たちの仲間入りの条件♪宇宙を乗りこなす喜び・総まとめ記事♪


「宇宙を乗りこなす喜び」
     の総まとめ記事をご紹介♪

 今回は「宇宙を乗りこなす喜び」の総まとめ記事になります。原本が相当にレアな本ですので、かなりお得な内容となっております。
 見られてラッキーみたいな♪

「zeraniumの掲示板様」がリニューアル
される前の時の記事のまとめになります。

 フィリップさんのお話は、真理に精通されている方も納得の「あなた方は霊」「光の実在」「あなたの本質は神」という内容もあり、大変素晴らしくて本質をついておりますね。

 知花先生や上江洲義秀先生・バーソロミューさん等々をご存じの方でしたら、悟りの話でもしてるんじゃないの(笑)…っていうようなお話ですが……。

 分離意識の克服をして、「全てが神」「全知全能の神…我が中にまします」「我神なり」「父なる神と常に一体」の境地に到達する事が、いわゆる地球からの高度な惑星に移行できる「解脱・悟り」の条件だというドクターピープルズ(高次元の存在)のお話も御座います。

 実のところ真理というものは、永遠に変わらないものですから、バシャールさん等とある程度同じような内容になるのは…ある意味、これが真理だという裏付けになるのではないでしょうか。

 真理に覚醒めて、今回の「宇宙の大存在・フィリップさん」のお話を再拝見した訳ですが、昔見た時と違って、これまた手にとるように理解できまして、自身の真理の理解力の成長に、驚きと共に大変嬉しい思いになりました。

 何年か前に見た時は、ふわふわしたスピリチュアルのような感覚で捉えていた感じでして、それは未熟な理解であるが故の印象だったのですが…、改めて見たら、まさか…ここまで奥深い最高の真理の内容だったなんて…っていう、そんな感じです。

 お釈迦様の手のひらで踊らされている悟空が、自分がお釈迦様ご自身だと気づいた…みたいな♪

 分離意識を克服した時に、「自分が神ご自身」であり、「永遠に神と一つ」であった…と、それに気づいて、自分が本来持っている宇宙力を、存分に発揮できるようになった時に、フィリップさんのいう「真の自由」を得られるのかもしれませんね。

 ただそこまで簡単という事ではなくて、それなりの努力は必要でありまして、
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 「洗心の習得」「全てを許し全てを愛する境地」
「宇宙の因果律を理解する」「全てが神・全てが私」
「真理(宇宙法則)を潜在意識に染み込ませるぐらい理解する」
「慈悲と愛は宇宙真理」「愛と調和」「無限の赦しの体得」
「笑顔と感謝」「身口意を正す」「無条件の愛の理解」
「神への深い愛・神への連続的感謝の意識状態」
「神を求める真我の祈りの実践」「肉食を止める」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
等々を完全に理解して、体得できた時に、”神我一体”の境地に自然に到達出来ることでありましょう。

 私もそれなりに修行を体系化して実践して、自分自身の中で消化してきましたので、ここまでの境地に到達出来ております。

 このブログで、ある意味…私の魂の成長日記みたいなブログではありますが、沢山の方々が短期間で魂が大きく飛躍できますように…と、ボランティアスピリットで頑張って、色々と地球最高の奥義(真理)を余す所無く記載しております。

 Androidの「Pocket」というアプリを使えば、オフラインで記事を見られるようですし、いいまとめ記事をどんどん保存して頂いてご観覧頂いて、皆様が「永遠の至福」の人生に到達する踏み台として…お使い頂ければ、私としては至上の喜びで御座います。

 

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肉食の問題点の素晴らしい記事♪(黄金時代様)
http://deeksha777.blog88.fc2.com/blog-entry-356.html

人類と宇宙の進化の一大プロジェクトの総指揮・宇宙の大存在、宇宙のアーキテクト・であるフィリップさんが語る宇宙法則

外側に神を創り上げたとき、我々は神であることをやめた

 あなた方はみな生物的な実在であり、生理学的肉体を持っています。
 同時にあなた方は「霊」であり、つまり「光の実在」でもあります。「霊」であり、「光」であるということは、あなた方は「神の火花」でもあります。

 あなた方は本来、「存在の大本なる神」から生まれ、愛されて存在させられるに至った神のスパーク・光です。

 つまり「あなた方の本質」は「神」であり、「神の火花」なのです。その神の火花・スパークが肉体の中で生きようとしているのが、あなた方一人ひとりであり、それぞれがユニークに設計された、「個性豊かな火花」なのです。

 あなたは自分というユニークな火花を持って肉体に住むことにしました。
 それは胎内に懐妊したとき、あるいは誕生のとき、また肉体が誕生して数年後にそうすることもあり、こうして肉体に神の火花としてのあなたがかぶさり、自分を表現するための媒体として肉体を持つようになりました。

 肉体に住むようになったあなたはそこへ自分を移し変え、肉体と一体となり、必ずしも肉体を乗っ取ったわけではないのですが、肉体を通して表現し、体験を通して生きるようになりました。

 「あなたの本質」は「」であり、「神の火花(神の化身・表現者としての神)」です。
 もしあなたが自分以外のところに自分の力のよりどころ、頼るべき何らかの神を置くとき、あなたは自らの「内なる神の火花(内在の神)」を外在化させたのです。

 それがどのような理由でそうすることになったかに関わりなく、あなたの人格がこうした神や仏、救い主を外在化するようになると、いわゆるサブパーソナリティ(隠れた意識)というものがつくられます。

 それは潜在意識とも呼ばれることがありますが、私たちはそう呼んでおり、そうした一つの人格があることを強調するためです。

 あなた方の地球ではみんながしていることですが、あなたは自分が神であることを信じなくなった瞬間に、自分の内なる神の火花を外在化したのです。

 つまり何らかの神や仏や救い主を信じたり、拝んだりするようになった瞬間に、あなたは神であることをやめたのです。多くの人々は自分の外に何らかの唯一の神や仏や救い主を崇拝し、奉仕し、仕えるような宗教や哲学の下に生まれ、あるいは選択しました。

 そして実際にそうした信仰体系だけであっても、すでに自分の内なる神の火花を外に置くとき、もはや神は自分という生物的存在にではなく、別のところに存在すると言っているのです。

 こうしてあなた方は小さい時分から、自分は実は神であるということを放棄するのです。こうした本来の自分を放棄して生きる生き方のもう一つの方法は、責任を持たないということで行なわれます。

 つまり、自分の人生は(偶然の賜物なので)自分の責任の及ぶところではないと信じることにより、(外側のどこかに存在する神から一方的に与えられる運命を受け取るだけの)、肉体の知的感覚だけで生きようとすることです。

 本来の内なる神の火花を完全に外在化することはできませんが、あなた方はその「ふり」をします。このようにしてあなたの肉体は神を宿しながらも、神は外に存在するもので、自分は別個に存在しているふりをする生物体となります。

 こうしてあなたという生物体は、一連の状況と行動、反応、ニューロンの神経伝達によって単独で動くようになり、そうした情緒的状況が生み出す神経伝達と、単なる行動の塊りであるだけの生物的なサブパーソナリティ(副次的人格)を生み出します。

 そのパーソナリティの形態は、あなたの生物的反応と「神の本質」とをかけ合わせたものから作られます。

 ほとんどの人は一つだけでなく、複数のサブパーソナリティを持ってそれを作動させています。そして実は、こうしたいくつもの「仲介者」がいるために、あなたは分裂し、生物体としての本来のあるべき神としてのパワーを機能させることができません。

 ですからこうした複数の「仲介者」をうまくこなし、あるいは取り込み、変容させることによって生物体としての機能をフルに始動させ、「本来の姿」である「神として機能(神我顕現・神との合一)」できるように学ばなくてはなりません。

 これこそが「自分という本来の神」を「内在化」させることであり、あなたという神を歓迎することで、それはいわば新たなる家、城としての肉体に自らを城主として迎え入れ、肉体を自分の王国とすることによってのみ果たし得ることなのです。

 ですからあなたが自分自身を嫌い、肉体を嫌い、そのゆえに問題を抱え、そうした自分の部分を受け入れることなく切り捨てていくたびに、当然、そうした凱旋(がいせん)の道のりは遠のいていきます。文字通りそれは、自分の部分を外へ外へと、どんどん遠くへ追いやっていくのです。

 誰でも、自分に対して何らかの審判をくだし、決め付けをし、批判するとき、より強固なサブパーソナリティを作り出していきます。自分が自らの好きではない何らかの部分を追い出し、締め出すとき、あなたは本来の神の本質である火花をどんどん遠くへ追いやっているのです。

 誰でも自分の嫌いな陰の部分を持っています。同時にとても素敵なのに、気にも留めないような部分もあります。他人と比較して何か変だと思っていたり、自分では受け入れられないものを批判します。

 それが何であれ、あなたが自分の現実から好きではないものを拒否するとき、それは外在化され、それがフィードバックとなっていき、そうやってあなたはそこに新たな神を作るのです。

 たとえば、あなたの内には膨大な怒りがあるとします。
 しかし怒りっぽいのは問題だと考え、社会的にも受け入れられにくいものなので、何とか抑圧するようになります。

 その結果あなたは、怒りはよくない、怒るのはよくない、敵意を持ってはいけない、暴力はいけない、それらはまずいことでいけないことだと思います。そしてそれらを抑圧し、否認するようになります。

 しかし否認するものは何であれ外在化するようになり、そして同時にそれは、あなた自身から遠くへ追いやっているあなた自身なのです。

 すると怒った自己は神の火花と同じところに押しやられるので、怒りの性格を自分自身の神の火花に与えてあなたは怒りの神となります。そしてあなたは、「神は怒っている」と捉えるようになるのです。

 そうなると、こうしたサブパーソナリティがあなたの人生を動かすようになります。
 それはあなた自身の怒りであり、神の本質を否認することで作り出されたサブパーソナリティですが、それはあなた自身でもあります。それは無条件であるために、何であれあなたではないものでもすべてを丸ごと受け入れ、生命を与えます。

 さてこうして、とても怒ったサブパーソナリティがあなたに備わりました。
 抑圧や否認に陥るときは必ず、否認という行為自体があなたが否認しているものに生命を与え、あなたの外在神へと押しやることになります。それを抑圧しようとすると、受け入れて手放すよりもはるかにもっと多くの問題が起きるのはそのためです。

 否認して外在化されたとしてもすべての部分には神の火花の生命があります。つまり抑圧されるものは必ず跳ね返ってくるわけで、それはいつか必ず表面化し、直面しなければならないのです。これは自分の進化においては避けられないことなのです。

 あなたが何かに対して恐れを抱いているとします。
 しかしその恐れがどこから生じているかに向き合うことなく、普段そうした感情を無視し「怖れてなんかいない」、あるいは「そんな部分は見たくないし、考えたくない」と思います。

 そうするとあなたはそうしたサブパーソナリティを持つことになります。それがあなたの人生を支配するようになるという意味は、あなたがその恐れの原因に向き合って手放すまで、その恐れは繰り返しあなたの人生に立ち現れてくるのです。

 あなた方の社会や文化には、受け入れにくい、あるいはふさわしくないという理由だけで多くのことがらが抑圧されており、隠すように教えられていることがたくさん存在します。

 それはさまざまな行為だけでなく、人々の性格にまで適用されています。しかし抑圧され、否定・否認しようとするものはどんなことでも、外在化された神に付け加えられ、いつか必ず向き合わねばならないパーソナリティの部分となっていきます。

 いつもビクビクして、怖くて仕方がないという人がいますが、そのゆえに彼らは実は怖れる人、怒りの人であり、おそらく人生のどこかで怖れや怒りを否定してきたと思われます。自分の一部を否定すれば、それは外在化されます。

 すると機能しないサブパーソナリティが形成され、今度はそれを通して人生を見るようになるので怖くて仕方がなくなるのです。
 しかし自己覚醒の道を、本来の自分の持つ力というエンパワーメントの道を歩み始めると、こうした人は「怒っている自分」に気づくでしょう。

 エンパワメントとは、自分本来が持つ神の力を取り戻すことですが、すでに手放してしまっているものをどうやって取り戻せるのでしょうか。しかし実は手放したのではなく、自分は神ではないからと、外在化したさまざまな神を作り出して脇に置いただけなのです。

 しかしそうしたサブパーソナリティは実に緊密に、あなたの肉体と霊とに重なっているので、あなたが否定し見たくないものを迂回することをよく心得ています。あなたは自分が神であることを恐れたので、神の本質を外在化させたのです。

 霊は肉体に宿りますが、閉じ込められているわけではありません。
 「あなた」という「神の火花(神の表現体・神の化身)」は、肉体ができる前に存在している、体が朽ちても存在する霊なのです。それは自由自在に望むところどこにでもいける神の本質です。

 あなたという霊は肉体に宿り、それを通してすべてを体験したいと決心したので肉体に入ったのに、あなたはそうした自分のすべてを受け入れようとはしません。

 自分という本質(真我・我神なりの自覚)を全面的に受け入れようとはせず、否認した部分は外へと追いやり外在化したままです。その結果、肉体全体が反応して、分裂してサブパーソナリティができるのです。

 あなたは、「それなら簡単だ。本来の神であればいいし、本来の自分になって何も外在化させなければいいんだ」と言うでしょう。

 ただ理解してほしいことは、あなたをコントロールしているものはすべてそれぞれが、あなたのサブパーソナリティを通してあなたのコントロールをしているという事実です。

 つまりあなた方はみな、実はたくさんの神を崇拝しているのです。そうして分散化させ外在化している神を、あなたは今引き戻そうというわけです。

 あなた方の多くが幼児期から、(キリスト教的・仏教的な)唯一神を信仰する宗教や哲学的な信念を教えられてきました。それによって神や仏を(自分の外側にあるものとして)外在化させたことから、いわゆるサブパーソナリティ(隠れた意識)が作られました。

 そして外在化された人々みんなの神や仏は混ぜ合わされて、(外側に存在する)一つの神となっています。この惑星の大多数の人々が、いかなる宗教や信念にかかわらず一つの神を信じています。

 この神というものの人々の持つ信念という集合意識こそが、私たちが言うところのゲシュタルト、いわば一つの世界、一つの大きな枠組みとなってあなた方にかぶさっているのです。


意識的決意をした人々は「次元上昇」する

 あなた方の惑星は集団的次元上昇の準備をしています。そしてこれは、これまで遙か昔から長く計画されてきたシナリオでもあるのです。

 あなた方の歴史における多くの逸話や予言の多くが、この惑星で起きる集合的次元上昇のことを語っています。

 これはあなた方の多くが何世代にもわたって、分裂の終焉を希求してきたために起きているのです。そこには、完結させて全体となり、もう家に帰るのだというやむにやまれぬ内なる願望があります。

 かつて十分な数のあなた方が同じフィーリングを感じた時、いわゆる臨界点が設けられました。つまり、あなた方は地球上で、永劫の昔からやってきたゲームをもうやめたい! という声を上げているのです。

 臨界点はまた、宇宙においてドミノ効果も生み出しました。
 それは幾世代かの魂たちを目覚めさせており、そのことで彼らの分離もなくなっていきます。

 また彼らは、自分たちの子孫ともいうべきあなた方子どものことを知りたいと望んでおり、宇宙史上初めてここにやって来るための動きを起こしています。

 彼らは、分離状態をもう終わらせたいというあなた方の願いに気づいており、その呼びかけに応えているのです。

 そしてあなた方の望みは、彼らが全部並んであなた方の次元に入って来られるような一つの窓口を、自空間に創り出したのです。あなた方はここから出て行き、一方宇宙からここへ入って入ってくる彼らと意識のなかで出会うのです。

 そしてこの集合的次元上昇は、あなた方が存在するようになって以来ずっと続いてきたこの分離を、宇宙からなくするために行なわれる合流の副産物でもあります。

Q、 物理的側面では、集合的次元上昇はどのように起きていくのですか?

 ここでは、「意識的に次元上昇したいという意図を持つあなた」である必要があります。つまり意識的にそうした理想として形成されていないものは何であれ、それはできないということを理解してください。

 十分な数の人々が次元上昇を信じ、それを事実として抱きかかえるようになることは容易なことではないでしょう。さまざまな場所で一人ずつがそうしていくなかで、他の多くの人も次第に合流していくような枠組みが出来上がっていきます。

 基本的に集団的次元上昇は、「出産」のプロセスです。
 地上において十分な数のあなた方が臨界点に達すると、バイブレーション(振動)が変化し、あなた方の多くが次元上昇するでしょう。

 次元上昇して地球から出ると、あなた方は後ろ手に地球を引っ張るようになります。私たちはいま、あなた方がイメーシを持ちやすいようにこうした表現を用いています。

 あなた方は、「では、次の火曜日の12時にそれをやりましょう」とお互いに知らせ合ったりはしません。そのバイブレーションは突然ピークに達し、ただそのようになるだけなのです。

 あなた方の多くがその前線に立つでしょうが、すべては上昇します。
 つまりあなた方の中で最もバイブレーションの強い人が先頭に立ちますが、そうしたことに序列はなく、十分な数のあなた方が地球を後ろ手に引っ張るのに十分な速度をつけることでしょう。

 そのとき、惑星上でさまざまな機能の役割を果たしている多くの人々のなかに、周囲から突然消えてしまう人々がいるでしょう。周囲の人々は一体何が起きているのか理解できないでしょうが、集団的次元上昇の時には忽然と消えていく人たちがすべてを引っ張るのです。

 すると、瞬(まばた)きの瞬間にすべてが変わります。
 上昇し始めると、あなた方が合流していく他の魂たちが地平線に現れ始め、あなたとぶつかり、そうしてあなた方は自らの喜びに押し戻されて内なる分離は終わります。

 「あなた方は神」であり、「創造者」となるのです。こうした出来事は頻繁に起きるものではなく、あなた方の惑星はその準備をしており、あなた方の多くが今回の人生における肉体でそれを体験するでしょう。

Q、 あなたの視点から、アセンション(次元上昇)がどのように起こるのかはわかりましたが、アセンションという表現はたとえば雲の中に引き上げられるといったような(キリスト教的な)、独特のイメージを与える言葉ですね。

 私たちは「肉体を一緒に持っていく」という表現のほうを好みます。
 あなたの言うように、「アセンション」という言葉には問題を感じているので、そういう言い方をするのです。

 この表現にはいろいろな含みがあり、そうした手垢(てあか)がアセンション自体を邪魔することになりかねないものを取り込む可能性があります。上昇とは単に登ることであり、梯子を上るように一点から別の点へと動いて上がっていくことを指します。

 アセンション(次元上昇)とはバイブレーション(振動)であり、誰もが自分の持つ振動(バイブレーション)で、行ける限りの上昇をするわけですが、あなた方はこの三次元という物質世界に入ってからというもの、実は継続して上昇してきているのも事実です。

 それが成長というものであり、一つの進化からさらに次へと上ってきているのです。そして同時にあなた方の肉体のバイブレーションもシフトしています。

 それはとても自然なプロセスなのですが、地球の人々は次元上昇(アセンション)を自分の能力を超えた特別なもののように捉える傾向があります。実際に、一つの次元上昇を終えた人のことをアセンディッドマスターと呼ぶようですが、彼らの多くは実はあなた方とそれほど違うわけではありません。

 しかし多くの人々は、彼らは自分たちよりも優れていて、彼らの足元にも及ばないとか、彼らこそ壮大な光と情報の源であるなどと思っています。しかしそうではなく、事実は彼らがあなた方と差が生まれるような振動をしたというだけのことなのです。

 また多くの人々は一つの次元上昇をした彼らを、自分たちが行き着ける最高の次元だと思っているようですがそれも違います。アセンディッドマスターたちの多くの者もまた、彼らが望む限りさらなる次元上昇の途上にあるわけです。

 自らのいまいる次元をさらに超えて上昇を続けるものもいますが、それをせずそのまま動かず留まっている者もいます。つまり進化していないのです。そうした彼らはその理由から宇宙の広大さを見られずにいるわけで、それはあなた方がここで不自由だと感じているのと同じことなのです。

 なかにはその振動のゆえに広範囲まで見えるものもいますが、それは単にそれだけのことで、より優れているからではありません。ただ彼らはどうやって振動を上げるかを知っています。それは知識から、光から、そして自分という存在を愛することから生まれてくるものです。彼らはこの惑星を離れたときに、自分の振動を上げてこの次元との振動差をつくり出したのです。

 地上には、次元上昇のプロセスに乗ろうという意識的決意をした人々がたくさんいるので、次元上昇が起きれば、あなたの隣で大した意識もなしに一緒にアセンションする人々がいます。

 それはあなたからしてみれば、彼らは大して霊的でもなけれ知的でもなく、次元上昇しようとも思っておらず、そもそも次元上昇の意味すら知らないのです。しかし彼らは心が開かれており、それが彼らの振動数をシフトさせるために共に次元上昇してしまうのです。

 次元上昇(アセンション)というものに対する偏った思い込みのために、多くの人たちが自分のエゴを満たしてくれるような劇的なアセンションを待ち望んでいます。一方で、なかには恐怖心から次元上昇を求めていますが、むしろそのために肉体を上昇させられない状況を作り出している人もいます。

 そんなようなことはあり得ないと受け止めている人々もいます。そのことを信じている人であっても、自分はアセンションする価値がある、自分のやってきたことは間違ってはいなかったという証拠を得たいがために、アセンションしたいと思っている人々も多いのです。つまり多くの人々が次元上昇をすることで、自分の正しさというエゴを証明しようとしているのです。

Q、 次元上昇のプロセスを始動させるために、科学的視点から見るときに肉体にはどんなことが起きているのですか?

 次元上昇するためには、地球にあるすべての振動とは異なる別の振動へと分子構造を変えなければなりません。そのためには、DNAを含めたすべての肉体的遺伝子構造を完全に再構築し、光の速度で動くように教えなければなりません。

 つまりあなた方は、肉体にまったく新しい細胞構造を組み立てようとしているのです。三次元の濃密な分子構造から抜け出て、新たなホログラムの光の原理を構築しようとしているわけです。

 あなた方は地上でのリアリティに集中しているので、非肉体的な部分の自分に注意を払うことはありませんが、しかし実際には見えない肉体の部分のあなたこそが、いわゆる光の存在の部分なのです。

 それがあなたの心臓の鼓動を生じさせ、肺を機能させ、その他の臓器を意識的に考えることなく活動させている知性体です。

 存在の光は毎瞬毎瞬、あなたの肉体を創造し続けている心臓の裏側に座っています。細胞は、このホログラムの光の刻印によって創られて成長します。

 その進化とともにあなたの光の肉体(ライトボディ)も変化してゆき、肉体の分子構造を構成する新たな細胞のホログラムパターンも変わっていきます。

 あなた方の多くは現在、自らの存在のなかに愛を抱えるようになっているゆえに、膨大な量の光をもたらすようになっています。そうした中で新たなホログラムの刻印(インプリント)を創り出すと、肉体の細胞がその刻印どおりに形成されていきます。

 このようにしてあなた方はいま、新たな光の原理によって創り変えられています。そうした未来の肉体は、膨大な量の霊を抱えられるようになります。なぜならそうした肉体は、愛と生きる喜びによってだけ支えられる光の原理によって創られているからです。

 「喜び」という振動数においては、思考は光となっていきます。
 つまりアセンションのプロセスとは、絶え間ない膨大な量の喜びと同じものなのです。あなたの肉体がこうした強烈な喜びをどこまで抱えられるかによって、その成功を計ることができます。それが今のあなた方のゴールであり、多くの人々が次元上昇を望む理由でもあります。

我々に唯一必要なことは、「楽しく生きることを学ぶこと!」

 この地球という惑星は、この子宮を突き破って向こう側へ生まれ出るために十分な「突き」が必要です。そのとき同時にあなた方の根源意識は閉じられ、あなた方もこの惑星も、この地球という子宮内にあるすべてのものはたった一つの細胞に還元されて時空に押しやられ、そうして新たな宇宙へと生まれ出るのです。

 しかし唯一の問題は、その中核細胞であるあなた方が「生きたい」と思っていないことなのです。なぜなら今この地上には、生命を愛し、生きたいという意欲を持つ者がほとんどいなくなっているからなのです。

 この惑星には生きようという意思がないのです。ほとんどの人々は退屈していて希望がありません。この「誕生」という次元上昇のチャンスを死産に終わらせないためには、「生きたい」という意欲と生命への強い愛が必要なのです。

 その細胞にはありとあらゆる可能性や、考えたことはあっても一度も実行したことのないものなど、これまで存在したすべての事柄が詰まっているというのに、それは死にたいと思っている。あなた方には生きたいという意思がないのです。

 そんな状態では子宮から出ても萎(しぼ)んで、死産に終わってしまうでしょう。それを何とか生きよう!という気にさせなくてはなりません。愉快に人生を楽しみ、生きることにワクワクし、奇跡を見出して素晴らしさにキラキラ輝いて!

 自己価値ホルモンがまだない状態で、生命を愛する、自分を愛するというのは少々難しい話かもしれません。いま、あなた方の体にはそれがありません。それをつくるには、まずそれを望まなければなりません。あなた方のDNAは、梯子(はしご)がねじれたような二重螺旋(らせん)になっています。

 あなたが生命を愛し、自分自身を愛し、満足できようになるためには二本から三本の三重の螺旋が合わさることが必要です。螺旋が三本あって始めて、自己価値や愛が生まれてくるのです。さらには肉体に生命を吹き込まなくてはならず、そうすればあなたが肉体を離れて墓に入ってもそれは生き続けるのです。

 それでこのホルモン、つまり三番目のDNAの螺旋はあなたの肉体には与えられていないのです。なぜなら、生きたい! と自ら思えるようになるまではそれがあっても残酷というものでしょうから。つまりそれは、あなたが自分自身を十分に愛することができるようになったとき、自分で大きく育てるようになっているのです。

 いまあなた方は、その螺旋の横木を育てています。
 が生命ホルモンをあなたの体に注入することです。生命ホルモンは、あなたの好きなものや嫌いなもののすべてを成長させます。特に罪悪感は極限まで膨らみ、そのまま放置しておくとネガティブなものとなって肥大化していくでしょう。

 でもあなたが自分のことが大好きで、今の自分のありのままを全面的に受け止めることができるならば、ポジティブなものもまた、さらに肥大化していきます。つまり自分が関心を向けるものが育っていくのです。

 罪悪感の問題がクリアできれば、遺伝学的には千年かかることを、種は短期間でやってのけられるでしょう。しかし罪悪感をそのまま放置すると、あなたの肉体が神を宿せるようになるまでに1万年から2万年の進化を経なければならないのです。

 次元上昇という誕生、そして今クローン中のこの惑星についても同じことが言えます。
 あなたはどちらで生きるかを選択しなくてはなりません。あなた方の体が細胞のクローンを作るとき、クローン細胞はもとの細胞ほど健康ではありません。

 その理由はあなた方が十分な光を入れないからです。宇宙では自らのクローンを作る際には、密度が高すぎて重過ぎる余分なものは脱ぎ捨てます。

 宇宙におけるクローンの過程では、新しいものは古いものよりも常により大きく、より明るく、より美しいのです。それが宇宙のはたらきです。そしてあなた方は意識的に、自分はどちらの核に乗っていくのかを選択しなければなりません。

 この惑星はまだ分裂せず、しばらくは安定しています。
  そのときにあなたは二者選択をするのです。密度の濃い恐れと痛み、辛さとストレスなどの古い世界にこれまでのように留まるのか、あるいはそこから抜け出して新たな星に生まれ出るのかを。誕生を引き起こすためにはその両方が必要です。密度が濃い部分はそうでない部分の錨(いかり)としての役目を果たし、発射台となります。全員が出て行くのですが、どこまで行くかを決めるのは自らの意思です。

 この誕生、シフトの臨界量をもたらすためには、ほんの一握りの人々が必要なだけです。しかしその少数の人々は、情熱的で、熱烈に喜びと生命を望む人でなければなりません。そうでないならば次にこのチャンスがやって来るまで、一体どれほどの長い間待たなくてはならないことでしょう。あなた方の多くはもう十分にウンザリしているのです! 

 この誕生という次元上昇に向けて突き抜ける旅は、かつてなくエキサイティングな体験となることでしょう! 私にとってはこれが3度目の誕生ですが、宇宙でこれほど楽しいことは他にはなく、しかもめったに起きるものではないことだけは保証します。そのためならどんな犠牲も払うだけの価値があるものなのです。

 宇宙的にはそれがビッグバンであり、新たな宇宙の誕生であり、35万年の後ろにゼロが百万個つくような頻度でしか起こらないことなのです。そのうち死産に終わらずにうまくいくのは、10回に1回だけです。

 今回のチャンスを逃すと、また長いこと待たなくてはなりません。
 いま、生きることを楽しむこと、ワクワクする気持ちで生きることを学ばないと、再び永遠とも思えるほどの長い間それを学んでいくことになるでしょう!

  それは少し冗談だとしても、この計画は「事実」です。あなたが「するべきこと」、それは楽しく生きることを学ぶことです。それだけでいいのです。そんな簡単なことでいいの? と思うかもしれませんが、これほど難しいことはないのです。

 さて、私は少しばかり歳をとっていますが、何度も何度も誕生を繰り返しているので若いともいえます。宇宙において考えつく限りのことはすべてやってきましたが、誕生のプロセスに勝るものは他に何一つありません。宇宙にはさまざまな存在(エンティティ)がおり、あなた方はその一種です。


 それは実にたくさんの種であり、それはあなた方が考える地球外生命体の兄弟たちのことだけではなく、外貌ばかりか、機能も物理的原理も大きく異なるのです。私はそれらの兄弟たちのすべてに「顔」を持っています。

 そうした経験はそれぞれが素晴らしく楽しい、すてきな時間でした。そうした若い神、中間の神、そして古代の退屈した神々のことであり、あなた方の言葉では神としか呼びようがないので神と呼んでいますが、神々にもまたそれぞれ異なる種があり、私はそのすべてを体験しました。

 「宇宙」では「神々は一つに合わさる」のです。
 私はさまざまな意識のレベルに合一したことがありますが、それは何よりも素晴らしく、実に凄いことなのです! あなたとあなたの知識体のすべてをもって「他と合一する」という体験、それは完全なる「分かち合い」であり、それに勝る充足感は他にはありません。

 そして次元上昇という誕生のそのときには、他からやってくる数千万、数億のものたちとエネルギーが重なり合うわけですから、それはとうてい理解の及びようがないほど素晴らしいことなのです。

 ほとんどの人はまだ、次元上昇という誕生を体験したことがありません。
 体験者は今回のを新たな誕生として、進化を促進するように心がけてください。誕生こそが何にもましてスリルある体験であることは保証しますが、それに比肩するものは他にはないのです。

 いまこうして話しているレベルの私と、同時にこの惑星という子宮の外にある私の本体とがあり、本体は遙かに大きくここには入れないので、よって私は物語やたとえで語ります。自分のことを説明するのにはそれが一番簡単な方法なのです。・・・。

 ・・・。外にいる私の仕事はと言えば、その時が来たら帰郷のバスに乗る契約がある人たちの面倒を見るということです。契約は、何があろうともあなたが故郷に戻ることを保証するものです。あなた方の多くは小さいころからそのことに気づいており、今度こそは宇宙の家に帰ることを知っていたはずです。あなた方がこの星にやって来たのは、楽しみそして生を目いっぱい生きるためでした。そのことが何よりも、美しい新たな宇宙の誕生のために必要な生気をもたらすのです。

 私の仕事はすべてのタイミングを計りつつ、総指揮をとることです。
 私はここで子宮という地球内外の動きをこれまでもフォローしてきました。そして私はここでも多くの「顔」を持ち、すでに8万5000回の輪廻を繰り返し、これまでに960のの化身を次元上昇させてきました。

 それは実に素晴らしいことでしたが、そうした私の顔のさまざまな側面のなかには、あなた方もそうであるように、すっかりおかしくなってしまったものもありましたが、それらを愛する気持ちは同じです。またとても美しく、複雑で重要な部分である「顔」もあります。これはあっちで1人、こっちで2人というようなものではなく、みんながかかわっている一大実験なのです。

 あなた方の世界には遠い遙かな昔から先生がおり、彼らの主な仕事はあなたが「自分自身を愛する」こと、「自分の存在を知る」ように教えることでした。あなた方多くの人々は自由意志というものを理解してはいません。あなたがこの地球という子宮の内に抱えられているうちは、もし死にたいと思っても永遠に死ぬことはできません。

  ですからあなた方に与えられる最大の自由意志とは、生きるか否かということであり、それが自由意志と無条件の愛の究極的行為です。それは自己選択なのです。これまでにもあなた方の世界には多くの先生が存在しましたが、メッセージはただ一つ、それが「(私という)自己をありのままに愛せよ」、「私(自己)は在る」、「私(自己)は存在する」ということであったのです。


 さて、あなた方はたくさんのゴミから創られた存在だと見ることもできるわけですが、そうすればあなた方が自分のことを好きではないというのも説明できるというわけです。なぜならあなた方が教えられてきたことのゆえに、あなた方はその始まりからして拒否されたもの、カスそのものなわけですから。でもあなた方が自分のことを好きなら、それは素晴らしいことです。

 なぜならカスやゴミの自分がゴミの自分を好きになるというのですから、それは大目に見てもすごいことだといわざるを得ません。このようにいまも多くの人々は、自分たちが長い間いる多くの神々よりも、もっと創造的な存在であることを知らずにいるのです。


安全を期待する限り人生を愛することは決してない

 もしあなたが傷つくことがあるとしたら、それは唯一、誰かかがあなたの思うように行動してくれず、思い通りに愛してくれないという時にだけそうなります。

 それ以外傷つきようがないのです。ですからもし自分の思うような反応をしてもらえず、しかも自分の望むような愛しかたを望んでいるのなら、あなたは愛と喜びの歪みを作り出していることになります。

 そうしたあなたの歪みは、あなたの持つ歪んだ愛のイメージから出てきます。ですから怒りとは、そうした愛や喜びから切り離されたことから生じてきており、そのゆえにあなたはその怒りの原因を誰か他の人間のせいにするのです。

 つまり、もし彼らがあなたの思う通りのやり方で反応してくれていれば、自分はたった今喜びと愛を感じられたはずなのに、彼らがそうしなかったのであなたは彼らによって喜びから切り離されて怒っているというわけです。

 実は怒りとは喜びの一部なのです。つまり喜びの欠如が怒りであり、あなたは自分の思うようなやり方で誰かから愛して欲しいから、それが他人によって与えられないことで、喜びから切り離されたと思うので腹が立つのです。

Q、 なぜ私たちは喜べないのでしょうか。なぜ人生において怒りやイライラ、ストレス、欠如ばかりを選ぶのでしょうか?

 それはあなた方が、限られた連続体だけで機能しているからです。
 本来の感情体が100万個の喜びの構成要素を成しているとすれば、あなた方はそのうちまだほんの15から20個くらいしか感じることができないのです。しかしそうした喜びとは果たしてどんな種類の喜びなのでしょうか。

 けれども今あなた方の次元には、一度に100から200くらいの喜びの要素を抱え始めるようになった人たちが何人も存在しています。それでも100万のうちの100から200ですから本物の感じからは程遠いことがわかります。

 つまり喜びのほんの一部分だけしか感じられず知覚できないならば本物には感じられず、そのためにそこから切り離されているという感じが生まれるのです。すべてでなければ、そこから分離していると思うのです。

 あなた方の誰もが、喜びがないと不満を言います。
 でも喜びはあるのです。それはあなたのうちにあるきらめきです。喜びとは、あなた方みなの中に本来存在する火花を生じさせる周波数なのです。そしてそのきらめきという火花は、喜びの周波数で創られました。

 あなたの存在の内側にあるあなた自身を成す光の小さな分子こそが喜びであり、それは本来あなたの中に住んでおり、あなたはすでにそれを持っているのです。あなた方は自分に許している分だけ、そうした薄まっている喜びを感じたり、あるいはまったく感じなかったりするのです。

Q、 私たちは自分自身の感情を怖れているのですか?

 内気であるとは自分の感情を怖れていることであり、恐れとは連続した生命の一部分です。馴染みのない出来事や状況とあまりかかわりたくないとき、それは恐れを生み出します。

 その恐れは、真に自分の感情を理解しようとしないところから来ています。そうした感情と向き合わないなら、それは凝り固まり、より一層大きな怖れの複合体となります。

 内気さとは、自らの感情に入り、ずっとその源にまでたどって行くことの怖れなのです。そこに見出すであろう唯一の究極の感情、それはあなたという実に素晴らしく美しい愛であり、あなた方が否定したがっている愛と喜びであり、それがあなたなのです。

 多くの人が未だに自分には価値がない、自分には愛される価値がないと思っています。しかしもしどれほど愛されて、自分の存在が生み出されたかを感じるところまで遡(さかのぼ)るならば、もはやさまざまな言い訳にしがみつけなくなると思っています。

 自分を存在に至らしめるほどに、大本の根源から愛されたことがまずいことであったかのように、多くの人が感じています。生命の根源はあなたをを愛して存在に至らしめたのに、あなたは拒絶され、追い出されたと感じたのです。

 そのためにあなた方は駄々をこねる幼い子供のようであり、自分のうちに美を見出すことを望まれているのに、あえてそれをしようとはしないのです。

 怒りから、内気さから出るには、怒りがそもそも創られたところを通っていくことで家に帰れるのです。恐れや怒りといったそうした感情まで遡(さかのぼ)り、自分は大丈夫なのだということを知ってください。

 そうすると引っ込み思案である必要はなくなります。引っ込み思案とは、自分が何かまずいことを言ったりしたりして、うまく振舞えないかもしれないという恐れです。

 しかしあなたが自分の存在において「OK!大丈夫」であれば、何一つ間違えようがないのです。内気であるとは、「私は自分であることが怖い」というイメージを外の世界に対して見せているのです。

 内気さの後ろにある怖れは、人が周りにいるいないにかかわらず、自分自身であることを怖れていることなのです。それは「自分は自分自身であることでOK!」と感じることの怖れです。

 あなたはその恐れを超えて自分自身に戻ることができるし、そのためには自分はこのままでOKであり、今のありのままの自分でいいのだと感じることから始まるのです。

 先入感や偏見に凝り固まっていると、さまざまな可能性はあなたを素通りして行きます。なぜ自分の欲しいものが手に入らないのか、なぜそうした驚きが自分には起こらないのかと思っているかもしれません。

 なぜ自分にはそうしたことが起こらないのかというと、それは意識的に自分でそうしているからです。明日がどうなるかという先入感ををすでに持っているからです。

 すでに前もって意識を植え付けているのですから、それ以外のことがどうして起こり得るでしょうか。情緒的にあなたは過去を生きているわけですから、それはあり得ません。過去を振り捨てなさい。

 先入感や偏見の過去を振り捨てて、明日の朝、自分で新しい朝を感じてみてください。4時半なり5時に起きて、体には何のストレスもなく、自分が本当にしたい仕事に行くのです。

 仕事や対人関係、その他どのようなことであっても、誰の人生にも同じようなことがあります。もしそのときの一瞬だけは過去を振り払い、期待を捨て、その瞬間を生きれば、何か新しい楽しいことが人生のすべての瞬間になることでしょう。

 それが人生を愛することです。人生を愛するとは、人生があなたに何をもたらすかという期待を一切持たないことであり、そうすることで人生を目いっぱい楽しむことができるのです。

 あなた方はみな、自分を存在に至らしめるほどに自分のことを愛さなくてはなりません。人生が自分に何をもたらしてくれるだろうか、といった期待を一切持たないところに自分を持っていくのです。

 明日があなたにもたらしてくれるものに一切の期待をかけないとしたら、それは自分という神の本質を生きることそのものです。しかしながらあなた方は皆、すべて抜かりなく準備しており、20年後、30年後、そして葬式の手はずまですべて整えているのです!

Q、 そうでないと安心できないし、行き当たりばったりとか自発的にというのは難しいのです。

 ほとんどの人は脳が心配しなくてもいいように、きちんと予定を立てた生活以外は許さないのです。脳は安全保障を好み、何がどうなるかをちゃんと知っていることで安心するのです。安全とは期待することであり、そうした期待がある限り、決して人生を愛することはないのです。

 あなた方は誰もが安全さを手放すことを恐れ、自分は決して本来の自分自身という存在にはなれないという思いを手放しません。ですから決して、本来の存在にはならないのです。

 あなたというエンティティ(存在)は宇宙を創り、星を創り、太陽を創り、その他すべてを創り、そして破壊することもできるのです。それはヒトという種を創り、また地上のすべての食べ物を創ったというのに、あなたは自分の食卓に食べ物を乗せることを知らないというのでしょうか? 

