date :2019年07月
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- 3922
- Date
- 2019.07.27 Sat
霊道(心の眼)を開く真の方法♪徳積みの原理♪徳によって祈りが叶うシステムのお話♪他人の目はなくても、天の目があることを知っておいたほうがいい♪正しい思いをもって調和した生き方をすると心の次元が上がります♪正真正銘の本物の天使の生まれ変わり井出章彦さん♪後光を出す秘訣は感謝と報恩♪父や母の愛の行為に感謝♪後光を出す秘訣は感謝と報恩 父母の愛に感謝して恩返しする大切さを説く素敵なお話♪反省する事によって魂を光り輝かせるお話♪高橋信次師♪霊能力者・呪詛・念の驚愕の裏事情♪行者の末路は哀れ♪四国霊能者の裏世界話♪
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ヘミシンクと瞑想と旅行のブログです(神秘体験話が盛り沢山♪)
呪詛を打つ事について 会社の者に逆恨みによる呪詛を打たれました。横領を告発したのです。横領した金で高級腕時計をいくつも購入して自慢してました。会社や人をだましても 何も思はないのだろうか。 続き⇛⇛呪詛をまた打たれ⇛⇛呪詛を打つ者の救助
⇛⇛⇛呪詛について シリーズ1~13まで(呪詛を実際に体験した壮絶なお話)



- No
- 3921
- Date
- 2019.07.24 Wed
世界一美しい愛のスピリチュアリズム物語♪世界一素敵な霊的ラブロマンス♪フランチェッツォの清い愛の物語♪スターシードの魂の戻る場所の違い♪「魂の法則」関連 「愛しいあの方」為に魂を成長させる愛の物語 あの世の魂の救出活動事情がよく分かる素敵なお話をご紹介♪
- No
- 3920
- Date
- 2019.07.19 Fri
私の表現力の源泉について 真理の表現力を大幅にアップする秘訣のお話♪天啓・インスピレーションを頂く秘訣 「精妙な感覚」の磨き方のお話♪人類のお悩み「性欲・情欲」の正しい理解 性エネルギーという贈り物の正しい解釈のお話♪聖フランチェスコの得た偉大なる悟り話♪神を愛する方法♪バーソロミュー朗読♪解脱・覚醒♪バーソロミュー・バシャールが語る「全ては神」の真理♪真理への気付きでカルが解消♪悟り・解脱♪バーソロミューが語る真実の愛とは♪全ての人間は大いなる愛そのもの♪バーソロミューが語る真の霊性の高い人♪全てが神という本質的真理の理解度♪バーソロミューが語る性欲の真の意味♪ラー文書が良く分かるお話♪遺伝子組み換え果物判別法♪悟り・全ては一つ♪どうすれば物や欲望などに対する執着から自由になれるか♪今を生きる悟りのお話♪私の表現力の源泉について♪真理の表現力を大幅にアップする秘訣のお話♪
エササニ星人・バシャールさんの回答 バシャールの記事♪
私たちの世界では、非常に古代ですがそうした意識はシャカーナと呼ばれていました。私たちのシャカーナ、あなた方のキリスト意識、仏意識、そしてほかのすべての物が一緒になって神の意識を創っています。
永久保存版♬知花敏彦さんの神我に目覚める♫瞑想の極意♪白色同胞団♪神我と自我の詳しい説明♪悟りとは何か♪ から一部抜粋ですが……♪
金星、地球、火星 - スピリチュアルな日記 - Gooブログ
生まれた順番は、火星>地球>金星の順、でも霊的な進化の具合は金星が一番進んでいるらしい。太陽と一番長い間、一体だったからです。それ故金星には霊的な進化した人々が住んでいるといいます。
一方、一番早く生まれた火星は霊的には地球より未発達で、火星の人には地球人のような自我が存在しない為、感情の抑制ができず争いが絶えなかった。マーズが戦神と呼ばれるのはそのためだとシュタイナーは語っています。
仏陀は地球に釈迦(ゴータマ・シッダルダ)として生まれる以前、実は金星で輪廻転生を繰り返した。そして最後の転生を地球で行い、そこで如来となり地球の人々に真理を伝えたのだといいます。
その後仏陀はイエスを守護し、キリスト降臨の支援をしました。キリストは仏教で言う毘盧遮那仏です。また大日如来とも言います。宗教の世界ではキリストと仏教は対立的に語られていますが、霊的実像としては元々同じ存在なのだとシュタイナーは主張していました。
キリストがイエスの身を借りて地球に降立った後、仏陀は火星の進化を助けるため、17世紀頃に火星においてイエスの行ったような活動を実施したと言われます。
その結果、争いの星だった火星は進化を遂げ、地球に対しても悪影響を及ぼさなくなったということです。
これらの話を臨死体験前の私が聞いたとすれば、おそらく何かの寓話だと思ったでしょう。現代の常識からすれば恐ろしく突飛な話です。
一方最近気になる話で、京都の鞍馬山の伝説があります。
鞍馬山には650万年前、護法魔王尊が地球救済の為に、金星から降立ったと言う伝承があります。日本の伝説が大抵「昔々、天の方から・・・のミコトが」という抽象的な表現なのに、鞍馬山の伝承はやけに具体的で年、場所がはっきりしています。
金星人は物質的肉体こそ持っていないでしょうが、極めてリアルに存在する気がしています。
この宇宙は慈愛に満ちた世界だということを忘れないでください。 宇宙はあなたの味方です。 自分の不調和に満ちた世界にとどまらず、宇宙の調和とともに生きることを決心した人には大宇宙のあらゆるエネルギーがその人を助けるために集まってきます。 宇宙は、あなたが孤独な殻に閉じこもっていることを望んではいません。 宇宙は、あなたが創造のパートナーとなることを望んでいます。 バーソロミュー 真の愛とは何か 愛ではないものとは 地球の人々の最も深い関山事のひとつは愛であり、愛とは何かということだと思います。 愛とは、本当は非常に単純なことなのですが、地球界では、多くの錯覚や誤解に満ちた概会になっています。そこで、「愛ではないものは何か」ということについて考えてみたいと思います。 自分には愛し愛される相手がいると感じている人たちは、自分たちの愛を非常に強くて深い、決して変わることのない感情であると思っています。 ここで問題になるのは「決して変わらない」という言葉です。 一見すると永遠につづくと思われる強い愛も、よく観察してみると、決してそれが永久に続くものではないことに気づきます。 ここに深くて変わらぬ愛を抱きあっていると思っている二人がいるとします。このふたりが人生を共に歩むにしたがって、ある日、奇妙な事が起こります。 ふたりにとって重要な問題に関して、大きな意見の食い違いが生まれたのです。このような状況にどう対処するかは人によって違ってきます。 ふたりがインテリの場合は、それぞれが自分の立場を正当化して議論をするでしょう。 ふたりが、怒るのは良くない事だと考える「いい人」であれば、自分の不満をそれとなく間接的に表現するでしょう。 また、感情的な人たちの場合には、怒鳴ったり、わめいたりする事になります。いずれにしても、これらの言動はどれも怒りや恨みの表現であって、愛情表現ではありません。(感情の愛・盲愛) こうした状況においては誰も愛を感じることはできません。 自分の夫婦関係や恋愛関係を注意深く観察すると、このような摩擦が何度も起きていることに気がつくはずです。 一般に愛と思われているのは、実は、引力のように惹きつけられる「魅惑」という感情の動きです。 そして、この引力には反発という感情がついてきます。 この相反するふたつの感情は常に共存しています。 現在、深い愛情関係にありながら、この魅惑と反発の感情が共存していることを認めるだけの正直さを持ちあわせない人に対しては、私から何も言うことはありません。 誰かに心を動かされているからといって、その感情を愛だと思いこむのは単純すぎます。 自分の心のなかをよく見つめてみると、非常に意地悪で否定的な感情や恨み、利己的な考えもあるのに気がつくはずです。 それは、とても人間的なことです。 ではここで、愛とは何でないか、という点について考えてみましょう。 愛は自然についたり消えたりするものではありません。 ある日あったものが、次の日にはなくなっている、というようなものでもありません。それは愛ではなく、感情です。 愛とはワクワクするような華やかなものである、というイメージを捨ててほしいと思います。 愛とは魅惑的なものであるという考えが誤りであることに気づき、自分の人生において大切な人々に対して抱いている本当の感情を理解した時に、やっと愛とは何かを理解できるのです。 愛とは何かということが、なぜそんなに大事なことなのでしょうか。 自分は最高の愛を経験していると感じている人も多いことでしょう。 しかし、私の目から見ると、地球の人々は最もすばらしい愛をまだ経験していません。 最高の愛とは、人々が考えているよりはるかに素晴らしく(真の光悦感)、地球界で言われる「最高の愛」はそれに比べると色あせて見えます。 ここでヒントを出します。それによって、恋愛関係にあるとき、人がとる行動についての誤った思いこみを捨てる助けにしてください。 まず、自分が非の打ちどころのない完壁な恋人であると思っている(反省出来ない)人は、自分を変えようとは決してしません。 一方で、恋人に対して自分の思いやりの足りなさを率直に認める(内省する)ことの出来る人は、自分の行動を変えることをいといません。 自分のなかの思いやりのない部分に気づくということは、他人から学ぶという姿勢を持つことで、柔軟な思考を必要とします。 この姿勢は、大いなる自由―「人間界の幻影の鎖を解き放ち、無限の可能性に目覚めた状態」を得るために通らなくてはならない過程において重要な一歩です。 では、誰から学んだらよいのでしょうか。それは、学ぶ人がどんな人で、どんなタイプのものにその人が惹かれるかによります。 経験者の助けを借りるのが嫌いな個人主義者の場合は、ふつう自分自身の経験から学ぶことになるのですが、この方法はとても困難です。 本質(神我)と幻影(自我・偽我)を常に判別できるとは限らないし、時には、わき道にそれて、つまらない退屈な人生を送ったりしてしまいます。 最も簡単な方法は、すでにその道を切り開いた先駆者(知花先生)を見つけ、自分にあった方法でその先駆者から学ぶことです。 これには色々の方法があります。この先駆者は生きている師やグル(導師)でもかまいませんが、他にも先駆者はいます。 多くの先駆者はすでにこの世にいませんが、あゆんだ軌跡をはっきりと残しており、本を通してそれを知ることができます。 そうした本のリストから「これだ!」と感じるものを見つけてください。 そして※本物の愛、大いなる愛へ一歩でも近づけるよう、その先駆者の助けを借りてください。 まず、あなた自身のなかで、どういった分野で愛情を持った行動がとれないのかを見つけ、それから、あなたの求める「大いなる愛(大愛・真の自己)」の状態を実現(神我顕現)し行動に移している師を探してください。 師は、必ずしも現在生きている人でなくてもかまいません。 肉体を持っていないからといって、その人の力強い生きた叡智を学び取れないということはありません。 人聞は個々別々の肉体を持つバラバラの存在だというのは地球界の幻影(自我・偽我)であって、高い意識の観点(普遍我・宇宙我・キリスト意識・全てに神を観る)ではないのだという事を理解してください。 では、肉体を失うと、その人の叡智はどこに行くのでしょうか。 叡智は「大いなる意識」(宇宙の集合意識)の大海原(愛の光)の中に常に存在し、過去や未来を超えて宇宙に広がり充満しています。 偉大な真理や叡智(普遍不滅の大霊・真の自己)は死滅することはありません。 真理や叡智そのもののなかに勢いや速度(全ては波動)というものがあり、「大いなる創造物」(宇宙のすべての現象)の中を動きまわっています。 真理を求めたり、求道の思いに導かれたりするのは、そのような真理が宇宙のエーテル体(宇宙生命・大愛)の中に存在するからなのです。 そのような叡智や真理を自分に引き寄せ、それを実感することは誰にでも可能です。 たとえば、自分にとっての真理の道はキリストまたはキリスト意識(神我)を体現化した道を歩むことだと決心したとします。 その場合、キリストの愛と叡智を今の時点でも受け取ることができます。 ここで私が言っているのは、二千年前に示された、神の真理を肉体を通して現したパワフルで創造的な叡智(真理・宇宙法則)であって、現在、キリストの言葉として信じられている単なる宗教上の解釈のことではありません。 キリストの没後、人間の言う「連続する時間」の流れの中のどの時代においても、キリストの道を歩む者なら誰でもこの真理に生き生きと触れることができました。 そして、これらの人々の存在が真理の勢いを今まで維持してきました。 すぐれた使徒はこのようにして偉大な師に仕えるのです。 つまり、使徒は学び、理解し、教えを身につけ、さらにその教えに心を注ぎ、行動し、自ら体験することによって教えを生かし、「後世に残して」いくのです。 ですから、使徒が教えを身につけ、それを実践することは、師に対して大きな貢献をしていることになります。 このような教えを地球界で実践することによって、教えの真髄をより実際的に理解することができるようになります。 ですから、宇宙の「大いなる叡知(宇宙真理)」と結びついた偉大な師(知花先生・上江洲先生)の誰とでも、今、交流することができるのです。 あなたが自分の進むべき「道」を選び、その道に従って生きようとするなら、まず、心を完全に開いて「大いなる叡智」が何らかの形で自分の前に現れるように謙虚に(※神に)祈ることです。 (※神の御心(大愛)が我が中で行われますように・貴神(きしん)の想い我が想いへとならせ給え・貴神の言葉我が言葉へとならせ給え・貴神の想い我が想いへとならせ給え、(by知花先生)等々♪) そうすると、あなたの人生にいろいろなことが起きはじめます。 その起こり方もさまざまです。 たとえば、何年も前にもらって読まずに放っておいた本が急に読みたくなったり、前に読んだ事のある本がまた目に入り、今度読むと以前とは違った新しい事を発見するということがあったり、また、友達から何かもらったり、新しい考え方に巡りあったり、といった事が起こります。 地球界の人々の感覚では、こんなことは日常的な取るに足らない事に思えるかもしれません。しかし、宇宙の叡智との結びつきを知ろうとするなら、こうした小さな出来事に心を留めることが必要です。 「大いなる自由(解脱・覚醒・アセンション)」を求める心が真摯であれば、「広大無辺なもの」(宇宙の無限の存在)はあなたの探求を速める手伝いをしてくれる事がわかります。 今まで思いもかけなかったような人たちに出会うようになり(シンクロニシティ)、さらに、さまざまな事が起こりはじめますが、それが単なる偶然で起きているのではないという事を理解しなくてはなりません。 なぜなら、これらすべてはあなたという存在の「あり方」そのものが強力なメッセージを宇宙に送りだしているために起こっていることだからです。 「助けてください。私にはこれが必要です」というあなたの求めの声が宇宙に流れたからなのです。 こうして求めるものが明確になり、それを自分という存在の「あり方」の中心にすえたときから、自分のまわりで何かが起こりはじめます。 このことが愛といったいどういう関係にあるのでしょう。 実はこれらすべてが愛と関わりを持っているのです。 愛とは、何かをしたり、頭であれこれ考えることではありません。 自分の中や自分の周りにあって、自然に流れ動く(存在する)ものが愛なのです。そして、その人のあり方(裡なる神)そのものが「崇高なる愛」なのです。 しかし、このことに地球の人々はまだ気づいていません。 人々は、愛を非常に狭いあやまった見方で見ています。 ある肉体が別の肉体を好きになったり、自分のまわりの少数の肉体に好意を持つことが愛だと思っています。これは全くナンセンスです。 愛とは行為や行動をさすのではありません。 愛のただ中にいるときに人が鮮明に意識するのは、愛とは自分のあり方(愛のみが実在との気付き)そのものだという事実です。 人のあり方そのものが愛だとすれば、誰かに対して「あり方」をどうするということはできません。 愛とはあなたの本質そのものであり、あなたのあり方なのです。 あなたそのものということは、あなたには自分でそれをコントロールできないということです。 それは「大いなる源(創造主)」(すべてを生みだした根源的エネルギー)から与えられ、はじめから人間にそなわっているものです。 すべてのものはこの「大いなる愛(大愛)」から創りだされます。 ですから、自分が愛であることを感じている人は、この状態が全く自分のコントロールの範囲外にあることを理解しています。 どんな人が目の前に現れようとも、愛がその瞬間を支配する感情だからです。 とても風変わりな人が現れても、その人に対する深い思いやりと、相手への理解が心の中から沸き起こってきます。 