date :2017年12月
- 2017.12.05(火)
- 分かりやすい父母への反省と感謝の内観方法♪霊界構造の極意♪父母恩重経♪天狗の人さらいの真相♪高橋信次師♪
- No
- 96
- Date
- 2017.12.25 Mon
除霊のマントラ♪インコに生まれ変わった兄弟・肝臓ガンの身代わりになったインコ話♪犬と蛇を除霊♪安東民師の奇跡
人間と動物の因果
ダルマ・インコに転生した南国の兄弟
筆者は、非常に幼い時から動植物が好きであった。今も筆者の研究院には種々な熱帯さんのインコ類と、患者の待合室には二つの大きな水槽に多くの熱帯魚が飼ってある。時々他人から訪ねられる事がある。
「院長さんはなぜ? このような小動物を飼っておられるのですか?随分手間がかかるでしょうに?」
筆者の答えは、いつも同じである。
「他の人達があまりにも動植物をいじめているので、私が人類の代表として償いをしているのですよ。それからもう一つの理由は、”オウム振動水”に関する動物実験をしているわけですね」
二年前のことであったと記憶している。筆者は行きつけの鳥屋で、ダルマ・インコを二羽買ってきた。鳥屋の主人の話では、ずいぶん長生きする鳥だという。ところでこのダルマ・インコは、鳥屋のオヤジの話とは違い、二羽とも牡鳥であり、非常に仲が良くなかったのである。
ある日のこと--------庭にある鳥小屋の前にたたずんでいたお客さんが、筆者に尋ねたのであった。
「安先生が書かれた本を読みますと、人間の魂が、動物の体に乗り移って生まれると聞きましたが、この鳥にも果たして前生があるのでしょうか?」
質問を受けて筆者は思わず、いつもの通り、放心状態になってダルマインコをじっと見つめたのであった。その瞬間である!あら不思議!筆者の目の前に、熱帯のある島の風景が鮮やかに繰り広げられるではないか?
二人の原住民が大きなきときの間に鳥網を張って、ダルマ・インコを生け捕っている場面であった。彼等は兄弟であり、名前は兄はパクンタ・弟はヨクンタであった。
彼等は生け捕ったダルマ・インコを殺して燻製にして、この島を訪れる観光客に土産品として売っていたのである。彼等が生涯を通して生け捕って燻製にしたインコの数は、三万羽を超えたのであった。
時が来て、彼ら兄弟も死んで幽界に行かなければならなかった。イタズラに多くの生命を殺めた罪を問われ、彼等の兄弟は再生の過程でダルマ・インコの体の中に閉じ込められた。
筆者は思う。人間の魂が動物として再生するのではなく、一種の憑依する形式で動物の魂とは別に、動物の体の中に閉じ込められるのであると…。
そのパクンタ、ヨクンタ兄弟が即ち、すぐ目の前にいる二羽のダルマ・インコなのであった。
筆者がその時見た幻想をそのまま患者さんに話してあげたのは、もちろんであった。筆者が話をする間、ダルマ・インコは非常に恨めしい表情で筆者を見つめた。そればかりかなぜか悲しい様子をしたのであった。
その後、何度か筆者は患者さんに向かって、人間が前生にて罪を犯した結果として、動物の体の中にその魂が閉じ込められた実際の生きた例として、このダルマ・インコのケースを話してあげたのであった。
ところがこのようなことがあって数日後から、どうしたことか、ダルマ・インコは二羽とも元気がなくなり、終始うなだれている様になり、挙げ句の果てに全然、餌を食べないようになったのであった。
ある日の朝、一羽のダルマ・インコは鳥小屋の中で死んでいた。それから何日も経たない内に、残り一羽も飢え死んだのであった。彼等は間違いなく、自分たちの境遇をはかなんだ挙句、自殺したのであったと思う。
前生での罪を痛く後悔したあまり、自分たちが殺したダルマ・インコとして生まれ変わり、鳥小屋の中で飼われる身の上を悲観して自殺したらしいのである。彼らダルマ・インコの前で、前生の話をしたのを筆者は悔やんだけれども、時すでに遅かったわけである。
人命を救うために身代わりになったインコのお話
----もう一つ、インコにまつわる話をしてみたい。
その頃、筆者はひとつがいのセキセイ・インコを飼っていたのであるが、ある日のこと、非常に重症の患者が筆者の研究院に訪ねてきた。
六人の幼い子供を持った母親であった。夫とも死別れ、独りで六人の子供を養っているお母さんであった。たしかに重症の肝臓炎で、体中が黄色くむくんでいたのであった。
筆者としては最善を尽くしてあげたけれども、患者の様態は少しも良くなる様子がなかった。困った事だと心配していた所、ある日のこと、夢の中でセキセイ・インコが現れて、このように告げたのであった。
「(安東民)院長先生、私達は長らくお世話になりました。院長先生のお陰で、私達にも、宇宙を支配する因果律が何であるか判りました。
院長先生は、重症の肝臓患者を何とかして全開させようと努力しておられますが、すでに幽界の使者が来ているのです。それで私達が身代わりに死のうと思います。
その間、お世話になったせめてもの恩返しとして、私達が死んで彼女を助けてあげようと思うのです。
幽界の使者に頼んでみた所、院長先生が良いとおっしゃれば、何とかしてみるとのお話でした。それではお元気で!私達はこれから幽界行きするつもりです」
次の瞬間、筆者は夢から覚めたのであった。すぐ鳥かごの前に駆けつけた所、嗚呼!二羽のセキセイインコはすでに死んでいたのであった。
それから筆者の研究院では、時々何の理由もなしに小動物が死ぬと、ほとんど必ずと言っていいくらいに、誰かの生命が助かるのである!
他の人の生命を助けるため、身代わりに死んでいった小動物たちがどのくらいなのか?数えるのも難しいのが現実で、そこで筆者は思う。彼等は次の世では間違いなく、人間として再生するであろうと!
マントラの奇跡
今度は自分が食べた犬と蛇の霊が取り付いて、肝臓ガンになった男が”除霊”をすることで殆ど奇跡的にガンが治った話をしてみようと思う。
二年ほど前のことであったと記憶している。ある日の夕方、一人の中年紳士が小さい写真を一枚持って筆者を訪ねてきた。彼はひと通りの挨拶をした後に、黙って写真を筆者の目の前に差し出したのであった。
一見した所、写真に写っているその顔は黒ずんでいたのである。肝臓に異常がある感じであった。
「肝臓ガンを患っているのではないでしょうか?」
「そうです。やっぱり噂に聞いた通り、先生の判断は性格ですね」
筆者がもう一度、写真をとくと眺めた時であった。急に写真の顔が犬に変様して見えるではないか!
「腹水がずいぶん溜まっているのでしょう」
「ハイ、そうです」
「この病人は、犬をずいぶん食べたらしいんですが…」
「ハイ、そうです。大の犬肉好きでして、これまで何百匹も平らげたでしょうね。それがどうかしたんですか?」
筆者は黙ってもう一度、写真の顔を見つめた。ところがその瞬間であった。今度は、蛇がうようよしている感じがしたのであった。
「蛇も食べたのではないでしょうか?」
「そうです。私が知る限りは、恐らく千匹近く食べたでしょうね」
「この人は犬と蛇の亡霊が取り憑いて肝臓ガンを起こした…。それに間違いないと思います。何しろ、腹水がこう溜まっていては 「オウム振動水」を飲ませるのも無理ですね。現在、他の患者さんと一緒に、病院に入院しているのでしょう」
「ハイ、その通りです」
「それでは、スピーカーを利用しての自家施術も不可能なわけです。処置なしですね」
「でも何とかして助けてください」
その時であった。筆者の脳裏に稲妻のように浮かんだ考えがあった。それは私が考え出した除霊もでき、願いも達成できる「マントラ」であった。
まだ一度も実際に使ってみたことはないけれども、確かに効果はあると普段思っていたマントラであった。マントラとは、次のような内容のものである。
成願呪
敬天 修徳 広済
フンチ フンチ サバハ
筆者は真心を込めて、このマントラを書いてあげたわけである。
「これを患者さんの枕の中に入れて下さい。3日の間に腹水が小便として完全に排泄されたら、希望を持たれても良いわけです。万一、腹水が減ったら、3日の後に私を訪ねて来て、正式に会員になりなさい」
その後、3日が過ぎた時であった。患者の腹水が奇跡的に排泄されたとの知らせがあった。彼は筆者の研究院の会員になったし、それから二ヶ月後、完全に健康な体になって奥さんと一緒に挨拶をしに来られたのであった。
この場合は、マントラが呼んだ強力な保護霊の力により、動物霊が効果的に除霊された結果である、と筆者は考えているわけである。
このような事があって以来、筆者はよくこのマントラを書いてあげているが、1、2枚は判らないけれども、一度に7~8枚書くと、全身の力が抜けるのをみると、確かに念力が入るという事を認めないわけにはいかないのである。
心霊現象の小部屋 から引用させて頂きました♪
これは、ジャーナリストの西浦和也氏が取材した出来事である。
藤本さん(仮名)は、ある駅で駅員をしていた。その駅は都心から結構離れており、急行や特急などはわずかしか停まらないような小さな駅であった。
ある日、藤本さんが電車が入って来る前の安全確認をしている時、ふと一人の男が目に止まった。
その男はホームの先端に立っていた。どうということのない普段の光景だが、この時は違った。男の上半身が何か黒い煙のようなものに包まれていたのだ。
「どこが変だったかって、上半身が真っ黒にぼやけていて見えないんです。」と、藤本さんは後に語っている。
近づいてよく見ると、煙は男のスーツの襟(えり)の辺りからもやもやと立ち昇っている。その煙が拡散せずに、男の上半身を包み込むようにまとわりついているのだ。
煙のせいで男の顔はほとんど見えない。この光景をみれば誰だって、服が燃えていると思う。だが、周りには結構人はいるものの、皆、まるでこの男の煙に気づいている様子もなく、普通に電車を待っており、何ら騒ぎになる様子もない。
「この煙は俺にしか見えないのか?」
藤本さんは思った。この男に対して何か嫌な予感がした。
昔、何かの漫画で読んだ話に次のようなものがあった。
「主人公は何かのきっかけで、人間の頭の上に火の玉が見えるようになった。火の玉は全ての人間にあり、若くて元気な人は火の玉が大きいが、老人になるに連れて小さい火の玉になっている。
その中に、火の玉がほとんど燃え尽きそうな人がいた。その人を発見してすぐ、その人は主人公の目の前で事故に遭(あ)って死亡した。
火の玉の大きさはその人の寿命の長さを表していたのだ。」
この男だけ煙に包まれており、それが自分だけに見えるという、この状況は、この漫画を連想させた。
藤本さんは直感的に「この男は飛び込み自殺をする気なのではないか。」と感じた。かといって「あなた、飛びこむ気ですか。」などと声をかけるわけにもいかない。
それがきっかけで本当に飛び込む場合もあるし、もし違っていたら名誉毀損(きそん)で訴えられる場合もある。
もうすぐ急行列車が入ってくる。この駅を通過する列車なので、相当のスピードで入ってくるはずだ。
藤本さんは司令部に電話をし、不審な男がいるので、その急行列車は徐行運転で駅に入ってくるように指示して下さいと頼んだ。
司令を受けて急行は駅の手前から減速し、ゆっくりとホームに入って来た。
そして次の瞬間、煙に包まれたその男は藤本さんの予想通り、いきなり駅のホームから線路の上に飛び降りた。
耳をつんざくような急ブレーキの音が構内に響く。飛び込みを目撃した人たちが、一斉の悲鳴を上げた。列車は停まった。
藤本さんが列車の先頭まで走って駆けつける。線路の上にしゃがみこんで、震えている男がそこにいた。ブレーキは間に合った。男からは煙が消えていた。
後日藤本さんは人命救助を行ったということで、会社から表彰され、金一封をもらった。それから月日は流れ、藤本さんは車掌になっていた。
ある日藤本さんがいつも通り電車に乗って勤務していると、ある駅に停車した時、再び黒い煙に包まれた人間を見た。今度は女性だった。
ワンピースの胸元から黒い煙が立ち昇り、その煙は上半身を覆っていた。顔が見えないほどに真っ黒くなっている。前回と全く同じだった。
だが、自分の電車は時間通りに出発しなければならない。発車した後に藤本さんは、電車の中から司令室に電話し、飛び込み自殺の可能性のある女性がいるから、あの駅へは徐行運転で入るように次の電車に伝えてくれるように頼んだ。
藤本さんの電車がいくつかの駅を通過した時、司令室から連絡があった。先ほど伝えたあの駅で、やはり女性が飛び込んだらしい。
幸い、藤本さんの忠告通り、電車はゆっくりと駅に進入したために女性の手前で停まることが出来、人身事故には至らなかったということだった。
藤本さんはまたもや表彰された。その後も黒い煙の人間は藤本さんの前に現れ続けたが、藤本さんのおかげで、事故は未然に防ぐことが出来た。
5年間で27回もの表彰を受けた。
こうした表彰は、定年までに3回あればいい方と言われる中、藤本さんの功績はズバ抜けていた。しかしその反面、死のうとしている人が分るという能力を持つ藤本さんは、同僚から「死神」というあだ名をつけられ、話題の種にされていた。
「みんな助けてるのにね・・。」
と、ため息混じりに悲しそうに言っていたという。藤本さんはしばらくして退職し、別の仕事についた。
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- No
- 97
- Date
- 2017.12.23 Sat
豚に生まれ変わった金持ちの成れの果ての摩訶不思議な輪廻転生話♪韓国心霊治療第一人者・安東民先生♪超能力話♪
韓国心霊治療・第一人者の安東民先生について
高橋信次先生つながり偉大なる霊性を持つ方をいろいろ調べていたのですが、その中で、中野裕道先生 ⇛ 日本神学 ⇛ 関英男博士 ⇛ 安東民先生という流れで、この偉大なる霊能者の方にたどり着くことが出来ました。
日本サイ科学会の会長をされていた、私も心から尊敬している関英男博士も認めている阿羅漢級の本物の霊能者の方であられます。
原因不明の病気を霊を諭して除霊して解決したり、地縛霊の諭し、等々を色んな技を駆使して問題を解決していく様子が、リアルGS三神さんみたいでカッコよくて、前世因縁話系ではダントツで面白いと思いました♪