 あなた方は物ごとを整理したり、準備したりはできるのに、まだソース(源・根源)になることを学んではいません。あなた方は三つのもの、つまりソース(根源)、セルフ(自己)、クリエイター(創造者)でなくてはならないのです。クリエイターの部分はかなりよくやっていますが、しかしセルフとソースはまだ発達させる余地があります。

 根源(ソース)であるとは瞬間瞬間に生きることです。
 いまやあなたは瞬間を生きる個性も持っており、瞬間は組織することができません。あなたは未来を形成しないように、とりわけ自発的であることを学ばなくてはなりません。そのことがあなたを真の自由から切り離している大きなズレなのです。

 それは本来の自分自身の存在に対する「降参」と呼ばれます。そうできるようになるまでは、さまざまな心配があなたをどこまでも支配するでしょう。その瞬間瞬間という今があなたにやってくるまでは、それについては何一つ言うことはないかのように見えます。

 根源(ソース)は、「はい、私は愛します」というだけです。
 それだけなのです。あなた方はみな、この三つのすべてになることを学んでいるのです。つまり一切の期待を持たずに、この宇宙全体を創った部分があなたの面倒を見てくれるだろうと任せられるほどに、生命を十分に愛することを学んでいるのです。

 それは「姿勢」という一つの橋であり、だからといって仕事を辞めていろいろ投げ捨てて、ということではありません。ただしそれが障害になっているならば取り上げられることでしょう。

 そして内なる姿勢は変化し、新たな橋がかり、あなたは生きたエンティティ(存在)となるのです。瞬間に手放すことを学ぶまでは、あなた方は決して何一つ現象化することはできません。ですからそれを学ぶ必要があります。

 瞬間に生きるとき、あなたは過去と未来を完全に解放します。
 その瞬間は生命そのものであり、その瞬間を自分の創造の部分に入れて現象化するのです。

 自分を根源の存在に至らしめるほどに愛するとは、瞬間を生きるということです。ただそれだけなのです。愛を見出すであろう唯一の場所、それは今という瞬間瞬間だけなのです。

Q、 それは感じることができます。でも持続できないのです。

 そうではないのです! そうなってはいないというところが肝腎なのです。
 あなた方はみな、「あぁ、わかった。しっかり手放さないようにしないと」、と言います。数百億、数千億もの瞬間を築いてしがみついたり、決して寄りかかったりしてはいけません。それでは何にもなりません。

  それでもいいし、またそこから始めることもできますが、瞬間に執着してはいけないのです。そうするとあなたは過去に留まったままになってしまうからです。それは一瞬だったのであり、素晴らしかった。だから次の瞬間もそうしよう、さらに次の瞬間も、というようにするのです。

  あなた方という見習い中の神にとって必要な唯一の修行は、その瞬間にすべてを手放すことを学ぶことです。それは生きる姿勢であり、変化であり、その瞬間に自分自身の存在とつながり、「ねぇ、まだ家賃が払えていないんだけど」、と言えるのです。

 そして実際それを言う必要もないほど自分の根源はそのことを知っており、ちょうど郵便受けに小切手が放り込まれるところだったのかもしれません。

 このようにして宇宙はあなたの面倒を見てくれるのです。でもあなたがあちこち走り回っていたら、それは決してあなたに追いつけないので、欲しいものをあなたに届けることは決してできないでしょう。


肉体を愛してともに次元上昇する

 あなた方の肉体は大きく変化していくので、なかには非常に大変だと感じる肉体もあるでしょう。そして実際に肉体には「肉体意識」というものがあり、そのためにかなり極限のところまで緊張で張り詰めている人たちもいます。

 しかし一方でのんびりと構えていて、「そんな次元上昇なんていう話はもう百回聞いたけど、そんなことはそもそも信じないよ」という人もいます。

 それも肉体意識がどのようなモードにあってどのくらい緊張しているかによるので、あなたの振動が変わり始めると、肉体はかつてない偏りを経験することもあるでしょう。そしてほとんどの人は、自らの振動が変わっていくそのさまざまな段階にあるのです。

 さらにあなたとあなた自身の肉体のつながりにおいても、いろいろなことが起こるようになります。それもあなたという本質と肉体がどのくらい協力して働くことができるかによって違ってきます。もし恐怖心を感じるなら肉体に戻ることです。

 肉体ともっとつながりを持ってください。そうすれば肉体はあなたをもっと深く信頼するでしょう。恐れや不安が起きたときは、恐れや不安に「大丈夫! ちゃんと聞いてるよ。今何が起きているのか話して聞かせて?」と語りかけてみましょう。そうすると肉体はあなたに話しかけ、何が問題なのかを教えてくれるでしょう。

   肉体は不慣れな新しいエネルギーに触れるたびに、不安を感じて嫌がるのです。
 肉体に新しいエネルギーや新たな振動を入れようとするたびに、肉体とあなたは不安に陥る傾向にあり、それはすべてにおいてもそうです。

 あなたが不安になったら、「大丈夫! いま不安に感じてるけど、それは新しい振動が入ってきているからだ。でも自分の体は嫌がっているみたいだけどなぜだろう? なぜうまく対応できないんだろう?」、

 と自分自身に言えるなら、恐れの実体を故障させてしまうことができます。ですからあなたの肉体とのつながりを育ててください。そうすると肉体はあなたを信頼し、あなたも肉体を信頼することを学ぶでしょう。

 この地上における肉体は、密度において創造されたことを理解してください
 これまで肉体は理解されてはきませんでした。それはプログラムされることもなかったし、肉体もともに次元上昇することなど一度も教えられたことがありませんでした。

 遙かなる永劫の昔からあなた方は、いかにして永遠を生きるかではなく、いかに死ぬかだけを肉体に教えてきたのです。しかしそうであっても肉体は永遠に生きるように創造されており、次元上昇は肉体が体験するもっとも自然なことなのです。

 でもあなた方は長い期間をかけて、そんなことはできないという遺伝的プログラミングをしてきました。あなた方の多くが、いますでに次元上昇の過程にあります。

 しかもそれはずっとこの方継続して来ているのにあなた方はそのことに気づくこともなく、自らがどういうプロセスにあるのかにも気づいてはいません。

 あなた方の肉体はますます半物質的になってきているのに、あなた方は相も変わらず、固まった信念体系のゆえに昔と同じように働くことを望み、期待しています。

 でも肉体はもはやそのようには働かないし、決して昔のようには戻らないでしょう。
 なぜなら肉体は変化してきており、その分子構造も変わりつつあるからで、これまでになかった機能なども学ぶでしょう。そのようにしてあなた方は肉体にもっと光を入れることを教えているのです。

 あなたが肉体にいる間も、肉体はますます非物質化してきており、あなたと肉体においてはシフトが同時進行しているのです。ですからあなたという実体だけが意識を進化させて振動数を上げ、徐々に非肉体的になっていくと肉体はなおざりにされていると感じるのです。

 その結果その不調和は肉体に恐れを抱かせるようになり、ときには死体のように硬直してしまうこともあるでしょう。つまり肉体はあなたが中にいても、いないと思ってしまうのです。いつもではないにしても、そういうこともあるのです。

 肉体はすでに死のさまざまな感情にさらされてきているので、いよいよ、というわけで閉じてしまうのです。ですから頭でも感情面においても、常に心身を緊密に親しくつなげておいてください。感情に深く入って感じてください。

 恐れや不安の正体をよく見て、何か自分にできることがあるかどうか見てみましょう。肉体は、前に立ちはだかるすべてのものに対処する術(すべ)を知っています。で
 も遠い昔から死ぬことを教えられてきたので、あなたの意識だけが変わり始めて新たな方向を向くと、肉体は切り離されて死ぬのだと怖れるのです。それも自然に死ぬのではなく、あなたの進化によってより早く死が訪れるのではないかと思うのです。

 信じられないかもしれませんが、肉体には独自の意識があります
 そんな馬鹿な! と思うかもしれませんが、肉体の意識にあなたの内なる存在をつなげ、対話を図ってみましょう。
 肉体意識を見つけてあげると、それは時に生意気な小僧のように振舞うことがあります。これまで認められたことなどないのであなたのことなどまったく信頼していないし、あなたの言うことなど決して信じるもんかと言わんばかりです。

 肉体と話したい、一緒に働きたいと願っても、最初はまるでバカにしたように、「そんな話はもう飽きるほど聞いたし、こっちからいろいろサインを出してあげても、一度だってその通りにやったためしがないでしょう? それで今回はいったい何が違うというの?」、と言うでしょう。
 ですからそこで、新たな信頼関係が生まれる必要があるのです。

 でもあなた方の誰一人として、肉体的存在というものを信じてはいません。
 しかしながら間違いなく、あなたがこうした肉体の設計図をつくり、創造し、そこへ入ったのです。

 しかし肉体はあなた方のそうした無知のゆえに、誰かに断崖絶壁に連れてゆかれて、その端っこに置かれているような感じをしばしば感じているのです。それは何のサポートもなしに絶壁に立たされているような危うい感じであり、それを本気で感じているので恐れの反応を持っています。

 もし体の具合がおかしいと思うのであれば検査を受けてください。何かわかるかもしれないし、もし健康には何の問題もないとわかれば、それ以外のことが起きていることがはっきりするでしょう。

 Q、 肉体が必要としている愛を自らが知覚できるように、またこの進化の過程で、肉体を助けるためにどのように肉体を育てていけばいいのでしょうか?

 生とは結局、そこへ向かう旅なのだということを理解し始め、自らのありのままを愛せるようになっている人や、肉体と折り合いをつけ、自分自身のうちに安らぎを見出している人は、自らを調整して他の人々よりもかなり早い速度で次元上昇できるでしょう。

 しかし死への恐れを持っていたり、自分がやったということを認めて欲しいというようなエゴのドラマを望んでいたり、あるいは何らかの肉体に対するイメージがあってそれを変えたいと思っているとするならば、肉体はあなたに協力してはくれないでしょう。

 肉の身体と化している体を、本来の源の霊にまで上昇させるには、あなたと肉体が完全に調律されることが必要であり、それによって肉体はきちんと機能し、あなたの言う通りに動いてくれるようになります。

 肉体を完全に真に上昇させる最初の一歩は、自分自身をありのままに、完全に、そのすべてを愛することです。そうすればそこから喜びが見出せるようになるでしょう。そのためにはさまざまな自分に対するイメージを離れて、喜びの瞬間へと戻り、ありのまま、あるがままの自分という生命を愛することが必要です。

  それは始まりの一歩であり、あなたの意識をより大きな喜びへと進化させていくなかで、生命をありのままに受け入れて愛するということです。生命そのものの喜びに浸れるとき、またありとあらゆる存在のもつ不可思議さに心打たれるとき、あなたは次元上昇(アセンション)の過程を進んでおり、帰郷への道を歩んでいるのです


祖先から受け継ぐ感情的情緒的なトラウマを捨てる

 あなた方の肉体は遺伝子的再構築中の真っ最中です。
 その過程においてはあなた方には多くのことが起こり、そして変化するでしょう。あなたの存在のハートの中心は電磁的な袋のようなものであり、そこには2つのペースメーカーがあります。

 前方のものは自然なペースメーカーで、後方にあるものはいま構築中の第二のペースメーカーであり、それは進化中の新種の肉体のためのものです。ですからあなた方のなかには心臓がドキドキしたり、ハァハァして医者に行くのですが、何も異常は見つからず、薬を処方されて終わりという人もいるでしょう。

 何が起きているかというと、肉体が心臓の裏側に新しいペースメーカーを生物学的に再構築しているのです。後方のものはもっと速い振動を刻んでいます。そして心臓は2つのものから信号を受けている結果、どうして不整脈があったり、ドキドキしたりするのかわからずにいるのです。

 この惑星での死因の第一位は心臓病なので、あなた方はもしやと考えると怖くなります。もしそうした恐れがあれば、いずれにしても医者へ行けば軽減されるでしょう。それに恐れは何よりの敵ですから。

 多くの人々は、自分は進化する最中にあるので、もし体に変調があれば自分は失敗したのではと思ってしまうようです。確かなことは、この過程において体の問題が起きても、それは失敗ではないということです。

 もしあなたが肉体に対して強い怒りを抱いているならば、そうしたものも状況を悪化させることになります。いま肉体は遺伝子的再構築を遂げている最中なので、あなたの体は必ずしも100%完全に機能しているとは限りません。ですから体を優しく労(いた)わってください。

 心臓だけでなく肝臓もまたこの時期には、何かと問題が起きてくることが多いのです。優しくしてあげることです。疲労感で頭がボンヤリして、何にも集中できないこともあるでしょう。

 何か宙に浮いているようで変になりそうだと感じたり、何を考えていたのか思い出せなかったりするので年齢のせいかと思ったりするでしょう。でもそれは年齢とはまったく関係ないのです。

 そのわけとはこうです。
 あなた方は記憶とはすべて頭の中に保存されていると思っていますが、実際には記憶というマインドはあなたの電磁域、つまり呼び方はどうであれあなた方の言うオーラ域内にあります。

 ですから頭の中にあるのは脳であり、脳は行為や本能、生存と呼ばれる一時的な記憶を抱えているだけなのです。ですから思考や概念が出てくるところはマインドであり、そのオーラがあなたの肉体周辺を取り巻いています。

 あなた方はいまマインド、つまりオーラ域のもっといろいろな部分にアクセスすることを学んでいますが、それまでのずっと窮屈な方法に慣れている結果、脳がデータを容易に拾ってくることに慣れています。

 それで頭の中にあってほしいデータは、実はずっと外側のオーラ域の中にあるのです。脳はそこから思考を拾って戻そうとするのですが、その道を覚えていないので途中でそれを落っことしてしまいます。つまりすぐそこにあるのに、今何を話していたのか思い出せず、それは話の途中で消えてしまうのです。

 そうしたことは誰もが経験することであり、年齢とは無関係なのです。
 高齢ならそれを歳のせいにするでしょうが、20代であっても同じ経験をするのです。脳は、あなた自身のマインドにもっと遠くまでアクセスすることを学んでいるところなので、ときにはうまく出来ないこともあるわけです。

 遺伝的シフトのためには、肉体のDNA構造にある古い記憶を落としていかなければなりません。古い記憶とは、感情的な情緒のことです。あなたが受け継いでいるあなたの祖先が感情的情緒的に抱えてきたものは、すでにクリアしたものを除いて一つ残らずすべて、あなたがいま肉体のなかで向き合っているものです。

 人生を振り返ってみれば、ほとんどの人は何らかの強烈な体験を持っています。
 そうした感情的に取り込まれたものがトラウマになります。そうした多くのものは辛く、実に惨めで、かなり情緒的なものです。でもいま、少し愛が入ってきています。あなた自らの感情的情緒的パターンを見て、あなたの祖先たちはおそらく、もっと多くのドラマやトラウマを抱えていたことを察してください。

 遺伝子の再構築の際、あなたはそうした細胞レベルでの記憶をすべて捨て、自らが望むものだけを取り込みます。そうすると、あなたがいま入っているこの肉体がマインドの望み通りに適合していくのです。

 あなた方の肉体はいま、他のいろいろな人たちによって動かされています。
 それがあなたの祖先たちであり、近所の人たち、飼っているペット、スーパーマーケットのレジの人、見るものなど、そうしたすべての存在から受け取っている影響力のことです。

 つまりあなたの肉体は、この空間を埋め尽くす思考や感情などのあらゆるものと回路をつなげており、そうした影響力によって他のさまざまな人々から利用され、動かされているのです。

 そうした回路を捨てることが、まず一つです
 自分に対するイメージを捨てることでそれをする人もいますが、何であれ、効果があるならやってみてください。深い安らぎのうちに自分自身と向き合い、自分で自分の心と意識を動かし、自分から肉体に(その逆ではなく)指示をするようにしてください。

 こうした期間においては、進化による一大変化によりあなた方の皮膚と神経系統は攻撃を受けるでしょう。あなたの存在の光は神経系統を通ります。そして脊髄の上までずっと伸びるこうした細い神経に、光の存在であるあなたが住んでいます。

 光であるあなたは屈折し、分散し、向きを変えることはできますが曲がることはありません。「光をどうやって肉体にするのか?」と疑問に思ったことはありませんか。

 あなたは神経と神経系統という光ファイバーのようなシステムを設計し、光の存在が形をとって腕になり、足になるようにしたのです。そのゆえにあなたが振動数を上げるとき、神経系統のすべてに攻撃の矛先が向けられます。

 詰まりがあれば腰痛を経験する人が多いでしょうし、足や腕に痛みやピリピリした麻痺感が伴ったりと、症状は人それぞれです。つまりこれまで以上の多くの光を流すので痛みを感じるのです。・・・。
   
 神経系と脊髄にさらに攻撃の矛先が向けられるにつれ、そこに傷ついた細胞や何らかの詰まりがあればもっとひどい痛みを感じ、困難を経験するでしょう。皮膚は光の受容体であり、光が出入りするときに皮膚を焼く傾向があります。

 また遺伝的情報を捨てるとき、大量の毒素が出て皮膚のかぶれが起こったり、それが病変する人もいます。誰でもというわけではありませんが、進化の過程ではありとあらゆる皮膚の問題や症状が出てくるのです。

 あなた方がいま経験している遺伝子のシフトと変化は、いわば猫を犀(さい)に変えようとしているようなものです。

 それがどれほどの大事業であるかを理解し、骨格から何からすべてを遺伝子的に猫から犀(さい)に変えるのですから一大事業と腹を決め、ゆっくり気長に取り組むことです。しかしいざ自分のこととなると気長に構えられずに、あれこれ文句が出るのです。

 肉体はまた疲労感を経験するでしょう。
 それにはいくつかの理由がありますが、その一つは肉体に起こっている進化のせいです。次元間の異なるリアリティを行き来していることもありますが、これまでにないような疲労感を感じることもあるでしょう。

 なかには何をするのも嫌だというほどの、機能できないようなひどい疲労感もあり、「もうできない、もう嫌だ」と言い捨てる人もいるでしょう。そこで自分を責めれば、疲労感はいっそうひどくなるでしょう。

 あなた方のDNAの螺旋構造はねじれたハシゴのようで、その上に小瘤(ノジュール)が乗っています。肉体的な態度から出るためには、このハシゴに3つ目の新たな横木を育てなくてはなりません。

 それは、自己価値という横木です。それらはあなた方の誕生とともに持って生まれてくることはありません。もし持っていたとしても自分がクリアでなかったならば、それは自分自身だけでなく惑星を、あるいは何であれすべてを破壊してしまいかねないものだからです。

 それはあなたのパワーです。
 肉体を備えた神は最後の3本の横木であり、なかには4本、5本を育てる人もいます。しかしいまのこの肉体で神の全パワーを得るためには、この最後の3本がなくてはなりません。

  しかしそのためには自分に何らかの価値が見出せるまではそうできないのであり、つまりそれを育てるためには、何よりもあなたが自分自身のあるがままを愛する必要があるのです。

感情をしっかり感じることで解放されよう

 あらゆる感情が無視され、押しやられ、表現が抑圧されるとき、鬱が起こります。
 内気な人はごく外向的な人と同じように、あるいはそれ以上に感じています。

 さまざまな感情があって、しかし精神はそれを払拭(ふっしょく)することができず、それを消化してどう解読し、一体どう扱ったらいいのかわからないのです。
  

 自分自身の感情とその全ての側面に向き合うことを学んだ人は、非常に客観的になります。そうなると、大勢の人々の中にいても、彼らを客観的に見ることができるのです。内気であることと静かであることとは、まったく別のものです。内気さとは感じやすさから逃げようとするときに起こります。


 静かさは人が自分の感情を扱うことを学んだとき、つまりそれをマスターしたときの状態です。彼らは客観的にそれを他人の中に見てとることができます。なぜなら自分もそこを通過してきたからこそ、他人のことがわかるのです。


 客観的になれないというのは、まだその感情にこだわりがあるからなのです。
 その感情とまだ折り合いがつかないので、それに関して客観的になれないのです。その感情に向き合い、生き、感じて表現し、片付けてくぐり抜けたならば、客観的になれるのです。


 もしあなたが何らかの感情を通り抜けているところで、イライラする、対処できない、手に負えないというような場合、あなたはまだそこをくぐり抜けてはおらず、生きてはいないのです。


 感情は感じて表現されねばなりません。
 自分でそれらを感じ、理解し、表現するとき客観的になることができます。感情を情緒的に抱きとめるためには、表現されなくてはなりません。あなたがこの人生にやって来たのは、感情を情緒的に抱きとめるためでそれに尽きます。感情はあなたの抽象的なレッスンであり、それを通して何を学んでいるかがわかります。


Q、 どうやって感情を表現すればいいのですか? 
   私が本当に殺したいと思っていたらどうすればいいのですか?
 

 表現ということについてさまざまな考え方があることを理解してください。
 表現とは、何かを取り上げて動かすことです。そこでは、それを受け止めて感じるのは自分であるということです。その感情をずっと遡って、その感情が出て来た核のところまで遡って感じることです。自分が感じるものはどんな細かい部分のようであっても、必ず一つの根っこの感情に戻ります。なぜなら、すべてのものがみな一つのレッスンを学びながら、一つの宇宙にいるからです。それは抽象的なレッスンと言えますが、それが感情というものでそこに現れます。


 一つの感情が出てきたら、その感情を核までずっと遡って「感じ」、そして手放してください。つまり言葉や理屈ではなく「その感情を感じること」です。そうすることであなたはそれを自分に表現し、情緒的に受け止めることができます。


 その感情はあなたが感じて手放すためにそこにあります。多くの場合あなた方は、自分が傷ついたと思う時、その原因を他人にあると考えることを知っています。その結果、あなた方はその感情を回避し、それが教えようとしたところへ戻るのを避けてしまうのです。


 どのような感情もその大本、その根っこは同じところに行き着いて基本の感情になります。感情体の大本は、喜び以外には何もない感情の一スペクトルです。大本の感情へ戻れば、そこには喜び以外何もないことに気づくでしょう。つまり、あなた方が経験するすべての感情は、実は喜びであり、喜びの変形なのです。


Q、 ではどうしてそれが怒りになるのですか?  

 感じているものをあなたが歪曲するところから、それが怒りになります。
 喜びの感情は単に一つの部分ではなく、多くの要素から成っています。感情の連続体をざっと見て、あなたはそこからある特定の要素を選び、バイブレーションを選び、それぞれを鬱であるとか恐れ、怒りなどと名付けているのですが、それは部分的な選択で決して全部ではありません。

 ですからその感情を誰か他人のせいや状況にせずに、その感情は自分に経験する必要があって起きていると考え、ゆっくりとそこへ入って感じてください。そして根っこまで行ってください。そうするたびにあなたの内部では解放されるものがあるでしょう。それによってあなたは抽象的なレッスンを学んだのであり、戦いは終わります。

 あなたが抱えている大本の感情体は、喜びからできています。
 その連続体の土台である起点は喜びであり、それは100万以上の構成要素から成っています。あなた方はそれを取り上げますが、100万のうち15から20を選択するに過ぎず、理解するためにそうしたものを怒りや喜びと一般的な呼び方をします。そしてほとんどの人々はそれを超えることはしません。

Q、 怒りがなぜ大本の感情である喜びの一部なのかよくわかりません。

   怒りを感じる時、あるいは傷ついた時、何を怒っているのですか?
   私が思うには、誰か他人に対してです。

   彼らはどのようにしてあなたを怒らせ、傷つけるのですか?
   私が望むようにしてくれなかった。

   何をして欲しかったのですか?
   もっと楽にしてくれて、喜びをもたらしてくれるものが欲しかったのに、がっかりさせられてしまったのです。

   そこから喜びが得られなかったので、怒っているのですね?
   はい。

 ほら、それも怒りが喜びの一部であることの一例です。
 つまりそれは喜びの欠如なわけです。あなたは誰かから愛して欲しいから、そのために怒りが出てくるのです。もし仮に、唯一、傷つくことがあるとしたら、それは誰かが自分の思うようにしてくれない、愛してくれないという時だけであって、それ以外傷つくということはあり得ないのです。


 ですから自分の思うように愛してもらえないために怒ったり、恨んだりするとしたら、あなたは愛と喜びの感情を歪めているということになります。そうした歪みは、あなたが観念として抱いている愛のイメージから生まれてきます。

 つまりあなたの怒りは、愛や喜びから自分が切り離されたと感じたことから出ています。そしてあなたを切り離したのは誰かであるとそこに擬人化しているのです。


 もし彼らがあなたの思うとおりのやり方をしていれば、自分は今愛と喜びを感じているはずなのに、彼らはそうしなかったので、彼らがそこからあなたを切り離したわけです。自分が今、傷つけられて怒りを体験しているのは彼らのせいだと、あなたは思っているわけです。

 あなた方は100万以上の感情体の構成要素を内に持っていますが、ほとんどの人がそのうちほんの15から20くらいしか感じてはいないのですが、そうした喜びというのはいったいどんな種類の喜びなのでしょうか。ですが今あなた方の次元で、一度に100から200くらいの喜びの要素を感じ始めるようになった人が何人かいます。そうだとしても、100万からある要素のうちのほんのわずかな200なのです。

Q、 そこへ行くと何があるのですか?

 たくさんの喜びです。
 しかし喜びのほんの一部分しか感じられず、知覚していなければ、そこから切り離されているという感じが生まれるでしょう。すべてでなければ分離していると思うのです。誰もが喜びがないと不満を言います。でも喜びはあるのです。


 それはあなた方のうちにあるきらめきであり、火花をもたらす周波数であり、それは喜びの周波数で創られました。それはあなた方の存在の内側に住んでおり、あなたであるところの光の小さな分子が喜びであり、あなたはすでにそれを持っているのです。しかしあなた方は、それを自分に感じることをほんの少ししか許していません。

  あなた方の多くの人は自分のさまざまな感情を恐れています。
 に馴染みのない感情の構成要素を拾っても、それにあまり関わりたくない時、それは恐れを生み出します。その恐れは、真に感情を理解しようとしないところから来ています。感情と向き合わず避け続けていると、それは塊りとなってより大きな恐れの複合体になります。


 その恐れには別の理由もあり、彼らはその向こうにあるものを知っているので、感じたり理解するのが怖いのです。実は誰もが基本の感情が何かを知っていて、どこへ行き着くかを知っているのです。なぜならあなた方はそこにおいて創られたわけですから。

 自分を恐れる内気さは、究極的な自己否認でもあります。
 ですからその恐れは、自分の感情に入り、ずっとその源までたどるとどんな言い訳もなくなってしまうことの恐れなのです。


 そこに見出す唯一の究極の感情、それはあなたという実に素晴らしく美しい、あなたが否定したがっている愛なのです。多くの人がまだ自分には価値がない、愛される資格がないと思っており、もしどれほど愛されていたかを感じるところまで戻ったなら、もはやいろいろ言い訳にしがみつけないと思っています。

 存在に至らしめられるほど、根源に愛されたことが、まずいことであったかのように多くの人が感じています。大本の光はあなたを愛して存在に至らしめたのに、あなたはそれを拒絶され、追い出されたと感じました。


  あなた方は駄々をこねる小さい子どものように、自分に望まれていること、つまり自分の内に美を見出すことをあえてしようとはしません。怒りや恐れから出るには、そうした怒りをしっかり感じることで、それが本来創られたところを通って行くことで家に戻れるのです。


「一瞬」の根底にこそ喜びと興奮がある


 自分自身に留まるとは、自分を裁くことをやめてありのままの自分でいることです。自分であるために、これほど自分との親密な方法がほかにあるでしょうか。

 多くの人々が、自分自身であるための方法はこういうものだといった考えをさまざまに持っています。自分自身であるとは、単に一つの生き方であって何も特別なものではありません。ただそう在るだけのことです。

  つまり自分自身に100%満足し、他の誰からも承認を必要とせずに完結して、満足を感じられることです。あなたは誰からも認められたり、素晴らしいと言ってもらう必要がなく、自分はこの自分でいいのだと、ただわかるのです。


 それは自分を批判したり裁かないことからしか得られないものです。もしも、「私は人からの承認もサポートも必要ない。私はこのままでOKですから」と言うのであれば、おそらくあなたはOKではないでしょう。なぜなら「自分はOK」だと言わなければならないからです。

Q、  それは自分自身と関係を持たないといったようなことですか?

 そうです。
 つまり、ああなりたい、こうなりたいと考え、試みているうちは、自分自身ではあり得ないのです。しかし多くの人々は、「私はここに座って自分と向き合うぞ」と言うのです。ですからそのために自分を二つに分けなければなりません。誰もが自分自身と関係を持っているようですが、ということは自分自身を分けているということです。

 究極的に自分自身を愛する状態とは、自分に対して意地悪をやめることです
 つまり、「こうすれば良かった。ああすればよかった」と言わないことです

 誰だって一日中、自分に不満ばかり言っていたり、あるいは親からそんなことばかり言われていたら、親なんて大嫌いになっているはずではありませんか? そして多くの人が、どんな暴君よりもひどい態度で自分自身に対して暴力をふるってきたのです。

 自分自身を愛するとは、突き詰めれば基本的に何でもないことになります。
 もしあなたが何ものかであるとしたら、どうやってあなた自身で在るのですか? そんなことはあり得ないことになります。


  それがわかると、実に拍子抜けするほどシンプルなことなので、「何て自分は間抜けなんだろ!」と言うことでしょう。
 自分自身であるとは、ただ何一つしないことなのです。何一つとして!です。

Q、  その人がただ在り、自分自身とも関係を持たず、何ものでもなく、自分自身を親密に分かち合っているとき、その人はどういう状況にあるのですか?

 安らぎです。
 それを退屈だと思う人もなかにはいるでしょう。あなたがそういう状態にいると、あなたから確認や反応を得ようとしている人々は困惑するでしょう。

 おそらく、なんと横柄で生意気な、無知で意地悪で、自己中の気取った人かと思われることでしょう。なぜならあなたが、彼らがいかに素晴らしいかを言ってあげなかったからです。

 しかし一方で、あなたからただサポートだけを求めている人は、あなたに大いなる慰めを見出すでしょう。なぜならあなたは、自分自身からも何も期待していないので、彼らに対しても何一つ求めないからです。

 自分自身であること。
 バラの花はどのようにしてバラ以外のものであり得るでしょうか? 自然の状態においてそういうことはあり得ません。もし自分自身でありたければ、あるいは完全な存在でありたければ何もしなくていいのです。

 いかなる修練も不要です。練習の必要もありません。唯一しなくてはならない訓練は、自分が自分の邪魔にならないように道を空けることです。

 いかなる期待も持たないこと。
 「もし自分が自分自身であれば」とか、「神であればこうあるべきでは」というのがないこと。「神であればこうあるべき」という期待をほとんどの人が持っています。そして自分が神であるのならどうあるべきか、というのも知っています。つまり、「神とは何か」という期待を抱いていることが問題なのです。

 その状態において彼らは何ものでもありません。
 たとえばあなたが一緒にいて、誰よりも楽しい人たちというのはどんな人たちでしょうか? 自分の思うように期待が満たされていないために、不満そうな顔をしている人でしょうか? それとも、あまりにも何ものでもないために、心が望むことをするだけで何の期待も抱いていない人でしょうか? 

 私たちができうる最大のこと、それは楽しむことです。あなたが楽しんでいない理由、それは実は大きな問題なのですが、何かしら期待を持っていることが原因なのです。

 自分が、「あの時は楽しかった!」と言えない時というのは、何らかの期待があってその通りにならずそうできなかったからなのです。自分は神ではないから楽しめないというわけです。


 神は何ら期待することなく、ゆえにすることのすべてが一瞬一瞬が新鮮で、自由で、喜びに満ちて・・・、そうなったらどんなに楽しいでしょうか! 「もちろん私はそう思うけど、神々は楽しみ以外のことをするのを知らないから・・・」、というのがあなたの解釈でしょう。

 あなたの人生の毎日のすべてが楽しみではないとすれば、それは自分の思うようにならない期待があったからです。ですから楽しくないのは自分の責任なのです。もし期待を持たなければ、毎日が、毎瞬が、新しい体験になるでしょう。


 あなたには好奇心があります。5分後には何が起きるかわからないとしても、5分後にはそれがわかるので、そんなことはどうでもいいと思うでしょう。それよりもいまのこの一瞬のほうがよほど大切であり、あなたはたったいまここにとどまり、永遠の現在に生きるのです。

 いまという瞬間にいるなら何の問題も持ち得ません。
 いまに在るなら、痛みもないでしょう。なぜなら痛みというのは、その前の瞬間から遅れて持ち越されているものだからです。


 いまにいれば、苦しみというのもあり得ないのです。何一つあなたを縛るものも、しがらみもありません。そうするとあなたはいま、究極の、無限の自由を手に入れることになるのです。「言われてみるとそうかもしれない。でもあまりに自然体というか・・・」、とつぶやきが聞こえてきます。

Q、  期待というのはどこからやって来るのでしょうか?

 楽しんでいる時、5分後のことが気になり始め、「もっと楽しくなるかも」と思うやいなや、「いま」という時からすり抜けてしまいます。今という瞬間から抜け出るやいなや、必ず問題が起き始めます。つまりあなたの人生が喜びや楽しみ、自由、無制限でいっぱいでないときというのは、必ず一瞬一瞬を生きてはいないからなのです。

 そしてこれはもっとも難しいレッスンでもあります。
 あなた方はみな、一生懸命、苦労して頑張って、それで自分が何かやったと確認したいのです。もちろん誰でも、何もないという状態にいたくないのはわかります。でも、やってみてください。そうすれば、決して後戻りできなくなることを保障します!

 あなたが「いま」という瞬間を生きるなら、そこには何らの意図もありません。
 なぜなら意図というのは、その瞬間でないときに設定するものであり、それはあなたが感じている喜びを取り上げ、整理しようとします。


 整理すると必ずや例外なしに、いつも喜びから離れてしまいます。つまり、常に十分な喜びがあることを確かめるために自分自身を脇へ呼び出し、整理し、区分けしているわけであり、それはいわば欠乏なのです。

 いまこの瞬間を生きているなら、他には何も存在せず、それは一つの姿勢です。
 しかし意図は期待であり、それは瞬間からあなたをはじき出し、未来モードに切り替え、なおかつ過去とつながり、そうすることで決して「いま」という時を楽しむことがないのです。


 もしあなたの人生がみじめで楽しくないのであれば、それはあなた自身のせいなのです。そう言われるのが好きな人は誰もいないことは知っていますが・・・。

 たった「いま」がそのときなのです。
 この瞬間、たったいまだけにフォーカスすると、他のすべては空(くう)となり、そして意識の推移が起きるでしょう。それができるようになり、一瞬一瞬が連続してそうなっていくと、あなたは急速に変わっていくでしょう。

  さまざまな問題から解放され、あなたの人生は喜びとなるでしょう。あるのは、「たったいまのこの瞬間だけ」という感情的感覚になるでしょう。

 そしてそれは、学び得る他のどんなことよりも価値のある道具となるでしょう。その他のあらゆる体験はすべて、ただ単にこの一つのことを教えるためにあるのです。

 いまあるこの一瞬だけ、この瞬間を引き伸ばそうとしてみてください。
 それは今だけなのであり、その瞬間、あらゆる問題は去るでしょう。そしてその根底にこそ喜びと興奮があるのです。

 興奮と期待は違うものです。
 喜びのレベルが上がると、人生は興奮となります。唯一しなくてはならないことは、その興奮を瞬間から次の瞬間へと持ち越すことだけです。今のこの瞬間を感じてみてください。するとそれ以外のものは何ら存在しなくなることがわかります。それを自分で引き伸ばし、手放してください。そして次の瞬間もそうするのです。

 いまほとんどの人は、意図という計画を目標として用いています。
 しかしどんなことであれ物ごとを現象化するために一番早い方法は、意図を未来に入れてそこに落とし、そのまま無視しておくことです。するとどの瞬間もあなたが設定した方向のところへあなたを連れていくでしょう。自分自身であるとは、それ以外在りようがないことなのです。

Q、  しかし義務や仕事があって、一定の時間そこにいなければならない、あるいはある時間内にしなければならないことがある場合、瞬間から瞬間という生き方ができるのでしょうか?

 もっと容易に、かつもっとうまくそれができるようになるでしょう。
 まず何事にも執着しない状態になるので、これまでになく効率よく自分の義務が果たせるようになります。「忘我の境地」といったことではなく、その瞬間に生きるならば、仕事をしながらみじめというようなことには決してならないのです。つまり毎瞬毎瞬が今となり、そうなれば職場の上司や同僚などとの過去のトラブルなどを引きずって、その延長線上にいることはなくなるのです。

 その瞬間瞬間には喜びがあります。
 そうした瞬間瞬間が重なり合い、すべてが喜びとなります。その瞬間、あなたはその時を生きています。そうすると周囲の人がどんなことをしていようが、自分と同じように他の人もおかしなゲームを楽しんでいると見られるようになります。そうした境地になると、今度はかつてなく人々と一緒にいたいと望むようになるでしょう。

 「万物は神から生まれたもの」であり、そして「実は自分も神である」ことをまだ知らないふりをしている人々の中に、神を見出すことが実に楽しくなるのです。いつでもそれを見出すことができるし、彼らもまた深いところではそれがわかっているのです。

 そのようにして、あなた方みんなのマインドがすべてをともに織り成し、つくり上げていくのを見ながら、あなたの人生には素晴らしい興奮とスリルが起きてくるでしょう。

 その瞬間に生きるということは、物ごとに無責任になるということではありません。
 一瞬一瞬を生きるようになると、人生に向き合う姿勢が変わります。つまり、「上司はいい加減だし、ロクな給料をもらってないのに、出社が7時だなんて・・・」、といったそうした考えは一切持たずに、その瞬間を生きるのです。

 それはあなたの生きる姿勢の問題であり、どの瞬間もそれぞれが異なる一瞬であり、スリルであるという姿勢へのシフトなのです。

Q、  でもその状況で瞬間を生きたなら、多分仕事をしながら午後7時のデートには行けないと思うのですが・・・。

 いいえ、必ず行くと思うし、より簡単にそうできるでしょう。
 7時のデートであれば、あなたの存在(エンティティ)の一部は行きたいだろうし、もしそうでなければ何らかの理由でデートには行かなくなるでしょう。


  あなたがまったく何の先入感も期待もなしに瞬間を生きることができていて、あなたの存在の一部がその状況を気に入らなければ、午後2時の出社で自給が6000円のいい仕事を見つけてきたりするのです。

  つまり、あなたがその瞬間へフォーカスし続けられるような状況へ向けて、そのために必要なすべてのことが準備されるのです。そして本当にそうなるのです。


訳者あとがき

 本書は、この大宇宙の設計士である存在《エンティティー》フィリップが語る、原書からの無から今に至る大宇宙創世のお話、宇宙一の一大サガです。まさに大宇宙を喜びの波動で旅するための、真のアセンションマニュアルともいえます。

 私達は今、実にエキサイティングな時に生きています。大宇宙には沢山の小宇宙があり、これまで私たちはいわば、地球という低学年用保育器に入れられて進化を遂げてきました。

 この保育器の中で、人類という種は、永遠に等しい、気が長くなるほどの長い時間を過ごし、これだけが自分の現実だと信じて疑うことがありませんでした。

 このリアリティがホログラムであり、まだリアルですらない事にも気づかず、私たちは日々の人生のドラマに一喜一憂してきました。今あなたがいる「現実(リアリティ)」が存在の全てだと想っているとしたら、この物語は理解できないかもしれません。

 でも表裏を逆転して、向こう側に生れ出るという発送の転換をしてみたら?本書が、あなたの意識(マインド)のいち大パラダイムシフトを起こす一助になれば幸いです。

 心をリラックスさせて、オープンにして読み進めて下さい。細かい所にとらわれて「頭」でっかちで引っかかってしまうと、不毛の迷路に入ってしまうかもしれません。ですから、ハートで対局を捉えるようなつもりで「感じて」いただければと思います。

 数えきれないくらい沢山の輪廻転生を繰り返しながら、私達が待ちに待ったその時が、今なのです。いま保育器の中で、ある意識らが、やっとまどろみから目覚め始めています。

 私達がおかれている地球というこの惑星が、宇宙でも稀有なる銀河の並びのゆえに、この子宮(地球)を出て、真の宇宙のリアリティに誕生していけるチャンスが巡ってきたのです。

 惑星が真に宇宙の仲間入りをする時、その誕生に向けて、人間という種も大きくDNAレベルでのシフトを加速させ、惑星は、統一された神話へと進化を進めています。

 宇宙の大存在、宇宙のアーキテクトであるフィリップは全宇宙のタイミングを計りつつ、人類と宇宙の進化の一大プロジェクトの総指揮をとっています

 今度こそ、宇宙の故郷に帰る契約を成就する時です。自分がライトワーカー、アースワーカーだということを 意識的に知っていようがいまいが、小さい時から、皆さんの多くもそのことに薄々気付いていたのではないでしょうか。

 自分にはここでやるべきことがあるのだ、と。その契約とは、この惑星の生気をJOY(喜び)に満ち溢れさせること。この子宮内にいる私達が生きることを望まないかぎり、時が満ちていざ向こうへ出る時が来ても、その誕生は死産に終わってしまうことでしょう。

 つまり、その地球での日々のドラマをJOYに満ちたものにすることでしか、子宮を出てリアルな宇宙に出ることは出来ないという逆説が、ここにはあります。

 もうこの地球のドラマにはうんざりしたから、さっさと出たい、もう疲れた、というのではなく、この地球という惑星で生きる日々がワクワクと日々楽しくて、もう手放すのが心底辛いほどに自分と、自分が周囲に作り出している現実を受け入れ、愛し、楽しんでいなければならないのです。

 そうでなかったら、誕生の時も瞬時にこの現実に押し戻されてしまうことでしょう。自分をありのままに愛し、受け入れ、JOYの中に日々を生きることをここでマスターできなければ、真の宇宙の兄弟、姉妹たちのところへ仲間入りすることはできません。

 輪廻を繰り返すだけのこの子宮というホログラム、マトリックスにおぶさっている限り、真の自由はありえません。ここではせいぜいホログラムを作ってそれを引き寄せる(現象化)くらいのことしかできません。

 ここではたとえ死にたいと思っても、永遠に死ぬことも出来ないのです。なぜならここはまだリアルではないからです。でも、もしかしてあなたはもう死ぬ必要がないとしたら?