これが「大いなる愛」です。 (感情・マインドで)誰を愛するか誰を愛さないかを、いつも自分で選んできた人々にとってこれは信じがたいことかもしれません。 あなたは一日のうちに何回も、自分の心の中から思いやりや、相手の気持ちを理解する心が自然にわき上がってくるのを経験するようになります。 このような感情は必ずしも誰かに向けられた情熱的な感情ではありません。 むしろ、日常のちょっとしたことから生まれる小さな心の動きです。 自分では意識しないような、日々の小さな出来事のなかに織りこまれている感情です。 他人とのいさかいなどから目を離して、このような感情の動きにもっと注意を払うようにすると、そうした感情が強くなり、もっとひんぱんにそれを経験するようになります。 愛は、自分の意思の力で生みだしたり、あるべきだと要求したり出来るものではないという事を忘れないで下さい。あなたに出来る事とは、愛を体現していると思う道に従うことだけです。 真の自分とは何か(大愛・全一体感)、自分とは何でないか(自我・分離感)、という事が解ってくるにつれ、この愛の真理に気づく様になります。 人生に対するこれまでの幻影(分離感)がはがれ落ちると、それに代わって入ってくるのが、「大いなる愛」という、ダイナミックなパワーです。 このパワーは「神なる源」の主なエネルギーのひとつです。 このエネルギーは、あなたの中を流れて外界に出ていき、そのたびに勢いを増していきます。この(愛の)エネルギーは観察することができます。 行動に現れた愛として見ることができます。 ただし、現在、地球界で見られるもののほとんどは個人対個人の愛の行動で、「大いなる愛」はほとんど見られません。 自分を愛情深い人間だと思っている人は、もう一度その考えを見直してください。自分を「愛情深い人間だ」と考えるのは、人間のエゴがふりかざしたがる最大の幻影です。 性的な魅力を感じていることや、友情や、親としての本能的感情などに見られる愛は、自分はますます愛情深い人間になりつつあると思わせるために、その人のエゴが使う手立てにすぎません。 では、自分が本当に愛情深い人間かどうか、どうしたらわかるのでしょうか。あなた方にとって、その答えはあまりにシンプルすぎて、受け入れがたいかもしれませんが、こういうことです。 自分の心をよぎる全ての人、自分の目の前に現れる人の全てに対して、温かい思いやりの心とその人達の気持ちを理解する心 (全てを許し愛する寛大な心)を持つことが出来た時、その人は本当に愛情深い人という事が出来ます。 殆どの人は、いい仕事を持ち、愛する人々に囲まれていれば、自分の人生はうまくいっていると考えます。 これもまた地球界の人々が抱いている幻影の一部です。今はまだ多くの人が、このような感情的な愛を本当の愛と勘ちがいしています。 自分の人生を誰かのために犠牲にしようとしている人は、もう一度考えてみてください。 相手がいつもひどい事ばかり言うような場合でも、あなたはその人に対して美しく、清らかな愛情を持ち続ける事が出来るでしょうか。 このような愛情関係においては、ふつう、それぞれがその関係から何を得ているかということが問題となります。 たとえ、自分にプラスになるものを得ていなくとも、その関係から何かを得ている限り、その人はその関係をつづけるでしょう。 けれども、その関係が変化して、自分が望むものが何ひとつ得られなくなったときに、「愛がさめた」とその人は言うのです。 恋におちいることができるということは、また、さめることもできるということです。 人間のエゴから生まれるこのような愛情関係のように、やって来たり去っていったりする愛情は本物ではないのです。 自分の感じている気持ちが「大いなる源」から生まれる本物の愛なのか、または、エゴの生みだした単なる幻影なのかを知るには、 自分がその瞬間抱いている感情や思いを見つめ、「自分の周りでどんな事が起ころうとも、この気持ち(全ての全てを愛する心)を常に持ちつづけることが出来るだろうか」と自分に問いかけることです。 もしその気持ち(真の愛)を永遠に持ち続ける事が出来ないのでしたら、それは地球界における浮かんでは消える人間ドラマのひとつにすぎません。 「神なるもの」が生みだす本物の「創造劇(愛と調和)」ではありません。 こういう感情(表面意識)にいちいち心をわずらわせなくてもいいのです。 この自分への問いかけは人生のあらゆる出来事に応用できます。 ある特定の出来事を心に思い浮かべると、そのときの気持ちや考えが不変のものかどうか、自分でわかるはずです。 不変のもの(大愛・愛と調和の想念)であれば、その感情は「大いなるすべて」の一部であり、大切にすべき感情(想い)です。 ここで私が強調したいのは、努力や意思の力で愛を得ることはできないということです。あなた方ひとりひとりがすでに愛そのものだからです。 ただ、この愛の状態を実感するためにあなたに出来る事があります。 それは愛したいと心から望むことです。これは誰にでも出来る事です。 自分に対する見方を(大愛・全てに感謝に)変え、他人との関係を(愛と調和に)変え、世の中に対する自分の態度を(愛と調和に)変えるのです。 自分の可能性の全てを(神の愛をこの世に顕現したい)生かしたいと強く望めば、あらゆる面において自分の態度を(大愛に)変える事が出来ます。 もしもそれが信じられないなら、今、自分の人生にどんな愛があるかよく考えてみてください。本物の愛は現れたり、消えたりしません。 それ(真の自己・神聖な愛・神我)は(ハートの中に)常にあるのです。それが本物の証(本物のあなた)です。 あなたに最もあった、あなたらしいやり方を見つけてください。 そして(全てを)愛したいと強く望むことです。 その(愛を顕現したいという)強い気持ちが正しい道へと導いてくれます。 正しい道を歩んでいけば、必ず最後は叡智と愛の境地へと到達します。 真の道を求めると、叡智と愛は姉妹のように一緒についてきます。 こうした道は、最初はどんなに険しくとも、最後には愛に巡り会います。最初は愛に偏った道であっても、最後には必ず叡智に行きつきます。 愛と叡智はコインの裏表であり、切り離すことはできません。 どんな道を選ぼうとも、旅の終わりに発見するのは愛と叡智なのです。 どんな道を選ぶかはそれぞれの責任です。愛と叡智を自分のものとしていない師や、グルを、※まちがって選ばないようにしてください。 愛を生みだす公式のようなものはありません。 何度も言いますが、愛のエネルギー(無限宇宙の大愛)はすでにあなたの中を流れています。 自分の中にある愛に注意を向けなければあってもなくても同じです。 愛があなたの人生に役に立つのでなければ、あってもしかたがないではありませんか。 「大いなる愛」とは、あなたの求めるものすべてに対して休むことなく流れる深い愛のエネルギーであり変わらぬ思いやりの心です。 それはこの宇宙のすべてを創りだした「大いなる源」の一部です。 そして「大いなる源」の一部であるあなたの一部でもあります。 人間はひとりひとり別々の肉体と別々の心を持つ「大いなる源」とは関係のない存在であるという考え(分離意識)は、誤りであり、錯覚(自我・偽我)です。 すべての人間は「大いなる愛」そのものであるということを真剣に考えてみてください。あなたは愛(神・無限大の愛)なのです。 あなたが愛なのですから当然あなたは愛を知る事が出来ます。 |
この宇宙は慈愛に満ちた世界だということを忘れないでください。 宇宙はあなたの味方です。 自分の不調和に満ちた世界にとどまらず、宇宙の調和とともに生きることを決心した人には大宇宙のあらゆるエネルギーがその人を助けるために集まってきます。 宇宙は、あなたが孤独な殻に閉じこもっていることを望んではいません。 宇宙は、あなたが創造のパートナーとなることを望んでいます。 バーソロミュー 質問:霊性の高い人とはどういう意昧か、説明してくださいませんか。 霊性が高い人の真の特徴は、人生が人間の限られた知性ではとても理解できないような不可思議、神秘、 宇宙が命(大愛)に満ち満ちていることを理解し、ただただ感謝と喜びに満たされ、すべてを受け入れる(許し愛する)心を持つにいたった人です。 自分自身を「霊性の高い人」と決めつけることが問題なのは、そうするとすぐに、霊性の高い人は何をして、何をしないかと、リストを作り上げるからです。 それから何年もついやして、自分の作り上げたイメージに自分をはめこもうとします。しかし、これも最終的にはよい結果を生みます。 というのは、この方法を長い間続けていると、ついには自分の霊性を高めるために必要だと思っていたことは実行できない、という結論に達するからです。 もちろん、愛情にあふれて思いやりに満ちるときもあるでしょうが、同時に、怒ったり、恨んだりするときもあるわけです。 自己憐憫におちいるかと思うと、自分が大胆で、強くて、パワフルだと感じるときもあります。 こうして次々と展開するさまざまな状態を、すべて経験しながら学んでいくのですが、最終的には、真の霊性の高さとはどんなものかを理解することはとてもできない、という境地に達します。 頭で理解することはできないのだと悟った瞬間、慈しみの心と、無力感もしくは絶望といったふたつの異なる感情で満たされます。 自分の悩みを誰も完全に理解し、克服することはできないのだと悟った人に、他人を裁くことなどどうしてできるでしょうか。 自分が調和のとれた精神を二十四時間いつも保つことなどできないことがわかると、それを他人に期待するのは無理だと悟ります。 そこで、他人に対する思いやりの心、慈しみの心が生まれてくるのです。 同時に、「全く望みなし」という感情が生じます。ずっと以前、私が「望みなし」の状態が好きだと言ったのはこういう理由からです。 「望みなし」の状態というのは、絶望に打ちひしがれているということではありません。 私の言う「望みなし」の状態にある人というのは、人生を理解することなどできないという、基本的叡智にやっと達し、抵抗をやめた人です。 理解しようとすると、自分で自分に頭痛の種を作るだけです。 誰かに傷つけられると、過去世で他人を傷つけたからそのカルマ(業・因縁)でこうなったのだろうかと、クヨクヨ悩む人がいます。 どうしてそんなことがわかるのですか。 また、たとえそうだとしても、それがどうだというのですか。 過去世で他人と問題を起こしたことを知ることが、その人の精神生活の助けになるでしょうか。 それを知ることでその人の心の傷が癒されるとは、少しも思いません。 自分の現在の行動を正当化するのに過去世を利用できると、頭の痛みは少しはおさまるかもしれません。 けれども、そうすることでその人の気持ちがよくなるでしょうか。 頭で何かを理解したと思った瞬間、頭はその行動に理由づけをし、それで解決した気になります。 そして、その人はもうその問題を考えようともしなくなります。 自分に正直な人であれば、他人から傷つけられることは何度も何度も起こることである、と認められるはずです。 人生の基本的真実を心の奥深くで理解すると、他人からまた傷つけられるのではないかと心配する必要がなくなります。 そしてその真実とは、「あなたの人生に関わるすべての人、世界中すべての人は心の平安を求めている」ということです。 他人を傷つけてしまったり、他人から傷つけられたりしたときにも、その行為は決して意図的なものではない、ということが理解できると、心の平安を求めることの助けになります。 ※本質的(神我)には、誰も他人を傷つけようなどと意図していないのだということが理解できますか。(※神・大愛は完全であり絶対善です) 人は、憎しみや悪意や悔恨(かいこん)から他人を傷つけるのではありません。無知と怖れ(分離感・自我・偽我)から人を傷つけるのです。 自分の頭で物事を理解しようとすると、何もわからなくなります。 誰かを前にして、あなたは自分とその人との関係を何とか頭でわかろうとします。 こういうことを、自分の子供や自分の親に対してやっています。 理解できれば、もう傷つけられないですむ、と自分にいつも言いきかせています。 いいですか、よく聞いてください。 頭で人生を理解することはできません。人生はそんなに単純ではありません。自分で思うほど、あなたは単純ではありません。 あなた(の本質)は途方もなく広大無辺な存在(無限宇宙・神そのもの)だと、私は何回もお話したでしょう? 人がこのように広大無辺な広がりを持つ存在ならば、果たしてちっぽけな人間の頭で、自分が今自分の人生でしていることの意味や理由、他人の行動の意味や理由を理解することがいったい可能でしょうか。 「頭(表面意識・マインド・自我)で理解しなければならない」と言う人は、自分が広大無辺な存在(神)であることを否定しているのです。 したがって、霊性の高い人とは、理解の域に達しようと何年も苦心惨憺(さんたん)した人です。 あらゆる種類のヨガをやり、禅を学び、何でもやってみた人です。 そして最後には、「私とはこういう私(宇宙意識・大愛・神そのもの)なのだ」ということを(ハートで)理解するのです。 求道の結果、健康になったかもしれませんし、ならなかったかもしれません。菜食主義になって、病気になった人もいれば、それで健康になった人もいます。 「広大無辺性(無限大の宇宙)」に法則を当てはめることはできません。 広大無辺性に法則を当てはめようなどとするのは、ばかげたことです。 それはまるで、海辺に立って両手を広げ、 「波よ止まれ。なぜ浜辺に波が打ち寄せるのかわかった。だから私はここに立って命令する。波よ止まれ」というようなものです。 不可能なことです。 弟子として深遠な教えを学ぶときに、人は「老師やグルは、自分の知らないことを知っている」という考えを持ちます。 そして、自分が十分向上し、十分瞑想し、十分苦行に耐え、完全に自分を捨てることができれば、師が悟りの秘密のカギを与えてくれるだろうと期待します。 仮にこれが本当だとしてみましょう。師は知っているが、あなたは知らない、師はカギを持っているが、あなたは持っていない、とします。 では、あなたが悟かどうかを決めるのは誰ですか。 あなたですか、師ですか。師があなたを気に入らないとしたらどうしますか。 師があなたのシャツの色が気に入らないとか、あなたが土曜の夜していることが気に入らないとかしたらどうしますか。 師は、あなたが悟りの境地に決して達しないようにすることもできます。 あるいは、この師がたまたま批判的な性格であれば、あなたにはまだその時期が来ていないと言うかもしれません。来世でもう一回やり直せと言うかもしれません。三回転生してから出直してこい、と言うかもしれません。 そうされても、自分は強くてパワフルで、覚醒の可能性を自分の手に握っていると思うことができますか。 私はそうは思いません。今度は、秘密を握っているのは師ではなく、自分(裡なる神)だと感じているとします。 カギを握っているのはあなたなのですが、しかし、困ったことに、カギがどこにあるかわかりません。 どうやって探したらいいでしょうか。 今度は、今までと同じことを自分に対してすることになります。 もっと蔵しい戒律の生活をしたら、断食をもっとしたら、瞑想をもっとしたら、本をもっと読んだら、そうしたら、自分自身に秘密のカギを与えようというのです。 ここでもまた成功不可能な状況を生みだしています。 つまり、自分自身に対して隠していることを、自分に教えるように自分に頼んでいるというわけです。こんなことが意味をなしますか。 私にはそうは思えません。 このような態度は、問題を取りちがえている結果から起こっています。 問題は、あなたが何かを知らないということではありません。 問題は、何か見つけなくてはならない、あるいはこの瞬間以外に何か必要なものがある、とあなたが考えていることなのです。 あなたは、自分に何かが足りない、何かが欠けているといつも思っています。 このような直線的思考をつづけるならば、何度も転生して秘密のカギを探しつづけるはめになるでしょう。 あなたのエゴは、土曜の夜の乱痴気パーティーを全部おぼえているので、そんなに罪深い人間は秘密のカギを子に入れるのにあと三年は待たなくてはならないと思わせます。 エゴはいつも、「心配するな。悟りはすぐそこだ。もう少しがんばれ。 すばらしい人が現れ、その人の話を聞いたら、悟りの境地に達せられるから」とささやきつづけます。 誰かから与えてもらわなくてはならないと思っている限り、悟りの境地に達することはできません。それでは求める人になってしまいます。 前にも言ったようにあなたは求める人か見つける人のどちらかなのです。 求める人は求めつづけます。 見つける人は「悟りを理解することはできないし理解する必要もないしそれそのものを生きるしかない」ということを悟ります。 私が話したいと思っている、たったひとつの神秘とはこのことです。 何度もくり返しますが、これがまさにそれなのです。 一瞬一瞬を生きるという生き方がそうなのです。 