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date :2019年09月

広瀬すずさんの美しさを徹底追求(画像あり)♪加筆修正の改良版♪横顔美人の条件とは♪顔の悩みはこれで解決♪身長を伸ばす究極の方法♪究極の栄養食♪身長・小顔♪永久保存版♪






























































 
 広瀬すずさんの横顔が大変綺麗と評価されておりますが、では、なぜ美しい・綺麗・横顔美人と言われているのでしょうか?

 その点について詳細に分析しているサイトは今のところ存在しないようでしたので、私自身の長年の美形分析の研究をふまえて、皆様の顔のお悩み解決にお役立ちになればという思いでご解説させて頂きます

ではまず横顔の美しさがよく分かるこちらの画像から 





 
 綺麗な横顔ですね♬
 広瀬すずさん、広瀬アリスさん共に、ハーフじゃないのにハーフ顔と言われているそうですが、初めにハーフ顔という定義について、軽くふれてみたいと思います。

 ここ最近では、テレビの影響で、ハーフ顔に憧れる女性も増えているようですね。

 でも純日本人で、ハーフ顔なんてよっぽど運がいいか親が超美形でもなければ、後はなりたかったら整形でもするしか無い……なんて思われているのが世間一般的な常識ではないでしょうか。

 ですが、努力次第で、ある程度はハーフ顔になることが可能なのです。その点につきましては、後ほどご紹介するとして・・まず分析から初めていくとしましょう。






 これまでのタレントさんの中でも、ハリウッドスター顔負けのウットリするくらいの綺麗な横顔です。佐々木希さんもかなり綺麗な横顔なのですが、ほんの少しだけ鷲鼻ですから、広瀬すずさんの横顔に軍配が上がるといった感じじゃないでしょうか。

 佐々木希さん、広瀬すずさんのご両人に共通する事項として先ずあげられるのが、彫りが深いことと、鼻が高いことです。いわゆるハーフ顔と言われている要素のメインの部分に当たります。

 お二人とも実際のハーフの方々と同格か、もしくは彫りが浅めの白人さんと同格の立体感をお持ちの顔だと推測できます。




 広瀬すずさんって、多分皆さんが思っているより眼球の大きさがかなり大きいのですが、彼女の彫りが深いので、横顔では、それがあまり分かりにくくて普通の大きさに見えてしまいますね。

 もし、広瀬すずさんの彫りが浅ければ、世間で言う所の出目金という形になります。ですが、彫りが深いので横顔の綺麗さだけが突出して、眼球の大きい部分がいい方向だけに出ていて美形の要素を最大限に引きだしているといえます。

 目頭の赤い部分の見え方については、そこまでしっかり出ている感じではありません。いわゆる蒙古ひだも少しある様ですね。ですが、眼球自体が顔の大きさに対してかなり大きめですので、そのマイナス点が要素としてはあまり出ていないように見受けられます。



 
 二重の幅についても、顔立ち的には完璧に近いのですが、蒙古ひだが少しある関係で、並行二重にはなっておりません。でも、他の要素が限りなく完璧そのものですから、そのマイナス点もいい味になって可愛さという魅力として感じられてます。

 普通、広瀬すずさん並に眼玉の大きい人でしたら、立体的になるのはかなり難しいのですが、彼女の彫りの深さもあり、非常に自然で程よい良い塩梅の綺麗な横顔になっておりますね。



 現在、横顔美人が注目されている関係?で、芸能人の方々で額から鼻が生えてる……なんて言われている方が増えているそうですが、じゃあ自然に広瀬すずさんのような綺麗な横顔になるためには、どうしたらいいのでしょうか。

 結論から申し上げますと、おでこが盛り上がって程よく立体的な横顔になればアバターなんて言われない、綺麗な横顔になれます。

 広瀬すずさんくらい立体的な綺麗な横顔になろうとすると、実際問題、日本人の感覚では彫り深すぎかな?っていうくらい彫りが深くないとああいう感じにはなりません。

 ですから、芸能人の方々がよくする鼻だけプロテーゼという整形では、どうしてもアバターみたいになっちゃうわけです。

そこで私の完成させた ”眉骨ゴリゴリ刺激法” の登場となるわけですね♬
(『眉たたき法』と呼ばれている方法でも大丈夫です♪)

 その方法とは、まず片手の中指と人差し指を眉間の所に置きます。
そして、もう片方の手の。人差し指、中指、薬指、を揃えて眉毛のちょっと上に載せて下さい。

 その三本の指の肉球の所と、爪の先の所、を眉毛の上に平行に置いて、顔の中央部から外側にかけて、爪と指の肉球で、眉毛の上の眉骨の所を滑らすように、眉間中央部から顔の側面に向かってゴリゴリ滑らして下さい♪

 この眉骨の上を外側へ滑らす行為を、何回も繰り返して下さい。
 この行為を左右何回も繰り返すだけで御座います。
(※外側から中側ヘはゴリゴリするのはありません)
 銀色のスクラッチシールを爪の先で削るイメージですると上手く行くと思います♪

 この方法を私自身が三年間実践したお陰で、出目金が全く目立たなくなり、彫りが加藤雅也さんのようになれまして、現在彫り深☆爽やか☆ハーフ顔を堪能させてもらいながら幸せを満喫しております。


 
 ですので決して根拠が無い方法ではなく、たいへん確実に彫りが深くなれ、鼻も鼻筋を指先の肉球で毎日軽くさすってあげますと、鼻筋も盛り上がってきて鼻も高くなれちゃう〈……可能性が高い〉という大変画期的な方法だったりします。

 鼻に関しては、正直元々高かったので、これ以上高くなると高すぎになって困る可能性もあり、実践はしておりませんが、彫りが深くなれた感覚で言いますと、かなりの確率で鼻も高くなれると推測できます。

 鷲鼻の場合は、鼻筋の先っちょの部分だけ毎日、指の肉球でサスサスして軽く刺激を与えて下さい。そうすると、先っちょの骨だけ盛り上がってきて鷲鼻も治っちゃいますよ。

 ですから、綺麗な横顔になりたい場合、2~3年、毎日 ”眉骨ゴリゴリ刺激法” を彫りと鼻筋にして頂いて、いわゆるTラインを盛り上げてしまえば簡単に誰でも、広瀬すずさんのような綺麗なハーフ顔になれちゃうという非常に夢のある楽しいお話というわけなのです。

 2018年の最新のベストな方法が見つかりましたので、またそれも追加でご紹介させて頂きます。

 親指の第二関節の角っこを、親指を曲げて角度を作って、眉骨をゴリゴリするという方法ですが、簡単で効果がかなり高いようです。
 こちらの方法では、片手で出来るのと、力の入れ具合が調整しやすいという点で、かなり使い勝手が良いように感じました。 



 画像の女性には申し訳ないのですが参考として……
彫りが浅い人が鼻筋だけくっつけた事例として、下の画像を見て頂きたいと思います。これがいわゆるアバター顔状態というものです。



 彫りが浅いために鼻筋がおでこや眼球よりも出てしまっていて変な感じになっております。この状態を解消するためには、どうしてもおでこを盛り上げてやらなければ自然にはなりません。

 眼球は顔から出ているわけですから、おでこが平坦ですと、普通は眼球だけ飛び出てャピンみたいに見えちゃうわけです。

 横顔美人の条件を満たすためには、大きなお目目を彫りが軽く覆いかぶさるくらいな状態にしてあげることが大事なのですね。

 眉毛の位置が眼球の先端より前に出ていれば出ているほど、鼻の高さに対する自然さが出て来る形になります。



 
 心配しなくても、日本人の彫りの深さではオリバー・カーンさんのようにはなりませんので(笑)、思う存分、眉骨をゴリゴリして堀を深くして下さいね。

 顔がのっぺりなのが悩みとか、眼球が大きくて出目金なのが悩み(……昔の私ですね)だったり、する方もいらっしゃると思います。

 男性のお方も、彫りが深くなって長瀬智也さんや岡田准一さんのようになりたいお方もいらっしゃるかもしれません。

 女性のお方でしたら、蛯原友里さん・佐々木希ちゃん・北川景子さん・広瀬すずちゃん・辺りが美人のお手本の顔として参考になるかもしれませんね。

 多分今まではどうしようもないからと諦めていたかもしれませんが、もう大丈夫です♬

 私が自分で実践して完全に効能は証明しておりますからね、もう彫りの深さや、のっぺりな顔などで悩む必要はありません。3年間頑張ればもう一生☆横顔が綺麗な男前・美女として生きていけます。




 
 頬骨やエラ骨が張っている方の場合、触っているとますます発達してしまいますから、触らず気にせず、
きっこさんのブログ【顔のでかい男にご用心】のように、怒らずイライラせず、心穏やかな優しい人間になっていけばちょっとずつ小さくなっていく可能性はあると思います。

 私自身、左の頬骨を気にしすぎて触っていた時期があったのですが、そのせいで左の頬骨だけ発達してしまってショックだったのですが、長年心穏やかに愛あふれる人間になろうと生きていましたら、完全に頬骨の膨らみがへっこんでパーフェクトな顔ラインに戻れましたからね♪

 何とかなるさ!と思って希望を持って生きていって下さい。何とかなると思えば何とかなる現実が引き寄せられてくると思います。



 後、二重についても、とっておきのウラ技をお教えしちゃいます。
 私が片目の二重の三重になっていた部分を二重をくっつけた方法なのですがご紹介させて頂きますね。

 セロテープを髪切様ハサミで綺麗に細く切ります。それを寝る前や一日中家にいる時などに、ご自分の理想の二重ラインに貼るだけです。
 
 簡単でしょ?お金もかかりませんし、型も付いてアイプチみたいに良い感じの二重になれると思います。コストパフォマンスは抜群です♬ 

  私は元々二重だったのですが、片目の二重の線が2本になっていまして、どうにかして綺麗につながらないだろうか……と長年思っておりましたので、このテープでくっつける方法で長年の二重の悩みが解消しました。

 目頭につきましては、有り難いことに蒙古ヒダのない完全な西洋風の瞳でしたので、かっこいいとかは昔から結構言って頂いておりました。

 二重になれば大概の目のお悩みは解決できますから、この方法で大多数の方は、ぱっちりお目目になって幸せになれちゃうというわけです。

 最新美顔UP♪情報としましては、目が痒いときに目をかく時などに、指先の動きを顔の外側から内側にする流れのほうが二重の幅UPに良いというのと、
 
目頭辺りが痒い場合は、目の内側上方の第六チャクラの方向に指先を動かすと、二重の幅が広がる良い影響を与えられます。
(※適当な眼のかき方の場合は、二重の幅が狭くなることがあります)


 決して整形をすすめるわけではありませんが、蒙古ひだがキツイ方はこの方法でも二重になれないかもしれません。整形はあまりしないほうがいいとは思いますが、蒙古ひだがキツイ方のみに関しては、どうしても魅力的な瞳になるためには、目頭切開のみはしてもいいかな・・とは思っています。

意外とマッサージで解決するかも♬



 
 目の最終手段としては、目が細い方は眼瞼下垂(がんけんかすい)という日本で唯一保険が効く手術をすればぱっちりお目目になれちゃいますから、決して悲観的にならなくても大丈夫だと思います。

 広瀬すずちゃんといえば、愛の深さを感じるキラキラで大きな黒目が大変印象的で魅力的なのですが、黒目を大きくする方法もご紹介させて頂きます♪

 基本的に黒目は大きい方が魅力的ですから、自分の黒目も大きくなれたらいいな~ッて思いまして、それで自分なりに整形以外で、黒目が大きくなる方法をネットで調べて自分なりの理論を構築して、それを実践して見ました♪ 

 まず初めに、黒目が大きいとやっぱり魅力的なんだ~♬、
なるほど、じゃあ自分も大きな黒目になろうっと♪ どういう事をすれば黒目が大きくなれるのかな? 

 と色々ネットで調べてみる、フムフム、興味があったり愛が深い時、感動したり、好きなことに熱中したり、感激したりしていると、黒目が大きくなると(  ^ω^)・・・ほぉ~な~るほど

 逆に、怒ったり、人を攻めたりしている思いの時は真逆になると・・・
と調べて分かりまして、じゃあ、愛情深い、キラキラした瞳、笑顔が素敵な優しい人になれば、黒目が大きくなれると思って、いつも実践していましたら、チワワのような大きな黒目になれました♪

 実践を続けた所、一年間くらいで、前と見違えるくらい黒目が大きくなりまして……♫大成功したというわけですね♫

 お陰様で、慈愛に満ちた・・潤い黒目がキラキラ輝く♬・・愛の輝きを感じさせる瞳になることが出来ました♪

 まず理論について、簡単にご説明したいと思います。
 黒目というのは、優しい思い、慈愛に満ちた愛の思いの時は、黒目が大きくなるそうです♫

 逆に、人を攻める思い、攻撃的な思いになると、黒目が収縮していわゆる三白眼みたいな目になるそうなのです。

 愛、優しさ、慈悲、などいわゆる人類愛的な美しい愛に満ちた想いでいる時は黒目が大きくなり、逆のパターンはあまり詳しく書きませんが、人を攻める思い、その他、類似の良くない思い、を持つと収縮する、と考えられます。

 ネットで情報を収集してその理論で、まず実践し始めた事は、とにかく黒目が大きくなりたいから人を攻める思いは持たないように、特に激しく非難する思いはご法度にすると言う事でした。

 たまに、嫌な思いにされた時でも、攻めそうな思いになった時は、はっ!黒目が大きくなりたいんだ♫だから我慢我慢♫みたいに、思いつめそうになると、なるべく思わないように気をつけました。

 それだけではマイナスがないだけですので、次はプラスの効果を出す実践を考えてみました。

 そっか、優しい思いになると、黒目が大きくなるのなら、優しい愛の思いを溢れ出るくらいたくさん出すようにしよう~~っと♬という理論でした♪
 それで、いつも愛の思いに満ちた人間になる事は、=「黒目が大きい魅力的な眼になる事」という定義ができました♪

 単に良い人間になろうと思うよりも、愛の深い善い人間になれば、黒目が大きくなれるかも♪と思ったほうが、より良い人間になろうというモチベーションが自然に保てると思います

 自分の意識が世界を作っていく、という宇宙の真理がありますから、黒目が大きくなりたい♬と思うことは何の害もありませんので、もちろん全然持っていい考えであります♪人を傷つけない思考であれば全然大丈夫♪

 自分を愛する事、魅力的な容姿になりたいという思いは、とても向上心があって大変良いことだと思います♬

 黒目が大きくなりた~い♫と心に秘めて強く思いながら愛の深い人間になる努力をするという感じです♫

 そいうい考えで一年間くらい経った時、自分の黒目を見つめていて黒目が大きくなったという確信が持てまして、間違いないのを確信致しました。  
 今でも精神的に向上するように、愛に満ちた人間になれるように、努力をしているつもりですから、お陰様で現在も一般人的にはかなり大きめの黒目を維持出来ております♪

 人を攻める思いを捨てる事と愛を高める事で、黒目が大きくなるという考え方は、かなりポジティブでモチベーションが保ちやすい実践しやすい理論かな~という気がするのですが・・いかがでしょうか





 鼻の下が短い方が可愛い・美人という事が世間一般でも知られてきておりますが、鼻の下の短い童顔になる方法もご紹介させて頂きます。

 女性の場合でしたら、童顔になると顔のパーツが同じでも劇的に可愛さが上がって魅力的な顔立ちになれますから、整形でも難しい顔の骨格の変化が起きるこの方法で、ぜひ可愛くて魅力的な童顔になって下さいね♪

 お高い小顔マッサージをしなくても、ある程度努力でなんとかなる部分はかなりありますので、よかったらご参考にして頂ければと思います。

 まず、意外と知られていないのが寝る方法です。顔を横向きで寝る癖があると、重力を顔全体で受けてしまうので、顔が伸びやすいというのがあります。

 ですので、童顔になりたいのならば、横向きで寝るのはNGでして、それと下向きではどうしても顔が歪んでしまうので顔が非対称になってしまいがちなので、下向きもやめておいたほうが良いでしょう。

 上向きでエジプトのファラオのように綺麗な寝方をされるのが顔が伸びない、童顔にとって一番ベストな寝方といえます。

 口角を普段から上げておくように心がけるのも大変よいそうです。口角を下げてへの字口ばかりしていると、鼻の下が長くなりがちになりますので、どうしても長年の影響で間延びした顔になってしまいます。

 童顔の方を観察して頂ければ分かると思いますが、口角が上がっていて、好感のある表情をされている方が多い事に気が付かれると思います。

 噛む力・寝方・表情・癖・等々、個人差がありますから、一概には当てはまらないですけれども、私の長年の観察では、ある程度、傾向としては出ている様ですので、一つの顔知識としてご参考にしてみてね♪

 いつも微笑をたたえる好感のある素敵な表情をしていれば童顔になりやすいといえます。口の閉じ方としましては、上歯と下歯が少し開いているくらいがちょうどいいそうです。

 私も研究する前はその点で苦労したのですが、どういう状態が口にとって一番いいのか、徹底的に調べました所、歯と歯の間が自然に少しくらい開いているくらいが一番負担がかからなくてよいと分かりました。

 それに気づいてから私の顔の鼻下の長さが短くなっていったように感じます。一度コツを掴んでしまえば簡単ですよ♪


 ご飯を噛む時も、顎を短くするために、最小限の力で普通にかむというのも大事ですね。噛む回数を減らすのではなくて、噛む力をご飯を噛む一番最低のところで抑えるというのがコツです。
 それを続けていますと、顎が退化してきていい感じで短い童顔に変わっていきます。

 あまり噛む回数を減らしすぎると、前歯の部分が前に出てきて出っ歯みたいになるようなムワーンとした感覚が出て来る時がありますので、そういう場合は、しっかり噛むようにして下さいね。そうすればムワーンという感覚はなくなります。
(顎が退化し過ぎると、前歯の土台が前面に出て来る場合があります)


美顔・小顔イメージングは想像以上に効果抜群です

 小顔イメージングで小顔に変わるというお話を聞いたことがある方もいらっしゃるかと思いますが、それは真実であり、実際に非常に効果があります。

 ネットで有名なお話で、「吉川ひなの」ちゃんの顔が大好きな女性の方が、自分の顔がひなのちゃんみたいになるとイメージングし続けていましたら、ドンドン小顔になって、最後には「顔小さっ!」と言われるくらいまでに小顔に変わっちゃったというお話があります。
 
 小顔だけではなく、他の顔の部位でも同じように効果的だといえます。私自身、佐々木希ちゃんの顔が大好きで、佐々木希ちゃんのような顔立ちになりたいと思いまして、いつも美顔イメージングを実践していました。

 そうしますとお陰様で予想していた以上に、面白いくらいに変化しだして、今ではすっかりノゾミンみたいな超童顔で可愛らしい顔になっちゃいました♪お金もかけずに大好きな顔になれて幸せ一杯なのです。

 地球最高のキリストの再臨の覚者であられる「知花敏彦」さんも、綺麗な顔になりたかったら、自分の顔が綺麗になるという想念を持てば、ドンドン綺麗になれますよ、と仰っておられます。 

 「肉体は想念の道具」なのですから、「想念」で「顔」が変化する事はある意味必然といえます。例えば、小顔をイメージすれば小顔になりますし、美顔をイメージすれば美しい顔に変わっていくという事になりますね。

 一つの方法論としましては、なりたい理想の顔のイメージしながらお面を作って、その理想が自分の顔だと想いながら、ご自身の顔にその理想お面をかぶせて、その顔が自分の顔だとイメージする小顔・美顔法があります。
 
 あります...というか、私が試行錯誤で創作したイメージ法ですが(笑)
 かなり効果を感じて頂けると思います。他にも楽しみがらイメージ出来る方法を模索されてみるのも楽しいかもしれませんね。

 心底信じて実践すれば、本当に奇跡的な程に効果抜群ですから、ぜひ皆様実践してみてくださいね。私は別人のように変われましたからね。
 「信ずるものは現れる」「汝の信ずる如くなれ」ですよ♪


意識は創造原理(身長が伸びたエピソードから

意識は創造原理」といいまして、「想像=創造」とも称されている通り、自分が意識したものに自分が成るのが宇宙の法則なのだそうです。

 一例として、カナダで不慮の事故で腕がなくなった少年が、飼っていたカメレオンの尻尾が再生するのを見て、腕も同じように再生するものだ...と心から信じていましたら、本当に腕が再生したというエピソードも御座います。
(※ドランヴァロ・メルキゼデクさんのお話)

 私自身、何歳からでも身長は好きなだけ伸びるものだ、絶対に伸びるし、伸びるに決まっているんだ、他の誰かが何を言おうと、自分にとっては関係ないし、私にとっての真実は「身長は好きなだけ伸びるもの」....

………という一見、変人の様な考え方を貫いてきたわけですが、岩をも貫く強い信念で、努力と研究をしていましたら、お陰様で、30過ぎから身長がドンドン伸びだしまして、現在では193cmにもなっちゃいましたからね♪信ずるものは現れる、という嬉しいエピソードで御座いました♪

 ですから、既存の三次元の常識にとらわれず、小顔イメージングで小顔に変化するのも普通の事だし、何歳からでも手足が長くなるのもごく普通の話なんだぁ...意識を変革して頂ければ、きっと貴方も同じような奇跡をごく当たり前のように体感・実感・経験して頂けることは確実でありましょう。



 「無償の愛での徳積み」で夢のような出来事が

 最後に、科学的ではないのかもしれませんが、75センチのトングと45Lや70Lのゴミ袋を持ってゴミ拾いを沢山して、徳を積むというウラ技もご紹介させて頂きます。

 これは私の身に実際に起きた奇蹟のような出来事でして、無償の愛で一生懸命ゴミ拾いをしていましたら、ゴミ拾いをする度に、顔がどんどん小さくなって、ヘルメットの紐が顎からスルッと抜けてしまうので、3センチほど紐を短くしたというお話です。

 人類への奉仕、無償の愛で、世のため人のために役に立ちたいという純粋な思いで、一つの山を端から端までゴミ拾いをさせて頂いたのですが、一ヶ月間程して終わった頃に、段階的にドンドン顔が小さくなっていきました。

 実際の所、初めは自分の錯覚かなぁ……と思っていたのですが、顔が小さくなりすぎてあご紐がスルッと抜けてしまうので、どうも幻覚でも幻でもなく、本当にリアルな現実で顔が小さくなっちゃったんだなぁ...♪ と実感したのでした。本当に夢の様な世にも奇跡的な物語なのでありました♪

 
 徳を積んで天上界の天使に顔が童顔・小顔になれますように、とお祈りをして誠心誠意お願いすれば、ご自分の徳を天使の皆様が使って童顔・小顔にしてくれるかもしれませんよ♬

 天使の生まれ変わりである井出章彦さんによると、普通の日本人の徳は平均20くらいだそうですが、天上界の天使にお願いを聞いて頂きたい場合は、徳のシステムはお金と同じようなシステムで、最低80の徳がないと聞き入れてもらえないそうです。日々功徳を積む事がお願いが叶う秘訣かもしれませんね。

 ですから、何か容姿のお悩みを高次元な存在に聞いていただきたい場合
(※小顔・童顔・頬骨縮小・エラ縮小・大きな黒目・綺麗な横顔、など)
は、自分の徳によって自分が救われるという最後のウラ技もあるということを心の片隅にでも置いて頂ければと思います。
 
 やはり、地道な努力が一番の近道という事ではないでしょうか。

 今までは顔を良くする努力というのが不明だったわけですが、これで美形になる正しい努力が判明したわけですから、後は美顔になるための努力さえすれば誰でもそれなりに美しい顔になれる事が判明しましたね♪

私の長年の座右の銘は ”努力無くして栄光なし” ですが結構これで人生ギリギリの所でうまくいっておりますので、ご参考にして頂ければ幸いです♬

随分長文になってしまいましたが(笑)
ご拝読して下さって有難う御座いました。


徳を積むことについて♪ 井出章彦さん
「心の眼」119ページからの引用ですが・・

井出章彦さんの質問)
徳についての質問です。どうすれば徳を積んでいけるのですかそして、徳を積むとなにか良いことがあるのですか

(天使の回答)
貴方の場合ですと、奉仕しでヒーリングを行っている、これも徳として積まれています。またたとえ職場での勤務時間内であったとしても、外に落ちているゴミを拾ったりすると、これも徳となります。

 天上界(の天使)は、その人からの祈りを聞く場合、その人個人の徳の数によって働きます。すると徳の数が少ないと、動かないと言えてしまうのですが・・。
、日本人の平均徳の数は、二十です。天上界が動くには、八十は必要だと思って下さい。

 徳積みの行為はそこに見ている人が誰もいなくても関係ありません。なぜなら、天上界では、貴方の思念と行為は全て承知しているのですから。
 走っているクルマの中からゴミを投げ捨てるような人がいますが、このような人の場合、徳の数が減るのではなくて、心の段階が落ちます。
 また、逆にゴミを拾うような人の場合、徳は積まれることになっています。

市販品では一番お安くて長さが75cmでベストチョイスのお品です♬




顔を美しくする方法の次は……スタイルを美しくする方法…つまり手足を思う存分伸ばしちゃうという、前人未到の偉業を、誰でも成し遂げられる方法をご紹しちゃいます♪

身長を伸ばす究極の方法

どうしても身長が高くなりたい☆、足が長くなりたい♡貴方♡へ♪
身長に大切な栄養素は、基本的にタンパク質、カルシウム、亜鉛、マグネシウム、アルギニン、などですが、どうしても通常の食事ではなかなか全てをパーフェクトに摂取することは難しいです。

最後に、確実に高くなるための完璧でベストな栄養摂取について少しお伝えさせて頂きます☆

 サプリメントがいらないことが分かりましたので、サプリメント関係の内容を削除させていただきました。その代用方法が下記となります。

 玄米と押し麦と大豆、業務スーパーの180gのツナ缶、それと卵を毎日.2~4個摂取しておけばサプリメントを摂取しなくても大丈夫なようです。
 私の長年の結論であります。お塩はヒマラヤ岩塩25kgで6580円のこちらの商品が一番お手頃価格でオススメです♪




大豆や卵で=アルギニンが充分に摂取できますし、
大豆+押し麦でアミノ酸スコア100でお肉やお魚と同じ効能があります。
カルシウムは、大豆+ツナ缶・サバ缶・秋刀魚の蒲焼等で問題ありません。

 ただ…L型カルシウムの粉状のサプリメントはかなりお値段が安いので、使ってみるのも全然アリだと思います。家計に響かない位のお値段ですし♪

栄養に対する考え方として、常に体中にミネラルを満たしておく♯♪
アルギニンは、卵にたっぷり入っていますから、毎日卵焼きをしっかり摂取するのが良いでしょう。お値段も、庶民の味方でお安いですし。
 
 あまりアルギニンとL型カルシウムを取らない状態を作らない、栄養欠損期間(ヽ'ω`)を絶対に作らない、ある程度の時間の間隔で確実に最低この2つの栄養を摂り続ける♪

という事が身長を伸ばす為に重要と考えております。

寝る方法についてですが、補足説明として、まず横向きで寝ると顔が伸びやすいそうです。
成長期は身長も伸びるのですが、顔が長くなる変化もあります。顔は短いほうがかっこいいですし、顔が伸びて馬顔にならない様に、横向きで寝るのは避けたほうがいいかもしれないですね♪

下向きで寝るのは身長が一番伸びない寝方だけではなく、顔が歪みやすいので、ルックスの為にもあまりいい寝方ではないみたいですねッ♪

 顔はいつもスマイルで♪、いつも笑顔でいると、顔を持ち上げるパワーが発生するみたいで、その持ち上げ力が、顔を長くする力に対抗する力となり、顔が伸びることを防いでくれるのは、確実にあるみたいですね。

 顎には力を入れない感じで、口角を上げる楽で…ゆるい感じの笑顔が、顔に負担がかからず、長時間キープがしやすくて、一番いいように思います。

身長のためにも、ルックスのためにも、一番良い寝方は、上向きで、足は平行、ひざ上は天井向け、お尻とかかとの間は、少し引っ張り気味、身長の体操をグッとやって、足が下に引っ張り気味の状態のまま、かかとで敷布団を引っ掛けてその状態を軽く維持しながら寝る、というのが良いようです。

肩からお尻の間は、引張気味だと、腰骨が変な感じになるので、自然な形で大丈夫です♪
手の位置は腰から三十度位離して、自然に伸ばして、掌を下にする形で大丈夫です☆⌒d(´∀`)ノ

足が引っ張り気味の状態を維持するためにも、下半身はパンツ(トランクス)みの半裸状態、ズボンは履かないで寝るのが身長には一番良いと思います(私の経験上ですが・・)

 後、上半身もあまり着過ぎない、服でモコモコした状態で寝るのは、自然な寝方に寝るのを妨げるので
やめたほうがいいかもしれませんね。

 冬の間、布団で寝ている間に使用していただきたいのが、電磁波カットの電気敷毛布です。お高い電磁波カットタイプが購入できない場合に、ノーマルタイプの電気敷毛布を使用する場合は、「ムーコンセント」を電源の間に挟むと大丈夫です。これで電磁波対策はバッチリです♪

 普通の人は、夏より冬のほうが身長が伸びにくくなる傾向がありますが、この電磁波カットの電気毛布があれば、体を冷やすことなく、薄着で寝れるますので、身長の伸びが鈍化する事を防ぐ事が出来ます。

 あまり寒くない地域のお方は、上から掛ける用だけでも大丈夫だと思いますが、寒い地域にお住まいの方は、上から掛ける用と、下に引くよう2つ使ってもいいかもしれませんね♪ここあたりはお好きにしていただいて大丈夫かと思います。

 あまり布団を沢山かけて、足に重みを与えている状態で寝るのは、足を伸ばすのにマイナスになりますので、なるべく軽くしてねるようにしましょう。

 この下半身が引っ張り気味で寝るというのがどうも足を伸ばすのに大変よいみたいです。

 イギリスで身長の伸ばすトレーニング法というのがあるのですが、その中で体を引っ張るという事をかなり重要視しています。ちなみに、この方法は効果があると言われているそうです。
 YouTubeで検索すれば動画も見れます。伸びなければ返金保証もしているそうです

 後、どの学校にもある高い鉄棒でぶら下がるのも、体を伸ばすのも効果があるそうです。
 寝ている時に、足を引っ張り気味にしておく、と言う事が身長アップに対して絶大な効果があるというのが実は、私の経験からも確信しています♪

 なぜかと申しますと、この足を引っ張り気味の状態で寝るのが大事と気づいてから、また一段と身長の伸びが加速したからです。この法則に気づいてから伸び方に不安定さがなくなり、伸び方が安定しましたから。

 例えば、夜トイレに行ったら、布団にまた戻った時に、左右3回くらい身長の体操をして、足を引っ張り気味にして、足全体が伸びた状態のまま、かかととかに引っ掛けた感じにして下さい。

 身長の体操については、私の体験上でも、寝る前はしっかり、左右10回はした方がいいでしょうね。もっと多くても良いと思います。

 ただ伸ばすだけではなく、五秒くらいのばしている間に、グッ、グッ、グッ、と手を一秒ずつ限界まで伸ばして、手足の筋をしっかり伸ばして、骨にしっかり刺激を与えるようにすると、より高い効果が期待できます。

 最後の数回は、足だけ思いっきりグーっつと伸ばして、足が伸びた状態をマックスに持っていけるようにやって下さい。それが一番効果が上がります。

 イスに座っている時も、同じようにストレッチ間隔で身長の体操をすると更に効果が期待できます。
 椅子に座ってするストレッチは大変効果的ですし、寝るストレッチよりかなり楽にできますので両方併用して頂けると効果抜群で良いでしょう。

 寝方でベストポジションがわからなくなった時は、枕をずらして、寝ている間に左右何回か身長の体操をして、足を引っ張り気味にしていい感覚を掴んだ状態で寝るようにすると伸長効果が最大になります。

追記 私の体験上ですが、人間の体の感覚として、足を引っ張り気味で寝ていますと、体がその伸びた感覚を正常にしようとする、つまり伸び切った状態を通常の状態として機能させようとする作用=足が伸びる、という変化が起こるようなのです。それがいわゆる『イリザロフ伸長法』と同じ効果を発揮してくれるという素晴らしい効果を発現させるようですね♪

 私は枕を使わないで寝ているのですが、身長の体操をしやすくするために、枕をしないで寝るほうが身長を伸ばすのに良いと思います。
(※ただこの点につきましては、お好みでどうぞ♪)】


【※2017年4月22日追記】 

 チョット前に、身長を伸ばす無双転生奥義を完成させましてから、ここ最近3ヶ月ほど身長の伸びが著しいです♪何だか翔平スタイル(193cm)も夢物語でなく、現実として可能な様相を呈して参りまして、大変感激な今日このごろなのですが、サクッとその無双転生奥義をご紹介させて頂きます♪

 少し前までは、左右手足伸ばし運動だけで頑張っていたのですが、寝る前の体操の流れの中で、まず左右手足伸ばし体操で前進をほぐしてから、

最後の寝る姿勢に入る前に、足だけつま先を下に向けて、グーっと左右どちらからでも数回伸ばして、伸ばした状態を維持したまま寝ると、左右手足伸ばし体操のみよりも強力に、脚がピンと張った状態を維持出来るみたいで、伸長法的にも、効果が驚くほどに倍増するのようなのです。

 自分の実感として確信できましたので、ご紹介する流れに至ったというわけで御座います。

 何回も脚のみで伸ばす運動をしていますと、体の位置ががドンドン下がってきますので、また位置を調整して上に体を移動させてから、また何回も実践して下さい。これを寝る前にしっかりして頂きますと、足を伸ばす伸長効果がさらに得られます。

 二、三分ほど脚によい刺激を与えてもらって、ご自分の思いも満足した所で、脚がピンと張った状態を維持しながら眠って頂くと、伸長効果が3倍(※当社比)程になるかと存じます。

尻から足先まで筋を伸ばしている状態を維持しながら寝るといい感じ♪

 普段の歩き方としては、がに股歩きはやめたほうがいいでしょう。
背筋をピンとして、自然に感じれる負担を感じないレベルで良い姿勢でいるのがベストだと思います。

 椅子に座るときも、内股、がに股、ではなく足の指先は自然な並行、もしくはすこし外向きな角度で自然に楽と感じれる角度がベストです。

 ひざ下の角度は斜めではなく、太ももとフクラハギの骨の角度が90度になるようにすると良いでしょう。

 筋トレのプロの方も言われていますが、成長期の筋トレは腕立て伏せが一番良いそうです。
 成長ホルモンを沢山分泌するためにも、一日、何回か間隔を開けて実践して下さい。

 最後に、沢山L型カルシウムを成長期に摂取すると、顔立ちも濃い堀の深い顔になるので、男前もアップしてよりかっこよくなれますよ。

 眉毛当たりを指先でトントンと叩くと刺激を受けて盛り上がるそうです。
鼻も同様、指先の肉球で軽くトントン(強くはしないでね♪)

 もう貴方もこれで深彫、鼻高の白人イケメンに♪(*´∀`*)
ヽ(=´▽`=)ノ~(∩´∀`)∩ワーイこれでみんなもコーカソイドの仲間入りなんだぁ~♪

皆さん方が思い浮かべる男前といえば、誰が思い浮かぶでしょうか
正統派な男前といえば、長瀬智也さん、岡田准一さん、加藤雅也さん、吉沢亮さん、などが思い浮かびます♪
いずれの方も堀が深いですよね♫

  外国人がかっこよく見える原因の一つに堀が深いというのがあります。
そうはいっても、人種が違うから堀の深さは変えようがないでしょ・・・と思われるかもしれませんが、

  実は誰でも、思う存分堀が深くなれちゃう、とんでもなくお手軽で効果抜群な方法が存在するのです
  しかも、身長を伸ばすのとは違って、掘深化の成功率は、ほぼ100%だと断言できます。

 私はこの方法を二年ほど真剣に取り組んできましたが、お陰様で現在は、純日本人なのに、横顔がトム・クルーズみたいに、おでこがボッコーンと盛り上がっておりまして、横顔が凛々しいかっこいい顔になれました♪
側面の厚い顔とか言われたことがあるくらいですから、本当なのです♪

ですので、自分で実践して大成功☆してますから、自信を持ってオススメ出来るのです♪

 平井堅さんも目がぱっちりじゃなくても、彫りが深いだけであれだけ男前に見えるのですから、誰だって彫りが外国人レベルまで深くなれば見た目が抜群に良くなって魅力的になれると思います♫

 女性の方も横顔がのっぺりしているのを気にしているお方など、良かったら実践してみてくださいね♪

男前の法則の中の一つに、彫りが深いという法則があります。
実は、努力でいくらでも深くなることが可能なのです♪

ネットのまとめサイトの方法を、私なりに改良し、自分で試して大成功した方法をご紹介させて頂きます♪
その名は「眉骨ゴリゴリ刺激法」といいます☆彡

 まとめサイトには、彫りをただとんとんと叩けばいいと書いておりましたが、脳にダメージが残りそうで怖かったので、叩かない方がいいと思って、自分で改良方法を創作してみました。

 初めては私も、叩く方法でやっていたのですが、いろいろ試行錯誤を重ねていくうちに、一番効果が高いと思われるところまでたどり着くことが出来ました♪

 その方法とは、まず片手の中指と人差し指を眉間の所に置きます。
そして、もう片方の手の。人差し指、中指、薬指、を揃えて眉毛のちょっと上に載せて下さい。

 その三本の指の肉球の所と、爪の先の所、を眉毛の上に平行に置いて、顔の中央部から、外側にかけて、爪と指の肉球で、眉毛の上の骨の所を滑らすように、中側から顔の側面に向かってゴリゴリ滑らして下さい♫

 外側へ履いた後、また三本の指を眉毛の上に乗せて、同じように外側へ骨を軽く押しながらゴリゴリ滑らします♫(※外側から中側ヘはゴリゴリするのは無しです)銀色のスクラッチシールを爪の先で削るイメージですると上手く行くと思います♬

左右で、その繰り返しをするだけで眉骨が刺激を受けてどんどん盛り上がっていきます。面白いくらいに彫りが深くなれますから、モチベーションを維持するのは大丈夫だと思います。

 2018年の最新のベストな方法が見つかりましたので、またそれも追加でご紹介させて頂きます。

 親指の第二関節の角っこを、親指を曲げて角度を作って、眉骨をゴリゴリするという方法ですが、簡単で効果がかなり高いようです。
 こちらの方法では、片手で出来るのと、力の入れ具合が調整しやすいという点で、かなり使い勝手が良いように感じました。

 私はこの方法を六年以上実践しておりますが、今では完全に白人種(コーカソイド)みたいな顔に変容致しました。自分で言うのもあれですが、めっちゃカッコいい感じです。

 誰でもお金をかけずに、100%彫りが深くなれますので、上記の2つの方法を組み合わせてゴリゴリしてみてはいかがでしょうか。
 貴方のフェイス(顔)が美形で魅力的になって、幸せ満ち溢れる喜びの人生になれますよう心からご祈念申し上げます。


眉骨をゴリゴリしてして彫りを深くしようと
思ったので、毎日ゴリゴリ刺激してみました。
眉上の骨を思いっきりこすって皮膚の中の眉骨を
指先でゴリゴリしたのですが刺激で盛り上がり
数年後、眉骨を前面に盛り上げた瞬間に母に見つかりました。
とりあえず平井堅だと言い訳したのですが
どう見ても西洋人です。
本当にありがとうございました。


おまけ情報(こちらは保証なしですが・・・)
鼻が高くなりたい場合は、鼻筋を軽くゴリゴリするとイイかもしれませんね♪(こちらは試してませんが・・♬)

 ひと目見ただけで分かるくらい変化するには、一応、3年程は見ておいて頂いた方がいいかもしれません♪急がず焦らず、楽しい未来を想像しながら毎日実践して頂ければきっと良い結果が現れてくるはずです☆彡

強くしすぎなければおかしくなることはないと思います♪
よろしければご参考にしてね~~♬♪

 最近では、アメリカだけではなく日本でも、子供を大きくさせたい親は、アルギニンを飲ませるのが常識になってきています。L型カルシウムと併用すれば魔法のようにどんどん伸びる可能性もありえますし、私は実際に188センチになれました♪

 ちなみにこの方法は、二十歳を過ぎた人でも効果抜群なのだぁ♪
私は三十を過ぎてからこの方法で10センチ以上伸ばしましたからねっ♬

【2019.3.15追記 現在は195cmになりました。トータルで22cm伸ばした事になりますね。左右手足伸ばし運動は効果抜群ですよ♪全人類に実践して頂きたい…そんな気持ちでいっぱいです♪】

あっ、ちょっと調子に乗ってしまいました(;_;)
・・・スビバセン\(_ _ ;)ハンセイ…

これで手足の長いモデルスタイルも夢じゃない!!
・・・かもねッ♪

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「主な飲み物のカフェイン含量」※150mlはコップ1杯くらい
種類             量    カフェイン量
コーヒー(炒り豆・ドリップ) 150ml      100 mg
コーヒー(インスタント)   150ml       65 mg
コーヒー(エスプレッソ)    40ml       77 mg
コーヒー(カップチーノ)   150ml       50 mg
コーヒー(ノンカフェイン)  150ml        1 mg
玉露            150ml      180 mg
抹茶            150ml       48 mg
紅茶            150ml       30 mg

せん茶                      150ml             30 mg
ほうじ茶1杯                 150ml             30 mg
ウーロン茶                  150ml             30 mg
番茶                        150ml             15 mg
玄米茶                      150ml             15 mg
麦茶・黒豆茶・杜仲茶・ルイボス茶  150ml        0 mg これはOK
ホットココア        150ml       50 mg
コーラ           350ml       34 mg
コーラ(ダイエット)     350ml       45 mg
栄養ドリンク(カフェイン入り)100ml      50 mg

板チョコレート        50g       20 mg

水分補給は、2Lの水にするか、もしくはノンカフェインの麦茶にするなど対策をして、カフェインの入っている飲み物はなるべく避けましょう。

炭酸飲料水は全般的に取らない方が良いと思います。
現在はメーカーごとに、ノンカフェイン飲料(コーヒー、お茶など)も
発売していますので、カフェイン量が心配な方はそういったものも
利用できるといいですね♪

究極の身長栄養食について

 究極の身長食は、実は日本食だったという嬉しい事実が判明しておりますが、もう何回もご説明しておりますが、簡単におさらいしてみましょう♪

玄米(※最低8時間以上水に浸けてアク抜きは絶対にしてね♪)
大豆(※同じく8時間以上でファイトケミカルを除去♪)
押し麦(※栄養が豊富な上に、食物繊維が玄米の3倍♪♪)
ビタバァレー(押し麦にビタミンB強化してお米の大きさに)
ヒマラヤ岩塩(※微量のミネラルで身長と健康が大幅アップ♪)
卵(※一般庶民の味方、一番お安くて高栄養なタンパク質♪)
魚介類(※痛覚がないので、スピリチュアル的にもOK♪)


 後は、ヒジキや昆布、ツナ、サバ、イワシ、シソワカメ、卵焼き、お味噌汁、梅干し、など健康に良さそうなものをバランスよく組みわせて頂いたらベストです♪

 あまり知られていませんが、押し麦やビタバァレーは、研ぎ洗いをすると栄養が流れ出てしまうそうです。ですので、玄米だけ先に研ぎ洗いしてから、最後に、玄米とビタバァレーを入れて水を入れて、そのままお米を炊くというのが正しい調理法なのだそうです。

 お高いサプリメントを摂らなくても大丈夫と、私の実体験で完全に証明されております。

これからの最先端身長栄養学は、「タンパク質とアルギニン」は、「大豆と押し麦」「卵焼き」「ツナ缶」「サバ缶」で摂取の方法がベストと変わりました♪

 大豆と押し麦で ”アミノ酸スコア100” になりますので、お肉類を一切食べなくても、健康と身長アップに必要なタンパク質は全てまかなえます。

 それと、「魚介類」と「卵」は、地球環境的にも優しく、体のタンパク質補給にピッタリ♪
私も、身長アップの栄養に、積極的に摂取しております。

 アルギニンとカルシウムの摂取に関しては、「大豆と押し麦」を主食にして頂ければそれだけで1日に充分な程に賄うことが可能です。私はその食生活のお蔭で、現在はもう195cmにまで成長しておりますので、再現性は高いと思われます。

 もう一つ油ものの健康ウラ技ですが、お手頃値段で、最高に健康な揚げ物を作れる方法もご紹介しちゃいます。それはオリーブオイルの二番絞りの油を使う事です。
 えっ、何それ!初耳!!…と思われるかも知れませんが、何と何と…

…オリーブオイルの二番絞りは通常の揚げ物の温度では、分子が不安定化しないので、揚げてもいわゆるトランス脂肪酸に変化しないのだそうです。

 ですから、油の害のない揚げ物を堪能できちゃうというわけなのですね。
これでついに、健康的な揚げ物という新ジャンルが出来ましたね(笑)

 身長に関する地球の常識がこれから変わってゆきます。玄米・押し麦・ビタバァレー・ヒマラヤ岩塩・大豆・食で究極の栄養をしっかり摂取して、私の最先端身長法を正しく実践して頂ければ、もう何歳からでも、貴方の望むがままの身長へ変容を遂げて頂けるでありましょう☆彡♪

 肉食をやめて「大豆と押し麦」と「魚介類」「卵」でタンパク質を摂取するのがベスト・オブ・ベスト♪
皆様、ぜひこれで健康と高身長を手に入れて幸せになっちゃいましょう♪

 補足秘話ですが、アトランティス文明末期から肉食をするようになってから、人類から霊的で精妙な感覚(第六感・波動感知能力、等々)がなくなっていったそうです。

 ちなみに、魚介類はその手のマイナス要素は一切ないそうです。プレアデス星人や、その他、高次元な宇宙人さんも魚介類は普通に食べているそうですし。

 痛覚のない魚介類は恐怖を感じないので、ネガティブな波動は残らないそうです。鶏さんから痛覚(死ぬ時の痛み)があるので、死ぬ時に、いわゆる「恐怖」の波動を持ってしまうため、ネガティブな波動が鶏肉に残ってしまうとの事です。

 その上、知花敏彦先生によりますと、肉を食べると、動物の獣性がアストラル体を汚して自我が強くなるそうです。

 感謝して食べるとその波動が消えるとも仰っておられますが、出来れば真理の追求者(光の求道者)の方は、肉食は控えめにされた方がいいかも知れませんね。


 厳格なベジタリアンは逆に体を壊しやすいと言われていますが、そのお話を科学的にわかりやすく説明してくださっている良質記事をご紹介させて頂きます。

 私は肉と揚げ物だけ食べない緩いベジタリアンなのですが、身長を伸ばすのも非常に重要視している関係で、タンパク質はしっかり摂取するように気を付けております。

 常識で考えて、「野菜と果物だけで生活して体によろしくない」のは一目瞭然でありまして、自分なりに栄養学的な見地や、健康とカルマの法則との兼ね合いのベストの所を模索・追求していきますと、

タンパク質は「大豆」と「押し麦」でアミノ酸スコア100を達成して、尚且つ、「魚介類」と「卵」をしっかり摂取していくとベストという結論に達しました。

 知花敏彦先生も肉の摂取は、アストラル体を汚して、動物の獣性が体内に入り込んで自我が強くなると仰っておられましたし、

高次元な宇宙人さん達も肉食だけはやめた方がいいと言われている点、心を浄化して精神を高める・体の周波数の波動を上昇していく観点からしましても、肉だけはやめておいたほうがいいかと思います。

 父親とベジタリアンについて話をしていたのですが、ベジタリアンの人は「食べない」というより「食べられない」という感じらしいよ~、って言っておりました。

 私自身も母親がシチューに入っていた小さい鶏肉を食べた時、せっかく母親が作ってくれたんだから「まぁチョット位いいかな~」なんて思って食べましたら、カリン塔でヤジロベーが超神水を飲んだような状態(笑)(※毒を食べたような感じ)

になってしまいまして、体質が変わってしまったんだなぁ・・と思った体験がありましたので、父親の言いたい事が実感として理解できましたねぇ。

 もちろん、霊性が進化していない、真理の理解の浅い、普通のベジタリアンの方はそんな事はないみたいですが……。

 魚介類は、ひふみ神示でも神国の民に許された食材と書いておりましたし、魚介類は全然問題なく摂取して頂いて問題ないと思われます。
 カルマも全然増えることはないみたいですし、魚介類は思う存分食べていただいて大丈夫ではないしょうか。よかったらご参考にしてみてね~♬

ほんとうに健康になる食事法は?
●タンパク質のとりすぎは体内のカルシウムを招く

 タンパク質のとりすぎが体に及ぼす影響はまだあります。穀物や雑穀物のタンパク質は食べすぎることはあまりありませんが、動物性タンパク質(肉)はとりすぎになりがちです。

 たとえばアメリカ人の場合、一日のたんぱく質の摂取量は平均90グラムです。たんぱく質の必要量は一概にはいえませんが、体重1kgあたり、一日に0.8gから1.0gというのが一応の目安とされています。

 70kgの男性ならば、56~57gが適量ですから、90gというのは摂り過ぎです。最近の日本人の摂取しているタンパク質の量は、アメリカ人よりも小さな日本人が、なんとアメリカ人に匹敵するくらいの平均79.7g(一日あたり)を取っているといわれています。

 これは明らかに過剰摂取です。このデータは1994年度の厚生省調査によるものですから、現在ではもっと多くなっているかもしれません。

 この過剰に摂取されたタンパク質はどうなるか。どんなに良質と思われるタンパク質でも、排泄されるだけなのです。摂りすぎた分は全部無駄になってしまいます。

 いや、無駄になるだけならまだいい。(特に肉食が多い)ムダなアミノ酸を分解して、尿として排泄しなくてはならないので、その役割を受け持つ肝臓とか腎臓に多大な負担がかかります。

 一方、(肉食によって)多量のアミノ酸が分解※されると、血液が酸性に傾くので、それを中和するために多量のカルシウムが必要となります。このカルシウムはどこから引き出されてくるかというと、からだの骨や歯からです。

(※「大豆と押し麦」は酸性にはなりません。魚介類の酸性への傾きは少なめです)

 こうして取り出されたカルシウムは、多量の水分とアミノ酸と一緒に、尿として排出されてしまいます。このようにタンパク質のとりすぎはカルシウムの損失も招き、その結果、不健康な体になり、病気にかかりやすくなるのです。

●肉や肉加工食品を多く摂ると、さらにカルシウム不足に

 肉や肉加工食品をたくさん摂っている場合、カルシウムの損失はもっとひどくなります。肉や肉加工食品では、カルシウムに対してリンの比率が圧倒的に高いからです。

 血液中では、カルシウムとリンは、量的に1対1または1対2のバランスで摂られなくてはならないという鉄則があります。 だから肉食に偏っていると、リンが多くなりすぎるので、骨や歯からカルシウムを抜き出して、バランスを取ろうとするのです。

 加えてリンがたくさん含まれている食品が多すぎると、腸内でリンとカルシウムが結びついてリン酸カルシウムが沢山できます。ところがこれは吸収できないので、排泄物となって体内から(※カルシウムが)出されてしまう

(※リンは加工食品・カップラーメン・コンビニのパンなどに多く含まれています。自宅で玄米を炊くのが一番、健康と身長に良いと思われます

 つまり、ここでもカルシウムが損失されるわけです。このように、カルシウムはダブル、トリプルでどんどん失われていくので、体内では当然カルシウムの欠乏が起こってきます。

 動物食の多い、一見豊かな食生活を送っている先進国の人達に、カルシウム不足か骨に鬆(す)が入る骨粗鬆症が多いのは、これが主な要因です。


農業をおびやかす温暖化

●地球の温暖化も農業環境をおびやかしている。小麦とトウモロコシは、気温が2度上がると収穫量は3分の1に落ちるという。

消えていく熱帯林

●今、世界の森林は激しいスピードで減少を続けており、深刻な状態にある。この10年間で実に1億5000万ヘクタールの熱帯林がなくなり、現在もなお毎年1600万ヘクタールが消失している。

森林伐採と焼畑農業が主たる原因だが、牛や羊など家畜の放牧地への転換もまた大きな要因となっている。アメリカなど先進国における畜産はフィードロット方式が主流だが、世界全体でみると、放牧による飼育の方が多い。

そして、そのほとんどがブラジル、ベネズエラ、などアマゾン川流域の中南米諸国に集中している。食肉を大量消費する先進国の企業が、これらの国で食肉増産のためにアマゾンの熱帯林を切り開いて家畜の放牧地に変えているからだ。

今日、アマゾンの土地に約600万頭の牛が放牧されているという。この数は、中南米8カ国の総人口の30分の1に相当する。世界の熱帯林の半分をアマゾン地帯が占めている。

そのうちの20パーセント(日本の総面積の3倍にあたる1100万ヘクタール)が、放牧地の開発ですでに失われている。

●この放牧地の開発は、中南米諸国によるアマゾンの商業利用計画が始まった1970年頃から急速に広がった。

各国の政府がアマゾン地域への投資を奨励したため、先進国のアグリビジネスが牛の放牧場の建設を目的に、アマゾンの奥地にまで殺到した。

土地の農民が所有する森林をわずかな金額で買収し、食肉生産のために熱帯林を切り倒していった。放牧地は、牛の群れに根こそぎ牧草を食べつくされ、養分や水分の枯渇、表土の流失を招いて、たちまちのうちに、種をまいても芽が出ないほど荒れ果ててしまう。

そして、放牧に使えなくなると、その土地は打ち捨てられ、牧場主は次の放牧地を求めて、さらに熱帯林を切り開いていく。
先進国の牛肉消費を支えるアグリビジネスの企てのもとに、こうした乱開発のパターンが繰り返され、アマゾンの熱帯林はどんどん減少していったのである。

中南米の中でも熱帯林の3分の1を占めるブラジルでは、1970年から10年足らずの短期間に40パーセントもの森林が消えた。

アメリカのワールドウォッチ研究所の報告によると、アマゾンで生産された牛肉からハンバーガー1個を作るのに、5平方メートルの森林が伐採されて放牧地に転換された計算になるという。


アマゾンの森林には、さまざまな動植物が生存している。地球上に存在するとされる約100万種類の動植物、微生物など全生物種の5分の1が、ここに集まっているとみられる。

もし、このまま森林破壊が進めば、今後25年間で動植物の約半数が絶滅の危機に瀕する恐れがあると言われている。また、熱帯林は、雨水を土から吸い上げ、葉から蒸発させて大気にもどすという雨水の循環作用を行なっている。

熱帯林が少なくなれば、その地域の降雨量が減るわけで、旱魃や砂漠化をもたらす。
南米の先住民の間では、「熱帯林が空を支えている。木を切り倒せば必ず天災が降りかかる」と、言い伝えられている。

熱帯林は、人間に多大な恵みをさずけてくれる資源の宝庫なのであり、我々の日々の生活がいかに熱帯林に依存しているかを深く心にとめなければならない。

今、残されている熱帯林が消滅してしまうとき、地球の生態系は完全に崩壊し、べての動植物は地上から永遠に消えることになるだろう。もちろん、そのときは人類も同じ運命である。


動物性蛋白質(肉食)
の知られざる弊害  船瀬俊介さん

 現代医学は嘘のてんこ盛りです。
 西洋医療は完全に崩壊しています。200年前に遡って、東洋医療のような自然治癒力を生かす医療に戻らなければいけないのです。

 そして近代栄養学も嘘八百なのです。ミュンヘン大学のフォイト教授は、「動物たんぱく質こそ最良だ」と言いました。

 彼はドイツ国民に、タンパク質は48グラムとれば十分なのに、2・5倍の「120グラムとれ」、しかも「もっと肉を食え」と言いまくったのです。

 だから今もなお、世界中に動物たんぱく質信仰、肉信仰があるのです。肉がスタミナ源だとマインドコントロールされている。
 その結果、世界中が栄養過多で病人ばかりです。アメリカがその最たるもので、その悲喜劇の発端はフォイト栄養学なのです。

 史上最悪の発がん物質は、動物たんぱく質だということが、コーネル大学のコリン・キャンベル博士の「チャイナ・スタディー」という栄養調査リポートでわかった。

 この動物タンパク質を10%から20%にしただけでガンが11倍に増え、5%から20%にすると約20倍に増える。動物タンパクは植物タンパクに比べて8倍も発がん性が高いのです。

 ですから動物たんぱく質をとる意味はまったくない。肉を食うと、大腸がんと乳がんの死亡率が4倍、心臓病の死亡率は8倍から10倍、糖尿病死亡率は3・9倍・・・。

肉を食っていいことは何もない
(※タンパク質の摂取は「大豆と押し麦」「卵」「魚介類」がベスト♪)



覚者・知花敏彦先生
意識は創造原理

 意識は創造原理ということを説明したいと思います。まず最初に意識とは何であるかを知らなければ意識は物をつくる力であり、原理であるのを知るのが不可能になります。

 誰でも意識を持っていますが、その意識が何であるのか判らないのです。どういう働きをしているのかということも、意識・意識とよく言いますけれども、意識とは一体何でしょうか。

 その意識がどのように何であるのかを知っている人は非常に少ないのです。意識がどのように私達に影響を及ぼしているのかを知らねばなりません。皆さん、意識のない人間は一人もいませんし、皆さん方は誰でも意識を持っています。

 意識があります。「意識」なくしては物は存在しませんから何でも「全部意識」を持っています。
 その意識が何故、物を作る力であるのか、また創造の力であるかを理解したいものです。

 「意識」とは一体全体何であるかといえば、
「神である」と答えるのが正しいのです。
「神」であり「生命」なのです。

 われわれはその意識を持っていなければ、われわれは今ここに存在もしませんし、生きてもおりません。ですから皆さん方は意識が無くなれば、物を作る力が無くなり力が無くなり物を想像する力もありません。

 この意識で物が作られているのです。われわれの意識が日常生活に如何ように影響しているか、この人は意識の高い人とか、低い人とかいう言葉で表しています。

 意識の高い人とはどういうことを意味しているか、意識が高くなれば高い表現をしますし、低くなれば低い表現をします。この世は表現の世界で現象界ですから物が現れるのです。

 イエスは「創造の場と創造の力は皆さんの内にある」といわれました。
その創造の場と力も自分の内あり、その創造とは夢の中において行われるものであって、過去のものでもなく未来のものでもない。
 それがいま皆さんの意識状態だということです。

 ちょうど皆さん方は今ここに意識が向いて意識が働いて具現している訳でして、皆さん方の日常生活の一分一秒間に意識が働いて物を創造しているのです。

 即ち「意識そのもの」が「宇宙を創造している」のです。物を作り出しているのです。

 低い意識状態の者は低いものを結果的に創りだして高い意識状態の者は高いものをこの地上界に具現していくのです。造り出すのです。

 皆さん方は神意識という言葉を宇宙意識・普遍意識とかの言葉にして言いますが、神意識とは一体何なのか、皆さん方は神意識になりたいとう希望がありますが、神意識が何であるかが判らないと神意識にはなれません。

 神意識とは「我れ神なり」と自分は神であるという意識をしている人が神意識です。

 普遍意識とは何かといえば、自分が普遍意識的な存在であるということを普遍意識というのです。我、神なりといっているならば神意識です。

 そして我人間なりと意識している人は肉意識と言っているのです。
だから「想念は実現の母」とイエスはいっております。

 想念がものを作る、想念は力である。
想念が私達の日常生活の中に環境に全てに現れている。

 私達の意識そのものが神の想念ですから、正想念を常にもち良い想念を持っていますといい結果が現れます

 これを自由意志といい人間には悪いものを意識することも、良いものを意識することも、全て与えられているのです。
 
 それを自由意志、自由選択といいますが、皆さんの日常生活の中に現れているのです。

 想念が高いというのは、理想が高いとか、理念が高いとか、意識のことを理念とか理想とかいうことでも伝えられています。

 理を思うこと神を思うことも理想です。理に叶ったことを常に思うこと、神の意識は完全意識ですから完全のみを思い続けているのです。

 神の意識は不完全ではありません。神意識とは完全意識。何故、神は完全なのかといえば完全のみを意識しているから完全なのです。

 われわれ人間は何故、不完全性が現れるかといえば不完全を意識するから不完全が現れるのです。

 不完全を意識しなければ不完全は現れないのに不完全なものは作らないのに、人間には不完全と完全という自由意志があるが故に不完全も意識して、完全も意識しようとする両面を持っています。

 神に不完全という意識はありません。完全だけを意識しています。その意識は皆さんの中にある。

 それを自由意志・自由選択でもって完全なものを作り出すか、不完全なものを作り出すかは、皆さんの自由意志です。

 皆さん方が常に創造性を完全なものに向けて完全意識を持っておりましたならば、完全状態が皆さんの日常生活に現れを持っておりましたならば、完全状態が皆さんの日常生活に現れてくる筈です。

 ですから創造の場も、創造の力も皆さん自身の中にあります。その意識が全てのものを作り出していますから、その意識のことを内なる神、即ち内在神といわれているのです。

 皆さん方が低い状態のものを意識すれば低いものが現れ、高い状態のものを意識すれば高いものが現れます。そして意識の高い人というのは想念が高いのです。

 今までは我は肉なりという肉意識を持っていた人が、我は大霊なり、
我は大生命なり、普遍なり、無限なり、大宇宙そのものなりという意識状態になった時、意識の高揚、意識の拡大というのです。

 そして今、私達はどこに意識をしているのですか、結果の世界とか低い状態のものを意識しているならば意識の低い人というのです。低いものばかりを意識しているならば、低いものが現れます。

 私達が神のような完全意識を持ちますと日常生活に完全なものしか現れません。意識が完全意識を持ちながら、皆さんの日常生活に不完全が結果として現れると思いますか、皆さん方は自分が思っている通りのものでそれ以上のものでもなく、それ以下のものでもないのです。

 皆さんの意識状態が皆さんの日常生活に現れている。その意識を常に高い所に留め置かれて、高い所を意識していますとそれが日常生活に現れてきます。皆さん方の自分自身を決めているのは自分自身であります。限定することも開放することもできるのです。

 皆さん方が宇宙意識を持っているか、自分が宇宙そのものであり、大霊そのものであり大生命そのものであると、普遍的なものであるとそのように意識を持っている人は意識の高い人です。

 我は人間なり、我は肉体なりと思っている人は意識の低い人といえます。ですから皆さんの意識が今高い状態に留め置かれているのか、低いものを意識しているかによって、結果としてこの地上階に現れるものも、想念で皆決まってしまうのです。

創造の場と創造の力は汝の内にあり」といわれ、想念は実現の母といわれるわけです。皆さん方は何をするにも行動より想念が先ではありませんか。

 どこどこへ行きたいと思って初めて行動を起こすのではありませんか。想念が全てこの肉体を支配しているといえます。

 また想念は力であるといえます。例えば盗みを働く人ならば盗みたいという意識想念を起こした時、盗みという行動を起こすのです。皆さんは思った通りの行動しかしません。

 意識がすべてを決定づけている意識が肉体の支配者であります。
汝の主は意識なり」といえます。

 例えば、自分は病気だと支配者が意識すれば必ず肉体は支配下は病気を表現してくれます。苦しいと意識状態を起こせば肉体は必ず苦しみます。

 嬉しいと想念が思えば嬉しい表情をしてくれます。それ以上のものでもなく、それ以下のものでもない。

 そのままの皆さんの意識が、心が、この肉という表現の世界に現れてくるのです。肉体は意識の表現媒体であるといえるのです。

 そして全ては意識がものを創るのです。意識の力が理想を達成させるのです。理想を高く持つということは、意識を高く持つことで、意識を高く持つものは成功し、失敗するものは意識が低いのです。

 想念はものを創るというのはこのことを言っているのです。
この三次元は現象世界といい意識を表現する場所であり、その表現する力でもあり、この「意識」が「内なる神」というのです。

 どんな行動でも想念が主であります。われわれは日常生活の一分一秒の中で想念が非常に関係していることを知らねばなりません。ですから想念をコントロールすることを大切にせねばなりません。

 正しい意識のコントロール、即ち正しく使うことを正想念といいます。正しい想念は正しい結果が現れます。

 私達は思っていることがこの地上階にいくらでも具現できるのです。自分の理想を思い続けていますと肉体はその完成のために必ず働いて実現できます。

 心の次元は霊の次元ですから、思いを起こしていきますと、霊の次元で創られた雛形の青図面は必ず現象世界という結果の世界に現れてきます。

 想念の世界はまた、霊の次元です。霊の次元で創られたものが、結果として三次元という物質界に現れるのです。

 霊の次元の想念は如何に大切化ということになります。だから外界というのは内界の投影・投射に過ぎない結果の世界に過ぎないということです。

 想念の結果、意識の結果がこの世ですから、見える世界はすべて結果世界ですから、心の影とまでいわれるのです。

 外側は内側の結果です。その内側は意識であり想念ですから想念の場、ものを創る原理は私達の内にあるのです。その想念、意識をどう正しく使うかが問題です。

 その想念を自由意志により、ある者は悪想念を起こしますと、結果は悪として生まれる、盗みを働きたいと思えば盗みという結果が現れる。

 想念の世界は霊の世界、即ち神の想念は正想念なのです。その想念は人間が創り出したもので、自由意志で自由選択で創り出したもので、常々に心の中に完全ビジョン、即ち完全想念を描いていると霊次元で図面ができるのです。

 それを絶対に疑わず待っていると霊次元で図面ができるのです。その想念の管理、即ちコントロールが非常に大切なのです。

 想念が低く理想も低くて、生きるのも嫌だと思い続ければ必ず死にます。自殺でもしようか、生きるのも嫌だ嫌だと、常に嫌だという想念を持っていますと、肉体も嫌な表現をします。顔に表現が出ます。

 顔ばかりでなく出て来る波動も暗い波動が出てきます。その意識が日々の1分一秒によって物を作り出していることを知らねばなりません。皆さん方は建設もしますが、破壊もするのです。

 例えば物を買ったとしましょう。これを買って大丈夫だろうかと心配します。せっかく物を手にして具現したものを色々と金が行き詰まってしまって、どうのこうという時にはき的な想念を持つものです。

 そんなことは持ってはいけないのに自分で創り出したものを、自己破壊してしまう想念を創り出し結果として現れるのです。

 私達の全ての人は思っていることの意識が現実に現す超能力者です
超というのはこの世から離れたものの想念の世界で超意識です。それを創り出しているのですからこの世で超能力者で無い人は一人もおりません。
 
 すべて霊的力その想念の力がものを具現しているのですから、物質界という世界に物を創造して作り出しているのです。
 ですから超能力者であるのです。
その「超能力という超意識が神意識そのもの」なのです。

 それが誰でもその中に霊的力があるのです。それを霊能力といっているのです。想念の力そのものが霊能力というのです。

 その霊能力を正しく使えば運命が良くなりますし、破壊的に使えば運命が悪くなります。

 その想念が悪くなれば運命も悪くなります。意識が低下すれば、破壊的に使えば、結果的に日常生活で身体の中に現れてくれます。

 皆さんが完全意識をもてば自分の周囲に環境にすべてに完全なものが現れ、不完全意識を持てば、周囲に環境にすべてに完全なものが現れ、不完全意識を持てば、周囲に環境に不完全なものが現れてきます。

 何故、皆さん方は常に善意に完全意識を持とうとしないで、せっかく恵まれた幸せを崩すのですか、創ってみたり崩してみたりして、その苦しみを体験しておられます。

 神のように常に不動なる完全意識を持っていましたならば、運命に環境に全て完全なるものが現れます。それは、あなた方の想念如何に係わっています。思っている通りであってそれ以上のものでも、それ以下のものでもありません。

 今ならこの意識がものを創る力であり、創造原理であるのが判りましょう。神が一切のものの創造主であるように創造主の力が、皆さん自身の中に留め置かれているのです。

 皆さんが今、理想として自分という意識が想念がはっきりとものを創り出すことが、理解しておられるならば決して破壊的想念とか、低い想念は持たないと思います。

 今、ここに皆さん方の集まりの場が出来上がっているのは、誰の想念の力だと思いますか。それは私、知花の想念の力によります。

 これは沖縄にいる時にはっと閃きまして、即ちイメージが湧きまして、山梨に行って、こういう話をやらねばならないという思いが起こったので、この肉体が行動して1988年10月にここに来ました。こうして私の想念が具現して、そこに現れているのです。

 これは私の想念の結果であって。皆さんは知花の話を聞きたいという想念の結果が今日という結果が今日という日を招いたのです。

 ですから偶然なるものは一つもないのです。すべて必然なのです。霊の次元で起こったものがこの三次元という次元に必然に起こるのです。

 想念の世界、意識の世界は霊の次元ですから意識は霊ですから、想念は霊ですからその霊という原因の世界で組み立てられたものが結果の世界という三次元に物が具現されているのです。だから肉体というものは、はっきりいえば霊の操り人形なのです。

 表現媒体ですから、その表現している霊、即ち意識がなければ皆さんという操り人形はここに存在することはありません。肉体は想念の操り人形に過ぎないということです。想念に振り回されているのです。
 
 この肉体は食べることも寝ることも排便も全て想念が肉体に命令して行動する。意識が肉体を支配しているのです。
 日々の一分一秒でも、意識が働いて肉体を支配しているのです。
 あなた方の肉体から一分一秒間でも意識が働いていない時はありません。肉体から意識は離れません。

 皆さん方は常時、考えたり思ったりしています。それを正しく思い考える意識が如何に大切なことだといえます。

 この地上界に正しく念ずる事が出来るか、思う事が出来るかによって我々はこの地上界に正しく表現するか、悪い表現をするかだけのものです。

 自分自身を良くするも悪くするのは誰に責任がありますか。この責任を誰が負うのかは明白です。全て自分自身が創った環境であって、自ら創った苦しみであって、誰が創ったものでありません。

 あなた方は全てのものを創る意識がありまして、その意識がこの世の結果としてものを創り出していますから、皆さん方一人一人が創造主です。

 神は皆さん方を通じて、ものを創造していらっしゃるのではありませんか。このことがはっきり判りますと意識がものを創り、その意識が神であることが判ります。

 意識世界がものを創り、その意識が神であることが判ります。意識世界はものを創造するのであり、皆さん方の中に意識があり、その意識が神であり、創造主である力を持っているのです。

 そして無限の力を人間のみに与えられています。鉱物・植物・動物には与えられていません。鉱物・植物・動物には決まった一定の創造のみしか与えられていないのです。ですから悪くも良くもなりません。

 彼らは花ならば、その花以上のものには良くはなりません。また悪くもなりません。それは自由意志がありませんから。

 われわれ人間には物を得る力・全て引き寄せる力。創造する力があります。この世に鉱物・植物・動物を作ってその支配者として神さまは人間を創られましたが、われわれ人間は万物の支配権を持っています。

 しかし私たちは万物の低能となり下がったのです。創造の力が低下してしまい、想念の力が低下してしまいまして、悪い表現、悪い結果を生み出してしまったのです。意識の使い方が非常にヘタなのです。

 常に私達が完全意識を持って、完全ビジョンを持っていたならば、目の前にも環境にも素晴らしい物が現れますが、私達のビジョンが狂ってしまえば狂ったものしか結果として現れません。
 神のビジョンは完全ですから良いことだけが、どんどん興ってくるのです。

 神意識そのものになりましたならば、完全意識そのものになりましたならば、やることなすこと、全てが上手くゆくのです

 上手くゆかないのは何がそうさせるかといえば、もう大変だこれは躓くのではないかという意識が躓かしているのです。これはもう完全意識ではないのです。

 例えばある企業を経営しているとしましょう。そしてその経営者が倒産するのではないかという、思いの倒産する状態のビジョンを描いたとするならばその会社は誰が破壊しようとしていますか。

 その会社を自分が建設したのに自分が自己破壊していることになるのです。そのような思いを持った社長の会社に入ってはなりません。必ず倒産します。

社長の想念の世界には霊の世界には潰れるという青図面として出来ているからです。

 その想念を変えない限りアカシック・レコードといいまして想念形態といい、霊の次元ではその人の運命として想念形態が霊の次元では青図面としてあるから、それが具現してこの三次元に現れるのです。

 その人が持っている想念形態を観ればその人の運命と想いが判るのです。

 その通りのものが三次元の地上界に現れますから、悪ければ破壊的意識を持っていることや悪想念の破壊的な想念意識を持っているのが判るのです。

 その想念意識の部分を徹底的に直すことによって、その会社を潰さずに生き返らせることが出来ます。その想念意識を変えない限り確実に潰れるのです。

 霊の世界・想念の世界では潰れることが判っても、三次元の世界はゆっくりとしか現れません。それはバイブレイションが違うからです。

 思ったことがすぐに実現するのではありません。霊の世界で潰れることのビジョンを作っているのですから、潰れるのが当たり前なのです。

 夫婦の離婚もそうです。私達の夫婦はもう仲が悪くなったから、こういう具合に離婚していくだろうとイメージを創るのです。
 分かれたときの準備・お金・住む場所などのビジョンの世界を創ります。

 その通りのものを肉体は働きますから結果として地上界に実現させるのです。とんでもない間違った状態をビジョン化するのですから。皆さん方は創り主・創造主です。

 いま現に皆さん方は物を創造しています。だから創造したものが日々の生活の中に現れるのです。ですから常に良いものを創造し建設してゆかねばなりません。

 最初は夢でもいいのです。夢が実現されていくのです。不可視の世界が可視の世界を創っていくのです。

 皆さん方は宗教で救われるものではありませんが、宗教をやったら幸せになるという意識を持ったならば、どんな宗教でも間違った宗教でも、幸福に成るという意識であるから成るのです。

 宗教でよく病気を治すといいますが宗教が病気を治したのではなく、病気の本人の意識が治ると思っているのですから治るのであって宗教では治りません。此の宗教に入れば治るという意識が結果として治したのです。

 ですから「の信ずる通りなり」といわれるのです。宗教そのものに力があるのではなく我が内に力があるのです。
 幸せになるのも健康になるのも自分自身なのです。

 薬でもこの薬を飲めば病気が治るという意識が大切です。こんな薬は飲んでも治らないという意識があれば、飲んでも治りません。
 それほど意識の働きが重要です。「汝の信仰、汝を活かす」のです。

 自分を活かすも殺すも自分の意識次第です。ですから皆さん方はその意識を常に正しく使うことが大切です。

 その意識を建設的に使い破壊的に使わないことです。同等の力ですから、原理ですから、創造の力も創造の場も皆さん自身の意識次第ですから。

 どういう意識をもてばいいのかそれで運命も決まるのです。常に建設的な意識を持つことが救いになるのです。その救い主が皆さん方の中にあるのです。

 その救い主こそ唯一の救い主です。
だから「汝の救いは汝自身なり」といわれるのです。
神は自らを助くる者を助くる」といわれる意味です。

 嬉しい嬉しいと毎日思い続けている人は毎日が嬉しいのです。また悲しい悲しいと想い続けている人は、毎日が悲しいのです。

 嫌だ嫌だと思えば毎日イヤなのです。それはどうしてだと原因をいえば、意識であるということです。

 肉体は意識に絶対服従ですから、嬉しいと思えば顔はニコニコします。嫌だと思えば嫌な顔を肉体が表します。
その表現は皆さんの心次第です。その心が意識だという事です。 

   この世は心の影とか意識の鏡などというのです。私は意識の高い人ですといっても、その人の日常生活をみれば現れているものが不調だらけやら不完全なことが多いならその人は嘘であると判ります。

 悟りとは常に完全意識・神意識までに到達するということです。ですがその使い方が問題なのです。不完全を意識しながら結果的に完全を得たいと思っても、得ることはできません。破壊的な力と建設的な力は同一の力です。

 戦争を起こしているエネルギーと平和のエネルギーは同一のエネルギーです。
 それは本人の意識次第によって、ある者は戦争を起こすのに使い、ある者は平和に使っているだけなのです。あなたの心が平和であるか不調和であるかは意識次第です。

 自由意志・自由選択で皆さん方は使っているのです。どうか皆さん方は自分で自分の自由を奪わないように自分を開放して頂きたいと思います。

 私は小さい頃から失敗という言葉がないのです。失敗したら成功だ、こういう事をやるとこういう結果になるのか、これは発見したのだ、新しい発見だ、やってみたから判ったのだ、と何時も希望があるのです。

 何時も発見して行くのです。マイナス思考がないのです。ものを何時も善意に善意に解釈していくのです。

 皆さんも常に善意に解釈して良い意識を持てば、良い結果がどんどん生まれてくるのです。そうすれば悪いものが無くなるのです。

 悪い荷物から開放されるのです。お金も今はなくっても何時かあるようになると思えば必ずあるようになるのです。

 何時も無いと思えば無いのが当たり前になってしまいます。無くっても有る意識がお金を生み出すのです。

 自分に無くっても銀行に有るそれを利用すれば良いはずです。誠心誠意によって土地なりの担保でお金が借り入れできて、そのお金でものが実現するのです。意識の力によって出来るのです。

 この現象界でこのものを買ったからどうなるという低い意識、破壊的な想念を持たないことが大切です。素晴らしいものが興るのだという意識が素晴らしくするのです。

 夫婦でも結婚して良い家庭、良い子供が出来るように、常に完全意識・完全ビジョンを持ち合わせていると必ず具現するものです。

 この世の三次元に現れるのです。結果の世界に現れるのです。それが皆さんの真の祈りです。想念、即祈りです。

 皆さんの想念が何故実現しないかといえば、その想念をすることも少ないが、払い下げることも早いのです。

 例えば、この前まではこういう場所にこういう家を建てて住んでみたいと折角思っても、すぐに駄目だと、霊の次元で青図面を描いても、それを具現するまでは常に高い意識に留めおかないと実現しません。
 結果が今出ないといって意識を払い下げてしまうと実現はしません。

 霊の次元で描いたものは必ず実現するのだというビジョンの意識を高めていれば必ず実現するのです。霊の次元と、この三次元とはバイブレイションが全然違いますから思ったことがすぐに現れるものではありません。

 しかし皆さん方のバイブレイションが、神への信頼感を持つようになって、高いバイブレイションとなったならば祈りと結果はすぐに一つになります。

 ですからイエスのバイブレイションの高さによってこの世にものを具現するのも、祈りとその結果はすぐに一つとなったのです。
 
 われわれもそこまで完全意識になれば、すぐ即祈りと結果はその場で一つになるのです。祈りと個体は一つになるのです。
 それがその場で具現する時代がやってきます。

 皆さん方がバイブレイションが低い限りにおいては相当の時間を要しますが、イエスみたいにバイブレイションが上がってきますと、その同じバイブレイションが働きますから、すぐそこでものが具現するのです。

 ちょうどイエスが三千人か五千人かのひもじい人々にパンを分け与えられたというのは、このビジョンを描かれたのです

 想念の霊の力で意識を起こされたのです。
神の意識と同通しておりましたのです。

 それが実現されて三次元的に、このパンが三千人か五千人位の人々に分け与えられたのです。

 それはその人の想念の高さ、意識の高さがバイブレイションの高さですから、皆さん方が常に意識が高い所に留め置けば、常に意識が高いということで、バイブレイションが高い人だということです。
 
 皆さん方は、たまには意識を高くするのですが、すぐに落として低くしてしまう。低い意識状態を起こしてしまいます。

 どこかのエレベーターのようなもので、今日は高い意識状態であるのに何か周囲で悪いことが起こると、すぐに下の方の地獄に落ちてしまうという結果、それを「善悪の知恵の実をまだ食べている」というのです。

 絶対善・絶対完全の意識状態を不動心といいまして留め置くことが大切です。これを神が私のハートに定着されたと完全性が定着した、完全意識状態のみが定着したことを「我がハートに神が着座なされた」というのです。

 不完全な意識は神の意識ではありません。神意識とは何かといえば完全意識です。

 常に皆さんの意識の中から不完全性も無くならず完全性も持ってなく、完全も不完全も思うならば、結果も全て完全となって現れるのです。

 ですから意識がものを創っている力であり、創造の力である。創造の場も、創造の力も、我が内にあると日々一分一秒間の意識の思いが、如何にわれわれの日常生活に影響しているかを知らねばなりません。

 皆さん方の今日という1日1日を完全な意識状態に留めて置くことが、絶対に成さねばならない。

 この世に現れる創造の原理であることを知り、正しいものを創造しているか、悪いものを創造しているかは、皆さん自身であることを知って戴きたいのです。

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人間の霊体の読み取り方(超能力神秘話が満載です♪)

宇宙霊とのチャネリング(宇宙意識に到達したお話も♪)

【おまけ】ヤムチャ・パラレルストーリーです♪
もう…面白すぎて…アニメ化決定してほしいです(笑)

 では、人間と神の関係はどうなのでしょう。
本来は「人間と神の関係さえもない」という事です。

 この説明のためにテーマをつけて書いたものであり、
関係さえもなく、「一つの存在」であるのです。

人間と神」は、「即、一体」の存在であり、
我々」も「神の存在」であり「神そのもの」であったという事が分かるのです。

我は神なり」。「我は生命なり」。我は神理なり。と。
我は神(の一部)であり、我はキリスト(宇宙生命)である」という悟りに至らなくてはならないのです。

「全ては神=我神なり」という真理♪

意識の進化=愛の拡大=分離意識の克服=
我は全体なり・全体我なり=全一体・自他一体=

全ては私=全ては一つ=全ては一つの存在の現われ=
宇宙は一つの生命体=全てに神(宇宙生命)が宿り給う=

宇宙は神一様=全ては神の中の存在する一つの存在=ワンネス
全ては永遠に一つの存在=全ては一つ=全ては私=全ては神

全ては今この瞬間しか存在しない=全ては永遠に一つの存在=
永遠の始まりである神の御心のみが実在=今即天=今即実在=

大愛・宇宙生命・神の一人子である神我キリストのみが実在=
全てはこの瞬間に存在する宇宙生命そのもの=全ては神そのもの=
全ては神ご自身=神一元・愛一元・光一元=宇宙即我=我神なり


調和=愛の法則そのもの=罪なきもの=完成=幸せな人生に
不調和=愛の法則を犯している=業・罪=カルマの精算が起きる

愛と赦し=調和=愛=幸せ・健康=完成=中性=完全=光人間
恨み・憎しみ・争い=不調和=罪=病・災難=不完全=闇人間

愛と赦し=カルマの消滅=神の祝福=幸せなツイてる人生に
許さない・恨み・嫉妬=カルマの刈り取り(不幸災難)な人生に

調和人間=愛が深い人=愛の光そのもの=克服者キリスト=完成
不調和人間=恨み・嫉妬・責任転嫁闇人間=罪人=未完成

調和=光明世界・愛の王国=愛・光・善=平安と安らぎ・至福感
不調和=無明世界・闇世界=未熟な愛=不安と恐怖・飢餓感・不足感

調和の人は熟した魂=自分を愛するが如く他人を愛します=ワンネス
不調和な人は未熟な魂=他人を責めて非難します=分離意識


 イエス様は「愛は天と地の架け橋」とおっしゃられました。その愛とは「許しの到達点」である「慈悲と愛」で御座います。

 真の意味で貴方が、その「許しの到達点」の境地に到達した時に、自ずと「天である神」と「地である貴方」との架け橋が繋がる事でありましょう。私は実体験からそれが実際にありえると確信しております。