日本の古神道研究の第一人者である、中野裕道先生のご著書の推薦者序文まで任されたり各方面から信用されている数少ない本物の霊能力を所持されている方で御座います。心霊治療の韓国第一人者みたいですね。
安東民先生によると、中野裕道師は、非命で行かれた日本の天皇様達の複合霊であること、また万葉集の歌人でもあった柿本人麻呂の霊その他大勢の人々の複合霊であるとのことです。どうも、大きなお役目を果たされる偉大なる魂の方々は偉人達の複合霊であることが多い様であります。
エドガーケイシーさんに似ている感じですが、安東民先生は、写真だけで前世が分かったり、霊を諭すことが出来たり、AOUM振動水で体質改善する方法を発案したりと、マルチな才能を駆使する霊覚者に近い霊能者であられます。
元々、小説家、編集者、兼社長等をされていただけあって、お話の構成がお上手で、話にグイグイ惹きこまれました。魅せるストーリーテーラー能力がある筋立ての巧みな作家だと感じました。本当に面白かったです、輪廻転生話が大好きな私にとっても、買って大満足な書籍でありました。
あまりにも、安東民先生のご著書が面白かったので、とりあえず日本で発売されている本は、「エロヒム何とか」以外は全部買っちゃいました(笑)
これは人類への啓蒙になると深く感じましたので、しばらくブログの更新頻度を増やして、安東民先生のお話をご紹介させて頂く所存で御座います。
心霊治療 安東民 からの引用ですが・・・♬
霊査で分かる過去
豚に生まれ変わった金持ちの成れの果てのお話
私の中学時代の友達に金○○という人がいる。幼い中学時代にも、彼は非常に大人びていたので”親父”という別名があった友である。
平素、考えるのと行動するのが非常に慎重かつ端正なので、普通言われる”法なしにも生きられる人”という評判があり、悪という面は全く見当たらない、そのような友であった。
ところがこの友が、人知れぬ苦しみを持っているという事を最近になって分かるようになったのである。彼の末娘が幼い時、急に原因不明の高熱を出してひきつけを起こし、すぐ隣の病院に行って注射を打ってもらった所、それ以来、ひどい脳性麻痺にかかったということであった。
私が「体質改善研究院」を開いているという事をどこかで聞き、彼ら夫婦が問題の末娘を連れて訪ねてきた。
「私たち夫婦はこれまで生きてきた間、誰にも目立つような悪いことをした覚えがないのに、前の世にどのような罪を犯してこんな娘を持つようになったのでしょうか?」
婦人は涙を流さんばかりの顔でこう言われた。その時やっと9歳であるという、肥満症のために身体だけは大人並みの巨大な体格をもっている少女の目の前において、私は霊査してみた。その結果、次のような事実が明らかにされたのである。
-----いつの時代やら時は詳(つまみ)らかでないが、数十年あるいは何百年も昔のことであった。ある深い山の中に小さなお寺があった。年老いた坊さんとともに、幼い沙弥僧だけのお寺というよりは、庵というのが適当な、そんなお寺であった。
まだ幼い時に、お母さんがお坊さんにあずけて大きくなった沙弥僧は、いつも俗世である娑婆の世界が恋しかった。何となく物寂しい顔をしている沙弥僧を見ると、いつも年老いた坊さんはこう言われるのであった。
「娑婆の世界がどんな苦しい所であるのか、汝は分からないのだ。娑婆の世界は罪を犯さずに暮らすのが難しいのだよ。汝を私に預けたお母さんは汝のために、そうされたのだよ」
「おっしゃらなくてもよく分かっているつもりです。しかし人が恋しいのは、私もどうすることも出来ないのです」
「そのような心がけでは悟りを開くのは難しいよ。次の世にはまた人間として生まれ変わり、ひどい人間苦を経験するようになるだろうね」
このような坊さんのお言葉も、幼い沙弥僧には全然理解できないのだった。昨夜のご飯を炊く煙が細々と上がる山の下の村を眺める沙弥僧の両眼には、いつしか何かを恋い慕う表情がありありと浮かぶのであった。
時たま村に住んでいる信徒の家を坊様のお使いで訪ねるのが、幼い沙弥僧にはまたとない楽しみであった。
沙弥僧がよく訪ねて行く村の信徒の家には、大きな豚小屋があった。沙弥僧はその豚小屋にいる沢山の豚の中でも、特に白く大きな豚が実に好きであった。
豚小屋の前を過ぎ去る時には、いつも決まって道端に生えている草を引き抜いては、白い豚に投げ与えるのが人知れぬ楽しみであった。いつも美味しい草を投げてくれる沙弥僧の顔を、いつの間にか白豚も覚えたらしく、彼が近づくのを見ると鼻を鳴らしながら知ったかぶりをするのであった。
そこで沙弥僧がいった。
「御坊様のお話によると、人間として深い罪を犯すと、次の世に豚に生まれ変わるといわれる。そなたはどのような罪を犯して豚になり変わったのかな?」
白豚は鼻を鳴らしながら草を食べていたが、この言葉を聞くと急にしおれた顔をして、耳をバタバタ鳴らしながら、豚小屋の隅に行き、這いつくばるのであった。その様子は不思議なことであった。
「そうか!そなたはやはり前の世では人間であったのだな」
白豚は前足で土を掘り起こす仕草を始めた。その様子は早く死んでしまいたいと言わんばかりの態度で会った。
「よく分かったぞ。私が立派に修行して神通力が身に付けば、そなたを人間に生まれ変われるようにしてやるぞ。そんなにしおれないで、早く草を食べなさい」
すると白い豚はやおら身を起こして、沙弥僧の前に走り寄るのだった。沙弥僧を見上げる白い豚の目には、心なしか涙が光っているようであった。
「その時の白豚は、前の世の宋朝時代に生きたある金持ちの成れの果てだったのですよ。彼は非常に女色を好んで、人妻でも自分の気にいりさえいれば、どのような手段を使ってでも手篭めにするような人間でした。
その後、彼は死んで前世に犯した数多くの罪のため豚になったのでした。人間が動物に生まれ変わると、前の世の記憶を持つわけです。
万一そうじゃなければ、その人は※永久に動物として生活するようになるのです。(※またいつか魂が進化して人間に生まれ変わるまで)
彼は白豚に生まれ変わった後、後悔をしたけれども、それは何の足しにもなりませんでした。豚として生き、人間たちの食卓に上ることによって罪滅ぼししたけれども、人間として生まれ変わるには、彼の罪はあまりにも重かった。
この次には間違いなく人間として生まれ変わるだろうと希望を持つけれども、気がつけばやっぱり彼は豚の身を持て余しているのでした。その豚が、先の沙弥僧が会った白い豚だったのです。
少なくとも600回は豚として生きなければならない運命であったが、この沙弥僧の所望のために、人間として生まれ変わることが出来ました」-------
私はそのご夫人に話した。
「それじゃ、その沙弥僧が私というわけですね」
「そうですよ、これから600回は豚として生きなければならなかった罪人が、あなたの所望のために人間として生まれたために、今日の娘さんになったのです。娘さんは人間としては脳性麻痺の低能児ですけれども、豚としては正常な知能を持っているわけです」
「それじゃ私の主人は、誰の生まれ変わりでしょうか?」
「その時のお寺の住職であられたのが間違いないでしょう。お二人は末娘のために、多くの心の苦痛を経験した後、大きく悟る様になっているのです。
お二人に大きな人間苦を抱きかかえさせる事によって、前の世に得られなかった悟りの境地に到達するその日、娘さんは正常になるか、または今の苦しみから解放されることになるでしょう」
「死ぬと言われるのですか?」
「多分、そうなる可能性が高いと思いますね。苦しみを通じて、お二人をより高い心境に至らしめた功徳によって、彼が前の世で犯した罪は全部消されるのです。二度と豚として生まれ変わることはないでしょうし、とにかくどのような形であろうと、今の苦しみからは解放されるでしょう」
夫人はよく分かったという表情でうなずくのであった。その後、この少女は体質改善の施術を受け、手に負えない肥満症からは、ある程度開放された模様である。
おまけ情報・・・近代の知られざる日本の仙人の方のお話です♪
モンゴル神仙邂逅記
鶴にのって空を飛んだ仙人が東京大岳山に住んでいる。
1924年白頭山に住む仙人に会う。
1936年青海省の崑崙山に住む仙人に会う。
月の精気を食う方法
太陽の精気を食う方法
ヒマラヤはアジアの頭で崑崙は鼻だ。
人間の身体は56億7千万体の小身(細胞)から成っている。
中国には空を飛び、不死身の修行者がいると伝えられている。”不老不死”の仙人である。今 年一月に94歳で亡くなった笹目秀和氏は、中国で2人の仙人と出会ったと多くの著作の中で記 している。
1924年(大正13)年8月、中央大学の学生であった笹目氏は、夏休みを利用して中国大 陸を旅していた。彼の祖父は茨城県でも有数の資産家だったので、海外旅行をする余裕があった のだ。
当時、中国には満州国建設のため、数多くの日本人が移住していた。旅の目的は、見聞を 広めるといった程度のもので、仙人との出会いなど思いもつかなかった。
きっかけは、大連発の列車に乗ったときのことである。笹目氏が座席に腰掛けると、真向かい に座った中年の男がいきなり日本語で話しかけてきた。
「私は、白頭山に住む呂霊 來來 (りょりんらい)深仙の使いのものです。あなたを迎えにき ました」
男は仙人の弟子であった。彼によれば、呂深仙は北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)との国境 にある白頭山の洞窟に住み、年は207歳になるという。
「一緒に白頭山へ来ていただけますか」と弟子は言った。
呂神仙は日本からいとりの青年が満州を訪れることを予見していた。その青年に将来のことを 指導するため、弟子に大連行を命じたのだという。
「日本人青年の名は、”熊○(木二つに下が土)御堂”(くまんみたん)だと言われました。」
「私の名前は笹目恒雄(本名)ですが。」
笹目氏がそう答えても、弟子は少しも動じなかった。
「それは3000年前の前世でのお名前だと思います。」
笹目氏の眉と眉の間に、はっきりと”熊○御堂”と記されていたという。笹目氏は、不思議に 思いながらも、呂神仙に会うことになった。
仙人といえば白髪の老人といったイメージがある。しかし、意外にも呂神仙は童顔で、闇の中、 彼の周囲だけが光っていた。
呂神仙は笹目氏に向かってこう告げた。
「あなたは、ふつうの人のような生涯は送れない。日本という国のカルマを背負い、常人には とうてい耐えることのできない苦労をしなければならない。その苦境から脱出する鍵は、12年 後に会うことになる崑崙山の疏勒(しゅろ)神仙から授けられることになる」
笹目氏の使命はモンゴルの遊牧民を救うことだと教えられた。
帰国後、彼は、神仙の教えどおりにモンゴル再建のために私塾を開き、モンゴルの青年たちを 招きいれることになった。やがて、笹目氏は彼らとともに内モンゴルを中心に独立運動へ参加し ていく。
蒙彊(もうきょう)自治政府徳王私設顧問として、力を尽くしたのである。そして、呂 神仙に会ってから12年たった1936(昭和11)年6月、予告されたとおり幻のチベット民 族が住む、青海の山奥で500歳の○勒神仙に会うことになったのだ。やはり子供のように小柄 で、童児のような顔立ちをしていた。
太陽光線を食事に変える神仙直伝の秘法とは
疏勒神仙は、この12年間にわたる苦労をねぎらうと、笹目氏に、
「では太陽の精気を食(は)む方法を授けることにしよう」
と言った。が、すぐに教えてもらえるわけではなかった。その方法を伝授されるため、疏勒神 仙とともに崑崙山の頂上に向かうことになったのである。
疏勒神仙の腰につかまり、天の鳥船・ 鶴船(仙)とよばれる天帝のつかわす鶴に乗ると、一瞬のうちに標高7000メートル以上の頂 上まで空中を飛んでしまったのだ。
その後、笹目氏はソ連の捕虜になり、神仙の予言どおり11年間にわたってシベリアで苛酷な 抑留生活を送ることになった。
が、”太陽の精気を食む方法”を伝授されたので、ふつうの人な ら3日で根をあげる水牢に、1ヶ月以上も閉じ込められても耐えることができたという。例の方 法を使えば、1日のうちに3分間、太陽光線を受けるだけで、まったく食物をとらなくても生き ていけることができたからであった。
笹目氏は帰国後、地球の危機を救うべく中国発祥の新宗教「道院」の日本統しょう(代表)と なり、仙人の修行を重ねていった。
その内容は、「内修」と「外慈」である。前者は静座と誦経 (ずきょう)で、一種の瞑想法、精神修養といってよい。後者は慈善的な行為で、ボランティア 活動などを指す。したがって、道院の入門者は、必ずしも超人的な存在を目指しているというわ けではなかった。
笹目氏が出会い、教えを受けた仙人については、現状、検証のしようがない。が、笹目氏の人 生を振り返った場合、モンゴル民族再興運動はの参加といい、シベリアの水牢を切り抜けたこと といい、確かに仙人に教わらなければ、できないことである。
また、笹目氏はその風貌からも生前、”日本の仙人”として知られる人物であった。誦経によ って富士山大爆発を止めたとか、龍神とコンタクトして天候を自在にコントロールしたとか、8 0歳を超えてふもとの駅から多摩道院のある1200メートルの大岳山まで、普通のひとが2時 間かかる山道を40分で飛ぶように歩いたなど、超人的なエピソードに事欠かなかった。
こうい った能力も、笹目氏が本物の仙人に出会ったからこそ身につけられたのだという、リアリティは 感じられる。
中国で2人の仙人と邂逅した笹目氏も、道院の弟子たちに向かっては、
「修行中の神秘体験」に惑わされるな」
と常識に立脚するよう求めていたという。
笹目氏の道院設立以来の高弟、福生道院事務局の川合康夫氏はこう述懐している。
「笹目先生は、最後まで”太陽の精気を食む方法”を誰にも教えてくれませんでした。神仙からうかつに話してはならないと釘を刺されていましたし、話す必要もないと考えていたからでし ょうね。
晩年は、いつでも死ねると言 っていました。この世に執着があるようでは、まだまだ修 行が足りないということです。
中国で神仙に出会って以来、生涯にわたって修行を続けた笹目先生は、あくまで霊的な意味で不老不死を追求していました。
