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date :2018年07月

xeno tactic 1.3完全攻略法をご紹介♪完璧クリア達成に活用♪防衛ゲーム初期の傑作♪FLASHGAME攻略情報♪


初期☆防衛ゲームの名作
「xeno tactic 1.3」完全攻略法をご紹介♪

 今回は、珍しくゲーム関連の攻略法をご紹介させて頂きます。防衛ゲームというジャンルが出来た頃、初期の名作である「xeno tactic 1.3」というGAMEにハマりにハマっておりました。ここ三年で一番遊んだゲームだったように思います。You Tubeの攻略動画も山程見ておりました。

 ちなみにこのゲーム、正統的な攻略法では、レベル80前後からにっちもさっちも【二進も三進も】いかない状態になってしまいます。

 それで、こちらの3つのサイトをご参考にさせて頂いて、

XENO TACTIC - メモ書き 基本編

「Cheat Engine」と併用して、資金を好きなだけ増やせるようにして、赤のマックスパワーの武器を縦横無尽に配置して遊んでおりました。

 面白いことに、そんなチートを利用してでも、意外と地上部隊と、上空部隊の二種類をうまく捌けるようにする事は意外と困難だったりしまして、かなり手強いやり甲斐のある大変面白いゲームだったりするのです。

 力技で適当に配置しますと、フルパワーの赤を思う存分配置しても、大体LV93とLV100の上空部隊を逃してしまうので、相当に工夫しないと上手くクリア出来ないのですね。この絶妙さが非常に奥が深く、実に味わい深くて楽してハマってしまうんですよねぇ(ニッコリ

 今まで何回かマイブームがあったりしましたが、恥ずかしながら、ここ最近にまたついうっかりハマっちゃったという訳ですね(笑)。

 覚者☆上江洲義秀先生のご光話MP3を聴きながら、時間を無駄にすることなく、悟り度をアップさせながらも、息抜きでFLASHGAMEも楽しむという一挙両得で、一石二鳥な極楽タイムを過ごせて幸せで御座いました。

 ……それで私自身色々な配置を何回も工夫しながら、ついに…、ついに…、パーフェクトクリアが出来る究極の配置を見つけてしまったのです。

 ( ^ω^)……まさか…まさか…完璧クリアが出来るなんて……
 やったぁ~☆彡やったねッ☆彡マンモスうれピー☆彡

 時間も費やしましたし、せっかくですから、その配置をご紹介させて頂こうかなぁ~…って思いまして、記事を作らせて頂いたという訳なのです♪

 基本事項は下のリンク先でご確認していただくとして、

XENO TACTIC - メモ書き 基本編


簡単にご説明だけさせて頂きますと、
●地上部隊に対しては、

  • SAM TURRET - 対地ミサイル(通称:サム)
    コスト:400 範囲:140 速度:VERY SLOW ダメージ:256
  •  対象:複数(地上のみ)
    備考:範囲が広くて着弾点の敵全てにダメージを与える、ただし遅くて攻撃力が低い、ヘリは攻撃しない

 ●上空部隊に対しては、
  • DCA - 対空ミサイル
    コスト:640 範囲:75 速度:FAST ダメージ:480 対象
  • :単体(空中のみ)
    備考 対ヘリ用武器、速くて攻撃力最強、これがないと空中戦は厳しい、地上の敵は攻撃しない

の二種類で対応するのが一番ベストのようでした。それにフリーズ砲を、最小限に最大限に能力を発揮できる形で、位置取りを調節しながら

  • FREEZE TURRET - フリーズ砲
    コスト:200 範囲:75 速度:SLOW ダメージ:40 対象:複数
    備考:敵の速度を落とす、アップグレードすると速度を落とす効果も上がる、武器としては弱い

配置するのが、一番効率が良くてベストなのだと試行錯誤を繰り返した上で理解できました。フリーズ砲は多すぎても、無駄になりますし、少なかったり、配置が少なくても、逆にダメージ量が減ってしまいますので。

 さっそくですが、最終完成形の配置はこんな感じになります♪
イメージ 1

 レベル100の最後の上空部隊に対して、一匹だけ逃してしまいましたが、上空部隊の出現場所はランダムですから、こればかりは運次第でしょうね。何回かすれば一匹も逃さずパーフェクトクリアは出来るかと思われます。

 ちなみに、地上部隊に対してはパーフェクトに殲滅できました。この画面の二匹は、異様にHPが高いのでジャグリングを1時間位しないと倒せないので、もう最後は逃して残りHP17でクリアしちゃいました。

 ですが、理論的には残りHP19でクリアした事になりますので、後は、上空部隊の出現場所いかんによって、パーフェクトクリアは充分に可能という推測が成り立つという訳であります。

 上空部隊に対しては、これくらい対空向けの【DCA】を配置しないと厳しいみたいです。これより少ないと、LV93までは何とかなりますが、LV100の上空部隊には殆ど抜けられてしまうのです。
 これにはさすがにまいりましたねぇ……えへへっ^^;♪

 ジャグリングするために、三方向に道を作るのは鉄則なのです。下の画像を参考にして、地上部隊を固めて「サム」のダメージを複数にまとめて与えれるように導くのが短い時間で倒す秘訣ですよん♪

イメージ 2
クリア画面はこんなにシンプルです(笑)
あんなに頑張ったのにぃ(´;ω;`)………えっ!これだけ…みたいな♪
だからパーフェクトクリアの価値がある……みたいな♪
イメージ 3


最後に試行錯誤時代のキャプチャ画像を数枚ご紹介させて頂きますね♪色々試してみるのも楽しくて良いかもしれませんよ。レベル88ぐらいまででしたら、適当でも何とかなりますから(笑)♪
イメージ 4
イメージ 5

「試行錯誤時代の画像」を見て頂いたら何となく分かって頂けますが、初めはプラズマ砲使いでした。
地上と空の両部隊にたいして有効ですから、これが最強でしょうと……。

 ところがレベル88を過ぎて来ますと、どうあがいてもプラズマ砲では地上部隊で四苦八苦してしまい、空に対しての余裕がなくなってしまい、
最後の「LV93」と「LV100」の上空部隊に対して、少数の「DCA」だけで対応する形になってしまい、どうも上手くいかないようでした。

 一回だけ「残りHP10」と奇跡的に上手くいっただけで、殆どの場合、残りHPギリギリクリアというのパターンが多かったです。

 一回、フリーズ砲が一切無しという配置も試してみましたが、この形では、敵の動きが速いままでしたから、ジャグリングが間に合わず地上部隊に逃げられてしまうという(笑)、悲しい結果に終わってしまいました。

 武器配置を増やすために、二方向の道でやっていた弊害ですね。失敗から学びまして、昔やっていた三方向の道に変更するきっかけとなりました。
「失敗は成功のもと」さ~と前向きに考えてみたり♪

 もしかすると、このGAMEをパーフェクトクリアしたのは、意外と私が初めてなのかも知れませんね。さらりと世界初の偉業を達成☆みたいな♪

 最近の防衛ゲームは複雑化していますから、シンプルで分かりやすいこのGAMEで、一度純粋に楽しんでみるのも一興かもしれませんよ♪

イメージ 6

イメージ 7
イメージ 8


ローム大霊講話集から引用させていただきました


日本に来た支那の道士の話

 汝らも知っている秦の始皇帝が、支那の全土を統一して帝位に即いたのは二千年余り前のことで、その時彼は40にはなっていなかったが、さて国が治まってみると急に生命が惜しくなり、百年も二百年も生きていたいと思うのは人情である。

 そこで全国から沢山の学者を集めて、不老長寿についてあらゆる文献や伝説を調べさせた処、その中から次のような記録が出て来たのである。

 この国から東の果てに行くと5つの大きな山のある島があって、そこには金殿玉楼に神人が住んでいるが死というものは無い。

 それは不老不死の木があって、その実を食べると決して年を取ったり死んだりしないからだというのである。始皇帝はこれを聞くと直ちに国に命じて人を集め船団を造り、この東の果ての島を求めて船出させたが、これは何年たっても帰って来なかった。

 そこで今度は人の数も船の数も殖やして徐という人を隊長とし、一同を武装させて見事な船隊とし、一同を武装させて見事な船隊としたのであるが、この徐は道士であったらしくその術も心得えていたのである。

 始皇帝もこの男なら間違いあるまいと安心して、必ず不老不死の薬を取って来いと命じ、徐もそれを神に誓って東に向かい出発したのである。

 そうして長い船路の末に日本へ来たのであるが、途中で船隊が崩れたため、ある船は九州に、ある不船は四国にという風になって、徐の船は紀州の熊野に着いたのである。

 早速上陸して色々と聞いてみたが不老不死の薬などあろうはずはなく、これから探すとしてもこの国を全部歩くとなれば何年かかるか分からない。

 そこで除は一つの方便を案出して熊野に来た者を引き連れて支那に帰り、始皇帝の前に出て報告するには、向こうへ渉り仙人に会って参りましたが、あなたの持ってきた貢物が少ないから不老不死の桃の実をやる訳にはいかないと申します。

 そこでどうすればよいのかと尋ねますと、仙人は第一に支那の国の機織りや農耕の機械と楽器とを船十艘、第二に若い美男美女を五百人ずつ、第三に各種の武器を船十艘、それだけ持ってくれば金の桃の実を渡すと約束しました。

 それを聞いた始皇帝は、新しい大掛かりな船団を組織して要求された貢物を積み込み、徐を団長として再び東への道に旅立たしたのであるが、

恰(あたか)も台風の季節であった為に大時化(しけ)に遇い、船団は散り散りになり沈んだ船も沢山出て、熊野に着いた時は十艘余りになっていたのである。

 しかし後からぼつぼつと漂着する船もあって、最後には五十艘近くなったのであるが、それをゆっくり待っていた徐は一同を熊野の浜に集めてこういうのであった。

「汝等はこの国に住み着き、持ってきた機械で畑を耕し機を織って暮らしていきなさい。あの戦争ばかりしている国と違って此処では安楽に過ごすことが出来る。

 日本は不老不死というより不老長寿の国で、水が清くあらゆるものに恵まれ、四方海に囲まれて外から責められる心配の少ない真の楽土であるから、自分の仲の好い者と一緒に暮らしてゆくがよい。

 わしは当分の間、汝等の長となるから、何か問題が起こったら必ずわしの名前を三度呼んでくれ」。そう言うと同時に彼は姿を消してしまったのである。

 現在でも熊野川の河口にある新宮市の蓬莱山には秦人徐福の墓があって、一千年前ほど前に建てられたものとなっている。そうすると徐という人はその後ずっと日本にいついたらしいのである。


血糖値を下げる100のコツ    新谷弘実先生の記事♪
から引用させていただきました♪

水分を上手に摂るには、酢を混ぜた【酢水】にするとよい。
疲労の回復も早く、【血糖値】の急激な上昇も抑えられる   
       

●汗をかくと血液は粘度を増し、体内循環が悪くなる

 適度に体を動かすことは、健康で快適な生活をするのに欠かせません。日頃「健康増進医学」や「糖尿病・肥満の運動療法」「糖尿病」「老化と運動」などを研究テーマにしている私は、運動こそ、薬に頼らず頭も体も健康を維持すうる、最も安価で手軽な方法だと考えています。

 しかし、急激な運動、過度の運動は、体を害するというのもまた事実です。そのあたりのバランスには、最新の注意を払っていただきたいと思います。メドとしては、中程度の強さの歩行、ジョギング、自転車で1回10分~30分程度と考えて下さい。

 体を動かすと汗ばみます。これは、体温が上がり、血液の濃度が高まって、体に負担がかかった状態になっているともいえます。

 人の体の60%は水、この動きに注目してみましょう。運動で体温が上がると、汗が皮膚表面から分泌され、体温を下げようとします。汗の水分は細胞間液から出て、減った細胞間液は細胞内液から補給されます。

 さらに、減った細胞内の水分は、血液の水分から補給されますが、血液は水分補給の元がないので、濃縮していくというわけです。

 濃縮し粘度をました血液は、ある程度限界を超えると、体内を循環できなくなりますから、その前に、脳は「汗を出すな」という指示を出します。
 汗が止まると体温は上昇し、熱中症に至ります。これで、水分補給をせずに運動することは、危険極まりないことがお分かりいただけるでしょう
 

●運動前後の水分補給は、酢と糖と水の組み合わせで行う

 たとえば1Lの水分が汗で失われてしまってから、すぐに1Lの水分を体に補給することは、普通、出来ません。のどが渇いて水をがぶ飲みしても、吸収されるのは、せいぜい6割ですし、それが細胞の隅々(すみずみ)まで届くには時間がかかります。

 よくいわれるように「水分補給はこまめに」が基本ですそして、汗をかく前(運動の前)に、ある程度の水分を体に入れておくことも必要なのです。

 それでは、この運動前後・運動中の水分補給はただの水で良いのかというと、さにあらず、糖分と酢が入った水、正確にいうと、酢と糖と水をブレンドしたものがよいというのが、私達の研究で明らかになりました。

 その理由は3つあります。疲れた時には甘いものが良い---などとよく言われます。
 確かに糖の摂取は、運動によって消耗したエネルギーの補給になるわけですが、糖だけを摂ると急激に血糖値が上がってしまい、体に逆の負担がかかってしまいます。この時、酢と一緒に糖を摂ると、【血糖値】の急上昇が抑えられるのです。

 疲れた時にすっぱいものを摂ると疲れが早く取れると、レモンやオレンジを運動直後に食べる人いがいます。

 これは果物の酸味であるクエン酸が、糖の分解を抑えて、消耗したグリコーゲンが肝臓や筋肉に再補充することを促進するからに他なりません。これと同じ役割を、クエン酸だけではなく、酢(酢酸)も担うことがわかりました。

 また、運動によって、体内に疲労物質である乳酸が生まれるわけですが、その生成が、酢を飲んでいると少ないことも明らかになりました。つまり、疲れ方が少ないと考えもよいのではないのでしょうか。

 糖だけを摂取すると、疲労物質とされる乳酸が中々減らないのです。それが酢と一緒に摂ると、乳酸の減り方が早まることもわかりました

 それに、肝臓にグリコーゲンが速やかに補充されると、血糖値の維持も楽になります。それは「さあ、また動けるぞ」と、体が回復したことを意味します。

 【酢水】に糖分を加えた飲み物は、いつまでも元気に動きたい人には、格好の健康ドリンクといえるのではないでしょうか。

 飲む量の目安ですが、グラス1杯の酢水を毎食後飲むと、一日約600mgになります。好みでもっと飲んでも全く問題はありませんが、このくらいから初めてみてはいかがでしょう。
 決まった作り方もありませんが、グラスに酢を20ml程度入れ、八分目まで水を注ぎます。甘みは好みで加えますが、砂糖よりハチミツやオリゴ糖などがよいでしょう。


FC2版の広瀬すずちゃんの横顔になる方法の記事です♪
身長を伸ばす記事も追記してみました♪
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徳を積む事は結果的に自分の得になる♪徳の力で大難が小難に♪人々に喜びを与える♪功徳・陰徳♪上江洲義秀先生♪

          
徳を積む大切さを学ぶお話

 今回は、徳を積む大切さを学ぶお話を、最新記事と過去記事を絡めてご紹介させて頂きます。私自身も、色々な精神世界の為になるお話のお陰で、いわゆる「徳を積む」大切さに気付かせて頂きました。

 それから、ささやかではありますが、ゴミ拾いや、人様に対して、優しく・至れり尽くせりの親切心・愛の態度・爽やかな笑顔……等々、身口意を思いつく限り正して参りました。