愛は天と地の架け橋  この愛の理解と体得が神様と繋がる鍵♪

神・大愛(天)……全てを活かす愛・慈悲と愛・すべての形態を形作る力・意識を与えて下さった魂の根源・真の親・すべてを活かし育む力、縁の下の力持ちで全てを愛し慈しむ無償の愛・無限の愛・すべてに意識を与えて下さった天の父であり天の母である中性エネルギー・真の親・愛を表現する為に…無限の創造をなさっている慈悲と愛そのもの

神の表現体(地)……神が神を愛する為に生まれた存在・神の化身・愛の化身・神の表現体・神の中に創造された神・個別化した神としての自覚に覚醒めた我・滅私して神の道具意識を自覚している我・自分が神ご自身だと悟った我・愛を表現する為に生まれた事を自覚している我、全てを100%の愛で愛する我、自分と全てが神以外の何者でもない事を自覚している我


第六密度以上の高次元存在が語る
「許し」というものが、カルマの輪を止める事になるお話

★ コーリー : 多くの人々が現生のトラウマだけでなく、過去生のトラウマにも対処しているところなのです。

今、地球に生まれて来ている多くのライトワーカーは、援助の為により高次元や、上の密度から降りて来た人々です。

現生が初めての人でも、高次の美しい場所からここへやって来た人にとっては、ここでのトラウマは10倍酷(ひど)く感じられるものです。

そして、長期に亘(わた)って輪廻転生を繰り返して来た人の場合は、更に解消しなければいけない過去生のカルマが加わります。

しかし、ブルーエイヴィアンズから言われたのは、トラウマを特定し、自分にトラウマを与えた人や自分自身を許すこと、

そして、この”「許し」というものが、カルマの輪を止めることになるということです。カルマがなくなるんです。

これは、エネルギー的なものです。
カルマとは」負債を支払うようなものではなくて、
許してエネルギーを解放するもの」なんです。



カルマとは宿題・魂の課題・許しによって消滅♪
……………………………………………………… 
「許し」を心から実践=カルマの輪を止める=カルマがなくなる♪

自分にトラウマを与えた人や、自分自身を許す==
             ==魂の課題を克服=カルマが消滅♪

許す事によってエネルギーを開放=カルマの克服・解消に♪


ケイシーリーディングから…♪

全身全霊で「神を愛する」大切さ
「神を求める祈り」をする大事さのお話

 エドガーケイシーは、宗教生活についてそのもっとも美しい表現の中で、この事を次のように語っています。

あなたがたは心を尽くし、思いを尽くし、体を尽くして汝のなる
(大生命・内在の神)を愛し、隣人を汝の如く愛するのである。

このキリストの与えた言葉が法則の全てである。
それに優るものは存在しない

 主が約束されたように、あなた方は
来る日も来る日も明想し、「祈りゆく」うちに到来するあの目覚めによって、
主(宇宙生命)が自分の意識の中に留まられる事を知る事が出来る
神我が中にまします・父と子は常に一体)。

 あなた方はこの目的のために、
主が臨在し、その御霊(キリスト)があなた方の中に留まるあの意識を、
あの自覚を讃えるために生まれてきたのである。」

自我・偽我 =表現者、原因である父なる神を忘れている状態(放蕩息子の状態)神理を知らない状態・自分の力で生きていると思って迷っている状態、肉体の己を自分と思っている我、分離感・分離意識で個別化された表現を別個の存在と認識している我・分離意識・エゴ・肉の感化、五感の感化を真実と錯覚している我・迷いの影、幻、幻想(マイヤー)・自己保存、自我我欲の心


真の自己(真我)=父なる神と常に一体の境地・ワンネス意識・全一の意識・神我キリスト、全ては自分、全ては我、全ては神、全てを愛する我に目覚めた状態・宇宙生命によって生かされている事を自覚して実感している我・私が生きているのではない、なるほど一つの生命である神が生きていらっしゃる、全ての知恵と力は神から与えられている、神の中身は神、全ての全ては本質的には神、神のみが生きてらっしゃるんだなと悟った我・神一元・愛一元・光一元・我神なり、全ては神なり、全てに神を観る境地・神は生命(霊)なり、我も生命(霊)なりの自覚・宇宙即我、キリスト意識・高我・実在・全てを愛し全てを許す境地・慈悲と愛・あなた即私・私即あなた・宇宙エネルギー即自分・無限即我・不変不動の絶対なる実在・普遍なる宇宙・無限者・宇宙神




 タピオカ屋さんを恫喝した人を見て頂ければよくお分かり頂けます。
言葉遣いの品性」と「人間性・霊性」は、ほぼ完全に比例しております。

言葉が汚い・悪い」…というだけで、もう「それだけの人間」という事です。
まともな言葉遣いも出来ないわけですから、人間として三流・四流なのは明白と言えます。

 言葉の汚い人・悪い人とは関わらない方が無難です。
言葉遣いが悪い=低波動」の判断は、誰にでも出来ますから、これも人生の災難を避ける、一つの波動リトマス紙として頂ければ、人生のリスクを減らす事が出来ましょう。
 「君子危うきに近寄らず」…ですね♪

 シルバーバーチの霊訓でも、「高級霊」は「言葉遣いが綺麗」で、
低級霊」は「言葉遣いが汚い」、と仰っておられます。

 覚者級の偉人「ブルーシャ西村様」も、神様に愛される生き方のご著書中で、本物の…素晴らしい成功されている方々は、
例外なく皆、言葉遣いが丁寧で綺麗だと仰っておられました。

やっぱり…本物の方の言葉遣いは、
丁寧で心地良い話し方」に「自然に」なります。

 「まだなってなければ」、まだまだ未熟だと言えましょう。
申し訳ないのですが…まだ「それだけの人間」という事です。

綺麗な言葉遣い=高い波動状態(ポジティブ)
(天皇陛下・皇室の方々の敬語・上流階級・紳士・淑女・上品・気品がある・品性・高級・丁寧な敬語・本物・意識が進化した人・格調高い・礼儀正しい人・麗しい・ホワイト企業・一流企業・心地良い言葉遣い・感謝・ありがとう・祝福・褒める・至福・喜び・尊敬の念・穏やか・優しそう、慈しみのある話し方・赦し・控えめ・謙虚・慎み深い・素敵な人・丁寧な人・愛が溢れている・気分がいい・内面の輝き・天使・優しい人・気分がいい時・上機嫌・分かっている人が使う・賢い人が使う・知性がある・品性のある話し方・信頼したくなる・お嬢様・麗しい話し方・素敵ないい人が使う・笑顔・幸せな時・愛に満ちてる時・気分が軽くなる・軽い波動・運気が上がる・神様に繋がる…愛される話し方・江原啓之さんの話し方・徳を積む話し方・愛と調和・高級霊が使う)

汚い言葉遣い=低い波動状態(ネガティブ)
(チンピラ言葉・ヤンキー・べらんめえ口調・下品・喧嘩・暴力の時に使う・血の気が多い・喧嘩っ早い・乱暴な人・荒々しい・乱暴・粗雑・けなす・偉そう・お○呼ばわり・ドSな言葉遣い・ブラック企業・恫喝に使う・パワハラ・威嚇・罵倒・三流企業・喧嘩・怒り・短気・イラつき時に使う・闇落ち・無愛想な人・愚痴・不満・雑な敬語・敬語がろくに使えない人・アホっぽい話し方・だらけた話し方・不快な話し方・不機嫌・不調和な人が使う・チャラ男・粗雑・キツイ口調・憤怒・嫉妬・ネガティブ・未熟な下品な人間が好んで使う・偽物・悪人がよく使う・不満顔・重い波動・運気が下がる・それだけの人間・タピオカ屋さんを恫喝した人の話し方・反面教師な人・低級霊・動物霊が使う)













FC2版の広瀬すずちゃんの横顔になる方法の記事です♪
身長を伸ばす記事も追記してみました♪
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本物の過去透視能力を持つ 高江洲薫先生・総まとめ記事♪母なる地球の心からの感動のメッセージ♪本当に健康になる食事法は?タンパク質の摂取は「大豆と押し麦」「卵」「魚介類」がベスト♪究極の身長栄養食について加筆修正版♪



本物の過去透視能力を持つ  
高江洲薫先生について       

 今回は、いつかご紹介させて頂けたら…、と思っておりました♪
高江洲薫先生の興味深い輪廻エピソードをご紹介させて頂きます。

 エドガー・ケイシーさんもいいのですが、高江洲薫先生は日本の方ですから、日本人にとってかなり馴染みのある自然で分かりやすい文章で過去世との因縁を教えて下さっております。

 実は私、かなりこの手の著書を読み漁ったのですが、分りやすくて為になる輪廻転生話って……思いのほか少ないのですよねぇ(笑)
 結構、過去世を見る能力が中途半端な人が多い気がします……

 こういった輪廻転生のエピソードのご著書では、日本人の中では高江洲薫先生のご著書は最高に分りやすくて面白いと感じました。

 こういった輪廻のお話を通じて、人生に対する考え方を悔い改めてゆき、魂を成長させてゆき、最後に知花敏彦先生や、上江洲義秀先生の教えに出会って、神(意識)に到達して、輪廻転生を解脱出来れば最高にハッピーエンドで万々歳で、結構かな……と♪

 また、高江洲先生がこのような特殊な能力が発揮されるまでの過程が、他の人ではきっと殆ど絶えられないだろう程に凄まじいのですね。

 まさに偉人ならではの波乱万丈過ぎる人生で、それはもう、壮絶な…壮絶な…それはもう壮絶過ぎる苦難の人生を歩まれて、やっとこさ能力が開花されたという、本当に鍛え抜かれた鋼のような強い心の持ち主でもあられます。

 日本トップクラスの数少ない本物の過去世透視能力をお持ちでもあり、偉大なるヒーラーでもあられる高江洲薫先生が今度もますますご活躍され、また高江洲薫先生の輪廻転生エピソードが世に公開されることを切に願います♪


私(高江洲薫先生)のコミュニケーション方法   


 私は、1998年に「過去を解き明かし未来を語るもの」という使命を伝えられた時、自分のそれまでの一億四千万百十年という記憶を取り戻しました

 私が行うコミュニケーションの特徴は、
「私自身が人であり、ゾウであり、サルであり、クラゲであった。全ての記憶を取り戻した事により、動物と話をする時に、その記憶に基づいた意識になって、彼等の声に耳を傾ける」という事です。

 例えば、犬と対話をする時には、私自身が持つ犬の意識にチャンネルを合わせ、彼等と同じ目線で話をします。
 上からの目線ではなく、あくまでも目の前にいる動物の同じ意識になり、魂の波長を合わせて共鳴するのです。

 人としての意識のまま、犬と話をしましょうという姿勢では、上からの目線のままの対話であったり、一方通行の対話が行われやすくなります。
 私の場合は、その動物とその時の自分の記憶の時空、あるいはステージに戻って話をします。

 人は誰しも、動物の記憶を持っています。一朝一夕では、魂の記憶を取り戻す事は難しいでしょう。けれども、自分自身の中に動物の記憶がある、

 自分も彼等と同じ様に生きていたのだと思うだけでも、あなたと動物を隔てる幕は、次第に開かれていきます。そのわずかな意識の変革が、あなたと動物をつなぐ琴線となり、互いの心をふるわせるのです。

 例えば、過去で犬としての人生を歩んでいた母犬から心から愛されていたとします。愛情という記憶を強く持っていたら、人間となった現在でもその素晴らしい資質は受け継がれているのです。

 または、リーダーシップを持って仲間を導いていたら、人になってからもその力は引き継がれます。

 様々な記憶が蘇れば蘇るほど、あなたの中に時を越えても変わらないテーマが息づいている事に気づくでしょう。そして、それが自らの使命だという事を、あなたは見出すのです。


ペットとはどんな関係があったのか
愛猫の恩返し

 私は、過去世を観たりヒーリングをする他に、動物病院の院長という顔も持っており、普段、動物の治療も行っています。また、動物の気持ちを読み取る事が出来、猫や犬の過去世を観ることもあります。

 ペットを可愛がっている飼い主の方にとって、、愛猫や愛犬は、家族の一員も同然です。時に、彼等との関わりが、過去瀬から引き続いている飼い主の方もいます。

過去世から続くペットとの関わり 

 Fさん(女性)は、いつも人の目が気になっており、自分を責める事が多く、「自分は価値のない存在だ」と蔑むような思いに駆られる事を悩んでいました。

 なぜか「幸せになってはいけない」「私は許されない」という思いに支配され、苦しい日々を送っていたと言います。
 そんな状況で日々過ごしているうち、彼女の愛猫のG君(オス)が、ウイルス性の病気にかかってしまいました。

 彼女は、G君にエネルギー治療を受けさせようと、私の病院に来られました。G君の病気は、なかなか快方へ向かいません。G君の心の声を聞いてみると、今世なぜ飼い主であるFさんの所に来たのかを話してくれました。

 その後、G君は安らかに息を引き取り、さらに深いリーディングを行った所、飼い主のFさんとG君との、過去世から続く関係が明らかになりました。


▽Fさんの過去世 過去世Ⅰ(一つ前の過去世)

 インドに女性として生まれる。少女時代、大雨で近くの川が氾濫し、家が濁流に呑み込まれ、畑は水没してしまう。多くの者が氾濫に巻き込まれて亡くなり、さらには疫病も発生して、死者はどんどん増えていった。
  
 助かった人間は、残っているわずかな食料をめぐって暴行や略奪を働き、飢えた者同士の醜い争いが続いていた。

 ある日、一台の馬車がやってくると、何の説明もないまま、馬車に押し込まれてしまう。父親は見て見ぬふりをし、母親は声を抑えて泣いている。
 馬車の中には沢山の女性が乗せられていて、食い扶持を減らすために自分が売られていた事を知るのだった。

 馬車が町に着くと、暗い部屋へと連れて行かれ、そこに皆監禁される。部屋の小窓から、人身売買を行っている業者が中を覗いては、次々と少女を買って行った。

 ついに自分も買われる日が来て、娼婦として北インドの歓楽街で働かされる事となり、自分を売った父と母を恨む。そして、兄弟の中で自分が最初に売られた事を、呪い続けるのだった。

 
▽G君(愛猫)の過去世  

 インドの薄汚いある路地裏に、メスの野良猫として生まれる。赤ちゃんが生まれると、必死に育てようとするが、食べるものが満足に得られないためお乳もろくに出ず、子供たちは皆死んでしまう。
 自分が生きていくだけで精一杯の厳しい環境では、子供が亡くなった事を悲しむ間もない。

 インドでは猫は邪魔者扱いにされ、誰もかまうものなどいなかった。ひもじい思いであちこちをうろつき、人に追い払われながら、ゴミを漁る日々を過ごす。

 そんな猫に、目を留めた女性がいた。貧しく不幸な境遇にあった彼女は、ゴミを漁っていた猫の姿に、誰からも必要とされない自分と同じものを感じ、窓越しに食事を与えたのだった。
餌を与えてG君を救ったこの女性は、Fさんの過去世Iの女性だった

 G君は、過去世で自分を助けてくれた優しい女性の事を、ずっと覚えていました。それで、「生まれ変わったら、今度は自分がその女性を助けよう」と思い、今世、Fさんの元にペットとしてやって来たのです。

 そうして、Fさんのつらい思いやネガティブなエネルギーを引き受けて、亡くなっていったのでした。

 後(のち)、G君は新たなメッセージを私に残しました。その内容は、「再びFさんの元へ行く」というものです。10年後、ちょうどG君が亡くなった年と同じ生後1歳位の頃、Fさんと出会い、ペットになるとの事でした。

 今度はメスの猫として生まれ、子供も生まれると言います。過去世で子供を育てきれなかった悲しい体験を、Fさんのペットとなり、次は幸せに子育てをする事によって、やり直しを果たすのです。

 普通は、猫や犬が生まれ変わる時に、再び同じ飼い主に飼われる事は殆どありません。やはり、過去世と飼い主が同じでは、人間の家族の法則と同様に、似た体験を重ねる事になってしまいます。

 しかし、このケースでは、FさんもG君も、お互いにやり残した事があり、また、G君にFさんへの深い恩義があったため、飼い主とペットとして再度チャレンジする事となります。

 共に過去世での傷を癒やし、過去において為し得なかった幸せな人生を生きる事を目標として、実現のために再会するのです。

 ペットたちは、動物界での生まれ変わりのサイクルの中にあります。人間とは今世で生きる年数も違うように、次に生まれ出るまでの期間もまた別です。猫や犬は、死後、およそ7~8年のうちに生まれ変わります

 飼い主(人間)が来世に生まれ変わるのは数十年以上先で、その間、猫は犬は、3回以上生まれ変わりを繰り返すので、人間同士の出会いに比べると、出会う確率も随分低くなります。

 猫や犬も、各々(おのおの)その動物の体験が終われば、また別の動物の体験に移っていきます。幾つかの動物の体験が済んだら、いずれは、彼等も人間界へと進化を遂げるでしょう。

 人間に辿り着くまでにはかなりの年数を要しますし、どんな動物を経ていくかはそれぞれ違っていますが、ひょっとすると未来に、彼等がまったく別の動物の状態で、あなたの魂と再開をする事があるかもしれません。


病気や事故を体験するのはなぜか 

 大病を患ったり、突然自己に遭遇したりと、生きているうちには様々な困難が降りかかって来る事があります。

 しかし、体験の本当の意味を知って考え方が変わると、苦難は必ずしもマイナスの要因ではなく、輪廻転生の中にあっては、むしろプラスの要因とされ成り得る事が分かってくると思います。


★病気になるのは複雑な要因が絡み合っている

「病気」とひと口に言っても、その原因や程度はケース・バイ・ケースです。例えば、疲労がたたって倒れた場合などは、単に、身体を酷使した事から病気になったのだと思われるでしょう。

 しかし、疲労と診断されてもその病気が過去世に関与して起こっている場合があります。
 あるいは、「そのままの(誤った)生活や考え方でいる限り、これ以上うまくいきませんよ」といったメッセージが与えられて起こる事もあります。

 重い軽いに関わらず、病気や怪我に合遭う原因は、複雑に絡み合っているのです。 
 大病を経験して人が変わった様になったという話がありますが、その人は病気を通じて大切な気付きを得、生き方や価値観に変化が生じて、生きながらに生まれ変わった様になったと言えます。

 病気や怪我は過去世と深い関わりがある事が多いため、自分の身に起きた意味を理解し、プログラムを取り除く事によって、治りにくい病気であっても快方へ向かうことがあります。

 リウマチを患っているある女性の場合は、過去世から引き続く関係が見られました。結婚後すぐに発症し、出産してから、さらに悪化したとの事でした。

過去世Ⅲ(3つ前の過去世)  

 イギリスに男性として生まれる。家は小作農家で生活は貧しく、同じ年頃の領主の子供たちが贅沢三昧の暮らしをしている様子に、羨ましさと怒りを感じて育つ。また、高慢な領主に媚びへつらう父親を蔑(さけず)み、嫌悪感を抱いていた。

 勇敢な騎士に憧れ、成人すると反乱軍に加わり、兵士となる。しかし、ある時、小作農家出身であるが為、自分は捨て駒に過ぎない事を思い知る。

 やがて、独自の傲慢(ごうまん)な手法で、命乞いをする者も容赦なく殺していくようになる。最後は、イングランド軍に包囲され、公衆の面前で処刑されて亡くなった。


過去世Ⅱ(2つ前の過去世)

 ロシア帝国に男性として生まれる。身分の高い上級貴族であり、美しい容姿を持っていた事から、貴公子と呼ばれて育つ。

 父親が早くに亡くなり、母親から溺愛されるようになる。母親は好みの男性に育てようとするが、それには少しも逆らわずに過ごす。いつも母の言いなりで、母が望むような息子に成長していく。

 しかし、母親が亡くなると、それまで抑え込んでいたものが一気に爆発。ギャンブル、女遊び、麻薬やアヘンなど、破滅的な遊びに次々と手を染めるようになる。

 城の中には金目当ての男女が群がり、自堕落な生活に浸かりきりとなり、次第に、城からは召使いたちも離れていってしまう。
 ついには、だらしない生活を長年続けた事が祟(たた)って病気にかかり、最後を迎えるのだった。………


 貧しさ故の差別を嫌という程体験し、次は裕福な生まれを選んだのですが、今世では、豊かな暮らしをしていた頃の高慢さと惨めなコンプレックスが残っており、それは、心と体のバランスを崩しやすい事へと繋がっています。

 三世代前において、自分のやり方に執着して人を批判する傾向があり、に世代前では、麻薬やアヘンを吸い続けていたため骨が弱くなって、これらが、今世でカルマを背負う所以(ゆえん)となったのでした。

 元気になると、高慢で支配的に成り、全てを自分の思い通りにしたい性格が表出しがちで、そういう自分にしないために、リウマチという病気の形をとって体を動かないようにし、自分を抑え込んでいたのです。

 過去世を知る事によって、彼女は病気が発していたメッセージを受け取る事が出来、ネガティブなプログラムを解除するために、ヒーリングを受ける様になりました。

 さらに、苦しみを味わった経験から、癒される者から癒やす者になろうと決心して、ヒーリングの勉強を始めたのです。

 痛みや苦しみを経験した人は、同じ様な経験をして苦しんでいる人を真に癒やす事が出来ます。
癒やす事の本質は、その思いに共鳴して、認めてあげる事にあるからです。

 その後、彼女の病状はかなり改善され、以前は長い距離を歩く事が出来なかったのが、今では楽に歩ける様になり、今度は山登りにも挑戦したいと意欲を燃やしています。
 苦難と過去世との関係においては、このような形で過去の体験の償いを行う事があります。



トラック事故でカルマを解消したお話

 別の女性の場合は、事故に遭い、そして、適切に対処した事で、以前のカルマを解消するに至りました。

 彼女はある日、自宅の前を走る大通りを渡り、近所のお店に買い物に出かけました。買い物を済ませた帰り道、大通りの横断歩道の信号が青である事を確認し、少し早足で歩いていると、突然、左側からトラックが右折して来て、そのままぶつかって飛ばされてしまったのです。

 しかし、奇跡的にも、打撲と骨がずれた事だけで済んだのでした。この事故は、彼女の三世代前の過去世と関係がありました。


過去世Ⅲ(3つ前の過去世) 

 オスマン・トルコに女性として生まれる。山間部の貧しい家に生まれ育ち、食べる事にも事欠いていたため、幼い頃より男性に付いて山を下り、盗みを習って覚える。

 成人すると、盗賊団の頭領を結婚し、夫がなくなった後(のち)、盗賊団の女首領となる。近くの村を襲っては命乞いをする者すら殺し、一家惨殺も厭(いと)わず全ての物を奪い取るという、その残忍な手口で、町の者からも恐れられる存在となっていく。

 周りには自分好みの若い男をはべらせ、女王気取りで人生を過ごす。しかし、最後には、皆の前で縛り首となって、命を落とすのだった。

トラックの運転手は、この過去世で一家惨殺した家族の一員だった

 
  彼女にぶつかったトラックの運転手は70歳の男性で、定年退職した後再就職し、トラックの運転をしていたとの事でした。

 彼女は、事故がカルマの償いの為に起きた事を知り、「逆に過去の事を運転手さんに謝りなさい」という私のアドバイスに従いました。

 そうして、過去で自分が殺してしまった人だと思って運転手を責めず、過去の人に言うつもりで謝罪すると、彼女の打撲は早く治ったのです。今では、交通事故の記憶さえ薄らいでいると言います。

 もそい、それを知らずに訴えたり、必要以上にその運転手を責め立ててしまっていたら、またお互いに恨みや憎しみが生まれ、加害者と被害者という、いつ果てるとも知れない負のサイクルから抜け出す事が出来ずにいた事でしょう。

 しかし、被害者を経験した時に加害者を許す事が出来ると、私達の魂は大きく成長出来るのです。
 事故に遭った時には、治療や健康な生活が損なわれる事への損害賠償は、良識の範囲できちんと請求すれば良いでしょう。

 しかし、加害者が償いをした後も、それ以上の恨みや憎しみを持ってしまったら、またしても、カルマを持つ事(※カルマの上塗り)になってしまいます。

 病気や事故に遭うのは、過去の行為を償っている場合が多く、その体験を通して自らが行った事を許し、被害者の体験をする事で魂を成長させようと、自分自身が計画してきた事なのです。

 ですから、現象面だけに捉われず、その奥にある意味を知り、十分償いを果たし体験した事を自分の中で確認して、自分自身(や相手)を許す必要があります。

 けれども、本人が病気になった本来の意味に気付かないまま、病気だけを治してしまった場合、病気は治ってように見えますが、本来の目的を達成していないため、また別の形で体験する事になります。

 というのも、私達の神聖な魂は、自らを律し、目的を達成するためには容赦しない強い意志を持っているからなのです。それだけに、苦難を乗り越えた者だけに与えられる祝福もまた大きいのです。


ネイチャーコミュニケーション

 太陽を兄弟と呼び、星月を姉妹と呼んだ聖フランチェスコは間違いなく、大自然とコミュニケーションをし、メッセージをもらっていました。

 ネイティブアメリカンは、風のささやきを聞き、大地から導きを得ます。多くの聖者と呼ばれる者や自然と寄り添って生きる者達は、大自然の声を聞くのです。

 インナー・コミュニケーション能力が高まると、そこにはすべての命との隔たりがなくなります。そして、大自然と繋がり、様々なメッセージを頂く事が出来るのです。

 私自身、動物と話が出来るようになると、次第に木や花の心が分かる様になりました。植物たちも、実に様々な感動的なメッセージを語ってくれます。

 新緑の季節、私はある美しい庭で緑を楽しんでいました。萌え出たばかりの新緑は、鮮やかな光を輝かせながら、風に踊っていました。
 なぜこの様に一斉に緑が芽吹くのだろう……。私が心の中でそう感じた時、優しい声が答えました。


------春になると一斉に花が咲いたり、緑が芽吹くのは確かに温度や太陽の光も一つのきっかけです。しかし、根本的に調整をしているのは大地です。

 大地が全ての木々に対してメッセージを伝え、そして継続する事、維持する事を調整しています。
 もし、例え一本の草花が枯れたとしても、大地はその事を敏感に感じ取り、周囲の草木にその失われた草花に対する思いを伝えます。

 そうすると、それに反応した草木は、強い生命の誕生を望み願い続けて、新たなる生命をその場に甦らせようとするのです。

 例えどんなに離れていても大地で全てが繋がっており、情報が大地を通して伝わり、同じ種の花が、時期を同じくして咲いたり、散ったりする様になるのです。

 誕生が始まりなのか、死が始まりなのかといえば、実は死が始まりであり、死を持つものこそが生命を生み出す原動力であり、その力に基づいて新たなる生命が誕生する事になるのです。

 まさしく死は悲しみではなく、新たなる生命を生み出す力の源であり、失われたものを回復しようとする根源なる愛なのです。愛は誕生から生まれたのではなく、死から生まれたのです。

 
母なる地球の心からの感動のメッセージ

 そして、数多くのネイチャー・コミュニケーションを重ねていった私は、次第に、より大きな存在のメッセージを感じ取れる様になり、遂には母なる地球の心を知りました。

(地球から)------どんなに人類が失敗しても、破壊的な事を行っても、人が渡しに影響を与える事ができるのはわずか数百メートルの表面的な事です。

 あなた方が例え全てを破壊しようとしたとしても、それは、私にとってただ皮膚が日焼けしたようなものです。私は、またこの中心の意識から、全てを新しく変える能力があります。

さらに地球は、このようなメッセージも伝えてくれました。

------私の使命はなんだと思いますか?それは、生命を徹底的に育んで、守り通す事です。そして、その使命よりも強いのが私の愛情です。

 私もかつては人でした。あなた方と同じような生命体として生きていました。私は、数えきれない程の生まれ変わりを経て、神となる手前の存在として惑星の姿をとっています。

 私は偉大なる女性としての体験を経て、大地から生命を産み落とし、自らのすべてを使って生命を育むのです。


ラストメッセージ

 スピリチュアルとは愛情の多様性を知ることです。多くの人は自分が愛されていないから、自分を愛する事も人を愛する事も出来ないと考えています。

 特定の愛情表現、もしくは愛されるという事に、私達の愛という概念は限定されています。
 スピリチュアルという事は、愛情の多様性を知る事であり、あなたがその事に気づけば、実は自分は多くのものから愛されていると気付く事が出来るのです。

 あなたの周りの様々な自然は、間違いなくあなたを愛しています。太陽は日が昇る度にあなたに光を与え、月はあなたに優しさを与える為に、夜の闇に輝いているのです。

 同じ様に山や森、海、川、湖といった自然は、あなたに間違いなく継続的に愛情を示してくれているのです。
 あなたがこの愛情の多様性という事に気付くのならば、自分が間違いなく愛されている者であり、祝福されている事に気付くのです。

 あなたの愛の多様性を知って、あなたの愛の深さや広がりを感じてみて下さい。あなたは間違いなく愛されているという事に気付くでしょう。

 その事に気付けば、あなたは愛する者になります。特定の人間だけではなく、多くの生命に対して、心から愛情を示す事が出来る様になるのです。


あとがき

 本書を書くにあたって、初めはなかなか、筆を進める事が出来なかった私は、敬愛するインドの偉大な聖者サティヤ・サイババ様に、「どのような本を書けばよいのか導いて下さい」と祈りました。

 そして、その祈りの答えがこのテーマであり、多くの導きによってメッセージを綴(つづ)る事が出来たのです。

人間だけでなく、動物も鳥も昆虫さえも神の化身(神ご自身)です」と伝えているサティヤ・サイババ様は、自身も動物も深く愛し、慈しんでいます。

(サティヤ・サイババ様は、天上界から派遣された12人のキリストのお一人です。上江洲義秀先生もそのお一人です。ちなみに知花敏彦師はその12人のキリストのリーダーです)

 そして、サティヤ・サイババ様が飼っていらっしゃる小象のサティヤ・ギータは、サティヤ・サイババ様に対する深い信仰心を私に伝えてくれました。

私は人間に生まれ変わる事を目指し、今は修行をしています」と、彼女が語った強い決意は、私がかつて動物だった時に感じていた記憶と切ない思いそのものでした。

 彼女との対話によって、第5章の動物たちの輪廻転生の流れを再確認する事が出来、以前から伝えたいと思っていた動物の生まれ変わりについてまとめる事が出来ました。

 動物たちは、人になる事を目指しています。私達は万物の霊長として、彼等の思いに耳を傾ける事を忘れてはなりません。

 彼等のありのままの声とその心を伝えたい-----。もし、動物たちが文字を読めるなら、彼等も感動し、喜べるような本にしたい-----。
 そう願いながら書いた本書は、人だけのものではなく、動物たちに捧げたものでもあります。
 本書が人と動物の絆を深め、お互いに理解し合う一助となれば幸いです。



肉食の記事♪の過去記事からの引用ですが……♬


究極の身長栄養食について

 究極の身長食は、実は日本食だったという嬉しい事実が判明しておりますが、もう何回もご説明しておりますが、簡単におさらいしてみましょう♪

玄米(※最低8時間以上水に浸けてアク抜きは絶対にしてね♪)
大豆(※同じく8時間以上でファイトケミカルを除去♪)
押し麦(※栄養が豊富な上に、食物繊維が玄米の3倍♪♪)
ビタバァレー(押し麦にビタミンB強化してお米の大きさに)
ヒマラヤ岩塩(※微量のミネラルで身長と健康が大幅アップ♪)
卵(※一般庶民の味方、一番お安くて高栄養なタンパク質♪)
魚介類(※痛覚がないので、スピリチュアル的にもOK♪)


 後は、ヒジキや昆布、ツナ、サバ、イワシ、シソワカメ、卵焼き、お味噌汁、梅干し、など健康に良さそうなものをバランスよく組みわせて頂いたらベストです

 あまり知られていませんが、押し麦やビタバァレーは、研ぎ洗いをすると栄養が流れ出てしまうそうです。ですので、玄米だけ先に研ぎ洗いしてから、最後に、玄米とビタバァレーを入れて水を入れて、そのままお米を炊くというのが正しい調理法なのだそうです。

 お高いサプリメントを摂らなくても大丈夫と、私の実体験で完全に証明されております。

これからの最先端身長栄養学は、「タンパク質とアルギニン」は、「大豆と押し麦」「卵焼き」「ツナ缶」「サバ缶」で摂取の方法がベストと変わりました♪

 大豆と押し麦で ”アミノ酸スコア100” になりますので、お肉類を一切食べなくても、健康と身長アップに必要なタンパク質は全てまかなえます。

 それと、「魚介類」と「卵」は、地球環境的にも優しく、体のタンパク質補給にピッタリ♪
私も、身長アップの栄養に、積極的に摂取しております。

 アルギニンとカルシウムの摂取に関しては、「大豆と押し麦」を主食にして頂ければそれだけで1日に充分な程に賄うことが可能です。私はその食生活のお蔭で、現在はもう195cmにまで成長しておりますので、再現性は高いと思われます。

 もう一つ油ものの健康ウラ技ですが、お手頃値段で、最高に健康な揚げ物を作れる方法もご紹介しちゃいます。それはオリーブオイルの二番絞りの油を使う事です。
 えっ、何それ!初耳!!…と思われるかも知れませんが、何と何と…

…オリーブオイルの二番絞りは通常の揚げ物の温度では、分子が不安定化しないので、揚げてもいわゆるトランス脂肪酸に変化しないのだそうです。

 ですから、油の害のない揚げ物を堪能できちゃうというわけなのですね。
これでついに、健康的な揚げ物という新ジャンルが出来ましたね(笑)

 身長に関する地球の常識がこれから変わってゆきます。玄米・押し麦・ビタバァレー・ヒマラヤ岩塩・大豆・食で究極の栄養をしっかり摂取して、私の最先端身長法を正しく実践して頂ければ、もう何歳からでも、貴方の望むがままの身長へ変容を遂げて頂けるでありましょう♬ 

 肉食をやめて「大豆と押し麦」と「魚介類」「卵」でタンパク質を摂取するのがベスト・オブ・ベスト♪
皆様、ぜひこれで健康と高身長を手に入れて幸せになっちゃいましょう♪

 補足秘話ですが、アトランティス文明末期から肉食をするようになってから、人類から霊的で精妙な感覚(第六感・波動感知能力、等々)がなくなっていったそうです。

 ちなみに、魚介類はその手のマイナス要素は一切ないそうです。プレアデス星人や、その他、高次元な宇宙人さんも魚介類は普通に食べているそうですし。

 痛覚のない魚介類は恐怖を感じないので、ネガティブな波動は残らないそうです。鶏さんから痛覚(死ぬ時の痛み)があるので、死ぬ時に、いわゆる「恐怖」の波動を持ってしまうため、ネガティブな波動が鶏肉に残ってしまうとの事です。

 その上、知花敏彦師によりますと、肉を食べると、動物の獣性がアストラル体を汚して自我が強くなるそうです。
 感謝して食べるとその波動が消えるとも仰っておられますが、出来れば真理の追求者(光の求道者)の方は、肉食は控えめにされた方がいいかも知れませんね。


 厳格なベジタリアンは逆に体を壊しやすいと言われていますが、そのお話を科学的にわかりやすく説明してくださっている良質記事をご紹介させて頂きます。

 私は肉と揚げ物だけ食べない緩いベジタリアンなのですが、身長を伸ばすのも非常に重要視している関係で、タンパク質はしっかり摂取するように気を付けております。

 常識で考えて、「野菜と果物だけで生活して体によろしくない」のは一目瞭然でありまして、自分なりに栄養学的な見地や、健康とカルマの法則との兼ね合いのベストの所を模索・追求していきますと、

タンパク質は「大豆」と「押し麦」でアミノ酸スコア100を達成して、尚且つ、「魚介類」と「卵」をしっかり摂取していくとベストという結論に達しました。

 知花敏彦先生も肉の摂取は、アストラル体を汚して、動物の獣性が体内に入り込んで自我が強くなると仰っておられましたし、

高次元な宇宙人さん達も肉食だけはやめた方がいいと言われている点、心を浄化して精神を高める・体の周波数の波動を上昇していく観点からしましても、肉だけはやめておいたほうがいいかと思います。

 父親とベジタリアンについて話をしていたのですが、ベジタリアンの人は「食べない」というより「食べられない」という感じらしいよ~、って言っておりました。

 私自身も母親がシチューに入っていた小さい鶏肉を食べた時、せっかく母親が作ってくれたんだから「まぁチョット位いいかな~」なんて思って食べましたら、カリン塔でヤジロベーが超神水を飲んだような状態(笑)(※毒を食べたような感じ)

になってしまいまして、体質が変わってしまったんだなぁ・・と思った体験がありましたので、父親の言いたい事が実感として理解できましたねぇ。

 もちろん、霊性が進化していない、真理の理解の浅い、普通のベジタリアンの方はそんな事はないみたいですが……。

 魚介類は、ひふみ神示でも神国の民に許された食材と書いておりましたし、魚介類は全然問題なく摂取して頂いて問題ないと思われます。
 カルマも全然増えることはないみたいですし、魚介類は思う存分食べていただいて大丈夫ではないしょうかよかったらご参考にしてみてね~♬



ほんとうに健康になる食事法は?
●タンパク質のとりすぎは体内のカルシウムを招く

 タンパク質のとりすぎが体に及ぼす影響はまだあります。穀物や雑穀物のタンパク質は食べすぎることはあまりありませんが、動物性タンパク質(肉)はとりすぎになりがちです。

 たとえばアメリカ人の場合、一日のたんぱく質の摂取量は平均90グラムです。たんぱく質の必要量は一概にはいえませんが、体重1kgあたり、一日に0.8gから1.0gというのが一応の目安とされています。

 70kgの男性ならば、56~57gが適量ですから、90gというのは摂り過ぎです。最近の日本人の摂取しているタンパク質の量は、アメリカ人よりも小さな日本人が、なんとアメリカ人に匹敵するくらいの平均79.7g(一日あたり)を取っているといわれています。

 これは明らかに過剰摂取です。このデータは1994年度の厚生省調査によるものですから、現在ではもっと多くなっているかもしれません。

 この過剰に摂取されたタンパク質はどうなるか。どんなに良質と思われるタンパク質でも、排泄されるだけなのです。摂りすぎた分は全部無駄になってしまいます。

 いや、無駄になるだけならまだいい。(特に肉食が多い)ムダなアミノ酸を分解して、尿として排泄しなくてはならないので、その役割を受け持つ肝臓とか腎臓に多大な負担がかかります。

 一方、(肉食によって)多量のアミノ酸が分解※されると、血液が酸性に傾くので、それを中和するために多量のカルシウムが必要となります。このカルシウムはどこから引き出されてくるかというと、からだの骨や歯からです。

(※「大豆と押し麦」は酸性にはなりません。魚介類の酸性への傾きは少なめです)

 こうして取り出されたカルシウムは、多量の水分とアミノ酸と一緒に、尿として排出されてしまいます。このようにタンパク質のとりすぎはカルシウムの損失も招き、その結果、不健康な体になり、病気にかかりやすくなるのです。

●肉や肉加工食品を多く摂ると、さらにカルシウム不足に

 肉や肉加工食品をたくさん摂っている場合、カルシウムの損失はもっとひどくなります。肉や肉加工食品では、カルシウムに対してリンの比率が圧倒的に高いからです。

 血液中では、カルシウムとリンは、量的に1対1または1対2のバランスで摂られなくてはならないという鉄則があります。 だから肉食に偏っていると、リンが多くなりすぎるので、骨や歯からカルシウムを抜き出して、バランスを取ろうとするのです。

 加えてリンがたくさん含まれている食品が多すぎると、腸内でリンとカルシウムが結びついてリン酸カルシウムが沢山できます。ところがこれは吸収できないので、排泄物となって体内から(※カルシウムが)出されてしまう

(※リンは加工食品・カップラーメン・コンビニのパンなどに多く含まれています。自宅で玄米を炊くのが一番、健康と身長に良いと思われます

 つまり、ここでもカルシウムが損失されるわけです。このように、カルシウムはダブル、トリプルでどんどん失われていくので、体内では当然カルシウムの欠乏が起こってきます。

 動物食の多い、一見豊かな食生活を送っている先進国の人達に、カルシウム不足か骨に鬆(す)が入る骨粗鬆症が多いのは、これが主な要因です。


農業をおびやかす温暖化

●地球の温暖化も農業環境をおびやかしている。小麦とトウモロコシは、気温が2度上がると収穫量は3分の1に落ちるという。

消えていく熱帯林

●今、世界の森林は激しいスピードで減少を続けており、深刻な状態にある。この10年間で実に1億5000万ヘクタールの熱帯林がなくなり、現在もなお毎年1600万ヘクタールが消失している。

森林伐採と焼畑農業が主たる原因だが、牛や羊など家畜の放牧地への転換もまた大きな要因となっている。アメリカなど先進国における畜産はフィードロット方式が主流だが、世界全体でみると、放牧による飼育の方が多い。

そして、そのほとんどがブラジル、ベネズエラ、などアマゾン川流域の中南米諸国に集中している。食肉を大量消費する先進国の企業が、これらの国で食肉増産のためにアマゾンの熱帯林を切り開いて家畜の放牧地に変えているからだ。

今日、アマゾンの土地に約600万頭の牛が放牧されているという。この数は、中南米8カ国の総人口の30分の1に相当する。世界の熱帯林の半分をアマゾン地帯が占めている。

そのうちの20パーセント(日本の総面積の3倍にあたる1100万ヘクタール)が、放牧地の開発ですでに失われている。

●この放牧地の開発は、中南米諸国によるアマゾンの商業利用計画が始まった1970年頃から急速に広がった。

各国の政府がアマゾン地域への投資を奨励したため、先進国のアグリビジネスが牛の放牧場の建設を目的に、アマゾンの奥地にまで殺到した。

土地の農民が所有する森林をわずかな金額で買収し、食肉生産のために熱帯林を切り倒していった。放牧地は、牛の群れに根こそぎ牧草を食べつくされ、養分や水分の枯渇、表土の流失を招いて、たちまちのうちに、種をまいても芽が出ないほど荒れ果ててしまう。

そして、放牧に使えなくなると、その土地は打ち捨てられ、牧場主は次の放牧地を求めて、さらに熱帯林を切り開いていく。
先進国の牛肉消費を支えるアグリビジネスの企てのもとに、こうした乱開発のパターンが繰り返され、アマゾンの熱帯林はどんどん減少していったのである。

中南米の中でも熱帯林の3分の1を占めるブラジルでは、1970年から10年足らずの短期間に40パーセントもの森林が消えた。

アメリカのワールドウォッチ研究所の報告によると、アマゾンで生産された牛肉からハンバーガー1個を作るのに、5平方メートルの森林が伐採されて放牧地に転換された計算になるという。


アマゾンの森林には、さまざまな動植物が生存している。地球上に存在するとされる約100万種類の動植物、微生物など全生物種の5分の1が、ここに集まっているとみられる。

もし、このまま森林破壊が進めば、今後25年間で動植物の約半数が絶滅の危機に瀕する恐れがあると言われている。また、熱帯林は、雨水を土から吸い上げ、葉から蒸発させて大気にもどすという雨水の循環作用を行なっている。

熱帯林が少なくなれば、その地域の降雨量が減るわけで、旱魃や砂漠化をもたらす。
南米の先住民の間では、「熱帯林が空を支えている。木を切り倒せば必ず天災が降りかかる」と、言い伝えられている。

熱帯林は、人間に多大な恵みをさずけてくれる資源の宝庫なのであり、我々の日々の生活がいかに熱帯林に依存しているかを深く心にとめなければならない。

今、残されている熱帯林が消滅してしまうとき、地球の生態系は完全に崩壊し、べての動植物は地上から永遠に消えることになるだろう。もちろん、そのときは人類も同じ運命である。


動物性蛋白質(肉食)
の知られざる弊害  船瀬俊介さん

 現代医学は嘘のてんこ盛りです。
 西洋医療は完全に崩壊しています。200年前に遡って、東洋医療のような自然治癒力を生かす医療に戻らなければいけないのです。

 そして近代栄養学も嘘八百なのです。ミュンヘン大学のフォイト教授は、「動物たんぱく質こそ最良だ」と言いました。

 彼はドイツ国民に、タンパク質は48グラムとれば十分なのに、2・5倍の「120グラムとれ」、しかも「もっと肉を食え」と言いまくったのです。

 だから今もなお、世界中に動物たんぱく質信仰、肉信仰があるのです。肉がスタミナ源だとマインドコントロールされている。
 その結果、世界中が栄養過多で病人ばかりです。アメリカがその最たるもので、その悲喜劇の発端はフォイト栄養学なのです。

 史上最悪の発がん物質は、動物たんぱく質だということが、コーネル大学のコリン・キャンベル博士の「チャイナ・スタディー」という栄養調査リポートでわかった。

 この動物タンパク質を10%から20%にしただけでガンが11倍に増え、5%から20%にすると約20倍に増える。動物タンパクは植物タンパクに比べて8倍も発がん性が高いのです。

 ですから動物たんぱく質をとる意味はまったくない。肉を食うと、大腸がんと乳がんの死亡率が4倍、心臓病の死亡率は8倍から10倍、糖尿病死亡率は3・9倍・・・。

肉を食っていいことは何もない
(※タンパク質の摂取は「大豆と押し麦」「卵」「魚介類」がベスト♪)


ブルーシャ西村様のブログ









まとめて見たい方はこちらへ♪

不幸の予防方法(ここで全部見れます♪)

人間の霊体の読み取り方(超能力神秘話が満載です♪)

宇宙霊とのチャネリング(宇宙意識に到達したお話も♪)

【おまけ】ヤムチャ・パラレルストーリーです♪
もう…面白すぎて…アニメ化決定してほしいです(笑)

FC2版の広瀬すずちゃんの横顔になる方法の記事です♪
身長を伸ばす記事も追記してみました♪

すべてをいたわり 思いやり「愛」生きている時が明想♪「癒やしの真理」「苦の正体」 「自我の克服」「病の本質」♪「一命一体、自他一体、全一体」であることを悟ることが必要♪無形・無色の本質、原因の原因が神♪見えないものこそが命をまとった本質♪原因が全ての本質であり、全ての本質は命♪「神」は「宇宙の愛の法則(愛と調和)」知花敏彦先生♪上江洲義秀先生の究極の総まとめ記事♪

上江洲義秀先生・神様からの処方箋 から引用させて頂きました♪

 今回の記事と、下のリンク先の【上江洲義秀先生の「明想」総まとめ記事】の2つの記事で、上江洲義秀先生の総まとめ記事が完成となります。ぜひ一度ご観覧下さいませ♪

上江洲義秀先生の「明想」総まとめ記事はこちら♪
https://sinntyounobiruyo.blog.fc2.com/blog-entry-3929.html



上江洲義秀先生のご光話

すべてをいたわり
思いやり「愛」生きている時が明想

 私が小さい時「明想」という言葉を知らされた時、特別な人間が、特別な方法で学んでいる事を「明想」だと、思っておりました。

 しかし明想とは、特別な方法でもない。特別なことをしていることでもない。
日々の生活の中で、全てをいたわり、思いやり、「愛」生きている時が、明想という事を知ってもらいたい。

 山や洞窟にこもって、目を閉じて、座しているだけが明想ではない。日々の生活の中で、我々は、明想でなければなりません。

 目を閉じている時だけ「愛」。目を開ければ、即「偽我」に戻っていくならば、何の明想でもありません。

 24時間、四六時中、全てを思いやり、全てをいたわり、「愛」生きている時、「明想」といいます。

 で、我々が時間のある限り、目を閉じて座る事は、
我々の本質は、全てを許し、愛すること(慈悲と愛)が我々の実態なんだ」と、それを実感するためです。

 だから皆さんも、時間が許される限りは、この肉体・心・感情・五感、あるいは理性というものを閉めて、閉める事を通じて、全ての本質は本質なり、全ての本質は命なり。

 そこをしっかり見つめてみて下さい。我すでに愛なり。我すでに命なり。我すでに真理なり。しっかりその内観を見つめてみて下さい。
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ケイシーリーディングから「愛」について……♪
 愛という言葉ほど大きく誤解された言葉はないでしょう。この真意は、
自分の中にも他人の中にもある愛の光(真我・キリスト・愛・本質)を見つめる事にあります。
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上江洲義秀先生のご光話
「癒やしの真理 苦の正体」
「自我の克服」「病の本質」からの抜粋ですが……♪

「苦」の原因は「執着」と「分離感」、そして「恐れ」です。執着は欲から生まれ、分離感は無知から生じます。

 分離感とは恐れ、善悪、好悪など自他の区別を強く意識する事です。
苦は、創造者(神)と一体化し、「我神なり」と悟り「全一体」を知る事で消え去ります。宇宙を貫く不変の法則の真理を知り、執着や分離感をなくす事で消え去るのです。

 苦はすでに自らの中に実在(真我・大愛・宇宙生命)が顕現していると悟った時、そして苦が悟りに至るための手段であり過程であると悟った時に止むのです。

 私達の生きる目的はただ一つ。真我が真我としてより完成するために偽我を作り、真我そのものをより輝かせるためです。

 魂と肉体の二者一体(神我顕現)が完成した時、私達は長い旅路(輪廻転生)を終え、根源と合一(神との合一)してゆくのです。

 病の原因となるものは「生活習慣」、「感情」、「前世のトラウマ」と大きく3つに分けられますが、それらを冷静に観察、分析すると根本的には「思いぐせ」が御本人のエネルギーの流れを悪くし、肉体に影響を与えているのが分かります。

 自我は思いが集約されたもので、個は個でありながら全体と繋がっていることを思い起こさねばなりません。

「一命一体、自他一体、全一体」であることを悟ることが必要なのです。
 対立は調和を乱し、愛を基とする宇宙の流れに反するものであること、そしてエネルギーの流れを良くするためには、宇宙との調和が必要である事を知って頂きたいと思います。

 あなたは、誰かを愛することなく人を責め続けていなかったでしょうか。感謝することも与えることもなく、ただ何かを切望していなかったでしょうか。

 肉体は心の影です。現象は実相の影です。これらは一体です。自我(分離意識)こそが私達が克服しなければならないもので、神も人も、そして私達の隣人も一体(全てが神・全てが私・全ては一つ)です。

 神は人間の中に命を吹き込み、(現れとしての神・愛の表現体としての神である)人間に、神の似姿(慈悲と愛=神の愛そのものの顕現=神我顕現)たらんことを望みました。

 神は私達に神との一体感(全一体感・愛の顕現)を求め、法則(神=愛=宇宙法則)にそわなければ現象としてあらわし、(意識の進化や)悟りを促すのです。
 悲しみによって喜びを、病によって健康を知るように促しているのです。



ケイシーリーディングから「全体(神)と一つ」であるお話ですが……
 …… …… …… …… …… …… …… …… ……
問「心と物質と霊という意識の中にあって、実体の活動(輪廻転生)の目的とは何でしょうか。」

答「それは、その実体(意識)が自分自身であり、なお全体の一部(父なる神と常に一体・宇宙は一つの生命体)である事を自ら知るようになる為である。

 全体そのものではなく、全体(神)と一つであり、そこから、自分自身の個別性を保ち、自分が自分である事を知って、しかも自分を生まれさせた、

意識を与えてくれた第一原因(神・無限者・大愛)の目的と一つであることをも知るという事である。これが目的である。これが(人間が)存在している事の原因である。」

問「物質的表現に生まれる魂の目的は何でしょうか。」

答「その初め、魂が個人的に現れ出る働きにおいて、それは創造的力または神の伴侶(神との合一・真我顕現・覚者)となる目的を帯びていた。」
 …… …… …… …… …… …… …… …… ……

とらわれない「神」  上江洲義秀先生のご光話

問 神の本質とは何でしょうか。

上江洲義秀先生のお答え

 無形・無色の本質、原因の原因が神です。
 見えないものこそが命をまとった本質です。

 私達の肉体に愛を与えているのが「命」であり、命こそが力、全知全能の神です。神は私達の中にあるのです。

 神は五元要素で私達を生かしています。「地」がなければ家も建たず、
「水」がなければ育ちもしません。「火」はエネルギーを与え、
「風」は波動を整え、「空」は呼吸につながります。

 これは、書物からではなく、私が明想を通して神を味わっているからこそ自身を持って言えるのです。

 原因が全ての本質であり、全ての本質は命です
 迷いとは、原因を見ることなく、結果という存在に気を取られ、それに振り回されて右往左往する姿のことです。

 原因と結果、見えるものと見えないものは一体です。
 相手を強く非難していたものは自分自身の影なのです。


覚者・知花敏彦先生による
「神」は「宇宙の愛の法則(愛と調和)」というお話

 陰陽のバランスを神というのですから、今までの宗教家の説く神はどこにも存在していないといえます。

「われわれの神」の宗教家は唱えますが、元来「われわれの神」はありません。全体の神があるだけです。(神一元・全ては神ご自身・神の他には何も存在しない)

陰陽の法則は全てに存在しているのですから、神は至る所に存在しています。
(神は宇宙に遍満する大霊・大生命・宇宙生命)

 どんな微細な一粒子も陰陽の法則(愛と調和)に基いて存在しています。これを「宇宙法則」といいます。神は宇宙の愛の法則でもあります。
 宇宙には愛の法則が絶対に実在しています。陰と陽の愛の法則(愛と調和)によって、全ての万世万物が生かされていることをよく理解して頂きたいと思います。

 陰と陽の法則を宿していない人間がいるのでしょうか?偶然この世に出てきた人間がおりましょうか。エネルギーという、プラスとマイナスの質量で、陰と陽で私達の肉体形体は存在しています。

 そのバランスで存在しています。バランスが崩れると病気になります。バランスが破壊されれば死に至ります。

 ですから、病気は不調の結果となるのです。何の不調和の結果と言いますと、陰と陽の不調和です。陰陽の法則を犯さないことです。

 罪なき者は中性(愛と調和)でなければなりません

みなさんがたの肉体の一つと考えてみると、エネルギーと質量との調和で肉体は調和しています生命エネルギーと質量のバランスを崩さなければ、どなたでも健康でいる事が出来ます。

ケイシーリーディングから……♪

則とは何か。愛である。愛とは何か。神である。
神とは何か。(宇宙)法則と愛である。これが真理そのものの周期である。あなた方がどこにいようと、どの国にいようと、それは常に同じである」


祈り      上江洲義秀先生のご光話

 祈りは命の息吹であり、私達が行使しうる最も強い力といえます。私達が祈る時、不安が心を占めていたり、関心が外に向いている時には祈りは通じにくいものです。

 心を内奥に向け、静謐(せいひつ)なときの中に於いてのみ、正しいものを伝える事が出来るのです。
 内なる声、内なる目に導かれて心から思いを発し、求めれば祈りは通じます。祈りと答えは一つ。

我神なり」と、神との一体感のもと「神の思いが我が中で行われますように」と祈り続ければ、その祈りが深いほど実現してゆくのです。

 神の勝利によって祈りが実現してゆく様をありありと描ききれば、神の意に叶うその祈りは成就(じょうじゅ)します。

「祈り」は「意乗り」に通じ、生命は意識によって働き、意識によって内なるものが外に向かい、形になるのです。
 
 祈りの際に両の手を合わせて合掌するのは、霊であって生かしている右手と物質を象徴している生かされている左手を合一させる姿であり、一命一体をもってその思いを実現させようとする姿そのものなのです。

 祈りとは神我一体の境地にならんとする意識の表現です。意識が極度に集中された時、私達の創造を遥かに超える力がはたらくのです。

 人はそれを「奇跡」と呼びます。人が病から癒やされてゆくのもある意味で自らの、そして親しい者たちの祈りの力といえるかもしれません。

 私達は今生、または過去生で付けた魂の汚れや傷を正していかなければなりません。そのためには日々正しい身口意を積み重ねていくしかないのです。

 現象としての病、事故などは己自身に原因がある場合の他、時には伴侶や親しい人の代わりとなって表出する事があります。

 それらを避け、または癒やすためには自省と共に真摯な祈りを続けるしかありません。
 
 しかし、祈りが願望に、そして願望が欲望になる事は避けなければなりません。人間の深層意識は集合意識となって現象化し、大きな災いを招くことは太古からの歴史の教訓として私達の中に入っているはずです。

 過度な欲は己をそして周囲をも傷つけるものである事を認識して頂きたいと思います。

悟り

 真理を悟ることによって人は魂のみならず、魂と連動した肉体までもが高い次元の波動を受け、神との一体感をより覚えるようになります。

 真理は人を恐れから解き放ち自由にするものです。それまで苦と思われたものが苦でなくなり、私達を成長させるための手段であり、
 一つの過程であった事が心から理解できた時、この世にいながらにして全く別の法則が働き始めるのです。

 その時、空を飛ぶ一羽の鳥も、道端の一本の草も、あなたにとってそれまでとは全く異なり、荘厳な光りに包まれた存在と感じられるようになるのです。

 悟りの程度が深まるに従って、それぞれの内に神が顕現し、大いなる力が働き始めるのです。そしてより悟りが進んでゆくと、外なる肉体の感覚は次第に薄れ、魂と融合してついには一切なくなった時、そこに自分が生命として神と共に光を放ち存在している事を悟るのです。

 自らの悟りの段階を高め、その境地としてそこに至った過程を縁ある人に伝え、悟りを促す事が真に人を助ける事になります。悟りの境地が高い者ほど謙虚であるのは、※悟りに限りがない事を知っているからです。

※ドクターピープルズという高次の存在によりますと、地球は分離は幻想であり、全ては一つ・全ては神という真理を学ぶための星だそうです。
 それを悟る事によって地球での輪廻転生は卒業という形になるかと思われます。ちなみに惑星によって魂が学ぶ目的は変わるみたいです。

 この世で学ぶことは限りなく多いのです。荒い波動のこの世で成長を遂げていく事こそ生きる目的と言えます。この世とは己と周囲との調和を学ぶ場なのです。

 魂が肉体を作り、試行錯誤を繰り返しながら一体となる事を私達は目指した全ては一つ・宇宙は一つの生命体・全ては神の悟り)のです。
一命一体、自他一体という調和を成し遂げよ」と神は諭しているのです。

癒しの実現

 心の癒しを実現するためには思いを発する母体である心の転換が必要です。心の転換のためには病の本質を見極め、真理を知ることです。

 病の原因の多くは心の不調和から生じるものです。御本人の自覚がない場合でも、原因となっている場合が多いのです。

「心の表現=思い」を変えるには真理を知り、それを心の底から理解する事です。(※神=宇宙法則”真理”の理解=悟り)

 歪みとは調和の乱れでもあり、弦を調律するように真理に沿って正してゆかねばなりません。真理とは宇宙の法則です。

 その全体像は決して言葉に表せるものではありませんが、
見えるもの、見えないものは表裏一体」(色即是空・全ては神の現れ)
原因があり結果がある」(原因者である神が必ず結果の全てに宿り給う)

「生死に区別はなく、命は永遠不滅で苦の原因である死の恐れは必要のないもの」
一命一体、自他一体、全一体」(全ては一つ・全ては自分・全ては神)
といった真理の集積こそ宇宙の法則なのです。

 神の本質である真理(神我)を私達が体現(神我権限)し、(明想で)神との一体感を味わうことで心の転換が私達の中に起こってくるもので、そこに癒しの力が働き始めるのです。

 神の似姿である私達はより神に近づいてゆかなければなりません。真理を心から悟ると、偽物が消え、全く異なるメカニズムが発動し、
 治すのは他ならぬ自分自身の中にある神である事が分かり、自然治癒力がより働いてくるようになってきます。

 今を生き抜き、生き尽くすことで過去も未来も変わるのです。この世に出る時に私達が過去生の記憶を消されるのは今を全力で生きるためです。

 今を全力で生きることで未来は変わり、傷つき、悲しみに包まれたこの世における過去の数々の出来事さえも、より完全に近づくための一つの過程として光に満ちたものに変わるのです。

 真理に触れ、心から悟ることで人は変性意識に目覚めます。心の変容は脳から肉体に伝わり、細胞一つひとつに変化を促(うなが)します。

 真理を悟ることで一気に意識が変化することがありますが、それがより進むと肉体までもが現界の影響から離れ、別の法則が働き始めるのです。

 様々な超能力が日常的に発揮されるまで変性意識が高まる事が、時として見られるようにもなるのです。
洗心でアンタカラーナを伸ばすのと併用するといいかもしれません)

 変性意識(神意識・光のシャワーで魂の油注ぎ)がより浸透する事で肉体と心との調和が生まれ、自然治癒力がより進むようになり、思いやりや優しさのエネルギーが自分への癒しにもつながるのです。

 肉体はエネルギーで出来ており、そこには他ならぬ命(神我キリスト・大愛・御霊神霊)が躍動しています。生命は愛。愛こそ神の姿であり、根源には一切の分離や対立は存在しません。

愛と執着の違い    

問 人生の中では殆どの人が直面し、悩むのが「愛と執着」というテーマと思いますが、この世で生きている限り逃れられないものなのでしょうか。

答 
「愛と執着」、これは実に多くの人々が悩み、日々葛藤しているものです。「これだけの事をしてあげたのに」と、愛を与えたつもりが相手から見返りがないといって嘆く人は多いものです。見返りを求めるのは偽我そのものです。

「愛と執着」の違いについては、体験を通してでなければ分からない事があるのも事実です。苦しみ悩んだ末に徐々に理解していくというのが普通です。

 真実の愛は、好き嫌いというモノサシを取りません。感情的なものでもありません。すべての創造されたものを愛し生かす事です。

 そして真実の愛(神我)は見返りを望みません。人も物も必要な時に移っただけで、手元にある時には大切にし、そして手放す姿勢も時には求められるのです。

 この世では、差別し、敵対する事と同時に、執着する事が悟りに至れない一因になっています。執着に基(もと)づく愛は相手も自分も苦しむ事になるものです。

 根源の世界には悩み苦しみはなく、無限の至福に包まれて止む事がありません。そうした境地を皆さんにも味わって頂きたいと思います。

 ヨガナンダの講話の中には浮気をした奥さんの話が出てきます。浮気をした相手の男は去っていき彼女は金も友人も無くしてしまいました。

 その時、ご主人は奥さんに向かって「体験は終わりましたか?体験が終わったら帰りますか?浮気相手は魂を欲した。
 私は魂(本質・根源・内在の神・私である貴方)を愛します」と再び戻ってくる事を許したのでした。

 講義の中でご主人のような境地に成る事は難しいと思われるかもしれませんが、(真の自己・神我の)本質は「許し」「愛す」こと(慈悲と愛です。

 浮気という行為は決して褒められるものではありませんが、相手の魂の傷の原因を本質(根源・神我)の方から見ることで「許し」「愛す」事が出来るのです。

 本質とは神の命、神の光そのものです。そうした見方が出来た時に、あなたの波動が変わり、ステージが一つ上がる事になるのです。日々途切れる事無くそうした境地にいられるよう努力して下さい。


蒔いた種を刈り取る     カルマの記事♪

問 近年、様々な場面で「二分化」が進んでいるように思いますが、先生のご意見をお聞かせ下さい。

答 自分が発したものがそのままどころか、何百倍にもなって自分に帰ってくる事があるのを知るには、自ら体験するのが一番良いのです。

 良いことも悪いことも作用は反作用を生み、しかも増幅されて返って来るのです。
 沖縄で私は、あるエネルギーが地・水・火・風・空に触れて激しい勢いで跳ね返されてくるのを明想の中で、はっきりとしたビジョンとして見せられた事があります。

 明想の中でこそ根源の実相を見る事が出来るのです。何者でもなく、自らの力で跳ね返されてゆくその様子は強く印象に残っています。

「身から出た錆(さび)」の言葉通り、鉄が酸化して錆が生じるように、自分にも何らかの原因があって障害が起きるのです。

 自分が起こした事はある時には間接的に返ってきますが、いずれにしても蒔いた種は自分で刈り取らなければなりません

 種が多く喜ばしい実となるのか、苦いだけのものになるのか……、時には自らの生命(いのち)で償い、刈り取られる事さえあるのです。

 私が以前から光話の中で繰り返しお伝えしてきた通り、ここ数年間で人によって大きな差が付きます。良くなる方、落ちていく方の差が激しくなります。
 そして、小さな非難が大きな事故につながる事さえ出てきます。「山は口を開けて待っている」のです。

 本質から離れたものはあなたに一時の快楽を与えはしますが、それは永続きしません。本質に近いものほど、その働きはゆっくりではありますが続いてゆくものです。

 人は予想もしなかった事に出会うと「何故?」と驚いてしまい、時には考え込んでしまうものですが、原因と結果の世界からみれば、全ては(宇宙)法則の現れです。

 僥倖(ぎょうこう)の前兆が、次々と襲い来る災難であったりする事もあり、大きく飛躍する前には膝を曲げ、身をかがめなければならないのです。

 すべての責任は自分自身にあると心に定め、我神なりとその命を輝かし、全てを愛し、光となって力強く一日一日を送って下さい。

 
自分という「全一体」     

問 先生は光話の中で「全一体」という言葉をよく使われますが、この先生のお話の中の貴重なお言葉、「全一体」について教えて下さい。

 富んでいる者も貧しい者も、年老いた者も若き者も、この世に存在するすべてに意味があります。そうした見方が出来ないという事は自らを傷つける事につながります。

 全一体---殺した人も殺された人も、それを見ている自分自身も、すべて自分なのです。

 真我は様々な偽我を作り、それを克服し、磨いてゆくことでより真我としての輝きを増すのです。偽我とは個性、思い込み、感情、欲望などの総体を表現します。

「一命一体」「自他一体」そして「全一体」なのです。真我、偽我も二者一体で表現するのです。

 特に私達の眼の前で罪の行いがなされた時、それを看過してしまう事は悪いカルマを作る事になると神は言います。
 罪を見て見ぬふりをする事は「ゼロ」ではなく罪を実際に犯す事に劣らぬほど良くない事であると言っているのです。

 罪を正す時に「神よ、この者たちに光を、心にやすらぎを」と祈る、その対象は殺した人、殺された人、そして自分自身なのです。
 自礼拝もが必要なのです。自らを愛せない者はすべてをも愛せないのです。

 あなたが目の前の者に対して見下げた言葉を吐けば背負いきれない程の罪を追う事になります。これは心して下さい。差別する心が生じ、それを言葉に出すという行為には特に注意して下さい。

 内在する神により一点の狂いもなく裁きが行われます。この事を知って下さい。裁きという表現よりも、「結果を招く」「作用を及ぼす」という方が相応(ふさわ)しいかもしれません。

 誰かが罰するのではなく、この宇宙の意志が自然に、言った本人にある状況をもたらす事になるのです。

 相手によって自らの態度を変える人は、相手によってその扱いを変えられます。あなたが行った事、言葉に出した事、思ったことは多少の時間の開きことあれ、あなたに返ってゆくのです。

 その仕組を悟り、身をもって知ったならば、相手も自分であるとして接し、絶えず謙虚でいる事を心がけて下さい。やがて周りが常に穏やかにあなたに接してくるようになるのが分かり、心が平安に包まれるでしょう。

「悟り」は「差取り」に通じます。全一体を知り、執着する事なく神として生きることです。
 それを日々続けていく事により、あなたの行く先々で黄金に輝く幸せの扉が開かれていく事でしょう。



地球一の大覚者・超能力者 上江洲義秀先生について

 上江洲義秀先生ってどんな人?って思われる方もいらっしゃるでしょうから、簡単にですがご紹介させて頂きます。
 上江洲先生とは、お釈迦様やイエス様と同じ境地、完全なる解脱の境地・第五イニシエーションまで到達し、完全覚醒された悟り人(覚者)の方です。

 瞬間移動・どんな病気でも治せる最高のヒーリング能力・天候操作・動植物との会話・時空間移動・オーバーシャドウ(真の神憑り)・物品引き寄せ・等々、思い浮かぶだけ記載してみましたが、もっと色々出来ると思います。

 オーバーシャドウでも相手にするオーバーシャドウの体験談は特に面白かったなぁ……犬の意識に乗り移って操ったお話とか、人間に乗り移って操ったりとか、常識を超えた驚愕エピソードでした。NARUTOの、山中いのというキャラの心転身の術というのに似てる感じでしょうか。

 ドラゴンボールと、NARUTOと、ドラえもんを足した様な事をこのリアルな世界で出来ちゃう、とんでもなく凄い方だという認識で大丈夫かと……。
 
 簡単にですが、きっと本物の凄い方なんだろうなぁ…と思って頂ければ幸いです。この機会をきっかけにして、上江洲義秀先生の教えに触れて頂ければ私にとって最高の喜びであり・至福・極上の幸せであります♪

この瞬間の
私の最新の真理の理解のお話

 私のこの瞬間の、最新の理解をまとめてみました。ある程度、理解が進んだ時に、こうやってまとめてみると、真理の理解が整理できて、より高い高い段階の知見に進むことが出来るのではないでしょうか。皆様の意識の進化にお役に立てれば光栄の極みで御座います。

「全ては神=我神なり」という真理♪

意識の進化=愛の拡大=分離意識の克服=
我は全体なり・全体我なり=全一体・自他一体=

全ては私=全ては一つ=全ては一つの存在の現われ=
宇宙は一つの生命体=全てに神(宇宙生命)が宿り給う=

宇宙は神一様=全ては神の中の存在する一つの存在=ワンネス
全ては永遠に一つの存在=全ては一つ=全ては私=全ては神

全ては今この瞬間しか存在しない=全ては永遠に一つの存在=
永遠の始まりである神の御心のみが実在=今即天=今即実在=

大愛・宇宙生命・神の一人子である神我キリストのみが実在=
全てはこの瞬間に存在する宇宙生命そのもの=全ては神そのもの=
全ては神ご自身=神一元・愛一元・光一元=宇宙即我=我神なり



 イエス様は「愛は天と地の架け橋」とおっしゃられました。その愛とは「許しの到達点」である「慈悲と愛」で御座います。

 真の意味で貴方が、その「許しの到達点」の境地に到達した時に、自ずと「天である神」と「地である貴方」との架け橋が繋がる事でありましょう。私は実体験からそれが実際にありえると確信しております。


愛は天と地の架け橋  この愛の理解と体得が神様と繋がる鍵♪

神・大愛(天)……全てを活かす愛・慈悲と愛・すべての形態を形作る力・意識を与えて下さった魂の根源・真の親・すべてを活かし育む力、縁の下の力持ちで全てを愛し慈しむ無償の愛・無限の愛・すべてに意識を与えて下さった天の父であり天の母である中性エネルギー・真の親・愛を表現する為に…無限の創造をなさっている慈悲と愛そのもの

神の表現体(地)……神が神を愛する為に生まれた存在・神の化身・愛の化身・神の表現体・神の中に創造された神・個別化した神としての自覚に覚醒めた我・滅私して神の道具意識を自覚している我・自分が神ご自身だと悟った我・愛を表現する為に生まれた事を自覚している我、全てを100%の愛で愛する我、自分と全てが神以外の何者でもない事を自覚している我
 

全一体感を観じるマントラ(真言)に出会えたお話

 真理と悟りについての思考中に、一番使い勝手がいいマントラって何かな~って考えていたある時…、ふと何となく思い浮かんだマントラが、非常に効能があると感じましたのでご紹介させて頂きます。

 心の中で唱えると、全一体感を観じる…といいますか、スーッと心が全一体感…神の御心の中に入っていける……意識が高まっていく…高い波動に変容していく、といったかなり高い効果を観じることが出来ました。
 
 今まで色々なマントラを心の中で唱えてきましたが、その中で一番効能がある気がしたのです。お恥ずかしい話ですが、今まで、マントラによる意識の変化というのを、そんなに如実に観じる事はあまりありませんでした。

 しいて言えば、一瞬でも人を責めるような想いが出そうになった時に…、「サタン(偽我)よ退(しりぞ)け~」という一括するマントラはかなり効果がありました。
 このマントラはお釈迦様やイエス様も唱えられていたようで、この真言でサタン(偽我)を追い出していたそうです。(by知花先生☆上江洲先生)

 波動に敏感な私でも、「我神なり」だけでは、あまり変化を如実に感じる事はなかったのですが、今回、気づかせて頂いたマントラでは心の中で呪文のように唱えた途端(笑)、意識が神意識に近づく意識の変化を観じる事が出来ました。

 前置きが長くなってしまいましたが^^;、ついに!!……ドキドキ………そのマントラをご紹介申し上げますと、下に記したマントラとなります。

●我神なり、すべては神なり
●我キリストなり、全てはキリストなり
●我本質なり、すべては本質なり
●我生命(いのち)なり、全ては生命(いのち)なり
●我愛なり、すべては愛なり
●我真理なり、全ては真理なり
●我光なり、すべては光なり
●我無限なり、すべては無限なり
●我大霊なり、すべては大霊なり
●我宇宙エネルギーなり、全ては宇宙エネルギーなり

 
 知花敏彦先生や上江洲義秀先生♪をご存知の方々ならお馴染みなマントラ、「我神なり」等の後ろに「全ては~~なり」を続けて唱えてみるというマントラであります。

 「神の自覚」と「全てに神を観る」という内観の最重要な2つの視点を、しっかり言葉の中に内包しているという、中々、一粒で二度美味しい、いいとこ取りで、シンプルで使い勝手がいいマントラの様に感じました。

 そのマントラを唱えた後では、自然に全てに神を観じれるフィーリングを感じやすくなっている自分に気づいた事がありました。ここまで短期間での意識の変化を感じたのは初めてでしたので、これは素晴らしいな…と思った次第なのです。

 「全てが神」に見えた時…1つ目という悟りの目が開眼すると…、覚者☆知花敏彦先生は仰っておられますが、その1つ目が悟りだと定義しますならば、このマントラを唱える事自体が、ある意味「悟りへの内観」をしているとも言えるでありましょう。

 このマントラに自分の想いを乗せてしまう……、マントラと自分の思いを一体化させてしまうイメージで、自分の心がこのマントラそのもの……その想いが自分の思いなんだぁ……という感覚で唱えると効果がより高まるかもしれませんよ♪ちなみに私は、そんな感覚で唱えております。

 私はこのマントラに抜群の霊的パワーを感じましたので、ぜひお見知りおきを頂ければ幸いであります。効果を感じる一種の神秘体験が出来ちゃうかもしれませんし……なんてったってお金もかかりませんからね(笑)。


2018年6月24日の記事♪
地球最高の大覚者 上江洲義秀先生について

 今まで、上江洲義秀先生の事は存じ上げていたのですが、知花敏彦先生で宇宙神理をかなり深く学んでおりましたので、もうそれで結構満足している部分が御座いまして、お恥ずかしい話ですが、あまり深く上江洲義秀先生の教えについて追求する時間を取っておりませんでした。

 ここ最近、ふと目に入った上江洲義秀先生のご著書に目を通した所、買った頃に読んだ時とは比べ物にならない位、あまりにも素晴らしい内容である事に気づかせて頂けたのです。

 なぜ、こんな素晴らしい内容だと今まで気付けなかったのか、実に不思議なのですが(笑)、きっとそれはそれで意味があることなのでしょう。

 そういった訳で御座いまして、こんな知花先生の教えを更に細分化して、分かりやすく説明して下さっている究極の真理を、世界人類の魂の覚醒のために、お届けしたいという燃えたぎる思いとなった訳であります♪

 それにしても、上江洲義秀先生は高尚な詩人の様な、高い文芸的教育を受けた文豪のような素敵な文体をされておりますね。本当に感銘と感嘆を抱きましたし、華麗な表現に多大なる衝撃を受けました。

 ですが実の所、上江洲義秀先生はこの世の教育は殆どと言っていいほどお受けになられておらないそうです。それなのにこんな優雅で甘美で芸術的で麗しい表現を自由自在に駆使されている事は、真実に根源の世界からの無限の叡智からのものなのだとしか……、実に摩訶不思議であり、究極の悟りに到達された偉大なるお方であることを証明されているように存じます。

 上江洲義秀先生のご著書は、私が今まで見た書籍の中で、間違いなくダントツにナンバーワンの高次元な超濃厚な悟りの書だと断言させて頂きます。

 知花先生と同じ内容では意味がない訳ですし、どういった形で宇宙神理を説かれているのかと…、最近、二回目に拝見した時に、自分でも驚くほどに、本当に不思議な程に、上江洲義秀先生の教えの深さと知花先生との微妙な違いが理解出来たのでした。

 現在では天上界の覚者方、聖者方は全力で、上江洲義秀先生を支援されている事でありましょう。ぜひ皆様も、地球最高の大覚者であられる上江洲義秀先生のご著書を拝見して頂ければ幸いでございます。

 上江洲義秀先生のご著書さえあれば、悟りの全ての全ての謎が解けると言っても過言ではないでありましょう。
  
 時代もあるのでしょうけれども、知花先生が大まかにお伝えしていた部分を、かなり詳細にご説明して下さっている部分も多々見受けられました。

 そういった意味でも、知花敏彦師の教えに既に精通されているお方でも、新しい悟りの発見を華麗に見出す事が出来るのではないでしょうか。

 究極の悟りへ答えが、地球最高の大覚者であられる ”上江洲義秀先生” の偉大なる業績によって、地球人類全てに明かされる素晴らしい黄金時代に入りましたね。
 これは地球人類全てにとっての祝福・福音でありましょう。

 徹底した洗心を実践して、私にとって一番難易度が高かった、せかせいかしない、イライラしない、も全くと言っていい位なくなりました。

 そうして心が不動心になってまいりますと、心が綺麗な鏡のようになってきて、天啓、いわゆるインスピレーションがスムーズに入ってくるようになりました。

 上江洲義秀先生とは全く比較にはなりませんが、本当に大事な時に、大事な叡智と言いますか、こういった文章を作成する時にも、パッ、パッと必要な単語が脳裏に湧いて来るのですね。本当に有り難い事で助かっております。

 結構、それが普通になっておりますが、細かい文章の単語をひねり出す手間がかなり削減されますので、インスピレーションがスムーズに頂けるという事は、地味地味ですが、実に便利で有り難い一種の能力だと感じております。

 こんな文章も全然詰まる事無く、流れる清流が如くスラスラ書けちゃう♪
 イータイピングもあまり練習していないのに、”洗心効果” で集中力がアップしている様子で、予想よりいい点数が簡単に出ちゃう…みたいな♪

 特殊な能力でなくても、洗心を徹底的に実践してまいりますと、私の様に、それがごく普通と感じるくらいに、善なるインスピレーションが自然に頂ける人間に変容して参ります。それは実体験からして自信を持って断言出来ます。

 洗心している間に、いつの間にやら、軽い能力者になっていたという感じで御座いますね。本当にいつの間にか知らぬ間になっていた……という♪
 七念層が綺麗になってアンタカラーナが伸びてくれたからかもしれませんね。


 きっと上江洲義秀先生の場合は、完全に覚醒された偉大なるお方ですから、私の体験からしましても、高尚な詩人の様な洗練された語彙も、自然に湧き出る泉が如く、無限の叡智から得ておられる事だと推測されます。

 今更ですが、上江洲義秀先生の偉大さに気づかせて頂けましたので、珍しく熱く語らせて頂きました(笑)。長文のご拝読有難うございましたm(_ _)m♪


上江洲義秀先生のご光話
苦の正体(苦しみから開放される秘訣) 

 人生は肉体をまとい、生老病死を伴(ともな)った現界の荒い波動の中で日々を送らなければならないという意味では「苦」です。

 しかし、私達はそれをも楽しみ、学びの手段としなければなりません。何故ならば魂と肉体の調和を果たすために自ら選択してこの世に来たという事実は消すことが出来ないからです。

 たとえあなたの記憶から消されていても、それは厳然とした事実として不可視の記録庫に書きされている事を知って頂きたいと思います。

「苦」の原因は「執着」と「分離感」、そして「恐れ」です。執着は欲から生まれ、分離感は無知から生じます。

 金銭、住まいなどの物質、そして生命に対する過度な執着が苦を生む大きな原因となり、それらへの執着をなくすことで苦は消え去ります

 金銭、住まい、そして何よりも生命は私達がこの世を渡っていく時に無くてはならない者です。しかし、私達は1人で生きていけるわけではありません。

 隣人を始めとする周囲の環境全てとの調和の中で生かされている存在である事を悟る時、日々の生活を送るために必要以上のものを望むことは調和を乱し、己をも傷つける事を知る事になるのです。

 苦は創造者と一体化し、「我神なり」と悟り「全一体(宇宙は一つの生命体・全ては一つ)」を知ることで消え去ります。

 宇宙を貫く不変の法則の真理を知り、執着や分離感をなくす事で消え去るのです。

 人は過去の縁というものに触れた時、様々な感情が湧き上がります。時には内から外へ感情が吹き出すのを抑えきれなく成る衝動に駆られる事も出てきます。

 しかし、目前の現象に振り回され、感情の奴隷になってはいけません。人が感情という偽我に惑わされ、霊性な判断を失った時に苦は生まれるものだからです。

 執着することなく、自他を分ける事もなく、過去も未来もなくこの一瞬が全てである事を心から知る時、苦はなくなるのです。

 苦は既に自らの中に実在が顕現している(父なる神と私は常に一体である)と悟った時、そして苦が悟りに至るための手段であり過程であると悟った時に止むのです。

 その結果、病さえも遥か彼方に消え去ってゆきます。そして苦を糧として悟りに至る象徴が泥の中に咲く連の花であるように、現界で生きる私達の中にも真理という大輪の花が咲くのです。苦を通じて真理を知ることで苦は苦でなくなり、苦そのものが無にかえるのです。


宗教は一つ     上江洲義秀先生の記事♪

 神は一つ、宇宙は一つ、そして宗教は一つです。
 キリスト(メシア・救世主)は決して特別な存在ではなく、皆の中にある神がキリスト(神は汝の内にあり)であり、仏陀であり、神そのものの本質が本来、人間の中に備わっているのです。

 愛という神の本質がそれだけ顕現しているかに個人差があるだけであり、神は全ての人々の中に神そのものが顕現する事を強く待ち望んでいるのです。

 神は命(宇宙生命・大生命)。私達が日々の中で生き、感じているものこそが神です。花々は命がなければ咲き誇ることは出来ません。石一個、虫一匹にしても同じ事が言えます。
 