人生はもっとよくなってはいきません。 自分自身に対する最良の贈り物は、人生はこれ以上よくはならないという事実を受け入れることです。どうかわかってください。 「この瞬間」こそが、「神なるもの」の姿です。 未来のあるときを待ちつづけていると、「明日」や「いつか」を次々に生みだしていくだけです。 今日こそが毎日です。 今日こそがすべての日です。 今日こそがその日なのです。 求めるのをやめ、「これ以上頭を使うことはできない。体をこれ以上きたえることもできない。できることはすべてやった。できる限りの努力はした」 と納得し、今やただ自分の無力を感じる――そう言った瞬間、心からそう思った瞬間、エゴは抵抗を捨てます。 求道ゲームを演じるようにしたのはエゴですから、勝てないとわかったときに「死ぬ」のはエゴです。 この真理があなたの意識に入った瞬間、エゴのパワーはなくなり、あなたをかり立てるのをやめ、あなたの人生を試すことをやめます。 エゴは素直に抵抗を捨て、降参します。 本当のところ、エゴは決して死ぬことはなく、ただ降参するだけです。 エゴが最も好きなゲームは、霊性を高めるゲームです。 このゲームは、自分のまわりの人間に比べて、自分の方がすぐれた人間だと思わせてくれるので、非常にパワフルです。 何しろあなたは神を求めているのですから。 神を求めるのは、人間にとって最も崇高な行為だというのは、誰でも知っています。 こうして神を求めている人は、自分がパワフルでますます強く、賢く、崇高になっていくと感じます。 ついにはまわりの人たちから、けむたがられます。 あんまり崇高で、その人がいるだけで、まわりの人たちは罪悪感を感じるようになってしまいます。 まわりが罪悪感を感じるのは、その人のエゴが、いつも他人をあれこれ価値判断しては裁いているからです。 どんな人に対してであれ、決まった生き方の法則などないのだ、ということを忘れないでください。悟りは起こるべきときに、自然に起こるのです。 一定のやり方というものがあるとしたら、この部屋にいる人たちの多くは、すでに悟りを開いているはずです。もしも一定のやり方があるとすればの話です。しかし、そんなものはありません。 既成の方法や戒律というものは、ひとりの人間の悟りの経験にもとづいて作られています。 このひとりの人間の、悟りという広大無辺の不可思議な出来事にもとづいて、それがどうやって起こったのか、どうすれば同じような境地にたどりつけるのかが、数々の教典には記されています。 このような経験をした人は真実を言葉で語るのは不可能だと知ってはいるのですが、それでも何とか言葉にしようと努力します。 こうして言葉にされた瞬間から、それは書きとめられ、何千年ものあいだ人々はそれを読み、その教えにしたがいます。 何度も転生をくり返しながら、この悟りを求めつづけている人がいます。 気の毒なことに、今その人がどんなことを試みていようと、※神は自分の外にある存在だという考えを持ちつづける限り、これからもまた何度も転生をくり返しながら、同じ道を求めつづけることになるのです。 (※「神は汝の内にあり」「神と人は常に一体」が神理であり、悟りそのものですから、そこに気付くことが解脱にとって最重要♪) 高潔な人間になろうと努力している人を見てごらんなさい。 非常にむずかしいことに取り組んでいるばかりでなく、何よりもそういう人は人生を楽しんでいません。 長いあいだ人間は、神を求めるには、人生を楽しんではいけないと思いこんできました。神は人生の楽しみ方など何も知らないと思ってきました。 しかし、「この世に喜びがあることこそ、神の存在の証である」とも昔から言われてきています。 この言葉は、一般に考えられているよりずっと重要な意味を持っています。 次のことをどうかおぼえていてください。 自分は歩むべき道にそってすすんでいて、何事も問題なくすべてはスムーズにいっている、と心の奥のほうで声がすると、人はそれによって自分は正しい、自分は守れていると感じはじめることがあります。 そういうときこそ、何かおかしい、何かまちがっていると気づくべきなのです。 自分の人生が道理にかなっているのは、頭(マインド・自我)を使って生きているからです。人生には道理などありません。まだそれがわかりませんか? 命とは、スイッチを入れたら動きはじめ、以後、人間が作り上げたルールにしたがって何百年も何千年も休むことなく作動しつづける、そんな都合のいい機械のようなものではありません。そういうふうにはなっていないのです。 神とは、天真爛漫で、創造性に富んだダイナミックなエネルギーの動きであるということは、何度もくり返し言ってきました。 もしも神、すなわち、命(宇宙生命・大生命・大愛)が人間のルールにしたがって休みなく動きつづける機械だとしたら、いったいどこに天真爛漫な性質があるといえるのでしょうか。 「大いなる命」の基本要素は喜びであり、その喜びが何であれ、その瞬間に起こっていることの自然な動きのなかから生まれるのです。 「大いなる自由」は、そうした動きのなかから生まれます。 「大いなる自由」を得ると、自分を裁くのをやめられます。 自分がなろうとしているものになろうとする努力をやめ、その代わり、今の自分が自分なのだ、今この瞬間がその瞬間なのだ、と感じるようになれば、あらゆる葛藤は終わります。 ところが、自分の葛藤がなくなるのを怖れている人がいます。 葛藤がなくなれば、どうやって悟りに達するのだろうかと疑問に思うからです。 これがパラドックスだということがわかりますか。 悟りを求めて葛藤しなければならないのに、悟りに達することができるのは、葛藤をやめた時だというわけです。 ここでの問題は、問題の提起のし方がまちがっているということです。 ラマナ・マハリシは、「あなたはすでに悟りを開いている(今即天・今即実在・宇宙即我)」と言っています。 それを聞いて「わかった。わかった」と言いながら、あなたはちっともそれを信じていません。そのことはちょっとわきにおき、いつかそれについて考えようと自分に言い聞かせます。 でも、やはり信じていないのです。 マハリシはつづけます。 「悟りへの唯一の障害は、自分は悟りを開いていないという考えである」 それを聞いて、あなたは、また、??の、わかってますよ」と思いながら、や はり信じません。 マハリシはたわごとをしゃべっている愚か者であるか、または、真理を述べているかのどちらかです。あなたが判断してください。 マハリシが真理を述べていると判断したなら、悟りへの最大唯一の障害は、自分はまだ悟りを開いていないという考えだ、というマハリシの言葉をどうか信じてください。 マハリシを信じても、信じなくてもかまいません。 ただし、中途半端に信じるのはやめてください。 中途半端になるのは、頭とエゴと肉体のしわざです。 自分を求道者だとみなす癖を捨てられない人はどのくらいいるでしょうか。 よく注意してみると、このような自己のイメージは、自分が他人より一歩先んじていると思わせるためにエゴが使う最良の武器だということがわかります。 誰もが認めるように、求道者というのは崇高な地位を占めています。 自分のことをよく思いたいがために、多くの人がこの役を演じます。 人生のほかの面で失敗した人が、「地球界ではさんざんな結果だったが、あちらの世界ではもう少しましなことができる」と考え、精神世界を追求しようとすることがよくあります。 残念ながら、地球界とあちらの世界とはひとつ(色心不二・空即是色)なのです。地球界を飛び越して、雲の上の天国でちがう意識のなかに存在することはできないのです。 無辺に広がる悟りの境地への一番の近道は、この地球界を完全にありのままに受け入れ(愛して)、自分を完全にありのままに受け入れ(愛し)、 他人を完全にありのままに受け入れ(許し愛して)、自分自身を愛するように他人を愛することです。 自分のほうがすぐれていると思っていると、他人を愛することができません。それはわざとらしいへり下りの行為ではあっても、愛ではありません。 では、どうやって愛すればいいのでしょうか。 自分の目の前にあるものや人をできる限りとにかく愛するのです。 今、自分らしくふるまい自分らしく話し自分そのものを感じるのです。 この一瞬において(全てが)自分自身(全ては自分)であることです。 一生懸命努力することをやめると自分にそんなにきびしくなくなるしそうすると、他人にも厳しくなくなります。 この世はひどいところだと感じ、人々は否定的で批判的で、悪徳に満ちていい加減だと思っている人は自分自身が人間として欠けていると感じているので、自分がまともだと感じられるように自分よりも劣った世界を外に投射するのです。 これを果てしなくつづけるのですが、結局そこから答えは得られません。 この世界が神以外のものから創られたと考えている人に対しては、私は何も言うことはありません。 しかし、あなた方が、「神なるパワー(大愛)と呼ぶものによってこの世界が創られ、今だに創られつづけ、維持されていると信じるのであれば、次のステップに移る必要があります。 この世に神と悪魔というふたつの存在が本当にあるのでしょうか。 人間が神から切り離されてしまったというのは本当でしょうか。 こうした古くからの考え方がどこから生まれたか、知っていますか。 それはとても単純なことから起きたのです。 あるとき、人間が何人か集まって話し合いました。 「自分の気のおもむくままに生きるというのも悪くはないが、予測がつかない。 人生、もう少し予測可能であるべきだ。いくつか規則を作ろう。 規則があれば、物事がどうなるか知ることができるだろう」 予測可能な世界だと面倒が起きないので、人間はそれを好んだわけです。 予測のつかない行動をとる人たちはコロコロ気が変わり、当てにできないので、都合が悪い存在です。 そういう人は、信頼できないし、頼りにできないし、無責任だ、と言われます。彼らは気が変わるので、不都合なのです。 彼らが変わると、自分も変わらなければならず、自分はそうしたくないかもしれないと不安になります。 そこで人は変化に抵抗し、自分たちが作り上げた「宇宙の法則」とやらをもちだし、ほかの人々をコントロールしようとするわけです。 そうして、規則はさらに、責任感のある人間であれ、信頼できる人間であれ、思いやりのある人間であれ、とつづきます。 人間の生活が、いかに規則にがんじがらめになっているかわかっていますか。 何を食べるべきか、何を食べてはいけないか、いつ呼吸すべきか、どのように呼吸すべきか、何を考えるべきか、何を考えるべきでないか、いちいち決めなくてはなりません。 どうやって、これをこなしていくつもりなのでしょうか。 何を考え、何を考えるべきでないか、どうやって考えるのですか。 何という膨大な任務を自分に課したことでしょう。 しかも、どれもこれもくだらないことばかりです。 「あらゆるものは神である」という、本質的真理をみんな忘れてしまっています。 すべてが神だとしたら、あなたが選ぶこともすべて神です。 けれども、あなたはすべてが神であるということを信じていません。 教会という宗教制度は人々に「悪」というものが存在し、それに対して日夜戦いつづけなくてはならないと教えます。 私には悪は見えません。私は悪の存在を信じません(真実・実在に於いて、心の影・自我・闇は存在しません・神一元・愛のみが実在・光一元)。 私は怖れの存在を信じ、人々が他人に対して冷たい態度をとるのは、怖れ(無知・分離感)が原因だと考えます。 心の中に「大いなる愛(神我キリスト)」をもって生まれなかった人は、ただのひとりもいません。 けれども、怖れ(自我・偽我)は「大いなる愛(大愛)」を覆いかくし、「愛するな。愛すると、自分の弱みをさらけだすことになるぞ。弱みがあると、誰かに傷つけられるぞ」とおどとかします。 傷つくということは、単に傷つくことにすぎない、それだけのことだ、ということを受け入れ、痛みから逃れることに一生をついやすことをやめると、自分の世界が完全に変わってしまうのに気づきます。 心が痛むにまかせていてごらんなさい。誰かそれで死にましたか。 すべての人々は傷つけられた経験があります。何度も何度も傷つけられた経験があります。それでも、人々はちゃんと生きています。 そのひどい経験の結果、あなたはどうなりましたか。 あなたは苦しみを怖れ、避けようとしていますが、その怖れはまぼろしてす。悲しみなくして喜びは、経験できません。 そのふたつは同じ世界の両面なのです。 ですから、人があなたの悪口を言ったり、あなたに対してひどいことを言ったりするのなら、そうさせておけばいいのです(全てを愛し全てを許し愛の光で抱擁してあげる)。どうでもいいことです。 傷つけられるようなことを言われたとき、あなたにはそれにどう対処するか、選択の道があります。何の反応もしないこともできますし、あるいはその瞬間のすべてを楽しみながら、大胆にその、ドラマを演じきることもできます。 どちらでもいいのです。そのことで憂鬱になり、気落ちし、罪悪感を感じたいのなら、それもけっこう、どうぞやってください。 堂々と、情熱をもって、生き生きと、エネルギッシュにやってください。 真剣にやってください。 こういうときに、何も選択の余地がないと思うと、そこで悩みが起きます。 自分は選ぶことができないと思うことが、あなたを傷つきやすくするのです。 あらゆる瞬間において、自分は選択の可能性に満ちていることがわかると、その人の世界は変わります。あなたを傷つけるのはまわりの出来事ではなく、それに対するあなたの反応なのです。 このことは、もううん、ざりするほど聞かされたはずです。 けれども、自分の全存在をかけて、一度でも真剣にそのことに耳を傾けると、自分を傷つけるのは出来事ではなく、それに対する自分の反応だということが理解できます。 覚醒、あるいは悟りとは、あなたにとって何を意味するのでしょうか。 自分のまわりにあるものすべてとの一体感でしょうか。 (※全ては自分・全ては神・大霊との一体感) 喜びや慈しみの心や命(神)を感じることでしょうか。 (※慈悲と愛が宇宙神理・全てに神(命)を観る) それらのものがまだ自分のものでないとしたら、何がそれを妨げているのかよく見てください。 注意深く観察すると、過去に根ざす怖れや、将来起こるかもしれない孤独や病気、罪悪感などに対する怖れを抱き、いつもそういうことを考えてクヨクヨしつづけている、そういう自分の想念がその原因だということがわかります。 あなたは過去と未来のふたつの極のあいだで行ったり来たりしています。 それから抜けでる道は心を静めることだ、とみんなが言います。 そこで、人はきびしい修行生活をして心を静めようとします。 でも、きびしい修行をする必要はありません。 あなたは心を静めることが必要なだけです。 あなたがしなければならないのは、それだけです。 心を静める最良の方法は、「いつも瞬間にいる」ことです。 いつも瞬間にいれば、あなたの心がザワザワすることはありません。 瞬間を生き生きと感じ、この瞬間が含むすべてのものを意識し、何ものも怖れず全意識がこの瞬間にあったら、そのとき、あなたは未来のことを考えてもいないし、過去のことを思いめぐらしてもいません。 あなたはこの瞬間、本当に生き生きとしたエネルギッシュな意識そのものとなり、それはもう、幸せな気分になるでしょう。 そして、その結果、困ったことになるかもしれません。 みじめな気分でいることに対して、あなた方の文化がどんな倫理観を持っているか、気がついているでしょうか。 子供が自分のことをすばらしく感じはじめると、母親はうねぼれてはいけないと叱ります。自分は何かが上手だと言うと、子供は怒られます。 小さいときにすでに、自分は上手に何かできると言うのはいけないのだと学びます。 顔がきれいな子供は、自分はきれいだと言うかもしれません。 そうすると、人は、その子はうねぼれていると思うのです。 その女の子は自分の美しさを観察することはできても、その強みを自分に言ってもいけないし、他人に言うのはもっといけないということをおぼえます。 では、どうやって人は自分の強さを感じることを、学ぶことができるのでしょうか。あなたはそれを感じることを許されていないし、まわりがあなたにそれを与えることもありません。 まわりの人間は、あなたに、自分たちよりすぐれていると感じてほしくないのです。 自分とは何かという感覚を、まわりもあなたに与えてくれず、自分自身でも与えることができないとしたら、どこからそれを得られるのでしょうか。 自分自身を受け入れ、自分の人生、自分の世界、そしてそのなかのすべての人、すべてのものを受け入れると、突然、今まで自分を受け入れてもらおうとして使ってきたエネルギーが解き放たれます。 地球界のみなさん、あなた方は人生という壁にずいぶん長いあいだ自分を打ちつけ、苦しんできました。完全であろうとする努力をやめると、そのときようやく物事がうまくいくようになります。 