修行を重ねていくと、死や老を超越 して、死の恐怖から解放されていくからです。」
笹目氏は、1月25日午後3時にこの世を去った。が、その遺体は、この世への執着はまった くなく、まるで「もぬけの殻」のような状態だったという。道院が神意を聞くフ-チという行事 を行ったところ、道教でいう最高の位”真人”になられたというお筆先(自動書記)が下った。
その意味で精神の不死は達成されたと、道院の人たちは信じている。
川瀬健一氏は気功法の源流である仙術や東洋医学の研究が高じて、台湾に渡り、仙術の達人を訪 ね歩いた。
もう20回以上も訪台している。独自の修行法で健康維持に務める一方、東洋思想の 著書多数。
参考文献
モンゴル神仙邂逅記 笹目秀和著 徳間書店
抱札子 列仙伝・神仙伝 山海記 本田済・沢田瑞穂・高馬三良訳 平凡社
太陽と月の精気を食べる秘術を仙人に授けられた男、笹目秀和
今年1月、惜しくも去った笹目秀和(1902~97)はその秀でた行動力から”神仙の寵児” とまでいわれた求道者だった。笹目は大学生のとき夏休みに訪れた中国であった、白頭山の呂霊 來來 (りょりんらい)神仙の命に従い、モンゴルの遊牧民を救う使命のためバルチョン親王家 の養子となる。
帰国後モンゴルの青年を教育する戴天義塾を解説。モンゴル民族(蒙彊、もうき ょう=中国西北部)独立運動にも参加する。12年後、呂神仙の予言どおり、疏勒神仙に出会い、 伝説的な乗り物・鶴船(仙)に乗って800キロを聖山・崑崙山まで一瞬のうちに移動したとい う。
戦後は中国発祥の超宗教の教え、道院の普及に力を尽くし、富士山の大爆発を読経で止めた ともいわれた。(本人の写真の説明文)
笹目氏は中国に渡り、モンゴル復興にも尽くした
壮大なスケールの冒険はまさに仙人級だった。
1924年の中国旅行ルート
大連→奉天→白頭山 呂霊來來神仙207歳に出会う・月の精気を食べる秘術を授けられる
→モンゴル東部 バルチョン親王家の養子となる →奉天→大連
1936年の中国旅行ルート
大連→奉天→北京→蘭州・青海 疏勒山神仙洞・疏勒神仙(500歳)に出会う →鶴船で飛んだ約800km→崑崙山 太陽の精気を食べる秘術を授けられる
大弾圧を受けた大本教(道院の姉妹宗教)の神体を隠す
イスラム教徒に捕らえられて3ヶ月の監禁後、護送される
→蘭州→西安→北京→奉天→大連
新疆ウイグル自治区
ウイグル族のほか、漢族、カザフ族、キルギス族、モンゴル族(本来はオイラト族である)などさまざまな民族が居住する多民族地域
- No
- 98
- Date
- 2017.12.21 Thu
宇宙の謎が全て解決♪星の引力の仕組み・電気の謎・霊格レベルが全てを解決できる超高次元♪良質サイトをご紹介♪
今まで量子学に興味を持って、幾つか勉強サイトを拝見したことがあるのですが、始めの壁の突き抜ける説明からちょっと複雑になると、恥ずかしながらチンプンカンプンでよく分からないというのが私の実情でありました。
元々聡明で理路整然で分かりやすい上に、自作の分かりやすい絵がこれまた分かりやすく、絵との相乗効果という至れり尽くせりな説明のお陰で、私でもよく理解できました♪ネット最高級に説明上手な方だと感じました♪【感謝・感激】
今回はリンク先の情報がかなり膨大で読み応え満点ですので、いつもの長文の引用は御座いません(笑)( ^ω^)・・ですが最近、かなり面白い精神世界の文献を入手しましたので
これからドンドン面白くなっていきそうでワクワクしておりま~す♪

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2017年12月20日のアクセスランキングです♪1位と2位の記事がこのブログの圧倒的コンテンツなのがよく判りますね(笑) 幸運・波動UPにどうぞ♪
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- 2017.12.14 Thu
誰でも手からヒーリング光を放射♪神の子人間の自然の能力♪フェニックスパワー石川さん♪園頭広周師・高橋信次師♪
フェニックスパワー宇宙エネルギで人生は的的に好転する からの引用ですが・・・♬
気功としての「手かざし」の絶対視は危険
気功治療は、気功師が患者をただ見つめるだけというやり方もあるが、たいがいは手から気を放つ「手かざし」である。自分の気の質を見極められ、邪気を発生する余地のない気功師ならいい。しかし、そのような熟練者の気功師でも気は十分に個性的なのであり、体調を崩せば邪気は出る。
特に私が恐れるのは新興宗教団体がよくやっている「手かざし」である。ある宗教団体に言わせれば、『手かざし』は気功とは違うという。
ハンドパワーのエネルギー源は「気」ではなく、神の光だというのだ。まず信者には神の浄化の光を受信するペンダントが授けられ、それによって神のバイブレーションが受信できるとされる。
それによって自分の「霊体」が浄化されると同時に、バイブレーションは人間の手を通して他人へ照射することも可能となるという。つまり、他人の霊体も浄化できるということだ。
そこでいう神の光というものの実体は私にはわからない。仮にそれが高次元の霊的な波動だとしても、他人への照射ということであれば、その人間を通すことによってレベルダウンされないということはないのだろうか。ぜひとも、「気功水」ならぬ「手かざし水」を飲んで味を確かめてもらいたいものだ。
また、宗教までいかなくとも、「手かざし」を治療法などに採り入れる所は皆、その正当性を示さんがために、聖人の多くが「手かざし」で病気を癒したという例や、「手当て」とはまさに手から出るヒーリングから出来た言葉だという話を持ち出す。確かに、手当ての効果は事実ではある。
しかし、聖者の手かざしと凡人のそれとは全然違うのだ。凡人のハンドパワーはあくまで単なる「気」でしかないのである。人間には誰しも手が気の1番の発言部位となっている。「気」は病気も治すが、病気を作ることも忘れてはならない。
聖者の手かざしは「気」を超えた高次元の波動がそのまま放たれるのだ。聖人とはもはや人間のレベルを超えた存在である。邪気などにまみれる余地もない人間を聖者と呼ぶのであり、凡人は低レベルの波動しかもたない邪気にまみれた存在だから凡人なのである。
彼ら凡人が手を差し出す時、余程のフィルターがない限り、その人の人格によって変調した波動は防ぎようがないだろう。それは人格の波動が十分にスパイスされた気でしかないのである。
たとえ「気」ではなく、神の力を受け継いだパワーだとしても、気功の要素が少しでもあるならば、邪気のやり取りの危険性は考慮しなければならない。粗雑な雑音の入った波動しか送受信できないのが凡人なのだ。
聖者は手など当てなくてもヒーリングは出来た。手を当てるのは、それが人間らしさの表現だからに過ぎない。
近代合理主義に馴染んできた頭によって、見世物的な武術気功や、医療気功の奇跡の様な「気」の力に目を奪われたばかりに、「気」に必要以上の価値を払いすぎた。
生命の基本のエネルギーとするならまだしも、何かしら宇宙の根本のエネルギーででもあるかの様に錯覚してしまっている所から、気に対する誤解が生じたようだ。
「気」とは、それよりも高いレベルの波動のエネルギーが、「もの」によって変調された波動なのだ。決して真空に漂うエネルギーではない。
その高次のエネルギーを私達は仮に「宇宙エネルギー」あるいは「フリーエネルギー」と呼ぶのである。
聖者のヒーリングパワーも、「気」というよりは、この「宇宙エネルギー」を発現したものだといってよい。
これを踏まえて改めて「気」を定義すれば、「高次のエネルギーが物質によって低周波化されたもの」となる。
「気」はかなり物質に近い。電磁波も重力波も目には見えないが、少なくとも「気」は見ようと思えば見える。
科学が解明しえない未知のエネルギーはまだある。「気」はその代表だが、未知のエネルギーを何でもかんでも「気」と同じくしてしまったり、「気」に包含させてしまったりする安易な考えは大いに問題がある。
光を入れる 園頭広周師指導 八起正法先生編
園頭広周師の記述より引用する。
ある教団では、その人の額に手をかざすと憑依霊が浮き出すという指導をしている。
これは高橋先生が教えられた「光を入れる」のとは全く違うことである。
子供が喘息だというので、その教団に通っていた人があった。その教団の講師が手をかざすとその子供が暴れ出す。
大人が四、五人かかっても押さえ切れない程の力が出るという。
いくら「おしづまり」といっても静かにならない。その後はぐったり死んだようになる。
いくら続けて行っても、暴れるのがますます激しくなるだけで、一向によくならないといって来た人があった。
小児喘息というのは、親の心の不調和(が原因)であるから、親が不調和である限りどんなに他の治療法をとっても一時よくなったように見えていても、根本的に治るということはむずかしい。
別に意識して調和を図ろうとしているわけではないが、子供が喘息で苦しんでいるのを見たりして、どうかして治さなければいけないということで、子供を治療しているうちに、知らず知らずのうちに夫婦が調和して、その結果よくなったという人がある。
その人は正法を知って親自身が心の調和を図っているうちに、子供の喘息は治った。
口で愛を説きながら、どのようにして教団に金を集めようかと、いろいろ手段を尽して信者全員から金を集めることを考えている宗教指導者は、動物霊に支配されているとみて間違いはない。
その指導者がどんな立派なことを言ってもである。
正法を説くことを使命として現われてきた光の指導霊は、神の名を利用して、教団の財産をふやしたりすることは絶対にしないのである。
勿論、神殿をつくって神を祭るということもない。信仰することによって何かの益を得ようとか、人の持たない霊力を持ちたいという欲望を持っている人は、本人は無意識のうちに動物霊に支配されてゆく。
そういう人達は自分で正しい信仰をしていると思っているけれども、冷静な第三者から見ると必ず非常識な理解し難い言動をするものである。
〈オーラ(後光)とは何か〉
オーラ(後光)とは光子体の心の輝きである。仏像の頭の上の光輪として知られる。これらのものは、心の眼(霊視)で見た仏師が彫り、天使の絵は画家が描いたわけだ。
高橋師は、 ラファエルは七大天使の一人で、画によって天上界の様子を、この世の人に教える使命と目的を持った人と言い残したが、オーラとは光子体、つまり、あの世で過ごすことになる体である。
この光子体、後光は、調和された正道を歩いた者ほど大きく強い。
仏教で言う幽界より霊界、霊界より神界、神界より菩薩界、菩薩界より如来界と、段階が上るほど後光は大きく強くなる。
キリスト教でいう光の天使より光の大天使、上段階光の大天使、上上段階光の大天使と、上の段階へとあがる程、大きく強い。霊格が高い程、大きく強いわけだ。
心の調和度によってオーラの色にも段階が生じる。
最も心の調和されたオーラの色は、金色の光、つまり淡いゴールドカラー。
紫色の光は金色の光についで調和された心の状態。ピンク色のオーラは、もっか恋愛中で、心が乱れ理性を失った心の状態。
赤色のオーラは怒りに燃えた心の状態。薄暗い灰色のオーラは、恨みや怒りの心を持って生活している人の心の状態。野心や欲望に燃えている時は、ねずみ色から黒色に変わってゆく、と高橋師は教えた。
また、高橋師は「一秒一秒の心の動きに従って、後光の色彩とその量は変化する。それは自然界の天候が、刻々瞬々変化してゆくのと同じです。心が美しく調和している時や、正しく法を説いている時は、過去世のその人の顔と現世の顔が二重写しになり、身体全体が光明に満たされ、後光が放射状に出ているのがわかります」と言っている。
そして、動物霊が神と名乗って変化(へんげ)している場合は、後光が出ていなかったり、青白い光を見せる場合があるが、淡いゴールドカラーとは全く異質のものである。
動物霊が青白い光を放ち、菩薩や観音のような姿を見せると「神が現われ、人類を救えという神示が下った」とかなんとか言って、人々を混乱に陥れてゆくことになるのである。
「動物霊が支配していると、坐ったまま一?二米も飛び上がったりします。彼等はそうして人を驚かすことに興味を持っています」と、このように高橋師は言っている。
オーラとは以上のような説明となるが、このような人間のオーラが、もし正確に測定できたらどうなるであろうか。
採用テストに利用する企業が出て来るかもしれない。〃企業は人なり〃と言うように、どこも立派な人が欲しいのである。
仮に、皆さんが来世、どこかに生まれた時、器械によって判定され、ふるいにかけられるようになっていたら、あなたは何んとされる。生まれ変わり、死に変わりする間に正道を歩き、人生の勉強、魂の勉強をしながら、心のアカやスモッグを取り去ってオーラを輝き出させていきたいもの。
この地上界は、善と悪のいりまじった又とない修業の一大チャンスなのだと高橋師は教えたのである。
だから、転生のその時、その時の人生修業が、おろそかに出来ないことになる。現在、オーラ測定機やキルリアン写真などの本もいくつかあるが、どれ程の測定が出来るのかウエブ・マスター(八起正法先生)は知らない。
このように人間は皆、淡いゴールド・カラーのオーラで一生を終えたいものである。そして、生まれて来た時より、より大きいオーラで、あの世へ帰りたいものだ。
これより園頭広周師の「ことば」から。
「 人は誰でも心をきれいにして統一すれば、手のひらから光(生命磁気)が出るのであって、特別にペンダントをもらわなければ出ないということはない。
どこの教団とも同じで現世利益を目的としている。ただ違うのは「手かざし」をやることであるが、手かざしで病気を治そうとしても治らなかったとか、あるいは手遅れになって死んだという人も多い。
それよりも危険なのは、「浮霊」という憑依霊が浮き出てくるという現象である。このやり方は催眠術を使うのであるが、心の弱い霊示にかかりやすい人は、催眠現象により無意識にそれを願望することによって、簡単に身体が動いて来る。
催眠は、自意識を無にして、すべての暗示を受け入れやすくするのである。