 そのお陰で今では、自分でもびっくりするほどにラッキーマンな人生に変容したのです。不思議なツイてるエピソードが山程ある位にです(笑)

 人生は良い事や悪い事が起きるのが普通だと思われておりますが、実の所、日々徳を積んで、想いを正し、行いを正し、言葉を正していきますと、自身が積んだ徳で、守護の神霊の存在にちゃんと守られて、幸せがずっと続いてゆく喜びに満ち溢れた人生に変容してまいります。

 覚者☆知花敏彦先生も、他人に親切にしたり、困っている人を助けたり、笑顔で優しく…等、一杯善い行いをして、「徳を積む人生」を送っておりますと、例え解脱出来なくても、来世はそれはそれは幸せは人生になりますよ……、と仰っておられます。

 ぜひ皆様も、日々「徳を積む」事によって、真の開運者になり、不思議な程にツイてる人生になって、幸せハッピーライフを送られてみてはいかがでしょうか。ご参考になれば幸いで御座います。


      
徳を積む重要性のお話      上江洲義秀先生の記事♪    
カルマゼロへ  (上江洲義秀先生)

 世の中には日々の生活のため、または欲にかられて隣人や知人からの借金を返さない方がおられます。

 返済を強く求められてもその義務から逃れようとし、法的に貸主が請求できる期日が経過すれば、借り主はうまく逃げられたと思うでしょうか。宇宙の法則の中ではそうはいかず、しっかりとした精算が待っているのです。

 仮に、結果的に誰かの財産から百万円という金銭を奪うことになった方がいるとします。時を経て、その方自身が百万円という損失をこうむる事で精算される場合もあります。

 中には己の肉体をもって返さねばならないこともあり、さらに大切な隣人にその影響が及ぶ場合もあります。どの様な方法で精算させられるかは実に様々と言えるのです。

 宇宙のダイナミックな働きの中でそれはなされますが、その仕組み(※因果律・カルマの刈り取り)は、驚嘆するほど実に精密に行われているのです。

 一方で思慮深い情を持って困っている方を言葉で励まし、その方が再び立ち上がれるよう経済的手段で助ける方がいるとします。

 良き言葉、良き行ないは着実に積み重なり、御本人の未来や隣人、子孫に良い影響を与えます。それは厳然とした事実であり、善意のあらわし方は様々あります。

 両者は自らの手によって全く異なる原因を作ったと言えるのです。私達は真理をしっかりと携(たずさ)え、正義に基(もと)づいて日々を過ごさねばなりません。

 聖人は困っている時ほど人に施しをと言っておりますが、困っているという現象の理由は、自らの徳の蓄積が、限りなくゼロに近くなるまっで枯渇している事が原因である事が多く、枯れた井戸からは水を汲む事が出来ないものです。

 徳という井戸水※が枯れてしまっては、私達は半歩たりとも足を前に運ぶことは出来ません。
(※守護霊さんが助けようとしても、「徳」が無いために助けられない事例もあるそうです。非常時に備えて徳を貯めておく事が大事ですね♪)

 「今」からでも、施しという善意や汗水たらす作業で、徳を積み立ててゆく事を心がけて頂きたいものです。



オーラ オーラ オーラ から引用させていただきました


守護霊のメッセージを受け取ろう   木津龍馬さんの記事♪

 守護霊がいない人などいません。
 いるというよりは、「ある」とか「存在する」と言ったほうが適切かもしれない。では”どこに”存在しているのか?

 守護霊はオーラの中に、光として、存在しています。

 守護霊は、先祖だったり、おじいさんやおばあさんといった身内だったり、まったく関係のない人の場合だってあるけれど、その人達のオーラの一部分が、オーラの6層目に入って、僕達の存在をサポートしています。

 一般に言われているように、「あれこれ守っていくれている」わけではない。手出しはせずに、じっと見守っているだけです。

 ただし、守護霊がメッセージを”インスピレーション”という形で与えてくれる事はありま「言葉なきメッセンジャー」といった存在です。

 食事に気をつけて血を綺麗にし、感謝することを忘れず、直感を磨いていく。そうするとアンテナが稼働して、より高次の存在である守護霊のメッセージを、ひらめき」「気付き」「虫の知らせ」「内なる声」という形でキャッチできます。


小泉宗雄・「三光太源文化研究所

様から引用させていただきました 


その1 「お袋に小遣いをやれ―」

 
 これは昭和37年頃、今から50年も前に私が体験した実話であります。

 当時、私は恵比寿にあった綜合統計研究所・後年綜研と社名を変えた市場調査機関に勤務していました。

東京オリンピックを数年後に控えた高度成長の時代で、私はまだ20代後半の若さではありましたが、総務主任という役職にあり、今思い返すと多忙の日々が夢のように過ぎ去ってゆきました。

 今でいうクライアント・仕事の発注先は、霞が関を中心とした官公庁と諸団体、当時は銀座にあった電通さんや日比谷の朝日新聞社さんなどで、役員や書類のデリバリー用に、

ブルーバードやライトバン等数台の自家用車がありましたが、社員の営業用として、当時通産省の国民車構想に呼応して発売された三菱コルト600を1台購入しました。

 リアエンジンで空冷式のためか、冬場はエンジンの掛が悪く、しばしばバッテリーが上がって往生しましたが、価格が低廉でリッター当たりの走行距離が長い経済車で、車体がコンパクトなために運転がし易いので、社員に人気がありました。

 車両の管理を担当していたこともあり、勤務が夜分に及ぶ時は、この手軽なコルト600を運転して世田谷の自宅に帰り、朝は恵比寿駅で社員を数人拾って出社するのが常でありました。

 そんな冬の日、朝食を済まして鞄を抱えて玄関で靴を履こうとした時でした。
 「あなた、これから車で行くのか―」、その声は耳で聞いたのではなく、頭の中に強く浮かんできたのです。「はい、出かけます」「それではお袋に小遣いをやれ」「はい」。そんな問答がありました。

 丁度母が玄関までまで見送りに来ていました。財布から確か千円札を取り出して「お母さん、お小遣い」と言って渡すと、「ありがとう」にこにこして受け取ってくれました。

 危惧したエンジンが一発で掛り、赤堤通りから小田急の梅ヶ丘の踏切を渡り、環状7号線とクロスする宮前橋の交差点に入る時でした。何台もの対向車がクラクションを鳴らすのです。「おかしいな、なんだろう」ふとバックミラーを見ると、車のバンパーから白い煙が出ているのです!

 びっくりしました。兎に角、交差点のど真ん中で車両を止め、エンジンキーを回しましたが、どうしたことかエンジンが切れないのです。慌ててトランクを開けると、わっと炎が、もお、びっくり-。
 幸いなことに、交差点の角に大きなSSがあり、従業員の方が二人、大きな消火器を2本抱えて駆け付けて、無事火を消してくれました。

 駆け付けてきた販社のセールスンが車を引き取り、原因不明のままに車両は修理されました。この様な事故は私が処理する立場にあり、実損がなかったことと、欠陥車が社会問題になる以前のことなので、

たまたまの事故として、取り立てて問題にならずに済みました。そのためか、何か夢でも見ているような気持ちでおりました-。

 暫くして、会社から車で家に向かってその交差点を通りかかった時、はじめて愕然としたのです、あの事故がもし別の場所で起きたら、私はどうしただろうかと。

 細い道ではありませんが、淡島までSSはありません。その途中で気が付いたら、あのままだったらガソリンに火が回って車が炎上し、場合によっては近隣にまで火災が広がり-!

 「定められた災厄は必ず来る。しかし大難が小難に、小難が無難になることはある。人間の行為(徳)が主護霊や背後の神霊の力を倍加させて、そのようになるのだ-」と小泉平一は言っておりました。

 「お袋に小遣いをやれ」あの声なき声は、今でも頭に浮かんで参ります。


興味深くて☆スピリチュアル秘話が満載でオススメです♬


祈り (徳によって祈りが叶う原理)   井出昭彦さんの記事♪

 誰もが皆、お祈りをしたことがあると思います。それは心の中であったり、神社の前であったり、お寺の中であったり、あるいは夜寝る前の布団の中であったりしたかもしれません。

 そして多分皆さんは、神様が、天使が、ご先祖様が守ってくれる、導いてくれる、願い事を叶えてくれるとのことで、祈られているのではないかと思います。以下、心の眼の観点から感じたままに記していきます。

 ます、祈りは、徳の数によって成就されるということです。えっ、何のこと?、と思われることでしょうね。きっと。ここで、預金のことを思い浮かべてみてください。

 原理としては同じですから、把握しやすいと思いますので。
あなたが新車を欲しくても、それだけのお金がなければ購入する事は出来ません。(物を買うには)お金という貯えがこの場合、必要です
 
 では徳とはどういうものなのでしょうか。そして徳を積むとは一体どういうことなのでしょうか。人に親切にするとか、街に落ちているゴミを拾うという行為も、徳として換算されて、積まれていきます。

 たとえそこに貴方のその行為を見ている人が誰もいなくても、あるいはあなたの親切を相手の人が気づかないとしても、です

 私は時々、遠隔ヒーリングを行うことがあります。相手には「気を送ったよ」とか、「今からヒーリングをするからね」とかを、特に伝えたりはせず行う場合が殆どですが、心の眼で私自身の徳の数を教えてもらうと、それは増えていたのですね。「情は人のためにあらず」という言葉の意味は実は、このように自分のためとなっているのだ。ということなのです。

 拝めば救われる、という以前に、自分自身の今までに行ってきた善の行為(徳)によって、自分自身が助けられる、救われる、という事柄は実際にあり、それは事実なのであるということを、皆さん方には是非知っておいて頂きたいと思うのです。

 今の日本人における徳の数の平均はいくつでしょうか。百を満点とした場合、その平均値というものは実は二十です。ちょっと少ないなあ、と感じられたのではありませんか。

 ではなぜ少ない数なのでしょうか。それは、自分本位の考え方で生きている人が多いことをそのまま顕しています。

 それだけ自分だけ良ければいいんだ、という考え方に基いて生きている人が多いということを顕しているのですね。ですが、面白いことに、そのような人というのは徳が少ないから、逆に幸せな人生は送りにくいのですけれども。

 自分自身を振り返るということは、自分の心の状態・在り方が、出来事を作り出しているのですから、そのようになってしまった原因は、他人ではなくて自分自身にある、ということに気がつくことなのです。

 例えですが、もしあなたが、全てを人のせいにするようなタイプの人から、何かを言われたり、誇張されていわれたり、あるいはまた、無いことまでもをもひわれたとしても、誰に対しても言い返したり、事実を説明したり、証明したりすることは必要ありません。まずそのような事を言っている人というのは、天上界にある(閻魔帳)につけられてしまうのだそうです。

 加えて、そのような人から何を言われたとしても、「ここで言い返したり騒いでみても、周囲の人達を巻き添えにしたり、事が大きくなるから、ならば黙っていよう」としている人には、大きな徳が積まれるのだそうです。

 預金で言うと普通預金ではなく、定額預金に該当する程の大きな徳になるとのことです。


様から引用させていただきました

正木和三先生の          政木和三先生の記事♪
徳を積んで寿命が伸びたお話    

自分の死期を事前に知り、その予言通りに亡くなったケースは世界でも多くあるようだ。有名なところでは、エマニュエル・スウェデンボルグが自分の死ぬ日にちを予告した手紙を第三者に送り、実際にその日に「霊界へと旅立って」いる。スウェデンボルグによると、霊界との交信により容易に死期を知ることが可能なのだという。

16世紀、当時最高の占星術師といわれたノストラダムスも、多くの事件や人々の死期を予言、実際に的中させたとされている。以前紹介した竹内巨麿の4男高畠吉邦も知人の死を事前に知ることができたために、「誰々さんに会っておきなさい」と、知人が死ぬ前に面会しておくように妻に言うのが常であったという。人には天の法則によって決められた寿命があるのだろうか。

その日は1979年2月であった。これはフーチパターンによって知った「正木の寿命が尽きるとき」だった。「死因」は心臓発作。正木はそれを約6ヶ月前に知った。当時、正木は肝臓をわずらっており、医者から治療を勧められたが、それも断った。死期を知った正木は、ますます目先の欲望に拘らなくなった。

死期が迫っていても、別にそれをそのまま寿命だと受け止め、欲望をすべて捨て去ってしまった正木に、1979年の元旦の朝、生命体からのメッセージが届く。

汝は永年にわたり、陰徳を積みたるがゆえに、汝の寿命を延ばし、汝に力を与える正木は最初、どのような陰徳を積んだのか分からなかった。

 その後、生命体から、瞬間湯沸かし器や自動炊飯器など数々の発明をしながら、自分は一円の収入も得ず、多くの人々に喜びを与えたことが陰徳であることを知らされたという。

正木にとって、発明によって特許権を行使し、カネを儲けるなど、ほとんど考えられないことであった。

あるとき電機メーカーの関係者に、正木が約3000件にも上る自分の発明特許を無効処分にしなければ4000億~5000億円の特許料が入ったのではないかと言われて、正木はこう答えた。「そんなお金なんかいりません。生活できるだけのお金があればいいのです。

それに私は瞬間に発明ができます。瞬間にできるものでお金はいただけませんよ」正木の寿命は先に延びた。

秋山眞人も表現は違うが同じようなことを言う。
徳を積むとは、結果的に自分の得になることをすることなのです」。

つまり、人のためになることをするという徳は、めぐりめぐって自分の得になる、情けは人のためならずという宇宙の法則が働くということのようだ。

最後に、正木が生命体を通じて得た次のようなメッセージを紹介しよう。水をかぶったり、お経をあげたりするのは、自分のための修行であって、自己満足にすぎない。

 本当の修行とは、欲望を捨て自分以外の人々に喜びを与えることである。
すると、人々に喜びを与えたエネルギーが、高次元の生命体となって自分の肉体の中に入ってくるのだ。


様から引用させていただきました

不思議な世界番外6(最終回)
精神が世界をつくる

私は顔を変えたことがある。といっても整形手術をしたわけではない。精神の力で変えたのだ。

まさかと思う方もいるだろうが、実はこれは誰でも無意識のうちにやっていることでもある。苦労やストレスは顔に出るし、穏やかな心は、顔を穏やかにするではないか。

ウソばかりつく政治家が醜悪な顔になるのと同様なメカニズムだ。
私はそれを意識的にやっただけで、別にたいしたことではない。

 それは私がまだ、中学生のときだった。友人に裏切られ、私は極度の人間不信に陥った。すべてを疑いの目で見るため、誰も信じられなくなり、ひたすら孤立していった。

 あるとき、ふと鏡の前で、自分の顔をまじまじと見た。何ということか。鏡に映し出された自分の顔は、それまで見たことがないほどいびつになっていた。

 対称性が失われ、歪んで醜く見えた。
これはひどい。病んだ精神がこれほどまでに自分の顔を歪めるとは!」
――。私はかなりショックを受け、打ちひしがれた。

それからである。私は顔を変えることにした。不思議なことに、私はそれができると確信していた。病んだ精神が顔を変えるのだから、
健全な精神をもってすれば、また顔は変わるはずだ、と考えたのだ。

  猜疑心、不信感、憎悪などの私が持っていたマイナスの感情を、すべての可能性を信じることにより、信頼、愛情、寛容などのプラスの感情にできるだけ変えていった。

  今から思うと、一種の自己催眠であったのではないかと思う。悩みはほとんどなくなり、ストレスにも強くなった。ストレスがあっても、自分を客観視(ストレスに悩む自分を観察)して、まさに客観的に楽しむようにした。