今まで求めつづけてきた心の平安が得られ、物事の意味がはっきりしてきます。私たちはあなた方に「今のままでいいのですよ」と言いつづけているのですが、ほとんどの人は私たちの言葉を信じていないようです。 すべてのものを創りだすのが神だとしたら、あなたの人生を創りだし、維持しているのも神です。だから、すべては今のままで、※そのまま(愛おしい)でいいのです。 (※勘違いしやすい部分ですが、所謂、努力しなくていい[偽スピ系]というわけではありません。難行苦行悟りに非ず・全て善し・全てが愛おしい・全てに感謝・と解釈すると自然な気が致します) 何百万何千万という人間たちが、何度も転生をくり返しながら、信じられないほど無限に美しく躍動する「大いなる光」のタペストリーを織りつづけています。 あなた方の限られた意識のレベルからは、このタペストリーを見ることはできませんが、あなた方もいつか将来真理を理解し、ものへのこだわりを捨て、自分たちが創りだしたものを見ることができる日が来るでしょう。 そのときに、自分たちの創ったものがいかによいものだったか、ということがわかります。必ずわかります。 この広大無辺のタペストリーこそ、あなたの人生の意味なのです。 あなた方の多くが、自分のまわりや人とのあいだで動くエネルギーの織り糸を見るという経験をしています。 「大いなる光(大生命・大愛)」の波動が送られてきており、それが自分たちを生かし、育んでくれていることをあなた方は知っています。 それは美しく生き生きとしていて、ダイナミックで底深く、満ち足りたすばらしいものです。 人間は自分の織り糸にあまりに近すぎるし、それを織るのに忙しくて、全体のすばらしさや、奔放さを見ることができません。 しかし、もしもそれを見ることができたら、ほんのひと筋の糸も、ただのひとつの出来事も、ただの一瞬も変えたいとは思わないでしょう。 あるがままですべて完壁(全て善し・全てに感謝)だということがわかり、その(神の)一部であることに喜びとすばらしさを感じることでしょう。 あなた方はみんなその無限の広がり(無限宇宙・宇宙生命・大生命)の一部であり、それは実に美しいのです。 どうか、そうした見方(神のみが実在・全てに神が宿り給う)をするよう心がけてみてください。 質問: これまでの長い人生で、自分をもっと賢く有能にするとか、精神性を高めるなどというようなことを何も学ばなかったという事実を、私は自分のエゴのせいで認めることができません。 自分の内部の奥深くを見てみると、誰でも同じような立場にいることがわかると思います。 あなた方はこれまで長いあいだ、他人の助けを借りないで、自分ひとりでがんばらなければならないとか、自分の道は自分で切り拓けとか、他人に甘えるなとか、自分のことは自分で、とかいった古い考えのなかで生きてきました。 これらの考えはすべて、くり返しの転生のなかで、何世にもわたって頭に植えつけられてきたものです。 全く過去や未来に気をとられないで、瞬間に生きるならば、自分とまわりの世界との関係が理解できます。 痛みがやってきて、それをあなたは経験し、そして痛みは去っていきます。 感情や考えがやってきて、あなたはそれに反応し、そしてそれは去っていきます。 それらのすべてを観察することにより、あなたのまわりには、これまでとはちがったパワーが築かれはじめます。 古いパターンの考えが現れなくなります。 それは、はじめはほんの瞬間的であったのが次には数時間にわたって、やがては数日間にわたるようになります。 そんなに一生懸命にがんばらなくてもいい、他人に感心されなくてもいい、賢くなくてもいい、ということがわかってきます。 こういう古い価値観のすべてが、あなたには意味のないものになってきます。以前よりもっと幸せな気分になり、もっと喜びに満ち、ひも解かれる人生のただなかにいる、その瞬間にいると感じるようになります。 そのための唯一の方法はとにかくやることです。 自分の考えを考えないようにすることはできません。 ただ自分にできることは、全身のパワーでもって、この瞬間に意識をすえることで、新しい力が自分のなかにきざみつけられるようにすることです。 古い考えが頭にきざみつけられてきたのと同じように。 しかし、これらを築き直すのに、もっと転生をくり返す必要はありません。 この瞬間に意識をすえて生きはじめると、何の努力もなしに、今までとはちがった見方、人生観がそこから生まれてきます。 これを実行しつづけると、しだいに過去にしばられることがなくなります。 新しいものが優勢になってはじめて、古いものがなくなっていきます。 ただ一瞬一瞬に意識をすえ、本来の自分のパワーを感じると、今までの自己像はあやまっていたことに気づきます。 これまで人は、自分というものを肉体と精神を持って、時間と空間のなかを動きまわっている小さな存在だと思っていました。 これまでの古い価値観のすべては、この肉体と精神に対してのみ有効なものです。 けれども、それは本当のあなたの姿ではありません。 肉体と精神は、本来のあなたという全体性のなかのほんの小さなかけらの部分にすぎないのです。 瞬間に生きるパワーのなかから、この真のヴィジョンに対する気づきが生まれます。 真のあなたの姿のパワーに比べると、これまでの社会的規範や自分のニーズや欲求などのすべては実に色あせて見えます。 ここで私が話していることが、少しでもあなたにとって意味があるものならば、単なる概念やアイデアに終わらせず、実行に移さなければなりません。 そして、それを実行する唯一の方法はこの瞬間に生きることです。 まさにそれだけです。それはすばらしい生き方です。 瞬間に生きはじめると、あなたはあらゆる音や景色や経験に対して、これまでより何倍も敏感になります。 全意識がその場にあると、すべては奔放で、生き生きとします。 人生が退屈なのは、自分は何でも知っていると思うからです。 けれども、あなたは何も知ってはいないのです。 なぜなら、すべての瞬間は新しいからです。 常に新しいものを、どうして知ることができるのでしょうか。 すべての瞬間が、新しいものを経験する機会になると、人生は楽しくなります。この新鮮さこそ、人生の喜びが生まれてくるところです。 人生は決して古くなったり、終わったりはしません。 あなたが生まれたときと同じように、常に新鮮で可能性に満ちています。 メタフィジックス通信様 (ラー文書が良く分かる良質記事♪) この宇宙は慈愛に満ちた世界だということを忘れないでください。 宇宙はあなたの味方です。 自分の不調和に満ちた世界にとどまらず、宇宙の調和とともに生きることを決心した人には大宇宙のあらゆるエネルギーがその人を助けるために集まってきます。 宇宙は、あなたが孤独な殻に閉じこもっていることを望んではいません。 宇宙は、あなたが創造のパートナーとなることを望んでいます。 バーソロミュー 性の問題をきちんととらえるためには、過去に戻って考える必要があります。 ご存じのように、性にまつわる問題というのは何も現代に限ったことではなく、昔からいろいろあったことで、それは不可思議なものであり、人々をとまどわせるものです。 これをもっと広い見地から見るために、人間の性の持つ役割というものを考えてみたいと思います。 性行動に関する「ルール」を私がここで述べようなどというのではありません。性行動のルールを作るのはあなたの責任です。 それは、どういう社会的法律のもとで暮らすかを決めるのが、あなたの責任であるのと同じです。 では、過去にさかのぼってみましょう。魂がこの地球にやってきて、肉体を身につけ、これから何をすべきかを決定した時代に戻ります。 そのとき、人間たちは「パワー」を与えられました。 このときに与えられたパワーは七つのテャクラと関係したエネルギーでした。 現代の人は、エネルギーというものを、規則正しい法則にしたがって動くものだと思っていますが、ここでいうエネルギーは、人々の「存在」のなかをたえまなく動いているパワーであり、それは特定の目的を持つものでした。 目的のひとつは考えることであり、もうひとつは感じることでした。 私がいう性エネルギーも、こうしたエネルギーの一種でした。 性エネルギーやパワーは、人間ひとりひとりが自分の意思で決めて使うようにと、与えられたのです。 はじめの頃は、性エネルギーはほかのエネルギーと分離してはいませんでした。 人を狩猟にかり立てる衝動と性衝動とのあいだに、たいしてちがいはありませんでした。その頃は、それぞれのエネルギーのあいだには、はっきりした区別がなかったのです。 はるかな過去世において、すべての人間の体のなかでエネルギーがスムーズに流れていた頃、それぞれの人間は、自分がどんな人間なのか、どんな人間になりたいのかということにもとづいて、人生におけるさまざまの選択をしていました。 あなたが地球界に転生してきたのは、今回がはじめてではないということをここで理解しておいてください。 あなた方は、この地球界にずっと長いあいだ、何回も転生してきています。 ですから、過去世からの性癖のようなものが各人のなかにあらかじめあって、それが、その人のありよう、意識などににじみでてきます。 このような過去からの性癖がひとりひとりの性に対する態度に影響し、その人となりの一部となります。 あなた方が何度も転生して、時間と空間のなかを移動するにつれ、性エネルギーは自己表現のひとつの方法となり、人は自分の意思にもとづいてそれを使いました。 ほかのエネルギーと同じように、性エネルギーも、ひとりひとりが自分に対してだけ責任を持つものとしであったのです。 性エネルギーは、「その人らしさ」の一部であり、ひとりひとりがしっかり意識すべきものとしてあったのです。 自分らしい感じ方、自分らしい行動をするためのものでした。 あなたは、自分の考え方しだいで人生が調和に満ちたものになったり、逆に不調和そのものになったりするということ、そしてその自分の考え方というのは、自分の責任であるということを経験から理解するようになりました。 それと同じように、自分の性エネルギーをどう使うかというのもあなたの責任なのです。 けれども、現代では、誰もそうした責任を認めようとはしません。 人はすべての行動に対するルールを作り、個人としての責任をとろうとはしません。 何をすべきかは法律や社会のおきてに決めてもらう、そうすれば自分の責任は関われないと思っています。 こういうやり方はうまくいっているでしょうか。 「暗黒の時代」の昔に決められた性道徳は人々に喜びを与えているでしょうか。(あなた方はまだそういう古い性道徳のなかで生きでいるのでしょう?) もう、そろそろ自分自身の性に目覚めるときです。 他人のモノサシに左右されず、自分にとって、男であること、女であることはどういうことかを表現することです。 いつも生き生きして、元気いっぱいで、優しい気持ちに満ちて、クリエイティブでダイナミック、そして明るくエキサイティング・・・自分をそんな人間だと感じさせるようなことをしてください。 そうすることがあなたの責任なのです。 社会のおきてにしたがって行動しようとすると、自分の欲望との板ばさみになります。 神が、人間の性行動のすべてを、関心を持ってじっと見ていると信じている人も多いようですが、実のところ神はそんなことには全く関心がありません。 セックスは人間ひとりひとりの問題です。 神はそんなことにちっともかまってはいないし、他人もそんなことに関心をはらうべきではないのです。 神が関心を持っていることはただひとつ――人間がどれほど真理に目覚めているか、その人の生きる力や愛情、他人への思いやりがどんなものか、ということです。 社会のおきてにしたがって生きてきて、その結果、怒ったり、恨んだり、人を批判したり、ネガティブになっているとしたら、神と調和しているとはとても言えません。 性や性行動の話になるといつも決まって同じ質問が出ます。 みんなが自分の好き勝手な性行動をとったら、世の中はメチャクチャになるのではないか、というものです。 規則をすべて取り除いたら、いったい、どうなるのだろうか、という質問も出てきます。 これに対する答えが、私と地球の人々との考え方のちがうところです。 人間から社会的な規則を取り去ったら、人々は自分自身の心のおきてを見いだし、もっと人間的で自然で、優しく親切になる、と私はかたく信じています。 私は人間を信じていますが、人間は自分たちを信じていません。 人間は、まるで自分たちは檻に入れられた動物だ、とでも思っているようです。 社会のおきてという檻がなくなれば、自分たちは性欲に狂った野獣のようになると信じているのでしょうね。そんなことにはなりません。 安心してください。 人間は「大いなる創造物」の一部であり、 その気になれば、何が一番よいかを知る能力をそなえています。 しかし、自分自身の内に指針を求めるのではなく、社会のおきてに判断を求めると、問題の本質が不明確になります。 自分自身のなかにあるおきては完全に予測できるものです。 私は、人間を支配する「大宇宙の法則(宇宙神理)」を知っているので、そう断言できるのです。 人間が人間を創りだしたのではないということは、もうわかっていますね。 人間は(神に)創造されたものです。 あなたは、この「あなた」というすばらしきものを与えられたのです。 あなたのなかには「大宇宙の法則」が働いており、これはあなたが自分で創りだしたものではありません。 この「(宇宙)法則」は例外も全くなく、完全に信頼できるものです。 人間が作ったどんな法律よりも信頼できます。 自分の(裡なる)「存在(神我)」そのものを心から信頼しようと決心すると、他人への深い思いやり、人の心を理解する能力、調和、勇気、知恵など、これまで自分が求めていたものが、すぺて自分のなかにすでにあることがわかるようになります。 人間の本来の性質、人間存在の本質は「大いなる源」の一部であり、それから創られました。 そうでなければ、人間が創られたときの「原材料」はいったいどこから来たと思いますか。 創造のその瞬間、人間はすばらしい贈り物を与えられました。 なかでも重要な贈り物が、男性女性という性別、セクシュアリティだったのです。 外の世界と関わろうとするときに、人はどうも混乱してしまうようです。 人は自分のなかのある種の感覚や感情を何とか他人の感情と調和させようと努力します。 また、人はそれぞれ性に関して異なる意見を持っています。 みんなちがうのですから当然です。 自分の性を理解しようとするときに、頭でわかろうとはしないでください。 人が性のパワーから何かを学ぶことができるのは、それが体のなかで動いているときです。 性エネルギーそのものは、ほかのどんなエネルギーとも同じように純粋です。たとえば、倒錯的行為について考えるとします。 すると、パワーが増加します。ここで、ただちに頭が働きだして「善」か「悪」かの判断を下してしまいます。 性というものを自分はどんな目的に使っているか考えてみてください。 他人を自分の思いのままにするために、性的パワーを使う人もいます。 セックスがとても「上手」になって、人をコントロールする目的にそれを使ったりします。 他人を罰するために性的パワーを使う人もいます。 とても「下手」になってそれで人をコントロールしたりします。 性的パワーを全く使わない人もいます。 何らかのパワーを手にすると人は自問します。 「このパワーをどう使おうか。誰と一緒に使おうか。 自分の人生にどう役立てようか」と考えます。 自分の性というものは見ることはできませんが、自分のなかにあるパワーとして感じることができます。 そこで、、同じような質問を自分にする必要があります。 「私は自分の性を何のために使いたいのか」 これは個人的な問題ですからひとりひとりが自分の心の奥深く、 自分の「あり方」そのものに問いかける質問です。 誰も性欲に狂った動物になったりはしませんから、こういう質問をすることを怖れないでください。 性について真剣に深く考えていくと、性エネルギーは肉体というものの偉大な味方だということがわかります。 もちろん「味方」はいわゆる霊界にもいて助けてくれますが、ここで話しているのは物質界にいる味方のことです。 性が人間の味方だというのは、自分らしく自然に生きることを通して、自分というものをよりいっそう知る機会を与えてくれるからです。 自分のなかの性を素直に見つめ、それについて考えるのは、非常に勇気がいることです。 年齢に関わらず、どんな人であろうと、性に対してゆがんだとらえ方をしていたり、自分の性欲を不快に思ったり、そのことで悩んだりしている人は、性こそが自分にとって解決すべき「未処理」の分野なのだ、ということに気づいてください。 現在、自分の人生に性を表現する相手がいない人は、自分でそうしたくないと決めたからです。 自分の人間観、人生観にしたがって性欲が表現されていれば、かならずその人に合う相手が見つかります。 