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category :日記

後光を出す秘訣は感謝と報恩♪父や母の愛の行為に感謝♪愛の原点・父母への反省と感謝♪反省の大切さ♪高橋信次師♪松下松蔵こと祖神様とは - 祖神道本部(親孝行で神人に )♪松下松蔵翁のこと(戦前に活躍した日本最高級の神人)♪

心の発見 高橋信次著 から引用させていただきました  


感謝と報恩   成年との問答   

 T大学の四年生は、こんな質問をしました。

「私は、自分で望んで生まれてきたとは信じられない。両親が勝手に生んだのではないか。生んだ以上は育てるのが当然だ。

 現在のような社会の体制下の中で、人間の平和はあり得ないし、権力者に感謝した所で良くなるはずもないではないか。
 私達が月謝を払っているから当然教えているのであって、給料をもらっている以上、教える義務もあるだろう。

 また勉強、試験、試験と追いまくられていれば気分もイライラしてくる。といって学校を卒業しなくては、就職の時に問題になるし、
 誰だって良い生活はしたいだろう。学校さえ出ていれば、働いて地位を築いて行く事も出来るし生活も楽になるはずだ。

 この中で弱い者は敗れ、強い者が生き残るのは自然の法則ではないか。私は、感謝とか報恩とかいう言葉は、好きではないが答えて下さい」

 何だか、国会において野党の議員が文部大臣をつるし上げている様な質問ですね。これが大学生の質問かと思うと、私には哀れに思えたのでした。 
 彼が、心損失の代表のように思えたからです。彼は、私(高橋信次師 )の著書も観ていないし、講演も初めて聞いた者であります。

 この時の公演は、現在仏教徒古代仏教の相違について、一時間半話をしたものですが、質問はその後の事でした。私は聞いてみました。

「君は生きているという事に疑問を持ちますか」
「それは、自然だから疑問はないなあ」

「自然とは何ですか」
「自然は、自然だよ。別に意味はないよ」

「意味がないという事は」
「意味がないから無いと言っているんだ」

 話になりません。常に反撥する事に生きがいを感じているのでしょう。しかし、彼の心の中で、どうにでもなれというような捨て鉢になって、大きく感情が膨らんでいるのがよく見えます。

「なるほどね、君は自然という意味もあまり解っていないようだね。原因があるから結果が生まれるのでしょう。自然という原因があるから、結果として生きている事に疑問がないのだろうか。

 疑問がないという事は、先程の質問と大分違っているが、
君は、理屈にはならないことを簡単に口走っているが、
もっと筋を通して人と語る事が大事ではないか」 
学生「・・・・・・・・・」

「君は、親が勝手に生んだのだ、望んで生まれてのではないと言ったが、どのくらいの知識を持ってその様な事を言うのかね。君の考えているのは、眼に見える世界だけなのだ。君を今日まで育ててくれた両親がいるから大学へも行けるのではないか。それを当然だと思っているのかな」

「それは当然だなあ」
「では、もし君の両親が君を生みっ放しにして、死んでしまったとしよう。それでも君は、今のような境遇にいられると思うか。
 両親も身内もなくて君は孤児になる。世の中にはこの様な人は一杯いるのだ。君だったらどうするね」

「それは、他人が何とか見てくれるだろうね。しかし今のような境遇になれるかどうかは想像は出来ないなあ」

「それなら、今の境遇は恵まれているという事になるだろう。
大学へ行けない青年も多いのだよ。君が、何不自由なく、学校に行けるという事は幸福だと言わねばなるまい」

「それはそうだよ」
ようやく、頑(かたく)なな屁理屈屋も同調したようです。

「幸福だという事は、両親の愛情によるし、経済的にも恵まれているからだろう。両親が病気とか貧乏としていたら君はどうする」
「僕は働いてでも学校へ行くし、親の面倒も見るだろうな」

「君は恵まれすぎているから、親の愛情が解らないのだ。苦しい両親を見ていたら、働いて両親を助けていただろう。それは、君が両親に愛情を持っているからだ。親に対する感謝の心があるではないか。その感謝に見合う事をするのが報恩であり、親孝行というものだ」
学生「・・・・・・・・・・」

 まだ反撥心が消えていません。すきがあれば攻撃しようという様な心構えのようです。
「君は、両親の思っている事が解るか。また両親は、君の思っている事が解るか」
「それは解らないなあ・・・」

「なぜ解らないのか」
「考えている事が解ったら大変だ。親子であってもこれは別だよ・・・」

「親子であっても別だと言ったね、その通りだ。肉体を両親から戴いたはずだし、君の魂意識は別だからねえ・・・」

「魂なんていうものは、ないよ。そんな非科学的なものは論外だ」
(学生は)勝ち誇った気持ちになったらしいです。

「君は、悲しい時や感激したときなどどのような気持ちになるか」
「人間だから感情というものがあるだろう。だから泣く事もあるさ」

「その時は、涙が先に出てくるの?」
「胸からこみ上げてきて涙が出てくるよ」

「そうだろうな……君のことだから、先に涙が出て来ると思ったよ。胸にこみ上げて来るものは一体何だろうな、解るかね?」
「それは感情だろうな」

「その感情が心の現れだよ。心の中の一領域の作用というものだ。君は、思う事や考える所はどこからだと思う?」
「それは頭だよ。頭脳だよ」

「君は、眠っている時には、なぜ悲しい事も辛い事も嬉しい事も解らないの?耳の穴もちゃんとあいているのに、そばで悲しい問題が起こったり、話しかけられたり、匂いを嗅がされても、大きな刺激を与えない限り解らないのはどういう訳かね」

「眠ってしまえば、誰だってわからないよ、そんな事は愚問だ…」
一寸風向きが変わってきたようです。愚問だと言っています。

「君は解らない事は愚問だと言うが、非常に非科学的だね……。君は、舟に乗った事があるかね」
「夏はよく海で乗るなあ……」

「その舟に船頭さんが乗っていなかったら、目的地に着けるか」
「それは着けないよ。船頭がいなければ、舟は吹いているだけだなあ……」

「君も眠っている時は、自分の意志もなく、肉体舟は自由に動かないだろう。船頭さんである君自身が眼覚めて、初めて眠る前の喜びや悲しみや苦しみが蘇ってくるだろう。この時の船頭さんを君の魂と言うんだよ。また、人はよく意識がなくなったというだろう。それはその意識の事だ」

「なるほどなあ……肉体以外で船頭さんがいるという事か、それが魂なのか」彼は遂(つい)に否定出来なくなってしまいました。

 頭が全てを記録しているのならば、眠っていても私達の五体は完全ですが、実は催眠中は記憶などはないものなのです。
「やはり船頭さんが記憶しているのだなあ……そう考える以外にはないなあ……」

 私は、最後にこう言いました。
「君が生かされているという事は、大自然の太陽を始めとして、万物万生があるため、肉体舟を保存する事が出来るのだ。太陽がなかったら、生きられるだろうか。しかも太陽は私達全てに平等に熱光りを与えているだろう。

 これこそ、慈悲であり愛であるという事だ。私達は、この慈悲と愛に対して、ただありがとうという感謝だけで良いのだろうか。
感謝だけでは一方通行である。そこで、報恩としての行為が必要だ。

 この行為は、太陽にするのではなく、人々のため、より良い幸福のために尽くすことが大事ではないだろうか。両親は、無償で育ててくれた。これも両親の慈悲であり、愛のはずだ。

これに対する感謝はやはり報いねばならないだろう。食物も私達のため一命を投げ出してくれる。だから私達の血や骨になるのである。感謝する心は、大事に無駄にしないようにする事が報恩の行為といえるだろう」

 学生は、初めて頭を下げたのでした。
「解りました。私は感謝の心が足りませんでした。学校の先生に対しても教えるのが当然だと思っていました心を入れ替えて頑張ります。無礼な質問ばかりしてすみませんでした。本当にありがとう」

 彼に、遂に本当の心(神我)が芽生えたのです。この時、彼の心の曇りは晴れ、※頭に薄い後光が出始めたのです。
(※ご自分の後光の光量の強さに応じた世界が、死後に行く世界になるそうです。感謝の心は天国に行く大きな秘訣といえましょう

 自らの間違いを認め、これはいけないと心に反省をしたのですね。この様に、私達の心の在り方が苦楽を造り出している事を知ったなら、毎日中道心と行いで過ごす事を忘れてはならないでしょう。

 学校の教育は、人間の教養を高め、正しい人間らしい立派な人格を造る為にあるのではないでしょうか。そして、より良い社会人として、社会人類の豊かな心と繁栄のため尽くさなくてはなりません。その時に、自らの心も磨かれてゆくのであります。

 学問によって広い知識を持つと共に、豊かな心を持つ事です。虚栄心やエリート意識は、人生において良い結果をもたらすものではありません。

実るほど頭を垂れる稲穂かな」ですね。謙虚な心で、自分の欠点を修正する為には、己に厳しく、人々に対しては寛容な心を持つ事が大事なのです。

 常に自らの心と行為を反省し、包容力があり、そして智慧があり、勇気があり実行力のある人々、こうした人々こそ、本当に立派な人格者といえるのです。

 先に質問した学生は、社会は弱肉強食であり、それが当然だという考えを持っていました。こうした考え方は、万物の霊長である神の子が取るべき道ではないのです。

 人間には、足る事を忘れ、欲望の尽きることを知らない人々もいます。むしろ動物以下の人間もいるでしょう。その動物達も万物の霊長に近づくための修行過程なのであります。

 人間は、この地上階の万物万世を調和したユートピアを造る事が使命なのです。弱い者達に、愛の手を差し伸べて、共存共栄の社会を完成しなくてはならないという事であります。

感謝について   

 年が進むにしたがって、ものに感謝する心が失われてきます。すべてが当たり前に動いており、感謝や、感動の心は湧いてこなくなります。

 しかし、ものに感謝できない心は、もともと、どの辺りから生じてきたのでしょう。誰しも子供の時代がありました。

 子供のときは両親から可愛がられます。両親は子供のいうことなら大抵のことは聴いてくれます。近頃は過保護となり、親は子供のこととなると夢中になってしまうようです。

 両親は大抵のことはいうことをきいてくれる。わがままを通してくれる。
ということから、子供の心は生長するにしたがい、次第に、ものに感謝する心を失ってゆきます。

 学業を終え、社会に出ても、仕事をするから給料をもらうのは当然だ、課長は係長より余計に給料を取っているから、それだけ働くのは当然だ、ということになってゆきます。

 こうして感謝の心は一向に芽生えてこない訳ですが、その元をたどると、子供の頃のわがままが、大人になっても続いているからです。これでは感謝の心がよみがえってきません。

 この地球上は、お互いに、助けたり、補い合うことによって成り立っているのですから、感謝の心というものは、人間にとって非常に大事なものになるのです。感謝は謙虚な心をつくり、やがて、愛の心をも育てるものです。

 正法の出発、そして終点は、ものに感謝することにあります。すべてが当たり前で、当然、という見方をしていては、「正しくものを見る」ことにはなりません。

 大事なことは感謝です感謝が基礎にないと、ものの見方は偏見を伴ってくるでしょう。

 このほか、親子の問題、夫婦の問題、社会生活の問題、いろいろその例題は尽きませんが、正しい見方というものは、具体的には現れている様々な事柄を深く掘り下げ、物事を正しく認識することから生まれてきます。

 公平な見方は、そうした認識から生まれ、正しい見解に至るわけです。
この地上界に事象(現れている様々な出来事)は、全て、人の想念、心の動きから生じており、現れの姿はそれの結果なのです。

 ですから、ものごとの原因は、人の心にあるのであって、現れているさまざまな現象は、原因ではなく結果なのです。従って、結果だけをとらえ、あれこれ判断すると、間違いの元となります。

 まず、現れている結果を見たならば、その原因について、掘り下げてゆくことが「正見」のポイントです。

 正見の目的は、物事の正確な判断であり、そうして、それにもとづく正しい見解を持つことです。


以上を要約すると、
 一、まず感謝の心を持つこと。  
   一、事象の一切の原因は人の想念、心にあって、現れの世界は結果である。
 一、既成観念を白紙にもどし、物事の真実を知るようにする

 一、正見の反対は邪見になります。常に第三者の立場に立って自我の思いを捨て、正しく見る努力をするということになります。


愛の原点  父母への反省と感謝

それでは皆さん、静かに呼吸を整えてください。
今から、私たちをこの世に送り出して下さった両親の事を静かに考えてみたいと思います。

あなた方は今、生きています。肉体があります。呼吸しています。
今、ここに自分というものがあることを誰も否定できません。なぜあなた方が今、ここにあるのでしょうか。

ご承知のように物事には、すべて原因と結果があります。
私たちの魂もこれから外れることが出来ないから、今ここにある訳です。
人間には転生輪廻があります。

何十回・何百回生まれ変わったか知れません。その繰り返しを重ねて、今ここにあなた方があります。それは丁度、数限りなく繰り返した輪廻という法の中にあります。

その法の端にいる今のあなたをこの世に送り出して下さったのは、他ならぬご両親です。ご両親を縁として、今のあなたがあります。

お父さんがいなければ、あなたは今ここに居ることはありませんでした。お母さんが居なければ、あなたは生まれることはありませんでした。

あなたの肉体は、ご両親によって与えられました。しかもビタ一文払うことなしに、この肉体を頂きました。ただで頂いたばかりでなく、ただで育てて頂きました。

全てが与えられたものばかりでした。よぅく考えてみて下さい。あなたはただで肉体を与えられ、ただで育てて頂いたのです。

今、もし仮に、あなたのご両親がその肉体を返して欲しいと言われたら、あなたはどうするでしょう。……… あなたは拒むことは出来ないはずです。

そうではありませんか。あなたの体は、すべてご両親から与えられたものだからです。自分のものは、何一つありはしないのです。

皆さんの中には様々な事情があって、ご両親に対して良からぬ想い出や感情を、お持ちの方がいらっしゃるかもしれません。しかし、それは狭い心に基づいた偏見だと申し上げましょう。

今ここにあなたがいる。そのために、両親がどれほど心を砕き、身を挺し、その結果としてあなた方が存在しているかを振り返って頂きたいと思うのです。

遠く昔に遡って見ましょう。……… 
今、あなたがお母さんのお腹の胎内(なか)にいる自分を想像してみて下さい。お母さんのお腹の胎内(なか)は暖かです。

ゆったりしています。何の不安もありません。
そのようにして十月十日(とつきとおか)の間、あなたはお母さんの体に守られて、ゆっくり育っていきました。

お母さんは大変でした。ある時はつわりで吐きそうになり、何日も苦しみました。体は重くなり、動くのさえ大儀になってきました。トイレに行くのも苦しいほどです。

肩で息をしました。でもその体でおむつを縫ったものです。夏の暑い日には、かんかん照りの日差しの中を、お腹を突き出してあえぎながら、毎日市場へ買い物にいったものです。お母さんも、たまには映画を見たいと思ったこともあったでしょう。

けれども人ごみの中へ出かけては、お腹の子に悪いと控えたのでした。胎教に悪いからと読みたい本を控えたこともありました。

いつも考えるのは、お腹の子のことばかりでした。丈夫な子が生まれるように、そればかり念じておりました。時には赤ん坊は、お腹の中で手足を動かしあばれました。「ああ、丈夫に育っている」とそれが何よりの喜びでした。

みなさん、よぉく考えてください。お腹の胎内(なか)にいた、僅か十月十日(とつきとおか)の間でさえお母さんは、これだけの犠牲をあなたに注がれたのです。

やがて出産の時が来ました。お母さんの陣痛は大変なものでした。骨の節々まで痛み、身体中から脂汗を流しながら痛みに耐えたのでした。 

この子が無事に生まれてさえくれればそれでいい。ただ、それでいいと、必死になって陣痛と戦ったのです。
命をかけてあなたをこの世に送り出そうとされたのです。

お父さんもそうでした。出産が近づくともう欲は言わない、ただ赤ん坊の手足の指が五本づつ揃っていれば、母と子が無事であれば、もうそれ以上何もいりませんと、ひたすら祈り続けました。

ひたすら祈りながら産室の前を歩き回ったものでした。それがあなたのお父さんの姿でした。あなたがこの世に生を受けるまでに、すでにご両親はこれだけの愛と犠牲を払われているのです。

思い出してください。こうしてあなたはこの世に生まれました。「おぎゃー」と呱々の声を上げた時も、両親の喜びはどんなに大きかったか

その声を聞いて母親は自分までが、初めてこの世に生まれたように喜びました。お父さんもまた、安堵の胸を撫で下ろし、涙さえ浮かべたのでした。

そして手を取り合って二人で喜び合ったものでした。それからは一切がお母さんの手によって育ちました。
 母の懐を寝床として、母のひざを遊び場として、母のお乳が唯一の食べ物として育ててくれました。母の手でなければ夜も昼も明け暮れません。

母の手がなければおむつはそのままです。夜中にむづかり、泣き出して母親を起こします。両親は昼間の疲れもいとわず、二人で飛び起きてあなたの世話をして下さいました

あなたがヨチヨチ歩きを始めると、両親の気遣いは大変なものでした。
お母さんは台所で水仕事をしていても、あるいはちょっとした買い物に出かけていても、気がかりでならないのです。

泣き声が聞こえてくると、縁側からでも落ちたのではないかと息せき切って走ってかけつけました。それがたとえ、空泣きであっても急いで抱き上げておっぱいを含ませました。

痛いほど乳房を噛まれても、母は吾が子があどけなくおっぱいを吸い、にっこり笑う笑顔を見さえすれば、母親は一切の苦しみを忘れるのです。それがあなたのお母さんでした。

赤ん坊のあなたは何もわかりません。父親が注意していなければ、ストーブの火が身体を焼くことを知りません。母親がいなければ、刃物が指を切ることを知らないのです。

両親がいなければ、毒で命を落とすことも知らず、何でも飲み込んでしまうのです。どれほどの心づかいや、目配りが赤ん坊のあなたに必要だったか、あなたはお分かりでしょうか。

熱を出して、お医者さんを呼びに走ったこともあるはずでした。夜も寝ずに、心配で胸をいっぱいにして看病してくださったのはご両親です。

大病をした子供に私の命に代えてもこの子を救ってくださいと、お百度参りをしてくださったのは、あなたのお母さんでなくて誰だったのでしょう。

ご両親がいなければ、あなたは、今ここに居なかったはずです。
自分一人で育ってきたと当然のような顔を出来るはずはありません。

両親がよその家にお客に招かれておいしいご馳走がでたときに、ああこのお菓子の一つでもあなたに食べさせてあげたいなぁと思うので多少格好が悪くても、わざと食べ残したものを紙に包んで持って帰ったこともあり、あなたはそれを喜んで食べた。

ご両親は自分が食べなくても、子供が喜んで食べるその姿を見てひもじい思いは消し飛んでしまいます。戦争直後は、ひどい食糧難でした。

その時に、子供にだけはひもじい思いをさせたくないと、自分は食べずに、自分の分まであなたに食べさせて下さったのは、お母さんでした。

お母さんはお釜の底や、しゃもじに残った一粒一粒のお米を食べて、さも充分食べているような素振りをしていたのです。それ程の愛を注いで下さったのがお母さんの外に誰があるでしょう。

……… やがてあなたは成長しました。学校に行くようになりました。洋服を整え、学用品を買い、世間並みの恥ずかしくない用意を整えて下さったのは誰でしょうか。毎日、ハンカチからチリ紙まで気を配って下さったのは誰でしょうか。

「車に気をつけなさいよ」・「道草をくわないで」毎日そう言って送り出して下さるのは誰でしたか。お母さんの心は愛で一杯です。
たとえお金をもらっていても、これだけの愛の行為が、誰に出来るでしょうか。

あなたが成長するにつれ、しだいに大きな洋服がいります。靴がいります。あなたのお父さんが、汗水たらして働いて得た収入があってこそ、必要なものが整えられていったのです。俗に男が家を外に出れば、七人の敵が居ると言われます。

会社に勤めたり、また独力で商売を営み、それにはどれ程の汗と涙が流されているのでしょう。上役の厳しい命令にも耐え、辛いことも忍んで父親は家族のために収入を得てきました。本当に苦労の連続です。

あなたはその苦労を知りませんでした。欲しい物が買えるお金が家にあるのは当然のように思っていたのです。いやお金の事なんか、全然考えもしなかったでしょう。

しかし実際は、限られた収入の中からやりくり算段して母親は、子供たちに必要なものを買い与えていたのです。

自分は流行りの着物を着なくても、あるいは、化粧品は、百円の安いクリームで我慢して、あなたに恥ずかしくない服装を用意したのです。

……… 冬がやってくればあの子はセーターがいるだろう、この子は手袋がいるだろうと心をくだいて、あなたの事ばかり考え配慮して下さったのはお母さんです。

思い出してください。何年も前の古ぼけたオーバーのままで、町を歩いていたお母さんの後姿。その後姿にあなたへの一杯の優しい愛が、母の心が溢れていたことを、いま知ってください。

こうした多くの両親の犠牲と愛によって、あなたは、いま、ここにある訳ですが、それに気付いたことがあるでしょうか。

正法(しょうほう)は愛に始まって、愛に終わるものです。」

愛の献身によって、人は生かされ生きています。

その愛は、両親の身を削るような犠牲の中に育み、今のあなたがあるのです。幼い時を反省し、父や母の愛の行為に感謝されたでしょうか

たとえされたとしても、両親の愛の心に対して、両親の愛の大きさ広さに見合う心は、容易に得られない事を知る事でしょう。現にあなたは、ご両親の心を痛め、苦しめることを、何度繰り返した事でしょうか。……… 

食事がうまくないと言って箸を投げ出し、口も聞かなかったことがなかったでしょうか。苦しい家計のやりくりの中から作った食事に、このおかずは嫌い、このおつゆは辛い、そう言っていささかの感謝もなく、心を不満で一杯にした事もあったでしょう。

犬猫でさえ、文句を言わずに食べるのに。あなたは好き勝手なことを言いました。洋服の柄が気に入らないと言ってぶつぶつ文句を言った事もあります。

親の愛が満ち溢れているその洋服を怒って、身につけて泣きわめき、我を通そうとしたこともあったでしょう。お母さんが忘れたと言って怒鳴った事もあると思います。

忙しい上に心配事の多いお母さんが、一度か二度忘れた事を、罵り(ののしり)返す権利が、いったいあなたのどこにあったと言うのでしょうか。
怒鳴っているあなたは、鬼です。己の事しか心にないエゴイスト、それがあなたではないですか。

受験勉強でお腹が空いただろうと、
一緒に夜遅くまで起きていて夜食を作って下さったお母さん。……… 

「しっかりやっているか」とのぞきに来て肩を叩いてくれたお父さん。努力が実って入学試験に合格したとき、お赤飯を炊いて顔中を涙でくしゃくしゃにして、喜んでくださったお母さん。

あなたが社会に出た時もそうでした。入社試験に受かって、これで一人前になったと励まして下さったお父さん。お祝いの料理を作り、お酒を買ってきて前途を祝って下さったお母さん。

どれ程の大きな愛が、生まれてから現在までのあなたに、注がれ続けてきた事か。あなたは、その愛の重さを感じ取る事が出来ますか。

あなたの身体は、両親の、父と母の愛が、一つ一つ集まって出来ているのです。
あなたの身体は、単なる肉体ではない事を知ってください。

そうした大きな愛を受けながら一人前になってしまうと、両親をなおざりにしがちになるのが人間です。まして結婚しますと両親の事を忘れてしまい、自分の家庭だけが心の関心事になってしまうのです。

「去る者は、日々にうとし」もはや、あなたは自分の妻や子供達だけで自分の世界を作ってしまい、両親の事は遠くへ押しやってしまいます。

故郷を離れ都会に出てきてしまうと、その繋がりはいよいよ薄くなり、親の年が幾つであるのかも忘れてしまい……… 

ご両親の年が幾つかを、正確に覚えていらっしゃる方がこの中に何人いますか。… お父さんは還暦じゃないかな… 七十七のお祝いの年じゃないかな、といつも心掛けている方が何人いるでしょう。

両親と言うものは、歳を取り仕事が衰えてくると頼りにするのは子供だけです。ですから、電話を掛けたり手紙を出してあげれば、両親が喜ぶことは、あなたは百も承知のはずです。

それでいて、滅多に電話も掛けなければ、葉書一枚書くのもおっくうがって、一日延ばしにしてしまうのはどう言うことでしょう。

でも、ご両親は、あなたを恨みません。愚痴もこぼしません。それどころか、夫婦仲は上手く行っているだろうか。… 病気はしていないだろうか。…会社ではうまくやっているだろうか。… 孫達は風邪をひいていないだろうか。… 

ご両親の愛の思いは尽きる事がありません。幾ら歳を取っても、親不孝であった子であればある程、気掛かりなのが親心です。

そうした両親が連れ合いに先立たれると淋しさは一段とつのります。丁度、独りぼっちで旅先の旅館で泊まっているようなものです。

話し合える人もなく、淋しさをまぎらわせる物は何もありません。独りぼっちの親も、頼みとする子供夫婦が、そして、孫が訪れる事もありません。

皆と笑いささめく楽しみもなく、夜は冷たい布団の中で身を横たえるのです。眠れない布団の中で思う事は、子供達と一緒に暮らした昔のことです。

その淋しさを、あなたは想像できるでしょうか。淋しくとも文句一つ言いません。その心の内を、あなたは思いやった事があるでしょうか。

夜中に目が覚めて、子供達夫婦はどうしているかを考えるのです。そのような母の心、父の心を思いやる時が、あなたにこれまで、何回あったでしょう。

たとえ同じ家庭に同居していても、夫婦が親をそっちのけで、ひそひそと楽しく語り合う事ばかりが中心で、独りぼっちの父や母と語り合う機会がどんなに少ないことでしょう。それがどんなに、父や母の心を傷つけていると思いますか。…

けれどお父さんやお母さんは恨みません。あの子は優しい子だった。… いろいろ忙しくて大変なんだ。… この頃は余り話も出来ないけれど、あの子は悪意がある訳じゃない。そう思って、自分をなぐさめるのです。

我が子が悪いとは、露程にも思いません。たまにちょっとした事があって、遠慮がちにお母さんがあなたに何か言えば、「そんな事じゃお母さん困るよ」と文句を言ったのは、あなたではないでしょうか。

いつも妻の肩を持って、「お母さんはそれだから」「お父さんはそれだから」、と逆に両親を責める事はなかったでしょうか。

そのようなあなたであれば、あなたの奥さんやご主人、あるいは子供達も、あなたのご両親に対して心よからぬ感情を持つでしょう。
ひどい時には「人間老いぼれて行き永らえるよりは、早く死んだ方がいいよ」と、鬼のような言葉を吐く人もいます。

そのような言葉を聞いた時に父母の悲しみはどれほどのものでしょうか。お腹を痛め、ひたすら育ててきた子に、裏切られる親の悲しみはどんなものでしょうか。

それ程の言葉でなくとも、それに類した親の心を刺す言葉を、あなたは口にした事はないでしょうか。

両親にこんな思いを抱かせる人があったならば、もはやその人の心は地獄の心、畜生の心、の心です。如何なる守護霊、指導霊も手をつけかねて、見守る以外ありません。

考えて下さい。今は年老いてしわだらけのお母さんの顔は、あなたを産み落とした頃は、花のように美しい顔でした。

あなたを育てていく苦労が深いしわを、その顔に一本一本と刻み、顔・かたちはすっかり消沈してしまったのです

じっ~と、あなたの心を見つめてください。
今、あなたがたの心の中に父母に対する本当の思いがあるはずです。お父さん、お母さん本当にすみませんでした。
そういう思いがよみがえっているはずです。

その思いこそが本来あなたが持っている愛の心、善の心です

その心をしっかり知ってください。さあ、その心を持ってあなた方は、
ご両親に感謝し、感謝する思いをご両親に愛の行為を返していって下さい

おいしい物があったら持って帰って「お父さん、お母さん、これ美味しいよ」とすすめて下さい。どんなに喜ばれる事でしょう。

その時また、愛の言葉が返ってくるでしょう。「私はいいよ。孫にあげようよ」… そのご両親の心をしっかりと胸に刻み込んで下さい。

ご両親が病気になったら、あなたが自分で看病しましょう。そして愛の言葉を掛けてください。便を取ってください。寝入っている時は、寝息を伺ってください。

これは皆かつて、ご両親があなたにして下さった事なのです。
それがあなたには出来ないはずはありません。

その時、あなたは初めてご両親の愛の深さを体験する事が出来るのです
初めて親の心と同じ心に成ることが出来るのです。

このように親に孝養を尽くす時、ご両親はあなたという子を得た喜びに胸を震わせるでしょう。良い子を持ったという、嬉しさで一杯になるでしょう。

その時、親と子の間に愛の交流が始まるでしょう。
その時ご両親の煩悩は菩提と替るでしょう。

中には頑(かたく)なな心を持ったお父さん、お母さんがいらっしゃるかも知れません。しかしそれは、長い苦しい人生の間に、あなた方を育てる苦しみのために、止むなく作り出した心の癖でもあるでしょう。

そうしたご両親でも、あなたの愛の行為の積み重ねによってご両親の内なる心(神我)は、広く人間性に目覚めてゆくでしょう
ご両親がそのように成られた時、本当の親孝行が成就されるでしょう。

なぜならご両親も修行のため、人間として、この世に出てこられたからです。人間が親子の縁を持って生まれたのも、豊な人間性を養うために、お互いを磨き合う目的を持って縁を結んだからです。

愛の行為を通して意識(意思・心の次元)を高め合ってこそ、本当の親孝行が完成するのです

あなた方の中には、既にご両親が他界された方がいらっしゃるでしょう。そういう方は、普通の形の地上界での親孝行は出来ません。

しかし父母に対して、今自分達がここにある事を感謝し、このように育てて下さった恩を感謝し、至らなかった不幸を詫び、自分自身を善なる者につくり変へ、暖かい調和ある家庭を作り上げて行くことが素晴らしい親孝行と言えましょう。そして、その姿を見て両親は天上界から喜んでいらっしゃるでしょう。

今、皆さんは生まれてから今まで、ご両親があなたに注がれた愛というものを振り返って来られました。そして、ご両親への数々の誤ったあなたの行いと行為に気がつきました。

その誤った自分中心の価値観を身につけて来た過程を、これからも毎日の生活で正していって頂きたいと思います。それは両親の愛の心に相応(ふさわ)しい、それに立ち戻ると言う事です。

その心で今から生きてまいりましょう。お父さんやお母さんに、その心で接して頂きましょう。その心とは愛の心です。思いやりの心です。

愛多ければ、成すこと多し」 もう一度申し上げます。 
愛多ければ、成すこと多し

親孝行の大事さ・大切さがよく分かる良質サイトはこちら♪

「私は、親孝行のために力を得た。
私は決して願をしたのでもなく、行(ぎょう)を積んだのでもない。
ただ、生まれつき親孝行することが好きである、
一度も親に口答えせず、そむいたこともなかった。

元来人間は、親あっての自分で、わが身が大切ならば、親はなおさら大切で、ことに親の子に対する愛情は無限である、それを思うなら、どうして親を大切に思わずにいられよう。親孝行が人間道の根本だ。

私は、神様は何神様を信ぜよとか、仏様は何様を信ぜよとか、
決してそんな事をすすめるのではない。
世の中は親孝行が第一で、親孝行さえするなら、成功もでき出世もできる。

私の教えは、孝行をせよ、その功徳は偉大であるという事にある。」

「人間は、自分の思うことが叶い、運が向くと、
周囲の人々は、次々と集まってきて上げる、本人は、増長する。
この時こそ一番大切である。

自分の力だけではない。
と云うことを忘れてはならぬ。
ところが、人間は、いたって忘れがちになる。

どこまでも、どこまでも影の御力、神様への感謝を忘れずに、
頭を低くして、私が、毎日実行して来たことを忘れずに、
修養、修行して行かなければならない」。

「精々、肉類は食わぬようにするがいいよ。
儂等は朝は味噌汁一杯、昼は御飯一椀と野菜一皿、それ以外に何も食わないで、これだけ働ける。
今の人間は食い過ぎているわい。
獣の肉を食うと、心臓が弱る。血が濁る。
魂の穢れを増すばかりじゃ。
獣類、鳥類、虫類の怨みも恐ろしいからな・・・・」


宇宙創造の神がすすめる霊性を高める方法 天の理=洗心

いつももつべき正しい心(=常の心)
強く     明るく
正しく    我が祈り
宜しからぬ欲を捨て
みな仲良く、相和して
感謝の生活をなせ

心の中からなくすべき感情(=ご法度の心)

憎しみ  不満
妬み   疑い
猜み   迷い
羨み   心配心
呪い   咎めの心
怒り   いらいらする心
不平   せかせかする心


■四句御箴言(しくごしんげん)

与えられたことを感謝して受けよ
与えられぬことを感謝して受けよ

与えられたことを拒むこれ欲なり
与えられぬことを欲するこれ欲なり

ケイシーリーディングから…♪

全身全霊で「神を愛する」大切さ
「神を求める祈り」をする大事さのお話

 エドガーケイシーは、宗教生活についてそのもっとも
美しい表現の中で、この事を次のように語っています。

あなたがたは心を尽くし、思いを尽くし、体を尽くして汝のなる
(大生命・内在の神)を愛し、隣人を汝の如く愛するのである。

このキリストの与えた言葉が法則の全てである。
それに優るものは存在しない

 主が約束されたように、あなた方は
来る日も来る日も明想し、「祈りゆく」うちに到来するあの目覚めによって、
主(宇宙生命)が自分の意識の中に留まられる事を知る事が出来る
神我が中にまします・父と子は常に一体)。

 あなた方はこの目的のために、
主が臨在し、その御霊(キリスト)があなた方の中に留まるあの意識を、
あの自覚を讃えるために生まれてきたのである。」

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第1回目・知花敏彦先生の記事・総まとめ記事♪ 神は偉大なる許しの方であり 神の意志は許しです♪イエス様のヒーリング法☆光明思念で浄化☆普遍的生命と一体化☆宇宙即我の境地で神我到達♪生きとし生けるもの全てが一つの生命♪神は偉大なる許しの方であり、神の意志は許し♪神は自らを助くる者を助く。汝の救い汝自身なり♪人を赦す心、愛する心、これこそ皆さん方の完成を高める秘訣♪真実(全一体・全ては神)を知った時 『自分を愛するが如く人々を愛します』争いはなくなります♪




神は偉大なる許しの方であり
神の意志は許しです

 御国というのは愛です。
誰も憎まない。誰も謗(そし)らない、誰も怒らない。これが天国です。
 皆、短気が地獄であるということは、憎しみであり、怒りであり、謗(そし)りであり、嫉妬であり。これが地獄です。

 地獄というのは憎しみであり、天国というのは愛です。 
愛を持っていないのに、天国に還れる人は何処にもいないのです。

 天上界とは不安と恐怖のない存在。その心の状態のことを言うのです。
その者は肉を去っても何処に言っても天上界です。その者には憎しみも怒りも、不安も、恐怖も、なにもないのです。その状態を造らなくてはならないということです。

 一杯不安と恐怖と憎しみを持っていながら、「私達は毎週神を賛美しているから天上界に連れて行かれる」という夢を見ている盲信家がいかに多いかということです。

 残念です。残念ながら彼らの還るべき天上界は何処にもないのです。何処に行ってもその心の状態です。肉を離れても、憎しみや謗り(悪口を言うこと)や怒りしか持っていないのです。

 その意識の状態がそうですから、その意識の状態を私たちは知らなければならないのです。非常に強烈に人を憎み、許すことの出来ず裁く人がいます。

 あるいは、それらに捉(とら)われなくて許している人がいます。
 いつも不安の中にいる人がいます。あるいは、平安の中にいる人もいます。どういう状態意識なのかによって人は様々です。

 神は人を裁きません。
 神は偉大なる許しの方であり、神の意志は許しなのです。
 皆さん方は人を裁こうとする所に、苦しみを作り出しているのです。

 相手が間違ったことを言うとカッとなって噛みつく。もう許さない。
それは地獄を作るのです。神に反して愛の光を曇らせてしまう。
 それを許した瞬間に光となるのです。

 皆さん方は、全てを許していれば、愛の他に何がありますか。許さないことによって憎しみ、裁き、悪口を言っているのではありませんか。

 許しがあれば嫉妬するのですか。許さないことが嫉妬であり、怒りであり、憎しみであるはずです。
 許してみてください。自分が許さなければ、貴方は人から許されないのです。だから、自分を許さないのは自分であって他人ではないのです。

 どうでしょうか。あなた自身は、自分が全てのものから許されたいのならば、許してもらいたいならば、「全の人を許してあげればいい」のではないでしょうか。

 自分が自分を許していないだけです。貴方が掴んでいるのです。貴方はもう誰も掴まなければよいのです。
 そして、誰からも縛られたくなければ、あなたは誰も縛らなければよいのです。誰も謗らなければよいのです。怒らなければよいのです。

 許してあげればよいのです。
それは、この世の束縛(カルマ)から開放される秘儀なのです。



 一番大事なのは、愛の実践です。愛し合う事です。全てを許し合う事です
許して下さい。許し合えたらあなたは、許されるのです。あなたが許さなければ、あなたも許されません。

 まず、自分の罪を許して貰いたかったら、人々の罪を許しなさい。そしたら、自ずから、あなたの罪は許されます。あなたは、人の罪を裁きながら、あなたの罪だけを免れたいと思うのを止めなさい。

 あなたが人を裁かず、怒らず、謗らず、嫉妬をしなかったら、あなたは誰からも、怒りも、裁きも受けません。

全ての人の罪を、許してあげなさいそうすれば、

あなたは全てから、許されます。私、神から許されます

 罪を犯す者を、愛しなさい。そうすれば、私もあなたを愛します。
 人を愛さない者は、私も愛しません。

 私の元に来るためには、この世で一人だって好き嫌いがあってはなりません。なぜなら一人でも、私であるからです。私が創った者であり、その中に私が居るからです。

 神は全ての創り主、全てを創って、全てのものに、ご自身を宿しております。あなたが隣人を嫌うなら、私を嫌っているのです。私を嫌う者は、私から嫌われます。
 私を愛する者は、私から愛されます。全ては私なのですから

 神から愛されたいのなら、どうか、世の隣人、全ての者を、愛さなければなりません。その愛の実践が、真の信仰、神に至る道であるという事を知りなさい。

 
 貴方が許さなければ人様は貴方を許すはずがありません。

 自分が人を許さないのに。「おお、主よ、我が罪を許し給え」と祈るのです。
 それは許されるものではありません。いくら神に「私の罪を許して下さい」と祈っても、自分が人を裁き、許さなかったのなら、これは許されるものではありません。

 私たちは行為でもって全ての人を、たとえ自分を迫害する者でも罵る者でも許してあげれば、その制約に縛られることはありません。自由なのです。
 とらわれてそれを受け入れることによって、束縛を受けているのではないでしょうか。

 例えば、旦那さんが浮気をしたとします。
「よくも私というものがありながら、これは絶対に許せない」と、嫉妬に燃えて怒り狂っている奥さんと、

「うちの旦那さんは私の愛が足らなかったから私の他に愛を求めたのだ」と反省して、(旦那さんに申し訳なかった、私の愛が足らなかったために)と思う奥さんと、どちらが偉いと思いますか。

 嫉妬に怒り狂う人と、自分を厳しくして反省して許してあげる人と、どちらが偉いのでしょうか。どちらが、本物の神の意志を受け継いでいると思いますか。

 皆さん方はどちらを選びますか。嫉妬に狂う女でしょうか。それとも許しを与える女でしょうか。
 どちらを偉いと思うのでしょうか。どちらを神はお喜びになると思いますか。

 許さないのは皆自分です。誰かがあなたを縛っていると思いますか。あなた方は誰からも縛られていないのです。あなたを束縛し、制約し、縛っているも者は誰でもないのです。自分自身です。

 そのことは、自分自身を戒めて、自分を苦しめている状態にも思えがちですが、その状態を自分自身が受け入れさえしなければ、何者にも束縛されることもなく、制約されることもないのです。

 私はそういうものを受け入れて生きておりませんから、非常に自由なのです。
こんなにも身軽で楽しい生き方があるのに、なぜ皆さん方がこれを行ってくれないのだろうかと、そう思うのが残念でたまらないのです。

 ですから、全国を回り回って、私はこういうことを訴え続けて歩いているのです。
 一人でも多くの人に、神の意志を受け継いで頂きたいと思うからです。

 しかし、それは自分でしか出来ません。他力本願であなた方の代わりに誰かがやってくれるものだと思わせることや、何処かに救いを求めさせようとすることが嫌いですから、私はそのようなことは決して致しません。

 なぜならば、人が貴方を縛っているのでもなく、人が貴方を救えるものでもないからです。ただ、自分が自分を救っていないだけなのです。

 イエス様は、「神は自らを助くる者を助く。汝の救い汝自身なり」
と、そのことをいっておられるのです。

 すでにあなた方は助けられているのです。自分は助けられているのに、自分自身を制約や、色々なものの捉らわれや悪に染まることによって、自分を苦しめているだけなのにです。
 貴方を苦しめている犯人は何処にもません。その犯人は自分自身です。

 自分を救うのは自分自身であって、どなた様でも無いのです。
誰かにすがれば救われると思っている人の、その他力依存の強いことが残念です。

 どうでしょうか。貴方の心を変えてくれる人がこの世の中にいると思いますか。

 自分の心は自分でしか変えられないのです。思いを変えるのも自分であって、他人が貴方の心を一々ほじくり出して、「こうしなさい、ああしなさい」と、貴方を救える人間が、世の中に一人でもいると思いますか。

 自分自身です。貴方が幸せになるも苦しむも、貴方の手中の中にあるのです。想い一つにあるのです。それは神の意志を受け継げば簡単ですが、その神の意志を誰もが受け継ごうとしないのです。

 憎しみ合い、怒り合いというものが、なぜ、そんなことが起こるのでしょうか。それは利己的なものの考え方から、全部自己中心から来るのです。
 あなた方が自分と他人との関係を、まだまだ理解していないからです。

 他人様は神の現れです。この世の人間は、神というと非常に空想的なものを持っています。神が何処にいるかもわからない。自分が何であるかも分からない。だから、「神を知る前に先ず己を知りなさい」というのです。

 自分とは何でしょうか。
自分が何であり、何処から来たものであり、何処へ還るべきか。ということを知らねばなりません。

 皆さん方は神によって造られ、神に還らなくてはならないのです。

 銘々が生きていると思っています。一人びとりが生きていると思っているのです。あなたが生きているのではない、神が生きているのです。

 ただ、神より個別化された外観を見て「私が生きている。あの者は生きている。この者は死んだ」といっているのであって、生命は一つしかないのです。大宇宙という生命は一つしかないのです。
  
 あなた方は、別々に生きているのではないのです。
その肉体の死を「死」と見ている者は無知であり愚者です。本性を知らない、本質的なものをしらない、外観しか見ることの出来ない無知であり愚者なのです。 

 それは死に属する者で死人です。死を信ずるものは死人です。
私達は決して死にません。私達一人びとりや色々なものに死があるならば、神に死があるということです。

 生命は一つです。様々な人間がいるだけです。
 生命には分離も分割もありません。
 生きとし生けるもの全てが一つの生命です。

 小鳥の生命も、虫の命も、全て同じ一つの生命の中にいるのです。ただ形が違うだけ、その生命の入れ物が違うだけです。

 「貴方の生命」も、「私の生命」も「同一の生命」です。
一つの生命」です。全一の生命」でしかないのです。

しかし、人間は外観でものを捉えるため、分離で(あの人の生命、この人の生命)と思っているのですが、同一のものなのです。

 例えば、海水を色々な様々な入れ物に汲んで来たようものです。
入れ物の姿形が違うだけで、その中に入っている海水は同一のものであるのです。

 ここに知花という者がいます。今、私はこの肉体を持って三次元に現れているのです。これは知花という形体にしか過ぎません。
 
 「この世を去る」ということは、命は去ることなく形体が去るだけです。
命はそのまま永続、存続します。ですからこの世を去った方々も、同じ生命の中にいるわけです。 
何処か遠い彼方に離れているのではありません。形体が消えただけです。
 
 それは、私達の生命も、お釈迦様の生命も、イエス様の生命も、この世を去られた方々の生命も、みんな同じ一つの生命であるということです。
 
  皆さん方は「自他一体」です。自分も他人も一つであって。この言葉の意味がわかっている人は悟っています
 「なぜ自他一体というのだろうか」ということがわかっている人は悟っているのです。自分と他人というものはないのです。あなたしかないのです。

 あなたしかいないということは、神のみしかいないということです。
その大生命が神であるからです。まだまだ神の他に何かがあると錯覚しているのです。

 神は自分から遠ざかっていると思っています。遠い彼方にいると思っています。だから「我が神よ」と天を見つめる人達がいるのです。
  
 神と我は即一体であり、神から分離した人間というのは居ないのです。生命から分離して生きている人間が存在すると思いますか。命のない人間が存在するのでしょうか。
 
 この大宇宙は大生命です。その大生命の中に、その大宇宙の中に皆さん方は、今、いるのではありませんか。
 地球という惑星があり、その地球は大宇宙の中に存在しているのです。地球の生命も神の生命です。我々一人びとりの生命も神の生命です。



私たちは宇宙人です。皆さん方に「宇宙人を見たことがありますか」と聞けば、「いいえ、見たことがありません」と言います。
 それならば、「あなたは宇宙の他の何処かにいるのですか」と私はいいたいのです。

 大宇宙の中に地球という惑星があり、金星があり、土星があり、火星があるのです。  皆さん方一人びとりが宇宙人です。
 しかし、宇宙人は円盤か何かに乗ってくるものであって、地球人とはまったく違った姿をしているものだと錯覚しているのです。 
 
 この地球惑星は、宇宙の他と分離して存在しているのですか。 大宇宙の中にポッカリと浮いている一つの惑星です。
 その生きている惑星の上に、我々は生き物として存在しているのです。その生きもの全ては神の中にいるのです。 

 イエス様は「わたしは神の中にいると同時に神は私の中にいる」と言われたのです。  あなた方は、大宇宙という神の家の中にいるのです。 
 この大宇宙は神の家です。そして大宇宙である生命が、貴方の中にもいるのです。

 だから、皆さん方は神の中にいると同時に、神はあなたの中にましますのです。 そのことを、イエス様はお悟りになっておられましたので、「私は常に父と一体である、神と一体である」と言われたのです。

  そのことを、あなた方の理解力でもって、
「自分が生きているのではなくて、神が生きておられるのである」といわれたのです。  
 あなた方は自分で生きていると思うから、死の恐怖があるのです。

  あなたは自分で生きていると思いますか。あなたの生命というものは、あなたがどんなにもがいても一分一秒だって伸ばすことは出来ません。

 どんなに医学や科学が進もうが、人間の生命は一分一秒だって伸ばすことは出来ないのです。 

 今の医学者や科学者は、自分達が生命を伸ばしたと思って錯覚をしています。 その生命は神ですから、それを超越する医学や科学者は一人もいないのです。

   私達のこんな浅はかな小知が、偉大なる全知全能の神に逆らおうとしているのです それには逆らうことが出来ません。もし医学が人の命を伸ばしているのなら、この世で死ぬ者が一人でもいると思いますか。

 医者だって死んでゆくのです。伸ばせないから死ぬのです。しかし、医者は自分が伸ばしていると錯覚しているのです。

  あなた方の今までの五感の感化では、医者が命を伸ばしていると思っています。 もしそうであれば死ぬ患者は居ないはずです。死ぬ医者というものもいないはずです。  

 命は伸ばせません。しかし縮めることは出来ます。 毒を飲むとか、あるいは首をつ吊るとか。自殺でもすれば縮められるのです。しかし、命そのものは久遠常在ですから、永遠にですから変わりません。  

 自殺をして殺しているのは何かというと、その姓名を表している体系だけです。結果としてその肉体が見えなくなるだけです。命は永遠なのです。

  皆さんの肉体は生きていません。息しません。話しません。聞きません。 肉体ではなく、命が見たり、命が聴いたり、命が匂いを嗅いだり、命が話したりしているんです。

  しかし、世の中の人達は、肉体が見たり、肉体が着いたり、肉体が匂いを嗅いだり、肉体が歩いたりしていると思っています。  

 「命と肉体は一者でありながら独立した存在である」ということです。 特立した存在のために肉体から命が分離すると、その肉体は活動しなくなるのです。

  だから、死とは肉体の変化を言うのであって、肉体自らは初めから命によって行かされ、命によって働かされているものであり、決して肉体そのものが生きているのではありません。  ですから、肉体そのものには何の力も何の働きもありません。 

 肉体そのものが生きて働いているというならば、肉体から命が分離して、その肉体は死体となっても、なお生きて働いていなければなりません。  

 その死体が息しますか。働きますか。喋りますか。話を聞きますか。だから死体というものは何の意味も無いものであり、腐り果ててゆくものですから、日に焼いて灰にしてしまうか、土の中に深く埋めてしまうのです。  

 生きているのは命です。息をしているのは命です。 「息が切れた」といいます。息が切れたから肉体が変化をしてそれを死体というのです。ですが、世の中の人々が肉体が自分だと思い、その肉体の自分が生きていると思っているのです。  

 自分とか、私というものはないのです。「無私」です。「無我」です。 本来は私という存在は無いのです。あると思っていることを「自我」と言うのです。 自分で造っている「自我」。それは迷いです。  

 あなた方は自分があると思っています。あなたの存在はないのです。 神のみしかないのです。真我しかないのです。神我しか無いのです。「我れ神」しかないのです。これが悟りです。   

 自分がある。自分が生きている。自分が働いている。それをあなた方が為していると思うことが自我なのです。迷いなのです。働き手は神です。あなたの中で働いているのは神であって、あなたというものが働いているのではありません。   

  今こうして私がみなさんの前でお話をしているのは、神がお働きになり、神が活動してここでお話ができるのです。私という肉体に対しては無です。  

 肉体があっても何も出来ない。生きた神がそこにおられて、働き手である神がそこにおられてこそ、私は皆さんの前でお話が出来るのです。

 それを悟った時、自分といいうものがなくなります。 無我です。無私です。    自分が神の意志を、この肉体を通じて表現するのです。 私の中に生きていたもうものは神であった。命は神であった。と、そうしたとき、その肉体は神の意志を受け継ぐのです。  

 肉体は神の意志をこの世に現す媒体に過ぎず、自分の欲望を果たすためにあるのではないのです。 「自分がある」「自分が働いている」「自分が行きている」と思うことは、自我そのものであり、迷いそのものです。  

 「私の存在」「私のもの」「私が造った」という人が如何に多いかということです。まだまだ「私」というものに皆さん方は縛られています。 
 皆さん方を誰がお作りになったと思いますか。皆さん方の肉体は神の創造物なのです。

  神ご自身が私一人一人を創造し、その中に神自らが命を宿し、そこに働いてくださっているのです。  私達の中に、生きて働いておられるのは神なのです。
  そのことをイエス様は「人間は生ける神の宮なり」といわれたのです。

 「生きた神の宮なり」それ以外の何物でもありません。それ以外の何物かであると思うことが自我というのです。迷いというのです。  

 なぜ皆さん方は、その自分の本性を掴もうとしないのでしょうか。 それを掴んでしまえば皆さん方は幸いです。

本当に幸いなのです。もうこの世で苦しむことも、悩むことも、恐怖することもないのです。なぜならば、神のみが生きておられるからです。

 自由です。何の束縛も制限もない、観自在、無碍自在の自由を得るのです。  皆さん方は。今。苦しい事が多くあるはずです。 それは自我でものを考えているからです。

 私という個人的なものの考え、利己的主義の考え方をしているからです。 聖者方と言われる方々は、非利己的で自分というものがないのです。

  しかし、世の迷い人は利己的主義者です。自分というものがなければ、そこに欲望的な自分が存在すると思いますか。そこには愛しか存在しないことが分かるのです。  

 神の根源は愛です。神の意志は愛です。 その神の意志を受け継ぐ者でなければ,皆さん方は神の御国に入ることは出来ません。

 それをまだ無理解のままでいるということは、無知であり、迷いそのものであるということです。自分を知るということです。まだ皆さん方は自分を知りません。

  「あなたという存在が何であるか」と問われた時、皆さん方は説明できますか。 「人間とはこういうものである。私という者はこういうものである」と、それは自らが自らを知った状態で、悟った状態で答えられるのです。  「あなたは何ですか」と聞かれたら、皆さんの前で自分を説明できますか。

  今までの私の話を聞いて、理解できていればすぐ説明できます。 そうしますと、その自分の本性をこの世に現さなくてはならないのです。

 まだ現すことの出来る状態ではないのなら、まだまだ皆さんは分かってはおりません。自我に引っかかっています。まだ自分の他の何かがあると思っています。

 それが利己的主義、分離、対立、というものです。  皆さん方の銘々の中に宿っている生命。 全ての人が、その同じ一つの生命の中の一人びとりであるということが分かれば、皆さん方は分離のないことが分かっているはずです。  

 あなたと私と分離がありますか。 「私はあなたの中にいます。あなたは私の中にいます」と、私はいつも言っています。 

 (そんな馬鹿なことが)と、五感の感化に支配されている自我の人間はそう思います。 それは悪魔です。無知です。迷いです。闇です。これ程までに、皆さん方がその暗黒の世界に、無知の世界に、どっぷりと浸っていることを忘れてはなりません。  

 自分に対して何もわからない人が、威張っているから仕方ないのです。 「東大」という大学を出ていたとしても、何をやっても、何も分かっていないのです。 

 ただ、読み書きが人より優れ、人より集めた外の知識が人より多く、この世の欲望を果たすためにはいいというだけであって、神の目から見れば恐ろしいほどの無知であり、白痴のようなものです。 

 威張れるよううなものではないのです。  自分というものはなにもないのです。神のみしかいないのですから、威張る自分というものがあっては困るのです。    

 今、神というものを、神棚の中に神がいる、お寺の中にいる、というまやかしの指導をする者が如何に多いかということが残念なのです。

 神はあそこに見よ。ここに見よ。というものであったならば、神は無限ではなくなるのです。全能でもなくなるのです。

「神は全知全能で、無限で普遍である」といいながら、「神棚の中に神がいる、お宮の中に神がいる」というのです。

 そして、その人間に支えられている神が、灯明をあげられたり、ご馳走を上げられて有りする神がどうして必要なのでしょうか。口も利かない、眼も利かない、手も動かない、働きも出来ない仏像を、言葉も言えない、答えてもくれない、何もしてくれない神を、どうして必要とするのでしょうか。 

 何も行わず、座って霧で灯明を要求する神。供え物を要求する神。 こんな乞食神を、如何に世の中の人間が信じているかということです。これは信じているものが乞食だからです。

 偶像とは愚かな像と書きます。偶像と書いてその意味をわかっていないのです。 それを拝むものは愚者です。偶像という愚かな像を作ってそれを拝むということは、それを拝んでいる愚者ではないでしょうか。

 それを金儲けとして、神の名を語って企業化しているだけです。  真の神とは、そんなものではありません。 実際的で、活動的で、本当に現実的で生きているのです。 

 あなた一人びとりが現実的に生きている神ではないでしょうか。 真の神を知ったとき、「神は無限であり、普遍であり、全知全能なんだ」ということが分かるのです。

 神は虫の中にも、鳥の中にも、草花の中にも、至る所に実在している。神は、あそこに見よ、ここに見よと指せるものではなく、それは無限大のものである。ということが分かるようになるのです。そして「全知全能である」ということが分かるのです。

 神に対しての概念とか観念というものによって、如何に世の中が妄信、狂信していることを、皆さん方は知って頂きたいのです。  

 特別な神というものはありません。 なぜなら、一つの神しか実在していないからです。我々の宗教の神、仏教の神。キリスト教の神。というのはありません。 一つの神です。一なる神です。仏教もキリスト教も本来は一つなのです。

 神の根源は愛です。分離でも差別でも党派でもないのです。根源は一つの愛なのです。しかし、仏教徒はキリスト教徒を貶し、キリスト教徒は仏教徒を貶します。それを教えている指導者が、神を知らないのです。 神を知らないと同時に自分を知らない。

 自分と他人との関係を知らない。虫や小鳥と自分との関係を知らない。動物・好物・植物と自分の関係を知らない。その愛を知らないのです。 彼らは一欠片の愛もない状態を神だと思い込んでいるのです。恐ろしいことです。それは神の意志ではありません。  

 神の意志は一つの意志鹿存在しない。その一つの意志とは、一つの愛しか存在しないこと、一つの体しか存在しないことです。 お分かりでしょうか。その意味が分かっていれば、「自他一体」というその意味がわかるはずです。  

 この自他一体という意味が、辞典の中にも「自分と他人は一つの体」と書いてあります。大宇宙という一体の中に、神とあなたは一つの体であり、他人様も一つの体の中に存在するのです。 

 自分が人と争う時は、それは自分と争っていることです。 例えば、一つの身体の中で耳が鼻と争っているようなものです。耳と鼻は形も違うし役目も違いますが、眼と鼻が、独立して、分離して争ったらどうなると思いますか。  

 眼と鼻は繋がっています。繋がっているのですが繋がっていないと思っているのです。ただ形が違っているだけです。全部が繋がっているのです。 

 身体の何処か一箇所をつねれば全身に痛みを感じませんか。だから人をつねったら、その人全身が痛いと思ったらいいでしょう。自分も痛いのです。 

 皆さんは、誰かを貶したり、怪我したり出来るものだと思っています。 それが迷いというものです。誰かの悪口を言っているのは、自分の悪口を言っているのです。全体の悪口を行っているのです。

 全体に悪影響を与えているのです。   一人が悟って喜んでみて下さい。全体に善い影響を与えます。 一人が憎しみや怒りに燃えてみて下さい。全体に悪影響を与えるのです。 

 全体は分離ではなく、全体という一つの体しか存在していないからです。
 ですから、世の奉仕者になるためには、誰も傷付けないで愛し合うことが全体への奉仕であり、神への奉仕であり、神の意志なのです。  

 今、世の中の人達は、憎しみ合いと怒り合いの中で、迷妄の中に生きています。 如何に残念であるかということを、私は世の中の人々にそのことを伝えたいのです。  

「自分と他人の関係を早く知って下さい。そうしたとき、もう人を罵ることはありません。もう人を貶すことはありません」と、私はそういいたいのです。  

 学校で子供達の教育に携わっている方々も、子供達はあなたです。 全体というものの中の全一のあなたです。
 この子供は、あの子供はと、差別して見てはいけないのです。無差別で愛しなくてはならないのです。

 あなたの子供も学校に来ている子供も一緒です。全体というものの中に点々と何名もがいているのです。 このことは全体ということで、全一体ということなのです。  

 他即我(たそくわれ)。我即我(われそくた)。あなたは私です。私はあなたです。 あなた方一人びとりはすべて私です。それが分かったとき「宇宙は私である」と、そのことを知ることが出来ます。  

 お釈迦様は「私は宇宙であった」と、宇宙即我をお悟りになられたのです。 
宇宙はあなたです。宇宙が神ならば神の中にあなたがいることを知るべきです。

 神とあなたと分離した状態というものは何処にもありません。 神とあなたは独立しているものではありません。そうしますと、皆さん方は外に神を求めるようなことはしないのです。

 イエス様が「神の国は汝の内にあり」と言われた意味がわかるのです。 
そして「神を外に求むるなかれ」と言われた意味も分かるのです。 

 あなたの意志そのものが神の意志であるのか。迷いの意志であるのか。それによって決まるのです。 

 今、私たちは古い習慣性で分離概念を自分の中に持っていますが、その分離概念という悪魔を克服しない限り、皆さん方は一体感というものは出来ません。
  一体感が出来たとき、皆さん方は真の愛を、神の意志を受け継ぐ者となります。

 今、皆さん方は分離感でいます。皆さん方の意識は、ものの考え方はみんな分離です。それはサタンです。

 あなたを神から遠ざけている迷いそのものであり、肉から出て来ている欲望そのもののサタンです。悪魔そのものです。その誘惑に負けているのです。  

 それは肉の感化です。外なるものの感化です。それが皆さんを苦しめています。 それを克服しなければ、これからも分離の意識で生きなければなりません。

 これからもあの者はこの者はといって行くことになります。それが皆さん方の悩み、苦しみであり、病気になる原因です。 不安の気持ちと恐怖の気持ちは、そこから出て来るのです。

 本当に一体観念の宇宙即我という、自分と他人とは一体分離がないことを知らねばならないのです。

 人様に尽くすということは、自分に尽くしていると同時に神に尽くしているのです。そうではありませんか。あなたの目が尽くすことは、あなたの耳が尽くすことは、あなたの身体全体に尽くしていることになりませんか。

 見たり聞いたりすることは全体に響くのです。あなたの行うことは、一人びとりに尽くすことは、全体への奉仕なのです。  

 それが分かるようになりますと、地上階にユートピアが、神の国が、仏の国が誕生するのですが、今、悪魔のような生き方をしているために、神の意志に反する日常生活をしているために、そこには対立と憎しみが耐えないのです。

 もうやがて、それが分かるようになれば地上天国が訪れるのです。 この地上界は元々天上界です。心がけの地上界ではないのです。

 私はこの地上界にいながら、私の中に天界があることを知っています。 私は喜びと愛に満たされているのです。誰も憎まないのです。その原因と結果の関係を知っているのです。

 それを知っていますので私にとってここがユートピアです。 その意味をおわかり頂けますか。
 ですから「神の国は汝の内にあり」といい、それは心の持ち方だけであることが分かるのです。

 憎しみがあれば地獄です。愛があれば天国です。 あなたのハートが愛だけに満たされれた時、あなたにとってもここは地上天国です。 

 それを皆さん方に真剣に取り組んでいただき、自分の悩み苦しみの原因を早く分かって頂いて、追求していただかんことを常に私は祈ってやまないものです。

 皆さん方にこうして私がお話することは、自分に話していると同時に全体への影響を与えているのです。
 一人でもこの世から争う者、憎む者がいなくなったとき、その分だけこの地上界は光明化されて来るのです。

 黄金時代というものは、皆が「我れ神なり」「我れ生命なり」と、自他一体の意味が分かって、神の意志を受け継ぐようになったとき、この地球上に黄金時代が訪れるのです。

  今、ちょうど、その時期が周期的に来ているのです。 一人びとりに早くそれを知って頂いて、日々の生活の中で、憎しみもなく、怒りもなく、嫉妬もなく、

「ああ、私は今日も一日、真剣に愛の中に満たされて生きた」と、いえるようになって頂きたいのです。 

 愛の中に生きたということは、光の中に生きたということです。 愛は光ですから、あなた方は光に至りたいという想いはありますが、その光をあなた方ご自身が曇らすのです。

 憎しみは曇りであり、怒りも曇りであり、全てスモッグとなって、私達の本性である愛光を曇らせてしまうのです。  
 皆さん方が今日から愛の光の中に生きたいのならば、愛の想いだけを持つことです。 

 その愛の想いを持っているとき光そのものになれるのです。  そうしたとき、皆さんは神の意志を受け継いでいます。ですから、光になりたいなら、愛に反することは一切持たないことです。

 神の御心は愛であるからです。愛以外に光にはなれません。愛以外に幸せにもなれません。愛に反するものはみんな苦しみであった。みんな悩みであった。そして病気の原因でもあった。

 健康になりたい、幸せになりたいと、それは愛しかないのです。皆さん方が愛を通して健康になり、幸せになあっれることをオススメ致します。  あなたに憎い人がいますか。

 この世に悪い人がいるのなら、あなたは自分を憎んでいるのです。 人を憎んでいるとき、自分を憎んでいると思ったらいいのです。なぜなら、自分しか居ないからです。全一しかないからです。

 皆さん方が誰かを憎んでいるとするならば、その誰かを憎んでいるのではなく、それは自分を憎んでいることになるのです。

 大宇宙というのは一つの存在でしかないのです。 皆さんの身体の中にも七十兆あまりの生命があるのです。その細胞体が、お互いの細胞体の食いつぶしをやっているようなものです。

 今、大宇宙は病気の状態です。その病気の原因を起こしているのは、この地球に住んでいる人間という無知の細胞体です。

 私達は、神から観れば一人びとりは神の細胞体のようなものです。 だから、隣人の細胞を食いつぶし合っているのです。

 それは善なる細胞ではなく悪細胞、すなわち、癌細胞です。今、この世に癌という病気が表現されていますが、今の人間一人びとりが癌細胞のようなものです。

 隣人と憎しみ合う。貶し合う。食い潰し合う。殺し合う。 皆さんの一人びとりが(私は癌細胞ではないだろうか)と考えてみたらいいと思います。
 誰かと傷つけ合ったり、憎しみ合ったりしているならば、自分は癌細胞なのです。

 それを象徴として、世の中で「癌という細胞は恐ろしい細胞だ」と怖がっていますが、自分がそのお恐ろしい細胞であることが分からないのです。  

 地球において、皆さん方一人びとりが憎しみ合いをしていることは、大宇宙にとっては、癌細胞より恐ろしい細胞であるということなのです。

 その意味において、あなた方は大宇宙の癌細胞ではないでしょうか。 大丈夫ですか。助けあっていますか。
 大宇宙からすれば、皆さん方が助け合うことは善なる細胞です。食い潰し合う事は癌細胞です。

 今、大宇宙は癌にかかっています。人間が食い潰し合うからです。殺し合うからです。 破壊していきます。自己破壊していくのです。

 そのことをよく理解していただき、今、自分は正しい生き方をしているのだろうかと強く見つめ直していただき、そして「神の意志を受け継ぐ者」となっていただかんことを、常に私は祈ってやまないものです。 

 微生物と人間関係について 今まで、宇宙だとか、無限だとかという話としてきましたが、今日は皆さんがこんがらないように少し話を低くしまして、微生物の世界から話してみたいと思います。

 私たちは微生物と一口で語っていますが、この微生物とは一体何であるかを知ることであり、微生物なしでは、一切の物は存在できないことも知らねばなりません。

 この微生物とは小さな生き物のことをいいいますが、これらは皆、原子であり電子であるはずです。その微生物には好気性と嫌気性があることはご存知だと思います。

 即ち空気を好む菌と、空気を好まない菌があるということです。そして、その嫌気性の微生物は酸素を嫌う菌であり、水素を好みます。

 また、好気性は酸素を好みます。嫌気性の微生物は土壌菌であり、好気性の菌は空気中の菌ですから、空気中にはたくさんいる菌です。

 例えば、コップを机に置いて水を入れますと、入れなくてもいいのですが、置いておいておきますと、好気性の菌が降ってきます。水の中には水素を好む菌がいるわけです。

 空気中の菌は好気性ですし、土壌菌は嫌気性です。これは水素を酸素の関係ですが、この嫌気性という菌は女性菌でありマイナスの微生物です。
 そして、好気性というのは男性菌で、プラスの微生物をいいます。

 男の女の関係でもあり、天と地の関係でもあり、父と母の関係でもあります。この二つが結合することにより、この菌はまた子供を産むのです。  

 我々人間は微生物の塊です 我々という人間がなぜ空気を吸わないくなると死ぬかといいますと、好気性の菌を吸うという意味で、酸素を吸わなくなりますと人間は生きられません。

 体内には無数の嫌気性の菌がいますし、空気中には好気性の菌がいるわけです。また、常に私たちは息を吸って、この好気性の菌を鼻や口から取り入れて存在を保っているのです。

 では、生きものとしての微生物と、生き者としての人間は違うものでしょうか。これは同じ物の現れにしかすぎません。

 物は全て微生物でもって存在しますし、その微生物の集合体が物体となって、形となって現れているのです。

 そして、集合体が分散すると形がなくなります。我々の体は微生物の塊だと考えても結構ですが、そのような関係を我々は全く理解していません。
 これは、水の活性化から発見したものです。

 なぜ水は動かさないで器に入れておくと腐るかということです。
器に入れて少しでも動かさないでおくと、この器の中には空気中から好気性が入ってきませんから、この器は全部がマイナスの菌だけになるわけです。  
 水を動かせば好気性の菌が入って活性水になります 。

 皆さん方は微生物のこれらの菌を、悪玉だとか、善玉だとかいって、簡単に名前をつけていますが、悪玉とか、善玉は存在しておりません。

 完全なる菌のバランスは状態とは、好気性と嫌気性のバランスのことをいい、それは男と女の関係と同じでバランスが良ければ、引き寄せるわけです。

 ですから、水を動かすと水は腐りませんし、動かさない溜まり水は腐りやすく、それは好気性の菌が入っていないからです。

 また、船のタンカーの中にある水は非常に活性化された水と言えます。
 なぜかといいますと、船は波の上を動きますから、船が動くたびに常に空気中の菌を水の中に取り入れているからです。

 どんなに腐って水でも、船に一旦積めば一航海しますと活性水になるというわけです。  溶存酸素がお多い水は甘みのある水になります  私は水で、ある実験をしました。

 水をタンクに入れるタンクを作りまして、その水を吸い上げるモーターを付けて、水を吸い上げ、そこから水をわざと高くして、高いところから落とすようにしました。 

 空気中の菌を吸収してここに落ちるわけです。このように水を落としますと、その水が嫌気性と好気性とのバランスがとれますので、活性水となるのです。
 ただ落としただけでも活性水となります。

 この原理は、ダムの水が上から落ちてくるのと、雨水が落ちてくるのも同じことです。
 野菜にいくら水道水の水をかけてもなかなか伸びませんが、少し雨が降ったら植物が一気に伸びるというのは、たくさんの溶存酸素を含んでいるからです。

 その雨水は嫌気性と好気性のバランスがとれた活性水となって降ってくるからです。
雨水そのものは、時間をかけて距離が長くかかって落ちてくる間に空気中の酸素を吸収しますから、即ち溶存酸素が多いわけです。

 溶存酸素が多いと、少し甘みがあるのです。これをあまみず(甘水、雨水)と皆さん方は名づけています。
 酸素が多いか少ないかは一口飲めば分かります。雨水になりますのは甘みがあるからです。

「あま水、ああ、これは甘みがある水だ」といいますのは、バランスのとれた水というわけです。
 皆さんの水道の水は甘みがありますか、ないと思います。 
河川の水は周囲をコンクリートで固めたから酸欠状態です。

 今の河川はなぜ汚染されたのかといいますと、周囲をコンクリートで固めたからです。
 川の水は周囲にある色々な石にぶつかったり、あるいは障害物で跳ね上がったりしますが、コンクリートで固めますと、水はぶつかる所がなくなります。

 ぶつかる時に水は空気中の菌を取り入れるのですが、酸素を取り入れるわけです。それを好気性と菌といい、酸素菌のことです。即ち酸素です。  
 そして嫌気性というのは水素で、全ての物は水素と酸素で成り立っているのです。

 水素は女性菌ですしマイナスです。そして酸素は男性であってプラスです。 電気的にいいますと、
 そのような器の中に電極を入れますと、そこには必ずプラスとマイナスの電極が必要になります。

 そこに電気を流しますと、マイナス極からは水素が出てきますし、プラス極からは酸素が出てくるわけです。
 それに仕切りをしますと、その仕切ったマイナス極の方はアルカリ水になりますし、プラス極の方は酸性の水ができるのです。それを電気分解といいます。

 水の中には必ず好気性と嫌気性の菌がいるといえます。電極にしましても、マイナス極は水素に反応しやすい極です。そこで、

 酸化鉛というものを使って、水素に反応させていくのですが、その時にアルミとか普通の鉛とか、酸化していないものと、酸化しているものと、酸とアルカリの極を使えばよいわけです。

 そうしますとそこからは大変な電気が取れるのです。光とか、力が取れるわけです。  酸素は父なる神といい、水素は母なる神といいます  我々人間は、空気中の菌と、そしてl土壌菌が必要です。

 人間の体内にいる菌は普通には土壌菌と言われているものですが、それを母なる大地といい、空気のことを天の父というのです。一言でいいますと、酸素は父なる神といい、水素は母なる神です。

 そして、物は全てプラスとマイナスのバランスで存在しているといえますので、「神は愛なり」といい、また、「愛は神なり」といえるのです。  

 また、バランスなしでは物は存在出来ると思いますか。このアン・バランスのことを皆さん方は病気と呼んでいます。

 そして、バランスのことを健康と呼んでいます。では、その微生物と人間とは無関係でしょうか。 
 皆さん方は微生物と人間は異なるものだと考えている人がいかに多いかということです。これをアホとか、愚者といいます。

 ですから、人間はハッキリいいまして何も知らないといえるのです。私が今、一番気に入ったのはこの活性水です。

 これは、ただ水を循環させただけのもので、空気中の酸素を吸わせて落とすのですが、これが活性水になり、それを活水といいます。

 そして、おまけが付くのはこの活水を維持させたり、保存するためには、ここに石とか色々なものを入れると、なおかつ良いというわけです。

 土壌菌を育てるには餌が必要で、その餌はぬかと籾殻です  活性水がなぜ良いかといいますと、その微生物の住みかを作るからです。

 それは土壌菌といいまして、今から一週間前ですが、ある林に行って土壌菌をコップに一杯くらい拾ってきたことから始まりました。  

 土壌菌というのは腐食土といっても構いませんが、その中には農薬の撒いていない新鮮な無数の菌がいるのです。

 その土の中を顕微鏡で覗きますと土が見えますが、注意深く覗きますと土は存在していないことに気が付きます。

 そこには何があるかといいますと、微生物の塊があるだけでです。普通には土といいますが、微生物だとはっきりと言えるのではないかと思います。  

 その微生物を土壌菌というのです。皆さん方は一言で土といいますが、微生物の塊を土というのです。

 以前に、面白い実験をしました。それはある土壌菌の腐食土を一握りほどとってきまして、どの土壌菌は餌が必要ですから、この菌に糠と籾殻を入れてかき混ぜて、置いておいたのです。

 そうしますと、その微生物が糠を食べ物として食べてしまい、どんどん膨れ上がってしまいました。膨れ上がれば上がるほど菌は増えていくわけです。

 そこにまた糠と籾殻を入れていきますと、ますます増えていきます。 土の中の微生物が繁殖すれば作物はよくとれます 。

 土の中の微生物にまかせて、その状態のままにしておきますと、嫌気性と好気性とのバランスがとれますから、撹拌してバランスをとってあげるのです。

 籾殻をたくさん入れますと、籾殻の隙間から酸素が入り、好気性の菌がつきます。空気中の菌が入りやすい条件を作っておけば、嫌気性と好気性とが結婚してしますのです。

 嫌気性の菌と好気性の菌が引き合いますと、どこから子供が生まれます。その状態を活発にしますと子供が大きくなって、また子供が生まれるわけです。これを繰り返しますと、どんどん大きくなるわけです。

 これが微生物の繁殖というものです。  どんどん増やすことを繁殖させるといい、それには、肥料ではなく、土の中の微生物に餌を与えているのです。

 もしも、土が死んだというのならば、それは土壌菌に餌をあたえなかったがために、土壌菌が育ちませんでしたので死んでしまったのでしょう。  

 今の世の中は化学肥料を使い、微生物に餌を与えないから土がどんどん痩せて死んでしまうのです。

 化学肥料では微生物は死んでしまいます。今、皆さんという人間が食べている食物でも、その食物は体にいる微生物に餌を与えているだけです。

 その体内には無数の微生物がいますから、口から体内に微生物に餌を投げ込んでいるようなものですが、この意味がわかりますか。

 なぜ人間は物を食べないと死ぬかといいますと、体内にいる微生物に餌を与えなければ死ぬということと同じ意味になります。 今の時代は空気も、水も、食物も、人間も全て汚染されています。

 人間は物を食べなければ死んでしまいますし、空気を吸わねば生きることは出来ません。 我々はそのような食物の関係や、空気が汚染されますと健康ではおれません。

 今現在の条件では、人間がどんなに健康になるようにもがいても、健康になれないという理由にもなります。

 そして今から50年前の病気と、現在の病気の数は、皆さんの想像を絶する程に増えたと思います。空気は汚染されていますし、水は汚染されています。

 そして,土地は汚染されていますし、食物は皆汚染されていますから、それであなたが健康でありたいというのは虫が良すぎるとしかいいようがありません。
 これらは微生物のバランスを崩した結果ではないかと思うのです。

 ですから、空気汚染とは普通にはよくいいますが、人間汚染といえるのではありませんか。土が汚染されたといいますが、我々という人間は土と無関係でいられることが出来るのでしょうか。

 土壌でできたものを人間が吸収するのではありませんか。土壌が汚れているのは人間が汚れているのではありませんか。空気が汚れているのは人間が汚れているという意味です。

 人間の汚染は人類を滅ぼします  全ての汚れは人間の汚れであると考える人がいるのでしょうか。
 自分自身が汚れているから、空気が汚れているし、水が汚れているのだと。自分が汚れていることをいっこうに知りません。

 それでは、空気を吸わないで生きる人間はいるのでしょうか。空気が汚れているのは誰が汚れているからですか、自分が汚れているわけです。  

 そして、土や畑に農薬を撒いたという人はいますかが、人間に農薬を撒いたという人は一人もいいません。

 もしも、人間に農薬を飲ませたらすぐに警察行きか、監獄行きです。  土に農薬を巻くことは、撒いた農薬を植物が吸収しますし、その植物は誰が吸収するのでしょうか。
人間が吸収するはずです。それは間接的殺人になりませんか、なります。

 以前に松本でサリン事件がありましたが、あのように直接人間に被害を起こした者は罪に問いますが、毎日、農薬をたっぷりと畑に撒いている罪は誰も問いません。
こんなに農薬をたくさん撒くのを国が推奨するとは何たることかといいたいのです。

 国は人殺しを奨励していませんか。  事実そうなっていませんか。
その撒いた農薬はどこに行くのかといいますと、一部は植物が吸収して人間にいきますし、一部は地下水に行きます。
 そして一部は蒸発して雨になって降ってきます。全て悪影響ではありませんか。

 我々が今の状態でこのまま続けますと人類は滅亡します。これは言いすぎでしょうか。当たり前でしょうか。当たり前の法則です。これはバランスを崩しているからです。  

陰陽のバランス・色と空のバランスが今は最も大切です  大宇宙という大自然の中の物質の世界は母なる大地であり、物を生み出す。形を生み出す要素です。

そして、それらを生かしているのは空気です。  ですから、見える物は見えないものなしては存在出来ないのです。空気を吸わないで生きているものは一物もありません。

それが「色即是空」であり、「空即是色」です。 
色と空のバランスは、陰陽のバランスです。

色は女性原理であり、空は男性原理です。
この色と空のバランスでこの宇宙は存在していませんか、存在していいます。    

 世の中には、このようなことを知らない人間が大勢います。そして、菌の増やし方ですが、私の部屋の下の実験室で実際に作っていますが、これはもう増える一方です。

 このようなバランスのとれた好気性と嫌気性の土をつくりますと、そこに植えた植物はよく育ちます。これが活性化された土壌といいまして、即ち生きた土ということです。

 この土壌での植物は物凄く成長するのは当たり前です。今の農民は逆に土壌菌を農薬で殺しているわけです。
 土壌菌に餌を与えているどころか。殺しているのです。土壌菌には餌を与えるべきです。

 息は吐くことが大切で入るのは自然の法則です 皆さん方の多くは「ため息」をついています。そして、個人の命だと思っています。

「自分の命は独自の命である」と、個人的な命があると思っているなら、皆さん方がついているのは。

 ため息となります。ため息をついてはなりませんし、それは苦しいはずです。息はいくら吸っても減りません。エネルギーはいくら吸っても減りませんから、吸って、出して、吸って、出して、と循環の法則に反してはいけません。

 そうしますと、喘息の人は欲張となります。吸えば吸えるのに、吐かないで吸おうとするから、吸えなくなるのです。喘息の人がおりましたら御免なさい。でも息を得るためには吐かねばなりません。

 吐いたらすぐ入るという法則があるのです。空っぽにならないで、いっぱい入っているところに、どうして押し込めようとするのでしょうか。それでは息切れするだけです。

 いっぱい詰まっているところに息を入れようしたって入りません。入れるためには出さねばなりません。出したら空っぽになりますから、自ずと息は入ります。  

 今の喘息を治療する医者の間違い 本当に喘息の人は簡単に治ります。吸う訓練をさせては駄目で、吐く訓練をするのです。吐くことを教えますと、スムーズに息ができるようになります。

 腹の底から押さえてあげて、吐き出させますと、吸うのは簡単です。吸わせるのではなく、吐き出しますと、空っぽになりますから、自然に入ってきます。

喘息の方がおりましたら。まず吐く訓練をさせて下さい。そうしますと、喘息は非常に楽になります。

 今の医者は逆をやっています。蒸気を噴霧する器械を使って無理やりそれを吸わせようとするから、苦しむのです。本当は吸引器のような機械を持ってきて、吐き出させればいいのです。 

 そうしますと、バランスがとれますから、吸えるようになります。無理やり入っているものに吸わせようとしたら、これはとうてい入るはずがないことをよくご理解いただきたいのです。

 息はこの宇宙にたった一つしかありませんから、この息はエネルギーであるともいえます。 息が切れるとはエネルギーが切れるということですから、深呼吸をするとエネルギーが高まります。

 イライラしている時に邪気を吐き出し、呼吸をしますとエネルギーが入りますから体が暖かくなり、落ち着きます。

 東京あたりの高速道路に入った時、車が渋滞しますと運転している人はイライラしますが、こういう時は窓をちょっと開けて吐き出せばいいのです。吐き出せばスッとしますから、イライラが収まります。

 つまり、イライラは邪気が溜まっている状態で、その邪気を出せば収まるのです。その邪気を全部出してお腹を押しますと、新しい空気が入りまして邪気がなくなります。 昔の農民は愛が深かったのです。

 畑には手ぶらでは絶対に行かなかったものです。必ず堆肥や色々なものを持って行って、畑から得たものをお返しするという、畑に恩返しをしていました。手ぶらで行く者は農民ではないといわれたくらいのものです。

「土壌菌のお陰で収穫物が得られましたので」といって、畑に色々の堆肥にしたりして肥料をほどこしたのです。

 その肥料というの言葉も、土壌菌の餌ですから与えるという意味ですから。土の中の微生物は餌を与えられると、それを好んで食べて、元気になって子供をどんどん生むわけです。

 そして、微生物にも寿命がありますから、その微生物がなくなれば死骸となり、その死骸の事を皆さん方は、蛋白(タンパク)といっています。普通には蛋白といいますが、それは微生物の死骸のことです。

 そのタンパクを植物が吸収して地下水や雨水とともに植物が吸収して葉っぱの次元にきますと、光に当たりましてアミノ酸に変わるのです。タンパクがなければアミノ酸はできません。そのような循環の法則に基いて全ての万生万物は存在しています。 

 今ほど循環の法則が大事な時代はありません  我々人間や、植物や動物などは全てが循環しています。このことが循環の法則であるのに、これを悪循環に変えたのは誰でしょうか、その答えは人間だと思います。

 このままでは21世紀は望めないのではありませんか。これを危険性といい、この今の時代に危機感を感じるのです。

 今、殆どの人達はこの意味を知らないで、学ばないでいます。殆どの人間は無鉄砲であり、手探りで生きているのではありませんか。

あまりに無鉄砲すぎませんかといいたいのです。原理・原則を全く知っていないのではないかと思います。

 こんなことを知らないのに、私は偉いのだと威張ったりしていますが、このような者達に色々な権利があるのでしょうか。

 このことを知らない人間たが「ただ生きているから生きているのだ」というように、形だけでふらふらしているようなら、早く死んだ方がいいですよといいたいくらいです。そんな形はいりませんし、そんな者は必要としません。 

 宗教とは・原理に基づいた日常生活をすることです  私は原理・原則に基づいた日常生活をすることが宗教だと思っています。この原理・原則を守らない者が宗教家でありますと、きんきら菌の洋服を着てみても、何の意味がありますかといいたいのです。

 その原理・原則に基いて生きている人のことを神信者というのであって、法をさんざん犯しながら私はクリスチャンでありますとか、どこそこの仏教徒でありますという必要がありましょうか。それを偽物というのです。そんな宗教家や、そんな信仰は全く必要としません。

 微生物との関係でも、研究をすればするほど、理解しやすいものとなります。この電極にしましても、これは皆、微生物の電極ではないかと思うようになりました。

 酸を吸収しやすいものと、水素を吸収しやすいものが作られているわけですから、微生物も電極にしかすぎないといえるのです。全ては微生物ではないか、微生物なしでは物は存在できないといえます。

 今なら、嫌気性と好気性がはっきり分かったと思います。空気中の菌は好気性であり、土壌菌は嫌気性であると、そして、土壌菌は女性菌であり、空気中の菌は男性菌であると。

 そのバランスでもって全ての我々の体内は存在しているわけです。ハッキリ言いまして、我々の体は微生物の集合体であるといえます。 活性化された水は甘く、死水は辛い 

 まず、私達が飲んでいる水道水は活性化された水でしょうか、それとも死水でしょうか。  まさに、死水です。例えでいいますと、滝壺の水は甘いはずです。

滝から落ちてくる水の距離が高ければ高いほど、長ければ長いほど空気中の酸素を吸収しますから、それは好気性を吸収しますので、甘水となるのです。

 おいしい水となります。おいしい水とか、良い水とは、酸素と水素のバランスがとれた水と言う意味です。即ち好気性と嫌気性のバランスがとれているか、そのバランスがとれていないかの違いです。  

停滞している水はなぜ腐るのかといいますと、空気中の菌の酸素を取り入れていないからです。溜まった水ならポンプで汲み上げて高いところから落とすだけで酸素が入り活性水になります。  

 その装置は私の家の玄間の入り口に作ってありますので、見て頂ければ分かります。それはただ、水が循環するだけで、普通の水道の水が甘水に変わるのです。   

循環させるだけで、水を落とすだけで、そして酸素を吸収させて水に入れるだけで、水素と酸素のとれた生きた水になります。

 その水道の水には塩素が入っていますが、塩素は気化性ですから落ちる間とか、循環している間に飛んでいきますので、臭い匂いはなくなります。そのように循環するだけで飛んでいきます。   

 水が微生物であることを知っている研究者はいません  水に対しての研究家は大勢いますが、水が微生物であるという研究家はいません。水をH2Oといいますが、このOという文字はオゾンを意味します。

  それはすなわち酸素のことで、Hは水素ですから、水素と酸素の結合で水となるわけです。これは大まかにいっているだけで、そこには全てのミネラルが含んでいるはずですから、単にH2Oと言っては困るのです。  

世の中の皆さん方は、水不足の影響で水に対しての関心が少し高まったようですが、もう少し危機感を持ったほうがいいかなと思うくらいです。水の有り難みを知らない人が何と多いことかといいたいのです。  

水は無無銭だと思っていますが、あの水はまさに恵みなのです。「たかが水ぐらい」というのは「たかが私ぐらい」というのと同じだと思います。  

水と無関係で生きられる人間がおりますか。水は大切なモノです。それを「たかが水ぐらい」という人が大勢いるのです。また、「ただの水ではないか」という人もいますが、そんな言葉聞きますと身の毛がよだちます。  

それを聞いた時は、この者は水なしで生きられると思っているのだろうかと思うくらいです。水をいかに馬鹿にしている人が多いことか。

甚だしい者になりますと、いい水と、悪い水とをいくつか並べて「皆同じ」というのです。
相当に鈍感か、味覚が狂った者です。味覚のバランスが崩れた人間は、いい水と悪い水の識別さえもできません。  

本当に波動の狂った人間さえ出てきますし、波動悪い人間も出てきています。そのような状態ですから世の中がおかしくなったと思います。皆さん方は、常に敏速で敏感でなくてはなりません。 微生物とは精霊のことです。  

この知花は、父に良い名前をつけてもらいました。知花という名字は関係ありませんが、敏彦という名前です。この敏は何と読むのでしょうか。  

「山彦の如く敏感であれ」と書いてありますから、私はこの名前が大好きです。実際、敏感になっていますんで耳までこんなに大きくなったのかなと思うのです。私は敏感に何でも感じるようになりました。  

物は全ては波動であり、それらは微生物ではありませんか。形ある物は全てが微生物でないでしょうか。
そして、皆さん方と微生物とは無関係でしょうか、それとも微生物そのものでしょうか。人間そのものですか、微生物そのものですか。皆全てが微生物だといえます。  

そのような微生物のこと、神秘的な言い方ですが、「精霊」だというのです.この精霊は、もちろん姿・形はあります。  

私がこの清里に来ましてもう7年になります。1994年の10月が過ぎましたので、満7年目です。この清里に来たのは1988年の10月でした。

この地についてから3日目に雪が降り。2週間後には大雪となりました。1メートルくらい積もったかというほどの大雪でした。  

その時は雪が珍しいものですから、散歩して駅まで行ったものです。すると、ある松林の所で、雪の精霊達が踊っていたのです。精霊が踊っているのを見たのです。

「あれ、目の錯覚かな」と思っていますと、精霊たちが手招きをして、皆そろって、挨拶をしているではありませんか。  私は「ああ、あなた方は精霊か」と聞きました。「精霊だ」というのです。

そして、「一つお願いがあります」と、彼らはいいました。「我々は、本当は人間と共に住みたいのですが、人間が私達を嫌って、私たちはもう遠くに追い払われてしましました」と、言い出したのです。  

それは「何が原因だ」と尋ねてみましたら、「農薬」だといったのです。「私たちは人間に協力したいのですが、人間は協力させてくれません」と、いうわけです。 

 人間はその微生物という精霊たちを農薬でどんどん殺すという、かわいそうな事をしているのです。「我々の住みかを人間が奪いました」といいます。「我々の住み家を取り返して下さい」というのです

 私はその時に涙がバァーッと滝のように流れました。心が爆発したのではないかと思うくらいでした。あれくらい心の痛い思いをしたのは初めてでした。
「そうか、それを世の中に訴えて、農薬を使わせないようにします」と約束したのですが、誰も聴く耳を持ちません。 

問  よく地球の内部が空洞になっていて、そこにも人が住んでいるという噂を聞きます。
ヒマラヤから、底の地下帝国に入っていく入り口があるというような話を聞いたことがありますが、本当でしょうか?

 知花 それは事実です。シャンバラという、それはエーテル界であって、皆さん方の考えている物質的なものではなく、正に物質世界そのものを意味しているのではありません。

それは霊の世界です。物質的なものと捉えたら大変な勘違いです。
エーテルとしての存在であって、自分の肉体や物体としての存在ではそこに入ることは不可能です。 
自分の肉体をエーテル化して初めてその世界が体験出来るわけです。 

問 自分の肉体をエーテル化するというのは、具体的なノウハウはどのようなものでしょうか。 

知花 それはバイブレーションです。そのバイブレーションとは何かといいいますと意識です。  空の意識がすなわち高いバイブレーションですから、物質と非物質とは同じものです。

ただ、バイブレーションが高いか低いかの違いだけです。  それを釈迦は空即是色で、色の世界は空の仮の姿であって、現れにしか過ぎないといわれました。

実在するのは色ではなく空となります。ですから、色の本源は空であるとなり、空こそ絶対実在です。色もあって空もあるとは理にかないません。

色は即空であるし、空は即色である。そこに実際にあるのは空一元であって、空は永遠ですから、色は無常です。形あるものは崩れますが、本質は永遠です。 

 問 輪廻転生はあるのでしょうか。 

知花 あるという世界もありますが、それを乗り越えた者には、本質的なものは、全く輪廻を繰り返しません。

影として幻としての表現世界は存在しています。すなわち、上辺の世界です。その根拠と一体になりますとそこには全く輪廻がない世界です。 

 問 人間の生きる意味とか、この世に生まれてきた意味とか、死んでいく意味など、少し宗教的になりますが、それはどのようにお考えになっていますか。 

知花 我々は死にもしないし、生まれもしませんから、本来は意義そのものはありません。
ただ、我々は内なる現れを、表現として生まれてくるのですが、
その目的を失ってしまったり、誤った表現をしていいて、それを繰り返しているだけですから、意義としてとか、定義されたものは全く無いのです。

 問  オーラについてお伺いしたいのですが、生体エネルギーの一種なのでしょうか。 

知花 オーラを持たないものは一物もありません。その生命エネルギーという霊エネルギーそのものがオーラでありますから。そのオーラとは生命ですから。

みな宿していますから、オーラを宿していないものはありません。しかし、その生命の自覚に順応してオーラが強くなるとか、弱くなるとかはあります。 

問  色(いろ)によっては色々な意味があるのでしょうか。

 知花 あります。オーラの色は七色です。すなわち虹色です。その七色の世界が光の世界でで光エネルギーです。

そして、その光がどこに多く現れているかといいますと、人間には七つの光中枢がありまして、それは七色を示しているわです。


ですから、生命線というのは七色のチャクラです。そしてどの分野を多く意識して生きているか、どの分野を開発化されているかによって、そのオーラの色が強く出ます。
その七色の世界を七天というのです。七色の光の世界です。 

問  その七天という字は天という字ですか。 

知花 そのとおりです。 

問  色が持つそれぞれの意味はあるのですか。 知花 あります。それは色がそれぞれ、みな一つ一つの波長を持っているからです。 問  例えば赤い色にはどのような意味があるのでしょうか。 

知花 赤い色だと感情です。 

問  青はどんな意味があるのでしょうか。 知花 青は冷静を示します。

 問 緑はどんな意味ですか。 知花 緑はありません。紫の場合は知恵を象徴とします。黄色の場合は愛を象徴とします。ピンクは愛情とか、恋とか情愛を示します。 

問  後の二色は何色でしたでしょうか。 知花 本来その二色とか七色とかいいますが、本来は白色であって、無色なのです。その七つの色が一つになりますと、無色という白色にしかなりません。それを白光と読んでいる訳です。 

問  七色を全部重ね合わせて無色の白光となったのが一番パワーが強いのですか。 

知花 そうです。

 問  神の意識に通じるものがあるのでしょうか。

知花 全ての意識そのものが神意識です。神意識の他に意識はありません。
意識そのものが神であって、神は意識ですから、全てに意識が宿っているとは全てに神が宿っているとなります。意識とは物を生み出す力でもあります。 

問  根源的な意識は人間のような人格は持っていませんか。 知花 人間のような人格を全く持っていません。無形無双です。 

問 サイババさんたちが行っている物質化現象について、もっと詳しくお伺いしたいのですが

知花 それは正しい現象です。物は全ての原子と電子の集合体です。我々の肉体も原子と電子の集合体であって、全て宇宙には原子と電子が遍満しているわけです。

ですから、気体も液体も個体も皆、原子と電子となります。その原子と電子が集合すると物質という形を表す、それを分解すると非物質となります。 

 そうしますと、この宇宙には原子と電子が遍満していますから、それを、その分子と電子を結合させましてあるイメージと、ある振動を起こしますと、物質化現象が起こるわけです。

ですから、物質と非物質とはイコールと同じものであるであるといえます。  色と空は同じものですから、色にも原子と電子があって、空にも原子と電子が満ち満ちています。

ですから、ある一定の元素転換と言って、その原子と電子の結合する振動を起こせばそういう物質化現象が行われるわけです。

  物を非物質化する事も可能です。物の振動、原子と電子の振動を波動を低めると固体化しますし、波動を高めると非物質化するわけですから、振動のバイブレーションが高いか低いかだけです。

ですから、物質世界は波動の低い状態をいいまして、空という場合は波動の高い状態をいいます。  ですから、空は高次元、色は低次元となります。低次元とは低バイブレーションのことです。
 高次元とは高バイブレーションのことです。バイブレーションを上げると非物質化。下げると物質化になります。 

問 低次元にするか、高次元にするかも、人間の意識によってコントロールすることは出来るのですか。 

知花 出来ます。意識を低めるか、高めるか。意識が高まると空になるし、意識が低くなると、色になります。 

問 具体的な高め方はどうするのでしょうか。

 知花  あなたが固定概念という意識を捨てて、自分は1個の個体だというようなことではなくて、心を空にすること。その空とは高バイブレーションとい意味ですから、空にしますと、そのバイブレーションは高まりまして、

事実上、自分の肉体が気化されまして、霊化されまして、霊というのと気体は同一ですから、霊化された肉体は気化された肉体ですから、肉眼では見えなくなります。

すなわち非物質となります。 それはそらの意識であり、すなわち意識の意識であって、自分が空であるという、空に一心を集中することによって、
 そのバイブレーションを上げることは可能です。ですから、意識の高い状態であるか、低い状態であるかです。

 問  そのように意識を高めていくと、例えば自分の肉体だけではなく、手に持っているものも気化出来るのでしょうか 

知花 消すことが出来ます。これは電気的にも可能です。ハチソンという人が、ニコラス・ステラの理論に基いてテスラコイルを創り、その電気的現象でもって振動を上げると、ハチソン効果といって、者が透明化して、硬い鉄が柔らかくなりますが、

それをもっともっと上げていくと、今度は目の前から消えていきます。それはその振動波動の手掛かりとして、電圧の高さや低さでこれは可能となります。

ですから、それは非物質化も物質化も電気的現象であっての物であって、その他の何者でもありません。 

問 それは実用化される見込みはあるのでしょうか。

 知花 そうです。実用化されます。それも近々に出来るでしょう。その低い状態の実用化は、もう皆さん方が日常生活で使われている電子レンジです。

 あれは火で炊くものではなくて、電子レンジの中で原子と電子を振動を起こさせて、振動の摩擦熱でもって物を炊くわけです。

 ものすごい速さで振動を上げているわけですから、あれは外から熱くなるのではなくて、内から熱くなるのです。

あのようなものはメガヘルツといって高い周波数が起こるのです。 

問 先程から、お話を伺っていて考えられるのは、例えば電子レンジの出力を上げていきますと、物は完全になくなることが出来るわけですか。 

知花 それは可能です。電子レンジは非常に面白いもので、ある一定の時間までは柔らかくなりますが、長い間置いていきますと、その電子レンジの中にある肉でも石のように固くなります。

炭素化してしまうわけです。それは一つの元素ですから、肉のようなものでも、もう歯も立たないカチカチになっていきます。  その炭素化されたものをそのまま続けていきますと、炭素ですから、火が出ます。そして燃えてしまって無くなってしまうわけです。即ち物質が非物質化になってしまいます。

 問 この世には時間も空間も存在しないということについて、もう少し詳しくお伺いしますが。 知花 エネルギーも質料も永遠ですから、減りもしなければ、多くもなりません。エネルギーも質料で永遠であり、永遠ある存在ですから、そこに年月があるはずがありません。

  そして、そのエネルギーと質料は全宇宙に満ち満ちていますから、空間もありません。見えるものや見えざるものも全てはエネルギーにして質料ですから、エネルギーと質料の存在しない空間はこの宇宙にはありません。  

ですから、この宇宙は無量寿の世界であって、人間が考えている世界ではありません。みな形としいう物差しでものを計るから時空間を感じているわけです。

  エネルギーである空もエネルギーと質料も不可視であるエネルギーと質料は遍満していますし、それは、見える質料になっているか不可視の質料かだけの違いです。

そのエネルギーと質料の存在していない所は存在しません。色も空も全てはエネルギーと質料です。そこに永遠しかありません。 

眠れる魂と目覚める魂 
何の目的で私達は生まれてきたのだろうか 

 あなた方は真の自己に目覚めるために、この世に生まれてきました。魂は金儲けに来たのでしょうか。総理大臣になりに来たのでしょうか。

   大統領になりに来たのですか。十階建てのビルディングを十個持つためにきたのでしょうか。日本中で一番の大金持ちになりましても、そんなに価値のある物ではありません。朽ち果てた魂ではどうしようもありません。  

魂であることを目覚めずに、肉体の人間としての生涯を終わるとするならば、その人の人生は、盲目の人生です。虚しい人生です。幻をいっぱい持っているわけですから、幻です。夢の中です。  

 ですから、あなた方は毎日夢を見ているようなものです。今日も、そして毎日、起きていながら夢を見ていることになります。分かりますか。  貴方の外念で考えていることは、真昼の間から夢を見ているようなものですから、この地上界の人間は、みな夢物語で語り合っているわけです。 

  殆どの人は夢物語の人生である 私までが夢の世界に紛れ込んでいるようなものです。しかし、私は皆さんとともに、その夢の中でこそこそする事はありません。ここは夢の世界であることをはっきりと私自身が悟っているからです。 

 そこに振り回されたり、夢に振り回されたり、悲しい思いをしたり、苦しんだりする必要はありません。夢であることが分かるからで、例えばあなたが夢を見ている時に、ああ、これは夢だと思えたら何も苦しくないようなものです。 

 しかし、この昼時時の今、ここに存在している事自体が夢であることが分からない人が多いのです。起きていて夢を見ています。この意味が分かりますか。 

  そのように人生は夢物語であるといえます。人生はドラマであるといえますが、その夢は長いわけです。しかし、永遠の時間からすれば、皆さんの一生という時間や人生は一瞬の出来事です。  

本当に一瞬の出来事です。あなた方が勝手に長く感じているだけです。一瞬の間で見る夢も、長い時間を感じさせますが、それと同じようなものだと考えればいいと思います。ですから、結構私はこの夢の世界を楽しんでおります。皆さんの夢の中に入り込んで楽しんでいるのです。  

皆さんに目覚めよ、目覚めよといつも呼びかけているのが私です。あなた方は血や肉ではありませんよ、姿形が貴方ではありませんよ。貴方は寛大な魂であり、寛大な大霊であり、生命であると、貴方は無限大ですよ、普遍大ですよ、といつも呼びかけているのです。

貴方は個人ですか、普遍ですか。この意味をよく考えて見て下さい。  個人というのは形体の中には必ず普遍なるものが宿っています。中を見れば普遍ですが、外を見れば個人です。あなたは今、どこを見て生きていますか。外側ですか。内側ですか。  

皆さん方は内側を向いているのですか。殆どの方は外を見て生きています。そうであるならば、個人があり他人があるように感じるのです。内なるものを見ますと、個人もなければ他人もありません。  

内には唯一の生命しかありません。唯一の霊があるだけです。唯一の神があるだけです。普遍があるのみです。ですから、個人は実在できません。 生命を小さな個体に幽閉しているのは誰か 個人の実体は即普遍です。ここにあるの木の葉は独自の生命を持っていはいません。

この一枚の生命は宇宙全体の生命とつながっています。  では、あなたの生命は大生命ではありませんか。宇宙全体ではありませんか。生命は宇宙大ではありませんか。宇宙大のあなたが、あなたです。 

 なぜ、この宇宙大のあなたを個人的な、こんな小さな個体に幽閉するのでしょうか。誰が宇宙大のあなたを個人的なあなたにしているのでしょうか。

  本来のあなたは宇宙大です。宇宙我です。普遍我です。大我です。生命は即大我です。あなた方は外から見る形を見るから個人だという思いになるのです。この「個人」をいう思いが、あなたをがんじがらめに支配しているだけです。この外念をぶち破らなければなりません。  

種の殻をぶち破らない限り、本来の我が生まれてこないのと同じようなものです。あなた方の今の外念をぶち破らない限り、本来のあなたは生まれてきません。外念の殻をぶち破ることです。即ち自我意識という外念をぶち破ることです。  

「我は血や肉に属する者にあらず」、われは大霊なり、大生命なり、宇宙なり」、これが宇宙意識であり、普遍意識であり、神意識というものですが、分かりますか。  

今まで、皆さん方一人ひとりの意識は個人であると思っていたはずですが、個人の実体は即普遍ではありませんか。この実体を皆さん方は意識しなければなりません。  

実在意識とは、普遍意識があるのみです。この木の葉一枚は全体の意識です。全体意識があるだけです。しかし、あなた方は自分は個人意識だと思い込んでいます。個人意識そのものが、あなたを自縛しているわけです。この宇宙には個人的意識はどこにもありません。  

ないものをなぜ作り出していますか。このことを迷妄といいます。また、ドグマというのです。ドグマ的(独断的)です。観念的です。その観念や、外念やドグマを捨てなければなりません。これを自己放棄といいます。自己放棄とした時に、自分を捨てた時の真の自己が生まれてきます。  

今まであなた方は一体何のことを自分だと言ってきましたか。形のことですか。大生命のことですか。あなたは大生命そのものです。魂です。「我は魂なり、我は生命なり」です。形ではありません。  

形が自分だと思っている限りは、肉体が自分だと思っている限りは、あなたは自縛です。種が「私は種である」と思っている限り、りんごの種は気には成長しないのです。目を吹き出さないのと同じです。

 意識の拡大とは何か イエス様は「我は血や肉に属する者にあらず」「我は生命なり」「我は霊なり」と言われました。これが意識の拡大という意味です。すなわち視野の拡大という意味です。  

では、あなた方の意識は拡大されているといえますか。個人だと思っている人間に意識の高い人はいますか。では、この地上界に意識の高い人はおりますか。   

意識の高い人は肉体の制限を受けません。制約を受けません。束縛を受けません。無碍自在の状態になった意識です。即ち宇宙意識です。寛大な魂というわけです。寛大な意識と寛大な魂とは同じことです。 

問 かなりSF的になりますが、日本にもキリストが来たと言って話をする人もいますが本当でしょうか?

 知花 事実、来ています。それはなぜかといいますと、彼には時間も空間もありませんから、日本とか、アメリカという意識はありません。自在の意識ですから、テレポートの出来る人がどこには来なかったか、あそこには来なかったというものではありません。   

問 世界各地で災害の前触れ等に、聖母マリアの像が涙を流したとか、あるいは実際に聖母マリアが話をしかけて来たというような現象をあちこちで見られますが、それはどのようなことに基づくのでしょうか? 