 私達がこうして言葉を話せるのも命のお蔭である事に感謝しなければなりません。命そのものがすべてを通して生きている神ではないでしょうか。

 神は我が内にあり命そのものがあなた方の中で働いている神である事を知って頂きたいと思います。

 命こそ智恵であり力。私そのもの、あなた方そのものが神なのです。我神なるがゆえに無限の力、無限の智恵、無限の愛を内包しているのです。

 永遠の命こそが私であり、そこには不安も恐怖もありません。我は全て、全ては我なのです。一つは全体につながり、何を見ても神そのもの

 人の本質は命(無限大の愛)であり。命が息づいている一転生の今の今生の日々を私達は決して無駄に過ごしてはいけないと悟って頂きたいと思います。

 神は愛、命、そして光愛こそが根源である神の泉と私達をつなぐ水路です。水路は天候に左右されることなく水田に水を張り、秋には黄金色の稲穂を収穫させる命ではないでしょうか。

 愛は創造し、生かし、闇を消し去り、恐怖に打ち勝つ光そのものです。私達は神からの水路を枯らす事があってはならないのです。

 神は命そのものであり、私の命とあなた方1人ひとりの命に分離はなく、唯、万物の命が生かし、生かされている、それが唯一の命なのです。

 創造する者もされた者も一体(父と子は常に一体)です。真我の目覚めによって1人ひとりが進化を遂げ、幻が克服されてゆく事で黄金時代とも呼びうるような世界が築かれるのです。

 神は無限の意識、智恵、そして個々の現象を作る質量であり、この三者は一体となって働き、そのうちのただ一つが欠けても成り立つ事はありません。

 すべての創造の根源は無限の愛という原因(神)によって生かされている事を私が体験したように、あなた方もそうなって頂きたいと思います。

愛の架け橋

 聖人とは、乗り舟である肉体、結果である現象に惑わされることなく、真理を静心の中、内観によって見出した者をいいます。私達は神という本質を見失い、幾転生の人生を迷いの連続としてはなりません。

 自分が神であることに目覚めることが「自覚」であり、目覚めた者を「覚者」と言うのです。肉体を我として生きるのは錯覚で、内なる神を我として生きるのが悟りの人です。

 人を裁き、誹(そし)り、嫉妬をしていたその相手は万物の化身である神そのものだったのです。神は万物を愛によって生かし、万物が大愛の中に融合することを切に望んでいます。