すると、その心がカラッポになっているところに、他の霊が入りこむことになる。それを学者や医師は「精神分裂症」というのであるが、完全に自分の心を動物霊や地獄霊に明け渡してしまうのである。
学者や医師達が、催眠術で一番恐れているのが、人格が破壊されて全く別人になってしまうこの現象であるが、学者や医師達は、それが動物霊や地獄霊の憑依によるものであるのを知らないのである。
そうなってしまったら、この教団の「手かざし」で治ることはない。
手かざしをすると、ますます暴れるのである。もちろん、精神病院でも治せない。それを治すのは、高橋信次先生の説かれた「正法」以外にない。
このような危険な信仰はしない方がよい。宗教が霊の自覚向上と人格完成のためであることも、多くの教団では説かれていない。自分から暗示にかかろうとする心の習慣がつくと、自主的に自分で考えるという自主性がなくなるので、人格を破壊することになる。」
これまで「手かざし」の問題点を指摘、引用した。
我々は、病気の治療をすることを「手当てする」といった。それは昔から掌を当てることによって病気を治していたからである。
これと同じように、釘を打ちそこなって拇指を叩き、その瞬間拇指を口にふくんでいたという経験があると思う。
そして、子供が頭に瘤(コブ)ができた時、母親が息を吐きかけて「痛くない痛くない」という経験を持った人も多いと思う。
これも、息にも癒す力があるからである。
古神道では「息吹き祓」といって息でケガレを祓ってきた。
このように、私たちは昔から、お腹が痛ければ無意識のうちに手で腹を押え、歯が痛いといっては頬っぺに手を当てることをやってきた。
人は皆、手や息には癒す力があるということを潜在意識の中に持っていたからである。
この人類が皆、共通に持っている、生まれながらにして持っている力、能力を、特定の教団の専有のもののように説くことに問題の一つがあると言うのである。
なにも、特定の教団に入信しなければとか、ペンダントを貰わねばその力を出せないということは決してないのである。
神の子・人間は、すべてその能力を持っている。古代インドの時代、お釈迦様は、病人に手を当てられ病気を癒された。また、薬草を与え病気を治された。二千年前のイエスの時代、聖書の中で、病人がキリストの衣のふさにふれると、病人が治ったと書かれている。
「力われより流れ入りて汝に入れり」とキリストが言われたというが、聖書の「ルカ伝」には「日が暮れると、いろいろな病気で弱っている者をかかえた人達が皆、その病人をみもとに連れて来た。イエスは、ひとりひとりに手を置いて、いやされた」
(五・一二ー四〇)また「マタイ伝」には、「イエスは手を伸ばして、彼にさわり、「私の心だ、きよくなれ」と言われた」(八・一六ー一七)
このようなことはどうして起こるのだろうか。
これは先述した「オーラ」によるものである。全身から出ているオーラの雰囲気の中で、オーラが手から相手に集注されると、大きな力を発揮するのである。
そして、キリストのオーラの雰囲気の中に入った時に感動を受けたのである。心が広く豊かで愛深くなると、後光(オーラ)は大きくなる。
心が狭く貧しく我欲に満たされると、後光(オーラ)は小さくその色も汚ない。身体の小さな人でも、大きく見える人がある。愛の深い人の傍に行くと、なんとなく心がほのぼのと温かくなってくる。
また、その逆もある。それは、その人のオーラが雰囲気となって出ているからである。愛の深い人の温かい雰囲気の中に包まれると、安らぎを感じ、いつまでもその人の傍にいたいと思うものである。
「光を入れる」ことの理解のために
<肉体細胞には心がある>
高橋師は「光を入れる」とき、「〇〇細胞よ、あなた達も神の子として、神の世界より使命を持ってきた筈です。
この場所に於いて、このような不調和を起してはならない。本来の使命を自覚し、本来の機能を回復しなさい」と、このように言ったのは、我々が細胞に向って想念し、話しかけると、細胞はそれを聞くからである。
●〈臓器には臓器の集団意識がある〉
細胞が集って「胃」や「腸」という臓器をつくっている。
このようにして胃の集団意識(精神・心)、腸の集団意識が生まれる。
我々の意識は肉体の凡ゆる細胞意識を統制し支配しなければならない。「大いなる生命は、小なる生命をコントロールしなければならない」というのが「生命の法則」「心の法則」である。
●〈表面意識と潜在意識〉
我々の心は表面意識(現在意識)と潜在意識の二つに分かれている。
潜在意識の中心に我々の本当の自分、神の子の意識がある。表面意識は、目で見てきれいであるとか、耳で聞いていい音だとかいう五官によって外界のことを認識する心である。
●〈後光、オーラについて〉
先の記述を参照して欲しい。
●〈ツボ、バイオプラズマ体について〉
中国では何千年も昔から生命力が通過する道として、皮膚の上にツボを発見して、ハリ治療や灸に応用している。
欧米では、そのツボの部分をバイオプラズマ体と名付け、太陽表面の変化を瞬間に感ずることを発見した。
こうして超心理学者達は、人間は体内のバイオプラズマ体を通じて宇宙とつながっているのではないかと考えた。つまり、宇宙や星や太陽の変化に反応して、感情や病気、音、光、磁場、人体の生命力、肉体に影響を与えるのではないかと考えるようになった。
「光を入れる」ということ
光を入れるということは次の三つのことが同時に行われるのである。
1.心から心への説得
私達が念ずると、その念を私達の守護霊が相手の守護霊に伝え、相手の守護霊がその人に心の内から知らせる、囁くのである。
念を送る人の心が不純であったり、受ける人の心が素直でなく頑固であったりすると念は通じなくなる。
即ち不純なものは守護霊が伝えないし、相手の守護霊はその人にいくら伝えようと思っても、その人が頑固であれば守護霊の囁きが聞えないのである。
これまでの宗教団体は、その人のために念ずると、こちらの念が直接相手に通ずるように教えてきたが、それは間違いである。
〈念の速度は光より速い〉
高橋信次師は「念には時間空間がない。あの世は時間空間がない」と教えた。これまで光の速度が一番速いと考えられてきたが、念には時間空間がないから思えば即の世界である。
〈心は念の発信源であり、受信源である〉
高橋信次師は「人間は皆、生まれながらにして発信機と受信機を同時に兼ね備えている」と言った。
〈奇跡は自分が起すのでも、神が直接起されるのでもない〉
これまでの宗教団体は奇跡が起ると「神様が祈りを聞いて下さった」といって神の力が直接働いたように説明してきた。
しかし、神の力が直接現われることはないのである。
それは「あの世」と「この世」の仕組みを知らないからである。私達は日本人として、天皇を象徴とし、政治的には総理大臣があり、都道府県知事があり、各市町村長があって生きている。
憲法があり法律があって、それに基づいて、それぞれの役割があって整然とした秩序がある。
総理大臣が直接国民の一人一人の政治をするということはない。このように※「あの世」にも厳然とした秩序がある。
(※村田正雄さんの[私の霊界通信]でもそのようなお話がありました)
宇宙創造の神の心を知って、その神の心をそのままじかに伝える力を持たれた如来界の方があり、その如来の手足となって神ー如来の心を伝える使命を持たれた菩薩界の方々があり、その下に指導霊といわれる方があり、本人を直接守護する守護霊があって我々は生かされている。
我々の生命そのものは、神の創造されたものだが、その生命、 霊の指導は如来、 菩薩、 各指導霊、守護霊を通して行われる。
そして「光を入れる」時、光を入れる人の心とそれを受ける人の心に偽りがないかを守護霊は見て協力するのである。
また、その守護霊が自分の力では及ばないと思った時は、その問題を解決するにふさわしい指導霊や、光の大指導霊にお願いしてそこに光がそそがれるのである。
ここに光を入れる時に「祈願文」を唱えなければならない根拠がある。光を入れる人も受ける人も神の光を受ける素直な心になり、素直な愛の心を持った時に、霊魂の乗り物として神が創造された肉体は、肉体の法則に従って正しく活動するようになり、不健全な細胞は健全な細胞と変わって奇跡が起るということになる。
そうしてその人の霊は、その人の霊の段階に応じてそれにふさわしく指導されてゆくことになるのである。
ところが、奇跡が起ると、それを自分の力だと思い増上慢になり、あの世からの協力が得られなくなる。だから、謙虚さ敬虔さを失ってはならないと言うのである。
立教当時の宗教指導者は純粋なるが故に奇跡も起き、立派な指導者だと見られているが、その内に増上慢になって指導力を失い、高圧的に会員、信者を支配していく。
これまで「1.心から心への説得」ということを述べた。次に、
2.われわれの心が直接、細胞精神(意識)に通ずる。
3.手を当てることによって、オーラ(後光)即ち生命エネルギーが直接に注入され、特に皮膚上に散在するバイオプラズマ体即ちツボから多く注入され、弱った細胞は活力を与えられる。
以上のように「光を入れる」ということは、これら三つのことが同時に行われるのである。
〈 病気を治すのは本人の心と、
肉体に備わっている自然治癒力(自然療能力)である 〉
「光を入れる」ことも、あくまでも本人の心を目覚めさせ、本人の持っている自然治癒力を振起させる補助的な手段なのである。
光を入れることが即病気治しの根本であるように思ってはならない。ましてや、「私が治してあげます」というおごった心にならないことである。
あくまでも謙虚な心にならなければならない。
「光を入れる実際の方法」 園頭広周師指導
病気はその人の歪められた心の現われであり、心の持ち方を変えればかわるものである。
病気という動かすべからざる頑とした存在がそこにあるのではない。だから、動かし難い病気というものが、その人の肉体の中にあるという固定的な観念を持ってはならないのである。
一、光を入れる前に瞑想、禅定して心を調和させ、愛で心を満たす。
二、相手を仰臥させ、額に手をふれる。また坐ってやる場合は前頭部と後頭部に手をあてて、次の祈願文を唱える。
「大宇宙大神霊、仏よ、この人の心に安らぎをお与え下さい。この人の体に光をお与え下さい。
実在界の諸如来諸菩薩、光の天使、この人の心に安らぎをお与え下さい。この人の体に光をお与え下さい。
守護、指導霊よ、この人がこの肉体を持って生まれてこられました使命を充分に果たすことができますように、心の内より正しくお導き下さい。」
(このように、天上界からの導きを祈るのである。祈願文を唱える理由は前述した通り。)
三、肉体を支配している本人の意識(霊)に向って次のように説得する。
「肉体を支配しているこの人の霊よ。あなたは罪の子ではない。あなたは神の子です。
あなたはこの肉体を持って霊の修業のために現われた霊であることを自覚して下さい。あなたは完全にこの肉体を支配して、この世に生まれてきた使命を果たさなければならないのです。」
(このように念じて、その人が完全に肉体を支配している状態を思念する。)
四、ついで患部に手を当てる。
例えば胃が悪い場合、一方の手を胃の上に、一方の手を背に当てる。
仰臥している場合は、一方の手だけ胃の上に当ててもよい。
この時に、「ここに悪い胃がある」と思ってはならない。「既にそこが光に満たされて健全である」と思念する。そして、手を当てて次のように念ずる。
「胃の細胞よ。あなた達も神の子である。あなたたちは神の子として、この人が霊の修業のためこの肉体を持つ時に、あなた達はこの人の肉体の細胞となって、この人がこの世にあらわれた使命を十分に果たすことができるように、
この人に協力するために現われてきた筈です。あなた達はそこにおいて、このように不調和を来してはならない。あなた達はあなた達として使命を自覚して、神から与えられた使命を自覚して本来の機能を回復しなさい。」
この言葉の通りでなくても、自分の心にもっともぴったりとくる言葉で念ずればよい。
胃を病気にしたのは本人なのですから、この時本人は、心の中で次のように念ずることである。
「本来、健全であったあなた達を自分の不調和、不心得によって知らず知らずのうちにあなた達(胃の細胞)を不調和にし、申し訳ありません。私は今、反省しました。私は今、健全な調和された心になりました。だから、あなた達も光を受けて早く健全になって下さい。」
そのように念じて既に胃が健全である状態をアリアリと心の中に描く。
手を当てている人も、既に胃が完全であることをアリアリと心の中に画いて、息を吸う時に、単に空気を吸うと思わないで「神の光」を吸うと念じて下腹に一杯息を吸う。
下腹に一杯吸った時に、自分の全身が光に満たされて輝いている状態を想念する。
息を吐く時に、自分の体内に満ち満ちていた神の光が、手を通してその人に流れ入り、その人の患部が癒され、全身が光に満ち満ちている状態を想念する。
この時にその人の体内の悪いものは、体内が光に満たされてゆくと同時に、足の爪先からみな流れ出ると想念する。この場合、大事なことは、何度も言うように自分がしているのであるという心にならないことである。
神がすべてのものを生かし、愛さんとしているその神の愛の完全な通路になることで ある。強力に光を送らなければと力む必要はないのである。光を入れる 時間は一日三十分位が良い。
「『光を入れる』ことについての注意点」
ここでは「光を入れる」ことについての注意を幾つか述べてみたい。
●〈人によって効果が違うのはなぜか〉
それは光を入れる人の心と、受ける人の心の状態によって大きく違ってくる。
光を入れる人が「果してこんなことでよいのだろうか」という疑いの心を持ったり、受ける人が心の中でその効果を否定していたとしたら、また効果が少なくなる。
●〈光を入れた後でひどく疲れたという人がある〉
それは現在意識で力んでやっているからです。それともう一つは、病人は多くの場合、悪霊(地獄霊)に憑依されているので、その影響を受け易いからである。
しかし、高橋信次次先生は「誰でも愛の心を強く持てばよいのです。そうすれば誰でも力が出るのです。」と言われた言葉に注目しなければならない。
また病人は生体エネルギーが弱っているために、こちらの生体エネルギーが病人に吸収されるので身体が疲れるのである。