知花 それは全く無いとはいえません。現象は何でも作り出しますから、それは、全く無いとはいいませんが、そのような事があったからといって、何の意味があるのかと逆に私が知りたいのです。

 問 エジプトのピラミッドとか中南米には結構多くの遺跡文化がありますが、あれは、現代物理学でどのように創造したらよいのでしょうか。まだ分からないのですが、どのようなものでしょうか。

 知花 それは霊能力といい、すなわち宇宙のエネルギーを駆使する力でもって作られたものであって、現代科学の色々なもので作られたものではないということです。現にものとは必要なときには無重力といって、エネルギーと質料には重さがありません。

物とは今、いいましたように、鉄の塊でも空中に浮かすことが出来る波動の持ち主であればどんな大きな体積の岩でも、無重力にしてしまうわけですから、現にサイババ先生でも壊れたブルドーザーを四人で無重力にしてしまって、四人では抱えるように抱えたわけですから。  

そういう科学を超えた力は、その宇宙力を持っていれば当たり前のことであって、特別なことではありません。ですから、今の科学の物差しで、あれをどうして作ったとか、これをどうして作っているのといっても、それは皆仮説です。全く真実に相反するものです。 

問 フランスのルルドという所に泉があって、その水を飲めば病気が治るという話を聞いたことがありますが、その水は中性水と何か関係がありますか。 

知花 まあ、その水の性質によっても違うと思いますが、ミネラル水であるか、ゲルマニウムを多く含んだ水であるか、そこでたまたまある人が病気が治って、その泉の水が病気に効果があると、それを信ずる心を持った人達が沢山信ずるようになれば、そこに力を与えます。

そこは効力を発揮するものだと思います。効力を発揮すると、その水そのものが効力があるようになります。それを買う人の信ずる心が効力を発しているのです。それも一つの意識の問題ですから、どこに効力があるということは一概に言える人はいないでしょう。  

あなた方の飲んでいるお薬と同じです。信じて飲めば治りますが、信じなければ、治りません。 効果が出るというのとは同じことです。 

問 サイババさんが開けられてないままの封筒を封を切らないままに読めるという話を聞いたのですが、それはどういうことに基づくのでしょうか。 

知花 その文字の波動を読み取っているわけです。敏感な人なら誰でも可能です。例えば本でも開いてみなくても、どういう内容のものか書いてある事は触らずとも見なくても、ここに置いておれば、内容が殆ど分かるくらいの敏感さがあれば、分かるようになります。

 問 波動について、今、あちこちでも注目されていますが、もっと詳しくお伺いしたいのですが、例えば、大勢の中で一人だけ波動の高い人がいると、その全体の波動が良くなるということについて、一般的には変な気がするのですが。 

知花 波動が高いというのはエネルギーが高いという意味ですから、そのエネルギーは高い所から低い所に流れるのは当たり前のことです。ですから、一人の影響は全体の影響といえますから、同じ悪いもの同士は、類は類を呼ぶということです。 

 ただ、波動が低い者が高い所にいて、いい気持ちかといいますと、これはとんでもないことです。波動の低い者と波動の高い者とは波長が合いませんから、そこにおれば、例えば、波動が低い者が波動の高い所に行ったって、波動の低い者にとっては、そこは悪い所にしかなりません。 

 ですから、そのような波動は自分と波長が合うか、合わないかによって拒否反応を起こすか、受けるれるかです。それが磁場です。ですから、磁場が高いからといって、磁場の低い者がそこへ来たら、吐き気をもよおしたり、嫌気をさしたりすることはあります。

そうしますと、その本人によれば、その場は悪魔の場だというわけです。彼にとっては悪魔にしかなりません。 

問 仮に清里に来て、気持ちが悪くなるという方は、本人自身がそうなっているわけですか。 

知花 そんな人が結構いますよ。ですから、ここは悪魔かもしれません。と言われても、ものの取り方いかんですから、結構ではないですかとしかいいようがありません。 

問 逆にへんなネオン街とかに行きますと、元気になる人がいますか。 知花 そこと波長が合っているのです。 問 例えば、講義録にはわら人形の例えが出ていたのですが、悪想念を相手に送れば、簡単に相手を倒す事が出来るのですか。 

知花 そうです。その念というのは良いにつけ、悪いにつけ全てに働きます。しかし、最終的には本人に帰ってきます。池の中に石を投げますと一瞬はぱっと広がりますが、投げた後は、また、。中心に跳ね返って来ます。それが作用と反作用の法則です。これは諸刃の剣となります。 

問 よく人がやることですが、お札とか水晶に念を込めるというのですが、水晶や御札などに念とか波動は、籠りやすい性質を持っているのでしょうか。 

知花 性質を持っているというよりも、そこに念を入れたとか入れなかったとか、それを信ずる人の心によって差が出て来るといえますから、信ずる人からすれば、年賀入っているといえば、入っているというし、入っていないという人からすれば、全く空っぽにしか過ぎないのです。打ち消すことも認めることも出来ます。

 問 世の中ではそのようなことをよく暗示効果といいますが、それは全く別なものと考えても宜しいのでしょうか。

 知花 暗示作用です。一つの暗示作用と同じです。ですから、形あるものでさえも、これはパワーがありますと信ずる人には効果がありますが、信じない人には効果がありません。その波長は常に打ち消し合いをしているから、否定論になりますと、打ち消し合いですから、効力を失います。

 完成を高めるには 調和こそが完成である 完成を高めるといったり、あるいは自己完成といいますが、その完成とは何でしょうか。完成とはすなわち完全という意味です。完全性とは完成をいいます。その完全とは愛をいいます。  

愛は完全です。不調和は不完全です。完全を高めるとは愛を高めることです。愛深い人を完成の高い人といい、不調和の人を未完成といいます。すなわち完成がないわけで、すべての原点は不調和の人を未熟の魂といい、調和の取れた人を熟した魂といいます。ですから、我々が不調和では完成は高まりません。

「神が完全であるが如く、そなたたちも完全であれ」
という意味 

この世の中では病気が多くありますが、病気は完成が高いから病気になるのでしょうか。それとも低いから病気になるのでしょうか。愛は完全ですし、調和は健康の元です。この世の中に病気が多いのは不調和な人が多いといえる訳です。病気とは不調和の結果ですし、健康とは愛の結果と言えます。 

 なぜ神は完全かといいますと、愛なるが故だからです。「神が完全であるが如く、そなたたちも完全であれ」とは、「神が愛であるが如く、そなたたちも愛であれ」という意味です。病気は食べ物から来るという人がいますが。それは非常に低い次元の話です。食べ物からではなく、病気は不調和から来ます。不調和な人はどんなに良い食べ物を食べさせても健康にはなりません。

皆さんの本性は愛であり、愛がもしも無かったら物の存在は出来ません。愛は完全性の本源ですし、霊エネルギーのエネルギーと質料の調和で万生万物は存在しています。ですから人間とは何かといえば愛の結果といえます。霊と水飲結果、すなわち質料とエネルギーの結果です。水である質料と霊であるエネルギーとの調和がなければ物は存在できません。 

 神は愛なり 

神を大愛といいますし、あるいは大調和ともいいます。愛が全てを創り、愛が全ての中に宿っています。皆さん方の全ての原点は何でしょうか、愛です。

その結果は愛の現れにしか過ぎません。愛が無ければ現れるものは何もありません。この世の見える世界は愛の具現にしか過ぎません。ですから愛が様々な形を取って現れているだけです。では、実際にあるのは形でしょうか。それとも大愛でしょうか。

愛が無くても物は存在出来ますか。存在は出来ません。それ故に愛こそ絶対実在といえます。原点に帰るとは愛に帰るという意味です。すべての原点は愛であり、全ての愛から派生しているわけです。愛が全てを生み出しているわけです。愛は全ての生みの親ですから、今のような不調和では神に帰れないと思います。

 プロフェクト・バランスとは何か 

愛と高めるという言葉と、完成と高めるという言葉は同じです。我々は父なる神と母なる神といいますが、なぜ母なる神なのかといえば、それは水を象徴としているからです。女性は水を象徴とするわけです。そして、霊は聖なる火といい、火を象徴しています。すなわち火と水です。

元を正せば、これらの調和の全ての物は実在しています。ですから、このエネルギーと質料の調和が無かったら物は存在できません。では、あなた方の本性は人間でしょうか、大愛でしょうか。大愛です。全ては愛です。これを全き(またき)愛といいます。

全ては愛であり、愛の他には何もありません。愛の他に何かがあるはずがありません。なぜかといいますと愛が全てを創り、愛が全ての中に宿っているからです。形は様々ですが、唯一不二の大愛しかありません。これを大調和といい、大愛と言っているわけです。「神は愛なり、神は大調和なり」といえます。プロフェクト・バランスとはこの意味です。 

 成就とは何か 

完成を成就といいます。完成とは我々が愛を高めることであり、調和を高めることです。なぜ神が完全かといいますと調和だからです。あなたも完全であるためには調和そのものでなければなりません。

調和は完全ですし、不調和は不完全です。では、誰があなたの完成を高めることが出来るのでしょうか。自分以外にはおりません。愛深い人とはすなわち完成の高い人です。不調和な人とは未熟な人です。不調和な人のことを未熟の魂ともいいますが、熟成の高い人は愛の深い人です。愛情であり、人情です。

  「愛情深くあれ」とは、利己的でなく、愛の深い人です。その愛の深い人のことや、愛の高い人を気高い人といいます。ですから、世の中になぜ病気が存在するかといえば、愛で生きてるからでしょうか。それとも不調和で生きているからですか。不調和であるからです。

 完成を高めるには 病気は薬で治るものではありません  この世の中では、不調和になればなるほど病気は多くなります。今からご十年ぐらい前と今の病人の数はどちらが多いと思いますか。

どんなに医者が多くなっても薬が出来ても、病気は多くなる一方です。それはお医者さんや、お薬が病気を直すからですか。医薬品が進歩したとか、医学が進んだとか、お医者さんが沢山出てくれば病気はどんどん少なるなるはずですが、無くなっていますが、多くなっていますが。多くなっています。

  その病気の原因は、何であるかが分かっていないし、掴んでもいません。病気の原因が、お薬や、お医者さんがいれば治るのならば、お薬やお医者さんを多く作れば病気はなくなります。病気の原因がお薬やお医者さんでは無いから減りません。

  お薬が沢山出来れば、お医者さんが沢山おれば、世の中から病気が無くなるという考え方を持っている人が如何に多いかといえます。そうではありません。

「病気とは何か」と、イエス・キリストに問われた時に、何と言われたと思いますか。「不調和の結果」と言われました。病気は愛の結果でしょうか。それとも不調和の結果でしょうか。 

 では、健康であるためにはどうしたらよいのでしょうか。調和しかありません。健康であるためには調和でなくてはなりません。愛でなくてはなりません。    愛は癒やしのエネルギーです 健康は自分自身が持っています。

健康を保持するなら、病気になるのも誰次第でしょうか。自分次第です。では、癒やし主は誰ですか。自分です。病気治療は他力本願ではありません。自力です。これを自己治癒力といいます。愛は癒やしのエネルギーですその愛のエネルギーの事を神性エネルギーと言います。

すなわち愛のエネルギーといいます。ですから、愛が強くなりますと、人を癒やす力まで出てきます。  不調和の人が誰かに手をかざしても、その人の病気は治りません。不調和の人からエネルギーは出ません。不調和だらけの人が、他社の病気を治すことは不可能です。

自分の病気も治せないわけですから、本当に自分を健康にして、そして人を健康にするくらいの愛の力と、愛のエネルギーすなわち神性エネルギーを持つことが完成を高める意味ではないかと思います。  あなたがいることによって周囲の人達の病気が治るというくらいの愛と、調和が必要です。

 自分が不調和になりますと
自分の体内で化学変化が起こります 

プラス・マイナスの電気は常に化学変化を起こしています。プラス極とマイナス極はイオン化現象といいまして、常にプラスからマイナスイオンを送って、常に電気現象を起こしています。そのプラスとマイナスのバランスが崩れますと、そこには光も出ませんし、力も出ません。  

あなたが光る者となるためには、愛が光でしょうか。それとも不調和が光でしょうか。愛が光です。なぜかといいますと、プラスとマイナスの極が調和すると光が出るからです。

 この世の電気は神をある程度具現化した状態を意味していますから、自分の光を高めるためには、愛でなくてはなりません。  

愛は光なり・愛は力なり 光ある所に愛があり、愛ある所に光があります。光人間になるためにはどうすればよいのでしょうか。愛のみが必要です。不調和な人間から後光が出るのでしょうか。出ないのでしょうか。なぜ、イエス・キリストやお釈迦様から光が出たのでしょうか。愛を実践されたからでしょうか。不調和であったからでしょうか。  

愛であったわけです。「愛は光なり、愛は力なり」です。
 ですから、愛に勝る力はありませんし、愛に勝る光はありません。皆さん方が力ある者であり、光ある者になるためには、日常生活での愛を実践せねばなりません。

 愛に生きなければなりません。誰とも不調和を起こしてはなりません。愛ある所に光があります。

 ハルマゲドンとは光と闇の戦いをいいます

 光と闇の戦いとは、愛と不調和の戦いのことです。不調和の世界を何と言いますか。闇の世界といいます。愛の世界は光の世界であり、光明世界といいます。 

 あなたが光の中に住むためには光を誰かが持ってこなければなりませんか。自分が持ってこなければなりません。ですから、天に住むには自らが天を持って来なければならない意味はそこにある訳です。

少しでも人から言葉を掛けられないと、感情的になり、怒りっぽくなり、妬みっぽくなり、嫉妬深くなる人間から光が出るのでしょうか。光は出ません。そんな人は健康でしょうか。それとも、病弱でしょうか。病弱です。  

では、あなたの健康を保持するにはどうすればよいのでしょうか。
愛というお薬を飲めばいいのです。この愛というお薬は一銭の金も掛かりません。
 金は要りません。 あなた方の病気を治すには金が必要だという人がいますが、本当でしょうか。

病気を治すのに金が必要ですか、何が必要ですか。愛だけが必要です。ですから常に健康で幸せであるためには常に愛の日常生活でなくてはなりません。愛の一日を送ることが非常に重要かと思います。 

 愛はすべての原点です 

 全ての原点は愛です。原点に帰るためには不調和では原点に帰れません。「神の国は愛の王国」といいます。「愛の王国は光明世界」です。 今の自分は熟成が高いか、感性が高いか、それとも低いかを誰が一番知っていますか。

自分の完成は誰が高めるのでしょうか。自分以外にはいません。  完成を高めると人はよく言いますが、その完成が何であるかを知っている人は非常に少ないのです。

不調和の人は未完成であり、調和の人は完成です。不調和の世界を闇の世界といいます。そして調和の世界は光明世界といいます。  

では、この地上界は愛の世界ですか。不調和の世界ですか。今は不調和だらけの人人間しかおりませんので、闇地獄というわけです。 愛の世界は光明世界です。ですから皆さんの原点は愛ですから、その原点である本性を現せばいいのです。 

みな愛を宿しているのではありませんか。その大愛が全てを創り、大愛が全てに宿っているわけですから、愛がなければ具現できないはずです。エネルギーと質料が不調和でしたら、物は存在出来るのでしょうか。 

霊は光なり  私達の肉体は水です。それを動かす力は霊的力です。肉体自らは無ですし、生きてはいません。 皆さん方は肉体を救おうとしますが、肉体は救えるものではありません。本来は「霊を救う」のですが、その魂も迷うものではありません。     

皆さん方は魂に対しての理解力が非常に乏しいのです。魂は一切の力であり、一切の光です。一切の光というのは、霊光といいます。 魂は光輝といいますが、魂は闇ですか、光ですか、光です。これを内なる光といいますが、内なる光とは霊光をいいます。

 皆さん方の肉体は受動体ですが、光である霊を受け入れたら、皆さんの受け身である肉体は闇となりますか、無明体となりますか。光体となります。  

皆さんの肉体が光である光子体になったら災いは入りますか。入れませんか。災いは闇ですか、光ですか、闇ですが皆さんが愛そのものになったら、愛という光の世界に闇は入れません。  

光という世界に闇が入り込めるはずがありません。類は類を呼ぶといいまして、闇は闇を呼びますし、光は光を呼びます。光を呼び入れるためにはあなたが光でなければなりません。
 闇人間は色々の災いをどんどん引き付けます。光はどんどん良いことを引き付けます。 不調和は闇人間です。  

この世は未完成の世界です。あなたが完成して、今ここに存在していると思いますか。未完成だから生まれ変わってきたのですか。  

未完成だから生まれてきました。未熟だから生まれてきたのです。それを未熟の魂といいます。未熟の魂とは不調和の人間です。熟した魂とは愛の人です。愛の人とは光の人間です。  

この世には光人間と、闇人間が言えるといえます。不調和だらけの人間は闇人間です。愛の深い人は光人間です。 光るものとなるか、闇となるかは、あなたの日常生活で決まります。毎日が不調和だらけの者や、誰かと喧嘩をしなければ気の済まない人もいます。 

ですから、だれとも争わない絶対なる愛は絶対調和ですから、我々が愛しか知らない人間になったとしか、調和しか知らない人間になった時に、皆さん方は完成となります。完成です。  

不調和で完成が出来ますか、出来ません。ですから、あなたの周囲のあなたの気に入らない人や嫌な人がいても、その人を憎むべきではありません。

 罵ったり、けなしたり、非難したり、批判すべきですか。それは得をしますか。人を憎んだり、そしったりすることによって、あなたは得をしますか。損をしますか。損をします。なぜでしょうか。それはあなたが闇になるからです。  

不調和な者は本人が気付くまで放っておくことです  あなたの周囲に嫌がらせをする人がいても、それにとらわれなければ良いのです。放っておけばよいのです。あなたがその人に愛を求めることが出来ますか、出来ませんか。その人をあなたが変えさせることが出来ますか、出来ません。  

人の悪口を言って、人を良くしようとする人がいますが、それは良くなりません。そのことに本人が気付くまでは絶対に良くなりません。 そのことを責め立てたら、悪は増幅するだけです。

一つでも責めたとするならば、怒ったり怒り狂います。怒り狂ったら闇は少なくなりますか、それとも増幅しますか。増幅するだけです。ですから放っておけばよいのです。  

皆さん方が自分の周囲を明るくするためには、皆さん方が明るくすればよいのです。
「人を変えよう」ではありません。 自分を変えようではありませんか。

 自分を変える事以外は周囲を変える方法はありません。特に夫婦間の問題はそのようです。 
旦那さんが悪いから私はこうなのだと、奥様が悪いから私はこうしてるといいますが、誰かに責任転嫁をした方が楽だと思って、そんなことをしているのです。  

「あの人のせいで私はこうなっている」とかいって、責任転嫁をする自己保存の心がいかに多いかといえます。会社においても同じ事です。 

 会社でお互いに責め合った時、そのことは無くなりますか。闇や闇で消すことが出来ません。悪は悪で打ち消すことが出来ないことを知らなければなりません。  

不調和の世界を悪の世界といいます。調和を善といいます。ですから、この世の悪を克服するとは、この世の不調和を克服するとい意味です。悪に打ち勝つとは不調和に打ち勝つという意味です。 

 
イエス様の病気の治療方法

 本当に自分が健康でありたいならば、皆さん方は、すぐにでも健康になれます。その方法をお教えしましょう。

 朝、目が覚めたら、座禅を組んで、心を落ち着けて、頭の先から足の先まで光に満たされて、1点の曇りもない自分をイメージすることです。

 これを「光明思念」といいます。
 それが強ければ強いほど、その人は光明思念になれるのです。

 座ると同時に、それが出来るようになります。
 一ヶ月も訓練すれば、それが出来るようになるでしょう。そうするともう、病気は存在しなくなります。

「病気を、自分は認めない」というように、決して病気を認めてはなりません。認めている間は意識しているわけですから、自分の意識で病気を引き留めて、可愛がっているのです。

 それを否定して、光のみを肯定していくことです。
 そして、自分の病気を完全に否定した時、病気が治るのです。

 イエス様の病気の治療は、その方法でした。
 病人がどこが悪いといっても、病気であることを観ない。認めもしない。光だけを認められたのです。

 例えば「病気だ」という人を、私は病気だと認めません。「ここが悪いのです」といっても聞かないのです。
 「そうですか。そこが悪いのですよ」と私が認めたならば、もう病気は治りません。
 その人の訴えを聞き流すのです。

 私は光だけをイメージし、私が完全に光明化されて、私の手からその人全体に光が入ってい行き、その人が全体的な光となり、全部が光りに包まれて、細胞体全てが光に輝くということになります。

 その思念が強ければ強いほど、病気の治療が強いということです。
 
 イエス様は、それを「光一元」に信じてこられたので、色々な奇跡を起こされたのです。

 光明思念が強いか強くないかで、病気治療が可能であるか、可能ではないかが分かります。

 (私がこんなことをやっても治るのだろうか?)と思えば治りません。すでにそこで破壊をしているわけです。
 そして、(私がやって治ったのだろうか?)と思ったら、そのエネルギーは断ち切れてしまいます。せっかくのものが治らないのです。

 しかし、今与えたから、今治るとは限りません。に2~3日後に治るか、一週間後に治るか。いま治らなかったからといって、そこで、せっかくの光明を破壊し、「ああ、やっぱり治らなかった」と闇に返る人がいます。

 行ったら、それを破壊してはなりません。信念をどこまでも信じ込むことです。
 これが「神を信ずる姿、光を信ずる姿」なのです。

 自分の子供でも、誰にでも光明化を与えるならば、「必ず良くなるのだ」という「信念一元」において、決して破壊的な信念を起こさないことです。

 皆さん方はよく祈ります。(神様、助けてください)と。神様は「そうか、助けてあげよう」と頷かれます。
 しかし、あなたは(もういいのです)と断る。(私の祈りは聞き入られなかったのだ)と思ってしまうのです。
 そこで、神様は「そう思っているのなら、それでいいのですよ」と言われるのです。

 あなた方は、祈ることは上手です。
 「神様、どうか私を助けて下さい」」と祈りますが、しかし,(私の祈りは聞き入れられないだろう)と思い始めるのです。

 せっかく祈っていながら、その祈りを取消し、払い下げをしてしまうのです。だから、祈りは聞き入れいれられなかったということがよくあるのです。

 祈られた結果は、神の御心だけが知っておられます。即、与えられるものと、もう少し経ってから与えた用が都合がよいという場合があるのです。それを知らないで、一週間経っても変わらないから(もう駄目だろう)と、その祈りを払い下げをするのです。

 (もう、いいのです)と神を疑ったのです。神を試したのです。だから「神を試すことなかれ」という言葉が出てくるのです。

 皆さん方は、神を試しているのです。神を試してはいけません。 
 とことん信ずるのです。祈ったならば、「その祈りは必ず聞き入れられる」と信念を持つことです.それが祈りのコツなのです。


第四話 八名の指導霊は語り給う
もう皆さんの目は開かれつつあります
本物が觀えつつあります
今まで偽物に取り憑かれていた、支配されていた皆さんの心が、
その本源を觀ることによって、全てを理解し、全てを知る者となるその機会を、
今ここに、皆さんに与えられています。

これを「久遠の富」と申し上げます
あなた方のこの世の富は、消え失せる富です。
永遠なるものを手にしなさい。
神のものを、全て受け継ぎなさい。

大きな愛を観じなさい
自分自身が、愛そのものであることを観じなさい
その愛には、区切りもない、障壁もない、離別もない。
ただ、全て、すべての大愛そのものの象徴であり、具現であることを観じなさい。

私を観じなさい。
私とは「愛」のことです。
私とは「大調和」のことです。
もう不調和を起こしてはなりません。
もう本質から離れてはなりません。

誰も憎んではなりません。
怒ってはなりません。
悪口を言ってはなりません。
嫉妬をしてはなりません。
それが、すべて、あなたの苦悩の原因となっております。

愛の中には苦しみはありません。
苦悩はありません。
平安と安らぎがあるのみです。
我が身元に還りなさい。
愛する者共よ、還りなさい。

いまこそ愛に還りなさい。
我が元に還りなさい。
道は開かれています。
歩みなさい。
掴みなさい。

このテープが、多くの人に行き渡りますように。
あなた方は、このテープを持って、多くの兄弟姉妹に広げなさい。
真実を伝導しなさい。

大丈夫です。
皆さんは還れます。
必ず還れます。
それを知ることができます。

軽く目を閉じてください。
自分が大愛そのものであることを観じなさい。
実感しなさい。

「自分は大愛の中におり、大愛は我が身にまします」
「神は全ての中にまします」
「万象万物は神の中におり、神は万象万物に留まり給う」

そのことを実感しなさい。
それは、全て愛であることを実感しなさい。

おお、主よ。
この者どもに貴神の愛が満たされますように。
心の扉が開かれますように。
全身に貴神が満たされますように。
ここにおる者どもは、貴神の愛を観じます。受け入れます。
今こそ、貴神をハート(胸)に着座させ給え。

大愛と一体になってください。
大愛そのものになることです。
それは無限です。普遍です。
その愛を観じなさい。
その愛、そのものがあなた自身です。

愛には区別がありません。
別離がありません。
分離がありません。そのものです。
空間がありません。
年月がありません。
時間がありません。

久遠常在です。久遠常在の愛を観じなさい。
それなくして、あなた方はここに存在する事は出来ません。
愛するものよ。それを受け取りなさい。

観じなさい。
今こそ、私を受け入れなさい。
愛を受け入れなさい。
愛を受け入れる者は、私を受け入れる者です。
その愛を、はっきりとハート(胸)に開きなさい。

私と一体になりなさい。
私そのものになりなさい。
そうした時、私はあなたを通じて語り、あなたを通じて働くでしょう。
今こそ、心の扉を私に開きなさい。

今まで考えてきた先入観、自己、全てを放棄しなさい。
あなた方の今まで考えてきたものに、何ひとつだって真実はありません。
古い自分を捨てなさい。
そうすることによって、
あなた方は、今、ここで生まれ変わります。

父よ。
この者に光を与えてください。
あなたの光で満たしてください。

細胞一粒一粒が、神の愛で満たされています。
愛そのものです。
調和そのものですl.
神そのものです。

ここにご協力してくださいました、大いなる方々に感謝申し上げます。お力添え頂きまして感謝致します。
貴方のご加護で、なおいっそうあなた方の心と結ばれんことをお祈り致します。

この第四話は、八人の指導霊が私に語って頂いたものです。 

イエス様の病気の治療方法

 本当に自分が健康でありたいならば、皆さん方は、すぐにでも健康になれます。その方法をお教えしましょう。

 朝、目が覚めたら、座禅を組んで、心を落ち着けて頭の先から足の先まで光に満たされて、1点の曇りもない自分をイメージすることです。

 これを「光明思念」といいます。
 それが強ければ強いほど、その人は光明思念になれるのです。

 座ると同時に、それが出来るようになります。
 一ヶ月も訓練すれば、それが出来るようになるでしょう。そうするともう、病気は存在しなくなります。

「病気を、自分は認めない」というように、決して病気を認めてはなりません。認めている間は意識しているわけですから、自分の意識で病気を引き留めて、可愛がっているのです。

 それを否定して、「光のみを肯定」していくことです。
 そして、「自分の病気を完全に否定した時、病気が治る」のです。

  イエス様の病気の治療は、その方法でした。
 病人がどこが悪いといっても、病気であることを観ない。認めもしない。光だけを認められたのです。

 例えば「病気だ」という人を、私は病気だと認めません。
「ここが悪いのです」といっても聞かないのです。

 「そうですか。そこが悪いのですよ」と私が認めたならば、
もう病気は治りません。その人の訴えを聞き流すのです。

 私は光だけをイメージし、私が完全に光明化されて、私の手からその人全体に光が入ってい行き、その人が全体的な光となり、全部が光りに包まれて、「細胞体全てが光に輝く」ということになります。

 その思念が強ければ強いほど、病気の治療が強いということです。
 
 イエス様は、それを「光一元」に信じてこられたので、
色々な奇跡を起こされたのです。

「光明思念」が強いか強くないかで、
病気治療が可能であるか、可能ではないかが分かります。

 (私がこんなことをやっても治るのだろうか?)と思えば治りません。すでにそこで破壊をしているわけです。

 そして、(私がやって治ったのだろうか?)と思ったら、そのエネルギーは断ち切れてしまいます。せっかくのものが治らないのです。

 しかし、今与えたから、今治るとは限りません。2~3日後に治るか、一週間後に治るか。いま治らなかったからといって、そこで、せっかくの光明を破壊し、「ああ、やっぱり治らなかった」と闇に返る人がいます。

 行ったら、それを破壊してはなりません。
信念をどこまでも信じ込む」ことです。
 これが「神を信ずる姿、光を信ずる姿」なのです。

 自分の子供でも、誰にでも光明化を与えるならば、「必ず良くなるのだ」という「信念一元」において、決して破壊的な信念を起こさないことです。

 皆さん方はよく祈ります。(神様、助けてください)と。
神様は「そうか、助けてあげよう」と頷かれます。

 しかし、あなたは(もういいのです)と断る。(私の祈りは聞き入られなかったのだ)と思ってしまうのです。
 そこで、神様は「そう思っているのなら、それでいいのですよ」と言われるのです。

 あなた方は、祈ることは上手です。
 「神様、どうか私を助けて下さい」」と祈りますが、
しかし,(私の祈りは聞き入れられないだろう)と思い始めるのです。

 せっかく祈っていながら、その祈りを取消し、払い下げをしてしまうのです。だから、祈りは聞き入れいれられなかったということがよくあるのです。

 祈られた結果は、神の御心だけが知っておられます。即、与えられるものと、もう少し経ってから与えた用が都合がよいという場合があるのです。

 それを知らないで、一週間経っても変わらないから(もう駄目だろう)と、その祈りを払い下げをするのです。

 (もう、いいのです)と神を疑ったのです。神を試したのです。
だから「神を試すことなかれ」という言葉が出てくるのです。

 皆さん方は、神を試しているのです。
神を試してはいけません。とことん信ずるのです。
祈ったならば、「その祈りは必ず聞き入れられる」と信念を持つことです.それが祈りのコツなのです。


心配して善いことはない

 「心配」「不安」「恐怖」は、破壊です。
 その破壊的思念を送っていながら、子供を愛している、夫を愛しているというのは「口先だけの愛」というものです。真実においては愛ではないのです。なぜならば、殺しているからです。

 私達は神理を学び、神理を知って、その通り神理を実行した時、真の愛が出てくるのです。それを「育愛」といいますが、皆さん方のいうのは「盲目の愛」で、物事を知らない愛が殺人を犯すわけです。
 そういう事にならないように、一生懸命気をつけなければなりません。

 あなた方の日々の生活で、この思念力が使われているのです。これは、あなた方の想像を超えるもので、五感で判断出来ない、想像の力があるのです。
 
 善なる建設的な想像の思念を送っているか、それとも破壊的思念を送っているかで、その子を殺すか、親を殺すかということになります。

 送っている方も、いい気持ちではありません。なぜならば、罪を犯しているからです。心配をして「いい気持ち」という人はいません。罪を犯しているからです。

 あなたの良心が(嫌、嫌)と言っているのです。(こんなことをしてはいけない)とあなたに警告をしているから、あなたは胸騒ぎがして胸がドキドキして心配するのです。

 恐怖を感じている時、心配している時、胸がスッキリしているという人は、一人もいないはずです。神の法則から外れているからです。
 法則に準じて生きているならば、常に胸がスッキリしているはずです。

 心配していて、爽やかであるはずがありません。
 なぜならば、殺人を犯しているからです。これは、あなたの「自我」なるものが犯しているのです。

 「神我」なるものは、(こんなことをしてはいけない、いけない)と、警告を与えるから胸苦しくなるのです。

 「心配すると、いつも胸が苦しくなる」といいます。よく心配する人は、神経性胃炎にかかります。これは、心配の人殺しが激しいからで、とうとう「反作用の法則」で、自分が殺されるのです。
 
 自分に跳ね返るのです。「常に胃が痛い、胃が重い。こちらに何か塊があるみたいだ」という人は、常に悪思念を人々に送っているからでしょう。

 心配して善いことが起きるのでしょうか。よく考えてみてください。
 「心配して善いことはないのだ」と、そう知りながらも心配する。

 そのことを「罪」として、「悪」として、自覚していないからです。
「どれほど相手に悪影響を与えているか」ということを知らないからなのです。


想念体の力を知ること

 私の場合は想念体の力というものを知っているので、それが恐ろしいのです。(世の中はみんな害虫なんだな)としか思えません。

 悪想念体の入り乱れた網の目のように、この地上界は想念体が入り乱れています。正しい光明思念というものが、今は本当に少ないのです。
 だから、世の中は混乱し、悩み苦しみます。病気というものも、みんなそれから作られてゆきます。

 想念体は、その本人一人だけに行くのではなく、永遠に、この地上界を回っているのです。
 みんながそれを持っていて消さないかぎり、一秒間に地球を七回半回るほどの速さで、悪想念は回ります。

 その中で、同じチャンネル、波長を持っている者がいれば、それにぶつかるのです。
 あの人にぶつかり、この人にぶつかり、それが何名殺したかということになります。その事を、皆さんは知らないのです。

 悪をばら撒き、闇をばら撒き、破壊的念を、思念を、想念体をばらまくのと一緒なのです。

 人間一人一人の悪想念が今度は何の罪になるか、何のカルマになるかということが、地球のカルマになります。そうなると、地球のカルマは悪想念に満ちていることになり、地球人間は、いい気持ちで住めるはずがありません。

 今こそ、その事が悟れないとか、悩み苦しみから開放されないということは、悪想念体が多いからです。
 光明思念が少なすぎるのです。その悪影響を付けて、その苦しみや、不安や、心配、恐怖から開放されないのです。

 その神理を知ったのなら、それらを受け取らないような受信機のようにならねばならないのです。


光明化をイメージする

 朝、起きて、五分でも良いのです。もっと時間が取れるならば、寝床の上に座って、光明思念をすることです。
 そして、まず、自分から光明化をはかります。

 大宇宙の中心より「神の光明」の、大きな光のカプセルを頂くのです。
 光のカプセルが自分の中に入り、自分が黄金の仏像のように、輝いていることをイメージします。
  
 自分だけが救われれば良いのではなく、これを徐々に広げてゆき、家の内外、全体が黄金に充たされることをイメージします。そして、家全体がイメージ出来たなら、次に屋敷全体が光に満たされているイメージをするのです。それを毎日やっていくと、偉大なる光明思念となります。
 
 自分の家族だけでなく、隣近所まで広げていくのです。
次には、町内中に広げていき、その光の広がりを拡大していくのです。
そして、ついには日本全体の光明化をはかるのです。

 しかし、これだけではすまないので、今度は、今度は、地球の上に自分が座って、そこで光明化をはかっているというイメージをして、上から宇宙からの光を仰ぐように、イメージしていくのです。

 これは地球の光明化です。全人類の光明化思念を送ることになるのです
 それを知らないので、光明化のイメージが出来ないのです。


光の治療で病気が治る

 光明化思念を日々の生活の中で活用していくことでは、肉体細胞が輝かしい光明なる思念を持った生命体となることです。そうすると、病気は存在しなくなります。

 それは。病気治療に大きな効果があります。
 例えば、病人がいたとします。
 しかし、その病人を認めてはいけません。病人だと認めたら、闇を認めたことになります。絶対に、病人だと認めないこと。1点だって認めてはいけないのです。

 そして、座って光明化を頂いて、その人が頭の先から足の先まで黄金に光っている。白光に光っているという強い思念を送り、その人の肉体が黄金に輝くイメージを作ります。

 完全に足の先まで光っていることをイメージ出来るまで行います。
 そうすると、肉体細胞の今までの黒い部分が押し出されて、その部分がなくなるのです。

 黒い部分、つまり闇の部分が病気なので、その闇が光に押し出されて無くなるのです。
 これを、「光明思念治療法」といいます。光明思念に対しては、誰にでもその能力があるのに、毎日の生活で使っていないだけなのです。

 不良化した子供さんがいたら、その子供さんを4~5分でも良いから座らせて、光明思念を送ることによって救うことも出来るのです。

 光明にされると、細胞体、意識、心までも黄金に輝くので、悪いことが出来なくなるわけです。

 皆さん方は、自分の病気を、完全に自分自身で断ち切る事ができます

 肉体は「想念体」なので、光明化を願って、頭の先から足の先まで光り輝いた、曇り気一つない、
神々しい輝かしい光のイメージを一日二~三分、あるいは四~五分、毎日できたとするならば、永遠に健康で過ごすことが出来るでしょう。

 あなた方の細胞を傷つけているのは、あなた方の思念力の誤用です。細胞体が汚れてくるのです。その思念力が闇であれば、闇が入ります。

 光であれば光が入ります
 「反作用の法則」なので、誰であっても傷つけてはなりません。

 あなたが人々に光明を送れば、光明思念はあなたに返る
闇思念を送れば、闇思念が返るのです。

 あなた方が人々に光を送るようになり、地球の地上界に送るようになった時、皆さん方の心はスッキリするでしょう。この心がどこから出てきたんだろう)という喜びを感じるでしょう。

 なぜかといえば、神に仕えているからです。神の御心の中に生かされているからです。神の光の中に生きているからなのです。

 これが、真の人間の生き方なのです。
 しかし、今、皆さん方は道を間違えています。
 悪に生きようとしているのです。闇に生きようとしているのです。

 それは、。あなた方の思念が間違っているからで、悪思念によって生きようとしているからなのです。
 悪思念から光明思念に返ることによって、毎日の生活環境全てが変わるのです。

 こういうことがよくあります。
 写真家が光明思念のビジョンを描いてシャッターを切った時、色々な写真に光が現れます。
 写真の中に光が写るでしょう。その光が出るという思念力でもって、写真をごまかすことが出来ます。

 写真を撮る時、(あそこに光がある)という念力が強ければ、いくらでも写真に光を映すことが出来るのです。
 それを「神様の写真だ」といって、売り物にしている人もいます。
 
 色々な所を撮って、「私が神様を呼んで写真を撮ったのだ」という。
 しかし、それは光明思念でもって光明を撮っただけで、神様の働きではありません。その人の、自分の念の力なのです。

 それを商売にするために、人を写す時、念力でもって光をイメージして写真を撮り、それを見せて「私は神の力があるのです」といって、それを売り物にしている人がいるのです。

 その光を写す事は、皆さんにも出来ます。
 光明思念を働かせることによって、誰にでも可能となるのです。
 念力を悪用して金儲けをしているだけで、何の力でもありません。

 真の幸せのために、その力が使われたのならば本物です。
 しかし、個人の金儲けのために、「あなたの守護神様を写してあげましょう」とかいって、その人の頭の上に光をイメージして写す。

 そうすると、「本当にこの人は神様なんだな。神様を呼んで写真を撮ってくれたんだな」という事になってしまうわけです。

 カメラ自体にトリックがあるのではありません。フィルムそのものにも、トリックがあるのでもありません。その人の思念力で光明を描いで、その念力によって、光明が写しだされるのです。

 それを悪用した写真をみせられて、みんなが信じ込む。これを「霊的悪用」といいいます。
 霊的悪用をする者が、この世の中にはワンサカといます。

 神様は、神の力である念力を、正しい方向に使うことを喜んでおられます。
ですから、自分個人の悪用方面に使わないようにして頂きたいと思います。


闇的思念は自己破壊を招く

 自己破壊とは思いです。思念力です。これをあなた方は日々、毎日の生活の中で行っています。
 あなた方は何を思っているのでしょうか。
 暗い思いをしているのでしょうか。明るい思いをしているのでしょうか。
 それで、その人の環境や肉体の状態のすべてが変わるのです。

 皆さん方が不健康であるということは、必ず、自己破壊をしているのです。
 例えば、女性の方が「乳房が少し痛い」と感じた時、小さな1点の痛みを自己破壊によって、
(大変なことになった。これは乳ガンではないだろうか)と思い始め(ひょっとしたら、乳房にグリグリが出てくるのではなかろうか)と、乳房にグリグリを想像するわけですから、そこにグリグリが出てくるのです。

 (これはきっと大きくなる)と、さらに自分で大きくするのです。(これはきっとガンかもしれない)と、今度はガンをイメージするのです。闇的、破壊的イメージをするのです。

 そうすると、そのグリグリが卵大の大きさになっていく。そして、とうとう私は癌になってしまった)と思い込み、病院の診断の結果、医者から「ガンです」と言われるのです。

 (ついに、私の思い通りになってしまった)と思うようになるのです。これは自分で作ったのです。

 あなた方は、実際に、超能力者なのです。自分の病気を、自分自身でどんどん作り出すのです。これを「闇的思念」といいます。

 皆さん方は「どれだけ自分の肉体を破壊しているか、どれだけ自己破壊しているか」ということを知らなければなりません。

 自己破壊しない人が病気であるはずがありません。
 「いいえ、私は自己破壊的なことを思わなかったのですが、病気になってしまったのです」という人がいます。それは、おそらく嘘でしょう。

 病気を気にして、破壊的イメージを持ったなら、その人は必ず病弱の状態です。なぜならば、悪思念を自分自身に送るからです。
 (私はこうであるから、こうなるんだ)というようなイメージをして、自己破壊をするのです。

 血圧の高い人は心臓がドキドキし始めたら、(ああ、首筋にきた)(ああ、頭にもきた)と、既にイメージして自分で動かすのです。

 全部、自分が作り出すのです。そして、病気を動かしているのです。
 その悪思念を動かして(もう私は倒れるのではないか)と思い、そして倒れる。

 倒れる状態を自分の悪思念でもって、そういう具合に作り出しているのです。そのことを知らないのです。

 血圧が上がっても、気にしない人がいます。平気で仕事をします。
 「私はこんなに血圧が上がっても平気ですよ」という人は平気です。あるいは、150でフラフラして倒れる人がいます。

 180でも倒れない人がいるのに、なぜかというと、それはその人の思念力によるもので、「私は150では駄目なんです」という人は倒れてしまうのです。


光一元をイメージする

「信念の強さは岩も押し通す」といいます。その信念の強さによって、皆さん方が「光一元」の光明思念を持つようになったなら、この世は光明化されるのです。自分自身が光明化であると同時に、世の中をいくらでも光明化することが出来るのです。

 朝、五分でもあれば、完全に光り輝くイメージをして、皆さん方のご先祖(肉体先祖)までも、その光のカプセルで被せることが出来るのです。
 
 そうすると、ご先祖(肉体先祖)は喜ばれるでしょう。高いお金を払って、お坊さんや拝み屋さんを頼んできて、お金と暇を費やす必要はないのです。

 光明思念は、どこにだって届くのです。それを、皆さん方は知らないのです。
 毎日の生活の中で、光明思念を使うようにしていただきたいと思います。

 友達に困っている人がいたならば、その友達の方へ年を向けて「光一元」をイメージして、その人の頭から足の先まで光り輝いていることをイメージすると、
その友達は、(今日はなぜか身体が軽い、気持ちがいい)と、即、思います。あなたが念じた瞬間、友達はそう思っているのです。

 念がそこに行っているのです。
 そして、数日後にその友達に会えば、友達はきっとあなたに声をかけるでしょう。
 あなたから光明思念がきたことを、潜在的に知っているからです。

 その逆で「憎い!」と思念を送ったならば、真っ黒いものが相手に行くのて、破壊的になります。後日、その人に会ったとしても、横を向いて知らん顔をして通りすぎてしまうでしょう。
 ですから、話をすれば影とやら、思いはどこまでも通じるということです。

 思念力というものを、皆さん方はまだ信じておられません。だから、「思念の悪用」ということになるのです。
 「自分の身内を者を殺していることを知らない」ということがいえるのです。

 身内の者が病人で、とくに重体であればあるほど、虫の人が看護してはなりません。少しでも悪くなると、破壊的思念を送るからです。
 
 しかし家政婦さんは身内ではありませんから、病人が痛かろうが何であろうが悪いイメージは作りません。彼女は仕事ですから、身内の者のようなイメージを作らないのです。

 心ある身内の者は思念を送るかもしれない。しかし、彼女にはその心がないのです。

 「思念の活用」ということを知らない無知なる人間には盲愛というものが働きます。従って盲愛が強ければ強いほど、その人を破壊するということを知らなくてはなりません。それは、真の愛ではなく、破壊的な愛です。

 それを「盲愛」といいます。「盲愛はどれほど破壊しているか」ということを知らなければなりません。
 
 皆さん方の真の愛は、光明思念の中にしか存在していません。闇なる、悪なる思念の中で行っているのは、盲目の愛、盲愛なのです。

 だから、それは「闇的愛」なのです。
 そういうことにならないように、その「光明思念」とは何か。「闇的思念」とはなにかを、ハッキリと知って頂きたいと思います。

 あなた方が、今日、この話を聞いて、闇的思念と光明思念との選別が完全に出来て、本当に光明思念のみに行きられるようになったならば、あなたは今日からでも幸せになります。

 今日から光明思念を送れば、今日、即、あなたの心が安らぐのです。

命としての細胞体

 「このミカンは、あなたになりますか」というと笑われるかもしれませんが、ミカンはあなたとなるのです。みかんを食べると、四~五分から十分後にはあなたの細胞となり、ミカンはあなたとなるのです。

 みかんを食べ、りんごを食べ、あなたの食する物があなたとなり、あなたの食べるご飯があなたとなり、米一粒一粒の命があなたの細胞となり、その粕だけが排便されるのです。
 
 食べた細胞体は全て、あなたの細胞体となります。
 ですから、命としての細胞体は、米の細胞体も、ミカンの細胞体も、リンゴの細胞体も、あなたの細胞体と同一であるということです。

 食べ物に対して「ミカン様、リンゴ様、あなたをいただきます。あなたは私となります」という思いで食べたならば、細胞は一粒だって殺すこともなく、やさしいミカンやリンゴの細胞体を頂くことが出来るでしょう。

 そうした時、新陳代謝が生まれるのです。今までの汚れて疲れきった細胞体が、リンゴの優しい細胞体によって生まれかわるのです。

 果物を多く摂ることは、健康的にも病人にも善いと教えるのもその一つです。なぜならば、果物の細胞体は、非常に細かい微妙な細胞体です。果物を多く食することによって、もちろん、私達の肉体細胞が新陳代謝を行なうのです。

 食べ物よっては、荒くもなるし、細かくもなる脂肪分の多い物を摂り過ぎると、肌荒れも出てきます。若さや美しさを長く保ちたいというならば、食べる思念力によっても、随分違います。
 
 食べる時、必ず、その食べ物を見ることです。(ああ、これが私となるのか)という思い、そして(これが私の細胞となるのか)という思いで頂くと、完全消化が行われるのです。

 イヤイヤながら食べると、いの中で腐敗が起こり、そして、下痢を起こしてそれを出さなくてはなりません。その食べ物を受け付けなかったからそうなるのです。

 だから、食事をする時に文句をいう人は、常に下痢気味です。細胞が良い方向に受け付けないからです。
 物に対して、命があるということを知らないからです。

 そのことに心から感謝し(これに命があり、全てが細胞体なんだな。私の血となり肉となるのだな)という思いで食し、心から一体化がはかれるようになれば、完全消化が行われるのです。

 そうなると、一日一食で平気でいられます。
 そのことを知らないので、3食食べる。肉欲で食べているので、食べても食べてもお腹が減って、一向に栄養にもならない人もいるのです。
 
 しかし、ほんとうに感謝の気持ちで、質素な食事でも完全消化が出来たのならば、皆さん方は一食で生きられます。

 私は、殆ど一食です。毎日一食ですが、健康の維持が出来ています。
 食べても食べても肥らないという人は、あまり物に対しての感謝、理解というものがなされていないのです。

 食べる時の心構えというのは、もちろん、物質は物質エネルギーで合成されていますので、その時に(我が食する物は母なる神にお返しします)という思いで、食事をすることです。


過ちを悔い改め魂を向上させる

過ちを犯す。これも一つの体験です。皆さん方は過ちを犯すという体験をして、初めていい方向に進展していくわけです。

 過ちを恐れていてはいけません。過ちがあるからこそ向上できるのです。「ああ、これは過ちだ」という時に学び、答えが出てくるのです。

 あなたが過ちを(このことは過ちであった、すまなかった)と認めた時、これが「悔い改め」です。
 そうした一つ一つの過ちを「悔い改める」ことによって、貴方の魂は無知から知恵のあるものに進展していくのです。これを「魂を向上」といいます。

 過ちを過ちと思わないで、そのまま抱きかかえて生涯を終える人もいます。
 私達の結果として表れている、その試練に乗り切る事ができず、過ちの泥沼の中で泣き言を言って、生涯を終える人もいるのです。

 しかし、「即座反省」といって、過ちは過ち、正しいことは正しい、即座反省を持って過ちを乗り切った時には、一段階、あなたの魂が向上するのです。

 過ちがなければ、学ぶことは出来ません。いかなる科学者にも過ちがあり、失敗があるので「何故失敗したのか」という原因を追求して成功があるのです。

 「失敗は成功のもと」という言葉があります。正にその通りです。
 今後も、あなた方に過ちがないとはいえません。しかし、過ちがあなたを高めます。失敗があなたを高めるのです。

 「こういうことがあると、こういうことになるのだな」ということを、あなたが学んでしまうのです。

 いかなる失敗も「失敗は成功のもと」です。その試練に泣き言を言うのではなくて、「ああ、これは私を高めるための前提なんだな。この答えを出して百をとってみよう」

という意気込みで過ちを反省して百点を取って、「こういう具合にしたら救われたのた」という答えを出すことが一番肝心なのです。

 皆さん方には毎日、宿題が与えられています。
 失敗します。そうして解けなくなると、「なぜ、自分だけが苦しまなくてはならないんだろう」と、「神様はいないんだろうか」というのです。

 答えは、自分で解かなくてはなりません。
 「その原因が結果として現れている」「何が原因で結果が現れたのか」
 原因が答えですから、原因が分かった時、その問題が解けるのです。それなのに皆さん方には、問題だけを捉えて泣いているのです。

 それを「泣き言」と言います。
 ですから、「このような結果になるのは何が原因しているのだろうか」と答えを出さなくてはならないのです。

 答えを出した時、救われます。即座に救われるのです。その積み重ねが皆さん方の毎日の修行です。

 もし、皆さん方が答えを出さなかったら、それは、来世に持ち越します。「輪廻」と共に「カルマ」は持ち越されるのです。答えが出されていない時には来世があります。この世にもう一度、落第せねばならないのです。

 学校でも同じことです。勉強もせず努力もしないで、ゼロ点ばかり取っていれば、落第です。それが出来るまで繰り返されます。

 この地上界で、「原因と結果の答え」が出しきれなかったら落第するのです。百点が取れるまで繰り返されるのです。

(※「原因と結果の答え」を見つける最短の道は「真理を徹底的に理解する」事です。真理自体が「正しい答え」だからです。

 「答え【真理】」を知らずして答えを解くのは難しいと言えましょう。
まず「正しい解答(宇宙法則)」を知る事が始めの一歩ですよね。

 カルマの消滅に一番の近道は「真理の理解」ですよ…とをいっている理由はそこにあります。ヒーリングをせずとも、真理を完全に理解して…正しく実践出来れば、カルマも消えますし、病気さえ治るかもしれません。

 「悟りとは理解」、「真理の理解」こそが「悟り」なのです。
覚者・上江洲義秀先生も
真理を理解した時に、皆さんは全ての全ての悩み、苦しみから開放される事において、真理は汝を自由ならしめん」と言います。】という風に仰っておられます。

 結果を見て、原因を追求し、これは何から出たものだと、すぐ「即座反省」で答えを出していく人と、一つの問題に泣き言を言って、何十年も苦んでいる人がいます。

 「答えが出せない出せないと泣き言を言って、その泣き言を取り上げない限り、答えを出さないかぎり、それはあなたに永久につきまとうということです。

 これを「カルマ」といいます。「業」ともいいます。
 それがつきまとっています。なぜならば、答えが出されていないからです。

 お分かりいただけるでしょうか。あなた方は、毎日が勉強であり、学びです。その学びが、あなた方の日常生活の中にあるのです。

 だから私はいつも、「あなた方の修行の場は神社や、教会や、仏閣の中にあるのではない。あなたの家庭の中に、職場の中に、社会の中にあるのだ」と、申し上げているのです。

 「こういう結果になるのは、何が原因しているのか」、その問題を解かなくてはなりません。「原因結果の法則」です。

 これが分かるようになると、「こんな問題か。これはこの原因からきているから、原因はこれだったのだ」と、すぐその過ちが見いだせるのです。

 それをとりなした時、答えはすぐ出るので、開放されるわけです。
 もうこれで、あなたを苦しめるものはありません。

 よく気を付けてください。
 あなたの目の前に問題があります。子供に対しての問題、旦那さんに対しての問題など、いっぱいあります。

 それなのに問題を解かないで、自分だけは「いい子になりたい」と思っているのです。

 「不調和である者は、何が原因で不調和なのか」、その答えを出した時に、子供は「いい子」になります。その答えを出した時は、旦那さんは「いい旦那さん」になるのです。

 答えが出ない間は、悪い子供であり、悪い旦那さんです。その意味がお分かりいただけるでしょうか。
 「原因と結果の法則」なので、日々の生活の中で、どんどん答えを出せるようになるとしめたものです。もう、百点満点です。

 特に申し上げたいのは、光明思念の訓練をして頂きたいということです。
 闇なる思念を送らないよう、破壊的な思いを起こさないようにして、毎日の訓練によって、本当に健康そのもの、光そのものの肉体を持つことが出来ます。

 それは。アナタ次第です。例え五分間でも目を閉じて、自分の頭の先から足の先まで、内臓もピカピカ光り、腸がピカピカ光っているような、黄金の自分をイメージする事によって黄金の自分になるのです。

 今までは、まったく逆だったのです。肉体的な自分をイメージして障害のある自分、病気のある自分をイメージしてきました。
 だから、幸せにならなかったのです。
 だから、健康にならなかったのです。

 皆さん方が幸せのイメージを持ち、光明思念が強くなればなるほど、世の光となることが出来ます。
 これを「世の光」あるいは「世の太陽」といいます。
 
 例えば、バスに乗った時でも、そのバスを浄める事もできます。自分の行く所、全てが清めとなります。

 私は、よくバスに乗ります。バスに乗り込んだ時、光溢れんばかりに、そのバスを清めていることをイメージします。そうして車内を見渡すと、乗客の皆さんがニッコリしているのです。光の波動に打たれているのです。

 バスに酔って吐き気をもよおしていた人も、ニッコリ微笑んでいます。その光でもって、そのバスが清められるからです。

 いかなる所へ行っても、あなたの光明思念が強くなれば、恐怖するものはありません。あなたに、闇なるものが存在していないからです。
 
 あなたの家屋敷の清めも、簡単にできます。光をイメージして、家屋敷の隅々までイメージして、一杯に光り輝く白光の中に自分の家屋敷を包み込む事が出来るのです。闇なるものが追い出されて、光明そのものの家屋敷になります。

 これは、真の家屋敷の清めです。真の自分の清めです。
 そういう光明思念を、皆さん方に持って頂きたいと思います。

 これが出来る様になると、困っている人がいれば、その人をイメージして、その人に光明を送ることが出来ます。その人をイメージして、ビジョンして、救うことも出来るのです。

 遠くにいようが、どこにいようが構いません。地球の裏、南米にいても出来るのです。
 それが皆さん方に、時間、空間、距離のないことを体験されるでしょう。



ディバイン(神性な)ヒーリングで
イエスご自身が語られた御教え
オーバシャドウ(真の神憑り)されたイエス様のお話

2、愛は全宇宙の中心です。そして、この中心から、途絶えることのない愛の流れがすべての魂を通じて、また、生きているもの全てを通して流れ出ています。

 花を通して、動物を通して、人間と天使を通して、この同じ愛が、中心の泉から絶え間なく流れ、愛の本質を永遠に現しています。

3.愛は鉱物における親和力です。愛は花における本質です。愛は動物の本性に現れています。
 
 人においては、愛は愛情として現れていますが、完全に自覚(全てに神を観る・真我覚醒)されるとその人の存在全体が愛に満たされ、体の中のすべての細胞が活性化されるのです。

4.世には、愛(宇宙エネルギー)以外の力はありません。愛は天と地における、唯一の真の力です。
 なぜなら、愛は永遠であり、どこにでも、常に存在しているから(神は全てに遍満する大愛・大生命)です。

 外なるものは消え去りますが、愛は永遠に存在します。なぜなら愛は神が偏在しておられるものだからです。

5.愛についての理論付けというのは、愛の精神面だけに過ぎません。愛とは何かということを理論づけすることは、愛の力をなくしてしまうことです。

 あなたがたは、「愛という無限の生命」によって造られているのです。このように理解し、認識する時、愛はその本質を現します。
(※魂の光輝・イルミネーション・光る者となります)


己の生命とは、すなわち神である。何となれば、汝の兄弟に為したるその事は汝の内にまします神に為したればなり。
貴方の兄弟のためにする事はあなたの内に内在する神にする事です

 愛という言葉ほど大きく誤解された言葉はないでしょう。この真意は、自分の中にも他人の中にもある愛の光(無限の生命・真我)を見つめる事にあります。


私の言葉は、天から来ます

43 あなた方について、私の語る言葉と私のハートの考えは父を喜ばせます。

44 つまり、あなたがたが、すべての命の間を次々と動き回っている私の父の最高の現れとなって、光を放ち、胸の奥にある平安を現し、それによって、無意識に神性を現すように、ということなのです。

45 この心の中の平安というのは、大いなる謙虚さだと分かることです。

 けれどもこの謙虚さは、崇高で、
私は自分では何も出来ません。なさるのは、私の中に留まっておられる父です。父が御業をなさっておられるのです」ということなのです。

46 このように、あなたがたは無意識に神性を現します。あなたがたがどこへ行き、何を言っても、何をしても、あなたがたは無意識に神性を現します。その結果、他の人があなたがたの言葉と行動で助けられるのです。


イエスご自身が語られた御教え
声が天から聞こえました

94 ハートを尽くし、精神を尽くし、心を尽くして、あなたの神なる主(大生命)を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい
これが、人類の礎を築く基となる法です。

95 放蕩息子のたとえ話の中に父の愛が示されています。息子が放蕩し、悔い改め、自分自身、すなわち真の”霊”的状態を取り戻します。

 まず、艱難辛苦を経験して、相続財産を使い果たします。そこで、雇い人の一人となるのをいとわず家に帰って来ますが、今までずっと息子だったので、やはり息子となります。

96 父の愛はあまりにも大きいので、息子がたとえどんなことをしたとしても、父の愛は全ての過ちを消し去ってしまいます。

 あらゆる人生において全くその通りです。あなたがたが様々な状態から立ち上がり、自分自身を理解していくことが出来る経験です。

 その時、誤ちは消えてなくなります。真理は当初のままの、何もとらわれていない状態です。

97 「悔い改め」が「赦し」の前に来ます。父の愛が分かった時、人のハートから悔い改めが生じ、赦されるのです。

 その時、人は本当の霊的状態、すなわち、自分が神の中にいるという自覚を取り戻し、「※全ての人の使用人」になるのといとわず、人にしてもらいたいと思うこと(奉仕)をするのです。


※全ての人の使用人」の真の意味について…♪
ケイシーリーディングからですが…♪

汝らの中で最も偉大ならんと欲する者は、全ての人の僕(しもべ)となるべし』と弟子たちに語られたキリストの最後の行為について、飾らぬ言葉で述べる教師たれ。

 ごちそうがあなたがたの前に置かれているのは、あなたがたが放蕩息子のようになった時なのです。

 中に入り、兄弟姉妹への愛をもって、今ごちそうにあずかりなさい。愛によってのみあなたがたは、父が用意して下さったごちそうにあずかることが出来るのです。

98 このことは、あなたがたも地上で学ばなければならないことです。あなたがたは、悪いことをした人だと勝手に決めつけて、愛を与えるのを差し控えたことが、どれほど頻繁にあったでしょうか。

 とにかく、そういうことは、あなた方には関係ないことです。それはすべて父と子の間のことなのです。もし、あなたがたがこの事を忘れないでいると、批判することを慎み、この武器をまず自分自身に向けるようになります。

99 先に自分の誤りを見つめれば、他の人をよりよく理解できるようになります。

100 あなたがたはよく人を責めたものです。
●人を責めてはいけません。あなた方も責められないためです。
●人を裁いてはいけません。あなた方も裁かれないためです。

 まず自分の目から厚板(分離意識)を取り除きなさい。そうすれば、ハッキリ見えるようになって、兄弟の目から木の破片を取り除くことができます。

103 あなた方のハートを、神と全人類とに対する愛で満たし続けなさい。そうすれば、私は多くのことを教えます。

104 私の言うことがすべては理解できなくても、持って、耳を傾け、私に波長を合わせなさい。
 私(真我・キリスト神我)は単純であり、私に到達するのは容易なことだからです。

 魂の光輝(イルミネーション) 霊は光であり、肉体は無明である

「魂の光輝」即ち、魂が光るものになるには、
どうすれば良いかという事を説明して見たいと思います。

 魂が光る。
これを、普通は「イルミネーション」といいます。
イルミネーションを受けるか、受けないか。
イルミネーションを受けている人か、受けていない人か。
という事を理解していかねばなりません。

 イルミネーションを受けますと、
どなたでも「白光」が差すようになります。
どなたでも「後光」が差すようになります。

 皆さん方は、
なぜ、イルミネーションを受けていないかといいますと、
「霊肉一体」をならしめていないからです。
自分のことを、肉体だとしか思っていないからです。

 肉体というものは、無明です。光ではないのです。
 
 肉体は、何で出来ているかといいますと、「水の質料」といいまして、
この水溶質、即ち、水の質料で人間という肉体は出来るのです。
肉体自らは質料ですから無明です。

 それが光るものになるには、何が必要かといいますと「霊」が必要です。
霊は何かといいますと「光」です。「霊光」といいまして、霊は光です。

 肉体が光を受け入れた時、肉体と霊が一体となった時、この者は光となるのです。これを「光明」といいます。

 私は人間だ・・・・・。 私は肉体だ・・・・・。と思っている人からは後光は出ないのです。無明のままです。

 ですから、この地上界の事を「無明界」といいます。物質主義です。
(霊なんかあるものか)と、肉体が霊を拒むという事は、光を拒んでいるのです。
 
 この霊肉のバランス。この霊肉一体がなされた時、この者は光となりますが、「私は人間だ・・・・・」「私は肉体だ・・・・・」といおって、
「霊なんかあるものか・・・・・」ということは、闇主義です。
 これを普通「自獄(地獄)」というのです。

 霊界のことを、光明世界というのです。霊は「光明世界」です。
その霊は、力であり、光です。

 あなた方が、本当に、大霊を受け入れた時、真に力ある者となります。
その光とは、智慧でもあるわけですから、「智慧光」といいます。

 この無明である質料自らは「無」です。智慧もないし、力もないし、何もないのです。質料はあくまでも受動原理です。

 この肉体という形態の事を、器の事を、皆さんは「魂」と言っているのです。器と魂は別でしょうか。

 肉体は魂です。幽体も魂です。器なのです。
その器が光るものとなるためには、肉体が光るものとなるという事です。
これを「魂の光線」といいます。

 イエスキリストが、
「我は霊なり、我は生命なり」と言われたように、
「生命は光である」として受け入れられたのです。
 
 この大生命を受け入れるという事は、無限生命を受け入れるという事です。
「無限光」を、自分の中に迎え入れるわけです。

 そうしますと、
貴方の肉体は、魂は、どうなると思いますか。
光るものとなります。
光るものとなった時、肉という闇の原子が、光の原子に変わるのです。

◯光のあるうちに歩め

 「霊光」
霊は光ですから、あなた方から霊が抜けますと真っ暗闇です。
だから「光あるうちに歩め」というのです。
光のあるうちに歩めというのですけれども・・・・・。

 皆さん方は、今、光を宿しているわけです。
霊を宿さないで、皆さん方は生きていられますか。生きていられませんか。
生きているのは、肉体ですか。霊ですか。
肉体というものは初めから生きていません。

 この肉体というものは、
霊の媒体にしか過ぎないのです。
この肉体というものは、
霊の操り人形にしか過ぎないのです。

 霊は能動原理
肉体は質料で出来ていますから、受動原理は自らは「無」です。
肉体自らは動きません。

その肉体という質料が生きて働くならば、
霊が抜けても働いていなければならないという事になります。
しかし、能動原理である霊が抜けますと、
もう、皆さん方は、言葉一つでないし、動くことも出来ないのです。

それなのに、
皆さん方は、なぜ、霊を嫌うのでしょうか。

「闇は光を嫌う」
なぜかといいますと、光現れると闇は存在出来なくなるからです。
貴方の肉体という無明が、光明である霊を受け入れたら、
貴方の肉体は無明となるのですか。光明化されるのですか。
「光が現れれば、闇は消える」の言葉のように、闇は消えてしまいます。

 例えば、
この部屋の電灯を、全部消しますと闇の原子が残ります。
原子そのものは、闇であろうが、光であろうが存在しています。
電灯をつけていようが、消していようが、初めから原子は存在しています。
電灯を付けますと、
闇の原子から、光の原子になります。

 あなた方の中で、
その聖なる火「法燈(全一体感・父なる神と一体の境地)」、
即ち、霊的光(全てに神を観る・我神なり)を自覚出来るようなりますと、

貴方の肉体の細胞は、
闇の原子から、光の原子に「変性・変容」を遂げるのです。
「変貌(愛の霊光そのものに変性変容)」を遂げると言う事です。
お分かり頂けますか。

 その時、皆さん方は、もうこの世の闇の影響は受けないのです。
光と闇や同居できません。
その意味は何かというと、あなたが光るものになりますと、
その光の世界に、外から闇は入れないのです。

◯霊光を浴びる事は、日の洗霊、光の洗霊となる

 この世の災いというものは、
光でしょうか。闇でしょうか。幸い簡単なのです。

 あなたが、
その肉体が「(我神なりの自覚を)容認」した時、受け入れた時、
あなたのその肉体は光姿態になりますので、
そうしますと、あなたはもう「病」に掛かる事はありません。

 病は光から来るのですか。闇から来るのですか。
「病は闇から」といいまして、
その闇は光が現れれば消える。即ち、病気は消える。消えてしまうわけです。
だから皆さん方が、今、病気になるという事は、
その霊的光を受け入れているからですか。受け入れていないからですか。

 光に闇は入って来れない。
電灯の点いている部屋に闇は入れますか。存在できますか。
「類は類を呼ぶの法則」なのです。
光は光を呼びますし、闇は闇を呼ぶのです。意味お分かりですか。

 あなたが、
あなたの肉体が「私だ(分離意識)」という時に、
あなたは光るものでしょうか。闇でしょうか。それは闇なのです。
これを「闇人間」といっているのです。
霊的人間(全一体・真我覚醒した人)の事を「光り人間」というのです。

 霊は光です。
質料は、物質は闇です。
だから、この地上界の物質世界の事を、光明世界とは言わないのです。
何というと思いますか。それを無明世界というのです。

 しかし、その無明である物質が光を受け入れたら、
その物質は何になると思いますか。それは光になります。
これを「地上天国」というのです。
即ち「如来」の事です。
光が「降臨」したという事です。

 だからあなた方が、
この霊と肉との一体感になった時、無明というものが存在するのでしょうか。
光が現れても、闇は存在できるのでしょうか。
あなた方は、一旦その霊光を引き受け、イルミネーションを受けたのなら、
再び闇になるのでしょうか。ならないのでしょうか。

 あなたが、一旦この霊光を浴びますと、
これを光のシャワーといいますけれど、
これを普通は「火の洗霊」といいます。
「光の洗霊」です。

 あなたの全身が、
その霊光に満たされた時、
あなたの細胞一粒一粒は「白光」を放つようになるのです。

 「白光」を放つようになりますと、
もうあなたには夜というものがありません。
なぜかといいますと、
あなたの細胞から放つ光ではないのです。
光明だけ、昼だけ、「昼・昼」といいまして昼だけ存在するわけです。
電灯を消しても躓く事はありません。見えるのです。

 あなたから放つ光が、
じゅうたんの色から模様から全部見えるようになります。
あなたが本当に、霊的自覚を持ち、
霊肉一体のバランスが取れていたとするならばです。

 大霊あるのみですから、
その大霊は「宇宙霊」ですから、
普遍ですから「普遍光」、無限大ですから「無限光」になるわけですから、
その時、本当にそれを受けているか、いないかは、嘘はつけないのです。

 その人からは、目も眩まんばかりの白光が放ちます。
大霊を受け入れたとするならば、無限光を受けるわけです。

◯燦然と光り輝く光明、その光人間となる

 宇宙に、光は幾つありますか。
無限光しかありませんので、大霊しかありませんので、
その大霊を受け入れる事によって、
皆さん方の一切の悩み、苦しみ、それから開放されるのです。

 悩み、苦しみは、
皆さんの「肉我」という無明の世界に生きるが故に「ナ・ヤ・ミ」です。
悩みは光でしょうか。闇でしょうか。
その時、あなたが光るものになった時、
一切の闇、悩み、病も消えますので完全となるわけです。

 イルミネーションを受けたら、
不完全になるのでですか。完全になるのですか。
完全と光り輝く光明となります。

 これは、光(真我に覚醒めた)人間となりますので、
一切の悩み、一切の病苦から開放されるのです。
その時、皆さん方は「完全人間(神との合一)」なるのです。
「光人間(神我顕現)」となるのです。
 
 これが「イルミネーション」
「魂の光輝」即ち、肉体から「白光」を放つという事です。
 釈迦しかり、イエスもそうです。

 霊光、大霊を受け入れる事によって、
その器が、
「外なるものが内なるもの(キリスト神我)を受け入れた時、
外なるものは内なるもののようになる」と。

 無明が光を受け入れた時、無明は光となるという事です。
光明なる魂となるという事です。

 これを「マイルーパー」と言いまして、
皆さん方の細胞一粒一粒が、光の細胞、即ち、粒子に変わのです。
そこで、元素転換が行われます。

組合せが、全く違った組合せのものになります。
分解したり、組み立てたり、自由自在のものが出来のです。

 「変身」といいまして、
自分の肉体を人の前から消して、普遍的なものに変換しまして、
そしてどこかで、
そのバイブレーションを下げまして、肉体を意識しますと、
その肉体、自分の行きたいと思う所で組み立てる事が出来ます。

 これを「テレポーテーション」即ち「テレポート」というのです。
しかし、あくまでも、霊肉一体が出来た人のみ可能です。


瞑想とは何か           
瞑想の意味は神秘に達すること    知花敏彦師の記事♪

 瞑想に興味を持っている人や実際瞑想をしている人は多いのですが、果たして瞑想って何なのでしょうか。また、何のために瞑想するのでしょうか。

 瞑想の意味を知らなければ、瞑想にはなりません。ただ目をつむっていればよいというものでもありません。

 瞑想しないで神の国、すなわち神我到達は出来ないと言われています。
 イエス様もパプテスマのヨハネも十年間、インドに渡って瞑想をしました。瞑想の達人になって神我到達の域に入ったのです。

 みなさんに「どういう瞑想をしますか?」と尋ねましたら、「自己を見つめる瞑想をしています」と答える人が多いようですが、確かに自己を見つめるのも一つの方法ですが、神我を見つめるのが本当の瞑想です。

 自分を自分と思い込んで瞑想するのならば、それは自我の瞑想であって、本来の瞑想ではありません。神我という、大霊との一体感を本当の瞑想というのです。
 自己の本性を見つめることは無限で普遍的な大宇宙と一体化することです。


深い瞑想状態に入った時、色即是空、空即是色が理解できる

 私達は今まで外側の姿、形の外観、つまり表面を見つめてきました。その肉の目と耳を閉ざして大霊(神・神我・大生命)へと心を集中する、これを瞑想状態といいます。

 今まで自分たちが考えている肉体という外念は存在しません。肉体という物質は存在しないのです。肉体は霊体であるといえます。

 「色即是空・空即是色」
 これは般若心経の言葉です。見えるものは見えないものであり、見えないものは見えるものであると、その見えないものと見えるものは同一であるという意味です。

 話を聞いたり、考えるだけでは何の意味もありません。話そのものや考えることは神理ではないからです。文字そのものは神理ではありません。

 ですから、いくら話を聞いてもいくら本を読んでも、瞑想を実践しなければ真の自己を実感することは出来ません。

 瞑想中は、大霊(神我・大生命)以外の事を見てもいけないし、思ってもいけません。大霊そのものへの一心集中を行います

ところが、一般にまかり通っている瞑想は、光が見えた、霊の次元から姿が見えた。景色が見えたといった状態を瞑想といっています。

 真実(根源・無限・内在する真我・裡なる神)との一体感、実在との一体感の我に帰ることが大切で、これを図ることが本当の瞑想です。


瞑想は教えてもらうものではなく、自分で実感するもの
 
 皆さんの中には、瞑想を教えて下さいという人がいます。ですが、瞑想はそう簡単に教えられるものではありません。自分自身で実感するしかないのです。

 聖者の方たちには「完全沈黙」をしています。完全沈黙というのは五感の沈黙、自我のない状態をいい、この世のものを全然感じなくなります。この完全に自我意識から開放された状態を完全沈黙といいます。

 私達の肉体は存在していないのですが、私達自身は肉体を感じています。肉体は霊体です。霊が肉という姿・形をしているだけであって、姿・形の実体は全て大霊といえます。


神の臨在感とは

 「無我の境地」というのは、何のないという意味ではありません。
 自我がないことです。
「神(遍満する大霊・大生命)あるのみ」という境地です。
 
 今まで私達は自己中心的な、自我の自分を感じていましたが、そのような自我がない状態を「無我の境地」というのです。そこには普遍的な自己、宇宙的な自分があります。
 自分が全宇宙そのものであり宇宙霊そのものである。宇宙意識そのものであるという状態に意識を統一することです

「汝の見るもの全てを受け継がん」
 つまり、大きいものを見れば大きい物を受け継ぎ、小さいものを見れば小さいものを受け継ぐことになります。

「想念は実現の母」 と言われています。自分を人間と思っているのか、大霊と思っているかで。自分自身が決まります。

 寝ても覚めても四六時中、神を思い、自分が神であり、大霊であり、大生命である、との思いが大切です。
 これを思い続けることを「連続的祈り」といいます。祈りは神との一体感です。即ち「神の臨在感」です。


瞑想こそが宇宙神のバイブレーションに合わす唯一の方法

 皆さん方が神と一体化した時、神の心臓と自分の心臓が一体となって鼓動するのです。

 神への到達というのは神そのものに成りきることです。世の中では「神になる」といえば特別な意味に捉えられますが、特別なものではありません。

 自己実現というのは、大霊、神我が自分自身だと自覚できる状態を把握することです。生命の把握を「自覚」ともいいます。あるいはまた「実感」ともいいます。
 
汝の意識するとき、汝はそこに居るのである」 という名言があります。
 外側を意識すれば、外側に留め置かれます。内側を意識すれば内側に留め置かれるのです。

 世の中で瞑想している人は沢山います。ところが瞑想が何であるかをはっきり理解できている人は案外少ないのです。瞑想が何であるかわからないのに瞑想することは出来ません。


瞑想は神への一心集中である

 瞑想とは皆さんが「こういうものか」と自分で見出すものであり、人から習って出来るものではないのです。

 皆さんの中には、瞑想中に色々考え事をする人がいます。考え事は全て雑念です。完全な深い瞑想状態というのは、この世的なものが1点の意識もない、大霊そのものに溶けこむようにして、大霊そのものになる。融合するという一体感です。
 
 それができるようになるまで、皆さん方は瞑想していかなければなりません。ただ何回か繰り返しているうちに、無意識のうちに軽く目をつむった瞬間、大霊を自覚できるようになります。

 「神理が神理を啓示する」という言葉があります。私達が神理へ一心集中をすればするほど、「天啓」というインスピレーションを受けることが出来ます。

 私達が、普段なぜ「天啓」というインスピレーションが受け取れないかといいますと、自分の意識が非常に低い状態だからです。低い意識状態というのは、外側を意識した状態のことをいいます。内側を見つめている時には高い意識状態といえます。


密教では、「欲望」「感情」「意思」を経て「覚者」に達する段階がある

 密教学では、イニシエーションという言葉を使います。第一イニシエーション、第二イニシエーション、第三イニシエーション、第四からは覚者といいます。

 イエスキリストがこの世で十字架にかけられた時は、第三イニシエーションだったのです。十字架にかかって、肉を十字架にかけられることによって、第四イニシエーションという覚者になり、第四が終わるとすぐに第五という位を授けられたのです。今は第七です。

 第一イニシエーションというのは、まず肉の欲望です。食欲、物欲です。美味しい物を食べたい、良い洋服を着たい、豪華な家に住みたい、豪華な車を乗り回したい、そういう欲望を克服した状態を、第一といいます。
 
 そして、それを欲しがっている間は、肉が強力に働いています。ご飯を出されても、美味しい物が出ないと「これが食えるか」という意識です。意識の高い者が「これが食えるか」とは言いません。
 食べ物への文句、それは一番、低い状態です。
 
 肉の自我がうんと働いている状態です。食べ物を文句無しに食べる、ありがたく感謝して食べる。美味しいとかまずいということは、無関係です。それが克服できますと、第一段階のイニシエーションです。

 第二イニシエーションというのは何かといいますと、感情のコントロールです。感情が出ない、何か人から言われて、かっかとして鬼みたいになる人や、すぐにかっと思う人など・・・・・。

 これは感情のコントロールが出来ていないのです。すぐ怒ったり憎む。そのような嫉妬深いというような感情はコントロールできなければなりません。

 それらは瞑想を通して全部が克服出来ます。食べ物の欲望が無くなります。人を許せるようになります

第三イニシエーションとは何かといいますと、意思のコントロールです。意思とは何でしょうか。これは想念のことをいいます。想念のコントロールのことです。意思の力をいうのは想念の力です。
 
 今まで悪想念だったのが、常に良い思いを持つような意思になります。皆さん方は自由意思を持っていますから、悪いことも出来、悪想念も持つことが出来ますし、また正しい想念を持つことも出来ます。

 欲望、感情、意思の3つが克服されるために、私達はぜひとも努力しなければなりません。すぐに妬みっぽい、怒りっぽいというようでは、まだまだ感情のコントロールが出来ていません。
 

気が高いとは、バイブレーションが高いことで、意識の高揚を意味している

 瞑想しないで、皆さん方のバイブレーションを上げることが出来ません。意識の高揚こそがバイブレーションです。意識は自我意識にいながら、バイブレーションの高い人がいるでしょうか。瞑想を通してのみ、バイブレーションを上げることが出来ます。

 意識の上がった状態を、バイブレーションの高い状態といい、意識の低い状態を、バイブレーションが低い状態と言います。

 バイブレーションの高低があるから、低周波数と高周波数があるわけです。バイブレーションの高い人というのは、どういうことなのでしょうか。
常に自分が大霊(神我キリスト・大愛)との一体感を感じていきますと、いつも皆さん方は、高我の自分、神我の自分、高い次元に自分を留め置いていることになります。

 我々が大霊との一体感を感じている時に、初めて私達は神のバイブレーションまで高めることが出来ます。神を意識している時は、神のバイブレーションです。肉体を意識しているときは、低我の、低次元のバイブレーション状態です。

 バイブレーションが上がった方のことを、どのようにいうかといいますと、気高い人といいます。

 バイブレーションの低い状態を気落ちをいいます。バイブレーションが高い状態というのは、エネルギーが高い状態であり、自我意識はエネルギーが低い状態です。


エネルギーが低い人が病気になる

 低次元意識で生きる限りはエネルギーが低いのですから、私達は病気になります。
 しかし、覚者の方々は病気にはなりません。なぜかといいますと、エネルギーを高めておりますので、病気にはならないのです。意識の低い人が病気になるのです。

 神我は、罪を知らず、病を知らず、死を知らずといい、我々は神我に到達しないかぎり、罪と病と死は無くなりません。肉体の破壊があるだけです。


白色同胞団 ホワイトイーグルの意味と、七という聖数の意味

 イエス・キリストの肉体は、十字架以後は完全な変成を遂げられていたわけです。その時に、オリーブの山の上に立っておられましたが、目の眩まんばかりの白光に輝いたのでした。

 真っ白姿で、雪のように輝いて見えます。白色同胞団といいまして、ホワイトイーグルともいいます。その神我は白光の世界です。皆さん方は、白い色といいますと、何を思うでしょうか。

 白色とは七つの色をミックスすると、白光になります。七色の虹の七つのチャクラの生命線が一つになった時には、白光として輝きます。

それをエルランティといいますが、全部含めてエルランティ(※高橋信次師と、普通は名づけているところもあります。

 あるいは七つの天門とか、七つの霊的中枢とか、あるいは七つの教会とも言われています。それが一つになった時、白色となります。

 自分は大霊であることが、はっきりと実感できるまで瞑想をして頂きたいと思います。たくさんの話を聞いたり本を呼んだりすることよりも、少しでも時間が有りましたならば、大霊との一体感の方が大切であります。

 皆さん方の瞑想状態を見せて頂きますと、到達されている方とされていない方とは、相当の格差があります。 
 到達している方からは、相当の光が出ています。

 今から何ヶ月前までは、大勢の大衆の中からようやく一人か二人、白色に輝く者がおりました。この頃は大半の人が、瞑想している時に輝いております。

 瞑想している時にあれやこれやと物事を考えながら目をつむっている人がいます。明日はどういう仕事をしようか。どうしようかと考えながら目をつむっている人、これは自我瞑想ですから、そのような人からは光が放つことはありません。

 それは目をつむって三次元的な事を考えているわけですから、神への到達ではありません。ですから瞑想でもありません。
 瞑想とは、神そのものに成りきる。大霊そのものに成り切るということです。


瞑想が如何に大切であるか、またどうすれば瞑想できるのだろうか

 瞑想しないで、神が探せるでしょうか。瞑想しないで、神の扉が開かれるでしょうか。もし瞑想なんか不要、という方がおりましたならば、その方は地獄が好きな方なようです。

 今はアクエリアスの時代、水瓶座の時代と言われています。この時代は、非常に大切な、霊的にも求めやすい時です。霊的な道案内人の現れるときでもあります。またこの時代は最後の振るい分けともいいます。最後の審判ともいいます。

 そして熟した魂と未熟な魂の収穫時にあたります。熟した者は天の蔵に納められ、未熟なものは再生されます。即ち、輪廻を繰り返すことになります。

 「時が来たら、あなた方は天の蔵に納められるであろう」という言葉があります。その時が今のこの時代です。

 皆さん方は今生で成し遂げられなかったとすると、また何万年この世をさまようか、再生されるまで、次のお迎えが来るまで、収穫時が来るまで皆さん方は何回もこの地上界をさまようことになります。

 それは聖者も予言されています。
 最初から瞑想が出来た人はいません。みんな瞑想の素人であったわけです。瞑想していると、いろんな雑音が浮かびます。

 今日は何をしようか、あれをしようか。夕飯は何を食べようか、今日の夕飯はまずかったとか、お酒でも飲もうかとか、何をしようか、遊びに行こうか、そんなことを考えます。

 そういう雑念は放っておいていいのです。いつの間にか瞑想しているうちに、雑念は減っていくものです。
 神の道は細く長いのです。「選ばれた者は多いけれども、招かれた者は少ない」という言葉があります。

 この意味は、本当に招かれるもの、神の国へ入れるものは数少ないという意味です。皆さん方は瞑想を通じて、色んな答えを出して頂きたいと思います。


瞑想とは四六時中、神を思うことである

「神にて語らせよ」という言葉があります。神にて語らせよ、という意味は、生命より語る、霊より語るということです。

 生命より語るためには、霊的な自覚、生命の自覚はなさねばならないということです。あなたは霊的自覚、生命の自覚がなくても、あなたを通して神が語っていることになります。
 
 ところで神は神棚をとおして語るのか、霊媒を通して語るのか、あなたを通して語るのか、どちらでしょうか。あなたを通して語るのです。

 四六時中神を思うというのは、どういう意味だと思いますか、あなたは四六時中大霊そのものであり、大生命そのものであるという思いが、四六時中神を思うということです。

 四六時中皆さん方は自分が、人間だ、肉体だと思っているのか、自分は四六時中その遍満する大霊そのものであり、大生命だとおもうのが瞑想です。

 瞑想とは何かと言われたならば、神を意識することです。神を思うことです。自分は人間だと思っている時は、瞑想状態ではありません。

 生命はいまだかつて、一度も争ったことはありません。生命はいまだかつて罪を犯したことがありません。汚れたこともありません。

 イエス様は偉大な言葉を残しています。
一番大事なものを人に与えなさい」という言葉です。

 その一番大事なものは何かといいますと、
命」です。その命とは、真理のことです。


(※必読♪瞑想の重要な注意点)
☆瞑想は絶対に現象を求めてはならない☆

瞑想が非常に危険であるという事は、
ややもすると、
幽界にチャンネルを合わすから危険だという事です。

ですから、
瞑想中に憑依霊を受けたり、
異常が起こったりするわけです。
その時、気が狂ってしまったりするわけです。
身体の調子が非常におかしくなったりするわけです。

瞑想が危険だという事は、
まず、現象(幻)を求めてしまうのです。
この物質界も現象界であり、
幽界も現象界ですから、
「実在」を求めなければならないのに、
瞑想中に、全て、現象だけを求めている人がいるのです。

なにか見えないかな・・・・・。
何か奇跡が起こらないかな・・・・・。
というものは、
どこに意識を向けていると思いますか。

それは、幽界に意識を向けていますから、
そのような間違った瞑想を多くやって、
気違いになった人は一杯いるという事です。


愛そのものに生きている者は
神に生きている者・天の住者です

 「神理とは何か」といえば、愛そのもののことであり、調和そのものの事です。愛そのものに生きている者、調和そのものに生きている者は、神に生きている者です。肉を持ちながらにして、天の住者です。
 
 あなた方が不調和であるかぎり、神理を知っていませんし、神を知っていません。神を知っている者に、不調和があり得ると思いますか。神を知らないから、不調和なのです。

 (神は愛である)と、どこのキリスト教でも看板は掲げていますが、その愛がどこに存在して、どのようにして働いているかということを知らないのです。

 ただ、空想的な、妄想的な夢物語で、「神は愛だ」と、言っているだけではありませんか。あなた方が愛をよく理解して、それこそ、神を、父を知った者、己を知った者となって頂きたいのです。

 その愛の、有り難みを知っている者のみが、自分のものとするでしょう。
 愛を知らぬ者は、神を知りません。

 愛そのものを知っている者が、神を知っているのです
 だから皆さん方は、今後は愛そのものとなり、調和そのものとなって、日々の生活をして頂きたいのです。

「何を見ても愛なんだ」と。「愛の他には何もないのだ」と。
「愛なくして物は存在しないのだ」と。「神なくして何も存在しないのだ」と。

 「なるほど!神こそが全ての父なんだ。全ての本源なんだ」
 「神を宿さぬ物は何もない。鉱物、植物、動物、全ては愛なんだ」

 「その霊と水との、父と母との愛がなければ物は存在しないのだ」と、そういうあなたになって頂きたいのです。
 父なる神様、母なる神様、ありがとう」と感謝できるあなた方になって頂きたいのです。
 
 神は一切の生みの親です。神なくして物は存在しない、生まれてこない、神は一切の生みの親なのです。

 「神こそが我々の父」と、はっきり断言、言明できるのではありませんか。全ての父です。すべての親です。そのものなのです。

 「神棚の中に神がおるのだ」「はるか天の彼方に神がおるのだ」というように、今まで聞かされていた神と、今、ここで言う神と、どちらが本物の神だと感じられるでしょうか。

 あなた方は、神そのものではありませんか。愛そのものではありませんか。あなたの全身に愛が満ち満ちていなければ、あなたはここに、今、生存しているでしょうか。

 今こそ、あなた方は全身に愛を感じてください。
 その愛に、区切りも、分離も、別離も、何もありません。
 全宇宙に遍満する、大愛あるのみです
 その大愛こそが、全ての父ではありませんか。

 「皆さんは大愛の中に留まり、大愛は皆さんの中に留まっております
 そのことを、よくよく自分に、心して、言い聞かせてください。

 それこそが、皆さんが知らねばならない「真の神」なのです
 その神を知らないでは。何も始まらないのです。

 私達は愛に生かされて、愛に生きていながら、いかに愛というものが、自分とかけ離れた存在であったかと気付かされます。この知花が、いかにあなた方を愛しているか。

 また、あなた方が、いかにこの知花を愛しているか、よく分かります。
 お互いが、愛そのものであるということなのです。

 私達の本性、鉱物、植物、人間、全ての万象万物の本性は愛です。
 全ての実態は愛です。調和です。


 鉱物も愛なくしては存在しない。

 植物も愛なくしては存在しない。

 動物も愛なくしては存在しない。

 人間も愛なくしては存在しない。


 愛の具現です。愛の象徴です。
 今こそ、皆さん方が、全てが愛だと、全てが神だという理解が出来ると思います。

 神の愛は、至る所にまします。空間というものはありません。
 永遠であると、無限であると、永遠なる愛の中に、無限なる愛の中に私たちは存在し、愛そのものの中で存在しているのではありませんか。

 それが、永遠なる自己、久遠なる自己、そのものをはっきり理解できるまで、自分の心に言い聞かせてください。
 それが、あなたのハートに定着するまで、着座するまで、これを自分に言い聞かせて頂きたいのです。

 これを知らないでは、何も始まらないのです。本源に返ることはないのです。だから「霊と水に生まれ変わらなければ、神を観たるにあらず」と、聖書にも示されているのです。

 この私の元を離れていく人のことを、私は如何に愛しているか。
 離れていけば何もわからなくなる「もったいない」と、皆さん方ならおわかりだと思います。

 なぜならば、彼らも私自身であるからです。あなた方自身でもあるからです。全てです。平等です。無差別です。無差別の愛というものが、今ならお分かり頂けると思います。

 今まで、あなた方の愛だと考えていたものが、いかに不純な愛であったか。愛というものをいかに理解していなかったか、ということがお分かりだと思います。

 「これは愛なんだ」とか、「これは愛ではないのだ」とか、そんなものがあるのでしょうか。「愛一元」です。愛そのものです。

 そこに、憎しみが入り込む余地がありますか。愛の中には、いかなる憎しみも、いかなる怒りも、入り込む余地がありません。

 どうですか。
 「どこを観ても、何を見ても愛なんだ。神なんだ。調和なんだ
 「それなくして、何も存在しない」
 動物を見ても「ああ、愛の現れなんだな、神の現れなんだな
 お花を見ても「霊と水との愛と調和の現れなんだな」

 子供を見ると「神の現れなんだな、愛そのものなんだな、愛がその子に無ければその子は存在しないんだな」ということが見られませんか。
 もう見られるはずだと思います。

 あなたが空気を吸っても、空気そのものは、愛そのものなのです。

 見えるもの、見えないもの、全てが愛です。

 水蒸気も、そして、形を取って地の水となっていても、全て愛なのです。

 今なら、「愛一元の世界」「調和一元の世界」「神一元の世界」ということが、お分かりいただけるでしょう。
 
 「これが神だ」「あれが神だ」という、戯言(たわごと)の時代はもう過ぎました。これでもう、皆さん方は「これが神だ、あれが神だ」ということは、一言も言わないと思います。

 この世の中に、神理でないものが一つだってあるでしょうか。
 全ては神理、全ては愛です

 神理の中に、神理でないものがあるはずがありません。
 大宇宙そのものが、大神理そのものであるからです
 
 大宇宙そのものが、大愛であるからです。
 大宇宙は、霊と水によって、愛され調和されて存在します。

 皆さん方は、今、即、大愛の中におり、大愛はあなたの中にまします。
 「我は神の中におり、神は我が中にまします
 その大愛を観じてください。

 この愛をあなたに訴えたくて、数々の言葉の中で、どう言ったら分かってくれるか、こういったら分かってくれるかと考えていました。
 
 皆さん方が、いかにその愛に目覚めてほしいかという一心なのです。
 しかし、皆さん方は、それを中々理解してくれないのです。

 この無知は、二千年前と今も変わりなく続いています。
 私は、二千年の間に確実に人間が進歩しているという確信を持ってこの世に参った者です。(※知花敏彦師はイエス様の予言を成就するため、宇宙神理を伝えるために天上界から派遣された地球最高の大覚者の方です
 
 一日も早く真の自己に目覚めて、神我の自分は愛そのもの、調和そのもの、普遍そのもの、無限そのもの、久遠そのもの、大宇宙そのもの、大愛そのものであるという、その本質のゴールに達して頂きたいのです。



 悟りの最重要キーワードとして、「神の一人子・神我キリスト」という言葉がございます。精神世界の追求者のお方でしたら、「神我」とか「神我キリスト」という言葉についてご存知だと思いますが、実際の意味合いを深く理解されているかと言いますならば、そこまでの方は多くないと思われます。

 お陰様で神理の理解が相当に深いレベルにまで到達しましたので、地球最高の覚者であられる、知花敏彦先生から学びました宇宙神理を一人でも理解できますよう、細かく噛み砕いて易しくご説明させて頂きたいと存じます。

 すべての表現には、神の細胞である「コスモ細胞・宇宙細胞・原子キリスト・原始細胞」が内蔵されていております。この神の細胞が、ヒマラヤ聖者の生活でも有名な「神我」と言われている存在でありまして、この神の細胞は宇宙創造主のお創りになられた全ての全てに宿っているのですね。
 
 ちなみに、「自我」は本来存在しないものですので、「偽我」といわれております。神の一人子は「神我」でありまして「自我」ではないそうです。

 続いて、「神の一人子」が何故「一人」というのかについて申し上げますと、宇宙創造神はお一方であられますので、原因は一つ、親はお一人ということですから、親である神は「お一方」であられるということになります。

 ということは子供である、この世界の見えるもの、見えないもの、ありとあらゆるもの、草花、岩、動物、人間様々、色々な島宇宙、等々も含めて全てが、神の表現であり、全ての原因者であられる、大神様(大霊・宇宙霊・御霊神霊)の大愛の現れですから、全ては「神の実の子」と言えるわけであります。

 内を見れば全ては一つが真理であり、現れである神の実の子ももちろん、内を見れば「お一人」ですから、神の一人子となるわけですね。内を見れば分離も区別もありませんから。

 親は一人、子は一人、父と子は一体、原因と結果は一体、全一体が真理、大いなる一しか存在しない、ということは、神我と自我は一体、原因も結果も全てが神、つまり目に見えるもの見えないもの全てが「神・大霊」であり、自分が神そのものであるという「大霊との一体感」が、いわゆる悟りを開くのに大切な宇宙神理なので御座います。

 この全てが神に見える目が「1つ目」、この目に覚めた状態がいわゆる第三の目に目覚めた状態とも言われるそうです。この「全てに神を観る状態」が内観・億念をしている状態ともいわれております。

 この「神我キリスト」は世間一般でいう所の、「深層意識」や「神意識」「全一の意識」と呼ばれているものでも表現されております。

 全ての知恵や英知・力は、大生命であられる宇宙創造神から来ているものでありまして、外側から見れば分離や別々のものと感じるのですが、内側(神我キリスト)から見れば、全ては神でありまして、普遍、無限、遍満する大霊あるのみということなるわけで御座います。
  
 「全ての原因=神・大霊=父・親・表現者」
 「全ての結果=子・表現体・肉体」となります。

 表現は多々様々ではありますが、原因も結果も含めて、色心不二・色即是空、つまり全てが神の現れでありまして、全ては神一様・神のみが独存するのが宇宙神理であり、神の表現を内(神我)から見れば「全ては一つ」でありますので、神我キリストは「神の一人子」といえるのでありますね。

 宇宙には一つの心・神の御心しか存在しませんので、表現も結果も「神我キリスト・宇宙神」の御心の中の表現ですから、宇宙世界は神の御神体・一つの生命体ということになりまして、全ては同一の根源から生まれた・表現された存在でありますから、全ては一つということになり、その表現の根源の全てが「神の一人子・神我キリスト」と称されているので御座います。
 
 全ては宇宙創造神の中に存在しており、見えるもの見えないもの表現の全ての中に、宇宙創造神であられる「神我キリスト」が内在して宿っていらっしゃるわけで御座いますね。

自我・偽我 =表現者、原因である父なる神を忘れている状態(放蕩息子の状態)神理を知らない状態・自分の力で生きていると思って迷っている状態、肉体の己を自分と思っている我、分離感・分離意識で個別化された表現を別個の存在と認識している我・分離意識・エゴ・肉の感化、五感の感化を真実と錯覚している我・迷いの影、幻、幻想(マイヤー)・自己保存、自我我欲の心


真の自己(真我)=父なる神と常に一体の境地・ワンネス意識・全一の意識・神我キリスト、全ては自分、全ては我、全ては神、全てを愛する我に目覚めた状態・宇宙生命によって生かされている事を自覚して実感している我・私が生きているのではない、なるほど一つの生命である神が生きていらっしゃる、全ての知恵と力は神から与えられている、神の中身は神、全ての全ては本質的には神、神のみが生きてらっしゃるんだなと悟った我・神一元・愛一元・光一元・我神なり、全ては神なり、全てに神を観る境地・神は生命(霊)なり、我も生命(霊)なりの自覚・宇宙即我、キリスト意識・高我・実在・全てを愛し全てを許す境地・慈悲と愛・あなた即私・私即あなた・宇宙エネルギー即自分・無限即我・不変不動の絶対なる実在・普遍なる宇宙・無限者・宇宙神




 ガン発生のメカニズム

 食べ物はみな波動を持っています。野菜には野菜の波動が、肉には肉の波動があります。そして四つ足の動物になれば感情がありますので、人が叩こうとすると怒り狂います。

 殺されようとするなら恐怖を持ちます。その恐怖感は確かにその肉にインプットされますから、それらの波動の粗い物を食べますと、食べた人はその影響を受けます。

 しかし、我々はそれを超越していれば、そのような波動は問題ではありません。

 あなたが愛の波動を持っていれば、そのような波動は受けませんから、それを食べてみても影響はありません。悪い波動は愛で打ち消しますから、その悪い波動は存在しなくなります。波動の打ち消し合いです。

 これは電気的にも科学的にしても可能です。あるいは漢方薬でも可能となります。

 そして、ガンという細胞を打ち消すのも、一つの周波数を持ってくれば消えるわけです。この、一番よい周波数はなんだと思いますか。
 それは愛の波動です。

 ガンの波動は憎しみの波動です。では、それを打ち消すには何を持ってくれば良いと思いますか。愛です。愛の波動を持ってきますと、ガンの波動は打ち消されます。

 ガンの細胞は「憎しみの波動」です。「嫌だ」というような思いの塊が、肉体のどこかにその波動を摂取するわけです。

 その憎しみが燃えていけばいくほど、ガンは人体破壊というように拡大されていきます。肉体破壊まで追い込むわけですから、

そんな人間に心構えを教えないで、これを食べたらガンが治るとか、これを飲んだらがんが治るといっただけではインスタントの方法論です。


ガンという闇は、愛という光を持ってくれば癒える

 ガンは光ですか、闇ですか。ガンが闇ならば、光を持ってくれば、愛を持ってくれば消えます。そうすればお医者さんに行く必要もないし、金を払う必要もありません。

 皆さん方がみな持っているのですから、愛に勝る力はありません。愛が全ての解毒剤です。

 皆さん方が本当に愛という真理や、原理を知ってしまえば、病気になるとか、病気にならないとか、そんな心配事は必要ありません。




問 気功師自身が人を治療しながら、体を病んでいくケースを、今までたびたび取材を通して見聞きしていたのですが、それは自分の意識や、使い方が間違っているからですか?