 神の働きがなければ゚蟻一匹たりとも存在する事は出来ません。現象界の知識は無限の中では針先の一点であることを知って頂きたいと思います。

 私達にとって新たな人生とは気付きによって真我の大海に入りゆき、自らの本質は神であったことに目覚めるための旅のことです。

 私達は朽ち果てゆく物質をめぐる戦いの人生を送ってはならず、我神なりとして生き続けなければなりません。

明想の境地          

 狭義の明想とは、静寂の中で自らの意識の中に深く、より深く入っていく事です。より精妙な波動の中で集中していく過程で真理を悟っていく方法とも言えます。

 明想の境地を判断する物差しとして現象を参考にする方法があります。天の霊流に身体が引き上げられてゆく感覚を受ける方、白い光の中に全身が包まれてゆく感覚を受ける方など、境地が深まってゆく感覚は人それぞれといえます。

~~~  中略 ~~~       

 こうした境地に誰もがなれるという訳ではありませんが、明想の中、そして日々の生活の中に於いても、こうした境地に近い状態には到達出来るものであり、一人でも多くの方が「我神なり」の状態を味わって頂きたいと願っています。




神     (知花敏彦先生の教え)

 「今即久遠」「今即永遠」「今即実在」「今即霊」「今即神」です。
 今から神になる者は一人もおりません。初めから神しかおりませんのにどうして今から神になれましょうか。自分が神になることは自分が神であったことを知ることが必要なのです。

 自分が神であった、全体が神であった、全てが神であった、ということを理解することです。それを知らないのを無知というのです。
 自己を見つめるということは神を見つめるということになります。

 自己を知ることは神を知ることです。自己を知らないで神を知ることは不可欠です。自分は神ではないといったならば、もう絶対に神を探すことはできないのです。私達が神で無かったなら神を探すことはできません

 我れ神なり、我れ生命なり、であって神は全ての全てであり、ありとあらゆるもの、神以外何もないのです。神一元という意味です。
 神一元とは神以外はない、神が全てだという唯一不二の神というのです。無限者・普遍者なのです。その中に神以外は存在できません。

 それに対し、神を知らない心の状態を引き起こしたのが、この世の悪といわれているものです。神を知らないから悪とか悪魔とかいうのです。

 神を知っているものには悪とか悪魔は存在しません。神を知らない心の状態が悪というのです。神を知れば悪は存在しません。絶対善があるだけです。絶対神があるだけです。絶対愛があるだけです。絶対調和があるだけです。

 だから神を知らない者のみに悪魔・悪霊があるのであって、神を知ってしまえば、私達の今いるところが天なのです。いま即天とは実在という意味です。

 地獄とは非実在という意味です。非実在とは天しかないのに、天一元しかないのに、天以外に何かあると思う心が引き起こした幻想なのです。その中に自らの獄壁を作り、自らを閉じ込めているものです。

 私達が全てを神とみなしたならば、全てが神だと観たとするならば神こそ絶対実在で絶対に神しかいないとなったならば、私たちは一つ目になったということです。

 神もいるが悪魔もいるというならば二つ目です。目が開かれているのではありません。心眼が開かれているのではありません。その悪とは何なのかを考えれば判りましょう。悪は神を知らない人間の状態なのです。

 私達が真理を知り神を知れば悪を行えません。悪魔もいるが神もいるという指導者は神を知らない指導者であって失格者なのです。悪霊とは自分が死んでも神の霊であることを知らない、その霊的力を誤用している、誤って使っている状態の事を悪霊というのです。

 全体が一つであるのを全一体感といい、自他一体感といいます。霊には区切りがなく別離がないとはっきり理解したならば自他がありません。他人がありませんので、即自分ですし全体も自分であるのです。

 これを全我といい、全我の自分というのです。普遍的自分です。宇宙意識・普遍意識・神意識というのです。私達の生命には区切りがありません。区切りがあれば無限生命ではありません。

 生命が区切られていないと判れば、私達の生命は区切りがなく様々な形態を現しているのです。ひとつ様しかいません。一つの命しかありません。ですから全体は我ということ、全我ということになります。

 例えばここに一本の木があるとします。この木の葉も一つの命で全体の木の葉が生きているのです。個人個人の木の葉の命はありません。一本の木の個々の葉は外側から見れば一枚一枚ですが、内側から観れば一つの生命であるのが判ります。
 
 ですから「生命の木を把握しなさい」とイエスは言われましたが、生命の次元から観れば同一だという意味が判りましょう。
 外側から見れば個々ですが内側から観れば全体です。

 この全体が我だと判りますと誰を憎めますか。一本の木の個々の葉一枚一枚が憎みあったら、誰を憎んだことになりますか。
 自分自身を憎んでいることになります。

 外から見れば私達一人一人で個人個人ですが、内から観れば全体になるのです。外から見れば小さな私達ですが、内からみれば大きな我になるのです。内側を観れば大我であり、外側から見れば小我で、外側は小我で内側は全我です。

 外側の外観から見るから小さなものとしてこの木の葉を見ますが、木の葉の生命は小さいものではなく大きな生命です。

 私達の個人の命も同じように大きな生命です。この形態を見れば小さな小生命と思っていますが、小生命と大生命は一体だということで霊と大霊は一つであり離別していません。

 「神は汝の手よりも足よりも近し」といわれる所以(ゆえん)です。
「天は近し、神は近し」と言われ、神の中にいて神そのものであるのに神を探している。そして今から神になろうとしています。

 今の今、神の中におり、神なのに入ろうとしています。
「いま即実在であり」「いま即天であり」「いま即神である」修行して神になるのではなく初めから私達神なのです。神には修行は必要ありません。

 「難行苦行、悟りにあらず」の言葉通り、自分が神であることを自覚する、自己を知るということが如何に大事であるかと言えます。自分の中に神がおれば全体の中にも神がいることが判ります。全てに神がいると言えるのです。

 イエス・キリストは「神の実子になられた」ということは、自分は神の実子であるのを悟られたという意味です。あなた方とイエス・キリストの違いはあなた方は神の実子ではないと思っているという違いなのです。

 あなた方を創られた方は神以外に誰がおりましょうか。見えるもの全て神のもの神以外の誰があなた方の創り主なのでしょうか。神こそわれわれの父なのです。

「何者もこの世で神以外に、父と呼んではならない」といわれる意味がわかりましょう。あなた方が神の実子であることがはっきりわかりましょう。あなた方の生みの親はまさに神なのです。

 このことを知ったならば万物の中に神がおられ、万物は神の子であるということになります。何を見ても如何なる形態でも、神を宿せぬものはないと判れば、神の他には絶対になにもないということ、神のみがまします、神のみが独存するということが判ります。

 あなた方はあちらに神を求め、こちらに神を求めていましたが、神の中において神は自分であり、同時に全体が神であります。であるが故に神は無限者であられる。
 この世の中で神でないものが一つでもあったならば神は無限者でもなく全体者でもないし、全知全能でもあり得ないのです。

 我を知ることは神を知ることの名言であるのです。
神を知る前に自己を知りなさい。自己を知った時、神を知るのである」という意味です。

 生命・大霊には区切られた生命、区切られた霊はありません。ですから私達一人びとりは個我であると同時に大我であるのです。ですから私達一人一人は個我であると同時に大我であるのです。

 形を見れば小我の小さいものですが、原因は大原因そのものですから大霊・大生命そのものであるのです。区切られた生命や如何なる形の形態の制限設けないのが生命であり、神なのです。神が形態の自由を奪われたり制限されたりはしません。

 だから神はいたる所にまします。神のましまさぬ所とてなく、空の世界にも色の世界にも偏在したまい、鉱物・植物・動物・人間とて神を宿さなければ存在しないのです。

神は自らの住み家を自ら創り給うて、自ら留めたもうた」。
そして、「形態をお創りになり形態に自らの生命を宿しておられる」。私達の肉体は神の働く焦点、神を表現せんがために存在しているのです。

「生ける神の宮なり仏の宮なり」という意味です。神のみが生きているのです。神の他には生きているものはありません。生物は全て神です。

 無限の中においてこれが神だ、あれは神ではないと区別しているのは真理ではありません。もしそのようにいう人がおれば、その人達は妄信であり狂信家です。

 無限者の神の中において神以外の者が存在できましょうか。神は無限者であられ、大宇宙そのものが神であられるといいながら、ここに神はいて、あそこに神はいないと、どうしていえましょうか。
 
 今の宗教家達は間違いを語っています。何かの修行や何かの宗教をやらないと、神の中に入れないと思ってはいないでしょうか。

 今、神の中におるのです。お釈迦さまは「今即天」といわれ、イエスは
「私は初めから久遠の中にいた」といわれました。私たちは初めから久遠の中にいるのです。

人々は誰でも神を探し、神がどこにおられるかと一生懸命に探し続けてきました。しかし神を探した人はほんの微々たる少人数に過ぎません。

 何故ならば自分が神であること、「我れ神なり」という事実を知らないからです。その自分が神であるのに神をしているのですから探すことはできません。神が神の中においては神を知るということです。

 神が何なのか、神がどこにいるかを知っている人が非常に少ないのです。一生懸命に神を求めている人はが非常に多いのです。神がどこかに存在するといって探していたのでは何時までたっても探すことは出来ません。

 自分が神であり万象万物が神であること、全てが神である自覚、神を自覚するということは自分自身が神であることを知るのが一番大切です

 神がどこかにいるのではなく神は全てに偏在したまい、全てに帯座されている。神はここやあそこにいるのではないのです。他に神を見出そうとしても、見つかることはありえないのです。

 神の中に今いるのです。そして自分自身が神なのです。神はありとあらゆるもの、全ての全てです。神の他には何もないのです。宇宙そのものが神なのです。

 何年も何十年も神を探しても神は見つけることは出来ません。そこで、人間は神を造ったり、遠い彼方に神がいると想像して新興宗教を造っているのです。

 イエス・キリストは、「神のいるところに私がいて、私のいる所に神がいる」と言われ、お釈迦様は「我が内に仏(神)がいる」と言われました。

 この言葉を徹底して知り学び理解すべきです。自分自身が神であることを自覚できない人が神を知ることは絶対にできません。

 「我れ神なり、我れ生命なりと」。何故、全てが神なりといえるのか。神は万物の親、万物の創り主であり万物の生命でもあります。大生命そのもの、大霊そのものが神そのものです。

 大生命・大霊・神のほかには何も存在しないのです。神のみが実在する。神こそが絶対実在であり、その他には何も無いのを知るべきです。神は空の世界でも色の世界にでも全宇宙に遍満している神一元です。
 神のほかには絶対に何もないということを知ることです。


全一体感、全てが私が「宇宙即我」に気づいたお話

 お釈迦様が悟りを開かれた後に第一声を発せられました。その御言葉とは「宇宙即我」であります。じゃあでは何故その御言葉だったのでしょうか。

 その点の理解がより深くなりましたのでご説明申し上げますと、宇宙といいますと、銀河系の風景や、お星様がキラキラ輝いている夜空を思い浮かべる方が多いですが、宇宙とは「無限・全体・ありてあらゆるもの」、の比喩としての意味もあると思うのです。

 そういう解釈で考えてみますと、お釈迦様の御言葉は、「無限即我」「全体が私」「私とはありてあらゆるもの、即ち一つの生命」という意味合いで語られたと考えられます。

 ヒマラヤ聖者の生活探求等のご著書にある真我(神我)の英語では、なんと記載されているのでしょうか……、ドキドキ……それは、
 何と”アイ・アム”なのです。ドッひゃ~といった感じですが、全ては私、全一体感、自他一体感・全てが神と思える意識状態とも言えます。

 全一体感・自他一体感は光であり実在、分離意識、分離感は闇であり非実在という事になります。カルマは分離意識の中に存在するものですから、カルマは真実、実在においては、本当は存在しないものだとも言えるわけです。

 この辺りが深く理解できますと、愛という神性火花、全一体感という無限の完全意識の前では、カルマは影、幻の如く消え去るしかないという、上江洲義秀先生の説かれる真理が、すんなりと頭の中で整理されてまいります。

 悟りを一番短い言葉でご説明するなら、それはズバリ「分離意識の克服」でしょうか。ピンとこない方もいらっしゃるかもしれませんが、知花敏彦先生上江洲義秀先生の記事をご観覧して頂ければ容易に理解して頂けます。

 後もう一つ悟りに至るためにどうしても克服しないといけない事が御座います。それは「全てを愛し全てを許す」という事です。

 これはどういう事かと申し上げますと、人を責める思いを持っている時点で、いくら「我神なり」と思った所で ”分離意識” ”偽我状態” なんですね。

 「全一体感」「自他一体感」「全ては私」という境地はどうしても、「全てを愛し全てを許す」境地に至らないと到達できないのです。

 先程、悟りとは「分離意識の克服」と書きましたが、誰か一人でも許さない存在がある限り分離意識ですから、残念ながら悟りには至れないという事になってしまいます。

 ですから、真理を徹底的に理解した上で……全てを愛し尽くした時に、自然に宇宙即我の境地に至っていく道が出来上がるわけなのです。

 その状態で上江洲義秀先生明想を実践して頂いたら、かなり短い期間で 「
根源への到達」「神との合一」「宇宙即我」 を体験して頂けるかと思われます。


創造主様からのメッセージ♪から一部引用ですが……♬ 明想の記事♪


 一番大事なのは、愛の実践です。愛し合う事です。全てを許し合う事です
許して下さい。許し合えたらあなたは、許されるのです。あなたが許さなければ、あなたも許されません。

 まず、自分の罪を許して貰いたかったら、人々の罪を許しなさい。そしたら、自ずから、あなたの罪は許されます。あなたは、人の罪を裁きながら、あなたの罪だけを免れたいと思うのを止めなさい。

 あなたが人を裁かず、怒らず、謗らず、嫉妬をしなかったら、あなたは誰からも、怒りも、裁きも受けません。全ての人の罪を、許してあげなさい

そうすれば、あなたは全てから、許されます。私、神から許されます

 罪を犯す者を、愛しなさい。そうすれば、私もあなたを愛します。
 人を愛さない者は、私も愛しません。

 私の元に来るためには、この世で一人だって好き嫌いがあってはなりません。なぜなら一人でも、私であるからです。私が創った者であり、その中に私が居るからです。

 神は全ての創り主、全てを創って、全てのものに、ご自身を宿しております。あなたが隣人を嫌うなら、私を嫌っているのです。私を嫌う者は、私から嫌われます。私を愛する者は、私から愛されます。全ては私なのですから

 神から愛されたいのなら、どうか、世の隣人、全ての者を、愛さなければなりません。その愛の実践が、真の信仰、神に至る道であるという事を知りなさい。

 
 悟りとは理解、真理の理解こそが悟りなのです。覚者・上江洲義秀先生も

真理を理解した時に、皆さんは全ての全ての悩み、苦しみから開放される事において、「真理は汝を自由ならしめん」と言います。】

という風に仰っておられます。
 ぜひ皆様も”真理を理解”して”真の自由”を手に入れて下さいね♪(ゾゾ社長の前澤友作さんや、嵐の大野君もぜひ自由の為に^^……笑)

 私の実体験ですが、真理を理解すればするほど、胸の奥底から溢れ出る愛の光がほとばしる光源の様に光りだしてくるのが観じられます。

 頭の表面で理解するのではなく、ハートの奥底にストンと落ちる理解だと、魂の内なる輝きに直結して来るのを何段階も経験してまいりました。

 真理の理解度が深まれば深まるほど、真の愛というものが分かってきますから、自分の魂が非利己的な真の愛に目覚めてゆき、「内在の真我の輝き」がましてきて、この世の闇の影響を全く受けなくなっていったのです。

 よく人間の心には善と悪が在るなんて言われておりますが、真実において、真の自己である真我に目覚めると、「絶対善・絶対愛・絶対調和・ただ愛おしい」という「善想念のみしか湧いてこない」のですね。

 この時に、自分の本質は「善」のみだったと実感・自覚することが出来るでありましょう。

 徹底的に洗心して、全ての全てを愛し尽くし、許し尽くした時に、真の自己である真我が覚醒め始めるのです。そうしますと不思議な事に、意識状態が愛に満たされてきて深遠で何とも言えない静寂感に包まれてまいります。

 平安と安らぎといいますか、"聖者は沈黙を守る" "静心” ”愛と調和の不動心”……そんな境地になってゆくのです。
 そうなりますと、何を見てもただただ愛・愛・愛……、これが神の御心なのかと、真の自己とは愛そのものであったのか……と、まさに愛一元ですね。

 人間の本質は”愛”です。全一体感という真理の中には”愛”のみしか実在しないという事を実感させて頂きました。この境地に到達しますと、心が常に愛で満たされていますから、この世の闇の影響を一切受けなくなります。

 私は、自身の体験からの確信を持って、人間の本質は愛であったと…愛のみが実在であったと、愛がすべてであったと、力強く語ります。

 ”悪”とは分離意識の中に存在する影、幻(まぼろし)であり、実在しないものですから、分離意識を全一体感という愛の光で克服した時に、貴方の心の中から影のように消えてなくなります。

 その時貴方は、愛に目覚めた者 ”克服者キリスト” です。愛はフォース(力)ですから、その時から真の意味での超能力が開花し始めるというわけですね。これが覚者の超能力と言われているものであります。

 チャクラは愛でしか開かないと言われておりますが、全一体感(全ては神・全ては私)という真理がこの”愛”です。愛はすべてを制し超越する力です。真の愛に覚醒めた時、その偉大なる力を手に入れる事が出来るでありましょう。

……というわけで【全ては私=宇宙即我】という驚愕の事実が判明してしまいましたが(笑)、そのお釈迦様の偉大なる悟りを詳しくご紹介して下さっている上江洲義秀先生の動画をご紹介させて頂きます。良かったら見て下さいね♪

全ては私 稲穂の会 上江洲義秀先生


答えは「私」 【朗読】バーソロミュー3(122)


ジョルノ・ジョバァーナ風に語る悟り話

ジョルノ・ジョバァーナさんのパロディーが入っていますが……

 このシンチョウグッド(私)には正しいと信じる夢がある!『悟り人』になるという夢が……、その夢を守るため、全てを許し愛する『慈悲と愛』という黄金の精神で生きる……全身全霊の命がけの覚悟が……僕にはあるッ!

 すべてを愛しすべてを許す慈悲と愛の境地、愛という神性火花を常に心に灯して生き続ける、「全一体感という愛」で生きるという覚悟が!!

 五井先生や、上江洲義秀先生の壮絶な超能力のお話に憧れて、『悟り人・覚者』に憧れるようになったのだ!!(ここだけちょっと誇張とフェイクが入ってます……嘘をついている味がする……笑)

 ゲームを捨ててまで悟りを開きたいというほどの、気高き『覚悟』と……覚者になるという黄金のような『夢』に人生をかけよう……黄金の精神で……

 無限を愛し、全てを愛し、隣人を自分の様に愛し、どんな悪のような現れに対しても許し、慈悲と慈しみで包んであげれる愛のキリストに……、全てを愛で克服し乗り越える”克服者キリスト(覚者)”に僕はなるッ!!

 精神世界を追求しだして約四年、気高き『慈悲と愛』と、悟りを開くという黄金のような『夢』を追求してまいりましたが、お陰様で現在では、こんな境地が存在するんだ……と思えるまでのゴールド・エクスペリエンス(黄金体験)な至福な境地に到達致しました。かなりの境地かも♪
  
 現在では、毎日が平安と安らぎに満ち溢れたゴールド・エクスペリエンス(黄金体験)な日々、まさに全一体感という至福の黄金の境地に到達し、一瞬一瞬が、喜びに打ち震える生きながらにして天の住者という状態であります。

 悟りを追求して本当に良かったと、命がけの覚悟を持って追求して本当に良かったと……、真理を追求するって本当に価値の在る生き方だったと…涙。

 全身全霊で悟りを追求して愛に生きるという『覚悟を生きてる人』、本当にやるといったらやる……『スゴ味』があったのが良かったようです。

 我神なり、全てに神を観る、全一体感、自他一体感、すべてを愛しすべてを許す、悪を愛で抱擁してあげる・悪を善で抱擁してあげる深い愛、神への愛、
 全ての生きとし生けるものとの一体感、無限大の愛に生きる、慈悲と愛に生きる、君の命がけの信念と行動、僕は敬意を表するッ!!

 僕は…悟るのをやめないッ!!胸に秘める内なる真我の黄金の風を輝かすまで……今生で悟りを開いて、輪廻転生にアリウェデルチ(さよならだ)!!


「2018/10/23(火) の記事」
最近、上江洲義秀先生の光話にハマっているお話


 最近は、朝から一日中上江洲義秀先生のご光話を聴きまくっております♪大体(購入した分も含めて)約60話ぐらい視聴したかと思われます。
 知花敏彦先生の170話とのミックス視聴で真理の理解がより深く完璧に近づいている今日この頃だったりします(@^▽^@)ニコッ♪

 色々なネットの生活にお役立ちな情報を楽しみながらも、耳では常時上江洲義秀先生のご光話を聴くという、一挙両得な効率的な時間の使い方をしながら、人生をエンジョイしながら悟りを追求する毎日です♪

 ちなみに、下のリンク先にもある中村寿子先生の明想指導の動画も50回以上視聴しております。

 私は基本的に受験勉強的な努力を惜しまないタイプの人間ですので、こういった直感的な修行と思われる悟りへの道の努力に対しても、脳裏に悟りの知識を詰め込み教育の如く(笑)、猛勉強しているという訳で御座います。

 右脳的アプローチだけではなく、左脳的アプローチも併用しながら効率良く脳の潜在意識に真理の知識が染み込むような形で追求するのが、魂の覚醒への時間も短縮できるような形ではないかなぁ……っていうそんな感じでしょうか。

 メジャーリーグでもスタットキャストという球種分析で、玉の速度や回転数などを研究して球筋を分析するのが流行っているそうですが、覚醒への悟りもメジャーリーグのように徹底的に分析をするのが一番手っ取り早く、深い理解に到達できるコツのように思うのです。

 そういった考え方で、知花先生と上江洲先生の説かれている真理を、お互いすり合わせて理解をより深めていくという作業を日々続けております。

 私の脳裏でお二人の教えが融合されていくと、言葉違いが多少あっても、お二人の説かれている真理は全く同じ事を仰られていますから、有り難い事により深く、面白いぐらいに真理が理解できるようになりました。

 どちらかの教えを学ばれている方は多いと思いますが、意外とご両人とも徹底的に分析しながら追求している真理の追求者の方は意外と少ない気がします。この方法でしたらきっと驚くほどに誰でも深い悟りの理解の境地に到達出来るのではないでしょうか。個人的にオススメしたいです(笑)。

 えっ、どうしたらお二人の教えを追求できるの?……って思われる方もご安心下さい。記事の一番下にある「お勧めスピリチュアルサイトをご紹介」の知花敏彦 まなびの会 上江洲先生 ゆいまーるプロジェクト♪や、

知花敏彦師の記事♪ 上江洲義秀先生♪」のリンク先の記事を見て頂ければお金もかけずに、誰でも高いレベルの境地まで到達出来ますので、もし良かったら記事を見てあげて下さいね♪

 また、知花先生の教えで解脱・覚醒まで到達された偉大なる覚者である「かとうはかる先生」の理想社会を考える会(かとう塾)で真理を学ばれると、より真理の理解が容易に進む事でありましょう。

 イエス様は十字架に貼り付けられるまでは、第三イニシエーションだったそうですが、上江洲義秀先生は、現在の時点で解脱のレベルである第五イニシエーションまで到達されていますから、ある意味…イエス様よりもレベルが上の方という解釈も出来ます。

 そういった意味でも、本当に奇跡の地球人類の最高の境地まで到達された、偉大な大覚者である上江洲義秀先生のご光話は、人間に生まれた以上、死ぬまでに一度は聴いておきたい、
 これ以上の価値はないと言っても過言ではない程に、有意義な素晴らしいお話ですから、ぜひこの機会にご視聴頂ければ幸いです。

 今回ご紹介している動画は全部、中国語の通訳が時期的にまだ無かったり、カットされていたりして、非常にテンポが良く聴きやすくなっていますから、ストレス無く楽しくご清聴して頂けるかと思います。

 私はもう耳に穴が空くほど聴いておりますが(笑)、何回聴いても奥が深くて聴き入ってしまいますねぇ……・:*:・(*´∀`*)ウットリ・:*:・

 面白いことに何十回もご光話を聴いておりますと、潜在意識の奥底に真理の知識が染み込むみたいで、自分が理解しているが如く、真理の知識の脳の引き出しがスムーズになってくるんですね。

 分かりやすく申し上げますと、一夜漬けの勉強ではすぐに忘れてしまいますが、長い期間をかけて学んだ知識は時が過ぎても、すぐに忘れることはないといいます。

 その例えと同じで、何十回も繰り返し聴いていると、大事な時に大事な知識が、溢れ出る知性が如く自分の叡智の一部となって真理の深い理解の一部、魂の覚醒への栄養となって根源という大海へのスムーズなエンジンとなってくれるのです。これは体験から確信しております。

 一回聴けばいいや~ではなくて、何回も何回も繰り返し視聴するというのも修行法としてアリかな……と、新しい修行方法をご提案してみました。もし宜しければ、ご参考にして頂ければ幸いで御座います┏○ペコ♪


上江洲義秀先生のご光話
『真実の天下り』 2012.11.4 ふれ愛の会 【第二部】 山梨
◆ 抜粋 
・ 神の完全意識がこの肉体という表現体を通して愛を示すことを、本当の天下り。
 
・ 一点の狂いのない答えを与えきれるのは、ひとりびとりの内に内在する神そのもの。
それをみなさんが表現できてこそ、本当の天下り。
 
・ 無限の智慧の中には、偽我なるものは、すべて飲み込まれる。
 
・ 智慧も力も愛も光も、時空間、壁、距離、いっさいを超えて、どこにでも遍満しているがゆえに、すべての想いがそこにある、ということを知ってもらいたい。

●天とは神として全体意識

 
真実の天下りを、説いてみたいと思います。
 
よく今の政治家は、「天下り」と表現されます。じゃ、真実の天下りを知っていましょうか。天とは神の完全意識。

で、神の完全意識がこの肉体という表現体を通して愛を示すことを、本当の天下り。

つまり、みなさんが「我は神なり、神は我なり、我と神とは一体なり」その境地で一瞬一瞬生きておられるならば、それ・・真の天下り。

人間意識、肉体意識、個人意識という偽我生きながら、天下りをされる者は一人もおりません。
 
天とは、神の完全意識。神の完全意識が、つまりこの肉体をオーバーシャドウして、、これ真のオーバーシャドウ。

で、日本で言わせれば、真の神懸かり。あの沖縄のユタの説いている、あの幽界の者が懸かられていることが、あれがオーバーシャドウではありません。
 
我、神なり、我と神とは一体なり。西洋で、、英語で言えば本当のオーバーシャドウ。日本で言うならば、真実の神懸かり。

だからみなさんは、誰かれから間接的にメッセージや、インスピレーションを受ける必要はないんだ、と。

あなた方自身の内在の神が、直接あなた方のこの肉体をひっぱり生かすこと、導き生かすことが、これが本当の神懸かりであり、本当のオーバーシャドウ。

そこからメッセージ、インスピレーション受けぬかぎり、誰を通してメッセージというならば、みなさんはその人の観念、概念で振り回されるだろう、と。
 
なぜなら、私がその体験者。もうさまざまに引きずり回されました。我が中に神を忘れて、外、外、外に神を求めて、神のメッセージだ、インスピレーションだ、天啓だ、、どこからメッセージは来ましょうか?

七十億の人間から真実の答えが与えられることはないんだ、と。一点の狂いのない答えを与えきれるのは、ひとりびとりの内に内在する神そのもの。

で、それをみなさんが表現できてこそ、本当の天下り。天とは、神の無限として完全意識であることを知ってもらいたい。
 
あの、みなさんは、モーゼの十戒の映画を観たことがありましょう。あのモーゼが杖を投げたときに、一匹のコブラに変わりました、

その杖は。で、相手は二本の杖を投げて二匹のコブラに変わりました。それは、二匹を例えているけれど、何万、何十万、何億でもいい。

で、相手の二匹のコブラはモーゼの杖が変わったコブラに飲み込まれました。それは、じゃ何を象徴にしているのか。数は何十億でもいいこと、ただそれだけの数を出しえないがゆえに、象徴づけて「二」を出しただけ。

その飲み込まれたものは、何を意味しているのか。「無限の智慧の中には、偽我なるものは、すべて飲み込まれる」という象徴です。
 
七十億の偽我生きている者が、真我なる我に太刀打ちすることはできぬ、という象徴。偽我なる者は、すべて真我によって飲み込まれるという象徴で、あれを示していることを理解してもらいたい。

ならば、どこから天啓は、どこからメッセージは、、外という結果なるものから訪れ来るではありません。
 
内在の神そのものから、直結でみなさんは受け取れるあなた方であるために、、。私にそれを教えたのは、ヒマラヤの聖人でした。

今から三十年前、あるがんの方に私が手を触れようとした時、
「今、あなたのこの肉体も私が使える準備が整った。」

もう明想状態の中にあって、肉体的なバイブレーションも上がり、意識そのものも高めたがゆえに、ヒマラヤの聖人が即そこに私の目の前に現れて、

「今、準備整ったこの肉体を通してヒーリングをしたい。この肉体を貸してくれ。」だったのです。
 
で、私がその肉体を明け渡した瞬間、もう末期のガンが二、三分で瞬間に癒えたこと。そうすることにおいて、私がこの肉体をこのように提供し、そこで神の偉大なる御業ができたことを感謝します

・・と想ってその方にその表現をしようとした瞬間、逆に向こうのほうが「あなたの伝導体を使い、神の御業が成しえたことを心から感謝します。」と、瞬間、その聖人が私から抜けました。
 
それも一つのオーバーシャドウ。で、その逆にみなさんがその状態を幽界から受けるものを、なんというのか、、憑依現象。だから、我々は、真の神のオーバーシャドウを受けるか、憑依現象を受けるか、二通りの一つ。

皆さんは、何を受けたいのか。幽界なるものの憑依現象か。神、我として神直結にみなさんは、オーバーシャドウ、神懸かりを受けたいのか。

で、離れて(その聖人は)私にこう言われました。「これも一つのオーバーシャドウ。しかし、それは間接的オーバーシャドウであって、直結ではない。」と教えられました。
 
たとえば、モーゼが、私の肉体を使ってここでみなさんに御業を示す、光話でもいい、あるいはその病気の癒しの表現でもいい。

間接的オーバーシャドウ。どの聖人が私の肉体を使って、ここでどんな御業を示しても、それは間接的オーバーシャドウ。

いったんこの肉体を通して、根源の中に至った方々は、みなさんは聖人と言われます、あるいは賢者と言います。

その聖人と言われたその方々が、我々の肉体を使って顕現することを、これ間接的オーバーシャドウ。

しかし、あなた方が内在の神、「我は神なり、神と我とは一体なり」その境地から一瞬一瞬顕現できること、これ、本当の神懸かり、本当のオーバーシャドウ、真実の天下りといいます。
 
じゃ、今の政治家に本当の天下りをされている方がいるのか、真の天下りがされているならば、世界は変わっていくだろう。日本は変わっていくだろう。

素晴らしき日本建設、世界建設。平和のために働き生きるならば、それ本当の天下りだろうと。天とは神の無限として完全意識。神の完全意識が、この肉体を通して顕現し、どうして戦争を引き起こしましょうか、

どうして対立や、あの国とは手を結びたくない、あの国は否定する、都合いい国とは手を結ぶ・・、天においてはすべて一つではないでしょうか?天において、分離差別があり得ましょうか?
 
天は神の完全意識。だから、みなさんが天国に帰るとは、「我と神とは一体なり」その境地に至ることを天国に帰る。肉体去ってから、良いことをしたからこの人は天国に入るんだ、、

この者は悪いことをしたから、肉体去ってから地獄に落ちるんだ、、そのようなことは、どこにも存在しなしない。今、即みなさんが、神我一体の境地ならば天国そのもの。

で、肉意識で、「あの人は許せない、この者は嫌い、この人は愛せない」と、憎しみ、怒りに燃えて生きているならば、そのままにして、もう地獄。
 
さっきも説いたように、実相という、、本来、実相世界には天国、地獄もない。完全意識のみの実在の中に、相対するものは無いと先ほど説きました。

しかし、そこに導くために私は、あなた方が今、全体意識で神、我として顕現できているならば、天国の住人。

今、即、天国。天とは神として全体意識ですから、
神は無限の中にすべてを創造して、無限そのものとしてすべてを生かしたるもの。

一物だって、分離したるものはいない。なら、分離して生きている者を、逆に天の反対・・地と、説いているだけにしかすぎません。

だから、我々が朝に、昼に、晩に、もう常に結果的なことしか思わない、もう寝ても覚めても、明けても暮れても結果的なことばかり。

想いは意識はもう、目が開けば、すぐ肉体以外には、もう考えもしない、思いもしない、意識もしない。思うのは、考えるのは結果だけのこと。
 
結果は、何というのか、地と言います。結果だけに生きているものを、なぜ、蛇と言いましょうか?蛇は地を這って生きるものだけに、象徴づけられて、蛇のように地を這うもの、と表現します。も

う、朝に昼に晩に、寝ても覚めても結果だけのことしか考えない。物質をかき集めるための金儲けだ、と。もちろん、否定はしません。肉体あるかぎりは、金も富も物質も必要です。

それを私はゴミ箱に捨てなさい、という意味ではない。
イエスキリストが、「すべての財産を捨てて、私について来い。」と、金持ちに説いた時に、その金持ちは、「私には、そんなことは、できません。」と、断りました。
 
それは、けっして持っている物を、ゴミ塵を捨てるように捨てなさい、といった意味ではありません。あって、とらわれない自分。あって執着しない自分。これを解脱とも言うではないでしょうか。

だから解脱とは、偽物いっさいを脱ぎ捨てている者。あるいは偽物から解放されている者。肉体持ちながら、肉体の影響を受けぬ自分。

家族いながら家族に縛られない自分。もちろん肉体を粗末にしなさい、でもない。家族を粗末にしなさいでもない。この世を否定しなさいでもない。
 
ただ我々は、天下りで生きているのか、この天という神の完全意識で、この肉体を顕現できているか。常に、朝に昼に晩に、もう結果という仮想のことしか想っていない者、(それを)地を這う蛇のような者、地を這って生きる者。肉体あって肉体の影響を受けぬ自分、

家族いながら家族に縛られない自分、この世を生きながら、この世に支配されない自分、これこそ解脱ではないでしょうか、それこそ出家とも説くではないでしょうか。
家族を捨てて、山や洞窟に籠ることが出家ではありません。
 
なぜ、ここで出家を「出る家」と書いているのか。それは、単なる象徴。肉体は、様々に象徴づけて説いていきます。「命の乗り船」「命の乗り馬」「命の飼い犬」。

だから、命の飼い犬と説いている聖人は、むやたらに断食しようとする弟子にこう言いました。「なぜ、、あなたの飼い犬ではないのか。」

あなたというのは、神。「神の表現体、神が表現する道具ではないのか。あなたの飼い犬ではないのか。

なぜむやたらに断食しようとするのか、骨の一本や二本はくれてやったら。」と、そう説いた聖人もいます。
 
で、イエスキリストは、この肉体は、神の生ける宮なり、神の生ける宮。しかし、あの当時の、宗教家は、宮というならば、あの宮殿、またあの大きな建物、教会。それを宮と勘違いしている者に、

「たとえあなた方が、この肉体にくぎ打ち、磔て破壊したところで、私は三日後には、この宮を組み立ててあなた方の前に現れましょう。」と、

そう言った時、その無知なる者たちは大きな混乱を招きました。この宮を、教会や神殿だとしか見てないその宗教家は、

「何を言うのか、この宮は何十年、何百年の年月を要して我々が完成させたと思うのか。それを、あなたが三日間で組み立てよう、というのか。」と、笑いました。
 
イエスキリストが説いた宮は、この神の表現体であるこの肉体を説いたことを知らねばなりません。

磔られて三日後には、またエーテル質量で、この肉体を組み立てて多くの人間の前に現れ見せたではないでしょうか?それを、宮の建設。

だから肉体は、命の乗り馬、命の乗り船、命の仮の姿、仮の衣装、命の飼い犬と、様々な表現で説きました。
 
では、「命の住む家」と説くならばどうなのか。もうみなさんは、出家と理解できましょう。家族を捨てて、山や洞窟に籠ることが出家ではありません。

肉体ありながら、肉体に支配されない自分。肉体ありながら肉体の影響を受けぬ自分、これが出家。ならば、みなさん、家族を捨てずとも、今、出家することができるではないでしょうか?
 
我、血や肉、姿、形でもない。我、人間、肉体、個人でもない。我、神なり、我、霊なり、我、真理なり。

その境地で、はっきりみなさんが自覚しているならば、それこそもう出家。我と神とは一体なり。この肉体を通して、神が顕現できるならば、本当の真実の天下り。
 
だから、天下りは、けっして偽我のものではありません。

常にこの肉体という表現体を、神のために使い生きている者を、これが天下りではないでしょうか。神の御心がこの肉体という表現体を通して、顕現すること、、

真我顕現。神と我とは一体なり。その境地でこの肉体を、一瞬一瞬示している者、表現していることを、それが本当の天下りということを知ってもらいたい。
 
今、世の人間が、天下りができた者が増えれば増えるほど、どういう現象が起こるのか。素晴らしい世界へと建設されていくだろう。

しかし、その逆に、個人的欲望の天下りであるならば、自分さえよければいい、自分の家庭さえ守っていればいい、自分の国さえ豊かであればいい、利己主義、で、そのような天下りが増えていけばいくほど・・・

先ほど、この昼間の光話でIさんが言われたように、なぜこの現象の世界は、このような世界になってしまったのか。

あなた方は愛の持ち主であり、智慧の持ち主、力の持ち主でありながら、我は神なり、我、神なるがゆえに、無限の智慧、無限の力、無限の愛の泉、宝庫、我が内にあり。
 
その持ち主であるにかかわらず、愛をください、愛してほしい、愛を、愛を、、。ゆえに、もうこの世界はどうなるのか。与えるものはいない。

得たい、得たい、得たい者。得たい者は奪われる。愛を得ようとする者は愛を失い、愛を放つ者は愛を得る。命を得ようとする者は、命を失い、命を放つ者は命を得る。
持てる者、さらに多く与えられ、持てぬ者は持っている物さえも奪われる。
 
で、これ常に例えたではないでしょうか。ある一人の男性が、王の位を得に町まで出かけたい。

十名の使用人を呼んで、まぁ日本円に例えるならば、百万でもいい一千万でもいい、平等に十名に与えて、「私が王位を得て帰って来るまでに、その元金をもっと増やしてほしい。」と、

出かけたその方は、王の位を授かって帰って来た時に、十名の使用人を呼んでひとりびとりに問いた。
 
で、一番最初に呼ばれた者は、「あなたは、その元金をどれだけ増やすことができたのか。」と聞かれた時、

「私は、その元金をもとにして、十倍増やしました。」と、「よくやってくれた、あなたには十の町を治めさせてあげよう。」と、与えられました。
で、二番目に呼ばれた者は、「五倍増やしました。」と、

「では、五つの町を治めさせよう。」一番最後に呼ばれた者は、「私は一円も増やしませんでした。」「なぜ増やさなかったのか?」

「今の人間は、嘘つきがいるし、欲深い盗人がいるから、その元金をもとに仕事をしようとするなら、騙されては困るからそれで仕事をしなかった。」「なら、なぜ銀行に預けなかったのか。

銀行に預けさえすれば、利息で増えていたではないのか。もう、あなたの持っている金を全部、最初増やした者にあげなさい。」しかし、その者はなんと言ったのか。「あの者は、持ちすぎているではないのか。」
 
それが、持てる者は、さらに多く与えられる、持てぬ者は持っている物さえも奪われる。このように我々は、与えない乞食になってはなりません。

乞食は乞食以上の分け前を与えられた乞食は、世にひとりもおりません。我々は、ください、ください、の乞食ではなく、すべてを与えて尽くし生きる我々になってもらいたい。
 
また、自分自身の中に無限の宝があるにもかかわらず、外に求めていたその一例は、何十年も古い木箱の上に座って乞食をしていた男が、通りがかる者にいつも野球帽子を差し出して、ください、ください、と願ったこと。

ある時、一人の男性がそこを通りかかったとき、いつものように野球帽子を差し出して、ください、、と言った時、「私はあなたに与える物は、何も持ってない。」と答えました。

「あなたが座っているその箱はなんなのか。」と聞かれた時、「とるに足らない古い木箱の上に座って、私は何十年も乞食をしています。」
「じゃ、蓋を開けて、中を覗いたことがあるのか。」と、聞かれた時、ないんだ、、と。

「なら、蓋開けて中を覗いてみよ。」と。おそるおそるその乞食は、蓋を開けて中を覗いてみたならば、黄金の宝がぎっしり詰まっていた、と。あるにもかかわらず、ください、ください、、の乞食。
 
我々もその通り。ください、で言うかぎりみなさんは、内在の神は動くことはないだろう、と。与えて与えて与え尽くし生きるあなた方になった時、智慧も力も、愛も光も、内からこんこんとほとばしり出てくるだろう、と。
 
これ、私が南米に行く当時のこと。我々の家の前に、何メートル離れていたか、、みんなが使っていた縦長の井戸がありました。で、もう幼稚園、小学校一、二年、南米に行くまでのこと。

それを今振り返ってみればわかります。定期的にお父さんたちが、あの深いその井戸に入って、一年に一回なり、二回なり、すべて汲み出して大掃除するんです。

何をしているんだろう、なぜそうする必要があるんだろう、と思いました。なぜ、いつでも湧き出ているその中を、あえて汲み出して捨てる必要はないはずなのに、なぜそうするのかと。
 
それが、この現象という結果の世界でも行われていた。で、与えれば与えるほど、こんこんと湧き出てくる。

堰き止めれば、堰き止めた水は腐っていく。だから、そのように、お父さんたちが汲み出せば汲み出したほど、新鮮なその湧水がこんこんと湧き出てきました。

で、その翌日からの水は、いっそう美味しかった。それを記憶に私は覚えています。
 
我々もその通り。兄弟姉妹のために、智慧も力も愛も光も汲み出して、与えれば与えるほど、こんこんとほとばしり出てくるではないでしょうか。

だから、得たい者に、くださいください、と願う者に、真実の明想をしている者は、ひとりもいない。真実の明想をしているならば、智慧も力も愛も光も、自由自在に、常にこんこんと湧き出ています。

与えれば与えるほど、湧き出てくることを知ります。だから、どんなに深い明想状態の中にあっても、与えられている障害も乗り越えられない。で、目の前に現れた宿題も越えきれない、苦しみもがいているならば、何の明想か、と私は言います。
 
何のために、明想しましょうか。本当の天下りであるために、明想しています。神と繋がり神の偉大なる能力を、自由自在にこの表現体を通して顕現するために明想しています。

じゃ、明想状態の中にあって、智慧も湧き出てこない、力も湧き出ない、愛も湧き出ない、ただ愛してほしい、愛をください、愛を、、。どこに明想がありましょうか。
 
本当の明想状態の中にあるものは、はっきりわかります。与えて与え尽くし生きることに変わります。もう、もらいたい者ではない。ください、ではない。

得たい者ではない。どんな条件の中にあっても、与えて与え尽くし生きます。それが本当の天下り。
 
なぜ、、この肉体という表現体に下っているのは、全知全能の神そのものではないでしょうか。全知全能なる神の完全意識ではないでしょうか。
 
 じゃ、神の完全意識が、この肉体を支配しているならば、無能、無力であるはずはないではないでしょうか。無知、無能、無力、、ならば、それは明想状態の中にはありません。

真実の天下りされているでは、ありません。今ここに、立ちながらも世界のあり方が、わが完全なる神の意識の中に、すべてを写し見ることができます。今どういう状態が、どこでどう起こるのか。

ただそれは、神の能力はもてあそぶものでないゆえに、そうせぬことであって、今ここに立っていながら、この会場から一歩も出ずとも、知りたいことをすべて知ります、見たい物すべて見ます、で、わかりたい物がすべてわかります。
 
これこそ自由自在、観自在、無碍自在の、神の絶対なる境地ではないでしょうか。(しかし、ほとんどの者が)何も見えない、何も知らない、何も理解してない。

よく、今の科学も、無限というその根源実相から見れば、もう幼稚園生のままごと、というではないでしょうか。
 
これは、今の科学者を笑うことではありません。たとえば、ここが、今日本として、これは私の住んでいた南米アルゼンチンのちょうど地球の裏側として、ここ日本から光を発生させたら、

あの地球の裏側の南米まで、何分何秒でその光がそこまで到達した、と言います。何を言うのか、と。人間が作り上げた物ならば、そうでしょう。

しかし、この宇宙には、何が遍満しているのか、無限の光です。無限の智慧です、無限の力です、無限の愛です。いたるものが遍満しています。
 
ならば、初めからあった光が時間、空間、壁、距離を超えているならば、今、即、そこにあるものであって、何分、何秒かかってここまで光が到達するのか、、初めからあるもの。

だからこそ、我々はこの肉体から我を解き放つことができるならば、「我、意識したところに我あり、我の想ったところに我いる」

観自在、無碍自在、自由自在の私。私が今、「私」と説いているのは、肉の私にできるはずはない。肉の私は、無知、無能、無力、迷い。
 
最高学位を得て、地位や名誉、財、富、金、物質に囲まれて、年ごろになっていい男性、女性とめぐりあって結婚し、子をつくって生涯優雅な生活を終えたところで、この肉体が私であるならば、なんの価値があるのか。

無知、無能、無力、無知の人生、盲目の人生、迷いの人生。しかし、あなた方がこの肉体、すべての存在の根源である神こそ、我なり、、というその境地に至ってみてください。
 もうここで光を発生させる必要もない、即そこに光があることを知ります。
 
我、光なり。すべては、光なり。初めからあったもの、今もあるもの、未来永劫にあるものが、時間かかるはずはない。智慧もその通り。


だからよく、百何匹のその猿を用いて表現するのも、その波動そのものではないでしょうか。
 
これは、、私が地球の裏側である南米のジャングルに住んでいました。で、私の従妹が沖縄に住んでいました。まったく地球の反対側。

しかし我々が体験したことは、もうそこでは、何も見聞きするものもない。ただ向こうから手紙が届いて、小学校6年か中学生あたりか、沖縄でビー玉が流行りというならば、南米のジャングルの子供たちも学校でビー玉。

で、沖縄で凧揚げよ、というならば、南米でも凧揚げ。なぜでしょうか?その意識、その波動がそのままにして、そこにあるからではないでしょうか?

それが途切れている、というならば、そこに時間、空間、壁、距離が、今のみなさんが感じているとおり、そこに距離あるならば、それで感じられるはずがない。
 
そこに、そのままにしてその意識、その想い、その波動があるがゆえに、同じ時期に同じ状態で、取り合えるということを知らねばなりません。

だから、今このクラインガルテンのここに立って、この話を意識拡大されている者は、たとえ中国であろうがインドであろうが、ヨーロッパであろうがアメリカであろうが、その私の光話、その内容を聞いている者が必ずいる、ということを知らねばなりません。
 
なぜ、、私は日本の山梨の、このクラインガルテンというここに立ってのみ私はあるのか?

全体にあります。全体にある者は、それに波長あう者は、バイブレーションそれそのものに同調する者は、その場で即、私の光話を聞いているということを知らねばなりません。

そこにいます。そこにあります。限定された肉体は、あなた方の前に立っていましょう。しかし、私の意識はどうなのか、全宇宙へとかけめぐっていることを知らねばなりません。幽界なる者がその話を聞いている、ということを知らねばなりません。
 
だから私はたとえ会場に肉体を持っている者が、一人であっても二人であっても、私は約束ならば、そこで光話する、というのは、その意味。なぜなら、幽界なるものが、いつでも何千という方々が集います。

この前も、たんぽぽの会で、「幽界」と私がチャンネルを切り替えて見たならば、何千名がその会場に入っていたではないでしょうか?

で、幽界でも、今、肉体を持っている意識状態は、今、変わらぬかぎり、今、変性、変生をさせぬかぎり、幽界に行ったって、同じことという、その状態を私は説きました、、
そういう方々が、いっぱい来ていましたから、あの会場に。
 
だから我々は、過去でもなければ、未来でもない、今、我を制御できる、この一瞬、この瞬間。今、己を改善できる、この一瞬、この瞬間こそが実在と言います。過去にでもない、明日にでもない。
 
だから私が、「明日、明日、明日にする」という者に、「明日はないんだ」と言います。「今が今であって、明日なるものがあるのか」と。
 
もちろん結果の世界で、ものを見るならば、今日明ければ明日がありますから、ずっと続いて明日、明日、、と言いましょうけど、実在の中には、明日はない、ということを知ってもらいたい。

実在とは、実際にあるもの。実在とは、今、今、この一瞬、この瞬間。それのみが実在、それのみがあるのみ。
 
一秒過ぎ去れば記憶、一秒まだ来ぬ未来は、記憶の混じった希望。だから、過去、未来を思い悩むことなかれ。

実在という、この瞬間を生きている者には、何の心配も、不安も、恐怖も無い。この一瞬というこの瞬間に、時間、空間、壁、距離を超えた無限として、すべてがあることを知っています。そこにみなさんに至ってもらいたい。
 
もうこの光話、この話は、最終の最終のものが説かれていることを知らねばなりません。それ以上のものが、みなさん、どこで聞いたことがありましょうか?

智慧も力も愛も光も、時空間、壁、距離、いっさいを超えて、どこにでも遍満しているがゆえに、すべての想いがそこにあることを、読み取れることを知ってもらいたい。
 
たとえば、Aさんがここで何かを想った。で、時間も空間も、壁も距離も、皆さん自身が想っている通り、この世界に存在するならば、Bの人間がここで(Aさんの想いを)取れるはずがない。

なぜ、取れるのか?その想いがすぐここにあるからではないでしょうか?これが理解できるならば、みなさんは、もう携帯でもしもし、と話す必要はない。

「もし、もし・・(会場笑)」 どこに、、?ここにあるのに、、。で、みなさんがダイヤル回せば、お金もかかる。私はゼロ、一円も支払ったことはない、すべてが見える、すべてが知る、すべてがわかる、宇宙の果てのものまで。

しかしみなさんは、もうボタンを押せば押しただけ、お金が出る。このように、時間や空間、距離、壁に縛られるみなさんであってはならない。
 
だから、私は家内に言います。即、電話をつかんで、お姉さんや家族の者誰かれに、、というならば、いつあなた自身の内在の、この宝物は磨かれるのか、と。

まぁ、私は電話するな、とは言いません。もし、やりたいならば、やる前に相手の意識はどう想い、どうしているのか、まずそれを想い訓練すること。そうすれば、ここに向こうの想いがあります、即それを取れるようになれましょう。

これは、23日前に私が体験したのです、たんぽぽの会でした。で、Iさんが沖縄に引っ越したい(という想いをキャッチして)で、私「まだ早い、まだいけない。」と、(想い)私が家に帰って来た時に、家内にすぐ言われてびっくりしました。

Iさんの引っ越し、延びた」と。しかし、私には、その原因もすべて知っています。なぜ、たとえば私が横浜にいる、Iさんが山梨にいる。

時間も空間も、壁も距離もない。そこにそのままにして、その想いがそこにあったの。すべての答えがそこにあるの。
 
だから、どこに何も聞かずに、あ、、と、即、すべて受けとめる。で、なぜそうなのかも、すべてそこに答えがある。これほどの偉大なるそのコンピューター、それだけの能力を持っていながら、もったいない、なぜ閉ざすの?と、言いたい。
 
これは、家内が沖縄の歌「てぃんさぐの花」で、よく歌っているではないでしょうか?で、それをまた意味を説いているではないでしょうか?

「宝の玉とて、磨かぬものは輝かない。磨いてこそ輝いていくんだ、磨いてこそ光るんだ。」と。我々も初めから神である事実は、誰も否定することはできない。しかし今、誰が顕現できているのか?その顕現あるためには、磨かねばならない。
 
それは常に鷹や鷲を例えます。本性として与えられたその動物、その獲物をつかむためには、初めからそうつかめたものは、いない。

本性とて、磨いて磨いて磨きあげて輝いて、それがその中に現し示されること。我々もその通り。だから、怠け者であるかぎりは、また来世に苦労するだろう、と。今生、努力する者は来世には、また磨かれて来世には輝いて出て来るだろう、と。
 
今、インターネットにも、これから20××年迎えれば、我々は、もう寝ていても座っていても悟れる、と、説いている方もいるそうです。私がインターネットを見たではない、北海道で、パンフレットをよこされました。

それには、「もう、あなた方は努力する必要はないんだ」と、もうバタバタ明想したり、このような真理を学ぶ必要すらもないんだ、と。

時期くれば、寝ていても座っていても自ずと悟れる、というパンフレットを見ました。これは、インドで学んだものから出てきています。
 
そのような状態で、我々は徹底して努力に努力を積み重ねていく、、じゃ、あなた方は、そこで寝ていなさい、ウサギとなって負けるだろう、と。

心を尽くし精神を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、内在の神を愛せよ、、と、説いていることを知らねばなりません。叩いて叩いて、叩いていればこそ、叩いた扉は開かれる、ということを知らねばなりません。

探して探して探し続けよ、ならば、探しものは見つかるだろう。求めて求めて、求め続けよ、ならば求めたものは、与えられるだろう、と。
 
じゃ、百メートルのゴールを前にして、我々は合図で一歩もそこに踏み出していかない。そこに坐して座って、誰が運んでくれるのか。

坐して神を拝むことなかれ。一歩努力した分は進みます、十歩努力した者は、十歩進んでいます。この世の仕事の成功の背後にも、霊的完成の背後にも、常にそこには努力という働きがあることを知らねばなりません。意

志と忍耐と勇気と努力。その4つはみなさん自身が根源に帰って来てほしいために、神から与えられた最高な手段であることを知ってもらいたい。
 
人間意識、肉体意識、個人意識という偽我をほっておかれて、解脱に悟りに至った者がいるでしょうか?悟りある者は智慧に、悟りある者は力に、悟りある者は愛に、、。

じゃぁ、私は天下りなんて、いまだかつて聞いたことがなく、ただ政治家が一度や二度、テレビでのニュースで言っているのは、見たことがあります。しかし、真実の天下りを説いているのか、、と。
 
なぜ私は真実の天下りが理解できるのか?みなさんに、この言葉で話すことができるのか?それは、私がそのものであるゆえに、説くことができるではないでしょうか。私とは天そのものです。

天とは神です。神の完全意識そのものが天です。この上江洲という肉体を通して、語り示し、顕現するのは、私、神そのもの。ならば、これが本当の天下りではないでしょうか?どこに天下りがありましょうか?
 
けっして、あなた方はいと小さき弱き、無能、無力の存在ではありません。あなた方の智慧は、いつでもいつでも、輝き、、愛は光は常にあなた方を通して顕現したくて顕現したくて、常にあなた方のこの心の扉をノックしていることを知らねばなりません。
 
「目覚めよ、我が子たちよ!目覚めよ!この肉我なるこの結果に支配される、あなた方ではあってはならぬ。私という根源そのものが即、あなた、、あなた方、、。」と、神は常にそう説いていること。

そこをみなさんは、理解してもらいたい。私が神、と説いているその私は、即、あなた、あなた方自身であることを知らねばなりません。私とあなた方とは、即、一体ではないでしょうか?
 
「自らに目覚めよ!自らの心を開きなさい。小さな自分を捨てなさい。神の偉大なる光に目覚めよ。」、と。

それは全知全能の天そのもの、ということを理解してもらいたい。「錯覚から覚めよ。幻覚から覚めよ。夢から覚めよ。」

けっしていと小さき、この表現体である、いつか色あせゆく、それそのものが、真のあなた方ではありません。

本来のあなた方は、無限の智慧です。無限の力です。無限の愛です。無限の光です。それが実在として真実のあなた、あなた方。
 
真実は、ただ一つ。姿、形、形態なき、無形無双の原因のない原因に、今、私と名付けて、みなさんの前に、こう示しているだけであって、本来、真のこの私が名前で示しえるはずはない。

私は私、という名前でもありません。神という名前でもありません。私は名前や、その形、形態、すべてをいっさいを超えた無形無双の原因のない原因として、無限の実在であることを知ってもらいたい。
 
じゃ、真実在るものはなんなのか。無形無双の原因のない原因です。ただそれを示すために、私と名前を付けて、皆さんの前にこのように示しているだけ。

だから、ここで、私が私と語るならば、無限の束縛、制約、限定のできない、私、私を説いていることであって、この肉の私を説いていることではないんだ、と。

肉体の私は、内在のこの実相を顕現するための道具にしかすぎないことを知ってもらいたい。
 
肉体、自ら無なり。肉体、自らゼロなり。肉体、自らは何の力もないんだ、と。しかし、あなた方も、あなた方の中に内在の神を認め、神と我と一体なり、という境地に至ってみてください。あなた方こそが、想像もできぬ顕現がされていくだろう、と。

これこそ、本当の天下り、と言います。内在の天の御心が、神そのものが、ひとりびとりのこの表現体を通して、ここで顕現し生かすことが、本当の天下り。けっして小さき弱きあなた方を私と錯覚して、幻覚に陥ってはなりません。
 
絶えず神に酔ってもらいたい。神よ、神よ、神よ、、わが内なる神よ。我が内なる神と、我とは一体なり。そのように、一瞬一瞬、常に神の名を呼べるあなた方になってもらいたい。

どうしてどうして、人間意識、肉体意識、個人意識という偽我そのものに、己を錯覚で生きながら、いつ神はあなた方のその伝導体を通して示されましょうか?
 
一度に二人の主人を持つことはできません。あなた方の肉我が、この表面に現れ示しているならば、内在の神、全知全能なる、その絶対なる者は常に内で沈黙を守っていることを知らねばなりません。

で、その内在の神こそが表面に顕現した時、偽我なる者は内で沈んでいるだろう、沈黙をしているだろう、、と。だから、一度に二人の主人を持つことはできない。どこにみなさんが意識を常にとどめおくか。
 
我すでに神なり。我すでに真理なり。我すでに愛なり、無限なり。

それをたえずたえず皆さんは、一瞬解き放つことなく、寝ても覚めても友達と話し合っている時も、この肉体を通して仕事をしている時も、食事をしている時も、我と神とは一体なり、、

もうその時期、その時がみなさんの前に、今存る、ということを知ってもらいたい。
 
早く、全知全能の神を受け入れて、自由自在、無碍自在、観自在に、この顕現できる真実の天下りをしたあなた方になってもらいたい。

天下りは、肉体を我として生きている者に、天下りなる者はありません。我、神なり。我と神とは一体なり。神我一体の境地。

この肉体を通して神が現れ示すことを、真実の天下りであることを理解してもらいたい。
 
共に助けあい、共にいたわりあい、足りない物は補いあい、いい物はわかちあい、今生こそ我々は真実の天下りに至り、この世界を美しき世界へと導いていきたいと思います。

そのためには、あなた方が、無限の智慧、無限の力、無限の愛、光の所有者にならねばなりません。

今までのように、愛をください、愛してほしい、愛を愛を、、と、得たい乞食では、どうすることもできません。

与えて与えて与え尽くし生きるあなた方でありますように。だから、神は能動、与える者と言います。肉体はそれを受けて顕現するための道具であるがゆえに、受動と言います。
 
能動なる神なる本質と、受け入れて現し示す受動なるこの肉体は、表裏一体ではないでしょうか。能動と受動とは一体なり。原因である神と、結果であるこの肉体とは、表裏一体なり。

そのように、プラスとマイナス、表裏一体。けっして、この能動と受動が分離してはなりません。能動と受動の一体感、神我一体の境地、これこそ真実の天下りと言います。
 
じゃぁ、神から分離して、肉体が私、私で生きている者に、ほんとの天下りが理解できましょうか?

体と言う、この表現体を通して神が顕現すること、それが本当の天下りであることを知った時、我々は智慧も力も、愛も光も、この表現体を通して内在の神が下り、示していくことだろう、と。

けっして蛇のように、寝ても覚めても、結果に支配された結果人間になってはなりません。蛇のように地を這う人間となってはなりません。
 
逆に我々は、黄金の翼を広げ、天空高く飛び立つ不死鳥のごとく、そのような悟りに至ってもらいたい、根源に至ってもらいたい、あるいは泥沼に花咲く蓮の花よりも、神我という美しき花を開花させるひとりびとりでありますように。
 
今日も魂高き、美しいあなた方と共に、ここに今日学べたことに感謝します。どうもありがとうございました。



上江洲義秀先生  ご光話
「神を演ずる」 2007,11 

皆さん、こんばんは。
皆さんはこの大舞台という地球に、何を演じに肉体衣装をまとってきたのかと。それは人間を演ずるためではなく、我は神なり、神を演ずるために、我々は今肉体という衣装をまとっていることを知ってもらいたい。
 
皆さんは、この一転生という人生を通して、神を演じ終えてテストに合格し、解脱に至ってもらいたい。

つまり解脱とは、この現象という見える世界から、宇宙真理という本質の世界に卒業して帰りいくことを解脱と申します。
 
我々が神を見失って人間意識・肉体意識・個人意識という物質世界に踊り踊らされて、何万回でも輪廻転生を繰り返してきたことを知ってもらいたい。

皆さんに思い出して欲しいと、何万回輪廻転生すれば気が済むのかと。神は遊び疲れた者よ、我が元に来なさいと。
 
いつも、この肉体という衣装をまとうたびに、偽我意識を演じ、一向に合格して、神の御心に帰る者がいない。

ゆえに今生こそは神を演じ終えて、テストに合格し、今生こそは実相という本質の世界に帰って来いという意味ではないでしょうか。
 
遊び疲れた者よ我が元に来なさい。我が元で永遠の至福を味わい生きよと。神を演じ合格し終えた者は二度と再び苦しみを悩みを、この現象の世界で演じ生きることはありません。これこそ解脱ではないでしょうか、これこそが離脱ではないでしょうか。
 
解脱とは、離脱とは、ただ肉体を破壊することではありません、肉体を脱ぐことではありません。今肉体を持ちながら、皆さんが無限という宇宙意識の中に目覚め生きることを解脱と申します。
 
皆さんの幾転生という人生をかけての最高の希望ではなかったでしょうか。何か知りたい、何かつかみたい、何か得たい、ここまで皆さんが追い求めてきた何かは、無限という宇宙意識の中への融合そのものではなかったでしょうか。
 
つまり神は我なり、我は神なり、我と神とは常に一体なりという神との合一、神との融合、それ成さずして皆さんはこの世界を卒業し帰ることはできません。

神を我として愛を、仏を我として慈悲を、常に演じ生きてもらいたい。皆さんは何を演じにきたのかと、憎しみ怒りを演じるためではありません。神の無限の大愛そのものではないでしょうか。
 
だから愛美しく常に正しく生きよと、お釈迦様はそれを八正道の物差しと、我々に説いて教えたではないでしょうか。

八正道の物差しを中心にして生きることができるならば、泥沼に花咲く蓮の花よりも、神我という美しき花を開花させることができるだろう。

それで南無妙法蓮華経を説いたではないでしょうか。けして南無妙法蓮華経・南無阿弥陀仏は死んだ人間を成仏させるために説いたものではありません。

生きている我々に宇宙真理という法則を説いて、無限という大海の中に融合させること、それが南無妙法蓮華経であり、南無阿弥陀仏であることを知ってもらいたい。


だから人間意識・肉体意識・個人意識から神性意識・霊性意識・仏性意識へと、皆さんの目覚めを、神は常に待ちわびているではないでしょうか。

目覚めよ、目覚めよと、けしていつか虚しく朽ち果てていく、この偽我という小さな肉体が真のあなた方ではなく、宇宙そのものとして無限大のあなた方であると。

宇宙、即、我、宇宙即我 、父なる神と我とは一体なりと。それを皆さんが八正道の物差しを中心にして正しく生きることができるならば、誰しもが無限という合一ができると説いているではないでしょうか。
 
正しく見、正しく思い、正しく聞き、正しく仕事をし、正しく生活をと、一番最後に神との合一、仏との合一、定めに入ると言っているではないでしょうか。

人間意識・肉体意識・個人意識で、この現象の世界を卒業し帰れた者は一人もおりません。だからこそ六十何億の人間が輪廻転生という法に縛られて、ここに舞い戻ってきたではないでしょうか。
 
肉体を持つ方法は二通り、正しく神を演じ終えることができなかったゆえに、またやり直しのために輪廻転生で、この現象の世界に肉体を持って降りてきた者。

今生神を我として演じ終えて卒業し帰ることはできた、しかし自分だけ神の至福を味わい生きてはならぬと、愛おしい同じ兄弟姉妹のために、愛の手を差し伸べていきたい、

光の道を示してみたい光明路、天船に乗せるために光明路を印に肉体をまとってきた者。だから二通り肉体を持つ方法があると言います。
 
けして皆さんは輪廻転生という仮相の法則に縛られて肉体を持つのではなく、今生こそは兄弟姉妹のために愛の手を差し伸べに、光明路という光の路を示しにくるあなた方になってもらいたい。

あるいは今生卒業して帰った者は肉体持たずしても、一人一人の守護霊として、守護神として留まる方もいましょう。

皆さん一人一人には、目覚めるまで皆さんを守護している方が、常に見守っていることを知らねばなりません。

守護神・守護霊、意味するのは一つです。皆さんが目覚めるまで、常に皆さんを導き下さっているではないでしょうか。
 
なぜ見ることができぬのかと、なぜ語り合うことができぬのかと、それは余りにも我々が物質主義者で生きてきた結果ではないでしょうか。

だから物質主義者から霊的思考者へと、我々が変生変性を遂げぬ限り、皆さんを見守る守護神も、守護霊も、あるいは指導、導いている方々も、また内なる神の声さえも聞くことはできぬだろう。
 
守護神・守護霊とは、我々みたいに肉体という現象我を背負って、幾転生という人生の過程を、様々な試練を、すべて愛で乗り越えた方々が守護霊・守護神として、あなた方を導いていることを知ってもらいたい。
 
皆さんは私だけが生きているというならば大きな過ち、皆さんには守護霊が、無限の全知全能なる神が、皆さんの内にはちゃんと内在していることを知ってもらいたい。

皆さんは世界の果てに旅行に行ったところで、世界の果てどこまで行ったところで、皆さんは私一人ということはないことを知ってもらいたい。

常に皆さんには複数の指導霊・守護霊や全治全能なる内なる神が一時も離れずに、皆さんを見守っていることを知ってもらいたい。


人間意識・肉体意識・個人意識で、どうして物質思考者が、それを見ることができましょうか。

私が意識でもってヒマラヤを訪ねた時に迎えてくれた聖人が、私にこう言いました。なぜ同じ場所にいながら、我々の姿を見ることができぬのかと。なぜ同じ場所にいながら、我々の御言葉を聞くことができぬのかと。
 
それは余りにもあなた方が物質・物質に支配されて肉体を自分として、この物質世界がすべてだという錯覚が大きな雲で、自らの神我を覆って、その声さえも聞くことができぬではないのかと。
 
だから心から一切の執着を、すべての思い癖、悪習をすべてこぼし去った時、皆さんの心は美しく輝くだろう。

美しい心に無限の愛で満たした時に、皆さんはすべてのすべてを正しくものを見たり、感じたり、聞き取ることができるだろう。
 
すべては美しき天使たち、無限に飛び立つ美しき天使たち。すべてに本質である天の姿を、皆さん感じ取ることができるだろう。
 
皆さんの前に、ただ結果として花々が咲き誇っているではありません。結果として咲き誇っている花々の背後には、必ず原因という無限の愛が宇宙真理として、神の御姿を見せていることを知ってもらいたい。


私は一度に二通りを見ています、形として結果なる花々も美しいと見ると共に、その背後にはより一層命の輝きを神の御姿として、真の美しいものとして見ることができると言います。

ここに立ちながら見るあなた方は、いつか虚しく年老いて朽ち果ていくあなた方ではなく、不死不滅永遠の美しきあなた方を神我として、私は今感じ見ていることを知ってもらいたい。
 
単なる女性として、単なる男性として、皆さんはここに肉体をおいているではありません。その背後には永遠不滅の宇宙真理を、神の実在として宿していることを知ってもらいたい。神は皆さんから一瞬感だって分離したことがありましょうか。
 
皆さんがまず明想という手段を通して深く自らの内に潜って、そこに神を見い出した時に、ここに神がいたのかと皆さんが言うならば、私はあなた方から一度だって離れたことはないのだと、

過去において、今において、未来永劫に、あなた方の内にいるにもかかわらず、あなた方が訪ねて来なかっただけにしか過ぎぬではないのかと、かならず神は皆さんにそういうだろう。
 
その時皆さんは今まで至るところに神よ・神よと求めて梯子していた方々が、神は我が内に在り、手よりも足よりも、初めから身近な我が内にいたと、神との融合されていくだろうと。
 
何年か前に私はこういう体験をします、八十何歳かの方が神を知りたい、神を見たい、神を実感したいために、いろんな宗教を梯子しながら何千万という金を使ったと言います。

しかし今の宗教に神を見せる能力はありません。偶像崇拝・盲信・狂信の中に、どうして神を見ること、実感することができましょうか。汝盲信するなかれ、汝狂信するなかれ、汝偶像するなかれ、座して神を拝むことなかれ。
 
そのように何千万という金を使いながらも、神を見ることも、実感することもできなかった。今の宗教には神を見せる力がないのかで、神を宗教で求めるの止めて神社・仏閣・お寺・教会・宮を梯子したと言います。

そこでも見いだすことができなかった、とうとう探し疲れて探しあぐねて、我が内に帰りソファーに座りぼんやりしていると、神は内から答えたというではないでしようか。
 
神は我が内に在り、あなたの心はどこをさ迷っているのかと、それで初めて目が覚めたと言います。
 
だから私が断言して皆さんに言い切ることは、どんな方法で皆さんが神を見い出したにしても、地球の果ての果てまで行っても、神を誰かによって皆さんが与えられて見い出したにしても、

ず皆さんがいうことは、神は我が内に在り、いまだかつて人手に渡ったことはなかったと。

あるいは神は手よりも足よりも、身近な初めから我が内にいたと、必ず言うでしょう。
 
なぜならば今私はすべてのすべて在って在るものの中に、今神を見、今神を感じ取っているからである。神のましまさぬところがどこにありましょうか、
針先一点空間なくそこに神は偏在し、遍満していることを知らねばなりません。
 
だからこそ神は無限なり、神は一元なり、神は愛として完全なりというのは-神ほかに何かがいるというならば、神は無限ではありません、神一元ではありません。

何を見ても形の背後には、形態・姿の背後には、本質神そのものが内在しているがゆえに、神はすべてのすべて、在って在るものを通して生きる宇宙真理・命と言えるではないでしょうか。
 
神ほかに何かが見れるというならば皆さんの目は盲です、目は曇っています、目を見開いた者はすべてのすべて在って在るものに神を見ることができるだろうと、神を感じ取ることができるだろうと。
 
花々は結果として単なる花々が、ここに咲き誇っているのではありません。その背後にはその花々を咲き誇らす力が、愛として神の実在として働いていることを知ってもらいたい。
 
だから人間・肉体・個人という己の働きなんてないと言います。肉体自らは無なり、肉体自らはゼロなり、肉体自らは一点の力も存在しているのではないのだと。
 
しかしあなた方が神、我として一体感の中に融合し自覚した時には、全知全能なる能力はあなた方が観自在・無碍自在・自由自在に示し生かすことができるだろうと。

けして皆さんはいと小さき、弱き存在があなた方ではありません。すべてのすべてを超越できる神として、皆さんは真実なる宇宙生命であることを知ってもらいたい。
 
真実を見る、真実を思い、真実を語るとは、真実はこの大宇宙ただ一つ、神のみが真実です。だから皆さんが神を語れなければ真実を語ってはおりません。すべてのすべて在って在るものから神の御言葉を、メッセージとして受け止めてなければ、真実を聞いてはおりません。
 
いつか虚しく朽ち果てていく五感という結果世界に、五感で振り回されて、あたかも本物のごとく見たり、感じたり、捉えたりで、なんてそれに振り回されて、真の正しい演技を見失っているのかと。愛として慈悲として神仏を演ずるために、今地球という大舞台に降りていることを知ってもらいたい。
 
何を演じにきたと言いましょうか。憎しみ、怒りと言いましょうか、戦争・闘争と言いましょうか、それほど愚かなる者はいません。

だから人間という愚かなる者は肉体まとう前には、正しく神を演じて今生こそは偽我の自分から神我の自分へと、低我の自分から高我の自分へと、今生こそは解脱に至って参りますと、

その約束で肉体を持ったのにもかかわらず、また歌を忘れたカナリヤのように、演技を演ずることを忘れて、また偽我そのものを演じて、憎しみ・怒り・嫉妬・裁き・戦争・闘争・対立となんて愚かなる者が、そのような結果を皆さんは見てはなりません。皆さんは美しき大愛を演ずる最高な大舞台に立っていることを知ってもらいたい。
 
何を演じましょうか、何を演じ終えて帰りましょうか。今生こそ一人一人が卒業し帰り行くことができるか、また輪廻転生という鎖に繋がれるか、今生は非常に大切な時。

イエス様は幕が二つに引き裂かれる時が来るだろうと、今の時代・今の流れを預言されています。

それは霊的思考者として目覚め、神を我として正しく演じ終えて卒業して帰れるか、また物質思考者として物質に振り回されて偽我そのものを演じて、また我々は演技し直すために、輪廻転生をくり返す愚かなる者となるのかと。
 
無知のままに、盲のままに、迷いのままに去るあなた方になってはなりません。無知・盲・迷いとは私私というけれど、本当の私が見えない者を盲というではないでしょうか。

私私言いながら、真の私を知らぬ者を無知というではないでしょうか。私私と言いながら、真の私を理解できぬ者を迷いというではないでしょうか。
 
だから無知のままに、盲のままに、迷いのままに一転生という人生を終えてはなりません。今生こそは皆さんに真実神を我として演技を終えて、真の自分が神であることに目覚めて、今生こそは解脱に至ってもらいたい。
 
そのためには偽物を一切皆さんは脱がねばなりません、肉体という現象我も、これは皆さんに破壊せよという意味ではありません。

粗末に扱えという意味ではありません。与え生かされている限りは、この肉体も常に大切にして神を演ずる道具として、大事に扱わねばなりません、粗末にせよという意味ではありません。
 
しかしそうある中にも皆さんの意識は、この肉体という束縛・制約・執着からは脱ぎ捨てていなければなりません、それが出家ではないでしょうか。

出家は皆さんの家庭・家族を捨てることが出家ではありません。肉体は命の住む家です、この肉体という家を与え生かされていながら、この肉体という家に捕らわれない自分、執着おかない自分、これが出家ではないでしょうか。
 
私は皆さんの前に立ってこの肉体を我として錯覚はしておりません。錯覚から覚めよ、肉体というその器が、肉体というその現象我が真のあなた方ではないのだと、真の私ではないのだと。

今私は命が私であることを自覚して皆さんの前に立ちます、だから肉体という重さも感じておりません、肉体そのものここに在るのかないのかさえも、私が意識しなければ、肉体を感じてもおりません。そ

の状態で常に肉体から意識を解き放つことができるではないでしょうか。
 
皆さんが肉体から意識を解き放って、無限という大海の中に、その意識を融合させることができたならば、この現象という見えるもろもろのものが、どうしてあなた方を支配することができましょうか。ど

んなものをもってしても皆さんを束縛・制約・限定することはできません。
 
だからこう言います、六十何億の人間が、私を縛ることができるのかと、私を混乱に追いやることができるのかと。

私とは万物一体の無限の意識そのものを、私は今私と表現しています。私という無限なる意識を誰が束縛しえましょうか。

誰が混乱に追いやることができましょうか。感自在・無碍自在・自由自在を味わい生きれる真のあなた方であることを知ってもらいたい。
 
我意識したところに我在り、我の思ったところに我いる。先ほども世界という世界の話を言葉に出した瞬間、無限に世界すべてを貫いて無限に広がっていく自分を体験しているではないでしょうか、なんて素晴らしいことか。

ここに立っていながらも無限に己を広げることができることを知ってもらいたい。
 
なぜそれほどの能力を、それだけの力を、それだけの無限の愛を与え生かされているにもかかわらず、私はいと小さき者よと、私はいと弱き者よと、なぜ自らを限定し束縛し自縛するのかと。自らの自縛を、神に対する理解力をもってすべてから解放されて欲しい。
 
そのために明想という正しい手段を用いて、汝すでに神なり、汝すでに仏なり、最高マントラと言えるではないでしょうか、

我は神なり。だからマントラとは訳のわからぬ言葉を唱えることがマントラではありません、神我から語る一言一言はマントラではないでしょうか。
 
なぜ神我そのものが言葉として降ろしたものがマントラであって、何をマントラと言いましょうか。神我から語る一言一言はマントラです。

それを文字にしたのが曼陀羅です。我々が訳のわからぬ文字や絵を見つめて曼陀羅と言いましょうけれど、自分が理解できぬものを見つめて、何の価値があるのかと、何の効果があるのかと。
 
皆さんは理解力を持つために本を読み、話を聞き、様々な知識を蓄えていることを知らねばなりません。

いつかはその知識を実感に変えて、皆さんが無限の大海の中に融合する、真実の糧として使えるあなた方に成ってもらいたい。
 
しかし知識で悟った、話を聞いただけで悟った、本や書物を読んで悟った、知識を蓄えて悟ったというならば、その知識はあなた方を殺すだろう、そこまで訴えている聖人方がいることを知らねばなりません。

知識によって殺されるという意味はどうなのか、知識そのものがすべてであるという錯覚が、真の自分を閉ざして、真の神を見失っていくことが、それが殺された表現ではないでしょうか。

皆さんを殺すという意味ではありません。真の自分を見失った者に何の価値もないこと。


だからこの世の中には四タイプの人間がいるというではないでしょうか。命に生かされていながら命を見失っている者、これを死人というではないでしょうか。

だからイエス様はたとえ片腕を失っても、命に入った方がいいと、これは神との融合を意味します、神との合一を意味します。

あるいは悟りに目が妨げるというならば、目を潰せと言ったのもその意味ではないでしょうか。

皆さんに目を潰し手を断ち切りなさいという意味ではありません。それほど皆さんが無限という宇宙真理に融合の価値があるという意味ではないでしょうか。
 
取るに足らないものに振り回されて、なんて真実の宝を見失っていく人間の多いことか。命そのものがすべてです。

だから命そのものに生かされていながら、命を見失っている者、これを死人と申します。死人がゴロゴロしているようなお墓のようなものであると、今の世の中は。

ぜならば私私というけれど、命を私として表現しているのは皆無にも等しいほど。ほとんど肉体という現象我をさして私、だから死人がゴロゴロしているようなお墓のようなものである、命に生かされていながら命を見失った命知らず、死人と言います。
 
あるいはただ悩み、苦しんでいる時のみ、神よ・仏よ、我を助けて下さいと祈る病人。

ここで話しを聞いている限りは、あなた方は命という本質に生かされずして誰が存在できるのかと、花々一輪咲き誇ることはできない、蟻一匹存在することはできない、一人だってここに存在することができるのかと、そ

う言えば、なるほどすべての本質は命であり、愛であり、神そのものと、そうは言うし、そう聞くけれど、

またここから一歩去れば人間だ、肉体だ、個人だという偽我そのものに皆さんが舞い戻っていくこと。これをボンヤリ者と言います。
 
あるいは健康な者とは今日与えられた一日が二十四時間ならば、常に二十四時間が神に酔いしれて生きている者。

神に酔うとは常に四六時中神を思う、神を意識し、我神なりという実感から離れぬ者、これが本当の健康な者と言います。
 
ほとんどの人間は死人か、病人か、ボンヤリ者か、ほとんど健康な人間なんていないではないでしょうか。我は神なり、神は我なり、我と神とは常に一体なりという境地に至って、本当の健康になってもらいたい。


ならばいかなる試練も、いかなる宿題も笑い・喜び・微笑みながら、すべてを愛という剣で、乗り越えることができるではないでしょうか。

人間意識・肉体意識・個人意識で、どうして偽りという偽りを我として錯覚し生きながら、どうして偽物が偽物をうち消すことができましょうか。
 
光くれば闇去ると言われるように、どうやって自我を消そうかとか、もがきあがく人間もいましょうけれど、偽我でもって偽我が消せるならば、とうに皆消しているだろう。怒りでもって怒りが克服できるならば、とうに皆怒りも消しているだろう。
 
これは私が一番体験者、怒りを消すのは愛です、戦争を癒すのは愛です、憎しみ、怒りをすべてを超越するのは愛ほかにないことを知ってもらいたい。だから皆さんに愛に生きよと、すべてを許し、すべてを愛し。
 
よくキリスト教においては洗礼を受けると言います。洗礼を受けるとは命そのものが神である自覚をし、命に捧げ、命をつまり神を演ずる者が本当の洗礼の意味であることを知ってもらいたい。
 
あの寒い中にプールの中に浸かって水をかぶって、寒い思いをするのが洗礼ではありません。神に無限の命を皆さんが捧げ、神との一体感で神の顕現体となっていくことが、これが本当の全託であり、本当の洗礼であることを知ってもらいたい。
 
皆さんが教会に行って、冬に寒い思いをして頭から水をかぶったところで、なんの効果があるのかと、寒い思いをしただけにしか過ぎぬではないでしょうか。

それでもって無限の智慧を得ることができるのかと、無限の力を持つことができるのかと。神を我として受け入れずして、無限の能力を得た人間は一人をおりません。
 
我は神なり、我神なるがゆえに無限の智慧、無限の力、無限の愛の泉の宝庫は我が内に在りという、その実感から現し示しいけることを知ってもらいたい。

からこそ悟りとは家庭・家族を捨てて山や洞窟に隠もることではなく、今与えられている皆さんの家庭の中で、今与え生かされているこの社会で、真の自分が宇宙真理である正しさを見失うことなく、

我は真理なりという境地に至って生きることが、これが本当の洗礼であり、本当の全託であり、本当の神との融合。そのために皆さんは幾転生も幾転生も、この肉体という衣装をまといきたではないでしょうか。
 
今生も皆さんはただ泣き生まれて、泣き去るために皆さんの存在の目的ではありません。子供たちはなぜ泣きながら生まれ出てくるのかと、

また不自由であるこの肉体という鳥籠に閉じこもって、又一転生という人生を苦しみ、もがいて修行せねばならぬのかと、そのために泣いていることを知ってもらいたい。

泣きながら生まれ出てきたならば、せめて去る時は喜び、微笑み、笑いながら、神を正しく演じ終えて皆さんが解脱、この世を卒業して自信もってこの世を帰るあなた方であってもらいたい。
 
いつ神に肉体を脱げと言われても、常に皆さんがいつでも喜び・微笑み・笑いながら、我は神なりとして常に神を演じ終えることができたんだと、自信もってどこにでも立てる皆さんになってもらいたい。
 
あの時に後一歩努力していれば良かった、あの時に、あの場所で、もう少しは学べたのに。だから虎は死んでも美しい皮を残すけれど、人間は死んで後悔を残すと説いたではないでしょうか。死んで悔いを残すと言っているではないでしょうか。
 
皆さんがもし明想という手段を使えて、自在に皆さんが意識チャンネルを切り替えて、この現象世界から去った幽界の皆さんの身内の方を見て下さい。一人一人が誰一人この幽界で満足している者はいないだろうと。

一人一人が後悔を悔いを残しているだろう。私の一転生という人生はこんなはずではなかったと、今生こそ偽我の自分から真我の自分へ、低我の自分から高我の自分へと目覚めて参りますと、そう言ったのにもかかわらず迷い苦しんでいる人間のなんて多いことか。

これは私がハッキリということは、小学校からそれを私は理解できたからであると。だから私はにとってはその意味が非常にわかります。
 
皆さんは過ぎ去った時間は戻すことはできません、まだ来ぬ未来は時間は使えません、生かされているこの一瞬という、すべて時間・空間・壁・距離一切を超越した無限としての実在を、今皆さんが把握してもらいたい。
 
どんなに過去をこうすれば良かった、ああすれば良かった、誰が戻せましょうか。誰がまたそこに生きることが出来ましょうか。まだ来ぬ未来の時間一分、一秒使えた者がいるでしょうか。そこに生きることができた者がいるでしょうか。
 
だからこそ実在とは皆さんが我は神なりと実感しているこの瞬間こそが、無限として時間・空間・壁・距離を超えた無限の実在であることを知ってもらいたい。

この一瞬という実在を理解できるならば、皆さんは何ものからも縛られることはありません。我々はこの実在というこの瞬間を知らぬがゆえに、思い悩む未来に縛られ、また振り返って過去そのものに皆さんは執着をおいていることほかにありません。
 
過去、未来は今の一点なり。皆さんが今の一瞬というこの実在を知ることにおいて、どんなに幾転生という人生の過程において邪悪なカルマを背負ったにしても、すべてそれそのものを克服していることを知るでしょう。

これから先に皆さんがどんな邪悪な未来を描いていても、この一瞬という実在が大愛として皆さんが演ずることができるならば、神を我として演ずることができるならば、そのすべてが超越されることを知ってもらいたい。
 
だから私には過去・未来は実在ではないし、また輪廻転生・カルマは実在ではないのだと。実在するのは無限として完全意識のみが実在。私が無限として完全意識の中に融合した時には、今私は肉体もって何か表現をしようというその意識を持たぬ限り、肉体なるものは感じてもおりません。
 
なんてこの肉体が超越される喜び、肉体の重さも感じません、肉体なるものに苦しみを体験する必要もありません。

いまだかつてこの肉体背負いながら、一秒だって私は病み苦しんだことはありません、一秒だってこの肉体横に倒した体験もありません。肉体が我ではありません、肉体があなた方ではありません。
 
肉体は神の真実を演ずるために皆さんがまとった衣装にしか過ぎません。肉体は一転生という人生行路を旅するための単なる乗り船にしか過ぎぬ、乗り船があなた方ではなく、真に天船という神我こそが真のあなた方であることを知ってもらいたい。
 
天船に乗りし我、二度とこの世の荒波にのまれることはないと。誰があなた方を振り回せましょうか。誰があなた方を傷つけることができましょうか。この現象の世界がどう荒れ狂ったところで、皆さんの本質に指一本触れることはできません。
 
我この世の無知・闇・悪・迷いをすべてを越えた者であると。すべてのすべてを支配する無限の実在であると。我この世の闇を照らす光なり、我この大宇宙を照らす光なり、この世の無知・闇・悪・迷いが、我が内なる愛という光には指一本触れることはできなかった。

闇の中にいて闇の染まらない自分、悪の中にいて悪に影響を受けぬ自分、これが真の実体皆さんの神我そのものではないでしょうか。
 
だから神我はこの世の何ものによって傷つけられることもありません、病み苦しむこともありません。明日を明後日を心配不安がる神我なるものはどこにも存在しません。神我は過去において、今において、未来永劫に完全無欠、絶対実在と申します。
 
皆さんが今まで在る在ると見てきたもの、在る在ると皆さんが錯覚してきたもの、一つだってそこに実在があったでしょうか。実在ならば永遠であらねばなりません、変化することなく無限の不死不滅なるものであらねばなりません。それは皆さんの中に内在の宇宙真理、神我と申します。
 
これこそ皆さんがつかんだ時に、宇宙の法則の中に観自在・無碍自在・自由自在すべてのすべてを、皆さんが超越することができることを知るでしょう。

汝すでに神なり、汝すでに仏なり、最高マントラをもって無限という大海の中に融合できるあなた方になってもらいたい。明想という手段を正しく皆さんが使い生きることができるならば、今の今無限との合一が可能ではないでしょうか。
 
昔は家庭・家族を捨てて山に隠って一人の分は托鉢でもって食をしながら、食を得ながら、そこで明想という明想に明け暮れて修行したと言います。

しかし今の時代はどうなのかとちゃんと家庭もありながら、ちゃんと職をもちながら、明想という手段をもって我々は無限との合一が果たせることを知ってもらいたい。
 
だから神を悟るには一人でなければならぬとか、一人者ではなければならぬというのは、それは遠い遙か過ぎ去ったものであることを知ってもらいたい。

今は皆さんが寝る時間も、神と交わる時間に当て、無駄な時間を浪費する時間も正しく使い生きることができるならば、誰をも今生神との一体感が可能であることを知ってもらいたい。
 
八時間寝る時間があるにもかかわらず、明想する時間がないと言います、朝に昼に晩に取るに足らないものに明け暮れている時間はあるのに、世間話や人の噂話に明け暮れている時間はあるにもかかわらず、明想する時間はないという人間が多すぎるではないでしょうか。
 
私が小学校一年から神はなぜ昼と夜を与えたのかと、それを追求した時にその答えを得たではないでしょうか。

太陽のある昼は世のために、人のために、神のために、この伝導体である肉体を使って、道具を使って常に美しく神を生きよと、夜に閉ざされた闇の時はそこからが本当の皆さんが真実なる世界へと、神との交わる時間に皆さんが時間をとって欲しいと、神は夜という闇を作ったではないでしょうか。
 
今の人間のように夜にさえも電気をつけて残業で、取るに足らないものに振り回されている限り、どうして神との合一ができましょうか。だから今生は非常に厳しいです。
 
だから今生まれてくる赤ちゃんが誰もいないはずなのに、手足を空中にバタつかせながら誰かを見ているように、誰かと語りあっているように、微笑んだり、声をあげて笑ったりしているのは、あれは守護霊の方々や、天使方や、神との話をしていることを知ってもらいたい。
 
あなたは今生を選んで偽我なる自分から、神我なる自分へと解脱に至ってくるのだと、目覚めて参りますと、あなたは今生肉体という衣装をまとったけれど、今生の誘惑は厳しいよと、右を向いても左を向いても、前を向いても後ろを向いても、何百年・何千年前の昔とは違って、今は物質、物質に洗脳された今の世界で非常に厳しい時代。

それでもあなたはやる自信があるのかと、やれるのかとそう言えば、任せておけと、それで話し合って喜んだり、微笑んだり、笑っている姿を、皆さんは見たこともありましょう。
 
今生は非常に厳しい時代、どこを見ても誘惑・誘惑の今の時代、徹底してそれを克服して皆さんが神我一体という境地に至るには、昔の何十倍・何百倍の努力に努力を積み重ねばなりません。
 
イエス様が、お釈迦様が、愛の法則・慈悲の法則を説いた時代は、まだ今のような物質文明はなかった、それにしても神との融合は難しかったではないでしょうか。

プラス今はどこを見ても物質・物質の誘惑の中に徹底して皆さんは意志と、忍耐と、勇気と、努力を持たずして、それを乗り越えることができた者はおりません。

だからこそ皆さんには神は無限の意志・勇気・忍耐・努力を与えたではないでしょうか。
 
それはなんのために、それを通して私の中に入って来いと、無限なる私と一体感でありなさいと、そのために与えられたことであって、この世の物質を得るために意志、忍耐と、勇気と、努力が与えられているではありません。

非常にそれの使い方を誤ったではないでしょうか、と言って皆さんに私は仕事を捨てなさいではない、けして金・富を粗末に扱いなさいではない。

皆さんが世界の金を得たところで、この世を卒業して解脱に至ることができるのかと、神を演じずして皆さんが、この世を合格して帰ることができるのかと、そのようなものではないでしょうか。
 
だからこそ皆さんがすべての誘惑を退け、すべての執着を脱ぎ捨てて、一転生という人生の過程において、皆さんが詰め込んできた思い癖、悪習すべて一切をこぼし、無限という大愛の中に目覚め、今生こそは解脱・離脱に至ってもらいたい。
 
汝すでに神なり、汝すでに仏なり、正しいマントラで皆さんが無限という大海の中に錨を降ろしてもらいたい。大海に染み入る一粒の滴、一粒、一滴、この無限という大海から分離した者が我あなた方ではありません。
 
なぜ無限という大海からこのように個我なる者が創造されたのかと、無限という大愛を一人一人の肉体という衣装をまとった、その個性を通して、医者は医者の立場から、科学者は科学者の立場から、音楽は音楽家の立場から、

会社の社長は社長の立場から、学校の教育者であるならば、教育者の立場から、無限という神を美しく正しく愛そのものとして演じ生きよと、そのために与えられた演技ではないでしょうか。
 
だからこそ様々な演技を演ずる方々が、ここに出演しているではないでしょうか。例えばここに王という役を選びたい、六十何億の人間が王を望んで、家来を演ずる者がなければそのストーリーは成り立つことがありましょうか。

一人一人に与えられた役割は素晴らしいもの、一人一人に与えられた演技は大切です。だから誰彼よりも誰彼が特別ではありません。王を演じている者と家来を演じている者とは全く一つであることを知ってもらいたい。
 
なぜ王演じて家来を演ずる者がいなければ、けしてストーリーは成り立たない、その逆もその通り。一人一人が正しく己の持ち場を、正しく神を我として演じ、このストーリーを描いた時に本当の美しいユートピア世界の完成ではないでしょうか。

共に我々は誰の演技よりも演ずる場所よりも、誰彼のものが特別だ、誰彼のものが素晴らしいではなく、一人一人が素晴らしい、一人一人が美しいと言える我々になってもらいたい。
 
共に手を取り合い、助け合い、今生こそは神を演じ終えて、一人一人が無限という大海の中に解脱を遂げていきたいと思います。

共に無限という大海の中に今生こそは錨降ろせるように努力していきたいと思います。無限という大海の中にいつでも出入りできるあなた方であらんことを願います。

今日も皆さんと共に学べたことに感謝します。どうもありがとうございました。


覚者・知花敏彦先生のご光話
人間はなぜ神か 神と人間の関係

 私達は自分自身の中に神を秘めています。
「キリストとは何か」と言われたら、皆さんは人格神のイエス・キリストを想像します。十字架にかけられたイエス・キリストの姿を想像しますが、そのキリストは皆さんの魂の中におられるのです。

 ですから、この肉体というものはその魂の中におられるキリストを顕現する、この世でキリストの働きを現す媒体であり、そのキリストの住処(すみか)であり宮であるのです。

 しかし、その宮なる肉体、その肉体に皆さん方は捉われています。皆さん方一人びとりが、自分の中にキリストを宿している事を忘れてはなりません。

 世の中では、自分の浅はかな物差しで人格神を作って唯一の救い主と拝んでいます。神は皆さんを通してお働きになられます。
 決して人間の手作りのお宮を通してお働きになるのではありません。

 神は「あなた方は生ける神の宮なり。仏の宮なり」と申されています。
生きた神が皆さん一人びとりの中におられるという事です。

 その生きた神の名前がキリストであり仏陀であるのです。それは宇宙意識の事です。私達の神性なる意識の事を「キリスト」といい「仏陀」というのです。
 キリストを宿し仏陀を宿している魂そのものが、偉大なる存在である事をあなた方はみんな忘れてしまっています。

 それでは「人間と神の関係」はどうなるのでしょうか。もうここまで話をすれば、個人個人でそれを理解していかなければなりません。
 本当に「自分の肉体を通してキリストをこの世に顕現しているのだろうか」と言いたいのです。

顕現するのだ〉と、努力する事です。自我という肉に溺れない様にし、にくから出てくる欲望を禁制しコントロールする。
 それを克服する事によって、神性なるキリストが私達を通して現れる様になります。これを成さずにして、何者もこの世の使命を果たした事にはならないのです。

 私達と神とは切っても切れない関係です。「キリストより語る」。それは言霊となって、神の誓願となって、その力は偉大なものとなります。

 私は以前、片方の耳が聞こえない人に会いました。その聞こえない耳は鼓膜喪失のため、医者は治療不能であると診断したものです。
 
 私はキリストより聞こえない耳に命令しました。
『耳の意識よ、しっかりしなさい!』『神の使命を果たしなさい!』と。

 その時、何が起こったと思いますか。鼓膜のない耳が聞こえる様になったのです。その人は「聞こえます!」と言うのです。小さな声で「もし…もし…」と言えば、大きな声で「ハイ!ハイ!」と言うのです。

 なぜ、そのような奇跡が起きるのでしょう。内なる言霊より、キリストより、その肉は造られています。御霊は、キリストは主人です。
 その主人が造った三次元的なバイブレーションは、命令的なものを与える事によって完全となったのです。

 ですから、肉はあくまでも造られた物であって、造り主である御霊(みたま)がそれを支配して皆さんの中におられます。

 神は皆さんの中におられます。肉を支配する神が皆さんの中におられるのです。それを自覚出来るようになりますと、もうこの世で悩む事はありません。もう皆さん方は病気になる事がないのです。

 肉体が何であるか分からないから、神理が何であるか分からないから、今まで、迷い、苦しみ、肉に捉われて来たのです。

 いくらでもあなた自身の御霊から、不調和を起こして悪くなっているその部分に命令することが出来るという事です。

 現実に、今ここに胃下垂だという人に、上江洲さん(※上江洲義秀先生)がその人の胃の意識に呼びかけて、
『元の神から与えられた使命を果たしなさい』と命令しますと、胃は造られたものであり、造り主の御霊には逆らえませんから、お臍(へそ)の下まで落ちていた胃がグーッと上の方へ上がってきます。

 胃だけが聞くのではなくて、全ての細胞は皆さんの言霊によってそれが支配できるという事を体験しなくてはなりません。

 上江洲さんだけがそれが出来るのではありません。上江洲さんの持っている御霊もキリストも、皆さんが持っていて御霊もキリストも同一のものです。それをあなた方が信ずるか信じないかで、発揮する力が違うのです。

 それを「信仰」と言います。「汝の信仰、汝を癒やせり」。それは信ずるか信じないかという事です。神を信じているかいないかはあなたの信念にかかります。信仰にかかります。

 上江洲義さんは神が自分を通して働いて、その力が肉体を支配し、その胃を支配する事が理解出来ていますから命令する事が出来るのです。
 なぜ、あなた方にはそれが出来ないのか、何処に差があると思いますか。それを信ずる心の強さ弱さによって違うのです。

 あなた方は自分自身の肉体を、あなたの御霊によって支配しなければならないのです。世の人々は、多くの人々は、殆ど肉によって支配されています。

「この世で造られた物によって、なぜ私達はそれに支配される存在なのだろうか」という事を知らなくてはなりません。

 今、肉に生きているのではないでしょうか。肉の支配下に置かされているのではないでしょうか。肉に操られ、肉が「何かをしなさい」といえば、あなたはその何かをするのです。

 肉が酒を飲めといったら酒を飲む。肉が賭け事をしたいといったら賭け事をする。その様な不調和なものはみんな肉から出てきます。

 私達は肉の奴隷ではないのです。肉というものは、肉体というものは、私達のキリストの支配下における部下なのです。

 この世に現れているもの。その物質的三次元のものは、すべて御霊によって造られているもので、肉が作り主ではないのです。
 その造り主である御霊が、皆さん方の中に、一人一人の中に宿っている事を知らなくてはならないのです。

 イエス様はその事を悟っておられましたので、風を支配されました。海を支配されました。
 台風が荒れ狂う大海原の小舟の中で、「風よ!海よ!静まれ!」と。

 それは何処から支配されたと思いますか。何処からその声が出たと思いますか。それは自然界を創造した神のご意志であるキリストにより、言霊によって、風と海を支配されたのです。

 この三次元の全てのものに御霊が存在しています。しかし、人間は万物の霊長です。神に似せてお造りになっています。この世に現れているものは何物も礼拝してはなりません。

 私達が礼拝しなければならないものは、神であるキリストそのものだけです。尊敬はしていいのです。大事にしてもいいのです