●〈『光を入れる』ことはいいことだからといって、無闇にやると危険である〉
病気になったからには、その人に病気になるような心の原因があったからであり、また憑依されたのは、それにふさわしい心を持っていたからである。
その原因はなんであるかを追及、反省をして、その心の原因を取り除くことである。
高橋信次先生は「反省は神の慈悲である」と言われたが、折角反省する機会を与えられながら、病気の人に反省をさせずに病気だけを治してやろうとすることは、その人から反省の機会を奪い、霊の進歩を阻害することになるのですから、その人に対して良いことをしたことには必ずしもならない。
愛が深いというわけにはゆかないのです。だから言う。「光を入れる」場合は、反省する心を起こさせてからしなければいけないのである。
●〈子供に「光を入れる」場合の注意点〉
大体、十五歳以下の子供の病気は親に原因があるのだから、親がよく反省をして、「自分達、親の不調和が原因で、何も知らない純心なあなたの心に歪みをつくって、可愛いあなたをこんな病気にして、苦しませて申し訳ありませんでした」と、子供に詫びる心で光を入れるとよくなる。
●〈憑依されている人に「光を入れる」場合の注意点〉
光を受ける人が憑依されている場合は、憑依している霊の側から言えば、憑依しなければならない正当な理由があるわけである。
それを強引にことわりもなしに引き離そうとすると憑依霊が復讐する場合があるから、憑依霊にも正法を話して、よく救われてゆくように納得させなければいけないのである。
憑依された人の簡単な見分け方 園頭広周師分類による
1 病名が医者ではわからない。
2 持病で病気が長い。治りにくい。
3 顔色が土色か、またどこか黒ずんでいるか、その反対に蒼白で精彩がない。
4 感情の起伏がはげしい。
5 目がおどおどしていて落ち着きがないか、また目がすわって動かない。
6 身体が冷える。またいつも熱っぽい。
7 いつも頭や肩が重い。
8 暗い所が好きで、ものをいわない。
9 強情で人のいうことを聞かない。
10 人や食べ物の好き嫌いがはげしい。
〈光を入れても治らない場合〉
どんなに光を入れても、また医者にかかっても病気が治らない場合がある。それは本人が治りたくないと思っている場合である。
そんな馬鹿な、と思われる人も多いと思うが、実際に、病気が治りたくない、このままの方がラクだ、病気になっている方が得だ、と思っている人がいるのである。
病気をしている本人が治りたいと思っているかどうかを確かめることが大事なことになる。
また、本人が治ることを願っていたとしても、健康になったら、また前と同じように我欲を張って間違った道を歩もうとしているのであれば、これまた霊を進歩させないばかりか、むしろ退歩させることになるから、その場合は病気を治させるよりも、病人のままで置いた方がまだ良いということになる。
病気がよくなったら何をするか、どういう人間に成りたいと思っているかを決心させなければいけない。
〈生命エネルギーを補給するための禅定〉
光を入れると自分のエネルギーを病人に吸収されるために疲れる場合が多い。
エネルギーを補給せずに光を入れてばかりいると、遂には自分の身体の活力を失って病気になってしまうことがある。
光を入れた後は必ず禅定をして生命エネルギーを充足させて置くことである。
〈高橋信次師が教える病気平癒祈願〉
大宇宙大神霊、仏よ
わが心に光をお与えください
心に安らぎをお与えください
実在界の諸如来、諸菩薩(光の天使)よ
わが心に光をお与えください
心に安らぎをお与えください
実在界の諸天善神よ
わが心をいっさいの魔よりお守りください
私たちは正法に帰依して
日々を正しい想念と行為によって
調和と安らぎのある世界を築きます
(まず自分自身の心に光を受けてから、両方の手のひらを体の悪いところに向け、体より一センチぐらい離して健康祈願する。そしてさらに、次のように言う。)
当体の意識(患部)よ
あなたたちは肉体舟としての使命を
この現象界に出るときに
神仏と約束をしたはずです
あなたたち細胞集団は
魂修行の目的を果たしてください
大宇宙大神霊、仏よ
当体(患部)に光をお与えください
安らぎと調和をお与えください
(約三十分ぐらいで効果が出てくる。神理を悟った生活をしていれば、こうした効果はさらに大きく現われてくる。)
光を入れるのはなにも人からだけにやってもらう必要はない。自分の手を悪いという所に当てればよいし、また健康を長く保ちたい人は、左右の肋骨の下部の所に手を当てて、光を入れながらそのまま自然に寝るようにすればよい。
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- Date
- 2017.12.09 Sat
霊道(心の眼)を開くとは♪徳積みの原理♪霊能力者・呪詛・念の驚愕の裏事情♪行者の末路は哀れ♪井出章彦さん♪
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有名な「人を呪わば穴二つ」という言葉がありますが、これは後に【掘れ】が抜けている言葉でありまして、要約すると、人を呪うのなら、相手と自分の分の墓穴を掘っておきなさいよ、という意味合いで御座います。
人を呪うということは、実質的に自分を呪っているのと同じですから、たとえその時に呪いが成功したとしても、「行者の末路は哀れ」と言い伝えられている通り、死後は、その呪い殺した相手(多数の場合はその多数)から壮絶な仕返しをあの世でされてしまいます。
魔の呪詛を使った行者は死後も、何十年、何百年も、真っ暗な世界でその償いをするハメになるそうですから、余計な霊術・超能力を求めたりせず、
呪いを受けない簡単な秘訣は、全てを許し全てを愛する慈悲と愛の神我の想い、笑顔と感謝、人を責めない、愛と調和、の善想念の維持を日々実践していくことでしょうか。その境地まで到達できれば、もう呪いなんてホコリほど気にする必要はありませんよ♪…ちなみに私はもう大丈夫です(笑)
元々、天上界の天使の方で、今回の地球のアセンションのために、使命を持って地球に肉体を持って生まれてきたという方ですから、正真正銘の本物の天使ですね。過去世が大物すぎてちょっと恐れ多い気分になります(笑)
内容は大変素晴らしいのに、Amazon様での中古本が大変お安いので、ぜひお求めになって魂の覚醒のお役にご活用して下さいね。他では得られない内容も豊富ありましたし。私はしっかり同じ本を2冊買っちゃいました(笑)
四国の霊能者の世界から一部引用ですが・・・♬
はじめに
私の住んでいる四国には民間祈祷師(シャーマン)が大勢います。彼らは霊能を持った呪術師もいて、占い、まじない、加持祈祷などの儀礼的行為を行って相談者のさまざまな悩み事や現世利益的な願い事の支援を行う人々です。
神道系、仏教系、陰陽道系など宗教的背景はさまざまですが、昔ながらの呪術的、密教的伝統に根ざした儀礼を行い、降神、憑依などのトランス状態になって託宣をしたり、神霊や仏との交信を通じて相談者の環境の変容を試みたり、心身の「癒し」を試みるわけです。
人類学や民俗学の分野ではこうしたシャーマニズムをテーマに書かれた文献をたくさん見つけることができます。「癒し」の社会・文化的な規定性を検討する上で、こうした文献は有益な知識をわれわれに提供してくれます。
しかし、人類学者や民俗学者はあくまでもシャーマニズムの社会的な役割に焦点を当てて研究しているわけであり、シャーマンたちが霊術を駆使して本当に「癒し」を行っているのか、その真偽の程にまでは言及することは少ないといえます。
もちろん、彼らはフィールド・ワークの手法を採用し、シャーマンとそのコミュニティに一定期間とどまって生活をともにしながら「生の資料」を集めるわけですが、そうした参与的観察の中で手にしたデータをすべて公表しているわけではないでしょうし、これを論文や本にまとめる過程でふるい落としてしまうデータもあります。
それに加えて、研究の対象となっているシャーマンたちがどこまで実態をあるがままに見せてくれるか、語ってくれるかという問題もあるでしょう。シャーマンたちから見れば、学者はあくまでも部外者であり、建前的なことを語っておくのが無難な相手であるわけです。それに学者の頭では理解できない世界も繰り広げられていますし。
幸いなことに、私は四国に住むようになってから呪術師たちと接触する機会に恵まれ、彼らの生きざま、仕事ぶりについて詳細を知ることができるようになりました。私自身、密教や土着の宗教的習俗に関心を持っていましたので、同時にこうした儀礼について彼らに指導を請い、精神修養法として実践的知識を得ることもできました。そういうプロセスの中で、四国の「呪術師業界」(以下業界と略記する)の実態について次第に認識が深まっていったわけです。今では私も「業界人」の一員です。
このページでは、これまでに私が見聞した業界の裏話を差し支えのない範囲で語ってみようと思います。なお、個人名や団体名は一切公表することができませんし、連絡先に関する問い合わせにも応じることはできないことを、最初にお断りしておきます。
さて、祈祷師の間で日常茶飯的に「サイキック・ウォーズ」が繰り広げられているのは、この業界では公然の秘密のようなものです。簡単にいえば「念」のくれ合い、飛ばし合いです。
動機は色々ですが、1.団体間の勢力抗争、2.個人的な恨み・嫉妬、3.顧客からの依頼などが主です。何せ物的証拠が残らないやり方を使うので、市井の人にとっては理解を超えてしまう世界でもあります。
祈祷師の看板をあげている人には少なからず体を壊す、病床に伏せり、生死の境をさまようような経験をもっている人がいます。
1つには相談者たちの持ち込む邪気、邪念に長年被曝し続けることで肉体が変調を来しやすくなる。それ以上にえげつないのが同業者に呪詛をかけられて命を狙われる、という類の戦いです。
超心理学では生体PKという概念があります。これは生物の細胞を活性化したり、生体機能を回復させたりする「建設的な念力」という研究がもっぱらなのですが、現実的には呪殺という破壊的な生体PKの使い方の方が多いように思えてなりません。その昔、旧ソ連でニーナ・クラギーナという超能力者がカエルの心臓を念力で止める実験を行ったことはありますが。
ターゲットにした相手をサイキックな方法で攻撃するには、いろいろな手段がありますが、常套手段としては現象として病気の症状を起こさせ、体力を消耗させて、あわよくば死に至らしめる、というのがあります。
もちろん、念を飛ばす方と受ける側に歴然たる「力の差」がある場合には、一気に衰弱させ死に至らしめることになります。しかし、もし相手がこの攻撃に持ちこたえたならば、送った念が倍返しで戻ってきて、逆に加害者の生命が危うくなるというのもこの種の現象の特徴です。「やるかやられるか」の世界なのです。
出る杭は打たれるのが日本の社会の特質、いじめの構造なのですが、将来自分よりも「ランク」が上がり、自分の仕事上の脅威になると思うや否や、この業界の人間は相手を潰しにかかります。それで命を落としたり、再起不能になったり、というのが祈祷師・霊能者の世界ではないでしょうか。
このように述べるのも、アストラル次元(微細意識次元)の上位-下位問題にかかわる私の疑問に根ざしています。超能力や霊能力を操作できるようになるということは、必ずしも意識進化とは別次元の問題かもしれません。逆に意識の進化した人間はこういう力を愛他的な方向に利用することができるのかもしれません。
彼らの「暗闘」を知るにつれて、世間以上にドロドロしたものを感じざるを得ません。「必殺仕事人」のような世界です。シャーマンとは癒すだけじゃなくて、滅ぼす者でもあるという認識を私はもっています。
現代においても、奈良・平安時代と同じく呪術(日本古来のもの、その他仏教系、西洋系など)の伝統は脈々と息づいています。専属祈祷師を養成している団体も存在します。その団体では「殺られるまえに殺れ」という教えを説いています。ついでに言うと「裏切り者は消せ」というのもこの業界の常識です。
四国は特別な場所なのかもしれません。人口の割に祈祷師(霊媒含む)が多いので過当競争なのかもしれません。東京や大阪で仕事ができなくなった霊能者が四国で荒稼ぎをしたり、逆に四国で看板を出したりすると「潰される」ために東京や大阪まで出稼ぎに行っている業界人もいます。いずれにしても、「闇の世界」の出来事ですから、表沙汰になることはまずありません。こうしたサバイバル・ゲームに勝ち残った者がこの世界の有力者になっていくわけです。
また、この業界では相談に来た相手を故意に病気にさせるというのは常套手段です。それでお祓い(浄霊)に来ると、また別の症状を一定の潜伏期間をおいておこさせる。これで信者をつなぎ止めていくわけです。まるで麻薬の売人みたいですけど・・・。
最近はわりと気軽に霊的な修行の世界に入る人もいると聞いていますが、修行ごっこならいざ知らず、本格的にサイキックな修行の世界に入ろうと思うなら大きなリスクを背負っていることを自覚してほしいと思います。しかも、自己責任です。
命を投げ出して責任をとらなければならない事態も起こり得ます。誰も助けてくれませんし、誰かにすがろうと思っても、「大いなる計らい」によって一切の支援を断ち切られてしまうことだってあります。
適切な指導者に師事して適切な指導を受けることは、一般の学校教育と通じるところもありますが、その師匠の霊的レベルを超えた圧倒的な意志が介入し始めると、師匠でさえも手助けできなくなってしまう状況に追い込まれることもあります。
「ブラック霊能者」たちの末路
「呪い専門の霊能者」の末路は哀れです。人を恨み,世間を憎んで生きることで,何を手にすることができるでしょうか?闇に生まれ,闇に生き,闇の中で葬られてしまうことで我が人生に悔いなしと「いまわの際」に胸を張って言えるでしょうか?しがらみや恩や義理があることはよくわかります。
でも,それによって失うものの方が手にする利益の何倍も大きいことに気づいてください。光を念じ,神仏の領域に接近し,自らの手で意識の解放をめざそうではありませんか?