 次に誕生して出て行くチャンスのある真の(リアルな)宇宙は、あなたが思うがままに自分のリアリティを創造していける世界です。そこでは、あなたに初めて与えられることになる最大の自由意志、「真に生きるか死ぬか」を行使することになります。

 向こうのリアルな宇宙では、あなたが夢にまで見た神々が実はあなたなのであり、素晴らしき存在なのです。真のアバター(覚者)として生きる道が今、やっと可能になるのです!!

 何も恐れる必要はありません。自分以外の誰かにパワーを譲り渡してはなりません。自分を贖うものは自分だけです。自分外の光など要りません。私達がすでに光なのですから。自分の内なるパワーを信じて下さい。それだけでいいのです。

 本書を、アバターとしての自分の真性に目覚めつつある人達のために捧げます。ついにホームカミング、故郷である心の宇宙への凱旋を果たせる時が来たのです。それが今回起ころうとしている誕生であり、真のマスアセンションです。これはまさに、宇宙の祝祭なのです。

『宇宙を乗りこなす喜び』 チャネラー シェラドン・ブライス著 抜粋


覚者・知花敏彦先生

地球は魂を完成させる場である

 百点満点が取れるようになった時、神様はあなた方を選ばれます。
(もうこの者は大丈夫だ。もっと高度な勉強をさせてもよい)
とおっしゃって、高度な惑星に連れて帰るのです。

 しかし、向こうでもまた修行です。
 今、地球は中程にあります。下段でもなく、中段です。

 これよりももっと下に、霊の低級の次元があります。
 今、人間は、真中にあり、完全でも低級でもなければ、高級でもないのです。

 宇宙には太陽系惑星があり、高級の惑星が金星であり、水星であり、土星であり、地球惑星より優れた惑星であるのです。

 この地球で問題を解いてそこに帰る魂を、皆さん方は「成仏」と呼んだり「昇天」と呼んだりするわけです。

 問題は地球にあります。真の生き方(神我顕現)をここで学んで、その神理に基いて生きられるようになると、この地上界には生まれ変わりはしません。もっと高度な惑星に上がれます。

 これを「昇天」と言ったり、地球からの「解脱」といいます

 それを成し遂げないかぎり、地上界の浮き沈み(地球での輪廻転生)の世界で勉強させられます。

 体験ですから、まあ、それもよいでしょう。しかし、本当は「今世で卒業して、みんなで帰りましょう」と言いたいのです。

 高度の惑星に連れて帰るために私(知花先生)は、この地球に来ているので、皆さん方に高度な神理を説き、その神理に基づいて生きて、そして完成し、皆さん方を連れて帰りたいのです。

 高度の惑星に帰ると、皆さん方は向こうでは「天使」と呼ばれます。高度の惑星では、地球から卒業した人材のことを「天使」と読んだり、「ハイアラーキー」と呼んだりするわけです。

 高度な惑星から肉体を持って指導者として、地球の我々の魂の兄弟を救済しに天使が降りてくるわけです。

 地上の母なる肉体、お腹を借りて誕生して、普通の人間のように生まれてくる天使と、そのまま肉体を持って、ポツリとどこかに存在して導く天使と、二通りの天使がいます。

 皆さん方が、空想、妄想しているような天使ではありません。
 天使方は、宗教的、オカルト的、空想妄想的な、目に見えない存在ではありません。

 今、この地球上に別の惑星から何万という天使方が、人類救済のために降りてきていらっしゃいます。その方々を、皆さんは「宇宙人」と呼んでいますが、正に、宇宙人です。

「イエス様は宇宙人であった」とか、「お釈迦様は宇宙人であった」といいますが、その通りです。あなた方も宇宙人です。

 「一なる宇宙」の中に存在する。1個の惑星が地球であって、あなた方は宇宙人だからです。

 その理由がおわかりだと思います。ですから、「天使方は、正に高度な宇宙人である」というわけです。

 イエス様が「わたしは上から来た者である。あなた方は下から来た者である」といわれたことは聖書にも書いてあると思います。

「下から来た者」とは、低次元の惑星から徐々に進化してきた者のことで、私達は地球の中間の学びをしているわけです。


人間の目的は何でしょうか。

 魂の向上、「自己完成」が最大の目的です。自己完成、魂の完成のために地球があるのです。

 この地球上で学ぶものがなくなったならば、もう1段高度の惑星に移される。それを「甦る」といい、「昇天」していくわけです。

 この地上界で完成されていない者は落第なので、それが完成されるまで地上界で生まれ変わりをします。

 「輪廻」を繰り返すのです。

 昇天すると、輪廻する者。高い方に帰るか、また、落第してここに生まれるか。それは、あなた方の自由意志です。

 今世で本当に神理を理解し、正しい道、方に添った生き方をすることによって、あなた方が完成されるわけです。


 あなた方は、今、それを求めておられます。そうした時、世の中の幸せはあなた方が造りだします。

 あなた方が救われた時、あなた方は世の中の指導者になります。あなた方を通じて人々が救われていく。それだけ高度な指導が出来るのです。

ケイシーリーディングから…♪

全身全霊で「神を愛する」大切さ
「神を求める祈り」をする大事さのお話

 エドガーケイシーは、宗教生活についてそのもっとも美しい表現の中で、この事を次のように語っています。

あなたがたは心を尽くし、思いを尽くし、体を尽くして汝のなる
(大生命・内在の神)を愛し、隣人を汝の如く愛するのである。

このキリストの与えた言葉が法則の全てである。
それに優るものは存在しない

 主が約束されたように、あなた方は
来る日も来る日も明想し、「祈りゆく」うちに到来するあの目覚めによって、
主(宇宙生命)が自分の意識の中に留まられる事を知る事が出来る
神我が中にまします・父と子は常に一体)。

 あなた方はこの目的のために、
主が臨在し、その御霊(キリスト)があなた方の中に留まるあの意識を、
あの自覚を讃えるために生まれてきたのである。」

自我・偽我 =表現者、原因である父なる神を忘れている状態(放蕩息子の状態)神理を知らない状態・自分の力で生きていると思って迷っている状態、肉体の己を自分と思っている我、分離感・分離意識で個別化された表現を別個の存在と認識している我・分離意識・エゴ・肉の感化、五感の感化を真実と錯覚している我・迷いの影、幻、幻想(マイヤー)・自己保存、自我我欲の心


真の自己(真我)=父なる神と常に一体の境地・ワンネス意識・全一の意識・神我キリスト、全ては自分、全ては我、全ては神、全てを愛する我に目覚めた状態・宇宙生命によって生かされている事を自覚して実感している我・私が生きているのではない、なるほど一つの生命である神が生きていらっしゃる、全ての知恵と力は神から与えられている、神の中身は神、全ての全ては本質的には神、神のみが生きてらっしゃるんだなと悟った我・神一元・愛一元・光一元・我神なり、全ては神なり、全てに神を観る境地・神は生命(霊)なり、我も生命(霊)なりの自覚・宇宙即我、キリスト意識・高我・実在・全てを愛し全てを許す境地・慈悲と愛・あなた即私・私即あなた・宇宙エネルギー即自分・無限即我・不変不動の絶対なる実在・普遍なる宇宙・無限者・宇宙神

FC2版の広瀬すずちゃんの横顔になる方法の記事です♪
身長を伸ばす記事も追記してみました♪

幸せオーラの正体♪日々の感情が貴方のオーラを作ります♪色に関しての諺は科学的にも正確♪貴方の全細胞が生き生きと輝き出す・生命が喜ぶ・嬉しい・楽しい・を体験する時、神は喜びます♪全てに対して感謝していると宇宙への愛に通じます♪悩み苦しみの根っこは愛の不在です♪生かされていることこそ最大の愛です♪三次元ドラマの卒業♪大切なのは、その人の心根、動機、純粋なる神への奉仕心♪神我一体とは無条件の絶対の永遠なる愛・愛と一体化を体得する事♪己の心の井戸を掘り続ける大切さ♪神性の光を見つめる努力♪魂が神へ近づく進化こそ魂の歓び♪神の本質である愛に生きましょう♪イエス様♪21世紀型サトリは自分を大切にして自分を愛するよう隣人を愛する事♪純粋な愛の動機で光の正道へ♪あなたの許せないという気持ち・憎しみ・悲しみは、実は愛情の裏返しだったのです♪愛は実践しなければ絵に描いた餅に過ぎない♪愛の実践者が新しい時代を築き上げます♪関英男博士のお弟子・山咲梅代さん・総まとめ記事♪


関英男博士のお弟子であられる
山咲梅代さんをご紹介♪

 今回は、あの有名な「洗心」を説かれた関英男博士のお弟子であられる山咲梅代さんの記事をご紹介させて頂きます。

 山咲梅代さんは関英男博士の「洗心」を徹底的に実践され体得されたそうでして、そういった霊的な努力を積み重ねていくうちに、チャネラーとして開花されたとの事です。

 それにしても昔書き出した山咲さんの記事を改めて見てみますと、あまりにも真理として的確て素晴らしい内容でしたので、嬉しい発見と共に脱帽したというのが正直な気持ちでした。

 やっぱり「洗心」は最高に価値のある「本物の修行法」なのだ…と再認識すると共に、常の心の方の「感謝」をもっと徹底的に磨き上げて行こうと改めて決意致しました。
 (ネガティブな方はもうとっくに克服しておりますので)

 今回の内容を見て頂いたらお分かり頂けますが、
本当に「感謝」「感謝」「感謝」なんですね。

 お恥ずかしい話ですが、実は私…昔は、感謝が大事なのはわかるけど、ヨガとか呼吸法とかの凝った行法の方がなんか…かっこよくて高尚なんじゃないの…って間違った認識をしていた事を思い出しました。

 スピリチュアル初心者にありがちなミスですね(笑)、いやぁ~お恥ずかしい限りです、本当に^^;。
 まぁ…当時はまだ初心者でしたから(汗)

 ですが、今はやっとこさ、神様の千載一遇の摩訶不思議な「感謝の大切さ」に気づくシンクロニシティの神仕組みといいましょうか…、神様の有り難いお導きのお陰で、何よりも「感謝」が一番大事で、奥深い最高に価値ある行だと気づかせて頂いております。

 私の心が常に「平安と安らぎ(シャローム)」の至福の境地なのも、この世の闇の影響を受けない「光る者」になれたのも、波動に超鋭敏なのも、「洗心」の嬉しい効能のひとつなんだろうなぁ…って、そんな気がするのです。
 もちろん複合的な要因がありますから、一概にそれが要因の全てだとは言えませんけれども…。

 ただ一つ申し上げたいのは、「洗心」の習得で、高次元な存在とのチャネリングが出来るようになった方もいらっしゃるという事実が、間違いなく存在するという事です。

 よく心を磨くとはいいますが、私が知る限り、心を磨く方法を最も的確に表現されているのは「洗心」だと私は認識しております。

 心の修養の項目が一番細分化されていて実に分かりやすいですし、心の修行の的確な指針としてはうってつけではないでしょうか。

 ぜひこの機会に「洗心」の実践に目覚めて頂いて、体得して頂きましたら、山咲さんの様に、貴方にあった嬉しい超能力が開花しちゃうかもしれませんよ(笑)。

 私も「洗心」の体得により、意識が変容している一人で御座います。皆様もぜひ、洗心の実践によって、心の内部が変容していくのを体感して下さいませ。
 

  
つきのひびき様(最高級にすごい方のブログです♪)
Author:森野 羽菜(もりの はな)
神奈川県相模大野・平塚・大磯 東京都町田市
直傳靈氣教師・臼井レイキマスター・カルナレイキマスター・クンダリーニレイキマスター(クツミ~)エンジェリック・カードマスター・パステルインストラクター・パステル和認定校・センセーショナルカラーセラピスト・言霊修道士教師・音叉療法・神傳両方
各種講座およびヒーリング(対面・遠隔)、伝授(アチューメント)

から引用させて頂きました。心から感謝申し上げます♪有難うございます♪

洗心(せんしん)は心を浄化するという意味です。
関英男先生という工学博士が推奨されていたもの。

関先生は国際電気通信(KDDIの前身)で受信機のテストをしているときに、宇宙から飛びこんできた音に気付きます。

星たちが まるで語り合っているかのように聞こえたそうです。
そして、自分と宇宙との繋がりを解き始める。

見えたり見えなかったりしていた星たちが ぐんと光を増してはっきり見えるようになり胸の中がすーっとする。
空から一切の雲が消え、澄み切った天空。

関先生の胸も透明度を増したといいます。
この時、関先生は天も人間の心も同じなのだという感覚に包まれたそうです。

自分の心に幼子のように邪心のがなくなり、まっすぐになれば宇宙と心が繋がる。
そう思ったそうです。

『洗心』の教え

常の心
「強く正しく明るく、我を折り、宜しからぬ欲を捨て、皆仲良く相和して、「感謝」の生活をなせ」

ご法度の心
「憎しみ、嫉み、猜み、羨み、呪い、怒り、不平、不満、疑い、迷い、心配ごころ、咎めの心、いらいらする心、せかせかする心を起こしてはならぬ」

この教えは いつでもどこでも大切な言葉だと私は思っています。
これが実は自分の波動をあげ、高次元の存在と繋がる大切な心なんです。


ここからが山咲梅代さんの内容になります♪

幸せオーラの正体と効果

 オーラとは、生命あるものが周囲に放出しているエネルギーで、感情ある生きものに関して、日常の感情が形成するエネルギーと定義しました。

 オーラは誰もが持っていて、その色、濃さ、大きさはその人の心身の状態によって変化します。同じ人でも、その時の心の状態によっても違ってきます。今はオーラや波動を測定する便利な文明の利器があります。

 幸せの人のオーラは、ひときわ明るく、綺麗です。心の暗い人、悩みを抱えている人、病気の人は、オーラもくすんで暗くなっています。

 人のことを構わず、自分の欲望を満たさんがために生きている人のオーラは、濃く、強く、濁っています。オーラ測定器で、ご自分のオーラを確認してみるといいでしょう。

 著者と娘は、生まれながらにして人のオーラが見れる能力を授かっていて分かるのですが、精妙な文明の利器で一度、自分が周囲にどのような影響を与えて(どんなオーラを放って)いるのかを、確認されてみることをお勧めします。

 また、オーラを見る方法は、訓練によっても十分開発できます。人はなんとなく人の気配、オーラを感じています。

 綺麗なオーラ、幸せオーラを発する人は、波動測定器によっても両手、両足の波動の数値が高いようです。私はかつて、江本勝氏開発の波動測定器で測定してもらったことがあります。両手両足の経絡のツボに当てて測定します。

 普通の人は40~50くらいの数値らしいのですが、私の場合はいずれも87~90の間で、測定者がびっくりして

こんなに数値の高い人は珍しい。まあ俗にいう波動の高い人だけど、あなたこんなに高くて日常生活やってられますか?とおっしゃって下さいました。

 普通の人の二倍以上のパワーが手足から出ているのですから、驚かれるのも当然かも知れません。

 また、オーラ測定器によっても、感情がオーラに大きな影響を与えていることがよく分かります。同人物であっても、怒ったら赤くなります。恋をしている人は、ピンクの♡というくらいにピンク系が見えます。

 感情が脅えると、灰赤色になります。人を羨んだり、嫉妬すると、英語では「緑の目をしている」と言いますが、濁った緑色に変化します。マタニティーブルーといいますが、悲しみに包まれるとどんよりとしたブルーに変化することもあります。

 昔から色に関してのことわざがありますが、科学的にそれらは大体あたっているようです。日々の感情が、その人のオーラを形作っています。そしてオーラも、主な色(主色)はありますが、単色ではなく部分的な色も見えます。

 作家の美堀真利さんは、幸せオーラを発する人の周りには、自然と人が詰まってきます。幸せオーラを出している人と一緒にいると、安らげたり元気を分けてもらえるから、

そういう人周りにも幸せになってもらいたいという気持ちを持っているので、快く手を差し伸べて励ましたり出来る。彼氏や夫がどんどん出世して、「あげまん」といわれる女性は大抵幸せオーラを持っています」とおっしゃっています。

 幸せオーラのある人は、まわりも明るくしていきますから、喜びが歓びを呼んで世の中をどんどん明るくしていきます。

「幸せオーラ」であれば、身体も健康に、運もどんどん良くなり、心も平安でいられます。病は気からといいますが、気が病むと病気になり、オーラを見てもその患部がもやもやとくすんで、ダークな部分が見えたりします。

 綺麗な幸せオーラを発すれば、人は誰でも健康に、運も上昇して毎日が楽しくなっていくようです。


天界メッセージ 神は愛なり 観音様 女神様より

神は愛なり。
そのことに気付くために、
人は霊の階段を、一歩ずつ、
神に向かって、登っているのです。

その無条件の絶対の、
神は愛なり。

本質の初めから終わりまで、
代々限りなくある愛、永遠の愛を、
知るため、学ぶため、その愛と、
一体になるために、
人は、何度も転生を繰り返します。

神我一体とは、
その愛(神・真理)を(理解して)体得することだったのです。

その無我の愛(慈悲と愛は宇宙真理)、
空気のような、目には見えないけれど、
在りて在るもの。
(神は全ての全てありとあらゆるもの・宇宙に遍満する大霊・大生命)

永遠の昔から、在りて在るもの。
その愛を知るため、気付くため、
一体化するための、
長き学びの場であったことでしょう。

幸福とは、
身近な当たり前の中に存在します。
それは空気のように、存在感。
華々しさはないけれど、
歴然として、在りて在る。

幸福とは、遠くに探して行くものでなく、
外に求めるものでなく、
己が心の井戸を掘り続けて、
宝を見出すものなのです。

幸福とは、愛を感じること。
愛の波動に包まれること。
何も特別なことではないのです。

ささやかな幸福の中にこそ、
喜び、愛が、いっぱい、いっぱい、
つまっていたのですね。

愛しています。
いつも、代々限りなく、
愛を送り続けます。

神は愛なり

神の波動(慈悲と愛・愛と調和)により近づきなさい。
小さき悟りで、満足してはなりません。

空気のように、愛そのものに、
あなたがなった時、あなたは、
神と一体化したといえるのでしょう。

行いにおいても、想いにおいても、
そうなってほしい。
自己満足の小さき悟りではなく、
神の愛を、この世に実現して下さい。
その器となって下さい。
心を透明にして、宇宙の純粋な導管としての
働きをなさってくださいね。
いつも、応援しています。

光の世界の同胞より 
☆光の世界の同胞方とは、観音様、女神様です。


神性の光   光の世界の観音様、女神様より

大切なのは、この世の評価ではないのです。
人々に、賞賛されようが、
愛されようが、認められようが、
関係ないのです。
名誉、肩書、富、地位ではありません。

大切なのは、その人の心根、動機、
純粋なる神への奉仕心があるか、
どうかなのです。

この世には、当初
世のため、人のためと、尽力されながらも、
途中で、己(おの)が保身や、
先生と崇められる内に、
増上慢になって、なかなか人の覚醒を
認めない指導者が、いっぱいいます。
あなたはそうならないように。

イエスはどうでしたか。
イエスは、貧しき人々を愛されました。
この世の見向きもされない、
捨てられた人々を愛し、
彼らと共にいました。

彼は、宮殿にいませんでした。
統治者にもなりませんでした。
神殿で人々に説教するということもしませんでした。

ただ、虐げられている人々の
声に耳を傾け、罪人だと思う
彼らの意識を開放したのです。
「汝の罪は許された」

人はもともと罪人ではなかったのです。
神の神性、仏性が宿っています。
イエスには、それが見えたのです。

捨てられた人々の中に、
絶望した人々の中に、
美しき聖なる光を、見出したのです。
イエスは、最後まで、
彼らと一緒にいらっしゃいました。

「神よ、彼らをお許し下さい。
彼らは、自分たちが何をしているのか
わからないのです」
と天へとりなしをなさいました。
最後の最後まで、イエスは
人々の神性を信じていました。

結果として、彼は十字架にかけられますが、
仮相の表面の表面にあらわれる
その人の本質、内奥に燦然と輝く、
神性の光を見続けられた、
イエスにこそ、偉大な方であります。

私達の意識は、かくありたいものです。
日常生活に戻れば、
あの人が、私に冷たい言葉をかけた、
態度をとった、私を大切に扱わなかったと、
様々な感情が、すぐ表面にあらわれがちですが、
もっと、その方の本質を信じて、
見つめる努力をしてまいりましょう。

たまたま、その方が機嫌が悪かったのかもしれないし、
その方自身、
深く打ちひしがれて自己否定されている
かわいそうな方なのかもしれません。

このような、神性の光を
見つめる努力こそ
愛の眼差しそのものですね。
愛の眼差しで見て、語り、
微笑みましょう。
世の中はどんどん光輝き
明るくなってまいります。
天界からのお願いです。

光の世界の住人より

☆光の世界の住人も、観音様、女神様方です。


悩み、苦しみよサヨウナラ

 悩み苦しみの根っこが愛の不在であるとわかったならば、愛の樹を育てることです。愛ってなんですか。

 人は愛を求めて、外の世界から他人の評価、賞賛、人に誇らんがために物質を求めるのですが、愛が潤っている人は外には求めません。

 愛が潤うとは、自分を徹底的に愛し、大切にし、無理してきた自分、頑張ってきた自分を許すことです。その時あなたは、泣きながら温かい感情に包まれるでしょう。

 台風のように荒れ狂っていた感情の暴走が、ウソのように消えて、晴れ晴れとした気持ちに包まれるのです。悩み、苦しみよ、サヨウナラ。


感謝
 
ありがとう。すべてに。
ありがとう。すべての体験に。
ありがとう。すべての学びに。
ありがとう。私に怒りという感情を教えてくれて。
ありがとう。自分を大切にするということを学ばせてくれて。
ありがとう。ありがとう。
すべてはありがとうしかありません。

すべての事象、物事、人を感謝の気持ちで見つめ始めると、それは宇宙への愛へと通じます。今どんな辛い境遇にいても、夜明けはやって来ます。

 その時その方の魂はひとまわりもふたまわりも大きくなって、傷つけた人であっても、騙した人であっても、裏切った人であっても、
「鍛えてくださってありがとう」という気持ちにまで昇華できます。

 地上の皆さんは、愚痴る習慣がありますが、何時までたっても堂々巡りです。運命を変えたいと思ったら、「ありがとう」の視点に切り替えることです。そこから幸福な人生が始まります。


悟り 悟りにも段階がある  

 悟りにも段階があります。精神世界を学び、見るもの聞くものスピリチュアルなものばかりに囲まれ、常に心を精神世界に向けていると、人は荒い物質波動から精妙な波動へとなっていきます。

 肉体に封じていたライトボディ(エーテル体、アストラル体、メンタル体、コーザル体)が肉体から大きく拡大し、オーラが眩しく輝く人も出て来ます。その人が室内に入って来ただけで、空気が変わるほど、いい影響を与える人も出て来ます。

 心は静寂になり、人から相談を受け、スピリチュアルな解答をするので「先生」、「先生」と呼ばれだしたりもします。

 なかには、霊道が開け、見えないものが見えたり聞こえたり、異語が話せたりする人も出て来ます。アラハンという段階です。ここでその人の真価が問われます。

 小さな山に登って、お山の大将となり、「ワレこそ人類を救う」「ワレは◯◯大神」、「ワレは如来なり」と言い始めたら、その人の腰にしっぽが生えていないかよく見てみる必要があります。

 四次元以降の世界には、光の正道と裏街道(天狗界、動物霊界等)とがあり、裏街道からも異語を語り、霊能力を得たり、予言をしたり、治療をしたりすることが出来ると言われています。

 光の正道は、山に登ろうとはしません。なぜなら光の世界を体験した者にとって、同じ生命上も下もないひとつの生命ということが、充分にわかっているからです。

 サトリを目指すなら、光の正道を歩んで、光の世界を目指して下さい。小さな山を作って乗っかり、「ワレはスゴイ!」と言っていると自己満足の悟りに終わってしまいます。


概念の悟りでは人を縛るだけ

 かつて有名な先生が説かれた真理の本を百冊読めば、誰でも方を説く事が出来ます。でも、それはその人の悟りではなく、有名な先生方が説かれた教えのオウム返しです。

 知識で得た概念の悟りでは、「~してはならない」「~しなければならない」、「~あるべき」、「~ねばならない」と、 ”ねばねば納豆” のように、非常に縛りをかけてきます。窮屈です。
 概念の悟りでは人を救えません。人を縛るだけです。

 21世紀型スピリチュアルリーダーは、光の世界を体験して、同じ等しき生命が充分分かっていますから、軽やかで明るいです。

 「そのままでOK」とまるごと受けとめ、愛を放ちます。縛りを受けた方々の霊をほぐして、開放していきます。そして見返りや賞賛を求めません。淡々と天の導管としての仕事をさせて頂くだけです。

 
小さき悟り
 
 悟りの山に登って、「ワレは覚醒した」、「ワレはカミ(神)ナリ」、「ワレこそ人類を救う」と言い始めたら、天上の世界では、「小さき悟り」と言っています。「ワレはカミナリ」とおっしゃるのでカミナリ族とも言われています。

 光の世界では、握りこぶしを上げて、「ワレはカミナリ」、「ワレらこそ人類を救う」とは言いません。あなたも私も同じ生命、神に向かって、愛に向かって、上を目指して歩みます。小さき悟りに満足してはなりません。


神我一体の幻想

 瞑想が深くなってくると、神と一体化した光惚感、至福感を得ることがあります。神我一体の境地ですが、感じたというだけで、それですべて覚醒した、悟ったとは一概に言えない、と私は体験した上で個人的に思っています。
 
 神我一体を体得した人は、皆人格が立派か、本当に悟っているかどうかというと、実生活を見ないと分かりません。中には本当に悟られ、ご立派な方々も多いことでしょう。そう願っています。

 光の世界の住人は、神我一体を求めるより、目の前で泣いている、悩んでいる隣人を勇気づけたり、励ましたり、愛を注ぐことの方に大切さを置いています。

光の世界

 眩いばかりの光の世界。生命が燦然と輝き、いのちがきらめている世界。個ではなく、ひとつの生命が等しくつながっている世界。ここを体験されると、人との競争、分離がなくなります。

 そんなに世の中で評価を得ようが、誉むべきものは何一つ無い、天に影響を返します。人生観が変わります。この光の世界の宇宙の愛を知ったら、何に頑張ってなろうとしなくても、善人、聖人にならなくても、そのままで愛されていることに気付かれるでしょう。
 私は光の世界のメッセンジャーでありたいと思っています。


悟りであなたが得たいものはなんですか

 悟りであなたが得たいものは、賞賛ですか。人より秀でているという特別意識ですか。人は真価を問われる時、点はその人の心根を見られます。
 己がための悟りを求める人は、小さき悟りに、純粋な愛の動機にて道を求める人は、光の世界へと入っていかれることでしょう。


21世紀型サトリ

 20世紀は、お偉い先生が説かれる教えを、教科書通りに真似て、「まだまだサトリに至っていない」、「自我を取らなければ」、「心を浄化しなければ」とねじり鉢巻で頑張る世界が多かったようです。

 まだまだ不安感がいっぱい。だから、「先生」も必要という。サトリも程遠く難しく感じられました。

 21世紀は、明るく爽やかに、光の世界を知っている方々の時代です。その人は先生になることもなく、愛の一実践者でありたいと思っています。

「あなたもそのままでOK」、「素晴らしいね」と、お互いがお互いを認め合い、褒め合い、相手の中に光を見出し輝かせます。

 そして、お偉い先生が救ってくださるのを待っているのではなく、「自分で自分を救うんだ」、「救世主は自分なんだ」とわかっていらっしゃる方々の時代です。

 サトリも軽やかで、自分を望む人生を楽しく歩んでいきます。21世紀型サトリは、はるか遠くにあるのではなく、日常の中に、毎日発見がいっぱいあったことに気付かれます。

 サトリとは実に簡単でした。
 自分を大切にし、本音と生き方を一致させ、
自分を愛するように(目の前の)隣人を愛する」ことでした。
 
 加えて、すべてに感謝するということです。
ありがとうございます。生かしてくださって
ありがとうございます。楽しいです

ありがとうございます。辛いけど、このような気付きの体験を与えてくださって ありがとう、ありがとう、生きている今しか体験できないことなのだから。愚痴、不平不満、恨みよさようなら。

 21世紀は、軽やかに「ありがとう」しかありません。


愛の実践者

 光の世界を知った人は、愛の一実践者であろうとします。愛の実践者は、マザー・テレサのように、ナイチンゲールのように目の前の隣人に愛を注ぎます。あふれる愛の思いは、抑えられません。見て見ぬふり、知らぬふりは出来ません。

 目の前の隣人、それはまずあなたの夫、妻、子、親、友人、知人でありましょう。各々の人生を歩んで来られる過程において、みんな心の傷を負っています。人間としての弱さ悲しさも充分わかった上で、それでも許して愛せる器の広さ。

 それを天上では、「菩薩の愛」と言っています。そのような境地に至るまで、幾万転生、今世においても人に言えないほど涙を流し、熱き炉をくぐり、練りに練られた純金の魂の方々です。

 その人達は、人を見る時、地位や肩書や立派な説法をするとか表面を見ません。その人の愛の光を見ます。立派な教えを説かれる方でも、愛の量が弱くくすんで見えることもあります。全き無名であっても、世のため人の為愛を純粋に放っている方は、愛の光が燦然と輝いています。

 そのまま受けとめ愛す「菩薩の愛」にまで至るには、それだけのキャリアがいりますが、今日から愛の実践者になれます。自分を大切にし、なおかつ同じ生命の隣人を大切にすることです。

 もう隣人に対して、心ない言葉はかけられないでしょう。
同じ生命(同一の命・宇宙生命)がつながっているのですから。合わせ鏡のように、あなたが微笑めば相手もニコッとしてくれます。

 みんな寂しいのです。愛が欲しくて、人に与えてもらいたくて、誉めてもらいたくて、あなたもこの気持がわかるでしょう。みんな気持ちは同じなのです。

 嫌な言葉はかけてほしくないのです。傷つきたくないのです。愛の実践者なら、自分を大切にしながら、人を喜ばせることが趣味となるくらいに楽しまれたら、世の中どんどん明るくなってきます。

 愛の実践者とは、人がしてくれるのを待つのではなく、勇気を持って一歩踏み出し、自分から愛の花束を相手に差し出す人たちのことを言います。


天界メッセージ 真我のきらめき  光の世界の同胞より

あなたの許せないという気持ち
憎しみ、悲しみは、
実は愛情の裏返しだったのです。

あなたが欲しい愛情、
分かってもらいたい、認めてもらいたいと
地団駄を踏んでいる相手こそ、
愛を受け止めて欲しい相手なのです。
愛を頂きたい相手なのです。

三次元世界のこの世では、
感情の嵐がわき起こります。
竜巻のように、激しく起こり、
心は暴走します。

その根っことなっている基は
何かというと、愛だったのです。
憎しみ、悲しみ、恨みは、
愛の対局なのに、
なぜと思わるでしょうが、
愛が満たされないから、
人はこおろに竜巻をおこし、
感情が暴走するのです。
心にもない言葉を、つい言ってしまうのです。

言わざる、見ざる、聞かざるのように
出来たらいいでしょうが、これも
生きた人間とはいえません。
無難な人生を歩まれるでしょうか、
血の通っていない置物です。

なぜと、あなたは問いかけたいようですね。
人は生きています。
その沸き起こる感情がすべて百パーセント、
プラスばかりとは言い切れないでしょう。

喜び、感謝、喜び。
感謝、感謝、感謝。
しかし、心の根っこをひもといていくと、
なぜそういう感情になるのか、
思いになるのかを自身で解明した時、
そのマイナスの感情から卒業できます。

これを心の浄化といいます。
日々、死するまで、心を見つめて、
その感情を清めていくことで
無限の喜び、
「無限の感謝」と「真我」と出会います。

その時、その人は本物です。
もう人と比べることもありません。
小さき悟りに満足することもありません。
私達には、地上の皆さんに、そうなってほしい。
生かされている歓びを心底、
体感して欲しいと願っております。

重き波動の地上において
あなたの働きは大きいのですよ。
自分が選ばれたと思わないでください。
神は万人を選んでいます。

最後の最後まで、愛し、信頼しておられます。
選んだのは、あなたです。
あなたが光の道を選びました。

癒やしのパワーも、
天上の光が降りてきています。
そのことを謙虚に受け止めて下さい。

もっともっと、心の井戸を掘って、
真我をきらめかせて下さい。
私達の願いです。

光の世界の同胞   
☆光の世界の同胞方とは、観音様、女神様です。


天界メッセージ 愛の実践  光の世界の長老より

汝のなすこと、愛なりき。
汝の為すこと、真の愛の初穂なり。

言葉ではなく、行いにおいても
実践しゆる汝は、天の誇りなり。
口先だけ立派であっても、
心混じりき者多い中、汝の
純粋な想い、神は喜ぶ。

愛が拡大すればするほど、
隣人に無関心ではいられなくなるであろう。
愛と一口に言うのは、易しいが、
実践するもの少なき。

誠の愛とは、その隣人のために
我身を削ってでも、尽くせるかと
いうことなり。
そこまで愛が高まった者ならば、
尽くすという意識すら超越して、
神の子羊に仕えさせて頂いていると、
想うばかりであろうか。

まことに美しき魂の持ち主なりき。
この地上は、へりくだる者をにし、
踏みつけ、自分たちのことしか考えぬ者多き。
嘆かわしきなり。

汝は、自己を捨て、愛が
隣人まで、広がるゆえ、
誰が誉めなくても、
天は、誇りに思うなり。

愛は、実践しなければ、
絵に描いた餅に過ぎぬ。
日々、目の前の隣人に実践してこそ、
愛の実力が、育つというもの。

汝は、もう気づいておろう。
今は、ふるいの時期なり。
神の子羊と、そうではない者とに。
天界から見れば、動機まで、見透かすゆえ、
正確に、ふるい分けられるなり。
その者が、誠の愛の者か否かは、

その実を見ればわかるなり。
白黒はっきりと、分かれるなり。
心穏やかに、平安に、
光の世界へシフトするなり。
乗り遅れるでない。
心を透明に、愚痴、恨み、悪口を
捨ててしまうなり。

もう動き出しておる。
愛の実践者が
これからの時代を築いていく。

ささやかながらの、人目につかぬところで、
愛を実践する者たちが増えると、
地上波光明に満たされるなり。
愛しておる。


あがない主 イエスからのメッセージ♪
天界メッセージ アトランティス黎明の光

アトランティスの黎明の光
汝を照らすなり。
アトランティス。
海底に沈みし、われらの文明。
はるか1万2000年前に沈みし、
叡智の文明であった。

美しき調和が破れたのは、
人の我こそはと思う
自我、欲心であった。
自分のことしか愛せない
人が増えた時、
利他に生きる愛の隣人を
人は殺してしまった。
それゆえ、今世覚醒に恐れをなすもの、
心の扉を完全に
聞ききれない者たちも多い。

私の声がわかるであろうか。
われはアガシャ、叡智の偉大な王なり。
われは人々に、物質世界で
成功する道を説かなかった。
見えない霊世界で、生きる道を説いた。

人々よ、肉に生きるのではなく、
霊に生きなさいと語った。
その中で、われが伝えたのは、
神の本質、愛であった。

神が完全であるごとく
あなたがたも完全になりなさい。
神に似せて作られた、われわれ人間
なのだから、本心に立ち返って、
神のごとく、愛に生きなさい。
神に近づきなさいと語った。

魂が、神へ近づく進化こそ、
魂の歓び。魂を揺さぶる体験も、
仮相の世界で、真実の愛に
気付くための第一歩であったのだ。


天界メッセージ 三次元ドラマ  光の世界の長老より

喜怒哀楽の三次元のカラクリに、
もうそろそろ、汝は気づい始めている。
原因を他に求め、人を避難する滑稽さ。

人生それぞれの配役を、
各人が果たして生きている。
この世に生きている、生かさせて
頂くということさえ、
とても価値のあることなのに、仕方なしに、
その日暮らしをして、
生きてやっていると思っている者も多い。

自ら志願して、
この世に生まれてきたのではないか。
今というこの時期、厳しき環境を選び
己の魂を、より広く高く成長させるために
生まれてきた冒険家達なのだ。

皆、天使たちである。
光と闇があるが、もともと宇宙創造神が
作られた世界は、光しかなかった。
闇や光の陰、実体はないのである。
それを認める所に、影は存在し、
光の心で照らすことで、闇や消え失せる。

最初から、光しかなかった。
純粋なる、愛の思いしかなかった。
悲しみ、苦しみがあると見えるのは、
己の濁った心の反映なのである。

人は純化していくに従い、
喜怒哀楽の感情に翻弄されることに、
しさを感じる。
憎しみ、恨み、嫉妬心も、時間が経てば、
薄れ、小さくなっているであろう。

愛は永遠に、その人のハートに残る。
(永)とこしえに、変わることはない。
皆、神の愛を知っている。
生かされていることこそ
最大の愛なのだが、
それに気づける者は幸いである。

曇った眼(まなこ)でものを見、
神が与えたもうた、
この世界に感謝しない。
いつも不平不満を言い、
実態のない、偽りの目に見える、
物質を追い求めようとする。
物質の奴隷になってはいけない。

汝の求めるもの。
心底欲しいものは何であるか。
何が一体、大切なことであるか。
よく己の心を見つめなさい。

認めてもらえなかった寂しさに
泣いている己もいるであろう

喜怒哀楽の渦を実体を認め、
その渦にどっぷりと浸かっている間は
三次元ドラマを延々と演じ続けるであろう。

汝は気づき始めている。
イエスは、その人の神性
光を、常に見続けられた。
神が与え給うた、
この世に感謝し、
日々謙虚に愛の道を、歩き給うた。

日々、愛の道を歩きなさい。
毎日、毎分毎秒、愛の道を歩んでいるのだ
と、自らに言い聞かせ、確認しなさい。

感情に翻弄されることがあるのなら、
自分は愛の道を選ぶ、きっぱりと断言しなさい。
瞬時、その心は移ろいやすいであろう。

毎分毎秒、「神は愛なり。われも愛なり。
われは光の道を歩むなり」と潜在意識の中にまで、言い聞かせなさい。

心が光でいっぱい満たされると、
自然と合いの行いばかりになるであろう。
また、周りの人のやること成すこと。
愛の眼差しで、
忍耐強く見られるようになるであろう。

人でなかったのだよ。
自らの心の光の量が弱かったから。
人を責めていたのだ。

そのことに気づいたのなら、
今日から、自らの心を
光いっぱい、愛いっぱいに
満たしていくことに集中しなさい。

真の幸福とは、結構ささやかな
毎日の中に見いだせるものである。
青い鳥の話ではないが、
目の前に、身近に
幸福の種があったことに気付くであろう。

幸福の種を育てなさい。
愛と光の眼差しで、各々が育てるのだよ。
それは大きく成長し大木となって
いっぱいの実を結ぶこととなろう。
これが、神が与え給うた才能を
充分に生かすということなのである。

愛をこめて。


天界メッセージ 可能性  光の世界の同胞団より

今、今という時を生きなさい
他人に基準を合わせるのではなく、
人にどう思われるとか、
善人になる必要はありません。

あなたの全細胞が生き生きと
輝き出す、生命が喜ぶ、躍動する
嬉しいなぁ、
楽しいなぁを
いっぱい体験するとき、
神は喜ばれます。

辛い、悲しい、嫌だなぁと思うとき、
神は悲しまれます。

似たような体験であっても、
それを幸ととるか、
不幸ととるかはその人の意識の問題です。

かと言って、すべて自分が原因、
悲しみの原因は自分の心根の持ち方にも
よるのですが、全て自分が蒔いた種とは
言い切れない部分もあります。

宇宙は多様です。
この角度でしか宇宙が覗けないのではなく、
いろんな多角的視野でもって、
立体的に全体が分かるでありましょう。

宇宙が無限であるように、
あなたの思想も限界がありません。
この生き方が正しいとか、
あれがいけないという権利はありません。
ただ、あなたがその選択をするだけです。

幼な子のようになりなさい。
天国はこの者たちのものであると
いわれたのは、無邪気で、
屈託もなく、変な既成概念を
子供は持っていないからです。

純真です。
神を愛します。
神と取引しません。
これだけ善行をしたから、
スピリチュアルな道を歩んでいるから、
自分たちは救われるとか、
物質波動の重きものは救われないとか、
そのような事はありません。