 しかし、その支配下に置かれてはならないのです。そうなりますと人間は万物の霊長ではなくなります。

 なぜ万物の霊長であるものが、山神様を拝み、海神様を拝み、火の神様を拝み、水の神様を拝まなくてはならないのでしょうか。

 私達は山のために、海のために、水のために造られているのでしょうか。神は私達のために山をお造りになり、海をお造りになり、火も、水もお造りになったのです。
 そして、神は私達にこの三次元のものを支配させる為に、私達をここに送って下さったのです。

 しかし、今の世の中の人は、海神様だ、山神様だ、火の神様だ、水の神様だといって拝むのです。山はどうでしょうか。山はあなたの為にあるのか。

 山のためにあなたが生きるのか。火はどうでしょうか。火はあなたのためにあるのか。火の為にあなたが生きるのか。それなのに、それを拝む人が一杯いるのです。

 支配すべきで怖がる事ではないのです。それらは、あなた方の御霊によって支配すべきなのです。しかし、あなた方はそれを怖がっているのです。

 だから、色々なこの世の三次元的な諸天善人を祀って、それを拝む習慣性というのが出て来ているのです。もうすでに万物の低調になっています。
 万物を支配する万物の霊長たる人間が、万物の低調になって色々なものを拝む様になってしまったのです。

 すでに、万物の低調になっているのではないでしょうか。万物の霊長たる人間が、石を始め木や銅や色々なものを拝んでいるのです。

 それは愚かな話です。石像を拝み、木像を拝み、銅像を拝み、様々なものを拝みます。それは神を知らない、自分を知らない、「神と人間の関係」を知らない無知からそういう事が起こるのです。

 どうでしょうか。皆さん方は世の支配者である事が、もうお分かりだと思います。世の支配者であり、山を支配し、海を支配し、全てのものを支配すべき私達が、肉たるそのちっぽけなものに支配されるのでしょうか。

 その肉そのものは御霊の支配下であって、あなた方は肉に支配されてはならないのです。肉のために御霊があるのか。御霊のために肉があるのか。どちらだと思いますか。御霊のために肉があるのです。

 神は御霊のために肉体をお造りになって、そのものは部下であって、三次元に現れるための一つの道具にしか過ぎないのです。皆さん方はその道具に支配されてはならないのです。

 それをよく理解した時、皆さん方は、肉という自我意識を克服する事は簡単にできます。しかし、まだまだ自我に振り回されています。

 肉の言うがままです。〈何処かに美味しいものを食べに行け〉と肉が言えば、「ハイハイ、そうですか」と美味しいものを求め探します。
 〈旨い酒が飲みたい〉と肉が言えば、「ハイハイ、そうですか」と完全に肉の支配下に置かれている状況です。

 肉に使われてはなりません。肉体を支配せねばなりません。肉体を自由に御霊によって支配し、コントロールして、このキリストをこの世に表現するためとするのです。決して肉の快楽に溺れてはなりません。

 それに操られている間は、皆さん方はまだまだ神我という本性を、神を、キリストを観ておりません。信じておりません。だから、キリストを通さずにして何者も神の御国に入る事は出来ないのです。

 皆さん方は内在のキリストを秘めております。(神我)キリストは全ての支配者であり、唯一なる神の子です。神の意志を受け継ぐ者です。
 そうした時この三次元の目に見せるもの、物質界を支配したという事になります。その時初めて自然の法則を超越し、宇宙の法則に従ったという事になります。

 自然の法則の支配下に置かれている者は敗北者です。皆さん方はその自然を克服するすべての力を持っております。それが皆さんに内在しているキリストです。

 どうでしょうか。もう大丈夫でしょうか。肉体に操られる事はありませんか。肉体に負けてはなりません。イエス様は肉体の欲望を克服された時は、「サタンよ、退け!」と言われたのです。

 肉体は皆さんを誘惑します。イエス様もその誘惑を何回も受けられたのです。
〈こんな神の伝道をするよりは、あなたは一国一城の王になった方がいいだろう〉という肉の意識が、黙想(瞑想)されていた時に、強烈にイエス様の心を誘惑したのでした。

 その時、イエス様は《サタンよ、退け!》と言って、その肉の誘惑を、御霊より言霊の力によって、完全に支配されたのです。
 皆さん方も肉から出て来る欲望を、「サタンよ、退け!」と一喝(いっかつ)して、それを追い払わなければなりません。

 色々な名物を求め歩いて、何々名物だ、どこどこ名産だと、欲望と快楽に溺れてしまい、金を使い暇を潰しそれを求めるために肉に操られている人もいます。また、豪華な美食だといって食欲という悪魔に操られる人もいます。

 そんなものに操られたりするために私達があるのではありません。そういう事を全てを支配し克服して、肉に属するものを、この地に属するものを克服してこそ、皆さん方は解脱出来るのです。

 皆さん形を、この世に束縛している原因は何でしょうか。それはこの世に敗北しているからです。この世のものに、全てのものに打ち勝つ事なのです。

 肉に打ち勝ち、物質に打ち勝ち、全てを支配する事によってのみ、皆さん方はこの世の束縛から解放されるのです。それを「解脱」と言います。

 本当に「自分自身が何か」という真理の追求を、そして求道の精神を、生半可ではなくてそれをかたせなくてはならないのです。

 イエス様は「この世の全てを克服した時、私はこの世を克服したのであると言われたのです。
 その時、イエス様は三次元的な肉的な物質的な存在から霊的存在となられたのです。霊が勝利したからです。

 まだまだ皆さん方の霊は物質に勝利していません。物質の奴隷下に置かれています。色々と造られたものに、その造られたものの概念で生きています。

 あなた方の考えを支配しているのは、殆どが三次元的、その物的なものなのです。四六時中私達が神を思う事によって、物質、肉体に支配される事はありません。そういう欲望が出る時「サタンよ、退け!」と、それを克服する事が出来るのです。

 この世で、どんなに地位や名誉や財産を持っていようとて、それは肉と共に葬り去られるものです。この世的なものです。
 持ち帰れるものは一切ありません。それらのものを得た所で何になりますか。「自分が何であるか」を知らないから、それを欲望的に求めるのです。

 それらの人達は、この世では大きい者の様に見えるかもしれませんが、あの世では小さな者でしかないのです。なぜならば、物質の支配下に置かれているからです。

 その人達が物質の支配下に置かれていなければ、この世の財産や地位や名誉を得るという、自己顕示欲的な慾望などは求めようとはしないのです。
 それは、三次元的です。物質的です。そして未熟です。幼稚です。

 今、皆さん方は、三次元的なもの、物質的なものを一つ一つ克服しつつあります。
 そうした時「我は神なり」「我は霊なり」「我は生命なり」「我は神理なり」と、言える程の強い信念、深い信仰を持たなければなりません。
その信仰があなたを救います

 しかし、今、あなた方は「自分が何であるか」を知りません。ですから、世の物質の誘惑に振り回されるのです。その物質による世の誘惑に振り回されていればいるほどこの世で苦しみを造っています。

 これを克服した分だけ幸せを健康を得る事が出来るのです。この世の恐怖というものが一切なくなります。何故ならば、この世の全てを御霊が克服してしまうからです。

 まだまだ皆さん方は、物質の少ない事を怖がり、地位や名誉や財産の少ない事を怖がり、色々なものを恐怖しています。物質を怖がっています。執着しています。それが皆さん方の苦悩となっているのです。

 今、肉体について、その肉体が何であるのかをよく考えて下さい。そして、その肉に支配されてはならない事をよく理解して下さい。
 肉体は、この世的な、一時的な住処にしか過ぎません。それを「人間」と呼んでいるのです。

 皆さん方の中に神が住んでいるのです。あなた方が拒否さえしなければ、神はあなたの肉体を通してのみ働きます。

 あなた方は御霊より、内在のキリストにより、色々な神理を伝える事が出来、正しい言葉遣いと、正しい想いと、正しい行為が出来るようになります。
 今、皆さん方が正しい言葉遣いと、正しい思いと、正しい行為が出来ていないのは、この肉が邪魔しているからです。

 肉は利己的です。魂は非利己的です。自分が三次元的なものを克服しているかしていないかは、自分の行いを反省してみれば分かります。

 自我で肉の敗北者である人は必ず利己的です。しかし、その利己的である肉を克服した者は、非利己的になっています
 非利己的な総合的なものの見方です。ものの考え方です。
自他一体』。一体観念の中に生きています

 聖書の中にこの様な事が書かれていると思います。ある街が大火事に遭いました。火事の災害を受けなかった金持ちの人達に、イエス様はこう言われました。神から預かっているものを神にお返ししなさい」と。

 その人の持ち物は神のものであって彼等のものではないのです。
「それを必要とする所のために、神から預かったものを神にお返ししなさい。それを必要とする困った人にあなたの財産を与えなさい」とイエス様は言われたのです。
 
 ある人は全部与えました。ある人は半分与えました。ある人は何も与えませんでした。何も与えなかった人、その人は盗人です。

 あなたの持っている財産や、そういうものは誰のものだと思いますか。神のものです。それを私のものと錯覚して執着しているのです。 
 あなたのものであれば、あなたがこの世を去る時それを持ち帰れるはずです。持ち帰る事は出来ません。預かりものです。

 神からの預かりものを持っていながら、それでいて「これは私のものだ」と威張りくさる人がいます。そして何も持っていない者を罵る人がいます。これは非常な盗人であり、罪人です。災いなる者です。

 自分のものがない事を皆さん方は知らなくてはなりません。その時が来れば全てはた叩いて皆さん方は困っている人に、貧しい人の為にお返ししなくてはなりません。
 それが出来る人は真の勇者であり信仰者です。神を信じている者の信仰です。

 それは、神理を通して眺めてみれば、自分のものがない事が分かります。それが理解出来ない人は、私の言葉を「おかしな事を言う」と思うでしょう。
 しかし、事実はそうではないのです。自分のもの、私のものというのはないのです。全てが神の預かりものです。

 この肉体でさえも神から預かっているものです。ですから、私達は死にたくないと思っても、寿命が来れば行かなくてはならないのです。

 自分の肉体が自分のものだと思っていてもあなたの思う通りにならないのです。肉体が自分のものであるならば、自分の思い通りにする事が出来るはずです。

 思い通りにする事は出来ません。言う事も聞きません。なぜならば、それは神のものだからです。自我ではどうする事も出来ません。
 あなたの支配しているのは神ですから、私達は肉体でさえも神に捧げる事です。これが本当の「献身」というものです。

 命を捧げる者。自分自身の外なる命と内なる命を神に捧げて人々のために捧げた時、皆さん方は「永遠の命」を得ます

 しかし肉我の自分に生きようとする者は、永遠の命を得る事は出来ません。神を知っていないからです。神理を知っていないのです。
 
 だから「生命を得ようとする者は生命を失い、生命を捨てる者は生命を得る」という言葉があるのです。この事は非常に大事な事です。

 神とは何でしょうか。神とは宇宙の摂理であり、法であり、エネルギーです。私達は宇宙の中の存在です。
 私達一人びとりはその宇宙の中に、宇宙エネルギーの中にいるのです。そして私達一人びとりは、その宇宙エネルギーを持っているのです。
 
私は神の中におり、神は私の中におられる」というのはその意味です。
エネルギーの中に私達はいるのです。私達の中にエネルギーがあるのです。

神は内にいると同時に外にもいる。全ては神であり全体は神である」と、それが分かる様になります。
 
 神と人間とは一つの存在、一体の存在です。なぜならば、神は無限であるからです。神から分離した人間は何処にも存在致しません。

 神から分離した人間がいるならば神は無限ではなくなります。普遍でもなくなります。
 あなた方は、今、即、神の中におり、神はあなた方の中におられます。それが分かりますと、唯一神のみの実在、神一元という悟りに到達致します。

 神一元です
しかし、人間の浅はかな感化(自我)が、色々なものを分離し、独立させて考えているのです。あなた方の肉の意識がそれを妨げているのです。

〈自分は神と分離しているのだ〉と思わせる様に誘惑するのです。
あなた方が中々神理に入って行けないのは、自分自身の肉による自我意識が、神から遠ざけているのです。

 事実においては、神の中に私達はおり、神は私達の中におり、それは一元なるエネルギーの中におるのです。エネルギーは外でもなく内でもなく、また、外でもあり内でもあるといえるのです。

 この事は、〈今、あなたは神の中にいる。それはあなたは神の中の存在であって、そしてあなたの中には神が存在している〉という事です。

神の中に自分は存在し、自分の中に神は存在する。常に神と自分は一体である」と、この事の意味をよく理解して頂きたいのです。

 そうした時「人間と神の存在というもいのは一つの存在である」という事が分かるのです。そこには、人間と神が独立し分離している存在ではなく、「人間と神は一体であった」という事です。

 一体とは「一つの体」という意味です。
人間と神との関係は一体であった。一つの体であった」という事です。
その神が皆さんの中に、生命の中におられます。

 ここで私が一番言いたい事は、「神の存在を、内在のキリストを、あなたの肉を通して完全にこの世に現す様にしなければならない」という事なのです。

 何回も、何回も、私は同じ事を言っています。飽きる程そういう事を言っています。しかし皆さん方はまだ肉に敗北しています。ここから自分の家に帰りますとまた敗北するかも知れません

〈知花はなぜ毎日同じ事を繰り返すのだろう。なぜそう言うのだろう〉と。それを自ら追求する事によって、自ら自問自答して、内から答えを得る事によって神に至る事が出来るのです。

 今、世の中では、色々な誤ったものの見方と、誤ったものの教え方をしています。それにはまず統合的な高い意識を高揚させてから、そこから全体を見る事です。一部だけを見てはならないのです。

 しかし皆さん方の見方は、近眼になってしまって、一部しか見ていません。ですから全体と自分の関係を見失っているのです。厳しいようでもやらなければならないのです。

 世の人々は、神に至るのに平坦な道を選びがちです。肉欲も、情欲も、飲み食いも、常平生それをやりながら神に至ろうとしています。

 物質の支配下に完全に置かれて、霊的なものに遠ざかっているからです。平坦な神への道というのは何処にもありません。
 道は厳しいのです。狭いのです。この世のもの全てを、あなた方が御霊によって克服しなければならないからです。

 では、人間と神の関係はどうなのでしょう。本来は人間と神の関係さえもないという事です。
 この説明のためにテーマをつけて書いたものであり、関係さえもなく、一つの存在であるのです。

人間と神は、即、一体の存在であり、我々も神の存在であり神そのものであった」という事が分かるのです。我は神なり。我は生命なり。我は神理なり。と。
我は神であり、我はキリストである」という悟りに至らなくてはならないのです。

 この世というものは、始めがあり終わりがあります。皆さん形には誕生があり死があります。
 しかし、これはこの世的なものであって、もうひとりの真の自分には誕生もなければ死もない存在なのです。それがあなたの本質であり、生命であり、魂であるのです。それに早く気付く事です。

 初めがあり、終わりのある存在ではありません。それを追求して、それを克服して、初めがあり終わりのあるものに捉われないように。
 
 それは初めがなく終わりがないものによって造られたものであり、それを造ったものによって支配しなくてはならないのです。

 その造り主である神の御意志が、内在のキリストとして皆さんの中に宿っています。早くそのキリストに気付く事です。
 その支配者である全知全能であるその方(神我キリスト・宇宙生命)を、皆さん方は早く気付いて欲しいのです。

 神棚を通して神は働くのではありません。生きた人間の肉体を通してのみ神は働き給うのです。
神は人間を通して働き給う」と、その事を決して忘れないで下さい。
 
 なぜならば、人間そのものが神であるからです。神棚そのものは神ではありません。それは三次元的な、物質的な存在であるのです。

 私達は神である生命を頂いています。「我は生命なり」です。その生命が働き手であり、生きているわけです。どんな植物の中にでさえも神は生きて働いているのです。だから植物は成長し、花が咲き、身を付けるのです。

 皆さん方の奥さんは「カミサン」といって神様です。本物の神様です。ですから大事にしなくてはならないのです。
 皆さんの周囲には沢山の生きた神々がおられます。その生きた神々を私達は愛し合わなくてはなりません。真の神の愛です。

 あなた自身の中に神がおられるなら、あなたの隣人の中にも神が宿っておられる事を知らなくてはなりません。そうなれば、その隣人を貶す事は神を貶す事になり、その隣人を罵る事は神を罵る事になるのです。

 そうならないように、皆さん方は「隣人愛」をしなくてはならないのです。「自分を愛するが如く人々を愛する」と、それをしなくてはならないのです。これは神を愛している姿であり、神を賛美している姿なのです。

 誰の悪口を言ってもなりません。神を知らない者が人の悪口を言います。神を知っている心の清い者が人の批判や悪口を言うでしょうか。
 人の批判や悪口を言うならば、その者の心は曇っているのです。真の自分を知らない、神を知らない者です。

 そのような迷い人の言葉や姿に迷わされないで、一生懸命、自分自身の神を観つめ、その「神と人間の関係」を追求し、求道され、実践されます事をお祈り致します。




徳を積む大切さを学ぶお話

 今回は、徳を積む大切さを学ぶお話を、最新記事と過去記事を絡めてご紹介させて頂きます。私自身も、色々な精神世界の為になるお話のお陰で、いわゆる「徳を積む」大切さに気付かせて頂きました。

 それから、ささやかではありますが、ゴミ拾いや、人様に対して、優しく・至れり尽くせりの親切心・愛の態度・爽やかな笑顔……等々、身口意を思いつく限り正して参りました。

 そのお陰で今では、自分でもびっくりするほどにラッキーマンな人生に変容したのです。不思議なツイてるエピソードが山程ある位にです(笑)

 人生は良い事や悪い事が起きるのが普通だと思われておりますが、実の所、日々徳を積んで、想いを正し、行いを正し、言葉を正していきますと、自身が積んだ徳で、守護の神霊の存在にちゃんと守られて、幸せがずっと続いてゆく喜びに満ち溢れた人生に変容してまいります。

 覚者☆知花敏彦先生も、他人に親切にしたり、困っている人を助けたり、笑顔で優しく…等、一杯善い行いをして、「徳を積む人生」を送っておりますと、例え解脱出来なくても、来世はそれはそれは幸せは人生になりますよ……、と仰っておられます。

 ぜひ皆様も、日々「徳を積む」事によって、真の開運者になり、不思議な程にツイてる人生になって、幸せハッピーライフを送られてみてはいかがでしょうか。ご参考になれば幸いで御座います。


      
徳を積む重要性のお話      上江洲義秀先生の記事♪    
カルマゼロへ  (上江洲義秀先生)

 世の中には日々の生活のため、または欲にかられて隣人や知人からの借金を返さない方がおられます。

 返済を強く求められてもその義務から逃れようとし、法的に貸主が請求できる期日が経過すれば、借り主はうまく逃げられたと思うでしょうか。宇宙の法則の中ではそうはいかず、しっかりとした精算が待っているのです。

 仮に、結果的に誰かの財産から百万円という金銭を奪うことになった方がいるとします。時を経て、その方自身が百万円という損失をこうむる事で精算される場合もあります。

 中には己の肉体をもって返さねばならないこともあり、さらに大切な隣人にその影響が及ぶ場合もあります。どの様な方法で精算させられるかは実に様々と言えるのです。

 宇宙のダイナミックな働きの中でそれはなされますが、その仕組み(※因果律・カルマの刈り取り)は、驚嘆するほど実に精密に行われているのです。

 一方で思慮深い情を持って困っている方を言葉で励まし、その方が再び立ち上がれるよう経済的手段で助ける方がいるとします。

 良き言葉、良き行ないは着実に積み重なり、御本人の未来や隣人、子孫に良い影響を与えます。それは厳然とした事実であり、善意のあらわし方は様々あります。

 両者は自らの手によって全く異なる原因を作ったと言えるのです。私達は真理をしっかりと携(たずさ)え、正義に基(もと)づいて日々を過ごさねばなりません。

 聖人は困っている時ほど人に施しをと言っておりますが、困っているという現象の理由は、自らの徳の蓄積が、限りなくゼロに近くなるまっで枯渇している事が原因である事が多く、枯れた井戸からは水を汲む事が出来ないものです。

 徳という井戸水※が枯れてしまっては、私達は半歩たりとも足を前に運ぶことは出来ません。
(※守護霊さんが助けようとしても、「徳」が無いために助けられない事例もあるそうです。非常時に備えて徳を貯めておく事が大事ですね♪)

 「今」からでも、施しという善意や汗水たらす作業で、徳を積み立ててゆく事を心がけて頂きたいものです。



自我・偽我 =分離感・分離意識、表現者、原因である父なる神を忘れている状態(放蕩息子の状態)神理を知らない状態・自分の力で生きていると思って迷っている状態、肉体の己を自分と思っている我、分離感・分離意識で個別化された表現を別個の存在と認識している我・肉の感化、五感の感化を真実と錯覚している我・迷いの影、幻、幻想(マイヤー)・自己保存、自我我欲の心


真の自己(真我)=父なる神と常に一体の境地・全一の意識・神我キリスト、全ては自分、全ては我、全ては神、全てを愛する我に目覚めた状態・神我キリストによって生かされている事を自覚して実感している我・私が生きているのではない、なるほど一つの生命である神が生きていらっしゃる、中身は全て神、全ての知恵と力は神から与えられている、神の中身は神、全ての全ては本質的には神、神のみが生きてらっしゃるんだなと悟った我・神一元・愛一元・我神なり、神は生命(霊)なり、我も生命(霊)なりの自覚・宇宙即我、我即大霊の境地、キリスト意識・高我・実在・全てを愛し全てを許す境地・慈悲と愛・あなた即私・私即あなた・宇宙エネルギー即自分・無限即我・我即実在・不変不動の絶対なる実在・普遍なる宇宙・無限者・宇宙神


上江洲義秀先生の超能力について  上江洲義秀先生の記事♪

 ここ最近、上江洲義秀先生のご著書「神様がくれた処方箋」を拝見したのですが、予想を遥かに上回る偉大過ぎる超能力を発揮されているお方なのがよく分かりまして、事実は小説・マンガ・アニメよりも奇なりとは、まさにこのことだと心底実感した次第であります

 上江洲先生は、テレポーテーション・ヒーリング・時間逆行・物質再現・聖者方と普通に会話・その他等々、私が覚者になったら、こんなことやってみたいな~って思っていた事を全部再現されていらっしゃる様で、覚者の中でもトップクラスの多彩なワザを駆使するテクニシャンなお方で御座いました。

 五井先生も腰を抜かすレベルという表現と言っても過言ではありません、知花敏彦師は覚醒してから、少しずつ色々出来るようになっていった感じであられるので、小さい頃から超能力が覚醒されていた上江洲先生は、超能力については、覚者の中でも別格の様な気が致しました。

 本当に夢のような、魔法のような事が出来ちゃうんですねぇ....真摯に衝撃を受けました。ドラゴンボールさえ軽く超越するレベルですからねぇ

 私もありがたい事に、超能力が少し発現しておりますけれど、覚者方が超サイヤ人でしたら、さしずめ私はチャオズといった感じでしょうか(笑)

 スピリチュアル界隈では、マグダラのマリアさんが随分持ち上げられておりましたが、上江洲義秀先生が一刀両断なされておりました。マグダラのマリアさんと子供達とフランスに行ったとか、どうもあれは違うらしいです。

 ( ^ω^)・・・ツインソウルでもなく、実はエジプトで秘法を学んでいたのでもなかったという....あれは一体?(遠い目)

 聖母マリア様が本当に処女懐妊だったとか、もう異次元級に衝撃を受けたのですが、じゃあ例の父親がアークトゥルス人説、オムネク・オネクさんの父親が金星人説、タオさんの第九カテゴリー、等々の、

「父親が高次元宇宙人説」って一体.....( ^ω^)・・・あっ察し^^;(苦笑)、それでも、こちらの方々のご著書は素晴らしいですが……♪

 それにしても、イエス様の諸説があまりにも多すぎて、どれが真実かわからないという現状があるのですが、上江洲義秀先生の説かれる諸説が一番真実な可能性が高い気がするのですが、いかがでしょうか。

 上江洲義秀先生は詩人の様な、軽やかで艶やかで繊細、かつ優雅な表現力を駆使して真理を説かれているので、神理の勉強をしているのに、優雅な俳句を勉強しているかの様な錯覚に陥ることがあります(笑) 
 表現力が大幅にアップすること間違い無しで御座いますよん♪
 
 悟りに到達する考え方は、知花先生と同じなのですが、カルマに対する考え方が、知花師と大いに違う様に感じました。「カルマは神の愛」という表現に意外といいますか、このような捉え方もあるんだ...と久しぶりに意識に新しい革新を与えて頂きました。

 知花先生は、カルマは自我に属するもので、自我は糸の切れた凧の様なものであり、人間は神(神我)が悪(自我)の殻をかぶった様なもの、というご表現もされております。その基本は上江洲義秀先生も同じなのでしょう。

 ですが、この地球に生まれている99.999......%の方々の、その自我で修行しているこの境遇でさえ、「神の愛であるという視点」は、また新たに魂の成長を促して下さいました。

学びの環境でさえもが神の愛なんですね♡素敵です♪

●カルマ(自我)の因縁での出会いを通しての学びでさえ神の愛♡
●身口意を正し、全てを赦し、愛することでカルマは消え去る


 身口意を正すという視点は、私も長年の人生でも、非常に大事だという認識に達しておりましたので、私の考えを裏付けて下さっている様で、本当に勇気づけられましたね♪

 上江洲義秀先生の『神様がくれた処方箋』は、優雅で麗しい表現が嬉しい、悟りを開く最先端な有意義な情報満載の、超良質な何十回呼んでも、読み飽きない素晴らしいご著書でありますので、大推薦させて頂きます♪



上江洲義秀先生の究極の質疑応答サイトについて
(※現在ではこのサイトは消されております)

 今回は、一昨日(おととい)見つけました、上江洲義秀先生の質疑応答サイトをご紹介させて頂きま~す♬

 おまけ情報ですが、リンク先の質疑応答ページは全部PNG形式の画像として掲載されていますので、右クリックで画像を保存でいつでもスマホやパソコンで見て頂く事も可能で御座います。

 ちなみに最近は、上江洲義秀先生に大ハマリにハマっておりまして、越智先生との対談本以外は、全部購入して全部拝読させて頂きました。

 全てのご著書が素晴らしいのですが、特に「上江洲義秀 光話三選」は、ご光話のベストセレクションと銘打っているだけあって、
 本のどの部分を見ても大変充実しており、絶対読んで良かったと思えちゃう崇高で濃厚な内容で御座いました(ニッコリ

 これは人類必見と言っても過言ではない、近年稀に見る名書……と言いましょうか、人類の歴史に名を刻み込む稀代の覚醒の書、次世代の聖書、究極の神秘へ到達出来る真理の書、と言っても過言ではありません。

 生まれてきたからにはこれは絶対に読んでおかなくちゃぁ…って思える程の、超良質な悟り覚醒を促して下さる素敵な素晴らしい内容ですから、強烈に猛プッシュ、ウルトラ☆超☆大推薦しちゃいます♪

 青い文字のリンク先の下に、私のささやかな解説とマッチするような自分の体験話も少し織り交ぜながら、皆様の悟りの、魂の覚醒のお役に立てればという思いで記載させて頂きました。青い文字のリンク先は必見ですよん♪



上江洲義秀先生の質疑応答

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 知花先生のお話と照らし合わせますと、固体(3次元界)から液体(幽界)を無限ループしている状態が、輪廻転生でありまして、この固体(3次元界)の世界から気体(実相・神界)へ行く事が悟り・解脱という事になります。


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 悟りを開いた覚者になりますと、時空や因果律を超越しますから、自分の寿命までも自分で決められるそうですね(知花敏彦先生談)。
 その様な存在となってほしいという締めが素敵でした♪


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 本山よろずや本舗様でも、チャネラーに自分の運命を任せることの危険性をご自身の体験から啓蒙されていたのを思い出しました。

 覚者・ブルーシャ西村様も、「自分の人生は、自分で選択する」ことの大切さを切実に訴えておられました。自分で考えていく事によって、「魂の判断力が磨かれていく」というのがあるみたいですね。まさにその通り!!と納得のお話で御座いました。

のブログはこちら♪超濃厚な素晴らしい内容ですよ♪

 私の場合は、いい意味で、神様・守護の神霊に導かれてここまでの深い悟りにまで到達できたという感じで御座います。

 真剣に「神様、私に正しい真理をお教え下さい」と神様を求める真摯なお祈り捧げていたのが良かったのかもしれませんね。有り難いことです♪
言い換えるならば、「真理を求めよさらば与えられん」 でしょうか♪
このような「神我の祈り」はどんどんなさったらいいかもしれません(^^)


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 私の面白い体験の一つで、今の自分の顔は痩せ気味で、ちょっと太ったほうがいいかな~って思っていたら、面白い事に、食べる量が適量でもすぐに太っちゃうんですね(笑)。
  何回かこの体験して”想いは具現化する”の実例なんだとを確信しました。

 ですから、”太ったほうがいい” なんて絶対に思わないように気をつけるようになりました♪痩せてるほうがいいな~って思いながら食べていたら、望むものは現れますから、食べる量が同じでも痩せる方へ行きやすいみたいです♪お蔭様で痩せ顔を維持出来てますから多分大丈夫かと…ご参考まで~♪


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 私の場合は身長を2mまで伸ばしたいので(笑)、まだ一応それなりに食事をしておりますが、そこまで伸びたら余り食事しなくても大丈夫かな~といった状態にはなれました。今では一日一食でも全然大丈夫です。


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 日本は世界一熟した魂の集う霊的進化国ですから、治安がいいと言えるのかも知れませんね。誰でも彼でも日本人になれるようでは無いそうですし。

 面白い話で、どこかのサイトで、地球より未熟な星で、全然感情が制御できない魂だらけの星があるそうです。その星で、ある程度感情が制御出来るようになった魂が、地球のある地域に集団で移転しているというお話がありました。戦争が多い地域とだけ……どこかはあえてぼかします(笑)。

 犯罪が多い地域に生まれるという事は、その地域で学ばねばならない事があるからという結論をぼかしながら述べ伝えられているように思えました。


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 初心者向けの質問でも、誠心誠意お答えして下さる、”実るほど頭を垂れる稲穂かな”を自然に実践されているお姿に大変感銘と感激を受けました。
 それにしても質問者の方に対するお優しいお心遣いに、涙がこぼれ出そうになりますね♪上江洲義秀先生は愛が輝く素敵で偉大なるお方です♪


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 上江洲義秀先生のこちらの回答のお陰で、物事を臨機応変に考える大事さを学べました。偉大なる大覚者であられる、上江洲先生に心から感謝申し上げます。

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 無とは「無限の本質を我と感じている状態」、「無限大の愛即自分」、「宇宙エネルギー即自分」、「宇宙即我」、空・無とは「無限の本質あるのみ」の境地と言えるのかも知れませんね。


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 酒屋で憑依する為に幽霊がウロウロしているお話は、スピリチュアリズムでも見た事がありましたが、どういった理由かも同じでした♪愛という鍵でしっかり自分をガード♪…高級霊と低級霊は波長は合いませんからねっ♪


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 愛はすべてを超越するのですね…愛ほど偉大なるものは存在しないと……愛の次元をこれからも徹底的に高めていきまっしょ~い!♪元子さんの例えは、上江洲義秀先生の十八番ですね♪めっちゃ面白いです♪


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 愛を高める事が疲れない体質になるコツみたいです♪心を非利己的な神我の愛の心にすればするほど、神様と波長が合いますから、宇宙エネルギーを頂けると考えても良さそうですね♪日々、洗心と明想を実践しましょう♪


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 常時、「常に我は無限である」を意識する事がとっても大事な事♪
「愛とは与えるためにある」「愛は吸引力」「与えてさらば与えられん」という感じでしょうか。
「我すでに愛なり」「我すでに無限なり」「我すでに神なり」この神意識を常に意識し続ける事が非常に大事な事ですね♪



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 心配は逆に良くないという細かい事例説明が非常にためになりました。上江洲義秀先生のアドバイスが的確で、本当に驚嘆するばかりです♪


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 ずっと眠っていて下さい…か。なるほど、沢山明想する程良いとも受け取れました(笑)。沢山目をつぶって明想をしよ~っと♪


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 アラン・カルデックさんの霊の書でも、逃げても何回でも似たような経験をさせられるお話がありましたが、結局、自分で困難を乗り越えるしか、運命を代える事は出来ないとも言えましょう。

 私の場合は、徹底的にネガティブな想念を駆除して、全身全霊で洗心して、ポジティブ一途まで想念を磨き上げましたから、お蔭さまで、人生が神懸かりな程に運が良い人間に変容出来ました。

 一番劇的に変わったと感じた時は、洗心の”人を咎めない(心で人を責めない)”をしっかりと実践出来るようになってからですね♪
 そこから本当に運がいいって思える人生になりましたから。それまでは運命に波があったように思えます。  

 私の体験から推測しますと、人を責めない善人になる事が、運がいい人生になる一つの秘訣と言えるかと……。善人はモラルが高いので、どうしても心で人を責めちゃう所がありますから。私もかつてそうでしたし。

 多分そこ辺りが、あの人はいい人なのになぜ……という現象があった要因だったのではないかと…、そんな気が致します。人を責めない事でネガティブがほぼ全部なくなって、自然に善人が人生な幸せになれちゃうかもねっ♪


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 物質が柔らかく感じるという部分が、知花敏彦先生の宇宙即我を体験した後の体験ご講話とそっくりで興味深かったです。波動が極限レベルにまで高まると、硬い物質でも柔らかく感じて簡単に曲げれそうと思えるそうです。

 時空を超える究極の秘密がこの体験談で明らかに♪めっちゃんこ為になる超絶ミラクル神秘体験秘話でした。Kさんはきっと解脱出来るでありましょう。私も時間を割いて「明想」をしていこうと固く決意した次第です♪


オーラ オーラ オーラ から引用させていただきました


守護霊のメッセージを受け取ろう   木津龍馬さんの記事♪

 守護霊がいない人などいません。
 いるというよりは、「ある」とか「存在する」と言ったほうが適切かもしれない。では”どこに”存在しているのか?

 守護霊はオーラの中に、光として、存在しています。

 守護霊は、先祖だったり、おじいさんやおばあさんといった身内だったり、まったく関係のない人の場合だってあるけれど、その人達のオーラの一部分が、オーラの6層目に入って、僕達の存在をサポートしています。

 一般に言われているように、「あれこれ守っていくれている」わけではない。手出しはせずに、じっと見守っているだけです。

 ただし、守護霊がメッセージを”インスピレーション”という形で与えてくれる事はありま「言葉なきメッセンジャー」といった存在です。

 食事に気をつけて血を綺麗にし、感謝することを忘れず、直感を磨いていく。そうするとアンテナが稼働して、より高次の存在である守護霊のメッセージを、ひらめき」「気付き」「虫の知らせ」「内なる声」という形でキャッチできます。


小泉宗雄・「三光太源文化研究所

様から引用させていただきました 


その1 「お袋に小遣いをやれ―」

 
 これは昭和37年頃、今から50年も前に私が体験した実話であります。

 当時、私は恵比寿にあった綜合統計研究所・後年綜研と社名を変えた市場調査機関に勤務していました。

東京オリンピックを数年後に控えた高度成長の時代で、私はまだ20代後半の若さではありましたが、総務主任という役職にあり、今思い返すと多忙の日々が夢のように過ぎ去ってゆきました。

 今でいうクライアント・仕事の発注先は、霞が関を中心とした官公庁と諸団体、当時は銀座にあった電通さんや日比谷の朝日新聞社さんなどで、役員や書類のデリバリー用に、

ブルーバードやライトバン等数台の自家用車がありましたが、社員の営業用として、当時通産省の国民車構想に呼応して発売された三菱コルト600を1台購入しました。

 リアエンジンで空冷式のためか、冬場はエンジンの掛が悪く、しばしばバッテリーが上がって往生しましたが、価格が低廉でリッター当たりの走行距離が長い経済車で、車体がコンパクトなために運転がし易いので、社員に人気がありました。

 車両の管理を担当していたこともあり、勤務が夜分に及ぶ時は、この手軽なコルト600を運転して世田谷の自宅に帰り、朝は恵比寿駅で社員を数人拾って出社するのが常でありました。

 そんな冬の日、朝食を済まして鞄を抱えて玄関で靴を履こうとした時でした。
 「あなた、これから車で行くのか―」、その声は耳で聞いたのではなく、頭の中に強く浮かんできたのです。「はい、出かけます」「それではお袋に小遣いをやれ」「はい」。そんな問答がありました。

 丁度母が玄関までまで見送りに来ていました。財布から確か千円札を取り出して「お母さん、お小遣い」と言って渡すと、「ありがとう」にこにこして受け取ってくれました。

 危惧したエンジンが一発で掛り、赤堤通りから小田急の梅ヶ丘の踏切を渡り、環状7号線とクロスする宮前橋の交差点に入る時でした。何台もの対向車がクラクションを鳴らすのです。「おかしいな、なんだろう」ふとバックミラーを見ると、車のバンパーから白い煙が出ているのです!

 びっくりしました。兎に角、交差点のど真ん中で車両を止め、エンジンキーを回しましたが、どうしたことかエンジンが切れないのです。慌ててトランクを開けると、わっと炎が、もお、びっくり-。
 幸いなことに、交差点の角に大きなSSがあり、従業員の方が二人、大きな消火器を2本抱えて駆け付けて、無事火を消してくれました。

 駆け付けてきた販社のセールスンが車を引き取り、原因不明のままに車両は修理されました。この様な事故は私が処理する立場にあり、実損がなかったことと、欠陥車が社会問題になる以前のことなので、

たまたまの事故として、取り立てて問題にならずに済みました。そのためか、何か夢でも見ているような気持ちでおりました-。

 暫くして、会社から車で家に向かってその交差点を通りかかった時、はじめて愕然としたのです、あの事故がもし別の場所で起きたら、私はどうしただろうかと。

 細い道ではありませんが、淡島までSSはありません。その途中で気が付いたら、あのままだったらガソリンに火が回って車が炎上し、場合によっては近隣にまで火災が広がり-!

 「定められた災厄は必ず来る。しかし大難が小難に、小難が無難になることはある。人間の行為(徳)が主護霊や背後の神霊の力を倍加させて、そのようになるのだ-」と小泉平一は言っておりました。

 「お袋に小遣いをやれ」あの声なき声は、今でも頭に浮かんで参ります。


興味深くて☆スピリチュアル秘話が満載でオススメです♬


祈り (徳によって祈りが叶う原理)   井出昭彦さんの記事♪

 誰もが皆、お祈りをしたことがあると思います。それは心の中であったり、神社の前であったり、お寺の中であったり、あるいは夜寝る前の布団の中であったりしたかもしれません。

 そして多分皆さんは、神様が、天使が、ご先祖様が守ってくれる、導いてくれる、願い事を叶えてくれるとのことで、祈られているのではないかと思います。以下、心の眼の観点から感じたままに記していきます。

 ます、祈りは、徳の数によって成就されるということです。えっ、何のこと?、と思われることでしょうね。きっと。ここで、預金のことを思い浮かべてみてください。

 原理としては同じですから、把握しやすいと思いますので。
あなたが新車を欲しくても、それだけのお金がなければ購入する事は出来ません。(物を買うには)お金という貯えがこの場合、必要です
 
 では徳とはどういうものなのでしょうか。そして徳を積むとは一体どういうことなのでしょうか。人に親切にするとか、街に落ちているゴミを拾うという行為も、徳として換算されて、積まれていきます。

 たとえそこに貴方のその行為を見ている人が誰もいなくても、あるいはあなたの親切を相手の人が気づかないとしても、です

 私は時々、遠隔ヒーリングを行うことがあります。相手には「気を送ったよ」とか、「今からヒーリングをするからね」とかを、特に伝えたりはせず行う場合が殆どですが、心の眼で私自身の徳の数を教えてもらうと、それは増えていたのですね。「情は人のためにあらず」という言葉の意味は実は、このように自分のためとなっているのだ。ということなのです。

 拝めば救われる、という以前に、自分自身の今までに行ってきた善の行為(徳)によって、自分自身が助けられる、救われる、という事柄は実際にあり、それは事実なのであるということを、皆さん方には是非知っておいて頂きたいと思うのです。

 今の日本人における徳の数の平均はいくつでしょうか。百を満点とした場合、その平均値というものは実は二十です。ちょっと少ないなあ、と感じられたのではありませんか。

 ではなぜ少ない数なのでしょうか。それは、自分本位の考え方で生きている人が多いことをそのまま顕しています。

 それだけ自分だけ良ければいいんだ、という考え方に基いて生きている人が多いということを顕しているのですね。ですが、面白いことに、そのような人というのは徳が少ないから、逆に幸せな人生は送りにくいのですけれども。

 自分自身を振り返るということは、自分の心の状態・在り方が、出来事を作り出しているのですから、そのようになってしまった原因は、他人ではなくて自分自身にある、ということに気がつくことなのです。

 例えですが、もしあなたが、全てを人のせいにするようなタイプの人から、何かを言われたり、誇張されていわれたり、あるいはまた、無いことまでもをもひわれたとしても、誰に対しても言い返したり、事実を説明したり、証明したりすることは必要ありません。まずそのような事を言っている人というのは、天上界にある(閻魔帳)につけられてしまうのだそうです。

 加えて、そのような人から何を言われたとしても、「ここで言い返したり騒いでみても、周囲の人達を巻き添えにしたり、事が大きくなるから、ならば黙っていよう」としている人には、大きな徳が積まれるのだそうです。

 預金で言うと普通預金ではなく、定額預金に該当する程の大きな徳になるとのことです。


様から引用させていただきました

正木和三先生の          政木和三先生の記事♪
徳を積んで寿命が伸びたお話    

自分の死期を事前に知り、その予言通りに亡くなったケースは世界でも多くあるようだ。有名なところでは、エマニュエル・スウェデンボルグが自分の死ぬ日にちを予告した手紙を第三者に送り、実際にその日に「霊界へと旅立って」いる。スウェデンボルグによると、霊界との交信により容易に死期を知ることが可能なのだという。

16世紀、当時最高の占星術師といわれたノストラダムスも、多くの事件や人々の死期を予言、実際に的中させたとされている。以前紹介した竹内巨麿の4男高畠吉邦も知人の死を事前に知ることができたために、「誰々さんに会っておきなさい」と、知人が死ぬ前に面会しておくように妻に言うのが常であったという。人には天の法則によって決められた寿命があるのだろうか。

その日は1979年2月であった。これはフーチパターンによって知った「正木の寿命が尽きるとき」だった。「死因」は心臓発作。正木はそれを約6ヶ月前に知った。当時、正木は肝臓をわずらっており、医者から治療を勧められたが、それも断った。死期を知った正木は、ますます目先の欲望に拘らなくなった。

死期が迫っていても、別にそれをそのまま寿命だと受け止め、欲望をすべて捨て去ってしまった正木に、1979年の元旦の朝、生命体からのメッセージが届く。

汝は永年にわたり、陰徳を積みたるがゆえに、汝の寿命を延ばし、汝に力を与える正木は最初、どのような陰徳を積んだのか分からなかった。

 その後、生命体から、瞬間湯沸かし器や自動炊飯器など数々の発明をしながら、自分は一円の収入も得ず、多くの人々に喜びを与えたことが陰徳であることを知らされたという。

正木にとって、発明によって特許権を行使し、カネを儲けるなど、ほとんど考えられないことであった。

あるとき電機メーカーの関係者に、正木が約3000件にも上る自分の発明特許を無効処分にしなければ4000億~5000億円の特許料が入ったのではないかと言われて、正木はこう答えた。「そんなお金なんかいりません。生活できるだけのお金があればいいのです。

それに私は瞬間に発明ができます。瞬間にできるものでお金はいただけませんよ」正木の寿命は先に延びた。

秋山眞人も表現は違うが同じようなことを言う。
徳を積むとは、結果的に自分の得になることをすることなのです」。

つまり、人のためになることをするという徳は、めぐりめぐって自分の得になる、情けは人のためならずという宇宙の法則が働くということのようだ。

最後に、正木が生命体を通じて得た次のようなメッセージを紹介しよう。水をかぶったり、お経をあげたりするのは、自分のための修行であって、自己満足にすぎない。

 本当の修行とは、欲望を捨て自分以外の人々に喜びを与えることである。
すると、人々に喜びを与えたエネルギーが、高次元の生命体となって自分の肉体の中に入ってくるのだ。


様から引用させていただきました

不思議な世界番外6(最終回)
精神が世界をつくる

私は顔を変えたことがある。といっても整形手術をしたわけではない。精神の力で変えたのだ。

まさかと思う方もいるだろうが、実はこれは誰でも無意識のうちにやっていることでもある。苦労やストレスは顔に出るし、穏やかな心は、顔を穏やかにするではないか。

ウソばかりつく政治家が醜悪な顔になるのと同様なメカニズムだ。
私はそれを意識的にやっただけで、別にたいしたことではない。

 それは私がまだ、中学生のときだった。友人に裏切られ、私は極度の人間不信に陥った。すべてを疑いの目で見るため、誰も信じられなくなり、ひたすら孤立していった。

 あるとき、ふと鏡の前で、自分の顔をまじまじと見た。何ということか。鏡に映し出された自分の顔は、それまで見たことがないほどいびつになっていた。

 対称性が失われ、歪んで醜く見えた。
これはひどい。病んだ精神がこれほどまでに自分の顔を歪めるとは!」
――。私はかなりショックを受け、打ちひしがれた。

それからである。私は顔を変えることにした。不思議なことに、私はそれができると確信していた。病んだ精神が顔を変えるのだから、
健全な精神をもってすれば、また顔は変わるはずだ、と考えたのだ。

  猜疑心、不信感、憎悪などの私が持っていたマイナスの感情を、すべての可能性を信じることにより、信頼、愛情、寛容などのプラスの感情にできるだけ変えていった。

  今から思うと、一種の自己催眠であったのではないかと思う。悩みはほとんどなくなり、ストレスにも強くなった。ストレスがあっても、自分を客観視(ストレスに悩む自分を観察)して、まさに客観的に楽しむようにした。

  予想通りに私の顔は、再び元の自分の顔へと戻っていった
そして、自己催眠が効きすぎたのか、今でも童顔のままである)。

  人間の苦労は顔に出てしまう。これは誰もが認めるはずだ。しかし、同じストレスがあったとしても、ストレスに苦しみ、その苦労が顔に出てしまう人もいれば、ストレスをプラスに考え、苦労とも思わない人もいる。

  これが結局、顔を変えることにつながる。ストレスに負ければ、中学時代の私のように顔が歪む。額の皺の刻印は深くなり、実際の年齢よりも老けて見えるようになるだろう。

  だが視点や意識を変えることにより、ストレスは、ある程度の緊張をもたらすだろうが、苦労にはならなくなる。
  同じ年月を経ても、一人は老人のように、もう一人は若々しく見えてしまうのはそのためだ。

  すべては人間の意識が決めるものである。あなたの意識が決まれば、肉体や物質はそれに従うのだ。意識(精神)はおそらく、あなたの世界の統治者である。あなたはこれから、どのような世界をつくろうとするのだろうか。

  これまで多くの超能力者を紹介した。彼らは不思議な世界を旅するものたちである。しかし、実はあなたこそ、この深遠にして不思議にあふれた世界の主役であり、かけがえのない「神の旅人」でもあるのだ。


・自分はついてると思う♪
・いつも笑顔・口角を上げてスマイル♪
・人の気分を害する事はしない・悪口は絶対に言わない♪


1.眼施(げんせ) やさしい眼差(まなざ)しで人に接する

 「目は口ほどにものを言う」といいますように、相手の目を見ると、その思いはある程度わかります。相手を思いやる心で見つめると自然にやさしい眼差しとなり、人は安心します。自らの目を通して相手に心が伝わって、相手も自分の気持ちを理解して、お互いが打ち解けることができることでしょう。


2.和顔悦色施(わげんえつじきせ) にこやかな顔で接する

 眼施と同様、顔はその人の気持ちを表します。ステキな笑顔、和やかな笑顔を見ると幸せな気持ちになります。そして周りにも笑顔が広がります。人生では腹の立つこともたくさんありますが、暮らしの中ではいつもニコニコ、なごやかで穏やかな笑顔を絶やさぬよう心がけたいものです。また、メールの顔文字も一工夫してみてはいかがでしょうか。


3.言辞施(ごんじせ) やさしい言葉で接する

 言葉は人と人との関係を円滑にするコミュニケーションの大事な方法です。私たちは言葉一つで相手を喜ばせたり、逆に悲しませたりする場合があります。相手を思いやるやさしい言葉で接していきましょう。「こんにちは」「ありがとう」「おつかれさま」「お世話になります」など、何事にもあいさつや感謝の言葉がお互いの理解を深める第一歩です。


4.身施(しんせ) 自分の身体でできることを奉仕する

 重い荷物を持ってあげる、困っている人を助ける、お年寄りや体の不自由な方をお手伝いするというような身体でできる奉仕です。どんなによいことと思っても、それが実行できなければ意味をなしません。よいことを思いついたら実行し、自ら進んで他のために尽くしましょう。その結果、相手に喜んでいただくと同時に、自己の心も高められるのです。
 

5.心施(しんせ) 他のために心をくばる

 心の持ち方で物事の見方が変わってしまうように、心はとても繊細なもので、自分の心が言葉遣いや態度に映し出されます。自分だけがよければいいというのではなく、心底からともに喜び、ともに悲しむことができ、他の痛みや苦しみを自らのものとして感じ取れれば言うことはありません。慈悲の心、思いやりの心から自然とやさしい顔や眼差しにも表れてくることでしょう。

6.床座施(しょうざせ) 席や場所を譲る

 「どうぞ」の一言で、電車や会場でお年寄りや身体に障害を持っている方に席を譲ることです。座席だけでなく、全てのものを分かち合い、譲り合う心が大切であるという意味が含まれています。何事も独り占めはいけません。少なくとも電車やバスのシルバーシートは本来の意義に従って利用しましょう。場合によっては自分の地位を譲って後のことを託すという意味も含まれるでしょう。


宇宙創造の神が勧める霊性を高める方法 洗心

いつももつべき正しい心(=常の心)
強く     明るく
正しく    我が祈り
宜しからぬ欲を捨て
みな仲良く、相和して
感謝の生活をなせ

心の中からなくすべき感情(=ご法度の心)

憎しみ  不満
妬み   疑い
猜み   迷い
羨み   心配心
呪い   咎めの心
怒り   いらいらする心
不平   せかせかする心


■四句御箴言(しくごしんげん)

与えられたことを感謝して受けよ      関英男博士の記事♪
与えられぬことを感謝して受けよ

与えられたことを拒むこれ欲なり       瞑想の記事♪
与えられぬことを欲するこれ欲なり
    


上江洲義秀先生のご光話動画(通訳なしでスムーズです)

キリストのヨーガ 上江洲義秀先生 1/6

キリストのヨーガ 上江洲義秀先生 2/6

キリストのヨーガ 上江洲義秀先生 3/6

キリストのヨーガ 上江洲義秀先生 4/6

キリストのヨーガ 上江洲義秀先生 5/6

キリストのヨーガ 上江洲義秀先生 6/6

本質はすべての中に 上江洲義秀先生 1/6

本質はすべての中に 上江洲義秀先生 2/6

本質はすべての中に 上江洲義秀先生 3/6

本質はすべての中に 上江洲義秀先生 4/6

本質はすべての中に 上江洲義秀先生 5/6

本質はすべての中に 上江洲義秀先生 6/6

上江洲義秀先生 すべては私


この世界は夢である「人間の永遠の探求」より ヨガナンダ

永遠の生命 上江洲義秀先生 1/2

永遠の生命 上江洲義秀先生 2/2

無題 上江洲義秀先生 1/2

無題 上江洲義秀先生 2/2

全ては美しき天使たち1/2 上江洲義秀先生

中村寿子先生の法玉明想指導

上江洲義秀先生直伝の法玉明想指導

 おまけで生活にお役立ちな情報や、人生経験が豊かになっちゃう面白いエピソード話をMORI☆MORI☆盛りだくさんでご紹介~(*^^*)




オートミールクッキー



家族が円満に続くコツ

因果応報の話 選び放題

障害者を差別した因果応報でダウン症の子供が生まれたお話

腸内細菌が脳に与える影響のお話

カラスの恩返し

バイトで濡れ衣を着せられた話

浮気相手と思っていた相手が猫だったお話

おばあちゃんの霊能者のいい話

当たり屋の子供を成敗した話

痛快な離婚準備をした旦那さんの話

不倫は絶対にしちゃいけないね…って思うお話
1/2
2/2

いじめは絶対に止めた方がいいと思えるお話

日本のチョコが美味しい理由

電車で万引きされそうになったのが助かった話

人を罵っていた人が、後に同じ境遇に陥った話【因果応報】

周りの人が如実に因果応報が訪れる不思議な女の子の話

嫁いびりで家族全員から愛想を尽かされた姑さんの話

みかん色のランドセルを共用されて離婚した話

リオデジャネイロ観光の注意点がよく分かるお話

外交官語学チャレンジ秘話

最高の美人が幸せな人生を送りましたか?(オススメ♪)

14歳年上の女性と結婚した感動秘話♪

食べ物の火を通した後の腐りやすさの意外な実験結果

人生のためになる壮絶な因果応報劇(オススメ♪)

前世と前前世を覚えている方の世にも珍しいお話


すべての存在物に「意識(調和)」と「意志(愛)」が存在♪地球上の全ての存在の素になっているのは「愛と調和」♪ 地球上のすべての実態は「愛と調和」♪全身全霊での“反応”こそが〔瞬間に生きる〕ということ♪波動の法則の足立育朗さん♪知花敏彦先生♪

波動の法則のレビューからですが……♪



すべての存在物に「意識」と「意志」が存在し
  地球上のすべての実態は「愛と調和」なお話

『あるがままに生きる』の足立幸子さんのお兄様、育朗さんの出された本です。
この本に書かれていることのほとんどは、彼の「顕在意識」と「本質」が可能な限り調和している状態で、彼が〔直観〕でキャッチした、

宇宙から際限なく送られて来る情報に則っていますので、私たちの「常識」とはかなり異なる所があるとは言えるでしょう。

例えば、その一つに、人間は勿論、空中の雲から動物、植物、鉱物、更には、空気などの目には見えない存在に至るまで、地球上のすべての存在物には、原子核がありますが、

共通する素というのは、中性子=「意識(調和)」と、陽子=「意志(愛)」だという話です。

日々のスタディの継続により、「本質」である「原子核の集合核」の原子核の数が増え、また、回転運動をしている原子核は振動波を出していて、

周波数が上がることで、より軽くなっていくそうです。
また、周波数が上がることで、宇宙からの波動を〔直観〕の形でより受け取りやすくなります。

ちなみに、〔直観〕は、私たちの「損得」など超越しているものだそうです。

更に、電子は、私たちの「常識」とは異なって、現実化する為、物体化する為に働くのだそうで、私たちの目には見えないものは、電子を有していないという話です。

そして、「意識」には感情の役割があり、常に“調和”を取り続けようと働き、
また、「意志」は自然の法則でいうところの“愛”だそうです。

つまり、人間も、草花も、虫も、パワーストーンとして馴染みの深い鉱物も、ウイルスや細菌ですら、地球上の全ての存在の素になっているのは「愛と調和」であるという宇宙からの情報のようです。

彼は、全ての存在物に「意識(調和)」と「意志(愛)」がある、このことを抜きにして、物理学や天文学、生物学や医学などの自然科学を、本来、語ることはできないのだということを訴えてあります。

ですが、「意識(調和)」も「意志(愛)」も、現在の地球では最初から「主観」とみなされ、除外され、心理学や宗教などの別の分野に丸投げされてしまいます。

あらゆることを、「客観」即ち(極めて限定的で低い周波数の)五感で捉えられた「現象」のみで、説明づけ、解明しようとするので、矛盾や限界が生じて、どうしても、その先には進めなくなってしまうということのようです。

例えば、医学についても、私たちは、肉体こそがすべてであり、「現象」面でのみ病をとらえることが〈科学的〉であると思い込んでいます。

ですが、この本では、人間の生命を脅かしているウイルスやガン細胞も、実は、自分たちの歪んで狂いまくった波動、「顕在意識」が生み出してきたものと断じてあります。

自らが作り出した病原菌を「敵」とみなし、激しく憎んで「闘う」だの「殺す」だのという「意識」を募らせては、強力な毒物=薬物をこれでもかと投与し続けます。

或いは、「敵」を完全に成敗する為の治療を遮二無二施し続けます。そして、結局は、自分自身が根こそぎ破壊されて、全面降伏させられてしまうのです。命を奪われてしまうのです。

こういうことが述べられているこの本に対して「「常識」外れの〈トンデモ本〉の類だ!」などと、激しい嫌悪感を感じたり、全く受け付けない人も確かにおられることでしょう。

ですが、まさに、その“拒絶”こそが、その方が今現在、有してある周波数のレベルに沿った“反応”であるのかもしれません。

ただ、「本質」との調和を著しく欠いた「(不調和な)顕在意識(偽我)」の支配をどっぷり受けている状態での“反応”なのかもしれませんが。

実は、この“反応”こそが、私たちができる唯一の〔創造〕に他ならないということを、アカシックレコードリーダーの第一人者であるゲリー・ボーネル氏が言っていたことを思い出しました。

ボーネル氏の話では、例え、個々人が、どういう道程や選択肢を選ぼうとも、行き着く所は同じである、故に、どう“反応”するかだけが肝要であるのだと。

つまり、全身全霊での“反応”こそが〔瞬間に生きる〕ということであり、迷いや後悔が入り込む隙間などない、〔直観〕に従った素直な生き方だと言えるのではないでしょうか。

そして、この“反応”(〔直観〕のままに、〔決心〕して、即、実行する)を繰り返すことで、ずっと眠ったままの状態で過ごしているような私たちが研ぎ澄まされて〔覚醒〕へと導かれていくのではないでしょうか。

足立氏が言うように、そう遠くない時期に、誰もが、瞬時に、極めて重大な〔決心〕をせねばならない立場に、本当に置かれることになるのかもしれません。

即ち、私たち人間を含む地球上のすべての存在物に対して、刹那に、全身全霊で“反応”しなければならない局面が訪れるのかもしれない…ということです。

しかも、「顕在意識」と「本質」が、極力調和している状態(キリスト意識)で、〔直観〕のままに、という形が望ましいのでしょうが、できるだけ、日々の生活の中の瞬間瞬間において、そうした習慣を身につけておくべきなのでしょう。

「顕在意識」を否定する必要はないのです。宇宙の法則、自然の法則に適った調和の取れた方向への「顕在意識」の意識変換こそが肝要なのであり、

その為には、妹の幸子さんが言われるように、日々〔あるがままに生きる〕だけなのです。常に〔直観〕を実行する、ただ、それだけなのです。

「信じる必要も、説得される必要も全くありません。ただただ深く気づくのみです。

新世紀のために。」この本の『まえがき』の最後にあるこの言葉は、恐らくは、“拒絶”する人々に対しては勿論ですが、〔一つ〕に繋がっている筈である、あらゆる人々の《おおもと》=《真我》に向けての彼のメッセージであるのでしょう。
どうかたくさんの方が受け取ってくださいますように。


覚者・知花敏彦先生による

真理とは「愛と調和」であり、
全宇宙に遍満する「大愛」あるのみが実在のお話

「神理とは何か」といえば、愛そのもののことであり、調和そのものの事です。愛そのものに生きている者、調和そのものに生きている者は、神に生きている者です。肉を持ちながらにして、天の住者です。
 
 あなた方が不調和であるかぎり、神理を知っていませんし、神を知っていません。神を知っている者に、不調和があり得ると思いますか。神を知らないから、不調和なのです。

 (神は愛である)と、どこのキリスト教でも看板は掲げていますが、その愛がどこに存在して、どのようにして働いているかということを知らないのです。

 ただ、空想的な、妄想的な夢物語で、「神は愛だ」と、言っているだけではありませんか。あなた方が愛をよく理解して、それこそ、神を、父を知った者、己を知った者となって頂きたいのです。

 その愛の、有り難みを知っている者のみが、自分のものとするでしょう。
 愛を知らぬ者は、神を知りません。

 愛そのものを知っている者が、神を知っているのです
 だから皆さん方は、今後は愛そのものとなり、調和そのものとなって、日々の生活をして頂きたいのです。

「何を見ても愛なんだ」と。「愛の他には何もないのだ」と。
「愛なくして物は存在しないのだ」と。「神なくして何も存在しないのだ」と。

 「なるほど!神こそが全ての父なんだ。全ての本源なんだ」
 「神を宿さぬ物は何もない。鉱物、植物、動物、全ては愛なんだ」

 「その霊と水との、父と母との愛がなければ物は存在しないのだ」と、そういうあなたになって頂きたいのです。
 父なる神様、母なる神様、ありがとう」と感謝できるあなた方になって頂きたいのです。
 
 神は一切の生みの親です。神なくして物は存在しない、生まれてこない、神は一切の生みの親なのです。

 「神こそが我々の父」と、はっきり断言、言明できるのではありませんか。全ての父です。すべての親です。そのものなのです。

 「神棚の中に神がおるのだ」「はるか天の彼方に神がおるのだ」というように、今まで聞かされていた神と、今、ここで言う神と、どちらが本物の神だと感じられるでしょうか。

 あなた方は、神そのものではありませんか。愛そのものではありませんか。あなたの全身に愛が満ち満ちていなければ、あなたはここに、今、生存しているでしょうか。

 今こそ、あなた方は全身に愛を感じてください。
 その愛に、区切りも、分離も、別離も、何もありません。
 全宇宙に遍満する、大愛あるのみです
 その大愛こそが、全ての父ではありませんか。

 「皆さんは大愛の中に留まり、大愛は皆さんの中に留まっております
 そのことを、よくよく自分に、心して、言い聞かせてください。

 それこそが、皆さんが知らねばならない「真の神」なのです
 その神を知らないでは。何も始まらないのです。

 私達は愛に生かされて、愛に生きていながら、いかに愛というものが、自分とかけ離れた存在であったかと気付かされます。この知花が、いかにあなた方を愛しているか。

 また、あなた方が、いかにこの知花を愛しているか、よく分かります。
 お互いが、愛そのものであるということなのです。

 私達の本性、鉱物、植物、人間、全ての万象万物の本性は愛です。
 全ての実態は愛です。調和です。


 鉱物も愛なくしては存在しない。

 植物も愛なくしては存在しない。

 動物も愛なくしては存在しない。

 人間も愛なくしては存在しない。


 愛の具現です。愛の象徴です。
 今こそ、皆さん方が、全てが愛だと、全てが神だという理解が出来ると思います。

 神の愛は、至る所にまします。空間というものはありません。
 永遠であると、無限であると、永遠なる愛の中に、無限なる愛の中に私たちは存在し、愛そのものの中で存在しているのではありませんか。

 それが、永遠なる自己、久遠なる自己、そのものをはっきり理解できるまで、自分の心に言い聞かせてください。
 それが、あなたのハートに定着するまで、着座するまで、これを自分に言い聞かせて頂きたいのです。

 これを知らないでは、何も始まらないのです。本源に返ることはないのです。だから「霊と水に生まれ変わらなければ、神を観たるにあらず」と、聖書にも示されているのです。

 この私の元を離れていく人のことを、私は如何に愛しているか。
 離れていけば何もわからなくなる「もったいない」と、皆さん方ならおわかりだと思います。

 なぜならば、彼らも私自身であるからです。あなた方自身でもあるからです。全てです。平等です。無差別です。無差別の愛というものが、今ならお分かり頂けると思います。

 今まで、あなた方の愛だと考えていたものが、いかに不純な愛であったか。愛というものをいかに理解していなかったか、ということがお分かりだと思います。

 「これは愛なんだ」とか、「これは愛ではないのだ」とか、そんなものがあるのでしょうか。「愛一元」です。愛そのものです。

 そこに、憎しみが入り込む余地がありますか。愛の中には、いかなる憎しみも、いかなる怒りも、入り込む余地がありません。

 どうですか。
 「どこを観ても、何を見ても愛なんだ。神なんだ。調和なんだ
 「それなくして、何も存在しない」
 動物を見ても「ああ、愛の現れなんだな、神の現れなんだな
 お花を見ても「霊と水との愛と調和の現れなんだな」

 子供を見ると「神の現れなんだな、愛そのものなんだな、愛がその子に無ければその子は存在しないんだな」ということが見られませんか。
 もう見られるはずだと思います。

 あなたが空気を吸っても、空気そのものは、愛そのものなのです。

 見えるもの、見えないもの、全てが愛です。

 水蒸気も、そして、形を取って地の水となっていても、全て愛なのです。

 今なら、「愛一元の世界」「調和一元の世界」「神一元の世界」ということが、お分かりいただけるでしょう。
 
 「これが神だ」「あれが神だ」という、戯言(たわごと)の時代はもう過ぎました。これでもう、皆さん方は「これが神だ、あれが神だ」ということは、一言も言わないと思います。

 この世の中に、神理でないものが一つだってあるでしょうか。
 全ては神理、全ては愛です

 神理の中に、神理でないものがあるはずがありません。
 大宇宙そのものが、大神理そのものであるからです
 
 大宇宙そのものが、大愛であるからです。
 大宇宙は、霊と水によって、愛され調和されて存在します。

 皆さん方は、今、即、大愛の中におり、大愛はあなたの中にまします。
 「我は神の中におり、神は我が中にまします
 その大愛を観じてください。

 この愛をあなたに訴えたくて、数々の言葉の中で、どう言ったら分かってくれるか、こういったら分かってくれるかと考えていました。
 
 皆さん方が、いかにその愛に目覚めてほしいかという一心なのです。
 しかし、皆さん方は、それを中々理解してくれないのです。

 この無知は、二千年前と今も変わりなく続いています。
 私は、二千年の間に確実に人間が進歩しているという確信を持ってこの世に参った者です。(※知花敏彦師はイエス様の予言を成就するため、宇宙神理を伝えるために天上界から派遣された地球最高の大覚者の方です
 
 一日も早く真の自己に目覚めて、神我の自分は愛そのもの、調和そのもの、普遍そのもの、無限そのもの、久遠そのもの、大宇宙そのもの、大愛そのものであるという、その本質のゴールに達して頂きたいのです。

知花敏彦先生の総まとめ記事 第1回目

知花敏彦先生の総まとめ記事 第2回目

FC2版の広瀬すずちゃんの横顔になる方法の記事です♪
身長を伸ばす記事も追記してみました♪

セスは語る・総まとめ記事♪在るもの総て(宇宙生命)と内なる神との理解がよく分かり覚醒が促進するお話♪真の謙虚さとは、自分自身に対する愛情深い価値を深く認める事♪自分を過去の犠牲者にしないこと♪落ち込みを回復するコツ♪自立的なやり方で行動するには、物理的に起こって欲しい活動を自分自身の中に創り出す♪セスは語るの未翻訳本の内容が見放題☆の地球最高級☆良質情報サイトをご紹介♪

セス・ブック『個人的現実の本質』
ジェーン・ロバーツ著 ナチュラルスピリットからの引用ですが…♪



「真の愛」は犠牲を要求しない

 本物の謙虚さとは、自分の全体性とその価値を愛情深く認めることです。
 真の謙虚さとは、自分自身に対するそうした愛情深い敬意にもとずくものであり、同時に自分が住むこの宇宙のすべての存在が、それぞれの個性と自尊心を持っているという気づきに根ざすものです。

 誤った謙虚さは、あなたはつまらない人間だとあなたに告げます。
 しかしいくらそう告げるとしても、誰も自分の自尊心を否定するような説を心から受け入れることなどできないことから、
 「誤った謙虚さ」には歪みと思い上がりと、否定された自負心が隠されることになります。

 「偽りの謙虚さ」は、他の人々の価値を貶(おとし)めることがあります。
 なぜなら自分には価値がないと認めているならば、他の誰にも価値を見出すことなどできないからです。もし真の自負心があれば、仲間としての人間存在の全体性に気づくことから、彼らが自らの力を使う手助けをすることができます。

 しかし「偽りの謙虚さ」は、表向きは多くの人々を援助したり、自分を信頼するよう奨励するとしても、実際には人々が自分自身の能力に気づいたり、それらを使ったりすることを妨げているのです。

 あなた方が何と教えられていようと、「自己犠牲」に値打ちはありません。
 その理由の一つとして、それは不可能だからです。自己というものはその本質として、成長し、発展するものであり、それは消滅し得ないものです。

 自己犠牲はほとんどの場合、実は自分の重荷を他の誰かに放り投げているのであり、それを人の責任のように見せることを意味しています。

 自分の子どもに「あんたのために私の人生をあきらめた」と言う母親、あるいは
「私は両親のために自分の人生をあきらめ、彼らの世話をすることに専念した」という子どもの言うことが意味していることは、

「私は怖くて、自分の人生を生きる勇気もなかったし、親に自分の人生を生きさせる勇気もなかった。だから私は自分の人生を『表向きには』『あきらめて』見せることで、実は自分が望んでいた人生を手に入れた」と言っているのです。

 真の愛は犠牲を要求しません。
しかし自分自身の存在を肯定することを怖れている人は、当然、他の人々が自分自身のために勇気を持って生きようとするのを許さず、それを怖れるものです。

 子どもを鎖で自分に繋ぐことが子どもを助けることではないし、老齢の親の無力感を自覚させて煽ることが親を助けるわけではありません。

 人間が持つ自然な感覚のコミュニケーションに正直に従うことができれば、あなたの多くの問題は解決されるでしょう。暴力を引き起こすのは、コミュニケーションが抑圧された時だけです。

 あなたの中には、人間としての本来の自然な愛の力があり、その普通の本来のコミュニケーションが、他の人間たちとの自然な接触をもたらすようにできているのです。

 自分を愛し、自分に正当な敬意を表してください。そうすれば他の人々に対しても、ふさわしく公正に対処できるでしょう。

 あなたが「嫌だ」と言って拒否したり、否定する時というのはいつでも、当座の状況や提案されていることが、あなたの中で自分の考える何らかの理想に達しないからです。

 そして拒否というのは常に、少なくともあなたがより良いと考える何かに対する反応でもあります。それはあなたの「完全さ」というものに対する、頑なな概念があるからです。

 しかしそうであっても、何か理想的な完全なものと比較することで、あなた自身の今ある現実を決して否定したりしてはならないのです。

 完全なものは本来存在しません。
 なぜならすべての存在が常に成りつつある状態にあり、それは”完全なものに”なりつつあるという意味ではなく、いっそう”それ自身”(神我顕現・神との合一)になりつつある状態だということです。

 あらゆる異なるすべての感情は、愛に基づいています。
それらのすべてはどのようなものであれ愛に結びついており、愛に帰り、愛を広げる方法なのです。

 この本ではあえて「愛(全ては私・全てに神を観る…意識)」という言葉をあまり使わずにきましたが、それはその言葉に付けられてきたさまざまな解釈のためであり、しかも愛という名目で行なわれてきた多くの過ちのためでもありました。


愛という言葉ほど大きく誤解された言葉はないでしょう。この真意は、自分の中にも他人の中にもある愛の光(キリスト・内在の神)を見つめる事にあります。

ケイシーリーディングから……


神の御心は普遍的で何一つ区別しない宇宙的愛

 キリストが語った「愛」もまた、「平和の君」を信ずる人々にも十分に理解されないできたもう一つの概念であります。

 キリストの名による十字軍や拷問は、神と愛とキリストの名の元に行われる偽善でした。これはキリスト教の欠点を意味するものではありません。山上の垂訓でイエスはこのように語っておられるからです。

「我は汝らに告げる。汝の隣人を愛せよ。の仇(かたき)を愛し、汝らを責める者の為に祈れ。これ天(内・潜在意識の最奥)にいます汝らの父(なる神)の子とならんため(※神我キリストへの覚醒めの為)なり。

 天の父は、その太陽の光を悪しき者の上にも、善き者の上にも平等に昇らせ、雨を正しき者にも、正しからぬ者にも降らせ給うなり。(無差別の愛」

 人間の意志は神の御心と区別されるべきです。神の御心は友人と敵との間を何一つ区別しない宇宙的愛だからです。
 非利己的愛の心を表す者のみが天に入る事が出来るのです。これは聖書でも次のように支持されている解釈です。

「我に向かいて主よ主よという者ことごとくは天に入らず。ただ天にいます父の御心(宇宙的愛の実践・非利己的愛)を行う者のみ、これに入るべし

 イエスが普遍的な父(なる神)の愛を実践する事を強調しているのは明白です。神と人に対する普遍的な愛を持たなければ、人は天国に入る事を望めない事が分かります。

 では復活の基盤(解脱・悟り)としてのカルマ論はどのように語られているのでしょうか。イエス・キリストは、愛を持って憎しみに応える事が盲信に優る事をどの様に語っているのでしょう。

 マタイ伝第五章の最後に一節がこれをさらに明かしています。キリスト愛(普遍的な愛・無差別・無所得の愛)が人を神の子に値するものに変える事を明らかにした後で、イエスはこう続けています。

「汝ら、己を愛する者を愛すとも何の報いかを得べき。取税人も然するにあらずや。」
自分を害する者も、愛する人達と同じ様に無条件の愛で愛しましょう

汝の隣人を汝の如く愛せよ」という戒めは、愛と我(内在の神・真の自己・真我)という語を理解せずには無意味となります。
 我(真我)は生けるキリスト、内にいます神、道であり光でなのです。

 神に基礎づけられた純非利己的愛のみが人間を自由にし、彼(意識・魂)を完全さ(真我)へと向かわせるのであります。
 イエスが、負い目を持つ兄弟との和解がなぜ、神の実現(神我顕現)に向かう第一歩なのかを説明してくれています。次のように語っています。

「このゆえに汝もし供え物を神前に捧げる時、そこにて兄弟に怨まれる事あるを思い出せば、供えものをそこに残し置き、まず行きて兄弟と和睦し、然る後来りて供え物を捧げよ。

 汝を訴える者と共に道に在るうちに早く和睦せよ。恐らくは、訴える者汝を審判に渡し、彼は下役に渡し、遂に汝は獄に入れられん。誠に汝に告ぐ。一厘も残りなく償わずば、そこにいづること能わじ。」

 イエスは、我々がカルマの法則に従って「最後の一厘」を完済してしまう時までは、生死の牢獄(輪廻転生)に区切りをつけて永生(永遠の生命)を得る事(解脱する事)は出来ない、と戒めているのです。

 イエスは、神の御心--聖愛(神と人に対する普遍的な愛・慈悲と愛・全てを赦し全てを愛する心・明想)--- が実践されない限り、天国に入れない事を訴えているのです。

 愛という言葉ほど大きく誤解された言葉はないでしょう。この真意は、自分の中にも他人の中にもある愛の光(キリスト・内在の神)を見つめる事にあります。

 聖なる愛(大愛・宇宙エネルギー)が神から来るように、愛は個人の魂から放たれます。人が明想を通して神にその魂を同調させる時に、聖なる愛はあらゆる憎しみや嫉妬に打ち勝つ力と共に、流れ出てきます。

 「汝の敵を愛せ」という言葉には何ら論理的な矛盾も心理的なパラドックスもありません。愛なる語(全ては一つの悟り)が強められれば、敵は自動的に敵は無くなるからです。

 イエス・キリストという人間と生活の中に比類なく現されたこの愛の法則は、明想を通し、実生活での愛の法則(慈悲と愛は宇宙神理)を実践する事を通して得られる、キリスト意識(宇宙意識)の原因であり結果でした。
 もう一つのケイシー・リーディングはこう語っています。
 
則とは何か。愛である。愛とは何か。神である。
神とは何か。(宇宙)法則と愛である。これが真理そのものの周期である。あなた方がどこにいようと、どの国にいようと、それは常に同じである」


 人を愛する前に、まずあなた自身を愛さなければなりません。
自分を受け入れ、あなた自身であるものを喜びとともに生きることで、自分の能力を開花させ、ただそこにいるだけで人々を幸せにすることができます。

 自分を嫌い、憎みながら、人を愛することはできません。
そんなことは不可能です。もしそれがあるとすれば、自分にはないと思うあらゆる性質や資質を持つ他人に自分を投影し、口先だけで賞賛し羨ましく思うとしても、いずれ自分を憎むゆえに相手を憎むようになります。

 誤った謙虚さほど尊大なものはありません。
 スピリチュアルな「真理の探求者」だと自称する多くの人々が、誤った謙虚さを持っています。

「私自身はつまらない者だが、神の霊が私を満たし、私から何か善いものが出るとすればそれは私ではなく神のおかげだ」、あるいは「私自身の能力は何もないが、神の力があらゆる才能を持つ」などと。

 しかし、もしそうした言葉を引用するならば、あなたは具現化された神の力(愛の表現者・表現者としての神・神ご自身)です。
 あなたは無力ではなく、取るに足りない無害な粘土の塊などではありません。

 あなたは、あなたとして現れている神(であり、「彼(内なる神・宇宙生命)」と同じく正当な存在なのです。
 あなたが神の一部であれば、「彼(内在の神)」もまたあなたの一部(全ては一つ・父と子は常に一体)です。自分の価値を否定することで、結局あなたは神の価値をも否定するのです。

 「すべてなるもの(大生命)」はすべての実在の起源です。
 ですから私はそれを、特定の性を意味する「彼」という言葉で述べることを好みません。

 真の宗教は、生命に対するのと同じく、抑圧するものではありません。
イエスが語った時、彼はその時代を生きる人々の時代背景を考慮して、ある特定の歴史的時期に、特定の人々にとって意味を持つ言葉とシンボルを使ったのです。


セスネットワークジャパン様の
在るもの総て - 1
在るもの総て - 2 - 1
在るもの総て - 2 - 2 から引用させていただきました


在るもの全て(宇宙生命)

(ささやくように)こんばんは。
 (「こんばんは、セス」)
 口述だ。章のタイトルを君に言うのを忘れていたな ──「始まりの前」だ。

 さて、君達は、世界が一人の神に創造されて動き始めたこと、しかし、その神はずっと、その領土(世界)の外側にいたということを(仮にそれが本当であったとしても)科学的に証明できない。

 また、世界が創造されたのは偶然の産物だと科学的に証明することもできない。
── だから、私がこれから話そうとしていることも君達には証明できないだろう。普通の意味では、ということだ。

 しかし、私は、解説と並んで、主観的な証拠を見つける場所を示すヒントや手がかりも君達に与えられたらと願っている。ピリオド(書き取っているバッツへの指示)

 君達は何よりも、まず自分が主観的に知っていることを通して自らの人生を生きている。そこで、私は君達の意識の中にある記憶を呼び覚ましてみようと思う。

 それは、世界が形作られた時、君達自身の内にある精神が密接に関わっていた出来事の数々に関する記憶だ ── それらの出来事は過去のことであるかのように見えるかもしれないが、今現在でも起こっている。

 宇宙の始まりの前には全能で創造的な源泉が存在した(神の御心)ことを前提としよう。(休止)この「神々しい主観性」が、宇宙の始まり以前と同様、君達の体験している世界にも現存することを示せたらと思う。

  繰り返しになるが、私は、この根元的な主観性を「在るもの総て」(“All That Is”。万有)と呼ぶ。私は、知性が直観にすっかり裏打ちされていない限り、殆ど、知性の限界に挑むような数々の観念を言葉で表現しようとしている。だから、君達も本書を読む際には、自分の頭と直観を使う必要があるだろう。

 在るもの総て(創造主)は、始まりの前、起こり得る全ての創造に対する無限の衝動を自身に内包していた。(休止)壮大な創造性を備えていたので、

自らの想像、夢、考え、気持ち、気分など、それがほんの微々たるものであっても、一種の現実性、活発性、強烈さを帯び、そうしたものが自由を求めんばかりになるほどだった

(しかし、それは)何からの自由か?何をする自由か?何になる自由だったのか?

 その体験、その主観的な宇宙、在るもの総てに備わった、その「心」(の中の光景)は、あまりに輝かしく鮮明だった。在るもの総ては、心の中で、この、どこまでも栄え続け、どこまでも成長していく内的な景色の中を放浪しながら、自身を見失ってしまいそうになるほどだった。

  考え、気持ち、夢、気分などには、どれもそれ自体に、この際限ない主観性に備わった属性全ての印が記されており、それを消すことはできなかった。

 (考えや気持ちなど)それぞれが自らの創造性、自らが創造されたのと同じように創造したいという欲求で熱を帯び、振動していた。

 始まりの前には一つの内的な宇宙(神の御心)が存在した。その宇宙には始まりも終わりもなかった。私が「始まりの前」という言葉を使っているのは、君達が理解しやすいようにするためだ。



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創造主による人類指導 

 創造主の存在を現代人はおぼろげなものとして、忘れているのです。古代人や昔の人は天上界とコミュニケーションを取ってきたのです。

 日本では「巫」と書きます。海外では天上界と通信ができる人のことを椅イスラエル人(ビト)といいます。中東のイスラエルとは違います。水晶人間ともシャーマンともいいます。

 現在でも本物のシャーマンは高級意識体(全知全能の知恵者)や精霊(高級意識体)と会話が出来るのです。
 人間で悟った覚者はテレパシー、以心伝心で、高級意識体と会話が出来るのです。

 モーゼや釈迦やイエス、現代人では知花敏彦氏や上江洲義秀氏は、創造主と会話が出来、創造主がこれらの人たちの肉体を借りて直接人間に語りかけることが出来るのです。

 神は唯一神といいます。創造主のみが万象万物を造り、万象万物の内にエネルギーとして、命として留まっているのです。

 全知全能の智恵、不死不滅、久遠(くおん)の存在、無限大の生命エネルギーそのものの存在であることを、アトランティス人や古事記を記述した人々は知っていました。

 創造主が原子と電子とそこに働く法則を創ったのです。
神とは原子と電子に働くその法則そのもののことなのですが、宗教と人間の概念が神を捏造してしまったのです。

 今の仏教、キリスト教、イスラム教その他の宗教も偽物、偽(いつわ)りしか教えません。釈迦もイエスも宇宙の真理、宇宙の法則を説いたのですが、当時の弟子達が、科学的に理解することが出来なかったのです。

 現在残された様々な宗教の教えでは、世界の平和も進化も成し遂げる事は出来ません。

 創造主は森羅万象を創造しました。物質の創造は完璧な創造の原理、創造の法則、100%の再現性を持った宇宙の法則を創り上げる事により、この宇宙と自然界は存在し続けているのです。

 モーゼは3200年前に活躍した人物です。創造主はモーゼに十戒を授けました。そしてシナイ山の麓(ふもと)に柴に炎として出現して、モーゼにその存在を見せたのです。

 モーゼは炎に向かって問います。「あなたは誰ですか?」
答え「私は調和です。バイブレーションでもあります

 モーゼは答えの意味が分からずもう一度問います。「あなたは誰ですか?」答え「私は有りて有る者です」。

 イエスの弟子がイエスに問います。「神とは何ですか?」
答え「神とは有りて有る者、全ての全てです」。

 有りて有る者とは、再現率100%の創造の法則のことです。これを宇宙科学と言っています。現代科学の最先端は量子力学と言われています。

 観察が主流です。目で見てるもの、物質が対象です。しかし原子も電子も目で見ることは出来ません。エネルギーも見えません。電気を見た人間は1人もいません。法則(神)はもっと見ることが出来ないのです。

 法則こそが真理で、(宇宙)科学なのです。現代は物理学と化学が全盛です。物質は見えないもの、原子と電子の結合の結果で存在するものです。

 結果である物質をいくら分析しても原因がわからないのです。血液分析して肝臓の数値が悪いことが解っても、その原因は解らないのです。

 原子と電子に働く※法則を知らないと、科学になっていないのです。

創造主はモーゼに、私は創造の原理です。有りて有る者を創った原因の法則そのものが父であると私ですと伝えたのです。
※創造主・神=宇宙法則・愛と調和・無限大の愛・宇宙エネルギー

 創造主は初めから存在していました。無限大の光の宇宙エネルギーの存在です。これを宇宙生命とも宇宙意識ともいいます。
 1人では寂しいので、自分の分身を創ることにしました「光あれ!」と意識します。

 すると原子と電子が無数に生まれたのです。この原子+と電子-がペアで完全バランスすると中心の±のゼロ、中性となります。
 この中性の場から2つの光の回転運動が始まります。回転は円ですから無限軌道運動となります。

 この回転の速さは一秒間に1兆8600億回転、自然界で一番早い回転数となります。この回転で振動が発生します。
 これを波長、波動といい、光の周波数でもあります。自然界で一番速くて、精妙な波動です。

 +と-の完全調和により光の回転運動が始まり、これが波動となります。
創造主はこの原理が私であると語ったのです。

 この回転運動を無限大∞と呼び、西欧ではメビウスの輪、日本ではアカシビの回転と呼びます。

 この現象を「瓢箪(ひょうたん)から駒」と呼んでいます。瓢箪の形で光の2つの回転運動が始まります。

 この1兆8600億回転/秒で原子と電子を結合させ、電子の数を増やしていきますから、様々な元素、物質が創造されていくのです。

 創造主はモーゼに、無限大の光の回転運動は原子と電子、陽と陰が完全に調和、バランスを取ると始まり、物を創造するから、私は調和、バイブレーションで、有りて有るものですと告げたのです。

 モーゼの像は、このアカシビの回転、瓢箪からコマを示す瓢箪を持っているのです。と同時に数々の軌跡を起こしたモーゼの杖を持っているのです。

括弧をつけて(バッツへの指示)
たとえば、この内的な無限の宇宙(神の御心)と同じものは今も存在している)。

(※補足説明※
「始まりの前=神の御心」、その「神の御心」の中に「光あれ=宇宙生命=宇宙エネルギー」が存在している…全ては神の具現・個別化された神なのだと……

「神の創造の具現化=多次元的世界」が存在している…と捉えて頂くとほぼ間違いないでしょう。私の真理の理解の見解ではありますが…。)

 さて、哲学的なことで少し、はっきりさせたい事柄がある。
ルバートはそのいくつかについて、やや混乱した状態が続いているのだ。

 従来からあるキリスト教の神の概念は多くの点で都合のいいものだった。
そして、その概念には真実も多く含まれている。いいかね、それは本当でありながら本当ではないわけだ。

 これがひとつの「象徴(シンボル)」であるということを君達が悟れば、そこで初めてより多くのものが見え始め、君達は理解に近づくことになる。理解から遠ざかるのではない。

 キリスト教的な意味でいう個人的な一人の神がいるわけではないが、それでも君達が在るもの総ての一部に接することができるのは事実だ。
 その部分は他の全てに優先して、まず君だけにぴったりと波長を合わせている。

 いいかな、この点において、個人的な神はいる。そういう言葉(表現)を君達が使うのであれば、ということだが。

 在るもの総て(宇宙に遍満する大霊・大生命)には、個々の意識一つ一つに方向を定め、そのそれぞれに焦点を合わせている部分がある。

 在るもの総ての一部(内在の神・神我キリスト)はあらゆる意識の内部に存在する(全てに神が宿り給う)。その意識(神はすべてのすべて・ありとあらゆるもの)の一部なのだ。   


 神は全ての創造主なのです。   
 神様は、木をお創りになり、金魚をお創りになり、海をお創りになり、山をお創りになり、そしてその中に、ご自身が宿っていらっしゃるのです。

 そして空気の中にも、水の中にも、私達の中にも、動物の中にも、全てを創造して、その全ての中に、私がおる事を知りなさい。全てが私である神ならば、あなた方は、全てを愛さなければならないのではないでしょうか。

 それ故、一つ一つの意識(コスモ細胞)はどれも慈(いつく)しまれ、護(まも)られているわけだ。そこには自動性の電磁的な繋がりが存在する。

 在るもの総ての一部は、例えば、君の抱えている最も些細(ささい)な問題にも最も重大な問題にも即座に気づく。

 君だけを対象にしてだ(ひとりひとりに対して百パーセント注意が向けられているということ)。この部分、総合的な意識(在るもの総て・宇宙意識)のこの部分こそが君の中で個性を備えている部分だ。

 さて、人格を備えた神という概念に喩(たと)えられるものさえあるが、神学者達の使っているような意味には殆ど当てはまらない。

 一般的に思い描かれているような神の人格は、これもまた、人間が自らの心理に関する僅(わず)かな知識に基づいて作った単次元の概念だ。

 前文明(現在でいう「文明」が発達する以前)の古い時代でも、それよりまだ真実に近い概念がたくさんあった。

 実際に私が(すでに)言ったように、君達が「神」と考えたがるものは基本的に、何よりもまずan infinite energy gestalt(宇宙エネルギー・意識=神・全ては神の具現)

 それは自分自身が、例えば、君、ジョーゼフであること(ジョーゼフとして存在している自分・意識・個別化された神)を知っている。

 また、君には未来や過去の自分に見える存在としての自分自身も心得ている(在るもの総て自身が時空を超えてひとつひとつの「自己」としての存在を知覚している)

 それは最も小さい種(たね)として生きている自分を(も)知っている。(芽を出して)育っていくものとしても育っていかないものとしてもだ(後者は見落とされがちなので重要)

 この時点で、この形態の「人格」は理解の範囲を超えている。厳しさといたわりの両方を備えているのだ。「正義」とは人間的な言葉であり、常に「罰」の意味合いを(言外に)帯びているが、罰と神の概念とは何の関係もない。

(今言ったように)在るもの総てには君としての自分自身に意識を向けている部分がある。それは例えば、実際、君の人生に焦点を合わせ、自らのエネルギーを君の中に向けている部分であり、必要があれば君はその相手(部分)に助けを求めることもできる。

 その一方で、(パーソナリティー)。それは自分という存在が自ら創造したものの総和以上であることも心得ている。これが最も深い意味での「在るもの総て」だ。

 私は話をできるだけシンプルにしようとしている。としての自分を知っている在るもの総ての一部も、自分が君以上の存在であることを知っている。

 いいかね、この、自分が君であり、the personal god。繰り返すが、この形態、在るもの総てのこの部分が君のために気を配るのであり、
 一人のパーソナリティーとして助けを求める対象になり得るのだ。しかし、この部分はそれ自体、在るもの総ての一部でしかない

 いいかな、それでも、この総合的なピラミッド形態でさえも静的な(変化のない)状態にあるわけではないのだ。(人間の抱いている)神の概念はどれも、あるいは殆どが静的な(偶像)の神の話になるが、神学上の中心的な難題はそこにある。この総合的な形態の意識と体験は変化し、成長するのだ。

 繰り返すが、静的な神(偶像崇拝的な神)というものはない。
「これが神だ」と君達が言うとき、神はもう別のものになっているのだ。
ここで「神」という言葉を使っているのは話を単純にするためだ。

 在るもの総て(大愛・大生命)は、あらゆる部分が絶え間なく変化し、たたみ込まれたり広げられたりしている。

河合勝先生(知花敏彦先生の学びの友の方)
全知全能の智恵「コスモ細胞」  

宇宙にはエネルギーが一つだけ、
それが無限大に存在しているのです。
宇宙生命は宇宙に一つしかないのです。
すべての万象万物は唯一の宇宙生命によって生かされているのです。
心は宇宙に一つしかないのです。

人間が勝手に自分は宇宙生命ではないと
分離感を持っているだけなのです。
創造主が唯一神であり、人間の命は創造主の命なのです。
人は初めから神であり、今も神、未来永劫に神なのです。
こんな簡単なことを現代人は理解していないのです。

誰もが全知全能の智恵「コスモ細胞」を持って生まれます。
創造主はその人が父親に選んだ人の精子の一つに、コスモ細胞を植え付けるのです。
コスモ細胞は創造主の全知全能の智恵を完全遺伝子として持つ細胞です。

コスモ細胞は心臓に位置します。
出産のプロセスは、初めに創造主の分身、全知全能のコスモ細胞ありきです。
次に胎児に宿る赤ちゃんの個別魂があります。

そしてコスモ細胞と魂と肉体の複合体が人間となるのです。
創造主の分身コスモ細胞は創造主そのものです。
自分の心臓の後にあるコスモ細胞が無限の宇宙生命そのもの、
これが神というもの、神を我として生きることが悟りなのです。


 在るもの総ては自分自身を知ろうとして新しいバージョンの自分をひっきりなしに創造するのだ。この、自分を探すということが創造的な活動であり、全ての活動の核だからだ。

 それ故、意識は自分自身を知ろうとし、君を(も)知っている。一つの「意識」である君は自分自身を知ろうとし、程度の差こそあれ、自分が在るもの総てとは異なる別個の存在でありながらも、その一部であることに気づいていくのだ。


ケイシーリーディングからですが…

問「心と物質と霊という意識の中にあって、実体の活動(輪廻転生)の目的とは何でしょうか。」

答「それは、その実体(意識)が自分自身であり、なお全体の一部(父なる神と常に一体・宇宙は一つの生命体)である事を自ら知るようになる為である。

 全体そのものではなく、全体と一つであり、そこから、自分自身の個別性を保ち、自分が自分である事を知って、しかも自分を生まれさせた、

意識を与えてくれた第一原因(神・無限者・大愛)の目的と一つであることをも知るという事である。これが目的である。これが(人間が)存在している事の原因である。」


セスはかく語りき
様から一部引用させていただきました♪

外世界について

人類は己の息づかいと同じほど、意識することなく自動的に物質としての対象物を創り出しています。

環境はあなたが形づくるものであり、まさに文字通りあなたの延長であると言えます。
つまり、あなたの意識から外に向けて拡張した物質化した思考なのです。

あなたがたは自分たちの観念を分子や原子のうえに換置させるという、一風変わったやり方で原子や分子を使っています。そして特定の流儀に従ってそれらを知覚します。物質としての対象物は「あなたがそれを固体であると信じているとき以外は固体ではない」というのが真実なのです。



■時間について


 現在、相対性理論では、観測する対象と主体という相対的な局面では、時間は延び縮みすることが分かっています。

 実際に観測結果も出ていますね。では、セスは時間はどのように語ってるでしょうか?

 現在あなたがたは、みずからの物質的肉体だけでなく、あなたがたが「時間」と解釈しているものの特定の振動周波数にも焦点を合せています。


 歴史のなかの現時代以外の諸時代も、いっせいに存在しています。……繰り返して申しあげますが、あなたがたは単にそれらの振動周波数に同調していないだけなのです。

 基本的にあなたがたの知るところの「時間」は存在しません。
そして、すべての被造物は同時に存在しています。


 あなたがたの言う「過去」も「現在」も、地上における時代のすべてが存在しています。

あなたがたはただ、極めて限定された時空間座標の場に意識を絞り込んでおり、それらを現在の現実として受け入れ、他のすべての体系から己を閉ざすことを選んでいるだけなのです。

相対的な局面だけでなく、主体が感じる時間すら、本当のところ幻想であるというわけです。



■自己の肉体について

あなたがたは無意識の深層レベルにおいて、並外れた慧眼、奇跡と見がまうほどの明瞭さ、そして肉体を成す個々の微細胞にそなわった意識されることのない深い叡智をもって、みずから知るところの肉体を自分自身で創造しているのです。

「内なる自己」は、まさに文字通り思考や感情を、それらに対応する物質的複製へと魔法のごとく変容させて体を創り上げます。

 ……あなたがたは原子や分子を使い、基本的構成要素を「自分自身であると称する形」に創り上げることで、自分の体を築いているのです。


しかし、セスも語っていますが、感情や気持ちを言葉に置き換えるのと同じくらい自然に自分の肉体を形成していて、それに気づくのは容易ではないのですね。

では、何故気づけないのか?その理由は、自らの知覚情報の処理能力を越えてしまうのではという懸念や、自分が自分として認識できなくなる恐れから、知覚の拡大に自から限界を設けているからために気付けないと語っています。

概念

 君達の環境は君達の想念、感情、観念が物理的な光景として目に見える形になったものだ。君達の想念、感情、観念は時間と空間を通って動いていく。
 それ故、君達は君達自身とは離れた物理的な状況にも影響を与えている。

 物理的な立場から君達の肉体の壮観な枠組みを考えてみよう。君達は、他の全ての物質と同じように肉体も堅固なものだと理解している。

 しかし、物質というものが探求されればされるほど(探求の対象が小さくなればなるほど)、その中ではエネルギーが特定の格好を(臓器、細胞、分子、原子、電子といった形態で)装っていることがより明らかになってくる。

 それぞれ、後の者ほど肉体的なレベルから遠ざかり、また、それぞれが、物質を形成するための神秘的な姿で結合している。

 (11 時 25 分)君達の身体の中にある原子はみんな回転している。そこには絶え間ない騒然とした活動がある。あれほど堅固なものに見えた肉だが、その正体は素早く動き回っている粒子からできているということだ。

 それも、粒子同士が互いの周りを回るなどして、大量のエネルギー交換がひっきりなしに起こっている。

 君達の身体の外にある空間の成分は同じ元素から成り立っている。ただ、その構成比率が違うだけだ。

  君達が自分の身体と呼んでいる組織体とその外部の空間との間には常に物理的なやり取りがある。それは化学的な相互作用、基礎的な交換で、君達の知っている形での生命には不可欠なものだ。

 呼吸を止めることは死ぬことにつながる。呼吸は君達の肉体的な感覚機能の中でも最も身近で、かつ最も必要なものだ。
 吐いた息は君達そのものの中から流れ出て、君達とは別のものに見える世界の中へと去っていかねばならない。