知花 そうです。フリーエネルギーとか、宇宙エネルギーが実在だと知らないで、エネルギーを有限化した物の捉え方をしているからだといえます。

 彼らは植物からエネルギーを吸収して人に与えるとか、外部から吸収して与えるような、物の制約したエネルギーの使いからですから、それがエネルギーを使い果たした時、彼らは早死にするだろうと思います。

 この宇宙エネルギーと一体になっておれば、エネルギーを使えば使うほど、その治療する方は元気になります。疲れることがありません。

 意識に問題があります。個人意識では彼らがそれを使おうとするから、気功師は非常に危険だといえます。


問 霊能者や宗教家の場合も全くそれと同じ事が言えるわけですか。

知花 そうです。全く同じようなことです。 

愛はすべての原点です

 全ての原点は愛です。原点に帰るためには不調和では原点に帰れません。「神の国は愛の王国」といいます。「愛の王国は光明世界」です。

今の自分は熟成が高いか、感性が高いか、それとも低いかを誰が一番知っていますか。自分の完成は誰が高めるのでしょうか。自分以外にはいません。

 完成を高めると人はよく言いますが、その完成が何であるかを知っている人は非常に少ないのです。不調和の人は未完成であり、調和の人は完成です。不調和の世界を闇の世界といいます。そして調和の世界は光明世界といいます。

 では、この地上界は愛の世界ですか。不調和の世界ですか。今は不調和だらけの人間しかおりませんので、闇地獄というわけです。

愛の世界は光明世界です。ですから皆さんの原点は愛ですから、その原点である本性を現せばいいのです。

みな愛を宿しているのではありませんか。その大愛が全てを創り、大愛が全てに宿っているわけですから、愛がなければ具現できないはずです。エネルギーと質料が不調和でしたら、物は存在出来るのでしょうか。

霊は光なり

 私達の肉体は水です。それを動かす力は霊的力です。肉体自らは無ですし、生きてはいません。

 皆さん方は肉体を救おうとしますが、肉体は救えるものではありません。本来は「霊を救う」のですが、その魂も迷うものではありません。 
 
 皆さん方は魂に対しての理解力が非常に乏しいのです。魂は一切の力であり、一切の光です。一切の光というのは、霊光といいます。

「魂は光輝」といいますが、魂は闇ですか、光ですか、光です。これを内なる光といいますが、「内なる光とは霊光」をいいます。

 皆さん方の肉体は受動体ですが、光である霊を受け入れたら、皆さんの受け身である肉体は闇となりますか、無明体となりますか。光体となります。

 皆さんの肉体が光である光子体になったら災いは入りますか。入れませんか。
災いは闇ですか、光ですか、闇ですか。
「皆さんが愛そのもの」になったら、「愛という光」の世界に闇は入れません。

 光という世界に闇が入り込めるはずがありません。類は類を呼ぶといいまして、闇は闇を呼びますし、光は光を呼びます。

 光を呼び入れるためにはあなたが光でなければなりません。闇人間は色々の災いをどんどん引き付けます。光はどんどん良いことを引き付けます。

不調和は闇人間です

 この世は未完成の世界です。あなたが完成して、今ここに存在していると思いますか。未完成だから生まれ変わってきたのですか。

 未完成だから生まれてきました。未熟だから生まれてきたのです。
それを未熟の魂といいます。「未熟の魂とは不調和の人間」です。
「熟した魂とは愛の人」です。「愛の人とは光の人間」です。

 この世には「光人間」と、「闇人間」がいるといえます。
「不調和だらけの人間は闇人間」です。
「愛の深い人は光人間」です。

 光るものとなるか、闇となるかは、あなたの日常生活で決まります。毎日が不調和だらけの者や、誰かと喧嘩をしなければ気の済まない人もいます。

 ですから、だれとも争わない絶対なる愛は絶対調和ですから、我々が愛しか知らない人間になったとしか、調和しか知らない人間になった時に、皆さん方は完成となります。完成です。

 不調和で完成が出来ますか、出来ません。ですから、あなたの周囲のあなたの気に入らない人や嫌な人がいても、その人を憎むべきではありません。

 罵ったり、けなしたり、非難したり、批判すべきですか。それは得をしますか。人を憎んだり、そしったりすることによって、あなたは得をしますか。損をしますか。損をします。なぜでしょうか。それはあなたが闇になるからです。

不調和な者は本人が気付くまで放っておくことです

 あなたの周囲に嫌がらせをする人がいても、それにとらわれなければ良いのです。放っておけばよいのです。あなたがその人に愛を求めることが出来ますか、出来ませんか。その人をあなたが変えさせることが出来ますか、出来ません。

 人の悪口を言って、人を良くしようとする人がいますが、それは良くなりません。そのことに本人が気付くまでは絶対に良くなりません。

 そのことを責め立てたら、悪は増幅するだけです。一つでも責めたとするならば、余計に怒り狂います。怒り狂ったら闇は少なくなりますか、それとも増幅しますか。増幅するだけです。ですから放っておけばよいのです。

 皆さん方が自分の周囲を明るくするためには、皆さん方が明るくすればよいのです。「人を変えよう」ではありません。

 自分を変えようではありませんか。自分を変える事以外は周囲を変える方法はありません。特に夫婦間の問題はそのようです。

 旦那さんが悪いから私はこうなのだと、奥様が悪いから私はこうしてるといいますが、誰かに責任転嫁をした方が楽だと思って、そんなことをしているのです。

 「あの人のせいで私はこうなっている」とかいって、「責任転嫁をする自己保存の心」がいかに多いかといえます。会社においても同じ事です。

 会社でお互いに責め合った時、そのことは無くなりますか。闇や闇で消すことが出来ません。悪は悪で打ち消すことが出来ないことを知らなければなりません。

 不調和の世界を悪の世界といいます。調和を善といいます。ですから、この世の悪を克服するとは、この世の不調和を克服するとい意味です。
「悪に打ち勝つ」とは「不調和に打ち勝つ」という意味です。


私達の存在価値は愛です
この世を克服するための価値であり目的です

「我はこの世の無知と闇とを克服したものである」と、イエス様が言われました。なぜ克服出来たのでしょうか。愛の他はないと思います。愛でもって克服出来ないものが世の中に存在するのでしょうか。

 この世の悪はあなたの愛でもって克服されんがためにあります。あなたがこの世の悪をあなたの愛でもって克服した時に、あなたは克服者キリストになりませんか。我はこの世の悪に打ち勝った者だといえませんか。
 
 その時皆さん方は完成です。では、今の自分が完成に近いか、それとも完成が遠いかを誰が一番知っていますか。自分が一番知っています。不調和か調和かの意味も分かります。
 
不 調和の人や、妬みっぽい人や、怒りっぽい人や、そしりっぽい人や、嫉妬深い人間は完成に近いのでしょうか。未完成ですか。未完成ではありませんか。熟成が低いわけですし完成が低いのです。

毎日の生活の中で人を赦すことや
責めないことが不調和の克服となります。

 皆さん方が今、学ぶことによって、どんどん完成が高まったのではありませんか。今までの性格がころっと変わった人が大勢いるのではないですか。今までは人を赦さなかったのが、今では赦せるようになった人が大勢いるのではありませんか。

 私、知花の目の前でそんな話を聞く時がありますが、どうしてなんで赦し合いが出来ないのだろうと、悲しくなりますし、嫌になります。

 なぜ闇を増幅するのだろう、なぜお互いに赦しあって仲良く出来ないのだろう。それが愛であるためには赦しが先決です。その赦しを先行せねばなりません。

 人を裁くことによって良くなると思ったら、それは大間違いです。人を裁いて良くなった例はありません。

 人から欠点をいわれて良い気持ちになる人はいません。では、その欠点をつつかないことが重要ではありませんか。人の欠点を探りだして、あの人はここが悪いとか、あそこが悪いとかいえば本人は喜びますか、怒りますか、怒り狂います。

愛であるためには赦しを先行する以外は何もありません

 赦せる人になることです。愛であるためには赦しが先決です。「私は悪人になってもいいから、人をせめて良くするのだ」という人がおりますが、良くなりますか。人を責め立てて良くなりますか。良くなりません。

 その人を批判し、批判したら、その人は良くなりますか、悪くなりますか、悪くなる一方です。

 周囲を良くするためには、あなた自身が良くなればいいのです。あなたが良くなればあなたは世の光となります。

 世を照らす光になります。あなたの日常生活が赦しと愛であるならば世の光となります。光そのものです。これを今日から実行してみたらどうでしょうか。


毎日の生活の中で人を赦すことや
責めないことが不調和の克服となります。

 皆さん方が今、学ぶことによって、どんどん完成が高まったのではありませんか。今までの性格がころっと変わった人が大勢いるのではないですか。今までは人を赦さなかったのが、今では赦せるようになった人が大勢いるのではありませんか。

 私、知花の目の前でそんな話を聞く時がありますが、どうしてなんで赦し合いが出来ないのだろうと、悲しくなりますし、嫌になります。

 なぜ闇を増幅するのだろう、なぜお互いに赦しあって仲良く出来ないのだろう。それが愛であるためには赦しが先決です。その赦しを先行せねばなりません。

 人を裁くことによって良くなると思ったら、それは大間違いです。人を裁いて良くなった例はありません。

 人から欠点をいわれて良い気持ちになる人はいません。では、その欠点をつつかないことが重要ではありませんか。人の欠点を探りだして、あの人はここが悪いとか、あそこが悪いとかいえば本人は喜びますか、怒りますか、怒り狂います。


愛であるためには赦しを先行する以外は何もありません

 赦せる人になることです。愛であるためには赦しが先決です。「私は悪人になってもいいから、人をせめて良くするのだ」という人がおりますが、良くなりますか。人を責め立てて良くなりますか。良くなりません。

 その人を批判し、批判したら、その人は良くなりますか、悪くなりますか、悪くなる一方です。

 周囲を良くするためには、あなた自身が良くなればいいのです。あなたが良くなればあなたは世の光となります。

 世を照らす光になります。あなたの日常生活が赦しと愛であるならば世の光となります。光そのものです。これを今日から実行してみたらどうでしょうか。


 
愛に勝る薬はこの世にはありません

 完成を高めるとは愛を高めることだといえます。今日の一日をだれとも争わず、憎むこともなく、怒ることもなく、嫉妬をすることなく、一日一日を愛にて生きることが感性を高めることです。それを愛の一日といいます。

 それが病気治療の秘訣ですし、健康の秘訣です。これに勝るお薬がありましょうか。皆さん方に無銭でもらえるお薬を頂こうとしないで、お金のかかるお薬で健康を保持していこうとする人が如何に多いかといえます。

 私、知花がなぜ病気にならないか。その理由はどこにあるのでしょう。風邪も引かない。病気にもならない理由はどこにあるのですか。愛であるからです。

 私は小さい時から人を憎むことが嫌いでした。「あなたに感情がありますか」といわれたこともあります。それは一回だけではありません。人から罵られても、けなされても、けろっとしていることが出来る私でした。

 小さい時から性格的には「言いたいから言うのでしょう」としかいいませんでした。言いたいから言うのだと。それを赦せる自分だから病気にならなかったと思います。これは悪い性格ですか、良い性格ですか、人を赦せるとは悪い性格ですか、良い性格です。
 

徳を積むとは愛を積み重ねた者をいいます

 自分の悪口を言われて、すぐに怒り狂う人は性格的には良いのでしょうか。悪いのでしょうか。悪いのです。

 怒り狂ったら誰が損するのでしょうか。自分です。怒り狂って得する人はいますか。世の中に人の悪口をいって得する人がいるのでしょうか。

 あなたは人の悪口をいっている時には、損をしているのです。得してるのではありません。損するものは捨てなければなりません。

 徳を積むとは愛を積むことです。徳を積むとは愛を積み重ねることです。愛を積み重ねた人を徳を積んだ人といいます。徳の深い人とは愛の深い人をいいます。

 あなたが愛であれば、人の欠点までも消すことが出来ます。周囲の闇があなたの光で、打ち消されてしまうわけです。

 世の中を明るくするためには、世の中が愛でなければなりません。世の中が健康であるためには世の中が愛でなくてはならないといえます。

 50年前と私今とでは、病気の数知れず多く出ています。50年前と今とでは想像を絶するほどに病人が多く流行っています。

 今は25兆円が医療費に払われています。膨大なる金額です。毎年、毎年、恐ろしいお金ではありませんか。25兆円という金額は、国の予算は一年に70兆円であるのに、その金額の約三割が治療費に当てられています。

 そのお金は何の結果でしょうか、愛の結果でしょうか、それとも不調和の結果でしょうか。世の中の医療費が多くなればなるほど不調和になっているとみても、嘘ではありません。今、現にそうではありませんか。


魂を向上させる人を赦す心が愛の心です

 「人を赦す心、愛する心、これこそ皆さん方の完成を高める秘訣」ではありませんか。
 自分は完成の高い者か低い者かと誰が知っていますか。そして、完成を低めるも高めるも誰次第ですか。自分です。

健康になるも、病気になるも、誰次第ですか、自分次第です。
ですから、自己治癒力とは愛のエネルギーでもって、神性エネルギーでもって、我々は、「この世の無知と闇と悪を克服していくために努めねばなりません」。
 
 この清里の「安らぎの郷」が不調和の溜まり場だったら、この場所は闇の溜まり場になります。不調和の人が集まったら、ここは光になりますか。闇になりますか。

そして慈悲深い人が集まったらどうなりますか。光となります。これが正に磁場清めではありませんか。あなたが愛そのもの、光そのものになったら、あなたの行く所は全部が磁場を清めています。

愛の無い人が磁場清めが出来ますか。出来ませんか。真っ黒いものが真っ黒いものを消すことは出来ますか闇を被ったら磁場清めが出来ますか。

神官だといって何か白い服を着て、そんなもので家が清まりますか。土地が清まりますか。清まりません。その者が不調和であれば何の意味もありません。

愛は自力本願です

神は愛ですから、愛の人でなくてはなりません。すべての原点は愛ですから、天に帰るとは不調和の皆さん方が愛の皆さん方に帰ることです。神我は不調和ですか、愛ですか、大愛です。

 それには愛そのものになるわけです。真理の実践とは愛の実践です。不調和は神性でしょうか、非神理でしょうか。不調和は非神理です。愛の原理とか、愛の法則しかありませんから、あなたが不調和の時は愛の法則を犯しています

 では、不調和とは罪ですか、それとも罪ではないのでしょうか。罪人とは不調和の人を罪人というわけです。愛の人を罪人というのでしょうか、どちらですか。

 あなたが不調和を起こしている時は愛の法則を犯していませんか。能動と受動の法則を犯していませんか。犯しています。罪人・罪人といいますが不調和の人を罪人といいます。

 ですから、「病とは罪の結果である」といえるわけです。罪を多く犯せば犯すほど病に掛かります。苦しみます。愛になればなるほど、、健康になり、幸せになります。
「愛ある人は健康で幸せ」です。

 あなた以外にあなたを救える者はいません。他力本願ではありません。自力本願です。完成を高めるのは愛を高める以外にはないと思います。
 時々、私の目の前で争いごとを見る場合があります。

 争っている人は大人ですか。子供ですか。まだまだ未熟だなと、争っているのを見れば子供の争いを見るような目で見ることが出来るのではないでしょうか。大人になっても争うのでしょうか。

 子供は喧嘩します。それは未熟な者であるからです。大人が争っているのを見ますと、まだ未熟であるかと残念です。

 そのような場面が私の目の前でも見受けられます。それをやっている人は、また、それなりに気付いて頂かなければなりません。

 皆さん方は本当に自分から後光や、光や、力が出るためには不調和ではなく、調和の人になるように気付かねばなりません。


調和=愛の法則そのもの=罪なきもの=完成=幸せな人生に
不調和=愛の法則を犯している=業・罪=カルマの精算が起きる

愛と赦し=調和=愛=幸せ・健康=完成=中性=完全=光人間
恨み・憎しみ・争い=不調和=罪=病・災難=不完全=闇人間

愛と赦し=カルマの消滅=神の祝福=幸せなツイてる人生に
許さない・恨み・嫉妬=カルマの刈り取り(不幸災難)な人生に

調和人間=愛が深い人=愛の光そのもの=克服者キリスト=完成
不調和人間=恨み・嫉妬・責任転嫁闇人間=罪人=未完成

調和=光明世界・愛の王国=愛・光・善=平安と安らぎ・至福感
不調和=無明世界・闇世界=未熟な愛=不安と恐怖・飢餓感・不足感

調和の人は熟した魂=自分を愛するがごとく他人を愛します=全一体
不調和な人は未熟な魂=他人を責めて非難します=分離意識


完全とは『美』をいいますがなぜでしょうか

 あなたから不調和が無くなれば完成です。完成した時に皆さん方は祝福を受けます。未完成では神の祝福は受けられません。皆さん方が家を建築するのに未完成なのに祝宴を上げますか。完成祝いが出来ますか。出来ないはずです。

 では、あなたは今、神の祝福を受けてる者ですか、神の祝福を受けていない者ですか。それは調和だからですか。不調和だからでしょうか。

 あなたは不調和を美しいといますか、醜いといいますか。
不調和を、「これは不完全だ、美しいなあ」と言う人がいますか。

 完全になってはじめて皆さん方は、『美』という言葉が出るはずです。
ですから、皆さん方が自分を美しくするも、醜くするも自分次第です。

 全ては愛しか無いと思います。愛の他はありません。なぜかといえば宇宙には愛しか無いからです。愛のみが絶対実在となります。

 では、皆さん方の考えている不調和は実在するものでしょうか。実在しないものです。不調和とはなんでしょうか。実際にあるものでしょうか。無いものです。

 実在しているものは愛だけです。どこに不調和があるのでしょうか。どこから不調和が探せますか。無いはずです。
 
 ですから、皆さん方はその不調和を認めてはなりません。不調和は認めるべきですか。認めるべきではありません。認めるとその不調和にあなたが力を与えることになります。善悪の心とはその意味です。
 
 善なる心があるだけであって、悪なる心は本来ありません。
絶対善があるだけです。絶対愛があるだけです。

 善の心もあって、悪の心もあるというのは本当でしょうか、嘘でしょうか。悪なる心は実在するのでしょうか、実在しません。それは幻想であり、幻想です。悪とはすなわち幻です。実在しているのは愛の光だけです。


悪を認める者のみ悪があり、悪を認める心が悪に力を与えます

 あなたが本来知っているのは「神の愛のみです」。そのようにいえる皆さん方にならなければなりません。

 善悪を認めるが故に善悪の世界になってしまいました。絶対善しか認めない者にどうして悪が生まれてきましょうかといえます。

 善も認め、悪も認めたから、善悪の世界として、今この地上界が存在しているのではありませんか。善もあって、悪もあるのでしょうか。実在する悪はありません。絶対善があるのみです。絶対愛があるだけだと思います。

 その他の悪はあなた方の妄想にしか過ぎません。迷想にしか過ぎません。それらは信ずる心がそれらを生み出しただけですし、悪を認める心が悪に力を与えたわけです。


悪が熟してきますと善になります

 皆さん方は絶対なる愛でこの世の悪を克服していかねばなりません。愛こそ実在である境地です。絶対愛の境地です。ですから、皆さん方は悪を見たとするならば、まだまだ愛に目覚めていない状態です。

 この世の悪とは何かといいますと、まだ熟していない愛だと見て下さい。
どのようにしてこの世の悪を見ることが出来るかと言いますと、
熟成の低い善だと、まだまだ熟していない者たちだと見て結構です。

 悪が熟してきますと何になりますか。善になります。

 ですから、悪が多いのはまだまだ未熟だと言えます。
不調和が多いとはまだ未熟だといえるわけです。不調和の人間の事を未熟の魂といい、そして調和の人を熟した魂といいます。


真実(全一体・全ては神)を知った時
『自分を愛するが如く人々を愛します』争いはなくなります

 あなた方はまだ、外側で物を考えがちです。外観でものを考えがちです。真実を見ようとしないからです。この世で本当のことを、真実を知ってしまえば、争いません。

『自分を愛するが如く人々を愛します』し、調和します。

 あなた方が真実を知らない間は争いはこの世から無くなることはありません。非真実の中に生きている者のみに争いがあります。

 神理を知らない盲人や、無知の人のみに争いはあるのであって、真実を知っている人間に争いはありません。

 真実を知ってもなおかつ争うのでしょうか。誰かの悪口を言うのでしょうか。言えないはずです。誰かを憎むのでしょうか。憎めないはずです。嫉妬は出来ないはずです。

 この真実について、皆さん方は正しく見ることから初めて下さい。外側の結果で、あなたはこれをみかんだと見ているなら、あなたは正しくものを見ていません。

 ミカンは外側からみればミカンです。内側から観れば神です。全てに神が宿っています。

 あなた方は人間だと見ているなら、正しくものを見てるのでしょうか。一人一人の中に神を見なければなりません。

 内側を観れば神ではありませんか。内観すれば神ではありませんか。外側を観れば結果ですから、人間となるのです。

 しかし、その原因である神と結果である人間とは一体ではありませんか。一体です。人と神とは一体であり、人は神の中におり、神は人の中に留まりたもう。


正しく見るとは内側で心を開いて
ものを觀ることが正しく見るという意味です

 原因と結果は一つです。原因と結果が分離して存在できますか。原因のない所に結果が存在できますか。原因が一切の結果を生むのです。ですから、神は第一原因者だといえるわけです。

 神を観なさい。なぜ結果だけを見るのでしょうか。あなたの肉の目は結果だけしか見えません。真実は見えません。心の目を開きなさい。

 今日こそ開きなさい。真実を觀るようにしなさい。正しく見なさい。あなた方は今、正しくものを見てません。内側でものを觀ることが正しく見ることです。真実を觀ることが正しく見ることです。

 外を見れば非真実です。内側で心を開いてものを観なさい。私に心を開きなさいというのはこの意味です。

 あなた方の心の扉は閉ざされています。それ故に外側でものを見ています。
「内側を観れば全てが神である」ことを知ります。

 「全てに神を観る」であろう、『神が観たまうが如く、私は観たのである』という言葉を体験するであろう。


真実を知らない者がどうして神理が語れましょうか

 私、知花からみれば、皆さんの中に神が観えます。あなた方は全て人間だ、動物だ、鉱物だと見ていますが。

 私は全てのものに神を觀ます。それが内観です。正しくものを見るという意味です。真実を見るという意味です。

 真実が観えなければ、真実を語ることは不可能です。皆さん方は非真実を見て、非真実を語って生きています。

 それは全て偽りです。偽りの自分が、結果の自分が、真実を知らない者がどうして真実を語り得ましょうかと言いたいのです。

 真実を知っている者のみが真実を語ることが出来ます。真実が何であるか分からないで、真実をどうして語れましょうかということです。
 すなわち神理を知らぬ者がどうして神理を語れましょうかと言いたいのです。

 皆さん方も神理を知らないで神理を語る事が出来ますか。神理が何であるか分からない者が神理を説く事が出来ますか。

 神理は空想の産物ですか、それとも真実ですか。いかに神理を空想して、幽想しているか、推測しているかといえるのです。

私たちの心臓の鼓動や動悸が神のバイブレーションです

 我々は神から直接に、ご加護を頂いているのでしょうか。それとも間接でしょうか。直接にご加護を頂いています。

 「あなたの中に神はおられる」のであって、神棚の中から間接的に頂くのではありません。今、あなたを管理している神がおらなければ、即、あなたの肉体はストップします。

 あなたの心臓の鼓動の一つ一つが神の鼓動ですし、宇宙のバイブレーションですし、神の息です。

 我々の中で息をしているのは誰ですか、あなたですか、それとも神ですか、神があなたの中で息しているのであって、あなたが息しているのではありません。
「息は宇宙には一つ」しかありません。

 そして、命は一つしかないのに、命が3つも4つもあるはずがありません。我々の心臓の動悸も全ての動悸も同じ動悸でその一つ一つが宇宙のバイブレーションです。それが神との一体観です。

 そうした時に皆さん方のバイブレーションは宇宙の神のバイブレーションと同じ周波数を放射します。そうすることによって、皆さん方に変性変容が起こります。

「変性変容とは神との一体観」です。
「自分の心臓の動悸そのものが神の心臓の動悸」です。

 (神の)鼓動であることを自覚することによって、私たちのこの肉体の粗雑なバイブレーションが宇宙のバイブレーションと一体となって、
一秒間に一兆八千億という精妙な鼓動を体験いたします。

生命をキリストといいます

 迷っている人とは肉や血を己として生きている者です。真のあなたは血や肉でしょうか、それとも生命でしょうか。

『我、生命なり』と、我は血や肉ではないのだといえる己として、はっきりと生命の自覚ができた時に、皆さん方は一切の悩みや、苦しみから開放されるのです。

 自我(分離意識)で生きている限りは、自我は罪であり、病であり、死です。
神我は罪を知らず、病を知りません。生命である神我こそが唯一の救い主であって、唯一の道であるといえます。

 ですから、『キリスト』を受け入れよと、キリストを受け入れない者は、生命を受け入れない者です。その者に救いはありましょうか。

 「生命キリスト」が「唯一の救い主」であることを知らなければなりません。キリストとは今のキリスト教のいってるキリストのことを意味しているのではありません。

 あなた方の『真我のことをキリスト』と私は呼ばせて頂きます。
あなた方の『生命のことをキリスト』と呼ばせて頂きます。

 「生命」こそが「唯一のキリスト」ではないでしょうか。
唯一の神」ではないでしょうか。
唯一の神理」ではないでしょうか。その他に神や神理があった試しはありません。

 生命は非神理でしょうか。神理そのものでしょうか。
生命」を知ることが「神理」を知ることです。
生命」を知ることが「神を知ること」です。
それが「己を知ること」となります。

あなたは「生命」であるから『我は神理なり』と
あなた方はいつか言うであろうと、
我、神なり』というであろうと、
我、生命なり』と言うたらよかろうと。
そのように「真のあなた(真我)」であることに
目覚めていただきたいのです。

神は力であり、無限者であり、普遍者である

 ですから、神は力なりけりにまります。宇宙エネルギーそのものが神だと、判断できるわけです。
その宇宙エネルギーが全ての物を作り、その宇宙エネルギーが全ての中に生きていますから、神が一切のものを創り、「神が一切の中にいる」のです。

 ですから宇宙エネルギーがあそこにある、ここにあるというものではありません。神がここにいる、あそこにいるという存在ではありません。

 「宇宙エネルギーそのものが神そのもの」です。
宇宙エネルギーが全ての創り主」ですし、「全ての存在」です。

 神が無限者であり、普遍者である意味がハッキリ判りましたか、
その宇宙エネルギーは如何なる者の制限も制約も受けない、祭られることも無い。

 その神が人間の手で祭られる事がありますか。とんでもないママゴト遊びをしていることが判りましょう。
 ですから神は宇宙科学だといえましょう。科学そのものが電気化学だといえます。

 その電気状態にはプラス・マイナスであり、陰陽の法則であり、陰陽を多く含んだ物を影石と呼び、陽性を多く含んでいるのを陽石と、これを男の石と女の石ともいいます。

 植物にしても雄しべと雌しべとがあります。動物にも雄と雌があります。
そういう物で「宇宙は全部全て電気状態」だと言えます。

 「神は光」なり、「電気は光」です。「神は光なりき」、そのプラス・マイナスのエネルギーが光となります。この電気は神の具現だともいえます。神の現れです。

 ある程度の現象化されたもので、なるほど「神は光」なのだと判りましょう。
そしてこれがモーターとなって、力となって動きますとどんな大きな物でも、動かすわけですから、なるほど神は力なりきと、力は神なりき、そしてエネルギーと同時に光であると判りましょう。

 神が何故力なのか、神が何故光なのかという意味も、そのプラス・マイナスの電気で証明されています。ですから今までの人々が言っているような神様はどこにも存在しません。

 空想の神様はいないのです。現実の私達の日常生活の一分一秒の中で我々は神と共に生き、神は我々の中に生きているという意味です。
 我々は宇宙エネルギーの中におり、宇宙エネルギーは我々の中にいるのですから、神は我が中にましますとなります。
 
 即ち私達は宇宙エネルギーの中に今おるのであって、宇宙エネルギーは我々の中におるわけですから「人は神の中におる」といえます。

 即ち「私達は宇宙エネルギーの宮」であるという意味で、
「宇宙エネルギーの住み家」であるとなります。

この肉体は宇宙エネルギーによって創られた宇宙エネルギーの住み家ですから、宇宙エネルギーがなければ、「宇宙生命」がなければ、

 「宇宙霊」がなければ私は創られもしませんし、ここににも存在していません。であるが故に「神は存在の本源」です。

 肉体を持つ「人間の本性・本質は神」だということが判りましょう。
ですからイエス様は「全ては神」と言われました。神によらないでものは存在しません。
 宇宙エネルギー(神)が一切のものを造り、宇宙エネルギー(神)が一切の中に住んでいます。

全ては宇宙法則に支配されている

 今、地球上ではエントロピーの法則といいますが、科学的物質を使わねばなりません。私のいう科学とはこの科目ですが、今は化け学といいまして、分子状態を変化させてしまうのを化け学といいますが、この化け学が世の中を滅ぼすのです。

 私の言う科学とは科は理科といいまして、皆さん方は理科を知りません。科学を知りません。神そのものが科学です。宇宙そのものが科学です。宇宙科学とはその意味です。

 私は科学と言ったら神と言いたいのです。宇宙科学そのものが神だと言いたいのです。宇宙科学が神ではありませんか。

陰陽の法則(愛と調和)そのもの、原因・結果の法則そのものが神です。

 神や法則が神棚や神社・仏閣や教会におるものではないし、神は遥か彼方におるものでもありません。
 その法則(神)は全宇宙を抱擁し、全宇宙に遍満しています。
ですから、神の存在しない所は無いというのはその意味です。

 「私のいる所に神がいて神のいる所に私がいる」と言いたいのです。
皆さんもその通りです。皆さん方も宇宙法則(神)の中におり、
宇宙法則(神)は皆さんの身体の隅々にまで働いています。

 ですから神は唯一の働き手であり、偉大な下僕の方であられる。神は私の中で今、肉体を保持し、保全しているわけです。働いているのは神であり皆さん方に働いている働き手と何が違いますか。働いているのは別ではありません。一つです。

 ですから宇宙には一つの法則しかありません。一つ様の神、一つの神しかありませんが、我々の神というのは神を知らない言い方です。神に対して無知なるがゆえに宗教的な神を造ります。

 甚だしい者になるとイエスが神だと、釈迦が神だと、日蓮を神だと言います。神は個人ではありません。
 今はもう、現在の宗教に終止符を打つべきだと思うのです。あの姿を男と言うかといえば盲信・狂信というのです。盲目の信仰、迷の信仰です。


人間は、本当の自己を知らないから迷い、言葉に躓くのである

 このエネルギーがどこかに制限や束縛を受けたりしますか、
このエネルギーは自由自在・観自在・無碍自在です。

 あなたの本当の「自分という存在は宇宙エネルギーそのもの」である事が、
ハッキリ理解出来て初めて、いかなる者の制限も制約も受けない無碍自在となります。

 これを「観自在菩薩」といいます。皆さんは自由な存在ですが、不自由な存在ですか、あなたは元々自由自在なのに、あなたは妄想しています。妄信しているのです。

 自分は肉体的存在でもないのに肉体的存在だと妄信しています。ではあなたは肉体的存在ですか、「遍満するエネルギーの存在」ですか、「エネルギーそのもの」だと思います。

 あなたがもし自分を、我、肉体なりと思っているならば、妄信であると同時に妄想です。
その妄信・妄想があなたの自由を全て束縛しています。

 あなた実体は肉体的存在ですか。肉の正体は何でしょうか。
肉体は有るのでしょうか。勝手にあなたが肉体と思っているだけです。

 これは肉体形体なのかエネルギー形体ですか、エネルギー形体です。
肉体は無いのにどこから肉体形体という名前が出て来たのでしょうか。
エネルギー形体とはエネルギー体をいい、即ち「霊体、生命体」をいいます。

その「霊を霊エネルギー」といい、
「生命を生命エネルギー」と言うのです。

 ですから「唯一の霊・唯一の生命・唯一の神」しかありません。
エネルギーと、「生命と、霊と、神」と、何が違いますか、「同じ」です。
その言葉につまづくとは、その言葉を理解していないからです。

 言っている言葉の意味が判らない状態を躓くといいます。
生命という言葉を理解できないから、その生命という言葉に躓いているのです。
 あなたがその生命という言葉を理解しているならば、その生命という言葉には躓かないのはずです。

 霊とは誰でも言いますがその霊が判らない状態を、霊に躓いているといいます。
ですから幽霊や地獄霊だ水子霊だというのです。全部がエネルギーです。

 この世に霊(生命)でないものが何か一つでもありますか、あなたは霊形体ですか、肉体形体ですか、霊形体です。
 全ては霊(宇宙霊)です。霊(大愛)の他には何もありません。
エネルギー(宇宙生命)の他には何も無いのです。

 即ち神の他には何もありません。「神のみが独存する」というのはその意味です。
「エネルギーこそ絶対実在」、「神こそが絶対実在」、「全てが神」であり
「全てがエネルギー」である、「全てが霊」であるといえます。

 ですからイエスは「神は全ての全て、ありてあらゆるもの」と言われたのです。


◯光のあるうちに歩め

 「霊光」
霊は光ですから、あなた方から霊が抜けますと真っ暗闇です。
だから「光あるうちに歩め」というのです。
光のあるうちに歩めというのですけれども・・・・・。

 皆さん方は、今、光を宿しているわけです。
霊を宿さないで、皆さん方は生きていられますか。生きていられませんか。
生きているのは、肉体ですか。霊ですか。
肉体というものは初めから生きていません。

 この肉体というものは、
霊の媒体にしか過ぎないのです。
この肉体というものは、
霊の操り人形にしか過ぎないのです。

 霊は能動原理
肉体は質料で出来ていますから、受動原理は自らは「無」です。
肉体自らは動きません。

その肉体という質料が生きて働くならば、
霊が抜けても働いていなければならないという事になります。
しかし、能動原理である霊が抜けますと、
もう、皆さん方は、言葉一つでないし、動くことも出来ないのです。

それなのに、
皆さん方は、なぜ、霊を嫌うのでしょうか。

「闇は光を嫌う」
なぜかといいますと、光現れると闇は存在出来なくなるからです。
貴方の肉体という無明が、光明である霊を受け入れたら、
貴方の肉体は無明となるのですか。光明化されるのですか。
「光が現れれば、闇は消える」の言葉のように、闇は消えてしまいます。

 例えば、
この部屋の電灯を、全部消しますと闇の原子が残ります。
原子そのものは、闇であろうが、光であろうが存在しています。
電灯をつけていようが、消していようが、初めから原子は存在しています。
電灯を付けますと、
闇の原子から、光の原子になります。

 あなた方の中で、
その聖なる火「法燈(全一体感・父なる神と一体の境地)」、
即ち、霊的光(全てに神を観る・我神なり)を自覚出来るようなりますと、

貴方の肉体の細胞は、
闇の原子から、光の原子に「変性・変容」を遂げるのです。
「変貌(愛の霊光そのものに変性変容)」を遂げると言う事です。
お分かり頂けますか。

 その時、皆さん方は、もうこの世の闇の影響は受けないのです。
光と闇や同居できません。
その意味は何かというと、あなたが光るものになりますと、
その光の世界に、外から闇は入れないのです。

◯霊光を浴びる事は、日の洗霊、光の洗霊となる

 この世の災いというものは、
光でしょうか。闇でしょうか。幸い簡単なのです。

 あなたが、
その肉体が「(我神なりの自覚を)容認」した時、受け入れた時、
あなたのその肉体は光姿態になりますので、
そうしますと、あなたはもう「病」に掛かる事はありません。

 病は光から来るのですか。闇から来るのですか。
「病は闇から」といいまして、
その闇は光が現れれば消える。即ち、病気は消える。消えてしまうわけです。
だから皆さん方が、今、病気になるという事は、
その霊的光を受け入れているからですか。受け入れていないからですか。

 光に闇は入って来れない。
電灯の点いている部屋に闇は入れますか。存在できますか。
「類は類を呼ぶの法則」なのです。
光は光を呼びますし、闇は闇を呼ぶのです。意味お分かりですか。

 あなたが、
あなたの肉体が「私だ(分離意識)」という時に、
あなたは光るものでしょうか。闇でしょうか。それは闇なのです。
これを「闇人間」といっているのです。
霊的人間(全一体・真我覚醒した人)の事を「光り人間」というのです。

 霊は光です。
質料は、物質は闇です。
だから、この地上界の物質世界の事を、光明世界とは言わないのです。
何というと思いますか。それを無明世界というのです。

 しかし、その無明である物質が光を受け入れたら、
その物質は何になると思いますか。それは光になります。
これを「地上天国」というのです。
即ち「如来」の事です。
光が「降臨」したという事です。

 だからあなた方が、
この霊と肉との一体感になった時、無明というものが存在するのでしょうか。
光が現れても、闇は存在できるのでしょうか。
あなた方は、一旦その霊光を引き受け、イルミネーションを受けたのなら、
再び闇になるのでしょうか。ならないのでしょうか。

 あなたが、一旦この霊光を浴びますと、
これを光のシャワーといいますけれど、
これを普通は「火の洗霊」といいます。
「光の洗霊」です。

 あなたの全身が、
その霊光に満たされた時、
あなたの細胞一粒一粒は「白光」を放つようになるのです。

 「白光」を放つようになりますと、
もうあなたには夜というものがありません。
なぜかといいますと、
あなたの細胞から放つ光ではないのです。
光明だけ、昼だけ、「昼・昼」といいまして昼だけ存在するわけです。
電灯を消しても躓く事はありません。見えるのです。

 あなたから放つ光が、
じゅうたんの色から模様から全部見えるようになります。
あなたが本当に、霊的自覚を持ち、
霊肉一体のバランスが取れていたとするならばです。

 大霊あるのみですから、
その大霊は「宇宙霊」ですから、
普遍ですから「普遍光」、無限大ですから「無限光」になるわけですから、
その時、
本当にそれを受けているか、いないかは、嘘はつけないのです。

 その人からは、目も眩まんばかりの白光が放ちます。
大霊を受け入れたとするならば、無限光を受けるわけです。

◯燦然と光り輝く光明、その光人間となる

 宇宙に、光は幾つありますか。
無限光しかありませんので、大霊しかありませんので、
その大霊を受け入れる事によって、
皆さん方の一切の悩み、苦しみ、それから開放されるのです。

 悩み、苦しみは、
皆さんの「肉我」という無明の世界に生きるが故に「ナ・ヤ・ミ」です。
悩みは光でしょうか。闇でしょうか。
その時、あなたが光るものになった時、
一切の闇、悩み、病も消えますので完全となるわけです。

 イルミネーションを受けたら、
不完全になるのでですか。完全になるのですか。
完全と光り輝く光明となります。

 これは、光(真我に覚醒めた)人間となりますので、
一切の悩み、一切の病苦から開放されるのです。
その時、皆さん方は「完全人間(神との合一)」なるのです。
「光人間(神我顕現)」となるのです。
 
 これが「イルミネーション」
「魂の光輝」即ち、肉体から「白光」を放つという事です。
 釈迦しかり、イエスもそうです。

 霊光、大霊を受け入れる事によって、
その器が、
「外なるものが内なるもの(キリスト神我)を受け入れた時、
外なるものは内なるもののようになる」と。

 無明が光を受け入れた時、無明は光となるという事です。
光明なる魂となるという事です。

 これを「マイルーパー」と言いまして、
皆さん方の細胞一粒一粒が、光の細胞、即ち、粒子に変わのです。
そこで、元素転換が行われます。

組合せが、全く違った組合せのものになります。
分解したり、組み立てたり、自由自在のものが出来のです。

 「変身」といいまして、
自分の肉体を人の前から消して、普遍的なものに変換しまして、
そしてどこかで、
そのバイブレーションを下げまして、肉体を意識しますと、
その肉体、自分の行きたいと思う所で組み立てる事が出来ます。

 これを「テレポーテーション」即ち「テレポート」というのです。
しかし、あくまでも、霊肉一体が出来た人のみ可能です。


知花敏彦先生のお話から一部引用ですが…♪

 では、人間と神の関係はどうなのでしょう。
本来は「人間と神の関係さえもない」という事です。

 この説明のためにテーマをつけて書いたものであり、
関係さえもなく、「一つの存在」であるのです。

人間と神」は、「即、一体」の存在であり、
我々」も「神の存在」であり「神そのもの」であったという事が分かるのです。

我は神なり」。「我は生命なり」。我は神理なり。と。
我は神(の一部)であり、我はキリスト(宇宙生命)である」という悟りに至らなくてはならないのです。


地球は魂を完成させる場である

 百点満点が取れるようになった時、神様はあなた方を選ばれます。
(もうこの者は大丈夫だ。もっと高度な勉強をさせてもよい)
とおっしゃって、高度な惑星に連れて帰るのです。

 しかし、向こうでもまた修行です。
 今、地球は中程にあります。下段でもなく、中段です。

 これよりももっと下に、霊の低級の次元があります。
 今、人間は、真中にあり、完全でも低級でもなければ、高級でもないのです。

 宇宙には太陽系惑星があり、高級の惑星が金星であり、水星であり、土星であり、地球惑星より優れた惑星であるのです。

 この地球で問題を解いてそこに帰る魂を、皆さん方は「成仏」と呼んだり「昇天」と呼んだりするわけです。

 問題は地球にあります。真の生き方(神我顕現)をここで学んで、その神理に基いて生きられるようになると、この地上界には生まれ変わりはしません。もっと高度な惑星に上がれます。

 これを「昇天」と言ったり、地球からの「解脱」といいます

 それを成し遂げないかぎり、地上界の浮き沈み(地球での輪廻転生)の世界で勉強させられます。

 体験ですから、まあ、それもよいでしょう。しかし、本当は「今世で卒業して、みんなで帰りましょう」と言いたいのです。

 高度の惑星に連れて帰るために私(知花先生)は、この地球に来ているので、皆さん方に高度な神理を説き、その神理に基づいて生きて、そして完成し、皆さん方を連れて帰りたいのです。

 高度の惑星に帰ると、皆さん方は向こうでは「天使」と呼ばれます。高度の惑星では、地球から卒業した人材のことを「天使」と読んだり、「ハイアラーキー」と呼んだりするわけです。

 高度な惑星から肉体を持って指導者として、地球の我々の魂の兄弟を救済しに天使が降りてくるわけです。

 地上の母なる肉体、お腹を借りて誕生して、普通の人間のように生まれてくる天使と、そのまま肉体を持って、ポツリとどこかに存在して導く天使と、二通りの天使がいます。

 皆さん方が、空想、妄想しているような天使ではありません。
 天使方は、宗教的、オカルト的、空想妄想的な、目に見えない存在ではありません。

 今、この地球上に別の惑星から何万という天使方が、人類救済のために降りてきていらっしゃいます。その方々を、皆さんは「宇宙人」と呼んでいますが、正に、宇宙人です。

「イエス様は宇宙人であった」とか、「お釈迦様は宇宙人であった」といいますが、その通りです。あなた方も宇宙人です。

 「一なる宇宙」の中に存在する。1個の惑星が地球であって、あなた方は宇宙人だからです。

 その理由がおわかりだと思います。ですから、「天使方は、正に高度な宇宙人である」というわけです。

 イエス様が「わたしは上から来た者である。あなた方は下から来た者である」といわれたことは聖書にも書いてあると思います。

「下から来た者」とは、低次元の惑星から徐々に進化してきた者のことで、私達は地球の中間の学びをしているわけです。


人間の目的は何でしょうか。

 魂の向上、「自己完成」が最大の目的です。自己完成、魂の完成のために地球があるのです。

 この地球上で学ぶものがなくなったならば、もう1段高度の惑星に移される。それを「甦る」といい、「昇天」していくわけです。

 この地上界で完成されていない者は落第なので、それが完成されるまで地上界で生まれ変わりをします。

 「輪廻」を繰り返すのです。

 昇天すると、輪廻する者。高い方に帰るか、また、落第してここに生まれるか。それは、あなた方の自由意志です。

 今世で本当に神理を理解し、正しい道、方に添った生き方をすることによって、あなた方が完成されるわけです。


 あなた方は、今、それを求めておられます。そうした時、世の中の幸せはあなた方が造りだします。

 あなた方が救われた時、あなた方は世の中の指導者になります。あなた方を通じて人々が救われていく。それだけ高度な指導が出来るのです。


「全ては神=我神なり」という真理♪

意識の進化=愛の拡大=分離意識の克服=
我は全体なり・全体我なり=全一体・自他一体=

全ては私=全ては一つ=全ては一つの存在の現われ=
宇宙は一つの生命体=全てに神(宇宙生命)が宿り給う=

宇宙は神一様=全ては神の中の存在する一つの存在=ワンネス
全ては永遠に一つの存在=全ては一つ=全ては私=全ては神

全ては今この瞬間しか存在しない=全ては永遠に一つの存在=
永遠の始まりである神の御心のみが実在=今即天=今即実在=

大愛・宇宙生命・神の一人子である神我キリストのみが実在=
全てはこの瞬間に存在する宇宙生命そのもの=全ては神そのもの=
全ては神ご自身=神一元・愛一元・光一元=宇宙即我=我神なり


調和=愛の法則そのもの=罪なきもの=完成=幸せな人生に
不調和=愛の法則を犯している=業・罪=カルマの精算が起きる

愛と赦し=調和=愛=幸せ・健康=完成=中性=完全=光人間
恨み・憎しみ・争い=不調和=罪=病・災難=不完全=闇人間

愛と赦し=カルマの消滅=神の祝福=幸せなツイてる人生に
許さない・恨み・嫉妬=カルマの刈り取り(不幸災難)な人生に

調和人間=愛が深い人=愛の光そのもの=克服者キリスト=完成
不調和人間=恨み・嫉妬・責任転嫁闇人間=罪人=未完成

調和=光明世界・愛の王国=愛・光・善=平安と安らぎ・至福感
不調和=無明世界・闇世界=未熟な愛=不安と恐怖・飢餓感・不足感

調和の人は熟した魂=自分を愛するが如く他人を愛します=ワンネス
不調和な人は未熟な魂=他人を責めて非難します=分離意識


 イエス様は「愛は天と地の架け橋」とおっしゃられました。その愛とは「許しの到達点」である「慈悲と愛」で御座います。

 真の意味で貴方が、その「許しの到達点」の境地に到達した時に、自ずと「天である神」と「地である貴方」との架け橋が繋がる事でありましょう。私は実体験からそれが実際にありえると確信しております。


愛は天と地の架け橋  この愛の理解と体得が神様と繋がる鍵♪

神・大愛(天)……全てを活かす愛・慈悲と愛・すべての形態を形作る力・意識を与えて下さった魂の根源・真の親・すべてを活かし育む力、縁の下の力持ちで全てを愛し慈しむ無償の愛・無限の愛・すべてに意識を与えて下さった天の父であり天の母である中性エネルギー・真の親・愛を表現する為に…無限の創造をなさっている慈悲と愛そのもの

神の表現体(地)……神が神を愛する為に生まれた存在・神の化身・愛の化身・神の表現体・神の中に創造された神・個別化した神としての自覚に覚醒めた我・滅私して神の道具意識を自覚している我・自分が神ご自身だと悟った我・愛を表現する為に生まれた事を自覚している我、全てを100%の愛で愛する我、自分と全てが神以外の何者でもない事を自覚している我


第六密度以上の高次元存在が語る
「許し」というものが、カルマの輪を止める事になるお話

★ コーリー : 多くの人々が現生のトラウマだけでなく、過去生のトラウマにも対処しているところなのです。

今、地球に生まれて来ている多くのライトワーカーは、援助の為により高次元や、上の密度から降りて来た人々です。

現生が初めての人でも、高次の美しい場所からここへやって来た人にとっては、ここでのトラウマは10倍酷(ひど)く感じられるものです。

そして、長期に亘(わた)って輪廻転生を繰り返して来た人の場合は、更に解消しなければいけない過去生のカルマが加わります。

しかし、ブルーエイヴィアンズから言われたのは、トラウマを特定し、自分にトラウマを与えた人や自分自身を許すこと、

そして、この”「許し」というものが、カルマの輪を止めることになるということです。カルマがなくなるんです。

これは、エネルギー的なものです。
カルマとは」負債を支払うようなものではなくて、
許してエネルギーを解放するもの」なんです。



カルマとは宿題・魂の課題・許しによって消滅♪
……………………………………………………… 
「許し」を心から実践=カルマの輪を止める=カルマがなくなる♪

自分にトラウマを与えた人や、自分自身を許す==
             ==魂の課題を克服=カルマが消滅♪

許す事によってエネルギーを開放=カルマの克服・解消に♪


ケイシーリーディングから…♪

全身全霊で「神を愛する」大切さ
「神を求める祈り」をする大事さのお話

 エドガーケイシーは、宗教生活についてそのもっとも美しい表現の中で、この事を次のように語っています。

あなたがたは心を尽くし、思いを尽くし、体を尽くして汝のなる
(大生命・内在の神)を愛し、隣人を汝の如く愛するのである。

このキリストの与えた言葉が法則の全てである。
それに優るものは存在しない

 主が約束されたように、あなた方は
来る日も来る日も明想し、「祈りゆく」うちに到来するあの目覚めによって、
主(宇宙生命)が自分の意識の中に留まられる事を知る事が出来る
神我が中にまします・父と子は常に一体)。

 あなた方はこの目的のために、
主が臨在し、その御霊(キリスト)があなた方の中に留まるあの意識を、
あの自覚を讃えるために生まれてきたのである。」

自我・偽我 =表現者、原因である父なる神を忘れている状態(放蕩息子の状態)神理を知らない状態・自分の力で生きていると思って迷っている状態、肉体の己を自分と思っている我、分離感・分離意識で個別化された表現を別個の存在と認識している我・分離意識・エゴ・肉の感化、五感の感化を真実と錯覚している我・迷いの影、幻、幻想(マイヤー)・自己保存、自我我欲の心


真の自己(真我)=父なる神と常に一体の境地・ワンネス意識・全一の意識・神我キリスト、全ては自分、全ては我、全ては神、全てを愛する我に目覚めた状態・宇宙生命によって生かされている事を自覚して実感している我・私が生きているのではない、なるほど一つの生命である神が生きていらっしゃる、全ての知恵と力は神から与えられている、神の中身は神、全ての全ては本質的には神、神のみが生きてらっしゃるんだなと悟った我・神一元・愛一元・光一元・我神なり、全ては神なり、全てに神を観る境地・神は生命(霊)なり、我も生命(霊)なりの自覚・宇宙即我、キリスト意識・高我・実在・全てを愛し全てを許す境地・慈悲と愛・あなた即私・私即あなた・宇宙エネルギー即自分・無限即我・不変不動の絶対なる実在・普遍なる宇宙・無限者・宇宙神


FC2版の広瀬すずちゃんの横顔になる方法の記事です♪
身長を伸ばす記事も追記してみました♪


言葉遣いが人間性を判断する
一番分かりやすい判断材料なお話

 シルバーバーチの霊訓でも、「高級霊」は「言葉遣いが綺麗」で、
低級霊」は「言葉遣いが汚い」、と仰っておられます。

 覚者級の偉人「ブルーシャ西村様」も、神様に愛される生き方のご著書中で、本物の…素晴らしい成功されている方々は、
例外なく皆、言葉遣いが丁寧で綺麗だと仰っておられました。

やっぱり…本物の方の言葉遣いは、
丁寧で心地良い話し方」に「自然に」なります。

 「まだなってなければ」、まだまだ未熟だと言えましょう。
申し訳ないのですが…まだ「それだけの人間」という事です。

 タピオカ屋さんを恫喝した人を見て頂ければよくお分かり頂けます。
言葉遣いの品性」と「人間性・霊性」は、ほぼ完全に比例しております。

言葉が汚い・悪い」…というだけで、もう「それだけの人間」という事です。
まともな言葉遣いも出来ないわけですから、人間として三流・四流なのは明白と言えます。

心地良いと思える意識状態」は、
その人の「波動の高さ」によって「千差万別」だと言えます。

波動の高い人」は、「綺麗で丁寧な言葉」が心地良くなります。
波動の低い人」は、「雑で汚らしい言葉」が心地良くなります。

 言葉の汚い人・悪い人とは関わらない方が無難です。
言葉遣いが悪い=低波動」の判断は、誰にでも出来ますから、これも人生の災難を避ける、一つの波動リトマス紙として頂ければ、人生のリスクを減らす事が出来ましょう。
 「君子危うきに近寄らず」…ですね♪

綺麗な言葉遣い=高い波動状態(ポジティブ)
(天皇陛下・皇室の方々の敬語・上流階級・紳士・淑女・上品・気品がある・品性・高級・丁寧な敬語・本物・意識が進化した人・格調高い・礼儀正しい人・麗しい・ホワイト企業・一流企業・心地良い言葉遣い・感謝・ありがとう・祝福・褒める・至福・喜び・尊敬の念・穏やか・優しそう、慈しみのある話し方・赦し・控えめ・謙虚・慎み深い・素敵な人・丁寧な人・愛が溢れている・気分がいい・内面の輝き・天使・優しい人・気分がいい時・上機嫌・分かっている人が使う・賢い人が使う・知性がある・品性のある話し方・信頼したくなる・お嬢様・麗しい話し方・素敵ないい人が使う・笑顔・幸せな時・愛に満ちてる時・気分が軽くなる・軽い波動・運気が上がる・神様に繋がる…愛される話し方・江原啓之さんの話し方・徳を積む話し方・愛と調和・高級霊が使う)

汚い言葉遣い=低い波動状態(ネガティブ)
(チンピラ言葉・ヤンキー・べらんめえ口調・下品・喧嘩・暴力の時に使う・血の気が多い・喧嘩っ早い・乱暴な人・荒々しい・乱暴・粗雑・けなす・偉そう・お○呼ばわり・ドSな言葉遣い・ブラック企業・恫喝に使う・パワハラ・威嚇・罵倒・三流企業・喧嘩・怒り・短気・イラつき時に使う・闇落ち・無愛想な人・愚痴・不満・雑な敬語・敬語がろくに使えない人・アホっぽい話し方・だらけた話し方・不快な話し方・不機嫌・不調和な人が使う・チャラ男・粗雑・キツイ口調・憤怒・嫉妬・ネガティブ・未熟な下品な人間が好んで使う・偽物・悪人がよく使う・不満顔・重い波動・運気が下がる・それだけの人間・タピオカ屋さんを恫喝した人の話し方・反面教師な人・低級霊・動物霊が使う)












知花敏彦先生の総まとめ記事 第6回目⇐はこちら♪

聖フランチェスコの得た偉大なる悟り話♪神を愛する方法♪バーソロミュー朗読♪解脱・覚醒・セス・上江洲義秀先生♪




聖フランチェスコの偉大なる悟りのお話 

神への愛は、神を愛したい…
という想いによって決定されます

 そこで彼の心にはジレンマが生まれたのです。貴方の心にも同じようなジレンマが生まれる事を望みます。いつも親切で、心優しき人間でいる事は出来ないし、かといって欲望のままでは幸せはもたらさない……。

 では、自分の求める心の平安や喜びをどこで見つけられるのだろうか…彼は有意義な道を選びました。これを別に貴方達に勧めているわけではありません。単にデートしてあげているだけです。

 フランチェスコは深い意識のレベルで、死の現実と対決する事を決心しました。その事を私は確信しています。彼は重い病気を選び、その病気で殆ど死にかけました。

 その病状で心の中の境界線が崩れ始め、ついに高熱にうなされた状態の中で、ある悟りを得ます。
 それまでの彼は、善である事と…神への愛、が同じであると思いこんでいました。けれども、その2つは同じ事ではないと分かったのです。

 善人でなくても、神を愛する事は出来ます。非常に良い人でも、神への愛を全く持たない人もいます。

 フランチェスコがはっきりと理解したのは、神への愛は、神を愛したい…と思う気持ちによって決定されるという事です。それまでの自分の考えの過ちに気づいたこの瞬間は、この上もなく重要な事でした。
 
 神を愛するのは神を愛することによってであり、それ以外の何ものでもありません。
 それが分かったら、高熱の中で、ある問いが繰り返し彼の頭の中で浮かびました。どうしたら神を愛することが出来るのだろうか……どうやって。

 忘れてはならないのは、この人は中世ヨーロッパの教会制度の中で育っており、また同時に、宗教が形式的な意味しか持たない社会で育っている事です。
 彼の友人たちもあまり信心深くありませんでした。母親は神を愛する必要を示してくれましたが、神への愛を実践してはいませんでした。
 
 フランチェスコは、神を愛する道が見つけられなかったならば、自分は死を望む…とまで思いつめました。神を愛する事なくして生きていく事は出来ないと思うのに、どうしたら愛せるのか分かりませんでした。

 愛したいけれども、どうして愛したらいいのか分からない……というジレンマをはっきり自覚する、これは非常に望ましい意識の状態だと言えます。 
 何日も苦しみが続きました。熱が上がり不安が増し、イライラと絶望が募りました。
 
 ついにある朝、まだあたりが静かで物音もせず、もうすぐ夜が明ける頃、窓の向こうで、一羽の鳥が鳴きました。そして、その鳴き声を…フランチェスコは今までとは全く違うように聴いたのです。
 
 そしてその鳥の、鳥の奏でる歌声のパワーによって彼は悟ったのです。
 彼が悟ったのは…、神を愛する方法
唯一の方法は…神の声を全ての中に聴く…という事だという事です。

 鳥の歌声に、死にゆく者の泣き声の中に、狂人の叫びの中に、癩病患者の絶望の中に、恋人たちの抱擁の中に……それこそが神を愛する道なのです。

 これらの音と…神の声を分かつもの何もない…まったくない、これらの音こそが、神の声そのものだ…という事をフランチェスコは悟りました。

 それまでの彼は、神を創造の世界の外にあるもの、人生の奏でる音の外にあるもの、自分自身の外にあるもの…という誤った考えをしていました。
 彼はこの後、二度とこの事を忘れることはありませんでした。

 フランチェスコを覚醒めた者…と呼ぶなら、その覚醒めは、彼がごく普通の人間だったということ、そして…そこからまったく普通でない人間になったという事実に根ざしています。

 その瞬間から、フランチェスコは助けを求める声と、大いなる源とを別のものと考える事が出来なくなりました。大いなる源の実在を知ったからです。

 フランチェスコについて誤った見解がいくつかあり、その一つは父親との関係に対して関するものです。フランチェスコと父親とは非常に仲が悪かったと言われています。

 けれども、フランチェスコが新しく覚醒めた後では、すべての音は神の声だと知っていましたから、父親が出て行けと言った時も、父親の声の音を拒否する事は出来ませんでした。
 
 フランチェスコは分かりました……次に進む道を示して下さってありがとうございました、と言いました。 ”何だと!" ではなく、"分かりました” だったのです。そして出ていったのです。

                   バーソロミューの記事♪

「全てに神を聴く」で覚醒した聖サン・フランチェスコさんですが、こちらは「全てに神を観る」での大村さんの覚醒話です♪⇓⇓リンク先は⇓⇓

聖フランチェスコからのメッセージ【朗読】バーソロミュー

答えは「私」 【朗読】バーソロミュー3(122)

人間とは何か【朗読】バーソロミュー2

夢からの目覚め【朗読】バーソロミュー2(020)


人生は完璧である【朗読】バーソロミュー2(033)
https://www.youtube.com/watch?v=j_j8tSF6jTQ

波と虚空【朗読】バーソロミュー3 第四部帰還より(ロングバージョン)

波と虚空3「あなたが設けようとしないかぎり、限界というものは存在しません。」【朗読】バーソロミュー3より抜粋(193)

波と虚空2「おたがいの顔を見るたびに、人は相手を創造しているのです

波と虚空4「あなたは意識として具現している覚醒なのです」

波と虚空5「無限のエネルギーの場に入ることを日常的に実行する」

【朗読】バーソロミュー (性エネルギーという贈り物)

勇敢に悟りの境地をめざすことは本当に賞賛に値します

頭で人生を理解することはできない
【朗読】バーソロミュー「霊性の高い人」より抜粋

【朗読】バーソロミュー(十二のパワー因子)



朗読《カルマの法則を超える鍵とは?》

【朗読】バーソロミュー3 (027抜粋 自由への招待)

如何にして思考が形になるのか「セスは語る」より


輪廻のドラマ 「セスは語る」から

感謝!祝1周年!セス・ブックより抜粋

上江洲義秀先生の光話会 (2019年1月30日)

上江洲義秀先生の光話会 (2019年2月20日)
【番外編】ヒュンケル改心…涙なくして見れない心洗われるお話です♪
感動の涙を流してみてはいかが♪ちなみに私は大泣きしました(笑)(;_;)

今後の予定ですが…こんな企画を予定しております♫おっ楽しみに~♬

●愛の界王拳10倍(仮)
●人をより愛せるようになる裏技
●心の磨き方
●洗心習得のコツ

乞うご期待♪ To be continued……ドキドキ…((o(´∀`)o))ワクワク♪


言葉遣いが人間性を判断する
一番分かりやすい判断材料なお話

 シルバーバーチの霊訓でも、「高級霊」は「言葉遣いが綺麗」で、
低級霊」は「言葉遣いが汚い」、と仰っておられます。

 覚者級の偉人「ブルーシャ西村様」も、神様に愛される生き方のご著書中で、本物の…素晴らしい成功されている方々は、
例外なく皆、言葉遣いが丁寧で綺麗だと仰っておられました。

やっぱり…本物の方の言葉遣いは、
丁寧で心地良い話し方」に「自然に」なります。

 「まだなってなければ」、まだまだ未熟だと言えましょう。
申し訳ないのですが…まだ「それだけの人間」という事です。

 タピオカ屋さんを恫喝した人を見て頂ければよくお分かり頂けます。
言葉遣いの品性」と「人間性・霊性」は、ほぼ完全に比例しております。

言葉が汚い・悪い」…というだけで、もう「それだけの人間」という事です。
まともな言葉遣いも出来ないわけですから、人間として三流・四流なのは明白と言えます。

 言葉の汚い人・悪い人とは関わらない方が無難です。
言葉遣いが悪い=低波動」の判断は、誰にでも出来ますから、これも人生の災難を避ける、一つの波動リトマス紙として頂ければ、人生のリスクを減らす事が出来ましょう。
 「君子危うきに近寄らず」…ですね♪

綺麗な言葉遣い=高い波動状態(ポジティブ)
(天皇陛下・皇室の方々の敬語・上流階級・紳士・淑女・上品・気品がある・品性・高級・丁寧な敬語・本物・意識が進化した人・格調高い・礼儀正しい人・麗しい・ホワイト企業・一流企業・心地良い言葉遣い・感謝・ありがとう・祝福・褒める・至福・喜び・尊敬の念・穏やか・優しそう、慈しみのある話し方・赦し・控えめ・謙虚・慎み深い・素敵な人・丁寧な人・愛が溢れている・気分がいい・内面の輝き・天使・優しい人・気分がいい時・上機嫌・分かっている人が使う・賢い人が使う・知性がある・品性のある話し方・信頼したくなる・お嬢様・麗しい話し方・素敵ないい人が使う・笑顔・幸せな時・愛に満ちてる時・気分が軽くなる・軽い波動・運気が上がる・神様に繋がる…愛される話し方・江原啓之さんの話し方・徳を積む話し方・愛と調和・高級霊が使う)

汚い言葉遣い=低い波動状態(ネガティブ)
(チンピラ言葉・ヤンキー・べらんめえ口調・下品・喧嘩・暴力の時に使う・血の気が多い・喧嘩っ早い・乱暴な人・荒々しい・乱暴・粗雑・けなす・偉そう・お○呼ばわり・ドSな言葉遣い・ブラック企業・恫喝に使う・パワハラ・威嚇・罵倒・三流企業・喧嘩・怒り・短気・イラつき時に使う・闇落ち・無愛想な人・愚痴・不満・雑な敬語・敬語がろくに使えない人・アホっぽい話し方・だらけた話し方・不快な話し方・不機嫌・不調和な人が使う・チャラ男・粗雑・キツイ口調・憤怒・嫉妬・ネガティブ・未熟な下品な人間が好んで使う・偽物・悪人がよく使う・不満顔・重い波動・運気が下がる・それだけの人間・タピオカ屋さんを恫喝した人の話し方・反面教師な人・低級霊・動物霊が使う)












知花敏彦先生の総まとめ記事 第6回目







FC2版の広瀬すずちゃんの横顔になる方法の記事です♪
身長を伸ばす記事も追記してみました♪

黄金比ピラミッドグッズ効能体験記♪難病治療にも♪エドガーケイシーに大注目♪斉藤なぎさちゃんにメロメロ話♪

⇓⇓⇓⇓⇓  第一回目はこちらで~す♪  ⇓⇓⇓⇓⇓

ジョルノ・ジョバァーナ風に語る悟りの極意♪身長がJOJOな195cmになったお話♪北川景子さん似の妹話♪超能力




ここ最近の身長・悟り・ピラミッド・アイドル
アニソン・その他諸々色々盛り沢山なお話(第二回目)

 第二回目の記事となります。第一回目で入らなかった残りのお話ですが、さてさて…どんなお話が飛び出すのやら……ドキドキ……


ロシア型黄金比ピラミッドのお話

 以前、ロシア型黄金比ピラミッドの記事を書きましたが、実は私、自分で特大の黄金比ピラミッドを沢山作っておりまして、その中に水をたくさん入れたりして、大活用していたりしております。
 それで、ある程度データが集まりましたので、それもかねて色々とご紹介させて頂きます。

 エジプト型の平べったいピラミッドでもそれなりにパワーがあるようですが、パワーにはポジティブとネガティブの属性があって多少危険な部分もあるという記事も見たことがあります。

 それであまりそのタイプには興味が薄かったりしたのですが、縦長タイプのロシア型黄金比ピラミッドでは、記事の内容を見る限りどうも、ポジティブのみで良い影響のパワーしか感じられない感じで安全なようでした。

 それで、よしっ思い切って”黄金比ピラミッド”を作ってみようと思うに至ったというわけであります。(※記事の一番下部にピラミッドの画像を添付しておきました)

 2mが一つ、133cmが3つ、66cmが20個、方向を合わせて配置しております。中に水を入れたりして、体に良い黄金比ピラミッドウォーターを堪能しております。方向を合わせるのはグーグルマップを参考にさせて頂きました。

 心の状態を聖なる属性に向かわせる強烈な力が発生するみたいです。これはいわゆるオルゴナイトと同じ様なものかもしれませんが、もしかしたら、それよりも強いかもしれない気がしました。

 私の心の浄化をしてくれる様な、聖なる追い風を実感できましたし、パワースポットのごとく、心を聖属性に後押し変容・変化させてくれる…猛烈な聖なる愛のパワーをピラミッドからヒシヒシと感じております。

 もうこれは普通に、ロシア政府公認の抜群のパワースポットでしょ……っていう(笑)。私自身、波動に超鋭敏な ”波動ソムリエ” ですから言っちゃいますが、これは間違いなく物凄く強いポジティブパワーがあります。

 形を作って最後に方向を合わせた途端、不思議な聖なる力が働くのを実感しましたから♪心を愛の方向に向けてくれる聖なる追い風……みたいなものが発生するみたいです。結構これは強力なパワーじゃないかな…と。

 自作で出来るパワーグッズでは間違いなく低コストでなおかつ、最強のパワーがあると思われます。何といっても驚くのが、ダンボールのピラミッドに水を入れておくと、密閉していても水がどんどん減っていく事です。

 初めて見たときは、本当に驚きまして、一人でいたのに大声で「うっそーん! 」と叫んでしまいましたから(笑)。
 実家のお母さんにも1mのピラミッドの中に水を入れて実験して頂きましたが、三週間ほどでしっかり8mm程減っておりました。

 これはロシア政府の実験でも明らかにされているそうです。黄金比ピラミッドには、宇宙に遍満する宇宙エネルギー(フォトンエネルギー)を集積させる不思議な性質があるようです。 

 水が一番フォトンエネルギーを貯めてくれるそうです。なのでピラミッドの中に水を入れておくと、フォトンエネルギー水……リアル超神水となるというわけであります。肉体の次元上昇を後押ししてくれそうでいいかも♪


【朗報】ワイの家、うっかり超強力なパワースポットになってしまう
【朗報】ワイの飲料水、うっかりロシア政府公認の健康超聖水になる
【朗報】ワイ、コスパ最高のパワーグッズを作成した模様

 
 ピラミッドが大きければ大きいほどパワーが大きくなるようです。ピラミッドウォーターを飲み始めてから、体が全然疲れなくなりました。その水を飲む前と飲みだした後で、驚くほど疲れなくなる変化を実感しましたから。現在では、睡魔以外に何の疲れも感じない状態であります。

 災害が減少したり、周りの人たちの心を浄化する働きがあったり、農作物の収穫を増やす効果もあるそうです。ご近所の治安改善や、災害対策にもご活用頂けます。
 一つの徳積みとして作成してみるのもアリかもしれませんね。ポジティブパワーでみんなが幸せになれちゃう……みたいな♪そんな感じで……♪

 一度設置してしまえば…一生、そこから聖なるポジティブパワーが出てくるある意味”光の泉の源泉”が出来ちゃうわけですから…♡感激☆感激♪♪
……これはもう作るっきゃないかも…♪…いつ作るの?……今でしょ!!

黄金比ピラミッドの作り方のコツについて

 黄金比ピラミッド制作のコツについてですが、ネット通販等の箱型ダンボールでは途方も無いほどの時間がかかってしまいます(実体験から)。

 ですので、ダンボールワン様で、黄金比のオーダーメイドのダンボールを注文して頂く方法が、時間との兼ね合いで一番トータルでパフォーマンスの高い方法ではないかと思われます。
 複数探しましたが、ダンボールワン様がダントツで一番お安く購入できる様でした、他は2倍ぐらいしましたので。

 注文時、ダンボールは薄めのビーフルート(3mm)にした方が切りやすくて扱いやすいです。太いエーフルート(5mm)は切るのが大変でしたから。エーフルートではお高い高級ばさみじゃないと切れない可能性があります。

 薄めのビーフルートでは綺麗に切れますが、太いエーフルートでは切れ目が綺麗に切れませんでした。皆様が私と同じ失敗をしないですむ様に記載しておきますね。圧倒的に薄めのビーフルートがオススメですよ♪




 
 物差しはヤフーショッピングの100均のお店、BABABA様で50cmの物差しが100円で購入できますので、そちらで購入して頂ければ、誰でも簡単に、短い時間で作成して頂けるかと思います。ご参考にして頂ければ幸いです。

 非常に使い勝手がいい2Lのお茶クーラーも108円でご購入して頂けますので、送料無料になる3240円まで沢山ご購入されるといいかもしれませんね。 ダイソーの2Lの水容器よりも出来が良い感じでしたし、オススメしちゃいます♪



 
 ガムテープはロハコさんで売られている「現場の力」の布テープが一番強さや扱いやすさで秀でていると感じました。お値段もお値打ちですし、一番いいバランスの布テープな気が致します。

 制作のコツとしましては、黄金比の角度に線を引くのが思いの外手間がかかりますので、きっちり角度をとった線を引いて綺麗に切ったダンボールを一つ初めに作っておきます。それを上に重ねて参照して線を連続して引くようにすると、かなり短時間で大量に作れるはずです。

 方向を合わせるのはグーグルマップでご自宅のページを出した後、その画像に分度器等をあわせて、角度をしっかり確認すれば問題なく角度を合わせる事が出来ます。合わせ方は真北を四角の平面に合わせる形になります。



さりげなく「寿司打」四部門で一位を達成したお話

 一時期、寿司打にハマっていた時期がありまして、ハマっていたお陰もあって腕がかなり上昇して、普段の実力よりもかなり良い点数が出る時期がありました。

 その時のランキングなのですが、寿司打15部門中、嬉しいことに4部門で一位という快挙を達成したことがあります。 
 記念にキャプチャー画像を撮っていたものですが、どんなマイナーな分野でも一位というのは実に気持ちいいものですねぇ……(///ω///)テレテレ♪

 名前ですが、悟りを開いた偉大なる聖者方、覚者方の御名前で登録させて頂いております。さぁ…分っかるかな~(笑)…探してみてちょ~♪

 現在はそんなに練習していない関係で、一位を取りまくりなブースト状態は終わってしまいましたが^^;、やはり練習(努力)は裏切らないという事なのでしょうね。いやはや、ホントいい想い出でなりました♪



ちなみに、5000円コースでの最高点数は10060円で、3000円コースは5560円です。タイパー的にはまあまあ次第点といった感じでしょうか。

5000円普通コースで瞬間最大風速ではありますが最高順位は9位です♪


”エドガーケイシーが語る悟り”の極意の記事が
大注目されて嬉しかったお話

 最近の1月9日に、私の悟りの集大成の様な記事でもある「エドガーケイシーが語る悟りの極意」の記事へのアクセスが、膨大な量(135)になってた事がありました。め~っちゃんこ大歓喜いたしました♪

 それで懐かしくてつい、また読み返しておりますと、内容が魂の琴線を揺さぶるのかして、自然と震える大粒の涙をボロボロと流して感動しておりました。いい内容って何回読んでも感動の涙を誘うものなのですねぇ・:ウットリ・:*

 インド聖典の”チャンドギャ・ウパニシャッド”の深遠で奥深い真理が解説されていてオススメ♪奥深い割には読みやすい内容となっております。

 悟りの世界で、”内在の神・裡なる神・神我キリスト・悟理の解釈"等々、色々と語られておりますが、そのいろんな疑問点が、清々しい程に、詳細にご説明されているという、ヒマラヤ聖者の究極奥義の様な至れり尽くせりな充実内容となっておりますので、ぜひ知らないお方はご観覧して見てね♪

 
魔法の妖精ペルシャが大好きなお話

 私は昔はアニメとゲームが大好き少年だったのですが、現在ではYou Tubeで昔好きだったアニメ(主に80~90年代)のOPやEDの動画を見るのがたまの心の息抜きだったりします。

 その中でも個人的に魔法少女系が好きでしたが、その中でも一番大好きだったのが、『魔法の妖精ペルシャ』で、LDのセットも持っていたぐらいです。
 You Tubeのお陰で、最近ペルシャのOPを見たり、お話も見れるみたいでしたので、お話も有り難く楽しく拝聴させて貰いました。

 母親にYou Tubeでペルシャを見たことを話したら、昔はよくペルシャ見てたね~って言われました。普通はそんな事は言われないのですが……、よほどよく見ていて印象に残っていたのですね(笑)。

 ペルシャは一話完結型の、いわゆる魔法のプリンセスミンキーモモと同じタイプのジャンルに縛られない何でもありな構成のお話が魅力で、ミンキーモモが好きだった方でしたら、普通に楽しんで頂けるタイプのアニメです。

 ペルシャの独特の可愛らしい話し方が耳に心地よくてお話がより楽しく観じられますし、心も癒やされます(ですの~・わ~の、とか胸キュンです…笑) 
 ペルシャを見た後に他の魔法少女系のお話を見ても、話し方や声の可愛らしさで見劣りして、何となく味気なく感じたりしちゃいますね^^;

 あんな可愛い声の冨永みーなさんですが、現在ではあの国民的アニメのサザエさんのカツオ君の声を担当されているそうです。う~ん…スゴイ!!

 OPとEDの歌を担当されている岡本舞子さんの歌声がめちゃくちゃお上手で、もうね…大げさかもしれませんが、森口博子さんに匹敵するくらいの綺麗な伸びのある歌声ですね。
 あまりにも魅力的で、歌声が心地よくて、ここ最近で確実に100回以上は聴きまくってた気がします♪♪
 悟りの為にゲームは止めるッ……でも、アニオタは止めないッ!!

 色々な魔法少女系アニメがありますが、何だかんだで一番はペルシャかな…って、ミンキーモモもいいけど……やっぱりペルシャがすき!♪


魔法の妖精ペルシャ(OP)
魔法の妖精ペルシャ ED ラブリードリーム
魔法の妖精ペルシャ ED ラブリードリーム(FULL)



魔法の妖精ペルシャ 第1話


千年に一人のアイドル 斉藤なぎさちゃんにメロメロなお話



 久しぶりに背中に電流が走るほど可愛いアイドルの方を発見してしまいました。前にご紹介しましたが、それからしばらく趣味の可愛い女性の画像収集をしていくうちに、斉藤なぎさちゃんの類まれな異次元の可愛さに気づいていきメロメロになってしまったという訳なのでした♪

 元祖千年に一人といえば橋本環奈さんですが、斉藤なぎさちゃんは1080年に一人の美少女かも♪それぐらい可愛くて最高に魅力的な女性ですね♡

 ただでさえ絶世の美女なのに超小顔で、黒目も可愛いチワワの様に愛らしい魅惑の瞳で、女性のみのご家族だそうで、その御蔭なのかもしれませんが、普通の女性よりも可愛らしさが満ち溢れている気がします。

 髪型も前髪命で、全体の髪型のチョイスもセンス抜群で最高に魅力的で、ここまで全てが最高の魅力で爆発しそうなスーパーアイドルは早々お目にかかれない気がしました。私の全ての理想のアイドルといっていいかも♪

 そんな斉藤なぎさちゃん(愛称なーたん♡)は、実は……私が昔かつて、大好きで愛しかった、麗しのビーナスに非常に似ているんですね♪

 地上に舞い降りた女神♡とも称されるほど美しい女性の方で、私が初めて出会った時に、あまりにも美しくて、私の目が錯覚をおこしてしまったのかと思ったぐらいでした。一般人にこんな美しい人がいるわけないよね……って、自分の目を疑ったぐらいですから(笑)。

 レモンをこよなく愛する方でしたから、レモン姫♡ともお呼びしたこともありましたが、一目見れるだけで今日は最高の1日だったぁ……なんて思っちゃうぐらいのそんなプレミアムな尊い麗しい存在でした。

 100億カラットの輝きのスーパー女神級な美しさ、神々しさ、可愛さ……髪型のセンスも抜群で、可愛さと美しさを絶頂のレベルで両立されている、乙女心を持つ可愛らしさ満点の最高に魅力的な女性の方でした。

 現在は勤務時間が変更になってしまった関係で、愛しいあの方♡(麗しのビーナス)に会えなくなってしまったのですが、またいつかお会いできたらいいなぁ……っていう風に思える、私にとって尊い愛おしい存在です♪
 
 そんな愛しのレモン姫♡にも結構そっくりな所も……余計に、斉藤なぎさちゃんへの愛おしさを倍増させているのかもしれませんね。斉藤なぎさちゃんは内面も最高に可愛らしくて、調べれば調べるほどどんどん好きになっちゃう…そんな眩しく光り輝く麗しい天使のような女性だと思います。

 そんな伝説級の可愛さのなーたん♡に一目惚れしちゃったかも……な~んてね、なーたんのお陰で ”愛しのレモン姫♡” に会えなくなって切ない気持ちを癒やして頂いたので、本当に感謝の気持ちでいっぱいです♪この場をお借りして愛しいアイドルの斉藤なぎさちゃんに心から感謝申し上げます♡♡♪

 こんな恥ずかしさ満点な文章を書いておりますが(笑)、性格が優しさ満点で、9.5等身で結構かっこいいので許してちょんまげ~~凹○コテッ


【朗報】ワイ、職場で非の打ち所がない男前と大絶賛されてしまう
【朗報】ワイ、小学生複数にお兄さんかっこいい~とハモられてしまう
【朗報】ワイ、いきなり俳優になればいいのにと言われ挙動不審に
【朗報】ワイ、見知らぬ美少女にこんにちわ~と言われて感激で咽び泣く


 見知らぬ美少女中学生にいきなり「こんにちは~」と挨拶をされた時は、嬉しすぎて感激でうっかり「安西先生バスケがしたいです」の名シーンを再現してしまう所でした(笑)。おかしな人間と思われてはいけないので、私も爽やかな笑顔で「こんにちは~」とお返ししておきました。

 こんなエピソードが結構あったりするぐらいですから、どうも相当かっこいいらしいです。たくさん褒めてもらったお陰で、そうなのかなぁ~って思えるようになりました。こんな感じです(下の画像を参照)


 朝身長198~199cm、夜身長195cmで、大谷翔平さんと互角の超小顔で、北川景子フェイスの9.5等身という……いつの間にやら人類究極の容姿になってしまいましたが、ぜひ皆様も、私の究極の身長法で最高のスタイルになって輝いて頂ければ幸いでございます。ぜひこの機会にご観覧下さいませ♪

FC2版の広瀬すずちゃんの横顔になる方法の記事です♪
身長を伸ばす記事も追記してみましたので一挙両得で見れちゃいます♪

  
 最後に私のハートを完全にメロメロ♡にしてしまった……まさに、人類究極の可愛さといっても過言ではない、斉藤なぎさちゃん♡の超絶に可愛すぎる、全人類のスーパーアイドルかもしれない…究極の可愛さを堪能できちゃう画像をご紹介させて頂きますね。

 皆様もぜひこの機会に、絶世の美女アイドルの斉藤なぎさちゃん♡を好きになって、応援してあげて下さいね。愛しのアイドルを応援するのはファンの役目なのです♡♡( ー`дー´)キリッ……(*^^*)マカセテ

 斉藤なぎさちゃんは黒目が異次元の大きさなのですが、天然の黒目だそうです。勘違いして黒コンだと思っちゃう方もいらっしゃるかと思われますので、一応補足説明しておきました。

 ではでは……完全天然絶世の美女アイドルの麗しい神々しい奇跡の可愛さを堪能してみてね~♪
 はぁ……な~たん♡♡♡愛おしいよぉ(´;ω;`)涙……♡♡♡♡
























最後に黄金比ピラミッドの画像をいくつかご紹介させて頂きます。これは一番大きいサイズで、約2Mあります♪時空を浄化するパワーが感じられます♪


約66cmが12個です。場所を確保するために、大きめの四段スチールラックの上に、障子の木枠を下に引いております。下は荷物入れとして有効に利用中♪ご参考まで♪




これは約133cmのものです。20Lのポリタンクがギリギリ3つ入ります♪




ピラミッドの中に2Lのお水を入れて超健康水に♪宇宙のフォトンエネルギーで満たされた超神水です。これで一生病気知らずですね(笑)


ジョルノ・ジョバァーナ風に語る悟りの極意♪身長がJOJOな195cmになったお話♪北川景子さん似の妹話♪超能力

⇓⇓⇓⇓⇓  第2回目はこちらで~す♪  ⇓⇓⇓⇓⇓

黄金比ピラミッドグッズ効能体験記♪難病治療にも♪エドガーケイシーに大注目♪斉藤なぎさちゃんにメロメロ話♪




ここ最近の身長・悟り・黄金比ピラミッド
アニメ・アイドルその他諸々色々盛り沢山なお話

 最近はまっていること、このブログのメインテーマでもある”悟り”、後今回は、珍しく普段ではあまり語らない自分のハマっているその他お遊びな部分も含めて、楽しく面白く語ってまいります。ワクワク…ドキドキ

 文章が入りきれなかったので、記事を二記事に分割してご紹介させて頂きます。今回は第一回目の記事となります。

 まず、このブログのメインテーマでもある「身長」の続報について、気になっているお方もいらっしゃるかでしょうから、お久しぶりに身長全般と自分の現状を記載、語ってみたいと思います。

 身長……人類の長い歴史の中でも、特に男性のお悩み不動の一位とも言われているようです。海外のどこかのサイトの記事で、海外の男性のお悩み一位が身長だったという記事も見たことがあります。

 筋肉体操の武田真司さんや、あの超イケメンで有名な元スウェーデン人の「村正辰剛さん」も筋トレを猛烈に実践されているようですが、筋肉は裏切らない…なんて言葉もあるようですね。
 私の体験から言わせていただくと、身長は裏切らない♪といった感じでしょうか。筋トレならぬ、新たなる造語「身トレ」なんていかがでしょ♪

 私、特に学問を学んだわけでも御座いませんけれども、世界で一番身長に詳しいのは私なんですね~有り難いことに♪なんてったって、自分の体で実験して大成功したという”人造人間シンチョウダー”ですから(笑)

 ではでは、そんな前置きをしつつ、私の身長の現状について……にゃんと!未だにジワジワと伸び続けているようです。私自身ここまで順調に上手くいっちゃうなんてビックリ…といった感想が正直な気持ちだったりしてます♪

 もう夜身長で余裕で195cmはあるみたいです、ヤッタネ♪先駆者がいない分野で、ここまで到達するのは中々茨の道だったですが思いっきり大成功してくれて天にも昇る心地の幸せで、翔平スタイルの人生で夢心地な毎日です。

 アメリカ製の2XLという一番特大のサイズ(185~195用)も履き始めた頃は、深めの二つ折りをしていたのですが、足が伸びるにつれて、

深めの二つ折り⇛浅めのつ折り⇛浅めの一つ折り⇛折らない(現在)

と折らなくてもズボンを履ける様になりました♪感激しました(´;ω;`)♪

 ここ最近、鏡に映った自分をみると、うわ!足なっっがぁ~~って自然に思います。とにかく鏡を見るたびに驚嘆している自分がおります。

 もうねホント、あの大谷翔平さんそのまんまって感じですからね、よくここまでなったものです。スタイルがかっこよすぎて、ついうっかり自分に告白したいと思ったぐらい(笑)
 腕の長さも190cmぐらいあります。ワークマンで購入した3Lの大型インナーの袖がキツくて不思議で…まるでメルモちゃんにでもなった気分だったりします。日本で買える一番大きいサイズなのにねぇ……ふしぎ遊戯

 発売開始記念ゾゾヒート780円のサイズを193cmで設定した購入したのですが、意外と腕の長さがピッタリな感じであら~意外にいけるやん!ってなりました♪

 メルモちゃん、メルモちゃん、赤いキャンディー青いキャンディー知ってるかい~♪って感じかな…っていう

 ぜひ皆様には、私の切り開いた「身トレ」の道をお気楽に歩んで頂いて、悠々自適に簡単にサクッと身長をニョキニョキ伸ばしちゃって、身長のお悩みやコンプレックスもスカッと解消して頂けると私のことの様に嬉しいのです。
 それなな・ぜ・か? 
それは貴方の幸せは私の幸せだから、あなた即私が真理だからなのです。

 1月8日に実家の184cmの敷居の上部も余裕で見下ろす視線になったのも大変驚きました。三年ほど前まで頭のてっぺんがその位置だったのに…と。

 後、広瀬すずちゃんの横顔の秘密の方法や徳積みなどを実践して、元々全頭高23.5cmで小顔偏差値49だった顔の大きさが、なんと!…20.5cmになってしまったのでした。小顔偏差値的には75くらいでしょうか。

 等身で計算してみますと、195÷20.5=9.512……となります。という事は、約9.5等身もあるという^^;、多分純日本人最高等身な気がします。
 どうみてもこれはもう…、普通にセクシー福袋でしょ……

 いつの間にやらギネス記録級のボディーになっちゃいました(笑)
もうホントこんな面白いことになっていいのかしら…って感じです♪

 北川景子さんがなりたい顔一位になったそうですが、実は私の妹は超顔が濃いハーフ顔で、北川景子さんに似ていると言われたことがあるそうです。
 妹さんはなかなか珍しいエピソードの持ち主ですが、私は、そんな妹に顔がそっくりと言われたことがあります(笑)

【悲報】ワイの妹、顔が濃すぎて、あっ外人!と言われてしまう
【朗報】ワイの妹、ハーフですか?としょっちゅう言われてしまう


 (  ^ω^)・・・妹が北川景子さん似な顔かぁ……、その妹に似ている私(兄)……という事は、………(・∀・)……もしや、ハッ!!!まさか…
(;゚д゚)ゴクリ…私と北川景子さんは似ているという事では!

大歓喜な嬉しい方程式:顔=北川景子さん=妹=兄(私)

が完成してしまうじゃあ~りませんか(`・ω・´)bぁぁと思った次第なのです♪じゃあ私はなりたい顔一位的な顔立ちって事かなって…いう♪


【朗報】ワイ、北川景子フェイスだと判明して武者震いしてしまう
【朗報】ワイの顔、うっかりなりたい顔一位だと判明して大歓喜

 
 超小顔、JOJOな身長195cm、9.5等身、北川景子さんぽい顔、という何が何だか、このリアルな世界でお金もリスクもかけずに、「ジャック・ハンマーとカンナさん大成功です」を素で行く嬉しい事態になってしまったのでした♪

 多分現在、日本で一番スタイルの良い純日本人な気がするのです。リアルで9.5等身なんて聞いたことがありませんから……等身については、母親に自分の思い違いではないかを聞いて、しっかり確認をとっております。

【朗報】ワイ、うっかりギネス級日本一のスタイルを達成!!
【朗報】ワイ、うっかりリアルにジャック・ハンマーをやってしまう
【朗報」ワイ、うっかり金をかけずに全身整形を成功したもよう


 私の経験から、この現実は無限の可能性があり、想念が意識が現実を創造するという宇宙真理があるという事目覚めて頂きたいのです。

 宇宙法則、宇宙真理を学び、それを応用して頂き人生をよりよいものに、姿形もより良い美形スタイルになって頂いて、コンプレックスのない幸せで楽しい喜びに満ち溢れた大歓喜な人生を送って頂ければと思います。

 現実問題、男性でしたら身長が小さかったり、顔が大きめだったり、顔立ちがあまり良いとは言えなかったりしますと、
 それがコンプレックスとなって、人間が卑屈になってしまい、人生を明るくキラキラと光り輝く視線で見れなくなってしまうことがあると思うのです、恥ずかしながら私も、実際そういう部分がありましたので。

 そういった部分からして、この宇宙の法則(真理)を正しく理解して、正しい正当な努力を積み重ねる事により、今までありえないと思われていたような、奇跡のような事柄が当たり前のように発生するのだという事を知って頂きたくて、今回この様な記事を書いたという次第であります。

 有り難いことに、私はその容姿の変容度では、世界一の大成功者ですから、自信と確信を持って力強く語ることが出来るんですね。創意工夫と努力で変容した漫画のような内容はこんな感じになります。

身長:173cm⇛⇛195cm
顔の大きさ:23.5cm⇛⇛20.5cm (全頭高です)
彫りの深さ;一般の日本人レベル⇛⇛トム・クルーズ級
鼻の下の短さ:一般の男性並⇛⇛童顔の女性級
顎の短さ:一般の男性並⇛⇛佐々木希ちゃん級
黒目の大きさ:並みの大きさ⇛⇛斉藤なぎさちゃん級

 
 内面を磨く、身口意を正していく、なども併用しながらも、身長もアップして、顔も小顔・美しい顔になって、内面も外面も最高に美しく光り輝いて、幸せで充実した人生に変容して頂くお手伝いが出来たらという思いもあります。

 私自身、男女問わず美男美女を見ると心が癒やされる人間でもありまして、世の中に一人でもスタイル込みでの美男美女が増えて、コンプレックスで悩む人が一人でも減って、自分に自信を持って笑顔あふれる人だらけの幸せに満ち溢れた世界になって頂ければ、という……♪

 女性の方でも、お母さんのお方でしたら、ご子息の身長のためにご活用して頂くという手も考えられます。高くなってカッコよくなって女性にモテモテになって良いご縁に恵まれて、いいお孫さんを抱けるかもしれませんよ♪

 身長は異性に対して重要なアピールポイントですから、高いに越したことはありません。実体験ですが、鏡に映った姿が翔平スタイルでかっこいいというのは、何ともいえない喜びがあります。色褪せない感動が常に訪れます♪

 身長を伸ばすためにかなり重要な事柄、それは「明るく安定した精神状態」というものです。どんなに体操や栄養を頑張っても、イライラしていたり、人を責め立てるような想念状態では、成長ホルモンは沢山出てくれませんから。

 いつも心穏やかに、平和で安らぎのある、自然に笑顔が溢れるような明るくて安定した精神状態で過ごして頂く事が身長が爆発的に伸びるのに最重要な点だったりします。

 そういう意味でも、身長を伸ばすためにも、精神的な部分を高める、心を磨くとという内面を輝かせる方法も、このブログで徹底的に書き出しておりますので、身長を伸ばすため……にも、ぜひ沢山ご観覧して頂きご参考にして頂ければと思っております。

 私はジャック・ハンマー的ボディーに、北川景子フェイスをくっ付けた様な面白いスタイルをしております。JOJOな身長で業務スーパーに行くだけでも、視界が超気持ちいい非日常な魅惑の体験に変わってしまいます。

 一人でも多くの方がかっこいいJOJO風な翔平スタイルになって、毎日が非日常の黄金体験を満喫出来る、身長が高くて嬉しくて嬉しくて仕方がない享楽な至福の人生になって頂けば幸いです。
 いつ伸ばすの?…今でしょ?

 どこかの身長について語っていたまとめサイトの記事で、足首に力を入れて足をグッと伸ばす運動をしていたら170cmになった……という女性の方のコメントがありました。

 このコメントを見た時に私の身長法と同じ動きだァ~!!と確信し、その上私の身長法が間違いのない正しい方法であるとより強く確信するに至りました。
 おそらくこの女性の運動は、私が長年続けている左右手足伸ばし運動と全く同じ原理でしょうから、成功サンプルがより増えて信頼度が増したといもいえます。

 そういった訳で、他の方の成功例もあり、何歳からでも思う存分伸びちゃうという夢のような、前人未到の手もなぜか伸びるという(笑)、
 全くスキがない完全無欠といって差し支えない究極の身長延長法ですから、超絶におすすめしちゃいます♪


全一体感、全てが私が「宇宙即我」に気づいたお話

 お釈迦様が悟りを開かれた後に第一声を発せられました。その御言葉とは「宇宙即我」であります。じゃあでは何故その御言葉だったのでしょうか。

 その点の理解がより深くなりましたのでご説明申し上げますと、宇宙といいますと、銀河系の風景や、お星様がキラキラ輝いている夜空を思い浮かべる方が多いですが、宇宙とは「無限・全体・ありてあらゆるもの」、の比喩としての意味もあると思うのです。

 そういう解釈で考えてみますと、お釈迦様の御言葉は、「無限即我」「全体が私」「私とはありてあらゆるもの、即ち一つの生命」という意味合いで語られたと考えられます。

 ヒマラヤ聖者の生活探求等のご著書にある真我(神我)の英語では、なんと記載されているのでしょうか……、ドキドキ……それは、
 何と”アイ・アム”なのです。ドッひゃ~といった感じですが、全ては私、全一体感、自他一体感・全てが神と思える意識状態とも言えます。

 全一体感・自他一体感は光であり実在、分離意識、分離感は闇であり非実在という事になります。カルマは分離意識の中に存在するものですから、カルマは真実、実在においては、本当は存在しないものだとも言えるわけです。

 この辺りが深く理解できますと、愛という神性火花、全一体感という無限の完全意識の前では、カルマは影、幻の如く消え去るしかないという、上江洲義秀先生の説かれる真理が、すんなりと頭の中で整理されてまいります。

 悟りを一番短い言葉でご説明するなら、それはズバリ「分離意識の克服」でしょうか。ピンとこない方もいらっしゃるかもしれませんが、知花敏彦先生上江洲義秀先生の記事をご観覧して頂ければ容易に理解して頂けます。

 後もう一つ悟りに至るためにどうしても克服しないといけない事が御座います。それは「全てを愛し全てを許す」という事です。

 これはどういう事かと申し上げますと、人を責める思いを持っている時点で、いくら「我神なり」と思った所で ”分離意識” ”偽我状態” なんですね。
 ”全一体感” "自他一体感” "全ては私" という境地はどうしても、「全てを愛し全てを許す」境地に至らないと到達できないのです。

 先程、悟りとは「分離意識の克服」と書きましたが、誰か一人でも許さない存在がある限り分離意識ですから、残念ながら悟りには至れないという事になってしまいます。

 ですから、真理を徹底的に理解した上で……全てを愛し尽くした時に、自然に宇宙即我の境地に至っていく道が出来上がるわけなのです。
 その状態で上江洲義秀先生明想を実践して頂いたら、かなり短い期間で "
根源への到達" "神との合一" "宇宙即我" を体験して頂けるかと思われます。


創造主様からのメッセージ♪から一部引用ですが……♬ 明想の記事♪


 一番大事なのは、愛の実践です。愛し合う事です。全てを許し合う事です
許して下さい。許し合えたらあなたは、許されるのです。あなたが許さなければ、あなたも許されません。

 まず、自分の罪を許して貰いたかったら、人々の罪を許しなさい。そしたら、自ずから、あなたの罪は許されます。あなたは、人の罪を裁きながら、あなたの罪だけを免れたいと思うのを止めなさい。

 あなたが人を裁かず、怒らず、謗らず、嫉妬をしなかったら、あなたは誰からも、怒りも、裁きも受けません。全ての人の罪を、許してあげなさい

そうすれば、あなたは全てから、許されます。私、神から許されます

 罪を犯す者を、愛しなさい。そうすれば、私もあなたを愛します。
 人を愛さない者は、私も愛しません。

 私の元に来るためには、この世で一人だって好き嫌いがあってはなりません。なぜなら一人でも、私であるからです。私が創った者であり、その中に私が居るからです。

 神は全ての創り主、全てを創って、全てのものに、ご自身を宿しております。あなたが隣人を嫌うなら、私を嫌っているのです。私を嫌う者は、私から嫌われます。私を愛する者は、私から愛されます。全ては私なのですから

 神から愛されたいのなら、どうか、世の隣人、全ての者を、愛さなければなりません。その愛の実践が、真の信仰、神に至る道であるという事を知りなさい。

 悟りとは理解、真理の理解こそが悟りなのです。覚者・上江洲義秀先生も
真理を理解した時に、皆さんは全ての全ての悩み、苦しみから開放される事において、
「真理は汝を自由ならしめん」と言います。】という風に仰っておられます。

  ぜひ皆様も”真理を理解”して”真の自由”を手に入れて下さいね♪(ゾゾ社長の前澤友作さんや、嵐の大野君もぜひ自由の為に^^……笑)

 私の実体験ですが、真理を理解すればするほど、胸の奥底から溢れ出る愛の光がほとばしる光源の様に光りだしてくるのが観じられます。
 頭の表面で理解するのではなく、ハートの奥底にストンと落ちる理解だと、魂の内なる輝きに直結して来るのを何段階も経験してまいりました。

 真理の理解度が深まれば深まるほど、真の愛というものが分かってきますから、自分の魂が非利己的な真の愛に目覚めてゆき、内在の真我の輝きが増してきて、この世の闇の影響を全く受けなくなっていったのです。

 よく人間の心には善と悪が在るなんて言われておりますが、真実において、真の自己である真我に目覚めると、「絶対善・絶対愛・絶対調和・ただ愛おしい」という「善想念」のみしか湧いてこないのですね。
 この時に、自分の本質は「善」のみだったと実感・自覚することが出来るでありましょう。

 徹底的に洗心して、全ての全てを愛し尽くし、許し尽くした時に、真の自己である真我が覚醒め始めるのです。そうしますと不思議な事に、意識状態が愛に満たされてきて深遠で何とも言えない静寂感に包まれてまいります。

 平安と安らぎといいますか、「聖者は沈黙を守る」「静心」「愛と調和の不動心」……そんな境地になってゆくのです。
 そうなりますと、何を見てもただただ愛・愛・愛……、これが神の御心なのかと、真の自己とは「愛そのもの」であったのか……と、まさに「愛一元」ですね。

 人間の本質は”愛”です。全一体感という真理の中には「”愛”」のみしか実在しないという事を実感させて頂きました。
 この境地に到達しますと、心が常に愛で満たされていますから、この世の闇の影響を一切受けなくなります。

 私は、自身の体験からの確信を持って、人間の本質は愛であったと…愛のみが実在であったと、愛がすべてであったと、力強く語ります。

 「悪」とは分離意識の中に存在する影、幻(まぼろし)であり、実在しないものですから、分離意識を全一体感という愛の光で克服した時に、貴方の心の中から影のように消えてなくなります。

 その時貴方は、愛に目覚めた者 「克服者キリスト」です。愛はフォース(力)ですから、その時から真の意味での超能力が開花し始めるというわけですね。これが覚者の超能力と言われているものであります。

 チャクラは愛でしか開かないと言われておりますが、全一体(全ては神・全ては私)という真理がこの「愛」です。愛はすべてを制し超越する力です。真の愛に覚醒めた時、その偉大なる力を手に入れる事が出来るでありましょう。

……というわけで【全ては私=宇宙即我】という驚愕の事実が判明してしまいましたが(笑)、そのお釈迦様の偉大なる悟りを詳しくご紹介して下さっている上江洲義秀先生の動画をご紹介させて頂きます。良かったら見て下さいね♪

全ては私 稲穂の会 上江洲義秀先生


答えは「私」 【朗読】バーソロミュー3(122)


ジョルノ・ジョバァーナ風に語る悟り話

ジョルノ・ジョバァーナさんのパロディーが入っていますが……

 このシンチョウグッド(私)には正しいと信じる夢がある!『悟り人』になるという夢が……、その夢を守るため、全てを許し愛する『慈悲と愛』という黄金の精神で生きる……全身全霊の命がけの覚悟が……僕にはあるッ!

 すべてを愛しすべてを許す慈悲と愛の境地、愛という神性火花を常に心に灯して生き続ける、全一体感という愛で生きるという覚悟が!!

 五井先生や、上江洲義秀先生の壮絶な超能力のお話に憧れて、『悟り人・覚者』に憧れるようになったのだ!!(ここだけちょっと誇張とフェイクが入ってます……嘘をついている味がする……笑)

 ゲームを捨ててまで悟りを開きたいというほどの、気高き『覚悟』と……覚者になるという黄金のような『夢』に人生をかけよう……黄金の精神で……

 無限を愛し、全てを愛し、隣人を自分の様に愛し、どんな悪のような現れに対しても許し、慈悲と慈しみで包んであげれる愛のキリストに……、全てを愛で克服し乗り越える”克服者キリスト(覚者)”に僕はなるッ!!

 精神世界を追求しだして約四年、気高き『慈悲と愛』と、悟りを開くという黄金のような『夢』を追求してまいりましたが、お陰様で現在では、こんな境地が存在するんだ……と思えるまでのゴールド・エクスペリエンス(黄金体験)な至福な境地に到達致しました。かなりの境地かも♪
  
 現在では、毎日が平安と安らぎに満ち溢れたゴールド・エクスペリエンス(黄金体験)な日々、まさに全一体感という至福の黄金の境地に到達し、一瞬一瞬が、喜びに打ち震える生きながらにして天の住者という状態であります。

 悟りを追求して本当に良かったと、命がけの覚悟を持って追求して本当に良かったと……、真理を追求するって本当に価値の在る生き方だったと…涙。

 全身全霊で悟りを追求して愛に生きるという『覚悟を生きてる人』、本当にやるといったらやる……『スゴ味』があったのが良かったようです。

 我神なり、全てに神を観る、全一体感、自他一体感、すべてを愛しすべてを許す、悪を愛で抱擁してあげる・悪を善で抱擁してあげる深い愛、神への愛、
 全ての生きとし生けるものとの一体感、無限大の愛に生きる、慈悲と愛に生きる、君の命がけの信念と行動、僕は敬意を表するッ!!

 僕は…悟るのをやめないッ!!胸に秘める内なる真我の黄金の風を輝かすまで……今生で悟りを開いて、輪廻転生にアリウェデルチ(さよならだ)!!

 
地球一の大覚者・超能力者 上江洲義秀先生について

 上江洲義秀先生ってどんな人?って思われる方もいらっしゃるでしょうから、簡単にですがご紹介させて頂きます。
 上江洲先生とは、お釈迦様やイエス様と同じ境地、完全なる解脱の境地・第五イニシエーションまで到達し、完全覚醒された悟り人(覚者)の方です。

 瞬間移動・どんな病気でも治せる最高のヒーリング能力・天候操作・動植物との会話・時空間移動・オーバーシャドウ(真の神憑り)・物品引き寄せ・等々、思い浮かぶだけ記載してみましたが、もっと色々出来ると思います。

 オーバーシャドウでも相手にするオーバーシャドウの体験談は特に面白かったなぁ……犬の意識に乗り移って操ったお話とか、人間に乗り移って操ったりとか、常識を超えた驚愕エピソードでした。NARUTOの、山中いのというキャラの心転身の術というのに似てる感じでしょうか。

 ドラゴンボールと、NARUTOと、ドラえもんを足した様な事をこのリアルな世界で出来ちゃう、とんでもなく凄い方だという認識で大丈夫かと……。
 
 簡単にですが、きっと本物の凄い方なんだろうなぁ…と思って頂ければ幸いです。この機会をきっかけにして、上江洲義秀先生の教えに触れて頂ければ私にとって最高の喜びであり・至福・極上の幸せであります♪

 ぜひ一度の上江洲義秀先生の記事♪をクリックしてご観覧してみてね~♪土下座してお願いしま~す……ヨロシク!!Σ(。>д<。)ゞ♪(笑)


今回の記事を書くに至ったお話・記事感想

 実はこの記事を書こうか、書かまいかずいぶん迷っておりました。えっ…なぜ、って感じですが、それはですね……自分のことを書くにあたって自慢と受け取られないかなぁ……っていうのがありまして、書いていいのかなぁ……どうなのかなぁって、かなり長い時間自問自答していた時期が御座いました。

 そんな悶々としていた時期に、ある時に、胸の内側から「……そんな事気にしなくてもいいよ」という声なき声が聴こえてきたのです。自分のふとした気付きでもなく、自分の考えでもない、違う意識体からの言葉でした。

 その声が、高級霊(守護霊・守護神・裡なる神)からの天啓なのか、危ない存在(憑依霊等)からなのか、そういう点もかなり吟味して思案して深く考えたりもしました。

 その声の主からは穏やかな愛の波動を感じましたし、強制的でなくあくまでも貴方が考えて判断しなさいよ…というそんなアドバイス的な声でしたので、そのアドバイスはいい意味合いの、その方向性に向かう方向で考えるほうが良いのではないかと……お陰様でそんな考えに傾いてゆきました。

 もしその愛のアドバイスがなかったら、今回の記事はなかった事は間違いありませんから、今回の記事を予想以上にいい内容で書ききれた事を、天啓をくださった守護の神霊の方々に心から感謝申し上げたいという…そんな心境であります。

 それにしても、ホントに文章的にはっきりと心から聞こえる声なき声を聴こえた……というより内なる波動を胸の内から言葉に変換して観じたといった感じですが、徹底的に洗心の修行をして、洗心を修身(完成)出来たのが良かったのかなぁ…と思ったりもしました。

 洗心で超能力を開発する方法というのがありますが、知らぬ間に内なる波動をクリアに言葉に変換して、正確に受信出来る程になっていたのかもしれないという気がするのです。心を磨く・洗心する事が真の超能力の修行なのかもしれませんね。

 ”悟りとは理解” という深淵なる叡智を教えて下さった、私の心のお師匠様である、知花敏彦先生にも心から感謝を申し上げたいです。
 この場をお借りして心から感謝申し上げます。徹底的に理解する大事さを学びました。現在、私の悟り追求の基本理念となっております。
 知花先生ディ・モールト グラッツェ(どうもありがとう!!)
 
 「身口意を正す・徹底的に洗心する・全てを愛し全てを赦す・真理を徹底的に理解する」これが、お釈迦様のおっしゃるところの八正道の「正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念」ではないでしょうか。

 最後の「正定」……定めに入る、つまり最後の瞑想に入るですね。
 上江洲義秀先生が完成された「明想」は瞑想を究極まで完成されたある意味、究極の瞑想といって差し支えないものですから、「明想=正定」という事になりますね。これで最終解脱に至る事が出来るわけであります。

 ジョルノ・ジョバァーナさんのパロディーも自分で読み返してもフフッって笑っちゃいつつも、魂の糧になるいい感じの仕上がりになった気がします。
 結構パロディー上手な人っぽいなぁ…って、題名は「分離意識とは『眠れる奴隷』、全一体感とは『黄金体験』」でいかがでしょ♪

 もうッ、自分を褒めてあげたい…ブチュー( 。-_-。)ε・`*)チュッ、自分にキスしちゃおっ~と……チュッチュッ………チュッチュッ………ブチュー……ブチュー……何をするだァーッ!!(やっぱり…オチはこれで……笑)

 それにしても(*´д`*)ハァハァ・・…・今回、3話分ぐらい頑張っちゃったかも♪アッハッハッ……アッハッハ~ッ…あ~楽しかった(o´ェ`o)ゞエヘヘ♪

 人生明るく楽しく生きようが私のポリシーですし、今回は徹底的に楽しみながら書こうという気持ちでやりましたので、結構楽しく書き切れました♪
 またやろうかしら…な~んてね♪お後がよろしいようで、ちゃんちゃん♪


自我・偽我 =表現者、原因である父なる神を忘れている状態(放蕩息子の状態)神理を知らない状態・自分の力で生きていると思って迷っている状態、肉体の己を自分と思っている我、分離感・分離意識で個別化された表現を別個の存在と認識している我・分離意識・エゴ・肉の感化、五感の感化を真実と錯覚している我・迷いの影、幻、幻想(マイヤー)・自己保存、自我我欲の心


真の自己(真我)=父なる神と常に一体の境地・ワンネス意識・全一の意識・神我キリスト、全ては自分、全ては我、全ては神、全てを愛する我に目覚めた状態・宇宙生命によって生かされている事を自覚して実感している我・私が生きているのではない、なるほど一つの生命である神が生きていらっしゃる、全ての知恵と力は神から与えられている、神の中身は神、全ての全ては本質的には神、神のみが生きてらっしゃるんだなと悟った我・神一元・愛一元・光一元・我神なり、全ては神なり、全てに神を観る境地・神は生命(霊)なり、我も生命(霊)なりの自覚・宇宙即我、キリスト意識・高我・実在・全てを愛し全てを許す境地・慈悲と愛・あなた即私・私即あなた・宇宙エネルギー即自分・無限即我・不変不動の絶対なる実在・普遍なる宇宙・無限者・宇宙神

FC2版の広瀬すずちゃんの横顔になる方法の記事です♪
身長を伸ばす記事も追記してみました♪

家族間の性的興味の違いを克服する方法♪天国の様な理想の家庭・最も偉大なる者とは♪エドガー・ケイシーさん

「エドガーケイシーが示す愛と結婚の法則」から引用させて頂きました♪


天国のような家庭とは     

エドガーケイシーが語る理想の家庭像

 ケイシーリーディング(3577-1)
「夫婦が目的を一つにしている家庭ほど、創造主に対する人間の関係をよく反映しているものはこの地上にはない。なぜなら、家庭とは、性格や個性の違う人々が、一つの目標、一つの理想のために協力し合う、創造的な営みであるからだ。」

 上に引用したケイシーの言葉は、リーディングが家庭というものをどの様に捉えているかをとても簡潔に表しています。
 目標を一つにする夫婦の作る家庭は、《あらゆる創造の源である神》に対する人間のあるべき姿を最もよく表したものなのです。

 それは、部屋のレイアウトにも現れれば、家の手入れの様子、家庭の雰囲気、しきたり、その家を舞台に繰り広げられる様々な出来事にも現れます。
 家族の一人一人が互いに助け合ってその生命を育んでいる家庭にとって、家庭を営むプロセスそれ自体が創造的であり続けます。

 ケイシーリーディング(5070-1)
「家庭を生涯の仕事(キャリア)にしなさい。この世で家庭を作ることは、どんな人にとっても、いずれ劣らぬ立派な仕事であるからだ。
 仕事と家庭の両方を与えられる人はわずかである。しかし、あらゆる仕事の中で最も大切な仕事は家庭である。

 家庭という仕事を避ける人は、それを埋め合わせるだけの、もっと大きな事を引き受けなければならない。なぜなら、家庭とは、すべての人がいつか達成したいと願う「天の我が家(裡なる神)」に最も近い象徴であるからだ。」

 ケイシーリーディング(5231-1)
「人にくつろぎをもたらす家、平安に満ち、感謝と祝福の言葉を交わし合う場所としての家、一人一人がその日、その時を、相手にとって、たとえわずかでも、もっと聖なるもの、もっと平安なもの、もっと美しいものにする事を求めう合う場所、喜ばれる場所を欲している。家庭を備え給う、いと高い神に感謝を捧げる家庭を作ろうという気持ちがある。

 イエスは次のように言われた
私がいる所にあなた方もいられるよう、あなた方のために場所を備えに行く』と。これが家庭の意味である。それゆえに、この地上に家庭と呼ばれる場所を作ろうとする人々は、まことに人々の中で祝福された人である。」

 家庭とは、二人以上の人間が、自分たちの選んだやり方でともに生き、共にあり、共に共存する場所です。
 家庭は、自分でその様に選択しさえすれば、安らぎの場所、安心とくつろぎの場所、感謝と祝福の言葉を交わす場所、家庭の人生をこれまでよりもほんの少しでも豊かにしようと願い求める場所、そういう場所にしていく事が出来ます。

 私達が手本とすべき「天の我が家」とは、キリストご自身が作られるような環境であり、キリストと共に生き、キリストと親しく交わるための、人の理解を超えた美しさと喜びと善(愛と調和・慈悲と愛)に溢れた場所です。

 ケイシーリーディング(538-33)
「家庭とは、そこの住まう人々が、お互いの精神的な関係や、道徳的関係、霊的関係を高めていく滞在地としての、この世の雛形、安息地のごとき場所である。家庭とは、人が「天の我が家(内なる神の国)」、すなわち霊的世界に願い求めるものを、この物質世界に反映した場所である。

 したがって、霊的に見るならば、家庭とは、人が父なる神(創造主・神我キリスト)と一つであることを、物質的にも精神的にも表す場所でなければならない。調和や平安、栄光など、神と一つ(父なる神と常に一体)である事を示すすべての特性が、その家庭に現れていなければならない。
これが家庭と呼ばれ得るにふさわしい場所の理想である」


最も偉大なる者とは全ての人の僕(しもべ)の逸話
(魅力的な女性に対してのリーディングから)

 次のリーディングは、性的魅力について興味深いコメントを残しています。この人は、その魅力を、イエスの愛を語る機会とするように促されました。

 ケイシーリーディング(5089-2)
「この女性は黙って大勢の男性の中を過ぎるだけで、男性の側にそれを妨げるものがなければ、彼ら全員がこの人の後について行くことだろう。
 これはこの女性にとって悩みであるが、(この魅力が)適切に活用されるなら、多くの人を助けるものとなる。

 さらに自分の肉体に対しても悩みをもたらすものとなる。なぜなら、この女性は人から「口説きやすい人」と思われるからである。
 つまり、どんな人も、この女性に何かを売ろうとしたり、この人から何かを買おうとしたり、とにかく、あれこれと気に入られようとするからである。その理由は、先程述べた理由からわかるだろう。

 この事を有益な経験に変えていくにはどうしたらよいか。地上での過去生から分かることだが、この人は生まれながらの教師である。この人は、異性に対して自然な磁石であると同様に、同性の間にあっても大きな影響力を持つ。これらの魅力を、イエスの愛を教える手段として用いるがよい。

 あなたに出会うすべての人に、まず次のように語りかけるのである。もちろん相手に応じて、あるいはあなたの経験によって言葉を変えてよいわけであるが、すなわち、「今日、神に祈りましたか?」という言葉がそれである。

 あなたの口から出る言葉がこのようなものだと人々が知るようになれば、男性があなたについて来ることもなくなるであろうし、あなたを「口説きやすい女」だと思う男もいなくなる。この言葉を本心から言うことだ。

 そうする事で、ふしだらな想いを抱く多くの男性に、己の居場所をわきまえさせるだろう。彼らの動機がどのようなものであれ、あなたがそのような言葉が心から誠実な気持ちで語り聞かせるなら、だれも、どんな人も、主の、キリストの御前(ごぜん)に立つことは出来ない事がわかるだろう。それによって、あなたは、仕える事のできる人を引きつけるようになる。

 あなたの活動にあっては、常に、キリストの誕生、幼な兒キリスト、キリストの修行、キリストの宣教、そして宣教のクライマックスとして、

汝らの中で最も偉大ならんと欲する者は、全ての人の僕(しもべ)となるべし』と弟子たちに語られたキリストの最後の行為について、飾らぬ言葉で述べる教師たれ。

 ※他人に仕えるには自分は立派すぎると考えるような人々を、あなたが見たなら、その考え方はどこか間違っているのであり、その魂は萎縮している。彼らは小さき者だ。思い出しなさい。

 女の腹から生まれたものの中で最も偉大とされた者について、主はなんと言われたか。すなわちその人ですら、御国にあっては最も小さき者であると。なぜなら、彼は自らを謙(へりくだ)り、※従順であることを忘れたからである。」


※従順であるの意味が分かりにくいので、補足説明を……♪
四句御箴言の ”与えられたことを感謝してうけよ” 与えられたことを拒むこれ欲なり” の事を説かれているのだと思われます。

■四句御箴言(しくごしんげん)

与えられたことを感謝して受けよ    洗心の記事♪
与えられぬことを感謝して受けよ

与えられたことを拒むこれ欲なり
与えられぬことを欲するこれ欲なり


最後に、生活系まとめサイトでもよくある家庭間の性的問題の解決方法をご紹介させて頂きます……答えはシンプルでした♪

家族間の性的興味の違いを克服するには

問、結婚生活において、夫婦の一方が性的な関係を必要としているにも関わらず、もう一方が性的な関係を望まなくなるという問題が生じたなら、これにどう対処すればよいのでしょう。

ケイシーのお答え(2035-1)
互いが一緒に努力して、互いの必要を満たすように務めること、これ以外にない。
                エドガー・ケイシーさんの記事♪

性欲の真の意味合いが理解できちゃう必見の良記事はこちら♪
              

自我・偽我 =表現者、原因である父なる神を忘れている状態(放蕩息子の状態)神理を知らない状態・自分の力で生きていると思って迷っている状態、肉体の己を自分と思っている我、分離感・分離意識で個別化された表現を別個の存在と認識している我・肉の感化、五感の感化を真実と錯覚している我・迷いの影、幻、幻想(マイヤー)・自己保存、自我我欲の心


真の自己(真我)=父なる神と常に一体の境地・全一の意識・神我キリスト、全ては自分、全ては我、全ては神、全てを愛する我に目覚めた状態・神我キリストによって生かされている事を自覚して実感している我・私が生きているのではない、なるほど一つの生命である神が生きていらっしゃる、中身は全て神、全ての知恵と力は神から与えられている、神の中身は神、全ての全ては本質的には神、神のみが生きてらっしゃるんだなと悟った我・神一元・愛一元・我神なり、神は生命(霊)なり、我も生命(霊)なりの自覚・宇宙即我、我即大霊の境地、キリスト意識・高我・実在・全てを愛し全てを許す境地・慈悲と愛・あなた即私・私即あなた・宇宙エネルギー即自分・無限即我・我即実在・不変不動の絶対なる実在・普遍なる宇宙・無限者・宇宙神


FC2版の広瀬すずちゃんの横顔になる方法の記事です♪
身長を伸ばす記事も追記してみました♪

バーソロミュー・バシャールが語る「全ては神」の真理♪真理への気付きでカルが解消♪悟り・解脱♪知花敏彦先生♪


今のまま歩きつづけてください。あなたは必ず覚醒します。
大いなる自己(真我・全一体・自他一体・父なる神と常に一体の境地」とともにいると、すべてがうまくいきます。
大好評『バーソロミュー』の3冊目の本の復刊! 