醜いからとか、太っているからとか、年をとっているからとか、何らかの理由をつけて自分の性エネルギーを使っていない人は、自分のそういう考え方を外界に投射しているためにそうした現実を経験するのです。 性を全く無視して生きれば、面倒が起こらないと思いこんでいる人もいますが、そういう人は性の問題に何度も直面するはめになります。 性に心を悩まさなくてもいいようにと、手術までする人がいますが、性エネルギーは手術後も残っていて、自分の体のなかを動きまわっているのを発見することになります。 性エネルギーは肉体の一部なのですから、捨て去ることはできません。 性欲は肉体が持つ欲望のなかでも最強のもののひとつだからこそ、常に人間の味方になることができるのです。 現世でこの問題を解決するか、来世でするか、いつかはこの問題に直面しなければなりません。 性エネルギーという神からのすばらしい贈り物をどう使うのか、自分のなかではっきりさせることです。 そうすると、人生に変化が起きてきます。 今までとちがう経験をたくさんするようになります。 今までなかったものがその人の人生のなかに現れたり、今まであったものがなくなったりします。 大切なことは、自分に問いかけ、それに答えることです。 「この驚くべきパワーを自分は何のために使いたいのだろうか?」と。 いずれにせよちょっと乱暴ですが、神は性エネルギーを通して何を人間に望んでいたのか、ということを私が推理してみたいと思います。 たとえ話をしましょう。 ここにティーンエイジャーがいて、車を買うことになりました。 あこがれのポルシェです。 さて、いざ車のキーを渡すときになって、 親は「これはたいへんだ」とこわくなります。 強大なパワーは非常に危険なことに使われる可能性があるし、ティーンエイジャーの息子、または娘がまだ未熟な子供だということが、頭にひらめきます。 これと同じように、神が性エネルギーを人間に与えたときも、 「これはたいへんだ」という思いがありました。 神が望んだのはこのパワーが、深い意識をもって有益な目的に使われることでした。 そのひとつは、人間の喜びのためでした。 性の喜びとすばらしさ、そのもののためです。 もうひとつは、パワーというものがあるということ、それが存在し、動き、創造し、何かの形となり、ダイナミックで変化していくものである、ということを人間に教えるためでした。 人間の思考力のほかに、これほどの力を持ったパワーがほかにあるでしょうか。 そして最後に、この贈り物にはもっと高い目的もありました。 それは感謝の心です。肉体の喜びに対する感謝であり、命を実感できることに対する感謝、肉体以上のものになれることに対する感謝の心です。 性エネルギーが外からおとずれ、体を満たし、感動を与えると、人は喜びを感じ、生きていることを実感し、感覚のすばらしさを味わいます。 そういう経験をしたあとでは、今度はそのパワーが反対方向に流れることも可能なことを、理解できるのではないでしょうか。 ちょっと説明しましょう。 性エネルギーは外から自分のほうへやってくるもの、または、自分の内部からわきでてくるものだ、と人は感じています。 神が望んだのは、性エネルギーの流れは反対方向に行くこともできるのだということを知って、人間がそのエネルギーとともに、発生源である「大いなる源」へとさかのぼってくることでした。 エネルギーは両方向に流れます。 人間がエネルギーとともにさかのぼることができれば、エネルギーの根源である、「大いなる源」と合流できるわけです。 「大いなる源」と合流するには多くの方法があり、とくに、これと決まった正しいやり方というものはありません。 あなた方が、正しいやり方をしなければならないと思いこんでいるから、むずかしくなるのです。 あなた方はこれまで「読むべき」本をすべて読み、師につき、「正しい」道を歩んできました。 ところが、「大いなる源」へ戻っていく道を少しでもかいま見た人は、ここで壁にぶつかります。その理由はその人の思いこみにあります。 自分には「大いなる源」へ戻っていくだけの資格がないとか、そうするには何らかの犠牲をはらわなければならないなどと、信じているからです。 したがって、セックスの一瞬一瞬を通して、性エネルギーが教えようとしているレッスンにちっとも注意をはらいません。 セックスのただなかにありながら、それを感じようとしないので、意識が体験から離れてしまいます。 このように気が散るのには、いろいろな原因があります。 まず第一に罪悪感があります。 こんなことをしていてはいけないとか、神が見ているのではないかとか、師が見ているのではないか、と思ったりします。 こんなことを考えているので、セックスをなかば無意識的に行い、性の不思議な魅力も、性エネルギーの動きも感じることができません。 性エネルギーは人間の味方なのです。 けれども、どんなに力強い味方も、心ここにあらずの状態にいる人や、耳を傾けようとしない人を助けることはできません。 意識を集中させ、セックスの初めから終わりまですべてに注意をはらい、自分の反応や感情を見つめ、エネルギーがどんな動きをしているか、性エネルギーが自分をどのように解き放ってくれているか、 どこのところでエネルギーがとどこおっているか、その滞(とどこお)りをどうするか――このようなことに注意をはらう必要があります。 意識がそこになければ、人はそこにはいないわけで、何も学ぶことはできません。性生活が満足なものでない場合、パートナーの数を増やせばいい、と思っている人がたくさんいます。 それでもまだ体力があまっていると、自分がまだ満足していないだけでなく、パートナーの数が増えたぶん、自分に文句を言う相手も増えたわけで、悩みの種を増やしてしまったことに気づきます。 なかには、自分の問題は現在のパートナーが悪いのであって、もっと官能的な相手を見つければ、満足が得られると思っている人もいます。 そうして、ちがうパートナーを見つけてみても、まだ不満です。 性エネルギーから満足を得られるのは、それがすべてのレベルで賢明に使われたときだけです。そうでない限り、満足は得られません。 性エネルギーは、この喜びのレベルまで来たらストップする、などというようには創られていないからです。 では、もっと深い経験をするにはどうしたらいいのでしょうか。 瞑想をしている人は、自分の体のなかを流れ動くエネルギーをはっきりと感じ、そういうエネルギーは自分の肉体を超えたところから来ていることを知ります。 性エネルギーにも同じような働きがあって、あなたをより広大な意識へと誘う「引き金」となります。 自分がすべてのレベルで学び成長していく手段としてセックスを利用したければ、自分の内部やまわりで何が起こっているかに耳を傾け、注意をはらわなければなりません。静かにして意識をとぎすますのです。 性エネルギーの動きに気づき、それを感じ、動くさまを知るようにならなければなりません。生殖器部分は宇宙のパワーであるクンダリニーの発火点に非常に近いことも、観察していくとわかります。 意識を完全にとぎすましていると、パワーを急増させ、背骨の基部にあるチャクラから天項のチャクラまでエネルギーをかけのぼらせて、途中のチャクラにすべて点火する能力が自分のなかにあることがわかります。 性エネルギーのすばらしさを感じない人は、そう感じないように、頭のなかで何かがスイッチを切っているからです。 このエネルギーは一方向に流れるだけではない、ということを思いだしてください。 エネルギーの筒の一方の端と、もう一方の端を分離するわけにはいきません。それらはつながっているのです。 性は神から人間への贈り物です。 神からの贈り物はすべて、ひとつの目的を持って与えられました。 将来、神のもとへ、「大いなる源」へ戻っていくために使われるようにです。 ティーンエイジャーは、車や金をもちだして、好き勝手なことをするかもしれませんが、いつかはその車を使って家に帰ってくることを親は望んでいます。 神も同じ気持ちです。神は、人間が神のもとを離れ、ティーンエイジャーのように好きなことをして、遊びまわるままにさせています。 しかし、人間もいつかは寂しくなって「家」に帰りたくなるだろう、と神は期待しています。 どの転生の人生でどんなふうに性エネルギーを使うかは、あなたの自由です。けれども、性エネルギーは、それを使って「家(神の御国)」に帰るようにと、神から与えられたものであることを忘れないでください。 何か質問がありますか。 質問:「クンダリニー」のパワーは非常に危険で、それを得るには師につくべきだと思っていました。ちがうのでしょうか。 長時間の瞑想や禁欲生活、プラーナヤーマ(ヨガの呼吸法)などの精神的修行をしてこのクンダリニーのパワーを「獲得」し、自分の意思通りにそのパワーを使おうというのでしたら、確かに師につくべきでしょう。 私が人間として転生したときの経験から言いますと、私には師もいませんでしたし、私がしようとしていることを理解できる人も全くいませんでした。 私にあったものといえば、エネルギーの動き、それだけでした。 私が確信をもって言えるのは、エネルギーの動きというのは完全に信頼できるものだということです。 エネルギーはそれ独自のやり方で動き、独自のペースですすむのであって、私の能力以上のスピードですすんだり、能力以上のところへ私を連れていくこともありませんでした。 すべてがうまく行きました。エネルギーが動くままにまかせて、エネルギーにしたがうようにすると、エネルギーはそれ独自の道を開いてくれます。 まるで奥山にわきでた小さなせせらぎが軽やかに山を流れ下りるかのようです。けれども、ダムの門を開けて、いっせいに水を放流すると、水の勢いが激しくて危険です。ですから、自然にマイペースでやってください。 何をするにも師が必要だなどと思いこまないでください。 あなた自身が教師なのです。パワーはあなたの内部にあって、人はそれぞれがパワー制御装置のようなものを持っています。 エネルギーが動くにしたがって、道も開けてきます。 私の言うことをうのみにはしないでください。 もちろん、ほかの人の言うこともうのみにしないでください。 自分自身の内なる声に耳を傾けてください。 少しやってみると、自分も性エネルギーについて知っていることがある、ということがわかります。性や性エネルギーから、自分が切り離されていると感じる必要はありません。 セックスによる結びつきの目的は、すべてのレベルで人をはぐくみ、育てることにあります。 セックスへの理解を深めたいと思っているパートナーがいる人は、自分をはぐくみ、育てるものはどこから来るのかを知るために、次のようなことを実行してみてください。 欲しいと思う人はタントラ・ヨガの本を手に入れてもいいでしょう。 けれども、べつになくてもかまいません。 自分にとってセックスとは何かということについて、自分自身の本を書くつもりになってください。そのために自分が実験場となり、実験体となるのです。 では、あなたがパーティに出席しているとします。 誰かがあなたに近づいてきて、その結果、あなたは自分のなかで性欲がわき起こってくるのを感じます。 修行をしている人は、「性エネルギーを経験することは有益だろうか」と、ただちに自問します。 一番下のレベルにいる人にとっては、答えははっきりしています。快楽です。そこでそのための行動をとるか、またはとらないことを選びます。 もう少し高いレベルにいる人は(私は、この「レベル」という言い方をまるで信じません。でも、皆さんは大好きでしょう?)、 「ちょっと考えなくては。今このエネルギーを行動に移すと、私の人生に混乱が起きるだろう。それだけの価値があるかどうか」と考えます。 それだけの価値があると思えば行動に移し、ないと思えば行動しないでください。そして、いずれを選ぶにしても、自分の行動の責任をとる覚悟をしてください。 最も高いレベルにいる人は、 「このような状況でこの人と性の表現をすることは、私にとって、神を理解するのに最もふさわしいかどうか」と自問します。 これらの行動の結果、人は知りたくなかったことを知ることになります。 どんな場合も似たもの同士が互いを引き寄せますから、低いレベルにしかいない人が、自分より高いレベルの人に魅力を感じるということは、まず起こりません。 低いレベルの人にとって、自分より高いレベルの人は自然さに欠けるように見えるからです。その次のレベルは「かたく結ぼれているカップル」のレベルです。 彼らは必ずしも高い意識をめざすことを第一義にしているわけではなく、相手という人間とかたく結ぼれているのです。 一番高いレベルの人たちは、自分の人生のあらゆる出来事や経験を「神のもとへ帰る」覚醒のために使おうとします。 質問:性エネルギーはどのように動かせばいいのですか。 自分の体のなかのどの部分で性エネルギーを感じているか、まず見つけてください。 そして、その感覚とともにいることによって、その感覚をとぎすまします。 自分の想念が現実を創造するということを、あなたは理解しているのですから、意識的に自分の体のなかでエネルギーを上昇させようと決心するのです。 すると、エネルギーが上にあがりはじめます。 ほとんどの人は、人間の体には七つのチャクラがあると信じていますが、実際にはもっとあります。 体のいたるところにチャクラがあります。 エネルギーを動かしはじめると、これらのチャクラがまわりのチャクラのスイッチを入れていきます。 これは神経間のシナプス(ある神経の軸索とほかの神経の樹枝状突起との接触部分)の動きであり、非常に速いスピードで起こります。 いったん、始まったら、もうコントロールすることはできません。 あなたがするべきことは、エネルギーを感じ、エネルギーそのものと、それを上昇させたいという自分の願望に意識を集中することです。 そしてエネルギーが動くにまかせます。 エネルギーは、自分の意識が向いている体の部分に移動します。 まず、一番下のチャクラから始めて、順番に上のチャクラへと意識を集中させていきます。こうすると、エネルギーが天頂のクラウン・チャクラを通りぬけます。やってみてください。 性エネルギーは神から与えられた贈り物のなかでも、最高のもののひとつだということを忘れないでください。この贈り物には何のルールもついてきませんでした。ルールを作ったのは人間です。 自分が話す内容の質や自分の行動の質や人生に起きるあらゆることの質が、ひとりひとりの責任であるのと同じく、性行動の質もひとりひとりの責任です。あなたが決めることです。 「まちがった」こととか、「正しい」ことというのはありません。 あなたがどれを選ぶか、ただそれだけのことです。 質問:性に関する社会的ルールは、人間が「神のもとに帰る」のを怖れているから作られたのでしょうか。 性に関する社会的ルールを作ったのは、自分が性の表現を自由にできないと感じた人たちです。現代の人々のことを言っているのではなく、古代の聖職者たちのことをさしています。 彼らは、自分たちは一般の人とはちがうと思い、自分たちはセックスをすべきではないと決めました。 このおきてを作ると、ただちにそれをほかの人々にも強要しました。 それ以後、性は多くの社会的制限を課せられるものとなりました。 セックスを通じて多くの人々が完全なる悟りを開いたにも関わらず、このおきては守りつづけられてきました。聖職者たちは、自分たちのやり方で達成された悟り以外は本物でないと信じたのです。 ちょうど、医者が、西洋医学の治療法以外で治った病気に対し、当初の診断がまちがっていたにちがいないと信じるのと同じです。 古くからつづいている宗教のやり方にしたがっていれば、そこで起きた「悟り」の経験も信じてもらえます。あなたが守っている規則を作ったのは、神だなどと誤解しないでください。神は人間に何も強制しません。 ここではっきり申し上げますが、あなた方の人生で起こっていることの大半は、いわば実験です。人生は、創造しつづけるダイナミックなアクションです。 神が、やるべきことをすべて示して、人間はただそれを実行するだけだったら、人生にどんな意味があるというのでしょうか。 人生は、不可思議に満ち満ちた、すばらしい創造の過程であり、 あなたもその創造の一部です。 あなたが考えたり、言ったり、したりすることはすべて、この創造的行為を構成する要素です。したがって、「あやまち」などというものは存在しませんし、「悪い」ことも存在しません。すべては「生きること」なのです。 はい、では説教はこれくらいで終わりにしましょう。 みなさん、今日はどうもありがとう。 自らの空虚感を人や物では埋められないQ、 どうすれば物や欲望などに対する執着から自由になれるのでしょうか? なぜならあなた方が特定の人や物、あるいは考え方や主義などに執着することに何らかの価値を見出している限り、本心から自由になりたいとは思わないはずだからです。つまり、まだ執着していたいものから、自分を引き離すことなどできないのです。 