  予想通りに私の顔は、再び元の自分の顔へと戻っていった
そして、自己催眠が効きすぎたのか、今でも童顔のままである)。

  人間の苦労は顔に出てしまう。これは誰もが認めるはずだ。しかし、同じストレスがあったとしても、ストレスに苦しみ、その苦労が顔に出てしまう人もいれば、ストレスをプラスに考え、苦労とも思わない人もいる。

  これが結局、顔を変えることにつながる。ストレスに負ければ、中学時代の私のように顔が歪む。額の皺の刻印は深くなり、実際の年齢よりも老けて見えるようになるだろう。

  だが視点や意識を変えることにより、ストレスは、ある程度の緊張をもたらすだろうが、苦労にはならなくなる。
  同じ年月を経ても、一人は老人のように、もう一人は若々しく見えてしまうのはそのためだ。

  すべては人間の意識が決めるものである。あなたの意識が決まれば、肉体や物質はそれに従うのだ。意識(精神)はおそらく、あなたの世界の統治者である。あなたはこれから、どのような世界をつくろうとするのだろうか。

  これまで多くの超能力者を紹介した。彼らは不思議な世界を旅するものたちである。しかし、実はあなたこそ、この深遠にして不思議にあふれた世界の主役であり、かけがえのない「神の旅人」でもあるのだ。


・自分はついてると思う♪
・いつも笑顔・口角を上げてスマイル♪
・人の気分を害する事はしない・悪口は絶対に言わない♪


1.眼施(げんせ) やさしい眼差(まなざ)しで人に接する

 「目は口ほどにものを言う」といいますように、相手の目を見ると、その思いはある程度わかります。相手を思いやる心で見つめると自然にやさしい眼差しとなり、人は安心します。自らの目を通して相手に心が伝わって、相手も自分の気持ちを理解して、お互いが打ち解けることができることでしょう。


2.和顔悦色施(わげんえつじきせ) にこやかな顔で接する

 眼施と同様、顔はその人の気持ちを表します。ステキな笑顔、和やかな笑顔を見ると幸せな気持ちになります。そして周りにも笑顔が広がります。人生では腹の立つこともたくさんありますが、暮らしの中ではいつもニコニコ、なごやかで穏やかな笑顔を絶やさぬよう心がけたいものです。また、メールの顔文字も一工夫してみてはいかがでしょうか。


3.言辞施(ごんじせ) やさしい言葉で接する

 言葉は人と人との関係を円滑にするコミュニケーションの大事な方法です。私たちは言葉一つで相手を喜ばせたり、逆に悲しませたりする場合があります。相手を思いやるやさしい言葉で接していきましょう。「こんにちは」「ありがとう」「おつかれさま」「お世話になります」など、何事にもあいさつや感謝の言葉がお互いの理解を深める第一歩です。


4.身施(しんせ) 自分の身体でできることを奉仕する

 重い荷物を持ってあげる、困っている人を助ける、お年寄りや体の不自由な方をお手伝いするというような身体でできる奉仕です。どんなによいことと思っても、それが実行できなければ意味をなしません。よいことを思いついたら実行し、自ら進んで他のために尽くしましょう。その結果、相手に喜んでいただくと同時に、自己の心も高められるのです。
 

5.心施(しんせ) 他のために心をくばる

 心の持ち方で物事の見方が変わってしまうように、心はとても繊細なもので、自分の心が言葉遣いや態度に映し出されます。自分だけがよければいいというのではなく、心底からともに喜び、ともに悲しむことができ、他の痛みや苦しみを自らのものとして感じ取れれば言うことはありません。慈悲の心、思いやりの心から自然とやさしい顔や眼差しにも表れてくることでしょう。


6.床座施(しょうざせ) 席や場所を譲る

 「どうぞ」の一言で、電車や会場でお年寄りや身体に障害を持っている方に席を譲ることです。座席だけでなく、全てのものを分かち合い、譲り合う心が大切であるという意味が含まれています。何事も独り占めはいけません。少なくとも電車やバスのシルバーシートは本来の意義に従って利用しましょう。場合によっては自分の地位を譲って後のことを託すという意味も含まれるでしょう。


宇宙創造の神が勧める霊性を高める方法 洗心

いつももつべき正しい心(=常の心)
強く     明るく
正しく    我が祈り
宜しからぬ欲を捨て
みな仲良く、相和して
感謝の生活をなせ

心の中からなくすべき感情(=ご法度の心)

憎しみ  不満
妬み   疑い
猜み   迷い
羨み   心配心
呪い   咎めの心
怒り   いらいらする心
不平   せかせかする心


■四句御箴言(しくごしんげん)

与えられたことを感謝して受けよ      関英男博士の記事♪
与えられぬことを感謝して受けよ

与えられたことを拒むこれ欲なり       瞑想の記事♪
与えられぬことを欲するこれ欲なり


FC2版の広瀬すずちゃんの横顔になる方法の記事です♪
身長を伸ばす記事も追記してみました♪
 

眩しいキラキラ輝く麗しい絶世の美女♪佐々木希ちゃん画像特集♪心の安らぎ・希望に♪明日への活力に♪存在に感謝♪

                 

絶世の美女 佐々木希ちゃんの秘蔵画像をご紹介♪

 いきなりですが、地上に舞い降りた女神との噂の名高い、絶世の美女である佐々木希ちゃんの画像特集をしちゃいま~す♪

 ちょっと前に、「チア☆ダン」効果で、広瀬すずちゃんの横顔の秘密♪の記事が大ブレイクを果たしたお陰で、現在でもブログを訪問してくださる方が特需状態の今こそ…今こそ、秘蔵っ子の「佐々木希ちゃん☆スペシャル画像」の記事を披露すべきではなかろうか(笑)、と思った次第なのです。

 自分の切り抜きから加工した中で、一番美しくて可愛い画像を厳選してアップさせて頂きました♪ですので、この記事だけでしか見れない超☆激レア画像という事になりますね♪めっちゃおっ得~♪ラッキーかも♪

 非の打ち所がない絶世の美女・眩しい・神々しい光り輝く美しさ可愛さを持つ麗しの女神☆佐々木希ちゃんの美画像で、気力回復に・心の安らぎに・生きる希望に・目の保養にご活用下さいませ♪

            

夜の熱中症対策の記事はこちら♪⇐脳の血液温度を45度以下にするのが大事♪ 

         












































ノゾミン半端ないって。可愛さ半端ないって。 

絶世の美女で可愛いのにめっちゃ料理するんやもん。 

そんなん出来ひんやん、普通。





FC2版の広瀬すずちゃんの横顔になる方法の記事です♪
身長を伸ばす記事も追記してみました♪

広瀬すずちゃんの美しい横顔のお蔭でアクセス数が半端ないお話♪奥行き顔族になる方法♪チア☆ダン効果万歳♪



3月15日の夕方からアクセス人数が激増しているお話

 お久しぶりです♪3月15日の夕方からアクセス人数が激増しておりまして、はて?なぜこんな面白い状況になっているのかな…って、思っていたのですが、次の日にアクセス解析を見ましたら、何と!、3月15日の解析で、

広瀬すずさんの美しさを徹底追求(画像あり)♪横顔美人の条件とは♪顔の悩みはこれで解決♪身長・小顔♪永久保存版


 のアクセス数が124アクセスに跳ね上がっておりました。

 それで、ああ…な~るほど、広瀬すずちゃんが、また何かしらドラマの主役でも初めたんだろうなぁ……、と分かりまして、
 ネットで調べてみましたら、どうも「チア☆ダン」というTBSドラマの第一回目の放送があったのが原因の様でした。

 昔も広瀬すずちゃんがドラマの主役をした時にも、一気に広瀬すずちゃんの横顔の秘密♪の記事にアクセスが集中した時がありましたが、今回は前回の時を遥かに超えるアクセス数になってました♪

 それでもしかすると、誰か情報拡散能力の高い方が、私の広瀬すずちゃんの横顔の秘密♪の記事をご紹介して下さったのかも知れません。

 まぁ私は昔ながらのガラケーのみで、TwitterとかLINEとか、HIP☆HOPなスマホを駆使するタイプな情報ツールを一切しないものですから、何が原因なのかはさっぱり見当がつきませんが……笑。

 いずれにせよ、一度でもこんな夢のようなアクセス数を体験できただけでも本当に満足ですし、自分の経験が他の方々の幸せのお役に立てる事が何よりも嬉しくて嬉しくてしょうがありません♪人類全体の幸せが自分の幸せですからね♪

 もう…「広瀬すずちゃんの人気ったら半端ないって」って言いたいです♪ ちなみに私の横顔も、あの例の横顔の記事♪の努力によって思いっきり、広瀬すずちゃんみたいな “奥行き顔族” な感じになっております。

 側面の厚い顔と言われたことがある位ですから真実なのです。有り難い事に、立体的な顔をしてますと、デジカメの写りが抜群に良いんですね。どうも、いわゆる実際の顔と写真写りの顔の差が無くなってくるみたいです。

 現在では努力によって、加藤雅也さんと互角か、幾分か勝っている位の彫りになれました。横顔がカッコいいと自分撮りが好きになります(笑)

 日本人の顔には、“平たい顔族” と “奥行き顔族” があるそうですが、私のすずちゃんの横顔の記事♪を実践して頂くと、努力によって誰でも遺伝とは関係なく、顔に立体感が出てきて、ギュッと締まった小顔効果が出てまいります。

 ほぼ確実に、広瀬すずちゃんのような魅力的な立体的な顔になれますから、もし宜しければ、皆様も実践されてみてはいかがでしょうか。

 誰でも横顔が綺麗な “奥行き顔族”  になれちゃいますよ♪他にも美形になれちゃうとっておきの秘密が満載で、内容が濃くなってますので、一度でもご観覧して頂ければ幸いで御座いますm(_ _)m♪


すずちゃん半端ないって。人気半端ないって。
横顔が気になって皆がめっちゃ検索するんやもん。
そんなんせえへんやん、普通。

3月16日の訪問者数です♪エベレスト山頂みたいになっております(笑)。
226人が広瀬すずちゃんの横顔の記事でした。474人の半分くらいが、広瀬すずちゃんの魅力のお陰という事になります。すずちゃん様様ですね♪ありがたや~♪



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追記しました♪

7月17日の訪問者数です。ついにアクセス人数が995人に♪
その中で広瀬すずちゃんの横顔の記事♪のアクセス数が913人ですから、
ほぼ九割以上の方がご観覧されたという事になりますね。



想像を絶する嬉しい事態に歓喜の雄叫びを上げております♪(´;ω;`)…ウウッ…感動♫♬~♪(∩´∀`)∩ワーイ


やったぁ~♪(o´▽`o)v






追記しました♪

7月18日の訪問者数です。まだまだ嬉しい悲鳴が……何と!639人も♪
その中で広瀬すずちゃんの横顔の記事♪のアクセス数が455人ですから、
ほぼ7割以上の方がご観覧されたという事になりますね♪




追記しました♪

7月19日の訪問者数です。まだまだ特需が続いております……何と!461人も♪
その中で広瀬すずちゃんの横顔の記事♪のアクセス数が218人ですから、
ほぼ47%以上の方がご観覧されたという事になりますね♪




追記しました♪

7月20日の訪問者数です。まだまだ嬉しい悲鳴の……397人も♪
その中で広瀬すずちゃんの横顔の記事♪のアクセス数が136人ですから、
ほぼ三割以上の方がご観覧されたという事になりますね♪


綺麗な山が出来ました(笑)♪

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覚者☆知花敏彦先生の過去記事からの引用ですが……♬


「神がおわすが故に私はおわすのである」

 イエス様は、「神おわすが故に私がおわすのである」と言われました。神がいなかったら、あなたはおりますか。かみはまたき神ということですから、神は全ての全て、ありとあらゆるものです。ですから、我々がこの肉で見ているものは、神の化身です。すなわち、人間一人一人はみな神の化身であって、他の何者でもありません。
 
 ですから、「人間は何か」と言われた時は、「人間の形をとった神」と言って下さい。
 動物とは、動物の形をとった神です。動物をお作りになったのも大霊で、動物の中に生きて働いているのです。唯一不二の大霊、唯一不二の神しかおりません。

 宇宙に霊はいくつありますか。ひとつしかありません。神霊・大霊・神の他は何もありません。この肉体をつくったのも神であり、肉の中に神が宿っていることを知っていて、大霊が肉体を作って、大霊が肉の中に宿っていると自覚の出来た人は精霊の下った人です。

あなたは宇宙に遍満する普遍的大霊である

仏教から言えば、霊道の開かれた人という意味で、霊との繋がりの出来た人です。すなわち神との繋がりが出来た人という意味です。それをあなたが認めた時、神が皆さんを通して働きたもうのです。なぜ、神が皆さんを通して動かないかといいますと、あなたが神と自分は別だと分離感を持っているからです。

 あなた方は宇宙に遍満する普遍的大霊です。「我は普遍にして無限」です。無限は宇宙大ですから、宇宙我です。そして普遍ですから普遍我です。大霊は普遍的大霊ですから普遍我となるわけです。

 あなたは大きい存在です。普遍的存在です。自分が普遍であるという自覚の出来ている人を、普遍意識といいます。大霊は宇宙霊ですから宇宙大です。宇宙我になります。そうなりますと、宇宙我、宇宙即我、我即宇宙となるわけです。ですからお釈迦様は宇宙即我という境地に到達されまして、全てが大霊であることを悟られて、不滅の仏陀、不滅の霊となられました。

神は一様(ひとさま)です。神々が様々な表現をしているだけです。我々は表現を見て、表現者を見なかったのです。即ち神理を見なかったと、神を見なかったことになります。この、神理を見なくて現象にとりつかれている人間を、盲目の指導者といいます。

「汝、嘘つくなかれ」「汝、盗むなかれ」

イエス様は「神は全ての全て、ありとあらゆるもの」と言われました。神は万物の親、万物の作り主です。万生万物を神が作って、万生万物の中に神が宿っているわけですから、世の中に神の他に何があるのでしょうか。この世の中に神を宿していないものが一物としてあるのかと言いたいのです。

 ですから、神こそ我々の父といえます。この肉体は作られたものであり、大霊は作り主です。作られたものの中に、必ず作り主である大霊が生きて働いておられます。

 神のみが生きています。「神生きるがゆえに私は生きるのである」。ではあなたが働いているのですか、神が働いているのか、どちらですか。神のみが働いています。ですから、私が働いた、私がやったといって嘘をつかないで下さい。「汝、嘘つくなかれ」「汝、盗むなかれ」です。

 人間が人間を産むことはありません。神が人間の生みの親です。霊によらないで、神によらないでこの世に人間が生まれる事はありません。神は万物の親です。万物の作り主です。全存在の本源です。

恐怖感は自負である

迷った人のみ人間であるのであって、悟った人間には人間という意識はありません。人間即神です。人間の実体は神であって、その他の何者でもないことを知る必要があります。

 そして、その人間とは神の仮の姿です。人間は姿形をとった神です。草花の一つにも神はおり、一粒の卵子たりとも神を宿しています。この意味が分かりますか。ですから、神は万物の親となります。

 いつになったらあなた方は、「私が、私が」という言葉がなくなるのでしょうか。あなたという利己がある限り、あなたは迷っています。あなたがなくなったときに、あなたは安らぎとなります。平安となります。自分がある限りは不安と恐怖です。

 神には不安や恐怖は存在しません。色々な心配事や恐怖感があったとするならば、あなたは自分に負けていることになります。自負です。その自負の事を何と言いますか。自我と言います。自らの我といいます。