自らに安らぎを求めて、
神を探求したのに、
かえって自分の本音を
厚い蓋で覆い隠して、
一律に皆、
善人、聖人になろうとして
無理をしています。

お金は悪いものですか
この物質世界を営むには、
衣食住を満足させるには、
人に世話される聖人で、果たして
心は歓びますか。
躍動する生命は喜ぶでしょうか。
お金は紙幣です。

人々の想念が交通の紙幣を通じて
変換できるのがエネルギーであります。
感謝して使うのか、受け取るのか。
悪いものとして軽蔑して、
でも本音は欲しいのに、
やせ我慢するのか。
あなたはどうなのですか。

生きるということ。
これは天上は即思えば、すぐに
実現する世界ですが、肉体を持つと、
衣食住を満たして活動しなければなりません。

運命を切り開いて行く勇気、
知恵も、かえってスピリチュアルな
世界にどっぷりとはまってしまったばかりに、
その一歩が踏み出せずに、
臆病になっている人々が多くいます。

あなたはこれらの人々に勇気を与えるため、
宇宙の愛を伝えるために、
やってきました。

極論に走らないで下さい。
物質はないという教えに固執すれば、
その人はやがて貧乏になっていくでしょう。
心が全てなれば、
肉体を持たねばよかったのではないですか。

悟れば立派ですか。
悟りと人々はいうけれど、
本音をごまかして、
善人ぶること、
聖人ぶること、
神と一体化したなりというのは、
妄想です。

人生を切り開いていく
勇気と知恵をもち、
なおかつ愛の人であったならば、
その人は本物でありましょう。

幸福になる権利を
誰もが持っています。
その幸福な人生は、格々違うものです。
皆が清貧の善人、聖人になる
必要はないのです。金持ちの善人、成人もいるのですから。
ワンパターンの味方だけが、
すべてと思わないで下さい。
井の中の蛙になることなく、
広い宇宙を眺めて下さい。

神は
人の子が喜ぶ
幸福を体験することを望んでおられます。
神は、
自分の望む生き方を人々に押し付けません。
ただあるがままを
受け入れ、愛し続けられます。
これだけ善行をしたから、
清貧に徹したから救われる
というのは妄想です。
幸福になることを望んでおられます。

幸福とは、
各人において違う多様なものです。
本音と生き方が
一致する時、
その人は幸福でしょう。
ムリしないで下さい。
あなた(※著者の方)は貪欲に求める
タイプではないからいいのですが、
富ばかり追い求めると、
魂が枯渇するのは事実です。

両方のバランスをうまくとること。
三次元世界も充分に、
生きてきた自由さ、
これは運命を自分で切り開いていく、
誰の観念に縛られることもなく、
与えられた自由と平等にのっとって、
成功すること。
可能性を広げること、

それだけ多くの人に、
いい影響を与えられます。
自信と勇気です。
それに愛を与えられたら、
神は、人の子を創られた歓びを
味われることでしょう。


 エドガー・ケイシーは常に惑星上に受肉(転生)した魂としての人間の存在が一つの目的を持つこと、その目的とは個々の魂と神との関係(全ては神ご自身・全ては一つ)を悟ることに集約される事を訴えています。

 ケイシーは、神の栄光は全創造物の中に現されている(全ての全ては神の現れ・神の他には何も存在しない)のだと繰り返し語っています。

 「人間性の全体、体と心とが神の現れ」であるという明快な言い方を採るエドガー・ケイシーのリーディングを引用して、魂の論に結論を出してみましょう。

汝の体、汝の心、汝の魂が地上での神の現れであり、他のどの魂もそうであること、汝の体は現実に生ける神の宮なることを知れ。

 あなたの知る善の全て神の全ては、他人の考えること、他人の行うことではなく、あなた自身を通して、あなた自身の中に現されているのである」

イエス様の名言♪
「我は汝らに告げる。汝の隣人を愛せよ。の仇(かたき)を愛し、汝らを責める者の為に祈れ。これ天(内・潜在意識の最奥)にいます汝らの父(キリスト)の子とならんため(※神我キリストへの覚醒めの為)なり。

 人は異質の統一を見、不和の調和を見ます。自分とは違う人々との接触に神の光(大愛・宇宙生命・神)を観ます、その時にのみ「汝の隣人を愛せ」という戒めの真意を理解できるでしょう。


問「キリスト意識とは、心の上にかたどられ意志力による目覚めを持つ、
魂と神との一体の自覚(無限・宇宙との一体感)と述べて宜しいでしょうか。」

答「その通りである。それが正しい考え方である。」

 
キリスト意識に覚醒めた)人は凡人には見えない、奥にある一体と本質と調和
(宇宙生命・神我キリスト)を観ます。人はただ愛するのみになります

 キリスト意識に覚醒めると、(全ては神であり自分そのものですから)憎む事はできなくなり、羨(うらや)む事もなく、悩まされもせず、拒まれもせず、挫折も、恐怖も持つ事はありません。

 (悟り)人は自分自身の魂と万物を一つと観ているため、あらゆるものの中にキリスト(神我)を観ます。これが覚醒めであります。
 これがキリスト意識、クリシュナ意識、神意識であり、これが天国に招かれる真の改心なのです。

 愛という言葉ほど大きく誤解された言葉はないでしょう。この真意は、
自分の中にも他人の中にもある愛の光(キリスト・真我)を見つめる事にあります。

 聖なる愛(大愛・宇宙エネルギー)が神から来るように、愛は個人の魂から放たれます。
人が明想を通して神にその魂を同調させる時に
聖なる愛はあらゆる憎しみや嫉妬に打ち勝つ力と共に、流れ出てきます

 「汝の敵を愛せ」という言葉には何ら論理的な矛盾も心理的なパラドックスもありません。愛なる語(全ては一つの悟り)が強められれば、敵は自動的に敵は無くなるからです。

ケイシー・リーディングから……♬
己の生命とは、すなわち神である。何となれば、汝の兄弟に為したるその事は汝の内にまします神に為したればなり。
貴方の兄弟のためにする事はあなたの内に内在する神にする事です

隣人との接しを通じての神の愛は終日の作業です。我々は神がどのような形で自らを示されるかを知る由(よし)もありません。(全ては神の具現)

 それはタクシーの運転手かもしれず、店員かも、学生かも、今日しかも、患者、医者かもしれません。
 だからこそ、我々は荒い言葉、怒った顔を慎み、非難を愛に変えて常に、あらゆる人との接触で(全ての全てであられる)神を崇めるのです。

 求道者がこの段階に至ってなければ、聖なる愛を自ら実践することによって明想全てに神を観る・我神なりの自覚)を続けなければなりません。

 神への、我らが家(久遠のホーム)への、本源への、我らがの目標(神我顕現・神との合一)への探求は、こうして全的な働きとなります。

  エドガーケイシーは、宗教生活についてそのもっとも美しい表現の中で、この事を次のように語っています。

あなたがたは心を尽くし、思いを尽くし、体を尽くして汝のなる
(大生命・内在の神)を愛し、隣人を汝の如く愛するのである。

 このキリストの与えた言葉が法則の全てである。
それに優るものは存在しない

主が約束されたように、あなた方は
来る日も来る日も明想し、「祈りゆく」うちに到来するあの目覚めによって、主(宇宙生命・大愛)が自分の意識の中に留まられる事を知る事が出来る
神我が中にまします・父と子は常に一体)。

 あなた方はこの目的のために、
主が臨在し、その御霊(キリスト)があなた方の中に留まる
あの意識をあの自覚を讃えるために生まれてきたのである。」


覚者・上江洲義秀先生・至高の名言
 
 全ての全てのあってあるものの中に、神が我として実在している事を
(理解して実感して、全てに神を観る状態を)「悟り」といいます。

 目に映し見ている、すべてのすべてのあってあるもののに「愛を見」「愛を感じ」「愛そのもの」で対処できる己であって、そこに悟りがあること。

FC2版の広瀬すずちゃんの横顔になる方法の記事です♪
身長を伸ばす記事も追記してみました♪

面白宇宙人話♪アンドロメダ星やシリウスの宇宙人の手術のお話をご紹介♪宇宙人の暮らす世界に食料問題なし♪アルクトゥルス星から来る宇宙人が 宇宙人ユミットからの手紙・ミステリーサークルを作っている♪フリーエネルギーとハートチャクラ、 地球の波動を上げるミステリーサークル♪手紙に書いてあった衝撃波を消す画期的な方法




超濃密・宇宙情報満載のサイトをご紹介させて頂きます。
あまりの情報量に腰を抜かす事請け合いですよ♪
宇宙人に係る人類の起源と使命
http://www16.plala.or.jp/nature3211/index.html

宇宙人の存在
http://www16.plala.or.jp/nature3211/m1maegaki.html


2.生きる目的:「宇宙の集合的魂」の進化に貢献すること

★全生命は魂のネットワークで結ばれ、自らの体験結果で宇宙の集合的魂の進化に貢献することが地球人類の生きる目的で、地球は人類に与えられた魂の学びの場に過ぎない。宇宙は巨大な魂のネットワークで構成された生命(宇宙生命・大生命)です。

宇宙の集合的魂(宇宙生命=神)
「宇宙の集合的魂」は宇宙人ユミットが手紙で教えた神の世界です。

 地球に沢山手紙を送り続け、地球人類に警告や助言をくれている宇宙人ユミット。彼らの教えのなかに「宇宙の集合的魂」という言葉があります。

 これは宇宙全体の個別な全ての魂を集約して、各々の魂が経験し学んだ結果を、宇宙の進化に役立てている存在です。言い換えれば「神」という名にふさわしいと私は考えています。

 この宇宙の集合的魂は
魂のネットワークを通じて、全宇宙の生命(魂)と通信をしている。そして宇宙の進化に役立てられているというのです。

 このことについて、呼び名は様々ですが、似たような仮説を立てている人々がいます。その一つが「アカシックレコード」と呼ばれる言葉です。

 これは多くの人が述べているようです。それに昔の記憶で確かではありませんが、工学博士でサイ科学などの研究者である関英雄著、「情報科学と五次元世界」でも幽子情報系という仮説の中で「リーダー」と称するものが、この「宇宙の集合的魂」と同じような意味合いを持っています。

 そこでは、幽子情報系はこの世の現実とはかけ離れたものすごい密度(10の10乗倍程度)の情報を短時間に処理できる能力として捉えています。そして、各端末(生命)とリーダーとの間で通信が行われている。つまり、魂のネットワークと同じような仮説です。

 そして、これはカタカムナ文献の語るカミそのものではないかと思います。 どれも皆、共通した素晴らしい理論ではありませんか。

 勿論、未だ全て仮説ではあります。これらは、いずれもと読み替えられてもおかしくない「宇宙の集合的魂」の呼び名です。図2.3.2
 あの世に係るイメージ図参照 
 詳しくはトップページ宇宙人に係る人類の起源と使命からどうぞ。


面白宇宙人秘話
アンドロメダ星やシリウスの宇宙人の手術のお話

白峰さん
中丸薫さんが、こんな事を知っていました。

 「この間、面白い人に会いましたよ。アメリカ人で、14歳の頃からアンドロメダ星に随分行ってきている人です。すごく大きい母船みたいなものが地球所の上にあって、其処へ行ったり来たりしている。

 アンドロメダの母船に連れて行かれて見た世界は、その1階のフロアだけでも、もう想像を絶する広さだそうですよ。中に湖あり、山みたいな感じでね。アンドロメダの人は、2メートルぐらい背があって大きいそうです。

 そのアメリカ人が言うには、地球というのは、精神的レベルにおいて、アンドロメダよりも五万年遅れている世界なんだそうです。科学的には一万年遅れている。

 病人もいない。病気になったらどうするか聞いてみたら、例えば胃がおかしいとなったら、その人を寝かせて、カメラで悪いところを撮るそうです。患者の体調がベストだった時の映像が残っていて、それを入れ替えるのだそうです。カメラの中に医療的なシステムが組み込まれている。」

 このような今の地球の医療から見たら魔法のような超テクノロジーは、本当にあるのです。私自身の経験として、シリウスの宇宙人にやってもらったことがあります。ちょっとあることで体に毒が回って倒れそうになった。

 もうどうしようもないという時に、内臓ごと全部入れ替えてくれたのです。普通の人に話しても、信用してもらえないでしょう。入れ替える瞬間痛みはないのです。先ず痛みがないように、宇宙では冷凍麻酔というものをする。
 
体がだんだん冷たくなってくるのです。あれっと、冷や汗が出るくらい冷たくなった。そうしたら、今度その瞬間にパチっと音がして、ラップ現象みたいな音でした。これで、内臓が入れ替わりました。

 体は本当にしばらく冷たかった。そして、凄く眠くなって、15時間くらい寝ました。起きてみたら、なにかお腹の辺りがすごく軽くなっている。

 病院で検査してみたら、糖尿も、痛風も、脳梗塞も全部治っていた。
 
 瞑想したら、ウィジョンが見えたのです。シリウスのその宇宙人は、内臓ごと入れ替えるというのです。はじめは嘘だろうと思った。痛いのは嫌ですからやめてくれと言ったのです。でも悪い所を全部スキャンして、瞬間的に入れ替えてくれました。




 タイトルにある「真実への完全ガイド」は、売らんがためのハッタリでもないし誇張でもないだろう。複数の人々の見解を提示した上で、何故異なった見解になっているのかも、分かるように記述されている。また4次元については、他のアセンション系列の著作にはないほど精緻に記述されている。
 チェコ出身のホボットさんは、超能力戦を行っているロシアの機密組織に雇われていたこともあり、その後は南米などのシャーマン達と接しつつ知覚能力に磨きをかけてきた方らしい。2010年7月初版。

【超能力による闘い】
ホボット 90年代に、ロシアもアメリカもサイキック研究の重要性に気付いたので、資金を自由に仕えるようにシークレットな研究にしたのです。優秀なサイキックがいると戦略的に非常に有利であることを彼らは知っています。
浅川  そうでしょうね。サイキックにとっては秘密が秘密ではなくなりますからね。何十人、何百人のスパイを使うより役立つわけですから、重要視されて当たり前です。(p.77)
 アメリカやロシアの超能力の研究はこのように行われていたのだから、それぞれ国のトップも、研究成果を活用して当然のごとく超能力者である。
   《参照》   『宇宙人がアセンションを語り始めました』 田村珠芳 (徳間書店) 《後編》
            【間脳:外国の首脳たちの超能力ぶり】
 米軍基地の観察が主な使命でしたが、向こうもこちらの活動が分かっているので、逆に自分たちの知覚者を使ってシールドを作ったり、スパイとして進入するこちら側の知覚者を攻撃するための幻影を作り出したりしてきたのです。
 例えば、呼吸できなくなるようなイメージを彼らは送ってきました。もちろんアストラル界では息をする必要はありませんが、そのイメージを受けとってしまった人は(肉体が)息をできなくなります。事実そのようなイメージを送られたロシア側の知覚者は亡くなってしまった人がいるのです。
 私たちは普通、アストラル界の体験で人を傷つけることはできないと考えますが、そんなことはありません。マインドは肉体よりも強い影響力をもつからです。(p.42)
 このような一部だけを書き出すと、サイキックに関して恐怖感を持ってしまうかもしれないけれど、光の側に立つ人々は、邪悪なことを行おうとする人のマインドに入って、その心を悪事に向かわせないよう変えてしまうということを実際に行っている。
 また、この記述にあるようなことは、国家間の超能力戦争の場面だけで起きていることではない。一般生活者でも、人に恨まれるようなことをしている場合は、だれでも「生霊(いきりょう)」として影響を受けている。
 生霊を発している側が、受けている側に、「あなたは怨念霊を受けているから、人が嫌がる」などといって救霊・叙霊を進めていたりするのである。元が、アストラル界にある、肉体を持たない本当の怨念霊の場合なら、卓抜なシャーマンさんの技量で解決できるけれど、偽善者として確立した魂が発する生霊の場合、相手を変えて何回でも繰り返すから、存在自体がまさに厄介者である。

【宇宙人に関するイメージ操作をする「闇の支配者」たち】
 宇宙人は敵だというイメージを広めている、非常にパワーを持ったグループが地球には存在しています。一方で、私たちにとって危険な生命体や、ネガティブな影響を及ぼしている生命体は確かに存在していますが、それは殆どの場合、パラレルワールド、あるいはアストラル界から来ている存在です。(p.58)
 宇宙人は敵だというイージを広めているのは、「闇の支配者」であるのは言うまでもない。宇宙人たちが持つ超高度な技術が地球にもたらされると、彼らの石油や原発や貨幣発行権などの利権が一挙に失われてしまうからである。
 後半のネガティブな生命体の概要については下記。
ホボット  アストラル界には、エネルギーの寄生虫とでも言うべき、低次元の神々がいます。彼らは人間の想念が生み出したもの。現在のキリスト教もその一つです。人間の苦しみや恨みなどの低次元のエネルギーを餌にしているのです。嬉しさや喜びなどの高い波動は、彼らにとって餌にならないのです。
 これらは、「闇の支配者」たちの霊的バックグラウンドである。
 恐怖という低い波動を母体とする終末論を持ち、かつそれを実現させようとしていること自体が、このなによりの証明になるだろう。
   《参照》   『闇の世界権力の「日本沈没計画」を阻止せよ』 中丸薫/レオ・ザガミ (ヒカルランド) 《前編》
             【世界の終末】

【モニカ・ルインスキー事件の裏側】
ホボット  彼(ビル・クリントン)は多くの情報をもっていたのではありません。しかし、自分が知っていることを発表すれば、CIAの持っている情報をもっと引き出せると考えたのです。しかし、それを止めるために、警告としてモニカ・ルインスキー事件が仕組まれたのです。もし、その警告を無視したなら、彼自身か家族が殺されたでしょう。
浅川  それはジョン・F・ケネディが殺されたのと同じ理由ですね。
ホボット  そうです。ケネディの愛人であるマリリン・モンローもまたその情報を知っており、それを公表したいと考えたために殺されました。(p.283-284)
   《参照》   『スーパースターの前世』 藤本みどり (たちばな出版) 《後編》
            【ケネディ暗殺の真相】

【尖閣問題の勝者】
ホボット  アメリカは中国に対して借金を返したくないから、戦争を起こしたくて仕方がないのです。そのとき、実際に相手を刺激するのは中国ではなくアメリカです。借金を返したくないというのが戦争の真の理由ですが、それは公には言えない。だから、うその説明をする。(p.303)
 アメリカの国債の殆どをもっているのが日本と中国である。日本と中国が尖閣問題で戦争になってくれれば、アメリカにとってはまさに最上のシナリオだった。中国政府の首脳は、そんなことわかっていた。だから実際の衝突は起こらなかった。日本の自衛隊とメディアは、「アメリカの犬」である。意図的に尖閣問題を煽ってきたのは「アメリカに鎖で繋がれている犬たち」である。
   《参照》   『2015年に来る真の危機から脱出してよ!』 中丸薫 (青志社) 《前編》
            【自衛隊の統帥権を握っているのはアメリカ】
 東アジア地域は、日中間に限らず、日韓、日朝、韓朝、韓中、台中、日台と、ことごとく分断されてきた。
「分断と統治」という基本戦略によって、東アジアの発展を徹底的に阻んでいるのはアメリカである。
 日本国内で外国人排除のナショナリズム的な動きがあるけれど、アメリカのエージェントによる策動である。
 日本以上に徹底したアメリカの犬である韓国の、徹底した「反日」も同様。
 乗ってはいけない。

【アメリカとロシアの共通点】
ホボット  影の政府はUFOコンタクティやUFOについて本当のことを書いているジャーナリストや科学者たちを殺しています。スカラーという波動を使った武器によって科学者達を遠隔的に殺しています。その点で私たちがヨーロッパや日本にいるのは幸運です。なぜならアメリカより安全だからです。私はアメリカで公演活動をしていたときには、いつも誰かに見はられている感じがして不快でした。それはロシアに似ています。
浅川  ロシアでもそうなんですか。
ホボット  似ています。 ・・・(中略)・・・ ロシアやアメリカは実際には民主主義ですらありません誰かが国にとって都合の悪い真実を口にすると簡単に殺されてしまいます。(p.312)
 アメリカの属国である日本においても、アメリカにとって不都合な人物は、政治家・ジャーナリストを中心に、それこそ数百人、殺されているだろう。
   《参照》   『日本人はドラゴニアン《YAP(-)遺伝子》直系! だから、〔超削減〕させられる』 高山長房 (ヒカルランド)
               【歴代首相の明暗】

【ケムトレイル対象地域】
浅川  アメリカ人は自分の国にも散布している。
ホボット  そうです、カリフォルニアで散布しています。それは偶然ではありません。カリフォルニアには波動の高い人たちがたくさんいて、その中にはUFOを研究している科学者などもいます。そのような人々は、彼ら(影の政府)にとって非常に都合が悪いのです。
 カリフォルニアはその全体がパワースポットになっており、そのおかげでカリフォルニアの人々は波動的に高いレベルの人が多いのです。(p.318-319)
 いまやケムトレイルは日本中でじゃんじゃんバラ撒かれているけれど、分かりやすいのは宮崎県が標的にされた例だろう。天孫降臨の神域であり、東国晴知事の出現で財政的に潤っていたから、ケムトレイルを撒いて高額なワクチンを買わせ、種牛まで全部殺してアメリカの肉を買わせようとする「1石3鳥」の美味し過ぎるビックイニングだった。

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転載元転載元: 書いとかないと忘れちゃうから「読書記録」

【オーラ視とヒーリング】
 ヒーリングについて言えば、その人に本当に何が必要かを判断するには、単にオーラを見るだけでなく、オーラに存在するそれぞれの層にアクセスできないといけません。そうしないとその人に何が必要なのか本当には分からないのです。
 もちろん、それができなくても、ある程度の情報を受け取ることはできるし、ある程度までヒーリングもできますが、それではそれほど精緻なものとはなりません。たとえば、過去世の情報に関してもそれほど正確なものとはならないでしょう。(p.90)

【カルマと治癒の問題】
浅川  私が重い病気で苦しんでいるとしますね。その原因が私の過去世のカルマから来ている場合、病を通してカルマに気づかせるという意味もあるはずです。
 その場合、ホボットさんのような力のある方が、簡単に病気を治してしまってはいけないことになりませんか? そういう点はどう判断するんですか?
ホボット 基本的にすべての問題はカルマの問題です。カルマはみぞおちの第3チャクラのレベルに存在しており、それより上のエネルギーセンターを使っている時には、いわゆるカルマによる病気を治癒することができます。
 ご質問についてですが、その病気の人が、カルマの病気を治せる人に出会うときには、すでにそういう時期に達しているということです。それは高次の計画の一つであり、その時期は計画されているのです。 ・・・(中略)・・・ 。
 ただしその場合、ヒーラーは自分のエネルギーを使ってはいけません。ヒーラーは巨大なエネルギー、パワフルな光の生命体に繋がって許可を ―― カルマの病を治す許可をもらわなければならないのです。(p.91)
 この記述を読むことで、ホボットさんが真正の超能力者であることが分かる。高次の光の生命体に繋がって「許可をもらう」という点がポイント。ヒーラー自らが「許可する」のではない。高次な存在に繋がっていない人々が許可を得ずに行うと、相手のカルマ受け取ってしまうことになる。俗にいう「(念力)行者の末路は哀れ」という結末になってしまう。

【霊障除去】
浅川  病気の中には、いわゆる霊障によるものがありますね。そのように恨みをもつ魂が憑依するなどして引き起こされている病気があると思いますが、そういうものはどうやって治すのですか?
ホボット  わりと簡単に治癒できます。私の経験では、そのようなことが原因となる病気やケガは第1チャクラを狙ったものです。これはカルマによる病気のような第3チャクラの問題と比べて簡単に直せます。攻撃を受けた人のオーラを浄化すれば簡単に治るのです。
 オーラを浄化して、相手から送られたエネルギー的なブログラムを解消します。すると、そのプログラムが帯びていたエネルギーは元の人に戻り、憑依した霊は離れていくことになります。また、呪いをかけた者は自分自身のエネルギーでダメージを受けることになるでしょう。(p.98-99)
 先祖の行いによる呪いを受けている場合には、先祖の情報が入っている第2のチャクラヒーリングし、強力な怨念を受けている場合は、第4のチャクラのエネルギーによるシールドを自分でつくるか、ジャーマンさんに作ってもらう、と書かれている。
 密教の修法は、結界というエネルギー・シールドをつくることから始まるけれど、エネルギー・シールドを作るのは、ヘミシンクの中でも常用されているくらいだから、これは霊的テクニックの基本だろう。
 アセンション系列の著作を読んでいる人々は、この様なことを知って実践しているけれど、宗教団体の信者さんたちは、教祖さんに頼ってばかりで殆ど自ら学んで成長していない。教団側は、「寄らしむべし、知らしむべからず」、を戦略的に行っているのだろう。「信者」と書いて「儲ける」となるわけである。
 参考までにチャクラの番号と名称を書いておくと、第1のチャクラはムラダーラ・チャクラと言われている。以下同様に、第2はスバジスターナ、第3はマニピューラ、第4はアナハタ、第5はヴィシュダー、第6はアジナー、第7はサハスラ。

【アストラル界について】
浅川  アストラル界の世界を整理してみましょう。アストラル界は3つの段階に分かれており、第1段階では自分の死を自覚し心を癒したあとで上に進む。第2段階では人生を振り返り、前世のさまざまな場面を見せられて反省し、次なる人生の糧とする。最後の第3段階では前世以外のすべての過去世や地球の歴史などを見ながら勉強をする。そして、次なる人生の一部を見せられて、転生に備えて準備をする。
ホボット  その通りです。 (p.235)
 これらのことは、臨死体験の記録などでも語られている。
   《参照》   『人間の四つの気質』 ルドルフ・シュタイナー (風濤社) 《前編》
            【アストラル界】
ホボット  アストラル界を説明するのはわりに簡単です。波動的には(3次元の)地球に近いからです。しかし、アストラル界を超える世界を説明するのは難しい。それは、私たちの言葉が時間と空間に縛られているからです。
 魂が4次元や5次元を知覚しているときの体験は言葉にしにくいものとなります。たとえば、魂が5次元から輪廻転生におけるそれぞれの人生を見るとき、すべての過去性が同時に起きているように見え、そのすべてが1つの魂として融合しているように体験されるでしょう。 (p.242)
ホボット  アストラル界は4次元ですが、そこにいる魂はアストラル界を3次元として知覚しています。魂はアストラル界で3次元のコピーを作るからです。しかし本来、4次元はもう生まれなくていいほど成長した魂のいるレベルなのです。(p.253)
 在来の仏教が語っている死後の世界(アストラル界≦4次元)は、単に死者たちが生きていた時の3次元世界のイメージを投影(コピー)して作っている世界なのである。そして、それは4次元の一部であるにすぎない。
 5次元以上の世界を表現しにくいのは、「私たちの言葉が時間と空間に縛られているから」というのが大きなポイント。高次元のことを伝えようにも、チャネリングの限界はここにある。
     《参照》   『アセンションの鍵』 坂本政道 (ハート出版) 《前編》
               【交信上の留意点】

【松果体】
ホボット  シャーマンの弟子は2日に1回のペースで半年間アヤワスカを飲むのです。すると、脳の中心にある松果体が活性化されます。
 松果体とはイメージ力に深く関係している機関であり、4歳までは成長しますが、その後は成長が止まって機能が低下します。しかし、アヤワスカを飲むことで子どものころになくしたその機能がよみがえるのです。(p.116)
 松果体はアジナー・チャクラに関係する器官。
 日本では、アヤワスカなど手に入らないだろうから、下記リンクの方法で・・・。
   《参照》   『行き先は5次元』 船井幸雄 (ヒカルランド) 《前編》
             【直感力の受信器官である松果体の強化について】
   《参照》   『ネオスピリチュアルアセンション』 エハン/中山/白峰/澤野 (明窓出版)
             【メラトニンと松果体】

【人はすべての次元に同時存在している】
ホボット  私たちが上のエネルギーセンター(体の中にあるチャクラ)を十分に開発すれば、上の次元が分かるようになります。 ・・・(中略)・・・ もっと私たちが進化したら、私たちはすでに4次元や5次元にいるということを理解できる意識状態になります。
浅川  すべての次元にいるけれど、3次元にフォーカスしているから物質次元しか見えないというわけですね。
ホボット  そうです。
浅川  それはモンロー研究所でいう「フォーカス」の考え方と同じですね。意識の焦点(フォーカス)がどの次元にあるかによって、体験される霊的階層の段階が異なるという考え方から、モンロー研究所では、フォーカスの段階が、そのまま霊的階層の段階とほぼ同じ概念として理解されています。(p.256)
 このような説明のほうが、近代人にははるかに分かりやすいだろう。
 だから現代では、宗教書なんかよりモンロー研のヘミシング体験者である 坂本政道さんの著作 の方がはるかに広く読まれているはずである。
 ところが殆どの人々は、いまだに20世紀宗教であるキリスト教や仏教の世界観の中に幽閉され続けている。まさに幽閉である。幽界(アストラル界)以外の世界があることを考えることすらなく、またチャクラの活性化を語ることすらなく、天国だの地獄だのと言い古された陳腐なことをいまだに言っている。
 第4のチャクラ(アナハタ・チャクラ)が活性化したら「遍愛」(=インが描いている世界)を感覚的に理解できるから、特定の宗教や特定の民族に対する「偏愛」からは自ずと卒業できるのである。つまり特定の教学を持つ宗教が無意味であるということが分かってしまう。だから在来の宗教団体は、教えだけを語って人類を進化させる技法を全く語らないのである。
 故に、低次元の宗教団体の意向は、「闇の権力」の意向に、ピッタリ合うのである。

【ジョン・レノンの暗殺】
 ジョン・レノンは精神的に病んでいる人に殺されましたが、その犯人は別の魂からのコントロールを受けていました。遠隔的にコード(エネルギー的なプログラム)を入れられたのです。もしそれがなければ、ジョン・レノンが殺されることはなかったでしょう。(p.241)
 コードを入れたのが誰かは書かれていないけれど、アセンション後の世界を歌っていた イン の世界を最も嫌う連中が誰かを考えれば、答えは容易である。
    《参照》   『世界支配者vsライトワーカー』 サアラ×玉蔵 (ヒカルランド) 《3/4》
              【「デジタルウイルス」というテクノロジー】


【パラレルワールドと空洞地球説】
浅川  パラレルワールドとして地球の中に別の世界が存在する可能性はありませんか。
ホボット  そのような考え方(地球空洞説)がとかれるのにはシンプルな理由があります。深い洞窟や南極、北極には非常に強いエネルギーがあるため、そこに立ち入る人物の第1チャクラも働きがそのエネルギーによって変化し、その人はパラレルワールドに現れることになるのです。
 そのパラレルワールドには景色があるし太陽もあります。そして、その人は地球の内部に入り込んだと思いこみます。
浅川  ということは、地球空洞説は正しい考えではないということですか。
ホボット  それは真実ではありません。 (p.201)
 下記リンク著作にある「亜空間」は、パラレルワールドを意味していると考えることができる。
   《参照》   『失われたフリーメーソン「釈迦」の謎』 飛鳥昭雄・三神たける (学研) 《前編》
             【シャンバラは、地球内部の空洞にあるのか、亜空間にあるのか】
 ダイアン・ロビンスの著作は、地底都市からのメッセージで構成されている。空洞地球であるかどうかより、地表人類より進んだ文明からのメッセージとして読めばいいだろう。
   《参照》   ダイアン・ロビンス著の読書記録

【もっともポジティブなシナリオはフリーエネルギーの解禁】
ホボット  ここで最もポジティブな未来の可能性をお話しましょう。
 その未来では2018年ごろ中国でフリーエネルギー装置を使い始めます。実は、すでにフリーエネルギー装置は存在していますが、どの国もそれを使いたがりません。それを使うと個人が独立的になってしまい、国家の統制力が弱まることを恐れているからです。しかし、中国はまもなく石油を確保できなくなり、仕方なくフリーエネルギー装置を使い始めます。
 フリーエネルギー装置が解禁されてその使用が広がっていくと、飢餓がなくなり、人々の生活レベルは100倍にも向上するでしょう。例えば、アフリカの広大な土地を麦畑にするなど、地球全体のためにフリーエネルギー装置を使うことができます。
 そして、それによって暮らしのレベルが上がれば、余暇ができて、自分のスピリッチュアルのレベルを上げるために十分な時間がとれるようになります。(p.301)
 日本は「闇の権力」の支配下にある属国だから、フリーエネルギーは実用化されないだろう。中国は、石油が断たれようと断たれまいとフリーエネルギー装置をどんどん使うべきである。日本やフランスからの邪悪な勢力が背後についている原発などに、決して手を出してはいけない。中国が、世界を先んじて変革すべく、率先してフリーエネルギーに転換すべきである。
     《参照》   『日本よ!今地球運命の最低値からこう脱出してよ』 高島康司&ウイリアム
               【日本はヘタをすると、中国の後塵を拝することになる】

【中国救済】
ホボット  中国の人々をネガティブな考え方から守ることを私は計画しています。具体的には、ブラジル産の大きなクリスタルにエネルギーを充填してそれらの国へ持っていき、特定の場所の土に埋めるということを行います。光の生命体たちの指示があり次第、それを行うでしょう。 ・・・(中略)・・・ 。
浅川  そういう力は大きいと思います。やはり、そうした行動が被害を小さく抑えているんでしょうね。(p.305)
 日本人のシャーマンさん達も、世界中の重要な地点をめぐって、いろんなことを行ってきた。2000年に、中国の発展を左右する黄帝陵の龍脈を開けたのも日本人のシャーマンさんである。

【日本が使命を果たすうえでの絶対条件】
ホボット これから地球では戦争や自然災害など大きな変化が起きる可能性があります。そしてそれにはたくさんの国がかかわることになるので、そこに巻き込まれることなく、高次の世界へ向かう国が大切な存在となることでしょう。
 私は、日本がその一つになると思っています。しかし、それにはある条件をクリアしなければいけません。それは、絶対にほかの国の争うのに手を貸してはならないということですね。 ・・・(中略)・・・ 日本は高いレベルの世界像を持ち、そこに向けて努力しつづけることができる数少ない国のひとつです。そういう国はあまりありません。日本とあとはヨーロッパの一部の国くらいでしょう。
 これからの未来において、日本の方々は自然災害を怖がらなくていいと思います。なぜなら、強く守られているからです。日本列島のまわりに日本を保護しているエネルギーフィールドが感じられます。現在、日本はたくさんの光の生命体たちに守られているのです。(p.322)
 問題なのは、日本人でありながらアメリカの手先となって日本を内部から破壊させる側でいろいろ工作している政・官・財界の連中である。

【ポジティブな未来をイメージしよう】
ホボット  私が光の生命体から受けた、メッセージは、戦争が起きないように人々がボジティブな未来をイメージしたほうがいいということです。具体的には満月の3日間、決まった時間に30分間瞑想を行います。これにできるだけ多くの人が参加してほしいのです。それによって戦争の可能性を下げられると私は信じています。
 マインドには非常に力があり、たとえば、100万人の人口の町で100人がこのような考えをもって瞑想すれば、その町では犯罪や交通事故が少なくなり、病気の人も減るでしょう。それは事実として起きています。犯罪も自然災害もそのような方向で回避できると私は信じています。
 だから、光の生命体たちは、多くの人々が今回の波動の移行を自然災害なしで行えるというイメージで瞑想することを提案しています。そうすれば、実際にそのようになるからです(瞑想法については巻末付録を参照)。
 このようなネガティブな計画は過去にもありました。たとえば、1998年のことです。 ・・・(中略)・・・ 日本は海に沈む可能性がありました。・・・(中略)・・・ エドガー・ケイシーもこのことを予言していましたが、彼はほとんど間違っていなかったのです。
 しかし、たくさんのサイキックたちが、光の生命体たちと協力し合ってその災害を未然に止めたのです。 ・・・(中略)・・・ そして、これから起きる波動の移行もまた、大きな自然災害なしで行えると私は信じています。(p.292-293)
 危険な情報を受け取ったら、「それが実現してしまう」と怖れるのではなく、より一層ポジティブな想いで明るい未来をイメージし、その明るい未来を創造するべき。未来情報に一喜一憂するだけでは何の意味もない。


                        <了>

転載元転載元: 書いとかないと忘れちゃうから「読書記録」


実在する宇宙人より伝えられた、地球の秘密

この世界に宇宙人・高度地球外生命体・エイリアンは、現実に存在します。
各国の大統領や政府関係者、宇宙飛行士が存在について、発言しています。
このブログは宇宙人との交信により伝えられた情報を記述しています。

 人類、生命のDNAは多次元宇宙の高度宇宙生命により創られ、外宇宙の宇宙人達により脳を遠隔操作・支配するシステムが運用されています。
外宇宙には超高度文明が数千億年以上前(概算)より存在しており、地球は創られ、管理されている宇宙人による実験惑星の一つです。

宇宙人の技術は「人類を”離れた別宇宙”から人類の精神と身体を完全操作可能です。これは”映画アバターで描かれた遠隔操作システムのように、宇宙人が人類を遠隔操作できる技術です。」

これはすでに、人類に対し「数億人から数十億人単位で使われており、脳・精神に繋がる脳と精神の操作システムとして運用されています」

これは「この記事を読んでいるあなた自身も”行動・言動・思考・SNSやWebへの書き込み”を”宇宙人の遠隔操作により部分的に操作されています”これが「現実です」

地球は創られた存在

この宇宙の銀河は、多くが”造られたもの”です、宇宙がビッグバン後に、現在の銀河や星雲が生まれたのはそれ自体を宇宙生命の大きな力で計算され、引力を用い、空間に銀河や星団が生まれやすくされました。

進化により生まれた人類、この地球の人類は、地球で初めて生まれた新しい種族です、しかし、組み込まれているDNAとミトコンドリアDNA、このDNA自体は、宇宙に太古より高度知能を持つ高次宇宙生命群がおり、それにより”造られた”ものであります。

つまり、ある程度計画されたうえで、地球の生命が生まれ、デオキシリボ核酸を用いた、生物の進化の計算により、作られたプログラム“DNA”による、進化と成長の結果が、地球の人類の誕生であります。

 そのため、人類自体は、地球以前に多くの生物と高度知的生命、それを超える、半永久的に知性を存続可能な、生命超越を可能にする技術、神といえる大きな高次宇宙生命がいるということです。これは事実であります。

 宇宙の生命は、地球のような体内に水分を含む生物ばかりとは限りません、中には鉱石(地球とは分子が異なる)で構成される惑星に、アモルファスを中心とした知性を持つ、ガラス構造の物質を体の一部としている生命は存在し、重要な知的生命の見本として非常に精密に別の宇宙生命の超高度の量子的な素粒子転送技術により、管理・情報の保管がなされています。

現代の高次元宇宙生命の、大きな支配権の持つ存在の中で、他種族を支配し続けるために、不可視の隠ぺいしたこの量子的なテレポート技術により、低技術の若い種族を支配することはあまり適切ではありません。撤廃に近い見直しが必要です。

つまり人類のために隠ぺいして運用されてきた、この仕組みは、大きく変える必要があります。

 多次元宇宙の中には、異次元の生命といえる高次元宇宙生命があり、複数の宇宙にワープを自在に可能な技術を有しています。これはワームホールの技術といえ、その手法で地球の創生に関わっています。

また、地球以外にも、いくつもの人類同様の“管理され且つ生命の進化をプログラムされた”造られた生命が地球人とは異なるDNA、もしくは全く別の種として、育成され、且つ、高度技術で、高次元宇宙生命より、管理を受けています。

 また、複数の異人種が地球から離れた星に存在しますが、その種は人類がたどり着くまでに存在しているかは未定です。


宇宙人ユミットからの手紙

手紙に書いてあった衝撃波を消す画期的な方法

 その手紙には高度な科学情報が書かれており、プチ氏の関心を引いた。UFOの構造が事細かに述べられている個所では、 宇宙飛行のための諸問題を解決する超高度な技術が紹介されている。

 プチ氏はそれを再現することは現在の技術では無理だと思いながらも、その実際的な論述の仕方に強い印象を受ける。

 なかでも、MHD(磁気流体力学)に関する全く新しい考え方が、この分野に長いこと関わっていたプチ氏の強い興味を掻き立て、彼はモーリスと一緒に実験を始める。手紙によれば、強い磁気をかけると、衝撃波が消えるというのだ。

 そんなことは誰も知らないことだった。もしそんなことが可能なら、超音速で飛ぶ飛行機は衝撃波なしに楽に飛べることになる。

 1975年、2人はマイクロ波研究所DERMOのトゥレル教授の研究施設を借り、教授の目の前で、この理論を水流を使って確かめた。

 空気でも水でも流体として同じ結果を生むはずだった。そして実際、模型の前面の波は電磁波(1テスラ)をかけると、消えてしまった。
 
 教授もあっけにとられた。別の実験では乱流も消えた。この時から、プチ氏は本気で手紙を研究し始めたのである(『手紙Ⅱ』第4 章)。

 ちなみに、この研究はその後、軍事方面に引き継がれたらしく、プチ氏の手を離れてしまう。プチ氏はこの分野から手を引くが、日本の超伝導電磁推進船ヤマトが登場した時に彼は大いに悔しがる。


  なお、ユミットの手紙によれば、(もちろんユミットが本当に存在するとしての話だが)日本のヤマトの場合、内部にMHD推進器がつけられていて、外部の船体が航跡を残してしまう。この推進器は外部につけるべきものだという。つまりエンジン本体の中に船体を取り込めば、航跡は残らないそうだ(『手紙Ⅱ』90ページ)。


フリーエネルギーとハートチャクラ、
地球の波動を上げるミステリーサークル

浅川 波動が上がるとどういう世界になるんでしょうか。

ホボット 例えば百年前ぐらい前からすぐに、宇宙からエネルギーを受け取って発電できるフリーエネルギー装置が存在しています。ニコラテスラという科学者がそれを創りましたが、その技術はずっと隠されています。

 そして、光の生命体たちが言うには、私達がフリーエネルギー装置を(公に)使い始めたなら、彼らは人類をコミュニケーション相手としてとらえ始めるそうです。

浅川 仲間として認めるということですね。

ホボット そうです。仲間として私達とコミュニケーションを初めます。フリーエネルギー装置を使い始めたなら、すごく大きな変化が起きてくるでしょう。それと共に私達はエネルギーセンターの波動、特にハートチャクラの波動を上げなければいけません。

浅川 その波動が上がるとどうなりますか?