それが夫や妻、あるいは恋人であったり、お金、権力、見栄、立場、セックス、あるいは酒や麻薬などであるかもしれず、そこにはもっと多くの可能性があります。そして、それらに執着することによって今まで自分が得ているものは何であるかのリストを作ってください。 そのために多くの愛情関係が、実際には相手を失う「怖れ」に根ざしたものになっています。ですから自分の執着を知るためには、今の相手があなたの人生から去っていったらどうなるかを自分に聞いてみるとよいでしょう。 そしてその関係は自分の人生のプラスではなく、実はマイナスであることがわかるでしょう。そこのところまであなた方が気づいて理解するとき、初めてその執着から自由になりたいという自分の望みに、エネルギーを注ぐことができるのです。 つまり「それ」が自分の価値の基準なのです。つまり執着しているものが車であろうと、人間であろうと問題ではないのです。何であれ自分以外のものに執着していると、その結果、それを失うことで自分の価値も減少してしまうと感じるのです。 本来自分のものではない人間や物に執着してしがみつくのは、健全ではないばかりか自由な生き方ではありません。こうしたことを理解すると、物や人にこだわらない境地へ向かって、一歩を歩み始めたことになります。ですから「執着を捨てる」「執着しない」ことに価値を見出すことがその一歩なのです。 そしてあなたも喜んで興味を持ってそれらの動きに参加することです。物や人にこだわらないという必要性があなたに理解できると、あなたの意思は「神の意思」と結ばれることになり、この段階をたやすく歩むことができます。 あなた方が強く望むことは現実になるので、あなたが「大いなる自由」を得たいという深い望みを心から持つようになるまでは、「自分と神との断絶、自分と他人、自分とまわりの世界との断絶」といったあなた方のエゴが生み出した世界観に翻弄されて生き続けるしかないでしょう。 しかしながら実際には、あなた方は全て同じなのです。それは今までもずっとそうであったし、これからもそれは変わりません。つまりあなた方にとってもっと優れて高貴な人からもっとも堕落した人まで、すべての人間は同じなのです。 人が注意を払えるのは「今この瞬間」だけであり、それは実に単純なことです。一瞬一瞬を意識するとき、あなただけがそこにいてそれ以外のすべては存在しません。そうした瞬間には、自分とまわりの世界が切り離されていると感じることはありません。そこにあるのはあなたと、あなたのなかにあるものと、あなたのまわりにあるものだけのはずです。 それはどこかと言えば、「未来」や「過去」などは存在しないのですから、それはここ、今しかありません。「広大無辺なもの」とともにいるには、「今というここ」にいなければならないのです。 「振り子」を一方だけに固定しようとしないでください。あるがままにさせておくのです。あるがままにさせることによって、その瞬間の心の平安や知恵や「大いなる自由」がやって来ます。 |
●自我・偽我 =表現者、原因である父なる神を忘れている状態(放蕩息子の状態)神理を知らない状態・自分の力で生きていると思って迷っている状態、肉体の己を自分と思っている我、分離感・分離意識で個別化された表現を別個の存在と認識している我・分離意識・エゴ・肉の感化、五感の感化を真実と錯覚している我・迷いの影、幻、幻想(マイヤー)・自己保存、自我我欲の心
●真の自己(真我)=父なる神と常に一体の境地・ワンネス意識・全一の意識・神我キリスト、全ては自分、全ては我、全ては神、全てを愛する我に目覚めた状態・宇宙生命によって生かされている事を自覚して実感している我・私が生きているのではない、なるほど一つの生命である神が生きていらっしゃる、全ての知恵と力は神から与えられている、神の中身は神、全ての全ては本質的には神、神のみが生きてらっしゃるんだなと悟った我・神一元・愛一元・光一元・我神なり、全ては神なり、全てに神を観る境地・神は生命(霊)なり、我も生命(霊)なりの自覚・宇宙即我、キリスト意識・高我・実在・全てを愛し全てを許す境地・慈悲と愛・あなた即私・私即あなた・宇宙エネルギー即自分・無限即我・不変不動の絶対なる実在・普遍なる宇宙・無限者・宇宙神
- No
- 3919
- Date
- 2019.07.13 Sat
(注・Wi-Fiスポット必須・激重記事です)真理の追求者・光の求道者の方々必見かも♪自分の魂のレベルや成長の度合いが判断できる「魂の成長度のリトマス紙」お話♪私の怒りの抑制の動機の成長話をご紹介♪悟り・魂の法則♪21世紀型最新シルバーバーチの霊訓♪永遠に消える事のない本物の黄金を貴方へ♪魂の法則をこのサイトで全文ご紹介♪宇宙シルバーバーチの霊訓♪人生を愛に光り輝く至福と安らぎに導く真理の情報♪







永久保存版♬知花敏彦さんの神我に目覚める♫瞑想の極意♪白色同胞団♪神我と自我の詳しい説明♪悟りとは何か♪ から一部抜粋ですが……♪
- No
- 3918
- Date
- 2019.07.06 Sat
知花敏彦先生の記事・総まとめ♪第2回目♪ 真の超能力♪自分は全体という神と一体である♪という境地に達した時に宇宙力が顕現します♪真の超能力が目覚める秘訣♪一切のものと調和♪純粋なる愛♪愛は天と地の架け橋♪謙虚な心の極意♪全ては神の御業♪母の愛は神の愛♪全て感謝の念で生皆さん方を最高の神に到達する神理♪無我の境地とは何か♪神の意志を受け継ぐ・波長を合わす秘訣♪私達の根源は愛♪その愛は何かというと神です♪知花敏彦さん直伝♪神の癒しが行われる祈り♪創造主なる神に全託するのが秘訣♪如何なる病気からも解放♪メンタルヘルス・健康・悟りに活用♪ピラミッドパワーとは中性パワー♪愛のエネルギーを意味する♪神は宇宙の愛の法則♪健康に活用♪酸素はエネルギーであり光です♪人間は水素と酸素だと言っても過言ではありません♪感覚治療を可能にする究極奥義♪神意識・普遍意識になる方法も♪心の波動が良ければバイ菌も無力に♪愛の波動は光のドームのオーラが出てバイ菌が入れなくなります♪解脱・昇天したら永遠の喜びが始まる♪知花先生は土星から来た方♪世を清めるのは自分を清めることで、この世を祝福する者です♪あなたの努力は全体の努力に♪朗報♪老化現象を防ぐ方法♪高血圧と心臓負担とは一つで同じもの♪健康・波動上昇・老化防止に活用♪
覚者☆知花敏彦先生の記事をまとめてみました。 皆様の悟り☆覚醒のお役に立てて頂ければ幸いで御座います。 この記事は、第4回目になります♪ |



愛は天と地の架け橋Ⅱ愛は天と地の架け橋Ⅲから引用させて頂きました♪ 私がヒーリング能力が開花したのも、純粋な人類愛の想いで、 神様に「どうか世のため人のために役立つ能力をお与え下さい」と真摯にお祈りしていたからかもしれません・ このお話以上に、真の超能力についての真実を語ってくださっているお話はこの地球上に存在しないと言っても過言ではないかも♬ 無条件の愛と許し、一切との愛と調和を体得して、自我を捨てて神我に目覚めて、人類への奉仕に生きるという決意を持った人になれば、神我顕現して、神様から神の御力を授けて頂けるかもしれませんね♪そんな気が致します。 愛は天と地の架け橋Ⅱ どうか、あなた方は、愛も無いのに神の知恵を得たい、神の力を得たい、と言うような愚かな考えは捨てなさい。 あなたが愛になって、初めて一切のものと調和して、 初めてあなたがたは私の知恵と力とを授かるものであることを知りなさい。 誰かと不調和を起こしながら、私は神の知恵を得たい、カを得たい、 と思いましても、それは得られるものではありません。 私の知恵と力を得たいなら、あくまでも、皆さん方が愛でなくてはならないのです。 一切のものと調和されていなくてはならないのです。 私が全ての被造物を創って、その被造物を愛しているが如く、 皆さん方も私の愛を実感して、全てのものを愛するものになつて、 初めて皆さん方は天上、地上の全ての知恵とカを我がものとすることが出来るのです。 私に波長を合わせなさい。常に私をあなたの中に留めなさい。 この知花は言っています。 何十年間もこの知花は同じことを祈って参りました。 「貴神の言葉は、我が言葉と成らせ給え」 「貴神の思いは、我が思いと成らせ給え」 「貴神の行動は、我が行動と成らせ給え」 何十年も、何十年も、それが成就するまで、祈り続けたのです。 あなた方も、そのような神の願いが叶えられる迄、 コップを手から下ろしてはなりません。 これが充たされる迄、神を信じて待ちなさい直今結果が出ないからと言って、あなたが如何に欲張りであるか、私は知っています。 ここで僅か学んだから、今すぐ神の知恵と力と愛が私の許にあるんだ。そして、それが成就出来なかったら焦りが出て私を疑う。 そして嫌になる。 「神様は嘘付きだ。私がこんなに信じても、私には何も現してくれない」 と云って又不信感を抱く何不調和の心を起こす。 そのような者が大半です。 私は、そのような不調和と波長が合うものではありません。 一切の焦りを捨てなさい。 あなたの「我」ではどうすることも出来ないのです。 私が波長が含う者のみ。 あなたに原因があるのであって、 私に原因があるのじゃない回私は常に与えているものなのです但唯、 受け取り方に原因があるのであって、与える方に原因があるのじゃないのです。 皆さん方は、神を罵ってはなりません。神をけなしてはなりません。 あなた方の受け入れる能力に原因があるのであって、 与える方に原因があるのじゃありません。 常に与えられているのじゃないでしょうか。唯、受け入れる能力が自分に無いのにも拘わらず、「私はこんなに神を信じて来たのに、 私には何も下さらない竈何もやって下さらない」 と言うような泣き言は止めなさい。そのような自分の利益の為に、欲望達成の為に、私があるのでは無いのです。 私は純粋なる愛そのものであるからです。 全ては愛するものであるから、私に似ることが大切です。 私に似る事が出来なければ、 どうして私のものをあなたに授ける事が出来ましようか。 一向に私に似る事も出来ないのに、 神の私のものを一切合切を受け継ぎたいと云うような欲望は止めなさい。 あなたは私のものを得る秘訣は、先ず私に似ることなのです。 私のみこころ(御心)をこの世に顕す事なのです。 顕(あらわ)さなければ、どうして私のものを、 あなたに与えることが出来ましよう。 あなた方は、先ず、寝ても覚めても常に私を意識し、 私の愛を四六時中あなた方のハートに掲げなさい。 そして世に示しなさい。 それがあなた方の唯一の私に至る道なのです。 愛のない者は、私に至ることはありません。 私との伴が、懸け橋が、出来ているものでもありません。 世の偽善者のような真似事を止めなさい。 あなた方は、真実なる私の真の信者と成りなさい竈真の信者とは、私の愛を行う者のみです。 あなた方は偽者でしょうか。 口先だけで神を信じ、神を愛すると云う者にならないように、 私の愛を現実にこの肉と魂を通じて現す者と成りなさい。 この世の見本となりなさい。 そうした時、私はあなたが祈らずとも、 私のものは全てあなた方に与えられるものなのです。 あなた方はまだ、私の実態を理解しておりません。 この知花を通して学びなさい。 その受け取り方を知花は知ったからです。 だから、皆さん方が今の自分の考えている愚かさを捨てなさい。 一切の先入観を捨てなさい。 今迄、神、神と聞かされたその神の話を全て捨てなさい。 私は真実なるものです。 現実的なものです。 実際的なものです。 活動的です。 私が遥か遠い雲の彼方におるのだと云う指導者から離れなさい。 私は今即あなたの中に、あなたは即私の中に居ることを知りなさい。 そのことによって、あなた方は私を知るように成るでしょう。 それを常に意識しなさい。 私と「父」とは一体である。 私は一度だって、「父」から離れたことがない。 我々は「父」の中におり、「父」は我が中におる。 全一体となって、そこにおることを知りなさい。 決して、この世の盲の指導者のように、 雲の遠い彼方に私がおるという事を聞いてはなりません。 偽りです。 彼等は、我を観たことも、感じたことも無いのに、 人に偽りを伝えているだけです。 私はここにおります。あなたの中におります。 私はここに見よ、あそこに見よ、と云う如くにいるのでは無くて、 至る所におるものであることを知りなさい。 私は、その無限空間に満ち満ちている、偉大なる「生命」である事を知りなさい。 宇宙を支配している「大霊」であることを知りなさい。 宇宙を支配している「愛」であることを知りなさい。 あなた方は、如何なる神も信じてはなりません。 今世の中には、様々な神々を人間の無智で創って、 私から、彼あなた方の兄弟・姉妹を遠ざけているのではないでしょうか。 その遠ざけられている兄弟の救済の為にも、 あなた方が、その世の光となって愛の私の見本を示す事です。 それが世の救済です。 今のままでは、兄弟・姉妹は邪悪なる盲目の信奉者によって、食い潰されてしまいます。 どうか皆さん方は、真の我、真の神を実践体験し、 その見本を皆さん方ここで造って貰いたいのです。 どうか皆さん方が、偽者と戦い、 そして、それを皆さん方が本物を示す以外に無いのです。 口先だけでもう納得の行く時代ではありません。 行為で示しなさい。 その行為で示して、初めて皆さん方は世の信頼を受け、 そして、本物と偽者との識別の出来る状態をこの地上界で作らねばならないのです。 どうか皆さん方がその一役を買って戴き、 自分事で悩み言を云うのでは無くて、人様の奉仕に全身を投入し、私に捧げなさい。 そして初めて、皆さん方は世に見本を示す私の良き娘となり、 息子となるでありましよう。 その為にのみ、皆さんは創られました。 今使命を思い出して下さい。 から引用させて頂きました。心から感謝申し上げます。 しかし、無信仰でそこに向いてなかったものは、神霊の次元に入りやすいですね。 感情的な人はですね、神霊に入るのも簡単ですよ。ちょっとの努力なんです。幽界で留めたら最後です。だいたい中間のものは感情的になるんです。 この世で、ある程度いいところまで先生方が行くけれど、途中で崩れるのは、みんな幽界で崩れてるんです。ここから上にいけないのですよ、感情的になって。 そういう処も、皆さん方は通る必要がない。幽界に意識を向ける必要がないわけですから。 瞑想して、幽界に意識を向けてパルス型になった人もおります。だから、瞑想は危険ですよ。幽界に意識を向けて瞑想したら、感情的になったり、一人笑いをしたり、一人泣きをする人がいるわけですよ。 ここは感情界ですから、感情が高ぶりますから。この感情の波を治めるのは、神霊しかないのですよ。鎮めることができるのは。 だから、「静まれ!」と命令する者がなければ、いつもこういう状態で高ぶった状態で人生を送ってしまう。 だから、瞑想は危険だと言える。それは、高い神霊に意識を向けないで、低い幽界に意識を向けた時です。あなた方が瞑想中に、いろいろの現象に意識が向いてる時、どこに意識が向いてます?幽界に向いてますね。そうすると、気違いになったりするんですね。 もう一つ言いたいのは、神霊に意識が向いてる時に、たたりとか憑依霊の本が書ける? 幽界のことは幽界に繋がっている時にしか書けないのですよ。 神に繋がっている人は、神のことしか書けないのですよ。幽界に繋がっていて、神の世界のこと書ける? あなたは憑依霊現象の本を読んでる時、どこに意識は向いてます?幽界に、神に? その本の影響と言うのは大きいですよ。 書く人も幽界に意識を合わせて、読む人も幽界に意識を合わさねば読めないわけですから。 だから、書物によって非常に人間に有害なものと、利益になるものがあると、ご理解いただきたいですね。幽界の本を読んで、神界につながる? みなさん神界に意識を向けますと、この世の本は不要となるんですよ。必要としないのですよ、それ以上のものはないわけですから。 聖書とか仏書とか、天啓を受けたとか神に目覚めた人が書いたものは、神のバイブレーションを持っています。バイブルと言って、バイブレーションなんです。だから、いまだかつて聖書に打ち勝つ書物は存在しないのです。 ベストセラーなんです。なぜかと言うと、真実を述べているから高いのですよ。また、そこと理解があるものが、神とつながったものが書いてるわけですから。その本がバイブレーションが低いはずはないですね。 だから、皆さんのバイブレーションは自由意思で、外を見ている時はバイブレーション低いし、神という高次元に意識が向いている時は、みなさんの波動は高波動となると。 「われ神なり」という想いを起こしている時、みなさん肉体バイブレーションですか、神のバイブレーションですか?そうすることによって、いかなる病も悩みも解決できますよ。 再び病気にならない人は、常に高いものに意識を向けていれば、病気にならないですよ。自己治癒力と言いまして、自分のバイブレーションを上げておれば、いかなる病も癒せます。 どこに意識を向けるかで決まるんですよ。そのことを、考えればいいのですよ。