 自負は即自我です。勝手に自分だと思っているだけです。勝手というものはありません。初めから皆さん方は普遍的存在です。今も普遍です。未来永劫普遍ですから、個人といえるものがありましょうか。

 ここにあるこの木の葉は全体ではありませんか。では、あなたは個人ですか、全体ですか。全体です。これを全我と言います。全我なる我です。「我は全ての全て、ありてあらゆるもの」となります。ですから、人になしていることは全部自分になしていることであると言えます。

 私達はこの普遍的我に目覚めなくてはなりません。個人的な自分が存在しますか。個人の実体は即普遍です。その普遍的なものを認めた時に、その普遍的な知恵と力があなたを通して働くようになります。

 神を認めた時に、認めるものは現れる、あなたが普遍を認めた時に、普遍があなたを通じて現れると言うことです。

無我の境地とは何か

 無我とは何かについて語りたいと思います。無我とは自分がないという意味です。本来の自分は存在していないのですが、私達は自分が存在していると感じて生きてるわけです。
 
 しかし、本来の自分はありません。自分があるならば、自分に負けていますので、自負となります。自負とは自らに負けているという意味です。本来の自分はありません。

 悟った方である、覚者の方々は自分は存在していないことを知っていますから、無我の境地になれます。では、自分がなくて何であるかといいますと、神がおわします。即ち、神一元です。大霊という神が、大生命という神が、全ての形体を作って全ての中に宿っています。

 我々は形体は大霊が創って、大霊が宿っています。ですから自分は即大霊ですから、自分があるのではありません。
 その大霊とは神です。「人間即大霊」「人間即神」です。人間とは人間の姿を取った神です。人間と神とは一つです。そうなりますと、神のみが独存するということで、神の地には絶対に何もないことが分かります。これを何かといいますと、全(また)き神といいます。またき神とは全ては神という意味です。

「神は全ての全て、ありてあらゆるもの」

イエス様は、「神は全ての全て、ありてあらゆるもの」とい言われました。我々の肉の目で見ているすべての形体の実体はみな神でありまして、草花の中にも神が宿っているし、砂浜の砂一粒にも神が宿っています。そして、神のものであるとは、神の他には絶対に何もないということです。

 私にもいて神もいるとはいえません。そのようにいう人ならば、その人は迷いの真っ最中です。大霊のみが実在しています。神のみが実在しています。大霊のことを皆さん方は大神様といいます。大霊と大神様はイコールです。即ち神霊です。大霊即大神様です。

我は神なりの意味

自分即神です。ですから「我は神なり」であって、「我は人間なり」ではありません。人間の実体は神です。私達は仮相に目がくらんで、その見えるものの実相・実体を見ていません。全ては神によってなれりです。

 その神がすべての形体をお作りになり、すべての形体に神が宿っていますので、神の他には絶対に何もありません。ですから神が絶対者であり、絶対神です。
 
 神一元という意味は、神の他には何もないといえます。これが理解出来た時に、神の自覚となります。神の自覚とは、自らが神だと悟ったという意味です。迷った人のみに人間はあるのであって、悟った時には人間は存在しません。

 人間は実在ではありません。神のみが実在です。あなたの肉外はあなたがお作りになったのです。あなたは神です。

目隠しされていたものが落ちることを
目から鱗が落ちたという

 神の他には何もないのに、私達は形に目がくらまされているのです。目隠しされてしまって、本質的なものを見失わされていました。形で目隠しされていました。

 その見えるもので目隠しされていたものが、落ちること目から鱗が落ちたと言います。それを真実を観たといいまして、実相を観たという意味です。宇宙に遍満する大霊が、普遍的なものが、その個人、個人の全部の中に普遍が宿っているわけです。

 大霊の中に人間がいて、人間の中に大霊が宿っています。全ての万生万物は大霊の中にどとまり、大霊は万物の中にとどまっています。その大霊の中においての個人の存在ですから、私達は大霊の中におり、大霊は私達の中にいることになります。形の実体はみな大霊であり、神であるといえるわけです

霊道が開かれた人
 
 霊一元・神一元とは、神の他に絶対に何もないという悟りを得た者、自分、自らが神であることを悟った者は、神の自覚の出来た人といえます。人間は形の世界で生きていますので、どうしても自分を神だと認めるわけにはいかないようです。
 
 あなた方は神信者を見たことがありますか。世の中には沢山の神信者がおりますが、ほとんどの方々は神信者ではありません。神信者とは神を受け入れた人のことで、入信状態とは、自分は神の中におり、神は自分の中にいるという状態をいいます。

 自らが神であることを悟られた人間は入信状態です。霊道の開かれた状態です。自分と大霊とが一体であるという境地になった人は霊道の開かれた人です。
 
 ですから、あなた方は今から大霊になるのではなく、初めから神であったし、今も神であるし、未来永劫神です。その他の何者でもありません。その他の何者であるか、考えることを迷妄というわけです。


から引用させていただきました


まとめの記事♪ 


耳よりな話として、もしアルツハイマー病にかかっても、
ココナッツ・オイルで治すことができるそうです。
ココナッツは有難い食べ物です。
たまにはココナッツを食べるのも良いかもしれません。

(概要)
6月21日付け:
私の大好きな母はアルツハイマー病の初期症状が出ています。
母は70才を超えたばかりです。
身体的にはまだまだ元気なのですが、精神的に少し壊れてきました。
私は母に病気の治療のために代替え医療のスペシャリストを紹介することにしました。
その治療方法とは・・・
大量の純正ココナッツ・バージン・オイルを 摂り続けることです。

そして、母はこの治療方法を開始した途端に症状が改善しました。
以下のビデオ
ではココナッツ・オイルでアルツハイマー病を治療できると伝えています。

アルツハイマー病は治るのです!
ワード医師が紹介する、この治療法を軽視すべきではないと思います。

実際に、アルツハイマー病は、狂牛病と同様のプリオン病なのでしょうか。
このような真実は隠ぺいされてきたのでしょうか。
ワード医師によると、アルツハイマー病の原因は隠ぺいされてきたそうです。


(正常な脳とプリオン病の脳の片側を比較)
政府、企業そして検索ソフトが隠ぺいし続けてきた恐ろしい秘密とは:
アルツハイマー病はプリオン病だったのです!詳細は以下のサイトを。
リンク

(一部紹介)
『専門家の実験成果により、
脳内で自然に生成される感染性のないプリオン・タンパク質がアルツハイマー病の原因である可能性が
高いことが分かりました。(実験の詳細は省略)

これまでは、感染性のない正常なプリオン・タンパク質ではなく、
感染性のあるプリオン・タンパク質が
脳の退化の原因とされてきましたが。。。

ネズミの実験結果でわかったことは、
感染性のない正常なプリオン・タンパク質に焦点を当てることで
治療が可能となることが分かりました。

タンパク質の誤作動が原因!
長い間、アルツハイマー病は脳内にアミロイドβペプチドが蓄積する
(最初にオリゴマーに変化そして最後には長くて粘着性のある小線維となり、
脳内にプラークを形成する)ことが原因であると考えられてきました。
ペプチドがオリゴマーになると、有毒になると考えられましたが、
それが脳内でどのように作用するのかは解明されていませんでした。

エール大学の科学者チームによる研究成果により、
感染性のない正常なプリオン・タンパク質が感染性のある
プリオン・タンパク質と接触することで
感染性のあるタンパク質に変異してしまいます。

その結果、脳が凝集し、クロイツフェルト・ヤコブ病(つまり人の狂牛病)
などの神経変性疾患を患うことになるのです。

科学者チームは予めプリオン・タンパク質を取り除いたネズミの脳を
薄く切って調べたところ、
アミロイドβが長期の記憶形成に重要な長期相乗作用と呼ばれるプロセスを
妨げることはなかったのです。

同様に、プリオン・タンパク質をブロックする免疫体を使うことで、
誤作動したアミロイドβペプチドによる脳へのダ メージを防ぐことができました。』

このようにアルツハイマー病は・・・
プリオン病=感染性海綿状脳症=狂牛病=BSE=ヤコブ病=クールー病=
羊と山羊のスクレイピー病=猫海綿状脳症=鹿やエルクの慢性消耗病なのです。

一部には遺伝的な要素もあるとも言われていますが断定することはできません。
プリオン病は、動物の中枢神経系統(脳、目玉、脊髄、髄液)に存在する
プリオンを体内に入れたときに感染します。

これらの厄介な”残り物”(脳、目玉、脊髄、髄液)は、
動物の餌や加工食品(ホットドッグ用ソーセージ、その他)に使われています。

このような歯応えがあり壊れにくい特質を持つ伝染性の”残り物”は、
料理をしたり工場で加工するなどして、
世界中の人々や動物の口に入っており、水和反応により病気が発症しています。

感染性のないプリオン・タンパク質が脳の劣化の原因となっています。
感染性のあるプリオン・タンパク質も感染性のないプリオン・タンパク質も、
同じように病気の原因となっています。

科学者らは2009年にアルツハイマー病がプリオン病であることを発見していました。

くれぐれも、輸入肉にはご注意を!
特に、焼き肉食べ放題なんて・・

また、袋めん、カップめん、ブイヨン、コンソメ等に入っている

「ビーフエキス」「ポークエキス」は肉骨粉・・

神の御心は普遍的で何一つ区別しない宇宙的愛♪全ての人と和解♪エドガー・ケイシーとウェーダ哲学♪上江洲義秀先生

エドガー・ケイシー悟りの発見 カルマと転生の真実
から引用させていただきました
            

神の御心は普遍的で何一つ区別しない宇宙的愛

 人間の意志は神の御心と区別されるべきです。神の御心は友人と敵との間を何一つ区別しない宇宙的愛だからです。
 非利己的愛の心を表す者のみが天に入る事が出来るのです。これは聖書でも次のように支持されている解釈です。

「我に向かいて主よ主よという者ことごとくは天に入らず。ただ天にいます父の御心(宇宙的愛の実践・非利己的愛)を行う者のみ、これに入るべし

 イエスが普遍的な父(なる神)の愛を実践する事を強調しているのは明白です。神と人に対する普遍的な愛を持たなければ、人は天国に入る事を望めない事が分かります。

 では復活の基盤(解脱・悟り)としてのカルマ論はどのように語られているのでしょうか。イエス・キリストは、愛を持って憎しみに応える事が盲信より優れる事をどの様に語っているのでしょう。

 マタイ伝第五章の最後に一節がこれをさらに明かしています。キリスト愛(普遍的な愛・無差別・無所得の愛)が人を神の子に値するものに変える事を明らかにした後で、イエスはこう続けています。

「汝ら、己を愛する者を愛すとも何の報いかを得べき。取税人も然するにあらずや。」
自分を害する者も、愛する人達と同じ様に無条件の愛で愛しましょう

 神に基礎づけられた純非利己的愛のみが人間を自由にし、彼(意識・魂)を完全さ(真我)へと向かわせるのであります。
 イエスが、負い目を持つ兄弟との和解がなぜ、神の実現(神我顕現)に向かう第一歩なのかを説明してくれています。次のように語っています。

「このゆえに汝もし供え物を神前に捧げる時、そこにて兄弟に怨まれる事あるを思い出せば、供えものをそこに残し置き、まず行きて兄弟と和睦し、然る後来りて供え物を捧げよ。

 汝を訴える者と共に道に在るうちに早く和睦せよ。恐らくは、訴える者汝を審判に渡し、彼は下役に渡し、遂に汝は獄に入れられん。誠に汝に告ぐ。一厘も残りなく償わずば、そこにいづること能わじ。」

 イエスは、我々がカルマの法則に従って「最後の一厘(不調和なカルマ)」を完済してしまう時までは、
 生死の牢獄(輪廻転生)に区切りをつけて永生(永遠の生命)を得る事(解脱する事)は出来ない、と戒めているのです。

 イエスは、神の御心--聖愛(神と人に対する普遍的な愛・慈悲と愛・全てを許し全てを愛する心・明想)--- が実践されない限り、天国に入れない事を訴えているのです。


古代インドのウェーダとエドガー・ケイシーの共通点

 無限、不可視の純粋霊があらゆる存在の超越的本源であり、それはイシュヴァラ、神、つまり変わりゆく世界の普遍の基としての全能にして不滅の個我(真我・宇宙神霊)の形をとっています。

 今一つエドガー・ケイシー・リーディングは彼の出世に先立つ四千年の昔に遡(さかのぼ)るウェーダの創造論を言い換えたものに近いのです。

 ケイシー、は一方では物質、他方では神に対する魂の関係を質問され
小宇宙の物質的創造は人の場合と同じく第一原因(創造主)に関係していると明言しています。
 
「自己の内と外に表されている、目に見える様々な天体の中で、物質界の中でさえ、あらゆる力、あらゆる働きが一つ(神)から現されたものである。

 それで、(神の)伴侶となれること、(宇宙と)一体となれること、(無限と)一つになれる能力が、一つの天体の中にあるあらゆる力、あらゆる現れの中に、これらの属性が現される為に必要となっている。」

 人が一方では、物質的力、他方では神の霊的顕現の中間に立っていると云う考えが、次のように語るリーディングの中でさらに支持されています。

「一つの原子、一つの物質、一つの形が変えられたからと言って、その源あるいは※霊までが変わったわけではない。その現された形態が変化したのみであり、第一原因(無限・大愛)との関係が変わったのではない。
※神は無限の質量・宇宙に遍満する大霊・神はありてあらゆるもの

 人が物質界において、その持てる知識、知性に関して(宇宙生命・無限が)何を為しているのかに気づく意識※に至る事、第一原因、原理、基礎、本質(根源)に入ることを招くのである。
神おわすが故に私がおわすのであるの意識

 それは、表されているものの中に、魂にとって、実体にとって益するもの、魂を創造的力、創造的影響力に受け入れられる伴侶にしてくれるものが表されているためである。」

 ウェーダの三重創造の哲学を次のようにエドガー・ケイシーは言い続けています。
「その初め、支配法則と共に、現された形の中に見られるものを動かした存在があった。物質を破壊し得ないこと、その様々な形に分かれる際の一つ一つの力、力の源の能力が特定の天体に現されているものを生み出している。

 この事は多くの方法で人間を整える為の様々な現された方法で使われる元素の中に、第一原因あるいは神に対する人間の関係を支配する法則を示す事柄の中に見る事が出来る。」

 人が世界魂としての第一原因、そして物質的現れとしての第一原因によって型どられるというウェーダの三重の創造論の中で、神と人と世界の関係を明らかにしてみましょう。

 述べてきた通り、創造の3つのカテゴリー全てが、この文脈では第一原因の非物質面なる個我(神我・真我)と翻訳出来る神、不動の動者、プルシャの上に休んでいます。自然界と訳せるプラクリティは物質的創造の三面全てを現わしめるダイナミックな形而上学(けいじじょうがく)下の力です。

 (形而上学=感覚ないし経験を超え出でた世界を真実在とし、その世界の普遍的な原理について理性的な思惟によって認識しようとする学問ないし哲学

 プルシャの形而上的力から、創造の大宇宙面の魂であるイシュヴァラ(無限質量)が沸き起こってきます。
 個々の宇宙、そして銀河の中心が崩壊する事があっても、イシュヴァラ(大生命・大愛)は形而上学存在であり、破壊する事は出来ません。

 それと同様、個々の中心を制御している魂の力あるいはデバータスも破壊出来ません。イシュヴァラは、あらゆる形而下現象を超えた不動の基礎であり、神の創造の大宇宙面の絶えざる運動はこれに頼っています。