私たちの人生の目的とは何か?悟りを開くにはどうするべきか?
「大いなる一」と繋がるためにどうしたら良いか?本質的な恋愛関係とは?
戦争をどう捉えるべきか?世界が平和になるにはどうしたら良いのか?
現実を創造していくにはどうしたら良いのか?など、
スピリチュアルであると同時に、とても現実的な内容が語られています。

ワークも掲載していますので、今すぐ実践できるようになっています。
バーソロミューの言葉は、とても優しく温かく、かつ現実的です。
押し付けるようなエネルギーではなく、そっと寄り添いながら、
宇宙の真理や、人生の意義、「大いなる自己(真我)」について解いてくれます。

エゴから送られる無意識のメッセージに気づき、真の悟り(宇宙即我・我神なりの自覚)を開くことができます。
人生の目的、自分の現実を創造するための鍵が分かり、不安や恐怖などの強烈な感情に悩まされなくなります。

人生の目的とは、悟りを開くため

悟りを開くことこそが、私たちの仕事(生まれてきた目的)です。
その上で、事業を経営したり、 子育てをしたり、カウンセリングなどをすればいいのです。
悟りこそが一番大事な仕事なのだとわかるまでは、他の目標は達成できないでしょう。

○それが何であれ、すべては神(宇宙生命・真我・神一元)なのです

どんな出来事が起きようと、エゴ(偽我)がうるさく言っていたとしても、
イライラさせられたとしても、家も仕事も失ったとしても、このマントラを唱えること。
そして心を開き、自分の感情や思考を静かにやさしく眺める。
それにより、自分の内部に存在している、信じられないほどの豊かな人生に気づくことができるでしょう。

○「大いなる一(神のみが実在・全一体・全てが神が真理)」のみが在る

もし今、孤独や不完全さを感じている、望みが叶わないと思っているのであれば、
それは神から切り離されてしまっていると感じているからです。
お金も神がいなければ存在しません。
すべてが神である、つまり「大いなる一(無限大の愛)」しかないのです




神の子としての目覚めを探究している者へ

バーソロミューの教えを学びながら、覚醒意識を目指している人は、『心身の神癒』(霞ケ関書房)と『光の書』(ナチュラルスピリット)で、イエス様の真の教えとイエス様から直接メッセージを受け取りながら、真摯に霊的な向上に努め、神とイエスと天を信じるならば、天の恵みにより、高次の光(波動)を受け取るようになり、内なるキリスト意識(神我キリスト)が目覚め始め、変容が起こり始めるようです。そうすることによって、神の子として目覚めることも可能になるのではないでしょうか。

このシリーズは、神の子として目覚めるための準備と訓練をするのに、大変重要な役割を果たす書です。これらの本の教えを信じて学びながら、その教えを実践して行くならば、純粋な光となったり、「空(神あるのみの境地)」のような状態になると、波動(波長)や性質の異なる様々な高次の光を受け取ることができ、白い天幕の中で、彼らと共に行動することが出来るようになるようです。信じて実践することが、真実を証明することになるのではないでしょうか。

新シリーズの『バーソロミュー』の教えを完了した人は、『キリストのヨーガ』に挑戦して見てください。実践の書としては、最高峰の部類に入ると思います。特にこの本の「はしがき」は、圧巻です。真理や実在への把握には、圧倒されるとされると思います。

インターネットで、「耳から学ぶ バーソロミュー」で検索すると、『バーソロミュー』シリーズの本からの抜粋を聞くことが出来ます。興味深く聞くことが出来て、とても有益です。

『チャネリング・ガイド』(ダイヤモンド社)によると、体が光で満たされると、愛を世の中へ送り出す人となり、素晴らしい光の存在へと進化し、自分の目的を実現できる。スピリットが光の存在として高次の波動となるためには、光(愛)を集めることが不可欠である。人は、創造的で不滅の光になることを学ぶために、ここに存在している。自分で神性を選ぶと、天の力が我々のために働き始める。賢明な使者として人に仕えるには、高い波動への移行が必要となるという。

魂が自己実現(悟り)を求めるのは、それが最も高次な目的だからです。その高次の目的は、神に栄光をたたえ、地上での光の使者として使えることである。聖なる波動と繋がることは、人に大きな影響を与え、変化をもたらす。心を開いて天のサポートを受けながら、より高次の波動に移動することが、健やかな未来を手にする唯一の方法であるという。

『バーソロミュー3』の内容を理解してもらえるように、一部抜粋(第一部チャレンジより)を載せておきます。参考にしてください。

最高の魔法とは、神の意識がこの地球により多く具現されるようになること(神我顕現)です。もっと高い周波数にチャネルを合わせてください。あなたの希望を増し、理解を深め、心を拡げてくれるような波動のエネルギーに耳を傾けてください。神意識の一部としての自分を完全に認識する可能性を、人は持っています。

考えと呼ばれるものが、生まれたり消えてりするのを眺めている<あなた>というエネルギーの場が存在することを認識してください。そうすることによって、完全性に目覚めつつある自分の部分に近づいていきます。考えや感情が生まれたり消えてりするのを眺めているのは、あなたの「真我」または「真の自己」なのです。

エゴ(偽我)は、神は全知全能であらゆるところにら存在する、ということを理解すれば、それ以上何も追求する必要はないと考えます。考えを理解することは、考えるという行為を<感じ取る>ことによってなされます。

思考というのは、肉体のなかを通り抜けていく巨大なエネルギーの場です。全体のプロセスを眺めるという態度を選ぶなら、深い洞察力のある態度へと変化が起きています。

人間が神と呼ぶ「大いなる光」は、広大無辺で、躍動するいのちに満ち溢れ、無条件の愛と無条件の慈悲を持つエネルギー源であり、あらゆるところに存在します。

外にある「大いなる光」と、内にある「大いなる光」とは、まったく同じものです。けれどもそこには膜があるように見えるので、この真理があなた方には見えないのです。

この二つのパワー源が意識の中で合流すると、膜は消え去ります。すると、雑音を生むエゴという自己は、実在しないのだということが見えてきます。肉体はいつかはなくなってしまう非常にはかない容器にすぎず、それを自分の意識の焦点からはずすことはいつでもできるのだ、ということをここで人は悟ります。

すると、自分の意識を個々の部分に向けるのではなく、「なる自己(全ては神ご自身であり愛しい私という意識)」に向けることができるようになります。つまりその人は覚醒するわけです。そして自分の本質(真我・根源)を知るのです。

人生の目的(悟り・解脱)とは、これらのパワーが一つ(分離は幻想であり・全ては愛しい私・神のみが実在という意識)になるのを体験することです。

二つのエネルギーの場のあいだに立ちはだかっている薄い膜だけに意識が向けられているときには、分離意識がうまれます。「神なるパワー」が外側から攻勢をかけ、自身の内なる神も声を大にして叫んでいるというのに、このカーテンに心を奪われてしまった人々は、それから目を離せないでいるわけです。

カーテンはそれ自体の法則にしたがって運動しており、それはエゴの運動の法則なのです。エゴのカーテンは、エゴのエネルギーでよって動いているのです。

神のエネルギー(神我キリスト)は、心の扉がわずかでも開くのを待っています。内側からあなたを満たそうと待ち受けている神のエネルギーが存在するのだということを信じてください。

 あなたがエゴのカーテンから意識を離し、「大いなる光」について考えるたびに、新しい扉が作られて行きます。瞑想するたびに、自動的にカーテンから意識が離れます。二つの分かれている神のエネルギーの場を一つにするのだという意図を持って、何らかの瞑想をしてみてください。やがて、内なるパワーと外なるパワーの感覚がだんだん実体を持つようになっていきます。

問題を見つめることでは、イメージ法のパワーは生まれてきません。問題に対する完璧な答えだと思えるものを、全幅の信頼をもって見つめることから、そのパワーは生まれます。潜在意識は、受け取ったイメージをあなたの人生に具現して見せてくれます。この方法で、人生の古いパターンを変えることができます。崇高な考えだけを抱き続けるのには、固い決意が必要です。最後までがんばる意志の強さと忍耐力も必要です。

人は、出来事をあるがままに体験するのではなく、異なった考え方や行動をとるように習慣づけられています。こうした考えは、絶え間なく生まれたり消えたりするばかりで、これらは分離意識を生むタイプの思考です。

区別や決めつけこそが、私達がなくしていかなければならないものです。出来事のなかに存在する神に意識を向けるようにしてください。
それが何であれ、すべては神(神一元・愛一元・光一元)なのです。

創造とは、何か物を作り出すことではありません。それは大いなる創造者自身の持つ感覚です。すべてはもう完了されているのであり、かつて何かがなされたということもありません。

自分に関する嘘(これまでまわりの世界があなたについてきた嘘)を信じているとエネルギーを奪われ、ムダな努力にエネルギーを浪費してしまいます。そうした固定観念を打ち破ってください。嘘が破壊されたあとに、真理が残るからです。
<心の中心(潜在意識の奥底))>には、「神意識」のあらゆる面が存在しています。そこは、神の叡知を確実に反映してくれる唯一の場所です。

<神を体験している>と言うと、嘘になります。体験と神とが存在するわけではありません。ただ体験だけです。そして体験のなかに神が存在します。自分はすでに悟りの体験をしているのだとわかると、自分のなかの<求める人>の部分が、求めることをやめるようになります。

言葉のゲーム(よりすばらしい言葉、より感動的な言葉を考え出すという無意味なゲーム)があなたを永遠の<求める人>にしてしまわないように、内なる静寂に心を落ち着ける必要があり、それで瞑想という方法を使います。(具体的な瞑想方法は、73ページ参照)
そのパワーは、常に一定の率で機能しています。人によって神を体験する方法は違うかもしれませんが、神のパワーには違いはありません。

意識の深いレベルでは、人は、自分が誰であり何であるかを正確に知っています。何も考えないで、自分自身の中心を感じ取るようにしながら心を静めていくと、自分の中のエネルギーが増えるというか、高まっていくのを感じることが出来ます。

自分がすでに悟りを開いた存在であることを自覚するという目標に対して、これらの嘘(反復を通して教え込まれた固定概念・偽我)が、悟りを体験できないような方向に絶えず人を押しやっています。心の奥に潜む固定概念の力を過小評価してはいけません。霊性を高める努力をいつまでも続けなくてはならなくなるのは、これらの嘘によって創り出された葛藤のせいです。
自分に関する嘘を、自分の本質に関する真実で置き換える作業を始まることです。

考えることをしないでただ体験しているとき、自分という存在の神秘のパワーとすばらしさを人は体験します。神は無条件にすばらしい感覚を与えてくれます。それが神かどうかを知る方法です。

<神を求める>努力をしつづけるには、自分と神との間にはどんな分離も存在しない(父なる神と私は常に一体である)のだと確信したい、という飽くなき願いと強い意志と固い決心が必要です。人は自分が「大いなる源」から出て、「大いなる源」をあとにし、今の人生に入ってきたと信じていますが、人は一度も「大いなる源」を離れたことがないということです。それは人というものの「本質(真我)」なのです。

瞑想の時に広大な広がりを見せるのは、不変の意識の中の「私(神性意識)」です。「大いなる光(神我キリスト)」を見ることが出来るのはこの「私(真我)」であり、「大いなる光」であるのもこの「私」です。それは目撃者であり観察者です。それは決して変わらぬものであり、すべてを眺めるものです。

第4部(帰還)よりの一部抜粋です。

永遠に存在するエネルギーの波には、何十億何百億という点状の光源が含まれています。この波が純粋な覚醒のなかを通っているわけですが、純粋な覚醒は波ではありません。純粋な目覚めた意識が波なのです。純粋な覚醒には形がありません。それは虚空です。輪郭も形もないので虚空と呼ばれています。また、無とか潜在的可能性とも呼ばれています。
この虚空の真ん中にはすばらしい広大無辺の波があります。それは外へ拡がっており、この形のない虚空に支えられています。あなたもこの波の一部です。
(私がこの宇宙の外に出たとき、そこには何もありませんでした。そこにあったのは、虚無でした。)

人々は、神は無形ではないと信じています。神とは形のないものを人格化したものです。そのように人格化されたものが、いわゆる「ハイアーセルフ」と呼ばれるものです。人格化された神にもエネルギーの波にも形がありますから、両方とも純粋な目覚めた意識だということになります。一方、純粋な覚醒というのは、あらゆるものが完璧に調和しており、したがって完全に静止している(あらゆる潜在的な可能性を含んでいる)状態です。

意識のそれぞれの断片が、今では自分自身の可能性を生み出し、自分の人生や現実を創造し、「自分とは何なのか」という自己感覚を生み出す能力を持っています。
人間は、自分たちで作った時間と空間の連続性という概念にとらわれているので、あらゆる瞬間に自分は目の前にあるものを創造しているのだ、という内なる知識を失ってしまいました。
祈りや瞑想や内観に効果があるのは、小さな自己から意図的に意識をはずして、意識のもっと広大な部分に目を向けたです。その結果、その意識のなかにあるものや、「自分の本質」の広大無辺を体験するということが起きたのです。最高の意識としては、潜在的可能性の中心にある純粋な覚醒に入ることもできます。
人が能力の限界を感じる主な原因は、時間と空間です。

さまざまなものを創造するのに、人はそれぞれ違ったエネルギーの部分を使います。二元性の世界を越えた、もっと大きなものを創造したいと願うならば、無限のエネルギーが存在する波動に自分を合わせる必要があります。肉体や精神や感情が生み出す雑音を消したときに、もうひとつの創造的なエネルギー、つまり純粋な覚醒の存在に気付くことができます。そのなかに入ると、ただちに純粋な覚醒を感じ始めます。そこには思考も識別も形もありません。心を静めて、純粋な覚醒のなかに入り、それを感じてることです。
(私の場合、キリスト意識の一部が表面に浮上すると高波動に包まれ、時空を越えたり、多次元に行くこともあります)
 私の体験と本の内容がほとんど合致しているので、バーソロミューの話は本当だと思います。(捉え方の違いはあると思いますが)

マザーテレサが祈りを捧げているそのあいだほとんど、小さな自己の感覚もなければ、肉体や精神や感情の存在すらなくなっています。ただそこには覚醒意識があるだけです。
彼女が純粋な覚醒になりきっている祈りの時間に、彼女の肉体は純粋な覚醒の創造的なエネルギーで満たされます。彼女の考えていることは実現するのです。マザーテレサが「創造するエネルギー」の実行体になったからです。彼女は意識の焦点を自分自身からからはずし、彼女の言う「神の愛の心」、そして私の言う「純粋な覚醒」に向けます。それから自分の全存在をそれで満たします。

絶対的可能性の静寂のなかから生まれて、形のある創造界に突入してきた光の粒子、それがあなたの本質です。あなたの細胞の粒子の一つひとつに、「覚醒」が組み込まれています。

「大いなる光」をあらゆるもののなかに見、自分が「大いなる光」であることをいつも覚えていると、内なる安心感が築き上げられていきます。そうすると、やがて真理が見えてきます。

悩みや苦しみを生む考えや感情から自分を完全に切り離したいのなら、より高い波動へ移ることです。最も高い波動は神の波動であり、それは愛の波動です。

あらゆるものの本質は愛です。「大いなる光」以外のものはどれでも一時的なものであり、生まれては消え、やがて来ては去っていく、つかの間のはかない障害物にすぎないのだということがわかってきます。愛の波動こそが人を安全に守ってくれるものです。

覚者というのは、最も深いレベルで、安心して自分の本質になりきっていますひとはそれを<すべてを神にゆだねた状態>と表現します。それは捨てることの最終的な究極の姿です。今起きていることのすべてに意識を向けてください。それから、自分の感情や緊張や周囲からのプレッシャーについて考えたり理解しようとしたりせず、それを解き放つのです。このプレッシャーを創り出したのは自分自身なのですから、それを捨てることも自分でできます。

自分が今この瞬間持っている意識のレベルから出発してください。瞑想を続けてください。読書を続け、無限ということを理解できるようにと祈るのです。そうすれば、意識に関する真理がおのずから明らかになるでしょう。
意識の拡張は可能であるばかりか、必然なのです。意識の拡張が必然なのは、それがあなたの本質の一部だからです。人間としての現実生活にとらわえていない広大無辺の部分があって、それが常にあなたのなかを流れ、前進するよう、促しています。

小さな自己から無限の自己へと飛躍する力を身につけると、多くの可能性が開けてきます。肉体をリラックスさせ、肉体そのものになると、変容の過程が加速します。深い呼吸をし、肉体を感じてください。
意識を拡張する練習を始めて、体の外に出ていく体験(狭い自己の概念から解放された状態)をするようになると、自分の意識を操作する喜びを知るようになります。自分が完全にここにいて、しかも同時に拡張しているのだということがわかるという、すばらし体験をすることができるようになります。

自分は拡張された覚醒意識と無限の創造力を持つ、幸せな人間になると決心すると、その決心と潜在的可能性とが混じり合いはじめます。こうした自分になりたいと宣言すると、それを助けてくれる宇宙意識のパワーを自動的に呼び寄せるのです。この宇宙意識は、人間界、そしていわゆる「高次元」の両方からやって来ます。それはとても膨大ですばらしく、有益な溢れるエネルギーの場です。

「ハイアーセルフ」は、潜在的可能性に満ちた別の創造物で、それがまた、別のもっと広大無辺な球形の意識を創造します。そうした創造物を使う能力に限りがあるとすれば、それは、自分は一つの現実から別の現実へと移動することはできないという、その人の思い込みだけです。

あなたは数兆個の光とパワーの点からなる、脈動する電磁波のパターンの一つなのです。あなたという存在を構成するパターンの脈動は、無限大に異なる運動を通して、他のすべての物質や創造界のパターンとつながっており、そこには複雑で美しい「ネットワーク」が作られています。

意識が肉体を離れて光体へと移り、人はそれを自分の外に出たと感じます。「自分」と「他者」が存在します。人が実際に「死んだ」とき、つまり地球の肉体に戻らないという決断がなされたとき、「その人」は「自分」のエネルギーをその存在のエネルギーのパターンと混ぜ合わせて、その光の一部となっていきます。このパターンは、自分を基本的パターンを構成しているものと同じ霊的実在なので、それと融合できます。

覚醒意識は意識的に手に入れるものです。覚醒意識のパワーをこのすばらしい肉体のシステムに応用しなければ、脈動するパワーを発射したり、そこから生まれるいのちを感じたりすることもありません。

瞑想をするとき、「あなた」のエネルギーの場と「神」のエネルギーの場とがいっしゃになって、一つのパターンを持つパワーとして脈動することが可能です。その場を離れたあとも、古いパターンは変化してしまい、もっと広大で深い波動を持つ、新しいパターンが代わりにできます。

大いなるいのち」は、体のあらゆる細胞のなかに感じることができる脈動のパターンです。この脈動を感じたければ、意識を呼吸に向けるだけでいいのです。脈動を起こすのは呼吸です。

脈動するパターンは、その体験に神秘と感動、そして目的と完全なる喜びを与えてくれます。脈動するパワーの無限の叡知が、人生のあらゆる瞬間を流れています。この電磁的な脈動にはいのちがあります。あらゆる瞬間に、それが自分の肉体や感情体や精神体をかけ巡るのを感じるようになります。それは、体が感じることのできる最高の感覚です。
(私の場合、呼吸法を使ってブロックをはずし、内なるエネルギーを全身に回すことで波動を上げていくと、キリスト意識の一部が浮上して全身が高波動に包まれることがあります。この時のエネルギーは体の中を流れいて、それでその波動の持つ性質を感じ取ることができます。感覚的なことですが、エネルギーが内から湧いてくると感じる場合と外から降りてくると感じる場合があります。両方の時も)

121、122ページと130から132ページの瞑想を使ったエネルギーを感じる練習は、とても役に立つ重要なものです。
瞑想やワークやセッションに参加して、エネルギーを体感(愛・喜び・慈悲・感謝など)することによって、教えが実感できるのではないかと思います。エネルギーが体の中を通ることによって、感情が湧いてくるようです。


知花敏彦 ✵ まなびの会様からの一部引用ですが……♬

生命には大きい、小さいは無いということです。普遍生命ですから、区切られていませんから。。。これが、『宇宙即吾』という境地です。宇宙我です、普遍我です。これを宇宙意識・普遍意識・神意識といいます。
                      知花敏彦師の記事♪

zeraniumの掲示板様のバシャールのメッセージですが……♬

Q、 我々が神様とか仏様とか呼んでいるものの正体は何ですか? また実際に地球にいたといわれるキリストや仏陀の正体は何ですか? 

エササニ星人・バシャールさんの回答   
バシャールの記事♪
 
 今、言ってくださったすべては、実は深いところでは全部「みんな(神は全ての全て在りとあらゆるもの」なのです。
 特に、神と呼ばれる部分は全部「みんな(大いなる一)」です。神というのは、そこにあるすべてのもののことです。すべては神で創られています

 一つのものは、一つであると同時にすべてのものでもあります。簡単にいうと、キリスト意識、仏意識というのは、今言ったものを小さくしたものです。
 キリスト意識、仏意識、また社会意識というものは、地球上のすべての意識でもあり、同時に集合的な意識でもあります。すべての世界がそういった観念を持っています。

 私たちの世界では、非常に古代ですがそうした意識はシャカーナと呼ばれていました。私たちのシャカーナ、あなた方のキリスト意識、仏意識、そしてほかのすべての物が一緒になって神の意識を創っています。

 私たちにとってそれは自分から離れた別の存在ではなく、本来自分の中にあるものであり、自分自身がそうであると思っています。椅子も神、部屋も神、空気も神、すべてが神です。

なぜならすべてが光のエネルギー(光一元)で出来ているからです。
 神が宇宙を創ったというよりも、もっと正確に言うと、神そのものが宇宙(宇宙は一つの生命体・神一元・愛一元・光一元)だということです。


ここからは過去記事からの引用ですが……♬

2012年アセンション最後の真実―マヤ予言の秘密とクラリオン星人の啓示…魂の5次元上昇が今、始まる!!から引用させて頂きました……♬

カルマの解消の仕方  

 カルマという言葉を聞いたことがある人の多くが、それを「罪と罰」というニュアンスで捉えています。しかし浅川氏の話を聞くと、それは正しい理解ではないようです。

 繰り返しになりますが、カルマの法則とは因果の法則です。原因があって結果が現れるという仕組みになっているので、その結果(果)が出た段階で原因(因)は解消されてしまいます。

 これがカルマの法則です。ところが人間は愚かにも、そこからまた新たなカルマを生み出してしまうことが多いのです。

 例えば、Aという人がBという人を殴ったとしましょう。こうしてAが負ったカルマは次の生ではBに殴られることで解消されます。ところが、その時にもしAがBを傷つける言葉を発したら、Aは新たにカルマを作ってしまうことになり、それを解消するために来世で再びカルマの刈り取りが必要になって来るわけでです。

 このような事が起きうるために、カルマの解消には「目には目を歯には歯を」といったシンプルな方法だけでなく、次のような3つのパターンがあるのです。ここで整理してみましょう。

1.相応の報い

これは「目には目を歯には歯を」式に、自分が相手に与えた苦痛などを逆の立場で体験する事によるカルマの解消法であり、いうならば一番原始的な方法です。前世療法を研究しているカナダのトロント大学帷幕部教授ジョエル・L・ホイットン博士によると、こういった方法でカルマの解消を行う人は心が十分に成熟していない事が多いそうです。

2.償いの法則

これはマイナスの行為がプラスの行為によって帳消しになるという、償いの法則に則った解消法です。つまり、悪因は全員によって償われて消えていくのです。私は本書の中で徳積みの大切さを説いているのも、それこそが、徳のカルマを解消する特効薬となるからなのです。

3.大いなる真理への気付き

魂や宇宙の本質に気づいた時にもカルマは解消されます
なぜ、自分はそのカルマを負っているのか?なぜ輪廻転生の繰り返しの中で何度も同じ苦しみにそぐうしてしまうのか?この世にカルマの法則が厳然として存在しているのはなぜなのか?魂の成長とは何か
・・・・・そういった事を正しく理解して生き方を改めた時、もはやそのカルマの必要は無くなり消えていくことになるのです。

 カルマの法則とは魂の成長のための機会であり、「罪」に対する「罰」だけではありません。だからこそ、魂の成長が為された時点で、それに関係していたカルマは解消されます。これはもっと高度なカルマ解消法だと言えるでしょう。

 カルマの発動とは単純にマイナスの行為の裏返しを体験するだけでなく、そこから多くの学びを得ることにも繋がる(全て善し)という事を理解するのに、役立ちそうな事例を紹介しましょう。

 それは、『黎明』に掲載されたもので、試薬の瓶を運んでいる最中に手を誤って手を滑られて割っていしまい、劇薬に硝酸が目に入って失明しかかったある男性の体験談です。

 彼はローマ時代の戦士だった前世があり、その転生時において問題になる事件があったのです。その時両親は既に亡くなっていて、当時は17歳だった妹と二人暮らしでした。友人の戦士と妹が恋仲になり、やがて妹の結婚が迫った時、彼は妹を手放したくない一心から、彼女が不具になれば友人も結婚を諦めてくれるだろうと考えて、妹の目を刃物で突いて失明させてしまったのです。
 
 結局、彼の友人は寛大な心の持ち主であったために失明した妹と結婚して彼女を幸せにするのですが、その時のカルマによって、今世において、彼の目に劇薬が入るという事故が起こったというわけです。
  
 彼はその事故が起きた段階で、ある程度覚醒が進んでいたため、幸いにも適切な処理方法を指導霊から教えられて失明を免れ、しばらくして視力は全快する事になったのです。

 魂の目的は、精神的に何かを学ぶかという点に有るわけですから、カルマの法則も、他の人に対して行った事が単純に自分に跳ね返ってくるというだけではなく、その本人の意識が高まって、自分の身に起きた出来事から学ぶべき教訓をきちんと身につけた場合には、カルマは和らげられ、また消滅することもあるという事実がこのケースから見て取れます。

 なお、この事例に登場する彼は今世ではヒーラー(治療家)となり、ローマ時代の妹の生まれ変わりにあたる女性を自分の患者としてずっと治療にあたっています。

 実は彼女は生まれつき視力が不完全だったのですが、彼の事件の時を同じくして全快したそうです。

自我・偽我 =表現者、原因である父なる神を忘れている状態(放蕩息子の状態)神理を知らない状態・自分の力で生きていると思って迷っている状態、肉体の己を自分と思っている我、分離感・分離意識で個別化された表現を別個の存在と認識している我・肉の感化、五感の感化を真実と錯覚している我・迷いの影、幻、幻想(マイヤー)・自己保存、自我我欲の心


真の自己(真我)=父なる神と常に一体の境地・全一の意識・神我キリスト、全ては自分、全ては我、全ては神、全てを愛する我に目覚めた状態・神我キリストによって生かされている事を自覚して実感している我・私が生きているのではない、なるほど一つの生命である神が生きていらっしゃる、中身は全て神、全ての知恵と力は神から与えられている、神の中身は神、全ての全ては本質的には神、神のみが生きてらっしゃるんだなと悟った我・神一元・愛一元・我神なり、神は生命(霊)なり、我も生命(霊)なりの自覚・宇宙即我、我即大霊の境地、キリスト意識・高我・実在・全てを愛し全てを許す境地・慈悲と愛・あなた即私・私即あなた・宇宙エネルギー即自分・無限即我・我即実在・不変不動の絶対なる実在・普遍なる宇宙・無限者・宇宙神


宇宙の法則 から引用させていただきました(**)すべての記事

お釈迦様がこの方式で転生をして、火星をかなり平和な星になされたという話をネットで見たことがあります。(※過去記事から発見したので追加しました)

転生の法則

「魂が作られると、学習と成長の全パターンが魂のために設けられ、そして、その記録が刻まれるのである。」

 このパターンでは、それほど厳密に設定されているのではなく、かなり柔軟なものです。魂はその成長のレベルを自由に加速出来るし、またある場合には、その生を試行錯誤しながら切り抜けたり、(予定されていた)達成レベルに届かないままにしておいても構いません。

 また、1つの転生と次の転生の間には、明確に定められ限られた時間が、魂のためにとってあります。それも進化の中で魂が成長するにつれ、転生と転生との間は長くなります。

 魂のパターンの中に残っている転生予定が3~4回になった時、その魂は、何百年間も新たに転生しない事を選ぶ事が出来るのです。進化が初級あるいは中級程度の時は、ある一定の時間の感覚をもって転生が行われます。

魂がある星に、唯一1回のみの転生を選べる時は、神への奉仕のために生を受ける時だけである。」

 どの星にも固有の波動があり、その星での転生パターンがほぼどれくらいの回数に及ぶか決まっています。例えば、惑星地球に最初に転生した魂は、いわゆる神との「契約」で、48回から72回の転生を経験する事になっています。

 進化の遅れている魂には、遅れを取り戻すために、早い成長と進化が望めるような転生をする事も出来るのです。

 このような形で転生を行うのは、星の波動と社会の波動に調和を保つためなのです。普通、魂は自分より低い波動の文明には、自ら進んで転生しようとは思いません。

 特別な魂のみが、即ち神への奉仕の任に耐える魂のみが、ある特定の星の波動を上げるのを助ける目的で、意識的に霊的な師として、あるいは教師として自分より低い波動の星での奉仕を選びます。

 この特別の魂はいわゆる「エイリアンソウル(宇宙からの魂)」と呼ばれ、それに値する能力を持って活躍します。通常の進化のコースでは、このような低い波動への降下は、降下したその魂とその星に住む人々との調和と均衡を乱してしまいがちです。

「もしも、エイリアンソウルが、その奉仕の選定を低い波動の中で行い、その生を予定されていたように成就するのが困難になり、自殺とか、狂気とかの異常な方法でその人生を去る時、その魂は、神への奉仕のパターンの責任から開放されて、奉仕が始まる前にその魂が本来属していた領域に戻る事が許される。」

 この理由はいたってシンプルです。神は魂に罰を与えたいのでもなく、また、魂の波動を痛めるような事を望まないからです。

 このような事態に至れば、この魂は、前のような低い波動の世界に、スムーズに再び入っていくための、広範囲な再教育をけることが必要になるからです。


金星、地球、火星 - スピリチュアルな日記 - Gooブログ

金星、地球、火星

2006-11-01 22:23:06 | spiritual

シュタイナーによれば、金星、地球、火星はとても関係の深い姉妹星だと言われています。
生まれた順番は、火星>地球>金星の順、でも霊的な進化の具合は金星が一番進んでいるらしい。太陽と一番長い間、一体だったからです。それ故金星には霊的な進化した人々が住んでいるといいます。
一方、一番早く生まれた火星は霊的には地球より未発達で、火星の人には地球人のような自我が存在しない為、感情の抑制ができず争いが絶えなかった。マーズが戦神と呼ばれるのはそのためだとシュタイナーは語っています。

仏陀は地球に釈迦(ゴータマ・シッダルダ)として生まれる以前、実は金星で輪廻転生を繰り返した。そして最後の転生を地球で行い、そこで如来となり地球の人々に真理を伝えたのだといいます。
その後仏陀はイエスを守護し、キリスト降臨の支援をしました。キリストは仏教で言う毘盧遮那仏です。また大日如来とも言います。宗教の世界ではキリストと仏教は対立的に語られていますが、霊的実像としては元々同じ存在なのだとシュタイナーは主張していました。

キリストがイエスの身を借りて地球に降立った後、仏陀は火星の進化を助けるため、17世紀頃に火星においてイエスの行ったような活動を実施したと言われます。
その結果、争いの星だった火星は進化を遂げ、地球に対しても悪影響を及ぼさなくなったということです。

これらの話を臨死体験前の私が聞いたとすれば、おそらく何かの寓話だと思ったでしょう。現代の常識からすれば恐ろしく突飛な話です。

一方最近気になる話で、京都の鞍馬山の伝説があります。
鞍馬山には650万年前、護法魔王尊が地球救済の為に、金星から降立ったと言う伝承があります。日本の伝説が大抵「昔々、天の方から・・・のミコトが」という抽象的な表現なのに、鞍馬山の伝承はやけに具体的で年、場所がはっきりしています。
金星人は物質的肉体こそ持っていないでしょうが、極めてリアルに存在する気がしています。
 

大変有意義で素晴らしい内容のブログをご紹介させて頂きます。
 『悟空の郷』という題名のブログなのですが、管理人さんが、色んな意味で…遙かなる高みの境地まで到達されている方のようです。

 文章も、本物ならではの高貴で・気品のある素敵な文章でしたし、内容的にも、知花先生や上江洲義秀先生をご存知な印象を受けました。
 ぜひこの機会にご観覧いただければ幸いであります♪

超高次元ブログ 『悟空の郷』様

常に『今』を意識する方法


FC2版の広瀬すずちゃんの横顔になる方法の記事です♪
身長を伸ばす記事も追記してみました♪

神癒の真言で神我一体の境地へ♪明想は天国への梯子♪無限の根源・真我へ至る覚醒への道♪大覚者・上江洲義秀先生





 明想は、私達が根源の世界に到達するための手段であり、目的地に辿り着くための地図、「黄金の梯子(はしご)」です。現象という結果の世界から根源という本質(愛の王国・内なる神の国)へつながる天国への梯子なのです。

 また明想は真理という海底にある永久不滅の美しい宝物を探るための手段であり、本来、それ自体は決して目的ではありません。海底の宝物を探すためには息を整え、海面から垂直に潜っていく事をはじめ様々な技術が必要です。

 そうした技術は指導者の元、訓練によって徐々に学習していかなければ身に付くものではありません。真理に至るためには難行苦行は必要ないとはいえ、明想によって「我、神なり」という境地、無限という根源に至るには経験や試行錯誤が必要な事も事実です。

 人はともすれば肉体の感覚に振り回されがちですが、そうした偽我の殻を打ち破り、曇った膜を剥がしていくことが必要で、明想は静かな環境の中で自然体で額に光を意識して次第に深く入っていく方法がふさわしいのです。

 弛緩(しかん)の中で集中という方法が明想の要諦(ようてい)といえます。明想を始める時に額に意識を集中させるのは一つには睡魔に勝つためです。

 明想を続けると副交感神経が優位になり、脳波が安定してきますが、日常生活においても「静心」の状態を保つ事で不安がなくなり、物事が円滑に回ってゆくのです。

 私は今でこそ短い時間で深い瞑想に入っていく事が出来、明想がある段階に達すると様々な能力を発揮出来るようになりますが、明想を始めたばかりの方、そして熟練途上にいる方は一定の境地になるまでには多少の時間がかかるものです。

 明想の果実として得られる境地は文字や言葉では表現出来ないものですが、神が命として全てのものの中に生きている事を心から悟るようになり、意識の拡張が進んでゆくのです。
 一人でも多くの方がその果実を得られる事を心から願っています。

 明想がより深い段階になりますと、目の前の現象の因果、すなわち原因と結果の関係性が瞬時に理解できるようになり、中には肉体意識が希薄になり、

「宇宙即我」「父なる神と一体」という悟りの境地に近づく方も出てくるようになります。
 そして、原因と結果の関係性を理解できるようになる事で、日常の身口意、つまり原因なるものをより正しい方向に整えていきやすくなるのです。

 明想の極地とは、明想の形をとることなく瞬時にして「我神なり」の境地に達し、その状態が持続する事であり、その時、神の技が滞(とどこお)りなく発揮できるようになるのです。

 明想は単に精神を集中することではなく、真理へと導く黄金の梯子(はしご)となり、さらには現実をも変えていく有力な手段となります。

 このような段階になりますと、明想そのものが真理へ到達する手段というレベルを超えて、自らや周囲への癒やしに繋がり、明想することで最高のカルマ(功徳・陰徳)を積み上げていくことになるのです。

 明想の目的は根源の世界との合一、融合ですが、本来は日常生活そのものも、そして明想と日々の生活の調和を図ろうとする事も広義の明想と言えるのです。

 この世は様々なレベルの方々が同じ次元で生きている場であり、日々生起する出来事にいかに冷静に対処出来るかが問われています。

 社会生活という荒い波動の中にあって。しっかりと根源に舵を下ろして生活する事が出来るかを日々試されていると言っても宜しいかと思います。

 何度か前の人生において既に覚醒に至っていた私ですが、今生に於いても長きに渡って人知れず努力を重ねた結果、現在に至っております。
 生来備わっている能力、境地にさらに磨きをかけ続けてゆく事は大切な事ではないでしょうか。

 私は自ら望んで努力もしてきましたが、一般的には災いと思われることも経験してきました。災いと思われる現象にも意味があり、全ては宇宙の仕組みの中で精妙にはたらいている事を知って頂きたいと思います。

 無限との合一はある意味厳しいものですが、心を尽くし、内なる神(宇宙生命・神我キリスト)との合一を目指して頂きたいと思います。

 たとえ今生で本質への到達、無限との合一に至れなかったとしても、宇宙の真理に近づく努力と成果は次の段階につながる代えがたい宝となる事は、覚醒に至った私の目からはっきりと見えるのです。


神癒の真言(マントラ)

 人はこの世に生を受け、時には悩み苦しみ、病を背負い立ち止まります。その時、ここに記された真言(マントラ)に触れることで悩み苦しみから脱し、癒やされるようにとの思いで綴(つづ)りました。
 多忙な方、急を要する方はこの節を繰り返しお読みくださり、癒やされてゆく事を願うものです。

 我 神なり。我 命なり。我 愛なり。我 光なり。


我 神なり。

 真理という名の絶対法則である神は全てのものの中に生き続けます。神我一体の境地の中で霊魂体の一致がなされれば、天の実相の光が降り注ぎ、その身は黄金に輝き、内なる神性が花開いて本質を顕現させるのです。

 その時、知恵の泉が開かれて、全てを天使の囁(ささや)きと聞けば、神が命として無限の力を携(たずさ)えて生きているのを悟るのです。

我 命なり

 命は久遠常在永遠不滅。宇宙で失われるものは何一つとしてなく、ただ変化しているのみ。可視と不可視は表裏一体(色即是空)。
見えないもの(宇宙に遍満する大霊・大生命)こそが命をまとった本質。

 一命一体、自他一体、全一体こそが不変の真理。無限の知恵、愛、光は内在する命そのものであり、全てを活かし、一瞬たりとも休まず、途切れる事はありません。命を養い、命を変えうるのは命自身、久遠の光に照らされて我神と共に歩む時、神こそ命と知るのです。

我 愛なり

 愛は命、そして力。愛は生かし、結び、支え、守り癒やすもの。愛する事は愛されるよりも尊く、真実の愛は見返りを求めません。
カルマは神の愛。人は縁により出会い、※その全てを赦し、愛すことによって焼き尽くされて灰になるのです。


創造主様からのメッセージ♪から一部引用ですが……♬


 一番大事なのは、愛の実践です。愛し合う事です。全てを許し合う事です
許して下さい。許し合えたらあなたは、許されるのです。あなたが許さなければ、あなたも許されません。

 まず、自分の罪を許して貰いたかったら、人々の罪を許しなさい。そしたら、自ずから、あなたの罪は許されます。あなたは、人の罪を裁きながら、あなたの罪だけを免れたいと思うのを止めなさい。

 あなたが人を裁かず、怒らず、謗らず、嫉妬をしなかったら、あなたは誰からも、怒りも、裁きも受けません。全ての人の罪を、許してあげなさい

そうすれば、あなたは全てから、許されます。私、神から許されます

 罪を犯す者を、愛しなさい。そうすれば、私もあなたを愛します。
 人を愛さない者は、私も愛しません。

 神から愛されたいのなら、どうか、世の隣人、全ての者を、愛さなければなりません。その愛の実践が、真の信仰、神に至る道であるという事を知りなさい。

 
  自らを愛する事なくして全てを愛せず。久遠の愛の中にあって我愛なりと生きる時、そこには恐れも災いもなく、無限の至福の中、喜びが尽きる事はありません。

我 光なり。

 光に満ちた全一体の調和の中にいて人は病むことはありません。苦は幻と知れば苦は消え去るもの。
 現象は真我権限のためにあり、その中にこそ己を磨く宝があり、全ての責任は己自身にありと心に定め、身口意を正し、我神なりと命を輝かし、全てを愛し尽くした時、人は己の中に神を見、この世を照らす光となるのです。

 人は、無形無相では知りえない真理と調和を学ぶため、肉体をまとってこの世に生まれてきました。今を生きる事は永遠の中に生きる事、一瞬の閃光の中に悟りへの真理があります。
 
 病は苦から、苦は欲、無知、恐れから生じるもの。肉体船を操るのは心。行いも思いから生じ、心を正す事なくして何も変わらず。久遠常在永遠不滅の真理への気づきにより時空の扉が開かれて過去未来が変わり、病さえも消え去るのです。

 無限の根源に不可能はなく、思いは権限の母。正しき思いは無限に飛び立つ美しき天使となって自らを癒しに癒し、無限向上を目指してゆくのです。



エドガー・ケイシーが語る解脱の真理♪から名場面の引用ですが……♬


 エドガー・ケイシーは常に惑星上に受肉(転生)した魂としての人間の存在が一つの目的を持つこと、その目的とは個々の魂と神との関係(全ては神ご自身・全ては一つ)を悟ることに集約される事を訴えています。

 ケイシーは、神の栄光は全創造物の中に現されている(全ての全ては神の現れ・神の他には何も存在しない)のだと繰り返し語っています。

 人間性の全体、体と心とが神の現れであるという明快な言い方を採るエドガー・ケイシーのリーディングを引用して、魂の論に結論を出してみましょう。

汝の体、汝の心、汝の魂が地上での神の現れであり、他のどの魂もそうであること、汝の体は現実に生ける神の宮なることを知れ。

 あなたの知る善の全て神の全ては、他人の考えること、他人の行うことではなく、あなた自身を通して、あなた自身の中に現されているのである」

イエス様の名言♪
「我は汝らに告げる。汝の隣人を愛せよ。の仇(かたき)を愛し、汝らを責める者の為に祈れ。これ天(内・潜在意識の最奥)にいます汝らの父(キリスト)の子とならんため(※神我キリストへの覚醒めの為)なり。

 人は異質の統一を見、不和の調和を見ます。自分とは違う人々との接触に神の光(大愛・宇宙生命・神)を観ます、その時にのみ「汝の隣人を愛せ」という戒めの真意を理解できるでしょう。



問「キリスト意識とは、心の上にかたどられ意志力による目覚めを持つ、魂と神との一体の自覚(無限・宇宙との一体感)と述べて宜しいでしょうか。」

答「その通りである。それが正しい考え方である。」

 
キリスト意識に覚醒めた)人は凡人には見えない、奥にある一体と本質と調和(宇宙生命・神我キリスト)を観ます。人はただ愛するのみになります

 キリスト意識に覚醒めると、(全ては神であり自分そのものですから)憎む事はできなくなり、羨(うらや)む事もなく、悩まされもせず、拒まれもせず、挫折も、恐怖も持つ事はありません。

 (悟り)人は自分自身の魂と万物を一つと観ているため、あらゆるものの中にキリスト(神我)を観ます。これが覚醒めであります。
 これがキリスト意識、クリシュナ意識、神意識であり、これが天国に招かれる真の改心なのです。

 愛という言葉ほど大きく誤解された言葉はないでしょう。この真意は、自分の中にも他人の中にもある愛の光(キリスト)を見つめる事にあります。

 聖なる愛(大愛・宇宙エネルギー)が神から来るように、愛は個人の魂から放たれます。人が明想を通して神にその魂を同調させる時に聖なる愛はあらゆる憎しみや嫉妬に打ち勝つ力と共に、流れ出てきます

 「汝の敵を愛せ」という言葉には何ら論理的な矛盾も心理的なパラドックスもありません。愛なる語(全ては一つの悟り)が強められれば、敵は自動的に敵は無くなるからです。

ケイシー・リーディングから……♬
己の生命とは、すなわち神である。何となれば、汝の兄弟に為したるその事は汝の内にまします神に為したればなり。
貴方の兄弟のためにする事はあなたの内に内在する神にする事です

隣人との接しを通じての神の愛は終日の作業です。我々は神がどのような形で自らを示されるかを知る由(よし)もありません。(全ては神の具現)

 それはタクシーの運転手かもしれず、店員かも、学生かも、今日しかも、患者、医者かもしれません。
 だからこそ、我々は荒い言葉、怒った顔を慎み、非難を愛に変えて常に、あらゆる人との接触で(全てのものに内在する)神を崇めるのです。

 求道者がこの段階に至ってなければ、聖なる愛を自ら実践することによって明想(全てに神を観る・我神なりの自覚)を続けなければなりません。

 神への、我らが家(久遠のホーム)への、本源への、我らがの目標(神我顕現・神との合一)への探求は、こうして全的な働きとなります。

 エドガーケイシーは、宗教生活についてそのもっとも美しい表現の中で、この事を次のように語っています。

あなたがたは心を尽くし、思いを尽くし、体を尽くして汝の主なる神(大生命・内在の神)を愛し、隣人を汝の如く愛するのである。このキリストの与えた言葉が法則の全てである。それに優るものは存在しない

 主が約束されたように、あなた方は来る日も来る日も明想し、祈りゆくうちに到来するあの目覚めによって、主(なる神)が自分の意識の中に留まられる事を知る事が出来る神我が中にまします・父と子は常に一体)。

 あなた方はこの目的のために、主が臨在し、その御霊(キリスト)があなた方の中に留まるあの意識をあの自覚を讃えるために生まれてきたのである。」


上江洲義秀先生・至高の名言    上江洲義秀先生の記事♪   
 
 全ての全てのあってあるものの中に、神が我として実在している事を(理解して実感して、全てに神を観る状態を)「悟り」といいます。

 目に映し見ている、すべてのすべてのあってあるもののに「愛を見」「愛を感じ」「愛そのもの」で対処できる己であって、そこに悟りがあること。


自我・偽我 =表現者、原因である父なる神を忘れている状態(放蕩息子の状態)神理を知らない状態・自分の力で生きていると思って迷っている状態、肉体の己を自分と思っている我、分離感・分離意識で個別化された表現を別個の存在と認識している我・分離意識・エゴ・肉の感化、五感の感化を真実と錯覚している我・迷いの影、幻、幻想(マイヤー)・自己保存、自我我欲の心


真の自己(真我)=父なる神と常に一体の境地・ワンネス意識・全一の意識・神我キリスト、全ては自分、全ては我、全ては神、全てを愛する我に目覚めた状態・宇宙生命によって生かされている事を自覚して実感している我・私が生きているのではない、なるほど一つの生命である神が生きていらっしゃる、全ての知恵と力は神から与えられている、神の中身は神、全ての全ては本質的には神、神のみが生きてらっしゃるんだなと悟った我・神一元・愛一元・光一元・我神なり、全ては神なり、全てに神を観る境地・神は生命(霊)なり、我も生命(霊)なりの自覚・宇宙即我、キリスト意識・高我・実在・全てを愛し全てを許す境地・慈悲と愛・あなた即私・私即あなた・宇宙エネルギー即自分・無限即我・不変不動の絶対なる実在・普遍なる宇宙・無限者・宇宙神


FC2版の広瀬すずちゃんの横顔になる方法の記事です♪
身長を伸ばす記事も追記してみました♪

200×230のキンズサイズ2枚合わせの毛布が格安な超お買得情報をご紹介♪発熱素材・超極細繊維の羊毛風毛布♪

Amazon様でご購入して頂けます。これからの寒い時期に大活躍ですよ♪
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 あまりにも素晴らしい毛布に出会えましたのでご紹介させて頂きます
使い心地も抜群でこれからの寒い季節にもピッタリではないでしょうか。

 毛布での有益な機能としての世間一般的な判断の尺度としましては、

●超極細繊維かどうか(繊維が細いほど暖かさを保持)
●発熱素材繊維 or 普通の繊維か(吸水発熱等)
●毛布の太さ・柔らかさ、心地良さ・毛先の感覚、等
●毛布の実際の太さ、1枚か、2枚合わせか
●大きさ…シングル・ダブル・キング(サイズ)

等が挙げられます。

 ちなみに、今回ご紹介している毛布は、これらの点に於いて、全て最高の性能を保持しております。こちらの商品の性能はこんな感じです。

●超極細繊維(最高の細さ)
●肌に触れる片面を羊毛みたいに加工
●発熱素材繊維(触った瞬間暖かく感じれる嬉しい繊維でした♪)
●1枚が適度な太さな上に2枚合わせ
●最高級に柔らかくて自然に体にフィットしてくれる
●片面は春夏向きなすべすべで、暑い時期にもそれなりに使えそう
●毛先が羊毛みたいな加工で失神しそうな気持ちよさ
●2枚合わせ(現状で2枚は最高性能です)
●大きさはキング(200×230の超特大サイズ)

 
 通常、この性能とサイズを保持している毛布でしたら、私が調べた限りでは一番安いお品でも最安で5500円ほどするようでした。私も初めは、そこでキャンペーン中にそちらで購入しようかな~なんて考えておりました。

 そんな中、さらに探しまくっておりますと、Amazon様でもっとお安く販売しておりましたので、思い切って試しに購入してみた所、お値段の安さにも関わらず、予想を遥かに上回る気持ちよさ、暖かさでしたので、両親や親戚の方々にプレゼントしたいと思って、15個も購入しちゃいました(笑)。

 ちなみに後で、お店の方から、いっぱい買ってくれてありがとう~っていう御礼のメールまでもらいましたし……(*´ω`*)アーハン♪

 母親や妹も大絶賛しておりました。これは大した優れものだと♪
 横幅が200cmもありますから、毛布の重力を完全に横部分が支えてくれるお陰で、めっちゃ温かいのに衝撃的なほどに軽いのです。これはシングルサイズではありえない、キンズサイズならではの芸当でしょうね。

 しかも絹のように柔らかくて、体のラインに自然にフィットしてくれて隙間をしっかり埋めてくれますので、普通の毛布と違って、体にフィットする部分を発熱してくれます。電気毛布の弱みたいな感触かもしれませんね。

 片面の体にフィットする部分が、超極細繊維が長い加工になっておりまして、羊毛と例えていい位に、うっとりする程に気持ち良いのです。
 今までこんなに気持ち良い毛布に出会ったことはありません。人生で一番最高に心地よい毛布体験といっても過言ではありません。

 この毛布に変えてから、朝は頭がスッカ~ンとするくらいに爽快感に溢れる状態になっちゃいました(笑)。ここまで劇的に睡眠状態が変わったのは初めてかも(*´ω`*)スヤスヤ♪……毛布パワーでα波が1.5倍くらい出てそう♪

 ぐっすりよく眠れない方にもお勧めしたいですね♪私の実体験からしてこの毛布に変えたら、睡眠環境が劇的に改善するかもしれませんよ。

 今までシングルサイズしか使ったことがありませんでしたが、キングサイズの毛布ってこんなに大きくて心地良い物だったのですねぇ……と改めて感嘆しております。キンズサイズの利点としては、

●横が広いお陰で、重力分散で無重力空間に♪
●少しくらい動いても隙間ができないので、変な気を使う必要がない♪
●腕を横に伸ばせるのが楽しい♪(意外と初めての体験♪)
●身長が195cmあっても毛布が230cmなので足元も余裕で密閉空間に♪
●縦横を90度回転させれば二人用毛布に早変わり♪

 
等が挙げられます。そんなこんなで、大変素晴らしい「実質キンズサイズ」のこちらの超絶高性能毛布を大絶賛でお勧めしちゃいいます。

 皆様の毛布選びのご参考にして頂ければ幸いで御座います。絶対に買って良かったと思えること請け合いですよ~♪

 商品説明では、「シングル・ダブル」の二種類の記載となっておりますが、この商品の「ダブル」は他の毛布で言う所の「キングサイズ」と同じ大きさですから、安心してご購入して頂いて問題ございません。
 猛烈に愛用している私が、キングサイズである事を保証致します♪

 沢山の方に快適で幸せな睡眠を体験してほしくて、久しぶりに熱くなりながら記事を書いてみました(笑)。長文のご拝読ありがとうございました。
 


FC2版の広瀬すずちゃんの横顔になる方法の記事です♪
身長を伸ばす記事も追記してみました♪

キリストのヨーガ・永遠の生命・ヨガナンダ♪究極の真理動画をご紹介♪上江洲義秀先生♪悟り・解脱・覚醒への手引書




最近、上江洲義秀先生の光話にハマっているお話

 最近は、朝から一日中上江洲義秀先生のご光話を聴きまくっております♪大体(購入した分も含めて)約60話ぐらい視聴したかと思われます。
 知花敏彦先生の170話とのミックス視聴で真理の理解がより深く完璧に近づいている今日この頃だったりします(@^▽^@)ニコッ♪

 色々なネットの生活にお役立ちな情報を楽しみながらも、耳では常時上江洲義秀先生のご光話を聴くという、一挙両得な効率的な時間の使い方をしながら、人生をエンジョイしながら悟りを追求する毎日です♪

 ちなみに、下のリンク先にもある中村寿子先生の明想指導の動画も50回以上視聴しております。

 私は基本的に受験勉強的な努力を惜しまないタイプの人間ですので、こういった直感的な修行と思われる悟りへの道の努力に対しても、脳裏に悟りの知識を詰め込み教育の如く(笑)、猛勉強しているという訳で御座います。

 右脳的アプローチだけではなく、左脳的アプローチも併用しながら効率良く脳の潜在意識に真理の知識が染み込むような形で追求するのが、魂の覚醒への時間も短縮できるような形ではないかなぁ……っていうそんな感じでしょうか。

 メジャーリーグでもスタットキャストという球種分析で、玉の速度や回転数などを研究して球筋を分析するのが流行っているそうですが、覚醒への悟りもメジャーリーグのように徹底的に分析をするのが一番手っ取り早く、深い理解に到達できるコツのように思うのです。

 そういった考え方で、知花先生と上江洲先生の説かれている真理を、お互いすり合わせて理解をより深めていくという作業を日々続けております。

 私の脳裏でお二人の教えが融合されていくと、言葉違いが多少あっても、お二人の説かれている真理は全く同じ事を仰られていますから、有り難い事により深く、面白いぐらいに真理が理解できるようになりました。

 どちらかの教えを学ばれている方は多いと思いますが、意外とご両人とも徹底的に分析しながら追求している真理の追求者の方は意外と少ない気がします。この方法でしたらきっと驚くほどに誰でも深い悟りの理解の境地に到達出来るのではないでしょうか。個人的にオススメしたいです(笑)。

 えっ、どうしたらお二人の教えを追求できるの?……って思われる方もご安心下さい。記事の一番下にある「お勧めスピリチュアルサイトをご紹介」の知花敏彦 まなびの会上江洲義秀 先生の公式ホームページ♪や、

知花敏彦師の記事♪ 上江洲義秀先生♪」のリンク先の記事を見て頂ければお金もかけずに、誰でも高いレベルの境地まで到達出来ますので、もし良かったら記事を見てあげて下さいね♪

 また、知花先生の教えで解脱・覚醒まで到達された偉大なる覚者である「かとうはかる先生」の理想社会を考える会(かとう塾)で真理を学ばれると、より真理の理解が容易に進む事でありましょう。

 イエス様は十字架に貼り付けられるまでは、第三イニシエーションだったそうですが、上江洲義秀先生は、現在の時点で解脱のレベルである第五イニシエーションまで到達されていますから、ある意味…イエス様よりもレベルが上の方という解釈も出来ます。

 そういった意味でも、本当に奇跡の地球人類の最高の境地まで到達された、偉大な大覚者である上江洲義秀先生のご光話は、人間に生まれた以上、死ぬまでに一度は聴いておきたい、
 これ以上の価値はないと言っても過言ではない程に、有意義な素晴らしいお話ですから、ぜひこの機会にご視聴頂ければ幸いです。

 今回ご紹介している動画は全部、中国語の通訳が時期的にまだ無かったり、カットされていたりして、非常にテンポが良く聴きやすくなっていますから、ストレス無く楽しくご清聴して頂けるかと思います。

 私はもう耳に穴が空くほど聴いておりますが(笑)、何回聴いても奥が深くて聴き入ってしまいますねぇ……・:*:・(*´∀`*)ウットリ・:*:・

 面白いことに何十回もご光話を聴いておりますと、潜在意識の奥底に真理の知識が染み込むみたいで、自分が理解しているが如く、真理の知識の脳の引き出しがスムーズになってくるんですね。

 分かりやすく申し上げますと、一夜漬けの勉強ではすぐに忘れてしまいますが、長い期間をかけて学んだ知識は時が過ぎても、すぐに忘れることはないといいます。

 その例えと同じで、何十回も繰り返し聴いていると、大事な時に大事な知識が、溢れ出る知性が如く自分の叡智の一部となって真理の深い理解の一部、魂の覚醒への栄養となって根源という大海へのスムーズなエンジンとなってくれるのです。これは体験から確信しております。

 一回聴けばいいや~ではなくて、何回も何回も繰り返し視聴するというのも修行法としてアリかな……と、新しい修行方法をご提案してみました。もし宜しければ、ご参考にして頂ければ幸いで御座います┏○ペコ♪
 
上江洲義秀先生のご光話動画(通訳なしでスムーズです)

キリストのヨーガ 上江洲義秀先生 1/6

キリストのヨーガ 上江洲義秀先生 2/6

キリストのヨーガ 上江洲義秀先生 3/6

キリストのヨーガ 上江洲義秀先生 4/6

キリストのヨーガ 上江洲義秀先生 5/6

キリストのヨーガ 上江洲義秀先生 6/6

本質はすべての中に 上江洲義秀先生 1/6

本質はすべての中に 上江洲義秀先生 2/6

本質はすべての中に 上江洲義秀先生 3/6

本質はすべての中に 上江洲義秀先生 4/6

本質はすべての中に 上江洲義秀先生 5/6

本質はすべての中に 上江洲義秀先生 6/6

上江洲義秀先生 すべては私


この世界は夢である「人間の永遠の探求」より ヨガナンダ

永遠の生命 上江洲義秀先生 1/2

永遠の生命 上江洲義秀先生 2/2

無題 上江洲義秀先生 1/2

無題 上江洲義秀先生 2/2

全ては美しき天使たち1/2 上江洲義秀先生

中村寿子先生の法玉明想指導

上江洲義秀先生直伝の法玉明想指導


ナイス!が2つのオリジナル良質記事です♪魂の進化レベルの判別法♪

 おまけで生活にお役立ちな情報や、人生経験が豊かになっちゃう面白いエピソード話をMORI☆MORI☆盛りだくさんでご紹介~(*^^*)



オートミールクッキー



家族が円満に続くコツ

因果応報の話 選び放題

障害者を差別した因果応報でダウン症の子供が生まれたお話

腸内細菌が脳に与える影響のお話

カラスの恩返し

バイトで濡れ衣を着せられた話

浮気相手と思っていた相手が猫だったお話

おばあちゃんの霊能者のいい話

当たり屋の子供を成敗した話

痛快な離婚準備をした旦那さんの話

不倫は絶対にしちゃいけないね…って思うお話
1/2
2/2

いじめは絶対に止めた方がいいと思えるお話

日本のチョコが美味しい理由

電車で万引きされそうになったのが助かった話

人を罵っていた人が、後に同じ境遇に陥った話【因果応報】

周りの人が如実に因果応報が訪れる不思議な女の子の話

嫁いびりで家族全員から愛想を尽かされた姑さんの話

みかん色のランドセルを共用されて離婚した話

リオデジャネイロ観光の注意点がよく分かるお話

外交官語学チャレンジ秘話

最高の美人が幸せな人生を送りましたか?(オススメ♪)

14歳年上の女性と結婚した感動秘話♪

食べ物の火を通した後の腐りやすさの意外な実験結果

人生のためになる壮絶な因果応報劇(オススメ♪)

前世と前前世を覚えている方の世にも珍しいお話



FC2版の広瀬すずちゃんの横顔になる方法の記事です♪
身長を伸ばす記事も追記してみました♪

経営の秘訣♪悟った魂・真我・愛の境地話♪魂の次元の解説♪直観・閃き♪愛は叡智♪本山博先生♪稲盛和夫会長♪


人間の本質 本山博 稲盛和夫 著      
から引用させていただきました  

 
魂がたどる次元とは?    

本山 人間の魂も何千年もの間に生まれ変わっていますが、皆そういう記憶を持っています。どこに持っているかというと、魂の中にエネルギーセンターがあると考えればいいでしょう。

 インドの行者たちは、それを「チャクラ」と呼んでいます。キリストの絵にはよく心臓の部分に光のようなものが描かれていますが、それも同じものです。

 このチャクラが、この世的な物理的なエネルギーと、物理的な時間や空間に制約されない霊的なエネルギーとの橋渡しをしているのです。ただ、そこについての理解が、仏教にも足りないし、キリスト教にも足りないのですけどね。

 稲森さんは魂が見えないと言われるが、魂の次元ではすでにわかりあっていらっしゃるわけですね。人間の頭は魂が行き交う一つの道具で、それを使って話しているだけの事で、魂の次元では通じ合っていますよ。

稲盛 その魂の次元ですが、先生は講演や著書の中で「アストラル」「カラーナ」「プルシャ」というお話をされますが、一般人にはこの辺が中々分からない所です。また、これら魂の次元と、我々が生活している物理的な現実世界との違いは、突き詰めれば何でしょうか。

本山 まず、アストラル(幽界の次元)というのは、死んでも欲望や感情から抜けられない魂の次元のことです。人間が死ぬとすぐに行って、またこの世に戻ってくる世界と言えばいいでしょうか。仏教では「末耶識」と言い、主に感情とか想念が中心となります。

 ここでは、我々が持っている五感(色や匂い)と似た超感覚が生じます。コンピューターやインターネット、携帯電話が作り出す現代社会は、アストラルの次元に近いですね。
 好き嫌いなどの感情や想念が支配しているから、利己的な行動が顕著だし、国益や会社の利益だけを追求し、他はどうなっても構わないという利己主義の世界です。

 アストラルの一つ上の次元が、カラーナ(霊界の次元)です。
稲森さんが話されている真我の世界であり、仏教では「阿頼耶識」と呼んでいます。
 この次元では、魂はまた身体(霊体)を持っていますが、超感覚はなくなり、普遍的な知的直観、知恵や形がエネルギーを生み出すようになります。

 この世界の基本は愛なんですね。自分のことだけ考えて、人が損しようが死のうが関係ないというのではなく、思いやりを持って相手のことを考える。そして、魂が一つになるようにするのです。

稲盛 アストラルの次元で人間的な感情や欲望を伴った状態、それが瞑想や座禅の修行を通じて、カラーナの次元、真我までたどり着けるわけですね。

本山 例えば、夫婦喧嘩をしたとする。兄弟や社員が相手でもいいです。その喧嘩をした相手、優しい気持ちを持って、彼(彼女)らは何が欲しかったのか、本音は何だったのかと、目を閉じてじっと思うだけで何となく分かってくる、それが魂の持つ力です。

 これは、相手がアメリカにいてもヨーロッパにいても、あるいはブラジルにいても、距離に関係なく、スッと繋がります。それが魂の世界、カラーナの次元の特徴です。

 お互いに通じ合う愛というのは、一人ひとりが別々に持っているのではなく、愛や魂に目覚めたら、皆一つ※になるという事です。
知花敏彦先生は「全一体感こそが真理」と仰っておられます

 だから、そこで出来る考えや、相手に対する思いがいっぺんに繋がるんですね。魂の世界には感覚はありません。元々一つ(全ては一つが真理・宇宙は一つの生命体)です。そこがアストラルとは違う所です。

 アストラルの次元は欲や感情で動き回りますが、カラーナの次元は愛の世界です。アストラルの魂は、アストラルの世界の物を、ある程度コントロール出来るのです。

 しかし、先程の丹波篠山の部族の長のように恨みの中に落ち込んだ人は、何千年経ってもその地との中に染み付いたようになっている訳です。
 それを救えるのは、カルマの世界を超えた人、いわば聖者のような人でなければダメなんですね。普通の霊能者では無理です。

稲盛 このカラーナの上の次元が、プルシャという次元ですね。

本山 カラーナの次元をさらに上に上がっていくと、悟りの世界がひらけてきます。悟りの世界とは、個としての身体がなくなった世界なんです。

 自分というものを持たない、つまり霊ではなく、一種の神様や神霊になるのです。そうなると、色々なものを自然に包み込めるようになります。
 例えば日本を包むとすると、その中には、過去、現在、未来の全てが同時に記憶されています。

 悟った心は霊体を持たず、個人ではなくなる。非常に自由で、宇宙を包めるほどの大きさになれるし、インドや日本を包めるような大きさにもなる。
 これを、ヨガの言葉で「プルシャ」と言うんですね。さらにその上に、絶対の空、絶対無(根源の世界)があります。

 弘法大師の『十住心論』(人間の意識の発展段階を10に分けて真言宗の理論を体系化したもの)という著作にあるように、釈尊は感覚的な世界から悟りに至るまでの間の世界を体験されています。

 悟りに至るためには、まず自分の意識とか身体、霊の身体とか意識を知らないとダメですが、そのへんを分かってもらうのはやはり難しいですね。
 仏教でもキリスト教でも道教でも、実際に行をした人は殆ど同じことを言っている。だから本物だと言えるんです。

稲盛 カラーナの次元まで魂が辿り着く事が出来たら、どろどろとした感情や欲望が消えて、純粋で美しい魂になれるんですね。そういうレベルまで到達した魂には、愛が充満し、利他の心が満ち溢れているんでしょう。

 私はよく、「経営を上手にやっていこうと思えば、心を高めることが必要です」と話します。

心を高めるというのは、心を美しく綺麗にする事で、本来は修行が必要ですが、経営者には宗教家のような修行は出来ない。しかし、一生懸命、寝食を忘れて仕事に打ち込めば、あたかも宗教家が修行するのと同じように魂が浄化されていくんです。

 そして、美しい魂になると、呼応する相手にも恵まれ、仕事は必ず上手くいきます。なぜなら、美しい魂同士が、時間、空間を超えて協力し合うから、思わぬ事業展開が出来、仕事も円滑に進むのです」と言うのです。

 先程お話した大二電電(KDDI)を立ち上げた時も、世の為人の為を思ってやっただけの事です。私に確かな技術や経験があったわけではなく、ましてや勝算などあるはずがありません。それが想像もしなかったスピードで事業が軌道に乗り、結果として大成功を収める事が出来たわけです。

本山 だから、同じ事なんです。日本という国の魂が力を貸してくれたのです。稲盛さんがしようとされた事が、この国の魂と一つになるものだったから、国の魂が動いてくれた。魂の次元に入ったから、厳しい状況に置かれても、成功出来るように周囲が動いたわけですよ。

稲盛 そうなんです。これは決して空想話ではなく、魂を浄化して美しいものにしていけば、本当に大変なご利益があるんです
これは、読者の皆さんにぜひ強調しておきたい事です(笑)。

魂と物はまったく違う次元のもの  

本山 もう一つ言っておくと、カラーナの次元の魂とは愛です。愛の持っている知恵は、皆に通じる知恵なんですね。

 で、稲盛さんが利他行をしている内に、国の魂が自然に、そうした知恵を稲盛さんの魂の中に注ぎ込んで、それが直観として出てきたわけですね。
 考えて出てきたものではないと思うのですよ。直観で掴んだものでなければ、何も出来ませんからね。

稲盛 考えたものは常識に留まるのかもしれません。この前、梅原猛さんと対談をした時、梅原さんから、「創造はひらめきから生まれる。稲盛さんも直観やろ?」というような事を言われました。
 確かに、何かに一心不乱に取り込んでいると、不思議に素晴らしい直観とかひらめきが湧いてきます。

本山 神様と繋がったところで湧いてきた直観ですから、その通りにすればいいのです。そういう直観の知恵は、物を作り出す力を持っています。
 頭で考えて出した知恵なんて、実験してみないと正しいかどうか分からないですからね。

稲盛 また、そういう直観の知恵は、第三者に通じていくものなのです。

本山 直観の知恵は創造力を持っているから、「あ、そうだ、こうしよう」と思った事が、自然に皆に通じる知恵になります。それが直観の知恵です。

 創造力を持っているから、その人がしようとする事がどんどん出来る。それも自分がするというよりも、神様が準備して下さるわけだから、周りの力や人々の気持ちが強く後押ししてくれるんですね。

稲盛 そのためには、愛に目覚めていないとだめですね。

本山 そう、愛は創造力なんです。

稲盛 愛は創造力、いい言葉ですね。私がよく言う「知恵の蔵」と一緒ですね。私のような平凡な人間が、創造的な仕事をいくつもする事が出来たのは、決して私の力ではなく、どこかに神様の知恵の蔵があって、私がそこへ行っては、神様の大いなる知恵を頂けたからなのでしょうね。

本山 その時大事なのは、人間の意識のあり方です。知識だけ沢山あっても、現実を動かす事は出来ませんからね。
 動かす事が出来るのは、自分をなくす事が出来る人です。人に対する(普遍的な)愛があったら、自分(自我・偽我)が自然になくなるのです。

稲盛 神様が創った知恵の蔵に近づくためには、自分が美しい心になっていないとダメだという事ですね。愛に目覚めた心になっていないと、知恵の蔵は固く門戸を閉ざしているのです。

本山 そう。小さな自分(偽我)から自由になっていないといけない。小さな自分(自我)がいつの間にか自己否定され、ある意味、死んだふうにならないとダメなんです。
 皆が一生懸命、修行するのは、小さな自分を死ぬためにするわけです。断食をするのも結構つらいですからね。

稲盛 魂について、アストラルとかカラーナの次元がある事は頭では分かりました。しかし、仏教やヨガを多少かじった事がある私でも、なかなか実感する所まではいかない。ですから、もう少し基本的な所の解釈が必要だと思うのです。

本山 人間が魂を持っているという事は分かって頂けましたか。魂がなくなれば人間は死ぬ。魂を入れたら、身体が動くようになる。魂は、神様から頂いた時点では、愛と知恵と創造力があり、人を助け、全ての人とおなじような感情、共感、知恵といったものがスッと通る世界なんです。

稲盛 ある霊があって、どうしてももういっぺん生まれ変わり、この両親の元で生まれたいと思っているとします。もし、それを神様が許して下さるなら、その魂に相応しい精子と卵子の結合を神様が準備して下さるんでしょうか。それとも結合が合った時に、魂が勝手に入り込むんでしょうか。

本山 魂がカラーナの次元に到達していれば、そういう事も可能ですが、そうでない魂はカルマの法則に従わなければなりません。ここでは因果応報は心の因果関係であって、物の因果関係ではない。

 ですから、魂が入ってくる前に両親もカルマの法則によって決められているんですね。で、そうやって生まれてきても、眠っている魂はどうなるかというと、半分は外に出ているわけです。

 ヨガでも、夢を見ないほど熟睡している時は、魂は外へ出て霊の世界でゆうゆうと動いていると言われています。こうした事は、幽体離脱や、カラーナ体離脱が出来る人にはよく分かっている事です。

 要するに、頭というのは道具であり、魂が頭を動かす事によって意識が生じるだけで、魂がなくなったら意識もなくなるし、体も動かないという事です。
 魂のエネルギーは、物のエネルギーとは全然違います。物は壊れるだけで、エネルギーを使うほどエントロピーが増えていくわけです。

稲盛 魂は、物とは全く次元が違うものだと解釈すればいいですね。最後に、魂が持つ知恵について教えて頂けますか。

本山 それはすべての人に通じる知恵で、調和をもたらしてくれます。誰もそれに異論を唱えないような知恵、普遍的な知恵です。同時に、物を作り出して、物に秩序を与えます。      本山博先生の記事♪

 たとえば、日本の社会、国土、生きている人間、そういうものに秩序を与えるのが直観知です。そういうものがない直観知というのは偽物です。
 全てに普遍的で、人間だけでなく、森羅万象に調和と共存をもたらし、自然と共存出来るような知恵それが直観知というものです。


上江洲義秀先生・至高の名言    上江洲義秀先生の記事♪   
 
 全ての全てのあってあるものの中に、神が我として実在している事を(理解して実感して、全てに神を観る状態を)「悟り」といいます。

 目に映し見ている、すべてのすべてのあってあるもののに「愛を見」「愛を感じ」「愛そのもの」で対処できる己であって、そこに悟りがあること。
                                                  明想の記事♪

稲盛和夫にハマる中国人が抱える「深い悩み」 | 中国・台湾 

ラーメン店と中国料理店を複合化 “真似されない業態”に進化させる 稲盛和夫会長の教えで大成功♪楊州商人様♪


・自分はついてると思う♪
・いつも笑顔・口角を上げてスマイル♪
・人の気分を害する事はしない・悪口は絶対に言わない♪


1.眼施(げんせ) やさしい眼差(まなざ)しで人に接する

 「目は口ほどにものを言う」といいますように、相手の目を見ると、その思いはある程度わかります。相手を思いやる心で見つめると自然にやさしい眼差しとなり、人は安心します。自らの目を通して相手に心が伝わって、相手も自分の気持ちを理解して、お互いが打ち解けることができることでしょう。


2.和顔悦色施(わげんえつじきせ) にこやかな顔で接する

 眼施と同様、顔はその人の気持ちを表します。ステキな笑顔、和やかな笑顔を見ると幸せな気持ちになります。そして周りにも笑顔が広がります。人生では腹の立つこともたくさんありますが、暮らしの中ではいつもニコニコ、なごやかで穏やかな笑顔を絶やさぬよう心がけたいものです。また、メールの顔文字も一工夫してみてはいかがでしょうか。


3.言辞施(ごんじせ) やさしい言葉で接する

 言葉は人と人との関係を円滑にするコミュニケーションの大事な方法です。私たちは言葉一つで相手を喜ばせたり、逆に悲しませたりする場合があります。相手を思いやるやさしい言葉で接していきましょう。「こんにちは」「ありがとう」「おつかれさま」「お世話になります」など、何事にもあいさつや感謝の言葉がお互いの理解を深める第一歩です。


4.身施(しんせ) 自分の身体でできることを奉仕する

 重い荷物を持ってあげる、困っている人を助ける、お年寄りや体の不自由な方をお手伝いするというような身体でできる奉仕です。どんなによいことと思っても、それが実行できなければ意味をなしません。よいことを思いついたら実行し、自ら進んで他のために尽くしましょう。その結果、相手に喜んでいただくと同時に、自己の心も高められるのです。
 

5.心施(しんせ) 他のために心をくばる

 心の持ち方で物事の見方が変わってしまうように、心はとても繊細なもので、自分の心が言葉遣いや態度に映し出されます。自分だけがよければいいというのではなく、心底からともに喜び、ともに悲しむことができ、他の痛みや苦しみを自らのものとして感じ取れれば言うことはありません。慈悲の心、思いやりの心から自然とやさしい顔や眼差しにも表れてくることでしょう。


6.床座施(しょうざせ) 席や場所を譲る

 「どうぞ」の一言で、電車や会場でお年寄りや身体に障害を持っている方に席を譲ることです。座席だけでなく、全てのものを分かち合い、譲り合う心が大切であるという意味が含まれています。何事も独り占めはいけません。少なくとも電車やバスのシルバーシートは本来の意義に従って利用しましょう。場合によっては自分の地位を譲って後のことを託すという意味も含まれるでしょう。


宇宙創造の神が勧める霊性を高める方法 洗心

いつももつべき正しい心(=常の心)
強く     明るく
正しく    我が祈り
宜しからぬ欲を捨て
みな仲良く、相和して
感謝の生活をなせ

心の中からなくすべき感情(=ご法度の心)

憎しみ  不満
妬み   疑い
猜み   迷い
羨み   心配心
呪い   咎めの心
怒り   いらいらする心
不平   せかせかする心


■四句御箴言(しくごしんげん)

与えられたことを感謝して受けよ      関英男博士の記事♪
与えられぬことを感謝して受けよ

与えられたことを拒むこれ欲なり       瞑想の記事♪
与えられぬことを欲するこれ欲なり
    


FC2版の広瀬すずちゃんの横顔になる方法の記事です♪
身長を伸ばす記事も追記してみました♪

霊能力・アカシックレコード・ ありがとう(感謝)の言葉の真の意味合い♪超能力♪運気アップ♪本山博先生♪



スピリチュアリティーの真実 本山博著
から引用させていただきました♪


天候をも自由に操れる本山博先生について

 本山博先生は、プルシャ(神界の次元)まで到達された覚者級の数少ない本物の聖者です。
 カリフォルニアの山火事を、祈りで雨を降らして消火した事もあるくらいに天候までも自由に操る事が出来る偉大な霊能力をお持ちの方であります。

 地球以外の星の世界も見たり出来るみたいです。フィリピンの心霊手術のような事もいとも軽々と成し遂げてしまわれます。しかも、フィリピン心霊手術を霊的な視点から科学的、かつ詳細に説明までされております。

 チャクラの第一人者と言っても過言ではない方でもあられます。その点を頭に入れておいて頂ければ幸いです。要するに私が言いたかったのは、確実に信頼に値する素晴らしい本物の超能力者の方という事で御座いますね。
 私にも多大な影響を与えて下さった聖者☆本山博先生に乾杯♬


プルシャ= 神界の次元
カラーナ= 霊界の次元
アストラル= 幽界の次元   比較参照表です♪


霊能力・アカシックレコード(宇宙の記録)
ありがとうの言葉の真の意味合いについて
 
問、スピリチュアル・カウンセラーの中が持つような霊能は、
身につけたいと思って身につくものなのでしょうか。

本山博先生のお答え     本山博先生の記事♪

 霊能を身につけようと思って行をすると、悪魔の餌食になりやすいので、気をつけたほうがいいでしょう。行をするならば、霊的に成長して、人の役に立ちたいという(想い)つもりでしなければいけません。

 神様を信じて、お祈りや行を始めたら、そういうことを一切考えずに、黙って座っていればいいのです。偉くなりたいとか、お金儲けをしたいと考えて行をするくらいなら、はじめから行はやめた方がいいでしょう。必ず悪魔の餌食になってしまいます。餌食になって行き着く先は、カルトなのです。


アカシックレコードの疑問

問、アカシックレコード(宇宙の記録)といったものは、存在するのでしょうか。

本山博先生のお答え      本山博先生の記事♪

プルシャ(神界の境地)になれば、そういうものが自分の中に存在する事がわかります。宇宙の記録といったようなものは、外にあるものではないのです。(神は汝の内にあり・アカシックレコードも内にあり)

 神様にお会いしたことがないと、信仰をしても神様と自分は対立した存在です。神様と一つになる前には、霊の次元で透明なビニールのような仕切りがあって、向こう側に何かあることが分かります。ただ、その仕切を突き破っていかないと、神様にお会いすることは出来ません。

 これまで、霊能者に対して、「低い次元(アストラル)の人が多い」と厳しいことをお話してきましたが、霊能者になれたということは、普通の人より神様がいらっしゃる方向や存在が直接霊的に分かるという事です。

 ですから、自分のためだけに動いていない霊能者は、必ず「阿頼耶識(あらやしき)」というカラーナ(霊界の次元)の所にたどり着けます。

 もちろん、愛を持って人のために働いている人、無私(自我が薄く神我意識が強い)の人でないと、カラーナには上がれません。

 そうでないと、悪魔の餌食(えじき)になって、カルトになる可能性があります。霊的に成長すればするほど、餌食になって、カルトになる可能性が、よりはっきりするのです。

 今の生きている世界では、嘘をついていても、黙っていれば皆には分かりません。物の存在があるから、隠しやすいのです。

 ところが、霊の世界では、鏡に映るようにそうした事がみな分かってしまいます。霊の世界では、ニセモノの霊能者は、魔境に落ちてしまうのです。


有難うの言葉とツキとの関係

問、「ありがとう」という言葉を使っていると、ツキが巡ってくるという本が最近評判になっているようですが、こうした現象は実際に起こるのでしょうか。

本山博先生のお答え  

 これは非常に大事なことです。「ありがとう」という言葉は、人に感謝をして、その人と一つになる意味を持っています。

 感謝の言葉は、その人がいてくれたお蔭で、本当に自分が助かったときに自然に出てくるものですから、自分を守るよりも、自分を捨ててその人と一つになった気持ちがないと、その言葉は出てきません。

 つまり、自己(自我の)否定が起きている状態なのです。自己否定をして自分と相手が一つ(全一体感・キリスト意識)になれるような時は、神様の力が入りやすくなります。こうなると、ツキが出てきます。

 感謝も出来ないような人間は、極端に言えば、猿とあまり変わりありません。ただし、謙虚なだけでもダメです。善人は、案外自我を強く持っていて、硬いから素直に感謝できません。

「ありがとう」と言えるのは、自分とは違う相手を受け入れることが出来るからなのです。



ありがとうの過去記事からの引用ですが……♬
未来への処方箋 から引用させていただきました

未来世が「宇宙船長」の船井幸雄さんは、大変素晴らしい方だと思います♬


生き方を提案・その六          

心から「ありがとう」を言おう

 来客があります。話し込んでいます。そこへお茶を持って行きます。その時に、お客さんが「ありがとう」とひと言礼を言ってくれると、お茶を出した人は嬉しくなります。ホッとします。

 こういう時に、何も礼を言わずに話を続ける人が最近は増えてきました。かつて私の秘書をしてくれていたある女性が、こんな風に言っていたことがあります。

「『お茶を出した時に礼のひと言もいわない人』や
『私と船井会長に対する態度があまりにも違う人』は、
『経営者としては会社を潰す人』と言ってもいいようですよ」と。
 
 私はこれは正しいと思いました。
 自分のために、誰かが何かをしてくれた時には、相手がどんな人で、どんな場合であっても、できるだけ「ありがとう」と心の底から言いましょう。
  かつてはこれが、日本人の躾の第一歩だったのです。

 手紙をもらいます。いいかげんな手紙をもらっても、返事に『お手紙、ありがとう』と書いてごらんなさい。あるいは、電話がかかってきます。
 嬉しくない話であっても、最後に「お電話、ありがとう」と言ってごらんなさい。相手が喜びます。
 そしてその後は、あなたに対する態度が変わるものです。

 伊藤忠彦関西アーバン銀行頭取の言葉を借りれば、「ありがとう」のひと言は good will の一つにほかなりません。あなたの good wil と、その発露であるありがとうの言葉は、相手に大きな影響を与えます。
 繰り返しておきますが、世の中の仕組みはそのように出来ているのだし、私達人間とはそういう存在なのです。

 実は、2003年の11月から暮れにかけて、右腕が痛みだしたのが始まりで、右肩、背中の右側などの具合が悪くなりました。
 その時70歳だったので、「20年遅れの『五十肩』だ」などと笑っていたのですが、その後も決まっていたスケジュールに従って一週間の地方出張などを続けていると、やはり楽ではありませんでした。

 あの時は、肉体を持っていることの意味がよく分かったものです。
 もっとも、この20年遅れの五十肩は、20日ほどで完治しました。普通は完治までは半年、少なくとも50日はかかるといわれています。

 それが20日で治ったので、私は自分の体力に改めて自身を持ちましたし、また good will の力を感じさせられました。
 
 というのは、私はこれまでの人生を元気に生かしてくれてくれた身体と、サムシング・グレート(※創造主・神・大霊と同義語)に感謝しつつ、ことあるごとに「ありがとう」と言いながら傷む肩をなでていたのです。それを続けて一週間もすると、右肩の痛みは目に見えて楽になっていました。

 これは五十肩克服法として、しかるべき年代の皆様にぜひともお勧めします。しかしこれも、心の底からの感謝を込めた「ありがとう」でないと効果はなさそうです。


五日市剛先生♪の記事からの引用ですが……


イスラエルのおばあさんのお話    五日市剛先生の記事♪

おばあさんの家に着くと、まず、おいしい夕食をごちそうになりました。
その後、おばあさんは電気を消してロウソクを灯し、いろんな興味深い話をしてくれました。

  その中で、「運命というのはね、本当にあるのよ。それに、ツキというものもあるのよ。そのツキというのはね、実は簡単に手に入るものなのよ
  
と言ったものですから、 「えっ、本当ですか? どうしたら得られるんですか?」と尋ねました。

  「あのね、ツキを呼び込む魔法の言葉が二つあってね。
これさえ唱えていれば誰でもツキっ放しになるわよ。」
 「何、なに?教えて下さいよ」

 「いいわよ。一つは『ありがとう』、もう一つは『感謝します』。
 普段何気なく使っている言葉だけど、使い分けるといいわ。
・・・そうね、
どんな些細なことでもいいから、いやなことがあったら「ありがとう」
 逆に、良いことがあったら「感謝します」何度も繰り返し繰り返し言うの よ。そしたら、絶対にツイてくるわ。本当よ!」

 「五日市さん、あなたの親が亡くなっても、歯をくいしばって「ありがとう」と言うのよ。どうしてかというとね。

イヤな事が起こるとイヤな事を考えるでしょう。
そうするとね、またイヤな事が起こるの。
 不幸は重なるというけれど、それは間違いなくこの世の法則なのよ。

だけど、そこでね「ありがとう」と言うとね、その不幸の鎖が断ち切れちゃうのよ。それだけでなく、逆に良いことが起こっちゃうの。

 だから、「ありがとう」という言葉はね、魔法の言葉なのよ・・・」
また、おばあさんは次のようなことも言いました。

  「絶対に人の悪口を言ってはダメ。
  言えば言うほど、あなたからツキはなくなっていくわ。
 怒れば怒るほど、あなたがせっかく積み重ねたツキがどんどんなくなっていくのよ。

  だからネガティブな言葉を言ってはダメ
 汚い言葉を平気で使っている人はね、そういう人生を歩むのよ。
 人の口から発せられる言葉はね、魂を持っているものなの。
 本当よ。だから、きれいな言葉を使いましょ

 五日市さんは「おわりに」こう言われています。
 「プラスの言葉は魔法となってステキな出来事を体験させてくれます。
ステキな出来事に「感謝」。
そして、素晴らしい運命に「感謝」しましょう。

  もし、最愛の人を亡くしたら「ありがとう」。交通事故にあっても「ありがとう」です。これですべてオーケーです。何も心配することはありません。

まだ起こっていない未来に対して「不安」がったり、「心配」したりするのはもうやめましょうね。」さらに後書きにこうあります。

 「イスラエルから帰国した後、おばあさんにお礼の手紙を送りましたら、
すぐに返事が来ました。心の持ち方って大事よ。
だけど、もっと大事なのはね、言葉の使い方なの

どんなことを口に出すかであなたの目の前の状況が変わってくるし、
あなたの心も変わってくるの。本当よ。」

「ご存じのように僕は学生時代、イスラエルを旅行中に
ありがとう』『感謝します』というツキを呼ぶ魔法の言葉を、あるおばあさんから教えてもらいました。

 『こうしたプラスの言葉を常に口から発しなさい。
 嫌なことがあっても、すぐに ありがとう と言いなさい。
すると運命を好転させることができる』と教えられ、それを素直に実践して確かに人生が大きく変わりました。 

いま思うと、その教えの本質は、『何に対してでも感謝しなさい』ということなのでは思っています。」


“あ” 光、光源、全ての本源 

“り” 螺旋状の組み合わせ 

“が” 「かがやく(輝く)」をダブらせている 

“とう” 相対の両極、陰陽、十字


この5文字で「絶対創造、大調和、全宇宙、神」を意味します


“ご” ゴリ固まる ⇒ 神の意識の固まったものが物質界・現世 

“ざ” 「さ」の繰り返し ⇒ 自然に流れる 

“い” いのち、生きて輝く 

“ま” 全く、完全な 

“す” 全体の中心、大調和の力 


※つまり、“ありがとうございます”は、“神”そのものを意味しているわけで、この言葉・文字 を使えば使うだけ、口にすれば口にするだけ、“神”に近づくことができ、運勢がドンドン 良くなってゆくのです。



「しあわせになれる魔法のルール」から引用させていただきました



「ありがとう」を言えば
まわりの人すべてがハッピーに

 何かをしてもらったら「ありがとう」と、笑顔で言えていますか?当然だと思いきや、意外に言えていないことがあるものです。

 お母さんに洗濯物をたたのでもらった時、「ありがとう」と言っていますか?お姉さんにお茶を入れてもらった時は? 
 レストランで料理を運んでもらった時、 ”当然” といった顔で、お礼も言わずに受け取っていませんか?

 笑顔で「ありがとう」という事で、まわりの雰囲気は大きく変わっていきます。「ありがとう」「ありがとう」と言い合っていると、周りの人も一緒に「ありがとう」を言うようになるものです。この連鎖が大切なのです。

 家族には、なかなかすぐに、感謝の気持ちを言えないこともありますね。まず職場で、「ありがとう」の効果を実感してみましょう。

 朝、後輩にお茶を入れてもらったら、
「いつも、おいしいお茶を入れてくれてありがとう」

 先輩から「外出中に※※さんから電話があったわよ」とメッセージをもらたら、「忙しいのに、ありがとうございます。助かります」

 オフィスを掃除してくれる人に会ったら、
「いつも、車内を綺麗にしていただき、ありがとうございます」

 こんな風に、「ありがとう」を言っていると職場の雰囲気は一変するもの。若いOLさんに、アドバイスしたところ、数ヶ月後、

「先輩に可愛がられるようになり、職場の雰囲気も変わりました」
「仕事仲間のいざこざがなくなり、全員が仲良くなりました」

 と、「ありがとう」の効果を話してくれました。天国言葉の成果が表れてきているのですね。

 職場で「ありがとう」を言えれば、家族や友人など身近な人にもごく自然に言えるようになります。天国言葉訓練。
 ぜひ、いっぱい使ってみて下さいね。


超高次元ブログ 『悟空の郷』様

常に『今』を意識する方法


自我・偽我 =表現者、原因である父なる神を忘れている状態(放蕩息子の状態)神理を知らない状態・自分の力で生きていると思って迷っている状態、肉体の己を自分と思っている我、分離感・分離意識で個別化された表現を別個の存在と認識している我・分離意識・エゴ・肉の感化、五感の感化を真実と錯覚している我・迷いの影、幻、幻想(マイヤー)・自己保存、自我我欲の心


真の自己(真我)=父なる神と常に一体の境地・ワンネス意識・全一の意識・神我キリスト、全ては自分、全ては我、全ては神、全てを愛する我に目覚めた状態・宇宙生命によって生かされている事を自覚して実感している我・私が生きているのではない、なるほど一つの生命である神が生きていらっしゃる、全ての知恵と力は神から与えられている、神の中身は神、全ての全ては本質的には神、神のみが生きてらっしゃるんだなと悟った我・神一元・愛一元・光一元・我神なり、全ては神なり、全てに神を観る境地・神は生命(霊)なり、我も生命(霊)なりの自覚・宇宙即我、キリスト意識・高我・実在・全てを愛し全てを許す境地・慈悲と愛・あなた即私・私即あなた・宇宙エネルギー即自分・無限即我・不変不動の絶対なる実在・普遍なる宇宙・無限者・宇宙神

FC2版の広瀬すずちゃんの横顔になる方法の記事です♪
身長を伸ばす記事も追記してみました♪

霊能者のオーラ霊視とチャクラの色の極意♪本山博先生♪因果応報エピソード♪面白い事件話♪スピリチュアル関連♪

スピリチュアリティーの真実 本山博著
から引用させていただきました    エドガー・ケイシーさんの記事♪

 高血圧にならない世界最高のお塩はこちら  


スピリチュアル・カウンセラーのオーラ霊視について
 
問、スピリチュアル・カウンセラーの中には、人のオーラを見て前生を知ったりする人がいますが、オーラは本当にあるのでしょうか。また、チャクラはどのように関係しているのでしょうか。

本山博先生のお答え     本山博先生の記事♪

 オーラという言葉は、テレビなどでよく話題に上がっていますが、オーラは確かに存在します。まず、チャクラが目覚めている人は、オーラも出ています。それぞれのチャクラはアストラルの次元では色を持っています。

 色を見て、どのチャクラが目覚めているかを判断するのは、アストラルの次元です。カラーナの次元になると、色はなくなって透明で、ものすごい力を持っています。色が問題になるのは、アストラルの次元なのです。

 これと関連して、経路にも同じ様に色があります。赤い経路、緑の経路など、鍼灸(しんきゅう)の達人でも名人クラスになると分かってきます。

 地球にもチャクラがあります。それぞれの場所のチャクラは、物の次元に属する存在のエネルギーのセンターですから、その場所に存在しているものに悪い影響を及ぼすこともあります。

 物や人が壊されていたようなエネルギーの土地に移り住んだら、病気がちになったり、争いが起きたりする場合も少なくなりません。

 土地そのものが、不安定なエネルギーのチャクラや争いのカルマを持っている場合があり、チャクラが全て良い影響を与えるわけではありません。

 人間もスワディスターナという(第2)チャクラを持っていますが、これは無意識のチャクラで非常に個人的なものですから、これが働くと、本能的で攻撃的な行動に現れますが、中々本人に意識化される事はありません。

 ムーラダーラ(第1)チャクラも同じような性質を持っていて、それに動かされている人は、非常に自己顕示欲が強くてお金に夢中になったりします。

 人間の中のチャクラも皆良いというわけではありません。下から三番目のチャクラ、マニプラチャクラが不安定に働くと、神経的に不安定になる場合が多く見られます。

 スワディスターナが十分に働かないと、身体そのものが元気になりませんが、そのエネルギーをアジナ(第6)チャクラに集めて、物のエネルギーを精神的なエネルギーに変える事で、初めて身体全体のバランスがとれます。

 コントロールして、秩序を与えるのが、アジナチャクラの特徴です。仏様の絵にも、額の真ん中に第三の目が描かれていて、そこから光が出ているものがあります。

 ここまで、チャクラの働きを良い、悪いと表現しましたが、本来は善悪ではなく、その位置にあるチャクラが、ある特徴を持った働きをしているという事なのです。善悪を超えた物の原理(神は宇宙法則)が存在しなかったら、我々は身体を保っていけません。

 オーラの話に戻りましょう。オーラの色が変わるのかどうかというと、アストラルの次元では色が違ってきます。

 例えば、アナハタ(第四)チャクラは心臓のチャクラですが、金色に光っています。読者の皆さんは、キリストが復活した絵をみた事があると思いますが、あの時出ている光は金色、すなわちアナハタチャクラから出ている光です。

 アナハタチャクラのすぐ下には八葉の蓮華で示される第二のアナハタチャクラがあって、その色は金色とは違います。

 赤いオーラはマニプラの色なので感情、青いオーラは論理的なチャクラに関連するとよく言われます。眉間のアジナチャクラが霊的次元で目覚め、働きかけると、ピンク色、アナハタチャクラなら金色です。

 ただし、マニプラチャクラも青になるし、普段はピンク色のアジナチャクラも、黒になる時があります。

 マニプラチャクラにも、第一マニプラと第二マニプラがあります。第二マニプラは、肝臓(かんぞう)や胆嚢(たんのう)と関連して積極的な働きをします。

 医学的にも肝臓がよく働く時、人は積極的に行動しています。心臓が動いているだけではダメで、肝臓が働いてグルコースを血液中に出して、身体の各細胞にエネルギー源として分配されないと、身体は動けません。

 消化器で肝臓以外の臓器は、副交感神経で動きます。肝臓だけは心臓と強調して交感神経で動くという違いがあります。マニプラも受けるだけでなく、積極的な働きをする時があるのです。

 一つのチャクラには付属するチャクラが合って、マニプラでも赤だったり青だったりします。ただし、こうした色があるのは、アストラルの世界での事です。これがカラーナ(霊界の次元)になると、透明もしくは白になります。しかも光って見えます。

 例えれば、今部屋で電気が灯っていて周りは明るいのですが、それが見えないくらいに強く明るいが、カラーナのエネルギーで、これには色はありません。

 もし色が見えるようでしたら、気のエネルギーかアストラルの次元のものという事です。
 アストラルの次元の霊能者は、自分の感情やイメージが入りますから、オーラの色を伝えるなどして、他の人を感情の次元で呼び込むのが上手です。また、普通の人よりも感情が豊かで、人の気持ちを容易に直感する事が出来ます。

 一段上に登ってカラーナの次元の直観になると、普遍的な知恵で、それは同時に物を作り出す事が出来、創造力を持っています。

 アストラルの次元では、コンパッション(同情)が起きやすくなります。それだけに、人を引きつける何か感情的なものがあって、霊能者として、「ああしなさい、こうしなさい」と言うようになります。

 カラーナの次元の霊能者だと、何もしなくても底にいるだけで人を包み込む事が出来、人が集まる様になります。もっと大きな知恵や愛を注ぐようになれるのです。


面白かったまとめサイト話をご紹介

 最近はまとめサイトめぐりにハマっておりますが、その中でも面白かったお話をご紹介させて頂きます。やっぱり色んな方の人生経験を学ぶのは人間力を高めるのには最適かなぁ……なんてね♪

 まあいずれにせよ、いろいろな方々の経験を思う存分学べるというのは、本当に有意義で価値のある事のような気が致します。

 沢山の方の経験値を文章から短時間で得られるという事はある意味、アカシックレコードを見ているようなものですから、本当に良い時代になりました。しかも、本を読むより目が疲れないという利点もありますからね。
 たまには息抜きで人生経験の学びに活用されてみてはいかがでしょうか。
 

全一体感の真の不動心に到達したお話

 ここ最近、悟りを追求し身口意を磨いているお蔭で、全一体感・全我・普遍我・全てを愛する我にまでやっと到達する事が出来ました。

 それで現在では「全ては自分・全ては神」という全一体感・自他一体感でサイトを拝読させて頂いております。

 ただただ悪人も善人も関係なく全てが愛おしいのみの境地、「神よ全ての存在に心の安らぎと光をお与え下さい」、という全体の幸せを願う光そのものの神我の境地に到達し、サイトを見るようになってから、ネガティブな波動を一切受けないようになりました。自分でもびっくりしております。

 全一体感は、この世の闇(自我)の影響を全く受けず、ただ愛しかない、光しか感じない、全ての幸せを願う思いしかないという、神の御心そのものですから、ついにネットから何の影響設けない真の不動心に到達する事が出来たのですね。

 昔は、加害者の方を咎める(責める)思いが少し出たりしてましたから、その自分の心の未熟さ故に、闇(自我)の影響を受けていた所がありました。

 全てを愛する神我(光)に、覚醒めましたら、この世のあらゆる揉め事のお話(自我のぶつかり合い)を見た所で、自分自身が愛の光(神我)そのものですから、闇(自我)の影響を全く受けなくなります。

 愛はすべてを超越するとはまさにこの事を言うのかなぁ……と実感した次第であります。「神我の愛は宇宙一番高い波動」という事は、高い波動は低い波動を制するとも言えます。

 もう正直、自分とは思えない力強い愛の光そのもの状態ですし、寝る前までも心は ”光満タン” で元気一杯です。まぁ強いて言えば、私に影響を与えるのはウトウトする睡魔だけでしょうか(笑)

 一度、「全ては自分・全ては神・人を責めない・咎めない」という努力を徹底的になさってみて下さい。きっと、どんなネガティブな波動でさえ貴方の愛(神我・真我)の光の前には無力である事に気づくでありましょう。


TextFormaでネットの言葉がお上品になって快適なネット生活を送る事が出来ちゃいますよん♪私も大活用して心地良いネット生活で~す♪



束縛の因果応報のエピソード

 やっぱり世の中、因果応報ってあるのね……っていうのが感じられるお話でした。
 お嫁さんに対して、異常な束縛とパラハラをする事が強い男だと勘違いしていた旦那さんが、急に難病になったという事ですが、私の解釈では、これは他人様の自由を異常に束縛するという行為は、予想以上に罪になるという事実を暗示していると推測しております。

 人には自由意志というものがありますから、やはりそれを邪魔してはいけませんね。難病によって自身の人生を束縛されるという因果応報が戻ってきたという訳ですね。熟した魂は相手を束縛したりはしないものです。

類まれな面白事件満載エピソード

 ここまで面白いエピソード満載のまとめ話はレアではないでしょうか。これを見ずに人生を終わるのは人生の損失と思っちゃうくらい、めっちゃんこ面白かったです♪最高に面白いですからぜひリンク先で見てね♪

永久保存版♬知花敏彦さんの神我に目覚める♫瞑想の極意♪白色同胞団♪神我と自我の詳しい説明♪悟りとは何か♪ から一部抜粋ですが……♪


自我・偽我 =表現者、原因である父なる神を忘れている状態(放蕩息子の状態)神理を知らない状態・自分の力で生きていると思って迷っている状態、肉体の己を自分と思っている我、分離感・分離意識で個別化された表現を別個の存在と認識している我・肉の感化、五感の感化を真実と錯覚している我・迷いの影、幻、幻想(マイヤー)・自己保存、自我我欲の心


真の自己(真我)=大霊との一体感・父と子は一体の境地・全一の意識・神我キリスト、全ては自分、全ては我、全ては神、全てを愛する我に目覚めた状態・神我キリストによって生かされている事を自覚して実感している我・私が生きているのではない、なるほど一つの生命である神が生きていらっしゃる、中身は全て神、全ての知恵と力は神から与えられている、神の中身は神、全ての全ては本質的には神、神のみが生きてらっしゃるんだなと悟った我・神一元・愛一元・我神なり、神は生命(霊)なり、我も生命(霊)なりの自覚・宇宙即我、我即大霊の境地、キリスト意識・高我・実在・全てを愛し全てを許す境地・慈悲と愛・あなた即私・私即あなた・宇宙エネルギー即自分・無限即我・我即実在・不変不動の絶対なる実在・普遍なる宇宙・無限者・宇宙神



視力低下は「脳の疲れ」が原因だった♪私がピンホールメガネで回復したお話もご紹介♪



から引用させていただきましたすべての記事


視力に関してはピンホールメガネがコストパフォマンス的にも効果的にも一番良いんじゃないでしょうか♪、詳しくは視力の記事♪を見てね

ちなみに、ピンホールメガネを使って数ヶ月立ちますが、お陰さまで免許は余裕で通るくらいに回復できました♪自分的にはこれで十分ミラクルハッピーで~す
 看板の中くらいの文字も読めますし、部屋の佐々木希ちゃんのポスターの可愛い顔も結構はっきり見えるようになれて花丸大満足なのでした

部屋を暗くして瞑想するときなど、一見あまり目を使わないようなシチュエーションでもピンホールメガネを付けていると、瞑想後に視力が明らかに良くなっていますし、とにかく暗い所でピンホールメガネをかけても効果は確実にあるようですね♪
出来るだけ長い時間付けておく事が効果を上げるコツだと思います

ここからは引用で~す
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最近、よく視力回復関係の本を読むのですが、
この著者の本は、群を抜いてますね^^
非常にいい本です!

視力回復・アップした人、必見の書です^^
たくさんの視力回復に有効なトレーニング方法が
載っています。ぜひ、借りて読んで見てください^^

トレーニング方法が、覚えてしまったので、
良かった箇所・文章だけ軽く以下に抜粋。
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・目が悪い人は通常、「これは見えないかもしれない」
「これはきっと見えないな」と否定的なイメージで
(視力表を)見ている。ところが、「見える!」という
肯定的イメージを脳に送ってから見ると、脳の見ようと
する力が高まって、見ってようになる。

・ものを見る時、ただ1点だけをじっと見つめていると
目が疲れる理由~眼球を動かさないでいると、眼球を
動かす筋肉に力が入り、柔軟性が低下するため。

そこで、眼球を意識して動かすことにより、目の周囲の
筋肉の柔軟性が高まり、適度な刺激が視神経や静止視力
そのものも高めることができる。

・目の悪い人のほとんどが緊張してものを見ている。
人は緊張すると、まばたきの回数が少なくなる。
特にパソコンの画面を見ている時は、まばたきが少なく、
ドライアイになりやすい。

視力アップだけでなく、ドライアイ解消・予防に
まばたきは効果がある。

・冷温水洗顔~朝、顔を洗う時、温水と冷水を用意し
交互に洗顔。温水2に対して冷水1の割合で。
視神経に刺激をあたえ、目を活性化させる。

・肩こりと眼精疲労は密接な関係がある。
特に、近視の人は姿勢が悪いので、
ますます身体全体の筋肉が硬結する。

視神経が疲れると肩がこる。肩がこると視神経が疲れる。
まさに、悪循環。なので、肩をほぐす運動をする。
~肩の上げ下げ運動。

肩をほぐすことで、肩・首・脳の循環がよくなり、
結果的に目の緊張状態をときほぐすことにもなる。

・休みなく目を酷使すると疲労が蓄積されるだけでなく、
脳にもダメージを与え、脳内視力の低下にもつながる。
日中、できるだけ静かに目を休ませる時間を作ること。

・目にとって、脳にとって、疲れがたまるのは、
同じ刺激を同じように受けてしまうとき。

・心の中で、「見える」と思い込む。
「見よう」ではなく「見たい」でもなく「見える」です。
「見よう」「見たい」は側頭葉=顕在意識が考えること。
この場合、往々にして実際には見えないのに無理をして
見ようし、目を細めてしまう。

「見える」は結果。結果を先に思い浮かべて行動を起こす。
これは前頭葉の意識、潜在意識の状態をコントロールする。

・通常、思ったことや頭で考えた事は側頭葉に反映される。
一方、前頭葉には、考えたことよりも感覚器官から
もたらされた情報も反映される。また本音と言われる
潜在意識の情報も反映される。

例えば、「見よう」と思うと、その意思は側頭葉に反映される。
しかし、「見よう」としても実際には見えないという事実は、
目という感覚器官からもたらされる。これは、前頭葉に
反映される。側頭葉と前頭葉の方向は反対になってしまう。

側頭葉と前頭葉では、前頭葉の方が圧倒的に力が強いので、
「見よう」とすればするほど見えない、という結果になってしまう。
なので「見える」と思って、ものを見ること。

「見える」というのは既成事実をのべる時の文章。
側頭葉は当然「見える」と思うが、前頭葉も「見える」と思って
しまう。ここで側頭葉と前頭葉の考え方・感じ方の方向性が
一致する。すると、本当に「見える」のです!

側頭葉と前頭葉の考え方・感じ方の方向が一致すると、
その方向に向かって現実が進み始める。
そして「見える」ようになる。

方向性が一致すると、さらにすごいことが起こり始める。
前頭葉と関係が深い潜在意識から、その考えを現実するために、
必要な、これまで蓄積された、しかし、それまでは意識の奥底に
沈んでいて自覚できなかった情報が浮かんでくるようになる。
そうすると、さらに考えていることの実現のスピードが速くなる。

「前頭葉と側頭葉の方向性が一致すると、現実はその方向に
向けて、加速度をつけて進行する」

・通常、考えたことは、側頭葉へ反映され、前頭葉ではその逆の
イメージが浮かんでいることがほとんど。しかし、「見える」と
思い込み、視力回復トレーニングを行ううちに、考えたことが
そのまま前頭葉のイメージになっている!