  物理的に見れば、君達の一部は絶えず君達の肉体を離れて元素と混じり合っている。
 アドレナリンが血液中に放出されるとどうなるか、君達も知っているだろう。それは君達を奮起させ、活動する準備を整える。

 しかし、その一方でアドレナリンは身体の中にただ留まっているわけではない。形こそ変わるものの、空気中に発散されて大気に影響を与えるのだ。

 君達の感情はどんなものであってもホルモンを放つことになる。そして、それらもちょうど君達の吐く息と同じように君達の元を離れていく。
 その意味で、君達は化学物質を空気中に放出し、それによって、その空気に影響を与えていると言える。

 そして物理的な嵐は、こうした相互作用によって引き起こされる。もう一度言うが、君達は自分自身の現実界を形作っている。これには物理的な天候も含まれる。
天候は君達個人個人の反応が集合した結果を表すものだ。

 特にこの点は本書で後にもっと詳しく取り上げるつもりだ(後日追記:セスは第 18 章で実際に取り上げている)。

 君達は、あることを学び、理解するために肉体を持って生まれてきた。それは、自分達のエネルギーが感覚、想念、感情に置き換えられ、一つの例外もなく、全ての体験を引き起こしているということだ。

 一度(ひとたび)これさえ理解できたなら、あとは自分の持っている数々の観念がどういうものなのか吟味することだけを覚えればいい。

 それは、そうした観念が元で君達は自動的に特定のパターンに従って感じたり考えたりしているからだ。君達の感情は君達の観念に従う。その逆ではない。

 君達に、いろいろな分野での自分自身の観念を認識してほしい。自分が「真実」として受け入れている概念は、
どんなものでも、自分が抱いている「観念」だということに気がつかなくてはならない。

 それができたら、次のステップに進んでこう言うのだ。
「自分が信じているからといってそれが必ずしも本当であるとは限らない」。
基本的な制限につながる観念を無視するということを君達が覚えられたらと思う。


2. 基本は読者自身

 セスの解説が時間と空間を超えて人気のある理由としてさらに考えられるのは、セスがわたしたちの個人的、社会的な問題の性質や解決方法を示してくれること、そして同時に、解決の鍵はわたしたち以外の誰にもないことをはっきりと指摘することです。


自分を過去の犠牲者にしないこと

 大事なのは、自分が説明のつかないもののなすがままになっているわけではないということを君達がここで悟ることだ。
 自分では全くどうしようもない出来事、それが君達の表現で言う心理的なものであろうと物理的なものであろうと、そうした出来事に弄(もてあそ)ばれているわけではないということに気がつくことだ。

 前にも言ったように、君達が、今の生活は自分の幼少期の出来事によって引き起こされたと信じようが、それと同じくらい自分ではどうすることもできないと感じている前世が原因だと考えようが、大した違いはない。
 君達に起こる出来事、君達の人生、体験は君達の現在の観念によって生じている。観念を変えれば君達の人生も変わる。


落ち込み

 落ち込んだ状況には、わけもなく陥ってしまうわけではない。君達の観念が、その意気消沈した状態を引き起こしているのだ。

 沈んだ気持ちに面と向かい合ってごらん。その気持ちにずっとついていくのだ。しかし、それが「気持ち」であることを理解しなさい。

 ちょうど、観念が観念であることを ── 望むらくは ── 理解するのと同じことだ。例えば、自分は駄目だとか値打ちのない人間だとか感じるのと、実際に駄目であること、値打ちがないこととは違う。

 他のみんなにとっては君が世界で最高の成功を収めた人間であったとしても、君自身は駄目な人間だとか、価値がないとか感じることだってあり得るのだ。

 だから、自分の気持ちを調べたり、気持ちを素直に感じてみたりする場合、気持ちはあくまで気持ちだということに気づきなさい。気持ちは必ずしも真実だと決まったわけではないことがわかれば、君達はその気持ちを越えて進んで行けるだろう。


観念

 自分の観念を調べながら、自分がなぜ怖がっているのか突き止めてみるんだ。怖れている理由を自分に尋ねたら、心に思い浮かんだことを書き出し、返ってきた答えを受け入れてごらん。

何らかの答えを得たからといって、ただ、ふがいなく椅子の背にもたれて「ああ、そうですとも。わたしはこうこうこういうわけで愛するのが怖いのです」などと言わなくてはならないわけではない。

 こう言えばいいんだ。「これらは自分が愛を受け入れるのを妨げてきた観念だ。でも、今はもう、こうした観念を受け入れはしない」。

 あるいは、なぜ自分は傷つくこと、自分を見せることを怖れているのか、または、傷つきやすいと感じることを怖がっているのか(と尋ねるのもいい)。

もっとも、こうした質問は自分で自分に尋ね、それに対する答えを受け入れ、その答えを信頼しなくてはいけない。ただし、永久的な答えなどというものはない。

 その答えに乗って進みなさい。こう言うんだ。「自分はこれだけの年齢に達した一人前の人間なんだから、そうした観念を信じたくなければ、もう信じない」。それができたら、また私に声をかけなさい。

 自分の愛、自分の肉体が傷つきやすいことを怖れてはいけない。心を開くことを怖れてはいけない。樹は風に揺らぐものだ。それは傷つきやすいが、そうやって大きくなっていくんだ。
 もし、その樹が自らを頑強に保とうとしたら、折れて死んでしまうだろう。


劣勢挽回

 君達は自分の抱いている観念と直接つき合うことを学ばなくてはいけない。さもないと、自らの体験の中で知らず知らずのうちにその観念に反応することで、それらと間接的に関わり合わざるを得なくなるだろう。

 自分の置かれた不都合な環境、または立場や状態を嘆く時、基本的に ── 次の一言を強調してくれ(筆記しているバッツへの指示) ── 君達は自立的に行動(アクト)しているのではなく、殆ど盲目的に反応(リアクト)している。

 自分に降りかかってくるように見える出来事に対して反応しているのだ。それは常に、ある状況に対する応答としてだ。

 自立的なやり方で行動するには、物理的に起こって欲しい活動を(語勢を強めて)自分自身の中に創り出すことによって、その活動を導き出すということを始めなくてはならない。

 これは、観念、感情、そして想像力を組み合わせて、希望する物理的な結果のイメージを形作ることで実行できる。
 もちろん、望む結果はまだ物理的にはないが、すでにあるのであれば最初からそれを創り出す必要もないわけだ。

 だから、自分が物理的に経験しているものと自分の試そうとしているものとが食い違っていると主張するのは無益なことだ。

個人的現実の性質 第6章「観念の本体と相互の力関係」より


金持ちへの第一歩

 君達の想念には電磁気的な性質がある。それが本当だということをよく把握しなくてはいけない。そうでなければ、私がこれから言うことは実際のところ、脳天気な戯言(たわごと)にしか聞こえないだろう。

 観念を変えていく間には、例えば、自分を騙(だま)しているように感じる期間もあるだろう。「自分は富と豊かさに囲まれている」と言いながらも、周りを見渡してみれば自分は相変わらず貧乏だ。

 しかし、君達が現在経験している地点まで数々の観念を築き上げてくるのには一定の時間がかかったわけだ。

 それと同じように、新しい観念が君達の許に豊かさを引き寄せてくるまでには、君達の表現で言えば、若干の遅れがあることだろう。
 物質世界での君達の経験は君達の想念に従う。そして、まず想念を変えることなしに経験を変えることはできない。

 さて、同時に二つのことを信じるのはよくない。だから、やり方としては、こう言ってみるといい。

「この観念をいじくりまわしてみよう。百歩譲って、自分にお金がないのは、お金に関する自分の想念が原因だとする。
 よし、そこで、騙されたと思って一日数回、何から何まで裕福であるかのようなふりをしてみよう。

 そして、自分が欲しい物事をイメージする。その効果がなかったとしても、べつに何を失うわけでもない。しかし、もし効果があったとしたら、これは随分と得をしたことになるな」

 こうやって何週間か試してみるんだ。やってみる度に、その観念は少しずつ、だんだんと現実味を帯びてくる。そして、そうこうするうちに、こうした想念は、それまで君達がずっと持っていた観念を変えている。

 または、少なくとも、そうした観念同士のバランスを整えていることになる。そして、その観念が君達の許に豊かさを引き寄せ始めるのだ。物理的な現実を変えるには、君達の想念を変える以外に方法はない。
セス・オーディオ・コレクション Vol. I 1-3-C より
 上記の文章と直接の関係はないと思われますが、
 セスのアドバイスをきっかけにビジネスの世界で成功して実際に億万長者になった人もいます(言わずもがなですがわたしではありません…)。

 自分の望む環境をつくり出すのが上手な人というのは本当にいるものです。もっとも、夢を実現させるメカニズムというものは、セスの本を知っていようといまいと同じであり、

自分の夢を実現している人たちは通常、ある程度はっきりしたイメージを持ち、そこに向かって具体的に行動しているとわたしは思います。

他にも盛りだくさんのセスの良質記事で楽しいひと時をお過ごしくださいませ


アトランティス - 1 アトランティス - 2 インフルエンザの季節 - 1 インフルエンザの季節 - 2 インフルエンザの季節 - 3 ウィジャ・ボード ウイルス - 1 ウイルス - 2 カウンターパートと意識の家族 - 1 カウンターパートと意識の家族 - 2 シンデレラと創造 - 1 シンデレラと創造 - 2 スポーツと健康 セザンヌの本 - 1 セザンヌの本 - 2 チャネルされたフィクション - 1 チャネルされたフィクション - 2 - 1 チャネルされたフィクション - 2 - 2 テレビ局で - 1 テレビ局で - 2 テレビ局で - 3 バッツ夫妻と ESP - 1 バッツ夫妻と ESP - 2 バッツ夫妻の目指したこと ビッグフット&イエティ? - 1 ビッグフット&イエティ? - 2


フレームワーク2 - 1 フレームワーク2 - 2(神話) ロバーツの理論 人生の終え方 内なる自我 内的ツアー - 1 内的ツアー - 2 内的ツアー - 3 内的感覚 - 1 内的感覚 - 2 出来事と記憶 - 1 出来事と記憶 - 2 原子力 - 1 原子力 - 2(バッツのメモ) 原子力 - 3(バッツのメモ) 合理的アプローチ 善と悪 - 1(ヒトラー、広島) 善と悪 - 2 在るもの総て - 1 在るもの総て - 2 - 1 在るもの総て - 2 - 2
セクション C 他にも感激な内容が見放題ですよ
 バーツの詩


知花敏彦先生のお話から一部引用ですが…♪

 では、人間と神の関係はどうなのでしょう。
本来は「人間と神の関係さえもない」という事です。

 この説明のためにテーマをつけて書いたものであり、
関係さえもなく、「一つの存在」であるのです。

人間と神」は、「即、一体」の存在であり、
我々」も「神の存在」であり「神そのもの」であったという事が分かるのです。

我は神なり」。「我は生命なり」。我は神理なり。と。
我は神(の一部)であり、我はキリスト(宇宙生命)である」という悟りに至らなくてはならないのです。

 セント・ジャーメインさんによりますと、

●「神と繋がっている状態」というのは、「絶え間ない感謝の流れ
●全てのことに対しての感謝
●全ての瞬間に、ありがとう、ありがとう、ありがとう
●私達のエネルギーは感謝の波動にある

また、エイブラハムさんによりますと、

瞑想よりもっと上の状態がある。
もっといい気分の状態がある。それは感謝の状態だ。」 
との事です。


 イエス様は「愛は天と地の架け橋」とおっしゃられました。その愛とは「許しの到達点」である「慈悲と愛」で御座います。

 真の意味で貴方が、その「許しの到達点」の境地に到達した時に、自ずと「天である神」と「地である貴方」との架け橋が繋がる事でありましょう。私は実体験からそれが実際にありえると確信しております。

愛は天と地の架け橋  この愛の理解と体得が神様と繋がる鍵♪

神・大愛(天)……全てを活かす愛・慈悲と愛・すべての形態を形作る力・意識を与えて下さった魂の根源・真の親・すべてを活かし育む力、縁の下の力持ちで全てを愛し慈しむ無償の愛・無限の愛・すべてに意識を与えて下さった天の父であり天の母である中性エネルギー・真の親・愛を表現する為に…無限の創造をなさっている慈悲と愛そのもの

神の表現体(地)……神が神を愛する為に生まれた存在・神の化身・愛の化身・神の表現体・神の中に創造された神・個別化した神としての自覚に覚醒めた我・滅私して神の道具意識を自覚している我・自分が神ご自身だと悟った我・愛を表現する為に生まれた事を自覚している我、全てを100%の愛で愛する我、自分と全てが神以外の何者でもない事を自覚している我

ケイシーリーディングから…♪

全身全霊で「神を愛する」大切さ
「神を求める祈り」をする大事さのお話

 エドガーケイシーは、宗教生活についてそのもっとも美しい表現の中で、この事を次のように語っています。

あなたがたは心を尽くし、思いを尽くし、体を尽くして汝のなる
(大生命・内在の神)を愛し、隣人を汝の如く愛するのである。

このキリストの与えた言葉が法則の全てである。
それに優るものは存在しない

 主が約束されたように、あなた方は
来る日も来る日も明想し、「祈りゆく」うちに到来するあの目覚めによって、
主(宇宙生命)が自分の意識の中に留まられる事を知る事が出来る
神我が中にまします・父と子は常に一体)。

 あなた方はこの目的のために、
主が臨在し、その御霊(キリスト)があなた方の中に留まるあの意識を、
あの自覚を讃えるために生まれてきたのである。」


自我・偽我 =表現者、原因である父なる神を忘れている状態(放蕩息子の状態)神理を知らない状態・自分の力で生きていると思って迷っている状態、肉体の己を自分と思っている我、分離感・分離意識で個別化された表現を別個の存在と認識している我・分離意識・エゴ・肉の感化、五感の感化を真実と錯覚している我・迷いの影、幻、幻想(マイヤー)・自己保存、自我我欲の心


真の自己(真我)=父なる神と常に一体の境地・ワンネス意識・全一の意識・神我キリスト、全ては自分、全ては我、全ては神、全てを愛する我に目覚めた状態・宇宙生命によって生かされている事を自覚して実感している我・私が生きているのではない、なるほど一つの生命である神が生きていらっしゃる、全ての知恵と力は神から与えられている、神の中身は神、全ての全ては本質的には神、神のみが生きてらっしゃるんだなと悟った我・神一元・愛一元・光一元・我神なり、全ては神なり、全てに神を観る境地・神は生命(霊)なり、我も生命(霊)なりの自覚・宇宙即我、キリスト意識・高我・実在・全てを愛し全てを許す境地・慈悲と愛・あなた即私・私即あなた・宇宙エネルギー即自分・無限即我・不変不動の絶対なる実在・普遍なる宇宙・無限者・宇宙神

FC2版の広瀬すずちゃんの横顔になる方法の記事です♪
身長を伸ばす記事も追記してみました♪

笑顔と感謝の実践は、宇宙法則にも合致♪ 「運気アップ」と「魂の覚醒」にも繋がります♪笑顔の効用♪作り笑顔でも効果があります♪笑顔と感謝法で運が急上昇♪健康力増進♪笑顔の実践心理学♪いい笑顔の持ち主になるコツ♪笑顔ブラッシュアップ♪妻の感謝法で夫のがんが治ったという例も♪感謝法の素敵な体験談をご紹介♪感謝法から感謝行へ♪野坂礼子さん♪五日市剛先生♪



笑顔と感謝の実践は、宇宙法則にも合致♪
「運気アップ」と「魂の覚醒」にも繋がります

 今回は、「笑顔と感謝行」の実践を説かれている、野坂礼子さんの総まとめ記事と、「ありがとう」に関連する記事をご紹介させて頂きます。

 「笑顔と感謝行」と言えば、まさに私の生き方を体現しているかの様な(笑)、私の生き方そのもの…と言っても過言ではないかも知れません。

 そのように、今回のテーマは、私の真理の追求者・光の求道者としての観点から見ましても、非常に有意義で最高に価値のある実践業…といっても差し支えないと言えましょう。

 お陰様で私の運気は、ブルーシャ西村様も神憑り的に運気がいいように、私も同じく、神憑り的に運気が良い人間だったりします。

 スピリチュアル界…最高の方を引き合いに出してごめんちゃい…って感じですが(笑)、最近、ブルーシャ西村様のご著書にハマっているものですから…。

 ありがたいことに私は、常に天に愛されているといっても過言ではない…ぐらいな幸運な人間なのです。真理に覚醒めてからは、さらに神憑り的な運の良さに変容いたしました。

 笑顔は自分だけではなく、周りの人をも幸せにしますし、感謝は相手と一つになる、全一体感の統一行でもあります。

 本山博先生も言及されているのですが、実は…感謝行というのは、悟り覚醒にも繋がる…非常に尊い素晴らしい行だったのです。
 これを知ったら、更に実践したくなっちゃいますね♪

有難うの言葉とツキとの関係

問、「ありがとう」という言葉を使っていると、ツキが巡ってくるという本が最近評判になっているようですが、こうした現象は実際に起こるのでしょうか。

本山博先生のお答え  

 これは非常に大事なことです。「ありがとう」という言葉は、人に感謝をして、その人と一つになる意味を持っています。

 感謝の言葉は、その人がいてくれたお蔭で、本当に自分が助かったときに自然に出てくるものですから、自分を守るよりも、自分を捨ててその人と一つになった気持ちがないと、その言葉は出てきません。

 つまり、自己(自我の)否定が起きている状態なのです。

自己否定をして自分と相手が一つ(全一体感・キリスト意識)になれるような時は、神様の力が入りやすくなります。

こうなると、ツキが出てきます

 感謝も出来ないような人間は、極端に言えば、猿とあまり変わりありません。ただし、謙虚なだけでもダメです。善人は、案外自我を強く持っていて、硬いから素直に感謝できません。

「ありがとう」と言えるのは、自分とは違う相手を受け入れることが出来るからなのです。


 ブルーシャ西村様の「神様に愛されたら、幸せな奇跡が起こり出す」の著書でも、言及されている通り、天上界にいらっしゃる…

愛溢れる…高次元な方々に愛される生き方は、今回の「笑顔と感謝」を実践する生き方だと言えるかも知れませんね。
(※ご著書には他にも色々と書いてありました)

 「笑顔と感謝」を自然に…日常から呼吸をするかの如く、無意識レベルで実践できるようになれれば、きっと貴方の運気も急上昇して、天に愛される人間へ飛躍出来ちゃう事でしょう。

 私自身、運がいいって本当に幸せでありがたい事だと、いつも感謝・感謝の気持ちでいっぱいで御座います。
 ぜひ皆様が今回の記事で、「笑顔と感謝」に覚醒めていただける事をご祈念申し上げ、今回の締めとさせて頂きます。



笑顔の効用  (野坂礼子さんのご著書からの引用ですが…)

 笑顔になることにより、どんなことが起こるのでしょうか。実は笑顔になることで、免疫力が上がるということが分かっています。

 免疫力とは、癌と戦うナチュラルキラー細胞や白血球などで、私達の体を病気にならないよう守ってくれています。笑っているとこれらの免疫力が活性化したり増えたりして病気になりにくく、治りやすいのです。

 そして笑っている時も、呼吸が長いときと同じく脳内モルヒネ系のホルモンが分泌され、とても気分が良くなります。身も心もかる~く溶けてしまうかのような心地よさです。子供にとっては成長ホルモンとも言われ、心身ともに発育します。

 胃腸や心臓、肝臓など内臓の働きや呼吸、発汗等のための諸機能はすべて自律神経の支配下にありますが、笑うと自律神経のバランスが良くなり、とても健康になるのです。

 すると、新陳代謝もよくなり肌もつやつや、目もキラキラ輝きます。呼吸が深くなるので心も落ち着き、ますます健康になっていき、素晴らしい状態がキープ出来るのです。

 笑いの効果はそれだけではありません。笑顔の時には必ずアルファー波が出るのです。アルファー波になると集中力が出て持てる能力が発揮でき、さらに直感力が出て来て何もかもうまくいくのでしたね。
 だから笑顔は素晴らしい人生をつくる第一歩なのです。


作り笑顔でも効果があります

 作り笑顔でも全く同じ効果があることが、色んな結果、研究の結果分かっています。作り笑顔をしたモニターの女性の脳波を測定した所、最初はベータ波だった彼女が作り笑顔を初めて五分後には完全なアルファー波が出ていたのです。
この実験結果を見ていると、決して作り笑顔がだめではないという事が分かります。

 例えば、ウェイトレスのお姉さんが、風邪を引いて頭がいたいんだけど、頑張って接客をしている時は、心からの笑顔は当然出て来ませんね。

 でもせっかくいらっしゃったお客様に対して、少し頑張って心を切り替え、笑顔を作って「いらっしゃいませ」と挨拶するのです。

 このように笑顔というものは、雑草のように放っておくと生えてくるものではなく、自分から積極的に創造していくもののようです。

 だからこそ、「笑顔は作るもの」でもあるのです。
自分の気持をヨイショと切り替えて、笑顔になる必要があるのです。

 ところであなたは、ご家族や職場の仲間と会った時、調子の悪い時や苦手な人にも、ヨイショと心の切り替えスイッチを押して、笑顔を作れていますか?


えくぼちゃんコーナー

 実はね、感謝法はココロの笑顔大層なの。「ありがとうございます」を沢山唱えた後は、心がほっこりしていて、自然に笑顔が出てくるよ

 笑顔作り名人を目指して、感謝法をやってみて笑顔と「ありがとう」はとっても仲良し。両方一緒にやると、かえって簡単、超パワフル。
 運はびっくりするほど急上昇そのスピードは、高層エレベーター並み


笑顔の実践心理学
笑顔づくりのイメージ・コントロール法
 
 ところで、いい笑顔の持ち主になるコツは、いつもいい笑顔でいたいと強く思うこと、そして、イメージすることです。そんなところでさえもニッコリ、あそこでもニコニコして過ごしている自分を!

 エッ、そんなことも空想できないですって。困りましたネェ!仕方ありません。奥の手をソッとお教えしましょう。
 
 それは、自分が飛びきりのいい笑顔で写っている写真を2~3枚探して、それを焼き増しして、いつも目につくところに貼っておく。

 また、数枚入る写真立てに何種類かの笑顔の写真を全部入れておく。また、自分の手帳には、いつも笑顔の写真を入れておき、一日に何回もそれを見ることにしましょう。

 そのうち、自己イメージが笑い出します。今すぐアルバムを開いて、いい笑顔の写真を探しましょう。
そして「ツイテル ツイテル ニコニコ 元気」と繰り返しつぶやきましょう


光の感謝法

心の笑顔体操
 いい笑顔の自分になりたいけど、どうすればいいの!とよく質問されます。 

 世界一素晴らしい方法をお伝えしましょう。
 それは一回でも多く「ありがとうございます」ということです。するとだんだん心が明るくなり、心に希望の光射差し込み初め、表情筋も緩んでくるのです。感謝法は心の笑顔体操です。

 感謝法のやり方は、ただひたすら、「ありがとうございます」と唱えるのです。心がこもっていなくてもいいし、声に出して言っても心のなかでもいいのです。

 ただ、「ありがとう」よりも「ありがとうございます」の方がパワーも質も、グーンといいのです。

 または、「ありがとう・ありがとう・ありがとうございます」という風に何回に1階「ございます」をつけて言っても構いません。

「ありがとうございました」ももちろんいいパワーの言葉ですが、「た」は「たち切る」の「た」で「終わらせる」エネルギーが働いてしまいますから、

 「ありがとう」のエネルギーをずーっと続かせられるよう「ありがとうございます」にしてみましょう。

 1000回で十~十五分ですから一日2000回から5000回を目標にやってみてください。一万回行にチャレンジしている人もいらっしゃいます。

 歩きならでも、寝転んでやってもいいし、何かをやりながらでもOKです。

 呼吸法の吐く息に数回の「ありがとうございます」をのせる感じでやる
 感謝呼吸法や、丹田呼吸感謝法は、素晴らしい瞑想となり、とてもパワフルな超健康法であり、大きく人生を変える力があります。

 人間関係の時は相手をイメージし、願望実現の時は実現しているシーンをイメージして、そのイメージに向けて「ありがとう」を届けるイメージ感謝法をやります。
 まず両親や家族から始めましょう。


笑えることの意味

 笑えるのは人間だけ、人間だけに与えられた表情筋、その意味は何でしょう。
「私は嬉しい、私は楽しい」という気持ちを表すためだけなら、犬ならしっぽを振ります。自分が嬉しい時だけ笑顔をする人は、シッポで十分です。

 でも人とコミュニケーションする時は、シッポだと
「やあ、喜んでいただけたかしら」と心配しつつ後ろへ回って確かめ、
「よかった、シッポ振ってらっしゃるわ」といった調子になりますから、

人とのコミュニケーションは、やはり顔に表す方が、上手くゆきますよね。

 笑顔は相手に何を伝えるのかというと、「ありがとう、あなたに感謝しています」
「あなたに会えて嬉しい」「あなたと仲良くしたい」等の気持ちです。

ということは、天が人間のみに表情筋をお与えになった理由は、
「あなたの表情筋にのせて、伝えなさい」ということではないでしょうか。
 即ち、他を愛するために笑顔を作るのです

 仏教に「無罪の七施」という教えがあります。
 その中に、和顔施、慈眼施、というのがあります。

これは「和やかな顔、すなわち、笑顔を人様に施しましょう」
   「慈しみあふれる眼で、人様をみて差し上げましょう」
 それが、お金やものじゃない、
「人様への素敵なプレゼントですよ」という意味です。

 キリスト教と繋がるユダヤ教の中にも
「人をもてなすには、ミルクを差し出さず笑顔を差し出せ」という教えがあります。  あなたの周囲の人々に「ほほ笑みのプレゼント」を贈ってみてください


暮らしの中で笑顔磨き
小さいことに全力投球

心を磨く砥石として、日常の小さなことほどきめ細かい砥石となり、それで磨きをかけるとつるつるでま~るい心になるので笑顔もまんまるになります。

 一見人生の対極に関係なく、日常の小さなことと受け取られがちな「挨拶、返事、お辞儀」この3つの笑顔のチャンスと、もう1つ「後片付け」を実践する中で笑顔をする心をピッカピッカに磨き上げましょう。

笑顔ブラッシュアップ・レッスンその一・・・挨拶

「拶」という文字には「開く」、「拶」には「せまる」という意味があります。すなわち、「開いてせまる」のが挨拶という事になるのですが、何を開くのでしょうか。

 そう「心」です。心を開いて、誰に何をせまるのでしょうか。

そうですね。挨拶をしている相手に
「私はあなたに心を開いています=好きです、よろしくお願いします」と伝えているのです。

 そして、「あなたも、私に心を開いて下さいね」と”自分から相手にせまる”とても積極的な行為です。

 即ち、好意の交換というわけですが、あなたは、はたして毎朝夕、開いてせまっているでしょうか。
”心を開いての挨拶”は、暖かい好意を表す笑顔と明るい声です。明るいパワーが出る時は高めのトーン、つまり「ドレミ」のドの音よりミの音で挨拶しましょう。

 次に、「せまる挨拶」は、目線を合わせること、アイコンタクトがポイントです。そして大きな声、開いてせまる挨拶に一番大事なことは、先手で挨拶することです。

 挨拶されていから返事するのは当然、もし返さなかったら縁が切れてしまいます。少々体調の悪い時でも、心配事がある時にも、苦手な人にも、ケンカしちゃったあの人にも、即ち、どんな時にも、誰にでも、自分からすすんで、にっこり「こんにちは」と大きな声で挨拶する。

 これが、人間関係のとっておきのコツであり、自分自身にとっても元気の無い時とても良く効く元気薬です。

 まず、少々つらい時でも、ニコッと笑って、「おはよう」と言ったとたん、プラスはどうが相手に向かって放射する。そして相手からも「おはよう」と笑顔のプラスはどうが返って、あなたを元気にしてくれる・・・。笑顔エネルギーの効力は絶大です。

 徳川家の県の師範、柳生家の家訓に「小才は、縁に出会って縁に気づかず、中才は、縁に気づいて縁を生かさず、大才は、袖触れ合うをも生かす」とあります。

 開運は、人との出会いから始まるのではないでしょうか。また、どんなに地位が上がって、お金があっても、良い出会いと良い人間関係のない人生が、果たして幸せでしょうか。人は1人では生きられませんよね。

 挨拶上手は、縁作り上手、人間関係上手です。だから挨拶ができずに幸せになった人はいないですね。
「どんな時にも誰にでも自分から挨拶」を実行することは、極小さなとるに足らないことでしょうが。いや、平凡なことをやり続けることこそが非凡なことです。
 
 それに実際にこれはやってみると、中々気骨のいることです。自分の背骨をしゃーんと立てるトレーニングです。

笑顔ブラッシュアップ・レッスンその二・・・返事

 誰かに呼びかけた時、無視された、どれだけ悲しく腹立たしいか。無視されずとも、気のない返事しか帰ってこなかったら、自分自身が、まるで軽い扱いを受けているように感じますね。

 人は誰でも、軽視されたくないし、大切に想われていたいものです。明るい微笑みと共に、「ハイッ!」と返ってきてこそ「拝」です。そう、昔は「拝」と書いて「拝啓」と書くのも同じ思いが込められています。

 尊敬と感謝から始める人間関係が、日本人の心の文化なのですね。外国人向けの日本語辞書に、このことが記載されていると聞きました。でも肝心の日本人の殆どが「ハイ」の本当の意味を知りません。


笑顔ブラッシュアップ・レッスンその三・・・お辞儀
 
 日本人は挨拶する時、お辞儀をします。「頂戴する」とは、頂はてっぺん、戴も”いただく”という意味があります。

 目上の人から頂き物をする時、口にした言葉ですが、「ありがたい心」から、頂く物を相手の分身とみたてて、それに息を吹きかけては失礼と、頭の上にささげもった、下へも置かぬ扱いをしたわけです。

 しかし、名馬を一頭とか、相手の娘さんを嫁にもらう、また、領地を頂くなどの時、持ちあげられない時は、持ち上げる代わりに、自分の頭を低くしたところから、お辞儀というスタイルが生まれた。
 これもまた感謝と自分を低くする謙虚さの表現であるわけです。

 すべて、礼儀作法の形の元には、心があってのことなのですね。心は形にして現し伝える。また、形を整えることで心が養われてゆく。そんな文化の中で、私たちは育ったのです。肝心な時キチンと頭が下げられる人間になりたいものです。

 本当に自信のある人、立派な人ほど謙虚で頭が低いのです。”実るほど頭を垂れる稲穂かな”といいますね。


笑顔ブラッシュアップ・レッスンその四・・・後片付け
 
 笑顔をする心磨きのレッスン4つ目は後片付けです。すべからく有能な人は、仕事の後の片付けが見事です。板前さんなどは、後片付けの修行、包丁を研ぐ仕事や、まな板磨きなどから入ると聞いています。私も後片付けが目標の1つです。

 縁作りの上手な人も、お礼状をこまめに書かれる等と出会った後すべき事が出来ている人です。私も多くの人に出会いますが、初めての出会いの後、「出会いに感謝」などハガキを頂くことがあります。そんな人には「また会いたいな」と思いますね。

 また、失敗することは仕方ないとしても、その後片付けとしてキチンとお詫び出来ることが、一人前になることです。仕事上、ミスをしたら、その時に当然詫ますが、

翌日、「きのうはすいませんでした。帰って◯◯の点を反省しました。以後◯◯を気をつけます」と反省した内容と実践の目標を報告して、お詫びすることです。すると失敗しても信用されるのです。

 公園や駅で平気でガムやタバコを捨てる人、自分の後片付けを人にさせて平気な人に愛は住み着きません。

 皆が使う場所で、自分の後片付けができていること、何かの後で必要な挨拶が出来ること、こんな小さな日常のことから、自分の笑顔をする心を育ててゆきたいものです。万事後片付けが大切です。




感謝法から感謝行へ

 感謝法を一生懸命、やってやって、やり続けていると、気づいたら我欲の思いがなくなって感謝行になっている・・・という風に自然にと変わっていきます。

「◯◯が欲しい」とか「つらい状況を良い方向に変えたい」という要求から「ありがとうございます」と唱えていたのに、いつの間にか「◯◯が欲しい」「状況を変えて欲しい」という気持ちが消えてしまい、ひたすら「ありがとうございます」だけになっていくのです。

 1000回(15分~20分)から5000回くらい唱え続けると、最後の方には、ひたすら「ありがとう、ありがとうございます」と唱えているというような心境の変化が体験できるようになります。

 一日1000回でまだそんな心境になれなかったら、2000回、3000回にチャレンジしてみてください。いつかは必ずひたすら唱えて続けている、といった自然体の境地が味わえます。

 そして実行した人の多くは、いつしかふんわりと暖かい安心感に包まれている自分に気づき始めます。その時、心から感謝の気持ちが湧き上がってくるでしょう。

 もちろん時間が経ってまた、エゴの思いが出てくることもあり、最初の内、言ったり来たりを繰り返すことが多いものです。でも大丈夫

 エゴの思いが出ても、また続けている内に、より早く、より長い時間、安心感にあふれた自然体の境地に入れるようになります。ただ続ければいいのです。ただひたすら一回でも多く、一分でも多く唱えましょう。

 ただ、変わりきるまでの間は、最初の内は一気に実践することがコツです。なぜなら、最初は「ありがとう」も言うのですが、それ以上に多く身についてしまっているマイナスの思いを無意識に言ってしまっている状態が続くのです。

 すると良い変化が現れないので、感謝法に対する信念が揺らぎ、「ありがとう」を言う気持ちが減ってしまって、ますます愚痴や不満などのマイナスの思いに心が流されていくのです。

 このように「ありがとう」の回数が少ないと、人生が好転しないので、お仕事など、やるべきこともちょっと横に置いておいて・・・ぐらいの気持ちで、感謝行を再優先にして徹底して実行してみてください。

 お仕事をサボったら大変まずお仕事をしてから時間があれば感謝行をやるわ、というのが常識的判断です。しかし感謝行を本気でやれば、結果的にお仕事の方も効率よく進んだり、必要な情報や必要な手助けが入ったり、直感が働いたりして、かえってうまくいったりするのです。

 誰でも出来て、簡単です。そして副作用なして、無料で本当に幸せになれるのです。

えくぼチャンコーナー

 でも辛くてどうしても、沢山「ありがとうございます」が言えない時に、本気で感謝行がやれない自分を感じる時は・・・困らなくても大丈夫

・・・たった一度でも「ありがとうございます」と言えたことに感謝すればいいんだ。すると幸せな気持ちになって楽になる、楽になったら、また沢山の「ありがとう」が言えるようになるよ。この方法で救われた人もたくさんいるよ


吐く息が長くなると、
脳波がアルファー波になる

 吐く息が長くなると、脳波はアルファー波になります。すると、集中力がアップし、その結果何事によらずうまく出来て、効率、能率が良くなります。持てる能力が存分に発揮できるようになるのです。

 だからスポーツ選手はこぞって呼吸法を取り入れていて、呼吸法でアルファー波が出た結果、いつも安定したプレーが出来たり、自己新記録が出たりするのです。

 音楽家もリズム感が良くなり、感性が研ぎ澄まされ、いい演奏ができるし、また自然にメロディーが心のなかで湧き上がってきて、新曲が出来てしまっり・・・。

 アルファー波の時は創造力をどんどん発揮できるので、いい芸術作品が生まれます。発明発見、アイデアなど、閃きが起きたりするのも、アルファー波が出ている時なのです。右に行くか左に行くか大事な選択を迫られた時、直感が働くとぴったりの選択ができ、グーンと運が良くなるのです。

 家事がテキパキ鼻息混じりですっきり片付くなど、アルファー波の時は何事によらず、速く、綺麗に、正確にできるのです。


えくぼちゃんコーナー

「ありがとうございます」を唱えていると自然に、呼吸が深くなって、リラックスし、アルファー波になっていくよ

 まずイライラ、どきどきしている時にやってみると、不思議な事にとても落ち着いてくるから、ただ信じて、しばらくひたすら唱えるんだよ。三回言ってやめちゃったらだめだよ!

「ありがとう」を言いながら寝るとアルファー波になるので、寝付きがとってもよくなった人がいっぱい
「500回唱えてから寝ようと思っているのに、半分も言わないうちに、寝ちゃうから困る」って不眠症の人が言ってたよ!

 だから寝られないのもいいかもしれないよ。
「今日は沢山、ありがとうを唱える日なんだ」と思えば。

 そして「ありがとう」で寝付くと、とっても深い眠りになるので朝いい目覚めになって、短時間の睡眠で元気になるんだよ。
 睡眠薬は高いけど、「ありがとう」は無料で副作用なし


吐く息が長いと必ず幸せになれる

 さらに、吐く息が長い時、人間は脳内モルヒネ系のホルモンが出て、とても良い気分になったり、免疫力もアップしたりします。だから呼吸法で、ありとあらゆる病気が治療するようです。

 大阪の病院の院長先生が、30種類の病気の人に病院での治療や薬を中止させて呼吸法をやってもらった結果、全員の病状の改善が見られたそうです。

 このように吐く息を長くすることで、幸せになるというのは、大昔の人も現代人も同じ、世界中どこの人々にも当てはまります。
 短い息では、集中力も能力も感性も発揮できないし、第一笑えない。
 吐く息が長いと、うまくいき幸せになれるというのは絶対ルール、つまり真理です。

えくぼちゃんコーナー

「ありがとう」を言っていると、いろんなことがうまくいくよ

だから、大事な出来事、スポーツの試合の前、大事な人との出会いの前など緊張するときや、試験の前など、集中力や効率を上げて頑張りたい時など「ありがとう」を唱えながらやるとすごいよ

 吐く息が自然に長~くなり、とても調子が良くなってきて、自分の最高の出来栄えになるんだ。

重症が二ヶ月で奇跡の完治

 駅の階段を踏み外して26段をドドドーッと落ちたのは二ヶ月前でした。主観眼の前が真っ暗になり、次に体中に激痛が走りました。

 次の瞬間私は、痛みが走る足をさすりながら、「ありがとうございます。ありがとうございます。大難をこんなに小さく済ませてもらえて有り難い、ありがとうございます」と唱えていました。
 自分でもこんな気持になるなんて不思議でした。

 去年、野坂先生の公演を聴かせてもらって以来、「ありがとうございます」を唱えることが習慣になっていたので、こういう緊急事態でも思わず「ありがとうございます」が口をついて出たのだと思います。

 そうなれたことが「ありがたいなー」と、今つくづく思うのです。
 その結果、骨折と、打ち身、捻挫の三拍子そろった重度の症状が、二ヶ月でほぼ歩けるところまで完治したのです。
 50歳でこの症状が二ヶ月で治るなんて奇跡だとお医者さんが言っていました。

疲れる上司が、一ヶ月でいなくなり・・・

 私の上司は、お天気屋さんで、自分の好み焼感情を前面に出す人なので、本当に疲れます。迂闊に物も言えず、いつもご機嫌を伺っていなければなりません。「やっていられないな」と言う気持ちになって、感謝法を熱心にやり始めました。

「ありがとうございます」を唱えると、課長のご機嫌の変化に振り回される事は少なくなったような気がしました。これだけでも随分気が楽になていたのですが、なんと突然その上司が異動になったのです。

 ところが、ホッとしたのも束の間、次に赴任してきた課長は、とてもせっかちタイプで、ますます疲れました。もう感謝法で乗り切るしかないと、ひたすら「ありがとうございます」を唱えていました。一ヶ月ほどたった頃、なんとその課長もやめてしまったのです。

 一ヶ月そこそこの間に二度も上司が変わるなんて、奇跡としか言いようがありません。そしてついに三人目の上司は、とても穏やかで、気持ちのいい人です。
 感謝法の魔法力に乾杯です


光の感謝法
感謝法は魔法の杖

 笑顔セラピーネットの感謝行セラピーでも受講生の方々から、ひっきりなしに、素晴らしい成果が報告されます。

 例えば、中の悪い人をイメージしてそのイメージの相手に向けて「ありがとう」を唱え続けると、長年挨拶もしなかった関係なのに、相手から笑顔で挨拶してきたとか、

 自分をいじめていた同僚が急に親切に声をかけてきたとか、浮気をしていた主人が浮気をやめて戻ってきてくれ、仲良くなれたとかです。

 三年前裏切られて恨んでいた相手をイメージして、感謝法をしていると三年ぶりに突然電話をかけてきて三年前の事を謝ってくれたとか、

 結婚して六年も赤ちゃんができなくて寂しがっていた友人夫婦をイメージし、「赤ちゃんができて幸せになりました。ありがとうございます。ありがとうございます
と言っていると、一ヶ月後に赤ちゃんができた。

 また、お花に水やりのたび「ありがとうございます」を言っていると、鼻が不鬱の二~三倍も長持ちしたり、店の売上げや営業成績が上がったとか、欲しかった物が手に入ったりと書ききれないぐらい報告があります。

 妻の感謝法で夫のがんが治ったという例もあります。

 感謝法は、自然に調和がとれていくのです。物事のスムーズか現象が起きます。愛し合う必要のある相手とは、より深く愛し合う状態へと導かれ、離れるべき相手とは自然に離れていきます。

 辛い人間関係は感謝法によって、その関係から学ぶべきものを一気に学び終えた状態まで導いてくれるのです。

 現実に苦手な上司に感謝法を試すと、しばらくして、相手が配置転換で目の前からいなくなったという報告がしばしばあるのです。
 感謝法で皆確実に幸せに導かれるのです。お金もかからず誰でも簡単にできる、すごい魔法です。


お医者さんがびっくりしている
イメージが現実になった

 母が、「頭のなかに何かを感じる、とても気になるの」と言い始め、検査を受けました。すると、やはり腫瘍が見つかったのです。しかも手術ができない位置にあるとの事でした。

 このままいくと、瞬きが出来なくなったり、最悪は失明するとの事でした。とてもショックではありましたが、ちょうど私は笑顔セラピーを受講し始めたばかりでしたので、イメージをする事を思いついたのです。

 妹と私、もちろん母自身と三人で始めていました。お医者様が、腫瘍がすっかり影を潜めていて、あっけにとられているレントゲン写真を見ているイメージです。

 そしてお医者さんがびっくりして私たちに「何かなさいましたか」と尋ねるシーンです。そのシーンをイメージしては「ありがとう」を送っていたのです。

 それから一ヶ月たって、母は再度検査を受けました。するとイメージ通りで、お医者さんが目の前でびっくりしているのです。
「僕は、前に来られた時、個々に腫瘍があるって申し上げましたよね」と写真を見ながら、自分の目を疑っていらっしゃいます。

 母も私達もすでにイメージの中で、大丈夫という感覚を味わっていましたので、大して驚くこともなく「やっぱり」と思いました。


息子の驚異的な回復

 三人の息子の母ですが、笑顔セラピーを受講し始めて、「ありがとうございます」を家族を中心にお世話になって人に向けて唱えていました。

 そして二ヶ月くらいたった頃、長男が網膜剥離を起こし、手術を受けることになりました。突然のことでたいへんあわてましたが、私に出来る事は感謝法だと気付き、熱心に、「ありがとうございます」と唱えました。

 何とか手術も終わりました。網膜剥離を起こすと、視力が落ちたり何らかの後遺症を起こすことがほとんどなのに、何の後遺症もなく、すごいスピードで治っていくのです。お医者さんがたいへん驚かれていました。


五日市剛先生♪のご著書からの引用ですが……


イスラエルのおばあさんのお話 

おばあさんの家に着くと、まず、おいしい夕食をごちそうになりました。
その後、おばあさんは電気を消してロウソクを灯し、いろんな興味深い話をしてくれました。

  その中で、「運命というのはね、本当にあるのよ。それに、ツキというものもあるのよ。そのツキというのはね、実は簡単に手に入るものなのよ
  
と言ったものですから、 「えっ、本当ですか? どうしたら得られるんですか?」と尋ねました。

  「あのね、ツキを呼び込む魔法の言葉が二つあってね。
これさえ唱えていれば誰でもツキっ放しになるわよ。」
 「何、なに?教えて下さいよ」

 「いいわよ。一つは『ありがとう』、もう一つは『感謝します』。
 普段何気なく使っている言葉だけど、使い分けるといいわ。
・・・そうね、
どんな些細なことでもいいから、いやなことがあったら「ありがとう」
 逆に、良いことがあったら「感謝します」何度も繰り返し繰り返し言うの よ。そしたら、絶対にツイてくるわ。本当よ!」

 「五日市さん、あなたの親が亡くなっても、歯をくいしばって「ありがとう」と言うのよ。どうしてかというとね。

イヤな事が起こるとイヤな事を考えるでしょう。
そうするとね、またイヤな事が起こるの。
 不幸は重なるというけれど、それは間違いなくこの世の法則なのよ。

だけど、そこでね「ありがとう」と言うとね、その不幸の鎖が断ち切れちゃうのよ。それだけでなく、逆に良いことが起こっちゃうの。

 だから、「ありがとう」という言葉はね、魔法の言葉なのよ・・・」
また、おばあさんは次のようなことも言いました。

  「絶対に人の悪口を言ってはダメ。
  言えば言うほど、あなたからツキはなくなっていくわ。
 怒れば怒るほど、あなたがせっかく積み重ねたツキがどんどんなくなっていくのよ。

  だからネガティブな言葉を言ってはダメ
 汚い言葉を平気で使っている人はね、そういう人生を歩むのよ。
 人の口から発せられる言葉はね、魂を持っているものなの。
 本当よ。だから、きれいな言葉を使いましょ

 五日市さんは「おわりに」こう言われています。
 「プラスの言葉は魔法となってステキな出来事を体験させてくれます。
ステキな出来事に「感謝」。
そして、素晴らしい運命に「感謝」しましょう。

  もし、最愛の人を亡くしたら「ありがとう」。交通事故にあっても「ありがとう」です。これですべてオーケーです。何も心配することはありません。

まだ起こっていない未来に対して「不安」がったり、「心配」したりするのはもうやめましょうね。」さらに後書きにこうあります。

 「イスラエルから帰国した後、おばあさんにお礼の手紙を送りましたら、
すぐに返事が来ました。心の持ち方って大事よ。
だけど、もっと大事なのはね、言葉の使い方なの

どんなことを口に出すかであなたの目の前の状況が変わってくるし、
あなたの心も変わってくるの。本当よ。」

「ご存じのように僕は学生時代、イスラエルを旅行中に
ありがとう』『感謝します』というツキを呼ぶ魔法の言葉を、あるおばあさんから教えてもらいました。

 『こうしたプラスの言葉を常に口から発しなさい。
 嫌なことがあっても、すぐに ありがとう と言いなさい。
すると運命を好転させることができる』と教えられ、それを素直に実践して確かに人生が大きく変わりました。 

いま思うと、その教えの本質は、『何に対してでも感謝しなさい』ということなのでは思っています。」


“あ” 光、光源、全ての本源 

“り” 螺旋状の組み合わせ 

“が” 「かがやく(輝く)」をダブらせている 

“とう” 相対の両極、陰陽、十字


この5文字で「絶対創造、大調和、全宇宙、神」を意味します


“ご” ゴリ固まる ⇒ 神の意識の固まったものが物質界・現世 

“ざ” 「さ」の繰り返し ⇒ 自然に流れる 

“い” いのち、生きて輝く 

“ま” 全く、完全な 

“す” 全体の中心、大調和の力 


※つまり、“ありがとうございます”は、“神”そのものを意味しているわけで、この言葉・文字 を使えば使うだけ、口にすれば口にするだけ、“神”に近づくことができ、運勢がドンドン 良くなってゆくのです。

「しあわせになれる魔法のルール」から引用させていただきました


「ありがとう」を言えば
まわりの人すべてがハッピーに

 何かをしてもらったら「ありがとう」と、笑顔で言えていますか?当然だと思いきや、意外に言えていないことがあるものです。

 お母さんに洗濯物をたたのでもらった時、「ありがとう」と言っていますか?お姉さんにお茶を入れてもらった時は? 
 レストランで料理を運んでもらった時、 ”当然” といった顔で、お礼も言わずに受け取っていませんか?

 笑顔で「ありがとう」という事で、まわりの雰囲気は大きく変わっていきます。「ありがとう」「ありがとう」と言い合っていると、周りの人も一緒に「ありがとう」を言うようになるものです。この連鎖が大切なのです。

 家族には、なかなかすぐに、感謝の気持ちを言えないこともありますね。まず職場で、「ありがとう」の効果を実感してみましょう。

 朝、後輩にお茶を入れてもらったら、
「いつも、おいしいお茶を入れてくれてありがとう」

 先輩から「外出中に※※さんから電話があったわよ」とメッセージをもらたら、「忙しいのに、ありがとうございます。助かります」

 オフィスを掃除してくれる人に会ったら、
「いつも、車内を綺麗にしていただき、ありがとうございます」

 こんな風に、「ありがとう」を言っていると職場の雰囲気は一変するもの。若いOLさんに、アドバイスしたところ、数ヶ月後、

「先輩に可愛がられるようになり、職場の雰囲気も変わりました」
「仕事仲間のいざこざがなくなり、全員が仲良くなりました」

 と、「ありがとう」の効果を話してくれました。天国言葉の成果が表れてきているのですね。

 職場で「ありがとう」を言えれば、家族や友人など身近な人にもごく自然に言えるようになります。天国言葉訓練。
 ぜひ、いっぱい使ってみて下さいね。



戸時代における外国人の日本論(その2)

江戸時代における外国人の日本論(その9)

江戸時代における外国人の日本論(その11)

江戸時代における外国人の日本論(その12)

欧米から見た日本】をご紹介させて頂きます

 外国人の方々から見た日本の姿を戦国時代から明治時代までご紹介して下さっている、沢山の引用があり大変為になる素晴らしい情報サイトです♬
 これは歴史好きにはたまらない極楽浄土サイトではないでしょうか♪

 【江戸時代における外国人の日本論】も面白かったので、ついでにリンクを張っておきました♬ もし良かったら覗いてみてね~♬



一部抜粋ですが・・・♬


江戸時代末期の日本は 地上で天国あるいは極楽にもっとも近づいている国

→アーノルドは仏教学者であり、彼の眼には、日本は菩薩
達が過半を占める国、或いは、菩薩達の国土たる浄土に近い国、と映った、ということでしょう。(太田)

 また、以下は、彼の『ヤポニカ(Japonica)』(1891年)からです。

 「日本には、礼節によって生活をたのしいものにするという、普遍的な社会契約が存在する。誰もが多かれ少なかれ育ちがよいし、「やかましい」人、すなわち騒々しく無作法だったり、しきりに何か要求するような人物は、男でも女でもきらわれる。

 すぐかっとなる人、いつもせかせかしている人、ドアをばんと叩きつけたり、罵言を吐いたり、ふんぞり返って歩く人は、最も下層の車夫でさえ、母親の背中でからだをぐらぐらさせていた赤ん坊の頃から古風な礼儀を教わり身につけているこの国では、居場所を見つけることができないのである。・・・


 この国以外世界のどこに、気持よく過すためのこんな共同謀議、人生のつらいことどもを環境の許すかぎり、受け入れやすく品のよいものたらしめようとするこんなにも広汎な合意、


洗練された振舞いを万人に定着させ受け入れさせるこんなにもみごとな訓令、言葉と行いの粗野な衝動のかくのごとき普遍的な抑制、毎日の生活のこんな絵のような美しさ、生活を飾るものとしての自然へのかくも生き生きとした愛、

美しい工芸品へのこのような心からのよろこび、楽しいことを楽しむ上でのかくのごとき率直さ、子どもへのこんなやさしさ、両親と老人に対するこのような尊重、洗練された趣味と習慣のかくのごとき普及、異邦人に対するかくも丁寧な態度、自分も楽しみひとも楽しませようとする上でのこのような熱心

――この国以外のどこにこのようなものが存在するというのか。・・・
 生きていることをあらゆる者にとってできるかぎり快いものたらしめようとする社会的合意、社会全体にゆきわたる暗黙の合意は、心に悲嘆を抱いているのをけっして見せまいとする習慣、とりわけ自分の悲しみによって人を悲しませることをすまいとする習慣をも含意している。」

→ここで、アーノルドは、菩薩達が過半を占める国、浄土に近い国である日本を、できる限り詳細かつ具体的に言葉で英語圏の人々に伝えようとし、それに見事に成功しています。
 感動ですね。(太田)



外国人は日本に数ヶ月いた上で、徐々に次のようなことに気がつき始める。即ち彼は日本人にすべてを教える気でいたのであるが、驚くことには、また残念ながら、自分の国で人道の名に於て道徳的教訓の重荷になっている善徳や品性を、日本人は生れながらに持っているらしいことである。衣服の簡素、家庭の整理、周囲の清潔、自然及びすべての自然物に対する愛、あっさりして魅力に富む芸術、挙動の礼儀正しさ、他人の感情に就いての思いやり……これ等は恵まれた階級の人々ばかりでなく、最も貧しい人々も持っている特質である。 (1巻, p. 40)

日本人が丁寧であることを物語る最も力強い事実は、最高階級から最低階級にいたる迄、すべての人々がいずれも行儀がいいということである。世話をされる人々は、親切にされてもそれに狎れぬらしく、皆その位置をよく承知していて、尊敬を以てそれを守っている。 (1巻, p. 171)

午前五時には豊岡の全住民が集まり、朝食をとるあいだ、わたしは外にいる村人全員ばかりか、土間に立ってはしごを見上げている四〇人以上の人々の注目の「的」となりました。

人々は宿のあるじからいついなくなってくれるのかと訊かれると、「こんなにめずらしいものを一人占めするとはずるいし、隣人の思いやりに欠ける。外国人の女性なんて、いま見ておかなければ、一生見られる機会はないかもしれない」と答えました。それで彼らはいてもいいということになったのです! (上巻, p. 407)

日本人の召使いはどんな場合でも信頼できる。彼らは心底正直者で、何日家を留守にしても盗みを働く心配はない。 (1巻, p. 222)

山門の前あたりから、はや道端に露店が並び、菓子、小間物、日本製彫り物、櫛、ガラス器、喫煙具等を売っている。売り子の女たちは真底愛想がよいので、外国人などはつい買う気にさせられてしまう。

日本人がいろいろの点で人気があるのも、この親切さや素朴さのおかげであることは確かである。 (1巻, p. 224)


自我・偽我 =表現者、原因である父なる神を忘れている状態(放蕩息子の状態)神理を知らない状態・自分の力で生きていると思って迷っている状態、肉体の己を自分と思っている我、分離感・分離意識で個別化された表現を別個の存在と認識している我・分離意識・エゴ・肉の感化、五感の感化を真実と錯覚している我・迷いの影、幻、幻想(マイヤー)・自己保存、自我我欲の心


真の自己(真我)=父なる神と常に一体の境地・ワンネス意識・全一の意識・神我キリスト、全ては自分、全ては我、全ては神、全てを愛する我に目覚めた状態・宇宙生命によって生かされている事を自覚して実感している我・私が生きているのではない、なるほど一つの生命である神が生きていらっしゃる、全ての知恵と力は神から与えられている、神の中身は神、全ての全ては本質的には神、神のみが生きてらっしゃるんだなと悟った我・神一元・愛一元・光一元・我神なり、全ては神なり、全てに神を観る境地・神は生命(霊)なり、我も生命(霊)なりの自覚・宇宙即我、キリスト意識・高我・実在・全てを愛し全てを許す境地・慈悲と愛・あなた即私・私即あなた・宇宙エネルギー即自分・無限即我・不変不動の絶対なる実在・普遍なる宇宙・無限者・宇宙神

ヤフオクの気になるフラッシュ広告もこれで消えました♪
かなり使い勝手が良いアドオンですよ♪グーグルクローム版♪

「愛の拡大=意識の拡大」に気づいたお話♪智慧の質を高める方法♪慈悲と愛=神=宇宙真理です。愛は神の御心です♪お釈迦様の崇高な慈悲と愛について♪「koro先生を研究する会」代表jimi♪koro先生の主な功績♪全てエネルギー(宇宙生命)宇宙は生命体そのもの♪右回転運動の場合は時間加速する  左回転運動の場合は時間は逆向きになり、過去へ戻る事ができる♪宇宙の深淵の深い神秘的なお話をご紹介♪オスカーマゴッチさん♪






「愛の拡大=意識の拡大」に気づいたお話

 最近、ますます「愛」に対する理解が深まってきまして、「愛の意識」が拡大してまいりました。

 そして「愛」が昇華して、高い愛の境地に到達してきますと、不思議な感覚ですが、何を見ても自然に…今までとは違う捉え方で、すべての物事を見られるように変容していったのであります。

 それで実体験から「愛の拡大=意識の拡大」という事を実感する事が出来まして、
また新しい真理の理解・叡智として、魂に刻むことが出来たのです。私にとっても大変嬉しい体験でした。

 肉体を持ったまま、同じ様な体験をしながらでも、意識が拡大しますと、何を見ても「愛」なんですね  。

 高い大局から見ている感覚・スーッと自然に必要な正しい答えがすぐに出てくる感覚とでも言いましょうか。

 常に、脳天が天と繋がっている感覚、胸のハート(アナハタ)チャクラが光の暖かさで光源のように光っているような感覚…常に心が神意識で満たされている…そのような意識状態で日々を過ごせるようになりました。

 叡智が滞ることなく、溢れ出るが如く、スムーズに出てくるようになりました。考えただけで、答えが内なる意識から、湧き出てくるような状態…脳の中が神の愛で満たされている…、

常に神様と繋がっているような…そんな嬉しい状態が日常化するようになったので御座います。

 ハートチャクラの背中の方が常に霊的な暖かさでポカポカしていて、本当に満たされている境地、心が常に、自然と愛という名の「根源・空」で満ち溢れている…そんな境地で御座います。

「慈悲と愛」「全てが私」「何を見ても愛おしい」
「ただひたすら慈しむ・祝福を願う心」「全ての幸せを願う心」で、
あらゆる出来事を観れるようになりました。

 そのお陰で、どのようなネガティブ気味なニュースを見ても、私は「慈悲と愛」で全てを返しますから、ネガティブ情報が逆に私を元気にすることさえあります(笑)。

 愛は光です。許しは光です。相手の幸せを願う祝福の愛は、相手を癒やし、自分をも癒やします。相手とは私ですから。
 慈悲と愛=神=宇宙真理です。愛は神の御心です。

 貴方が愛そのものになった時、自然と神とつながる事が出来ます。愛を熟知して理解して、貴方の意識が愛そのものに到達できた時、自然と変性・変容していくことでありましょう。

 まさに「愛の拡大」が「意識の拡大」することであり、「意識の拡大」は「叡智の拡大」でもあり、「神との繋がりの拡大」とも言えましょう。
 神との繋がりが深くなったお陰で「智慧の質」が見違える程にアップしました。

 「愛=神=叡智」ですから、貴方が愛に覚醒めれば目醒めるほど、貴方の内から「内なる神の叡智」が出てくるようになり、
「神の想い、我が想いとなり、我が想い、神の想いとなる」という風に変容変性していくので御座います。

 最近の私は、さらに愛の意識が拡大しておりまして、多分…それが、ここ最近の半覚醒の様な境地に到達させてくれたのだと理解するに至りました。それでその境地をご紹介申し上げますと、
………………………………………………………………………………
●例えこの身が滅びようとも、全てを愛する無限の愛でありたい
●全てを活かす愛であるために、自分というものを滅私して愛のために捨ててしまおう

●自分を殺そうとするものに対してでさえ、絶対愛・相手の幸せと祝福を願える自分でありたい

●一瞬一瞬を、地球の波動上昇のために尽くしたい、この世を照らす光でありたい

●波動が上昇して犯罪が減りますように、人類から少しでも不幸が取り除かれますように…そのために愛の霊太陽でありたい、魂の光輝(イルミネーション)でありたい

●光る者となって、一つの生命体である全てのために、世界を浄化する光になり、ひたすら奉仕をする自分でありたい

●全ての全てであられる神を心の底から愛したい、全ての存在を100%の愛で愛したい

●鉱物でさえ神現れなのだから、鉱物に対しても、神様愛しています・ありがとうございますと思える自分でありたい

●モニターさんも神、AndroidTabletも神、ありとあらゆる存在が神、自然に全ての存在を愛し・感謝出来る自分・常に神様愛しています・ありがとうございますの意識状態でありたい

●自分の肉体の安全、自己保存は一切神に全託して、常に全体意識・全ての幸せを願う愛・全てを活かす愛・全てを祝福する愛でありたい

●人類の幸せのために、自我を滅却して非利己的な自分でありたい、「全てが私」という愛の光でありたい
………………………………………………………………………………

……とこういった意識状態に到達する事が出来まして、現在、愛の光で満ち溢れた、この世の闇を克服した、心の中から悪を追放した、絶対善・絶対愛・絶対調和の境地に到達出来ました。

 神一元・愛一元・光一元の「慈悲と愛」にかなり近い境地にまで覚醒しているようであります。本当に幸せで有り難い事だと感激しております。

 お恥ずかしい話ですが、私は目をつぶる瞑想っぽいのが苦手ですので、
身口意を徹底的に磨いて、洗心を習得して、心を徹底的に洗い直して、真理を徹底的に理解して悟りを開くという、積極的で前向きな…受験勉強的な努力を積み重ねていく方法を選びました。

 ただ、目をつぶる瞑想はしておりませんが、上江洲義秀先生の明想を深く熟知して、ハートにストンと落ちる深い理解をして、自分向きにアレンジした「明想」は日々実践しております。

 自分にあった形に何でも変えちゃうのが私のスタイルなのです(笑)

 お釈迦様の「宇宙即我」の悟りの境地・非利己的な境地がよく分かるエピソードが有りましたので、ご紹介させて頂きます。

な~るほどぉ…慈悲と愛とはこういう境地なのね♪…とご理解して頂けるでありましょう。

 お釈迦様の崇高な慈悲と愛について

 最後に、偉大なるお釈迦様の悟りの境地・非利己的な境地とはどういったものなのかについて、非常にわかりやすいエピソードがありましたのでご紹介させて頂きますね♪

 きっと、人類の幸せのために自分のすべてを捧げても良いという、

お釈迦様の崇高で偉大なる慈悲心がいかに非利己的な神我の想いなのかご理解して頂けるでありましょう。涙なくしては見れないエピソードで御座います。


エドガー・ケイシー悟りの発見 218、219、220頁からの引用ですが♪

 
 ブッダによると、執着こそが世にある苦の唯一の原因であり、その解決策は利己的動機なくして義(※非利己的奉仕・八正道・洗心)と瞑想(明想)の生活を送る事にあります。

 彼は、積極的には愛と憐れみ(慈悲と愛)とを意味するところの非暴力に大きな意味を置いた。弟子との対話の中で、ブッダはこう語っています……

……「そなたが気高き真理を説いている内は、そなたを罵り、辱めさえする者が出てこよう。」

 弟子はこう答えています。
「師よ、私はなおも彼らを愛しましょう。彼らに憐れみを持ち、感謝しましょう。少なくとも私の体は傷つけはしないのですから」

 師はさらに続けます。
「聴く者の内に暴力を振るってくる者もいよう。もしそなたに石を投げつける者がいれば、そなたはどう応えるのか。」

「私は傷に耐え、なおも彼らを祝しましょう。私を殺してはいませんから。」

「その中に、熱する余りそなたを殺す者がいれば、そなたは彼らをどう思うか。」

私はなおも彼らを愛しましょう。祝しましょう。肉の身は我とニルヴァーナの妨げにすぎませんから。最後の目標に至る助けとなった彼らに、私は感謝しなければなりません。」
 
 このような積極的な固持がブッダの教えの根幹でした。彼は、無知から起きてくる人間の苦に驚き、彼らに光明をもたらすために全てを犠牲にしたのです。ブッダは最後にこう述べておられます。

「おお、神よ。もし世人の苦を私に移す事が出来れば、私はそれ(カルマ)をこの身に負い、あらゆる魂をその重荷から外す準備が出来ています。」

 この言葉は注目すべきです。次のアヴァターラ、イエス・キリストは人類全体の苦を彼に移すことを願ったのみならず、人類が生き残るために必要な避け得ない要因として、神性の象徴として愛と平和が保たれるために、その身と地上の生とを犠牲にする事をも表明したからです。


 実は私、ちょっと前に、仕事の件で、少し軽い修羅場…という程のものでもありませんが、対処しなくてはならない事項に遭遇したことがありました。

 その事項でも、スムーズに内なる叡智が引き出されて、その叡智を使って、無事何事もなかったかの如く、あっという間に問題が解決してしまったのです。

 神の偉大なる叡智に感謝致しました。私の叡智ではございません、内なる神がベストな叡智を、私に与えて下さっただけで御座いますから。

 その「智慧の質」がよく分かる部分がありましたので、抜粋してご紹介させて頂きます。
補足説明として…、
………………………………………………………………………………………………
意識度=愛の体得度=愛の拡大度=愛の理解度=全一体感・意識の進化度=全一体感・自他一体感のレベル=神・宇宙との一体感=慈悲と愛のレベル
………………………………………………………………………………………………
と捉えて頂くと、分かりやすいかと思われます。ご参考下さいませ♪

助安諭吉さんのご著書からの引用ですが…♪

智慧の質  

 良き智慧が出て来る条件とは、無私、無欲でいつも心や安らいでいて、自分自身の役割というものを果たさねばならないという思いが心一杯に広がった時に、突如閃いてきます。これが最高の智慧であって、全てを生かすものであります。


意識度      エネルギー量      智慧の質
(愛の体得度・意識の進化度)

神仏と宇宙と一体  800以上   地球、人類を救う智慧が
                   無限に出てくる

自他一体     600~800   地球、人類を救う智慧が必要
                     によっ出て来る

自より他を優先    400~600      少し大きめのものから小さな
              ものまで必要によって智慧が出て来る

自と他 五分と五分 200~400    小さなもの、それも時々しかでて
                 こず智慧の部類には入らない

自己中心      0~200    全く智慧は出ず、他を生かす
                     ことはできない


 今回ご紹介するjimi様も仰っておられますが、「我が身がどうなろうとも【愛】に生きる覚悟」というのが非常に大事な事柄でありまして、
 その「愛に生きる覚悟」が、驚くほど急速に「愛」を進化させ、魂(意識)を拡大させてくれるのですね。

 これは私自身、「愛の覚悟」によって、何回か実感できるレベルで、愛の急速な進化を体験しております。

 神様が「よくぞ決意してくれた」と涙を流して感動して下さっているような…そんなフィーリングをも感じた事があります。
 であるが故に、自信と確信を持って、このように言い切れるのです。

 この記事の途中で、「愛に生きる覚悟」のテクニックの記事が御座います。ぜひ、ご一読頂き、実践して頂ければ至上の喜びであります。きっとあなたの魂を急速に成長させてくれるでありましょう。

 こんな感じで、かなり長めに書き出してみましたがいかがだったでしょうか。皆様の魂の覚醒の一助として頂ければ、私にとって、至上の喜びであり光栄で御座います。

 ではでは、五次元世界にも行かれた「koro先生」の真実を御覧くださいませ。



「koro先生を研究する会」代表jimi
KORO先生の真実

 さて、今回は最終回ということなので、koro先生の主な功績について、もう一度振り返ってみたいと思います。

●この世の中を作っているのは全てエネルギー(宇宙生命)で、その法則はとても単純である。
……………………………………………………………………
ケイシー・リーディングから……♬
己の生命(エネルギー・宇宙生命)とは、すなわち神である。
何となれば、汝の兄弟に為したるその事は汝の内にまします神に為したればなり。

(全ては宇宙生命の現れ・全ては神の具現・神は宇宙に遍満する大生命・大愛)
貴方の兄弟のためにする事はあなたの内に内在する神にする事です

●この空間のエネルギー圧力と流れる方向は簡単な仕組みで測定が可能で、この圧力と方向は常に変化している。このエネルギーを天然静止エネルギー(宇宙に遍満する大霊・大生命)と命名。

●このエネルギーの回転運動により「磁子」と言われるエネルギーの吸い込み口と出る口によりプラスとマイナスの極性を持つ物質の元が生成される。

●この「磁子」の構造はトーラス(円環体)である可能性が高い。
●生命エネルギーと生命活動はこの回転運動が元になっている

●銀河系を公転している太陽系の中の地球の右螺旋(らせん)運動から生命が生まれる。
●その回転運動は、重力、時間、物質化に関係している。

●右回転運動の場合は時間加速する
●左回転運動の場合は時間は逆向きになり、過去へ戻る事ができる。

●回転運動により鉛から金を生成する事ができる。物質の原子構造の進化が加速される可能性がある。

●回転運動によりプラズマが発生する。プラズマが理解できれば、UFOを作ることができ、次元の構造も理解できる。

●E水により自分の体内のエネルギーレベルをある一定まで上げることが出来た時、スピリット波動を感じ始める事ができ、五次元とも自由に行き来出来るようになる。

●どこへも瞬時に行く事ができる。
●知りたいことはどんな事でも知ることができる。

●この宇宙に存在している全ては、アナログ電気のエネルギーの塊(かたまり)でひとつ(全ては一つ・宇宙エネルギー即自分)である。

●意識のエネルギーが全ての現実を作っている。
●以上のような宇宙の構造の本質(真理)を理解して、自分の思いを現実化出来るようになることが「悟る」という事である。(※真我に覚醒めた状態)


※悟り・(真我に覚醒めた)状態の補足説明ですが…

真の自己(真我)=父なる神と常に一体の境地・全一の意識・神我キリスト、全ては自分、全ては我、全ては神、全てを愛する我に目覚めた状態・神我キリストによって生かされている事を自覚して実感している我・私が生きているのではない、なるほど一つの生命である神が生きていらっしゃる、中身は全て神、全ての知恵と力は神から与えられている、神の中身は神、全ての全ては本質的には神、神のみが生きてらっしゃるんだなと悟った我・神一元・愛一元・光一・我神なり、神は生命(霊)なり、我も生命(霊)なりの自覚・宇宙即我、我即大霊の境地、キリスト意識・高我・実在・全てを愛し全てを許す境地・慈悲と愛・あなた即私・私即あなた・宇宙エネルギー即自分・無限即我・我即実在・不変不動の絶対なる実在・普遍なる宇宙・無限者・宇宙神


●絶対平和主義(絶対愛・絶対善・絶対調和)で生きることの大切さ。
●そして、koro先生の哲学の基本にあるもっとも大切な規範こそが「愛(慈悲と愛)」であること。

「最も基本的な宇宙の構造は、エネルギーの回転運動が基本になっている」というkoro先生の考えは、最近多くの研究者も主張しています。
 
最も興味深いことは……

 ところで、koro先生の研究に関連して最も興味深いことは、天然静止エネルギーと意識、そして、この世の中の現実の創造との関連性についてです。今の時点で理解している事を理解してみたいと思います。


●宇宙における最も基本となっている天然静止エネルギー(宇宙に遍満する大霊・大生命)は、意識と情報そのものである(意識=神・神はすべてのすべてありとあらゆるもの)

●そのエネルギーが回転することにより、生命エネルギーと愛のエネルギーの側面を持つようになる。

●生命エネルギーとは、より創造的に進化する駆動力であり、新しい生命体を無限に生み出し、生き続ける力である。

●愛のエネルギーとは、異なったエネルギー同士の「結び」をもたらし、その融合により新しい「叡智」を生み出す力である。

●これが統合され、様々な波動状態を生み出し、光、物質、生命体、次元(一つの世界)が生まれてくる。

●そして、この宇宙全体は天然静止エネルギー(宇宙意識・神意識)で出来た一つの生命体であり、全てを生み出し、その進化を促し、その全てを司っている。

●この中で、意識はもっともミクロなレベルから人間のような最高度な知的生命体、更には惑星レベル、太陽系レベル、銀河系レベルさらにその上位概念まで、その統合度によって、より高度に、より自由な知的活動ができるようになっていると思われます。


 ある意識レベル以上(覚者)になってくると空間の距離や時間、次元の枠を超え、様々な世界と交流できるようです。

 この宇宙の中では、その意識レベルによって様々な波長帯で次元が無限に分かれていて、成長、進化を続けているのでしょう。

終わりに

 koro先生の研究内容とその純真無垢な人柄との出会い、そして、濃密で深い意味の交換としての「対話」を通し、
「男性性(理論、情報)」と「女性性(愛と調和)」の両方の世界が統合された科学こそが、真実の科学であることに気がつくことが出来ました。

今までの科学では、この半分「男性性(理論、情報)」しか対象にしていませんでした。

今後、「男性性(理論、情報)」と「女性性(愛と調和の意識)の両方の世界」を統合した真の科学をテーマに、さらに研究を深めていきたいと考えています。

 koro先生が言われていた天然静止エネルギー(本質・命・大愛)は、多くの皆様が言われている根源のエネルギーではありますが、

その本質や構造などの理論解明をさらに究めること、意識と感情との関係、そして「愛」という新しい未来的な生き方、考え方、哲学等、
もっともっと誰でもが理解しやすい簡潔な言葉で伝えていきたいと考えています。

 本当の勇気とは何でしょうか。力の強いほうが勝つという暴力ではなく、どんな時でも「非暴力・不服従」を貫き通し、

独立を実現させたインドのガンジー「サティヤーグラハ(真実と愛、すなわち非暴力から生まれた力)」を学ぶべきではないでしょうか。

 暴力に頼る人たちの心の中は、恐怖と不安、傲慢さ、そして拭いきれない劣等感に苛(さいな)まれ、怯えているに違いなく、そこには真の幸せや平安は何時になっても永遠に存在する事は出来ません。

 もう、争いごとや陰謀などうんざりです。これからは本当の愛に生きる時代ではないでしょうか。競争や戦いは存在しない世界。
 
 それは新しい「愛」という生き方の中で、さらなる様々な学びを体験しながら、より高度な意識レベルにおいて、全てを慈しみ、育む、

新しい芸術や宇宙全てを良くするようなクリエイティブなアイデアを生み出すという、より高い学びや気付きこそが、中心になるのではないかと思います。

 もう人と争うことはやめにしましょう。そんな事より、意識を覚醒させ、鏡の面のような澄み切った心象と、

常に自分の良心(真我)と繋がりながら、今を生きるといった新しい生き方や考え方は、誰でも、それがいいことなんだと理解さえ出来れば、すぐに実行できます。

 そして、そんな人が多くなって、夫婦のパートナーシップとなり、そんな夫婦同士がまた繋がって、友人になり、そのまた友人の友人…が繋がっていったとしたら……。

 最近、この宇宙の本質としての「愛」について研究していて、気がついたことがあります。

 愛とは宇宙であり、全てを生み出し、慈しみ、常により良くなるように、との思いを持ち、(慈悲と愛で)優しく見守りながら、この宇宙の森羅万象全てを司っています。

(宇宙は「神」という一つの生命体・神意識・無限大の愛のみが絶対実在♪)

 もし、これが真実であるとするならば、愛とは宇宙に存在する全てが自分(全てに神を観る意識)であり、

自分の(宇宙の)一部であるという繋がりを認識できる意識(全一体感・自他一体感・全てが私・宇宙即我)とも定義できるのではないでしょうか。

 そうです。私自身が「宇宙である(宇宙即我)」、そして「愛(愛一元)」であるという意識です。

 自分が考えていること、話すこと、判断、行動が、この愛の本質(真理)を理解した上で、その愛との繋がりの中(神我)から、

その全てを発しているか、を常に検証しながら生きることが「愛に生きる」という事ではないか、と思ったのです。

 その時に、もし「愛に生きる」事が出来ていないと気がついたとしても、決して落ち込む必要はなく、めげることも、諦めることもなく、

どんな時でも、我が身がどうなろうとも「愛に生きる」と決意するこそが、今もっとも大切な目標とすべき意識レベルなのではないでしょうか。

 地球の歳差運動が刻む宇宙の時の巡りの中で、今何万年の時を経てまた新たに始まる新しいエネルギーモード(水瓶座)の時代の新しい主役は、
愛(と調和)という生き方、考え方に覚醒した「女神としての女性性」であると思います。


koro先生 連載 第58回 ザ・フナイ 2012 7月号から転載でした♪

「愛に生きると決意する」の関連記事ですが…♪

許しの使えるテクニック秘話
覚醒へ飛躍する「愛に生きる覚悟」というテクニックのお話

 私が知花先生や上江洲先生の教えを沢山学びまして、その教えを融合していく内に、悟り覚醒に必要な重要な事柄が整理されてまいりました。

 もちろん真理というものを、色んな視野で客観的に見ながら、多角的に取り組んでこそ、覚醒への大きな飛躍が望めるのではあるのですが…。

 あえて一番、悟り覚醒に導く崇高な愛は何か…と申し上げますと、それはズバリ「許し」で御座います。

 その「許しの到達点」を申し上げてみましょう。

…それは、何を見ても愛念しか出ない境地・愛おしいという想いしか出てこない自分・全ては自分であり、神であり、色んな意識状態の自分がいるだけなんだと……いう境地。

 全ての出来事はその人の魂の修行のための、愛の試練なのだと、桜の花びら一つ落ちるのでさえ、神の意志なくして存在ないのだと……いう境地。

 すべてを愛で見つめる、その相手、組織、社会、全ての全てに対して、幸せを願ってあげる想い、正しい状態になれますように、自分を傷つけてくる相手に対しても、

愛で祈ってあげる、相手に感謝して、幸せを願ってあげる……そんな境地が「許しの到達点」という訳であります。

 「許し」と追求していきますと、その様な「慈悲と愛」に帰一してくるので御座いますね。
 許しとは愛の一部だと五井先生が仰っておられましたが、「許し」と言っても、言い換えれば「許しという愛」なのです。

 という事は、「許すとは真理の愛の実践」であり、また言い換えれば、
「許すとは勇気ある愛」「許すとは真の寛大な愛」「許しとは真の強い愛」だとも表現出来るのです。私はその様に理解しております。

 「神様、この者に光を、心に平安とやすらぎを、お与えください」と、どんな悪のような現れ、間違った行いをした者に対しても、

 許してあげて、愛してあげて、相手の幸せを願う祝福の愛を送ってあげれる意識は「崇高な愛」「愛の勇者」「神の愛の具現者」「真の求道者の意識状態」「神の愛の体現者」といっても過言ではありません。

 そのような「崇高な愛」の光を、どんな相手に対しても、送ってあげて上げれるような意識状態にまで高める努力こそ、真の心の修行であり、光の求道者の正しい努力といえるのではないでしょうか。

 また言い換えれば、「許しの到達点」である、「慈悲と愛」という崇高な意識状態になってこそ、真の覚醒辿り着ける…ともいえましょう。

 私は昔の不快な思い出等で、強く許しを必要とする場面が頭の中で繰り広げられた時など、偉大なる愛を示してくださったあの「イエス・キリスト」と呼ばれている、イエス様が十字架にかかっている状態を意識して、自分は常にイエス様と一体なのだと、

 あのイエス様の様に、自分に対して唾をかけてくるような相手に対しても、「父なる神よ、どうかこの者に光を、心に平安とやすらぎを……」と想える様に、

イエス様の愛を体現でしたい…イエス様のような崇高な生き方をしたいと……そういう神の愛で生きるという全身全霊の覚悟を持って生きております。

 一つの許しを加速させるテクニックですが、自分がイエス様と同じ十字架の状態だと意識して、自分もイエス様のように、例え自分を死に追いやる様な相手に対しても、

悪を愛で包容してあげる深い愛、相手の幸せを願ってあげれる……そんな意識状態の愛で生きたいと心から真摯に、神様にお祈りをすると、許しを体得できる事でありましょう。

 ちなみに私は、そのイエス様になりきるテクニックのお蔭で、許しを容易に行えるようになれました。
 例え、夢の中でさえ、腹が立ちそうなシチュエーションになったら、すぐにイエス様になりきって、愛に立ち戻ります(笑)

 これがまた実に素晴らしく、かなり使えるんですねぇ……
このテクニックのお陰で、私の心がどれだけが救われたことか分かりません(´;ω;`)♪

 イエス様のその偉大なる愛を…「無限の許しと神の愛」を心に常に灯して生きていくんだと……その全身全霊の覚悟が、貴方の魂を急速に覚醒へ導くことでありましょう。

 体験から申し上げますと、思いの外‥その「愛に生きる覚悟」というのは、神様に強く通じるみたいです。

 「神様に誓いを立てる」、言い換えれば、「神我の祈り」であり、神様に「愛に生きる覚悟を宣言をする」とも言えます。

 そうしますと、神様がよくぞ言ってくれた…と思って下さるみたいで、愛の支援して頂けるような後押しの聖なる力を観じます。

 自分の力だけで頑張るのではなくて、神様にお祈りをする…いわゆる神様に、「誓いを立てる」というのも、天上界からの愛の支援を頂きやすくするコツなのかもしれませんね。

 許しを容易に行う為に「イエス様になりきる」方法と、「神様に、愛に生きる覚悟の誓いをする」、神岡健先生の「神我の祈りをする」…この辺りが、大変有益で効能が高い真理の実践法だと言えましょう。

 イエス様は「愛は天と地の架け橋」とおっしゃられました。その愛とは「許しの到達点」である「慈悲と愛」で御座います。

 真の意味で貴方が、その「許しの到達点」の境地に到達した時に、自ずと「天である神」と「地である貴方」との架け橋が繋がる事でありましょう。私は実体験からそれが実際にありえると確信しております。


愛は天と地の架け橋  この愛の理解と体得が神様と繋がる鍵♪

神(天)……全てを活かす愛・慈悲と愛・すべての形態を形作る力・意識を与えて下さった魂の根源・真の親・すべてを活かし育む力、縁の下の力持ちで全てを愛し慈しむ無償の愛・無限の愛・すべてに意識を与えて下さった天の父であり天の母である中性エネルギー・真の親・愛を表現する為に…無限の創造をなさっている慈悲と愛そのもの

神の表現体(地)……神が神を愛する為に生まれた存在・神の化身・愛の化身・神の表現体・神の中に創造された神・個別化した神としての自覚に覚醒めた我・滅私して神の道具意識を自覚している我・自分が神ご自身だと悟った我・愛を表現する為に生まれた事を自覚している我、全てを100%の愛で愛する我、自分と全てが神以外の何者でもない事を自覚している我

 【おまけ】私も効能を実感している使えるお祈り言葉です♪
 
神の御心である愛が、私を通して顕現なさいますように

「どうか、貴紳のご意思(ごいし)が我が中で行われますように、大生命の貴方様(あなたさま)のあるがままに、この○○というこの神の宮を通してご自身を表現なさいますように」 

「貴神(きしん)の想い、我が想いへとならせ給え」
「貴神(きしん)の言葉、我が言葉へとならせ給え」
「貴神(きしん)の行動、我が行動へとならせ給え」……

イエス様の感動の御言葉
「汝の敵を愛しなさい・汝の敵の為に泣きなさい・汝の敵の為に祈りなさい」

 このテクニックは、かなり使えるテクニックですので、ぜひ光の求道者の皆様、ご参考にして頂いて、皆様の魂の成長・覚醒のお供としてご活用下さいませ。




シャンバラの世界    河合勝代表の地球家族様のサイト♪
創造主による人類指導  

 創造主の存在を現代人はおぼろげなものとして、忘れているのです。古代人や昔の人は天上界とコミュニケーションを取ってきたのです。

 日本では「巫」と書きます。海外では天上界と通信ができる人のことを椅イスラエル人(ビト)といいます。中東のイスラエルとは違います。水晶人間ともシャーマンともいいます。

 現在でも本物のシャーマンは高級意識体(全知全能の知恵者)や精霊(高級意識体)と会話が出来るのです。
 人間で悟った覚者はテレパシー、以心伝心で、高級意識体と会話が出来るのです。

 モーゼや釈迦やイエス、現代人では知花敏彦氏や上江洲義秀氏は、創造主と会話が出来、創造主がこれらの人たちの肉体を借りて直接人間に語りかけることが出来るのです。

 神は唯一神といいます。創造主のみが万象万物を造り、万象万物の内にエネルギーとして、命として留まっているのです。

 全知全能の智恵、不死不滅、久遠(くおん)の存在、無限大の生命エネルギーそのものの存在であることを、アトランティス人や古事記を記述した人々は知っていました。

 創造主が原子と電子とそこに働く法則を創ったのです。
神とは原子と電子に働くその法則そのもののことなのですが、宗教と人間の概念が神を捏造してしまったのです。

 今の仏教、キリスト教、イスラム教その他の宗教も偽物、偽(いつわ)りしか教えません。釈迦もイエスも宇宙の真理、宇宙の法則を説いたのですが、当時の弟子達が、科学的に理解することが出来なかったのです。

 現在残された様々な宗教の教えでは、世界の平和も進化も成し遂げる事は出来ません。

 創造主は森羅万象を創造しました。物質の創造は完璧な創造の原理、創造の法則、100%の再現性を持った宇宙の法則を創り上げる事により、この宇宙と自然界は存在し続けているのです。

 モーゼは3200年前に活躍した人物です。創造主はモーゼに十戒を授けました。そしてシナイ山の麓(ふもと)に柴に炎として出現して、モーゼにその存在を見せたのです。

 モーゼは炎に向かって問います。「あなたは誰ですか?」
答え「私は調和です。バイブレーションでもあります

 モーゼは答えの意味が分からずもう一度問います。「あなたは誰ですか?」答え「私は有りて有る者です」。

 イエスの弟子がイエスに問います。「神とは何ですか?」
答え「神とは有りて有る者、全ての全てです」。

 有りて有る者とは、再現率100%の創造の法則のことです。これを宇宙科学と言っています。現代科学の最先端は量子力学と言われています。

 観察が主流です。目で見てるもの、物質が対象です。しかし原子も電子も目で見ることは出来ません。エネルギーも見えません。電気を見た人間は1人もいません。法則(神)はもっと見ることが出来ないのです。

 法則こそが真理で、(宇宙)科学なのです。現代は物理学と化学が全盛です。物質は見えないもの、原子と電子の結合の結果で存在するものです。

 結果である物質をいくら分析しても原因がわからないのです。血液分析して肝臓の数値が悪いことが解っても、その原因は解らないのです。

 原子と電子に働く※法則を知らないと、科学になっていないのです。

創造主はモーゼに、私は創造の原理です。有りて有る者を創った原因の法則そのものが父であると私ですと伝えたのです。
※創造主・神=宇宙法則・愛と調和・無限大の愛・宇宙エネルギー

 創造主は初めから存在していました。無限大の光の宇宙エネルギーの存在です。これを宇宙生命とも宇宙意識ともいいます。
 1人では寂しいので、自分の分身を創ることにしました「光あれ!」と意識します。

 すると原子と電子が無数に生まれたのです。この原子+と電子-がペアで完全バランスすると中心の±のゼロ、中性となります。
 この中性の場から2つの光の回転運動が始まります。回転は円ですから無限軌道運動となります。

 この回転の速さは一秒間に1兆8600億回転、自然界で一番早い回転数となります。この回転で振動が発生します。
 これを波長、波動といい、光の周波数でもあります。自然界で一番速くて、精妙な波動です。

 +と-の完全調和により光の回転運動が始まり、これが波動となります。
創造主はこの原理が私であると語ったのです。

 この回転運動を無限大∞と呼び、西欧ではメビウスの輪、日本ではアカシビの回転と呼びます。

 この現象を「瓢箪(ひょうたん)から駒」と呼んでいます。瓢箪の形で光の2つの回転運動が始まります。

 この1兆8600億回転/秒で原子と電子を結合させ、電子の数を増やしていきますから、様々な元素、物質が創造されていくのです。

 創造主はモーゼに、無限大の光の回転運動は原子と電子、陽と陰が完全に調和、バランスを取ると始まり、物を創造するから、私は調和、バイブレーションで、有りて有るものですと告げたのです。

 モーゼの像は、このアカシビの回転、瓢箪からコマを示す瓢箪を持っているのです。と同時に数々の軌跡を起こしたモーゼの杖を持っているのです。



創造主様からのメッセージ♪からの引用ですが……♫

 
【知花敏彦】全知全能の世界からのメッセージ 神は全ての創造主
1988年6月2日の知花敏彦さんの講話の記録です。創造主が直接知花敏彦氏の肉体にオーバーシャドウして語りかけるという世界でも稀な貴重な記録です。

 神は全ての創造主なのです。
 神様は、木をお創りになり、金魚をお創りになり、海をお創りになり、山をお創りになり、そしてその中にご自身が宿っていらっしゃるのです。

そして空気の中にも、水の中にも、私達の中にも、動物の中にも、全てを創造して、その全ての中に、私がおる事を知りなさい。全てが私である神ならば、あなた方は、全てを愛さなければならないのではないでしょうか

 今、あなたは、久遠という私の身体の中に、私の中に居るのです。昔から居った所なのです。ただ、あなたが、神とあなたは別々だ、人間と神とは別々だというように、様々な妄信家や狂信家、盲の指導者に、先入観を植え付けられているだけなのです。

 それは、真実ではありません。そうであったのならば、神は無限者ではあり得ないのです。全知全能でも、あり得ないのです。全知全能の神である私が、無限者である私が、どうして別々にものを創るのでしょう。

 私の中において、内において、全てのものを、私は創造しました。そして、創ったものになる、創ったものを現すには、創ったそのものに、私がならなくてはならないのです。


 信仰というものには、浅い信仰と深い信仰がございます。私は深遠なる、深い心の奥底に、留まっているのです。浅い心で、私を受け止める事は出来ません。
 
 だから、心の底から、精神を尽くし、力を尽くし、魂を尽くし、
自分自身の中に、今、現に現れておられるのは、神だ。現に今、私の中に働いておられるのは、神だ。もうこれ以上の事は、どこにも無い」という、強い信仰を持つ事です。

 私を心の底から、底の底から、精神を尽くし、全ての全力を尽くして、私を信じて、受け入れる事です。その時、私は、皆さんと共に居ります


 そこには何があるのか、調和があるのみなのです。愛あるのみなのです。智慧あるのみ、力あるのみなのです。そして、久遠あるのみなのです。破壊も、終わりも、初めも無い、初めからあった素晴らしいものがございます

 あなた方が、この世に存在している目的は、真の自分を探しだす事なのです。自分を掘り下げて、掘り下げて行くと、何に至ると思いますか?

 神に到達するのです。自分が神であった事を、知るのです。 
 それが、神に到達した終着駅なのです。

 神の他には何も無かった、全ては神がお創りになった。全ては神の中に存在し、そして創られた物の中には全て、神が留まっておられた。何処を見ても、神しかおられない、今の自分がおる所も、生きている所も即、久遠のホーム(家)である事が解ります。

  私と一体なった時、世の光となります。
 あなたが常に愛であれば、あなたの周囲の人々全部が、あなたによって利益をもたらされます。良い気持ちになり、救いとなります。

 解るでしょうか、愛ある人に、皆、寄ってくるのです。そして皆さん方は、愛でもって人々を幸せにするのです。あなたがその救い主である愛なのです。

 その愛は、皆さん一人ひとりの中に、その神なる、創り主である神の本質本源を、持たせております。これが、皆さんが知らなければならない、私なのです。

 私は神であり、愛であり、愛は神なのです。
 その神が、皆さんの中に留まっている、無限の愛なのです。その愛を通じて、初めて皆さん方は、私の元におる事が出来るのです。

イエスは、言われました。
 「むやみやたらに、我が名を呼んではならん。我が御心を行う者が、兄弟姉妹である」と言われたのです。

 御心を行う者とは、愛を行う者という意味なのです。愛し合う事、神は愛であると言っているのです。愛は神であり、神は愛である、その神の愛の御心に生きない者が、どうして私という愛の王国に住む事ができるでしょう。

 愛の王国に住むには、あなた方が、この地上界で、愛というものにならなくてはなりません。愛を実践していなければならないのですあなたはどんな障害、妨害を加える者にも、あなたは、許し、愛する事が出来るでしょう。

 イエスは、自分に石を投げ、唾をかけ、罵る者さえも、愛されたのです。あるいは、自分の肉体の身を滅ぼす者さえも、愛されたのです。であるが故に、愛の王国に入る事ができたのです。

 イエスは、愛そのものに生きられたのです。どんなに唾をかけられようが、貶されようが、罵られようが、石を投げられようが、彼らを許し、彼らを愛されたのです。

 お互いに愛し合っている者同士は、どんな悪人でも愛し合います。真の愛とは、あなたにマイナスになる人でも許し、愛する事なのです。お互いを許し合い、愛し合う事なのです。

私の元に来るためには、この世で一人だって好き嫌いがあってはなりません。なぜなら一人でも、私であるからです。私が創った者であり、その中に私が居るからです。

 神は全ての創り主、全てを創って、全てのものに、ご自身を宿しております。
 あなたが隣人を嫌うなら、私を嫌っているのです。私を嫌う者は、私から嫌われます。私を愛する者は、私から愛されます。全ては私なのですから

 私は、人間だけに居るのではなくて、金魚一匹の中にも、居るのです。
 金魚一匹も、私という神が創って、私という神が今、生きているのです。私の愛の現れなのです。智慧の現れです。力の現れです。あなたは何処を見ても、私を見なければならないのです。

 外に木がございます。木も、神が創造しました。そして、そこに私が居ります。現に生きております。私が木の中に生きていなければ、木の存在はありません。私は第一原因者である神自身なのです。
 
 無限です。そして偉大なのです。
 私は、目に見えないその粒子の中にも、微粒子の中にもおるのです。
 私は、至る所におります。であるが故に、無限者なのです。無限なのです。完全なのです。
イエスは、愛そのものでした。誰も憎まず、すべてを許しました。そして愛しました。そのような状態になって初めて、あなたはイエスと共に住む事が出来るのです。

 私の教えを守っている者を、喜びます。守って、愛する事です。愛する事です。許す事です。あなたは、お互いを許すべし、愛すべしと、示したではないでしょうか。

 仏教であれば、仏陀もその通りであります。仏陀は、慈悲に生きた方です。慈悲心そのものなのです。仏陀の教えは、慈悲なのです。

 その慈悲に生きてこそ、仏陀を信じている者なのです。

 一番大事なのは、愛の実践です。愛し合う事です。全てを許し合う事です
 許して下さい。許し合えたらあなたは、許されるのです。あなたが許さなければ、あなたも許されません。

 まず、自分の罪を許して貰いたかったら、人々の罪を許しなさい。そしたら、自ずから、あなたの罪は許されます。あなたは、人の罪を裁きながら、あなたの罪だけを免れたいと思うのを止めなさい。

 あなたが人を裁かず、怒らず、謗らず、嫉妬をしなかったら、あなたは誰からも、怒りも、裁きも受けません。全ての人の罪を、許してあげなさい
そうすれば、あなたは全てから、許されます。私、神から許されます

神の心は、愛です。私に生きるという事は、私を信ずるという事は、愛に生きるという事です。

 どうか皆さん方の日常生活での、愛の実践のあらん事を、お祈りしながら、今日の「神は、全ての創造主であり、神は、一体を支配する。そして、愛そのものである」という事の、ご説明を終わらせて頂きます。


追求の輪 るいネット 様から引用させて頂きました♪



「言葉が現象化する」と言うと、多くの場合、誤解されている部分があるようです。「こうなりたい。ああなりたいと口に出して言うと、それが実現する」という誤解です。

「言葉が現象化する」というのは、たとえば、神社仏閣に行って、良縁祈願というものをお願いしたとします。

「いい人と出会わせてください。いい人と結婚したいのです。素敵な人と出会わせてください」と100回お願いをしたとします。
そうすると、その言葉をまた言いたくなるように現象化します。

つまり、いい人や素敵な人にはなかなか出会わない、という現象が起きるのです。同じように「商売繁盛をお願いします」と千回行ったとします。
千回それを言ったことによって、また同じ言葉を千回言いたくなるように現象がセットされます。

言ったとおりの言葉をまた言いたくなるように、言った数と同じ数だけまた言いたくなるように、宇宙では現象化が始まる」というものです。
聖書の中にこんな言葉があります。

はじめに言葉ありき。言葉は神とともにあり。言葉は神なりき
言葉は現象化する」という宇宙の大法則を述べたもののような気がします。それも、その言葉を言ったらその言葉が実現する、というものではないと思います。

「言葉が現象化する」というのは、「その言葉をまた言いたくなるように現象がセットされる」というふうに、私の認識の中ではとらえられました。

これは神社仏閣に行ってお願いごとをする、そういうことを要求するということが、ほとんど意味をなしていないということにもつながっています。

では「言葉が現象化する」、つまり「の言った言葉をまた言いたくなるように現象がセットされる」のであれば、最も効率の良い言葉は何でしょう。

たとえば「うれしい」という言葉を一年間に千回言ったとします。
そうすると、その「うれしい」という言葉をまた千回言いたくなるように、来年は現象がセットされます。

「楽しい」という言葉を二千回言ったとします。
その「楽しい」という言葉をまた二千回言いたくなるように現象がセットされます。

「幸せ」という言葉を年間三千回言ったとします。
その「幸せ」という言葉を年間三千回言いたくなるように現象がセットされます。

一番効率の良い言葉は、「ありがとう」「ありがとうございます」です。
「ありがとう」「ありがとうございます」という言葉を年間一万回言ったとします。

そうすると来年「ありがとう」「ありがとうございます」という言葉を、また一万回言いたくなるような現象がセットされ、次々に降ってくるのです。

うれしい」「楽しい」「幸せ」、そして「ありがとう」という言葉を、何千回何万回と宇宙に向かって言ったとすると、その言葉を同じ数だけ言いたくなるように宇宙の現象がセットされます。

そして、「うれしい」「楽しい」「幸せ」「ありがとう」と言いたくなるような現象が降ってくる(現象化・具現化する)のですが、それがどんなことであるのかはわかりません。

だから楽しいのです。面白いのです。
そして、ワクワクします。ドキドキします。
このワクワク感、ドキドキ感というのは、何にも代えがたい面白さであり楽しさです。

『運命好転十二条』五月書房

毎日の生活の中で、「うれしい」「楽しい」「幸せ」「ありがとう」 という言葉をたくさん使ったほうがいいですよ、と言うと、「うれしい」ことも、「楽しい」ことも、「幸せ」なことも、「ありがとう 」というようなこともそんなに無いから言えない、と言う人がいる。

そして、愚痴や泣き言や、不平不満や文句や悪口ばかりを言っている。
愚痴や泣き言や不平不満を言っている人は、また来年も、愚痴や泣き言や不平不満を言う人生を歩む。

「言葉が現象化する」
これは、商売も、病気も、トラブル、困難もみな同じだ。

今、病気であっても、 「うれしい」「楽しい」「幸せ」「ありがとう」 という言葉を多用する人はいる。

「うれしい」「楽しい」「幸せ」「ありがとう」 といつも言っている人の周りは、明るくて、あたたかい空気が流れていて、笑顔がたえない。
だから、人が周りに集まる。

反対に、愚痴や泣き言や、不平不満や文句や悪口ばかりを言っている人の周りには、暗くて、冷たい空気が流れていて、不機嫌なオーラがただよっている。だから、人がどんどん離れていく。
人生においては、「言葉が現象化する」の本当の意味を知る必要がある。



人類の指導者 知花敏彦師の知られざる面白秘話

 天上界は人類指導のために、必要に応じて指導者を地上界に派遣しています。釈迦もイエスもモーゼも、天上界から派遣された人類の指導者です。

 現代に置いては、知花敏彦師が派遣されて、地上界で活躍されました。この人々は、悟りに達した覚者です。
 全知全能の智慧である高級意識体と会話出来る能力があり、瞬時に全知全能の世界からの情報がもらえるのです。

 世に言うテレパシー、以心伝心のコミュニケーションが出来る能力があるのです。人々の心身のあり方、病気の原因と癒し方、それも自分で出来る治し方について、本書ではその全知全能の世界からの情報をお伝えします。

 その内容は、人間の常識外の事が多いのです。それをどう判断するかは、読者の皆様の自由です。天上界のルールでは、人間の自由意志を決して犯さないという原理です。

 知花敏彦師は、ボリビアのジャングルで1人で生活し、特殊な体験を10年以上しました。生命は宇宙に1つしかないという自分の想いを確認する為です。

 ジャングルに入りしばらくして、動物と会話が出来る様になったのです。同じ沼の水を飲んでいる内に動物と顔見知りになり、コンニチワと頭を下げると、向こうも頭を下げたのです。

 そして植物にもコンニチワと挨拶すると、なんと植物も体を曲げて頭を下げてコンニチワを返してくれたのです。

 さらに訓練を続けていくと、ついにテレパシー、以心伝心でのコミュニケーション、会話が出来るようになったのです。
 釈迦やイエスの意識体、インドのサイババさんとの会話、そして銀河系惑星の高級意識体ともテレパシーが出来るようになったのです。

 元々悟りに達した覚者であったせいもあります。精霊や光の天使達とも、動物、微生物、植物とも会話が出来るようになったのです。
 