3チャンネルしかありませんので、どこに合わせるか。まあ1チャンネルに合わせますか、神という原点に合わせたいと思いますね。 簡単なんですけれど、難しいのですね。それが、難しいという考えが難しくしてるんですよ。神を想うのが何で難しいのかと。 神を想えば神が現れ、そこに意識を向ける人が、1人でも多くなれば、地球上のバイブレーションは高くなりますね。これが、人類救済なんですよ。地球の救済なんですよ。 今、全部物質に向いたから地球のバイブレーション下がって、地球は死ぬか生きるの病にかかっているんですよ。それは、物質に無我夢中だったからじゃありませんか。どうです? だから、高度の物質文明が栄えた時、地球はバイブレーションが低くなりますので、地球は何回も滅びたわけですよ。誰が滅ぼしたのですか?人間がですよ。そこにいる人間がバロメータを、波動を落としたから、ダメになったのですよ。 今、地球のバイブレーションは上がりつつありますよ。その日をいかに待ち望んでいたか。苦しい時の神頼みと言って、物質に頼れなくなると、みんな霊性に向いてきますので、その日を待っているんですよ。 もっと厳しくなってほしいなと思うんですけれど。物が豊かな時は、どんどん物へ向いていくんですよ。内側のこと考えません。表だけに生きて。そうすると、陰陽の法則が狂いますので、コロッと天変地異をおこさねばならない。 だから、今からの時代は物質文明は終わって、精神文明が始まると言いたい。その先駆者としてのみなさんだと思うんですね・だから1日も早く世の救済というのは、物理的救済じゃなくて、無言の奉仕と、無言の救済が本当の救済だったということにお気づき頂きたい。 今その段階に入っていますので、1人でも多くの人が霊性に目覚めていくように努力して行きたいと思います。ありがとうございました。 おまけ(講話後) ※チャンネルを合わすというのは、想えばいいのですよ。 神を愛するとは、神を意識することなんです。 あなた方、子供を愛するとは子供を意識することなんでしょ。 神を愛するとは、想えばいいのですよ。意識すればいいのですよ。 だから、多く愛する者は愛されるというのはその意味です。 今、知花は1日中思っていますよ。だから、3次元的な外の話に入ってこないというのはその意味なんですよ。 その世界に私がいることによって、わたしからその波動を出すことによって、全てのもののためになるんです。低い意識状態でジタバタして人類救済ができる?そのことをご理解いただきたい。 だから、聖者方が走り回って奉仕するということはないと。 常に高い波動を全世界に向けて放射すると。 だから皆さん方も少しでもお手伝いができる、放射できる皆さんになっていただきたい。神の媒体になってもらいたいと思うんですね。それ以外に目的はないと。 そうすると物理的にも霊的にも恵まれますよ。そこに入ると、必要な時に必要なものが使えますよ。みんなから信頼と、いいあれを受けますのでね。食いはぐれるということは全くないですね。 もう1つ具体的になりますと、見える世界と言うのは、見えない世界の具現ですから、その原質は全て不可視の世界にありますから、後は自分の必要なもの具現すればいいのですよ。でその時代までもう来ますよ。 人工的に、ここで物質を固めて造るんじゃなくて、不可視の質料からすぐに可視の質料としての原質ですね。これを物質化現象と言いまして、家も勝手に自分で創り、食べ物もスーパーも何もないのです。 欲しいと思ったら即時に現れますから。見えるものの原質は不可視の原質として存在します。そこから具現されるわけです。 見えるものがなくなるというのは、その不可視の原点に返還されるだけなんですよ。全て不可視の質料からここに現れてるわけですからね。普遍的原質ですよ。それは、全宇宙に満ち満ちているわけです。
人間の皆さん、こんにちは。 私達、気の元素であるシルフ(Sylph)が、今日、皆さんにお話しをしに来ました。 人間の耳に私達の声を届けることができて、光栄に思います。 私達は、皆さんが気がつかなくても、いつも皆さんを通り過ぎて来ました。 耳元で囁きかけることも、よくあります。 中には、私達の声聞いたことのある人もいますが、残念なことに、何を聞いたのか理解できる人はほとんどいませんでした。 この何千年もの間に私達が言って来たことは、私達は皆さんの呼吸を空で感じるということです。 悲しみの息を吐く時には、私達も悲しくなり心配します。 ビクビクしたり、怒ったりする時は、その感情を感じて、楽にして上げたいと思います。 素晴らしくも幸せの息をする時は、私達も喜びを感じて、一緒に喜びを感じたくなります。 しかし、私達の命の周波数は違うので、私達にできることは、皆さんの呼吸する時の思いや意図を表わすことです。 皆さんの歌で燃え、皆さんの涙で萎(しお)れます。 呼吸する時、考える時、笑顔になる時、悲しむ都度、皆さんのエッセンスが空中に解き放たれるのを知っていますか? 元素としての私達は、皆さんの呼吸に合わせて創造しなければなりません。 私達は、哺乳類に酸素を、植物に光を供給するので、私達シルフは、生きとし生けるものにとって決して欠くことはできません。 友人の植物は、私達のしていることをよく知っており、私達の動きに合わせて体を揺すってくれます。 動物達は、私達の存在を認めており知っています。 人間は、私達を妖精とか菌、ウイルスなどと呼んで来ました。 私達を打ちのめして来た人がいる一方、特に子供のように私達と遊びたい人達もいます。 私達については、色々なことが書かれています。 それを見て、とても嬉しくなります。 しかし、私達がマザー・ガイアの大気を綺麗にし、いつでも周波数を上げることで役に立っていることを知る人はほとんどいません。 私達には、大都市の空気は本当に耐えがたいので、人気(ひとけ)のない所で働くのが好きです。 私達の多くが、実際に大気汚染で追われて来たので、都市部については交替で働いています。 かつては、人間が私達を尊重して、綺麗な空気にしておこうとしていた時代がありました。 しかし、それから、そういうことをしなくなりました。 その時、それが、私達の過(あやま)ちなのか、それとも、人間自らの私利私欲で、我を忘れた結果なのだろうかと思っていました。 私達の求めることは、単純です。 空気にもっと多くの愛の呼吸が広がって、汚染した空が変わる手助けをして欲しいのです。 一時、機械によって私達の電離層が酷く破壊され、崩れた時がありました。 私達の上司である精霊は、人間はそのようなことを止めつつあると言いますが、そうであれば嬉しい限りです。 私達の友人の多くが、そのような恐ろしい機械によって失われました。 私達シルフは、実際のところどんな機械もあまり気にしていませんが、人間がもっと機械の音を静かにして、空を埋め尽くす巨大な母船のようにクリーンにしておくことができないものかと思っています。 宇宙船の存在達は、私達を見ることができ、コミュニケーションもできます。 宇宙船にいる存在は、もっとよくなるので、もう少し辛抱して下さいと言って来ました。 多くの人が、実際にガイアの美しい場所を守ろうとしています。 それで、空は綺麗になり、植物や動物達の調和した思いで一杯になります。 その時に、私達は、ガイアの大気を最高の状態にする計画を進めることができます。 私達の好きなところは、海や森です。 水や木々が、彼らの命の素を私達に提供してくれるので、そこにいるとゆったりできます。 ただ、公平を期して、私達の空を見上げて、その透明さや美しさに感謝をしている人達もいるということを言っておきたいと思います。 その人達の感謝の気持ちを感じる時は、私達のエネルギーは生き返り仕事を続けられます。 そういう人達は、私達の友人です。 私達のしていることを知っており、たくさん手助けしてくれます。 汚染されるのをコントルールすることはできないかも知れませんが、その人達は、私達に無条件の愛とバイオレットフレームを送ることはできます。 私達は、そういうことに本当に感謝します。 人間にはこちらが見えなくても、私達には、皆さんがはっきり見えます。 また、直ぐに皆さんの意図を感じることもでき、“沈黙しながらも、知っている”もの達と、皆さんを知ることができます。 私達はどこにでも存在し、情報が空全体に反響するので、感知することができます。 私達は、ガイアの様々な生命達から、多くの思いや考えを吸収します。 ガイアにいる存在は、思考するのです! 動物も、考えます。 鳥も、考えます。 植物も、考えます。 動物も植物も、それぞれが感じ、振動しながら考えるのです。 人間以外は、波動で考えます。 ほとんどの人間は、その波動を読むことはできませんが、私達シルフは直ぐ分かります。 空にある思考パターンで、鳥が渡って行くことや、動物が水辺を探したり、お互いを探すことも分かります。 空にある思考パターンが天候にも影響します。 人間には、それが空の波動に影響することは分かりません。 しかし、子供達の多くは感じることができます。 残念なことに、大人になると、その力を忘れてしまいます。 原始、または古代社会では、もっとよく陸を歩き、海を渡れるように天候を判断し、「今の全体」から情報を得る為に、このパターンを読むことは極めて当たり前のことでした。 空の話すことを聞くと、たくさんのことが学べます。 また、私達を呼んでくれれば、エネルギーパターンを読み解くお手伝いをします。 しかし、空にあるケムトレイルによって、かつてのように読むことができません。 この白い筋は自然にできたものではないと、人間に分かってもらおうとして来ました。 事実、その筋状のものは、人間や植物、動物、私達シルフにとって有害な化学物質なのです。 空を傷つけたい人間がいますか? 私達に話しかけられる人は、その問題を食い止めようとしていると言いますが、私達よりも“破壊的な物質”をコントロールできません。 幸い、新しくて、非常に高い波動が空に進入しています。 私達にはそのパターンが分かり、その中で休むことが好きです。 それは、愛と喜びが溢れているのです。 宇宙船にいる友人や上司達は、段々この新しい光の周波数が大気に広がって行くと言っています。 それにはワクワクし、それで変化に備えようと思います。 不満を言うつもりはありませんが、高い空で生きようと思います。 高い空とは、新しい光のある空です。 何千年もこの光を待ちに待って来て、そうなることを熱く望んでいます。 新しい空を見ることができる人も、いるかも知れません。 その時は、私達がいることが分かるでしょう。 私達を見ることができたら、どんなに素晴らしいかと思います。 でも、私達には、とても理解できない人間がいます。 その一方で、親友である人達もいます。 その人達は私達に語りかけ、私達の話すことに耳を傾けます。 そのような人達が、これから直ぐに増えていくと思いますか? 本当に、そう願っています。 そうすれば、私達は手助けができます。 怯(おび)えた人間というのは、自分達の機械から手当り次第に空に廃棄物を捨てて植物を窒息させ、鳥や動物達、昆虫達を病気に陥れます。 私達の手助けをしたい人がいれば、心から感謝します。 頻繁(ひんぱん)に私達の空を見上げて、「ありがとう、シルフ。素晴らしいことをしていますね。愛と感謝の気持ちを送ります」と言って下さい。 嫌なケムトレイルを綺麗にする手助けができれば大変結構ですが、皆さんの考えることや感情が空に抜けて、私達を助けるということも忘れないで下さい。 だから、無条件の愛とバイオレットフレームを送ってくれませんか。 私達の為に、そのことを覚えていて下さい。 アセンション研究所から引用させて頂きました。 心から感謝申し上げます。有難うございます。 全ては神 何ぜ5 をご紹介させていただきます♪ 五井先生のご著書ではその点について、言及はなかったように記憶しておりますので以外と知らなかったのかもしれませんね♪ あの聖書で有名な『洗礼者ヨハネ』が、五井先生でついに解脱したという悠久で壮大な輪廻転生ストーリーがまた明らかになりましたね♪ 知花敏彦さんのお話の奥深さは、他のスピリチュアル話と比べて飛び抜けていると思います♪ 本当に素晴らしい内容ですからぜひ一読してみてね~♬ 一部抜粋ですが・・・全文はリンク先で見てちょ~♪ 外なるものが内なるものを認めた時、外なるものは内なるもののようになる。即ち『人格神』となるわけです。人格神とは何かと言うと、人間の姿・形をとった神となるという意味なんです。それを、皆さん方が為さねばならない。 だから、理解力が必要なだけであって、その野菜を食べないと悟れないよとかね、神になれないよと言うのは、これは真実ではない。 その為に、バプテスマのヨハネは禁欲主義者だった。ね、肉を食っちゃいけない、牛乳を飲んじゃいけない。何を食っちゃいけない、非常な禁欲主義者。女をまとってはいけない、 ということに非常に禁欲主義で、非常に知識的に優れた方だったのですね、 バプテスマのヨハネは。 で、禁欲者の禁欲、禁欲で、本当の、禁欲してる者も、しない者もそのままにして神であるという真実を悟らなかった。だから、彼は再び生まれたのです
神は宇宙の愛の法則である 陰陽のバランスを神というのですから、今までの宗教家の説く神はどこにも存在していないといえます。 「われわれの神」の宗教家は唱えますが、元来「われわれの神」はありません。全体の神があるだけです。陰陽の法則は全てに存在しているのですから、神は至る所に存在しています。 どんな微細な一粒子も陰陽の法則に基いて存在しています。これを「宇宙法則」といいます。神は宇宙の愛の法則でもあります。 宇宙には愛の法則が絶対に実在しています。陰と陽の愛の法則によって、全ての万世万物が生かされていることをよく理解して頂きたいと思います。 陰と陽の法則を宿していない人間がいるのでしょうか?偶然この世に出てきた人間がおりましょうか。エネルギーという、プラスとマイナスの質量で、陰と陽で私達の肉体形体は存在しています。 そのバランスで存在しています。バランスが崩れると病気になります。バランスが破壊されれば死に至ります。 ですから、病気は不調の結果となるのです。何の不調和の結果と言いますと、陰と陽の不調和です。陰陽の法則を犯さないことです。 罪なき者は中性でなければなりません。みなさんがたの肉体の一つと考えてみると、エネルギーと質量との調和で肉体は調和しています。生命エネルギーと質量のバランスを崩さなければ、どなたでも健康でいる事が出来ます。 真のピラミッドパワーはすべての病気を癒す 世の中にはなぜ病気があるか、人間はなぜ死ぬかと追求する人はいません。病名は数多く存在していますが、何が原因で人間が病気になるかわからないのです。 病気の原因は、不調和が病気の原因ではないでしょうか。では、健康であるためには何が必要ですか?調和と合いが必要です。愛は全ての癒し主といえます。癒しのエネルギーといわれているわけです。 今まで不調和な生活をしていた人は、心を改めなければなりません。不調和な人が、調和を取り戻すと、どなたでもエネルギーが上昇します。 これが私の言いたいピラミッドパワーです。 ピラミッドパワーとは中性パワー、愛のエネルギーを意味するものです。 ピラミッドパワーは物を腐らせない ピラミッドの中に物を入れると腐らないのはなぜでしょうか。それは、中性であるため腐らないのです。不調和だから物が腐るのです。 酸化によって物は腐ります。それと同じく、腸の内部が酸化状態になりますと、お腹が痛くなりますし、ガスが溜まって大変なことになります。 皆さん方は今まで自分のエゴでさんざん色んな不調和を起こしてきたと思います。不調和である限り、病気がなくなることはありません。 この世が不調和になればなるほど、沢山の病気が出てきます。世の中が調和されればされるほど、病気がなくなるのです。 今の状態のままでいますと、いくらおおぜい医者を養成しても間に合いません。医者も根本的に人の病気を治しているのではありません。 結果対処療法と言いまして、原因がわからないから結果だけを取り除けばよいという考えで治療しているのです。この方法では中々埒が明きません。 医者が結果を取り除いても、病気になる原因が残っているので、また新しい病気が出てきます。病気の根を摘み取っていないのですから、次から次へと病気は芽を吹き出してきます。 これではお金の無駄遣いというものです。お金の無駄遣いをしないためにも、まず心を調和させなければなりません。 心が原因で病気になったことを知らなければなりません。心のバランスが崩れると、肉体もまたバランスを崩すわけです。これが病気の原因であると知るべきです。 全知全能の智恵「コスモ細胞」 宇宙にはエネルギーが一つだけ、 それが無限大に存在しているのです。 宇宙生命は宇宙に一つしかないのです。 すべての万象万物は唯一の宇宙生命によって生かされているのです。 心は宇宙に一つしかないのです。 人間が勝手に自分は宇宙生命ではないと 分離感を持っているだけなのです。 