ホボット 私達は「人間」ではなく「魂」であるという事、特定の宗教の信者や、特定の民族の一員ではなく、ただ単に「魂」なんだと理解できるでしょう。そうすれば、互いに殺し合うようなことはなくなります。

 その状態に達しないと、人類は宇宙の仲間に入れてもらうことは出来ません。今の状態で人類が宇宙に入る事は非常に危険だからです。

 そのように波動が上がるプロセスはすでに始まっています。例えば、ミステリーサークルの1つの効果は波動を上げるという事です。

浅川 ミステリーサークルが作られているのは地球の波動を上げるため?

ホボット はい。ミステリーサークルが作られた所はすごく波動が上がっています。私は知覚者として、特にミステリーサークルの放射に興味があります。そこへ入ると拡張した意識になり、体を構成する分子が変化していくのが感じられるのです。

 その場所自体も変化していると感じます。また、周期的にミステリーサークルから大きなエネルギー放射される事があります。その時は何キロも離れた所へエネルギーが飛んで行くのです。
 
 それから、ミステリーサークルのエネルギーが水に入ったり、その畑の麦を食べた人の波動が上がったりします。ナスカの地上絵も同じことが言えます。 


ペトルホボットさん
アルクトゥルス星から来る宇宙人が
ミステリーサークルを作っている

浅川 さて、ホボットさんはこれまで、色々な星の宇宙人とコンタクトをしてきたと思いますが、具体的には何種類ぐらいの種族とコンタクトしましたか。

ホボット どの星から来た宇宙人か、という話はしにくいですね。というのも、ある文明は3次元を超えているので、その場合、具体的に3次元のどの星から来ているとは言えません。

 ただし、具体的な3次元の星から来ている生命体の話をするなら、私がここ数年間コンタクトを取っているアルクトゥルスという星からの生命体がその一つとして挙げられます。
 彼らは私達が「ミステリーサークル」と呼んでいるものの多くを作った存在です

浅川 そういう存在は、自らの姿をどうにでも変えられると思いますが、本当の姿は人間のような形をした、いわゆる「人間型生命体」なんでしょうか?

ホボット 私は宇宙における、沢山の形態を知っています。
 ある種族はレプティリアンであり、別のある種族は昆虫のように見えます。そして、人間によく似ている種族もいます。

 ただし基本的には、この地球において固定した姿で現れる生命体や宇宙人は、この宇宙ではなくパラレルワールドから来ているという事です。地球にはいくつかの階層があって、私達が存在している層とは別の層の地球から来ているのです。

浅川 別の層というのはパラレルワールドということですか?

ホボット そうです。パラレルワールドです。

浅川 どこか遠い宇宙の星から来ているのではなく、地球と重なったようなパラレルワールドから来ていると言うんですか?

ホボット 私の経験では、人間の姿であれ、他の姿であれ、その姿が固定されている場合には、その生命体はパラレルワールドから来ています。パラレルワールドは遠い世界ではないので、こちらの世界との行き来はそれほど難しくありません。

 一方、別の星から来ている生命体の場合、その本当の姿は形を超えた存在です。

浅川 では、アルクトゥルスから来ている宇宙人とコンタクトする時には、姿は見えないのですか?それとも一応何らかの姿が見えるんですか?

ホボット 私が彼らを見ると、形をとった姿-----人間に似た姿で見えます。私の考えでは、おそらくそれは、昔、彼らが使っていた姿です。その姿で私の前に現れるわけです。
 ただし、このような生命体たちは、最近は殆どエネルギのボールのような姿で表れます。

浅川 なるほど、最初は知的な存在だと分からせるために人間に近い姿で現れるけれども、もうホボットさんは十分に理解しているから、丸い形をした光体でもいいという事でしょうね。



宇宙人の暮らす世界に食料問題なし

「向こうの世界では、ちっちゃな粒を一日一粒ぐらい食べるだけで、2メートルもある肉体を維持できるそうです。アンドロメダに行ったアメリカ人が自分も食べたいと言ったら、『地球人と分子構造が違うから合わない』と言われたんだけど、四分の一ぐらい試してみたら、やっぱり本当に苦しくて気持ちが悪くなって、体に合わなかったそうですよ」

 これも、中丸さんの話の続きです。

人間は炭素系生命体ですから、参加して最後は腐って消えていくのはしょうがない。他の星は、酸素濃度が薄かったり大気中のプラーナが十分で、これを吸っただけで肉体の栄養は問題ない。大気中に全てが入っているようなきがしますね。

 私が金星人に聞いた所では、金星人はジュースしか飲まないそうです。それをちょっと飲むだけ、それがまた、お香みたいな臭いがするそうなんです。その匂いをかぐだけ、脳が癒やされていくる。

 飲むという以外は、食事の習慣も一切ないそうです。だから、内臓を酷使することもない。食べないから内臓が老化することもない。あとはチャクラが発達していて、エネルギーをバッテリーのように活用できる。

 宇宙エネルギーに原子レベルで共鳴した場合、三次元的な肉体はもう必要ないし、形態も全部変わっている。それこそ不老不死の世界です。

 そして宇宙もすごいのですが、地底の人もすごいです。地底でも科学文明が高度に発展していて、水も空気も大変綺麗なようですね。だから世界政府の一部の人達は、地底も狙っている。

 でも、技術レベルがケタ違いで地底に入っていけないのです。迷路みたいになっているのです。

私の方に来た情報ですと、地球人類を地底に入れることは、ばい菌を入れるようなものだから、先ず無理だと。逆に我々の円盤を外に出してあげて、其処の中で教育して、浄化させる。地球人類が団体旅行のように我々の世界に入ることはまずない、と言っていました。

 よっぽど選ばれた人でないと無理だと。それをクリアするために円盤内で教育して、資格ができた問に、ごく一部の人たちだけが行く。直接は先ず無いと言っていました。

 私も夢で何度も円盤に乗ったり、幽体離脱をしたりしています。宇宙人の対談集を出す予定もありましたが、MIBに自宅の金庫を荒らされてしまいました。UFOの情報を表に出さないようにするための思想警察のような組織がMIBです。

FC2版の広瀬すずちゃんの横顔になる方法の記事です♪
身長を伸ばす記事も追記してみました♪

時間軸の学びがランダムでも 全然おかしくない事がよく分かる記事をご紹介♪アストラル界の階層の不思議な体験記も♪高次元な視点から見た時空の軸♪シリウスのメッセージ・物質的時間のゆがみ♪



時間軸の学びがランダムでも
全然おかしくない事がよく分かる記事をご紹介♪

今回は、「宇宙人」で検索をかけていた時に出会った、大変素晴らしいブログの記事をご紹介させて頂きます。幽体離脱が出来たり、摩訶不思議な体験談があったりと…読み応え満点な記事があって大変面白かったです。
 
 下の記事を拝見したら、輪廻転生が連続的というよりも、 必要な学びの種類によって学びの時代軸の順番が、過去だったり未来だったりと、順番が前後ランダムでも全然おかしくないなぁ…っていうのがよく理解できました。

 うる覚えですが、そんなお話も見たこともありますし、実際、生まれ変わる時間軸がランダムなこともあるのでしょうね。奥深くて面白いので、ぜひリンク先をご観覧下さいませ。

物質的時間のゆがみ

 あなた方が3次元に囚われ、制約されていることによって、私たちの表現の手段や共通の場の設定も必然的に限られてしまいます。
 私たちが「過去世」や「古代文明」に言及するとき、私たちの観点からは、実際には、同時に起こっている経験のパノラマ全体を表現しています。「未来」について話すときも、何ら変わりません。

  あなた方の認識する直線的な時間軸上にある固定した出来事ですが、私たちは、「意識が単に時空連続体の異なった座標で顕現している」、と認識しています。
 ではここで、簡単な数字で、あなた方の科学的データを使って、時間の錯覚と光の速さについて検証してみましょう。

  光の速度(約30万キロメートル/秒)を基にすると、あなた方の太陽光は約8分で地球に到達します。この簡単な計算は、あなた方の科学界では「真実」であるので、信頼されている天体物理学者はみなこれを認めるでしょう。しかしより保守的な科学者の持つ反論は、その情報から導き出される理論です。

   つまり、太陽の光が地球に到達するのに8分かかるということは、太陽を見るとき基本的に、必ず約8分前の太陽を見ているということです

 たった今も、太陽はあなた方に光を降り注いでいるのに、地球に顕現している太陽の光は、時間が遅れているなど、今まで考えもしなかったことでしょう。

   太陽はあなた方が起きている間、長時間光を与えてくれる、あなた方の人生において不変な存在に思われるために、その存在の確かさを当然と見なしていると思うかもしれません。

 太陽はあなた方が朝起きるとき昇り、夕方に沈みます。これらはすべて「リアルタイム」で起きているように見えます。錯覚を起こさせる誤解されがちな用語は、結局「同時時間」を意味しています。

  ガイアを照らす太陽光は、太陽の表面を発してから8分で到達しています。太陽が光を発してから地球に届くまでの、この8分間のギャップの可能性を想像できますか?
 それは太陽の表面で壊滅的な爆発が起こった場合、地球の人々は、その後8分経過するまでこれに気づかないということです。マヤ族は、この8分の遅れを知っていました。

  彼らの文明は高度で、知的であり、多次元存在との直接交流を楽しんでいました。この多次元存在が、これらの宇宙の仕組みの知識を彼らに授けたのです。

 彼らは、「直線的な時間の錯覚、死と再生、多次元宇宙」についても理解していました。彼らはクリスタル・スカル(水晶ドクロ)を用いました。

  これらのスカルは、あらゆる瞬間に銀河系へのアクセスを可能にしていただけでなく、それを用いるマヤの預言者を直線的な時間から開放することができました。
 それによってマヤの偉大な預言者は、地球と天界の、未来と過去のすべての経験を見ることができたのです。

 古代文明のクリスタルで、特に神秘的なクリスタル・スカルについて、それにどんな役割があるのか、あなた方の世界の科学者と考古学者にとって、それは謎であり続けています。彼らは今後もずっと、理解できないままであるでしょう。

 なぜならこれらは、ガイア地球に存在するものの中で、もっとも神聖なものの一つであるからです。完全にアクセスできるのは指定されたクリスタル・キーパーだけで、稀に、才能ある超能力者がアクセスのためのエントリー・コードを解くことができました。

   最近では、この時に備えて眠りから目覚め始めた先住民族によって、より多くのことが発見されています。地球のクリスタル・キーパーも既に集結しており、地球の子供たちを指導するための準備を整えています。彼らはタイム・ワープの第2段階で、13個のスカルを再統合します。

   光の速度の話に戻りますが、つまりはある天体までの距離が遠ければ遠いほど、その天体が放つ光があなた方に到達するまでの時間が、当然長くなることがわかります

 天体物理学者によると、夜空で一番明るい星々は何億マイルも離れているために、光が地球に届くまで、何年もかかることになっています。

   この仮説に基づくならば、あなた方が空を見上げて目に見える星々は、地球から何億マイルも離れてるため、実際には、もう物理的に存在しないかもしれません。
 進化の過程で焼失したり、爆発したり、死と再生のプロセスでアストラル界を通過してしまったかもしれません。

  私たちが言いたいのは、夜空を見ることは、タイム・マシーンを通して星を見ているようなものだということです

 あなた方の目と天文学者の高性能の望遠鏡に映っているのは、星や遠く離れた銀河、そしてその他の天体の数百、数千、・・・数千年前の姿なのです。

  あなた方が宇宙の天体を見て、その過去を見ているのと同じように、地球から数百光年離れた天体に住む存在も同じことをしています。

 物質宇宙には、同じことをしている無数の存在がいるのです。とすると、彼らの視点から見た地球も、今から数百年前の姿ではないでしょうか? 

  さてここで、「ザルゴン」という架空の惑星を作ってみましょう。
「ザルゴン」はあなた方の太陽系から非常に離れているため、そこに住むザルゴン人は空を見上げて、2000年前、―ちょうどイエス・キリストという存在が登場した時代― の地球を見ています。

 しかし現在のあなた方はテクノロジーの時代を駆け抜けていて、地球を丸ごと3次元から引き上げようとしているところです。

  あるいは視点を変えて、ザルゴン人が現代の2000年の地球を見ていると仮定しましょう。しかしこの頃、あなた方の太陽系全体はすでに高次元に上昇しており、ガイア地球はもはや、物質世界には存在しません。

  では最初の例に戻り、私たちは、キリスト誕生時の地球を見ているザルゴン人を観察すると同時に、21世紀に入った地球を目撃しています。

 このように描写することによって、私たちの言う「同時時間」の意味がより明確になるのではないでしょうか。私たちが示そうとしているのは、物質宇宙では、いかに時間が歪むかということと、いかに時間と空間が関連しているかということです。それは3次元的な立ち位置を超越して、初めて理解できるものなのです。

  親愛なるものたちよ、これこそが、あなた方がブラックホールを通過し、宇宙のアストラルコードを通過し、次の意識レベルへ行くのに向かっているゴールです。それは、惑星全体が、星々が、天体が、意識の上昇を目指しているのです。これが、存在の理由です。

          「あなたからあふれ出すアセンションの超パワー」 徳間書店
                  シリウスからの最後のメッセージ


自我・偽我 =表現者、原因である父なる神を忘れている状態(放蕩息子の状態)神理を知らない状態・自分の力で生きていると思って迷っている状態、肉体の己を自分と思っている我、分離感・分離意識で個別化された表現を別個の存在と認識している我・分離意識・エゴ・肉の感化、五感の感化を真実と錯覚している我・迷いの影、幻、幻想(マイヤー)・自己保存、自我我欲の心


真の自己(真我)=父なる神と常に一体の境地・ワンネス意識・全一の意識・神我キリスト、全ては自分、全ては我、全ては神、全てを愛する我に目覚めた状態・宇宙生命によって生かされている事を自覚して実感している我・私が生きているのではない、なるほど一つの生命である神が生きていらっしゃる、全ての知恵と力は神から与えられている、神の中身は神、全ての全ては本質的には神、神のみが生きてらっしゃるんだなと悟った我・神一元・愛一元・光一元・我神なり、全ては神なり、全てに神を観る境地・神は生命(霊)なり、我も生命(霊)なりの自覚・宇宙即我、キリスト意識・高我・実在・全てを愛し全てを許す境地・慈悲と愛・あなた即私・私即あなた・宇宙エネルギー即自分・無限即我・不変不動の絶対なる実在・普遍なる宇宙・無限者・宇宙神

FC2版の広瀬すずちゃんの横顔になる方法の記事です♪
身長を伸ばす記事も追記してみました♪

免疫力を一気に上げてしまう奇跡の自然生薬で人類の病は全て解決♪「五井野プロシジャー」♪石油で作られた薬ではなく これからは本来の自然生薬が我々を助ける♪池田整治さん 中丸薫さん♪世界を救う秘薬…を発明した知られざる偉人・五井野正さん総まとめ記事♪



今回は、知られざる偉人「五井野正さん」の総まとめ記事になります。


池田整治さん 中丸薫さん

石油で作られた薬ではなく
これからは本来の自然生薬が我々を助ける

池田   五井野さんは、ある意味では「仏の人」です。人の過去世を見る光明君は、五井野さんを見たとき、

「人間をやるのは初めてだ。かつて地球にいる人間が核分裂を起こしてとんでもないことをやったから、高次元からのチェックというか、人々に教えるために地球に来た人だ」と言っていました。

 五井野さんは「五井野プロシジャー」という自然生薬を発明しています。それは免疫力を一気に上げてしまうもので、それでチェルノブイリの白血病で死に掛けている子どもたちを助けたのです。

 この前は、プーチンを支えている陰の実力者が病気になったので、ぜひ来て欲しいと言われてロシアへ治療に行ったそうです。

 その治療経過をビデオで見ましたが驚きました。その生薬にはクリームもあって、それをポイントに塗りながら手を当て、手の波動で悪いものを集めて全部出すのです。

 余命数日という肝臓がんの末期患者が、治療後にはその日の夕食で乾杯し、5日後にはモスクワ空港に「ありがとう」と見送りに来ていました。

 またかつてのチェルノブイリの3代目の、死にゆく子どもたちを50人だけ選んでもらって、五井野プロシジャーを飲ませて助けたこともあります。
 それが現地のテレビで40分間放映されて救世主と言われたこともあります。しかもそれは波動によるものだから、これまで封印されていたものなのです。

中丸   これからはそういう治療が多くなります。

池田 今、日本には10兆円の薬の市場がありますが、ホメオパシーと一緒で、ロックフェラーによってそういう本来の治療が封じ込められています。

 しかし五井野さんがチェルノブイリでやった50人が第2ステージで認められており、ドイツや中国、アメリカ、ロシアなどでは、特許として認められています。でもそういう情報が、日本には入ってはきません。

 それは自然生薬をつくるには、第3ステージで1000人の臨床試験が必要という法律を、厚労省が作ってしまったからです。

 1000人といえば何百億というどれだけオカネが必要になるかわからないわけで、つまり作らせないためなのです。

 ですから結局、日本政府は、病気を作り出して薬を売りつけてカネを儲けるという、ロックフェラーの狩場に絶対に手をつけさせないという最終的な意思表示をしたのです。

中丸 そのロックフェラーが、実は追われてポシャッてしまっており、今、インドの地下に作ったシェルターに隠れています。
 だから実際にはロックフェラーなんか気にすることはないので、日本のためにどんどんいいことを始めればいいのです。

池田   五井野プロシジャーも今臨床試験中です。日本のルールに則って薬として売るためには臨床が必要なので、我々のような勉強会のメンバーがボランティアとして自分でオカネを払って買い、自分で飲んでデータを送っています。そうすると負担がかからなくて済む。

 実は五井野プロシジャーが、エイズやがん、生活習慣病も治してしまうことがわかり、2年前にスペイン王立アカデミーで承認されました。

 それは心臓医学学会なので世界中からそうした権威ある人々が招待されるのですが、日本の医者は誰も呼ばれていません。

 日本では心臓病学会が一番儲けているのになぜ招待されないかというと、日本の医者は製薬メーカーの単なるセールスマンに過ぎないからだというのです。

 その中で五井野さんだけが呼ばれて、エイズや生活習慣病も五井野プロシジャーで治るということが認められています。

 ですがそういう情報は、操作されている日本のマスコミによって全部封じられているので、日本では絶対に知ることができないのです。

 私も40袋くらい購入させてもらって、私は元気だから毎日飲む必要はなく、2日に1袋飲んで、ずっとチェックを行ないそのデータを送っています。

『この底なしの闇の国NIPPONで覚悟を磨いて生きなさい』
       池田整治+中丸 薫著  ヒカルランド 抜粋



五井野正×船井幸雄TOP対談2

今、知らなければいかない重大な真実を語るメジャーな人々

今、知らなければいかない重大な真実を語るメジャーな人々2

一部抜粋ですが・・・♬

 1996年秋には、これは一般に公開されていないことなのですが、エリツィン元大統領の心臓病をGOPで治療しました。その縁で前大統領のプーチン氏と懇意になりました。


五井野プロシジャー(GOP)を作ってみました・・・
これってキノコ茶!から引用させて頂きました♬

 このレシピでお金儲けをしてはいけません。個人が、自分自身、家族、知人などのために用いることを、目的としています。愛をもってご利用ください。
 また、私自身が指の筋力テストなどで、確認しながら作った例で、これが正統的なGOPであるかは不明確ですが、とてもいい感じです。

用意するもの

黒霊芝:100グラム     
田七ニンジン:60グラム(粉末のものを購入すると使いやすい)
カワラタケ:200グラム

※トチバニンジンは今の季節手に入れにくいので、田七ニンジンを使ってみました。

 粉砕機
保存容器、食品乾燥材

計量スプーン
計量器(1グラム単位で測れるもの)
煎じようパック

土瓶(ホウロウ鍋・土鍋などでもよい)または自動煎じ器(象印から発売されています)
あい(LOAの素焼きの玉)・・・これはできればでよい

 作り方

① 粉砕
黒霊芝、田七ニンジン、カワラタケを、それぞれできるだけ細かく粉砕する。多少荒くてもいっこうにかまわない。

②計量・パック詰め
カワラタケ10グラム・田七ニンジン3グラム・黒霊芝5グラム
をそれぞれ計量し、パックに詰める。

 ③煎じる
土瓶にあいと、800ccの水を入れ、沸騰させる。沸騰したら火を最小の弱火にし、1パックを入れる。

約3時間で500ccのGOPができるよう工夫する。
火が弱すぎればやや強く調整してみる。
火が強すぎるときは800ccよりも多くの水ではじめて、最終的に500ccになるようにする。

結構おいしく出来ちゃってびっくりです。かぜで39度の熱を出したわが子は、GOPだけで1日で回復し、翌朝にはけろっとして、学校へ行きました。

友達は、飲んだ直後から体が温まり、目がよく見えるようになったそうです。このキノコ茶?すごいよ!


五井野正さん
地球製円盤と地球外UFOの解明  
月の真実

 ロケットによる月面探査の世界最初は、1959年1月2日に地球から打ち上げられたルナ一号から始まったことになるが、1月4日に月から6000kmの所を通り過ぎて、世界初の地球重力圏の人工衛星となったロケット史では記されているだけで、写真や月の情報は何も得られていないことになっている。

 そのため、世界で初めて月の裏側を撮影したのは1959年10月7日のルナ3号と天文学史では記録されている。しかし、実際はルナ1号が1959年1月4日に、月から6000kmのところで月の裏側の写真を撮影していたのである。

 その写真を分析したソ連の天文学者は、イギリスのBBC放送で
「月の裏側には植物があり、分解した花崗岩でできている」と説明していた。すなわち、「月には水も空気もある」という事実を明らかにしていたのである。

 つまり、この時点でソ連はニュートンの万有引力の法則が間違っていることを事実として認識しているのである。となれば、ニュートンの法則を土台としているアインシュタインの法則も誤りであることをソ連のトップの科学者は事実として確認したことになる。

 続くルナ2号は1959年9月に、世界で最初に月面に命中させることに成功する。実はこの時に月の周囲に大気があることが発見されていた。その事実は米国のゴダード宇宙飛行センターでも発表されていたのである。

 それゆえ、続く1959年10月4日に打ち上げられたルナ3号は月面探査機とは言え、直径0.9m、長さ1.3mの円筒型で重量が278.5kgの小型の衛星であるが、その筒の中は0.23気圧に保たれていたのである。それはまるで月に大気があるということを知っているかのようであった。

 この観察機は、ガスジェットを使って姿勢制御を行うだけで、軌道修正のためのロケットエンジンを装備していなかった。そのため10月6日に南極付近、6200km近くに最接近したが、自動撮影システムが動かず、そのまま月の引力で軌道を変えながら飛行せざるを得なかったと言われている。

 10月7日になって、やっと月の光を検出器が捉えて自動撮影システムがやっと始まることになるが、月からの距離はすでに63500kmと、月から遠くに去ってからの写真として合計29枚撮られた。

 それから、観察機はスピン制御に戻して半周し地球へ再接する軌道に乗り、地球に向かいながら10月18日までに17枚の画像を転送してきた。しかしながら、受信された画像は不鮮明であった。それでも、月の裏側は月の表と違って暗い月の海がほとんど存在しないことが写真からわかるようになった。

 しかし、この写真に対し、アメリカで著名な宇宙写真家のロイド・マラン氏は、月の写真に修正が施されていると非難した。確かにその写真は修正されていたか、それとも月から離れて撮影した画像のカモフラージュの写真だったかもしれない。

とも言うのも、月から6200km近くの場所から送られてきた写真には、月の裏側に植物だけでなく、異星人の建造物も撮影されていたために、ソ連政府はそれを秘密情報として公にしたくなかったからである。

 即ち、月に植物が存在するというのは、ニュートンの万有引力の法則が誤っている事を意味するだけでなく、月面の表面温度も天文学の専門書が記述しているような高温(昼)や極低温(夜)ではないということになって、地球の科学世界に新しい事実を発見する正の部分より、混乱と権威の失墜が起きる負の結果が大きいと判断したからであろう。

 ましてや、月に人工的な建造物が存在するなどは科学会のみならず、宗教界や政治、社会全体に大きなショックと混乱を与えることは必須の事実だったのである。

 それゆえ、この事実が伏せられたと言うよりも、むしろ、これこそが人類を月に送り込んだNASAのアポロ計画の本来の目的と言えるのだが、アメリカの安全保障上の理由から隠蔽されてきた事実なのである。

 外惑星から異星人が地球を訪問しているこの宇宙時代に、世界を支配している人達が社会の混乱と支配秩序の崩壊などを恐れているために、NASAを通して月や火星の真実と作り出した虚偽の世界に閉じ込めたまま、従来通りの奴隷化をさらに進めていることに他ならないと言えるだろう。



FC2版の広瀬すずちゃんの横顔になる方法の記事です♪
身長を伸ばす記事も追記してみました♪

松本 光正先生♪心臓血圧のジャンル1位の高血圧対策本の素晴らしい内容♪日本人必見♪医者が脳梗塞を作っている?高血圧の常識を変える新事実♪衝撃♪血圧測定の基準はWHOでも決められていなかった♪年を取ると高血圧なのは、血液を隅々まで送る為♪血圧が高くなるのは加齢現象というお役立ち医療話♪血圧測定の四箇条♪血圧の正しい測り方♪健康医学♪血圧薬は急にやめて良いかについて♪【感動】して【感謝】して、そして【感激】する。 これが本当の【三感王】♪上が180、下が100程度までは降圧剤は必要なし♪降圧治療で脳梗塞の発症率が二倍になります♪血圧の総まとめ記事♪

血圧心配性ですよ から引用させて頂きました♪


血圧ジャンルNo,1    松本光正先生
◯感動すること、感謝すること

私 とにかく笑いはストレスに効きますからね。笑顔もいいですよ。笑顔は周りの人にもプラス思考を与えますから。

Kさん ほんとですね。ニコニコしている人を見ると、なんだかこっちまで嬉しくなりますよ。仏頂面してないで笑顔を心がけましょう。そのほうが血圧も下がりそうですね。

私 私はね、「笑いは人のためならず」という諺もあって欲しいと思うんです。笑わせればその人を幸福に出来ます。そうしてその幸せは、必ず自分にも返ってくるんです。

Kさん うん、いい言葉ですね。今まで誰かを笑わせようなんて考えたことありませんでしたよ。

私 それから感動すること。これも笑いに負けず劣らずストレスにいいですよ。
 時々、「いやあ、大したものだ」と感銘を受けることがあるでしょう。そういう時心は活き活きして、マイナスの感情なんかどこかに行ってしまいます。プラスの心だけが残るんですね。

 そして、あらゆる事に感謝すること。感謝の心があれば不平不満は出ません。
 暑さにも感謝、寒さにも感謝、雨が降っても、風が吹いても感謝、感謝。

 少し味が悪かろうが、食べ物があることについて感謝、そして作ってくれた人に感謝です。
 ただテーブルの前に座っていれば、ご飯が出てくるなんて事はないのです。誰かが自分のために作ってくれたのです。それに気がついたら、感謝せずにいられませんよ。

Kさん そうですね、野菜を作ってくれている農家の人にも感謝、感謝ですね。

私 そうです。
【感動】して【感謝】して、そして【感激】する。
これが本当の【三感王】ですよ。

歓喜の世界に悲哀はなく、感謝の世界に不満はない
「【全てのことに感謝】していく。感謝に値するものがないのではない。
”感謝に値するものに気づいていない”でいるのだ


高血圧はほっとくのが一番 (講談社+α新書) のレビューから                         
から引用させていただきました♪

松本 光正
1943年大阪生まれ。 北海道大学医学部卒業後、医療生協浦和民主診療所勤務・所長を経て、1995年おおみや診療所所長に就任。2009年から関東医療クリニック院長。
高校2年生の時に中村天風の最晩年の弟子として指導を受ける。以降、天風会の講師としても活躍。


 今や「高血圧症」は国民病といわれ、患者数は約5000万人もいるとされる。これはとてつもない数である。日本人の成人の半分以上が「高血圧症」という病気なのだ。普通に考えればこんなことがあるはずはない。

 猫も杓子も「病人」だという。しかし本人は痛くもかゆくもなく、どう見ても健康なのだ。ただ、血圧という数値が、基準より高いだけである。

私は断言する。高血圧は病気ではない。通常、人が気にする程度の血圧が、重い病気を引き起こす可能性はゼロに等しい。
これが四十数年間、十万人近くを診察し、自分なりに調べた末の私の結論だ。「高血圧症」が国民病など、嘘八百である。


 高血圧に関して一般に信じられていることとかなり違うことを述べています。現代では異端的な見解です。少し断定的過ぎる所もありますが、傾聴すべき所も少なくありません。次のようなことが書かれています。

1 日本は世界の薬の40%を消費している。アメリカに次いで第2位であり、一人当たりの消費量では日本が第1位である。

2 脳梗塞は脳の血管がつまるものである。脳の血管がつまりかけると、体は懸命に血圧を上げて血流を勢いよくして、血管をつまらせようとしている血のかたまりを吹き飛ばそうとする。この時に降圧薬を飲んでいると血圧が十分に上がらない。だから血のかたまりを吹き飛ばすことができず、血管がつまり脳梗塞になってしまう。脳梗塞は降圧薬がつくっているのである。

3 大櫛陽一氏の研究によると、降圧剤を飲んでいる人は飲んでいない人に比べて脳梗塞の発症が2倍である。

4 認知症は脳の血流が悪くなることが一因である。無理に血圧を下げると認知症が起きやすくなる。

5 高齢者の血管は総じて動脈硬化を起こしている。これは顔にシワが増えたり、髪が白くなるのと同じ老化現象である。細く硬くなった血管に血液を通し体の隅々まで栄養と酸素を送るためには高い血圧が必要である。高齢者の高血圧は生命を維持するための理にかなった反応である。

6 体の反応に無駄なものは一つもない。それなのに血圧が上がることを悪と決め付けせっせと薬を出しているのである。

7 コレステロール値が下がると免疫細胞の働きが弱まる。

8 欧米では女性に対してコレステロール低下薬は処方されない。女性は脳卒中や心臓疾患になる確率より薬の副作用により肝臓疾患や癌になる確率が高いからである。

9 丹田(へその下)に力を入れ、腰をしっかり立てて、尻の穴を締め、上体の力を抜き、肩を下げて、あごを引く。すると体に一本の軸が通ったようになり、自然に背筋が伸びる。

10 フィンランドを除くヨーロッパの主要国では、高血圧症に対し減塩するように指導していない。

11 ダイエットには、口に入れたものを50回噛むようにする。



松本先生の主張は、一言で言うと、

「高血圧の人は、血圧を高くしなければならないことがからだの中で起こっているのである。自分の命を守るためにからだはわざわざ血圧を上げてくれているのだから、血圧を薬で下げるなんてとんでもないことである。ほっとけばいい。」

 松本先生のこの考え方は社会の一般常識からすれば過激ですが、一理あると思います。

 実際、血圧とか血圧の基準値に関してはわからないことが多すぎます。
現代の医学レベルでは適切な血圧の基準値が何かを決めることは誰にだって難しいのだろうと思います。

 だから皆が自分の立場でいろいろなことを言います。
 例えば製薬会社は、薬をたくさん売りたいために血圧の基準値を下げたいと思うはずです。

 そしてノバルティスや武田薬品のようにデータを改ざんしたり誇大広告を打ったりします。

 厚生省は医療費削減のために基準値を上げてなるべく血圧降下剤を庶民に使わせないようにしたいと本音では思っているはずです。

 一方医者のグループの中でも、高血圧学会と人間ドッグ学会が基準値をめぐって、患者の立場にたてばとか医者の立場にたてばとかわけのわからぬ議論をして自分たちの基準値に固執しています。
 しかも命がけで自信を持って固執するから始末におえません。

われわれしろうとはどうすればよいのか。誰にもはっきりとしたことがわからぬ以上
結局自分で考えて決断するしかしかたありません。


年1回の会社の検診で、
「上140ですから、そろそろ薬を考えてもいいですね。」
と言われてきました。

しかし、今年4月検診では、看護婦さんから
「140なんて、気にしなくて大丈夫です。それにこういうところでは、
 特に男性は血圧が高くなるのが普通ですから。
 それから、コレステロールの数値が、少し標準よりはずれていても気にしないこと。」
と言われていて、ちょっと、考え方が違うなあと思っていたのです。

そこに、この本。
やはり、薬にお世話にならないで、自分の体の力を信じていこうと思わされました。

今日も江の島まで電車で行って、島を歩いて、海を眺めて、江の島丼を食べて、笑って、高血圧なんてすっかり忘れていました。

力まず、ときにはあきらめて、あまりストレスを溜めない生き方をしていくことで、
高血圧ともうまくつきあっていけるような気がしています。

「癌は治療しなくていい」
「眼に老眼はない」
「高血圧はほっとくのが一番」

などと、医師が医師の仕事をなくしてしまうような本が多くでていますが、
だからこそ、信憑性があるのかなと思います。


 健康診断で、あなたは高血圧なので降圧剤を飲んだほうがいいと言われ、ついに献血も受け付けてくれなくなった。
といっても、私の血圧は上が160~170、下が110~120。

 まあ、高いほうだが筆者が言うには高血圧とは言えない。
 病気として捉える高血圧は200以上を指しの場合は降圧剤等で下げなければならないが、200を超えずして降圧剤を飲むことは逆に体に悪影響を及ぼすというのがこの本の主旨である。

 降圧剤は血圧は強制的に下げることはできるが、脳卒中などの他の病気の副作用をもたらす可能性が高いのだ。

 確かに、私の周りの50代~60代の人で脳卒中(脳梗塞、脳溢血等)になった人は、ほとんど降圧剤を飲んでいる。
当然、降圧剤は薬なのだ。副作用も認識して飲んでいるに違いない。

 あなたは風邪を引いたら、すぐに風邪薬を飲みますか?
TVのCMで、とある女優が「効いたよね、早めの パブロン」なんて能天気に言っているが、風邪のひきはじめに薬を飲ませようなんて、製薬会社の金儲けみえみえだと思わなければならない。

 風邪のひきはじめなんて普通は自己治癒力で治せるものだ。いつも薬に頼っていては、自分で自分の体が治せない人になるだけだ。風邪薬が恐ろしいほど体に悪いことをみなさんは知っていますか?

 極端な例と言われそうだが、私の小学校時代の友人は背が低い、天然パーマ、色黒等の悩みをずっと持っており、ある時風邪薬を一瓶(約100錠入っている)を一気に飲んでしまった。

 この目的はお察しできると思いますが…。彼は即病院に運ばれ治療を受けたが、それから2年たった今でも、口はいつもぶるぶる震え、歯もガチガチと常時音を鳴らし、言葉を満足にしゃべれなくなった。

 さらに手も震えている。もちろん、定職につけない。通常は食後に3錠ほど飲むから平気なのだが、大量に飲むとこうなってしまうのだ。
 言い方は悪いが、薬を飲むということはわずかな毒を飲んでいるということのだ。

 話はだいぶ脱線してしまったが、薬は飲まないに越したことがないというのがこの先生の言われることだ。

 また、高血圧抑制のための食事制限は精神的に良くない。いくら血圧を上げない食事(減塩等)を行っても、逆に味気のないいわゆる病院食のような食事を食べ続けるストレスが何たる大きいことか?そのほうが逆に血圧を上げてしまうくらいだ。

 また、究極は血圧を測るなということだ。
血圧を測るからその値が気になるのだ。メーカや病院等からは毎日測って記録しなさいなんて言われるが、なぜ毎日、それも毎朝測る必要があるのだろうか?

 それも朝が一番血圧が高い時間帯なのだ。血圧の上下変動を知ることがそんなに必要なのか?
いっそのこと、血圧計なんて捨ててしまえとさえ書かれている。

 今や血圧計も値段が安くなった。一番安いもので2千円を切るほどだ。だから手軽に買えて、健康管理がしやすくなった。しかし、それは健康管理をする道具ではなく、ちょっと血圧が高いくらいの人の心配を煽っているだけの不健康な道具なのだ。
 
 これ以上書くと筆者に申し訳ないのでやめておくが、どのようにしたらストレスをためずに、笑って過ごせる日常を送ることかが健康のポイント。

 高血圧を病気だと作り上げたのは、WHO(世界保健機関)であり、それに従う病院であり、製薬メーカなのだ。
 これらの団体、企業は高血圧という病気もどきのおかげでボロ儲けだ。降圧剤を飲まなくてもいい人にも処方して(それも半永久的に)、どんどん飲んでくれる。

 さらに運悪く副作用により、大手術を伴うような大病を患うこととなれば、さらに病院も製薬メーカもウハウハなのだ。

それでも、あなたは降圧剤を飲み続けますか?


 私の幼稚園の時お世話になった先生はキノノフォルムが原因でスモン病を発症し、50年も苦しんでいます。
 薬というものは本当に恐ろしいものだと思いました。安易に薬の頼ることは危険だと私は思います。

 結局、毎日の食事が大切で、腹八分目の食事の量でよく噛んで食べること、一日に一食か二食の食事で十分だということが分かりました。

 私の周りの人々を見ると、複数の医者に掛かり、一日に30錠以上の薬を飲んでる人が結構います。医者は「薬は毎日、きちんと飲まなければだめですよ。」と言うそうです。

 血圧降下剤、精神安定剤、入眠剤、胃腸薬等。その人たちは完全に薬に依存しています。結局、老人が無知にかこつけて、金儲けに利用されているように私は思っていました。

 著者が診察の患者に薬の必要がないと話すと聞いたとき、勇気があるお医者さんだと思いました。

 勤務医の場合、事務サイドから薬をもっと出すように圧力をかけられ、悩んでいる勤務医の話をきいたことがあります。
 病院存続のため、医療従事者の給料のため必要としない薬を処方されていることは事実だと思います。

 そういうなかで、このような方が現役で医者をやっておられることに日本も捨てたもんではないなと思いました。
 私はこのようなお医者さんにかかりたいと思いました。




薬に頼らない生き方
◯太ったままで薬を飲む矛盾

私 よく、太ったままで「血圧が高いのですけど、どうしたら良いですか」と騒ぐ人がいますね。

Kさん それ、私の事ですか。

私 いえいえ、そういう人が多いということです。
太っている事をそのままにしておいて、血圧が高いから困るというのはちょっと矛盾していますよ。

Kさん そうですか。

私 だって、太っていれば血圧が上がるのは当たり前ですからね。重たい体を動かすためには、体は血圧を上げなくてはいけないのです。薬で無理に下げたら動けなくなってしまいますよ。

Kさん だからいつも先生は「血圧が気になるなら痩せなさい」って言うんですか。

私 そうです。太っている人は痩せないと駄目なのです。
減量は効果抜群です。高い血圧が見事に下がりますよ。ところが、血圧は気になるのに、体重は一向に気にかけないという人も多い。

 中年になれば、自動車のエンジンと同じように、体だって中古になっていくんです。もうだいぶガタのきているエンジンなのに、後ろの荷台には山のように荷物を積んでいたらどうなりますか。

Kさん エンジンを吹かさないと走れませんね。

私 そう、走れないですよ。上り坂に差し掛かったら大変です。ウーッと唸るほどアクセルを踏まなきゃならない。人間だって同じなの。
 
 荷物を積んだまま、つまり太ったままで血圧を下げようとするのは、山ほど荷物を積んで古いエンジンをブーブー吹かすようなものなんです。エンストするのも当然、脳出血だって起こします。まずは荷物を降ろしましょう。

Kさん いやあ、そろそろ痩せないとなといつも思ってはいるんですが、薬を飲めば血圧はそれなりに下がるものだから、つい頼っちゃうんですよね。すみません、意思が弱くて。

私 まあ、これは医師にも責任があるんでしょうね。やはり減量するには、かなりの努力と苦痛が伴います。だから患者さんも医師も皆が薬に頼ってしまう。でも、薬じゃいつまでたっても本当の解決は得られないのですよ。

 世の中「これさえ食べれば痩せる!」といった広告で溢れています。でも、忘れないでください。
食べなきゃ痩せる、食べれば太るんです。ぜひ食べる量を減らして下さい。


血圧神話の裏話
◯自分の頭で考える

私 以前、こんな方がいました。一年前に脳梗塞で倒れて以来、脳卒中症に悩んでいるという55歳の男性です。きゃしゃな方で、とても高血圧だとは思えませんでした。しかし40歳の頃からずっと降圧剤を飲んでいるというのです。
 
 かれが薬を飲み始めるきっかけは、会社の健康診断でした。その時に血圧が150あって、医師のすすめで飲み始めたらしいのです。その後、血圧が120とか118くらいの事があっても、医者には「薬のお陰で血圧が下がっているのだ。飲まないとまた高くなる」と言われ、飲み続けていました。そしてある日、脳梗塞で倒れたのです。

Kさん かわいそうに。で、彼はそれ以来薬をやめたのですか?