水の働き 1日2.5Lの水を摂りましょう

 前述したように、水は全宇宙に遍満している質量です。水によって全ての姿・形のある物、全ての形体は存続する事が出来ているのです。

 水は母なる神なのです。どんな硬い鉄にも水分が含まれているのです。自然界にある水は、人の肉体に含まれている全ての要素を含んでいるのです。

 蒸留水は自然界には存在していません。様々なミネラル分が水に含まれています。水は人間の治癒力の素です。全ての肉体機能、神経系統を司っている力、これが水なのです。

 肉体に水分が多い間は、はちきれんばかりの外側になりますが、水分が年を取って無くなるとシワが出てきます。新生児の時に85%あった肉体の水分が、年を取ると40~50%に減ってしまうからです。

 大人なら1日に大体2.5Lの水分を体外に放出しています。汗から、息から、大便、尿を含めてです。ですから毎日2.5Lの水を摂れないと水分不足になるのに、そこまで水を飲んでいないのです。

 水分の摂取量が足りないから老化していくのです。水分が不足すると水の入る量が少なくなり、どんどん脂肪が支配してしまいます。

 これが人間の肉体機能の衰えとなってゆくのです。飲み過ぎは心配ありません。余分な水は尿として排出されます。では、水の働きを整理してみましょう。

水は細胞を洗い清める

 人体には約60兆の細胞があります。水はその細胞の合間を順繰りにめぐって新陳代謝で死んだ細胞などの老廃物を洗い清めて、汗として体外へ排出しています。また、血液を洗い清めているのも水です。

 体の中を循環して、腎臓を通して、肝臓を通して洗われていきます。肝臓で排出物と血液を完全にふるい分けして、この血液を洗った水が尿となって排出されるのです。

 水を摂る量が少ない人の尿は、非常に濁っています。血液を水で洗い清めると、水が血液の中の毒素を取り除きますから、コレステロールの心配がなくなります。

 常に洗い清められれば、非常に新鮮で濃度の薄い、真っ赤な血になっています。水をあまり飲まない人の血は、黒ずんで濃度の高い血液となります。

 そして濃度が濃くなれば、血の循環が悪くなるのです。特に脳は、小さな血管、毛細血管、微細血管など無数の血管が入っています。

 この血管の血液の流れが悪くなりますと、が出て来るのです。年を取ると水分が少なくなり、物覚えが悪くなるのです。血液が小さな血管を通りにくくなると、心臓に負担がかかり心臓に無理が来ます。

 濃度の濃い血液を無理矢理に送っていますと、どこかでピチッと切れてしまい、脳出血だとか脳梗塞とかを起こし、半身不随になります。

 水は内臓に吸収されて、内臓も洗浄しているのです。細胞を洗って、血液を洗った水が尿管を通りますと、血が真っ黒く黒ずんだものであるならば、そこで固まってしまいます。

 さらに固まると結石となるのです。石灰分が溜まってしまうからです。
尿が少ないとトロトロの水しか流れませんから、石灰分が尿管の方に付着してしまうのです。それが膀胱炎の原因にもなるのです。あるいは結石にもなります。

 水を多く飲んでいれば、綺麗な水で沢山流しますから、尿管のパイプの中に汚れが付着しません。おしっこをチョロチョロ出すよりは、ジャーと音を出して出すほうが健康なのです。チョロチョロは不健康です。

 必ず胆石になるか、膀胱炎になるか、心臓病になるか、腎臓病になるか、肝臓を悪くするか、高血圧になるのです。
 
 多量の必要な水を飲むと、全ての病気からあなたを解放します。決して病気になる事はありません。女性の生理痛も、血液が汚れているからで、サラサラになると生理痛も解消します。

 水は万能の健康の素です。天から与えられた治癒力というのは水です。
水は洗浄の働きですから、内蔵や細胞に吸収されやすい分子の小さな水である事が必要です。

 水道水は分子が大きいから、食堂から胃にまで流れます。分子の小さい水は、喉や食道で吸収されます。1日2.5Lの分子の小さい水が必要となります。

 飲む量がそれ以下では老化現象を招き、病気となります。水を飲まないと太ります水を飲んだら痩せるのです。スタイルが良くなります。水を飲まないと、先程も触れたように余分な空間に脂肪が溜まるのです。

 若いうちは水分があるから、充満しているから脂肪が入る余地が無いのです。中年太りというのは、水が少なくなるから、空間に脂肪が入って太るのです。

 そして血液が少なくなり、血液が汚れるので、今度はストレスが溜まるのです。血液が濁って、酸性になって、真っ黒い血になると、闕腋の循環が悪いから、苛立ちが出て、ヒステリーが起こってくるのです。

 自律神経が冒されてくるからです。こういった人は痩せて、顔には艶もありません。水分不足は便秘症状が出てきます。水は万病の薬です。

 水を多く飲むと、生理痛が止まり、便秘症が治り、心臓病が改善し、腎臓の循環が良くなり、高血圧症もなくなります

 水が血管内のコレストロールや毒素を取り除きますので、血液がサラサラになり、循環が良くなりますから、頭も良くなり、も解消します。

 脳卒中や心筋梗塞も防ぎます。水は最高の万病の薬なのです。これを聖水と言っているのです。人体にも電気現象が働いています。

 電気の+と-のバランスが崩れると帯電します。モーターの回転が重くなると闕腋の循環が悪くなり、腸の循環も悪くなり便秘します。

 新陳代謝も悪くなり、血や肉や骨の再生能力が落ちます。
中性の水が必要となります。自然界の中性のPHは5~5.5です。
世間では7~7.5が中性と言っていますが、間違いです。

 良い水とは中性PHは5~5.5でミネラルの多い活性水で、分子の小さい水です。
 分子が大きいとエネルギーは1ですが、この水を4等分にして分子を小さくするとエネルギーは4となり、溶存酸素が4倍の水となり、本当の活性水となり、肉体への浸透性は抜群に良くなります。

 水を多く飲んでも胃に溜まりませんから、1日に2.5Lは楽に摂取出来るようになります。

ソマチッドと微生物の違いとその働き

 最近ソマチッドという言葉が使われています。ソマチッドの説明書を読んでも、解ったような解らないような内容になっています。

 微生物が自然界を形成し、維持管理する主役と申しました。そして素粒子とは、微生物そのものの事なのです。

 微生物は生き物、テレパシーが出来ますから、人間の考えを、心を100%読んでいるのです。微生物は集団生活をしていますから、助け合い、分かち合い、共存共栄が生き様のルールです。

 個の自我には反応しないで、全我、神我、高い意識に反応するのです。これがソマチッドが働かなかったり、働いたりする原因です。

 見えない世界、天上界の考え、宇宙の法則、そして精霊の心を通じる意識(愛と調和・キリスト意識・等)には、ソマチッドは反応するのです。

 微生物は、人間の心を読んでいます。微生物の世界のルールを理解して、実行している人には、微生物が全面的に協力して助けてくれます。
 これがソマチッドが働く時なのです。自己中心的な人には波動が合いませんから、ソマチッドは働きません。


グラスにはいつも半分入っています(ミランダ・カーさん)

 ポジティブって、いったいなにが良いのでしょう?あちこちで目にしますよね。ベストセラーの著者が書いてたり、心理学者が論文で発表したり。

もちろん、日常会話にも結構出てくると思います。

「ポジティブに考えたほうがいいよ」
「そのままポジティブでいてね」
ポジティブな姿勢が必要なんじゃない?」

・・当てはまりそうな時は、ごく普通に使ってる言葉だけど、実際はどういう意味なのか、考えたことはありますか?

 これをわかりやすく教えてくれたのは、江本勝さんが行った”水の結晶”の研究でした。彼はエネルギーや思考、言葉、そして音楽が水に与える影響を調べた人。

 まず世界各地から集めた少量の水を凍らせて、分子構造を撮影したのです。それから同じ水のそばで、愛と感謝の言葉を口にしたり考えたりすると、分子構造が変化してきて、綺麗な雪の結晶みたいになる
・・・・そんなすごい発見が!

 ネガティブな言葉を使えば、結晶構造が壊れたり斑点ができたり、

水を入れたグラスに「希望」「平和」「ありがとう」「愛してる」などの文字を貼ると、殆ど即座に影響が出るそうです。「憎しみ」「」「病気」みたいな言葉も同じ。

 科学者たちは、もうとっくに「すべてがエネルギー出て来ている」ことを証明しています。この世の現象を分解していくと、ぜんぶ原子で構成されているのがわかる。

 もっと小さく分解すると、その原子もただの「振動するエネルギー」にすぎない。水もそうだし私たちの身体もそう。

 この水の研究は、私にとても深い影響を与えました。
だって平均的な人体は70パーセントが水分なんですよ!
 私たちの思考も言葉も、身体に深い影響を与える力があるってこと。


過去記事の江本勝さん♪からの引用ですが……♬


あなたの身体が健康か病気なのかを決めるのは
体内の水の流れ(”1日に2.5L以上”の水分摂取)です!  

 意識的な生き方とは水の本当の力を理解することから始まるのだと、私は江本勝博士の研究を通じて学びました。水の力はどんな環境であれ滔々(とうとう)と流れる事が出来る点にあります。

 水は容器にそって形を変え、渦巻きながら絶えず運動しており、川岸に沿って滔々と流れます。

 水は生命そのものであり、常に動きながら、ある状態から他の状態へ変化を続け、異なる周波数で振動し続けています。

 水は山に沿って曲がりながらごく狭い隙間も通り抜ける事ができます。そして熱せられると空気中へ蒸発してしまいます。

 水は永遠なる宇宙そのものと同じくらい神秘なのです。水は生命の秘密のすべてを握っています
 たった一粒が、人類の知り得る全ての病気を治療するための青写真を含んでいるかもしれないのです。
 
 人体は七十パーセントから九十パーセントが水と言われています。各細胞や臓器、そして体内組織は一定の割合の水を含有しています。

 そして、身体が最良の健康状態か、バランスを崩した状態か、病気かを決定するのはその水の流れなのです。

 有名な医師であり研究者である、F・バットマンギリッジ博士は、身体の生理学的機能における水の恩恵の深慮を発見しました。

 二十二年にわたる脱水症の分子生理学に関する臨床科学的研究の新しい見地から、6000万のアメリカ人が高血圧、1億1000万人が慢性の痛みを持ち、
1500万人が糖尿病、1700万人が喘息、
5000万人がアレルギーであるといって間違いないでしょう。

 彼らは皆乾ききってしまうまで待っていたのです。もし彼らが、
水は天然の抗ヒスタミン剤であり、効果的な利尿剤であることを理解していれば、その健康問題が引き起こす苦悩から救われたであろうに…。


手を手を合わせるとエネルギーがみなぎる

 「合掌」という文字を見せた所、ものの見事に手を合わせた形の結晶になりました。ところで、人間は何故手を合わせるのでしょうか。

 中には手を組む人たちもいますが、民族や宗教の違いを越えて、祈りやお願いする時には、どこの人も皆手を合わせます。

 神道の世界では、朝の四時半頃、お日様に向かって大きく手を広げて、その光を吸収して手を合わせると言う事をします。なぜ、ここで手を合わせるのかといえば、前にも説明した共鳴の理論に基いているからです。

 つまり、一つではエネルギーにはなりませんが、手を合わせる事で共鳴して増幅し、それが身体の中に入って純粋なエネルギーとなるのです。

 お日様は大変なエネルギーを持っています。
 私は先程、音が大きな振動を起こし、エネルギーを伝えると述べました。
 
 そこれ、「音」という漢字をよく見てください。「立つ日」と書くことが分かります。つまり、お日様の光が振動の元だということを、昔の人は知っていたのです。
 
 しかも、物理学の世界でも光が波である事が証明されています。波とは、即ち振動のことであり、エネルギーの元となります。
 
 こういう背景があるからこそ、お日様のエネルギーを少しでも分けてもらおうとして、昔から太陽崇拝という考え方があったのです。

 そして、そのエネルギーを分けて貰う形として、合掌は最高のテクノロジーと言っていいでしょう。
合掌は左右対称であり、人間の体も左右対称だからです。

 手を合掌して、神様に感謝すると脳波が下がるそうです。
いわゆる、ベータ波がα波やθ波の方に変わるということですね。
脳がリラックスした状態になるそうです。

長寿の秘訣 お金も時間もかけずに綺麗になる方法

 一日一つでも多く、「感動」することも、元気なエネルギーを自分に取り込むのに有効です。

 「感動」は、文字通り、観じて動くこと、とすると、共鳴現象がまさしく感じて動くことですから、共鳴こそが感動だということが分かります。

 相手に共鳴することによって、私達は大きな振動
・・・つまり、エネルギーを貰います。そして、感動が深ければ深いほど純粋な振動を自分がもらえることになるのです。

 毎日をいかに楽しく、元気に、有意義に過ごすかということも、いかに感動を感じるかにかかっています。
 
 加藤シヅエさんの有名なお話ですが、100歳の誕生日に新聞のインタビューで「長寿の秘訣は何ですか」と聞かれて、こう答えたというのです。

一日10回感動することにしています。朝起きたら、まだ生きて呼吸出来ている事に感動する。朝ごはんを美味しく食べられることに感動する。

 そして、庭に下り立って、朝顔の花が綺麗に咲いていれば、その美しさに感動する。お日様が燦々と照っていればその無限の慈しみに感動し、また雨が降れば慈愛の雨ということでまた感動する

 というように、小さい、小さいことでもいいですから、皆さん、身の回りをよく観察してご覧なさい。感動することはいっぱいあるんですよ。」

 この言葉に、すべての真理が詰まっていると言っても過言ではありません。加藤さんの仰る通り、前向きに生きるには「感動する」という事がとても大事なのです。

 「感動する」ということは、即ち、何かに「共鳴する」と言う事に他ならないわけですから。
 「自分は何も感動することがないなあ」などと思わないでください。例えば、お母さんがあなたのためにしてくれた事を思い出してみましょう。そういった、日常生活の一つ一つの中に、感動の材料はあるはずです。

 学校に行けば、先生がいつも自分たちと導いてくれる。友達が優しく声をかけてくれる。会社に行けば、たまにしか褒めない上からほめてもらった、落ち込んだ時に慰めの言葉をかけてもらっった、というようにです。

 そういう一つ一つの言葉を大事に受け止めてみる。そういう小さなことで少しずつ心を感動させる習慣をつけていくことが大事だと思います。

 「感動する」ことは、お金も時間もかけずに自分を元気に出来る一番の方法なのです。

無意識に潜む不思議な力    江本勝さん♪

 あなたは毎日鏡を見る時どんな言葉をかけていますか?心の中でどんな言葉を唱えていますか?

 「なんて私は綺麗なんだろう」「いつみても私は可愛い」
 という言葉をかけている人はどのくらいいるでしょうか。

 水の結晶写真を見れば、「綺麗」「可愛い」という言葉かけが、とても良いことがよく分かります。ですから、他人に対してだけでなく、自分に対しても、「可愛いね」「綺麗だね」という言葉かけは大事なのです。

 そして頻繁に「綺麗だね」と自分に声をかけてあげれば自分の内部にある水がどんどん綺麗になっていき、内面から美しい人に変わることが出来るでしょう。

 逆に「放置・無視」の結晶は綺麗な結晶ではありませんね。実は、ご飯を対象にした実験をしたのですが、この時も、「汚い言葉」とかけたものより、無視したものが一番先に腐ってしまいました。
 
 ですから、最も良くないのは、自分の体や顔や性格に対して無関心な人です。そういう人は、知らず知らずのうちに体の中の水が醜く変化をし、内側から綺麗な細胞が少なくなり、人よりも早く老化していってしまいます。

 そうならないためには、頭の先から足の先まで意識して愛おしむ。
これが美しさを保つ秘訣だと思います。

 何気ない視線もまた、大事なエネルギーを生み出す振動です。無視するというのは、エネルギーを与えないという事になるからです。自分を見ないというのは、自分にエネルギーを与えていないということです。
 
 さらに人から見られないということはエネルギーも貰えないということなので、とてもつらいことなのです。

 よく、「人から見られると綺麗になる」という話を耳にしたことがあるでしょう。これは、まさに相手の視線という「振動のエネルギー」を、自分の体内に取り込むことによって実現するのです。

 ですから、「綺麗だなあ」と思われる人はますます綺麗になり、
「可愛くないなあ」と思われている人はますます可愛げがなくなっていくのです。


全知全能の智恵「コスモ細胞」

宇宙にはエネルギーが一つだけ、
それが無限大に存在しているのです。
宇宙生命は宇宙に一つしかないのです。
すべての万象万物は唯一の宇宙生命によって生かされているのです。
心は宇宙に一つしかないのです。

人間が勝手に自分は宇宙生命ではないと
分離感を持っているだけなのです。
創造主が唯一神であり、人間の命は創造主の命なのです。
人は初めから神であり、今も神、未来永劫に神なのです。
こんな簡単なことを現代人は理解していないのです。

誰もが全知全能の智恵「コスモ細胞」を持って生まれます。
創造主はその人が父親に選んだ人の精子の一つに、コスモ細胞を植え付けるのです。
コスモ細胞は創造主の全知全能の智恵を完全遺伝子として持つ細胞です。

コスモ細胞は心臓に位置します。
出産のプロセスは、初めに創造主の分身、全知全能のコスモ細胞ありきです。
次に退治に宿る赤ちゃんの個別魂があります。

そしてコスモ細胞と魂と肉体の複合体が人間となるのです。
創造主の分身コスモ細胞は創造主そのものです。
自分の心臓の後にあるコスモ細胞が無限の宇宙生命そのもの、
これが神というもの、神を我として生きることが悟りなのです。


アトランティス大陸沈没時、UFOに救われた人は3分の1です。3分の2の人はエネルギーが低いため、UFO機内で肉体が維持できないので、UFOに乗せてもらえませんでした。

 エネルギーの高い人は意識の高い人とイコールです
 意識が高くないとUFOにより救済されないのです。



宇宙は生命体そのもの♪宇宙の深淵の深い神秘的なお話をご紹介♪
オスカーマゴッチさん♪

から引用させていただきました♪


「エレクトリック・ユニバース理論」では、宇宙は生命体そのものである。
銀河の中心に、DNAに酷似した二重螺旋構造が発見され、生物が電流で動いているように、銀河も電気的エネルギーによって秩序的に運営されており、宇宙の現象は生命活動そのものだという。


詳細はここでは割愛するが、「神は中心に宿る」という原理がある。
『我が深宇宙探訪記』の著者オスカー・マゴッチと、ノストラダムス研究家の池田氏、そして『イルカ・ETおよび天使』の著者ティシモー・ワイリーは、3万5千歳のクェンティンさんの案内で、宇宙センターという所の付近までUFOで行き、そこから体外離脱で宇宙センターに行き、宇宙創造神と対面したという。


流石にここまで言われると信じ難いが、宇宙が1つの生命体であるなら、全体を統御する司令塔である「頭脳」に相当する箇所は、中心部である核、即ち「宇宙センター」の存在も理論的には考えられなくはない。

関英男氏が提唱した「スーパー・サイバネティックス理論」でも、宇宙を1つの生命体と見なし、宇宙全体を制御する「脳」を宇宙の中心に仮定している。

また、素粒子レベルで「意識」が存在し、素粒子の集合体である宇宙そのものが大いなる意識ということになる。

カッバーラ的には、それこそが究極の「絶対神ヤハウェ=イエス・キリスト」なのだ。
従って、宇宙神である「イエス・キリスト」は、全宇宙に遍満していることになる。

形態エネルギー研究所の足立育朗氏によると、「原子核集合体が球体になっていて、それが人間の魂のようなものだ」という。

宇宙センターとは正に、それの超巨大宇宙版だといえる。
マゴッチ、ワイリー、池田氏の3人は異口同音に述べている。

「宇宙センターの全体の形は球体で、この大きな球体の中には、更に無数の球が密集して集合し、球の集合体は全体が金色、金白色に光り輝いている

池田氏は、「それは、まるで49色の虹を見ている。何か生き物のように見える。そのイメージは人間の脳のようである」という。


マゴッチの著書『我が深宇宙探訪記』には、その時の様子が次のように書かれている。

「私の心が、私の全存在が、耐えられないほどの喜びで満ち溢れる。
自分が、またそこにいる全ての人も、大いなる愛に触れられていて、包まれているのだ。

『あのお方だ!あのお方が来られる!』
群衆が歓喜するのが、テレパシーで聞こえてくる。
だが、不思議なことに、何の名前も口にされない。

と、突然、1000もの目を通してあの金白色の光を覗き込んでいる気がした。
理解し得ないながらも、大きな飽和状態からなる形容し難いたくさんの球体で構成される膨大な集合体の中をじっと見つめた。

それには驚く程たくさんの種類の純粋エネルギーからなる巨大な存在が詰まっている。

そして、それらの総体が内部に納められていると同時にまとまって唯一の、全てを包含した存在、つまり『あの方』になっているのだ!
これこそ究極の存在形式に思われる。

それ以外には、もっと高い領域と形式の存在を示すものはほんの僅かしかないし、それを越えたところでは、私の全存在は金白色の光それ自体が拠ってきたる源の中に溶けてしまいそうだ」


zeraniumの掲示板様からの引用ですが……♬

Q、 我々が神様とか仏様とか呼んでいるものの正体は何ですか? また実際に地球にいたといわれるキリストや仏陀の正体は何ですか? 

バシャールの回答

今、言ってくださったすべては、実は深いところでは全部「みんな」なのです。特に、神と呼ばれる部分は全部「みんな」です。神というのは、そこにあるすべてのもののことです。すべては神で創られています。

 一つのものは、一つであると同時にすべてのものでもあります。簡単にいうと、キリスト意識、仏意識というのは、今言ったものを小さくしたものです。
 キリスト意識、仏意識、また社会意識というものは、地球上のすべての意識でもあり、同時に集合的な意識でもあります。すべての世界がそういった観念を持っています。

 私たちの世界では、非常に古代ですがそうした意識はシャカーナと呼ばれていました。私たちのシャカーナ、あなた方のキリスト意識、仏意識、そしてほかのすべての物が一緒になって神の意識を創っています。

 私たちにとってそれは自分から離れた別の存在ではなく、本来自分の中にあるものであり、自分自身がそうであると思っています。椅子も神、部屋も神、空気も神、すべてが神です。

なぜならすべてが光のエネルギーで出来ているからです。神が宇宙を創ったというよりも、もっと正確に言うと、神そのものが宇宙だということです。


『これが無限の[光フリーエネルギー]発生の原理だ』 河合勝 (ヒカルランド)
書いとかないと忘れちゃうから「読書記録」様からの転載ですが…♪


【錆び・腐食・老化は酸化ではない】
 鉄が錆びる、有機物が腐敗する原因は、鉄と有機物から酸素が逃げてゆくことが原因なのです。
 しかし人間の常識は、鉄に酸素が触れると錆びると考えています。酸素が鉄を腐らせると考えています。
 鉄に防錆塗料を塗るのは、鉄から酸素が逃げなくするためです。
 冷蔵庫に食品を入れると長持ちするのは、低温で酸素が蒸発しないからです。ラップに包むとさらに酸素を逃がさないから腐りません。(p.96-97)
 冷蔵庫やラップの説明で、錆びや腐食や老化は「酸化」が原因ではないことが良く分かる。
 逆に本当の原因は「酸化」どころか「酸素不足」(=「還元」)であることがわかる。
 言葉の繋がりでちょっと飛躍するけれど、「要素還元主義」を基盤としている西欧発の現代の科学は、文明を錆びさせ腐敗させ老化させていると言えるだろう。これは本当に重要な点である。現代科学が、「要素還元主義」に傾斜してしまったのは、「原因の世界」との接点である「ゼロ磁場」という特異点を正しく取り込むことができなかったからである。

【地球と自然を回復させるのは、好気性菌と嫌気性菌のバランス】
 酸素と水素のバランスを崩すこと、好気性菌と嫌気性菌のバランスを崩すことが、ガンやアトピーなどの病気の原因となるのです。
 現代の微生物学会や医学会は、この病気の原因を知りませんから、病気が治せないのです。(p.103)
 ガン細胞は、好気性菌(O2)より嫌気性菌(H)のほうが多いから細胞に酸素が届かず、腐敗や壊死が起きると書かれている。
 酸素過剰によりバランスが崩れている場合は、水素の補給で回復するのだろうけれど、水素補給で治らない場合は、元々が水素過剰による酸素欠乏状態であることを意味するのだろう。
 地球の酸欠状態と過剰なCO2を改善する一番有効で確実な安く安全な方策は、好気性菌を活用することです。
 健康回復(血や肉や骨の再生)、土壌や水の浄化、農業や林業や畜産業の改善につながります。
 地球と自然を一番速いスピードで回復させます。(p.106)
好気性菌を主体的に活用する自然有機農法が重要だと言っている。
 バクテリアの発酵で、世間では約2週間あるいは1カ月以上の時間をかけていますが、2時間で完全発効する簡単な手法が開発されました。・・・中略・・・、2時間でバクテリアの数を1000倍に増殖させることができるということです。(p.109)
 わずか2時間で1000倍ということは、もう「無限供給が可能」になっていることを意味する。
 人類に、「地球と自然を救済する意思があるかないか」だけの問題である。
 微生物が元素転換を行いますから、人は微生物にえさを与えて男と女のバランスを取るだけです。(p.110)

【オーワン酸素】
 ピラミッドの秘密の地下室には、36体のミイラが保管されていますが、身長が6~12mと巨人です。恐竜時代に育った人間で、人も巨大に育ったのです。
 巨大に育った理由は2つあります。ひとつは当時の空気の60%は、本当の活性酸素だったことです。オーワン酸素と呼ばれ、O2とO3の中間の性格です。生き物たちは巨大に育ち、病気は存在しませんでした。
 隕石の衝突により、このオーワン酸素が燃え、20%のO2しか残りませんでしたから、巨大な体の生き物は絶滅し、小さな動植物のみが生き残ったのです。(p.119)
 で、この後に書かれている一文が、超絶である。
 このオーワン酸素をO2とO3から創る技術があります。(p.119-120)
 この技術によって、地球の大気組成を変えてしまえば病気は根絶するのである。アセンション後の素晴らしい世界を語っている様々な本の記述内容を支えるのは、このようなスーパー技術が実在するからなのだろう。
 この他にも、「光フリーエネルギー」が解禁され、これを用いることによって、重要な問題を解決しうる技術は、以下の2つだろうか。
 水不足問題。湿度が16%以上あれば、空気中から水を得ることができる。こんなのは市販されている簡単な除湿器の原理であるけれど、世界中の水不足はこれによって容易に解決する。
 食糧問題。深海に堆積している濃縮されたミネラルを施肥すれば、驚くほどの豊作が保障されるのである。
 水不足問題や食糧問題など、すべての解決の鍵は、フリーエネルギーにあるのである。

【日本への警告】
 天上界は原発を止めなさいと何度も警告を発しています。
 能登半島沖地震、中越地震、マグニチュードは神戸よりも大きかった東北地震が起きています。
 いずれの地震も原発をやめなさいという警告であることを、わかっていませんでした。そして福島原発に大事故が発生してしまったのです。
 自然とそのルールを無視した人間側に原因と責任があるのです。
 このまま原発を使い続ければ、もっと大きな事故が起きてもおかしくありません。(p.124)
存続と滅亡の二者択一。いずれを選ぶのか・・・・。
 フリーエネルギーの技術が開発されると最後の審判は部分的なカルマの刈り取りだけで収まります。
 クリーンエネルギーの開発ができない地球は滅びる可能性大です。開発されれば全部救われるのです。そうすれば想像を絶する明るい社会、ユートピア社会がやってくるのです。(p.153)
 何度も書き出していることだけれど、日本政府はいまだに「滅びへの道」を選択し続けている。
    《参照》   『[UFO宇宙人アセンション]真実への完全ガイド』 ペトル・ホボット×浅川嘉富 (ヒカルランド) 《4/4》
              【もっともポジティブなシナリオはフリーエネルギーの解禁】
    《参照》   『報復ではなく和解を』 秋葉忠利 (岩波書店) 《前編》
              【被爆者でない人間が果たさなくてはならない責任】

【フリーエネルギーは封印する】
 知花氏はギザのピラミッドの秘密の地下室に入ることを許され、そこでフリーエネルギー装置が今でも稼働しているのを実際に見ることができましたから、フリーエネルギー装置の開発に成功したのです。・・・中略・・・。知花氏は、ある闇の組織から電話で、「フリーエネルギーの開発を止めないと、あなたを」と警告され、実際に殺し屋が来ました。
 知花氏は天上界から人類指導のために派遣された人物です。全知全能の知恵の世界からテレパシーで情報をもらえるレベルです。(p.80-81)
 フリーエネルギー装置は完成しました。・・・中略・・・しかし知花氏はこのフリーエネルギー装置を世に出すことを止めました。「なぜですか」と問いましたら、「今このエネルギー装置を世に出したら、電力、石油、石油化学産業が駄目になるし産油国が困ることになる。人類の生活がマイナスになる。これはやってはいけない。必要な時が来るまで封印する」とのことでした。(p.155)
 であるなら、危機的状況にある地球環境改善に関する最強の手段を封印してしまうことになる。
 なら、どうするのか?
 人の心がきれいでないと、地球もきれいでなくなります。人の心をきれいにしないと、環境がきれいになりません。
 精神世界と環境自然の世界が同時進行でなければなりません。心と物質の世界は一体です。
 心のバランスが戻ると、地球の天変地異は免れるのです。・・・中略・・・。
 人の心が変容、変性すると、ありとあらゆる光が輝きます。
 このことを黄金時代の到来、如来の国、地上天国と言います。
 地上の人物の一人一人の心の持ちよう次第です。
 ユートピア社会はもうすぐそこまで来ています。
 霊太陽は日本から登ります。
 そして地球は聖なる星となります。 (p.158-159)
 現在の日本人の心が、地球を維持・善化できるほどの清らかさを持ったレベルにあるとは到底思えない。
 霊的世界(原因の世界)において、日本と世界の未来を救済すべく頑張ってくれているスピリッチュアルな人々が大勢いることは知っているけれど、彼等の力だけで、いつまで崩壊を防止できるのだろう。
 タイムラインがせまる以前に、知花さんのフリーエネルギー技術が世に出せるかどうかは、日本人全体の心の在り様に左右されるのかもしれない。

【日出づる国のミッション】
 ノストラダムスは自分の予言が覆されるひとつの条件を述べています。白髪の赤いひとつ目の爺さん。つまり日出づる国、日の本の国、日本ですね。クリーンエネルギーがここ日本で開発された時、自分の予言は全部覆されると述べています。聖書にも予言されています。(p.150)
 地上にユートピアを創出させることができるかどうかの分岐点に日本人が関わっているけれど・・・。
 現時点までは、地球外存在たちによって守られて維持されているだけである。
 地球のオゾン層がどんどん破壊され穴が大きくなっています。これを修理しているのは、太陽系惑星群のUFOです。地球人はそのことさえも知りません。(p.151)
     《参照》   『空洞地球』 ダイアン・ロビンス (徳間書店) 《後編》
               【アシュター司令部(コマンド)の地上への貢献】

【古事記】
 日本の古事記(712年)は、天界からの情報を稗田阿礼が正確にキャッチし、それを太安万侶が書き記した、世界でも稀な正確な情報記録です。(p.67)
 本書では、ピラミッドの原理に呼応するものとして古事記に記された内容が説明されている。 
 無限大(∞)を意味する「8の字パワー」が日本では「ひょうたんからコマ」と言われていることなどがその一つであるけれど、言霊学に参入している日本人の科学者さんたちは、もう理解しているのだろう。
   《参照》   『言霊はこうして実現する』 大野靖志 〈七沢賢治〉 (文芸社)
             【『古事記』に関して】
   《参照》   『日本人が知らない「人類支配者」の正体』 太田龍・船井幸雄 (ビジネス社)
             【古事記に秘められたもの】
   《参照》   『妙のことたま』 植松愛子・選 (たちばな出版)
             【古事記】
   《参照》   『迫り来る地球大変容で《レインボー・トライブ/虹の民》に生まれ変わるあなたへ』 キーシャ・クローサー サアラ訳 (ヒカルランド) 《前編》
             【反重力の原理とピラミッドの役割】

【龍田神社と法隆寺】
 奈良の龍田神社には、天の御柱と地の御柱が主祭神として祭られています。
 神社の本殿には三体の社があります。創造主とエネルギー(+)と質量(-)です。天之御中主神と高御産巣日神と神産巣日神の三柱の神です。
 聖徳太子が寺院の建立に際して、龍田神社の神にご神託を願いました。「どの場所に建てるのがよいでしょうか」答えは「斑鳩にしなさい」と出ました。
 それで斑鳩に法隆寺が建造されており、龍田神社の分社も祭ってあります。(p.73)
 天△と地▽を一体化したのが六芒星のマークです。 (p.73)
    《参照》   『経営に生かす聖徳太子の教え 深見所長講演録4』 (菱研)
              【斑鳩に移った本当の理由】

【ゼロ磁場から光を生むピラミッドの地上と地下の石組み】
 地上にあるピラミッドの他に、ピラミッドの下に必ずマイナスのエネルギーがあることを忘れないように、地下にも石組みがしてあり、上の+と下のーの陰陽のバランスをとっています。
 上と下の石組みの間に隙間が取ってあり、これがゼロ磁場で、光のエネルギーを発生させています。ですので物は腐りません。
 ゼロ磁場は±0の中性で、このポイントを中心線と言います。ゼロ磁場からは光を放射しています。光は原子です。ピラミッドパワーは陰陽のバランスから発生しています。(p.77-78)
 ゼロ磁場を発生させているのは、このような上下の鏡像的な石組みだけではない。
 ギザのピラミッドの石は酸性とアルカリ性の石が交互に積んであります。
 3基のピラミッドの石はどこから運んだのでしょうか。カイロには山岳はあまりありません。
 前述しましたが、日本の八ヶ岳は8つの山があり、その内4つの山は酸性の石、残りの4つの山はアルカリ性の石から形成されています。(p.83)
 八ヶ岳の岩石のバイブレーションを上げると、個体が気化して気体となります。それを一挙にカイロに運んだのです。そして岩石のバイブレーションをほどほどに下げると、無重力状態となり、空気中に浮きます。
 グラハム・ハンコック氏の著書『神々の指紋』でも、ボリビアとメキシコでは大きな巨石が空を飛んだと記述されていることは、すでに述べたとおりです。
 空気中で浮いた石なら手で押せますから、酸性とアルカリ性を交互に積むこともできます。(p.84-85)
 かつて、日本とエジプトの関係は何度も書き出してきたけれど、ピラミッドの材料となった石に関しても日本と繋がるのである。
 ピラミッドの建設技法に関して、チャンちゃんは学生時代に 『ヒマラヤ聖者の生活探究』 を読んでいたから、こういう話に全然違和感がない。というより、「当然ジャン」と思う。スピリッチュアルな人々は、みなこのような見解を示している。
    《参照》   『バシャール×坂本政道』 ダリル・アンカ/坂本政道 (VOICE) 《後編》
              【ピラミッドの建設技法】~【位置とは物質がもつ特性】

【ゼロ磁場(±0)の重要性】
 上記書き出しの中に「ゼロ磁場」という単語が出てくるけれど、この単語は重要である。
 見えないものが原因ですから、見えないものの結果である物質をいくら分析しても原因はわかりません。(p.112)
 「見えない世界」が「原因」で、「見える世界」は「結果」であると表現されているけれど、「ゼロ磁場」ないし「ゼロ」は、「原因」と「結果」の境界である。これについては、下記の著作に原理が説明されている。
    《参照》   『新ミレニアムの科学原理』 実藤遠 (東明社) 《前編》
              【形而上とゼロ】【重力の発生原因】
 下記の本には、ヒーリングに最適な「ゼロ磁場」の温泉が紹介されている。
    《参照》   『地球維新 解体珍書』 白峰・鹿児島UFO (明窓出版) 《後編》
              【ゼロ磁場の温泉】

【意識の高さは、質量に反映される】
 石が浮くことの補足説明としての記述。
 意識の高い人はバイブレーションが高く、無重力で歩いていますから靴底が減らないのです。(p.85)
 知花氏は「私が乗るとガソリンが減らないのです」と言いました。(p.86)
 ガソリンが減らないのは、ガソリンの粒子が極微化して燃費効率が良くなるからで、意識の高い人たちはこれと同じ原理で、お酒の味をより繊細なものに変えてしまうことができる。日本酒がおいしいのは、基本的に日本ならではの磁場に霊化されてお酒が繊細になっているからだろう。
 意識の高い人は、気配も非常に小さい。
 隣を歩き去ってゆく時に、圧力的な風を感じる人がいる。意識が低い故に物質的な密度が高いから本当に物理的な風をもろに起こすのである。このような人々は、現在の地上の物質科学なら理解するだろうけれど、フリーエネルギーに関する理解力は多分ないだろう。
 意識=エネルギーである。意識の低い人は物質的なエネルギーからの依存を脱却できない。
 私達が意識と呼んでいるものがエネルギーそのものです。
 フリーエネルギーは意識を高くすると使えます。見えない宇宙エネルギーを理解しないと、フリーエネルギーを実用化することはできません。
 意識改革の時代とは、エネルギー改革の時代だという意味です。(p.81-82)

【酸素と水素】
 酸素と水素がペアとなり完全調和の状態は、±0の状態、中性となります。
 酸素+と水素―はバランスすると全体が中性となり、これが中性子となります。
 中心の±0、これを核融合点とかゼロ磁場と呼び、そこから光の2つの回転運動が始まり、光のエネルギーを発生させます。
 ゼロ磁場という概念を科学は知りません。・・・中略・・・。
 水素は電子の数がひとつ陰ですから、原子の陽に引きつけられます。
 酸素は本来電子の数が8つですが、実際は6つしかなく2つ分を空き家にしています。
 この2つの空き家を他の元素の電子を取り込んで8つにします。ですから、すべての物質は、酸素と水素を持っているのです。
 酸素(+)と水素(-)は陰陽の求心力、親和力、結合力が働きますから、物質が形成されます。(p.95-96)
「酸素は、2つ分を空き家にしている」 なんて理科で教えていないだろう。ビックリである。
 でも、これ故にこそ、水(H2O)があらゆる物質の基本となっていることが分かる

タイトルに関する重要なポイントが何度も繰り返し書かれている。またそれ以外にも、地球環境全体の回復に効果的な手法も書かれている。2013年8月初版。

【知花敏彦氏】
『エメラルドタブレット』 の著者トートは、知花氏の過去世でした。人類指導のために天上界から派遣された人物だったのです。
 そして、今生その人物は知花敏彦という名前の人物となって、天上界から、地上界に人類指導のために降り立ったのです。この際、地上界には12人の指導者が派遣されましたが、知花氏はその12人のリーダーとして派遣されたのです。(p.12)
 知花さんの名前は昔から古書店でよく見かけていた。しかし、あまりにも簡素な表現でしか語らない方だったので、それほど興味はもつことはなかったのだけれど、この本は印象的である。

【助安由吉氏】
 知花氏の仲間で、天上界からの様々なメッセージを受けて、人々に情報発信を行っている人物に、助安由吉氏がいます。
 助安氏はピラミッドについて次のようなメッセージを発信しています。

 アトランティス大陸の沈没を早くから知っている人たちがいた。
 その人たちは次の危機の時代に備えてあらゆるアトランティスの技術や文化を残そうと考えた。
 ・・・中略・・・。
 1万年以上前の資料が、これから数年の後に明かされるだろう。
 必要な時代だから必ず必要な人が現れる。
 必ず必ず現れる。
 そして大ピラミッドの秘密は明かされる。 (p.15-16)
 助安さんの下記の本は、ピラミッド関連ではないけれど、世界にとって重要なことが書かれていたから、かつて5回ほど内部でリンクしてきた。
   《参照》   『日本民族の役割』 助安由吉 (エイト社)

【ピラミッドの秘鍵】
 知花さんの前世はトート以外にも、ビラコチャ神や、ケッツァルコアトル神などでもあったと書かれているけれど、トートといえば何といってもエジプトである。
 『エメラルドタブレット』には、エジプトのピラミッドに関して、下記リンクに一部示すように、意味深なことが書かれている。
   《参照》   『エメラルド タブレット』 トート (霞ヶ関書房)
               【宇宙戦艦ヤマト】
 この本のタイトルである「光フリーエネルギー」は、ピラミッドの原理そのものである。
 知花さんが、それを知るようになった経緯が下記のように書かれている。
 3人の仲間とピラミッドの横を歩いていると、観光で入る入り口と反対側にある入り口を発見しました。人々にはわかりません。ただの岩が積まれたようにしか見えません。
 知花氏のみが神眼でみることができたので、ピラミッドの入り口がわかり、ひとりだけ内に入ることを許されたのです。
 ピラミッドには秘密の地下室があります。
 そのなかにはすべての科学技術が実際にあり、様々なエネルギー装置も稼働しています。
 モーセの杖やノアの箱舟、旧約聖書と新約聖書の原書も保管されています。それは板と石に刻まれています。(p.26-27)
 ピラミッドの地下の石組みや秘密の地下深くにある地下室に今まで入ったひとは、モーセとイエス、それに知花敏彦氏の3人です。
 知花敏彦氏はピラミッドの内部に入るに際し、カメラや筆記道具は全部持って入ることを禁止され、内部で2週間過ごしましたが、その間水1リットルのみを与えられました。
 そして人類に必要な宇宙科学の真理や技術のすべてを見て、確信して戻りました。・・・中略・・・。
 しかし、天上界の指導者からは、まだ人類にしゃべってはならない、もししゃべると舌を抜かれるといわれておりました。(p.31-32)
 ギザのピラミッドは形として残された聖書です。(p.46)
 ピラミッドに関して、テレビ番組などで放映されているものは、まったく本質に触れていない。ピラミッドに関することも宇宙情報と同様に、世界の金融とエネルギーを支配している「闇の権力」にとっては不都合なことばかりだからである。
 一般人に関しても、この本や、下記リンクの著作にあることをしいと思うような人々ばかりなら、人類はとうてい新しい時代を迎えることができないだろう。
     《参照》   『失われたメシアの神殿「ピラミッド」の謎』 飛鳥昭雄・三神たける (学研) 《後編》
               【エノクが著した『知識の書』とピラミッドの閉じた玄室】
                   ~ 【『知識の書』とモーセ】

【光を生む本来のエッチ】
 光は力であり、知恵です。知恵光と言います。・・・中略・・・。
 男と女が惹かれあうのは自然の法則です。
 凸と凹がスイッチするとスパークします。+とーが、中心の取れた人の男女同士の性交は±0、光が出ます。(p.43)
   《参照》   『 Silent Love 』 五木寛之 (角川書店)
 これをオルカズムと言っていますが、現代人は不感症の人が多くなっています。なぜなら物質に片寄っていますから中心が狂い、±0の中性にならないから、光の発生が少ないからです。(p.44)
 ホモやレズのエッチは極め付きの論外で、男性化した女性と女性化した男性のエッチもまったく本来の真理から外れているがゆえに、心理的にもエネルギー的にも多大なマイナス現象を引き起こすことになる。
   《参照》  『ガイアの法則[Ⅱ]』 千賀一生 (ヒカルランド) 《中編》
            【「絶対的ゆだね」「広大なるあけわたし」】
               ~【フェミニズムの陥穽】

【みずほの国】
 日本はみずほの国と言われます。
 日本は火山と水と緑の多い国です。みずほとは水と炎の意味です。(p.50-51)
 辞書にある意味から「瑞穂の国」を解釈すると、「お米がたくさん取れる国」みたいに思えるけれど、日本の言霊で言えば、「みずほの国」は「水炎の国」、即ち「火」と「水」の国。「カミの国」である。
 「カミ(火水=神)」は、宗教というより宇宙科学である。
 日本の文字はそのまま真理を意味します・・・真理(まことの理)中心(心は中心)。漢字はアトランティス文字=古代神代文字が日本から中国に渡って発達して、再び日本へ帰ってきたのです。(p.53)
    《参照》   『失われたメシアの神殿「ピラミッド」の謎』 飛鳥昭雄・三神たける (学研) 《前編》
              【漢字の元】

【地球のエネルギー軸:野辺山・八ヶ岳・清里】
 地球にはエネルギー軸が存在しています。地軸とは別のものです。北半球は野辺山にあり、南半球はパラグアイにありました。それが物質文明の発達により、マイナスエネルギーが増え、エネルギー軸が傾いてしまったのです。
 科学はこの地球のエネルギー軸の存在を認識していません。(p.55)
 こうあるけれど、科学者たちは野辺山に電波天文台を作っている。電波障害が少ない地点ということで野辺山が選ばれたのだけれど、これはエネルギー軸の中心だからこそ「中性」ゆえに電波障害が少ないという特性が発現していたからなのだろう。
 野辺山や清里は八ヶ岳山麓にあるのだけれど、
 八ヶ岳は4つの山の岩石が酸性で、残りの4つの山の岩石がアルカリ性です。
 この8つの山の砂が混じると中世になり、大変エネルギーの高い場となります。(p.55)
 ちょうど清里で酸性の砂とアルカリ性の砂が混ざり、光のエネルギーを発生させます。清里はエネルギーが高い場所となっているのです。(p.60)
 現在の清里駅周辺はさびれた感じの観光施設が並んでいるけれど、いっけんさん用の観光地としてより、パワースポットとして長期滞在者用観光施設や宿泊施設を作った方がいいだろう。
 知花敏彦さんも、昨日社長退陣を発表した ジブリの宮崎駿監督 も、アセンション系著作で名の知れた 浅川嘉富さん も 滝沢泰平さん も サアラさん も 水木鈴子先生 も八ヶ岳周辺に別荘ないし住居を構えている

転載元転載元: 書いとかないと忘れちゃうから「読書記録」


ヤフオクの気になるフラッシュ広告もこれで消えました♪
かなり使い勝手が良いアドオンですよ♪グーグルクローム版♪

 では、人間と神の関係はどうなのでしょう。
本来は「人間と神の関係さえもない」という事です。

 この説明のためにテーマをつけて書いたものであり、
関係さえもなく、「一つの存在」であるのです。

人間と神」は、「即、一体」の存在であり、
我々」も「神の存在」であり「神そのもの」であったという事が分かるのです。

我は神なり」。「我は生命なり」。我は神理なり。と。
我は神(の一部)であり、我はキリスト(宇宙生命)である」という悟りに至らなくてはならないのです。

「全ては神=我神なり」という真理♪

意識の進化=愛の拡大=分離意識の克服=
我は全体なり・全体我なり=全一体・自他一体=

全ては私=全ては一つ=全ては一つの存在の現われ=
宇宙は一つの生命体=全てに神(宇宙生命)が宿り給う=

宇宙は神一様=全ては神の中の存在する一つの存在=ワンネス
全ては永遠に一つの存在=全ては一つ=全ては私=全ては神

全ては今この瞬間しか存在しない=全ては永遠に一つの存在=
永遠の始まりである神の御心のみが実在=今即天=今即実在=

大愛・宇宙生命・神の一人子である神我キリストのみが実在=
全てはこの瞬間に存在する宇宙生命そのもの=全ては神そのもの=
全ては神ご自身=神一元・愛一元・光一元=宇宙即我=我神なり


調和=愛の法則そのもの=罪なきもの=完成=幸せな人生に
不調和=愛の法則を犯している=業・罪=カルマの精算が起きる

愛と赦し=調和=愛=幸せ・健康=完成=中性=完全=光人間
恨み・憎しみ・争い=不調和=罪=病・災難=不完全=闇人間

愛と赦し=カルマの消滅=神の祝福=幸せなツイてる人生に
許さない・恨み・嫉妬=カルマの刈り取り(不幸災難)な人生に

調和人間=愛が深い人=愛の光そのもの=克服者キリスト=完成
不調和人間=恨み・嫉妬・責任転嫁闇人間=罪人=未完成

調和=光明世界・愛の王国=愛・光・善=平安と安らぎ・至福感
不調和=無明世界・闇世界=未熟な愛=不安と恐怖・飢餓感・不足感

調和の人は熟した魂=自分を愛するが如く他人を愛します=ワンネス
不調和な人は未熟な魂=他人を責めて非難します=分離意識


 イエス様は「愛は天と地の架け橋」とおっしゃられました。その愛とは「許しの到達点」である「慈悲と愛」で御座います。

 真の意味で貴方が、その「許しの到達点」の境地に到達した時に、自ずと「天である神」と「地である貴方」との架け橋が繋がる事でありましょう。私は実体験からそれが実際にありえると確信しております。


愛は天と地の架け橋  この愛の理解と体得が神様と繋がる鍵♪

神・大愛(天)……全てを活かす愛・慈悲と愛・すべての形態を形作る力・意識を与えて下さった魂の根源・真の親・すべてを活かし育む力、縁の下の力持ちで全てを愛し慈しむ無償の愛・無限の愛・すべてに意識を与えて下さった天の父であり天の母である中性エネルギー・真の親・愛を表現する為に…無限の創造をなさっている慈悲と愛そのもの

神の表現体(地)……神が神を愛する為に生まれた存在・神の化身・愛の化身・神の表現体・神の中に創造された神・個別化した神としての自覚に覚醒めた我・滅私して神の道具意識を自覚している我・自分が神ご自身だと悟った我・愛を表現する為に生まれた事を自覚している我、全てを100%の愛で愛する我、自分と全てが神以外の何者でもない事を自覚している我


第六密度以上の高次元存在が語る
「許し」というものが、カルマの輪を止める事になるお話

★ コーリー : 多くの人々が現生のトラウマだけでなく、過去生のトラウマにも対処しているところなのです。

今、地球に生まれて来ている多くのライトワーカーは、援助の為により高次元や、上の密度から降りて来た人々です。

現生が初めての人でも、高次の美しい場所からここへやって来た人にとっては、ここでのトラウマは10倍酷(ひど)く感じられるものです。

そして、長期に亘(わた)って輪廻転生を繰り返して来た人の場合は、更に解消しなければいけない過去生のカルマが加わります。

しかし、ブルーエイヴィアンズから言われたのは、トラウマを特定し、自分にトラウマを与えた人や自分自身を許すこと、

そして、この”「許し」というものが、カルマの輪を止めることになるということです。カルマがなくなるんです。

これは、エネルギー的なものです。
カルマとは」負債を支払うようなものではなくて、
許してエネルギーを解放するもの」なんです。



カルマとは宿題・魂の課題・許しによって消滅♪
……………………………………………………… 
「許し」を心から実践=カルマの輪を止める=カルマがなくなる♪

自分にトラウマを与えた人や、自分自身を許す==
             ==魂の課題を克服=カルマが消滅♪

許す事によってエネルギーを開放=カルマの克服・解消に♪


ケイシーリーディングから…♪

全身全霊で「神を愛する」大切さ
「神を求める祈り」をする大事さのお話

 エドガーケイシーは、宗教生活についてそのもっとも美しい表現の中で、この事を次のように語っています。

あなたがたは心を尽くし、思いを尽くし、体を尽くして汝のなる
(大生命・内在の神)を愛し、隣人を汝の如く愛するのである。

このキリストの与えた言葉が法則の全てである。
それに優るものは存在しない

 主が約束されたように、あなた方は
来る日も来る日も明想し、「祈りゆく」うちに到来するあの目覚めによって、
主(宇宙生命)が自分の意識の中に留まられる事を知る事が出来る
神我が中にまします・父と子は常に一体)。

 あなた方はこの目的のために、
主が臨在し、その御霊(キリスト)があなた方の中に留まるあの意識を、
あの自覚を讃えるために生まれてきたのである。」

自我・偽我 =表現者、原因である父なる神を忘れている状態(放蕩息子の状態)神理を知らない状態・自分の力で生きていると思って迷っている状態、肉体の己を自分と思っている我、分離感・分離意識で個別化された表現を別個の存在と認識している我・分離意識・エゴ・肉の感化、五感の感化を真実と錯覚している我・迷いの影、幻、幻想(マイヤー)・自己保存、自我我欲の心


真の自己(真我)=父なる神と常に一体の境地・ワンネス意識・全一の意識・神我キリスト、全ては自分、全ては我、全ては神、全てを愛する我に目覚めた状態・宇宙生命によって生かされている事を自覚して実感している我・私が生きているのではない、なるほど一つの生命である神が生きていらっしゃる、全ての知恵と力は神から与えられている、神の中身は神、全ての全ては本質的には神、神のみが生きてらっしゃるんだなと悟った我・神一元・愛一元・光一元・我神なり、全ては神なり、全てに神を観る境地・神は生命(霊)なり、我も生命(霊)なりの自覚・宇宙即我、キリスト意識・高我・実在・全てを愛し全てを許す境地・慈悲と愛・あなた即私・私即あなた・宇宙エネルギー即自分・無限即我・不変不動の絶対なる実在・普遍なる宇宙・無限者・宇宙神

FC2版の広瀬すずちゃんの横顔になる方法の記事です♪
身長を伸ばす記事も追記してみました♪

助安由吉さんの チャネリング☆総まとめ記事をご紹介♪真の教会はあなたの内にあり♪イエス様のチャネリング♪長寿の秘訣♪心配を乗り切る方法♪これは自分が学ぶために一時現れているにすぎないと自覚すること♪良心の囁き♪貴方の魂の本源は大いなる神の中心♪大いなる神はあなたの覚醒を待っています♪




助安由吉さんの
チャネリング☆総まとめ記事をご紹介♪

 今回は、株価急上昇中(笑)の「助安由吉さん」の記事総まとめを紹介させて頂きます。

 内容が超一級品で、質が大変よろしいので、長いですが、ぜひ一度、最後までご観覧頂ければ大変嬉しく至上の喜びで御座います。

 怪しいチャネラーが交信したのではなく、天上界から派遣された12人のキリストのお一人であられる「助安由吉さん」という方が、
 明想中に、光一元の意識状態の中で、イエス様や、色々な方から受けたメッセージという形になります。

 天上界から派遣された12人の中には、知花敏彦先生や、上江洲義秀先生もおられます。
 な~るほどぉ♪そういった一番信頼できる系統の方なのね♡♪…という認識をして頂ければ幸いであります。


長寿の秘訣

 病気というのは、その人の体質で決まる。がんならガンの体質、糖尿は糖尿の体質がある。その体質を変えないと、がんならがんがあちこちに現れる。

 食事と同時に、心の怒りがアルカリを酸性に変えてしまう。
したがって怒りっぽい人で長生きする人は殆どいない。

 長生きしている人の話を聞いてみると、殆どの人が、好き嫌いを言わず腹八分。さらに日常のことにクヨクヨしないと言っている。
 今やストレスからいかに逃げるかが長寿の秘訣といっても過言ではない。


☆★☆ 大宇宙に住む全ての存在が大いなる意識体の中に組み込まれた存在です♪イエス様のチャネリング♪新山上の垂訓♪助安由吉さん☆★ *:..。o
6 ,13  2016
新しい地球のスターシード達へ

ゆだねる

大いなる父なる神は
地球を支配し
太陽系惑星を支配し
銀河系宇宙を支配し
大宇宙を支配している
そして人間をも支配している

しかし人間の想念は
完全な自由を与えておられる
したがって人間は
想念の自由を使って
魂の修行をしているのである

人間が父なる神に
すべてをゆだねきった時
父なる神は
その人の自由意志を尊重して
その人をお使いになる

使われた人間は
父なる神の意識を通じて
すべてを見ることが出来
すべての行動を起こすことが出来る

大宇宙に住む
すべてのすべての存在が
その大いなる意識体の中に
組み込まれた存在なのである

人間は元来
二重人格どころではなく
沢山の人格を持って現れてくる

父なる神に
すべてを委ねきったならば
必要に応じて
必要な天使がその人を支配し
必要な場面に現れ
必要な処置をするのである

父なる神に全てを委ねた時
この現象が現れてくる
これこそ偉大なる現象である

過去の聖者と言われる人々は
この状態で人を導いたのである
だからこそ誤解が多く
人々に受け入れられなかったのである

このようになる力は
過去の聖者と言われる人々だけでなく
あなた自身にも
すべて備わっているのである
あなたさえ その気になって
父なる神にすべてを委ねきったならば
その力は発揮できる

☆★☆ 神の国が近づくの真実の意味はわが内にこそ神の国はあるに気づく事♪イエス様のチャネリング♪新山上の垂訓♪助安由吉さん☆★ *:..。o
6 ,18  2016
新しい地球のスターシード達へ

神の国

神の国は
外にあるのではなく
人間の内なる奥の奥
その奥に燦然と輝きながら存在している
すべての人々の中に存在している

律法の中に神の国はなく
組織の中に神の国はなく
儀式の中に神の国はなく
わが内にこそ神の国ははある

「神の国が近づく」とは
この真実が明らかにされ
其の生き方に添って生活する時
溢れてくる内なる喜び
この喜びこそが
神の国に近づくということなのである

わが内に神の存在を認めたとき
わが内に神の存在を実感した時
内も外もすべてのすべてが
神の存在ばかりとなる

外のみの神を觀
律法のみの神を觀
組織の中の神を觀
儀式の中の神を觀るならば
永遠に「神の国」はこない

神の国の本質は
あくまでもわが内に在る
それを実感することである
そして内と外との境を取り除き
ひとつの輪の中に入ることである

外からは入ることはできない
従って
「外に神を求めない」
これが最大の聖句である

内側から掘って掘って
掘り進んだとき
神の国が近づき
神の国にはいるのである
この時内と外とが一体となる

「神の国」とは
この境地を指している
内側を掘ることは
自分の過去を振り返り
自分自身の実態を追求し
本物の自分を掴むことである

この時誰でも
神の国に近づき
神の国の住者となる
もともと人間は皆
神の存在だからである


☆★☆ 真の教会はあなたの内にあり♪♪イエス様のチャネリング♪新山上の垂訓♪助安由吉さん☆★ *:..。o

6 ,23  2016

新しい地球のスターシード達へ


内なる教会


外の教会は必要ではない
心の中の
あなたの小さな部屋こそが
真の教会なり

この教会には
大いなる神がいつもいらっしゃる
そしていつも微笑んでいらっしゃる

優しさがあふれている
暖かさが伝わってくる
光によって照らされている

外の教会は必要ではない
内なる教会こそが
真の教会なり

外なる教会は
外向きになってしまう
人に教えようとし
人々を救おうとしている
だからこそ外なる教会はいらない

心の内なる小さな部屋こそが
真の教会なり
大いなる神がいつも
あなたを温かく見守って下さっている
これ以上のものが必要であろうか

外なる教会の建設をすぐやめて
内なる教会を建てて
大いなる智慧によって生きていく
それが真実の教会のあり方である

真の教会は
あなたの内にこそあり
この中にすべての叡智が
無限なる智慧が
必要によって引き出される

これ以上のものがあろうか
これ以上何を望もうとするのか
あなたは
大いなる神の子であり
あなた自身が神なのである

外なる教会は必要ではない
今  あなたは
内なる教会に住んでいる
これを自覚した時
外なる教会は影も形もなくなる

真実の教会は、
内に建てるものであり
もう気がつけば建っているのである

あなたの内に
あなたの内に



☆★☆ セックスは罪な行為ではなく大いなる神が与え給うた喜びごとです♪イエス様のチャネリング♪新山上の垂訓♪助安由吉さん☆★ *:..。o

6 ,6 2016
新しい地球のStar Lover達へ

セックスについて

この世の中に
男と女がいる限り
セックスという行為がある
これは善でも悪でもなく
自然現象としてある

人間の五官は
人間が作ったり
人間が削ったり
人間が勝手にすることはできない

セックス行為も
大きなウエイトを占める五官の中の
触覚である
この触覚に対して
偏見を持つ人が多い

また過去からの習慣で
あるいは言い伝えで
罪意識を持つ人が多い

これは大きな間違いである
セックスは大いなる神が
子孫の繁栄と
相互の愛の増進のために
与えられた大切なものである

視覚が悪でないように
聴覚が悪でないように
臭覚が悪でないように
味覚が悪でないように
触覚もまた悪ではない

ところが触覚の代表的なセックスのみが
悪としてとらへ
陰でコソコソというのは
大きな間違いである

人間はどんな人でも
セックスを超越して生きることはできない

このエネルギーが
活動エネルギーの根本だからである
抑えることができるが
それは抑圧されて
ストレスがたまるばかりである

人間が人間らしく生きるには
この抑圧があってはならない
性は明るくとらえ
自由にとらえ
自然現象としてとらえなければならない

異性を見てセックスを感じたならば
罪だということはない
このように言うと世の中に
罪人ばかりになってしまう

思うことはエネルギーとなり
その人の環境を作るのであるから
この思い方は人生にとってマイナスとなる

セックスに対して規制してはならない
規制すればするほど
マイナス現象がはたらき
折角与えられた人生が
取り返しがつかなくなる

規制を取り除き
明るく自由な振る舞いができる時
人間の本性が自然に現われて
不調和な状態に陥らない
マイナスの想念を持つから
悪い現象として起きるだけである

セックスは罪な行為ではなく
大いなる神が与え給うた
喜びごとなのである

男性の陽と
女性の陰が共に合体した時
喜びが倍加する

これがセックスの本質なのである
ただし愛される調和が
その背景にあることが条件としてある
性とは聖であり
神聖なる神の行為のことである


☆★☆ 神が人間に与えて下さった愛の極地がセックスです♪真実を選択する力が必要です♪ 助安由吉さん★★ ☆。・-*-・゚`★
August 15, 2016

セックスは大切

人間生活において
セックスはとても大切なものである
これ抜きの生活は
魂の修行とはいえず
修行の落第生となる

この地上に肉体を持った以上
特別な人はいない
イエスもブッタもモーセも
特別な人ではなく
魂の修行の成果を上げた人なのだ

修行を専門にやっている
聖者と言われている人は
セックスを堕落と考え
世俗的な楽しみと考え
セックス抜きの修行法を考えたりする

これは全くナンセンスだ
全ての人類もその人達と同じように
魂の修行者だ
大いなる神はこの地上に
特別な人など作りはしない
これからも作ることはない

すべての人類は
魂の修行者としてこの地上に生まれている
その人達がセックスを堕落と考え
セックス抜きに生活したならば
どうなるだろうか
子孫はその時点でストップしてしまう

そして何より
セックスとは大いなる神が
人間に与えて下さった大切なものだ
セックスとは性エネルギーを活性化させ
あらゆるものを作り出していく力の源泉なのだ

陽である男性と
陰である女性の愛の表現でもあり
さらにそれを拡大していくためのものでもある

理想としては「ゼロのセックス」があり
これを目標にしていくことが大切だ
セックスに罪悪感は禁物
セックスは喜びごとなのだ
それを情欲とか堕落とか
誘惑とか世俗的な楽しみであるとか
否定的にとらえるものではない

かといって他に迷惑を及ぼすようなセックスは
当然不調和をきたすため
真のセックスとはなり得ない
男女の本当の愛が結び合うものであれば
セックスほどすばらしいものもまたない
神が人間に与えて下さった
愛の極地がセックスである

魂の修行者であるわれわれは
修行を専門にやっているセックス堕落論に
決して耳を傾けてはならない

もし耳を傾けて
そのような考え方を持ってしまうと
これからの魂の修行に大きな重しとなり
成果の上がらない修行となってしまう

その人達の修業はその人達の修業にすぎない
セックスを堕落だと考えたり
セックスを否定したり
セックスを罪悪視するならば
大いなる神に対して否定しているわけで
神などいないと言っているのと同じなのだ
それで神を求めて修行しているのだから
とても変な感じがする

しかしその人達を非難すべきものでもない
その人達はセックスを抜いての修行中なのだ
修行は自由でなければならない
それなりの学びがある
修行は今生限りではなく
これから永遠に転生を繰り返して
学び続けていくものである

われわれ魂の修行者としては
真実を見極めながら
自分の修行に必要なものだけを取り入れて
不必要なものは取り入れない
此のようにしていくことが大切だ
何より選択する力が必要なのだ


☆★☆ 許しも愛も結局は自分自身のこと♪実りある人生を送るコツとは♪イエス様のチャネリング♪新山上の垂訓♪助安由吉さん☆★ *:..。o
6 ,6 2016
新しい地球のスターシード達へ

許しと愛

許しとは
自分を許すことなり
愛するとは自分を愛することなり
自他共に不可分なり

許さないという思いは
自分自身を苦しめ
サタンの世界に入り込んでいく

愛するということは
相手に伝わって
喜びが大きくなる
その大きくなった愛と喜びが
すぐ跳ね返って自分のところに来る

許せば
自分の内にやすらぎが生まれ
愛すれば喜びとなって
自分の心の中に平安が訪れてくる

許しも愛も
結局は自分自身のことなのである

どんなことがあっても許し許す
どんな人がいても愛し愛する
これが実りある人生を送る
大切な鍵である


☆★☆ 貴方の魂の本源は大いなる神の中心♪大いなる神はあなたの覚醒を待っています♪ 助安由吉さん★★ ☆。・-*-・゚`★
August 11, 2016
 
あなたは大切な人

「私一人くらい」といって自分を粗末に扱う人がいる。
それはとんでもない間違いである。
大宇宙にたった一人しか
あなたはいないのである

あなたという個性を持った魂は
二人といない貴重な存在なのである

あなたの個性を発揮してこそ
すなわち
あなたが役割を果たしてこそ
地球の調和があり
宇宙の調和が可能なのである

あなたという人間は
地球にとっても
大宇宙にとっても
とてもとても大切な人である
決して「私一人くらい」で片付けるべきものではない

あなた自身が投げやりになったならば
あなたのその想念が
地球の破壊力に力を貸し
宇宙に不調和を作っていくのである
それほどの力を秘めているのが
あなたなのである

あなたの本質は魂であり
その魂の本源は
大いなる神の中心にあって
すべてを愛で包み込んでいるのである
それがあなたの実体である

自分を卑下したり
自分を粗末にしたり
自分を無力者に仕立てあげたり
出来ない理由がそこにある

今あなたが落ち込んでいても
大いなる神は
あなたの立ち上がる日を
今か今かと待っていらっしゃる
この真実を知らなくてはならない

大いなる神は1日たりとも
あなたのことを忘れたり
見守ることをやめたりはしない

瞬々いつも
あなたの思いを知り
あなたの行動を知り
そのうえであなたの立ち上がる日を
待って下さっている

姿形は見ることができないけれど
あなたのために
大いなる神がどれだけ苦心しているか
それだけでも知ってあげて欲しい

あなたは地球にとっても
大宇宙にとっても
とてもとても大切な人なのだ

あなたは大宇宙にたったひとりしかいないことを
知ってほしい
そして他に真似のできない
個性豊かな魂であることを知ってほしい

あなた自身が
「私一人くらい」を捨て
真剣に生きたならば
今は会に向かいつつある地球は
あなたによって救われる

そして太陽系惑星が
銀河系宇宙が
大宇宙が調和していく
そのために
あなたの真なる力が
今必要なのだ

あなたはそれが出来る魂なのだ
大いなる神は
瞬々刻々あなたを見守っている
この瞬間にも・・・




人格は
その人の目で判る
目が澄んで輝いていれば
人格者であり
目が落ち着いて キョロキョロせず
穏やかであれば
人格者である

目は心の窓という
心の状態をそのまま現している
悲しい時には悲しい目になり
怒りの時には怒りの目になり
欲深い人は欲深い目になり
優しい人は優しい目となる

心の中の自我という曇りを取れば
目の輝きが増大し
自我のまま生きると
目はスモッグに覆われて
輝きがなくなる

たったこれだけのことで
目の輝きが出たり
曇ったりする
これの選択はあなた自身である
どちらを選ぶのも
全くの自由である





☆★☆ 神と自分と他人は、永遠の昔から未来永劫、常にひとつです♪イエス様のチャネリング♪新山上の垂訓♪助安由吉さん☆★ *:..。o
6 ,9  2016
新しい地球のスターシード達へ

自分への奉仕

神への奉仕は
自分への奉仕なり
自分への奉仕は
他人への奉仕なり
他人への奉仕は
神への奉仕なり

神と自分と他人
分かれているように見えるが
未だかつて一度も
分かれたことがない
永遠の昔から
未来永劫
常にひとつなのである

そこで大切なことは
自分というものを忘れて
神への奉仕を考えてみる
すると他人が浮かび上がってくる
この他人を生かすためにする

あらゆる思いと行いが
神への奉仕となる

それが結局のところ自分に返り
自分への奉仕となってしまう
他人を生かしてこそ
知られずに生かしてこそ
神も自分も他人も
すべてが生きてくる


祈りについて

真の祈りは
個人のものはなく
他の調和のために
祈るものである

個人の幸せは
他が幸せになった時
他から与えられるものである
自分のために神にはたらきかけるものではない

これが大いなる神の掟
大宇宙の法則となっている


☆★☆ 父なる神は貴方自身♪他を愛し他を許した時☆神は貴方になる♪イエス様のチャネリング♪新山上の垂訓♪助安由吉さん☆★ *:..。o
6 ,9  2016
新しい地球のスターシード達へ

父なる神

父なる神は
あなたの内に宿り
あなたの智慧を授け
あなたに勇気を与え
あなたに愛を与えておられる

この父なる神は
あなたの良心の中に宿り
あなたの全てを知っている

あなたの過去も
あなたの未来も
あなたのことについて
知らないことは何ひとつとしてない

父なる神は
あなたの手足を通して
あなたの声を通して
あなたの目を通して
具体的に現れている

何一つ抽象的に現れるものはない
すべてが単純で
すべてが優しく
すべてが明るく
すべてが穏やかに現れている

父なる神に会いたければ
一切の欲望想念を捨てて
良心の住む部屋に入り
その良心と合流するのである

合流と同時に
父なる神の暖かさが
あなたとなる

あなたは父なる神の中で
息を吸い 食べ物を食べて
愛を語って愛に生き
愛があなたとなる

父なる神は
自我から離れれば部屋に入り
あなたと共に生きてくれる

他を許し
他を愛し
他の喜びを自分の喜びとし
他の苦しみを自分の苦しみとした時
父なる神はあなたとなる

父なる神と
あなたとの間に
全く距離はない

即 父なる神であり
即 あなた自身である
唯一不離一体関係なので在る

父なる神はあなたである


☆★☆ 輝かしい人生になる方法♪神我の善循環♪与えるから与えられる♪♪イエス様のチャネリング♪新山上の垂訓♪助安由吉さん☆★ *:..。o
6 ,8  2016
新しい地球のスターシード達へ

善循環

求めるから 逃げる
逃げるから 追う
追われるから 必死に逃げる
必死に逃げるから
憎しみになる

自我の悪循環である

与えるから 与えられる
いらないといっても 与えられる
また他に与えるから
更に与えられる
いつも 感謝がつきまとう

神我の善循環である

「求める」
「与える」
たったこれだけのことが
真に理解し 実行できたなら

あなたの人生は
輝かしい人生となる

ただし「与える」とは
むやみに「与える」のではなく
相手が生きるように与えることが大事である
この心眼を養いながら 生きるのが
本物の人生なのである


祈り

おお大いなる神よ ありがとうございます
大いなる神は 超宇宙をお創りになられ
すべてのすべての中にお住まいになられておられます
心より 感謝申し上げます

われは大いなる神より発生し
やがて大いなる神に融合するものなり
このような縁をお創り下さり 心より感謝申し上げます

我が大いなる魂よ ありがとうございます
我が大いなる神我よ ありがとうございます
我が大いなる意識よ ありがとうございます
我が大いなる良心よ ありがとうございます
我が大いなる心よ ありがとうございます

われは大いなる神より発生したものなり
そして大いなる神に融合するものなり
大いなる神よ ありがとうございます
大いなる神よ ありがとうございます


すべてに感謝する
 
何かをしてもらったから「ありがとう」
ものをもらったから「ありがとう」
これは本物の「ありがとう」ではない
当たり前で普通ではなんでもないことに
「ありがとう」と言えるようにしなければならない

空気があるので生きていける
「空気さんありがとう」

先祖の皆さんがいるから私は生きて修行することが出来る
「先祖の皆さんありがとう」

太陽があるから生きていける
「太陽さんありがとう」

このように当たり前のことに意識を向けて
「ありがとう」「ありがとう」「ありがとう」を言うのである
対価のないものに感謝する
これを毎日の生活の中に取り入れると
ほんとうに人生が変わってくる

感謝の対象は無数でどこにでもある
家庭の中にも職場の中にも
学校の中にも街の中にも
感謝の対象物は探す必要はない
手当たり次第感謝すべきものばかりである

周囲にあるすべてのものは自然界からのもの
これは神様のエネルギーからできている
だから神さまに対して感謝が必要なのである
家庭には茶わん 箸 湯呑み 鍋 丼
それらに意識を向けて
「ありがとう」「ありがとう」「ありがとう」を言うのである

また職場に行けば社長 直接の上司 同僚
電話 FAX コピー機 商品 机 パソコンなど
ひとつひとつに意識を向けて
「ありがとう」「ありがとう」「ありがとう」を言うのである

この他学校や街の中にも
感謝の対象物はたくさんある

さらに自分の身体についても感謝するところがいっぱいある
頭 髪 顔 耳 目 鼻 口 歯 腕
ひとつひとつに意識を向けて
「ありがとう」「ありがとう」「ありがとう」を言うのである

身体の中のものについても感謝の対象物がある
胃 肝臓 腎臓 肺 大腸 小腸 脾臓
ひとつひとつに意識を向けて
「ありがとう」「ありがとう」「ありがとう」を言うのである

このように感謝するものは山ほどあるのがわかる
毎日の生活の中にあって
感謝するものが多いほど
人生はとても明るく積極的なものになる
そして人生はとても豊かになる

毎日の日常生活においては
「ありがとう」をできるだけ言うことである
言葉に出しても良いし無音でもよい
合掌するともっとよいが
もちろん合掌はなくても構わない

自分の心の中を
「ありがたいなぁー」「ありがとう」の思いでうめつくすのである
このようになれば確実に人生が明るく変わる
これは子育てにとってとても重要なことである

「ありがとう」の対象はどこにでもあるので
一日100回や200回は言えるはずである
そしてそれを言えることについて
「ほんとうにありがたいなぁー」と思うのである

そうするとあなたの人生はバラ色になる
それが悔いのない人生なのである


見えないものに感謝

すべてのものは
目に見える部分と
目に見えない部分が
ひとつになって成り立っている

この世には目で見える三次元の太陽があり
あの世には目に見えない霊太陽がある
人間には目で見える身体があり
目には見えない心や魂がある
動物も植物も鉱物もすべて異なったものが
ひとつになって存在しているのである

親は子に
この世は目に見えるものだけで成り立っていないことを
具体的に教えなくてはならない
しかし簡単にはいかない
庭に咲く花を実験に使ってみるといい

同じ条件下で咲いている花に
少し離れたところから
「あなたはきれいだね 美しく咲いてくれてありがとう」
と毎日声をかける場合と
全く声をかけない場合との比較をするのである

花は見ることができるが
花の精は見ることができない
声をかける相手はもちろん花の精である
そしてしばらく続けてみる
そうするとその違いが分かってくるはずである

この世は目に見えるものが中心となりがちで
見えない方はなかなか意識が向かない
だから証明するのは難しい
しかし2つの存在があることは真実である

あなたがもしピアニストだったとする
一所懸命努力して練習していたとする
突如目に見ることのできない指導霊が
あなたを支配する
その瞬間急にピアノがうまく弾ける
本当に不思議だけれどそんなことがある

今度はゴルフをやるとしよう
カップまで20メートルはある
パターでアドレスをする
そんなとき急に心が静寂になり
20メートル先のカップにボールが入るイメージが出来た
確実に入ると確信が持てた
実際にそのボールは入ってしまうのである
その人の力ではなく
指導霊の協力によるものだ

遠くに外出することになった
家を出てしばらくすると忘れ物に気づいた
急いで家に引き返す
これも目には見えない守護霊の力である
忘れたまま出掛けても何の仕事にもならないからである

この他ひらめきやインスピレーションなど
気づかないけれど
目には見えない世界からのものは沢山ある

地球上は
人間だけでなく
あらゆる動物・植物・鉱物の修行の場である
それも目に見えるもの目に見えないものが対になっている
おびただしい数のものが地球上には存在している
しかし目に見えるものはほんの一部で
目に見えないものの方が圧倒的に多い
そして見えない世界からの影響を強く受けている

毎日生活する中で
その人の守護霊や指導霊は
大変苦労していると思う
心の通信機にアドバイスを送っても
なかなか取り入れてくれないからである
それでも毎日コツコツと
諦めることなく送ってくれている

だから毎日目で見えないものに
目で確かめられない方々に感謝して生きる
これが本当の生き方である


神理の言葉
 
笑顔を絶やさない人は
あらゆるときに
あらゆる場所で
周囲の人から歓迎されるが
苦虫をかみつぶしたような人は
あらゆる時に
あらゆる場所で
周囲の人々から歓迎されることはない

人間はどんな人でも役割を持って生まれている
しかしぼやっとして生きているとその役割はわからない
わからない間が人生の道草である

自我をなくさないまま
どんな大きな権力を持ったとしても
それでは空しい人生を送るだけである
やがて死によってその権力から離れたとき
その償いをあの世において十二分にさせられる

魂が純粋になると
人の良い所も悪いところも
人の成功も失敗も
ひとつにしてみるようになる
すなわち魂としてみるようになる
これが本当の信頼なのである

ある人が電話をかけた
約二時間
自分のことと自分の身内の出来事をしゃべりまくった
けれども相手のことは全く聞かなかった
この人は二時間分の電話料金を支払いながら
情報は提供したが
自分は全く情報を得ることがなかった

欲の皮がつっぱっていると
今持っているものを金輪際離そうとしない
もっと良いものが現れているにもかかわらず
それを見る目が曇ってしまっているからだ


真の信仰
 
真の信仰は
我が内を見て
心の中のゴミを掃除することである
心の中には
色々雑多な
自分中心というゴミが詰まっている
これを掃除するのである

こびりついていてなかなか取れない
表に現れているものは
ノコギリで切り落とし
ノミで削り落とす
染み込んでいるものは
カンナをかけて綺麗にする

この作業を毎日休まず継続してやる
これが信仰の姿のひと駒である
これを継続していると
ある日突然そのゴミが消える
何もなくなる

その日から真の信仰が始まる


痛み

道端の草が笑っている
野の花が挨拶をしてくれる
蝶々が舞をして迎えてくれる
小鳥たちが合唱で歓迎の歌を歌ってくれる

人の痛みがわかった時
そして人と自分の垣根が取れた時
大自然の全ては
自分の生命と呼応する

呼べば必ず応答があり
歩けば周囲から語りかけてくる
どうしてこれに気づかなかったんだろう
全くもったいないときを過ごした
自然のお草や花や
蝶や小鳥たちに対して恥ずかしい

周囲から与えられていた事に気づいたのだから
これからは
こちらから挨拶をしよう
褒め称えよう
人の痛みを自分の痛みとしながら・・・

 
求める
それは自己の消滅を求める
私を通して人々が幸せになりますように
私を通して
万生万物が調和しますように
私を通して
緑あふれる地球が続きますように

私を通して
太陽系惑星が調和しますように
この私は自己の私ではない
私の拡大した私
私という存在が消えた私

無私の私
宇宙の存在の集合した私
すなわち神という私
この私を通して
すべてのすべてが
大調和しますように

この願いはやがて消えてしまう
その時宇宙の調和の姿が実現する


2つの眼

肉眼で見えるものには限度がある
真実の数量からいえば
ほんの僅かしかない
そのわずかなものに
影響を受けながら
とらわれながら
人間は生きている

しかし肉眼で見えるものは
その背後に計り知れないほどの
協力があって存在している
この真実にいつもいつも心する

絶えず肉眼で見るもの
手にするものの背後に
「ありがたいなぁ~」の
感謝の思いを持つことが大切である

これが2つの眼を持って
生きる基本なのである
即ち肉眼と霊眼である
やがてそれも一つに統合される


苦しい時

苦しい時はひとつでいい
良い所を探すのである
そしてその良い所を
拡大解釈するのである
いつも
心を豊かにするために・・・

やがて心の豊かさが
苦しい環境に反映して
好転してくる

想念は
物や環境を作り出す
無限の力を持っているからである


苦しみ

苦しみから逃れたいと思っているうちは
苦しみから離れることは出来ない
与えられた苦しみならば
避けようと思わず積極的に入り込み
その中から何を学べば良いかを考える
その時その苦しみは苦しみでなくなる

そして苦しみから学んだことがはっきりした時
それは喜びに変化する
自分に都合の良いことも
あるいは自分にとって不都合なことも
それに執らわれている間は苦しみは消えない

今苦しんでいるのは
身体を通しての不調和な環境である
自分にとって最も不都合なことである
これは自分の本性の真の姿でない
学びのための仮の姿しかない

これを理解した時
今苦しんでいるのは仮の姿の
自分であることに気づき
本性の真の自分に焦点を合わせるようになる
これによって苦しんでいる自分と
やすらいでいる自分を発見する事が出来る

この発見方法は誠に簡単である
苦しみを与えてくれる環境や相手に対して
心の底からの感謝の念を持つことである
色々と学ばせていただく幸福を
心の底で感じ取るのである

その時すべての苦しみは氷解していく


嫉妬心

嫉妬心が高じてくると
行為は正反対の方向へ行ってしまう
そしてさらにすねて
ご機嫌をとってくれるのを待つ

ご機嫌をとってくれると
さらにエスカレートして
自分の思うようになって欲しい
その欲望はとどまるところを知らない

嫉妬心とはそういうわがままな心なのである
自分さえ良かったら
他はどうなっても構わないのである
いつまでたっても
心の平安は訪れない


心配

何事においても
心配すると必ず
目には見えない次元を超えたところで
自分のエゴ心にささやきかけるものがある

このささやきによって
心配が不安にエスカレートし
さらには
恐怖へと駆り立てられてしまう

この自分のエゴ心のささやきを聞くことなく
良心から出る思いを聞かなくてはならない
そのためには
心配する事柄が起きた時
これは自分が学ぶために
一時現れているにすぎないと自覚することである

そしてその中から学ぶものは何かと
模索するのである
大きく息を吸い 心を落ち着けて
意識を天に持っていく
その時良心のささやきが聞こえてくる

この良心のささやきを忠実に取り入れ
生活の中に生かしていく
やがて 安らぎの日々が訪れてくる


親子の縁生

どんなに正当そうな理由があるにせよ
両親に対しての非難は
許されるべきものではない
両親には絶え間なく
お世話になっているのである

厳しかろうが 優しかろうが
冷かろうが 暖かろうが
そんなことは全く関係がない

親子の縁生を持たせてもらい
育ててもらったことは
一瞬一秒親を思い
全力を出し切ることを
一生かかってやり抜いても
とてもお返しできる量ではないことを
肝に銘じておかなくてはならない

親子の縁生は偶然ではない
自分が平身低頭して両親になってもらうよう
頼み込んだ事実が隠されているのである
それも次元を超えた
あの世での出来事である

それゆえ
決して両親を憎んではならないのである
ただひとつ感謝報恩の行為しかないのである



能力を使い切る

今ある能力を全部使いきる
小さなことにも
大きなことにも
全身全霊を打ち込んだ生活
心の中は満足感と安らぎに満たされる

自分の能力の7~8割しか使わない人
半分くらいしか使わない人
これでは
せっかく持てる能力を使い切っていないのだから
それ以上の能力を身につけることはできない
損をするようだけれど
すべてに全力を傾ける
そのとき神仏は味方する

自分が思ったより能力を発揮できた場合
それは殆どがベストを尽くしきったからである
能力の出し惜しみをしない
その努力精進が神仏に感動を与えからである
人が誰も見ていなくても
次元を超えたところでは
霊人たちが沢山見つめている
あなたの一挙一投足を愛をこめて見つめている

今ある能力を全部出しきる
この繰り返しがその人の能力の向上につながる
決して損にはならない
心配せず安心して
全能力を使い切ることが重要である

出し惜しみは光との接触を少なくする
ということは
エネルギーが減ってしまうのである

エネルギー不足では成ることも成らない
悔いの残る生活に成る
心の中にやがてあせりやイライラや
心配や不安が頭をもたげてくる
そして悪循環に入ってしまう

能力向上にはただひとつ
今持っている全能力を全開することである
それ以外に能力を高めることは出来ない

高い人は高いなりに
低い人は低いなりに
手抜きをせずに加減せずに
ありのままの力をありのまま素直に出し切る

死は誰にでも必ずやってくる
それまで一分一秒を惜しむ気持ちで
あたかも今日一日が自分の全生涯であるかのように
全力を出し切る

そうすると天はあなたに全幅の信頼を寄せ
本当の味方になってくれる
不可能と思われることが可能になる
天があなたに与えた信頼の証である


徳のある生活

その人のためになると思って
一生懸命尽くしたとしても
聞いてもらえない
信じてもらえない
無視される

こんなことが起きたからといって
その人を憎んではならない
自分に陰徳がなかったとして
自分自身を省(かえり)みるべきである
陰徳すなわち人に知られずに善行を積む
このことを怠っているからである

人に知らせた善行
大宣言した善行は徳とならず
場合によっては自分はこんなことをした
あんなにしたと優越感を持ったり
自慢したくなったりするものである
これでは自己暗示浴を満足させるだけである

いくら世のため人のために尽くしたとしても
善行には違いないが徳まで高められるものではない
かえって心の中に曇りが出る
汚れが吹き出す
周囲に悪感情を与える

徳のある生活とは
自分をいつも控えめにし
決して自慢することなく
たとえ実績があったとしても
その実績を人に譲り
自分を一番下に置く

そして
人のためにしてあげたことはすぐ忘れてしまい
人からお世話になったことはいつまでも覚えておき
お返しができる状態になったら
心を込めてお返しをする
これが徳のある生活である

決して自分の善行を他人にしゃべらないくらいの
自己コントロールが必要である
いつも自分自身を冷静に見つめられるようにしたい
そして徳さえも忘れたい



自我が人生の足枷(あしかせ)となる

「子どもは天使」だとよく言います。特に赤ちゃんの時代は全く自我というものはありません。完全に神さま仏さまの意識のままでこの世に生を持っているのです。だからどんな悪党でも赤ちゃんのニコッとした顔を見ると、心の底から喜びがこみ上げてきます。

 その瞬間は素直になり神仏の心に触れることになります。赤ちゃんの力はそれほど大きなものです。しかし年齢を重ねるに従い、自我のない状態から、少しずつ自我が芽生えてきます。それでも大人から見たならば極端に自我が少ないのが子どもです。だから子どもは天使というのです。

 実は、次元を超えた世界から子どもを守り、子供を指導して下さる、光の天使という霊なる方々がいらっしゃるのです。故に、マンションなどの誤解から落ちても怪我をしないとか、小学生なのに微分積分を解くなどのことが起きてしまうのです。それは不思議でも何でもないことです。

 また母親には母性本能というものがあります。これも母親が赤ちゃんを生むと、赤ちゃんそのものが霊的に強い影響下にあるため母親までがその影響下に入ってしまうからです。
 
 赤ちゃんがお腹が空いたこともすぐ分かりますし、真夜中であっても、ちょっとぐずればすぐ起きることもできます。普段であれば大きな音の目覚まし時計でも起きない人が、赤ちゃんの小さな声ですぐ起きるのです。

 子どもは素直で、敏感です。天界からの指導する方々の意志をキャッチして、この地上に表すことができます。

 ただし、それも自我のない素直な時だけで、自我が一定量を超えたならば、その関係はすべて断ち切られることになっています。だから少年少女時代は天才的であっても、自我の増量と共に普通の人間になってしまうのです。

 人間は皆このように、眼では確かめられない霊的な世界とこの物質界の三次元の世界から成り立っているのです。子どもが生活する姿を観察していると、これらのことが分かってきます。

 赤ちゃん時代は全く自我がなく、エネルギーはとても高くなっています。そして10才くらいになると自我の量が多くなり、それ以上になると、霊的な世界との結びつきが少なくなってくるのです。

 そのようにしなければ、その人の魂の修業にとって害になるからです。10才くらいまでは、ガラスのようにもろい面がありますので、どうしても霊界からの協力が必要です。

 しかし、自分を守るという自我が強く出てくるとその必要性もなくなるため、霊界との関係が薄くなってくるのです。もちろん完全になくなることはなく、必要以上の関与がなくなるということです。

 このことでもおわかりのように、人間としてこの地上に生まれて、個々が自立するには、自我はとても大切なものです。少年少女時代から青年時代にさしかかる頃、この自分を守るという自我が欠くことのできない程重要なことなのです。

 しかし大人になり、あらゆる体験を積むうちに、今度はこの自我が人生の足かせとなって、人生を狂わせてしまうのです。ですから、40才を少しでも超えたならば、今度は自我を無くす努力が必要になってきます。

 自我が多いと、どうしても他人のことが考えられず、名誉とか地位とか財産とか権力とかを追い求める様になります。このようになってしまったならば、自我の虜になってしまい、本当の自分を見失ってしまいます。その後の人生は、自己中心となり、威張って世の中をわたっていくようになります。

 子どもから大人になるためには自我は必要ですが、40才を超えたならばこの自我から離れるのが正しい人生のあり方です。同じ自我でも違いがあることを知らねばなりません。


子どものエネルギー量(自我度)

0才~3才まで  自我なし100%

この地上に生まれた赤ちゃんから、3才くらいまでは、殆ど自我という曇りはありません。だからこの3才くらいまでの幼児のそばにいくだけで、沢山のエネルギーがもらえます。幼児の前では誰でも素直な気持ちになれるのです。


4~5才 自我なし90%  自我10%

この頃になると少し自我が芽生えてきます。でも殆どないのでやはり可愛いものです。この時に出ている自我は、生まれ変わりのときに持ち越しているカルマであり、思い癖です。でもエネルギーが高いので大人はそばにいるだけで安らぐことができます。


6~8才まで 自我なし75%  自我25%

自分というものがだんだん出てくる時です。自分と他人の区別や自己主張の個性が現れるようになります。そして自我が少ない分、人の心の状態・思いというものをキャッチすることができます。大人はこの時一番気をつけて育てなくてはならないのです。


9~10才くらい 自我なし60%  自我40%

 自我が比較的少ない状態で確立する時期です。反省・内観の材料はこの10才くらいまでの中にすべてが含まれています。心の学びの黄金の年代です。故にこの年代の子供に対して、命令調や押しつけは厳禁です。自主的な思いを伸ばしてやるようにすることが大切なのです。


山彦(やまびこ)の法則 

 我々が生きて生活していく中に、大きな法則が働いています。この法則を知って生活していくと、大きな間違いを犯すことはありません。この法則が「山彦の法則」です。

 もしある人に嫌われたいと思ったら、簡単なのです。その人を非難し憎めばよいのです。反対に好きになってもらいたければこれも簡単です。相手を愛し感謝すれば良いのです。

 これは人間が作ったものではありません。自然界の法則として、有史以前からある法則なのです。即ちあの世この世を通して大いなる神が与え給うた大法則なのです。

 この関係は不変のものです。相手を信頼すれば信頼となってはね返り、不信を持てば不信となってはね返ってきます。

 そしてそのどちらが先かといいますと、力のある方、経験の豊富な方、年上の方なのです。力の弱い方が不審を持っているからといって、同じように不審を持ってしまえばそこには破壊しかありません。

 力のある方はそんなときでも大きな愛で包み込んであげるのです。だからこそ力があるのです。この真実をよく理解して、不審に対しては不信であたってはならないのです。不審に対しては信頼を持ってあたる所に大調和が実現していくのです。


プラス山彦の法則  太陽

与えよ されば与えられん
愛せよ さらば愛されん
許せよ さらば許されん
理解せよ さらば理解されん

救えよ さらば救われん
微笑めよ さらば微笑まれん
感謝せよ さらば感謝されん
喜べよ さらば喜ばれん


マイナスの山彦の法則 北風

愚痴れよ さらば愚痴られん
ケチれよ さらばケチられん
怒れよ さらば怒れられん
非難せよ さらば非難されん
殺せよ さらば殺されん
憎めよ さらば憎まれん
恨めよ さらば恨まれん
奪えよ さらば奪われん


智慧の質  

 良き智慧が出て来る条件とは、無私、無欲でいつも心や安らいでいて、自分自身の役割というものを果たさねばならないという思いが心一杯に広がった時に、突如閃いてくる。これが最高の智慧であって、全てを生かすものである。


意識度      エネルギー量        智慧の質

神仏と宇宙と一体  800以上   地球、人類を救う智慧が無限に出てくる


自他一体     600~800   地球、人類を救う智慧が必要によって                     出て来る

自より他を優先    400~600      少し大きめのものからちいさなもの
                 まで必要によって智慧が出て来る

自と他 五分と五分 200~400    小さなもの、それも時々しか出てこず、                 智慧の部類には入らない

自己中心      0~200    全く智慧は出ず、他を生かすことは
                できない


☆★☆ 大宇宙は貴方の身体♪銀河系は貴方の手足♪イエス様のチャネリング♪新山上の垂訓♪助安由吉さん☆★ *:..。o
6 3, 2016
新しい地球のStar ライトワーカー達へ

細胞の調和

大宇宙はあなたの身体
銀河系宇宙はあなたの手足
太陽系惑星は
あなたの内蔵諸器官
地球はあなたの細胞である

地球の小さな細胞が止むとは
大宇宙が病むことであり
地球の破壊は
大宇宙の破壊である
大宇宙と地球は
切っても切れぬ関係にある

大宇宙のあなたの身体から
地球のあなたの細胞まで
大いなる神はあまねく
生命としてエネルギーとして
一瞬も離れずに
共に住んで下さっている

なんと有り難いことか
これを知らずに
地上の魂の修業を終えてはなるまい
少しでも知って恩返しをする
それは地球という
あなたの細胞の調和である


☆★☆ 神が人間に与えて下さった愛☆神と人間は一心同体であり一瞬も離れたことがありません★★ 助安由吉さん☆。・-*-・゚`★

August 18, 2016

 
「宇宙教」たったひとつ

今地球上は宗教の花盛りである
小さいものを含めると
おびただしい数になる
それほど宗教が盛んなのに
宗教にからむトラブルが後を絶たない
民族紛争になったり
殺し合いの戦争になったりしている

宗教は本来心の安らぎを求め
お互いに助け合い協力し合っていくものである
それにもかかわらず
組織のエゴがまかり通っている
お金を集めることに力を入れたり
組織の拡大に力を入れている
そしてご利益信仰が幅を利かせている

しかし宗教は自由である
入るのも良いし入らぬのも良い
その人の気持ちに応じてそれぞれの宗教に入る
そこで自分本位だったものが
人の痛みを感じることも出来るようになったり
人の為に尽くそうとする人も出て来る

こういう意味では
言っ暗沢山宗教があっても
一向に構わない

人々の魂レベルに合った宗教があって
そこで次々と学ぶことができるからである
1つ問題なのは
この差し迫った時代背景である
この大事なときに
地球を調和する目的を持った
魂の修行者たちが
数多くの宗教団体に入り
本当の活動ができなくなっている事実である

この時代でなければ何の問題もないが
これが心残りなのである
しかし役割を持った魂の修行者たちは
やがてわかってくれ気づいてくれるだろう

もし地球に宗教があるとするならば
愛を基本にした「宇宙教」が
たったひとつだけである
大いなる神すなわち
すべてのエネルギーの源である
根源そのものが愛によってできているので
愛の宗教といえるかもしれない
この宗教だけで事足りるものである

そして大いなる神とすべての人間は
第三者が入らず直接つながっている
地球や大宇宙は神の身体であり細胞であり
愛の修行の環境も
大いなる神が与えて下さったものであり
人間の身体も一時借りているものである
魂さえ大いなる神が関与し
進化の仕組みまで与えてくださっているのである

そして一番大切なことは
大いなる神の光や意識を
人間の内側の奥に抱え込んだ状態で
日々生活をしているという真実である
神と人間は一心同体であり
一瞬も離れたことがないのである
呼べば瞬時に答えてくれる関係にある
他に探すことは全く必要ないのである
だから宗教は
人間一人一人の内側にあるのであって
他にあるものでもない
そして宇宙にはたった一つだけのものである
人間の心の奥底は超宇宙とつながり
絶えず必要なエネルギーは
そこから流れてくるのである

宗教とは
愛を基本にした「宇宙教」がたった1つであり
人間一人一人の心の内側に結びついている
それ以上のものを求める必要は全く無い
それが最高であり間違いのない真実だからである。
それにもかかわらず三次元を元にした
自分たちに都合のいい宗教を作っているのである
それも魂の学びのために材料として使ったものである。

このあたりのことも魂の修行者は
よく吟味し体験して
くいのない修行をしていただきたい。

今地球の調和は急を要する
あなた方の魂の修行者が即行動をとることを
大いなる神は待たれておられる
それも一日千秋の思いで・・・


チャクラとエネルギー

何かをやろうとしても
エネルギーが不足していると
うまくいくことがない
自動車だけあっても
ガソリンがなければ動かない
これと同じで人間の活動も
エネルギーが何よりも大切である

自分の生活をする基本的なエネルギーは
夜寝ている時に
大いなる神が補充してくれる
それよりもっと大きなことをやる場合は
それに似合うエネルギーがなければ
どうにも動きがとれない

魂の修行者は
基本的なエネルギーだけでは仕方がない
もっともっと大きなエネルギーがあって
それを自由自在に使ってこそ
魂の修行者の役割を
果たせるというものである

人間には超宇宙からくるエネルギーの
出入り口が7つほどある
この場所をチャクラといい
ここがふさがっていると
エネルギーが入ってこない

この7つのチャクラが活性化しないと
思うようにエネルギーが来ない
そこで「※チャクラ体操」がある
この体操によりチャクラを振動することによって
刺激を与えて入りやすくするのである
このようにしていつもエネルギーが
必要な時に必要なだけ使えるようにしておく

それには「チャクラ体操」のみに力を入れるのではなく
写言による瞑想など
愛の行為を継続していくのである
愛の行為とは自他一体の動きをさし
これは大いなる神のエネルギーである
神はエネルギーだから愛そのものである

この3つを繰り返し繰り返し継続すると
エネルギーに不足することがなくなる
あなたの魂の修行が
急速に新たな展開をしていくことになるだろう

「チャクラ体操」が良いからといって
ただそれだけで解決するほど
魂の修行は甘く出来てはいない
何事も
総合的に機能し合っているものである

たとえば仏陀が説かれた「八正道」がある
「正しく語る」が大切だからといってそれだけを守り
あとの七正道をないがしろにしたならば
日々の生活は大混乱をきたしてしまう
何事も総合的にバランスしてこそ個の部分も生きてくるのである

チャクラにしても同じである
根のチャクラ クンダリーニが大切だからといって
これのみに力を入れてしまうと
これからの修行もおぼつかなくなる
それぞれが大切であって
不必要なものはないのである

エネルギーを増やす方法がわかっていても
減少する方法も知らなくてはならない
魂の修行者が一番陥る弱点がある

「自分は選ばれた者」
「自分は普通の人より力が上である」
「地球を救ってやる」
「人類を救ってやる」
「自分は救世主である」
など自他を比べて自分を上位におくことである