創造主が唯一神であり、人間の命は創造主の命なのです。 人は初めから神であり、今も神、未来永劫に神なのです。 こんな簡単なことを現代人は理解していないのです。 誰もが全知全能の智恵「コスモ細胞」を持って生まれます。 創造主はその人が父親に選んだ人の精子の一つに、コスモ細胞を植え付けるのです。 コスモ細胞は創造主の全知全能の智恵を完全遺伝子として持つ細胞です。 コスモ細胞は心臓に位置します。 出産のプロセスは、初めに創造主の分身、全知全能のコスモ細胞ありきです。 次に退治に宿る赤ちゃんの個別魂があります。 そしてコスモ細胞と魂と肉体の複合体が人間となるのです。 創造主の分身コスモ細胞は創造主そのものです。 自分の心臓の後にあるコスモ細胞が無限の宇宙生命そのもの、 これが神というもの、神を我として生きることが悟りなのです。 想念波動DVD (知花敏彦 1993.2.3 清里講話)深い瞑想状態―― (想念波動より) えーいちばん深い瞑想状態に入るという意味は、これを深い沈黙といいますけれど、そこに一点の形も見えたり考えたりしてるなら深い沈黙じゃないのですよ。 神は無形にして無双ですから、何の形もないのですよ。無限の広がりなんですね。無形無双の宇宙を体験いたします。 あなたが瞑想している五感という肉体を感じてるなら、深い瞑想状態ではありません。 もう肉体を感じなくなって普遍的な大気に融合しますと、そこには無限の広がり、広大な宇宙が存在しています。 そこにはこの小さな偽我というのは存在していません。神一元・神我一元と言う広大な普遍的な自分を体験するんですね。 その時、この三次元という世界から全く解放されているので、この世の思いというのも一点も、頭にも心にもありません。これが深い沈黙なんですね。 この世の思いというのも全く切り離されるんですね。この地球でさえも消え失せますよ。 その時もう、自分も全くきえてなくなって、地球でさえも消えてなくなって、全ての形態がが消えてなくなって、そこには不可視の広大な宇宙が存在してますね。 これを沈黙の力と言いまして・・・その時、七つの霊的中枢から愛光と言って、太陽の何百倍と言う光を放ちます。 その時、この世の太陽がお月様みたいに曇って見えます。なぜかと言うとあなたの霊的・宇宙太陽の方が光源を増しているからなんですね・・・ これが中心☉・霊太陽ですから。 霊と言うことは、太陽と言うことなんですよ。太陽神といって・・・ われは世の光りなりと言って・・・その時想像を絶する光が出ますよ。 私はその太陽の世界にいる時は、この世におりません。私は今朝ここに降りてきたようなものなんですよ。ここにくる5分前まで私はその光の世界にいたのです。 そして、肉という形の世界を意識した時、私のバイブレーションが下がってここに降りてきたようなものなんです。 外を意識している時は、外におるし、内を意識してる時は内におるのです。 これはどなたでも可能です。ぜひ体験してください。 光りが現れれば、ニセモノは消える。この形と言う偽物はすべて消えてなくなります。ぜひ体得して体感してください。ありがとうございました。 覚者・知花先生による 水の非常に為になるお話 宇宙に遍満している生命、即ち、電気はその水を通して現れるのです。 「若い人は瑞々しい」といいますが、その電気が溌剌として生きていますから瑞々しいのです。特に、子供の身体には水が80%以上ありますから、子供は電気そのもの、エネルギーそのものです。 子供は電気人間です。 「子供は光の子」というのはその意味なのです。 故に、水はできるだけ良い水を多く飲むことです。 人間の1日の水の消費量は2.5Lです。 その、2.5Lはどうしても必要なのです。 しかし、2.5Lの水を飲めという意味ではありません。 あなた方から出る、大小便、汗、息からでる水分を含めて、1日にこれだけの水があなたの体内から放出されるのです。 放出されていますから、それだけを補わなければならないのです。 その補うという事は、あなた方の食事から補わなくてはなりません。だが、食べ物に関するものだけで、2.5Lを補っているかという事が問題です。しかし、それを補っていなければ、毎日毎日、水分が少しずつ体内からなくなっていくのです。 これが、老化現象を起こしている原因であるのです。 あなた方が、生まれた時から最後まで、2.5Lの水を欠かすことなく補っているならば、老化現象を起こすことはありません。 水を取ってきますと、夜、小便が近くなるから嫌だと言って、水を飲むのを控えます。そうすれば、余計に水分がなくなって老化現象を早めるのです。 その水が、細胞の合間を洗い、血液を洗い、 血管の中を洗い、腸の中を洗います。 細胞の中を洗った水は、汗として出てきます。 血管の中を洗った水は、小便として出てきます。 腸の中を洗った水は、大便として出てきます。 小便が濁っている時は、小便の量が少ないのです。 水が少ないということです。 多くの水で、血液、血管を洗えば、小便は濁る事はありません。 それ故に検尿すれば病気がわかります。血液が汚れているか、汚れていないかすぐ分かるのです。 あなた方の体内の、 それらの浄化作用を起こしているのが、それが水なのです。 細胞と細胞の合間を洗い清め、血液と血管を洗い清め、小腸と大腸を洗い清め、水が浄化作用を行っているのです。 〈あなた方の水分が欠乏しているか、欠乏していないか〉 それを知るのには、朝起きた時の小便を見れば分かります。 透明で綺麗な小便ならば、水分が満ち足りています。 茶色く濁っているならば、水分が欠如しているのです。 水分が少ない人の小便は、必ず濁るのです。 このの濁り方が濃くなると、膀胱炎となり小便は出なくなります。 濁った小便をいつも流していますと、膀胱腺という非常に細い腺に胆石が溜まるのです。 それは、水が少ないからその現象を起こすのです。 水を多く飲んでいれば、膀胱炎を起こす事はないのです。 〈あなた方の血液が綺麗であるか、綺麗でないか〉 血液が弱アルカリ性であるか、酸性であるかという事は、水をあまり飲まない人は黒い血液となり、酸性血液となるのです。 水が嫌いであまり飲まない人は、血液が濁って高血圧となるのです。 そうなりますと、心臓に負担が掛かってくるのです。 血液の濃度が濃くなっているがゆえに、物凄い力で押さないと流れないために、高血圧となるのです。 高血圧と心臓負担とは、一つで同じものです。 それは、水をあまり飲まないから、それが原因となっているのです。 それに合わせて、水の質が良くないことが、その原因にもつながっているのです。 悪い水で体内を洗浄したとしても、それはいいはずがありません。 良い水で体内を洗浄すれば、健康は保たれるのです。 故に「水が大切だ」と、私がいつもあなた方にいうのはその意味なのです。 おまけ情報ですが・・・♬ の記事から引用させていただきました エイブラハムやセント・ジャーメインの良質チャネリング情報が満載なのでぜひリンク先を見てね~♪ 一部引用ですが・・・♪ 「大量の水を飲みなさい。 あなたの体の全ての細胞は ほとんどが水でできていて 水を飲むことは 体のエネルギー伝達に影響を与えるから 全ての細胞に有益に働く。 水を飲めば飲むほど エネルギーがもっと容易に 流れるようになる!」 バシャールは水を飲まないと、新しいステージへと 急速に移行しているこの時代を生きている私達は この変革の時代の高いエネルギーによって 燃え尽きてしまうと言っていました。 ある女性はアトピー性皮膚炎がとてもひどかったけれども ある日から毎回水を飲む前に 「肌をきれいにしてくれて有難うございます。」と 水に対して言ったそうです。 水だけではなくて お茶やコーヒーやお味噌汁など 何でも水分を摂る前にはそう言ったそうです。 そうしたら数カ月後に 皮膚の表面にかさぶたがいっぱいできてきて 最後にそのかさぶたが全部とれて すっかりきれいな皮膚になったそうです。 小林正観さんはその話を聞いて、自分もやってみようと思い 毎回水分を摂る前に 「若返らせてくれて有難うございます。」 と言ったそうです。 そうしたら50歳過ぎのときに半分白髪頭だったのが なんと!1ヶ月で真っ黒になったそうです。 これってすごいよね! これはいいことを聞きました 私も早速、毎回水分を摂る前に、 「波動を上げてくれて有難うございます」と言いながら飲んでま~す♪ ………………………………… スピリチュアルな視点から見た☆地球人に最適なベジタリアンレベルのお話 肉とお魚の違いについて少しお役に立てそうなお話をしちゃいます♪ 実は高次元な宇宙人の方々も、魚はたくさん食べているそうでありまして、お魚や魚介類は全然食べてもよいのでは・・・と私は思うのです。 プレアデス星人も、水星人も、金星人も、魚は食べてますし、地球人がお肉を摂るような感じで食べているとUFO研究の第一人者である久保田八郎さんの本でも書いておりました。 しかも、あまり過激な菜食家はオーラが逆に弱くなったりするそうですから、魚介類を摂取するベジタリアンくらいが、一番、健康的にも、オーラの輝き的にも妥当なところではないでしょうか。 地球人より遥かに波動が高い高次元な宇宙人も魚を食べているのに、地球人が無理をして魚まで我慢するというようなマゾな事をしなくても(笑) ・・・なんて思っちゃったりしたものです♬ 魚は痛覚というものがないそうでして、死ぬ時もマイナスの感情をもたないそうですから、動物のように波動が下がるということもないそうですし、きっと食べても問題ないでしょう♪ 結構ベジタリアンの基準として、肉と魚を一緒くたにする方がいらっしゃいますが、それは厳密に言いましてかなり違うものでありまして、肉は動物の死ぬ時の苦しみの波動がありますが、お魚はマイナスの波動は特に無いそうです。 ですので、魚を食べると特に波動が下がるということもありませんから、クジラのような大型魚は除いて、鮭やサバなどの小型のお魚に関しては潔く、楽しく、全く気にする必要もなく、食べて頂いて問題無いといえます。 私なんて、肉を食べないようになってから、逆にお魚は今まで生きてきた以上によく食べるようになりましたからね♬ ここ最近、母親が作ってくれたイカのゲゾ、エビ、しめじ、ツナ缶、などのダシの取れたカレーがあまりにも美味で、シーフードカレーってここまで美味しく出来るんだ~♬と感動して食して頂いたりもしました♪ ベジタリアンの基準についてのご参考になれば幸いです♪ 「全ては神=我神なり」という真理♪ 意識の進化=愛の拡大=分離意識の克服= 我は全体なり・全体我なり=全一体・自他一体= 全ては私=全ては一つ=全ては一つの存在の現われ= 宇宙は一つの生命体=全てに神(宇宙生命)が宿り給う= 宇宙は神一様=全ては神の中の存在する一つの存在=ワンネス 全ては永遠に一つの存在=全ては一つ=全ては私=全ては神 全ては今この瞬間しか存在しない=全ては永遠に一つの存在= 永遠の始まりである神の御心のみが実在=今即天=今即実在= 大愛・宇宙生命・神の一人子である神我キリストのみが実在= 全てはこの瞬間に存在する宇宙生命そのもの=全ては神そのもの= 全ては神ご自身=神一元・愛一元・光一元=宇宙即我=我神なり 調和=愛の法則そのもの=罪なきもの=完成=幸せな人生に 不調和=愛の法則を犯している=業・罪=カルマの精算が起きる 愛と赦し=調和=愛=幸せ・健康=完成=中性=完全=光人間 恨み・憎しみ・争い=不調和=罪=病・災難=不完全=闇人間 愛と赦し=カルマの消滅=神の祝福=幸せなツイてる人生に 許さない・恨み・嫉妬=カルマの刈り取り(不幸災難)な人生に 調和人間=愛が深い人=愛の光そのもの=克服者キリスト=完成 不調和人間=恨み・嫉妬・責任転嫁=闇人間=罪人=未完成 調和=光明世界・愛の王国=愛・光・善=平安と安らぎ・至福感 不調和=無明世界・闇世界=未熟な愛=不安と恐怖・飢餓感・不足感 調和の人は熟した魂=自分を愛するが如く他人を愛します=ワンネス 不調和な人は未熟な魂=他人を責めて非難します=分離意識 イエス様は「愛は天と地の架け橋」とおっしゃられました。その愛とは「許しの到達点」である「慈悲と愛」で御座います。 真の意味で貴方が、その「許しの到達点」の境地に到達した時に、自ずと「天である神」と「地である貴方」との架け橋が繋がる事でありましょう。私は実体験からそれが実際にありえると確信しております。 愛は天と地の架け橋 この愛の理解と体得が神様と繋がる鍵♪ 神・大愛(天)……全てを活かす愛・慈悲と愛・すべての形態を形作る力・意識を与えて下さった魂の根源・真の親・すべてを活かし育む力、縁の下の力持ちで全てを愛し慈しむ無償の愛・無限の愛・すべてに意識を与えて下さった天の父であり天の母である中性エネルギー・真の親・愛を表現する為に…無限の創造をなさっている慈悲と愛そのもの 神の表現体(地)……神が神を愛する為に生まれた存在・神の化身・愛の化身・神の表現体・神の中に創造された神・個別化した神としての自覚に覚醒めた我・滅私して神の道具意識を自覚している我・自分が神ご自身だと悟った我・愛を表現する為に生まれた事を自覚している我、全てを100%の愛で愛する我、自分と全てが神以外の何者でもない事を自覚している我 第六密度以上の高次元存在が語る 「許し」というものが、カルマの輪を止める事になるお話 ★ コーリー : 多くの人々が現生のトラウマだけでなく、過去生のトラウマにも対処しているところなのです。 今、地球に生まれて来ている多くのライトワーカーは、援助の為により高次元や、上の密度から降りて来た人々です。 現生が初めての人でも、高次の美しい場所からここへやって来た人にとっては、ここでのトラウマは10倍酷(ひど)く感じられるものです。 そして、長期に亘(わた)って輪廻転生を繰り返して来た人の場合は、更に解消しなければいけない過去生のカルマが加わります。 しかし、ブルーエイヴィアンズから言われたのは、トラウマを特定し、自分にトラウマを与えた人や自分自身を許すこと、 そして、この”「許し」というものが、カルマの輪を止めることになる”ということです。カルマがなくなるんです。 これは、エネルギー的なものです。 「カルマとは」負債を支払うようなものではなくて、 「許してエネルギーを解放するもの」なんです。 カルマとは宿題・魂の課題・許しによって消滅♪ ……………………………………………………… 「許し」を心から実践=カルマの輪を止める=カルマがなくなる♪ 自分にトラウマを与えた人や、自分自身を許す== ==魂の課題を克服=カルマが消滅♪ 許す事によってエネルギーを開放=カルマの克服・解消に♪ ケイシーリーディングから…♪ 全身全霊で「神を愛する」大切さ 「神を求める祈り」をする大事さのお話 エドガーケイシーは、宗教生活についてそのもっとも美しい表現の中で、この事を次のように語っています。 「あなたがたは心を尽くし、思いを尽くし、体を尽くして汝の神なる主 (大生命・内在の神)を愛し、隣人を汝の如く愛するのである。 このキリストの与えた言葉が法則の全てである。 それに優るものは存在しない。 主が約束されたように、あなた方は 来る日も来る日も明想し、「祈りゆく」うちに到来するあの目覚めによって、 主(宇宙生命)が自分の意識の中に留まられる事を知る事が出来る (神我が中にまします・父と子は常に一体)。 あなた方はこの目的のために、 主が臨在し、その御霊(キリスト)があなた方の中に留まるあの意識を、 あの自覚を讃えるために生まれてきたのである。」 ●自我・偽我 =表現者、原因である父なる神を忘れている状態(放蕩息子の状態)神理を知らない状態・自分の力で生きていると思って迷っている状態、肉体の己を自分と思っている我、分離感・分離意識で個別化された表現を別個の存在と認識している我・分離意識・エゴ・肉の感化、五感の感化を真実と錯覚している我・迷いの影、幻、幻想(マイヤー)・自己保存、自我我欲の心 ●真の自己(真我)=父なる神と常に一体の境地・ワンネス意識・全一の意識・神我キリスト、全ては自分、全ては我、全ては神、全てを愛する我に目覚めた状態・宇宙生命によって生かされている事を自覚して実感している我・私が生きているのではない、なるほど一つの生命である神が生きていらっしゃる、全ての知恵と力は神から与えられている、神の中身は神、全ての全ては本質的には神、神のみが生きてらっしゃるんだなと悟った我・神一元・愛一元・光一元・我神なり、全ては神なり、全てに神を観る境地・神は生命(霊)なり、我も生命(霊)なりの自覚・宇宙即我、キリスト意識・高我・実在・全てを愛し全てを許す境地・慈悲と愛・あなた即私・私即あなた・宇宙エネルギー即自分・無限即我・不変不動の絶対なる実在・普遍なる宇宙・無限者・宇宙神 FC2版の広瀬すずちゃんの横顔になる方法の記事です♪ 身長を伸ばす記事も追記してみました♪ |

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