では本題に入りましょう。私が見聞している限りで言えば,霊能者たちの多くは何らかの組織に所属しています。霊能者ハンターと呼ばれる人々が,各種の噂や情報を聞きつけてフリーの霊能者にアプローチをかけ,自らの所属する組織のメンバーとなるように勧誘するのです。
莫大な利益と生活の保障を約束する代わりに,一度契約を交わすと,自分の意志とは無関係にさまざまな「仕事」をこなさなくてはなりません。ノルマが課せられ,他者の利益というよりも,上層部からの指示を受けて呪詛などの手を汚す仕事をこなさなければなりません。
「念」を使い,「気」を使い,下位アストラル次元の「意識エネルギー」を駆使しながら,相手の心身にダメージを与える「任務」は過酷そのものです。
このうち,「念」を使うやり方がもっとも容易で,かつ呪詛をかける側の消耗度がもっとも激しいものです。ただし,人をねたんだり,憎んだりするのが一種の習慣的性格になっているような人物なら素人でも「念飛ばし」は可能です。相手の顔を思い浮かべながら一心不乱に感情を喚起させ続けると,誰でも「念」を飛ばすことはできるのです。情念を伴った意識エネルギー。
これがいわゆる「生霊」と呼ばれているものの正体だと私は考えています。一般の人間も自分で気がつかないうちに行っていることもあります。
プロの場合は,それに秘術とされるテクニックを加えて利用しますのでより効果的に念を飛ばすことができますが,「人を呪わば穴二つ」とも言うように相手が術を解くことに成功した場合,自分自身にも戻ってきて急激に消耗をきたすリスクも抱えています。
さらにレベルの高い霊能者は,無駄な「念」を使わずにより効率的な意識エネルギーの使い方を知っているため,より長期にわたって安定した呪力を発揮することが可能となります。こちら側の情報を相手に察知されることなく,相手からの反撃に備えて結界も張っているので,まず倒れることはありません。
このような域に達する人物は,生まれつきの霊媒体質で,若いときから呪術に関する専門的な教育を受けており,かつ実技を徹底的にたたき込まれている必要があります。
組織によっては子飼いの「専属祈祷師候補生」を養成しており,それぞれの霊媒体質の特質によって得意とする霊力を極限まで引き出す「英才教育」を行っているところもあるくらいです。まるで「虎の穴」のような霊媒道場が存在するのです。
若いときには体力に任せていれば,いくらでもそういう仕事を請けることができるのですが,人間業ですからいずれ限界がやってきます。年を取って精神をやんだり,体調を崩す拝み屋がほとんどです。
この業界にいる人間は臓器の1つや2つくらいカット&ペーストをするのが「勲章」のようなものであり,一人前になるプロセスにおいて遅かれ早かれ通過する試練の1つです。一般の人々に比べてみても,老化が早い段階から始まるような印象を持っています。
いずれにしても,組織から見れば彼ら専属祈祷師は「使い捨て」の部品にすぎません。金属疲労をきたした部品はいずれ廃棄処分になります。物質的経済的には申し分ない環境を約束されますが,年老いてから後悔と懺悔の日々になることが多いようです。
ところで,霊能者が所属する組織と言っても,実に様々なものがあります。上位下達の徹底した締め付けの厳しい組織もありますし,自由に活動させてくれる緩やかなつながりの組織もあります。
それに,フリーの拝み屋と言っても自分の師匠(指導者)が必ずついています。彼らの師弟関係は擬似的親子関係であり,「親」の言うことには絶対に服従の世界でもあります。
特に霊能者の看板をあげる人の場合,その「親」あるいは「親」の母胎となっている組織から占い,まじない,祈祷,教師などの「資格」や「免許」を発行してもらっています。
この資格があるのとないのとでは業界からの評価や対社会的評価も雲泥の差がつきます。四国では特に資格の有無にはうるさいです。
また,誰が「親」なのか,どこの組織で修行を行ったのかという点についても相談者はよく心得ていて,「この組織の出身の人なら信用できるだろう」といった品定めをしてから,仕事の依頼に入るわけです。
たとえば「祈祷」の資格があれば,祈祷師として相談者の身体に触れる宗教儀礼的行為も許されます。しかし,祈祷の資格がないと身体的接触は法に触れる可能性もあると聞いています。
無資格だと「セクハラ」などの理由でトラブルになるケースも存在します。ただし通常の相談行為なら祈祷の資格がなくてもオーケーです。
いずれにしても,少なくとも四国では大っぴらに活動をする上で資格をまず取っておくことが必要不可欠です。
もちろん,闇で無資格の非公然霊能者は四国にはわんさかいるわけで,そういう人の中にはインチキな「有象無象」もいますが,営利目的ではなくボランティアでやっている人も大勢いて,よく当たると近所で評判の人もいます。
一般に四国の霊能者のサイキック覚醒度は高く,テクノロジーに長けた人物がいっぱいいます。すでに述べた「念」のくれ合い,飛ばし合いについてもきわめて高度で,芸術的な域に到達している人物もいます。
それを破壊的な方向に使用してしまうのが大問題なのですが。反面,良性の念を飛ばして「癒し」に利用できる人がいるのも確かです。
また,変則的認知(超感覚的知覚;透視,テレパシー,予知)についても名人芸を披露できる人もいます。
この点は相談者たちも目が肥えていて,少しでも曖昧であやふやな「霊視」をするとクレームを付けてきます。確かめようのない託宣を告げても,顧客たちは納得しません。
確実に結果を出すことが要求されているわけで,顧客たちの高い水準のニーズに応えていくことのできる拝み屋は評判が評判を呼んで繁盛しています。
逆に一度インチキの評判が立ってしまうと,もうこの業界では仕事ができなくなってしまいます。一気に噂が拡がり,信者や顧客が一斉に離れ,やがて廃業に追い込まれていくのです。四国の霊能者のレベルの高さはこうした目の肥えた顧客たちとの関係の中でもまれながら,培われているわけです。
ヘミシンクと瞑想と旅行のブログです(神秘体験話が盛り沢山♪)
呪詛を打つ事について 会社の者に逆恨みによる呪詛を打たれました。横領を告発したのです。横領した金で高級腕時計をいくつも購入して自慢してました。会社や人をだましても 何も思はないのだろうか。 続き⇛⇛呪詛をまた打たれ⇛⇛呪詛を打つ者の救助
⇛⇛⇛呪詛について シリーズ1~13まで(呪詛を実際に体験した壮絶なお話)
井出章彦さんのご著書「心の眼Ⅱ」からの引用ですが・・・♬
心の章 ~霊道
心の眼を開くとは・・・
霊道を開く、という言葉があります。これは心の窓を開く、とも言い換えられます。心には表面意識と潜在意識があります。この間にあるのが、想念体と言われているものです。
この想念体に穴があきますと、潜在意識からの智恵が表面意識の方に湧き出てきますので、その結果、過去世(前世、自分が生きていた当時の場所)の言葉を話せたり、未来の出来事を予知したり、人の心が分かったり、人の過去世までも視えてしまう、などと言った霊能力が身に付くと言われています。
仏教用語にあるような、読心術(テレパシー)、透視能力(クレアボヤンス)、千里眼などと称されているものだと言えましょう。
私自身の場合で言いますと、霊道が開いた、とはニュアンスは違います。それは自らの過去世が分かっただとか、自分の智恵によって事象の意味が分かった、ということとはまた違ってきています。
私自身のは、天使から教えていただいている、という形になります。
学校の宿題に問えるとしたならば、霊道を開いている人の場合だと、数学なら今までに勉強してきた方程式などを思い出し、色々と駆使しながらその問題を説く、と言えましょう。
私の場合はと言いますと、隣の家庭教師の先生が座っていて、どの参考書の何ページに例題があるから、それに照らし合わせて問題を説くと良いよ、と教わっているようなものでしょう。
但し、私自身に金銭欲だとか名誉欲などの邪(よこしま)な気持ち、想いが生じますと、このような感覚(能力)は失われてしまいます。このことにつきましては、霊能力の場合と同じです。
今現在ですが、私と同じように大天使からの指導を、はっきりとした声で、あるいはまたインスピレーション(感覚)として受けられている人数というのは、日本に三千人から五千人くらいだそうです。
アセンション(次元上昇)ということもあって、いつの時代と比較しても、とても多いとのことです。この数字は、これからも増えていく可能性はあるとのことです。
アセンションは今世関わっている人に対しては、ミカエル様が指導をなさっています。ですからそのような人に対しての通信は、ミカエル様からのものである可能性があります。
私自身一時、霊道を開いた状態にあったことがありました。
当時は何も気がついてはいませんでしたが、アセンションへの指導の一環として、天上界の作用により霊道が開いていた時期が、平成七年の1月から平成十年11月までの約四年ありました。
私の場合は、妻の雅子と共に、アセンションの一大プロジェクトに大きく関与していたために、特に霊道を開くことは必要であったらしいのです。
当時、私も雅子も崖っぷちギリギリの所で、アセンションの役目を担っているという状態でした。まさに、命懸けであったという表現が大袈裟ではなく出来る程にです。
そのため、本来私は人に厳しいタイプではありませんので、このような時には、指導霊を担当して下さっているルカ様(七大天使であるウリエル)が厳しさを、そして優しさの面においては、ミカエル様が、私の霊道を通して発揮していました。
そして私は、ダビデ、孔子、司馬遷、諸葛孔明、吉備真備、ミケランジェロ、新井白石、勝海舟などとして地上界に出ていた時、そして今現在もですが、私に厳しさを必要としている時には、ルカ様(ウリエル)が指導なさって下さるようです。
霊道が開いていた時、常にではありませんがその時々において、「自分は何の努力もしないで相手を憎んだり恨んだりする」様な低次元な人が、私に敢えて入ったりあるいは、ただの一度だけですが、お釈迦様が私に入ったことがあったとのことです。
当時、私は何も感じてはいませんでした。妻の雅子が当時を振り返り、この様に申しています。「あの頃の章彦さんは、言うこととか態度がたびたび変わっていましたよ」と。
尚、これまでの事情が分かったのは、今原稿を書いている平成12年5月のことです。そして当然ながら、これは天使により教えて頂いた事柄です。
このような事柄、出来事を振り返りますと、天上界からの指導の一環であったこととは言いましても、霊道が開くと大変であろう、とそのように感じられます。
天上界からの指導を抜きにして考えた場合ですと、よほど自分の心をしっかりと持ち、そして正しくしていないと、自分が自分でなくなったりしてしまいます。俗に言うところの「憑依」です。
私の以前知っていたある人は霊道が開いていました。過去世の言葉を語り、遠く離れた人の心の状態を知り、自分自身のあるいは人の未来を、そして過去(前世をも)を知り、眼に見えない世界の現象を感じ取ることの出来る能力~霊能力を持っていました。
ところが金銭欲を始めとして、いくつかの欲が生じてしまいました。そのために一人、二人とその人の元から離れて行きました。彼女はそれでも自らを振り返ろうとはしません。
私が彼女から離れてしばらくして、天使長であるミカエル様が、彼女の霊道を閉じることをしました。このままでは人に迷惑をかける、というのが主な理由です。
彼女の場合は自我が強く、欲というものが強く生じており、他の人のことを中傷したり、非難するということも多々ありました。これでは霊道を閉ざされてしまっても仕方のないことです。つまり、本物ではなくなる、ということを意味します。
大天使ミカエルは今世、アセンションの仕事に直に関わっており、天上界と地上界とを繋ぐ仕事を扱っている関係上、人の霊道のコントロールに携(たずさ)わっているとのことです。
そのためミカエル様は彼女の霊道を閉じました。彼女が霊道を開いていることは、アセンションにとっての役に立たないばかりではなく、他の人にも、他の事柄にもマイナスの因となってしまう、ということからです。
彼女は実は七次元の菩薩界から出てきている光の天使です。ところが全てを人のせいにしてしまい、自らを振り返ることは一切していないために、心の段階は7次元から4次元へと一気に落ちてしまっていました。
今は「前はこんなはずではなかったのに…」と、自らを振り返ることをすることもあるため、心の段階の方も五次元(の下の段階)にまで、戻ってきたとのことです。
霊道が開いた場合、今まで以上により自分自身に厳しくする必要があるということです。霊道に関してこの事柄をここまでミカエル様に尋ね、教えられたものとして、この場に記させていただきました。
霊能力というものに憧れる人もいることと思いますが、自分の心が余程しっかりとしていませんと、上級霊ならばとにかく、地獄霊だとか動物霊などの低級霊にあなた自身、乗っ取られてしまい、心を蝕まれてしまうことも、なきにしもあらずです。
ですから、むやみやたらにおかしな方向へ修行に心を向ける事は逆効果となりますので、十分に注意しなければなりません。それはあなた自身のためであるからです。
また別にある本では、「天上界において天使と出会って様々な教えを受け、そして自らも天上界の様子を見て真実を知った」と記した内容のものが実は、高橋信次先生の本からそのままのものでした。
この著者はそれでセミナーなどを行ない、生計を立てているといいます。(この著者のことをミカエル様に確かめた所、信者集めが80%で、本の内容については創作である、とのことでした)
もしあなたの近くに霊現象の行える人がいた場合、まずその人を観察して下さい。その人の日常の言動だとか、生活の様子、人柄などを第三者の眼で見て下さい。信じるのはそれからでも遅くはないのですから。
むやみやたらに信じてしまって、そしてそれで1番損するのは、他ならぬあなた自身なのですから。
井出章彦さんの過去記事からの引用ですが・・・♬
祈り (徳によって祈りが叶う原理)
誰もが皆、お祈りをしたことがあると思います。それは心の中であったり、神社の前であったり、お寺の中であったり、あるいは夜寝る前の布団の中であったりしたかもしれません。