こんな状態になったならば
急転直下エネルギーの大幅ダウンに見舞われる
これには全く情け容赦はない

殆どの魂の修行者がこれに引っ掛かるのである
そのためいつも謙虚さを持ち
間違っても人に「教えてやる」という
気持ちを起こさないことである

もし人に教えることができるのならば
大いなる神の力が働いたから出来るのであって
あなた自身の力ではない
すなわち大いなる神の道具になっているか
なっていないかの違いである

そうとわかればいばる要素は何もない
今自分が生きているのも
大いなる神に生かされているのだから
ありがたく生かさせてもらうだけでいいではないか
人様に対していばる人など
ひとりとしてこの地上に居るはずがないのだから・・・

もしこの地上に偉い人がひとりでもいたならば
この真実を知らないか
あるいは知りたくないかのどちらかである
とにかく威張りたい人には威張らせておくことである
エネルギーの不足は間違いのないもので
やがて気付くだろう

魂の修行者はこの罠には
決してかかってはならない
これは注意の上に注意をしておく
そして人を見る目も狂わせてはならない
真実だけを見ながら
これからの修行を続けていってもらいたい


※チャクラ体操・・「写言瞑想」エイト社参照
「写言瞑想」には愛の実践行為が具体的に書いてあります



 世紀末のエポックに合わせて94年7月に出版された著作。
 日本民族としての役割は、これからいよいよ加速して行くはず。だから15年ぶりに再読

【二つの民族】
 地球上に大いなる役割を持った
 二つの民族がある
 神から選ばれた民族ではなく
 民族自体が望んで
 その大いなる役割を担うことになったのである

 そのひとつは物質文明開化のため
 約二千年にわたってその役割を果たした
 ユダヤ民族である
 もうひとつは霊的文明開化のために
 西暦2001年から4000年にわたって役割を果たす
 大和民族 すなわち日本民族である  (p.10-11)
 祖国を追われたユダヤ民族は、近代において経度ゼロに位置するロンドンを中心として世界の物質文明開化のための役割を果たしてきた。
 東経135度に位置する日本民族は、物質文明とは違った霊的文明開化のため、これから世界展開していかなければならない。
 それは 『ガイアの法則』 によって定まっていることである。
 ユダヤ民族から受け継いで
 新たな時代を築いていく役割を持った日本人が
 一日も早く自分の役割に気づいて
 日の当る場所に出ていかなければならない
 かといって有名になることではなく
 大いなる神に身をゆだねて道具となって働くこと
 それだけなのである。  (p.17)

【UFO問題と地球の運命】
 UFOは地球にいつも十万機ほど飛来している
 そのうち80パーセントは
 地球を支配しようとしている
 それを呼んでいるのは自己中心の地球人である
 20パーセントは
 地球を救おうとしているUFOである
 これは地球を救おうとしている地球人が
 呼んでいるのである
 そしてそれぞれがわからないように
 指導を受けているのが現実である

 もし地球人類が欲望中心に傾き
 地球の敵となるUFOを呼びこんでしまったならば
 地球自身の浄化活動が始まってしまう
 一万二千年前に太平洋の海底に沈んだムー大陸や
 そのあとで大西洋に沈んだアトランティックの
 ようになってしまう (p.20-21)
 地球の敵となるUFOを呼びこんでしまっている自己中心の地球人こそが、ビルダーバーグに集い、現在の地球を経済的に支配してきた人々である。
   《参照》   『次の超大国は中国だとロックフェラーが決めた (上)』 ヴィクター・ソーン (徳間書店)
              【ベクテル社と “地球最後の日プロジェクト” 】

【穢れた行政】
 政界のリベートが問題になっている
 リベートによって動く人間性
 そこに魂の未熟さが現われている
 私欲があるうちは多くの人々のお役に立つことなど
 できるはずがない
 それなのに真似だけしている
 やはりできない
 現在表沙汰になっている金額など
 とるに足らない額である
 上は国会議員から
 下は村会議まで含めて
 一年間に動く金額は最高で
 驚くなかれ一兆三千億円にものぼる

 これだけの大金がどこかに消えてしまう
 消えて行く先はそれぞれの議員であり
 役人であり業者などである
 その他暴力団にも流れている
 もしこの一年間だけの金で
 食べ物がなくて毎日死んでいく世界の人のために使ったならば
 すぐにでも救われるのである (p.38-40)
 国から市町村まで行政に集う人間たちの魂のレベルは恐ろしく低い。高いレベルの魂を有する議員たちも少数ながら存在しているけれど、ほとんど影響力を及ぼせない状態が続いている。
 選挙などというものは、単なる利権の争奪戦になり果てているのである。

【多数決の否定】
 多数決は一見民主的に思われている
 本当にそうだろうか
 同じ魂のレベルであったならば
 完全ではないけれどある程度通用する
 しかし一般には
 高い人より低い人の方が圧倒的に多い

 そんな中で
 多数決で物事を決めるならば
 いつも低レベルの決定しかない
 高邁な理想である
 「地球村」 など夢のまた夢である。 (p.60-61)
 “魂のレベルの違い”、これが全てである。かつて、ムー大陸を統治していた大和民族は、「人間の魂は決して平等ではない」ことを知り、魂のレベルに従って棲み分けを行っていたからこそ、社会は安定と平和を維持できていたのである。
   《参照》   『黄金の帝国』 三原資忍 (サン企画)
              【ムァー帝国の階級社会】
   《参照》   『2012年へのカウントダウン 闇の権力 フリーメイソンの大分裂』 中丸薫 (KKベストセラーズ)
              【民主主義を一掃する】
 現在の地球は、魂のレベルではなく経済レベルで統治されているのとさして変わらぬ様相となり果てているけれど、これは物質文明を推し進めてきたことの必然でもある。物質文明から霊的文明に切り替える。それは日本民族でなければできない。日本民族でありながら利権構造に与するのみならず、それを維持しようとする人々の魂レベルは、心底堕落し切っているのである。

【ユダヤ民族の恩恵】
 ユダヤ民族と日本民族とは、たいへん深く関わっている。そして日本民族は、ユダヤ民族によってたくさんの恩恵を受けている。ユダヤ民族の協力や育成がなければ、今日の経済繁栄など及ぶべくもない。
 まづ第一に徳川幕府の鎖国を破り、明治維新ができたのも、ユダヤ民族の力に負うものである。廃藩置県制度や明治憲法、科学技術の導入指導など、あらゆる新しい制度は、日本民族が独自に考え出したものはない。すべてユダヤ民族の協力でできあがったものばかりである。
 日本の過去の戦争も、ユダヤ民族と深く関わっている。特に戦争のキッカケを作ったり、戦争の終了時は、ユダヤ民族の巧みな戦略によってなされている。
 日清戦争、日露戦争、満州事変、支那事変そして第二次世界大戦、これらの戦争のすべてにユダヤ民族の力は働いているのである。第二次世界大戦の場合、終戦を確定させるため、広島と長崎に原爆を投下させた。戦後の復興もユダヤ民族の敷いた路線上のものである。
 戦後処理の問題でも、敗戦国は東西に分割して、力をなくすのが常道であった。日本に対してはそれをしなかった。もし二分されていたならば、今日の日本はなかった。
 ユダヤ民族は、日本が新しい時代の担い手であることを知っていた可能性がたいへん高い。(p.115-119)
   《参照》   『国際史学入門』 横内慶八郎 (東京読売サービス)
   《参照》   『いま二人が一番伝えたいこと』 船井幸雄・中丸薫 (徳間書店)
              【地底都市を介して繋がる日本とユダヤ】
 ユダヤ民族の始祖たちは、日本に古代から存在している枢要な神社に鎮もっているのである。
   《参照》   『まもなく世界は5次元へ移行します』 エハン・デラヴィ&中丸薫 (徳間書店)
              【日本とユダヤに深い絆がある】
   《参照》   『ガイアの法則』 千賀一生 (徳間書店) 《前編》
              【シュメールの叡智と16花弁の菊家紋】

【日本民族に運命づけられていること】
 日本民族は全世界の人々のために働くよう
 運命づけられているのが真実である
 日本民族の国力は一国のものではなく
 全世界のものなのだ
 これをしっかりと腹にすえて立ち上がっていく (p.150)
 ユダヤ民族からの恩恵を受けてきた日本民族は、これからユダヤ民族に変わって世界に恩恵を施す役割がある。
 優しさがあり
 真面目であり
 努力していくのが日本民族なのである
 餓死戦線はいの一番に食い止める
 同じ魂の修行者を
 守ってあげるのが日本民族のつとめである (p.157)
 全ての魂たちは、向上するためにこそ、この地球という物質過程の世界に生まれてくるのである。その人生という過程を、餓死や戦争によって途中で終わらせるようなことがあってはいけない。あらゆる魂のため人生という過程を守るのが、高貴なる魂を有する日本民族の最低限のつとめである。

【物質文明と霊的文明のドッキング】
 物質文明の華ともいえる
 ハイテクコンピューターと
 霊的文明の華ともいえる
 魂の輝きがドッキングすることにより
 二つの異なった文明がひとつになる
 誠に楽しい限りである  (p.179-180)
   《参照》   『いま二人が一番伝えたいこと』 船井幸雄・中丸薫 (徳間書店)
              【過去世を体験できない現在の地球人】

【日本の若者達】
 地球上にはたくさんの民族がある
 そのなかでも意識レベルにおいて高いのが
 断然 「ユダヤ民族」 と 「日本民族」 である
 このふたつの民族によって
 過去の二千年と未来の二千年に
 影響を与え 影響していくからである

 特に日本民族の若者に
 意識の高い人が多い
 それもそのはずで
 新しい時代を担う世代だからである
 しかしこの事実を知っている人はあまりいない (p.199-200)

【著者に関すること】
 著者に関して、下記の著作内で言及されているのでリンクしておこう。
     《参照》   『これが無限の[光フリーエネルギー]発生の原理だ』 河合勝 (ヒカルランド) 《1/3    

転載元転載元: 書いとかないと忘れちゃうから「読書記録」


知花敏彦先生の総まとめ記事 第1回目

FC2版の広瀬すずちゃんの横顔になる方法の記事です♪
身長を伸ばす記事も追記してみました♪


知花敏彦先生が覚醒し始めた頃の貴重な秘話♪神の国は汝の内にあり、仏の国は汝の内にあり♪宇宙には唯一の生命しかない 私の生命、あなたの生命というものはない♪生命の世界では全体が1つであり 自分を愛するように他人も愛するようになる♪




超レアかも♪
知花敏彦先生が
覚醒し始めた頃の貴重なお話をご紹介♪

この知花の形態で、また神は、知花を通して表現する唯一の神しかおりませんけれども、形態によって様々な現れ方があります。

花の現れ方と私の表現の仕方とも違うし、金魚の表現の仕方とも違います。それは形態お宮によって、形態によって表現の仕方は違うけれども、表現している神ご自身は唯一神なんです。

だから、神のみは肉体の中に肉体をお創りになりまして、その中に生きている神、私の中に生きている神、同一の神ではありますけれども、その形態によっては表現は違うわけですね、表現は違う。

しかし、その形態そのものも、全て大神殿というこの無限宇宙の中に全ての宮はあります。その小さな宮を通して、また大きな神は、ご自身は、ご自身を顕現、表現していらっしゃるわけです。

しかし、世の人々はそれを知らずや、我々は神の中におり、神は我が内にあり、そしてその我が内なる神は、この形態というお宮、肉体、この知花の肉体を通して、ご自身を顕現したいのでございますね。 

で、そのことをこの知花が知りましてからは、自分のものでもなく、独自で生きているのでもなく、独自で働いているのでもなく、我が中に神はまします。

そして、我が内なる神が私を通してその無限・大生命、即ち神のことを大生命と言いますから、大生命が私を通してご自身を顕現して表現していらっしゃるんだということ悟ったのでございます

で、それから私はその自我で、神の表現・顕現を妨げること無く、神にこの肉の宮を、もちろん最初から自分のものじゃ御座いませんでしたから、

全身を神に捧げまして、どうか、貴紳のご意志が我が中で行われますように、大生命の貴方様(あなたさま)のあるがままに、この知花というこの肉、即ち宮を通してご自身を表現なさいますように、という想いを起こしたので御座いますね。

そうしますと、長い間、その表現を妨げていた自我というものが、自分という独自の自分というものの我が消えてまいりました。それから神は私を通して語るようになられました。それから私を通して働くようになられました。

だから何を見ましても、みんな形態として、私は、毎日皆さん方は、神の宮の前におられるわけです。

全てが、全ての全てが神の宮である、ということを忘れない様にしてください。この花一輪も神の宮であり、その花一輪の中に神が生きておられる、神の表現であって、神は、大生命は、花一輪を通しても顕現し表現して下さっているわけですね。

だから、お花も愛し大切にしなくちゃなりません。これをむやたらに粗末にして、踏み潰してみたりするということは、神を粗末にしていることになるんですね。

だから、皆さんが隣人を嫌ったり罵ったりするということは、もうすでに神を嫌ったり罵ったりしているというわけになります。イエス様は隣人を愛しなさい、すべてを愛し、全てを赦しなさい、と言ったのです。

なぜなら、全ての全ては神であるからです、ね、

金魚も神であり、皆さんも神であり、花一輪も神であり、この無限宇宙に神しかいらっしゃらないからですね、神しかいらっしゃらないわけです。
神の他には何も存在しないので御座います。

今まで、我々が嫌ってきたり罵ってきたり、けなしてきたりしたものもみんな神だったわけですね。
その肉体の中には、全知全能の神、即ち大生命がおられるわけです

そして、あなた方が、自分自身の中に、全知全能の神を自覚されて、あぁ、この肉体というのは、神の表現のために、こうしてお創りになったのか、という事を悟ることによって、神様はあなたを通してご自身を現されるわけです。

そしてこの無限宇宙には神の、これは、無限宇宙は生命が満ち満ちておりますので、それが自覚出来るようになりますとね、皆様の身体に大生命が満ち満ちるんです。

そして皆さんは大生命の流れとなります。大生命の流れとなって、そして、あなたの細胞全体に、その無限生命が満ち満ちるわけです。

精霊が満ち満ちるわけです。そうしたとき皆さん方は真の癒やし、即ち、神は偉大な力で御座いますから、無限の、無限宇宙を支配している力があなたを通して流れるわけです。

で、あなたを通して無限、この一個、個人、一個人を通して無限が現れるわけです。
だからあなたの一個として小さな現れ方じゃなくて、あなた方、私たち、この一個人はじゃなくて、全体という無限宇宙の中に留まっているわけです。

で、この知花を通して、我々は無限の中に留まり、私を通して現れる給うのは無限者ご自身で御座いますね。だから、皆さん方は無限なる者なんです

で、皆さん方は、無限から個人個人に分離した独立した存在ではない、全部、その一個人個人は、全知全能の神に、今現実に存在、存在し実在するわけです。

そして、全知全能のこの大宇宙、即ち創造神が、我々個人個人を通して現れ給う、だから、一個人、個人というのは何かと言うと、肉をまとった神ご自身、創造の主、即ち、全宇宙を支配している方、お創りになった創造の主で御座いますね。

だから、我々はそれを心から自覚して、その肉を、肉体、神の顕現媒体を、自我で無知で妨げないように、あるがままに、自分自身を通して神を表現するために創られたので御座います。


   悟りの大事なキーワード  

どうか、貴紳のご意志(ごいし)が我が中で行われますように、大生命の貴方様(あなたさま)のあるがままに、この○○というこの神の宮を通してご自身を表現なさいますように 

【私も実践中であります。皆様もお祈りに活用して下さい】


この無限宇宙に神しかいらっしゃらないからですね、神しかいらっしゃらないわけです。神の他には何も存在しないので御座います。

この無限宇宙には神の、これは、無限宇宙は生命が満ち満ちておりますので、それが自覚出来るようになりますとね、皆様の身体に大生命が満ち満ちるんです。

全てが、全ての全てが神の宮である、ということを忘れない様にしてください

個人というのは何かと言うと、肉をまとった神ご自身、創造の主、即ち、全宇宙を支配している方、お創りになった創造の主で御座いますね。



神の国は汝の内にあり、仏の国は汝の内にあり

 皆さん方は一側面を見るから肉体を感じるのであって、我々は両極の外側の局面の消極と内側の積極と、2つが重なり合っています。そしてどこかに霊界があり神の世界があるという存在ではありません。

 お釈迦様は、「今即天」と言われ、「今即実在」と言われました。「神の国は汝の内にあり、仏の国は汝の内にあり」と。内なる生命、即ち我々は内に生命を秘めております。内は原因で外は結果です。

 原因と結果は離れ離れにすることは出来ない。天と地は離れ離れには存在できません。ですから色は即空、空は即空、色と空は表裏一体で1つの存在です。

 皆さん方は死後の世界に霊界があるという偽物の指導者に騙されてはなりません。今皆さんの中に霊界があります。初めからあったのです。今もあるのです。未来永劫あるのです。これを久遠といいます。

 ですから皆さん方の肉体という形に終りがありましても、原因である生命は久遠です。常在です。生命の次元、霊の次元は久遠です。これを常在といいまして肉の次元のことを無常界と呼んでいます。

 お釈迦様は見える結果の世界は無常界といわれ「諸行無常」と言われました。形の世界は常に変化して止まない世界ですが、生命の世界では変化がない普遍、不動の自己、または普遍なる自己と言われています。皆さん方は天国がどこにあるか判らないのですが「天国は我が内にある」のです。

 神の国は我が内にありまして死後の世界が、どこかに神の国が存在するものではありません。距離があるものではありません。皆さんの中に今の今、神の国があります。これを実在界と言っています。

 原因の世界です。そのことを「天国は汝の手よりも足よりも近し」とイエスが言われたのです。人間一人一人は「生ける神の宮なり」と、その神とは原因である生命、即ち原因なき原因と言われている大霊・大生命です。

 ですから皆さん方は天をまだまだ理解しておりませんので、天が遥か彼方のどこかに死後の世界にあるのだと思ったら大間違いです。

 天は今の今、皆さんの内にあります。今即天は我が内にありです。ですから皆さん方は天を知らないで点に帰す事が不可能です。霊界と物質界とは別々に存在していると思いますか、一体となって存在していると思いますか、皆さん方は霊界と物質界とは、別々だと分離感を持っておられます。


宇宙には唯一の生命しかない
私の生命、あなたの生命というものはない

 霊界と物質界とは分離できません。原因と結果は分離できません。皆さんの命と肉体は分離して存在していますか、分離していません。それと同じ意味です。命は我が内にありです。

 その生命を皆さん方はまだまだ理解していません。命には小さな命はありません。

無限生命といいまして、大生命といいまして、大生命ですから大きな生命であり、無限の生命でして、その生命には区切りがありません。それを宇宙生命といいます。

 ですから皆さん方の個人や独自の生命はありません。全一・唯一・不二の生命といいまして全体は全てひとつの生命に基いて存在しています。これを唯一の生命と言いまして、唯一の神、唯一の霊と呼んでいるのです。

 これを唯一神といいます。ですから、神をひとつ様というのは天には命はひとつしかないからです。

 天命と言いまして、皆さん方の独自の個人・個人の命は存在しないのです。全一というのは、全体が1つの生命であるとは、今、五十数億人の人間がいましても宇宙には唯一つの命しか存在しません。

 原因は唯一つでして、結果は様々になっていますが、原因の次元には様々な命があるのではありません。
 私の、内側を見れば大いなる一体という、大我、全我という我があるだけです。

 生命は全体ですので生命の我のことを全我と呼びます。全ては我という意味です。全我、あるいは生命は大きいものですから、大我と呼びます。大きい我です。

 内側を見れば単数ですが、外側を見れば複数です。あなた方は外の結果を見るが故に複数を感じて、分離感を感じて、自分がおり他人がおると思っていますが、生命の世界には自分の他には何もありません


これが全一体感とか自他一体と言います。

 ここに、木の葉が沢山ありますが、形も違い、それぞれの場所も環境皆な違いますが、生命から見れば皆な同一の生命です。形から見れば居る場所も環境も皆な違いますが、生命は唯一それを生命の木「天より下るパン」と言われているのです。
 
 生命のパンと言いまして、生命のパンを食するとは生命を理解するという意味です。宇宙には唯一つの、唯一の生命が様々な形をとって、その形の中に唯一の生命が宿っているのです。あなたの生命、私の生命という生命は存在しません。


全我とは

 私の生命は即皆さんの生命であり、皆さんの生命は、即私の生命です。この木の葉一枚からすればこの木の葉の全体の生命は自分の生命です。自分の生命は全体の生命です。

 あなたも外側を見れば個人に見えますが、内側から見えれば生命とは、他人は存在しないのです。これを自他一体といい、他人がないと、自分と他人とは生命の次元では一体です。自分と他人が無いが故に全体は我ですから、全我といいます。

大我とは
 
 皆さんの生命は、小さな個人の独自の生命ではありません。内には大生命しかありませんので、生命の我のことを大我と呼ぶのです。これを宇宙我とも呼びます。

 宇宙生命ですから、皆さんの内を見た時は大きなものです。外側を見れば小さなものですが、内側の我のことを大我と呼び、外側の我の事を小我と呼びます。

 その小我と大我はどういう関係かといいますと一体関係です。小我は大我に留まり、大我は小我の中に留まっているのです。即ち大我次元のことを、全我次元のことを天国と呼びます。


生命の世界では全体が1つであり
自分を愛するように他人も愛するようになる
 
 その生命の世界では全体が1つですから、争いがありません。生命の次元には争いがない。ですから生命を愛と呼ぶのです。

 何故、生命の次元には争いが無いかといいますと、生命は1つしかありませんので、分離しておりませんので生命の次元から見れば全体は自分ですから、自分を愛するように、人々を愛するようになります。

 ですから実在という生命の世界では一切争いがありません。何故ならば闘う相手がいないからです。この木の葉の一枚からすれば全体は誰ですか、自分です。

 この木の葉の生命と別の、木の葉の生命とは別々ですか、同一ですか、同じものですか、分離していますか、1つです。原因は一つです。源は一つなのです。

 皆さん方は命は幾つもあると思っていることが、大きな誤りです。
生命には宇宙ただ一つしかありません。一つ様しかいません。それが神の命です。

 ですから神の命は即我が命であり、我が命は即神の命です。皆さんも同じです。ですから神は皆さんの中にいて、命そのものが神ですから神は我が内にまします。


自我・偽我 =表現者、原因である父なる神を忘れている状態(放蕩息子の状態)神理を知らない状態・自分の力で生きていると思って迷っている状態、肉体の己を自分と思っている我、分離感・分離意識で個別化された表現を別個の存在と認識している我・分離意識・エゴ・肉の感化、五感の感化を真実と錯覚している我・迷いの影、幻、幻想(マイヤー)・自己保存、自我我欲の心


真の自己(真我)=父なる神と常に一体の境地・ワンネス意識・全一の意識・神我キリスト、全ては自分、全ては我、全ては神、全てを愛する我に目覚めた状態・宇宙生命によって生かされている事を自覚して実感している我・私が生きているのではない、なるほど一つの生命である神が生きていらっしゃる、全ての知恵と力は神から与えられている、神の中身は神、全ての全ては本質的には神、神のみが生きてらっしゃるんだなと悟った我・神一元・愛一元・光一元・我神なり、全ては神なり、全てに神を観る境地・神は生命(霊)なり、我も生命(霊)なりの自覚・宇宙即我、キリスト意識・高我・実在・全てを愛し全てを許す境地・慈悲と愛・あなた即私・私即あなた・宇宙エネルギー即自分・無限即我・不変不動の絶対なる実在・普遍なる宇宙・無限者・宇宙神

ヤフオクの気になるフラッシュ広告もこれで消えました♪
かなり使い勝手が良いアドオンですよ♪グーグルクローム版♪

地球最高の文明秘話♪7万年前に存在したサハラ砂漠の黄金時代♪内なる偉大な力(真我)や叡智(宇宙真理)を熟知した時代♪サン・ジェルマン伯爵♪セント・ジャーメイン♪

zeraniumのブログ様の
 7万年前に存在したサハラ砂漠の黄金時代 から一部引用させて頂きました♪



7万年前に存在したサハラ砂漠の黄金時代

「物質を意識的に操作するとは、体験していることに左右されず、いつでもあなた自身が精神と肉体を完全にコントロールし、自らの自由意志を用いて行動できることを示す。」

 サン・ジェルマンが説明を終えると、目の前にかなり古い時代の光景が現れた。

 エーテル体に記憶された世界が目前に再現されていくのを見ながら、しばし2人とも無言で立っていたが、やがてレッスンが始まった。

 「ここはサハラ砂漠だ。ただし、まだ亜熱帯性気候で肥沃な土地であった時代の頃であり、この都が全盛を極めたのは今から7万年前ことだ。」 

   
周辺には無数の小川が流れ、ほとんど全域が緑に覆われて潤いに溢れていた。

 王国の中心にある首都は、その繁栄ぶりから、当時その名は全域に知られていたことがわかった。公的機関の建物は高台に集められ、そこから四方八方へ広がっていく造りになっている。

 街の中心部に足を踏み入れると、重力が少し弱まったかのように足取りが軽くなった気がした。周囲の人々も軽やかに歩いている。それをサン・ジェルマンに尋ねると、次のように答えた。

 「この国の人々は自分たちの”源の記憶”を常に保ちながらこれまで暮らしてきた。
 つまり、自分たちが創造主から生まれた”神の子”であるということを知っており、自覚していたということだ。

 それが、あなたにとっては神の叡智や力を操ることが奇跡や超人のようにしか見えないわけで、彼らはその力を備え、操作することができた。

 だが、本当のことを言うと、奇跡などというものは存在せず、それらはただ宇宙の法則が用いられただけであり、人間が奇跡と認識するものもすべて、それぞれの宇宙の法則が応用された結果に過ぎない

 「人間はかつてはその能力を駆使していたが、そうした時代の記憶を失ってしまったために、あり得ないことに見えてしまうのだ。

 生命の真実を正しく理解してしまうならば、現代人が奇跡と見なすような事象はすべて、言葉を発するのと同じくごく自然なものであることがわかるだろう。

 そうした事象は永遠へと拡大する、進歩する生命の現れであり、すべては愛と平和に基づいた宇宙の法則の手順に沿って、絶えず起きているのだ。」

 「そうしたことが、現代人の感覚にいかに理解し難く奇異に映ろうとも、そうした力は常に我々を取り巻いて、数々の驚異を生み出すために作用している

 よって、宇宙の大いなる法則や高いレベルの知性の存在を否定する根拠にはならない。

 今日の現代人が誇る最高の知性も、内なる偉大な力(真我)や叡智(宇宙真理)を熟知したこの時代の人々にとっては、ほんの幼い子どもの理解度にしか過ぎないだろう。」

 上質の美しい生地の服を身にまとった高官と見える人々の1人が、私たちを宮殿へと案内し、この偉大なる王国の統治者に引き合わせてくれた。何と、その王様はサン・ジェルマンだったのだ! 

 王様の隣には、若く美しい娘が立っている。床に届くほどの長い金糸のような髪と、貫ぬくような青紫色の瞳。全身から愛おしさを溢れさせている。彼女はいったい何者なのかと、視線で問いかける私にサン・ジェルマンは答えた。

 「ロータスだよ」

 娘のそばには20歳くらいの若者と14歳くらいの少年がいた。
 若者は、すでに見てきたがルール神殿の過去世では大神官であり、少年は神官だった人物であり、今回は3人ともが王の子どもとして転生していた。

(つまりサン・ジェルマンを王として、私は20歳の若者、すでに亡き妻が娘のロータスに、そして14歳の少年は息子のドナルドであり、3人ともが王の子どもとして転生しており、この時代にもこの4人は一緒に行動していたのだ。)

 「転生の縁が少しわかったところで、祝福された民たちの活動に我々も入り込むことにしよう。彼らを”祝福された”と呼ぶにはわけがあり、それはほとんどの人々が自らの意識をコントロールする力を備えており、神の子としてのあらゆる叡智と力を正しく使うことができたからだ。

 彼らはその力がどこから来ているのかをよく知っており、それを受け継ぐことが何を意味するのかを理解したうえで、無限に駆使することができた。」

 「外的自己というものは”内なる神”の道具に過ぎず、創造された本来の目的のためだけに使われるべき(神の道具だという意識)だということも認識していた。

 ゆえに当然ながら、彼らの”内なる神”は彼らにおいて何の束縛もなく活動し、あらゆる面において絶大なる完璧さを獲得していた。」

 「この古代文明の時代、この王国は大いなる平和と幸福、それに繁栄に満ちていた。統治者である王は古代叡智のマスターであり、光の使者でもあった。

 彼はその光に従って国を率い、王国は完全性の生きた手本だった。完全な調和を保った状態は数百年間続き、その間に陸海軍などの兵力の類(たぐ)いを備える必要もなかった。」

 「人々の統率は14人のアセンディッド・マスターたちに委ねられ、7つの光線にその2人ずつが配置され、大いなる神の活動を目に見える形で体現した。

 この14人の光の存在の下には7つの部門を支配する下位のマスターが14人置かれ、それぞれが”内なる神”に忠実に従い、主に科学や産業、芸術を管轄した。

つまり、人間の側から妨げられることなく、神の完全性が絶え間なく上から下へ流れていた。」

 「この統治システムは、最も優れた成功例であり、どの部分をとっても満足のいくものだった。これ以後、地球上でこのレベルにまで近づいた文明は存在しない。

今日にまで伝わる古代の記録では、この前時代の文明が黄金時代と呼ばれるのはそのためだ。」

 「あなたがいま目にしている時代より1つ前の時代では、ほとんどの人々が巨大な飛行船を移動手段としていた。技術が高い水準に達した頃には、発展途上地域以外ではそれも必要なくなった。

 その理由は、人々を導く高官たちは霊的にも進んでおり、あなたがルールで体験したように、霊的な体で移動ができたが、同時に肉体での移動も簡単にできたからだ。彼らにとっては重力を超えることは、呼吸をするほど自然なことでもあった。」

 だが、いずれの過去の時代もそうであったように、”内なる神”の偉大な創造計画よりも、一次的な快楽を得ることに誘惑される者がここにも現れた。

それはたとえ一部の人間ではあったとはいえ、そのような人間が出て来ることによって、王国一帯が神の力への認識の欠如へと除々に傾いていくことになった。その首都は、『太陽の都』と呼ばれていた。」


           (サン・ジェルマンによる)
  『明かされた秘密』 ゴッドフリー・レイ・キング著
                   ナチュラルスピリット

神我一体の悟りの手引き♪「愛の放射」で和解して波動上昇♪知花敏彦先生のお弟子さん「大村さん」の神秘体験秘話をご紹介♪

神我顕現への道 | 知花 敏彦 | 本


 過去記事ですが、内容が素晴らしいので、記事を再度掲載させて頂きます。
 上江洲義秀先生に、「こんな綺麗に眉間のチャクラが輝いているのをみたことがない」って言われたのが、大村さんのこの体験談の真実性を証明してくれている気がします。

 現在の大村さんなら、もうとっくに悟りを開かれていることでありましょう。こういう体験談を見ると、真理に対する情熱が燃え上がってきますね。

 私も、大村さんのような境地に到達できるように精進しなきゃ…と思った次第であります。皆様もぜび、真理の実践法としてご参考下さいませ♪


FC2版に、最新の記事を作りましたので、リンク先でご観覧下さいませ♪



神我顕現への道から引用させて頂きました
知花敏彦さんの(多分)一番弟子と思われる
大村さんの神我一体への悟りを開いた体験記をご紹介させて頂きます♪
きっと皆様の悟りの良いお手本になれると思います♫~♬
良かったらご参考にして下さいませ
ちなみに、記事に出てくる上江洲さんとは覚者上江洲義秀先生の事です。


大村さんの体験

清里での、別の研修会の時の体験を話してみます。
私と、上江洲さんと他に四人で清里に来ました。
五、六十名の方が集まって、あるペンションの貸し切りの二泊三日の日程で、講話と瞑想という内容でした。

二日目に、知花先生が講演をしながらバイブレーションを上げられました。
瞑想をしながらバイブレーションが上がっていき、在る女性がその強烈なバイブレーションの中で、ある種の指導霊の光を見せられたのです。

ですが、そのことにその女性の意識がついていかないものですから、ちょっとした興奮状態になった。
そんな中で、皆はバイブレーションが上がってきているのに、私は上がれないのですね。

「なぜ、私だけが上がれないのか」
私は自分自身に問うたのです。

「私(神)に祈る前に、全てのものと和解してから祈りなさい」
私の内側からその言葉が出てきたのです。
その時の私には、以前から一人だけ違和感のある人がいました。でも、その人との違和感をなくす方法が、それまでわからなかったのです。

 ですが、この言葉が出てきてから、瞑想の中で一人ひとりをビジョン化しながら「愛の放射」を行っていったのです。七番目か八番目に、その男性が出てきました。
 その時もまだその人に違和感があったのですが、それでも私は心を改めて「愛の放射」をしたのです。

 その瞬間です。
私の中に強烈なバイブレーションが起きて、もう肉体が爆発するのではないか、と思われるほどの、強烈な振動の中に置かれたのでした。

 テーブルを囲んで振動をおさえていましたが、肉体のレベルまでエネルギーが充満しました。私はその時が初めての体験でしたので、掴んだテーブルまでも揺り動かしているのです。

 このままでは肉体が爆発するのではないかと、自分ではこのエネルギーをどうすることも出来なかったのです。
知花先生が講話の途中で「皆でオームを唱えましょう」と言われ、オームを唱えてくれました。
私も一緒にオームを唱えようとしました。
でも、どうしても声が出ないのです。

 先生が三度唱えられた時、私はようやく声を出すことが出来ました。
瞑想の中で「オーム」と唱えているのです。

そのオームの声で物質的なバイブレーションを上げることが出来たのですが、その声に唱えた声は、自分でも聞いたことのない極端な高い声(ハイオクターブの、まるでハイソプラノ歌手のような声)で、オームのバイブレーションが出てきたのです。
 
 それを唱えることによって、私自身に充満していたエネルギーが表現されて、外に流れ出ていったのです。
高いバイブレーションになればなるほど、1点の曇りもあってはいけないということでした。

私の場合は先程も話しましたように、私自身が「神一元瞑想」に集中している状態でなければ、なかなか言葉も出てこないのです。

 対面した人に対して、個人的レベルでもそうでしょうし、瞑想の話もそうでしょうし、自分自身がある一定上のバイブレーションにならないかぎり、言葉が出てこないのです。

 これまでに学ばせてもらったのは、相手と話をする時、相手の形態とか心の状態をみるのではなく「常に相手の神我を見る」ということ。

 その中からお互いの答えが出てくるように思います。
だから、相手の根源との一体という意識、この私がどこまで集中出来るかということです。

その状態から「お互いよい答えを求め合う」、そいういうものを求めるとそれが出てくる感じなのです。

その現象の中の、問題の部分だけに意識を向けるのではなく、一度無限意識の中に入り一体となった状態で、小極というか、形を意識するといいますか、そうすれば無限の中から、対極の中から見ていますから、「それが何であるか」を即座に知ることが出来るのです。
 
 直接問題点の「小極」に意識を向けるのではなく、いったん、太極の上に立って小極を見つめてみる。

そうすると、バイブレーションの高いところから見ていますから、表現界の知識とか理屈ではなくて、太極に立つことによって「物事がよく理解できるようになる」「正しい判断ができるようになる」ということを教えられました。

 物事に意識を、頭を突っ込むのではなく、一旦、無限という意識と一体化するということを通じてのみ、小極を見つめてみるということです。

 沖縄の研究所に泊まり込んでいた時期のことです。
他の場所での伝導瞑想の集いを終え、夜の十二時す過ぎに戻ったのですが、その日は二時頃床に入りました。

「愛一元」を、四六時中意識していた時でした。
眠りについた時、突然、私のハートにものすごい大砲が打ち込まれたのです。
それが私のハートの中で、強烈に爆発しました。
びっくりして飛び起きたのですが、ハートチャクラの痛みに耐え切れず、七転八倒して研究所の中を転がりまわっていました。

 やがて痛みが消えると、私のハートがしっかりと開いているのです。
その時の一つの刺激というか、エネルギーによってハートのチャクラが開かれたとでもいうのでしょうか。

それ以来、私の意識、私の心というものが、完全に「空」という状態になったのです。

心の中に雑念というものが溜まらないのです。
自分の中に無限という「全くの空間」とでもいいますか、常にそれが内在するようになり、それ以来、先生の説法をより深く素直に吸収する事が出来るようになったのです。

 その後、しばらくしてから瞑想の最中に、額がものすごく痛くなってきました。
これは額のチャクラが刺激を受けているのです。
私はわたしなりに「神一元」という世界を、思いっきり意識してみました。

そうすると、痛みはなくなり額のチャクラが開かれていったのです。
その時、上江洲さんに額を霊視してもらいましたが、「こんな綺麗に眉間のチャクラが輝いているのをみたことがない」と言ってもらいました。

 知花先生にお会いできてからというもの、私は非常に短期間で全ての意識を外し、その神理に集中し、それを「神一元」という形で強く求めてきたのです。その結果、それはどのようにいい表したらいいでしょうか。かなり肉体の変化が短期間に現れたのです。

そして、私が色々な現象と遭遇する中で、私のハートの中に、いかに神が着座しているかどうかを、自分なりに確認したいと思ったのです。

 ですから「寝ても覚めても神意識」という、先生の講話の中の教えが理解できましたので、常に、自分の意識が「神」の方向に向いているかどうか、自分で自分自身を注目していました。

「寝ても覚めても神」
「夢の中でも神」
宇宙意識を着座させるということです。

眠っていても、夜中に目が覚めます。
その瞬間(何を意識しているか)、常に自分は「神一元」を意識しているかどうかと、意識をチェックしたのです。
そのチェックをどんどん行っていきました。

 その後三日間、四六時中「我は神なり」を唱えさせれた事がありました。3日の間、それを続けさせれたのです。
そして、三日目で、二段階も三段階も、強烈に意識が上がる状態が起きました。

「すべてが神」という、あれもこれもすべてが神というものを見つめる状態が、三日目になって、バイブレーションが二段階も三段階も上がったということなのです。

 私は、先生の事務所に寝泊まりするという、その環境に大変恵まれておりましたので、先生の神理の教えを学ぶことに対して、世俗的な影響を受けることはありませんでした。

 先生が講話をされている時、「あなたは一番恵まれていました」と私にそう言われたことがありました。

私は非常に貧乏で、お金もなく、身体も病んでいまして、肉体的に考えると「なぜ、そんな大村が恵まれているのか」という思いが周りの皆さんにあったようですが、私自身は自分が恵まれていることに感謝していましたしそれについてはある程度は理解する事が出来ていました。

お金とか物とかは一切ありませんでしたので、それらに捕らわれることもなく、全くの自分の時間を与えられていましたので、先生とお会いしてからというものは、真理の追求に入っていけるその恵みが、私には与えられていたのです。

 お互いに瞑想していく中で、「瞑想を通じて理解を高め表現する」ということを教わりました。

今日も、こういった過去の体験の話をする中で、その体験を過去の思い出という状態で語っていまいますと、「天の知恵」を、単なる知識として記憶してしまうのではないかと、そのように思っています。

 言葉はバイブレーションであり、意識もバイブレーションですから、意識を一元意識から外さず表現していけば、そのバイブレーションが言葉を通じて表現されていくると思います。

 そして、これが文章化され本として出版された時も、この魂の奥底のものを世の中の人に読んで頂き、きっとご理解頂けるのではないかと思っています。


知花敏彦先生の総まとめ記事 第1回目

知花敏彦先生の総まとめ記事 第2回目

FC2版の広瀬すずちゃんの横顔になる方法の記事です♪
身長を伸ばす記事も追記してみました♪

イエス・キリストの人生 イエス様ご本人が語るご自身の壮大な人生談♪イエス様の身長は168cm・62kg・血液型はA型♪イエス様の伝えたかったのは「真理を知って、真理に生きる」あまねくすべての人々が神の子であり、神そのもの♪イエス・キリストの人生は天界と地上との共同歩調による大計画♪

新山上の垂訓 助安由吉 から引用させて頂きました♪


イエス・キリストの人生
イエス様ご本人が語るご自身の壮大な人生談

 今回は、あの世界一有名な「イエス・キリスト」、すなわちイエス様ご本人が直々にご講釈をして下さっている、素敵なお話をご紹介させて頂きます。

 怪しいチャネラーが交信したのではなく、天上界から派遣された12人のキリストのお一人であられる「助安由吉さん」という方が、明想中に、光一元の意識状態の中で、イエス様から受けたメッセージという形になります。

 天上界から派遣された12人の中には、知花敏彦先生や、上江洲義秀先生もおられます。
 な~るほどぉ♪そういった一番信頼できる系統の方なのね♡♪…という認識をして頂ければ幸いであります。

 信じるか信じないかはあなた次第…といった内容ですが、大筋では有名なMドリール博士等と同じですから、真実である可能性は大いにあると考えても良さそうです。

 このお話から、イエス様の生き様は「心身の神癒の、M・マグドナルド・ベイン」さんのスーパーパワーアップ版といった印象を受けました。

 40日の伝道活動の時は、完全に神の道具に徹しておられて、その間に奇跡等を起こされたのでしょうね。

 イエス様ご本人は、「水をワインに変えたとか、パンと魚を増やしたとか、こういう作り話は…」と仰っておられましたが、私の見解では、多分実際にあった事であり事実だった…という風に捉えております。

 何しろ、神様がイエス様の肉体を操作されていた訳ですから。それぐらい実際にあったと考えるのが自然でありましょう。

 神の御業が、イエス様の肉体を通して、オーバーシャドウ(真の神憑り)中の神ご自身によって行われた…というそんな解釈で御座います。

 「魂の法則」では、イエス様の伝導期間に「ロゴス・キリスト」がイエス様に影響を与えており、「二人で活動していたと言っておこう」との記載がありました。

 イエス様の言われる「父なる神」と「ロゴス・キリスト」は言葉は違えど、同じ存在を言い表しているのかもしれませんね。

 信じる信じないは別として、読み物としてはかなり面白いので、
一度、最後までご観覧頂ければ幸いで御座います。
 「神の道具」という御言葉が…とても印象に残りました。


愛は天と地の架け橋Ⅰ⇐リンク先でイエス様のご講話が見れます♪


イエスの生い立ち (イエス・インマヌエルより)

 私イエスは、紀元前4年11月25日ベツレヘムにおいて生まれました。馬小屋で生まれ、かいば゚桶に寝かされた事になっていますが、そんな事はありませんでした。

 普通の家で生まれたのです。また母親マリアが天使から告知された事になっていますが、これも違います。私は父親ヨセフと母親マリアの子として普通に生まれ、皆様と全く同じように生まれ育ったのです。

 私が生まれる時、東方から三人の博士が私をひと目見ようと、星に導かれてきたと伝えられていますが、これも作り話であり、本当ではありません。

 ヘロデ王が生まれたばかりの赤ちゃんを皆殺しにすると言ったため、両親は私を連れて、ベツレヘムからエジプト(今のカイロ)に逃れました。

 ヘロデ王は翌年、前三年に亡くなりましたが、両親は用心をして私が四歳になるまでエジプトにいて、その後ナザレに帰ったのです。

 私は少年時代から体質的に大変敏感な子供でした。大人の思うことが手にとるように解り、お世辞なども本音がすぐに解ってしまうため、大人に対して不信感を持った事が何度もあります。

 少年時代から青年時代にかけて、私はいつも大きな力によって守られているように感じていました。また、私の心の中に疑問が生じると、たちどころにその答が心の中に浮かんでくるのです。

 一体これは誰なのか、当時の私には理解ができませんでした。私という一人の人間がいて、また違うもう一人の人間がいて、また違うもう一人の自分がいる、その人は何でも知っていて困った時にはすぐに教えてくれるのです。

 このような日々を父ヨセフの大工仕事を手伝いながら日を重ねていきました。23~24才の頃より私の心の中に大きな変化が生じました。

 このまま父ヨセフの大工仕事をすることに対して、心苦しく思うようになり、何か私のやる事が他にあるように感じ始めたのです。私の中のもう一人の自分は、大きな力をだんだん出し始めてきました。

 そして、25才の時に、遂に両親にこの事を打ち明けて、私自身の霊的修行のためにエジプトのピラミッドに行くことに許しを乞うたのです。

 父のヨセフも母マリアも驚きましたが、大きな反対もなく許してくれました。25才の時、幼児の時に行ったことのあるエジプトに一人で旅立ったのです。

 念願の大ピラミッドに行き、そこの神官に多くのことを学びとり約一年滞在しました。その間、様々な霊的修行をしました。詳しくは省きますが、人間の魂と霊についての基礎的なことは、このピラミッドにおいて学んだのです。

 またこの時期に、私は大恋愛をしました。エジプトの女性で、とても聡明で気立ての優しい人でした。私は結婚まで考えましたが、これからの私の修行を考えますと、それもできず大変苦しみました。

 ピラミッドで一年の修業を終え、この方と泣く泣く別れ、次の修行の他、中インドに向かってひとり旅立ったのです。私の中の主が結婚を許してくれませんでした。

 肉の身を持つと、この性の問題抜きに考えられない事を、この時の恋愛で強く感じ取りました。そのあと中インドでの2年間の霊的修行と、更にヒマラヤでの三年間の修行はとても厳しいものであり、

この間には好きな人が現れることもなく、しかし性的な面での悩みは尽きませんでした。特にエジプトで別れた彼女の事を思い出すと、とても会いたい衝動に駆られたのです。

 またイスラエルでの伝導期間中にも、肉の身である私にとって好ましい女性が何人もいました。マグダラのマリアもその一人でした。夜一人にもなり、ほっとくつろいだ時に、その性的な面が現れます。

 これも人間が平等に神から与えられた自然現象です。男性は女性に惹かれ、女性は男性に惹かれるのは当然のことであり、これを善悪で片付けるのではなく、父なる神のみ計らいによって決めていくのが大切な事だと、当時の私は思ったのです。

 毎日毎日の私の行動は、父なる神の意思に沿って行われていましたので、性の問題についても、自我をはたらかした事は特にありませんでした。

 すべてはうまく運んでいた事は確かなことです。それはそれとして、とにかく父なる神の計画通り、無事六年間の霊的修行を終えて、懐かしい我がふる里ナザレに帰ってきたのです。

 その前年、父ヨセフは病気で亡くなっていて、母マリアと弟や妹達が迎えてくれました。なんと行っても父の死に目に合えなかった事は、肉体を持つ身としては大変悲しい出来事でした。

 その後の生活は多くの方々が知っている通りであります。西暦27年の30才の1月13日に、ヨルダン川において洗礼者ヨハネによるバプテスマ(洗礼)を受けてから、私の活動は私の内にある大いなる父、大いなる神によって始められたのです。

 私自身は単なる父なる神の道具でしかありませんでした。そのために六年間の厳しい修行が必要だったのです。私という私はイエス自身ではなく、父なる神だったのです。

したがって、パリサイ人達はそれが理解できずに、大きな誤解を生む結果となってしまいました。それが原因で 次から次へと不信感が広がっていったのです。

 その反面、私イエスを神のごとく信ずる人たちも大変多くなっていきました。奇跡も私自身の力ではなく、父なる神のみ力によって次々と現象化していったのです。私はただ御心のままに動いたに過ぎません。

 12名の私の仲間も、この事についてはあまり理解ができなかったのです。そのため何回も皆と話し合う機会を作りましたが、その都度、私を特別扱いにして耳を貸そうとしません。

 父なる神に対する全幅の信頼さえ確立できれば、あらゆる力は私と同じ様に、あるいは私よりももっと大きな力を出せる事を何回も何回も話しましたが、実際にはそのようにならないまま、私はこの地上を去らざるを得なくなりました。

 イスラエルにおける父なる神のみ言葉を伝える伝道活動の期間も、ヒマラヤで修行している時に知らされました。

 そのためあまり時間がありませんので、その間私の動きは大変ハードなものになりました。私の仲間の12名も大変だったと思います。

 エルサレムに行って十字架で処刑される事も、私には完全に解っていました。限られた時間内に、私は父なる神の道具に徹していろいろな所に行き、いろいろな人々に逢い、色々な癒やしを施しました

 その間私の肉体はいつも守られていました。エジプトや中インド、ヒマラヤにおいて厳しい霊的修行をしていた為、私の肉体は霊的な面が多く出ていたのです。

 いくら歩いても、いくら寝なくても疲れるという事が無かったのです。
六年間の霊的修行で、完全に自分の肉体を父なる神に明け渡し、自由に使って頂けるようになっていたからです。

 ここで私の身体についてお知らせしておきますと、私の身長は、168cmであり、体重は62kgでした。特に目立つ程ではなく普通の人間でした。現代で言うところの血液型はA型でした。

 そして皆様もご承知の伝導の期限切れが近づいて、十字架においての処刑の日が迫ってきました。

 その時の私は、肉体イエスは殆ど感じていませんでしたので、そのことについて全く問題がなかったのですが、一番気になっていた事はイスカリオテのユダの事でした。

 どのような経過で私の処刑がなされるかは、大体は解っていましたが、小さな事は教えてもらってはいませんでした。

 私が父なる神のみ言葉を伝え、その結果イエスが処刑される……この計画は、私がこの地上に生まれる前から決まっていたものです。
 現実に私がそれを知ったのは、ヒマラヤ修行中の三年目でした。

 ユダが私を裏切って売るという行為がなければ、この計画は成就いたしません。その結果ユダにそのしわ寄せがいきます。それを知っていてもユダはこの割の合わない役を自ら買って出たのです。

 その事を知っている私の気持ちは大変複雑で、この計画を止めてもらいたいと何度思ったか知れません。しかしこれはイエス個人の小さな問題ではありません。

 地球の人類に影響を及ぼす、大変な、天界と地上との共同歩調による大計画であったからです。いよいよ処刑の日が迫ってきました。

 私はユダの気持ちを思うといても経っておれない程の気持ちになっていました。ユダのやる事も、他の仲間のやる行動も、みんな手に取るように解ります。

 そしてこれを成功させるにはユダの裏切り行為がなければ成立しません。ユダに対して申し訳無さと、感謝の気持でいっぱいでした。

 12名を集めて最後の食事をいたしました。その時私は初めて「この中に裏切り者がいる」と12名の仲間に知らせました。私の最も苦しい時間であり、最も辛い言葉であったのです。

 そのあとゲッセマネの庭において、私は父なる神に祈ったのです。ようやく私の心は落ち着きを取り戻しました。

 父なる神は一切は我々にお任せなさい。この計画の成功によって人々は救われるのです。」と言われたのです。

 私はユダの事が気になりながらも無事、この計画が成功するように祈りました。予定通りユダの手引きによって、遂に私はローマ軍に逮捕されたのです。

 計画が順調に進んでいることに、私は心より満足でした。事前にすべての計画を知り、心の準備は完全に出来ておりました。私の肉体は、更に肉体感覚が減少して霊的な力が倍増していました。

 両手両足に釘を打ち込まれた時にも、その痛みは瞬間のみであとは全く痛みというものがありませんでした。脇腹に槍(やり)を刺された時も、一瞬の痛みでその後の痛みは全くありませんでした。

 私は肉体を持ちながら、肉体から開放されていたのです。それと同時に、霊体が急速に覚醒していったのです。両隣の罪人や、ユダのことや、仲間達のこと、母マリアのことなどが思い浮かび、父なる神に肉体を持った最後の祈りをしたのです。

このことに関するすべての人々に、父なる神の愛が降り注がれますように。そして平安が訪れますように

 そしてこの計画を実現して下さった多くの人々に心から感謝を捧げました。

「※我が神、我が神、どうして私をお見捨てになったのですか」と言ったとされていますが、全てを知り尽くした計画の実行に対して、どうしてこのような言葉が出ると思いますか。感謝こそすれ、未練がましいことは全く無かったのです。

※補足説明ですが……♪

イエスの最後の言葉は誤って伝えられている

「父よ、父よ、あなたはなぜ私をお見捨てになったのですか?」
あなた方の聖書にはこう書かれているが、イエスは決してこんなことは言っていない。

 唯一神アトンにその身を捧げ尽くしていた我々の偉大なる長兄が、いかに絶望的な状況に置かれていたにしても、人類が「あなたはなぜ私をお見捨てになったのですか」などという、神への疑いを表明するような言葉など、発するわけがない。

 それは臆病者の言葉である。それは、自分の使命が果たせなかった者の言葉であり、決して神の言葉ではない。

 その言葉は、「彼」が実際に発した言葉が誤って解釈され、伝えられたものである。それは元々、当時の流通言語だったアラム語で語られたものではなく、それよりもずっと古い、「太陽の言語」あるいは「母なる言語」として知られる言語で語られたものだった。

 さらに、イエスが死の直前に発したその言葉を、聖書は
エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」と記しているが、実際にイエスが口にしたのは、
エロイ、エロイ、ラマ、ズバクタニ」だった。

 そして、その「エロイ、エロイ、ラマ、ズバクタニ」を正しく翻訳すると、こういう意味になる。

「父よ、私は自分の魂をあなたに捧げた、そして今、使命を果たした」


 とにかく、西暦32年4月1日午後3時半頃肉体的には死を迎えたのでした。僅(わず)かではありましたが、父なる神のみ力の元で、私の伝導生活は予定通り終止符をうったのでした。

 私の亡骸(なきがら)は、現在の園の墓という場所に置かれました。私には復活というテーマがあり、これがなければ今度の計画も半分の成功にしかなりません。

 その時の私は完全に霊体になっていましたので、すべての事が解ります。三日目の復活という事は、私の肉体が空中に分解し溶ける日数であったのです。

 3日間で私の肉体は、完全に現象界であるこの世から消えてしまったのです。霊体は自由ですので、何処にでもいけます。このようにして、三日目で肉体が消えてしまったので、復活したという事になりました。

 当時の私は、霊体でありながら肉体を物質化したり、消したりする事ができました。これもヒマラヤでの修行の賜物です。

 以上が私イエスのあらましの経過です。私がこの地上を去った後、仲間とかパウロによって、父なる神からの真理の言葉を広く知らせる事が出来ました。特にパウロの力が大変大きく働きました。しかし、大きな所で間違いを犯してしまったのです。

 第一の間違いは7つの教会は一人ひとりの内に建てるのが本筋でした。7つというのは自己の完成を意味しています。それを外に建ててしまったため、これまで多くの混乱が生じる事になってしまったのです。

 その後時代を経るにしたがって、偶像崇拝になって、大いなる神の使徒であった私、大いなる父の道具であった私を、神として祭り上げてしまったのです。

 私の絵とか、十字架の処刑のものなどが大量に出回り、私イエスが志したこととは全く逆の方向に進んでしまっているのです。もう一度原点に戻って考えて頂きたいのです。

 私イエスがヒマラヤにおいて修行している時に、父なる神より私に御言葉がありました。
イエスよ、我が言魂を伝えなさい。そしてあなたがそのように生きなさ」これが原点なのです。

 父なる神の言魂を信じて、そのまま行為に現すこと。それ以外に何も付け加えてもならなかったのです。ところが人々は色々なものを多く作ってしまい、それに振り回されているのが現状です。

 簡単なことです。「真理を知って、真理に生きる」たったこれだけです。すべての偶像崇拝は多くの弊害が生じます。
 それに私イエス一人が神の子ではなく、あまねくすべての人々が神の子であり、神なのです。

 それを知って、私イエスを特別扱いにしてはならないのです。イエスは処女懐妊によって生まれたとか、馬小屋で生まれたとか、水をワインに変えたとか、パンと魚を増やしたとか、こういう作り話をして、私を神格化してしまったのです。

 私イエスは全く普通の人間であり、たまたま私の肉体を大いなる父なる神に自由に使ってもらった、ごくありふれた神の下僕、神の使徒の一人だったのです。

 今真実を知って、一人でも多くの人々が内にある大いなる父、大いなる父なる神と接触されて、私より大きな力を発揮して頂きたいと切に願っています。

 それは誰にでも出来る事だからです。そして誰もが皆その力を持っているからです。信じてこれからの時間を大切に生きて下さい。
(1991・12・16 3時30分、アルベル山にて)


「魂の法則」からイエス様の「地上での使命」からですが……♪




















続きを見たい方はこちらへ♪
「魂の法則」の記事♪注・Wi-Fiスポット必須・激重記事です


天上界のリーダー・覚者・知花敏彦先生

瞑想とは何か           
瞑想の意味は神秘に達すること    知花敏彦師の記事♪

 瞑想に興味を持っている人や実際瞑想をしている人は多いのですが、果たして瞑想って何なのでしょうか。また、何のために瞑想するのでしょうか。

 瞑想の意味を知らなければ、瞑想にはなりません。ただ目をつむっていればよいというものでもありません。

 瞑想しないで神の国、すなわち神我到達は出来ないと言われています。
 イエス様もパプテスマのヨハネも十年間、インドに渡って瞑想をしました。瞑想の達人になって神我到達の域に入ったのです。

 みなさんに「どういう瞑想をしますか?」と尋ねましたら、「自己を見つめる瞑想をしています」と答える人が多いようですが、確かに自己を見つめるのも一つの方法ですが、神我を見つめるのが本当の瞑想です。

 自分を自分と思い込んで瞑想するのならば、それは自我の瞑想であって、本来の瞑想ではありません。神我という、大霊との一体感を本当の瞑想というのです。
 自己の本性を見つめることは無限で普遍的な大宇宙と一体化することです。


深い瞑想状態に入った時、色即是空、空即是色が理解できる

 私達は今まで外側の姿、形の外観、つまり表面を見つめてきました。その肉の目と耳を閉ざして大霊(神・神我・大生命)へと心を集中する、これを瞑想状態といいます。

 今まで自分たちが考えている肉体という外念は存在しません。肉体という物質は存在しないのです。肉体は霊体であるといえます。

 「色即是空・空即是色」
 これは般若心経の言葉です。見えるものは見えないものであり、見えないものは見えるものであると、その見えないものと見えるものは同一であるという意味です。

 話を聞いたり、考えるだけでは何の意味もありません。話そのものや考えることは神理ではないからです。文字そのものは神理ではありません。

 ですから、いくら話を聞いてもいくら本を読んでも、瞑想を実践しなければ真の自己を実感することは出来ません。

 瞑想中は、大霊(神我・大生命)以外の事を見てもいけないし、思ってもいけません。大霊そのものへの一心集中を行います

ところが、一般にまかり通っている瞑想は、光が見えた、霊の次元から姿が見えた。景色が見えたといった状態を瞑想といっています。

 真実(根源・無限・内在する真我・裡なる神)との一体感、実在との一体感の我に帰ることが大切で、これを図ることが本当の瞑想です。


瞑想は教えてもらうものではなく、自分で実感するもの
 
 皆さんの中には、瞑想を教えて下さいという人がいます。ですが、瞑想はそう簡単に教えられるものではありません。自分自身で実感するしかないのです。

 聖者の方たちには「完全沈黙」をしています。完全沈黙というのは五感の沈黙、自我のない状態をいい、この世のものを全然感じなくなります。この完全に自我意識から開放された状態を完全沈黙といいます。

 私達の肉体は存在していないのですが、私達自身は肉体を感じています。肉体は霊体です。霊が肉という姿・形をしているだけであって、姿・形の実体は全て大霊といえます。


神の臨在感とは

 「無我の境地」というのは、何のないという意味ではありません。
 自我がないことです。
「神(遍満する大霊・大生命)あるのみ」という境地です。
 
 今まで私達は自己中心的な、自我の自分を感じていましたが、そのような自我がない状態を「無我の境地」というのです。そこには普遍的な自己、宇宙的な自分があります。
 自分が全宇宙そのものであり宇宙霊そのものである。宇宙意識そのものであるという状態に意識を統一することです

「汝の見るもの全てを受け継がん」
 つまり、大きいものを見れば大きい物を受け継ぎ、小さいものを見れば小さいものを受け継ぐことになります。

「想念は実現の母」 と言われています。自分を人間と思っているのか、大霊と思っているかで。自分自身が決まります。

 寝ても覚めても四六時中、神を思い、自分が神であり、大霊であり、大生命である、との思いが大切です。
 これを思い続けることを「連続的祈り」といいます。祈りは神との一体感です。即ち「神の臨在感」です。


瞑想こそが宇宙神のバイブレーションに合わす唯一の方法

 皆さん方が神と一体化した時、神の心臓と自分の心臓が一体となって鼓動するのです。

 神への到達というのは神そのものに成りきることです。世の中では「神になる」といえば特別な意味に捉えられますが、特別なものではありません。

 自己実現というのは、大霊、神我が自分自身だと自覚できる状態を把握することです。生命の把握を「自覚」ともいいます。あるいはまた「実感」ともいいます。
 
汝の意識するとき、汝はそこに居るのである」 という名言があります。
 外側を意識すれば、外側に留め置かれます。内側を意識すれば内側に留め置かれるのです。

 世の中で瞑想している人は沢山います。ところが瞑想が何であるかをはっきり理解できている人は案外少ないのです。瞑想が何であるかわからないのに瞑想することは出来ません。


瞑想は神への一心集中である

 瞑想とは皆さんが「こういうものか」と自分で見出すものであり、人から習って出来るものではないのです。

 皆さんの中には、瞑想中に色々考え事をする人がいます。考え事は全て雑念です。完全な深い瞑想状態というのは、この世的なものが1点の意識もない、大霊そのものに溶けこむようにして、大霊そのものになる。融合するという一体感です。
 
 それができるようになるまで、皆さん方は瞑想していかなければなりません。ただ何回か繰り返しているうちに、無意識のうちに軽く目をつむった瞬間、大霊を自覚できるようになります。

 「神理が神理を啓示する」という言葉があります。私達が神理へ一心集中をすればするほど、「天啓」というインスピレーションを受けることが出来ます。

 私達が、普段なぜ「天啓」というインスピレーションが受け取れないかといいますと、自分の意識が非常に低い状態だからです。低い意識状態というのは、外側を意識した状態のことをいいます。内側を見つめている時には高い意識状態といえます。


密教では、「欲望」「感情」「意思」を経て「覚者」に達する段階がある

 密教学では、イニシエーションという言葉を使います。第一イニシエーション、第二イニシエーション、第三イニシエーション、第四からは覚者といいます。

 イエスキリストがこの世で十字架にかけられた時は、第三イニシエーションだったのです。十字架にかかって、肉を十字架にかけられることによって、第四イニシエーションという覚者になり、第四が終わるとすぐに第五という位を授けられたのです。今は第七です。

 第一イニシエーションというのは、まず肉の欲望です。食欲、物欲です。美味しい物を食べたい、良い洋服を着たい、豪華な家に住みたい、豪華な車を乗り回したい、そういう欲望を克服した状態を、第一といいます。
 
 そして、それを欲しがっている間は、肉が強力に働いています。ご飯を出されても、美味しい物が出ないと「これが食えるか」という意識です。意識の高い者が「これが食えるか」とは言いません。
 食べ物への文句、それは一番、低い状態です。
 
 肉の自我がうんと働いている状態です。食べ物を文句無しに食べる、ありがたく感謝して食べる。美味しいとかまずいということは、無関係です。それが克服できますと、第一段階のイニシエーションです。

 第二イニシエーションというのは何かといいますと、感情のコントロールです。感情が出ない、何か人から言われて、かっかとして鬼みたいになる人や、すぐにかっと思う人など・・・・・。

 これは感情のコントロールが出来ていないのです。すぐ怒ったり憎む。そのような嫉妬深いというような感情はコントロールできなければなりません。

 それらは瞑想を通して全部が克服出来ます。食べ物の欲望が無くなります。人を許せるようになります

第三イニシエーションとは何かといいますと、意思のコントロールです。意思とは何でしょうか。これは想念のことをいいます。想念のコントロールのことです。意思の力をいうのは想念の力です。
 
 今まで悪想念だったのが、常に良い思いを持つような意思になります。皆さん方は自由意思を持っていますから、悪いことも出来、悪想念も持つことが出来ますし、また正しい想念を持つことも出来ます。

 欲望、感情、意思の3つが克服されるために、私達はぜひとも努力しなければなりません。すぐに妬みっぽい、怒りっぽいというようでは、まだまだ感情のコントロールが出来ていません。
 

気が高いとは、バイブレーションが高いことで、意識の高揚を意味している

 瞑想しないで、皆さん方のバイブレーションを上げることが出来ません。意識の高揚こそがバイブレーションです。意識は自我意識にいながら、バイブレーションの高い人がいるでしょうか。瞑想を通してのみ、バイブレーションを上げることが出来ます。

 意識の上がった状態を、バイブレーションの高い状態といい、意識の低い状態を、バイブレーションが低い状態と言います。

 バイブレーションの高低があるから、低周波数と高周波数があるわけです。バイブレーションの高い人というのは、どういうことなのでしょうか。
常に自分が大霊(神我キリスト・大愛)との一体感を感じていきますと、いつも皆さん方は、高我の自分、神我の自分、高い次元に自分を留め置いていることになります。

 我々が大霊との一体感を感じている時に、初めて私達は神のバイブレーションまで高めることが出来ます。神を意識している時は、神のバイブレーションです。肉体を意識しているときは、低我の、低次元のバイブレーション状態です。

 バイブレーションが上がった方のことを、どのようにいうかといいますと、気高い人といいます。

 バイブレーションの低い状態を気落ちをいいます。バイブレーションが高い状態というのは、エネルギーが高い状態であり、自我意識はエネルギーが低い状態です。


エネルギーが低い人が病気になる

 低次元意識で生きる限りはエネルギーが低いのですから、私達は病気になります。
 しかし、覚者の方々は病気にはなりません。なぜかといいますと、エネルギーを高めておりますので、病気にはならないのです。意識の低い人が病気になるのです。

 神我は、罪を知らず、病を知らず、死を知らずといい、我々は神我に到達しないかぎり、罪と病と死は無くなりません。肉体の破壊があるだけです。


白色同胞団 ホワイトイーグルの意味と、七という聖数の意味

 イエス・キリストの肉体は、十字架以後は完全な変成を遂げられていたわけです。その時に、オリーブの山の上に立っておられましたが、目の眩まんばかりの白光に輝いたのでした。

 真っ白姿で、雪のように輝いて見えます。白色同胞団といいまして、ホワイトイーグルともいいます。その神我は白光の世界です。皆さん方は、白い色といいますと、何を思うでしょうか。

 白色とは七つの色をミックスすると、白光になります。七色の虹の七つのチャクラの生命線が一つになった時には、白光として輝きます。

それをエルランティといいますが、全部含めてエルランティ(※高橋信次師と、普通は名づけているところもあります。

 あるいは七つの天門とか、七つの霊的中枢とか、あるいは七つの教会とも言われています。それが一つになった時、白色となります。

 自分は大霊であることが、はっきりと実感できるまで瞑想をして頂きたいと思います。たくさんの話を聞いたり本を呼んだりすることよりも、少しでも時間が有りましたならば、大霊との一体感の方が大切であります。

 皆さん方の瞑想状態を見せて頂きますと、到達されている方とされていない方とは、相当の格差があります。 
 到達している方からは、相当の光が出ています。

 今から何ヶ月前までは、大勢の大衆の中からようやく一人か二人、白色に輝く者がおりました。この頃は大半の人が、瞑想している時に輝いております。

 瞑想している時にあれやこれやと物事を考えながら目をつむっている人がいます。明日はどういう仕事をしようか。どうしようかと考えながら目をつむっている人、これは自我瞑想ですから、そのような人からは光が放つことはありません。

 それは目をつむって三次元的な事を考えているわけですから、神への到達ではありません。ですから瞑想でもありません。
 瞑想とは、神そのものに成りきる。大霊そのものに成り切るということです。


瞑想が如何に大切であるか、またどうすれば瞑想できるのだろうか

 瞑想しないで、神が探せるでしょうか。瞑想しないで、神の扉が開かれるでしょうか。もし瞑想なんか不要、という方がおりましたならば、その方は地獄が好きな方なようです。

 今はアクエリアスの時代、水瓶座の時代と言われています。この時代は、非常に大切な、霊的にも求めやすい時です。霊的な道案内人の現れるときでもあります。またこの時代は最後の振るい分けともいいます。最後の審判ともいいます。

 そして熟した魂と未熟な魂の収穫時にあたります。熟した者は天の蔵に納められ、未熟なものは再生されます。即ち、輪廻を繰り返すことになります。

 「時が来たら、あなた方は天の蔵に納められるであろう」という言葉があります。その時が今のこの時代です。

 皆さん方は今生で成し遂げられなかったとすると、また何万年この世をさまようか、再生されるまで、次のお迎えが来るまで、収穫時が来るまで皆さん方は何回もこの地上界をさまようことになります。

 それは聖者も予言されています。
 最初から瞑想が出来た人はいません。みんな瞑想の素人であったわけです。瞑想していると、いろんな雑音が浮かびます。

 今日は何をしようか、あれをしようか。夕飯は何を食べようか、今日の夕飯はまずかったとか、お酒でも飲もうかとか、何をしようか、遊びに行こうか、そんなことを考えます。

 そういう雑念は放っておいていいのです。いつの間にか瞑想しているうちに、雑念は減っていくものです。
 神の道は細く長いのです。「選ばれた者は多いけれども、招かれた者は少ない」という言葉があります。

 この意味は、本当に招かれるもの、神の国へ入れるものは数少ないという意味です。皆さん方は瞑想を通じて、色んな答えを出して頂きたいと思います。


瞑想とは四六時中、神を思うことである

「神にて語らせよ」という言葉があります。神にて語らせよ、という意味は、生命より語る、霊より語るということです。

 生命より語るためには、霊的な自覚、生命の自覚はなさねばならないということです。あなたは霊的自覚、生命の自覚がなくても、あなたを通して神が語っていることになります。
 
 ところで神は神棚をとおして語るのか、霊媒を通して語るのか、あなたを通して語るのか、どちらでしょうか。あなたを通して語るのです。

 四六時中神を思うというのは、どういう意味だと思いますか、あなたは四六時中大霊そのものであり、大生命そのものであるという思いが、四六時中神を思うということです。

 四六時中皆さん方は自分が、人間だ、肉体だと思っているのか、自分は四六時中その遍満する大霊そのものであり、大生命だとおもうのが瞑想です。

 瞑想とは何かと言われたならば、神を意識することです。神を思うことです。自分は人間だと思っている時は、瞑想状態ではありません。

 生命はいまだかつて、一度も争ったことはありません。生命はいまだかつて罪を犯したことがありません。汚れたこともありません。

 イエス様は偉大な言葉を残しています。
一番大事なものを人に与えなさい」という言葉です。

 その一番大事なものは何かといいますと、
命」です。その命とは、真理のことです。


(※必読♪瞑想の重要な注意点)
☆瞑想は絶対に現象を求めてはならない☆

瞑想が非常に危険であるという事は、
ややもすると、
幽界にチャンネルを合わすから危険だという事です。

ですから、
瞑想中に憑依霊を受けたり、
異常が起こったりするわけです。
その時、気が狂ってしまったりするわけです。
身体の調子が非常におかしくなったりするわけです。

瞑想が危険だという事は、
まず、現象(幻)を求めてしまうのです。
この物質界も現象界であり、
幽界も現象界ですから、
「実在」を求めなければならないのに、
瞑想中に、全て、現象だけを求めている人がいるのです。

なにか見えないかな・・・・・。
何か奇跡が起こらないかな・・・・・。
というものは、
どこに意識を向けていると思いますか。

それは、幽界に意識を向けていますから、
そのような間違った瞑想を多くやって、
気違いになった人は一杯いるという事です。


悟りを加速させる感動の記事はいかがでしょ
このお話が、知花敏彦さんの教えで一番大好きです


 「神理とは何か」といえば、愛そのもののことであり、調和そのものの事です。愛そのものに生きている者、調和そのものに生きている者は、神に生きている者です。肉を持ちながらにして、天の住者です。
 
 あなた方が不調和であるかぎり、神理を知っていませんし、神を知っていません。神を知っている者に、不調和があり得ると思いますか。神を知らないから、不調和なのです。

 (神は愛である)と、どこのキリスト教でも看板は掲げていますが、その愛がどこに存在して、どのようにして働いているかということを知らないのです。

 ただ、空想的な、妄想的な夢物語で、「神は愛だ」と、言っているだけではありませんか。あなた方が愛をよく理解して、それこそ、神を、父を知った者、己を知った者となって頂きたいのです。

 その愛の、有り難みを知っている者のみが、自分のものとするでしょう。
 愛を知らぬ者は、神を知りません。

 愛そのものを知っている者が、神を知っているのです
 だから皆さん方は、今後は愛そのものとなり、調和そのものとなって、日々の生活をして頂きたいのです。

「何を見ても愛なんだ」と。「愛の他には何もないのだ」と。
「愛なくして物は存在しないのだ」と。「神なくして何も存在しないのだ」と。

 「なるほど!神こそが全ての父なんだ。全ての本源なんだ」
 「神を宿さぬ物は何もない。鉱物、植物、動物、全ては愛なんだ」

 「その霊と水との、父と母との愛がなければ物は存在しないのだ」と、そういうあなたになって頂きたいのです。
 父なる神様、母なる神様、ありがとう」と感謝できるあなた方になって頂きたいのです。
 
 神は一切の生みの親です。神なくして物は存在しない、生まれてこない、神は一切の生みの親なのです。

 「神こそが我々の父」と、はっきり断言、言明できるのではありませんか。全ての父です。すべての親です。そのものなのです。

 「神棚の中に神がおるのだ」「はるか天の彼方に神がおるのだ」というように、今まで聞かされていた神と、今、ここで言う神と、どちらが本物の神だと感じられるでしょうか。

 あなた方は、神そのものではありませんか。愛そのものではありませんか。あなたの全身に愛が満ち満ちていなければ、あなたはここに、今、生存しているでしょうか。

 今こそ、あなた方は全身に愛を感じてください。
 その愛に、区切りも、分離も、別離も、何もありません。
 全宇宙に遍満する、大愛あるのみです
 その大愛こそが、全ての父ではありませんか。

 「皆さんは大愛の中に留まり、大愛は皆さんの中に留まっております
 そのことを、よくよく自分に、心して、言い聞かせてください。

 それこそが、皆さんが知らねばならない「真の神」なのです
 その神を知らないでは。何も始まらないのです。

 私達は愛に生かされて、愛に生きていながら、いかに愛というものが、自分とかけ離れた存在であったかと気付かされます。この知花が、いかにあなた方を愛しているか。

 また、あなた方が、いかにこの知花を愛しているか、よく分かります。
 お互いが、愛そのものであるということなのです。

 私達の本性、鉱物、植物、人間、全ての万象万物の本性は愛です。
 全ての実態は愛です。調和です。


 鉱物も愛なくしては存在しない。
 植物も愛なくしては存在しない。

 動物も愛なくしては存在しない。
 人間も愛なくしては存在しない。


 愛の具現です。愛の象徴です。
 今こそ、皆さん方が、全てが愛だと、全てが神だという理解が出来ると思います。

 神の愛は、至る所にまします。空間というものはありません。
 永遠であると、無限であると、永遠なる愛の中に、無限なる愛の中に私たちは存在し、愛そのものの中で存在しているのではありませんか。

 それが、永遠なる自己、久遠なる自己、そのものをはっきり理解できるまで、自分の心に言い聞かせてください。
 それが、あなたのハートに定着するまで、着座するまで、これを自分に言い聞かせて頂きたいのです。

 これを知らないでは、何も始まらないのです。本源に返ることはないのです。だから「霊と水に生まれ変わらなければ、神を観たるにあらず」と、聖書にも示されているのです。

 この私の元を離れていく人のことを、私は如何に愛しているか。
 離れていけば何もわからなくなる「もったいない」と、皆さん方ならおわかりだと思います。

 なぜならば、彼らも私自身であるからです。あなた方自身でもあるからです。全てです。平等です。無差別です。無差別の愛というものが、今ならお分かり頂けると思います。

 今まで、あなた方の愛だと考えていたものが、いかに不純な愛であったか。愛というものをいかに理解していなかったか、ということがお分かりだと思います。

 「これは愛なんだ」とか、「これは愛ではないのだ」とか、そんなものがあるのでしょうか。「愛一元」です。愛そのものです。

 そこに、憎しみが入り込む余地がありますか。愛の中には、いかなる憎しみも、いかなる怒りも、入り込む余地がありません。

 どうですか。
 「どこを観ても、何を見ても愛なんだ。神なんだ。調和なんだ
 「それなくして、何も存在しない」
 動物を見ても「ああ、愛の現れなんだな、神の現れなんだな
 お花を見ても「霊と水との愛と調和の現れなんだな」

 子供を見ると「神の現れなんだな、愛そのものなんだな、愛がその子に無ければその子は存在しないんだな」ということが見られませんか。
 もう見られるはずだと思います。

 あなたが空気を吸っても、空気そのものは、愛そのものなのです。

 見えるもの、見えないもの、全てが愛です。

 水蒸気も、そして、形を取って地の水となっていても、全て愛なのです。

 今なら、「愛一元の世界」「調和一元の世界」「神一元の世界」ということが、お分かりいただけるでしょう。
 
 「これが神だ」「あれが神だ」という、戯言(たわごと)の時代はもう過ぎました。これでもう、皆さん方は「これが神だ、あれが神だ」ということは、一言も言わないと思います。

 この世の中に、神理でないものが一つだってあるでしょうか。
 全ては神理、全ては愛です

 神理の中に、神理でないものがあるはずがありません。
 大宇宙そのものが、大神理そのものであるからです
 
 大宇宙そのものが、大愛であるからです。
 大宇宙は、霊と水によって、愛され調和されて存在します。

 皆さん方は、今、即、大愛の中におり、大愛はあなたの中にまします。
 「我は神の中におり、神は我が中にまします
 その大愛を観じてください。

 この愛をあなたに訴えたくて、数々の言葉の中で、どう言ったら分かってくれるか、こういったら分かってくれるかと考えていました。
 
 皆さん方が、いかにその愛に目覚めてほしいかという一心なのです。
 しかし、皆さん方は、それを中々理解してくれないのです。

 この無知は、二千年前と今も変わりなく続いています。
 私は、二千年の間に確実に人間が進歩しているという確信を持ってこの世に参った者です。(※知花敏彦師はイエス様の予言を成就するため、宇宙神理を伝えるために天上界から派遣された地球最高の大覚者の方です
 
 一日も早く真の自己に目覚めて、神我の自分は愛そのもの、調和そのもの、普遍そのもの、無限そのもの、久遠そのもの、大宇宙そのもの、大愛そのものであるという、その本質のゴールに達して頂きたいのです。



 悟りの最重要キーワードとして、「神の一人子・神我キリスト」という言葉がございます。精神世界の追求者のお方でしたら、「神我」とか「神我キリスト」という言葉についてご存知だと思いますが、実際の意味合いを深く理解されているかと言いますならば、そこまでの方は多くないと思われます。

 地球最高の覚者であられる、知花敏彦先生から学びました宇宙神理を一人でも理解できますよう、細かく噛み砕いて易しくご説明させて頂きたいと存じます。

 すべての表現には、神の細胞である「コスモ細胞・宇宙細胞・原子キリスト・原始細胞」が内蔵されております。この神の細胞が、ヒマラヤ聖者の生活でも有名な「神我」と言われている存在でありまして、この神の細胞は宇宙創造主のお創りになられた全ての全てに宿っているのですね。
 
 ちなみに、「自我」は本来存在しないものですので、「偽我」といわれております。神の一人子は「神我」でありまして「自我」ではないそうです。

 続いて、「神の一人子」で何故「一人」というのかについて申し上げますと、宇宙創造神はお一方であられますので、原因は一つ、親はお一人ということですから、親である神は「お一方」であられるということになります。

 ということは子供である、この世界の見えるもの、見えないもの、ありとあらゆるもの、草花、岩、動物、人間様々、色々な島宇宙、等々も含めて全てが、神の表現であり、全ての原因者であられる、大神様(大霊・宇宙霊・御霊神霊)の大愛の現れですから、全ては「神の実の子」と言えるわけであります。実の子は「お一人」ですから、神の一人子となるわけですね。

 親は一人、子は一人、父と子は一体、原因と結果は一体、全一体が真理、大いなる一しか存在しない、ということは、神我と自我は一体、原因も結果も全てが神、つまり目に見えるもの見えないもの全てが「神・大霊」であり、自分が神そのものであるという「大霊との一体感」が、いわゆる悟りを開くのに大切な宇宙神理なので御座います。

 この全てが神に見える目が「1つ目」に目覚めた状態、いわゆる第三の目に目覚めた状態ともいうそうで御座います。この「全てに神を観る状態」が内観・億念をしている状態ともいわれております。

 この「神我キリスト」は世間一般でいう所の、「深層意識」や「神意識」「全一の意識」と呼ばれているものでも表現されております。

 全ての知恵や英知・力は、大生命であられる宇宙創造神から来ているものでありまして、外側から見れば分離や別々のものと感じるのですが、内側(神我キリスト)から見れば、全ては神でありまして、普遍、無限、遍満する大霊あるのみということなるわけで御座います。
  
 「全ての原因=神・大霊=父・親・表現者」
 「全ての結果=子・表現体・肉体」となります。

 表現は多々様々ではありますが、原因も結果も含めて、色心不二・色即是空、つまり全てが神の現れでありまして、全ては神一様・神のみが独存するのが宇宙神理であり、神の表現を内(神我)から見れば「全ては一つ」でありますので、神我キリストは「神の一人子」といえるのでありますね。

 宇宙には一つの心・神の御心しか存在しませんので、表現も結果も「神我キリスト・宇宙神」の御心の中の表現ですから、宇宙世界は神の御神体・一つの生命体ということになりまして、全ては同一の根源から生まれた・表現された存在でありますから、全ては一つということになり、その表現の根源の全てが「神の一人子・神我キリスト」と称されているので御座います。
 
 全ては宇宙創造神の中に存在しており、見えるもの見えないもの表現の全ての中に、宇宙創造神であられる「神我キリスト」が内在して宿っていらっしゃるわけで御座いますね。

自我・偽我 =表現者、原因である父なる神を忘れている状態(放蕩息子の状態)神理を知らない状態・自分の力で生きていると思って迷っている状態、肉体の己を自分と思っている我、分離感・分離意識で個別化された表現を別個の存在と認識している我・肉の感化、五感の感化を真実と錯覚している我・迷いの影、幻、幻想(マイヤー)・自己保存、自我我欲の心


真の自己(真我)=父なる神と常に一体の境地全一の意識・神我キリスト、全ては自分、全ては我、全ては神、全てを愛する我に目覚めた状態・神我キリストによって生かされている事を自覚して実感している我・私が生きているのではない、なるほど一つの生命である神が生きていらっしゃる、中身は全て神、全ての知恵と力は神から与えられている、神の中身は神、全ての全ては本質的には神、神のみが生きてらっしゃるんだなと悟った我・神一元・愛一元・我神なり、神は生命(霊)なり、我も生命(霊)なりの自覚・宇宙即我、キリスト意識・高我・実在・全てを愛し全てを許す境地・慈悲と愛・あなた即私・私即あなた・宇宙エネルギー即自分・無限即我・我即実在・不変不動の絶対なる実在・普遍なる宇宙・無限者・宇宙神



神我とは、自分が神の御心の結果・愛の具現であることを悟った我、神の愛を顕現するためだけに自分が存在していると悟った我、だともいえますね♪

 とりあえずこんなご説明でしたが、神我キリストのご説明につきまして、お判りになって頂けましたでしょうか。皆様のハートの奥底に神理の理解がストンと落ちて、魂の覚醒が進みます事を心からご祈念申し上げます。


上江洲義秀先生・至高の名言    上江洲義秀先生の記事♪   
 
 全ての全てのあってあるものの中に、神が我として実在している事を(理解して実感して、全てに神を観る状態を)「悟り」といいます。

 目に映し見ている、すべてのすべてのあってあるもののに「愛を見」「愛を感じ」「愛そのもの」で対処できる己であって、そこに悟りがあること。
                                                  明想の記事♪
 
人間が生まれてきた目的
地球は魂を完成させる場である

 百点満点が取れるようになった時、神様はあなた方を選ばれます。
(もうこの者は大丈夫だ。もっと高度な勉強をさせてもよい)
とおっしゃって、高度な惑星に連れて帰るのです。

 しかし、向こうでもまた修行です。
 今、地球は中程にあります。下段でもなく、中段です。

 これよりももっと下に、霊の低級の次元があります。
 今、人間は、真中にあり、完全でも低級でもなければ、高級でもないのです。

 宇宙には太陽系惑星があり、高級の惑星が金星であり、水星であり、土星であり、地球惑星より優れた惑星であるのです。

 この地球で問題を解いてそこに帰る魂を、皆さん方は「成仏」と呼んだり「昇天」と呼んだりするわけです。

 問題は地球にあります。真の生き方(神我顕現)をここで学んで、その神理に基いて生きられるようになると、この地上界には生まれ変わりはしません。もっと高度な惑星に上がれます。

 これを「昇天」と言ったり、地球からの「解脱」といいます

 それを成し遂げないかぎり、地上界の浮き沈み(地球での輪廻転生)の世界で勉強させられます。

 体験ですから、まあ、それもよいでしょう。しかし、本当は「今世で卒業して、みんなで帰りましょう」と言いたいのです。

 高度の惑星に連れて帰るために私(知花先生)は、この地球に来ているので、皆さん方に高度な神理を説き、その神理に基づいて生きて、そして完成し、皆さん方を連れて帰りたいのです。

 高度の惑星に帰ると、皆さん方は向こうでは「天使」と呼ばれます。高度の惑星では、地球から卒業した人材のことを「天使」と読んだり、「ハイアラーキー」と呼んだりするわけです。

 高度な惑星から肉体を持って指導者として、地球の我々の魂の兄弟を救済しに天使が降りてくるわけです。

 地上の母なる肉体、お腹を借りて誕生して、普通の人間のように生まれてくる天使と、そのまま肉体を持って、ポツリとどこかに存在して導く天使と、二通りの天使がいます。

 皆さん方が、空想、妄想しているような天使ではありません。
 天使方は、宗教的、オカルト的、空想妄想的な、目に見えない存在ではありません。

 今、この地球上に別の惑星から何万という天使方が、人類救済のために降りてきていらっしゃいます。その方々を、皆さんは「宇宙人」と呼んでいますが、正に、宇宙人です。

「イエス様は宇宙人であった」とか、「お釈迦様は宇宙人であった」といいますが、その通りです。あなた方も宇宙人です。

 「一なる宇宙」の中に存在する。1個の惑星が地球であって、あなた方は宇宙人だからです。

 その理由がおわかりだと思います。ですから、「天使方は、正に高度な宇宙人である」というわけです。

 イエス様が「わたしは上から来た者である。あなた方は下から来た者である」といわれたことは聖書にも書いてあると思います。

「下から来た者」とは、低次元の惑星から徐々に進化してきた者のことで、私達は地球の中間の学びをしているわけです。


人間の目的は何でしょうか。

 魂の向上、「自己完成」が最大の目的です。自己完成、魂の完成のために地球があるのです。

 この地球上で学ぶものがなくなったならば、もう1段高度の惑星に移される。それを「甦る」といい、「昇天」していくわけです。

 この地上界で完成されていない者は落第なので、それが完成されるまで地上界で生まれ変わりをします。

 「輪廻」を繰り返すのです。

 昇天すると、輪廻する者。高い方に帰るか、また、落第してここに生まれるか。それは、あなた方の自由意志です。

 今世で本当に神理を理解し、正しい道、方に添った生き方をすることによって、あなた方が完成されるわけです。

 あなた方は、今、それを求めておられます。そうした時、世の中の幸せはあなた方が造りだします。

 あなた方が救われた時、あなた方は世の中の指導者になります。あなた方を通じて人々が救われていく。それだけ高度な指導が出来るのです。


聖書の真義
から引用させていただきましたまとめの記事♪ 保存方法の記事♪ 


聖書の真義から

 新約聖書に出て来るイエスの正味の活動期間は約40日間であり、イエスの生涯については、他の大宗教の様にくわしくは伝えられていないようです。そこでドーリル博士の別の論文 ”イエスの秘的人生” から抜粋的にイエスの生涯を如何に列記して読者の参考に供することとします。 


イエス・キリストの略歴

・誕生は、一般に考えられている様に西暦紀元前6~7年。
・11歳の時に第一イルミネーション(魂の輝き、神我一体境の第一段階)を得られる。

・12歳まで、宗教的教師でもあった父ヨセフの指導を受けられた。
・13歳の時、父ヨセフ・母マリヤと共にエジプトへ遊学。ピラミッド内で最初の秘伝を受けられる。

・エジプトではアトランティス人の後裔の指導を受けられる。
・16歳の時に、ヨセフとマリヤは、イエスをエジプトに残したままガリラヤに帰る。

・その後、イエスは師によってチベットへ送らる。
・シャンバラ(”秘境真義”参照)で大聖に学び、20歳で第二イルミネーションを得られる。

・インドに行き、カシミールを中心に各地に巡回して教えたり学んだりされた。25歳の時に最高の神我一体境である第三イルミネーションを得られる。

・かくて、心、霊、肉ともに完全な師としてエジプトへ帰り、一年間、更に研究を続けらる。

・その後、ナザレへ帰り、洗礼のヨハネの弟子たちと接しられる。そしてそれから三年間、自分の大偉業の準備をされた。

・29歳の時に自己の新しい教えの宣布に乗り出される。
・33歳で十字架、三日後に復活、復活後も、いろんな形で11年間も弟子にグノーシス(神秘派)の秘儀を指導される。

・その後シナで一年間、当時そこにいたユダヤ人たちに教えられる。後、全シナを旅行してからチベットへ向かわれる。

・チベットの某秘所〈超人の住む所、現在もあるが、外界とは完全に遮断んされており、飛行機からも見えない)へ行って5ヶ月滞在。

 その間、1日2回づつ教えを説かれる。(この時にドリル先生も2000年前の前世で、イエスの教えを直接聞かれ、食事も共にされた。イエスの声は、文字通り銀鈴の様だったそうである)

・次にラッサ市の地下深くにあるシャンバラへ行かれ、4年半すごされ、人類向上の新しい試みもなされた。

・この時からイエスは、シャンバラの大聖がた(144人)の首長となられ、地球を去るまでその地位におられた。

・シャンバラに4年半滞在後、別の地下王国(南太平洋の地下奥地)へ行かれる。15年間にわたってレムリヤ種族(日本人やユダヤ人の源流でもある。当時そこに幽閉されていた)を指導され無数の魂を外界へ送り出される。

・それから地球中心の奥部に入られ、幽閉されたネガティブ(否定、消極)の者どもを二ヶ月間指導される(”秘境真義”参照)

・再び地上に戻られ、パレスチナ、ギリシャ、スカンジナビアの各地を回って各秘院で教えられる。

・その後アメリカ大陸(南・北)にわたられ、9年間各地を回って教えを説かれる。

・再びシャンバラ(北極地方の地下、今も秘密事項)へ行かれ、35年間の長きにわたって、地球の将来と第七地球サイクルの準備をされた。

・満100歳の日から10日目に各地の弟子たちを集めて(魂の肉体脱出で)最後の教えを説かれた後、頭部から火炎冷火を発し、全身を火で包まれ、燃焼しつくされた。残ったものは、大きな真珠大の輝く宝石の様なものだけ。(今も北方シャンバラにある)。

・地球を去られてからは、宇宙聖白色同胞団へ行かれ、そこの大聖として、宇宙進化のために働かれる。


完全アセンションマニュアル(下)から引用させていただきました

隠されたイエス・キリストの物語すべての記事

 この物語は、イエスがイエスとして転生を生きた時代より、ずっと昔に端を発するものである。エドガー・ケイシーとジュワルクールは、イエスの数々の過去世を挙げている。
 
 エドガー・ケイシーによれば、イエスには、アミリウス、アダム、メルキゼデク、エノク、ゼンド、ウル、アサファ、イエシュア、ヨセフ、ヨシュアといった人物として生きた過去世がある。

 それにジュワルクールが更に加えて、イエスとして生きた後の転生を2つ挙げている。それらはダイアナのアポロニウスとシリアの人で、後者としてのイエスは20世紀中頃にアセンションを遂げている。

 ジュワルクールは、エドガー・ケイシーによるイエスの過去世についての情報を真実であるとしている。アトランティスに生まれたアミリウスは、「父」の最初の子としてのイエスの転生であり、利己的な生き方へと導かれることを自らに許した転生でもあった。

 その後、アダムとイブの物語で知られるアダムとして転生し、それからサレムの聖職者メルキゼデクとして生きた。その後の転生では、ペルシャにおける宗教の偉大なアヴァター、ソロアスターの父のゼンドであった。

 私の調査では、ゾロアスター自信は仏陀の転生の1つである。そして、「神とともに歩む者」エノクとしての転生と、アサファとしての転生が続いた。

 イエスはイエホーシュアでもあった。イエホーシュアは、ネヘミヤ、エズラ、ゼルバベルが要因となり、神への信仰の再確立を試みていた当時、バビロンの捕囚から帰還した人々に道理を説いた人物である。

 イエホーシュアはまた、それまでに書かれていた著述の翻訳に携わった書記でもあった。

 イエスはまた、カラフルな上着をまとい、それを妬んだ兄弟たちに水路に突き落とされた旧約聖書に登場するヨセフとしても生きた。

 そのヨセフは、後々、ファラオの夢を解釈するまでになる。それからイエスは、ヨシュアとして戻ってきたが、そのヨシュアはモーゼの代弁者であり、ユダヤ人を約束の地へ導いた者として知られる。

 イエス・キリストとしての転生において、イエスは十字架に掛けられた時点で第四イニシエーションに達している。彼の最後の三年間は、キリストによりオーバーシャドウされていた。

 そのキリストこそ、惑星聖師団とグレードホワイトブラザーフッドの長である主マイトレーヤその人に他ならないのである。

 主マイトレーヤが就任しているキリストという地位は、霊的統治期間における役職の肩書であり、その省庁に匹敵する場所の名称でもある。

 主マイトレーヤはイエスのグル(導師)であり教師である。イエスの生涯の三年間は、二人が肉体を共有していたのである。十字架の上でアセンションを遂げたのは主マイトレーヤであり、イエスではない。

 イエスの方は第四イニシエーションを授かり、マスターの資格を得、輪廻転生のサイクルから脱したのである。

 アリス・ベイリーの著書にあるジュワルクールの情報によれば、イエスは九年後にタイアナのアポロニウスとして再び転生し、第五イニシエーションに達している。アポロニウスは非常に偉大な人物で、実に多くの人がイエスとアポロニウスを取り違えているほどである。

 それはイエスとアポロニウスの教えの内容が酷似しており、それぞれが生きた時代もそれほど隔たりがないからである。

 ジュワルクールは、イエスについてさらに素晴らしい情報を伝えている。イエスは十二花の上で「父よ、どうして私をお見捨てになったのですか」と叫んでいるが、私はこの言葉にずっと困惑させられてきた。

 というのも、これはとてもマスターたる者の発言であるとは思いにくいからである。
 アリス・ベイリーの著書の中でジュワルクールは、イエスがそう言ったのは、それがちょうど第四イニシエーションにおいて魂体、即ちコザール体の消失が関与する時であり、魂が、モナドないし霊(スピリット)に帰還する瞬間だったからであると説明している。

 イエスはその時、彼の魂あるいはハイアーセルフが彼の元を去るという体験をしており、それまでの全転生と通じて魂に師事してきた彼にとっては、それはまこと蘇我間をきたす体験であったと思われる。

 その瞬間イエスは、自分の教師が魂からモナド、即ち強大なる「われ臨在なり」に変わっていたことにまだ気づいていなかったのだのである。

 それでその本の束の間の、再びスピリット(霊)と繋がるまでの間だけ、イエスは自分の魂の喪失を体験したのである。

 ほとなくスピリットとつながったイエスは、「父よ、彼らをお許し下さい。彼らは何をしているのか、分からずにいるのです」と言っているが、この時の「父」は、モナドないしスピリット(霊)のことである。

 巷の感心を集めている裏話に無原罪説があるが、ジュワルクールやエドガー・ケイシーによると、聖母マリア自身も同様にして生まれていたのだという。

 エドガー・ケイシーは、聖母マリアとイエスは同じ魂から来ており、そうした関係絵をケイシーはツインソウル(双子の魂)と呼んだ。

 ジュワルクールによれば、イエスは第三イニシエーションの参入者として、イエスの肉体に転生したという。

 イエスの過去世を振り返ってみると、それらは地上の2つの大宗教がいかなる相互関係にあるかを示唆しており、そのことについては感慨さえ覚える。

 キリスト教徒とユダヤ教徒は、しばしば互いに張り合い、どちらも自分たちの宗教こそ「正当」であるとの主張を繰り返してきた。それがどれほど馬鹿げたことであるかは、両宗教に関与していたのが同じ魂であることを見ても明らかである。

 イエスはユダヤ教のラビであり、旧約聖書のヨセフでもあった。またユダヤ教の開祖メルキゼデクであった転生では、アブラハムの師であり指南役を務めていたのである。

 ユダヤ教徒キリスト教の感動的な結びつきはまだ他にもある。パプテスマのヨハネは、その過去世において、あの偉大なユダヤ預言者のエリヤだったのである。

 さらに興味深いのは、聖母マリアの夫ヨセフが、他ならぬセント・ジャーメインその人であったという事実である。

 そして乳飲み子であった救世主を訪問した三賢人は、ジュワルクールとクートフーミと、エル・モリヤだったのである。

 ジュワルクールによれば、アセンションを達成した唯一のキリストの弟子は、最愛の人ヨハネ(即ちクートフーミ)その人である。

 アブラハムが、アセンションしたマスターのエルモリヤであり、第一光線の主、即ちチョハンであるということも、もう1つの裏話として付け加えておきたい。


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