前頭葉で思い描いたことは、あなたの想像以上のスピードで
現実する。あなたの脳のパワーを全開にし、夢を実現し、
目標を達成しよう。


・目の血流改善には目の筋肉を動かすトレーニングが役立つ。
筋肉を動かせば、それだけ血管が刺激され血液の流れがよくなる。
目のトレーニングは筋肉を鍛えるだけでなく、血流改善にも働き、
とても効果的な視力回復方法なのです。

・この信じるということがとても大切。トレーニングでも、
「視力がよくなる」と自分を信じ続けている人の方が、
必ずと言っていいほどよい結果がでている。

・寄り目を意識的にするトレーニングを毎日3分行えば、
それだけで眼球視力のアップにつながる。

・目だけでなく首を温めると、脳に送られる血液の量が増え、
目の周囲の血流もよくなる。特に首には大きな動脈が流れている
ので、首回りを温めると目の改善には非常に効果的。

・緑黄色野菜などに含まれているルティンという成分に、
目の病気を予防する作用がある。ルティンは、ホウレン草、ケール、
ブロッコリーなどに含まれている。

特にケールとホウレン草に多く含まれていて、その量は
突出なさっている。

・一時的に目薬に頼りたいという場合、自家製の目薬を。
180ccの水に小さじ1杯の塩を混ぜれば、簡単にできる。
これに目を浸し、目をパチパチさせると水分補給ができる。

・野菜を先に食べてご飯を最後に食べると、血糖値が上がりにくい。
また、よく噛んでゆっくり食べると血糖値が上がりにくい。

・ストレスが視力を低下させる。人間関係のストレスは――
一般的に人の長所と短所は表裏一体で、長所が短所となり得る
ように。短所もこちらの受け取り方で長所となる。

相手の嫌な面ばかりをとらえるのではなく、いいように解釈する
ようにすればストレスは軽くなる。

例)「押しの強い上司」と考えるとストレスになるが、
「自己主張がはっきりなさっていてわかりやすい」と考えれば、
それはその人の個性と変わる。イヤなものをことさらイヤだと
思ってしまうと、苦手意識はどんどん大きくなる。

・「見る力」のメカニズム
見える状態~力をいれて対抗できる。
見えない状態~力が入れづらく、対抗しづらい。

つまり、脳は見た情報をもとにエネルギーに変換し、筋肉に
伝えることで力を出す。

「よく見えない」=「情報不足」は、日常生活のあらゆる行動に
影響(障害)をもたらす。

・格安メガネは、視力と屈折度ぐらいのデータしか測定しない。
30分ほどで出来るメガネは、細かな調節がなされていないため、
使用なさっていると目が疲労なさっていく。

・矯正視力が1.5や1.2になるような見えすぎるメガネは、
目に負担がかかる。見えすぎるメガネの弊害は、目を疲れさせる
だけでなく、「見よう」とする脳の働きをも低下させてしまう。

・情報社会が幸せをもたらすことは、ない。
情報は必要なものだけを入れればよい。余計な情報を目にするから、
目は疲れ果ててしまう。

・少しでも目の負担を軽くするために、パソコンやテレビの画面を
見る時や本を読む時は、正面からみるようにする。寝転がって
斜めから見ると、片目ばかりを使ったり、乱視がすすむ原因となる。
パソコンの使用は1日8時間以内にとどめるのが理想的。

・眠る時、灯りをつけていると目を閉じても光の刺激を受け、
目を十分に休めることができない。神経にも影響する。
睡眠中の修復機能を高めるためには、眠る時には灯りをすべて消し、
真っ暗な状態で眠る習慣をつける。


超高次元ブログ 『悟空の郷』様

常に『今』を意識する方法

FC2版の広瀬すずちゃんの横顔になる方法の記事です♪
身長を伸ばす記事も追記してみました♪

日本最高級の絶世の童顔美女画像特集♪斉藤なぎさちゃん♪小宮有紗ちゃん♪吉木千沙都ちゃん♪藤田ニコルちゃん♪



麗しい☆超~可愛い☆          童顔の記事♪
日本最高級の☆絶世の童顔美女画像特集♪

 今回は、お久しぶりに童顔美女画像特集をしちゃいま~す♪
実は、可愛い童顔美女の画像が結構溜まってきましたのもあって、そろそろベストセレクションを記事にする時期かなぁ…と判断した次第なのです。

 やはり世界人類、男性・女性問わず、魅力的な美しい女性を鑑賞する時というのは、最高に心癒される瞬間ではないでしょうか。

 実は、目鼻の部分がが同じ様に見えても、ずば抜けて可愛い女性というのは、ほぼ例外なく鼻の下が短いものなんですね。

 私は何でも追求するタイプの人間なものですから、何故、似たようなパーツでも可愛いと普通っぽいの違いがあるのかなぁ……というのを素朴な疑問を追求して、この嬉しい事実に辿り着いたという訳で御座いますね。

 そして…ついに、私のタイプが童顔美女であることを自覚するに至ったという訳なのです(笑)。もう堂々と童顔美女が好きと言っちゃいます♪

 ちなみに、努力で童顔になる方法まで編み出してしまいました♪私もこの努力で童顔化が大成功しております。詳しくは、広瀬すずちゃんの横顔の秘密♪の記事をご観覧して頂ければ幸いです。

 眩しい程に魅力満点で可愛い女性のビューティーパワーで、心の清涼剤に生きる喜びに、心の潤いに、元気ハツラツに、明日への活力にと人類の皆様の至福のひと時にご活用して頂ければ幸いで御座います。


 次世代の千年に一度の絶世の美少女と噂の「斉藤なぎさ」ちゃんです♪
ただでさえ端正な顔立ちなのに、髪型も可愛くて可愛らしくて最高に魅力的ですね♪こんな可愛い女性はぜひ大活躍してほしいです。私もめっちゃんこ大好きで~す♪

 ちなみに、黒目が非常に大きい方なのですが、黒コンではなくて、本物の自前の眼らしいですよ♪きっと、心が清らかで優しい心の持ち主なのでしょうね。可愛くて美しいのに心が愛に満ち溢れているなんて素敵です♪

 声優とアイドルを兼任しているグループの一員としてご活躍されているそうです♪これからの成功と飛躍を心からご祈念申し上げます♪




 この方は、小宮有紗さんという女優と声優を兼任されているスーパー☆有能で☆なおかつ類まれな美貌を持つ女性の方です。
 スカウトされてデビュー、初期は女優を主に活動されていて、後に声優方面にも進まれたそうです。

 小宮有紗さんは顔立ちが端正な美形の童顔で、本当に可愛らしいので、声優さんの可愛いさ満点の派手派手な髪型が非常によく似合っていて、本当に非の打ち所がない絶世の声優美女といった様相を呈していますね♪

 個人的には今まで生きてきた中で、ベスト5に入るといっても過言ではないくらい美しくて魅力的な女性だといっても言い過ぎではありません。麗しい奇跡の美顔・スーパー女神級の可愛さですね♪

片岡沙耶さんという多分…童顔美女の最高峰のグラビアアイドルの方です♪珍しくネットでも褒められまくりだったりして、端正な顔立ちの日本最高峰の童顔美女スターですね。
 それにしても、ここまで童顔な方も珍しいんじゃないでしょうか。
( ^ω^)・・・・正直、私もモロど真ん中にタイプです(笑)

 
 この女性は、「ちぃぽぽ」という別名を持つ「吉木千沙都(ちさと)」さんです。美少女コンテストで優勝されてから、芸能界で大活躍されている方のようです。若い女性のカリスマ的な存在とも言われているそうです。

 さすが、チャンピオンなだけあって、本当に端正な絶世の美女で、しかも超童顔なのが可愛くてたまらないですね♪超☆童顔好きの私も完全にメロメロで”ちぃぽぽちゃん”に悩殺TKOです(笑)








この佐々木希ちゃんは可愛さ全開で特に大好きです♪











一枚だけですが、ロシアンメイドカフェで有名な「ナスちゃん」さんです。ロシア系の方は白人さんの中では童顔の女性の割合が一番高い気がします。

だからこそスラブ系は美人が多いと言われるのでしょうね。
それ故に「美人=童顔・童顔=魅力的な女性」という定義が成立するという事でしょう。童顔美女バンザ~イ☆彡ですね(笑)♪























 最後はみんな大好き「ニコるん」こと藤田ニコルさんです♪実は隠れニコるんファンだったりします(笑)。個人的には昔の可愛い髪型の方が好きかも♪
 ハーフで愛嬌があって可愛らしくて魅力的な女性だと思います。これからも大活躍して幸せになってほしいですね♪








FC2版の広瀬すずちゃんの横顔になる方法の記事です♪
身長を伸ばす記事も追記してみました♪

xeno tactic 1.3完全攻略法をご紹介♪完璧クリア達成に活用♪防衛ゲーム初期の傑作♪FLASHGAME攻略情報♪


初期☆防衛ゲームの名作
「xeno tactic 1.3」完全攻略法をご紹介♪

 今回は、珍しくゲーム関連の攻略法をご紹介させて頂きます。防衛ゲームというジャンルが出来た頃、初期の名作である「xeno tactic 1.3」というGAMEにハマりにハマっておりました。ここ三年で一番遊んだゲームだったように思います。You Tubeの攻略動画も山程見ておりました。

 ちなみにこのゲーム、正統的な攻略法では、レベル80前後からにっちもさっちも【二進も三進も】いかない状態になってしまいます。

 それで、こちらの3つのサイトをご参考にさせて頂いて、

XENO TACTIC - メモ書き 基本編

「Cheat Engine」と併用して、資金を好きなだけ増やせるようにして、赤のマックスパワーの武器を縦横無尽に配置して遊んでおりました。

 面白いことに、そんなチートを利用してでも、意外と地上部隊と、上空部隊の二種類をうまく捌けるようにする事は意外と困難だったりしまして、かなり手強いやり甲斐のある大変面白いゲームだったりするのです。

 力技で適当に配置しますと、フルパワーの赤を思う存分配置しても、大体LV93とLV100の上空部隊を逃してしまうので、相当に工夫しないと上手くクリア出来ないのですね。この絶妙さが非常に奥が深く、実に味わい深くて楽してハマってしまうんですよねぇ(ニッコリ

 今まで何回かマイブームがあったりしましたが、恥ずかしながら、ここ最近にまたついうっかりハマっちゃったという訳ですね(笑)。

 覚者☆上江洲義秀先生のご光話MP3を聴きながら、時間を無駄にすることなく、悟り度をアップさせながらも、息抜きでFLASHGAMEも楽しむという一挙両得で、一石二鳥な極楽タイムを過ごせて幸せで御座いました。

 ……それで私自身色々な配置を何回も工夫しながら、ついに…、ついに…、パーフェクトクリアが出来る究極の配置を見つけてしまったのです。

 ( ^ω^)……まさか…まさか…完璧クリアが出来るなんて……
 やったぁ~☆彡やったねッ☆彡マンモスうれピー☆彡

 時間も費やしましたし、せっかくですから、その配置をご紹介させて頂こうかなぁ~…って思いまして、記事を作らせて頂いたという訳なのです♪

 基本事項は下のリンク先でご確認していただくとして、

XENO TACTIC - メモ書き 基本編


簡単にご説明だけさせて頂きますと、
●地上部隊に対しては、

  • SAM TURRET - 対地ミサイル(通称:サム)
    コスト:400 範囲:140 速度:VERY SLOW ダメージ:256
  •  対象:複数(地上のみ)
    備考:範囲が広くて着弾点の敵全てにダメージを与える、ただし遅くて攻撃力が低い、ヘリは攻撃しない

 ●上空部隊に対しては、
  • DCA - 対空ミサイル
    コスト:640 範囲:75 速度:FAST ダメージ:480 対象
  • :単体(空中のみ)
    備考 対ヘリ用武器、速くて攻撃力最強、これがないと空中戦は厳しい、地上の敵は攻撃しない

の二種類で対応するのが一番ベストのようでした。それにフリーズ砲を、最小限に最大限に能力を発揮できる形で、位置取りを調節しながら

  • FREEZE TURRET - フリーズ砲
    コスト:200 範囲:75 速度:SLOW ダメージ:40 対象:複数
    備考:敵の速度を落とす、アップグレードすると速度を落とす効果も上がる、武器としては弱い

配置するのが、一番効率が良くてベストなのだと試行錯誤を繰り返した上で理解できました。フリーズ砲は多すぎても、無駄になりますし、少なかったり、配置が少なくても、逆にダメージ量が減ってしまいますので。

 さっそくですが、最終完成形の配置はこんな感じになります♪
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 レベル100の最後の上空部隊に対して、一匹だけ逃してしまいましたが、上空部隊の出現場所はランダムですから、こればかりは運次第でしょうね。何回かすれば一匹も逃さずパーフェクトクリアは出来るかと思われます。

 ちなみに、地上部隊に対してはパーフェクトに殲滅できました。この画面の二匹は、異様にHPが高いのでジャグリングを1時間位しないと倒せないので、もう最後は逃して残りHP17でクリアしちゃいました。

 ですが、理論的には残りHP19でクリアした事になりますので、後は、上空部隊の出現場所いかんによって、パーフェクトクリアは充分に可能という推測が成り立つという訳であります。

 上空部隊に対しては、これくらい対空向けの【DCA】を配置しないと厳しいみたいです。これより少ないと、LV93までは何とかなりますが、LV100の上空部隊には殆ど抜けられてしまうのです。
 これにはさすがにまいりましたねぇ……えへへっ^^;♪

 ジャグリングするために、三方向に道を作るのは鉄則なのです。下の画像を参考にして、地上部隊を固めて「サム」のダメージを複数にまとめて与えれるように導くのが短い時間で倒す秘訣ですよん♪

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クリア画面はこんなにシンプルです(笑)
あんなに頑張ったのにぃ(´;ω;`)………えっ!これだけ…みたいな♪
だからパーフェクトクリアの価値がある……みたいな♪
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最後に試行錯誤時代のキャプチャ画像を数枚ご紹介させて頂きますね♪色々試してみるのも楽しくて良いかもしれませんよ。レベル88ぐらいまででしたら、適当でも何とかなりますから(笑)♪
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「試行錯誤時代の画像」を見て頂いたら何となく分かって頂けますが、初めはプラズマ砲使いでした。
地上と空の両部隊にたいして有効ですから、これが最強でしょうと……。

 ところがレベル88を過ぎて来ますと、どうあがいてもプラズマ砲では地上部隊で四苦八苦してしまい、空に対しての余裕がなくなってしまい、
最後の「LV93」と「LV100」の上空部隊に対して、少数の「DCA」だけで対応する形になってしまい、どうも上手くいかないようでした。

 一回だけ「残りHP10」と奇跡的に上手くいっただけで、殆どの場合、残りHPギリギリクリアというのパターンが多かったです。

 一回、フリーズ砲が一切無しという配置も試してみましたが、この形では、敵の動きが速いままでしたから、ジャグリングが間に合わず地上部隊に逃げられてしまうという(笑)、悲しい結果に終わってしまいました。

 武器配置を増やすために、二方向の道でやっていた弊害ですね。失敗から学びまして、昔やっていた三方向の道に変更するきっかけとなりました。
「失敗は成功のもと」さ~と前向きに考えてみたり♪

 もしかすると、このGAMEをパーフェクトクリアしたのは、意外と私が初めてなのかも知れませんね。さらりと世界初の偉業を達成☆みたいな♪

 最近の防衛ゲームは複雑化していますから、シンプルで分かりやすいこのGAMEで、一度純粋に楽しんでみるのも一興かもしれませんよ♪

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ローム大霊講話集から引用させていただきました


日本に来た支那の道士の話

 汝らも知っている秦の始皇帝が、支那の全土を統一して帝位に即いたのは二千年余り前のことで、その時彼は40にはなっていなかったが、さて国が治まってみると急に生命が惜しくなり、百年も二百年も生きていたいと思うのは人情である。

 そこで全国から沢山の学者を集めて、不老長寿についてあらゆる文献や伝説を調べさせた処、その中から次のような記録が出て来たのである。

 この国から東の果てに行くと5つの大きな山のある島があって、そこには金殿玉楼に神人が住んでいるが死というものは無い。

 それは不老不死の木があって、その実を食べると決して年を取ったり死んだりしないからだというのである。始皇帝はこれを聞くと直ちに国に命じて人を集め船団を造り、この東の果ての島を求めて船出させたが、これは何年たっても帰って来なかった。

 そこで今度は人の数も船の数も殖やして徐という人を隊長とし、一同を武装させて見事な船隊とし、一同を武装させて見事な船隊としたのであるが、この徐は道士であったらしくその術も心得えていたのである。

 始皇帝もこの男なら間違いあるまいと安心して、必ず不老不死の薬を取って来いと命じ、徐もそれを神に誓って東に向かい出発したのである。

 そうして長い船路の末に日本へ来たのであるが、途中で船隊が崩れたため、ある船は九州に、ある不船は四国にという風になって、徐の船は紀州の熊野に着いたのである。

 早速上陸して色々と聞いてみたが不老不死の薬などあろうはずはなく、これから探すとしてもこの国を全部歩くとなれば何年かかるか分からない。

 そこで除は一つの方便を案出して熊野に来た者を引き連れて支那に帰り、始皇帝の前に出て報告するには、向こうへ渉り仙人に会って参りましたが、あなたの持ってきた貢物が少ないから不老不死の桃の実をやる訳にはいかないと申します。

 そこでどうすればよいのかと尋ねますと、仙人は第一に支那の国の機織りや農耕の機械と楽器とを船十艘、第二に若い美男美女を五百人ずつ、第三に各種の武器を船十艘、それだけ持ってくれば金の桃の実を渡すと約束しました。

 それを聞いた始皇帝は、新しい大掛かりな船団を組織して要求された貢物を積み込み、徐を団長として再び東への道に旅立たしたのであるが、

恰(あたか)も台風の季節であった為に大時化(しけ)に遇い、船団は散り散りになり沈んだ船も沢山出て、熊野に着いた時は十艘余りになっていたのである。

 しかし後からぼつぼつと漂着する船もあって、最後には五十艘近くなったのであるが、それをゆっくり待っていた徐は一同を熊野の浜に集めてこういうのであった。

「汝等はこの国に住み着き、持ってきた機械で畑を耕し機を織って暮らしていきなさい。あの戦争ばかりしている国と違って此処では安楽に過ごすことが出来る。

 日本は不老不死というより不老長寿の国で、水が清くあらゆるものに恵まれ、四方海に囲まれて外から責められる心配の少ない真の楽土であるから、自分の仲の好い者と一緒に暮らしてゆくがよい。

 わしは当分の間、汝等の長となるから、何か問題が起こったら必ずわしの名前を三度呼んでくれ」。そう言うと同時に彼は姿を消してしまったのである。

 現在でも熊野川の河口にある新宮市の蓬莱山には秦人徐福の墓があって、一千年前ほど前に建てられたものとなっている。そうすると徐という人はその後ずっと日本にいついたらしいのである。


血糖値を下げる100のコツ    新谷弘実先生の記事♪
から引用させていただきました♪

水分を上手に摂るには、酢を混ぜた【酢水】にするとよい。
疲労の回復も早く、【血糖値】の急激な上昇も抑えられる   
       

●汗をかくと血液は粘度を増し、体内循環が悪くなる

 適度に体を動かすことは、健康で快適な生活をするのに欠かせません。日頃「健康増進医学」や「糖尿病・肥満の運動療法」「糖尿病」「老化と運動」などを研究テーマにしている私は、運動こそ、薬に頼らず頭も体も健康を維持すうる、最も安価で手軽な方法だと考えています。

 しかし、急激な運動、過度の運動は、体を害するというのもまた事実です。そのあたりのバランスには、最新の注意を払っていただきたいと思います。メドとしては、中程度の強さの歩行、ジョギング、自転車で1回10分~30分程度と考えて下さい。

 体を動かすと汗ばみます。これは、体温が上がり、血液の濃度が高まって、体に負担がかかった状態になっているともいえます。

 人の体の60%は水、この動きに注目してみましょう。運動で体温が上がると、汗が皮膚表面から分泌され、体温を下げようとします。汗の水分は細胞間液から出て、減った細胞間液は細胞内液から補給されます。

 さらに、減った細胞内の水分は、血液の水分から補給されますが、血液は水分補給の元がないので、濃縮していくというわけです。

 濃縮し粘度をました血液は、ある程度限界を超えると、体内を循環できなくなりますから、その前に、脳は「汗を出すな」という指示を出します。
 汗が止まると体温は上昇し、熱中症に至ります。これで、水分補給をせずに運動することは、危険極まりないことがお分かりいただけるでしょう
 

●運動前後の水分補給は、酢と糖と水の組み合わせで行う

 たとえば1Lの水分が汗で失われてしまってから、すぐに1Lの水分を体に補給することは、普通、出来ません。のどが渇いて水をがぶ飲みしても、吸収されるのは、せいぜい6割ですし、それが細胞の隅々(すみずみ)まで届くには時間がかかります。

 よくいわれるように「水分補給はこまめに」が基本ですそして、汗をかく前(運動の前)に、ある程度の水分を体に入れておくことも必要なのです。

 それでは、この運動前後・運動中の水分補給はただの水で良いのかというと、さにあらず、糖分と酢が入った水、正確にいうと、酢と糖と水をブレンドしたものがよいというのが、私達の研究で明らかになりました。

 その理由は3つあります。疲れた時には甘いものが良い---などとよく言われます。
 確かに糖の摂取は、運動によって消耗したエネルギーの補給になるわけですが、糖だけを摂ると急激に血糖値が上がってしまい、体に逆の負担がかかってしまいます。この時、酢と一緒に糖を摂ると、【血糖値】の急上昇が抑えられるのです。

 疲れた時にすっぱいものを摂ると疲れが早く取れると、レモンやオレンジを運動直後に食べる人いがいます。

 これは果物の酸味であるクエン酸が、糖の分解を抑えて、消耗したグリコーゲンが肝臓や筋肉に再補充することを促進するからに他なりません。これと同じ役割を、クエン酸だけではなく、酢(酢酸)も担うことがわかりました。

 また、運動によって、体内に疲労物質である乳酸が生まれるわけですが、その生成が、酢を飲んでいると少ないことも明らかになりました。つまり、疲れ方が少ないと考えもよいのではないのでしょうか。

 糖だけを摂取すると、疲労物質とされる乳酸が中々減らないのです。それが酢と一緒に摂ると、乳酸の減り方が早まることもわかりました

 それに、肝臓にグリコーゲンが速やかに補充されると、血糖値の維持も楽になります。それは「さあ、また動けるぞ」と、体が回復したことを意味します。

 【酢水】に糖分を加えた飲み物は、いつまでも元気に動きたい人には、格好の健康ドリンクといえるのではないでしょうか。

 飲む量の目安ですが、グラス1杯の酢水を毎食後飲むと、一日約600mgになります。好みでもっと飲んでも全く問題はありませんが、このくらいから初めてみてはいかがでしょう。
 決まった作り方もありませんが、グラスに酢を20ml程度入れ、八分目まで水を注ぎます。甘みは好みで加えますが、砂糖よりハチミツやオリゴ糖などがよいでしょう。


FC2版の広瀬すずちゃんの横顔になる方法の記事です♪
身長を伸ばす記事も追記してみました♪

徳を積む事は結果的に自分の得になる♪徳の力で大難が小難に♪人々に喜びを与える♪功徳・陰徳♪上江洲義秀先生♪

          
徳を積む大切さを学ぶお話

 今回は、徳を積む大切さを学ぶお話を、最新記事と過去記事を絡めてご紹介させて頂きます。私自身も、色々な精神世界の為になるお話のお陰で、いわゆる「徳を積む」大切さに気付かせて頂きました。

 それから、ささやかではありますが、ゴミ拾いや、人様に対して、優しく・至れり尽くせりの親切心・愛の態度・爽やかな笑顔……等々、身口意を思いつく限り正して参りました。

 そのお陰で今では、自分でもびっくりするほどにラッキーマンな人生に変容したのです。不思議なツイてるエピソードが山程ある位にです(笑)

 人生は良い事や悪い事が起きるのが普通だと思われておりますが、実の所、日々徳を積んで、想いを正し、行いを正し、言葉を正していきますと、自身が積んだ徳で、守護の神霊の存在にちゃんと守られて、幸せがずっと続いてゆく喜びに満ち溢れた人生に変容してまいります。

 覚者☆知花敏彦先生も、他人に親切にしたり、困っている人を助けたり、笑顔で優しく…等、一杯善い行いをして、「徳を積む人生」を送っておりますと、例え解脱出来なくても、来世はそれはそれは幸せは人生になりますよ……、と仰っておられます。

 ぜひ皆様も、日々「徳を積む」事によって、真の開運者になり、不思議な程にツイてる人生になって、幸せハッピーライフを送られてみてはいかがでしょうか。ご参考になれば幸いで御座います。


      
徳を積む重要性のお話      上江洲義秀先生の記事♪    
カルマゼロへ  (上江洲義秀先生)

 世の中には日々の生活のため、または欲にかられて隣人や知人からの借金を返さない方がおられます。

 返済を強く求められてもその義務から逃れようとし、法的に貸主が請求できる期日が経過すれば、借り主はうまく逃げられたと思うでしょうか。宇宙の法則の中ではそうはいかず、しっかりとした精算が待っているのです。

 仮に、結果的に誰かの財産から百万円という金銭を奪うことになった方がいるとします。時を経て、その方自身が百万円という損失をこうむる事で精算される場合もあります。

 中には己の肉体をもって返さねばならないこともあり、さらに大切な隣人にその影響が及ぶ場合もあります。どの様な方法で精算させられるかは実に様々と言えるのです。

 宇宙のダイナミックな働きの中でそれはなされますが、その仕組み(※因果律・カルマの刈り取り)は、驚嘆するほど実に精密に行われているのです。

 一方で思慮深い情を持って困っている方を言葉で励まし、その方が再び立ち上がれるよう経済的手段で助ける方がいるとします。

 良き言葉、良き行ないは着実に積み重なり、御本人の未来や隣人、子孫に良い影響を与えます。それは厳然とした事実であり、善意のあらわし方は様々あります。

 両者は自らの手によって全く異なる原因を作ったと言えるのです。私達は真理をしっかりと携(たずさ)え、正義に基(もと)づいて日々を過ごさねばなりません。

 聖人は困っている時ほど人に施しをと言っておりますが、困っているという現象の理由は、自らの徳の蓄積が、限りなくゼロに近くなるまっで枯渇している事が原因である事が多く、枯れた井戸からは水を汲む事が出来ないものです。

 徳という井戸水※が枯れてしまっては、私達は半歩たりとも足を前に運ぶことは出来ません。
(※守護霊さんが助けようとしても、「徳」が無いために助けられない事例もあるそうです。非常時に備えて徳を貯めておく事が大事ですね♪)

 「今」からでも、施しという善意や汗水たらす作業で、徳を積み立ててゆく事を心がけて頂きたいものです。



オーラ オーラ オーラ から引用させていただきました


守護霊のメッセージを受け取ろう   木津龍馬さんの記事♪

 守護霊がいない人などいません。
 いるというよりは、「ある」とか「存在する」と言ったほうが適切かもしれない。では”どこに”存在しているのか?

 守護霊はオーラの中に、光として、存在しています。

 守護霊は、先祖だったり、おじいさんやおばあさんといった身内だったり、まったく関係のない人の場合だってあるけれど、その人達のオーラの一部分が、オーラの6層目に入って、僕達の存在をサポートしています。

 一般に言われているように、「あれこれ守っていくれている」わけではない。手出しはせずに、じっと見守っているだけです。

 ただし、守護霊がメッセージを”インスピレーション”という形で与えてくれる事はありま「言葉なきメッセンジャー」といった存在です。

 食事に気をつけて血を綺麗にし、感謝することを忘れず、直感を磨いていく。そうするとアンテナが稼働して、より高次の存在である守護霊のメッセージを、ひらめき」「気付き」「虫の知らせ」「内なる声」という形でキャッチできます。


小泉宗雄・「三光太源文化研究所

様から引用させていただきました 


その1 「お袋に小遣いをやれ―」

 
 これは昭和37年頃、今から50年も前に私が体験した実話であります。

 当時、私は恵比寿にあった綜合統計研究所・後年綜研と社名を変えた市場調査機関に勤務していました。

東京オリンピックを数年後に控えた高度成長の時代で、私はまだ20代後半の若さではありましたが、総務主任という役職にあり、今思い返すと多忙の日々が夢のように過ぎ去ってゆきました。

 今でいうクライアント・仕事の発注先は、霞が関を中心とした官公庁と諸団体、当時は銀座にあった電通さんや日比谷の朝日新聞社さんなどで、役員や書類のデリバリー用に、

ブルーバードやライトバン等数台の自家用車がありましたが、社員の営業用として、当時通産省の国民車構想に呼応して発売された三菱コルト600を1台購入しました。

 リアエンジンで空冷式のためか、冬場はエンジンの掛が悪く、しばしばバッテリーが上がって往生しましたが、価格が低廉でリッター当たりの走行距離が長い経済車で、車体がコンパクトなために運転がし易いので、社員に人気がありました。

 車両の管理を担当していたこともあり、勤務が夜分に及ぶ時は、この手軽なコルト600を運転して世田谷の自宅に帰り、朝は恵比寿駅で社員を数人拾って出社するのが常でありました。

 そんな冬の日、朝食を済まして鞄を抱えて玄関で靴を履こうとした時でした。
 「あなた、これから車で行くのか―」、その声は耳で聞いたのではなく、頭の中に強く浮かんできたのです。「はい、出かけます」「それではお袋に小遣いをやれ」「はい」。そんな問答がありました。

 丁度母が玄関までまで見送りに来ていました。財布から確か千円札を取り出して「お母さん、お小遣い」と言って渡すと、「ありがとう」にこにこして受け取ってくれました。

 危惧したエンジンが一発で掛り、赤堤通りから小田急の梅ヶ丘の踏切を渡り、環状7号線とクロスする宮前橋の交差点に入る時でした。何台もの対向車がクラクションを鳴らすのです。「おかしいな、なんだろう」ふとバックミラーを見ると、車のバンパーから白い煙が出ているのです!

 びっくりしました。兎に角、交差点のど真ん中で車両を止め、エンジンキーを回しましたが、どうしたことかエンジンが切れないのです。慌ててトランクを開けると、わっと炎が、もお、びっくり-。
 幸いなことに、交差点の角に大きなSSがあり、従業員の方が二人、大きな消火器を2本抱えて駆け付けて、無事火を消してくれました。

 駆け付けてきた販社のセールスンが車を引き取り、原因不明のままに車両は修理されました。この様な事故は私が処理する立場にあり、実損がなかったことと、欠陥車が社会問題になる以前のことなので、

たまたまの事故として、取り立てて問題にならずに済みました。そのためか、何か夢でも見ているような気持ちでおりました-。

 暫くして、会社から車で家に向かってその交差点を通りかかった時、はじめて愕然としたのです、あの事故がもし別の場所で起きたら、私はどうしただろうかと。

 細い道ではありませんが、淡島までSSはありません。その途中で気が付いたら、あのままだったらガソリンに火が回って車が炎上し、場合によっては近隣にまで火災が広がり-!

 「定められた災厄は必ず来る。しかし大難が小難に、小難が無難になることはある。人間の行為(徳)が主護霊や背後の神霊の力を倍加させて、そのようになるのだ-」と小泉平一は言っておりました。

 「お袋に小遣いをやれ」あの声なき声は、今でも頭に浮かんで参ります。


興味深くて☆スピリチュアル秘話が満載でオススメです♬


祈り (徳によって祈りが叶う原理)   井出昭彦さんの記事♪

 誰もが皆、お祈りをしたことがあると思います。それは心の中であったり、神社の前であったり、お寺の中であったり、あるいは夜寝る前の布団の中であったりしたかもしれません。

 そして多分皆さんは、神様が、天使が、ご先祖様が守ってくれる、導いてくれる、願い事を叶えてくれるとのことで、祈られているのではないかと思います。以下、心の眼の観点から感じたままに記していきます。

 ます、祈りは、徳の数によって成就されるということです。えっ、何のこと?、と思われることでしょうね。きっと。ここで、預金のことを思い浮かべてみてください。

 原理としては同じですから、把握しやすいと思いますので。
あなたが新車を欲しくても、それだけのお金がなければ購入する事は出来ません。(物を買うには)お金という貯えがこの場合、必要です
 
 では徳とはどういうものなのでしょうか。そして徳を積むとは一体どういうことなのでしょうか。人に親切にするとか、街に落ちているゴミを拾うという行為も、徳として換算されて、積まれていきます。

 たとえそこに貴方のその行為を見ている人が誰もいなくても、あるいはあなたの親切を相手の人が気づかないとしても、です

 私は時々、遠隔ヒーリングを行うことがあります。相手には「気を送ったよ」とか、「今からヒーリングをするからね」とかを、特に伝えたりはせず行う場合が殆どですが、心の眼で私自身の徳の数を教えてもらうと、それは増えていたのですね。「情は人のためにあらず」という言葉の意味は実は、このように自分のためとなっているのだ。ということなのです。

 拝めば救われる、という以前に、自分自身の今までに行ってきた善の行為(徳)によって、自分自身が助けられる、救われる、という事柄は実際にあり、それは事実なのであるということを、皆さん方には是非知っておいて頂きたいと思うのです。

 今の日本人における徳の数の平均はいくつでしょうか。百を満点とした場合、その平均値というものは実は二十です。ちょっと少ないなあ、と感じられたのではありませんか。

 ではなぜ少ない数なのでしょうか。それは、自分本位の考え方で生きている人が多いことをそのまま顕しています。

 それだけ自分だけ良ければいいんだ、という考え方に基いて生きている人が多いということを顕しているのですね。ですが、面白いことに、そのような人というのは徳が少ないから、逆に幸せな人生は送りにくいのですけれども。

 自分自身を振り返るということは、自分の心の状態・在り方が、出来事を作り出しているのですから、そのようになってしまった原因は、他人ではなくて自分自身にある、ということに気がつくことなのです。

 例えですが、もしあなたが、全てを人のせいにするようなタイプの人から、何かを言われたり、誇張されていわれたり、あるいはまた、無いことまでもをもひわれたとしても、誰に対しても言い返したり、事実を説明したり、証明したりすることは必要ありません。まずそのような事を言っている人というのは、天上界にある(閻魔帳)につけられてしまうのだそうです。

 加えて、そのような人から何を言われたとしても、「ここで言い返したり騒いでみても、周囲の人達を巻き添えにしたり、事が大きくなるから、ならば黙っていよう」としている人には、大きな徳が積まれるのだそうです。

 預金で言うと普通預金ではなく、定額預金に該当する程の大きな徳になるとのことです。


様から引用させていただきました

正木和三先生の          政木和三先生の記事♪
徳を積んで寿命が伸びたお話    

自分の死期を事前に知り、その予言通りに亡くなったケースは世界でも多くあるようだ。有名なところでは、エマニュエル・スウェデンボルグが自分の死ぬ日にちを予告した手紙を第三者に送り、実際にその日に「霊界へと旅立って」いる。スウェデンボルグによると、霊界との交信により容易に死期を知ることが可能なのだという。

16世紀、当時最高の占星術師といわれたノストラダムスも、多くの事件や人々の死期を予言、実際に的中させたとされている。以前紹介した竹内巨麿の4男高畠吉邦も知人の死を事前に知ることができたために、「誰々さんに会っておきなさい」と、知人が死ぬ前に面会しておくように妻に言うのが常であったという。人には天の法則によって決められた寿命があるのだろうか。

その日は1979年2月であった。これはフーチパターンによって知った「正木の寿命が尽きるとき」だった。「死因」は心臓発作。正木はそれを約6ヶ月前に知った。当時、正木は肝臓をわずらっており、医者から治療を勧められたが、それも断った。死期を知った正木は、ますます目先の欲望に拘らなくなった。

死期が迫っていても、別にそれをそのまま寿命だと受け止め、欲望をすべて捨て去ってしまった正木に、1979年の元旦の朝、生命体からのメッセージが届く。

汝は永年にわたり、陰徳を積みたるがゆえに、汝の寿命を延ばし、汝に力を与える正木は最初、どのような陰徳を積んだのか分からなかった。

 その後、生命体から、瞬間湯沸かし器や自動炊飯器など数々の発明をしながら、自分は一円の収入も得ず、多くの人々に喜びを与えたことが陰徳であることを知らされたという。

正木にとって、発明によって特許権を行使し、カネを儲けるなど、ほとんど考えられないことであった。

あるとき電機メーカーの関係者に、正木が約3000件にも上る自分の発明特許を無効処分にしなければ4000億~5000億円の特許料が入ったのではないかと言われて、正木はこう答えた。「そんなお金なんかいりません。生活できるだけのお金があればいいのです。

それに私は瞬間に発明ができます。瞬間にできるものでお金はいただけませんよ」正木の寿命は先に延びた。

秋山眞人も表現は違うが同じようなことを言う。
徳を積むとは、結果的に自分の得になることをすることなのです」。

つまり、人のためになることをするという徳は、めぐりめぐって自分の得になる、情けは人のためならずという宇宙の法則が働くということのようだ。

最後に、正木が生命体を通じて得た次のようなメッセージを紹介しよう。水をかぶったり、お経をあげたりするのは、自分のための修行であって、自己満足にすぎない。

 本当の修行とは、欲望を捨て自分以外の人々に喜びを与えることである。
すると、人々に喜びを与えたエネルギーが、高次元の生命体となって自分の肉体の中に入ってくるのだ。


様から引用させていただきました

不思議な世界番外6(最終回)
精神が世界をつくる

私は顔を変えたことがある。といっても整形手術をしたわけではない。精神の力で変えたのだ。

まさかと思う方もいるだろうが、実はこれは誰でも無意識のうちにやっていることでもある。苦労やストレスは顔に出るし、穏やかな心は、顔を穏やかにするではないか。

ウソばかりつく政治家が醜悪な顔になるのと同様なメカニズムだ。
私はそれを意識的にやっただけで、別にたいしたことではない。

 それは私がまだ、中学生のときだった。友人に裏切られ、私は極度の人間不信に陥った。すべてを疑いの目で見るため、誰も信じられなくなり、ひたすら孤立していった。

 あるとき、ふと鏡の前で、自分の顔をまじまじと見た。何ということか。鏡に映し出された自分の顔は、それまで見たことがないほどいびつになっていた。

 対称性が失われ、歪んで醜く見えた。
これはひどい。病んだ精神がこれほどまでに自分の顔を歪めるとは!」
――。私はかなりショックを受け、打ちひしがれた。

それからである。私は顔を変えることにした。不思議なことに、私はそれができると確信していた。病んだ精神が顔を変えるのだから、
健全な精神をもってすれば、また顔は変わるはずだ、と考えたのだ。

  猜疑心、不信感、憎悪などの私が持っていたマイナスの感情を、すべての可能性を信じることにより、信頼、愛情、寛容などのプラスの感情にできるだけ変えていった。

  今から思うと、一種の自己催眠であったのではないかと思う。悩みはほとんどなくなり、ストレスにも強くなった。ストレスがあっても、自分を客観視(ストレスに悩む自分を観察)して、まさに客観的に楽しむようにした。

  予想通りに私の顔は、再び元の自分の顔へと戻っていった
そして、自己催眠が効きすぎたのか、今でも童顔のままである)。

  人間の苦労は顔に出てしまう。これは誰もが認めるはずだ。しかし、同じストレスがあったとしても、ストレスに苦しみ、その苦労が顔に出てしまう人もいれば、ストレスをプラスに考え、苦労とも思わない人もいる。

  これが結局、顔を変えることにつながる。ストレスに負ければ、中学時代の私のように顔が歪む。額の皺の刻印は深くなり、実際の年齢よりも老けて見えるようになるだろう。

  だが視点や意識を変えることにより、ストレスは、ある程度の緊張をもたらすだろうが、苦労にはならなくなる。
  同じ年月を経ても、一人は老人のように、もう一人は若々しく見えてしまうのはそのためだ。

  すべては人間の意識が決めるものである。あなたの意識が決まれば、肉体や物質はそれに従うのだ。意識(精神)はおそらく、あなたの世界の統治者である。あなたはこれから、どのような世界をつくろうとするのだろうか。

  これまで多くの超能力者を紹介した。彼らは不思議な世界を旅するものたちである。しかし、実はあなたこそ、この深遠にして不思議にあふれた世界の主役であり、かけがえのない「神の旅人」でもあるのだ。


・自分はついてると思う♪
・いつも笑顔・口角を上げてスマイル♪
・人の気分を害する事はしない・悪口は絶対に言わない♪


1.眼施(げんせ) やさしい眼差(まなざ)しで人に接する

 「目は口ほどにものを言う」といいますように、相手の目を見ると、その思いはある程度わかります。相手を思いやる心で見つめると自然にやさしい眼差しとなり、人は安心します。自らの目を通して相手に心が伝わって、相手も自分の気持ちを理解して、お互いが打ち解けることができることでしょう。


2.和顔悦色施(わげんえつじきせ) にこやかな顔で接する

 眼施と同様、顔はその人の気持ちを表します。ステキな笑顔、和やかな笑顔を見ると幸せな気持ちになります。そして周りにも笑顔が広がります。人生では腹の立つこともたくさんありますが、暮らしの中ではいつもニコニコ、なごやかで穏やかな笑顔を絶やさぬよう心がけたいものです。また、メールの顔文字も一工夫してみてはいかがでしょうか。


3.言辞施(ごんじせ) やさしい言葉で接する

 言葉は人と人との関係を円滑にするコミュニケーションの大事な方法です。私たちは言葉一つで相手を喜ばせたり、逆に悲しませたりする場合があります。相手を思いやるやさしい言葉で接していきましょう。「こんにちは」「ありがとう」「おつかれさま」「お世話になります」など、何事にもあいさつや感謝の言葉がお互いの理解を深める第一歩です。


4.身施(しんせ) 自分の身体でできることを奉仕する

 重い荷物を持ってあげる、困っている人を助ける、お年寄りや体の不自由な方をお手伝いするというような身体でできる奉仕です。どんなによいことと思っても、それが実行できなければ意味をなしません。よいことを思いついたら実行し、自ら進んで他のために尽くしましょう。その結果、相手に喜んでいただくと同時に、自己の心も高められるのです。
 

5.心施(しんせ) 他のために心をくばる

 心の持ち方で物事の見方が変わってしまうように、心はとても繊細なもので、自分の心が言葉遣いや態度に映し出されます。自分だけがよければいいというのではなく、心底からともに喜び、ともに悲しむことができ、他の痛みや苦しみを自らのものとして感じ取れれば言うことはありません。慈悲の心、思いやりの心から自然とやさしい顔や眼差しにも表れてくることでしょう。


6.床座施(しょうざせ) 席や場所を譲る

 「どうぞ」の一言で、電車や会場でお年寄りや身体に障害を持っている方に席を譲ることです。座席だけでなく、全てのものを分かち合い、譲り合う心が大切であるという意味が含まれています。何事も独り占めはいけません。少なくとも電車やバスのシルバーシートは本来の意義に従って利用しましょう。場合によっては自分の地位を譲って後のことを託すという意味も含まれるでしょう。


宇宙創造の神が勧める霊性を高める方法 洗心

いつももつべき正しい心(=常の心)
強く     明るく
正しく    我が祈り
宜しからぬ欲を捨て
みな仲良く、相和して
感謝の生活をなせ

心の中からなくすべき感情(=ご法度の心)

憎しみ  不満
妬み   疑い
猜み   迷い
羨み   心配心
呪い   咎めの心
怒り   いらいらする心
不平   せかせかする心


■四句御箴言(しくごしんげん)

与えられたことを感謝して受けよ      関英男博士の記事♪
与えられぬことを感謝して受けよ

与えられたことを拒むこれ欲なり       瞑想の記事♪
与えられぬことを欲するこれ欲なり


FC2版の広瀬すずちゃんの横顔になる方法の記事です♪
身長を伸ばす記事も追記してみました♪
 

眩しいキラキラ輝く麗しい絶世の美女♪佐々木希ちゃん画像特集♪心の安らぎ・希望に♪明日への活力に♪存在に感謝♪

                 

絶世の美女 佐々木希ちゃんの秘蔵画像をご紹介♪

 いきなりですが、地上に舞い降りた女神との噂の名高い、絶世の美女である佐々木希ちゃんの画像特集をしちゃいま~す♪

 ちょっと前に、「チア☆ダン」効果で、広瀬すずちゃんの横顔の秘密♪の記事が大ブレイクを果たしたお陰で、現在でもブログを訪問してくださる方が特需状態の今こそ…今こそ、秘蔵っ子の「佐々木希ちゃん☆スペシャル画像」の記事を披露すべきではなかろうか(笑)、と思った次第なのです。

 自分の切り抜きから加工した中で、一番美しくて可愛い画像を厳選してアップさせて頂きました♪ですので、この記事だけでしか見れない超☆激レア画像という事になりますね♪めっちゃおっ得~♪ラッキーかも♪

 非の打ち所がない絶世の美女・眩しい・神々しい光り輝く美しさ可愛さを持つ麗しの女神☆佐々木希ちゃんの美画像で、気力回復に・心の安らぎに・生きる希望に・目の保養にご活用下さいませ♪

            

夜の熱中症対策の記事はこちら♪⇐脳の血液温度を45度以下にするのが大事♪ 

         












































ノゾミン半端ないって。可愛さ半端ないって。 

絶世の美女で可愛いのにめっちゃ料理するんやもん。 

そんなん出来ひんやん、普通。





FC2版の広瀬すずちゃんの横顔になる方法の記事です♪
身長を伸ばす記事も追記してみました♪

広瀬すずちゃんの美しい横顔のお蔭でアクセス数が半端ないお話♪奥行き顔族になる方法♪チア☆ダン効果万歳♪



3月15日の夕方からアクセス人数が激増しているお話

 お久しぶりです♪3月15日の夕方からアクセス人数が激増しておりまして、はて?なぜこんな面白い状況になっているのかな…って、思っていたのですが、次の日にアクセス解析を見ましたら、何と!、3月15日の解析で、

広瀬すずさんの美しさを徹底追求(画像あり)♪横顔美人の条件とは♪顔の悩みはこれで解決♪身長・小顔♪永久保存版


 のアクセス数が124アクセスに跳ね上がっておりました。

 それで、ああ…な~るほど、広瀬すずちゃんが、また何かしらドラマの主役でも初めたんだろうなぁ……、と分かりまして、
 ネットで調べてみましたら、どうも「チア☆ダン」というTBSドラマの第一回目の放送があったのが原因の様でした。

 昔も広瀬すずちゃんがドラマの主役をした時にも、一気に広瀬すずちゃんの横顔の秘密♪の記事にアクセスが集中した時がありましたが、今回は前回の時を遥かに超えるアクセス数になってました♪

 それでもしかすると、誰か情報拡散能力の高い方が、私の広瀬すずちゃんの横顔の秘密♪の記事をご紹介して下さったのかも知れません。

 まぁ私は昔ながらのガラケーのみで、TwitterとかLINEとか、HIP☆HOPなスマホを駆使するタイプな情報ツールを一切しないものですから、何が原因なのかはさっぱり見当がつきませんが……笑。

 いずれにせよ、一度でもこんな夢のようなアクセス数を体験できただけでも本当に満足ですし、自分の経験が他の方々の幸せのお役に立てる事が何よりも嬉しくて嬉しくてしょうがありません♪人類全体の幸せが自分の幸せですからね♪

 もう…「広瀬すずちゃんの人気ったら半端ないって」って言いたいです♪ ちなみに私の横顔も、あの例の横顔の記事♪の努力によって思いっきり、広瀬すずちゃんみたいな “奥行き顔族” な感じになっております。

 側面の厚い顔と言われたことがある位ですから真実なのです。有り難い事に、立体的な顔をしてますと、デジカメの写りが抜群に良いんですね。どうも、いわゆる実際の顔と写真写りの顔の差が無くなってくるみたいです。

 現在では努力によって、加藤雅也さんと互角か、幾分か勝っている位の彫りになれました。横顔がカッコいいと自分撮りが好きになります(笑)

 日本人の顔には、“平たい顔族” と “奥行き顔族” があるそうですが、私のすずちゃんの横顔の記事♪を実践して頂くと、努力によって誰でも遺伝とは関係なく、顔に立体感が出てきて、ギュッと締まった小顔効果が出てまいります。

 ほぼ確実に、広瀬すずちゃんのような魅力的な立体的な顔になれますから、もし宜しければ、皆様も実践されてみてはいかがでしょうか。

 誰でも横顔が綺麗な “奥行き顔族”  になれちゃいますよ♪他にも美形になれちゃうとっておきの秘密が満載で、内容が濃くなってますので、一度でもご観覧して頂ければ幸いで御座いますm(_ _)m♪


すずちゃん半端ないって。人気半端ないって。
横顔が気になって皆がめっちゃ検索するんやもん。
そんなんせえへんやん、普通。

3月16日の訪問者数です♪エベレスト山頂みたいになっております(笑)。
226人が広瀬すずちゃんの横顔の記事でした。474人の半分くらいが、広瀬すずちゃんの魅力のお陰という事になります。すずちゃん様様ですね♪ありがたや~♪



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追記しました♪

7月17日の訪問者数です。ついにアクセス人数が995人に♪
その中で広瀬すずちゃんの横顔の記事♪のアクセス数が913人ですから、
ほぼ九割以上の方がご観覧されたという事になりますね。



想像を絶する嬉しい事態に歓喜の雄叫びを上げております♪(´;ω;`)…ウウッ…感動♫♬~♪(∩´∀`)∩ワーイ


やったぁ~♪(o´▽`o)v






追記しました♪

7月18日の訪問者数です。まだまだ嬉しい悲鳴が……何と!639人も♪
その中で広瀬すずちゃんの横顔の記事♪のアクセス数が455人ですから、
ほぼ7割以上の方がご観覧されたという事になりますね♪




追記しました♪

7月19日の訪問者数です。まだまだ特需が続いております……何と!461人も♪
その中で広瀬すずちゃんの横顔の記事♪のアクセス数が218人ですから、
ほぼ47%以上の方がご観覧されたという事になりますね♪




追記しました♪

7月20日の訪問者数です。まだまだ嬉しい悲鳴の……397人も♪
その中で広瀬すずちゃんの横顔の記事♪のアクセス数が136人ですから、
ほぼ三割以上の方がご観覧されたという事になりますね♪


綺麗な山が出来ました(笑)♪

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覚者☆知花敏彦先生の過去記事からの引用ですが……♬


「神がおわすが故に私はおわすのである」

 イエス様は、「神おわすが故に私がおわすのである」と言われました。神がいなかったら、あなたはおりますか。かみはまたき神ということですから、神は全ての全て、ありとあらゆるものです。ですから、我々がこの肉で見ているものは、神の化身です。すなわち、人間一人一人はみな神の化身であって、他の何者でもありません。
 
 ですから、「人間は何か」と言われた時は、「人間の形をとった神」と言って下さい。
 動物とは、動物の形をとった神です。動物をお作りになったのも大霊で、動物の中に生きて働いているのです。唯一不二の大霊、唯一不二の神しかおりません。

 宇宙に霊はいくつありますか。ひとつしかありません。神霊・大霊・神の他は何もありません。この肉体をつくったのも神であり、肉の中に神が宿っていることを知っていて、大霊が肉体を作って、大霊が肉の中に宿っていると自覚の出来た人は精霊の下った人です。

あなたは宇宙に遍満する普遍的大霊である

仏教から言えば、霊道の開かれた人という意味で、霊との繋がりの出来た人です。すなわち神との繋がりが出来た人という意味です。それをあなたが認めた時、神が皆さんを通して働きたもうのです。なぜ、神が皆さんを通して動かないかといいますと、あなたが神と自分は別だと分離感を持っているからです。

 あなた方は宇宙に遍満する普遍的大霊です。「我は普遍にして無限」です。無限は宇宙大ですから、宇宙我です。そして普遍ですから普遍我です。大霊は普遍的大霊ですから普遍我となるわけです。

 あなたは大きい存在です。普遍的存在です。自分が普遍であるという自覚の出来ている人を、普遍意識といいます。大霊は宇宙霊ですから宇宙大です。宇宙我になります。そうなりますと、宇宙我、宇宙即我、我即宇宙となるわけです。ですからお釈迦様は宇宙即我という境地に到達されまして、全てが大霊であることを悟られて、不滅の仏陀、不滅の霊となられました。

神は一様(ひとさま)です。神々が様々な表現をしているだけです。我々は表現を見て、表現者を見なかったのです。即ち神理を見なかったと、神を見なかったことになります。この、神理を見なくて現象にとりつかれている人間を、盲目の指導者といいます。

「汝、嘘つくなかれ」「汝、盗むなかれ」

イエス様は「神は全ての全て、ありとあらゆるもの」と言われました。神は万物の親、万物の作り主です。万生万物を神が作って、万生万物の中に神が宿っているわけですから、世の中に神の他に何があるのでしょうか。この世の中に神を宿していないものが一物としてあるのかと言いたいのです。

 ですから、神こそ我々の父といえます。この肉体は作られたものであり、大霊は作り主です。作られたものの中に、必ず作り主である大霊が生きて働いておられます。

 神のみが生きています。「神生きるがゆえに私は生きるのである」。ではあなたが働いているのですか、神が働いているのか、どちらですか。神のみが働いています。ですから、私が働いた、私がやったといって嘘をつかないで下さい。「汝、嘘つくなかれ」「汝、盗むなかれ」です。

 人間が人間を産むことはありません。神が人間の生みの親です。霊によらないで、神によらないでこの世に人間が生まれる事はありません。神は万物の親です。万物の作り主です。全存在の本源です。

恐怖感は自負である

迷った人のみ人間であるのであって、悟った人間には人間という意識はありません。人間即神です。人間の実体は神であって、その他の何者でもないことを知る必要があります。

 そして、その人間とは神の仮の姿です。人間は姿形をとった神です。草花の一つにも神はおり、一粒の卵子たりとも神を宿しています。この意味が分かりますか。ですから、神は万物の親となります。

 いつになったらあなた方は、「私が、私が」という言葉がなくなるのでしょうか。あなたという利己がある限り、あなたは迷っています。あなたがなくなったときに、あなたは安らぎとなります。平安となります。自分がある限りは不安と恐怖です。

 神には不安や恐怖は存在しません。色々な心配事や恐怖感があったとするならば、あなたは自分に負けていることになります。自負です。その自負の事を何と言いますか。自我と言います。自らの我といいます。

 自負は即自我です。勝手に自分だと思っているだけです。勝手というものはありません。初めから皆さん方は普遍的存在です。今も普遍です。未来永劫普遍ですから、個人といえるものがありましょうか。

 ここにあるこの木の葉は全体ではありませんか。では、あなたは個人ですか、全体ですか。全体です。これを全我と言います。全我なる我です。「我は全ての全て、ありてあらゆるもの」となります。ですから、人になしていることは全部自分になしていることであると言えます。

 私達はこの普遍的我に目覚めなくてはなりません。個人的な自分が存在しますか。個人の実体は即普遍です。その普遍的なものを認めた時に、その普遍的な知恵と力があなたを通して働くようになります。

 神を認めた時に、認めるものは現れる、あなたが普遍を認めた時に、普遍があなたを通じて現れると言うことです。

無我の境地とは何か

 無我とは何かについて語りたいと思います。無我とは自分がないという意味です。本来の自分は存在していないのですが、私達は自分が存在していると感じて生きてるわけです。
 
 しかし、本来の自分はありません。自分があるならば、自分に負けていますので、自負となります。自負とは自らに負けているという意味です。本来の自分はありません。

 悟った方である、覚者の方々は自分は存在していないことを知っていますから、無我の境地になれます。では、自分がなくて何であるかといいますと、神がおわします。即ち、神一元です。大霊という神が、大生命という神が、全ての形体を作って全ての中に宿っています。

 我々は形体は大霊が創って、大霊が宿っています。ですから自分は即大霊ですから、自分があるのではありません。
 その大霊とは神です。「人間即大霊」「人間即神」です。人間とは人間の姿を取った神です。人間と神とは一つです。そうなりますと、神のみが独存するということで、神の地には絶対に何もないことが分かります。これを何かといいますと、全(また)き神といいます。またき神とは全ては神という意味です。

「神は全ての全て、ありてあらゆるもの」

イエス様は、「神は全ての全て、ありてあらゆるもの」とい言われました。我々の肉の目で見ているすべての形体の実体はみな神でありまして、草花の中にも神が宿っているし、砂浜の砂一粒にも神が宿っています。そして、神のものであるとは、神の他には絶対に何もないということです。

 私にもいて神もいるとはいえません。そのようにいう人ならば、その人は迷いの真っ最中です。大霊のみが実在しています。神のみが実在しています。大霊のことを皆さん方は大神様といいます。大霊と大神様はイコールです。即ち神霊です。大霊即大神様です。

我は神なりの意味

自分即神です。ですから「我は神なり」であって、「我は人間なり」ではありません。人間の実体は神です。私達は仮相に目がくらんで、その見えるものの実相・実体を見ていません。全ては神によってなれりです。

 その神がすべての形体をお作りになり、すべての形体に神が宿っていますので、神の他には絶対に何もありません。ですから神が絶対者であり、絶対神です。
 
 神一元という意味は、神の他には何もないといえます。これが理解出来た時に、神の自覚となります。神の自覚とは、自らが神だと悟ったという意味です。迷った人のみに人間はあるのであって、悟った時には人間は存在しません。

 人間は実在ではありません。神のみが実在です。あなたの肉外はあなたがお作りになったのです。あなたは神です。

目隠しされていたものが落ちることを
目から鱗が落ちたという

 神の他には何もないのに、私達は形に目がくらまされているのです。目隠しされてしまって、本質的なものを見失わされていました。形で目隠しされていました。

 その見えるもので目隠しされていたものが、落ちること目から鱗が落ちたと言います。それを真実を観たといいまして、実相を観たという意味です。宇宙に遍満する大霊が、普遍的なものが、その個人、個人の全部の中に普遍が宿っているわけです。

 大霊の中に人間がいて、人間の中に大霊が宿っています。全ての万生万物は大霊の中にどとまり、大霊は万物の中にとどまっています。その大霊の中においての個人の存在ですから、私達は大霊の中におり、大霊は私達の中にいることになります。形の実体はみな大霊であり、神であるといえるわけです

霊道が開かれた人
 
 霊一元・神一元とは、神の他に絶対に何もないという悟りを得た者、自分、自らが神であることを悟った者は、神の自覚の出来た人といえます。人間は形の世界で生きていますので、どうしても自分を神だと認めるわけにはいかないようです。
 
 あなた方は神信者を見たことがありますか。世の中には沢山の神信者がおりますが、ほとんどの方々は神信者ではありません。神信者とは神を受け入れた人のことで、入信状態とは、自分は神の中におり、神は自分の中にいるという状態をいいます。

 自らが神であることを悟られた人間は入信状態です。霊道の開かれた状態です。自分と大霊とが一体であるという境地になった人は霊道の開かれた人です。
 
 ですから、あなた方は今から大霊になるのではなく、初めから神であったし、今も神であるし、未来永劫神です。その他の何者でもありません。その他の何者であるか、考えることを迷妄というわけです。


から引用させていただきました


まとめの記事♪ 


耳よりな話として、もしアルツハイマー病にかかっても、
ココナッツ・オイルで治すことができるそうです。
ココナッツは有難い食べ物です。
たまにはココナッツを食べるのも良いかもしれません。

(概要)
6月21日付け:
私の大好きな母はアルツハイマー病の初期症状が出ています。
母は70才を超えたばかりです。
身体的にはまだまだ元気なのですが、精神的に少し壊れてきました。
私は母に病気の治療のために代替え医療のスペシャリストを紹介することにしました。
その治療方法とは・・・
大量の純正ココナッツ・バージン・オイルを 摂り続けることです。

そして、母はこの治療方法を開始した途端に症状が改善しました。
以下のビデオ
ではココナッツ・オイルでアルツハイマー病を治療できると伝えています。

アルツハイマー病は治るのです!
ワード医師が紹介する、この治療法を軽視すべきではないと思います。

実際に、アルツハイマー病は、狂牛病と同様のプリオン病なのでしょうか。
このような真実は隠ぺいされてきたのでしょうか。
ワード医師によると、アルツハイマー病の原因は隠ぺいされてきたそうです。


(正常な脳とプリオン病の脳の片側を比較)
政府、企業そして検索ソフトが隠ぺいし続けてきた恐ろしい秘密とは:
アルツハイマー病はプリオン病だったのです!詳細は以下のサイトを。
リンク

(一部紹介)
『専門家の実験成果により、
脳内で自然に生成される感染性のないプリオン・タンパク質がアルツハイマー病の原因である可能性が
高いことが分かりました。(実験の詳細は省略)

これまでは、感染性のない正常なプリオン・タンパク質ではなく、
感染性のあるプリオン・タンパク質が
脳の退化の原因とされてきましたが。。。

ネズミの実験結果でわかったことは、
感染性のない正常なプリオン・タンパク質に焦点を当てることで
治療が可能となることが分かりました。

タンパク質の誤作動が原因!
長い間、アルツハイマー病は脳内にアミロイドβペプチドが蓄積する
(最初にオリゴマーに変化そして最後には長くて粘着性のある小線維となり、
脳内にプラークを形成する)ことが原因であると考えられてきました。
ペプチドがオリゴマーになると、有毒になると考えられましたが、
それが脳内でどのように作用するのかは解明されていませんでした。

エール大学の科学者チームによる研究成果により、
感染性のない正常なプリオン・タンパク質が感染性のある
プリオン・タンパク質と接触することで
感染性のあるタンパク質に変異してしまいます。

その結果、脳が凝集し、クロイツフェルト・ヤコブ病(つまり人の狂牛病)
などの神経変性疾患を患うことになるのです。

科学者チームは予めプリオン・タンパク質を取り除いたネズミの脳を
薄く切って調べたところ、
アミロイドβが長期の記憶形成に重要な長期相乗作用と呼ばれるプロセスを
妨げることはなかったのです。

同様に、プリオン・タンパク質をブロックする免疫体を使うことで、
誤作動したアミロイドβペプチドによる脳へのダ メージを防ぐことができました。』

このようにアルツハイマー病は・・・
プリオン病=感染性海綿状脳症=狂牛病=BSE=ヤコブ病=クールー病=
羊と山羊のスクレイピー病=猫海綿状脳症=鹿やエルクの慢性消耗病なのです。

一部には遺伝的な要素もあるとも言われていますが断定することはできません。
プリオン病は、動物の中枢神経系統(脳、目玉、脊髄、髄液)に存在する
プリオンを体内に入れたときに感染します。

これらの厄介な”残り物”(脳、目玉、脊髄、髄液)は、
動物の餌や加工食品(ホットドッグ用ソーセージ、その他)に使われています。

このような歯応えがあり壊れにくい特質を持つ伝染性の”残り物”は、
料理をしたり工場で加工するなどして、
世界中の人々や動物の口に入っており、水和反応により病気が発症しています。

感染性のないプリオン・タンパク質が脳の劣化の原因となっています。
感染性のあるプリオン・タンパク質も感染性のないプリオン・タンパク質も、
同じように病気の原因となっています。

科学者らは2009年にアルツハイマー病がプリオン病であることを発見していました。

くれぐれも、輸入肉にはご注意を!
特に、焼き肉食べ放題なんて・・

また、袋めん、カップめん、ブイヨン、コンソメ等に入っている

「ビーフエキス」「ポークエキス」は肉骨粉・・

神の御心は普遍的で何一つ区別しない宇宙的愛♪全ての人と和解♪エドガー・ケイシーとウェーダ哲学♪上江洲義秀先生

エドガー・ケイシー悟りの発見 カルマと転生の真実
から引用させていただきました
            

神の御心は普遍的で何一つ区別しない宇宙的愛

 人間の意志は神の御心と区別されるべきです。神の御心は友人と敵との間を何一つ区別しない宇宙的愛だからです。
 非利己的愛の心を表す者のみが天に入る事が出来るのです。これは聖書でも次のように支持されている解釈です。

「我に向かいて主よ主よという者ことごとくは天に入らず。ただ天にいます父の御心(宇宙的愛の実践・非利己的愛)を行う者のみ、これに入るべし

 イエスが普遍的な父(なる神)の愛を実践する事を強調しているのは明白です。神と人に対する普遍的な愛を持たなければ、人は天国に入る事を望めない事が分かります。

 では復活の基盤(解脱・悟り)としてのカルマ論はどのように語られているのでしょうか。イエス・キリストは、愛を持って憎しみに応える事が盲信より優れる事をどの様に語っているのでしょう。

 マタイ伝第五章の最後に一節がこれをさらに明かしています。キリスト愛(普遍的な愛・無差別・無所得の愛)が人を神の子に値するものに変える事を明らかにした後で、イエスはこう続けています。

「汝ら、己を愛する者を愛すとも何の報いかを得べき。取税人も然するにあらずや。」
自分を害する者も、愛する人達と同じ様に無条件の愛で愛しましょう

 神に基礎づけられた純非利己的愛のみが人間を自由にし、彼(意識・魂)を完全さ(真我)へと向かわせるのであります。
 イエスが、負い目を持つ兄弟との和解がなぜ、神の実現(神我顕現)に向かう第一歩なのかを説明してくれています。次のように語っています。

「このゆえに汝もし供え物を神前に捧げる時、そこにて兄弟に怨まれる事あるを思い出せば、供えものをそこに残し置き、まず行きて兄弟と和睦し、然る後来りて供え物を捧げよ。

 汝を訴える者と共に道に在るうちに早く和睦せよ。恐らくは、訴える者汝を審判に渡し、彼は下役に渡し、遂に汝は獄に入れられん。誠に汝に告ぐ。一厘も残りなく償わずば、そこにいづること能わじ。」

 イエスは、我々がカルマの法則に従って「最後の一厘(不調和なカルマ)」を完済してしまう時までは、
 生死の牢獄(輪廻転生)に区切りをつけて永生(永遠の生命)を得る事(解脱する事)は出来ない、と戒めているのです。

 イエスは、神の御心--聖愛(神と人に対する普遍的な愛・慈悲と愛・全てを許し全てを愛する心・明想)--- が実践されない限り、天国に入れない事を訴えているのです。


古代インドのウェーダとエドガー・ケイシーの共通点

 無限、不可視の純粋霊があらゆる存在の超越的本源であり、それはイシュヴァラ、神、つまり変わりゆく世界の普遍の基としての全能にして不滅の個我(真我・宇宙神霊)の形をとっています。

 今一つエドガー・ケイシー・リーディングは彼の出世に先立つ四千年の昔に遡(さかのぼ)るウェーダの創造論を言い換えたものに近いのです。

 ケイシー、は一方では物質、他方では神に対する魂の関係を質問され
小宇宙の物質的創造は人の場合と同じく第一原因(創造主)に関係していると明言しています。
 
「自己の内と外に表されている、目に見える様々な天体の中で、物質界の中でさえ、あらゆる力、あらゆる働きが一つ(神)から現されたものである。

 それで、(神の)伴侶となれること、(宇宙と)一体となれること、(無限と)一つになれる能力が、一つの天体の中にあるあらゆる力、あらゆる現れの中に、これらの属性が現される為に必要となっている。」

 人が一方では、物質的力、他方では神の霊的顕現の中間に立っていると云う考えが、次のように語るリーディングの中でさらに支持されています。

「一つの原子、一つの物質、一つの形が変えられたからと言って、その源あるいは※霊までが変わったわけではない。その現された形態が変化したのみであり、第一原因(無限・大愛)との関係が変わったのではない。
※神は無限の質量・宇宙に遍満する大霊・神はありてあらゆるもの

 人が物質界において、その持てる知識、知性に関して(宇宙生命・無限が)何を為しているのかに気づく意識※に至る事、第一原因、原理、基礎、本質(根源)に入ることを招くのである。
神おわすが故に私がおわすのであるの意識

 それは、表されているものの中に、魂にとって、実体にとって益するもの、魂を創造的力、創造的影響力に受け入れられる伴侶にしてくれるものが表されているためである。」

 ウェーダの三重創造の哲学を次のようにエドガー・ケイシーは言い続けています。
「その初め、支配法則と共に、現された形の中に見られるものを動かした存在があった。物質を破壊し得ないこと、その様々な形に分かれる際の一つ一つの力、力の源の能力が特定の天体に現されているものを生み出している。

 この事は多くの方法で人間を整える為の様々な現された方法で使われる元素の中に、第一原因あるいは神に対する人間の関係を支配する法則を示す事柄の中に見る事が出来る。」

 人が世界魂としての第一原因、そして物質的現れとしての第一原因によって型どられるというウェーダの三重の創造論の中で、神と人と世界の関係を明らかにしてみましょう。

 述べてきた通り、創造の3つのカテゴリー全てが、この文脈では第一原因の非物質面なる個我(神我・真我)と翻訳出来る神、不動の動者、プルシャの上に休んでいます。自然界と訳せるプラクリティは物質的創造の三面全てを現わしめるダイナミックな形而上学(けいじじょうがく)下の力です。

 (形而上学=感覚ないし経験を超え出でた世界を真実在とし、その世界の普遍的な原理について理性的な思惟によって認識しようとする学問ないし哲学

 プルシャの形而上的力から、創造の大宇宙面の魂であるイシュヴァラ(無限質量)が沸き起こってきます。
 個々の宇宙、そして銀河の中心が崩壊する事があっても、イシュヴァラ(大生命・大愛)は形而上学存在であり、破壊する事は出来ません。

 それと同様、個々の中心を制御している魂の力あるいはデバータスも破壊出来ません。イシュヴァラは、あらゆる形而下現象を超えた不動の基礎であり、神の創造の大宇宙面の絶えざる運動はこれに頼っています。

 人の生命の五重の区画は地球、月、太陽、銀河、宇宙の中心というデバータスの5つの分類に対応します。
 人間の肉体は地を表わし、心は月を、知性は太陽を表します。個我の非個人的無意識は銀河の中心を表わし、純粋我は宇宙の中心を表します。

 宇宙の中心、あるいはスヴァヤンブ・プラジャパティはその物質面において崩壊しうるが、その中に不滅の純粋我(真我・大生命)を有しています

 実際には、その純粋な霊(宇宙生命)があらゆるものを貫いており、それが大宇宙のデバータであれ人であれ、また電子のような小宇宙的実体であれ、個別化されたものことごとく根となっている(内在している)のです。

 滅びるのは一つ一つの実体の物質面のみであります。エドガー・ケイシーは先に引用したリーディングで同じ見解を正確に表現しています。

「一つの原子、一つの物質、一つの形が変えられたからといって、その源あるいは霊までが変わったわけではない。その現された形態が変化したのみであり、第一原因(創造主・無限宇宙)との関係が変わったわけではない。」

 人間と物質と宇宙に関するケイシー・リーディングの全てが、ウェーダ哲学においてパラム・プルシャとスヴァヤンブが使われたのの全く同じ意味で「聖霊」と「第一原因」という用語を絶えず使っているのは印象的です。

 その上、彼の創造論は右の説明なくしては一般人には理解できないままで残される事になりましょう。

 第二の創造部門、すなわち人間の構造は大宇宙と小宇宙の中間に位置しています。それはアドヒ・アートマンと呼ばれ、純粋霊の無限な、また形而上学的な要素と、肉体的エネルギーの形而下的要素の結合なのです。

 生きた人間であるジヴァの形に生まれ、転生するのはこの魂です。エドガー・ケイシーはジヴァの事を「実体」と呼びました。人間は小型の宇宙であり、それが宇宙的人間に似ているという意味での神の似姿であります。

 その魂は不滅であり、無限の側面です。肉体的、精神的、感情的、また合理的、知的側面は滅びる要素です。
 しかしながら、転生の最中に心的、知的傾向、非個人的な無意識面における傾向がカルマの形で人の魂に付随していくのです。

 誕生を繰り返す度毎に、肉体の傾向さえもカルマの形をとって持ち運ばれてゆきます。
 (明想によって)あらゆるカルマが消された時(宇宙意識に到達した時)に、純粋我は神、至高者、一なる者(内なる神の国)へと戻るのです。

 第三の創造面は小宇宙であり、これはアドヒブタム、あるいはダイナミックな世界の物質的創造です。これもまた、大宇宙と人間の創造における5つの面に対応する、可視的実体としての5つの物質的元素を持っています。

 5つの形而下的元素とは、地の元素または固体物質で、これは地球に対応します。次に月に対応する水の元素、太陽に対応する光、銀河の中心に対応する風、ガスの元素、中心宇宙に対応する空、あるいはエーテルの5つです。

 物質の構成においては、空の元素(無限・大愛)、アカシャが、人間における魂がその中心であるように不滅の中心となっています。

 アカシックレコード(物理的宇宙の不滅の面に保管されている記録)は、世界に転生してきた魂一人一人の痕跡のことなのです。
三重の構造を合わせ持つ至高者としての神は次項の表で表す事が出来ます。
   

                                至高者としての神

不可視の宇宙的自我個人的心霊的自我非個人的心霊的自我
大宇宙の神聖構造   人間の構造(魂)物質的小宇宙の構造

宇宙の中心           純粋我           エーテル
太陽                非個人的無意識        風(ガス)
月                        知性・心         火(熱
地球                      肉体             水・土  

 
 神は、精神としては創造の三重構成の中に偏在していますが、同時にこの3つを超えてもいます。神は4つの存在面を持っています。無限者としての神はあらゆる属性を超え、一なる段階さえも超えています。

 第二の段階では、神とは純粋な本質、純粋なる意識であります。ここでも、神は主体でありながらあらゆる人格化を超えています。第四の階層は神の偏在的性質を表しています。これは意識として、力としての神の現れです。
 
 ですが、この段階においても、神はその霊の所産である時間と空間に支配された世界に左右されず留まっています。その霊は神霊エネルギーとなって世界に入り、創造の三重構造を起こさせているのです。

 聖なる構造の中で父なる神(真我・神我キリスト・無限の愛)は至高者です。彼(真我)は到達すべき目標なのです。

 人の構造において、子なる人間は神性という無限の側面(全我・普遍我)と、肉体、心、知という有限の面(自我・偽我)とを合わせ持っています。

 その聖なる面は、聖なる源(真我・神性意識・内なる神の国)にたどり着こうとする自己実現(悟り・解脱)を目標とする魂です。

 人は聖なる自己と可視的自己とを現しているが故に最高の具現者なのです。人は自己意識を持ち、この自己意識が自分から物質的制限(五感の感化・偽我)を取り払って神へと戻るように人を促しています。
 エドガー・ケイシーはこれを次のように表現しています。


問「心と物質と霊という意識の中にあって、実体の活動(輪廻転生)の目的とは何でしょうか。」

答「それは、その実体(意識)が自分自身であり、なお全体の一部(父なる神と常に一体・宇宙は一つの生命体)である事を自ら知るようになる為である。

 全体そのものではなく、全体と一つであり、そこから、自分自身の個別性を保ち、自分が自分である事を知って、しかも自分を生まれさせた、

意識を与えてくれた第一原因(神・無限者・大愛)の目的と一つであることをも知るという事である。これが目的である。これが(人間が)存在している事の原因である。」

問「物質的表現に生まれる魂の目的は何でしょうか。」

答「その初め、魂が個人的に現れ出る働きにおいて、それは創造的力または神の伴侶(神との合一・真我顕現・覚者)となる目的を帯びていた。」
 

 このエドガー・ケイシーの言葉は、すでに人間の構造について述べていた事を正しく伝えています。人の創造の目的そのものは、自己実現(宇宙意識への到達・解脱の真理・宇宙神理を理解して悟る事)なのです

 人間そのものの中に、魂、心、体、父と子と聖霊という三位一体が存在しています。自己実現(解脱の真理)、神との合一(真我到達)に至るには3つの道があります。

 その第一は、カルマ・ヨーガ、カルマの道であり、これは神へと向かう魂のゆるやかな進歩です。
 単純に言うと、ある人が神の礼拝(真理の勉強)に心を寄せず、宗教的方法に取り組む事がなくても、彼は何千という転生でのカルマの働きを通して、完成へとゆっくり進んでいく方法です。

 この方法では、(気の遠くなる程の輪廻転生で)苦しみと得るものとを大きく体験しなくてはなりません。
 それでも、慈悲深い行いを自発的に選ぶ事によって人は神に至る速度を早め、自分を転生の周期から外して自由を得る事が出来るのです。

 第二の道は、バクティ・ヨーガと呼ばれる信愛の道です。ここでの目標は聖なるものですが、その方法は世俗的であります。

 人はその世俗的で物質的な行為を全て、神の愛に従わせます。神を父であり、主である至高者として礼拝しどのような人間の営みにおいても愛の道に従うのです。エドガー・ケイシーはこの道をより強く勧めています。

 第三の道は直感的知識の道、つまりジナーナ・ヨーガです。ここでは、目的と手段の両方が聖となります。
 この道に従う人は、明想という内的手段によって聖なる知を得て、ついには生来の経験主義的な人間の段階を聖なる段階へと変えてしまうのです。
 
 なぜ、我々は自己意識の行為者としての人間が父なる神(真我・無限大の愛)に戻ろうと切望すると述べてきたのでしょうか。

 ケイシーは、神の栄光は全創造物の中に現されている(全ての全ては神の現れ・神の他には何も存在しない)のだと繰り返し語っています。
   


 神は全ての創造主なのです。   
 神様は、木をお創りになり、金魚をお創りになり、海をお創りになり、山をお創りになり、そしてその中に、ご自身が宿っていらっしゃるのです。

 そして空気の中にも、水の中にも、私達の中にも、動物の中にも、全てを創造して、その全ての中に、私がおる事を知りなさい。全てが私である神ならば、あなた方は、全てを愛さなければならないのではないでしょうか。

 
 次の一文は、いかん物質性(肉体での経験)というものが、神への道として考えられているかを伝えています。

「一人一人は、ある目的を持って物質性(3次元界)へと生まれ出るのである。地上でのあらゆる経験が一つであるという事が、自己の中に成長と知恵とを増してくれる経験の中で起きてくる願いと憧れによって示されている。

 そのために、一つの全体としての人間は、体と心と魂において、創造、意識的に現されたこの進化、この内在する魂の自覚に関わる諸法則(明想)を日々応用(実践)した結果、自分自身(全ては自分・全ては神)であるということを悟るのである。

 三重の創造を考えると、このことは人間が神から発し、神へとまた戻るという目的を明確に伝えています。次のリーディングでは、ケイシーはインドの聖人達が発見した基本的な真理を言い直しています。

「意識が受肉(転生)する目的とは何か。体と心と魂の側面一つ一つが、それを生み出している創造的力の栄光(神我顕現)に向かうことである。」

 ケイシーが「創造的力の栄光(神我顕現)」という用語を使っている事が注目されます。あらゆる創造の側面がその中に存在する所の創造的力は、宇宙に遍満する神の側面である事は疑いありません。

 聖書と伝統的なキリスト教という背景を持っていたにも関わらず、彼が個人的な意味ではこの文脈の中に「キリスト」と云う言葉も「神」という言葉も使おうとしなかった事は注目すべきです。

 つまり、ライフ・リーディングを与えている時のケイシーは宇宙的、普遍的な真理(宇宙神理)と繋がりを持っていたという事なのです。



エドガー・ケイシーが語る解脱の真理♪から名場面の引用ですが……♬


 エドガー・ケイシーは常に惑星上に受肉(転生)した魂としての人間の存在が一つの目的を持つこと、その目的とは個々の魂と神との関係(全ては神ご自身・全ては一つ)を悟ることに集約される事を訴えています。

 ケイシーは、神の栄光は全創造物の中に現されている(全ての全ては神の現れ・神の他には何も存在しない)のだと繰り返し語っています。

 人間性の全体、体と心とが神の現れであるという明快な言い方を採るエドガー・ケイシーのリーディングを引用して、魂の論に結論を出してみましょう。

汝の体、汝の心、汝の魂が地上での神の現れであり、他のどの魂もそうであること、汝の体は現実に生ける神の宮なることを知れ。

 あなたの知る善の全て神の全ては、他人の考えること、他人の行うことではなく、あなた自身を通して、あなた自身の中に現されているのである」

イエス様の名言♪
「我は汝らに告げる。汝の隣人を愛せよ。の仇(かたき)を愛し、汝らを責める者の為に祈れ。これ天(内・潜在意識の最奥)にいます汝らの父(なる神)の子とならんため(※神我キリストへの覚醒めの為)なり。

 人は異質の統一を見、不和の調和を見ます。自分とは違う人々との接触に神の光(大愛・宇宙生命・神)を観ます、その時にのみ「汝の隣人を愛せ」という戒めの真意を理解できるでしょう。



問「キリスト意識とは、心の上にかたどられ意志力による目覚めを持つ、魂と神との一体の自覚(無限・宇宙との一体感)と述べて宜しいでしょうか。」

答「その通りである。それが正しい考え方である。」

 
キリスト意識に覚醒めた)人は凡人には見えない、奥にある一体と本質と調和(宇宙生命・神我キリスト)を観ます。人はただ愛するのみになります

 キリスト意識に覚醒めると、(全ては神であり自分そのものですから)憎む事はできなくなり、羨(うらや)む事もなく、悩まされもせず、拒まれもせず、挫折も、恐怖も持つ事はありません。

 (悟り)人は自分自身の魂と万物を一つと観ているため、あらゆるものの中にキリスト(神我)を観ます。これが覚醒めであります。
 これがキリスト意識、クリシュナ意識、神意識であり、これが天国に招かれる真の改心なのです。

 愛という言葉ほど大きく誤解された言葉はないでしょう。この真意は、自分の中にも他人の中にもある愛の光(キリスト)を見つめる事にあります。

 聖なる愛(大愛・宇宙エネルギー)が神から来るように、愛は個人の魂から放たれます。人が明想を通して神にその魂を同調させる時に聖なる愛はあらゆる憎しみや嫉妬に打ち勝つ力と共に、流れ出てきます

 「汝の敵を愛せ」という言葉には何ら論理的な矛盾も心理的なパラドックスもありません。愛なる語(全ては一つの悟り)が強められれば、敵は自動的に敵は無くなるからです。

ケイシー・リーディングから……♬
己の生命とは、すなわち神である。何となれば、汝の兄弟に為したるその事は汝の内にまします神に為したればなり。
貴方の兄弟のためにする事はあなたの内に内在する神にする事です

隣人との接しを通じての神の愛は終日の作業です。我々は神がどのような形で自らを示されるかを知る由(よし)もありません。(全ては神の具現)

 それはタクシーの運転手かもしれず、店員かも、学生かも、今日しかも、患者、医者かもしれません。
 だからこそ、我々は荒い言葉、怒った顔を慎み、非難を愛に変えて常に、あらゆる人との接触で(全てのものに内在する)神を崇めるのです。

 求道者がこの段階に至ってなければ、聖なる愛を自ら実践することによって明想(全てに神を観る・我神なりの自覚)を続けなければなりません。

 神への、我らが家(久遠のホーム)への、本源への、我らがの目標(神我顕現・神との合一)への探求は、こうして全的な働きとなります。

 エドガーケイシーは、宗教生活についてそのもっとも美しい表現の中で、この事を次のように語っています。

あなたがたは心を尽くし、思いを尽くし、体を尽くして汝の主なる神(大生命・内在の神)を愛し、隣人を汝の如く愛するのである。このキリストの与えた言葉が法則の全てである。それに優るものは存在しない

 主が約束されたように、あなた方は来る日も来る日も明想し、祈りゆくうちに到来するあの目覚めによって、主(なる神)が自分の意識の中に留まられる事を知る事が出来る神我が中にまします・父と子は常に一体)。

 あなた方はこの目的のために、主が臨在し、その御霊(宇宙生命)があなた方の中に留まるあの意識をあの自覚を讃えるために生まれてきたのである。」


上江洲義秀先生・至高の名言    上江洲義秀先生の記事♪   
 
 全ての全てのあってあるものの中に、神が我として実在している事を(理解して実感して、全てに神を観る状態を)「悟り」といいます。

 目に映し見ている、すべてのすべてのあってあるもののに「愛を見」「愛を感じ」「愛そのもの」で対処できる己であって、そこに悟りがあること。




お釈迦様の崇高な慈悲と愛について

 最後に、偉大なるお釈迦様の悟りの境地・非利己的な境地とはどういったものなのかについて、非常にわかりやすいエピソードがありましたのでご紹介させて頂きますね♪

 きっと人類の幸せのために自分のすべてを捧げても良いという、お釈迦様の崇高で偉大なる慈悲心が、いかに非利己的な神我の想いなのかご理解して頂けるでありましょう。涙なくしては見れないエピソードで御座います。


エドガー・ケイシー悟りの発見 218、219、220頁からの引用ですが♪

 
 ブッダによると、執着こそが世にある苦の唯一の原因であり、その解決策は利己的動機なくして義(※非利己的奉仕・八正道・洗心)と瞑想(明想)の生活を送る事にあります。

 彼は、積極的には愛と憐れみ(慈悲と愛)とを意味するところの非暴力に大きな意味を置いた。弟子との対話の中で、ブッダはこう語っています……

……「そなたが気高き真理を説いている内は、そなたを罵り、辱めさえする者が出てこよう。」

 弟子はこう答えています。
「師よ、私はなおも彼らを愛しましょう。彼らに憐れみを持ち、感謝しましょう。少なくとも私の体は傷つけはしないのですから」

 師はさらに続けます。
「聴く者の内に暴力を振るってくる者もいよう。もしそなたに石を投げつける者がいれば、そなたはどう応えるのか。」

「私は傷に耐え、なおも彼らを祝しましょう。私を殺してはいませんから。」

「その中に、熱する余りそなたを殺す者がいれば、そなたは彼らをどう思うか。」

私はなおも彼らを愛しましょう。祝しましょう。肉の身は我とニルヴァーナの妨げにすぎませんから。最後の目標に至る助けとなった彼らに、私は感謝しなければなりません。」
 
 このような積極的な固持がブッダの教えの根幹でした。彼は、無知から起きてくる人間の苦に驚き、彼らに光明をもたらすために全てを犠牲にしたのです。ブッダは最後にこう述べておられます。

「おお、神よ。もし世人の苦を私に移す事が出来れば、私はそれ(カルマ)をこの身に負い、あらゆる魂をその重荷から外す準備が出来ています。」

 この言葉は注目すべきです。次のアヴァターラ、イエス・キリストは人類全体の苦を彼に移すことを願ったのみならず、人類が生き残るために必要な避け得ない要因として、神性の象徴として愛と平和が保たれるために、その身と地上の生とを犠牲にする事をも表明したからです。


超高次元ブログ 『悟空の郷』様

常に『今』を意識する方法


FC2版の広瀬すずちゃんの横顔になる方法の記事です♪
身長を伸ばす記事も追記してみました♪

エドガー・ケイシーが語る悟りの極意♪恩寵の法則♪輪廻転生を解脱する極意♪明想♪全てに神を観る♪知花敏彦師♪



エドガー・ケイシーが語る宇宙法則・悟り・解脱のお話

神は普遍的で全てに浸透している宇宙的存在

 なぜ、エドガー・ケイシーは神を普遍的であらゆるものに浸透している宇宙的存在と表現したのでしょうか。数多くのケイシー・リーディングの中に、個人の苦しみが魂に直結され、魂が神に直結されている表現が見られます。

 後の章で、彼がそのような苦しみを癒すのが神の愛であり、創造的な力の道具になるという意識であると説明している事を詳しく見てみたいと思います。
 
 神の似姿である魂、また神我、あらゆる存在の源泉としての神を理解するための鍵である、人間の人格の奥に個人の魂という形で潜んでいる
「神の王国(真我・宇宙意識)」は(分離意識では)神そのものである源から分離しており(放蕩息子の状態)、絶えず神に戻ろうと欲しています。

 積極的な愛の実践を通して、魂(意識)と神(神我・内在の神)との関係を自覚する事がケイシー・リーディングの要点です。
 ケイシー資料に見られる基本的考えがいかに古代の聖者たちの発見した事に一致しているかを、インドの哲学の原典が明らかにしてくれます。

 BC1200年のチャンドギャ・ウパニシャッドは人間の本質である「個我(真我・神我)」を知る事の必要性を強めて、次のように伝えています。

「邪悪とは無縁の個我(人の中の神の似姿、宇宙生命・神我)は不老不死、悲しみなく、飢えなく、渇きなく、その願う所は『真』(神への希求)なり。その生めるものは真なり。人はそれ(神との合一・真我顕現)に至るべきであり、それ(宇宙神理)を理解するように願うべきである。個我(真我・内在の神)を発見し、理解する者は全世界(全知全能)を得る」

 自分と人の中にある霊的本質(真我)、聖なる要因を発見し、認識することのみが、人間を利己的な欲望から宇宙的な愛へと高めてくれるのです。

 人がその段階に至ると、自然と憎しみや嫉妬、利己主義から離れて積極的な行動をし始めます。あらゆるものが彼に平安と静けさ(安らぎ)、癒す力と調和を与え、あらゆる苦しみを無にする力を与えてくれます。

 人間1人1人の中にインド哲学でいうアートマン、あの大いなるキリスト(神我)の我が潜んでいるために、この存在状態(神我顕現)に至る事が万人の究極目標なのです。

 ウパニシャッドは、超越的実体、物質界のあらゆる時空に制約される客体に優る超実体としての魂(大愛・宇宙生命)をこのように表現しています。

「心から成り、その体は生命(プラーナ)であり、その形は光、その概念は真理、空間を己とし、あらゆる言葉を包み、あらゆる薫りを包み、あらゆる味を包み、あらゆる世界を取り巻き、黙せる、想像を絶する者、

この胸の内奥にある我(神我キリスト)は米の粒よりも、からし種よりも、栗粒よりも、栗粒の核よりもなお小さく、地球よりも大きく、大気よりも大きく、空よりも大きく、これらの諸世界よりもなお大きい。あらゆる言葉を内に包み、あらゆる願望を包み、あらゆる薫りを包み、あらゆる味を包み、

あらゆる世界を取り巻き、黙せる、想像を絶する者、これが胸の内奥にある我(キリスト神我)である。これはブラフマンである。私はここより去って彼の中へと入る。」

 個我は転生の法則、カルマ法則、恩寵の法則に従ってはいますが、その真の性質において、核の核においては不可視の霊なのです。
(本質本源に於いては、真の自己は宇宙エネルギーそのものです)

 先に挙げたウパニシャッドの聖者は我の最高の発達を遂げ、恩寵の法則(神との一体感・我神なりの悟り)を通して過去のあらゆるカルマを一層したのです。それゆえ彼は神の祝福を受ける準備が出来ました。

 受肉した我(人間)はその神との密なる関係によって潜在的には聖であり、(洗心と)明想とはこれを神に結び直すための霊的な実践法なのです。

 人が自分の真の魂の我(神我)が体でも心でも合理心でも自我でもなく、それ以上のものであり、これら全ての基礎そのものである事を悟り出す時に、内なる光の輝きが彼の姿勢を広げ、彼は相対性によって乱される事がなくなります。

 人は異質の統一を見、不和の調和を見ます。自分とは違う人々との接触に神の光(大愛・宇宙生命・神)を観ます、その時にのみ「汝の隣人を愛せ」という戒めの真意を理解できるでしょう。

 家族、友人、知人との、年少、年配の者との、優っている者、劣っている者との日々の接触の中で、人はどの様な違いがあっても絶えず、愛と敬意と自制の態度を保つようになります

 その時にのみ、人は自己実現(悟り)の段階に至り、神からの放射である魂が常に神と繋がりを持っている事を知る(実感する)ようになります。

 この繋がりは、人は自分をただの体と心と自我と思っている間は眠ったままです。その接触を動かすために、あらゆる真の宗教が無我(無私)の愛と奉仕の姿勢を唱道してきました。エドガー・ケイシーは同じ精神を次のように語っています。

己の生命とは、すなわち神である。何となれば、汝の兄弟に為したるその事は汝の内にまします神に為したればなり。
貴方の兄弟のためにする事はあなたの内に内在する神にする事です

 こうして、あなた方は外から自己のうちにある神の力へと救済するかもしれない創造力との真の関係を、実例によっても戒めによっても促(うなが)しているのである」

 問題が肉体的な事であれ、家のこと、社会のことであれ、個人、非個人の事であれ、エドガー・ケイシーは常に惑星上に受肉(転生)した魂としての人間の存在が一つの目的を持つこと、その目的とは個々の魂と神との関係(全ては神ご自身・全ては一つ)を悟ることに集約される事を訴えています。

 ここで人間性の全体、体と心とが神の現れであるという明快な言い方を採るエドガー・ケイシーのリーディングを引用して、魂の論に結論を出してみましょう。

汝の体、汝の心、汝の魂が地上での神の現れであり、他のどの魂もそうであること、汝の体は現実に生ける神の宮なることを知れ。

 あなたの知る善の全て神の全ては、他人の考えること、他人の行うことではなく、あなた自身を通して、あなた自身の中に現されているのである」


神は全ての創造の力であり愛の法則

 エドガーケイシーはそのリーディングの中で、神の一なること(全ては一つ、全ては神・大愛)、その愛の普遍なることを特に強調しています。

「第一の掟とは何か。おおイスラエルよ、おお我よ、おお光の探求者よ、あらゆる力、善の力がただ一つの源から来ることを知れ、である」

あらゆる知識、あらゆる力の創造の力、あるいは神によるものである。そして、人間が日々の体験の中でそれを尊び、それ(愛と調和)に生き、それ(神の御心)を体現(神我顕現)させさえすれば、愛がその法則である」

 この2つのリーディングの最初の方で、イスラエルが特定の一団や国家、民族を表すのではなく、「探求者」、「我」を表している事は明らかです。
 この我が「真我(神我キリスト)」に目覚め、溶け込むのです。

 この融合が「キリスト意識」、「内なる神の国」なのです。一度その覚醒が起こると、狭い我(自我・偽我)は普遍の我(大霊・普遍我・無限)に溶け入り、人は神の子に吸収され、物理的な相対観念(分離感)は超越されます。

 光の求道者は他への光の源(神我顕現・霊太陽そのもの)となります。なぜなら、彼は直接に一なる本源(無限大の愛・神性意識・神との一体感・全一体感)と結びつくからです。

「我という言葉は知識と愛という2つの領域で大きな意味を持っている。この書の全体を通じて、知識または光明の役割と、愛の果たす役割とを普遍的な意味で語ってきた。二者は必然的に互いに絡み合う。

 瞑想を通しての真の知識(悟り)の到達は愛の実践(慈悲と愛・全てを愛し全てを許す心)なくして、不可能なためである。

 こうして、この美徳の応用が明想を助け、変わって明想が不変の愛---無限の愛と力の源なる神の愛---と、そして人の愛---隣人、同志、神の似姿へのそれ---の実践を助けるのである。

 神の目に見える現れである人(結果)を本当に愛する事が出来なければ、見えざる作り手なる(第一原因者である)神を愛する事も出来ない。

汝の隣人を汝の如く愛せよ」という戒めは、愛と我(内在の神・真の自己・真我)という語を理解せずには無意味となる。
 我(真我)は生けるキリスト、内にいます神、道であり光である。

 (真我は)魂も我も体でもなく、心でも、知性でもなく、こうした人間性の域を超越するものである。完全に(真我に)目覚めた神の子なるイエス・キリストは次のように言った。

「我(キリスト神我・真我)は(天国への)門なり。おおよそ我によりて入る者は救われ、かつ出入りをなし、草を得るべし」(ヨハネ伝第十章9節)

(神我)キリスト(宇宙神理の理解・真我の覚醒・宇宙即我・父と子は一体の境地)が「門」であることは、体でも心でも(この世の)知でもない、魂(常に我は命なりの自覚)が救いへの唯一の入り口である事を意味します。


神の御心は普遍的で何一つ区別しない宇宙的愛

 キリストが語った「愛」もまた、「平和の君」を信ずる人々にも十分に理解されないできたもう一つの概念であります。

 キリストの名による十字軍や拷問は、神と愛とキリストの名の元に行われる偽善でした。これはキリスト教の欠点を意味するものではありません。山上の垂訓でイエスはこのように語っておられるからです。

「我は汝らに告げる。汝の隣人を愛せよ。の仇(かたき)を愛し、汝らを責める者の為に祈れ。これ天(内・潜在意識の最奥)にいます汝らの父(なる神)の子とならんため(※神我キリストへの覚醒めの為)なり。

 天の父は、その太陽の光を悪しき者の上にも、善き者の上にも平等に昇らせ、雨を正しき者にも、正しからぬ者にも降らせ給うなり。(無差別の愛」

 人間の意志は神の御心と区別されるべきです。神の御心は友人と敵との間を何一つ区別しない宇宙的愛だからです。
 非利己的愛の心を表す者のみが天に入る事が出来るのです。これは聖書でも次のように支持されている解釈です。

「我に向かいて主よ主よという者ことごとくは天に入らず。ただ天にいます父の御心(宇宙的愛の実践・非利己的愛)を行う者のみ、これに入るべし

 イエスが普遍的な父(なる神)の愛を実践する事を強調しているのは明白です。神と人に対する普遍的な愛を持たなければ、人は天国に入る事を望めない事が分かります。

 では復活の基盤(解脱・悟り)としてのカルマ論はどのように語られているのでしょうか。イエス・キリストは、愛を持って憎しみに応える事が盲信に優る事をどの様に語っているのでしょう。

 マタイ伝第五章の最後に一節がこれをさらに明かしています。キリスト愛(普遍的な愛・無差別・無所得の愛)が人を神の子に値するものに変える事を明らかにした後で、イエスはこう続けています。

「汝ら、己を愛する者を愛すとも何の報いかを得べき。取税人も然するにあらずや。」
自分を害する者も、愛する人達と同じ様に無条件の愛で愛しましょう

 神に基礎づけられた純非利己的愛のみが人間を自由にし、彼(意識・魂)を完全さ(真我)へと向かわせるのであります。
 イエスが、負い目を持つ兄弟との和解がなぜ、神の実現(神我顕現)に向かう第一歩なのかを説明してくれています。次のように語っています。

「このゆえに汝もし供え物を神前に捧げる時、そこにて兄弟に怨まれる事あるを思い出せば、供えものをそこに残し置き、まず行きて兄弟と和睦し、然る後来りて供え物を捧げよ。

 汝を訴える者と共に道に在るうちに早く和睦せよ。恐らくは、訴える者汝を審判に渡し、彼は下役に渡し、遂に汝は獄に入れられん。誠に汝に告ぐ。一厘も残りなく償わずば、そこにいづること能わじ。」

 イエスは、我々がカルマの法則に従って「最後の一厘」を完済してしまう時までは、生死の牢獄(輪廻転生)に区切りをつけて永生(永遠の生命)を得る事(解脱する事)は出来ない、と戒めているのです。

 イエスは、神の御心--聖愛(神と人に対する普遍的な愛・慈悲と愛・全てを赦し全てを愛する心・明想)--- が実践されない限り、天国に入れない事を訴えているのです。

 愛という言葉ほど大きく誤解された言葉はないでしょう。この真意は、自分の中にも他人の中にもある愛の光(キリスト)を見つめる事にあります。

 聖なる愛(大愛・宇宙エネルギー)が神から来るように、愛は個人の魂から放たれます。人が明想を通して神にその魂を同調させる時に、聖なる愛はあらゆる憎しみや嫉妬に打ち勝つ力と共に、流れ出てきます。

 「汝の敵を愛せ」という言葉には何ら論理的な矛盾も心理的なパラドックスもありません。愛なる語(全ては一つの悟り)が強められれば、敵は自動的に敵は無くなるからです。

 イエス・キリストという人間と生活の中に比類なく現されたこの愛の法則は、明想を通し、実生活での愛の法則(慈悲と愛は宇宙神理)を実践する事を通して得られる、キリスト意識(宇宙意識)の原因であり結果でした。
 もう一つのケイシー・リーディングはこう語っています。
 
則とは何か。愛である。愛とは何か。神である。
神とは何か。(宇宙)法則と愛である。これが真理そのものの周期である。あなた方がどこにいようと、どの国にいようと、それは常に同じである」

 これまで、いかに明想と愛(の実践)とが互いに依頼し合い、両者が神の恵みの最高表現であるキリスト意識を早めるものであるかを見てきました。

 あらゆるカルマを打ち消し、求道者を聖なる愛の最高のレベルにまで引き上げてくれる恩寵の法則(解脱の真理)が、様々な受肉(輪廻転生)を通して完成へと至らなければならない魂の目標とする所であります。

 神が物質界に自然の法則を起き給うのならば、カルマと転生の法則こそが人間界に見られる悪と苦しみを唯一説明するものです。

 体は人ではなく、不滅の魂が霊的成長の手段としてその仮初めの心理構造を使うための道具なのです。
 個々の魂が善行や悪行を貯め続ける間、それはちょうど人が古い衣装を捨てて新しい衣服に代えるように、体を代えるだけなのです。

 一般人が過去世を想起できないという事実は欠陥ではなく、霊的進歩のために価値ある事なのです。我々の最良の友や肉親がかつての最大の敵だった事を思い出すなら、これは克服し難い苦しみとなるかもしれません。

 しかし、過去世の記録はヨーガを通しても想起出来るし、ケイシー・リーディングは何千というその事例で満ちています。
 個人がその過去世を想起する事例は、これまでの証拠から、当時の生で本人が急な、予期せぬ死を迎えた場合が大半です。

 しかし、転生は目的ではなく、完成(神我キリストへの覚醒め・解脱・悟り)に向かう魂が通過すべきプロセスである事を忘れてはなりません。

 転生説を熱心に擁護する者は、転生の事実を余り強調すべきではありません。その様な話はとらわれるべきものではなく超えるべきものだからです。

 転生に関して断片的知識しか持たない事の危険性の一つは、それにこだわりすぎて来世への正しい道筋をとられる事を忘れうる事です。それがインドも含め、あらゆる宗教で転生論が抑えられてきた主たる動機なのです。

 人間の成長におけるカルマ法則の必要性は恩寵の法則(宇宙神理の理解・悟り・解脱)によって止められなければなりません。

 転生の輪は、愛---真の信仰一つ一つの中心課題である神の愛と人の愛---の法則を採る(理解する)事によって停止させなければならないのです。

 明想の技法はこの目標に至る手段であり、強い祈りがサマーディに至る手段です。手段での祈りと組み合った個人の努力が個人の、また社会の霊的進歩を早めます。   明想の記事♪

 個人が霊的の単位であり集団の進歩は個々の魂の進歩に負っているからです。隠れた祈りの大切さはイエスが美しく表現しています。
(※原文が難解でしたので、意訳しました)

「※汝ら祈る時、偽善者の如く、会堂や大路の角に立ちて祈るなかれ。誠に汝らに告げる、彼らは(人に評価されたので)すでにその報いを得たり。

 汝らは祈る時、己が部屋に入り、戸を閉じて隠れたるに在る汝の父に祈れ。さらば隠れたるに見給う汝の父(父なる神)は報い給わん。

(善行をしても、人に言わず隠しておけば神はその報いを与えて下さいますし、人に評価されればそれでその報いは受けた事になるであろう。

 知花敏彦師によりますと、もう一つの意味として、部屋に入るとは
「汝の密室(神我)にて祈れ。全てのものと和解して(調和の神我の心になって)から我を呼べという意味もあるそうです。


古代インドのウェーダとエドガー・ケイシーの共通点

 無限、不可視の純粋霊があらゆる存在の超越的本源であり、それはイシュヴァラ、神、つまり変わりゆく世界の普遍の基としての全能にして不滅の個我(真我・宇宙神霊)の形をとっています。

 今一つエドガー・ケイシー・リーディングは彼の出世に先立つ四千年の昔に遡(さかのぼ)るウェーダの創造論を言い換えたものに近いのです。

 ケイシー、は一方では物質、他方では神に対する魂の関係を質問され
小宇宙の物質的創造は人の場合と同じく第一原因(創造主)に関係していると明言しています。
 
「自己の内と外に表されている、目に見える様々な天体の中で、物質界の中でさえ、あらゆる力、あらゆる働きが一つ(神)から現されたものである。

 それで、(神の)伴侶となれること、(宇宙と)一体となれること、(無限と)一つになれる能力が、一つの天体の中にあるあらゆる力、あらゆる現れの中に、これらの属性が現される為に必要となっている。」

 人が一方では、物質的力、他方では神の霊的顕現の中間に立っていると云う考えが、次のように語るリーディングの中でさらに支持されています。

「一つの原子、一つの物質、一つの形が変えられたからと言って、その源あるいは※霊までが変わったわけではない。その現された形態が変化したのみであり、第一原因(無限・大愛)との関係が変わったのではない。
※神は無限の質量・宇宙に遍満する大霊・神はありてあらゆるもの

 人が物質界において、その持てる知識、知性に関して(宇宙生命・無限が)何を為しているのかに気づく意識※に至る事、第一原因、原理、基礎、本質(根源)に入ることを招くのである。
神おわすが故に私がおわすのであるの意識

 それは、表されているものの中に、魂にとって、実体にとって益するもの、魂を創造的力、創造的影響力に受け入れられる伴侶にしてくれるものが表されているためである。」

 ウェーダの三重創造の哲学を次のようにエドガー・ケイシーは言い続けています。
「その初め、支配法則と共に、現された形の中に見られるものを動かした存在があった。物質を破壊し得ないこと、その様々な形に分かれる際の一つ一つの力、力の源の能力が特定の天体に現されているものを生み出している。

 この事は多くの方法で人間を整える為の様々な現された方法で使われる元素の中に、第一原因あるいは神に対する人間の関係を支配する法則を示す事柄の中に見る事が出来る。」

 人が世界魂としての第一原因、そして物質的現れとしての第一原因によって型どられるというウェーダの三重の創造論の中で、神と人と世界の関係を明らかにしてみましょう。

 述べてきた通り、創造の3つのカテゴリー全てが、この文脈では第一原因の非物質面なる個我(神我・真我)と翻訳出来る神、不動の動者、プルシャの上に休んでいます。自然界と訳せるプラクリティは物質的創造の三面全てを現わしめるダイナミックな形而上学(けいじじょうがく)下の力です。

 (形而上学=感覚ないし経験を超え出でた世界を真実在とし、その世界の普遍的な原理について理性的な思惟によって認識しようとする学問ないし哲学

 プルシャの形而上的力から、創造の大宇宙面の魂であるイシュヴァラ(無限質量)が沸き起こってきます。
 個々の宇宙、そして銀河の中心が崩壊する事があっても、イシュヴァラ(大生命・大愛)は形而上学存在であり、破壊する事は出来ません。

 それと同様、個々の中心を制御している魂の力あるいはデバータスも破壊出来ません。イシュヴァラは、あらゆる形而下現象を超えた不動の基礎であり、神の創造の大宇宙面の絶えざる運動はこれに頼っています。

 人の生命の五重の区画は地球、月、太陽、銀河、宇宙の中心というデバータスの5つの分類に対応します。
 人間の肉体は地を表わし、心は月を、知性は太陽を表します。個我の非個人的無意識は銀河の中心を表わし、純粋我は宇宙の中心を表します。

 宇宙の中心、あるいはスヴァヤンブ・プラジャパティはその物質面において崩壊しうるが、その中に不滅の純粋我(真我・大生命)を有しています

 実際には、その純粋な霊(宇宙生命)があらゆるものを貫いており、それが大宇宙のデバータであれ人であれ、また電子のような小宇宙的実体であれ、個別化されたものことごとく根となっている(内在している)のです。

 滅びるのは一つ一つの実体の物質面のみであります。エドガー・ケイシーは先に引用したリーディングで同じ見解を正確に表現しています。

「一つの原子、一つの物質、一つの形が変えられたからといって、その源あるいは霊までが変わったわけではない。その現された形態が変化したのみであり、第一原因(創造主・無限宇宙)との関係が変わったわけではない。」

 人間と物質と宇宙に関するケイシー・リーディングの全てが、ウェーダ哲学においてパラム・プルシャとスヴァヤンブが使われたのの全く同じ意味で「聖霊」と「第一原因」という用語を絶えず使っているのは印象的です。

 その上、彼の創造論は右の説明なくしては一般人には理解できないままで残される事になりましょう。

 第二の創造部門、すなわち人間の構造は大宇宙と小宇宙の中間に位置しています。それはアドヒ・アートマンと呼ばれ、純粋霊の無限な、また形而上学的な要素と、肉体的エネルギーの形而下的要素の結合なのです。

 生きた人間であるジヴァの形に生まれ、転生するのはこの魂です。エドガー・ケイシーはジヴァの事を「実体」と呼びました。人間は小型の宇宙であり、それが宇宙的人間に似ているという意味での神の似姿であります。

 その魂は不滅であり、無限の側面です。肉体的、精神的、感情的、また合理的、知的側面は滅びる要素です。
 しかしながら、転生の最中に心的、知的傾向、非個人的な無意識面における傾向がカルマの形で人の魂に付随していくのです。

 誕生を繰り返す度毎に、肉体の傾向さえもカルマの形をとって持ち運ばれてゆきます。
 (明想によって)あらゆるカルマが消された時(宇宙意識に到達した時)に、純粋我は神、至高者、一なる者(内なる神の国)へと戻るのです。

 第三の創造面は小宇宙であり、これはアドヒブタム、あるいはダイナミックな世界の物質的創造です。これもまた、大宇宙と人間の創造における5つの面に対応する、可視的実体としての5つの物質的元素を持っています。

 5つの形而下的元素とは、地の元素または固体物質で、これは地球に対応します。次に月に対応する水の元素、太陽に対応する光、銀河の中心に対応する風、ガスの元素、中心宇宙に対応する空、あるいはエーテルの5つです。

 物質の構成においては、空の元素(無限・大愛)、アカシャが、人間における魂がその中心であるように不滅の中心となっています。

 アカシックレコード(物理的宇宙の不滅の面に保管されている記録)は、世界に転生してきた魂一人一人の痕跡のことなのです。
三重の構造を合わせ持つ至高者としての神は次項の表で表す事が出来ます。
   

                                至高者としての神

不可視の宇宙的自我個人的心霊的自我非個人的心霊的自我
大宇宙の神聖構造   人間の構造(魂)物質的小宇宙の構造

宇宙の中心           純粋我           エーテル
太陽                非個人的無意識        風(ガス)
月                        知性・心         火(熱
地球                      肉体             水・土  

 
 神は、精神としては創造の三重構成の中に偏在していますが、同時にこの3つを超えてもいます。神は4つの存在面を持っています。無限者としての神はあらゆる属性を超え、一なる段階さえも超えています。

 第二の段階では、神とは純粋な本質、純粋なる意識であります。ここでも、神は主体でありながらあらゆる人格化を超えています。第四の階層は神の偏在的性質を表しています。これは意識として、力としての神の現れです。
 
 ですが、この段階においても、神はその霊の所産である時間と空間に支配された世界に左右されず留まっています。その霊は神霊エネルギーとなって世界に入り、創造の三重構造を起こさせているのです。

 聖なる構造の中で父なる神(真我・神我キリスト・無限の愛)は至高者です。彼(真我)は到達すべき目標なのです。

 人の構造において、子なる人間は神性という無限の側面(全我・普遍我)と、肉体、心、知という有限の面(自我・偽我)とを合わせ持っています。

 その聖なる面は、聖なる源(真我・神性意識・内なる神の国)にたどり着こうとする自己実現(悟り・解脱)を目標とする魂です。

 人は聖なる自己と可視的自己とを現しているが故に最高の具現者なのです。人は自己意識を持ち、この自己意識が自分から物質的制限(五感の感化・偽我)を取り払って神へと戻るように人を促しています。
 エドガー・ケイシーはこれを次のように表現しています。


問「心と物質と霊という意識の中にあって、実体の活動(輪廻転生)の目的とは何でしょうか。」

答「それは、その実体(意識)が自分自身であり、なお全体の一部(父なる神と常に一体・宇宙は一つの生命体)である事を自ら知るようになる為である。

 全体そのものではなく、全体と一つであり、そこから、自分自身の個別性を保ち、自分が自分である事を知って、しかも自分を生まれさせた、

意識を与えてくれた第一原因(神・無限者・大愛)の目的と一つであることをも知るという事である。これが目的である。これが(人間が)存在している事の原因である。」

問「物質的表現に生まれる魂の目的は何でしょうか。」

答「その初め、魂が個人的に現れ出る働きにおいて、それは創造的力または神の伴侶(神との合一・真我顕現・覚者)となる目的を帯びていた。」
 

 このエドガー・ケイシーの言葉は、すでに人間の構造について述べていた事を正しく伝えています。人の創造の目的そのものは、自己実現(宇宙意識への到達・解脱の真理・宇宙神理を理解して悟る事)なのです

 人間そのものの中に、魂、心、体、父と子と聖霊という三位一体が存在しています。自己実現(解脱の真理)、神との合一(真我到達)に至るには3つの道があります。

 その第一は、カルマ・ヨーガ、カルマの道であり、これは神へと向かう魂のゆるやかな進歩です。
 単純に言うと、ある人が神の礼拝(真理の勉強)に心を寄せず、宗教的方法に取り組む事がなくても、彼は何千という転生でのカルマの働きを通して、完成へとゆっくり進んでいく方法です。

 この方法では、(気の遠くなる程の輪廻転生で)苦しみと得るものとを大きく体験しなくてはなりません。
 それでも、慈悲深い行いを自発的に選ぶ事によって人は神に至る速度を早め、自分を転生の周期から外して自由を得る事が出来るのです。

 第二の道は、バクティ・ヨーガと呼ばれる信愛の道です。ここでの目標は聖なるものですが、その方法は世俗的であります。

 人はその世俗的で物質的な行為を全て、神の愛に従わせます。神を父であり、主である至高者として礼拝しどのような人間の営みにおいても愛の道に従うのです。エドガー・ケイシーはこの道をより強く勧めています。

 第三の道は直感的知識の道、つまりジナーナ・ヨーガです。ここでは、目的と手段の両方が聖となります。
 この道に従う人は、明想という内的手段によって聖なる知を得て、ついには生来の経験主義的な人間の段階を聖なる段階へと変えてしまうのです。
 
 なぜ、我々は自己意識の行為者としての人間が父なる神(真我・無限大の愛)に戻ろうと切望すると述べてきたのでしょうか。

 ケイシーは、神の栄光は全創造物の中に現されている(全ての全ては神の現れ・神の他には何も存在しない)のだと繰り返し語っています。
   


 神は全ての創造主なのです。   
 神様は、木をお創りになり、金魚をお創りになり、海をお創りになり、山をお創りになり、そしてその中に、ご自身が宿っていらっしゃるのです。