そして多分皆さんは、神様が、天使が、ご先祖様が守ってくれる、導いてくれる、願い事を叶えてくれるとのことで、祈られているのではないかと思います。以下、心の眼の観点から感じたままに記していきます。
ます、祈りは、徳の数によって成就されるということです。えっ、何のこと?、と思われることでしょうね。きっと。ここで、預金のことを思い浮かべてみてください。
原理としては同じですから、把握しやすいと思いますので。
あなたが新車を欲しくても、それだけのお金がなければ購入する事は出来ません。(物を買うには)お金という貯えがこの場合、必要です。
では徳とはどういうものなのでしょうか。そして徳を積むとは一体どういうことなのでしょうか。人に親切にするとか、街に落ちているゴミを拾うという行為も、徳として換算されて、積まれていきます。
たとえそこに貴方のその行為を見ている人が誰もいなくても、あるいはあなたの親切を相手の人が気づかないとしても、です。
私は時々、遠隔ヒーリングを行うことがあります。相手には「気を送ったよ」とか、「今からヒーリングをするからね」とかを、特に伝えたりはせず行う場合が殆どですが、心の眼で私自身の徳の数を教えてもらうと、それは増えていたのですね。「情は人のためにあらず」という言葉の意味は実は、このように自分のためとなっているのだ。ということなのです。
拝めば救われる、という以前に、自分自身の今までに行ってきた善の行為によって、自分自身が助けられる、救われる、という事柄は実際にあり、それは事実なのであるということを、皆さん方には是非知っておいていただきたいと思うのです。
今の日本人における徳の数の平均はいくつでしょうか。百を満点とした場合、その平均値というものは実は二十です。ちょっと少ないなあ、と感じられたのではありませんか。
ではなぜ少ない数なのでしょうか。それは、自分本位の考え方で生きている人が多いことをそのまま顕しています。
それだけ自分だけ良ければいいんだ、という考え方に基いて生きている人が多いということを顕しているのですね。ですが、面白いことに、そのような人というのは徳が少ないから、逆に幸せな人生は送りにくいのですけれども。
心の曇り、そして罰
怒り、愚痴、不平不満、謗(そし)り、誹謗、足ることを知らぬ欲望などが心の曇りです。そしてこれらは心の曇りとなります。そしてこれらは心の毒と称します。これらは、心に射してくる神からの光を遮ってしまいます。
心に曇りが出来ますと、神からは光が当たらなくなり、すると数奇な人生を送る、言い換えると、正道から外れてします方向に、進んで行ってしまいます。(謗り=悪口を言うこと)
ここで、日常生活の中でありがちな事柄を、怒り、愚痴、不平不満などが心に生じている例として、考えて挙げました。
「自分から人が離れていった場合、離れていった人の方を悪い、と決めつけたり、周囲に言い触らしたりする」というケースです。
このような、人が自分から離れていってしまった、という出来事に対して、自分自身を振り返ることはしないで、あれこれと理由をつけて自分自身を納得させることは、自分の非を認めたくはない、認めない人に多いでしょう。相手に怒り、愚痴、不平不満などの感情をぶつけるのではなくて、まず自分自身を振り返ることなのです。
自分自身を振り返るということは、自分の心の状態・在り方が、出来事を作り出しているのですから、そのようになってしまった原因は、他人ではなくて自分自身にある、ということに気がつくことなのです。
例えですが、もしあなたが、全てを人のせいにするようなタイプの人から、何かを言われたり、誇張されていわれたり、あるいはまた、無いことまでもをもひわれたとしても、誰に対しても言い返したり、事実を説明したり、証明したりすることは必要ありません。まずそのような事を言っている人というのは、天上界にある(閻魔帳)につけられてしまうのだそうです。
加えて、そのような人から何を言われたとしても、「ここで言い返したり騒いでみても、周囲の人達を巻き添えにしたり、事が大きくなるから、ならば黙っていよう」としている人には、大きな徳が積まれるのだそうです。
預金で言うと普通預金ではなく、定額預金に該当する程の大きな徳になるとのことです。
自分自身を省みることをせず、他人のせいにしたりする人、このような人は心の段階が残念なことに、ガクンと落ちてしまっています。これはすべての人々にあてはまる事柄です。
高橋信次先生からの、私がいつも胸の中に入れている最も好きな言葉を次に紹介します。
「己れに厳しく、人には寛容な態度を決して忘れてはならない。柔和な心は神の心であり、法の心であるのである」
- No
- 101
- Date
- 2017.12.05 Tue
分かりやすい父母への反省と感謝の内観方法♪霊界構造の極意♪父母恩重経♪天狗の人さらいの真相♪高橋信次師♪
高橋信次師と五井先生について
高橋信次師の偉大さに気付けたお陰で、書き出したい内容が数多く出てまいりましたので、しばらくブログのネタ探しに悩むことはなさそうです(笑)
実は、高橋信次師が、私が本物の覚者と認識している五井先生について、本物か偽物か、どの様な見解なのか興味津々なところがありまして、五井先生についての記述を探しました所、五井先生については、高橋信次師は、よくある、教祖に○○霊が付いているとはおっしゃっていなかったのです。
「他人のカルマを請け負う事は出来ない」と...それだけでして、特に否定的な事は言われておらず、ちょっとε-(´∀`*)ホッとしちゃいました(笑)
確かに基本的はその通りなのですが、上江洲義秀先生が中国人の方の病状を請け負って声が出にくくなったお話や、ダスカロスさんがお孫さんの病気をかぶったお話を知ってましたので、例外的には一応、ある事象かなぁ...と、、カルマ請負については、そのような認識ではあります。
五井先生のご師弟である村田正雄さんの「七仙人の物語」というご著書があるのですが、その内容がいかに真実であったかについて、今回の仙人界のお話で再確認することが出来ました。いつかご紹介する時があるかもねっ♪
霊界次元構造論をめぐっての対話 (三)からの引用ですが・・・♬
高橋信次師の「父母への反省と感謝」(講演)を読むと、基本ベースに『父母恩重経』があることはすでに指摘してありますが、この点については私自身大きな感慨があります。
ご在世当時、高橋信次師がこのような講演をしていたとは、まったく知りませんでしたし、「反省の方法」については、『心の原点』や、会員向けの『反省のかなめ』を手引きとしていたように思います。
地方の多くのGLA会員たちは、同じような状況にあったと思います。 なぜ、このようなすばらしい反省の核心に触れた信次師の講演内容が、広く会員向けに公開されなかったのか、まったく残念に思います。
このたび園頭氏(故人)の正法会のサイトで公開されたことは、非常によかったと思いますが、園頭師の在世中、正法会の会員の時代には、公開されてはいなかったように思います。
羽場武嗣師などは、信次師亡き後、吉本伊信師の内観法を取り入れましたが、その理由としては、信次師の反省方法に対して不十分さを感じていたことが大きな理由でした。
また私自身に強い思い入れがあるのは、この『父母恩重経』は、GLA会員の頃、『大法輪』という月刊誌で、円満社という小出版者の広告で初めて知り、小冊子を購入したことがあったからです。
その内容の素晴らしさから、その後、多くのGLA会員や友人たちに配布したりして、大変喜ばれました。
私自身、大学浪人時代に家出をして、両親を苦しめたこともあり、この『父母恩重経』によって、父母に対する懺悔心が心の底から湧きあがって来たことが今も思い出されます。
そこで、信次師の「父母への反省と感謝」が、『父母恩重経』をベースにして、現代人向けにアレンジしたものであることを、具体的に説明してみたいと思います。
①’ ご両親を縁として、今のあなたがあります。
お父さんがいなければ、あなたは今ここに居ることはありませんでした。
お母さんが居なければ、あなたは生まれることはありませんでした。
あなたの肉体は、ご両親によって与えられました。
②’・・・今、あなたがお母さんのお腹の胎内(なか)にいる自分を想像してみてください。お母さんのお腹の胎内(なか)は暖かです。ゆったりしています。何の不安もありません。
そのようにして十月十日(とつきとおか)の間、あなたはお母さんの体に守られて、ゆっくり育っていきました。
お母さんは大変でした。ある時はつわりで吐きそうになり、何日も苦しみました。体は重くなり、動くのさえ大儀になってきました。トイレに行くのも苦しいほどです。
③’やがて出産の時が来ました。お母さんの陣痛は大変なものでした。
骨の節々まで痛み、身体中から脂汗を流しながら痛みに耐えたのでした。
④’お父さんもそうでした。出産が近づくともう欲は言わない、ただ赤ん坊の手足の指が五本づつ揃っていれば、母と子が無事であれば、もうそれ以上何もいりませんと、ひたすら祈り続けました。
ひたすら祈りながら産室の前を歩き回ったものでした。それがあなたのお父さんの姿でした。
⑤’こうしてあなたはこの世に生まれました。「おぎゃー」と呱々の声を上げた時も、両親の喜びはどんなに大きかったか。
その声を聞いて母親は自分までが、初めてこの世に生まれたように喜びました。お父さんもまた、安堵の胸を撫で下ろし、涙さえ浮かべたのでした。
そして手を取り合って二人で喜び合ったものでした。
⑥’それからは一切がお母さんの手によって育ちました。
母の懐を寝床として、母のひざを遊び場として、母のお乳が唯一の食べ物として育ててくれました。
母の手でなければ夜も昼も明け暮れません。母の手がなければおむつはそのままです。夜中にむづかり、泣き出して母親を起こします。
⑦’お母さんは台所で水仕事をしていても、あるいはちょっとした買い物に出かけていても、気がかりでならないのです。
泣き声が聞こえてくると、縁側からからでも落ちたのではないかと息せき切って走ってかけつけました。
⑧’それがたとえ、空泣きであっても急いで抱き上げておっぱいを含ませました。痛いほど乳房を噛まれても、母は吾が子があどけなくおっぱいを吸い、
にっこり笑う笑顔を身さえすれば、母親は一切の苦しみを忘れるのです。
⑨’父親が注意していなければ、ストーブの火が身体を焼くことを知りません。母親がいなければ、刃物が指を切ることを知らないのです。
両親がいなければ、毒で命を落とすことも知らず、何でも飲み込んでしまうのです。
⑩’両親がよその家にお客に招かれておいしいご馳走がでたときに、ああこのお菓子の一つでもあなたに食べさせてあげたいなぁと思うので、多少格好が悪くても、わざと食べ残したものを紙に包んで持って返ったこともあり、あなたはそれを喜んで食べた。
⑪’あなたが成長するにつれ、しだいに大きな洋服がいります。靴がいります。あなたのお父さんが、汗水たらして働いて得た収入があってこそ、必要なものが整えられていったのです。
限られた収入の中からやりくり算段して母親は、子供たちに必要なものを買い与えていたのです。自分は流行りの着物を着なくても、あるいは、化粧品は、百円の安いクリームで我慢して、あなたに恥ずかしくない服装を用意したのです。
⑫’そうした大きな愛を受けながら一人前になってしまうと、両親をなおざりにしがちになるのが人間です。まして結婚しますと両親の事を忘れてしまい、自分の家庭だけが心の関心事になってしまうのです。
両親と言うものは、歳を取り仕事が衰えてくると頼りにするのは子供だけです。ですから、電話を掛けたり手紙を出してあげれば、両親が喜ぶことは、あなたは百も承知のはずです。
それでいて、滅多に電話も掛けなければ、葉書一枚書くのもおっくうがって、一日延ばしにしてしまうのはどう言うことでしょう。
⑬’そうした両親が連れ合いに先立たれると淋しさは一段とつのります。
丁度、独りぼっちで旅先の旅館で泊まっているようなものです。話し合える人もなく、淋しさをまぎらわせる物は何もありません。
独りぼっちの親も、頼みとする子供夫婦が、そして、孫が訪れる事もありません。皆と笑いささめく楽しみもなく、夜は冷たい布団の中で身を横たえるのです。眠れない布団の中で思う事は、子供達と一緒に暮らした昔のことです。
⑭【乳哺養育の恩】
⑭’今は年老いてしわだらけのお母さんの顔は、あなたを産み落とした頃は、
花のように美しい顔でした。
あなたを育てていく苦労が深いしわを、その顔に一本一本と刻み、
顔・かたちはすっかり消沈してしまったのです。
⑮’じっ~と、あなたの心を見つめてください。
今、あなたがたの心の中に父母に対する本当の思いがあるはずです。
さあ、その心を持ってあなた方は、ご両親に感謝し、感謝する思いをご両親に愛の行為を返していって下さい。おいしい物があったら持って帰って
「お父さん、お母さん、これおいしいよ」とすすめて下さい。
どんなに喜ばれる事でしょう。その時また、愛の言葉が返ってくるでしょう。「私はいいよ。孫にあげようよ」そのご両親の心をしっかりと胸に刻み込んで下さい。ご両親が病気になったら、あなたが自分で看病しましょう。
⑯’たまにちょっとした事があって、遠慮がちにお母さんがあなたに何か言えば、「そんな事じゃお母さん困るよ」と文句を言ったのは、あなたではないでしょうか。
いつも妻の肩を持って、「お母さんはそれだから」「お父さんはそれだから」、と逆に両親を責める事はなかったでしょうか。
そのようなあなたであれば、あなたの奥さんやご主人、あるいは子供達も、
あなたのご両親に対して心よからぬ感情を持つでしょう。
⑰’ひどい時には「人間老いぼれて行き永らえるよりは、早く死んだ方がいいよ」と、鬼のような言葉を吐く人もいます。
そのような言葉を聞いた時に父母の悲しみはどれほどのものでしょうか。
お腹を痛め、ひたすら育ててきた子に、裏切られる親の悲しみはどんなものでしょうか。
それ程の言葉でなくとも、それに類した親の心を刺す言葉を、あなたは口にした事はないでしょうか。両親にこんな思いを抱かせる人があったならば、
もはやその人の心は地獄の心、畜生の心、餓鬼の心です。
如何なる守護霊、指導霊も手をつけかねて、見守る以外ありません。