私 いいえ、一度飲み始めたらずっと飲まなくてはいけないと思っていたのでしょうね。血管が詰まって脳梗塞になったのに、追い打ちをかけるように薬で血圧を下げられたのです。本当に気の毒な患者さんですよ。

 医者の指示に従ったばかりに、脳卒中を引き起こして、会社は辞めさせられて、これからの人生はどうなるんですかね。奥さんも気の毒でしたよ。

Kさん うーん。明日は我が身ですね。考えさせられますね。

私 そう、考えて下さい。医師と薬ばかりに頼っていちゃダメですよ。患者さん達が自分の頭で考えて、判断する力をつける必要があるんです。

Kさん そうは言っても、素人に判断できますかね。お医者さんでもないのに。

私 イヤイヤそんなことはないです。一般の人達にも、判断する材料はあります。昔と違って誰もが図書館で本を借りることが出来ますし、インターネットにもたくさんの情報が公開されています。その情報を丹念に視ていくと、普通医者が言わない事や、海外の医療の事なんかが分かってくる。

 私もそうやって、色々な所から情報を集めていくうちに、驚くべき真実にいくつもぶち当たりましたよ。その一つをお話しましょうか。

Kさん ええ、ぜひ聞かせて下さい。

私 2006年12月31日の日経新聞の記事で、
降圧治療で脳梗塞の発症率が二倍になる。」この論文を書いたのは、東海大学の大櫛陽一先生です。

Kさん 血圧の薬を飲んでいると、脳梗塞になる確率が二倍になるんですか!さっき先生が指摘したとおりじゃないですか。

私 こういう指摘は、あちこちの新聞や雑誌に載り始めているんです。最近ではテレビでも反対の意見が述べられる様になってきました。

Kさん 他にもそういう学者さんはいますか。

私 ええ、大阪の浜六郎という学者さんも、血圧の薬は必要ない。飲まない方がいいと言っています。

 「高血圧は下げるな!」という本の中では、
血圧の薬でがんの発生が高まる
上が180、下が100程度までは降圧剤は必要なし。安易に薬を使うとむしろ副作用の危険性が高まる」
とまで書いていますよ。


プラス思考とイメージ療法

Kさん どうしたらストレスを減らせるんでしょうか?何をするのが一番いいですかねぇ。

私 なんでもいいですよ。ご自分の好きなことをなさって下さい。それぞれ自分なりのリラックス法を見つけて実行するといいですね。

 でも、何と言っても一番好いいのは、プラス思考を持つことです。どんなことも良い方に良い方に考える。少し嫌なことがあっても、「ああ嬉しい、こうして生きていられる!」これくらいの気持ちでいることです。

Kさん どうすれば、そんな風に考えられるようになりますか。

私 先ず気をつけて欲しいのは「言葉」ですね。自分の発する言葉に気をつける。暑い、寒い、痛い、痒い、嫌だ、疲れた、出来ない、あの人は嫌だ云々・・・・・。こういうマナスな言葉は、例え心で思っても口に出さないことです。

Kさん でもつい言ってしまいますよ。

私 言った後、どんな気分になります? 嫌な気分は消えますか。

Kさん いえ、嫌な気分のままです。

私 「痛い」と100回言えば痛みが消えるならまだいいですが、痛いところは痛いままです。
それどころか、周りの人を悲しい気分にさせ、自分もさらに落ち込みます。マイナスの言葉と言うのは口に出すと、それが耳から入って倍になって心に届くからね。

 もちろん身体的にも良くないことが起こります。副賢から血圧を上げるホルモンが出て行って血圧を上げるんです。血圧を上げたくないならそういう言葉は慎むことですね。

Kさん マイナスな言葉を口に出さないだけで、随分違いますか。

私 ええ、それはもう実際に試して見るとよく分かります。私の尊敬する中村天風という人がいます。この方は、日本で初めてヨガとプラス思考を広めた方で、「人生というものは、言葉で哲学化されていて、科学化されている。言葉は人生を左右する力がある」とまでおっしゃっていました。

 もし今よりもっとしあわせになりたいのなら。物事を良い方向に考えて、実際に言葉に出して見ることです。そうするとその言葉に引っ張られて、自然と思い描いた事が現実になるんです。

 アメリカでも、カール・サイモントン博士が開発した「イメージ療法」という治療法が成果を上げていて、プラス思考の持つ力が認識されつつあります。

Kさん イメージ療法?

私 病気が治っていくイメージを強く心に思い浮かべるんです。例えば、自分の体の細胞がガン細胞を食いつぶしていくイメージを思い浮かべるとか、冷え性の人が太陽とか夏の日を思い浮かべたりする。そうすることで、実際にガン闘病者の生存率が高くなったり、血行が良くなって全身が温かくなってきたりすると言うんです。

Kさん 思い浮かべるだけですか!プラス思考って、そんなに大きな影響力を与えるんですか。

私 人間が持つイメージの力はものすごい威力なんです。それがネガティブに作用すれば、病気を引き起こすエネルギーにもなるし、ポジティブに作用すれば病気も治る。

 どうぞ一ヶ月でもいいですから試してみてください。寒い日も、暑い日も「寒さ暑さも自然の恵みだ」と言ってみて下さい。

 嫌いな人の悪口を言うのではなく、その人の良さを見つけることを楽しんで下さい。
 マイナスの言葉をグッと飲み込んで、できるだけプラスの言葉に変えて見て下さいね。


血圧のしくみを知ろう

私 歳を取ると血管が硬くなるから、このゴム袋の袋・マンシェットに強い力を書けないと血管が押しつぶされないのです。つまりそれが高血圧なんですね。

Kさん なるほど、子供だったら血管も弾力性があって軟らかいから、ちょっと圧力をかけるだけですぐ血管はぺちゃんこになる。つまり血圧が低い・・・・・。そういあ、これが先生のおっしゃっていた「加齢」という事なのですね。

私 そういうこと。血圧が高くなるのは加齢現象なの。顔にシワができるのと同じ。病気じゃないんだから薬を飲んだってしょうがないのです。むしろ血圧を下げたら、体の隅々まで血液を送れなくなっちゃうんです。この所をわかってほしいのですよ。

知らぬが仏

私 緊急の場合、例えば心筋梗塞だとか、脳卒中だとか、お腹がいたいとか、そういう急性の疾患に対して血圧を測る事は大いに意味があります。命にかかわることですから。

 でも、いわゆる慢性疾患、成人病、生活習慣病なんかの血圧測定は、そこまで必要ないというのが私の意見です。

Kさん よっぽどのことでもない限り、血圧なんか測る必要はないと。

私 ええ。だって例えば、もし家絵何気なく測った測定が200だったらどうしいます?

Kさん そんなに高かったら、びっくりしますよ。すぐ病院に行くでしょうね。

私 そらね。皆さんそう言いますよ。でも、覚えておいて下さい。どこも具合は悪くないのに、頭も痛くないし、めまいもないのに、測ってみると血圧がやけに高いということはよくあることなんです。

 いちいち測らない方がいいの。「知らぬが仏」と言うでしょう。知れば腹も立ち、苦悩や面倒も起こるけれど、知らなければ余計な心配もせず、仏のように穏やかでいられるんです。

 だいたい病院に行っても、良心的な医者なら何もくれませんよ。。静かに横になってなさいと言われるだけです。それだけのために診察料を払うなんてバカバカしいじゃないですか。

 変な医者にかかったら、それこそ大変です。やれ薬だ。検査だ。CTだと、お金を搾り取られますよ。

もしも家で測るなら

◯血圧測定の四箇条
 
私  どうしても家で測りたいというのでしたら、次のことを注意して下さい。

安静にした後で測る
心が安定していることを確認して測る
椅子に座って測る
腕を十分まくって測る

 よく何かをしていた後で急に測る人がいますが、これはいけません。10分ほどで安静にして測らないと、高い値が出てしまいます。

Kさん 家にいると、つい思い出した時に測っちゃうんですよね。

私 安静にしないですぐに測るのは、走った後ですぐ測るのと同じだと思って下さい。動いていた直後に測る血圧が高いのは当然ですから、その血圧を見て高いと思わないこと。
 
 ましてやその血圧を目安にして薬を増やさないで下さいよ。

Kさん 分かりました。今後気をつけます。

私 次に、心が安定している時に測って下さい。怒ったり、悲しんだり、イライラしたりすると、体はストレスから身を守るためにすぐ血圧を上げます。
 
 動揺したり、マイナスの感情でいっぱいの時は、血圧が上がります。だから血圧を高くなるのを防ぎたかったら・・・・・

Kさん マイナス思考をしないこと! ですよね。

私 その通り。いつも怒らず、恐れず、悲しまず、朗らかに、活き活きと勇ましくの心境、つまりプラスの感情でいれば血圧は高くならないはずですよ。
 
Kさん それから先生、「椅子に座って測る」というのは、立ったままとか、寝そべったままで測らないということですか。

私 そうです。血圧は、「心臓の高さにある上腕の血圧を座って計測した値」が基準と言う事になっているので、椅子に座って、心臓の高さに血圧計を置いて測って下さい。

 外で測る時に椅子がなくて立ったまま測るところもありますが、座って測るのが原則だと思って下さい。

Kさん でも時々、血圧を測りますから寝て下さい、と言われる事がありますよ。

私 間違いだと言い切ることは出来ませんんが、健康な人をわざわざ寝かせて測る必要はないでしょう。普通の人は起きて活動しています。起きることが出来ない病人をベッドの上で測る時は仕方ありませんが、通常は椅子に座った状態で測った血圧をその人の血圧とするのです。

 それから測る時は右腕で測って下さい。

Kさん それはなぜです?

私 左腕だと心臓に近いために少し高く出るんです。あま、殆ど問題ないくらいですが。

Kさん 分かりました。

私 それと、部屋の温度も気をつけてくださいね。気温の低い所で、ガタガタと震えながら測ったのでは血圧に影響しますからね。そしてきちんと排尿、排便してから測ることも大切です。おしっこを我慢しながら測ったのではきっと高く出ますよ。


◯薬は急にやめて良いか

私 こんにちは、だんだん温かくなってきましたね。

Kさん ええ。もうコートもいりませんよ。今日みたいに天気が良いと、歩いていても気持ちがいいや。

私 ああ、いいですね。今日は136の76ですね。

Kさん 本当ですか。実は薬が切れてしまって、昨日から飲んでないのですよ。

私 それは良かった。ほら、薬を飲まなくても大丈夫だって証明が出来たじゃないですか。これを機会に、そろそろおやめになったらそうです?

Kさん でも先生、本当に急に薬をやめても大丈夫でしょうか。一度飲み始めたら、ずっと飲み続けなきゃいけないんじゃないですか?

私 そう思い込んでいる方は沢山いますね。少し血圧が下がっても薬をやめたらまた上がるんじゃないかとか、やめたら麻薬のように禁断症状が出てくるんじゃないかとかね。でも、そんな事は全くありません。

 やめようと思った時が止める時です。薬は急にやめようが、徐々にやめようが関係ありません。今までずいぶん多くの人達を止めさせましたが、悪くなった人を私は一人も知りません。

Kさん 本当ですか。

私 逆に、お年寄りなんか、今まで何となく重かった頭が、薬をやめたらすっきりしたって喜んでますよ。そりゃ当たり前です。今まで血圧を下げて無理に下げていたから、頭の隅々まで血液が回らなかったのですからね。
 
 これぞまさに「血の巡りが良くなった」というやつですよ。
 こういう方が多いのには驚かせられます。それほど血圧の薬というものは、血の巡りを悪くしていたのかと思うと反省されられます。


◯加齢

Kさん 年をとると血圧が高くなる人がいるのはなぜなんですか?

私 年をとって血圧が上がるのは自然なことです。よく、年齢に90を足したものが、その人の血だというでしょう。
50歳の人なら140,60歳なら150、70歳なら160。

Kさん 100歳の人なら190ですか。一体どうしてそんなに上がっていくんですか?

私 血圧を上げないと生きていけないからですよ。年を取れば血管も老化します。若い時のように弾力のあるしなやかな血管ではなくなります。そして血液は固くなった血管の中を流れ、栄養や酸素を送り、また硬くなった血管を通って戻ってきます。

 そこで体は「血圧を上げる」という作戦をとっているのです。力一杯ポンプで送りださないと、血液は隅々まで流れないからです。

Kさん そうだったのですか。

私 例えば、70歳くらいになって動脈硬化が起こったら、血圧180ぐらいの力がないと、頭の隅々まで血液が流れません。それを薬を飲んで血圧を下げたらどうなりますか。

Kさん 血液が隅々まで行かないから、目が回ってしまいますね。

私 目が回るだけならまだいいですよ。栄養が行かないということは、その先の組織が死ぬということです。つまり脳梗塞ですね。年を取ったら血圧が上がるのが自然の摂理なんです。

 摂理というか自分の命を守るために、体は懸命に血圧を上げてくれているんですよ。それを若い人と同じでないといけないと思う所に間違いがあるのです。
 
 年を取るということは、身体のあちこちに変化が起こってくるということなんです。膝が痛くなるのは、膝の潤滑油が切れたからです。その上、軟骨という柔らかいクッションの役目をしていた骨も老化した。ふわふわの座布団がぺちゃんこになってきたようなものなのです。

 こういった体の変化をきちんと受け入れる必要があるのですが、中々出来ない。ここに現代人の悲哀がある様に思いますね。

Kさん 「みずから老人たることを知るものは少ない」ってわけですね。

私 でもね、それでも体は一生懸命やってくれているんですよ。その老化した体にとって一番心地よい状態を提供しようと努力してくれているんですから。

 それなのに現在では、年齢による”変化”を”病気”だと言って病人を作り出している。とんでもない時代です。

Kさん 病気をつくり上げるって?どういう意味ですか?

私 骨粗しょう症がいい例です。年を取れば皆んな骨が脆くなるでしょう。それを、あなたは骨粗しょう症だから薬を飲みなさい、注射をしなさいと脅すんです。

 骨粗しょう症の状態は、決して「症」のつく疾病ではないのです。それを「症」をつけて病気に仕立て上げて、どんどん薬を飲ませる。

Kさん 老化現象と病気をごちゃ混ぜにして、儲けているわけですか。美味しいことを考えたもんだなあ。

私 高脂血症や高血圧症なんていうのも同じですね。若い時より血圧が上がるのは当たり前なんですから。
  本来なら高脂血状態、高血圧状態と言うべきであって、病気にする必要はないのです

 こんな風に「症」を付ければすぐ病気になっちゃうんです。製薬会社にとって「症」は魔法の単語ですね。

Kさん 確かに「症」を付けられると、ああ自分は病人なんだって気持ちになりますよ。

私 そういう考え方を改めた方がいいですね。加齢を素直に受け入れる。それだけで、そんなにプラス思考で明るく生きていけることか!


◯いつ測った血圧が本当の血圧か

Kさん さっきの患者さん、大丈夫でしたか?何だか心配そうに帰って行きましたけど。

私 あなたと同じ「血圧心配性」の人でしたよ。こういう方が、毎日、しょっちゅう来てますね。こういう人が増えたのも、家庭内血圧測定があちこちで頻繁に行われるようになってからです。30年前にはなかった光景ですよ。

Kさん うちにも家庭用の血圧計がありますよ。測るのがすごく簡単なんです。

私 手軽に測れる様になった分、間違った知識で測定してしまう方も増えましたけどね。
   ところで、Kさんはいつ測った血圧が本当の血圧か、つまり、どの時点の血圧を標準にして血圧が高いとか低いとか言うのか、ご存知なんですか?

Kさん え、そんなこと考えたこともなかったなあ。でも、前かかっていたお医者さんからは、「朝起きたら測りなさい」と言われていましたが。

私 そう指導する医療機関は多いですね。しかし朝起きた時に計れというのは、なにか科学的根拠があるのでしょうか。不思議です。根拠などないのに、みなさん「朝、測りましょう」と言う。なぜでしょうね。

Kさん え、そうなんですか。お医者さんの言うことだから、頭っから信じちゃっていたなあ。

私 高価な薬を飲まされないためにも、まず、朝は高いものだと理解して下さい。それは体が「さあ、これから起きて活動するぞ」と血圧を上げて、日中の活動に備えるからです

Kさん なるほど、となると、血圧を測るのはいつがいいのですか。昼食のあと?それとも夕食の後?一体血圧ってどんな時に下がるんです?

私 大体食事の後は下がります。それから、風呂から上がった後や、排尿や排便の後も下がります。急に立ち上がった時も血圧が下がることがあります。

ただ、下がっているところがその人の血圧だと考えるのは間違いですよ。もしも下がっている時がいいのなら、一番下がっている時を探さなければなりません。これは難しい。

では、高い時の血圧をその人の血圧と認識するのが正しいのでしょうか。もしも高い時を基準とすると、階段を上がったり、走った時、びっくりした時などに測ることが必要になってきます。でも、そんなことはできないでしょう。

Kさん うーむ。何だか標準の血圧を測るのは不可能に近いですね。

私 要するに、いつ計ればという明確な基準がないのです。世界保健機関(WHO)がきちんと決めてくれればいいのですか、どうも決められていないようです。血圧測定というのはそれほど曖昧なものなのです

Kさん なんだ。いつ計ればいいか、お医者さん達にも分かっていないのですか。

私 そうなんです日本動脈硬化学会が設定している「高血圧検査基準のガイドライン」の値だって、科学的データもないのに低く設定されすぎています

 極端な話、医療者側にとってみれば、どの時点でもどの姿勢でもいいのですよ。高い血圧が一度でもあれば、薬を飲ませる口実が出来るんですから。

Kさん 先生、そんな言い方をすると、他のお医者さんから嫌われますよ~。

私 いやはや、つい本音が出てしまってね。気をつけましょう。でも、あなただからこんな話ができるのですよ。

 まあ、それはさておき、今は多くの人が家で適当に測った血圧を「正しい」と思って判断してしまっているのです。大体、血圧を測定する時は、10分以上、静かにしていて、椅子に座った状態で測る」という条件を守っている人がどのぐらいいるんでしょうか。

Kさん 今までそんな風にきちんと血圧を測ったことないですよ。

私 そうなんですよ。何と言っても、血圧はすぐに変化しますからね。空に浮かぶ雲のようなものなんです。一分も経たないで変わりますよ。いつも頻繁に変化させて、その時の体に一番合った血圧を選んでいるんです

 朝起きた時、外を歩いている時、初対面の人にあった時、家族をゆっくり過ごしている時、もちろん、こうしてここに座っている時も、たいしたもんですね。感心しますよ。その都度、一番いい血圧を選んで体を守ってくれているんですから。

Kさん 私が家で血圧を測る時、1回目と2回目で20くらい違うことがあるんです。びっくりして、しばらくしてから図ると、また違うんですよ。五回ぐらい測るんですが、全部違うんです。

私 それもみんな本当の血圧ですよ。それらは全部あなたの血圧です。どれが本当なんていうことは出来ませんよ。

Kさん そんな殺生な・・・・・。

私 だから言ったでしょう。血圧なんて、空に浮かぶ雲のように捉えどころのないものなんだから、いちいち気にしない方がいいのです。 

 まあ、どうしてもノート記録を記録したいのであれば、五回測ったうちの一番高い血圧と、一番低い血圧は捨てて、残りの三回の平均を記しておくのがいいんじゃないですか。


◯医者が脳梗塞を作っている?

私 最近の統計ですと、脳卒中は死因の内の3番目で、大体15%を占めています。つまり100人のうち15人は、脳卒中で亡くなっているということです。皆さんが倒れる事を心配される理由もうなずけます。

 しかし、この死亡統計の「脳卒中の内訳」を見て下さい。

脳卒中 84%
脳出血 13%
クモ膜下出血 3%

 これを見ると、ほとんどが高血圧に関係ない脳梗塞で、高血圧に関係して倒れる脳出血は、全体の脳卒中のわずか13%しかないことが分かるでしょう。

Kさん ほんとだ。殆どが脳梗塞ですね。脳出血ってのはずいぶん少ないんだなあ

私 そうなんです。私はこの結果を見て愕然としました。自分がやっていた高血圧の治療は、脳出血の予防だと思っていたら、わずか13%しかないんんです。それに比べて脳梗塞の何と多いこと!脳出血の6倍もあります。脳梗塞の多さは一体何なのでしょうか。

Kさん 何なのでしょうかって、私に聞かれたってわかりませんよ。

私 それはそうですが、一体なんだろうって頭を抱えてしまいましたよ。その時気付いたのです。もしかすると、これは医師の責任かもしれないぞってね。

Kさん どういう意味です?

私 高血圧のままだと脳卒中を起こすと信じている医師達が、薬をせっせと飲ませて、血圧を下げ過ぎた事に原因があったのではのではないかと思ったのです。つまり、脳梗塞を作っているのは医師なんじゃないか?そう思ったのです。

Kさん へえ、医師が病気を作るって?あべこべなことがあるもんだ。

私 もちろん、すべての脳梗塞が医師の原因だとは言いませんがね。
そもそも、脳梗塞は血管が詰まる状態なんです。血管が詰まったら、体はどんな防御策を取ると思いますか?

Kさん 私が血管だったら、ゴミが詰まったら苦しいですから、どかそうとするでしょうね。

私 そう、心臓も考えることは同じです。脳の血管の中にゴミが流れてきたら、血流の圧力を高めてそのゴミを吹き飛ばそうとする。血液が流れなかったら脳の組織や細胞は死んでしまいますからね。
 手足には麻痺が来ますし、しゃべれなくなりますよ。時には死にますよ。

 そこで体は血流の圧力を一生懸命高める。圧力を高めないとゴミは吹き飛びませんからね。つまり、この状態が高血圧の状態です。血圧を上げて脳を守ろうとしているのです。そういう一大事の時に、むりやり血圧を下げたらどうなります?

Kさん ゴミは残ったまま血液の流れだけが弱まりますよね・・・・・・そうか、つまり血管が詰まって脳梗塞を起こしてしまうんだ!

私 そうなんです。血圧は上げておかなければならないのです。しかし世間では、血圧が高いと、薬を沢山飲ませ。血圧を下げます。そこで脳梗塞が多くなるというわけです。

Kさん 高い血圧には高い血圧の役割があって、むやみに下げてはいけないって事ですか。

私 その通りです。もちろん、中には血圧を下げた方がいい場合もありますよ。例えば血圧が高くて脳出血の恐れのある場合です。大動脈が破れる解難性大動脈、一部の心不全、心筋梗塞、腎疾患などはその典型でしょう。しかし、そういった霊はごく僅かですし、中々科学的根拠を持って、絶対に降圧すべきだと言い切るのは難しいのですよ。

 では次に、日本人の死因、死亡原因を見て下さい。

1位はガンです。33%ぐらいあります。
2位は心臓病。16%ほどです。
3位は脳血管障害です。つまり脳卒中ですね。15%ほどです。

4位以下は肺炎だったり、交通事故だったり、その他色々です。
さて、高血圧に直接関係するのはどれだと思いますか。

Kさん ということは、3位の脳卒中だけですか。でも、さっきの脳梗塞もクモ膜下出血も、高血圧には殆ど関係ないっておっしゃってましたよね。

私 はい、そうなると血圧に直接関係がある脳出血は、全死因の中のどれくらいなのか、という事ですが、ちょっと計算してみましょう。
 全死因の16%が脳卒中で、そのうちの13%が脳卒中ですから・・・・・16%×0.13%=2%!

 なんと、全死因に占める割合はわずかに2%なのです。100の内2つしかない死因の疾患に対して、「血圧を下げろ!」とマスコミ総出で日本中が大騒ぎしているのです。

 ガンや交通事故や肺炎で死ぬ方が遥かに多いのです。高血圧では滅多に人は死なないのです。むしろ血圧が低い時に起こる脳梗塞の方が、遥かに多いのです。

 それなのにみんな競うように血圧を下げ、そのあげくに脳梗塞で倒れているのです。治そうと思って飲み続けていた薬が逆に命取りだったわけです。倒れるというより、倒されていると言った方がいい。

Kさん なんてこった。自分で自分の首を絞めていたわけか。

私 これでもあなたは血圧を下げますか?薬を飲みたいですか?よく考えて下さい。


FC2版の広瀬すずちゃんの横顔になる方法の記事です♪
身長を伸ばす記事も追記してみました♪

人に好かれる話し方♪褒め上手になる具体的なテクニックのコツをご紹介♪婚活や人生の様々な場面で使えるかも♪美しい話し方~声の出し方のコツ~☆口角を上げて・”スピード”と”間”を大切に話しましょう♪会話に活用♪クッション言葉を上手に使って全体がソフトな印象に♪話し方上手になるコツをご紹介♪女性力UPに活用♪褒められた時の上手な受け答えのコツをご紹介♪人に好かれる話し方・会話方法・態度♪五井昌久先生の意志を受け継ぐ☆悟りを開いた覚者☆森島恒吉先生♪





自分の気持をスマートに伝える
ほめ上手になろう

雰囲気を褒める

 その人が持つ雰囲気を褒めるのは、ちょっと観察すればできること。
「よく気がつく方ですね」、「一緒にいるだけで元気になります」など、具体的なことではないので、初対面の人でも言いやすいです。

物選びのセンスを褒める

 洋服やバッグ、アクセサリー、腕時計など、その人が持っているものを褒めるのは、いつでも、誰に対しても気軽に伝えられることです。ただし、その物自体を褒めるというより、それを選んだその人のセンスの良さを褒めるようにしましょう。

家族を褒める

 ご主人や奥様、お子さん、ご両親などのことが会話の中に出てきたら、その流れで「やさしいお母様ですね」、「お子さん、将来が楽しみですね」。「よく気がつく奥様ですね」など、家族をほめてみるのもいいでしょう。

小さなことでも認められる人に

 些細な事でも良い所を見つけたら口に出して言ってみましょう。小さなことでも認めてあげられる人になりたいものです。

褒め言葉には気持ちを込めて

 心にもないことを言っては、ただのお世辞やおべっかです。相手を褒めるには良いと思った事を素直に褒めるようにしましょう。

たとえ難しい知識でなくても

「さすが食通! レストラン情報は◯子に聞くのに限るよね」など、どんな知識でも感心、感動したら素直に褒めましょう。

仕事ぶりは素直に評価

 部下や後輩、同僚に対しては、その業績や仕事ぶりなどを素直に評価してあげましょう。ただし、上司や目上の方を褒めるのは失礼な場合もあるので注意。

最上級の褒め言葉

 付き合いが長く、親しい間柄であれば「尊敬しています」など、その人の人柄や人間性を褒めてみてもいいでしょう。ただ「尊敬している」は最上級とも言える言葉だけに多用するのは慎重に。

これはNG
●過去について⇛過去のことばかりを褒めるのは失礼です。その人の ”今” を認めてあげる事が大切です。

●学歴について⇛たとえ相手のほうが高学歴だったとしても、基本的に学歴を褒めるのはタブー。本人は納得していない場合もあります。

●容姿について⇛「綺麗なおみ足ですね」など、容姿についても相手はそれを気にしている事があるので、触れないほうがベター。

美しい話し方、1 ~声の出し方のコツ~
口角を上げて話す

 声が相手に与える印象はとても重要です。発生の仕方によって声が聞きやすかったり、逆に聞きづらかったりします。

 相手に良い印象を与え、聞き取りやすくするためにも、出来るだけ、 
”良い声” を出す練習をしてみましょう。

 そのポイントの一つが、口角を上げて(笑顔の状態)で話すことです。こうすることで、自分が持っている一番の感じ良い声を出すことが出来ます。

 また、口角を上げるだけで自然と笑顔になるので、表情も明るくなり、一石二鳥です。

アクセントや語尾に気をつける

 アクセントを付けて話をすると、声に表情が生まれてくるだけでなく、とても聞きやすく、相手に伝わりやすくなります。

 ただし、あまり強弱が付き過ぎると、耳触りになることもありますので、話の中の大切な部分をほどよく強調するようにするといいでしょう。

 また、語尾に表れる高さにも気をつけてみてください。話す時の声の上がり、下がりに気をすることによって、省略されている言葉を補う力や、使っている言葉以上の内容を伝えることが出来ます。

 ”スピード” と ”間” を大切に

 初対面の人と話したり、大勢の人の前で話したりする時など、特に緊張する場面では、知らず知らうの内に早口になっている事があります。
 早口は聞きづらいだけでなく、せっかちな印象を与えてしまうことも。

 そうならないために、話すスピードに気をつけて、
言葉の間を意識して話すようにしましょう。
また、自分の声を録音して聞いてみるのもおすすめです。
 自分の話し方のクセ、声のトーンなど、直したほうが良い点に気付く事が出来ます。

クッション言葉を上手に使おう

 硬い背もたれのイスでも、クッションを入れると座り心地がよくなります。
 話し言葉も同じです。言葉の頭にクッション言葉を入れると、全体がソフトな印象になります。

 たとえば、少し下がって欲しい時に「少し下がって頂けますか?」とだけ言うとややキツイ印象がありますが、

「申し訳ありませんが」「恐れ入りますが」「お手数をおかけしますが」
などを頭につけると、ガラリと印象が変わります。

 特に人に何かを頼む場合は、クッション言葉が活躍します。大いに活用し話し方上手になりましょう。

上手な受け答えのコツ
褒められた時

 正直な感想を笑顔で

 まずは「ありがとう」の気持ちを言葉にし、笑顔で伝えます。
「とんでもない、あなたこそ~」など、すぐに謙遜してしまうのは失礼な場合もあります。

 お礼をしつつ、相手を立てる

「◯◯さんに認めて頂いて光栄です」
「気付いて頂いて、有難うございます」
など、ほめてくれた人を立てたお礼の仕方を覚えておきましょう。

「おかげさま」の言葉を返す

 仕事で結果が出た時など、上司や先輩から褒められた時は、
「おかげさまです」のひと言を付け加えるようにしましょう。

 異性からの褒め言葉には

 異性からの褒め言葉には照れてしまいがち。だからといってあまり謙遜しすぎてしまうと、
「素直じゃないね」と思われてしまう事もあるので程々に。

 褒め言葉をきっかけに話をつなぐ

 洋服やアクセサリーなどをほめてもらった時は、
「◯子さんもこのブランド好きだって言ってましたよね」

など、話題作りのきっかけにしてもOK

から引用させていただきました

色々な五井先生のマル秘エピソードが知れてお得感満点の素晴らしい情報でした♬

五井先生と守護の神霊の方々から直々のご指示で世界平和の祈りが唯一の行ということを知らしめる為に、活動されているお方なのだそうです♪
(白光真宏会が変な行を沢山する方向へ流れてしまったために・・・

五井先生から教えに関する完全な理解の霊覚を賜った・・という覚者の方のお話ですので、全ての答えが的確で、非常に人生の為になるお話満載ですよ

人に好かれる話し方
No.586 森島恒吉    1999/07/13 (火) 03:41 富士宮市
[人に好かれる話し方]

1.相手の立場に身を置く。


従順に相手の言葉を拝聴し、「よくわかりました。要するに、あなたのお考えは、要約しますと、つぎの
ようなことになると思えるのですが…」とこう言いながら、その中に自説を織りこめばいい。 

 2.他人の悪口を言わない。

「他人の悪口を言うことによって、自分自身の品位を落としているのだ」ということを、はっきりと知る
べきである。「書いて署名できないことは、人にしゃべるな」 

 3.相手の魅力的なところをほめる。

たとえば、「ケントさんの五井先生を尊敬する態度は、立派だね」とほめる。(^_^)


4.主張をせずに、あなたの考えを巧みな質問の形に変えて、相手の意見を尋ねる。

「あなたのご意見は、いかがでしょうか?」と尋ねる。 


 5.相手の自尊心を尊ぶ。

「あなたほどの方ならば、この事については、よくご存じでしょうが…」といった言い方をする。 


 6.相手の成果をたたえる。

相手が成果をあげたら、ほんの小さなことでも、相手をたたえることだ。 


 7.あなたと一緒にいる相手に、全然緊張させないような、心安らぐ人間になる。

そのためには、あなたの心が、いつも穏やかで安らいでいなくてはならない。 


 8.微笑みとユーモアのある人間になるように心がける。

相手に会ったときは、必ず微笑むことだ。ユーモアは、相手の警戒心をほぐし安心感を与える。 


 9.自分も完全な人間ではなく、欠点の多い、間違う人間である、と相手に知らせること。

「私は、こう思うんだけど、間違っているかもしれない…」と言うこと。そうすると、相手はあなたの意 見をそのまま受け入れて、あなたを説得しようとかかるだろう。

「これはきっと、私どもの間違いかと思 いますが…」と相手の気持ちをほぐしておいてから、自分の立場を説明する。

五井先生でさえ、「私は、よく間違えます」とおっしゃっているのだ。


10.批判の目的は、相手をやっつけることではなく、相手を生かすことにある。

批判しなければならないときは、批判のほんとうの目的は、相手をやっつけることではなく、相手をより
立派な人にしてやることであり、相手の運命をより良くしてあげることである、と思うこと。


11.イエス・バット(Yes,But)法

「はい、その点につきましては、いかにもおっしゃるとおりですが、しかし、こういった見方もできるの
ではないでしょうか?」と、相手の意見に理解を示した後で、自分の意見をさりげなく述べる。


12.失敗を責めず、失敗を直してやる。

他人の失敗を見たら、責めたり、あざ笑ったりせずに、失敗を直してあげようと助けてあげることだ。


13.相手の苦情を吐き出させること。

「なるほど」「おっしゃるとおりで…」「ごもっとも」という合いの手を、時々入れること。

たとえば、 昌美先生を信じている人が、「世界平和の祈り」一念の私たちの生き方に、意見を言ってきたら、その人 たちの意見を、全部吐き出させてあげればよい。

"PEACE NIFON"に、その人たちの意見を記録しておいてあげれば、同じ意見は、二度と来なくなる。


14.細かいことは、相手に譲ってやること。

しかし、ポイントとなるところは、決して譲らないことであ る。あなたが、ほんとうに「イエス」を得たいのは、この大きな一点だけなのである。

「お考えは、みな、ごもっともです」と相手に譲ったあとで、
「私も、それをする別なやり方を考えてみました。これをどうお考えですか?」と、あなたのたった一つのプランを話すことだ。


15.第三者の考えとして、あなたの考えを話すのもよいし、有名人を引合いに出して、その人の言葉とし て、あなたの考えを話す、という手もある。

私は、昌美先生の教えの誤りを指摘する場合、たびたび、自分の考えを五井先生の言葉として話している が、それは昌美先生の自尊心を傷つけたくない、という配慮からである。


16.それが相手の利益になることを示さなければならない。

「世界平和の祈り」を勧める時には、それが相手にとって、どんな利益があるのかを話すべきだ。


17.相手に賛成して、共通のつながりをつくる。

相手と自分との間に共通のつながりをつくる。たとえば、こんな具合に賛成すればよい。

「私は五井先生の教えが好きなんです」
「私もですよ」
「私は世界平和の祈りが好きなんです」
「私もですよ」
「私は東京に住んでいるんです」
「私もですよ」

自分を賛成してくれる人を、私たちは好きになる。自分に反対する人は、好まない。どんな小さいものでも、賛成できるところを見つけたら、相手に賛成してあげることである。


18.「ありがとうございました」という感謝の言葉を忘れないこと。

どんなに小さなことにも、相手に対する感謝の言葉を出し惜しみしないことである。


19.親しみのある態度で話し終えること。

「これだけ話したから、二度とくりかえすな」と説教せずに、微笑みを浮かべて「あなたの将来に対して 期待しているからね」と言って終えるのである。


20.自分から進んで、多くの人と友情を結びなさい。

相手から声をかけてくるのを待たないで、自分から進んで自己紹介をすることで、友情を結ぶこと。


問題の解決を神にゆだねよう
No.587 森島恒吉    1999/07/13 (火) 03:49 富士宮市
世界人類が平和でありますように

五井先生は、「人に好かれる話し方と問題解決の方法」について、こう教えて下さっています。

素直な生き方ということは、

(1)一度は従順に相手の言葉を拝聴し、

(2)不審な点があったら柔らか な穏やかな言葉態度で、その点についての説明を求め、

(3)それでもどうしても相手の考えに誤りがあ ると思えたら、より謙譲な態度で自分の考えを、「私はこのように考えておりますが、いかがでございま しょうか?」と進言してみるとよいのです。

(4)それで相手が自分の言葉を受け入れなかったら、その時はそのまま引き下がって、

(5)その解決を神にゆだねてしまうのです。
                                    (「宗教問答」より)

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森島恒吉先生☆法話集[目次]



森島恒吉先生☆随筆集[目次]

#001-#500#501-#1000#1001-#1500
#1501-#2000#2001-#2500#2501-#3000

オマケ情報で~す♪♫

「人生攻略法」様の超良質記事です♫

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内容がめっちゃ濃くて読み応え満点です♪超おすすめ♪

ぶらりんて様
私も懐かしさもあり、楽しみながら日々拝読しております。

私も大ファンの本山よろずや本舗 」様の宇宙旅行記♪

【知花敏彦】全知全能の世界からのメッセージ 神は全ての創造主♪今回の「正真正銘の本物の宇宙神・父なる神・創造主(宇宙生命・宇宙意識)からのメッセージ」の記事によって、沢山の方々の魂が覚醒し、神我顕現に繋がって頂ける事をご記念お申し上げます。ぜひご一読下さいませ♪

宇宙にたったひとつのいのちの仕組み から引用させて頂きました♪

今回の「創造主(宇宙生命・宇宙意識)からのメッセージ」の記事によって、沢山の方々の魂が覚醒し、神我顕現に繋がって頂ける事をご記念お申し上げます。ぜひご一読下さいませ♪



【知花敏彦】全知全能の世界からのメッセージ 神は全ての創造主
1988年6月2日の知花敏彦さんの講話の記録です。創造主が直接知花敏彦氏の肉体にオーバーシャドウして語りかけるという世界でも稀な貴重な記録です。


 神は生きておられます。無限宇宙という神の生命の中に、全ての物が創造されたのです。そして私の生命と、神の生命とは、同一の生命で御座います。

 神が生きておられるから、私は生きております。皆さんも同様で、独自の生命というものがあるのでは無く、唯一不二の生命、神の生命が、無限宇宙を支配しているのです。

 そして一つの生命の中に基いて、全ての物が生存、存在を保っているのです。だから、皆さんと神は、不離一体なのです。しかし、皆さんの肉体の感化というものが、神と自分とは別の存在だと、考えるようになりました。

 そして、神から自らを、分離させてしましました。色々な恐怖感や、不安を持つようになったわけです。
 しかし、それは真実なるものではなく、真理でもございません。

 真実において、また、実在においては、私達と神とは、不離一体でございます。
 私の中に、私を通じて生きておられるのは、その無限を支配しておられる、全知全能のご自身でございます。

 神が私達をお創りになって、神ご自身が私達という肉と魂を通じて、ご自身の表現のために、顕現せんがために、私達をお創りになったわけです。

 しかし、私達は未だにそのことを知らず、私達が何処から出て来た、生まれてきた者であるのか、誰によって創られた者であるのか、という事さえも解らないままに、盲目の人生というものを生きてきたわけです。

 これが、この世の様々な、不幸災難でございます。
 この世に、神以外は何も無いのでございます。ここに存在するのは、全て神でございます。

 皆さん方が、自分が神であり、神そのものであると言えるような精神状態、意識の状態に到達しないかぎり、神が皆さんの中に、現れようがないのです。

 皆さん方は、まだまだ、私という神を疑っております。
 神という私を疑っているのです。
 皆さん方の五感の感化という無知が、私というものを理解させないように、一生懸命もがいているサタンなのでございます。

 だから、見えるものだけを判断しているのです。見えない私という生命、即ち、神を受け入れなくてはならないのです。しかし、皆さん方は、私というものを実感として、あなた方の中に留めて、受け入れていません。

 私は、あなた方を通じて顕現したくてしょうがなくて、皆さんの中でノックしているのですが、皆さん方はまだ、私を受け入れておりません。

 現に今、あなたの中におるのは、私である神なのです。あなたという一部の神が存在するのではありません。全体者である神、絶対者である神なのです。

 生命というものも、少生命というものがあるわけではございません。唯一不二の大生命が、あるのみなのです。皆さん方は、生命の中において、このように創造されたわけです。

 神の生命と、皆さんの生命とは、同一の生命である事を、皆さん方は忘れております。
 神が生きているから、皆さんは生きているのです。私そのものが、生命そのものであり、生きているのです。