 そして空気の中にも、水の中にも、私達の中にも、動物の中にも、全てを創造して、その全ての中に、私がおる事を知りなさい。全てが私である神ならば、あなた方は、全てを愛さなければならないのではないでしょうか。

 
 次の一文は、いかん物質性(肉体での経験)というものが、神への道として考えられているかを伝えています。

「一人一人は、ある目的を持って物質性(3次元界)へと生まれ出るのである。地上でのあらゆる経験が一つであるという事が、自己の中に成長と知恵とを増してくれる経験の中で起きてくる願いと憧れによって示されている。

 そのために、一つの全体としての人間は、体と心と魂において、創造、意識的に現されたこの進化、この内在する魂の自覚に関わる諸法則(明想)を日々応用(実践)した結果、自分自身(全ては自分・全ては神)であるということを悟るのである。

 三重の創造を考えると、このことは人間が神から発し、神へとまた戻るという目的を明確に伝えています。次のリーディングでは、ケイシーはインドの聖人達が発見した基本的な真理を言い直しています。

「意識が受肉(転生)する目的とは何か。体と心と魂の側面一つ一つが、それを生み出している創造的力の栄光(神我顕現)に向かうことである。」

 ケイシーが「創造的力の栄光(神我顕現)」という用語を使っている事が注目されます。あらゆる創造の側面がその中に存在する所の創造的力は、宇宙に遍満する神の側面である事は疑いありません。

 聖書と伝統的なキリスト教という背景を持っていたにも関わらず、彼が個人的な意味ではこの文脈の中に「キリスト」と云う言葉も「神」という言葉も使おうとしなかった事は注目すべきです。

 つまり、ライフ・リーディングを与えている時のケイシーは宇宙的、普遍的な真理(宇宙神理)と繋がりを持っていたという事なのです。

キリスト意識とは
自分自身の魂と万物を一つと観る宇宙意識

 イエス自身は人々を導く仕事に就く前に40日間明想に専念しました。
そして、サマーディへの準備に必要不可欠な徳である、忍耐、満足、中庸、神への自己放棄(滅私・神への全託)の実践、解脱に至る為に絶えざる霊的訓練(明想)の実践をすべき事を信者に説いたのです。

 イエスは、積極的な愛と寛容(許し)と、神への自己放棄、そして明想における神との個人的交わり(大霊との一体感)を強く訴えていたのです。

 イエス・キリストの生涯と教えが示した明想と愛との結合(神との一体感)は、光明への最も定かな道である事に間違いありません。

 論理的、霊的な準備(洗心)は、真の神の求道者の基本です。
制御下で核分裂が起こる時に原子力が露わになるように、魂に潜むキリスト性(真の自己・神我)は、(自我が)自制された状態、論理的、霊的訓練(洗心明想)の元で(自我が薄れて)、具現化(活性化)するからです。

 その(心の霊的進化の)成長と体験に伴って、(明想の)訓練も自発性を帯び、憤怒は理解へ、挫折は内なる歓喜へと変質(変容)してきます。

 その段階で人はどこにでも、どの人間にも場所にも、物にも光にもキリスト(宇宙エネルギー・大愛・神は全てに宿り給う)とを観ます。

 (霊的に覚醒めた)人は凡人には見えない、奥にある一体と本質と調和(大生命・キリスト神我)を観ます。人はただ愛するのみになります

 (悟り)人は自分自身の魂と万物を一つと観ているため、あらゆるものの中にキリスト(神我)を観ます。これが覚醒めであります。
 これがキリスト意識、クリシュナ意識、神意識であり、これが天国に招かれる真の改心なのです。

 キリスト意識に覚醒めると、(全ては神であり自分そのものですから)憎む事はできなくなり、羨(うらや)む事もなく、悩まされもせず、拒まれもせず、挫折も、恐怖も持つ事はありません。

 本書に記されたる事は、読者がその真理の体験を持って(知花師上江洲義秀先生明想・宇宙神理の理解等を試さないならば無意味となります。

 真理を体験せんとする、神と直面せんとする、創造の力と一つにならんとする願い(根源との合一を願う心)がなければ、いかなる説教も、いかなる哲学も、いかなる倫理も求道者の助けになり得ないのです。

 人は自由意志の特権を使う時(求めよさらば与えられん)のみ神の恵みの恩寵を授けられるのです。ケイシー・リーディングは次の如く述べています。

問「キリスト意識とは、心の上にかたどられ意志力による目覚めを持つ、魂と神との一体の自覚(宇宙との一体感)と述べて宜しいでしょうか。」

答「その通りである。それが正しい考え方である。」

キリスト意識の応用について、リーディングはこう語っています。

「父(なる神)は子らを御心にかけている。これら地上に現れたる者たち、汝らは神の現れの一部(全ては神ご自身)であるという道が示されている。

おぼろげな力(自我・偽我)としてではなく、不完全なもの、霧の如きものとしてでなく、(イエス)キリストの中に(真我が)現されたばかりか、

彼(神ご自身・真我)が、あなた方の中に現されているあの神性の一部(内在の神)としてなた方の心の中に御出現(神我顕現)になる時に

あなた方は自分が真に生ける神の子(悟り人・覚者)である事を、隣人と接する中で聖霊の果実(全知全能)を、その物質の身(地上での肉体)にあっても示し表す(人類の魂の覚醒の)目的を持っている事に目覚めるのである。

心(真我・神性意識)がキリスト意識の象徴なること、それが建設者たること、それが道たる事、それが真理たる事、それが光たる事を知りなさい。」

 
 隣人との接しを通じての神の愛は終日の作業です。我々は神がどのような形で自らを示されるかを知る由(よし)もありません。(全ては神の具現)

 それはタクシーの運転手かもしれず、店員かも、学生かも、今日しかも、患者、医者かもしれません。
 だからこそ、我々は荒い言葉、怒った顔を慎み、非難を愛に変えて、常に、あらゆる人との接触で(全ての全てであられる)神を崇めるのです。

 求道者がこの段階に至ってなければ、聖なる愛を自ら実践することによって明想(全てに神を観る・我神なりの自覚)を続けなければなりません。

 神への、我らが家(久遠のホーム)への、本源への、我らがの目標(神我顕現)への探求は、こうして全的な働きとなります。

 エドガーケイシーは、宗教生活についてそのもっとも美しい表現の中で、この事を次のように語っています。

あなたがたは心を尽くし、思いを尽くし、体を尽くして汝のなる(大生命・内在の神)を愛し、隣人を汝の如く愛するのである。

このキリストの与えた言葉が法則の全てである。
それに優るものは存在しない

 主が約束されたように、あなた方は来る日も来る日も明想し、祈りゆくうちに到来するあの目覚めによって、主(宇宙生命)が自分の意識の中に留まられる事を知る事が出来る
神我が中にまします・父と子は常に一体)。

 あなた方はこの目的のために、主が臨在し、その御霊(キリスト)があなた方の中に留まるあの意識をあの自覚を讃えるために生まれてきたのである。」


訳者あとがきから……  洗心の記事♪  明想の記事♪

 著者によれば、ケイシー・リーディングの霊学はインドのそれと十分に呼応しています。霊魂はまず最初に、中心創造主の分霊(似姿)として宇宙各所へ分散してゆきます。その内のごく一部はこの太陽系に辿り着き、物質世界を表現している地球を知ります。

 自分の持っている神に似た力を使って地球の進化に干渉しようとした彼らは、天体を支配する時空、因果律の法則に、いつしか取り込まれ始めます。

 初め魂は自己の身元の何かを知っており、神の分霊としての力を使っていたが、長い時の経過と共にそれを忘れ、ついに地球の意識と同化した物質性を完全に帯びる事になる。ここに半霊半物質の人間なるものが出現します。

 地球は3次元の相対世界であり、ここではあらゆる宇宙法則が三次元的に表されます。人は物質の身を帯びた時に霊体と肉体とを持ち、繋ぎとして精神体(アストラル体)が加わって、ここに人は三位一体の体を持ちます。

 この精神体に、人の作った「働き」(カルマ)の全てが型として残される為に、この「雛型(ひながた)」に従って魂はまた再生する事になります。

 つまり、転生とは地球の重力に吸引される何のものかが、人の精神体の中に刻み込まれている為に起こされるものであり、この要因を除いて地球からの自由を得ることが魂1人1人の課題なのです。

 その自由を得られる「純粋型」を地上に与えるために、
本書で詳述されるアヴァターラ預言者・天上界の使者・イエス様・お釈迦様・覚者・知花敏彦師 上江洲義秀先生が高い世界(天上界)
よりこの天体(地球)に幾度となく遣わされてきました。

 彼らは神の化身であり、人の子として地上に生まれながらも神の子として生き、人が神に帰るための教えを各時代に最も適する形で説き続けてきました。

 転生とカルマは宇宙法則の一部にしか過ぎす、それは脱却すべき一部なのであり、そのための方法(宇宙神理)をアヴァターラ達(天上界の使者・覚者・知花敏彦師 上江洲義秀先生)はいずれも説いたのです。

 アヴァターラは「預言者」と呼んでも良いと著者は述べていますが、旧約聖書に大預言者、小預言者がいるように、ここでも大アヴァターラと小アヴァターラがいるようです。

 小アヴァターラとして例えば、ラーマ・クリシュナ・パラマハンサがいます。この人の伝記は文豪ロマン・ロランが著していますが、半世紀前に生きたこの人物は殆ど神話的存在でした。

 その生涯はアヴァターラの持つべき条件の全てを網羅しています。彼は幼くしてサマディを体験する。あらゆるものに神を観るために、何を見てもサマーディに入ってしまう程でした。

 バラモンに生まれながら階級意識(カースト)を滅するため、カーストにさえ入らない不可触賤民にまで身を落としたのです。

 宗教の差別感を滅するため、ヒンドゥーとして生まれながらもキリスト教徒として、イスラム教徒として生き、キリストと交わり、アラーと語り合ってきました。

 その高弟ヴィべカーナンダは、偉大な学者にして超人という驚くべき力を発揮しています。この近代の小アヴァターラも五人目に数えるべきかもしれません。

 転生とカルマは宇宙法則の一部であると先に述べましたが、その法則とは「愛である」とエドガー・ケイシーは語っています。
 
 宇宙法則が(慈悲と)愛であるという、その意味は何でしょうか。つまり、生まれ変わり、そこに法則性を与えている所のカルマ(業)とは人としての宿命であると同時に、神の愛の賜物であるという事であり、ここに「恩寵の法則(Law of Grace)」というものが実体化してくるのです。

 そこには常に転生輪廻を脱却させる(解脱・悟りの)ための時空、因果律を超える力が恩寵として神から与えられている事を示しています。

 このため、カルマは不可避であると同時に、恩寵によって可避となし得る宿命なのです。人は永遠にこれに束縛される運命を一方では持ちながらも、この途方もない周期に一応の終止符を打ち、周期の輪を上昇螺旋に変質させる事が出来ます。

 これは神の恩寵(悟り・解脱)によって可能であると著者は述べています。この恩寵(恵み)の法則をアヴァターラ(覚者・知花先生 上江洲義秀先生)は変わらず説き続けてきたのです。

 本書の中心テーマは、転生とカルマからの「解脱」にあると言えます。解脱こそが転生とカルマの存在理由だからです。人間誰もが何かしらの目的と開放を求めて生きています。外の自由を求める心は内の自由(解脱)を求める心の反映であり、誰もが解脱を求めている事の証でもあるからです。


お釈迦様の崇高な慈悲と愛について

 最後に、偉大なるお釈迦様の悟りの境地・非利己的な境地とはどういったものなのかについて、非常にわかりやすいエピソードがありましたのでご紹介させて頂きますね♪

 きっと人類の幸せのために自分のすべてを捧げても良いという、お釈迦様の崇高で偉大なる慈悲心が、いかに非利己的な神我の想いなのかご理解して頂けるでありましょう。涙なくしては見れないエピソードで御座います。


エドガー・ケイシー悟りの発見 218、219、220頁からの引用ですが♪

 
 ブッダによると、執着こそが世にある苦の唯一の原因であり、その解決策は利己的動機なくして義(※非利己的奉仕・八正道・洗心)と瞑想(明想)の生活を送る事にあります。

 彼は、積極的には愛と憐れみ(慈悲と愛)とを意味するところの非暴力に大きな意味を置いた。弟子との対話の中で、ブッダはこう語っています……

……「そなたが気高き真理を説いている内は、そなたを罵り、辱めさえする者が出てこよう。」

 弟子はこう答えています。
「師よ、私はなおも彼らを愛しましょう。彼らに憐れみを持ち、感謝しましょう。少なくとも私の体は傷つけはしないのですから」

 師はさらに続けます。
「聴く者の内に暴力を振るってくる者もいよう。もしそなたに石を投げつける者がいれば、そなたはどう応えるのか。」

「私は傷に耐え、なおも彼らを祝しましょう。私を殺してはいませんから。」

「その中に、熱する余りそなたを殺す者がいれば、そなたは彼らをどう思うか。」

私はなおも彼らを愛しましょう。祝しましょう。肉の身は我とニルヴァーナの妨げにすぎませんから。最後の目標に至る助けとなった彼らに、私は感謝しなければなりません。」
 
 このような積極的な固持がブッダの教えの根幹でした。彼は、無知から起きてくる人間の苦に驚き、彼らに光明をもたらすために全てを犠牲にしたのです。ブッダは最後にこう述べておられます。

「おお、神よ。もし世人の苦を私に移す事が出来れば、私はそれ(カルマ)をこの身に負い、あらゆる魂をその重荷から外す準備が出来ています。」

 この言葉は注目すべきです。次のアヴァターラ、イエス・キリストは人類全体の苦を彼に移すことを願ったのみならず、人類が生き残るために必要な避け得ない要因として、神性の象徴として愛と平和が保たれるために、その身と地上の生とを犠牲にする事をも表明したからです。

自我・偽我 =表現者、原因である父なる神を忘れている状態(放蕩息子の状態)神理を知らない状態・自分の力で生きていると思って迷っている状態、肉体の己を自分と思っている我、分離感・分離意識で個別化された表現を別個の存在と認識している我・肉の感化、五感の感化を真実と錯覚している我・迷いの影、幻、幻想(マイヤー)・自己保存、自我我欲の心


真の自己(真我)=父なる神と常に一体の境地・全一の意識・神我キリスト、全ては自分、全ては我、全ては神、全てを愛する我に目覚めた状態・神我キリストによって生かされている事を自覚して実感している我・私が生きているのではない、なるほど一つの生命である神が生きていらっしゃる、中身は全て神、全ての知恵と力は神から与えられている、神の中身は神、全ての全ては本質的には神、神のみが生きてらっしゃるんだなと悟った我・神一元・愛一元・光一・我神なり、神は生命(霊)なり、我も生命(霊)なりの自覚・宇宙即我、我即大霊の境地、キリスト意識・高我・実在・全てを愛し全てを許す境地・慈悲と愛・あなた即私・私即あなた・宇宙エネルギー即自分・無限即我・我即実在・不変不動の絶対なる実在・普遍なる宇宙・無限者・宇宙神

FC2版の広瀬すずちゃんの横顔になる方法の記事です♪
身長を伸ばす記事も追記してみました♪


正しい超能力開発に対する考察♪お釈迦様の崇高な感動慈悲話♪非利己的な人類愛が神我の想い♪上江洲義秀先生♪解脱



正しい超能力開発に対する考察

 ”超能力” この淡い響きに魅入られる方もいらっしゃるかと思います。
 ですが実は、この超能力願望が、いわゆるスピリチュアルな道を歩む方々の一番の踏み外しやすい所でありまして、その点で道を正しく歩めますよう、私の経験をご紹介させて頂きます。

 本山博先生によりますと、自分のための超能力開発は、かなり高い割合で”魔”に波長があってしまうとの事です。これを書くとショックを受ける方がいらっしゃるかもしれませんが、厳しいようですがこれは真実ではないでしょうか。

 私も多少はそういう超能力願望に駆られた事がございますが、幸いにして人に見せびらかしたい等の自己顕示欲望な、自己欲望的な意味での超能力に付きましては望まなかったお陰で、何とか”魔”に取り憑かれる事無く乗り切る事が出来ました。

 私の場合は、スピリチュアルな精神世界の本を読み始めた頃から、徐々に魂が覚醒し出しまして、「世の為ひとのために役に立ちたい」という想いがふつふつと湧き上がって参りました。

 それで何かしたいと思って、ゴミ拾いとか、当時は五井先生の「世界平和の祈り」を言ったりしておった訳ですね。一応、五体満足な体で出来る限りの奉仕活動はしていたので御座いますね。

 それだけでは飽き足らず、もっともっと何か世のため人の為に役に立ちたい~という溢れんばかりの想いで、当時、
神様、地味地味で構いませんので、どうか私に世の為人の為に役立つ能力をお与え下さい」と心の中で真摯な祈りを捧げておりました。

 そんな日々が数ヶ月ありまして、ある日突然、手の平がびっくりする程に熱くなりまして、ヒーリング能力が発言したという訳でございます。

 もしちょっと熱くなった位でしたら、ただの妄想か気の錯覚で済ましていたでしょうけれど、ホント一週間くらいは覚醒したと気付かせる為のサービス期間かもしれませんが(笑)、手の平が熱くてしょうがなかったですね♪

 ヒーリング能力が開花してからは、第四チャクラのアナハタ(胸)がポッカポカになりました。冬でも胸の中央の辺りが暖かくて、背中がゾクゾクするという事が殆どなくなったのです。当時はそれが印象的でした。

 後に、本山博先生のご著書で、ヒーリング能力は第四(アナハタ)チャクラだと書いているのを見て、あぁなぁるほど……と妙に納得したのでした。
 もしかすると、アナハタチャクラを開いて頂いたのかもしれません。


●無償の愛でのゴミ拾いで徳積みをして善徳・功徳を積んでいた
●純粋無垢な人類の幸せに役に立ちたいという想いが神様に通じた
●愛そのもの、奉仕をしたいという神我の想いだった
●神我の非利己的な人類愛の想念だったお蔭で天に願いが通じた
●地味に色々と身口意を高めたり心を磨いていたのが良かった

 
 といった感じで、いずれにせよ、色んな複合的要因でまさかの超能力開花となったので御座いますね。動機は良かったのですが、実際に能力に目覚めた頃は、それはそれは、体が浮く程に浮足立った状態でしたから、今考えるとお恥ずかしいですね……笑。軽く天狗になりかけましたし^^;(汗)

 色々要因を思索しましたが、本当に純粋そのもので、ただ人類の幸せに役に立ちたいという、純粋な愛そのものだったのが良かったのかな…って♪

 もしくは、井出章彦さんが交流される天使のお話のように、山中のゴミ拾いをしまくっていたのが、知らぬ間に膨大な徳となってお願いが叶うだけの徳の量になっていたのかな~とも思ったりもしました♪

 あぁ……無償の愛で善い事をしておいて良かった~☆彡♪ …って心の底から思いましたし、今でもたまに思いますもん(笑)♪奇跡のような夢のようなお話ですから、無償の愛の行為って報われるものなのですねって♪

 私が何とか”魔”に負ける事無く、珍しくお願いがスムーズに天に通じたのは、煮えたぎる程の人類への奉仕精神でお祈りしたからしたからかなぁ……という気がしております。”魔”が入り込む余地がなかったともいえるでありましょう。

 仮に、五体満足な体で「神様、世のため……能力を下さい」と祈った所で、神様から、「では貴方はその健康な体で何か奉仕をしているのですか」と言われるのがオチではないでしょうか。

 そういう意味でも、体を使ってベスト・オブ・ベストの奉仕を尽くして、その上、謙虚にちゃんと "地味地味で構いませんので” 、”何の能力かも神におまかせ” という、謙虚の極意を地で行く想念で、人智で考えられる最高の愛の想念で神様にお祈りをしていたのがお願いが叶った要因なのかな…と。

 ですから、どこまでも常識で考えられる限りのベストを尽くして、魂を尽くし心を尽くし誠を尽くし汝の主なる神の栄光のためにお役に立ちたい……みたいな、清らかな不純な想いが一点もない非利己的な善なる想いで、お願いされると神様に願いが通じる可能性が高いと思われます…


 非利己的=神我・全我・人類愛・慈悲
 利己的=自我・偽我・自己保存の心・自己欲望

 
 基本的に、人間は霊性な進化を遂げていくにつれて、利己的な偽我が薄れてきて、非利己的な神我に目覚めていくわけでありまして、その霊性進化の度合いがいわゆる魂の進化の度合いという訳で御座いますね。

 その霊性の進化と超能力の発現度の度合いは比例していく、というお話もよく聴かれますね。
 そのバランスが崩れて、霊性が低い(偽我・利己的な心が強い)状態で、高い超能力を求めたりしますと、本山博先生が仰る所の ”魔” に取り込まれてしまう訳であります。

 身口意を正していったり、心を洗心していけば。自ずと超能力が発現したり、直感力がアップしたりするのも全く同じことであります。

 私の体験ですが、自分の身口意を磨いて、霊性が高い(非利己的・偽我が薄い)状態になってまいりますと、私のように知らぬ間に、直感力やインスピレーションが抜群な人間になっちゃったりするわけで御座います。

 その他の能力では、ベジタリアンになって三ヶ月程経った頃から、波動に対して、精妙で鋭敏に変わっていたりした事も思い出されます。

 他には、五井先生が本物の超能力と仰っておられる”直感力”が抜群になったりというのもあります。

 直感力で面白い出来事は、パッと目の前に人生の課題が出てきた時に、ズババッと頭の中に、その課題の答えが天啓で流れてきた時です。自分では特に考えていないのは明白でしたので、どう考えても自分の考えじゃないわ……って(笑)、1人でニヤッと笑っちゃったのを思い出します♪

 西洋風にいいますと、情報がダウンロードされる……といったらわかりやすいかもしれません。情報の波が脳裏に流れてきた感じでしょうか。
 後でこの時の事を振り返ると、脳はレシーバー(受信機)というニコラ・テスラさんの言葉がしっくりと来ますねぇ……♪

 もう本当に有り難い限りなのですが、”直感力” が昔の凡人の頃とは桁違いに頂けるようになりました。はたから見れば私は何の変哲もないごく普通の一般人ですが(笑)
 今では、自然に物事がベストな状態なっている……、という不思議ちゃんな人生に変わりました♪


・自分はついてると思う♪
・いつも笑顔・口角を上げてスマイル♪
・人の気分を害する事はしない・悪口は絶対に言わない♪

 
 「愛にて生きよ」という御言葉が御座います。愛そのもの、全体の幸せ、人類の幸せのお役に立ちたい、「愛に生きたい」という、非利己的(神我)な想い・動機、神我そのものの真摯な祈りだったからこそ、神様に超能力の願いが通じたのかもしれませんね。

 利己的(自我)な祈りの場合、例えば、他人に見せびらかしたいという自己顕示欲的な願い、超能力でお金を儲けたい、等々のお願いでは、※ほぼ例外なく魔に波長が合ってしまうそうです。(※本山博先生談)

 ですから、自我の迷い霊に取り憑かれたりして、大概の場合は、人格が変な人間になってしまう様で、最後は「行者の最後は哀れ」という哀れな最後になって、死後はもっと悲惨なことになったりする訳であります。

 私の場合は、幸いにして、非利己的な人類愛全開の想いでしたので、何とか”魔”と波長が合わずに済みましたが……結構そのその辺りは危険な部分かと……、あまり軽々しく超能力を欲する事は危険という事で御座いますね。

 
インスピレーションの大元の分析のお話 

 実は私の長年の研究で、思いと行動の思いの部分、いわゆる直感力の部分が、自分の考えか、もしくは、いわゆるガイド(守護の神霊)の方々からのインスピレーションかという思考の元の根源を選別し調査するという思案を長年やっておりました。

 ちょっとドクター中松さん的ですが、そんな事をやっていたお蔭で、天啓(インスピレーション)的なフッとしたアイデアが、どの様な意味合いなのか、これは考えるための試練なのかな…とか考える癖がついております。

 お蔭様で、天啓か否かについては、すぐに判別出来る達人になれちゃいました。この訓練は何かしらお役に立つかもしれませんので、地道に訓練なされてみてはいかがでしょうか。

 高級霊からの天啓か、自分のただの思考か、心が病んでいる場合は、邪霊のいたずらというパターンもありえますので、その判別をしっかり出来るように訓練しておくのも、人生を惑わされない一つの秘訣かもしれません。

 その長年の鍛錬のお蔭で、自然に自分の考えか、守護の神霊の有り難いヘルプの直感かの選別が、ナチュラルに分かるようになれました。

 もちろん、天啓の直感に対して、守護の神霊の皆様有り難うございます。内なる神(父なる神)にも有り難うございますと、すぐに感謝させて頂きます。感謝は正法の大元の最重要な部分でもありますし、感謝は神様と一番波長が合う想念ですからね。確か……一番だったと思います(笑)

 ただ、波動に敏感になるというだけでしたら、難易度は一番低くて危険性は少ない気がします。とりあえず、「お肉は一切食べない」から初めてみるのもいいかもしれませんね。波動も上昇しますし♪

 私の理解している範囲で申し上げますと、いわゆる幽体(アストラル体)が汚れていては、自分から放たれる異臭で、他の匂い(波動)がわからなくなっちゃうわけですね。

 精妙な波動な違いを分かりたかったら、自分自身が清らかな心になって、清流のような澄み切った波動になるのがまず第一条件じゃないでしょうか、と言いたいのですね。

 何故なら、自分の波動が変な匂い(汚れた波動)のない清らかなクリアな精妙な波動になれば、おのずと自然に他の色々な匂い(波動)も分かっちゃうのは明白でありまして、至極単純なお話であります。

 自然界の法則からして至極単純明快な論理だと思うのですが、もしかして意外とその様なお話を論理的に解説したのは私が初かもしれません……笑。

 よく言われる食品添加物とかに関しては、天照さんのカードに乗せて除去も出来ますし、他にも、テスラパープルプレートに乗せてネガティブエネルギーを除去したりとか、手はいくらでもありますから、そこまで気にしなくてもいい気がしますし、楽しんだ方が精神衛生上健康的で得策かと。

 ただ肉食だけは避けておいた方が無難な気が致します。肉類のネガティブな重い波動だけは、如何ともし難い部分があると思いますので。
 そういった思考ですので、私は、軽い食品添加物に関してはあまり気にせず、お肉だけは絶対に食べないスタンスでやっております。

 あまり考えすぎると逆に、人生が楽しくなくなっちゃいますからね。
( ^ω^)・・・お菓子くらい楽しく食べて楽しまなくちゃぁねぇ♪………って思って程々に楽しく頂いておりますよん♪


お釈迦様の崇高な慈悲と愛について

 最後に、偉大なるお釈迦様の悟りの境地・非利己的な境地とはどういったものなのかについて、非常にわかりやすいエピソードがありましたのでご紹介させて頂きますね♪

 きっと人類の幸せのために自分のすべてを捧げても良いという、お釈迦様の崇高で偉大なる慈悲心が、いかに非利己的な神我の想いなのかご理解して頂けるでありましょう。涙なくしては見れないエピソードで御座います。

 人類の幸せのためなら自分の肉の身の犠牲をも厭わない献身的な愛、
愛する者の幸せの為ならこの身体を捧げても構わない自己犠牲の愛、
という崇高な慈悲と愛の非利己的な神我の心……

 この純粋無垢で神々しい、涙なくして語れない大愛は、五井先生の生き様を思い出させてくれます。
 大覚者であられる上江洲義秀先生も、このように人類のカルマを背負って半透明になって苦しまれたというお話も御座いました。

 上江洲義秀先生によりますと、あのナザレのイエスと呼ばれたイエス様も、当時の地球を救うために、人類のネガティブな波動を浄化するために、人類のカルマを背負って十字架にかけられたそうです。

 もしイエス様が十字架に磔(はりつけ)にならなかったら、地球は大変なことになっていたそうです。覚者とは本当に、非利己的な神我に目覚められた偉大なる愛の持ち主だという事が色んなお話から深く理解出来ました。

 大覚者の皆様の慈悲と愛のお陰で、人類は今生存できていると言っても過言ではありません。イエス様五井先生知花敏彦先生・上江洲義秀先生にこの場をお借りして心から感謝申し上げます。私も覚者を目指します♪


エドガー・ケイシー悟りの発見 218、219、220頁からの引用ですが♪

 
 ブッダによると、執着こそが世にある苦の唯一の原因であり、その解決策は利己的動機なくして義(※非利己的奉仕・八正道・洗心)と瞑想(明想)の生活を送る事にあります。

 彼は、積極的には愛と憐れみ(慈悲と愛)とを意味するところの非暴力に大きな意味を置いた。弟子との対話の中で、ブッダはこう語っています……

……「そなたが気高き真理を説いている内は、そなたを罵り、辱めさえする者が出てこよう。」

 弟子はこう答えています。
「師よ、私はなおも彼らを愛しましょう。彼らに憐れみを持ち、感謝しましょう。少なくとも私の体は傷つけはしないのですから」

 師はさらに続けます。
「聴く者の内に暴力を振るってくる者もいよう。もしそなたに石を投げつける者がいれば、そなたはどう応えるのか。」

「私は傷に耐え、なおも彼らを祝しましょう。私を殺してはいませんから。」

「その中に、熱する余りそなたを殺す者がいれば、そなたは彼らをどう思うか。」

私はなおも彼らを愛しましょう。祝しましょう。肉の身は我とニルヴァーナの妨げにすぎませんから。最後の目標に至る助けとなった彼らに、私は感謝しなければなりません。」
 
 このような積極的な固持がブッダの教えの根幹でした。彼は、無知から起きてくる人間の苦に驚き、彼らに光明をもたらすために全てを犠牲にしたのです。ブッダは最後にこう述べておられます。

「おお、神よ。もし世人の苦を私に移す事が出来れば、私はそれ(カルマ)をこの身に負い、あらゆる魂をその重荷から外す準備が出来ています。」

 この言葉は注目すべきです。次のアヴァターラ、イエス・キリストは人類全体の苦を彼に移すことを願ったのみならず、人類が生き残るために必要な避け得ない要因として、神性の象徴として愛と平和が保たれるために、その身と地上の生とを犠牲にする事をも表明したからです。


宇宙創造の神が勧める霊性を高める方法 洗心

いつももつべき正しい心(=常の心)
強く     明るく
正しく    我が祈り
宜しからぬ欲を捨て
みな仲良く、相和して
感謝の生活をなせ

心の中からなくすべき感情(=ご法度の心)

憎しみ  不満
妬み   疑い
猜み   迷い
羨み   心配心
呪い   咎めの心
怒り   いらいらする心
不平   せかせかする心


■四句御箴言(しくごしんげん)

与えられたことを感謝して受けよ      関英男博士の記事♪
与えられぬことを感謝して受けよ

与えられたことを拒むこれ欲なり       瞑想の記事♪
与えられぬことを欲するこれ欲なり

FC2版の広瀬すずちゃんの横顔になる方法の記事です♪
身長を伸ばす記事も追記してみました♪


全ては悟りに至る過程♪苦は宇宙を貫く不変の法則の真理の理解で消滅♪♪この一瞬が全て♪神我♪上江洲義秀先生♪

神様がくれた処方箋 上江洲義秀先生著
から引用させていただきました


  


地球最高の大覚者 上江洲義秀先生について

 今まで、上江洲義秀先生の事は存じ上げていたのですが、知花敏彦先生で宇宙神理をかなり深く学んでおりましたので、もうそれで結構満足している部分が御座いまして、お恥ずかしい話ですが、あまり深く上江洲義秀先生の教えについて追求する時間を取っておりませんでした。

 ここ最近、ふと目に入った上江洲義秀先生のご著書に目を通した所、買った頃に読んだ時とは比べ物にならない位、あまりにも素晴らしい内容である事に気づかせて頂けたのです。

 なぜ、こんな素晴らしい内容だと今まで気付けなかったのか、実に不思議なのですが(笑)、きっとそれはそれで意味があることなのでしょう。

 そういった訳で御座いまして、こんな知花先生の教えを更に細分化して、分かりやすく説明して下さっている究極の真理を、世界人類の魂の覚醒のために、お届けしたいという燃えたぎる思いとなった訳であります♪

 それにしても、上江洲義秀先生は高尚な詩人の様な、高い文芸的教育を受けた文豪のような素敵な文体をされておりますね。本当に感銘と感嘆を抱きましたし、華麗な表現に多大なる衝撃を受けました。

 ですが実の所、上江洲義秀先生はこの世の教育は殆どと言っていいほどお受けになられておらないそうです。それなのにこんな優雅で甘美で芸術的で麗しい表現を自由自在に駆使されている事は、真実に根源の世界からの無限の叡智からのものなのだとしか……、実に摩訶不思議であり、究極の悟りに到達された偉大なるお方であることを証明されているように存じます。

 上江洲義秀先生のご著書は、私が今まで見た書籍の中で、間違いなくダントツにナンバーワンの高次元な超濃厚な悟りの書だと断言させて頂きます。

 知花先生と同じ内容では意味がない訳ですし、どういった形で宇宙神理を説かれているのかと…、最近、二回目に拝見した時に、自分でも驚くほどに、本当に不思議な程に、上江洲義秀先生の教えの深さと知花先生との微妙な違いが理解出来たのでした。

 現在では天上界の覚者方、聖者方は全力で、上江洲義秀先生を支援されている事でありましょう。ぜひ皆様も、地球最高の大覚者であられる上江洲義秀先生のご著書を拝見して頂ければ幸いでございます。

 上江洲義秀先生のご著書さえあれば、悟りの全ての全ての謎が解けると言っても過言ではないでありましょう。
  
 時代もあるのでしょうけれども、知花先生が大まかにお伝えしていた部分を、かなり詳細にご説明して下さっている部分も多々見受けられました。

 そういった意味でも、知花敏彦師の教えに既に精通されているお方でも、新しい悟りの発見を華麗に見出す事が出来るのではないでしょうか。

 究極の悟りへ答えが、地球最高の大覚者であられる ”上江洲義秀先生” の偉大なる業績によって、地球人類全てに明かされる素晴らしい黄金時代に入りましたね。これは地球人類全てにとっての祝福・福音でありましょう。

 私も、両手腕振り体操、徹底した洗心で心の浄化、クンルンネイゴン、神我に目覚める明想、上江洲義秀先生の明想、を実践中であります。

 サブ要素としましては、ダンボールでロシア型黄金比ピラミッドを沢山作って重ねてピラミッドの中に20Lタンク水を入れております。
 ロシア型ピラミッドウォーターの神秘宇宙フォトンパワーで肉体細胞の変容を促せればと(笑)、それとオームの音声も聴かせてますよん♪

 徹底した洗心を実践して、私にとって一番難易度が高かった、せかせいかしない、イライラしない、も全くと言っていい位なくなりました。そうして心が不動心になってまいりますと、心が綺麗な鏡のようになってきて、天啓、いわゆるインスピレーションがスムーズに入ってくるようになりました。

 上江洲義秀先生とは全く比較にはなりませんが、本当に大事な時に、大事な叡智と言いますか、こういった文章を作成する時にも、パッ、パッと必要な単語が脳裏に湧いて来るのですね。本当に有り難い事で助かっております。

 結構それが普通になっておりますが、細かい文章の単語をひねり出す手間がかなり削減されますので、インスピレーションがスムーズに頂けるという事は、地味地味ですが、実に便利で有り難い一種の能力だと感じております。

 こんな文章も全然詰まる事無く、流れる清流が如くスラスラ書けちゃう♪
 イータイピングもあまり練習していないのに、”洗心効果” で集中力がアップしている様子で、予想よりいい点数が簡単に出ちゃう…みたいな♪

 特殊な能力でなくても、洗心を徹底的に実践してまいりますと、私の様に、それがごく普通と感じるくらいに、善なるインスピレーションが自然に頂ける人間に変容して参ります。それは実体験からして自信を持って断言出来ます。

 洗心している間に、いつの間にやら、軽い能力者になっていたという感じで御座いますね。本当にいつの間にか知らぬ間になっていた……という♪
 七念層が綺麗になってアンタカラーナが伸びてくれたからかもしれませんね。

 きっと上江洲義秀先生の場合は、完全に覚醒された偉大なるお方ですから、私の体験からしましても、高尚な詩人の様な洗練された語彙も、自然に湧き出る泉が如く、無限の叡智から得ておられる事だと推測されます。

 今更ですが、上江洲義秀先生の偉大さに気づかせて頂けましたので、珍しく熱く語らせて頂きました(笑)。長文のご拝読有難うございましたm(_ _)m♪



苦の正体(苦しみから開放される秘訣)  上江洲義秀先生♪

 人生は肉体をまとい、生老病死を伴(ともな)った現界の荒い波動の中で日々を送らなければならないという意味では「苦」です。

 しかし、私達はそれをも楽しみ、学びの手段としなければなりません。何故ならば魂と肉体の調和を果たすために自ら選択してこの世に来たという事実は消すことが出来ないからです。

 たとえあなたの記憶から消されていても、それは厳然とした事実として不可視の記録庫に書きされている事を知って頂きたいと思います。

「苦」の原因は「執着」と「分離感」、そして「恐れ」です。執着は欲から生まれ、分離感は無知から生じます。

 金銭、住まいなどの物質、そして生命に対する過度な執着が苦を生む大きな原因となり、それらへの執着をなくすことで苦は消え去ります

 金銭、住まい、そして何よりも生命は私達がこの世を渡っていく時に無くてはならない者です。しかし、私達は1人で生きていけるわけではありません。

 隣人を始めとする周囲の環境全てとの調和の中で生かされている存在である事を悟る時、日々の生活を送るために必要以上のものを望むことは調和を乱し、己をも傷つける事を知る事になるのです。

 苦は創造者と一体化し、「我神なり」と悟り「全一体(宇宙は一つの生命体・全ては一つ)」を知ることで消え去ります。

 宇宙を貫く不変の法則の真理を知り、執着や分離感をなくす事で消え去るのです。

 人は過去の縁というものに触れた時、様々な感情が湧き上がります。時には内から外へ感情が吹き出すのを抑えきれなく成る衝動に駆られる事も出てきます。

 しかし、目前の現象に振り回され、感情の奴隷になってはいけません。人が感情という偽我に惑わされ、霊性な判断を失った時に苦は生まれるものだからです。

 執着することなく、自他を分ける事もなく、過去も未来もなくこの一瞬が全てである事を心から知る時、苦はなくなるのです。

 苦は既に自らの中に実在が顕現している(父なる神と私は常に一体である)と悟った時、そして苦が悟りに至るための手段であり過程であると悟った時に止むのです。

 その結果、病さえも遥か彼方に消え去ってゆきます。そして苦を糧として悟りに至る象徴が泥の中に咲く連の花であるように、現界で生きる私達の中にも真理という大輪の花が咲くのです。苦を通じて真理を知ることで苦は苦でなくなり、苦そのものが無にかえるのです。


宗教は一つ     上江洲義秀先生の記事♪

 神は一つ、宇宙は一つ、そして宗教は一つです。
 キリスト(メシア・救世主)は決して特別な存在ではなく、皆の中にある神がキリスト(神は汝の内にあり)であり、仏陀であり、神そのものの本質が本来、人間の中に備わっているのです。

 愛という神の本質がそれだけ顕現しているかに個人差があるだけであり、神は全ての人々の中に神そのものが顕現する事を強く待ち望んでいるのです。

 神は命(宇宙生命・大生命)。私達が日々の中で生き、感じているものこそが神です。花々は命がなければ咲き誇ることは出来ません。石一個、虫一匹にしても同じ事が言えます。
 
 私達がこうして言葉を話せるのも命のお蔭である事に感謝しなければなりません。命そのものがすべてを通して生きている神ではないでしょうか。

 神は我が内にあり命そのものがあなた方の中で働いている神である事を知って頂きたいと思います。

 命こそ智恵であり力。私そのもの、あなた方そのものが神なのです。我神なるがゆえに無限の力、無限の智恵、無限の愛を内包しているのです。

 永遠の命こそが私であり、そこには不安も恐怖もありません。我は全て、全ては我なのです。一つは全体につながり、何を見ても神そのもの

 人の本質は命(無限大の愛)であり。命が息づいている一転生の今の今生の日々を私達は決して無駄に過ごしてはいけないと悟って頂きたいと思います。

 神は愛、命、そして光愛こそが根源である神の泉と私達をつなぐ水路です。水路は天候に左右されることなく水田に水を張り、秋には黄金色の稲穂を収穫させる命ではないでしょうか。

 愛は創造し、生かし、闇を消し去り、恐怖に打ち勝つ光そのものです。私達は神からの水路を枯らす事があってはならないのです。

 神は命そのものであり、私の命とあなた方1人ひとりの命に分離はなく、唯、万物の命が生かし、生かされている、それが唯一の命なのです。

 創造する者もされた者も一体(父と子は常に一体)です。真我の目覚めによって1人ひとりが進化を遂げ、幻が克服されてゆく事で黄金時代とも呼びうるような世界が築かれるのです。

 神は無限の意識、智恵、そして個々の現象を作る質量であり、この三者は一体となって働き、そのうちのただ一つが欠けても成り立つ事はありません。

 すべての創造の根源は無限の愛という原因(神)によって生かされている事を私が体験したように、あなた方もそうなって頂きたいと思います。

愛の架け橋

 聖人とは、乗り舟である肉体、結果である現象に惑わされることなく、真理を静心の中、内観によって見出した者をいいます。私達は神という本質を見失い、幾転生の人生を迷いの連続としてはなりません。

 自分が神であることに目覚めることが「自覚」であり、目覚めた者を「覚者」と言うのです。肉体を我として生きるのは錯覚で、内なる神を我として生きるのが悟りの人です。

 人を裁き、誹(そし)り、嫉妬をしていたその相手は万物の化身である神そのものだったのです。神は万物を愛によって生かし、万物が大愛の中に融合することを切に望んでいます。