⑱’中には頑(かたく)なな心を持ったお父さん、お母さんがいらっしゃるかも知れません。
しかしそれは、長い苦しい人生の間に、あなた方を育てる苦しみのために、
止むなく作り出した心の癖でもあるでしょう。
そうしたご両親でも、あなたの愛の行為の積み重ねによってご両親の内なる心は、広く人間性に目覚めてゆくでしょう。
ご両親がそのように成られた時、本当の親孝行が成就されるでしょう。
高橋信次師の霊界構造論
高橋信次師 神智学<太陽系七界の階層構造論>
第七階層 9次元・大如来界 ロゴス界 (ニルヴァーナ)
第六階層 8次元・如来界 モナド界
第五階層 7次元・菩薩界 アートマ界
第四階層 6次元・神界 ブッディー界
5次元~6次元の裏側の世界(仙人界、天狗界)
第三階層 5次元・霊界 メンタル界(上位・コーザル界)
第二階層 4次元・幽界 アストラル界
第一階層 3次元・現象界 フィジカル界(物質界と半物質のエーテル界)
仙人界と天狗界
神理を悟っていても自己保存が強く、慈悲と愛の行為が無い世界である。
地獄界ではないが、霊界と神界の裏側の世界である。
仙人界は技巧派が多く、天狗界は力自慢が多い。
山中での肉体行の中から自分自身の孤独な悟りを開くが、慈悲と愛が無い。過去世においても同様に肉体行をしている為、生活は独善的で自己本位で心が狭く、その生涯の果ては哀れなものが多い。
肉体的荒行をしている生命も霊的現象を起こすことは出来る。しかし悩める衆生の心を救うことは出来ない。六根清浄は言葉のみで心の調和は出来ていないからである。
肉体行をし、神理を悟っても、自己保存が強い為、光の天使の住んでいる世界に行くことは出来ない。人生航路の乗り船に翻弄され、遂に慈悲と愛の心を持つ事無く、衆生にもそれを与える事無く、この世を去ってしまった人々が多い。
1800年以前には、仙人界や天狗界の住人達が、肉体修行の実力試験の為、この3次元現象界に姿を現わし、人間を連れ去っていく者が多かった。そしてその人間達を戻す事が出来ず、大変な騒ぎを起こしたことがあった。
その事件の為、実在界の指導者である上段階の指導霊(菩薩)や光の大指導霊(如来)によって、その力を封印されるということがあった。最近は、取締りが強化された為、いたずらはなくなりました。
意識と次元の関連性について
TBS放映の半沢直樹という番組があります。最終回は多くの人が意外な展開に驚いたといいます。しかし、数霊次元説の立場から言うと、頭取の判断は正しかったのであります。
つまり、半沢直樹の決め言葉「やられたら、やり返す。倍返しだ」ということに原因があります。「やられたら、やり返す」意識は5次元(霊界)の意識であり、正義の意識であります。
しかし、倍返しという発想は、怒りや憎しみの意識を含んでおり、4次元下段階・地獄に通じる意識であります。それゆえ、大和田常務の悪行を明らかになさることまでは正しかった。
ですが、頭取が止めるのを振り切って土下座させてしまったことが、中道の意識を踏み外すことになったのであります。テレビの視聴者は、半沢直樹が昇進して部長になるものと思っていたと思える。
そこは、原作者の中道の精神が発揮されたということであります。結局、大和田常務の思い通り、半沢直樹は子会社に出向になったのであります。
もし、大和田常務の悪行を許すことが出来たら、土下座させることはなかったに違いない。どんなに酷い目にあった人に対しても許すことができる人は菩薩であります。残念ながら、半沢直樹は5次元の意識どまりであったですが、今後の人生で6次元の意識を持ち得るかが見ものであります。
多くの経営者は、6次元(神界)の意識で経営している。6次元とは、心をコントロールできる人のことであります。松下幸之助氏は経営の神様と呼ばれ、多くの尊敬を集めた偉人であります。
高橋信次先生は、松下幸之助氏の過去世を見通して、「ルカ」であると言った。ルカとは、新約聖書を書いた医者であり、菩薩であります。その魂が、松下幸之助となって、菩薩としての使命を果たしたのであります。
次元意識をチェックするテストがあります。「あなたは、青い鳥をどのように探しますか」というものであります。青い鳥の存在を知らない人は、残念ながら4次元であります。
青い鳥を、自分以外の外に探し出す人は、5次元(霊界)であります。
青い鳥は、自分の心であると悟っている人は6次元(神界)であります。
自分の心が神の心につながっていることを認識し、
多くの人々を救っていこうという人たちが7次元・菩薩であります。
如来は宇宙即我の境地に到達しており、神の心と繋がっている。心とは、霊子のことであり、心を発見でき、具体的に描ける人は9次元宇宙界の救世主(メシア)しかいない。高橋信次先生は、心の状態を立体的に描き解説している。(「心の発見」・「心の原点」参照)
ちなみに、如来以上は宇宙即我の境地に到達しており、菩薩たちを天上界から指導なさっている。天上界の最高機密である「太陽系霊団の系図」は、ミカエル大天使が出現したことで高橋信次先生によって明らかにされた。
(「太陽系霊団の系図」は私のブログを参照してください。)ミカエル大天使は、ギリシャ時代ゼウスの子・アポロとして生まれ、宇宙即我の境地に到達なさっている。また、マルチン・ルターとして宗教改革をしている。
ガブリエル大天使も、カルヴァンとして、宗教改革のために出生なさっている。ガブリエルは、ブッダの弟子・舎利仏として出生し、宇宙即我の境地に到達なさっている。舎利仏の親友であるマハーモンガラナー(大目連)は、坂本竜馬として日本に生まれている。
ガブリエル大天使も西郷隆盛として出ている。驚いたことに、ブッダの生命も桂小五郎として生まれている。桂小五郎、西郷隆盛、坂本竜馬の3人は幕末のスターである。スターにはそれだけの資質があったということである。
ブッダの生命の構成は、本体がブッダ、分身は不空三蔵、天台智、最澄、空教、桂小五郎であります。ブッダの前の生命は、リエント・アール・クラードと呼ばれ、南米のアンデス山脈のふもとに生まれている。
さらにその前の生命は、アトランテス帝国時代にアガシャー大王として神理を説かれたお方であります。(これは、心の発見「科学篇」の記述であますが、「太陽系霊団の系図」が判明してからは、アガシャー大王の生命はブッダではなく、イエス・キリストの生命であるとしている。)
イエスの生命の構成は、本体がイエス・キリスト、
分身はクラリオ(BC4千年頃 エジプト)
マグガリス(AD2百年頃 イスラエル)、
フォアイ・シン・フォアイ・シンフォ(AD4百年頃 中国)、
バロイン(AD1千5百年頃 英国)、
マグネチオ(BC2千年頃 エジプト) であります。
分身5がフィリピンに心霊手術のトニーとして生まれたが、増上慢で帰天したため、本体が修正するために世に出るといわれている。
*太陽系霊団の系図では、大神霊の神の光が、エル・ランティーを中心として成り立っている。エル・ランティーは霊太陽として、地上にあっては、太陽のようなエネルギーの塊りであり、次元的には9次元・宇宙界に位置される。
エル・ランティーの光の分霊として、アガシャー(イエス)、カンターレ(ブッダ)、モーセがいる。イエスは、エル・ランティーを指し、エホバと呼び、ブッダはブラフマンと呼び、モーセはヤハウェと呼んだ。
アラーを信奉したマホメットは、ガブリエルの直接指導を受け、さまざまな奇跡を現したが、アラーはエル・ランティーの別名であります。
エル・ランティーの下に7大天使がいる。7大天使の長がミカエルであります。ミカエル天使長の下に、ガブリエルがいる。次いで、ウリエル、サリエル、ラグエル、パヌエル、ラファエルがいる。
ガブリエルの下にセラビム(菩薩)とケルビム(諸天善神)の光の天使がそれぞれ数百名ずつ配置されている。エル・ランティーの分身が高橋信次先生であります。これについて、中丸薫女史が霊的能力で確認している。
ブルガリア人のべラ・コチェフスカ女史は、中丸薫女史と同様霊道者であります。霊能者の多くは、心の窓を開いて霊的能力を身に着けたが、反省を忘れ八正道の実践を怠っていると、心の窓にススがついてしまうのである。
このススをいつも綺麗にしていないと、地獄霊が憑依することがあります。それにより、多くの霊能者は転落してしまうのであります。
ところが、中丸女史やべラ女史のように毎日精進をしている人はいつでも霊的能力を発揮することができるのであります。それは、守護霊や指導霊が常に導いているからであります。
べラ女史が伊勢神宮に参拝した時のことであります。誰も言わなかったのに、自分から外宮の方に歩いて行かれ、多賀宮(豊受大神の荒御霊をお祀りしている宮)に来ると涙を流し何度も何度もお辞儀をするのであった。
後で、べラ女史に聞くと、ヤハウェが祀っているというのであります。伊勢神宮は大変な聖地であり、世界中の誰もが参拝に来て祈りをささげなければならない。ここは、人類のすべてにとって聖地であると証言している。
日本列島の周辺は聖的なバリヤーのようなものがあって、それで覆われている。日本は地球のへそのようなもので宇宙からエネルギーを一番ストレートに受ける特別な聖地であるとも証言している。
(内宮にはイエス・キリストが天照大神として祀られている。)旧約聖書の神・ヤハウェと新約聖書の神・イエス・キリストが伊勢神宮に祀られていることは事実であります。(これは、現在日本の最高機密であります。)
結論は、聖書の民は、日本人であり、日本人こそ、真のユダヤ人であるということなのであります。現在、イスラエルの住んでいる人たちは、アシュケナジーユダヤ人であり、本当のユダヤ人ではありません。
ユダヤ人は黄色人種であるからであります。イエス・キリストも黄色人種でした。白人ではありません。白人ならば、真のユダヤ人ではないからであります。欧米のキリスト教は、真のキリスト教ではなく、パウロによってもたらされたパウロ教(他力信仰)であります。
本当のキリスト教は、ペテロの流れを支持するユダヤ人原始キリスト教徒達によってもたらされた古神道であります。古神道の中にキリスト教が生きているのであります。
各次元の法則
各次元を貫いている法則は「心の法則」である。
それは、原因・結果の法則とも言われている。
心を微分することにより、高次元へと進化できる。
心を微分するということは、心を精妙にすることであり、善念の維持と精神統一によりなされる。
反省的瞑想(八正道に基づき、日々の生活を反省していく方法)により、光の量を増加させることが出来る。(光子量を増加させることである。)
具体的には、心を乗せる乗り船が進化していくことである。
(肉体→幽体→光子体→光神体→神体→エネルギー体へと精妙化していく。)
1、3次元の場合は、心が表面意識10%で潜在意識90%の為、原因と結果における期間がある。そのため、心の持ち方が非常に重要になる。
善念を維持することで、自己実現が可能となる。そのため、精神統一や集中力を養うことが大切になる。
「善念の維持」と「精神統一」が最大の修行課題である。(この2点は、神界上段階でも修行課題であるといわれている。)
2、3次元の世界は非常に粗い波動で造られているため、自己実現の念いは時間がかかる。
しかし、4次元以降の場合は、心が表面意識90%、潜在意識10%となるため、「念い」が即座に現れる。それゆえ、3次元世界に執着を持ち、その念を持続して他界すると、その意識に適応した地獄界が待っている。
それらの悪念を止めない限り、永遠に地獄界で苦しむことになる。悪念を止めて、自分の霊性に気付き、善念を持ち続けていくと、地獄界から幽界へと上がることが出来る。
*日蓮は600年間地獄界で反省していた。他宗派を罵詈雑言、誹謗中傷し、仏陀の教えに反する折伏までした為、聖徳太子の預言どおり、地獄に堕ちた。
何が正しいのかわからないため、地獄にいる多くの者がもがき苦しんでいる。悪念を止めることである。八正道に基づき反省することである。自分の心を信じることである。そうすれば、守護霊に関係する霊が助けてくれるはずである。
3、幽界はスウェデンボルグが言っている聖霊界のことであり、調和された世界である。しかし、のんびりした世界なので、魂の進化が遅れる為、守護霊が来て導いてくれる。
4、霊界では、全て善良であり、霊性開発に励んでいる。
神仏の存在というものを認めているが、神理の知識が不十分である。5次元を指導している諸天善神である大黒天などは、いろいろな方便を使って霊界人を導いている。刺激を与え、興味を持たせながら、神理を伝える方法が取られている。
5、6次元神界では、神理学習意識が高く、学者や専門家が多くいる。
神界の修行方法は「念の維持」と「精神統一」であり、善念をコントロールできることが必要である。
神界の境地はアラハンの境地に到達することである。
神界の人々は、霊界や幽界に行くき、説法の実地訓練をし、自分の専門領域で地上の人間を守護・指導する役割も負わされている。
神界は菩薩になるために、非常に厳しい修行場となっている。
6、7次元菩薩界は神理伝道を使命としている。
菩薩の境地は、如心の境地である。菩薩の役割は、地上界に肉体を持ち、指導者として多くの人々を導くことであり、如来の補助者として奉仕することであり地獄霊を救済する責任者としての役割がある。
7、8次元如来界は観自在力を持ち、宇宙即我の悟りに到達している。
それゆえ、霊としては、神の分光であり、神体といえる。
如来は諸菩薩、諸天善神の指導者としての役割がある。
8、9次元宇宙界は、太陽系霊団の霊太陽としての責任がある。
神と一体の境地であり、観自在力も最高の物である。
地上を浄化する救世主としての役割や人類の進化の推進者としての役割、救世主として地上に出たものを実在界から指導する役割がある。
*太陽系霊団における人類最高責任者であるエル・ランティーは
モーセが救世主として出たときに、「ヤハウェ」と名乗り、
イエスがイスラエルに出た時に、「エホバ」と名乗り、
仏陀がインドに出たときは、「ブラフマン」と名乗った。
マホメットがアラブに出たときには、大天使ガブリエルを通して、「アラー」を名乗った。その真実は、真のメシア「エル・ランティー」であった。
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