 人の生命の五重の区画は地球、月、太陽、銀河、宇宙の中心というデバータスの5つの分類に対応します。
 人間の肉体は地を表わし、心は月を、知性は太陽を表します。個我の非個人的無意識は銀河の中心を表わし、純粋我は宇宙の中心を表します。

 宇宙の中心、あるいはスヴァヤンブ・プラジャパティはその物質面において崩壊しうるが、その中に不滅の純粋我(真我・大生命)を有しています

 実際には、その純粋な霊(宇宙生命)があらゆるものを貫いており、それが大宇宙のデバータであれ人であれ、また電子のような小宇宙的実体であれ、個別化されたものことごとく根となっている(内在している)のです。

 滅びるのは一つ一つの実体の物質面のみであります。エドガー・ケイシーは先に引用したリーディングで同じ見解を正確に表現しています。

「一つの原子、一つの物質、一つの形が変えられたからといって、その源あるいは霊までが変わったわけではない。その現された形態が変化したのみであり、第一原因(創造主・無限宇宙)との関係が変わったわけではない。」

 人間と物質と宇宙に関するケイシー・リーディングの全てが、ウェーダ哲学においてパラム・プルシャとスヴァヤンブが使われたのの全く同じ意味で「聖霊」と「第一原因」という用語を絶えず使っているのは印象的です。

 その上、彼の創造論は右の説明なくしては一般人には理解できないままで残される事になりましょう。

 第二の創造部門、すなわち人間の構造は大宇宙と小宇宙の中間に位置しています。それはアドヒ・アートマンと呼ばれ、純粋霊の無限な、また形而上学的な要素と、肉体的エネルギーの形而下的要素の結合なのです。

 生きた人間であるジヴァの形に生まれ、転生するのはこの魂です。エドガー・ケイシーはジヴァの事を「実体」と呼びました。人間は小型の宇宙であり、それが宇宙的人間に似ているという意味での神の似姿であります。

 その魂は不滅であり、無限の側面です。肉体的、精神的、感情的、また合理的、知的側面は滅びる要素です。
 しかしながら、転生の最中に心的、知的傾向、非個人的な無意識面における傾向がカルマの形で人の魂に付随していくのです。

 誕生を繰り返す度毎に、肉体の傾向さえもカルマの形をとって持ち運ばれてゆきます。
 (明想によって)あらゆるカルマが消された時(宇宙意識に到達した時)に、純粋我は神、至高者、一なる者(内なる神の国)へと戻るのです。

 第三の創造面は小宇宙であり、これはアドヒブタム、あるいはダイナミックな世界の物質的創造です。これもまた、大宇宙と人間の創造における5つの面に対応する、可視的実体としての5つの物質的元素を持っています。

 5つの形而下的元素とは、地の元素または固体物質で、これは地球に対応します。次に月に対応する水の元素、太陽に対応する光、銀河の中心に対応する風、ガスの元素、中心宇宙に対応する空、あるいはエーテルの5つです。

 物質の構成においては、空の元素(無限・大愛)、アカシャが、人間における魂がその中心であるように不滅の中心となっています。

 アカシックレコード(物理的宇宙の不滅の面に保管されている記録)は、世界に転生してきた魂一人一人の痕跡のことなのです。
三重の構造を合わせ持つ至高者としての神は次項の表で表す事が出来ます。
   

                                至高者としての神

不可視の宇宙的自我個人的心霊的自我非個人的心霊的自我
大宇宙の神聖構造   人間の構造(魂)物質的小宇宙の構造

宇宙の中心           純粋我           エーテル
太陽                非個人的無意識        風(ガス)
月                        知性・心         火(熱
地球                      肉体             水・土  

 
 神は、精神としては創造の三重構成の中に偏在していますが、同時にこの3つを超えてもいます。神は4つの存在面を持っています。無限者としての神はあらゆる属性を超え、一なる段階さえも超えています。

 第二の段階では、神とは純粋な本質、純粋なる意識であります。ここでも、神は主体でありながらあらゆる人格化を超えています。第四の階層は神の偏在的性質を表しています。これは意識として、力としての神の現れです。
 
 ですが、この段階においても、神はその霊の所産である時間と空間に支配された世界に左右されず留まっています。その霊は神霊エネルギーとなって世界に入り、創造の三重構造を起こさせているのです。

 聖なる構造の中で父なる神(真我・神我キリスト・無限の愛)は至高者です。彼(真我)は到達すべき目標なのです。

 人の構造において、子なる人間は神性という無限の側面(全我・普遍我)と、肉体、心、知という有限の面(自我・偽我)とを合わせ持っています。

 その聖なる面は、聖なる源(真我・神性意識・内なる神の国)にたどり着こうとする自己実現(悟り・解脱)を目標とする魂です。

 人は聖なる自己と可視的自己とを現しているが故に最高の具現者なのです。人は自己意識を持ち、この自己意識が自分から物質的制限(五感の感化・偽我)を取り払って神へと戻るように人を促しています。
 エドガー・ケイシーはこれを次のように表現しています。


問「心と物質と霊という意識の中にあって、実体の活動(輪廻転生)の目的とは何でしょうか。」

答「それは、その実体(意識)が自分自身であり、なお全体の一部(父なる神と常に一体・宇宙は一つの生命体)である事を自ら知るようになる為である。

 全体そのものではなく、全体と一つであり、そこから、自分自身の個別性を保ち、自分が自分である事を知って、しかも自分を生まれさせた、

意識を与えてくれた第一原因(神・無限者・大愛)の目的と一つであることをも知るという事である。これが目的である。これが(人間が)存在している事の原因である。」

問「物質的表現に生まれる魂の目的は何でしょうか。」

答「その初め、魂が個人的に現れ出る働きにおいて、それは創造的力または神の伴侶(神との合一・真我顕現・覚者)となる目的を帯びていた。」
 

 このエドガー・ケイシーの言葉は、すでに人間の構造について述べていた事を正しく伝えています。人の創造の目的そのものは、自己実現(宇宙意識への到達・解脱の真理・宇宙神理を理解して悟る事)なのです

 人間そのものの中に、魂、心、体、父と子と聖霊という三位一体が存在しています。自己実現(解脱の真理)、神との合一(真我到達)に至るには3つの道があります。

 その第一は、カルマ・ヨーガ、カルマの道であり、これは神へと向かう魂のゆるやかな進歩です。
 単純に言うと、ある人が神の礼拝(真理の勉強)に心を寄せず、宗教的方法に取り組む事がなくても、彼は何千という転生でのカルマの働きを通して、完成へとゆっくり進んでいく方法です。

 この方法では、(気の遠くなる程の輪廻転生で)苦しみと得るものとを大きく体験しなくてはなりません。
 それでも、慈悲深い行いを自発的に選ぶ事によって人は神に至る速度を早め、自分を転生の周期から外して自由を得る事が出来るのです。

 第二の道は、バクティ・ヨーガと呼ばれる信愛の道です。ここでの目標は聖なるものですが、その方法は世俗的であります。

 人はその世俗的で物質的な行為を全て、神の愛に従わせます。神を父であり、主である至高者として礼拝しどのような人間の営みにおいても愛の道に従うのです。エドガー・ケイシーはこの道をより強く勧めています。

 第三の道は直感的知識の道、つまりジナーナ・ヨーガです。ここでは、目的と手段の両方が聖となります。
 この道に従う人は、明想という内的手段によって聖なる知を得て、ついには生来の経験主義的な人間の段階を聖なる段階へと変えてしまうのです。
 
 なぜ、我々は自己意識の行為者としての人間が父なる神(真我・無限大の愛)に戻ろうと切望すると述べてきたのでしょうか。

 ケイシーは、神の栄光は全創造物の中に現されている(全ての全ては神の現れ・神の他には何も存在しない)のだと繰り返し語っています。
   


 神は全ての創造主なのです。   
 神様は、木をお創りになり、金魚をお創りになり、海をお創りになり、山をお創りになり、そしてその中に、ご自身が宿っていらっしゃるのです。

 そして空気の中にも、水の中にも、私達の中にも、動物の中にも、全てを創造して、その全ての中に、私がおる事を知りなさい。全てが私である神ならば、あなた方は、全てを愛さなければならないのではないでしょうか。

 
 次の一文は、いかん物質性(肉体での経験)というものが、神への道として考えられているかを伝えています。

「一人一人は、ある目的を持って物質性(3次元界)へと生まれ出るのである。地上でのあらゆる経験が一つであるという事が、自己の中に成長と知恵とを増してくれる経験の中で起きてくる願いと憧れによって示されている。

 そのために、一つの全体としての人間は、体と心と魂において、創造、意識的に現されたこの進化、この内在する魂の自覚に関わる諸法則(明想)を日々応用(実践)した結果、自分自身(全ては自分・全ては神)であるということを悟るのである。

 三重の創造を考えると、このことは人間が神から発し、神へとまた戻るという目的を明確に伝えています。次のリーディングでは、ケイシーはインドの聖人達が発見した基本的な真理を言い直しています。

「意識が受肉(転生)する目的とは何か。体と心と魂の側面一つ一つが、それを生み出している創造的力の栄光(神我顕現)に向かうことである。」

 ケイシーが「創造的力の栄光(神我顕現)」という用語を使っている事が注目されます。あらゆる創造の側面がその中に存在する所の創造的力は、宇宙に遍満する神の側面である事は疑いありません。

 聖書と伝統的なキリスト教という背景を持っていたにも関わらず、彼が個人的な意味ではこの文脈の中に「キリスト」と云う言葉も「神」という言葉も使おうとしなかった事は注目すべきです。

 つまり、ライフ・リーディングを与えている時のケイシーは宇宙的、普遍的な真理(宇宙神理)と繋がりを持っていたという事なのです。



エドガー・ケイシーが語る解脱の真理♪から名場面の引用ですが……♬


 エドガー・ケイシーは常に惑星上に受肉(転生)した魂としての人間の存在が一つの目的を持つこと、その目的とは個々の魂と神との関係(全ては神ご自身・全ては一つ)を悟ることに集約される事を訴えています。

 ケイシーは、神の栄光は全創造物の中に現されている(全ての全ては神の現れ・神の他には何も存在しない)のだと繰り返し語っています。

 人間性の全体、体と心とが神の現れであるという明快な言い方を採るエドガー・ケイシーのリーディングを引用して、魂の論に結論を出してみましょう。

汝の体、汝の心、汝の魂が地上での神の現れであり、他のどの魂もそうであること、汝の体は現実に生ける神の宮なることを知れ。

 あなたの知る善の全て神の全ては、他人の考えること、他人の行うことではなく、あなた自身を通して、あなた自身の中に現されているのである」

イエス様の名言♪
「我は汝らに告げる。汝の隣人を愛せよ。の仇(かたき)を愛し、汝らを責める者の為に祈れ。これ天(内・潜在意識の最奥)にいます汝らの父(なる神)の子とならんため(※神我キリストへの覚醒めの為)なり。

 人は異質の統一を見、不和の調和を見ます。自分とは違う人々との接触に神の光(大愛・宇宙生命・神)を観ます、その時にのみ「汝の隣人を愛せ」という戒めの真意を理解できるでしょう。



問「キリスト意識とは、心の上にかたどられ意志力による目覚めを持つ、魂と神との一体の自覚(無限・宇宙との一体感)と述べて宜しいでしょうか。」

答「その通りである。それが正しい考え方である。」

 
キリスト意識に覚醒めた)人は凡人には見えない、奥にある一体と本質と調和(宇宙生命・神我キリスト)を観ます。人はただ愛するのみになります

 キリスト意識に覚醒めると、(全ては神であり自分そのものですから)憎む事はできなくなり、羨(うらや)む事もなく、悩まされもせず、拒まれもせず、挫折も、恐怖も持つ事はありません。

 (悟り)人は自分自身の魂と万物を一つと観ているため、あらゆるものの中にキリスト(神我)を観ます。これが覚醒めであります。
 これがキリスト意識、クリシュナ意識、神意識であり、これが天国に招かれる真の改心なのです。

 愛という言葉ほど大きく誤解された言葉はないでしょう。この真意は、自分の中にも他人の中にもある愛の光(キリスト)を見つめる事にあります。

 聖なる愛(大愛・宇宙エネルギー)が神から来るように、愛は個人の魂から放たれます。人が明想を通して神にその魂を同調させる時に聖なる愛はあらゆる憎しみや嫉妬に打ち勝つ力と共に、流れ出てきます

 「汝の敵を愛せ」という言葉には何ら論理的な矛盾も心理的なパラドックスもありません。愛なる語(全ては一つの悟り)が強められれば、敵は自動的に敵は無くなるからです。

ケイシー・リーディングから……♬
己の生命とは、すなわち神である。何となれば、汝の兄弟に為したるその事は汝の内にまします神に為したればなり。
貴方の兄弟のためにする事はあなたの内に内在する神にする事です

隣人との接しを通じての神の愛は終日の作業です。我々は神がどのような形で自らを示されるかを知る由(よし)もありません。(全ては神の具現)

 それはタクシーの運転手かもしれず、店員かも、学生かも、今日しかも、患者、医者かもしれません。
 だからこそ、我々は荒い言葉、怒った顔を慎み、非難を愛に変えて常に、あらゆる人との接触で(全てのものに内在する)神を崇めるのです。

 求道者がこの段階に至ってなければ、聖なる愛を自ら実践することによって明想(全てに神を観る・我神なりの自覚)を続けなければなりません。

 神への、我らが家(久遠のホーム)への、本源への、我らがの目標(神我顕現・神との合一)への探求は、こうして全的な働きとなります。

 エドガーケイシーは、宗教生活についてそのもっとも美しい表現の中で、この事を次のように語っています。

あなたがたは心を尽くし、思いを尽くし、体を尽くして汝の主なる神(大生命・内在の神)を愛し、隣人を汝の如く愛するのである。このキリストの与えた言葉が法則の全てである。それに優るものは存在しない

 主が約束されたように、あなた方は来る日も来る日も明想し、祈りゆくうちに到来するあの目覚めによって、主(なる神)が自分の意識の中に留まられる事を知る事が出来る神我が中にまします・父と子は常に一体)。

 あなた方はこの目的のために、主が臨在し、その御霊(宇宙生命)があなた方の中に留まるあの意識をあの自覚を讃えるために生まれてきたのである。」


上江洲義秀先生・至高の名言    上江洲義秀先生の記事♪   
 
 全ての全てのあってあるものの中に、神が我として実在している事を(理解して実感して、全てに神を観る状態を)「悟り」といいます。

 目に映し見ている、すべてのすべてのあってあるもののに「愛を見」「愛を感じ」「愛そのもの」で対処できる己であって、そこに悟りがあること。




お釈迦様の崇高な慈悲と愛について

 最後に、偉大なるお釈迦様の悟りの境地・非利己的な境地とはどういったものなのかについて、非常にわかりやすいエピソードがありましたのでご紹介させて頂きますね♪

 きっと人類の幸せのために自分のすべてを捧げても良いという、お釈迦様の崇高で偉大なる慈悲心が、いかに非利己的な神我の想いなのかご理解して頂けるでありましょう。涙なくしては見れないエピソードで御座います。