 神の働きがなければ゚蟻一匹たりとも存在する事は出来ません。現象界の知識は無限の中では針先の一点であることを知って頂きたいと思います。

 私達にとって新たな人生とは気付きによって真我の大海に入りゆき、自らの本質は神であったことに目覚めるための旅のことです。

 私達は朽ち果てゆく物質をめぐる戦いの人生を送ってはならず、我神なりとして生き続けなければなりません。

明想の境地              明想の記事♪

 狭義の明想とは、静寂の中で自らの意識の中に深く、より深く入っていく事です。より精妙な波動の中で集中していく過程で真理を悟っていく方法とも言えます。

 明想の境地を判断する物差しとして現象を参考にする方法があります。天の霊流に身体が引き上げられてゆく感覚を受ける方、白い光の中に全身が包まれてゆく感覚を受ける方など、境地が深まってゆく感覚は人それぞれといえます。

~~~  明想の記事♪ ~~~       

 こうした境地に誰もがなれるという訳ではありませんが、明想の中、そして日々の生活の中に於いても、こうした境地に近い状態には到達出来るものであり、一人でも多くの方が「我神なり」の状態を味わって頂きたいと願っています。


宇宙創造の神が勧める霊性を高める方法 洗心

いつももつべき正しい心(=常の心)
強く     明るく
正しく    我が祈り
宜しからぬ欲を捨て
みな仲良く、相和して
感謝の生活をなせ

心の中からなくすべき感情(=ご法度の心)

憎しみ  不満
妬み   疑い
猜み   迷い
羨み   心配心
呪い   咎めの心
怒り   いらいらする心
不平   せかせかする心


■四句御箴言(しくごしんげん)

与えられたことを感謝して受けよ      関英男博士の記事♪
与えられぬことを感謝して受けよ

与えられたことを拒むこれ欲なり       瞑想の記事♪
与えられぬことを欲するこれ欲なり
    


おすすめスピリチュアルサイトをご紹介♪

祈りとは神我一体の境地にならんとする意識の表現♪悟りを促す事が真に人を助ける事♪解脱の真理♪上江洲義秀先生

神様がくれた処方箋 上江洲義秀先生著
から引用させていただきました


  


 祈りは命の息吹であり、私達が行使しうる最も強い力といえます。私達が祈る時、不安が心を占めていたり、関心が外に向いている時には祈りは通じにくいものです。

 心を内奥に向け、静謐(せいひつ)なときの中に於いてのみ、正しいものを伝える事が出来るのです。
 内なる声、内なる目に導かれて心から思いを発し、求めれば祈りは通じます。祈りと答えは一つ。

我神なり」と、神との一体感のもと「神の思いが我が中で行われますように」と祈り続ければ、その祈りが深いほど実現してゆくのです。

 神の勝利によって祈りが実現してゆく様をありありと描ききれば、神の意に叶うその祈りは成就(じょうじゅ)します。

「祈り」は「意乗り」に通じ、生命は意識によって働き、意識によって内なるものが外に向かい、形になるのです。
 
 祈りの際に両の手を合わせて合掌するのは、霊であって生かしている右手と物質を象徴している生かされている左手を合一させる姿であり、一命一体をもってその思いを実現させようとする姿そのものなのです。

 祈りとは神我一体の境地にならんとする意識の表現です。意識が極度に集中された時、私達の創造を遥かに超える力がはたらくのです。

 人はそれを「奇跡」と呼びます。人が病から癒やされてゆくのもある意味で自らの、そして親しい者たちの祈りの力といえるかもしれません。

 私達は今生、または過去生で付けた魂の汚れや傷を正していかなければなりません。そのためには日々正しい身口意を積み重ねていくしかないのです。

 現象としての病、事故などは己自身に原因がある場合の他、時には伴侶や親しい人の代わりとなって表出する事があります。

 それらを避け、または癒やすためには自省と共に真摯な祈りを続けるしかありません。
 
 しかし、祈りが願望に、そして願望が欲望になる事は避けなければなりません。人間の深層意識は集合意識となって現象化し、大きな災いを招くことは太古からの歴史の教訓として私達の中に入っているはずです。

 過度な欲は己をそして周囲をも傷つけるものである事を認識して頂きたいと思います。

悟り

 真理を悟ることによって人は魂のみならず、魂と連動した肉体までもが高い次元の波動を受け、神との一体感をより覚えるようになります。

 真理は人を恐れから解き放ち自由にするものです。それまで苦と思われたものが苦でなくなり、私達を成長させるための手段であり、
 一つの過程であった事が心から理解できた時、この世にいながらにして全く別の法則が働き始めるのです。

 その時、空を飛ぶ一羽の鳥も、道端の一本の草も、あなたにとってそれまでとは全く異なり、荘厳な光りに包まれた存在と感じられるようになるのです。

 悟りの程度が深まるに従って、それぞれの内に神が顕現し、大いなる力が働き始めるのです。そしてより悟りが進んでゆくと、外なる肉体の感覚は次第に薄れ、魂と融合してついには一切なくなった時、そこに自分が生命として神と共に光を放ち存在している事を悟るのです。

 自らの悟りの段階を高め、その境地としてそこに至った過程を縁ある人に伝え、悟りを促す事が真に人を助ける事になります。悟りの境地が高い者ほど謙虚であるのは、※悟りに限りがない事を知っているからです。

※ドクターピープルズという高次の存在によりますと、地球は分離は幻想であり、全ては一つ・全ては神という真理を学ぶための星だそうです。
 それを悟る事によって地球での輪廻転生は卒業という形になるかと思われます。ちなみに惑星によって魂が学ぶ目的は変わるみたいです。

 この世で学ぶことは限りなく多いのです。荒い波動のこの世で成長を遂げていく事こそ生きる目的と言えます。この世とは己と周囲との調和を学ぶ場なのです。

 魂が肉体を作り、試行錯誤を繰り返しながら一体となる事を私達は目指した全ては一つ・宇宙は一つの生命体・全ては神の悟り)のです。
一命一体、自他一体という調和を成し遂げよ」と神は諭しているのです。

癒しの実現

 心の癒しを実現するためには思いを発する母体である心の転換が必要です。心の転換のためには病の本質を見極め、真理を知ることです。

 病の原因の多くは心の不調和から生じるものです。御本人の自覚がない場合でも、原因となっている場合が多いのです。

「心の表現=思い」を変えるには真理を知り、それを心の底から理解する事です。(※神=宇宙法則”真理”の理解=悟り)

 歪みとは調和の乱れでもあり、弦を調律するように真理に沿って正してゆかねばなりません。真理とは宇宙の法則です。

 その全体像は決して言葉に表せるものではありませんが、
見えるもの、見えないものは表裏一体」(色即是空・全ては神の現れ)
原因があり結果がある」(原因者である神が必ず結果の全てに宿り給う)

「生死に区別はなく、命は永遠不滅で苦の原因である死の恐れは必要のないもの」
一命一体、自他一体、全一体」(全ては一つ・全ては自分・全ては神)
といった真理の集積こそ宇宙の法則なのです。

 神の本質である真理(神我)を私達が体現(神我権限)し、(明想で)神との一体感を味わうことで心の転換が私達の中に起こってくるもので、そこに癒しの力が働き始めるのです。

 神の似姿である私達はより神に近づいてゆかなければなりません。真理を心から悟ると、偽物が消え、全く異なるメカニズムが発動し、
 治すのは他ならぬ自分自身の中にある神である事が分かり、自然治癒力がより働いてくるようになってきます。

 今を生き抜き、生き尽くすことで過去も未来も変わるのです。この世に出る時に私達が過去生の記憶を消されるのは今を全力で生きるためです。

 今を全力で生きることで未来は変わり、傷つき、悲しみに包まれたこの世における過去の数々の出来事さえも、より完全に近づくための一つの過程として光に満ちたものに変わるのです。

 真理に触れ、心から悟ることで人は変性意識に目覚めます。心の変容は脳から肉体に伝わり、細胞一つひとつに変化を促(うなが)します。

 真理を悟ることで一気に意識が変化することがありますが、それがより進むと肉体までもが現界の影響から離れ、別の法則が働き始めるのです。

 様々な超能力が日常的に発揮されるまで変性意識が高まる事が、時として見られるようにもなるのです。
洗心でアンタカラーナを伸ばすのと併用するといいかもしれません)

 変性意識(神意識・光のシャワーで魂の油注ぎ)がより浸透する事で肉体と心との調和が生まれ、自然治癒力がより進むようになり、思いやりや優しさのエネルギーが自分への癒しにもつながるのです。

 肉体はエネルギーで出来ており、そこには他ならぬ命(神我キリスト・大愛・御霊神霊)が躍動しています。生命は愛。愛こそ神の姿であり、根源には一切の分離や対立は存在しません。
 

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悟りは無限の至福、慈悲と愛の境地♪真実の愛は全ての創造されたものを愛し生かす事♪全ては自分♪上江洲義秀先生

「気付き」をあなたに 見えないものが見える本 上江洲義秀の回答
から引用させていただきました


  


愛と執着の違い      上江洲義秀先生の記事♪

問 人生の中では殆どの人が直面し、悩むのが「愛と執着」というテーマと思いますが、この世で生きている限り逃れられないものなのでしょうか。

答 
「愛と執着」、これは実に多くの人々が悩み、日々葛藤しているものです。「これだけの事をしてあげたのに」と、愛を与えたつもりが相手から見返りがないといって嘆く人は多いものです。見返りを求めるのは偽我そのものです。

「愛と執着」の違いについては、体験を通してでなければ分からない事があるのも事実です。苦しみ悩んだ末に徐々に理解していくというのが普通です。

 真実の愛は、好き嫌いというモノサシを取りません。感情的なものでもありません。すべての創造されたものを愛し生かす事です。

 そして真実の愛(神我)は見返りを望みません。人も物も必要な時に移っただけで、手元にある時には大切にし、そして手放す姿勢も時には求められるのです。

 この世では、差別し、敵対する事と同時に、執着する事が悟りに至れない一因になっています。執着に基(もと)づく愛は相手も自分も苦しむ事になるものです。

 根源の世界には悩み苦しみはなく、無限の至福に包まれて止む事がありません。そうした境地を皆さんにも味わって頂きたいと思います。

 ヨガナンダの講話の中には浮気をした奥さんの話が出てきます。浮気をした相手の男は去っていき彼女は金も友人も無くしてしまいました。

 その時、ご主人は奥さんに向かって「体験は終わりましたか?体験が終わったら帰りますか?浮気相手は魂を欲した。私は魂(本質・本源・神我キリスト・神なる我)を愛します」
と再び戻ってくる事を許したのでした。

 講義の中でご主人のような境地に成る事は難しいと思われるかもしれませんが、(真の自己・神我の)本質は「許し」「愛す」こと(慈悲と愛です。

 浮気という行為は決して褒められるものではありませんが、相手の魂の傷の原因を本質(根源・神我)の方から見ることで「許し」「愛す」事が出来るのです。

 本質とは神の命、神の光そのものです。そうした見方が出来た時に、あなたの波動が変わり、ステージが一つ上がる事になるのです。日々途切れる事無くそうした境地にいられるよう努力して下さい。


蒔いた種を刈り取る     カルマの記事♪

問 近年、様々な場面で「二分化」が進んでいるように思いますが、先生のご意見をお聞かせ下さい。

答 自分が発したものがそのままどころか、何百倍にもなって自分に帰ってくる事があるのを知るには、自ら体験するのが一番良いのです。

 良いことも悪いことも作用は反作用を生み、しかも増幅されて返って来るのです。
 沖縄で私は、あるエネルギーが地・水・火・風・空に触れて激しい勢いで跳ね返されてくるのを明想の中で、はっきりとしたビジョンとして見せられた事があります。

 明想の中でこそ根源の実相を見る事が出来るのです。何者でもなく、自らの力で跳ね返されてゆくその様子は強く印象に残っています。

「身から出た錆(さび)」の言葉通り、鉄が酸化して錆が生じるように、自分にも何らかの原因があって障害が起きるのです。

 自分が起こした事はある時には間接的に返ってきますが、いずれにしても蒔いた種は自分で刈り取らなければなりません

 種が多く喜ばしい実となるのか、苦いだけのものになるのか……、時には自らの生命(いのち)で償い、刈り取られる事さえあるのです。

 私が以前から光話の中で繰り返しお伝えしてきた通り、ここ数年間で人によって大きな差が付きます。良くなる方、落ちていく方の差が激しくなります。
 そして、小さな非難が大きな事故につながる事さえ出てきます。「山は口を開けて待っている」のです。

 本質から離れたものはあなたに一時の快楽を与えはしますが、それは永続きしません。本質に近いものほど、その働きはゆっくりではありますが続いてゆくものです。

 人は予想もしなかった事に出会うと「何故?」と驚いてしまい、時には考え込んでしまうものですが、原因と結果の世界からみれば、全ては(宇宙)法則の現れです。

 僥倖(ぎょうこう)の前兆が、次々と襲い来る災難であったりする事もあり、大きく飛躍する前には膝を曲げ、身をかがめなければならないのです。

 すべての責任は自分自身にあると心に定め、我神なりとその命を輝かし、全てを愛し、光となって力強く一日一日を送って下さい。

 
自分という「全一体」       知花敏彦師の記事♪

問 先生は光話の中で「全一体」という言葉をよく使われますが、この先生のお話の中の貴重なお言葉、「全一体」について教えて下さい。

 富んでいる者も貧しい者も、年老いた者も若き者も、この世に存在するすべてに意味があります。そうした見方が出来ないという事は自らを傷つける事につながります。

 全一体---殺した人も殺された人も、それを見ている自分自身も、すべて自分なのです。

 真我は様々な偽我を作り、それを克服し、磨いてゆくことでより真我としての輝きを増すのです。偽我とは個性、思い込み、感情、欲望などの総体を表現します。

「一命一体」「自他一体」そして「全一体」なのです。真我、偽我も二者一体で表現するのです。

 特に私達の眼の前で罪の行いがなされた時、それを看過してしまう事は悪いカルマを作る事になると神は言います。
 罪を見て見ぬふりをする事は「ゼロ」ではなく罪を実際に犯す事に劣らぬほど良くない事であると言っているのです。

 罪を正す時に「神よ、この者たちに光を、心にやすらぎを」と祈る、その対象は殺した人、殺された人、そして自分自身なのです。
 自礼拝もが必要なのです。自らを愛せない者はすべてをも愛せないのです。

 あなたが目の前の者に対して見下げた言葉を吐けば背負いきれない程の罪を追う事になります。これは心して下さい。差別する心が生じ、それを言葉に出すという行為には特に注意して下さい。

 内在する神により一点の狂いもなく裁きが行われます。この事を知って下さい。裁きという表現よりも、「結果を招く」「作用を及ぼす」という方が相応(ふさわ)しいかもしれません。

 誰かが罰するのではなく、この宇宙の意志が自然に、言った本人にある状況をもたらす事になるのです。

 相手によって自らの態度を変える人は、相手によってその扱いを変えられます。あなたが行った事、言葉に出した事、思ったことは多少の時間の開きことあれ、あなたに返ってゆくのです。

 その仕組を悟り、身をもって知ったならば、相手も自分であるとして接し、絶えず謙虚でいる事を心がけて下さい。やがて周りが常に穏やかにあなたに接してくるようになるのが分かり、心が平安に包まれるでしょう。

「悟り」は「差取り」に通じます。全一体を知り、執着する事なく神として生きることです。
 それを日々続けていく事により、あなたの行く先々で黄金に輝く幸せの扉が開かれていく事でしょう。


                                     

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人類の避難星♪ノーヴァ・テーラの場所♪人間の霊的構成♪穀菜食で第3の目活性化♪洗心で超能力開花♪関英男博士♪


ノーヴァ・テーラ星について

 以前、私はカナダのトロントにマゴッチさんを訪問した時、「一体、ノーヴァ・テーラ(星)というのはどこにあるんですか」と聞いた事がありました。
 マゴッチさんは「ノーヴァ・テーラは、地球からそんなに遠く離れた星ではありません。ただし、地球とは違う次元にある星なので、普通では目に見えません」と話されました。

 話は変わりますが、私がある講演会の席上で、
「天変地異が激しくなって、どうしてもノーヴァ・テーラ(みなさんが一次避難する惑星/新地球の意)に移行しなければならないようになった場合にも、洗心した人は救済される」という話をした所、

ある女性の方から「私はまだまだ出来ていません。これでは、ノーヴァ・テーラに行けないのでしょうか」というご質問が出ました。

 そこで私は、「洗心が出来ていなくても、そうしようと一生懸命努める、そういう心掛けの方は救済されますよ」とお答えしましたら大変喜んでおられました。

数秒で厚い本を理解する能力・瞬読理論

 創造主は、洗心して念波を利用すれば、一冊の本を数秒間で読めるような知力を与えて、人間を創造して下さいました。
 
 これを実証してくれたのは、大正時代まで存命の山崎辨榮(べんねい)上人です。
 岡潔先生によれば、重圧な科学の辞典のページを親指でピィッと弾いただけで内容を全部理解したといいます。つまり数秒間で一冊の本を全部読んでしまったという事です。

 これだけで上人は、拾い読みとか飛ばし読みをしたのではなく、熟読したと同じ様に頭に入ったというのです。

 加速学園でコンピュータを浸かって、速読の訓練をしておられた植原さんは、最近コンピュータを使って、速読の訓練をやめ、意識の変更状態に重点を移し、瞬読に近い指導をしておられます。

 さらにまた、工学博士の深野一幸さんの情報によると、黒沢亜耶(あや)さんという方は本を開かないでも、表紙と裏表紙に両手の手のひらを当てると、その本の良否が分かるそうです。

 筆者の見解を簡単に述べますと、従来の速読法は、本に書いてある文字を光学的に眼で追う訓練をしているのだと、まず解釈します。

 これに対して、山崎上人や黒沢さんの場合は、光学的な情報に頼らず、文字から出てくる念波を捕らえて、超感覚的に情報処理し、七念層の記憶部に蓄えるのだと思います。
 
 そのために、従来の速読のように、訓練するわけでなく、意識の状態を変更させる事に重点を置くようになりました。

 植原さんも最近の指導方針として、脳波をデルタにするように工夫しておられるようです。
 そして、念波が読み取れる状態になると、情報は脳の中に目に見えない受容器から目に見えない神経系を通って視床下部に達し、ここで目に見える神経系と合流するようになります。

 ある程度顕在(表面)意識にも上るものの、それから先の情報処理速度は遅いので、七念層の中で、例えばメンタル体に行き、そこに記憶部に蓄えられるのです。

 しかし、後から記憶から取り出す時、普通の状態では出来ませんから、アンタカラーナを通して、目に見える神経まで誘導しなければなりません。
 
 普通の人にアンタカラーナはありませんが、これは洗心と瞑想によって形成されますから、21世紀の優良星界の人には全て存在するものと期待されます。

 分厚い本でも親指で弾きますと、眼で見なくても念波は送り出されますから、これを七念層あるいは尾状核のアンテナでキャッチして、光速処理が出来ます。

 従来夢想もしなかった能力が、創造主から、我々人間に与えられていた事は感謝して余りあると言わなくてはなりません。

人間の霊的構成

 神智学では、肉体的な脳の他に、目に見えない4つの層、エーテル、アストラル、メンタル、およびコーザルの4体より成ると言われています。
 しかし、最近の研究では、次の七念層より成ることが分かってきました。この中に、神智学でいう4層も含まれます。


①シン体…………電磁波に近い周波数
②エーテル体
③アストラル体(幽体)
④メンタル体
⑤コーザル体
⑥ケシ体
⑦コード体………電磁波に比べ極端に高い周波数

 
 これらの七念層の働きについては『高次元科学2』の62、63ページに詳しく書いてありますので、ここでは省略します。

 いわゆる潜在意識(の能力)は、精神的修行(洗心と瞑想)によって形成されますが、現在の所、これを持たない(活性化していない)人の方が多いようです。

 アンタカラーナは頭頂のサハスラーラ・チャクラに接続され、そこから気道を通してアジナ・チャクラにいたり、さらに気道によって視床下部に達します。

 この視床下部や脳下垂体を取り巻く尾状核は、さらに肉体脳で目に見えるものですが、尾状核の中には目に見えない数百万本のアンテナがあります。

 問題は、前記のように分厚い本を指でピィッと弾いた時、出てくる念波をどこで受け取るかです。肉眼では見えませんが、無理でしょう。仮に補足できたとしても、視神経はそんな光速で情報伝達が出来ないでしょう。

 メンタル体とコーザル体は宇宙から情報を受信する役目がありますが、アンタカラーナの完成していない人にとっては、役に立たないでしょう。

 カラグラ博士著『スルー・ザ・カーテン』には尾状核の作用が5ヶ所にも説明されていて、手軽にテレパシー等に利用される事が書いてあります。

 筆者も、多分、速読あるいは瞬間学習に尾状核内の数百万本のアンテナが情報キャッチの役割を荷なっていると想像しています。

 そこに到来する念波は想像を絶する高い周波数ですから、アンテナといっても、目に見えないほど細くて短いものでしょうし、数百万本というのは、様々な周波数に適応したものでしょう。

 ですから、普通の目に見える神経細胞ではこれら情報伝達は出来ません。そのかわり気道等が使われるでしょう。中間では、例えば、幾つかある脳室の一つにあるスクリーンに結像して、視覚中枢に送られる可能性はありましょうが、最終的には、メンタル体辺りの記憶装置に収まると思います。

 また瞬間読書といっても、拾い読みとか飛ばし読みをするわけではありません。本の内容全部をメンタル体辺りに蓄え込むわけです。
 要は、それを後からいかにに正確に検索して、いわゆる記憶の思い出しが出来るかにかかっています。


理想と現実と一致する社会

 現在よく出くわす会話に次のようなやり取りがあります。若いサラリーマンの方に洗心の話を向けますと、
「洗心の良い事は分かりますが、先生の言う通り実行すると、会社が潰れてしまいますよ」という返答が返ってきます。

 なるほど現状では、「宜(よろ)しからぬ欲を捨て」という言葉をそのまま守りますと、他社と競争してはならない事になりますから、会社は成り立ちません。仮に競争してもよい、と言われても、競争に負ければ同じ結果になります。

 結局、現状では理想と現実が一致しない事になって、若者の言う通りの結果に陥ります。従って現実的には上司の命令をよく守って精励する事をお勧めします。

 しかし、自分だけが社内で出生したいという欲を出して他人を押し退けるような行為に出ると、洗心の趣旨に反します。

 また、自ら会社の経営者に立身して、他者と競争しなければならなくなった時に、法を犯してまで競争に勝つような事をしますと、やはり洗心の趣旨に反します。
 ですから、今から洗心を心がけるようにしておく必要があります。

 やがて世紀が変わってから地球が優良星になれば、会社のような組織がなくなりますので、理想と現実が一致するようになるわけです。

 その時になれば、現在、洗心の心掛けをしている事が生きてくると考えれば、必ずしも不平不満はないものと信じます。

 また、未来に向けて希望の持てる現象が一つ考えられます。それは、洗心を実行した人や、洗心を心がけている人々だけの社会になりますと、それらの人々の頭脳の七念層から放射される念波が空間と飛び交い、脳波を調和し洗心を一層促すような効果が現れるということです。

 創造主もこれを期待しておられると見えまして、取次の神を通して、1981年3月9日「洗心の連帯意識を持て」とおっしゃっています。
 
 良い脳波から発した念波は数千キロ隔てた人の脳波に影響を及ぼす事は、超越瞑想(TM瞑想)の実験でマハリシ効果あるいはスーパー・ラディアンス効果として証明されています。

 そのため、一度優良社会の機運がスタートしますと、加速度的に社会が改善されるのではないでしょうか。必ずしも、楽観的すぎるとは思われません。

さらに楽しみにして頂ける現象としては、洗心による想念波動が空間に満ちてきます、創造主よりの天波・念波がさらに一層強化され、万人に至福が与えられるようになります。

 こうなってくると、皆さん目がけて災難を与えようとする悪い波動から、守護神・守護霊は守って下さるようになるそうです。

 つまり、洗心が出来ていると守りやすくなるというわけです。これまでの7年間取次の神の神の講義を聴いてきた人々は、宿業、つまり溜まった業(カルマ)が急速に解消して、清浄な心に変わってきます。ですから、明るい未来が開けてくる事になります。

 しかし、そうなっても、皆さんは決して偉くなったなどといって高慢な心を起こしてはいけません。もし、そんな心を起こしたらその瞬間、御光と御力が遮断されて、狙っていた魔が瞬間に入り込んできます。

 この事は非常に厳重に注意されています。注意事項としてはそれ程多くはありませんので、これを守りさえすれば、理想と現実とは一致し、明るい未来が約束されるものと確信しています。

瞑想の和平効果と超能力の開発

 創造主は、21世紀に入って優良星人と交わる前に超能力を開発しておきなさい、とおっしゃっています。そのためには洗心と瞑想をやるがよい、との事です。しかし、瞑想にも多種多様で迷うくらいです。 瞑想の記事♪ 



オススメ瞑想ベスト記事はこちら♪

永久保存版♬知花敏彦さんの神我に目覚める♫瞑想の極意♪白色同胞団♪神我と自我の詳しい説明♪悟りとは何か♪

 

法玉明想の極意はアジナチャクラに意識を集中する♪上江洲義秀先生の神秘人生体験記♪第六チャクラ♪愛の法則♪



TM瞑想の和平効果の概要ですが……♬

●モザンビークという国で軍隊にTM瞑想を導入した結果、雨が降って干ばつが解消したり、犯罪が大幅に減少したり、経済がすっかり好転して活況を呈するようになったという事です。

 つまり、洗心をする人が増えれば増えるほど、TM瞑想と同じ効果が発生し、地球の天候が安定したり、犯罪が減ったりする効果が♪……というお話で御座います。特に集団で集まってしなきゃならないという訳ではない様です。


1人びとりの洗心が地球全体に良い影響を与える抜粋ですが……♬


洗心による想念波動が空間に満ちてきます、創造主よりの天波・念波がさらに一層強化され、万人に至福が与えられるようになります。
 それらの人々の頭脳の七念層から放射される念波が空間と飛び交い、脳波を調和し、洗心を一層促すような効果が現れるということです。


瞑想の和平効果を詳しく知りたい方は、こちらのリンク先で見てね♪



どの子も皆んな天才です。かけがえのない神の子や仏の子です。
子供を正しくスクスク伸ばす教育の秘訣とは!
お父さん、あなたは子供を伸ばすお父さんですか?それとも……。
お母さん、あなたは子供を伸ばすお母さんですか?それとも……。

どの子も、みんな神の子や仏の子の内在無限の可能性を持ってこの世に生まれて来ています。
どの子もどの子も、みんな無条件に伸びたいのです。さあ、子供の魂の切なる願いに耳を傾けながら、よい子の伸ばし方を勉強しましょう。

家庭教育への取り組み

 本当の教育は胎教から始まるとも言われます。幼児教育とは、0才からすぐ教育が始まります。
 人は生まれながらにして天才を内在しています。天才になるか鈍才になるかは育て方にあります。
 個性的な天分、才能を発見して引き出しましょう。創作力、想像力を引き出し、創造性を育てよう。
 礼儀正しさは子供の頃に家庭の躾で身につくものです。それ以外で一生身につくことはないでしょう。


あなたがいるだけで

 「あなたが生まれて来たことが ただ有り難くてうれしくて ママはね あなたが好きでたまらない」という歌があります。
 「あなたが居るだけで幸せよ!」あなたの子供を見つめる愛の眼差しと祝福と讃嘆の想いが、あなたの子供を素晴らしい子供に伸ばします。
 子供を神様や仏様からの「授かりもの」「預かりもの」と心から拝むとき、素直でよい子が育ちます。


愛語と讃嘆は子供を伸ばします

 祝福された子は正しく豊かに伸び、望まれない子はダメになるか横道にそれ易くなります。
 あなたの子供たちが、あなたたちご両親を父として母として選んで生まれて来てくれていることの神秘さと神や仏の恩寵に感謝しましょう。
 あなたの子供が、どの子も60億の人類の中に、たった一人しかいない、かけがえのない絶対的な存在であることを讃嘆と祝福しましょう。


見ることは創ること育てること

 あなたは、あなたの子供をどのように見ていらっしいますか。「神の子や仏の子で素晴らしい可能性を持った善い子である」と可能性を認めて讃嘆されると子供は正しくスクスク伸びます。
 反対に「この子は大したことない、どうもダメだ」と現象的に不完全な姿を見てけなすと本当にダメになってしまいます。親が見る通りや認める通りに子供の姿や性格は作られていくのです。


親が変れば子が変ります

 子供を伸ばす上で一番に大事なことは、先ず、親自身が、子供に対する見方を正しく変えることです。人間の本質は神の命や仏の命です。

 従って、あなたの子供の本質が、無限の可能性を秘めた完全円満なる神の子、仏の子であることを認識しましょう。
 そして、子供の神性や仏性を礼拝し讃嘆しましょう。これらを実践すると、今日からあなたの子供さんは善い方に変り始めます。


神の子だから褒められたい

 あなたの子供さんは、どの子もどの子もみんな神の子や仏の子であります。だから、どんなに成績が悪くても、どんなに親の期待に添わない子でも、先ず、その現象的な姿を超えて、無条件に褒められたいのです。

 無条件に拝まれたいのです。無条件に祝福されたいのです。人間はみんな神の命や仏の命だから無条件に褒められ認められたいのです。


ダメな子ほど褒めましょう

 ダメな子ほど褒めましょう。悪い子ほど、その本質の実相の完全円満なることを褒め讃えましょう。
 何故なら、その子は褒められなかった結果、愛されなかった結果、理解して貰えなかった結果、内在している能力を引き出せずダメになり悪くなっているのですから。
 「讃嘆日記」などを付けて褒めて認めることによって、オール1の子がオール5になった実例があります
 つまり人にとって生命の糧は讃嘆にあります。


伸びたい願いと伸ばしたい愛

 「なぜお空は青いの」「どうしてお星さまは夜だけ出るの」「青い葉っぱのチューリップから赤や黄色の花が咲くなんて不思議…」「私は一体どこから生まれてきたのかしら……死んだらどうなるの」

 子供の好奇心とか感動や感激する心、豊かな感受性と伸びようとする生命をタイミングよく見つけて伸ばすのが教育のコツです。深い慈愛の心で子供を見つめましょう。


子供はみんな天才です

 バイオリンの早期教育で有名な鈴木鎭一氏は、子供はみんな天才だと言っています。およそ、自分の国の言葉を不自由なく話せる子で能力のダメな子はいないとも言っています。

 つまり、能力のない子はいない、ただ伸ばし方を間違えたか、遅れたか、ダメな方や反対に間違って伸ばしただけです。
 本来は正しく伸びる力を秘めながら環境や境遇などで能力をダメにしているのを、再び正しく伸びる方へ導き開放してやればいいのです。


自己の縛りを解いて能力を引き出せ

 どうも出来の悪い子供は、親や周囲の人の悪い習慣的なマイナスの言葉の力で委縮して、自分の能力を引き出せなくなったのです。知らない内に周囲の悪い想念や暗示が子供を縛っています。

 そこで、「あなたは本当は出来る子ですよ」「あなたは、まだまだ隠れた能力を持っているんですよ」「あなたはさらに伸びるんですよ」「能力は使えば使うほど伸びるんですよ」と生命力を溌剌とさせて、夢と希望でやる気を起こすコトバで能力を開化させましょう。


愛は問題児を癒します

 躾はし続けることです。でも押しつけると歪んでしまいます。子供は親の生活を見て真似て育ちます。調和した家庭から伸びる子は育ちます

 盗みやお金を無駄使いする子は愛情不足です。認めてやらないと性格が歪みます。自分勝手な親からは手に負えない子が育ちます。自閉症の子には安定した慈愛と讃嘆が大切です。

 最後に、人間が地上に生まれて来た目的は神の子や仏の子の栄光を現わすためです。あなたも思いやりのある挫けない子、神の子や仏の子の無限力の自覚を持った子、沢山の人のお役に立ち、神や仏の栄光を現わす子に育てましょう。  
            ★参照団体(財)新教育者連盟の公式サイト     


痩せるお茶と言われるクミスクチン茶 - gooヘルスケア


クミスクチン茶で楽々ダイエット♪

 クミスクチン茶はダイエットに効果があると言われています。
 ヨーロッパでは痩せる、ダイエットのお茶と言い伝えられてきたそうです。

 そのように言われるゆえんは、クミスクチン茶の成分にあります。
 ロズマリン酸という、脂肪の吸収を阻害してくれる成分が含まれているそうなんです。

 このロズマリン酸は、余分な糖分の吸収も阻害してくれると言われています。ダイエットに大敵な脂肪と糖をあわせて抑えてくれるんですね。

 さらにカリウム、オフソシフォニンという成分が、利尿作用を促してくれます。体内に水分が溜まるとむくみの原因になり、見た目的にも美しくありません。

 体内から水分を排出し老廃物を除去することで、むくみ改善の効果が期待できますね。
 脂肪と糖の吸収を阻害してくれる、嬉しい効果のあるクミスチン茶、ヨーロッパで長きに渡り言い伝えられてきた効果には、説得力がありますね。

 冬はホットで、夏はアイスでと取り入れやすく、続けることで効果を発揮するダイエット法です。
 


 穀菜食(玄米と野菜を中心にした食事)にすると、血液が綺麗になり、オーラも澄み切った細やかな波動に変わる。チャクラは形良く開き、体は活力に溢れ、とても元気になる。    大豆の記事♪ 玄米の記事♪

 そして第3の目が使えるようになり、オーラが見えるようになるのだ

 僕はこの15年、何万人という方をヒーリングしてきて、いつも穀菜食を基本にした食事法を、強く勧めてきた。

 なぜ、それほど食事にこだわるかというと、食事を正して、毒出しをしている方のほうが、確実に体の質が良くなっていくからです。

 医者に見放された病気が治る事もある。癌が消えた、なんてことも珍しくはない。

 ファーストフード、コンビニの食事、食品添加物や農薬、科学薬品づけの食事中心の食生活にどっぷり浸かっていたら、病気にはならなくても、血液がドロドロに汚れ、オーラが淀んでしまうのは当然です。

 思い切って、穀菜食に変えてみよう。やってみると、「自分は今、変わりつつある」事を、面白いほど実感できるはずだから。
                      木津 龍馬さんの記事♪


2012年アセンション最後の真実―マヤ予言の秘密とクラリオン星人の啓示…魂の5次元上昇が今、始まる!!  から引用させていただきました

 土星からやってきた子供

 2009年4月に名古屋で行われた私の講演会に、3人の女の子を連れてこられたIさんという女性がオムネク・オネクのケースによく似た驚くべき話をしてくれました。そのお母さんは六歳になるお子さんを指して、

 「この子が五歳の時に突然奇妙な事を言い出したので、ぜひそのお話を聞いて欲しいと思って今日はやって来ました」と言うのです。
 その話を簡単にまとめると、およそ次のようになります。

 今からおよそ一年前ほど前の夜11時ごろ、2階で寝ていたはずの三女が1階で談笑していた私のところにやって来て、突然、「お母さん、私、どこから来たか分かる?」と言い出したというのです。

 寝ぼけでもしたのかと思って、「さあ、何処から来たのかね?」「二回からじゃないの?」とからかい半分に笑っていると、真顔で次のような話を始めたというのです。

 「私は、土星からやってきたの。土星には今も母親と兄弟がいて、時々、夢の中で話をしているのよ。私が地球に来る事に土星のお母さんは大反対だったの、それは、私が向かおうとしている地球はこれから先間もなく、これまでに経験したことのないような大異変に見舞われる事が分かっていたから。

 でも、私はどうしても地球人として生まれる必要があったから、自分の意志で今のお母さんの所にやってきたの。
 
 お父さんは技術者で、土星の大切な記録を守る役目についていたの。でも、ある時、悪い異星人がやってきて、お父さんが光が出る銃で殺してしまったの。私やお母さん達は逃げたから、怪我はしたけど死なずにすんだのよ。

 それから後、土星の周りには悪い宇宙人が入ってこないように宇宙船が見張りをするようになったの。土星の本当の姿は外から眺めたのと違って、とっても綺麗な青い色をしている星なんだよ。
 今、地球の周りには沢山の宇宙船がやってきているよ。私にはそれが見えるけど、お母さんやお姉ちゃんにはまだそれは見えないよね。でも、もうすぐ大勢の人がそれを見るようになってくるよ。そして、それに乗って沢山の人達が元の星に戻るようになるんだよ」

 この女の子の話は、オムネク・オネクの身の上話によく似た話ですが、この子は、地球人の母親から生まれているという点では、普通の子供達となんらかわりはありません。
 
 しかし、土星で過ごした生活の記憶が潜在意識の中に強く残っていて、何らかの要因で、突然それが表面意識に出てくることがあるようです。普段はあくまで近所の子供と同じように生活しているようなので、お母さんも戸惑われたに違いありません。

 ただ、不思議な事に、生後五ヶ月で円形脱毛症になったようなので、幼い頃から、普通の子供とは違う所はあったようです。この世の環境にかなり大きなストレスを感じていた証ではないでしょうか。

 それにしても、五歳といえば幼稚園の年中組です。そんな幼子が、信じられないような不思議な話をするのですから、お母さんならずとも驚かれたのは当然です。その時は、まるで大人が子供に話すように話していたようですが、とくに地球がやがて遭遇することになる大異変の話をした時は、子供ながらに、厳しい顔つきで話されたのが印象的だったそうです。

 不思議なのは、2005年に、探査機カッシーニが土星の輪であるAリング内にとらえた土星の衛星パンとアトラスが、典型的な空飛ぶ円盤の形状をしている事です。まるで、女の子が言った、悪い宇宙人がやって来ないように見張りする宇宙船のようです。

 女の子は、「宇宙船はわっぱ(リング)の中に隠れていてわからないようにしているの」ともいったということですが、まさに2つの衛星ともAリングの内部にあって、外からは選別しにくい所にある事も、彼女の話を裏付けているように思えてきます。

 しかも、最近の研究では、土星のリングそのものと同時に、そこに存在している衛星も人工的なものではないかと言われだしている点も不思議な合致点です。


宇宙創造の神が勧める霊性を高める方法 洗心

いつももつべき正しい心(=常の心)
強く     明るく
正しく    我が祈り
宜しからぬ欲を捨て
みな仲良く、相和して
感謝の生活をなせ

心の中からなくすべき感情(=ご法度の心)

憎しみ  不満
妬み   疑い
猜み   迷い
羨み   心配心
呪い   咎めの心
怒り   いらいらする心
不平   せかせかする心


■四句御箴言(しくごしんげん)

与えられたことを感謝して受けよ
与えられぬことを感謝して受けよ

与えられたことを拒むこれ欲なり
与えられぬことを欲するこれ欲なり


FC2版の広瀬すずちゃんの横顔になる方法の記事です♪
身長を伸ばす記事も追記してみました♪

宇宙創造の神が推奨♪霊性を高める洗心で優良星人になってノーヴァ・テーラ星に♪洗心習得でUFOからも判別可能に♪笑顔・感謝が幸せの秘訣♪関英男博士♪

生命と宇宙 関英男博士 から引用させていただきました  



洗心習得が              
優良星住人の必須条件らしいお話

 地球が非常に危険な状態に陥った場合、宇宙船でノーヴァ・テーラまで運ばれて、そこで地球人が暮らすという事になるようです。
 私はこれを、大分先の話だと思っていました。ところが、97年4月17日のオスカーマゴッチさんの講演の中では、こういう話が出てまいりました。

 神戸の大震災の時に行方不明になった方々が何人かおられます。その行方不明になった方々の10%の人が、もうすでにノーヴァ・テーラに移住して、現在快適な暮らしをしていらっしゃるというのです。これは誠に意外な話でした。

※推測ですが、この10%の人は心の次元の高い人、いわゆる洗心が出来ている方々「=波動の高い人」だと思われます。心の汚れている人「=波動が低い人」はUFOには乗れないそうですから…、日本人の上位10%の方々って、イメージ的にも笑顔満点で心が優しくて良い人という感じですしね♪

 全然違う社会に行くわけですから、何となく違和感があるような気がします。けれども、マゴッチさんの話によると、日本人は日本人、ドイツ人はドイツ専用の村のようなものがあり、全く違和感のない、快適な生活、食べ物なども口にあったものが得られ、快適な生活が出来るという話なのです。

 宇宙船に乗せられる場合も、窮屈な思いをしてタラップを登って機内に入るというのではなく、寝ている間にいつの間にか入り、いつの間にかノーヴァ・テーラの快適な環境に移され、少しも不自由がないという話でした。

 正しい心(洗心を習得した心)を持つようになると、その人のオーラが上空のUFOから簡単に区別出来るようになるようです。

 ですから、洗心を充分に行い、ご法度の心を起こさないようにしていると、瞬間移動で宇宙船にすくい上げられて、万一の場合には、ノーヴァ・テーラへ移行されるようになっているわけです。

 故田原澄さんには、宇宙センターは取次の神を通して、「地球はこれから優良星界に変わる。ついては、ぜひ洗心して、心掛けの正しい人間を大勢つくるようにしなさい」と伝えています。

 さらに、宇宙創造の神様は取次の神を通して、ザ・コスモロジーの城戸緑信さんに自動書記をさせて、優良星界に移行する心構えの詩を示されました。

 詩の最後の所が、キーワードとなる洗心の言葉を非常に巧妙に表わしていますので、ご紹介しておきましょう。


彼ら優良星界人は 「宇宙の理(洗心)」とともに在るが故に
己自身に対して強く生き 善悪を超越して正しく生き
笑顔を以て明るく生き
                      笑顔の記事♪
信頼と互譲の麗しき心なるが故に 我なく
競うことの愚かさを知るが故に 宜しからぬ欲心なく

人類皆一体なる真理全ては自分・全ては神)を悟るが故に
皆仲良く相和して 森羅万象悉(ことごと)く

宇宙創造の大神様より発したる
大愛の波動の変化(全てが神の現れ)なるを悟るが故に
無限の感謝と共に暮らすなり
                     感謝の記事♪

大変これは有り難い詩だと思います。というのは「強く・明るく・正しく・我が祈り・宜しからぬ欲を捨て・みな仲良く相和して・感謝の生活をなせ」
といったような洗心の言葉が一味違う言葉で表され、非常にわかりやすく説明されているからです。


すでに優良星界と交流する霊界の人々 

 宇宙センターの計画により、我々の地球が21世紀から優良星界に入りますと、他の優良星界の人々と交流出来るようになりますが、今の所まだそれが出来ません。

 ただ、霊界の人々はすでに優良星界に行って、向こうの良い所を取り入れて、これから地球全体が優良星界になる準備をする事が出来ますので、優良星界と交流を行っています。

 それにより将来、霊界も我々も3次元界も優良星界という事になってきますと、これからは我々も宇宙船に乗って、他の優良な方々の星へ訪問する事が出来るようになるわけです。

 大体1年に1,2回、あるいは2年に1回という割合で観光旅行が出来るのではないでしょうか。ただそうなった場合に、優良星界にふさわしくない心掛けを持った人々は、いつの間にか他の星に移される事になっているようです。

※死後に地球以外の3次元の不良星界に生まれ変わるという事例がもうあるみたいです。生きている間にしっかり洗心を習得しておくと、次の生まれ変わりも地球か優良星界に行けるかもしれませんね♪

 今から3千年ないし5千年前にも、他の優良星界の中でそこにふさわしくない人が大量に宇宙船に乗って地球に移されたという例があります。
 その子孫が今いるわけですから、全部が全部洗心しているという訳にはいかないのは当然でしょう。

 従って、今回の場合も全部の人が洗心出来ていればその必要は全く無いわけですが、そうでない場合には、もう今までのように大目に見るという事は絶対に許されなくなって来ています。

 地球が優良星界に入った時には、先程述べたように、念波の状態がよくなってきますので、電磁波を伝える媒質(光の速度)、つまり真空の中の媒質が非常に良くなり、電波の速さも3倍ぐらいになるのではないかと予想しています。

 21世紀になりますと、非常に明るい地球になるという事を明確に示してくれたのは、1988年7月3日、ナイアガラ上空で虹号という宇宙船にマゴッチさんが乗せられて、数千人の聴衆と共にクウェンティンさんから示されたホログラフィーの映像を見た時です。

 この映像では過去の1968年と、現在の1988年と、未来の2025年の3つの地球状態を示したホログラフィーが見せられました。

 無論、過去と現在とは地球の状態が極めて暗い状態で、未来のものは非常に明るい惑星地球の光景が映し出されていました。活気のある青い色のオーラの覆いが、健全な白熱光を生み出していたそうです。

 そこからは軽快さと喜びに満ちた感じが放射されています。そして、光景がそのまま安定する中、クウェンティンさんがまた口を開きました

「何百万人もの地球人が意思を統合した『惑星平和瞑想』を行いました。1986年12月31日の事です。その『地球の平和』作戦のために、壮大なクリスタル宇宙船が宇宙エネルギーを満杯にしてやって来て、瞑想をしている地球人が送り出した膨大なエネルギーを集め増幅しました。

 そして、こうして合成されたエネルギーは、途方もない大量の『光』となって地球磁場に注ぎ込まれたのです。臨界質量を正・陽のエネルギーに変質するためです。

 これを行ったのは、消極的・否定的・陰の考え方や行動の連鎖反応を逆転させ、全世界的な意識の大々的な変革をもたらし、究極的にはこの惑星を癒し、強力な霊的・精神的な『愛』と『光』の意識へとむけさせる事を期待したからです」。

 この事は地球にとって、極めて歴史的な事件でありました。マゴッチさんはその経験を「深宇宙探訪記」の最終号のエピローグとして述べています。


マゴッチさんとワイリーさんの
皇居観光エピソードから……♪    関英男博士の記事♪

 97年4月12日は池田さんと石川さんの2人で両名を成田空港でお迎え頂き、4月13日の日曜日に皇居へおいでになりました。

 皇居には、桜がまだあちらこちらに残っていました。
2人共この皇居が非常に魅力的で
世界中で、日本の皇居ほどエネルギーの高い場所を見た事がない
上からのエネルギーを感じる事が出来る
ここは宇宙とつながっているというようなお話をされました。


宇宙創造の神が推める霊性を高める方法 洗心

いつももつべき正しい心(=常の心)
強く     明るく
正しく    我が祈り
宜しからぬ欲を捨て
みな仲良く、相和して
感謝の生活をなせ

心の中からなくすべき感情(=ご法度の心)

憎しみ  不満
妬み   疑い
猜み   迷い
羨み   心配心
呪い   咎めの心
怒り   いらいらする心
不平   せかせかする心


■四句御箴言(しくごしんげん)

与えられたことを感謝して受けよ
与えられぬことを感謝して受けよ

与えられたことを拒むこれ欲なり
与えられぬことを欲するこれ欲なり


1.眼施(げんせ) やさしい眼差(まなざ)しで人に接する

 「目は口ほどにものを言う」といいますように、相手の目を見ると、その思いはある程度わかります。相手を思いやる心で見つめると自然にやさしい眼差しとなり、人は安心します。自らの目を通して相手に心が伝わって、相手も自分の気持ちを理解して、お互いが打ち解けることができることでしょう。


2.和顔悦色施(わげんえつじきせ) にこやかな顔で接する

 眼施と同様、顔はその人の気持ちを表します。ステキな笑顔、和やかな笑顔を見ると幸せな気持ちになります。そして周りにも笑顔が広がります。人生では腹の立つこともたくさんありますが、暮らしの中ではいつもニコニコ、なごやかで穏やかな笑顔を絶やさぬよう心がけたいものです。また、メールの顔文字も一工夫してみてはいかがでしょうか。


3.言辞施(ごんじせ) やさしい言葉で接する

 言葉は人と人との関係を円滑にするコミュニケーションの大事な方法です。私たちは言葉一つで相手を喜ばせたり、逆に悲しませたりする場合があります。相手を思いやるやさしい言葉で接していきましょう。「こんにちは」「ありがとう」「おつかれさま」「お世話になります」など、何事にもあいさつや感謝の言葉がお互いの理解を深める第一歩です。


4.身施(しんせ) 自分の身体でできることを奉仕する

 重い荷物を持ってあげる、困っている人を助ける、お年寄りや体の不自由な方をお手伝いするというような身体でできる奉仕です。どんなによいことと思っても、それが実行できなければ意味をなしません。よいことを思いついたら実行し、自ら進んで他のために尽くしましょう。その結果、相手に喜んでいただくと同時に、自己の心も高められるのです。
 

5.心施(しんせ) 他のために心をくばる

 心の持ち方で物事の見方が変わってしまうように、心はとても繊細なもので、自分の心が言葉遣いや態度に映し出されます。自分だけがよければいいというのではなく、心底からともに喜び、ともに悲しむことができ、他の痛みや苦しみを自らのものとして感じ取れれば言うことはありません。慈悲の心、思いやりの心から自然とやさしい顔や眼差しにも表れてくることでしょう。


6.床座施(しょうざせ) 席や場所を譲る

 「どうぞ」の一言で、電車や会場でお年寄りや身体に障害を持っている方に席を譲ることです。座席だけでなく、全てのものを分かち合い、譲り合う心が大切であるという意味が含まれています。何事も独り占めはいけません。少なくとも電車やバスのシルバーシートは本来の意義に従って利用しましょう。場合によっては自分の地位を譲って後のことを託すという意味も含まれるでしょう。


松下松蔵こと祖神様とは - 祖神道本部(親孝行で神人に)              http://sosindou.web.fc2.com/sosinsamatoha.html

松下松蔵翁のこと(戦前に活躍した日本最高級の神人)                       https://plaza.rakuten.co.jp/jifuku/6019/

「私は、親孝行のために力を得た。
私は決して願をしたのでもなく、行(ぎょう)を積んだのでもない。
ただ、生まれつき親孝行することが好きである、
一度も親に口答えせず、そむいたこともなかった。

元来人間は、親あっての自分で、わが身が大切ならば、親はなおさら大切で、ことに親の子に対する愛情は無限である、それを思うなら、どうして親を大切に思わずにいられよう。親孝行が人間道の根本だ。

私は、神様は何神様を信ぜよとか、仏様は何様を信ぜよとか、決してそんな事をすすめるのではない。世の中は親孝行が第一で、親孝行さえするなら、成功もでき出世もできる

「精々、肉類は食わぬようにするがいいよ。 肉食の記事♪
儂等は朝は味噌汁一杯、昼は御飯一椀と野菜一皿、それ以外に何も食わないで、これだけ働ける。
今の人間は食い過ぎているわい。
獣の肉を食うと、心臓が弱る。血が濁る。
魂の穢れを増すばかりじゃ。
獣類、鳥類、虫類の怨みも恐ろしいからな・・・・」



 動物性タンパク質(肉食)は、基本的に血をドロドロに固めて汚し、オーラを淀ませ、輝きを失わせる
 また、消化吸収されずに体内に残った肉は毒素となって、癌や色んな病気を引き起こす。体臭も強くなるのは肉食人種を見ればわかるだろう。

 喜怒哀楽が激しくなり、怒りっぽくなったり、被害者意識を持ちやすくなる。活性酸素が増えるので、老化が早まってしまう

「筋肉をつけるには、肉を食べないといけない」なんてことはなく、
大豆類や豆腐、納豆、大豆加工食品、新鮮な魚などを摂ることで、しっかり筋肉はつけられます。 (大豆+押し麦で=アミノ酸スコア100です♪)

 ちなみに、僕が食事の指導をさせてもらっているアスリート達は、
肉を食べないほうが、体が軽くなり、胃の調子が良くなった」と言う。

 いったん肉を食べるのをやめてみると、そのうちに、体が肉を欲しなくなります。どうしても肉が食べたいなら、鶏肉を。天然地鶏の良質なササミなら、なおいい。


身体を長持ちさせる方法(1)からの引用ですが……♬

動物性食品や脂肪(肉食)を採っておきながら、どうして動脈硬化になったのかといぶかる。
進化した宇宙の人々(優良星界人)は、
哺乳動物の死骸(肉食)なんかは口にしないものだ。
特に赤身の肉は良くない。

   (肉類を)体内に取り入れると、その肉の持つ低い波動の影響で、皆さんの肉体の波動まで引き下げるという効果があるからね。

   皆さんが自分の波動を上げて進化を目指そうとするならば、動物を殺してその死骸を食べるなんてことは、進化の役には立たないよ。

・自分はついてると思う♪
・いつも笑顔・口角を上げてスマイル♪
・人の気分を害する事はしない・悪口は絶対に言わない♪


動植物と会話出来る超能力者の面白秘話♪イルカは瞬間移動で地球に移住した♪ババジの寿命は1781才♪関英男博士♪

生命と宇宙 関英男博士 から引用させていただきました  


動植物と対話する人々
ティモシー・ワイリーさんの面白超能力話

 植物も感情を持っていることを発見したのはバクスターという事になっています。1966年2月2日の事です。ここでは割愛します。

 しかしながら、何もバクスターに限らず、随分前から、樹木や草花に深い関心をいだいた人々は皆よく承知していた事だと思います。
 現に、97年の4月加速学園の招待で来日したティモシー・ワイリーさんなどは全ての植物と対話出来ると言います。

 一方、植物の方も人間の心を読み取り、それを態度で示すものもあります。北海道の藤原由浩さんという方はサモン・コールという星に行くと、草原の草が両側に頭を下げて道を開けてくれるということです。

 バクスターの場合も、ティモシーさん、藤原さんの場合も、七念層から出る念波を植物が感じ取り、色々の手段で反応を示しているのだと思います。

 ワイリーさんには、イルカと話をされる能力があるだけではなく、あらゆる動植物とも話をする能力があるのだそうです。
 
 加速学園へおいでになった場合も、近所の世田谷の代官屋敷では大きなケヤキの木と昔の話をされたそうですし、松陰神社においでになった時にも吉田松陰の霊が非常に喜んだといいます。

 どうもワイリーさんは何世代家前の世代に、日本の萩(山口県)に住んでおられたという前世の思い出があるそうで、普通の人には中々ないような事件が御座いました。

 機械振興会館での公演途中で、講演者(ワイリーさん)がどこかへ行ったのか見えなくなりました。すると、どこからともなく突然すっかり女性のいでたちに返送されたワイリーさんが現れたのです。

「今皆さんに天使をお目にかけます」というので、ワイリーさんはスカートを履いて女性の格好で、天使としてのお話をされ、宇宙の構造についてお話になった、というエピソードもあります。

 いるかと話をされた経験談では、イルカとフロリダ半島の沖で泳いでいる時、後頭部に想念を集中した所、イルカからのテレパシーがイメージでやって来たと言います。

 つまり目に見える視覚のエネルギー、視覚のテレパシーでイルカからいろんな事を教えてもらったというのです。その中に例えば、イルカは3万5千年前にシリウス星から瞬間移動して地球にやって来たという話もありました。

 彼らはその長い間の歴史をどうやって覚えているのかと聞くと、貝殻の表面に超音波でホログラフィーの形で記録すると話したそうです。

 これを読み取るには超音波を、ちょうどホログラフィーの参照光線(リファレンス・ライト)のように当て、記録を読み取るのだそうです。こういった普通の人にはない、色々な能力をワイリーさんは持っておられます。

 神様が生命を創造されたと一言で言っても、このように目に見えない所まで周到な注意で創造されたことを考えなければならないと信じます。


人間本来の姿を回復する時代    感謝の記事♪

 読者の皆さんは、ご自身という人間が何のために誕生したか、あるいは本来どうあるべきという単純で基本的な問題についてお考えになった事がありますか。

 例えば、国家のためとか、会社のためとか責任を果たす事が自分の使命だと考えられる事もありましょう。

 また、研究のためとか、教育のためには一生を捧げても悔いはなしと考えている方もいる事でしょう。そうなると、1人ひとり皆違った発想になって、大変複雑になります。

 ここで今から筆者が述べようとしているのは、もっと万人共通で、基本的な事についてです。単純ですが大切なことです。

 これは言ってしまえば至極簡単なのですが、我々全てが宇宙の一員で、毎日どころか時々刻々と創造主の恩恵を受け、そのお陰で幸福・健康な生活を送れているということです。

 もう一つ大切な事件が、今から5千年前から3千年前の間に起こりました。それは、地球以外に住む優良星界人の中から厄介者だけをUFOで地球に降ろされ、洗心を命ぜられた事です。

 当時彼らは真剣に反省したようですが長年の間に語り継がれる事もなく、いつしか忘れてしまった人が大多数で、今日のような不良社会となったのです。

 わずかに、ザ・コスモロジーの城戸緑信さんの自動書記により、創造主より取次の神を通して我々に知らされる事になりましたので、辛うじて一部の人々の注目を引きました。

 皆さんは人間本来の姿に回復しなければならないのです。つまり、3千年前よりさらに昔は優良星界人だったのですが、最近まで不良星界人として謹慎を命じられてきました。

 この事を大多数の地球人は知りませんから、宇宙開発などと言って、出てはならない宇宙に出ようとしたのでした。

 しかし、21世紀になると、宇宙に出て他の星界人と交わる事が出来るようになるのです。ただそれは洗心が出来た者という条件が必要なのです。

 ここで人間本来の姿をもう一度検討してみたいと思います。創造主は人間の肉体を巧妙に造り上げるため、DNAに設計書を書かれました。

 その上、頭脳には肉体的な脳の他に、七念層のように目に見えない脳を作られ、従来の自然科学では知られていない念波を発生し、検出する手段を与えられました。

 洗心を完成した者は、七念層と肉体脳を連絡することが出来ますから、いわゆるテレパシー通信も可能になります。多分、今までは地球の中で特別の人にしか不可能であったテレパシーも、来世紀(21世紀)には何百光年も離れた宇宙の友人と、すぐ傍らにいるのと同じ様に会話出来るようになるでしょう。

 もちろん、洗心をマスターした人に病気は一切ありません。病人がいないので、医者も病院も不要となるでしょう。
 念波や天波を利用しますと、空中浮遊や瞬間移動が可能になるので、ヘリコプターや自動車の必要性も減ってくるでしょう。

 詳細に時代の変化を書いていると際限ありませんが、創造主に造って頂いた人間は、造られる時に念波と天波を縦横に利用されたことを考えると、

21世紀は人間として、造って下さったものをフルに活用して至福の人生を送るようにしたいものです。というのも、創造主の最終目標は全ての人々に至福を与えることだと聞かされています。

21世紀の人の寿命は240才      関英男博士の記事♪

 せっかく創造主から頂いた体ですから大事にして長く持たせたいのですが、一方において、寿命と健康とは必ずしも一致しないという経験上の事実があります。

 一般に死亡するわけは、身体の細胞が老化して衰えてくるからだと信じられています。しかし、人体に置いてはこれと全く矛盾するような事が行われています。

 例えば、私達の脂肪組織は3週間で全て入れ替わって新しいものに変わっています。胃の内壁は5日毎に新しくなるそうです。皮膚は5週間ごとに新しくなり、骨も3ヶ月で全部入れ替わります。

 体全体として見ると、1年間で98%までの細胞が新しくなると言います。それでどうして老化すると言えるでしょうか。

 という事は、寿命を決定する因子は別に存在すると考えざるを得ません。幸いにしてインドのクリア・ヨガが長年研究した所によれば「反比例の法則」というものが発見されているという事です。

 これは、不慮の事故死等を別にして、普通の人の寿命は一分間の呼吸回数に反比例することを示します。
 すなわち、標準1分間15回の呼吸での寿命は120才となり、1分間では60才、1分間10回では180才となります。

 つまり、毎分の呼吸数×寿命はいつも1800となります。その理論は著書『ババジ』(ゴビンダン著)に詳しく書いてあります。

 それによりますと、体内に保持しているプラーナは一回の呼吸で8インチ入り、12インチ出すので差し引き4インチ損する事になります。
 残念ながら、ババジは1984年に1781才で他界しました

 プラナの量を長さで表すのも変ですが、これに期間の断面積をかけると容積になりますから、比例量と見ればよいわけです。
 ヨガの説明なのでプラナ(宇宙エネルギー)という言葉を使っていますが、これは天波のエネルギーを凝縮したようなものです。

 もっと詳しくいうと、天波の振動で1オングストローム(1mの100億分の1)ぐらいの大きさの粒子を励振したようなものです。

 これが体の細胞の中に入りますと、その振動で細胞を活性化して、細胞の成長を促進します。すると、がんの細胞の増殖を抑えて、消滅させる事が出来ます。※プラーナを吸収できる両手腕振り運動が良いと思われます♪

 若い間のプラナの多い時には滅多にガンで死亡しませんが、図10の水平破線の辺りまで低下するとガンの細胞を抑制しきれず、ついに死亡しやすくなります。

 通常生まれる時、多量のプラナを貯えていますが、生後は消耗する一方ですから、高齢になると死亡しやすくなるわけです。

 1960年以来、太陽から地球に送られる天波は次第に増強されていますから、2000年以降生まれる子供は倍位のプラナを貰ってくると仮定すれば、同じ1分間の呼吸でも、120才が寿命ではなく240才が寿命という事になるでしょう。

 ではクウェンティンさんの3万5千才をどう説明するか、と言う事ですが、進歩した宇宙では適当の時期に天波エネルギーを補給する手段を持っているという事でしょう。

 ですから、マゴッチさんが宇宙の仕事を立派に完遂したら、200才か、800才の寿命にしてあげましょうか、と言われた事も裏付けがあっての事でしょう。

 要するに創造主は、洗心して天波の補助を受ければ、3万5千才の寿命も達成できる体力を与えて、人間を創造して下さいました。



地球の模範となる星々     関英男博士の記事♪

 今回私達の地球は優良星に昇格する事になりましたが、いわゆる新参者ですから、先輩の優良星に見習わなければならない事が沢山あります。

 それについて、私達の住む銀河系の中で最古参で最優良と見なされている星が3つあるそうです。その中の一つがケンタウルス座のティア・ウーバーです。

 ケンタウルス座にそういう高貴な星があるという事は、筆著『宇宙情報系』の33頁に書きましたが、以前からその星座の神霊は菩薩に関係がある事が解っていました

 いわゆる観世音菩薩なども、時々地球に降りてきて、衆生済度(しゅじょうさいど)をされた事も衆知の事実です。

 ところが、そのティア・ウーバー星に最近(といっても10年以上前に)UFOで連れて行かれ、約9日間観察して帰ってきたミシェル・デマルケという人が著書(1993年発行)で報告し、その和訳書が1997年8月31日に徳間書店から『超巨大文明の真相』として発刊され、我々の目に触れる事となりました。

 原著者は、名前を見ても分かる通りフランス人でフランス語を話しますが、案内してくれたタオという異星人もフランス語を話すので、大変便利だったようです。今現在著者は、オーストラリア北東部のケアンズで造園業を営んでいるそうです。

 さて、ティア・ウーバ(星)は光速で数百時間程度と近い事もあって、太古の地球の歴史を数百万年も昔からすでに観察してきた関係で、地球人の知らない重要事項をよく知っていました。

 例えば、同じケンタウルス座の星で、地球の文化とあまり差のないバカラティー二という星の黒人と黄色人が約135万年前に地球に移植したという話や、月は約50万年前に地球の重力圏に捕らえられた、という話などです。

 月は螺旋(らせん)運動を続けていた途中に捕獲された衛星ですから、遅かれ早かれ、地球に衝突する可能性があるという事です。おそらく、未来19万5千年位までの期間に起きる事は間違いないと言っています。

 さて、肝心のティア・ウーバ星の内部事情ですが、洗心とははっきり言ってはいないものの、憎しみ、嫉(ねた)み、猜(そね)み、怒り等の心を起こしませんから病人もなく、健康で、身長も平均2メートル80センチ程度、3メートルも珍しくない模様です。

 空中浮揚は誰でも出来るので、我々のような交通機関を利用せず、全て宮中を飛んで移動します。
 高さは10メートル程度、時として200メートルの高さも自由に昇れます。移動速度は最高時速300キロと言いますから、新幹線なみです。

 電話という言葉が殆ど出てこない所を見ると、通信はすべてテレパシーで行われているので、すぐ側(そば)でデマルケがタオと話していても、何かしゃべろうとする時は、心を読まれていしまうという場面がしばしば出てきます。

 また、UFOで遠くに旅行するため、基地への連絡は電波では遅すぎて役に立ちません。電波で片道何日もかかるような距離でも、念波では1秒の1000分の1もかかりません。

 今、地球上ではお金のために発生する犯罪が多発していますが、優良星では貨幣制度が無いようです。自我というものを完全に捨てて、他人のためだけ考えるという思想(全我・普遍我・自他一体感)から来ているわけです。

 という事は、全ての人がこの思想を持つと、自分の事は他人が考えてくれるわけですから、自分のことを考える必要がなく、従って労働の代償を求める必要もなくなる理屈になります。

 次に、麻薬の害は地球上でも指摘されていますが、その害が人生一代で済まない事は知られていません。ティア・ウーバのタオさんの説明によると、麻薬によって、アストラル体に損害を受けて、頭の動きがおかしくなり、それが治るには三世代も生まれ変わらなければならない、と教えています。

 筆者はアストラル体の存在については知っていましたが、この書物で初めてその材質に関する知識を得ました。

 それによりますと、アストラル体には4×10の23乗の電子があるといいます。人間が死にますと、肉体が無くなっても、アストラル体の大部分は魂の一部として残り、肉体から空間に脱出するものの、19%が残っているそうです。

 それが肉体の形のまま幽(ほの)かに見える事もあるため、それを幽霊と称したものだそうです。(知花敏彦師によりますと残留エーテルだそうです)

 アストラル体は麻薬だけでなく、騒音とある種の色によって損害を受けるそうですから注意が必要です。よく、自動車の騒音には慣れてしまったなどという人がありますが、それが危険だという話です。

生命と宇宙のあとがきから…  瞑想の記事♪ 

 1997年12月3日、統合科学大学のその年の最後の講座の日のことです。参加者の大部分が帰らえた後、残った1人の方が筆者と東南隅の椅子にかけて、並んでお話をしておりました。

 するとその方がおっしゃるには、「前生でご縁があり、最近は幽体でいろいろご指導受けて感謝しています」ということでした。

「何百年ぐらい前の話ですか?」と聞きますと「60億年ぐらい前の事です」とおっしゃるのです。   

「すると、まだ地球が住めない頃ではありませんか」と質問しますと、「多分、金星であったと思います」と答えられました。

 60億年を四捨五入すると、10の10乗の経験年数となり、格でいうと聖霊の1ランク下という事になります。こうなると、釈尊やクェンティンと比べても生命が長いことになりますから、筆者は驚いてしまいました。

 ここで、生命の永遠について考えるようになりました。結局、洗心とか瞑想が完全に実施されると、老と病がなく、
宇宙法則(愛と調和・慈悲と愛)に従う限り、神のメッセージ用語である※生・老・病・死を用いなくてすむ、
(一切の生・老・病・死から開放されるという結論に至ったのです。      
そして、幸いにも『生命と宇宙』を締め括る事ができました。
              関英男博士の記事♪   瞑想の記事♪

宇宙創造の神が勧める霊性を高める方法 洗心

いつももつべき正しい心(=常の心)
強く     明るく
正しく    我が祈り
宜しからぬ欲を捨て
みな仲良く、相和して
感謝の生活をなせ

心の中からなくすべき感情(=ご法度の心)

憎しみ  不満
妬み   疑い
猜み   迷い
羨み   心配心
呪い   咎めの心
怒り   いらいらする心
不平   せかせかする心


■四句御箴言(しくごしんげん)

与えられたことを感謝して受けよ
与えられぬことを感謝して受けよ

与えられたことを拒むこれ欲なり
与えられぬことを欲するこれ欲なり


ノアの箱舟とはUFO♪アトランティス文明の精神文明を日本人が継承♪竹内文書・神代文字♪河合勝代表♪知花敏彦師

世界元一つの《始まりの国》NIPPONよ! 今こそ世界は《本物JAPAN》の光臨を待っている 

 から引用させていただきました  
ノアの箱舟とはUFOだった 
ノアの洪水と方舟伝説は本当にあったこと  

 地球には一黄道帯のサイクルがあり、歳差運動とも呼ばれている2万6千年毎のサイクルがあります。地軸が傾いており、2万6千年間で一回転して地軸が同じ所を指すように円運動を行っているのです。

 このサイクルで、地軸が銀河系の12の星座を順番に指し、人類は各々(おのおの)の星座のエネルギーの影響を受けてしまうのです。

 うお座のエネルギーは対立、闘争ですから、人々は競い合って物質文明を発達させます。自分中心主義ですから、物欲、金銭欲のために地球の自然環境を破壊してしまいます。

 魚座(うおざ)のマーク ”♓” は、頭が逆です。対立、争い、競争と戦争です。次の水瓶座(みずがめざ)は平和統合のエネルギーですから、ユートピア社会となります。

 魚座の時代に平和統合の穴を開けたり、洪水や北極と南極の逆転現象が生じて大陸が沈没するのです。

 ムー大陸、レムリア大陸、アトランティス大陸の沈没は伝説ではなく、本当にあった現象なのです。
 3分の2の住民と大陸は、未だに大西洋の深い深海に沈んでいます。3分の1が生き残ったのです。

 アトランティス文明は、最初は精神文明が勝っていたのですが、物質文明が勝ってしまい沈没したのです。

 ノアの箱舟とはUFOのことです。UFOの母船は長さが12~13kmに及ぶ大型です。UFOを持っていないのは、太陽系惑星では地球だけです。それだけ地球の文明が遅れているのです。

 UFOは本来気体の存在です。人間の目に見えるようにするためにバイブレーションを落として、物質化しているのです。

 UFOの機内で肉体を維持するためには、その人のエネルギー(心の次元・愛の度数・神理の理解度・等々)が高くないと肉体が維持出来ません。

 当時肉体のエネルギーの高い人のみが、UFOの機内に生き残ることが出来たのです。その人達が3分の1の生き残った人なのです。
 3分の2の人たちはUFOの機内で肉体を維持することが出来ないから、UFOに乗れなかったのです。

 アトランティス文明の精神文明のリーダーは、日本へUFOにより連れてこられたのです。
 当時、台湾-先島諸島-沖縄-奄美-九州-内地-北海道-朝鮮半島南部は、陸続きだったのです。

 その後沈没し今の形となり、今再び隆起しています。与那国島、慶良間、奄美の海底神殿が隆起しているのです。足○半島、出雲でも伊豆半島でも海底神殿が隆起しています。

 アトランティス人はアイヌと沖縄の人々です。平和主義者です。アトランティス人は地球の各地の原生林へ降ろされました。アトランティス文明は現代文明よりも進んでいると言われています。その通りだったのです。

 高度文明生活から一挙に原始生活へ戻ってしまったのです。人々は巨石文明を世界に残しました。そこにアトランティス文字を刻みました

 米国ボストン市の郊外のストーンヘンジ公園には、巨石文明の石積みと石刻文字が残され、OGHAM文字と名付けられています。アイルランドの巨石文明にもOGHAM文字が刻まれています。OGHAMは日本語の「拝む」です。

 日本でも石刻文字は各地に遺(のこ)され、古代神代文字が遺されています。アトランティス文字が多く遺ったのは日本です。

 国際ペトログラフ学会では、世界の石刻文字を古代神代文字で解読出来る事を認めています。
 当時100日間の大雨が続きました。洪水と極の逆転が起こり大陸は沈没し、海が隆起して新しい大陸が生まれました

 当時の人々は、酒食、色に溺れて自然の摂理を無視してしました。グルメとカラオケに溺れる現代人と似た状況にありました。
 ちょうど2万6千年毎のサイクルで、審判がこれまでにも発生しているのです。

 天上界はこのタイミングで最後の審判を起こすと、生き残る人間が少ない事から、今までこの審判をずらして人々の意識が高くなって、進歩する事を心待ちにしているのです。出来るだけ多くの人達に生き残って欲しいからです。


重川風天先生の過去記事からの引用ですが…♫


うお座からアクエリアスの時代へ

 この話は、私(重川風天先生)が得た知識と、知花先生の話を聞いて、私の心の中での想像力で組み立てたものです。

 地球が太陽系の12惑星を約2万6000年かけて一周します。太陽系の惑星は、地球を含めて13個あったのだそうです。

 2つの惑星が分解してなくなって、今は11個しかないが、エネルギー的には存在しているので、地球が12の惑星を周るという表現になっています。

 また、太陽系が銀河系の12星座を周るのに、2万6000年かかる。そのスタートが同じ日になっている。それは1999年7月21日、宇宙は相似形になっている理由かもしれません。

「周る」と言っても、物理的に周るのではなく、エネルギー的に体験するようなものと思ったほうが分かりやすいと思います。

 12星座のスタートが「みずがめ座」で、1999年から2350年間続くという事です。

 今から2万6000年前に起きた事実として、知花先生に聞いた事を私の心でまとめると、こんな話になります。

 5万2000年前、みずがめ座からスタートして、2万5999年前の地球の状態は、一昼夜にして、高い山と深い海が入れ替わってしまいました。その日は、大西洋にあったアトランティス大陸とアトランティス文明が崩壊した日です。

 そのアトランティス文明とは、今の地球の文明よりも高度な文明で、クリスタルを多く用いた高層ビルが立ち並ぶ、物質文明だったそうです。

 その頃は、みずがめ座の前である、うお座(ふたご座)の波動を受け、競争と分裂の繰り返しの時代でした。

 戦争や競争に勝つために、様々な研究や開発が行われ、そのため科学が発達し、ミサイルやロケット、原子爆弾や水素爆弾が製造され、人類の心は荒廃し、ますます物質中心主義になって行きました。

 地球には、自然界の意識があり、「これじゃあ地球が持たない」と判断すると、天変地異を起こして、地球を作り直そうとするエネルギーが働くのです。

 海の底はミネラルの宝庫で、大量のミネラルが、エネルギーがいっぱいあるのです。その海と、酸化して枯れかかった陸地を、スポーンと入れ替えてしまったのでした。

 天変地異を起こしたきっかけは、水素爆弾などの地下核実験で、地球の内部に衝撃を与え続けた結果だと(知花敏彦先生が)言っていました。


アトランティス末期のUFO救出劇
太陽系惑星からUFOの連合隊がやってきた


 地球以外の太陽系の惑星は、それぞれ地球よりもはるかに高度な物質文明や精神文明を体験していて、どの星もUFOのような乗り物を持っているのだそうです。周波数が違うので、私達の肉眼では、まず見えません。

 大昔、その惑星連合が、大量の数のUFO連隊を地球に送って来て、天変地異の起こる直前、地球にある種のバイブレーションを放射して、みんなを宙に浮かせて救い上げ、UFOの中に引き上げたそうです。

 しかし、あまりにも人類の意識が低かったので、UFOの中のバイブレーションと合わないため、殆どの人がUFOの中で死んでしまったそうです。

 余談になりますが、今から五十年ほど前、UFOにさらわれたと云う体験者が多くいたそうです。

 それは、各惑星から火星人や金星人、土星人などがUFOでやって来て、人間をUFOの中に連れ込んで、地球人のバイブレーションを調べる為だったそうなのです。

 それは今から17年前の、ノストラダムスが予言した、1999年第7番目の月に天変地異が起こる可能性があったので、救い上げる準備のためだったそうです。

 火星人だけが、気が荒いために、人間のバイブレーションの調査をしている時に、死なせてしまう事があったそうです。
 知花先生は、他の星人はいいけど、火星人には気を付けなさいと、笑いながら言った事がありました。

 2万6千年前の話に戻しますが、UFOの中に引き上げられた、殆どの人が死んでしまいました。しかし、ごく一部の意識の高い人が生き残り、
 UFOの母船に集められ、地球が落ち着いて人が住めるようになってから、地球に降ろしたのだそうです。

 降ろされた場所は三ヶ所で、自然を神として生きている個性の人は北海道へ、その人達がアイヌ人としての人々です。

 アイヌ人とは人と云う意味で、地球人ということのようです。母船の中で他の星の人達がアイヌ(人間)と分けていた名残(なごり)かもしれませんね。

 又、霊能力に優(すぐ)れ、霊能力を神として生きる個性の人達は、琉球へ。慈悲心、知恵を大切にする個性の人達は今の北朝鮮の白頭山(ペクトサン)の頂上辺りに降ろされたようです。

 その人達から、今の文明が始まりました。その3つの個性が一つになり大和民族が出来、世界に広がって行ったようです。(竹内文献等々)

 この度の世紀末は、ノストラダムスの予言通りにはならなかったのですが、天上界から知花先生らが地球の指導者として現れた事もあり、地球は分解せず、物質文明も崩壊せずに水瓶座の時代に入る事が出来たのです。

 それは今の科学が、ある程度発達しつつ、統合、調和の時代に入ったことにより、多くの人々の意識が上がってきているのだと思います。





がん細胞の特徴とワールブルグ効果に着目した、がんの治療法とは


身体の不調のほとんどがATP(生体エネルギー)不足。
これを解消するにはミトコンドリアが働けるようにすること。
それには酸素と電子が必須
地球とつながれば大地から負電荷を受け取り身体中の細胞の炎症が緩和される。
深く呼吸をし、多くの酸素を取り入れる。 呼吸の記事♪
身体に(特に背骨)をよく動かし電子と酸素を全身に運ぶ。』
両手腕振り運動が良いかもしれません♪)

地球温暖化の原因とされる二酸化炭素の増加と原生林の減少など環境破壊や環境汚染によって大気中の酸素濃度が低下しているのです。
3億年前に35%あった酸素は、100年前には24%に、そして現在は21%程度となり、都市部では19%代とされ、これは高地レベルの酸素濃度と言えます。
これは人類が生存可能な安全限界の酸素濃度が18%ですので、かなり危険な状態にある人も少なくないのです。

解毒や免疫の要の臓器とも言える肝臓で多くの酸素が使われています。
食品添加物や糖分の多い加工食品、アルコール、薬剤などを肝臓で分解するときに大量の酸素を必要とします。
体脂肪を燃やすときにも酸素が必要ですので、全然食べてないのに痩せないと言う人は、「酸欠」なのかもしれません。

また森林や海上と比較しても、都市の酸素濃度は下がっているのです。
江戸時代は酸素濃度が29%くらいあったと考えられています。
また、昭和30年代でも26%はあったと考えられています。
また私が理科で習った酸素濃度も22%でした。
いまは都内では20.6%位です。
江戸時代と比べると、いまの都会は低酸素状態と言えるほどです。

酸素濃度 20% 手足の痺れがでる人もあらわれる
酸素濃度 19% 動悸、息切れ、めまい
酸素濃度 18% 安全な限界 思考能力の低下、計算能力の低下 高山病の症状

□身近な場所での酸欠空間 3LDKの一般家庭で調査
窓を開けて換気が行き届いた状態  21.0%
窓を閉め、冷暖房をつけた状態で10分後  20.3%
その部屋で3人の人が1時間過ごしたところ  18.0%
キッチンで換気扇を止め、3つのガスコンロを使用  18.0%』

酸素濃度は江戸時代に29%で昭和30年代に26%になり、2012年の都内では20.6%。
5年後の2017年ではもっと低下しているでしょう。
この事実にはショックを受けています。
さらに10年後、20年後はどこまで下がっているでしょうか?

手足の痺れや、動悸、息切れ、めまいが日常化するレベルまで下がるかもしれません。
植物が酸素を作り、動物が酸素を消費して地球上の酸素濃度はバランスを取ってきました。
産業革命以降、森林の伐採が進み、工場で化石燃料をバカみたいに燃やし、自動車が何億台も走っているのだから、それは酸素濃度は下がるでしょうね。
酸素を吸っている人間も爆発的に増えていますし。
江戸時代に29%というのはよくわかりませんが、もし本当だとすれば8%以上も下がった事になります。
これから酸素濃度が上がる要素はまったくありませんから、下がる一方です。

ミトコンドリアは酸素を利用してATP(生体エネルギー)を作りますから、酸欠が最も恐ろしい病因です。
都会の高層マンションに住んでいる人の流産の確率は、普通の暮らしの人たちの10倍以上という研究結果もあるようです。
20階以上の高層マンションなどは、かなり酸素が薄くなるでしょう。
閉め切った高気密住宅で5人が暮らしている環境、などでは軽い酸欠状態かもしれません。
やはり換気は大切です。そして深呼吸の回数を増やし、正しい呼吸法も身につけた方が良さそうです。 呼吸の記事♪

人間が生き続けるためには、ミトコンドリアがATP(生体エネルギー)を作り続けなければなりません。
それには酸素と水素(電子)が必要不可欠です。
補酵素として、ビタミンやミネラルやビタミン様物質やクエン酸なども必要です。
しかし何が1番必要かと言えば、やはり酸素です。
酸欠にならない方法を見つけなければなりません。
森林に住むのも良いかもしれません。
酸欠を解消する最も簡単な方法は、酸素カプセルや酸素ルームや進盟ルームに入る事です。
結合型酸素の何億分の1の大きさという溶解型酸素は、身体の隅々まで酸素を供給してくれそうです。
高性能な酸素ルームに入って酸素濃度30%にすると、それでようやく江戸時代の酸素濃度になります。

現在では、ミトコンドリアを治すものが“病気を制する!”とされています。
この事実は、医学界では何十年もタブーとされてきました。
オットー・ウォーバーグが“ワールブルグ効果”を発表した時には、この事実がわかったのですが、製薬会社や医者の利益を守る為に封印されてきました。
このようにして、以下のように指摘されようとも、「強者の論理」で、厚労省、医師、製薬メーカーの利権を守るために、徹底的に排除されています。

ミトコンドリアを治すものが“病気を制する!”。
これは医学界のタブーです。
医学界の毒薬は、ミトコンドリアがATP(生体エネルギー)を作る能力を奪うものばかりです。
ミトコンドリアが満足にATPを作れなくなるから病気になるのに、水銀やスタチンや抗がん剤などの病人の病気を更に悪化させる猛毒ばかりを投与しています。

そして酸素や電子やビタミンやミネラルといったミトコンドリア賦活剤の効果効能を否定的に吹聴し、病気を治すヒントを潰しています。
現代医学・現代医療という治せない詐欺医学を「強者の論理」として、ミトコンドリア医学を「弱者の論理」としてしまっているのです。

モーゼが出会った創造主の真実♪無限大の光の宇宙エネルギーの存在が神♪言葉の現象化話♪知花敏彦師♪河合勝さん♪

天上界がついに明かした《秘密日本史》最終章 もう隠さないモーゼとイエスの国
 から引用させていただきました  

 
シャンバラの世界    河合勝代表の地球家族様のサイト♪
創造主による人類指導  

 創造主の存在を現代人はおぼろげなものとして、忘れているのです。古代人や昔の人は天上界とコミュニケーションを取ってきたのです。

 日本では「巫」と書きます。海外では天上界と通信ができる人のことを椅イスラエル人(ビト)といいます。中東のイスラエルとは違います。水晶人間ともシャーマンともいいます。

 現在でも本物のシャーマンは高級意識体(全知全能の知恵者)や精霊(高級意識体)と会話が出来るのです。
 人間で悟った覚者はテレパシー、以心伝心で、高級意識体と会話が出来るのです。

 モーゼや釈迦やイエス、現代人では知花敏彦氏や上江洲義秀氏は、創造主と会話が出来、創造主がこれらの人たちの肉体を借りて直接人間に語りかけることが出来るのです。

 神は唯一神といいます。創造主のみが万象万物を造り、万象万物の内にエネルギーとして、命として留まっているのです。

 全知全能の智恵、不死不滅、久遠(くおん)の存在、無限大の生命エネルギーそのものの存在であることを、アトランティス人や古事記を記述した人々は知っていました。

 創造主が原子と電子とそこに働く法則を創ったのです。
神とは原子と電子に働くその法則そのもののことなのですが、宗教と人間の概念が神を捏造してしまったのです。

 今の仏教、キリスト教、イスラム教その他の宗教も偽物、偽(いつわ)りしか教えません。釈迦もイエスも宇宙の真理、宇宙の法則を説いたのですが、当時の弟子達が、科学的に理解することが出来なかったのです。

 現在残された様々な宗教の教えでは、世界の平和も進化も成し遂げる事は出来ません。

 創造主は森羅万象を創造しました。物質の創造は完璧な創造の原理、創造の法則、100%の再現性を持った宇宙の法則を創り上げる事により、この宇宙と自然界は存在し続けているのです。

 モーゼは3200年前に活躍した人物です。創造主はモーゼに十戒を授けました。そしてシナイ山の麓(ふもと)に柴に炎として出現して、モーゼにその存在を見せたのです。

 モーゼは炎に向かって問います。「あなたは誰ですか?」
答え「私は調和です。バイブレーションでもあります

 モーゼは答えの意味が分からずもう一度問います。「あなたは誰ですか?」答え「私は有りて有る者です」。

 イエスの弟子がイエスに問います。「神とは何ですか?」
答え「神とは有りて有る者、全ての全てです」。

 有りて有る者とは、再現率100%の創造の法則のことです。これを宇宙科学と言っています。現代科学の最先端は量子力学と言われています。

 観察が主流です。目で見てるもの、物質が対象です。しかし原子も電子も目で見ることは出来ません。エネルギーも見えません。電気を見た人間は1人もいません。法則(神)はもっと見ることが出来ないのです。

 法則こそが真理で、(宇宙)科学なのです。現代は物理学と化学が全盛です。物質は見えないもの、原子と電子の結合の結果で存在するものです。

 結果である物質をいくら分析しても原因がわからないのです。血液分析して肝臓の数値が悪いことが解っても、その原因は解らないのです。

 原子と電子に働く※法則を知らないと、科学になっていないのです。

創造主はモーゼに、私は創造の原理です。有りて有る者を創った原因の法則そのものが父であると私ですと伝えたのです。
※創造主・神=宇宙法則・愛と調和・無限大の愛・宇宙エネルギー

 創造主は初めから存在していました。無限大の光の宇宙エネルギーの存在です。これを宇宙生命とも宇宙意識ともいいます。
 1人では寂しいので、自分の分身を創ることにしました「光あれ!」と意識します。

 すると原子と電子が無数に生まれたのです。この原子+と電子-がペアで完全バランスすると中心の±のゼロ、中性となります。
 この中性の場から2つの光の回転運動が始まります。回転は円ですから無限軌道運動となります。

 この回転の速さは一秒間に1兆8600億回転、自然界で一番早い回転数となります。この回転で振動が発生します。
 これを波長、波動といい、光の周波数でもあります。自然界で一番速くて、精妙な波動です。

 +と-の完全調和により光の回転運動が始まり、これが波動となります。
創造主はこの原理が私であると語ったのです。

 この回転運動を無限大∞と呼び、西欧ではメビウスの輪、日本ではアカシビの回転と呼びます。

 この現象を「瓢箪(ひょうたん)から駒」と呼んでいます。瓢箪の形で光の2つの回転運動が始まります。

 この1兆8600億回転/秒で原子と電子を結合させ、電子の数を増やしていきますから、様々な元素、物質が創造されていくのです。

 創造主はモーゼに、無限大の光の回転運動は原子と電子、陽と陰が完全に調和、バランスを取ると始まり、物を創造するから、私は調和、バイブレーションで、有りて有るものですと告げたのです。

 モーゼの像は、このアカシビの回転、瓢箪からコマを示す瓢箪を持っているのです。と同時に数々の軌跡を起こしたモーゼの杖を持っているのです。



創造主様からのメッセージ♪からの引用ですが……♫

 
【知花敏彦】全知全能の世界からのメッセージ 神は全ての創造主
1988年6月2日の知花敏彦さんの講話の記録です。創造主が直接知花敏彦氏の肉体にオーバーシャドウして語りかけるという世界でも稀な貴重な記録です。

 神は全ての創造主なのです。
 神様は、木をお創りになり、金魚をお創りになり、海をお創りになり、山をお創りになり、そしてその中にご自身が宿っていらっしゃるのです。

そして空気の中にも、水の中にも、私達の中にも、動物の中にも、全てを創造して、その全ての中に、私がおる事を知りなさい。全てが私である神ならば、あなた方は、全てを愛さなければならないのではないでしょうか

 今、あなたは、久遠という私の身体の中に、私の中に居るのです。昔から居った所なのです。ただ、あなたが、神とあなたは別々だ、人間と神とは別々だというように、様々な妄信家や狂信家、盲の指導者に、先入観を植え付けられているだけなのです。

 それは、真実ではありません。そうであったのならば、神は無限者ではあり得ないのです。全知全能でも、あり得ないのです。全知全能の神である私が、無限者である私が、どうして別々にものを創るのでしょう。

 私の中において、内において、全てのものを、私は創造しました。そして、創ったものになる、創ったものを現すには、創ったそのものに、私がならなくてはならないのです。


 信仰というものには、浅い信仰と深い信仰がございます。私は深遠なる、深い心の奥底に、留まっているのです。浅い心で、私を受け止める事は出来ません。
 
 だから、心の底から、精神を尽くし、力を尽くし、魂を尽くし、
自分自身の中に、今、現に現れておられるのは、神だ。現に今、私の中に働いておられるのは、神だ。もうこれ以上の事は、どこにも無い」という、強い信仰を持つ事です。

 私を心の底から、底の底から、精神を尽くし、全ての全力を尽くして、私を信じて、受け入れる事です。その時、私は、皆さんと共に居ります


 そこには何があるのか、調和があるのみなのです。愛あるのみなのです。智慧あるのみ、力あるのみなのです。そして、久遠あるのみなのです。破壊も、終わりも、初めも無い、初めからあった素晴らしいものがございます

 あなた方が、この世に存在している目的は、真の自分を探しだす事なのです。自分を掘り下げて、掘り下げて行くと、何に至ると思いますか?

 神に到達するのです。自分が神であった事を、知るのです。 
 それが、神に到達した終着駅なのです。

 神の他には何も無かった、全ては神がお創りになった。全ては神の中に存在し、そして創られた物の中には全て、神が留まっておられた。何処を見ても、神しかおられない、今の自分がおる所も、生きている所も即、久遠のホーム(家)である事が解ります。

  私と一体なった時、世の光となります。
 あなたが常に愛であれば、あなたの周囲の人々全部が、あなたによって利益をもたらされます。良い気持ちになり、救いとなります。

 解るでしょうか、愛ある人に、皆、寄ってくるのです。そして皆さん方は、愛でもって人々を幸せにするのです。あなたがその救い主である愛なのです。

 その愛は、皆さん一人ひとりの中に、その神なる、創り主である神の本質本源を、持たせております。これが、皆さんが知らなければならない、私なのです。

 私は神であり、愛であり、愛は神なのです。
 その神が、皆さんの中に留まっている、無限の愛なのです。その愛を通じて、初めて皆さん方は、私の元におる事が出来るのです。

イエスは、言われました。
 「むやみやたらに、我が名を呼んではならん。我が御心を行う者が、兄弟姉妹である」と言われたのです。

 御心を行う者とは、愛を行う者という意味なのです。愛し合う事、神は愛であると言っているのです。愛は神であり、神は愛である、その神の愛の御心に生きない者が、どうして私という愛の王国に住む事ができるでしょう。

 愛の王国に住むには、あなた方が、この地上界で、愛というものにならなくてはなりません。愛を実践していなければならないのですあなたはどんな障害、妨害を加える者にも、あなたは、許し、愛する事が出来るでしょう。

 イエスは、自分に石を投げ、唾をかけ、罵る者さえも、愛されたのです。あるいは、自分の肉体の身を滅ぼす者さえも、愛されたのです。であるが故に、愛の王国に入る事ができたのです。

 イエスは、愛そのものに生きられたのです。どんなに唾をかけられようが、貶されようが、罵られようが、石を投げられようが、彼らを許し、彼らを愛されたのです。

 お互いに愛し合っている者同士は、どんな悪人でも愛し合います。真の愛とは、あなたにマイナスになる人でも許し、愛する事なのです。お互いを許し合い、愛し合う事なのです。

私の元に来るためには、この世で一人だって好き嫌いがあってはなりません。なぜなら一人でも、私であるからです。私が創った者であり、その中に私が居るからです。

 神は全ての創り主、全てを創って、全てのものに、ご自身を宿しております。
 あなたが隣人を嫌うなら、私を嫌っているのです。私を嫌う者は、私から嫌われます。私を愛する者は、私から愛されます。全ては私なのですから

 私は、人間だけに居るのではなくて、金魚一匹の中にも、居るのです。
 金魚一匹も、私という神が創って、私という神が今、生きているのです。私の愛の現れなのです。智慧の現れです。力の現れです。あなたは何処を見ても、私を見なければならないのです。

 外に木がございます。木も、神が創造しました。そして、そこに私が居ります。現に生きております。私が木の中に生きていなければ、木の存在はありません。私は第一原因者である神自身なのです。
 
 無限です。そして偉大なのです。
 私は、目に見えないその粒子の中にも、微粒子の中にもおるのです。
 私は、至る所におります。であるが故に、無限者なのです。無限なのです。完全なのです。
イエスは、愛そのものでした。誰も憎まず、すべてを許しました。そして愛しました。そのような状態になって初めて、あなたはイエスと共に住む事が出来るのです。

 私の教えを守っている者を、喜びます。守って、愛する事です。愛する事です。許す事です。あなたは、お互いを許すべし、愛すべしと、示したではないでしょうか。

 仏教であれば、仏陀もその通りであります。仏陀は、慈悲に生きた方です。慈悲心そのものなのです。仏陀の教えは、慈悲なのです。

 その慈悲に生きてこそ、仏陀を信じている者なのです。

 一番大事なのは、愛の実践です。愛し合う事です。全てを許し合う事です
 許して下さい。許し合えたらあなたは、許されるのです。あなたが許さなければ、あなたも許されません。

 まず、自分の罪を許して貰いたかったら、人々の罪を許しなさい。そしたら、自ずから、あなたの罪は許されます。あなたは、人の罪を裁きながら、あなたの罪だけを免れたいと思うのを止めなさい。

 あなたが人を裁かず、怒らず、謗らず、嫉妬をしなかったら、あなたは誰からも、怒りも、裁きも受けません。全ての人の罪を、許してあげなさい
そうすれば、あなたは全てから、許されます。私、神から許されます

神の心は、愛です。私に生きるという事は、私を信ずるという事は、愛に生きるという事です。

 どうか皆さん方の日常生活での、愛の実践のあらん事を、お祈りしながら、今日の「神は、全ての創造主であり、神は、一体を支配する。そして、愛そのものである」という事の、ご説明を終わらせて頂きます。


追求の輪 るいネット 様から引用させて頂きました♪



「言葉が現象化する」と言うと、多くの場合、誤解されている部分があるようです。「こうなりたい。ああなりたいと口に出して言うと、それが実現する」という誤解です。

「言葉が現象化する」というのは、たとえば、神社仏閣に行って、良縁祈願というものをお願いしたとします。

「いい人と出会わせてください。いい人と結婚したいのです。素敵な人と出会わせてください」と100回お願いをしたとします。
そうすると、その言葉をまた言いたくなるように現象化します。

つまり、いい人や素敵な人にはなかなか出会わない、という現象が起きるのです。同じように「商売繁盛をお願いします」と千回行ったとします。
千回それを言ったことによって、また同じ言葉を千回言いたくなるように現象がセットされます。

言ったとおりの言葉をまた言いたくなるように、言った数と同じ数だけまた言いたくなるように、宇宙では現象化が始まる」というものです。
聖書の中にこんな言葉があります。

はじめに言葉ありき。言葉は神とともにあり。言葉は神なりき
言葉は現象化する」という宇宙の大法則を述べたもののような気がします。それも、その言葉を言ったらその言葉が実現する、というものではないと思います。

「言葉が現象化する」というのは、「その言葉をまた言いたくなるように現象がセットされる」というふうに、私の認識の中ではとらえられました。

これは神社仏閣に行ってお願いごとをする、そういうことを要求するということが、ほとんど意味をなしていないということにもつながっています。

では「言葉が現象化する」、つまり「の言った言葉をまた言いたくなるように現象がセットされる」のであれば、最も効率の良い言葉は何でしょう。

たとえば「うれしい」という言葉を一年間に千回言ったとします。
そうすると、その「うれしい」という言葉をまた千回言いたくなるように、来年は現象がセットされます。

「楽しい」という言葉を二千回言ったとします。
その「楽しい」という言葉をまた二千回言いたくなるように現象がセットされます。

「幸せ」という言葉を年間三千回言ったとします。
その「幸せ」という言葉を年間三千回言いたくなるように現象がセットされます。

一番効率の良い言葉は、「ありがとう」「ありがとうございます」です。
「ありがとう」「ありがとうございます」という言葉を年間一万回言ったとします。

そうすると来年「ありがとう」「ありがとうございます」という言葉を、また一万回言いたくなるような現象がセットされ、次々に降ってくるのです。

うれしい」「楽しい」「幸せ」、そして「ありがとう」という言葉を、何千回何万回と宇宙に向かって言ったとすると、その言葉を同じ数だけ言いたくなるように宇宙の現象がセットされます。

そして、「うれしい」「楽しい」「幸せ」「ありがとう」と言いたくなるような現象が降ってくる(現象化・具現化する)のですが、それがどんなことであるのかはわかりません。

だから楽しいのです。面白いのです。
そして、ワクワクします。ドキドキします。
このワクワク感、ドキドキ感というのは、何にも代えがたい面白さであり楽しさです。

『運命好転十二条』五月書房

毎日の生活の中で、「うれしい」「楽しい」「幸せ」「ありがとう」 という言葉をたくさん使ったほうがいいですよ、と言うと、「うれしい」ことも、「楽しい」ことも、「幸せ」なことも、「ありがとう 」というようなこともそんなに無いから言えない、と言う人がいる。

そして、愚痴や泣き言や、不平不満や文句や悪口ばかりを言っている。
愚痴や泣き言や不平不満を言っている人は、また来年も、愚痴や泣き言や不平不満を言う人生を歩む。

「言葉が現象化する」
これは、商売も、病気も、トラブル、困難もみな同じだ。

今、病気であっても、 「うれしい」「楽しい」「幸せ」「ありがとう」 という言葉を多用する人はいる。

「うれしい」「楽しい」「幸せ」「ありがとう」 といつも言っている人の周りは、明るくて、あたたかい空気が流れていて、笑顔がたえない。
だから、人が周りに集まる。

反対に、愚痴や泣き言や、不平不満や文句や悪口ばかりを言っている人の周りには、暗くて、冷たい空気が流れていて、不機嫌なオーラがただよっている。だから、人がどんどん離れていく。
人生においては、「言葉が現象化する」の本当の意味を知る必要がある。



自我・偽我 =表現者、原因である父なる神を忘れている状態(放蕩息子の状態)神理を知らない状態・自分の力で生きていると思って迷っている状態、肉体の己を自分と思っている我、分離感・分離意識で個別化された表現を別個の存在と認識している我・肉の感化、五感の感化を真実と錯覚している我・迷いの影、幻、幻想(マイヤー)・自己保存、自我我欲の心


真の自己(真我)=父なる神と常に一体の境地・全一の意識・神我キリスト、全ては自分、全ては我、全ては神、全てを愛する我に目覚めた状態・神我キリストによって生かされている事を自覚して実感している我・私が生きているのではない、なるほど一つの生命である神が生きていらっしゃる、中身は全て神、全ての知恵と力は神から与えられている、神の中身は神、全ての全ては本質的には神、神のみが生きてらっしゃるんだなと悟った我・神一元・愛一元・我神なり、神は生命(霊)なり、我も生命(霊)なりの自覚・宇宙即我、我即大霊の境地、キリスト意識・高我・実在・全てを愛し全てを許す境地・慈悲と愛・あなた即私・私即あなた・宇宙エネルギー即自分・無限即我・我即実在・不変不動の絶対なる実在・普遍なる宇宙・無限者・宇宙神



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自然治癒力UP法♪ミネラル・ビタミン・酵素を摂取して健康に♪ガン・高血圧を予防♪本山博先生♪新谷弘実先生♪

愛と超作 と 健康の結論「胃腸は語る」ゴールド編 
 から引用させていただきました  



水分摂取・ミネラルや酵素を摂取する
日常の食生活の一例♪ (私の食生活)

●一日に最低2.5Lの真水を時間バランスを均等に調節しながら分けて摂取
(ちなみにクンルンネイゴンでは一日4L摂取を推奨だそうです)

●お塩は「ヒマラヤ岩塩」が一番お買い得です。母親が大豆・ヒマラヤ岩塩・酵母菌でお味噌を造っております♪めっちゃ簡単らしいですよ♪

●主食を「玄米と押し麦と大豆」にして、その他のご飯のおかずは、カレー・親子丼・唐揚げ・トンカツ・等々、普通の日本人の食生活と同じにして頂ければ全く問題ございません。
要するに「白米」を「玄米と大豆と押し麦」に変えるだけのお話であります。

●それだけで一気に、日常の食生活がマクロビ並みのミネラルたっぷりの栄養食に早変わりしちゃいます。
 後、普段のお料理に使うお塩を、”安価な99%塩化ナトリウムの真っ白な塩”から、前述した”ヒマラヤ岩塩”に変えるだけで大丈夫です♪

 私が普段している食生活ですが、そのお陰で毎日が元気と気力で満ち溢れた生活を送らせて頂けております。その上、何と…いい年でもまだまだ身長が伸びに伸びまくっております♪ 

 今では人類の理想体型でもある”伝説の翔平スタイル”になっちゃいました♪
生まれてきて本当…本当に良かったです♪毎日がミラクルハッピー♪
( ;∀;)♬♫~♪……(´;ω;`)嬉☆嬉☆嬉

 ぜひ皆様も私のような身長シンデレラになって幸せな人生を送ってくださいね。方法論につきましては、もうこのブログで全部記載しておりますので、
身長の記事♪で一度、全部目を通して頂いて、実践してされてみてはいかがでしょうか♪きっとあなたの身長に奇跡が起こることでありましょう♪
 
 ちなみに二ヶ月ほど前の話ですが、朝起きた時に、今までで一番痛いと思う位に、足がつるという事がありました。
 夕方まで足首の痛みが取れませんでした(笑)これは身長が伸びているという一つの証拠・現証といえましょう。実際に伸びてますからねっ♪

●主食・お菓子・等々を含めて夕方3~4時位までにその日の食事を終わらせると、結構お腹いっぱい食べても太らずに済みます。
 この方法でしたら、空腹感・ひもじい思いをする事無く、毎日腹八分目に美味しく食べながら、痩せてシュッとした美しい顔を維持する事が可能です。

 お水を多めに飲むとカロリーを消費してくれますから、よりダイエットの効果が上がります。この効果については私自身実験して確認しております。


愛と尊敬とに基づいた自然との共生を  本山博先生の記事♪

 遺伝子の中には、がんを抑制するものが組み込まれていて、それがちゃんと働いたら癌にならなくてすむ訳ですが、今のような飽食生活というか、

好きなものだけいっぱい食べて、必要なミネラルとかビタミンとか取り入れないでいると、遺伝子の中の癌を抑制する機能とか、
或る細胞や組織だけが増え過ぎたり不足したりするのを防ぐ機能が働かなくなってしまうわけです。

 たとえば人間のタンパク質の中では、コラーゲン繊維というのが一番多い。色々な細胞や組織があるけれど、それらを結びつける繊維がないと、身体がバラバラになって、まとまらないわけですからね。

 そのコラーゲン繊維というタンパク質は非常にがっちりしていて、何重にもより糸のようになっているが、そのコラーゲンを分解するコラーゲナーゼというのがあって、それは亜鉛を含んでいる。

 それが働くと、或る一定以上にはコラーゲン繊維が増えなくなるのです。増えすぎると、膠原病という、どうにもならない、身体中が硬くなる病気になっちゃうのです。

 ですから、コラーゲンというのは、身体中にいっぱいあるわけだけど、ありすぎても困るわけです。ですから、コラーゲンが増えすぎない様に、これを壊して溶かしていく物質が、身体の中にあるわけですね。

 人間の身体は、さっきも話したように酸素を取り入れないと生きていけないけれども、その酸素が身体の中で或る化合をするときに、たとえば水素が二個、でH2O、水となるけれども、水素が二個、酸素が二個になると、過酸化水素となって、身体には毒になる。

 ですから、酸素はちょうど諸刃の剣のように、多すぎると過酸化水素のように毒となって、細胞膜を荒らして、遺伝子を壊して、癌をつくる要因になってしまうのです。

 で、それでは困るから、身体の中には、酸素を1つ取り戻して、もとの水の状態にする様な働きをする酵素(こうそ)が必ずある。

 ところがミネラルやビタミンの摂取が少なくて、その酵素の働きが衰えると、癌になる。だから適当にカルシウムなどのミネラルを摂っておかないといけない

 癌になるのは色々な原因があるが、要するに身体の中には癌になるのを防ぐ働きが必ずあるのに、生野菜とか海藻とかを十分に摂らないでいると、ミネラルやビタミンが不足して、その防ぐ働きが弱くなると、癌になるのです。

 特に身体が老化をして、コラーゲン繊維が増えて体液の流れが悪くなると、いわゆる老廃物を綺麗に掃除する能力が減ってくるのわけですね。

 そうならないためには経路体操をしたり、適当なビタミンとかミネラルを摂っておかないと。ですから、まず体操をする。それからビタミンやミネラルを食物から摂る

 しかし、食べたいものだけ食べて、残りは放ってしまうようではもったいない。食物や資源に対する尊敬の念を持たないといけないと思います。

 そのためには、欲をただ抑制するだけの、キリスト教的な禁欲だけでなく、自然を愛し尊敬する気持ちが大切だと思いますね。それがないと、自然とは共存できないと思います。


酵素(こうそ)・消化酵素・自然治癒力   新谷弘実先生

 私達が生まれつき持っている自然治癒力と免疫力を最大限に働かせるためには十分な体内酵素が必要である事については再三述べてきました。

 私達のエネルギー、スタミナ、活力の全ては酵素の力によるものだといっても過言ではありません。

 特に日頃消化酵素がきちんと供給されているかどうかが、あなたの体調、健康、そして長寿に大きな影響力を与えます。

 前著『胃腸は語る』で私は、「あなたの体は食べ物次第」という英語の格言を紹介しました。これは実際には、「あなたの体は、あなたが 何を消化・吸収出来ているかによる」という事です。

 言うまでもなく、食事を体内で消化・吸収しなければ生命を維持する事は出来ません。この消化・吸収は、


①私達の体内にある消化酵素

②新鮮な生の野菜、果物、海藻などの植物性の食物や、同じく新鮮で生の魚、生卵、生牛乳などに含まれる消化酵素

③発酵食品

④サプリメント(消化酵素剤など)

の働きによってなされています。

 胃腸の不快感、胃痛、胸焼け、便通不順、腹部膨満(ぼうまん)感、腸内異常ガス発生、吐き気、食欲不振などの症状は、殆どの場合、消化酵素不足に関わっています。

 消化酵素の不足は、不十分な消化となって不快な症状や病気を発生させたり、病気の悪化や慢性化を引き起こしたりします。

 食物を十分に消化・吸収するためには、毎日大量の消化酵素が必要ですが、年を取れば摂るほど体内酵素の量も減少します。

 すなわち、消化酵素を含んだ新鮮な生の植物性・動物性の食物や、消化酵素のサプリメントを十分に摂るようにしなければなりません。

 加齢に伴(ともな)う病気の大半は避けられないものではなく、酵素の不足による消化不良、異常発酵により生じた腸内の毒素や老廃物が体に負担をかけすぎる事によって生じた結果だと言っても過言ではありません。

 消化器としての胃腸には、毎日約10リットル(一万cc)の消化液が、主に膵臓(すいぞう)、肝臓、胃・腸内で算出され、食物の消化にあたっています。

 この消化液には22種類の消化酵素が含まれています。腸内では、複合炭水化物は糖に、タンパク質はアミノ酸に、油や脂肪酸とグリセロールといった具合に、酵素によって体内に吸収されやすい形に分解されます。

 これらの酵素を創ったり適切に働かせるためには、種々のビタミン、ミネラルなどの栄養素が必要になります。例えば亜鉛は胃酸とプロテアーゼ(タンパク質分解酵素)を作るのに必要です。

 そのため亜鉛不足の人は十分に分解することが不可能になります。そして食物の単価右室がアミノ酸にまで十分に分解されず、一部のタンパク質が小腸壁から異物として血液中(体内)に吸収されます。

 体の免疫系はそのタンパクを異物=敵の侵入者として認識し、攻撃します。これが食物アレルギーの原因となるのです。

 消化酵素不足が引き金となった食物アレルギーは、不消化感、腹部膨満感、腹痛、さらには潰瘍性大腸炎、クローン病などの原因となるのです。

 ですからアメリカでは、「消化不足は不健康」とさえ言われています。
 現在アメリカでは、FDA(日本の厚生省に当たる機関)が率先して多くの慢性病の治療にエンザイム・セラピー(酵素療法)を薦めています。

 消化酵素のサプリメントは体調を整えたり病気を予防したりするばかりでなく、老化の進行を遅らせたりします。またある程度の若返りも期待できます。

 消化酵素は体内酵素ミネラル・エンザイムの一環として、体に種々の良い変化をもたらし(もちろん個人差はありますが)、時には魔法のように体に活力、エネルギーとスタミナを与えてくれます。


ミネラルの記事♪からの引用ですが…♬

から引用させて頂きました

 これで安心して玄米を食べられますね♪ファイトケミカルを除去するために、必ず1日位は水に浸けてから炊くようにしてくださいね

玄米と白米の栄養素の比較

胚芽部分の栄養に関しては、上記しましたが、それ以外の部分のぬか層(果皮、種皮)とアリューロン層の栄養はどうなっているのでしょうか。

玄米のぬか層の主成分は食物繊維で、アリューロン層は脂質、ビタミンB群が豊富に含まれています。つまり玄米は白米と比較して、食物繊維、脂質、ビタミン群、特にビタミンB1とビタミンB2が多く含まれていると言えます。

ビタミンB1とB2は炭水化物の代謝に強く関わっているので、食べたご飯を消化するのに有効で、食物繊維も含まれいることを考慮すれば、健康的なダイエットにも適していると言えます。

含有量を見てみると玄米のビタミンB1 は白米の約5倍、ビタミンB2は約2倍となっていおり その他のビタミン群は、ナイアシンが約5倍、ビタミンEが約6.5倍となっています。

※100gあたり
栄養素
白米玄米 主な作用
脂質 0.9g2.7g身体の主要なエネルギー源 
カリウム 88mg230mg血圧の調節や神経の情報伝達
       カルシウム
 5mg 9mg骨や歯を丈夫に。神経を安定させる 
マグネシウム 23mg100mg骨の形成や筋肉の収縮、
代謝に関係する酵素の活性化 
 0.8mg 2.1mg貧血を予防、老廃物である
二酸化炭素を排出する効果 
マンガン 0.8mg2.05mg骨の形成に関与、代謝に働く酵素や、 
抗酸化酵素などの構成成分
ビタミンE
 0.2mg1.3mg老化、ガン予防、頭痛や肩こり、
冷え性などの緩和 
ビタミンB1
 0.08mg0.41mg糖質からのエネルギー産生と、
皮膚や粘膜の健康維持。脳神経系の働きの補助 
ビタミンB2 0.02mg0.04mg
皮膚や各器官の粘膜を正常に保つ。
エネルギー代謝の補助 
 ナイアシン 1.2mg6.3mg 糖質、脂質、たんぱく質から、細胞で
エネルギーを産生する際に働く酵素を補助 
食物繊維 0.5mg3.0mg 血糖値の上昇の抑制や、便秘改
コレステロールの吸収を抑制、 

ミネラル類の含有は、米粒のぬか層にはカルシウムやマンガンが高濃度で含まれており、アリューロン層にはカリウム、マグネシウム、鉄が多く含まれています。私達の健康な生活には欠かせない、必須ミネラルが玄米には豊富に含まれている事が分かります。

※玄米を100とした時の比較
http://okome-ranking.net/genmai100.jpg


フィチン酸の持つ“キレート作用”(金属イオンを結合する作用)により体内のミネラルを結合して排泄してしまい、これが「玄米は体に悪い」、つまり玄米を食べると、“ミネラル欠乏”に陥るという論争を巻き起こしました。

今でも勘違いしたままの人も多いかも知れません。

実際は、玄米に含まれるフィチンはフィチン酸とは違い、既に複数のミネラルと結合しているため、体内のミネラルと結合することはなく、体内のミネラルを、排出してしまうようなことはないと言われています。

近年、メリーランド大学のシャムスディン教授らの動物実験で、フィチン酸が血液中のミネラル(Ca2+、Fe2+、Mg2+、Zn2+)の濃度に影響を与えなかったことが科学的に立証されました。

そもそも大昔は精米技術もなく、玄米を人間は食べてきた分けですし、ほとんど主食の玄米の栄養で生きてきた時代もあるでしょうから、この結果は当然と言えるかも知れません。

今この狭い日本で、一億もの人間が繁栄している事が、玄米が健康に良いという一番の証と言えるのではないでしょうか。

最近ではフィチンはフィチン酸とは違い、逆に、抗ガン効果、心臓・血管疾患の予防効果などでも注目を集めています。


玄米以外にもフィチンは色々な農作物含まれていて、玄米はむしろ少ない方と言えます。

※主要物に含まれるフィチンの含有量
http://okome-ranking.net/fitine.jpg

お米がどれくらいの期間食べられるのかと言えば、その期間は玄米の状態で保存されているか、精米された状態で保存されているかによって大きく異なってきます。

保存場所や時期によっても違いができます、一般的には、玄米の状態でしたら1年置いた状態でもまだまだ美味しく食べる事ができると言われます。




健康と食と医
319387年を取ったら血圧は高くてよい②

から引用させていただきましたまとめの記事♪ 


年を取ったら血圧は高くてよい
○血圧降下剤と認知症  肝臓の記事♪ 除毒法の記事♪

 認知症の人は脳の血の巡りが悪くなっています。

2009年に京都府立医大で開発された「認知症早期発見装置」が脳の血流を測る装置であることがそのことを示しています。脳の血流が少ないと認知症の疑いがあるのです。

血圧降下剤は脳の血流を少なくします。
ですから血圧降下剤の多用が認知症を多発させている疑いがあります。
右図は厚生労働省の統計です。血圧降下剤の生産額が毎年10%以上伸びています。(※サイト元をご確認ください)

 昨今のわが国の認知症の増加と、血圧降下剤の消費量の増加とは、グラフに書けばピタリと重なるでしょう。

○血圧降下剤と がん

 がんが急増しています。日本人の2人に1人が、がんになると言われています。
このことと、血圧降下剤に限らず、さまざまな薬の乱用とは、おそらく関係があるでしょう。

○血圧と塩分は関係がない
○塩は重要なミネラル源

 天然の塩(ヒマラヤ岩塩等)は大切なミネラル(微量元素)の源です。人は体内に海と同じ組成をもっています。ですから海の塩は必要な栄養です。岩塩も海が起源ですから同じです。(岩塩の方がニガリが無くてベスト♪)

 塩が不足するとミネラルが足りなくなって健康を害します。これは乳児のアトピーにも言えることで、母乳で育てているお母さんがしっかりと塩分をとることで、赤ちゃんの皮膚が良くなるケースが多々あります。

ただしJTの塩は極端に精製されていてナトリウムが99.99%ですから健康によくありません。みそや醤油も天然塩で作ったものを選ぶ知恵が必要です。




○減塩しても意味がない

 血圧を下げるために「塩分を控えめに」、と言われていますが、それは間違いです。塩分摂取と血圧との間にはほとんど関係がないことは、とっくの昔に科学的に決着がついています。

 そもそもここまで述べてきたように、血圧を無理矢理下げること自体がナンセンスなのですから、塩の摂取量などいちいち気にすることもありません。

 ただし、塩分の取りすぎは胃ガンを起こします。昔は冷蔵設備がなく食べ物は塩漬けにされていて、世界中で胃ガンが多かったのですが、冷蔵設備の普及で塩分摂取が減り、世界的に胃ガンは減少しました。

○体内の塩分濃度は一定 

 体内の塩分濃度は約1%で一定です。これが狂うとイオンで動いている心臓が止まります。体内の塩分量は、水分が70%として体重60キロの人は、60kgx0.7x0.01=420gの塩分があります。

 ペットボトル1本分くらいあるわけです。減塩を主張する人は、1日に10gまで摂取するのはよいが、12g(現在の日本人の摂取量と言われている)では多すぎると言っています。
 しかし体内に420gも塩分があるのに、たった2gの差などいちいち気にする方がどうかしています。

 塩分をとりすぎると、人は自然にノドが乾いて水を飲み、過剰の塩分は尿として排泄されます。砂糖や油は体に貯まりますが、塩は体に貯められないのです。

○猛暑の夏は梅干しが売り切れ

塩分不足で熱中症になると言われて、猛暑の夏に梅干しが売り切れたそうです。建設現場で働く人やスポーツ選手は塩分が必要です。
ちょっとジョギングしても塩分は失われます。

 減塩論者は、猛暑の夏でも建設現場でも、「梅干しは良くない」「10g以下にしろ」と言うのでしょうか。
普通に味付けして美味しければそれでいいのです。
それ以上の減塩には意味はありません。

○ナトリウムとカリウムのバランスが大切

 人の体は脳も神経も心臓も電気仕掛けで動いています。ですからイオンのバランスが大切です。特にナトリウムとカリウムのバランスが大切です。ナトリウムは塩に、カリウムは野菜に含まれています。ですから野菜に塩をかけるのは合理的です。いい塩梅とはそのことです。

 西欧人は肉を多く食べます。肉には血があり血には塩があります。
日本人は野菜や穀物を食べ、肉食が少ないので、日本食は自然に西欧人よりも塩を多く入れるようになっています。

○体験談

 2月6日に兵庫県の西脇市で磁気活水器の説明会がありました。
会場に、2年前に磁気活水器を取り付けた70代の女性が、2人の同年配の知人を連れて来られていて、みなさんの前で体験談を発表してくださいました。

 2年前には上の血圧が 198 あって、しんどくて血圧降下剤を飲んでいました。
磁気活水器を取り付けて、「水をよく飲むといいですよ(一日2.5L以上)」と言われてそうしていたら、血圧がどんどん下がってきて薬を飲まなくてもよくなりました。

今は薬なしで 140 くらいで安定していて元気です。お腹の肉もスリムになってよく歩けます。
この2年間、医者に行っていません………ということでした。

頬が少女のようなピンク色で、元気そうで、ニコニコと明るい表情での発表でした。
磁気活水は北海道大学の研究で表面張力が下がっている事から分かるように、普通の水よりも少しだけ浸透性がよく、毛細管現象が起こりやすくなっています。

ですから磁気活水を飲んでいると毛細血管の血の流れが少しずつ良くなってきます。血の流れが良くなれば、血圧を上げる必要がなくなるので、自然に血圧が「元に戻る」という道理です。

 血圧を上げる必要性があるのに、それは改善せずにただ血圧だけを下げてしまえば、血管が詰まりやすくなります。

 しかし、血のめぐりが良くなって、血圧を上げる必要性が減ってきて、それで血圧が自然に下がるのは、まったく理にかなったことです。

この女性の顔色や立ち居振る舞いが、そのことをはっきりと示していました。
2年前に初めてお会いした時の、しんどそうでヨタヨタと歩いていた「老女」を思い出してみれば、彼女の健康寿命は軽く10年は伸びたのではないかと思われます。


血圧の記事♪からの引用ですが…♬


中国では82%の高血圧患者に効いた「根昆布」からの抽出物!

 中国では、日本の真昆布に当たるものを年間20~80万トン養殖しています。養殖方法はほぼ同じで、室内で細い網を胞子をつけ発芽させ、それを海中で育てています。

 文献には、その根の部分を「根昆布」と称して、そこかで血圧に有効な成分を抽出して「血海霊」と名付けています。その根昆布は日本でいうものとは違い、昆布の本当の部分だけのものです。

 その文献には、30~61歳までの、高血圧の入院患者を対象に行なった治療が報告されています。高血圧症に伴う頭痛、手足のしびれ、めまい、不眠、視力低下、動悸など、症状に応じて毎食後血海霊を投与し、30日後に再診。
 治療前と後を細部にわたって追跡調査した結果です。

●手足のしびれ 15人⇛14人が改善
●視力低下   37人⇛33人が改善
●頭痛     65人⇛55人が改善

●呼吸が速い  20人⇛17人が改善
●動悸がする  48人⇛43人が改善
●めまい    83人⇛70人が改善

●耳鳴り    13人⇛10人が改善
●腰痛     11人⇛9人が改善

●最高血圧が30以上下がった 47人
 最低血圧が20~30下がった  35人

 これらを総計すると、全体の82%の患者に改善が見られたというのです。この調査には、昆布の根のどの成分が有効に働いたかということは明記されてはいませんが、おそらく、アルギン酸、フダイコンなどの食物繊維、ラミニンや豊富に含まれるミネラルなどが血圧降下に有効に働いたものと考えられます。

 また、フコステロールやEPAなどの成分も、重要因子として有効であると推定されます。この中国からの血海霊報告に、どれだけの高い確率で再現性が期待できるかは、今のところはっきりとはしていません。

 ただ元である根昆布そのものか、それからの抽出物を食べることが、血圧の改善に期待できることは確かといえるでしょう。


たまねぎの薄皮をお茶にして飲めば、新発見の
強力な抗酸化成分が動脈硬化を予防してくれます

 たまねぎに多く含まれ、その抗酸化作用で注目されている成分にケルセチンがあります。ケルセチンは茶色い色素成分で、たまねぎでも特にその薄皮に豊富です。

 近年、赤ワインのアントシアニン(ポリフェノールの一種)や緑茶のカテキンなどといった色素成分が脚光を浴びているのも、ケルセチンと同様に抗酸化作用をもっているからです。

 さて、たまねぎの皮がもつ抗酸化作用を調べていたところ、驚くべき発見をしました。たまねぎの皮には、ケルセチンとは別に、抗酸化力を持った新しい成分が含まれていることがわかったのです。

 それもカテキンの約2倍という強い抗酸化作用です。その後、さらに実験を重ね、成分の正体を分析した結果、プロトカテク酸という同じ玉ねぎの色素であることが分かりました。


抗酸化力の実験

リノール酸を40度で9日間酸化させたところ、
カテキンを添加したものは30.7%酸化が抑制され、
たまねぎ薄皮(プロトカテク酸)を添加したものは70.1%抑制された。

 
ところで、古くから伝わっている自宅療法の一つで、高血圧の改善や脳卒中の予防に効くとされているものに、たまねぎの皮のお茶(煮詰め汁)というのがあります。

 プロトカテク酸は、分子の構造が小さいので体内に吸収されやすく、お湯を煎じるだけでも成分がしっかり抽出されます。一方、ケルセチンは、お湯で3分ほど煎じるだけではなかなか抽出されません。

 お茶として飲むとしたら、実はあまりケルセチンは含まれていないことになります。したがって、たまねぎの皮のお茶の高血圧改善効果や脳卒中予防効果の実態は、おろらくプロトカテク酸にあったのでしょう。

 詳しい研究はまだこれからですが、プロトカテク酸はケルセチンと同様に、悪玉のLDLコレステロールや血管細胞の酸化を防いで、動脈硬化を予防するのに効果的なのは明らかです。
 
 今まで捨てていた皮で病気を防げるのですから、これを利用しない手はありません。作り方も簡単です。
 飲む量としては、朝と晩の1日2回、200mlくらいでよいでしょう。風味も香ばしくて飲みやすいので、ぜひ試してみて下さい。


超高次元ブログ 『悟空の郷』様

常に『今』を意識する方法


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病気にならない究極の方法♪ダイエットの秘訣♪水は最高の万病の薬・治癒力の素♪知花敏彦師の超能力♪河合勝さん♪

New Healing Wave 《天上界と微生物》に聞いた 病気の本当の原因と治し方 
 から引用させていただきました  

 天上界は人類指導のために、必要に応じて指導者を地上界に派遣しています。釈迦もイエスもモーゼも、天上界から派遣された人類の指導者です。

 現代に置いては、知花敏彦師が派遣されて、地上界で活躍されました。この人々は、悟りに達した覚者です。
 全知全能の智慧である高級意識体と会話出来る能力があり、瞬時に全知全能の世界からの情報がもらえるのです。

 世に言うテレパシー、以心伝心のコミュニケーションが出来る能力があるのです。人々の心身のあり方、病気の原因と癒し方、それも自分で出来る治し方について、本書ではその全知全能の世界からの情報をお伝えします。

 その内容は、人間の常識外の事が多いのです。それをどう判断するかは、読者の皆様の自由です。天上界のルールでは、人間の自由意志を決して犯さないという原理です。

 知花敏彦師は、ボリビアのジャングルで1人で生活し、特殊な体験を10年以上しました。生命は宇宙に1つしかないという自分の想いを確認する為です。

 ジャングルに入りしばらくして、動物と会話が出来る様になったのです。同じ沼の水を飲んでいる内に動物と顔見知りになり、コンニチワと頭を下げると、向こうも頭を下げたのです。

 そして植物にもコンニチワと挨拶すると、なんと植物も体を曲げて頭を下げてコンニチワを返してくれたのです。

 さらに訓練を続けていくと、ついにテレパシー、以心伝心でのコミュニケーション、会話が出来るようになったのです。
 釈迦やイエスの意識体、インドのサイババさんとの会話、そして銀河系惑星の高級意識体ともテレパシーが出来るようになったのです。

 元々悟りに達した覚者であったせいもあります。精霊や光の天使達とも、動物、微生物、植物とも会話が出来るようになったのです。
 

水の働き 1日2.5Lの水を摂りましょう

 前述したように、水は全宇宙に遍満している質量です。水によって全ての姿・形のある物、全ての形体は存続する事が出来ているのです。

 水は母なる神なのです。どんな硬い鉄にも水分が含まれているのです。自然界にある水は、人の肉体に含まれている全ての要素を含んでいるのです。

 蒸留水は自然界には存在していません。様々なミネラル分が水に含まれています。水は人間の治癒力の素です。全ての肉体機能、神経系統を司っている力、これが水なのです。

 肉体に水分が多い間は、はちきれんばかりの外側になりますが、水分が年を取って無くなるとシワが出てきます。新生児の時に85%あった肉体の水分が、年を取ると40~50%に減ってしまうからです。

 大人なら1日に大体2.5Lの水分を体外に放出しています。汗から、息から、大便、尿を含めてです。ですから毎日2.5Lの水を摂れないと水分不足になるのに、そこまで水を飲んでいないのです。

 水分の摂取量が足りないから老化していくのです。水分が不足すると水の入る量が少なくなり、どんどん脂肪が支配してしまいます。

 これが人間の肉体機能の衰えとなってゆくのです。飲み過ぎは心配ありません。余分な水は尿として排出されます。では、水の働きを整理してみましょう。

水は細胞を洗い清める

 人体には約60兆の細胞があります。水はその細胞の合間を順繰りにめぐって新陳代謝で死んだ細胞などの老廃物を洗い清めて、汗として体外へ排出しています。また、血液を洗い清めているのも水です。

 体の中を循環して、腎臓を通して、肝臓を通して洗われていきます。肝臓で排出物と血液を完全にふるい分けして、この血液を洗った水が尿となって排出されるのです。

 水を摂る量が少ない人の尿は、非常に濁っています。血液を水で洗い清めると、水が血液の中の毒素を取り除きますから、コレステロールの心配がなくなります。

 常に洗い清められれば、非常に新鮮で濃度の薄い、真っ赤な血になっています。水をあまり飲まない人の血は、黒ずんで濃度の高い血液となります。

 そして濃度が濃くなれば、血の循環が悪くなるのです。特に脳は、小さな血管、毛細血管、微細血管など無数の血管が入っています。

 この血管の血液の流れが悪くなりますと、ボケが出て来るのです。年を取ると水分が少なくなり、物覚えが悪くなるのです。血液が小さな血管を通りにくくなると、心臓に負担がかかり心臓に無理が来ます。

 濃度の濃い血液を無理矢理に送っていますと、どこかでピチッと切れてしまい、脳出血だとか脳梗塞とかを起こし、半身不随になります。

 水は内臓に吸収されて、内臓も洗浄しているのです。細胞を洗って、血液を洗った水が尿管を通りますと、血が真っ黒く黒ずんだものであるならば、そこで固まってしまいます。

 さらに固まると結石となるのです。石灰分が溜まってしまうからです。
尿が少ないとトロトロの水しか流れませんから、石灰分が尿管の方に付着してしまうのです。それが膀胱炎の原因にもなるのです。あるいは結石にもなります。

 水を多く飲んでいれば、綺麗な水で沢山流しますから、尿管のパイプの中に汚れが付着しません。おしっこをチョロチョロ出すよりは、ジャーと音を出して出すほうが健康なのです。チョロチョロは不健康です。

 必ず胆石になるか、膀胱炎になるか、心臓病になるか、腎臓病になるか、肝臓を悪くするか、高血圧になるのです。
 
 多量の必要な水を飲むと、全ての病気からあなたを解放します。決して病気になる事はありません。女性の生理痛も、血液が汚れているからで、サラサラになると生理痛も解消します。

 水は万能の健康の素です。天から与えられた治癒力というのは水です。
水は洗浄の働きですから、内蔵や細胞に吸収されやすい分子の小さな水である事が必要です。

 水道水は分子が大きいから、食堂から胃にまで流れます。分子の小さい水は、喉や食道で吸収されます。1日2.5Lの分子の小さい水が必要となります。

 飲む量がそれ以下では老化現象を招き、病気となります。水を飲まないと太ります水を飲んだら痩せるのです。スタイルが良くなります。水を飲まないと、先程も触れたように余分な空間に脂肪が溜まるのです。

 若いうちは水分があるから、充満しているから脂肪が入る余地が無いのです。中年太りというのは、水が少なくなるから、空間に脂肪が入って太るのです。

 そして血液が少なくなり、血液が汚れるので、今度はストレスが溜まるのです。血液が濁って、酸性になって、真っ黒い血になると、闕腋の循環が悪いから、苛立ちが出て、ヒステリーが起こってくるのです。

 自律神経が冒されてくるからです。こういった人は痩せて、顔には艶もありません。水分不足は便秘症状が出てきます。水は万病の薬です。

 水を多く飲むと、生理痛が止まり、便秘症が治り、心臓病が改善し、腎臓の循環が良くなり、高血圧症もなくなります

 水が血管内のコレストロールや毒素を取り除きますので、血液がサラサラになり、循環が良くなりますから、頭も良くなり、ボケも解消します。

 脳卒中や心筋梗塞も防ぎます。水は最高の万病の薬なのです。これを聖水と言っているのです。人体にも電気現象が働いています。

 電気の+と-のバランスが崩れると帯電します。モーターの回転が重くなると闕腋の循環が悪くなり、腸の循環も悪くなり便秘します。

 新陳代謝も悪くなり、血や肉や骨の再生能力が落ちます。
中性の水が必要となります。自然界の中性のPHは5~5.5です。
世間では7~7.5が中性と言っていますが、間違いです。

 良い水とは中性PHは5~5.5でミネラルの多い活性水で、分子の小さい水です。
 分子が大きいとエネルギーは1ですが、この水を4等分にして分子を小さくするとエネルギーは4となり、溶存酸素が4倍の水となり、本当の活性水となり、肉体への浸透性は抜群に良くなります。

 水を多く飲んでも胃に溜まりませんから、1日に2.5Lは楽に摂取出来るようになります。

ソマチッドと微生物の違いとその働き

 最近ソマチッドという言葉が使われています。ソマチッドの説明書を読んでも、解ったような解らないような内容になっています。

 微生物が自然界を形成し、維持管理する主役と申しました。そして素粒子とは、微生物そのものの事なのです。

 微生物は生き物、テレパシーが出来ますから、人間の考えを、心を100%読んでいるのです。微生物は集団生活をしていますから、助け合い、分かち合い、共存共栄が生き様のルールです。

 個の自我には反応しないで、全我、神我、高い意識に反応するのです。これがソマチッドが働かなかったり、働いたりする原因です。

 見えない世界、天上界の考え、宇宙の法則、そして精霊の心を通じる意識(愛と調和・キリスト意識・等)には、ソマチッドは反応するのです。

 微生物は、人間の心を読んでいます。微生物の世界のルールを理解して、実行している人には、微生物が全面的に協力して助けてくれます。
 これがソマチッドが働く時なのです。自己中心的な人には波動が合いませんから、ソマチッドは働きません。


グラスにはいつも半分入っています(ミランダ・カーさん)

 ポジティブって、いったいなにが良いのでしょう?あちこちで目にしますよね。ベストセラーの著者が書いてたり、心理学者が論文で発表したり。

もちろん、日常会話にも結構出てくると思います。

「ポジティブに考えたほうがいいよ」
「そのままポジティブでいてね」
ポジティブな姿勢が必要なんじゃない?」

・・当てはまりそうな時は、ごく普通に使ってる言葉だけど、実際はどういう意味なのか、考えたことはありますか?

 これをわかりやすく教えてくれたのは、江本勝さんが行った”水の結晶”の研究でした。彼はエネルギーや思考、言葉、そして音楽が水に与える影響を調べた人。

 まず世界各地から集めた少量の水を凍らせて、分子構造を撮影したのです。それから同じ水のそばで、愛と感謝の言葉を口にしたり考えたりすると、分子構造が変化してきて、綺麗な雪の結晶みたいになる
・・・・そんなすごい発見が!

 ネガティブな言葉を使えば、結晶構造が壊れたり斑点ができたり、

水を入れたグラスに「希望」「平和」「ありがとう」「愛してる」などの文字を貼ると、殆ど即座に影響が出るそうです。「憎しみ」「バカ」「病気」みたいな言葉も同じ。

 科学者たちは、もうとっくに「すべてがエネルギー出て来ている」ことを証明しています。この世の現象を分解していくと、ぜんぶ原子で構成されているのがわかる。

 もっと小さく分解すると、その原子もただの「振動するエネルギー」にすぎない。水もそうだし私たちの身体もそう。

 この水の研究は、私にとても深い影響を与えました。
だって平均的な人体は70パーセントが水分なんですよ!
 私たちの思考も言葉も、身体に深い影響を与える力があるってこと。


過去記事の江本勝さん♪からの引用ですが……♬


あなたの身体が健康か病気なのかを決めるのは
体内の水の流れ(”1日に2.5L以上”の水分摂取)です!  

 意識的な生き方とは水の本当の力を理解することから始まるのだと、私は江本勝博士の研究を通じて学びました。水の力はどんな環境であれ滔々(とうとう)と流れる事が出来る点にあります。

 水は容器にそって形を変え、渦巻きながら絶えず運動しており、川岸に沿って滔々と流れます。

 水は生命そのものであり、常に動きながら、ある状態から他の状態へ変化を続け、異なる周波数で振動し続けています。

 水は山に沿って曲がりながらごく狭い隙間も通り抜ける事ができます。そして熱せられると空気中へ蒸発してしまいます。

 水は永遠なる宇宙そのものと同じくらい神秘なのです。水は生命の秘密のすべてを握っています
 たった一粒が、人類の知り得る全ての病気を治療するための青写真を含んでいるかもしれないのです。
 
 人体は七十パーセントから九十パーセントが水と言われています。各細胞や臓器、そして体内組織は一定の割合の水を含有しています。

 そして、身体が最良の健康状態か、バランスを崩した状態か、病気かを決定するのはその水の流れなのです。

 有名な医師であり研究者である、F・バットマンギリッジ博士は、身体の生理学的機能における水の恩恵の深慮を発見しました。

 二十二年にわたる脱水症の分子生理学に関する臨床科学的研究の新しい見地から、6000万のアメリカ人が高血圧、1億1000万人が慢性の痛みを持ち、
1500万人が糖尿病、1700万人が喘息、
5000万人がアレルギーであるといって間違いないでしょう。

 彼らは皆乾ききってしまうまで待っていたのです。もし彼らが、
水は天然の抗ヒスタミン剤であり、効果的な利尿剤であることを理解していれば、その健康問題が引き起こす苦悩から救われたであろうに…。


手を手を合わせるとエネルギーがみなぎる

 「合掌」という文字を見せた所、ものの見事に手を合わせた形の結晶になりました。ところで、人間は何故手を合わせるのでしょうか。

 中には手を組む人たちもいますが、民族や宗教の違いを越えて、祈りやお願いする時には、どこの人も皆手を合わせます。

 神道の世界では、朝の四時半頃、お日様に向かって大きく手を広げて、その光を吸収して手を合わせると言う事をします。なぜ、ここで手を合わせるのかといえば、前にも説明した共鳴の理論に基いているからです。

 つまり、一つではエネルギーにはなりませんが、手を合わせる事で共鳴して増幅し、それが身体の中に入って純粋なエネルギーとなるのです。

 お日様は大変なエネルギーを持っています。
 私は先程、音が大きな振動を起こし、エネルギーを伝えると述べました。
 
 そこれ、「音」という漢字をよく見てください。「立つ日」と書くことが分かります。つまり、お日様の光が振動の元だということを、昔の人は知っていたのです。
 
 しかも、物理学の世界でも光が波である事が証明されています。波とは、即ち振動のことであり、エネルギーの元となります。
 
 こういう背景があるからこそ、お日様のエネルギーを少しでも分けてもらおうとして、昔から太陽崇拝という考え方があったのです。

 そして、そのエネルギーを分けて貰う形として、合掌は最高のテクノロジーと言っていいでしょう。
合掌は左右対称であり、人間の体も左右対称だからです。

 手を合掌して、神様に感謝すると脳波が下がるそうです。
いわゆる、ベータ波がα波やθ波の方に変わるということですね。
脳がリラックスした状態になるそうです。

長寿の秘訣 お金も時間もかけずに綺麗になる方法

 一日一つでも多く、「感動」することも、元気なエネルギーを自分に取り込むのに有効です。

 「感動」は、文字通り、観じて動くこと、とすると、共鳴現象がまさしく感じて動くことですから、共鳴こそが感動だということが分かります。

 相手に共鳴することによって、私達は大きな振動
・・・つまり、エネルギーを貰います。そして、感動が深ければ深いほど純粋な振動を自分がもらえることになるのです。

 毎日をいかに楽しく、元気に、有意義に過ごすかということも、いかに感動を感じるかにかかっています。
 
 加藤シヅエさんの有名なお話ですが、100歳の誕生日に新聞のインタビューで「長寿の秘訣は何ですか」と聞かれて、こう答えたというのです。

一日10回感動することにしています。朝起きたら、まだ生きて呼吸出来ている事に感動する。朝ごはんを美味しく食べられることに感動する。

 そして、庭に下り立って、朝顔の花が綺麗に咲いていれば、その美しさに感動する。お日様が燦々と照っていればその無限の慈しみに感動し、また雨が降れば慈愛の雨ということでまた感動する

 というように、小さい、小さいことでもいいですから、皆さん、身の回りをよく観察してご覧なさい。感動することはいっぱいあるんですよ。」

 この言葉に、すべての真理が詰まっていると言っても過言ではありません。加藤さんの仰る通り、前向きに生きるには「感動する」という事がとても大事なのです。

 「感動する」ということは、即ち、何かに「共鳴する」と言う事に他ならないわけですから。
 「自分は何も感動することがないなあ」などと思わないでください。例えば、お母さんがあなたのためにしてくれた事を思い出してみましょう。そういった、日常生活の一つ一つの中に、感動の材料はあるはずです。

 学校に行けば、先生がいつも自分たちと導いてくれる。友達が優しく声をかけてくれる。会社に行けば、たまにしか褒めない上からほめてもらった、落ち込んだ時に慰めの言葉をかけてもらっった、というようにです。

 そういう一つ一つの言葉を大事に受け止めてみる。そういう小さなことで少しずつ心を感動させる習慣をつけていくことが大事だと思います。

 「感動する」ことは、お金も時間もかけずに自分を元気に出来る一番の方法なのです。

無意識に潜む不思議な力    江本勝さん♪

 あなたは毎日鏡を見る時どんな言葉をかけていますか?心の中でどんな言葉を唱えていますか?

 「なんて私は綺麗なんだろう」「いつみても私は可愛い」
 という言葉をかけている人はどのくらいいるでしょうか。

 水の結晶写真を見れば、「綺麗」「可愛い」という言葉かけが、とても良いことがよく分かります。ですから、他人に対してだけでなく、自分に対しても、「可愛いね」「綺麗だね」という言葉かけは大事なのです。

 そして頻繁に「綺麗だね」と自分に声をかけてあげれば自分の内部にある水がどんどん綺麗になっていき、内面から美しい人に変わることが出来るでしょう。

 逆に「放置・無視」の結晶は綺麗な結晶ではありませんね。実は、ご飯を対象にした実験をしたのですが、この時も、「汚い言葉」とかけたものより、無視したものが一番先に腐ってしまいました。
 
 ですから、最も良くないのは、自分の体や顔や性格に対して無関心な人です。そういう人は、知らず知らずのうちに体の中の水が醜く変化をし、内側から綺麗な細胞が少なくなり、人よりも早く老化していってしまいます。

 そうならないためには、頭の先から足の先まで意識して愛おしむ。
これが美しさを保つ秘訣だと思います。

 何気ない視線もまた、大事なエネルギーを生み出す振動です。無視するというのは、エネルギーを与えないという事になるからです。自分を見ないというのは、自分にエネルギーを与えていないということです。
 
 さらに人から見られないということはエネルギーも貰えないということなので、とてもつらいことなのです。

 よく、「人から見られると綺麗になる」という話を耳にしたことがあるでしょう。これは、まさに相手の視線という「振動のエネルギー」を、自分の体内に取り込むことによって実現するのです。

 ですから、「綺麗だなあ」と思われる人はますます綺麗になり、
「可愛くないなあ」と思われている人はますます可愛げがなくなっていくのです。


なる地球の魂もかつては人♪動物の輪廻転生の真実♪一億四千万年の記憶を取り戻した奇跡の獣医師♪高江洲薫先生

アニマルコミュニケーション から引用させていただきました  


私(高江洲薫先生)のコミュニケーション方法   


 私は、1998年に「過去を解き明かし未来を語るもの」という使命を伝えられた時、自分のそれまでの一億四千万百十年という記憶を取り戻しました

 私が行うコミュニケーションの特徴は、
「私自身が人であり、ゾウであり、サルであり、クラゲであった。全ての記憶を取り戻した事により、動物と話をする時に、その記憶に基づいた意識になって、彼等の声に耳を傾ける」という事です。

 例えば、犬と対話をする時には、私自身が持つ犬の意識にチャンネルを合わせ、彼等と同じ目線で話をします。
 上からの目線ではなく、あくまでも目の前にいる動物の同じ意識になり、魂の波長を合わせて共鳴するのです。

 人としての意識のまま、犬と話をしましょうという姿勢では、上からの目線のままの対話であったり、一方通行の対話が行われやすくなります。
 私の場合は、その動物とその時の自分の記憶の時空、あるいはステージに戻って話をします。

 人は誰しも、動物の記憶を持っています。一朝一夕では、魂の記憶を取り戻す事は難しいでしょう。けれども、自分自身の中に動物の記憶がある、

 自分も彼等と同じ様に生きていたのだと思うだけでも、あなたと動物を隔てる幕は、次第に開かれていきます。そのわずかな意識の変革が、あなたと動物をつなぐ琴線となり、互いの心をふるわせるのです。