 しかし、皆さん方はまだまだ、その事を理解しておりませんから、死にはしないか、という恐怖感を持っております。皆さんは死にません。なぜなら、宇宙の生命は、久遠であり、常在するものであり、永久であります

 皆さんは、まだまだ分離感、私からの分離感を持っています。神という観念、あるいは概念が、皆さん方の空想によって、または推理によって、様々な先入観になって、皆様の脳裏にあるからです。

 私と皆さんと不離一体、あなた方は永遠に永久に、私から離れる事は出来ないのです。
 皆さん方は、それを悟った時、即、私の内におることが出来ます

 あなた方は、私、父なる神の中に留まり、父なる神は皆さんの生命として、あなたの魂の中におります。

 そうすると、自分と父なる神は一体であるので、私の中に生きておられるのは、神ご自身であられる、私の中で働き給うのは、語り給うのは神ご自身であられる、という境地にまで、あなたの外なる肉の意識が、内なる意識を知り始めるのです。 

 意識的に、私の中に、この内なる内在意識、キリスト意識の中に、自分の意識によって、意識的に入ってこなくてはなりません。

 皆さんの心の奥底、魂の中心に私はおります。存在します。ここが皆さんの言われている御国で御座います。天上界でございます。内は天であり、外は地上界でございます。

 ですから、皆さんの肉体は地で、内なる内在意識という私の生命は、天でございます。皆さん方は、小宇宙を現しています。内は天で、外は地、地上界です。

 この大宇宙でも、物質界というのは地であり、眼に見えない無限宇宙そのものと内界は、天であります。
 「神の国は、汝の内に在り」というのは、あなたの生命そのもの、生命意識そのものが、神であるという事なのです。

 あなたの神は、自分の手や葦よりも身近におられるのです。そして、これが、あなた、真の自分、実在の自分、実相なのです。しかし、あなた方は中々、私を信じてくれないし、受け入れてくれません。

 今、皆さん方が、私を受け容れるならば、今、即、自分が無限宇宙と一体であり、そして今、自分の中に留まっている生命が、宇宙生命そのものである、私そのものである、神そのものである、創造主そのものであると気づくのです。

 なぜならば、創造主以外に、何ものも無いからです。神以外には、何も無いからなのです。私という神が、全てを創造し、創造したものは、私の中において創造したのです。神の中において、創造されたのです。

 外側というものは在りません。全部内側なのです。そして、皆さん方一人ひとりは、私の中で創造されて、私は、皆さん一人ひとりの中に、今おります。今の今です。永久におるのです。皆さん方は、今の今、永久に、久遠の神の家のおったのでございます。

 その事を、五感の感化で生きている、肉の感化で生きている者にとって、外側に生きている者にとっては、理解することは不可能でございます。

 あなた方の意識が、ここでお話を聞く度に高揚されまして、その高い意識の状態でのみ、私の高いお話は理解できるのです。ここで言う、私という”I am”は、神の事を言っているのです。

 私は、この知花が、自分自身が神である事を知っていますから、私と言わせていただきます。私が、皆さんを創って、私が皆さんの中にある事を知りなさい。そうすると、皆さん方は私と、どこにも分離の無い、壁のない状態、不離一体になれるのです。

 しかし、あなた方の心が、私との分離の境目を創っているのです。心にのみ、私との分離感が在るのでございます。それを、迷いと申します。神は全ての創造主であり、創られたものの主であります。

 聖書の中にも、全ての創り主であられる神と言われています。創り主は唯一、一様(ひとさま)しかおりません。その事を唯一神と言います。あるいは、宇宙創造神と言います。神は一様なのです。

 そして、一様であると同時に、多神なのです。神は唯一、一様であるけれど、皆さんを創造して、神自身、自分自身を、皆さん方一人ひとりに宿しております。

 自分自身が、神と無限者であられる唯一神とによって創られ、自分自身の中に、唯一神である、創造主である神が、私達の中に留まり、私を通じて語り、私を通じて働いてらっしゃるのだと、あなた方が、私を容認して受け入れるならば、私はあなたを通じて語り、あなた方を通じて働きます。

 しかし、あなた方は、未だかつて私を受け入れようとしない、私を嫌っております。まだ、半信半疑なのです。神を信じておりません。私を信じておりません。
 
 この中で私を信じて、私を受け入れている者は、一人もおりません。いるのならば、私のような者になっているはずですから。

 私というのは、無限の智慧であり、力であり、愛なのです。あなた方は、無力のあなた方ではありません。自らは、創られたもので、その自らは無なのです。イエス様も言われた筈です。

 「私、自らは無であるが、私の中に、私を創り給うた、全ての創り主である神が居られるが故に、私は全てである」と言われたわけです。

 そして、あなたの中に、自らをお創りになって、ご自身を宿しておられます、その事を、イエス様は、「人間は生ける神の宮なり」と言われました。

 生きた神、現実なる、主なる神が、皆さんの真我なのです
 創造の神、全知全能の神を、認めて下さい。認めたら、あなたは悲しむ事も、苦しむ事も、何も無いのです。
 
 私を受け入れないが故に、皆さん方は、この世で様々な不幸や災難を、招いているのです。

 私を、今日という今日、今という今、受け入れるならば、もう皆さん方は、この世で迷う事も、苦しむ事も、何も無いのです。

 なぜなら、あなた方の中にいる私は、一体を支配する権威を持ったものなのです。
  なぜなら、私は、あなたの中にいる私は、無限そのものであり、無限者、全知全能の、すべてを創った智慧と、力と、愛の持ち主であるからです。

 それを皆さん方が、今にでも、あなたの外なる意識が、内なる意識という私の内在意識に気付いて頂き、意識的に融合し、合体して、受け入れて欲しいのです。

 そして、あなたを、今の今、癒します。
 あなた方は不完全で、私は完全無欠です。私があなたの中におるならば、あなたは完全無欠でしか在り得ないのです。

 あなた方がこの世で、色々な不完全や病を持っているのは、私が皆さんの中におられないからなのです。

 もし皆さんの中に、私がおるならば、皆さん方は無欠です。完全です。なぜならば、私そのものが無欠であり、完全であるからです。

 今、受け入れたならば、皆さん方は、意識的に私と共に食し、全ての私のものを、皆さんは受け継ぎます。神のものは、私のもの、私の智慧と、力と、愛をあなたに捧げます。

 あなたが、私を受け入れない限り、私はあなたに捧げる事が出来ないのです。
 現に今、私はあなたの中におります。あなたの中におる私は、無限なのです。智慧であり、力であり、愛なのです。
 
 それを今、皆さんは受け継ぐことが出来るのです。受け入れるならば。
 しかし皆さんは、神であるという信念が弱く、信仰が浅く、心の底から自分が神である、全知全能の神であるとう信念がありません。

 ですから、皆さん方は、神を信じないが故に、恐怖しているのではないでしょうか。神を、私を受け入れないが故に、不幸や災難を招いているのではないでしょうか。

 私を受け入れますと、無限の自由が手に入るのです。なぜなら、自分が全ての、一切を支配する権威を持っている事を、知るからです。

 自分自身が、その無限なる自分、あなた自身が、個人や1個としての存在ではなくて、一個は、無限を、無限なる私を現す、表現する媒体なのです。あなた方の肉体や、血や肉は、私を表現する媒体にすぎません。

 しかし、皆さん方は肉と血に生きて、私という生命を受け入れてくれません。神が生きているから、私、この知花が生きていると、よく言いますが、その意味を本当に悟ったならば、皆さんも同じ発見をするでしょう。

 神が生きていなくて、この世に生きているものは、一つもございません。なぜなら、神のみが生きて居られるからです。私は人間の中だけに生きているのでは、ありません。山の中にも、生きております。

 山は私が創り、私は山の中に、自分の生命を留めております。そして山は、私の智慧と力と愛を、表現しております。山の力は、智慧は、愛は、私の現れなのです。

 私なる神の現れ、創り主である私、全能である私が、神の私が、山の中にも居ります。海も、私が創りました。そして海に、智慧と力と愛と美を与えているのは、私なのです。

 海に生命がいなければ、私という生命がとどまっていなければ、海の存在はありません。
 山の生命という私がいなければ、山の存在はありません。私が全てのものの中に、生きて働いている事を、認めなさい。

 しかし、あなた方は、まだ私を嫌っております。受け入れておりません。
 あなたが常に、今までの先入観を放棄し、

「我が内に生きておられるのは、神ご自身である」
「今、現に、この肉を通じて見ておられるのは、神ご自身なのだ」
と、受け入れるのです。

 こんなに素晴らしい真理があるのですから、あなたがそのように私を受け入れたならば、私はあなた方と通じて働く事が出来るのです。自分自身を表現する事が出来るのです。

 そのために、私はあなた方のハートをノックしているのです。私に全開して、私を受け入れた者は、私に似る事が出来ます。私が、彼、彼女を通じて、私の全てを受け継ぐからです。

 その時になって、初めて皆さん方は、我が子になるのです。実子になります。一人子になります。
 しかし、あなた方は、私という父を、受け入れてくれない、認めてくれません。

 あなたの父は、何処におるのでしょうか?あなたの親は、何処におるのでしょう?
 これを知らぬ事が、「迷える子羊」と言うのでございます。

 あなたは、誰によって創られ、誰によって生かされていると思うのですか?
 この真理を知らないで、「私達は、神様を信じています」と言う、妄信家、狂信家が沢山います。

 神は現実的であり、実際的であり、活動的であり、現れ、生きておるのです。あなた方が、考えているような私は、何処にもおりません。

 私は、あなたと共に、一体でおるのです。共におるのです。外にも内にも、無限に満ち満ちております。その私なる、真実なる神を、今、皆さん方は、こうして知花を通じて示されています。

 しかし、皆さんには、今までの先入観、神に対しての先入観が、邪魔をしています。盲の者が、盲の者を導き、様々な髪を創り出し、神を幽想したのです。そのような古い革袋を、捨てなさい。

 私というこの真理、知花を通じて語る真理を受け入れるには、新しい革袋を準備しなさい。そうしない限り、皆さん方は、古い先入観を持ったまま、古い革袋に、新しい葡萄酒を注ぐ事になり、貧しい葡萄酒になります。

 今まで植え付けられた、全ての先入観を捨てなさい。全てのお酒を捨てなさい。葡萄酒を捨てなさい。
 今、私から与えられる葡萄酒は、永遠に尽きることのない葡萄酒なのです。

 皆さん方は今、久遠なる者へと、永遠なる者へと、永遠の自分へと、この知花を通じて導かれます。
 難しいでしょうか?なぜ、あなた方は、もっと神に素直になれないのでしょうか。

 あなた方は、神に素直であると思っていているけれど、今この中で、私に素直である人は、おりません。
 あなた方は、私が創ったのです。そして、あなた方の中におるのです。

 それを、受け入れる事が、素直なのです。疑うというこ事が、素直でしょうか。
 まだ、疑ってかかっています。話を聞きながらでも半信半疑、疑問だらけです。

 「自分をお創りになったのは、神様なのだ」
 「自分の中に今、現に生きておられるのは、神様なのだ」
 「今、現に、私の中で働いておられるのは、神様なのだ」

 この3つを受け入れるだけでも、あなた方は良いのではないでしょうか。
なぜ、それを拒むのでしょうか?一体全体あなたは、誰によって創られたのです?

 誰に創られたという事も解らないのに、創り主である私がこうして語るのに、なぜ、あなた方は、私を知ろうとしないのでしょうか?私を受け入れようとしないのでしょうか?

 一体全体あなたは、誰によって創られ、誰によって生かされていると思っているのですか?
 私です。私以外に、生きているものは無いからです。

 全ての、一体の生命は、私であります。
 なぜなら、一切のものを創ったのは、私であるからです。神なのです。主なる神なのです。

 神、無くして、何か出来得たでしょうか。あなた方の目は、まだ節穴です。この目に見える物は、全て私の物なのです。私が創ったのです。

 そして、私は目に見える物の中に、私自身の命を留めております。智慧を、力と、愛を、現しております。

 しかし、皆さん方は、私を外側に求めるようになったのです。

 「雲の彼方から、やがてイエス様が救いに来る、雲に乗って救いに来る」あるいは、「何万回、般若心経をあげておれば、この世を去った時、お釈迦様が迎えに来る」などと、如何にも、子供騙しの様な事を幽想し、妄信、狂信しております。

 現実には、そのようなものは、ございません。あなた方のすべき事は、死んでいる神を妄信、狂信する事を止め、現実的に、真の信仰を受け入れ、神に生きる事なのです。

 賢者は、神の中に生きます。愚者は、死んだ神を、礼拝します。
 神は礼拝するものではありません。神に生きる事なのです。

 神を信ずる事は、最高の礼拝は、神を受け入れて、神のような生き方をする事ではないでしょうか。

 それが、私を信じている姿ではないでしょうか。私のような御心を行わないで、私は神を信じていますと、口先だけで、私を賛美したり、お経をあげたりする事なのでしょうか?

 創り主である創造主は、皆さん方が創造主のような生き方をする、その創造主の御心と、智慧と、力と、愛を現すことが、真の信仰ではないでしょうか。

 自分が誰によって創られたかも解らない、今、なぜ生きているのかも解らない、この世が存在している目的というのも解らないような生き方、神が何処にいるかも解らない、神が何なのかも解らないで、神を信じていますと言うような事を、妄信とか狂信と言うのです。

 私と皆さんとは一体です。今、現に、皆さん方は、私という神の中に留まっていて、私は、皆さん一人一人に、生きて働いております。
 
 皆さん方の真の信仰とは、神と共に働く事なのです。神と共に生きる事なのです。それが、生きた真実の神なる私なのです。

 ただ、私を拒んでいる、疑問視しているあなたが、私と共におらないだけなのです。その防壁は薄いものです。その防壁を取り除くのは、唯一、あなた方一人ひとり、自らなのです。

 誰も、あなたの壁を取り除く事は出来ません。宇宙を想像して下さい。
無限宇宙は、私なる神の身体なのです。
あなた方は、無限宇宙から外側の存在では無いはずです。

 今、あなたは、久遠という私の身体の中に、私の中に居るのです。昔から居った所なのです。ただ、あなたが、神とあなたは別々だ、人間と神とは別々だというように、様々な妄信家や狂信家、盲の指導者に、先入観を植え付けられているだけなのです。

 それは、真実ではありません。そうであったのならば、神は無限者ではあり得ないのです。全知全能でも、あり得ないのです。全知全能の神である私が、無限者である私が、どうして別々にものを創るのでしょう。

 私の中において、内において、全てのものを、私は創造しました。そして、創ったものになる、創ったものを現すには、創ったそのものに、私がならなくてはならないのです。

 そこに私がございます。それが、皆さんの内在神でございます。

これは、今から3000年前に、釈迦・仏陀を通じて、私は宣言しました。

「神・仏は、汝自身なり」
「仏は、あなたの心の中に、中心に生きておる」

と、内観しなさい。億念しなさい。内を追求すれば、原因の仏に到達するし、外という現れた外観を見れば、結果があるのです。

 私は原因です。原因なる私無くして、結果というあなた方があるのでしょうか。あなたの中に、原因と結果があるのです。あなたという肉体は、結果なのです。

 生命という原因があるから、現にあなたは、今、ここに存在する事が出来るのです。原因である生命、私、神が、あなたの中に留まっていなければ、結果というその肉体の存在はありません。

 しかし、あなた方は、自分の生命、個人の生命があって、個人の力があるという、私からの分離感を持って、盲目の人生を歩んでおります。

 私は道です。この知花を通じて、道を示します。この知花の言う事を、よく受け入れるのです。そして私を、この知花の教えを受け入れる者は、私を受け入れる者なのです。

 ここに座っている皆さん、一人だって、私を受け入れていないのです。何回も知花の言葉を借りて、私達は道と私を示してきましたが、誰も素直に受け入れてくれません。

 「受け入れています」「解っています」と言うけれど、観念で受け取っただけで、真心から、心の底から、本当に心の底からは、受け入れていません。

 私は外側にいるのではありません。底、奥深い心、真心、中心なるもの、中からと思えている者は、この中に一人もおりません。おらないから、私を見ることが出来ないのです。

 それは、サイババさんも、言われました。
 「あなたの心に、真珠はございます」と。

 そうしたら、皆、浅瀬で真珠で一生懸命に真珠を探すのです。真の価値の在る真珠は、浅瀬にあるものではありません。浅瀬にあるものは、価値の無いものなのです。

 心に深く、意識の奥深い所に、私は留まっているのです。底の底まで追求して行かない限り、探しだす事は出来ません。

 あなた方は、上辺だけで、「こんな事なら、もうとうとうに知っています」と言います。

  何を知っているのでしょうか?私の所に一度も来た事も無いのに、知識的に知花がそう言ったから、信じましょうとか、上辺の心で、そして浅瀬で真珠でも拾い上げる事が出来るような気持ちで、皆さんはおります。

 信仰というものには、浅い信仰と深い信仰がございます。私は深遠なる、深い心の奥底に、留まっているのです。浅い心で、私を受け止める事は出来ません。
 
 だから、心の底から、精神を尽くし、力を尽くし、魂を尽くし、
自分自身の中に、今、現に現れておられるのは、神だ。現に今、私の中に働いておられるのは、神だ。もうこれ以上の事は、どこにも無い」という、強い信仰を持つ事です。

 あなた方の今、考えている事は、観念です、概念です。まだ、浅瀬におります。

 だから、あなたの中に神が現れようが無いのです。あなたの心の底の奥の底に、私がおる事を知りなさい。

 皆さんは、「もうこれは、この前も聞きました」「もう解っています」と言いますが、誰も解っていません。観念で捉えているだけなのです。

 ですから私は、同じ事を繰り返す事によって、奥深く、奥深く、皆さんを、私のおる所まで、連れ込もうとしているのです。同じ事を繰り返しているうに、皆さんの意識が深まるのです。魂が高揚するのです。

 低い次元に、神様はおりません。高い次元に、あるいは深い意識の中に、私という本物がおる事を知りなさい。

 この知花の意識は、私の中にいつも入り込んで来ます。いつでも私の元に留まることが出来ます。私の中に、この知花が留まらなければ、おらなければ、私はこの知花を通じて、語ることは出来ないのです。

 あなた方も、今の今、今の今です。それを受け入れれば、私の元に、意識的に来ることが出来ます。軽く目をつぶって、浅瀬で、こうでもない、ああでも無いと、詮索する事では無いのです。

 私を心の底から、底の底から、精神を尽くし、全ての全力を尽くして、私を信じて、受け入れる事です。その時、私は、皆さんと共に居ります

 そして、自分が御国に入った事を、実感致します。御国に入りますと、外側が如何に無知であるか、自分が無力であったか、妄信的、狂信的であったかが解ります。 この世で信仰しているようなものは一切、真実の次元にはありません。

 そこには何があるのか、調和があるのみなのです。愛あるのみなのです。智慧あるのみ、力あるのみなのです。そして、久遠あるのみなのです。破壊も、終わりも、初めも無い、初めからあった素晴らしいものがございます

 今までに、様々なな預言者が、出るには出たけれども、その預言者でさえも、そこに至る事にはなりませんでした。日本でも、未だかつて、そこに至った者は、一人もございません。おるなら歴史に残っております。

 そこに至った者がいないから、浅瀬で様々な夢想的な、あるいは幽界や霊界の事を、真理だと思い込んでいるのです。

 あなた方の為さねばならない事は、その自分の本源本質に至る事であって、幽界や霊界などで、途中下車している迷い人の、迷える魂の住んでいる所を探求する事ではないのです。

 どんなに幽界や霊界では、こうでありますと言った所で、これは真理ではないのです。其処は、迷い人、この世で解らなかった者同士の、肉体を去った者同士の、溜まり場にすぎません。

 幽界では、それを真理だと思い込んで、それを真理だと言って、信じこませる者もいます。
 あなた方の為すべき事は、幽界や霊界、この3次元の事などに、囚われる事ではないのです。自分で自分を、本当に自分という本物の自分を、掴む事なのです。

 あなた方は掴んでおりますでしょうか?
 自分というものを、説明できますか?自分で自分を説明出来た時、あなた方は私の元におります。

 自分を知らない者が、どうして他様(よそさま)を知ることが出来るでしょう。先ずあなたは、誰を追求する事も無く、誰を貶す事も無く、自分を探求する事からしなくてはなりません。

 「神を知る前に、己を知りなさい」 己を知らない者が、どうして人を裁くのですか?
 あなたに、自分さえも解らない者に、どうして人を裁く権利がありましょうか?私達は先ず、自分を知る事です。完全に理解する事なのです。

 これが出来た時、もう皆さん方は不動であります。もうビクともしません。不安も恐怖も、その日から吹っ飛んでしまいます。恐怖するものはありません。

 あなた方が、この世に存在している目的は、真の自分を探しだす事なのです。自分を掘り下げて、掘り下げて行くと、何に至ると思いますか?

 神に到達するのです。自分が神であった事を、知るのです。 
 それが、神に到達した終着駅なのです。

 神の他には何も無かった、全ては神がお創りになった。全ては神の中に存在し、そして創られた物の中には全て、神が留まっておられた。何処を見ても、神しかおられない、今の自分がおる所も、生きている所も即、久遠のホーム(家)である事が解ります。

 あなた方は、自分のおる所さえも知りません。
 世の中には、過去生を思い出したら最高の悟りだと、思い込んでいる者もおります。

 どんなに異言を語ろうが、過去生を思い出そうが、あなたの救いとはなりません。思い出して、そして増長マンになっている者もいます。

 あなた方の思い出すべき事は、過去の事では無く、あなた自身の事ではないでしょうか?
 自分が何なのかを知らない者が、過去を思い出した所で、異言を思い出した所で、何の価値もないのです。

 誰か一人でも良いから、愛する事をして欲しいのです。
 私の本質を、人々と分かち合う、全ては自分であるが故に、皆さん方が、お互いに仲良くする事を、私は待ち望んでいるのです。誰かを貶めたり、非難したりしながら、「私は、過去の何某の生まれ変わりだ」と言った所で、私は喜びません。

 私が、皆さんに望んでいる事は、お互いに愛し合う事なのです。過去生を語る事ではありません。過去生を思い出す事を、望んでいるのではありません。

 あなたが、私を思い出す事を、望んでいるのです。
 私を知る事を望んでいるのです。

 皆さんでも、私が光をちょっと与えますと、過去生を思い出します。そして過去生を語ります。私はその事で、たくさんの失敗をして来ました。

 ここで過去生を語った者は、私の会に一人も残っていません。もう自分は偉いものだ、いや私はキリストの生まれ変わりだったのか、いや私はヨハネだったんだと、増長マンになって、もう彼らは、何をしでかすか解らないような人間に、なってしまったのです。

 皆さん方、よく考えて見て下さい。どんなに過去生を思い出そうが、異言を語ろうが、大して大事な事ではないのです。

 一番、大事な事は、自分を追求して、自分が何者なのか、この世で何をすべきか、どういう生き方をすべきか、そして自分と他人との関係を、よく理解する、知り尽くす事ではないのでしょうか。

 あなた方は、ここに座っている隣人との関係を、ご存じですか?
 あなたなのです。

 ここにいらっしゃるか方々は、体型や環境は違うけれども、私という一つの根源に基いて、生きているのです。
 あなたが隣人になす事は、全部、自分になす事であり、神になす事なのです。

 だから、愛し、愛し合いなさい。許し合いなさい。あなたが愛し合って、許し合って、初めて私の中に居るのです。私そのものが愛であるからです。私そのものが、愛する事を望んでいるからです。非難しあう事を、望んではおりません。

 今、世の中の伝統宗教は、私というキリストの名を語りながら、あなた方の分離を創りだしております。
 私キリストは、分離ではありません。全一体です。

 キリストは、唯一、一様(ひとさま)しか居りません。その一様のキリストが、あなた方、一人ひとりの真我なのです。


神は大調和です。
大宇宙を眺めて下さい。宇宙には数えきれない星々があるけれども、彼らはぶつかり合っているでしょうか?

 お互いの調和を保ち、距離を保ち、愛し合い、分かち合って、決してぶつかり合う事はありません。あなた方は、創られた星々にも劣るのでしょうか。

 万物の霊長と言われた私達だけが、争っているのではないでしょうか。不調和の者となっているのではないのでしょうか。不調和の者となっているのではないのでしょうか。

 恥じなくてはなりません。私、神は、皆さんの中におります。皆さんの根源は、調和、愛でございます。
 それ以外のなにものでもないのです。あなた方の無知そのものが、私からの分離を引き起こし、それによって、様々な対立、争いを起こしているのです。

 真実なる真理、私を知れば、皆さん方は愛そのもの、分かち合いそのもの、助け合いそのものであるという事に、気付きます。もう誰の悪口も言いません。誰も憎みません。そこには、愛しか無い事が解ります。
 これが皆さんの神に至る、唯一の道なのです。

 愛を通さずにして、私の元に来た人は、一人もおりません。
 人を憎みながら、天上界行きだ、人を貶めながら、天上界行きだという自己満足をやめなさい。自己満足を、やめるのです。私は、憎しみではありませんから、憎しみを持った者は、私の中におらないのです。

 私は愛であるが故に、皆さん方が、全ての全てを愛し、全ての全てを同朋とし、分かち合い、助け合いをした時、あなたは私のこころに似て、私と共に食します。そうした時、皆さんは、幸せじゃないでしょうか。

 あなた方の不幸災難は、何から来ましたでしょう?人を憎む事によってです。人の悪口を言う事によってなのです。愛し合って、あなた方は不幸になれるでしょうか?

 愛は、幸せになる秘訣であり、憎しみは、不幸せになる秘訣なのです。

 あなたは、自分で自分の不幸せ、不健康、様々な事を創っていながら、私は不幸者で御座いますと言います。
 誰があなたの不幸を創ったのでしょうか?
 あなたです。
 
 あなたが憎まなかったならば、怒らなかったならば、嫉妬しなかったならば、裁かなかったならば、あなたは不幸せになりますでしょうか?

 愛そのものであった時、許しそのものであった時、皆さんは不幸せになれますでしょうか?
 愛に生きる事は、私に生きる事なのです。

 皆さん方が、愛そのものであるからです。なぜなら、私、神が、愛そのものであるからです。幽想的、空想的なものではなくて、他ならぬ現実的、実際的な私を、皆さんは知っていると思います。

 愛する者のみが、私の元に留まります
 憎しみを持つ者は、地獄へ行きます。彼らが創った地獄です。

 私は地獄を知りません。憎しみを知りません。罪を知りません。死を知りません。
 私は完全なる愛にして、完全なる、久遠なる、常在なる者でございます。

 この私の御心を行なう者は、私の御国に住むであろうと、2000年前に、イエスを通じて私は語りました。
 お互いを許し合い、お互いを愛すべし、隣人を愛しなさい。

 愛して初めて皆さんは、私と共におります。そして幸せになります。健全になります。愛でない者で、健全で幸せになっている者は、一人もおりません。

 また、私の元に来る事も出来ません。私は彼らが来たら、何というと思いますか?
 「私は、あなたなど知りません」と言うでしょう。なぜなら、私は憎しみを知らないからです。

 愛がある者が来た時は、「私は、あなたを知っています」と言うでしょう。
 憎しみや、怒りや、嫉妬を一杯持った者が、私の元に来ると、「私は、あなたを知らない」と言います。なぜなら、私は愛しか知らないからです。愛そのものであるからです。

 私の元に来るためには、皆さんが、愛でなくてはならないのです。私は、愛しか知らないからです。
 私達は、教会へ行っているから、お経を何万回あげているから、愛の御心、愛の王国に入るのだなどという、自己満足をやめなさい。

 あなた方が、愛そのものになって、私はあなたを知るのです。私というものは、憎しみを知らないからです。裁きを知らないからです。怒りや、非難する事を、私は知りません。私の御心は、愛そのものであるからです。

 あなた方は、今日という今日、自分は、本来の自分は、愛そのものであったのだ、そして初めて、自分は幸せなのだなあと認め、一切の人を許し、裁かず、怒らず、憎まずに、愛そのものの人になって下さい。

 今日から、あなたは私と共におるのではないのでしょうか。そして、今日から幸せなのでしょうか。愛の中になぜ、不安や恐怖があるのでしょうか?ありません。憎しみや、怒りや、恐怖に、不安は留まるのです。

 愛の中には、安泰、安全、完全、安らぎがあるのです。それが、皆さんの御国なのです。
「神の国は、汝の内にあり」。私は皆さんの中に、無限の愛を留めたのです。

 あなたの本質、本性は、愛なのです。その本質、本性が、私の御心、神の御心なのです。
 愛に生きる者は、私の御心を、行なう者なのです。

 人を裁く者は、私の心に反する者なのです。
そうする者は、私の元に来る事はありません。神は愛しか知らないので、愛ある者しか、神は受け入れません。

 神の御元、私の御元に来たいならば、皆さん方はすべてを許し、全てを愛しなさい。
 そうした時、私は皆さんを知っていますと言います。

  何万回お経をあげたところで、私の元には来れません。
  私と一体なった時、世の光となります。
 あなたが常に愛であれば、あなたの周囲の人々全部が、あなたによって利益をもたらされます。良い気持ちになり、救いとなります。

 解るでしょうか、愛ある人に、皆、寄ってくるのです。そして皆さん方は、愛でもって人々を幸せにするのです。あなたがその救い主である愛なのです。

 その愛は、皆さん一人ひとりの中に、その神なる、創り主である神の本質本源を、持たせております。これが、皆さんが知らなければならない、私なのです。

 私は神であり、愛であり、愛は神なのです。
 その神が、皆さんの中に留まっている、無限の愛なのです。その愛を通じて、初めて皆さん方は、私の元におる事が出来るのです。

 皆さん方が、家族の者、隣人、職場の人々を、許し、愛し合った時、皆さんは恐怖を感じますか?苦しみがありますか?ありません。

 愛から外れた時に、苦しむのです。
 私から分離すると、愛から分離して、憎しみは愛からの分離ですから、私からの分離になり、苦しむのです。嫉妬も、私から離れているのです。だから、不安なのです。解りますか?

 愛という私から、離れないで下さい。
 私から離れなければ、あなた方は何処にいても、安全なのです。安泰なのです。平安なのです。

 私という神なる愛から離れれば、皆さん方は不安です。恐怖です。
 あなたが愛であるという事は、常に私と共におるという事です。簡単ですね。そしてその愛が、皆さん方にあるのです。

 この知花が、それを体験しまして、この世の中に一人も憎まず、怒らず、謗らず、全ては兄弟姉妹だ、愛だという体験をしました。

 そして、自分自身を追求していった時、自分の救いは、愛しか無いという事を、悟ったのです。自分が全てを愛した時、自分が救われている事を知ったのです。
  
 自分が周囲を憎んでいる間は、迷いであり、救われないのです。
 あなた方が、誰かを見ても愛おしくなり、愛というものを感じるようになって初めて、皆さん方は救われるのです。

 誰かを見て怒るような、嫉妬するような、嫌うような心がありましたら、あなたの心は平安ではありません。苛立ちます。苦しみます。

 その苦しみは、一体、誰が作ったのでしょうか?自らなのです。地獄は、自ら創って、自らが自分自身をその中に閉じ込めているのです。

 神に至る道は、儀式的なものでは無く、あなた方が、愛に生きる事以外には無いことを知らなければなりません。

 何万回、讃美歌を唱えようとも、何万回、お経をあげましても、その人の愛の実践にはなりません。どこへも行けないのです。自分で創った地獄に落ちるしか無いのです。自己満足にしかなりません。

 イエスは、言われました。
 「むやみやたらに、我が名を呼んではならん。我が御心を行う者が、兄弟姉妹である」と言われたのです。

 御心を行う者とは、愛を行う者という意味なのです。愛し合う事、神は愛であると言っているのです。愛は神であり、神は愛である、その神の愛の御心に生きない者が、どうして私という愛の王国に住む事ができるでしょう。

 愛の王国に住むには、あなた方が、この地上界で、愛というものにならなくてはなりません。愛を実践していなければならないのです。あなたはどんな障害、妨害を加える者にも、あなたは、許し、愛する事が出来るでしょう。

 イエスは、自分に石を投げ、唾をかけ、罵る者さえも、愛されたのです。あるいは、自分の肉体の身を滅ぼす者さえも、愛されたのです。であるが故に、愛の王国に入る事ができたのです。

 イエスは、愛そのものに生きられたのです。どんなに唾をかけられようが、貶されようが、罵られようが、石を投げられようが、彼らを許し、彼らを愛されたのです。

 あなた方の愛は、如何でしょうか?
 ちょっとでも自分にとって都合の悪い人を、憎んだり、裁いたりしているのではないでしょうか。それが、愛なのでしょうか?愛ではありません。

 愛を行う為に、一番必要とするのは、あなた方を憎む者、罵る者、妨害する者を、愛する事ではないでしょうか。それらの人々を愛して初めて、あなたは、真の愛を体験するのではないでしょうか。

 お互いに愛し合っている者同士は、どんな悪人でも愛し合います。真の愛とは、あなたにマイナスになる人でも許し、愛する事なのです。お互いを許し合い、愛し合う事なのです。

 皆さん方は、救いの道は、自分でしか為し得ない、宗教では無いという事が、もうお解りだと思います。沢山献金する事でもない、過去世を思い出す事でもない、為さねばならない事は、愛だという事が、解ったはずです。

 どんな世界中の文献を見ても、記憶して、人前で真理を解こうが、その者に愛が無ければ、地獄行きなのです。私の元に来ることは、出来ません。

 愛ある者のみが、私と共に住む事が出来るのです。
 あなた方は、学問があって、人前で法を説いたり、真理を説いたりする者が、あたかも天上界行きだと、錯覚しておりますが、どんなに学問が無かろうが、あるいは人前で話をしなくても、その本人の心に愛が満ちていれば、私の元に来る事が出来ます。

 性別、年齢、学問、一切関係ないのです。
 何が関係するかというと、愛だけなのです。

 なぜならば、私の御国である王国は、愛の王国だからです。私は、愛しかないからです。学問とか、知識は、関係ありません。私に関する事は、愛のみです。

 この世の学問は、この世の物質を得るための糧に過ぎません。この世の地位や名誉も、贅沢をするための糧にすぎません。私とは、関係がないのです。

 私と関係があるのは、愛です。例えば政治家で、総理大臣であろうが、その者に愛が無かったら、私の国に入る事は出来ません。ストレートに、地獄へ落ちて行きます。
 
 どんなに財産や名誉や地位にあっても、愛が無ければ、私の元に住む事は出来ません。
 私は、彼を知らないと言います。なぜなら、彼が私を知らないからです。彼が、私を知っているならば、彼は、私である愛であるはずです。

 あなた方が、私を知る為には、私にあなた方を知らせる為には、あなた方が、私を知っていなければならないのです。

 子が父を知り、初めて父は、あなたを知ります。子が父なる御心である愛を行って初めて、私はあなたを迎え入れるのです。子が、父のような、愛であって初めて、「よく頑張って来てくれたね」と、私は快く、放浪の旅を続けてきたあなた方を、迎え入れます。
 
 私の元に来るためには、この世で一人だって好き嫌いがあってはなりません。なぜなら一人でも、私であるからです。私が創った者であり、その中に私が居るからです。

 神は全ての創り主、全てを創って、全てのものに、ご自身を宿しております。
 あなたが隣人を嫌うなら、私を嫌っているのです。私を嫌う者は、私から嫌われます。私を愛する者は、私から愛されます。全ては私なのですから

 私は、人間だけに居るのではなくて、金魚一匹の中にも、居るのです。
 金魚一匹も、私という神が創って、私という神が今、生きているのです。私の愛の現れなのです。智慧の現れです。力の現れです。あなたは何処を見ても、私を見なければならないのです。

 外に木がございます。木も、神が創造しました。そして、そこに私が居ります。現に生きております。私が木の中に生きていなければ、木の存在はありません。私は第一原因者である神自身なのです。

 という事は、皆さんもそうなのです。あなた方一人ひとりが、そうなのです。それに気づけば、皆さん方は、無限なる者となるのです。まだまだ皆さんは、把握、自覚、理解をしておりません。世の中では、神を信ずるという事について、誤った説かれ方をしております。

 神を信ずるという事は、神を良く理解し、知る事なのです。神を知らないで信じている人を、妄信者、狂信者と言います。今までの色々な先入観の神は、神棚の中におったり、お墓や仏像など、様々です。 

 神を有限化してしまい、人間の浅はかさな知恵にまで、神を低下させてしまったのです。
 私達は、神を私達のレベルまで引き下げるのでは無く、私達の意識を、神にまで高めなければならないのです。
 
 私は、偉大であり、無限なのです。あなた方の考えているような、浅はかで、小さな、あるいは有限的な神ではありません。
 
 無限です。そして偉大なのです。
 私は、目に見えないその粒子の中にも、微粒子の中にもおるのです。
 私は、至る所におります。であるが故に、無限者なのです。無限なのです。完全なのです。

 神は全ての創造主なのです。
 神様は、木をお創りになり、金魚をお創りになり、海をお創りになり、山をお創りになり、そしてその中に、ご自身が宿っていらっしゃるのです。

 そして空気の中にも、水の中にも、私達の中にも、動物の中にも、全てを創造して、その全ての中に、私がおる事を知りなさい。全てが私である神ならば、あなた方は、全てを愛さなければならないのではないでしょうか。

 「神を愛します、賛美します」と言いながら、「この野郎、あの野郎」と貶め合う、何が賛美でしょうか。
 ハレルヤという意味は、最大限に神を賛美するという意味です。何処におる神を、賛美しているのでしょうか?