エドガー・ケイシー悟りの発見 218、219、220頁からの引用ですが♪

 
 ブッダによると、執着こそが世にある苦の唯一の原因であり、その解決策は利己的動機なくして義(※非利己的奉仕・八正道・洗心)と瞑想(明想)の生活を送る事にあります。

 彼は、積極的には愛と憐れみ(慈悲と愛)とを意味するところの非暴力に大きな意味を置いた。弟子との対話の中で、ブッダはこう語っています……

……「そなたが気高き真理を説いている内は、そなたを罵り、辱めさえする者が出てこよう。」

 弟子はこう答えています。
「師よ、私はなおも彼らを愛しましょう。彼らに憐れみを持ち、感謝しましょう。少なくとも私の体は傷つけはしないのですから」

 師はさらに続けます。
「聴く者の内に暴力を振るってくる者もいよう。もしそなたに石を投げつける者がいれば、そなたはどう応えるのか。」

「私は傷に耐え、なおも彼らを祝しましょう。私を殺してはいませんから。」

「その中に、熱する余りそなたを殺す者がいれば、そなたは彼らをどう思うか。」

私はなおも彼らを愛しましょう。祝しましょう。肉の身は我とニルヴァーナの妨げにすぎませんから。最後の目標に至る助けとなった彼らに、私は感謝しなければなりません。」
 
 このような積極的な固持がブッダの教えの根幹でした。彼は、無知から起きてくる人間の苦に驚き、彼らに光明をもたらすために全てを犠牲にしたのです。ブッダは最後にこう述べておられます。

「おお、神よ。もし世人の苦を私に移す事が出来れば、私はそれ(カルマ)をこの身に負い、あらゆる魂をその重荷から外す準備が出来ています。」

 この言葉は注目すべきです。次のアヴァターラ、イエス・キリストは人類全体の苦を彼に移すことを願ったのみならず、人類が生き残るために必要な避け得ない要因として、神性の象徴として愛と平和が保たれるために、その身と地上の生とを犠牲にする事をも表明したからです。


超高次元ブログ 『悟空の郷』様

常に『今』を意識する方法


FC2版の広瀬すずちゃんの横顔になる方法の記事です♪
身長を伸ばす記事も追記してみました♪

エドガー・ケイシーが語る悟りの極意♪恩寵の法則♪輪廻転生を解脱する極意♪明想♪全てに神を観る♪知花敏彦師♪



エドガー・ケイシーが語る宇宙法則・悟り・解脱のお話

神は普遍的で全てに浸透している宇宙的存在

 なぜ、エドガー・ケイシーは神を普遍的であらゆるものに浸透している宇宙的存在と表現したのでしょうか。数多くのケイシー・リーディングの中に、個人の苦しみが魂に直結され、魂が神に直結されている表現が見られます。

 後の章で、彼がそのような苦しみを癒すのが神の愛であり、創造的な力の道具になるという意識であると説明している事を詳しく見てみたいと思います。
 
 神の似姿である魂、また神我、あらゆる存在の源泉としての神を理解するための鍵である、人間の人格の奥に個人の魂という形で潜んでいる
「神の王国(真我・宇宙意識)」は(分離意識では)神そのものである源から分離しており(放蕩息子の状態)、絶えず神に戻ろうと欲しています。

 積極的な愛の実践を通して、魂(意識)と神(神我・内在の神)との関係を自覚する事がケイシー・リーディングの要点です。
 ケイシー資料に見られる基本的考えがいかに古代の聖者たちの発見した事に一致しているかを、インドの哲学の原典が明らかにしてくれます。

 BC1200年のチャンドギャ・ウパニシャッドは人間の本質である「個我(真我・神我)」を知る事の必要性を強めて、次のように伝えています。

「邪悪とは無縁の個我(人の中の神の似姿、宇宙生命・神我)は不老不死、悲しみなく、飢えなく、渇きなく、その願う所は『真』(神への希求)なり。その生めるものは真なり。人はそれ(神との合一・真我顕現)に至るべきであり、それ(宇宙神理)を理解するように願うべきである。個我(真我・内在の神)を発見し、理解する者は全世界(全知全能)を得る」

 自分と人の中にある霊的本質(真我)、聖なる要因を発見し、認識することのみが、人間を利己的な欲望から宇宙的な愛へと高めてくれるのです。

 人がその段階に至ると、自然と憎しみや嫉妬、利己主義から離れて積極的な行動をし始めます。あらゆるものが彼に平安と静けさ(安らぎ)、癒す力と調和を与え、あらゆる苦しみを無にする力を与えてくれます。

 人間1人1人の中にインド哲学でいうアートマン、あの大いなるキリスト(神我)の我が潜んでいるために、この存在状態(神我顕現)に至る事が万人の究極目標なのです。

 ウパニシャッドは、超越的実体、物質界のあらゆる時空に制約される客体に優る超実体としての魂(大愛・宇宙生命)をこのように表現しています。

「心から成り、その体は生命(プラーナ)であり、その形は光、その概念は真理、空間を己とし、あらゆる言葉を包み、あらゆる薫りを包み、あらゆる味を包み、あらゆる世界を取り巻き、黙せる、想像を絶する者、

この胸の内奥にある我(神我キリスト)は米の粒よりも、からし種よりも、栗粒よりも、栗粒の核よりもなお小さく、地球よりも大きく、大気よりも大きく、空よりも大きく、これらの諸世界よりもなお大きい。あらゆる言葉を内に包み、あらゆる願望を包み、あらゆる薫りを包み、あらゆる味を包み、

あらゆる世界を取り巻き、黙せる、想像を絶する者、これが胸の内奥にある我(キリスト神我)である。これはブラフマンである。私はここより去って彼の中へと入る。」

 個我は転生の法則、カルマ法則、恩寵の法則に従ってはいますが、その真の性質において、核の核においては不可視の霊なのです。
(本質本源に於いては、真の自己は宇宙エネルギーそのものです)

 先に挙げたウパニシャッドの聖者は我の最高の発達を遂げ、恩寵の法則(神との一体感・我神なりの悟り)を通して過去のあらゆるカルマを一層したのです。それゆえ彼は神の祝福を受ける準備が出来ました。

 受肉した我(人間)はその神との密なる関係によって潜在的には聖であり、(洗心と)明想とはこれを神に結び直すための霊的な実践法なのです。

 人が自分の真の魂の我(神我)が体でも心でも合理心でも自我でもなく、それ以上のものであり、これら全ての基礎そのものである事を悟り出す時に、内なる光の輝きが彼の姿勢を広げ、彼は相対性によって乱される事がなくなります。

 人は異質の統一を見、不和の調和を見ます。自分とは違う人々との接触に神の光(大愛・宇宙生命・神)を観ます、その時にのみ「汝の隣人を愛せ」という戒めの真意を理解できるでしょう。

 家族、友人、知人との、年少、年配の者との、優っている者、劣っている者との日々の接触の中で、人はどの様な違いがあっても絶えず、愛と敬意と自制の態度を保つようになります

 その時にのみ、人は自己実現(悟り)の段階に至り、神からの放射である魂が常に神と繋がりを持っている事を知る(実感する)ようになります。

 この繋がりは、人は自分をただの体と心と自我と思っている間は眠ったままです。その接触を動かすために、あらゆる真の宗教が無我(無私)の愛と奉仕の姿勢を唱道してきました。エドガー・ケイシーは同じ精神を次のように語っています。

己の生命とは、すなわち神である。何となれば、汝の兄弟に為したるその事は汝の内にまします神に為したればなり。
貴方の兄弟のためにする事はあなたの内に内在する神にする事です

 こうして、あなた方は外から自己のうちにある神の力へと救済するかもしれない創造力との真の関係を、実例によっても戒めによっても促(うなが)しているのである」

 問題が肉体的な事であれ、家のこと、社会のことであれ、個人、非個人の事であれ、エドガー・ケイシーは常に惑星上に受肉(転生)した魂としての人間の存在が一つの目的を持つこと、その目的とは個々の魂と神との関係(全ては神ご自身・全ては一つ)を悟ることに集約される事を訴えています。

 ここで人間性の全体、体と心とが神の現れであるという明快な言い方を採るエドガー・ケイシーのリーディングを引用して、魂の論に結論を出してみましょう。

汝の体、汝の心、汝の魂が地上での神の現れであり、他のどの魂もそうであること、汝の体は現実に生ける神の宮なることを知れ。

 あなたの知る善の全て神の全ては、他人の考えること、他人の行うことではなく、あなた自身を通して、あなた自身の中に現されているのである」


神は全ての創造の力であり愛の法則

 エドガーケイシーはそのリーディングの中で、神の一なること(全ては一つ、全ては神・大愛)、その愛の普遍なることを特に強調しています。

「第一の掟とは何か。おおイスラエルよ、おお我よ、おお光の探求者よ、あらゆる力、善の力がただ一つの源から来ることを知れ、である」

あらゆる知識、あらゆる力の創造の力、あるいは神によるものである。そして、人間が日々の体験の中でそれを尊び、それ(愛と調和)に生き、それ(神の御心)を体現(神我顕現)させさえすれば、愛がその法則である」

 この2つのリーディングの最初の方で、イスラエルが特定の一団や国家、民族を表すのではなく、「探求者」、「我」を表している事は明らかです。
 この我が「真我(神我キリスト)」に目覚め、溶け込むのです。

 この融合が「キリスト意識」、「内なる神の国」なのです。一度その覚醒が起こると、狭い我(自我・偽我)は普遍の我(大霊・普遍我・無限)に溶け入り、人は神の子に吸収され、物理的な相対観念(分離感)は超越されます。

 光の求道者は他への光の源(神我顕現・霊太陽そのもの)となります。なぜなら、彼は直接に一なる本源(無限大の愛・神性意識・神との一体感・全一体感)と結びつくからです。

「我という言葉は知識と愛という2つの領域で大きな意味を持っている。この書の全体を通じて、知識または光明の役割と、愛の果たす役割とを普遍的な意味で語ってきた。二者は必然的に互いに絡み合う。

 瞑想を通しての真の知識(悟り)の到達は愛の実践(慈悲と愛・全てを愛し全てを許す心)なくして、不可能なためである。

 こうして、この美徳の応用が明想を助け、変わって明想が不変の愛---無限の愛と力の源なる神の愛---と、そして人の愛---隣人、同志、神の似姿へのそれ---の実践を助けるのである。

 神の目に見える現れである人(結果)を本当に愛する事が出来なければ、見えざる作り手なる(第一原因者である)神を愛する事も出来ない。

汝の隣人を汝の如く愛せよ」という戒めは、愛と我(内在の神・真の自己・真我)という語を理解せずには無意味となる。
 我(真我)は生けるキリスト、内にいます神、道であり光である。

 (真我は)魂も我も体でもなく、心でも、知性でもなく、こうした人間性の域を超越するものである。完全に(真我に)目覚めた神の子なるイエス・キリストは次のように言った。

「我(キリスト神我・真我)は(天国への)門なり。おおよそ我によりて入る者は救われ、かつ出入りをなし、草を得るべし」(ヨハネ伝第十章9節)

(神我)キリスト(宇宙神理の理解・真我の覚醒・宇宙即我・父と子は一体の境地)が「門」であることは、体でも心でも(この世の)知でもない、魂(常に我は命なりの自覚)が救いへの唯一の入り口である事を意味します。


神の御心は普遍的で何一つ区別しない宇宙的愛

 キリストが語った「愛」もまた、「平和の君」を信ずる人々にも十分に理解されないできたもう一つの概念であります。

 キリストの名による十字軍や拷問は、神と愛とキリストの名の元に行われる偽善でした。これはキリスト教の欠点を意味するものではありません。山上の垂訓でイエスはこのように語っておられるからです。

「我は汝らに告げる。汝の隣人を愛せよ。の仇(かたき)を愛し、汝らを責める者の為に祈れ。これ天(内・潜在意識の最奥)にいます汝らの父(なる神)の子とならんため(※神我キリストへの覚醒めの為)なり。

 天の父は、その太陽の光を悪しき者の上にも、善き者の上にも平等に昇らせ、雨を正しき者にも、正しからぬ者にも降らせ給うなり。(無差別の愛」

 人間の意志は神の御心と区別されるべきです。神の御心は友人と敵との間を何一つ区別しない宇宙的愛だからです。
 非利己的愛の心を表す者のみが天に入る事が出来るのです。これは聖書でも次のように支持されている解釈です。

「我に向かいて主よ主よという者ことごとくは天に入らず。ただ天にいます父の御心(宇宙的愛の実践・非利己的愛)を行う者のみ、これに入るべし

 イエスが普遍的な父(なる神)の愛を実践する事を強調しているのは明白です。神と人に対する普遍的な愛を持たなければ、人は天国に入る事を望めない事が分かります。

 では復活の基盤(解脱・悟り)としてのカルマ論はどのように語られているのでしょうか。イエス・キリストは、愛を持って憎しみに応える事が盲信に優る事をどの様に語っているのでしょう。

 マタイ伝第五章の最後に一節がこれをさらに明かしています。キリスト愛(普遍的な愛・無差別・無所得の愛)が人を神の子に値するものに変える事を明らかにした後で、イエスはこう続けています。

「汝ら、己を愛する者を愛すとも何の報いかを得べき。取税人も然するにあらずや。」
自分を害する者も、愛する人達と同じ様に無条件の愛で愛しましょう

 神に基礎づけられた純非利己的愛のみが人間を自由にし、彼(意識・魂)を完全さ(真我)へと向かわせるのであります。
 イエスが、負い目を持つ兄弟との和解がなぜ、神の実現(神我顕現)に向かう第一歩なのかを説明してくれています。次のように語っています。

「このゆえに汝もし供え物を神前に捧げる時、そこにて兄弟に怨まれる事あるを思い出せば、供えものをそこに残し置き、まず行きて兄弟と和睦し、然る後来りて供え物を捧げよ。

 汝を訴える者と共に道に在るうちに早く和睦せよ。恐らくは、訴える者汝を審判に渡し、彼は下役に渡し、遂に汝は獄に入れられん。誠に汝に告ぐ。一厘も残りなく償わずば、そこにいづること能わじ。」

 イエスは、我々がカルマの法則に従って「最後の一厘」を完済してしまう時までは、生死の牢獄(輪廻転生)に区切りをつけて永生(永遠の生命)を得る事(解脱する事)は出来ない、と戒めているのです。

 イエスは、神の御心--聖愛(神と人に対する普遍的な愛・慈悲と愛・全てを赦し全てを愛する心・明想)--- が実践されない限り、天国に入れない事を訴えているのです。

 愛という言葉ほど大きく誤解された言葉はないでしょう。この真意は、自分の中にも他人の中にもある愛の光(キリスト)を見つめる事にあります。

 聖なる愛(大愛・宇宙エネルギー)が神から来るように、愛は個人の魂から放たれます。人が明想を通して神にその魂を同調させる時に、聖なる愛はあらゆる憎しみや嫉妬に打ち勝つ力と共に、流れ出てきます。

 「汝の敵を愛せ」という言葉には何ら論理的な矛盾も心理的なパラドックスもありません。愛なる語(全ては一つの悟り)が強められれば、敵は自動的に敵は無くなるからです。

 イエス・キリストという人間と生活の中に比類なく現されたこの愛の法則は、明想を通し、実生活での愛の法則(慈悲と愛は宇宙神理)を実践する事を通して得られる、キリスト意識(宇宙意識)の原因であり結果でした。
 もう一つのケイシー・リーディングはこう語っています。
 
則とは何か。愛である。愛とは何か。神である。
神とは何か。(宇宙)法則と愛である。これが真理そのものの周期である。あなた方がどこにいようと、どの国にいようと、それは常に同じである」

 これまで、いかに明想と愛(の実践)とが互いに依頼し合い、両者が神の恵みの最高表現であるキリスト意識を早めるものであるかを見てきました。

 あらゆるカルマを打ち消し、求道者を聖なる愛の最高のレベルにまで引き上げてくれる恩寵の法則(解脱の真理)が、様々な受肉(輪廻転生)を通して完成へと至らなければならない魂の目標とする所であります。