 例えば、過去で犬としての人生を歩んでいた母犬から心から愛されていたとします。愛情という記憶を強く持っていたら、人間となった現在でもその素晴らしい資質は受け継がれているのです。

 または、リーダーシップを持って仲間を導いていたら、人になってからもその力は引き継がれます。

 様々な記憶が蘇れば蘇るほど、あなたの中に時を越えても変わらないテーマが息づいている事に気づくでしょう。そして、それが自らの使命だという事を、あなたは見出すのです。


ネイチャーコミュニケーション

 太陽を兄弟と呼び、星月を姉妹と呼んだ聖フランチェスコは間違いなく、大自然とコミュニケーションをし、メッセージをもらっていました。

 ネイティブアメリカンは、風のささやきを聞き、大地から導きを得ます。多くの聖者と呼ばれる者や自然と寄り添って生きる者達は、大自然の声を聞くのです。

 インナー・コミュニケーション能力が高まると、そこにはすべての命との隔たりがなくなります。そして、大自然と繋がり、様々なメッセージを頂く事が出来るのです。

 私自身、動物と話が出来るようになると、次第に木や花の心が分かる様になりました。植物たちも、実に様々な感動的なメッセージを語ってくれます。

 新緑の季節、私はある美しい庭で緑を楽しんでいました。萌え出たばかりの新緑は、鮮やかな光を輝かせながら、風に踊っていました。
 なぜこの様に一斉に緑が芽吹くのだろう……。私が心の中でそう感じた時、優しい声が答えました。


------春になると一斉に花が咲いたり、緑が芽吹くのは確かに温度や太陽の光も一つのきっかけです。しかし、根本的に調整をしているのは大地です。

 大地が全ての木々に対してメッセージを伝え、そして継続する事、維持する事を調整しています。
 もし、例え一本の草花が枯れたとしても、大地はその事を敏感に感じ取り、周囲の草木にその失われた草花に対する思いを伝えます。

 そうすると、それに反応した草木は、強い生命の誕生を望み願い続けて、新たなる生命をその場に甦らせようとするのです。

 例えどんなに離れていても大地で全てが繋がっており、情報が大地を通して伝わり、同じ種の花が、時期を同じくして咲いたり、散ったりする様になるのです。

 誕生が始まりなのか、死が始まりなのかといえば、実は死が始まりであり、死を持つものこそが生命を生み出す原動力であり、その力に基づいて新たなる生命が誕生する事になるのです。

 まさしく死は悲しみではなく、新たなる生命を生み出す力の源であり、失われたものを回復しようとする根源なる愛なのです。愛は誕生から生まれたのではなく、死から生まれたのです。

 
母なる地球の心からの感動のメッセージ

 そして、数多くのネイチャー・コミュニケーションを重ねていった私は、次第に、より大きな存在のメッセージを感じ取れる様になり、遂には母なる地球の心を知りました。

(地球から)------どんなに人類が失敗しても、破壊的な事を行っても、人が渡しに影響を与える事ができるのはわずか数百メートルの表面的な事です。

 あなた方が例え全てを破壊しようとしたとしても、それは、私にとってただ皮膚が日焼けしたようなものです。私は、またこの中心の意識から、全てを新しく変える能力があります。

さらに地球は、このようなメッセージも伝えてくれました。

------私の使命はなんだと思いますか?それは、生命を徹底的に育んで、守り通す事です。そして、その使命よりも強いのが私の愛情です。

 私もかつては人でした。あなた方と同じような生命体として生きていました。私は、数えきれない程の生まれ変わりを経て、神となる手前の存在として惑星の姿をとっています。

 私は偉大なる女性としての体験を経て、大地から生命を産み落とし、自らのすべてを使って生命を育むのです。


ラストメッセージ

 スピリチュアルとは愛情の多様性を知ることです。多くの人は自分が愛されていないから、自分を愛する事も人を愛する事も出来ないと考えています。

 特定の愛情表現、もしくは愛されるという事に、私達の愛という概念は限定されています。
 スピリチュアルという事は、愛情の多様性を知る事であり、あなたがその事に気づけば、実は自分は多くのものから愛されていると気付く事が出来るのです。

 あなたの周りの様々な自然は、間違いなくあなたを愛しています。太陽は日が昇る度にあなたに光を与え、月はあなたに優しさを与える為に、夜の闇に輝いているのです。

 同じ様に山や森、海、川、湖といった自然は、あなたに間違いなく継続的に愛情を示してくれているのです。
 あなたがこの愛情の多様性という事に気付くのならば、自分が間違いなく愛されている者であり、祝福されている事に気付くのです。

 あなたの愛の多様性を知って、あなたの愛の深さや広がりを感じてみて下さい。あなたは間違いなく愛されているという事に気付くでしょう。

 その事に気付けば、あなたは愛する者になります。特定の人間だけではなく、多くの生命に対して、心から愛情を示す事が出来る様になるのです。


あとがき

 本書を書くにあたって、初めはなかなか、筆を進める事が出来なかった私は、敬愛するインドの偉大な聖者サティヤ・サイババ様に、「どのような本を書けばよいのか導いて下さい」と祈りました。

 そして、その祈りの答えがこのテーマであり、多くの導きによってメッセージを綴(つづ)る事が出来たのです。

人間だけでなく、動物も鳥も昆虫さえも神の化身です」と伝えているサティヤ・サイババ様は、自身も動物も深く愛し、慈しんでいます。

(サティヤ・サイババ様は天上界から派遣された12人のキリストのお一人です。ちなみに知花敏彦師はその12人のキリストのリーダーです)

 そして、サティヤ・サイババ様が飼っていらっしゃる小象のサティヤ・ギータは、サティヤ・サイババ様に対する深い信仰心を私に伝えてくれました。

私は人間に生まれ変わる事を目指し、今は修行をしています」と、彼女が語った強い決意は、私がかつて動物だった時に感じていた記憶と切ない思いそのものでした。

 彼女との対話によって、第5章の動物たちの輪廻転生の流れを再確認する事が出来、以前から伝えたいと思っていた動物の生まれ変わりについてまとめる事が出来ました。

 動物たちは、人になる事を目指しています。私達は万物の霊長として、彼等の思いに耳を傾ける事を忘れてはなりません。

 彼等のありのままの声とその心を伝えたい-----。もし、動物たちが文字を読めるなら、彼等も感動し、喜べるような本にしたい-----。
 そう願いながら書いた本書は、人だけのものではなく、動物たちに捧げたものでもあります。
 本書が人と動物の絆を深め、お互いに理解し合う一助となれば幸いです。


肉食の記事♪の過去記事からの引用ですが……♬


究極の身長栄養食について

 究極の身長食は、実は日本食だったという嬉しい事実が判明しておりますが、もう何回もご説明しておりますが、簡単におさらいしてみましょう♪

玄米(※最低8時間以上水に浸けてアク抜きは絶対にしてね♪)
大豆(※同じく8時間以上でファイトケミカルを除去♪)
押し麦(※栄養が豊富な上に、食物繊維が玄米の3倍♪♪)
ビタバァレー(押し麦にビタミンB強化してお米の大きさに)
ヒマラヤ岩塩(※微量のミネラルで身長と健康が大幅アップ♪)

 後は、ヒジキや昆布、ツナ、サバ、イワシ、シソワカメ、お味噌汁、梅干し、など健康によさそうなものをバランスよく組みわせて頂いたらベストです

 あまり知られていませんが、押し麦やビタバァレーは、研ぎ洗いをすると栄養が流れ出てしまうそうです。ですので、玄米だけ先に研ぎ洗いしてから、最後に、玄米とビタバァレーを入れて水を入れて、そのままお米を炊くというのが正しい調理法なのだそうです。

 お高いサプリメントを摂らなくても大丈夫と、私の実体験で完全に証明されておりますので、これからの最先端身長栄養学は、「タンパク質とアルギニン」は大豆で摂取の方法がベストと変わりました♪

 大豆と押し麦で ”アミノ酸スコア100” になりますので、お肉類を一切食べなくても、健康と身長アップに必要なタンパク質は全てまかなえます。

 アルギニンとカルシウムの摂取に関しては、大豆を主食にして頂ければそれだけで1日に充分な程に賄うことが可能です。私はその食生活のお蔭で、現在はもう195cmにまで成長しておりますので、再現性は高いと思われます。

 もう一つ油ものの健康ウラ技ですが、お手頃値段で、最高に健康な揚げ物を作れる方法もご紹介しちゃいます。それはオリーブオイルの二番絞りの油を使う事です。えっ、何それ!…と思われるかも知れませんが、何と何と…

…オリーブオイルの二番絞りは通常の揚げ物の温度では、分子が不安定化しないので、揚げてもいわゆるトランス脂肪酸に変化しないのだそうです。

 ですから、油の害のない揚げ物を堪能できちゃうというわけなのですね。
これでついに、健康的な揚げ物という新ジャンルが出来ましたね(笑)

 身長に関する地球の常識がこれから変わってゆきます。玄米・押し麦・ビタバァレー・ヒマラヤ岩塩・大豆・食で究極の栄養をしっかり摂取して、私の最先端身長法を正しく実践して頂ければ、もう何歳からでも、貴方の望むがままの身長へ変容を遂げて頂けるでありましょう♬ 

 肉食をやめて大豆でタンパク質を摂取するのがベスト・オブ・ベスト♪
皆様、ぜひこれで健康と高身長を手に入れて幸せになっちゃいましょう♪

 補足秘話ですが、アトランティス文明末期から肉食をするようになってから、人類から霊的で精妙な感覚(第六感・波動感知能力、等々)がなくなっていったそうです。(※痛覚のない魚介類は食べても大丈夫です)

 知花敏彦師によりますと、肉を食べると、動物の獣性がアストラル体を汚して自我が強くなるそうです。
 感謝して食べるとその波動が消えるとも仰っておられますが、出来れば真理の追求者の方は、肉食は控えめにされた方がいいかも知れませんね。



ほんとうに健康になる食事法は?
●タンパク質のとりすぎは体内のカルシウムを招く

 タンパク質のとりすぎが体に及ぼす影響はまだあります。穀物や雑穀物のタンパク質は食べすぎることはあまりありませんが、動物性タンパク質はとりすぎになりがちです。

 たとえばアメリカ人の場合、一日のたんぱく質の摂取量は平均90グラムです。たんぱく質の必要量は一概にはいえませんが、体重1kgあたり、一日に0.8gから1.0gというのが一応の目安とされています。

 70kgの男性ならば、56~57gが適量ですから、90gというのは摂り過ぎです。最近の日本人の摂取しているタンパク質の量は、アメリカ人よりも小さな日本人が、なんとアメリカ人に匹敵するくらいの平均79.7g(一日あたり)を取っているといわれています。

 これは明らかに過剰摂取です。このデータは1994年度の厚生省調査によるものですから、現在ではもっと多くなっているかもしれません。

 この過剰に摂取されたタンパク質はどうなるか。どんなに良質と思われるタンパク質でも、排泄されるだけなのです。摂りすぎた分は全部無駄になってしまいます。

 いや、無駄になるだけならまだいい。ムダなアミノ酸を分解して、尿として排泄しなくてはならないので、その役割を受け持つ肝臓とか腎臓に多大な負担がかかります。

 一方、多量のアミノ酸が分解されると、血液が酸性に傾くので、それを中和するために多量のカルシウムが必要となります。このカルシウムはどこから引き出されてくるかというと、からだの骨や歯からです。

 こうして取り出されたカルシウムは、多量の水分とアミノ酸と一緒に、尿として排出されてしまいます。このようにタンパク質のとりすぎはカルシウムの損失も招き、その結果、不健康な体になり、病気にかかりやすくなるのです。

●肉や肉加工食品を多く摂ると、さらにカルシウム不足に

 肉や肉加工食品をたくさん摂っている場合、カルシウムの損失はもっとひどくなります。肉や肉加工食品では、カルシウムに対してリンの比率が圧倒的に高いからです。

 血液中では、カルシウムとリンは、量的に1対1または1対2のバランスで摂られなくてはならないという鉄則があります。 だから肉食に偏っていると、リンが多くなりすぎるので、骨や歯からカルシウムを抜き出して、バランスを取ろうとするのです。

 加えてリンがたくさん含まれている食品が多すぎると、腸内でリンとカルシウムが結びついてリン酸カルシウムが沢山できます。ところがこれは吸収できないので、排泄物となって体内から(※カルシウムが)出されてしまう

(※リンは加工食品・カップラーメン・コンビニのパンなどに多く含まれています。自宅で玄米を炊くのが一番、健康と身長に良いと思われます

 つまり、ここでもカルシウムが損失されるわけです。このように、カルシウムはダブル、トリプルでどんどん失われていくので、体内では当然カルシウムの欠乏が起こってきます。

 動物食の多い、一見豊かな食生活を送っている先進国の人達に、カルシウム不足か骨に鬆(す)が入る骨粗鬆症が多いのは、これが主な要因です。


農業をおびやかす温暖化

●地球の温暖化も農業環境をおびやかしている。小麦とトウモロコシは、気温が2度上がると収穫量は3分の1に落ちるという。

消えていく熱帯林

●今、世界の森林は激しいスピードで減少を続けており、深刻な状態にある。この10年間で実に1億5000万ヘクタールの熱帯林がなくなり、現在もなお毎年1600万ヘクタールが消失している。

森林伐採と焼畑農業が主たる原因だが、牛や羊など家畜の放牧地への転換もまた大きな要因となっている。アメリカなど先進国における畜産はフィードロット方式が主流だが、世界全体でみると、放牧による飼育の方が多い。

そして、そのほとんどがブラジル、ベネズエラ、などアマゾン川流域の中南米諸国に集中している。食肉を大量消費する先進国の企業が、これらの国で食肉増産のためにアマゾンの熱帯林を切り開いて家畜の放牧地に変えているからだ。

今日、アマゾンの土地に約600万頭の牛が放牧されているという。この数は、中南米8カ国の総人口の30分の1に相当する。世界の熱帯林の半分をアマゾン地帯が占めている。

そのうちの20パーセント(日本の総面積の3倍にあたる1100万ヘクタール)が、放牧地の開発ですでに失われている。

●この放牧地の開発は、中南米諸国によるアマゾンの商業利用計画が始まった1970年頃から急速に広がった。

各国の政府がアマゾン地域への投資を奨励したため、先進国のアグリビジネスが牛の放牧場の建設を目的に、アマゾンの奥地にまで殺到した。

土地の農民が所有する森林をわずかな金額で買収し、食肉生産のために熱帯林を切り倒していった。放牧地は、牛の群れに根こそぎ牧草を食べつくされ、養分や水分の枯渇、表土の流失を招いて、たちまちのうちに、種をまいても芽が出ないほど荒れ果ててしまう。

そして、放牧に使えなくなると、その土地は打ち捨てられ、牧場主は次の放牧地を求めて、さらに熱帯林を切り開いていく。
先進国の牛肉消費を支えるアグリビジネスの企てのもとに、こうした乱開発のパターンが繰り返され、アマゾンの熱帯林はどんどん減少していったのである。

中南米の中でも熱帯林の3分の1を占めるブラジルでは、1970年から10年足らずの短期間に40パーセントもの森林が消えた。

アメリカのワールドウォッチ研究所の報告によると、アマゾンで生産された牛肉からハンバーガー1個を作るのに、5平方メートルの森林が伐採されて放牧地に転換された計算になるという。


アマゾンの森林には、さまざまな動植物が生存している。地球上に存在するとされる約100万種類の動植物、微生物など全生物種の5分の1が、ここに集まっているとみられる。

もし、このまま森林破壊が進めば、今後25年間で動植物の約半数が絶滅の危機に瀕する恐れがあると言われている。また、熱帯林は、雨水を土から吸い上げ、葉から蒸発させて大気にもどすという雨水の循環作用を行なっている。

熱帯林が少なくなれば、その地域の降雨量が減るわけで、旱魃や砂漠化をもたらす。
南米の先住民の間では、「熱帯林が空を支えている。木を切り倒せば必ず天災が降りかかる」と、言い伝えられている。

熱帯林は、人間に多大な恵みをさずけてくれる資源の宝庫なのであり、我々の日々の生活がいかに熱帯林に依存しているかを深く心にとめなければならない。

今、残されている熱帯林が消滅してしまうとき、地球の生態系は完全に崩壊し、べての動植物は地上から永遠に消えることになるだろう。もちろん、そのときは人類も同じ運命である。


動物性蛋白質(肉食)の知られざる弊害  船瀬俊介さん

 現代医学は嘘のてんこ盛りです。
 西洋医療は完全に崩壊しています。200年前に遡って、東洋医療のような自然治癒力を生かす医療に戻らなければいけないのです。

 そして近代栄養学も嘘八百なのです。ミュンヘン大学のフォイト教授は、「動物たんぱく質こそ最良だ」と言いました。

 彼はドイツ国民に、タンパク質は48グラムとれば十分なのに、2・5倍の「120グラムとれ」、しかも「もっと肉を食え」と言いまくったのです。

 だから今もなお、世界中に動物たんぱく質信仰、肉信仰があるのです。肉がスタミナ源だとマインドコントロールされている。
 その結果、世界中が栄養過多で病人ばかりです。アメリカがその最たるもので、その悲喜劇の発端はフォイト栄養学なのです。

 史上最悪の発がん物質は、動物たんぱく質だということが、コーネル大学のコリン・キャンベル博士の「チャイナ・スタディー」という栄養調査リポートでわかった。

 この動物タンパク質を10%から20%にしただけでガンが11倍に増え、5%から20%にすると約20倍に増える。動物タンパクは植物タンパクに比べて8倍も発がん性が高いのです。

 ですから動物たんぱく質をとる意味はまったくない。肉を食うと、大腸がんと乳がんの死亡率が4倍、心臓病の死亡率は8倍から10倍、糖尿病死亡率は3・9倍・・・。肉を食っていいことは何もない



オススメスピリチュアルサイトをご紹介♪

愛猫の恩返し♪感動秘話♪輪廻転生で分かるカルマの関係♪日本人最高級の過去透視能力を持つ高江洲薫先生♪

過去世リーディング  から引用させていただきました  



本物の過去透視能力を持つ  
高江洲薫先生について       カルマの記事♪

 今回は、いつかご紹介させて頂けたら…、と思っておりました♪
高江洲薫先生の興味深い輪廻エピソードをご紹介させて頂きます。

 エドガー・ケイシーさんもいいのですが、高江洲薫先生は日本の方ですから、日本人にとってかなり馴染みのある自然で分かりやすい文章で過去世との因縁を教えて下さっております。

 実は私、かなりこの手の著書を読み漁ったのですが、分りやすくて為になる輪廻転生話って……思いのほか少ないのですよねぇ(笑)
 結構、過去世を見る能力が中途半端な人が多い気がします……

 こういった輪廻転生のエピソードのご著書では、日本人の中では高江洲薫先生のご著書は最高に分りやすくて面白いと感じました。

 こういった輪廻のお話を通じて、人生に対する考え方を悔い改めてゆき、魂を成長させてゆき、最後に知花敏彦師の教えに出会って、神に到達して、輪廻転生を解脱出来れば最高にハッピーエンドで万々歳で、結構かな……と♪

 また、高江洲先生がこのような特殊な能力が発揮されるまでの過程が、他の人ではきっと殆ど絶えられないだろう程に凄まじいのですね。

 まさに偉人ならではの波乱万丈過ぎる人生で、それはもう、壮絶な…壮絶な…それはもう壮絶過ぎる苦難の人生を歩まれて、やっとこさ能力が開花されたという、本当に鍛え抜かれた鋼のような強い心の持ち主でもあられます。

 日本トップクラスの数少ない本物の過去世透視能力をお持ちでもあり、偉大なるヒーラーでもあられる高江洲薫先生が今度もますますご活躍され、また高江洲薫先生の輪廻転生エピソードが世に公開されることを切に願います♪



ペットとはどんな関係があったのか
愛猫の恩返し

 私は、過去世を観たりヒーリングをする他に、動物病院の院長という顔も持っており、普段、動物の治療も行っています。また、動物の気持ちを読み取る事が出来、猫や犬の過去世を観ることもあります。

 ペットを可愛がっている飼い主の方にとって、、愛猫や愛犬は、家族の一員も同然です。時に、彼等との関わりが、過去瀬から引き続いている飼い主の方もいます。

過去世から続くペットとの関わり 

 Fさん(女性)は、いつも人の目が気になっており、自分を責める事が多く、「自分は価値のない存在だ」と蔑むような思いに駆られる事を悩んでいました。

 なぜか「幸せになってはいけない」「私は許されない」という思いに支配され、苦しい日々を送っていたと言います。
 そんな状況で日々過ごしているうち、彼女の愛猫のG君(オス)が、ウイルス性の病気にかかってしまいました。

 彼女は、G君にエネルギー治療を受けさせようと、私の病院に来られました。G君の病気は、なかなか快方へ向かいません。G君の心の声を聞いてみると、今世なぜ飼い主であるFさんの所に来たのかを話してくれました。

 その後、G君は安らかに息を引き取り、さらに深いリーディングを行った所、飼い主のFさんとG君との、過去世から続く関係が明らかになりました。


▽Fさんの過去世 過去世Ⅰ(一つ前の過去世)

 インドに女性として生まれる。少女時代、大雨で近くの川が氾濫し、家が濁流に呑み込まれ、畑は水没してしまう。多くの者が氾濫に巻き込まれて亡くなり、さらには疫病も発生して、死者はどんどん増えていった。
  
 助かった人間は、残っているわずかな食料をめぐって暴行や略奪を働き、飢えた者同士の醜い争いが続いていた。

 ある日、一台の馬車がやってくると、何の説明もないまま、馬車に押し込まれてしまう。父親は見て見ぬふりをし、母親は声を抑えて泣いている。
 馬車の中には沢山の女性が乗せられていて、食い扶持を減らすために自分が売られていた事を知るのだった。

 馬車が町に着くと、暗い部屋へと連れて行かれ、そこに皆監禁される。部屋の小窓から、人身売買を行っている業者が中を覗いては、次々と少女を買って行った。

 ついに自分も買われる日が来て、娼婦として北インドの歓楽街で働かされる事となり、自分を売った父と母を恨む。そして、兄弟の中で自分が最初に売られた事を、呪い続けるのだった。


▽G君(愛猫)の過去世     カルマの記事♪

 インドの薄汚いある路地裏に、メスの野良猫として生まれる。赤ちゃんが生まれると、必死に育てようとするが、食べるものが満足に得られないためお乳もろくに出ず、子供たちは皆死んでしまう。
 自分が生きていくだけで精一杯の厳しい環境では、子供が亡くなった事を悲しむ間もない。

 インドでは猫は邪魔者扱いにされ、誰もかまうものなどいなかった。ひもじい思いであちこちをうろつき、人に追い払われながら、ゴミを漁る日々を過ごす。

 そんな猫に、目を留めた女性がいた。貧しく不幸な境遇にあった彼女は、ゴミを漁っていた猫の姿に、誰からも必要とされない自分と同じものを感じ、窓越しに食事を与えたのだった。
餌を与えてG君を救ったこの女性は、Fさんの過去世Iの女性だった

 G君は、過去世で自分を助けてくれた優しい女性の事を、ずっと覚えていました。それで、「生まれ変わったら、今度は自分がその女性を助けよう」と思い、今世、Fさんの元にペットとしてやって来たのです。

 そうして、Fさんのつらい思いやネガティブなエネルギーを引き受けて、亡くなっていったのでした。

 後(のち)、G君は新たなメッセージを私に残しました。その内容は、「再びFさんの元へ行く」というものです。10年後、ちょうどG君が亡くなった年と同じ生後1歳位の頃、Fさんと出会い、ペットになるとの事でした。

 今度はメスの猫として生まれ、子供も生まれると言います。過去世で子供を育てきれなかった悲しい体験を、Fさんのペットとなり、次は幸せに子育てをする事によって、やり直しを果たすのです。

 普通は、猫や犬が生まれ変わる時に、再び同じ飼い主に飼われる事は殆どありません。やはり、過去世と飼い主が同じでは、人間の家族の法則と同様に、似た体験を重ねる事になってしまいます。

 しかし、このケースでは、FさんもG君も、お互いにやり残した事があり、また、G君にFさんへの深い恩義があったため、飼い主とペットとして再度チャレンジする事となります。

 共に過去世での傷を癒やし、過去において為し得なかった幸せな人生を生きる事を目標として、実現のために再会するのです。

 ペットたちは、動物界での生まれ変わりのサイクルの中にあります。人間とは今世で生きる年数も違うように、次に生まれ出るまでの期間もまた別です。猫や犬は、死後、およそ7~8年のうちに生まれ変わります

 飼い主(人間)が来世に生まれ変わるのは数十年以上先で、その間、猫は犬は、3回以上生まれ変わりを繰り返すので、人間同士の出会いに比べると、出会う確率も随分低くなります。

 猫や犬も、各々(おのおの)その動物の体験が終われば、また別の動物の体験に移っていきます。幾つかの動物の体験が済んだら、いずれは、彼等も人間界へと進化を遂げるでしょう。

 人間に辿り着くまでにはかなりの年数を要しますし、どんな動物を経ていくかはそれぞれ違っていますが、ひょっとすると未来に、彼等がまったく別の動物の状態で、あなたの魂と再開をする事があるかもしれません。


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病気や事故を体験するカルマ的考察♪魂の気付きで病気も治癒・快方へ♪加害者を許すと魂が大きく成長♪高江洲薫先生

過去世リーディング  から引用させていただきました  



病気や事故を体験するのはなぜか    カルマの記事♪

 大病を患ったり、突然自己に遭遇したりと、生きているうちには様々な困難が降りかかって来る事があります。

 しかし、体験の本当の意味を知って考え方が変わると、苦難は必ずしもマイナスの要因ではなく、輪廻転生の中にあっては、むしろプラスの要因とされ成り得る事が分かってくると思います。


★病気になるのは複雑な要因が絡み合っている

「病気」とひと口に言っても、その原因や程度はケース・バイ・ケースです。例えば、疲労がたたって倒れた場合などは、単に、身体を酷使した事から病気になったのだと思われるでしょう。

 しかし、疲労と診断されてもその病気が過去世に関与して起こっている場合があります。
 あるいは、「そのままの(誤った)生活や考え方でいる限り、これ以上うまくいきませんよ」といったメッセージが与えられて起こる事もあります。

 重い軽いに関わらず、病気や怪我に合遭う原因は、複雑に絡み合っているのです。 
 大病を経験して人が変わった様になったという話がありますが、その人は病気を通じて大切な気付きを得、生き方や価値観に変化が生じて、生きながらに生まれ変わった様になったと言えます。

 病気や怪我は過去世と深い関わりがある事が多いため、自分の身に起きた意味を理解し、プログラムを取り除く事によって、治りにくい病気であっても快方へ向かうことがあります。

 リウマチを患っているある女性の場合は、過去世から引き続く関係が見られました。結婚後すぐに発症し、出産してから、さらに悪化したとの事でした。

過去世Ⅲ(3つ前の過去世)   カルマの記事♪

 イギリスに男性として生まれる。家は小作農家で生活は貧しく、同じ年頃の領主の子供たちが贅沢三昧の暮らしをしている様子に、羨ましさと怒りを感じて育つ。また、高慢な領主に媚びへつらう父親を蔑(さけず)み、嫌悪感を抱いていた。

 勇敢な騎士に憧れ、成人すると反乱軍に加わり、兵士となる。しかし、ある時、小作農家出身であるが為、自分は捨て駒に過ぎない事を思い知る。

 やがて、独自の傲慢(ごうまん)な手法で、命乞いをする者も容赦なく殺していくようになる。最後は、イングランド軍に包囲され、公衆の面前で処刑されて亡くなった。


過去世Ⅱ(2つ前の過去世)

 ロシア帝国に男性として生まれる。身分の高い上級貴族であり、美しい容姿を持っていた事から、貴公子と呼ばれて育つ。

 父親が早くに亡くなり、母親から溺愛されるようになる。母親は好みの男性に育てようとするが、それには少しも逆らわずに過ごす。いつも母の言いなりで、母が望むような息子に成長していく。

 しかし、母親が亡くなると、それまで抑え込んでいたものが一気に爆発。ギャンブル、女遊び、麻薬やアヘンなど、破滅的な遊びに次々と手を染めるようになる。

 城の中には金目当ての男女が群がり、自堕落な生活に浸かりきりとなり、次第に、城からは召使いたちも離れていってしまう。
 ついには、だらしない生活を長年続けた事が祟(たた)って病気にかかり、最後を迎えるのだった。………


 貧しさ故の差別を嫌という程体験し、次は裕福な生まれを選んだのですが、今世では、豊かな暮らしをしていた頃の高慢さと惨めなコンプレックスが残っており、それは、心と体のバランスを崩しやすい事へと繋がっています。

 三世代前において、自分のやり方に執着して人を批判する傾向があり、に世代前では、麻薬やアヘンを吸い続けていたため骨が弱くなって、これらが、今世でカルマを背負う所以(ゆえん)となったのでした。

 元気になると、高慢で支配的に成り、全てを自分の思い通りにしたい性格が表出しがちで、そういう自分にしないために、リウマチという病気の形をとって体を動かないようにし、自分を抑え込んでいたのです。

 過去世を知る事によって、彼女は病気が発していたメッセージを受け取る事が出来、ネガティブなプログラムを解除するために、ヒーリングを受ける様になりました。

 さらに、苦しみを味わった経験から、癒される者から癒やす者になろうと決心して、ヒーリングの勉強を始めたのです。

 痛みや苦しみを経験した人は、同じ様な経験をして苦しんでいる人を真に癒やす事が出来ます。
癒やす事の本質は、その思いに共鳴して、認めてあげる事にあるからです。

 その後、彼女の病状はかなり改善され、以前は長い距離を歩く事が出来なかったのが、今では楽に歩ける様になり、今度は山登りにも挑戦したいと意欲を燃やしています。
 苦難と過去世との関係においては、このような形で過去の体験の償いを行う事があります。



トラック事故でカルマを解消したお話

 別の女性の場合は、事故に遭い、そして、適切に対処した事で、以前のカルマを解消するに至りました。

 彼女はある日、自宅の前を走る大通りを渡り、近所のお店に買い物に出かけました。買い物を済ませた帰り道、大通りの横断歩道の信号が青である事を確認し、少し早足で歩いていると、突然、左側からトラックが右折して来て、そのままぶつかって飛ばされてしまったのです。

 しかし、奇跡的にも、打撲と骨がずれた事だけで済んだのでした。この事故は、彼女の三世代前の過去世と関係がありました。


過去世Ⅲ(3つ前の過去世)   カルマの記事♪
 
 オスマン・トルコに女性として生まれる。山間部の貧しい家に生まれ育ち、食べる事にも事欠いていたため、幼い頃より男性に付いて山を下り、盗みを習って覚える。

 成人すると、盗賊団の頭領を結婚し、夫がなくなった後(のち)、盗賊団の女首領となる。近くの村を襲っては命乞いをする者すら殺し、一家惨殺も厭(いと)わず全ての物を奪い取るという、その残忍な手口で、町の者からも恐れられる存在となっていく。

 周りには自分好みの若い男をはべらせ、女王気取りで人生を過ごす。しかし、最後には、皆の前で縛り首となって、命を落とすのだった。

トラックの運転手は、この過去世で一家惨殺した家族の一員だった

 
  彼女にぶつかったトラックの運転手は70歳の男性で、定年退職した後再就職し、トラックの運転をしていたとの事でした。

 彼女は、事故がカルマの償いの為に起きた事を知り、「逆に過去の事を運転手さんに謝りなさい」という私のアドバイスに従いました。

 そうして、過去で自分が殺してしまった人だと思って運転手を責めず、過去の人に言うつもりで謝罪すると、彼女の打撲は早く治ったのです。今では、交通事故の記憶さえ薄らいでいると言います。

 もそい、それを知らずに訴えたり、必要以上にその運転手を責め立ててしまっていたら、またお互いに恨みや憎しみが生まれ、加害者と被害者という、いつ果てるとも知れない負のサイクルから抜け出す事が出来ずにいた事でしょう。

 しかし、被害者を経験した時に加害者を許す事が出来ると、私達の魂は大きく成長出来るのです。
 事故に遭った時には、治療や健康な生活が損なわれる事への損害賠償は、良識の範囲できちんと請求すれば良いでしょう。

 しかし、加害者が償いをした後も、それ以上の恨みや憎しみを持ってしまったら、またしても、カルマを持つ事(※カルマの上塗り)になってしまいます。

 病気や事故に遭うのは、過去の行為を償っている場合が多く、その体験を通して自らが行った事を許し、被害者の体験をする事で魂を成長させようと、自分自身が計画してきた事なのです。

 ですから、現象面だけに捉われず、その奥にある意味を知り、十分償いを果たし体験した事を自分の中で確認して、自分自身(や相手)を許す必要があります。

 けれども、本人が病気になった本来の意味に気付かないまま、病気だけを治してしまった場合、病気は治ってように見えますが、本来の目的を達成していないため、また別の形で体験する事になります。

 というのも、私達の神聖な魂は、自らを律し、目的を達成するためには容赦しない強い意志を持っているからなのです。それだけに、苦難を乗り越えた者だけに与えられる祝福もまた大きいのです。

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実るほど頭を垂れる稲穂かなの天使解説♪徳積みの原理♪心の次元の解説♪高橋信次師♪井手章彦さん♪知花敏彦師♪

心の眼 井手章彦著  から引用させていただきました  



知花敏彦師と高橋信次先生と松下幸之助翁について

 知花敏彦師高橋信次師のお話の共通点として、”松下幸之助翁”が天上界の使徒という情報があります。

ちなみに、高橋信次師によりますと、松下幸之助翁の前世はイエス様のお弟子である”ルカ”だそうです。
 
 興味深いエピソードとして、知花敏彦師が、天上界から派遣された12人のキリストの一人なのに、天上界の使徒として覚醒めていない某社長に対して、覚醒めさせる為に説得に行ったそうです。

 ですが、はぁ…そうですか……みたいな感じで、全然分かってくれなかったというお話が御座いました。話の整合性から、その某社長って…もしかすると、”松下幸之助翁”の事かなって気がしたのですが…いかがでしょう♪



心の次元の解説  非凡 平凡

 この地上界には、実に様々な人が集まっています。これまでに、心の次元、段階のことからも話を進めてきましたが、
 ここでは、日常生活に於いての、一般的な事柄に対しての反応から、心の次元の事柄をもう少し記述していきたいと思います。

●四次元の世界の事を「幽界」、五次元の事を「霊界」と称します。
 ここからの段階から生まれてくる人が一番多く、天上界でもここでの段階の人が一番多くいます。

●六次元の世界の事を「神界」と称し、ここの人達の事を「光の天使」と言います。

●七次元の世界の事を「菩薩界」と称し、ここでのクラスの人達の事を
「上段階光の指導霊」とも言います。

●八次元の世界の事を「如来界」と称し、ここでのクラスの人達の事を
「上段界光の大指導霊」とも言います。

●九次元の世界の事を「宇宙界」と称し、お釈迦様、イエス様、モーゼ様、高橋信次先生というメシア、つまり救世主のおわせられる段階を言います。

※一般的に称されている天使は、六次元以上の段階からとなり、特に八次元からは大天使と称される様になります。

 では日常生活によくある事柄に、当てはめて説明をしていきましょう。

●四次元クラス~自分中心であるから、相手に何を言っても平気。相手の事など考えていないから、相手が何を感じようが、こっちの知ったことではない(というよりも、自分中心の狭い心の領域のため故に、人の気持ちがわからない、と言えましょう)

●五次元クラス~何かをされたり、言われたりした時に、自分の方からも、言ったり、行ったりしないと損だ、という考え方をしている人。

●六・七次元のクラス~何かを言われたとしても、相手にそのまま言い返しては自分の心の中に、波風が立つ事を知っているので、言ってしまっては自分が損をする、という心の段階の高いクラスです。

●八次元クラスともなりますと、心は宇宙大の様に広くなっていきます。

 この地上界での地位、職業、名声などと人の心の段階とは必ずしも一致するとは限りません。
 そうなりますと、人を見る場合には、裸の状態のその人を観る事が大切であると思います。地位だとか役職、肩書などを取り外したその人を、見ることだと思います。

 すると案外正しくその人となりを、見ることが出来ていくのではないかと思います。案外、世渡りが上手いだけ、という人もいる様ですけれども。


美しい心

 私達がより良き人生を歩んでいくには、正法、仏法の中で説いている「守護霊」「指導霊」からのご加護を受ける事であり、キリスト教の中で説かれている「天使」からの助け、導きを受ける事です。

 自分の心が、綺麗であればあるほど、この様な方達からの光を受けられる事となります。
 その結果、必要な時に必要なものが与えられたり、危険な事柄から回避する様、守って頂けたり、心身共に調和された安らぎのある生活、人生をあなたは送っていける事でしょう。

 神からの光、天上界からの光を受けるには、自分の心を綺麗に磨いていあるかどうかがポイントです。窓ガラスが曇っていたのでは、外からの陽の光が部屋に入り込む時に、その射し込む光の量は弱くなってしまいます。

 各自の心の調和度によって、その様な方達がついて守って下さるのですね。逆に、心にスモッグがある人には、守護・指導霊から、あるいは天使から通信を送ったり、語りかけたとしても、
その埃(ほこり)が邪魔をし、障害となっているが為に、それらの愛あるインスピレーションも、言葉も受けたりする事が出来ません。

 ですから、心にスモッグだとか埃、アカは無い方が良いのです。その方法を、お釈迦様および高橋信次先生は、「八正道」にあると説きました。

 それは自分の思った事、行った事を八正道に照らし合わせてみて、もしそこから逸(そ)れていた様な事柄があったのならば、素直に反省をして、正しい思いと共に言動をしていく、仕事をしていく、生活を送っていく、努力していく、などを実行に移すという事です。



実るほど頭を垂れる稲穂かなの天使の優しい解説♪

井手章彦さんの天使への質問………………

……人の足を引っ張ったり、影で悪口を言ったり、意地悪をしたり…この様な、気を許せない人がいたとして、心の次元の高い、低いという言い方ではなく、心の成長という観点からの説明をお願いします。

天使の回答……………………反省というものをしていると、どこが間違っているのかが分かり、それによって、修正していこうとするから、進歩があります。しかし、反省がなければ、気付かず、素通りしてしまうのと同じです。

 ですから、反省がない人というのは、いつまで経っても進歩がありません。自分の言動というものは、掴みづらいもので、人の言動は逆によく見えます。そこで、自戒という事柄が必要となってきましょう。それが『稲穂』の原理です。


質問………稲穂」の事は。「実るほど、頭を垂れる稲穂かな」という言葉として謙虚さを顕している意として、解釈していますが、もう少し具体的に言うと、どのように顕されるのですか

回答………周囲の人に優しくする事と、周囲の人達の言動に、自分の心を動かされない(愛と赦しの不動心)、という事柄です。

 この2つが揃って出来ないと、稲穂は完成されません。また、もし相手(の言動)に(心を苛立てたり反発して)言ったり(言い返したり)、やったりすると、あなたの格(心の次元)が下がります。


質問………「稲穂」とは、「負けているようで、実は勝っている」のですね。

回答………自己主張しなければいけない、というのは、一般的というのか、この世的な三次元的な見解ではあるけれども、天上界側からすると、稲穂の原理に勝るものはない、という事です。
そしてそれを実践出来る者は、幸せな人生を歩める者であると言えましょう。

※この様な通信を通しての天使の言葉遣いは、私達人間に対してであっても、丁寧であり謙虚である事を、特筆しておきたいと思います。


井手章彦さんの過去記事からの引用ですが・・・♬


祈り  (徳によって祈りが叶う原理)

 誰もが皆、お祈りをしたことがあると思います。それは心の中であったり、神社の前であったり、お寺の中であったり、あるいは夜寝る前の布団の中であったりしたかもしれません。

 そして多分皆さんは、神様が、天使が、ご先祖様が守ってくれる、導いてくれる、願い事を叶えてくれるとのことで、祈られているのではないかと思います。以下、心の眼の観点から感じたままに記していきます。

 ます、祈りは、徳の数によって成就されるということです。えっ、何のこと?、と思われることでしょうね。きっと。ここで、預金のことを思い浮かべてみてください。

 原理としては同じですから、把握しやすいと思いますので。
あなたが新車を欲しくても、それだけのお金がなければ購入する事は出来ません。(物を買うには)お金という貯えがこの場合、必要です
 
 では徳とはどういうものなのでしょうか。そして徳を積むとは一体どういうことなのでしょうか。
 人に親切にするとか、街に落ちているゴミを拾うという行為も、徳として換算されて、積まれていきます。

 たとえそこに貴方のその行為を見ている人が誰もいなくても、あるいはあなたの親切を相手の人が気づかないとしても、です

 私は時々、遠隔ヒーリングを行うことがあります。相手には「気を送ったよ」とか、「今からヒーリングをするからね」とかを、特に伝えたりはせず行う場合が殆どですが、心の眼で私自身の徳の数を教えてもらうと、それは増えていたのですね。「情は人のためにあらず」という言葉の意味は実は、このように自分のためとなっているのだ。ということなのです。

 拝めば救われる、という以前に、自分自身の今までに行ってきた善の行為(善徳・功徳)によって、自分自身が助けられる、救われる、という事柄は実際にあり、それは事実なのであるということを、皆さん方には是非知っておいて頂きたいと思うのです。

 今の日本人における徳の数の平均はいくつでしょうか。百を満点とした場合、その平均値というものは実は二十です。ちょっと少ないなあ、と感じられたのではありませんか。

 ではなぜ少ない数なのでしょうか。それは、自分本位の考え方で生きている人が多いことをそのまま顕しています。

 それだけ自分だけ良ければいいんだ、という考え方に基いて生きている人が多いということを顕しているのですね。ですが、面白いことに、そのような人というのは徳が少ないから、逆に幸せな人生は送りにくいのですけれども。


心の曇り、そして罰

怒り、愚痴、不平不満、謗(そし)り、誹謗、足ることを知らぬ欲望などが心の曇りです。そしてこれらは心の曇りとなります。そしてこれらは心の毒と称します。これらは、心に射してくる神からの光を遮ってしまいます。

 心に曇りが出来ますと、神からは光が当たらなくなり、すると数奇な人生を送る、言い換えると、正道から外れてします方向に、進んで行ってしまいます。(謗り=悪口を言うこと)

 ここで、日常生活の中でありがちな事柄を、怒り、愚痴、不平不満などが心に生じている例として、考えて挙げました。
 「自分から人が離れていった場合、離れていった人の方を悪い、と決めつけたり、周囲に言い触らしたりする」というケースです。

 このような、人が自分から離れていってしまった、という出来事に対して、自分自身を振り返ることはしないで、あれこれと理由をつけて自分自身を納得させることは、自分の非を認めたくはない、認めない人に多いでしょう。
 相手に怒り、愚痴、不平不満などの感情をぶつけるのではなくて、まず自分自身を振り返ることなのです。

 自分自身を振り返るということは、自分の心の状態・在り方が、(現象界での)出来事を作り出しているのですから、そのようになってしまった原因は、他人ではなくて自分自身にある、ということに気がつくことなのです。

 例えですが、もしあなたが、全てを人のせいにするようなタイプの人から、何かを言われたり、誇張されていわれたり、あるいはまた、無いことまでもをもひわれたとしても、誰に対しても言い返したり、事実を説明したり、証明したりすることは必要ありません。
 まずそのような事を言っている人というのは、天上界にある(閻魔帳)につけられてしまうのだそうです。

 加えて、そのような人から何を言われたとしても、「ここで言い返したり騒いでみても、周囲の人達を巻き添えにしたり、事が大きくなるから、ならば黙っていよう」としている人には、大きな徳が積まれるのだそうです。

 預金で言うと普通預金ではなく、定額預金に該当する程の大きな徳になるとのことです。

 自分自身を省みることをせず、他人のせいにしたりする人、このような人は心の段階が残念なことに、ガクンと落ちてしまっています。これはすべての人々にあてはまる事柄です。

 高橋信次先生からの、私がいつも胸の中に入れている最も好きな言葉を次に紹介します。
己れに厳しく、人には寛容な態度を決して忘れてはならない。
柔和な心は神の心であり、法の心であるのである」


正しい思いをもって
調和した生き方をすると心の次元が上がる

 心の次元をレベルアップさせていくのを邪魔するのが、「心の曇り」です。心の曇りはエゴ、自我、自己保存などによって生まれます。
私はこれを、「スモッグ」と呼んでいます。
 
 神からの光や天上界の天使からの光を受けるためには、自分の心が綺麗に磨かれていなければなりません。
 曇っているとひらめきを得られないのです。この状態は、窓ガラスが曇っていて外から光の量が十分に中に入ってこないのと同じです。

 心にスモッグがある人に守護霊や、指導霊、あるいは天使が メッセージを送っても、スモッグが邪魔をしてメッセージは受け取れません。心に差し込む高次元からの光が心の中まで入ってくるのを遮ってしまうからです。

 今の地球はスモッグが大気のように広がり、地上を覆っています。この地上に在る心を光で満たすには、怒り、恨み、妬み、憎しみ、愚痴、足ることを忘れ去った欲望、増上慢などの不調和な想念をなくし、愛の思いや努力、責任

博愛、勇気、向上、進歩など、善の調和ある想念を心に抱くことです。そうすることによって、スモッグは消え、心に光を受け取ることが出来ます。

 なぜ、心にスモッグが出来てしまうのかというと、人間は自分たちの心10パーセントしか知らずに生きているからです。三次元では10パーセントしか把握できないのです。

 心の次元が上がるということは、今より心が広く大きく豊かになることでもあります。
天からの光が多く心にはいれば、過去生の事も、この世に生まれてきた役割も、宇宙真理も、人によっては分かったりします。

 現世の人間は四次元より上を覗くことが出来ません。過去生がわからないのはもちろん、一寸先のことすら分かりません。そうした厳しい状況の中で、私達は魂を磨くため修行をしているのです。

 欲望=エゴに振り回されることなく、正しい心のあり方を知り、感謝の念とともに法に叶うかなう心で実践に移せば、心の次元は上がっていきます。

思いと行いが正しければ、天は必ず私達に大きな力をくれます。不調和で邪な霊に支配されることもありません。
 素直な心、不調和のない綺麗な心で、正法にかなった生き方をしていると、天の指導や善導を受けやすくなります。

 逆に愚痴や怒り、自己保存などで心が揺れていると、心にスモッグが出来て、天の光が届かなくなります。そういった状態は様々な不幸な現象を呼び寄せますし、心の次元も下がってしまいます。
  
 毎日の生活が調和していると、誰にでもガイド(守護の神霊)が力を貸します。ガイドは日々、指導、善導を行いますから、人生が「ツク」方向に向かうようになります。生活の中の小さな部分から法にかなった思い、行動をすることにより、心の次元が上がっていくのです。


他人の目はなくても
天の目があることを知っておいたほうがいい

 大事なのは徳を積むことです。徳というのは、良い行為をすることです。相手が人間であるかどうかに関わらず、動植物や地球に対しても良い行為をしていくことです。
 
 お金がある人は寄付をする、お金はなくても物がある人は物を渡す、物がない人は知識を渡す知識がない人は労力で渡すなどでいいのです。

 例えば目の前に体の具合が悪い人がいたら、お金のある人は治療費を出してあげる。
 お金のない人は腕のいい医師、あるいは病院を教えてあげる。知識も何もない人は痛い所をさすってあげる・・・・・など、自分の置かれた境遇によって出来る限りのことを出来る範囲ですればいいのです。
 
 人助けまでいかなくても、ゴミを拾ったり優しい言葉をかけてあげてあげたり、簡単なことでいいのです。

しかしそのとき、「誰かが見ているからやる」などという気持ちが少しでもあると、徳は半減してしまいます。

 半減どころか、ゼロに近くなってしまう場合もあります。
 見返りを期待することなく、心から滲み出てくる善なる行為が”徳”なのです。
 
 そういう行為が自然に出来るように、自分の霊をレベルアップしていくことです。道にゴミが落ちていたり、自分の心の垢を一つ取り除く気持ちで拾ってゴミ箱に捨てればいいのです。これは、簡単な習慣付けでもあります。


和して同ぜず

 職場では時々、理不尽な出来事も起きます。上司だとか先輩だとかあるいはお得意さんだとか、対象は様々です。あるいはまた、年下だとか後輩という場合もあるでしょう。

 あなたが心の中で、何か理不尽な事柄を感じたとしましょう。そのような時にはつい、言い返そうと考えたり、思わず顔に出てしまったり、何らかの形で言動だとか表情に、顕してしまいがちです。

 ここい「和して同ぜず」という言葉が登場します。調和を保つように努めることはしても、相手に同調してしまわない、という意味でここに紹介したいと思います。

 人の性格はまちまちです。ねちねちと同じ事を繰り返し繰り返し言う人もいれば、説教めいたようにして言う人。

上から押さえ込むようにして言う人。自分だけが納得して言ってくる人(相手が理解しなくても、自分が言いたいことだけを言って終わりにする人)。
 このように、心が出来た人ばかりが周りにいるとは限りません。

 「和して同ぜず」とは「論語」から来た言葉です。その注釈としては「君子は協調性に富むが、やたらと妥協しない。小人は徒党を組むが、協調するまではいかない」と記されています。

 私なりに解釈をしますと、相手との調和を保つためにあえて、感じた事柄を言ってみたり、あるいは表情に出してみたりすることをせず、「そうですが、そうですね」と逆らわずに返事します。でも、心の中では、相手の意見、考えに対してももちろん、従ってはいません。

 「それでは卑怯だ」とか「はっきり言ったほうが、相手のためになるのではないか」それに「そのような考え方をしていたのでは、自分にストレスが溜まっていく一方だ」という意見も出てくるかもしれません。

 私の考えのその真髄は、「稲穂の如く」にあります。謙虚を現す場合に使われたりしますけれども、その稲穂です。

 これには二通りの原理が含まれています。心の法則、宇宙の法則として捉えてください。
 一つは、相手の理不尽な行動はあなたが(愛と許しの心で)悪想念を受け止めなければ、相手に返っていくという事柄です。
愛の光の中には闇は入れません

 相手は、自分自身の言動の中に含まれている様々な悪想念を、自ら(相手の反応に関係なく4倍に跳ね返って)受けなければならないのです。

 一つは、もし怒ってしまうと、その波動はあなたに返ってきてしまします。ですから常に柔和な心(慈悲と愛・許しの心)でいるよう心がけていると、あなたの心が波風を立てることは避けられます。


 この地球上は、お互いに、助けたり、補い合うことによって成り立っているのですから、感謝の心というものは、人間にとって非常に大事なものになるのです。感謝は謙虚な心をつくり、やがて、愛の心をも育てるものです。

正法の出発、そして終点は、ものに感謝することにあります。
すべてが当たり前で、当然、という見方をしていては、「正しくものを見る」ことにはなりません。

 大事なことは感謝です感謝が基礎にないと、ものの見方は偏見を伴ってくるでしょう。

正法(しょうほう)は愛に始まって、愛に終わるものです。」
愛の献身によって、人は生かされ生きています。

その愛は、両親の身を削るような犠牲の中に育み、今のあなたがあるのです。幼い時を反省し、父や母の愛の行為に感謝されたでしょうか

どれ程の大きな愛が、生まれてから現在までのあなたに、注がれ続けてきた事か。あなたは、その愛の重さを感じ取る事が出来ますか。

あなたの身体は、両親の、父と母の愛が、一つ一つ集まって出来ているのです。あなたの身体は、単なる肉体ではない事を知ってください。

じっ~と、あなたの心を見つめてください。今、あなたがたの心の中に父母に対する本当の思いがあるはずです。お父さん、お母さん本当にすみませんでした。そういう思いがよみがえっているはずです。


その心をしっかり知ってください。さあ、その心を持ってあなた方は、

愛多ければ、成すこと多し」 もう一度申し上げます。 
愛多ければ、成すこと多し


宇宙創造の神がすすめる霊性を高める方法 天の理=洗心

いつももつべき正しい心(=常の心)
強く     明るく
正しく    我が祈り
宜しからぬ欲を捨て
みな仲良く、相和して
感謝の生活をなせ

心の中からなくすべき感情(=ご法度の心)

憎しみ  不満
妬み   疑い
猜み   迷い
羨み   心配心
呪い   咎めの心
怒り   いらいらする心
不平   せかせかする心


■四句御箴言(しくごしんげん)

与えられたことを感謝して受けよ
与えられぬことを感謝して受けよ

与えられたことを拒むこれ欲なり
与えられぬことを欲するこれ欲なり



FC2版の広瀬すずちゃんの横顔になる方法の記事です♪
身長を伸ばす記事も追記してみました♪



オススメスピリチュアルサイトをご紹介♪

色即是空の真実♪アトランティス文明秘話♪人間は形をとった神♪放蕩息子の神理解説♪知花敏彦師♪重川風天先生♪

この世の錯覚とカルマの解消法  から引用させていただきました  



知花敏彦先生の宇宙科学の原理で創られた高次元コンセントはこちら♪



うお座からアクエリアスの時代へ

 この話は、私(重川風天先生)が得た知識と、知花先生の話を聞いて、私の心の中での想像力で組み立てたものです。

 地球が太陽系の12惑星を約2万6000年かけて一周します。太陽系の惑星は、地球を含めて13個あったのだそうです。

 2つの惑星が分解してなくなって、今は11個しかないが、エネルギー的には存在しているので、地球が12の惑星を周るという表現になっています。

 また、太陽系が銀河系の12星座を周るのに、2万6000年かかる。そのスタートが同じ日になっている。それは1999年7月21日、宇宙は相似形になっている理由かもしれません。

「周る」と言っても、物理的に周るのではなく、エネルギー的に体験するようなものと思ったほうが分かりやすいと思います。

 12星座のスタートが「みずがめ座」で、1999年から2350年間続くという事です。

 今から2万6000年前に起きた事実として、知花先生に聞いた事を私の心でまとめると、こんな話になります。

 5万2000年前、みずがめ座からスタートして、2万5999年前の地球の状態は、一昼夜にして、高い山と深い海が入れ替わってしまいました。その日は、大西洋にあったアトランティス大陸とアトランティス文明が崩壊した日です。

 そのアトランティス文明とは、今の地球の文明よりも高度な文明で、クリスタルを多く用いた高層ビルが立ち並ぶ、物質文明だったそうです。

 その頃は、みずがめ座の前である、うお座(ふたご座)の波動を受け、競争と分裂の繰り返しの時代でした。

 戦争や競争に勝つために、様々な研究や開発が行われ、そのため科学が発達し、ミサイルやロケット、原子爆弾や水素爆弾が製造され、人類の心は荒廃し、ますます物質中心主義になって行きました。

 地球には、自然界の意識があり、「これじゃあ地球が持たない」と判断すると、天変地異を起こして、地球を作り直そうとするエネルギーが働くのです。

 海の底はミネラルの宝庫で、大量のミネラルが、エネルギーがいっぱいあるのです。その海と、酸化して枯れかかった陸地を、スポーンと入れ替えてしまったのでした。

 天変地異を起こしたきっかけは、水素爆弾などの地下核実験で、地球の内部に衝撃を与え続けた結果だと(知花敏彦先生が)言っていました。



知花敏彦先生の「想念波動」からの重要部分抜粋♪

 神こそ絶対実在、神一元、全てエネルギーであり、全て質料です。エネルギーと質料がなければ、鉱物も植物も動物も人間も、存在しないのです。

 エネルギー(父なる神)と質料(母なる神)は、万物の親、万物の造り主です。このエネルギーと質料が、万象万物を創って、エネルギーと質料(大愛・大生命)が、万象万物に宿っています。

 人と神は一体です。人は神なり、神は人なり。人間の形をとった神にしかならない。人間の形をとったエネルギーであり、質料です。

 鉱物も植物も動物も人間も、みんなエネルギーであり質料です。このエネルギーと質料が、様々な形を反映し、投写、映し出しているだけなのです。

 見える世界は、実在するのですか?非実在の世界(放蕩息子の世界)ですよ。だから、この世は影であり、幻です。

 見えるもの(物質主義・分離感での見方)を追いまくっているって事は、影、幻を追いまくっているという事です。

 神の国は汝の内に在り。御仏の国は汝の内に在り。神性・仏性、汝の内に在り。我は神理なり。我は実在なり。今、即実在。今、即神理、です。

 神理を学ぶという事は、自分を学ぶという事です。神理を知らない人間に、自分を知った人間は、いないのです。自分が何であるかを知らぬ事(放蕩息子の状態)を、迷いというのです。

 自分が何であるか(自分が神であった・全ての全てが神・全てに神を観る・父と子は常に一体・神は汝の内にあり)を知る事を、悟りというのです。

 神は宇宙に遍満するエネルギーであり、質料ですから、無限大のエネルギーと、無限大の質料しか存在していないのです。

 その無限大のエネルギーと、無限大の質料で、様々な形が出来ているわけです。形があるのではないのです。無限大のエネルギーと質料が無かったら、形というものは存在しないわけです。

 イエス・キリストは、我は、姿、形に属する者に非ず、我は神なり、我は霊なり、生命なりと言ったのです。

 神は、宇宙に遍満するエネルギーであり、宇宙に遍満する質料です。神一元なのです。神のみが、実在しているのです。

 神になるためには、我人間なりという想念を捨てて、我神なりという想念に変えなければならないのです。我神(生命・宇宙エネルギー)なりという想念です

 あなたの意識が、想念が、「我神(無限)なり」、「私は神(生命)である」と云う想念を発してみて下さい。何が跳ね返って来ますか?

 あなたが「我神なり」という意味が分かっていなかったとしても、その影響を誰が受けますか?「我神なり」という想いを起こした時、誰が受け取ります?

 あなたから発せられたもの、言葉でもいいし、想いでもいいし、「我神なり」という想いを起こした時、どんな小さな事でも跳ね返ってくるならば、

あなたが「我神なり」という想いを起こしている時に、あなたは神というものを望んだわけです。それが、神があなたに跳ね返ってくるのです。

「我、完全なり」とあなたが言った故に、その完全という言葉を発し、或いは完全という想いを起こしたが故に、その完全という想い、

完全という言葉の力は、あなたに影響を及ぼします。これは、悪い影響でしょうか。良い影響でしょうか。

四六時中、神を想いなさい」という事は、あなた方が、四六時中、「我神なり(我生命なり・我無限なり・我大愛なり)」という想いを起こしますと、四六時中、あなたに、神の知恵と力と光が跳ね返ってくるという意味です。

 最終的には、無意識のうちにも、「我神(無限・普遍・大愛)なり」と、「我は力なり」という想念を起こしますと、神の力が返ってきます。


知花俊彦先生♪ ダスカロスさん♪ 過去記事からの引用ですが・・・♪



島宇宙(銀河系)が91個あるお話 

 大覚者であられる知花敏彦師のお話を毎日を聴いているお陰で、どんどん魂が覚醒しつつある今日この頃なのですが、宇宙の神秘をサラッと明かしているお話がありまして今回また大変な感銘を受けました。
 その感銘を受けた部分をご紹介させて頂きます。



A103 宇宙法則 1993 02 15 から一部抜粋開始……♪

 全宇宙の中に91個の島宇宙(銀河系)が御座いまして、そこに中心太陽というのがあって、それを(島宇宙が中心太陽の周りを)グルグル回っているのが宇宙の原理であり法則なんですね。

 どんどん惑星は、未熟な惑星は太陽に吸収され、また太陽から放出されて、固体になったり、液体になったり、気体になったりして、何回もの爆発を繰り返し繰り返して、その宇宙惑星群が誕生して来るんです。
                    ……引用ここまで♬

 
 一つの銀河系に2000億個の星がある仮定すると、約182兆個の星が神様の御神体である無限宇宙に存在するということになりますね。

 ただ「時間的位相」いわゆる「平行世界・パラレルワールド」も無数に存在するでしょうから、本当に無限大な数の星々が存在するかもしれません。

 無限宇宙全体が、91の島宇宙(銀河系)×「無限大の時間的位相の世界」と考えますと、本当に”無限大の宇宙”としか形容しようがありませんね。
 本当に想像を絶する壮大な世界が無限宇宙に存在しているのでしょうね。

 本当に神様(無限宇宙は神の御神体・御霊神霊・宇宙エネルギー・大愛)は普遍的で絶対なる存在で、絶対者・無限なる偉大なるお方なのだなぁ……と改めて心底感嘆した次第であります。

 ちょっと話が脱線しますが、ちなみに無限というのは、限界がないという意味でございます。無限大の中には有限は存在しないのですね。
 分離感が神と人を離しているのでありまして、真実なる実在(無限)の中には限界も区切りもなく、無限なる神の意識(宇宙意識)あるのみであります。

 有限がないという事は、つまり真の自己(実在・神我)は無限なる存在という事で御座います。自分を人間と見ているという事は、非実在の有限を自分と思っている状態で御座いますね。

 ですから、全てに神を観るという事は、全てに無限(実在)を観るという事でもあります。無限を意識していると、「意識したものに自分がなる」という宇宙法則(宇宙神理)によって、あなた自身も無限に変容してまいります。

 知花先生がいつも仰っておられる、「四六時中神を想いなさい」とはこの様な意味合いではないでしょうか。

実在の無限なる自分…神我  宇宙意識は解脱・高級我・キリスト意識
・非実在の有限なる分離意識…自我  個人意識は束縛・低級我・迷い

……話を戻しますね……

 このお話のお陰で、まさに神様の身体である宇宙の大海原(大愛・無限大の愛の光・大生命)の中に私たちは存在しているということがより心に染み込んでまいりました。

 どこかのサイトで、全宇宙で毎日2000個の星が、核戦争で人が住めない星になっていると書いていましたが、不良星から優良星になる境目の時に、
 その星の住人が愛の次元(意識状態・人類愛等)を科学技術とバランスよく進化させないとその核のテクノロジーで星を破壊してしまうようですね。

 他のご講話では、偉大なる許しの方であられる大霊(宇宙神霊・御霊神霊・大生命・創造主)の力を受け継ぐには、それを受け容れる器にならねばならないと仰っておられました。その器とは、

心の寛容さ(全てを愛し全てを許す心)=神を受け容れる器の大きさ」という事であります。

 偉大なる許しの方であられる大神様(創造主・大生命・大愛・宇宙生命)と同じ波長になるためには、自分自身も、全ての全てを愛しを許す大愛の意識状態になることが大事だという事でございました。

 私の神理の理解なのですが、今の人間は映画に映っている、演じている俳優を自分だと思っているのですが、本来の自分は、その映写機の光そのものであって、その光がいわゆる神我(無限宇宙の大生命・神我キリスト)という風に理解しております。


映写機の光=父なる神・大生命・酸素・能動原理・霊・原子
スクリーン=母なる神・水様(エーテル)質量・受動原理・水・電子

父なる神と母なる神の大調和=宇宙エネルギー・大愛・神我キリスト・大愛・宇宙創造神の大海原・無限大の質料・愛光・愛(空)の海・宇宙生命


「色即是空」の真実について  

空(無限大の質料・大愛・大霊・宇宙エネルギー・表現者)が
色(全ての形体・見えない空気・気体・液体・固体・現象界)を表現♪

見えるもの(色)見えないもの(空)の全てが神 ”宇宙生命・御霊神霊・宇宙霊・無限大の愛創造主・父と母の大調和・全ての全てが神

の現れという神理、つまり「神あるのみという奥深い神理現している言葉なのだと、最近さらにハートで深く理解出来る様になりました♪
 一応前から分かっていましたけれどねっ(笑)…まだ浅かったみたいです♪


 その父なる神と母なる神の大調和(大愛・空・無限大の質料・宇宙エネルギー)によって映画(すべての形体・色の世界)が実在しているのですね。

 映画で例えれば、つまり見えるもの(※俳優・女優)、見えないもの(※映画の中の大気)と解釈しますと、空と色、全ての全てが神、自分が神そのものであるという宇宙神理の理解が、かなり分かりやすく実感できますね♪

 いわゆる、個人意識・自我意識(分離感)というものは、スクリーンに写った1俳優を自分と思っていて、他の女優さんや脇役、その映画の背景等々を、他人と思っている状態、自分と他人を分離意識で見ているという状態で御座います。
 
 この自我意識(操り人形)の状態では、物質界と幽界を輪廻転生を何万回も繰り返すことになると。つまり映画の中の自分を自分と思っている限り、スクリーンの中(物質界・幽界)に自分が留まるということになりますね。

 神我意識(全一の意識・キリスト意識・深層意識・宇宙意識・神我一体の境地)とは、そのスクリーンを映している映写機の光(大愛・光・表現者)そのものが、自分であると悟る事であります。

 その光(神は全ての全てありとあらゆるもの)とは、神そのものですから、自分の本質は神我キリスト、我は神なり、を自覚している状態、全ては一つと臆念・実感して魂の奥底で理解している状態といえる状態です。

 地球人類が70億人いたとしても、一人びとりは映画の俳優のようなものでありまして、自他の分離は幻想で、自他一体(自分即あなた・あなた即自分)が真実であって、宇宙の根源の光(神)が唯一実在しているだけだという真実

……つまり全ての全ては神(大愛・宇宙エネルギー)だということですね。

 その映写機の光は根源の光(無限大の質料・宇宙生命の大海原・空の世界)ですから、その映った映画に何万人いようと、例え、背景や自然がその映画にいくらあろうとも、何億の星が映画に映っていようとも、

その光の映像(色の世界・仮相界)に過ぎないと理解しますと、全ては神(宇宙意識あるのみ)であって、色も空も全てが神の表現・現れという宇宙神理がたやすく理解できるのではないでしょうか。

 自分が映画の俳優と思っている状態、いわゆる夢を見ている、盲信と狂信にあけくれている状態(自我意識・分離意識・神が外にあると思っている状態)では、気が遠くなるほどの輪廻転生を繰り返すことになるのですね。

 これが、イエス様が聖書で語っておられる放蕩息子の状態であります。

 全一体感・自他一体感の神我意識(全てが神・全てを愛する我・我神なり・神は汝の内にありに目覚めて初めて、輪廻転生を抜けて解脱する、

つまり放蕩息子の状態からやっと父の元に還る事が出来まして、永遠の生命との一体化・天上界へ還ることができると……

 つまり映画の中(仮相界)の自分を真実と思ってスクリーンの中にいる状態(輪廻転生)から抜け出て神界(実在界・天上界)に還る事が出来ると……

……つまり人生のゴール(解脱・悟り・覚醒アセンション)へ到達することが出来るという事を意味しているので御座いますね。

 最新の宇宙神理の理解を旧記事に付属させて記載してみました。皆様の魂の覚醒に何かしらお役に立てましたら幸いで御座います♪





彼はいなくなっていたのに見つかった  ダスカロスさん♪ 

 我らは神の中に生き、動き、存在する(宇宙には神の意識のみが実在)
                   新約聖書・使徒行伝録17章28節


「放蕩息子(自我で迷っている状態)」のたとえ話

 ある人に息子が二人いた。弟のほうが父親に、
『お父さん、わたしが頂くことになっている財産の分け前をください』と言った。そこで、父親は財産を2人に分けてやった。

 何日も立たないうちに、下の息子は全財産を金に変えて、遠い国に旅立ち、そこで放蕩の限りを尽くして、財産を無駄遣いしてしまった。

 何もかも使い果たした時、その地方にひどい飢饉が起こって、彼は食べるにも困り始めた。それで、その地方に住むある人のところに身を寄せた所、その人は彼を畑にやって豚の世話をさせた。

 彼は豚の食べるいなご豆を食べてでも腹を満たしたかったが、食べ物をくれる人は誰もいなかった。そこで、彼は我に返って言った。

『父の所では、あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどのパンがあるのに、私はここで飢え死にしそうだ。ここをたち、父の所に行って言おう。

「お父さん、私は天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にして下さい」と』

 そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親(父なる神)は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。

 息子は言った。 『お父さん、私は天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません』

 しかし、(父は)しもべ達に言った。『急いでいちばん良い服を持ってきて、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。

それから、肥えた子牛を連れてきて屠(ほふ)りなさい。食べて祝おう。この息子は死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ』
           新約聖書・ルカによる福音書15章11~32節

 
 ジョジュア(イエス様)のたとえ話の中でも、この『放蕩息子』の物語ほど、簡潔に人間の状況(輪廻転生)を説明しているものはありません。

 この話は人間についての物語であると同時に、私達一人ひとりの霊-魂-エゴ(神我キリストへの覚醒め)にとっての自叙伝なのです。

 この話では、放蕩息子が ”自由意志” で ”遠い国へ旅立った(輪廻転生)”とあります。
 これは、ある階級の大天使が二元性の世界に住むために、自由意志によって人間になったことを示しています。

 また、「そこで、放蕩の限りを尽くして、財産を無駄遣いしてしまった。
 ・・・豚の世話をさせた・・・彼は我に返って言った」   
  
といった話は私達の周辺でもよく耳にしますが、これは人間が欲望のままに人生の苦楽を味わい、その経験によって自己実現へ導かれる(悟り・神のみ胸に還る)という道筋を示すものです。

 つまり、時の経過と共に私たちは長い一連の輪廻転生(放蕩息子の状態)に疲れ、やがて気づきを得て、
 ”我が家(神の御国・神界・愛の王国)” に帰っていくのです。

 そして、そのきっかけは「私は天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。雇い人の一人にしてください」とあるように後悔と再会への願望にあります。

 このように放蕩息子は父親に感謝しました。しかし、息子の帰りを待っていた父親(裡なる神・神我)は自ら駆け寄って彼を抱きしめたのです。

 この話は別れと再会-----分離と再びの一体化(解脱・覚醒・神と人は常に一体・神は汝の内にあり・全ては一つ・全てに神を観るの境地)

-----だけでなく、それ以上に、父から子ども-----絶対無限の存在(父なる神)から人間(神の子)-----への溢れんばかりの愛を伝える物語なのです。


上江洲義秀先生・至高の名言    上江洲義秀先生の記事♪   
 
 全ての全てのあってあるものの中に、神が我として実在している事を(理解して実感して、全てに神を観る状態を)「悟り」といいます。

 目に映し見ている、すべてのすべてのあってあるもののに「愛を見」「愛を感じ」「愛そのもの」で対処できる己であって、そこに悟りがあること。
                                                  明想の記事♪

永久保存版♬知花敏彦さんの神我に目覚める♫瞑想の極意♪白色同胞団♪神我と自我の詳しい説明♪悟りとは何か♪ から一部抜粋ですが……♪


自我・偽我 =表現者、原因である父なる神を忘れている状態(放蕩息子の状態)神理を知らない状態・自分の力で生きていると思って迷っている状態、肉体の己を自分と思っている我、分離感・分離意識で個別化された表現を別個の存在と認識している我・肉の感化、五感の感化を真実と錯覚している我・迷いの影、幻、幻想(マイヤー)・自己保存、自我我欲の心


真の自己(真我)=父なる神と常に一体の境地・全一の意識・神我キリスト、全ては自分、全ては我、全ては神、全てを愛する我に目覚めた状態・神我キリストによって生かされている事を自覚して実感している我・私が生きているのではない、なるほど一つの生命である神が生きていらっしゃる、中身は全て神、全ての知恵と力は神から与えられている、神の中身は神、全ての全ては本質的には神、神のみが生きてらっしゃるんだなと悟った我・神一元・愛一元・光一・我神なり、神は生命(霊)なり、我も生命(霊)なりの自覚・宇宙即我、我即大霊の境地、キリスト意識・高我・実在・全てを愛し全てを許す境地・慈悲と愛・あなた即私・私即あなた・宇宙エネルギー即自分・無限即我・我即実在・不変不動の絶対なる実在・普遍なる宇宙・無限者・宇宙神

アトランティス末期のUFO人類救出秘話♪惑星リュラの宇宙人♪重川風天先生♪宇宙科学の真相♪霊太陽♪知花敏彦師♪

この世の錯覚とカルマの解消法  から引用させていただきました  


アトランティス末期の人類救出秘話

 今回は、皆様が興味津々丸なアトランティス文明のUFO救出劇の裏舞台秘話をご紹介させて頂きます。

 アミ小さな宇宙人では、波動が高い人(愛の度数700以上)だけ選別して救出したという記述だったかと記憶しておりますが、実際は少し実情が違ったみたいですね。

 その辺りはリアルに描写しちゃうと、妙に生々しくなって、子供向けのお話としては使えないエピソードになってしまう関係で、選別したという描写に変更したのかなぁ…という気が致しました。まぁ嘘も方便ともいいますし♪

 何れにせよ、天上界のリーダー知花敏彦師が、アトランティス末期のUFO救出劇の真実を教えて下さって、人類の謎が又一つ解けましたね。

 人類の謎は解けた!知花先生の名にかけて!キリッといった感じでしょうか(笑) みんな大好き知花俊彦師の偉大さに乾杯♪

 今回ご著書を引用させて頂いた、知花敏彦先生の宇宙科学を元にした宇宙パワーグッズを開発・販売されている重川風天先生の「パワーコードあいせん」をご紹介させて頂きます。

 パワーコードあいせんはコンセントに付けた瞬間、電気の質が爽やかな風の様に高次元な電気に変わったのがよく分かりました。お値段もお手頃ですし、電磁波対策にはもってこいのベストチョイスな本物商品だと感じました。

 お蔭様で、波動に対して超鋭敏で繊細な感覚を持つ・ベジタリアン・波動ソムリエの私もこっそり・ひっそりとお勧めさせて頂きます(笑)




アトランティス末期のUFO救出劇
太陽系惑星からUFOの連合隊がやってきた


 地球以外の太陽系の惑星は、それぞれ地球よりもはるかに高度な物質文明や精神文明を体験していて、どの星もUFOのような乗り物を持っているのだそうです。周波数が違うので、私達の肉眼では、まず見えません。

 大昔、その惑星連合が、大量の数のUFO連隊を地球に送って来て、天変地異の起こる直前、地球にある種のバイブレーションを放射して、みんなを宙に浮かせて救い上げ、UFOの中に引き上げたそうです。

 しかし、あまりにも人類の意識が低かったので、UFOの中のバイブレーションと合わないため、殆どの人がUFOの中で死んでしまったそうです。

 余談になりますが、今から五十年ほど前、UFOにさらわれたと云う体験者が多くいたそうです。

 それは、各惑星から火星人や金星人、土星人などがUFOでやって来て、人間をUFOの中に連れ込んで、地球人のバイブレーションを調べる為だったそうなのです。

 それは今から17年前の、ノストラダムスが予言した、1999年第7番目の月に天変地異が起こる可能性があったので、救い上げる準備のためだったそうです。

 火星人だけが、気が荒いために、人間のバイブレーションの調査をしている時に、死なせてしまう事があったそうです。
 知花先生は、他の星人はいいけど、火星人には気を付けなさいと、笑いながら言った事がありました。

 2万6千年前の話に戻しますが、UFOの中に引き上げられた、殆どの人が死んでしまいました。しかし、ごく一部の意識の高い人が生き残り、
 UFOの母船に集められ、地球が落ち着いて人が住めるようになってから、地球に降ろしたのだそうです。

 降ろされた場所は三ヶ所で、自然を神として生きている個性の人は北海道へ、その人達がアイヌ人としての人々です。

 アイヌ人とは人と云う意味で、地球人ということのようです。母船の中で他の星の人達がアイヌ(人間)と分けていた名残(なごり)かもしれませんね。

 又、霊能力に優(すぐ)れ、霊能力を神として生きる個性の人達は、琉球へ。慈悲心、知恵を大切にする個性の人達は今の北朝鮮の白頭山(ペクトサン)の頂上辺りに降ろされたようです。

 その人達から、今の文明が始まりました。その3つの個性が一つになり大和民族が出来、世界に広がって行ったようです。(竹内文献等々)

 この度の世紀末は、ノストラダムスの予言通りにはならなかったのですが、天上界から知花先生らが地球の指導者として現れた事もあり、地球は分解せず、物質文明も崩壊せずに水瓶座の時代に入る事が出来たのです。

 それは今の科学が、ある程度発達しつつ、統合、調和の時代に入ったことにより、多くの人々の意識が上がってきているのだと思います。



●シャクティとの遭遇

 シャクティとは惑星リュラに住んでいる宇宙人である。
 シャクティは1989年1月6日(この日は昭和天皇の亡くなった日)の夜2時頃(と言うことは正確には7日)、六本木に住むサカさんという男性に初めてコンタクトをとった。

最初はテレパシーによるコンタクトのみ

「良く聞きなさい、これは夢ではありません。私はあなたにテレパシーを送信しているのです。あなたは聴覚器官を使うことなく、私の言葉は直接あなたの脳に届きます」

 この言葉と同時に優しい感情が彼の全身に流れ込んできた。声の主は女性だった。テレパシーはさらに続いた。

「テレパシー通信にはアンテナが必要です。そのアンテナの役目をするのが髪の毛なのです。あなたは長い間、髪を伸ばしてきましたが、なぜあなたはそうしてきたのかは自分では明確な答は出ないはずです。

それは私がこの日のためにあなたをコントロールし、髪を伸ばさせてきたのです。そしていよいよあなたとあなたたちの全てを明かす時がきました。

あなたに伝えなければならないことはたくさんあります。後日またお会いしましょう」

 一度目のコンタクトはこれで終わった。三日後に二回目のコンタクトがあり、そこではサカさんの前世が、シャクティと同じ惑星の住人だったという事実が伝えられた。

サカさんはその時点で彼女に「シャクティ」という名前を付けたが、後で「シャクティ・リラエル」という名前であることがわかった
(しかしこの名前も地球人コンタクト用の名前である)。

さて、このあと約二年間に渡ってテレパシーによる通信が続いた。その内容を列挙する。

●第二の太陽出現

シャクティ:
「まもなく地球の全ての人々は、地球を含めたあなたたちの太陽系全体に大変動を引き起こす第二の太陽を見ることになるでしょう。

 この巨大な天体は地球から見て蟹座の方向からやってくるもので、地球の天文学者はそれを発見し、すでに名前まで付けられて常に観測されていますが、それが地球のほうに接近しつつあることを現時点で発表したとしても、多くの人々に混乱を招く原因にはならないでしょう。

 しかしその巨大な天体が太陽系の磁場に入ると発光を始め最初は赤く、後には青色に見え、あたかも空にもう一つの太陽が出現したかのように接近すると、
一部の人たちはパニック状態におちいるでしょう。そして悲劇的な大変動は短時間のうちに起きるのです。

 私たちの計算によれば、第二の太陽が安定した軌道を開始する前に、地球はその影響を受けるでしょう。

 第二の太陽の圧力によって軌道を大きくはずれた地球は火星と木星の中間にある現在の小惑星の軌道に落ちつくことになります。

地球の月は押し出され、替わってフォボスつまり”恐怖”という名の現在の火星の衛星の一つが地球に向かってはじき飛ばされていきます」

サカ:
「ノストラダムスの人類滅亡の予言だと言われている”恐怖の大王が降ってくる”という部分はもしかしてこのことなのですか? 
もしそうなのなら、そのフォボスと地球が衝突することで人類は滅んでしまうのでしょうか?」

シャクティ:
「いいえ、フォボスはそのままの状態で地球と衝突することはありません。フォボスは地球の400822Km上空で粉々に砕け散ることになります。

 BC9233年、今から11213年前にも火星の外にある小惑星の一つが地球の172Km上空で爆発したことがありました。

砕け散った小惑星の断片の3分の1はアトランティス大陸を廃虚と化し、残りの3分の2はアトランティス大陸周辺の大西洋に落下しました。

それは地殻を貫き、大量のマグマと35000mにも達する水蒸気が噴き出し、2300mもの大津波によってアトランティス大陸は海中深くにその姿を消してしまいました。

 しかし、今回のフォボスは前回の小惑星に比べると4.6倍もの大きさで、はるか上空にて粉々に打ち砕かれるために、かなりの広範囲にわたって、

ひとつの重量が20Kg以上もの断片が、まるで雨アラレのごとく降りそそぎ、沢山の地域が荒廃することになります」

サカ:
「だいたいどの地域が危ないですか?」

シャクティ:
「現在の私たちの計算によれば、北米南部から南米北部にかけた地域とアフリカ大陸北部、ヨーロッパ、そして日本を中心とした朝鮮半島、中国などです」

サカ:
「どのくらいの人々が滅ぶのですか?」

シャクティ:
「多くの人々が地球から姿を消すでしょう。そして彼らは地球がまだ原始時代だった頃のような惑星に再び生まれ変わり、最初からやり直さなければなりません」

サカ:
「救済計画はあるのですか?」

シャクティ:
「あります。目下宇宙連合では救済計画の全てが整いました。私たちと共に地球人救済活動にあたるでしょう」


●シャクティの科学メッセージ

・太陽系の惑星は全部で12個存在する。
(現在は9個しか発見されていないが)

・ビックバンは誤った仮説だ。
・太陽系の中心は太陽ではなく、太陽も、ある中心を365日かけて公転している。

・ニュートンの重力方程式(重力は質量に比例し、距離の二乗に反比例するという法則)は間違っている。

・電子は原子内の定常波として存在し、電子は粒子であるというのは間違っている。
・光の速度は毎秒30万キロメートルではなく、もっと速い。

・世界で最も高い山はエベレストではなく、アンデス山脈にあるチンボラゾ山である。(海抜ではなく、地球の中心から計るとそうなるらしい)

・太陽にも生物が住んでいる。 
・太陽系の各惑星の半径は違っている
 

 惑星   シャクティ    理科年表
  水星   2421Km   2440Km
  金星   6161     6052
  火星   3329     3397
  木星  69913    71492
  土星  57542    60268
  天王星 23706    25559
  海王星 21646    24764
  冥王星  5753     1137


●日本人の起源

89年1月10日のメッセージ
シャクティ:
「今から1万1190年前、あなた(サカさん)は親族や仲間たちとともに、今の地球へやってきました。あなたはもともと惑星リュラの住人だったのです。

 そして、あなたたちがはじめてこの地球上に降りた場所は当時の大西洋上に浮かぶ島国アトランティス大陸でした。当時のアトランティスは現在の地球をはるかにしのぐ文明を有しており、あなたたちが生活をするのにまったくの不自由はありませんでした。

 あなたは、その地にて一人の地球人女性と結ばれて6人の子をもうけましたが、あなたたちがアトランティスに移り住んだ9年後、

当時の支配階層にあった科学者たちの陰謀によってアトランティス大陸とムーの両方の住民が戦争行為へ導かれ、その混乱によってあなたは息子のひとりを失いました。

 アトランティス大陸の全ては廃虚と化し、一夜にしてその島国は大西洋に沈みました。これを前もって予知していた一部の住人はその一日前にアトランティスからメキシコの地に逃れましたが、

あなたと5人の子ども、親族や仲間達の116名と、あなたの妻とその両親と4人の弟の7名、総勢123名は今のエジプトの地に逃れ、そこで暮らすことになったのです」

この話に少し矛盾点を感じた私はサカさんに聞いた。

森田:アトランティスは11213年前に小惑星が原因で沈んだと前に出てきた。アトランティスは二度も沈んだのか?

サカ:11111年前にムー大陸とアトランティスが戦争を始めた。ムー大陸側は小惑星にロケット推進装置をぶち込み、その軌道を変えてアトランティスに降ってくるようにした。

結局アトランティスが最後をむかえるまで、なんだかんだ言って100年くらいはあったらしい。
その間、ムー大陸の人間が奴隷になったりして家畜のような扱いを受けていた期間もあったらしい

森田:しかし上記の年を計算するとアトランティスが沈んだ23年後にサカさんたちはアトランティスに来たことになる。年代が合わない。

サカ:ちょっとおかしいですねえ・・・。

森田:サカさんが日本人の起源だと言っているが、アトランティスからエジプトに逃れて、その後、どうやって日本に来たのか?

サカ:シルクロードを通ってきたのだと思う。日本には昔、ヘライ村というヘブライからとったと思われる名前の村があり、家紋もダビデの星になっていた。また、今の日本人は5つの人種から構成されていると言われている。

モンゴル、ポリネシア、etc・・。そのうちの一つだったかも知れない。しかし日本人はアトランティスというよりレムリアの方がつながりが深いと見られている。

89年1月13日のメッセージ
シャクティ:
「前世でアトランティスやエジプトで共に過ごしたあなたの親族、仲間達は今世に転生しています。彼らは全て西暦1956~1976年の間に転生し、東京及び近県に集結しています」

89年1月28日のメッセージ
シャクティ:
「今から1万1189年前に私たちの惑星と地球との間にはじめて生まれた混血であるあなたの子ども5人は、現在の日本人のルーツとなったのです。

 私たちの惑星の住人は全て左利きです。地球でも左利きは存在しますが、左利きの脳構造は右利きよりも複雑になっていることはよく知られています。

そしてあなた(サカさん)は前世と同じく複雑な脳構造を持つ左利きとして転生しているはずです。

 私たちの惑星人と地球人との間に生まれたあなたがた日本人はこの地球上で最も優れた人種であることやその特殊性が近いうちにきっと証明されるでしょう」

森田:左利きと右利きは、後天的なものではないか?

サカ:先天的なものがほとんどではないか。

森田:先天的なものだとすれば、DNAがその情報を持っているはず。シャクティは魂の転世を言っているので、DNAは関係ないはず。

サカ:どうなんでしょうか。魂が左利きの情報を持っていないとすれば、私の生まれるべき肉体もアトランティスからずっと左利きの人生を送っていた、つまり魂も肉体も両方がリュラ出身ということも考えられる。

 これより以降、私(森田)がサカさんに直接インタビューした情報を載せる。


●テレパシーでやりとりしていた頃のシャクティの服装
 テレパシーの際には映像も送られた。
 惑星リュラにおけるシャクティの服装は、一枚の布の真ん中に穴をあけ、頭を通し、帯でしめた着物のようなもの。かなり長めだった。リュラでは化粧をしていなかったと思う。


●テレパシーの頻度
 平均的には一週間に一度くらい。
 しかし全然なかったり、2,3日続けたりとか、まちまちだった。
 シャクティ側に指導権があった。サカさん側からはコンタクトできない。


●惑星リュラに関して
昼、夜がある。
 いろいろな人種がいるようだ。
 地球に送り込む際には、地球のその土地にあった人間を送り込むようだ。
人口は多い。

彼らは2000才以上生きる。
 赤ん坊の時が短く、若いときが長いのではないか。
 全員が仕事を持っているのではないか。
リュラと地球とは「時間的位相」がずれているので、たとえ地球から超光速スペースシャトルで飛んで行っても、三次元的な遭遇をすることはできない。


●シャクティの仕事
 公務員
 須弥山(シュミセン)を探すために来ている。シュミセンとは「気」の一種。
 なぜ地球に女性しか来ないかというと、どうも地球の男性の嫉妬心が攻撃的だというのが理由らしい。シャクティは未婚である。


シャクティが初めて実体として現れる

●サカさんの証言

1991年4月26日だった。
 当時住んでいた六本木の部屋に足から実体化して現れた。
 身長は160~165センチ
 灰色のぴったりとしたスーツを身につけ、腰にはテレポーテーション用の小さな箱を付けていた。
 上空に停止しているUFOから来たと言い、その時UFOには誰もいないと言った。
しばらく話したあと「また来ます」と言い、足から消えた。その間、1,2秒。

1991年の6月末までにかけて、合計6回、実体化して現れた。
 テレパシーで予告することがほとんどだが、すでに地上にいて、電話で連絡してきたこともある。

 デートのうちの4回はディスコに行った。新宿のセゾン、六本木のビエッティ、エリアなどである。青山デニーズにも行った。

ディスコではチョコレートプリンを食べた。また飲んだアルコールは「カシス」というカクテル。そのあと、頻繁にトイレに行ったと言う。

 彼女が歩くと、後をネコが何匹もついてくる。
 地球外出用の服装は持参してきていた。

 その服は二種類持っていた。彼女はどちらかというと厚着で、暑い日に会ったときもジャケットを着ていた。

 スカートはいつもミニ。
5センチほどのハイヒールを履いていた。
 時計は持っていない。
 口紅は持っていた。
シルバーのピアスをいつも付けていた。

サカさんに無重力装置を貸してくれたことがある。タバコの箱よりやや薄めでダイヤルがついていた。それを物体に向けてダイヤルを回すと物体が浮いた。外に持ち出すことも他人に見せることも禁じられていた。

しかし、外に持って行って自動車を持ち上げたりすることへの誘惑に負け、きょうこそは実行しようと決心して家に帰ったら、その箱は消えていた。
それを使えばピラミッドなど簡単に作れるとサカさんはコメントしていた。


シャクティの言ったテレポーテーションの理論

シャクティ:
「ふたつの水槽ABがあり、Aの水槽に超小型のUFOが入っていた。それがBの水槽にテレポーテーションしたら、ABの水槽の水の高さはどうなりますか?」

 これは青山デニーズでシャクティがサカさんに出した問題だ。彼女は水槽を説明するときに、デニーズのランマットを立てて説明した。

 彼女の答は「ABの水槽ともに水の高さは変わらない」のだ。なぜなら、AからBにUFOが瞬間移動するときには、UFOが移動すべき部分の水がBからAに瞬間移動すると言うのだ。

つまりテレポーテーションは物質瞬間交換なのだ。だからUFOが真空中の宇宙空間から地球の大気中に直接現れると、その都度、地球の大気は減っている。

私、森田にとって、このテレポーテーションの原理は斬新だった。同じ原理は「宇宙人ユミットからの手紙」にもでているが、シャクティのほうが先だった。

●シャクティからの情報

未来予知は外れることも多い。その時のエネルギー状態を読んで言っているだけ。エネルギーが違うとその未来も違ってくる。

 シャクティに私(みず穂)もチャネリングしたいと言ったら、彼女の答は「火をつけるのは一カ所で十分。その波紋はしだいに広がっていくから」ということだった。

 「真実とは何?」という質問に対して、「ある山奥で木が一本倒れました。それを見ていた人は誰もいませんでした。でも木は倒れたのです。これが真実です」と答えた。

 普通の人間は55~77回ほど地球で転生している。
 シャクティは一日二時間しか眠らない。
 ほくろがあったが、それはその都度移動していたらしい。
 都内だけでも宇宙人は3000人はいるとのことだ。


知花俊彦先生の♪過去記事からの引用ですが・・・♪


永遠に光るものとなって、霊太陽(神我顕現)となる 

 あなたが自覚して、その大霊、無限光、普遍光をはっきりと、今受け入れますと、その闇の原子が光の原子に変貌しますので、変性、変容で、これをイルミネーションというわけです。

 皆さんが、霊肉一体のバランス(真の自己)が取れていなければ、イルミネーションを受ける事は可能だとお思いですか。それは不可能です。

 ですから、肉我(自我・偽我)で生きている人間から、オーラが差すと言う事は全くありません。

ほんの少々ですが、ほんのりと出ている人がいる事は事実です。
しかし、その無限光が、大霊(神我キリスト)そのものが自分の中にあるという事は、ほんのりではないのです。

 夜道を歩きましても、電灯なんかいりません。
あなたの細胞から放つ光が、全部周囲を明るくしています。
これを「オーラ」といいます。「後光」といいます。
ですから、夜はないのです。我々には、本来夜はないのです。

 太陽は、夜になったら眠っているのですか。太陽というものは、全く、光を失うという事はありません。
 あなた方も、(真の自己[神我]に目覚めて)永遠に光るものとなって、初めて太陽となります。

 これを「霊太陽」といいますけれども、霊というものは太陽なのです。
ですから、霊の事を「太陽神」ともいいます。
「太陽エネルギー」というのと、「霊エネルギー」というのと同じなのです。

 その霊太陽は、宇宙に幾つあるかと申しますと、一つしかありません。
その霊太陽(神我キリスト・大愛・愛光)は、皆さん一人一人の中で、輝いているわけです。
 ちょうど、その三次元の太陽でも、光って輝いているものは、同じ太陽からの光線で輝いているのです。

 あなた方も、宇宙の霊体陽でもって、全ての万象万物にも同じ光として輝いているわけです。
 その霊太陽には、方向性というものがないのです。今の物質的な太陽にも、方向性がないのと同じです。

 あなた方は、太陽が沈んだり昇ったりすると思っていますならば、
とんでもない間違いです。
 太陽は上がったり沈んだりしていますが、一定の場所で輝いているのです。
昇り日だ、落ち日だ。と皆さんはいいますが、昇り日も、落ち日もないのです。

 あなた方の霊太陽も、昇り日も落ち日もないのです。だから、方向性というものがないのです。東から上がる、西に沈む、と言う事はないのです。

 どこにいても(神我キリスト・霊太陽は)同じ状態で、あなたのハート(胸)の中で輝いています

 ですから皆さん方はその霊太陽を、はっきり自分に受ける事が出来ました時は、皆さんの細胞一粒一粒は霊光で輝きます。
それはあくまでも、霊肉一体をならしめる事が先決です。

 この肉体というものは、大霊の器にしか過ぎないと。「肉が我でなく、大霊が我である」という、霊的自覚(大霊との一体感・我生命なり・我大愛なり・我宇宙エネルギーなり・大いなる一体あるのみの境地)を持つ事なのです。
 
 肉的なあなたが、あなたですか。肉が生きているのですか。大霊(大生命)が生きているのですか。それは大霊(神)のみが生きているのです。
 
 皆さんの中に宿っている霊は、個人的霊ですか。普遍的霊ですか。
それは普遍的霊(全てが神・全てに神が宿り給う)なのです。
 
 なぜかといいますと、宇宙には、唯一、不二の大霊、神霊しかいないのです。その霊があなたから抜けたとしますと、あなたは生きていないのです。

 だから、山の霊、海の霊、水の霊、動物霊、人間霊、みんな霊(命)です。
霊(表現者・無限大の大愛)がなかったとしますと、鉱物も、植物も、動物も、人間も、皆存在しないのです。
 霊(大生命・大愛)がなかったら、生きていないのです。

 あなたから霊が抜けたら、あなたは生きているのですか。
この肉体は器ですから、霊が抜けても残っています。
その霊を抜けた体の事を、皆さんは「死体」と言っているのです。

 だから、人間という、この肉体という器は、霊(神)の働く場であり、霊(大生命)の働く焦点にしか過ぎないのです。霊(宇宙エネルギー)が着けている衣装にしか過ぎないのです。

 あなた方は、その衣装である肉があなたなのか、大霊そのものがあなたなのか。どちらが本物ですか。肉のあなたの事を「真我」というのですか。
大霊(神我)のあなたの事を「真我」というのですか。どちらが本物ですか。

 この肉があなたですか。大霊そのものがあなたですか。
大霊(宇宙エネルギー・無限大の愛)そのものが、あなたなのです。

 これを「覚醒者」といいます。「霊的自覚」といいます
「我は霊なり(我は生命なり)」と言わねばならないのです。


霊能者と超能力者と霊覚者の違いについて♪悟りとは全てが一つ・宇宙意識・神我と一体の境地♪安東民師♪知花敏彦師

除霊 安東民 から引用させて頂きました。心から感謝申し上げます。


霊能者と超能力者と
霊覚者(解脱・悟りを開いた・覚醒した人)の違いについて


 霊能力と超能力者は同じ人間なのでしょうか?
また違うとすれば、何処が違うのか?この疑問に対して筆者(安東民先生)なりの見解を述べてみたいと思います。

 霊能力者とは、保護霊または憑依霊の助けを受けて、霊言・霊聴・霊視する事が出来る能力を持っている人々を意味するのであります。

 これと反対に超能力者とは、生まれた時から、または後天的な修練によって体の構造、その中でも頭脳の機能が並優れた発達を遂げた人達で、普通の人よりもずっと高い次元に属する宇宙力を発揮する事が出来る人間を言うのです。

 大部分の霊能者が、初期には種々の神通力を発揮するけれども、本人が自己自身に備わった能力であると錯覚を起こして、
 驕(おご)り高ぶり、金欲・色欲を追求するようになれば、それまで霊能力を供給していた保護霊・または憑依霊は去ってしまうのであります。

 そのようになれば、ある日突然、霊能力は無くなってしまうのです。その様な場合、或る意味では霊能力を行使する前よりも、もっと困難な立場に置かれるわけです。

 霊能力者であると有名になった人々の中には、本物と偽物があるわけで、ニセモノの霊能力者とは、前には確かにあったけれども、現在は普通の平凡人に変わった人間がいかにも霊能力者らしく振る舞っているという人達です。

 これと反対に、超能力者とは体の機能自体が特異で、宇宙力を行使する事ができる人間なので、途中で超能力が無くなるわけがないのです。

 この世の中に霊能力者は非常に多いけれども、真正なる意味での超能力者は、全世界を通じてごく少数に過ぎないのではないかと思われます。

 ところで霊覚者(覚者・覚醒・真の自己(神我)に覚醒めた人)とは、霊能力者がもっと精進をして到達する境地を意味するのです。

 霊覚者とは、深い修養と、多くの人々に対する絶え間ない奉仕をする事によって、ついに霊界(潜在意識の奥底・内なる神)に存在する〈真我(真の自己である神我・宇宙意識)〉と完全に一つとなった境地に立つようになった人をいうのではないかと思われます。

 創造主の意志(神我キリスト・宇宙意識)がすなわち自分の心であり、自分の意思がすなわち創造主の心の中にある(神は汝の内にあり)と言われたイエス・キリストは、このような霊覚者であるわけであります。

 霊覚者は、霊言・霊聴・霊視能力が全然必要ありません。彼等はいつも創造主の意識(宇宙意識・神我キリスト)と一つに溶け合っているが故に、

自分でない対象が即ち、(全てが)自己自身(全一体感・自他一体感・全てが一つとの悟り)であるというその様な状態に置かれているためであります。

 霊覚者は直感の中であらゆる物事を知る事が出来るだけでなく、想念が創造能力を持ったその様な境地の中で住んでいるのですね。

 仏陀が言われた "八大神通力” の中で、ただ一つの正心正覚だけが真正なる神通力であるとおっしゃられたその様な境地に置かれた人こそ、霊覚者(覚者・宇宙即我・全てが神・全てが一つの悟りを得た人)言えるのであります。

 他人に接する時であろうが、動物に接する時であろうが、
いつも大いなる愛情(大愛・慈悲と愛)を持って前世までも含めて正しく観て、正しく指導してくれる人(知花敏彦師上江洲義秀先生-----その人が即ち霊覚者といえるのです。


謙虚な心の極意♪全ては神の御業♪母の愛は神の愛♪全て感謝の念で生きる♪知花敏彦師♪悟り♪永久保存版♪からの引用ですが・・・



人間はなぜ愛か  謙虚な心

 謙虚は何かといいますと、それは「威張らない」という事です。
人間はよく威張ります。なぜ威張るのでしょうか。

 神は謙虚です。決して威張ることはありません。
神のような人間であるためには、謙虚でなくてはならないのです。

 なぜ、人間は威張ってはならないかといいますと、人間はこの世で色々なことを成し遂げていると思っておりますが、それを成し遂げているのは私達ではなくて、

  神のみが働いておられ、働き手は神であって、私達の肉を通して神が生きて、神が御業を成されておられるのです。

 これを「自分がやった」といって威張ることは、まだ自分が何かを知っていないからそうなるのです。

 皆さん方がやったという仕事は、この世の中だって存在いたしません。
何故このように申し上げるのかと言いますと、皆さん方が生きているのは神のお陰なのです。

 皆さんの中に生きているのは神のみで、神のみが生きて働いておられるからです。皆さん方の存在というものは本当は無いのです。私というものは無いのです。

 このことを「私は自らは無なり。我が中に神のみが生き、神のみが働き給う。御業を為し給うは我が内なる神の御霊(みたま)なり」と言われているのです。

 例えば、この知花という者が皆さんの前でお話をして「私は偉いのだ」と威張っておりましたら、私は神を知らない無知の存在となります。

 神は私を生かし私を通して語り給うておられるのです。そして私という肉体を通して神は働き給うておられるのです。働いているのは私ではなくて、私を通して働いて下さる神ご自身が働いておられるのです。

 ですから、私達自らは何事もなし得ていないのです。

 それなのに、それを「私がやった、私が造った、私が成し遂げた」と言って威張る人は謙虚から外れています。それは盗人になります。

「汝、盗むなかれ」と言われています。私たちがこうして生きておられるのも神のお陰であって、神が私たちの中に生きていればこそ私たちが生きているのです。それ以外は何も無いのです。

 生命そのものが神です。私たちは神の命があるから何事も成し得られるのです。そういう事は、神がおられるから私達は何事も仕事ができるのです。

 だから御業は全て神のものであり、私達のものではないということをよく理解する事なのです。

 私が皆さんの前でお話することは、自分の御業ではなくて、神の御業であるということが分かりますので威張らないのです。

 神が為し給うのである。と、それをよく知っていますので、私は偉いとかそういう事がなくなるのです。威張ることがなくなるのです。

 威張っている人間は、まだまだ自分が何であるかを知らない、自分が何によって生かされて、その仕事は誰がやっておられるかがわからないのです。

 それが傲慢というものなのです。それには威張りというそれが出てくるのです。

 賢者は威張りません。賢者という方々は自らを知っておられるのです。
 自分が何の力によって生かされ、そして何の力によってこの世で仕事をしているかということが分かるようになりますと、自ら謙虚な気持ちになれるのです。

 よく皆さんは謙虚な人を見ます。謙虚な人を見ますと非常に気持ちが良いものですが、何故、謙虚は気持ちがいいのかと言いますと、その分だけ神に近いからです。

 皆さん方は威張る人を見て気持ちがいいと思いますか。いい気持ちであるはずがありません。

「私がやった。私はなんでも出来る。あれもこれも全部出来る」と威張って腐っている人間を見ますと皆さん方は気分を悪くします。

 それは神から離れているからです。神の道から外れて盗人であるからです。

 神の力を神の御業を自分がやったというように、
自分の右手で為したことを、自分の左手にも知らしめてはいけない

という言葉の戒めを破っているのです。
だから私達は常に謙虚でなくてはならないのです。

 今、私が皆さんの前でこうしてお話が出来るのも、私ではなくて神の御業が、神の力が、神の御霊があればこそ私はこうしてお話ができるのです。

 しかし、世の人々はその神のお働きをまだ知りませんので威張るという言葉が出て来ます。
「私が何々をやってやったのにお礼も言わないのか」という事になってしまうのです。

 皆さん方働いている。それを自分が働いていると思ったら大きな間違いです。働いているのは、あなたの中の神がお働きになっておられるのです。

 だから「神は偉大なる僕の方である。神は偉大なる働き手である。神は偉大なる農夫である」と聖書に訴えられているのです。

 働いておられるのは、活動しておられるのは神であって私達ではないのです。

 皆さん方の中に命という、あるいは御霊(みたま)という力が存在しなければ、皆さんはここに集まることは出来ないのです。

 ここに足を運んでこられたのも神のお蔭であって、あなた方のお蔭ではないのです。神がいなかったならば皆さん方はここに来る事が出来ないのです

 こうして皆さん方がいろいろと学びを得るために、ここに集まりましたのも神のお陰なのです。ですから全て感謝の念の中に私達は生きなくてはならないのです。

 そのことがわかりますと何をやっても無所得です。自らは無である(無我)ということが、自分の御業が無いということが分かって、働き手は全て神であられると分かった時、

神が私の中に生きておられるのだ。そして神が生きていればこそ御業が為し得るのだ。これは神の働きで神の御業なのだ

と悟ることが出来た時、皆さん方は無所得(無我の境地)となるのです。

 皆さん方がそういう気持ちを、本当に謙虚というものが何であるかということが分かるようになりますと、偉大な悟りに到達しているのです。

 何を為しても無報酬ということです。その見返りを持たない、本当に無所得そのものの与えきりの御業が為し得たならば、あなたは自分自身の中にその御霊の力、神の力というものを心から信じている姿です。
 これを誠の神信者というのです


 皆さん方の中には神が生きておられますので、自分がいくら長らく生きよう生きようともがいても、それは神のみが知っておられますから、〈私は何十歳まで生きたい〉と思っても無理な話です。

 その神が必要とあらば長らくその肉体に滞在して下さいますし、早く出るべきであれば早く出られるのです。

イエス様は、「神の国は汝の内にあり。人間は生きた神の宮なり」と、人間一人びとりに生きた神が存在することを、実在することを、聖書で訴えてくださっているのです。

生きた神である。人間一人びとりは生きた神の宮である。肉体というのは生きた神の宮に過ぎない。だから、一人びとりの命そのものが神である」と言われているのです。

 だから皆さん方は命を学び、それを尊敬し合わなければならないのです
 そして、皆さん方は自分自身の中に神がおられることを知ったならば、この世で全ての隣人は神を宿した自分自身の同胞(きょうだい)であり、

血や肉よりも濃い素晴らしい生命の久遠なる同胞(きょうだい)であるのです。実の兄弟姉妹であるのです。

 皆さん方は本当に神を愛しておられるでしょうか。それらが理解できていなければ、また旦那さんを、奥さんを憎んだり悪口を言うかも知れません。

 そのことは、神を憎んだり神に悪口を言うようなものなのです。皆さん方はその神を本当に愛していますか。

 汝の隣人である旦那さんを、奥さんを、汝の隣りにいる偉大なその神を貶し合っているのではないでしょうか。尊敬しあっていますか。愛し合っていますか。賛美していますか。

 それが理解できるようになった時、夫婦仲というものは物凄い喜びと偉大なものになるのです。家庭人全てが愛し合う存在となって行きます。もうその喜びは例えようもないものなのです。

 私は家内を自分の所有物だとは思っておりません。
 偉大なる共に住む神の現れだと思っています。

 私は家内を一度も粗末にしたこともなく、これっぽっちも荒い言葉を言った事もありません。私が家内に何かをして上げますと
ありがとうね、神様」と答えてくれるのです。

 だから私たち夫婦は〈この人は今何を欲しているのだろう。何をしてあげたらいいんだろう〉と、お互い周りを見つめ合い、助け合い、分かち合い、

それを無言の中で、謙虚な愛の中で実践しています。それは互いに神というものを理解し、そして最大にその神を愛し合っているからです。

 私はこの世に一人でも憎むという人がいません。一人もいないのです。
 なぜいないかということは、人を憎むことがどんなに悪いことであり、自分が苦しむことを知っているからです。すべてを許しています。

 なぜなら、神は偉大なる許しの方であるからです。神が人間の過ちを許さなかったらば、私達は当に消滅しているのです。

 私達は神から出て来て、神から生まれていながら親を知らないのです。
親(父なる神・宇宙生命)を知っていないのです。

 何から出て来たのか、私達は真の親(大生命・大愛・神・宇宙エネルギーを見失っているのです。

 しかし、親は「可愛い子には旅をさせろ」と、苦しんだり転んだりしていても涙を堪えて見つめておられるのです。自らが気が付いて親元に還ることを父なる神は眺めておられるのです。

 私達は何回も苦しんだり転んだりして、色々なことにぶつかって初めて親を想うようになるのです。

 親を想う心が、その自分の親を捜す心が、それが働きかけてくるのです。苦しい時〈なぜ私はこんなに苦しいんだろう〉と、親を想うことの機会を与えられているのです。

 しかし、この世で安楽に暮らしている者は、親を捜し求める機会を失っています。波乱万丈で経済的に恵まれ、色々なものに恵まれている者はこの三次元の世界に満足しているのです。

 そういう方々は真の親である父なる神に巡り合うことは、
「ラクダが針の穴を通るよりも難しい」と言われているのです。

貧しきものを幸いなり。苦しき者よ幸いなり」と言います。
なぜ「貧しき者よ苦しき者よ幸いなり」というか皆さんはお分かりでしょうか。貧しさの次には喜びが来るのです。苦しみの次には喜びが来るのです

 今、喜びであり、色々な物に満たされている人達は「昼の次には夜が来るであろう」と。しかし、今、自分自身に満足していない方は幸いです。

 必ず満足する日が訪れるという事です。「夜があれば必ず昼がある」というように、「夜明け前は暗い。だがその者にはやがて明るい朝が来るであろう」とそれが訪れるのです。必ず訪れます。

 それを「貧しき者よ幸いなれ。苦しき者よ幸いなれ。その者は神を観るであろう」というのです。正にその通りなのです。

 皆さん方は今、自分の生き方に満足しておられません。満足しておられないからこそ、ここにそれを求めに来られたのではないでしょうか。

 そして真の親を知りたいと想う心がけが、皆さん方には一杯詰まっていると思います。

 それが神の慈悲、神の愛です皆さん方は今、神の慈悲に満たされていることを感謝しなければならないのです。

 ですから、皆さん方がこの世に生まれて出てくる時も、あの世に帰るときも神のみが知っておられるのです。
 そのことを皆さん方は『天命』とか『運命』と言っているのです。

 皆さん方は死を恐れる必要はありません。神は永遠に死なないからです。
 神は久遠にして永遠です。なぜ人間は死なないかといいますと、人間が生きているのではなく神のみが生きておられるからです。

 しかし人間は〈自分が生きている〉と思っているのです。
 その自分が生きているということが迷いなのです。

 あなたには、今、命があります。その命そのものが神です。
 皆さんが生きているのは神のお陰です。神があなたの中に生きて働いて下さるのです。あなたが働いているのではないのです。

 そこに人間という存在、個別化されたものがあり、「私がやったのだ」というものを考えるようになったのです。

 ですから〈私は毎日家族のために炊事・掃除・洗濯をやっているのに、誰もお礼を言おうともしない、誰も褒めようともしない〉と思うようになるのです。

 しかし「神が炊事をして下さった。神が掃除や洗濯をして下さった」と皆さん方が思ったとき、〈誰かお礼を言って褒めてくれるものはいないのだろうか〉という思いが起こるでしょうか。起こらないと思います。
 これが謙虚な心というものです。

 皆さん方が世に貢献している姿というもの、そういう謙虚な気持ちになってそれを為し得ているならば、それは非常に素晴らしい美しいものです。

 しかし、それに見返りを頂こうとするその利害関係が入って来ますと、もうそれは謙虚ではなくなるのです。

 世の中には謙虚のような姿を見せて、まだ自己限定している人がいるのです。「私みたいな人間が・・」とか「私は無知ですので何も出来ないのです」と、これを謙虚だと思っている人もいるのです。

 これは謙虚ではありません。それは自己卑下というものです。神の力を限定していて、それも神を知らない無知の存在なのです。あなた方には無限大の知恵と力が備わっているのです。それはあなた方が神であるからです。

 あなた方の為している御業は、常に神が為している御業であるということが自覚できるようになりますと、そしてそこに自己限定がなくなりますと、

 偉大なる知恵と力があなたを通して、無限大の人間の想像を超えるような知恵と力が、皆さん方の肉体を通して働くようになるのです。

 これが「神我に生きる」ということです。あるいは「神我顕現」ということなのです。

神我というのは「神の我」あるいは「真の我」ということで、
私達は実相に於(おい)て神であった。命であった」ということが分かるのです。

 今、世の中で「人間だ、人間だ」としているのは、五官の感化(自我・偽我)で人間と思っているだけです。
 この世に神のみがおられるだけで、人間の存在は本来は無いのです。人間の五官の感化が人間という名前を付けているだけです。

 皆さん方は常に神と共に、常に神と一体であるのです。
 イエス様は「私は常に神と一体である」と言われたのです。

 神と一体ということは、『その御業を為す御業は全て神の御業である』という強い信念と信仰を持っておられたのです

 そして神のその力を相当の意志力でもってこの世に現し給うたのがイエス様であったのです。あるいはお釈迦様であったのです。

 皆さん方もイエス様と同一のもので、同一の生命を持ち同一の肉体を持っておられたのですイエス様は特別な人間ではなく今身の人間であられたのです。何が我々と違っていたかということは、その謙虚さ、神の謙虚さを持っておられたということです。

 謙虚さを持っておられたということは、ご自分の為される業は、「その御業は私が為すのではなくて神のみが為し給われるのである」という事を悟っておられたのです。

 皆さん方は如何なる仕事をやっている時も、商売をやっている時も、みんな神がやっておられることを自分自身に言い聞かし、それを自覚することが如何に大切であるかということです。

 こういう本来の自分を知った時、その謙虚な気持ちが皆さん方に起こって来るものだと思います。

 よく世の中では「謙虚に」という言葉を使いますが、その真の謙虚さを知っている人はあまりにも少な過ぎます。
 でも皆さん方には真の謙虚さというものを、ここでご理解頂きたいのです。

 真の謙虚さというものは「自らの力は何も無く神のみが働き手であり御業を為されるのである」とそれが分かったとき、謙虚というのが分かるようになるのです。

 威張るということは、神を知らない存在なのです。何回も申し上げるようですが、皆さん方は自分というものがまだはっきりと自覚されてないのです。真の自分とは何でしょうか。

 その自分を知らないために自分という正体を知っていないのです。その正体を知らないがために、私達はそこに「威張り」というものが出て来るのです。

 皆さん方の正体は何でしょう。皆さん方の正体は『命』であり『神』であるのです。皆さん方の一人びとりの中に宿っておられ、活動されてやまないのは神なのです。それがあなた方の正体なのです。

人間はなぜ愛か 謙虚な心

 女性というものは非常に素晴らしいもので、神に似せて造られた男性よりも、こういう神秘の力を、外に創造する力を持っておると同時に、その神の愛を、女性はみんな母性愛というものを持っているのです。

 だから「母のような愛である」というのです。

 イエス様は母の愛について
「地上におけるあなた達の母は神に近く、あなた達にとっても、神にとっても愛おしき者である。あなた達のために母が払った犠牲が、その母に与える喜びが、如何程のものであるか想像してみるがよい」と言われています。

 子供を育てる母の愛というものは無所得です。今、赤ちゃんを育てているお母さん、今まで子供を育てたお母さんならよく分かると思います。

 我を捨てて無所得の愛を子供に注いているのではないでしょうか。寒い真冬の夜中でも、何回でも起きておむつを替えて、乳を与えて、一生懸命子供を保護して愛の出し惜しみをしないのです。

 本当に可愛くて可愛くて仕方がない、全てが愛おしくて愛くるしいとでもいうのでしょうか。

 そして目に入れても痛くないと思う心、一体観念です。子どもと一体観念を計った純粋の母をお母さん方は施しているのです。

 これが母性愛です。それは神に近い母の愛です。

 しかし、子供が大きくなるに連れてその愛は徐々に薄れてきます。それはお母さんの愛は不純の愛に変わってくるのです。お母さんは子供に何かをして欲しいと要求するようになります。
 
 手伝って欲しい、ああして欲しい、こうして欲しい、もうそれは利害関係が入った愛に変わって行くのです。

 でも赤ちゃんの時の、赤ちゃんを育てる間の愛は、純粋の愛を現しているのです。それは謙虚の愛であり、本当に素晴らしい威張らない謙虚な愛が現れているのです。これは神の愛なのです。

 ですから、私達は常にそういうものが何であるか、これを学ぶと同時にそれを行うことが大切なのです。実行しなくてはならないのです。

 皆さん方はいくらそのことを知っても実行しなければ何の救いにもならないし、また、神を観る事も出来ないのです。

 お母さんが子供を愛するように、大人になっても子供を無所得のままで愛しきれる。そして神の謙虚な愛を皆さんが日常生活の中で行い

それは家庭生活だけではなく、汝の隣人にもそういう愛の想いが表現できるようになれば、その人はもう生き神様で神に似てる存在となります。それが真の信仰です。

 信仰というのは行為の中になければならないのです。口先だけの信仰というものは真の信仰ではありません。口先だけでは何とでも言えるのです。

 人を憎みながら、怒りながら、そしりながら、嫉妬しながら、私は神を最大限に愛していますという訳です。

 イエス様はそのことを知っておられましたので、
汝の隣人を愛しなさい」と言われたのです。

 神を愛するということは、銘々が、一人びとりが神を宿している神の御霊(みたま)であり、分生命であり、分魂ですから、隣人を愛することが神を愛する事なのです。

 皆さん方は神の創造物であるのなら、神のお造りになった全ての全てを愛さなくてはならないのです。

 なぜならば、神ご自身は創造主であり、神はご自身でお造りになった全ての全てを愛して下さっているからです。

 動物、鉱物、植物を愛し、生きとし生けるもの全ての全てを、私達は愛さなくてはならないのです。これが神を愛している姿なのです。
 と同時に神を賛美している姿です。

 それは人々を賛美するということ、貶(けな)すのではなく誉め称えて、本当の喜びの中に、分かち合いの中に、助け合いの中に仲良く調和の取れた状態、これは神を賛美し、神を愛している姿なのです。

 イエス様は「神を愛するということは汝の隣人を愛することである」と言われているのです。

 汝の隣人こそが神の現れであり、神の御子(みこ)であるからです。
 また、神ご自身であるからです。隣人を貶す者は神を貶す者であり、隣人を冒涜するものは神を冒涜する者であるのです。

 その神というものは無限で、全宇宙に遍満しているのです。だからこの世に現れているもの、目に見えるもの目に見えないもの、全ての全てが神であるということを知らなくてはなりません。

 そうなれば私達はそこに差別のない愛で、全ての全てを愛さなくてはならない、全ての全てを賛美しなくてはならないのです。

 ただ身内の者だけを愛して別の者は嫌いだと、あの者はこの者は大嫌いだと争っていることは、神を知らない無知の存在であるのです。

 神は偉大なる無限者であられるのです。
ですから、私達は、今、現実に、無限の中に生きているのです。

 神を愛するという事はどういう事でしょうか。
 それは隣人を愛するということです。

 自分の奥さんや旦那さんを愛している、そして身内の者を愛している、あるいはあなたの職場の一人びとりを愛していることは、神を愛している姿、賛美し合っている姿です。


ケイシーリーディングから…♪

全身全霊で「神を愛する」大切さ
「神を求める祈り」をする大事さのお話

 エドガーケイシーは、宗教生活についてそのもっとも美しい表現の中で、この事を次のように語っています。

あなたがたは心を尽くし、思いを尽くし、体を尽くして汝のなる
(大生命・内在の神)を愛し、隣人を汝の如く愛するのである。

このキリストの与えた言葉が法則の全てである。
それに優るものは存在しない

 主が約束されたように、あなた方は
来る日も来る日も明想し、「祈りゆく」うちに到来するあの目覚めによって、
主(宇宙生命)が自分の意識の中に留まられる事を知る事が出来る
神我が中にまします・父と子は常に一体)。

 あなた方はこの目的のために、
主が臨在し、その御霊(キリスト)があなた方の中に留まるあの意識を、
あの自覚を讃えるために生まれてきたのである。」

自我・偽我 =表現者、原因である父なる神を忘れている状態(放蕩息子の状態)神理を知らない状態・自分の力で生きていると思って迷っている状態、肉体の己を自分と思っている我、分離感・分離意識で個別化された表現を別個の存在と認識している我・分離意識・エゴ・肉の感化、五感の感化を真実と錯覚している我・迷いの影、幻、幻想(マイヤー)・自己保存、自我我欲の心


真の自己(真我)=父なる神と常に一体の境地・ワンネス意識・全一の意識・神我キリスト、全ては自分、全ては我、全ては神、全てを愛する我に目覚めた状態・宇宙生命によって生かされている事を自覚して実感している我・私が生きているのではない、なるほど一つの生命である神が生きていらっしゃる、全ての知恵と力は神から与えられている、神の中身は神、全ての全ては本質的には神、神のみが生きてらっしゃるんだなと悟った我・神一元・愛一元・光一元・我神なり、全ては神なり、全てに神を観る境地・神は生命(霊)なり、我も生命(霊)なりの自覚・宇宙即我、キリスト意識・高我・実在・全てを愛し全てを許す境地・慈悲と愛・あなた即私・私即あなた・宇宙エネルギー即自分・無限即我・不変不動の絶対なる実在・普遍なる宇宙・無限者・宇宙神


FC2版の広瀬すずちゃんの横顔になる方法の記事です♪
身長を伸ばす記事も追記してみました♪


言葉遣いが人間性を判断する
一番分かりやすい判断材料なお話

 シルバーバーチの霊訓でも、「高級霊」は「言葉遣いが綺麗」で、
低級霊」は「言葉遣いが汚い」、と仰っておられます。

 覚者級の偉人「ブルーシャ西村様」も、神様に愛される生き方のご著書中で、本物の…素晴らしい成功されている方々は、
例外なく皆、言葉遣いが丁寧で綺麗だと仰っておられました。

やっぱり…本物の方の言葉遣いは、
丁寧で心地良い話し方」に「自然に」なります。

 「まだなってなければ」、まだまだ未熟だと言えましょう。
申し訳ないのですが…まだ「それだけの人間」という事です。

 タピオカ屋さんを恫喝した人を見て頂ければよくお分かり頂けます。
言葉遣いの品性」と「人間性・霊性」は、ほぼ完全に比例しております。

言葉が汚い・悪い」…というだけで、もう「それだけの人間」という事です。
まともな言葉遣いも出来ないわけですから、人間として三流・四流なのは明白と言えます。

心地良いと思える意識状態」は、
その人の「波動の高さ」によって「千差万別」だと言えます。

波動の高い人」は、「綺麗で丁寧な言葉」が心地良くなります。
波動の低い人」は、「雑で汚らしい言葉」が心地良くなります。

 言葉の汚い人・悪い人とは関わらない方が無難です。
言葉遣いが悪い=低波動」の判断は、誰にでも出来ますから、これも人生の災難を避ける、一つの波動リトマス紙として頂ければ、人生のリスクを減らす事が出来ましょう。
 「君子危うきに近寄らず」…ですね♪

綺麗な言葉遣い=高い波動状態(ポジティブ)
(天皇陛下・皇室の方々の敬語・上流階級・紳士・淑女・上品・気品がある・品性・高級・丁寧な敬語・本物・意識が進化した人・格調高い・礼儀正しい人・麗しい・ホワイト企業・一流企業・心地良い言葉遣い・感謝・ありがとう・祝福・褒める・至福・喜び・尊敬の念・穏やか・優しそう、慈しみのある話し方・赦し・控えめ・謙虚・慎み深い・素敵な人・丁寧な人・愛が溢れている・気分がいい・内面の輝き・天使・優しい人・気分がいい時・上機嫌・分かっている人が使う・賢い人が使う・知性がある・品性のある話し方・信頼したくなる・お嬢様・麗しい話し方・素敵ないい人が使う・笑顔・幸せな時・愛に満ちてる時・気分が軽くなる・軽い波動・運気が上がる・神様に繋がる…愛される話し方・江原啓之さんの話し方・徳を積む話し方・愛と調和・高級霊が使う)

汚い言葉遣い=低い波動状態(ネガティブ)
(チンピラ言葉・ヤンキー・べらんめえ口調・下品・喧嘩・暴力の時に使う・血の気が多い・喧嘩っ早い・乱暴な人・荒々しい・乱暴・粗雑・けなす・偉そう・お○呼ばわり・ドSな言葉遣い・ブラック企業・恫喝に使う・パワハラ・威嚇・罵倒・三流企業・喧嘩・怒り・短気・イラつき時に使う・闇落ち・無愛想な人・愚痴・不満・雑な敬語・敬語がろくに使えない人・アホっぽい話し方・だらけた話し方・不快な話し方・不機嫌・不調和な人が使う・チャラ男・粗雑・キツイ口調・憤怒・嫉妬・ネガティブ・未熟な下品な人間が好んで使う・偽物・悪人がよく使う・不満顔・重い波動・運気が下がる・それだけの人間・タピオカ屋さんを恫喝した人の話し方・反面教師な人・低級霊・動物霊が使う)












知花敏彦先生の総まとめ記事 第6回目







FC2版の広瀬すずちゃんの横顔になる方法の記事です♪
身長を伸ばす記事も追記してみました♪

ムカデから人間に生まれ変わった感動転生秘話♪善徳でカルマが帳消しに♪恩寵の法則♪神秘超能力♪安東民先生♪

から引用させていただきました   上江洲義秀先生の記事♪


鶏を恐れる少年
善徳を積んでムカデから人間にカムバックした感動秘話♪

 ある高等学校の学生である息子の奇妙なノイローゼ症状のために、その母が息子を連れて尋ねてきた。六尺に近い堂々とした体格を持った学生であったが、彼のノイローゼ症状は非常に特異な点が見られた。

「この子は自分の身長があまりにも大きいといい、また自分の顔が醜悪この上ないと言って苦しんでいるのです」

「ずっと前からその様な症状があったのですか?」

「いや、そうではないのです。前にはそんな事を言った覚えがないのに、数ヶ月前から急にその様な不平を並べながら性格が非常に荒々しくなったのです」

話を聞いてみると、この学生の父は有名な児童文学者であった。
「この様な症状が起きる前に、ひょっとしたら雪獄山の様な山にキャンプした事はなかったでしょうか?」

「ハイ、ありました。今にして想えばその時、非常にやつれた顔をしており、何日間も理由不明の高熱を出して伏せっていた事がありました」

「高麗王朝末期であったかと思います。高力士という別名を持っていた修道僧が、雪獄山の山中で修道をしている内に死んだことがありましたが、彼が死んで地縛霊になっていたのが、息子さんに取り憑いたらしいのです。

 私が見た所でも、息子さんの今の顔は本来の息子さんの顔ではないという印象です。高力士の顔に変貌したのではないかと思うのです。それがありありと見えます」

「それじゃ、私の息子の内心の苦しみが、全然拠り所がないものではないというお話なんですね」

「そうですよ。息子さんの手相を拝見しますと、霊能力者になれるような特殊体質であるのは確かです。

 だからこそ、前世に山で修道した末に地縛霊になった高力士が取り憑いたのだし、また息子さんの目には自分の顔が、憑依した魂の生前の顔に見えるため苦しむようになったのですよ」

 私は仔細(しさい ※物事の詳しい事情)な説明を聞いて、この学生のお母さんは半信半疑ながらある程度納得された模様であった。

 この様な場合、いつもそのようにする如く、一定期間の間「オウム振動水」を飲ませた後、3日に渡って体質改善の施術を受けさせて、四日目になる朝には空腹の状態で「除霊」をしてあげたのであった。

 取り憑いていた霊魂が離脱すると同時に、学生の顔の印象はがらりと変わり、たちまち温和になったのであった。

 荒々しく猛々しかった顔の印象は、朝日の前に切りの如く消え去ったのであった。鏡を見せてあげた所、学生は初めて安堵のため息を吐いたのだ。

「これで私は顔を取り戻しました」
こうしてノイローゼの症状は、完全になくなったわけである。

「ところでこの子は、体格はこんなに大きいのに、不思議にも鶏を非常に恐れるのです。私としてはその理由がわかりませんが、あるいはこの子の前世となにか深い関係があるのではないでしょうか?」

 これはお母さんの言葉であった。私は学生に対して仔細に霊査をしてみた結果、実に驚くべき事実を発見したのであった。

 はるかなる昔、国と時代は確かでなかった。
朝廷で権勢を握った奸悪(かんあく)な臣下が悪巧みをして、忠実は臣下達をワナに掛け、大いなる獄事を起こした事があった。

 このために多くの忠臣達が謀殺されたのであるが、この時の彼等の罪名は、”逆賊陰謀” であった。
 しかし真実は全然根拠のない事であったのは勿論の事であった。

 獄事を起こした首謀者は、功臣として認められ、生前は富貴(ふうき)の限りを尽くしたけれども、死んで再生する過程で大きなムカデになったのであった。

 過ぎたるは前世には人間であったという記憶を持って生まれたムカデであった。ムカデとして石の間に隠れ住まなければならない生活は悲惨そのものであったのは勿論の事である。

 漢薬材としてムカデを採取する山人達の目につく日には、彼の命はなくなるのである。しかし体はムカデでも、心は人間としての記憶を持っているムカデは、死ぬのが少しも怖くなかったのであった。
 死ぬ事で再生の道をたどれるという事実を知っているためであった。

 自分の過ぎた世に犯した罪を贖罪するためにも、汚れた虫の体が薬剤の一部として使われるのならば、これ以上の幸せはないと考えたのであった。
 それでムカデは自分から進んで山人達が行き交う道端に出て、自ら命を投げ出したのであった。

 何百年にも渡って、同じ様な再生(輪廻転生)が繰り返されたのであろうか?今度は間違いなく人として生まれ変われるだろうと思い、気が付いてみると昔に変わらないムカデの体を持っているのであった。

 今ではかつて、人間であったという記憶も霞のようにはるかな夢物語になった気分であった。
 はるかな昔から自分はムカデであったのであり、ただ人間であったという夢を見ていたのではないか…という考えが、時たま頭の中をかすめるのであった。

 (思いの狭間の葛藤で)ムカデは身悶(もだ)えしながら苦しんだのであった。ムカデであるという意識と、かつて人間であったという意識が一つに溶け込んだムカデの生活は、それ自体が地獄に落ちた苦しみであったわけである。

 むしろ人間であったという意識を完全に拭(ぬぐ)い去った方が心が休まるのじゃないかと思われた。どうせ、人の世に帰ることが不可能であるならば、純粋なムカデとして生きたいとさえ思ったのであった。

 そうしたある晩、月が明るい夜であった。岩の棲み家から這い出て来たムカデは、道端に立っている大きな枝の看板が掲げられているのを見たのである。

 この群の代官様が原因不明の重病を患っているという事、名医が曰く---一尺を越える大きなムカデを材料にした漢薬材が必要であるという事、
 この様な大きなムカデを捉えて差し出す人には、賞として十両のお金を下さるという内容の看板であった。

 ムカデは自分が有に一尺を超えているのを確認して、今度こそは(罪滅ぼし・贖罪の)絶好の機会であると考えた
 ムカデは村に向かって一晩中夜道を這って山を降りたのであった。

 村の入口に到達したときには、すでに、夜は白々と明け始めていた。ムカデは一番近くに見える農家に向かって這い進んだ。
 ところが、人々の目に付く前に、鶏がムカデを見つけたのであった。

「駄目だ。今は食べられるわけにはいかないのだ。私は代官様のお命を救わなければならないのだ」

と声の限りに叫んだけれども、それは無駄な事であった。
 鶏の鋭いクチバシについばまれて一尺を越えるムカデの体は3つにちぎれたのであった。真に耐え難い苦しみであった。

 意識が朦朧(もうろう)とする中で、大きなムカデは自分の方に向かって走り来る人の足音を聞いたのであった。

 自分の家の鶏がけたたましく鳴くのを聞きつけて、何の事かと外に走り出て来た農夫は、一尺を越えるムカデを一息に飲み込む事が出来ずに苦しんでいる鶏を発見した。

 立て札を読んでいた農夫は、鶏を絞め殺してムカデを吐かせたのである。農夫が捧げたムカデのためか、代官は無事に死境を超えて生き返った

 その次、ムカデが気が付いてみると、彼は赤ちゃんの体を持っていたのである!彼の喜びがどのようなものであったかは、今さら説明するまでもないと思う。

 今度はどんな事があっても、虫になるような行動をしてはならないと固く決心したのは勿論の事であった。

 ※幼い赤ちゃんが、声も立てずにしきりに涙を流すのを見て、母親は不思議に思ったという。(※真実の可能性を裏付けている気が致します)

「それじゃ、私の息子が前の世ではムカデだったという話ですか?」

「必ずそうであるというのではありません。ただそのような場面が、息子さんと関連されて浮かんだだけであり、この幻想が間違いない事実であったと証明するのは勿論、出来ないわけです。
 
 息子さんが鶏を恐れるのは、鶏に食べられる事によって、善行をする機会を失って、再びムカデとして生まれ変わるのではないかと恐れた前世での記憶が、無意識の中に刻み込まれていた為ではないでしょうか?」

「全く童話みたいなお話ですね。とにかく、この子がノイローゼから解放されたのは確からしいから、感謝致します」とお母さんは言われた。

 その後、しばらくして、この学生が完全に健康になり学校に通うようになったという話を、私は快(こころよ)く聞いたのであった。

 この宇宙を支配する因果律(因果応報・善因善果・悪因悪果)がどんなに厳格なものであるかを知らせてくれる好例ではないかと思います。
             

 

最近ハマっているクンルンネイゴンについて♪瞑想の数百倍の覚醒パワー♪世界最高の霊性修行♪超能力♪神仙KAN様♪






最近ハマっているクンルンネイゴンについて

 実は最近、神仙KANさんで有名なクンルンネイゴンにハマっておりまして珍しくしっかりと真剣に実践中しております。

 本山様のクンルンネイゴンの記事を見て、最新翻訳版をアメリカのAmazonさんのサイトから購入させて頂きました。

 お陰様で、一ドル104.7円位の一番円高の時に購入出来ましたので、送料込みで約4750円位だったかと記憶しております。
 アメリカのAmazonさんでは、為替相場から+5円上乗せされるようです。ですので、私の場合は1ドル109.7円位でした。ラッキーでした♪

 アメリカのAmazonで購入時に、ローマ字で住所を入力するのですが、住所確定の時に、ローマ字が勝手に漢字に変わってしまうのですね。

 それで、どうも本来の私の住所とは違う変な漢字になるみたいで、自然な漢字になる様に、何回も住所を作り直すという予定外の苦労をする羽目になりました これは仕様の様ですから皆様もお気を付け下さいませ。

 そんなこんなで無事二週間後くらいに本は到着致しまして、ハンドスキャナで読み込んでパソコンの画面で全部目を通して拝読させて頂いたという次第でございます。

 本の内容は期待していた以上に深い、覚醒が起こる肉体の変化の過程を、ホルモンの詳しい分泌を初め、こんな現象が起きますよ…みたいな正直、予想していた以上に素晴らしい内容の著書でございました。

 初回翻訳版にはいわゆる ”アチューンメント” が必要みたいな事が書いてあったそうですが、最新翻訳版にはワークに行かないと出来ません、とは書いておりませんでした。ですので独学でも大丈夫と判断出来るのではないでしょうか♪断然やる気が湧いて来ますねっ♪

 波動23万のスピリチュアル界の偉人、本山様によりますと、瞑想などの霊的修行よりも数百倍の覚醒スピードがある様な事を記載されておりました。

 それでいわゆる、心の次元を高める内的上昇的な修行とは別に、肉体を精妙化させる、肉体を霊化させていく、チャクラを開発する、霊的回路を発達させてゆくという肉体的アプローチとして、クンルンネイゴンは最適であると判断したというわけであります。

 私自身、瞑想というのが、私の感性からしてフィーリングに合っていないといいますか…ジーッと何もしないという受動的な態度が、お恥ずかしいのですがどうも苦手でして……複数の事を効率的に行う、複合的アプローチが好きな私の性分にマッチしない様で、思案に暮れておりました。

 私のいつも瞑想といえば、部屋を暗くして、ピンホールメガネをかけて、耳にチャクラ開発の音声をかけつつも、心の中は神我に目覚める瞑想で、両手腕振り体操をするといった、私の好きな複合的アプローチなのでした。
 
 クンルンネイゴンをする時も、レベル1をしている間中、心の中は「神我に目覚める瞑想」といういつもながらの複合的アプローチの時間有効活用でやっております。

 クンルンネイゴンをした後は、体に気力がみなぎっていると言うか、霊力が漲(みなぎ)っているという感じで、違いが分かる程にエネルギッシュになれるのがよく分かります。かなりいいんじゃないでしょうか。

 ただの瞑想ですと、ここまでの違いは感じませんから、やはりクンルンネイゴンは新幹線のスピードというのは伊達じゃないな…と。
 それに、私の性分にも合っている様で、両手腕振り体操みたいに何とか続けられそうで、期待に胸をワクワクさせておりますよん♪

 クンルンネイゴンの基本は「スマイル・スマイル・スマイル」なんですって。それにつけても、清々しいまでに、「スマイル・スマイル・スマイル」を強調されているのが印象的でした。本当に笑顔っていうのは、魂の覚醒に多大な影響を及ぼすものなんですねぇ…(*´∇`*)ニッコリ

 直感力然り、覚醒力UPの追い風になったり、心の起点をポジティブに変える効能があったり、とにかく何より大切なのは「スマイル・スマイル・スマイル」という事らしいですね。笑顔は何よりの薬です…なんちゃって

 きっと、波動23万の本山様も「スマイル・スマイル・スマイル」を実践なさっている事でしょう。クンルンネイゴンは笑顔なくして語れないものですから。「笑顔なくして覚醒なし」くらいのものを本の内容から感じましたし。

 クンルンネイゴンやってま~す、と言っておきながら、無表情で全然笑顔じゃない人がおりましたならば、その人はまだまだと判断して大丈夫かと。

 眩しい素敵な笑顔が自然に出来る方は、人間的にも波動的にもかなり上出来の上等の魂のお方だとあえて申し上げます。

 心が病んでおりましたならば、そんな自然な心地よい笑顔(スマイル)は出来ませんものねっ。笑顔を人間の判断の一つの物差しとしてご活用なさるのもアリかもしれませんね。

 本を全部見た感じでは、クンルンネイゴンのポーズはかなりシンプルで覚えやすいですね。全然複雑ではありません。拍子抜けするくらいに簡単です。

 ですが…究極の極意というものは往々にしてそのようにシンプルなものなのではないでしょうか。まぁ私の身長法もそんな感じですし(笑)

 いずれにせよ、やっと自分にあった修行法を見付けれたという喜びで満たされております。神仙KANさんに続いてドラゴンボディーまで到達できる様に頑張っていきたいと思っておりま~す♪ルン♪ (≧▽≦) ルン♪

 とりあえずスキャニングしたデータは、家族皆にプレゼントしてみんなを短時間で覚醒へ導ける様にしてあげたいな~って……あっ、身内、家族だけですよ本当に家族だけですから~っ…ねっ^^;

 皆様の霊性修行に何かしらお役に立てれば幸いでございます♪
本山様最高にお役立ちな素敵な情報ありがとうございましたm(_ _)m♪
 
            
過去記事からの引用ですが…♪   笑顔の記事♪  知花先生の記事♪

ライトボディに関してKanさんが説く食と年齢の考え方

若返りを極めるのか、次元を超えるのか

 クンルンネイゴンの奥義には、若返っていくような方法があります。でも、私にとって、若返ることに大した魅力はないです。

 人生を豊かにするために、アンチエイジングを心がけるのは良いことだと思いますが、若返るというのは、時間のベクトルを延ばすということでしょう?

 それは、時間と永久に追いかけっこすることを意味します。
 ライトボディになると若返ったり、不老不死になるのかと言えば、どんな聖人君子であれ、亡くなっていますよね。

 彼らは「時間のベクトルをやみくもに延ばす」という事に飽きるんでしょうね。だって、時間を長く引き延ばすより、時空を超えたほうがいいじゃないですか(笑)

 だから、高次元の宇宙人も700歳とか4000歳とか、命の期限があるわけです。
 
 私の知人で、3次元で実際にすごく若返っている人がいます。90代なのに、どう見てもしぶみのある30代にしか見えない。

 これは極端な例ですが、たぶん「ヘイフリックの限界の法則」が関係しているんでしょう。この法則は、「生まれた時点で、一生の内に難解細胞分裂するかが決まっている」という説です。

 若返る人の場合、細胞分裂の回数を決める遺伝子がオープンな状態なのでしょうね。

 それと地球上では、他の星から来た「ウォークイン」や「ワンダラー」などの存在たちが、3次元のボディをまとって生きていたりします。
 彼らは、あまり歳をとったボディにしていくのは趣味じゃないから、いつまでも若々しかったりしますね。


究極の存在への修行と瞬間移動
明治神宮から青森へ 初めてのテレポーテーション

 ファーストテレポーテーションが起きたのは、数年前、明治神宮にいた時です。その頃は、まだ行き先をコントロール出来ない時期でした。

 午後二時すぎくらいに芝生の上に座っていたら、目の前にいきなり渦が沸き起こったかと思うと、1秒もかからない内に真っ暗になって、体が冷たくなり、一瞬呼吸が出来なくなったのです。

 一瞬、「何が起こったんだろう?」って思ったんだけど、呼吸が出来ないので、とにかくもがきながら手で上へ上へとかき分けるようにしました。そしたら、なぜかゆきの中にいました。
 まわりは白銀の世界で、自分は豪雪の中に閉じ込められていたのですね。

 瞬時に、「こんな寒くて淋しい所にいたら死ぬわ」って思って、どうやって来たのか分からなかったけど、とにかく元の場所に戻ろうとして、フン、フン!って力を込めて雪の上で踏ん張ってみたり、ありとあらゆる事を試してみました。だけど何も起きないわけです。

 さすがに、「その日の内に日が暮れたら、本当にヤバイな」って思って、無駄な努力をするよりも民家を探そうと思い、雪の中を歩き続けたのですね。
 寂しい場所で、民家を探すのがすごく大変でしたが、2時間くらい歩いたら、ようやく家を発見したのです。

 私はいつもTシャツにサンダル姿です。その時もその格好だったので、
「北国に暮らす、あるおじさんの家に、黒いTシャツを着た謎の男が訪ねてた」っていうシチュエーションになるわけです(笑)

 そこは、青森県だと分かりました。おじさんの家に泊めてもらう事になりましたが、自分のことを証明しようと、カバンを公演の木のそばに置いていたので、手元にありません。

 事情をわかってもらうために、連絡の取れた東京の知人に公演に残してきた鞄を見つけてもらい、それを青森まで送ってもらいました。

 数日後にその宅急便が届いたので、カバンをおじさんに見せて、お礼を言ったのです。
「あの日、私は東京の明治神宮にいて、カバンだけ置いてきました。でも知人に送ってもらったので、この鞄の中にある財布から、お礼をお支払いします」 

 といった究極の覚醒まで到達された神仙KAN様のエピソードでございました。クンルンネイゴンを実践するとこんな境地まで到達出来るそうです。
 もうこれは……やるっきゃないかも(b´∀`)ネッ!♪


FC2版の広瀬すずちゃんの横顔になる方法の記事です♪
身長を伸ばす記事も追記してみました♪



オススメスピリチュアルサイトをご紹介♪

プロフィール

斉藤なぎさちゃんが大好き♪

Author:斉藤なぎさちゃんが大好き♪
 
 高身長になる方法・広瀬すずちゃんの横顔になる方法・小顔になる方法・悟りを開く方法・健康になる秘訣・宇宙の真理…など世のため人の為に役立つ情報を書いております。
 貴方の素晴らしい人生のお役に立てますように♪

 30歳を過ぎてから努力で22cm身長を伸ばして195cmになっちゃいました♪
 それと…小顔になる努力で、全頭高が大谷翔平さん級の20.5cmなりまして……純日本人ながら、リアル9.5等身を達成することが出来ました♪

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