 私は、何処におるのでしょう?彼らは、それを知りません。ただ、口先だけで、神を賛美します、ハレルヤ、ハレルヤ、何年間もハレルヤ、ハレルヤを唱えました。唱えたけれども、一向に救われないのです。口先だけの信仰であったからです。

 私もハレルヤ信仰でした。ちょうど13歳の時、ハレルヤ信仰の洗礼を受けました。川で洗礼を受けたのです。しかし、満足しませんでした。

 一生懸命ハレルヤを唱えました。ハレルヤを唱えれば救われると言いますから、喉が枯れる程、唱えました。しかし一向に、心の平穏を保つ事は、出来ませんでした。

 その内それが、実は嘘を付いていた事が、解ったのです。真の神を知らないで、ただ、妄信的に神を賛美していたのです。

 真の信仰とは、真実に愛する事ではないでしょうか。あなたを真実に愛しますと、口先で言う必要もないのです。真に愛する事が、真の信仰なのです。口先だけで、愛だという事では無いと思います。

 愛は、口で説くものでは無いのです。語るものでも無いのです。真に、その愛に生きる事だと思います。
 「あの人達は、地獄行きだよ。このハレルヤ教会にいる者だけが、御霊を受けて天国界に帰れるのだ。彼らは邪道で、邪教で、献金もしないから、地獄へ行くんだ」と、教えられました。

 私はそれを、現に真に受けてしまったのです。それが、古い葡萄酒であったのです。盲の指導者に、目を眩まされてしまっていたわけです。しかし、一向にそこに救いがもたらされないので、ある日私は、牧師に言いました。

 「私は一体、いつ救われるのでしょうか?こんなに長い間ハレルヤを唱えてきたのに、一向に私の心に安らぐ気持ちがありません」。

 そうしたら、「死んだら救われるのです。
死んだらイエス様が、あなたはもう洗礼を受けているので、白い羽衣を与えられて、自分の身元にパラダイスに連れて行くのです」と。

 もし私が、妄信家でしたら、それを信じていたでしょう。しかし、私は疑いました。生きている時に幸せでない者が、どうして死んだら幸せになれるのだろうかと、疑いました。そして言ったのです。

 「私は、生きている時に幸せが必要なのです。死んだら地獄へ行っても構いませんから、生きている時に、幸せになる道を教えて下さい」
 
 そしたら、「欲深め、神に素直であれ」と、怒られました。しかし、真の幸せはあったのです。
 生きている間に、隣人愛をする事だったのです。人々全てを許し、私をどんなに迫害し、罵る者でも、全てを許し、すべてを愛する事だったのです

 それを実感した時、私は、生きている時に天国がある事を、知ったのです。「ああ、なるほど、幸せだなあ」と、思ったのです。

 それは口先だけの信仰ではなくて、真に心から、一人ひとりを愛する事だったのです。
 誰を見ても愛なのです。あの人を見ても、この人を見ても、現にその日常生活で、私達が愛に生きてこそ、生きている時に救われるのです。

 そして、生きている時に救われる者は、この世を去っても救われて、この世で救われていない者は、あの世に帰っても救われない事を知ったのです。

 死んだら救われるのではありません。この世での悪人は、あの世でも悪人なのです。悪霊なのです
 この世で、愛の深い人は、あの世でも愛の深い人です。この世で愛し得ない者は、あの世でも、愛し得ないのです。
 あの世に帰ったら、愛になれるのでしょうか?なれません。この世で高級な人間は、あの世でも高級霊なのです。その事が、はっきりと解ったのです。

 私が、この世とあの世を行き来し、霊的霊視力が出て来たので、それがはっきりと解るようになったのです。
 皆さん方の、今の自分の状態が、あの世へ帰った時の状態なのです。多くを愛する者は、愛深い者として、愛の次元に帰ります。

 神の家には、沢山の館が準備されているというのは、この事なのです。あなた方の意識のレベルの事なのです。
 あなたがもし、イエスと共に、同じ館に住みたいのなら、イエスと共の次元にいたいのなら、イエスのような意識状態でいなくてはならないのです。

 イエスは、愛そのものでした。誰も憎まず、すべてを許しました。そして愛しました。そのような状態になって初めて、あなたはイエスと共に住む事が出来るのです。

 人を憎み、貶し、汚しながら、イエスと共に住むのだといくら言っても、その願いは叶えられません。イエスの元に帰りたいのなら、イエスの教えを実行し、守り、イエスの教えた御心を、受け入れる者のみが、行けるのです。

 讃美歌を唱えても、口先だけで、心が鬼のような、悪魔のような生き方をしていては、彼らが来ても、私は知らないと言うでしょう。なぜなら、彼らは私の教えを、守らなかったからです。

 私は何と言いました?私の御心を行う者と、言ったはずです。私に似るようになりなさいと、言ったはずです。
 私を礼拝しなさいとは、一言もいっておりません。私を礼拝するという事は、私の教えを守っている者が、私の教えを礼拝している姿ではないでしょうか。
 
 私の教えを守らないで、「主よ、主よ」と、私の名前を呼ぶ事をやめなさい。私は、その者を決して喜びません。

 私の教えを守っている者を、喜びます。守って、愛する事です。愛する事です。許す事です。あなたは、お互いを許すべし、愛すべしと、示したではないでしょうか。

 それを行わないで、憎しみ合いながら、怒りながら、週に1回日曜日に来て、「主よ、主よ」と言っていますが、それは私を裏切っているのです。アンチ・キリストです。

 私は、何と教えました?お互いを、愛すべしといったのです。
 先に入る者は、後になるといったはずです。彼らは、先に入ろうとします。

 私達は、もう天上界行きだと言いますが、彼らは後になるのです。後になる者は、先になり、小さい者は、大きい者なのです。
 
 自分たちは、献金もしているから、大丈夫だと増長マンになっています。彼らは、地獄から招かれないように、賛美をしているのです。地獄から免れたいために、賛美をし、献金をしているのです。しかし、彼らは、地獄を免れる事は出来ないのです。彼ら自らが、自らの地獄を創っているからです。

 神は、地獄を創っていません。人間の無知と無悟りが、地獄を創ったのです。
 私は、愛のみを全ての者に、与えています。私のその御心である愛を、実行しなさい。そうすれば、皆さんは、私と共に居ります。

 皆さんが愛であれば、今から2000年前のイエスが、皆さんの側に、いつでも来る事が出来るのです。憎しみであれば、来る事が出来ないのです。愛であれば、いつでも参ります。

 仏教であれば、仏陀もその通りであります。仏陀は、慈悲に生きた方です。慈悲心そのものなのです。仏陀の教えは、慈悲なのです。

 その慈悲に生きてこそ、仏陀を信じている者なのです。仏陀の仏像を造って、般若心経をあげる事ではないのです。釈迦に説法というのは、まさにその通りです。私というその仏像、釈迦の仏像を造って、そこで釈迦の創った般若心経を唱え、釈迦に説法をしているのです。

 あなた方が、そのお経の意味を理解し、日常生活の物差しとすべきなのです。良い声を出して読む事ではないのです。意味も解らないのに、良い声を出して、何万回もあげたら救われると、教えるようになってしまったのです。言葉でも、讃美歌でもありません。

 一番大事なのは、愛の実践です。愛し合う事です。全てを許し合う事です
 許して下さい。許し合えたらあなたは、許されるのです。あなたが許さなければ、あなたも許されません。

 まず、自分の罪を許して貰いたかったら、人々の罪を許しなさい。そしたら、自ずから、あなたの罪は許されます。あなたは、人の罪を裁きながら、あなたの罪だけを免れたいと思うのを止めなさい。

 あなたが人を裁かず、怒らず、謗らず、嫉妬をしなかったら、あなたは誰からも、怒りも、裁きも受けません。全ての人の罪を、許してあげなさい

そうすれば、あなたは全てから、許されます。私、神から許されます

 罪を犯す者を、愛しなさい。そうすれば、私もあなたを愛します。
 人を愛さない者は、私も愛しません。

 神から愛されたいのなら、どうか、世の隣人、全ての者を、愛さなければなりません。その愛の実践が、真の信仰、神に至る道であるという事を知りなさい。

 献金は、必要ないのです。愛し合う事が、如何に世への奉仕であるか、私への奉仕であるか、救いであるか、もうお解りだと思います。

 神の心は、怒りでも、憎しみでも、裁きでもありません。
 神の心は、愛です。
 私に生きるという事は、私を信ずるという事は、愛に生きるという事です。

 どうか皆さん方の日常生活での、愛の実践のあらん事を、お祈りしながら、
今日の「神は、全ての創造主であり、神は、一体を支配する。そして、愛そのものである」という事の、ご説明を終わらせて頂きます。

 皆さん方が、今日から素晴らしい愛の発揮、大きな救い主の手助けとならん事を、お祈りしながら終わらせて頂きます。ありがとうございました。


オマケ情報で~す♪♫

「人生攻略法」様の超良質記事です♫

テレビにもご出演された「すごいおばちゃん」のお医者さんのブログ♪
内容がめっちゃ濃くて読み応え満点です♪超おすすめ♪

ぶりらんて様
五井先生の教えを分かりやすく記載して下さっている
魂の成長が大きく飛躍する素敵なブログです♪

シルバーバーチの霊訓の良い部分を抜粋して
日々豆に更新して下さっている素敵なブログです♪
私も懐かしさもあり、楽しみながら日々拝読しております。

私も大ファンの本山よろずや本舗 」様の宇宙旅行記♪

FC2版の広瀬すずちゃんの横顔になる方法の記事です♪
身長を伸ばす記事も追記してみました♪

タロットカード、占い好きな人なら知っている…その業界では知る人ぞ知るすごい方♪真理を深いレベルでご理解されている 最高級占い師「中川愛友希様」の記事をご紹介♪神様への真摯な祈り 「真我の祈り」で光の道を歩みだしたお話♪神への愛は、神を愛したい…と思う気持ちによって決定されます♪宇宙に遍満する大霊になられたバーソロミューさん♪



真理を深いレベルでご理解されている
最高級占い師「中川愛友希様」の記事をご紹介♪

 ヤフーブログで過去記事を検索している時に、「中川愛友希様」の記事のリンクを見て、お久しぶりに拝見してみました。

 それで、最新の「真理の理解」の叡智を伴って、中川様の記事を拝見してみますと、何とまぁ…内容が深遠で奥深くて…スーパーハイレベルな事をスラスラと分かりやすく記載されていて、何と高次元な記事なんだろう…って、妙に感動してしてしまった次第なのです。

 当時は真理の理解が浅くて、何となく素晴らしいのは分かったぐらいのお恥ずかしい感覚だったのが思い出されました。
 当時拝見した時は、分かったような…理解できるような…っていう…曖昧な理解で、魂に刻み込むレベルの理解には至っておりませんでした。

 ですが今回改めて、中川様の良質記事を拝見した時には、もう手にとるように中川様がお伝えしたい事柄が分かっちゃったのです。
 ええ…それはもう、小学一年生の数学みたいに…(笑)。


神様への真摯な祈り
「真我の祈り」で光の道を歩みだしたお話

 ええっ!!…こんなスピリチュアルな価値観満点な文体を…精妙なニュアンスや詳しい意味合いまで、
まるで…簡易な事柄かのように理解できている事に驚いてしまい、良い意味で唖然としてしまったのでした(・ω<) テヘペロ♪

 この記事をご観覧してくださっている皆様も、私のブログの記事を最新の所から満遍なく目を通して頂きましたら、中川愛友希様の奥深い記事を手にとるようにご理解頂けるはずです。

 私は誰でも…それが可能だと確信しております。正当な努力は必ず実りますから。

 でも仮に、どうしても理解できない場合は、真剣に真摯に「神様」に「お祈り」を捧げて下さい。「私にどうか真理を理解する事をお許し下さい」…と。

 私は「瞑想」はあまりしない人間なのですが、「祈り」は人一倍しております。ただし「自我の祈り」ではなくて、「真我の祈り」ですけれども。

 中川愛友希様も「お祈り」を捧げておられるとの記載も御座いました。そのお祈りはもちろん、神様を真摯に求める「真我の祈り」の正しいお祈りでした。

 真仙明さんもやはり始めは、神様を真摯に求める「真我の祈り」をされておりました。五井先生も「祈りなくして信仰なし」の様な事を仰られていたように記憶しております。祈りこそが神の道なのだと。まさにその通りだと…尚更深く感じております。

 私も精神的な意味で人生のどん底の時に、「神様どうか、私に宇宙の真理をお教え下さい」と命がけで祈っていたのを思い出しました。
 まさに、私のスピリチュアルの道は、その祈りから始まりましたので。祈りが神の道の第一歩だったという訳なのです。

 私に超能力が開花したのも「神様、私に世のため人のために役立つ能力をお与え下さい」を毎日祈っていたからですし、

私は「超能力」はあくまでも、神様が「神の恩寵」で与えて下さった能力であって、自分の能力ではないと、真理を理解していく内に、深く実感できるようになりました。
 ですので、現在は自然に謙虚でいられます。

 どこまでも「神様ありがとうございます」なんですね。全ての全てが神のお陰ですから。

 現在の私は、どこまでも「神様が引き上げて下さった」お陰で、現在のこの世の闇を受けない「愛一元・慈悲と愛」の境地に、到達できた事を深く理解して実感しております。

滅私、自分を捨て、全ての存在を100%愛する悟りで
内なる神との直通の光の通路が完成したお話
https://sinntyounobiruyo.blog.fc2.com/blog-entry-3913.html


 愛そのものである「ワンネス意識」の内から、愛の光が燦燦を光り輝く境地に到達出来ましたので、現在では、ただただ…「神への感謝」「神への深い愛」…その想いしか出てこないのです。

 「真の謙虚」を理解できた時…、真の意味で「宇宙法則」をハートに落ちるレベルにまで理解できた時に、「神様ありがとうございます」しか出てこなくなります。

 ちなみに五井先生も、悟りの境地とは「神様ありがとうございます」の境地ですよ…、と仰っておられます。

 ただし、「神を愛する」事に関しましては、「神を愛したい!!」という強い信念で願い、実践する事によってのみ「神を愛する」事が出来ます。

 これにつきましては、自発的な努力が必要となってまいります。
いわゆる、継続的な「神を愛したい」という祈りと、全身全霊をかけた「神を愛する努力」ですね。

 私も常に、「全てに神を観る」意識で、全ての全てを神様と思って、「神様愛してます」という意識状態でいられるように日々精進しておりまして…、何とか少しずつものになってきた感じではあります。目標はもっと高い所にありますが……。

 現在の私の神への祈りは

「神様、私を神の道具として、世のため人のためにお使い下さい」
「愛する貴神の愛が私を通して顕現なさいますように」
「神様、貴方と対面する事をお許し下さい」
「神様、貴方を愛することをお許し下さい」
「神様、神との合一をする事をお許し下さい」

と言った感じとなっております。

 私はどこまでも…神様に対しては謙虚の一点張りですから(笑)。
 最後の語尾が「~お許し下さい」という謙虚さの極みのような文面なのは、どこまでも神様に対しては、常に、敬虔なクリスチャンみたいな麗しい接し方でありたい…と強く意識しているからなのです。

 私はそういうスタンスが、一番美しくて敬虔で麗しくていいな~っていう感覚の人間で御座いまして…、ひざまずいて…上を向いて、神様に祈っているようなあのイメージでしょうか。

 ああいうフィーリングが大好きなものでして…、もうね…私、好きで楽しみながらやってますからね(笑)

 今回の文章も相変わらず、内なる叡智から流れ出るように、スラスラ書けるのが不思議に感じる一方で、一回ちょっと「余計な事」を書いた瞬間から、脳がオフラインになったみたいに、頭に天啓が来なくなりました。

 その原因を分析して、その「余計な事」がいけなかったのだと、これは神の御心に合わなかったのだと即座反省して、文章を削除致しました。

 そうしますと、すぐにまた光回線の様な(笑)、脳全体が宇宙の叡智と繋がっている様な日常の状態に戻ったのでした。

 あら~こりゃまた、ずいぶん面白い体験をさせてもらったな~って思って嬉しくて、この体験をシェアしたいと思った次第です。

 波動に敏感だと、自分の感覚が「波動リトマス紙」となり、このような「精妙な判定」が出来る様になります。これは実に便利なもので本当に助かっております。
 これが出来るためには、自分自身が「精妙な波動」にならなくてはなりません。

 神様と繋がっているという感覚、いつでも神様がいいように天啓を与えて下さるっていう信頼感がありますので、不安と恐怖がなくなります。

 守護霊様・守護神様からご加護の天啓も滞りなくダイレクトに来ますから、本当に平安と安らぎ(シャローム)な意識状態になります。ありがたい事です。

 肉食を止めて、洗心を習得して頂ければ、誰でもかなり高い確率で開花すると思われます。ぜひご参考までにお目通し頂ければ幸いです。

 アトランティス末期に肉食をするようになってから、人類から第六感がなくなっていったそうです。

 知花先生によりますと肉食をするとアストラル体が汚れてしまったり、動物の獣性で自我が強くなってしまうそうです。肉食は波動を鈍重にしてしまい、「精妙な波動」から遠ざけてしまいます。

 ですので、肉食をやめる事が「精妙な波動」に立ち戻る第一歩だというのも、あながち間違いではないのです。
 こういった点でも、一応…根拠はありま~す(笑)。

 今回の下のリンク先は、全部が全部、最高の深い価値ある内容となっております。ぜひ一度全部の記事に目をお通しいて頂ければ幸いであります。

 FC2版からしかこのブログを知らない方々は、多分、今回の記事のリンクをご存じないかと思われます。ぜひこの機会にご観覧下さいませ♪


<波動の法則 宇宙の意志>No.160 

リンク切れでしたので、保存していたサイトから転載させて頂きます。
(一時期、繋がらなかっただけのようです…もう大丈夫みたいです)

<波動の法則 中性子は意識>No.159
カテゴリー: サイン, 未来
執筆:Harumi Nakagawa | 2011年6月7日

10年前にある衝撃的な本を2冊読みました。
「波動の法則」 足立育朗氏 PHP研究所(1995年12月初版)
「あるがままに生きる」 足立幸子氏 七賢出版(1994年10月初版)
です。

これら本の内容は、足立育朗さん、実妹の足立幸子さんが、
宇宙から受け取ったメッセージによって書かれています。
まずは、「波動の法則」から見た中性子と陽子の
お話を改めてしたいと思います。

10年前の私を一番感動させたのは、
過去のブログ中にも出てくる真元素の姿でした。
<波動の法則 調和と愛>No.113 2010.11.16
http://nakagawaharumi.jp/?p=921

以下『』内は「波動の法則」から抜粋です。

「波動」のエネルギーそのものが宇宙の全ての
現象を起こしているということを理解しない限り、
最終的に中性子と陽子がどういうものであるか、
「意識」と「意志」との関係も、
今の文化の状態ですと辿り着けない状態なのです。

足立さんがまず、情報としてとらえた
中性子、陽子、電子です。
http://www.ifue-finf.jp/partsj.html

中性子の姿
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陽子の姿
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電子の姿
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そこで今度は、人間の「意識」と「意志」とはどういうものでなのか、
これについても直観的に発振して同調するという方法で調べました。
おそらく振動波で発振、受振しているのだから、
人間の「意識」と「意志」にも具体的な携帯があって、
その振動波があるのだろうということで情報を受振することにしたのです。
そうすると、先ほどの図とやはり同じものだったのです。

人間の「意識とは何か」というテーマで受振しますと、
中性子と同じものを描いてしまうのです。
描き始めたら同じものだったので、びっくりしたのです。
要するに中性子は「意識」だったのでした。

中性子が「意識」ということは大変なことです。
あらゆる物質の元になっているもの、
それは原子核であり、その中に中性子と陽子があるわけです。

全ての存在物に原子核があって、中性子、陽子があり、
そのうちの中性子が「意識」であるということは、
どんなものも全部、「意識」で構成されているということになるわけです。
これは見えない空気もそうです。

それでは陽子は何か。
今度は陽子について調べました。
すると、陽子は「意志」だということでした。

陽子は「意志」であると同時に、
自然の法則の「愛」だという情報です。
愛情ではなくて「愛」です。

中性子の方は「意識」があって感情の役割があり、
常に調和をとり続けます。

「意志」という陽子は、自然の法則の「愛」だということで、
「意識」の方は「情」が含まれているわけです。

ですから、原子核というのは、「意識」と「感情」、
「意志」と「愛」が結びついて構成されている。
即ち、愛と調和が、全ての存在物の素になっている。
これは地球上でいう全ての存在物です。

中性子 = 意識 = 調和
陽子  = 意志 = 愛

人間の「情」とは、ポジティブにもネガティブにも傾くものですが、
中性子とは「情」を「調和」させるものなのです。

先のブログ<マトリックスに思う 陰陽二元性の世界>No.157
http://nakagawaharumi.jp/?p=1488
上記のブログからにも書きましたが、

『『
「好き」「嫌い」という二元性を持たないことは「中立」とも違います。
二元性の世界から逃れられない私たちにとって「中立」とは、
「合う」「合わない」が混在していても
「調和」が取れている状態を言います。
』』

私たちが「中立」という「意識」を持った場合、
中性子のパワーが働いて、あやゆる「情」が調和されるのです。
「パワーかフォースか」の意識のマップによると、
「中立」は「勇気」の上になります。
最初に「勇気」を持って臨んだことは、
次に「中立」という「調和」された段階にいくのです。

再び「波動の法則」から
これを厳密に定義しますと、
存在物をどう言うかが宇宙では少し違ってしまいます。
少なくとも地球上で物質化していて人間が確認できるような
存在物というのは、全部中性子と陽子で原子核を構成し、
周りに電子を伴っています。
電子の役割というのは、現実化する役割です。

つまり私たちの三次元物質世界においては、
「電子」とは、可視化する(具現化)する働きがあるということです。
私たちの肉体を始め、全ての存在物は「電気」で出来ているのです。

実は私たちが見ているものは、
「脳」が電気的な情報を得て、映像化しているのに過ぎないのです。
見えるものと見えないものがあるのは、
私たちの「脳」に現段階においては、制限があるからです。

制限を取れば、普段は見えないものが見えるようになるのです。
なぜなら、全ての基は「電気」だからです。

地球上ではどちらかというと、電流は電子の流れのような解釈をして、
直接エネルギーに関係しているように解釈されているようですが、
電子そのもののエネルギーはいつもゼロの状態になっているという情報です。

電子がなぜ14.5回転ずつ右回りしたり左回りしたりするのかは、
常にエネルギー量はゼロになるようにしているということです。

たぶん地球の物理学もいずれわかる時期が来ると思いますが、
それには中性子が「意識」で陽子が「意志」だということに
気づかない限り無理だと思います。

そして、またこの波動の法則を実際に機械を作って証明した方がいます。
神坂新太郎さんのDVD「宇宙実験塾」に
森田峯生さんという方が登場します。
まず、物理学者の神坂新太郎(こうさかしんたろう)
(1919.1.2-2007.9.10)先生をご紹介いたします。

以下はwikipediaによると、
岡山県の農家の元に生まれる。
旧制中学1年で満州事変が始まる。
旧制中学3年のころ、任意の角の三等分(Angle trisection)の作図を
楕円を用いて行なった。

14歳、旧制中学4年のときに、戦争反対のスピーチをし、退校させられる。
この顛末を当時の東京帝大法科大学長で、
この地に講演に訪れたことがあった美濃部達吉に手紙を送ると、
当時最新の科学誌が返ってきた。そして実験に明け暮れた。

その後徴兵され、満州の学校で勉強した後
陸軍大学校を卒業し、また満州へ戻る。
所属していた師団長と甘粕正彦の縁から、
甘粕機関でドイツ人学者ラインホルト・ハニシュと
共にプラズマの研究を行なった。

神坂先生は、「koro先生」という愛称で呼ばれていました。
私は神坂先生がまだお元気だったころ、
船井オープンワールド(2005年)で
不思議研究所の森田健さんとのコラボの
講演を聴きに行ったことがあります。

その講演で、上記のwikipediaにあるように、
14歳で反戦(満州事変)を訴え、
それを退けなかったために退校になった
すざまじい生き様の始まりをご本人の口から聴きました。
信念を曲げなかった勇気に尊敬の念が絶えません。

神坂先生は、中学の物理の教科書に載っていることを
70歳を過ぎるまでかかって、
自ら全て実験して確かめた本物の物理学者です。
(教科書通りでなかったこともあったそうです)
神坂先生の発明した銀河運動装置は、銀河系の動きを再現した装置です。

地球の位置にあたる部分に水を入れておいて、装置を動かします。
すると、その水に銀河の運動の波動が入ります。
そこに4日間放置されて死んだはずの金魚を
入れると生き返ってしまうそうです。

「波動の法則」の足立育朗さんは建築家で、
神坂新太郎さんは物理学者ですが、この二人が繋がっているのを
所有しているDVDでつい最近、発見しました。
神坂新太郎先生の「宇宙実験塾」シリーズです。

神坂先生が2007年にお亡くなりになられたことを知った時に
この宇宙実験塾で教えられたということも知りました。
是非、参加したかったなという残念な思いと共に、
「2012年を見たかったな」と言って逝かれたそうで、
神坂先生を偲んで一人パソコンの前で泣きました。

そしてなぜかその後、購入したDVDをずっと観ないでいました。
DVDは全部で19枚もあって、
私にとってその情報を得るのに、必要な時期があったのかと思います。

さてその「宇宙実験塾」に、銀河運動装置を発明したほどの
神坂先生が「あの人ほどすごい学者はいないです」
と言って紹介しているのが森田峯生(もりたほうせい)さんという方です。

さらにその森田さんの先生が足立育朗さんということで登場するのです。
(森田峯生さんは足立育朗さんの弟子ということです)
このDVDを観た私はぶっ飛びました。

森田峯生(もりたほうせい)さんは、
足立育朗さんの「波動の法則」に基づいて、
物理学の立場から定理法則で理論化し、
物質化して機械を造っしまったそうです。

さらにその機械(生体アナログ電気を使った)は実用化されて、
「波動の法則」を実際に証明したそうです。

神坂先生は、インドのチャンドラ・ボウス博士が発明した
1400万倍の顕微鏡(フレスコグラフ)の紹介もしています。
その顕微鏡でピカピカに磨いた「鉄」の表面を見ると、
みみずを並べたような動物活動をしているのが見えるそうです。

鉄の表面に生き物を見たのです。
(上記のことを書いている他の方のブログも見つけました)
http://ameblo.jp/tomaatlas21/entry-10689734561.html

ここで、全く違うことに話しは飛びますが、
2007年12月、
私は100人~200人規模のある異業種交流会に初めて出席しました。
そこでは毎回トとして招かれた方のスピーチがあるのですが、
私が初めて参加した回は、「ウィークリーマンション ツカサ」で大成功した
川又三智彦氏の短い講演がありました。

川又氏は、バブル期に1000億もの利益を得た後に、
今度はバブルがはじけて1000億もの借金を背負った人生のお話しを始めました。
桁が大きいので、びっくりしますが、
起業して成功している方には結構よくある話です。

と、聴いていると、
いきなり、目の前のスクリーンに!?
「金」(ゴールド)の表面が映し出されました。

緊張していた私に聞こえたのは、
「「金」が意識を持って動いていますね~」
という川又氏の解説でした。

今、神坂先生のDVDを見て繋がったのですが、
おそらく川又氏が流した「金」の表面の映像は、
1400万倍のフレスコグラフで観察したもの
だったのではないかと思います。

当時は聴き逃したのか、なんで「金」の表面がそこまで見えて
「意識」があると断定しているのか解りませんでした。

名刺交換をさせていただいたので、
「感動しました」と川又氏にメールを送ったら、
秘書の方からご返信いただき、
「2020年の日本からの警告」という本を送っていただきました。

(今の川又氏の活動は詳しく存じ上げませんが、
日本の経済の行く末を本気で考えている方の一人と思います)

話しは神坂先生に戻ります。

「鉄の表面が生きて動いているんですよ、
だからこれは生き物に相違ない。そうすると、鉄だけではない。
他の金属や石などもみんな生きている。死んだものの方が珍しいのです。

では「生きている」という条件とはどういうことか、
それは人間と同じで「命」があるということなのです」

全てのものは、中性子、陽子、電子からなっています。
そして「意識」と「意志」があるのです。
神坂先生のお話しでは、「鉄」でした。

そして私はたまたま川又氏の「金」の映像も観ていました。
全てのものに「命」があり、生命体であるという証明がされていたのです。



<波動の法則 宇宙の意志>No.160
カテゴリー: サイン, 未来
執筆:Harumi Nakagawa | 2011年6月9日
神坂新太郎先生がお亡くなりになられたと知った2007年、
生前の神坂先生の「宇宙実験塾」のDVDから、
たくさんの気づきをいただいています。

以下は、Twitterにつぶやきました。
「人間は宇宙の中心から派遣された地球の探査機である」by 神坂新太郎

「「意志」とは宇宙のもの、「意識」とは人間のもの、
その2つがマッチして初めて
宇宙の探査(悟るということ)が上手くいく」by 神坂新太郎
 

「人の天命とは、実は宇宙の「意志」である。天命を無視して、
自分の「意識」だけで生きていると「エゴ」になる」by 神坂新太郎
 
「宇宙の大原則は、
平等であること、と、フラクタルであること」by 神坂新太郎
 
「人間が知っていることは
自然はとっくに知っているはずである」by 神坂新太郎

私は、小学生の頃から、祈ることをよくしていました。
宗教的な知識は何もないのにです。

大人になってからは、
「大いなる宇宙の意志」と「内なる神」という表現で、
天へと、自分の中へと、繋がる存在に祈っていました。
IT技術者であった14年の間も、
神仏とは何か、宇宙とはどうなっているのか、
私の探索はずっと続いていました。

 

10年前に「神社開運法」山田雅晴氏(たま出版)を読んでから、
神仏(古神道、密教系)の勉強をする機会を得ました。
山田雅晴先生は宇宙の大元のことを、
「宇宙の大いなる意思」、「超次元のご存在」と表現します。

スピリチュアル系では、
「ワンネス」「サムシンググレート」などと表現しているようです。
しかし、漠然としたイメージだけではなく、
物理学的な理由を私はずっと求めていました。

神坂新太郎先生は、素晴らしい物理学者です。
物理学の実験を中学生のときから生涯されました。
ニュートンの反動力(作用、反作用)の法則が
誤りであることを自ら作った機械で証明しました。

(「ニュートンの法則」の誤りを指摘しても
取りあってくれる先生はいなかったそうです。)
また、プラズマ球でUFOも、
磁石があれば、宇宙の物質(磁力粒子)も作れるそうです。

神坂先生は、
「神さまなんて、いないよ、僕の目の前に来て、
握手くらいしてくれないと信じないよ」と話されています。
実験で「ニュートンの法則」通りの結果が得られない原因を
神坂先生は考えました。以下は神坂先生の言葉です。

この地球上に、ニュートンさんと言えども忘れていることが1つある。
陸と海と空しかないと思っているけど、もう1つ偉大な力があるに相違ない。
これが作用するからニュートンの法則が一定しない。

この世の中には何か知らないが、
ニュートンの反動力よりも他の力(エネルギー)がある。
それを天然エネルギーを僕は名づけました。
 

足立育朗さんは、直観でメッセージを
受け取り「波動の法則」を見出しましたが、
神坂先生は、この未知の「天然エネルギー」とは何かを、
物理学的実験を通して、答えを得ていきました。

そして「宇宙」の「天然エネルギー」(波動)に
「意志」があることを理論化していきました。
神坂先生のDVDは19枚もあります。
(Vol.17が行方不明です~(泣))
私はまだそれを全部観ていません。

神坂先生の驚異的な実験や体験は
また機会があれば詳しく書きたいと思っていますが、
今日は、まず大事な結論を書きます。
 

まずは、前述<波動の法則 中性子は意志>から抜粋
陽子は「意志」であると同時に、
自然の法則の「愛」だという情報です。
愛情ではなくて「愛」です。
中性子の方は「意識」があって感情の役割があり、
常に調和をとり続けます。

「意志」という陽子は、自然の法則の「愛」だということで、
「意識」の方は「情」が含まれているわけです。
ですから、原子核というのは、「意識」と「感情」、
「意志」と「愛」が結びついて構成されている。
即ち、愛と調和が、全ての存在物の素になっている。
これは地球上でいう全ての存在物です。

中性子 = 意識 = 調和
陽子  = 意志 = 愛

上記と同じように、神坂先生は、
「宇宙には「意志」があり、人間の「脳」には「意識」がある。」
と表現しました。
(人間の「心」ではなく「脳」というのが科学者らしいです)
 
以下は神坂先生の言葉です。
「宇宙」は「人間」に自分の「意志」をメッセージとして送ります。
「宇宙」は「人間」がいないと困るのです。
「人間」は「宇宙」にとって「地球」の探査機なのです。

「人間の自律神経とは、宇宙の「意志」が直接支配する器官です。
だから「意識」のない寝ているときも心臓は勝手に動いてくれているのです。」
「人間を指導する宇宙の「意志」にはスピリット波動と生体アナログ電気があります。

本来はその通りに動けばいいのですが、
地球にはデコボコがあって命令通りに動かないこともある。
だから自己防衛装置としてセンサーを付けました。
それが「脳」(意識)です。

「意志」というのは自然の命令ですが「意識」というのは脳の考えです。
「意志」と「意識」がマッチして初めて地球の探査ができるのです。
そのうち上手くいくと賞賛を浴びて、脳の「意識」が錯覚を起こします。

これは自分の力ですべて出来ているのだと…
そうなると人間は、宇宙の中心核からきた命令を無視して
自分の都合のよいことだけをやりだすわけです。
それがエゴの始まりです。」

私たちの中には、「意識」(中性子)と「意志」(陽子)があります。
「意識」には「パワーかフォースか」に示されるようにいろいろな段階があります。
(※最低は「恥」~「勇気」が分岐点~「悟り」へ)
いろいろな「意識」があっても、
常に「意識」は「調和」されることを心がけます。
それに対して「意志」は「愛」そのもので宇宙からのメッセージだったのです。

これは、私たちの人生において、
ただ「意識」だけで動いたことは、なかなか叶わないけど
「意志」を伴ったものは、叶っているという事実に繋がります。

「人の天命とは、実は宇宙の「意志」だったのです。
だからよく「志を持て」と言われるのです。
自分の「意識」だけで生きていると段々に「エゴ」になり、
願いは何も叶わなくなります。

さて、人間以外の動物や、植物にはDNAがあるけど、

タオルはタオルで、パソコンはパソコンで
いてくれていると思いますか、、、
存在の価値がそのものの「意志」として働いているからです。

そして「意志」は「愛」です。
これら人間の「道具」は、単に人間が作りだしただけのように思えますが
そこに宇宙の「意志」があるから存在できているのです。

スピリチュアル系では、
「私たちは神の「愛」に囲まれています~」とよく言います。
しかしそう言われても、
「神」の定義もあやふやですし、
「愛」は軽々しく言えるものではないと思っていたので、
実はピンと来なかったのですが、
今、目の前にある机もカップもすべてのものが、
宇宙の「意志」に基づいて存在していて、
それらに囲まれている物質3次元で生活している私たちは、
波動の法則による「愛」に囲まれている現実があったのです。

今日、ある方からのプレゼントを受け取りました。
プレゼントは「本」です。
その本は、前から興味があったものの、ちょっと系統が違うかな、
まだ勉強する時期ではないかな、と思っていて、
分厚くて高価なこともあり自分で購入するのは迷っていました。

でも受け取った瞬間、その本に触れると、
その方の「愛」とともに、宇宙の「愛」(意志)も感じました。
私にその「本」に書かれていることを理解して、受け取りなさい、
と聞こえてきました。

その本は「エノクの鍵」です。
大天使メタトロンの名前が本の帯に入っています。
今までは、古神道や密教系に登場する神仏には馴染みがありましたが、
大天使と呼ばれる存在からも、
宇宙からのメッセージを受け取る時期が来たようです。

これは私の「意識」の段階と
大宇宙の「意志」が一致した結果起こった事象です。
人と人との出会いも、ある情報との出会いも、
パワーあるものは全て宇宙の「意志」が働いているということです。

ポジティブなシンクロニシティはすべて
宇宙の「意志」が働いているのです。
逆にネガティブなご縁や情報は、人の「意識」が作りだしたもので
宇宙の「意志」ではないということです。

人間は、ポジティブな意識(パワー)とネガティブな意識(フォース)
のどちらも作りだします。
でもなぜ、どんなに長くても、最後はパワーの方が勝るのか、
それは、そこに「宇宙の意志」が働いていたからだったのです。

<パワーかフォースか 改めて検証>No.167

自然生活館 波動について

【転載】「私は宇宙人」の著者ティアランさんからの励ましのメッセージ(読書感想文付き)  

宇宙人の視点から見た、真実の地球人類史(これは必見です)






聖フランチェスコの偉大なる悟り秘話

神への愛は
神を愛したい…と思う気持ちによって決定されます

 そこで彼の心にはジレンマが生まれたのです。貴方の心にも同じようなジレンマが生まれる事を望みます。いつも親切で、心優しき人間でいる事は出来ないし、かといって欲望のままでは幸せはもたらさない……。

 では、自分の求める心の平安や喜びをどこで見つけられるのだろうか…彼は有意義な道を選びました。これを別に貴方達に勧めているわけではありません。単にデートしてあげているだけです。

 フランチェスコは深い意識のレベルで、死の現実と対決する事を決心しました。その事を私は確信しています。彼は重い病気を選び、その病気で殆ど死にかけました。

 その病状で心の中の境界線が崩れ始め、ついに高熱にうなされた状態の中で、ある悟りを得ます。
 それまでの彼は、善である事と…神への愛、が同じであると思いこんでいました。けれども、その2つは同じ事ではないと分かったのです。

 善人でなくても、神を愛する事は出来ます。非常に良い人でも、神への愛を全く持たない人もいます。

 フランチェスコがはっきりと理解したのは、神への愛は、神を愛したい…と思う気持ちによって決定されるという事です。それまでの自分の考えの過ちに気づいたこの瞬間は、この上もなく重要な事でした。
 
 神を愛するのは神を愛することによってであり、それ以外の何ものでもありません。
 それが分かったら、高熱の中で、ある問いが繰り返し彼の頭の中で浮かびました。どうしたら神を愛することが出来るのだろうか……どうやって。

 忘れてはならないのは、この人は中世ヨーロッパの教会制度の中で育っており、また同時に、宗教が形式的な意味しか持たない社会で育っている事です。
 彼の友人たちもあまり信心深くありませんでした。母親は神を愛する必要を示してくれましたが、神への愛を実践してはいませんでした。
 
 フランチェスコは、神を愛する道が見つけられなかったならば、自分は死を望む…とまで思いつめました。神を愛する事なくして生きていく事は出来ないと思うのに、どうしたら愛せるのか分かりませんでした。

 愛したいけれども、どうして愛したらいいのか分からない……というジレンマをはっきり自覚する、これは非常に望ましい意識の状態だと言えます。 
 何日も苦しみが続きました。熱が上がり不安が増し、イライラと絶望が募りました。
 
 ついにある朝、まだあたりが静かで物音もせず、もうすぐ夜が明ける頃、窓の向こうで、一羽の鳥が鳴きました。そして、その鳴き声を…フランチェスコは今までとは全く違うように聴いたのです。
 
 そしてその鳥の、鳥の奏でる歌声のパワーによって彼は悟ったのです。
 彼が悟ったのは…、神を愛する方法
唯一の方法は…神の声を全ての中に聴く…という事だという事です。

 鳥の歌声に、死にゆく者の泣き声の中に、狂人の叫びの中に、癩病患者の絶望の中に、恋人たちの抱擁の中に……それこそが神を愛する道なのです。

 これらの音と…神の声を分かつもの何もない…まったくない、これらの音こそが、神の声そのものだ…という事をフランチェスコは悟りました。

 それまでの彼は、神を創造の世界の外にあるもの、人生の奏でる音の外にあるもの、自分自身の外にあるもの…という誤った考えをしていました。
 彼はこの後、二度とこの事を忘れることはありませんでした。

 フランチェスコを覚醒めた者…と呼ぶなら、その覚醒めは、彼がごく普通の人間だったということ、そして…そこからまったく普通でない人間になったという事実に根ざしています。

 その瞬間から、フランチェスコは助けを求める声と、大いなる源とを別のものと考える事が出来なくなりました。大いなる源の実在を知ったからです。

 フランチェスコについて誤った見解がいくつかあり、その一つは父親との関係に対して関するものです。フランチェスコと父親とは非常に仲が悪かったと言われています。

 けれども、フランチェスコが新しく覚醒めた後では、すべての音は神の声だと知っていましたから、父親が出て行けと言った時も、父親の声の音を拒否する事は出来ませんでした。
 
 フランチェスコは分かりました……次に進む道を示して下さってありがとうございました、と言いました。 ”何だと!" ではなく、"分かりました” だったのです。そして出ていったのです。


ケイシーリーディングから…♪

全身全霊で「神を愛する」大切さ
「神を求める祈り」をする大事さのお話

 エドガーケイシーは、宗教生活についてそのもっとも美しい表現の中で、この事を次のように語っています。

あなたがたは心を尽くし、思いを尽くし、体を尽くして汝のなる
(大生命・内在の神)を愛し、隣人を汝の如く愛するのである。

このキリストの与えた言葉が法則の全てである。
それに優るものは存在しない

 主が約束されたように、あなた方は
来る日も来る日も明想し、「祈りゆく」うちに到来するあの目覚めによって、
主(宇宙生命)が自分の意識の中に留まられる事を知る事が出来る
神我が中にまします・父と子は常に一体)。

 あなた方はこの目的のために、
主が臨在し、その御霊(キリスト)があなた方の中に留まるあの意識を、
あの自覚を讃えるために生まれてきたのである。」

自我・偽我 =表現者、原因である父なる神を忘れている状態(放蕩息子の状態)神理を知らない状態・自分の力で生きていると思って迷っている状態、肉体の己を自分と思っている我、分離感・分離意識で個別化された表現を別個の存在と認識している我・分離意識・エゴ・肉の感化、五感の感化を真実と錯覚している我・迷いの影、幻、幻想(マイヤー)・自己保存、自我我欲の心


真の自己(真我)=父なる神と常に一体の境地・ワンネス意識・全一の意識・神我キリスト、全ては自分、全ては我、全ては神、全てを愛する我に目覚めた状態・宇宙生命によって生かされている事を自覚して実感している我・私が生きているのではない、なるほど一つの生命である神が生きていらっしゃる、全ての知恵と力は神から与えられている、神の中身は神、全ての全ては本質的には神、神のみが生きてらっしゃるんだなと悟った我・神一元・愛一元・光一元・我神なり、全ては神なり、全てに神を観る境地・神は生命(霊)なり、我も生命(霊)なりの自覚・宇宙即我、キリスト意識・高我・実在・全てを愛し全てを許す境地・慈悲と愛・あなた即私・私即あなた・宇宙エネルギー即自分・無限即我・不変不動の絶対なる実在・普遍なる宇宙・無限者・宇宙神

FC2版の広瀬すずちゃんの横顔になる方法の記事です♪
身長を伸ばす記事も追記してみました♪

プロフィール

斉藤なぎさちゃんが大好き♪

Author:斉藤なぎさちゃんが大好き♪
 
 高身長になる方法・広瀬すずちゃんの横顔になる方法・小顔になる方法・悟りを開く方法・健康になる秘訣・宇宙の真理…など世のため人の為に役立つ情報を書いております。
 貴方の素晴らしい人生のお役に立てますように♪

 30歳を過ぎてから努力で22cm身長を伸ばして195cmになっちゃいました♪
 それと…小顔になる努力で、全頭高が大谷翔平さん級の20.5cmなりまして……純日本人ながら、リアル9.5等身を達成することが出来ました♪

 そのノウハウを全て無償で公開しておりますので、もし良かったら皆様も、小顔・高身長の翔平スタイルになって幸せで喜びに満ち溢れた人生を満喫して下さいね♪ 


 スピリチュアルと精神世界・悟り追求者の為になる、宇宙神理(真理)が学び放題な良質な情報を豊富にご用意しております。

 悟りの追求者の方々へ何かしらお役に立てましたならば光栄の極みでございます。修行中の創造主であられる貴方の素晴らしい人生に乾杯♪

究極の美顔法・小顔法「広瀬すずちゃんの横顔の秘密の記事」はこちらになります♪
https://sinntyounobiruyo.blog.fc2.com/blog-entry-3947.html

「大豆から納豆を作る記事をテンコ盛り盛り…盛沢山な記事」はこちらになります♪
https://sinntyounobiruyo.blog.fc2.com/blog-entry-4144.html

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