 神が物質界に自然の法則を起き給うのならば、カルマと転生の法則こそが人間界に見られる悪と苦しみを唯一説明するものです。

 体は人ではなく、不滅の魂が霊的成長の手段としてその仮初めの心理構造を使うための道具なのです。
 個々の魂が善行や悪行を貯め続ける間、それはちょうど人が古い衣装を捨てて新しい衣服に代えるように、体を代えるだけなのです。

 一般人が過去世を想起できないという事実は欠陥ではなく、霊的進歩のために価値ある事なのです。我々の最良の友や肉親がかつての最大の敵だった事を思い出すなら、これは克服し難い苦しみとなるかもしれません。

 しかし、過去世の記録はヨーガを通しても想起出来るし、ケイシー・リーディングは何千というその事例で満ちています。
 個人がその過去世を想起する事例は、これまでの証拠から、当時の生で本人が急な、予期せぬ死を迎えた場合が大半です。

 しかし、転生は目的ではなく、完成(神我キリストへの覚醒め・解脱・悟り)に向かう魂が通過すべきプロセスである事を忘れてはなりません。

 転生説を熱心に擁護する者は、転生の事実を余り強調すべきではありません。その様な話はとらわれるべきものではなく超えるべきものだからです。

 転生に関して断片的知識しか持たない事の危険性の一つは、それにこだわりすぎて来世への正しい道筋をとられる事を忘れうる事です。それがインドも含め、あらゆる宗教で転生論が抑えられてきた主たる動機なのです。

 人間の成長におけるカルマ法則の必要性は恩寵の法則(宇宙神理の理解・悟り・解脱)によって止められなければなりません。

 転生の輪は、愛---真の信仰一つ一つの中心課題である神の愛と人の愛---の法則を採る(理解する)事によって停止させなければならないのです。

 明想の技法はこの目標に至る手段であり、強い祈りがサマーディに至る手段です。手段での祈りと組み合った個人の努力が個人の、また社会の霊的進歩を早めます。   明想の記事♪

 個人が霊的の単位であり集団の進歩は個々の魂の進歩に負っているからです。隠れた祈りの大切さはイエスが美しく表現しています。
(※原文が難解でしたので、意訳しました)

「※汝ら祈る時、偽善者の如く、会堂や大路の角に立ちて祈るなかれ。誠に汝らに告げる、彼らは(人に評価されたので)すでにその報いを得たり。

 汝らは祈る時、己が部屋に入り、戸を閉じて隠れたるに在る汝の父に祈れ。さらば隠れたるに見給う汝の父(父なる神)は報い給わん。

(善行をしても、人に言わず隠しておけば神はその報いを与えて下さいますし、人に評価されればそれでその報いは受けた事になるであろう。

 知花敏彦師によりますと、もう一つの意味として、部屋に入るとは
「汝の密室(神我)にて祈れ。全てのものと和解して(調和の神我の心になって)から我を呼べという意味もあるそうです。


古代インドのウェーダとエドガー・ケイシーの共通点

 無限、不可視の純粋霊があらゆる存在の超越的本源であり、それはイシュヴァラ、神、つまり変わりゆく世界の普遍の基としての全能にして不滅の個我(真我・宇宙神霊)の形をとっています。

 今一つエドガー・ケイシー・リーディングは彼の出世に先立つ四千年の昔に遡(さかのぼ)るウェーダの創造論を言い換えたものに近いのです。

 ケイシー、は一方では物質、他方では神に対する魂の関係を質問され
小宇宙の物質的創造は人の場合と同じく第一原因(創造主)に関係していると明言しています。
 
「自己の内と外に表されている、目に見える様々な天体の中で、物質界の中でさえ、あらゆる力、あらゆる働きが一つ(神)から現されたものである。

 それで、(神の)伴侶となれること、(宇宙と)一体となれること、(無限と)一つになれる能力が、一つの天体の中にあるあらゆる力、あらゆる現れの中に、これらの属性が現される為に必要となっている。」

 人が一方では、物質的力、他方では神の霊的顕現の中間に立っていると云う考えが、次のように語るリーディングの中でさらに支持されています。

「一つの原子、一つの物質、一つの形が変えられたからと言って、その源あるいは※霊までが変わったわけではない。その現された形態が変化したのみであり、第一原因(無限・大愛)との関係が変わったのではない。
※神は無限の質量・宇宙に遍満する大霊・神はありてあらゆるもの

 人が物質界において、その持てる知識、知性に関して(宇宙生命・無限が)何を為しているのかに気づく意識※に至る事、第一原因、原理、基礎、本質(根源)に入ることを招くのである。
神おわすが故に私がおわすのであるの意識

 それは、表されているものの中に、魂にとって、実体にとって益するもの、魂を創造的力、創造的影響力に受け入れられる伴侶にしてくれるものが表されているためである。」

 ウェーダの三重創造の哲学を次のようにエドガー・ケイシーは言い続けています。
「その初め、支配法則と共に、現された形の中に見られるものを動かした存在があった。物質を破壊し得ないこと、その様々な形に分かれる際の一つ一つの力、力の源の能力が特定の天体に現されているものを生み出している。

 この事は多くの方法で人間を整える為の様々な現された方法で使われる元素の中に、第一原因あるいは神に対する人間の関係を支配する法則を示す事柄の中に見る事が出来る。」

 人が世界魂としての第一原因、そして物質的現れとしての第一原因によって型どられるというウェーダの三重の創造論の中で、神と人と世界の関係を明らかにしてみましょう。

 述べてきた通り、創造の3つのカテゴリー全てが、この文脈では第一原因の非物質面なる個我(神我・真我)と翻訳出来る神、不動の動者、プルシャの上に休んでいます。自然界と訳せるプラクリティは物質的創造の三面全てを現わしめるダイナミックな形而上学(けいじじょうがく)下の力です。

 (形而上学=感覚ないし経験を超え出でた世界を真実在とし、その世界の普遍的な原理について理性的な思惟によって認識しようとする学問ないし哲学

 プルシャの形而上的力から、創造の大宇宙面の魂であるイシュヴァラ(無限質量)が沸き起こってきます。
 個々の宇宙、そして銀河の中心が崩壊する事があっても、イシュヴァラ(大生命・大愛)は形而上学存在であり、破壊する事は出来ません。

 それと同様、個々の中心を制御している魂の力あるいはデバータスも破壊出来ません。イシュヴァラは、あらゆる形而下現象を超えた不動の基礎であり、神の創造の大宇宙面の絶えざる運動はこれに頼っています。

 人の生命の五重の区画は地球、月、太陽、銀河、宇宙の中心というデバータスの5つの分類に対応します。
 人間の肉体は地を表わし、心は月を、知性は太陽を表します。個我の非個人的無意識は銀河の中心を表わし、純粋我は宇宙の中心を表します。

 宇宙の中心、あるいはスヴァヤンブ・プラジャパティはその物質面において崩壊しうるが、その中に不滅の純粋我(真我・大生命)を有しています

 実際には、その純粋な霊(宇宙生命)があらゆるものを貫いており、それが大宇宙のデバータであれ人であれ、また電子のような小宇宙的実体であれ、個別化されたものことごとく根となっている(内在している)のです。

 滅びるのは一つ一つの実体の物質面のみであります。エドガー・ケイシーは先に引用したリーディングで同じ見解を正確に表現しています。

「一つの原子、一つの物質、一つの形が変えられたからといって、その源あるいは霊までが変わったわけではない。その現された形態が変化したのみであり、第一原因(創造主・無限宇宙)との関係が変わったわけではない。」

 人間と物質と宇宙に関するケイシー・リーディングの全てが、ウェーダ哲学においてパラム・プルシャとスヴァヤンブが使われたのの全く同じ意味で「聖霊」と「第一原因」という用語を絶えず使っているのは印象的です。

 その上、彼の創造論は右の説明なくしては一般人には理解できないままで残される事になりましょう。

 第二の創造部門、すなわち人間の構造は大宇宙と小宇宙の中間に位置しています。それはアドヒ・アートマンと呼ばれ、純粋霊の無限な、また形而上学的な要素と、肉体的エネルギーの形而下的要素の結合なのです。

 生きた人間であるジヴァの形に生まれ、転生するのはこの魂です。エドガー・ケイシーはジヴァの事を「実体」と呼びました。人間は小型の宇宙であり、それが宇宙的人間に似ているという意味での神の似姿であります。

 その魂は不滅であり、無限の側面です。肉体的、精神的、感情的、また合理的、知的側面は滅びる要素です。
 しかしながら、転生の最中に心的、知的傾向、非個人的な無意識面における傾向がカルマの形で人の魂に付随していくのです。

 誕生を繰り返す度毎に、肉体の傾向さえもカルマの形をとって持ち運ばれてゆきます。
 (明想によって)あらゆるカルマが消された時(宇宙意識に到達した時)に、純粋我は神、至高者、一なる者(内なる神の国)へと戻るのです。

 第三の創造面は小宇宙であり、これはアドヒブタム、あるいはダイナミックな世界の物質的創造です。これもまた、大宇宙と人間の創造における5つの面に対応する、可視的実体としての5つの物質的元素を持っています。

 5つの形而下的元素とは、地の元素または固体物質で、これは地球に対応します。次に月に対応する水の元素、太陽に対応する光、銀河の中心に対応する風、ガスの元素、中心宇宙に対応する空、あるいはエーテルの5つです。

 物質の構成においては、空の元素(無限・大愛)、アカシャが、人間における魂がその中心であるように不滅の中心となっています。

 アカシックレコード(物理的宇宙の不滅の面に保管されている記録)は、世界に転生してきた魂一人一人の痕跡のことなのです。
三重の構造を合わせ持つ至高者としての神は次項の表で表す事が出来ます。
   

                                至高者としての神

不可視の宇宙的自我個人的心霊的自我非個人的心霊的自我
大宇宙の神聖構造   人間の構造(魂)物質的小宇宙の構造

宇宙の中心           純粋我           エーテル
太陽                非個人的無意識        風(ガス)
月                        知性・心         火(熱
地球                      肉体             水・土  

 
 神は、精神としては創造の三重構成の中に偏在していますが、同時にこの3つを超えてもいます。神は4つの存在面を持っています。無限者としての神はあらゆる属性を超え、一なる段階さえも超えています。

 第二の段階では、神とは純粋な本質、純粋なる意識であります。ここでも、神は主体でありながらあらゆる人格化を超えています。第四の階層は神の偏在的性質を表しています。これは意識として、力としての神の現れです。
 
 ですが、この段階においても、神はその霊の所産である時間と空間に支配された世界に左右されず留まっています。その霊は神霊エネルギーとなって世界に入り、創造の三重構造を起こさせているのです。

 聖なる構造の中で父なる神(真我・神我キリスト・無限の愛)は至高者です。彼(真我)は到達すべき目標なのです。

 人の構造において、子なる人間は神性という無限の側面(全我・普遍我)と、肉体、心、知という有限の面(自我・偽我)とを合わせ持っています。

 その聖なる面は、聖なる源(真我・神性意識・内なる神の国)にたどり着こうとする自己実現(悟り・解脱)を目標とする魂です。

 人は聖なる自己と可視的自己とを現しているが故に最高の具現者なのです。人は自己意識を持ち、この自己意識が自分から物質的制限(五感の感化・偽我)を取り払って神へと戻るように人を促しています。
 エドガー・ケイシーはこれを次のように表現しています。


問「心と物質と霊という意識の中にあって、実体の活動(輪廻転生)の目的とは何でしょうか。」

答「それは、その実体(意識)が自分自身であり、なお全体の一部(父なる神と常に一体・宇宙は一つの生命体)である事を自ら知るようになる為である。

 全体そのものではなく、全体と一つであり、そこから、自分自身の個別性を保ち、自分が自分である事を知って、しかも自分を生まれさせた、

意識を与えてくれた第一原因(神・無限者・大愛)の目的と一つであることをも知るという事である。これが目的である。これが(人間が)存在している事の原因である。」

問「物質的表現に生まれる魂の目的は何でしょうか。」

答「その初め、魂が個人的に現れ出る働きにおいて、それは創造的力または神の伴侶(神との合一・真我顕現・覚者)となる目的を帯びていた。」
 

 このエドガー・ケイシーの言葉は、すでに人間の構造について述べていた事を正しく伝えています。人の創造の目的そのものは、自己実現(宇宙意識への到達・解脱の真理・宇宙神理を理解して悟る事)なのです

 人間そのものの中に、魂、心、体、父と子と聖霊という三位一体が存在しています。自己実現(解脱の真理)、神との合一(真我到達)に至るには3つの道があります。

 その第一は、カルマ・ヨーガ、カルマの道であり、これは神へと向かう魂のゆるやかな進歩です。
 単純に言うと、ある人が神の礼拝(真理の勉強)に心を寄せず、宗教的方法に取り組む事がなくても、彼は何千という転生でのカルマの働きを通して、完成へとゆっくり進んでいく方法です。

 この方法では、(気の遠くなる程の輪廻転生で)苦しみと得るものとを大きく体験しなくてはなりません。
 それでも、慈悲深い行いを自発的に選ぶ事によって人は神に至る速度を早め、自分を転生の周期から外して自由を得る事が出来るのです。

 第二の道は、バクティ・ヨーガと呼ばれる信愛の道です。ここでの目標は聖なるものですが、その方法は世俗的であります。

 人はその世俗的で物質的な行為を全て、神の愛に従わせます。神を父であり、主である至高者として礼拝しどのような人間の営みにおいても愛の道に従うのです。エドガー・ケイシーはこの道をより強く勧めています。

 第三の道は直感的知識の道、つまりジナーナ・ヨーガです。ここでは、目的と手段の両方が聖となります。
 この道に従う人は、明想という内的手段によって聖なる知を得て、ついには生来の経験主義的な人間の段階を聖なる段階へと変えてしまうのです。
 
 なぜ、我々は自己意識の行為者としての人間が父なる神(真我・無限大の愛)に戻ろうと切望すると述べてきたのでしょうか。

 ケイシーは、神の栄光は全創造物の中に現されている(全ての全ては神の現れ・神の他には何も存在しない)のだと繰り返し語っています。
   


 神は全ての創造主なのです。   
 神様は、木をお創りになり、金魚をお創りになり、海をお創りになり、山をお創りになり、そしてその中に、ご自身が宿っていらっしゃるのです。

 そして空気の中にも、水の中にも、私達の中にも、動物の中にも、全てを創造して、その全ての中に、私がおる事を知りなさい。全てが私である神ならば、あなた方は、全てを愛さなければならないのではないでしょうか。

 
 次の一文は、いかん物質性(肉体での経験)というものが、神への道として考えられているかを伝えています。

「一人一人は、ある目的を持って物質性(3次元界)へと生まれ出るのである。地上でのあらゆる経験が一つであるという事が、自己の中に成長と知恵とを増してくれる経験の中で起きてくる願いと憧れによって示されている。

 そのために、一つの全体としての人間は、体と心と魂において、創造、意識的に現されたこの進化、この内在する魂の自覚に関わる諸法則(明想)を日々応用(実践)した結果、自分自身(全ては自分・全ては神)であるということを悟るのである。

 三重の創造を考えると、このことは人間が神から発し、神へとまた戻るという目的を明確に伝えています。次のリーディングでは、ケイシーはインドの聖人達が発見した基本的な真理を言い直しています。

「意識が受肉(転生)する目的とは何か。体と心と魂の側面一つ一つが、それを生み出している創造的力の栄光(神我顕現)に向かうことである。」

 ケイシーが「創造的力の栄光(神我顕現)」という用語を使っている事が注目されます。あらゆる創造の側面がその中に存在する所の創造的力は、宇宙に遍満する神の側面である事は疑いありません。

 聖書と伝統的なキリスト教という背景を持っていたにも関わらず、彼が個人的な意味ではこの文脈の中に「キリスト」と云う言葉も「神」という言葉も使おうとしなかった事は注目すべきです。

 つまり、ライフ・リーディングを与えている時のケイシーは宇宙的、普遍的な真理(宇宙神理)と繋がりを持っていたという事なのです。

キリスト意識とは
自分自身の魂と万物を一つと観る宇宙意識

 イエス自身は人々を導く仕事に就く前に40日間明想に専念しました。
そして、サマーディへの準備に必要不可欠な徳である、忍耐、満足、中庸、神への自己放棄(滅私・神への全託)の実践、解脱に至る為に絶えざる霊的訓練(明想)の実践をすべき事を信者に説いたのです。

 イエスは、積極的な愛と寛容(許し)と、神への自己放棄、そして明想における神との個人的交わり(大霊との一体感)を強く訴えていたのです。

 イエス・キリストの生涯と教えが示した明想と愛との結合(神との一体感)は、光明への最も定かな道である事に間違いありません。

 論理的、霊的な準備(洗心)は、真の神の求道者の基本です。
制御下で核分裂が起こる時に原子力が露わになるように、魂に潜むキリスト性(真の自己・神我)は、(自我が)自制された状態、論理的、霊的訓練(洗心明想)の元で(自我が薄れて)、具現化(活性化)するからです。

 その(心の霊的進化の)成長と体験に伴って、(明想の)訓練も自発性を帯び、憤怒は理解へ、挫折は内なる歓喜へと変質(変容)してきます。

 その段階で人はどこにでも、どの人間にも場所にも、物にも光にもキリスト(宇宙エネルギー・大愛・神は全てに宿り給う)とを観ます。

 (霊的に覚醒めた)人は凡人には見えない、奥にある一体と本質と調和(大生命・キリスト神我)を観ます。人はただ愛するのみになります

 (悟り)人は自分自身の魂と万物を一つと観ているため、あらゆるものの中にキリスト(神我)を観ます。これが覚醒めであります。
 これがキリスト意識、クリシュナ意識、神意識であり、これが天国に招かれる真の改心なのです。

 キリスト意識に覚醒めると、(全ては神であり自分そのものですから)憎む事はできなくなり、羨(うらや)む事もなく、悩まされもせず、拒まれもせず、挫折も、恐怖も持つ事はありません。

 本書に記されたる事は、読者がその真理の体験を持って(知花師上江洲義秀先生明想・宇宙神理の理解等を試さないならば無意味となります。

 真理を体験せんとする、神と直面せんとする、創造の力と一つにならんとする願い(根源との合一を願う心)がなければ、いかなる説教も、いかなる哲学も、いかなる倫理も求道者の助けになり得ないのです。

 人は自由意志の特権を使う時(求めよさらば与えられん)のみ神の恵みの恩寵を授けられるのです。ケイシー・リーディングは次の如く述べています。

問「キリスト意識とは、心の上にかたどられ意志力による目覚めを持つ、魂と神との一体の自覚(宇宙との一体感)と述べて宜しいでしょうか。」

答「その通りである。それが正しい考え方である。」

キリスト意識の応用について、リーディングはこう語っています。

「父(なる神)は子らを御心にかけている。これら地上に現れたる者たち、汝らは神の現れの一部(全ては神ご自身)であるという道が示されている。

おぼろげな力(自我・偽我)としてではなく、不完全なもの、霧の如きものとしてでなく、(イエス)キリストの中に(真我が)現されたばかりか、

彼(神ご自身・真我)が、あなた方の中に現されているあの神性の一部(内在の神)としてなた方の心の中に御出現(神我顕現)になる時に

あなた方は自分が真に生ける神の子(悟り人・覚者)である事を、隣人と接する中で聖霊の果実(全知全能)を、その物質の身(地上での肉体)にあっても示し表す(人類の魂の覚醒の)目的を持っている事に目覚めるのである。

心(真我・神性意識)がキリスト意識の象徴なること、それが建設者たること、それが道たる事、それが真理たる事、それが光たる事を知りなさい。」

 
 隣人との接しを通じての神の愛は終日の作業です。我々は神がどのような形で自らを示されるかを知る由(よし)もありません。(全ては神の具現)

 それはタクシーの運転手かもしれず、店員かも、学生かも、今日しかも、患者、医者かもしれません。
 だからこそ、我々は荒い言葉、怒った顔を慎み、非難を愛に変えて、常に、あらゆる人との接触で(全ての全てであられる)神を崇めるのです。

 求道者がこの段階に至ってなければ、聖なる愛を自ら実践することによって明想(全てに神を観る・我神なりの自覚)を続けなければなりません。

 神への、我らが家(久遠のホーム)への、本源への、我らがの目標(神我顕現)への探求は、こうして全的な働きとなります。

 エドガーケイシーは、宗教生活についてそのもっとも美しい表現の中で、この事を次のように語っています。

あなたがたは心を尽くし、思いを尽くし、体を尽くして汝のなる(大生命・内在の神)を愛し、隣人を汝の如く愛するのである。

このキリストの与えた言葉が法則の全てである。
それに優るものは存在しない

 主が約束されたように、あなた方は来る日も来る日も明想し、祈りゆくうちに到来するあの目覚めによって、主(宇宙生命)が自分の意識の中に留まられる事を知る事が出来る
神我が中にまします・父と子は常に一体)。

 あなた方はこの目的のために、主が臨在し、その御霊(キリスト)があなた方の中に留まるあの意識をあの自覚を讃えるために生まれてきたのである。」


訳者あとがきから……  洗心の記事♪  明想の記事♪

 著者によれば、ケイシー・リーディングの霊学はインドのそれと十分に呼応しています。霊魂はまず最初に、中心創造主の分霊(似姿)として宇宙各所へ分散してゆきます。その内のごく一部はこの太陽系に辿り着き、物質世界を表現している地球を知ります。

 自分の持っている神に似た力を使って地球の進化に干渉しようとした彼らは、天体を支配する時空、因果律の法則に、いつしか取り込まれ始めます。

 初め魂は自己の身元の何かを知っており、神の分霊としての力を使っていたが、長い時の経過と共にそれを忘れ、ついに地球の意識と同化した物質性を完全に帯びる事になる。ここに半霊半物質の人間なるものが出現します。

 地球は3次元の相対世界であり、ここではあらゆる宇宙法則が三次元的に表されます。人は物質の身を帯びた時に霊体と肉体とを持ち、繋ぎとして精神体(アストラル体)が加わって、ここに人は三位一体の体を持ちます。

 この精神体に、人の作った「働き」(カルマ)の全てが型として残される為に、この「雛型(ひながた)」に従って魂はまた再生する事になります。

 つまり、転生とは地球の重力に吸引される何のものかが、人の精神体の中に刻み込まれている為に起こされるものであり、この要因を除いて地球からの自由を得ることが魂1人1人の課題なのです。

 その自由を得られる「純粋型」を地上に与えるために、
本書で詳述されるアヴァターラ預言者・天上界の使者・イエス様・お釈迦様・覚者・知花敏彦師 上江洲義秀先生が高い世界(天上界)
よりこの天体(地球)に幾度となく遣わされてきました。

 彼らは神の化身であり、人の子として地上に生まれながらも神の子として生き、人が神に帰るための教えを各時代に最も適する形で説き続けてきました。

 転生とカルマは宇宙法則の一部にしか過ぎす、それは脱却すべき一部なのであり、そのための方法(宇宙神理)をアヴァターラ達(天上界の使者・覚者・知花敏彦師 上江洲義秀先生)はいずれも説いたのです。

 アヴァターラは「預言者」と呼んでも良いと著者は述べていますが、旧約聖書に大預言者、小預言者がいるように、ここでも大アヴァターラと小アヴァターラがいるようです。

 小アヴァターラとして例えば、ラーマ・クリシュナ・パラマハンサがいます。この人の伝記は文豪ロマン・ロランが著していますが、半世紀前に生きたこの人物は殆ど神話的存在でした。

 その生涯はアヴァターラの持つべき条件の全てを網羅しています。彼は幼くしてサマディを体験する。あらゆるものに神を観るために、何を見てもサマーディに入ってしまう程でした。

 バラモンに生まれながら階級意識(カースト)を滅するため、カーストにさえ入らない不可触賤民にまで身を落としたのです。

 宗教の差別感を滅するため、ヒンドゥーとして生まれながらもキリスト教徒として、イスラム教徒として生き、キリストと交わり、アラーと語り合ってきました。

 その高弟ヴィべカーナンダは、偉大な学者にして超人という驚くべき力を発揮しています。この近代の小アヴァターラも五人目に数えるべきかもしれません。

 転生とカルマは宇宙法則の一部であると先に述べましたが、その法則とは「愛である」とエドガー・ケイシーは語っています。
 
 宇宙法則が(慈悲と)愛であるという、その意味は何でしょうか。つまり、生まれ変わり、そこに法則性を与えている所のカルマ(業)とは人としての宿命であると同時に、神の愛の賜物であるという事であり、ここに「恩寵の法則(Law of Grace)」というものが実体化してくるのです。

 そこには常に転生輪廻を脱却させる(解脱・悟りの)ための時空、因果律を超える力が恩寵として神から与えられている事を示しています。

 このため、カルマは不可避であると同時に、恩寵によって可避となし得る宿命なのです。人は永遠にこれに束縛される運命を一方では持ちながらも、この途方もない周期に一応の終止符を打ち、周期の輪を上昇螺旋に変質させる事が出来ます。

 これは神の恩寵(悟り・解脱)によって可能であると著者は述べています。この恩寵(恵み)の法則をアヴァターラ(覚者・知花先生 上江洲義秀先生)は変わらず説き続けてきたのです。

 本書の中心テーマは、転生とカルマからの「解脱」にあると言えます。解脱こそが転生とカルマの存在理由だからです。人間誰もが何かしらの目的と開放を求めて生きています。外の自由を求める心は内の自由(解脱)を求める心の反映であり、誰もが解脱を求めている事の証でもあるからです。


お釈迦様の崇高な慈悲と愛について

 最後に、偉大なるお釈迦様の悟りの境地・非利己的な境地とはどういったものなのかについて、非常にわかりやすいエピソードがありましたのでご紹介させて頂きますね♪

 きっと人類の幸せのために自分のすべてを捧げても良いという、お釈迦様の崇高で偉大なる慈悲心が、いかに非利己的な神我の想いなのかご理解して頂けるでありましょう。涙なくしては見れないエピソードで御座います。


エドガー・ケイシー悟りの発見 218、219、220頁からの引用ですが♪

 
 ブッダによると、執着こそが世にある苦の唯一の原因であり、その解決策は利己的動機なくして義(※非利己的奉仕・八正道・洗心)と瞑想(明想)の生活を送る事にあります。

 彼は、積極的には愛と憐れみ(慈悲と愛)とを意味するところの非暴力に大きな意味を置いた。弟子との対話の中で、ブッダはこう語っています……

……「そなたが気高き真理を説いている内は、そなたを罵り、辱めさえする者が出てこよう。」

 弟子はこう答えています。
「師よ、私はなおも彼らを愛しましょう。彼らに憐れみを持ち、感謝しましょう。少なくとも私の体は傷つけはしないのですから」

 師はさらに続けます。
「聴く者の内に暴力を振るってくる者もいよう。もしそなたに石を投げつける者がいれば、そなたはどう応えるのか。」

「私は傷に耐え、なおも彼らを祝しましょう。私を殺してはいませんから。」

「その中に、熱する余りそなたを殺す者がいれば、そなたは彼らをどう思うか。」

私はなおも彼らを愛しましょう。祝しましょう。肉の身は我とニルヴァーナの妨げにすぎませんから。最後の目標に至る助けとなった彼らに、私は感謝しなければなりません。」
 
 このような積極的な固持がブッダの教えの根幹でした。彼は、無知から起きてくる人間の苦に驚き、彼らに光明をもたらすために全てを犠牲にしたのです。ブッダは最後にこう述べておられます。

「おお、神よ。もし世人の苦を私に移す事が出来れば、私はそれ(カルマ)をこの身に負い、あらゆる魂をその重荷から外す準備が出来ています。」

 この言葉は注目すべきです。次のアヴァターラ、イエス・キリストは人類全体の苦を彼に移すことを願ったのみならず、人類が生き残るために必要な避け得ない要因として、神性の象徴として愛と平和が保たれるために、その身と地上の生とを犠牲にする事をも表明したからです。

自我・偽我 =表現者、原因である父なる神を忘れている状態(放蕩息子の状態)神理を知らない状態・自分の力で生きていると思って迷っている状態、肉体の己を自分と思っている我、分離感・分離意識で個別化された表現を別個の存在と認識している我・肉の感化、五感の感化を真実と錯覚している我・迷いの影、幻、幻想(マイヤー)・自己保存、自我我欲の心


真の自己(真我)=父なる神と常に一体の境地・全一の意識・神我キリスト、全ては自分、全ては我、全ては神、全てを愛する我に目覚めた状態・神我キリストによって生かされている事を自覚して実感している我・私が生きているのではない、なるほど一つの生命である神が生きていらっしゃる、中身は全て神、全ての知恵と力は神から与えられている、神の中身は神、全ての全ては本質的には神、神のみが生きてらっしゃるんだなと悟った我・神一元・愛一元・光一・我神なり、神は生命(霊)なり、我も生命(霊)なりの自覚・宇宙即我、我即大霊の境地、キリスト意識・高我・実在・全てを愛し全てを許す境地・慈悲と愛・あなた即私・私即あなた・宇宙エネルギー即自分・無限即我・我即実在・不変不動の絶対なる実在・普遍なる宇宙・無限者・宇宙神

FC2版の広瀬すずちゃんの横顔になる方法の記事です♪
身長を伸ばす記事も追記してみました♪


プロフィール

斉藤なぎさちゃんが大好き♪

Author:斉藤なぎさちゃんが大好き♪
 
 高身長になる方法・広瀬すずちゃんの横顔になる方法・小顔になる方法・悟りを開く方法・健康になる秘訣・宇宙の真理…など世のため人の為に役立つ情報を書いております。
 貴方の素晴らしい人生のお役に立てますように♪

 30歳を過ぎてから努力で22cm身長を伸ばして195cmになっちゃいました♪
 それと…小顔になる努力で、全頭高が大谷翔平さん級の20.5cmなりまして……純日本人ながら、リアル9.5等身を達成することが出来ました♪

 そのノウハウを全て無償で公開しておりますので、もし良かったら皆様も、小顔・高身長の翔平スタイルになって幸せで喜びに満ち溢れた人生を満喫して下さいね♪ 


 スピリチュアルと精神世界・悟り追求者の為になる、宇宙神理(真理)が学び放題な良質な情報を豊富にご用意しております。

 悟りの追求者の方々へ何かしらお役に立てましたならば光栄の極みでございます。修行中の創造主であられる貴方の素晴らしい人生に乾杯♪

究極の美顔法・小顔法「広瀬すずちゃんの横顔の秘密の記事」はこちらになります♪
https://sinntyounobiruyo.blog.fc2.com/blog-entry-3947.html

「大豆から納豆を作る記事をテンコ盛り盛り…盛沢山な記事」はこちらになります♪
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